コメディ・ライト小説(新)
- Enjoy Club 2章 第3話『ふたり』(8) ( No.211 )
- 日時: 2012/04/22 21:32
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: KZXdVVzS)
自分の記憶に残っている“有希白波”とは、随分と変わってしまっていた。見た目も、雰囲気も。ふと、年齢は今いくつぐらいだっただろうかと疑問に思いその痩身をあらためて観察して、園香はつい首をかしげたくなった。無感情な表情がそうさせるのか、すらりと高い背丈がそうさせるのか、それとも薄手のロングコートという浮ついた空気など一切感じさせない格好がそうさせるのか……、彼は随分と大人びて見えた。姉の若菜といくつの年齢差があったか思い出せないが、まだ高校生になっているかどうかも怪しい年齢のはずだ。
背中に広がった寒気に身震いをすると、園香は震えてしまいそうな声を気丈に張って白波に尋ねた。ずっと、気にしていたことを。
「若菜は、元気にしてる……?」
瞬間、白波の息が止まってしまったのように園香には見えた。彼は視線を落としたままこちらと目を合わせようとしない。乾いた唇はすっかり色を失っている。その様子が園香の不安をさらにあおった。思わず一歩踏み出し再び言葉を投げようとしたとき、白波が震える息を勢いよく吸い込み、顔を上げた――次の瞬間。
すさまじい風圧が、真正面から園香の体にぶち当たってきた。呼吸が止まる。抵抗する間もなく、叫び声を上げる間さえなく、園香の両足はふわりと地を離れあっという間に吹き飛ばされてしまった。唐突に真っ黒な空が視界いっぱいに広がる。そして直後強い衝撃が全身に弾け、気付くと園香はアスファルトの地面に右頬をあてて倒れていた。うめき声をもらし、顔の横についた左手で地面をかもうとする、が力が入らない。水の中にいるようにぼんやりとした意識の中で扇の声を聞いたような気がしたが、なんと言っているのか全く分からなかった。
――……なに、今の……っ
地面にたたきつけられたせいか、全身がしびれあがっていた。特に左肩の辺りはしびれと共に鈍い痛みを訴えている。小さく舌打ちを漏らし目を細めつつまばたきを繰り返していると、ようやく視界にまともな色が戻ってきた。至近距離で視界に映る濃灰色のアスファルトに引っ張られて、意識も随分とはっきりしてきた。
足音がゆっくりと近付いてくる。耳を地面に押しつけた状態のせいか、細かな砂利をこすって近付いてくるその音が、やけに重く響いて聞こえる。その音が扇のものでないことは優に察しが付いた。左は痛みそうなので右肘を支えに上半身を起こしていると、足音がすぐ目の前で止まった。ごくシンプルなデザインの黒い靴が視界に入る。
「若菜が見たら泣くわよ」
薄笑いを浮かべて意地悪なことを言ってやる。かすれた声になってしまったのが不服だったが、未だに全身がじんじんとしびれているのだから仕方がない。右腕の袖についた砂が静かに地へと落ちていく。躊躇いなく顔を上げると、視界に予想通りの人物が映った。彼の能面のような顔が、園香の瞳にくっきりと焼き付いた。幼い頃のキラキラした瞳をもった彼の顔と、自然と重ねて見てしまう。しかし面影はほとんど残っていないように思えた。むしろ彼が若菜の弟であると気付いた自分に驚きを感じてしまった。
白波の左手からは、透明なしずくが滴っていた。氷で覆われた彼の左手は、炎症からかすでに赤みを帯びている。少しかわいそうにも思えたが、そんなことを言っている場合でもない。園香は彼の左手から目を離し、唐突に右足を支えにして後ろへ宙返りをした。一度だけあっさりと回転をして、白波から2メートルほど離れたところにふわりと着地する。こんなもの、“浮遊”の能力を使ってしまえば何の造作もないことだ。少しは驚いただろうに、白波にその様子はない。それを思わず眉をひそめて見つめる。本当はそのまま宙に浮いているという手もあったが、今はそういう気持ちにはなれなかった。
ジーパンについた汚れをさっと払って、園香は再び正面から白波と視線を合わせた。が、そこで予想外の光景が視界に飛び込み、思わずそちらに意識をやってしまった。
