コメディ・ライト小説(新)
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.203 )
- 日時: 2018/04/08 09:29
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: idHahGWU)
135話「お出掛けの朝」
解散になった後、私は武田の隣に座った。ソファは柔らかく、予想以上に体が沈み込む。感触が案外心地よく、自然と穏やかな気持ちになれた。
彼の顔へ目をやると、まるで前以て決めていたかのように、彼もこちらを見ていた。細めだが柔和な瞳がじっと私を見つめている。
合図もなく同時にお互いを見合うという偶然。
私たち二人は特別な二人なのだと、そんな気がして、妙に照れ臭い。
「そうだ、沙羅。昨日言っていた新聞を見せよう」
武田は新聞を取りに行こうと立ち上がる。しかし、腰を上げた次の瞬間、詰まるような息を漏らして顔を歪めた。膝が曲がってしまっている。
「無理しちゃ駄目ですよ!」
私が半ば反射的に注意すると、彼は顔を苦痛に歪めたまま返す。
「平気だ」
弱いところを見られたくない、というような言い方だった。
それからすぐに体勢を立て直した武田は、「待っていてくれ」とだけ残し、パソコンが置いてある机の方へ歩き出す。足取りは意外にもしっかりしている。
「ほら、これだ」
武田は一分もしないうちにソファへ戻ってきた。そして早速新聞を広げ、見せてくれる。
新日本新聞。
その一面を飾っていたのは、「畠山宰次」という名前。更に細かな文字をたどっていくと、彼が犯した罪に関することが書かれているのだと、私にでも分かった。
「こんなに早く載るものなんですね」
「あぁ、すぐに出たな」
「新聞って凄いですね!昔ながらのですけど、改めて凄さを感じました!」
決して色鮮やかではないし、紙媒体だ。一見、このネット時代には馴染まない。
だが、こういうものから情報を得るのも良いかな、と思った。
そして、二日後。
在藻温泉へ行く日が来た。
二泊三日の日程なのだが、楽しんでばかりもいられない。というのも、この二泊三日の間に、何としてもエリナを説得しなくてはならないのだ。
もし説得に失敗すればエリミナーレに未来はない——。
朝、私は一人、家から持ってきた旅行鞄に荷物をまとめた。衣類やタオル、常備薬などを鞄に詰める。以前武田とお揃いで買ったカニのピンバッジも、さりげなく入れておく。
必要最低限の物だけにしたため、旅行鞄は案外軽く仕上がった。
仕事ではないので今日は私服だ。だから、桜色のワンピースを着た。それから髪をとかし、ほぼすっぴんに近いような薄い化粧を済ませ、リビングへ向かう。
すると既にナギがいた。
「おはよっす!あ、そのワンピースいいっすね!」
「おはようございます。ありがとうございます」
ナギは元気いっぱいだ。日頃から元気なナギだが、今日はいつも以上に活発な雰囲気を漂わせている。
「……うるさいわよ」
私とナギが挨拶しているとエリナが現れた。
寝起きだからか、テンションが非常に低い。一応最低限の化粧はしているが、髪は若干乱れていた。セット前なのかもしれない。
そんなエリナを見て、私は、彼女が朝に弱いということを思い出した。
しかしナギはエリナの調子などまったく気にせず、積極的に彼女へ近づいていく。
「あ、エリナさん!おはようございまっす!」
「おはよう」
「え。何かテンション低ないっすか?」
「朝はあまり好きじゃないのよ」
ナギの元気さについていけないらしく、エリナは小さな溜め息を漏らしていた。もしかしたら、昨夜はあまり眠れなかったのかもしれない。
「今日は旅行の日っすよ!?もっとテンション上げていった方がいいっすよ!!」
眠そうなエリナに、ナギは声をかけ続ける。
体調不良ではないのだから、そのうち元気になってくることは分かっているのだ。しばらくそっとしておいてあげればいいものを。
「なんなら俺が目覚めのキスしてあげましょっか?」
「……うるさいわね」
「エリナさんが元気になるなら、いつでもして差し上げるっすよ」
「うるさいって言っているでしょう!」
ナギの執拗な絡みに耐えきれなくなったエリナは、まだ目が覚めきらない顔に不快の色を浮かべ、鋭く言った。
「付きまとわないでちょうだい!」
吐き捨てるような言い方だ。
ここまで言われて、ナギはようやく絡むことを止めた。エリナが心から嫌がっていると理解したのだろう。
……少しの沈黙。
そして、やがてナギが、それを破る。
「すいません。調子乗りすぎたっすね」
いつもはひたすら明るく活発なナギだが、今は反省しているらしく、大人しくしていた。
素直に謝られ、エリナは気まずそうな顔をする。
「……分かればいいわ。静かに用意なさい」
落ち着きのある声で述べ、彼女はまたリビングを出ていってしまった。彼女の表情から察するに、ナギと同じ場にいるのが気まずかったからだと思われる。
エリナとナギ。二人は気が合わないことはないはずなのだが、どうもすれ違っている感じが否めない。その僅かなすれ違いさえ解消されれば、もっと仲良くなれるだろうに。実に惜しい。
その時、エリナが出ていくのと入れ違いで、レイとモルテリアがやって来た。仕事でないからか、二人とも私服だ。
「おはよう!」
「……まだ、眠い……」
レイはストライプの長袖シャツにジーンズという、極めてシンプルな格好をしている。青い髪は相変わらずさらさらで、つい見惚れてしまう美しさである。
一方モルテリアは、深緑のパーカーに足首まである灰色のロングスカートという、ゆるりとした服装だ。こう言っては失礼かもしれないが、モルテリアの食以外には無頓着なところがよく現れている気がする。自然体、といった感じだ。
「沙羅ちゃんそのワンピース可愛いね。似合ってるよ」
今日着ている桜色のワンピースは妙に人気がある。
「本当ですか?」
「もちろん。ね、モル!」
「……うん」
モルテリアも頷いていた。
「ほらね!」
「ありがとうございます」
私はこれまでずっと、服装には気を使ってこなかった。だから誰かに「可愛い」などと服を褒められることはなかった。なので服を褒められるというのは新鮮だ。
だが、悪い気はしない。
こんな私にでも、どうやら、服を褒められて嬉しいという女性的な感情はあるらしい。私はそれを今さら知った。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.204 )
- 日時: 2018/04/09 06:04
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFLyzH3q)
136話「出発進行」
お昼過ぎ、レイがレンタルの自動車を事務所まで運んできてくれた。大型の自動車なので、今日は全員乗れそうだ。早速、トランクに全員分の荷物を入れ、順に乗り込む。
武田はまだ傷が痛むため、運転はレイが担当するらしい。
運転席にレイ、助手席にエリナが、それぞれ座った。その後、最後列にナギとモルテリア。そして私と武田は中間の列に、それぞれ腰掛ける。
「それじゃあ、出発します!ナギ立たないでね」
レイは後ろを振り返り、彼一人だけを指定して注意していた。
前に何かあったのだろうか……?
