コメディ・ライト小説(新)
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.92 )
- 日時: 2018/01/09 01:50
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5VHpYoUr)
52話「何事もなくは終わらない」
しばらく歩いた後、少し休憩しようという話になり、近くにあった軽食店へ入ることにした。賑わっている店内はウッド調で、外から光が射し込んでいる。自然派でありながらも爽やかな印象の店だ。
私たちは唯一空いていた窓側の二人席に座る。店員のお姉さんがメニューと水を届けてくれた。非常に気が利く。
メニューはなかなか魅力的だった。フルーツスムージーやカップケーキのような甘い系もあれば、フライドポテトや白身魚のフライなど塩気がある軽食系もある。とにかく幅広い。
そんな中で私が意外だと思ったのは、ステーキやパスタなどの食事系も充実していることだ。種類が豊富で、しかも、すべてそれなりに美味しそうである。
「武田さんは何にします?」
「実に難しい」
「分かります。こういうのって結構迷いますよね」
見慣れれば落ち着いて選べるようになるのだろうが、初めてなのでなかなか選べない。ジャンルは幅広く、しかも種類が多すぎる。迷えと言わんばかりだ。
「今日は私がもつ。だから好きなものを頼んで構わない」
「えっ。そんなの悪いですよ。自分で払います」
私も子どもではない。入場券は買ってもらってしまったが、せめて食事代くらいは自分で払うべきだろう。
「いや、沙羅は払わなくていい」
「そんなのダメです!付き合ってるわけでもないのに」
「待て。なぜそうなる」
「とっ、とにかく!武田さんが二人分払う必要はありません!」
ついうっかり余計なことを言ってしまうところだった。いや、既に若干言ってしまったが。
ギリギリセーフだろうか。
「そうか。沙羅が嫌なら仕方ないな。すまなかった」
武田は僅かに視線を下げる。
彼の様子を目にすると、申し訳ないと思う気持ちが一気に込み上げてきた。せっかく奢ろうとしてくれたのにそれを強く拒否するなんて、酷いことをしてしまった気がする。今さら気づいても時既に遅しというものだが、甘えておく方が良かったかもしれない。
次からは気をつけよう、と自身の心に言い聞かせた。
「ところで注文は決めたのか?」
「そうですね。私は……」
再び何げない会話へと戻った、ちょうどその時だった。
「——沙羅ちゃん!?」
突如、背後で誰かが私の名を発した。
晴れた空のように爽やかで、聞き覚えのある声。そうだ、この声はレイだ。
「それに武田も。どうして!?」
振り返ると、驚き顔のレイが立っていた。その数歩分ほど後ろには、メロンパンを頬張るモルテリアの姿もあった。
二人がお出掛け中だということは武田から聞いていたが、まさか遭遇するとは予想していなかった。こんな偶然が現実に起こるものなのだろうか。
「……会えて嬉しい」
レイの後ろにいるモルテリアは、メロンパンを恐るべきスピードで口に押し込みながら、小さな声で言う。頬が大きく膨らんでいたが、ほんの数秒もしないうちにゴックンと飲み込む。
「レイとモルか。二人もここへ来ていたとは、驚きだ」
武田は言葉とは裏腹に淡々とした調子で述べる。レイらとバッタリ遭遇したことに驚いている様子はない。妙に冷静だ。
だが前以て仕組んでいた感じもない——そもそも彼はサプライズ的なことをする質でない。その可能性は潰して構わないだろう。
結局のところ、やはりこれは完全に偶然ということか。奇跡としか言い様がない。こんなこともあるのだな、と感心した。
「どうしてここにいるの!?」
レイは驚いた表情のままだ。
「エリナさんに沙羅を連れて出掛けろと命じられたからな。車を運転していると、いつの間にかここへ来てしまっていた」
まるで無意識に水族館まで来てしまったかのような言い方だ。随分適当である。
「エリナさんが出掛けろって?珍しいこともあるものだね」
レイは眉を寄せ、怪しむような顔つきで返す。
それは私も同感だ。
エリナなら、私が武田を好きだと知っていても、素直に応援してはくれなさそうだ。むしろ嫌らしい言動で挑発してくる可能性の方が高いだろう。しかし彼女は、私が武田と同じ時間を共有する後押しをしてくれた。
