コメディ・ライト小説(新)

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.112 )
日時: 2018/01/23 15:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Bf..vpS5)

64話「依頼人は暴走気味」

 それから私たちは、モルテリアが作ってくれたゼリー、通称・差し入れを食べた。つるんとした舌触りとほのかな甘みが魅力のスイーツは大好評だった。
 ナギはというと、結局あのまま貰えずじまいである。モルテリアは意外に厳しい部分を持っているのだと分かった。
 一人貰えず涙目になっているナギを可哀想に思ったのか、武田は唐突に、自分のゼリーを半分あげても構わないと言い出す。たまに妙な親切さを発揮する武田らしい提案だ。
 しかしナギは「男のとか、ないっす!むさ苦しい!」などと言い、武田の提案を却下した。ナギとしては、男性から分けてもらうのは、あまり嬉しくないことだったのだろう。
 そんなことをしているうちに、依頼人の女性が来るという時間になった。女性はまだ現れない。しかし、約束の時間内なので、事務所内の空気は引き締まっている。
「レイ。すぐ迎えられるように玄関の準備をしておいてちょうだい」
 いつもの椅子に腰掛けているエリナが、近くにいたレイに命じる。レイは嫌な顔をせず、爽やかな笑顔で「はい!」と返事をし、すぐにリビングを出ていく。
「モルはそこでじっとしていてちょうだいね」
「……うん。これは……若狭さんの無農薬イチゴ……」
「そんなこと聞いてないわよ」
 呆れ顔になるエリナ。
 モルテリアはイチゴがびっしり入ったざるを持っている。しかも、ざるの中のイチゴを、一粒ずつ摘まんで食べていた。
 その時、ソファに座っていたナギが口を開く。
「俺はっ!?俺は何したらいいんすか!?」
 ナギは勢いよく立ち上がり、うさぎのようにピョンピョン跳ねる。反復横跳び名人になれそうな飛び跳ね方だ。
 ……それにしても声が大きい。
 うるさすぎて、数メートル離れていても耳が痛くなってくるほどである。近くにいたら鼓膜を破かれかけたに違いない。
「エスコートするっすよ!俺そういうの慣れてるし、得意っすから……」
「騒がないでちょうだい」
 エリナはナギをギロリと睨む。彼女の、刃のような冷たい視線には、何とも形容し難い威圧感があった。
 エリナは常人とは駆け離れた威圧感を放っている。だが、変人だらけのエリミナーレをコントロールするには、ある程度の威圧感は必須といえる。それを思えば、エリナはエリミナーレのリーダーに相応しいのかもしれない。
「ナギ。一応言っておくけれど……、余計なことをしたら痛い目に遭うわよ」
「はい!すんません!」
 エリナの静かな威圧感に、ナギはビクッと身を震わせた。声が上ずっている。
 だが、素直に謝るところは偉いと思う。

 ——ピーンポーン。
 その時は突然やって来た。
 玄関には既にレイがいるので問題はない。だが、あまりに急だったので狼狽えそうになる。それに気づいたエリナは、「沙羅はそこにいなさい」と言ってくれた。なので私は、エリナの後ろに立っている武田の隣に、さりげなく立っておくことにした。
 このような場面で指示を出してもらえるのは非常にありがたい。「こうした方が良いのだろうか」「これではいけないかもしれない」など、余計なことを考えなくて済むからだ。

