コメディ・ライト小説(新)
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.85 )
- 日時: 2018/01/22 15:15
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kct9F1dw)
47話「休日」
翌日。目が覚めて時計を見た時、既に十時を回っていた。
私は慌てて飛び起きる。みんなはもう起きているはず。完全に寝坊だ。大慌てでスーツに着替え、髪を整えて、リビングへ走る。
「す、すみませんっ!遅れてしまいました!」
ドアを開け、飛び込むようにリビングへ入った。しかし、リビングに入ってすぐ、違和感に気づく。
人がいない。
午前十時に誰もいないはずがない。私はキョロキョロ辺りを見回す。
「あ、あれ……?」
しばらく見回していると、台所の方から武田が歩いてきた。片手にはカップラーメン、もう片方の手にはコップを持っている。
朝食にしては遅く、昼食にしては早い。かといって間食にカップラーメンはないだろう。
「沙羅、起きたのか。おはよう」
私に気づいた武田は、あっさりした挨拶だけでソファへ向かう。彼は今日も自分のペースを貫いている。
「あ。おはようございます」
私は挨拶だけしか返せなかった。こんなだから会話が盛り上がらないのだ。
レイやモルテリア、それに加えてナギもいない。もちろんエリナも。
広いリビングに二人きり——そう考えると、恥ずかしいような嬉しいような、微妙な気分になる。もっとも、二人きりだからどうということはないのだが。
「今日って、何かあったんですか?」
勇気を出して尋ねてみると、武田は顔をこちらへ向けた。
その拍子にばっちり目があってしまい、胸の鼓動が速まる。寿命が縮みそう、なんて思ったりする。
「何もない。ただの休日だ」
そうか、今日は休日だったのか。
エリミナーレの休日は曜日で定められていない。なので定期的に連絡をもらうシステムとなっている。このシステムにはどうもまだ慣れない。
武田はテーブルに置かれたカップラーメンへ視線を戻した。
割り箸でくるくると掻き混ぜ、たまに麺を上へ引き上げたりしている。あくまで想像の域を出ないが、もしかしたら彼は熱すぎる物が苦手なのかもしれない。仮にそうだとすれば、親近感が湧く。
「レイとモルはお出掛け、ナギは女探し、エリナさんはまだお休み中だ」
意外にも詳しく教えてくれる武田。淡白に見えて親切なところは彼の美点だと思う。
「武田さんは?」
「見ての通り食事中だ。休日用にとっておいた、新作のカップラーメン」
「それ、新作なんですか?」
「レバニラ入り甘め醤油味。珍妙な味シリーズの最新作だ」
武田は若干嬉しそうな顔をしていた。表情がいつもより柔らかく、しかも自然である。
さすがの武田も食事の時くらいは無防備になるのだろうか。あまりイメージできないが、彼とて人間。心が緩む瞬間がないはずはない。
「それより、沙羅の今日の予定は?用事は何かあるのか」
レバニラ入り甘め醤油味のカップラーメンを啜る合間に彼は問う。
何と答えるのが最善なのだろう。自力では答えを出せなかった。事実の通り「何もない」と答えれば良いのかもしれないが、それではいけないような気もする。
「武田さんは何かありますか?」
考える時間を稼ぐため、取り敢えず問い返すことにした。
問いに問いで返すな、などと言われそうな気がする。しかし、意外にも、彼は突っ込まなかった。
「特にない」
私の問いに、彼は短く答える。予想外に早く終わってしまった。会話が上手く続かない。
「じゃあ今日は一日中ここにいらっしゃる予定ですか?」
「そうだな。今日は事務所でできる仕事をする予定だ。色々と溜まっているからな」
それでは休日と言えないんじゃ……。
内心思いながらも言わなかった。敢えて言うほどのことではないと判断したからだ。