もしかしたらエリナは武田に恋愛感情を抱いていないのではないかと、そんな淡い期待をしてしまいそうである。
「最近のエリナさんはよく分からないな。以前はずっと傍にいるように命じられていたのだが……近頃距離を置かれている気がしてならない」
エリナの変化には薄々気がついているらしい。人の感情に極めて疎い武田ですら気づくとは、余程大きな変化なのだろう。
「気にしたら負けだと思うよ。それより、沙羅ちゃんと遊ぶといいよ!若い女の子と一緒にいると若返るらしいし!」
いきなり何の話だろう、と思いつつも苦笑で流す。私を思っての発言だと察することができたからだ。レイが悪意のある発言をするわけがない。そこは安心である。
「それは私が老けているということか……?」
「いや違う!違うからっ!」
レイは激しく否定してから、はぁと溜め息を漏らす。
「じゃ、あたしたちは行くよ。二人の時間を邪魔したら悪いからね」
レイの言葉に反応し、モルテリアはコクリと頷く。素直な子どもみたいで可愛らしい。
——刹那。
キャアッという甲高い悲鳴が店内に響いた。辺りが急激にざわつく。今までの楽しい雰囲気から一転、空気が凍りつく。
声の主がどこにいるのかはすぐに分かった。私たちがいる席からは遠く離れた席だ。気づかないふりをしていれば巻き込まれない距離である。
「……何なの」
ちょうどその場から離れていこうとしていたレイは怪訝な顔で立ち止まる。
「野蛮な奴らか?」
武田も悲鳴が聞こえた方に目をやって言う。
水族館へ遊びに来て、様々な生き物の観察を楽しみ、お店でホッとひと休み。今日はさすがに大丈夫だろうと踏んでいたが、それは誤りだったらしい。
何事もなく終わる日はない。それがエリミナーレである。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.93 )
- 日時: 2018/01/09 16:41
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: tVX4r/4g)
53話「放置はどうなの」
距離があるのでハッキリとは見えないが、目を凝らすとなんとか見えた。
女性一人と、それを取り囲む多勢の男性だ。無理矢理のナンパか、あるいはいちゃもんをつけ絡んでいるか、恐らくその辺りだろう。
いずれにせよ女性は嫌がっている。そして、嫌がっているにも関わらず、男性たちに囲まれていて逃げ出せない状況である。実に気の毒だ。
「助けに行きますか?」
私は武田に尋ねてみる。大きな騒ぎに発展する前に止めに入るべきと考えるかもしれないからだ。しかし彼は、「命が危なくなるまで様子見だ」と、実にあっさりした答えを返してきた。
続けてレイにも同じ質問をしてみる。武田とは意見が異なることも十分にあり得るからだ。だが彼女もやはり「もう少し様子を見よう」と答えた。
「放っていて本当に大丈夫ですか?」
念のためもう一度尋ねてみた。
みんな揃ってやけに淡白なのが不思議だ。休日だからだろうか?理由は分からない。しかし「助けに行った方がいいかも」と思っているのが私だけだということは理解できた。
「うん、あのくらいなら大丈夫だと思うよ。店員さんがどうにか収めるはずだしね」
「そういうものなんですか?」
「あたしたちみんな今日は遊びに来たわけだし、いちいち出ていくこともないんじゃないかな。沙羅ちゃんは良い子だね」
そう言ってレイは笑う。やや男性的な雰囲気のある凛々しい顔に浮かぶ笑みは爽やかで、「かっこいい」という言葉がよく似合う。
だが、困っている女性を放置するというのは、なんとなく腑に落ちなかった。
一人でいたら男性に囲まれた。そのような状況にいる女性は、きっととても不安なはずだ。体は震えるだろうし、怖くて仕方ないだろう。
いくら普通な人間の男性とはいえ、一人ぼっちの女性からすれば十分な脅威である。しかも一対多で明らかに不利な状態だ。
「沙羅ちゃん、巻き込まれないように気をつけてね」
「はい。気をつけます」
それだけは本当に気をつけなくてはならないと思う。私はすぐに巻き込まれる質なので、離れていても何かの拍子に絡まれる可能性が高い。なるべく目立たないようにしておかなくては。
それから十分ほどが経過しただろうか。女性一人とそれを囲む男性数名は、いまだに揉めていた。
