コメディ・ライト小説(新)

Re: 最強次元師!! 【完全版】※全話書き直し作業中 ( No.1 )
日時: 2020/06/07 09:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 
 ※プロローグ修正中
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.2 )
日時: 2020/06/26 19:46
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)


 
 第1章 兄妹


 第001次元 緑色の瞳 
 
 溢れんばかりの歓声が、会場中に広がった。

 「続いての商品は、こちら! 芸術大国の伝説の壺職人が手がけた、世界にたった1つしかない最高峰の作品『アメリオンの壺』! さあさあ! 惜しんでる時間はないぞ! 財ある者は手を挙げろ!」

 高い天井に向かって、十何もの手が伸びた。
 その手首にはだれもが、ギラギラと輝く装飾品を施している。大きなダイヤからシックで上品なデザインのものまで、指輪ひとつとっても、ここに訪れた招待客たちの身分を推察することは容易だった。

 「80万!」
 「85万テール!」
 「87万だッ!」
 「90!」
 「92万!」
 「きゅうじゅ……いや、100万テールっ!」

 その声を最後に、会場は静まり返る。次に名を挙げる者はいない。司会の男は、派手な赤色のジャケットを大袈裟に煽らせると、黒い手袋で包まれた右手を振り上げた。

 「100万出ましたァ! 対抗する方は! いない? いませんか? ……いないようです! おめでとうございます! アメリオンの壺を手にしたのは、100万のあなた!」

 ふたたび、割れるような歓声が沸く。鼓膜を破くような歓喜が、狂気が、この空間を支配していた。

 会場内の喧噪をバックグラウンドに、1人、丸々とした体系の男がワイングラスを弄んだ。
 男は2階席で下の様子を伺っていた。

 「がっはっは! いいぞ、いいぞ! あんな適当に作った贋作に、100万の値がついたか! どいつもこいつも目は悪いが、羽振りはいい」

 男は口を大きく広げて、唾が飛ぶほど豪快に笑っていた。短い丸太のような脚が、もう片方の脚に乗りきらずじつに滑稽な形で男は腰かけに座っている。
 男は、ズボンのポケットに手をつっこみ、小さな器具らしきなにかを取り出した。

 「ご苦労だったな」

 器具越しに声をかけられ、下の階でさきほど司会を務めていた男が、会場の隅のほうで耳元に手を添えた。

 『とんでもありませんよ、デーボン様。私はただの司会です。腕のいい職人に作らせた甲斐がありました』
 「主催なんてのはラクでいいな。はした金でもバラまけば、下の者どもは勝手に動く。おかげで私たちの懐はあったまるばかりだ」
 『ハハ。まったくです』
 「引き続き頼むぞ」
 『はっ』

 デーボン、と呼ばれた男は口元から器具を離した。ポケットにしまうのも忘れて、くくくと厭らし気に笑う。

 「……それに今回は……」

 男は、ちらりと1階の壇上横に目をやった。ひらひらとはためくカーテンが、扉の役目を果たしている。
 そのカーテンの奥はいわゆる舞台裏となっていて、左右と前方に廊下が伸びている。カーテンをくぐり、首を回せばすぐ、廊下にいくつもの部屋が並んでいることがわかるだろう。当然ながら部屋の中には、競売にかける商品が保管してある。
 次に壇上へ運ばれてくる商品のことを思うと、男はにやけた口元を隠しきれなかった。

 「両眼の色が異なり、珍しいと評判の品が手に入った……っ! しかも女だ。幼いガキ。高値がつかないわけがない! また儲けてしまうとは、困ったものだ! ぶあっはっは!」
 「そうか」

 ちゃり、と。
 丸々とした男の耳元で、銀の擦れる音がした。

 「……は」

 太い首筋に、"鎖"が添えられている。
 突然の事態に驚いた男は、分厚い背筋が急速に凍っていくのを感じ取った。振り返ることができず、前を向いたまま、いつの間にか背後にいたその人物に声を投げかける。

 「な……! き、貴様は、いったい」
 「主催者のデーボン・ストンハックだな。名作を騙った贋作の数々を巨額の値での売買するという偽証行為。並びに、人身の売買行為。これらは国内では禁じられている。まさか、知らなかったなどとは言わないよな?」

 そう淡々と告げたのは、黒髪をきっちりと短く切り揃えた若い男だった。会場内の薄暗さに溶けこむような、真っ黒の衣服を着ていた。ところどころ紅色や白のラインが入っており、まるでどこかの団体の制服のようだった。
 まだ青年らしさがすこし残ってはいるが、眉も太く、凛々しい顔つきが10代のそれではない。口調の端々に熱意がこもっている。その若い男が怒気を孕んだ語尾で言い放つと、両手で掴んでいる鎖をぐっと持ちあげた。デーボンの顎が釣り上がる。

 「ひぃっ、ゆ、許してくれぇ!」
 「それはできない。事が済み次第、お前には政府まで同行してもらうからな」
 「せっ、政府……だと!? ……そ、そそ、そんな……。……まさか……」

 デーボンの太い首が、かっくりと折れる。同時に、手に握っていた小さな器具が床に落ちた。絶望の色に染まった顔を覗く限り、これ以上抵抗する様子はなさそうだ。
 黒髪の若い男は、デーボンの手脚に鎖を巻きつけながら、耳に装着した白い器具に指先を持っていく。

 「こちらコルド。主催者の拘束に成功した。あとは任せたぞ」

 器具越しにコルドと名乗ったその若い男は、一方的にそう告げた。文字通り背中を丸くしたデーボンが、ぽつりと呟く。

 「なぜここが……なぜここだとわかった。こんな何の変哲もない、似たような離島はほかにもたくさん……」

 デーボンは信じられないといった風にコルドに問いかけた。コルドはすこし考えてから、ふたたび口を開いた。

 「毎年この時期になると、この島で貴族向けのツアーが開催される。その3ヶ月ほど前から、失踪被害が不自然に増加するんだ。被害者は女子どもが多く、さらには珍しい体質や外観を持つ者が多い。そして、この時期を境に被害が急激に減る──だから目をつけたんだ。……だ、そうだ」
 「は?」
 「うちのガキがな」


 ──喧騒、歓声、司会のトーク、高らかな歓喜の声、どよめき、拍手。反響する。

 1人、幼い少女がステージ横の廊下で立ち尽くしていた。彼女はカーテンの隙間から漏れ出している会場の光や、喧噪を浴びながら、暗い廊下で棒のように立ち尽くしていた。
 少女は俯いていた。右は黄金、左は翡翠の美しい双眸でぼんやりと床を見ている。次の"商品"は自分だ。幼いながらに、それだけはなぜかはっきりと理解していた。お金でだれかのモノになる。両手足を縛る鎖からも、笑い声やお金からも、この場所からも逃げだせない。背中が震えて止まないほど、わかっていた。
 ──だれか。
 そんな小さな声を出したところで、あの喧噪にぜんぶ呑みこまれてしまうのに、

 「……たすけて」

 涙といっしょに、こぼれ落ちた。

 「大丈夫だよ」

 そのとき、背中になにかが触れた。
 重なり、膨らんでいく金の値。激しく湧き上がる歓声。待ち焦がれる眼差し。それらに紛れて、聴こえてきたのは、
 もっとも聞きたかった優しい声だ。

 「──え?」

 声のしたほうへ顔を上げると、もう1人、少女がいた。
 その人物は自分に笑いかけているようだった。

 それだけではなかった。少女の隣には、少年もいた。胸あたりまである髪を一つに縛っているせいで一瞬女の子かと思ったが、2人がなにかをぼそぼそと話し合っているのを聞くと、口調が男の子らしいとわかった。暗がりでよく見えない。けれども2人の髪色は、自分とおなじで異なっていた。

 2人の少年少女が、合図を交わし合う。
 
 「準備はいいな、ロク」

 「ばっちりだよ、レト」

 強きな幼い声が、わあっと湧き上がる大人げない歓声に呑みこまれた。


 「さあさあさあ! お待たせしました! 続いては、本日の大目玉! 美しい栗色の髪……そして、世にも珍しい──両眼の色が異なる少女! 人呼んで『狂彩の一族』の登場だあッ!」

 今日一番の歓声が、会場中の空気を叩くように響き渡った。舞台裏に、カーテンの向こう側に、期待の眼差しが一斉に突き刺さる。
 しかし、しばらく経っても商品は姿を現さなかった。

 「……おい、出てこねえぞ」
 「どうなってんだ」
 「はやく出しなさいよ!」
 「いつまで待たせんだよ!」

 そのとき。舞台横のカーテンがさっと開かれた。そこから黒い布を全身に被った、背丈の低い人物がゆっくりとステージに上がってくる。飛び交っていた不平不満が途端に、甲高い歓声へと変わる。
 派手なジャケットを着た司会者が、黒い布の端をつかんで高らかに叫んだ。

 「それではご覧ください! こちらが、『狂彩の一族』です!」

 ──バサッと布が剥がされる。だれもが期待を湛えた眼差しで、ステージ上に注目を浴びせていた。
 が、しかし。

 「……は?」

 細い傷跡によって塞がった右目。
 対してぱっちりと開かれた、新緑の左目。
 くるぶしのあたりまで伸びた若草色の髪が特徴的な、──1人の少女が、んべっと舌を出す。

 「ザンネンでしたあっ! ──悪さできるのも、ここまでだよ!」

 彼女はしっかりと両足で立ち、勝気な左目で会場を睨んだ。無邪気な子どものように、にっ、と口角を吊り上げる。
 栗色の髪ではない。右と左で瞳の色が異なるから希少だという話ではなかったのか。そもそも右目は醜い傷跡で塞がっているではないか。
 しばしの間、驚く招待客たちだったが、彼らは途端に顔を真っ赤にして、ステージに向かって怒鳴り散らした。

 「なんだ、このガキ!」
 「聞いてた商品とちがうじゃない! どうなってるの!?」
 「引っこませろ!」
 「そうだそうだ!」
 「ここは子どものくるとこじゃないのよ!」
 
 罵声が矢継ぎ早に投げられる。しかし、彼女は頑として怯まなかった。
 若草色の前髪が揺れる。すこしだけ俯き、ぎゅっと拳を握りしめた。

 「子ども子どもって……善悪の区別もつけらんないようなオトナが──」

 少女は言いながら、握った右の拳をぐっと後ろへ引いた。
 次の瞬間。
 ──彼女の拳が、"雷"を纏い、眩い光を放った。

 「子どもに説教するなあっ!」

 勢いよく突き出した少女の掌から、独特の重低音と雷とが飛散する。招待客たちは悲鳴をあげ、ステージ付近から遠ざかった。少女の右腕に、電気の糸が無数に絡まる。招待客たちは、突然雷を生み出したその少女を畏怖するように後ずさりした。

 「な……っ、い、いまのって……!」
 「ど、どこから、雷なんて……!?」
 「──まさか、」

 だれかが呟いた。

 「ま、まさか、世界にたった100人しかいないと言われている……──"次元師じげんし"の1人かッ!」

 少女──ロクアンズの若草色の左目が、強気に輝いた。
 招待客たちの顔が途端に青ざめていく。声が出せない。もっとも早く踵を返した人物に続くように、数多の足音が一目散に出入口へと向かっていった。

 「に、逃げろーッ!」
 「なんで次元師がこんなところに!」
 「いいから、いいから逃げるんだ!」

 悲鳴をあげながら、次々と走り去っていく背中を呼び止めるでもないロクアンズの耳元に、すかさずノイズが走った。

 『なにやってんだ、ロク! 招待客は全員捕まえろって指示され』

 コルドではない、さきほどまで舞台裏でいっしょにいた少年の声だ。ロクアンズは少年の言葉を遮り、「わかってるよ」と小さく微笑み返す。

 「だれが逃がすかあっ!」

 ロクアンズは思い切り拳を振り上げた。その腕に稲妻が這う。電気の破片を浴びながら、彼女は叫んだ。

 「──二元解錠、"雷撃らいげき"ィ!!」

 振り上げた拳が、勢いよく床を殴りつける。
 その途端。彼女の拳を起点に、電撃が唸りをあげた。フロア一帯に波打つように広がっていく電気が、有象無象の人々の足元を疾風の如く駆け抜ける。瞬間、招待客たちは肌を刺すような痺れに脚を絡めとられた。小さく悲鳴を上げながら、彼らは次々と床の上に倒れこんでいく。

 それは、まさしく一瞬の出来事だった。

 カーテンの奥から、色の異なった両眼がそっと顔を覗かせた。その持ち主は、目の前の光景にぽかんとした。
 会場が、しんと静まり返っていたのだ。
 気がおかしくなりそうな歓声も、厭らしい笑い声も、金の値も、なにひとつ聞こえてこない。カーテンの布を押しのけ、自然と会場内に足を踏み入れていた。

 「ほら、もう大丈夫だよ!」

 元気な声にはっとして、少女の栗色の髪の毛がふわりと靡く。少女に向かって、その人物は優しい笑みを浮かべて立っていた。

 「……」
 「どうしたの? もう怖いものはなにもないよ」
 「……あの……あなたは、いったい……」

 さっきだれかが、世界にたった100人しかいない次元師なのだと、叫んでいた。だからそうなのだろうとわかっている。わかってはいるけれども、なぜだか聞かずにはいられなかった。
 まるで──

 「そ、そうだな~……うーん……」
 「……」
 「──正義の味方、かなっ!」

 ロクアンズはそう言って、明るく笑ってみせた。
 そのなんとも子どもらしい無邪気な表情に、思わず見とれてしまっていたときだった。

 「こら!」
 「あいだっ!」

 ロクアンズの頭上に、ポカッと硬い拳が降ってくる。拳を振り下ろした男は、きりっとした真面目な顔で彼女を睨む。デーボンの拘束を終えたコルドが1階まで降りてきたのだ。

 「なーにが『正義の味方、かなっ!』だ! おいロクアンズ、これはやりすぎだろう! 招待客全員を焼死させる気か!?」
 「だ、大丈夫だよ! ほら見て、みんな気絶してるだけだって!」
 「一歩間違えれば大惨事だったと言っているんだ! この大バカ者!」
 「ええ~!? ねえちょっとレト、なんとか言ってよ!」
 「自業自得」
 「は、薄情者っ!」
 
 
 
 経過はどうあれ、参加していた招待客の全員が意識を失っているのはコルドたちにとって好都合だった。彼らは会場内にいたすべての人間を拘束し、出入口を封鎖すると、外へ出た。
 コルドたちに言い渡されていた仕事はあくまでも今競売の主催者と参加者の拘束だ。彼らの処罰に関しては範囲外のため、以降は政府団体に引き継ぐ形になる。

 コルドは、拘束者たちの運搬係が到着するまでの間、競売会場での一連の流れや内情を報告書に収めようと、筆を走らせていた。

 「ええと……主催側も含め、今競売会場内にいた総勢78名の参加者の拘束に成功。最小限の被害に留めるべく尽力したものの……。……うっ、すみません、班長……」

 紙面に向かってぺこぺこと頭を下げているコルドを横目に、ロクアンズは身体をふらふらさせて暇を持て余していた。そんな彼女の灰色のコートがくっとなにかに引きつられる。彼女は思わず、うぉっと間の抜けた声を上げた。
 振り返ると、両眼で異なる色彩が、ロクアンズを見上げていた。

 「あの……」
 「あっ、もう心配いらないよ! これから故郷まで連れてってあげるからね!」
 「……あの、その……──ごめんなさい」
 「え?」

 栗色の前髪が、そっと下を向く。

 「めいわく、かけて……。こんなじゃなかったら、よかったのに……」
 「……」
 「だから、その」
 「あたしといっしょだね」

 すこしだけ屈むと、美しくもあどけない両の瞳が、ぱっちりと開かれた。

 「……え」
 「緑色だ。左の目」
 「……」
 「こういうときは、笑っていいんだよ!」

 少女の頭に手を乗せると、ロクアンズはわしゃっと栗色の髪を撫でた。無邪気な白い歯が、少女の目に焼きついた。
 遠くから名前を呼ばれて、振り返った彼女の背中に、――少女は声をかけていた。

 「……あの! ──ありがとう、ございました……っ」

 閉じられた右目の分まで、大きく見開いた左目が、
 緑色の瞳が応えた。


 「どういたしましてっ!」


 ────若草色の長い髪が、夕焼けを滲ませて、ふわりと風にさらわれる。
 ひとかけらも曇りのない笑顔で、ロクアンズは大きく手を振った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】※全話書き直し作業中 ( No.3 )
日時: 2020/03/26 22:27
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第002次元 此花隊
 
 ここは、海に囲まれた大国──『メルギース』
 青い海に浮かぶ巨大な大陸のうち、"南半分"を占めるこの国はそう呼ばれている。広大な国土は、点在する町村や大自然から成り立っている。
 貧富の差も大きくないこの国は比較的住みやすく、他国から移住してくる民も多い。人と技術が溢れかえるこの国はいわゆる、先進国である。ゆえに貿易も盛んに行われている。

 活気溢れる街のそばには豊かな自然地帯。国全体を通して、どこの土地もおなじような地域の広がり方をしている。

 その代表とも呼べるのが、国内最大の都市、『エントリア』という街である。

 エントリアの外ではめったに見られない二階層の家宅、宿屋、数多の研究施設が街の中に立ち並んでいる。
 そして、広場のある賑やかな商店街を抜けてすぐのところにも――ある大きな研究施設が、門を構えていた。


 「──以上のように、『次元師』と呼ばれる人間は、ほかの人間にはない"異質の力"を有している」


 その施設の一階に設置された、講堂。木造の長机が等間隔で並べられている。各長机の下に、椅子が3つも4つも収納されている。本棚なども壁にずらりと並んでいた。グレーを基調とした隊服に身を包み、本を片手に朗々と説いているのは黒髪の男、コルドだった。短く切り揃えられた髪に精悍な顔つき、ハキハキとした口調の端々からも彼の人物像が伺える。

 「それゆえこの国では次元師の組織化が原則的に禁止されているが、ここ『総合次元研究機関"此花隊このはなたい"』に限り、それが認めら……ロクアンズ!」
 「ほぇあっ!?」
 「講義中にも関わらず、居眠りしていたように見えたが……もちろん、ちゃんと聞いていたんだよな?」
 「も、もちろん!」

 机にべったりと張りついていた若草色の髪が、勢いよく起き上がった。張りのある白い肌と大きな、左の目。右目は細い傷跡で閉ざされている。
 意識半ばながらに、少女――ロクアンズは揚々と言葉を返した。

 「そうか。では聞こう。この国で、次元師の組織化が原則的に禁止されているのはなぜだ?」
 「? めっちゃ危ないから!」
 「……。もっと具体的にだな」
 「──メルギース歴516年」

 思ってもいなかった方向から声が飛んできた。コルドは反射的に、声のした方を向いた。
 教本らしきものに視線を落としたまま、金の髪をした少年が淡々と続ける。

 「この年は、『第二次メルドルギース戦争』が完全に停戦になった年だ。このとき同時に、この間の依頼でもあった『人身売買の禁止法』が公布された。そこには、この大陸の"北半島"を占める『ドルギース国』側の軍隊に……枷や鎖を身に纏った次元師たちが交じっていたという背景があった」
 「……えーと、」
 「次元師たちは家族や恋人を人質にとられて、やむなくドルギース軍として出陣していた。攻め入られたこっち側のメルギース軍も対抗して、メルギース国籍の次元師たちを前線に送った。……そうした途端にだ。途端に戦火が広がった。人智を超えた力のぶつかり合いで、土地も人も大きく被害を受けた。"政会"は、これ以上戦が長引くようであれば近隣の国にも影響が出ると判断して、メルギースとドルギースの代表に書状を送った。政会は両国の間を取り持つ中立の組織だからな。それで停戦が決定した後、軍力として戦争に関わっている次元師たちを保護すると……驚いたことに、ドルギース兵として出陣させられていた次元師たちはみんなメルギース人だったんだ。メルギースの奴隷商人がドルギース国家の重役と秘密裏に取引していたことがそこで発覚した。その一件は世間に大きく取り上げられて、次元師じゃない一般の奴隷たちもこの機に、自分たちの人間としての権利を主張し始めた。世間が奴隷の解放を訴える中、政会の中でしばらく抗議をした結果――『人身売買』ならびに『両国家間に於ける次元師の軍事的活動を禁ずる』……という、国法が定められたわけだ」
 「……」
 「ほかになんか説明いるか?」
 「いや、見事だ、レトヴェール。博識すぎて逆に怖いくらいだ……」
 「そうそう! あたしもこれが言いたかったの!」
 「お前はだまってなさい」
 「コルド副班。ちょっと前から思ってたけど、この講義ってなんの意味があるんだ?」

 金髪の少年――レトヴェールが、ようやく顔を上げる。すると、少女のような瞳孔がコルドへと向いた。目鼻立ちの整ったその顔立ちから性別を間違われることも多々あるが、彼はれっきとした少年だ。
 少女のように思わせてしまうのには、彼自身が、胸あたりまで伸びた金色の髪を一つに結っているせいもあるだろう。

 「あーそれ、たしかに! あたしもレトも、内容ほとんど知ってるよ? 家にあった本とか資料とかに書いてあったし!」 
 「──『次元の力』……次元師、と呼ばれる人間だけが許された、"異次元の世界から、ある特定の武器や魔法を取り出す力"……。基本的なことは抑えてるし、いまさら学ぶことでもないっていうか」

 レトは、視線のすぐ先でなんとなく広げていた本を下ろした。
 コルドの持っている教本とおなじ物であるその本には、まったく別物の小さな冊子が挟まれていた。内容は見る限り、小説らしいとわかる。

 「……たしかに、次元師であるお前たちに、次元の力の基礎学や歴史を説くのは、余計なお世話だろう」

 だが、とコルドは続けた。

 「さっきも言ったように、次元師の組織化は国法で禁止されている。それはもちろん大変危険なことで、また戦争の火種となりかねないからだ。俺たち次元師は、ふつうの人間を遥かに凌駕する"力"を持っている。にもかかわらず、ここ此花隊に限りそれが認められたのは、十分な管理体制ができているからなんだ」
 「……まあ、ここは研究施設だしな」
 「ああ。そして、我々『戦闘部班』の設立にあたって政会から提示された条件の一つに、『所属する次元師に対し、次元の力に関する正確な知識と道徳の心得を十分に説くこと』とある。提示されたからには、この講義の内容も上に報告しなければならない。……お前たちにとっては退屈な時間かもしれないが、どうか我慢してほしいんだ」
 「……なるほどな。それじゃあ」
 「ん?」
 「この前の任務で、"次元師の本来の存在理由外に於ける活動"が許されたのは、政会のやつらにとってこの『戦闘部班』が都合のいい組織になったからなのか」
 「……そういうことになるな」
 「ふ~ん。つまんないのっ」
 「──いやあ、お見事!」

 明るい声が飛んでくる。
 軽快に手を鳴らしながら、小麦色の髪をした男が3人の近くまで歩み寄ってきた。
 コルドはギョッとする。
 垂れ目のその男は、愉快そうに笑っている。コルドは手に持っていた教本を机に置くと、慌てて彼のもとに駆け寄った。

 「セブン班長! い、いつからこちらに!?」
 「やあ、コルド副班長。いつもご苦労。ちょっと前に来たんだけど、おもしろい話が聞こえてきたものだから、ついね」 
 「ついって……!」
 「たった13の少年に、あそこまで言わされてしまうなんてなあ……ククク」
 「……面目もございません」
 「いや、君を責めているんじゃないんだ。さすがだなと感心してるんだよ──ね、レトヴェール君?」
 「……」

 セブンは、含みのある笑みでレトをちらりと見た。
 それに対してレトがふいっと視線を外すのを、セブンは半ばおもしろがっているようだった。

 「ああそうだ。講義中のところ悪いんだけど、ちょっといいかな」
 「はい」
 「しばらくコルド君を借りることになるから、君たちはもう自由にしていいよ」
 「えっほんと!? やったーっ!」
 「班長たちはどこ行くんだ?」
 「こらロクアンズ、レトヴェール! セブン班長になんて口の利き方を……!」
 「まあまあコルド君。やんちゃなのはいいことだよ。というか君はまだ、彼らのことをそんな風に呼んでいるんだね」
 「……名前が長いからって、省略してしまうのは……それに愛称というのはこう、親しい人間がですね……」
 「気軽にロク、レトって呼んでくれてぜんぜんいいんだけどって、ずっと言ってるんだけどね~」
 「そうなのかい? 相変わらず固いんだねえ。堅気なのはいいことだけど、部下と打ち解けるのも仕事のうちだよ」
 「……は、はい……肝に銘じておきます。それで班長、話というのは?」
 「ああ。……実はまた、――『元魔』による被害報告が、大量に届いてね……」
 「……」

 レトとロクに背を向けると、2人の男は肩を並べて講堂をあとにした。
 すると、椅子から立ち上がろうとするレトの席に、ロクが飛びついた。

 「! な、なんだよロク」
 「ねえレト、このあと用事ある?」
 「え? いや、資料室で本を読もうかなとは思ってたけど……」
 「ええー! またレトは……。ちょっとくらい鍛錬場とかに来ればいいのに! そんなんじゃ、どんどん実力引き離しちゃうよ!」
 「べつに競ってねえよ」
 「むぅ……」
 「それじゃ。俺資料室行くから。お前は鍛錬場でもどこでも行ってこいよ」
 「あ、待って!」
 「なんだよ」
 「行くのは鍛錬場じゃなくて……集会所!」
 「は?」

 きょとんとするレトの腕を掴むなり、ロクは勢いよく駆けだした。
 2人はそのまま講堂から退室した。

 目指した先は、施設内の2階の一角にある、やや広めの部屋だった。丸いテーブルといくつかの椅子とがセットとなってまばらに設置され、入ってすぐ目につくところにカウンターが構えていた。
 カウンター横の壁にかけられた大きなコルクの掲示板には、同じ大きさの紙がいくつも張りつけられている。そのどれにも、『依頼書』と太文字で記述がなされていた。

 退屈そうにカウンターに寄りかかっていた女性は入ってきた2人に気がつくと、小さく手を振った。

 「モッカさん! こんにちはー!」
 「はぁいっこんにちは、2人とも。今日はお連れさんといっしょじゃないのネ」

 耳にかかった緩いウェーブの黄土色の髪を掻き上げると、赤い耳飾りが揺れた。
 彼女、モッカは眼帯に隠れていない方の赤い瞳でロクの顔を覗きこんだ。

 「えへへ。ちょっとね」
 「おいロク、お前まさかこれから任務に出ようっていうんじゃないんだろうな」
 「ピンポーン!」
 「あのなあ……」
 「あら。2人だけってことは……うーん。運搬作業か、害獣駆除か……ちょうどイイのあったかしら」
 「あ、ううん! 今日はちがうの!」
 「へ?」

 ロクはカウンターから手を離すと、とととっと掲示板の方に駆け寄った。
 そして掲示板を見上げつつ、ふたたびカウンターの方に向き直る。


 「──『元魔』の討伐に出たいんだけど、新しい依頼が来てたりしない?」


 レトは目を丸くした。ロクの陽気な横顔に言葉を失う。
 拍子を抜かれたモッカも、あら、と目をぱちくりさせながら言った。

 「え、ええ……たしかに来てるけど……」
 「ちょ、ちょっと待てロク! 元魔の討伐は、俺たちだけで行くのはまだだめだって、コルド副班から言われてるだろ!」
 「そうだね」
 「『そうだね』って……お前、意味わかってんのか?」
 「うん。だから──コルド副班には、ナイショで行くんだよ!」

 にひっと、ロクは白い歯に指をあてて、悪戯っぽく笑った。
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】※全話書き直し作業中 ( No.4 )
日時: 2018/09/08 20:56
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: pzCc2yto)

 
  第003次元 対立する
 
 
 「元魔は、人間を襲う怪物だ。俺たちじゃまだどうにかできる相手じゃねえよ」

 
 レトヴェールは冷たくそう言い放った。

 ──『元魔』というのは、いまからおよそ200年ほど前に北方の国付近の森で発見されて以来人間の世界で発生し続けている、"異形の化け物"の総称だ。
 その実態はいまだに判明されていない。この世界に現存するどの動生物とも似つかず、まさしく化け物と呼ぶにふさわしい外観をしている。生息地も様々であり、人間の前に突然姿を現すことも少なくない。

 現段階でわかっているのはその発生時期と、凶暴な性質な持つ元魔には次元師でしか対抗できないこと。
 そして、無差別に人間を襲うということだけだった。

 「またレトはそうやって……! いまこうしてる間にも、元魔に怯えて暮らしてる人たちがたくさんいるんだよ!?」
 「子どもが2人で行ったって大怪我を負うだけだ。聞いてなかったのか? 元魔の被害報告が大量に届いたって」
 「聞いてたよ。でも一般人が被害に遭うくらいだったら、あたしが行く! だって次元師だもん! どんなに怪我しようが、やっつければいいんでしょ!」
 「っ、ロク!」
 「なにさっ!」
 「……え、っとぉ……」

 モッカは紅を差した頬を掻く。カウンター越しに2人が睨み合う。彼女は口を挟まずにため息をついた。
 レトはカウンターから身体を離すと、入ってきた扉に向かって歩きだした。

 「……勝手にしろ」
 「レト!」

 扉を開け広げると、レトはそのまま姿を消してしまった。背中にかけた呼び声が室内の薄暗さに吸いこまれる。ロクアンズはカウンターに凭れかかった。

 「レト、いっつもあんな感じ。本ばっか読んでて、不愛想だし冷たいし……──やっぱり、あたしが本当の……」
 「ロクちゃん……」
 「……あ。ごめんごめん! 落ちこんでたって、しょうがないよね! ……よし!」
 「ロクちゃん、もしかして」
 「決まってるよ! あたしだけでも行ってくる!」

 コルドには内緒にしてくれと、ふたたびロクは口元に指を立てる。モッカはしぶしぶ、1枚の紙をテーブルに置いた。ロクはそれを受け取るなり集会所から出ていった。モッカは、これでよかったのかと小さな背中を見送った。



 喧騒を苦手とする彼らしい室内は、静寂と、大量の本とで構成されている。許されているのは本のページをめくる音ただひとつであるのに、レトははっとまばたきをした。
 つい数分前と、同じページが開かれている。

 「……くそ」

 そのとき。背を向けていたほうの壁越しに、なにやら物音が聞こえてきた。がたごそばたばたと、忙しなく狭い室内を動き回っているのだとわかった。
 隣の部屋は、ロクの自室だ。レトは壁を凝視する。

 「……」

 ギィ、バタンという音を合図に、物音は止んだ。
 レトは壁から目を離すと、くしゃりと頭を掻いて、本を閉じた。



 ただ広い廊下に、足音が反響している。規則的な音の羅列がロクの鼓膜を抜けていく。
 ロクの脚は中央玄関へと向かっていた。真上よりすこし傾いた太陽が、総合受付のカウンターに光を差している。
 ゴミひとつない廊下をぼんやりと眺めていたロクは、ふいに日差しの方を向いた。

 「え」

 レトが、本を片手に柱のひとつに凭れかかっていた。

 「レト……なんでここに」
 「行くんだろ。さっさと終わらせてこないとバレるぞ」

 ぱたりと、やわらかく単行本を閉じる。壁に預けていた背中を離すと、レトはそのまま門へ向けて歩きだした。
 ロクは慌ててレトについていく。

 「レト! ねえ、レトってば!」
 「うるせえな」
 「ねえなんで? あんなにいやがってたのに」
 「……監督不行き届きって言われるのはシャクだから」
 「え?」
 「見過ごすくらいなら、見損なわれた方がマシだ」
 「……」
 「んだよ」
 「──ううん。なんでもない! ……じゃあそういうことで、張り切っていこーっ!」
 「ちょ、おいロク! 声がでかい!」

 軽快な足どりで走りだす。2つの影が、並ぶ足音と門をくぐり――飛び出していく。
 門の上で羽を休めていた野鳥たちも、晴天を翔けた。


            *


 「なるほど……これは、警備を強化する必要がありますね」
 「ただがむしゃらに人を置けばいいという問題ではない。支部に散り散りになっている次元師に召集をかけようと思っているところだ。遅ればせながら、ね」
 「いえ。セブン班長の責任ではありませんよ。この『戦闘部班』という組織の発足も、つい最近認可されたばかりなんですから」

 『戦闘部班』――此花隊における、『研究部班』『医療部班』『援助部班』に並ぶ新組織は、事実上次元師のみで構成される武装集団である。
 次元師が戦争の火種となることを恐れる政府は、次元師の集団組織化にいい色を示さなかったが、長年の説得によりようやく首肯したのだという。

 「そうだね。まったく、隊長には頭が上がらないよ」
 「ええ」
 「あとは、あの2人に続いて新生隊員が増えてくれることを祈るばかりか……」
 「……」
 「どうしたんだい? コルド君」
 「班長、やはり隊員の募集には年齢制限を設けるべきではないでしょうか」
 「年齢制限?」
 「ええ。たしかに、戦闘部班が発足してすぐレトヴェールとロクアンズが入ってきてくれたことには感謝しています。次元師として過ごした年月も浅くはないので、実践的な任務にも同行を許可できます。……しかし、不安なのです。あの2人はまだ、10を超えたばかりです。いくら次元師として肝が据わっていても、まだ子どもであることに変わりはありません」
 「……」
 「あの2人を見ていると、危なっかしくて仕方がないのです。もしもこの先、──生死を分かつような運命に見舞われたらと思うと……」
 「大丈夫じゃないかな」
 「え?」
 「あの2人は、君が思っているより弱くないさ」


            *


 適当に折りたたまれた依頼書を開く。目撃情報の欄には『フィリチア』と記載されていた。
 レトはロクの手元を覗きこむ。

 「フィリチアか。案外近いな」
 「隣町だね。でもここなら、コルド副班がこないだ巡回に行ってたけど……」

 此花隊の次元師は、警備の仕事も務めている。戦闘部班の発足と同時にこの役職に就いたコルド・ヘイナーは、新生隊員のロクとレトを連れて巡回警備に出ているのだが、彼1人で近隣の村町を回ることも少なくない。

 「最近なんじゃないか?」
 「んー……」
 「とにかく行くぞ。時間がない」
 「うん、そうだね!」

 コルドに黙って隊を出てきている2人に時間の猶予はない。背徳感からつい足早になると、小さな歩幅はぐんぐん目的地へと近づいていった。
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】※全話書き直し作業中 ( No.5 )
日時: 2018/08/01 11:18
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: mwz5SFMT)

  
 第004次元 花の降る町

 町のシンボルらしい高い風車が見え始めたとき、濃厚で芳しい香りがぶわりと鼻腔を刺激した。
 舞う花びら。広がる花園に煉瓦造りのこじんまりとした家屋が立ち並んでいる。
 ここは、花の降る町『フィリチア』
 平らな石を敷き詰めたような道の上を駆ける幼い子どもたちや、手慣れた所作で馬を操る男性、作物の入ったカゴを手に道端で談笑している女性たち。この町の住人たちには、すこし足を延ばせばエントリアという商店街がある。商売人の姿が少ないのはそのせいだろう。
 しかしまったくのゼロ、というわけでもない。ロクアンズとレトヴェールの2人の話に、エプロン姿の女性は花束を抱えながらも真剣に耳を傾けていた。

 「元魔、ねえ……。あ、たしかこの間、町の人たちがなにか噂していたのを聞いたわ」
 「うわさ?」
 「ええ。なんでも、この先のずっと奥にある広い庭園が、荒らされていたんですって。庭の手入れをしている人が襲われて、今でも意識が戻らないとか……」
 「……」
 「でもただの害獣の可能性が高いわ。たまにあるのよ、イノシシなんかに荒らされることが」
 「へえ~」
 「今日は巡回で来たのかしら? 2人だけなんて、偉いわ。ご苦労さま」
 「むぅ。子ども扱いしないでほしいな! コルド副班がいなくたってあたしたち、一人前なんだから!」
 「あらまあ」
 「おい、副班にだまって出てきてるんだから、余計なことは言うなよ」
 「あっそうだった」

 戦闘部班の仕事の1つに、近隣の町村をまわるという巡回警備がある。元魔と呼ばれる怪物の出没情報をいち早く入手するほか、運がよければその場で元魔に立ち会い、力を持たない人間の代わりに元魔を討伐するという目的のために行われている業務だ。
 まだ幼いロクとレトの保護者としていつもなら戦闘部班副班長のコルドも同行しているはずだが、今日はロクの提案により2人だけで隊を飛び出してきているのだった。

 「それにしても、此花隊のほうには元魔の新しい目撃情報が入ってきてたんだ。ここ、フィリチアからな」
 「本当? もしかして……」
 「どうかしたの?」
 「もしかして、さっき言ってた意識が戻らないって人……意識を取り戻したのかもしれないわ」
 「!」
 「その人、どこに住んでるの!?」
 「この先よ。庭園に近いところに、家を構えているはずだわ」
 「よっしゃ! 行こう、レト!」
 「っておい、勝手に……! ……ったくあいつは。いろいろありがとう。助かった」
 「いいえ。いってらっしゃい」
 「それじゃあ」

 女性が手を振るよりも先に、2人は背を向けて走りだしていた。
 路上で追いかけっこをする子どもたちの間を抜けて、一直線に伸びる石の道を辿っていく。

 しばらくして、2人は足を止めた。庭園の入り口を飾る花のアーチにもっとも近い、こじんまりとした木造の家が目に入ったからだ。
 まっすぐな木の棒が等間隔で地面に突き立てられている。低い丈の柵と柵の空いているところをロクは躊躇いもなく抜けていった。やれやれと肩をすくめながら、レトも彼女に続いた。

 「ごめんくださーい!」
 「こらっ、ロク。病人がいるってさっき言ってただろ!」
 「あ」

 ちょうどそのとき。バウッ!、という咆哮にロクが肩を震わせた。声のしたほうを見ると、庭に設置されたやっと子どもが1人入れるほどの小さな家から、のっそりと、黒い頭部が現れた。三角の耳と漆黒の毛並みとが立ち、鋭い目つきでロクを見上げていた。

 「うわっ、え、めっちゃ睨まれてる!?」
 「飼い主が寝てるから、大きな声を出したお前に怒ってるんだろ」
 「よ~しよし。怖くないよー? ほら、おいでっ」
 「バカっ、ケガするぞ!」

 腕を広げるロクを目がけて、黒い犬は駆けだした。噛みつかんばかりの勢いで懐に飛びこんでくる。しかし彼女は犬を捕まえるなりその黒い毛並みを撫でまわし、あっという間に抱きこんでしまった。
 レトは呆気にとられた。ロクとその黒い犬は、そこが地面の上であることも忘れて無邪気にじゃれ合っている。

 「……まじか」
 「あはは! くすぐったいよー!」
 「……」
 「なにレト、変な顔して。レトも撫でてみなよっ。可愛いよ?」
 「俺はいい」
 「あー、そっか! 動物ニガテだもんね〜!」
 「うるせっ」

 にゃははと笑うロクの頬を、黒い犬がべろりと舐めた。彼女は動物と遊ぶのが得意で、彼女の手を拒む動物を見たことがない。そう断言できるのは、レトがそんなロクの姿をいつも1歩引いたところで見ているからだ。動物になにか恨みがあるわけではない。ただ何年か前に、自分より大きな犬に意味もわからず吠えられて以来どうも苦手で、近寄れなくなってしまっているのだ。

 「あれ。この子、ケガしてるみたい」
 「え?」
 「脚のところ。かわいそう……。ちょっと待ってて!」

 ロクは腰元にぶら下げた小型のポーチを開いた。中から消毒液や筒状になっている包帯などの応急治療具を取り出すと、つかの間に、処置を終えた。

 「これでよしっと!」
 「バウッ!」
 「よしよし。……かわいそうに。ご主人様が寝こんでるから、手当してくれる人がいなかったんだね」
 「……」
 「レト?」

 黒い犬の頭上にレトは、おもむろに手のひらを翳した。しかし。

 「バウッ!」
 「……」

 力強い咆哮を受けると、差し出した手がびくりと震えた。レトは手を引っこめると、

 「……飼い主を守ろうと、必死なんだな」

 そう独り言のようにささやいた。
 ロクは、よいしょと膝に手をついて立ち上がった。

 「さてと。ぐずぐずしてられないね。庭園のほうに行こう、レト!」
 「ああ」

 最後に犬の頭をぐしゃりと撫でると、2人を見送るように黒い犬が吠えた。





 色とりどりの花が咲き乱れる庭園は、視界におさまらないほどの広大さだった。どこを見渡しても、花と草木が踊っている。絵になりそうな美しい景色に、本来の目的を見失いつつあるロクは、ぽっかりと開いたままだった口から感嘆の声を漏らす。

 「すっごいねー……っ! きれい!」
 「ああ。ここは有名な観光地だからな」
 「……そういうことじゃなくてえ」
 「なんだよ」
 「ほんっとに心が冷めてるんだから、レトはっ」
 「……? 事実だろ」
 「だ~か~ら~!」

 ドシン――と、揺れた。
 大地の震動とともに2人は息を呑んだ。おそらく同じことを考えている。
 まだ遠い。落ち着いていた心音が近づいてくる。2人の視界にはもう、美しい花びらひとつ映っていない。
 先に土を蹴ったのはロクだった。

 「ロク! おそらくこの先に元魔がいる。慎重にいくぞ!」
 「わかってる!」

 整備のされていない林道を器用に馴らしていく。伸び放題の草木を勢い任せに振り切って、片時も休むことなく前進した。
 仄かに、水と土の入り混じったような匂いを感じ取ったときだった。

 「そう言って、お前はいつもいつも……──、っ!」
 「……」

 車輪を転がすような足取りが、急停止した。
 崖から囂々と落ちる水の壁。細い川が伸びる滝つぼの、すぐそば。
 剥き出しの牙、形の異なる二本の角。体面からぼろぼろと崩れ落ちる、鱗のようななにか。形のかろうじて丸い頭部が揺らめいていた。
 灰、黒、茶色――混沌とする鈍い色の外装に、ぽつりと咲く三つの点。
 真っ赤な眼球が、ぎょろりとこちらに剥いた。

 「お出ましみたいだね」
 「ああ」

 2人の身長を遥かに凌ぐ体長。1歩、土を踏めばたちまち震動が起こり、2人の足元を揺らがす。
 動物のようにも人間のようにも魔物のようにも見えるその怪物は、決して鮮やかとはいえない顔色で大口を開け、咆哮した。

 「ギャアアアッ!!」

 鼓膜が破れるほどの爆音。とっさにレトは耳をふさいだ。

 「く……っ! おいロク、まずは慎重に──って、おい!」
 「────次元の扉、発動!」

 長閑な風を切って、ロクは、高らかに詠唱した。
 
 
 「『雷皇らいこう』──!!」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.6 )
日時: 2018/09/08 20:56
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: pzCc2yto)

 
 第005次元 花の降る町Ⅱ
 
 全身に纏う、雷。コートの袖が強い光を帯びると、ロクアンズは地上めがけて手を翳した。

 「──雷撃ィ!!」

 その名に従い、雷は激しい花火となって元魔に降り注いだ。
 しかし。その黒い頭部の一片が裂け、口のようななにかを大きく開くと、そこから放たれた絶叫が雷を打ち消した。
 元魔は高く跳び上がり、鋭く尖った爪でロクに襲いかかる。

 「うわっ!?」

 間一髪、というところで攻撃を避けると、ロクはまっさかさまに地上に落ちていった。

 「ロク!」

 しかしロクは空中で器用にくるりと回り、無事に着地した。

 「ふぅ……危なかった~っ」
 「ったくお前は……だから慎重になれって言っただろ!」

 レトの叱咤に、ロクは一瞬ムッとして、

 「そう言うけど、レトだって!」

 殺気。
 ぐんと伸びてくる長い爪が2人の間に割って入る。ロクとレトはおたがいに逆方向へと飛びのいた。
 元魔は、赤い眼光を揺らしながら、ゆっくり歩きだす。

 「まずい! 町のほうに行きそうだよ! 止めなきゃ!」
 「だからがむしゃらに突っこむ前に作戦を……!」
 「っ、レトのばか!」
 「!」

 ロクは、元魔を追いかけようと踏みだした足を主軸に、半身だけ振り返った。

 「町の人が危ないっていうのに、なんでそうためらっていられるのさっ!」
 「……」
 「――レトだって、あたしとおなじ次元師でしょ!」

 レトは、ぴたりと静止した。彼の顔からぷいっと視線を外し、返事も待たずにロクは元魔を追いかけていった。
 1人、レトは取り残される。俯いていた。

 「……俺は、お前みたいには……」

 ぽつりと呟いた言葉は、だれに届くわけでもなく、視界の中でちらつく木漏れ日に吸いこまれた。
 ロクはすでにいなくなっていた。
 鬱蒼とした森林地帯。そこへ危険も顧みず飛びこんでいくロクの姿に、どこか煮え切らない気持ちを抱いていることはわかっている。
 探すつもりで走りだした。そこに混ざる焦燥が、どんな色をしているのかもわからないまま。



 元魔の黒い背中が見える。鱗のようななにかをぼろぼろと落としながら、ゆったりと走っていた。身体が重いのだろう。さほどスピードは出ていなかった。
 ロクは、右耳の通信機に意識を向けた。連絡はきていない。

 「……」

 レトから謝罪の言葉のひとつでも飛んでくるかと思っていたが、どうやら自分が思うよりもずっと薄情な人間だったらしい。

 「レトのバカ。いいもん。あたしだけでやっつけてやる!」

 加速。たっ、と地面を強く蹴り、跳び上がった。
 元魔の頭上に狙いを定め、その指先に、雷を這わせた。

 「雷撃ィ!!」

 空中で、雷が散とした。電気の欠片を浴びた元魔は足を止めた。否、止めさせられた。
 その隙に、ロクは元魔の視界の中へと降り立った。

 「……」

 決して鮮やかとは言えない、混濁とした外観。その赤い両眼と、額に輝く"心臓"だけが一際目立っている。
 自己的な意思などないのだろう。口から洩れる唾液のようななにか。狂ったような、赤いだけの眼から筋が伸びている。
 元魔とは、怪物だ。意思もなく、形もなく、名もない。あるのは、人間を襲うという意識ただひとつ。
 ロクは元魔を睨みつけた。

 「必ず、滅ぼしてみせる」

 雷が唸る。ぶわりと長い髪が靡いた。電熱にさらされた緑の瞳が、淡くも力強い眼光を放つ。
 
 「五元解錠! ――雷撃ィ!!」

 突き出した両手から、溢れるほどの雷を放った。長い髪が風とともに後ろへ引っ張られる。
 元魔は大きく口を開き、甲高い咆哮を吐き出した。

 「ガアアアアッ!!」

 雷と咆哮が、正面から衝突する。袖がまくられ、露になったロクの細い腕に電気がまとわりついた。痺れていくのを感じながら、表情は歪み、両足が下がっていく。
 まずい、と思った瞬間。

 「うわあっ!」

 ロクの四肢が大きく飛び上がった。宙を泳ぐ。小さな身体は風に弄られ、抵抗する術もなくそのまま大きな木の上に、頭から突っこんだ。
 元魔はというと、ブルルッと頭部を振り、ふたたび重い足取りで走りだした。

 (ま……まずい!)

 ロクは身体がまだ休まらないうちに、動きだした。コートの至るところが木の枝に引っかかっていたが、むりやりにでも手足を動かし体勢を変える。案の定、灰色の布地から繊維が伸びたが、そんなことを気にする間もなくロクは木の上から飛び降りた。
 ちぎれた葉っぱを髪や肩にくっつけたまま、ロクは元魔の跡を追った。

 (町まで、もうすぐそこだっていうのに……!)