「大丈夫っすよ!モルちゃんとお菓子交換楽しむっすから!」
ナギは、隣に座っているモルテリアにもたれかかりながら、レイに向かってグッと親指を立てて見せる。
「……ちゃんと、見張る……。だから、大丈夫……」
「ちょ、見張るって!俺一応、モルちゃんより年上っすよ!?」
「……うん。でも落ち着きない……」
「まぁ、そうかもっすけどねー……」
モルテリアとナギがそんな風に会話しているうちに、自動車は発進した。
先日まで使っていたエリミナーレの車とは形が大きく異なるため、乗り心地も結構違う。高さの感じや座席の座り心地が違うので、少々違和感がある。
しかし、広々としていてリラックスできるため、こちらの車も悪くはない。
こうして私たちは、六宮にあるエリミナーレの事務所を後にした。
「はいっ、到着!」
レイの軽い声が、目的地への到着を告げる。
「……あ」
途中までは窓の外の景色を懸命に眺めていたものの、気づかぬうちにうたた寝してしまっていたらしい。車はいつの間にやら、旅館前の駐車場へと着いていた。
「起きたのか、沙羅」
周囲の様子を確認していると、隣の席の武田が声をかけてくる。
「はい」
「凄く気持ちよさそうに寝ていたな」
「本当ですか?ちょっと恥ずかしいです」
眠っているところを見られるというのは、どうしても恥ずかしさを感じてしまう。過ぎたことを言っても仕方がない。とはいえ、おかしな顔をしていなかったかは気になる点だ。
「おかしな顔してませんでしたか……?」
勇気を出して尋ねてみると、彼は柔らかく微笑む。
「おかしな、とはとんでもない。非常に可愛い寝顔だった」
「か、可愛いなんて言わないで下さい……」
「沙羅は可愛いと言われるのが嫌なのか?」
武田は眉間にしわを寄せつつ首を傾げた。恐らく私の発言の意味が分からなかったのだろう。
よく考えてみれば、確かに、私はおかしなことを言ってしまった気がする。武田に「可愛い」と言われて嬉しくないわけがない。それなのに「言わないで」と言うなど、意味不明の極みだ。
「嫌ではないですけど、その」
「何だ?」
「恥ずかしいです……」
可愛いと言われたことを恥ずかしいと思う人が恥ずかしいかもしれない。
「なんだか、すみません」
車から降りながら謝り、私は武田の返答を待つ。
私の後に続いて降車した彼は、こちらへ視線を向け、表情を再び柔らかなものに戻す。
「なるほど、お前はそう考えるのだな。勉強になった」
柔和な表情は、彼の鋭利さの漂う顔立ちには似合わない。真逆のものを組み合わせたような、歪な感じになっている。ただ、嫌な印象を与えることは決してなかった。
「沙羅のことは一つでも多く知りたい。だからこれからも、今のように、正直なところを話してくれると助かる」
言いながら、武田は手を差し出してくれる。
私より魅力的な女性などいくらでもいるのに、どうして私に優しくしてくれるのだろう。なぜかそんなことが頭に湧いてきたが、敢えて問うことはしなかった。
全員が降りた後、エリナが先頭となって旅館へ入っていく。すると玄関で、温かな歓迎を受けた。予想外の丁寧さに戸惑っていると、武田が、「京極家は結構な権力を持っているからな」とおしえてくれた。
確かに、と思う。
働いている女性たちはエリナの姿を目にすると、「お帰りなさいませ、京極様」と言葉をかける。対してエリナは、頷き、淑やかに「ありがとう」と返す。
まるで漫画やアニメの世界のお嬢様だ。
私とは違う世界に生きる者を見ているような気分になった。
「凄いですね……」
「あぁ。ああいったところを見るのは久々だがな」
「武田さんは前に見たことあるんですか?」
尋ねてみると、彼は頷く。
「ランチに誘われ行ってみたら料亭で、料理はどれも高額で、動揺しているうちに奢ってもらってしまっていたりしたこともあったな。懐かしい話だ」
かつての同級生に会ったかのような表情で武田は語る。
それを聞いた時、ほんの少し胸が痛んだ。なぜかははっきりしないけれど、針の先で突かれたような感覚が消えない。
「……沙羅?」
「あ、いえ。ただ、エリナさんと仲良しだったんだなって、思って」
当たり前ではないか。エリナと武田はエリミナーレ結成前からの知り合いなのだから。二人が共に過ごしてきた時間は、私と武田が過ごした時間よりも長い。当然のことだ。
今気づいたわけではない。ずっと前から分かっていた。
それなのに。
なぜか今さら、それが気になり出した。一度考え始めてしまうとなかなか抜け出せず、ぐるぐると同じことばかり考えて、意味もなく落ち込んでしまう。
「いや、仲良しというほどではない。だが沙羅……どうした?」
武田は私の心が分からず戸惑っているようだった。
本心を言うべきなのだろうか。すべてをさらけ出す方が良いのだろうか。私はそう思ったけれど、怖くてできなかった。独占欲の強い女だと煙たがられてしまうかもしれない——そう考えると怖くて、本心など言えるはずもない。
「元気がないようだが、何か不快なことを言ってしまったか?」
「いえ。ただ……」
「ただ?」
こんなこと、言うべきではない。何度も止めようと思ったが、私は正直に話すことに決めた。
「武田さんが今までエリナさんと過ごした時間に比べたら、私たちの過ごした時間なんて短いんだなって……。私は多分、武田さんのことをあまり知らないので……」
もっとも、頭を整理できていないせいで発言が意味不明だが。
「何を言う。私と沙羅は十分理解しあっているだろう」
「エリナさんより貴方を知らないのが悔しい……です」
言ってから、私は目を閉じた。おかしな女と思われたに違いない。武田に冷えた目で見られるのが怖くて、私は瞼を開けられなくなった。
少しして、武田の声が聞こえてくる。
「沙羅。それは違う」
耳を塞ぎたい衝動に駆られる。だが、塞ぐこともできない。その瞬間だけは、本心を言うことを選んだ自分を心底憎んだ。
「お前は」
「ごめんなさいっ!」
