コメディ・ライト小説(新)

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.212 )
日時: 2018/04/14 22:32
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fjkP5x2w)

142話「誰に向かって言っている」

 布団の中を何かが動くような、カサッという小さな音で目が覚めた。
 室内は暗く、何も見えない。
「……っ!?」
 少しして、驚く。私の布団の中に武田の体があったからだ。
 よく見ると彼は起きているようだった。最初は寝惚けて寄ってきたのかと思ったが、意識があるようなので、寝惚けているのではなさそうである。
 だからといって、いかがわしい理由で近づいてきている感じもない。
「これは?」
「……極力話さず、じっとしていろ」
 短くそう言った武田の顔つきは険しかった。鋭い目つきに、つり上がった眉。戦闘中のような、固い面持ちである。
 彼の言葉に従い黙ると、室内の空気が普通ではないことに気がつく。肌を刺すようなピリピリした空気に包まれている。
「……何事ですか?」
 一つの布団に二人で潜り込んだかなり狭く息苦しい体勢のまま、私は武田に尋ねた。数十秒前に目覚めたばかりの私は、まだ状況が飲み込めていないのだ。
 すると彼は、低く小さな声で、「怪しい物音がする」と教えてくれた。
「物音……ですか」
「聞いてみろ」
 はい、と頷き耳をすます。すると、意識を集中させなくては聞こえないくらいの、小さな話し声が耳に入ってきた。三人くらいの話し声で、恐らく、この客室の前辺りから聞こえてくるものと思われる。
「他の泊まっている方では?」
 夜中とはいえ、廊下を誰も歩かないという保証はない。宿泊客数名が移動しているという可能性もおおいにある。なので、廊下から話し声が聞こえるだけで「怪しい」と判断するのは、やや早計ではないか。
 私はそう考えていたのだが、武田から「数十分この調子だ」と聞いたことで、段々、本当に怪しい者かもしれないと思ってきた。
「どうしましょう?」
「取り敢えずレイを起こそうかと思う」
「私の方が近いので起こしてみましょうか」
「あぁ、そうだな。よろしく頼……」
 武田が言い終わる直前、突如、部屋の入り口付近からガンガンと大きな音がした。夜の静寂を揺らす荒々しい音に、私は思わず身を縮める。
「……まずいな、これは」
 いよいよ起き上がる武田。
 布団から出た彼の顔つきは、間違いなく戦闘時のそれだった。
 直後。
 またしても、ガァン、と音が響く。
「これは……?」
「沙羅。レイを起こしてくれ」
「は、はい」
 続けてガチャガチャッと音が鳴る。鍵穴に太めの針金を突っ込みでもしたような、先ほどまでとは違った音。
 それを耳にした瞬間、私は身の危険を感じた。何者かが入ってくるかもしれない、と本能的に感じたからだろう。
 私はすぐに、隣で眠るレイを起こそうと試みる。腕や脇腹をトントンと叩いたり、彼女の名を呼んでみたりしたが、レイはなかなか起きない。
 その間も鍵穴を弄るような音は鳴り続ける。
「レイさんっ……」
 可能なら大声で起こしたいものだが、それは無理だ。あまり大きな声を出すわけにはいかない。
 そこで私は、両手で彼女の片腕を掴み、大きく揺すぶってみる。すると、よく眠っていたレイもさすがにこれには気がついたらしく、目を開け、「何?」と漏らす。
「まだ夜じゃ……」
「起きれますか?不審な音が」
「不審な音?沙羅ちゃん、それ多分夢だよ……」
 呑気なことを言うレイ。
 彼女の意識はまだ完全には戻っていないようだ。半分寝ていると言っても過言ではない状態である。

 その時。ガタッ、と低くも大きな音が室内に響く。
 扉が開いたのだろうか……。
 それと同時にパタパタと足音が聞こえた。
 入り口と、私たちが寝ている部屋の間は、一枚の襖で仕切られている。なので、仮に誰かが侵入してきたとしても、襖を開けるまで姿は見えない。
 だから今も、誰が入ってきたのかは分からない。けれども、数人はいるということだけは、気配で分かる。
 私が彼女の目を覚まさせようとして、揺らしたり小声で呼んでいると、武田が唐突に「沙羅、やはりもういい」と言ってきた。
「でも」
「騒ぎになれば起きるはずだ。それまで私がやる」
「そんな。怪我が治りきっていないのに……!」
 せっかく温泉旅行でゆっくりできると思っていたのに、なんてアンラッキーなのだろう。
 私が不運を引き寄せたのだろうか——。
 ついマイナス思考になってしまう私に、武田は淡々とした調子で言う。
「恋人だからな、沙羅。必ず護る」
 いやいや。恋人になる前から護ってくれていたではないか。
 脳に突っ込みが浮かんできたが、この緊迫した空気の中で言うのは駄目だと思い、言葉を飲み込む。
 既に立ち上がっている武田は、威嚇するような険しい顔で待ち構える。

 刹那、襖が開く。
 そこに立っていたのは、いかにも怪しい二十代くらいの男性三人組だった。
 虹色のニット帽、顔の半分ほどある巨大サングラス、赤と緑の水玉柄のマスク。それぞれ個性的なアイテムを着用している。想像を絶するカラフルさに、私はしばらく何も言えなかった。
「何をしに来た。それに、戸は閉めていたはずだが」
 武田は三人組を睨みながら、静かな低音で尋ねる。今の武田は、柔らかい表情の時とは別人のような顔つきだ。
 すると、ニット帽が軽い調子で述べる。
「スミマセーン。京極さんて、いらっしゃいますかー?」
 ……京極さん?
 エリナのことだろうか。
「ここにはいないが」
 不審者と対峙しても、武田は心を乱さない。夜中の湖のように静かな瞳で、ニット帽を凝視している。
 ちょっとやそっとで動じないところはさすがだ。
「あ、じゃあどこにいるー?」
「そんなことを教えると思うか」
 武田がキッパリ言い放つと、赤と緑の水玉マスクを着用した男が、どすの利いた声で吐く。
「勘違いすんなよ?」
「その言葉、そのまま返す」
「ぐっ……クソがっ!」
 淡々と言い返され苛立ったマスクは、ついに果物ナイフを取り出す。
 私は怖くて思わず布団に潜り込んでしまった。隙間から様子を見つつ、恐怖によって荒れた呼吸を整える。
「刺されたくなけりゃ、とっとと答えろってんだ!」
「誰に向かって言っている」
「あぁ!?調子こいてんじゃねぇぞ!」
 どすの利いた声はマスク越しでもしっかり聞こえる。
「答えられねぇってことは!ここに隠してるんじゃねぇのかよ!」
 なんと悪い言葉遣い。
「黙ってんじゃねぇよ、おっさん!」
 果物ナイフを持った水玉マスクが武田に接近していく。怒りで興奮しているのか、男の瞳は大きく見開かれていた。
「何か言えってんだ!」
「誰に向かって言っている」
「ぐっ……テメェ!馬鹿にしてると痛い目に遭うぞ!」
 真正面から果物ナイフを向けられても武田の表情は揺れない。刃で彼を動揺させるなど不可能だ。
「私が誰か、知らないのか」
「知るかよ!京極出せ!」
「そうか、知らないか。まぁ……仕方ない。ニュースには滅多に出ないからな」
 武田は少し残念そうだった。

 ——次の瞬間。
 水玉マスクが果物ナイフを突き出す。武田は咄嗟にその手首を掴む。尋常でない武田の反応速度に、水玉マスクは顔をひきつらせた。
 怪我が治りきっていなくても、武田はやはり早い。彼の戦闘能力が常人の域を越えていることに変わりはなかった。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.213 )
日時: 2018/04/15 00:54
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: O/vit.nk)

143話「奇跡の中の奇跡」

 武田に果物ナイフを握る手首を捕まれ、赤と緑の水玉柄のマスクを着用した男は動揺の色を浮かべる。マスクをしていて顔の下半分が見えない状態であっても、彼の顔面に広がる動揺の色は、確かに見て取ることができた。
「く、こいつ……!」
 水玉マスクは必死に平静を装おうとしている。だが、武田から刃のような視線を向けられると、どうしても心が乱れてしまうようだ。
「夜中に客室に忍び込むのは良くない」
「うるせぇ!」
 果物ナイフを持っているのと逆の拳で、武田の腹部を殴ろうとする水玉マスク。しかし気づいていた武田は、膝で拳を防ぎ、更に払った。
 元の体勢へ戻る。
 そこへニット帽が言葉を投げる。
「京極さんはー?早く教えてー」
 相変わらず軽い調子だ。
 武田と水玉マスクは硬直状態。お互いに相手の様子を窺い、どちらも次の一手を打たないためである。
 その時、今まで黙っていた巨大サングラスをつけた男が声を出す。
「あそこの布団に隠れてんの、京極さんなんちゃう?」
「マジかよ。ないない」
「何やそれ!めっちゃ疑いの目やん!」
 ニット帽とサングラスが話している。
「取り敢えず発掘してみるわ!」
「まぁ好きにしろ」
「オッケーオッケー。そっちはそっちでやっといて」
 ——まずい!
 サングラスがこちらへ近づいてくるのが、布団の隙間から見えた。彼は間違いなく私を狙っている。
 見えていないはずなのに。たいした音もたてていないはずなのに。
 もしかして、気配で察したのだろうか……?
「ちょっとごめんなー。確認さしてもらうで」
 サングラスは私の前で足を止める。
 心臓がドクンドクンと大きく鳴る。私以外にまで聞こえるのでは、と思うくらいの音である。拍動がいつになく早く大きくなり、胸が痛い。
 今さら逃げるのは無理だ。私の力ではサングラスに勝てない。ならどうすれば良いのか、どうするべきなのか。私は必死に考える。
 そのうちに、サングラスの手が布団へ伸びてくる。
 ——そうだ。
 この際どうなってもいい。そのくらいの決意で、私は布団から出た。
「うわ。可愛い女の子やん」
 サングラスは漏らし、口元を緩める。彼の気は、確かに緩んでいた。
 その隙にちゃぶ台の上の湯飲みを掴む。
 そして、サングラスに投げつける——!
「うっわ!何これ、水っ!?」
 顎から上半身にかけてお茶がかかったサングラスは、予想通り、数歩退いた。
 寝る直前にレイが淹れてくれたお茶がなみなみと入った小さな湯飲み。時間が経っているため冷めてはいるが、それでも僅かな抵抗にはなるに違いない。
 そう考え投げつけてみたが、見事に成功した。奇跡だ。
「いきなり何すんねん!」
 憤慨するサングラス。
 私は床に落ちた掛け布団を持ち上げながら、武田を一瞥する。彼はまだ水玉マスクと硬直状態であった。
「湯飲み投げつけるとか、いくら可愛い子でも許せへん!うちの父ちゃんは陶芸家や!」
 ごめんなさい。湯飲み割れてないから、大目に見て。
 私は内心謝る。それから、持ち上げた掛け布団を体の前へやる。
「え、何や?何なんや?」
 そしてそのままサングラスへ直進していく。戸惑って動きが鈍くなっている彼を、私は掛け布団ごと壁へ押しやる。
 何もない普通の状態だったなら、かわされるか逆に押し返されるかだっただろう。上手くいったのはこれまた奇跡としか言い様がない。
「沙羅!?」
「こ、こっちは大丈夫ですっ」
「危ないことをするな!」
「大丈夫ですからっ」
 本調子でない武田に負担をかけるわけにはいかない。少しでも彼にかかる負担を減らす。それが今の私にできる、数少ないことだ。
「レイさん!起きて下さいっ!」
 サングラスを壁に押し付けつつ、私は全力で叫んだ。するとレイはごそごそ動き、数秒してむくっと上半身を起こす。
「まだ夜だよ、沙羅ちゃ——え?」
 ようやく室内の異変に気づいたらしく、レイは顔を硬直させる。
「これは一体!?」
「手伝ってほしいです!」
「う、うん!」
 レイは、よく分からないといった顔をしつつも、首を縦に振った。
「任せて!」
 言いながら手のひらで両頬をパンと叩き、自ら目を覚まさせる。そしてそのまま立ち上がるレイ。
 その姿を目にし、ニット帽は顔色を変えた。三対三になれば負ける、と悟ったのかもしれない。
「お前らはヘタレか!とっとと黙らせろよ!」
 ニット帽が焦った声色で叫ぶ。武田と硬直状態の水玉マスクと、私によって壁に追いやられているサングラスに対して。
「こいつが未知数すぎて、下手に動けねぇよ!」
「この子好みすぎて、抵抗なんかできへんわ!」
 水玉マスクとサングラスが同時に言い返した。
 サングラスの方は色々とおかしいが、気にしている余裕はない。意識を逸らせばその隙を狙われる。今私は危険と隣り合わせの状況なのだ、気を引き締めなくては。
「あたしの相手は真ん中だね」
 立ち上がり室内の様子を見回していたレイは、ニット帽に視線を定め、落ち着いた調子で言った。寝起きとは思えぬ勇ましさである。
「あ、えーと。お姉チャン、京極さん?」
「違うけど」
「うっ、またハズレか……。それじゃあさ、京極さんがどこにいるか知ってる?」
「知ってる。でも話す気はないよ」
 躊躇いなく真っ直ぐに返すレイは凛々しく、武田と並ぶくらいかっこよく見えた。
「悪いことする気でしょ?魂胆が見え見えだよ」
「なっ……」
「エリミナーレとして、これは見逃すわけにはいかない」
 今のレイは銀の棒は持っていない。しかし、ニット帽を捕まえる気満々のようだ。
「全員捕獲するから。覚悟!」
 鋭く叫び、レイはニット帽に向かって一歩を踏み出した。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.214 )
日時: 2018/04/15 16:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: aOQVtgWR)

