コメディ・ライト小説(新)
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.59 )
- 日時: 2017/12/10 16:39
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 49hs5bxt)
29話「一夜明け、再会」
色々なことを喋りながらナギと歩いていると、いつの間にやら六宮の駅へ着いていた。駅まで真っ直ぐ向かったわけではないので、事務所を出発してから少なくとも一時間は経過していることだろう。
長い距離を私にしては速く歩いたのもあり、息が荒れてくる。
だが、温かな春の日差しとサラリとした空気のおかげで、比較的過ごしやすい日ではある。汗はあまりかかなかった。
「ちょっと疲れたみたいっすね。どこか店でも入るっすか?」
ナギは疲れた様子の私に気を遣ってか提案してくれる。
私にだけはなぜか絡んだり褒め続けたりしてこない彼だが、気遣いくらいはしてくれるらしい。それだけでも感謝である。
しかし、彼と二人で店にはいるというのはどうもしっくりこない。
「そうですね……」
そんな曖昧な返事をしつつ悩んでいた——その時。
ちょうど通路の向こうから見覚えのある二人組が歩いてくるのが視界に入った。クリーム色の短い髪に華奢で小さな体つき。
「……どうして!?」
すれ違う直前、私は大きな声を漏らしてしまった。
その二人組が確かに茜と紫苑だったから。
近くにいたナギの顔がほんの少し強張る。先日戦ったばかりの二人に街で遭遇したのだから、当然といえば当然だ。
しかし小さな二人組は私たちを無視して通り過ぎていこうとする。
「待って!」
私は半ば無意識に二人を呼び止めていた。
燃える炎のような赤い瞳と、夜の闇のような紫の瞳が、私を捉える。
その状況になってから、私は二人を呼び止めたことを少し後悔した。一般人もたくさんいるこの場所では戦いにはならないだろうが、もし交戦することになれば、こちらが圧倒的に不利である。
なんせ、まともに戦えるのはナギしかいないのだ。
彼はいつでも拳銃を所持しているようなので今も持ってはいるだろう。しかし、彼一人で茜と紫苑の両方を捌くのは、さすがに厳しいはずである。
今はただ戦いが勃発しないことを願うのみだ。
「……天月沙羅」
紫苑が驚いたように目を大きく開きながら、静かな声でそう言った。だがすぐに視線を逸らす。
「今日は戦う命を受けていないから。失礼するよ」
どうも戦う気でこの辺りにいたわけではなさそうである。
「ちょっと待ってもらっていいっすか?」
何事もなかったかのように歩き出そうとした二人をナギが制止した。彼の手には、彼の相棒である拳銃が握られている。
「ナギさん!?ここでそれはまずいですよ……!」
こんなところで戦いになれば一般人も巻き込んでしまうことになりかねない。多くの人たちに迷惑をかけてしまうことになる。それだけは絶対に避けなくてはならないことである。
「えぇ?なになに?」
口を挟んだのは茜。容姿を見た感じ明らかに茜だが、昨夜とは雰囲気が異なる。
プライベートだからだろうか。
「さっき言ったはずだよ、今日は戦わない」
紫苑は淡々とした調子で返すが、ナギは彼女らに銃口を向けたままだ。
「昨日は逃げといて、よくのうのうと姿を現せたものっすね」
「悪いけど……ぼくたち今日はプライベートだから——」
落ち着いた様子の紫苑が言い終わるより先に、パァンと乾いた音が響いた。道行く人が振り返り、驚いた表情で離れていく。
「プライベートもなにもないっすよ。女の子でもアンタらは好きじゃない。逃げるような卑怯者は、いくら可愛くても無理っすわ」
ナギの顔から普段の明るい笑みは消えていた。
彼は続けて二発三発撃つ。紫苑は無言で銃弾をかわす。その頃には、紫苑の表情も変わっていた。
「まぁ、仕方ないか」
「買い物はどうするつもりっ!?」
「ごめん、茜。それはこの男を倒してからにしよう」
「えぇー」
淡々とした態度の紫苑とは対照的に、茜は頬を膨らまして文句を言っている。子どもがごねるような感じだ。
「分かった。ただ……場所を変えようか」
紫苑の紫色をした双眸には鈍い光が宿っていた。戦闘モードに入った時の目である。彼女はもはやプライベートモードではない。
何もない平和な一日を過ごせる、なんて甘かった。そう簡単に平穏が訪れるはずなどなかったのだ。