おかげで店内は殺伐とした空気になり、辺りは静まり返ってしまっている。手早く会計を済ませ、速やかに店から出ていく者も多くいた。私たちが入店した時の楽しい雰囲気は、もはや微塵も見受けられない。
「まだ続いてる。結構しつこいね」
レイが困り顔で呟く。
確かにかなりのしつこさだ。十分以上続けているのだから、周囲の客にかなりの迷惑をかけている。男性たちはそのことに気がついていないのだろうか。だとしたら好き放題暴れている小学生と大差ない。体は大人でも精神は子どもレベルということである。
……もっとも、年相応の精神レベルに達していない私が、偉そうに言えたことではないが。
「揉め事は余所でしてもらいたいものだな、まったく」
武田は疲れたように溜め息を漏らしている。
「せっかく楽しい水族館なのに、なんだかもったいないですよね。それに、みんなが遊びに来ているところで揉め事なんて。あの男の人たち、もう少し周りに気を遣うべきです」
何があったか知らないが、周囲への配慮を欠かさないでほしい。そんな風に思い話していると、武田がいきなり立ち上がる。
「止めてこよう」
ついさっきまで他人事のような態度をとっていた武田だが、急にやる気になったようだ。
「レイ、沙羅をよろしく頼む」
「えっ!行くの!?」
レイはポカンと口を空け、数回パチパチとまばたきする。
「どうやら沙羅は放っておくのが嫌らしい。なので止めてくる。それに何か問題があるだろうか」
「まぁいいけど……騒ぎを大きくしすぎないでよ」
武田は一度しっかり頷くと、速やかに揉め事が起こっている席の方へ向かう。
ピンと伸びた背筋と、漆黒のスーツ。お互いの魅力を引き立てあっていると感じた。彼はその高い身体能力のわりには細身だ。がっちりした体格ではない。
しかしそれでも後ろ姿は逞しい。私はつい見惚れてしまった。
「沙羅ちゃん、頑張ってるね」
武田が去った後の席に軽く腰掛けたレイが爽やかな笑顔で褒めてくれた。
彼女が顔を動かすたび、後頭部で一つに束ねられた青い長髪が揺れる。女性らしさを感じさせるサラリとした髪はとても魅力的だ。正直羨ましい。
私の髪も極めて質が悪いわけではないし、今までずっとたいして気にはしていなかった。毛質について誰かに指摘されたり悪く言われたことはない。だから気にするきっかけなんてなかったのだ。
しかし、シャンプーのCMに出てくるようなレイの髪を目にすると、少々羨ましくなってきた。
「武田ともだいぶ親しくなってきたみたいだし、もうひと頑張りってところかな?これからも応援しているよ」
レイはいつも気の利いた発言をしてくれるので、私は彼女が近くにいてくれてとても助かっている。けれどそれを直接言葉にすることは、恥ずかしさに邪魔されてなかなかできない。
「……最近の沙羅は前向き」
椅子に軽く腰掛けるレイの真横に立っていたモルテリアが、独り言のような小さな声で言った。モルテリアは見た感じ心ここにあらずのようだが、案外ちゃんと話を聞いていたりする。
「モル?」
「……今の沙羅はいいと思う。楽しそう……」
口数の少ないモルテリアに言われると自然と信じてしまう。彼女が嘘やお世辞を言えるような人間ではないと信頼しているからかもしれない。
私は「ありがとうございます」と言って、再び武田へ視線を戻した。
「急に話しかけてごめんねぇ」
揉め事を解決しに向かった武田の背中に見惚れていると、突然声をかけられる。
振り返るとそこには一人のお婆さんが立っていた。七十は優に超えているであろう。しかし非常に奇抜な格好で、完全にこの場に馴染めていない。
身長は私より数センチ小さい程度だと思うが、腰が豪快に曲がっているせいでかなり小さい。顔も体も痩せていて、手などは骨と皮しかないような貧層さである。
しかし、その痩せ細った体つきとは対照的に、華やかさのある服装だった。鮮やかな色の糸で刺繍された赤紫の長いローブ、黒いレース生地で作られた地面に触れそうな丈のスカート。普通のお婆さんだとは到底思えないような服装である。
「何か御用でしょうか」
すかさずレイが応じる。爽やかな声と表情——相手がどんなに意地の悪い人間でも文句のつけようがないだろう。
しかしお婆さんは不愉快そうな顔をした。
「あたしゃ、そっちのお嬢さんに話しかけたんだよ。でしゃばってくんな」
先ほどとは異なり、厳しい声色で放つ。少し怖いお婆さんだったようだ。
「お前さんが天月さんであってるかねぇ?」
「は、はい」
