コメディ・ライト小説(新)

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.159 )
日時: 2018/02/28 23:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SkZASf/Y)

97話「いつもより早い朝」

 翌朝、いつもより早く目が覚めた。私は朝に強くないので、大抵遅めに起きて慌ただしく準備をするのだが、今日は珍しく時間に余裕がある。だから、寝惚け眼を擦りつつ洗面所へ向かった。
 その途中、リビングの前で私は足を止める。扉越しにレイとエリナの声が聞こえてきたからだ。
「以前仰っていた真の目的とは、あの宰次という男への復讐なのですか」
「……えぇ。何か問題でも?」
「エリナさんはエリミナーレを、個人的な復讐のために利用するおつもりなのですか?さすがにそれは納得できません」
 何やら難しそうな話をしている。真剣な空気で入っていけそうにない。私は扉の前に立ち、暫し二人の会話を聞くことにした。
「私は新日本の平和を守るためにエリミナーレに入りました。だから、六宮やこの国に暮らす人たちを守るためなら、命だって惜しくはない」
 扉越しでもレイの声ははっきりと聞こえる。
「けれど、貴女個人の復讐のために命をかけようとは思えません」
「レイ。それはエリミナーレを辞めたいということかしら」
「いえ、違います。復讐はエリミナーレの職務範囲ではない。だから止めてほしい。私はただ、そうお願いしたいのです」
 数秒、間があった。
 存在がバレたかと一瞬焦ったが、何も言われないので、どうやらそうではないらしい。私は安堵の溜め息を小さく漏らす。
「……それは無理なお願いね」
 エリナの声は冷たいものだった。
「エリミナーレのリーダーは私。だから仕事内容を決めるのも私よ」
 彼女から発される言葉は静かだ。しかし、突き放すような強さを持っている。
「待って下さい!リーダーなら何でも許されるというわけではないでしょう!」
「そうね。でもこれは職務範囲から大きく外れてはいない」
 レイが口調を強めても、エリナはまったく動じない。落ち着いている。
「宰次の行動が間接的に治安を乱していたのは事実だわ。それに、彼によって何人もの民間人が罪を背負うことになったのよ。李湖だってそう」
 確かに、間違いではない。
 宰次が吹蓮にエリミナーレ殲滅を依頼したのがすべての始まりだ。それによって、無関係な人まで巻き込まれた。
「つまり、宰次を倒すことは国のためにもなるの。分かってくれると嬉しいのだけれど」

 エリナの声が途切れたちょうどその時。
 背後に人の気配を感じて振り返ると、武田が立っていた。まだ着替えていないらしく、ポロシャツを着ている。露出した右腕には包帯が巻いてあった。
 彼は私の顔を見ると、穏やかな目つきになる。
「沙羅、今日は珍しく早いな。そこで何をしている?」
 痛いところを突く質問だ。慎重に答えなくては。
「エリナさんとレイさんが何か話してられるみたいなので、少し気になって」
「なるほど。そうだったのか」
 即興で考えた返答に対し、武田は納得したように頷く。盗み聞きしていたのだと思われたらと心配していたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
 私は速やかに話を変えるべく尋ねる。
「武田さん、その腕……肘以外も悪いんですか?」
 痛めたのは肘と聞いていたが、包帯が巻かれている範囲はもっと広い。腕を痛めたという方が相応しい気すらする。
「いや、痛めたのは肘だけだ。他は掠り傷程度だな」
「掠り傷でも十分傷じゃ……」
「そうか。なら言い方を変えよう。肘以外は踏まれた跡だけだ」
 言い方の問題ではない気がする。ただ、私のことを思って言い変えてくれたのだということは理解できた。少々変わっているが、彼なりの気遣いなのだろう。
「沙羅。昨日は本当にすまなかった」
 私を見下ろす彼の視線は、穏やかだがどこか気まずそうな色を帯びている。
「武田さん?」
 様子がおかしい。そう思い、名を呼んでみる。
 ——刹那、武田が強く抱き締めてきた。
 あまりの衝撃にあらゆる思考が吹き飛ぶ。脳内は真っ白。
「無事で良かった……本当に」
 彼は私を抱き締めたまま囁くように言う。
 体に絡む彼の両腕には柔らかさはなく、しかし温かい。なぜだろう、優しさを感じる。
「沙羅が宰次に何かされているかもと思うと、落ち着いていられなかった。あまりに心配で」
「あ、あの……」
 廊下には私と武田だけ。リビングにはレイやエリナがいるが、話し込んでいるのでしばらく出てきそうにはない。誰かが起きてきそうな気配もまったく感じられない。
 二人きりの状況でこれはさすがにまずい気がする。武田に限って間違いは起こらないだろうが、ある意味まずい。というのも、先ほどから心拍数が跳ね上がっているのだ。
「あんな気持ちになったのは初めてだった。沙羅、お前を失うことを、私は心から恐れた」
 このままでは、負荷に耐えきれなくなった心臓が、破裂してしまいそうだ。今までも胸の鼓動が速まることは多々あったが、ここまでというのは初めてかもしれない。
「だからもう二度とお前を拐わせたりはしない。今ここで誓おう。私はお前を護る。それが——」
「そ、それが?」
「良き友として私にできることだ」
 ……おぉ。良き友。
 やはり仲間や友の域を出ないのか。女性として見てはくれないのか。そんな風に、心の中で不満を呟いてしまった。
 少し時間が経つにつれ、抱き締められるのが苦しくなってきた。彼の腕の力は予想外に強かったのだ。圧迫され、呼吸がしづらい。
 だから勇気を出して言うことにした。
「武田さん、あの」
「どうした?」
「ちょっと苦しくなってきました」
 本当はちょっとではない。結構な息苦しさだ。だが「結構苦しい」とは言えないので、控えめに言ったのである。
 すると武田は、焦ったように腕を離した。一歩二歩後ずさり、慌てた様子で口を開く。
「す、すまん!つい勢いで意味不明なことをしてしまった!」
 随分慌てている。落ち着きのない言動は彼らしくない。しかし、慌てる武田はどこか可愛くも感じられる。
「いきなり抱き締めるなど、完全にセクハラだ。すまない、どうかしていた……」
「いっ、いえ!気にしないで下さい!」
 私は嬉しかった。だからセクハラではない。
「だが嫌だっただろう?二人きりという断りづらい状況で、しかも力ずくで……本当にすまない。私のこと、嫌いになってしまったか?」
 しつこい武田を見ていると、少しばかり面倒臭く感じてしまった。そのせいで、思わず口調を強めてしまう。
「いいんです!謝らないで下さい!」
「だが……」
「嫌とかじゃないです!むしろ嬉しいですからっ!」
 言ってしまってから後悔した。最近はこんなのばかりだ。つい感情のままに言葉を発してしまう。
 そんな私の発言に、武田は困惑した顔をしていた。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.160 )
日時: 2018/03/02 04:25
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: npB6/xR8)

98話「陰鬱な味」

 その日の昼前、私はレイに誘われて街の見回りに出掛けることとなった。
 こんな時だ、本当はあまり事務所から出たくない。しかし、彼女が何か話したそうだったので、一緒に行くことを決めた。
 レイがいれば一人よりかは安全だろう。きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせ、時折込み上げてくる不安を振り払う。
 レイと二人で六宮の街を歩くのは久々だな、と私は少しだけ楽しみにしていた。だが、武田が「自分も同行する」と言い出したため、結局三人になってしまった。なのでレイと二人ではない。

 左にはレイ、右には武田。私は二人に挟まれた状態で歩いている。少々息苦しい感じはするが、襲われた時のための位置なので仕方ない。
「武田さん、本当に大丈夫なんですか?昨日の今日で見回りに参加するなんて」
 私は右を歩く武田に話しかけてみた。
「あぁ、問題ない。歩くくらいならどうもないんだ」
 彼は私やレイと同じように、一定のペースで淡々と歩いている。全治二週間の怪我を負っているとは到底思えない。事情を知らない人が今の彼を目にしたとすれば、まさか怪我人だとは夢にも思わないはずだ。
「銃創は大丈夫なの?」
 困っている人がいないか周囲を見渡しながら、レイは尋ねた。武田は速やかに返答する。
「弾丸は貫通していたのでな、ややこしくならずに済んだんだ。運が良かった」
 他人事のように話す武田を眺めていると、段々不思議な気持ちになってきた。
 足を撃たれ、肘を痛めつけられ、背中なども蹴られたりして。にもかかわらず翌日の見回りに参加するというのは、かなり普通でない気がする。一般人に容易くできることではない。
「無理は禁物ですよ、武田さん。痛くなったらすぐに言って下さいね」
「そうしよう。沙羅は優しいな、本当に」
「優しくなんてありませんよ。当然のことを言っただけです」
「いや、当然のことではない。エリナさんは一度もそんな風には言わなかった」
「エリナさんは厳しいですもんね」
 穏やかな日が降り注ぐ中、私たち三人は、たわいない会話をしながら歩く。車道の端を、陸橋を、そして商店街を。困っている人がいないか目を配りつつ、極力ゆっくりと歩いた。

 見回りをある程度終えた時には、既に正午を回っていた。ちょうどお昼時である。私たちは休憩も兼ねて昼食をとろうと、六宮駅へ向かった。なぜ六宮駅かというと、その付近には飲食店が集中しているからである。
「沙羅ちゃん何食べたい?」
 歩いているとレイが急に尋ねてきた。
 私は少し考える。
 中華、和食、イタリアン、お好み焼き——選択肢が豊富すぎて、どれを選ぶか迷ってしまう。本心を言うなら、レイが決めてくれる方がありがたい。私はこういうことを決めるのが苦手なのだ。
「えっと……」
 なかなか決められずいると、唐突に武田が口を開く。
「お好み焼きが良いかと思うが」
 彼が意見を言うなんて意外だ。そう思い驚いていると、彼は続ける。
「沙羅は焼きそばが好きだっただろう。お好み焼き屋なら焼きそばもあるはずだ」
「確かに!沙羅ちゃん、どうする?」
「はい。ではそれで」
 レイは爽やかな笑みをこぼしながら、明るい声で「決まりだね!」と言った。一見元気そうに見える。しかし、どうも無理している感が否めない。
 昔から彼女を知っているわけでもないのに、変わらないな、なんて思う。
 エリミナーレへ入った最初の日、歓迎会の準備の買い物をしていた時のことをふと思い出した。あの日の彼女の、ほんの些細なことで崩れ消えてしまいそうな儚さ。今でも鮮明に思い出せる。
「……沙羅ちゃん?」
「あっ。すみません、つい考え事を」
 ほんやりしてしまっていたようだ。レイと武田が、心配したような顔をして、それぞれ言ってくれる。
「どうしたの?大丈夫?」
「もしや、体調が悪いのか?」
 ただの考え事で二人を心配させてしまってはあまりに申し訳ない。だから私は、意識的に笑顔を作り、「大丈夫です」と返した。
 それでなくとも精神的に大変な時だ。二人にはなるべく余計な負担をかけたくない。