それから私たちは駅の裏にある路地へと移動した。いかにも不良の群れがタバコを吸っていそうな、少し不気味な暗い路地である。一人だったら絶対に通る勇気の出ないような場所だ。
移動する途中、私は、茜や紫苑に気づかれないよう細心の注意を払いながら、レイへ電話をかける。電話をかけるといっても、何かを話せるわけではない。しかし、レイなら無言の電話をかけるだけで勘づいてくれるはずだ。
「さて!ここからは遠慮なく行かせてもらうっす!」
ナギは改めて拳銃を構え、黒い銃口を紫苑へ向ける。彼の三つ編みにした金髪が冷たい風に揺れる。
「……やるからには本気でやらせてもらう」
対する紫苑は、三本の細いナイフを構える。
ナイフを握っているのと逆の手には、昨夜の銃創らしき傷が残っていた。やはり一夜で治るものではないのだろう。それでも彼女は戦う気があるようだ。決して怯んでいない。
茜はまだ不満そうな顔つきのまま、様子を見守っている。
私は不安に包まれながらナギの無事を祈るのみだ。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.60 )
- 日時: 2017/12/11 14:21
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HTIJ/iaZ)
30話「現れた救世主」
人通りのない路地は、異様に寒く感じる。まるで外界から隔離された場所にいるかのような気分になってきた。人々の姿は見えず、足音や声も聞こえない。多分そのせいだろう。
向き合うナギと紫苑、それを見つめる茜と私。背筋が凍りつくような空気の中、今まさに、戦いの幕が上がろうとしている。
それにしても、ナギがこんな真剣な表情をすることがあるなんて、予想外としか言いようがない。自身のことを語る時ですら明るく笑っていた彼なのに。
しばらくの沈黙があった。どちらも仕掛けない、様子を探りあうような時間だ。
やがてナギの指が引き金に触れた瞬間、紫苑は駆け出す。
直進だ。
次から次へと放たれる銃弾を、軽く跳ねるようにして避けつつ、ナギへと向かう。彼女の紫の瞳はナギだけを捉えている。ただひたすら、真っ直ぐに。
紫苑はほんの数秒でナギの懐へ潜り込む。
彼女の武器は、その小さな体と、それゆえの素早さ。彼女はそれらを存分に活かせる動きを見せる。そもそものスピードと無駄のない効率的な動作があいまって、予測以上の素早さになっている。
しかし、ナギもそう簡単には終わらない。
即座に後ろへ下がった彼は、紫苑のナイフを持つ手に向けて銃弾を放つ。放たれた銃弾は、紫苑が持つナイフのうち一本に見事命中。それをはたき落とした。
紫苑が微かに動揺した隙を見逃さず、ナギは拳銃に新しい弾を入れる。
——だが、その時。
ほんの一瞬、ナギが紫苑から目を離した瞬間。紫苑はナギに向けてナイフを投げた。
「危ないっ!!」
私は半ば無意識にナギを突き飛ばしていた。彼は驚いた表情で私を見る。
刹那、紫苑が投げたナイフが視界に入った。銀に輝く細い刃がこちらを睨みながら飛んでくる。
これはまずい、と心の底から思った。
素人同然の私には、凄いスピードで飛んでくるナイフを避けられるような、人間離れした運動神経はない。それでなくとも私は運動が苦手な部類である。
「沙羅ちゃん!」
ナギが悲鳴に近しい緊迫感のある声で叫ぶのが聞こえた。しかしそれに応える余裕はない。
「……っ!!」
避けるどころか悲鳴を上げることさえできず、飛んできたナイフは私の首筋を掠める。今まで体験したことのないような鋭い痛みに、一瞬だけ脳内が真っ白になる。ほんの少しの時間だけだが意識を失ったかと思った。
気がつけば私は地面に座り込んでいた。
顔を真っ青にしたナギがこちらへ駆け寄ってくるのが視界に入る。
「沙羅ちゃん、大丈夫っすか!?」
彼はいつになく慌てた顔をしている。
いつもはヘラヘラ笑っているばかりだが、時にはこんな顔もするのか。ぼんやりする頭で、そんなどうでもいいことを考えた。
首筋から肩へ、赤いものが伝う。傷は思いの外深いらしく、首の奥が熱くなるのを感じる。
「しっかり。沙羅ちゃん、しっかり!」
このままでは危険。それは十分分かっているのだが、心はなぜか妙に落ち着いていた。
いや、もしかしたら、ただ慌てる体力がなかっただけかもしれないが。
「私に構わないで下さい……。次が来ます」
「それはそうだけど、でも!」
ナギは目に涙を溜めて半泣きだ。いつも笑顔なだけに意外である。彼に悲しい顔は似合わない。