自己紹介もしていないのに私の名前を知っているなんて、一体何者なのだろう。気味悪く思いながらも一応頷く。
「良かった良かった。ちょっと頼みたいことがあったんだよ」
「私にですか?」
「ちょっと手洗いについてきてほしくてねぇ。頼めるかい?」
まさかの頼みだった。歩けるのだから、お手洗いくらい自力で行けるだろうに。しかもなぜ無関係な私なのか。まったく理解不能だ。
「頼めるかい?」
断りたい気持ちは山々だが、断ると先ほどのレイのように睨まれそうなので、私は仕方なく「はい」と答えた。するとお婆さんは機嫌よさそうに歪な笑みを浮かべ、「助かるわぁ。ありがとうね」などと返してくる。レイに助けを求めたくて仕方ないが、この状況では無理だ。
それにしても、意味不明なお婆さんに絡まれるとは……別の意味恐ろしい。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.94 )
- 日時: 2018/01/10 21:59
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: JbPm4Szp)
54話「偶然か、それとも」
「本当に助かったわぁ。ありがとうねぇ」
「いえ……」
お婆さんは自力で歩けていた。足取りは若者と大差ないほどしっかりしていて、転倒しそうな感じなどはまったくない。見ている感じ、付き添う必要があるとは思い難い状態である。
しかし、下手に拒否して怒られても怖いので、できる限り丁寧に接するよう心がけた。親切に、そして敬意を持って。ひたすらそれを意識する。
「あたしにゃ孫が二人いてねぇ。ちっさくて、まぁるい瞳で、そりゃとても可愛い女の子の双子なのよ」
何の話だ、と突っ込みたくなる衝動を抑える。唐突に話題が変わったので遅れないよう気をつけなくては。
「お孫さんが双子なんですか?」
「そうそう。茜と紫苑っていう名前なのだけどねぇ、なんせ可愛い女の子で」
「茜と……紫苑?」
——まさか。
いや、それはないか。きっと偶然に違いない。
紫苑はともかく、茜という名前はよくある名前だ。私の高校の同級生にも茜という子はいた。だから、茜と紫苑といってもそれがあの二人だという直接的な証明にはならない。
「そうなのよぉ。あたしゃ本当は、あの子たちと一緒に水族館へ来たかったのだけどねぇ」
お婆さんは話しながら、深いしわが刻み込まれた顔をクシャッと縮めて笑う。
孫は可愛い。それは彼女も抱いている思いのようだ。
奇抜で非常に浮き世離れしたファッションだが、心は普通のお婆さんと同じなのかもしれない。多くのお婆さんが孫を愛でるように、彼女もまた、双子だというその孫を愛しているのだろう。
「お孫さんは今はどちらに?」
「実は今、入院中でねぇ。つい先日、あたしの仕事のお手伝いをしてくれていたのだけれどね、その途中に怪我しちゃったのよぉ」
「そうですか」
入院中ということは——お婆さんが言う茜と紫苑は、やはり私の知るそれらと同一人物なのかもしれない。……いや、これはもう、かもしれないという次元の話ではない。同一人物だ、とハッキリ言って構わないと思う。
事務所を襲撃された時、茜はエリナが鞭で気絶させた。紫苑は私がまぐれの一撃で失神させてしまった。私の記憶によれば、あの後二人は病院へ搬送されたのだ。恐らくまだ入院していることだろう。
お婆さんが先ほど言った「入院中」という発言と一致している。
ということは、このお婆さんがナギの言っていた占い師。そう考えてだいたい間違いないだろう。
つまり、彼女は私たちエリミナーレの敵。
「あ、もう着いた。あっという間だったねぇ」
気づけばトイレに到着していた。喋りながらだと本当にあっという間だ。
「はい。ここで大丈夫ですか?それでは……」
彼女がエリミナーレの敵だと気づいた以上、二人きりの状況にはなりたくない。一刻も早く席へ戻り、このことをレイにすぐに伝えなくては。どう考えても私一人で対応できる問題ではない。
だが、現実はそう甘くなかった。
「まだ話し足りないねぇ」
お婆さんはしわだらけの口元を歪め、奇妙な笑みを浮かべる。それを目にした瞬間、冷たいものが背筋を駆け抜けた。
突如腕を掴まれ、そのままトイレの個室内へ引きずり込まれる。お婆さんの握力は想像を絶する強さだった。七十歳を越えた女性の握力とは考えられない強さである。私の力程度ではまったく抵抗できない。