それより、これはチャンスだ。彼の仕事を手伝うことにすれば、今日一日傍にいられる可能性はおおいにある。
「そうでしたか。もし私でよければ、お手伝いしますよ」
せっかくのチャンスを挑みもせずに逃すのは愚かとしか言い様がない。
昨日までの私なら尻込みしてしまっていただろうが、今日の私は違う。ちゃんと言える。絶対に逃げたりしない。
「問題ない、私一人で十分だ」
いきなり見事に断られたが、それでも決して諦めない。
「一人より二人でやる方が早く終わります。だから一緒に」
「必要ない。自分でできる。だから、私のことは気にするな」
武田はカップラーメンの麺を啜りながら淡々とした調子で言い放つ。彼は私と作業をするのが嫌なのだろうか。
「……ごめんなさい。私じゃ力不足ですよね」
私が関わると、必ずと言っていいほどハプニングが起こる。そして余計な仕事を増やしてしまう。一緒に仕事をしたくないと思われるのも当たり前だ。
そんなことは分かっている。
けれども、ほんの少し期待してしまっている自分がいた。もしかしたら受け入れてもらえるのではないか、と。
だがそんなものは所詮幻想にすぎなかったのだ。
「いや、そういう意味では……沙羅?」
自分でも気づかぬうちに、目から涙がこぼれ落ちていた。頬を伝い、やがて顎までたどり着く。長い旅を終えた涙は、襟を濡らして姿を消した。
「……なぜ泣く」
武田は細めの目を見開き、困惑した顔をしている。
私は小声で「分からない」と返すのが限界だった。
なぜ泣いているのか、なんて尋ねられても答えられるわけがない。むしろこちらが聞きたいくらいである。
そんな私に、武田は静かに歩み寄ってくる。
「すまない。何か悪いことを言ってしまったか?」
彼は膝を曲げて少し屈み、私の顔を覗き込んできた。泣き顔なんて見られたくない。そう思い、顔を背ける。
「嫌なことがあったのなら言ってくれ。私は人の気持ちに疎いが、言葉で伝えてくれれば分かると思う」
「……何でもないです」
私は本当のことを言えなかった。本心を述べるということは、私が武田の傍にいたいと思っていることをばらすと同義。無理だ、言えるわけがない。
「何もないはずがないだろう。お前は何もないのに泣くのか?あり得ない話だ」
私は腕で涙を拭い、ようやく武田に目をやる。
そして驚いた。
彼の瞳が不安げに揺れていたからだ。どんな状況にあっても冷静さを失わない彼が、眉頭を寄せ、不安の色を浮かべながら私を凝視している。
それは私にとって、かなり衝撃的なことだった。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.86 )
- 日時: 2018/01/03 22:27
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gF4d7gY7)
48話「息抜きも必要」
武田がこんな些細なことで動揺した顔をするなんて。私のことで彼の心が揺れるなんて。嬉しいことではあるのだが、信じられない。
私たちはそれほど近い距離ではなかったはずだ。私は彼を好きでも、彼は私を仲間程度にしか思っていないだろう。その仲間程度の相手に、こんな顔を向けるだろうか。
「ごめんなさい、武田さん。あまり気にしないで下さい……」
色々あったせいで少し疲れているのかもしれない。きっとそうだ、疲れているから涙が止まらないのだ。積み重なったストレスで情緒不安定になっているだけに違いない。
「気にしていただくような理由はありません。大丈夫です」
無理矢理笑おうと試みるが、逆に涙が込み上げて、上手く笑えない。
「余計に気になる。気になって仕方ない。聞かせてくれ」
「たいしたことじゃないです」
「それでも構わない」
——言ってもいいのだろうか。
お手伝いしたかった、なんて。
子どものようだと笑われたらどうしよう。……いや。ここで言うことを拒否したら嫌われてしまうかもしれない。それはそれで困る。むしろそちらの方が嫌だ。