「ナギさん、後ろ……」
紫苑が再びナイフを構えるのが見えたが、私は十分な大きさの声を出すことができなかった。自分としては普通に声を発したつもりなのだが、いつもの半分くらいの大きさしか出ていない。
私の小さく掠れた声は、混乱しているナギに届かない。
「何をしている!」
聞き慣れた声に、私はハッと目が覚めるような感覚を覚えた。音の刺激で一時的に視界がパッと広がる。半泣きだったナギは驚きに目を見開いて、顔を上げている。その視線は私から外れていた。
「武田さん……」
そう言ったナギは、口をぽかんと開けて戸惑った様子だ。何がどうなっているのか理解不能、といった顔つきである。
だが、意識がしっかりあるのか怪しい私も、こればかりはさすがに驚きを隠せなかった。
今日の見回りは私とナギ、武田がここにいるはずがない。なのに彼は確かにここにいる。状況がまったく飲み込めない。
「ナギ、お前は二人を止めろ。一分でいい」
「お、俺っすか?」
「そうだ。一分だけでいい」
「わ、分かったっす!」
ナギは真剣な顔で立ち上がり、改めて拳銃を構えた。
それとほぼ同時に、武田が私のすぐ横に座る。横たわる私の上半身をスッと起こした。彼に触れられるなんて特別な気分だ。こんな時でなければ、心臓が破裂する勢いだったに違いない。
「大丈夫か、沙羅。すぐに止血する」
武田は落ち着いた様子で言い、取り出したハンカチを私の首筋へ当てる。
「……武田さん」
傷は痛む、血も流れている。
でもなぜだろう。ほんの少しだけ、嬉しい気持ちが湧いてくる。
「……どうして」
彼が私だけを見てくれている——。
「レイへ電話をかけただろう。無言だったが、異常が発生したことはすぐに分かった」
「なるほど……」
携帯電話を通話の状態にしておいたのが良かったようだ。いつもは役立たずで情けない私だが、その選択は正解だったらしい。
「何か不安なことは?」
「……ちょっと寒いです」
「そうか。血の出しすぎだな」
武田は顔色一つ変えずに言い、スーツの上着を脱ぐ。そしてそれを私にかけてくれた。
「そこでじっとしているといい。血はもう止まったから大丈夫だろう」
私は夢を見ているかのような錯覚に陥りながら、「はい」と一言だけ返した。
武田のスーツをかけてもらえるだなんて、これはもはや奇跡だ。いや、奇跡などという次元ではない。もしかしたら私はもう死んでいて、ここは天国なのかもしれない。そんな風に思うぐらいである。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.61 )
- 日時: 2017/12/13 23:50
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: jWLR8WQp)
31話「甘い」
武田はゆっくりと立ち上がり、紫苑へ視線を向ける。
余裕を感じさせる動作だが、それとは対照的に、鋭利な刃物のごとく鋭い目つきである。その視線を向けられたのが私でなくて良かった、と安堵してしまったほどの威圧感だ。
「昨日の今日で戦うつもりなんだ。さすがは規格外の化け物」
紫苑は作り物のような顔にうっすらと笑みを浮かべる。興味深い、といった類いの笑みだ。それに対し武田は、眉ひとつ動かさず、愛想なく「よく言われる」とだけ返した。
それにしても、白いワイシャツと黒のネクタイという格好は、武田のかっこよさを別の方向に一段階引き上げている気がする。
もちろん普段のきっちりと着こなしは良いと思う。隙のない完璧な男性というのも嫌いではない。私の感覚からすれば、むしろ好ましいくらいだ。
しかし、日頃は完璧に見える彼だからこそ、僅かな隙すらも魅力となる。防具を脱いだ戦士のような、どこか隙のある感じ。そこが良——いや、待って。話がずれてしまっている。
私は一体何を考えていたのだろう?今は余計なことを考えていてよい状況ではない。
「紫苑、もういいよ。今日はせっかくの休日なんだよぉ?こんなやつの相手なんて……」
「いや、これはチャンスだよ。この機会を逃すわけにはいかない」
「まったく。真面目だねぇ」
茜は呆れたように溜め息を漏らす。彼女は気が進まない様子だが、紫苑は逆に武田と戦うことを望んでいるように見える。無表情でクールに見える紫苑だが、案外血の気が多い少女である。
人は見かけで分からない。まさにその通り。
「二度目はない。覚悟しろ」
武田は背筋の凍りつくような冷ややかな視線を紫苑に向けたまま言い放つ。
