コメディ・ライト小説(新)

Enjoy Club 2章第4話『知る者、知らぬ者』(12) ( No.332 )
日時: 2013/09/25 22:19
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: KZXdVVzS)


 ――……ちぇっ、移動教室か

 友賀葵は横目でもぬけの殻の教室を見、唇を尖らせた。

 友人から“紫苑風香”という女の子の存在を知らされてから、葵は気が付くと彼女の存在を探すようになっていた。登下校中の道中で、校内で、休日も風音の街を歩きながら。例えいつもつるんでいる3人の友人と廊下を走り回っている時でも、風香がいる1組の前を通過する瞬間はしっかりと教室内に視線を投げていた。それだけ気にしていれば当然両手の指では足りないくらい彼女の存在は目に留めていたが、中でも一番会う確率が高かったのが1組の教室。……いや、“会う”というのは語弊かもしれない。遠くから一瞬様子を伺うだけなのだから。
 風香は第一印象と変わらず、いつ見ても不安げな様子の子だった。彼女の隣には常に同じ友人が1人寄り添っていたが、もしその友人がいなくなってしまったらそのまま支えを失って泡のように消えてしまうのではないか、そう思ってしまうくらい彼女は頼りなく、力ない存在だった。少なくとも、愛らしい顔立ちで明るくて、大勢の友人に囲まれている葵とは対極とも言える女の子。もしかしたら、風也が到底同じタイプとは思えない自分の姉を好きになったのも、今の自分と似たような感覚だったのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えている時だった。

「残念。またいなかったな」

 葵はハッとして目を上げた。右隣を歩く広野が、足を進めながら先程通り過ぎた1組の教室を振り返っている。風香を探しているのがバレていたと知り、葵は思わず彼から目をそらした。その途端、残り2人の友人が実に楽しそうな笑い声を上げた。

「なんだよ葵、照れてんじゃねぇよ!」

 言いながら勢いよく体操服の背中をたたかれる。「いってぇなぁ」と葵が睨むのと、背中をたたいた友人が「あ!」と声を上げるのとはほぼ同時だった。驚いてその友人を振り返ると、彼はやけにうれしそうな顔で前方を見ている。その視線の先を目で追っていき、葵はしかめていた顔を一気に輝かせた。移動教室から帰ってきたところなのか、噂の紫苑風香その人が、教科書とノートを細い両腕で抱くように持って歩いて来るところだった。艶やかでくせのない黒髪が肩口で揺れている。顔をちょっとだけ横に向けて、いつも一緒にいる友人と話をしながら歩いていた。その口元にはわずかながらも笑みが浮かんでいて、葵は胸が熱くなった。
 ――が。そんな幸せな気分は、すぐに友人の悪ふざけでぶち壊されてしまったのである。

「紫苑さんだぜ、おいっ。やっぱ影薄いけどよく見ると可愛いよなぁ!」

 服の袖をつかみつつ熱のこもった声でそう言ったのは、左を歩く友人。広野ではない。広野は葵の右隣で、音量を落とせというように人差し指を口元に立てている。葵もチラチラと風香の方を見ながら慌てて友人を止めた。

「お前声でけーよ。バレたらどうすんだよ!」
「いいじゃん、葵モテんだから大丈夫だって」
「何が大丈夫なんだよ、おれ別にそういうわけじゃ」
「へへっ、今さら隠すなよ! ほら、紫苑さん来たぜ。――紫苑さん! こいつが話あるって!」

 唖然として友人を見ると、先ほどの倍以上の力で背中を押され、小柄な葵は大きくつんのめって誰かにぶつかってしまった。反射的に謝りつつ顔を上げると間近に風香の顔があって、葵はスローモーションのようにぱっちり二重の目を見開く。ぶつかった拍子にいつも気にしている前髪が少々崩れていたりもしたが、この時ばかりは気が付きもしなかった。
 対して突然見知らぬ男子から名指しをされ、さらに見知らぬ男子に衝突された風香は、驚き以上におびえを含んだ瞳でこちらを凝視していた。その大きなつり目を真正面から見た瞬間、葵は思わず固まってしまった。

 一歩、風香が片足を引いた。胸元に抱いた教科書を固く握り直す。そしてこちらが声をかける間もなく、さっと顔を伏せるとそのまま葵の前から立ち去っていった。彼女の友人も怪訝そうな顔でこちらを見、慌てて彼女を追っていった。

 葵は耳まで真っ赤にして床に視線を落とした。このどうしようもない羞恥が、廊下を行き交う同級生達からの好奇の目のせいなのか、それとも全く別の理由なのか、自分でもさっぱりわからなかった。