コメディ・ライト小説(新)

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.189 )
日時: 2018/03/29 00:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: lh1rIb.b)

125話「あれは本気か?」

 私はレイと共に病院へ帰ることとなった。
 レイは病院のエントランス付近にあるタクシー乗り場からタクシーに乗ってここまで来たらしい。だが、帰りはタクシーを呼ぶ時間もなく、結局電車帰りとなった。
 最寄りの駅は芦途駅。ここからは徒歩十数分の距離だ。
「ここって、芦徒市だったんですね。知らなかったです」
「電車で来たことはないもんね」
「はい。それにしても……おかしな感じです」
 ナギに止血してもらった左腕は、こうして歩いている間も、脈打つように痛む。しかし、涙が出るほどの痛みではない。だから平気だ。
 爆発に巻き込まれ、電撃を浴びせられ、しまいには拳銃で撃たれ——やられ続けた武田を思えば、こんな怪我、たいしたものではない。
「本当にこれで終わったんですかね」
 曇りのない空を見上げると、なんだか奇妙な気持ちになる。
 エリナが宰次への復讐を夢見て生きた約十年。
 武田が人を愛さぬと決めて生きた約十年。
 その長い時間が、こんなほんの数時間で終わりを告げるなんて、不思議としか思えない。
 ……いや。もちろん、これですべてが解決したわけではない。宰次の罪を明らかにしたり、紫苑らをどう裁くのか決めたり、やるべきことはまだまだ山積み。
 ただ、一段落したことは確かである。
「……沙羅ちゃん?」
「宰次が捕まったとして、これからどうなるのか……私も父も、エリミナーレも」
 任務が終わればみんな揃って、仲良く帰ることができるのだと、そう思っていた。だけど現実は違って。結局、私たちはまた別行動だ。
 いまいち気分の晴れない私に、レイは言ってくれる。
「大丈夫だよ、沙羅ちゃん。きっと大丈夫」
 レイの励ましの言葉に、私は胸を握られたような感じがした。嬉しくて、温かくて、ほんの少し申し訳なくて。
「未来は見えない。けど、きっと上手くいくと思うよ」
「レイさんは、またエリミナーレに?」
「要安静が済んだらね。あたしは自分を誇れるあたしでありたい。だから、また人のために働くよ」
 そう語る彼女の表情に曇りはない。その瞳は、この先歩んでゆく未来を、真っ直ぐに見据えている。
「妹さんに恥じないように生きたいって仰ってましたもんね」
「そうそう」
 こんな風に真っ直ぐな表情をできればいいな、と私は思った。私もいつか、曇りのない瞳で未来を見据えられるような人になりたい。
「これからもよろしくね。沙羅ちゃん」
「なんだか最終回みたいな感じですね」
「え?最終回って?」
 キョトンとした顔をするレイ。
 おかしなことを言ってしまっただろうか、と心配になる。優しい彼女のことだから悪くは言わないだろうが、些細なことも気になってしまうのが私の性なのだ。
「大きなことが終わって、帰り道に『これからもよろしくね』ですよ。物語の終わりみたいだなって」
 するとレイは楽しそうにクスクス笑った。
「沙羅ちゃんったら、変なの。明日も明後日も、変わらず続いていくのに」
「ですよね。確かに変です」
「思うんだけど、沙羅ちゃんってたまにユニークだよね」
 ユニークな自覚はないが、レイが言うならそうなのかもしれない。彼女は嘘はつかない。だから、恐らく私は、本当に、ユニークな人間なのだろう。
 自分のことは自分が一番分かっていない、という説も、あながち間違いではないようだ。

 ——夜。
 私は一人、病室前の廊下に設置された椅子に座っていた。
 蛍光灯のぼんやりとした光が、寂しい気持ちを掻き立ててくる。私は、包帯が巻かれた自分の左腕を眺め、退屈をまぎらわす。
 エリナかナギが来るという話だったので待っているのだが、一向に現れそうにない。
 レイは医師や李湖に叱られ、元々いた病室へと入れられた。武田は治療やら何やらで、面会できる状態ではない。だから、レイにも武田にも、会いたくても会えないのだ。
「……疲れた」
 私は一人、溜め息を漏らす。
 夜の病院は静かだ。薄暗い静寂の中でぼんやりしていると、まるで世界から音が消えてしまったかのように感じる。
 時計がないので、携帯電話でさりげなく時間を確認する。午後八時は過ぎていた。
 その時、廊下の向こうから、パタパタという小さな足音が聞こえてくる。
 私は特に意味もなくそちらを向く。清潔そうな服に身を包んだ三十代くらいの女性看護師が、小走りでこちらへ向かってきていた。
 まさか私ではないだろう、と視線を逸らす。
 しかし彼女は声をかけてきた。
「天月さん!良かった、まだいらっしゃって」
「え。私に用事ですか?」
「はい。一緒に来ていただいても構いませんか?」
 また誘拐されたりして。
 そんなことを心の中で呟き、一人密かに笑う。
「構いませんけど……何の用ですか」
「先ほどお目覚めになった武田さんが、天月さんに会いたい、と」
「そうでしたか。分かりました」
 武田の意識が復活したなら良かった。そして、彼が私に会いたいと言ってくれて、凄く嬉しい。
 私は明るい気持ちになりながら、女性看護師に案内されて、武田のもとへ向かった。

 入り口付近に『武田康晃』と書かれた小さなネームプレートがかかっている病室へ入る。
 ベッドと椅子、そして小さなテーブル。ほとんどそのくらいしかない、殺風景でこじんまりした病室だった。一人用の個室だから、あまり広くないのだろう。
 私は女性看護師に礼を述べ、ベッドへ駆け寄る。
「武田さん……!」
 らしくなく、武田はベッドに横たわっていた。
 まだ点滴中だが、意識ははっきりしているように見える。彼の瞳はしっかりと私を捉えている。
「沙羅。来てくれたんだな」
「はい、大丈夫でしたか?」
「問題ない。お前のおかげで堪えられた」
 そう話す武田の表情は柔らかなものだ。
 頬の傷にはガーゼが貼られていた。ゆるりとした白い上衣の隙間からは、包帯が巻かれた体が僅かに見える。
「ところで、沙羅」
 唐突に武田が話題を変える。
 一体何だろう、と思っていると、彼は言いにくそうな顔で言う。
「その……あれは本気か?」
 話についていけず黙っていると、彼はゆっくりと続ける。
「私は構わないが、本当のところ、お前はどうなんだ」
「え。あの、何のお話でしたっけ?」
 武田と話したことを忘れるはずはないのだが……今は本当に思い出せない。お互いの意思を確認しあうような話をした記憶はない。
 私が首を傾げていると、彼はいつもと変わらない淡々とした口調で言う。
「私が死にかけていた時、言ってくれただろう。結婚しましょう、と」
 それを聞いて私は、この場から走り去りたいほど恥ずかしくなった。
 確かにあの時、私はそう言った。だが、あの時の私はどうかしていたのだ。だから勢いに任せてそんな恥ずかしいことを言えたのである。
 どう考えても、正気の沙汰ではない。
「あれは冗談だったのか?」
 まさか聞こえていたとは。
 そのことに大きな衝撃を受け、私は暫し何も言えなかった。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.190 )
日時: 2018/03/29 20:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: OZDnPV/M)

