コメディ・ライト小説(新)

Enjoy Club 第2章 第6話『揺らぎ』(5) ( No.402 )
日時: 2019/10/18 19:26
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: U7ARsfaj)

「あ、やっぱりここでした!」

 扉の向こうの金髪が目に入ると同時に声をあげると、フェンスにもたれて眠っていた彼が胡乱うろんげに目を上げた。




 白い日差しがさんさんと降り注いでいる。風がある分涼しくは感じるが、照りつける温度は容赦がない。地上から湧き上がる歓声や実況の声は空に滲んで何を言っているかまでは聞き取れず、背景と化したその音が、目の前の殺風景な場所をまるで地上から切り離しているようだった。

 風也の右隣にハンカチを敷いて腰を下ろす。頬を伝う汗をぬぐいながら左を見ると、風にあおられた金髪が彼の横顔を覆っていた。時折見えるつり目は正面をじっと見据えている。何か考え事でもしているのだろうか。金髪の隙間から見える長いまつげをぼんやり眺めていると、不意にそのつり目がこちらに向いた。

「恵玲は? 追いかけたんだろ?」

 至近距離から聞こえる穏やかな声音に、なぜか胸がどきどきする。それを隠すように、視線を足元に落とした。

「一応追いついたんですけど、早退するって言ってどこかに行っちゃったのです」
「早退って、アイツ体調悪かったのかよ」
「……よくわかんないのです」

 思ったよりも拗ねた声音が出てしまった。それが悔しくて、何となく靴紐を指先でいじってみる。左から視線を感じたがそれも一瞬で、彼はしばらく何も言わなかった。
 私は両膝を立てて、黙って自分の足元を見つめていた。風也もなにか考え事をしているようだった。ちらりと盗み見た彼は立てた片膝に頬杖をついて、じっと正面を睨んでいたから。私も先刻の恵玲の様子を思い出しながら、いつものごとく煮え切らない思いに、いつの間にか唇を尖らせてあらぬ場所を見つめていた。

「恵玲と何かあったのか?」

 空気に溶けるような自然さで、風也が穏やかに尋ねてきた。足元に視線をやったまま、私は小さく唸る。

「なんかあったわけでもないんですけど……んー、なんていうかいつも通り、恵玲が何を考えてるのかよくわからないなぁと思って」
「いつもなのかよ。お前ら不思議なコンビだな」

 苦笑交じりにそう言う彼に、私は視線を向ける。

「風也は恵玲が何考えてるかわかります?」
「いや? 好戦的っつーことしかわかんねぇ。あ、あと二重人格」
「あはっ、そうですね。津波たちの前では可愛くて女の子らしい子で通ってますもんね」

 昔からそうですよ、と口にしたら、これまでの色々を思い出してなんだかしんみりした気持ちになった。

 恵玲は可愛くて、そして強い子だ。少なくとも私よりは遥かに。そんな彼女に、今まで何度助けられたか知れない。
 それなのに、私は親友の弱音をほとんど聞いたことがないし、弱った姿もほとんど見たことがない。強い子だと常々思っている。ちからの面でも、気持ちの面でも。でも本当にそうなのだろうかと、疑うこともたまにはある。未だに理由はわからないが、恵玲には私には踏み込まれたくない部分がたしかにあって、何かの拍子にそこに触れると明確に拒否の感情を向けてくるのだ。もしあれが、彼女の持つ弱い部分なのだとしたら、私はそれをずっとひた隠しにされている。それがたまに、無性にさみしい。

「恵玲は不公平なのです」

 正面にある靴のつま先を見つめて、すっかりむくれた声で呟いた。そんな私を風也がちらりと横目で見て、呆れたように薄く笑う。

「不平等じゃなくて? お前だけ特別扱い受けてる感はあるけど」
「それもまぁありますけど、恵玲は私のことをみんな知ってるのに、自分のことは何かすごく隠してる感じがするのです。私が踏み込んじゃいけない地雷みたいな部分があるというか……」

