コメディ・ライト小説(新)

Enjoy Club 第9話『混乱の夜明け』(2) ( No.945 )
日時: 2011/04/12 23:12
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: st6mEGje)

「どうぞ、風也くん」

 カタッと小さな音を立てて、風也の前にパスタののった皿が置かれる。風也はエプロン姿で脇に立っている私の母親に、軽く頭を下げながらお礼を言った。

 今はちょうど昼の12時を回った頃。午前中から私の家で勉強会を開いていたのだが、1時間ちょっと頑張ったところで早くもお腹がすいてしまった。加えてちょうど私が、頭の中をぐるぐると回る歴史の年号に今にも目が回りそうな状況にあったので、休憩を入れることにしたのである。

 私と風也は今4人用の食卓に隣同士で座っている。私の正面は母親の席。そして風也の正面には、やかましい弟・葵が喜々とした顔で座っていた。家族なので一緒に食べることは何ら不思議のないことなのだが、お客さんがいるときに弟と食事をするのは正直気が進まない。絶対にケンカになるからだ。今のところはまだ問題は起きず、葵は愛想のいい明るい表情で風也と話をしているが、いつどんなくだらないことが発端で口喧嘩になるかは私にもわからない。
 椅子の背もたれに体重をかけながらぼんやりと2人の会話を眺める。葵の方にはあまり意識をやらないように気をつけていたのだが、どうしてもちらちらと視界に入るものがあった。時折、葵がピンでとめてある前髪を手で触れるのである。乱れていないかどうかが気になるのだろう。葵は結構ぱっちりとした目で可愛らしい顔立ちをしており、そのせいか髪形や服装にやたらとこだわりをもっているのである。身につけるものも外見に合わせているのか、男子にしては可愛い系のものが多い。それはまだこちらに迷惑は及ばないので構わないのだが、困るのが毎朝洗面所を長時間占領することだった。寝起きでぼうっとしている私が洗面所に向かうと、葵が鏡を覗きこんで髪形を整えながら、「見た目ちゃんと気をつけないとモテないぜー」とかなんとか、嫌味っぽく一瞬私に視線を投げて言うのである。そこで頭にきて言い返すと、そこからくだらない言い合いが始まってしまうのだ。

 何やら部活の話で盛り上がり手を叩いて笑っている葵をムスッとした顔で見ていると、母親から「亜弓、フォーク持っていって」と声がかかった。いつもより格段に優しい声だ。その声音に違和感を覚えながらすぐに立ち上がると、風也もハッとして立つ素振りを見せたが、そこは慌てて止めておいた。

「姉貴が持ってくるから大丈夫っすよー」

 ニヤッと生意気な表情で笑う葵。反射的に開きかけた口を、私は寸前で抑え込む。

 ――……我慢……っ、我慢です……!

 風也が来ているときくらいは静かに食事をとろう、と私はひそかに決意を固めていた。以前彼の前で盛大に姉弟喧嘩をしてしまったことがあるので、今さらではあったが。



「それじゃあ、めしあがれ」
「いただきまーす」

 いつもはそんなことはしないのに、軽く両手を合わせて元気な声を上げる。湯気の立つパスタによだれを垂らしそうになりながら、フォークを握る手に力を込めた。
 母親はフォークでパスタを巻く素振りをしながら、目はじっと風也の方を向いている。口元は優しく笑みを浮かべていたが、その目には少なからぬ緊張がうかがえた。彼女の視線の先で、綺麗にパスタを巻いた風也がそれを口に運ぶ。私はその光景を、口をもぐもぐとさせながらさりげなく横目で見ていた。
 口に入れたパスタを何度かかんで十分に味わった風也は、とても満足そうな表情を浮かべて母親の方を見た。