126話「恋人」

 夜の病室。好きな人と二人きり。最高のシチュエーションのはずなのだが——最悪の状況だ。あんな恥ずかしい発言を武田に聞かれていたなんて。
「……すみません。忘れて下さい。私、あの時、ちょっとどうかしていました」
 自然と口から出ていた。
 私が武田を好きなのは事実。彼の大切な人になりたいと思ったりするのも事実だ。だから、このまま勢いに任せて関係を進めてしまえるのなら、それはそれで悪くはないはずである。
 なのに私は、心と逆のことを言ってしまった。
「勢いで言ってしまっただけなので。もう忘れて下さい」
 自分の言葉を肯定する勇気さえなかったのだ。
 すると武田は、なぜか、少し残念そうな顔をした。
「勢い、か。そうだったんだな」
 彼は切なげに微笑んだ。
 それから彼は、片手をきゅっと握り、胸元に寄せる。目を伏せ、戸惑いの色が混ざった声色で呟く。
「……何だ、これは」
 武田らしくない、弱々しい顔つきをしている。
「どうかしました?」
 念のため尋ねてみると、彼は言葉を詰まらせた。本来口を開くであろうタイミングより数秒遅れて言う。
「胸が、痛む」
 彼が発したのは予想外に短い言葉だった。まるでモルテリアが話しているかのようである。
「えっ。どんな風にですか」
「なんというか、こう、心臓が締めつけられるような感じだ」
「そ、それって、心筋梗塞の前兆か何かじゃ……!ナースコールしますっ!?」
「いや、それは要らない。そこまでの痛さではない」
 ナースコールしなくてはならないほどの痛みではないと分かり、私は小さく安堵の溜め息を漏らした。
 たいしたことがないなら良かった、と内心安心する。
「ただ、沙羅を見ていると、胸が痛んで仕方ないんだ。あまり上手くは言えないが、なんというか……複雑な心境になる」
「複雑な心境?」
「あぁ、そうだ。自分の心に混乱させられる。触れたいのに、触れるのが怖い。傍にいたいのに、言い出せない……」
 何の相談だろう、これは。
 思わずいろんな突っ込みを入れたくなるが、なんとか堪えた。だが、それにしても、今日の彼は少々謎である。様子がおかしい。
 怪我したせいでおかしくなったのか、あるいは、精神的にかなり追い詰められておかしくなったのか。
 理由はよく分からないが、とにかく妙だ。
「沙羅。お前はなぜ、あの時、結婚しようなどと言った?驚かせて私の意識を引き戻すためか?」
「……それも、あるかもしれません」
「なら、ナギにも同じようなことを言うか?」
 まさか。
 私が言ったのは、武田を好きだから。好きでもない人間に「結婚しよう」なんて言えるわけがない。
 ただ、正直に打ち明ければ、先ほどの発言が嘘だったと証明することになってしまう。それはそれでまずい。
 そんなことで悩んでいると、彼はさらに言ってくる。
「沙羅が私の良き理解者であるように、私もお前の良き理解者でありたい。だから教えてくれ。お前はなぜあんなことを……」
「好きだから」
 私は結局、本当のことを言った。それしかなかったから。
 嘘をつくなら何とでも言えただろう。「勢いで」とか、「冗談のつもり」とか、いくらでも言い様はある。けれども、それでは私の心が武田に伝わることはない。
 数年間ずっと抱き続けてきた気持ちを隠し、変わらない日々へ戻ってもいいのか。そんな心の問いに、私は頷けなかったのだ。
「好きだからです」
「……好き?」
「私は武田さんのことが好き。貴方は私にとって特別な人です。だから、傷ついてほしくないし、死なないでほしい。あんなことを言ったのも、それと同じ理由です」
 今度は彼が硬直する番だった。
 彼は変わらず横たわっているが、顔が強張っている。頭がついてこれていないような感じだ。私の言葉の意味がいまいち理解者できないのだろう。
 狭い病室に、静寂が訪れた。
 武田も私も話さない。一言も。それは恐らく、お互い何を言えばいいのか分からない状況だったからだろう。
 壁にかけられた時計を見ると、時間は既に九時に迫っていた。
「……沙羅は、私を、恋愛として好きだというのか」
 静寂を破り、先に言葉を発したのは、武田。
「はい」
 ここまで来ては引き返せない。私はただ、彼が受け入れてくれることを願うしかない。
「いつからだ」
「二○四○年十二月。貴方が私を助けてくれた日からです」
「なぜだ」
「初めて手を繋いだ男の人だったんです。武田さんが。私、一生誰かと手を繋ぐことなんてないと、そう思ってた……」
 何を言っているのだろう。こんなの、武田からすればどうでもいい話に違いないのに。
 だが彼は嫌そうな顔はしていなかった。
「そうだったのか。ずっと気づいてやれなくてすまなかった」
 言いながら、武田はゆっくりと上半身を起こす。やはりまだ体が痛むらしく、時折顔をしかめている。ただ、それでもなんとか自力で起き上がった。
 本当はまだ起きてはならないのだろうが、「起き上がれない」ということではないようである。
 完全に座った状態になってから、彼は私の目をじっと見つめてくる。そして、握手を求めるように、開いた左手を差し出してきた。
 私はそこに手を乗せる。
 その瞬間、体を一気に引き寄せられた。
「あ……えと……」
 意味不明なことを漏らしてしまう。突然すぎて対処できない。
 武田の頬に貼ってあるガーゼが耳に触れた。肌の温もりが感じられるほどの接近ぶりである。
「私も、沙羅が好きだ」
 彼は私の耳元で囁いた。本当に、小さな声で。
「実は今もまだよく分からない。だが、多分これが恋愛感情、世に言う『好き』なのだろう。だから」
 一呼吸おいて、彼は続ける。
「恋愛感情を抱かないというあの言葉。今ここで撤回する」
「は、はい……」
「気づいたんだ。私は逃げていたのだと。誰かを愛し弱くなることを、今までは恐れるばかりだった。だが、これからは立ち向かおうと思う」
 多少ずれている気もするが、それはもうご愛嬌だ。武田の可愛いところ、と軽く流せる。
「たくさん頑張る。だから、これからは恋人として、私を傍で見守っていてくれ」
「こ、恋人!?」
「違うのか?恋人になる、結婚する、夫婦になる。そういう順序だと聞いていたのだが」
「い、いえ。ただ、私が恋人なんて本当にいいのかな……と」
「何を言う。当然だろう」
 武田は私を抱き締め終えるや否や、笑みをこぼす。
 作り物ではない、柔らかな笑み。こちらまで温かな気持ちになってくるような、優しい表情だ。
「早速明日報告しよう」
「え」
「エリミナーレのみんなに報告するんだ。きっと喜んでくれるに違いない」
 滅茶苦茶だ。
 私たち付き合います、なんて言えば絶対修羅場になる。
 喜んでくれるなんて夢のまた夢だろう。きっと恐ろしいくらい気まずい状況になるに違いない。
「それにしても、初めての恋人が沙羅になるとは。なんだかドキドキしてきた。私で務まるだろうか……!」
 しかし武田の頭には、修羅場の「し」の字も存在していないらしい。その方がある意味幸せかもしれないな、と私は思った。
 とにかく今は、武田が幸せそうで何より。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.191 )
日時: 2018/03/30 19:10
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: exZtdiuL)