 立てた両膝を抱えるように両腕を回すと、拗ねた気持ちが胸の内でじわりと滲んだ。何を隠しているんだろう、どうして教えてくれないんだろう。そういう気持ちはいつもあったけれど、たいていは目の前で機嫌の悪さを爆発させている恵玲を鎮めるほうを優先したし、互いにすべてを打ち明けなければならないなんて窮屈な関係も嫌だったから、見て見ぬふりをしてきた。けれど、今日のように珍しく彼女を心配するような状況にあっても同じようにはねのけられてしまうとさすがにさみしいし、もやもやした気持ちが胸を渦巻く。
 抱えた膝に左頬をぴたっとつけて目を伏せる。ぼんやりとした視界に映るのは、灰色の地面と、さびたフェンスと、雲一つない淡い水色。心地よい風がふわふわと前髪を揺らす中、沈黙を破ったのは風也だった。

「……アイツはお前のこと好きだろうし、お前との関係壊したくなさそうに見えるから、関係守るために隠してるんだろうけど」

 ふぅ、とひとつ息を吐きだす。

「どっちにしろ、普段のアイツからは想像つかないくらい繊細なことしてるよな」

 地雷踏んだ時の反応が繊細じゃなさそうだけどな、とひきつった声で付け足す。その言葉に小さく肩を震わせて、私はゆっくりと顔を上げた。風也の言葉を頭の中で反芻すると、やがてぽつりと言葉が漏れた。

「繊細、なんですかね?」
「さぁ、オレもよくわかんけど」

 つーか、と言葉を続けて、からかうように口端を上げて風也はこちらを見た。

「恵玲に思い切って聞いちまったら?」

 む、と唇を尖らす。そのまま膝に顔を伏せてくぐもった唸り声を漏らすと、風也が乾いた笑い声をあげた。

「長く一緒に居すぎて聞くタイミング逃してる感あるな」

 穏やかな風也の声を聴きながら、再び膝に左頬を預ける。親友の顔が、頭に浮かぶ。こちらを真っ直ぐに見据える大きな黒い瞳。揺らがない、強い目。

 そのまましばらくどちらも口を開かなかった。淡い風がそよそよと髪を揺らすのを感じながら、ただぼんやりと、自分が思い切って聞いた時の恵玲の反応を想像していた。どれもふわりと浮かんでは、シャボン玉のように弾けて消えたり、滲んで輪郭を失っていく。先ほどまで背景と化していた校庭の喧騒が、不意に水の中のようにぼやけて聞こえてくる。だんだんと暗く霞む、目の前の景色。

 ――……恵玲に、……恵玲に聞くのもいいですけど、その前にクレープを……

 視界がすっと暗くなるのを感じた瞬間、私は勢いよく顔を上げた。隣にいる風也が驚いて身を引くのを感じる。

「今! 一瞬寝てました!」
「べ、つにいいんじゃねぇの」
「寝てる間に体育祭終わっちゃったらまずいのです!」

 こんな気持ちのいいところに居たら今度こそ本当に寝てしまうと、私は思い切って立ち上がった。するとすぐに、後ろでフェンスがきしんだ音を立てた。

「風也も戻るんですか?」

 後ろを振り返って尋ねる。ひとつに結った茶髪が首元で揺れる。
 風也は首にかけたハチマキをするりとはずしながら、眼下の喧騒を見下ろして言った。

「町田がうるせぇからこっちきたんだけど、そろそろ時間やばいだろ」
「そうですね……。じゃあ下まで一緒に行きましょ」

 なんだか胸が高鳴ってにっこり笑うと、風也も優しく口角をあげて足を踏み出した。


 彼と隣に並んだ時、この場にいない、恵玲を想った。今のような、どこかちぐはぐな関係もそれはそれでいい。でも、いつかは――……


 彼がちらりとこちらを見て、そっと手が触れる。胸が音を立てるのを感じながら、私はそれをぎゅっと、握り返した――