気づけば私は、心のままに駆け出していた。
武田の顔を見るのが怖くて、傍にいるのも怖くて。
「沙羅!待て!」
「来ないで下さいっ」
だから、一度も振り返ることなく、私は走った。当てもなくひたすら走る。彼から逃げるように、走るのだ。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.205 )
- 日時: 2018/04/10 18:47
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 9j9UhkjA)
137話「一番知っているのは」
懸命に走った。
当てなどない。だが、ただひたすらに大地を駆けた。
背後から足音が聞こえてくる。恐らく武田が追いかけてきているのだろう。
彼は特別足が速いことはない。しかし、私に比べれば速いことは確かだ。このままではいずれ追いつかれる。それは避けたい。
私は舗装されていない脇道へ足を進めた。
彼に捕まえられるのが怖かったからだ。こんなこと無意味だと分かってはいるが、今さら止めるわけにもいかず、私は走り続ける。
呼吸が荒れ、胸が苦しくて、横腹が軋むように痛む。
「待ってくれ!沙羅!頼む!」
背後から飛んできたのは武田の声。
私はそれすら無視して、山道を駆けていく。山道はやや上り坂になっていて体力を消耗してしまうが、必死に足を動かし続けた。
それから数分。
細い道を何度も曲がり、ようやく武田をまいた。
「はぁっ。はぁっ」
すっかり汗だくだ。額も腕や脚もびっしょり濡れてしまっている。木々を揺さぶる強い風が吹くたび、汗に濡れた肌にひんやり感を覚えた。
呼吸がなかなか整わないので、取り敢えずその場に座り込む。
土の上に座り、暫し風に当たっていると、徐々に頭が冷えてきた。頭が冷えるにつれ、「なんてことをしてしまったのだろう」と、自身の衝動的な行動を後悔してくる。
せっかくの楽しい旅行を台無しにするなんて……。
「……寒い」
山の中に一人ぼっち。
そのせいもあってか、妙に寒く感じる。
「……寂しい」
それから数十分ほど経過しても、武田は姿を現さなかった。
今も探してくれているだろうか。……いや、きっともう諦めているに違いない。多分、もう迎えに来てはくれないのだろう。
なぜこんなことになってしまったのか——私には後悔しかなかった。
「ごめんなさい、武田さん……。寂しいです……」
一時間二時間が経過しても誰も来ない。
携帯電話は圏外。時間だけは見ることができるが、電話やメールは使えない。これでは、武田はもちろん、レイにだって連絡できないではないか。
立ち上がって歩いて、自力で旅館まで戻ることも考えた。しかし、やみくもにここまで来たので、道がまったく分からない。適当に歩き回っても体力を消耗するだけなので、それは止めた。無理だ。
人一人いない細い山道に座ったまま、私は空を見上げる。葉と葉の間から僅かに光が降り注いでいた。
それでもやはり寒い。
恐らく薄着のせいだろうと思う。
「ずっと一人でここに座って、いつか息絶えて、土に帰って……なんてね」
私は一人、くだらない冗談を呟いて笑った。こうでもしていないと、不安に押し潰されそうになるからだ。
「このまま消えても自業自得」
何か言ったところで誰も答えない。当たり前だ、人がいないのだから。ただ、独り言であっても、静寂よりはましな気がした。
そのうちに日が落ちていく。
夕暮れの赤い空を見上げながら、私はぼんやりと「お腹が空いたな」なんて思った。
でもこんなことになったのは完全に自分のせいなので仕方がない。今回ばかりは、私には助けを求める権利などないのだ。
「……羅、沙羅っ。しっかりしろ、沙羅!」
誰かの声が、私を呼ぶ。
聞き慣れた声だ。
しかし脳はぼんやりとして、上手く考えられない。頭にもやがかかったような感じ、と言えば伝わるだろうか。
「沙羅!分かるか、沙羅っ!」
「……武田さ、ん?」
ゆっくり瞼を開けると、すぐ目の前に武田の姿があった。
「気がついたか!」
彼は額の汗を片腕で拭うと、気が緩んだのか大きく息を吐き出す。今にも泣き出しそうな顔をしている。
「……どうして」
頭はまだぼんやりしているが尋ねてみる。
すると彼は、問いに答えることはせず、私を強く抱き締めた。
「良かった!沙羅、良かった……!」
私を抱き締めた武田の体は震えていた。大きくたくましい肉体なのに、今はなぜか弱々しく感じられる。
「あ、あの。ごめんなさい、武田さん」
彼の腕の中、私は小さく謝罪する。
不快感を与える発言をしたこと。勝手な行動をしたこと。それによって迷惑をかけ、心配させてしまったこと。
こんなにたくさんの罪がたった一度の「ごめんなさい」で許されるとは、とても思えない。けれども謝らないよりかはましだろうと思って、真剣に謝罪した。
「謝るな、お前は悪くない。私がお前の気持ちを考えなかったのが悪かったんだ。さらぼっくり」
この期に及んで、なぜ「さらぼっくり」を付けるのか。今は和むような場面ではないというのに。
そんな風に心の中で突っ込みを入れていると、彼はようやく体を離し、真剣な顔で私を見つめてきた。形のせいもあって鋭い雰囲気を持つ瞳からは、曇りのない真っ直ぐな視線が放たれている。
「ただ、これだけは聞いてほしい」
「……はい」
「私のことを一番知っているのはさらぼっくり、お前だ」
彼の真っ直ぐな視線に、私は、胸を貫かれるような感覚を覚えた。
胸の奥が痛む。低音が響くような痛みだ。これは多分、真っ直ぐであれなかった自分を悔やむゆえの痛みなのだろう。
武田はいつだって真っ直ぐで純粋で私を思ってくれている。にもかかわらず私は悪いことばかり考えて……本当に、嫌になってくる。
「確かに、過ごした時間そのものは長くないかもしれない。だが、私が何でも話せるのはお前だけだ」
「……エリナさんはもっと色々知っているはずです。私が知らない、若い頃のこととか。私とよりも、もっとたくさんの苦難を乗り越えきたのでしょうから……」