 身体が重い。自分が思う以上のダメージを負っていたようだ。ロクは半ば身体を引きずりながら、前へ前へと進む。

 前方で、小さな黒い影が揺らめている。
 黒い影は、鮮やかな花のアーチをくぐることができず、ぐしゃりとそれをなぎ倒して町の中へと入っていった。

 ロクも急いで花のアーチがあったところを踏み超えた。痛みは置き去りにして。
 すると元魔は、ある木造の小屋の前で立ち止まっていた。
 大きな影を落とし、全長の半分ほどしかない小屋を見下ろしている。

 そのすぐ真下で、黒い犬が吠えていた。

 「!」

 小屋には人間がいる。それを感知したのだろう。恐れも知らず、黒い犬は怪物に向かって吠えていた。
 小さな玩具に手を伸ばすように、
 怪物の鋭い爪が降り注いだ。

 「待ってッ!」

 そのときだった。
 ひとつの影が、風のように黒い犬を攫っていく。
 元魔の爪が虚空を掻いた。

 「四元解錠、」

 黒い犬の近くに、だれかが立っていた。

 「──八斬式!!」

 八度の斬撃。形状の定まっていない太い腕から、血、のようななにかが勢いよく噴き出した。
 小さく悲鳴をあげた元魔が後ろへ引き下がる。
 ロクの視線。大きな怪物の背中の奥に、金の髪が見えた。

 「レト!」

 レトはコートの袖で汗を拭うと、ロクのかけ声に気がついた。が。

 「ギャアアアアッアアアッ!!」

 激しい咆哮が、草木を揺らし土を剥がしていく。
 それがいままでにない怒りの顕れだということを理解させられる。耳をふさぐだけでは足らず、レトとロクはぎゅっと目を瞑っていたが、
 次に目を開けたときには、

 「い……いない!」
 「向こうだ! 人のいるところへ行くつもりだぞ、あいつ!」

 元魔はドシン、ドシンと大地を揺るがしながら前進していく。
 町の人のものと思われる悲鳴が、二人の耳に聞こえてきた。

 「ロク!」
 「わかったッ!」

 ロクの右腕に、電気が奔る。それが拳に集約されると、ロクはそのまま地面に振り落とした。
 
 「雷撃ィ――!!」

 電気の波が高速で地上を駆ける。と、瞬く間に、電気が元魔の足元に喰らいついた。
 次の瞬間。
 叫喚。
 そして大きく仰け反った元魔の身体が、重力の赴くままに、ぐらりと傾きはじめた。

 「まずい! あのまま倒れこんだら──町の人を巻きこむぞ!」
 「っ!」

 どう考えても、間に合わない距離に元魔がいる。これから走りだしたところで、その場所まで辿りつけないのは明白だった。
 なけなしの希望を翳すように、ロクが手を伸ばした。
 そのとき。

 傾いた元魔の身体に、幾重もの鎖の束が巻きついた。

 「っ!?」
 「あ、あれは……」

 何十本と伸びる鎖の先には、男がいた。

 「説教は後回しだ! 無事か、二人とも!」

 精悍な顔つきに焦りを滲ませたコルドが、そう叫んだ。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.7 )
日時: 2020/03/27 10:34
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第006次元 花の降る町Ⅲ
 
 男は、ロクアンズやレトヴェールと似たような作りの隊服を身に纏っていた。その隊服の色は2人のような灰色ではなく、黒だ。此花隊において、この黒色の隊服を着用しているのは各班の班長と、全副班長以外にはいない。
 突然現れたこの男はほかでもない、戦闘部班の副班長のコルド・ヘイナーだった。

 「こ、コルド副班……っ!?」

 コルドが鎖を強く引っ張る。すると鎖は元魔の身体に深く食いこみ、きつく締め上げた。黒い喉がはち切れんばかりの叫喚を撒き散らす。

 「じ、次元師様だあ!」
 「次元師様が助けにきてくださったぞー!」
 「やっちゃえー!」

 紐で締めた肉塊のように元魔の皮膚が鎖の隙間からはみ出している。元魔は身動きひとつ許されることなく、ただ少しずつ体をくの字に折り曲げていく。

 「おい! 無事かと聞いているんだ、2人とも!」
 「え? う、うん!」
 「そうか……」
 「! コルド副班!」

 レトが気づいたときには、遅かった。
 さらに体を畳んだ元魔が力を振り絞ると、鎖の持ち主であるコルドの体が、空高く打ち上げられた。

 「な、なにっ!?」

 鎖で元魔と繋がっているコルドの体は、大きく弧を描いて空を飛ぶ。このまま、高い位置から地面に叩きつけられれば、無事では済まないだろう。

 「コルド副班! 鎖を離せ!」

 レトはそう叫んだ。

 「!? そんなことをしたら……!」
 「いいから離せ!!」

 離せ、と言われたところでコルドの胸中は不安の色で染まっている。鎖を離せば、文字通り元魔の動きを封じていた手網が絶たれることになる。やや遠目から、町人たちが元魔を取り巻く三人の次元師の様子を伺っているとはいえ、そこに危害が及んでしまうであろうということは容易に推測できた。
 しかしその鎖を離せと叫ぶレトの姿を、ロクは横目に見ていた。

 「れ、レト……」
 「ロク、でかいのを頼めるか」
 「え?」
 「時間がない。チャンスは一度だけだ。……俺を信じろ、ロク!」
 「……」

 面を食らうも、ロクは、にっと強気な表情に変わった。

 「うん、もちろん!」

 レトとロクが頷き合うのを、コルドは空の上から見ていた。
 意を決する。
 遥か空中。コルドは、鎖から手を離した。

 「頼んだぞ、ロク!」
 「まかせて!」

 コルドの身体が宙をさまよう。それを見たレトがすかさず走りだした。
 元魔が捕縛から解放される。
 空から降ってくる大きな身体にレトが飛びつくと、
 刹那。
 ロクが両手に雷を湛えていた。

 「五元解錠──!」

 指を組む。離す。両の手のひらを、元魔へ向ける。

 「──雷柱!!」

 雷が細い閃光となって、地面の上を駆けていく。それが真円を描くと、元魔を包囲した。
 その円に囲まれた地表が、砕ける。次の瞬間。膨大な電気の塊が、一本の太い柱となって元魔の全身を呑みこんだ。

 「ギャアアアアアアアアッ!!」

 叫喚が、雷とともに空を突く。鱗のようなものが剥がれ、肉体が焼き払われていくその様を、ロクやレト、コルドに留まらず、町人たちも息を呑んで見送っていた。
 元魔の額にあった赤い心臓が、パキッと音を立てて割れた。
 焚いた火の粉のように、怪物の破片がすこしずつ空へ流れていくと、

 あっという間に、怪物がいたはずの場所にはなにもなくなってしまった。

 「……すごい」

 町の子どものものと思われる、小さな声がした。

 「す、すげえっ!」
 「これが次元師様の力か! やっぱすげえよ、あんたたち!」
 「きゃー! 次元師様、素敵ー!」
 「守ってくれてありがとうなあー!」

 ワアッ、と歓声が沸いた。ロクの周りに、町人たちが目を輝かせて集まってくる。

 「こんなに小さいのになあ」
 「いつも巡回で来るだけだったから、改めてその技ってのを見てみると、すごい派手でたまげたよ!」
 「大したもんだよ、嬢ちゃんたち!」
 「へっ? え、えへへ!」

 ロクはたじろぎながらも、へらっと笑みを返した。

 すこし遠いところからギャラリーを眺めていたコルドが、それにしても、と口を開いた。

 「まさかお前があんな無茶な行動をとるとは思ってなかったぞ、レトヴェール」
 「……たぶん、二度とやらない」
 「はは」

 コルドは、さきほど鎖から離したほうの手のひらを見つめた。

 「あのまま地面の上に落ちたとしても、新しい鎖でも出してこの辺りにある適当な木に巻きつけて、木をクッションに着陸しようと考えていたんだよ、俺は」
 「……」
 「でもまさか、お前が飛びこんできてくれるとはな。助かった。ありがとうな、レトヴェール」

 レトの頭にぽんと手を乗せた。若干いやそうに顔をしかめられた気がしたが、振り払われることはなかった。

 「動かなきゃって、思っただけだ」
 「……お前たちは、いいコンビなんだな」
 「レトー! コルドふくはーん!」

 人影の山に埋もれて、ぶんぶんと手を振っていたのはロクだった。
 名前を呼ばれた二人が人だかりを掻き分けてロクのもとへ行くと、彼女は片腕に大きな花束を抱えていた。

 「見て見て! 町のみんながお礼に、ってお花くれた!」
 「これはすごいな。よかったな、ロクアンズ、レトヴェール」
 「へへへ~」
 「ここの自慢の品っていったら、花くらいしかなくてねえ」
 「食えるもんでもないが、感謝の気持ちだ。受け取ってくれよな、小さな英雄さんたち!」

 ロクが調子を上げてわははと笑う。レトは小さく息を吐いた。そんな2人より幼いであろう少年が、2人のそばにとことこと寄ってきた。

 「ねえ、じげんしさまは、きょうだいなの?」
 「へ?」
 「……」
 「ぜんぜんにてないんだね、ねえママ!」
 「そ、そうね。さ、あんたはあっちで遊んでなさい」
 「えー」
 「そうだね」

 ふてくされて母親の服を引っぱる少年の頭を、ロクはわしゃりと撫でまわしながら、しゃがみこんだ。

 「ぜんぜん似てないんだっ、お姉ちゃんたち」
 「どうして?」
 「それはねー、ほんとの兄妹じゃないからだよ」

 少年は聞き返した。

 「ほんとのじゃないって、どういうこと?」

 ロクは立ち上がる。そのときレトと目が合った。
 たたっと駆けだすと、それに合わせて人の波が避け、ロクは、花束を持ったままくるりと振り返って言った。


 「──いつかこの世界を救う英雄になる、エポール義兄妹だよ!」


 花びらが舞う。
 活きた花たちが、ロクの腕の中でさわさわと揺れた。
 後の祭りであるかのように、あっけにとられて急に静まり返った町人たちに、ロクたち3人が背を向けるときだった。バウッ! と遠吠えがして、その鳴き声の主に3人は大きく手を振り返した。

 「……い、いまあの子……なんて」
 「──エポール、ですって……?」

 町人たちのざわめきは、聞こえていた。しかし、2人が振り返ることはなかった。
 
 
 
 
 
 「ねえ見てレト! この花束ね、見たことない花がたくさんある!」
 「よかったな」
 「……ほんっっっと、冷めてる!」
 「しかたないだろ」
 「しかたなくない!」
 「……」

 此花隊本部への帰り道。レトとロクのいつものちょっとした言い争いをなんとなく耳にしながら先頭を歩いていたコルドが、急にぴたりと足を止めた。

 「……どうしたの? コルド副班」
 「忘れもんか?」
 「い、いや……その」

 珍しく口を濁すコルドの顔を覗きこむように、彼の背中から2人が顔を出した。
 コルドは、ゴホンとわざとらしく咳をした。

 「今日のことだが……」
 「うっ! ま、待った! コルド副班聞いて! あたしたちはなにも、その、出来心だったとか、困らせたかったわけではなくて~……!」
 「すまなかった」

 コルドが、丁重に頭を下げた。
 予想もしていなかったことに、ロクは大きな目をぱちくりさせた。

 「へっ?」
 「今回、フィリチアでの元魔討伐にお前たちを巻きこんでしまったのは……俺のせいだ。実は、すこし前にもフィリチアへ行って、元魔の痕跡がないか、それらしい事件は起こっていないかの調査をしたんだが……庭園が荒らされていたのを知って、それについて聞いたときに『害獣のせいだろう』と町の人に言われ、『そうですか』って勝手に納得して帰ったんだ……。自分で調べもせず、な。でもお前たちは、見逃さなかった」
 「……」
 「……セブン班長の言った通りだ」
 「え?」

 コルドは視線を上げる。ロクとレトの、幼い瞳が、さきほどの戦闘でどれほど頼もしかったかを心の奥のほうで噛みしめる。

 「本当にありがとうな、レトヴェール、ロクアンズ」
 「……へへっ!」

 ロクが首を傾けた拍子に、花束もおなじように優しく揺れた。

 「そんじゃあご褒美がほしいな~! ねっ、なんかおいしいもの食べて帰ろうよコルド副班~!」
 「それはなし」
 「ええっ!? な、なんでっ!? いま、あたしたちのおかげって……!」
 「無断で元魔討伐に出たこと、まさか帳消しになるとでも思っているのか?」
 「うっ!」

 そこを突かれてしまっては、といったようにロクはわかりやすく全身で脱力した。
 コルドはキビキビと歩きだしたが、しかし、もう一度だけ立ち止まって、

 「バカなこと言っていないで早く戻るぞ。ロク、レト!」
 「……!」
 「……」

 振り返らずに、背中の後ろにいる2人の名前を呼んだ。

 「はーい! コルド副班っ!」

 ロクの元気な声が返ってきた。レトからの返事はなかったが、おそらく、わかりにくい笑みを浮かべていることだろうと思った。
 
 空から、雨のように花が降りそそぐ。
 しかし雨にしては温かいそれらに見送られて、3人は肩を寄せ合い帰路についた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.8 )
日時: 2018/06/01 23:05
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: .pwG6i3H)

 
 第007次元 海の向こうの王女と執事Ⅰ
 
 「雷撃ィ!!」

 ただ広い室内に、張りのある声が反響した。
 掌から雷光が放たれる。微弱な電気が床を這う。鍛錬場はとても広い空間になっていて、放った電気は壁や天井に触れることなく、目の前で散ってしまった。

 「……う~ん。だめだなあ……。やっぱり、威力が足りないのかなあ」

 ロクアンズは、ぽりぽりと髪を掻きながらそう呟いた。


 『次元の力』とは、200年前に突如この世界に現れた"非科学的な力"である。
 その力を与えられた人間の数は計り知れないが、力の数は推定100と言われている。選ばれた人間たちに共通点はなく、ほとんどの学者たちは『無作為の選ばれている可能性が高い』と推測している。

 次元の力を与えられた人間のことを、この世界では『次元師』と呼ぶ。

 100の力に対して、次元師の数が計り知れないというのは、次元の力を持つ次元師が命を落とした場合、次に世界のどこかで新たに誕生した人間がその力を受け継ぐ、という不可解なシステムが働いているからだ。
 いつの時代も100の数を守り続ける次元の力は、いまだに多くの謎を秘めている。
 世界中のだれもが知っているのは、"異次元の世界から、ある特定の武器や魔法を取り出す力"である、ということだけだろう。

 若草色の長い髪を持つ少女、ロクアンズ・エポールも、そのうちの一人だった。
 彼女が有するのは『雷皇らいこう』──その名の通り、雷を操る次元の力。
 雷を放出したり、床に伝わせたり、柱にしたりと、最近の中だけでもロクは次元の力の扱いに多少慣れているらしいとわかる。

 ロクが自分の手のひらを見つめながら、広い室内でぽつりと立ち尽くしていると、
 ギィ、と重たい扉を開く音がした。
 
 「朝早くから精が出るわネ~、ロクちゃん」
 「モッカさん!」

 扉を押し開きながら入ってきたのは、肩までのベージュの髪色に緩いウェーブをかけたような髪型の、モッカだった。
 彼女は、派手な色の塗料を施した指先をひらひらと振った。

 「どうしたのー? モッカさん」
 「この前のフィリチアの件、見事解決したって聞いたわ」
 「ああ! ……いやでも、けっこう叱られちゃって……」
 「ふふ。やっぱりね。アタシもこってり絞られちゃったぁ~」
 「えっ、そうだったの?」
 「そーそー。『勝手に二人を送り出すなんて何事ですか!』ってネ~」
 「ごめんねモッカさん……巻きこんじゃって」
 「いーのいーの。気にしないで。それに、実はコルド副班長のせいだったんでしょ? 巻きこまれたのはこっちよ~ってネ?」
 「あはは!」
 「あっ、そーだそーだ。その彼がお呼びみたいよ」
 「え?」
 「班長室で」
 「げッ! そうだった!」

 ロクは、その辺りに脱ぎ捨てていた灰色のコートと、何枚かの紙を拾い上げると、ばいばい! とモッカに言ってすぐに鍛錬場を出ていった。

 鍛錬場は、東棟の一階に設置されている。そのほかにも講堂、集会所、戦闘部班班長室、会議室、戦闘部班の班員用の寝室など、おもに戦闘部班に所属している隊員のための設備が、この東棟に揃っている。しかし大食堂や治療室、資料室などといった、戦闘部班以外の隊員も使用する設備は、中央棟と呼ばれる建物内に位置しているため、連絡橋を渡って建物を移動する必要がある。
 戦闘部班の班長室に呼ばれたロクは、おなじ東棟内の二階へ向かっていた。
 『戦闘部班 班長室』と、木製の扉にはめこまれたガラスのプレートにはそう書かれていた。が、ロクは大して意識することもなく、ガチャッと大きな音を立てて入室した。

 「わかりました。早急に準備をいたしま──」
 「コルド副班長!」
 「おわっ!? と……おい、ロクか! お前なあ、入室するときはノックをしろノックを! しかもここをどこだと思っている!? 班長室だぞ!」
 「わわ……っそ、そんな、いっぺんに言わないでよ!」
 「じゃあいっぺんに言わせるな!」
 「まあまあ、コルド君。そんなに怒らなくとも」
 「班長! 一介の班員が、上司である班長の仕事場にノックのひとつもなく入室するとは、由々しき問題です! 子どもだからとか、そういうことは通用しません! どこへ向かわせたとしてもその派遣先で失礼のないよういまから礼儀の作法を……──」
 「わかったわかった。社会における礼儀作法の講義でも設けよう」
 「えええっ!? そんなあ!」
 「異論は認めないぞ」

 わかりやすく、がっくりとロクは項垂れた。
 しかしすぐに、あっ、となにかを思い出したように顔を上げると、ロクは手に持っていた紙束をコルドに差し出した。

 「? なんだこれは」
 「反省文だよー。フィリチアのときの!」
 「ああ。今日で3日目か」

 コルドは、ロクから手渡された紙束に目を通しながら、そう思い返した。
 隣町、フィリチアでの元魔討伐から3日が経過した。しかし、直属の上司に断りもなく任務に出かけてしまったロクに対して、『3日間、朝に反省文を提出すること』と、『その間外出許可を与えない』という二つの罰が下された。ちなみに、その任務に同行していたレトには反省文提出の命はなく、彼は謹慎処分だけを言い渡されていた。
 コルドは反省文に目を通し終えたのか、すこし目から離して言った。

 「……いいだろう。今日から復帰だ、ロク」
 「やったー! もう、体がうずうずしてたんだよ! ばりばり任務に行くぞー!」

 ふっ、とコルドが笑みをこぼす。と、彼は突然、ああ、と会話を切り出した。
 
 「──そうだロク。さっそくで悪いんだが、これから任務に同行してもらえるか?」
 「え、ほんと!?」
 「ああ。急いで出かける準備をしてくれ。それとレトもだ」
 「……あー……」
 「なんだ?」
 「レトたぶん……まだ寝てると思う」
 「……うそだろ」

 コルドは、コートの胸ポケットから時計を取り出すと、その針をまじまじを見つめた。
 時刻は午前9時。コルドはてっきり、あの真面目そうな性格からして朝早くに起きて本でも読んでいるのかと思っていたが、とんだ思い違いだったらしい。

 「レト、起きるの遅いよ。夜遅くまで本読んでるから」
 「あいつ、夜型だったのか……」
 「寝起きは機嫌悪いしね」
 「……」

 コルドは、はあ、と大きなため息をついた。

 「わかった。今回はお前だけ連れていく。とりあえず急いで準備をしてくれ。詳しいことは船の上で話す」
 「え? ……船?」
 「海を渡るからな」

 コルドは、戦闘部班班長のセブンに一礼し、班長室を後にした。海を渡る、というワードにしばしの間ぽかんとしていたロクも、慌てて退室し、自室がある3階のフロアへ向かった。
 腰に取りつける用のポーチに、ロクは必需品を詰めこんでいく。簡単な治療薬、筆記具はもちろん、携帯食料をすこし多めに持っていくのもいつものことだ。
 ガチャリ、と自室のドアを開けて廊下に出る。すぐ隣はレトの自室となっているが、出てくる気配はしない。
 一応、コンコンとノックを試みたロクだったが、案の定反応がなかったためやむを得ず引き下がった。



 「レトは?」
 「……」
 「そうか……」

 無言でふるふると首を振るロクに対し、コルドは短く息を吐く。
 中央棟の一階。ここは特殊な造りをしていて、ずっと真横に伸びる廊下の壁沿いに総合受付のカウンターがある以外には、なにもないただの通路だ。そして、廊下からすぐ目の前に広い中庭が見える。カウンターからまっすぐ歩くと、段数の少ない階段から地面の上に降りることができる。東西に長い廊下には、太陽の光を均等に切りわけているかのような柱の太い影が並んでいる。
 コルドが階段を降りはじめたので、ロクも彼に続いた。

 「ねえね、コルド副班。海を渡って、どこに行くの?」
 「ん。ああ」

 広い中庭を横断しながら、コルドは言った。

 「アルタナ王国だ。メルギースとも友好的な関係を築いている、穏やかな国だよ」

 荷馬車を用意してもらったから、それで港町まで行こう。そう言ったコルドとともに門をくぐると、荷馬車とそれを扱う隊員が二人を待ち構えていた。
 まもなく発進する。馬が蹄を打つ音、そして道の上を転がる車輪の音が、ロクの心に強い高揚感を齎した。

 (どんな人がいるのかな)

 初めて味わう胸の高鳴りを、荷馬車が着々と港へ運んでいく。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.9 )
日時: 2020/03/26 17:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第008次元 海の向こうの王女と執事Ⅱ
 
 エントリアを発ってから、半日が経過した。すでに太陽はどこにも見えず荷馬車から降りる頃には、空はすっかり灰と紫とに覆われていた。

 港町、トンターバの市場は夜を迎えてもまだガヤガヤと人の足が溢れていた。店の提灯がずらりと飾られ、夕闇に明かりを灯すその様は壮観だ。近くの町村から買い物に訪れる人民が多く、ここの市場は毎晩、祭りが行われているかのように賑わっている。
 コルドとロクアンズは、トンターバでたった一件の大きな宿屋に訪れると二人分の部屋をとり、そこで一晩を過ごした。

 翌朝。
 コルドは町の中で食料の買い出しをしていた。彼が店を出るとき、アルタナ王国行きの大型船がまもなく出航するところだった。
 乗船員に声をかけ、手配を済ませると、コルドとロクアンズはそのまま船に乗った。

 甲板で、パンに牛乳をつけ合わせた簡単な朝食を摂りながら、コルドは話し出した。

 「今回の任務は、主に元魔の討伐だ。かなりの数が確認されているが、アルタナ王国にはあまり次元師がいないらしく、友好国であるメルギースに依頼を申し出たというところだろう」
 「へえ……。ん? 主に?」
 「ああ。もうひとつ、お前を連れてきたのにはわけがあるんだ」

 コルドは口元に持ってきていたパンのかけらごと、組んだ脚元にすっと手を下ろした。

 「この依頼自体、アルタナ王国の国王陛下から直々に送られてきたものでな。陛下の娘様……つまり、アルタナ王国の王女様について、お前に手伝ってほしいことがあるとのことなんだ」
 「王女様?」
 「王女様の、その……友だちに、というかなんというか……」
 「とっ、友だちぃ!?」
 「……というより、ご機嫌取りをしてほしいんだそうだ」

 コルドは、周囲を気にしてのことかロクの耳元で声を小さくして言った。

 「ご機嫌取り?」
 「ああ。その王女様はいま、部屋に籠りきりなんだそうだ。臣下たちの言うことにまったく耳を傾けず、食事も十分に摂られてない状態だとか……とにかくその王女様に手を焼いているらしくてな」
 「ふーん……」
 「それでお前を同行させたってわけだ。一国の王女様とお近づきになれるなんていい機会だし、お前ならすぐ仲良くなれるだろう」

 ふんふんと、ロクはただ耳を傾けていた。
 しかし、すこし考えこむような表情になると、ロクはおもむろに口を開いた。

 「……ねえ、コルド副班」
 「なんだ?」
 「この話、荷馬車の中でもできたんじゃない?」

 じっ、とコルドを見つめる。無垢な緑色の瞳が、彼にはやけに鋭い刃物のように感じられた。

 「……お前、意外と鋭いな」

 コルドの頬に冷や汗が伝った。甲板でうろついている人の雑踏に紛れて、彼は息を吸う。

 「お前に言うか言うまいか、いまのいままで悩んでたんだが……正直に話そう」
 「……」
 「王女様が機嫌を損ねている、その理由だが……実はいまアルタナ王国は、国葬を終えて間もないんだ」

 真剣に耳を傾けていたロクは、え、と驚きの声を上げた。

 「亡くなられたのはアルタナ王国第一王女殿下。旅路の道中で、事故に見舞われたらしい」
 「そんな……。どこで事故に遭ったの?」
 「極北西にある、ルーゲンブルム王国付近の森だ。古来より宿縁があって、アルタナ王国はその国を唯一敵視している。それで王女殿下の死をただの事故とは思ってなく、ルーゲンブルムの仕業なのではないかと国の上官位は躍起になっているんだ。……そしてなにより、国王陛下の御身が危険な状態らしい」
 「それって」
 「ああ。アルタナ王国の国王陛下はもとより身体の弱い御方で、ここ何年も床に臥せられていると……。いつお倒れになっても不思議じゃないその御身では国の未来が心配なんだろう。だから、まだ幼い第二王女殿下に、王位を継がせる準備をしている真っ最中なんだ。第二王女殿下はおそらく……その歳の幼さもあって不安に襲われているから、部屋に籠っているんじゃないかと思っている」

 その第二王女の不安を、どうにかして取り払ってほしい──きっとそういうことなんだろうとロクは理解した。

 「国王陛下の病状については、国民のほとんどが知らされていないんだと。まあ当然だな。王女殿下の死に続いて、これ以上民を惑わせたくないんだろう」

 この船に乗っている人の中には、アルタナ王国の民もいるだろう。機密情報にもなるアルタナ王国の上層部の事情を話すには、開放的で雑多な音が聞こえてくる空間が望ましいとコルドは判断したに違いない。 
 船は、波に揺られながらアルタナ王国を目指して前進する。



 「滞在期間は?」
 「10日です」

 波止場の青い空を泳ぐ海鳥たちに迎えられ、コルドとロクはアルタナ王国の地に降り立った。
 ロクはぐっと腕を伸ばした。

 「んー! やっと着いたあ!」
 「のんびりしてる暇はないぞ、ロク。これから仕事だ」
 「はーいっ」
 「……──ロク。ここでは姓は伏せたほうがいい。わかるよな」
 「……。うん」

 そのとき。コルドとロクの近くで、ザッと足を揃える音がした。二人が振り向くとそこには、鎧を身に纏った二人の男が立っていた。

 「アルタナ王国へようこそお出で下さいました、メルギースの次元師様」
 「我々は国王陛下より、あなたがたの護衛を仰せつかまつりました。我々が責任を持って、王城までご案内いたします、コルド・ヘイナー様……と、そちらは……」

 ロクの名前は聞いていなかったのか、一人の男がそう尋ねてきた。

 「あたしの名前は、ロクアンズ。よろしくねっ!」
 「え、ああ、はい。ロクアンズ様ですね」
 「それじゃあ、王城までお願いいたします」
 「はい」

 港から続く大きな通りを上っていくと、賑やかな城下町へ出た。町の様子それ自体は、メルギースのエントリアの通りと変わらず、人と物資に溢れている。
 路上で芸を披露する者とその人だかりを見かけると、ロクは思わず足を止めた。

 「あれ、なにやってるの?」
 「奇芸です。ああやって、棒や布、玉などの何の変哲もない品を使って、珍しい踊りなどを披露することをこの国ではそう呼びます。奇芸を行うのは主に旅芸人で、芸が素晴らしいと思われれば、ああやってみなが銅貨を投げ、そこで得たお金で暮らしを凌いでいるのです」
 「へえ。すごいすごい!」
 「ほかにも、ありとあらゆる芸がございますよ。ご覧下さい」

 騎士の一人が指差した方向には、路上に布を広げ、硝子の品をずらりと並べる商人の姿があった。
 それもただの品物ではない。まるで王城に寄贈するような、繊細かつ色合いも美しい硝子細工にロクは目を瞠った。

 「えっ、あれ、ガラスなの? すっごい形!」
 「そうです。なかなか見事でしょう? あの者は一般の民ですが、王宮に認められた硝子職人もいます。というのも、我が国の芸術品はみな、他国の王族貴族から高い評価をいただいており重宝がられているのです。アルタナ王国はいわば、世界一の芸術大国なのです!」
 「ほえ~……」

 辺りを見渡せばたしかに、野菜や果物などの鮮物よりも、珍しい形の菓子や煌びやかな装飾品を並べている商人のほうが多いことに気がつく。ロクはその物珍しさに首をあっちへこっちへ振っていたが、あるものを見かけると、その売り場に駆け寄っていった。

 「あっ、おいロク! ウロチョロするなって!」
 「ねえねえおじさん! この、白くてふわふわしてるのはなに? 食べ物?」

 ぴょこっと屋台の下から顔を出したロクに、店主らしき男はすこし身を乗り出して言った。

 「おお、嬢ちゃん。見ない顔をしてるねえ。ほかの国から来たのかい?」
 「うん。メルギースから、ちょっと用事で!」
 「そうかいそうかい。そんなら、うちの店のを土産にするといい! これは綿と糸とを編んで作った帽子で、男にも女にも大人気の品さ。嬢ちゃんくらいの年の子もみんな被ってるよ」
 「帽子? なーんだ、食べ物じゃないんだ……」
 「ははは! 食べ物じゃなくてがっかりしたかい? でもこれは、自分で編んで作ることもできるんだよ。自分好みの、世界でたった一つの帽子を作れるんだ。こんなのとかね」
 「わっ!」

 ロクの頭に、ぽすっとなにかが覆いかぶさる。頭にじんわりと温かさ伝わると、それが平たく分厚い帽子のせいなのだと実感する。

 「あったかーい! それになんだか……いい香りがするね!」
 「この綿は、キッキカっていうアルタナ王国にしか生息してない花の花弁でね。大きくてしっかりとした綿から、その花の蜜が仄かに香るんだ。だから、どこへ持ち帰ってもアルタナ王国の香りを忘れずに、ずっと覚えていられるんだよ」
 「へえ……ロマンチックだね」

 頭に被った帽子を取り外しながら、ロクはその花の香りを吸いこんだ。仄かに甘く優しい、独特の香りがした。

 「ああ。ライラ王女様も大変気に入られ……」
 「……」
 「あ、ああ、すまない……。他国からのお客さんの手前、沈んだこと言っちゃあいけないな。さあ嬢ちゃん、気に入ったんなら一つどうだい? 安くするよ!」

 ロクは、コルドたちとともに来た道を振り返る。すると、奇芸というものを披露していた旅芸人の姿がほんのすこしだけ見えた。
 自国の王女が亡くなって間もないというのに、この国の民は皆笑顔だ。
 だが、その悲しみをだれもが必死に芸というもので埋めようとしているからかもしれないと思うと、ロクはなんだかやりきれない気持ちになった。
 そんな憂いを帯びたロクの表情を、拳骨ひとつで歪めてしまったのは、コルドだった。

 「あだッ」
 「だから、これから仕事だって言ってるだろう……! 観光はぜんぶ終わってから! それまでお預けだからな!」
 「……あい……」

 ロクはぶたれた頭をさすりながら、騎士たちとコルドのもとへ戻っていった。
 顔を上げると、遠くの景色の中に、アルタナ王国の王城が見えた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.10 )
日時: 2018/05/29 17:22
名前: 日向 ◆N.Jt44gz7I (ID: LA9pwbHI)

いつもお世話になっております、日向です。
たまにはレスという形でさいじげへの思いをお伝えしたいなと考え、お邪魔した次第です。

瑚雲さんはご存じないかもしれませんが【最強次元師!!】は私がカキコに来た当初、そうですね……右も左も知らない時分に衝撃を受けた作品であり、憧れの作品でした。
およそ七年前でしょうか、私が丁度コメディライトで執筆に手を出した頃だと記憶しております。
たくさんの人に愛されるロングランのバトルファンタジー、それが最初に触れたイメージでした。2レスに渡る物語を完結させる、そこまでには長い長い努力と苦悩があったと思います。
本当におめでとうございます。いや……今更過ぎますね苦笑
コメライ以外で執筆されている作品にも完結作品が多数存在することに私はとても驚きました。直近の完結作品である【灰被れのペナルティ】だけではなく、【スペサンを殺せ】【コンプレックスヒーロー】など。物語への責任感が一層お強い方なんだなと、とても尊敬しています。
しかし完結だけを褒められても複雑だ。もっと精進せねば、と瑚雲さんご自身仰っていたことを記憶しております。
記憶違いで失礼な事を言うわけにはいかないので(七年も前ですからね^^;)普段はあまり口には出しませんが、さいじげは間違いなく私の執筆黎明期に関わった作品であり、今でも大好きな小説です。
創作を始めたばかりの頃、最初に出会えたのがさいじげで本当によかったなあと思うのです。
むかしの絵師さんのこと、こちらのスレでは未更新分のキャラクタのことを言及するのはそれが理由だったりします、私は古狸です笑

私の一番好きなシーンは最新話のロクちゃんが市場ではしゃぐところです。
彼女の天真爛漫さに癒やされるのは勿論なのですが、お店に並ぶ造形物や街の描写がとてもハイファンタジーらしくて好きです。皆が芸事に親しみ笑顔の絶えない国、その舞台もさいじげの魅力的な世界観を創り上げている一因なのだと思います。
王女様を失っても尚、笑顔でいようとする、そんな背景もとてもいじらしく物語に引き込まれました。
スピード感あるバトルシーンもさいじげの好きなところです。
は~~~二人の窮地に飛び込むコルド副班本当にかっこよかったな……(過呼吸)

完全リメイク版ということで、原作と少しずつ違う展開に加え、毎度の更新が非常に楽しみになっています。
私の大好きな青髪の彼にもあと少しで会えるのでしょうか^^
さいじげがまた息づいて、物語が動いていく。その事実がとても嬉しいです。
乱文ではありましたがここまで読んで下さりありがとうございました、また何処かでお会いしましょう。

愛を込めて、日向

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.11 )
日時: 2018/05/29 22:44
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: .pwG6i3H)


 >>日向さん

 こちらでは初めまして! 某青い鳥ではお世話になっております、瑚雲です!
 スレッドへのコメントありがとうございますー! 嬉しいです!

 日向さんからのお言葉に、いまとても嬉しい気持ちでいっぱいです。7年前というと、私はきっとまだカキコで1年過ごした程度で、中学1年生のときだったと思います。文章力もないしコミュニケーション能力もないし、そんな私の作品のことを見つけてくださった日向さんには、感謝してもしきれません。

 完結よりも内容だ! みたく発言していたことには、実はいまさらながら後悔しています;
 「完結おめでとうございます」って、たくさんの方が言ってくださったのに、なんでそれを否定していたんだろうって……私自身嬉しかったはずなのに、内容や評価に囚われてずいぶん醜態をさらしました。
 私もいまさらですが、心から嬉しいです。日向さん、ありがとうございます!

 7年前ともなると、だいぶ恥ずかしい気持ちが勝ってきますね笑
 でもこんなに嬉しいお言葉をいただけて大丈夫か……今日死ぬのかな……なんて思いつつ、日向さんにそう思っていただけていたことが恐縮でなりません。
 この完全版も、旧版を読んでくださったその事実に恥じない作品にしたいなと思えました。それにすこしだけ自信を持ってもいいのかな、とも。ほかでもない日向さんのおかげです。


 最新話のロクですか! いやあ見事に、「すごいすごーい!」しか言ってないですね笑
 曲がりなりにも戦闘ものを謳っているので、ドンパチしてないところが果たしてどう映っているのは本当はめちゃくちゃ不安だったのですが……よかったです、ひとつほっとしました……。
 更新中のエピソードは、「王女と執事」がキーワードなので……もしかしたらもしかするかもしれません!笑
 こうして、旧版では普通に登場していたけど、完全版ではまだ出てないキャラクターについて語るのも新鮮で楽しいです。知ってくださっている方がいるというのは、とても書きがいがあります……!
 
 最後になりましたが、
 前の作品を見つけてくださったこと、読んでくださったこと、そしてまた新たに書き始めたこの作品を読んでいただけていること。本当に嬉しいですということを全力でお伝えしたいです。
 改めて、日向さんコメントありがとうございます!!
 ぜひまた、どこかでお話をさせてくださいー! ではでは!
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.12 )
日時: 2020/01/19 11:17
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: ObYAgmLo)

 
 第009次元 海の向こうの王女と執事Ⅲ

 「遠路はるばる、ようこそおいで下さいました、メルギースの次元師様。心から歓迎します」
 「ジースグラン国王陛下、お会いできて光栄です。コルド・ヘイナーと申します」

 アルタナ王国、王城。城内へと足を踏み入れたコルドとロクアンズは、国王が待っているという寝室へと通された。

 大きな寝台から上体を起こす白髪の男――ジースグランが差し出した手に、コルドは自分の手を優しく重ねた。
 ロクアンズは、なんとなくつまらなさそうな顔で、そんな二人の様子を眺めていた。

 「こんな姿で、申し訳ない……。本来ならば、王華の間で挨拶をしたいところを……」
 「いえ、とんでもございません。どうかご自愛なさってください、国王陛下」
 「……ところで、そちらのお嬢さんはもしや……」
 「ああ、こちらはロクアンズという者です。ロク、挨拶を」
 「あ、うん」

 突然名前を呼ばれ、ロクは間の抜けた返事をした。
 ジースグランの白い髪がゆっくりと動いた。視線を向けられたロクはどきっとするも、ごく自然に彼の前へやってきて、手を差し出した。

 「初めまして、ロクアンズっていいます! ええっと……王女様の、友人になるよう頼まれて……あれ?」
 「こらっロク! 国王陛下の前でなんてことを……!」
 「ははは。これはこれは、元気なお嬢さんだ。ロクアンズ、というんだね。どうかあの子のこと……元気づけてあげてほしい」
 「うん。まかせてっ……くだ、さいませ?」
 「……ったく……」

 アルタナ王国の国王、ジースグランとの挨拶も済ませ、二人は彼の寝室から退出した。

 「さてと……それじゃあ、俺はさっそく元魔の討伐に向かう。また後でな」
 「えっ? あたしも行く!」
 「お前には重大な任務があるだろ」
 「だってだって……! そ、それにすごい数なんでしょ!?」
 「そうだな。数はいまのところ、7体確認されているそうだが……俺はこれでも、戦闘部班の立ち上げで呼ばれた次元師だぞ? 一人で十分だ」
 「そんなあ……。この前は、ピンチだったくせにぃ」
 「あ、あれはたまたまだ! とにかくそっちは任せたからな、ロク」
 「……むー……」

 いかにも不服です、といった表情で頬を膨らませるロクに、コルドは背を向けて歩きだした。

 ロクは、すぐ傍で待機していたメイドたちに促され、その場から移動した。
 メルギースにある此花隊の本部もだいぶ大きな施設に分類されると思っていたが、さすが王家の人間が住まう王城というところは広さも内装もスケールがちがう。
 まず天井が高い。そこから吊り下げられた数多のシャンデリアは煌々と輝き、真っ赤なカーペットが足元を呑みこんで延々と伸びていく広い廊下を余すことなく照らしている。壁には名画、廊下の曲がり角には花瓶台が設けられているので、城内はどこも侘しさを感じさせない。
 目に映るものすべてが、王族のいないメルギース在住のロクにとっては珍しいものだった。



 「こちらが第二王女殿下、ルイル・ショーストリア様のお部屋でございます。ロクアンズ様」
 「……ふーん……」

 ロクが連れてこられたのは、一際大きな扉の前だった。煌びやかで繊細な装飾が施されたその扉の迫力たるや、首を上下左右に傾けてやっと全貌が把握できるほどのものだった。
 王女の部屋。それをロクは理解してかせずか、腕を持ち上げ、そのまま扉の表面をガンガンと叩きだした。

 「もしもーしっ!」
 「!? ロクアンズ様!?」

 メイドたちがどよめくのも気にせずに、ロクは扉を叩き続ける。王族のいる部屋に訪れる者がすることとはとても思えず、メイドたちは騒然とした。
 ロクは扉を叩きながら、声を張った。

 「もしもーしってば! ねえルイル! いないのー?」
 「ルイ……!? ロクアンズ様! その、ルイル王女殿下のお部屋です……! このようなことをなされては……」
 「え? でもあたし、ルイルの友だちになれって言われたしなあ……。おーい、ルイルー!」
 「──かえってッ!」

 扉を叩く手が、ぴたりと止まった。
 扉の向こう側から声がした。可愛らしい、幼い子どもの声だ。

 「……ルイル?」
 「かえって! かえってってば!」
 「……って言われてもなあ……」

 ロクが困ったように髪を掻いた、そのとき。

 「なにを言ってもムダですよ」

 藪から棒に声が飛んでくる。
 ロクの注意が向かった先で、その声の主は銀のワゴンを連れて立っていた。白と紺のコントラストが目を引く召使用の制服に身を包むその人物は、少年だった。

 「ガネスト様!」
 「……あなた様が、メルギースよりいらっしゃったという、次元師様ですか?」

 ガネストと呼ばれた少年と、目が合う。
 ロクは、ガネストの姿をまじまじと見つめた。背丈は自分よりすこしだけ高い。レトヴェールと同じくらいだろうか。男児にしては大きな青の瞳をしていた。すこし長めでやわらかそうな髪は、淡い海を思わせる色だった。
 黒を基調とした召使服をきっちりと着こなしている姿や落ち着き払った声色に、ロクはすこしばかり委縮した。

 (この子、あたしやレトと同じくらいの歳……だよね)

 「あ、うん。ロクアンズだよ。よろしくね、ガネスト」
 「気安く呼ばないでもらえますか」
 「へ?」

 ガネストは冷めた口調でそう返すとロクの横を素通りし、ルイルの部屋の前までワゴンを転がせた。

 「ルイル王女殿下。昼食のご用意ができました」
 「……ガネスト?」

 探るようにルイルが言った。しかし彼女はすぐに調子を取り戻して、

 「いらない! かえって!」
 「ルイル王女殿下。ここ数日、ろくに食事をとられておりません。体調を崩されてしまいます。どうか召し上がってください」
 「いらないってばっ!」

 一層強く返してきた。ガネストはここへ来たときとなにひとつ変わらない表情で、嘆息した。

 「……ルイル王女殿下。お言葉ですが、あなた様は次期国王となる御方です。9日後には子帝授冠式が行われます。あなた様が子帝となられるのは、もう決まったことなのです。ご理解ください」

 そのとき。扉の内側で、バンッ! と鈍い音がした。扉になにかをぶつけたのだろうか。ルイルは矢継ぎ早に投げ返した。

 「ガネストのばか! 国王になんかならないって、ずっといってるでしょ! なんでわかってくれないの!? ……ルイルじゃないもん……国王になるのは、──おねえちゃんだもん……っ!」

 言葉尻が、涙を交えて震えていた。周りのメイドたちは心配そうにオロオロとし始めたが、
 一人、ガネストだけが冷淡に言い放った。

 「あなたは、次期国王としての自覚がなさすぎです」

 小さなうめきが、体を叩かれて喚くような泣き声に変わった。

 「ちょっと言いすぎだよ、ガネスト」
 「だから気安く呼ぶなと言ったでしょう」
 「……なんでそこまでルイルに冷たくあたるの?」
 「あなたこそ、理解ができないんですか?」
 「な、なんだって?」
 「ここは、アルタナ王国の王城です。ルイル王女殿下は次期国王となる御方で、あなたが気安くその名前を呼んでいい御方ではありません」

 ガネストは鋭くロクを睨んだ。
 なんて冷たい海の色なんだとロクは感じた。

 「……このように、ルイル王女殿下はだれとも取り合おうとしません。部外者のあなたがなにを言ったところで、聞く耳を持ちませんよ。では、僕はこれで」

 そう言うとガネストは、銀のワゴンをぐるりと回転させ、来た道をそのまま辿って行ってしまった。
 周りのメイドたちはそんなガネストの後ろ姿を、ただ黙って見送った。

 「いまの男の子、ガネストっていうんだよね?」
 「え、ええ。ガネスト・クァピット様。アルタナ王国の王族は代々、生まれてしばらくするとクァピット家の人間から1人、側近を迎えるしきたりになっているんです。ガネスト様は幼少の頃よりルイル王女殿下に仕えてきたのです。王女殿下の指示のもとで執務の代行するのが主な役割ですので、執事という役職が近いかもしれません」
 「執事? じゃあルイルの執事が、いまのガネストってこと?」
 「ええ……。ですが、ルイル王女殿下の臣下として正式な任が下されたときから……ガネスト様はまるで別人のようにお変わりになって……」
 「前はどんなだったの?」

 ロクは何の気なしに質問したつもりだったが、メイドらしき女性は突然、パッと表情を明るくした。

 「それはもう! いつもルイル王女殿下のお傍にいらっしゃって……片時も離れることなく! それにとてもお優しくて、ルイル王女殿下といっしょにいらっしゃったときは仲睦まじい、本物の兄妹のようで……」
 「へええ……っ?」

 予想だにしていなかった返答に、ロクは驚いた。

 すでに後ろ姿もなくなった廊下の先と、固く閉ざされた部屋の扉とが、昔は兄妹のようだったという二人の現在を物語っていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.13 )
日時: 2018/06/10 01:18
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: NAPnyItZ)

 
 第010次元 海の向こうの王女と執事Ⅳ

 「……あ、そうだ。ねえ、子帝ってなに?」
 「子帝、というのは次期国王様のことを意味します。この国では、現国王様の身になにかあってから次の国王様を選ぶのではなく、前もって次期国王様を決めておくのです。政治的混乱や民心の乱れを最小限に抑えるためにこの国で定められていることです。子帝に選ばれた王族の方は、必ず、次の国王様になります」
 「……なるほどねえ」

 『国王になるのは、──おねえちゃんだもん……っ!』──ついさきほどのことを思い出す。
 本来ならば、第一王女であるライラ・ショーストリアがその子帝と呼ばれる地位に就くはずだったのが、不慮の事故によって彼女は亡くなってしまった。代わりに第二王女であるルイルがその役目を担うというのはごく自然な流れである。しかし心の内は単純ではないだろう。
 ロクアンズはしばらく扉の表面を見つめていたが、ふっと踵を返した。

 「また明日来るね!」

 メイドたちに手を振りながら、ロクは長い廊下の奥へ消えていった。

          *

 
 「ルイル王女様のお嫌いなものはお出ししていませんよ。最近は特に、お出ししたものがそのまま調理場に戻ってきますから……。お嫌いな野菜も飲み物も、なおのことお出ししていません」
 「じゃあ、好きなものを出してるのに食べないってこと?」
 「ええ。もはやおやつとしか言えないようなものでも、召し上がらなくなってしまって……。すこし前までは、菓子は大好物でしたので、そればかり口にされていたのですが……」
 「お菓子? どんな?」
 「ケーキや焼き菓子がほとんどです。ルイル王女様は、焼き菓子を大変好んでおられます」
 「焼き菓子……」

 翌日のことだった。城内の調理場へと訪れたロクは、そこで調理師を見つけるなり声をかけた。話の内容は、ルイルの食べるものに関することだった。
 ロクはしばらく唸ったのち、話題を変えた。

 「ねえ、ルイルが籠りきりになった理由って、やっぱり第一王女のことで?」
 「そうでしょうな……。ルイル王女様は、ライラ王女様のことを実の母上様のように慕っておられました。それが、突然ご逝去なさるとは……ルイル王女様も、困惑なさっていると思います。ライラ王女様が亡くなられてから、ひと月も経っておりませんし」
 「そっか……。ねえ」
 「あ、はい」
 「ここ、ちょっと借りてもいい?」
 「え?」

 コートの袖をまくりながら、ロクは厨房を見渡して言った。



 「ルイルー! おーい!」

 広い廊下に、ガンガンと扉を叩く音が響き渡る。
 ロクは昨日と変わらずルイルの部屋に訪れていた。

 「いないのー? ルイルー! おーい!」
 「……」

 ロクの若草色の後ろ髪を見るように、ガネストが壁に凭れかかっていた。彼は特になにをする様子もなく、ただそこにいるだけだった。

 「おーい、ってば! ……もー。じゃあさっそく、こいつの出番かな!」

 ロクは、床に置いていた籠を持ち上げると、それを扉の前で翳してみせた。
 
 「ルイル! いっしょにお菓子食べよっ! 作ってきたんだ~!」

 ガネストはぎょっとした。「ジャーン!」というかけ声をとともに籠から布が取り払われると、そこには、奇妙な形をしたこげ茶色のなにかが山のように積まれていた。

 「ね、食べよ!」
 「ちょっとあなた、ルイル様になにをお出しするつもりですか!」
 「うわっガネスト! なにさっ、さっきまで知らんぷりしてたのに!」
 「こんなもの見せられて知らないふりはできません! それと呼び捨てはやめてください」
 「なにおう!?」

 ロクとガネストは菓子の入った籠を引っ張り合っていたが、ふと、彼のほうが手を離すとその中身ともども彼女はひっくり返った。

 「いっ、たぁ~……」
 「これでわかりましたか? 興味本位でルイル様に近づくのはやめてください」
 「ちがうよ! あたしは真剣に……!」
 「真剣に? なら、もうすこし真剣に菓子作りをしてください。さっきのあれは、とても人が食べる物とは思えない」
 「な、なんでそんなことわかるのさ!」
 「それくらいわかります」

 ガネストは、眉をしかめて強く言い放った。

 「掃除は僕がやっておくので、あなたはもうお帰りください」
 「え、でも!」
 「お帰りください」

 重ねて言うと、ガネストは背を向けて歩きだした。掃除用具を取りに行くのだろう。
 尻もちをついた状態からロクは立ち上がり、自分の手にくっついた菓子のかけらを払う。
 ふいに、自分の足元で無惨に散らばっている菓子の山に目をやると、ロクはその中のひとかけらを手に取り、口に運んだ。

 「まっず!」

 遠くで歩いていたガネストがその大きな声に足を止めた。
 思わず半身振り返ったが、一体なにがしたいんだと嘆息して、さっさと目を逸らした。
 

 
 
 その翌日。ロクはふたたび、籠を持ってルイルの部屋の前に訪れた。

 「ねえルイル! いっしょに食べよ! またお菓子作ってきたんだ、クッキーだよ! 今日は失敗してないからさ~!」

 昨日とおなじように壁に寄りかかるガネストが、またかといった表情でロクを一瞥した。

 「おーい、ルイルってばー!」
 「……いらない」

 かすかながら声が返ってきた。昨日とはちがって反応がある。このチャンスを逃すまいと、ロクはいくらか上ずった声で畳みかけた。

 「でもルイル、最近あんまり食べてないんでしょ? あたしもいっしょに食べるから、ねっ! 食べようクッキー!」
 「いらない! 好きじゃないもん!」
 「……ええ? ウソ!」
 「うそじゃないもん!」

 ロクはその場で呆然と立ち尽くした。自分が持ってきた菓子の籠を見つめてから、

 「……じゃあお花がいい? 一応摘んできたんだけど」

 と、床に置いていた数本の花を掴んで持ち上げた。

 「勝手に摘まないでくださいよ……」
 「だって、ルイルの好きそうなものわからないんだもん。ねえガネスト、ルイルってなにが好きなの?」
 「わからないなら諦めたらどうですか」
 「やだ!」

 間髪入れずにロクが答える。
 清々しいほど元気のいい返事に、

 「……どうしてですか?」

 ガネストは眉をひそめて問い返した。

 「え?」
 「……」

 ガネストは、ふっと視線を外す。彼がそれ以上なにかを聞いてくることはなかった。
 沈黙が訪れる。
 ロクは左手に籠、右手に花を握った自分の姿を見下ろした。

 「……また明日、来るからっ」

 赤いカーペットの表面をドタバタと蹴りながら、若草色の髪は遠のいていった。
 ガネストは顔を上げた。おなじことの繰り返しだ。いつか「飽きた」と投げ出すだろう。そう心の内で唱える彼は知っているのだ。目の前の扉がいかに重く、厚い壁なのかということを。


 そして。
 その翌日も、そのまた翌日も、ロクはルイルの部屋に通い続けるが、その扉を開かせることがただの一度も叶わないまま──刻一刻と、『子帝授冠式』の日が迫ってきていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.14 )
日時: 2020/01/19 11:21
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: ObYAgmLo)

  
 第011次元 海の向こうの王女と執事Ⅴ

 菓子の籠とすこしの花を持ってルイルの部屋に訪れた日の、夕方のことだった。
 ロクアンズはまたしてもルイルの部屋の前にやってきた。一日に二度来るのは初めてだな、とロクを注視するガネストだったが、
 彼女は昼間と変わらない笑顔と、山のように菓子類を乗せたワゴンを連れて現れた。

 「ルイル、お待たせっ! ごめんね、あたし気づくの遅くて……問題は味じゃなくて、量だったんだねっ!」
 「……心配した僕がバカだった」
 「さあっ! いっぱいあるから、たあんとお食べー!」
 「そうですね。問題なのは味じゃなくて、その頭の軽さだと思います」
 「な、なななんだとぉ!?」
 「それと一日に何度も来ないでください」

 「たくさん会いに来る作戦は失敗か……」そう独り言を吐きながら、ロクはワゴンとともに引き返した。小さなその背中は落ちこんでいるようだったが、こぼれんばかりの山の中からときおり菓子をつまみながら去っていくのを見て、ガネストはふたたびバカを見たと眉をひくつかせた。
 当然、ルイルは部屋から出てこなかった。

 その翌日。菓子や花ではやはり効果がないと、そう思ったロクが次にとった行動は、楽器の演奏だった。

 「ルイル起きてるー? ロクだよ! いまからちょっと聴いてほしいものがあるんだ。いくよー!」

 ロクは言いながら、ところどころ歪んだ長い箱のようなものを抱えて部屋の前で座りこんだ。その箱には糸のような細さから紐のような太さまで様々な弦が張られている。アルタナ王国の伝統的な楽器『オウラ』だ。彼女はそのうちの一本に指を添え、粛々と弾き始めた。
 が、しかし。
 素人が聴いても「下手だ」と理解できてしまうほどの不協和音が、ガネストの鼓膜に突き刺さった。

 「やめてください! 追い出されたいんですか、あなたは!」

 始まって数秒も経たないうちに楽器を取り上げられ、ロクはしぶしぶ引き下がった。


 その後日も、ロクは楽器の種類や数を変えたり「わあー火事だ!」などとハッタリを騒いでみたりと、手札を変えながらルイルの反応を窺ってきたが、どれも失敗に終わった。

 そうして、初めてルイルの部屋に訪れた日から、6日目の朝を迎えた。

 「ルイルー! ねえ、『棒倒し』しようよ! これはね、あたしがまだ村にいたときに作った遊びで、まず木の枝を用意するの。たくさんね。そんで4、5本くらい使って束にしたものを5つくらい作って、それをちょっと遠くの土に軽く埋めたら準備完了! あとは軽めの石を用意して、順番に蹴ってくだけ。立てた木の枝の束をいちばん多く倒した人が勝ちなんだ!」

 ロクは丸い桶のようなものを運びだした。ちらりとガネストが覗くと、そこには大量の砂が入っていて、止めるよりも先に彼女は廊下の真ん中で砂をぶち撒けた。
 ほかにもどこで見つけてきたのかは定かでないが、木の枝で組み立てたいくつかの標的と、小石を取り出した。だから勝手に採集するなとふたたび言及したところで聞く耳を持たないだろうということは、さすがのガネストも学んでいる。ただ黙って、大きなため息をついた。

 「いっくよ~……! えいっ! ……──やったあ! 2本倒れたっ! ねえ見てル……」

 興奮した様子でロクは扉のほうを向いたが、壁に埋めこまれただけのそれは、なんの反応も示さなかった。

 「ルイル、部屋出て見てみなって! すごいんだよほんとに! そんでいっしょに遊ぼうよ ! 楽しいよこれー!」

 元気な声音はその扉の表面に弾かれると、広い廊下の中で行き場を失った。

 「……んん~。これでもダメかあ……。ほんとに、どうしたら出てきてくれるんだろう?」
 「だから諦めたほうがいいって言っているじゃないですか」

 呆れを通り越した淡泊な忠告が、うわ言のように告げられた。
 ──ふと、
 ロクはガネストのほうに向きなおった。

 「……ねえガネスト、あなたはなんですこしも手伝ってくれないの?」
 「は?」
 「あなたはルイルの執事なんでしょ? だったらなんで、ずっとそこで突っ立ったまんまなの? ルイルを国王様にしたいなら、どうして説得とかしないの? その日が来るのを、ただ黙って待ってるだけなの!?」
 「……」
 「ルイルは不安だから部屋に籠ってるんでしょ! その不安を取り除いてあげたいとかすこしも思わないの!? ルイルのそばに一番いるのは、あなたなのに!」
 「──よそ者のあなたに、いったいなにがわかるっていうんですか……?」

 酷く冷たい瞳が、まるで弾丸のようにロクの口上を打ち止めにした。

 「あなたこそ、ルイル王女殿下を愚弄しているんじゃないですか」
 「なっ、なんだって!?」
 「ここ数日にわたる不可解な行動の数々。それに伴っているのは成功ではなく、不信感です。まるで効果が見られないというのになぜ諦めようとしないのですか?」
 「それは、だって、諦めたくないよ!」
 「仕事だからですか?」
 「え?」
 「あなたはこの国で、『ルイル王女殿下の機嫌をとる』という、仕事で来たんじゃないんですか」

 一瞬、喉の奥のほうで息がつまった。

 「そ、れは……いまはそんな」
 「諦めてください、次元師様。ルイル王女殿下の御心を乱し、殿下の御部屋の前で醜態をさらし、騒ぎ立てるなどという行為は今後一切お見過ごしいたしません。お引き取り願います」

 ロクは、二の句を告ぐことができずに、ただの棒のように立っていた。
 どのくらいそうしていたかは知らない。くるりと背を向けはしたが、感覚を失った足ではそれも覚えていなかった。



 寝所のある宿舎の中を、意図もなく歩いていた。ぼんやりとした意識だけが前へ進む。いつまでも変わらない一直線上の赤色に時間の感覚を狂わされていた。縦に長い大きな窓から、夜の明かりが仄かに注ぐ廊下を、いつから徘徊しているのかもロクははっきり記憶していない。

 「ロク?」

 聞き覚えのある声に、はっとした。

 「どうしたんだ、こんな時間に。それに隊服着たままで……。寝つけないのか?」
 「……」
 「……なにかあったのか? 俺でよければ聞くぞ」

 向こうで話を聞こう。そうコルドに促され、同じ階にある談話スペースに足を運んだ。そこには簡素なデザインのソファが窓を向いておかれていた。ロクはどこか宙を見つめたままそのソファに腰をかけ、じっと俯きながら、ここ数日のことを話し始めた。
 
 「なんか、どうしたらいいのかわかんなくって……。たしかに、ルイルのことは仕事だと思って来た。でもいまはそうじゃなくて……。外へ出してあげたいのに、その気持ちぜんぜん伝えられなくて、そしたらもう来るなって言われちゃって……」

 ロクは細い両脚を抱きこんだ。膝に顎を乗せると、背中が丸くなる。
 コルドはそんなロクをしばらく見つめてから、ふっと口元を緩めた。

 「……お前にも、弱気になる瞬間があるんだな」
 「え?」
 「──そうだなあ、」

 わざとらしい言い方で、考えるふりをしながら前に向き直ると、コルドはロクを見ずにこう続けた。

 「俺の仕事、実はほとんど終わってるんだ。確認されてた元魔はとっくに討伐したし、最近は巡回に出てるだけで特になにもしていない。つまるところ、暇なんだ。巡回のついでに観光も終わらせたしな。でもお前は、まだだったろ?」
 「……?」
 「だからお前の任務……俺が代わりにやってもいいぞ?」

 ロクは目を見開いた。
 ──どうする? とでも言いたげに、コルドは黙って返事を待っていた。

 「……ううん」

 絞りだした答えから、自然と、ロクは言葉を紡いでいた。

 「あたしがいい。これはあたしの問題で……あたし、ルイルと話がしてみたいんだ。ほんとに。この気持ちにウソはひとつもない」
 「そうか」

 あっさりと返すコルドは、ロクの横顔を眺めながら言った。

 「ロク、お前はそれでいい。そのままでいいんだ」
 「? どういうこと?」
 「まっすぐぶつかっていけ。言いたいことややりたいことを、ためらう必要はない。その相手が民間人でも王女様でも、お前はお前らしく、ぶつかっていけばいい」
 「……」
 「だってお前は、そういうやつだろ?」

 ロクの頭に、コルドの大きな手が伸びた。くしゃりとかき回される。骨ばったその手は温かった。ちょっと痛いかな、なんて考えていながら、ロクの口から笑みがこぼれた。

 「……うん。ありがとうっ、コルド副班」

 顔を上げたロクの左瞳に、光が差した。淡い緑の石が輝きを取り戻す。磨かれた原石は、ときに宝玉の意義を惑わせるほど美しくなる。
 コルドと別れたロクは、たしかな足取りで自分の部屋へと戻っていった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.15 )
日時: 2018/09/07 17:14
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 0hhGOV4O)

  
 第012次元 海の向こうの王女と執事Ⅵ
 
 「おや、レト君じゃないか。こんなところでなにをしてるんだい?」

 メルギース国の最大都市、エントリアに位置する次元研究所『此花隊』本部は、ちょうど昼時を迎えていた。
 戦闘部班副班長のコルドと、班員のロクアンズがメルギースを発ってから、5日目のことだった。同じく班員のレトヴェールは、資料室で戦闘部班班長のセブンと出くわした。

 「セブン班長」
 「いまはお昼だろう? 食べに行かなくていいのかい?」
 「俺、さっき起きたから。寝起きはお腹空かなくて」
 「……ああ、そういえばロク君がそんなことを言っていたような……」
 「なんのことだ?」
 「いや、なんでもないよ」
 
 レトは持っていた紙束に視線を戻す。セブンは、上からその紙面を覗きこんだ。

 「元魔の出現地……?」
 「……ああ、まあ一応。関連性がないとは思うけど……。ほんとに読みたいやつは届いてないし」
 「本当に読みたいもの?」
 「──神様の、出没情報」

 低い声色。独り言のようだった。瞬間、空気が変わったことを察したセブンは、細心の注意を払いながら発言した。

 「そうかい。彼らは人前に姿を現さないからね。たしかに情報は少ない」
 「……。もし現れた場合、情報はここに来るのか?」
 「来ると思うよ。資料室は特に、いつも新鮮な情報を届けさせてる場所とこだから」
 「……そうか」

