コメディ・ライト小説(新)

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.181 )
日時: 2018/03/23 17:01
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: lh1rIb.b)

117話「こちらも」

 沙羅と武田が宰次に対面していた頃、二階通路。
 シャッターに遮られ先へ進めなくなったエリナら三人は、戦う気満々の紫苑と対峙していた。数ではエリミナーレが圧倒的に有利だが、漂わせている気迫は紫苑も負けていない。
 エリナは鋭い表情で鞭を片手で軽く持ち、口紅が綺麗に塗られた唇を動かす。
「紫苑、シャッターを元に戻しなさい。手間をかけさせないでちょうだい」
 大人の女性という言葉が相応しい、落ち着きのある声だ。
 もしここが敵地でなかったなら、ナギはうっとりして聞き入っていたことであろう。そんな魅力的な声である。
 だが紫苑は冷ややかな顔つきを崩さない。凍りつくような視線も、微塵も変わらなかった。
「それはできない」
 エリナの威圧感にも紫苑は動じない。
「ぼくの役目は君たちの足止め。だから、ここから先へ進ませるわけにはいかないんだ」
「あら……」
 紫苑の言葉を聞き、エリナは残念そうに目を閉じる。
 それから数秒して、彼女はパッと目を開く。
「なら実力行使しかないわね!」
「……そう言うと思ったよ」
 エリナとナギがそれぞれ武器を構えた瞬間、紫苑は指を鳴らす。ぱちんと乾いた音が鳴る。
 すると、近くの壁の一部がくるりと回転し、数人の男が現れた。一階で戦った者たちとは異なり、私服を身にまとっている。
「ナギ!」
「オッケーっす!」
 軽いノリで応じるナギ。
 彼は長い金の三つ編みを揺らしながら、緩急のある動きで、力任せに迫りくる乱暴な男たちを翻弄する。
 ステップを踏むような軽やかな足取り。大きすぎない体を活かした俊敏な動作。そして、確実に的を貫く射撃。
 好き放題暴れて回るナギは、もはや誰にも止められない。素人染みた男が幾人か集まったところで、捉えられるはずもない。
 私服姿の男たちは、ナギの緩急のついた動きに翻弄されるばかり。為す術もなく、次々と倒されていく。
 一方、紫苑は、エリナを死角から狙う。その手にはナイフ。
 ナギという盾が離れたところを仕掛ける作戦でいたのだろうが——エリナはそれを完全に読んでいた。
 紫苑が大きく振るナイフを、エリナは背を反らしてかわす。それから、紫苑に回し蹴りを加えるエリナ。
「……ちっ!」
 紫苑は舌打ちしながらバク転し、エリナの回し蹴りを避ける。そして、床に着地するや否や、数本の細いナイフをエリナへと投げつけた。
 風を切り、凄まじい勢いに乗って宙を飛ぶナイフ。
「甘いわよ!」
 エリナは強気に言い放つ。そして、短めに持ち直した鞭で、飛んでくるナイフを払い落とした。
 その時。
 エリナはふと、小さな足音に気づく。
「……足音?」
 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟き、眉をひそめるエリナ。彼女は、閉ざされた防火シャッターの向こう側から聞こえる、パタパタという音の正体を、探ろうとしていた。
 そこへ再び迫る紫苑。
 ナイフを構え直している。
「気を散らすとは、戦士の風上にもおけないね」
「……くっ」
 聞こえてくる謎の足音に気を取られていたエリナは、らしくなく、ほんの一瞬反応が遅れる。だが紫苑はお構い無し。尋常でない迫力をまとい、エリナの方へ突っ込んでいく。
 ナギはそれに気づき、すぐにエリナの方へ向かおうとする。しかし、私服の男が邪魔で間に合わない。
 もう駄目か——そう思われた瞬間。
 紫苑が転倒した。
「なっ!?」
 床をゴロゴロと回転し、戸惑いを隠せない紫苑。
「……意地悪、駄目……」
 モルテリアが足を引っ掛けていたのだった。
 紫苑は、エリナに夢中になりすぎるあまり、周囲への警戒を怠っていたのだろう。見事に引っ掛かった。
「こいつ……!」
 苛立ったように漏らし、モルテリアへナイフを投げつけようとする紫苑。しかし、エリナの鞭に絡みつかれ、妨害される。紫苑の、紫に輝く瞳が、怒りの色で満ちていく。
「そうはさせないわよ、紫苑」
「……邪魔をしないでもらえるかな」
「ごめんなさいね。可愛い部下に手を出させるわけにはいかないのよ」
 口元に余裕の笑みを湛えるエリナを目にし、紫苑は不快そうに顔を歪める。憎しみと不快感を練って固めたような、お世辞にも綺麗とは言い難い表情だ。
 桜色の長い髪をわざとらしく掻き上げながら、エリナはモルテリアに言い放つ。
「ナイス、モル!」
 温かな声をかけてもらったモルテリアは、コクリと頷き、「うん……」と返事をした。
 その頃になって、ナギがエリナらの方へやって来る。私服の男たちをようやく倒しきったようだ。武田に比べれば遅いかもしれないが、ナギにしては頑張った方だろう。
「エリナさん、大丈夫っすか?」
「えぇ。なんとかね」
「あー、良かったー!怪我とかなくて良かったー!」
 ナギは躊躇いなくエリナに抱き着く。腹部辺りに腕を絡め、まったく離れそうにない。紫苑のことなど忘れてしまったかのようである。そんなナギの様子を、モルテリアは呆れた顔で眺めていた。
 しかし、数秒経って、エリナはナギを叩き払う。不愉快極まりない、というような顔つきで。
「気持ち悪いから止めてちょうだい」
「ちょ、気持ち悪いとか!さすがに遠慮なさすぎっしょ!」
「いきなり抱き着くなんて異常よ」
「う。まぁ、そうかもっすけど……うぅ……」
 そんなどうでもいい茶番を繰り広げた後、エリナは紫苑に体を向けた。ナギとモルテリアも、同じようにする。
「紫苑、もう一度だけ言うわ。シャッターを」
 言いかけた時、ドォンと大きな爆発音が響いた。
 爆発が起きたのは視認できる範囲内ではない。しかし爆発音は空気を激しく震わせていた。近くには違いないだろう。
 その瞬間だ。
 紫苑が突如、シャッターを開けた。そして、開ききる前に、走り出す。
「茜っ……!」
 彼女は茜の身を案じているようだった。
「ナギ、追って!」
 エリナの命令が飛ぶ。
 ナギは頷き「はい!」と返事をした。そして駆け出す。
「モル。貴女はレイに電話して」
「……レイに?」
 首を傾げるモルテリアに、エリナは言う。
「そうよ。やはり彼女の力が必要だわ」
「でも……嫌って、言ってた」
「大丈夫。今ならレイは来てくれるわ」
 少しして、モルテリアはコクリと頷く。
「……分かった」
 エリナはモルテリアに「頼んだわよ」と言うと、ナギの後を追った。
 武田や沙羅と合流するために。そして、今日すべきことをやり遂げるために。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.182 )
日時: 2018/03/24 22:43
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KqRHiSU0)

