コメディ・ライト小説(新)
- Enjoy Club 2章 第3話『ふたり』(3) ( No.173 )
- 日時: 2011/12/05 20:22
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: KZXdVVzS)
園香はうっすらと瞼を上げた。ぼんやりと家具の色が瞳に映る。何処か夢うつつな状態のまま、しばらく薄目で前方を見つめてみる。
右頬にクッションの、左肩に毛布の感触を感じた。それを認識した瞬間突然意識が覚醒して、園香は今度こそぱっちりと目を開けた。窓から差し込む白い朝日が、床やソファ―を淡く照らしている。家具が輪郭をもって瞳に映る。目を幾度か瞬いた園香は、一気に上半身をソファーから起こし、周りを素早く見回した。
すぐに扇の家だということはわかった。どうやら人の家のソファーを占領して眠ってしまっていたようだ。寝ぼけていた頭がはっきりしてくると同時に、昨晩の記憶も鮮明に蘇ってくる。友達と零時を回るまで飲んでいて、自分の家まで帰るのも面倒くさくなりここまで来てしまったのだ。元々園香はお酒には強い方なので、足元はしっかりしていたし、記憶もちゃんと残っている。ただ扇の家に着いた途端、アルコール独特の深い眠気が襲って来て、そのまま眠ってしまったが。
園香がソファーから足を下ろし、冷えたフローリングに指先をつけたところで、不意にリビングの扉が開いた。一瞬驚いて肩をちぢこませた園香は、入ってきた人物を見てすぐに肩の力を抜いた。もちろん入ってきたのは家主の扇だ。
「起きてたか」
彼は呟くようにそう言って、リビングの電気を付けてくれた。今まで自然の光が部屋に差し込んでいたので暗さはそこまで気にならなかったのだが、電気を付けるとそれはそれで至極明るい。彼の顔もはっきりと見える。その少し疲れた表情も。園香はそれを頭の片隅に留めながら、慌てて乱れた髪を手ぐしでといた。普段アップにしている髪は、下ろすと余裕で肩下までの長さになる。前髪も右寄りの位置から横に流すと、園香は何となくソファに深く座り直した。毛布を膝にかけて扇の方を見ると、彼はいつもよりはキレの無い動作で上着を脱いでいた。
「扇、ごめんね勝手に入っちゃって」
一応礼儀として謝罪の言葉を投げかけると、扇は一瞬キョトンとした顔をし、小さく苦笑を漏らした。
「別に構わない」
それだけ言って、上着をかけに部屋に入ってしまう。その様子を園香は注意深く目で追っていた。一方で手は、膝の上で毛布をたたんでいる。
ふと、先程見た夢が頭に浮かんだ。珍しく、鮮明に覚えている夢。あまり気持ちの良い夢ではなかった。手に握った汗も、必死に動かした足も、胸を渦巻くかきたてるような焦燥感も、思わず眉をひそめてしまうくらいにはっきりと覚えている。そこで唐突に、喧嘩をして以来会っていない迅と春妃の顔が頭に浮かんで、園香は思わず泣きそうに顔を歪ませた。先程の焦燥感とはまた違う、濃い不安が胸の内に膨らんできたのだ。気付いたら、たたんだ毛布の上で両の拳を強く握りしめていた。
ソファーの前の小さなテーブルに、ディープピンクの携帯電話が置いてある。園香のものだ。それを見ているうちに、先日夜ゑにかけた電話のことを思い出していた。今でもたまに顔を合わせている、中学の頃からの友人。そんな彼女が、電話を切る直前に言っていた言葉がずっと頭の片隅に残っていた。
――“今度、会おうね、絶対”
どうして彼女は、“絶対”なんて言葉を付けたのだろう。どうしてあんなに力を込めて言ったのだろう。これではまるで、自分が今感じている得体の知れない不安を彼女も感じていたかのようだ。テーブルの上の携帯電話をそのままじっと見つめてみる。今すぐにでも、夜ゑの声は聞ける。でも今はまだしない。E・Cを抜けて自由になったその時に、もう一度彼女とゆっくり話そうと、そう決めたのだ。そしてもちろん迅や春妃とも、ちゃんと会って話をしなければならない。
「園香?」
いつの間にかリビングに戻ってきていた扇が、心配そうに声をかけてきた。携帯から目を上げるとキッチンに立つ彼と目が合う。その表情が少し陰っているのは、きっと任務の最中にそうさせる何かがあったからだ。園香はふっと微笑んで、ソファーから腰を上げた。
「大丈夫。変な夢を見ちゃって、ちょっと考え込んでいただけよ」
扇は片手鍋でお湯をわかしながら、何かもの言いたげな目でこちらを見ていた。しかし園香はにっこり笑ってその視線をかわし、足を弾ませてキッチンにいる扇の元へと向かう。調理台を見ると、どうやらコーヒーを作ろうとしているようだ。
園香は彼の隣に並ぶと、そのワイシャツの裾を指先で引っ張った。
「扇、疲れてるんじゃない? あたしが朝ごはんつくるから休んでていいわよ」
どうも口数の少ない扇にそう言うと、彼は何か言いかけた口を閉じ、代わりに小さく息をついた。申し訳なさそうに謝ってキッチンを離れる彼の背中を、園香は不安げに見つめる。おそらく原因は任務だ。彼がもう少し疲れがとれた頃に何があったのかを聞かなくては、と園香は唇を引き締めた。
ソファーがわずかにきしむ音。鍋の中のお湯も音を立てて泡を吹かせる。そこで扇が、唐突に言った。
「今日……影晴のところに行かないか?」
弾かれたように彼の方を見る。気のせいだろうか。周囲の音が、一気に遠のいたような気がした。扇はソファーに座り、じっとテーブルのあたりを見つめていた。園香がどう反応すべきか迷っている間に、扇がさらに言葉を紡ぐ。
「今日の夕方、どちらにしろ任務の報告のために影晴のところに行く。そのときに、園香も一緒に来ないか?」
「それは……、E・Cを脱退するって宣言、しに行くってこと……よね?」
扇はこちらと目を合わせて、はっきりとうなずいた。その瞳は、先程の疲れの色を塗り潰すくらいに力強く、少しも揺らぐ様子がなかった。園香はそれを深い感慨を胸に見つめていた。胸の鼓動が一音一音大きく響き、胸元に持ってきた右手が小刻みに震える。
窓から差し込むあたたかい光が、扇の背に照りつける。その光を、その姿を目に焼き付け、園香はかみしめるようにうなずいた。引き結んだ唇が、わずかに震えていた。