コメディ・ライト小説(新)
- Enjoy Club 第2章 第6話『揺らぎ』(3) ( No.396 )
- 日時: 2019/10/01 00:58
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: E616B4Au)
そのころ荒木恵玲は、校庭を脇目もふらずに歩いていた。校舎の方向に向かって歩いてはいるが、実のところ目的地は決まっていない。ただ、他の誰の目にもつかない場所。それもできれば、どれだけ大きい声で叫んでも誰の耳にも届かないような場所に行きたかった。
向かう先が決まっていないわりに、土を踏むスピードは速く、そして力強い。一歩一歩足を踏みしめるたびに、体の脇で握ったこぶしを勢いよく振っている。今の彼女を友人が見たら、目を丸くして声をかけるのをためらっただろう。それくらい今の恵玲は、張り詰めた雰囲気をまとっていた。
黒瞳がちな目が、強く前を見据える。
――……教室、はダメ。誰かが廊下にいたら聞こえちゃう。校舎の裏……も大きい声だと意外と聞こえちゃうかも
候補を考えては打ち消す。握るこぶしに、力が入った。
ふと目線を上にあげる。校舎と青空の、境い目。
――……屋上ならもしかして……
よし、と心の中で気合を入れ、恵玲は歩くスピードをさらに速めた。
先刻。頭の中に“遥声”が響いたのは、突然だった。
あまりに突然だったので、親友と話している最中だったにもかかわらず会話を止めて頭の中の声に意識を向けてしまった。そんな行動、こちらの事情を何も知らない人から見たら不審な行動にしか見えないのはわかっているが、驚いて声をあげなかっただけでも褒めてほしい。
“遥声”が飛んでくるなんて、本当に稀なことだ。恵玲自身は、その場の感情に任せて使ってしまうこともあるが、他のメンバーはほぼ使わないと言ってもいいくらい“遥声”を使わない。使う必要がない、と言った方がいいかもしれない。その場にいない能力者仲間と、電話でもメールでもなく、あえて声を飛ばして連絡を取らねばならないことなどそう滅多にないのだ。
だから恵玲は、それが飛んできたというだけで心底驚いた。そしてさらに、その声が記憶違いでなければ隣のグループである月下白狼のメンバーのものであることに、二重で驚いた。しかも、その内容が実に半端で。
「“荒木、聞こえるか”、なんて、聞こえてなかったら返事できないじゃん。ていうか用件はなんなの、一体」
苛立ちに独りごちる。
とにかく、“遥声”が届いていることを答えてやらねばならないが、叫ぶ場所がない。
――と、そこで。
はたと、恵玲はその場に立ち止まった。気づくと校舎の入り口までたどり着いていたが、そんなことはどうでもいい。もっと重要なことに気が付いてしまったのだ。
――……どうしよう
口元に手をやり、ぎゅっと目をつむる。先ほど飛んできた声は男性のもので、どこかかすれたように聞こえる声だった。たしかに聞き覚えがある。先日、影晴の屋敷で月下白狼のメンバーと対面したときにいた2人のうち、リーダーではないほうの声だ。どことなく影晴への態度が生意気だった彼。そこまでは覚えている。覚えているが、
肝心の「顔」が、思い出せなかった。
“遥声”は、相手の顔を思い浮かべて叫ばねば効力はない。しかし、ぼんやりとした輪郭くらいしか思い出せない。
恵玲は早々に思い出すのをあきらめて、近くにある花壇に腰かけた。伏せた額に手をあてる。
“遥声”を返せない苛立ちと、なぜ月下白狼の彼から“遥声”が飛んできたのかという疑問とで混乱する頭をゆっくりと静める。そうすると、だんだん今自分がすべきことが、ふわりと浮かんできた。
「ウィルくん……いるかな」
頼りになる彼と連絡を取ろうと顔をあげるのと同時に、人の気配がして視界にさっと影がかかる。無言で上を見上げると、亜弓が焦った顔でこちらを見下ろしていた。
「大丈夫ですか!? もしかして、本当に具合悪かったんですか!?」
仮病だとわかってるような顔をしていたくせに、結局追いかけてきたのだろうか。
恵玲は彼女の質問には答えず、身軽な動作で立ち上がった。親友のほうを振り返って口端を上げる。
「ちょうどよかった。あたし早退するから、先生に言っておいて」
えっ、と顔をしかめる亜弓。何か言い返してくる前に、恵玲は言葉を連ねた。
「さっきの、ほんとに風也くん賭けるの?」
「賭けるわけないのです!!」
間髪おかずに全力で否定される。
「なぁんだ、つまんない」
そう言って恵玲は、何か言いたげな顔で見つめてくる亜弓にひらひらと手を振り、迷いのない足取りで校舎を後にした。取り残された亜弓は、不服そうに親友の後ろ姿を見つめていた。