 一分ほど経っただろうか、廊下からリビングへ繋がる扉が静かに開く。
 現れたのは、二十歳前後くらいと見受けられる女性だった。女性というより少女という方が相応しそうな女性である。
 べったり塗られた濃厚な色の口紅、派手に動くひじきのような付け睫毛。それだけで十分パンチのある顔面だが、塗りすぎのチークや描いたものの色が合っていない眉など、違和感を探せばきりがない。
 顔そのものは不細工ではなさそうだ。しかし、やり過ぎ感満載の濃い化粧のせいで、かなり残念なことになってしまっている。ナチュラルメイクにするだけでずっと可愛くなる気がする。
「えー、事務所ひろーい」
 女性は、若さを出そうとしているのか、おかしな話し方をする。
「ガラス張りとかやばーっ!外見えてきれー」
 今時中高生でもこんな話し方はしない。いや、世界は広いのでどこかにはいるのかもしれないが……稀だろう。
 女性の後ろに立っているレイは、半ば呆れたように苦笑い。エリナは眉をひそめ、露骨に不愉快そうな顔をする。
 私は黙って隣の武田を一瞥する。彼は宙を真っ直ぐに見つめて真顔だった。目の前の痛い女性には一切興味がないようだ。
「……さて。では本題に入りましょうか」
 エリナは無理矢理笑みを作りつつ口を開く。
「えー?本題って、何ですかぁー?」
 返答が調子に乗っている。
 不愉快な返答に苛立ったのか、エリナは爪先で机を蹴った。だが、みんなさすがに足下までは見ておらず、特にそこに触れる者はいなかった。
 私だけが見てしまったのだ。そっと心の奥に仕舞っておこう。
「私は京極エリナ。エリミナーレのリーダーです。どうぞよろしく」
 エリナは大人の余裕を感じさせる笑みで応じる。しかし、今彼女の心は苛立ちで満ちていることだろう。よく隠せるな、と少々感心する。
「では改めてお名前をどうぞ」
「名前ー?庵堂李湖!あんどう りこ、でぇす!いつも珍しい漢字って言われるー。李湖って呼んで下さーい!」
 彼女のノリにはついていけそうにない。
 そんなことを考えつつ真横の武田に目をやる。彼は眉間にしわを寄せ、渋柿を食べたような顔をしていた。
 どうやら同じ心境のようだ。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.113 )
日時: 2018/01/24 13:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: s/G6V5Ad)