白波の向こう側で、扇がもう1人の謎の青年と対峙していたのだ。あの、今まで全く口を利かずただ不気味に白波の横で佇んでいた、スーツ姿の青年である。もちろん2人は冗談でも好意的な雰囲気とは言えず、こちらにまで殺気立った空気が飛んでくるようだった。しかし幸いなことに、扇の方が先手を打って相手の両足を氷で封じていたので、一安心ではあったが。
――……扇、あいつから何か聞きだしてるみたいね
目を細めて2人を見、園香はすぐに扇の元に駆け寄ろうとした。先程まで芯から冷えていた体が今は熱い。ところが2歩目を踏み出そうとしたところで、当然の如く白波が進路に立ちはだかった。園香はむっとして白波を軽く睨みつけたが、彼の瞳は小揺るぎもしなかった。仕方なく駆け寄ろうとした足を止める。
「ねぇ、聞きたいことは山ほどあるんだけど、とりあえず」
そこで、扇と対峙している茶髪の青年を顎で指した。
「あいつは何者なの? 麗牙光陰じゃないのよね?」
白波はす……と目を横にそらして、低くくぐもった声で言った。
「……天銀。影晴の助手みたいな奴だ」
「あま、がね? 随分と変わった名前ね。それに影晴の助手だなんてうさん臭い奴」
「あいつには――」
珍しく。白波がほとんど園香の最後の言葉にかぶせるような勢いで話を続けた。園香は最近の彼の様子を知らないのでそれが珍しいことだなんてわからなかったが、それでも彼が彼の意志を持って何かを伝えようとしているのは、その切迫した声音で十分に感じとれた。園香がまばたきもせずに彼の言葉を待っていると、彼は目をそらしたまま後を続けた。
「あいつには、気を付けた方がいい」
なんで、と間髪置かずに尋ねると、数秒の沈黙の後白波が固い声で言った。
「あいつの能力は、人を殺す」
覚悟していた以上の言葉に、園香は目を見開いて彼を凝視し、すぐに扇と天銀の方へ勢いよく顔を向けた。天銀は相変わらず両の足首から下を氷で固められたままだ。先程とそれほど状況は変わっていないように見える。それなのに天銀の顔には一片たりとも動揺や不安の色は見えなかったし、むしろ扇の方がその背中に重い緊張感を漂わせていた。扇が何かを天銀に問い詰めているのがわかったが、何を聞いているのかまでは聞き取れない。手ににじんできた汗が気持ち悪くて、園香は思い切り顔をしかめた。
そんな時だ。しかめっ面のまま天銀の黙した顔を見ているうちに、昔若菜がさびしそうに言っていた言葉が唐突に頭に浮かんできたのだ。
――ほんとはね、あたしたちにはお母さん違いのお兄さんがいるの。どんな人なんだろうねっていっつも白波と話してる。いつか一緒に暮らしてみたいよ……
目を見開いて天銀を見、園香は固まってしまった。そしてそう時間がたたないうちに、ハハッとなぜか空笑いが漏れてしまった。考えるよりも前に、ぼつりと言葉がこぼれおちた。
「目元が似てるわね……3人とも」
なぜだか涙までこぼれおちそうになった。園香は扇達の方を見ているので、白波の顔は見えない。それでも、彼の周囲の空気が凍りついたのだけははっきりとわかった。別に傷つけたいわけではない。ただ、自分が何かを言うたびに、どこかでバキッとひびの入る音が聞こえるだけだ。きっと自分の存在が近すぎるのだ、昔の彼に。……脆すぎるのだ、彼の心が。
「ねぇ」とそう言って、園香は目だけで白波の方を見た。
「最初の質問に戻るけど、若菜は元気なのよね?」
園香としては、単に確認したいだけだった。若菜は無事だと。いつか連絡のつながる日が来ると。それさえわかれば園香も夜ゑも安心できるのだ。それなのに、ただ「うん」と一言答えれば済む話であるはずなのに、白波はなかなか口を開こうとはしなかった。唇を固く引き結んで、あらぬ方向を睨みつけている。やがて、しびれを切らした園香が追求しようとした時だった。白波がわずかに唇を開いたのだ。あふれ出しそうな感情を慌てとしとどめた園香は、じっと彼の唇を見つめて音を待っていた。
「……んだよ」
「え、何? もう一回――」
「あいつは死んだ……っ」
叩きつけるような声で白波が叫ぶ。時が、止まったような気がした。