118話「この身にまとわりつくは、闇」

 爆発、だろうか。結構な大きさだった。
 狭い視界の中でなんとか見えるのは灰色の煙だけ。焦げ臭い匂いが鼻を通り抜けていく。ただ、状況はいまいち理解できない。確実なのは、地面に仰向けに倒れていることだけだ。
 武田が上に乗っかっているのか、得体の知れない重みを全身に感じる。胸や腹が圧迫され、非常に息苦しい。
「武田さん?」
 私は恐る恐る彼の名を呼んでみた。
 すると、私の上にある物体がごそっと動く。そして、それと同時に、生暖かい液体が額へこぼれ落ちてくる。
 動かしにくい腕をなんとか動かし、自分の額を触る。それから手を見ると、指先が赤く濡れていた。
「血!?」
 私は思わず大きな声を出してしまった。
 痛みはなく、傷らしきものもないのに、指先は赤黒い。私の怪我ではない、ということなのだろうが、それでも衝撃を隠しきれなかったのだ。
「……すま、ん」
 武田の声が耳へ入ってくる。
 目を凝らすと、彼の頬から血液が滴り落ちているのが見えた。
「後頭部、打っていないか?」
「あ、はい。大丈夫です」
 彼は流血しているわりに呑気だった。この期に及んで私の心配をしているとは、やはり少々ずれている気がしてならない。
「武田さんこそ、怪我してますよ。血が出てます」
「血?あぁ、これか……というより、沙羅!お前!額に血が!」
 どうやら今さら気がついたらしい。まるで時差があるかのようである。
「一体どうしたんだ!?」
「あ、いや……多分……」
「多分?」
「武田さんのがついただけかと……」
 凄まじい勢いに圧倒されながらも私は答えた。すると彼は、胸元のポケットから、慌ててハンカチを取り出す。そして、差し出してくる。
 もっとも、一番の驚きは、彼がハンカチを持っていたことだが。
「これで拭け。清潔なハンカチだ」
「そんなのいいですよ」
「いや、駄目だ。他人の血液に触れるのは良くない」
「……分かりました。では甘えさせていただきます」
「それでいい。頼ってもらえると嬉しいからな」
 私が大人しくハンカチを受け取ると、武田はふっと笑みを浮かべた。温もりを分けてくれるような、柔らかく自然な笑みだ。

 ——だが。
 そんな穏やかな時間が続くはずもなかった。

「ぐあっ」
 突如詰まるような声をあげ、床に倒れ込む武田。
 直前まで微笑んでいたのに。
 あまりにいきなりのことだったので、私はただ、呆然と見つめることしかできなかった。
「油断は最大の敵、ですな。ふふ」
 それからしばらく。煙は徐々に晴れ、視界が広がってきた。ようやく周囲の状況を捉えられる状態になってくる。
 倒れ込む武田の向こう側にいたのは宰次だった。
「爆発が致命傷にならないとは、驚きですな」
 宰次は黒い棒を持っている。先ほど私が父親から奪い取った、電撃を浴びせる棒だ。
 恐らく武田はこれにやられたのだろう。背後から棒を当てられたに違いない。それならいきなり倒れ込むのも理解できる。
「何をするんですか!」
 私は半ば無意識に叫んでいた。
 しかし宰次は不快な顔をしない。それどころか、軽く笑みを浮かべている。勝ち誇ったような、感じの悪い笑みだ。
「沙羅さん、ご安心を。お父さんは無事ですからな」
「そうじゃなくて!武田さんになんてことを……!」
 言いかけて、私は息を飲み込む。宰次の表情が固くなっていたからだ。
 宰次はまったく怒らないわけではないが、どちらかといえば笑みを浮かべていることの方が多い人間だ。日頃あまり怒らない人間の固い表情というのは、目にすると自然と危機感を抱いてしまう。
「この男には、苦しみながら死んでもらわねばならない」
 そう言った宰次の顔つきは、まるで人間でなくなってしまったかのようだった。冷たく、触れればすべてが凍りついてしまいそうな、そんな顔つきだ。
 宰次はそれからも、黒い棒を使い、動けない武田を攻撃する。
「よくもこそこそとかぎ回ってくれましたな……京極エリナの下僕が!」
 肩を、腕を、そして背を。
 宰次は武田のあらゆるところに棒を当て、既にほとんど動けない武田へ追い討ちをかけていく。
 電撃を浴びせられ続けた武田は、もはや何もできず、ただ床に伏せて震えるだけ。棒を当てられるたび、辛そうに呻き、呼吸を乱す。
 このままでは彼は危ない。命を落とすかもしれない。
 どうにかしなくては、と考える。けれども良い案は思い浮かばない。私一人で宰次を止めることなど不可能に近しい。
「エリナさん……ごめんなさい……」
 思わずそんなことを漏らしていた。
 レイがいない今、頼れそうなのはエリナくらいしかいない。しかしそのエリナともいつ合流できるか分からない状況で。
 私にはもう希望はなかった。
 得体の知れない黒いものがまとわりついて、私を闇へ引きずりこもうとする。底のない闇の沼へ連れ込まれるような感覚。それは凄く恐ろしい。なのに、「まぁ、もういいや」と思ってしまっている自分がいる。
 扉からまたしても男が現れて、さらにどうしようもない状況になってしまった。

 すべてが、私のせい。
 私が茜についていく道を選んだから。そのせいで武田はこんな目に遭っている。
「ごめん……なさい……、私……」
 思えば、迷惑をかけてばかりだった。私が力のない人間なせいで、迷惑をかけて、みんなを不幸にした。
 結局私は役立たず。
 誰も護れないし、誰かの支えになることすらできない。
「……こんな私は、もう……」
 父親が宰次と手を組まざるを得なくなったのだって、私がいたからだ。弱い私の存在が、父親を罪人にした。
「いらない」
 渦巻く闇が心を飲み込んでいく。
 そんな時だった。
「沙羅!」
 武田の叫ぶ声が耳に入ってきた。
 彼はまだ床に倒れ込んでいる。だが、懸命に声を絞り出していた。
「そんなことを言うな!」
「……でも私は」
「要るんだ!お前が要らなくても、私は沙羅が要る!」
 予想外の元気さ、そして突然の発言に、宰次は動揺している。もちろん、先ほど部屋へ入ってきた宰次の手下の男たちも。
 それに、私も。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.183 )
日時: 2018/03/25 00:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 7dCZkirZ)