こうなっては仕方ない。意を決して話すことにする。
「私、武田さんのお手伝いをしたかったんです。いつも迷惑かけてばかりだから、たまには力になりたいと思って。でも、私ではお手伝いすることすらできないんだなって。そう思ったら……急に涙が」
泣くつもりなんて全然なかった。けれど、なぜか急激に涙が込み上げてきて、耐えきれなくて泣いてしまった。
何も知らない第三者から見れば、いかにも武田が悪いような状況だ。彼はきっと不快な思いをしたことだろう。
「そうか。私が雑に断ったのが悪かったのだな」
武田は目を細め、どこか寂しげに言う。
「すまない」
私の手を取り、目を真っ直ぐに見つめて、真剣な声色で謝ってくれた。
胸が強く締めつけられる。
彼はただ、「手伝おうか?」という提案を断っただけ。急に涙が流れたのは、私の想像が暴走した結果。言うなれば自業自得というやつだ。
それなのに私は武田に謝らせてしまった。なんて身勝手なのだろう。
「そんなつもりではなかった。ただゆっくり休んでほしかっただけだ」
私の胸が申し訳なさで満たされていく。
「だが、私の言葉が足りなかったのも事実。今後同じ過ちを犯すことがないように努める」
き、気まずい……。
しばらく流れ続けていた涙が止まるにつれ、場が非常に気まずい空気になっていることに気づいてくる。私と武田意外に誰もいないのが唯一の救いだろうか。
「武田さんは悪くありません。こちらこそ、勝手なこと言ってごめんなさい」
そして沈黙が訪れた。広いリビングが静寂に包まれる。
胸の鼓動が彼にも聞こえてしまっているのではないか。そんな風に思うくらい静かな空間だった。
ちょうどそんなタイミングで、リビングの扉が開く。
かなり勢いよく開けたものだから、扉は壁にぶつかり、バンと大きな音をたてた。欠けたりへこんだりしていないか心配になるほどの音である。
そんな調子でリビングへ入ってきたのはエリナだった。
「おはよう。今起きたわ」
桜色の長い髪は後ろで大雑把にまとめている。服装はいつものパリッとした感じではなく、ゆるりとした大きめのパジャマだ。怪我している右足を半ば引きずるように、ゆっくり歩いてくる。
「あら。武田と沙羅が二人きりだなんて珍しいわね。他は全員お出掛け?」
「はい。レイとモルはお出掛け、ナギは女探しです」
エリナの問いに対し、武田は先ほどと同じことを答えた。
それを聞き、呆れ顔になるエリナ。
「レイとモルはともかく、ナギのやつ……」
彼女が呆れるのも分からないではない。女探し、だなんて。
爽やかな雰囲気が魅力のレイ、ミステリアスだけど純粋なモルテリア。年はだいぶ上になるが、とにかく根性が凄まじいエリナ。エリミナーレにはこれほど美人が揃っているのに、彼は一体何をしているのやら。
ちなみに、私は美人に含まれない。
「まぁいいわ。休日だもの」
エリナは若干歩きにくそうにしながらも自力で歩く。そしてソファに腰を下ろした。
「何をしようが個人の自由というものよね」
休日の自由行動は結構許されているようだ。ありがたいことである。もっとも、今の私には特別したいことなんてないが。
「それにしても沙羅。貴女は行きたいところ、ないの?」
「あまり考えたことがなかった気がします」
「そう。随分欲がないのね」
エリナは静かにそう言った。
私は武田といられるならそれでいい。彼と同じ空気を吸って暮らせるだけで幸せだ。
遊びに行きたいだとか、何かをしたいだとかは、あまり考えてみたことがなかった。そういう意味では欲のない人間と言えるかもしれない。
しばらくしてから、ソファに腰かけているエリナが口を開く。
「武田。沙羅をどこかへ連れていってあげなさい」
「どこかへ、とは?」
いきなりの指示に戸惑いを隠せない様子の武田に、エリナは続けて言い放つ。
「せっかくの休日だもの、遊ばないなんて勿体ないわ。沙羅を楽しませてあげなさい。車は使っていいから」