 私たち三人は、お好み焼き屋に入った。こんな真っ昼間からお好み焼き屋へ入るのは初めてかもしれない。
 店員に案内されたのは、向かい合うようなソファ席だ。恐らく四人用の席である。そこを三人で使うのだから、スペースは結構裕福に使える。隣に武田が、前にレイが、それぞれ座った。
「席が空いていて良かったですね」
「あぁ。そうだな」
 武田は短い返答を返した後、ふぅ、と軽めの溜め息をつく。だいぶ歩き続けたので、少々疲れたのかもしれない。そんな顔つきをしている。
「武田さん、体は大丈夫ですか?」
 念のため尋ねてみると、彼はゆっくりと一度頷く。
「問題ない。だが、少し疲れた気はするな。やはり昨日の今日では普段通りとはいかないか……」
 その時ちょうど店員が水を運んできてくれた。冷たい水だ。彼は早速、水をほんの少し口に含む。
「どこか痛いんですか?」
「いや。平気だ、案ずるな」
「本当に大丈夫ですか?」
「……少しだけ痛む」
 武田は、非常に言いにくそうな顔をしながらも、小さな声でそう言った。それから少しして「足が」と付け加えた。
「だが、私はこの程度で弱ったりしない。撃たれたのも初めてではないしな。だから沙羅、そんな不安げな顔をするな」
 そう話す彼は微笑んでいる。けれど、その微笑みは、あからさまに歪なものだった。隠し事をしているような顔だ。多分、実際は少しの痛みではないのだろう。
「でも心配です」
 心配でないわけがない。それでなくとも結構な怪我をしているというのに、一週間後にはまた戦いが待っている。
「一週間後、宰次さんたちとまた戦うんですよね。……私は、武田さんにはもう戦ってほしくないです」
 すると武田は、戸惑ったように首を傾げた。
「沙羅、なぜそんなことを言う?」
 レイは黙って見守ってくれている。私の思いを汲んでくれているのだろう。
「完治していない体で戦ったら、また悪化するかもしれない。そんなのは嫌です」
 しかし、武田には私の気持ちは届いていないようだった。
「すまんが沙羅、その願いは叶えてやれない。宰次との戦いは避けられるものではない」
 初めから分かっていた。彼がそう言うことは。彼が戦いを選ぶことも。
 だが、私が言えば戦いから降りてくれるかも、と甘い幻想を抱いていたことは事実だ。ほんの少しの可能性を期待せずにはいられなかったのである。
「沙羅、心配しすぎるのは良くない。過度のストレスは体に悪影響を及ぼしてしまうものだ。あまり考えすぎるな」
 武田は優しく微笑んでくれる。けれども、私が彼が傷つくことを恐れているということは、理解できていないみたいだ。
 その後はたわいない会話に戻った。
 私が注文したのはソース焼きそば。焼きそばの王道だ。そして、私の好物である。
 ソース焼きそばは予想通りの美味しさだ。温かくて、濃厚で、麺の歯触りも柔らかくて——だが、どこか悲しい味をしていた。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.161 )
日時: 2018/03/03 19:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: sThNyEJr)

99話「復讐、それは負の連鎖」

 昼食後、私たち三人は再び歩き出す。軽い見回りだ。
 歩き出す前に、レイは武田へ「ベンチに座って待ってて」と言ったのだが、彼はそれを良しとしなかった。「沙羅に何かあってはいけないから」と、彼は無理矢理ついてきた。以前から薄々気づいていたが、彼は妙な部分だけ頑固である。
 それからの見回りでは、色々な物事に遭遇した。どれも大きなことではなく、しかし、人助けになることであった。
 高齢者と軽く談笑したり、落とし物捜索を手伝ったり。更には、コインロッカーの鍵をなくした人を助けたり。
 レイがメインで動き、私はサポート。武田は近くに怪しい者がいないか見張り。三人で良かったな、と内心思った。

「はー、今日もよく働いたー」
 すっきりした顔つきで言うレイ。活発に動いたからか、昼頃より晴れやかな声と表情だ。
 そんな彼女を目にしているうちに、私の心も少し明るさを取り戻してきた。お好み焼き屋で少々沈んだ心は、いつの間にやら元通りになってきている。
 人助けをしていたはずなのに、むしろ私たちが人助けに助けられている気がする。実に不思議な現象だ。
 夕日の照りつける道を三人で歩く。音はほとんどしない。橙色の静寂は、なんだか凄く哀愁を帯びている。
「ずっとこんな風に、街の平和のために生きていけたらいいのに」
 事務所へ帰る途中、空を見上げながら歩いていたレイが、ぽつりと呟いた。
「レイさん?」
「何だ、それは」
 私と武田が言うのはほぼ同時だった。
 私はレイに何か思うところがあることに薄々気づいていた。今朝のエリナとの会話を聞いていたというのもあるが、彼女の表情を見ればなんとなく分かる。
 しかし、武田は察することができていないようだ。眉を寄せ、顔全体に困惑の色を浮かべている。
「あたしは復讐のために戦うのは嫌だ。復讐なんて負の連鎖にしかならない……無意味だよ」
 空を見上げるレイの瞳は寂しげな色をしていた。時折吹く風で揺れる青い髪も、寂しげな雰囲気を高めている。
 そんな彼女に武田は尋ねる。
「宰次と戦いたくない、ということか?」
「……近いけど、ちょっと違うかな」
 足を止めるレイ。
「エリナさんの復讐にみんなが巻き込まれるのは嫌なんだ。あたし一人ならまだいいよ。でも、このままだと、ナギとかモルとかも巻き込まれることになるよね。もちろん沙羅ちゃんも」
 私はただ、見守ることしかできずにいた。
 レイは真剣に悩んでいる。岐路に立ち、進む道を選ぼうとしているのだ。そんな彼女にかけるべき言葉など、そう容易く見つけられはしない。
「だからあたしが代表して、エリナさんの復讐には関わらないと表明しようと思ったんだ。そうすれば、ナギやモルも関わらずに済むかもしれないから」
「ナギはモルは関わりたくないと言っているのか?」
「ううん。聞いてみてはないよ。でも、エリナさんの個人的な復讐にエリミナーレを巻き込まないでほしいって……あたしは本当はそう思う」
 レイは優しい。だから、仲間には極力傷ついてほしくないと、そう思うのだろう。恐らく彼女は、仲間を思うがゆえに悩んでいるのだ。
 仕事と割り切れないところがどうしてもあるのだと思う。
「武田は復讐の戦いに参加するつもりなんだよね?」
「当然だ。宰次との因縁に決着をつけねばならないからな」
「……二人じゃ駄目なの?」
 もう五月。夕暮れ時でも風は冷たくない。春から夏へと向かい始める直前の、穏やかな風が、ふわりと髪や服を揺らす。
 私はただただ切なかった。こんな風にすれ違うことが。
 私はエリミナーレの温かな空気が好きだ。エリミナーレは、小心者で役立たずの私ですら、温かく迎え入れてくれた。僅かも拒むことなく、仲間として認めてくれた。
「戦力は少しでも多い方がいい。宰次がどんな手を使ってくるか分からないからな」
 武田の発言に対し、レイは難しい顔をする。
「……だが。私としては、嫌々やらせるのは気が進まない。だから、レイが嫌なら、はっきりそう言うといい」
「エリナさんは多分認めないよ、そんなこと」
「問題ない。エリナさんには私から伝えよう」
 一呼吸おいて、武田は静かに確認する。
「本当に、降りるつもりなんだな?」
 するとレイは頷く。
「そうだね。あたしは参加しない」
 レイの瞳から迷いは消えていた。
 武田は一瞬寂しげな目をしたが、すぐに表情を戻し、淡々とした調子で「そうか」とだけ答える。説得の余地はない、と悟ったような顔だ。
 それからレイは、柔らかい視線を私へ向け、「先帰っててくれるかな」と言う。表情も声色も柔和だが、いつものような爽やかさはなかった。

 私と武田は、レイと別れ、事務所へと歩き出す。二人きりだが、今はそれほど喜ぶ気になれない。
「レイさん、一体どこへ行かれるおつもりなんでしょうね」
 しんとしていると気まずいので、私は武田に話しかけてみた。すると彼は、落ち着いた調子で返してくる。
「今日のレイはよく分からない。そもそも、なぜあそこまで宰次との戦いを嫌がるのか」
 レイの言動を微塵も理解できない、というような顔だ。
「それはエリミナーレの皆さんが傷つくのが嫌だからだと思いますよ。ただ、今日のレイさんが普段と違ったのは間違いないですね……」
「あぁ、そうだな」
 なんだかもやもやするが、レイ本人がいない以上、詳しく聞くことはできない。だから考えるだけ無駄というものだ。
 彼女は強い。だから、少しくらい放っておいても問題ないだろう。何もないのが一番だが、ちょっと危険な目に遭ったくらいではやられないはずだ。だから私は、あまり気にしないことにした。
「……そうだ。武田さん」
「どうした?」
「お昼はごめんなさい。勝手なことを言って。武田さんが戦うのは当然ですよね、瑞穂さんのこともあるのだから」
 心の暗部をついうっかりさらけ出し、その結果、場を気まずい空気にしてしまった。言うべきことではなかった、と今は少し反省している。
 日が落ち始めた薄暗い道を歩きながら、彼は私の言葉に応える。
「分かってくれたのは嬉しい。だが、謝ることはない」
「でも私、武田さんの気持ちなんて少しも考えずに……」
「沙羅、自分を責めるのは良くない。お前は私の体を心配してくれたのだろう?あの場では少しきつく言ってしまったかもしれないが、沙羅の気遣いには——実はいつも感謝している」
 夕日はもうかなり沈んでいるのだが、彼の顔は心なしか赤い。日を浴びているわけでも飲酒したわけでもないのに。
 一体どうしたのだろう。そんなことを少し思うのだった。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.162 )
日時: 2018/03/05 15:13
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: UgVNLVY0)

