コメディ・ライト小説(新)

Enjoy Club 2章 第3話『ふたり』(2) ( No.162 )
日時: 2011/11/28 06:43
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: AEu.ecsA)
参照: 2ページです


 暑さによる寝苦しさが少し薄れてきた、9月の半ば。早朝の時間帯は、薄手のコートなら羽織っていられるくらい適度に涼しい。夜明け前の神秘的な淡い闇の中、扇は車のエンジンをかけた。

 いつも思うのは、自分の能力が移動には何の役にも立たないということだ。扇の能力は“氷”。任務の最中にはかなりの力を発揮できるのだが、テレポートのような便利さはない。月下白狼の他のメンバーも、園香が“浮遊”の能力で身軽に遠くに行けるくらいで、移動秀でた者はいなかった。影晴から麗牙光陰のリーダーの能力はテレポートだと聞いているが、正直彼の能力が本当にうらやましい。

 寝静まった街を、慣れた手つきで運転していく。そして今回のターゲットの家が見えると、相手に気付かれないくらいに距離をおいたところでエンジンを切った。そのまま音も立てずに車を降りる。周りはごく普通の住宅街だ。意識して緊張感を高めつつ、扇は目的の家を目指して歩く。やがて、その足がふと止まった。扇は眉根を寄せ、改めて辺りに視線を走らせた。何かがいつもと違う、そう思って目を細めたところで、不意に扇はその理由に思い当った。それに気付いた瞬間、思わず舌打ちしそうになって寸ででそれを止めた。

 ――……堂々と普通の住宅街に住んでいるのか……

 頭に記憶している目的地周辺の地図。それによれば、今回“盗る”べき獲物は、確かに数メートル先に見えている家にあるはずだった。それなのに、人気のある一軒家の列は一向に途切れる様子がない。危うく目的の家に気付かずそのまま通り過ぎてしまうところだと、扇は細く息をつく。出発前に地図を確認した時、確かに住宅街の広がる地域だったような気もするが、いつものようにどうせツタの這うような廃屋だろうと高をくくっていたのだ。

 扇は一度脇道にそれ、公用の小さな駐車場の隅に身をひそめた。頭の中で、今まで通って来た道と、記憶にある地図とを冷静に照らし合わせる。今扇が用心のために隠れているのが、駐車場のちょうど道路との境の所。右手後方をのぞき込めば、獲物のある家がすぐ先に見える。
 引き締まった表情を少しも動かすことなく、あくまでも冷静にこの先のことを考え始めた。獲物のハードディスクはどこにあるのか、どのように保管されているのか、厄介な警備はは施されているのか……。そんなことに思考をめぐらせ、その一方で扇はおもむろに上着のポケットからあるものを取り出していた。それは、黒い革の手袋。ここ数年任務を共にしてきた、大事な相棒だった。元はそれなりに値の張るものだったが、使い込んだせいで随分と色が落ち、くたびれてしまっている。キュッと音を立ててそれを手にはめ、扇は目的の建物に鋭く意識をやった。

 一見ごく普通の、2階建ての一軒家。黒光りする車の止まっているその建物へ、扇は用心深く近付いて行った。そして家の周りを囲む低い塀に沿って、そのまま家の裏側、つまりベランダ側へとまわりこむ。そこで中腰になり、塀に背を軽く当て、塀の向こう側を慎重にのぞき見た。
 庭に面した大きな窓の奥は明かりがついていたが、カーテンが閉じられていて、中はぼんやりとしか見ることができなかった。夜明け前というこの時間帯からして電気が付いているのは逆に驚きだったが、中の様子が見えなくては何の意味もない。これでは獲物の場所の見当もつかない。周りが普通の住宅街なので、今までのように力に物言わせて突っ込んでいくのも躊躇われる。

 ――……厄介なところに当たった……というより本当にここで合っているんだろうな?

 今までこういうパターンが全く無かったわけではないが、今回は何と言っても1人だ。おとりになってくれる人も誰もいない。扇は歯ぎしりしたい思いで、塀の下に身を落とした。久しぶりに嫌な緊張感が、胸の辺りを渦巻いている。扇は深く眉間にしわを寄せた。ずれてもいないのに、黒縁眼鏡に長い指をあてる。