言いながら俯いてしまった。あまりに情けなくて、もう、泣き出したいくらいだ。
私がそれ以上何も言えず黙り込んでいると、武田はそっと私の手を握ってくる。彼は続けて、片手で私の頭をポンポンと叩く。まるで泣いている子どもを慰めるかのように。
「エリナさんにも深いところまで話したことはない。もちろん他の誰にも。痛いことも辛いことも、私はさらぼっくりにしか言わない」
言いながら、彼は羽織っているスーツの上着を脱ぎ、私の背にかけてくれた。
彼の温もりは、まるで雪を溶かす春の陽のようだ。私の冷えきった心を温め、少しずつ少しずつほぐしていく。
「……いや。正しくは、言えないんだ。私は、こう、自分の状態を上手く伝えるのが苦手でな」
武田は真面目な顔で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「だから後から傷が痛くなってきた時にはよく困った。誰にも言えず、一人でなんとかするしかないことも多かった」
夕焼けも過ぎ、空は徐々に暗くなりつつあった。
山道には明かりがない。このまま日が沈みきると、辺りは真っ暗になってしまうことだろう。野生動物が現れでもしそうで怖い。
「だが、さらぼっくりには話せる。お前だけは私の弱ささえも受け入れてくれるからな。本当にありがたい」
「そんなことないです……」
「私の体をここまで気遣ってくれるのは、さらぼっくりだけだ」
いつも見つめていたから気づく機会が多かっただけかもしれない。
「ありがとうな」
武田は柔らかな笑みとともに感謝の言葉を述べた。
それから彼は立ち上がる。
「沙羅、そろそろ戻ろう。みんなが心配しているかもしれない」
「は、はい……。でも、怒られないでしょうか……」
「なぜ怒る必要がある。みんなお前を心配しているに決まっているだろう」
怒られる気しかしない。
だが、いつまでもこうしていては凍えてしまうので、私は腰を上げた。
少しは元気が出てきたし、これなら歩き出せそうだ。
その時になって、私に上着を貸しているせいで武田が薄着なことに気づく。ワイシャツ一枚で夜の山はさすがに寒そうである。
だから、私は彼に身を寄せてみた。
「さ、さらぼっくりっ!?」
かなり動揺しているようだ。
そんなつもりでやったわけではないのだが、いつになく慌てた武田を見るのは、なぜか妙に面白かった。
「あ、あまり近づくな!汗臭いかもしれない!」
もはや可愛い。
「でもこうしていた方が温かくなりますよ」
「だが……」
「迷惑かけたお詫びです」
「だ、だが、女性は汗臭いのが嫌いだと……」
武田は動きだけでなく口調までぎこちなくなっている。
「本に、書いてあった……」
「何の本ですか?」
「先日買った、『女性に嫌われない方法』という本だ」
そんな本を買っていたのか……。
私は何とも言えない気持ちになりながら、旅館へ戻る道を歩くのだった。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.206 )
- 日時: 2018/04/10 23:22
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /dHAoPqW)
138話「厳しい仮面、優しい心」
武田と共に戻った私は、旅館へ着くと、玄関に設置されている椅子に腰を掛けた。武田の上着を羽織っているため、寒くはない。
「大丈夫か?」
「……はい」
山の中と比べると、旅館の中はかなり温かかった。冬場ではないので暖房がかかっているということはないだろうが、なぜか妙にぽかぽかする。
「武田さん。今日は本当に、迷惑かけてすみませんでした」
段々心が落ち着いてきたので、改めて謝った。山道でも謝罪はしたが、一度謝るだけでは気が済まなかったのだ。
すると彼は、私の謝罪に対し、首を左右に動かす。
「いや、気にすることはない。……あ、そうだ。少しここにいられるか?無事を伝えに行ってく……」
「武田!見つかったの!?」
ちょうどそのタイミングで、外からエリナがやって来た。恐らく武田の姿に気がついたのだろう。動いていたからか、彼女の桜色をした長い髪は、若干乱れていた。
「はい。無事」
「見つかったのね!」
エリナは嬉しそうな顔をする。
しかし、椅子に座る私の存在に気がつくと、すぐに、落ち着きのある大人びた表情に戻った。エリナらしい、つんとした表情だ。
「沙羅。貴女一体、どこへ行っていたの?」
彼女は早速私に質問を浴びせてきた。鋭い口調に怯みながらも、私は正直に答える。
「山の方へ……」
答えるといっても、すべてを包み隠さず話すわけにはいかない。なので私は、一番簡単な答えを選んだ。これならエリナをそこまで不快にさせることもないだろう、と思って。
すると彼女は、片手を自身の腰に当てる。それから、はぁ、とわざとらしい大きな溜め息をついた。
「探したのよ?子どもじゃないのだから、迷惑をかけるのもいい加減にしてちょうだい」
「すみません」
「あんな物騒なところへ一人で行くなんて。まったく。怪我でもしたらどうするつもりよ」
エリナは相変わらず厳しい。けれども、彼女が紡ぐ言葉は、すべてが私を傷つけるようなものではなかった。
探してくれていたという事実。身を案じてくれている言葉。
表向きは厳しいが、彼女の言動の端々からは、私への優しさが窺える。
それは、多くの母親が厳しいのと同じような感じなのかもしれない——そんな風に思った。
「取り敢えずレイとナギに連絡するわ」
エリナはタイトスカートのポケットから携帯電話を取り出す。そして素早く電話をかけ、二人に「沙羅が見つかった」と報告する。
それからしばらくすると、まずレイが、その後ナギが、それぞれ帰ってきた。
「沙羅ちゃん!怪我はない!?」
「いきなりいなくなったから驚いたっすよ!?」