65話「意外と知らないその名前」

 護衛任務の依頼人である、庵堂李湖。彼女は、お世辞にも年相応とは言い難い言動を平気でする、極めて変わった人物だった。
「それでそれでー、護衛は李湖が選んでいいんでしたっけー?」
 李湖は室内に漂う空気など微塵も気にしない。彼女の中に遠慮などという概念は存在しないようだ。
 ここまで自由だとある意味幸せだろうな、と不意に思う。自分がやたらと考えてしまう質なだけに、自由に振る舞える人を羨ましく思うことは多い。
「えぇ。二人選んでもらって構いません」
 エリナはさらりと返した。
「ありがとうございまーす!……うーん。でもでも、エリミナーレってこれで全員?」
 李湖の何げない一言で、空気が急激に冷え込む。
「あら。それはどういう意味でしょう」
 エリナの作り笑顔に、ほんの少し怒りの色がさす。我慢の限界は近そうだ。
「だってぇ、頼りになりそうな人いないじゃないですかっ。ほとんど女だしー」
 正直、もう帰ってほしくなってきた。
 いくら仕事とはいえ、こんな人には付き合いきれない。そう思っているのは私だけではないはずだ。
 だが、みんなは私が思っているよりも、ずっと大人だった。まだ耐えている。表情を崩さない。
「ならキャンセルしても構いませんよ。もちろんキャンセル料はなしで……」
 取り止めを提案するエリナを無視し、李湖はこちらへ歩いてくる。頭上に乗っかった頭くらいの大きさのシニヨンが非常に目立つ。
 意図が分からず戸惑っていると、彼女は武田にいきなり抱きついた。第三者が見れば異様だと感じてしまうほどに、体を密着させている。初対面の異性にこんなことをするとは、実に大胆な女だ。
 武田は顔を強張らせる。
「可能なら離していただきたい」
「嫌でーす」
 サラッと流された武田は、助けを請うような目で私を見てくる。女性に抱き締められる嬉しさなど微塵もなさそうだ。
「お兄さん名前はー?」
「……武田」
「フルネームでお願いしますぅ」
 促された武田は黙り込んでしまう。どうやらフルネームは言いたくないらしい。そういえば私も聞いたことがないな、と思った。
「えぇー。もしかして、自分のお名前言えないとかですかぁ?こんな大きいのにー」
 ……大きさは関係ないと思う。
 だが、武田が姓しか名乗らないというのは、よくよく考えてみるとおかしなことだ。エリナもレイもナギも、もちろん私も、みんなフルネームを公開している。にも関わらず、武田だけは武田。違和感は大いにある。
 今まで敢えて気にすることはなかったが、一度気になり始めると気になって仕方ない。
「このチームやっぱりちょっとぉ……」
「武田康晃。やすあき、よ」
 エリナが冷ややかな声でキッパリと告げた。
 突然のエリナの発言に、レイやナギも驚いた顔をしている。武田の名を知らなかったのは、どうやら私だけではないらしい。
「これで文句はないでしょう」
 エリナはかなり苛立っているようだ。顔つきを見れば容易く分かる。
「そうですねー。じゃあ」
 武田を抱き締めたままの李湖は、嘘丸出しの笑みを浮かべている。
「李湖、康晃くんが良いなぁ」
「なぜ私……」