127話「甘いポタージュとほろ苦い明日」

 少しすると九時になったので、私は武田のいる病室から出た。
 その時になって知ったが、面会時間は九時まで、とのことだったらしい。ちょうど良かった。
「あっ。沙羅ちゃん、終わったんすね?」
 部屋から出るとナギがいて、声をかけてくる。一人のようだ。恐らく、私たちに気を遣って、入ってこなかったのだろう。
「ナギさん。お疲れ様です」
「お疲れ様でっす。沙羅ちゃん、腕大丈夫だったんすか?」
「はい。包帯巻いてもらってますけど、大事ありません」
 するとナギは安心したような顔になる。
 彼は優しく気が利く人だ。だから、私のことまで気にかけてくれていたのだろう。ありがたいことである。
「武田さんはどんな調子だったっすか?」
 そう聞かれた時、私はドキッとした。心臓がバクバク鳴り出す。
 落ち着け。
 私は密かに動揺する自分に命じる。
 ナギは何も知らない。私が挙動不審になりさえしなければ、怪しまれることはないのだ。普段通り振る舞っていれば問題ない。何事もなかったかのように、平静を保ち、普通に振る舞ってさえいれば……。
「特に何もなく、普通でしたよ」
「普通、っすか?」
「横になっていれば大丈夫という感じで、その、普通です!」
 明らかに不自然な私の発言に、ナギは困惑したような顔になる。
「どうしたんすか?そんなに慌てて」
 うっ。
 痛いところを突く発言が来た。
「あ。もしかしてー、何か進展したんすか?」
「そっ、そんなことは……」
「やっぱり!ついに進んだんすね?いやー、良かった!おめでとっす!」
 ナギは否定する隙を与えてくれない。どんどん話を進めていく。
「で、どこまで行ったんっすか?」
 彼は興味津々だ。目をぱちぱちさせながら、私の顔を凝視してくる。ここまで熱心に見つめられると、「言わない」と突っぱねるのは難しい。
「……恋人になりました」
 するとナギはぷっと吹き出す。そして、腹を抱えて笑いだした。笑いは徐々に大きくなり、ついに大笑いとなる。
「ちょ、恋人ってー!普通、彼氏彼女とか、言わないっすか!?ひゃーっ。おかし」
 どうやら「恋人」という名称を使っているのが面白かったらしい。
 他人の笑いのツボとは分からないものだ。
「変ですか?」
「いやいや、武田さんらしくて最高っすよ!ひゃー。面白すぎっすわ!」
 腹筋が崩壊しそうな勢いで笑い転げるナギを眺めていると、ふと思った。ナギに広められたらまずい、と。
 武田はみんなに伝えると張り切っていた。だから、ナギから広まっては困るのだ。武田の楽しみをぶち壊しにしてしまいたくはない。
 だから私は勇気を出してお願いすることに決めた。
「ナギさん。このことはまだ黙っていて下さいね?」
「もちろん!分かってるっすよ。秘密っすね!」
「本当に頼みますよ。武田さんが、みんなに言うのを楽しみにしているので」
 念のため、もう一度言っておく。
 するとナギはニコッと笑い、片手の親指を立てた。お茶目な子どものように。
 それから、彼は大きな背伸びをする。疲れを吹き飛ばすような、とても心地よさそうな伸びだ。
「もちろんっすよ!」
 その後、私はタクシーに乗ってエリミナーレの事務所へと帰ることにした。ナギが言うには、事務所にはモルテリアがいるらしい。一人でないなら安心である。
 ナギは「エリナのところへ行く」と言っていたので、病院のエントランス付近で別れた。

 タクシーに揺られることしばらく。車はエリミナーレ事務所が入った建物の前へ到着した。料金を小銭で払い、小さめの声で運転手に礼を告げる。そして、事務所の部屋へと急ぐ。
 暗い夜道、一人は危険だ。
 事務所の近くといっても油断はできない。恐らくもうないだろうが、何かあってもおかしくはない状況である。私は気を抜かず、モルテリアが待つ事務所へ早足で向かう。
 結果、何も起こらなかった。