100話「あたしは貴女を許せない」

 沙羅と武田が事務所に帰ったのと、ほぼ同時刻——。
 人通りのない路地に一人佇み口を開くレイ。
「今日一日あたしたちを付け回して、一体何のつもり?」
 彼女は、青く長い髪を風になびかせ、険しい顔をしている。
 近くに人の姿はない。けれど、彼女の瞳には何者かが見えているかのようだ。ただ、もし通行人が今の彼女を見たならば、独り言を言っていると勘違いしたに違いない。
「隠れていないで出てくればどうなの!吹蓮!」
 鋭く言い放つレイ。日頃から男性的な凛々しい顔立ちだが、今は特別厳しい表情だ。戦士のような眼差しである。
 彼女が言葉を放ち数秒くらい経った時、暗闇の中に、吹蓮が姿を現した。
 鮮やかな色の糸で刺繍された赤紫の長いローブ。黒いレース生地で作られた地面に触れそうな丈のスカート。相変わらず色鮮やかで個性的なデザインの服を身にまとっている。
「……気づいていたとはねぇ」
 吹蓮は、老いを感じさせるしわだらけの顔に、不気味な笑みをうっすら浮かべる。もしも一般人が彼女を目にすれば、老婆の姿をした妖怪だと勘違いし、走って逃げたかもしれない。
 暗闇の中、レイはそんな吹蓮と向き合う。
「あんな気配丸出しだったら、気づかないはずがないよ」
「そうかい?あとの二人は気づいていなさそうだったがねぇ」
「確かにね。沙羅ちゃんは一般人だし、武田は少し疎いから」
 レイは、スーツの上衣から銀の棒を取り出し、素早く伸ばす。そして、その先端を吹蓮へと向けた。
「吹蓮、どうしてエリミナーレを狙うの。畠山宰次に頼まれたから。本当にそれだけ?」
「そうだねぇ……」
 吹蓮のあやふやな返答に、レイは納得できないような顔をする。そして口の中で小さく「ふぅん」と呟く。
「一応警告させてもらうけど、吹蓮、引くなら今のうちだよ」
「今日命じられているのは偵察のみ。だから今ここで引いても問題はないわけで……けど」
 不愉快そうに顔を歪める吹蓮。彼女は、レイに上から目線で物を言われたことに、若干腹を立てているのかもしれない。口角が下がっている。
「そんな言い方をされちゃ、引くわけにはいかないねぇ」
「なら力ずくで捕らえるまで!」
「できるものならやってみな」
 言い終わるや否や、レイに手のひらを向ける吹蓮。吹き飛ばす術を繰り出そうとしたのだろう。
 だが、レイは読んでいた。横に飛び退き、術を回避する。
 そして、飛び退いたとほぼ同時に、吹蓮の方へ駆け寄っていく。レイは武器も戦い方も接近戦向きなので、距離を詰めることが第一と考えたのかもしれない。
 途中、吹蓮は何度か同じ術を使用したが、レイはそのすべてを確実に避けた。掠りもしなかった。
「悪いけど吹蓮、ここで消えてもらうよ!」
 レイは銀の棒を激しく振り回す。対する吹蓮は、銀の棒に当たらないよう少しずつ後退していく。
 一見すると吹蓮の方が上手に見える。しかし案外そうでもない。というのも、レイの狙いは、単に吹蓮を攻撃することではないからだ。
「……な!?」
 驚きの声をあげる吹蓮。
 彼女は気づかぬうちに、行き止まりへ誘導されていたのだ。逃げ場のない袋小路へ追いやられていることにようやく気がついたらしい。
 吹蓮は自然と苦々しい顔になる。
「よくもみんなに色々手を出してくれたね。あたしは貴女を絶対に許せない」
 レイは落ち着いた声で言いながら、吹蓮の片腕を掴む。骨と皮しかないかのような腕を、である。そして、逆に掴まれないよう、指を逆に折り曲げた。
 もちろんやられっぱなしで終わる吹蓮ではない。彼女はレイの足を攻撃しようと低いキックを放つ。だがレイは、キックを放った吹蓮の足を、片足で軽く払う。
 足を払われた吹蓮はバランスを崩す。その隙を見逃さず、レイは投げ技をかけた。吹蓮の痩せ細った体は、宙で一回転し、アスファルトの地面に落下する。
 一連の動作は流れるようで華麗だった。近くに見ている者がいたならば、目が離せなくなっていたことだろう。
 レイは、吹蓮の上に馬乗りになり両腕をがっちりと拘束すると、冷淡な声色で述べる。
「人の心を弄ぶなんて、最低の行為だよ」
「ま、そうだねぇ……」
「罪は償ってもらわなくちゃならない。それに、貴女には聞きたいことがたくさんあるからね。だから吹蓮、拘束させてもらうよ」
 言いながら、レイが所持している拘束具を取り出そうとした瞬間、吹蓮は言葉を発する。
「あたしを拘束できると思っているのかい?」
 挑発するような言い方だった。
「どういう意味?」
「物分かりがよくないねぇ。あたしを捕らえられると思っているのか、と聞いているんだがねぇ」
「そちらこそ、この状況で逃げられるつもりでいるの?」
 吹蓮を地面に押さえつけながらレイは尋ねた。その問いに対し吹蓮は、しわがれた低い声で「いいや」と答える。
「あの男と違ってアンタには隙がない。だから逃れるのは難しいだろうねぇ」
 妙に素直な発言を聞き、訝しんでいるような顔をするレイ。しっかりと地面に押さえつつ、腹を探ろうとするような目つきで吹蓮を見つめる。

 暫し沈黙が訪れた。
 暗闇の中、二人を静寂が包む。光はなく、音もない。まるで宇宙空間に放り出されたかのような、あまりに何もない空間である。
 それからしばらくして、吹蓮は小さく口を動かし始める。
「……だがね」
「何かまだ言うことがあるのかな」
「ある意味ではアンタもまだまだ甘い。若さゆえかもしれないがね」
 吹蓮の口元には、彼女らしい不気味な笑みが浮かんでいる。取り押さえられ到底逃れられる状態ではないのに、だ。
「悪夢はまだ終わらないよ。あのリーダーの女、それにアンタも。……なーんてねぇ」
 片側の口角だけが、すっと持ち上がる。
 それを目にし、レイは得体の知れない悪寒に襲われた。暗闇のせいでも、夜のせいでも、時折吹く風のせいでもなく。完全に吹蓮の不気味さによるものである。
 吹蓮から離れたい衝動に駆られるが、逃がすわけにはいかないので離れられない。

 ——刹那。
 レイの目に、ほんの一瞬、何かが光るのが映る。
「……っ!?」
 僅かに光ったのは吹蓮の口元だ。
 本能的に「まずい」と感じたレイは、咄嗟に吹蓮から離れる。そして距離を取ろうと走った。
 だが、既に遅い。
「あ……」
 直後、闇に爆発音が響く。黒を塗り潰すように、灰色の煙がその場を包んだ。
 近くに民家でもあれば、住人が驚いて飛び出してきたことだろう。しかし、近くに民家はない。だから、誰かがすぐに様子を見にやってくることもなかった。

 路地が煙に包まれる。
 そこへ、一人の男性が現れた。ダブルボタンのスーツに白髪混じりな頭という男性だ。
「……まさか、本当に自爆するとは。理解できませんな」
 男性は口元に僅かに笑みを浮かべる。
「失敗して帰ってきたら次はあの二人を使うとは言いましたがな……本当に帰ってこない道を選ぶとは、愚かの極みというもの」

 煙が晴れた時、路地に残されていたのは、気を失った一人の女性だけ。それ以外には、誰もいないし、何もなかった。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.163 )
日時: 2018/03/06 14:09
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: lyEr4srX)

101話「喧嘩は嫌」

 私と武田は事務所へ帰り、既に揃っていたみんなと夕食をとった。
 モルテリアが作ってくれたビーフシチューは、とろけるような肉と濃厚な味で大好評だった。ナギは妙にテンションが高くなっていたし、武田は黙々と食べていた。もちろん美味しいと思ったのは彼らだけではない。エリナも、私も、である。
 それから風呂に入ったり、それぞれ自由な活動をしたりして。そしてついに就寝時間が来ても、レイは帰ってこなかった。
 私は気になって仕方がなかった。エリナも少し気にしている様子だったが、「そのうち帰ってくるでしょう」などと言って流していた。

 穏やかに眠っていた私は、モルテリアの「起きて……」という声によって目を覚ます。モルテリアが起こす側だなんて珍しい。私はしばらく、状況が理解できなかった。
 壁にかけられた時計の針は五時を示している。カーテン越しにしか見えないが、窓の外は薄暗かったので、午前五時なのだと理解した。
「……すぐに着替えて……」
「えっ。何かあったんですか?」
「……レイが」
 それを聞き、昨夜レイが事務所へ帰ってこなかったことを思い出す。
 彼女に何があったのだろう。昨日の彼女の不思議な言動を知っているだけに、不安が込み上げてくる。
 素早く起き上がり、パジャマからスーツに大急ぎで着替える。やや寝癖がついてしまっているが、髪をセットする余裕はない。
 私は最速で身支度を整え、モルテリアと共にリビングへと急いだ。

 リビングには、エリナと武田、そしてナギもいた。私とモルテリア以外は揃っている。
「あっ!沙羅ちゃん来たっすよ!」
 私の姿を見て、大きな声を出すナギ。
「何があったんですか!?」
「沙羅、落ち着いて聞け。レイが……」
 優しくて頼りになる彼女の身に何かがあったのかもしれない。そう思いながら落ち着いて聞くなど不可能だ。
「やっぱり、レイさんに何かあったんですか!?」
「路地に倒れているのが見つかったらしい」
「そんな!」
 私は思わず叫んでしまう。
 レイは大丈夫だと思っていた。高い戦闘能力を持つ彼女なら誰かに襲われても大丈夫だろう、と。
 だが、甘かった。やはりちゃんと一緒に帰るべきだったのだ。
「今から現場へ向かうわ」
 エリナは平静を装いながら言う。しかし若干顔色が悪い。
「武田、運転できる?」
「はい」
「怪我しているところ悪いわね、よろしく頼むわ。車を出してちょうだい」
 静かな声で「はい」と返事をする武田。彼は、早朝であるにもかかわらず、漆黒のスーツをきっちりと着ていた。
「ナギ、モル、沙羅。行くわよ!」
 エリナは鋭く言い放つ。
 ナギもモルも、しっかりと頷いた。私も一度首を縦に振る。
 こうして私たちは、レイが発見されたという現場へ急行するのだった。

 外はまだ薄暗い。完全な真っ暗闇ではないが、視界はあまりよくない。そんな中、私たちはレイが発見されたという現場へ到着する。
 既に救急車が到着していた。ちょうどレイが救急車へ乗せられている途中だ。
「レイ……!」
「レイちゃんっ!」
 車を降りるなりナギとモルテリアが駆け出す。それに続いてエリナ。私は武田と共にその後を追う。
「何があったんすか?」
 ナギはいつになく真剣な声色で救急隊員に尋ねる。冗談や嫌みの多い日頃の彼とは別人のようだ。
「爆発があったとかなんとかで。ただ、自分はよく……」
「分からないんすか!?」
「あ、はい。自分はあまり詳しくな……」
「だったら分かるやつ呼んで!頼むっすよ!」
 ナギは曖昧な返答ばかりの救急隊員に苛立ち、徐々に口調を強めていく。今にも掴みかかりそうな勢いだ。
「落ち着きなさい、ナギ」
 救急隊員に詰め寄るナギを、エリナは静かに制止した。
 救急隊員はほっとした顔になる。いきなり現れた者に詰め寄られていたのだ、助かって安堵の溜め息を漏らすのも無理はない。
「でもエリナさん、レイちゃんが怪我したんっすよ!?何があったのか気にならないんすか!?」
「気にはなるわ。でも救急隊員の方に迷惑をかけるのは駄目よ」
「何言ってんすか!冷たすぎっすよ!」
 落ち着いた様子のエリナとは対照的に、ナギは取り乱している。恐らくレイを心配するゆえなのだろう。
 彼は女性のこととなるとすぐに平静を失うので、私が言うのもなんだが、見ていて少々心配である。
「今はそんなことを言っている場合ではないでしょう?」
「いやいや!仲間の身に何があったのか分からないなんて、そんなの嫌っしょ!」
「ナギ、落ち着きなさいよ。そんなに取り乱すなんて、さすがにみっともないわよ」
 しまいに言い合いに至ってしまうナギとエリナ。二人はわりと相性がいい方だと思っていたので、言い合いになるなんて驚きだ。
 そんな中、言い合う二人をじっと見つめていたモルテリアが、身を縮め、悲しそうに漏らす。
「……喧嘩……嫌……」
 声が震えていた。
 翡翠のような瞳には涙の粒が浮かんでいる。
 そんなモルテリアを目にし、ナギとエリナは言い合いを止めた。二人は揃って気まずそうな顔をする。
「……すいません。言いすぎたっす」
「そうね……、言い合いは無益だわ」
 まさかモルテリアが言い合いを止めるとは。私は密かに彼女を尊敬した。
 そこへ、救急隊員が声をかけてくる。「誰か同行するか?」という問いだった。シンプルな問いではあるが、咄嗟に言われると慌てそうな質問である。しかし、エリナは落ち着いた声で、「ナギとモルが」と答える。
 二人は救急車へ速やかに乗り込む。それから数分も経たないうちに救急車は出発した。
 走り出す救急車の背中を見送っていた——その時。背後から得体の知れない殺気を感じて振り返る。
 そこには、一人の女性が立っていた。白い髪を春の風に揺らす彼女は、うっすらと微笑んでいる。
「瑞穂!?」
 愕然とした顔で叫ぶエリナに、白い髪の女性は言う。
「エリナ、会いたかった。こんな形でまた会えるなんて、凄く嬉しい気持ち」
「……なぜこんなところに」
 理解できない、といった顔をするエリナ。
「話したいこと、いっぱいあるのよ?ゆっくりお話しましょう」
 白い髪の彼女は、ふふっ、と柔らかな笑みを浮かべる。
 だが私には、彼女が偽者の瑞穂だとすぐに分かった。恐らく武田も分かっていることだろう。しかし、エリナが完全に分かっているかどうかは怪しい。
 こんなところで彼女に再会するなんて……。
 私はそう思いながら、目の前の光景をじっと見つめる。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.164 )
日時: 2018/03/07 11:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 62e0Birk)