私には彼女の意図が理解できなかった。だが、武田も同じ気持ちのようで、おかしなものを見たような怪訝な顔をしている。
「ですがエリナさん、事務所は」
「それは安心して。私がちゃんと見張っておくわよ」
「足を痛めてられるのに、一人にするわけにはいきません。何があるか分からないでしょう」
「不要な心配だわ」
エリナはハッキリとそう告げた。その声に迷いはない。本心からの言葉だと、容易く察することができる。
「たまには息抜きも必要だと思うわ。いってらっしゃい」
微笑んで手を振るエリナを見て、なんだか不思議な気分になった。いつも競うような態度を取っていた彼女だけに、私と武田を親しくさせようとしているかのような行動をすると、とても違和感がある。
ずっと応援してくれていたレイならともかく、エリナがこんなことを提案するはずがない。
そんな違和感を抱きつつも、私は武田と二人で外出することになるのだった。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.87 )
- 日時: 2018/01/04 23:35
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: te9LMWl4)
49話「今からずっと前のこと」
まさかこんなことになるとは。
武田の仕事を手伝えたらいいなくらい思っていたのに、いつの間にか二人で外出することになっている。しかもそれを提案したのはエリナ。もはやよく分からなくなってきた。脳内がぐるぐるなってくる。
そんな微妙な心境のまま、私は武田と、追い出されるように事務所を出た。速やかに出掛けた方が良さそうな雰囲気だったからだ。
とはいえ、行く当てはない。それに、武田と二人で長い時間を過ごすなど、緊張で胃に穴が空きそうである。
「……さて。どうしたものか」
車の運転席に座り、シートベルトを締めてから、武田が淡々とした調子で言った。さっきのこともあって非常に気まずい。
「どこへ行きたい」
「え。私ですか?」
「そうだ」
「えっと……」
どこへ行きたいかと聞かれても、すぐには何も思い浮かばなかった。考える間、つい黙ってしまう。喋りで繋ぎつつ考え事をするのは苦手だ。
一分ぐらいが経過しただろうか。武田が口を開く。
「特に希望がないなら、取り敢えず適当に回るでも構わないが」
「あ、良いですね。それでお願いします」
武田から提案してくれたことに安堵する。
「そうか。では適当に回ることにしよう」
「はい!」
どうするかが決まり心が緩んだせいか、私にしては大きな声が出てしまった。いつになく元気な返事をしてしまい少々恥ずかしい。
武田は視線を前へ移し、アクセルを踏み込んだ。
二人しかいない車内は、なんだか妙に広く感じる。言葉はなく、しんとしている。冷たい空気でないのが唯一の救いだ。
これまではいつも、後部座席にレイやナギがいた。だからそれなりに会話ができたし、静寂に包まれることはなかった。みんなの存在の大きさを、今さら痛感する。
「武田さん。一つ質問させていただいても構いませんか?」
私は少しでも楽しい雰囲気にしようと、話を振ってみることにした。
「もちろん」
彼はさっとこちらへ視線を向け、淡々とした声で返す。落ち着いた、それでいて温かみのある声だ。
「もし誰かに好きだと言われたら、武田さんはどうしますか?」
いずれ通る道、今のうちに調査しておいた方がいいだろう。誰かが私だと気づかれないよう細心の注意を払いつつ尋ねてみた。幸い武田は、このような分野のことには疎い。だから勘付かれることはないはずだ。
武田は何か考えているかのように黙り、数十秒ほど経過した後、やっと口を開く。
「私は恋愛感情を抱かない。だから、応えてやることはできないだろうな」
「どうして恋愛感情を抱かないんですか?」
人間なら誰しも、他者を愛しく思う気持ちは持っているはずだ。大小や対象の差はあるにしろ、愛しく思う心を一切持たない人間はいないだろう。