「……沙羅。お帰り、なさい……」
 モルテリアの緑みを帯びた短い髪は、空気を含んだようにふんわりしている。いつもよりボリュームがあるように感じられる。
「今……お風呂出た、ところ……」
「あ。そうだったんですね」
 よく見ると、彼女はニンジンの柄がついたタオル地のポンチョを着ていた。膝くらいまでの丈なので肌の露出はほとんどない。露出といえば、裸足なくらいのものである。
「……誰もいない。お風呂……使い放題……」
 モルテリアは嬉しそうな顔をしている。
 彼女が入浴を好むというのは少々意外だ。こんなことを言っては失礼かもしれないが、彼女は食以外に興味があるように見えなかったからである。
 食べられればいい。
 そんな感じなのだと、勝手に思い込んでいた。
「……沙羅、使えた?」
 モルテリアは突然尋ねてきた。言葉が少なすぎて、話がまったく理解できない。
「いきなり何ですか?」
「拳銃の……おもちゃ。……使えた?」
 そこまで言われて初めて分かった。モルテリアが言っているのは、ナギから借りた拳銃のことなのだろう。
 あれは一応役立った。
「はい。使えました。ただ、何だか不自然な拳銃でした」
「あれは……胡椒……」
「え?」
「あれは胡椒の……弾丸」
「えぇっ!?」
 耳を疑ってしまった。
 モルテリアがいきなり「胡椒の弾丸」なんて言い出したからだ。そんな話、すんなり受け入れられるわけがない。
 では、撃った時に飛び散った粉末は、胡椒だったというのか。
 私は暫し、開いた口が塞がらなかった。
「作るの……頑張った」
 言いながら微笑むモルテリアの丸い頬は、まるで白玉のようだ。指でつつきたくなるくらい、見るからに柔らかそうである。

 それから私も風呂に入り、モルテリアと二人で遅い夕食をとった。
 近所のコンビニに売っているロールパンと、モルテリアが作りおきしていたコーンポタージュ。非常に質素な内容ではあったが、それなりに美味しかった。
「そういえば。宰次はどうなったんですか?」
 モルテリアのことだ、まともな答えは返してこないだろう。だが聞かないよりはましだ。一つくらい何か分かるかもしれないから。
 彼女はもきゅもきゅとロールパンを頬張っていたが、私が尋ねた瞬間、咀嚼を中断する。
「……宰次?」
「はい」
「……捕まった。不法取引……殺害……脅迫、殺害予告……傷害……」
 ロールパンを見つめているモルテリアの口からは、次から次へと物騒な言葉が出てくる。
 それらを聞いているうちに、宰次の罪深さを改めて感じた。それと同時に、彼はなぜそんなところまで至ってしまったのか、と思う。
 宰次はいい人に見えないことはなかった。笑っていれば気さくなおじさんといった雰囲気で、どこにいてもおかしくはない感じの人だった。愛想悪くはないので、誰かから非常に嫌われていたわけでもないだろう。
「今までの罪は公になりますか?」
「……うん。多分、そのうち……」
「そうしたら宰次は一体どうなるんでしょうね」
「……痛い目に遭う」
 モルテリアはコーンポタージュを一気に飲み干し、会話に戻ってくる。
「……エリミナーレの、エリナの、願いが叶う……」
 彼女は嬉しそうだった。
 その時ふと、父親のことを思い出す。
 彼はどうなったのだろう。彼も裁かれ、罪人扱いとなるのだろうか。
 もしそうなったら、仕事はどうなる?取り敢えず新日本銀行はクビになるに違いない。また新しい職場を探すのか……いや、それが可能ならまだいい。罪人として捕まり働けなくなったら最悪だ。母親は私の給料だけで暮らすしかなくなる。
 私は甘いコーンポタージュを啜りながら、そんなことを悶々と考えていた。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.192 )
日時: 2018/03/31 23:12
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

128話「すぐには馴染めないけれど」

 翌日、私が目覚めたのは午後三時過ぎだった。眠りについたのが特別遅かったわけでもないのに。
 入浴によって若干湿ってしまった左腕の包帯をモルテリアに交換してもらい、それからすぐに眠りについたのだが、ちゃんと朝には起きられなかった。
 しかし、幸いモルテリアは待ってくれていた。話を聞いてみると、彼女の先ほど起きたところらしい。彼女との話の中で「病院にて集合」と知った私は、すぐに用意を始める。
 服を着替え、短い髪を整え、鞄の中身を確認。私が一人バタバタしている間、モルテリアは待ってくれていた。
「……これでよし」
 最終チェックで鏡に映る自分を見た時、ふと思い、一人呟く。
「髪、伸ばそうかな」
 これまでは何も考えてこなかった。
 周囲がファッションや美容に夢中でも、私には関係ない。だから髪は便利な短めにしていたし、服もあまり考えずなんとなく選んできた。
 でも、武田の恋人になるなら、彼に相応しい女性にならないといけない。
 今はそんな風に思う。