102話「それは偽者で、けれども彼女でもあって」

「……気をつけろ、沙羅」
 武田は険しい顔つきになり、私を護るように一歩前へ出る。そしていつものように軽く重心を下げる——がその瞬間、顔をしかめた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ない。気にするな」
 私が声をかけると、彼は落ち着いた声で応じる。だが痛そうであることには変わりない。恐らく宰次に撃たれた左足が痛むのだろう。
 銃創が痛むのは仕方がない。あれからまだ二日しか経っていないのだ。日常生活を営むことができているだけで幸運である。

「ずっと貴女に会いたかった」
 瑞穂は、こちらには目もくれず、ただエリナだけを見つめていた。エリナだけに話しかけ、歩み寄っていく。
 その途中、エリナは鋭く「来ないで!」と叫ぶ。とても不快そうな顔をしている。
「エリナ、どうして拒むの?私たち、親友じゃない」
「貴女みたいな幽霊、親友ではないわ」
「私を忘れてしまったの?」
「面白くない冗談は止めてちょうだい。貴女みたいな幽霊、初めから知らないわ」
 冷たく突き放すエリナ。その顔はどこか辛そうだった。
 ……無理もない。
 今は亡き親友との再会がこんな形だったのだから。辛くないわけがない。
 瑞穂は、白い髪を揺らしつつ、ゆったりとした足取りでエリナに近づいていく。そして、エリナの腕を掴む。
「薄情者」
 瑞穂がエリナの耳元でそっと呟く。聞こえるか聞こえないかくらいの本当に小さな声だが、その言葉はナイフのように鋭かった。
「そうね。そうだった。私はエリナを親友と思っていたけれど、エリナは私を親友とは思っていなかったものね……思い出した」
 警戒心剥き出しの表情を浮かべるエリナに、凄まじい勢いで迫る瑞穂。
「貴女はどうして、私を、保科瑞穂を、親友だと思ってくれなかったの?」
「瑞穂のことは親友だと思っていたわよ」
「でも私のお葬式の時、泣いてなかったじゃない!どうしてよ!」
 言葉を激しく放つ瑞穂を見て、武田は動揺しているようだった。
 彼は目の前にいる彼女が本物の瑞穂ではないと理解しているはずだ。にもかかわらず動揺を隠せていないのは、目の前に存在する彼女の言動が、記憶の中の彼女とあまりにかけ離れているからなのだろう。
 私は生前の瑞穂を知らない。だからはっきりと言いきることはできない。だが、武田から聞いていた瑞穂は、もっと優しく穏やかな印象だった。
「親友と思っていないから、泣かなかったんじゃないの!?」
「違うわ。幽霊、いえ……瑞穂。私はこんな性格だから泣けなかったのよ。泣かなかったわけではないわ」
「悲しくなかったから、泣けなかったんじゃないの!」
 憎しみのこもった視線を向けられたエリナは、静かに目を伏せる。
「違う。私は」
「エリナ。貴女、本当は、私がいなくなったことを喜んでいたんじゃない?」
「なんてことを言うのよ、瑞穂。そんなわけ……」
「だったらどうして、泣いてさえくれなかったのよ!!」
 瑞穂の叫びは異常な迫力を帯びている。
 さすがのエリナも圧倒されているらしい。彼女の茶色い瞳は、動揺したように揺れていた。
「私がいなくなって嬉しかったのよね、エリナは。私さえいなければ、武田くんを一人占めできるものね」
「武田?待って、瑞穂。どうしてそこで武田が出てくるの?」
「白々しい返答は要らない。私はエリナが武田くんを気になってるって知っていたのよ」
 矢継ぎ早に言葉を発し、瑞穂はエリナを追い詰めていく。
「気づいていた?だから私は宰次さんと付き合ったの。私が武田くんに手を伸ばしたら、親友であるエリナとの関係が壊れてしまうから……」
 一方的に鋭い言葉を浴びせられたエリナは、目を見開き、瑞穂ただ一人だけを見つめていた。魂を抜かれているかのような、ぼんやりとした瞳で。
 私のすぐ近くで様子を見ている武田は不快感を露わにする。
「何だこれは。気持ち悪い」
 そんな風に漏らす彼の手を、私は後ろからぎゅっと握った。
「そして私は死ぬという運命に巻き込まれた。けれどもそれでいいと思っていた。エリナとの友情が壊れないなら、って」
「……止めて。もう止めて」
「馬鹿だったわ。エリナは微塵も親友だなんて思ってもいないのに、私だけが親友だと信じていたんだもの。愚かの極みね、私は」
 武田が「気持ち悪い」と言ったのも分かる気がした。彼女はおかしい。明らかに普通ではない。
「ただ、エリナは一つだけ間違いを犯した」
「……間違い?」
「そうよ。貴女が犯したただ一つの間違いは、エリミナーレを結成したこと。武田くんを一人占めしようとしたのが裏目に出たのね」
 エリナは怯えたような顔で後ずさり、うわ言のように「何を言いたいの」と漏らす。
「残念ね、エリナ。結局武田くんは貴女のものにはならなかった。彼は本当に大切な人に出会ってしまったから……」
 瑞穂は語りかけるような静かな声で話しながらエリナへ身をすり寄せる。いくら女同士でも近すぎだ。肌と肌が触れそうな距離である。
「いい加減にして!」
 突如、エリナが瑞穂を突き飛ばした。身構えていなかった瑞穂は勢いよく二メートルほど後退する。
「聞いていて分かったわ!やっぱり貴女は違う。ほんの一欠片も瑞穂じゃない!」
「酷いことを言うのね、エリナ。真実から逃げるなんてエリナらしくないと思うけれど」
「瑞穂は貴女みたいに他者を悪く言う娘じゃないわ!偽者は消えなさい!忌々しい!」
 腰のホルスターから拳銃を取り出し、銃口を瑞穂へ向けるエリナ。
 私は、エリナが拳銃を所持していることを知り、密かに驚く。彼女の武器は鞭なものと思い込んでいたからだ。よく考えれば拳銃を持っていてもおかしくはないのだが……それにしても意外である。
「エリナ?」
 銃口を向けられた瑞穂は戸惑ったように言う。
「どうしてそんなものを向けるの?」
「忌まわしい幻、消えなさい!」
 鋭い言葉と共に引き金を引くエリナ。路地に数度、乾いた音が響く。
 私は思わず耳を塞いでしまった。
 銃撃を受けた瑞穂は膝を折り、力なく地面に座り込む。アーモンド型の瞳からは一筋の涙がこぼれている。
「……酷い。エリナも宰次さんと同じ。心から私を必要としてはくれなかった……」
 嘆く彼女に、エリナはゆっくりと歩み寄っていく。そしてそっと抱き締めた。瑞穂ではないけれど、瑞穂と同じ姿をした、彼女の体を。
「それは違うわ、瑞穂。私は今でも貴女を大切に思っている。これだけは絶対よ」
 座り込んだまま戸惑いの色を浮かべる瑞穂。
 彼女は偽者だ。それは間違いない。けれど、今の彼女は、本物のようにも感じられる。
「私は瑞穂を救えなかった。話を聞いてあげることすらできず、貴女を死なせてしまった。後悔したわ。一番傍にいたのにって」
 エリナの声は静かだが、微かに震えていた。
「あの夜貴女を呼び出して殺害したのは、宰次なのでしょう?」
「……気づいていたの?」
「当然よ。あまりに不自然だったもの。宰次を疑わないわけがないわ」
 何か考えるように少し間を空け、エリナは続ける。
「安心して、瑞穂。私は彼を絶対に許したりしない。彼が犯した罪は、私が必ず表に出すわ」
 エリナの強い言葉を聞き、瑞穂はほんの少し微笑む。そして「変わらないね」と小さく呟いた。昔を懐かしむような声だ。
「……ありがとう。でもね、命だけは奪わないでほしい。宰次さんを愛していたこともまた、事実だから」
「そうなの?」
「……えぇ。色々お世話になったし、一緒にいると楽しかった。私があの人の過去の過ちを知らなければ……こんなことには……」
 瑞穂の言葉はそこで途切れた。事切れたかのように、動かなくなる。やがて、エリナが抱き締めていた彼女の体は、幻のように揺らぐ。そして、跡形もなく消え去った。

 ——夢を見ているみたいだった。
 エリナと武田と、それから私と。この時間は、私たち三人以外は、誰も知らない。知るよしもない。
 ただ、私たち三人は、この時間を決して忘れることはないだろう。きっと、永遠に。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.165 )
日時: 2018/03/08 08:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: a4Z8mItP)