119話「一滴の涙が拓く」

「いいな、沙羅!お前は要るんだ!だから護身に集中しろ!」
 息は乱れ、体は震え、それでも武田は声を出すことを止めなかった。
 それを見て宰次は不快感を露わにする。
「うるさい男ですな。京極エリナの下僕のくせに」
 いつものような笑みは浮かんでいない。今の宰次には不快の色しかなかった。口角は下がり、眉間にしわができている。
「黙れ。私はもう、下僕などではない。一人の人間だ」
「武田くんが人間?ふふ。またもやおかしなことを言い出しましたな」
 宰次は手下の男に命じ、武田を無理矢理立たせる。
 立たせると言っても、腕を掴んで立っているような体勢にさせるというだけのことだが。
「武田くんが人間だなんて、笑い話ですな。新日本警察じゃ、みんな言ってますよ。『京極と武田が消えて良かったな』ってね」
「……そうか」
「ま、エリミナーレがいて助かってるんですがね。普通の警官にはさせられないような危険な任務も、君たちになら押し付けられる」
 話している間も、宰次は何度か、武田の体に棒を当てていた。
 武田は既に、自力では立つことすらままならないほど弱っている。表情からも疲れていることが分かるくらいだ。
 彼が電撃を浴びせられるのを見るたび、「私のせいだ」と自分を責めそうになる。けれども、今の私は、それではいけないのだと思えるようになっていた。自分を責めることは、何の解決にも繋がらない。完全に無意味なことである。
「ただ、武田くん。君は多くを知りすぎていますからな……消えてもらわねば」
 突如黒い棒で鳩尾を突かれた武田は、青ざめ、身を震わせる。
 あの棒さえなければ——そう思った瞬間、偶然か必然か、手が腰の拳銃に触れた。私はナギから借りていた拳銃のようなものの存在を思い出す。
 殺傷能力はない、とナギから聞いた、この拳銃。本物ではないため致命傷を与えることはできないだろうが、少し意識を逸らすくらいなら可能だろう。
 操作の手順はナギから聞いたので問題ない。あと必要なのは、ひと欠片の勇気だけだ。
「武田くん、死ぬ前に一つだけ聞かせてもらいたいのです。あの夜、瑞穂から何を聞いたのですかな?」
「……あの夜、だと」
「一度だけ、瑞穂が夜中に君へ電話をかけたことがあったでしょう?」
 私は腰元の拳銃に手を伸ばすが、思いきれず、抜くことができない。どうしても躊躇ってしまう。
 このままでは武田が危ない。それは分かっているのに。
「それを言って何になる」
「吐かねば、沙羅さんもろとも殺しますからな」
「……言おう。だが、たいしたことではない」
「沙羅さんの身を案ずるなら、さっさと言いなさい。でなければ、再び悲劇が繰り返されることとなりますからな」
 宰次は得意の脅しを使う。
 武田は応じないものと踏んでいたが、意外にもさらっと話した。
「闇組織との取り引きの書類を見てしまった、と」
 敢えて隠す必要もないと判断したのだろう。でなければ、武田が苦痛くらいで口を割るはずがない。
「……あの女。やはり見ていたか」
 宰次は独り言のように呟いた後、拳銃を取り出して、武田の喉元へ銃口をやる。少し身がへこむくらい押し当てている。
 この時になって、私はようやく覚悟を決めることができた。
「では武田くん、ご苦労様。後はあの世へ逝く過程を楽しむことですな。さて、まずは銃弾フルコー……」
「止めて下さい!」
 私は両手で拳銃を構える。銃口が睨むのは宰次。
 ナギが「おもちゃにしては危険」と言っていた理由がやっと分かった。この拳銃は軽い。おもちゃの拳銃とほぼ変わらない雰囲気すらある。
「拳銃を下ろして!そうでなければ、私が貴方を撃ちます!」
 できるわけがない、と鼻で笑われてもおかしくないような発言だ。
 しかし宰次は笑わない。口角を僅かに持ち上げることすらせず、冷ややかな目でこちらを見ていた。
 冷淡な表情は、私の中の恐怖を大きく膨らませてくる。だがそんなものには負けない。気を強く持ち、引き金に添えた指に力を加えかけた——瞬間。
「……え?」
 硝煙の匂いが通る。
 左腕に、痛みが走った。
「あ……あぁっ……」
 痛みに自然と声が出る。声が出るだけまだましかもしれないが、かなりの痛みだ。
 宰次の拳銃の銃口が、細い煙を吐きながら、こちらを向いていた。それを目にして初めて撃たれたのだと気がつく。
「沙羅っ!!」
 絶叫に近い、武田の叫びが聞こえた。
 涙で歪む視界の中、必死に身をよじる彼の姿を見た。力を振り絞り抵抗する彼の瞳には、確かに、涙の粒が浮かんでいる。
 あの武田が涙するなど、信じられない。
 撃たれた痛みはかなりのものだ。生まれて初めてのことだから、なおさら。しかし、武田が涙を浮かべていることは、撃たれた痛みを越えるほどの衝撃だった。
 彼の涙を見た時、私は「絶対に負けられない」と思った。なぜかはよく分からない。けれども私は、彼の一粒だけの涙に、今までで一番励まされた。
 次が来る。
 それなりに出血はしているが、動ける程度の掠り傷だ。宰次がそれで満足するわけがない。次は本気で殺しに来るだろう。
 もう一撃食らえば、恐らく私は動けなくなる。そうすれば、私も武田も終わりだ。どうにかしてそれだけは避けなくては。
「おや。まだ動けるようですな……素人にしては素晴らしい」
 宰次は余裕ありげに笑みをこぼした。勝ち誇った笑みだ。
 今なら倒せるのでは?と思うような様子だが、彼にはこれ以上仕掛けない。武田と合流するのが先だ。
 だから私は、武田を捕らえている手下の男へ、銃口を向けた。右手しか使えないので、急所を狙うなんてかっこいいことはできそうにない。
 この際、勢いと運任せでいく。心を決め、男の顔の辺りを狙って撃った。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.184 )
日時: 2018/03/25 19:21
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: VHEhwa99)