 普段からあまり温度差を示さない声音であるがゆえに、そんなレトの微細な感情の変化を掴みきれずにいる。しかし思ったよりも穏やかな語尾だったなと勝手ながらに解釈したセブンは、自然に話を切り替えた。

 「そういえばレト君。いま、コルド君とロク君がアルタナ王国にいるのは知っているかな?」
 「ああ。何日か前に発ったんだろ。任務で」
 「君も行くかい?」

 レトはきょとんとした。珍しく年相応のあどけない反応を見せたレトに、セブンはくくっと笑う。

 「もしかしたら、君の助けが必要になるかもしれないよ? ちょうど私も出るところだったし、途中まで送るよ」
 「……いや、べつにいいよ」
 「ロク君もいないし、どうせ暇してるんだろう?」
 「……」
 「あそこは観光するにもいい国だよ」

 ニコッと微笑みかけるセブンだったが、返ってきたのは相変わらずの仏頂面だった。
 深く息を吐きながら、机の上に紙束を置くと、レトはそのまま扉に向かって歩きだした。

 「行かないのかい?」

 バタン、と扉が閉まる。セブンは、やれやれと肩を竦めた。
 
 
 
 所用を済ませ、支度を終えたセブンは、荷馬車の手配をするために厩舎に訪れていた。数人の人間が、馬に餌をやったり掃除をしていたりと、各々の活動をしている。
 その中で、馬の頭を撫でていた男がセブンの存在に気がつき、声をかけた。
 
 「セブン班長!」
 「やあ、いつもご苦労様。さっそくで悪いんだけど一台出してほしいんだ」
 「わかりました」
 「しかしあれだね、援助部班っていうところは、仕事が多くて大変だ」
 「そんなことはありません。たしかに仕事の数は多いですが、担当によって班もちがいますし、班員もすごい数なのでみんなで協力し合っているというか」
 「はは。それはいいね」

 此花隊における組織の一つ、『援助部班』。この組織の仕事内容は、主にほか組織のサポートを務めることだ。施設内の清掃や食堂での調理、依頼の手配、そして任務で外へ行く隊員たちのために馬を引くことも仕事の一つである。

 セブンは舍内にいる馬を撫でていると、なにかに気づいたように目をぱちくりさせた。

 「あれ? 一番速い子がいないね」
 「ああ、さきほど戦闘部班の……金髪の子が乗っていきましたよ」
 「え?」
 「行き先は言ってませんでしたけど」

 驚いて目を丸くしていたセブンの口元が、みるみるうちに緩んでいく。
 そして、ぶはっ、とセブンは吹き出した。

 「やっぱり面白い子だなあ」
 「ど、どうかなさいましたか」
 「いやー、なんでもない。動物は苦手じゃなかったのかな」
 「?」
 「それにしても……いったいいつ、馬術なんてものを会得したんだ?」

 遠くにある門を眺めながら、セブンは感嘆の声をもらした。

          *
 
 7日目の朝。アルタナ王国の空はここのところ調子を崩しつつあるが、王城内で生活している者たちの心配が及ぶ範囲ではない。
 大きな窓硝子の向こうにある曇天が、城内の廊下から陰陽の境を奪いとった。覚えた道は薄暗い影に呑まれていたが、グレーのコートは着実に目的地へと向かっていた。
 コートの裾が大人しくなる。ロクアンズが足を止めたのは、いつもはいるはずの人物が、そこにいなかったからだ。

 「あれ? ガネストがいない……どこかに行ってるのかな」

 さほど気に留めることもなく、ロクはルイルの部屋の前まで歩いていった。
 立ち止まる。ロクは、コンコン、と扉を叩いた。

 「ルイル、おはようっ。いる?」

 返事はなかった。しかしロクは笑顔を崩さなかった。

 「ねえルイル。ひとつ聞いてもいいかな?」

 返事を待たずに、ロクは問いかけた。
 
 「どうして、王様になりたくないの?」
 「……」

 部屋の奥で、布の擦れる音がした。寝台の上で座っているのだろうか。予想外の質問にいささか動揺したように思えた。

 「王様ってさ、国のことを一番に考えてて、支えて、そうして国中の人に愛される。どっかの国にはそうじゃない王様もいるかもしれない。でもそれはその人次第で……。ルイルだったらきっといい王様になれるよ」
 「……なんで、ルイルのこと、しらないくせに」

 冷たく突き放すような、それでいてどこかふてくされているような、幼い声が返ってきた。

 「そうだね。あんまり知らない。だからもっとお話したい。ねえルイル、聞かせて? どうして王様になりたくないの?」
 「っ、やだ!」

 扉から、バンッ! と強い音がした。初めて訪れたときと同じだ。ルイルがなにかを投げつけたのだ。

 「いやだっ! かえって! なんでそういうこというの……? ルイルは王様になんかならないっ!」
 「だから、どうして?」
 「あなたにはわかんない! わかんないよ! ……おねえちゃんがなるんだったの……ルイルは、ルイルは王様になんかなりたくない!」
 「──もういないよ!」

 ロクは、拳をつくって扉を殴りつけ、叫んだ。

 「あなたのお姉ちゃんは、もういない! 亡くなってしまった人はもう帰ってこない! ルイルだってわかってるでしょう!?」
 「ちがうっ! ちがうもん! いるもん! おねえちゃんはかえってくるもん……ルイルをひとりにしないって……いってくれたの……おかあさんもしんじゃって、ないてたルイルに、そういってくれたんだもん……だから、おねえちゃんは、かえってくるんだもん!」

 ひくっ、と小さくひきつっていたのが、途端に大声で泣きだした。
 ロクは耳を疑った。この国の王妃は亡くなっていたのだ。いまここで初めて耳にしたのも偶然にすぎず、おそらく何年も昔の話なのだろう。ロクは、息を吐いた。

 「……あなたの気持ちもわかる。でもねルイル、ここで泣いてたってお姉ちゃんは帰ってこないし、なにも変わんな」
 「わかんないよルイルのきもちなんか! だれもわかってくれない! ルイルは、ひとりぼっちで……だからだれも……ルイルのこと、これっぽっちもわかってくれないくせに! わかんないよ!」
 「わかるよ!」
 「わかんないよ!!」

 ロクは口を噤んだ。周囲を見渡したがだれもいない。扉に背中を預けると、そのまま腰を下ろした。

 窓硝子の向こう側は、降りだしそうな曇り空だった。

 「……わかるよ」

 ロクは、ぽつりと呟くように言った。

 「あたし、拾い子なんだ」

 静寂が訪れる。ルイルは、薄暗い部屋の中でゆっくりと首を動かして、扉のほうを向いた。

 「拾われた子どもって意味。もともと、捨てられてたんだ。だからね、あたしにはお母さんもお父さんも、お姉ちゃんも……お兄ちゃんも、ほんとはいないの」
 「……」
 「だから、わかるよ。あたしも……ひとりぼっちだから」

 灰色の雲によって閉ざされた空へ、二羽の白い鳥が駆けていった。
 ロクは、静かに語りだした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.16 )
日時: 2020/01/31 10:58
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: FFsMNg05)

 
 第013次元 海の向こうの王女と執事Ⅶ
 
 雪の降る夜だった。
 暗闇の世界で唯一覚えたものは、途方もない虚無感だった。意識の糸をすこしずつ手繰り寄せ、だんだんと視界が確かなものになっていくと、同時に、思考の渦に呑みこまれそうになった。
 そこは知らない場所だった。知らない匂いだった。地面はひんやりと冷たくて、朦朧とした意識が無理やり冴えていったのを覚えている。
 しかし、自分がいったい何者で、どこから来たのかも──なにひとつ思いだせなかった。

 「メルギース国の、カナラ街っていう街の路地だったんだ。そこで眠ってたらしくて……。目を覚まして、すぐに、女の人の声がした」

 『……大丈夫? あなた、とても冷たいわ。お母さんやお父さんは?』

 首を振ることは愚か、答えることもできずにただその女性の顔を見上げた。金色の長い髪に、白くてふわふわした雪が触れてじわりと溶ける。同じ色の瞳でまっすぐ見つめ返されていた。

 『うちにおいで、お嬢ちゃん』

 果てのない暗夜に輝く、月の光に導かれて、その手をとった。

 「その人の名前はエアリスっていって、カナラ街からすぐ近くの『レイチェル村』に住んでる人だった。行く宛のないあたしはその人についていって、その人の家に上げてもらったの。そしたら、その家に一人だけ男の子がいたんだ」
 「……おとこの、こ?」
 「そう。その人の子どもで、レトヴェールっていう名前の男の子。あたしとおんなじくらいの年で、これが女の子みたいな顔してるんだっ。本人にこれ言ったら怒るけど。でね、家に上げてもらって、ご飯食べさせてもらって……。すごいお腹空いてたから、それがもうほんとに嬉しくて……おいしくて。レトには『なんだこいつ』みたいな目で見られてたんだけど……あ、レトっていうのはその男の子の略称ね。それで、ご飯食べながらあたし、『これからどうしたらいいんだろう』って思ってたんだけど……」

 家に着いてすぐに、暖炉の火で身体を温めさせてもらった。出された食事は美味しく、どこか懐かしく、促されるまま木皿の中のスープをすくっては流しこんだ。
 ロクが食事をするその様子を眺めていたエアリスは、出した皿がきれいになる頃合いを見計らって、お風呂に入ろうかと提案した。
 そこからというもの、あれよあれよという間にロクは身体を洗い終え、ほかほかになったら急に眠気を覚え、居間のソファに寝転んでいた。
 次に起きたときは朝になっていて、自分の身体には毛布をかけられていた。よく晴れた冬の空だった。

 「朝起きたら、おばさんはふつうに『おはよう』って言ってくれた。……不思議だった。なんでここまでしてくれるのか、なんでふつうのことのように、接してくれるのか」

 正直なところ怖い気持ちもあった。
 知らない場所に連れていかれ、食事も風呂も寝所も与えられたのに対して、なんの代償も支払わないなんてことはない。
 恐ろしい目に遭わされるかもしれない。
 そう思った矢先、ロクは思い切って口を開いていた。

 『どうして、こんなにしてくれるんですか?』
 『ん? ああ』
 『あたし……』
 『そうねえ。じゃあ逃げる?』
 『え?』
 『いいわ。あそこのドアは開けておいてあげる。どこへでもお行きなさい』
 『……』
 『ずっと、開けておいてあげる。いつでも帰ってこられるように』

 目尻に、じわりと涙が浮かんで、必死に堪えていたらエアリスはロクの視線に合わせてその場で屈んだ。
 エアリスはゆっくりとロクの手をとって、言った。

 『ねえお嬢ちゃん、今日からうちの子にならない?』

 その金色の瞳があまりにも綺麗で、新緑と滲んで、我慢ができずに涙がこぼれた。

 「……でもそれじゃあ、ほんとのおとうさんとおかあさんは……?」
 「……わかんない。でもそのときね、おばさんが小さな紙を出したの。あたしが着てた服にはさまってたんだって。『この子を引き取ってください』って、そう書いてあった」
 「……」

 『ごめんなさい。こんなもの、あなたに読ませるべきじゃないわ。でもね……だからこそ、あなたが、あなた自身のことを決めてほしいの』
 『……』
 『私は、あなたに娘になってほしい』

 「それで……どうしたの?」
 「その家に、いることにした。髪の色もちがうあたしが、娘なんてとんでもないと思ったよ。でもおばさんはあたしに、『ロクアンズ』って名前をくれて、居場所をくれて……あ、誕生日もくれた」

 『あ! でもここに来たのは昨日だから……昨日から、ね。うっかりうっかり』
 『……』
 『12月25日。あなたの誕生日にしましょう』

 「本当の娘みたいに愛情を注いでくれた。レトは義理の兄になるから仲良くしてねっていつも言われて、なんか本当に……家族、にしてもらったんだ」
 「……」
 「レトと仲良くなるのは大変だったよ! レトね、ほんっとぶっきらぼうで、いまもだけど昔はもっと冷たくてぜんぜん優しくなくてさ。最初の頃『おまえなんかいもうとじゃない!』ってすっごい言われたんだ。本当に大変だったけど……それでもいいとこあったんだ、レト。自分が正しいと思うことを見失わないの。だからあたしは、レトのそういうところが大好きになって……兄妹になりたいって、そう思った」

 ぽつり、ぽつりと──雨が降りだした。窓の外を見つめていたロクは、はっとして半身だけ振り返った。

 「あっ。だからどうのっていうわけじゃないんだけど……」
 「……」
 「……ルイルの気持ちがわかるって言ったのは……あたしも、そんな……大好きだったおばさんを、亡くしたから」
 「え?」

 ロクは、ぱちぱちと瞬きをすると、顔を上げた。

 「1年半くらい前に、亡くなったんだ。そのおばさん」
 「……びょうき?」
 「ううん。病気じゃなくて……」
 「……?」
 「────神様に、呪われてたんだって」

 ロクは、扉から背を離しゆっくりと膝を抱えた。雨の音が大きくなる。槍のような雨粒が、窓硝子を強く叩いていた。

 「……かみ……さま?」
 「──神族しんぞく、って知ってるかな? ルイル。この世界のどこかにいる……"神様の一族"。そのうちの一人に……『呪い』を受けてたんだって、おばさん。どうしてかは知らない。でも、身体に痣があった。……亡くなったあとに知った」

 どこへもやれない深い憤りと慕情を携えた、その両手をロクは強く握りしめた。
 
 「大好きだったおばさんが目の前にいたのに、あたしとレトはなにもできなかった。亡くしたんだ。…………あんなに愛してもらったのに」
 「……」

 消え入りそうな声が、赤暗いカーペットにこぼれ落ちる。
 しばしの沈黙が流れた。

 「……ああっ、ごめんね! またあたし、余計な話しちゃった。でもね、だからその気持ちわかるっていうかなんていうか……まあでもあたしの場合、血は繋がってないし、ルイルのほうがきっともっと寂しくて悲しかっただろうし、でも」

 そのときだった。
 ギィ、と。ゆっくり、扉が開く音がした。

 「……」

 中から出てきたのは、桃色の髪をした幼い女の子だった。肩まで伸びた髪の毛がそのまま横に跳ねている。彼女はまんまるの目を赤くして、じっとロクのことを見下ろした。

 「ルイル……」
 「……おなじ、なんだ」

 ぽろり、と大きな瞳でひとつこぼす。するとルイルはひっきりなしに、ぼろぼろと涙を落としはじめた。
 
 「ねえ、あなたなら、わかってくれる……?」
 「うん。わかるよ」
 「……たすけて……」
 「え?」

 次の瞬間。小さな身体がぐらりと傾いて、そのまま床に倒れこもうとした。ロクが咄嗟に腕を伸ばし、抱きかかえる。

 「ルイル! どうしたのルイル!」
 「ルイル!」

 後ろから声が飛んできて、ロクが振り返ると、ガネストが焦った顔で駆け寄ってきていた。

 「がっ、ガネスト! いたの?」
 「いまはそんなことを言っている場合じゃありません。すぐにでも王医様の診療が必要です」
 「あ、じゃああたし呼んでくるよ! どこにいるかな?」
 「時間がありません。僕が運びます」

 ロクの腕の中から、ガネストはルイルの身体を抱き上げた。そして急いで駆けだす。
 それに続くようにロクもガネストの背中を追いかけた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.17 )
日時: 2018/06/29 11:16
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: g47nDRMH)

  
 第014次元 海の向こうの王女と執事Ⅷ

 「栄養の不足が主な原因でしょう。それと、軽い脱水症状も見られます。だいぶ衰弱しておられますから、しばらくはお薬をお出しします。ですが、ルイル王女殿下は体力もございますし症状も軽度なので、すぐに目を覚まされると思います」
 「そうですか……。王医様、ありがとうございます」
 「とんでもありません」

 施療室へと運ばれたルイルは、すぐに王医の治療を受けることができた。王医が煎じた薬湯を飲み、いまは寝台で寝息を立てているという状態だ。
 ガネストは、ほっと息をついた。ロクアンズもルイルの幼い寝顔を見て、安心したように笑みを浮かべた。

 「よかったね、ルイル。大事に至らなくて」
 「……。すこしもよくありません。もし、気づくのがもっと遅かったら、ルイルは……」

 ガネストが弱々しく呟いた。
 ──『……たすけて……』部屋から出てきたルイルが、ロクにそう言っていたのを彼女はぼんやりと思い返した。

 「……立ち聞きするつもりはなかったんですが……。……すみません」
 「え?」
 「……」
 「……ああ、なんだ、やっぱり聞いてたんだ。べつにいいよっ。隠したいわけでもないしね」

 ロクは、あっけらかんとして言った。不意を突かれ、ガネストは一瞬呆けた顔になった。

 「ガネストのことね、なんだかレトみたいって思ってたんだ。冷たいし、優しくないし」
 「はい?」
 「でも、レトのほうが優しい。レトは案外素直だから」
 「……」

 ロクは、ぐぐっと伸びをして、ガネストの顔を覗きこんだ。

 「ねえガネスト! ルイルって、ココッシュ好きかな?」
 「え? ココッシュって……」
 「この国の伝統のお菓子なんでしょ? なんか、生地がふんわりしてて貝みたいな形で、中にクリームとかジャムをはさんでるやつ! 実は城下町で聞いたんだ~! ねえ、好きかなっ?」
 「ま、まあ……」
 「ほんとっ!? じゃあ作ってよガネスト~! ねっ、お願い!」
 「なんで僕が?」
 「だって、あたしじゃダメなんだもん。調理場の人が言ってたよ。『ガネスト様はお料理も巧みで、特に菓子は絶品なんです。ガネスト様の作ったものじゃないと、ルイル王女様は召し上がらない菓子もあるくらいで』ってね」
 「……」

 ガネストは、ロクが度々調理場に行っていたことを思い出して、バツが悪そうに視線を外した。

 「ルイルが起きたとき、ルイルの好きなものを一番に食べてもらって……そしたらきっと元気出るよ、ルイル! だからお願いガネスト! いっしょにルイルのこと元気づけよ? ねっ」

 太陽のような笑みだった。捨て子だったとか、拾ってくれた義母を亡くしただとか、そんなことを一切匂わせることのない底抜けの明るさが眩しかった。ガネストは目を閉じて言った。

 「わかりました」
 「ほんと!? やったー!」
 「……いっしょに、と言ってましたがあなたは手伝わないんですよね?」
 「うっ。あ、い、いや! お……応援するっ、やっぱり! フレーフレー、って! 後ろは任せて!」
 「邪魔ですね」
 「ひどい!」

 ロクを置いて、ガネストはさっさと医療室から退出した。最後に見たロクの絶望したような顔を思い出して、思わず笑いそうになる。
 ふとガネストは立ち止まって、考えた。笑うのなんて、いったいいつ以来だろうと。
 
 
 
 
 
 ──事件が起こったのは、その日の夕方だった。
 
 
 ルイルは、4時をすぎたころに目を覚ました。ガネストはココッシュ作りのためにと材料調達をしている最中にその報せを聞き、ルイルのもとへは寄らずに調理場へ向かった。さながら職人のような手さばきであっという間にココッシュを作り終えると、それを持って施療室に戻ってきた。

 「王医様、ガネスト・クァピットです。入ります」

 菓子の入った籠を片手に、ガネストは扉を押し開いた。彼のあとについてきたロクも遠目からその隙間を見やり、室内を覗く。
 ガネストは脈が早くなるのを感じながら、ルイルの寝台へと目をやった。
 しかし、
 ──室内は、何者かに侵入されたかのように荒れ果てていた。

 「……! ルイル……王医様! 王医様!」

 ルイルはいなかった。それを認識してすぐ、ガネストは王医の姿を探した。しかし室内は不気味なくらい静まり返っていて、人ひとりいなかった。
 そんなとき。

 「がっ、ガネスト様! 大変です!」

 廊下のほうから声がして、ガネストとロクはすぐさま振り返った。
 すると、顔中に汗を滲ませた王医が、焦りと困惑に満ちた表情で駆け寄ってくるのが見えた。

 「王医様! これはいったい」
 「わ、私が薬室へ行っている、その数刻の間に、ルイル王女殿下が……殿下がいなくなってしまいました!」
 「なんだって!?」

 ガネストは、血相を変えて王医の分厚い肩に掴みかかった。

 「も、申し訳ありませんっ! 私が人を置いていれば……どうか罰を! 罰をお与えください!」
 「……。このことを、知っているのは」
 「医官に留まらず、城中が、パニックに陥っています……! も、もももし国王陛下のお耳に入ってしまったら……」
 「……」
 「──ねえ! 見て、ガネスト! 窓が……!」
 「!」

 ロクが室内を指差した。寝台に近い壁の窓硝子が割られていて、辺り一面にその破片が散らばっていた。
 荒らされた室内をただ呆然と眺める。ガネストは、全身から力が抜けていくのを実感した。

 「……」
 「行かなきゃ。あたしがルイルを助けに行く!」

 室内へと駆けこんだロクが、割れた窓へ向けて前進した。ガネストが我に返ったのは、彼女が硝子の破片を踏みつけ、躊躇うことなく窓から飛び降りたのを見たときだった。

 「! ロクアンズさんッ!」

 ガネストも室内へ入った。こぼれた薬品、無造作に放られた道具や大量の本、そして辺り一帯に散らばっている硝子の破片を踏み抜いて、窓の縁に食いついた。するとその真下から、ロクの叫び声が聞こえてきた。

 「心配しないでガネスト! ルイルのこと、必ず連れ戻すから!!」
 「……」

 決して飛び降りられない距離ではない。が、一瞬の躊躇もなく窓から外へ飛び出していけるかと問われれば、否と答えてしまうだろう。それほど、すぐ目下の地面との距離が恐怖心を煽ってくる。
 しかし、ガネストは窓の縁に足をかけると、茂みに向かって勢いよく飛び降りた。

 「ガネスト!?」
 「……僕も行きます」

 ロクが驚きの声をあげると、ガネストは着地の衝撃を負った両脚で、負けじと立ち上がった。

 「ルイルを守るのは僕の務めだ」

 淡い海色の双眸が、太陽の光を照り返し、強く言い放った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.18 )
日時: 2018/06/29 11:19
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: g47nDRMH)

 
 第015次元 海の向こうの王女と執事Ⅸ
 
 「うん! じゃあ行こう、ガネスト!」

 ロクアンズは、にっと眉と口角を吊り上げた。

 「あなたの、躊躇の欠けた行動には度々驚かされます」
 「え?」
 「いえ、忘れてください」
 「……あ! ああ、ごめん! 勝手に飛び降りちゃって。窓割れてたし、てっきりこっから連れ去られたのかと思って……冷静に考えてみれば、窓を割ったのは罠かもしれなかったよね!?」
 「……。いや、おそらく本当にここから連れ去ったのだと思います。王城の外も中も惜しむことなく人員を配置していますが、唯一、ここからの一本道だけ警備が手薄なんです。城内へ物資を運ぶための運搬経路になっていますし、ちょうどこの時間はその運び出しに番役の人間も使っているはずですから」

 ロクは前方を見やった。城壁と同じ質の石で造られた壁がある程度の幅を置いて向き合い、それに沿って草木の鉢が一直線にずらりと並べられている。そうして作られた一本道が、ずっと先まで続いている。

 「なるほどね……。それに、よく見たら車輪と蹄の跡があるよ。ここを通っていったってことで、まちがいないみたい」
 「……」
 「ねえガネスト、この近くで馬を借りられるところない? 走ってちゃ追いつかない」
 「こっちの道を行くと、すぐに保管庫があります。そこに何頭か、馬を置いているはずです」
 「よし!」

 ガネストは右手のほうへ、指先を向けた。彼が指し示した方向に従ってロクは走りだす。
 ガネストの言う通り、通路を進むとすぐに保管庫へ辿り着いた。王城の外から運ばせた物資を通す関所のような場所だった。文字通り保存の利くもの、たとえば米や土などといった大量の物資を一時的に置くのにも適応している。
 小さな厩舎が見えて、ガネストとロクはそこへ駆けこんだ。保管庫で仕事をしていた人間の中には、ルイルの失踪を知らない者もいたために、庫内は騒然とした。
 ガネストが事情を話すと、保管庫を取り締まっている代表の役人が快く馬を貸し出してくれた。お礼を言い、彼は一頭の馬を引いてロクのもとに戻ってくる。

 「あっごめん、もう一頭貸して!」
 「え? あなた、馬を扱えるんですか?」
 「一応ね! ……レトほど上手じゃないんだけど」
 「?」

 不思議そうな顔をしつつも、ガネストは役人に頼みこんで馬をもう一頭借りることに成功した。
 ガネストとロクは慣れたように馬に跨った。まだ年端もいかない二人が悠然と手綱を引き、勢いよく馬を発進させたその背中を見て、役人たちは呆気にとられていた。

 「さっ、急ごうガネスト!」
 「はい」

 よく馴らされた地面を、蹄が強く蹴り飛ばす。一本道を颯爽と奔り抜けていく。すると、だんだんと壁の端が見えてきた。その先は森になっていて、林道が続いている。

 「車輪の跡が続いてる! まっすぐだ!」
 「……目が良いんですね」
 「まあね! 田舎育ちだし……それにほら、片目しか開いてないし!」
 「……」

 ガネストには気になっていることがあった。きっと、彼女に初めて出会う人間ならだれしもが、一瞬は意識する。
 傷で塞がれた右目のことを。
 彼女はぱっちりした大きな目をしている。しかしそれは左目だけで、もう片方の右目は、瞼を真っ二つに分断するような傷跡が走っていて、固く閉じているのだ。
 
 「これね、拾われたときからあったんだ」
 「!」
 「気がついたらこうだった。だからどういうわけで、こんな傷があるのかもわかんない。でもあたしにとっては物心ついたときからこうだから、ぜんぜん気にしてないんだけどね。……ほとんどの人は驚くだけで触れてこないんだけど、たまに聞かれるんだ、『その目どうしたの?』って。そのときはいっつも、『事故でまちがって切っちゃって』って答えちゃってるよっ」

 へへっ、とロクが笑う。まるで心の内をそっくり覗かれたようだった。それほど、欲しかった答えが明確に返ってきた。
 口にこそしないが、初めて見たとき、それを気味悪いと感じた。しかし、彼女の容姿や第一印象であったり、数々の行動であったり、他国からやってきた研究機関の次元師というレッテルは、いつの間にか取り剥がされていた。ここ数日を経て彼女の内側にあるものに触れたために、ガネストは、その右目を気味が悪いなどとは思わなくなった。
 ガネストは顔の向きを前方に戻し、緩やかに視線を下げる。と、そのとき。
 ロクが、あ、と声を上げた。

 「ガネスト、見て! 荷馬車だ!」
 「……!」

 くっと顔を起こした。前方に揺れているのは、たしかに荷馬車だった。荷台のスペースに骨組みを立て、布をかけている。その四角い空間の中までは覗けないが、車輪の具合や薄汚れた布から察するに、──盗賊の部類だろうと思えた。

 「次元の扉、発動!」

 バチッ──と、空間に電気が奔る。はっとしてガネストが横を向くと、

 「──雷皇!!」

 ロクがその名を叫んだ。瞬間、彼女の全身から雷光が弾け飛ぶ。非科学的で、超次元的な力──次元の力を、目の当たりにする。

 「……!」
 「雷を操る次元の力だよ。お菓子作りも楽器も苦手だけど、あたしはこっちでなら戦える!」

 ロクが、手綱を打ち鳴らす。馬は加速し、荷馬車との距離をぐんぐん詰めていく。
 天上を覆う雨雲に、絶好の天気だ、とロクは呟いた。
 その灰色の背中が遠ざかると、ガネストは真っ青な顔で声を荒げた。

 「ッ! ロクアンズさん!!」
 「──五元解錠!」

 しかし、ガネストの声はロクの耳に届かなかった。

 「雷撃ィ!!」

 翳した右の掌から、膨大な量の雷が放たれた。荷馬車へ向けて一直線に駆け抜けていく閃光だったが、わずかに導線が逸れ、転がる車輪の表面を撫でるに終わった。ぽろりと、車体から小さいなにかがこぼれ落ちるのが見えた。
 
 「あれ? 失敗しちゃった……。車輪外すつもりだったのに」
 「──なにを考えてるんですか、あなたは!!」
 「!」

 突然、ガネストが馬に乗ったままロクの目の前に飛びだしてきた。ロクはびっくりして、自分も強く手綱を引いて馬を急停止させる。
 ロクは、物凄い形相で睨んでくるガネストにぽかんとした。

 「が、ガネスト?」
 「すこしは考えて行動しなさい!! あんなことをして、もしもルイル王女殿下の身になにかあったら、どう責任を取るおつもりですか!? 賊から取り返すことができれば、彼女の身体はどうなっても構わないというんですか!!」
 「え? いや、そんなつもりじゃ」

 そのときだった。
 狼狽えるロクの額に、──カチャッと、銃口が向けられた。

 「たとえあなたでも、ルイルを傷つけることは絶対に許さない」

 真黒の装甲。彼の髪や瞳と同じ海の色で、細い線のようなデザインが走っている。ガネストはこれまでになく冷酷極まりない目つきで、いまにもロクの額を撃ち抜かんとしている。

 しかしロクは、恐れを上回る"ある予感"に、支配されていた。
 ──それが、超次元的な匂いを漂わせている、と。

 「……ガネスト、あなたもしかして……」
 「……」

 ガネストは、そっと銃を下ろした。そして自分の腰元から提げたホルダーに収める。

 「急ぎましょう。ここで言い争うのも時間の無駄ですから」
 「みんなには言ってないの?」
 「……僕の務めは、ルイル王女殿下をお守りすることです。それ以外に役目はありませんし、それ以外の能力を、ひけらかしたいわけではありません」

 ガネストは手綱を操り馬を前に向かせると、荷馬車が消えていった道の奥に視線を戻した。

 「ともかく、夜が更ける前に急いで馬を走らせましょう。これ以上暗くなると見失ってしまいます」
 「たぶん遠くまで行ってないと思うけどね」
 「は? どういうことです?」
 「車輪の一部っぽいものが外れるのを見たんだ。一瞬、ガタッてなって、そこから運転が不安定になったのを確認した」
 「……ということは」
 「案外近くで、ウロウロしてるかもね」

 ガネストは口元に手を持っていき、すこし考えるような仕草をした。そして、あることに気がつくと真っ直ぐにロクを捉えた。

 「この近くに、いまはもうだれも住んでいない古い屋敷があります。大きな屋敷で目立ちますし、あなたの推測が正しければ、おそらく……そこで往生しているかと」
 「! じゃあ!」

 ガネストは頷いた。二人は前を向くと同時に、手綱を唸らせる。
 先に駆け出したガネストの後ろ姿と一定の距離を保つロクは、その背中を見つめながらつい先刻のことを思い出していた。

 『すこしは考えて行動しなさい!!』

 声の主や文字並びにちがいはあるが、かけられた言葉は、彼が自分に対してよく言っているものそれ自体だった。

 (……──同じようなこと、レトにも言われてるな)

 流れても流れても濃灰の空が晴れることはなく、月明かりのない道の上を探るように駆け抜け、ロクの脳裏ではその言葉が繰り返し再生されていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.19 )
日時: 2018/12/12 23:57
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: Kkmeb7CW)

 
 第016次元 海の向こうの王女と執事Ⅹ

 森の匂いがした。そんな中を、ガタガタと不安定な足取りで突き進んでいく。どこへ向かっているのかは知らなかった。なぜ連れ出されたのかも、わからなかった。
 ルイルは真っ暗闇の中、ただひたすら震えていた。1時間ほど前、施療室で目を覚ましたばかりのルイルにはほとんど意識がなかった。視界がはっきりしてきたその途端、布のようなものに目と口を覆われ、抗いがたい強い力に四肢を押さえつけられ、すぐに気を失った。
 
 ゆっくりと意識を取り戻したとき、全身がぎしぎしと痛みだした。ときおり身体が上下に揺れて、そのたびに近くから男の声がした。1人じゃない。数人だった。
 あまり記憶にはないが、おそらく馬車のようななにかの中にいるのだろうと思った。

 「くっそ……さっきのはなんだったんだよ? 一瞬攻撃を受けたよな? テント張ってるせいでよくわかんなかった」
 「おそらく追手だろうが、銃撃か?」
 「おいおい、俺たちはともかくこの国のやつらは銃なんか持ってねぇだろ」
 「……よく考えたら、なんか、バチッて音がしなかったか?」
 「は?」
 「電気だよ。雷みたいな、低い音もした!」

 運転手と、目の前で会話をしている2人を合わせて最低3人はこの場にいる。低くて荒々しいので男だということはわかるが、声が似通っていてそれ以上のことはわからない。
 ルイルは、底知れぬ恐怖を感じていた。声も出せず、涙を堪えて、ただ小さな身体を震わせていた。

 (……──ガネスト……)

 いまはただ祈るしかない。ルイルは、胸の中で何度も何度も彼の名前を呼んだ。

 「とにかく、もうこんな時間だし今夜は留まったほうがいい。近くに使われていない屋敷がある。そこで夜を明かそう」

           *

 ガネストの想定通り、荷馬車を走らせていた一行は屋敷に着くなり歩を止めた。
 ガネストとロクアンズが遅れて到着すると、ちょうど荷馬車の中から人が出てくるところだった。
 見た限り全員男だった。その男たちのうちの一人が、目と口を塞がれたルイルを引き連れて屋敷の中に入っていくのが見えた。

 「ルイル……!」

 小さな身体はすぐに消えてしまった。ガネストが眉を寄せ、拳を震わせているのを見たロクは、息をひそめた。
 
 (──いったい、どうすればいいんだろ……)

 考えて行動をしろ。
 もうすこし作戦を練ってから。
 ──おまえはいつもいつも……!
 ──もしもルイル王女殿下の身になにかあったら、どう責任を取るおつもりですか!?

 頭よりも先に身体が動く気性だということは自覚している。多少の自己犠牲は考慮の上で行動をしているし、実を言うといつも被害者は出さないように計算だって踏まえている。だから器物や自然物が多少損害を被ることはあっても、大きな災害にまで至ることはなその場が収まっているのだ。
 しかし、目的のルイルが目と鼻の先にいるというのに、身体が鉛のように動かなかった。

 (……どうすればいい? ルイルに被害が及ばないように『雷皇』で攻撃をしかける? いや、屋敷の中なんてどこにだれがいるか把握できないし、空間が狭い。今夜はとくに湿気が多いから電気の通りも良すぎる。なにが起こるかあたしでも想定できない。ルイルのことは傷つけないように……やむを得ない場合、賊たちには傷を負わせることも考えるけど……でも、)

 ロクは懸命に考えた。思いつく限りの作戦をぶつぶつと述べてみる。こういう作業はいつもレトヴェールの仕事だったために、彼の指示に従って動いてきただけのロクは難色を示した。

 (こういうとき……レトなら、どうする?)
 
 迅速に指示を飛ばしてくれる義兄はいない。自分がやらなければならない。そう理解した。
 しかし、いくら思考を張り巡らせても妙案は浮かんでこなかった。そればかりか焦りが着々とこみ上げてきている。

 眉をひそめ、唇を噛み、思案に耽っていたロクの肩に、ぽんっと手が置かれた。

 「大丈夫ですか?」

 ロクは我に返った。心配しているのか、訝しげにこちらの顔色を窺っているガネストと目が合う。
 なにかがしぼんでいくような気がした。

 「……」
 「ロクアンズさん?」
 「……ごめん。そうだ。あなたもいるんだった」
 「?」

 ガネストは小首を傾げた。ロクがなにを言っているのかよくわからなかったため、彼はとくに返事をせずに小声で話しはじめた。

 「今回の誘拐がなんらかの目的によって行われたのだとしたら、考えられる理由は2つです。1つは、身代金の要求です。王族の人間をさらえば、それだけ交換条件で高値を提示することができます。賊であるならばなおのこと。そしてもう1つは、ルイル王女殿下が子帝になられることを、望まない分子による犯行か」
 「ルイルが王様になることを、嫌がってるってこと?」
 「そうです。ライラ王女殿下の支持派、つまり生前に王女殿下と親交のあった者による反乱である可能性もあるということです」
 「その場合……ルイルの身は、かなり危険だよね?」
 「……そうですね。向こうの怒りを買ってしまえば、なおのこと危険性が高まります」
 「……」

 悠長にはしていられない。ロクはふたたび頭を捻った。
 ルイルを傷つけてはいけない。犯罪者といえど、被害は最小に抑えるに越したことはない。さきほどの一撃で、もしかしたらロクの手の内はバレてしまっているかもしれない。
 ──が、
 ガネストのことは、その存在すらも、認識されていない可能性が大いにあった。

 「……!」
 「なにか浮かんだんですか?」

 ロクは返事をせずに虚空を見つめていた。
 そして、ようやく、彼女はふっと笑みをこぼした。

 「……よし。これでいこう!」
 「どのような作戦ですか?」
 「ガネスト、銃を扱うのは上手いの?」
 「ご命令とあらば、狙うも外すも」
 「暗闇の中でも?」
 「……もちろん」
 「そうこなくっちゃ!」

 ロクは口の端を吊り上げた。そしてガネストに耳打ちをすると、彼はすんなりと頷いた。

 「1分ね。屋敷に入ったところで、1分したら作戦開始。いいかな?」
 「異論はありません」
 「……じゃあ、いくよ」

 2人は頷き合うと、体勢を低めに、同時に屋敷へ向かって走りだした。
 屋敷の門の前には、1人の男が見張りとして立っていた。
 崩れかけた塀の影に隠れ、様子を伺う。きょろきょろと辺りを見回していた男が、ふいに後頭部を見せた。
 ロクが駆けだす。
 男は緩慢に首を回して、こちらを向いた。すると男はロクに気づき、目を剥き、声を上げるよりも先にロクの右手が──バチバチッと雷を携えていた。

 「うっ!」

 雷を纏った手で、ロクは男の首を鋭く叩いた。電流のショックと手刀の効果が及んで、男はその場に倒れこむ。
 ロクがこくりと頷くと、ガネストが音も立てずにゆっくりと扉を押し開けた。ガネストは中を一瞥し、だれもいないことを確認すると吸いこまれるように屋敷の中へと消えていった。
 さあ、作戦開始だ。
 ロクは気合を入れ直し、その場から移動した。入口からすこし離れた位置に足を落ち着かせると、屋敷の大きな窓の奥に潜む、数人の男の影を見上げた。


 扉から入ってすぐの広間には、人の気配がなかった。屋敷の中は蝋燭で明かりを保っているのだろう。全体的に薄暗く、古い建物なだけあって空間自体が寂れている。
 左手にうっすらと半螺旋状の階段が見えた。2階は、すこしだけ明かりが強い。置いている蝋燭の数が多いのだろう。ガネストは足音を完全に殺し、階段に近づいた。

 「ちっ。また降りだしたな。小雨程度だが、明日には晴れといてほしいもんだ」
 「そうだな」
 「ところで今回の……ほんとにこのガキを連れ去るだけでよかったのか?」
 「ああ。金は弾む」
 「素性も明かさねえし、変な服は着せるし、謎だらけだよなあんた」
 「どっかのお偉いさんだったりして!」
 「なるほどな! いや~あんた、バレたら首跳ね飛ぶんじゃねえの?」
 「お前たちは余計な心配をせず、ただ従っていればいい」

 数は、気配からしても3人。ルイルを除いた数だ。彼女はというと、おそらく左手側にいる男に捕まっている。隙間風のような浅い息が聞こえてくるのはその方向からだけだ。それに左手側にいる男だけが喋り口調に負荷がかかっているように思えた。ほかの男は屋敷に着いて安堵の息が混じっているので、その差は歴然だ。
 ガネストは息を殺す。そのときをじっと待つ。胸元のベストの内から一丁の銃を取り出し、構えたその瞬間。

 ──轟音を連れた落雷が、眩い光を放ち、窓硝子を叩き割った。

 「な、なんだ!?」
 「雷だ! すぐ近くで! が、硝子が……!」
 「うッ、うそだろ……!? さっきまで小雨」

 雷光が失せ、もとの暗闇に戻った、その瞬間。

 「──ッうああ!?」
 「!? ど、どうした!?」

 銃声が響いた。
 外界からの風の暴力によって蝋燭の火が一気に消え失せ、間髪を入れずにもう一度、乾いた音が空間を駆け抜ける。

 「ぐあッ!!」
 「お、おい! ……な、なんだ……!? だれだッ!! いったい、何者だッ!?」

 またしても、窓が力強い光に包まれる。雷独特の重低音が響く。一瞬だけ、身の回りの景色が明るくなる。
 骨張った腕でルイルを抱えていた男は、ガネストの蒼い双眸と、目が合った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.20 )
日時: 2018/07/05 07:33
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: AxfLwmKD)

 
 第017次元 海の向こうの王女と執事ⅩⅠ
 
 「っ、な……! お前か!!」

 男は、ルイルを抱えていないほうの右手で素早く銃を抜き、そのまま発砲した。
 驚くよりも先に、ガネストの手から一丁の銃が弾け飛ぶ。刹那、ガシャン、と音を立てて銃は闇の中へ落下した。

 「はっ……。悪あがきはここまでだ」

 カチャリ。装填音とともに、銃口を向ける音がしたと認識した。
 男は、ガネストがいたほうへじっくりと歩み寄る。引き金に指をかけた、まさにその瞬間。

 「どこを向いているんですか?」

 男の背後から、声がした。

 「次元の扉、発動────『蒼銃そうじゅう』!!」

 詠唱と──"二発"の銃弾が、容赦なく向かってくる。
 右肩が撃ち破られた。

 「ぐあッ! な……っ、なん……!?」

 抱えていたルイルを咄嗟に放し、穴の開いた右肩を左手で掴んだ。その隙にもう一発。太腿に撃ちこまれた男は、ぐしゃりと膝を崩し、呻くとともに気絶した。
 ガネストは二丁の銃をくるりと回し、ホルダーに収める。

 へたり、と。腰を抜かしたルイルが、その目に当てられた布越しにガネストを見上げていた。

 「……ガネスト?」

 彼女はすこしも躊躇うことなく、彼の名前を呼んだ。

 「が、がね……ガネスト……っ!」

 ガネストはルイルの傍に近づくと、跪いた。
 ルイルの目元を覆っていた布を丁寧にほどく。

 「はい。……ルイル」

 布の内側から現れたまんまるの瞳から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれていく。

 「ガネスト……! るい、う、ルイル……こわ、ったよ……こわかったよ……っ!」
 「……遅れて申し訳ありませんでした。もう、大丈夫です」
 
 ガネストは、そっとルイルを抱き寄せた。赤子のように泣き、ひくりと震える彼女の背中をぽんぽん叩く。彼女も小さな手を伸ばし、彼の服をにぎり返した。



 気絶した男たちを捕縛し、1階の広間にごろりと転がす。せっせと動くロクアンズとガネストの姿を、ルイルはぼんやりと眺めていた。

 「これで全員ですか?」
 「うん。外には1人だけだった。あとは全員中にいて、あなたが片付けたでしょ?」
 「そうでしたか……」
 「……守る力だよ。次元の力は」
 「え?」

 新しく用意した蝋燭の一本一本に、ロクは火を灯しながらそう言った。

 「人類を超越する力だとか、戦争の兵器だとか……そういうのでもなければ、だれかにひけらかすためのものでもない。次元の力は、大切な人を守れる力なんだ」

 ガネストは、ふいにルイルに目をやった。急にガネストと目が合い、ルイルはどきっとして肩をこわばらせた。

 「……そうですね」

 ガネストは柔らかい笑みを浮かべた。いままでにない彼の表情が垣間見えて、ロクはにやっとした。

 「ほんとはそういう顔なんだ~」
 「! い、いえ、べつに」
 「いいと思うよ、あたし! そっちのほうが、鬼みたいな顔よりぜーんぜんっ」
 「お、鬼?」
 「……王女様とかってさ、あたしたちとは身分がぜんぜんちがうじゃん。でもだからこそ、突き放したりしたくないんだ。……一番そばで、味方になってほしい」
 「……」
 「そりゃ難しいかもしんないよ? どうしたって対等じゃないし、周囲の目もあるし。でもそういう、いろんな壁を越えて笑い合えたらさ、だれにも邪魔できない、無敵の関係になれると思わない?」

 ガネストは、しばらくロクの顔を見つめ返したのち、目を伏せた。
 幼いからといって甘やかしてはいけない。正式な任が下されたとき、そう心に決めて、それ以前の自分は捨てた。
 それが、王族であるルイルのためだと思った。
 しかしそうではなかった。思い返してみると、ルイルが部屋に閉じこもってしまったのも、城の中に味方がだれ一人としていなくなってしまったからなのではないかと思える。
 ガネストは長く息を吐いた。

 (僕はルイルの居場所を……自分から無くしてたんだな。ルイルのためと言いながら、ルイルのことを一番見ていなかったのは……僕だ)
 
 ガネストの青い瞳が、蝋燭の火が灯ったように赤く煌めいた。
 ロクはそれ以上なにも言わず、蝋燭台を手に取って拘束された男たちに近寄った。火の明かりによって照らされた男たちの姿を、ロクはまじまじと見つめる。

 「ん~……。ねえ、ガネスト。この人たち、本当に賊なのかな?」
 「え? どうしてで──」

 急に声をかけられ、なんとなく男たちの傍に歩み寄ったガネストだったが、その途端、彼は大きく目を見開いた。

 「……これは……」
 
 ガネストの頬に、冷たい汗が伝った。背筋にひやりとしたものが走る。足元に置いてあった灯篭の一つを持ち上げ、男たちの着ている服を明らかにすると、青い瞳が訝しげに細められた。

 「……ルーゲンブルムの、兵服です」
 「えっ!?」

 ロクは、数日前の船上での話を思い返した。

 コルドが言うことには、アルタナ王国と相反する『ルーゲンブルム』という国が森の先にあり、その国の人間が、アルタナ王国のライラ第一王女を事故に見せかけて殺害したのではないかと推測されている。
 今回ルイルを誘拐したのもルーゲンブルムの仕業とわかれば──まちがいなく、アルタナ王国は兵を動かし、ルーゲンブルムに攻め入るだろう。

 「待ってガネスト! ちがう!」

 ロクは、1人の男の服を乱暴に引っ張り、自分のほうに向かせた。目を瞑り眉をひそめていた男は、その衝撃によって徐々に意識を取り戻し、目を開けた。

 「……やっぱり! この人、あたしたちを船着き場から城に案内してくれた、騎士の人だ!」
 「っ!?」

 ガネストは驚いて、その男の顔を覗きこんだ。男は、サッと血の気が引いた顔で、わなわなと震えながらロクを凝視した。

 「あっ、ああ……」
 「なんで、アルタナ王国の騎士さんが、敵国の兵服なんか……!」
 「……だれの指示ですか」
 「……な、なんのことでしょう」
 「いったい、だれの指示でこんなことをしたんだと聞いてるんです!!」

 ガネストは男の胸倉を掴み上げ、怒鳴りつけた。男は震えながらなお、顔を背けた。

 「言えないのですか?」
 「……」
 「ルイル王女殿下を目の前にして、真実が申せないというのですか!」
 「……罰してください」

 男は小声でそう呟いた。なにかに怯えるように、俯き、震え、喚いた。

 「いっそ殺してください! 私にはなにも申し上げられません……! ……どうか……どうか、不忠なこの私を、罰してください、ルイル王女殿下!」

 嗚咽が、弱々しく床に叩きつけられる。男はずっと泣いていた。これ以上なにを聞いても、答えなど返ってこないだろうと推測した。
 ロクはとてつもなく困惑していた。
 目の前でなにが起こっているのか、まったく理解が追いつかなかった。
 ルーゲンブルムという敵国の服を、なぜアルタナ王国の人間が身に着けているのか。追い詰められてなお、なぜこの男は事に至る経緯を白状しないのか。

 一人、ガネストだけが、切迫した表情を浮かべていた。

 「……ロクアンズさん」
 「な、なに?」
 「……もしかしたら、僕たちは、とんでもない事態の片鱗を見てしまったかもしれません」
 「え?」

 呆然とロクは立ち尽くした。ガネストも黙りこむ。
 そこへ、遠巻きにしていたルイルが、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 「……あの」
 「どうしたの? ルイル」
 「えっと……その……。ルイルのはなし……きいてくれる?」
 「え? ああ、うん。いいよ」
 「……──しんじて、くれる?」
 「? う、うん。信じるよ、ルイル」
 「……あのね、」

 伏し目がちにぎゅっと手を握り、言い淀むルイルだったが、意を決して言った。
 
 
 「ライラおねえちゃんは、いきてるの」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.21 )
日時: 2018/07/09 09:16
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: Zxn9v51j)

  
 重々しい扉を、二度ほど叩いた大臣が「陛下、ギヴナークでございます」と一言かけると、「入れ」との声が返ってきた。
 薄暗い寝室に足を踏み入れ、ギヴナークは一礼した。

 「このような夜半に、申し訳ございません。ルイル第二王女殿下のことで、お話が」
 「申せ」
 「はっ。ただいま、城中で騒ぎが起こっております。『ルイル王女殿下が何者かに誘拐された』と……噂は、城下町にまで広がりつつあります」
 「……」

 ジースグランは、弱々しく首を回し、窓をほうを向いた。雨は止んでいたが、重々しい鉛色の雲が空を覆っていた。

 「式は2日後か」
 「はい」
 「ようやくだな」

 鉛色の雲は、小さく輝く星々を呑みこまんとするように、じっくりと、色濃く、天上を支配していく。
 
 
 第018次元 海の向こうの王女と執事ⅩⅡ

 ガネストとロクアンズは言葉を失った。目の前には、表情を険しくするルイルの姿があった。駄々をこねて言っているのではないことは、すぐに理解できた。
 ルイルは続けた。

 「すうしゅうかんまえに、おしろのなかで、うわさをきいちゃったの。ライラおねえちゃんがガケからおちたとき、おつきのきしさんはいきてて、そのひとのよろいについてたはっぱが……ガケからすごくとおいとこにしかはえないはずのものなんだって。だから、ガケのちかくにいたのは、うそなんじゃないかって」

 ルイルはおずおずとしていた。信じてもらえるかわからない、といったように不安げに視線を落としている。
 すると、黙って聞いていたガネストが口を開いた。
 
 「……その葉っぱの名前は、なんていうかわかりますか?」
 「え、えっと……たしか……そ、そ……」
 「ソ?」
 「……ソラユラ草、ですか?」
 「そう! そんななまえ!」
 「ガネスト知ってるの?」
 「……ソラユラ草は、主に湿地帯で生息していて、葉の先端が木のように枝分かれしている珍しい植物です。水分をかなり多めに取り入れないと枯れてしまうので、周囲に草木が少なく、かつ大きな河川か湖の近くでしか生息できません。アルタナ王国とルーゲンブルム間の森で該当するのは……東方にある『マレマ湖』だけです。しかし、ライラ王女殿下が落ちたとされるその崖というのは北西にあり、湖とは真逆に位置しています。ルイルの聞いた話が本当なら、矛盾が生じます」
 「その、なんとかっていう草をつけて帰ってきたんなら、ほんとはその湖の近くにいたってこと?」
 「そうなりますね。帰ってきた騎士は1人で、その人物がすべての経緯を話し、た……と……」

 瞬間、空気が凍りついた。
 言いながらガネストは気づいてしまった。ライラ王女の死にまつわる経緯を述べられるのは、その人物たった1人だったということを。

 たとえそれが虚偽であっても、その人物の一言で──すべて"真実"になってしまうことを。

 「……ウソついたって、こと? その人が? ……王女様が生きてるのに? な、なんのために!?」
 「……もしも国王陛下に虚偽を申し立てれば、即刻打ち首です。しかし、国の王女が亡くなったなどという進言に対し……陛下は、その騎士を一旦牢へやり、その後たった1度の派兵で王女の捜索を終わらせました。そして数日と経たないうちに国葬を上げたのです。国の王女が、ましてや自分の娘がいなくなったというのに、陛下は別段動かれませんでした。なのに、『王女の死はルーゲンブルムの仕業』だと……今にも兵を動かす勢いです。それにその騎士はすぐに解放されていました。……陛下は、一介の騎士の発言を鵜呑みにし、実の娘の死を簡単に信じ、出兵のときを待ち焦がれている……よく考えてみれば、おかしな点だらけです」
 「……えっ、ま、待って? それじゃあ、まるで……──」

 ひと月前。ルーゲンブルム付近の北西の森でライラ王女が崖から落ちて亡くなった。
 しかし実際には、ほぼ真反対に位置する東のマレマ湖という場所にいたらしかった。
 たった1人だけで帰ってきたという騎士がこう進言した。
 『ライラ王女殿下が、ルーゲンブルム付近の崖から転落死されました』
 それを聞いた国王は、その進言の真偽を疑うことはおろか、娘であるライラ王女の生死をたいして確かめることもせず、
 『ルーゲンブルムの連中が、事故に見せかけて殺したのではないか』
 と言って、すぐに王女の葬儀を終え、出兵の準備を始めた。

 そして今回の、ルイルの誘拐事件。
 誘拐犯は全員ルーゲンブルム兵の服を纏い、その中には、アルタナ王国の騎士が紛れていた。
 ルーゲンブルム兵を装い、罪を着せるように。

 ────まるで、すべてがルーゲンブルムに攻め入る口実を得るための、策略のように思えた。

 「もしかして……ぜんぶ、王様が仕組んだことなんじゃ──!」
 「く、口を慎みなさい! そのようなこと……あってはならないことです!」
 「だって! ガネストだってそう思ってるから、さっきまでべらべら言ってたんでしょ!?」
 「……」
 「……。ルイルの言ったこと、無視するには、あまりにも事が大きすぎるよ」

 押し黙るガネストに、ロクは決意をこめて続けた。

 「あたしはルイルのことを信じるよ」
 「ロクアンズさん」
 「そう約束したから。ねっ、ルイル」
 「……ほんとに、しんじてくれるの?」
 「もちろんっ」

 ロクは膝を折り、ルイルと視線の高さを合わせた。

 「改めてよろしくね、ルイル!」
 「……うんっ。……えっと……ろく、ちゃん」
 「あ、覚えててくれたんだ! うれしー!」
 「そりゃ来る日も来る日も部屋の前で叫ばれては、嫌でも覚えますよ」

 ガネストは小さく吐く息に、悪態を交えて言った。そして、ロクのほうに向き直る。

 「……下手をすれば、命はありませんよ」
 「うん。わかってる」
 「わかってる、って……」
 「次元師はいつだって命がけだよ」

 強気な笑みを浮かべて、ロクは言い切った。なにを言っても聞く耳を持たないだろう彼女に対して、ガネストは諦めの息を吐いたが、その表情に翳りは差していなかった。
 
 
 
 地平線から、太陽が覗くか覗かないかの明朝には、空はすっかり雨の"あ"の字も忘れていた。起きてすぐに、壊れた荷馬車の車輪をさっさと修理してしまったガネストは、荷台に男たちの身柄を放りこみ、自分の馬にルイルを乗せると、すぐに出発した。
 ロクはというと、ガネストが支度に取りかかっている頃すでに目を覚ましていたが、「行くところがある」と言ってガネストたちとは一度そこで別れた。

 ガネスト一行が王城に着くと、城内は嬉嬉として彼とルイルを迎えた。
 国王、ジースグランには今回の事件のことが知れてしまっているらしかったが、彼は「まずルイルを休ませてやってくれ。正午に王華の間に来るように」との言伝を大臣に頼み、それを受けたガネストも了承した。