レイとナギに同時に言われ、私は「すみません」と頭を下げるしかなかった。二人が嫌な顔をしていなかったのが、唯一の救いだろうか。
「沙羅、今後は勝手な行動は慎んでちょうだいね。次からはもう探さないわよ」
険しい顔つきでエリナが述べると、ナギが口を挟む。
「エリナさんったら、そんなこと言っていいんすか?超心配してたじゃないっすかー!」
「な、何よ。いきなり」
「隠さなくていいんすよ?」
「うるさいわね!」
エリナはらしくなく赤面していた。ということは、ナギの発言は真実なのだろう。
「沙羅ちゃん。エリナさんは沙羅ちゃんのこと、すっごい心配してたんっすよ」
「そうだったんですか」
「あの慌てぶりったらもう……とにかく凄かったっす!」
「そうなんですね」
私はエリナに向き、「ありがとうございます」と感謝を述べる。すると彼女は、顔をほんのりと赤らめたまま、ぷいっとそっぽを向く。
「礼を言われるほどじゃないわ。心配するのは当たり前でしょう」
愛想はないが、どこか温かさを感じる言い方だった。
「ありがとうございます、エリナさん」
「何よ、改まって。止めてちょうだい」
エリナは気恥ずかしそうな顔のまま、片手で、ふわりと髪を掻き上げる。それから息を吸い込み、数秒して、ふうっと吐き出す。
「さて。それじゃあ一度部屋へ行きましょうか」
そういえばそうだった。
ここは旅館、今日は旅行なのだ。このメンバーで一緒に過ごせるせっかくの機会なので、とにかく楽しまなくては損である。
「おぉっ!いいっすね!部屋割りとか気になるっす!」
「ナギは静かにしなさい」
「ちょ、何でっ!?盛り上げようとしてんのにっ!」
「ここは公共の場よ、騒ぐのは止めて。せめて部屋に入ってからになさい」
なんというか……、エリナはナギの母親みたいだ。
そんなことを思いながら、私は椅子から立ち上がる。
「とにかく行くわよ。全員ついてきなさい」
エリナはそう言うと、速やかに歩き出す。すぐにその後を追うナギ。レイは私の方を見て、話しかけてくれる。
「沙羅ちゃん大丈夫?」
「は、はいっ」
「部屋割り、どうなるか楽しみだね」
確かに、部屋割りは重要だ。
そんな話をしていると、徐々に心が弾んでくる。
私は学校でのイベントが好きなタイプではなかった。中高生時代の合宿や修学旅行も、正直、楽しいと思ったことはない。むしろ嫌なくらいだった記憶がある。
だが今はウキウキして、非常に楽しい気分だ。
「あたしは沙羅ちゃんと一緒の部屋がいいな」
「楽しそうですよね」
エリナとナギを見失わないように目で追いながら歩く。
「そういえば、荷物ってどうなったんでしたっけ?」
車から降りてすぐ走り出してしまったので、荷物がどうなったのかは知らない。ふと気になったのだ。
「トランクに積んでた荷物は、もう部屋に運ばれてるよ」
「あ、そうなんですね。それなら安心しました」
「うん。よく思い出したね」
そんなたわいない会話をしながら、私たちは客室へと歩いていく。色々迷惑をかけてしまったが、みんなのおかげで、こうして笑っていられる。
だから今は、この環境に感謝しよう。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.207 )
- 日時: 2018/04/11 20:00
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: K3f42Yhd)
139話「部屋割り」
ひとまず全員客室の中に入る。
エリナの話によれば、この部屋は三人用なので、もう一部屋確保してあるらしい。ただ、誰がどの部屋というのは決まっていない。なので一旦ここで話し合うようだ。
「その辺に適当に座って。部屋割りをさっと決めましょう」
エリナはちゃぶ台の近くに座ると、そう言った。こういう時に主導権を握ってくれるのは、積極的に入っていくのが苦手な私からすると、非常に助かる。
私はレイに手を引かれ、ちゃぶ台から少し離れた壁の辺りへ座った。後をついてきていた武田も、私のすぐ隣へ腰を下ろす。レイと武田に挟まれ、妙な狭苦しさを感じた。
その頃になって、部屋の奥からモルテリアが出てくる。
「……来てた」
「モル、待たせて悪かったわね」
「ううん……。下で、お土産……買ってた」
よく見ると、彼女の手には大量の紙袋が持たれていた。すべての紙袋がこれ以上入りきらないくらいに膨らんでいて、凄まじい量のお土産を買ったということが一目で分かる。
「あら、そうなの。下のお土産屋、色々ありそうだったものね。楽しめて何より」
「うん……!」
モルテリアは満ち足りた顔をしていた。色々と買い物ができて幸せだったのだろう。
「三人三人に別れることになるけれど、どうする?」
言い終わるや否や、ナギがバッと手を挙げる。それから、凄まじい勢いで、「俺、エリナさんと一緒がいいっす!」と言い放つ。
「いいっすか?いいっすか!?」
追い討ちをかけるようにしつこく続けるナギ。
今時小学生の席替えでももう少し慎みがあるはずだ。
「あ、モルちゃんも一緒にどうっすか?」
「……ナギは、嫌……」
「酷っ!可愛いから誘ったのに!」
「……そこが、嫌……」
はっきりと断られたナギは、一度がっくりを肩を落とす。しかし、すぐに気を取り直し、エリナに向き直る。
「エリナさんは嫌とか言わないっすよね?」
「貴方と同室なんてお断りよ」
「があぁん!ショック!マジっすか!」
頭を抱えるナギを見て、ニヤリと笑うエリナ。彼女はしばらくしてから、「冗談よ」と付け加えた。
「……え?今、何て……」
「冗談だと言ったの。いいわよ、同室でも」
暫し目をぱちぱちさせていたナギだったが、やがて、明るい顔になる。
「よっしゃあ!キターッ!」
ガッツポーズをし、盛大に歓喜の声をあげるナギ。実年齢に不相応な言動が、まるで幼い子どものようだ。