120話「置いては行けない」

 勢いと運任せで放った弾丸は、手下の男の顔面に当たる直前で弾けた。黒と白の混ざった謎の粉が散り、男は大きなくしゃみをする。
 突然のことに困惑の色を浮かべる武田。ただ、冷静さと判断力は健在だ。男の力が緩んだ隙を見逃さず、上手く脱出した。
 疲労困憊でもある程度能力を発揮できる、というのは彼の日々の努力の賜物だろう。日頃から積み重ねを怠らない彼だからこそなせる業に違いない。
 武田は一直線にこちらへと駆けてくる。
 私はなぜか妙に冷静に、「まだ走る力が残っていたのか」と思った。まだ何も解決しておらず、そんなことを考えている余裕はないのに。
 傍へ来た彼は、先ほど弾丸が掠った私の左腕へ視線を向けた。整った顔に不安の色が濃く浮かんでいる。
「沙羅っ。腕、怪我して……」
「だ、大丈夫です!こんなくらい!」
 私は強がりを言った。
 大丈夫とは言い難い状態だ。しかし、今ここで私が弱音を吐いたりしたら、武田は更に不安になり弱ってしまうことだろう。
 だから弱音を吐くことはしない。決して。
「まったく。沙羅さんは余計なことばかりしてくれますな」
 宰次は顔を歪め、再び不快感を露わにしていた。
 自分の思い通りに進まないのが気に食わないのだろう。どこまでも自己中心的な男だ。本当に、救いようがない。
「あまり手間をかけさせないで下さいよ。ね、沙羅さん?」
「……大人しく死ねということですか」
「理解が早くて良いですな。二人揃ってここで消えなさい」
 宰次はもう、私すらも生かしておく気がなくなったようだ。武田も私も、私の父親も。このままではやられてしまうだろう。
 今エリナたちが来てくれればどうにかなりそうな気もするのだが……。
「京極エリナは来ませんよ」
 突如、宰次が言った。まるで私の心を見透かしたかのように。
「足止め要員はあの小娘二人だけではありませんよ。他にもたくさんいます。いくら戦闘能力が高くとも、あれだけの数を倒すにはかなりの時間がかかることでしょうな」
 つまり、と彼は続ける。
「お二人に助かる道などないのです。ふふ」
 すると武田は一歩前へ出る。しかし足に力が入らないらしく、膝が半分くらい曲がっている。だがそれでも諦めた顔にはなっていない。
 彼は宰次の攻撃に備えつつ、私を一瞥する。
「沙羅、行け」
 私はすかさず首を左右に振った。
 傷だらけの彼を置いては行けない。私が助かるために彼を見捨てるなど、絶対に後悔する。
 本当は逃げた方が賢いのだろう。それに、二人まとめてやられるよりかは、一人でも助かる方が良い。そういうものなのだろう。
 けれども、私は嫌だ。
 一緒に。
 そう約束したのだから、二人で生き延びなくては意味がない。
「……行きません」
「沙羅、わがままを言うな。今のお前は出血もあるんだ。もたもたしていたら手遅れになる」
「それでも、嫌です。武田さんを置いては行けません」
 もしこの場にまったく関係ない者がいたとすれば、「無力な者が一人いたところで何が変わる?」と思ったことだろう。意地を張る私を嘲笑したかもしれない。
「早く行け」
「……一人では嫌です」
「頼む。行ってくれ」
「一人は嫌!」
 思わず大きな声を出してしまった。
 怖かったのだ。彼と別れることが。
 今ここで別れたら、もう生きては会えない気がした。武田がそう簡単に死ぬとは思っていないけれど、なぜか、再び会うことはないような気がする。
「沙羅。お前は本当に」

 直後。
 彼の細い目が、大きく見開かれる。
「……えっ」
 私を狙ったのであろう宰次が放った銃弾は、咄嗟に庇おうと前へ出た武田の肩に突き刺さっていた。
 撃たれた衝撃もあってか、彼は真後ろへ倒れ込む。脱力し、私に向かって倒れてくる。
 私は慌てて彼の体を支えた。……もっとも、支えたと言っても、座るような体勢になっているが。
「おや。武田くんが庇うとは」
 宰次は愉快そうに口元を歪める。
「ふふ。沙羅さんは幸運ですな」
 なんてことを言い出すのか。こんなものは私が求めていた結末ではない。
「宰次!なんてことを!」
「なぜ怒られるのですかな?沙羅さん。怪我せずに済んで良かったではないですか。ふふ」
「良かった!?ふざけないで下さい!」
「まさか。僕はいつだって真剣ですよ」
 宰次への怒りと悔しさが混じり、視界が涙で滲む。唇が震えた。
「武田さんを傷つけた、貴方は、貴方だけは……絶対許さない!」
 込み上げる感情を抑えることは、今の私にはできなかった。
「何を言い出すのですかな?武田くんが撃たれたのは沙羅さんのせい。沙羅さんがすぐに逃げなかったからではないですか」
「そもそも撃ったのは貴方じゃない!」
「けれど、武田くんがここまで追い込まれたのは、間違いなく沙羅さんのせいですな」
 私はそれ以上言い返せなかった。喉元で言葉が詰まり、出てこない。宰次が言っていることもまた事実だったからだろう。
「……っ」
 目に溜まっていた涙が、一気に溢れた。熱いものがこぼれ落ち、頬を濡らしていく。
 絶対に負けないと決めていたのに、結局これだ。これだから私は。情けない。

 そんな時だった。
 背後の扉が、バァンッと大きな音を立て、勢いよく開いた。
「沙羅っ!!」
 エリナの鋭い声が聞こえてくる。張りのある強く歯切れのよい声だ。今はその声が、救世主の声のように感じられる。
 鞭を持っているエリナの隣には、拳銃を構えたナギ。モルテリアの姿はないので、彼女は別行動のようだ。
「……ちっ。京極エリナ……」
 エリナらの到着に、顔をしかめる宰次。
「随分やってくれたみたいね。……まぁいいわ」
 桜色の長い髪を一度掻き上げ、エリナはいつになく強気な表情で啖呵を切る。
「畠山宰次!覚悟しなさい!貴方も今日でお仕舞いよ!!」

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.185 )
日時: 2018/03/26 18:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xrNhe4A.)

121話「生を刻む時計」

「沙羅ちゃん!武田さん!大丈夫っすか!?」
 エリナの指示を受け、ナギが素早くこちらへ駆け寄ってきた。上体を起こすことすら自力ではままならない状態の武田を目にし、彼は驚きを隠せない。
「ちょ、武田さんっ!?」
「……ナギ、か……」
 ナギの声が聞こえたらしく、武田は応じる。しかし、生気のない弱々しい声だ。
「何があったんすか?」
「宰次から私を庇って、それで、色々……」
 涙のせいで上手く話せない。するとナギは慌てたように声をかけてくる。
「あ、いいっすよ!沙羅ちゃんは無理しなくていいっす!」
「ごめんなさい……」
「いやいや。気にしなくていいっすよ。って、あっ!沙羅ちゃんも怪我してるじゃないっすか!」
 ナギに言われて初めて思い出した。私も怪我人だったのだ。……いや。だが武田の方が重傷である。今は彼が優先だ。
「まだちょっと出てるっすよ!すぐに止血するから。ええと、ハンカチハンカチ」
「そうだっ。これがあります」
 私は武田から借りたハンカチを出す。その光景を目にした武田は、掠れた声で「それは駄目だ」と言う。
 よく考えると、確かにこれは武田の血液が付着している。しかし、私としては、そんなことはどうでもいい。
「あ、ちょうどいいっすわ」
 ナギがハンカチを使って止血してくれる。案外すぐに止まったので、「これなら自分でやっておくべきだったな」と少々後悔した。だが、これで失血死は免れただろう。取り敢えず私は。
 それからナギは武田の方へ目をやる。
「うーんと、これはどうすればいいんすかねー」
 武田は見た感じあまりたいした怪我には見えない。銃創こそあるが、そこまで酷い出血でもない。だが、らしくなくぐったりしている。
 困り顔になるナギ。
 ナギはここへ至った経緯を知らない。だから何がどうなってこのような状態になっているのか、どのように対処するのが適切なのか、分からないのだと思われる。
 本来なら、ちゃんと私が、一部始終を説明するべきなのだろう。しかしそんな時間はない。なんせ、まだ宰次の魔の手から逃れきったわけではないのだ。
「……ナギ。私は放っておけ……」
「ちょ、武田さん?いきなり何言い出すんすか」
「沙羅が……無事なら、それで……」
 浅く速い呼吸をしながらも、武田は懸命に言葉を紡ぐ。苦しそうなのは変わらないが、ほんの少し安堵しているようにも見える。
「いやいや、駄目っしょ。そんな——」
「ナギ!」
 唐突に飛んできたのはエリナの鋭い声。驚いて声がした方を見ると、エリナが宰次と紫苑に挟まれていた。
 黒光りした鞭を竜巻のように縦横無尽に振り回し、宰次と紫苑が接近してこないようにしている。攻撃というよりかは、牽制に近い感じだ。
「援護!」
 エリナとて普通の女性ではない。一対二になったくらいで怯みはしないし、容易くやられることなどありはしないだろう。
 ただ、今彼女は、ナギを求めていた。宰次と紫苑——二人を同時に相手にするには、ナギの力が必要だと感じているのだろう。
「すぐ行くっす!」
 反射的に返事をしてから、ナギは私の顔を見た。申し訳なさそうな顔になる。
「大丈夫、っすか?」
 私や武田のことを案じてくれているようだ。ナギは善人なので、怪我している私たちに気を遣ってくれているのだろう。
 けれど私には分かる。
 彼がエリナを心配している、ということが。
「私たちはもう大丈夫です」
「やっぱこっちにいた方がいいんじゃ……」
「いえ。ナギさんはエリナさんを護って下さい」
 私が武田を心配するのと同じように、ナギはエリナを心配しているに違いない。これは確信が持てる。なぜって、彼は時折、エリナを凄く気にかけていたからだ。
「そして、宰次を倒して!」
 後から「倒して、という言い方はおかしかったかな」などと思う。勢いで発してしまったのだが、考えてみれば、この年で「倒して」は変だ。ヒーローを応援する子どもではないのだから。
 しかしナギは、私の言葉に、握り拳の親指をグッと立てる。そして口角を上げ、「もちろん!」と元気に応じてくれた。
 ナギはエリナと共に戦うのだ。形は違えど、私も武田のために戦おう。