「おいしいです、すごく」

 母親の顔に光がさす。

「本当? 良かったわぁ」

 嬉しそうに表情を緩めた母親は、安心したのか自分も食事に取り掛かった。
 
 その隣で、さすがは中学生男子。ちゃんと味わっているのかどうか怪しいほどにものすごい勢いでパスタをかきこんでいる葵は、あっという間に皿の中身を平らげて口の中をパンパンにしたまま、「おかわり!」と母親に皿をつきだした。こもった声で聞き取りにくかったが、何を言っているかは予想が付く。いつもだったら不機嫌そうに自分でつぎに行けと言うはずの母親が、一瞬迷惑そうに眉をひそめただけで、「はいはい」とすぐに席を立った。葵に比べるとかなり大人しく食事をとっている風也が感心したように口を開く。

「すげぇ食うな。食べ盛りか」

 風也も年齢的には食べ盛りなのではないかと思ったが、なんとなく黙っておいた。

 何も巻いていないフォークを口にくわえていた葵は、大きくうなずきハキハキとした口調で言う。初対面の人がたいてい良い印象を抱く、明るく元気のよい声だ。

「いくら食べてもすぐ腹へるんすよ! それでも姉貴はオレ以上に食うんすけど……」
「私そんなに食べてません!」

 目をキッととがらせて即座に反応すると、葵の2杯目をついできた母親が苦笑を浮かべなだめてきた。

「2人とも、お客さんの前でケンカなんてしないの」

 言いつつ、丁寧にお皿を置く。葵が目を光らせて、大げさにフォークを構えた。私も冷静になって、ちょっとふくれっ面をしながら食事を再開した。

 それから少しの間、皆黙々とパスタを口に運んでいた。食べることに集中しているので辛い沈黙ではない。程よい塩気と、口の中に広がるチーズの風味を楽しみながら、そのおいしさに思わず顔をとろけさせる。あと三口ほど残したところで、私はふと右隣に座る風也を見た。フォークを口に運ぶところで視線に気付いた彼は、こちらを見てわずかに首をかしげてくる。その眼差しが驚くほどにあたたかく優しくて、私は思わず顔を赤らめながら首を横に振ってしまった。わずかに上気した頬を隠すように、顔を伏せながら意識をパスタのほうに戻す。
 同時に、突然正面で小さな笑い声が漏れた。私は弾かれたように顔を上げた。

「ちょ、な……何笑ってるんですか!」

 母親が実に微笑ましげな表情を浮かべている。それから私の震え気味の台詞を受けて、心底楽しそうに言った。

「なんだか初々しいわねー本当にもう〜」

 どかんっと体温が急上昇する。恥ずかしさのあまり、今度こそ顔が熟れたリンゴのように真っ赤になってしまった。幸い葵は私と風也の無言のやり取りを目撃していなかったようで、怪訝そうな、そしてちょっと悔しそうな顔で私達の様子を眺めている。
 やがて風船がしぼむように笑いの収まった母親は、いったん手を止め、真っ直ぐに風也のほうを見た。風也も視線に気付き動かしていた手を止めて、何を言われるのかとちょっと緊張した顔で見返す。そして彼の顔を恍惚とした表情で見つめた母親は、不意にとろけるように笑顔をこぼして歓喜の声を上げた。

「本当にかっこいいわぁ、風也くん。亜弓あんたよくこんなかっこいい子つかまえてこれたわね」

 風也が拍子抜けしたようにあきれた表情で母親を見た。しかし母親はそんなことはお構いなしに気持ち身を乗り出す。なんだか顔が若返っているような気さえする。

「この子のどこが気に入ってくれたの? だって風也くんと結構タイプの違う子でしょう?」
「ちょっとお母さ――」
「オレも知りたい! だって紫苑先輩みたいなかっこいい人だったら、絶対もっと可愛い彼女ができるは――」
「葵は黙っててくださいっ!!」

 思わず思いっきり声をたたきつける。しかし例の如く葵はへらへらと笑ってナメた態度をとり……。

「いいよなぁ……お前の家族」

 むすっとした顔で頬をふくらませる私に、風也が笑顔を浮かべながら羨ましげにそう言った。その笑顔には紛れもなく、自嘲の色が宿っていた。