144話「目覚め」

 レイは目にも留まらぬ速さでニット帽へ駆け寄り、右手で片腕を掴み、強く捻り上げる。想像を越えるレイの素早さに、青ざめるニット帽。
「くっ、女のくせに……!なぜ強い……!」
「エリミナーレだからだよ」
 ニット帽は一瞬怯えたような顔をした。
 しかし、すぐに気を取り直し、レイの空いている左腕を掴む。力でなら男性の方が有利——普通ならそうだ。
 けれどもこの場面に限ってはそうではない。
 なぜなら、レイだからだ。
「ふっ!」
 レイはニット帽の脛を払うように蹴る。彼女は、痛みによってニット帽の手の力が緩んだところを逃さず、左腕を抜く。そして逆にニット帽の腕を掴む。これでニット帽は両腕を動かせなくなった。
 そこから、捻りをかけつつ投げるレイ。受け身を取ることすらできなかったニット帽は、畳の床に強く叩きつけられ、すぐには起き上がれない。
「アカン。これはヤバいわ……」
 呟いたのは私が壁に押さえ付けているサングラス。彼はあまり抵抗する気がないらしく、ほとんど動かない。
 これは余裕でいける。
 そう思った瞬間、武田が鋭く叫ぶ。
「レイ!油断するな!」
「え?」
「下だ!」
 私も武田が言うまで気づかなかったが、ニット帽がレイの右足首を掴んでいたのだ。しかも両手でがっちりと。
「お姉チャン、詰めが甘いんじゃないですかー?」
 レイは右足を動かすが、両手でがっちり握られてしまっているため動けない。
「おりゃっ!」
「あっ」
 足首を無理に引っ張られ、レイは転倒してしまう。即座に立ち上がろうとするレイだったが、ニット帽に上に乗られ身動きが取れなくなった。レスリングのような体勢になっている。
「よっしゃ、上とった!」
「レイさんっ!!」
 ニット帽はレイを床に押さえ付け、彼女の背を踏みにじる。足の裏と膝を定期的に変え、レイの背中をまんべんなく痛めつけていく。
 レイが苦痛の声を漏らしても、ニット帽は決して止めない。むしろ興奮気味に目が爛々と輝く。
「おらあっ!」
「くうっ……」
 ニット帽は大きく叫びながら、レイの腰を蹴った。痛みに顔を歪めながらも、レイは隙をみてなんとか抜け出す。
「何をしている!情けない!」
 憤慨する武田。
「分かってるよ!」
「沙羅はあれだけ頑張ったんだ!お前が不覚を取ってどうする!」
「分かってるって!すぐ片付けるから!」
 言い終わるや否や、レイはニット帽の顔面に開いた手のひらをぶち当てる。そして、ニット帽の視界が戻るより早く、右から左から、何度も蹴りを入れた。バランスを崩すニット帽。レイは尻餅をつきかけた彼を持ち上げ、一気に落とす。
「ぎゃっ!」
 ニット帽は、情けない声を出し、床に伸びた。
 床は畳なのでさほど痛くはないものかと思っていたが、今回の一撃は結構なダメージを与えられたようだ。過剰防衛になるような重傷を負っていないか若干心配だが、レイのことだから加減はしているだろう。
「はいっ!」
 うなじの辺りで一つにまとめた青い髪が揺れる。
「次は武田の方?」
「いや、沙羅の方に行け!」
「オッケー!」
 レイはこちらへ駆け寄ってくる。私のすぐ横まで来ると、彼女は微笑んで、「よく頑張ったね」と褒めてくれた。
 なぜか妙に胸が高鳴る。
 ……いや、落ち着け。今はレイにときめいている場合ではない。
「ひっ、ひぃっ。何や!」
 レイの接近に怯えるサングラス。彼は三人の中で最も気が弱いようで、既に戦意を喪失している。
「頼むから投げ飛ばすのは勘弁して!痛いのは嫌いやねん!」
「沙羅ちゃんに乱暴しないでくれてありがと。ま、警察には引き渡すけど」
「そんなぁ。また父ちゃんに鞭打ちされるやん……」
 何を言い出すのやら。
 サングラスの発言はたまに笑いそうになるので危険だ。

 ——その時。
 ガン、と何かが壁にぶつかるような音が鳴った。私もレイも、同時に、音がした方へ視線を向ける。そうして視界に入ってきた光景に、私は愕然とした。
 武田が壁に押し付けられていたからだ。左肩を手で押され、喉元には果物ナイフを突きつけられている。
「あー、なるほどなぁ。肩痛めてんのか」
「……それがどうした」
「さっきまでと違って、顔がひきつってるぜ」
 水玉マスクは武田の肩の傷に気がついているようだ。
 あれは私を庇って銃弾を受けた傷。結局また私のせいで武田が苦しむ。そう思うと、私はまた憂鬱な気分になってくる。
「テメェ、調子こきすぎなんだよ」
「……っ」
 左肩を手で押され、顔をしかめる武田。
「受け答えがムカつくから、テメェだけはしばいてやる」
「……好きにしろ」
「そういうところがうぜぇんだよ!」
 調子に乗っている水玉マスクは、武田の頬をビンタする。
 しかし武田は何も言い返さなかった。一言も発さない。研がれた刃のような鋭い視線を向けるだけだ。
「武田さんっ……」
 私は不安に駆られ、半ば無意識に呟いていた。
 治りきっていない傷を責められ、刃を向けられ、それでも何も言わない武田が心配で堪らない。
「情けない男だな、テメェはよ。あの女に偉そうなことを言っておきながら、自分の方がよろよろじゃねぇか」
「…………」
「まずはお前を再起不能にして、それから京極を探しに行くぜ。京極のお嬢様を捕まえりゃ、いくらでも金を巻き上げられる」
「…………」
「おい!何か言えよ!ま、無理か。かなり痛そうだもんな」
 少しの沈黙。室内が静寂に包まれる。
 それから数十秒くらいして、武田は小さく言う。
「……レイ。沙羅を頼む」
 予想外の発言に戸惑いを隠せないレイ。
「沙羅を連れて逃げろ」
「何を言い出すの!?」
「私は、足を引っ張る」
「待ってて、今助けるから……」
 立ち上がりかけたレイに、武田は、「来るな!」と叫んだ。数秒してから彼は、「沙羅を一人にするのが嫌」という理由を付け加える。
「叫ぶ元気がまだあるんじゃねぇか!」
 水玉マスクは武田の腹部に蹴りを入れる。
 いかにも痛そうな蹴りだ。
 やはり私のせい——、そんな嫌なことが脳裏に浮かんできた。私は不幸を呼び寄せる。平和な時間さえ、悲しみに染めてしまう。
「どうする?沙羅ちゃん。逃げる?」
 レイが尋ねてくる。
 私はその問いに頷かなかった。
 逃げてはいけない。いや、もう逃げない。
「……助けます」
 もうこれ以上、彼を苦しませたくないから。
 武田は多分何も言わない。どんな苦しい目に遭っても、私に恨み言を吐いたりはしないだろう。
 だが、それに甘える私ではいたくない。
「助けないと」
「えっ……?」
「武田さんを助けないと!」
 心は決まった。
 今ならきっとできる。大丈夫。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.215 )
日時: 2018/04/16 04:25
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fMHQuj5n)

145話「無謀な挑戦」

「沙羅ちゃん、何言ってるの!?危ないよ!」
 レイが戸惑いを露わにしつつ、私を制止しようとする。けれど、そのくらいでは私の心は変わらない。
「武田さんもレイさんも怪我してる今、私がやらないと」
「そんなのいいから……」
「これ以上皆さんが傷つくのは嫌なんです!」
 せっかくの旅行なのに、私のせいで迷惑をかけるのはもう嫌なのだ。エリミナーレとして過ごす最後の数日かもしれないのに、またしても武田が苦しむのは嫌だ。
 だから私は、一歩前へ踏み出す。
 すると、それに気づいた水玉マスクが、こちらへ視線を向けた。
「やんのか?」
「武田さんを離して下さい」
「テメェ、何、威張ってやがるんだ。小娘の分際で」
 水玉マスクのどすの利いた声を聞くと体が強張った。
 恐怖が込み上げて、逃げ出したい衝動に駆られる。だが逃げ出すわけにはいかない。だから私は、「逃げるな」と自身に強く言い聞かせ、水玉マスクを真っ直ぐに見すえる。
「人に刃物を向けるなど、許されることではありません!」
「あぁん?そんなこと分かってらぁ」
「ならすぐに止めて下さい!」
 私は発言することを止めない。しかも敢えて偉そうな言葉を選んでいく。
 本当は相手を刺激するような発言は極力慎みたいところだ。しかし今だけは敢えてそれをする。
 水玉マスクを武田から引き離すためだ。
「小娘の命令なんかに従うわけねぇだろ。テメェに戦う力がないことは分かってんだよ」
 ニヤリ、と不気味に笑う水玉マスク。
 何事かと思えば、彼の持つ果物ナイフの刃が武田の首に食い込んでいた。武田の首を一筋の赤い液体が伝っている。
「そもそも、この男がこんな目に遭っているのはテメェのせいだろ!テメェが屑だからだろうがよ!」
 水玉マスクがそう怒鳴った瞬間、武田の表情が豹変した。
 細い目には怒りの色が浮かび、全身から殺気のようなものが漂う。今の武田は、獲物に襲いかかる直前の獣のような顔つきをしている。
 しかし、水玉マスクはそれに気がついていない。意識が私に向いているからだろう。
「……まぁいい。そんなに死にてぇなら、テメェから叩き潰してやる!」
 そう叫んだ水玉マスクは、急に武田から離れ、こちらへ迫ってくる。手には果物ナイフ。凄まじい勢いだ。
 レイが割って入ろうと踏み出すのが、視界の隅に入る。だが水玉マスクの方が速い。
「おらっ!」
 タックルを受け、私は後ろに数メートル飛ばされる。布団が敷いてあるおかげでたいした痛みではなかったが、すぐには動けない。そんな私に向けて振り下ろされる果物ナイフ。
「嫌っ……」
 私は咄嗟に両腕を前に出し、目をつぶる。
 その次の瞬間、腕に痛みが走った。
 恐る恐る瞼を開けると、腕から赤いものがこぼれ落ちているのが、視界に入る。大量出血するほどの傷ではなさそうだ。しかし傷口が熱い。
「……っ!」
 再び果物ナイフを大きく振り上げる水玉マスク。
 もう一撃はまずい。
 私はまたしても両腕を前に出し、反射的に目を閉じる。
 怖い。また切られるのは、痛みを感じるのは、怖い。しかし、私の心は落ち着いていた。しかも、なぜか妙に晴れやかだった。危機的状況を恐ろしいとは感じても、悔やむことは何もない。
 武田を救えたのだ、それでいい——。