 そして──時間は過ぎ、王城内は正午を迎えた。

 「此度の件、誠に手柄であった。ガネスト・クァピット並びにメルギースのロクアンズ。そなたらには褒美を授けよう」

 王華の間。大広間となっているここで、ジースグランは、真紅と黄金の装飾が施された玉座に腰を落ち着かせていた。その隣でルイルが同じような造形の腰掛けに座っている。
 2人の脇には、大臣と騎士団長と思しき人物が控えている。そして玉座から伸びる真紅のカーペットに沿って、重鎮と騎士たちがずらりと立ち並んでいる。コルドもその列の一員として最端に立っているが、彼は玉座から数十メートルは離れた、大扉の近くにいた。

 真紅のカーペットに跪き、ロクとガネストは顔を伏せていた。

 「身に余るお言葉です、ジースグラン国王陛下」
 「そう謙遜するでない。ルイルの無事はそなたらのおかげだ。これで心置きなく、明日の子帝授冠式を迎えられる。褒美はそなたらの欲しいものを与えよう。なんでも申せ」

 周囲の視線が、一斉にガネストとロクに集まる。刺さるような視線の数々を受けながら、先に名を挙げたのは、ロクだった。

 「それじゃあ、先にいいですか?」
 「ああ。申せ」

 大臣や騎士たちの目は、ギラギラと滾っていた。年端もいかない子どもが、国王の前で無礼な口を利かないかはらはらしているのだ。案の定ロクの口調は畏まったものではなく、みな手に汗を握りしめている。
 ロクは、へらりとした口調から一変して、鋭い瞳を向けた。

 「国王様に、進言したいことがあるんです」
 「……進言? 申してみよ」
 「ライラ王女のことです」

 大広間が、空間ごと凍りついた。従者の列一同が、例外なく瞠目している。
 ジースグランの細い瞳も、わずかに丸くなった。

 「ライラ王女は死んだと言われてましたが……──実は、王女はまだ生きています」
 「ッ無礼者!!」

 ロクの首筋に、2本の槍の穂先が向いた。近くで控えていた騎士のものだろう。ロクは一切動じることなく、ただまっすぐジースグランを見据えた。

 「下がれ」
 「し、しかし陛下……!」
 「下がれと申した。……さて、ロクアンズ。とても興味深い話だ。申してみよ」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.22 )
日時: 2020/06/24 11:21
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第019次元 海の向こうの王女と執事ⅩⅢ

 「ひと月くらい前、ライラ王女はルーゲンブルムに近い北西の森で崖から落ち、亡くなったと聞きました。そしてそれが事故ではなく、ルーゲンブルムによって仕組まれた暗殺だったんじゃないかって、王様は疑ってるんですよね?」
 「そうだ」
 「でもそれはちがいます。王女様は、崖の近くには行ってません」
 「……なぜそうだと?」
 「なぜなら、王女様の護衛としてお供し、唯一この国に帰ってきたっていう騎士さんの鎧に……ソラユラ草の葉がついてたからです」

 ロクアンズが言い切ると、従者の列からどよめきが沸いた。ルイルが祈るように見守っている。

 「ソラユラ草は、森の東にあるマレマ湖にしか生息してません。おかしくないですか? 北西と東じゃ、ほぼ真反対の場所です」
 「そのような報告は受けていない」
 「そうですよね。彼はそれを見つけられないようにしようとしたんですから。……上手くいかなかったみたいですけど」

 言いながら、ロクは自分のコートのポケットから1本の細い草を取り出した。
 ロクの手元に注目が集まる。その草は、ところどころ錆が付着していて、くたくたになっていた。
 騎士の列に立つほとんどの男たちが首を傾げながらそれを見つめていた。その中で、たった1人の男だけが、血相を変えていた。

 「これ、訓練場のすぐそばで拾ったんです。武器庫が見えるところの。……錆がついてますし、鎧か剣にでもくっついてたんですかね。ほかにもいくつか落ちていました」
 「そんなはずは!」
 
 ない、と叫び損ねた男は、直後、しまったと後悔した。広間にいる十数人の視線が一斉に彼に突き刺さる。
 広間中がざわめきだつ。全身が氷のように硬直し、わなわなと震えるその騎士のもとへ近づくと、ロクは彼の顔を下から覗きこんだ。

 「へえ。あなたなんだ」
 「…………」
 「国王様、この人はウソをついたんです。ライラ王女は崖から落ちていません。だからまだ、最愛の娘は生きています」
 「だ……黙れ! この無礼者! そんなハッタリをだれが信じるというのだ! わざと俺が自白する、かのように仕向けるなど! こんな子ども騙しで! ……陛下! 他国の人間の言葉に耳を傾けてはなりません! これは、陛下と亡きライラ王女殿下、そして我らがアルタナ王国に対する侮辱にほかありません!」
 「……残念だが、ロクアンズ。興とするには、ここまでのようだよ。大変面白い与太話だった」

 ジースグランは、至って落ち着いた口調でそう告げた。
 しかし、

 「そっか、こうやって口封じするんだ。ねえ国王様、前のときは……この騎士さんにいくらあげたの?」
 「……き、貴様!」
 「──国王陛下!! 改めて進言します!」

 斬りかかろうとしてきた男を一瞬のうちに睨み返し、ロクは、真紅の玉座に向かって叫んだ。

 「あなたはルーゲンブルムとの長い因縁を断ち切るために、ライラ王女を利用した! 彼女を死んだことにして、それをルーゲンブルムのせいにし、穏便なこの国の人たちに火をつけようとした! 徴兵のために! ちがいますか!?」
 「ここまで、と言ったはずだ」
 「それだけじゃない! 自分の兵にルーゲンブルムの兵服を着せてルイルを誘拐させた。民心を乱すような隠さなきゃいけない噂が、なんですぐに広まったの!? ルイルを誘拐したのもルーゲンブルムのせいだと広まれば、国民の戦意を煽る大きな後押しになると考えたからじゃないの!」
 「口を閉じろ!」
 「身体が弱いあなたにとって、ルイルが一刻も早く子帝になることは重要だった……! そしてルイルが揺るぎない地位を手に入れると同時にあなたは、ルーゲンブルムへ攻め入るつもりだったんだ! 因縁を断ち切るためだけに、血の繋がった家族を、娘二人を……犠牲にした!」
 「憶測だけで物を申すな、娘! それ以上続けるようなら──」

 ジースグランが玉座から立ちあがり、騎士たちが腰元に携えた剣に手をかけ、立てた槍の柄を強く握る。しかしロクの猛然たる口上は留まることを知らない。感情的になり、怒りのままに吠え続ける彼女の口を止められる者はいなかった。

 「この国の人たちは! ライラ王女が亡くなっても、笑顔でいようとしてた! 悲しまないでいようとしてた! ……国のために必死だった……! それなのにあなたは、そんな国民たちの思いを踏み躙ったんだ! ライラ王女への思いを利用しようとしたんだ! 侮辱だがなんだか知らないけど──そっくりそのまま返してやる!! あなたに……国の長を名乗る資格なんてない!!」
 「──打首にせよ! いますぐ、この娘の首を斬り落とせ!!」

 十数にも及ぶ穂先、切っ先が、ロクの首筋に向かって伸びた。
 ジースグランは立ち尽くし、真赤く血走った目でロクを睨みつける。尖鋭たるその眼差しにロクは新緑の片瞳で正面から迎え撃つ。
 ──しかし、ロクを取り囲んだ騎士たちは驚愕と困惑の色を示し、指一本動かせずにいた。

 「なにをしている! 王命だ! その首を斬り落とせ!! いますぐにだ!!」
 「……」
 「振り下ろせ──!!」
 「──陛下あっ!」

 そのときだった。
 王華の間の大扉が物凄い勢いで開け放たれた。廊下から、門衛の騎士が汗だくになって駆けこんでくる。
 
 「へ、陛下! お許しください! いましがた、その、陛下に……っ!」 
 「何者だ! 許可もなく王華の扉を潜るとは! 下がれ!」
 「し、しかし……! 陛下に、え、謁見のお申立てが……!」
 「謁見だと? この大事が見えぬのか!? それほどの客人か!」
 「……そっ、そそ、その……!」

 靴音が、軽やかに響く。
 品のある足取りで、その人物は、大扉の向こう側から姿を現した。

 ロクは、片目を大きく見開いた。

 「──え……!?」

 彼は、青を基調とした絹衣を装って、小さく笑みを浮かべた。

 「お初にお目にかかります、アルタナ王国第十一代国王、ジースグラン陛下」
 「何者だ! 名次第では」
 「私は、メルギース国より参上いたしました。名を、」


 ──月のように輝く黄金の瞳が、この国の太陽を捉えて離さなかった。
 

 「レトヴェール・エポールと申します」


 その名を聞いた途端、ジースグランは驚愕のあまり玉座に崩れ落ちた。
 
 「陛下!!」
 「……なっ、え……エポール……だとッ!?」

 ジースグランだけに留まらず、広間中の従者が表情を一変させた。驚きでおなじく腰を抜かす者。怯えるように後ろへ下がる者。ロクに向けていた剣を、ぼとりと落とす者。
 反応は様々であったが、レトヴェールを認識したとき、抱いたものに差異はなかった。

 「突然のお申し出にも関わらず許可をいただき、感謝いたします国王陛下」
 「……そなたは、本当に……」

 そこまで言って、ジースグランは口を噤んだ。
 透き通った玉のような金色の瞳。おなじく、きめ細かで、光り輝く金色の髪。そして、代々受け継がれているのであろうその整った目鼻立ち。
 見間違えるはずもなかった。

 (────メルギース国の廃王家、エポール一族の末裔か……!)

 「国王陛下にお目通りをと思いましたのは、あなた様にぜひともお会いいただきたい人物がいらっしゃるためです」
 「会わせたい、人物だと……? それはいったい」
 「ではお呼びいたします。さあ、──姫、こちらへ」

 静寂に包まれる。
 レトは右手を広げ、数歩下がった。それに誘われるように王華の赤いカーペットを踏んだのは、

 「……──ッ!!?」

 ルイルによく似た美しい桃色の髪を持つ、若い女性だった。

 「お久しぶりです、父上様」
 「……、ぁ…………」
 「ライラ・ショーストリア。ただいま帰城いたしました」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.23 )
日時: 2020/06/24 11:31
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第020次元 海の向こうの王女と執事ⅩⅣ

 腰まで伸びた桃色の髪が、緩やかに靡いている。肌も白く、気品のある若い女だった。
 彼女は上品な淡色のドレスの裾を揺らし、美しい振る舞いで玉座に近づいていった。

 声を発せる人間はもういなかった。死んだとされ、葬儀まで行ったその張本人が、たくさんの視界の中で息をしている。地に足をつけ立っている。そして、幻のような麗しい声音を響かせ、悠然と空間を支配した。

 もう見ることは叶わない──そう思っていた、実の姉の懐かしい姿に、ルイルは目尻を熱くした。

 「おねっ、え……ちゃ……!」

 聞き慣れた幼い妹の消え入りそうな呼び声に気づいたライラは、遠くにいる妹に向かってかすかに微笑み返した。
 大扉の傍で、役目を終えたかのように息をついたレトヴェールの服の袖を、ぐいっと引っ張ったのはコルドだった。彼は声をひそめてレトに話しかける。

 「お、おいレトっ、どうなってるんだ……!? なんでお前がここにいる! それにその、いかにも格式高そうな服はどうした」
 「あとで説明するから、いまはとにかく見学してようぜ。……おもしろいもんが見れそうだ」

 ライラは、視線をジースグランへ戻すと、顔つきを変えた。

 「父上。お会いできて誠に嬉しゅうございます。二度と再び、そのお姿を見ることは叶わないと思っておりました。お身体、お変わりはございませんか?」
 「……あ、ああ」
 「あなたたちにも、苦労と心配をかけました。でももう安心なさい。……私は、死んでなどおりません。こうして生きて、戻ってまいりました」
 「……なぜ……なぜ、ここに」
 「陛下。私は大変悲しゅうございます。国交の件でルーゲンブルムへ向かう途中、突然護衛の騎士たちが私に剣を向け、私を薬で眠らせたのです。目を覚ましたときにはすでにルーゲンブルム付近の小屋の中にいて、その近辺を数人の騎士が徘徊していたので、身動きひとつとれませんでした……。そして、小屋の近くを通りかかったルーゲンブルムの民が、こう噂していたのを耳にしてしまったのです。『アルタナ王国の第一王女が亡くなって、国葬が行われたそうだ』……と」
 「……」

 玉座に腰かけているジースグランは、袖の置き場に肘をつき、頭を抱えるように手を添えた。

 「陛下、どうしてですか? なぜ私にこのような仕打ちをなさったのですか?」
 「……わからないのか」
 「いいえ、わかります。私も、ルーゲンブルムとの因縁を断ち切らねばと思い、馬を走らせたのですから」
 「ならばなぜ、国交など!」
 「ですが、私は国家間の戦争によってこの長きに渡る因縁が終結するなど間違いだと思っておりました。それに……父上も知っておいでかと思います。私とルーゲンブルム国のレインハルト王子は……」
 「黙れ! 虫唾が走る! 敵国の王子と……通じ合っているなどと!」
 「心の底から愛し合っているのです! 私も王子も、国家間の戦争など、露ほども望んでおりませぬ」
 「お前はそうだろう! しかし心の優しいお前につけこんで、其奴はアルタナ王国を支配下に置く算段なのだ! ルーゲンブルムの女になるということを、お前は理解していない!」
 「いえ。お言葉ですがそれはちがいます、ジースグラン国王陛下」

 大扉の向こうから、もうひとり、精悍な顔つきをした若い男が入ってくる。肌の色に近い薄黄色の髪は跳ねつつも整えられていて、物腰も落ち着いている好青年だった。

 「……おま、えは……」
 「お初にお目にかかります。ルーゲンブルムより参上いたしました、ルーゲンブルム国第一王子、レインハルト・ウェンスターです。お言葉ですが国王陛下、私は、アルタナ王国を支配下に置くなどということは一切考えておりません」
 「嘘を吐くな!」
 「本当です、父上! 彼は……私との婚約のために、王位継承権を放棄されました」
 「なっ……なんだと!?」
 「私はライラ王女と婚約をすることで、アルタナ王国との永劫の和平のための架け橋になりたいと思っています。しかし私とライラ王女が婚約をしたところで良い顔をしない民はいるでしょう。反乱が起こるやもしれません。それでも、ゆっくりでもいいのです。信頼を得たい。そのためなら、王位だろうが名誉だろうが、すべてを捨てる覚悟です、ジースグラン国王陛下」
 「……」
 「父上。レインハルト王子は、ルーゲンブルムの現国王様に何年もの間繰り返しこう進言し、ついひと月前にやっと……『やってみせよ』とのお言葉を賜りました。……みな、胸の内では切に願っているのです。戦争のために剣を取るのではなく、互いの手を取り合えたら……と」

 ジースグランはなにも言わなかった。
 しばしの沈黙ののち、弱りきった声色で、彼は独り言のように言った。

 「……。……好きにせよ」
 「……ありがたきお言葉に、感謝いたします。国王陛下」

 ライラとレインハルトが、並んで礼をした。ライラが丁寧に首を起こすと、そのとき槍や剣を向けられているロクの姿が目に飛び込んできた。

 「武器を下ろしなさい。その御方はメルギース国より参られた御客人です」
 「は、はい!」

 ライラの一声で数十もの刃先から逃れたロクは、小さく安堵の息を吐いた。
 そのとき、ジースグランは我に返って顔を上げた。
 ロクと目が合い、そして、その視線をレトに向けた。

 「……」

 メルギース国の廃王家、エポール一族の末裔レトヴェール・エポール。
 無礼者と騒ぎ立て、ロクの首を斬り落とさんとした。当然その光景は、レトの目にも入っただろう。
 ──メルギース国の民に対する蛮行。そう諭されてしまえば、言い逃れは叶わない。今度は世界上位の先進国メルギースとの戦争の火花が、ジースグランの目にちらついた。

 王華の間から退出しようと足を踏みだしたレトは、くるりと身体の向きを変えて、ジースグランを見た。

 「ジースグラン国王陛下」

 名前を呼ばれたジースグランは、とっさのことで動揺を隠しきれず、びくりと肩を震わせた。その様子に、レトは柔らかい笑みとともにこう返した。

 「メルギース国は、王制を復活させる気はないようです」

 ライラに続き、レインハルトも礼をし王華の間をあとにした。レトとコルドが2人に続いて退出する。憔悴しきったように項垂れるジースグランの隣にいたルイルは、腰掛けから飛び降り、そのまま大扉に向かって駆けていった。ロクとガネストも、ゆっくり歩みだした。そしてルイルのあとを追うように退出した。



 「レトヴェールさん。本当にありがとう。あなたのおかげで助かったわ」
 「お褒めに預かり光栄です、ライラ王女殿下」
 「まあ。さきほども思ったことだけれど、あなたって丁寧な振る舞いもできるのね。出会ったときはちょっとあれだったのに」
 「……あれって……」
 「僕からもお礼を言わせてくれ。……さすがはメルギース王家の血を引いた御方だ。どうか末永く頼むよ、レトヴェール君」
 「俺にはなにもないよ。いまのメルギースに王族はいない」

 レトとレインハルトが握手を交わしたそのとき。王華の間から忙しなく走ってくる音が聞こえだした。その矢先に、無防備に立ち尽くしていたライラの身体になにかが飛びついた。
 ライラはその場でしりもちをつく。あいたた、と腰を擦っていると、すぐ真下からだれかのすすり泣くような声が聞こえてきた。

 「……ぅ、っ……ら、ライ……」
 「……」
 「ライラ、おね、ちゃぁ……!」

 ライラの身体にしがみつき、ルイルは顔はうずめて泣いていた。いろいろなものが、ぐちゃぐちゃに混ざり合った声ではなにを言っているのかも聞き取れなかった。それでもライラには、自分の名前が呼ばれているのだと、痛いほどわかった。

 「……ルイル」
 「うっ、ら……ライラ、おねえちゃ、」
 「私のこと、信じて待っててくれたのね」

 ライラは、涙ぐみながら、ルイルのことを強く抱きしめた。

 「……おがえりなざい、おねえぢゃん……!」
 「──ただいま、ルイル……っ」

 永遠にも思えたひと月の別れを埋めるように、姉妹はずっと涙を交わし合っていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.24 )
日時: 2018/07/19 06:13
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: WqZH6bso)

 
 第021次元 海の向こうの王女と執事ⅩⅤ

 「ロク! お前ってやつはほんっとに……俺の寿命を縮めたいのかっ!」

 王女姉妹とルーゲンブルムの王子レインハルト、そしてガネストの4人と別れるなり、コルドは間髪入れずにロクアンズを叱りつけた。

 「ずっとひやひやしてたんだぞ、俺は! お前が国王に向かってあんなこと口走って、本当に首を撥ねられるんじゃないかって思ってたんだぞ! それに一歩間違えれば国家間の戦争に発展していた! お前は、自分のしたことがわかってるのか!?」
 「わわわ、わかってるよ! でもほら、助かったじゃん」
 「そういう問題じゃない!」

 強い語尾が、まるで拳骨のようにロクの頭に降り注ぐと、ロクはびくっと肩を震わせ、頬を掻いた。
 間近でその様子を伺っていたレトヴェールが、まったくこいつは、とでも言いたげに息をついた。

 「だいたいお前はいっつも感情論で突っ走りすぎなんだよ」
 「えっ!? 聞こえてたの!?」
 「声がでかいんだよばーか」
 「……レト、言っておくがお前もだぞ」
 「え」
 「第一お前なんでアルタナ王国にいるんだ! いつ来た!? 経費はどうした!? しかも、亡くなったと言われてたあのライラ王女殿下といっしょに現れて……正直お前が一番わけわからん!」
 「話すと長い」
 「いいから話せ!」
 「……簡単に言うと、まあ俺もこの国に来ることになって、そんで船に乗ったはいいけど、大嵐に見舞われて、途中で船が航路を変えたんだ。アルタナ王国行きだったのを変更して、ルーゲンブルムとの間にある海岸に停泊した。俺、船の上でたまたまアルタナ王国のことを聞いてさ。ちょっと興味湧いて。せっかくルーゲンブルムの近くに来たことだし、ちょっくら見に行ってみるかーと思って森に入ったら……あの王女様と出会った」
 「……お前の運と行動力が恐ろしいよ……」
 「そんなに動けるなら早起きもしてよレトっ」
 「それはやだ。まあそんな感じで王女様と会って、事情聞いて、見張りの騎士たちとかやっつけましょうかって聞いたら目の色変えて喜んだんだ。そこから、道中の護衛を任されることになって、小屋から出ようってときに偶然通りかかったレインハルト王子も同行するって言いだしてさ。そんで3人で森を抜けて、こっそり入国して……。とまあ、だいたいこんな感じ」

 あっけらかんと話し終えたレトだったが、その話を聞いていたコルドとロクは呆気にとられていた。その実、彼がメルギースを出発したのはいまからたった2日前のことだ。そのうちの1日分は船の上で過ごしたとして、彼が陸に着いてからその日のうちに大事は行われていた。彼は興味のあることに関しては時間と労力を惜しまない性分なのだろう。コルドは、レトの新しい一面を見たなと、もはや感心の域に達していた。

 「ねえレト、その服はどうしたの? ずっと気になってたんだ。なんか、王子様が着てる服みたい」
 「ああ、これはアルタナ王国に来たときに、俺から王女様に頼んで選んでもらった。いかにもって服着てたほうが説得力あるかなと思って」
 「説得力、って……」
 「ああいうときには、自分の姓を生かさないとな」

 ──『エポール』の姓。それは、メルギース国において、『廃王家』の人間を意味する。

 いまからおよそ150年ほど前、メルギース国は王政を廃止した。それ以前は、『エポール』の姓を持つ一族が王家の人間として国政を執っていたのだ。
 現在では、エポールの姓を持つ人間は限りなく少なくなってきている。メルギース国が王政に幕を下ろしたのも、エポール一族が衰退の一途を辿ったからではないかと言われているほどだ。

 「……お前たちは、ほんとに……」

 眉を惑わせ、大きな瞳をぱちくりさせるロク。
 いつも通り可愛げのない仏頂面を湛えるレト。

 コルドは困ったように、薄く笑みを浮かべた。

 「……すごいよ。驚かされてばっかりだ」

 ロクとレトは順番にくしゃりと頭を撫でられる。そして、行くぞ、と後ろに声をかけながらコルドが歩きだすと2人は互いに顔を見合わせ、笑った。
 
 
 
 翌日を予定していたルイルの子帝授冠式は1日延期となり、ルイルに代わってライラが子帝となることが発表された。と同時に、ライラの生還が国中に広まったことで、国民たちは歓喜の声を上げた。
 そのため、急遽ライラの生還祭が今夜、執り行われることとなった。

 暇つぶしに城内を歩き回っていたコルド、レト、そしてロクの3人はガネストに呼ばれ、大きな窓から城下町が見える広い廊下に案内された。するとそこでは、ライラとルイルが3人のことを待っていた。

 「明日国を挙げて式の準備をする代わりに、今夜祭りが行われることになったの。レトヴェールさんもロクアンズさんもコルドさんも、明日国に帰ってしまうのよね? だったら今夜は、ぜひ我が国の祭りを楽しんでいって」
 「お心遣いいただき、感謝いたしますライラ王女殿下。……本当に、生きておいでだったことを心からお喜び申し上げます。お会いできて光栄です」
 「こちらこそ。我が国には次元師様が少ないから、……魔物、退治? に、とても助かったと聞いたわ。本当にありがとう、コルドさん。……そして、ロクアンズさんも」
 「へっ? あたしは元魔は……」
 「ルイルのことよ。引きこもっちゃって、なかなか部屋から出てこなかったルイルのこと、引っ張り出してくれたって聞いたわ」
 「うわあっ、そ、それは……! ガネストでしょっ、おねえちゃんにいったの!」
 「虚偽の報告はできませんからね」
 「むぅ~~」

 悪戯っぽくそう告げるガネストに反抗してルイルが頬を膨らませる。2人のやりとりに、つられてロクも笑った。

 「あたしはなにもしてないよ」
 「でも、お父様がルイルを誘拐させて……それで助けに行ってくださったりもしたって」
 「ああ。それなら気にすることないよ。だってあたし……」

 そこまで言って、ロクはあわてて口を噤んだ。視線を泳がせ、その先を言い淀んでいる。

 「あー……ええっと、だから~……」
 「……ともだちだから、たすけてくれたんだよね?」
 「え?」
 「ろくちゃんは、ルイルのともだちだから……。そうだよね、ろくちゃんっ」

 ライラの背中にひっついていたルイルが、ぴょこっと前へ出て、無邪気な瞳で笑いかけた。
 ロクは、嬉しそうに唇を緩ませた。

 「……そうだよ! 友だちだよ、ルイル!」

 ルイルの両手をとって、ぎゅっと握りしめた。と思いきや、ロクはその場でしゃがみこみ、ルイルの腰元をこちょこちょとくすぐり始めた。ガネストに怒られたところで手を離したロクだったが、今度はルイルがロクをくすぐろうと襲いかかる。周囲をぐるぐる走りながら、二人は声を上げて笑っていた。
 まるでふつうの子ども同士のじゃれ合いのようだった。
 ライラは、楽しそうに大声で笑うルイルを、優しげな目で見つめていた。



 町中を、幾千もの灯篭の火が照らしていた。音楽が鳴り響き、踊り子が回り、紙吹雪が舞い、──笑い声があふれている。
 ライラは、城下町に降りて町の中を歩き回っていた。ルイルとガネストもそれに付き添っている。出会う人と手を取り合い、平民たちとおなじ場所でおなじものを口にし、おなじ音楽を聴いては、数多くの人々と語り合っていた。
 人と物があふれ返り、足場の周りも隙間なく人影に呑まれている。足元を気にしながら歩いていたルイルがふと顔を上げたとき、ロクたち一行が楽しげに歩いているのがちょうど目に入った。
 ルイルはその方向に目をやりながら、無意識に立ち止まった。数歩先を歩いていたライラが、ルイルがついてきていないことに気づき後ろを振り向く。
 ライラは、ルイルの視線の先にロクたちの姿を認めた。棒のように立ち尽くすルイルのもとへ、ゆっくりと近づいていく。

 「ルイル、あっちに行く?」
 「! おねえちゃん」
 「……行っておいで、ルイル」

 ルイルは、ぱっと花咲くような笑顔になると、人ごみの中へ駆け入った。小さな背中を向け、ライラの視界からルイルの姿が消えてなくなる。
 ガネストは、その一部始終を眺めていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.25 )
日時: 2018/07/23 13:20
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: PyqyMePO)

 
 第022次元 海の向こうの王女と執事ⅩⅥ

 祭囃子がひしめき合い、どこを向いても人々の笑い声が聞こえてくる。
 ロクアンズは片手に串ものを何本も抱え、もう片方の手でときおりアメを舐めつつ、焼きものが入っている紙箱を頭の上に乗せて歩くという器用さを振りまきながら、人ごみの中を満足げに歩いていた。

 「んん~! どれもおいひぃ~~」
 「あんま食いすぎんなよ」
 「らいよぉぶだよ~あたし、いぶくろおおひぃもぉん」
 「俺が心配してるのはお前の胃袋じゃなくて、ほかの客の分がなくなることな」
 「むむっ! らいよぶだよ! こぉんなにおおひなおまふりだもん!」
 「そーですね」
 「いやお前たち、俺の懐を気にしてくれよ……」

 メルギースから持ってきた通貨を、入国の際にいくらか換金したはいいものの、すでにコルドの懐事情は危険信号を示しつつある。
 そんなことを露ほども気にせずに、うっとりとしながら食べ物を頬張るロクの耳に、甘くて愛らしい声が届いた。

 「おーい! ろくちゃんっ!」
 「あ! うぃう!」

 ゴクン、とロクは口の中にあったものをまるごと飲みこんだ。
 ルイルが遠くからぱたぱたと走り寄ってくる。

 「どう? ろくちゃん、たのし?」
 「うん! 食べ物はおいしいし、人はあったかいし、笑い声が聞こえるし……すごく楽しいよ、ルイル!」
 「よかったっ」
 「なるほど。あなたは食べるほうに特化してるんですね」

 海のさざめきを思わせる、緩やかな声色がロクの耳に届く。
 ルイルは自分の後ろから声がして、空を仰ぐように顔を上げる。すると、ガネストがルイルの顔を見下ろしていた。

 「ガネスト! おねえちゃんは?」
 「1人で回ってくると仰ってました。なので僕は、ルイル王女の護衛を」
 「……そう」
 「まったく失礼だなーガネストは! 人には、えてふえて、というものがあってだね」
 「あなたは不得手のものが多すぎでは……」
 「そんなことなあい!」

 レトヴェールとコルドは、すこし離れたところで立っていた。知らぬ間にロクは、王女とその執事の2人と打ち解けていたのだろう。詳しい経緯まではわからないが、だいたいどういう風にロクが立ち回ったのか、レトにはなんとなく想像できた。

 「あっれえ、お嬢ちゃん?」
 「あっ、おじさん!」

 ロクは足の向きを変えて、ある屋台の傍へ駆け寄った。コルドはその場所に見覚えがあった。初めて城下町へ訪れた際、うろちょろしていたロクの目に留まった、帽子売りの店だ。

 「ここ2日くらい見なかったけど、なんかあったのかい?」
 「えっ? ああいや! なんでもないよ」
 「最後の飾りつけ、まだだったよね? いまやってくかい?」
 「いやっ、いまはちょっと~……」
 「どーしたの? ろくちゃん」
 「うっわあ! な、なななんでもないよ、ルイル!」

 帽子売りの店主を背に隠すように、ロクは急いで振り向いた。ルイルに向かって、へらっとぎこちない笑みを返す。
 頭に疑問符を浮かべるルイルをよそに、ロクは店主にこそっと耳打ちした。

 「……明日、朝早くでもいい?」
 「お、おうよ」

 店主の男とのやりとりを終えたロクは、「じゃあまた!」と別れを告げて、軽やかな足取りでその場をあとにした。ロクを除く4人も、まあいいか、とふたたび祭囃子の一員として雑踏に呑まれていく。

 「あっ! ねえ見て見て、レト!」

 夜空に向かって、さまざまな形をした無数の天灯が昇っていく。その圧巻の景色が歓声を呼ぶ。星の大海に向かって漕ぎ出した天灯に、人々は願いを託し、胸を熱くした。灯は絶えることなく、永遠のような一夜となってアルタナの空に輝き続けた。

 今日この日を忘れることはないだろうと、この国のだれもがそう胸の中で唱えたにちがいない。


         *


 「明日の準備でご多忙のところ、見送りにまで来ていただけるとは……」
 「いいの、気になさらないで。あなたたちは恩人だもの」

 翌日。アルタナ王国の空は心地のいい天気に恵まれ、航海日和となった。海鳥たちが港の空を泳ぎ回り、コルド、レト、ロクの3人の出発を祝っているようだった。
 見送りにきたライラとルイル、そしてガネストのおなじく3人は、丁重に礼をした。

 「本当にありがとう。心の底から感謝しているわ。どうかお元気で」
 「……」
 「ルイル、あなたもお礼を言いなさい」

 ライラはすこし屈んで、ルイルの背中をぽんと押した。港に着いてからずっと俯いているルイルは、いまにも泣きだしそうな表情で、3人の顔を見上げた。

 「……ありがとう……」

 小さな声だった。ロクは一歩だけ前に踏み出して、前屈みになった。

 「こちらこそありがとう、ルイル!」
 「……っ」

 ルイルは、固く口を結んだ。泣かないようにと堪えているのが手に取るようにわかった。

 「さあルイル、きちんとお別れを言うのよ」
 「……」
 「ルイル?」

 そのとき。出航を知らせる鐘の音が、港一帯に響き渡った。
 音につられて、ロクが腰を伸ばす。

 「……──ルイル、」

 ライラは膝を折り、ルイルと視線の高さをおなじくした。
 そして、

 「いっしょに行きたい?」

 ルイルは、ぱっと顔を上げた。その視界に、優しく微笑むライラの顔が映りこんだ。

 「この人たちに、ついていきたいのね?」
 「……」
 「行きなさい」

 ルイルの瞳に浮かぶ大粒の涙を、ライラはすくいとった。

 「この国のことは私に任せて。ハルトさんもいるし、お父様だっていらっしゃる。なによりこの国には、たくさんの優しい国民がいる。だから私は大丈夫」
 「……おね、ちゃ……」
 「ガネスト、あなたも行きなさい。ルイルのことは頼んだわよ」
 「……かしこまりました。ライラ王女殿下」
 「おねえちゃんっ! あのね、ちがうのルイルは……!」
 「わかってる。この国のことはルイルも大好きよね? ルイルには、大好きなこの国のために、もっともっと大きくなってほしいの」
 「……」
 「いろんなものを見てほしい。いろんな経験もしてほしい。国の王女でいるばっかりじゃなくて……」

 ライラはルイルの桃色の髪を撫でていた。その手を、さらりと解く。

 「……──あなたにもいろんなものと戦ってほしいの。だって、次元師だものね」

 今度は大きく鐘の音が響いた。出航の時間が迫る。
 ロクは驚いて目を瞠った。

 「え……じ、次元師?」
 「……しってたの……?」
 「あたり前じゃない。妹のことはなんでもわかるわ。……さあはやく、行きなさい」

 港で船を待っていた人々が、ぞろぞろと船に乗りこんでいく。
 ルイルは黙りこんでいた。しばらくして顔を上げたルイルの目には、涙ではないものが滲んでいた。

 「おねえちゃん、あのね」
 「うん」
 「ルイル、おねえちゃんのこと……だいすきだよ」
 「……私もだいすきよ、ルイル」

 どちらからともなく腕を伸ばす。
 桃色の髪が触れる。この香りを、温かさを、いつでも思いだせるように──強く、抱きしめた。


 「……行ってらっしゃい、ルイル」
 「──いってきます、おねえちゃん……っ」


 コルドとレトが、ゆっくりと背を向ける。ガネストは、ライラに長く礼をした。
 腕を解いて、歩きだすも、しばらくは離れがたくてライラのほうを見ていた。そんなルイルを励ますように、ライラは大きく手を振った。
 ルイルの顔が綻ぶ。ふと、前を向いたそのとき。

 「行こう! ルイルっ!」

 ロクが、満面の笑みを湛えて、手を差し出した。
 ルイルは瞬く間に笑顔になって、その手を取った。

 「……うんっ!」

 急げ急げと、大きな船に向かって走っていく。間もなく、船は出航した。その姿がどれほど小さくなっても、見えなくなっても、船が自分の視界からいなくなるまで。ライラはずっと、海の向こうの二人を見つめていた。

 「がんばれ、ルイル」

 海鳥が、空高く鳴いた。
 遠く離れた場所にいても、どうかこの言葉が届きますように。蒼い海に願いを託しながら、ライラはもう一度──がんばれ、と言った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.26 )
日時: 2020/04/10 23:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 船舶へ乗りこむときのことだった。コルドたちが乗り場の橋をぞろぞろと渡っていく中、ルイルは、その橋の途中でふと立ち止まった。

 「……」

 振り返ると、ずいぶんと小さくなったライラが手を振っていた。

 このまま船に乗りこめば、まもなく船は港を離れ、故郷はどんどん小さくなる。いまでこそ姉のライラは、ルイルの見ている景色の中できちんと生きているが、しばらくしたらその姿は見えなくなる。また、離れ離れになってしまう。
 そんなことが頭によぎった。ルイルはぶんぶんと首を横に振る。小さくなったライラの姿を目に焼きつけて、ふっと視線を外した。俯きがちに橋を渡りきる。
 そのとき。
 ぽすりと、頭の上になにかが乗っかった。

 「……え?」

 顔を上げたルイルの正面には、ロクアンズがいた。

 「ちょっといびつだけど……受け取って、ルイルっ」

 ロクはそう言って、伸ばしていた腕を下ろす。おそるおそる自分の頭に手を泳がせていくと、
 やわらかくてふわふわしたものが、指先に触れた。

 「これ……」
 「店主のおじさんがね、これは『キッキカ』っていうアルタナ王国にしかない特別な綿花で作るから、とってもいい香りがするし人気なんだって言ってたんだ」
 「……」
 「ほらあたし、ルイルが王様になるんだと思ってたから、そのお祝いにもっと早くプレゼントするつもりだったんだけど……なかなか時間がなくてさ」
 「毎日毎日、ルイルに会いに来るわりにすぐに帰ってしまってたのは、これを作ってたからなんですね」
 「えへへ~」

 出航を告げる鐘の音が、港中に響き渡った。橋がゆっくりと閉じられ、港から離れていく。
 アルタナとメルギースを繋ぐ大海へ、船は漕ぎ出した。

 「ルイルのために?」
 「そうだよ。偶然になっちゃったけど、それがあればどこにいても……ルイル?」

 ルイルは、自分の頭の上からそれを下ろした。懐かしい香りがぶわりと鼻腔をくすぐってくる。白い帽子だった。ルイルはその帽子を握り、ぎゅっと抱きしめた。
 自国は遠ざかっていくのに、その匂いは、ルイルの一番そばにあるままだった。

 「……ありがとう、ろくちゃんっ」

 潮風とともに、キッキカの花の香りが海上を漂う。ふたつぶ、浮かべた涙が太陽の光できらめいて、ルイルはやわらかく笑みをこぼした。



 第023次元 船上にて

 アルタナ王国を出国してまもなくのこと。コルドたち一行は、海風を浴びながら甲板で朝食を摂っていた。今朝の城下町で買っておいたものを頬張っていたロクは、口にものを詰めながら「あ」と思い出したように話を切り出した。

 「そういえばルイル! ルイルも次元師って、ほんとっ!?」

 あーんと口を開け、いまにも大きなパンにかじりつくところだったルイルが、ぴたりと動きを止めた。

 「うん。そうなの。でも、あんまりじょうずにつかえないの……」
 「ええ~見せて見せてっ!」
 「ルイル、使ってましたよ? 次元の力」

 その隣で、ルイルが食べやすいように小さくパンをちぎっていたガネストが横槍を入れた。ロクはあんぐりと口を開ける。

 「……え!? いつ!?」
 「あなたが、騎士の方々から槍などを向けられたときです。彼らは国王陛下に、『なにをしている!!』って言われていたでしょう? あのとき、彼らが動揺していたのを覚えてますか?」
 「え? あれって、あたしの首を撥ねるのが怖くて動けなかったんじゃ……」
 「いえ、あれは、ルイルが意図的に止めたんです」
 「──『念律』……っていう、なまえみたい」
 「いわゆる、"念動力"に近いものです。まだ上手く力を扱えないようなので、いまは物の動きを止めたり、軽いものを浮かせることができる程度らしいです」
 「へええ……」

 よくよく思い出してみれば、たしかにあのときの騎士たちの表情にはどこか違和感があった。躊躇いゆえの動揺ではなく、「なにが起こっているかわからない」といったような、驚きの色を示していた。

 「じゃあこれからは、いっしょに戦えるんだねっ。楽しみだな~!」
 「……あの、ロクアンズさん。ちょっと聞いてもいいですか?」
 「ん? なに?」
 「その、僕たちはあまり次元の力に関しての知識がないというか……どうして次元師が存在するのか、なんのために戦うのか。根本的な部分を知らないんです」

 ガネストとルイルが、じっとロクを見つめた。

 「なので、教えていただいてもいいですか?」

 ロクは食べる手を止めた。手に持っていた大きなパンを膝の上に下ろすと、彼女は話し始めた。

 「うん、いいよ。あたしも知ってるのはおおまかだけど。……いまから200年前のことなんだけど、『元魔』っていう怪物がこの世界に現れるようになったのって、知ってるよね?」
 「はい。ですが、なぜ現れるようになったかまでは……」
 「200年前──メルギース歴でいうと、327年。この世界に、突然、『神族しんぞく』って名乗る神様たちが現れたの」
 「……神族?」
 「かみさま?」
 「神族は、当時のメルギースの国王様にこう言ったんだ」


 『罪を知れ。覚えぬ者は大罪と知れ。人である者たちよ、永劫の時を以て償え』


 「ってね」
 「罪……? 200年前に生きていた人たちは、その……神族と名乗る者たちに対してなにかをしたということですか?」
 「それが……詳しい理由まではわかってないんだ。突然姿を現して、そう言ったんだって言われてる」
 「──メルギースは太古の昔から、"神"の存在を信じる国だ。この世を造ったとされる"創造神"を信仰してきた」

 目には見えない神に救いを求め、祈りを捧げ、渇いた大地に雨が降れば神のおかげだと涙した。神の存在を信じてやまないメルギースとドルギースの国民たちは、突如自分たちの目の前に現れた、"神"だと名乗る者たちの存在に驚き、わなないた。
 ガネストは信じられないといったように目を丸くした。自分の生まれ育ったアルタナ王国では神などという、本当に存在するかどうかもわからない不透明な産物はいない。お伽話のようでどうにも信じがたいガネストは、少々面食らったように訊ねた。

 「ですが、その者たちは本当に、神だったというのですか」
 「さあな」
 「さあなって」
 「だけど、神族が現れて直後のことだ。メルギースとドルギース周辺の島が襲撃を受けて、──消滅した」
 「え?」

 ガネストとルイルが目を瞠る。今度はロクが続けた。

 「神族たちは、ふしぎな力を持っていたんだ。町とか、森とかが、どんどん攻撃されたんだって。メルギースとドルギースだけじゃなくって、ほかの大陸も。ずっと北のほうには全壊した国だってある。その最中のことだったの。……──『次元の力』が、人間たちの中に宿り始めた」

 神族たちは、人間を遥かに超越した『力』をもって、人間の所有物に攻撃を始めた。地盤は歪み、大地は割れ、森林は焼け野原へと姿を変えた。人間たちは成す術もなく、ただ自分たちの住む街や愛する人を目の前で失い続けた。

 しかし、そんな絶望の折、人間たちは突然──『不思議な力』に目覚めることとなる。
 それが次元の力だった。

 「歴史の研究者たちのほとんどが、『なんの前触れもなく不思議な力を手に入れた』『これは奇跡の力だ』……って、そんな風に考えてる。そうやって人間たちは神に対抗できる力を手にして、その力を使い始めた。国の兵士だった人、小さな子ども、王族とか貴族とか関係なく……次元の力に目覚めた人たちが、恐怖に立ち向かって懸命に戦った……。それが、5年も続いたんだって」
 「そんなに長い間……」
 「終戦したのは332年だ。神族たちはその年の暮れに突然姿を消したらしい。ようやくこの世界に平和が訪れたかと思ったら……1年と経たないうちに、のちに元魔って名づけられた、異形の化け物が世界中で出現するようになったんだ」
 「神族がいなくなってすぐのことだったし、謎の化け物から神族と同じなにかを感じた人々は、『元魔は神族たちが生み出した兵器なんじゃないか』って考えた。でも人々は土地の復興もしなきゃなんなかったし、元魔をやっつけられそうだったのは次元師だけだった」
 「たぶん、そこからなんじゃないか? 次元師が、元魔を討伐するっていう暗黙の使命ができたのは」

 レトヴェールは指でつまんだパンに視線を落としながら、ロクの説明に加わった。

 「な、なるほど……じゃあ、次元師は、その200年前の神族の襲来によって『不思議な力』を得た人たちのことをそう呼んで、元魔はその神族と呼ばれている存在たちによって生み出されている、と……」
 「……わからないのは、その神族たちの怒りがなんなのかっていうのと……あたしたち人間が、どうして神族たちの怒りに触れてしまったのかっていうこと」
 「──それと、次元の力を、どうやって得たのか……だな」
 「わからないこと、いっぱいなんだね……」

 ルイルははやくも困惑したように呟いた。本当にお伽話のようであるから、信じがたいのだろう。ロクもレトもその時代に生きていたわけではない。「そうだね」と、ルイルに寄り添うようにロクが言った。

 「200年前のことなんて、そんなに大昔でもないから、記録だって残ってそうなのに……」
 「しょうがないだろ。一番情報を持っていそうだったエポールの一族が、神族からの襲撃とそこからの衰退によって消滅したんだ。王城も跡形もなくなってるし」
 「ご実家には残っていなかったんですか?」
 「ああ。うちはただの末裔で、歴史の証明になるような文献は残ってない」
 「そうでしたか……」

 聞きたかった情報を手に入れることはできたが、ガネストはなんだか腑に落ちない様子だった。しかしそれは、レトもロクもおなじだった。次元師にまつわる大方の経緯はだれもが知ろうと思えば知れるものだが、その奥に、いったいどんな歴史や事情が潜んでいたのかを知ることができずにいる。
 考えてもしかたないか。ガネストはそういう風に思った。

 「それにしても、難しい問題ですね」
 「なにが?」
 「だって僕たち人間としては、どうして神族の怒りに触れてしまったのか、そのわけもわからずに報復を受け続けているわけですよね? すべての理由がはっきりしないまま、次元師として神族たちと戦わなければいけないなんて……腑に落ちない点が多すぎます」
 「たしかに、そういう次元師も多いかもしれないね。元魔に襲われて家族を殺された、とか……そういう直接的な恨みでもないかぎり……剣は振るえないよね」
 「……だから俺たちは調べてるんだ」
 「すべての謎を解くために、ね」

 ガネストの視界に、灰色のコートを身に纏う2人の姿が映りこむ。

 「研究機関に入って、そこの戦闘員として元魔と戦いながら……情報を集めていく。いまはまだなにもわからないかもしれないけど、きっといつか辿り着いてみせる。だから……2人とも、どうかよろしくねっ」

 ロクがにっこりと笑って言った。ガネストの耳に、さざなみが聞こえてくる。海を掻き分けて揺らぐ船は、着実に、あの巨大な島に向かって進んでいる。
 後戻りはできない。その気があったのなら、これほどの大船に乗りこんだりしなかっただろう。
 ガネストは頷いた。 

 (……かみさまと、たたかうりゆう……)

 1人、ルイルは顔色を曇らせて、無邪気に笑うロクの顔をちらりと見やった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.27 )
日時: 2020/06/24 10:45
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第024次元 君を待つ木花Ⅰ

 次元研究所此花隊本部の東棟は、中央棟や西棟に比べて新設さながらの整然さを感じさせる内装になっている。というのも、近年立ち上がったばかりの『戦闘部班』が、その東棟に身を置くことになったからである。かの班員たちのために施設の改造及び工事をなされたばかりの東棟だが、当然のことながらほかの棟と比べて人気が圧倒的に少ないため、そんな新鮮な空気を吸える者はごく一部に限られる。
 
 そんな中、ただ広い廊下を忙しない様子で渡る人影があった。黒い隊服をきっちりと着こなし、足早に目的地へと向かうコルドは、数十分前に戦闘部班の班長であるセブンに呼ばれていた。
 班長室の扉の前に立ち、彼は扉を叩いた。そして入室する。

 「お呼びですか班ちょ……は、班長?」

 コルドは、長机に突っ伏していびきを立てているセブンの後頭部を認めると、やや眉をひくつかせた。コルドは長机に近寄る。

 「あの、班長……セブン班長!」
 「うわぉっ!? ……えっ!?」
 「いまは勤務時間内です。なに寝てるんですか」
 「あ、あはは……いや? 背徳感という名の昼食を味わっていたところさ」
 「食べすぎには気をつけてくださいね」
 「……もちろん、だとも……」
 「はあ……。ああ、ところで班長。ご用件は」

 「ああ、そうだった」と言いながら、セブンが長机の引き出しからを取り出したのは小型の器具だった。
 似たような形のものを2つ、机の上に並べる。

 「! これ……」
 「君に頼まれていた件を調べてみたよ。この間、離島の競売場で君が回収したこの通信具だが……たしかにうちの研究部班が開発したものと、構造が酷似していた。ただ、製造者独自の改造がされていて、多少は全体の構造にちがいがある。だが部品や細部のこだわり方が、うちのものとまったく同じだ」
 「そ、そんな……」

 コルドは驚きのあまり、長机に両手をついて身を乗り出した。

 「この通信具は、あの研究部班班長が──『元力』を応用して開発したものです……! それをいったいどうやって」
 「……知っての通り、この研究所での研究内容は、他所に漏らさないよう厳重に管理させている。全隊員に共通していることだ」
 「──……情報漏洩ですか」
 「その可能性が高いだろうね」

 固唾を飲みながら、コルドはゆっくりと机から手を離した。
 
 「……。競売会の主催者は、人身と贋作の売買を主とする、裏では名の通った商人でした。そんな輩が、我々が開発した物を所持していたとなれば……」
 「実はその件で、つい先日政会に呼ばれてね。厳重注意ということで事なきを得たが……今後また問題が起きれば、処罰は免れないだろう。向こうにはしばらく頭が上がらないな」
 「……」
 「まだ内部の人間の仕業だと決まったわけじゃない。ただ可能性が高いというだけだ。もしかしたら外部の人間による策略かもしれないしね。……ただ、今後はすこし、研究部班のことも見るようにしてくれないかい」
 「は」
 「頼りにしてるよ」

 通信具を机の端によけたセブンは、反対側の端に重ねて置いてあった紙束を手に取った。

 「報告書を読んだよ。改めて、アルタナ王国での任務、ご苦労だったね。……まあ、すこし、大事があったみたいだけど」
 「……はい。その……面目ありません……」

 セブンは報告書を束をぱらぱらとめくりながら、苦笑をこぼした。

 「いやあ……だけど、すごいな。国の王女と親交を深めて帰ってきただけでも十分な成果だと言えるんだけど……まさかその王女の誘拐事件を解決して、亡くなったとされていたライラ第一王女殿下の生存も明らかにし、さらには国王陛下の怒りを買ってもなおエポールの名で脅しかけ……すべてを丸く収めてしまったとはね。はは。だめだ、感心を通り越して笑ってしまう」
 「私はいつ首を刎ねられるかとひやひやしていましたよ、班長。……正直、いまだに信じられていません。あの国で見たものがぜんぶ夢だったかのような気分です」
 「しかし、夢ではないらしい。ルイル王女とその付き人のガネスト君が、この研究所に来たんだから」

 報告書の束の中から、『新規入隊の申請書』と書かれた2枚の紙を引き抜いた。そこにはルイル・ショーストリアとガネスト・クァピットの名前と、アルタナ王国の国章が記されている。
 
 「2人は、本当に入隊するんですか?」
 「いま政府に申請を出してるところでね。アルタナ王国はメルギースと親交の深い国だし、なにより2人は次元師だ。許可は下りると思うよ。ただ、それまでは『アルタナ王国から留学してきた』という体で、丁重に扱わせていただくけどね」
 「ということは、いまは宿泊棟に?」
 「ああ。たまにロク君を見かけるよ」
 「……本当に、班長の言う通りでした。あの2人には驚かされましたよ」
 「私もだよ」

 眉を下げ肩をすくめながら、セブンはその申請書を紙束の上に重ねた。それを、コルドは目で追っていた。

 「それにしても、班員が増えてなによりですね」
 「本当にね。嬉しい限りだよ」
 「……あの、セブン班長。この戦闘部班という組織の立ち上げを思い至ったのは、班長ご自身でしたよね?」
 「そうだよ」
 「このようなことを聞くのは失礼かと存じますが……どうして、戦闘部班という組織の立ち上げを?」

 セブンは、顎をさすりながらすこしだけ目線をずらした。

 「いまが好機だと思ってね」
 「好機?」
 「元魔が活発化してきているとはいえ、いまはまだ想定の範囲内に留まっている。依然として神族は姿を見せず、まだその勢力に怯えるときじゃない。彼らがすぐに攻めてこないのは、なにかの時期を待っているんじゃないかと私は推測しているんだ。この機に、次元師たちを育成し、きたる時に備える……。そのようにお伝えしたら、隊長が自ら政会に赴いてくださってね。もちろん時間はかかったけれど、結果的に了承を得られた。政会の監視つき、だけどね」
 「隊長自ら……ですか。あまりお会いしたことがないので、どんな御方なのかもいまだに……」
 「お忙しい方だからね」
 「ですが、新しい組織の立ち上げに尽力してくださったわけですよね。噂では鬼のように恐ろしく、気難しいから感情も見えづらいと……」
 「……本当に、なにを考えているんだか」
 「え?」
 「ああいや、君の言う通りだよ。話すときはいつも緊張してる」

 はあ、とよくわからないままコルドが返事をすると、セブンは丸めていた背中を起こした。

 「さて、と。最後にもう1件」
 「はい」
 「ついさきほど、元魔の出没連絡が入った。南方のローノ支部だ。2人を連れて行ってくれ」
 「……ローノ?」
 「場所がわからなければ地図を渡すよ」
 「ああ、いえ。班長、よくローノの調査報告を読んでいらっしゃいますよね」
 「え? あ、ああ。向こうにいる隊員たちにもよろしく伝えてくれ」
 「はい」

 コルドはしっかりと頷いて、班長室をあとにした。



 「──ということで、出動要請だ。南方の支部だから距離がある。準備は怠るなよ」
 「おっけー!」

 集会所の隣に構えている談話室で、コルドはロクアンズとレトヴェールを捕まえた。さっそく元魔の件を伝えると、2人は頷いた。
 椅子から立ち上がる2人を見ながら、コルドは、すこしだけ顔を苦くした。

 「悪いが、俺はちょっと用事を済ませてから行く。先に向かってくれるか?」
 「え? それはいいけど……あたしたちで行っていいの?」
 「ああ。頼んだぞ」
 「やったー! まかせてっ、コルド副班!」
 「あんまり無茶はするなよ」
 「わかってるって~!」
 「……本当にわかってるのか? ったく……。レト」
 「ん」
 「ロクのこと、ちゃんと見といてくれな」
 「……」

 コルドは、片手にファイルや紙束やらを抱えて、談話室から出ていった。

 「……めずらしいな」
 「? なにが?」
 「元魔討伐に、俺たちだけでなんて。ちょっと前までぜったいに許さなかったことだろ」
 「ん~? まあそうだったような気もするけど……いいじゃんいいじゃん! 次元師として、あたしたちの力を認めてるってことだよ!」
 「……」

 (……──"あたしたち"っていうより……)

 レトは、ちらっとロクを横目に見る。嬉しそうにはしゃぐロクの顔は、新しいおもちゃを与えられた無邪気な子どもそのものだった。しかしその顔つきは、アルタナ王国へ向かう前といまとですこしちがうような、そんな気がしていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.28 )
日時: 2018/08/16 08:25
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: zjy96Vq7)

 
 第025次元 君を待つ木花Ⅱ
 
 目的地である『ローノ』という町は、エントリアよりも南に位置している。規模は国内最大都市のエントリアに遠く及ばず、ややこじんまりとした町ではあるが、周辺が村や集落で囲まれているため最南の地方では唯一の都会という扱いになっている。町中に漂う空気も長閑のどかそのものだった。

 エントリアを出発してから数刻が経過している。いまにも落ちそうな陽の残り火で、森は橙色に焼けていた。
 ロクアンズとレトヴェールは二手に分かれ、元魔の捜索を開始した。
 やる気満々な様子で山道を駆けていったロクとは裏腹に、レトは嫌々といった顔で草木を掻き分けていた。整備されていない獣道を歩き続けるには根気が必要だった。すこしつらくなってきたのか、レトは早々に息をついた。
 そのとき。遠くのほうで、雷鳴が轟いた。