「だってー、この中で唯一強そうじゃないですかぁ。他の人は頼りにならなさそうだしー」
 またしても助けを求めるような目で見てくる武田。さすがに気の毒に思い、一応言ってみることに決めた。
「李湖さん。彼は怪我しているので護衛は適さないかと……」
 すると彼女は急に顔を接近させてくる。化粧が濃い顔面を至近距離で見せられ、思わず身震いしてしまった。
「なぁーーによ、アンタ」
「えっ?」
 李湖の表情が突然黒いものに変わる。
「隣に立って彼女気取りですかー?恥ずかしくないの?色々貧相なくせにー」
 李湖の凄まじい変わり様に愕然とした——刹那、武田が彼女の頬を物凄い勢いで叩いた。パァンと乾いた音が鳴り、静寂が訪れる。
 転倒したまま地面に座り込む李湖。その顔は引きつっていた。
「……ひっ、酷いーっ!!女を叩くなんてぇ!!ありえない!!」
 数秒して騒ぎ出す李湖。
 これは厄介なことになりそうだ、と内心焦る。
「なんてことしてくれるんですかーっ!」
「何事にも限度というものがある」
 品のない叫び方をする李湖に対し、淡々とした声色で返す武田。細い目が冷たく鋭い眼光を放っている。
「同性だからといじめるのは、良くない」
 だからといって頬をビンタすることもないと思うが……それが彼のやり方なのかもしれない。ただ、依頼人にも遠慮しないというのは衝撃だった。
「そうっすよ!これは珍しく武田さんが正しいっす!」
 ナギがいきなり乱入してくる。余計にややこしくなりそうで、なんだか不安だ。
「自分より可愛いからって沙羅ちゃんをいじめるとか、酷すぎるっすよ!ないない!」
 できれば私に関係する方向へ話を進めないでほしい。
 私はややこしい女性に絡まれるのが一番苦手なのだ。それはもう、誘拐より嫌なくらいである。
「妬んで嫌み言うとかないわ。最悪の女っす!」
 そろそろ止めてほしい。本当に。
 李湖からの憎しみに満ちた視線が、徐々に痛くなってきた。まるで全身に針を刺されているかのようだ。
「康晃くんったら、酷すぎーっ!」
「その呼び方も止めろ」
「えー、いいじゃないですかぁ。このくら……ひっ!」
 武田はひと睨みで李湖を畏縮させた。
 名前呼びされたことか、あるいは、彼女が私に嫌みを言ったことか——武田をここまで怒らせた原因が何かは分からない。しかし武田が激怒していることだけは確かだ。目の色が日頃と明らかに異なっている。
 今回の仕事もなかなか苦労しそうだな、と私は心の中で溜め息をついた。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.114 )
日時: 2018/01/24 23:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hAr.TppX)

66話「心に翼が生えたみたいな」

 長い話し合いの末、李湖の護衛を担当するのはレイとエリナに決まった。
 武田がなると色々な意味で危なく、ナギは李湖に「ダサイ」と言われいじけてしまった。モルテリアと私は護衛任務には適していない。だから仕方なくレイとエリナになったのである。
 護衛任務の期間は三日間。ちょうど五月初旬の連休に被っていた。