もし仮に恋愛感情を持たない人間がいるとしたら、その人は恋愛感情というものの存在を知らないはず。その人なら、「恋愛感情を抱かない」とは言わないと思う。そもそも恋愛感情自体を知らないのだから。
「どうして……か」
小さな溜め息を漏らし、数秒間を空けてから続ける。
「恋愛感情は人を弱くする。そう思うからだ」
「なぜそう思うんですか?」
私は武田に出会い、彼を好きになったから、決めた道を諦めず歩み続けることができた。だから私は、誰かを想うことで手に入れられる強さもあると思うのだが。
「……非常に個人的な話になってしまうが」
彼は少々言いにくそうに話し出す。
「まだ新日本警察に所属していた頃、私は先輩である瑞穂さんにお世話になっていた。彼女は私に、仕事やら戦闘やら、あらゆることを教えてくれた」
武田にも習っていた時代があったというのがなんだか意外だ。特に、彼が戦闘を習っているところなど、まったく想像できない。
生まれた時から強かった。
私の中では、武田といえばそんなイメージだ。
「瑞穂さんとエリナさんは中学校時代からの友人だったらしい。二人はいつも一緒にいたので、私もそこへ交ぜてもらっていることが多かった」
「なるほど。仲良しだったんですね」
武田は静かな表情で頷く。
「ある日突然、瑞穂さんは、一人の男と付き合うことになったと言い出した。相手は金やらなんやら怪しい噂の絶えない男だった。だからエリナさんは、付き合わない方がいいと反対していたのだが」
「当然ですよね。友達なら心配するでしょうし」
一番の友達が変な男と付き合うと聞けば、誰だって止めようとするだろう。止めないのなら、それは友達とは言い難い。
表面上だけの付き合いならあり得るかもしれないが、エリナはそんな人間ではないだろう。
「結局瑞穂さんは付き合った。だが、その男とは案外上手くいっているようだった。いつも笑顔で、とても楽しそうにしていたな」
「なんだか怪しいですね……」
「あぁ。今思えば、まったくその通りだな」
ある日、夜中に突然、瑞穂さんから電話がかかってきたことがあったと言う。彼女は「恋人の男が闇組織と金をやり取りしている」と話したらしい。なんでも書類を発見してしまったとかで、随分狼狽えていたと武田は話す。
「だが翌朝会った時、瑞穂さんは『覚えていない』と言っていた。私は自分が寝惚けていただけだなと思った。夢でもみたのだろう、と。だからエリナさんにも話さなかった」
それからも瑞穂の様子に変化はなかったらしい。普段通り楽しそうにしていたし、時には三人で遊びに行くこともあった、と武田は話す。
「あれは年末だっただろうか。三人で食事会をしていると、瑞穂さんに突然電話がかかってきた」
「彼氏さんからですか?」
「そうだな。事件で呼び出されたらしく、瑞穂さんだけが先に抜けて帰った」
信号で車が一時停止する。
それとほぼ同時に、武田は寂しげな表情を浮かべた。
いつだっただろう、こんな寂しげな表情を見たことがある。……そうか、前にすき焼きの話をした時のエリナか。瑞穂の話題になると、どうしても寂しげな表情になってしまうようだ。
「それで?」
武田は躊躇うように俯き、黙り込んでしまった。車内が静まり返る。暫し沈黙が続いた。
だが、やがて彼は決意したように顔を上げ、その口を開く。
「その日瑞穂さんは——この世から去った」
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.88 )
- 日時: 2018/01/06 03:15
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ACwaVmRz)
50話「それでも嬉しい」
車内が暗い空気に包まれる。信号が青になり、車が再び走り出しても、その空気は変わらなかった。こんな時レイやナギがいてくれればどんなに気が楽だろう、と考えてしまう。