これは以前も思ったことだが、またしても、「彼が一般企業に就職していたらどんなことになっていたのだろう……」と思ってしまった。エリミナーレでなければ、悪い意味で幼稚な人認定されていたに違いない。
「よっしゃあっ!ひゅーっ!キター!」
「……ナギうるさい」
嬉しさのあまりか激しく騒ぐナギを、じっと見つめるモルテリア。小さめの口を真一文字に結び、翡翠のような丸い目を細めている。若干苛立っているようだ。
そんなモルテリアの苛立ちを素早く察したエリナは、鋭く、「静かに」と注意する。
だが、ナギの暴走は止まらない。
「熱ーい夜を過ごせそうっすね、エリナさん!」
……そして、エリナはついに怒りを露わにした。
「騒ぐなと言っているでしょうっ!」
情けない悲鳴をあげてしまいそうなくらい恐ろしい怒声が、室内の空気を揺らす。
だが今回の場合は、エリナが悪いとは言えない。注意されているにもかかわらず騒ぎ続けていたナギに非があるのは、誰の目にも明らかだ。
「いいわね?次余計なことを言ったら、貴方は野宿よ!」
「え、えぇっ。そんなぁ……」
「当然でしょう。空気を乱す者にみんなと過ごす資格はないわ」
「そりゃ酷すぎっすわ……」
怒って厳しいことを言うエリナと、怒られてすっかり落ち込んでしまったナギ。このようなシーンは、もう数十回は見たことがある気がする。もはや定番の流れだ。
「モル、私たちの方でも構わないかしら」
「……その方が、いい……?」
「無理にとは言わないわ。でも、そうしてもらえると助かるの」
モルテリアは少し考え、小さく「分かった」と返した。多少嫌なことでも、エリナに言われれば従うようだ。それを思えば、モルテリアは案外従順な質なのかもしれない。
一旦話を終え、エリナはようやく私たちの方を見る。
「武田とレイは沙羅と同じ部屋。それで良いかしら?」
エリナは落ち着いた口調で確認する。それに対し、武田とレイは素早く頷く。
「もちろんだ」
「喜んで!」
レイは返事をしてから、私の顔を見て笑いかけてくる。
今日もいつもと変わらぬ爽やかな笑みだ。快晴の空のような、曇りはなく眩しい笑顔。見習いたいくらい魅力的である。
「二人を頼むわよ。レイ」
「えっ。二人、ですか?」
「沙羅と、武田も。よろしくね」
「あ、なるほど。分かりました」
武田は負傷しているから、ということなのだろう。
確かに、今の武田はまだ、十分には動けない。あれから二週間以上経ち、かなり回復してきているとはいえ、普段通りとはいかないのだ。
もし何かがあった時に武田では対処しきれないかもしれない。それを考慮して、エリナはレイに「二人を頼む」と言ったのだろう。
……あくまで推測だが。
部屋割りが決まったところで、私たち三人はもう一つの部屋へ移動することとなった。エリナから部屋の鍵を受け取り、荷物を持って、移動する。
「夕食の時間に呼びに行くわね」
見送りに出てきてくれたエリナは、手を振りながらそう言った。
廊下を歩いていると、武田が唐突に話しかけてくる。
「沙羅、楽しみだな」
「部屋ですか?」
「いや。それもだが、夜を過ごすのが楽しみだ」
夜を過ごす……?
戸惑っていると、彼は続ける。
「枕投げをしたり、恋の話をしたりするのだろう?楽しみだな」
修学旅行レベル……。
いや、それが悪いとは言わないが。
だがこの年で枕投げはないだろう。それは思う。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.208 )
- 日時: 2018/04/12 17:23
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: sE.KM5jw)
140話「豪華な料理の一番星」
到着したのは、いかにも旅館といった感じの和室だった。
先ほどの部屋と同じく、中央にちゃぶ台がぽつんと置かれている以外は何もない。だが殺風景だとは感じない。きっちりと整頓されていて、広々としているので、むしろ好印象だ。しかも、部屋の角や畳の隙間——部屋中どこにも、埃は見当たらない。
私たちは、早速、壁に添うように荷物を置く。
布団はまだ敷かれていないので、全力でゴロゴロできそうだ。……もちろん、そんなことはしないが。
夕食まではまだ時間があるので、少しでも寛ごうと、壁にもたれて足を投げ出す。埃一つない清潔な室内は居心地が最高で、ついついだらしない格好をしてしまう。
私がそんな風に全力で寛いでいると、武田が隣に座り込んできた。五十センチメートルほど離れていて、しかもなぜか体操座りだ。
どうせ隣に座るなら、もっと近くに座れば良いのに。
「これを覚えているか?」
そう言って武田が差し出したのは、カニのピンバッジ。水族館へ行った時に、私が買って、彼に贈ったものである。
まだ持っていたとは少々意外だ。
「カニのピンバッジ!」
「沙羅が私にくれた大切な贈り物だ。確かお前も持っているんだったな。持ってきたか?」
「あ、はい」
「今まで特に意識したことはなかったが、お揃いというのは良いものだな。最近になって良さにようやく気がついた」
親子、兄弟姉妹、親友、恋人——いずれにしても、好意を抱いている者とお揃いというのは、嬉しいものだ。
いや、中には進んでお揃いにはしたくないという者もいるかもしれない。けれども、お揃いに対し激怒する者はいないはずである。
「特別感がありますよね」
私は笑みを浮かべて返した。
武田が人間的な感情を抱いてくれて嬉しい。
「あぁ。沙羅となら、特に嬉しい」
満足そうに頷く武田を見て、私は心から「良かった」と思った。
ちょうどその時、ふと、一つのことを思い出す。
「そういえば武田さん。瑞穂さんの写真はどうなさったんですか?」
あれ以来一度も見かけていないことに今さら気がついたのだ。
「瑞穂さんの写真?」
私の問いに、武田は首を傾げた。
「はい。武田さん、持ってましたよね。あれはどうなったんでしたっけ」
武田は黙り込む。少しして、思い出したように述べる。