「それはこっちのセリフだよ。ぼくは一度戦ったやつには負けない。記憶力が良いからね」
「今回は言動の不一致に気をつけるとしよう」
どうやら二人ともかなりの負けず嫌いらしい。既に視線が激しく火花を散らしている。
それを見ていてふと思ったのだが、武田と紫苑は、ある意味似ている部分があるのかもしれない。
性別や年齢はもちろん、体格戦いのスタイルも——すべてにおいて正反対の二人。だが、根本に流れる思考は近しいものがある気がする。
例えば、昨夜の中途半端な結果に少なからず不満を抱いているところとか。
気づいた時には、紫苑は武田のすぐ目の前に移動していた。ナギの時と近いパターンだ。彼女の動きは速すぎて、一般人の私にはまったく見えない。
しかし武田の瞳は彼女の動作を確実に捉えていた。
紫苑による下からの攻撃を腕で払うように防ぎ、すぐに反撃に出る。身長差のせいもあってか、武田はほとんど足技ばかりだ。
彼の長い足から繰り出される蹴りは、速度自体はそれほどではない。しかし、届く範囲はかなり広い。それに加え、一撃の威力が高そうだ。
武田と紫苑。二人の攻防はあまりに激しく、ナギもさすがに入っていけないほどだった。援護する隙すらない。
「なかなかやるね。でもスピードならぼくが上だよ」
紫苑の口角が微かに上がる。
それから十秒も経たないうちに、彼女はナイフを握り直す。その瞬間は一般人の私にも見ることができた。奇跡だ。
そして、彼女は武田の脇腹にナイフを突き立てる。一本の細いナイフが刺さった武田はほんの一瞬だけ表情を変えたが、即座に落ち着いた顔つきに戻っていた。
「甘い」
油断によって生まれた僅かな隙を見逃す武田ではない。
彼は紫苑の細い腕を掴み、その軽い体を宙で回転させるようにして地面にねじ伏せた。上に乗るようにして押さえ込まれれば、いくら紫苑でもさすがに抵抗できまい。勝敗は決したも同然だ。
武田は脇腹に突き刺さった細いナイフを引き抜くと、紫苑の華奢な首にあてがう。
「丁寧に武器を提供してくれるとはな」
既に勝利を確信したらしく、武田の表情には余裕の笑みが浮かんでいた。
「離して!」
その様子を見ていた茜が叫ぶ。燃えるような赤い瞳からは、焦りと憎しみが混ざった感情が透けて見える。
「こんなの意味が分からないっ!紫苑を離しなさいよぉっ!」
キャンキャン騒ぎ立てる茜を、武田はひと睨みする。
「黙れ」
たったの三音で、彼は茜を黙らせた。彼の低い声にはそれだけの威圧感があるのだ。
「沙羅に傷を負わせておきながら、ただで済むと思うな」
茜は何か言いたげな顔だが、言葉を発するには至らなかった。単に武田からの圧力のせいなのか、紫苑が傷つけられないようにと考えてなのか、私にはそこまでは分からない。
「こいつは連れて帰る。ナギ、沙羅を頼めるか」
「え。徒歩で帰るんっすか?」
「いや、車だ」
「あ、そうなんすか。じゃあ沙羅ちゃんも安心っすね!」
武田が来てからは一度も使わなかった拳銃をしまいながらナギがこちらへやって来る。
私は武田から借りたスーツの上着を羽織ったまま、ナギに連れられて車へと向かうこととなった。
武田は紫苑を片腕で拘束したまま歩き出す。ナイフの刃は彼女の首元に当てたまま。これでは端から見ればまるで誘か——いや、これ以上は言ってはならない。
車へ戻る途中、ナギが「茜はいいんすか?」と尋ねると、武田は「放っておけ」とだけ答えた。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.62 )
- 日時: 2017/12/15 17:53
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /dHAoPqW)
32話「痛みを感じない」
私とナギ、そこに紫苑を加え、武田の車に乗って事務所へと帰った。武田は車でここまで来ていたらしく、おかげで歩いて帰らずに済んだ。ありがたい。
偶然か否か、私はまた助手席になった。ナギと拘束した紫苑は後部座席である。
ふと隣の武田に目をやると、彼のワイシャツに赤いしみができていることに気がつく。そういえば彼は紫苑にナイフを刺されていた。その傷から出た血によるものだろう。
もしかしたら武田はまた忘れているのかもしれない。私と彼が初めて出会ったあの時と同じように。
「武田さん、大丈夫なんですか?刺された傷は……」
すると彼はこちらを見て、パチパチとまばたきする。
「どうした?」
聞き逃したようだ。顔つきを見ている感じ、やはり意識してなさそうである。