「だが瑞穂さんの死が明るみにでることはなかった。仕事によって命を落としたにも関わらず、だ。しかも、彼女の死には不可解な点が多すぎる。恐らく詳しく知られては困る事情があったのだろうな」
正直私には重い話だ。
だが、不思議なことに、聞きたくないとは思わなかった。私が話を聞くことで彼が少しでも楽になれるなら、たとえ重い話題であっても聞いてあげたい。心からそう思った。
過去を変えられるわけでも、相応しい言葉を確実に返せるわけでもない。
それでも、聞くことはできるから。
「瑞穂さんは強い人だった。仮に大の男が数人がかりで奇襲したとしても、そう簡単にやられるような人ではない。にも関わらず命を落とした。それも、私たちと別れて一時間くらいの間に」
窓の外に広がる景色を楽しむ余裕はない。車は走り続けているが、どこへ向かっているのか尋ねることさえできなかった。
「……だから武田さんは恋愛感情を抱きたくないんですか?瑞穂さんの二の舞になりたくないから……」
「恋愛感情は人を弱くする。私がそう思う所以だ」
たった一つの例ではないか。瑞穂は選んだ相手が悪かったのだろう。もし相手が普通の男性であったなら、きっと上手くいっていたはずだ。
だから恋愛感情だけのせいではない——私はそう思う。
けれど、言葉として発することはできなかった。親しい人を失った痛みを和らげるには、何かのせいにしてしまう必要があったのかもしれない。そんな風に考えたから。
「すべてを自分にとって都合がいいように解釈する。相手を正しく見定められなくなる。あの頃の瑞穂さんは明らかに隙だらけだった。些細な幸せに溺れ、その結末がこれだ」
「尊敬している人のことなのに結構言いますね」
「瑞穂さんを責めているつもりはない。先ほど沙羅が言った通り、私は彼女と同じ道を辿りたくないというだけのこと」
武田は淡々とした声で述べた。その表情からは強い決意が窺える。静かで、しかしながら一切迷いのない、真っ直ぐな決意。彼自身が納得しない限り、その決意が揺らぐことはないだろう。
「だから私は恋愛感情を抱かない。そうやって生きてきた。それはこれからも変わらない」
彼はハッキリと言い放つ。声も表情も真剣そのものだ。
だが、一生誰も愛さずに生きていくなんて、あまりに気の毒だ。鮮やかな世界も、胸の高鳴りも、知ることなく死んでいくことになるのだから。
武田に助けられたあの日、私の世界は大きく変わった。特別これという夢もなく、漠然としていた未来に、一つの確かな目標ができたこと。それは私の人生において非常に大きなことだった。
「でも、誰も愛さず生きていくなんてつまらなくないですか?」
私の問いに彼はあっさり返す。
「あまり気にしたことはない。この職ではどのみちまともな関係を築くのは無理だしな。それに」
「それに?」
「将来性のない私に寄ってくる女性などいない」
思い込みが女性を遠ざけている気がする。「かっこいいのに惜しいな」なんて少し思ったり。
もっとも、私としては女性に大人気よりずっと良いのだが。
「親しくしてくれるのはエリミナーレの仲間だけだな」
武田は冗談混じりに言いながら笑う。どこか可愛いげのある笑みだ。
「私も含まれますか?」
「それはもちろん。当然沙羅もエリミナーレの仲間だ」
ぎこちない笑みを浮かべる武田は意外と愛嬌がある。日頃真顔でいることが多いだけに特別な感じがするのだ。
私一人に向けてくれていると思うと、嬉しくて恥ずかしい。他人に分かるくらい赤面してしまっているのでは、と少しばかり心配になった。人には言えない、贅沢な心配である。
「仲間だなんて、私にはもったいないお言葉です。でも嬉しいです」
「それなら良かった」
武田はどことなくすっきりした顔つきで続ける。
「今日はいきなり重苦しい話をしてしまって悪かったな。沙羅には関係のないことだ、忘れてもらって構わない」
忘れるものか、と心の中で呟く。せっかく手に入れた武田の情報を忘れられるはずがない。既にしっかり記憶した。