 刺されると思った。
 死ぬかどうかはともかく、負傷することは必至だと、そう思っていた。
 しかし、果物ナイフの刃が私の体に触れることはなく。
 代わりに耳に飛び込んできたのは、ドガァン、という凄まじい音。信じられないような大きな音だ。
「沙羅!」
 音が空気を震わせた直後、耳の近くで武田の声が聞こえた。
 私はゆっくりと目を開ける。すると、すぐ近くに彼の顔があった。こちらを見つめる彼の瞳は、不安げにゆれている。
「すまない、沙羅。すまない、本当に……」
「えっ。え?」
 水玉マスクの姿が見当たらない。
「あの男の人は……?」
 その問いに、武田がきっぱりと答える。
「蹴り飛ばし、気絶させておいた。しばらくは大丈夫だ」
 首から上だけを動かし、部屋の奥へ目をやる。すると、水玉マスクが床に倒れているのが見えた。びくともしない。
「それより腕だ。沙羅、少し待っていられるか?」
「は、はい」
「すぐに止血するからな」
 言うなり洗面所へ走り出す武田。
 私は彼の言葉によって、腕を怪我したことを思い出した。腕を持ち上げると、赤いものがぽたぽたと垂れ、布団に染みをつくる。
 今度は逆に首から上だけを玄関側へ向ける。すると、電話をかけるレイの姿が見えた。
「持ってきた。これで止める」
 ぼんやりしているうちに、武田が洗面所から帰ってくる。その手には分厚いタオルが何枚か持たれている。
「意識はちゃんとあるか?」
「はい、大丈夫です」
「良かった。もう辛くないからな」
 武田は私の腕を掴むと、分厚いタオルを当てて圧迫する。
「……レイさんは?」
「エリナさんと旅館に、連絡しているところだ」
「……ごめんなさい。もっと早くそうすべきでしたね」
 私たちだけで対処しようとしたのが間違いだったのかもしれない。三人組が狙っていたエリナはともかく、ナギには協力してもらえたはずだ。
 そうすれば、もう少しましだったかもしれない。
「いや、沙羅のせいではない。私とレイが不覚を取ったのが原因だ」
「……そんなことないです」
「いや、そんなことないことはない。エリミナーレの人間が素人にしてやられるなど、恥ずべきことだ」
「でも二人とも怪我してたから。仕方ないですよ」
 しばらく動いていなければ多少衰えもするだろう。武田もレイも人間なのだから、当然のことだ。

 その時。
 パタパタと乾いた足音が聞こえてくる。
「一体何があったの!?」
「みんな大丈夫っすか!?」
 エリナとナギが来てくれたのだと、声で分かった。ほっとして、体から力が抜ける。
「無事だけど、沙羅ちゃんが怪我して……」
「マジっすか!?そりゃヤバイっす!」
「レイ。彼らは何の目的でこんなことを?」
「なんでも——」
 喋っているのを聞いていると、徐々に声が遠ざかっていく。そして私は、ついに、眠るように意識を失った。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.216 )
日時: 2018/04/17 17:19
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: GudiotDM)

146話「彼女の背負うもの」

 目が覚めると、見知らぬ部屋にいた。視界は一面白、汚れのない清潔な天井である。蛍光灯がついているため室内は明るい。しかし静かだ。
 意識は戻ったもののまだ体が重たい。だから私は、目を開けたり閉じたりしながら、しばらくぼんやりしていた。
 動かした手足の感覚で、床が畳の和室だということだけは分かる。しかし、それ以外はよく分からなかった。

 そうして数分くらい経った頃、誰かが声をかけてくる。
「沙羅。目が覚めたようね」
「……エリナさん?」
「そうよ。特に異常はなさそうね」
 首を少し動かすと、エリナの姿が見えた。桜色の長い髪がよく目立つ。
「今は何時ですか?」
「午前五時。まだ早朝よ」
「皆さんは……?」
 武田やレイはどうしているだろう。意識が戻ってくるにつれ、心配になった。重傷ではないだろうが、無傷でもない。
「レイは足首を捻っていたから、軽く手当てを済ませて、今は眠っているわ。隣の部屋でね。ナギとモルが見張っているわよ」
「そうなんですね。良かった……」
 私が半ば無意識に安堵の溜め息を漏らすと、エリナはクスッと笑う。
「随分心配症ね」
「は、はい」
「どうせなら、他人のことより自分のことを心配しなさいよ」
「すみません……」
 謝るほかなかった。
 確かに、自分の心配をした方が良いのかもしれない。
 だが、どうしても、武田やレイのことの方が心配になってしまうのだ。大切な人だから、である。
「貴女、武田を助けようと男に挑んだそうじゃない」
 少し沈黙があってから、エリナが唐突に口を開いた。
 赤い口紅を塗った、まさに大人の女性といった雰囲気の唇が、非常に魅力的だ。良い意味で情熱的である。
「腕の傷、それで負ったのでしょう?」
「は、はい……」
 正直少し恥ずかしい。
 体術や射撃ができるわけでもなく、特別賢いわけでもない無力な私だ。武田を助ける、なんて完全に笑い話である。
 もちろん、あの瞬間は本気だった。しかし今冷静な状態で考えると、馬鹿げているとしか思えない。
「随分な度胸ね、武田を助ける側になろうなんて」
 恥ずかしいので、あまり言わないでほしい……。
「ちょっとやそっとでやられるほど脆い武田じゃないって、貴女なら分かっているでしょう。それなのに彼を助けようとしたのは、恋人だから?」
 うっ。そこに繋げてくるか。
 これはエリナと一番話したくない話題だ。
「恋人だからなの?」
「……それも、ありますけど」
 多分、それだけではない。
「武田さんには何度も助けてもらいました。だからたまには私が武田さんを助けないと、と思って」
 恩返しに近い感覚かもしれない。
 立て籠もり事件の時、初めて助けてもらった。それからエリミナーレに入って、更に何度も助けてもらった。だから、せめて一度くらい彼を助けたいと思ったのだ。
 ……結局たいして上手くいかなかったわけだが。
「武田さん、大丈夫だといいですけど」
 そう言うと、エリナに笑われた。
「沙羅、貴女、本当に人の心配ばかりね。自分も怪我しているというのに」
「あっ……、すみません」
「謝らないでちょうだい。そんな意味で言ったわけじゃないわよ」
 そうだったんだ。
 私はエリナの穏やかな顔を見て安堵の溜め息を漏らす。今の発言は、どうやら、嫌みではなかったようだ。
 すると、エリナは一度深呼吸をする。そして言葉を放つ。
「……それにしても。このタイミングで襲撃、なんてね」
 意外にも、彼女の表情は憂いを帯びていた。予想していなかった流れに内心驚く。
「きっと神様はエリミナーレ解散を促そうとしているんだわ」
 神様、なんて言葉はエリナには似合わない。彼女は「我こそが神」といった感じの人間だから。
 しかし、こんなことで解散の意を固められてしまっては困る。何とか解散しない方向へ持っていかなくてはならないのだ。
 だから私は言った。
「そんなことないですよ!昨夜の事件は多分、エリミナーレの結束を固めるための試練に違いないです!」
 これは苦しい。かなり苦しい言い分だ。しかし、エリナを気を逸らすためになんとか頑張らねば。
「だから、神様は解散を促そうとなんてしてませんよ!」
「……随分必死ね」
 冷ややかな目で見られた。
 何とも形容し難い気分である。
「変えようとしても無駄よ。エリミナーレは解散する」
「そんな。どうして……」
「決まっているでしょう。もう目的は果たされた、これ以上皆を危険な目に遭わせる理由はない」
 エリナは淡々とした調子で話すが、その表情はどこか切なげだ。本当は彼女もみんなとの別れを寂しく思っているのかもしれない——私はそんな風に感じた。
「……でも、犯罪がなくなるわけではありませんよね。これからは純粋に治安維持のための組織にすれば……良いのでは?」
 私は一応提案してみる。
 無能な私が偉そうに言うのも何だが、エリナの心を変えられる可能性がまったくないことはないと思うからだ。
 しかし、エリナは頑なな態度を取り続ける。
「今まで危険なことを引き受けてきたのは、目的があったからよ。もうこんなこと、ごめんだわ」
「でも、みんな……」
「もう止めてちょうだい!」
 ついにエリナは叫んだ。
 強く鋭く、しかし悲しさを含んだ、そんな声である。彼女の心を映す鏡のような声だ。
 私は解散を止めさせようと何度もしつこく言ってしまったことを、心から後悔した。彼女が背負っている重い荷物のことなど微塵も考慮せずに発言してしまうとは、なんて未熟者なのだろう。
「……とにかく、この話は止めましょう。おかしな空気にして悪かったわね」
 エリナは桜色の長い髪を掻き上げ、はぁ、と溜め息を漏らす。そして、扉の方へと歩き出してしまう。
 スライド式の和風な扉を開け、エリナは部屋から出ていってしまった。

 室内に一人ぼっちになってしまった。
 私一人が過ごすには広い部屋だ。しんとしていて何だか寂しい。寂しさを紛らすには眠ってしまえば良いのだが、都合よく眠れそうにもなく、どうしようもない状況だ。
 取り敢えず上半身を起こしてみることにした。
「……っ!」
 起き上がろうと床についた腕に痛みが走った。その瞬間になって、怪我していることを思い出す。
 すっかり失念してしまっていた。
 しかし動けないほどの痛みではないので、上半身を起こすことは簡単にできる。
「和室……」
 周囲を見回し確認する。
 畳が敷かれた平凡な和室で、窓はない。扉は先ほどエリナが出ていったスライド式のものが一つ。私が寝ている布団以外、ほとんど何もない。
 殺風景な部屋だ。もしかしたら客室ではないのかもしれない。

「沙羅。起きているか?」
 私が室内を見回していると、突然、扉の向こう側から武田の声が聞こえてきた。身構えていなかったため、心臓がバクンと鳴る。しかし私は平静を装い、「はい」と返事をした。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.217 )
日時: 2018/04/18 22:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Lr4vvNmv)

147話「二人がいい」

 スライド式の扉が乾いた音をたてて開く。
 現れた武田は、いつもの黒スーツ姿ではなかった。ポロシャツと布ズボンというカジュアルな格好だ。普段と違った印象だが、自然体な感じがしてこれはこれで悪くない。
「夜遅くにすまない」
「武田さん……!」
「会いたくて、つい来てしまった」
 なんという甘い発言。
 あれほど恋愛感情に疎かった武田と同一人物とは到底思えないような発言だ。人はこんなに変わるものか、と私は内心少し驚いた。
 彼はこちらへ足を進め、私の布団のすぐ近くに正座する。いきなり距離が近い。
「肩、大丈夫でしたか?」
 ずっと気になっていたことを尋ねてみる。
 あの時、武田は、水玉マスクに肩を攻撃されていた。苦痛が一過性のものなら良いのだが、後を引くようなものだったらどうしようと思い、心配していたのだ。
 質問してから彼の顔を見つめていると、彼はふっと頬を緩める。
「あぁ。平気だ」
 柔らかな微笑みだった。
「あのくらい、どうということはない。それより、お前の腕の傷はどうなんだ?」
「傷と言うほどの傷じゃないですよ。深くもないですし」
 まったく痛まないわけではないが、騒ぐほどの傷でもない。
「だがさらぼっくり、出血していただろう」
 武田は包帯が巻かれた私の腕をそっと取る。そして、私の顔をじっと見つめてくる。いきなり三十センチも離れていないくらいに顔を近づけてこられ、私は戸惑いを隠せない。
「本当に大丈夫なのか?」
 心から心配してくれているようだった。
「はい。大丈夫です」
「痛みは残っていないか?」
「ほとんど大丈夫です」
「やはり少しは痛むのか!」
 凄まじい勢いで食いついてくる武田。
「い、いえ。たいしたことじゃ」
「さらぼっくりが痛い思いをするなど駄目だ!」
「あっ、た、武田さん。静かに……!」
 一応まだ早朝である。
 この部屋が旅館内のどの辺りかは分からないが、あまり騒がない方が賢明だろう。部屋の外へ声が漏れない方がいい。
「あ、あぁ。そうだな。すまない。つい取り乱してしまった」
「気をつけて下さいね」
「もちろん、もちろんだ」
 武田はコクコクと何度も頷いた。その動作はどこか子どものようで、妙な愛らしさを感じる。姉か母親かになったかのような心境だ。
 私はそれから少し武田と話した。二人きりだと、他者がいる時よりも気楽に話せるので、私としてはありがたい。
「そうだ、さらぼっくり。明日……いや、もう今日だが、足湯へは行けそうか?」
 そんな話をしたことを、私はすっかり忘れてしまっていた。
「はい。でもどこの足湯へ?」
「この近くに足湯カフェなるものがあるらしい。そこはどうだろうか」
「なんだか面白そうですね」
 足湯カフェなど日頃ほとんど見かけないので新鮮だ。
「そうしましょうか!みんなも誘って……」
「いや、二人が良い」
「えっ……」
 またまたややこしいことを言い出した。
 せっかくのエリミナーレでの旅行だ、私としてはみんなでワイワイする方が良い。しかし、武田が二人を望むなら、二人でも良いとは思う。
 だが一番の問題はそこではない。仮に二人で行くとして、それをどのように説明するか。そこが一番の問題である。素直に「二人で楽しんできます」とは言いづらいが、こっそり抜け出すようなことをしてはまた心配させてしまう。
「二人ですか?構いませんけど、でも、どうして?」
 なぜ二人が良いのか尋ねてみる。
 すると彼はニコッと笑みを浮かべ、愛嬌を前面に押し出しつつ、「恋人だからだろう」と答えた。さも当たり前といった風に。