こんな怪我をいかにして忘れるのか、という疑問はあるが、そこには敢えて触れないでおく。彼に尋ねたところで首を傾げられるだけだと予想がつくからだ。
「脇腹のところ、痛くないんですか?手当てした方が……」
「あぁ、これか。この程度の深さならどうもない」
いや、そうじゃなくて。
危うく言ってしまうところだった。ギリギリ言葉を飲み込めたのでセーフ。
それにしても、脇腹から血を滴らせている人が運転する車に乗っているこちらの気持ちも、少しは考慮していただきたいものだ。数分で事務所に着くとはいえ、いつ何がどうなるやら分からずハラハラである。
後部座席に視線を移す。紫苑を見張っているナギは、なにやらそわそわしていた。落ち着かない様子だ。もしかしたら彼も私と同じ心境なのかもしれない。
武田には色々と突っ込みたいことがあるが、そこは敢えて流し、別のことを尋ねてみる。
「武田さんはどうしてそんなに怪我に強いんですか?」
すると彼はサラリと答える。
「私にもよく分からん」
……そんなことだろうと思った。
彼がそういう人間だということを知らない私ではない。
「ただ、私は戦っている時、痛みを感じない」
「なんだか凄いですね」
「戦闘でない時は分かるのだが。なぜだろうか」
武田は理由が本当に分からないらしく、首を傾げている。
戦闘時だけということは、アドレナリンが出ているからだろうか。あるいは何か他の理由が?私も専門家ではないので詳しいことは分からない。
「武田さんの戦い方は異常っすよね!」
後部座席のナギがいきなり会話に乱入してきた。
「異常?」
私はつい漏らしてしまう。
「そうっす!まるで暴れる怪ぶ——」
「ナギ。私も傷つくことはある」
武田がナギの発言を遮って言った。
「皆怪物だの化け物だの好き放題言うが、正真正銘人間だ。これは間違いない」
散々な言われようを少し気にしているような素振りを見せる武田。
あまり気にしない質のようで、実は彼なりに気にしているのかもしれない。彼の言葉を聞いているとそんな気がした。
「それは知ってます。武田さんはどこから見ても人間ですし」
すると彼の表情が、雨上がりの空のようにパアッと晴れた。普通の感覚で考えるとあまり大きな変化ではない。しかし、彼にしては派手な表情の変化である。
「そう言ってくれた者は瑞穂さん以来だ」
口角がほんの僅かに上がっている。穏やかな笑みを浮かんでいると、普段とはまた異なった印象だ。
「瑞穂さんはどんな人だったんですか?」
私はさりげなく尋ねた。
詮索していると思われたくないので、なるべくあっさりとした雰囲気を漂わせるよう心がける。それがお互いのためでもあるのだ。
私の問いに対し、武田は特に躊躇うことなく返してくれる。
「瑞穂さんはとにかく優しい人だったな。未熟で情けなかった私をいつも気にかけてくれていた」
「良い人ですね」
発した言葉に偽りはない。ただ、ほんの少し切ない気持ちになった。武田が今でも瑞穂を尊敬しているということが分かってしまったから。
私に出る幕はないのかもしれない——ついそんな風に考えてしまう。しかし私はすぐに切り替えるよう努める。
少し何かがあるとマイナス方向に考えてしまうのは私の悪い癖だ。これを改善しなければ、私は自分に自信を持つことができない。自分に自信を持てないような者を武田が好きになってくれる可能性は皆無に等しい。
私は変わらなくては。
そんなことを考えているうちに、車はエリミナーレの事務所へ着いた。歩けば十五分近くかかるが、車でなら十分もかからない。本当にあっという間だ。
車を降りると、紫苑はナギから武田に引き渡される。
多少は抵抗するものと想像していたが、紫苑は一切抗うことをしなかった。暴れるどころか、話すことすらしない。ずっと俯いたままだ。
「沙羅ちゃん、首は大丈夫っすか?」
先を歩く武田の背中をぼんやり眺めていると、ナギが明るい声で尋ねてきた。私は笑みを作って「はい」とだけ答える。ナギは安心したようにホッと溜め息を漏らし、「それなら良かった」と言ってくれた。
そこで彼は話題を変える。
「沙羅ちゃんは、武田さんの強さに引かないんすか?」
「引く?どうしてですか?」
「いや、特に深い意味はないっすけど……」
私は十秒くらい考えてから答える。
「引きませんよ。むしろ凄く頼もしいと思います」
するとナギは笑って「さすがっすね」と言った。
何がさすがなのかはよく分からないが、まぁ気にするほどのことではないだろう。