 私は横たわる武田へと視線を注ぐ。彼の虚ろな目も、ぼんやりと私を捉えていた。
 やがて、彼の口が動く。
「……沙、羅」
 声は掠れている。なのに、どこか穏やかな顔をしている。今にも眠ってしまいそうな顔だ。
 迫るような浅く速い呼吸。徐々に青白く染まる顔面。
 見ているのも辛い。私のせいで彼がこんな風になった、と思ってしまうから、なおさら辛いのだ。ただ、私はこの辛さを、口には出さないと強く決める。
 弱気な言葉は不幸を呼ぶ。だから駄目だ。
「……生きて、いるんだな」
「はい。だから武田さんも頑張って下さいね。もうこれ以上痛い目には遭いませんから」
「あぁ。……もう、遭いたくは、ない……」
 ゆっくりと言葉を紡ぎながら、彼は一度、静かに瞼を閉じる。一筋の涙が頬を伝っていく。
「……すまなかったな。沙羅」
「どうして武田さんが謝るんですか」
「私は、お前を……もう、悲しませたくなかった……」
 涙の粒が落ちてから、彼は再び瞼を開く。虚ろな瞳は涙で滲んでいた。鋭い光を湛えていた頃の面影は、もうない。
「……だが、できなかった。本当にすまない……」
「いえ、いいんです!そんなの。私は泣き虫なので、簡単に泣いちゃいますから!私はただ、武田さんが生きていてくれれば」
 無理をして明るく振る舞う。
 そんな私を見て、武田は、どこか切なげに微笑んだ。
「その唯一の願いすら……私は、叶えてやれそうに、ない」
 泣きながら笑う。彼はいつから、こんなに複雑な表情をするようになったのだろう。
「……ごめんな。沙羅」
 細い目を閉じる。
 彼の生という名の時計が止まってしまったみたいだった。
「ま、待って。そんな急に。冗談……ですよね?」
 しかし返事はない。
 その光景を見て、私は、「このままでは彼が死んでしまう」と思った。確証があるわけではないが、本能的に感じたのである。
「待って。待って下さい、武田さん!」
 このままではいけない。どうにかしなくては。
 私は、彼を引き止めることができそうな言葉を、なんとか探す。
 懸命に。必死に。

 ——そして。

「結婚しましょう!!」

 とんでもないことを言ってしまった。
 私は一体何を言っているのか。自分でもわけが分からない。
 無理矢理言葉を探すと、いつもこうだ。嫌になってくる。けれど今さら引き返すことはできない。
「いいですか、武田さん!結婚するんです!一時間後くらいに!だから、死んじゃ駄目ですからね!」
 長時間にわたる強いストレスのせいで、私は若干おかしくなっていた。そこに、武田が死ぬかもしれないというストレスが加わり、私の頭は色々とんでもないことになってしまったようだ。
「いいですね?返事して下さいっ!」
 床に横たわる武田の体を揺すってみる。だが反応がないので、私はさらに激しく揺すりつつ耳元で叫ぶ。
「返事して!武田さん!」
 少しの沈黙。
 もう駄目か、と諦めかけた時、武田の唇がほんの少しだけ動いた気がした。じっと見つめてみる。

「…………」

「武田さん?武田さん?」

「…………」

「聞こえてるなら返事をして下さい!」

「……沙羅」

 確かに、彼の声だ。
 間違いない。
「目が覚めたんですね!?武田さん!!」
 武田は寝起きのように細く目を開ける。とても眩しそうだ。
「……瑞穂さんに、なぜか」
「瑞穂さん?」
「……今死ぬと、とんでもないことに、なると……笑われた……」
 奇跡。
 そんな言葉、信じてはいなかった。だがこの瞬間、私は生まれて初めて、その言葉の意味を知った。
 こうして、二人の時計は再び動き出す。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.186 )
日時: 2018/03/27 11:30
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: De6Mh.A2)