 翌日の朝食には、行かないことにした。バイキング方式というのは気になったが、元気に朝食をとれるような気分ではなかったからだ。

「……ちゃん。沙羅ちゃん!」
 布団の中で温もりながら眠っていた私は、レイの爽やかな声で目を覚ました。
「あ、レイさん」
「起きれた?おはようっ」
 最高の目覚まし時け——いや、そんなことは重要ではない。今は起こしてくれたレイにお礼を言うのが先だ。
「おはようございます。起こして下さってありがとうございます」
「いいよいいよ。気にしないで」
「今何時ですか?」
「朝の十時!今からお出掛けしようって話してるところだよ」
 レイは凛々しい顔に爽やかさのある笑みを浮かべ、快く教えてくれる。私は彼女の心の広さを尊敬した。
 それからしばらく。
 段々意識がはっきりしてきて、ようやく上半身を起こすと、布団のすぐ隣に鞄が置いてあることに気がつく。荷物を詰めてきた私の鞄だ。
「あの、この鞄は?」
「客室から運んできておいたよ。必要な物とか入ってるだろうから」
「ありがとうございますっ」
 私は何度か頭を下げる。心からの感謝を込めて。
「本当にお世話になってばかりで、あの、本当にありがとうございますっ」
 繰り返し礼を述べると、レイは少し気恥ずかしそうに笑う。
「そんなたいしたことじゃないよ。ただ荷物運んで起こしただけだから、ありがとうなんて。おかしな感じ」
 はにかみ笑いもよく似合うと思った。正直意外だ。
 そこでレイは話題を変える。
「あっ、そうだ。今日のお出掛けなんだけど」
「はい」
「武田と二人で足湯カフェ行くって?」
 聞いた瞬間、一瞬、心臓が止まりそうになった。まさかレイからその話が出てくるとは予想していなかったからだ。不意打ちはダメージが大きい。
「武田から聞いたんだけど、本当?」
「……は、はい」
 嘘ではないので、頷いておく。
「じゃあその間は別行動だね。あたしたちは買い物するかなー?」
 レイは少し間を開けて続ける。
「足湯、楽しんでね」
 どこか男性的な凛々しい顔立ち。その魅力を存分に引き出す爽やかな笑み。それらが見事に混じり合い、奇跡的なハーモニーを奏でている。
「……はいっ!」
 私ははっきりと返事した。
 いつもは、こんな風にハキハキと物を言うことは、なかなかできない。性格ゆえに。だが、今は迷いなく答えられた。
 武田と二人で足湯を楽しむくらいならできると思ったからだ。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.218 )
日時: 2018/04/20 04:54
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 62e0Birk)

148話「足湯カフェ」

 旅行二日目のお昼前。
 私が着替えて部屋の外へ出ると、扉のすぐ近くに武田が立っていた。
「準備できたか」
 彼はいつも通り黒スーツを着用している。そのきっちりとした着こなしは、もはや、さすがとしか言い様がない。
 それに比べて私は、七分袖のブラウスに膝丈のフレアスカートという、目立たない服装だ。スーツの似合う凛々しい武田に相応しい格好とは思えなが、この程度しかないので仕方がない。
「はい。できました」
「夕方に集合することになったのでな、それまでは自由行動だ」
 自由行動って……。
 時折思うのだが、彼の言葉選びは本当に謎が多い。特に旅行のことに関しては。
「ところで、さらぼっくり」
 唐突に切り出す武田。
 さらぼっくり呼びには慣れてきたが、唐突に話しかけられるとつい癖で言葉を詰まらせてしまう。最近は、心の準備さえできていればちゃんと話せるのだが。
「そのスカート丈、少々短くはないだろうか」
「えっ。そうですか」
 私は正直驚いた。というのも、武田がそんなところを見ているなんて思いもしなかったから。
「その程度の長さが普通なのか?」
 軽く首を傾げながら尋ねてくる武田。
 その表情から邪な感情は微塵も感じられない。純粋に、知りたい、といった表情をしている。
「普通かどうかは分かりませんけど……。私はこのくらいのスカート、わりと持ってます」
「なるほど、そういうものなのだな。私はスカートを穿いたことがないので分からなかった」
 いやいや。
 穿いたことがあったら逆に驚きだろう。
「さらぼっくりといると、新たな発見がたくさんだ」
 武田は頬を緩めつつ、こちらへ片手を差し出してくる。今まで何度も目にした光景だが、いつ見ても新鮮な感じがするから、不思議なものだ。
 嬉しそうな彼の顔を見ていると、私も段々嬉しくなって、自然と笑みをこぼしてしまった。
 二人揃ってニヤニヤしているなど、端から見れば完全に不審者コンビである。けれどそれが私たちの幸せの形だとしたら、悪くはないと思う。
 そんなことで、私と武田は、早速出掛けることにした。

 旅館から出た瞬間、快晴の空から降り注ぐ太陽の光に目を細める。武田の陰に潜んでいても眩しいと感じるほどの強い日差しだ。目を痛めそうである。
 しかし、気温は低め。六月には似合わない、ひんやりとした空気が印象的だ。
 そんな中、歩くこと数分。足湯カフェへ到着する。
「ここですか?」
 ロッジのような木造の建物で、『足湯カフェ・アッシュ』と描かれた大きな看板が掲げてある。「足湯だけにアッシュ……?」と、余計なことを考えてしまった。
「あぁ。予約は済ませている」
「用意周到ですね」
「もちろん。万全だ」
 武田は胸の前でグッと拳を握り頷く。その顔は自信に満ち溢れていた。
「では行こう」
「はいっ」
 張りきるあまり早足になる武田。私はその黒い背中を懸命に追う。
 木造の建物の中へ入ると、極めてお洒落な空間が広がっていた。コーヒー店を彷彿とさせる大人びた店内は趣がある。派手さこそないが、私の目には非常に魅力的に映った。
「何名様ですか?」
「二名。予約済み、武田で」
 なぜそこで倒置法なのか……。
「あっ、はーい!エリミナーレの武田さんですね、お待ちしておりましたー」
 店員の女性が元気に言うと、店内にいた客の視線が一気にこちらへ向く。おじいさんからお姉さん、女子会やカップルなど、色々な立場の者がいるが、誰もがこちらを凝視している。
 席へ案内されるまでの間に、小声で武田に聞いてみる。
「凄く見られてません……?」
 すると彼は、思いの外、淡々とした調子で返す。
「エリミナーレと言ったからだろうな」
 確かに店員の女性はエリミナーレという言葉を言った。だが、果たして本当にそれが、これほど注目されている理由だろうか。とてもそうとは思えない。
「それだけでここまで注目されますかね……」
「エリミナーレの武田、といえばここらではわりと有名だ」
「そうなんですか?」
「あぁ。以前一度仕事で来たことがあってな——」
 ちょうどその辺りで、席にたどり着く。二人席だ。テーブルの下に四角い桶が設置されており、透明のお湯がなみなみと入っていた。
 店員の女性はテーブルにメニューと水を置き去っていく。
 私は靴を脱ぎ、素足を、テーブル下の四角い桶へと入れ——たその瞬間。私は「熱っ!」と声を出してしまった。
 またしても、周囲からの視線の雨が降り注ぐ。あまりに注目されるものだから、恥ずかしくなり、「すみません」と小さく頭を下げる。
 よし、気を取り直して。
 私はわざとらしくメニューを見て言う。
「武田さん、何注文します?」
 しかし返事がない。
 私はメニューに向いていた視線を武田へと移す。すると彼の様子がおかしいことに気づく。
「……武田さん?」
「…………」
「どうしたんですか?」
「……あ、いや」
 何やら様子がおかしい。昨夜温泉へ行く直前と同じような表情だ。
「もしかして、浸けるのが怖いんですか?」
「……実は」
「なら早く言って下さいよ!」
「す、すまん」
 テーブルの上に置かれた彼の手を掴み、励ます。
「はい!これで頑張って下さい!」
 十歳以上年上で、しかもとうに三十を越えた大人を、こんな風に励ます日が来るとは夢にも思わなかった。
「よし。ゆっくり入れてみる」
「はい」
 武田は爪先を、ゆっくりと、四角い桶に近づける。水面に触れた瞬間僅かに動きが止まったが、すぐに再び動き出し、見事足を湯に入れることができた。
 やはり昨夜の練習は無駄ではなかったようだ。
「意外と熱いな」
「大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ない。ほどよい熱さだ」
 確かに、と思う。
 というのも、湯に浸かっているのは膝から下のみなのに、全身がポカポカしてきているように感じるのだ。
 最初のうちは冷えた足先がじんわりと温まるだけだった。しかし、時間の経過とともに、他の部分にも温もりを感じるようになってきている。
「じんわり温まりますね」
「あぁ」
「ところで、何を注文します?」
 私は開いたメニューを武田へ差し出す。彼は口に水を含みながら応じる。
「昼食でいいか?」
「はい。あ、サンドイッチとか美味しそうじゃないですか?サーモンとアボカドとか、照り焼きチキンカツとか、トマトチーズとかありますよ」
 メニューの写真を指差しながら話す。
「どうします?」
「難しいな。ええと……」
「ガッツリ系ですか?それとも軽め?」
「さらぼっくりに合わせよう」
「合わせなくて大丈夫ですよ。武田さんが食べたいので」
 武田は再び口に水を含み、大袈裟にゴクンと飲み込む。それから、少々言いにくそうな顔をして、控えめに答える。
「……では、ガッツリ系にしよう」

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.219 )
日時: 2018/04/21 17:54
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: lh1rIb.b)

