コメディ・ライト小説(新)

Enjoy Club 2章 第3話『ふたり』(4) ( No.177 )
日時: 2012/04/10 14:15
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: KZXdVVzS)

 同じ日の夕方。オレンジ色のまばゆい光が、そろそろ建物の陰に沈もうかという頃。夜ゑはひとり、手に持ったあるものをじっと見つめていた。

「――夜ゑ?」

 不意に背後から耳慣れた声に呼ばれ、夜ゑはハッとして手元から目を上げた。この、耳に抵抗なく入ってくるほどよい低音は、同じ下橋のメンバーの三和伸次だ。幼馴染と言えるくらい小さい頃から時間を共にしている仲なので、その声を聞けば一瞬で彼だと判別できる。
 夜ゑが後ろを振り返ろうとするのと同時に、思った通り三和伸次がひょこっと横から顔を出して手元を覗き込んできた。夜ゑが先程まで真剣に見つめていたのは、一枚の写真だった。伸次はそこから視線をはずさずに、「最近こればっか見てるよなぁ」と不思議そうな声音で呟いている。思わず目を丸くしてすぐ隣にある彼の横顔を見つめる夜ゑ。通った鼻筋。ぱっちりと開いた目。幼い頃から変わらない可愛らしい横顔を見ながら、自然と唇が緩んだ。

 今2人がいるのは、緋桜の家の2階。物置になっている部屋だ。有衣と一緒に、下橋の革命の経緯を亜弓に教えた場所でもある。夜ゑはつい10分ほど前に1人でこの部屋にやってきて、アルバムから1枚の写真を取り出して見つめていたのだ。くいいるように、じっと。段ボールや衣装ケースに囲まれたその部屋で、座りもせずに。そんなときに、伸次が後から部屋に入ってきたわけである。

 夜ゑはざっと伸次の服装に目を走らせ、口角を上げた。彼は定番のシンプルなデザインの黒スーツを身にまとっていたのだ。元々たいていの人に好評価をうける顔立ちの伸次。そんな彼がスーツを着ると、さらにかっこよさが増すのである。ちなみに夜ゑ自身はフォーマルな格好の彼に対し、いつも通り胸元にピンクのリボンがある黒基調のワンピースに、黒のニーソックスで決めている。夜ゑは服から視線をはずし彼の目を捉えると、にこっと微笑んで言った。

「バイト?」
「あぁ、うん。これから」
「他の人たちの邪魔になんないようにね?」

 明るい声でそう言い可愛らしく首をかしげると、肩のあたりで切りそろえた黒髪が扇を開くように美しく流れた。それを見てわずかに頬を赤らめつつ、伸次は案の定弾かれたように言い返してくる。夜ゑももちろんくすくすと笑ってそれを聞き、再びサラッと毒の入った言葉を言い放った。最終的に伸次は何か反論したげに口をパクパクとさせ、そのうちそっぽを向いて拗ねてしまった。それを相変わらず楽しそうに見ている夜ゑ。やがて満足げな表情で手元に目を戻す。

 その写真には、3人のセーラー服姿の女の子が映っていた。中学で仲良くしていた3人組だ。真ん中に映っているのが夜ゑ。今と違って、ロングの髪をシャギーカットにし、前髪を目の上で綺麗に切りそろえている。向かって左にいるのは、長い髪をポニーテールにした女の子――園香だ。そしてその逆側、夜ゑの右隣には、唯一髪を茶色に染めている大人びた容姿の女の子が映っていた。前髪は夜ゑ同様真横に切りそろえ、ボブにした髪にはパーマがかかっている。彼女が、中学で園香と共に仲良くしていた同級生――若菜だった。夜ゑと園香はプリーツのスカートが膝丈なのだが、若菜だけが女子高生顔負けの極端に短い長さである。しかも中学生にしてすでに、メイクをばっちり施していた。しかしそういった外見の差はともかく、3人とも皆唇は緩く弧を描き、すました笑顔で映っている。

 すねて顔をそむけていた伸次が、相手にされなくて寂しくなったのか、再び手元の写真に目を向けてきた。夜ゑはその顔を軽く見上げ、彼に写真を渡してやる。

「覚えてる?」

 写真に映っている夜ゑの両隣を指して言うと、伸次はすぐに繰り返しうなずいた。彼も夜ゑと同じ中学なのだ。

「もちろん。夜ゑが中学でつるんでたダチじゃん。てか安藤さんとは今でもたまに会ってるだろ?」
「うん、さすがしーちゃん」
「だからしーちゃん言うなって……え、夜ゑ?」

 伸次の声音が、急に色を変える。夜ゑは慌てて顔を伏せた。なぜだか目頭が熱くなったのだ。心配そうに眉を下げてこちらを見てくる彼の顔を、夜ゑは泣き笑いに近い表情で見返してしまった。涙は出ていなかったが、こちらを案ずる彼の顔を見ていると、熱くなった目じりから今にも滴がにじみそうになった。
 夜ゑ自身、自分の今の感情がよくわからないでいた。ただなぜか写真を見ていたら、伸次と写真の話をしていたら、突然不安に駆られたのである。そして伸次の顔を見た瞬間今度は切ない気持ちでいっぱいになったのだ。どうしてこんなにも下橋の人達は優しいのかと、前髪を整える振りをしながら夜ゑはそんなことを思った。彼らは知っているからだろうか。自分がどういうことで傷つくのか、どういうことで不安になるのか。そして自分の周りにいる人達が、どういうことで傷つき不安を感じるのか。それを知っているから、こうやって人のことを思いやることができるのだろうか。少なくとも緋桜の仲間の抱える不安を知っているはずの自分も、そういったあたたかさを持てているのだろうか。

 前髪から手を離すと、伸次の真摯な瞳と目が合う。夜ゑは微笑を広げて大丈夫だと首を横に振った。不満そうに眉をひそめる伸次。それでも夜ゑは、今つらつらと胸の内で考えたことを彼に告げようとは思わなかった。彼の前ではどこか強くありたいという願望があったからだ。
 そのことに今さらながら気が付いたとき、夜ゑは思わず心の中で苦笑を漏らしてしまった。夜ゑ自身、伸次相手でさえ自分の全てを話してない。だったら逆だって十分にありうるのだ。伸次だって、皆だって、全てを外にさらけ出しているわけではない。自分は、皆の全てをわかっているわけではない。それでも皆が優しくあるのは――……。

 夜ゑはくるりと伸次に背を向け、後ろを振り返って言った。

「それじゃあそれ、アルバムに戻しといてね」
「え、は……?」

 間抜けな声を上げる彼を残し、わざとらしく足を弾ませて部屋を出る。彼には申し訳ないが、仕方がない。このままあの部屋であの雰囲気のままいたら、無意識のうちに口に出してしまいそうだったから。お互いわかっていながら、未だどちらも相手に伝えていない言葉を。


 ――……大好きだよ、伸次


 今はまだ、胸の中で。