 「! ロクか?」

 轟音は止まなかった。夕焼けを散らす雷光が、レトのいる場所からよく見えた。レトは進行方向を変え、その光を目印に林の中を突き進んだ。
 ロクがいるであろうその場所にレトが辿り着くと、すでに彼女の周囲には、炭のような黒い残骸が散らばっていた。
 
 「──雷柱!!」

 雷撃は円柱を象り、地面から一直線に伸びて空を横断する。ロクの目の前にいた元魔は、立ちこめる土埃の中から飛び出した。元魔は従来通り、黒や灰、茶が混じった泥色の肌をしていた。その体長はロクの体躯を悠に超え、相変わらずどの動物とも似つかない外観をしている。頭部は大きく腕はなかった。代わりに、奇怪に伸びた3本の足が宙を泳いだ。

 「逃がすか!」

 土を蹴り上げたロクが、樹木から伸びる太い枝に飛びつく。そのまま勢いに乗ってぐるりと全身を回し、華麗な動きで枝の上に着地した。
 前方の木の葉にしがみついている元魔を、その目で捉える。

 「──落ちろ! 雷撃!!」

 伸ばした掌を起点に、雷が飛散した。反動ですこし仰け反る。雷光は横殴りの雨を思わせる鋭さで元魔の全身に突き刺さり、叫喚を促す。ふらりと身体を傾かせた元魔が、地面に向かって落下する。
 ロクも飛び降りた。落ちていく黒い肢体に掌を向ける。

 「五元解錠──!」

 しかしそのとき。元魔の頭部が歪んだ。ぐちゅぐちゅと不快な音が響くと、刹那、顔らしき球体の一点から液体のようなものを細く噴き出した。
 ロクは上半身を大きく反らした。が、着地の体勢になるには間に合わず、真っ向から地面と衝突するとその勢いで砂の上を転げ回った。頬に付着したどろりとしたなにかが砂を掬いとっていく。それの正体はおそらく、さきほど元魔が噴き出した体液かなにかだろう。
 元魔は、地面の上で寝そべるロクに対して、ふたたび不快な音を聞かせた。顔らしき部位がぐぐっと持ち上がる。蜘蛛が糸を吐くように、細い体液が放出された。

 「ロク!」

 レトが叫んだ、その瞬間。ロクは寝転んだ姿勢のまま拳を振り上げ、思いきり地面を叩きつけた。するとロクの身体に覆い被さるように雷が半円状の膜を張った。吐き出された体液は、その防壁と化した電気の膜に接触した途端、跡形もなく掻き消えた。
 ロクは、ゆっくりと首だけを動かし、元魔を睨みつけた。

 「──五元解錠! 雷撃ィ!!」

 勢いよく放出された電光が、元魔の肢体に丸ごと喰らいついた。甲高い断末魔が辺り一帯に広がると、黒い頭の上部に埋めこまれていた赤い核も、砕け散った。
 次第に、黒い皮膚だったものが風にさらわれていく。それを見る限り、化け物は絶命したとわかる。

 「へへっ……どんなもんだい!」
 「……」

 ロクは、よっと言いながら跳ね起きた。灰色のコートにまとわりつく砂粒を払って落とす。
 呆然と眺めていたレトだったが、ふいに、ロクとばっちり目が合った。

 「あれっ、レト! いたの?」
 「……ああ。まあ」
 「もしかしていま来た? ざ~んねんでした! 元魔はぜーんぶ、あたしがやっつけちゃったよ! ……あれ、でもさっきレトの声がしたような……気のせいかな?」
 「おまえ、1人でやったのか。これぜんぶ」
 「そうだよ! えへへ~、すごいでしょ! これであたしももう、一人前の次元師になれたかなっ」
 「……」

 ──おまえはすごいよ。そう言ってやりたかったが、喉はそうさせてくれなかった。なんとなく口を噤んで、ただ元魔の残骸のような黒い粒をじっと見つめている。

 「あーあ。でも、はやく"六元の扉"とか、使えるようになりたいなあ……」
 「六元の扉って……」
 「だって、まだ"五元の扉"までしか開けないんだもん。もっと強い『次元技』を出せるようになるには、その階位を上げるのがいちばん早いんだけど……」

  次元の力は、『次元技じげんぎ』と呼ばれる数多の"技"を秘めている。それはロクの持つ次元の力『雷皇』でいうところの、『雷撃』や『雷柱』といった"雷を利用する上での応用術"を意味する。
 そこで大事なのが、『扉の階位』だ。
 次元師は原則的に、『四元解錠』や『五元解錠』などといった──"次元技そのものの威力を決めるための詠唱"を、次元技を唱える前に置いておく。そうすることで、発動する次元技の威力を調節し、次元の力が暴走しないよう働きかけているのだ。特に、次元師としての活動を始めて間もない者はその前述を必ず行い、上手く調節できるようになるまでは継続しているらしい。

 「うわさによるとさ、"十元の扉"まであるっていうでしょ? あたし、ぜんぶ使えるようになりたいんだ! レトもそうでしょ?」
 「俺はべつに……それに高位の扉を開くのは、次元師の中でも限られた人間しか成功してない」
 「だーかーら! その限られた一部の人間になるんだよ!」
 「……どっからわいてくんだよ、その自信は」
 「え?」
 「なんでもない。元魔の気配はしないし、たぶんこの辺りにはもういないだろ。戻るぞ」
 「あ、待ってよレトー!」

 赤く燃えるようだった空は、鈍色の夜に覆われつつあった。ただでさえ成長しすぎた草木が鬱陶しいのに、あたりの暗がりに呑まれ、それは不確かな影となって視界にちらついた。
 
         *
 
 ローノ支部の施設も、町の規模に合わせて建立されたのか少々控えめな建物だった。2階建ての構造で、入り口の扉をくぐるとすぐ目の前に受付のテーブルが構えている。その奥はすべて談話スペース兼資料室となっている。1階にあるのはそれだけで、あとは端の階段からから2階へ行けるようになっている。2階は隊員たちの休憩室といったところだろう。
 夜も深まらないうちに元魔討伐の報告へやってきたロクアンズとレトヴェールの2人に、支部の隊員たちは感嘆の声を浴びせた。

 「いやあさすがです、次元師様!」
 「この短時間でやっつけちまったのか。こりゃたまげたなあ!」
 「あんたたち、ウワサになってた義兄妹だろ! アルタナ王国でどえらいことしたっていう!」

 2人を囲んでいる複数人の男性隊員のうちの1人が言うと、ロクは驚いて目を見開いた。

 「えっ!? 知ってるの!?」
 「知ってるもなにも、いまじゃ国中に広まってるよ。此花隊の次元師が、よその国の歴史を動かしちまったってな!」
 「しかもこんなガキだもんなあ~」
 「ガキじゃないよっ。これでも一人前の次元師なんだから!」
 「これは失礼しました~!」

 1階の談話スペースが、どっという笑い声で満たされる。この支部に配置される隊員のほとんどが援助部班の班員だった。援助部班として訓練を受けているだけあって、だれもが屈強な体つきをしていた。

 「おいロク、おまえケガはないのか?」
 「え? ああ、そういえばさっき木の上から落ちたときに、擦りむいたっけ……。でも大丈夫だよ、このくらい!」
 「だ、だめよっ」

 そのとき。華やかな声音がした。男たちの波を掻き分け、ロクとレトの前に現れた女は、心配そうに言った。女性にしてはやや身長が高く、体型もすらりとしている。美人の部類に入るだろう。男だらけでむさくるしい中では一際その存在が目立った。彼女は肩のあたりで綺麗に切り揃えられた臙脂えんじ色の髪をすくって、耳にかける。

 「小さな傷口からでも、ばい菌は入ってしまうの。だからきちんと消毒しましょう」
 「あなたは……」
 「あ、ごめんなさい。挨拶をしていなかったわね。私は、医療部班所属のフィラ・クリストンよ。さあ、腕を出してもらってもいい?」

 フィラと名乗った女は、灰色ではなく、白い隊服の袖をまくりながら言った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.29 )
日時: 2020/03/18 21:32
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第026次元 君を待つ木花Ⅲ
 
 ロクアンズは、此花隊の本部内でその白い隊服を見かけたことがあった。というのも、本部の中央棟は主に"医療部班"の仕事場となっていて、医療部班の班員とすれ違うことも珍しくないためである。

 此花隊の隊服は、部班によって基調としている色や作り、デザインが異なっている。戦闘部班と援助部班は灰色、研究部班と医療部班は白を基調とした隊服だ。各部班の班長と副班長に任命されている者は、所属の班に関係なく、全員が黒を基調とした隊服を着用している。
 フィラと名乗った女性が着ている隊服は上下がひとつなぎになっていて、膝のあたりで裾がひらひらとしていた。全体的な色は真白。ところどころ紅色のラインが入っているのがわかる。汚れのないまっさらな白色が視界に飛びこんできて、ロクはびっくりした。

 「地面の上で転んだのね……大きな擦り傷だわ。ちょっと染みるけど、我慢してね」
 「いっ!」
 「よく効く薬だから、すぐよくなるわ。包帯も巻いてあげる」
 「ありがとう、フィラさん」
 「あら。も、もう覚えてくれたの? 嬉しいわ」

 笑顔の似合う女性だった。濃い臙脂色の髪も艶やかだ。手入れを怠っていないのだろう。ロクは思わず見とれていた。

 「ケガっていやあ、この前森に入ったときさあ、ケガしてぶっ倒れてるやつを見かけたんだよ」
 「ああ、元魔を見つけて急いでここに帰ってきたときだろ? たしかお前、ちょっと遅れて帰ってきたよな?」
 「その倒れてたやつがさあ、死んでたんだよ。そのままにしとくのも、なんか嫌だし……だから近くに埋葬してたんだ」
 「なるほどな。……あ! それってあれじゃないか? ベルク村の」

 ぴくりと、包帯を巻くフィラの手が一瞬だけ震えた。

 「あ~! 言われてみればたしかに」
 「村から逃げてきたんだろうけど、あそこの山道は人間が歩けるようなとこじゃないからな。ほとんど急斜面だし、下ろうなんて考えるもんじゃないよ。いくら命があったって足りやしねえ」
 「村の場所も、いまいちよくわかんねえんだよなあ。ほんとにあるのか?」
 「あるだろうよ。そいや、村の向こう側は整備してあるんじゃなかったか? そっちから降りたらすぐ海岸に着く。そこで貿易商どもと、どうやら酒の取引をしてるらしい。これがまた絶品なんだと」
 「本当か!? くぅ~! 姑息だねえ、ベルクの領主も」
 「ねえ、その森で倒れてたっていう男の人、ベルク村から逃げてきたんじゃないかって言ってたよね?」

 包帯を巻き終えたらしいロクは、体の向きを変えて話に加わった。

 「ああ」
 「それって、ベルク村でお酒を造るのがいやになったってこと? その領主さんが、村の人たちに重労働をさせてるとかじゃ……」
 「あ~。その線が濃いだろうな」
 「それなら調べたほうがいいよ! このままほっとくなんて、村の人たちがかわいそうだよ」
 「冗談言っちゃいけねえ。さっきも言ったけど、ベルク村への道は険しいなんてもんじゃないんだ。いくら鍛えてたって、あの山道を登る勇気は湧いてこないさ」
 「それに、ベルク村は小さい村だし、旨い酒を造ってるっつったってこの国のライフラインにはならねえよ。なくなったって困りゃしねえし、いずれあの村は自然消滅するだろうよ。人口の減少でな」
 「……」
 「ならあたしが行く!」

 決して良質とはいえない長い腰掛から立ち上がって、ロクが言った。

 「その村に行って、ほんとに領主さんがひどいことしてたら、おじさんたちが政府に報告してくれる?」
 「ちょっ、おいおい嬢ちゃん! 冗談だろ? さっきの話聞いてなかったのかい」
 「聞いてたよ。村の人たちが苦しんでるかもしれないのに、おじさんたちが見て見ぬふりしてるってことくらい……!」

 援助部班の男たちは黙りこんだ。この支部での指揮を任されているらしい黒い隊服を着た副班長位の男が、ふたたび口を挟んだ。

 「あのなあ、ちがうんだ。あそこの村は行ったってどうせ──」

 そのときだった。
 建物の入り口の扉が勢いよく放たれ、1人の男が慌てた様子で談話スペースに駆けこんできた。

 「副班長! いま、森のほうから子どもを抱えた女性が現れて、そのまま倒れて……!」
 「なに!? すぐに運んでこい! フィラ、治療の準備を」
 「はい!」

 部屋から、数人の男が出ていく。フィラはまた袖をまくると、テーブルの上に置いてあった陶器類をどかし、代わりに大きな銀のケースをそこへ乗せた。ケースを開くと、医療器具らしきものがごちゃりと入っているのが見えた。薬品の詰まった小瓶もある。
 間もなくして、1人の女が室内に運ばれてきた。女は担架に乗せられ、2人がかりでそれを運ぶ隊員の男とそれ以外もぞろぞろと戻ってくる。
 その中には、腕に布のようなものを抱える姿もあった。

 「細い切り傷が多く、脚や肘のあたりには打撲痕もあります」
 「……ひどい怪我……。出血が多いわ」

 担架から下ろした女を、長い腰掛に寝かせた。フィラは膝立ちになって女の顔を覗きこむ。テーブルの上に並べた薬瓶と女の身体とを交互に見ていたが、ふと、女の呼吸が浅くなっていることに気づく。

 「……」
 「フィラ、どうなんだ? 助かりそうか?」

 それだけではなかった。手足は折れそうなほど細く、肌がカサカサに乾いてしまっている。太陽の光を浴び続けた結果だろう。ということは、女はまともに水分を取っていない。食事を摂っていたのかも怪しい。フィラに限らず、ここの隊員には見慣れている姿だった。あの酷い山道を下ってきたのだとしたら、いま息をしているのも奇跡だと称賛に値するほどだ。フィラの喉に息が詰まる。

 「……ぁ……」

 か細い声が、フィラの耳に届いた。フィラは耳にかかった髪の毛を掻き上げ、そっと顔を近づける。

 「……こ……こど……もは……」
 「お子さんですか?」
 「……あの子、だけは……」

 女は、うっすらと目を開けた。その濁った赤色と目が合う。
 フィラが彼女の右手を取ったそのとき。握り返してきた女の手が、ゆっくりと力を失い、細い指先がフィラの手から離れていく。閉じた瞳から一筋、涙が流れ落ちた。
 
 フィラは、後ろで立っている副班長の男に向かってふるふると首を振った。
 この女がベルク村から出てきたのであろうことは、この場にいるほとんどの人間が推測したことだった。皆、これが日常茶飯事であるといったような諦めの表情を浮かべている。
 そのとき。1人の男が抱えていた布の塊から、耳に障るような泣き声が湧いた。赤子の声だ。母の死ではなく、空腹を嘆いているのだろう。

 「あたし、行ってくる」

 泣き止まないその声に紛れて、ロクが言った。

 「行くって……。嬢ちゃんも見ただろう。この女性はいま、」
 「『行ったってどうせ』……そう言ってたよね、さっき」
 「……」
 「あたしは行くよ。ぜったい辿り着いてみせる。──苦しんでる人を、あたしはぜったいにほっとかない!」
 「待ってっ!」

 ロクは、フィラの叫び声を無視して、部屋から外へ出ていった。
 レトヴェールはというと、そんなロクのあとをすぐに追うことはせず、自身のポーチから小さな紙を束ねただけのメモ帳とペンを取り出した。
 テーブルを借りて、紙面にペンを走らせると、すぐに書き終えレトは立ち上がった。そのとき。

 「……?」

 腰掛に横たわったまま動かなくなった女が、左手になにかを握っていた。
 周囲に気づかれないようにそっとその紙を引き抜く。くしゃくしゃになったその紙を開くことはせずに、レトはさきほど自分が書いたメモとその紙とを、おなじ便箋に入れた。

 「悪いけど、ここにコルド・ヘイナーっていう名前の戦闘部班の副班長が来たら、この手紙を渡してくれないか」
 「え? ええ……」

 手紙を差し出されたフィラは、落ち着かない様子でその便箋を受け取った。
 入り口の扉に向かおうとしたレトがロクについていくつもりなのだと直感したフィラは、そんなレトの背中を、切羽詰まったような声で呼び止める。

 「ま、待って! お願い、あの子を止めて……! 大人でも登れないほど険しい山なの。体力のない子どもが、そんなの……絶対に無理よ。それにまともに水も食料も確保できないのよ!? どう考えたって無謀だわ!」
 「あいつはなに言っても聞かないから」
 「あなたは、あの子の知り合いなんでしょう!」
 「……やるって言ったらほんとにやるよ。そういう義妹いもうとなんだ」

 レトはそう言い捨てて、建物から外へ飛び出していった。どうせすぐに音を上げて帰ってくるだろう、とだれもが肩を竦める。そんな中、フィラの真紅の瞳だけが、たしかに揺れていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.30 )
日時: 2020/05/08 12:45
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YnzV67hS)

 
 第027次元 君を待つ木花Ⅳ
 
 『ロク、聞こえるか?』
 「あ、レト!」

 通信具が使用できる範囲には限りがあり、その範囲は極めて狭い。もしかしたら交信の届かない、どこか遠くの場所まで行ってしまったのではないかと不安を覚えたレトヴェールだったが、ロクアンズからの返答を受けると安堵の息をついた。

 此花隊で製造されているこの通信具というのは、『元力』と呼ばれるものを利用している。それは、次元師である人間だけが体内に保持している"次元の力の源"だ。体内にあるうちはただの小さな粒子でしかないが、本人の意思に呼応して活性化し、次元の扉を開く力へと変貌を遂げる。
 その、"本人の意思に呼応する"という特性を生かし、開発されたのが、現在戦闘部班が使用している通信具だ。次元師の持つ元力がもととなっているため、コルド、ロク、レトの3人以外の人間とは連絡を取ることができない。そのうえお互いの居場所が遠く離れすぎている場合でも、元力の感知能力が薄れて交信を不可能とする。

 『おまえ、いまどこにいる?』
 「えっとね~……あ、レト見っけ!」

 高い樹木の枝に留まっていたロクが先にレトの姿を見つけ、そこから飛び降りた。きょろきょろしているレトの背中に声をかける。

 「ねえレト! ベルク村ってどこにあるか知ってる?」
 「……あのな、これからどんどん夜が更けてくってのに、飛び出していくやつがあるか」
 「あ……」

 ロクは、しまったという顔で空を見上げる。夜空に浮かぶ星の輝きを頼りにと思ったが、無慈悲にも高い樹木の影に塗り潰され、あたりは真っ暗闇に包まれている。

 「ごめんレト……。どうしよう?」

 レトは自分の腰元のポーチをまさぐるとすぐに、硝子で作られた筒のような器具を2本取り出した。
 「ん」
 「な、なにこれ?」
 「携帯用ランプ。油もある。何日かかるかはわからないけど、限りがあるから一晩中は使えない」
 「……すごいレト! こんなもの持ち歩いてるの!? 天才だよー!」
 「おまえがどこ行くかわからないからな」
 「すごいすごい! やっぱり、レトは頼りになるねっ!」

 レトは一瞬だけ目を丸くした。小さなランプ1つではしゃぎ回るロクを見ると、今朝コルドとロクのやり取りで感じたことが気のせいだったのかもしれないと思えてくる。

 「……地図でしか確認したことないけど、方角的にはローノから見て北東だ。だから、こっち」
 「なるほど! よーし!」

 レトが指先で示した方角に、ロクはくるりと顔を向けた。ランプを片手に、2人は深い森の中へ踏みこんでいく。



 木の葉を集めて作った簡易な寝床から、むくりとロクは起き上がった。灰色のコートにくっついた葉が落ちる。強い陽の光が、森に明るさを取り戻していく。
 ロクにゆさゆさと身体を揺らされ、レトも起床した。2人は、任務の際には常に持ち歩くようにしている固形の携帯食料で朝食を済ませ、まだ日が昇りきらないうちに行動を開始した。
 森の中はどこも人が通れるようには整備されていないため、道らしい道はない。ロクは器用に草木を掻き分け山道をどんどん進んでいくが、レトはすこし足をとられながら、ロクの背中についていく。
 そんな状態が小一時間続いたが、前を歩いていたロクが急に速度を落としたので、レトも足を止めた。

 「どうした、ロク」
 「ねえレト、見て。これ、崖かな?」
 「崖?」

 ロクが顔を上げていたので、レトも空を仰いだ。樹木の葉と葉が重なり合って視界のほとんどが遮られていたが、目の前にはたしかに、断崖絶壁と呼ぶに相応しい土の壁が聳え立っていた。首を左右のどちらに振ってもその端が見えないほど、その壁は際限なく広がっていた。
 
 「すごい崖だな……高さもかなりある。遠回りしすぎると道がわからなくなるからな。これを登りたいところだけど……岩肌に凹凸がない。これじゃ無理だな」
 「北東ってこの先だよね。ねえレト、足場があればいいんだよね?」
 「は? だから、足場は……」
 「レト、ちょっとこっち来て!」

 ロクはレトの腕を掴んで、崖とは反対方向に走りだした。崖との距離が遠くなる。すこし離れたところで、ロクは足を止めた。
 レトが息を整える間もなく、ロクの手元から、火花のような雷が散った。

 「おいロク、なにを……」
 「いいから、ちょっと見てて! 足場がないなら作るまでだよ!」
 「……は? どうやって、」
 「──届け! 五元解錠、雷撃ィ!」

 突き出した右の掌から、雷光が飛び出した。崖に向かって放たれた雷は空中を縫い、崖の天辺に襲いかかる。
 しかし放った雷撃はさほど距離が伸びず、電気の端のほうが崖上に引っかかり、土くれがぼろっと崩れただけに終わった。

 「ありゃ、失敗した……。もっと近づいてみようかな。万が一降ってきたときはすぐに避ければいいし……よしっ、もっかい!」
 「待てロク! いまのおまえの力だと、もっと近づかないとだめだ。だけどそれだとあまりにも危険すぎる。ほかに道がないか探したほうがいい」
 「大丈夫、次はやってみせるからっ。あたしに任せて、レト!」
 「だけど」
 「1回失敗したくらい、どうってことないよ。何回でもぶつかっていかなきゃ。じゃないときっと、ずっと負けっぱなしで終わっちゃう!」

 ロクの全身に雷が絡みつく。レトはそれ以上口を挟むことを諦めた。彼女の意識はもう崖の上にある。

 「五元解錠──雷撃ィ!!」

 両手をぐんと前に突き出す。と、電熱が腕に絡みつくように、手先から肩へと駆け上がった。放出された雷電はふたたび、崖の上を目掛けて空を切る。
 反動で仰け反りそうになるのをロクは両足で踏ん張りながら必死に堪えた。すると、電撃は見事に崖の上に直撃し、そこから崩れた岩の断片がごろごろと大きな音を立てながら、崖下に向かって転げ落ちていく。
 一瞬、その光景に気を取られていたロクの腕を、レトがすかさず引き寄せ、飛散した岩の欠片からロクを遠ざける。
 岩雪崩の勢いがどうやら収まったらしいということがわかると、ロクとレトは走って崖下に近づいていった。すると、まっ平だったはずの崖の上のほうの岩肌が削がれ、その岩の断片が真下の地面に積み上がっていた。

 「やった! もうちょっと、もうちょっと崩せばできるよ、足場!」
 「……」

 嬉々とするロクは、間髪を入れずに全身に雷を纏った。さきほどよりかは弱い威力で雷撃を繰り出し、どんどん崖を崩していく。
 レトは言葉を失い、ただ目の前で起こっている光景を眺めていた。彼女が言った『大丈夫』が、意図せず頭の中で反芻する。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.31 )
日時: 2018/08/21 23:14
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: xJUVU4Zw)

 
 第028次元 君を待つ木花Ⅴ

 コルドがローノ支部へ到着したのは、ロクアンズとレトヴェールが本部を出発してから2日目の午前のことだった。
 先に行っておいてくれ、と2人には伝えていたため、任務が終わっても支部で待機しているだろうとコルドは踏んでいた。が、思わぬ事実を支部の隊員たちの口から聞き、彼は驚愕した。

 「べ……ベルク村に向かった!?」
 「え、ええ……危険だと思って、お止めしたんですけど……」

 フィラは、コルドに便箋を差し出して言った。彼は衝撃のあまり声が出せず、無言でその便箋を受け取った。封を解き、中から1枚の紙を取り出す。
 内容は、フィラが伝えた報告と同一だった。2人でベルク村へ向かったと記載されている。

 「……まったく、なにを考えてるんだあいつら……!」

 コルドは片方の手で、くしゃりと便箋を握りしめた。そのとき、便箋の口からべつの紙がはみ出ているのを彼は視認した。
 その紙を引き抜くと、それはまったく異なる質の紙だった。見る限り羊皮紙らしいとわかる。コルドが握ったときとはちがう折り目がついていて、まさしくぐしゃぐしゃと呼ぶに相応しかった。
 コルドはその紙を開いた。文字らしいものが書かれている。

 「……」

 しばらくの間、コルドは黙ってその紙面を眺めていたが、すべてを読み終えると、支部の隊員たちに目をやった。突然視線を向けられた隊員たちは、緊張の面持ちでコルドと向かい合った。

 「本部に届くローノからの報告書に、いつもベルク村の記載がありませんが、それはどうしてですか?」
 「そ、それは……」
 「ベルク村の所在が、辺境の地だということもわかっています。ですが、みなさんは援助部班の班員です。入隊時から厳しい訓練の期間を経てきたみなさんであれば、あの村に辿り着くことも不可能ではないはずです」
 「あのなあ……! あの山道は、険しいってもんじゃない! 登るのは無謀なんだ! あんたたち本部の人間にゃ、そいつはわからねえだろうよ」
 「わからないからこそ、各部署に報告という義務を課しているんです。……こういった声が、こちら側には届かないから」

 コルドは、羊皮紙を広げて見せた。隊員たちはぎょっとした。
 そこには、『たすけて』『たべものがない』『だれかおねがい』──などといった文言が、脈絡のない文字列で綴られていた。

 「これは立派な職務怠慢です。上に報告させていただきます」
 「……! じ、次元師だか、なんだか知らねえけど、あんたたちと俺たちじゃちがうんだよ! それくらいわかるだろ!」
 「……そうですか。なら、あの山道に入っていったロクアンズとレトヴェールが、無事にここへ帰還したら、職務怠慢を認めてくれますね?」
 「……は?」
 「あの子たちはたしかに次元師ですが、大の男ほど体力はない子どもです。フェアだと思うのですが、どうでしょうか」
 「……。いいだろう。本当にあの子らが戻ってこられたらな」

 責任者の男が、顔を顰めながら言った。コルドは腰元のポーチに便箋を収めると、入り口に向かった。おそらくロクとレトの2人を追いかけていったのだろうが、それを止める者は1人もいなかった。
 そのとき。じっと黙りこんでいたフィラが、急に立ち上がった。

 「フィラ? ……お、おい! どこへ行くんだ、フィラ!」

 銀のケースではなく、部屋の隅に置いてあった一回り小さめのバッグをフィラは引き掴んだ。その肩紐をすばやく両腕に通すと、彼女は有無を言わさず支部の外へ飛び出していった。
 
 
 
 崖を超えたロクアンズとレトヴェールは、新しい山道を辿っていた。確実に減っていく固形の携帯食料を、小さくちぎっては喉の奥に流しこみ、2人は空腹を凌いでいた。フィラが言った通り、食べられそうな果実や茸の類はほとんどなかった。あったとしても腹の虫を抑えるには不十分なほど小さな実であったり、極度に酸っぱいか苦いか、美味とはほど遠い味かのどれかだった。
 最大の問題は、水だった。山道に入ってから川や滝などといった水源を見かけることができずにいる2人は、自身らの水筒の中身を測りながら水分を摂っているおかげで、かろうじて喉の潤いを保てているのだ。

 ただしそれにも限界がある。現に、レトの水筒の水は底を尽きようとしていた。にも拘わらず、目的地のベルク村に辿り着けそうな気配はない。彼は、水筒の底のほうで小さく揺らめく水と、ただじっと睨み合いをしていた。

 「……」
 「レト、この先けっこう崖が続いてるみたいだよ。これを登りきったら、もしかしたら村に辿り着けるかも。ねえレト……レト?」

 レトははっとした。ロクが、不安そうな顔でレトの顔色を伺っていた。しばらくぼうっとしていたらしいとそこで初めて気づいた。
 喉の渇き。身体の疲労。そして目的を達成できるのかという、底知れぬ不安。そういったものに、思考が完全に支配されてしまっていた。しかしレトは、渇いた喉に唾を流しこみ、返事をした。

 「……ああ。悪い。行こう」
 「……」
 「ロク?」

 レトの顔を、じっと見つめていたロクが、腰元のポーチから水筒を取り出した。そしてすぐに、それをレトに差し出した。

 「はいっ、レト。飲んでいいよ。喉渇いてるでしょ?」
 「……は? い、いや……」
 「いいっていいって! 気にしないでよ、レトっ」

 へらっと、ロクは笑った。そんな彼女の顔から視線を落とす。水筒が差し出されていた。
 レトは当然のように迷った。これはロク自身が飲むためのものであり、自分はただ体力がないから水を消費しやすいだけだ。鍛錬をしていなかった自分が悪い。それなのに、どうぞと差し出されたそれから目を離せなかった。
 レトは、ようやく二の句を告いだ。

 「……でも、お前の分が……」
 「あたしは大丈夫! 秘策があるんだっ」
 「秘策?」

 見てて、とロクが言った。彼女はもう一度ポーチの口を開くと、中から小型のナイフを取り出した。
 すると彼女は、迷うことなく自分の腕に刃を向け、そのまま撫でるように肌を切った。ロクは一瞬だけ、ぴくっと眉をしかめた。

 「! ば、バカおまえっ! なにして……!」
 「喉を潤すくらいだったら、こうして血をなめることもできるなあって、思って」

 肌に伸びた細い傷跡から、鮮やかな赤色がつう、と滑り落ちる。ロクはそれをすかさず舌で舐めとり、こくんと小さく飲みこんだ。
 レトは言葉を失った。ロクは、なんてことのない顔で、レトに微笑みかけた。

 「こんなの、痛くもなんともないよレト。ベルク村の人たちはきっともっと苦しい思いをしてる。だからぜったい辿り着いて、直接会って、あたしがこの手で救いたいんだ。……レトがいなかったらあたし、たぶんここまで来れなかった。だからレトはこれ飲んでっ。あたしは大丈夫だから!」

 強気な緑色の瞳には、絶望も、疲労も、不安も──諦めの色も、浮かんではいなかった。彼女は、まっすぐ前だけを見つめていたのだった。

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.32 )
日時: 2018/09/12 13:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: f/YDIc1r)

 
 第029次元 君を待つ木花VI

 乾いた手のひらで岩の壁に食らいつく。不安定な足場に爪先をかける。息つく間もなく、ただ体力を奪っていくだけの動作の繰り返しに、身体はとうに疲弊しきり、限界を迎えていた。しかし2人は、そんな四肢を無理やり動かしてでも目的を達成しようとしている。
 そして、2人はようやく崖の縁に指先をひっかけた。余力を絞り出し、上半身を浮かせる。と、待ち望んだ平たい大地が、景色のすべてに広がった。
 土を引っ掻きながらよじ登ると、ロクアンズとレトヴェールの2人は、なりふり構わず地面の上に倒れこんだ。起き上がるよりも先にごろんと仰向けになる。抜けるような青空はとても近く、鮮やかで、眩しかった。

 「はあ、はあ……。やったねえ、レトっ。すごいよ、のぼったよーっ」
 「……ああ。でもまだ到着できたわけじゃ」
 「わかってるよ~……。あー……お腹空いちゃったね、レト」
 「……だな」

 腹の虫が低く鳴いた。空の青さに安心したのか、数日間に亘る食料の調達難を嘆いているのか、明確な自覚はないがたしかに2人は、深い呼吸ができていた。
 空に流れる雲を、ロクはぼんやりと眺めていた。が、そのとき。

 「死んでんか?」

 ひょっこりと、子どもの顔のようなものがロクの視界に飛びこんできた。

 「おぅい、おい」
 「……え。う、うわあ!?」

 ロクはがばっと飛び起きた。彼女の顔を覗きこんでいたその人物も、かわすように頭を起こした。

 「いきてた」
 「び、びっくりしたあ……。君は?」
 「おれはベルクのもんだけど」
 「え?」

 擦り切れた布で髪を乱雑に上げているせいか、その布の隙間から暗い赤色の髪がぴょこぴょこはみ出ている。見る限るロクやレトよりも歳は幼く、男や女かわかりづらいような見た目をしているが、「おれ」と発言していたので少年らしいと判断した。

 「ベルクって……」
 「ばあ様に言わなきゃ! ばあ様ー! 人がいたあー!」
 「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
 
 ロクの呼び声も空しく、その少年は土まみれの細い両脚で、ごつごつした地面の上を走っていった。それほど速く走って痛みはないのだろうかと呆気に取られているうちに、どんどん少年の後ろ姿が遠ざかっていく。

 「レト、行こう! あの子、さっきベルクって……──、っ! わわっ」

 追いかけようと踏み出した足に思ったほど力が入らず、ロクは数歩よろめいた。

 「どうした、ロク」
 「……。ううん、なんでもない! 急ご!」
 「ああ」

 ふたたび山道へと駆けこんだロクとレトは、少年の後ろ姿を追い続けた。この山道はいままでとはちがって整備されている。村の人間が使用しているのだろうか。そんな風に推測した。
 一本道を駆け抜けていく。しばらくして、2人は開けた場所へ出た。
 
 「……はあ、はっ……。こ、ここが……」
 「……ベルク村……」

 周囲は鬱蒼と生い茂る木々で囲まれている。よく目を凝らせば、木の麓などに花が咲いているらしいとわかった。藁を組んだだけのような稚拙な家宅が、ぽつりぽつりと並んでいる。
 その辺りをうろついているのは村人だろうか。だれもが、生気のない目をしている。籠を運ぶ男がいたり、木の実の殻を剥いている幼い子どもがいたり、薪にするのであろう細長い枝を集めている少女の姿もある。

 ロクは太い樹木の幹に手をつき、静かに村の様子を眺めていた。が、その呼吸は荒く、浅かった。

 「やっと……やっと、着い──」

 そのとき。ロクの全身から、途端に力が失われた。視界が落ちる。カラになった胃と意識とが浮遊する感覚を覚えてすぐに、彼女はその場で倒れこんだ。
 すぐ近くで、どさっという鈍い音を耳にしたレトは、驚愕した。

 「ロク! おい、ロク!」

 必死に呼びかけるレトだったが、ロクは地面の上でうつ伏せになったまま動かなかった。そしてレトもまた、視界がぐらりと傾き、急激な眠気に襲われると、足元から崩れ落ちた。



 「……ん……。あれ、ここ……」

 ロクは、ゆっくりと瞼を開いた。その隙間はぼんやりとしていて、知らない匂いがして、自分がどういう場所にいるのか判断がつかなかった。ぼうっとする頭を起こし、ごしごしと目元をこする。
 そのとき。

 「こ……子どもだ! しらない子どもがいる!」
 
 見慣れない男が、声を張り上げながらロクに飛びついてきた。
 
 「うぇっ!?」
 「見たことない! きれいな服着た、子どもがいる!」
 「え、ちょ、まっ、うわわ!」

 男はいきなりロクの両腕を掴むと、その小さな身体を乱暴に揺すった。目を回しそうになるのを必死に耐えるロクだったが、そうしているうちに、男の叫び声につられたのか次々と人が集まってきた。間もなく、ロクは完全に包囲された。
 物珍しいものを見るかのような、好奇に満ちた視線が、一斉にロクに降り注ぐ。
 
 「どこから来たんだ」
 「え、えっと、エントリアから……」
 「えんとり……なんだ?」
 「ばかだな。大きな町だよ。国でいちばんの」
 「ああ。えんとりあ」

 ごちゃ、とざわめきが湧いた。突然のことに驚きこそしたが、ロクはそのおかげもあって完全に目を覚ました。
 そこは室内だった。決して広くはなく、鼻につくような独特の匂いがする。壁はすべて黄土に近い色をしていた。おそらく村へ入ってきたときに見かけた藁の家の1つだろう。
 大きな石を削って造ったような机と、薪の束と、木の実や芋などをぶら下げた枝の骨組みなんかが無造作に置かれている。
 ロクは複数の目と視線を合わせた。

 「あの、あたしちょっと、あなたたちに聞きたいことがあっ──」
 「めぐみか?」
 「え?」
 「あれをよんだのか?」
 「……あれ、って……?」
 「めぐみをあたえてくれるのか!」
 「くれ!」
 「ああ、たのむ!」
 「めぐみを!」
 「たべものを!」

 ロクよりもずっと高いところにあった視線の数々が、波打つように伏せっていく。ぽかんとするロクをよそに、村人たちは藁の床にぴったりと額をくっつけ、「めぐみを!」「めぐみを!」とひっきりなしに叫んでいる。
 突然のことに、またしてもロクが困惑を隠しきれずにいた、そのとき。

 「しずまりなさい。こまっておられるでしょう」
 「……! ば、ばあ様!」

 伏せっていた村人たちは次々と顔を起こし、立ち上がった。"ばあ様"と呼ばれたその人物は、異様に背丈の低い老婆だった。彼女の後ろに、見覚えのある赤毛の少年が立っていた。人だかりが、黙って道を開けていく。
 ロクの胸あたりまでしかない小さな背をさらに丸め、地面の上に片膝をつくと、老婆は口を開いた。

 「此花の使者様ですね……。ようこそ、ベルクの村へ」


Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.33 )
日時: 2020/01/31 11:59
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: FFsMNg05)

 
 第030次元 君を待つ木花Ⅶ

 ばあ様、と呼ばれた老婆が人払いをしたおかげで、家の中には人っ子ひとりいなくなった。そのとき初めて気づいたことだが、ロクアンズのすぐ隣ではレトヴェールが静かに寝息を立てていた。寝顔は可愛いんだよな、なんてことを思っていたとき、ふいに声がした。

 「どうぞ、めしあがってください。次元師様」

 ロクの近くまでやってきた老婆は、しわがれた両手で木の板を掴んでいた。そこには汁物が入ったお椀と果実を乗せた小皿が置かれていて、彼女はそれらを零さないようにゆっくり腰を下ろした。
 
 「えっ? そ、そんな、いいよ! だってそれは、この村の大事な」

 必死に手を振りながら断ろうとしたロクだったが、彼女の下腹部は、ぐるるると正直に鳴いた。

 「……あっ、や、これは……」
 「ふふ。おきになさらないで」

 開いているのか閉じているのかわからない細い目で微笑む老婆は、木の板をロクの寝床のそばに置いた。

 「とおいところ、わざわざおいでくださいますとは、まさか、ゆめにもおもっておりませんでした。おみぐるしいものをおみせしてしまい、もうしわけありません。ごらんのとおり、この村はめぐまれておりませんで、つぎのはいきゅうの日もちかいので、いまおだしできそうなものは、このくらいがせいいっぱいで……」
 「ううん、そんな! むしろごめんなさい……。村の大事な食べ物なのに」
 「とんでもありません。めしあがってください」
 「……ねえ、もしかしてあなたが、ここの村長さん?」
 「はい。わたしが、村長のツヅでございます」

 ツヅは、正座を崩し左膝を立てた。両肘を曲げ、床と水平になるように持ちあげると、膝にくっつくかつかないかの位置で右手の甲に左の手のひらを重ねた。この村での挨拶なのだろう。

 「ねえツヅさん、あたしたち、この村でなにが起こってるのか知りたくてここまで来たんだ。だから村のことを教えてもらえないかな?」
 「それは……おえらいかたが、そのようにと?」
 「え?」

 一瞬、蒼い海のさざめきがロクの鼓膜をよぎった。指示されてここへ来たのかと問われているのだ。ロクは、迷わず首を振った。

 「ちがうよ。自分の意思で来たんだ。あたし、困ってる人をほっとけないんだ」
 「……。そうでございましたか。次元師様、すこしだけ、むかしばなしをしても?」
 「昔話……? うん、いいよ」
 「では、おはなしします。……いまからたった13年まえのことです。このむらには──『白蛇しらへび様』とよばれる、むらのまもりがみがおりました」
 「……しらへび様……?」

 ツヅは語りだした。

 ベルク村にはかつて、村の人間から『白蛇様』と崇められている白い蛇が棲みついていた。それは1匹ではなく何十という数にも及ぶ、白くて美しい小さな蛇だった。真白の鱗に紅色の花を押したような斑点があり、村の人間たちはその蛇とともに暮らしていたという。

 「白蛇様は、われわれにきがいをくわえるようなことは、なさりませんでした。それにそのかじつをとてもこのんでおられたのです」
 「これのこと?」
 「はい」

 ロクは、小皿に乗った果実をひと粒つまんで持ちあげた。赤紫色でやや楕円の形になっている果実だ。

 「むらのだれもが、白蛇様と、しあわせにくらしていたのです……。あの日までは」

 13年前──第二次メルドルギース戦争が停戦となった翌年のことだ。村の領主だった者が急逝し、国から新しい領主が寄越された。しかしその領主の男は「財政難」だと言って、ある日突然──村中に棲みついていた白蛇を狩り始めたのだ。

 「なんで、そんなひどいこと!」
 「白蛇様のかわは、たいへんうつくしく、おかねになるのだと……。それだけではございません。白蛇様のかわを、ずっとうっていくために、むりやりはんしょくをさせはじめたのです……」
 「……」
 「ああ。いいおくれましたが、白蛇様は、すべておすなのです」
 「え? でも、いま繁殖って……」
 「たったいっぴきだけ……。たったいっぴきだけいたのです。しろい白蛇様とは、"まぎゃくのうろこ"の……──べにいろのうろこをもった、女王蛇が」
 「女王蛇……」
 「その女王蛇は、この村では、ウメとよばれておりました。とおくのくにに、うめという名の木があって、あのべにいろによくにているとか。……わたしの夫が、あの子にそうおしえたと」
 「あの子?」
 「フィラといいます。わたしのまごですが、いまはこのむらにおりませんで……」

 聞き覚えのある名前だった。瞬時にロクは、ローノの支部にいた医療部班の女の顔を思い出した。
 そして、フィラがツヅの孫であるという事実は、意外にもすんなりと呑みこむことができた。
 ツヅは老婆さながらの白髪であるが、フィラの名前を口にしたときその細い目がすこしだけ開いた。フィラとおなじ、臙脂色をしていたのだ。それだけではない。この村へ訪れる前、崖の上で出会った少年の髪の色もたしかに赤黒かった。
 この村の人間は、身体のどこか一部の色素が臙脂色になっているのだ。ロクは口を開いた。

 「知ってるよ、あたし! 山の麓の町で、フィラって名前の、暗い赤色の髪をした女の人に会ったんだ!」
 「そ、それはほんとうですか……?」
 「うん」
 「……ま、まさかあの子が、こんなにちかくにいたなんて……」
 「でもどうして、フィラさんは村にいないの?」
 「……」
 「村でなにかあったの? もしかしてさっき言ってた、繁殖と関係が……?」
 「……はい。そうでございます。フィラは、ウメ様といちばんなかがよかったのです。しかしたくさんの白蛇様がさくのなかにおいやられ、ウメ様もうばわれ、フィラはとてもかなしみました」

 白蛇を繁殖させるように命じた領主は、その管理を村の人間に押しつけた。しかし白蛇の皮を含む村の作物の管理はすべて領主が行うこととなった。村人たちは自責の念に駆られ不運を嘆いてでも、生きるために、白蛇の繁殖を始めた。
 村の作物も、守り神も誇りも、なにもかもを差し出し絶望に打ちひしがれた村人たちだったが、たった1人、
 フィラだけはその深い憤りを隠せなかった。

 「そして、ある夜フィラは──」
 「連れ出したのよ。……柵の中にいたウメを、ね」

 凛とした声が響いた。
 声のしたほうへ2人が振り向くと、藁の家に入り口に、フィラが立っていた。

 「ふぃ、フィラ……っ!」
 「お久しぶりです……おばあ様」
 「お、おまえ……なんだって、ここに」
 「この子たちを追って、町を出てきたんです。……お元気そうでなによりです、おばあ様」
 「なにをいうんだい。おまえが……おまえさえ、いきていれば……」

 フィラのもとへ歩み寄ろうとしたツヅだったが、その短い足から力が抜け、身体が傾いた。足元を崩したツヅのもとへフィラが駆け寄ると、ツヅはそっとフィラの背中に手を回した。フィラも、やわらかくツヅを包みこむように抱き返した。

 「ごめんなさい、おばあ様……。私、どうしても……村に帰ってこられなかった。みんなを傷つけたのは、私だから……」
 「なにをいうんだい、ばかもの。ほんとにおまえは……ばかだね。なにもかわっていないよ」

 フィラは、震えそうな唇を固く結んで、咽び泣く祖母の背中を撫でた。ふいに顔を上げたフィラの臙脂色の瞳と、ロクは目が合った。

 「ここから先は私が話すわ」
 「いいの?」
 「……まさか、本当にこの村に辿りつけるとは夢にも思ってなかったの。だからかはわからないけど、なぜだか、話したくなったのよ。あなたたちに。……聞いてくれる?」

 ロクは黙って頷いた。

 「さっきの話の続きよ。私は、どうしてもウメやほかの白蛇様たちがかわいそうで……ウメを連れ出したの。そうしたら繁殖させられることはないと思った。なにより……私はウメのことが大好きだったから。ウメを傷つける領主たちの言いなりになるのが嫌だった。でも隠せるような場所が思いつかなかったら結局ウメを家に連れて帰って、そのとき家の中におばあ様と、村で仲が良かったハジって男の子と、もう1人セブンっていうちょっと年上の男の子がいたから、その3人には『このことはヒミツにして』って頼みこんだの」
 「え?」

 ロクは耳を疑った。危うく聞き流しそうになったその名前が、ある人物の顔を思い起こさせる。

 「どうかしたの?」
 「……」

 しかしロクは、その名前を口にはせず飲みこんだ。ロクの知っているセブンという男は、髪の色も目の色も臙脂色ではない。同じ名前であるというだけの別人だろう。そう思ったロクは、「なんでもない」と首を振った。
 フィラはふたたび話し始めた。

 白蛇の管理は村人たちの役割だった。領主の使いでやってきた人間に、村人たち自らが蛇を差し出すことになっていた。つまり、領主側の人間が、白蛇とウメがどのようにして柵の中で過ごしているかなどの事情を知ることはないのだ。
 まさかたった1匹しかいない雌蛇がいなくなり、どんどん白蛇が数を減らしているとも知らずに搾取を続けた領主側の人間は、当然のことながら驚愕した。気づいたときには、白蛇という種が、完全に絶ってしまったあとだった。

 「それで領主さんはどうしたの?」
 「……当然、すごく怒ったわ。怖かったけど、やってやった、っていう気持ちのほうがそのときは大きかった。……でも、甘かったのよ。私はヴィースのことを……領主っていう人間の怖さをなにもわかっていなかった」

 その日を境に、領主ヴィースは付き人を従えて村に訪れては、村人たちに暴力をふるうようになった。性別も歳も見境なく、1人捕まえるたびに呪いのように唱えていたそうだ。──「なぜだ」「なぜだ」と。
 そしてある日、怒り冷めやらぬヴィースによって身体中を痛めつけられたハジが、ついにフィラのことを話してしまったのだ。
 じゃあ、とロクが相槌を打つと、フィラは苦しそうに表情を歪め、俯いて言った。

 「……ヴィースに、見つかって、ウメも……家から引きずりだされて……私の、目の前で、」

 喉と、手脚とを震わせながら、フィラは必死に言葉を紡いだ。

 「ウメが、火に焼かれて、もがきながら、死んでしまったの」

 ロクは、自分の胸に息が閊えるのを感じた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.34 )
日時: 2018/09/24 12:27
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: zRrBF4EL)

 
 第031次元 君を待つ木花Ⅷ

 『……ぁ、いや……っ、やめて! やめてっ! ──ウメ……っ!!』

 血のような赤髪を引っ張り上げられ身体中を押さえこまれ、見せつけられたのは、渦巻く獄炎に溶けてなくなくなっていく、最愛の紅色だった。

 「そのときね」

 ウメのいた場所には、ただ黒い炭だけが残り、やがて火は消えた。フィラや村人たちが絶望する顔を眺めていた領主は、憤るように、嘆くように、高らかに嘲笑った。その笑い声だけが響き渡っていた。
 次の瞬間。

 『次元の、扉、発動』

 ──フィラの中にある"扉"が、音を立てた。

 炎を抱いた瞳が、蛇のように、領主の顔を睨んで離さなかった。

 『"巳梅みうめ"──っ!』

 フィラがそう叫ぶと、突然、空気が震動した。砕け散った大地の底から、
 "紅色の大蛇"が、けたたましい産声をあげて君臨した。

 滝のように流れ落ちる大地の破片を浴びながらフィラが見上げれば、そこには、なくしたはずの梅色が牙を剥いていた。

 『──え……?』

 大蛇が地面に噛みつき、村人たちは悲鳴をあげて、フィラのそばを離れていく。伸ばした手も虚しく、フィラは目を閉じ、耳を塞ぎ、その場にしゃがみこんだ。彼女の泣き声を掻き消すように、大蛇は甲高く啼き続けた。

 悪夢のような一夜は、終わりを告げると同時に少女を攫っていった。

 「フィラさん……次元師、だったんだ」
 「……そうよ。でも私、それから村の人たちといっしょにいるのが怖くなって、逃げるように村を出たの。私のせいでみんなを傷つけたから……。だから、ここへもずっと戻ってこられなかった」
 「じゃあ、いまこの村で起こってることは……」
 「……。知って、いたの。でも……みんなが苦しんでいるのを知っていながら、みんなに拒絶されるのが怖くて、ずっと、そのまま……」

 いまにも泣き出しそうなフィラを見かねてのことか、黙っていたツヅが口を開いた。

 「りょうしゅ様は、その日のいかりをわすれられませんで、さっきのかじつをつかってさけをつくるよう、われわれにめいじました」
 「! お酒……」

 ロクはローノでの話を思い出した。ベルク村で造られている酒が美味と評判で、支部にいた男性隊員たちが盛り上がっていた。こんな山奥にある村の事情を知っていたのは、その酒がひっそりと取引され、世に出ているからだろう。

 「つぐなえ、とおっしゃったのです。このさきもえられるはずだった、ざいさんを、うばったつみを……つぐなえと」
 「償えって……! そんなの、悪いのはぜんぶ、領主さんじゃないの!?」
 「……いまはそういうじょうきょうなのです……。われわれがさけをつくるかわりに、さくもつやみずなども、まえよりはおおくはいきゅうされるようになりました。……が、そのりょうはとても、たりていません。みな、やまいにたおれたり、やまをくだったりして……いなくなって、いっているのです」

 ロクは、ぐっと拳を握りしめた。腹の底から湧いてくる感情は、この村に住まう人間たちが持つ──燃えるような赤色に似ていた。
 我慢できず、ロクは立ち上がった。

 「フィラさん! あたし、やっぱり行く!」
 「い、行くって……どこへ」
 「決まってるじゃん! ──領主の顔を、ぶん殴りにいくんだよ!」

 ロクは隊服の袖から腕を伸ばし、強く拳を握ってそう告げた。決意を孕んだ新緑の瞳が、フィラに降り注ぐ。

 「そんな……あなたには、なにも」
 「……そうだね。関係ないかもしんない。でも、そういうんじゃなくて、いやなんだ。あたし、ほっとけないんだよ! この村の人たちも……フィラさんのことも! だからあたしが行ってくる。なにも返ってこないかもしれない。……失ったものは取り戻せない。でも……それでも! あたしが許せないんだ!」

 フィラはなにかを言おうとしていたが、ロクが遮って続けた。
 
 「だからフィラさんも、いっしょにいこ!」
 「……だ、だめよ、私は……」
 「次元師なんでしょ? 領主のこと、許せなくないの!? フィラさんの家族を……村の人たちを苦しめてきたんだ。ずっと! そんな人を、フィラさんなら……──」
 「あの子なのよッ!」

 思わず大きな声をあげたフィラに、ロクは一瞬肩を震わせた。
 
 「……あの子なのよ、私の、次元の力は……。まちがいなく、──ウメなの……!」
 「そ、そんな……ちがうよ! そんなはずない。次元の力と、ふつうの生き物はちがうよ、フィラさん!」
 「ちがわないわ! あんな、紅色の鱗の、蛇……ウメじゃないなら、なんだっていうの!? ……私はもう、あの子を傷つけたくない……っ!」
 「フィラさん……」

 これ以上はなにを言っても聞く耳を持ちそうになかった。ロクは一度だけ目を閉じて、そっと瞼を持ちあげた。
 
 「待ってるよ」
 「……だから、行かないって……!」
 「ちがうよ。次元の力が……『巳梅』が、きっとフィラさんのことを待ってるんだ」
 「え?」

 ロクはフィラの横を通りすぎて、入り口から外へ出ていった。

 フィラはゆっくりと立ち上がり、歩きだした。無意識にロクのあとを追っていて、家の入り口からこぼれる、陽の光に誘われた。
 入り口から外の景色を見た、そのとき。
 
 「フィラ!?」

 家のすぐ外にいた男と、目が合ってしまった。

 「フィラ……いきてたのか!」
 「ほんとうだ! フィラ!」
 「え? フィラ?」

 次から次へと、フィラの存在に気づいた村人たちが、彼女の周りに集まってくる。フィラの顔がみるみるうちに真っ青になっていく。

 「……み、みん、な……」
 「フィラか? ずいぶんせがのびたな」
 「かえってきてたのか」
 「どこいってたんだよ!」

 有象無象の声たちが、フィラの鼓膜に突き刺さる。ほとんど聞き取れなかった。自分の内側にこもって、フィラは弱々しく声を出した。

 「……。ごめん、なさい。私が、私があの日、ウメを連れ出さなかったら、みんなは……」

 フィラの目が、逃げるように下を向いた。周りとはちがう色をしているようで恐ろしかった。
 彼女が片足を退いたそのとき。

 「なにをいってるんだ?」

 視界が、はっと持ち上がった。13年前、村から出ていった日となにも変わらない臙脂色が、目の前に広がっていた。

 「おまえのせいじゃないよ、フィラ!」
 「ばかだなあっ、おまえは!」
 「あんたは……この村の誇りを、白蛇様を守ろうとした。みんな死んでしまったけど、金のために、むりやり繁殖させられる白蛇様をたすけたんだ。ウメ様のことだって」
 「みんなおまえに感謝してるさ」
 「つらいことなんかなにもない!」
 「おまえはよくやった……! おまえは、この村の誇りさ!」

 1人の男が、フィラの頭に手のひらを乗せた。ぐしゃり、と髪色を掻き回される。目元の臙脂色が、涙で淡く滲んだ。

 「……わ、たし……私……っ」
 「もどってきたんだな……。つらかったな、フィラ」
 「──……っ」

 涙が止まらなかった。拭っても拭っても、それは決して枯れないものだと思っていた。見上げれば頬から落ちて、だれかが拾ってくれる。ばかだな、と笑ってくれる。そうしたら涙の跡は残らないだなんて知らなかった。──初めから、逃げる必要などなかったのだ。
 フィラは喉を躍らせて、子どものように泣き声をあげた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.35 )
日時: 2018/09/07 20:40
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: pzCc2yto)