103話「女王は幾度も立ち上がる」

 エリナは暫しその場に留まっていた。寂しそうな瞳をして、何も言わず、体勢を変えることすらせずに。そんな彼女に声をかけることは、私はもちろん、武田でさえできなかった。
 だが、やがて立ち上がった時、彼女の顔から弱さは消えていた。
 瞳には彼女らしい強さが戻っている。自信に満ちた、それでいて落ち着きのある表情。そこからは、すべてを振り払い前へ進もう、という強い決意が窺える。
 これでこそエリミナーレのリーダー・京極エリナだ。
「大丈夫ですか?エリナさん」
 私は恐る恐る尋ねてみた。
 すると彼女は、こちらへ目をやり、口角を持ち上げる。
「貴女に心配されるようなことじゃないわ」
 冗談めかした嫌みを耳にし、私は密かに安堵する。
 ここしばらく、彼女は暗い顔をしていることが多かった。そして私はそれが少し心配だった。だから、彼女が嫌みを言えていることで、勝手ながら安心できたのだと思う。
「さて、レイの搬送先へ向かいましょうか。あちらはきっと、とっくに病院だわ」
 エリナの発言でレイのことを思い出した。
 レイは大丈夫だろうか……。
 怪我と言っても千差万別である。軽傷ならまだ良いが、後遺症の残るようなものだったりしたら恐ろしい。
 私がいつまでもそんなことを考えているということを察してか、エリナは言う。
「沙羅、心配のしすぎは良くないわよ。貴女は弱いのだから、他人より自分の心配をなさい」
「あ、はい……」
 相変わらず一言余計だ。
 しかし、今はなぜか、嫌な気持ちがしない。むしろ穏やかな気持ちになっている気すらする。
 それから私たちはエリミナーレの車に乗り込んだ。運転するのはもちろん武田だ。
 私は普段通り助手席に座りかける。しかし、今エリナを後部座席に一人にするのは少し可愛そうな気がしたので、私も後部座席に座ることに決めた。
 武田は「今日は後ろなのか?」と首を傾げる。特に説明するほどの理由はないので、私はあっさりと、「はい」とだけ返事をした。

 車の後部座席に座り待つこと十五分、レイが搬送されたという病院へ着いた。交通安全教室の日に私が運び込まれたのと同じ病院だ。
 中へ入り事情を話すと、レイがいる部屋まで速やかに案内してもらえた。
 スライド式の扉を開け、部屋に入る。そこには、ベッドに横たわるレイと、彼女を見守るナギとモルテリアの姿があった。
「エリナさん!それに沙羅ちゃんと武田さんも!来てくれたんすね!」
 パイプ椅子に腰掛けていたナギが、待ってましたとばかりに立ち上がり、温かく迎えてくれる。
「意外と遅かったっすね!何かあったんすか?」
 何も知らないナギは、曇りのない純粋な瞳で尋ねる。問いに対しエリナは、「少し、ね」とぼやかして返す。
 それから話題を変えた。
「レイの調子は?」
「まだ意識は回復してないっすけど、死に至るようなものではないみたいっすよ」
「そう。それなら良かっ……」
 言いかけた瞬間、エリナは突然よろける。足から力が抜けたようで、前へと倒れ込んでいく。ナギは驚いた顔をしながら、彼女の体を支えた。
「エリナさんっ!?いきなりどうしたんすか!」
「……ごめんなさい、ナギ。きっと寝不足のせいだわ」
「ちょ、寝てないんすか!?」
「ここのところ朝早かったのよ。それだけだから気にしないで……」
 エリナは寝不足と言っているが、寝不足にしては辛そうだ。呼吸が乱れているし、顔は赤らんでいる。風邪かもしれない。
 ナギらと合流し気が緩んだことで症状が出た、ということも考えられる。
「いやいや、気にするっしょ!取り敢えず座った方がいいっすよ」
 ナギはきっぱりと言い放ち、エリナを空いていた椅子に座らせた。
 普段はいろんな意味で大丈夫かと思ってしまうナギ。だが、こういう場面でだけは、妙に頼もしく感じられる。
「ちょっと触るっすよ」
 ナギは軽く予告してから、椅子に座っているエリナの額に手を当てる。
 そして、ますます驚いた顔になった。「普通に熱あるじゃないっすか!」と、ここが病室であることを忘れたかのような大声で言う。妙なところだけ厳しいモルテリアに静かにするよう注意されるが、ナギはまったく聞いていない。
 ナギは周囲の状況などお構い無しだ。「熱ある!熱あるって!」などと騒ぐばかりである。
 そんなナギの振る舞いを見兼ねた武田が口を開く。
「ナギ、ここは病室だ。騒ぐのは良くない」
「大事な人が体調不良なんすよ?騒がずにいられるわけないっす!」
「己の感情で他者に迷惑をかけるのは良くない」
「アンタだって、沙羅ちゃんが体調不良になったら騒ぐっしょ!?」
 ナギにそう言われた武田は、思わず言葉を詰まらせる。口元に手を添え、考え込むような仕草をしている。
 少ししてから、武田は口を開く。
「……確かに、騒いでしまうかもしれない」
「でしょ!?」
「あぁ。分からないことはない。ただ、公共の場では感情を抑えることも必要で……」
「あー嫌だ嫌だ!説教臭い男は女の子に嫌われるっすよ!」
 ナギの言葉に、衝撃を受けたような顔をする武田。
 彼はすぐさま私の方を見て、凄まじい勢いで尋ねてくる。
「そうなのか!?」
「え、え?」
「私は説教臭くて嫌な男なのか、沙羅」
「えっと……」
 武田がこんなに凄まじい勢いで言葉をかけてくるなんて珍しい。慣れないのもあり、思わず圧倒されてしまう。
「はっきりと言ってくれ、沙羅。頼む」
 このしつこさ。これは武田特有のものである。
「あの……えっと、説教臭くなんてないです。武田さんはかっこいいですし……」
 何を言っているのだろう、私は。
 ここ数日、色々ありすぎた。そのせいで頭が少し変になっているのかもしれない。だから普段は恥ずかしくて到底言えないようなことを言えてしまうのだろう。
 しかし、武田が安堵したように微笑み「それなら良かった」と言っていたので、それはそれで良かったのかもしれない。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.166 )
日時: 2018/03/09 09:21
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: NtGSvE4l)

104話「慣れた寝床で眠りたい」

 結局あの後、私は事務所へ帰ることになった。
 ナギとモルテリアは病院へ残り、私と武田、そしてエリナは事務所へ。というのも、急に体調を崩したエリナが、「事務所で休む方がいい」と言ったのだ。慣れた場所で休みたかったのだろう。
 そんなことで事務所へ帰ると、李湖が一人うろついていた。
「もー。みんな揃ってどこ行ってたんですかぁー……って、ちょっとぉ!?」
 半ば担ぐような体勢で武田に運ばれているエリナを見て、驚きを隠せない李湖。
「一体何があったんですかぁ!?」
「騒ぐな。静かにしてくれ」
 李湖を見る武田の目は非常に冷ややかだった。彼はそもそも李湖を嫌っている。だから余計に、騒がれると不愉快なのだろう。
 冷遇された李湖は「酷ぉい」と言いながら拗ねる。しかしこの容姿では可愛らしさは皆無だ。いや、可愛らしさが皆無どころか、むしろ痛々しい。
 武田はそんな痛々しい李湖を無視し、担いだエリナを彼女の部屋まで連れていく。一応私もついていっておくことにした。

 エリナの部屋へ入ると、武田は彼女をベッドに横たえた。
 顔はまだ火照っている。目もほとんど閉じたままで、あまり動こうとしない。だが、使い慣れたベッドの感触に落ち着いたのか、表情は先ほどまでより少し穏やかになっている。
「体温計や飲み物を持ってくる。沙羅は傍にいてあげてほしい」
「あ、はい!もちろん!」
 武田は速やかに部屋を出ていく。マンションの一室という決して広くはない空間に、エリナと二人きりになってしまう。
「大丈夫ですか?」
 どう見ても大丈夫ではないエリナに対し、何げなくそんな言葉をかけてしまった。嫌な顔をされるかもしれないと思ったが、彼女はそこには特に触れない。
「……沙羅。何よ、その同情するような目は……」
「えっ」
「私のことは放っておいて……貴女は自分のことだけを……」
 エリナはらしくなく、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。声は弱々しく張りがない。
 体調不良の時は話すだけでも体力は消耗するものである。
「エリナさん、話さなくて大丈夫ですよ。なるべくじっとしていて下さい」
 リーダーに対しこんなことを言うのもどうかと思ったが、今は仕方がない。彼女が消耗しないようにするのが先決だ。だから私は、怒られるのを覚悟した上で、エリナにこんなことを言ったのである。
 しかし彼女は「そうね……」とだけ言い黙る。エリナが私に怒ることはなかった。もっとも、単に怒る気力もなかっただけかもしれないが。
 そこへ武田が戻ってくる。
「席を外して悪かったな、沙羅。取り敢えず要りそうな物を持ってきた」
「早かったですね」
「そうか?別段早いこともない。普通だと思うが」
「じゃあ私が遅いだけかもしれません……」
 そんなことを話しながら、武田はエリナに体温計を渡す。彼女はゆっくり手に取ると、体温を計る。
 しばらくすると、体温計からチチッと音が鳴った。計り終えたことを知らせる音である。
「……三十八度……八分」
 エリナは飾り気のない弱々しい声で言う。
「結構高いですね」
「そこそこな熱だな」
 言いながら武田と顔を見合わせる。彼は困り顔になっていた。
 数日後に宰次との決着をつけねばならないというこのタイミングで、エリナが熱を出すというハプニング。困り顔になるのも無理はない。
「エリナさん、起きれます?せめて薬だけでも飲んでおいた方が良いかと」
「……そうね」
 瞼はほとんど閉じたまま、エリナは徐々に上体を起こした。武田は持ってきていた薬とペットボトルを彼女に手渡す。
 エリナは速やかに薬を飲み、少しして、また横になる。すると、すうっと眠りに落ちた。寝不足だから眠りやすいのかもしれない。
 彼女の寝顔は、予想していたよりか穏やかだった。

 エリナが眠ったのを確認し、私と武田はリビングへと戻る。
 二人だけのリビングはどこか寂しい雰囲気だ。一応李湖はいるが、それでも寂しい雰囲気は変わらない。
 私はソファに腰を掛け、一人考えていた。エリミナーレは大丈夫なのか、と。
 すると武田が声をかけてくる。
「どうした、沙羅。そんな浮かない顔をして」
 彼はさりげなく隣に座った。
 そして、私の顔を覗き込んでくる。何げなく距離を詰めてくるところが彼らしい。
「悩みでもあるのか?」
 近くでじっと見つめられると、なんだか羞恥心が目覚めてしまう。彼の顔を真っ直ぐに見つめ返す余裕のない私は、つい視線を逸らしてしまった。
 本当に、どうして私はこんな、意気地無しなのだろう。好きな人の顔を見ることすらまともにできない。
「……エリミナーレのこと、考えていました」
「エリミナーレのこと、だと?」
 なぜ?といったように首を傾げる武田。
「もう数日しかないのに、武田さんは完治してなくて、レイさんは怪我して、エリナさんは風邪で……大丈夫なのかなって……」
 このままではまともに戦えるメンバーがナギしかいない。宰次がどんな手を使ってくるのか分からないうえ、こちらは戦力不足となれば、もはや不安しかない。
「もしかしたらって考えてしまって、不安なんです」
 すると武田は私の手をそっと握ってくる。
「沙羅が心配する必要はない。戦いは私たちに任せていればいいだろう」
「でもっ。私の父親が宰次の味方をしているって話もありますし、もう……もう、よく分からなくなってきました……」
 考えれば考えるほど分からない。ただ生きているだけで周囲が崩れていく。
 もう、疲れてしまった。
 弱音を吐くのは簡単だ。だが、みんな頑張っているのに私だけが弱音を吐くなんて狡い。そう思ってここまで来たけれど、やっぱり——。
「……怖い。明日が来るのが……」
 静かだから悪い方向に考えてしまうのだろう。きっとそうだ。だが、怖いことに変わりはない。
 沈黙が訪れてしまった。
 ——やがて、しんとした空気の中、武田が口を開く。
「私もだ、沙羅」
「え。武田さんでも、怖いと思ったりするんですか?」
「いや、以前は思わなかった。しかし、いつからか思うようになっていた。不思議だ」
 彼は穏やかに頬を緩める。自然な笑みだった。
 無理矢理のようなぎこちない笑みも、努力してくれているのが伝わって嫌いではない。だが、自然な笑みもまた魅力的だと感じる。彼の自然な笑顔は私の心を掴んで決して離さない。特に意識もせずそんな笑みを浮かべているのだろうから、彼はある意味凄い人だと思う。
「だが、私は沙羅がいれば恐怖など忘れられる。お前にいつも助けられているんだ。だからお前も、私でよければ頼ってくれ」
「いいんですか?」
「もちろんだ。気は利かず器用でもない私だが、体の頑丈さだけには自信がある。沙羅の自慢の盾になれるはずだ」
 真剣にそんなことを述べる彼を見ていると、なんだかおかしくて、つい笑みをこぼしてしまった。
「ふふっ。盾だなんて、おかしいですね」
「おかしいのか?」
「はい。だって、自分を盾とか……ある意味新しいですよ」
「私にしては上手く言えた方だと思ったのだがな。やはり不自然だったか」
 みんなが苦労している時に、私だけこんな風に過ごしていて良いのだろうか。
 罪悪感が微塵もないわけではない。
 だが、ほんの少し笑うくらい、心の広い神様は許してくれるだろう。きっと。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.167 )
日時: 2018/03/10 23:09
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 16oPA8.M)