「よし。ちょうど着いたな」
「え?」
「私が知る唯一のお出掛けスポット、水族館だ」
「す、水族館っ!?」
これはさすがに驚きを隠せなかった。散々重苦しい話をしていたところ、水族館に到着していた。一瞬「瞬間移動の魔法でも使ったのか!?」と非現実的な発想に至ったほど、強い衝撃を受けた。
つ、ついていけない……。
「ここは気に入らなかったか?」
不安そうにじっと見つめてくる武田。厳しい顔つきではないのだが、凝視されると妙な圧力を感じる。
「い、いえ。嬉しいです」
「嫌ならハッキリ言ってくれ。実際どうなんだ。沙羅は海の生き物は嫌いか?」
海の生き物って。言い方が新鮮で面白い。
「そんな、嫌いとかじゃ……」
「私に気を遣うことはない。素直に答えてくれ」
「好きですよっ!!」
何度も執拗に聞かれたものだから、徐々に面倒臭くなって、ついに叫んでしまった。
やってしまった、と焦る。しかし武田は満足そうに「そうか」と漏らしていた。こればかりは、彼のずれた感覚に感謝だ。
「よし、では行こう」
武田はそう言って手を差し出してくる。きっとこれも、何も考えずにしている行動なのだと思う。
それでも——やはり嬉しい。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.89 )
- 日時: 2018/01/08 02:07
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: A4fkHVpn)
51話「水の楽園」
「水族館なんて凄く久々です。もう数年来ていません」
しばらくそれどころではなかったからだ。
採用不採用にほぼ関係ないと思われる筆記試験のために、数年間勉強してきた。あの勉強が必要だったのかどうかはよく分からない。ただ、仮にそれほど必要性がなかったとしても、人生にまったく役立たないということはないはず。いや、そうでないと困る。私の費やした時間が無駄だったということになってしまうから。
大学生になってからは同級生の空気に馴染めず、遊ぶといえば家で遊ぶくらいのものだった。おかげで交友関係はたいして広がらなかった。
けれどこうして楽しく過ごせているのだから、この道を選んだことを後悔してはいない。
「私も、五年以上来ていない。ある意味同じと言えるかもしれないな」
「確かにそうですね」
多少は会話が成り立つようになってきた。が、やはり長くは続かない。私がもっと器用に話せたなら改善されるのだろうか……。
「よし。では入場券を買ってくる」
武田は妙にやる気に満ちている。
「私も一緒に行きます。離れていて迷惑をかけてしまったらいけないので」
私は彼についていくことにした。少しでも近くにいたいからだ。もちろん、事件に巻き込まれてはならないので、という理由も完全な嘘ではないが。
それから私たちは入場券を買いに窓口へ向かった。
何でも機械化のこの時代に、機械ではなく人間が入場券を売っている。珍しくて少しばかり戸惑ったが、新鮮な感じがして嫌ではない。
幸いそれほど並んでおらず、すぐに順番がくる。
カウンターの向こう側に座っている五十代くらいの女性は、武田を見て、一瞬顔をひきつらせた。黒いスーツを着た高身長の男がいきなり現れたものだから、何事かと驚いたのだろう。
カップルの彼氏やファミリーの父親、男友達のグループ。辺りを見回すと色々な立場の男性がいる。年代も少年から老年まで様々だ。けれど、スーツ姿の者はほとんど見当たらない。
「入場券二枚、お願いします」
武田は直立したまま女性に頼んだ。女性は「は、はい」と、緊張した面持ちで詰まらせつつ返す。
「カップルチケットのほ……」
「何だと?」
「い、いえ。男女ペアのお客様用にカップルチケットという入場券がありまして……」
五十代くらいの女性は、武田の圧力に怯んでいる。カウンター越しでも圧倒されるようだ。