 
 『……うっ、ウメ……ウメ、わたし……わたしのせいで』

 まるで、自然災害にでも直面したかのような風景が村に広がっている。でもそれは間違いではなかった。家屋の多くは潰れ、村を囲う木々も根から折れ、子どもが遊ぶ玩具のように転がっている。異なる点があるとすれば、この惨状を呼んだのが自然ではなく──非科学的で未知なる力であるということ。
 倒れた樹木のそばで、少女はずっと泣いていた。「ウメ」と「なんで」と、「わたしのせいで」という言葉を、夜が明けるまでしきりに繰り返していた。
 朝の訪れを告げる仄かな橙色は、荒廃した大地にも温かく降り注いだ。目を覚ました少女は、真っ赤に腫らした目で村を見渡して、それから静かに背を向けた。
 日の出の光を受けて、少年は立っていた。

 『フィラ、行くのか』
 『……だって。わたし、もうここには……いられない』
 『じゃあ俺もついてく』

 少年は手を差し伸べてそう言った。呆然とするフィラの手を、少年はそっと掴んだ。

 『だから行こう。……フィラ』

 ──2人の少年少女は、そうして、故郷をあとにした。



 「いっ!」

 机の上に額をぶつけた衝撃で、セブンは目を覚ました。あいたた、と頭を擦りながら首を起こす。いつもとなにも変わらず班長室内は静まり返っていた。

 「……。懐かしいものを見たな」

 肘をすこし動かしたそのとき、机の上からはらりと紙が落ちた。身体をかがめて、椅子に腰をかけたまま紙に手を伸ばす。掴み上げたその書類は、ルイルとガネストの入隊申請書だった。希望配属先は『戦闘部班』と記述されている。

 「……」
 
 セブンは、薄黄色の目を細めた。

 (──あれから、13年か……)

 途端に熱を帯びた喉から、息ひとつ吐き出すのにも、痛みが通った。


 第032次元 君を待つ木花Ⅸ

 村の一端から、整備された一本道が伸びていた。手入れが行き届いていることから、この道が領主の住処へと続いているだろうとロクアンズは思った。睡眠も食事も摂り、充分に回復した身体は軽く、ぐんぐんと林道を走り抜けていく。

 「道は合ってるんだろうな」
 「! え、レト!?」

 聞き慣れた声が降ってきた。同時に、木の上から飛び降りたレトヴェールが、道の真ん中に着地した。ロクはゆっくりと速度を落とし、レトに近づいた。

 「レト、起きてたの?」
 「まあ」
 「体は? もうだいじょぶなの?」
 「うっせーな。心配すんな」

 レトは、腕をぐるりと回した。相変わらずの憎まれ口と、顔色の調子もよくなっている。

 「よかった~」
 「それよりロク、おまえ領主のとこに行ってどうする気だ?」
 「どうするって……ぶん殴ってやるんだよ! そんで山の麓まで引きずってく!」
 「……。俺、気になってることがあるんだけどさ」
 「なに?」
 「どうしてこの山に、水源がないのかってこと」

 思いもよらない方向から話が飛んできて、ロクはきょとんとした。

 「水源?」
 「ここへ来るまでに、俺たちは1度も川や湖を見かけなかった」
 「そりゃあ、たしかに不思議だったけど……でも領主さんのこととは関係なくない?」
 「──その領主が、水源を独り占めしているとしてもか?」
 「!」
 「おかしいと思わないか? こんな水源も少なくて、大した利益もあげられそうにない。あるのは生い茂る森と、人が過ごしにくい地形、そして人口の少ない村……。ここを治めたいなんて、ふつうだれも思わない」
 「……たし、かに」
 「でもベルク村の領主はこの土地を選んだ。それは、水源が確保できたってことの裏付けにもなる。まあこの森にある植物たちが土地の乾燥に強いっていうのもあるかもしれないけど、水がないんじゃふつうここまで広がらないだろ。だから水源は、どこかにぜったいあるんだ。それも大きなやつが。村に最低限の水を配給してるらしいしな」
 「海の水じゃない? 近くにあるんでしょ?」
 「元はそうだろうけど、ちがうな。水を運んで歩けるほどやさしい山じゃないし、一度に運べる量だってたぶんそんなに多くない」
 「じゃあっ、どこから?」
 「……領主の、家の下じゃないかと、俺は思ってる」
 「え!?」

 レトは、辺りを見回してふいに歩きだした。木の麓に落ちていた枝を拾うと、ロクのもとに戻ってくる。
 枝の先で地面を引っかいたと思えば、がりがりと砂を削り、なにやら図のようなものを描いていく。

 「これを仮に家とする。そんで、水源は……家からちょっとずれたとこの、ずっと真下」
 「え、なんでそんなとこに?」
 「森の中に動物らしい動物がいなかっただろ。でも、川も湖もないこの山ん中でたしかに植物は生きてる。だから地面の下に水が流れてて、そこをあえて掘り起こしてないんじゃないかって思ったんだ。村の人たちにバレたら、その水をとられちまう可能性もある。もちろん海も近いし」
 「でも、なんで領主さんが住んでるとこの真下に、それも大きなやつがってわかるの?」
 「……それは……まあ、まだただの予想だけど。でも、この山に目星をつけた時点で水のことはしっかり調べただろうし、そしたら一番太い水源の近くに自分家を建てるのは当然っていうか……」
 「なるほど」
 「……。でも、なんで、村の人たちは領主の家に殴りこんだりしないんだろうな」

 (数で押しかければ、なんとかなるんじゃないのか? いや、領主側にどれくらい人間がついてるかにもよるか……──)

 レトは眉をひそめ、手に持っていた木の枝をぽいっと投げ捨てた。手のひらにくっついた砂粒を払う。

 「仕返しとかされちゃうんじゃないかって、怖がってるんじゃないかな? ……だって昔も、領主さんを怒らせたとき、村の人たちは暴力を振るわれたって言ってたし……」
 「……水がほしいなんて言ったところで追い返されるのがわかってるから、あの手紙を持って山を下ったんだ。その線が濃いだろうな」
 「? あれ、でもレト、なんでさっき水源の話したの?」
 
 レトはすこしだけ黙ったのち、小さく口を開いた。

 「領主の家に行くんだろ。地下に水源がある。……領主ぶん殴って、ついでにそこなんとかすりゃ、村の人たちにもっと水を渡してやれるんじゃないかって、思っただけ」

 いつも通り無表情でそう告げたレトだったが、その口調は淡々としていなかった。答えを小出しするみたいに、しどろもどろになりながら口にした提案によって、ロクの表情が途端に明るくなる。

 「いいじゃんそれ! すごいよレト! そうしよう!」
 「大声を出すな、うるせ」
 「やろう、レト! 2人で、村の人たちを助けるんだ!」

 ロクが力強く意気込むと、レトはそれに応えるようにこくりと頷いた。2人の瞳におなじ色の光が灯る。地面に描いた、ただの線で繋げただけの絵を蹴飛ばして、2人は山道を駆け上がっていった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.36 )
日時: 2020/04/13 00:02
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第033次元 君を待つ木花Ⅹ

 木製の酒器になみなみと注いだ血のような赤紫色を、顎髭を生やした中年の男が一気に煽った。バンッ、と大きな音を立て、カラになった酒器の底で机の上を叩く。顎髭の男は、1人で座るにはやや大きめの腰掛の背もたれに片腕を跨がせた。もう片方の手には紙が握られていて、それを彼はじろじろと舐め回すように睨む。

 「最近、少なくなってんような気ィするんだよなあ……。手抜いてんじゃねえだろうな、あいつら!」

 ぐしゃりと紙を握り潰した男は、目の前にあるテーブルを荒々しく蹴り飛ばした。カラになった酒器が床の上で跳ね、ごろりと転がる。男は1度舌打ちをしてから、どこへ向けるでもなく大声を出した。

 「おい! 酒持ってこい! いますぐにだ!」
 「はいはい」

 青年らしき声が、どこからともなく聞こえてきた。広い室内はあまり統一性のない陶芸品などでごった返ししていて、ほかにも部屋があるらしいが扉ではなく暖簾のれんで隔てられている。ゆえに、酒を注いでいるような物音が暖簾の向こう側からしっかりと聞こえてくる。さらりとそれをのけて、その青年は姿を現した。
 前髪は両端だけがすっと長く伸びていて、額のあたりはとても短い。いくつもの小さな銀の装飾品が耳たぶを噛んでいる。青碧色の髪をしているが、先端はところどころ白く、独特だ。瞳の色も、髪の碧さと同様だった。
 青年はひっくり返ったテーブルを、酒器を持っていない方の手で正位置に戻すと、その上に酒器を置いた。

 「あいよ、ヴィースさん」

 青年はけだるげに声をかけ、そのまま流れるように暖簾の向こう側へと帰っていった。顎鬚の男、ヴィースは返事をせず、酒器の取っ手に左手を伸ばしてその縁に口をつけた。

 「……こりゃ村のやつらに、いっぺん灸を据えてやらねえとだな」

 口元から酒器を離した、そのとき。
 ──突然、耳を劈くような低い轟音が響き渡り、左手に持っていた酒器が激しく飛散した。

 「…………あ?」

 ヴィースの背後。入り口である木製の門が打ち破られ、強風が殴りこんでくる。室内では棚に置いてあった硝子器が落ちて破損し、数多の陶芸品が床の上を転げ回った。ヴィースの黒い巻き毛も煽られ、視界が不確かになる。
 左手が、わずかに痺れ、動かせなかった。

 ヴィースは首だけを回し、振り返る。その途端、彼は瞠目した。
 木の門をぶち破った挙句、当然のように室内へ侵入してきたその犯人は、若草色の髪をした少女だった。
 
 「ヴィースって領主は、どこだあっ!」

 電気が絡まった右腕をまっすぐ突き出しながら、ロクアンズは叫んだ。
 顎鬚の男──ヴィースは鋭く吊り上がった目を、すっと細めた。

 「……あ? オレだよ」

 ロクはヴィースの姿を視認する。茶褐色の肌。深い黒色の髪の毛は天然なのだろうか、ひどくうねっている巻き毛を前髪ごと巻きこんで、乱雑に一つに束ねている。いかにも遊んで暮らしていそうな服装が、ロクの目に障った。黒光りする眼光と睨み合う。

 「村の人たちを苦しめるのはもうやめて!」
 「……。はあ。ここは、幼いガキが来るとこじゃないぜ、嬢ちゃん」
 「聞こえなかったの? あなたが、村の人たちを苦しめてる張本人なんでしょ! ……守り神もウメって子も、みんなみんな傷つけて……村の人たちがどれほど悲しかったか、あなたは考えたことあるの!?」
 「……」
 「食べ物がなくて水も足りなくて、ずっと苦しんでるんだ……! あなたのせいで! 痛い目見たくなかったら、いますぐ村の人たちに食べ物や水を渡してっ!」

 怒気を孕んだロクの一喝を受け、ヴィースは、ハッと鼻を鳴らした。

 「そいつはギゼンってやつだぜ、嬢ちゃん」
 「……ぎぜん?」
 「"カワイソウだから"……"ほっとくと胸糞悪いから"……そんなクソみたいな理由でここまで来たってんなら、うちに帰ってネンネしな」
 
 苦虫を嚙み潰したような目で、ヴィースがロクを睨みつける。正義感を振りかざすことを悦に感じているのだろうが、所詮は子どもの考える夢希望にすぎない。怯んで逃げ帰る様子を想像しながら、ヴィースは薄く笑った。
 しかし。
 ロクはただ一言、小さくも力強い声で、「ちがう」と返した。

 「あたしは、目の前で苦しんでる人を、ぜったいに放っておかない」

 ──視界に、一瞬、淡い雪が舞った。ロクは知っている。あてのない、凍えた世界に、手を差し伸べてくれることの奇跡を。その温度がどれほどあたたかかったのかも。

 「だからぜったい、助けてみせる! あたしはそのために──あなたを殴り飛ばしにきたんだッ!」

 ロクはぐっと右の拳を引く。彼女の全身を覆うように、拳から電熱が奔った。
 そのとき。

 「……っ!?」

 "太い縄"が、ロクに向かって一直線に伸びてきたかと思うと、その右腕に素早く巻きついた。
 無理やりにでも動かそうとするが、右腕はびくともしない。ロクは表情を歪める。
 
 「な、にこれ……!」
 「おーっと。雷を使うなんて、おっかないお嬢さんだなー。それにかわいい顔が台無しだ」
 「……あなたは」
 「リリエン・テール。あんたとおなじ、次元師だよ」

 青碧色の髪の青年、リリエンは悠然と告げた。驚くロクをよそに、彼女の腕から伸びる縄のもとをぐっと引っ張る。

 「痛い目、見たくなかったら、とか言ってたな?」

 リリエンの口角が吊り上がった、
 次の瞬間。

 「次元の扉、発動」

 少女、のようで冷然とした声が聞こえて、刹那。ロクとリリエンとを繋ぐ縄が鮮やかに断ち斬られた。

 「──『双斬そうざん』」

 両手に"双剣"を携えたレトヴェールが、颯爽とロクとリリエンとの間に滑りこんだ。

 「レト!」
 「なんだなんだ? こちらさんはずいぶんと、キレイなお嬢さんだな?」
 「俺、男だけど」
 「……マジかよ」

 ロクとレト、そしてリリエンは対峙する。ロクはふたたび右腕に雷を纏った。

 「あなたに用はない! こっちは2で、そっちは1。……おとなしく降参したほうが、いいと思うけど?」
 「へぇ。そーかい」

 リリエンは、床の上で無残に寝ている縄を拾い上げた。それを腕にくるくると引っかけると、腕を持ちあげ、両手で耳を塞いだ。
 2人がそれを訝しむ間もなく、

 「──なら、2対2ならどーだ?」

 空間を叩き割らんばかりの、刃物を思わせる鋭利な"音"が突如、2人の鼓膜に突き刺さった。

 「うわああッ!」

 激しく空気が波立つと、突風が巻き起こった。2人の身体はしなやかに後方へ弾け跳ぶ。強制的に室内から外へと追い出された2人は、勢いよく地面の上を転がっていく。
 カツン、と音がする。ロクとレトはふいに視線を上げた。
 黒いもやのような人影が、立ちこめる土埃の中から、その姿を露にした。

 「ウソは嫌いよぉ、リリエン。アタシちゃん、かわいくない子は専門外なんだけどな~ぁ?」

 耳に障るような高い声。クスッ、と乾いた笑みがこぼれる。
 わざとらしく小首を傾げると同時に、その女の、青碧色の短い髪が揺れた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.37 )
日時: 2018/09/17 00:24
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: gZ42Xhpr)

 
 第034次元 君を待つ木花ⅩⅠ

 ロクアンズとレトヴェールの前に現れた女は、リリエンとおなじ青碧の髪色をしていた。ところどころ白くなっている髪の先端が、わずかに肩にかかっている。頭に響くような甘ったるい声色をしているが、顔つきや体格は大人びている。そのギャップが、余計にロクとレトの2人の思考を混乱させた。
 リリエンとおなじ顔のつくりをしたその女は、フッと厭らしく口角を上げた。

 「お、おんなじ顔っ!?」
 「双子なんだろ。それにさっきの、変な音もおそらく、次元の力だ」

 女の背後から、リリエンがだらだらと歩いてやってくる。2人が並ぶとまるで鏡のようだった。しかしどちらも虚像ではなく、極めて似たような雰囲気を身に纏いながら話し始める。

 「リリアン、あんま虐めてやんなよ。特に女の子のほうは」
 「やっだぁ~リリエン、あーんな子が好みなのぉ? 顔に傷もあるしぃ、ブスじゃないのよぉ~。むしろあっちの金髪の子のほうがカワイっ」
 「ばぁか。女の子は、女の子ってだけでかわいいの」
 「なにそれぇ! それってつまりぃ、女の子ならだれでもイイってことじゃなぁいっ」
 「そうともゆ~」

 けたけたと笑い声が重なる。と、リリエンとリリアンの間を割くように、並んだ足元に鋭い電撃が落ちた。

 「おわっ!」
 「ちょっとぉ! なにすんのよっ!」

 まっすぐ右手を伸ばしたロクは、その額にぴきっと青筋を浮かばせた。

 「あなたたちに用はないってば! そこをどいて!」
 「なぁにぃ? もしかしてぇ、ブスってゆわれたこと気にしちゃってるのぉ? やっだーぁっ! どうせ直せないんだからぁ、気にしなくてもいいのにぃ」 
 「う、うぅ~! よくわかんないけどムカつく!」
 「カワイくないから、ムカつくんでしょっ?」

 言いながら、リリアンは薄肌色の"長笛"の吹口をそっと厚い唇に添えた。笛尾には真っ赤な紐がくくりつけられており、長いそれは地面に向かってまっすぐ垂れている。

 「五元解錠、"思穿しせん"!」

 リリアンは叫び、吹口を食んだ。彼女の持つ長笛の穴から金切り声のような鋭い旋律が放たれる。
 咄嗟に、ロクとレトは両手で耳を塞いだ。

 「う──ッ! な、にこ……れ!」

 頭蓋の内側に、ガンガンと響くような不協和音。一瞬にして思考のすべてが奪われ、代わりに酷い痛覚が単身殴りこんでくる。長笛から発せられている音のせいだということは理解していたが、その音から逃れようと強く耳を塞いでも、まるで効果がなかった。
 激しい痛みに全神経を持っていかれた2人は、その場で岩のように動かなくなった。

 「キャッハハハ! おもしろぉーい! ぜぇんぜん動かなくなっちゃったぁっ。思穿は、アタシちゃんの次元の力、『爛笛らんてき』の技のヒトツ。強烈な音波で、相手の脳ミソをトコトン痛めつけちゃう、つっよぉい次元技な・のっ。キャッハハぁ!」

 リリアンの高笑いが、余計にロクとレトの耳に障った。この思穿しせんという次元技は、リリアンの手によって音の方向や範囲をある程度調整できる。その範囲内にいる人間すべてが対象となり、また広範囲での襲撃を可能とするため非常に性能が高い。いくら耳を塞いでも効果が薄まらないのは、そもそもこの次元技が鼓膜ではなく脳を標的としているという事実に起因する。
 そのため、依然として痛みは弱まらず、一定の攻撃力を保ちながらロクとレトの脳に襲いかかっている。2人は意識が飛びそうになるのを堪えるのに必死だった。
 だがレトは、それに抵抗するように視界にうっすらとだけリリアンの姿を取り入れ、決死の思いで喉を開いた。

 「ロク! 下がるぞ!」
 「え!?」
 「距離を離すんだ! 相手の、次元技が音なら、離れれば痛みはなくなる!」
 「そっか!」

 ロクとレトは、耳元に手を押しつけたまま踵を返し、後方へと走りだした。ただの野原のような広い庭を横断し、リリアンのいる場所から遠く離れていく。リリアンはとくに追いかけるという動作も見せず、その場でクスッと笑った。
 立ち並ぶ双子の間から顔を覗かせたヴィースが、2人の肩に両腕をかけ、愉快そうに言い放った。

 「イイぞ、2人とも。正義の味方気取りのガキどもを、完膚なきまでに叩き潰せ」
 
 
 レトの発言通り、リリアンから離れていくと徐々にその強烈な音が弱まっていくのを実感した。庭を抜け、草木の茂みに駆けこむと、ほとんど痛みは感じなくなった。自然と耳元から手を離す。

 「はあ、はあ……。ここまでくれば、音はもうぜんぜん聴こえないね」
 「ああ。だけどこれはあくまで一時的な対処だ。攻撃をしかけようと近づけば、すぐにあの音で邪魔してくるだろう。とりあえず思考が正常なうちに、作戦を練らないと」
 「うん」

 追いかけてこないということは、まだ余裕があるということなのだろう。小さくなった双子をじっと眺めながら、レトはそう思った。
 
 「ロク、おまえの次元技、長距離では出せないのか?」
 「雷撃とか雷柱のこと? ……たぶん、届かないと思う。雨が降ってればべつだけど……」

 ロクは、ローノを出発してから一番初めに見かけた崖でのことを思い出した。高い崖の頂上を狙った雷撃は、思うようにその岩肌を崩せなかった。届きはしたが、あのとき出したものが現段階で出せる最高距離だと考えると、とてもじゃないが双子のいる場所まで雷は届かないだろうと冷静に判断した。それほどまでにいま、双子との距離は離れている。試し打ちをしたいところだが、それは『元力』を無駄に減らすことにもなってしまう。

 (もっと、距離を出すことができたら……──)

 ロクは悔しい気持ちに駆られながらも、小さくかぶりを振った。

 「……そうなると、極力近づいてあのリリアンっていう女の手から笛を離すしかないな。あの音はやっかいだ。おそらく、脳への直接攻撃だろうからな。あの音波をどうにかできれば……」
 「音波……」
 「避ける以外に、なにか……」
 「……」

 レトはなんとかいい作戦はないかと逡巡していた。そしてロクも、静かに考えていた。
 音波。広範囲での攻撃。避ける以外の道──。
 はっ、と先にひらめいたのは、ロクだった。

 「レト、あたしさいしょにローノの森で元魔を倒したとき、自分の周りに電気の膜を張ったんだ。あのときはただの思いつきでやったことだけど、それを生かせたりしないかな?」
 「ああ、あれか」
 「……? あれか、って……レト、あのときいたっけ?」
 「え?」

 レトは、すぐにしまったという表情になった。まさか、ロクと元魔が対峙しているところへ早々に到着していたがその戦闘にわざと介入しなかったなどとは言えずに、適当にお茶を濁す。

 「あ、いや、いたよ。ちょうどあれやったときに、到着したんだ。そのあとすぐに核を壊してただろ」
 「ああ、そっか」
 「……。で、それを生かせないかってことだよな」
 「うん。あの音波に、電気で直接ぶつかってみる。そうしたら、なんか、音の流れを邪魔できないかなって……」

 レトは、ロクの提案に驚いた。意外だったのはその作戦の内容だけではなく、ロク自身がそれを考えついたということだ。いつもなら「どうしようレト」などと言って、問題が起きた際どう対処すべきかの発案を彼に一任していたロクが、自ら考えて打ち出した作戦。それもレトが思いつかなかった見方だ。避けることができないのなら、わざと衝突させて音波を打ち消す。相殺、という形をとると明言したのだ。
 こんなことをロクが思いつくなんて、と。半ば見下したような感情がふっと湧いて出たが、レトは目を瞑り、重い頭を振った。

 「それでいこう。男のほうが攻撃をしかけてきたら俺が対処する。おまえは、あの音波に負けないように電気の膜を張り続けて、そのまま直進するんだ。隙ができたら、あの笛を狙う」
 「うん!」

 ロクが力強く頷く。レトは、広大な庭にぽつりと佇む領主の家に視線を向けた。
 作戦開始だ。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.38 )
日時: 2020/01/31 12:25
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: FFsMNg05)

 
 第035次元 君を待つ木花ⅩⅡ

 脱兎のごとく、ロクアンズが草木の茂みから飛び出した。身体中から微弱な電気を発しながら、リリアンとリリエンに向かって猛突進する。
 ようやく出てきたかといわんばかりに、双子の片割れであるリリアンが口角を吊りあげた。肩までの青碧色の髪を耳にかけ、横長の笛を唇に近づける。色気を孕んだその口元から、まるで品のない叫びが飛んだ。

 「何回来ても同じだっつぅの! ──五元解錠、思穿ッ!」

 甲高い悲鳴のような音が伝播する。狙うは、馬鹿正直に向かってくるロクと、その後ろに続いているレトヴェールの2人。繰り出した音波は凄まじい速さで2人の身体を呑み込もうとする。
 しかし。

 「五元解錠──雷撃ィ!」

 ロクはその場で急停止すると同時に、両手を突き出した。掌から雷撃が放出される。従来通りであれば雷は四方に拡散しているところだ。しかし、それがまるで壁となるように姿を変えていて、ロクとレトの2人を守り──音波と衝突した。
 ロクの思惑通りだ。"思穿"による強烈な音は、電気の壁とぶつかることによってその進路を絶った。雷鳴と旋律との対峙によって生まれた爆音が直接鼓膜に襲いかかってはくるが、耐えがたいほどの刺激ではない。驚いたリリアンの唇が、吹口からすこしだけ外れる。

 「な……ッ!」
 「女の子のほうが雷を使って、お前の音にぶつけてるんだ。イイ対策だ」
 「キィ~ッ! ナマイキねっ!」
 
 ロクは動きだした。半球状の壁から漏れ出している微弱な電気が、音の波を掻き分け直進する。重たい力が働いているために、思ったように前へ進めずにいるが、彼女はそれでも一歩ずつ確実に土を踏みしめていく。
 ふっと音の波が弱まった。汚いものを見る目で、リリアンがロクのことを睨みつける。
 
 「大人しく……苦しんでなさいよッ!」

 耳を劈くような音波が再来した。ロクはまたしても雷の膜を張り巡らせ、強烈な音に正面から迎え撃つ。
 が、その場で踏ん張るロクの足元が、わずかに後ろへ下がった。

 「っ! 威力を上げた……!?」

 圧し負けないようにと固めた姿勢のまま、どんどん後方へと押し返されていく。気は緩めていないはずなのに、とロクが顔をしかめた。
 ──そっちがその気なら。ロクの全身から勢いよく電気が飛び散ると、若草色の長い髪がぶわりと巻き上がった。

 「こっちだって!」

 火力が、電熱が、急上昇する。力と力の衝突が生んだ暴風がロクの長い髪を嬲った。足元はぴたと止まる。押し返されはしないが、前進できるほどの余裕もない。力は拮抗している。
 いままで動きを見せなかったリリエンが、隣で立つリリアンに耳打ちする。

 「リリアン、いまだ。技を解け」

 リリアンが眉と目だけで笑みを返すと、次の瞬間。
 ──驚くほど唐突に、すべての音が消え去った。

 「え?」

 バチッ、と、電気が空を縫って溶ける音。それだけだった。夜に酒場から、だれもいない湖畔へと瞬間移動したかのような想像に陥る。恐ろしいほどの静寂の中、ロクの身体が、反動によって前へ大きく傾いた。

 「五元解錠──"進伸しんしん"!」

 1本の縄が、ロクの身体をめがけて物凄い速さで向かってくる。

 「ロク!」

 ロクの肩を乱暴に掴み、レトは即座に前へ躍り出た。次元の力『双斬』はすでに発動している。レトはその手に握っていた双剣で素早く空を薙ぎ、迫る来る縄の先端を斬り払った。
 
 「うっわマジで? そんじゃ」

 縄は、まるで意思を持っているかのようにひとりでに動いた。そして体勢を持ち直すとすぐに、レトの身体に飛びかかった。

 「レト!」

 ロクの叫びは虚空へと吸いこまれる。捕らえられたレトの身体が宙に浮いた。すると、彼は瞬く間に地上を離れ、どんどんと空高く、高く、浮上していくのを嫌でも実感した。胃液が逆流しそうだった。ひどい吐き気と眩暈が同時に襲いかかってくる。
 気がつけば、地上とは絶縁した、遥かな空の上にいた。
 そこからの景色には、広大な平地とその周囲を取り囲んでいる森、そして小さな点が3つ並んでいた。レトの身体は固く縛りつけられて、身動きは一切とれなかった。
 おなじようにロクにとってレトが小さな点となると、彼女は真っ青な顔で空に向かい、大声を張った。

 「レトーっ! レト!」
 「ありゃりゃ~。残念だったねぇ、お嬢ちゃん。あの男の子、こーんなに小さくなっちゃって」

 リリエンは右手の人差し指と親指の先を近づけ、わずかにできた隙間によっていまのレトの姿を再現した。もう片方の左手で握っている"縄"は、空の上にいるレトの身体と繋がっている。
 リリエンがその手に掴んでいる縄は『尺縄じゃくじょう』と呼ばれている、まぎれもない次元の力だ。
 『尺縄』は一見ただの縄だが、次元技によってはその縄を自分の手足であるかのように自在に操ることもできる。さきほど、縄が生き物のようにレトの身体に飛びついたのもその能力に由来する。
 まるで子どもが玩具で遊ぶように、リリエンは縄をゆらゆらと揺らした。

 「いますぐレトを離して!」
 「べつにいーけど、ほんとに離しちゃっていいワケ?」
 「え?」
 「あの高さから落ちたら……どうなるんだろうねーぇ?」

 体内中の血液が急速に沸騰するような、そんな感覚を覚えた。ロクは打って響くように怒鳴り声をあげる。

 「ふざけたこと言わないで! 人の命をなんだと思ってんだッ!」
 「アンタそれ、人のこと言えんの? なりふり構わず雷ビリビリさせちゃってさぁ。それで万が一、人が死んじゃったらどーすんのよ」
 「あたしはぜったいにそんなことしない!」
 「あっそ。つかべつにいーじゃん。人を殺しちゃいけないルールもないのにさぁ。他国とドンパチやってるこの時代に、命の尊さとか言われてもねぇ。まあオレとしては? べつにあの男が死のうが生きようがどっちでもいーんだけど……」

 あっちへこっちへ視線を遊ばせていたリリエンが、ふいにロクと目を合わせた。

 「さ、どーするお嬢ちゃん? この村のことはすっぱり諦めてウチに帰るか?」
 「あたしは、この村の人たちを助けたくてここまで来たんだ! このまま帰るわけないでしょ!」
 「へー。んじゃ、そっちを選ぶってことで……あの金髪くんは、どうなってもいいっつーことだな?」
 「そんなわけあるか! そんな、どっちか片方なんて」
 「選べよ。どっちか、片方。人生だっておなじだろ? 選んでんだよ、知らず知らずのうちにな」
 「──ッ!」

 小さな点が、3つ。レトにわかっているのは、その点の1つが自分の味方で、もう2つが敵ということ。そしていま、こちら側が確実に劣勢であるということだけだ。

 (……悪い予感がする。もし俺の予想が正しければ、いま、ロクは……俺のせいで動けなくなってるはずだ)

 レトは地上で起こっているであろう事態を懸念していた。皮肉なことに、彼の優秀な考察力によって打ち出されたその悪い予感は、的を得ていたのだ。
 レトを離してほしければ。落とされたくなければ。目の前で殺されたくなければ──。
 そんなような文言を、ロクに吐いているに違いない。レトはいまほど自分の状況を呪ったことはなかった。悔しさのあまり噛んだ唇から、小さな血の雫が滴り落ちる。

 (……くそッ、なんで!)

 よりにもよって自分が、最悪の状況を招いてしまった。心のどこかで、いつの間にか頼りにするようになってしまっていた。だれからも愛されてだれからも期待される、そんな小さな英雄のようにも思える義妹の、──荷物でしかないいまの自分が、恥ずかしくて、嫌でたまらなかった。

 どうせ追いつけやしないのに。
 それならせめてと、足枷にだけはならないように、
 ずっとそう思ってきたのに。

 (俺は、)

 レトは右手に持った短剣を、痛いほど強く握りしめた。

 身体中をきつく縛られてはいるが、幸いなことに手首の自由だけは許されていた。
 地上に向かってまっすぐに伸びる縄。手首の動作を確認する。軽く振っただけだったが、剣の刃が、きちんと縄に触れた。

 レトは息を吸いこんだ。
 通信具が、ざざっ、とノイズを立てる。

 『ロク、聞こえるか』
 「レト! レトだよね!? 待っててね、レト! いますぐ助けるから!」
 『……。ロク、おまえあの女の笛を狙えるか? ただ狙うだけじゃなくて、雷の膜を張ってからだ。その膜から一点だけでいい。糸みたいに伸ばして笛を狙ってほしい。俺のことは気にしなくていいから』
 「え……? で、でもそんなことしたら」
 『俺にも策があんだよ。おまえは、おまえのことだけやればいい』

 機器の向こう側にいるレトは、至って落ち着いた口調だった。相当自信のある策なのかもしれない。レトの腕を信じて疑わないロクは、間を置かずに頷いた。

 「わかった。あたし信じるよ、レトのこと」

 ロクは決意をこめてそう返す。いつもの短い返事がなかったが、それほどレトも切迫しているということなのだろう。そう思ったロクは、くるりとリリアンのほうに向き直った。

 「なぁにぃ? もしかして、あの子の命はどうでもよくなっちゃったのぉ? アンタけっこう薄情なヤツだったのねぇ~?」
 「ちがうよ。信じてるんだ。──レトのこと、信じてるから、あたしは戦えるんだ!」

 ぐんと右手を突き出す。と、雷電が掌から腕にかけて這い上がった。

 「五元解錠──雷撃ィ!!」

 眩い光とともに放たれた雷撃は、金色の壁となってロクの周りを丸く囲った。ロクは突き出した右手に、おなじように左手を添えた。
 一点を、糸のように。
 レトからの指示を、頭の中で反芻する。イメージする。ロクは一度閉じた左目を、力強く開いた。

 「いっけェ──!」

 半球状の雷の壁から、一本の糸が伸びる。それは電気の糸だった。空を焼き切りながら直進する雷の閃光は、リリアンの持つ長笛にまっすぐ向かっていく。
 動揺したリリアンは、咄嗟に吹口を噛んだ。

 「こっ、こないでよ! ──き、"響波きょうは"!!」

 甲高い音色が響き渡る。空気が大きく波打ち、次いで突風が巻き起こった。脳を刺激するような音ではなかった。が、荒く波立った風には、電気の糸の軌道をねじ曲げるくらい造作もなかった。

 「しまっ──!」

 そのとき。

 「あれ?」

 リリエンが、手元に違和感を感じたときには、遅かった。
 彼はふと空を仰いだ。

 「……は?」

 黒くて細長い一本線。大空を横断しているそれが、自身の次元の力である『尺縄』だということはすぐに理解できた。だが、それとはべつの黒い点のようななにかが、なにかの輪郭が、徐々に大きくなっていくのも見えた。
 リリエンは目を剥いたまま完全に硬直する。形が明らかになるより先に、全身から血の気が引いていくのを感じ取った。

 「う……ウソだろ! あいつ、あの高さから飛び降りやがったッ!」

 ──え、と。ロクは小さく声をもらして、反射的に空を見上げた。
 その左目に映ったのは、まぎれもなく、レトヴェールその人が空から落ちてくる様だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.39 )
日時: 2018/10/04 10:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: HyYTG4xk)

 
 第036次元 君を待つ木花ⅩⅢ

 リリエンの次元の力『尺縄』によって空の上へ連れていかれたレトヴェールは、驚くべき行動に出た。ロクアンズが空を見上げたときすでに彼は、大空に波打つ風の中へ飛びこんでいたのだ。金の髪を振り乱しながら、彼は地上へ向かって急降下している。

 驚愕のあまり声も出せなかったのは、フィラもおなじだった。

 (い、いったい、なにが起こって……──っ!?)

 フィラは息を整える間もなく唖然とした。彼女はたったいま到着したばかりだった。木の幹に添えた手が震えている。
 ロクがヴィースの家に向かったということはわかっていた。だが、まさか彼の付き人である双子の次元師と相見あいまみえていたとは夢にも思わなかった。

 「……そんな……」

 カタカタと震えた両手で口元を覆い隠すように驚くことしか、フィラにはできなかった。

 地上では風が吹き荒れている。『爛笛』の次元技の1つ、"響波"が引き起こしたものだ。ロクは強風によってその左目を瞑るほかなかった。が、すぐに瞼を起こそうと奮起する。
 理由はほかでもない。義兄のレトが空から降ってくるのだ。気にしなくていいとはたしかに告げていたが、これほど無鉄砲な策だったとはまったく予想していなかった。できなかった。頭の中は正直にできていて、ロクは混乱していた。
 風で濁った視界に、レトの姿が飛びこんでくる。
 彼は顔の前で両腕を交差させていた。身体を丸めて、リリアンが繰り出した強風の中に突っこんでくる。
 激しい潮の流れに身を任せるように、強風の中へ投じられた肢体は容赦なくその力に嬲られ真横へ吹き飛んだ。

 「レト!!」

 ロクは、レトの姿を目で追った。風に弄ばれ、地面に身体を打ちつけたかと思ったらすこしだけ浮いてまた地面と衝突し、平地の上をもの凄い勢いで転がっていく。
 ふと、風の力が弱まった。ロクはすかさず、人形のように倒れているレトのもとへ駆け寄るとその背中に飛びついた。

 「レト! ねえレト! レトってばっ!」

 顔を覗きこむも、金色の前髪がちらついていて具合の善し悪しはわからなかった。ロクは必死にレトの上体を揺らし何度も声をかける。間もなくして、レトの唇がわずかに動いた。

 「……るせ。心配、すんなって、言っただろ」
 「レトっ! ……よかった、レト……よかったぁ」

 ロクはいまにも泣きだしそうな顔で、へにゃりと笑みをこぼす。情けない顔だなと思いながらレトはすこしだけ俯き、とにかく立ち上がろうと試みるが、すぐに、全身に力が入らないことを悟った。それだけではない。腕や足をすこしでも動かそうものなら途端に激痛が走り、体勢を正すことすら憚られた。顔には出さないが、もうこれ以上動けないだろうとレトは察した。

 「……うっわぁ~……あいつ、リリアンの風を利用しやがったな。あそこまでやられちゃうとちょっと、さすがに引くわぁ」

 遠くのほうでやりとりをしているロクとレトを眺めながら、リリエンが頬を掻いた。
 隣で、リリアンが小さく呟く。

 「……なにあれ」

 彼女の口から聞いたことのない低音がこぼれて、リリエンはぎょっとした。

 「アタシちゃん、ああゆうの、ホンっトに無理!!」

 リリアンは激昂しながら長笛に噛みついた。

 「六元解錠──思穿!!」

 ロクは咄嗟に振り返った。しかし、すでに眼前にまで迫っていた音波が、猛烈な勢いで2人の脳内に喰らいついた。

 「うああッ!」

 これまでの比ではない。両手を離せばすぐにでも頭部が砕け散ってしまうのではないか。そんな想像が脳裏を駆け抜けていった。意識を保てているのが奇跡といえるほど、その痛覚は想像を絶するものだった。

 (こ……これが──六元、解錠!?)

 考えてから、ロクははっとした。気を抜けばすぐにでもどこかへ持っていかれそうな意識を懸命に呼び止めて、義兄であるレトのほうを向いた。彼は地面に突っ伏し、苦しそうにうずくまっていた。

 「……っ、ら、雷撃ィ!」

 頭を強く抑えながらロクは絶叫した。手の甲から、雷が火花のように発散する。空中を彷徨う電気はロクとレトを包みこむように球体を象り、防壁と化した。
 なおも抵抗しようとするその姿勢は、リリアンの加虐心を余計に煽った。

 「そんなモロい壁で、防げたつもりぃッ!?」

 笛から発せられた音波が、広い平地の風を切る。どしん、と一帯に負荷がかかった。かろうじて両足で立てているだけでロクの膝はひどく震えていた。ロクが苦しげに表情を歪ませているのを、リリアンは持ち前の甘ったるい声音で笑い飛ばす。
 
 「キャッハハハハハ! イイ気味ぃ~! どっかの国でなんかうまいことやってぇ? いまじゃ有名人なんかになっちゃってチヤホヤされてるみたいだケド……ブ・ザ・マね~ぇ! さっすが、おこちゃまってトコかしらぁ!?」

 カチン、と。ロクの脳裏を怒りの感情が掠めた。彼女は『子ども』を示唆する言葉にいい色を示さない。一層きつく眉をしかめ、快活な笑い声を遮って言った。

 「か……関係、ない!」
 「はぁ?」
 「──次元の、力に、子どもも大人も関係ない!!」

 項垂れていたフィラが、視線を上げた。

 ロクの身体が強く発光した。独特の轟音が音の波を割き、リリアンの鼓膜を突き抜ける。一瞬、気をとられたリリアンが、しまったという顔つきに一変する。そんな彼女の意を汲んだかのように、暴君と化していた音波の力が弱まった。

 「チッ……! なによぉ、まだそんな力が残ってたの?」
 「あたしは、そういう言い方が大ッ嫌い! 大人だから偉いの? 大人だから強いの? 歳だけとってて、子どもが子どもがって文句ばっか言って……そんなの、やってることは子ども以下だ!」
 「ハァッ!? ガキがなに粋がってンのよ! オトナに理想でも抱いてンの!? バァーカ! アンタが思うほど、オトナはキレイじゃないっつぅーの!」
 「しかたないって、これが世の中なんだって、そうやってあきらめさせて、汚いことを押しつけて、なにが大人だよ! お金欲しさに子どもからぜんぶ取り上げることが──フィラさんからウメを奪うことが、あなたたちの正義だったっていうのかッ!」
 「うっせぇンだよブス黙りなッ! これだからガキは嫌いなのよ! ……いーい? あんた子ども子どもって言ってるケド、あの蛇たちを金に換えるの、村中の人間が認めたのよ? だぁれも反論しなかった。人形みたいにお利口だったの! わかるでしょ。村の大人たちも子どもたちも、みんなよ、みぃんな。そのフィラってやつが1人騒いでただぁけ。聞き分けのなってないガキだったの! 賢い子どもがたくさんいたのにね? あんたもそーよ。頭の悪いガキなのよ!」
 「フィラさんは、村のだれもがあの人を恐れてできなかったことをやったんだ。あれほど大事にしてた白蛇様たちを奪われて……悔しくて悔しくてたまらない村の人たちのために、勇気を持って立ち向かったんだッ! そんなフィラさんのことをバカにすんな!!」

 フィラは、喉の奥から急速に熱が込み上げてくるのを感じた。胸のあたりが苦しくなる。咄嗟に衣服を掴むが、ちがう熱と熱とを孕んだその痛みは複雑に絡み合って、いまにも喉元が焼き切れそうだった。

 「ホンっトに、気に食わない……! キライキライ大ッキライ!!」

 苦虫を嚙み潰すかのように、リリアンは吹口に歯を突き立て絶叫した。

 「うわあああ!」

 突風が吹き荒れる。ロクの肢体がしなやかに跳びあがった。受け身もとれず彼女は地面と衝突し、車輪のごとく勢いのまま転がっていく。ついにロクまでも膝をついた。
 すぐに起き上がろうと両肘を伸ばすが、まるで小枝のように簡単に関節が折り畳まれ、額から砂地に落っこちる。ぐしゃりと乱れている若草色の髪が、何度も起き上がろうとして、ふらふらと揺れていた。

 「キャッハハハハハぁ! バッカみたぁい! そんなにがんばっちゃっても、なぁんにもならないのに!」

 不愉快な笑い声が、フィラの耳に届く。ボロ雑巾のように伏せっているロクとレトの姿をこれ以上見ることができなかった。彼女は膝から崩れ落ち、木の幹に触れていただけの左手を、固く握り締めた。

 「そんな……っ」

 (どうしよう、どうしよう……! 私の、また、私のせいで……)

 ベルク村の話をしなければよかったと、そう思った。祖母とロクの会話を無理やりにでも止めるべきだった。自分が話したくなってしまうほど、ロクに、気を許さなければよかったのだ。
 フィラを取り巻く後悔の渦が、どんどん深くなっていく。

 次元師に太刀打ちできるのは、次元師しかいない。
 それはフィラ自身も痛いほど理解していた。

 (助けたい……これ以上あの子たちに傷ついてほしくない。私のせいで傷つく姿を、見ていられない……! それなのに)

 フィラは次元師だ。いまこの場で、ロクとレトの2人を助け出せるのは彼女しかいない。人間を遥かに凌駕する次元の力。フィラはそれを胸に秘めているのだ。
 しかし、フィラにはどうしても、その名を叫ぶことができなかった。

 (あの子たちを助けたい、のに……私……。私はまた、──ウメを傷つける……っ! 私はあの子を、もう傷つけるわけには……!)

 ──あの日見た"あか色"が、ずっと、瞳の中に閉じ込められたままだ。
 
 臙脂色を滲ませた涙が、ぽたぽたと溢れて落ちていく。リリアンの言う通りだ。子どもだったのだ。ただウメのことが可哀想で、助けてあげたくて、なにも考えずに逃がした。結果的に、ウメの命の奪ってしまったのはそんな愚かな自分だった。
 あんな悲劇は二度と繰り返さない。
 初めて自分の次元の力を、紅色の大蛇を目の当たりしたそのときに、フィラはそう心に誓った。
 誓ったはずだった。

 「……わた、し、どうしたらいいの……? わからない、わからないよ……──ウメっ!」

 ──ざあっ、と。長閑な風が鳴いた。

 《フィラ》

 聞いたことのない、懐かしい気持ちだけが、フィラの胸に吹き抜けた。

 「え……」

 《フィラ》

 聞き間違いではなかった。だれかが自分の名前を呼んでいる。咄嗟に振り返るが、人の姿はなかった。
 フィラは、その名前を呼んでいた。

 「ウメ……?」

 返事はなかった。フィラはゆらりと立ち上がる。だれもいない山道を見渡して、もう一度名前を叫んだ。

 「ウメ! どこ、近くにいるの、ウメ! ウメっ!」

 フィラは走りだした。ウメ、ウメ、どこにいるの──と、しきりに名前を呼ぶが、返事はないままだった。
 なにかに導かれるように、ただひたすらに森の中を駆け回る。乾いた地面を、無造作に伸びた草木を、でこぼこの山道を踏み抜ける。
 ──そうして、フィラはある場所に辿り着いた。
 すこしだけ開けた草原。さわさわと揺れている木漏れ日。見覚えのある風景だった。ゆっくりと速度を落とし、辺りを見渡す。

 フィラは、立ち止まった。

 「……ウメ……」

 目の前には小さな墓標が立っていた。
 それはかつて、炎に焼かれていなくなったウメを想い、唯一その場に遺っていた炭を必死にかき集め、埋めた場所だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.40 )
日時: 2018/11/19 20:46
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: OWyP99te)

 
 第037次元 君を待つ木花ⅩⅣ
 
 ウメの大好物だった果実も添えたはずだったが、13年も経ったいまとなってはもう跡形もない。その赤紫色の果実がなる木の枝だけが、しゃんとまっすぐ立っている。

 「ウメ……」

 フィラは墓標に近づいていった。墓標を目の前に据えると、その場でしゃがみこむ。

 「……ねえ、ウメ。私どうしたらいい? あの子たちを助けたい気持ちはあるのに私、それ以上にあなたを傷つけたくないの。……最低よね。心のどこかで、まだ、あなたのこと……」

 弱々しく吐いた言葉が、ただの土の表面にぽつりぽつりと落ちていく。

 「……ばかね、私。答えてくれるわけなんてないのに。……本当はね、わかってるの。もうあなたがこの世界のどこにもいないことくらい。次元の力が、『巳梅』が、あなたじゃないってことくらい……わかってるのよ」

 『次元の力と、ふつうの生き物はちがうよ、フィラさん!』──ロクアンズの言葉を思い返しながら、フィラはそう呟いた。
 心のどこかで、『巳梅』がウメであることを肯定したかったのだと思った。ウメはまだ自分の中でちゃんと生きているのだと、そんな夢を見たかっただけなのかもしれない。フィラは薄く笑みを浮かべた。

 「まだ子どものままだったのね。体ばっかり大きくなっても、心はあの日のまま……なにも変わってない。あの子が言うほど私……勇気なんか、ないわ」

 フィラはすっくと立ち上がり、墓標に背を向けた。

 「村の人たちに知らせなくちゃ。……どうにかしてくれるかもしれない」















 《フィラ》


 凛、と。一輪の鳴き声。
 浮かせた足がぴたと静止する。
 もう一度フィラは、墓標と見つめ合った。

 そのとき。
 背後。

 ドシン──と地表が激しく震動した。
 フィラはよろけて転びそうになる。大きななにかが影を落とした。
 頭上から、雨のように、砂粒が降ってくる。

 「──え……」

 ぱらぱらと落ちてくる大地の欠片を浴びながら、フィラはゆっくり顔を上げた。
 13年の月日を経て、ふたたびその目にした真紅の鱗は、息を呑むほどに鮮やかだった。

 「……あ、あなたは……」

 心音が跳ね上がる。紅色の鱗を持った大蛇は、真一文字に結ばれた口から、ちろりと舌を出した。
 真ん丸の両眼。それを縦に割くような細長い瞳孔が、じっとフィラを見つめていた。

 《フィラ》

 どこからともなく声が聞こえた。
 フィラは、はっとして墓標のほうに向き直った。

 「……もしかして」

 フィラはあることに思い至った。いままでフィラを呼んでいた声の主は、もしかしたらウメではなかったのではないかと。
 彼女の視界の中でたしかに息をしている、『巳梅』の声だったのではないかと。

 『巳梅』は依然としてフィラのことを見下ろしていたが、大きな頭部をわずかに動かしたかと思うと、ぐっと彼女に顔を近づけた。肩を強張らせ、彼女は思わず目を瞑った。
 しかし、頬に生温い感触を覚えると、フィラはすぐに目を開けた。

 「……」

 『巳梅』の顔をはっきりと見たのは、これが初めてのことだった。『巳梅』はじっとしている。噛みつくでも、鳴くでもなく、ただずっとフィラの目を見つめ返している。
 ずっと。
 深い赤色のに、光が差す。

 「なんだ」

 呟いた声がすこしだけ震えた。

 指先を宙に泳がせて、そっと、鱗に触れた。丸い眼は琥珀の色。硬質な頬を、指の腹で優しく掻いた。そこには真白の花を押したような斑点はなかった。
 真っ紅で、美しい鱗を、何度も撫でた。

 瞼が熱を帯びる。

 「よく見たら、あなた……ウメに、ぜんぜん似てないのね」

 フィラは笑みを浮かべた。その頬に一筋、涙が伝った。

 「ごめんなさい。あなたはウメじゃないのに、勝手にウメと重ねて、ウメだと思いこみたくて……あなたをずっと閉じこめてた。怒ってるわよね。……13年も、ほったらかしにするなんて、主失格だわ……っ」

 フィラの泣き声がして、『巳梅』はすこしだけ頭を落とした。真一文字に結んだ口をフィラの額にそっと押しつける。

 「こんなにも長い間、待たせて、本当にごめんなさい」

 でも、おねがい。フィラは熱のこもった声音でそう続けた。

 「今度こそ私……あなたといっしょに戦いたいの」

 ──私と、戦ってくれる?

 『巳梅』がちろりと舌を出す。鳴きも頷きもしないが、フィラにはわかっていた。13年という月日の間、ずっと棲み続けた心の中に、その声が流れこんでくるようだった。

 「いこう、巳梅」

 胸の中に咲いた、熱色の花を携えて、1人と1匹はともに駆けだした。



 頭蓋骨が砕け散ってしまいそうだった。意識を保つことに全神経を費やしているロクアンズは、声も出せず、立ってもいられず、ぐっと堪えるように這いつくばっていた。

 (どうしたら……っ!)