 私とモルテリアは病院へ着くと、武田の部屋へ向かった。
 長い廊下には人が歩いている。夜の薄暗い廊下とは、まったく異なった雰囲気だ。入院している高齢者、忙しそうな看護師、そして、面会の帰りらしき笑顔の咲いた子ども連れ。
 同じ廊下でも、夜間に比べるとかなり活気がある。
 やがて、武田の病室の前にたどり着く。私は二回ほどノックして、扉を開けた。
「沙羅ちゃん!モル!」
 静かに入っていった私たちに一番早く気がついたのはレイ。今日もすっきりした顔をしている。やはり、もうだいぶ吹っ切れたようだ。
「随分寝坊したわね」
 続けて、エリナの鋭い言葉が飛んでくる。
 彼女は相変わらず厳しい。
「すみません」
「さては、浮かれて夜遅くまで騒いでいたから寝坊したのね?」
「えっ」
 するとそこへナギが口を挟んでくる。
「沙羅ちゃんと武田さんが付き合うことになったって話、もう発表されたんすよ!」
「あ、そうだったんですね……って、え!?」
「驚かなくていいっすよ。みんな、さっき武田さんから聞いたんすから」
 どうやらナギがばらしたのではないらしい。ちゃんと武田が言えたのなら良かった。
「沙羅」
 その時、低い声が聞こえてきた。私は声がした方を向く。
 すると、ベッド上で上半身を起こしている武田が、「こっちへ来い」と言わんばかりに手招きしていた。
 よく分からないが私は彼の方へ行ってみる。
「何ですか?」
「ほら。少し」
 武田は私の体へ手を伸ばしてきた。彼の意図が掴めない。しかし、別段拒む意味もないので、身を委ねることに決める。
 直後。
 彼の唇が私の額に軽く触れた。ほんの一瞬だけ。
「今日も可愛い」
 耳元に絡みつくような甘い声。柔らかくも厚みがあり、甘さの中に確かな男らしさを感じさせる声色である。
 いつも淡々とした調子の武田が放ったとは到底思えない声だ。しかし発したのは間違いなく武田。それ以外の可能性はない。
 私は予想外の流れに困惑し、それと同時に激しく動揺して、何もできなくなる。ほとんど身動きできないし、相応しい言葉が出てこなかった。
「……と、こんな感じか?沙羅。一応試してみたが、どうだろうか」
 武田はワクワクした表情で私の返答を待っている。
 だが私は、ここでどう返すべきなのか、いまいち分からなかった。
 一体何の試しだったのか?そもそもどこで仕入れた知識を試してみたのか?それに、今の行為にどのような意味や必要性があるのか?
 脳内が疑問符で満たされていく。
「えっと……、今の行為にどんな意味があるんですか」
「口づけをすることで愛が深まると聞いてな。取り敢えず試してみたのだが、嫌だったか?」
「もっとライトでお願いします」
 嫌ではないが、いきなり想像を越えてこられては、さすがに少し引いてしまう。距離を縮めるならもう少し時間をかけてほしい。もっとも、彼は彼なりに頑張ってみたのだろうから、あまり強くは言えないが。
 そんな奇妙な光景を近くで見ていたエリナは、突然立ち上がり、武田に向けて毒を吐く。
「何なの?意味不明ないちゃつきを見せつけて!」
 エリナの顔は凄まじい迫力を帯びていた。
 こ、怖い……。
「貴方、怪我人でしょう。ちゃんと横になっていなさいよ!」
 だが言っていることはまっとうだ。
 武田は昨日重い傷を負ったばかりで、本来ならまだ起き上がることも許されないくらいなのである。
「いえ。お話中に横になっているというのは失礼ですから」
「話している私が言っているの!いいから、横になっていなさい!」
「ですが……」
「沙羅を心配させる気?」
 急に私の名前が出てきて驚いた。しかもエリナの口から出てきてものだから、余計に驚きだ。ただ、私が怒られるような感じではないので、安心した。
 エリナは腕組みをして、上から目線で武田に言葉をかける。
「いい?武田。これからは貴方一人の貴方ではないのよ。もっと自分を大切にしなさい」
「沙羅が悲しむから、ですか」
「そう。分かったわね?」
「分かりました。沙羅を悲しませないよう努めます」
 武田はエリナの言葉を素直に受け取り、ゆっくりと上半身を倒す。寝る体勢になるだけでも時折体が痛むようだった。
「大丈夫ですか?武田さん。やっぱりまだ痛みますよね……」
「いや、平気だ。起き上がるのと横になるのくらいは、自力で軽々とできる」
 嘘。強がりだ。
 昨夜も今も、動く時、顔をしかめていたではないか。いかにも痛そうな顔をしているのを、私はちゃんと見ていた。
 まったく平気なら、あんな顔はしないはずである。
「それよりも、沙羅、お前の傷が心配だ。どんな傷からも、重い病気に発展する可能性はあるからな」
「大袈裟ですよ。大丈夫。このくらい、武田さんに比べればたいしたことありません」
 弾丸を受けたのは私だけではない。彼もだ。しかも、彼の場合は掠っただけでなく、もろに撃たれている。だから私よりも酷い。
「私に比べれば、だろう?沙羅的に見れば十分重傷だ」
 彼は腕を伸ばし、私の左手をそっと取る。私の手を静かにギュッと握りながら彼は述べる。
「沙羅……いなくならないでくれよ。お前がいないと私は寂しいからな」
 武田の発言によって、病室内が微妙な空気で満ちた。
 レイやナギ、それにエリナも、戸惑ったような顔をしている。モルテリアだけはよく分かっていないらしく、ぼんやり天井を凝視しているが、他の全員は同じ反応だ。
 少しして、ナギが口を開く。
「武田さん。みんながいるところでそういうのは……」
「駄目なのか?ナギ」
「まぁ駄目とかじゃないっすけど……二人きりの時の方が盛り上がるっすよ」
 すると武田は、妙に素直に「そうか」と答える。更に「アドバイス感謝する」などと礼を言い出す。
 こうして微妙な空気が晴れたところで、レイが言う。
「エリナさん、そろそろ報告をお願いします」
 入っていった私とモルテリアを一番に発見したのはレイだったが、彼女はそれ以降ほとんど話していなかった。だから彼女の声を聞くのは久々な感じがする。
 落ち着いたレイの言葉に対し、エリナは静かに「そうね」と返す。
「では軽く報告だけしておくわ」
 エリナの、口紅の塗られた唇には、うっすらと笑みが浮かんでいる。勝ち誇ったような、余裕を感じる強気な笑みだ。
 私は武田の手を握り返しながら、今にも話し出しそうなエリナに視線を向けた。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.193 )
日時: 2018/04/01 22:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

129話「これからのこと」

 エリナの報告によれば、茜と紫苑は新日本警察側で再び保護することとなったらしい。
 縁者のいない二人は、いずれにせよ行く当てがない。保護者的役割を担っていた吹蓮はいなくなってしまったが、自分たちで働くなりして暮らすにはまだ若すぎる。
 だから保護という形が最善だったのだろう。
「二人は本当に気の毒だったっすね。宰次のせいで吹蓮を失って、自らの手も汚さされて」
「まぁね。でもまだやり直せるわよ。若いもの」
 確かに、若さは武器かもしれない。若いということは、まだこの先長い人生があるということだから。茜たちには、宰次と違ってやり直すチャンスがある。
 私は心の中で密かに、「二人には普通の人生を歩んでほしい」と思ったりした。
「それで、宰次はどうなりましたか」
 唐突に口を挟んだのは武田。彼は、横たわりながらも視線はエリナへ向け、しっかり話を聞いている。
「牢屋へぶちこんできてやったわよ。今まで集めてきた証拠物も昨夜すべて提出したわ」
 昨日からそのままだからかくたくたになったスーツを着ているナギは、心なしか疲れたような顔。しかし、さりげなくエリナの隣を陣取っている。何食わぬ顔で距離を縮めるところは彼らしい気もした。
「証拠物って、瑞穂ちゃんとのメールのデータとかっすか?」
「それも一つね」
 メールのデータなんてあったのか、と私は少し驚く。綿密に計画を立てるタイプではないエリナがそこまで準備していたことが意外だったのである。
「でもあれ、普通に付き合ってる風の仲良しなメールとかも入って……」
「丸ごと出してきたわ。どこの何が証拠になるか分からないもの。ついでに、宰次は実に恥ずかしい目に遭うことでしょうね」
「エリナさん……悪意を感じるっすよ……?」
「そうね。むしろ悪意しかないわ」
 エリナとナギは案外仲良さげに話していた。エリナの機嫌が悪くない時は盛り上がるのかもしれない。
 しかし、エリナは、すぐに真面目な顔に戻った。
「まだどんな刑罰になるかは決まっていないけれど、宰次の社会的地位はもはや死んだも同然」
「目的は達成ですね」
「えぇ、武田。貴方には今まで色々と迷惑をかけたわ。長い間ご苦労様」
 病室の小さな窓の外に広がる空を、エリナはじっと見つめる。何かに思いを馳せるように。
 そんな彼女に向けて、武田は尋ねる。
「……エリナさん。これで瑞穂さんは救われますか」
 空を見つめていた茶色い瞳が武田へ向く。
「これで、あの人は本当に救われたのでしょうか」
 エリナは黙り込む。
 そして、少ししてから、彼女はようやく重い唇を開いた。
「瑞穂は喜んでいるわ。きっと」
「そうですか?」
「だって、貴方が人を愛する心を理解できるようになったんだもの」
 それを聞いた武田は、驚いたように、決して大きくはない目をパチパチ動かす。
 確かに、優しい瑞穂なら、武田の幸せを願うに違いない。彼女のことは直接は知らないが、武田から聞いた情報があるので、だいたいの感じは想像がつく。
「喜ばないわけないでしょう」
 エリナはほんの少し寂しそうな顔をしていた。
 言ってから、彼女は部屋の外に向かって歩き出す。病室から出ていくつもりなのだろう。一人になりたい気分なのかもしれない。
 ナギはそんな彼女の背中を追う。
「ちょ待って!俺も一緒に行きたいっす!」
「好きになさい」
「よっしゃ!同行オッケーっすね!」
 張りきった足取りでエリナを追っていくナギ。その顔には、疲れを感じさせるものなど一つもない。生き生きして、輝いている。
 こうして、二人は、病室から速やかに出ていった。