「……あぁ、誓いの写真のことか」
「誓い?」
「そうだ。必ずや仇を。その誓いを忘れないために、とエリナさんに渡された」
だが、と彼は続ける。
「壊れた車と一緒に廃棄されたと思われる。だがどのみちもう要らないものだ、処分されても困らないがな」
どうやら狙撃によって壊れた車と共になくなってしまったようだ。
お気に入りだったわけではないにしても長年持っていた物がなくなったら多少は落ち込むものかと思っていた。しかし武田は案外けろりとしている。どうも気にしていないようだ。
何も考えていないような武田の様子を目にし、まぁいいか、と思ってしまう私だった。
そして、八時頃。
エリミナーレ全員が、広間に集まった。
「宴会場みたいですね」
「あぁ。そんなイメージだな」
三十人入っても余裕がありそうなくらいの広いだ。こんなに広い部屋をエリミナーレの六人で使えるのだから、この上なく贅沢である。
「どこに座るか迷いますね」
「もちろん隣同士だろう」
「いや、そうじゃなくて」
説明するのは面倒臭いため、私はそこで言葉を切った。結果、得体の知れない突っ込みのような感じになってしまったが、それに関して武田は何も言わない。だから私も、それ以上は触れなかった。
エリナやナギが着席してから、私たちはその近くに腰を下ろす。
「……お腹、空いた……」
「モル、もう少し我慢してちょうだいね」
「栄養……失調なる……」
モルテリアはお腹を空かせてすっかり弱ってしまっている。とはいえ、さすがに栄養失調になることはないと思うが。
エリナは空腹で弱ってしまったモルテリアの頭を優しく撫でる。モルテリアの気を紛らわせようとしているのだろう。
「大丈夫よ。栄養失調になんてならないわ」
「お腹、空いた……!」
「分かった分かった。落ち着いてちょうだい。もうすぐだから」
誰かの世話をしているエリナは、完全に母親に見える。
「あー。俺も撫で撫でされたいっすわー」
「野宿が嫌なら黙っていなさい」
「……はい。野宿は嫌っす」
私はエリナら三人の会話を、ぼんやりしながら聞いていた。
そうこうしているうちに、料理が運ばれてくる。白や赤に輝く刺身盛り合わせに、野菜を和えた和風のサラダ。食への執着がさほどない私ですら、色とりどりの料理から目が離せなくなる。
「す、凄い……!」
半ば無意識に漏らしてしまっていた。
「とっても綺麗だね」
「はい!レイさん」
「こんな豪華な食事していいのかなって思ってしまうよ」
「豪華ですよね。結構な量ありそうなので、食べきれるか少し心配です」
どれも美味しそうなのだが、私には多いかもしれない。
「それじゃ、全員で」
エリナの号令で、全員揃って、「いただきます」と言った。小学校の給食の時間を彷彿とさせる光景である。
しかし、次の瞬間には、そんなことは脳から吹き飛んだ。
挨拶をするや否や、凄い勢いで食べ始めるモルテリアを見てしまったからである。
気迫が凄まじく、いつものようにゆったりとした咀嚼ではない。私の目では捉えられないくらいの速度で、目の前に並んだ料理を食らいつくしていく。私が食べる速度の三倍くらいの早さはある。
「……美味しい……」
彼女はそれを何度も繰り返し、ひたすら食べ続けた。白ご飯は何度もお代わりする。空腹になっていたせいか、獣のごとき食べぶりだ。
そして、あっという間に自分の分を平らげてしまった。
「……なくなった」
「あらあら。完食が早いわね、モル」
焼いた鯛の身を箸で口に運びながら笑うエリナ。
「いやー、凄い食べっぷりっすね!モルちゃん!」
「……美味しかった」
「どれが一番好みだったっすか?」
「…………」
モルテリアは考えている。
「やっぱ鯛?それとも刺身?あるいはサラダっすか?」
「…………」
まだモルテリアは考えている。
「モルちゃん甘いものが好きだったっすよね。えーと、じゃ、麩団子とか?」
「…………」
やはりモルテリアは考えている。
ナギの問いには答えない。それどころか、何も発することをしない。
「えーと、それじゃないなら……」
眉を寄せるナギ。自分から話を振ったがゆえに終わらせることができず、困っているのだろう。
それから待つこと数分、モルテリアの翡翠のような瞳が大きく開く。
「米……!」
白ご飯、ということだろうか。
これほど贅沢な料理の中で一番美味しかったのがご飯とは、かなり衝撃だ。茶碗蒸しや煮物などもあったというのに。
「ま、マジっすか……」
ナギは驚き戸惑った顔をしていた。
モルテリアの答えに衝撃を受けたのは、どうやら、私だけではないらしい。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.209 )
- 日時: 2018/04/13 15:38
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: MSa8mdRp)
141話「苦手を克服?」
豪勢な食事を終え、部屋に戻って暫し休憩。そうしていよいよお待ちかねの入浴時間が来たのだが、武田は浮かない顔をしていた。
「武田さん、どうかしました?何というか、楽しくなさそうな顔ですけど」
「いや……何でもない」
「私と一緒にいると楽しくないですかね?」
冗談混じりに言ってみた。
すると武田は、慌てた様子で、首を大きく左右に動かす。
「違う!そんなことはない!」
大浴場へ行く準備をしていたレイが驚いてこちらを見たほど、鋭い言い方だった。
「そうではないんだ、沙羅。私はただ、その」
「何ですか?」
「……温泉が苦手なんだ」
彼は非常に言いにくそうな表情をしつつ、小さな声でそう述べた。それを聞き、以前彼が「水は恐ろしい」と言っていたことを思い出す。
「もしかして、温泉に浸かれないんですか?」
尋ねてみると、彼は頷く。
「……あぁ。情けないことだが、水はやはり怖い。シャワーが限界だ」
「では部屋でシャワーを浴びます?」