 バチッ、と手の甲から弱々しく電気が伸びる。使える元力の量もそろそろ限界に近い。じりじりと、苦境へ追い詰められているのを実感する。
 次元師が体内に有している元力には限りがある。もちろんそれは個人差があるため一概には言えないが、年齢による差というものがあるのは確実だった。
 元力の量に個人差があるのは、各個人の思考能力、身体能力、そのほか個人を形成するためのあらゆるステータスがもとになっているためである。簡単に言ってしまえば、体力があればあるほど、頭の回転が速ければ速いほど元力の量が伸びていくのだ。どの能力も抜かりなく高められている者がハイスペックであると言われる、その点においては、普通の人間も次元師も変わらないだろう。
 当然、子どもと大人とでは体力や筋肉量、知識の数などで大きく差が出るため、どちらが劣っているかなどは歴然だ。おそらく、リリアンとリリエンの2人に元力量では敵わない。わかっているからこそ、ロクの表情にただならぬ悔しさが滲み出ていた。
 リリアンは、腹の底からこみ上げてくる優越感を堪えきれずに、ぶはっと吹きだした。

 「キャッハハハ! イイ顔するじゃなぁ~いっ! だぁから言ったでしょぉ? ガキは大人しく、おうちに帰りなさいってねぇッ!」

 悦楽に満ちた表情。高らかな笑い声。甲高い音波が空気を揺るがし──

 「ガキでごめんなさいね」

 花のような一声。
 次の瞬間──大地が激しく躍動した。一瞬、浮遊感に襲われたリリアンの足元に亀裂が奔った。彼女は反射的に数歩退き、
 声を裏返らせた。

 「は?」

 ──紅色の大蛇が、地表を穿つとともに、けたたましい咆哮をあげて君臨した。

 人間では発し得ない凄まじい叫喚が空間一帯を殴打する。ひび割れた大地は剥がれて吹き飛び、リリアンもリリエンも、家宅の傍らで様子を伺っていたヴィースも、無防備な姿で宙に投げ出される。
 ロクは大きく目を瞠った。

 「も、もしかして……っ──これが『巳梅みうめ』!?」

 話を聞いたときに想像したものとは桁違いだ。本物であるという迫力、風貌に身の毛がよだつ。その全長は一目見ただけではとても計り知れない。太くて長い肢体を持つその大蛇はちろりと細長い舌を出し、2つの琥珀色の珠を妖しく光らせた。
 ロクの耳に、ザッ、と靴底で砂を蹴るような音が届いた。

 「フィラさん!」

 木陰から、臙脂色の横髪を耳にかけながらフィラが歩み寄ってくる。

 「遅くなってごめんなさい」
 「フィラさん……あの、あれって」
 「ええ。でももう、大丈夫よ」

 平地であったことが嘘のように地面がひっくり返っている。盛り上がった大地の一片に捕まるリリアン、岩塊に挟まれ身動きをとれずにいるリリエン。そして、腰を抜かし愕然としている領主ヴィース。
 3人の姿を一瞥したフィラが、ここからは、と続けた。

 「私が力を貸すわ。あいつらをぶん殴るんだって、そう言っていたわよね?」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.41 )
日時: 2018/10/17 22:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: SyVzJn9Z)

 
 第038次元 君を待つ木花ⅩⅤ

 ベルク村の領主ヴィースの家宅は広大な平地の中に建っている。その地面の一部が、地下深くからごっそりと抉られ隆起や陥没などを起こし、もとの平坦で整然とした景色を完全に過去のものとしていた。この事態を招いた元凶は何食わぬ顔でその黄色い眼をギョロリと剥いている。
 フィラの次元の力、『巳梅みうめ
 鮮やかな紅色の鱗を持った大蛇は、ベルクの地に再臨した。
 
 「そうだフィラさん、レトが……!」
 「ええ、わかっているわ。私に任せて」

 フィラはレトヴェールのもとに近づくとその場でしゃがんだ。倒れているレトの顔を覗きこむ。

 (気を失ってる……。でもよかった。頭だけはしっかり守っているみたいだわ。頭部の外傷がほとんどない。その代わり、腕や脚に打撲痕が多いけど……。しばらく、立つことはできなさそうね)

 レトの身体をじっくりと診ていたフィラの背中に、怒気を含んだ甲高い声が投げつけられた。

 「なによなによなによぉ! 3対2なんて、ヒキョウなんじゃなぁい!」
 「卑怯ですって? あなたたちがそんな言葉を知っていたなんてね」
 「は、ハァッ!? なによアンタ! いきなり出てきて何様のつもりぃ!?」
 「私はフィラ・クリストン。この村の、ベルクの民よ」

 フィラの臙脂色の瞳に熱が灯る。リリアンは一拍置いたのち、ハッと小さく嘲笑した。

 「やっだ傑作ぅ! アンタがフィラねぇ!? いまさら現れるなんて、どーゆう神経してんのよっ! キャッハハハぁっ! オモシロいじゃなぁい。アンタとアタシちゃんたちの次元の力……どっちが強いか勝負したげるわ! ──思穿ッ!!」

 リリアンが笛に口元をあてると、ロクは青ざめた表情ですばやくフィラのほうを向いた。

 「フィラさん! 下がっ──」
 「大丈夫よ」

 フィラはロクよりも前へ出た。落ち着き払った声音で、紅色の大蛇『巳梅』へと呼びかける。

 「巳梅ッ!」

 主の声に反応した大蛇が、その太い首元をねじってリリアンのほうへ顔を向けた。すると大蛇は大きく口を開けて、絶叫した。

 「キャアアアアッ!!」

 大地が震撼する。空が上下に振れた。──ような錯覚がした。強烈な音波と大蛇の咆哮とが正面からぶつかり合うと、刹那、爆風が巻き起こった。
 相殺したのだ。それも拮抗する予兆も見せず。両者の繰り出した力は完全に塵埃と化し、風に乗って吹き抜ける。

 「す、っご……」

 ロクの口から思わず感嘆の声がもれた。打って変わってリリアンは、金切るような声で喚き散らした。

 「はあァッ!? なによいまのぉ! キィィー! どいつもこいつも、大ッキラぁイ!!」

 地団駄を踏みあからさまに怒りを露わにしているリリアンを尻目に、フィラは冷静に庭全体を見渡した。

 (あの笛の音は巳梅の咆哮でなんとか対応ができる。幸い、縄を使う男の子のほうは岩に挟まってて身動きがとれない。これ以上この場が長引くのはよくないわ。あの子たちの体力もとっくに限界を迎えているはずだもの。はやく終わらせるためにも、私にできることは……──)

 「……ィラ、さん」
 「レトくん? 気がついたのね、よかったわ」
 「ロクを、高く飛ばせ」

 え、とフィラは小さく声をもらした。レトの掠れた声はロクにまで届かなかった。驚くフィラをよそに、レトは呼吸を乱しながら言葉を紡ぐ。

 「飛ばして、そんな高くない、とこまで……」
 「え、なに? なにをどうすればいいの?」
 「水路を……」

 そこまで言って、レトはまた気を失った。少女とまちがえそうな可憐な顔で小さく寝息を立てている。フィラはぽかんとしてその寝顔を眺めていた。

 「フィラさん、レトどうかしたの!?」
 「え、いや、それがいま、水路がどうのって……」
 「水路……? ──っ! フィラさん下がって!」

 ロクが叫んだそのとき。ロクとフィラのもとに音波が奇襲した。即座に対応に躍り出たロクは両手を突き出し、雷電を解き放った。

 「アンタ、そろそろ元力も限界なんじゃなぁい? ムリしないでくたばってなさいよぉ、ドブス!」
 「そっちこそ……! 大人なんだから、ムリすると体壊しちゃうかもよっ!」
 「はああッ!? 調子こいてんじゃないわよ、ガキがッ!」

 小さな背中で立ちふさがるロクをフィラは慌てて制した。

 「無理はしないで、ロクアンズちゃん! ここは私と巳梅で、」
 「ムリなんかじゃないよフィラさん」
 「え?」
 「やってみせる。守ってみせる。そのための力なんだ!」

 ロクとレトの身体が、疲労が、元力が限界を迎えている。
 だからなんとかして早くこの戦いを終わらせなくてはいけない。これ以上2人に無理をさせたくない。という一心で共闘を願い出たフィラだったが、どうやらそれは勝手な思い込みだったようだと彼女は身震いした。

 「……そう。そうよね。でもお願い、ここは任せてロクアンズちゃん」
 「フィラさん」
 「私たちの力で、なんとかしてみせるわ」

 ロクがこくりと頷いた。フィラは『巳梅』に向かって叫んだ。

 「巳梅! もう1度、力強く鳴くのよ!」

 『巳梅』が顎を下ろしていく。人ひとり丸呑みできそうなほど広がった喉の奥が、震動したそのときだった。横から飛んできた縄がその頭部に絡みつき、ガチンと鋭牙をかち合わせた。

 「そうカンタンには、させねーよ……!」

 盛り上がった土の大塊に身体を押し潰されながらも、リリエンは懸命に手を掲げていた。その腕には縄が巻きついている。腕から伸びる縄は、『巳梅』の頭部を捕らえてピンと張っている。言わずもがな彼による奇襲だった。

 「さっすがねリリエン! あの鳴き声さえなけりゃ……こっちのモノよっ!」

 リリアンは絶好のチャンスだと言わんばかりに狂喜した。笛を持ち上げ、口元に添えようとする。

 (ま、まずいわ、どうしたら……! 巳梅はいま口を塞がれててあの音を相殺できない。あの音を直接喰らうわけにはいかないし、なんとかしないと……なんとか、)

 『ロクを、高く飛ばせ』

 フィラは、すこし前にレトが言っていたことを思い出した。彼がなにを思ってこう発言したのか、その真意までは探れなかったが、彼は苦し紛れにそう告げたのだ。落ちるか落ちないかというところで意識を保ちながら、"ロクアンズを空へ飛ばせ"と、それだけはしかとフィラに伝えた。
 信じるしかない。迷っている時間はない。
 フィラは意を決した。

 「巳梅!!」

 その名を叫ぶ。主の声がまっすぐ大蛇のもとへ届く。
 『巳梅』は、がんじがらめに縛られた頭でわずかに後方を振り返り──

 自身の"尾"を地中で泳がせ、ロクの足元から出現させた。

 「──ぅえっ!?」
 
 瞬間。ロクの足が宙に浮いた。それもほんの一瞬だった。彼女は、空へ向けて打ち上げられていた。

 「……は? ちょ、ちょっとちょっと待ちなさいよッ! ……あっ、あんな高いとこまで行っちゃったら……──音なんて、届かないじゃないのよぉっ!」

 上昇。急上昇。ぐんぐんと引っ張られていく。心地の悪い浮遊感が風とともに纏わりついて──
 ロクは、身体を回転させながら、大空の中を泳いでいた。

 (う、うそ……! なんで……っ!?)
 
 空の上からは、広大な庭と、それを取り囲む森が見える。『巳梅』によって荒らされた庭の一部は文字通りの惨状だった。ヴィースの家宅から向かい側のほとんどがその有様だということが、空の上からだと十分に理解できた。
 しかし。
 家宅の、裏庭側。そちらは戦場になっていないため平坦な土地が広がっている。

 (……あれ? もしかして)

 ふいにロクはあることを思い出した。

 『これを仮に家とする。そんで、水源は……』

 「水源……」

 『それがいま、水路がどうのって……』

 「水、路……」

 枝先で砂を引っ掻いて描いた、ただの記号みたいな家の絵が、
 ぱっと頭に浮かび上がってきた。

 『家からちょっとずれたとこの、ずっと真下』

 ──頭の中にある回路が、かちっと音を立てて、繋がった。

 『巳梅』によって荒らされた場所からは水が湧き出てこなかった。もしも本当にヴィースの家宅の近くに大きな水源があるのだと仮定するならば、『巳梅』が荒らしていない領域の地下深くにその水路が流れているということになる。
 つまりは、裏庭。
 ロクはヴィースの家宅の裏庭のほうを睨んだ。平地が広がっている。なにかを耕しているのか、土地の色が一部異なっているのがかろうじてわかった。
 標的とは、これまでとは比にならないほど距離があった。
 ロクは、自身が発する電気がどれほど距離を出せるのか、その限界を痛感したばかりだ。それはおよそ十数メートル。いまロクがいる空中から地上への距離を考えると、絶望的な数値だった。
 ──それでも、と。
 固く握った拳から雷が飛散した。

 「──ぜったいに、届かせてみせる!!」

 体内に蔓延っている小さな元力の粒子。それらひとつひとつが、主の声に呼応する。
 繰り寄せろ、練り上げろ、──極限まで。最大限で最高値の元力が右の拳に集っていく。雷が唸る。右半身だけが体温を急上昇させる。
 電熱が、空気を焦がすとそれが、

 新しい扉を開くための鍵となった。

 「"六元"──解錠!!」

 詠唱が、天を衝く。

 「────"雷砲らいほう"ッ!!」

 突き出した拳。放した指先から、
 一閃。
 ──"雷の光線"が、気流を裂き、撃ち放たれた。

 まさに怒涛の勢い。熱線が地上を目がけてけ抜ける。大気を焼き切りながら、空と大地とを裁断したそれは、次の瞬間。
 地上に堕ちた。
 一触即発。鉛のような爆発音が轟いた。次いで灰煙が辺り一帯に蔓延した。土塊が跳ねて離脱し、熱風爆風突風が連鎖し、視界が一瞬、暗闇に還る。
 そのとき。

 水がひとすじ、大地の隙間から手を伸ばした。

 割れた大地の底から大量の水が噴き出した。空に向かって、透明の花が咲く。あこがれた地中の外へ幼虫たちが顔を覗かせるように、待ちこがれた青空に水しぶきが架かった。
 噴き出た水は、抉られた地盤の底へとまっさかさまに落ちた。みるみるうちに水が溜まっていく。同時に、ヴィースの家宅が大きく傾き、その溜まり場に向かってひっくり返った。

 「そ……そん……な」

 ドボン、と横広の家屋が水の溜まり場に落ちて大きく水しぶきをあげた。否、それはもはや池などではなかった。
 ──"湖"
 目を瞠るほど巨大な湖が、その美しい水面に射す太陽の光を、キラキラと照り返している。

 「ウソ……ウソよ、ありえない、ありえない。こんな、」

 そのとき。ガタガタと肩を震わせていたリリアンの上体を、なにかがきつく絞めあげた。全身が真紅色に染まっている太い体躯を見下ろしリリアンは顔をしかめた。

 (し、しまったッ!)

 『巳梅』は、頭部に縄を巻きつけたままの状態にも拘わらず、その長い肢体でリリアンを完全に捕縛した。リリエンは岩塊に挟まれていてもとより身動きがとれない状態だ。
 小さく安堵の息を吐いたフィラは、

 瞬間、思い出した。

 「──そうだわ! ロクちゃんが、まだ!」

 焦った様子で空を見上げる。と、上空に飛ばしたロクアンズが大声を張り上げながら地上へと戻ってくるのが見えた。

 「ああああああああ──ッ!?」

 地面が迫ってくる。近づいてくる。物凄い速さで自分が落ちているのが嫌でも理解できた。雷の力はもう使えない。切迫した脳内は、ついに、まっしろに返った。
 が。

 紅いなにかが、視界に飛びこんできた。

 「ぉ、わあっ!?」
 
 ロクは、その紅くて細いなにかに飛びついた。ロクにはそれが『巳梅』の尾の先端であることがすぐにわかった。が、彼女はその尾と衝突すると1度だけ大きく宙返りし、そこから坂道のように延々と続いている鱗肌の上をごろごろと転がり落ちた。
 そうしてどんどん降下していくと、その長い坂道の終着点が見えてきた。『巳梅』の肢体が地面と接触している部分だ。リリアンを捕らえているためにぐにゃりと曲がっている『巳梅』の上体からずっと下の部分では、まるで芋虫が歩くように一部だけ盛り上がっている。
 ゆえに、ロクの進路の障害とも言えるその突起部分に、彼女は為す術もなく真正面からぶつかった。
 
 「ぶっ!」

 ロクの身体はそこでようやく静止した。ずるり、と頭が落ちる。ロクは後頭部を押さえながら顔を起こした。

 「……ったたぁ……。へへ、助かっちゃった。ありがとねっ、巳梅!」

 『巳梅』は頭だけで振り返って、キュルル、と鳴いた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.42 )
日時: 2020/05/16 21:43
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第039次元 君を待つ木花ⅩⅥ 
 
 青く澄み渡っていた空は、いつの間にやらじんわりと朱く滲みつつあった。落ちていく陽の光は、大きな湖の水面に温かく降り注いでいる。

 ロクアンズは、『巳梅』によって捕らえられていたリリアンと岩塊に挟まれていたリリエンの2人を拘束した。腰から提げているポシェットには、簡単な治療具のほかに麻縄などの拘束具も備えてあった。常にそれらを持ち歩くようにしているのだとロクに告げられたフィラは深く関心した。
 しっかりと拘束を施された2人は地面の上に座りこみ、怪訝そうな顔をしていた。

 「さてっと。こんなもんかな」
 「……。アタシちゃんたちを、殺さないんだ」
 「あたしは人を殺したりはしないよ。それに悪いのは領主さんで、あなたたちじゃないでしょ?」
 「いっしょよ。アタシちゃんたちだってやってたもん。蛇狩り」
 「へ?」

 フィラは聞き間違えでもしたかと、すぐに2人の会話に割って入った。

 「まっ、待ってちょうだい。あれは13年前に起きたことよ? それじゃあ、あなたたち……」
 「アタシちゃんたち、20だけど? 今年で。7のときに拾われたの。ヴィースさんに」
 「拾……われた?」

 ロクが小さく聞き返した。リリアンはぶすっとした表情のまま続けた。

 「そーよ。アワれんだりしないでよね。べつに悲しくもなんともないから。14年前に、第二次メルドルギース戦争とかゆーのが停戦になったのはとーぜん知ってるでしょ?」
 「うん。それは知ってるけど……」
 「アタシちゃんたち、ドルギースと取引してた、あの奴隷商人のとこにいたのよ。そんでドルギースに売られて……次元師として戦って。なんか生き残っちゃったってワケ」

 第二次メルドルギース戦争が停戦になったのは、両国の前線に駆り出されていた次元師たちによる戦闘の火花が、大きくなりすぎたためだった。だが、たった6、7歳の幼い子どもまで戦場に立たされていたという実情までは、今日まで知らなかった。

 「じゃあ、あなたたちはあの戦争で前線にいたの?」
 「だからそうって言ってんでしょ。一瞬だけね。そんで政会のやつらに保護されてからはしばらく施設? みたいなとこにいたケド、停戦になったからすぐ出てって、てきとーにフラフラしてたら……ヴィースさんに会って拾われて。村までいっしょに連れてってもらってそこで世話んなりながら、あんたたちの大事な大事な蛇どもを殺してたってワーケ。だから同罪。わかった?」
 「そう……だったんだ」
 「アワれむなっつったでしょ。だぁからガキは嫌いなんだっつの。あんたからしたら、アタシちゃんたちだって子どもだったんじゃんって言いたいだろうケド、あんたたちとアタシちゃんたちは違う。なんでも与えてもらって、あたりまえみたいにヘラヘラしてさ、キレイゴトばっかでホントムカつく。あんたが思うほど大人はキレイじゃないし、子どもだってあんたが思うほど……キレイなもんばっか見てないっつぅの」

 リリアンは視線を逸らした。ロクは閉口したままなにも返さなかった。すると、じっと黙っていたリリエンが小さく口を開いた。

 「アンタさ、さっきどっちも選んだよな」
 「え?」
 「金髪の男か、この村か。どっちか片方っつったのに。アンタはどっちも選んで、どっちも手にした。……なんでそんなことができんの? 命は惜しくないってか。アンタにはやりたいこととか野望とかもないってワケか」
 「あるよ。あたし、神族を全員やっつけたいんだ」
 「は?」
 「そのためにはもっと強くなんなきゃいけない。あたしには大事なものと大事なものを比べて、どっちか片方しか、なんてできない。だからどっちも救える道を自分でつくるんだ」
 「なにソレ。バッカじゃない? 神様倒したいとか」

 顔をあげたリリアンが、ハッと嘲笑した。

 「神様なんてどーでもイイじゃん。あいつらのせいでこんなヘンな力持たされてるワケでしょ? 次元の力がどうやって生まれたなんて知らないケドさ、そのせいでこっちは戦争の道具にされて、神様に恨みがあるわけでもないのに「やっつけてくれ」なんて一方的に義務感押しつけられて、イイ迷惑だっつぅの。敵は神様なんかじゃなくて、人間よ。腐りきってて手に負えない、バケモノみたいな人間のほうなのよ」

 神様に恨みがあるわけでもないのに。語調こそ荒っぽいが、リリアンの見解は真に的を得ていた。
 元魔に肉親の命を奪われた。大切な人を危険に晒された。生まれ育った町を侵食された。
 こういった直接的な恨みや憎しみなどが神族に対して向かない限り、次元師として選ばれた人間たちは「なんのために戦っているのか」という疑問を常に抱えることになる。もとより正義感の強い人間ならばそのような悩みを持つこともなく「これが使命だから」と区別ができるのだろうが、ほとんどの次元師は前者のように、神族に対しての己の感情を見失ってしまうのだ。

 「……あたしは」

 ロクは小さく呟いた。空から降ってくる雪の結晶をつかまえるみたいに、手のひらを優しく握りしめた。

 「目の前に助けられるものがあって、差し伸べる手がここにあるなら、ぜんぶ救いたいって、思うんだ」
 「……。悪いケド、ぜんぜんわかんない。いつか自滅しそうアンタ。つぅかしちゃえ、ばぁか」
 「……」

 ロクはなにも答えなかった。リリアンとリリエンもそれ以上ロクに突っかかることはなかった。
 そのとき。ロクはなにかを思い出したように、あ、と声をあげた。

 「そういえば! 領主さんどこいった!?」

 フィラも、ロクの大きな声につられて辺りを見渡す。が、ヴィースの姿はどこにもなかった。
 隙を見て逃亡したか。だが意外ではなかった。相変わらず賢い判断するなと思った、その矢先。

 「こいつのことか?」
 「えっ?」

 ロクは思わず自分の耳を疑った。
 しっかりとしていて、青年を思わせるような爽やかな声音だった。数日前に本部で聞いたきりになっていた懐かしい口調に気が緩む。
 コルドが、全身を鎖で縛られたヴィースと思しき人物とともに草陰から現れた。

 「こっ、コルド副班!?」
 「ようロク。合流できてよかった。こいつなんだが、いきなり草陰に飛び出してきたもんで一応拘束しといたんだ。話を聞いてみたら、どうやらこいつがくだんのヴィースっていう男で、ベルク村の領主らしいことがわかってな」
 「なんちゃら隊とかいう政会の使いっ走りが!」
 「此花隊だ。その政会までいっしょに行くんだ。よく覚えておけ」
 
 ヴィースを適当にあしらうコルドに、ロクは不思議そうな面持ちで訊ねた。
 
 「でもコルド副班、なんでここに?」
 「先に行っといてくれって言ったのは俺だぞ。……まあ、お前たちを追ってローノに向かって、『ベルク村に行きました』なんて言われたときには気絶しかけたけどな」
 「ご、ごめんなさい……勝手なことして」
 「体は無事か?」
 「え、う、うん」
 「ならいい」

 コルドは大きな手でロクの頭をくしゃりと撫でた。ロクはすこし苦笑ぎみに、へらっと頬を緩ませてみせた。
 2人のやりとりをぼんやりと眺めていたフィラに向かって、ヴィースが声をかけた。

 「おい。オレをぶん殴るんじゃなかったのかぁお前さん。絶好のチャンスだろうが、あァ?」
 「言われなくったってあんたなんか! ねえフィラさ……。フィラさん?」
 「いいえ。もういいわ。あなたの家、湖に沈ませてしまったもの。それにそのおかげで、村の人たちがこれから水に困ることはなくなった。だからもう十分よ」
 「ンだそれ。あの紅い蛇を焼いて殺しちまったってのを忘れたのかァ? 哀れだなァ、あの蛇も」
 「あんたねえ!」

 身を乗り出すロクを静かに制して、フィラはヴィースと向かい合った。

 「それでも、よ。ウメだってきっと喜んでくれるわ」
 「……あァ?」
 「村の人たちが、これからもちゃんと生きていけるように、大事なものを手に入れることができたの。ウメも、白蛇様たちもみんな……村の人たちのことが大好きだったから。私たちがあの子たちを、大好きだったみたいに。だから忘れなんかしないわ。この先なにがあっても、ぜったいによ」
 
 会話はそこで途切れた。ただ、ヴィースが小さく舌を打つ音だけがした。

 「よく見たらお前、ボロボロじゃないかロク。レトは大丈夫なのか?」
 「それが、レトのほうがひどいの。すぐ手当しなきゃ」
 「お前もな。持ってきた治療薬、足りるといいけど……」
 「私が2人を看ますよ。ローノから持ってきているので。……でも、その前にすこし……」

 フィラはちらっと後ろを振り返った。その視線の先に気づいたロクが、くっとコルドの隊服の裾を引っぱる。

 「先に行こう、コルド副班! あの人たちも連れて」
 「え? でもあの女の人にすぐ看てもらったほうがいいんじゃ……」
 「あとでいいんだよ! ほらっ、行こ!」


 ロクはコルドとほか4人を率いて森の中へと消えていった。その姿が見えなくなる頃には、庭に1人と1匹だけが取り残されていた。
 彼女たちは向かい合った。

 「……巳梅、ありがとう。あなたのおかげでいろいろと助かったわ。感謝してもしきれないくらい」

 夕焼けがあかく燃えている。橙に灼けた湖が、この世のものとは思えないほどに美しかった。長閑な風がその水面を軽やかに撫ぜている。
 『巳梅』は鳴きも頷きもしなかったが、その琥珀色の眼でまっすぐフィラを見つめていた。

 「私はウメを忘れないわ」

 フィラが高いところへ手を泳がせると、『巳梅』は頭を下ろした。紅い鱗を受け止めながらフィラは柔らかく笑みをこぼし、
 「そして」と言った。

 「それ以上に、あなたがずっとそばにいてくれたことを忘れないわ。……ねえ巳梅。これからも、私と、いっしょにいてくれる……?」

 なにかひんやりとしたものが首筋に触れた。それは、『巳梅』の硬い頬だった。フィラの肩にその大きな頭部が乗りかかると、わずかに、すり寄ってきているのがわかった。
 フィラの言葉に応えるように、『巳梅』はキュルルと喉を鳴らした。

 「ありがとう巳梅。本当に、ありがとう」

 あかい、夕日が落ちていく。木も草も風も、湖も、空も。燃えるような紅に染まっていた。
 それもたったの一瞬だ。すぐに夜は闇色を連れてやってきて、光を呑みこむのだろう。しかしそんなことは彼女たちにとって恐れでもなんでもなかった。

 1人と1匹は心の中に、夕焼けにも似た熱を抱いている。

 「あなたのそばにいるわ。これからもずっと……ずっとよ」

 それは色褪せることのない梅色の花。
 ──「約束よ」と、フィラは目を真っ赤にしてそう言った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.43 )
日時: 2018/12/21 21:11
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: hgnE84jl)

 
 第040次元 君を待つ木花ⅩⅦ

 村に戻るとすでに村人たちは寝静まっていて、聞こえてくるのは夜虫の鳴き声だけだった。手元の暗い中でもフィラはさすがの身のこなしでロクアンズとレトヴェールに治療を施した。もとより疲労で眠り続けているレト同様に、ロクも施しを受けてすぐに眠りについた。
 翌日。ロクは村人たちを連れて湖へと向かった。
 広大な湖をその目にした村人たちは歓喜に身を震わせていた。お互いを抱きしめ合い、涙を流し、湖の水を飲んだり浴びたりし、「白蛇様」と唱えている者もいた。
 はしゃぎ回る村人たちの姿をロクは嬉しそうに眺めていた。するとロクのもとに村人たちがどっと押し寄せてきて、各々が感謝の言葉を述べた。

 「ありがとう! ありがとう!」
 「あなたたちのおかげよ」
 「本当にありがとう!」
 「ありがとう、じげんしさま!」

 ロクは照れ臭いように頬を掻いて、「どういたしまして!」と満面の笑みで返した。
 
 レトはいうと、いまだ床の上で眠り続けていた。昨日の戦闘で負った傷が癒えないのと身体を酷使しすぎた結果だろうと、フィラがレトの様子を伺いながら言った。
 
 「ロクアンズちゃんはもう元気そうね」
 「うん! あたしは1日寝たら、元気になった!」
 「ふふっ。それはよかったわ」
 「お前はそこだけが取り柄みたいなところあるもんな」
 「そ、そんなことないよコルド副班! だってあたし、昨日六元の扉を開くことができたんだよ! ね、すごいでしょ!」
 「そうだったのか。みるみるうちに成長していくな、お前。置いていかれそうだ」
 「へへ。コルド副班なんかこてんぱんにできるくらい強くなるんだもんね~」
 「頼もしくてなによりだ」

 果実の絞り汁を湯で溶かしたものを口にしながら、コルドが「そうだ」と話題を切り替えた。

 「挨拶を済ませたら村をあとにするぞ、ロク。ローノに下るのにも時間がかかるし、そこから本部へ戻る道も長い。しばらく本部を空けたからな。さすがに説教だけじゃ済まされなくなってくる」
 「そっか。さびしいけどしょうがないね」
 「また来れる機会がきっと来るさ」
 「うん。そうだよね!」

 身支度を済ませたロク、フィラ、そして眠っているレトを背負ったコルドの4人は、ヴィースら3人を連れ、見送りに集まった村人たちと別れの挨拶を交わしていた。

 「それでは皆さん、どうかお元気で」
 「ありがとう! じげんしさま!」
 「よかったらまたきてね」
 「うん、また来るよ! みんなも元気でね!」

 村人たちの群れの先頭にいたツヅが、小さな体躯を丁寧に折り曲げて言った。

 「ほんとに、ありがとうございましたで、このごおんはいっしょう、わすれられません」
 「こちらこそだよ。あたし、ここに来れて本当によかった。ありがとうツヅさん」
 「そんな。とんでもありません」
 「おばあちゃん。また会えなくなっちゃうけど、どうか元気でね」 
 「フィラ。げんきでやるんだよ。白蛇様もウメ様もきっとあんたをみまもっていてくださる。もちろんわたしたちベルクの民も、みんな」
 「……ありがとう」
 「おれいのしなとしてはとおくおよびませんけれど、わたしたちのせいいっぱいのきもちでして、どうかうけとってください」

 ツヅがそう言うと、群がりの中にいた村人の2人が大きな樽を持ってロクたちの前までやってきた。

 「このむらでつくっていたおさけです。ろくあんずさまがたにはまだおはやいしろものですが、どうぞみなさんでめしあがってください」
 「え? いいんですか、こんな貴重なものを……。他所ではかなりの値を張る代物だとお聞きしましたが」
 「いいんです。わたしたちは、おかねいじょうにかちのあるものをいただきました。これくらいのものしかおわたしできませんで、せめてものきもちです」
 「そうですか。それではありがたく頂戴いたします、ツヅ村長殿」

 コルドがそう言って頭を下げる。と、ツヅは一度だけ後ろを振り返り、村人たちの群れを一瞥した。そしてまたロクたちを見上げる。
 ツヅは身を屈め、片方の膝だけを立てた。するとほぼ同時に村人たちも一斉に同じ体勢をとった。立てた膝の上で両手を重ねる。

 「じげんしさまがたに、白蛇様のご加護があらんことを」

 臙脂色の頭が一同に伏した。ロクは身が震えるのを感じ、この光景を忘れないようにと瞼の裏に熱く焼きつけた。

 「うん! またねっ!」

 そうして、ロクたち一行はベルク村をあとにした。
 
 
 村からローノへ戻るのにその近道を知っているというフィラを筆頭に、ロクたち一行は順調に山を下っていた。
 途中、フィラからこんな提案があった。

 「巳梅に乗って下れば自分たちで歩くこともないし、すぐにローノに到着できると思うけどそうしましょうか?」
 「ううん。あたしは歩きでいいや」
 「どうして?」
 「この山の感じを覚えておきたいんだ。土がどんなだったとか、草木の匂いとか、そういうの。忘れないように」
 「……。そう。でもわかるわその気持ち。13年前、私もそう思いながらこの山を下ったもの」

 フィラが懐かしむように言った。フィラの提案を断ったロクだったが、彼女はすぐに「あ」と声をあげた。ベルク村の住人たちから礼として賜った酒の大樽を持つ担当をしていたロクは、「じゃあこの樽をお願いしてもいい?」とちゃっかり前言撤回をしたのだ。フィラは笑って、「ええ」と快諾した。
 
 
 
 翌日、正午に差しかかる頃。驚くべき早さでローノの町へと到着したロクたち一行は、支部の隊員たちを仰天させた。
 理由はもちろん、その早さではない。数日前、ベルク村という辺鄙な土地に向かったロクとレトに対し「どうせ戻ってこられるわけがない」と支部の隊員たちは嘲笑していた。その発言にコルドは反感を抱き、「2人が無事に帰還できたら、ベルク村の事態を軽視していたことを認めるか」と提案していたのだった。
 支部の門を叩くなり、コルドは挨拶をした。

 「お久しぶりです、援助部班副班長殿。戦闘部班一同、無事に帰還致しました」
 「……。これはこれは、ご無事でしたかコルド副班長殿。さぞ、大変でしたでしょうな。山の中で行き倒れでもしていたんでしょう? その2人は。それをこうして連れて戻ってくるなどと」
 「なにを仰られているのかわかりませんが、この2人はベルク村におりましたよ。そしてそこで村の住人たちと触れ合い、問題を解消し、こうして無事に戻ってきたのです」
 「問題だと? でたらめを申さないでいただきたい。次元師様としての尊厳を保ちたい気持ちもわかりますが」
 「そうですか。それでは残念ですが、こちらは差し上げられませんね。せっかく皆さんにも振る舞って差し上げようかと思っていたのですが」
 「は? なにを」

 コルドがちらっと目配せした先にはロクがいた。ロクはそれに凭れかかっていた身体を起こし、両手でその側面を挟み持ちあげると、支部の隊員たちの目の前にドンとその大樽を置いた。

 「ひっ!」
 「お酒だよっ。あなたたちが話してた、超おいしいっていうウワサのお酒!」
 「……」
 「あちらにはベルク村の領主、ヴィースを含める3名を拘束して待機させています。本人たちにはすでに政府までの同行の許可を得ています」
 「あ、ああ……」
 「認めてくださいますね? あなた方の過失も、この子たちの勇気ある行動も」

 コルドの気迫に押されたのか、支部の責任者である男はがっくりと項垂れて「ああ」とだけ言った。
 支部の隊員たちがヴィース、リリアン、リリエンの3人の保護に出るのと入れ替わるように、ロクたち4人の次元師が支部の施設内へと足を踏み入れた。
 入ってすぐのところにある広い談話スペースの腰掛けにレトは寝かせられた。フィラはというと、持ち運び用の肩掛けバッグを下ろし、中に詰めこんでいた薬品類を丁寧に取り出していた。談話スペースの一角に大きな薬品棚が置かれていて、そこに1つ1つ戻していく。

 「棚にあるの、ぜんぶフィラさんの?」
 「そうよ。ここの支部は広くないから実験用のものも上のほうに置いてあるの。それに自分で調合したりもするから、私しか扱っていないわ。この支部では私が唯一の医療部班だしね」
 「フィラさんはどうして医療部班に入ろうと思ったの?」
 「もともと好きだったのよ。こういうことをするのがね。村にいたときから新しい薬草を見つけては、どういう効能があるのかとか自分なりに調べたりしていたわ。だれも解き明かしたことのない難病の治療法を見つけることが夢なの」
 「へえ……。そっかあ」

 ロクは残念だとでも言いたげに、すこしだけ口を尖らせた。

 「ねえフィラさん」
 「なあに?」
 「あたし、フィラさんに戦闘部班に入ってほしい」

 フィラが目をまるくする。ロクはそれを気には留めずに、早口で捲し立てた。

 「だってフィラさん、これからも『巳梅』といっしょに戦いたいってそう思ったんでしょ? それならこっちに来ようよ! ……ここの支部で医療部班はフィラさんだけだし、夢もあるって言ってたから、そんなカンタンなことじゃないかもだけど……でも、でもきっと本部にいたらもっとたくさん研究できるよ! ここより大きいし、道具とかもいっぱいあるよ! だからフィラさん」
 「……」
 「戦闘部班で、本部でいっしょに戦おうよ!」

 フィラは固く口を結んでいた。ロクは、フィラの様子がおかしいことにようやく気がついた。

 「フィラさん?」
 「……そう、ね。戦闘部班には入れるかもしれないわ。でもごめんなさい、本部には行けないの」
 「どうして? ここで1人の医療部班だから? だったらほかのとこにいる人と交代したっていいんじゃないかな? だってフィラさんは次元師なんだよ? みんな納得してくれるよ」
 「そうじゃないの、ロクちゃん。私がここに勤務することになったのは……上からの指示なのよ」
 「う、上?」

 フィラはロクの目を見つめ返し、告げた。

 「──ラッドウール・ボキシス総隊長。此花隊という組織の中で、もっとも地位の高い御方。そして……私の祖父よ」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.44 )
日時: 2018/10/25 09:37
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 0aJKRWW2)

 
 第041次元 君を待つ木花ⅩⅧ
 
 「ラッドウール・ボキシス総隊長。此花隊という組織の中で、もっとも地位の高い御方。そして……私の祖父よ」

 ロクアンズは言葉を失った。予想通りの反応が返ってきて、フィラは一呼吸置いた。

 「私が13年前にベルク村を飛び出したって話はしたわよね?」
 「え、ああ、うん」
 「どうしてだか覚えてる?」
 「えっと……ウメのことを逃がしたせいで、領主さんが怒って村の人たちにひどいことしたり、巳梅の力で村をめちゃくちゃにしちゃったり……したから?」
 「そうね。それがほとんどの理由よ。でもたったの11歳だった私が、村を飛び出してあの山を下りて、どこかへ行くなんてあまりにも危険だとは思わない?」
 「そう、だね……アテがあればべつだけど……」
 「そのアテが、此花隊にあったのよ」

 フィラが告げた『祖父』という言葉を、ロクは脳内で繰り返した。

 「どうしても村を出て行きたかった私は、昔村からいなくなった祖父のことを思い出したの。祖父は有名な次元研究所の人で、そこで偉い立場にいて、だから孫の私の顔を見ればそこの組織で引き取ってくれるって、そう思った」
 「それで此花隊に入隊したんだ」
 「ええ。村をいっしょに飛びだしてくれたセブンって男の子もね」
 「え」

 ロクの口から小さく声がもれる。まただ。またフィラの口から『セブン』という名前を耳にしたロクは硬直した。
 その疑問符の意味を知る由もないフィラはロクの顔に一瞥もくれることなく、棚に薬瓶を戻しながら続けた。

 「いっしょに入隊試験も受けて、無事どっちも受かることができた。祖父は……ラッドウール隊長はもちろんセブン君を知っていたし、彼が18歳ながらにして頭脳明晰であることもわかってたから、セブン君はその歳で、しかも入隊早々に隊長補佐に就いたの」
 「セブン班長がっ!?」
 「え?」
 「あ、いや、なんでもない。……あの、フィラさん、1つ聞いてもいい?」
 「ええ。いいわよ」
 「そのセブン……君の、本名は?」

 ロクがおずおずと聞いてくるので、フィラはすこしだけ訝しんだ。が、たいして気にする素振りも見せずに即答した。

 「セブン・ルーカーよ。もしかして会ったことがあるのかしら? ロクちゃんも本部にいるんだものね。隊長のおそばにいるはずだけど」

 ロクは黙っていた。まちがいない、とも思った。此花隊に入隊する際、初めて顔を合わせたそのときに一度だけ聞いたことのある名前そのものだった。
 本当に自分の上司であるあのセブンだったのだ。だがしかし彼の髪色も目の色も鈍い黄色で、臙脂色ではなかったはずだ。ロクはますます困惑していた。

 「……? まあ、それでね、私も本部に置かせてもらえるのかなって勝手に思っていたんだけど……。どうやら隊長は、私が村でしたことを知っていたみたいだった。だから私を医療部班の班員として真っ先にローノへ送り込んだんだわ」
 「ど、どうして?」
 「……さあ、私にも、その真意まではわからないわ。でもわざわざ私を、ベルク村の管轄をやっているローノに送るっていうことは、そういう意味よ。罪を償わずして逃げることは許さない。祖父だってベルク村の民なのよ。おなじ民として、そう言いたかったんじゃないかしら」
 「そんな、家族なのに」
 「でもこれが現実なのよ」

 最後の1つの瓶を置いて、フィラはロクのほうを向いた。

 「だから私は、本部には移れないの。ローノを離れられないから」
 「……」
 「でも私、戦闘部班への異動はしようと思うわ。私も次元師だもの。薬と睨めっこばかりしていられない。あなたたちがやってきたみたいに戦わなくちゃね。離れ離れになってしまうけど」
 
 明るい語尾だったが、フィラの表情には翳りが差していた。無理をしているようにも見えてロクは慌てて言葉を投げかけた。
 
 「でも、でもセブン……君って人がいるんだよ? 本部には。フィラさん、13年間一度も会ってないんじゃないの?」

 13年もの間、一度も会わなかったからこそフィラはセブンがいまだに隊長補佐であると勘違いしている。そのことにロクは気がついていた。

 「え? それはそうだけど……。でも、いまさら会ったって、どういう顔をしていいかわからないわ。13年よ? 入った時が、あの人18だったから、いまは31とかになっているんじゃないかしら。私のことなんか忘れてるわ。それに彼は隊長補佐だもの。私なんかよりずっと高い地位にいて、私みたいな一介の隊員とは会う暇もないでしょう」

 寂しそうに笑みを落とすフィラに、ロクはそれ以上なにも返せなくなった。
 ロクは特段、フィラにどうしても本部へ移ってほしいわけではなかった。ただ、いまの会話からロクは、なぜだかフィラが自分の望みをことごとく諦めているように思えたのだ。自責の念か。もとより反省色の強い性格なのか。ロクはいまだ納得がいっていない様子で、ぼそっと吐いた。

 「でもフィラさん、つらくないの? ここにいるの」

 フィラは口を閉ざした。
 つらいに決まっている、と心の中ではすぐに返事をした。
 村にはいられないと思って山を下りた。当てにしていた祖父には故郷近くの町に行けと命令され、来た道を戻り、以来ずっとローノで過ごしてきた。ベルク村をこけにするような陰口が耳を刺しても、山から下りてくるベルク村の人間の死体を目にする度に心臓を刺されるような、そんな痛みを蓄えてでも、命令に従ってきた。生きた心地はしなかった。けれどそれ以外に生きていく方法が浮かばなかった。
 ──居場所がないのだ。13年経ったいまでも。
 時折考えはする。夢を見たりもする。しかし何度考えてみても、ここでやっていくしかないのだという結論に落ち着いてしまう。だからフィラは口を開かなかった。
 そこへ、コルドが顔を覗かせた。

 「ロク。ちょっと手伝ってほしいことがあるんだが」
 「あ、はーい!」

 コルドに手招きをされ、ロクはぱたぱたと彼のもとに駆け寄った。

 「なあに?」
 「報告書を書かなくちゃいけなくてな、お前にも協力してほしいんだ。なんせ俺が村に辿り着いたときには、すでに事が済んでいたみたいだったからな」
 「うん、いいよ」
 「向こうに資料室がある。そっちへ行こう。談話室ここは人が多いからな」

 建物の扉をくぐってすぐに広い談話室が見えるため、それ以外の部屋はないものだとロクは勝手に思っていた。半信半疑でコルドのあとについていくと、たしかに建物の入り口から見て右手にはまっすぐ奥へと続く廊下があった。廊下を進んでいくとその突き当たりには、部屋の扉らしきものが備えつけられていた。

 「ほんとだ! 部屋あったんだ」
 「これまでの報告書の写しが置いてあるらしい。あとは町の資料とかもな」
 「へ~」

 資料室内は広くはなかった。だがその壁にはぎっしりと本棚が敷き詰められていた。中央に空いたスペースには小振りの机に椅子が2つだけと、必要最低限のものしか置かれていない。本棚と机との距離は人が1人通れるくらいだ。実に簡易な作業場だった。
 椅子に腰かけるなりコルドは机の端に置かれている円筒に手を伸ばし、そこに差してある筆を手に取った。が、あろうことかその筆先は乾いていた。彼は眉を下げた。

 「しまった。ロク、近くに墨の入った瓶とかないか?」
 「ええ? 本棚しかないよ、コルド副班」
 「困ったな」

 首の裏を掻きながら立ち、コルドが軽く周囲を見渡した。そのとき。
 本棚からはみ出ていたらしい本の背に肘がぶつかる。「いっ!」と声をあげたコルドがその本の表紙を見やると、
 そこには『ローノ 報告書』と記されていた。コルドはその冊子を取り出し、中を開けた。

 「コルド副班、どうしたの?」

 報告書を書くのに参考にでもするのだろうかと思ったロクだったが、コルドの表情がどこか真剣みを帯びていて、疑問に思った。

 「いや、班長がな。よくローノからの報告書を読んでらっしゃるものだから、ローノになにか思うところがあるんじゃないかと思ってな」
 「……」
 「でもどの頁を見ても、書いてあるのはほとんど無災の報告、市場の情勢、町の住人からの要望なんていう普遍的なものばかりだ」

 ぱらぱらと捲られていく紙面をただ呆然と眺めていた。が、突然ロクはコルドの手をつかみ、その動きを止めさせた。

 「ねえコルド副班、どうして頁のあちこちで、書いてる人がちがってるの?」
 「ああ、この定期報告書は、1人だけが書くものじゃないからだよ。1枚の紙に何人もが記入できるんだ。日によってべつの人間が書いていたりもするし、報告の内容によって記入する人を分けているかもしれないしな。たとえば犯罪の報告はある人だけど、市場の報告はべつの人、とかな」
 「……書く人がちがう……。これ、フィラさんも書いたりするかな」
 「え?」
 「見せて!」

 ぴょこんと跳ねて、ロクはコルドの手元から報告書の冊子を奪い取った。紙面の左端から、日付欄、報告内容欄とあって、その一番右端には名前を書く欄があった。ロクはその部分を睨みつけるようにして見ている。

 「フィラ……フィラ……あった! あ、でもここだけだ。ほかのとこには……あ、こっちにも! でも……たまにしかないなあ、フィラさんの名前」
 「どうかしたのかロク」
 「……。セブン班長、もしかして報告内容は読んでないんじゃないかな?」
 「え? そんなわけないだろう」
 「フィラさんだよ。フィラさんがここにいるから、読んでるんだ」
 「? な、なんのために?」
 「決まってるよ! セブン班長は、フィラさんのことを忘れてなんかない。むしろ逆だよ!」

 ロクは目を輝かせてそう言った。コルドはそれに気圧され、目をぱちくりさせた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.45 )
日時: 2018/10/29 09:23
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: QVI32lTr)

  
 第042次元 君を待つ木花ⅩⅨ

 ローノから送られてくる定期報告書を入念に読みこんでいたというセブンだが、彼が確認したかったのはローノの現状ではないと、ロクアンズは断言した。
 幼なじみのセブンとフィラは13年前、ともにベルク村を飛び出し此花隊に入隊した。しかしセブンは本部、フィラはローノ支部に配属となり、以来2人は疎遠になっていた。セブンはローノにいるフィラのことが気になっているからこそ報告書を読んでいるのだ。ロクはこくこくと、1人で何度も頷いた。
 当然、セブンとフィラの関係を知らないコルドは首を傾げた。

 「逆というのはなんのことだ。ロク、1人で盛り上がらないで俺にもわかるように説明してくれ」
 「えっとね、うーん……つまり~……」

 セブンとフィラのことを説明するのには、一言や二言では足りない。コルドはベルク村で起こったことをフィラの口から聞いてはいたが、あくまでも断片的にだ。そこにセブンの名前は出されていなかった。
 一から説明したい気持ちもやまやまだがその手のことが大の苦手であるロクは案の定すべての過程をかなぐり捨て、極論を述べた。

 「コルド副班、フィラさんが戦闘部班に入ってくれたらうれしいよね!?」
 「な、なんだ急に。まあ、それはもちろん願ってもないことだが。班長も言っていたよ。各支部にいる次元師たちに声をかけているところだ、ってな。だがそもそも世界に100人しかいない次元師がどれくらいの数此花隊にいるのかと聞かれれば、難しい問題だ。あの人が異動してくれたら班長もお喜びになるだろう」
 「だよね! よ~しっ。コルド副班、2人でフィラさんを説得しよう!」
 「よし。そういうことなら俺も協力しよう」

 ロクアンズとコルドは結託し、まっさらな報告書を置き去りにして資料室を出た。談話スペースにいるフィラのもとへと急ぐ。
 フィラは、腰掛けで横になって寝ているレトヴェールのそばについていた。

 「フィラさんっ」
 「あら。おかえりなさい。どうかした?」
 「あのねフィラさん、あたしどうしてもフィラさんに戦闘部班に入ってほしいんだ」
 「え? ええ……。それは考えて……」
 「戦闘部班は立ち上がったばかりで、班員も少ないんです。各支部にいる次元師に声をかけているところですが結果は芳しくありません」
 「立ち上がったばかり……そういえば、今年の初め頃から活動されているんでしたよね」

 噂を耳にした程度だったフィラは何の気なしに聞き返した。

 「ええ、そうなんです。戦闘部班の班長と総隊長様の類まれなるご尽力のおかげで、今年から。特に、十何年という時間の中寝る間も惜しんで政府にかけ合ってきたセブ」
 「わあああっ!」

 握りこぶしをたたえ熱をこめて語り出したコルドを制するように、ロクは彼のコートの裾を引っ張った。伸びる衣服につられてコルドはたたらを踏んだ。
 ロクはできるだけ声をひそめて、コルドに耳打ちした。

 「だめだよコルド副班! セブン班長の名前出しちゃ」
 「え、そうなのか? お前がさっきしきりにセブン班長セブン班長って言ってたから、てっきり2人に関係があるのかと思って俺は……」
 「だからだよっ! まったく、これだからコルド副班は。わかってないなあっ」
 「な、なんだと?」

 コルドは眉をぴくりとしかめた。まだ年端もいかないロクに、男女のことがわかっていないと言われたような気がしたコルドは、ロクの襟元にある分厚いフードを掴んで持ち上げた。足がわずかに浮き、ロクは慌ててつま先で宙を掻いた。

 「うっわわ! こ、コルド副班!?」
 「報告書を書くのを忘れていたな。手伝え」
 「ええ~! 急!」
 「いいから行くぞ!」

 フードを引っ張られ連行されていく姿を呆然と見送っていたフィラに向かって、ロクは叫んだ。

 「ふ、フィラさん、またあとでね! 戦闘部班の班長さんに、いっしょにあいさつ行こうねー!」

 ロクの姿が視界から消えてなくなると、フィラはぽつりと呟いた。

 「……本部、か……」

 もう二度と訪れることはないと思っていた。ともに故郷を飛び出してくれた幼なじみと離れ離れになってしまった場所でもある。そしていま、彼は、どういう顔になっていてどう毎日を過ごしているのだろうか。
 フィラはすぐに顔を横に振った。13年という時間の厚さを感じ取ってしまっただけで、虚しく思えてきたからだ。
 
 
 
 ローノを出発して、半日が経過した。エントリアの街並みにはほんのりと橙が差している。もうすぐ夕刻を迎えるという頃に、ロクたち4人は此花隊本部の門をくぐった。ヴィース、リリアン、リリエンの3人はローノ支部に引き渡したため、4人で戻ってくるという形になった。
 レトヴェールはというと、いまだ目を覚まさないという状態が続いていて、コルドの背中で大人しくしていた。到着してすぐ医務室で休ませることになった。
 医務室の扉を閉め、3人は長廊下へと出る。いまいる場所は中央棟の2階だ。3人は、戦闘部班の班長室がある東棟へ向けて歩きだしていた。

 「ねえロクちゃん、戦闘部班の班長ってどんなお方?」
 「えっ」

 フィラは純粋に知りたがっているようだったが、ロクにとってそれは核心を突く質問だった。ロクは目を泳がせ、しどろもどろになりながら答えた。

 「え、えっとね~……うーんと……や、やさしい、人!」
 「そう。優しいお方なのね」
 「う、うん……。たま~に抜けてるけど」
 「そうなの?」
 「うん。あとね、班長室入ったら、居眠りしてることもあるんだ~」
 「まあ」
 「でもほんとにいい人だよ。あたしやレトのこと、子どもだってバカにしたりしないし、すっごい面倒見てくれる。次元師を戦争の道具にしないためだからって国の上の人たちは次元師の集団をつくるのをだめにしたでしょ? でも班長は、次元師をちゃんと育てるんだって、仲間をつくるんだって、そう思って立ち上げたんだって。ここに入るときに班長がそう言ってたんだ」
 「そう……素敵な人ね」
 「……。班長はいい人だよ。フィラさんも、会えばきっとすぐにわかるよっ」
 「ええ。お会いするのが楽しみだわ」

 中央棟と東棟を繋いでいる長い通路を渡り、3人は東棟に足を踏み入れた。階段を昇り、『班長室』と明記されている部屋の前までやってくる。すると、ロクはそわそわしながらコルドのほうを見やった。が、彼がいつもの真面目顔を据えて突っ立っていたので、見かねたロクはわざとらしく「あ!」と大きく声をあげた。

 「そういえば~、今日のこの時間って、班長は部屋にいないとかなんとか言ってなかったっけ~? ねえ、コルド副班?」
 「え? ……あ、ああ! そうだそうだ~。忘れてたよ。いまは会議の時間で、班長はいないんだったー」
 「そうなんですか? じゃあ、また改めて」
 「や! すぐ戻るよ班長! もうすぐ終わるはずだから! ねっ、コルド副班!」
 「そ、そそ、そうだなロク! ということでフィラさん、どうぞ部屋の中でお待ちください。俺たちが行って、班長にお伝えしてきますので」
 「え? そ、そうですか?」
 「ええ。なのでどうぞ、中へ。あ、ついでに今回のことを書いたこの報告書を、班長の机の上に置いておいてくれませんか」
 「はあ……」

 なかば無理やり書類を持たされ、フィラは班長室の中へと押しこまれた。扉を閉めてから、はあ、と一息つくコルドに対してロクは小さな声で叱責を浴びせた。

 「コルド副班! ローノを出る前にちゃんと話し合いしたのに! もー!」
 「ちゃ、ちゃんとできたんだからいいだろう。それに班長が会議のときを狙おうって提案したのは俺だぞ」
 「……うん。たしかにそうだ。あとは班長がちゃんと戻ってくるかどうか、どこかから見守っとかないと」
 「本当に、2人きりにできるだろうか」
 「できるよ! あたしたちがここまでやったんだもん。ぜったい成功するって!」

 廊下の突き当たりにある階段から2人は身を乗り出して、様子を伺っていた。逸る心を抑えながら、セブンの登場を今か今かと待ち構えていた2人の真横を、
 人影が過ぎった。

 「……え?」

 その人物は、班長室に向かって歩いていた。


 室内で1人、フィラは棒のように立ったまま辺りをきょろきょろと見渡していた。壁沿いには本棚がずらりと並べられている。部屋の扉と向かい合うように、班長の仕事場であろう長机が奥の窓際に置かれていた。フィラは、手に持っていた報告書を机の上に置こうと動きだした。
 机の上には筆やら書類やらが散漫していた。整理する時間がないのだろうか。それとも整理する能力が欠けているのだろうか。フィラは、ロクから聞いた「たまに抜けている」という言葉を思い出し、後者かなと小さく笑った。
 机の左側には紙束が山のように積まれている。フィラはふいに、その山に目をやった。その山の一番上にあった書面は、ローノの報告文だった。

 「ローノの報告書だわ。ひと月前のものね。……あら? 下にあるのは半年前のものね。こっちは……1年以上前のだわ。なんでこんなにバラつきがあるのかしら」

 定期報告書はひと月ごとに作成される。ローノの情勢を確認したいのであれば少なくとも直近の数か月のものに目を通すはずだが、ここにある書類のまとめ方、およびその内容はまちまちで、なんの目的で搔い摘まれたものだかフィラにはさっぱりわからなかった。
 しかし、そのどれもに、自分が書いた報告文が載っていることに気がついた。

 「これ、ぜんぶ、私が書いた文章が載ってる……?」

 そのときだった。
 ギィ、と扉を開く音がした。
 
 フィラは振り返った。班長室の扉を押し開け、中へ入ってきたその人物は──

 「……え……」

 入り口の上部にぶつかってしまうのを避けるためか、高い位置にある白頭をすこし下げていた。いままでに出会った男性の中では群を抜いて背丈が高い。その上、体格は暴れ馬を悠に手懐けられそうなほどがっしりしていた。隊服の袖に腕を通さずただ両肩に引っかけているだけの彼は、毅然とした態度で班長室へと足を踏み入れた。
 彼はフィラを視認した。

 「おじい、……総隊長」

 ラッドウール・ボキシス。此花隊の総隊長という責務を背負うその男の視線から、フィラは一瞬で逃れられなくなった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.46 )
日時: 2022/08/31 21:48
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第043次元 君を待つ木花ⅡⅩ

 研究部班と医療部班は白。援助部班と戦闘部班が灰。各部班によって、その隊服は基調としている色やデザインが異なっている。加えて各部班の班長と副班長の位を任されている者だけは、黒の隊服の着用を義務付けられているのだ。
 そして。此花隊の総隊長として組織の統括を担う男、ラッドウールは、燃えるような真紅の隊服を身に纏うことが許されている。
 とはいっても彼はその広い肩に引っかけているだけで、袖に腕を通してはいなかった。

 「何用だ」

 鋭い針のようにも鈍器のようにも思える口調が、フィラの背筋を凍らせた。まぎれもなく祖父の声だった。
 何の用で班長室へ来たのか。何の用で声をかけたのか。
 何の用で、本部の門をくぐったのか。
 フィラは想像した。ラッドウールが放った言葉の裏にどんな思惑が込められているのか。そして悪い想像ばかりが脳裏を駆け抜け、フィラは怯えを隠しきれずにようやく口を開いた。

 「……。えっと、その、隊長。私……ご存知とは思いますが、私は次元師です。なので次元師としての役目を優先することに、考えを改めました。それで、あの……」

 フィラは床の至るところに視線を配っていた。顔を上げられなかった。自分でもなにを言っているのか定かでなかった。

 「医療部班から、戦闘部班への異動を、希望したいのです。もちろんローノに留まるつもりです。隊長から賜りました、そのご命令に背くつもりはございません。なので私を、どうか」

 フィラが顔を上げると、そこにラッドウールの姿はなかった。

 「湖とは何のことだ」

 フィラの真横から声がした。急いで振り向くと、ラッドウールが書類を片手に眉を顰めていた。

 「え……」
 「ベルク村は何を強いられていた」
 「あ、その」
 「なぜ領主を送還した。ヴィースという男が何をしたというのだ」

 矢継ぎ早に繰り出される高圧的な物言いが、フィラをしごく動揺させた。質問をされている。なにか答えなければと、フィラは一心不乱に口を動かした。

 「それは……その、ヴィースの敷いたしきたりに、村の人間が耐えかねて、山を下りて……でも十分な食べ物も水も、あ、与えられていなかった、ので……山の中にはベルク村の人間と思われる死体が転がっていることも、珍しくなくなっていて……酒も、造らされて」
 「領主を送還したのは何故だ」
 「村人を苦しめるような言動に、及んでいたからです」
 「早まったな」
 「え」
 「食料や水の配給が不十分であった、と記載があるがゼロではなかった。村で製造されていた酒は他国で評価が高く、唯一の金の出所だったはずだ。それを絶ち、"あたま"を自らの意思を以て咎めたとすれば、今度は村の人間たちに目が向くだろう。男は無差別な殺しをやっていたわけではない。ある意味では、村に金をつくった恩人ともとれる」