「いきなり何するんですかっ」
私は半ば反射的に叫んでいた。しかし叫んだところで何の意味もない。個室の中で声を出したところで、外へは少しも届かないのだ。
「天月沙羅、お前さんがエリミナーレの一員であることは既に分かっているからねぇ」
「……やっぱり」
「ふふふ、薄々勘づかれていたようだね。でもそんなことはどうでもいい」
お婆さんは扉を閉め、鍵をかける。鍵をかけられたことで、助けを呼ぶ方法は完全になくなってしまった。希望はかなり無に近しい。
レイを呼びたいのだが、携帯電話が入った鞄は席に置いてきた。持ってくるべきだった、と心の底から後悔する。携帯電話を持っていれば少しくらい何かできたかもしれないのに。
「この前はうちの双子がお世話になったねぇ。強者揃いとは聞いてたけど、あの子たちを倒すほどとは思わなんだねぇ……」
個室という狭い空間に、敵であるお婆さんと二人きり。これは危険すぎる状況だ。
彼女は年老いているので、紫苑のように接近戦を得意としている可能性は低い。だが只者ならぬ雰囲気を漂わせている。その雰囲気から、普通にいるお婆さんと一緒にしてはならないということは、容易く理解できた。
ナギの話通り占い師だとしたら、得意分野は肉弾戦ではないはずだ。だとしたら何をしてくるだろう。怪しい術でも使うのだろうか。
「……何をするつもりですか」
「そう身構えないでもらいたいものだねぇ」
この状況で身構えずにいられるものか。いかにも危害を加える気満々な人間に対し無防備な姿を曝せる者などいるわけがない。いたとすれば、それはかなりの楽天家か、もしくは愚か者だ。
「天月さんとのお話は楽しかった。だから、もうしばらく付き合ってほしいと思ったってわけだよ。ふふふ」
「意味が分かりません。こちらは少しも楽しくないです」
怒らせてしまうことを内心恐れつつも、気丈に振る舞い強気な発言をした。相手を刺激するような発言をするなんてらしくない。自分でもそう思う。
けれど、私は敢えて失礼なことを言い放った。多少無理してでも強く振る舞っていないと、孤独に押し潰されそうになるからだ。こんなことにたいした意味はないと理解しながらも、挫けないために強い言葉を使う。
すぐに助けは来ないだろう。それに、仮にレイか誰かが異変に気づいても、鍵のせいでここへは入ってこれない。
「そうかい。つれないねぇ」
お婆さんはその骨と皮しかないような手で、私の顎をクイと持ち上げる。
「でも今に見てな。お前さんはすぐにあたしの操り人形となる。この——吹蓮のね」
至近距離で見る彼女の瞳は、この世のものとは思えぬ不気味な色をしている。私は思わず身震いしてしまった。
「意味不明です!離して下さい!」
「ふふふ、大人しくしな。言葉の意味はすぐに分かるから、騒ぐことはないよぉ」
それにしても、お婆さんの名は吹蓮か。
普通の名前らしくないので、もしかしたら芸名のようなものかもしれない。
私は一体どうなってしまうのだろう——。
理解の追いつかない脳でぼんやりと考える。自分の危機だというのになぜか他人事のように感じられ、私は妙に冷静だった。
- Re: 新日本警察エリミナーレ ( No.95 )
- 日時: 2018/01/12 15:27
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: vpptpcF/)
55話「偽りの世界のあの日」
——気がつくと私は、アパートの一室に立っていた。
なぜこんなところにいるのだろう。私は水族館にいたはずなのに。
ところどころ欠けたフローリングに、やや黒ずんだ白い壁紙。目の前には木製の机がある。室内にはクッションや食べ物の空袋などが散乱し散らかっている。整理整頓ができていないことを除けば、どこにでもあるような平凡な部屋だ。
状況がまったく理解できず戸惑っていると、私から一番遠い南側の窓が古臭い音をたてて開く。そこから一人の青年が室内へと入ってくる。
その青年は明らかに武田だった。しかし髪は黒い。そのおかげで現在の武田ではないのだとすぐに分かった。彼は私を一瞥することすらなく、真っ直ぐに歩いていく。視線の先にはクローゼットがあった。
それを見た時、ようやく「そうか」と気づく。これは私が彼と初めて出会ったあの日の光景なのだと。ということはつまり、あのクローゼットの中には高校生だった私が入れられているのだろう。