149話「散策からの……」

 武田と沙羅が足湯カフェでの昼食を満喫していた、その頃。エリナらは在藻の街をのんびりと散策していた。
「いやー、街は見てるだけでも楽しいっすね!……ね?エリナさん?」
「……そうね」
「ちょ、そんだけっすか!?」
 一番前を行くのはご機嫌なナギ。その後ろに、エリナ、レイ、モルテリア、と続く。
 端から見れば完全にナギのハーレムだ。しかし現実はそれほど甘くなく、誰一人としてナギには従わない。
「あっ!これ、在藻温泉限定プニちゃん!?」
 一軒の雑貨屋の前で、レイは立ち止まった。
 彼女は、ガラス越しに見える一つのキーホルダーに、すっかり心を奪われている。
 透き通った体はジェルのようにプルプル。目を閉じたまったり顔。ネズミ感を主張してくる大きな耳。
「プニちゃん、ですって?」
 レイの発言に興味を持ったのか、エリナも雑貨屋を覗き込む。
「このジェルのようなネズミが、プニ?」
「プニちゃん、です!あたし実は集めてるんです!」
「集めて、ということはいろんな種類があるのね」
「はい!これは在藻温泉限定の珍しいプニちゃんなんです!」
 目の前のキーホルダーについて力説するレイ。それを聞き戸惑った顔をするエリナだったが、しばらくして、ふっ、と笑みをこぼす。余裕のある大人びた笑みだ。
「好きなのね」
「はい!」
「限定なら買っておいたら?いつ売り切れるか分からないもの」
 エリナの言葉を受け、レイは遠慮がちに口を開く。
「もしかして……今買ってきても大丈夫な感じですか?」
 それに対し、エリナは軽やかな口調で答える。
「もちろんよ。今すぐ買ってくるといいわ」
「ありがとうございますっ!」
 快晴のような笑顔でその場から走り去るレイ。その場にはエリナとナギ、そしてモルテリアだけが残った。
 レイが去るや否や、モルテリアが反対方向へ歩き出す。彼女の翡翠のような瞳が捉えているのは、昔ながらの日本建築といった感じの店。
「美味しそう……!」
 モルテリアは髪がかかっていない片目をパチパチさせながら、フラフラと店の方へと歩いていく。吸い寄せられるように。
「モルちゃん!勝手に離れちゃ駄目っすよ!?」
「……どうして」
「襲われたりしたらどうするんすか!?ね、エリナさ——」
「いいわよ、モル。でもそこのお店だけにしなさい」
「うん……!」
 ナギに制止されかけていたところエリナから許可を貰い、嬉しそうな顔をするモルテリア。すっかりご機嫌だ。
「……淡々煎餅、買ってくる……!」
「気をつけなさいよ」
「……うん」
 モルテリアは白玉のような頬を赤らめ、ててて、と店の方へ駆けていく。
 レイに続いてモルテリアまでもいなくなり、二人きりになってしまうエリナとナギ。いざ二人きりとなると気まずく、エリナもナギも黙り込んでしまう。
 ちょうどその時、気まずい雰囲気の二人の横をカップルが通り過ぎてゆく。どこにでもいそうな男とどこにでもいそうな女。しかし、距離は非常に近く、周囲が戸惑うくらいいちゃついている。
「この黒豆ソフト、美味しいね。宏くん!」
「ソフトも良いけど、みっちゃん、君の方が魅力的だよ」
「いやぁーん、宏くんったらー。もう。恥ずかしいでしょー?」
 甲高い声でわざとらしく笑う女を見て、エリナは真顔になる。
「……酷いぶりっこね」
 すると隣にいたナギが、珍しく静かな声で返す。
「ちょい痛めっすね」
 それから、顔を合わせるエリナとナギ。二人はお互いの顔をじっと見つめ、しばらくして、呆れたように笑い合う。
「なんというか、凄かったわね」
「ホント、ヤバいカップルっす。ま、あんなんも多いみたいっすけど」
 エリナはそれから腕を組み、はぁ、と溜め息を漏らす。鋭いナギはそれを見逃さなかった。
「お疲れなんすか?」
「……別に」
「いやいや!別に、じゃないっすよ!疲れてるんっしょ?」
「うるさいわね。黙りなさいよ」
 疲れているかを執拗に聞かれ、苛立った顔をするエリナ。
 しかしナギは、そんなことは気にしない。彼はエリナの体に身を寄せ、もたれかかるような体勢をとる。
 いきなりのことに、怒るどころか戸惑った顔をするエリナ。
「……何なの?」
 少しして、ナギは返す。
 エリナの問いに対する答えではなく、質問を。
「エリナさんって、男いるんすか?」
「は?」
 剣先のような鋭い視線をナギへ向けるエリナ。
 だがナギは動揺しない。いつもエリナに厳しく接されているナギにとっては、鋭い視線など慣れっこなのだ。
「彼氏さんとかいるんすか?」
「いないわよ」
「武田さんと付き合ってた時期はあるんすか?」
「あるわけないじゃない」
「一応聞いただけっすよ。じゃ、今まで彼氏さんがいたことはあるんすか?」
「ないわ。生憎、私にはそんな時間はなかったの」
 エリナは答えてからそっぽを向き、聞こえるか聞こえないかくらいの小声で「モテなくて悪かったわね」と呟いた。
 ——その刹那。
 ナギはエリナの体を引き寄せ、顔を近づける。
「じゃ、俺が一人目っすね」
 一言呟くナギ。
 エリナはナギの意外な行動に戸惑い、言葉を失う。
 その隙を狙い、ナギは、エリナの唇へ自分の唇を重ねた。
「……っ!?」
 らしくなく動揺した目つきをするエリナ。しかしナギは遠慮なく、口づけを続ける。
 そして、数秒後。
 唇を離すや否や、ナギはむせた。
「ゲホッ!」
 腹にエリナの膝蹴りが入っていたのだ。
「……ちょ、ケホッケホッ。い、痛すぎっ……」
 何度も咳をし、腹部を手で押さえるナギ。その目には涙の粒が浮かんでいる。よほど痛かったのだろう。
「ふざけたことしてんじゃないわよ!」
 顔を真っ赤にしながら怒鳴るエリナ。
「何てことをするの!」
「あ、いや……ケホッ……」
「破廉恥!警察に捕まれ!」
「ちょ……落ち着いて……」
 ナギは慌てて、騒ぐエリナを制止しようとする。しかしエリナは、ちょっとやそっとでは止まらない。
「恋愛対象でもない異性に何てことをするのよ!」
「じゃあ恋愛対象ならいいんすね!?」
 そして、ナギは続ける。
「俺、エリナさんのこと好きっすよ!」

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.220 )
日時: 2018/04/21 19:26
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: A4fkHVpn)

150話「舞い」

 レイはキーホルダーを買いに雑貨屋へ。モルテリアは淡々煎餅を買いに日本建築風の店へ。エリナとナギは道へ残された。
 そんな二人は今、凄まじく冷ややかな空気に包まれている。
「何を言い出すの……」
 驚きに目を見開きながらエリナは呟く。
 こんなことになった原因は、ひとえに、ナギが「エリナのことが好き」といった主旨の発言をしたことだ。
「わけが分からないわ。こんな冗談、笑えない」
「俺は本気っすよ」
「ナギ、いい加減にして。つまらない冗談は止めてちょうだい」
 エリナが冷ややかな声で突き放すような発言をすると、ナギは彼女の腕を掴んだ。
「だから、これは本気なんすよ」
「離して!」
 鋭く叫び、ナギの手を払うエリナ。彼女は敵を見るような鋭い目つきでナギを見ていた。
 さすがのナギも、強く手を払われては、引くしかない。
「……すいません。出すぎた真似してしまったっすね」
 ナギは金に染めた三つ編みを指でいじりながら謝る。
 指を動かしながらという一見不真面目そうな謝り方。しかし、その声色は落ち着いていて、真剣そのものだ。
 らしくなく真面目に謝るナギを目にし、エリナは、「言い過ぎた」といった顔をする。だが彼女のことだ、素直に謝れるはずもない。一応謝罪しようという心はあったようだが、言葉にはできず、視線を逸らしてしまう。
 そんなエリナを見て、どこか寂しそうに笑うナギ。
「あーえっと、今のはただの俺の気持ちなんで。言わせてくれただけで嬉しかったっすよ」
 しん、と静まり返る。
 あまり人の多い場所ではないが、人通りがまったくないわけではない。だから、過ぎ行く人の足音や話し声は確かに響いている。
 けれどもこの時、エリナとナギだけは静寂の中にいた。深海のような、宇宙のような、静寂の中に。

 どのくらい時間が経っただろう。
 長い沈黙を破り、ナギが口を開く。
「エリナさん、さっきはいきなりあんなことしてすいませんでした」
「……もういいわ。過ぎたことよ、今回だけは忘れてあげる」
 エリナは申し訳なさそうな顔をしながらも上から目線で返した。
 それから数秒して、ナギは話を変える。
「ところでエリナさん。エリミナーレ解散、マジなんすか?」
「えぇ。そのつもり」
「どうして続けないんすか?」
「これ以上活動を続けることに意味を感じないからよ。何度も言わせないで」
「本当にそれだけっすか?」
 ナギの真剣な問いに、エリナは黙り込む。眉を寄せ、考えるような顔をする。何かを言うべきか否か迷っているような、そんな顔だ。
「……疲れたの」
 やがてそう漏らしたのはエリナ。
「ただ一つ、ずっと見据えてきた復讐は、終わってしまった。私にはもう何もない」
 エリナはポケットから一枚の写真を取り出す。それは、白い女性——保科瑞穂の写った写真だった。
「誓いは果たした。けれども、それは私の生きる理由をなくしてしまった。もう……」
 瞳を潤ませるエリナの手から写真を奪うナギ。
「ちょ、ちょっと。何を?」
「こんなのもう要らないんすよ!」
 ナギは強く言い放ち、一瞬にして瑞穂の写真を縦に裂いた。真っ二つになった写真をズボンのポケットに突っ込むナギを見て、エリナは声を荒らげる。
「なっ。いきなり何をするの!?」
「没収しとくっす」
「返しなさい!それは私と瑞穂の」
「だから没収しとくんすよ」
 ナギは妙に真剣な顔。
 そのことに気づいたエリナは、違和感を覚えてか、声を荒らげるのを止めた。少ししてから、彼女は改めて尋ねる。
「どういうつもりなの?」
 ようやくエリナとナギの視線が交わる。
「エリナさん、もう過去に縛られるのは止めた方がいいっすよ。そんなに良い容姿を持ってるんすよ?男に愛されない人生を選ぶなんて損じゃないっすか」
 真剣な顔のまま口を動かすナギを見て、エリナは不思議なものを見たような表情を浮かべる。
「あの武田さんですら、人を愛することを覚えたんすよ?エリナさんもそろそろ……」
「無理よ」
 首を左右に一度振り、キッパリと返すエリナ。
「無理に決まっているわ」
 絶対、というような言い方である。
「何で?エリナさんは美人じゃないっすか。何で?」
「中高時代のあだ名は鬼。大学時代のあだ名は鉄。社会に出てからは高圧的な女と罵られた。これで私の言いたいことは分かるでしょう」
「気がきついってことっすか?」
「……敢えて言うのね」
 はっきり答えを言われ、不満げに漏らすエリナ。
 しかし彼女はすぐに気を取り直し、続ける。
「まぁいいわ。とにかく、そういうわけだから。私に男遊びなんて無——っ!?」
 エリナが話し終わるのを待たず、ナギは彼女を抱き締める。
 意図が分からない、といった顔をするエリナ。だが彼女は、抵抗はしなかった。本当は既に、ナギに心を許していたからかもしれない。
「俺じゃ駄目?」
 ナギは上目遣いでエリナの心を揺さぶろうと試みる。
「……そんな目で私を見ないでちょうだい」
「やっぱり、俺じゃ駄目なんすか?」
「あぁ、もう!分かったわよ!」
 上目遣いに負け、エリナはそう言った。
「一応言っておくけれど、私、そんなに若くないわよ。それでも良いと言うのね?」
「もちろん!ドーンと来い!」
「ならいいわ。本当に良いのね?」
「もちろんっすよ!!」
 ナギは躊躇いなく答えてから、太陽のように明るい笑顔でガッツポーズをとる。
 そして雄叫び。
「よっしゃ、キター!」
 全身から喜びを溢れさせるナギを、呆れ顔で見つめるエリナ。
「やった、やった、やったー!キタッ、キタッ、キター!よっしゃ、よっしゃ、よっしゃしゃーっ!」
 謎の歌と共に歓喜の舞を披露するナギ。軽やかにステップを踏み、瑞々しい笑顔で、全身全動作から喜びを表現する。
「やった、やった、やったー!キタッ、キタッ、キター!よっしゃ、よっしゃ、よっしゃしゃーっ!やったたー、やったたー!キタッター、キタッター!よっしゃよっしゃよっ、しゃー!よっしゃよっしゃキタァー!」
 ちょうどそこへ、レイとモルテリアが戻ってきた。
「えっと、これは何の騒ぎ?」
「……ナギ、故障した……」
 満面の笑みで激しく躍り狂うナギを目にした二人は、場の状況についていけず、ただただ戸惑うばかりだった。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.221 )
日時: 2018/04/21 23:06
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hAr.TppX)

151話「温泉を堪能したい」

 私と武田は、足湯カフェでゆったりと昼食をとった。
 武田は照り焼きチキンカツサンドイッチ、私はおにぎりセット。お互いのものも食べてみたため、サンドイッチも食べたが、なかなか美味しかった。
「あのカツサンド、美味しかったですね」
「そうだな。脂身だけが口に入った時には焦ったが」
「脂身お嫌いなんですか?」
「あまり好みではない」
 左右に和風の建物が並ぶ石畳の道を私たち二人は歩く。集合場所へと向かうためだ。
 歩き出して十分ほど経った頃、武田が唐突に口を開く。
「それにしても今日は、よく晴れているな」
 スーツをきっちり着ているのもあってか、武田の額には汗の粒が浮かんでいる。彼は何度か手の甲で拭っていたが、それでも暑そうだ。
 その時になって私は、武田の様子がおかしいことに気づく。
 今の武田はどことなく疲れた顔つきをしている。それに加え、足取りが重い。歩きにくそうだ。そして更に、呼吸が早まっている。
 私は足を止め、ついに質問した。
「武田さん、少し休みますか?」
 彼に無理はしてほしくない。純粋にそう思うからだ。
「いきなり何を言い出すんだ、さらぼっくり」
 前振りもなく尋ねたものだから、武田は私の問いの意図が分からなかったらしい。首を傾げている。
「体調が悪そうだったので」
 私が簡単に説明すると、彼は独り言のように「なるほど」と呟く。
「心配ない、少々暑かっただけだ。それより、もうすぐ集合時間だ。急がなくては」
 言いながら、武田はまた手の甲で額の汗を拭う。
 いつもは鋭い視線を放っている細い目も、今はぼんやりとしていて、力を感じられない。若干視点が定まらないような感じだ。
「やっぱり辛そうですよ。どこかお店にでも入って、休憩しましょう」
「いや、駄目だ。集合時間に遅れ……」
「体の方が大事ですっ!」
 自身の体調を考慮せず集合時間ばかり気にしている武田に苛立ち、私は口調を強めた。
 しかし、口調を強めた理由は苛立ったからだけではない。本当は、大好きな彼に対して、こんな言い方をしたくはない。だが仕方ないのだ。こうでもしないと武田は頷かないから。