 一気に二人も減ると、狭い部屋が急激に広くなったように感じる。心に穴が空いてしまったような、不思議な感覚だ。
「エリナさん……」
 私は思わずぽそりと呟く。
 すると、扉の方をじっと見つめていたレイが述べる。
「どうしたのかな。エリナさん、ちょっと様子がおかしかったね」
 レイは「よく分からない」と言いたげに首を傾げている。私と同じで、彼女もエリナの行動の意味が理解できていないようだ。
「疲れてらっしゃるのかもしれないですね」
 エリナは昨夜あまり寝ていないはずだ。恐らく、そのせいで疲れているのだろう。私はそんな風に考えた。
 不安げに眉を寄せるレイ。
 そこへ、モルテリアがいきなり入ってくる。
「……エリミナーレ、辞めようかなって……言ってた」
 いつも通りの小さな声。
 しかし、その内容に、私は思わず「えっ」と言ってしまった。意識せず口から漏れたのである。
 ただ、モルテリアのいきなりの発言に驚いたのは、私だけではなかった。レイは戸惑ったような表情を浮かべているし、ベッドの上に横たわっていた武田も怪訝な顔をしている。驚くべきことを唐突に言われ、理解が追いつかないようだ。
「モル。それは一体、どういうこと?」
「……目的、達成したから……」
「目的って、宰次への復讐?」
「……多分。もう終わったから……。だからこれから……どうするか」
「悩んでる感じ?」
 レイが歯切れのよい声で問うと、モルテリアはさりげなく、小さな動作で頷いた。
 ちょうどその時。ふと疑問が生まれてきたので、私は一応尋ねてみる。もっとも、答えが分かる保証はないが。
「それって、エリミナーレがなくなるってことですか?それとも、エリナさんがいなくなってしまうということですか?」
 エリナ一人が辞めるのならまだいい。いや、もちろん寂しいし色々と困るわけだが、それでもなんとかやっていけないことはないからだ。
 だが、エリミナーレ自体がなくなるとなると、かなりまずい。エリミナーレに勤めている私たち全員が、失職することとなってしまうからである。
 比較的器用な質のレイやナギは新たな仕事を見つけるだろう。しかし私はどうだ。余程ラッキーでない限り、すぐに転職できるということは起こらないだろう。
「どうなの?モル」
 レイはモルテリアの顔を覗き込む。
「……分からない」
 私が質問してからずっと黙り込んでいたモルテリアは、しゅんとした様子で小さく答える。その様子を見て私は、分かるはずのない質問をしてしまったな、と若干後悔した。
「分かるはずのない質問をごめんなさい」
「……ううん。大丈夫……」
「そうだよ、沙羅ちゃんは何も悪くない!実はあたしも気になってたんだ」
 モルテリアは許してくれ、レイはフォローしてくれた。おかげで気持ちが楽になった。
 ほっとしていると、横たわっている武田が声をかけてくる。
「レイの言う通りだ。沙羅が謝ることはない」
「あっ、はい。ありがとうございます」
 礼を言うと、武田はなぜか不安げな顔つきになる。
「……よそよそしいな」
「え?そんなことないですよ」
「いや、今までと雰囲気が違う。恋人に遠慮はするな」
「普通にしてるつもりですけど……」
「もっと馴れ馴れしくして構わないからな。距離を縮めるよう、お互い努力しよう」
「馴れ馴れしく、ですか……」
 武田のことが好き。
 これは間違いない。決して揺らぐことのない、決して変わることのない、強く固い感情である。
 ただ、たまに、彼のしつこさに疲労感を感じることもある。それもまた事実——けれども、心にしまっておく。嬉しい疲労感だからだ。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.194 )
日時: 2018/04/03 00:19
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6Bgu9cRk)

130話「話したいことは山のように」

 それからも私たちは色々話した。内容は主にこれからのエリミナーレについてだ。
 リーダーのエリナがいないので、話しても無駄と言えば無駄なのかもしれない。ただ、彼女がいないからこそできる話というのもあるわけであって、だから、この会話が無駄だとは思わなかった。
 狭い部屋の中でのんびりと話していると、いつの間にか六時を過ぎていた。
 それに気がついたレイは、腰掛けていた椅子から立ち上がり、「もうこんな時間」と笑う。青空のように爽やかな笑みが、彼女の凛々しい顔立ちによく馴染んでいる。
「あたしはそろそろ自分の部屋に帰るよ。エリミナーレの会議だからって言って無理矢理出てきたから、いつまでも出歩いてたら怒られそうだしね」
「レイさん、やはりまだ体調が?」
「ううん。あたしはもう元気だよ。でもお医者さんが安静にしてろってうるさくて」
 言い終わり、苦笑するレイ。
 医者が面倒臭い、とでも言いたげだった。
「モル、あたしの部屋においで」
「……レイの、部屋?」
「お菓子あるよ。確か、みかん饅頭とか、コンビニのぜんざいとか」
「行く……!」
 モルテリアは即答した。
 やはり食べ物の誘惑には勝てないようだ。
 モルテリアは既に、レイがあげた食べ物に心を奪われている。宙をぼんやりと見つめながら、うわ言のように「みかん饅頭……ぜんざい……」などと漏らすくらいに。
「沙羅ちゃん、武田、後は二人で楽しんで」
「あぁ。気遣い感謝する」
「それじゃあね」
 レイは手を振りながら、モルテリアと共に退室していった。