122話「時間稼ぎ」

 エリナの援護に入ったナギは、最初、邪魔しにかかってきた宰次の手下たちを一掃。一分もかからず気絶させた。
 それから、向かってくる紫苑の相手をする。
 宰次との戦いには手を出さない。それは、宰次との決着をつけるのはエリナの方がいい、と判断したからなのだろう。
 確かに、宰次に因縁があるのはナギではなくエリナだ。それを考えると、ナギの判断は間違いではない。極めてまっとうなものである。
「祖母を殺したエリミナーレめ。絶対に許さない……!」
「ちょ、いやいやいや!追いかけ回してきてたのはそっちっしょ!?」
「黙れっ!」
 ナギは、紫苑のナイフ攻撃を拳銃で防ぐ。そして発砲し、距離を確保。紫苑の次の攻撃に備える。
 果敢に攻撃を仕掛けてくる紫苑に対し、ナギは時間稼ぎのような戦い方をしていた。彼はここで紫苑を倒すことを望んではいないのだろう。
 だが紫苑はお構い無しに攻めてくる。
「よくそんなことが言えるね!ぼくらの家族を殺しておいて!」
「は?吹蓮は自爆したんっしょ!殺してなんかないっすよ!」
「嘘つきめ!」
「一方的にそれは、さすがに酷ないっすか!?」
 紫苑の素早い蹴りを回避しつつナギは言う。
「これ多分、誤解っすよ。話せば分か……うわ!」
 死角からの蹴りに反応が遅れ、ナギはなんとか避けたものの、バランスを崩して転倒しかけた。
 誤解を解消することで、平和的に戦いを終わらせようとするナギだったが、何事もそう上手くはいかないものだ。エリミナーレのせいで祖母を失ったと思い込んでいる紫苑が、ナギの言葉に応じるはずがない。
「消えてもらおうか」
 小さな体躯を活かしたジャンプから飛びかかるような攻撃を仕掛ける紫苑。
 対するナギは、バランスを崩しかけながらもしっかり反応し、拳銃を紫苑へと向ける。しかし、彼女が繰り出した鋭い蹴りによって、ナギは拳銃を払い落とされる。
 続くもう一撃。
 ナギは両腕を交差させ、なんとか防いでいた。
「……防ぐとは」
「助かったー。武田さんから習っててセーフ」
 どうやら今の防御は武田から習ったものだったらしい。素人の私からすれば単に腕で防いだだけに見えるが、もしかしたら違うのかもしれない。
 ナギはすぐに床に落ちた拳銃を拾おうとした。しかし、紫苑が落ちていた拳銃を遠くへ蹴飛ばしてしまう。
 これによってナギは拳銃なしでの戦闘を強いられることとなった。
「仇は絶対に討つ」
 紫苑の瞳には、揺るぎない決意の色が浮かんでいた。言葉だけではないと証明するような、勇ましく真っ直ぐな目つきをしている。
 彼女が仕掛けてくることを察し、ナギは防御の構えで待つ。
 少しして、彼女は一切迷うことなく、ナギへ突っ込んでいった。防御の構えを取られていることなどは微塵も気にしていない。
「話し合ってはくれないんすね」
 ナギは残念そうに呟いた。
 そこへ再び来る紫苑の蹴り。ナギは冷静さを保ちつつ腕で受け流す。何度も、確実に。
 だが、途中でほんの一瞬背後のエリナを気にしたがために、右脇腹に蹴りを入れられてしまった。
 彼は地面に崩れ落ちる。
「終わらせてあげるよ」
 身動きのとれないナギに止めを刺すべく、紫苑はナイフを握る。ゆっくりとナギへ近づき、その背中にナイフを突き立てようとした——瞬間。
 大蛇のような黒い鞭が、凄まじい勢いで紫苑を薙ぎ払った。
 一瞬にして数メートル飛ばされた紫苑は動けなくなる。
「ナギ!しっかりしなさいよ!」
 エリナの見事なフォローだった。彼女は宰次とやり合いながらも、背後のナギの様子を確認していたらしい。
 さすがはリーダー。
「た、助かったっす……」
「本っ当に役立たないわね、貴方は!」
「すいません!」
「こんなことなら武田にしとくべきだったわ!」
 ずけずけと言うエリナ。
 それに対しナギは言い返す。
「ちょっ、それは酷いっすよ!武田さんなんかより俺の方が根性あるに決まってるじゃないすか!」
「あらそう。ならその根性を見せてみなさいよ」
「分かった、見せてやるっすよ!見せりゃいいんでしょ?見せりゃ!!」
 ナギは立ち上がる。
 こうして本心を言い合えるのは二人ならでは。それ自体は良いことなのだろうが、さすがにこの場で言い合いが始まるとは予想外だった。
 どうでもいいような内容でナギと言い争うエリナを見て、宰次は笑う。
「随分仲良しですな。ふふ」
 馬鹿にしたような笑い方だ。
 しかしエリナはそんなことには乱されない。「笑っていられるのも今だけよ」と小さく返し、馬鹿にしたような笑いを返す。
 その様子は、何か、時間稼ぎをしようとしているようにも見えた。
「おぉ、さすがに自信家ですな。だが、そんなだからモテない」
「そうかもしれないわね。生憎私は、偽りの自分を作ってまで愛を得ようとは思わない質なの」
「ユニークですな。ただ、京極の娘が子を生さず死んでゆくなど、許されるものか……」
「京極の娘だから、と考えたことはないわね。私はエリナであって、京極の娘という名ではないわ」
 よく分からない会話が続く。
 エリナは何を待っているのだろう。何のためにこんなに時間を稼いでいるのか。
 答えはまだ分からないままだ。

「……沙羅。これは……?」
 横たわっている武田が、唐突に声を発した。
 胸は微かにだが上下している。意識も、先ほどまでよりか、はっきりしているように感じられる。
 この状態であれば、取り敢えず命を落としそうにはない。
「エリナさんとナギさんが戦ってくれています」
「……そうか」
 はぁ、と溜め息を漏らす武田。
 それと同時に、私も心の中で、安堵の溜め息をついた。いきなり「結婚しましょう」などと言ってしまったことに、武田が触れてこなかったからである。
「戦えず……悪いな。体が上手く動かん……」
 当然だ。直前まで死にかかっていた人間がすぐに戦えるわけがない。こうして意識が戻っただけでも奇跡なのである。
「いえ。じっとしていて下さい。生きてさえいてくれれば、それで」
「……引き止めて、くれたこと……感謝する」
「いえ、私がしたくてしたことですから」
 武田に感謝を述べられると、なぜか少し気恥ずかしくなった。
 私は武田の大きな手を握り、エリナらの方へ視線を向ける。
 エリナはまだ宰次と話をしていた。時間稼ぎにしても長い。だが、他の理由があるとは考え難い状況だ。
 早くこの戦いが終わりますように。私はただ、そう願った。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.187 )
日時: 2018/03/28 07:20
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xDap4eTO)