 それから私と武田は近くの茶屋へ入り、休憩した。淡々煎餅や餡蜜、抹茶ラテなどを注文し、飲み食いする。
 私はレイへ電話をかけ事情を話す。そして、最後に「店を出る時にまた連絡します」と添えて、通話を終える。
 そうこうしている間に、武田の体調はみるみる回復してきた。顔つきも普段と変わらないくらいに戻っている。強い日差しにやられてしまったのだろうな、と私は思った。今日は妙に眩しかったので、体調を崩すのも仕方ない。
 武田の体調がかなり回復したのを確認してから、レイに知らせ、茶屋を出た。
 だいぶ寛いでしまったせいで、集合時刻はとっくに過ぎてしまっている。けれども、武田が元気になったので、一旦休んで正解だったと思う。
 再び石畳の道を歩き出した頃、私たちを見下ろす空は、切ないくらい綺麗な夕焼けだった。
 赤く染まる空の下、私たちは集合場所へと向かう。
 繋いだ手の温もりに癒やされながら。

 夜、私は大浴場へ向かった。
 昨夜は部屋で入浴したが、今夜は温泉へ行くことにしたのである。
 理由の一つは、武田が「温泉に入る」と張りきっていたこと。もう一つの理由は、せっかく在藻温泉へ来たのだから、温泉を堪能したいということ。
 この二つに尽きる。
「今日は沙羅ちゃんも入るんだね。一緒に入れて嬉しいよ。あたし、温泉大好きだから」
「温泉、お好きなんですね」
「うん。沙羅ちゃんは?あまり好きじゃない?」
 私は少し考えて返す。
「熱いお湯がちょっと苦手で」
 するとレイは「そっか」と笑う。私の大好きな、彼女特有の爽やかな笑みだった。

 脱衣室に一歩踏み込んだ瞬間、温かな湯気が私を包む。とにかく湿気が凄い。真夏だったらずっとはいられないだろうな、と思ったくらいだ。
「モル、脱いだ服はまとめて置いておくのよ」
「……うん」
「お菓子は持ち込んじゃ駄目。そこへ置いておきなさい」
「お腹空く……」
「そんなに長時間入らないわ。だから出るまでお菓子は禁止!」
 エリナとモルテリアの会話がなぜか妙に面白く感じられて、私はクスッと笑ってしまう。しかし聞こえていなかったらしく、誰にも何も言われなかった。

 こうして、いよいよ浴場へと入っていく。
 そこは、私の想像を遥かに越える広さだった。しかも綺麗である。
 タイルの床は滑りそうなほど磨かれ、天井は高く、様々な大きさや形の湯船が並んでいる。まるでテーマパークのようだ。
「す、凄いっ……!」
 私は思わず感嘆の声をあげる。
 すると隣にいたレイが、ふふっ、と愉快そうに頬を緩める。
「沙羅ちゃんは今日が初めてだもんね」
「色々ありますね……!」
「軽く体流して、それから全部巡ろうか。楽しいよね。しかも体にも良いらしいし」
 歩き出すと、束ねていない青い髪がさらさらと揺れる。真っ直ぐな背筋に、私は暫し見とれてしまった。

 その後。
 体や髪をシャワーで洗い、好きな湯船へ直行するエリナとモルテリア。片手の包帯を濡らすわけにいかずもたもたしていた私は、二人よりかなり遅れた。
 エリナは『美肌』と書かれた看板のついた小さめの湯船に浸かっている。腕や脚を伸ばし、まるで温泉番組の撮影かのような優雅さで、湯を堪能していた。髪を上にまとめていることによって見える首筋からは、健全な色気を感じる。
 しかし、『美肌』という湯船へ直行するのは恥ずかしくないのだろうか……。
 一方モルテリアはというと、上から細く湯が流れてくる滝のようなエリアにいた。ここだけは湯船が浅く、湯船らしからぬ形態だ。
 彼女はちょうど上からの湯が当たる位置に立ち、びくともせず、修行僧のように湯を浴び続けている。
「沙羅ちゃん!もうどこか入った?」
 大浴場内にレイの声が響く。彼女のよく通る声が、なおさら大きく聞こえた。
「まだです。今洗い終わったところで」
「じゃあこことかどうかな」
「桜湯……ですか?」
 レイが指し示したのは、かなり大きい湯船。
 白い湯に桜の花弁が浮いていて、いかにも女性に人気がありそうな雰囲気だ。
「せっかくだし浸かってみようよ」
「桜って、季節外れですね」
「それは言っちゃ駄目だよ!?」
 まぁ確かにそうかもしれないが……。
 しかし、六月に桜というのは、どうも違和感を覚えずにはいられない。もう少し六月らしい風呂でも良いと思うのだが。
 けれども、入ってしまえば違和感は気にならなかった。それどころか、桜餅のような香りの湯気が頬を撫で、穏やかな気持ちにしてくれる。
「後で露天も行こうね、沙羅ちゃん」
「はい。でも寒そうです……」
「平気平気!お湯が凄く温かくて気持ちいいよ」
 レイに言われると、「そうなのかも」という気がした。
 私は、ひんやりする中で温かな湯に浸かることを、想像してみる。すると、非常に幸せな気持ちになれた。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.222 )
日時: 2018/04/22 19:23
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: a4Z8mItP)

152話「煌めく星空、露天風呂」

 桜湯に浸かることしばらく、突然レイが立ち上がった。水面が揺れ、飛沫があがる。顔面にかかると熱い。
「そろそろ露天の方行かない?」
 はきはきした声で提案するレイ。
 私としてはこの桜湯で十分満足だ。
 しかし、露天風呂も気にならないことはない。屋外で入浴という、日頃はできない体験をできる機会というのは、大切にしたいものである。
 だから私は頷いた。
 行きましょう、と。

 それから、私はレイと、露天風呂へ向かった。
 浴場内にあるガラスの扉を開けるとそこは屋外。六月にもかかわらず、空気はひんやりしている。六宮や芦途などよりかやや高い位置にある在藻の夜は、こんなものなのかもしれない。
「さ、寒めですね……」
 ほんの数十秒前まで熱い湯に浸かっていたのもあってか、肌寒く、真っ直ぐに歩けない。千鳥足のようになってしまう。
 先に行くレイは、浴槽へ入ってから私を見上げる。
「沙羅ちゃん大丈夫ー?」
「は、はい」
「酔っぱらいみたいになってるよ?」
「すみません……」
 頼りない足取りで何とか浴槽へ入る。すると、全身を温かな湯気が包んだ。
 そこへやって来るエリナとモルテリア。
「気が早いわね、レイ」
「……さむい……」
 二人も浴槽へ入ってきた。
 エリナは縁にもたれて、魅力的な脚を伸ばす。そして、暗い空を見上げる。
 一方モルテリアは、レイの方までちゃぷちゃぷと泳いできた。
「……あったか、あったか……」
「モル。あまり泳いじゃ駄目だよ?」
「……うん。あったかい……」
 当たり前に分かっていたことではあるが、モルテリアの返答はやはり少々ずれていた。途中までは良かっただけに惜しい。
 その時、急にエリナが声を出す。
「ナギー!いるのー?」
 すると、浴槽の端にある仕切りの向こう側から、ナギの声が飛んでくる。
「何すかーっ?今やっと武田さんが膝まで足浸けたとこなんすよ!ちょっと待ってほしいっす!」
 どうやら、結構近いらしい。もしかしたらどこかが繋がっているのかもしれない。
「覗く気満々なのでしょう?なんなら、来ても良いわよ!」
 クスクス笑うエリナ。
 傍で聞いていたレイが「それはさすがに」と止めようとする。しかしエリナは続ける。
「隠れて覗くくらいなら、堂々と来なさい!」
 なんということを言うのか。
 そんな風に思っていると、仕切りの向こう側からまた声が飛んでくる。
「覗くわけないっしょ!俺、そんなヤバい奴じゃないっすよ!」
「あら、そうなの」
「そうっすよ!それにほら!覗いたりしたら俺、武田さんに殺されるから!沙羅ちゃんいるっしょ!?いや、今既に睨まれてるから!」
 漫画ではないのだから、いくらナギでも、風呂を覗きなどしないだろう。
 私は内心そう思った。
「今日は武田もいるのよね?ナギ」
「イエス!いるっすよ!」
「沙羅を覗きたいか聞いてみて」
 ……なんということを。
 エリナの妙なノリに私はついていけない。
「オッケーっす!」
 ナギは元気よく返事した。
 それから数秒して、ナギは言ってくる。
「そんなことを聞かないで下さい。らしいっすよ!」
 まっとうな返しだと思った。
 小中学生なんかのお年頃の男子ならともかく、大人の武田がそんなノリに乗っていくわけがない。
 そう思っていたところ、ナギの大きな声が聞こえてくる。
「あー!武田さん赤くなってる!もしかして沙羅ちゃんのこと想像し……って、痛い!痛いっすよ!」
 何やら騒々しい。
 そんな中、ふと見上げた暗い空には、いくつもの星が煌めいていた。空気が澄んでいることが分かる。
「……綺麗な空」
 私は一人ぽそりと呟きながら、露天風呂を堪能するのだった。

「いやー、いい湯だったっすねー!」
 入浴を終え合流するなり、ナギが元気よく言う。敢えて言うほどのこともない、いつものことだが、ナギは声が大きい。
「そうね」
 あっさりと答えるエリナ。
 するとナギは妙なテンションで彼女に飛びつく。
「風呂上がりのエリナさん、いいっすね!ほかほかっす!」
 エリナの胴に腕を絡め、肩に頬擦りするナギ。行動がかなりおかしい。
「触らないで」
「えー?どうしてっすか?」
「締め上げるわよ」
「あ……すいません」
 今日の夕方辺りから完全にテンションがおかしいナギだが、エリナに恐ろしい言葉を放たれると、ほんの少し普通に戻った。
 先頭には、エリナと彼女に絡むナギ。その後ろをレイとモルテリア。そして最後は私と武田。その順で旅館内の廊下を歩いていく。
「ところでエリナさん!エリミナーレ解散は、もう、なしっすよね!?」
 ナギはまたしても解散に関する話題を振る。
 またか、と一瞬思った。しかし、「いや、必要な話だな」と、すぐに心を変える。エリナが持つエリミナーレ解散の意思をこの旅行中に変えなくてはならないのだと思い出したからだ。
 既に二日目の夜。
 つまり、もうあまり時間がない。
 ナギが無理矢理その件について話し出したのには、そういう理由もあることだろう。彼としては今日中にエリナの心を動かしておきたいはずだ。
「ありよ」
「ちょ、なんでっ!?」
「解散はする。そう言ったはずだけれど」
 廊下を歩きながら「解散は決定事項」と心を変えないエリナ。彼女の口調は落ち着いていた。だが、その表情はどこか暗い。
「なんでなんすかっ!?」
「私にはもう背負えないわ。何も」
 エリナは前だけを見据え、淡々とした足取りで歩いていく。私はその背中を黙って眺めていた。
「じゃあ俺が背負うっすよ!」
 ナギがキッパリと言いきった瞬間、エリナは足を止めた。
 彼女の大人びた顔は、驚きと戸惑いの混じった色に染まっている。大きなことをさぞ簡単そうに言ってのけるナギを訝しむような表情でもある。
「責任も、他のものも、全部俺が背負う!それで、エリナさんの身は俺が護るっす!」
 前を行っていたエリナが急に立ち止まったため、つまづきそうになりながらも、何とか止まったレイとモルテリア。二人はキョトンとした顔をしている。
「エリナさんは何もしなくていい!それなら解散止めてくれるっすか!?」
「……できないわ。そんなのは無責任よ」
「何もしなくていいんすよ!?何も背負う必要ないんすよ!?」
 ナギは半泣きのようになりながら続ける。
「だから、エリミナーレ解散だけは勘弁して下さいよ!」
 彼の必死の訴えに、エリナは言葉を失う。さすがの彼女も、目の前で強く訴えられては心を揺すぶられるようだ。
「頼むっす!エリミナーレ解散は、なしの方向で!」
 頭を下げるナギを見つめる、エリナの茶色い瞳は揺れていた。
 決して揺るがなかった彼女が持つ解散の意思は、今、間違いなく揺らぎ始めている。それは、ナギの言葉や行動が真剣そのものだったからに違いない。
 エリナの瞳は嘘を見抜く。
 真実だけを捉える瞳だ。
 だから、今のナギの言動が心からのものだと、彼女は理解していることだろう。
 私はそんなナギとエリナの様子を見守りながら、心の中で小さく願った。
 ——ナギの、みんなの、想いがエリナへ伝わりますように。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.223 )
日時: 2018/04/23 17:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: CejVezoo)