 ——そして護衛任務開始の日。
 レイとエリナは荷物を持って、朝早くに事務所を出ていった。
 二人がいなくなったために、事務所内の女性率が急激に低くなってしまう。私以外に女性はモルテリアしかいない。
 武田やナギを嫌っているわけではないが、女性が減るとなんとなく場の空気が変わった。男性の多い空間は少し苦手だったりする。それは高校時代から変わらない。男性の多い空間には、どうも馴染める気がしないのだ。

「そういや武田さん、水族館でしばかれた怪我は治ったんすかー?」
 ソファの上に横たわり雑誌を読んでいたナギが、書類の整理をしている武田に話しかけた。唐突に話し出すのがナギの特徴的な部分だ。
 武田は面倒臭そうに顔を上げる。
「しばかれた、とはおかしな言い方だな」
「そこは気にしたら負けっすよ。それで、怪我はもう大丈夫なんすか?」
「あぁ、もう問題ない」
 答え終えると、視線を書類へ速やかに戻す。そして何事もなかったかのように作業を続ける。あっさりと会話を終わらされたナギは不満そうに口を尖らせた。
 リビングはいつになく静かだ。このような空気の中で気を遣っていては胃が弱ってしまう。
 だから私は、窓の外を眺めておくことにした。
 雲一つない空は青く澄み、ほんわりとした太陽光が柔らかくさしている。窓の外を眺めていると、たまに鳥が視界を横切っていく。風で木々が揺れることもあった。
 人間とは不思議なものだ。普段は気にしないような小さなことも、意識を向けた途端気がつくようになるのだから。
「そうだ!」
 窓の外を眺めぼんやりしていると、ソファに寝転んでいたナギが突然起き上がり言った。いつものことながら声が大きい。
「沙羅ちゃん、的当てとかしないっすかー?」
 ナギは立ち上がり、背伸びをする。それからこちらへ歩いてきた。
 先ほどまで読んでいた雑誌はソファの上に放置している。彼の頭に、片付ける、という発想はないようだ。確かに彼らしいのだが、「一応大人なのだから片付けくらい……」と少々思ってしまう。
 もっとも、そこは気にしてはならないところなのかもしれないが。
「的当てですか?」
「そうそう!こんな感じに」
 ナギは言いながら拳銃を取り出す。そして、意味もなく構えて見せた。
「どうっすか?段々やりたくなってきたっしょ!?」
 いや、正直あまりやりたい気分ではない。いろんな意味で危険そうだからだ。
「拳銃なんて持ったことすらないので……私には無理です。お断りします」
 はっきりと断った。
 武器を扱うなど私には百年早い。それどころか、触れるだけでも何かやらかしてしまうのでは、と心配になるほどである。
 だが、ナギはお構いなく続ける。
「いやいやっ。実際には本物を使うわけじゃないんで、沙羅ちゃんでも大丈夫っすよ。ほら、コレ!」
 ナギが差し出してきたのは、一般人の私でもプラスチック製だと判断できるような拳銃だった。見るからに軽そうである。恐らく安物のおもちゃだろう。
 付き合う気は更々なかったのだが、ナギのペースに乗せられてつい受け取ってしまった。
 受け取るということは、的当てに参加するということと同義。今から断ることはできない雰囲気だ。
「一緒に遊んでくれるっすか!?」
「……はい」
「なんか嫌そうすね」
「いえ。そんなことは……」
 私が言い終わるより先に、武田が口を挟んでくる。
「ナギ。沙羅に迷惑をかけるのは良くない」
 するとナギは鋭く返す。
「武田さんには関係ないっすよ!そんなこと!」
「よく考えて行動するべきだ。沙羅は繊細なのだから」
「……あ、分かった」
 何か閃いたらしい。
 ナギは可愛いげのある顔に笑みを浮かべ、述べる。
「俺が沙羅ちゃんと話してるから、羨ましくて嫉妬してるんでしょ!これっすね!これに違いないっす!」
「馬鹿げた話だ。ありえない」
 武田は毅然とした態度で、ナギの発言を否定する。
 当然の答えだ。そもそも、武田は優秀である。嫉妬などとは無縁の人生を歩んできたことだろう。
 だが実を言うと——ナギが言ったような気持ちを武田に抱いてほしいと思わないこともない。心の端にほんの少しだけ存在する気持ちである。もちろん、不可能に近いだろうが。
「本当は二人になりたいのにナギが邪魔、って考えてなかったっすか?」
「それはあるかもしれないな」
「ちょっ、酷!あるんすか!!」
「私は静かな空間が好きだからな。特に仕事中は、騒がれると、どうも腹が立ってしまう」
 武田も腹を立てることがあるのか、と意外に思った。
 しかし、それと同時に、嬉しくもあった。容貌のせいもあってクールに見える武田だが、人間的な感情もちゃんと持っている。そしてそれを自覚しているのだと知れたからだ。
 この前李湖を叩いたのも、不快な感情が我慢の限界を越えてしまったからなのだろう。
「分かったっす。じゃあ武田さんも参加して下さいよ!」
 眉をひそめる武田。
 彼は眉をひそめても魅力的だった。いや、むしろ眉を寄せている時の方が、彼の渋い魅力が溢れ出ている気がしてならない。
 ちなみに、あくまで私の個人的な意見である。
「仕事中に騒がれるのが嫌なんすよね?じゃあ武田さんも仕事止めちゃえばいいじゃないすか!一緒に的当てしましょうよ!」
「……そのおもちゃで、か」
 ナギは親指だけを立て、その手をグッと前へ突き出す。しかも片目を閉じてウインクをする。
 若干痛い。が、そこはご愛嬌ということで流すとしよう。
「どうっすか!?」
「……仕方ないな」
 武田は諦めたような表情で、椅子からゆっくり立ち上がった。
「沙羅だけというのも気の毒だ。私も付き合おう」
「よっしゃー!勝って、沙羅ちゃんにかっこいいところ見せるっすよーっ!」
「落ち着け、ナギ」
 まさかこの三人で的当てをする日が訪れるとは、夢にも思わなかった。想像してみたことすらない。
 しかし時間が経つにつれ、いつの間にか穏やかな気持ちになっている自分の存在に気がつく。胃の重苦しさも知らぬ間に解消されている。
 気楽に接して良いのかもしれない、と私は少し思えた。心に翼が生えたみたいだ。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.115 )
日時: 2018/01/25 21:30
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kI5ixjYR)