123話「犯した罪を認める時」

「……さて。紫苑もひとまず片付いたことだし」
 エリナは片手で持っていた鞭をナギに託し、腰のホルスターからゆっくりと拳銃を抜く。それから、余裕のある表情で、宰次に銃口を向ける。
 宰次は拳銃を使ってくる。だから、拳銃には拳銃で、ということなのだろう。
「宰次。観念なさい」
「観念?……やれやれ。一体何のことですかな?」
「犯した罪を認める時よ」
 エリナの鋭い眼差しを目にし、私は内心動揺する。自分に視線を向けられているわけでもないのに。
 今の彼女の眼差しは入念に研がれた刃のようだ。ほんの僅かに向けられるだけでも突き刺さりそうな、傷を抉られそうな、そんな眼差しである。
「そもそも、僕は罪を犯してなどいないのですがな」
 白々しく返す宰次に対し、エリナは顔つきを更に厳しくする。
「とぼけるんじゃないわよ!貴方は過去、関わってはならない者たちと取り引きをした。それだけでも十分な罪だわ。けれども貴方はそれだけでは終わらなかった!」
 宰次は過去の自分の罪を揉み消すために瑞穂を殺害した。それは、人としてどうなのか、というような行為だ。卑怯の極みである。
 人間なら誰しも間違うことはある。長い人生の中でなら、「罪」と呼ばれるようなことをしてしまうこともあるだろう。人は失敗から学ぶものである。
 だが宰次は、罪を犯してしまったことを微塵も反省しなかった。それどころか、揉み消すためにさらなる罪を重ねた。それが大きな問題だ。
「貴方は、心から貴方を慕っていた者の命を奪った。それは許されることではないわ」
「僕を慕っていた者?ふふ。誰のことですかな?」
「……まだそんなことを言えるのね」
 エリナの大人びた顔から、感情が消えた。夜の湖畔のように静かな顔になる。
 ——次の瞬間。
 彼女の拳銃から弾丸が放たれた。
 宰次は反応がやや遅れながらも、銃弾をなんとかかわす。「いきなりとは、酷いですな」などと呟いている。
「ナギ!」
「はいっ」
 エリナはナギに渡していた鞭を、目にも留まらぬ素早さで回収する。あらかじめ練習していたかのような、スムーズな受け渡しだ。
 そしてエリナは宰次に向けて鞭を振った。
 黒光りした鞭は生きているかのようにしなり、ほんの数秒で宰次の腕に絡みつく。
「こ、こいつっ」
 苦虫を噛み潰したような顔になる宰次。
 彼は逃れるべく、腕に絡んだ鞭を振りほどこうと試みる。だが人一人の力くらいでは鞭はほどけない。それどころか、下手に動いたせいで余計に締まってしまった感じすらする。
 そのうちにエリナは宰次との距離を詰めていく。
「よくも瑞穂に手を出してくれたわね!」
 エリナは鞭で宰次の動きを制限しつつ、彼の頬にビンタを加えた。パシッ、と乾いた音が鳴る。さほど大きくはないが痛そうな音だった。
「い、いきなり人の顔を叩くとは」
 ビンタされた宰次は、顔面を不快と怒りの色に染めている。
「野蛮な女めっ」
 かなり激しく怒っている宰次は、叫びながらエリナに銃口を向ける。しかし、このタイミングを待っていたらしきナギが、宰次の手から拳銃を奪った。
 これでもう宰次には抵抗する手段がない。
 エリナは目にも留まらぬ早さで、宰次の腹部に膝蹴りを入れる。そして彼がむせている隙に、一気に床へ押さえつけた。
「ぐ……」
 男性の宰次でも、エリナに馬乗りになられれば逃れられない。
「貴方の罪はすべて公にするわ。今までのこと、全部ね。然るべき罰を受けなさい」
「そうですな……ただ、良いのですかな?」
 宰次は何やら話し出す。
「僕の罪を公にするということは、天月の罪も表に出るということ。天月が罪人となれば、娘である沙羅さんの社会的地位も危ぶまれますよ?」
 この期に及んで、まだ私を利用するのか。卑怯の極みだ。
 私がそう思っていると、エリナはほんの僅かに口角を上げて、はっきりと答えた。
「心配ないわ。沙羅はエリミナーレが護るもの。裁かれるのは、貴方だけよ」
 微塵も動揺していないエリナの返答に、宰次は言葉を詰まらせる。捕まるという焦りでか、その額には汗の粒が浮かんでいた。
 エリナは彼の両腕を背中側に回し、両手首をくくる。ナギは体を押さえるのを手伝っていた。
「……野蛮の極みですな。無理矢理拘束するなど」
「何とでも言っていなさい。負け犬の言葉に興味はないわ」
「負け犬?ふざけたことを!僕は君たちよりずっと権力者ですよ」
 宰次は「負け犬」という言葉に敏感なようだ。
「負け犬は君たちのことですな!新日本警察から追い出された君たちのような人間を、負け犬と呼ぶのです!」
 あまりにどうでもいい。
 徐々に、宰次に対する興味が薄れてきた。
 それよりも武田だ。そう思い膝元の彼を見ると、彼も私を見つめていた。視線がぴったり合って恥ずかしくなり、つい視線を逸らしてしまう。
「……生きているからな」
 彼は静かに言った。
 それから、少し不安そうな顔つきで尋ねてくる。
「腕の出血、ちゃんと止まって……いるのか」
「武田さんの腕ですか?」
「いや、違う。沙羅のだ」
「あ。私のですか。はい、ナギさんに止めてもらいました」
 武田に借りたハンカチを血まみれにしてしまったことは、今は黙っておくとしよう。帰ってから綺麗に洗って返せばそれでいい。
「ナギか……。おかしな止め方をしていないといいが……」
「大丈夫ですよ」
「……強いな、お前は。華奢な体にもかかわらず……何度も私を助けてくれた」
 華奢な体はあまり関係がない気もするが——ただ、彼を死なせずに済んだのは非常に嬉しいことだ。
 もし彼があのまま逝ってしまっていたら、正常な私は消えていたことだろう。今頃、気がふれていたかもしれない。
「……帰ってきてくれて、ありがとうございます」
 私が武田に対して言える言葉はこれだけだ。

「みんな!いるっ!?」
 突如、勢いのある歯切れのよい声が耳に飛び込んできた。
 はっきりしていて非常に聞き取りやすい声だ。雨上がりの晴れた空みたいな、一種の爽やかさを感じる声色である。
 声から数秒遅れて、扉が開く。
「え、レイさんっ!?」
 驚きを隠しきれず、思わず声をあげてしまった。というのも、室内に入ってきたのがレイだったからである。
 彼女を見間違うはずはない。
 一つに束ねられた、青く綺麗な長髪。耳元に輝く大人びた耳飾り。どこか男性らしさを感じる凛々しい顔立ち。
「あら、やっと来たわね」
 エリナは驚いていない。レイが来ることをしっていたようだ。
「レイちゃん!?え、ちょ、なんで!?」
「さっきモルに、レイを呼ぶよう頼んだのよ」
「そんなぁ。俺には秘密で、っすか」
 落ち込むナギを無視し、エリナはレイへ指示する。
「ありがとう、レイ。早速だけど、沙羅と武田を頼むわよ」
「はいっ!」
 レイは返事してから、私たちの方へやって来る。その光景を目にした時、ようやく、「私たちは助かるんだ」と思えた。
 宰次はエリナとナギによって捕らえられている。この状況でレイが来れば、エリミナーレの勝利はほぼ確定に違いない。
 私は微かに、安堵の溜め息を漏らすのだった。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.188 )
日時: 2018/03/28 21:42
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: c1MPgv6i)