「それは普通の入場券と何かが違うのか?」
武田が興味を示したからか、女性はほんの少しだけ安堵した顔つきになる。
「はい。通常の入場券二枚より五百円お得になっております。それに加え、特典もお付けさせていただいております」
通常の入場券より安く、しかも特典付きときた。かなりお得である。この水族館は、どうやら、カップル層の集客に力を注いでいるらしい。あくまで想像だが、大体正解だろう。そうでなければ、カップル限定で手厚いサービスをすることはないはずだ。
武田は一度口を閉じ、すぐに顔をこちらへ向ける。そして落ち着いた声色で「どうする?」と尋ねてきた。彼一人では判断できなかったようだ。
「それでいいと思いますよ」
私はさらっと返す。
どちらでもいいが急いでほしい。というのも、今から入場券を買いたい人の列が、かなり伸びてきているのだ。
カウンターは三つあるので、私たちがゆっくりしていても、完全に機能停止してしまうわけではない。だが、三つのうち一つが使えない影響はそこそこ大きいらしく、列がみるみる伸びていく。
「ではこちらで頼む」
「カップルチケットですね!ありがとうございます!」
女性は嬉しそうに応じる。
ノルマでもあるのだろうか?ついそんな夢のないことを考えてしまった。
武田は入場券代を速やかに支払う。きっちりの金額を出したので、会計はすぐに終わった。背後からの圧力からやっと解放され、私は半ば無意識にホッと息を吐いていた。
私が今の短時間で気疲れしたことなどまったく気がついていない武田は、独り言のように「よし」と呟いている。
呑気という言葉が最も似合わないイメージの彼だが、今の彼の様子は呑気そのものだ。呑気より相応しい言葉が見つけられないくらいである。
入場券を手に入れたので、さっそく入館する。それからは驚きと感動の連続だった。
様々な種類の魚が大量に泳いでいる大きな水槽は、本物の海かと錯覚するほどに壮大。外から射し込む太陽光が、水を煌めかせている。この光景だけでも十分価値があると思う。
深海魚用に薄暗いエリア、小さなカニや脚が長すぎるカニのいるエリア、バリエーション豊富なクラゲのエリア——とにかく色々あった。どれもユニークで、非常に興味深い。生物の多様性を改めて感じた。
「水がキラキラして綺麗でした。なかなか凄かったですね!」
「あぁ。なかなか怖かったな」
え、何の話?
私は怖さの話をしていた記憶はないのだが。突っ込みたい衝動を堪える。
それよりも一番の驚きは、武田に怖いという感情があることだ。包丁やナイフを刺されてもさほど動揺しない彼を怖がらせる水族館は、かなりレベルが高い。
「何か苦手なんですか?」
「私はまったく泳げない。だから水は嫌いだ」
「えっ。じゃあどうして水族館に……」
「お出掛けと呼ぶに相応しい出掛け先が他に思いつかなかったからだ。女性は大抵水族館が好きと聞いたことがあったのでな、ここを選んだ」
女性が大抵水族館を好きかどうかはともかく。
お出掛け感を演出しようと努力してくれていたことには感謝したい。私一人のために考えてくれたことは何よりも喜ばしいことだ。
「なので沙羅、水辺での事故や事件には巻き込まれないように気をつけた方がいい。いくら私でも、火の中水の中とはいかないからな」
「火も水も恐ろしいですよね」
「その通り。水は恐ろしい。だが、火の中なら駆けつけられる。そこは心配しなくていい」
「火も大概危ないですよ……」
私にとっての結論は「どちらも怖い」だ。火も水も、生活していくうえで必ず必要なものだが、時に人間の命を奪ってしまう。
「沙羅はエリミナーレの仲間だ。火くらいでは見捨てない」
流れるプールなら見捨てられるかもしれない……。
「水は浅くても無理ですか?」
「すまないが無理だ。私が出ると、むしろ状況を悪化させてしまう確率が高い」
「それは困りますね」
私と武田はどうでもいい話をしながら水族館の敷地内を悠々と歩く。
空はよく晴れていて、太陽の光が眩しかった。