 結局また武田と二人きりだ。
 私はひとまず、先ほどまでレイが座っていた椅子に腰掛ける。
 すると視線の先にはちょうど窓。徐々に日が落ちてきて、空は暗くなりつつあった。繊細な水彩画のように、いくつもの色が混じりあい、淡いグラデーションを生み出している。
 武田と二人になると、時の流れが急に遅くなった。会話があまりないからだろうか、一分一秒が長い。いや、時の流れの速度自体は何も変わっていないのだろうが。
「もうじき日が暮れますね」
 私はそんなことを言っていた。
 どちらかといえば、空を眺めていたら自然と口から出ていた、という方が正しい。
「そうだな」
 武田は窓の外に広がる空へと目をやり、返した。呟くような小さな声だった。
「もしエリミナーレがなくなったとしたら、武田さんはどうすると思いますか?」
「……なぜそんなことを聞く?」
 武田は視線を再び私に戻す。それから怪訝な顔をして聞き返してきた。
 私はさらりと答える。
「特に深い意味はないです。ただ、武田さんならどうなさるかなって、少し気になって」
 これは完全な真実だ。先ほどの問いに、深い意味などない。
「なるほど。そうか、エリミナーレがなくなったら……か。そんなこと、今まで一度も考えてみなかった」
「それは私もですよ。今日初めて考えました」
 エリミナーレのみんなと過ごせる時間は凄く貴いもの。それは分かっていて、しかし、いつからか当たり前だと思うようになっていた。だから、みんなと別れることなど、微塵も考えてみなかった——これは事実だ。
 だがそれは私だけではないのだろう。武田の表情を目にすると、そんな気がした。
「私は、新しい職に就けるよう努めるだろうな。そうでなくては、沙羅と共に歩めない」
 武田の答えは妙に現実的だ。しかも淡々とした調子で述べるものだから、なおさら現実的に感じる。
 夢がない。ただ、武田らしさはある。
「沙羅はどうするんだ?」
「そうですね……自分から尋ねておいてなんですけど、すぐには思いつきません」
「ならいいんだ。それも一つの答えだからな」
 私が曖昧な答えしか出せなかったことを彼は咎めなかった。

 それから数分。
 窓から見える空がだいぶ暗くなった頃、武田が唐突に起き上がり、自ら切り出す。
「そうだ、沙羅。少し構わないだろうか」
 彼が妙に真剣な顔をしているものだから、こちらもついつい身構えてしまった。姿勢を正し、彼を真っ直ぐに見つめる。
「はい」
「お互いの呼び名について確認しておこうと思ってな。今までは沙羅と呼んでいたが、それではよそよそしい気がするんだ」
 どこがだろう。
 名前呼びは十分近しい雰囲気な気がするが。
「なので考えてみた」
「私の呼び名を、ですか?沙羅のままで大丈夫ですよ」
「いや、駄目だ。もっと特別な呼び名でなくては」
「はぁ。そうなんですか」
 武田は恋人というものをどこか勘違いしている気がしてならない。それに加え、彼の感性は元より独特なので、結果的に色々と奇妙な状態になっている。
「熟考した結果、一つの答えにたどり着いた。聞いてくれるだろうか?」
「もちろん」
「よし。では」
 ベッドの上に横たわったまま話している武田が、一度だけ、心を落ち着けるように深呼吸をした。
 そして彼は続ける。
「さらぼっくり、と呼んでも構わないだろうか」
「……えっ」
「聞こえなかったか?すまない。さらぼっくり、と言ったんだ」
 ぼっくり、はどこから出てきたのだろう……。
 これはまた、かなり予想外な呼び名が来たものだ。私の想像の遥か斜め上を行く、珍妙な呼び名である。
「さらぼっくり、と呼んでも構わないだろうか」
 大事なことだからか、彼は二度繰り返した。
 しかし、私は何も返せない。驚きやら何やらがごちゃ混ぜになり、どう答えるのが最善か分からないのである。一応相応しい返答を探してみるが、なかなか良い言葉が見つからなかった。
 そんなことで私が黙っていると、彼はその整った顔に憂いの色を浮かべる。
「気に入らなかったか?」
「い、いえ。気に入らないとかではなく……」
「嫌なら、はっきりと言ってくれ。何か案があればそれも。遠慮は要らない」
「えっと……い、嫌じゃないです!それでお願いしますっ!」
 面倒臭くなって、つい口調を強めてしまった。
 鋭く言ってしまったため、不快な思いをさせたかと一瞬不安がよぎる。しかし武田を見ると、満足そうに頷いていた。どうやら何も思っていなさそうだ。
「さらぼっくり。沙羅の可愛さが上手く表現できているだろう?自分で言うのもなんだが、自信作だ」
 武田はそう言って、子どものような笑みをこぼす。
「ただ、お願いだから二人の時だけにして下さいね」
「そうだな。他の者に聞かれては惜しい」
 そんなものだろうか……。
 やや違和感を感じた。
 私の呼び名が決まったところで、今度はこちらから話を振る。武田の呼び名についてだ。私がさらぼっくりなのに彼が武田さんのままというのは少々不自然かもしれない、と思い、尋ねてみる。
「武田さんはこれからも武田さんで大丈夫ですか?」
 すると彼は即座に答える。
「もちろんだ。そのままでいい」
 三秒もかからない、恐るべきスピード回答であった。
 これからは彼と二人、こんな風に穏やかに歩んでいけるのだろうか。そうであってほしい、と心から思った。