きっとこれはあのお婆さんの術か何かに違いない。そうでなくては、現実でこのようなことが起こるはずがないのだから。
直後過去の武田はクローゼットを蹴り開け、中からかつての私が出てきた。二人は何やら話している。言葉は正しく聞き取れない。その先を既に知っている私は「早く逃げて」と強く思うが、過去の私はもたもたしている。
そこへ熊のような巨体が帰ってくる。もう二度と見たくない顔だ。
こちらへ向かって歩いてきたので一瞬焦ったが、男にも私の姿は見えていないみたいだった。男は持ってきたジュースの瓶を机の上に置く。そして二人に向かって何やら言い出す。私の存在には誰も気づかない。
襲いかかろうとした巨体は過去の武田に一度倒される。それを見た過去の私は、緊張が緩んだ表情になり口を動かす。まるで捕らわれていたことを忘れたかのような呑気な顔。私は「さっさと逃げないと」と言いたくて仕方がない。
なんせ、ここで速やかにこの場を離れれば、過去の武田が男に刺されることはないのだ。
しかしそんな思いが届くはずもなく、結局同じ運命を辿った。
「何なの……これは……」
半ば無意識に漏らしていた。
こんなものを改めて見せるとは悪質すぎる。
今思えば、あの時はまだ良かった。ついさっき出会ったばかりの者が刺されるのだから。それでも十分恐ろしかったけれど、今見るよりかはずっとましだったに違いない。
結末は分かっている。武田は死なないし私も助かる。
……それでも、辛いことには変わりがなかった。
「こんな悪質なこと!止めて下さい!」
私はどこにいるかさえ分からぬお婆さん相手に叫んだ。いつまでもこのような光景を見続けていたら、そのうちおかしくなってしまう。一刻も早く止めてほしい。しかし返答はなかった。
過去の武田は包丁を突き刺された体勢のまま、過去の私に向けて「逃げろ」と叫ぶ。ここで過去の私は瓶を取りにくる——はずだったのに、彼女は走り出す。部屋の外へ向かって。
「え。どうしてっ!?」
私は思わず声をあげてしまう。ここまでまったく同じ展開だったのに、一番肝心なところで違う展開になるなんて。さすがに驚きを隠せない。
「待って!逃げちゃ駄目っ!」
慌てて呼び止めようとするが、過去の私は振り返らない。私の声は欠片も聞こえないようだ。彼女はあっという間に部屋から出ていってしまった。
「そんな……」
過去の私がやらないのなら、誰が彼を助けるのか。
たとえ現実ではないとしても、過去の映像だとしても、武田が傷つくところを目にするのは嫌だ。
「……止めて。もう止めて!」
誰も彼を助けないし、私は彼を助けられない——それはあまりに辛すぎる。ただ見ていることしかできないなんて。
胸が締めつけられて、まともに呼吸をすることすらできなくなる。
「こんなの……こんなのって……!」
過去の武田は床に押し付けられる。抵抗する彼の背を、巨体は何度も刺した。
私の記憶にこのような光景はない。これは間違いなく偽物の映像だ。お婆さんが私を苦しめるために作り出したのだろうか?だとしたら、かなりの悪趣味である。
フローリングに赤い液体が広がっていく。思わず身震いしてしまうような状況だ。
酷い。酷すぎる。
ここまですると、もはや「偽物だから」で許されることではない。
「どうすれば……いいの……」
焦り、悔しさ、それに恐怖。様々な感情が複雑に混じり、わけが分からなくなって、涙が出そうになってくる。
目と耳を完全に塞いでしまいたい。なのに少しばかり気になってそれもできず、ただしゃがみこんで震えているしかなかった。
私は情けない人間だ。いつも肝心なところで動けなくなる。
もういっそ、ここから消えてしまいたい——。
そう思った瞬間。
「沙羅ちゃんっ!」
背後からレイの鋭い叫び声が聞こえた。私の後ろにあった扉から、レイが入ってきていたのだ。
「……レイさん?」
「沙羅ちゃん!目を覚まして。これは嘘。だからこんなもの、見続ける必要はないよ!」
青く長い髪を揺らす凛々しいレイ。その手には銀の棒が握られている。
パンツスーツの似合う彼女は、真剣な表情のまま、過去の武田たちがいる方へ歩いていく。その瞳に迷いの色はない。足取りも淡々としている。
地面で揉み合う過去の武田と巨体の男がいるところまで歩き、数歩分手前で立ち止まった。そして銀の棒を掲げる。
「消えろっ!!」
レイは叫ぶと同時に、銀の棒を降り下ろす。
その瞬間、世界が白く染まった。