124話「お迎え」

 レイは速やかに私たちのところへやって来る。
 彼女は凛々しい目で私の顔をじっと見つめ、それから私の体を抱き締めた。
 武田とはまた違った柔らかな感触と、女性らしくも爽やかな柑橘系の香り。レイの包み込むような抱き締め方に、私は思わず照れてしまった。同性であるにもかかわらず。
「どうしてレイさんが……ここに?」
 私は顔を彼女の引き締まった胸元に埋めたまま尋ねる。
 レイは先日吹蓮の自爆に巻き込まれ負傷した。まだ病院で安静にしておかなくてはならなかったはずだ。にもかかわらず彼女はここへ来た。不思議でならない。
「驚かせちゃってごめんね」
 彼女はそう言いながら私の体をギュッと抱き締める。
「いえ。レイさんが来て下さって、安心しました」
 私は胸に抱いた思いを素直に言葉にし、シンプルに述べた。
 こんな時にまで飾り気は必要ないだろう。わざとらしく飾らずとも、私たちは分かりあえる。そう思ったからである。
 私がレイとの予想せぬ再会を喜んでいると、床に横たわっている武田が唐突に言葉を発した。
「……レイか」
「あ、うん。武田大丈夫?」
「……沙羅に助けてもらった。情けないが……」
「えっ!そうなの!?」
 武田の告白にレイは驚きを隠せない。
 それにしても、「助けてもらった」なんて黙っておけばいいのに。言わなくても良いことを敢えて言うとは、武田は妙に正直だ。
 直後、レイの凛々しい瞳が私を見据えてくる。
「沙羅ちゃん、凄い!成長したね」
 彼女の瞳は透き通り、キラキラと輝いている。
「で、でも、怪我して武田さんを心配させてしまいました」
「痛みに耐えて仲間を助けるなんて凄いよ!」
 レイの勢いは凄まじかった。
 体のあちこちに火傷を負いながらも数日で復帰したレイの方が百倍凄いと思うのだが。
 普通あの程度の火傷なら、数日で動けるようにはなるまい。さすがはエリミナーレ、といったところか。彼女もまた、人の域を超越したしぶとさを持っている。
「取り敢えず武田を運ぶね。あ、沙羅ちゃんは一人でも歩けそう?」
「はい」
「それじゃ、一足お先に引き上げようか」
 レイの声には彼女らしい爽やかさが戻っていた。晴れやかな笑みも戻り、表情が生き生きしている。
 恐らく、一人の時間を過ごしたことで、少しは心の整理ができたのだろう。
「エリナさんたちは放っておいて大丈夫なんですか?」
「うん。モルとあたしの役目はは、沙羅ちゃんと武田を回収することなんだ」
「なるほど。じゃあ宰次はエリナさんたちにお任せするんですね」
 その時、不意に思い出した。
 父親のことだ。
 爆発以降、私は父親の姿を目にしていない。宰次は無事だと言っていたが、彼の言葉を信じるのはさすがに無理がある。卑怯な彼のことだ、父親に危害を加えていてもおかしくはない。
「そうだ!」
「沙羅ちゃん?どうしたの?」
 武田を担ぎ上げている途中のレイが、ぱちぱちまばたきしながら首を軽く傾げる。
「父がどうなったのか、確認しないと……!」
 すると彼女は、ふふっ、と笑みをこぼす。
「お父さんなら大丈夫だよ。もうちゃんと保護されてる」
「えっ。そうなんですか」
「隣の部屋に連れていかれてたみたいだよ。今はモルがちゃんと見張ってるはず」
 モルテリアが見張りとは。少々心配だ。
 ただ、彼女はやる時はやる。戦闘するところはあまり見たことがないが、そこらの女の子よりかは確かに強いはずだ。
 きっと大丈夫だろう。
「沙羅ちゃん、帰ろう」
 窓の外の光を受けて、レイの青い耳飾りが煌めく。
 どんよりしていたはずの空は、いつの間にか晴れていた。重苦しい灰色の雲は一つも見当たらない。青い空に、眩しいくらいの太陽光が差し込んでいる。
 まるで、戦いを終えた私たちを祝福しているみたいだと、そう思った。
「はい!帰りましょう!」

 エリナとナギは宰次を連れて、新日本警察へ向かうらしい。だから、彼女らとは、ここからしばらく別行動だ。
 建物を出てすぐのところには救急車が待っていた。武田を乗せると、その救急車は速やかに出発した。
 一緒に乗っていっても良かったのだが、私はレイと共に帰る方を選んだ。深い理由はない。なんとなく彼女と一緒にいたかったから。それだけである。
「沙羅ちゃん。本当に良かったの?」
 救急車を見送った後、レイが声をかけてくる。
「武田と一緒に行かなくて、良かったの?」
「……はい」
 その頃になって、左腕の痛みが戻ってきた。ヒリヒリするというか、ズキズキするというか。上手く言い表せない痛みだ。
 傷が痛むなら救急車に乗っていけば良かったかな、なんて少し思った。
「ま、そうだね。いずれにせよ病院には行かなくちゃならないもんね。沙羅ちゃん怪我してるし」
 それからレイはクスッと笑う。
「あたしは絶対怒られる。安静って言われてるのに、飛び出してきたから」
「本当ですね」
「でも、呼び出されたから仕方ないよね!」
「はい。まずは言い訳を考えましょうか」
 呼び出されたからだとしても、来てくれたことが嬉しい。
 彼女はエリナの復讐には参加しないと言っていた。だから、呼び出されても断る可能性だって、おおいにあったのだ。
 しかし彼女は来てくれた。それは純粋に嬉しいことである。
「……レイ。沙羅……」
 明るく澄み渡る空の下、レイと話していると、背後からモルテリアがヌッと現れた。
 あまりに気配がなかったものだから、レイも私もビクッとなってしまう。いきなり驚かせないでほしいが、それは敢えて口から出さなかった。わざとではないと分かっているからだ。
「モル!どうしたの?」
「……沙羅の、お父さん」
 視線をモルテリアの向こう側へ向ける。そこには、私の父親の姿があった。見た感じ怪我や体調不良はなさそうで、私はほっとする。
「ええっ。沙羅ちゃんのお父さんなの?」
 驚き尋ねてくるレイ。
 私は控えめに「はい」と答える。彼女に父親を紹介するというのは、なんだか少し恥ずかしさがある。
 するとレイは私の父親に会釈し、「一色です」と名乗りつつ微笑む。父親の方も、頭を下げ、「沙羅がいつもお世話になっています」などと言っていた。
「あの、一色さん」
「何ですか?」
「武田くん……でしたっけ。あの男性にもお礼を伝えていただけると嬉しいです。もちろん、後ほど僕も伺って、直接伝えさせていただくつもりですが」
「はい。武田に伝えておきます」
「娘を護って下さり、ありがとうございました」
 まるで私が護衛対象だったかのような言い方だ。私もエリミナーレの一員なのだが——いや、偉そうなことは言えない。実際、私は護られてばかりいた。父親の言い方は正しいのかもしれない。
「天月さん……もう行く?」
「そうだね、行くよ。一言言わせてくれてありがとう、モルちゃん」
「……大丈夫」
 父親はモルテリアといつの間にやら親しくなっているようだ。普通に会話している。
 それからモルテリアは、レイに向かって述べる。
「……また後で」
「え。一緒に帰らないの?」
「……うん。天月さん警察……行くって……」
「そうだね。関係者だもんね」
「……多分」
 会話を終えると、モルテリアと私の父親は去っていた。
 本当にレイと二人きりだ。
 彼女は私に眩しいくらいの笑みを向けてくれる。太陽のような、明るくて晴れやかな笑み。
「お疲れ様!」