105話「時は止まらない」

 午後三時を回った頃、事務所に突然電話がかかってきた。
 偶然近くにいた私は慌てて受話器を取る。また誰かに何かあったのか——と少々不安になったが、どうやらそうではないらしい。かけてきたのはナギだった。
「あっ、沙羅ちゃんすか?」
「はい。どうかしましたか」
「ついさっきレイちゃんが起きたんっすよ!」
 それを聞き、心が一気に明るくなる。
 最近の中では珍しく嬉しい知らせだ。
 どんな深い谷底にも太陽の光は届く。それを目の前で証明してもらったかのような、とても嬉しい話である。
「記憶とか意識とか、大丈夫なんですか?」
「大丈夫っす!普段と全然変わんない感じっすよ!むしろよく眠って元気なくらいっすわ!」
「それなら良かったです」
「いやー、心配して損したっすよー。この俺が胃痛める直前だったっすからね!」
 それは絶対に嘘。
 常に軽くて悩むことなんてなさそうなナギが、胃を痛めかけるはずがない。彼のことだから大袈裟に言っているのだろう。
「……ただ」
 声色をやや変えて言うナギ。
「吹蓮が自爆して、その爆発に巻き込まれた……とか言うんすよ。そこだけちょっと謎なんすよねー」
「そうなんですか。確かに少し謎ですね」
「悪い夢でも見てたんすかね?ま、でも元気なんで、安心してもらって大丈夫っすよ!」
 ナギは気を遣ってかそんな風に言う。
 それから数秒間を開けて、言葉を続ける。
「ところで、エリナさんの調子はどうっすか?熱とかあった?苦しんでないっすか?」
 女性に対して優しいナギは、エリナの身を案じていたのだろう。私が答えるより早く次々尋ねてくる。
「ちゃんと寝てる?無理して強がってないっすか?」
 彼は日頃からよく喋る質ではあるが、それにしても今日はよく喋る。随分早口だ。恐らく、伝えたいことがたくさんあるのだろう。
「あの人、いつも強気に振る舞ってるっすけど、本当は繊細なんすよ!だから沙羅ちゃん、寄り添ってあげてほしいっす!」
「え。私がですか?」
 なぜ私なのだろう。そう思い確認すると、ナギは「よろしくっす!」と、はきはきとした調子で言った。
「ま。本当は俺が傍に寄り添って、あんなことやこんなことをして差し上げたいんっすけどねー」
「何ですか、それ……」
「いやいや!沙羅ちゃんは知る必要のないことっすよ!」
 うっかり言ってしまっただけだったのか、慌てて揉み消そうとするナギ。
 心配しなくても、知りたくもない。
 そう思ったが、敢えて言うことはしなかった。ここでわざわざ言う必要もないと判断したからだ。
 それから少しばかり話をし、私は電話を切った。
 ナギとモルテリアは特別に許可を貰ったらしく、病院で一泊するという話である。つまり今夜は帰ってこないということ。非常に残念な話だ。
 寂しい夜になりそうだな、と思ったりした。

 ——その夜。
 エリナは自分の部屋で夕食をとった。そして、その皿を引き上げるのは私の役目だった。
 彼女の夕食の皿をお盆に乗せてリビングへ移動する。そこで私は驚きの光景を目にしてしまった。
「なっ、何を!?」
 武田が床に座り、開脚して柔軟体操をしていたのである。私は驚きと戸惑いで、思わず後ずさってしまった。
 しかし彼はというと、少し顔を上げただけで、呑気に柔軟体操を続けている。
「何を驚いている?」
「驚きますよ!いきなりリビングで柔軟体操とか!」
「老いと共に体は柔軟性を失っていくものだ。時にはストレッチも必要だと思うが?」
「だからってリビングでしなくても……」
 謎が深まってしまった。
 彼の不思議な行動は今までもあった。しかし、今回はまた、かなり不思議な行動である。
 もちろん柔軟体操をすること自体に問題があるわけではない。ただ、敢えて今ここで行う意味が、私には理解できないのだ。
「そうか……そうだな。沙羅が嫌なら止めよう」
 武田は言いながら少ししょんぼりした顔をした。
 こんな顔をされると、私の中に罪悪感が芽生えてしまう。これではまるで、彼の楽しみを私が奪ったかのようではないか。そんなのは私が嫌だ。
 せめて今くらい、彼には好きなことをしていてほしい。勢いで色々言ってしまったが、彼のやりたいことを止めさせるつもりはなかったのだ。
「待って下さい。私、嫌とは言ってません」
 懸命に探し見つけた言葉は、こんな得体の知れないものだった。
 しかし彼はすんなりと受け入れてくれる。
「そうなのか?」
「はい。ただ少しびっくりしただけで」
「そうか。びっくりさせてしまってすまなかった。今後は気をつけよう」
「あ、いえ……」
 何とも言い難い雰囲気になってしまった。リビングは静寂に包まれ、非常に気まずい。
 そこへ、李湖が突然現れた。
「あれぇー。お二人、こんなところで何してるんですかー?」
 夜にもかかわらずフルメイクだ。
 相変わらず化粧は濃い。皮膚は分厚そうに見える。これでよくアイドルなんぞできていたものだ。
「もしかして、いちゃついてたんですかぁー?それともぉ、もう一線越えちゃいましたー?やぁ、怖すぎぃー」
 発想が怖すぎる。
 私は冷めた顔をせずにはいられなかった。
 そんなことを恥ずかしげもなく言えるというのは、ある意味才能かもしれないが、普通とは言い難い。普通の大人なら、仮に思ったとしても心の中にしまっておくだろう。
「康晃くんってぇ、意外と積極的だったりしそ……ひぃ!」
 武田に凄まじい形相を向けられ、短い悲鳴をあげる李湖。
「すぐに立ち去れ」
 短い言葉だが、武田の低い声で放たれると、かなりの威圧感がある。
 完全に怯えてしまっている李湖は、びくびくしながらも速やかにリビングから出ていった。
 李湖がいなくなってから武田は、はぁ、と溜め息を漏らす。呆れ顔で「何なんだ、あいつは」などと言っている。
「面白い人ですよね」
「な、沙羅はああいうのが好みなのか?」
「いえ。そんなんじゃないですけど、ユニークだなって」
 もっとも、李湖の場合は、ユニークを通り越して面倒臭いな気もするが。
「ところで武田さん、どうしてこんな時に柔軟体操を?怪我してられるのに」
「どうもすっきりしなくてな。気晴らしに少し動いてみようと思ったんだ」
「なるほど」
「沙羅もどうだ?」
「遠慮しておきます……」
 彼と同等の動きをできるはずがないので断った。本当は一緒にしたい気持ちもあったが、迷惑をかけてしまうのが嫌だったからだ。

 こうして、また一日が過ぎていった。
 一歩ずつ一歩ずつ、確実に約束の日へと近づいていく。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.168 )
日時: 2018/03/12 00:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: b9FZOMBf)

106話「麗らかな日の険悪な空気」

 静かな夜を終え、翌日。
 空はよく晴れ、暖かな日差しの差し込んでいる。やや強めの爽やかな風が、肌を撫で、髪を揺らす。外を少し歩くだけで春の香りに包まれる、麗らかな日である。
 そんな中、私は武田と二人で病院へと向かった。意識を取り戻したというレイに会うためである。
 本当は昨日行っても良かったのだ。しかし、エリナが高い熱を出しているので離れられず、結局行けずじまいである。
 そして今朝。薬の効果か、エリナの熱は少し下がっていた。だから今日、レイに会うべく病院へ行くことになったのである。エリナはまだ体調がすぐれないのでもちろん行けない。だが、彼女が「行ってきなさい」と言ってくれたおかげで、私たちは気兼ねなく行くことができた。
 彼女の言葉に感謝である。

「……待ってた」
 病院の入り口付近で待ってくれていたのはモルテリア。
 口に入りきらないくらいの物を入れ、元気よく咀嚼している。もぐもぐしているのがはっきりと見えるくらいだ。
 手には、白い紙に包まれた温かそうなたい焼き。半分ほどしか残っていないが、露出した小豆が甘い香りを漂わせている。
「モル、お前は何をしにここへ来たんだ」
「……お出迎え」
「ではなぜたい焼きを頬張っている」
「美味しいよ……?」
「ここは病院だ。たい焼きを食い散らかすのは良くない」
「……ちゃんと……食べてあげるのが、優しさ。違うの……?」
 ここまで来ると、さすがの武田も呆れるほかなかったようだ。これ以上は話しても無駄と思ったらしく、話題を変える。
「まぁいい。取り敢えず行こうか」
「……うん」
 モルテリアはもぐもぐしながら、こくりと頷く。柔らかそうな髪がふわりと動くのが愛らしかった。