153話「月明かりの下で」

 解散を取り止めるよう訴えるナギと、彼の真剣な訴えに動揺するエリナ。それを不安げな眼差しで見守るレイと、じゃがいもチップスを食べるモルテリア。
 そんな四人の背を、私は黙って見つめる。隣の武田を一瞥すると、彼も私と同じように四人を見ていた。
「……無駄よ。とうに決めたことだもの」
「そこを何とか!」
 ナギは両手のひらを合わせ、エリナにお願いする。
「頼むっすよ!」
 彼は数回断られたくらいで挫ける人間ではない。いや、百回断られたとしても挫けはしないことだろう。日頃は情けなくも見える彼だが、挫けない強い心だけは誰にも負けない。
 しかしエリナはエリナで頑なだ。微かに揺れながらも、まだ自身の心を変えない。
 彼女はかなり頑固者だ。それは彼女の良いところでもあり悪いところでもある。
 彼女の固い意志があったからこそ、十年以上もの時を越え、宰次の悪事を明るみに出すことができた。これは彼女の頑固さが良い方向に働いたと言える。
 しかし、今は逆に、頑固さが悪い方向に働いている。もっとも、私たちにとって都合の悪い方向に、ということだが。
「私の心は変わらないわ。むしろ、解散の意思は強まるばかりよ」
「えぇっ。そんなぁ……」
「昨夜の一件で私の心は決まったわ。解散しかない、とね」
 そこへ、レイが口を挟む。
「解散は嫌です!」
 レイの凛々しい顔は、悲しそうに歪んでいた。
「これからもエリミナーレとして、人々のために戦いたいです!」
 感情的になるレイの姿を見て、モルテリアはしゅんとして俯く。
 モルテリアは喧嘩が嫌いだ。意見のぶつけ合いも苦手なのだろう。だから元気を失っているに違いない。
「そうっすよ!レイちゃんの言う通りっす!」
 レイの発言に便乗するナギ。
「宰次がいなくなっても、新日本から犯罪がなくなるわけじゃない!凶悪な犯罪は起こるんすよ!だからこそ、俺らがそれと向き合って……」
「私は善人じゃない!」
 ナギの言葉を遮り、エリナが鋭く叫んだ。
「善意で危険を選ぶほど善人じゃないのよ!私は!」
 空気が振動する。
 エリナの悲痛な叫びを聞いては、さすがのナギも、それ以上は言えなかったようだ。
「エリナさん……」
 胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
 彼女が今まで背負ってきた、重く暗いもの。それを垣間見た気がして、彼女を直視はできない。
 そんな時、隣にいた武田が小さく、「あまり気にするなよ」と言ってくる。また、「お前のせいではない」とも付け加えた。
 いちいち気にしてしまう質の私を気遣っての発言なのだろう。ありがたいことだ。

 こうして、私たちはなんともいえない夜を迎えるのだった。

 真夜中。私がふと目を覚ますと、レイが一人、窓の外を眺めていた。
 三人組の襲撃事件のせいで、今夜は昨夜とは違う部屋だ。
「……レイさん。まだ起きてられたんですか?」
 消灯しているため室内は薄暗い。窓から入ってくる月光だけが、私たちを照らしている。
「うん。少し眠れなくってね。沙羅ちゃんこそ、こんな時間に起きてどうしたの?」
「えっと、偶然目が覚めただけです」
 深い意味などない。
 本当のことを正直に答えると、レイはふふっと笑った。
「そりゃそうだよね。変な質問をしてごめんね」
「いえ」
 私は隣の武田へ目をやる。
 彼は布団の中でぐっすり眠っていた。大きな体は脱力し、寝顔は無防備で、私でも倒せそうと思うくらい隙だらけだ。
 だが良いことだと思う。
 いつも周囲への警戒を怠らない武田は、心身共に疲弊しているはず。時にはこんな風に、完全にリラックスして眠ることも必要だろう。
「……ねぇ、沙羅ちゃん」
 心地よさそうに眠る武田を見つめていると、レイが唐突に話しかけてくる。
 私は月明かりに照らされ青く染まる彼女へ視線を向けた。
 窓の外の黒い空を眺める彼女は、どことなく寂しげな顔つきで、その表情からは哀愁が漂っている。月の光に溶けて、今にも消えてしまいそうだ。
「エリミナーレ。本当に解散してしまうのかな」
 彼女は微かに唇を動かした。
 月に一時的に細い雲がかかり、室内の暗さが増す。
「離ればなれになるのは……やっぱり寂しいな。まぁ、仕方ないけど」
 仕方ない、と言いつつも、まだ納得できていない顔だ。
「レイさん……」
「あたしね、エリミナーレに入ってすぐの頃に妹を亡くして、一度、何もできなくなった時があったの」
 彼女はゆっくりと語り出す。
「その時、エリナさんは言った。『今の貴女みたいに悲しむ人を減らすため、私たちは戦うのよ』って」
「なるほど」
「でも『無理はしなくていい』とも言ってくれた。『元気になったらまた共に戦いましょう』とも」
 エリナがそんな優しいことを言うなんて、と驚く。
 私の時とは接し方が違う……。
「今の私があるのはエリナさんとエリミナーレのおかげだと思ってる。間違いなく、エリミナーレはあたしの一番の居場所だよ」
 声が震える。
 そして、瞳から涙が溢れた。
 レイは流れ落ちる涙を指で拭い、数回まばたきしてから、言葉を続ける。
「だから、エリミナーレがなくなるなんて嫌……」
 それが彼女の思いだった。
 彼女は誰よりもエリミナーレが好き。この場所が、みんなが、言葉にできないくらい大好きなのだろう。
 だからこそ、解散が辛い。
 みんなとの別れが寂しい。
 恐らくそれが、レイの涙の意味なのだと思う。
「……多分大丈夫だと思います」
 私は自然とそんなことを言っていた。
 無責任極まりない発言だ。恐らく、レイに泣いてほしくないという心が、私の口を勝手に動かしたに違いない。
「今夜、ナギさんが説得しているはずです」
「でも……」
「ナギさんはきっとやってのけてくれると思います。あの人、意外と強いですから」
 一度深く息を吸う。そして、ふうっと吐き出す。
 それから私は述べる。
「信じましょう。今はただ、ナギさんを」
 レイは止まらない涙を手の甲で拭いながら、ほんの少し首を縦に振った。
「……そうだね。沙羅ちゃんの言う通り、あたしもナギを信じるよ」
 小さく返すレイ。
 彼女はそれから、窓の外の空を見上げる。その瞳は、曇りが晴れた雨上がりの夜空みたいだった。
 私は無力だ。
 それでも、何か少しでも力になれたなら——。
「ありがとう、沙羅ちゃん」
 こんなに嬉しいことはない。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.224 )
日時: 2018/04/25 00:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: qToThS8B)

154話「幸せな朝を」

 朝が来た。
 窓の外は晴れ、スズメの鳴き声が聞こえてくる。
 心地よい朝だ。
 あの後私は、エリミナーレ解散を悲しむレイを励まし、眠りについた。そして、気がつけば朝。深く眠れたらしく、不思議なくらいすっきりした寝起きである。
「おはよう、沙羅ちゃん!」
 私が布団から起き上がった時、レイが声をかけてきた。
 彼女の表情はいつも通り晴れやかだ。昨夜涙している姿を見ているだけに、晴れやかな顔をしているのを見ると嬉しい気持ちになる。
「おはようございます。元気そうで何よりです」
「ありがとう!」
 レイは着替えの途中のようだ。上は水色のブラウスを着ているが、下はパジャマのズボンのままである。
「あれ、武田さんはどちらに?」
 ふと思い尋ねてみる。
 するとレイは、私の横の布団を指差し、「まだ寝てるよ」と苦笑した。
 私は布団へ視線を向ける。
 布団は確かに、こんもりと盛り上がっていた。
「起こします?」
「あ、うん。そろそろ」
「分かりました」
 そうは言ったものの、いかにして武田を起こすか何も案がない。そもそも私は人を起こすという行為に慣れていないのだ、良い案が簡単にぽんぽんと出てくるわけがない。
 取り敢えず掛け布団を除けてみる。すると、ぐっすり眠っている武田の姿が見えた。幼子のような寝顔に、私は少し微笑んでしまう。
「武田さん、起きて下さい。朝ですよ」
 私は彼の背をトントンと叩き、声をかけてみる。
 しかし起きない。
 だが諦めるにはまだ早い。私は唇を彼の耳へ近づける。
「武田さん、起きられますか?朝ですよ」
 少しは声を大きくしたつもりだったのだが、武田はまだ起きない。
 こうなったら最終手段だ。
 私は顔を彼の顔へと寄せ、再び声をかける。
「武田さん。朝ですよ、起きて下さい。起きないと、痛い目に遭いますよ」
 まるで悪者であるかのような発言だ、と内心苦笑する。
 だが仕方がないのだ。深い眠りに落ちた武田を起こすには、できることをすべて試してみなくてはならないのだから。
 続けて、彼の頬に触れてみる。引き締まった頬から首筋へと、撫でるように手を動かす。
 すると武田は「ん……」と寝惚けたように漏らした。初めての反応だ。
「武田さん。起きて下さい」
 はっきり声をかけると、ようやく彼の目が開いた。寝ぼけ眼がこちらを見つめてくる。
「……沙羅?」
「朝です。起きて下さい」
「……あぁ。起きよう」
 武田は体を斜めにしながら上半身を起こした。意識が戻ればすぐに起きれるようだ。
 ——その刹那。
 彼は私の体を強く抱き締める。
「……え?え、あの……」
 あまりにいきなりすぎて、私は狼狽えるほかなかった。
 武田の腕の力は予想外に強く、逃れようにも逃れられないため、私は、抱き締められたままじっとしているしかない。
「沙羅に起こしてもらえるとは。幸福者だな、私は」
 まだ少し寝惚けているのか、武田はおかしな発言をする。しかし妙に幸せそうだ。いつになく幸せな雰囲気が漂っている。
 だが、少し苦しい。
 強く抱き締められた状態が続くと、段々呼吸がしづらくなってきた。胸が圧迫されているせいに違いない。
「いずれ結婚すれば毎日お前に起こしてもらえる。そう思うだけで、私はもっと強くなれそうだ」
 次から次へと、甘い言葉を並べる武田。
 これは一体、何なのだろう……。
「今日も可愛い」
「……ありがとうございます。でも、離して下さい。苦しいので」
「あ、あぁ。すまない。強く抱き締めすぎたか」
 武田はそう言いながら、腕を離してくれた。肺が広がり、やっとまともに呼吸ができるようになる。
「取り敢えず、着替えましょうか。朝食が待っていますから」
「そうだな。速やかに着替えることとしよう」
「まぁ私も人のこと言えませんけどね……。私も着替えます」
 起きてしまえば武田は早い。なんせスーツに着替えるだけだからだ。髪はほぼそのままで問題ないし、僅かな化粧すらしない。
 こういう時だけは男性を羨ましく思ったりする。
 もっとも、女性であって得している部分もあるわけなのだが。

 着替えを済ませると、私たちは朝食会場へと向かう。昨日は出られなかったので、この旅館で食べる最初で最後の朝食だ。期待に胸が膨らむ。

「……おはよう」
 朝食の間に着くと、既に着いていたモルテリアが挨拶してくる。彼女が自ら挨拶するのは珍しい。
 先を行くレイが手を振りながらモルテリアへ寄っていく。私と武田はその後ろに続いた。
「おはよう、モル!……あれっ?ナギとエリナさんは?」
 モルテリアが一人なことに違和感を抱いたらしく尋ねるレイ。
「……後から」
「遅れてくるって?」
「うん……。昨日、夜……ずっと話してた……」
「話し込んでたの?あ。もしかして解散のこと?」
 モルテリアがこくりと頷く。
 すると、レイが食いついた。
「それでどうなった!?」
 確かに、解散を望まないレイとしては、気になるところだろう。
 もちろん私にとっても重要なことなので、私も耳を澄ます。
「解散は……」
 モルテリアが口を小さく動かし、レイの問いに答えかけた、その時。
「沙羅ちゃーん!レイちゃーんっ!」
 背後から声が聞こえてきた。
 振り返ると、ナギが頭上で大きく手を振りながらこちらへ走ってくるのが視界に入る。その後ろからは小走りのエリナ。
「ナギ!」
「おはよーっす!」
「……遅い」
「ちょっ。モルちゃん怒んないで!?」
 レイとモルテリアが、それぞれ応じる。
「良い知らせがあるんすよ!」
 ナギはニカッと笑った。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.225 )
日時: 2018/04/26 11:32
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ET0e/DSO)