 その時、誰かが病室の扉を軽く叩いた。
 唐突に聞こえたノック音に対し武田は、「どちら様ですか?」と、彼らしい淡々とした声色で応じる。今のように落ち着いた振る舞いをしていると、武田も、普通の男性に見えないことはない。
「いきなりすみません。天月です」
 聞こえてきたのは父親の声だった。個性の感じられない平凡な声——私の父親に間違いない。
 武田は上半身を起こし、椅子に座っている私へ視線を向けてくる。それから小さく「大丈夫か?」と尋ねてきた。問いの意味がいまいち理解できないが、取り敢えず頷いて「はい」と答える。
 すると武田はやや大きめの声で「どうぞ」と言い放った。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.195 )
日時: 2018/04/04 03:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: q9W3Aa/j)

131話「感謝を込めて」

 病室へ入ってきたのは、やはり私の父親だった。付き添いはない。高さ十センチほどの小ぶりな紙袋を持っている。
 父親は身を縮め、おどおどしながら、武田や私の方へと近づいてきた。部屋が狭くさほど距離はないため、すぐに数メートルくらいの近さになる。
 上半身を起こしベッド上で座った体勢になっている武田は、私の父親の姿をじっと見ていた。私には察せないが、何か思うところがあったのかもしれない。
「すみません。いきなり伺って」
 私の父親は、怯える小動物のように気の弱い顔つきをしている。それに加え、何度も軽く頭を下げていた。
 対する武田はというと、笑いが込み上げてくるくらい平常運転だ。
「気になさらないで下さい。それより、何かご用でしょうか」
「感謝の気持ちを伝えさせていただきたく……」
「堅苦しいことは結構です。私は貴方に感謝されるような行為をした記憶はありません」
 武田は真面目な顔で淡々と返す。
 なかなかバッサリいったな、と私は密かに感心した。
「畠山とは銀行へ入った頃の知人でして。彼が警察へ移ってからはしばらく連絡をとっていなかったのですが……数年前、突然連絡が来たのです。それからはずっと脅されてきました」
 父親は考えながらゆっくりと言葉を紡いでいく。自信がないのか声は小さいが、その表情は真面目そのものだ。
「だから、今回このような機会に恵まれ、良かったです。感謝しかありません」
「それなら良かった。こちらはこちらで、あの男には因縁がありましたので、良い機会でした」
 窓の外は既に真っ暗。日はほとんど完全に沈んだようである。もう夜が来た。なんだか、一日があっという間だ。
「娘を護って下さりありがとうございました」
「いえ。私が望んだのです」
「そして、傷つけてしまい申し訳ありませんでした」
「お気になさらず。傷つくのも仕事のうちです」
 怒ることはなく、しかし笑うこともなく。武田は始終真顔だった。
 そんな彼を眺めていると、まだ表情があまりなかった頃を思い出す。今でこそ色々な顔をする武田だが、出会ってまもない頃はいつも淡白だった。まるでその頃に戻ったかのようである。
「お父さん。もう自由の身なの?」
 空気がひんやりしてきたので、少しばかり口を挟んでみた。
 すると父親は、やや縮こまったまま、返してくる。
「そうなんだ。京極さんが上手いこと言ってくれたおかげで自由になれたんだ。明日からはまた、普段通り仕事だな」
 父親の言葉を聞いて、私は、「良かった」と安堵の溜め息をつく。変わらず仕事を続けていけるなら、それが一番だ。
 今はエリナの計らいに感謝したい。
「明日からってことは、今日中に帰るの?」
「新大笠から新幹線で」
「ふぅん。そうなの」
 父親と会えなくて寂しいということはない。ただ、久々に会えたのにすぐ別れなくてはならないというのは、少々残念な気がする。
 どんな理由であれせっかく帰ってきたのだから、もう少しゆっくりしていけば良いのに。
 しかし言わなかった。
 自分は他人の人生に口出しできるような人間ではない、と分かっているからだ。本人が嫌でなければそれでいい。
「それでは、そろそろ失礼させていただきます。あ、これ。もし良ければどうぞ」
 父親は深くお辞儀し、手に持っている紙袋を武田へ差し出す。動物たちがピクニックしているイラストが載った、予想外にポップな紙袋を、武田は「ありがとうございます」と言いつつ受け取った。
「これは?」
「クッキーの詰め合わせです。武田くんの好みが分からなかったので……」
「お気遣い、感謝します」
 武田の対応は大人らしいものだった。
 彼とて三十路を過ぎた十分な大人。当たり前といえば当たり前なのだが……、ずれていない彼にはやや違和感を感じる。これは多分、感覚が普通とずれている武田に馴れてきた故に生じた違和感なのだろう。
 こうして、私は武田と、父親の背を見送った。
 しばらくは色々ややこしいことがありそうだな、と思っていただけに、拍子抜けだ。罪を問われることはなく、身柄を拘束されることもなく。ほぼ一日で自由の身となれるなんて、想像してもみなかった。
 現実は私の予想を遥かに越えた——とても良い方向に。

「クッキー、食べるか?……さらぼっくり」
「そうですね……武田さんは食べられますか?」
 最後に無理矢理「さらぼっくり」を付けるセンスが彼らしい。不自然感は否めないが、そこが彼の魅力でもある。
 だから私は、ほんの少し他人とは異なった感覚の武田が、好きだったりする。
「お前が食べるなら、一つくらいは頂こうかなとは思う」
「じゃあ食べてみましょうか。今日は九時までまだ時間ありますし」
「では紙袋を開けてみよう。……さらぼっくり」
 またしても「さらぼっくり」を無理矢理付けた。
 付ける必要がないタイミングにねじ込んでくる武田のセンスはかなり謎だ。ただ、人の心とは不思議なもので、武田の謎なセンスさえ今は愛しく感じる。
 武田は紙袋から箱を取り出す。そして、包装紙を剥がし、テープも外して、ついに箱を開ける。
 するとそこには、花畑のような様々なクッキーが広がっていた。
 合わせると市松模様になりそうな白黒の四角いもの。ジャムで彩られたカラフルなもの。黒い粒が見える、恐らく茶葉を練り込んだのであろうもの。
 もちろん他にもあるが、とにかく様々な種類のクッキーが詰め込まれている。
「これは私にはもったいない。さらぼっくり、お前が食べろ」
「いえ。一緒に食べましょう」
「……そうか。分かった。お前が言うなら仕方ない」
 狭い病室の中、私は武田と、クッキーをつまんだ。
 口内で甘さが広がる。すると緊張は消え、心が緩んだ。温かな気持ちになって、頬も自然と緩む。
 エリミナーレの明日はまだ分からないけれど、今はこの幸せがあればそれでいい。
 私は素直にそう思った。