 病室へ着くと、ベッドに横たわっていたレイが上半身を起こす。一つに結われた青い髪がさらりと揺れる。
「レイさん!」
 私は名を呼びながら、レイに駆け寄る。
「沙羅ちゃん!」
 レイは明るい笑顔を浮かべて迎えてくれた。再会を喜ぶような顔をしてくれている。
「大丈夫なんですか!?」
「あ、うん。大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
「重傷じゃないんですね!?」
「うん。軽い火傷とかくらいだから、そこまで酷い怪我じゃないよ」
 それを聞き、私は安堵の溜め息を漏らす。爆発がどうのと耳にしたのもあり、大怪我だったらどうしよう、と非常に心配していたのだ。
「それなら良かったです。……でも、一体何があったんですか?」
「それが、途中までしか記憶がないんだよね」
 レイは困ったような顔をしつつそう言った。
 私とレイが話をしていると、後ろにいた武田がいきなり口を挟んでくる。
「途中までの記憶はあるのか?」
 問われたレイは「うん」とあっさり答えた。
 すると武田は続ける。
「吹蓮と交戦したという話は聞いたが、私らと別れた後に何があったんだ」
 ストレートに聞かれ、難しい顔をするレイ。
「見回りの時、途中から少し気配を感じてて。それが吹蓮の気配だって分かったから、あたし一人で捕らえようと思ったんだけど、自爆されちゃった」
「待て。なぜ気づいた時点で私に言わなかった?」
「負傷中の武田に戦わせるわけにはいかないと思って。それに、沙羅ちゃんを巻き込んでも嫌だしね」
「だが……」
 言いたいことがたくさんある、というような表情を浮かべる武田。今にも口調を強めそうな彼に対し、近くのパイプ椅子に座っているナギが述べる。
「レイちゃんは武田さんとかみんなを思って一人で頑張ったんすよ?それを否定するとか、さすがに酷くないっすか?」
「頑張ると勝手に行動するは同じ意味ではない。勝手に行動するのは良くない」
「ちょ、その言い方はないっしょ。何でそんなこと言うんっすか?」
 場が徐々に険悪な空気になってくる。
 しかし武田は、険悪な空気など微塵も気にせず、はっきりと物を言う。
「誰にも相談せず自己判断で勝手に行動するのは良くないことだ」
 淡々とした口調で言われたナギは、いよいよ攻撃的な面を露わにしてくる。
「ならアンタだって!沙羅ちゃんが拐われた時、勝手に飛び出していったじゃないっすか!」
 共通の敵に対しての時は頼りになるが、今は仲間同士だ。頼りになるならないの問題ではない。
 小心者の私には、ナギの攻撃的な口調は怖すぎた。自分に投げかけられた言葉でもないのに、つい畏縮してしまう。
「確かに。だが、私は周囲にそれほど迷惑をかけてはいないはずだ。自分のことはちゃんと自分で管理するようにしている」
「いやいや、沙羅ちゃんを心配させてるじゃないっすか!」
「彼女を心配させてしまっていることは知っている。沙羅は優しいからな。だが、仕事に支障をきたすほどの怪我はしていない。次の戦いも私は普段ど……」
 その瞬間、ナギは武田の右腕をがっしりと掴んだ。こればかりはさすがの武田も動揺した顔をする。
「普段通り?この怪我で?冗談きついっすわ!」
 右腕を握られた武田はほんの少し顔を歪める。
 肘に直接触れられているわけではないが、それでも痛むのだろう。負って数日なので痛むのは仕方ない。
「ナギ!止めて!」
 ベッドに座っているレイが鋭く注意する。だが頭に血が昇っているナギには届かない。
「普段通り動けるつもりでいるなら、今ここで試してやるっすよ!」
「お前の力で私を負かすのは無理だ」
「挑発する気満々っすね……いいっすよ!」
 病室で暴れる気か。それはさすがにまずい。危険だし、病院に迷惑がかかる可能性も高い。
 なんとしても止めなくては——そう思うのだが、私で男二人を止めるのは無理だ。頼みの綱のレイはベッドから動けず、モルテリアは変わらずたい焼きを貪り食っている。
 こんな時エリナがいてくれたなら。叱って制止してくれたなら。彼女がこの場にいればどんなに助かっただろう、と、そんなことを考えてしまった。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.169 )
日時: 2018/03/13 17:24
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fqLv/Uya)

107話「仲直りの証?」

 白一色で統一されたさほど広くない病室内に、いるだけで心労がかさむような張り詰めた空気が漂う。
 一秒後に何が起こっているか分からない、というような緊迫感。私はそれに押し潰されそうな気がして仕方ない。
 暫し沈黙があり、やがて、ナギに右腕を掴まれている武田が言う。
「離せ、ナギ」
 威圧感のある低音だ。
 だがナギは武田に慣れている。低い声で言われたくらいで素直に従うはずもない。それに、彼のことだ。むしろ言われたのと真逆の行動をとる勢いである。
「こんなところで本気でやり合うつもりか。迷惑極まりない」
「逃げるんすね。じゃあ、レイちゃんの気遣いを邪険に扱ったこと、謝ってほしいっすよ!」
「それとこれとは話が別だろう」
 武田とナギは真剣に睨み合っている。
 レイは「いい加減止めて!」と言い、男二人を制止しようとする。しかし、ナギも武田も反応しない。完全無視である。レイが無視されるなんて信じられない。
 やがて怒りを露わにしているナギの手が、肘の方へと移動する。意図してか偶然かは分からないが。そんなことで肘を強く握られた武田は、またしても顔を歪める。詰まるような苦痛の息を漏らしていた。
「なっ、ナギさん!お願いです。止めてあげて下さいっ!」
 余計な刺激を加えることは避けるべきなのに、堪らず口を挟んでしまう。武田が苦しんでいる光景を目にしながら黙っていることは、私にはどうしてもできなかった。
 私にしては大きな声に、ナギは驚いたようにこちらを向く。
「これは俺ら二人の問題なんで、止めないでほしいんすけど」
「でもっ。武田さんは苦しそうな顔をして……」
「これは男同士の話。沙羅ちゃんみたいな可愛い女の子が入れる話じゃないんすよ」
 いつもなら言われて嬉しいであろう「可愛い」も、このタイミングだと嬉しくない。話に入ってくるなと言われているような気分になるからである。
「沙羅、構うな。お前が心配することはない」
 続けて武田が言ってきた。
 一見優しい言葉だけれど、それはどこか私を拒否するような言葉だ。
 妙に悔しい気持ちになる。
「心配しますよ!だから止めて下さいっ!」
 私は思わずそう叫んでしまった。
 狭い部屋がしんと静まりかえる。そして、全員の視線が私に集まった。攻撃的な視線ではない。だが、小心者の私にとっては、大勢から視線を向けられるのが少々苦痛だ。
 それにしても、まさか私の声でみんなの動きが止まるとは思わなかった。
「そうだよ。沙羅ちゃんの言う通り」
 一番に口を開いたのはレイ。
「ナギも武田も、喧嘩するのは良くないよ。こんな時だからこそ結束を固めないと」
 確かに、と思う。彼女の言っていることはまっとうだ。
 巨大な敵に向かう時ほど力を合わせなくてはならない。これは小学生でも分かるような当たり前のことである。しかし、当たり前のことほど忘れるというのもまた、事実だ。
「仲良し……いいね……」
 ようやく場が落ち着いてきたところで、モルテリアが口を挟んできた。彼女は持っていた紙袋から小さなたい焼きを取り出し、ナギと武田にそれぞれ手渡す。
「……仲直りの、証……あげる……」
 いきなり小さなたい焼きを渡されたナギと武田は、ほぼ同時に困惑した顔になる。
「何だ、これは」
「これ何すか」
 どうやらモルテリアの意図が掴めていないようだ。あまりに突発的なので、意図が掴めないのも分からないことはない。
 しかし、当のモルテリアはというと、困惑した顔をされても気にしていない。僅かに口角を持ち上げ、丸みを帯びた顔に柔らかな笑みを浮かべている。
 白玉のような頬が愛らしい。
「これ食べて、仲良く……!」
 それは、食べ物好きがよく現れた、非常に彼女らしい発言であった。

 ナギと武田の喧嘩はなんとか収まった。二人を制止することができたのは、ある意味モルテリアのおかげかもしれない。彼女が突然小さなたい焼きを渡したことで、雰囲気が変わった気がするのだ。
 とにかく大事にならなくて良かった、と私は内心安堵の溜め息を漏らす。
「ナギさんは今日もこちらに?」
 私は何げなく尋ねてみた。
 荷物の準備もなしに二日も泊まるというのは大変だろう。だがレイを思うナギなら、多少苦労しても二泊するかもしれない。
 そんな風に考えていたからだ。
「俺っすか?いやー、まだ考え中なんすけど……多分もう一晩泊まるっす」
「ナギ。事務所へ帰って」
 私の問いにナギが答え終わった直後、ベッドの上のレイがきっぱりと言った。ナギは驚いたようにレイを見て、「ちょ、何で!?」などと返す。
「ナギはエリミナーレに残るって、昨日言ってたよね。エリミナーレのメンバーなら、事務所に帰って戦いに備えた方が良いと思う」
「俺はレイちゃんを一人にすんのは嫌っすよ」
「結局ナギはどっちなの?どっちつかずは良くないと思うよ」
 真剣な顔つきで淡々と話すレイ。そこにいつものような爽やかな笑みはない。
「あたしはもうエリミナーレの一員を名乗る資格がない。でもナギにはその資格があるんだから。ナギはエリミナーレを選んでいいと思うよ」
 数秒して、レイは続ける。
「それにほら。ナギはエリナさんのこと凄く心配していたよね。看病してあげなくていいの?」
「まぁそうっすけど……」
「だったら早く事務所へ帰った方がいいよ!」
「けど、そしたらレイちゃんが一人に……」
「あたしのことは気にしないでいいから」
 レイの声は冷ややかだった。
 決して荒々しい調子ではない。しかし、レイの静かな声には、漠然とした鋭さがあった。
 彼女は彼女なりに思うところがあるのだろう。その心の内は私には分からないけれど、彼女にも思いがあるということだけは感じられる。きっと複雑なものに違いない。
 だから私はこう言った。
「ナギさん、一度事務所へ帰りませんか?レイさんもああ言ってられることですし。あ、もちろんモルさんも」
 するとナギは黙り込んだ。らしくなく、何か考えているような真面目な顔をする。いつも活発で騒がしいナギだけに、黙っていると不思議な感じだ。
 私は彼の返答をじっと待った。急かすのは良くない気がしたからである。
 待っていると、やがて、ナギが口を開いた。
「そうっすね!一旦帰ることにするっすわ!」
 私の予想とは違った返答だった。
 こんなことで、微妙な空気を十分には払いきれぬまま、事務所へ帰ることとなった。
 帰りしな、レイは私に向けて、微笑みながら手を振ってくれた。気を遣ってくれたのだと思う。彼女は本当に優しい人である。
 だが、その優しさが彼女自身を怪我させることとなったのも、また事実だ。みんなを傷つけさせまいとした結果、彼女が傷ついた……それを考えると、明るい気持ちにはなりきれない。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.170 )
日時: 2018/03/14 15:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 96KXzMoT)

108話「傍にいて護りたい」

 武田が運転する車に乗り、約二十分。エリミナーレの事務所へ到着した。
 入り組んだ決して明るくはないこの気持ちは、容易く拭えるようなものではない。けれども、ナギやモルテリアがいることで、ほんの少しだけ気が楽になる。
 私は喧騒は好きではない。ただ、今は騒がしさに救われる気がする。そもそも、人が多いというだけでもだいぶ違う。
 エレベーターもあるのだが、敢えて階段をのぼり、事務所の扉を開けた。