155話「吉報」

 良い知らせ。
 今、ナギは確かにそう言った。
 ということはもしかして——と思っていたら、レイが先に口を開く。
「それって、もしかしてっ!?」
 レイの瞳は希望に満ち、輝いていた。今、彼女の脳内には、彼女が何よりも望んでいたことが浮かんでいるに違いない。
 叶わぬことを悲しみ、涙を流しまでした自身の願いが、目の前で僅かに煌めき始める。それはどんなに嬉しい光景だろう。
「多分その通りっす」
 言いながら、ナギはいつも通りの無邪気な笑みを浮かべる。
「エリミナーレ解散は、なし!決まったっすよ!」
 純真無垢な笑顔でナギが告げた瞬間、レイは片方の手のひらで口元を覆った。瞳が潤み、細めた目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ちょ、なんで泣くんすか!?解散なしっすよ!?」
 レイがいきなり涙を流し出したものだから、ナギは大慌て。何かやらかしただろうか、とでも思っているのだろう。
 もっとも、昨夜のことを知らないナギが混乱するのは仕方のないことだが。
「……泣かせた」
「ちょ、モルちゃん!?俺、悪いことしてないって!」
「……レイを泣かせた。これは悪くないこと……?」
「うっ。確かに、泣かせるのは良くないっすけど……」
 モルテリアに厳しく言われ、やや落ち込むナギ。
「レイ」
 ナギの後ろを来ていたエリナが、合流し、レイの名を呼ぶ。
「エリナ……さん」
 号泣しているレイは、頬を濡らしたまま顔をあげる。涙で潤んだ瞳は、エリナを捉えて離さない。
「心配かけたわね、レイ」
 エリナはレイに歩み寄ると、その手をそっと握る。爪の先まで隙のない麗しさを持つエリナの指が、レイの指と絡む。
 それでもまだ、レイは涙していた。
 瞼、目の周囲、鼻や頬の周辺。すべてを赤く腫らしながら、レイはまだ泣き続けている。
「泣かないで、レイ。もう涙は要らないわ」
「……ごめんなさいっ。でも、あたしっ……」
 レイは何か言おうとする。けれど、ちゃんとした言葉にはならない。恐らく、今の彼女にはまだ、気持ちを言葉にするほどの余裕はないのだろう。
 そんなレイを静かに抱き締めるエリナ。
「心配かけて、悪かったわね」
 あのエリナが素直に謝るとは、少々意外だ。
 感動的な光景を見守りつつ、私は黙って武田へ目線を向ける。すると、ちょうどその時、武田もこちらを見ていた。
 またしても目が合うという偶然。しかし、もう慣れっこである。
「解散は免れましたね」
「あぁ。そのようだな」
 私は武田と一言だけ交わした。あっさりとした言葉、一言だけ。
 だが、私の胸は熱くなっている。これからもエリミナーレにいられる、という未来への希望が生まれたからだ。
 最終決定はリーダーであるエリナがすることと思っていたため、極力言わないように意識してきた。むやみに説得することはエリナに負担をかける、と思ったからというのもある。
 しかし、私とて人間。エリミナーレがなくなるのは寂しいし、みんなと別れるのは辛い。それは事実だった。
 だから、今、凄く嬉しい気持ちである。

 朝食を終えると、私たちは一度それぞれの部屋へ戻る。そして荷物をまとめ、客室内を軽く整備し、部屋を出た。たった一晩過ごしただけだが、部屋との別れは少し寂しく感じられた。
「旅館とかホテルの部屋を出る時って、何だか寂しい気持ちになりませんか?」
 私の分まで荷物を持ってくれている武田に話しかけてみる。
 すると彼は首を傾げた。
「そうか?」
「なんとなく、しんみりしません?」
「……すまない。私にはよく分からない……」
 もしかしたら私だけの感覚なのかもしれない。
 私は小さな頃から、旅館やホテルの部屋とお別れするのを寂しく感じることがあった。一日二日とはいえ、食べたり寝たりと暮らした場所だから、寂しく感じるのだと思う。
「いえ。私が特別なだけだと思うので、気にしないで下さい」
「そうか?それならいいが」
 武田は両手に荷物を下げたまま、よく分からないといった顔つきをしている。
「すまない、沙羅。私は人の心に疎く、お前を分かってやれない……」
「大丈夫!大丈夫ですよ!」
 武田が落ち込んでは可愛そうなので、一応フォローしておく。
 彼は見かけによらず繊細なので、扱いが難しい。心も体と同じくらい頑丈ならいいのに、と若干思う。
「それに、だいぶ分かるようになってきてますって!」
「そうだろうか……」
「はい!武田さんは思いやりが成長しました!」
 もはや自分の発言の意味が分からぬ。
「それに、人への愛情も成長してますし!」
「だがそれは、沙羅、お前のおかげであってだな……」
 面倒臭い。
 これはもう、その一言に尽きる。
 だがしかし、今こうして彼と話せるのは、私が幸運だったからだ。見えない力のおかげである。それには感謝しなくては。
「とにかく、武田さんは武田さんのままでいいんです」
「……私のままで?」
「今の優しい武田さんが、私は大好きですから」
 すると彼は目をパチパチさせた。私の顔から視線を逸らし、気恥ずかしそうに黙り込む。そして、それから少しして、「ありがとう」と呟いた。
 なんと初々しい反応。
 純真さが垣間見えるこういうところが武田の美点だと、私は改めて確信した。
「沙羅ちゃん!武田!そろそろ行くよ!」
「あ、はい!」
 レイの声に返事をし、武田に視線を向ける。
「行きましょうか」
「あぁ、そうだな。行こう」
 武田の表情は柔らかかった。
 戦う時とは違う、他の者と話す時とも違う、私だけに向けてくれる特別な笑み。二人の時間を彩る彼の表情に、私も自然と頬が緩んだ。

Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.226 )
日時: 2018/04/26 23:24
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zT2VMAiJ)

156話「未来に思いを馳せる」

 旅館の玄関口へ向かうと、エリナたち三人は既にそこにいた。私や武田が余計な話をしていた分、彼女らの方が先に着いたのだろう。
「待ってたっすよ!」
 私たちの存在に一番に気づいたナギが、片手を挙げ、軽く会釈をする。高校生にも見えないことはない若さのある顔には、活発そうな明るい笑みが浮かんでいる。
 彼の隣にはじゃがいもチップスをポリポリ食べるモルテリアの姿もあった。
「モル、待たせてごめんね」
「……平気」
「怒ってる?」
「……レイは悪くない」
 白玉のような頬をほんのり赤らめつつ、モルテリアは微笑む。私はその姿を、純粋に愛らしいと思った。
「レイちゃん、スルーっすか!?さすがにそれは酷っ!」
 構ってもらえなかったナギは騒ぐ。
 厳かな空気に包まれている旅館の玄関口で大きな声を出すというのは、迷惑行為以外の何物でもない。
 しかし、彼は悪気なくやっている。それが分かるから、もはや怒る気にもならない。これは恐らく、私に限ったことではないだろう。
「ナギ、待たせて悪かったな」
「……は?いきなりなんすか、武田さん」
 唐突な武田の発言に、戸惑いの色を浮かべるナギ。
「私が時間をとらせてしまったんだ。沙羅は悪くない」
「ちょ、いきなり何すか?俺、沙羅ちゃんのこと責めたりしてないっすよ!?」
「あぁ、それは分かっている。お前はそんな男ではない。念のため言っただけだ」
 武田はナギへ、信頼の眼差しを向ける。
「誤解させたなら悪かったな」
「ま、いいっすよ」
 真剣な顔つきで謝罪する武田と、頭を掻きながら話すナギ。
 この二人の関係は、何げにかなり不思議だと思う。武田の方が年上なのに、まるでナギの方が偉いかのような空気だ。しかし、そうかと思えば武田がナギを叱ることもあり、二人の関係はとにかく謎に満ちている。

 ちょうどその時、エリナが受付からこちらへと歩いてくる。恐らく、チェックアウトを終えたのだろう。
「終わったわよ」
 紅の唇から発せられる声は、非常に落ち着いたものだった。冷静さが感じられ、しかし女性らしさもある。凄く魅力的な声だ、と私は思った。
 こんな艶のある声、私には一生かかっても出せそうにない。
「お疲れ様っす!じゃ、これで帰るっすか?」
「そうね。ただ」
 エリナは桜色の髪をかっこよく手で払い、それから、ふっと笑みをこぼす。たった少しの動作なのにこれだけ雰囲気があるのは、ひとえに、エリナだからだろう。
「事務所へ帰る前に、寄りたいところがあるの」
 それを聞き、眉を寄せるレイ。
「寄りたいところ……ですか?」
 エリナはゆったりと一度頷く。
「えぇ。エリミナーレが新たな一歩を踏み出すために、一度は行く必要があるところなの」
 そう話す彼女の表情は、心なしか憂いの色を帯びていた。
 しかし、悲しそうだとか切なげだとか、単に暗い表情というわけではない。憂いの色を帯びつつも、道を拓いてゆくような彼女らしい強さは感じられる、そんな顔つきである。
「……いえ。正しくは、私が未来への一歩を踏み出すため、ね」
 するとナギが手を挙げる。
「俺との一歩っすか!?」
「調子に乗らないでちょうだい」
 妙にテンションの高いナギを、嫌悪感丸出しの目つきで睨むエリナ。
 彼女の睨みは、相変わらず迫力が凄い。
「俺との一歩?何それ。ナギったら、変なの」
「真面目っすよ!」
「まったくもう。相変わらずだね、ナギは」
 言いながら笑うレイ。
 だが私には、ナギが真剣さのある表情なのが気になって仕方ない。
 本当にエリナと何かあったのではないか。それこそ、共に歩んでいくような関係になったとか。いや、もちろん、私の勝手な想像なのだが。
「それでエリナさん。寄りたいところって、どこですか?」
「そうね、言い忘れていたわ。ここからすぐ近くの……」
 エリナは携帯電話を取り出し、その画面をレイへ見せた。指で何やら指し示している。
「あ、はい。なるほど。えっと、ここですか?」
「えぇ。ここをこう行って、すぐに」
「あっ、そうでした!そっか。ふんふん」
 暫しやり取りをするレイとエリナ。
 私たちは二人の話が終わるのを待つ。
「こんな説明で分かりそうかしら」
「はい!では早速!」
 レイはその凛々しさのある顔に、安定の爽やかな表情を浮かべつつ、旅館の外へ歩いていく。長い脚が綺麗だ。
「それじゃあ行きましょうか。全員問題ないわね」
「待って下さい、エリナさん」
「何かしら」
 口を挟んだのは、私のすぐ隣にいる武田だった。
「どこへ行くのですか?」
 武田が淡々とした調子で尋ねると、エリナはほんの数秒間を空けて答える。
「瑞穂の墓よ」
 答えを聞いた武田は、またしても淡々とした調子で、「そうですか」と言った。眉ひとつ動かさずに。
「もういいわね?」
「はい。ありがとうございます」
 武田とのやり取りを終え、エリナは歩き出す。ナギはそれを小走りで追っていく。
「……待って」
 エリナとナギの後ろを行くのはモルテリア。ててて、と二人についていく。小鳥のような愛らしさだ。
「では私たちも行こうか」
「はい」
 返事をすると、武田は、私の指に指を絡めてくる。
 武田のいきなりの行動に戸惑っていると、「触れていたいんだ」と彼は笑った。穢れのない、無垢な笑顔。三十路を過ぎた男とは到底思えない。
「さらぼっくりを瑞穂さんに紹介するのが楽しみだ」
「え?紹介するんですか?」
 正直少し怖い。
 瑞穂が本当は優しい女性だということは分かっている。意味もなく攻撃してくるような者ではない、ということも。
 しかしなんというか——姑に会うかのような気がして、緊張する。
「あぁ、もちろん。私の大事な、未来の妻だからな」
「……えっ」
「何を驚いているんだ、さらぼっくり」
 いやいや。
 突然「未来の妻」などと言われれば、驚くしかないではないか。
「行く行くは私の妻となってくれる予定なのだろう?」
 これは気が早い。
 世の中にこれほど気が早い人間がいるとは驚きだ。
 しかもそれが武田なのだから、世の中、なかなか謎に満ちている。
「私としては、さらぼっくりによく似た娘がほしいな……」
 もはや何を言っているのやら。
「ところで、お前はどうなんだ?」
「何がですか」
「これからも、私を好きでいてくれるか?」
「もちろんです」
 当たり前だ。時の経過で飽きるような好意なら、とうに消え失せていたはずである。何年も抱き続けてきたこの気持ちが変わることなど、ありはしない。
「本当か?今も好きか?」
「もちろん」
「嫌なところがあれば言ってくれ。言ってくれれば、改善するように努める」
「分かりました」
「現時点で改善すべきことはあるか?」
「特にありません」
 ただ一つあるとすれば、質問がしつこい時があるところだろうか。
 しかしそれは、不器用な彼が私を思ってのことなのだろう。彼なりの気遣いである。
 だから、改善するよう言うほどではない。