「そのつもりだ。沙羅は温泉を楽しんでくるといい」
武田は言いながら、寂しそうに笑った。
だが私は、彼を一人にはしたくない。せっかくだから少しでも一緒にいたいと思い、提案する。
「そうだ!じゃあ、お湯に浸かる練習をするのはどうですか?」
今夜の練習でお湯への恐怖心を取り除いておけば、明日の夜には武田も温泉へ行けるかもしれない。
「何だ、それは」
「浴槽にお湯を張って、そこへ入る練習です」
「無理だ」
武田は既に諦めている。
「近くにいて応援しますから!」
私はそう言った。
一人では無理でも二人でなら乗り越えられる、ということもあると思うからである。
すると、武田はようやく、やる気を出してくる。
「……そうか。なら頑張る。よし、やってみよう」
「決まりですね」
「では早速。湯船にお湯を溜めてくる」
武田は風呂場へ歩いていく。
「浅めにして下さいね」
私はそう付け加えた。
こうして、お湯に慣れよう計画の実施が決まった。
私はレイにその旨を伝える。すると彼女は爽やかな笑顔で「そっか。了解!」と返し、入浴グッズをまとめて部屋から出ていった。
それからしばらく。
浴槽の前で湯が溜まるのをじっと見つめていた武田は、唐突に、「よし!」と声をあげた。畳の上でごろごろしていた私は、突然の発言に驚きつつ、風呂場へ向かう。
「溜まりましたか」
「あぁ!早速挑戦する!」
武田の表情は生き生きしている。今まで避けてきた、ある意味最強の敵との決戦を前に、やる気は十分のようだ。
彼は一瞬にして靴下を脱ぎ、ズボンは濡れないように膝上まで引き上げる。
「まずは足湯ですか?」
「あぁ。いきなり全身は恐ろしいからな」
恐ろしくはないと思うが。
……いや、水嫌いの武田からすれば恐ろしいことなのかもしれない。
「では、さらぼっくり」
「え?」
「手を貸してくれ」
若干話についていけず首を傾げていると、彼はこちらへ片手を伸ばしてきていた。いかにも「掴んで」といった感じである。
意図を理解しきれないまま、私は彼の手を掴む。
すると彼は足を豪快に持ち上げた。
いつも細い黒ズボンに包まれた足ばかり見ているせいか、肌色だと不思議な感じがする。そんなことを思いながら様子を見ていると、脛に刻まれたいくつもの小さな傷が目に留まった。既に治った傷の跡なのだろうが、近くで見ると少々痛々しい。
「……さらぼっくり?」
湯船に片足を入れかけていた武田が、不思議そうにこちらを見てくる。
「あっ。ごめんなさい」
「どうした?」
こういうところだけは鋭い。
しかもことあるごとに質問してくるから厄介だ。
「脛の傷が気になって。見つめてしまってごめんなさい」
速やかに謝っておいた。
すると彼は、淡々とした調子「足を振り回すからな、怪我もする」と言う。そして頬を緩ませる。心配してくれてありがとう、と言いながら。
それから、武田の湯との戦いが幕を開けた。
最初は爪先を湯に浸ける。そこまでは平気。しかし、ここからが本当の戦いである。まだ気は抜けない。
続けて彼は、足首まで湯の中へ入れた。これもまだ大丈夫そうだが、表情が固くなりつつある。
険しい表情のまま、武田は、更に足を入れることを試みた。
しかし、ほんの数秒で足を抜いてしまう。
「やっぱり駄目ですか?」
「足首より上まで浸かるのは……やはり嫌だ」
「ゆっくり、何度もチャレンジしましょう!」
「あぁ。そうだな。もう一度頑張る」
私は一体何をしているのだろう、と自分に突っ込みを入れる。だが楽しいことは楽しいのでアリだ。
足を上げ、再び挑戦する武田。彼はとにかく一生懸命だった。
それからしばらく、彼はひたすら湯に挑んだ。何度も何度も、繰り返し、湯船に足を突っ込む。ただそれだけを繰り返していた。温泉を堪能したレイが部屋へ戻ってきても、彼の挑戦は終わらない。
——そして。
一時間くらい経っただろうか。彼はついに、両足とも湯の中へ入ることができた。努力の賜物だ。
「やった!やったんだ、沙羅!」
喜びを溢れさせる武田。
浅く湯を張った湯船に両足が入った。それだけのことだが、彼にとっては非常に大きな成長だったのだろう。
「凄い喜び方ですね」
「す、すまん。つい興奮してしまった……」
「気にしないで下さい。武田さんが嬉しそうだと私も嬉しくなるので」
「そうか。それならいいが」
彼は落ち着いた調子で言いながら、繋いだ手はそのままに、湯船から上がってくる。それから彼は私を見つめ、数秒間を空けてから、微かに目を細めた。
「お前のおかげだ、本当に」
彼は表情を変えずに続ける。
「これで足湯くらいは入れるに違いない。感謝する」
私は手を繋いでいただけで、別段何もしていない。だから、感謝されるのはしっくりこない、という感じもする。けれど、彼の役に立てたという事実は嬉しい。
何も持たない私だが、大切な人を支えたいという気持ちはある。なので、役に立てたと分かってホッとしたのだ。
「沙羅。明日早速足湯へ行こう。お前と一緒に浸かりたい」
「え!?……あ。確かに、足湯なら一緒に浸かれますね」
「よし、明日は二人でそこへ行こう」
武田は目を輝かせていた。
どうやら明日は足湯へ行くことになりそうだ。
その後、彼はシャワーを浴びていた。私もシャワーだけで軽く済ませる。
体を洗い終えると、三人で協力して布団を敷いた。怪我のせいで時折体が痛むとはいえ、やはり武田は頼りになる。レイもなかなかの活躍だった。私は重い物を動かすのが苦手なため、布団を敷くことよりも、整頓に尽力した。
寝る順番は、奥から、レイ、私、武田の順番に決まる。つまり、私は二人に挟まれる状態だ。頭の真上には動かしたちゃぶ台。レイが淹れてくれたお茶の入った湯飲みだけが乗っている。
「じゃあ消すね。二人とも、おやすみ!」
レイが電灯を消す。
室内は真っ暗闇で、何も見えない。
「おやすみ」
「あっ、はい。おやすみなさい」
武田と言葉を交わし、布団に入る。私は意外にも、すぐに眠ることができた。