「あら。お帰りなさい」
 事務所に入るなり、エリナがそんな言葉をかけてくれた。彼女は偶然そこにいたようだ。
 エリナは珍しく前髪を上げている。前髪を上げたことで見えるようになった額には、熱冷ましのためのシートが貼ってあった。
 桜色の髪と水色のシート。自然な色合いで、意外と違和感がない。
「エリナさーんっ!」
 動けてはいるもののどこかぼんやりした目つきのエリナに、ナギがいきなり勢いよく抱き着く。ぱふん、と軽い音がした。
 いつものエリナなら強烈な一撃を食らわせでもしたことだろう。
 だが今日の彼女はまだ万全の調子ではない。だから「離して!」と言うだけだった。
「体調は大丈夫なんすか?歩いてても平気っすか?」
「そこまで弱ってないわ」
「ならいいんすけど……凄く心配したっす!」
 ナギの大胆な行動に、私は驚きを隠せない。
 目上の女性——しかも気の強いエリナに、断りもなく抱き着くとは。さすがナギ、といったところか。
 並の人間には到底できないことである。
「今からは俺がじっくりお世話して差し上げるっすよ!」
「いらないわ。もう熱もだいぶ下がったもの」
「え。もう?今何度っすか?」
「七度五分」
 それでも平熱に比べれば高い。十分「発熱している」と言えるレベルだ。だが、昨日と比べればかなり下がっている。
 早めに薬を飲んだのが功を奏したのだろう。
「えぇっ。高いじゃないっすか!」
「八度ないもの、まだましよ」
「いやいや!八度は普通にヤバイっしょ!」
 エリナとナギが話しているのを見ていると、なぜか心がほんわかした。
 会話の内容的にはほんわかするようなものではない。にもかかわらずほんわかするのは、事務所にいつもの騒がしさが戻ってきたからに違いない。
 ナギの馬鹿げた行動すらも、今は微笑ましく感じた。
 やがて、ナギとの会話に疲れたらしきエリナが、落ち着いた声で述べる。
「リビングへ行きましょ、ここで話し続けるよりかはいいわ。座れるもの」
 彼女の提案に対し、ナギは明るく「名案っすね!」と応じた。
「いざ、リビングへ!っすね」
「そうよ」
 言ってから、エリナは私たちに視線を向ける。茶色い瞳にはほんの僅かに光が戻ってきていた。
「全員、一度リビングへ。話はそれからにしましょう」
 エリナが少し元気そうになっているのを見て、私は安心した。
 レイのことや偽瑞穂のことなど色々あったので、エリナはここのところかなり疲れているようだった。表情も、らしくなく暗いことが多かった気がする。
 日頃は迷惑なナギにも存在意義はある——改めてそう確信した。

 リビングへ集まる。
 そこにはなぜか李湖もいた。彼女がいていいのだろうか、と思っていると、エリナが口を開く。
「李湖。貴女は向こうへ行っておいてちょうだい」
「えー、酷ーい。仲間外れとか駄目ですよぉー」
「黙って出ていきなさい」
 エリナは静かに言いながら、李湖をジロリと睨む。畏怖の念を与えるような鋭い目つきだ。
 すると李湖は先ほどまでとは打って変わって身を小さくする。そして不満げに「はいはい、分かりましたよー」などと漏らしながらリビングの外へと向かった。
 李湖が出ていくとほぼ同時に、話が始まる。
「さて、ナギ。レイの容態は?」
 エリナは尋ねながらいつもの席に座り、引き出しから取り出したマスクを着用。マスクを常備しているとは意外だ。
「四肢や体に火傷があるらしいっす。多分爆発のせいっすね。命に別状はないし意識もあるっすけど、しばらくは安静にしとくようにって」
 無傷とはいかなかったが、命が危ないような大怪我でなくて良かった。それは本当に思う。
「安静、ね……。ということは、いずれにせよ無理ね」
「無理?何がですか?」
「宰次との戦いに参加するのは無理、ということよ。これでレイを説得するしないの問題はなくなったわね」
 エリナは少し安堵しているようにも見えた。
 レイをどう説得して一緒に戦ってもらうか、エリナはエリナなりに頭を悩ませていたのかもしれない。
「それで、レイの他に降りるつもりの人はいるかしら。もしいれば今言ってちょうだい」
 淡々とした声でエリナが尋ねる。
 その言葉によって、リビングは静かになった。授業中に先生が声を荒らげた時のような、静寂である。もちろん私も黙る。
 様子を窺い合うような時が流れ——最初に言葉を発したのはモルテリア。
「……降りない。けど……何もできない……」
 肩を縮め、僅かに目を伏せている。何もできないことを申し訳ないと思っているようだ。もっとも、彼女は酢プラッシュをすれば普通に活躍できると思うのだが。
「俺も降りないっす!あんなやつ、俺がちゃちゃっと片付けてやるっすよ!」
 ナギは自信に満ちた顔で言った。モルテリアに続き二人目だ。
 それからエリナは私の顔をじっと見つめてきた。肌を刺すような真っ直ぐな視線である。
「沙羅はお父さんの件があるから参加して。極力危険な目に遭わずに済むよう配慮はするけれど、どうなるかは分からない。覚悟して挑んでちょうだい。いいわね?」
「あ、はい。大丈夫です」
 私がそう答えると、エリナは武田へ視線を移す。
「武田、貴方はもちろん降りないわよね?」
「はい。約束ですから」
「参加するからには、普段通り働いてもらうわよ」
「そのつもりです。……ただ」
 武田は眉ひとつ動かさず、真剣な顔つきをして、淡々とした声色で述べる。
「沙羅を護らせて下さい」
 それを聞いた私は思わず「えっ」と漏らしてしまった。だが、非常に小さな声だったので、恐らく誰にも聞こえてはいないだろう。
「沙羅をもう辛い目に遭わせたくない。悲しませたくない。だからどうか、この娘の傍にいさせて下さい」

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.171 )
日時: 2018/03/15 17:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: IWueDQqG)

109話「真剣」

 武田の顔は真剣そのものだった。静かな中にも強い意思の感じられる顔つきをしている。エリナを見つめる眼差しは真っ直ぐで、微塵の迷いもない。
 一応お願いという形をとってはいるが、心は固く決まっているようだ。
「何よ、いきなりプロポーズ?」
 エリナは冗談めかす。
 しかし動揺を隠せてはいない。もっとも、いきなりこんなことを言われたのだから、動揺するのも無理はないが。
 それに私はエリナのことを言える立場にはない。私だってかなり動揺しているからである。
「いえ、違います。沙羅を護る許可をいただきたいのです」
 武田は淡々と述べる。非常に落ち着いていた。
 彼は決して揺るがない。エリナはそう察したようだ。軽く深呼吸してから、ゆっくりと告げる。
「……分かったわ。貴方には沙羅の護衛を任せる。その代わり、こちらからも条件を提示させてもらうわね」
「何でしょう」
「条件一、沙羅に一つも傷をつけさせないこと。条件二、貴方も生きて帰ること。飲んでくれるかしら」
 武田は瞼を閉じ、数秒黙る。そして、やがて言う。
「分かりました。それで問題ありません」
 エリナは足を組み直し、「決まりね」と独り言のように呟く。
「それじゃあ、ナギ」
「はいっ!」
「貴方が私についてちょうだいね」
 するとナギの表情がぱあっと晴れた。
 まるで雨上がりに雲の隙間から光が差し込んできたかのようである。
「そりゃもう、喜んで!本気でいくっす!」
「今回は特に、うっかりミスは許されないわよ」
「イエス!ノーミスでいくっす!」
 浮かれた様子のナギは、軽いノリで言いながらビシッと敬礼する。やる気満々のようだが、妙に高いテンションが心配である。
 だが彼もエリミナーレの一員。そう容易くやられることはないだろう。
「悪いな、ナギ」
 武田は珍しく素直だ。
 ナギはすぐに調子に乗る。
「心から感謝してほしいっすね!危険な任務を引き受けてあげるんすから!……エリナさん可愛いんで嬉しいんすけどね」
 最後若干本音がポロリしていた気もするが、それは聞かなかったことにしよう。敢えて突っ込むほどのことではない。
「私のわがままに付き合ってくれること、心より感謝する。この恩はいつか必ず返す」
「ちょ、なんすか!?なんか重いっすよ!」
「重くはない。当然のことだ」
「めんどくさ……」
 妙に深刻な顔で話す武田に、ナギは呆れた表情を浮かべる。心から面倒臭いと思っているような表情だった。
「ではレイ以外全員参加ね」
 エリナの言葉に、全員がしっかりと頷く。決して迷いのない瞳で。
 全員がそれぞれ覚悟を決めたところで、ナギが話し出す。
「そうそう、エリナさん!報告があるっすよ!」
「どうぞ」
「吹蓮のことなんすけど」
「何かしら」
「自爆したらしいっす!」
 それを聞き、エリナは眉をひそめた。怪しむような目でナギを見ている。
「レイちゃんが言ってたんで、間違いないっすよ!」
 ナギだって最初は信じていなかったのに、と内心思った。
「吹蓮が自爆ですって?……なんだか怪しいわね。このタイミングで吹蓮が自爆することを、あの宰次が許すかしら」
「他の手がある、ということかもしれませんね」
 私は勇気を出して会話に参加してみる。
 誰かと誰かが真面目な話をしているところに入っていくのは苦手だ。だが、だからといっていつまでも黙っていては、空気同然である。
 エリミナーレの一人なら、空気同然では駄目だ。そう言い聞かせ、自身を鼓舞する。
「お!沙羅ちゃんが自ら入ってくるとか、レアチーズケーキっすね!なんか思いついたんすか?」
「もっと役に立つ者が現れたから吹蓮を切り捨てた、とか考えました」
 普通はそんな酷なことはなかなかできないだろうが、宰次ならやってのけそうだ。
 なんせ彼は、親しかった瑞穂すら殺めた男である。依頼という繋がりだけしかない吹蓮など、躊躇いなく切り捨てられるに決まっている。
「あー、なるほど。吹蓮はもういらなくなったってことっすね」
「確かにそれはある」
 何事もなかったかのように突然参加してくる武田。
 彼は納得したように頷きつつ、握手を求めてくる。
「さすがだ、沙羅。お前は本当に良いことを言うな。やはりお前は、エリミナーレに相応しい素敵な女性だ」
 なんのこっちゃら、である。
 私は素敵な女性ではない。
「ひゅーっ!武田さんってば、沙羅ちゃんにメロメーロっすね!」
「黙りなさい、ナギ」
「いてぃっ!!」
 余計なことを言い出したナギは、席から立ち上がってきたエリナに背中をしばかれ、痛みに身を縮める。
「……とにかく。あと数日、おのおの調子を整えておくように。最良のコンディションで行くのが礼儀だものね」
 エリナは落ち着いた声色で述べた。
 マスクをしていても、女王の風格は消えはしない。顔全体が見えなくとも、彼女の大人びた雰囲気は変わらない。
「……うん、頑張る。調子、整えるものない……けど……」
「拳銃の調整は必須っすね!早速弄ってくるっすわ!」
 モルテリアとナギは返事するや否や離れていく。解散の号令は放たれていないにもかかわらず。
 ……かなり自由奔放だ。
 一方、場に残った武田は、エリナの茶色い瞳をじっと見つめ、「ありがとうございます」と礼を述べていた。
 相変わらず真剣な顔で。