67話「的当ての行方」

 おもちゃの拳銃は簡単な仕組みだった。数センチ程度の長さの安っぽい弾丸をセットし、引き金を引く。ただこれだけで撃つことができる。ややこしい準備も手順も必要ない。普通の子どもでも苦労なく遊べそうな、分かりやすいおもちゃだ。
 それからナギは、早速、的当ての準備を始める。直径一メートルくらいの円形の的を壁に貼ったりしていた。
 ルールは単純明快。まず、順番に、壁に貼った的へおもちゃの拳銃を撃つ。そして、円の中心に一番近いところを撃てた者が勝利。ただそれだけである。
「トップバッター武田さんでいいっすよ。俺は後からいくんで」
「私か。分かった」
 ナギの言った通り、武田が一番目になった。
 武田は的に向かっておもちゃの拳銃を構える。大きな体に小さな拳銃。思わず笑いそうになるくらい似合わない。いや、それ以前に、武田が武器を持っているということだけで非常に違和感がある。
「康晃くん、ガンバ!」
 おもちゃの拳銃を構える武田の背後から、ナギが掛け声で応援する。テンションが妙に高い。これは確実にふざけている。
 挑発とも受け取れるようなふざけた掛け声を聞き、武田は不快そうに顔を歪める。そして呆れの混じった声で「それは勘弁してくれ」と言い放った。もはや怒る気にもならなかったようだ。
 武田は気を取り直しておもちゃの拳銃を構え、数秒後してから引き金を引く。
 銃口から飛び出した安っぽい弾丸は、的から大きく外れたところに当たり、一瞬にして床へ落下した。ある意味見事とも言えそうな外れ方である。
「ちょ……武田さんっ……」
 その様子を目にしたナギはぷるぷる震え出す。
「何がおかしい」
 武田が言った瞬間、ナギの笑いが爆発した。腹を携帯電話のように二つに折り曲げ、ゲラゲラ笑う。
 笑いのスイッチがしっかり入ってしまったようだ。こうなってしまうと、彼はしばらく笑いを止められないことだろう。
「いやいや!だって、的に当たってすらないじゃないっすか!これは笑うっしょ!」
 笑いが頂点にまで達したナギは、肩を上下させながらヒィヒィ言っている。こんな些細なことで呼吸が荒れるほど大笑いできるなんて、ある意味幸せな人だと思った。
「お前はいちいち笑いすぎだ。仕方ないだろう、私は扱い慣れていないのだから」
「でもここまで外れるとかレアっすよ!」
「そうかもしれないな。若い頃から素手での戦闘しかしてこなかったから……だろうか」
 武田はどこか寂しげに言った。
 もしかしたら、笑われたことを少し気にしているのかもしれない。彼は容姿に似合わず繊細な部分を持っているので、その可能性も十分にある。
 その頃になりようやく笑いが収まってきたナギは、にぱっと明るい笑みを浮かべた。そして、軽い調子で「野蛮っすね!」などと言い放つ。
 相変わらず言葉に棘があるな、と内心思った。もう少しまろやかに言えないものか。
「じゃ、次は俺っすね!」
 やたらと話が続くせいで忘れかけていたが、次はナギの番だ。的当てはまだ終わっていない。
「俺はど真ん中余裕っすよ!」
 ナギはヘラヘラしながらおもちゃの拳銃を撃つ。
 安っぽい弾丸は、彼の予言通り、壁に貼り付けられた的の中心に命中した。ろくに構えもせずこの確実さ。圧巻である。
「凄い……!」
 私は思わずぽかんと口を空けてしまった。
 ナギの射撃の腕を疑っていたわけではないが、ここまでの精度だとは思わなかったのだ。
「どーよ」
 自慢げに胸を張るナギ。
 日頃は大抵空回りしている残念な彼だが、これは感心に値すると思った。純粋に凄い。
 さすがエリミナーレの一員だけはある。
「次、沙羅ちゃんっすよ」
 おもちゃの拳銃を渡され、それを握ると、得体の知れない高揚感に襲われた。目が覚めるような感覚。実に不思議だ。
 私はおもちゃの拳銃の銃口を、壁に貼られた的へと向ける。そして、引き金を引いた。
 銃口から放たれた安っぽい弾丸は、吸い込まれるように的へ向かって飛ぶ。

 ——そして、円の中心へ当たった。

「……信じられない」
 様子を見守ってくれていた武田が、目を見開き、驚いたように漏らした。表情も声色も強張っている。どうやらかなり動揺しているようだ。
 だが驚いているのは彼だけではない。一番驚いたのは、当人である私だ。こんな奇跡のようなことが起こるなど想像していなかった。
 これが実戦だったなら役に立てたのにな、と贅沢なことを思う心があることは秘密にしておこう。
「ちょ、沙羅ちゃん……マジっすか……」
 ナギは珍しい生き物を見るかのような目で私を見つめてくる。未確認生物になった気分だ。
「これはナギか沙羅か、どちらの勝ちだ?位置的には微妙なところだが……」
「そりゃ沙羅ちゃんっしょ!」
 武田の問いに、ナギは勢いよく答える。
 ナギの声は相変わらず大きく騒がしい。近くで聞くと耳に悪い気がしてならなかった。
「おもちゃとはいえ、未経験でこれは凄いっすよ!」
「そうなのか」
 なぜか嬉しそうな表情になる武田。他者の成功を喜べる彼は、案外綺麗な心の持ち主なのかもしれない。
「さすがだ、沙羅」
 彼はこちらを向く。
 全身から喜びが溢れていた。
 彼がここまで喜んでいる光景を見るのは初めてな気がする。何が嬉しいのかは、まったくと言っても過言ではないほど理解できない。
 しかし、それでも、彼が喜んでいるという事実は嬉しかった。