 フィラは絶句した。その通りだ、とも思った。ベルク村の住人たちは外との交流を持たない。そんな人間たちの言葉にはたして政府陣は耳を貸すだろうか。考えるだけでゾッとするような意見だ。
 しかしフィラの胸中には、なにかもやっとしたものが膨らんでいた。

 「……で、ですが隊長。ベルク村の民たちは苦しんでいました」
 「……」
 「同胞を亡くし、飢餓に苛まれ、枯渇した喉で必死に叫んでいたのです。ローノにいた援助部班の班員たちにはベルク村の調査を行う義務があったのに、それを放棄し続けていました。だからその嘆きはだれの耳にも届かなかった。それを、ある2人の子どもたちがしかと聞き入れたのです。村人たちは心から喜んでいました。村に活気が戻りました。笑いが溢れていました。私も、巳梅とふたたび会う決心がつきました。だから、あれでよかったのだと、私はそう思っています」
 「それがお前の見解か」
 「……はい」

 ラッドウールはそこで初めてフィラの顔を見て、それから手に持っていた書類を紙束の上に置いた。
 
 「『保護対象である町村の住人に対し過度な労働を課した』と、村の人間全員が証言すること。ローノ所属の隊員たちの過失を証明する書類を提出すること。以上で、この男には速やかに処罰が下される。山を下ろうとして絶命した村人の死体もあるとなお良いだろう」
 「……」

 「早まったな」と言われたとき、フィラの耳には「ヴィースを咎めることは不可能だ」とそう聞こえていた。ゆえに彼女は、さきのラッドウールの言葉をすぐには呑みこめなかった。
 ──ラッドウールは自分に脅しをかけていただけなのか。フィラはふとそんなことを思った。が、なぜ彼がそうするのかは皆目見当もつかなかった。試されているのか。暗くて抑揚のない声色が余計に彼の真意へ探りを入れるのを妨げる。
 じっとこちらを見るフィラに、ラッドウールは向き直った。

 「次元の力をものにしたのか」
 「え……」
 「質問に答えろ」

 臙脂色の瞳を細めて、ラッドウールは鋭く言い放った。

 「『巳梅』……巳梅とは、生涯共にあることを誓い合いました。そして共に戦うことも。だから、戦闘部班へ異動したいのです」

 ラッドウールはもう1度、報告書の山に目を向けた。しばらくそうして見つめていた時間が、フィラにはとてつもなく長く感じられた。唾を飲みこんだり、コートの裾を掴んだりした。
 ラッドウールは口を開いた。

 「13年前のことだ」

 突然、ラッドウールは語り始めた。

 「ある男が、次元師の組織を立ち上げたいと言ってきた」
 「え……?」
 「若造の考えることだ。『戦争に発展させるためではない』『神に立ち向かう組織』などと夢物語じみたことを発言していた。だから初めは当然のように許諾を下さなかった。しかし何年もそれを繰り返していた。奴は諦めの悪い男だった」
 「……」
 「何年かののち、奴がこう発言したことによって私は、奴の提案に"別の意図"があることを確信した」

 言いながら、ラッドウールはフィラの瞳を見やり、そして告げた。

 「『次元師に居場所をつくりたい』、と」

 「当然、そのような理由では承諾不可能だったがな」とラッドウールは冷たく一言を添えた。しかしフィラは、自然とその言葉を復唱していた。

 「……居場所……」
 「奴は13年前から、1人の女のことしか考えていなかった」

 ラッドウールは肩にかけた隊服を翻し、歩きだした。フィラは呆然としていた。まっすぐ扉に向かっていたが、ラッドウールは途中で足を止めた。

 「ミウメといったか」
 「え。あ、はい」
 「良い名だ」

 フィラは振り返ったままの姿勢で静止した。放心しているようにも見えるその無防備な表情をラッドウールが一瞥したのは、扉に手をかけたそのときだった。

 「奴に挨拶をしておけ。資料室にいる」

 ゆっくりと扉が閉まった。次いで、フィラが班長室を飛び出していくのには、そう時間がかからなかった。
 
 
 
 資料室には本棚が所狭しと並んでいる。本棚と、それに向き合うように置かれている本棚との距離は近く、人が2人通れるか否かといったところだ。実際の室内は広めなのだが、本棚の数が多いため広いようには感じられない。
 その本棚の1つの前で立ち、セブンはある分厚い本に目を落としていた。本の表には『植物資料』と書かれている。
 普段とはまたちがう、真に迫る表情で紙上の字面を追っていたとき、資料室にだれかが入室してきた。
 セブンはふいにそちらのほうを向いた。

 「…………フィ、ラ」

 思いもよらない人物が目の前に現れて、セブンは驚くとともにその人物の名前を口にしていた。
 そんなセブンをよそに、フィラは彼のもとに近づいていった。

 「なぜ君が……」

 そしてフィラは、手を伸ばせばすぐに触れられるという位置で立ち止まった。
 フィラはセブンの顔を見上げた。

 「セブン班長」

 十数年越しに見た臙脂の瞳。そして懐かしい声音。すこし大人びていた。背丈もずっと高くなっていた。
 拙かった文字も大人しくなっていたのだから当然か。そんなことを考えながら、セブンは取り繕うように声をあげた。

 「ああ、そうだフィラ。君に聞かせたい話があるんだ」

 セブンはさきほどまで読んでいた本の、ある頁をフィラにも見えるように広げてみせた。

 「……13年前、隊長殿は君をローノへ送っただろう。そのとき私は、隊長殿に対して得も言われぬ怒りを感じていた。孫の君のことをなんとも思っていないのではないかとそう思っていたんだ。……ついさっきまではね」
 「……」
 「この頁を見てくれ。ここ。ここに……"うめ"という名の花の記述があるだろう。見えるかい?」

 フィラはなにも答えずじっとセブンの顔を見つめていた。が、セブンはそれを気に留めることなく続けた。

 「ベルク村にいた、紅い鱗の女王蛇。あの子に『ウメ』という名を授けたのはラッドウール隊長だった。遠方のある国には、あの紅さによく似た花を咲かせる、『うめ』という名の木があるんだってそう言っていただろう。私はそれを思い出したんだ。……去年までここは、ただの『次元研究所』と呼ばれていた。そして今年の初め、戦闘部班の立ち上げとともに、組織そのものの名前が変わった」

 セブンは、フィラによく見えるように差し出していた本を自分の手元に戻した。

 「それが『此花隊このはなたい』だ。この名前は、ほかでもない隊長が名づけられたものなんだ。ある国で『うめ』と呼ばれている紅い花……あれは、別名『コノハナ』とも呼ばれているのだと、私はいまさっき知ったんだ。本当に驚いたよ」

 紙面に注いでいた視線を持ちあげ、セブンはフィラの紅い瞳と目を合わせた。

 「実は最近、君のことを思い出してね。ああいや、君のことを忘れていたということじゃない。つまり……。いや、この話はいい。つまりだ、ラッドウール隊長は……君とウメのことを想っていらした。君をローノへ送ったのは、次元の力と向き合わせるためじゃないかと私は思うんだ。いや、きっとそうだろう。不器用な御方だよ。何年も君と連絡をとらずに、」
 「セブン君」

 懐かしい響きがして、セブンの動きがぴたりと止まった。

 「私のために、立ち上げてくれたの?」
 「……」
 「私に居場所をくれるために、何年も……13年も」

 声が震えていた。いまにも泣き出しそう顔をするフィラにセブンはぎょっとして、焦りを隠しきれず慌てて問い返した。

 「何の話だいフィラ。落ち着いて話を」

 セブンの胸になにか、とすんとぶつかった。その胸にフィラが飛びこんでいた。顔をうずめているフィラの真っ赤な髪が目線のすぐ下に現れる。セブンはしばらく黙っていた。息をついて、ようやく彼は言葉を発した。

 「……フィラ、とりあえず落ち着くんだ。君が困るような事態に」
 「セブン班長」

 涙交じりの力強い声だった。鼻を啜る音。えづき。背中に回された両手がどちらも震えていた。
 フィラが顔を上げた。

 「私を、戦闘部班に入れてください。入りたいです。あなたのつくった、その場所に、そこにいたい」

 紅い瞳が、涙で淡く濡れていた。ぽろぽろと、ぽろぽろと雫が落ちる。セブンはその目尻に浮いた涙の粒をそっと指先で拭って、柔らかく笑みを落とした。

 「……そうかい。歓迎するよ、フィラ」



 メルギース歴530年。この年の初め、エントリアに本部を構える大規模な次元研究所は、隊長のラッドウール・ボキシスの発案によって組織名を変更した。
 その名も『此花隊このはなたい
 白や灰や黒といった具合に、製作されている隊服は各部班によって基調とする色も異なっているが、
 どの部班の隊服にも必ず──差し色として鮮やかな紅があしらわれている。
 
 ある女性を待つために華々しい開花を遂げた、
 木花このはなの色が。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.47 )
日時: 2019/09/29 22:35
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: fph0n3nQ)

 
 第044次元 不和

 「初めまして、今日づけで戦闘部班に異動になりました。フィラ・クリストンです。以前は医療部班に所属していたので、皆さんの体調管理も行っていきたいと思っています。副班長として皆さんと関わっていくことになりますが、気兼ねなく接してくれると嬉しいです。よろしくお願いします」
 「改めてよろしくねー! フィラ副班!」

 着用する隊服が白から黒へと変わった。フィラは正式に、戦闘部班の副班長としてロクアンズやレトヴェールたちとともに戦場に立つこととなり、その顔合わせが今日、東棟の談話室にて行われている。
 拍手を注がれるフィラの背中から、にゅるり、となにかが顔を出した。紅い鱗をした小さな蛇が細い舌を出す。よく見ればそれは、フィラの次元の力である『巳梅』だった。

 「えっ! フィラさん、その子って」
 「ええ、そうよ。巳梅なの。これは『幻化げんか』っていう次元技のひとつよ。もとは大蛇の姿なんだけど、こうして身体の大きさを自由に変えることができるみたい。それがわかってからは、なんだか扉の奥に閉じこめたままなのが可哀想で、だからずっとこうしているの」
 「へえ~! そうだったんだ。かわいいー!」
 「ふふ。そうでしょ?」

 フィラは『巳梅』の顎のあたりを指先でくすぐった。彼女の隣に立っていたセブンが、拍手が治まる頃に「続けて、」と言った。

 「遠方の国、アルタナ王国から海を渡って来てくれた2人の新しい仲間も紹介しよう。挨拶を頼むよ」

 セブンから目配せをされ、ガネストとルイルは立ち上がった。

 「ご紹介に預かりました。ガネスト・クァピットと申します。まだこちらの文化に馴染めずにいますので、ご迷惑をおかけすることがあるかと思います。ですが、おなじ志を持つ者として仲間に加えていただけたらと思います。どうかよろしくお願いします」

 ガネストは胸に片手をあて、礼とした。すぐ隣でかちんこちんになってしまっているルイルの背中にその手を添えると、「ルイル」と小さい声で挨拶を促した。

 「う、うん。えっと、ルイル・ショーストリアっていいます。アルタナ王国では、くにのおうじょとしてすごしてきまし、まいりましたが……ここでは、そういうことを、えっと……なしで、なかよくしてくれるとうれしいです。よろしくおねがいしますっ」
 「よろしくね! ガネスト、ルイル!」
 「はい」
 「うんっ、ろくちゃん」
 「そして最後に、もう1人」
 「え? まだいたっけ?」
 「実はもう1人、南西の支部にいた次元師が本部へ来てくれたんだ。私がもっとも当てにしていた人物でね、同期でもある。入ってくれ」

 セブンは談話室の扉の向こう側に声をかけた。扉が開かれると、大柄な男が足を投げ出しながら入室してきた。

 「おうおうおう。外でずっと立たされて疲れちまったぜ俺ぁ。もっと早く呼んでくれよセブン」
 「それは悪かったな。君たちに紹介しよう。彼はメッセル・トーニオ。私やフィラと同時期に入隊して、以来ずっと援助部班に所属していた次元師だ」

 セブンに紹介された男は、セブンよりもすこし背が高くどこか圧力を感じさせる容姿だった。開いているのか閉じているのかわからない細目で、極度に短い髪がツンと立っている。歯で、細い草のようなものを噛んでいた。無論食べているわけではない。ただ咥えているだけといった具合だ。

 「まぁひとつ頼むわ。ガキんちょたちよ」
 「が、ガキんちょぅ!?」
 「そらおめぇ、俺らと比べりゃまだまだガキんちょだろうが。最近ちょこっと名を聞いたりするが、ずいぶんやんちゃな野郎どもじゃねぇの。あんまセブンに気苦労かけてやんなよ」
 「う」
 「これでも彼は褒めてるんだよロク君。さて、メッセルも加わってくれたことだし……これから、班編成を行いたいと思う」
 「班編成?」

 ロクはきょとんとして、聞き返した。セブンが小さく頷く。

 「戦闘部班が立ち上がり、いまに至るまでは、ここにいるコルド副班長、そしてロクアンズとレトヴェールという3名で組ませて行動させてきた。偶然にも、この"3名で連携をとる"という体制がどの局面においても効果的だった。ついては、次元師3名で1つの班を構成し活動していくという提案をしたいんだ。どうかな?」

 ロクが先んじて「いいよ!」と声をあげると、それに続くようにほかの班員たちも承諾の意を唱えた。
 1人、やや俯きがちになって拍手の中をやり過ごしているレトヴェールを除いて。

 「そうか。ありがとう。……そして、真っ先に前言撤回してしまって悪いんだが、もう1つ新しいことに挑戦したいと考えているんだ」
 「新しいことって?」
 「ああ。それは、2人1組での班編成だ。ロク君、レト君」
 「ん?」
 「……」
 「君たち2人を、離そうと思っている」
 
 え、とロクが小さく声をもらした。セブンの目つきが、すこし険しいものへと変わった。

 「君たちのことを、私は入隊当初からずっと見てきた。初めは、性格が真反対な君たち2人を組ませることでバランスがとれて、ちょうどいいと思っていたんだが……近頃は変わってきた。君たちはもう2人揃っていなくてもいい。別々に行動させても問題ないと、そう思い始めている。君たちにはそれぞれ1人ずつ、副班長をつけるつもりだ」
 「あたしたちが……べつべつに?」
 「嫌なら断ってくれ。これまでいっしょにやってきたのだから、困惑しても当然だ。君たちの意見を尊重するよ」

 ロクはちらりと、レトの顔を見やった。しかしレトはじっと下を向いていて、まるでロクのことを視界に入れようとしていなかった。
 片目を細め、一瞬だけ考えを巡らせたロクが、意を決したように口を開いた。

 「あたしはいいよ。レトと班が離れても」
 「ロク君。ほんとにいいのかい?」
 「うん。いつまでも仲良しこよししてらんないよ。1人でだって、ちゃんと戦えるようになりたい」
 「そうかい。まあ実際には副班長もついて、2人1組だけどね」
 「あ、そうだった」
 「レト君はどうする。君も、ロク君と同意見かい?」
 「……」

 顔を上げ、レトはセブンと視線を合わせた。が、その目つきは、いつになく冷ややかだった。

 「俺は、先日の戦いで人質になって味方の身動きを封じた。しかも戦いの最中に気力を切らして数日間気を失ってた。目を覚ましたのはついさっきだ。それでも俺を、ロクとおなじ扱いにするっていうのか」
 「そうだよ」
 「……」
 「大丈夫だよレト! あたしたちだったらバラバラになったって戦えるよ!」

 花咲くような笑みでロクはレトの顔を覗きこんだ。ようやくロクのほうを向いたかと思えば、レトは小さく嘆息した。

 「よっぽど自信があるんだな、ロク」
 「え?」
 「あの双子の次元師に負かされそうだったお前が。フィラ副班が助っ人に入らなきゃ、今頃どうなってたかわからない」
 「そ、れはレトもいっしょでしょ! それに勝てたんだから関係ないよ!」
 「……。関係ない?」

 レトは低い声で聞き返した。そして、ロクを睨みつけるようにして眉を顰めた。

 「お前、なんで負けとか考えないの」
 「え?」
 「勝って当然みたいな顔するよな。いつも。負けたらどうするかとかちゃんと想定してないだろ」
 「な……なんで負けることを考えなきゃいけないの? どんなときだって考えないよ、そんなこと」
 「もしもが起こったらどうするつもりだって聞いてんだよ」
 「もしもを起こさないように、全力でやるんだよ! その場でできることはぜんぶやる。ひとつだって可能性は捨てない。それがあたしのやり方だから」

 談話室に集まっている戦闘部班の面々は、ロクとレトの2人を除き、感づき始めていた。2人を取り巻く空気が悪い方向へ流れている、と。

 「レトのほうこそ、考えなしじゃん!」
 「は?」
 「あたし、すっごい気にしてるんだよ。ベルク村で戦ってたとき、レト……空の上から飛び降りたよね。どうして言ってくれなかったの? そういう作戦だって! あのときあたし、ほんとに心臓が止まるかと思ったんだよ!?」
 「余計な心配すんなって言ってんだろ」
 「なんで? 心配するに決まってるじゃん! だってレトはあたしのお義兄ちゃんなんだよ!? なんで心配しちゃいけないのさ!」
 「はっきり言えよ俺が弱いからだって」
 「……え……」
 「そう思ってっから心配するんだろ。みんなはお前に、「こいつならなんとかしてくれる」って期待するかもしんないけど、俺に対してはちがう。俺とお前とじゃ、期待と心配の度合いがちがうんだよ」

 しん、と室内が静まり返った。だれもが声を出すことを躊躇った。
 ロクは小さく口を開いた。

 「じゃあ、そうだよって、言えばいいの」
 「……」
 「だってレト、ぜんぜん鍛えようとかしないじゃん! 強くなろうってしてないじゃん! いっつもいっつも、あたしが鍛錬場に誘ったって来ないし、任務先でだって、「お前がいけ」っていっつも言うじゃん! なんで次元の力から逃げようとするの!? 使おうとしないの!?」
 「ろ、ロクちゃん落ち着い──」
 「レトだって次元師だよ。神様をやっつけられる力を持ってる。それはあたしといっしょだよ! なのになんでいつも……あたしみたいに次元の力で戦おうとしないのさっ!」
 「俺とお前はちげえよ」

 レト以外の班員たちはぎょっとした。彼の口から発せられた声がいつもよりもずっと大きかった。これほどの憤りを感じ取ったことはいままでになかった。

 「俺は、お前みたいにはなれねえんだよ!」

 獰猛な獣が他種族を威嚇するかのような、激しい剣幕だった。この表情を久しく見ていなかったロクは、レトと出会ってすぐのことを思い出し、一瞬言葉に詰まった。
 しかしロクは、一切の怯みも見せずに噛みつき返した。

 「そうやって、なんでもかんでもあきらめて……! レトはどうしたいの!? 神族に対抗できる力があって、だからやっつけようって約束したじゃん! 2人でいっしょにお義母さんの仇をとろうって──」
 「だれがお前の母さんだよ」

 レトは呟いた。腹の底から沸き立つような、重い響きだった。

 「母さんのほんとの子どもでもねえくせに、偉そうに言うな!!」

 まるで、頭に向かって鈍器を振り落とされたみたいだった。ロクはそんな衝撃を覚えた。
 部屋は恐ろしいほどの重たい空気に支配されている。だれも口を割れなかった。
 ロクは顔を伏せた。そして、レトがはっと我に返ったそのとき。ロクは手足を、唇を、小刻みに震わせて、
 目に溢れんばかりの涙を溜めていた。

 「あ、ロクちゃん!」

 ロクはレトの横を走り抜けていった。勢いよく扉を開ける音だけが鳴り響き、ロクは、そのまま談話室から飛び出していってしまった。
 扉が閉まる。重苦しい空気が室内に立ち込めている。この長い沈黙を破ったのは、セブンだった。

 「いまのは言いすぎだよ、レト君」

 本人も気がつかないうちに、レトは強く拳を握っていた。言ってやったという爽快感でも、ざまあみろといった貶めの感情でもない。
 ただただ、とてつもないやるせなさがその拳の中を彷徨っている。
 レトは唇を噛みしめていた。そして、クソッ、となにもない空間にそう吐き捨てた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.48 )
日時: 2019/09/29 22:39
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: fph0n3nQ)

 
 第045次元 セブンとレトヴェール

 談話室からロクアンズの姿がなくなり、室内に流れる空気はさらに重たく張りつめた。吐き捨てる息をわざと音にしてから、セブンは普段と変わりない声色でフィラの名前を呼んだ。

 「フィラ、ロク君の様子を見て行ってくれるかい」
 「は、はい。わかりました」
 「ちょうど君たち2人を調査の依頼に行かせようと思っていたんだ。頼んだよ」
 「はい」

 セブンはフィラに依頼書を手渡した。それを受け取ってすぐに、フィラは談話室から出て行った。

 「コルド君。悪いんだけど、メッセルとガネスト君、それとルイル君の3人に本部内にある施設を案内してあげてほしいんだ」
 「はい。承知いたしました」
 「ありがとう」

 コルドが3人を連れて談話室から退室するのを確認してから、セブンはテーブルに肘をついた。そして立ったまま微動だにしていないレトヴェールを見上げた。

 「さてと。レト君」
 「……」
 「君にひとつ、聞いてもいいかな」

 レトは相変わらず俯いたままだった。セブンは構わずに続けた。

 「君はロク君のことをどう思っているんだい?」
 「……」
 「家族か? それとも仲間かい? 自分とおなじ次元師か、女性という観点もあるね」
 「……」
 「もしくは、妹か」

 たしかに眉を顰めたのがセブンにはわかった。ただそうするだけでなにも答えようとしないレトを、特別咎めるようなことはしなかった。

 「どれだっていいさ。でもなんだか私には、君がなにかに迷っているように見えるんだ。ロクアンズに対して抱いている感情が定まっていないように思える。ちがうかな」

 レトはすこしだけ、自分の身体をセブンのほうへ向けた。すると、

 「……どうしたらいいか、わかんないだよ」

 重たい口を開いて、淡々と語りだした。

 「あいつのことはすごいと思ってる。昔から。俺にはできないことを、あいつは簡単にやってのける。なにも怖いと思ってなくて、その先には必ず光が待ってて、つかみとっちまう。英雄みたいなやつなんだ。だれからも愛されて、だれからも期待される……うらやましく思うのもばかばかしいくらいの、すごいやつなんだよ」

 ロクは相手の年齢や性別がどうであろうと物怖じしない性格をしているがために、他人と関係を築きやすい。その善し悪しはもちろんあるが、明るくて人懐っこいので好印象を与えることのほうが多く、瞬く間に虜にしてしまう。組織の中心に立って、人々を光あるほうへ導いていくような人材なのだ。
 それを義兄のレトはよく理解していた。悔しく思うことも、羨ましく思うこともある。それでもレトはロクのことを、すごいやつだ、とはっきり言葉にした。

 「そうか。君はロク君のことをよく見ているんだね」
 「……。見てるんじゃなくて、見えるんだよ。近くにいるから。だから余計に……比べる。あんたたちだってそうだろ」
 「そうかもしれないね。だから私は君のほうが好きなのかな」

 レトは目を丸くしてセブンの顔を見た。そのあどけない表情が気に入ってしまったらしいセブンは、くくと小さく笑った。
 
 「ああ、変な意味じゃないよ。誤解しないでくれたまえ」
 「それはわかってる。あんたにはフィラさんがいるだろ」
 「……何の話かはわからないけど。そうだね、すこし私の話をしよう」

 セブンはいまだ突っ立ったままでいるレトを、自分と差し向かいに座るよう促した。

 「もう気づいているとは思うけど、私はベルク村の生粋の民じゃない。父がベルク村の領主で、その子どもだったというだけさ」
 「……え」
 「ああ、ヴィースではないよ。そう。亡くなったんだ。私がまだベルク村にいた頃にね。父の跡を継いで領主となったのがヴィースだよ。私はまだ15、6そこらだったからね。とてもひとつの村を治められる年齢じゃなかった。それに父の死は突然だった。土砂崩れに巻きこまれてとは言っていたけど、私は気づいていたよ。父がヴィースに殺されたんだとね」

 レトは絶句した。にも拘わらず、セブンの口調は存外穏やかなものだった。その証拠に、彼は紅茶のはいったティーカップに口をつけていた。

 「その死が不自然なものでね。崩れた土砂を見たけど、自然ではなく作為的なものだったんだ。次元の力によるものではないかと私はそう思った。事実、ヴィースは2人の幼い次元師を連れていたしね」
 「……」
 「いつかヴィースに復讐してやるとも思っていたけど、それよりも、フィラのことが可哀想でね。村を出るとき奴のことは忘れようと心に決めたんだ。でもまさかこんな形で叶うとは思いもしなかった。報告書を読んだとき、正直なところスカッとしたよ。君たちは私に驚きを提供する天才だ」
 「……ロクが、だろ」
 「君もだよ。さて本題に戻るけど、そうだね、私も当時は自分のことを天才だと思っていた。おなじ歳かすこし上の連中にも頭で劣らなかった。だからだろうね。理想を実現させるのにものすごく時間がかかってしまったんだ。私はね、君を見てると当時の自分を思い出すんだよ」
 「なんで」
 「とても頭がよくて、それでいてひとつのことしか考えられない、不器用なやつってことさ」

 セブンがティーカップをくるくると回すと、底に沈んだ細かな茶葉はなされるがままに紅い水の中を泳いだ。しかしすぐにまた底に落ちて、動かなくなった。

 「ロクアンズのことを羨ましく思っているのなら、それを恥じる必要はない。大切なことだ。人はだれしも完璧にはなりきれない。だからその欠陥が美しく見えたりもする。私は、君がなにかに思い悩み、試行錯誤して、結局失敗してしまっても、いいと思っている。そういう姿を見てると、言い方は悪いが嬉しくなるんだ。君はいつか強くなるだろうなって」
 「……いつかじゃ、遅い」
 「遅くはないさ。君はまだ13だろう? 先は長いんだ。いまはたくさん失敗していい時期だよ。それにロク君と君はちがう。君には君の強さの形がある。君だって、だれかにとっての英雄かもしれないだろう」
 「英雄──」

 セブンはティーカップを煽り、中身を飲み干した。真白い陶器の内側には点々と、細かな茶葉が残った。

 「つい長話をしてしまった。悪かったね」
 「いや」
 「レト君。急で悪いんだけど、これから出られるかい? 君とコルド君という組み合わせで行かせるつもりだったけど、生憎彼はいま新入班員たちを案内していてね。君1人で巡回に出てほしいんだ」
 「ああ」
 「行先はカナラ街だ。よろしく頼むよ」
 「……」

 (カナラ街……──)

 このとき、レトはべつのことに意識をとられていた。セブンは空になったティーカップを手に取り、水場のあるカウンターへ運んだ。そして何の気なしに、ふたたびレトに話しかけた。

 「ああそうだ。報告書には書かれていなかったんだが、ロク君が君のことを言っていたよ」
 「え?」
 「湖をつくるなんていう発想をしたのはレト君だったって」
 「……」
 「それを実行したのはロク君だったね。いつだって英雄視されるのは実行した本人だ。でも君は、"それがロクアンズにならできる"と完全に信用して、自分の考えを託したはずだ。私はね、存外君も無鉄砲で、熱い奴なんじゃないかと思うんだ」

 セブンは言いながらまっすぐ談話室の扉へ向かおうとした。レトの横をすり抜けるときに、まだ細くて頼りないその肩に手を置いてから、振り向いて言った。

 「ありがとう」

 手が離れ、そのまま扉の奥へ吸いこまれるようにセブンはいなくなった。彼は細身だが高身長だ。ラッドウールには及ばないが、その広い背に乗せてきたものは多いように思えた。
 レトはその背が消えてなくなるのを見送った。そうして自分の手を見つめてみると、まだ小さくて幼いことを改めて思い知らされる。
 傷だらけになっても、多くのものを掴めなくても、まだいいとセブンは言った。
 レトは談話室から退室した。だれもいなくなった室内は徐々に、もとの整然とした空気を取り戻していった。
 
 
 
 フィラは東棟内を彷徨っていた。まだ赴任したばかりで場所に馴染みがなく迷っているのだ。しかも此花隊の本拠地ともあるこの施設の規模は一般の公共施設とは段違いだ。とはいえ、おなじ此花隊といえど設置されている部屋の数も人員も、そして階数も、ローノの支部とは比べものにならない。
 小規模な支部出身のフィラは早い段階からこの事態を懸念していた。ロクを追って自分も談話室を飛び出したはいいものの、彼女の行きそうな場所など見当もつかないし、建物内の構造もいまいちよくわかっていない。ただ広い廊下を行ったり来たりしていた。

 (めげちゃだめよフィラ。ロクちゃんにはお世話になったんだもの。いっしょに組むことにもなるし、ここは私が……──)

 「フィラ副班長?」

 そこへ、戦闘部班の新入班員たちを引き連れたコルドが現れた。フィラは目の色を変え、彼らのもとへ走り寄った。

 「コルド副班長。よかった、知ってる人に出会えて」
 「どうかしたんですか?」
 「実は迷ってしまって……。はやくロクちゃんのところに行ってあげたいんですけど……」
 「ああ……。でもあの子なら、案外その辺でうろうろしているかもしれません」
 「え?」
 「前にも似たようなことがあって。考えごとしてたみたいで、下向いて廊下を歩いているのを見たことがあるんです」
 「そうなんですか」
 「フィラ副班長。あの子のこと、よろしく頼みますね」
 「はい」

 それだけ言って、コルドはフィラの横を過ぎていった。後ろについていた3人も彼に続く。
 フィラが前を向いたそのとき、廊下の先にある曲がり角から、ロクがふらりと姿を現した。

 「ロクちゃん!」

 ロクは、ぱっと顔を上げて立ち止まった。
 
 
 
 * * *

 本日『最強次元師!!【完全版】』は執筆開始日から1周年を迎えました!
 ちなみに旧版から数えると9周年となりました(*'▽')
 昨日が更新予定の月曜日でしたのに今日にずらしたのはそのためです笑
 いつも本作をお読み下さり、ありがとうございます!

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.49 )
日時: 2018/11/19 20:16
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: OWyP99te)

  
 第046次元 昇らずの廃屋

 曲がり角からふらりとロクアンズが姿を現した。フィラはぱっと表情を明るくして、ロクのもとに駆け寄った。
 フィラの呼び声に気づいたロクは、はたと立ち止まった。

 「フィラ副班」
 「探したのよ。よかったわ、見つかって」
 「あ、そっか。勝手にいなくなってごめんね」

 ロクは曖昧な笑みを浮かべた。話題を引きずりまいと、フィラはつとめて明るい声で言った。

 「セブン班長から指令があったの。調査依頼で、私たち2人でこれから向かってほしいんですって」
 「え、これから!? すぐ準備しなくちゃ!」
 「そうね。早く仕事が片付いたら、おいしいものでも食べて帰りましょ」
 「わーい! そうしよ! じゃああたし、準備してくるね!」
 「中央玄関でね」
 「うん!」

 若草色の長い髪を快活に揺らしながらロクは走り去っていった。いつもとなにひとつ変わらない姿だった。
「ロクちゃん」と声をかける前はたしかに、その髪も表情も沈んでいたのに。

 (……2人が義理の兄妹だっていうことは知っているけれど、それ以外のことはまだ……。ロクちゃん、ふつうに笑っているように見えたわ……あれは、無理しているのかしら)

 まだ知り合って間もないロクについてフィラが知っていることは、極一部にすぎない。もっと幼い頃はどんな風だったとか、どういう経緯でレトヴェールと義兄妹になったのかとか、そういった彼女の背景にあるものはまだ視えていない。
 フィラは首を振った。自分が悩んでも仕方のないことだ。パートナーとして関わっていくのだから、もしかしたら話を聞く機会も来るかもしれない。いまは焦らずに見守ろう──フィラはそう決めた。
 
 
 
 ロクとフィラが向かった先は、エントリアから西の方角に歩くとすぐのところにある廃屋だった。調査依頼書には、"夜に家宅のあるほうから呻き声のようなものが聞こえてくることがある"、"元魔が生息しているのではないかと推測している"という記述があった。依頼元はエントリアの最西の家宅に住む婦人だった。林道を抜けた先にある実母の家からエントリアへと戻る途中でのことだったらしい。だれの物ともわからない廃屋が建っていること自体は知っていたが、最近になってそこから呻き声のようなものが聞こえてくるようになり、安心して道を通ることができないので調査してほしいのだという。

 エントリアという都市を図で表すとしたら、円形だ。此花隊の本部はその円の中心地点からやや南へずれたところに位置し、まっすぐ北の方角を向いている。
 本部を出てから目的地に辿り着くまでほとんど時間はかからなかった。エントリアには東西南北それぞれの地点に関所が設置されていて、その1つである西門をロクとフィラはくぐり出た。
 林道をすこしいったところにその廃屋は構えていた。周囲の草木は伸び放題で整理されている様子もなく、まるで人気を感じない。鬱々とした雰囲気を漂わせるその廃屋を2人はまじまじと見渡した。

 「うわ~……たぶんここだね。いかにもって感じだし」
 「そうね。人が住んでいるようには見えないし……。やっぱり元魔が潜んでいるのかしら?」
 「とにかく入ってみよ!」

 ロクは表玄関の扉に備えつけられた取っ手を引いた。さほど重たくはないが、耳に障るような甲高い音が響いた。長い間油が差されていないのだろう。
 中へ入ると、案の定明かりのようなものは灯されていなかった。まだ陽が高い時間帯だというのに、この廃屋の中だけは夜のように薄暗く埃っぽくもあった。歩くたびに床の軋む音がした。
 ロクとフィラは二手に分かれて捜査を開始した。

 この建物に2階はなく、1階にいくつも部屋が展開されている。フィラは奥の部屋から回ると言って幅のある廊下を渡っていった。ロクはというと、玄関からすぐのところのやや広めの居間のあちこちに目を配っていた。食事処らしく、台所や食器棚らしいものが伺える。らしい、というのはその家具のいずれにも埃が積もっていて判断がつかないからだった。ロクは勇んで、背の低い棚の上に手を伸ばし分厚い埃の層を払い落としたが、すぐに咳き込んだ。

 「げほっげほっ。うう~ん……ここはちがうっぽい」
 
 涙目になりながら、ロクが次の部屋へと進もうとしたそのとき。

 《誰ダ》

 突然、何者ともわからない奇妙な声がした。びくっと背中が硬直し、驚くとともにロクが後ろを振り返ると──
 棚の中に納まっていた陶器の数々が目の前に迫ってきていた。

 「うっわあ!」

 綿がはみ出している腰掛の背を掴み、ロクはすかさずしゃがみこんだ。飛んできた平皿が頭上を過ぎ、床と接触すると、ガシャンと割れるような大きな音が響いた。

 「えっ、な、なに!? どゆことっ!?」

 かたかた、かたかた、と。ひとりでに、陶器が擦れ合う。棚底が動く。風も吹いていないのにカーテンが不自然に揺れていた。
 ロクは、キッ、と細めた目で辺りを見回した。

 「そっちがその気なら、受けて立ってやる! ──次元の扉発動、『雷皇』!」

 ロクの全身から雷光が散とした。その鋭い明るみが、蔓延する陰鬱さをいたく照らした。
 
 「雷撃──ッ!」

 伸ばした手から槍のような雷が飛びだして、棚の1つに直撃する。傾き、焦げ臭さを撒きながら棚は倒れた。
 ──くすくす、くすくすと、かすかな笑い声がロクの耳に届いた。

 《ドコヲ狙ッテイル》
 《馬鹿ナ子》

 「ば……っ! バカじゃないやい! それより姿を現したらどうなのさ! 出てこないなんてヒキョウだ!」

 《ヒキョウ、トハ、コウイウコトカ?》

 そのとき。ロクは突然、全身にとてつもないけだるさがのしかかるのを感じた。身体が鉛のように重たく、手足も思うように動かない。
 得体のしれないなにかに身体を乗っ取られているようだった。ロクは必死になって、自分の手足を取り戻そうとした。しかし、だんだんと表情も苦しくなってくる。

 「う、うぐ……!」

 《無駄ダ》
 《止メタホウガ身ノタメヨ》
 
 いくら踏ん張ろうとも身体は頑なに動こうとしない。汗が噴き出して、衣服が濡れてくる感触に気持ち悪くなってくる。そんなときだった。
 指先から、小さく電気が散った。ロクはその一瞬の隙を逃さなかった。

 「だれが……やめるか! ──雷撃ィ!!」

 ロクの全身を眩い光が包みこむ。力強い雷光を浴びて、辺りにあった棚や机などの家具と雑貨とが吹き飛んだ。

 《ギャッ!》
 《ギャッ!》

 甲高い悲鳴が2度ほどして、ロクは全身からふっと力が抜けるのを感じた。身体が途端に軽くなる。
 ロクはすこしだけよろけた。体勢を持ち直すと、ゆっくり、掌を握ったり閉じたりした。

 《クッソ!》
 《コノ子、タダモノジャナイ》

 ロクはふたたび居間を見渡す。たしかに声はするのに、その主の姿はどこにも見当たらなかった。

 (なんか、元魔じゃないような気がする。この感じ、もしかして……──幽霊?)

 姿を持たない声だけの存在。そして人の身体に乗り移り、身動きを封じる。あれは金縛りだったにちがいない。そうロクは直感した。
 元魔ではないとすれば話はべつだ。今調査の目的が幽霊退治、という名目に変わる。どうやら幽霊にも次元の力が及ぶらしいとわかったロクに怖いものはない。はずだったのだが。

 「み、見えないやつはやだああ!」

 そう、怖いものはない。ロクは何度も自分の心に言い聞かせていたが、身体だけは正直だった。
 ロクは走りだしていた。フィラのもとへ向かおうと廊下へ飛びだしたのだ。ロクは目に見えるものにこそ恐れを知らないが、心霊や占いなど目に見えない類の恐怖はからきしだめなのだ。
 息を切らし走るロクの背中に、ぞわりと、悪寒が走った。

 《モット遊ンデ》

 「ぎゃああッ! ふぃ、フィラ副はーん!」

 長廊下の右側にある扉の1つが、がちゃっと音を立てて開いた。名前を呼ばれて急いで飛びだしてきたフィラは、涙目になりながら物凄い速さで走り寄ってくるロクと目が合った。

 「なにがあったのロクちゃん! 大丈夫!?」
 「助けてーっ! ゆ、幽霊があ!」
 「へ? 幽霊?」

 突然のことにフィラは戸惑い、動くことができなかった。が、彼女の肩に乗っていた『巳梅』が床に飛び降り、ロクと向かい合うと、口を縦に大きく開いた。

 「キァアア!」

 『巳梅』の甲高い鳴き声が廊下の端から端まで響き渡る。ロクは慌てて立ち止まり、両手で耳を塞いだ。フィラもこめかみのあたりを手で押さえつけ、半分だけ目を開いた。

 「み、巳梅」
 
 《ウギャ!》
 《ウワァ!》

 不可思議な声色が呻きをあげた。廊下には、ロクとフィラ、そして『巳梅』以外にはだれもいない。2人と1匹は身を寄せ合い、なんとなく声がしたところを凝視した。
 そのとき。

 「"失境しっきょう"」

 居間のほうから、足音を鳴らしてだれかが呟いた。それとほぼ同時に、ロクとフィラは驚くべき光景に目を瞠った。
 何の変哲もない床の上に、なにかが倒れているのが、ぼんやりと視えるようになったのだ。そのなにかは輪郭の薄い、白いもやのようなものだった。2つ転がっている。
 ロクとフィラが呆然とそれらを見つめる中、白いもやたちは、がばっと起き上がって声を荒げた。

 《オ嬢!》《オ嬢!》

 白いもやたちの背後から、灰色の髪をした幼い少女が、霊のごとく静けさを連れて現れた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.50 )
日時: 2018/11/26 13:51
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: GqvoTCxQ)

 
 第047次元 パートナー
 
 2つの白いもやのようなものが、幼い少女の周りをゆらゆらとと旋回しているその光景はじつに奇妙だった。

 (いま、呪文みたいなのを唱えてた? もしかしてこの子……──次元師?)

 ロクアンズはまじまじとその少女の姿を見つめた。
 墨を薄めたような灰色の髪はまっすぐ腰まで下ろされていて、長かった。といっても少女の年齢はおそらく10にも達していない。背丈の低さはもちろん、頬や手先がふっくらとしていて、膝丈のワンピースから伸びている脚も細く頼りない。
 身に纏っている黒のワンピースは、この廃屋の陰湿な雰囲気によく溶けこんでいた。こういう場所を好む性格なのか、少女本人の表情も暗いように感じた。それに自分からロクやフィラの前に現れたというのに、喋りだす気配がまるでない。

 「えっと……君は?」
 「……」
 「ねえ、君の名前はなんていうの?」
 「……」

 ロクは、この少女くらいの年齢であるルイルのことを思い浮かべた。比べるというわけではないが、ルイルはこの少女よりも口数は多く、表情も明るい印象がある。

 「うーん……どうしたことか」
 「きっと迷子ね。エントリアの東門の近くにお家があるんじゃないかしら。親御さんのところへ連れていってあげないと」
 「あれ?」

 ロクは少女の頭に注目した。髪の毛の色が灰色というのも珍しいが、ロクが着目したのはそこではなく、その頭の上に乗っている黒い帽子だ。少女は、小さな頭から落ちてしまいそうな大きな帽子を被っていた。
 ロクはその帽子に見覚えがあった。ロクが作ったものは白だったため色は異なっているが、形状はとてもよく似ている。
 現在、アルタナ王国で若い層に人気を博しているという、キッキカの帽子に間違いなかった。

 「この子が被ってるの、アルタナ王国で作ってる帽子だよフィラさん!」
 「え? 本当に?」
 「うん。あたし、作ったことあるからわかるよ。ちょっと四角くて、ふわふわしてるの。キッキカって名前の花を使って作ってるんだよ」
 「じゃあ、この子は」
 「アルタナ王国から来たか、そこに関係してるか。どっちかだと思う!」

 ロクはくるりと少女に向き直り、すこし屈んで話しかけた。

 「ねえお願い、教えて? 君はどこからきたの?」

 なおも押し黙る少女の周りでぐるぐると回っていたひとつの白いもやが、ぴたと動きを止めた。

 《オ嬢ハメルギースノ言葉、アンマシャベレネエンダヨ! 子ドモナンダカラ察シロヨ!》

 「え?」

 いかにも躾の行き届いていなさそうな投げやりな口調で、白いもやの片方がロクに叱責を浴びせた。

 《テメエノ言ウ通リダヨ! オ嬢ハアルタナ王国カラ来タンダヨ!》
 《アル御方ヲ探シテネ》

 おなじように奇妙な声質をしたもう片方のもやは、粛々と丁寧な口調で告げた。

 「ある御方って?」
 「ルイル」

 息交じりで、消え入りそうな声を絞り出したのは、灰色の髪をした少女だった。
 ロクの質問を聞いてか聞かずか、間髪入れずに答えた少女は呟くようにもう一度言った。

 「ルイルあねどこいるの」

 どんよりと重たい灰色の瞳は、すこしだけ桃色がかっていた。その幼い声音の抑揚のなさは性格なのか、もしくは先ほど白いもやが告げたようにメルギースの言葉を上手く扱えないせいなのか。ロクはよく知っている人物の名前を耳にして、目を大きくしていた。

 「え、ルイル? あねってことは……ルイルの妹?」

 瞳にうっすらと浮かんでいる桃色がその証なのかとロクは疑った。しかしルイルの口から、ライラ以外にも姉妹がいるというような言葉を聞いたことがない。それにルイルもライラも美しい桃色の髪だった。この少女の髪は灰色だし、どこか顔立ちも似つかない。

 「あねどこいる。かえって」
 「えっと~……」

 ぽりぽりと髪を掻き、ロクが返事に困っていると、物腰が柔らかいほうの白いもやが通訳をした。

 《オ嬢ハ、「ルイル姉さんを返して」ト言ッテイルノ》

 「か、返して? でもルイルは自分からこっちに来たんだよ? ねえ、この子に伝えて。ルイルはね、自分からこの国に来たんだって」

 《ワカッタワ》

 白いもやが少女の耳元に寄り添った。アルタナ王国の言葉らしきものがつらつらと発せられているのがロクにはわかった。
 アルタナ王国は芸術という分野においては世界最高峰といっても過言ではなく、あらゆる国と頻繁に物の売り買いが行われている。中でもメルギース国との親交は厚く、両国における上級階層の人間や商売人が互いの国の言葉を覚えることを慣習としているほどだ。アルタナ王国に渡ったとき、ロクやほかのメルギース人に対してアルタナ王国の住人がメルギースの言葉を操っていたのはそのためである。この少女と変わらない年頃のルイルがメルギースの言葉を話せるのは、ルイルが王族だからという理由に基づく。
 不思議なのは、ルイルのことを「姉」と呼んでいるこの少女がメルギースの言葉をまだよくわかっていないという点だ。そんな風に呼ぶのは親しい間柄であるという裏付けでもあるのだが、王族に近しい人間だとすれば上級階層であることは間違いない。ルイルと年齢が近いということも踏まえると、謎はさらに深まった。
 
 《オ嬢ハコウ言ッテイルワ。「そんなのは変だ」ッテ。「すぐに会わせて」ッテ》

 「ルイルをここに連れてくればいいの?」

 白いもやはロクの言葉をそのままアルタナ王国の言葉に置き換えて、少女に耳打ちした。
 少女はこくりとも頷かなかったか、白いもやが返してきたのは肯定の意だった。

 《「そう」ッテ、言ッテイルワ》

 「なるほど……じゃあ本部に戻ってルイルを連れてこないといけないね」
 「私が行ってくるわ。ロクちゃんはここで、この子を見ていてくれる?」
 「うんっ、わかった。ありがとうフィラさん」
 「パートナーなんだから、当然のことよ」

 フィラは黒いコートを翻して、そのまま玄関の扉から外へと出ていった。ロクは無意識に、フィラが放った「パートナー」という言葉を頭の中で反芻していた。
 いま、自分の隣に立っているのはレトヴェールではない。そのことを改めて諭されるようだった。バラバラになっても大丈夫だと豪語したのはロクのほうだったのに、なぜだか心にはぽっかりと穴が空いてしまって、落ち着かなかった。ロクは、すっと鼻から息を吸いこんで肺を満たそうと試みた。しかしすぐに、空気の悪さを思い出して後悔した。案の定胸が苦しくなった。
 
          *
 
 カナラ街は、エントリアからはそう遠くない場所に位置している。東門を通過し、やや南の方角に歩先を変え、細い川に沿って緩やかな傾斜を下っていく。
 此花隊に入隊してから一度も訪れることがなかったカナラ街の全景を、小高い丘の上からレトヴェールは眺めていた。街並みはよく覚えていても、建物の屋根がずらりと横並びになっているのを見下ろすのは初めてのことだった。
 レトは、ちらりと左のほうに首を回した。遠くに見ゆるのがレイチェル村だということを視認する。

 レトとロクの故郷であるレイチェル村の人間は、買い物や仕事などで村とカナラ街とを往復することも少なくなかった。エントリアほどの広大都市とはいわないまでもカナラ街は十分に人や物資に溢れていた。いまよりももっと幼い頃、よくロクとともにおつかいで来させられたことがあったな、といった記憶がレトの脳裏を掠めた。
 レトはすぐに土を蹴って、街を目指して降りていった。

 記憶にある景色と変わり映えのしない街並みの中を、レトは目的もなく徘徊していた。巡回警備の命を忘れているのかやや俯きがちだった。昨年の今頃はまだこのカナラ街に頻繁に訪れていて、場所に馴染みがあるせいでもあるだろう。他人の肩にぶつかりそうになっても器用に躱していた。
 だが、レトがそれを後悔したのは、鼓膜を刺すような女の悲鳴が聞こえてきてからのことだった。

 「ば、化物だあ!」

 男の必死な叫び声に、街の人たちが一斉に息を、動きを止めた。空気が一変する。蜘蛛の子を散らすように街の人たちは駆けだした。
 愕然と立ち尽くすレトの真横を、無数の人影がもの凄い速さですり抜けていく。レトは時折肩をぶつけてよろめいた。

 「おいあんた! ぼけっとしてねえで、はやく逃げねえと殺されちまうぞ!」
 「ばけもんが出たぞーッ!」
 「いやああっ」
 「次元師様! 次元師様はいねえのか!」

 まるで猪の群れが目標に向かって猛突進していくかのように、足音が威勢よく遠ざかっていく。化物に対抗できるような超人的な力を持たない者たちによる迅速な判断だ。ついに周囲から人気がなくなり、レトは街中に取り残された。次元師はいないのか、その声が聞こえていたのかどうかはわからない。
 彼の頭上に、ゆらりと影がのしかかった。
 
 「──!」

 これまでとは容貌が異なっていた。レトは無意識に身震いした。
 ──細長い2本の角が空に突き刺さっているようだ。首から下はどっぷりとした体格をしていて、その丸い背中からは翼と思しきものを広げている。なんの動物とも例えがたい潰れた顔面だけは従来通りだといえるが、心臓のように赤い双眸が、ぎょろりと蠢くのには息を呑んだ。

 (……元魔)

 逆光を浴び、漆黒に染まる元魔の全貌は見つめれば見つめるほど、まるで覗く深淵に吸いこまれていくような、そんな錯覚を覚えた。
 太陽は完全に遮られていた。
 頼りになるものは、その胸の内に秘める異次元の力のみであると、レトは理解せざるを得なかった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.51 )
日時: 2018/12/06 23:27
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: DvB6/ADf)

 
 第048次元 謎の青年
 
 異次元の扉がすなわち鞘となって、レトヴェールが手にかけると同時に2本の短剣がなにもない空間から刃を覗かせた。

 「次元の扉発動──『双斬』!」

 赤と黒の塗装に金細工があしらわれた柄を慣れない様子で握りしめて、今一度レトは元魔を凝視した。
 神話に出てくるような悪魔の絵を思い起こさせる容姿だ。蝙蝠の羽によく似た薄い翼を大仰に広げて威嚇する。
 元魔は枝のように細い腕をゆらりと空へ掲げて、間もなく振り下ろした。

 「っ!」
 
 レトは間一髪といったところで飛び退き、躱す。難なく地面を突き破った黒い腕が、ゆっくりと引き抜かれる。元魔は首を回してレトの顔を認識した。すかさず、彼めがけて猛突進する。

 「──ッ、ぐ!」

 レトが頭上で双剣を重ねると、そこへ元魔が鋭利な爪を叩きつけた。降りかかる重力を跳ね除けようと勇む細い両腕は震えて、いまにもひしゃげてしまいそうだ。
 重い。苦しい。──押し負けるだろう。そんな予感がふと脳裏を掠めたとき。

 「ぐあっ!」

 レトの身体がひっくり返った。勢いよく地面に打ちつけた背中が、激痛を覚える。土の欠片と埃とが舞いあがり、レトは咳きこんだ。
 衝撃によって抉られた地面の上で、元魔はレトの身体に覆い被さっていた。
 顔のすぐ傍で、鋭利な爪が突き立っていた。左目のすぐ下を掠めたらしく、細い切れ目から血がぷくりと膨らんで、滑り落ちた。すこしでもずれていれば左の眼球をやられていた。もしもの事態を想像して、レトは全身からさっと血の気が引くのを感じた。
 鮮血のように赤い無機質な眼がぐっと近づく。ゆらり、と。元魔は空いているほうの左の腕を持ちあげた。
 しかし、身体が思うように動かない──いまにもあの鋭利な爪が降ってくるのに。

 もしもこのまま振り下ろされたらひとたまりもない。狙いどころによっては致命傷になる。失明の恐れ。腕や体内、脚、関節、至るところの損傷が想定できる。最悪の場合死に至る。
 もしも『双斬』で対抗しようと振り翳しても、また押し負ける可能性のほうが高い。上からの圧す力と下から支える力では圧倒的に上にいる者のほうが有利だ。対抗してもしなくともなんらかの損傷を被るのは必至でそれを回避する術がないとしたら、すこしでも軽減できる道を

 ──もしもを起こさないように、全力でやるんだよ!

 もしもここにいたら。
 一瞬だけ、そんな風に考えた自分を振り払うように、レトは双剣を浮かせた。

 「三元解錠」

 元魔が黒い腕を振り落とさんとする、ほんの一瞬前。

 「──交波まじわ斬りッ!」
 
 2本の刃は交差し、左右それぞれに振り払われた。密着した身体と身体の間を吹き抜けるわずかな隙間風を切り裂いて生まれた衝撃波が、至近距離で元魔に襲いかかった。
 元魔は奇声をあげ、肢体を大きく仰け反らせた。おなじように衝撃波に巻きこまれたレトは後方へ吹き飛ぶ。石道の上を転がり、民家の石の塀にぶつかったところで勢いは止まった。が、そこで頭を強く打ったおかげですぐに視界がぐらついた。額から血が噴きだし、汗と交じって地面に滴り落ちた。
 想定通り、損傷はした。だが身体の機能的には何の障害もない。レトはそのことを噛みしめた。

 (全力でやる、か)

 心拍数はとっくに跳ねあがっている。汗はとまらずにぼたぼたと地面を濡らし、壁にぶつけた頭が痛みを訴えてくる。呼吸を整えるので精一杯だった。考えごとをしながら本を読んでいるときと比べると、時間の進みはとてつもなくゆっくりに感じられた。

 (ぜんぜん余裕ない、苦しい、次は、)

 どうする。揺れる視界の奥では、元魔のような黒いものが動きはじめていた。さきほどの一撃では倒れそうもないことは簡単に予想できていた。
 元魔は着実に歩を進め、こちらへ向かってくる。反射的に剣の柄を握るも、その手に力が入らなかった。

 ──なんで負けることを考えなきゃいけないの? 

 「……」

 ──どんなときだって考えないよ、そんなこと。

 近くからそんな声が聞こえてきそうだった。レトは両の手に無理やり血を流しこみ、自分自身を鼓舞する。

 (そっちのほうが正解だって、)

 「それくらい、わかってんだよ」

 金の瞳が瞬いた。『双斬』の刃が紅い輝きを放つ。
 くるりと柄を持ち換えて、刃の向きを後ろへやった。体重が下へ下へいくように足の裏で土を踏みしめる。ロクアンズはいつもどういう身体で、気持ちで、次元の力を使っていただろう。怖いという感情をまるで感じさせないのには、どういった理屈が潜んでいるのだろう。
 考えるだけでは答えは見つからない。レトはふたたび剣を交差させ、風の刃を繰り出そうと息を止めた──まさにそのとき。

 「……!」

 元魔の、後ろ。瓦礫の下で横たわっている子犬の姿を認識した。

 (まずい、この技じゃ──あたる)

 漆黒で大きな影が覆い被さる。レトの身体は、動かなかった。

 「──真斬しんざん!!」

 だれとも知らない男の声が、高らかに響き渡る。
 その途端のことだった。いままさに襲いかかろうと跳び上がっていた元魔の上下半身が、真っ二つに引き裂かれた。まず下半身がまっすぐ地面に落ち、遅れて上半身がすこし離れたところに転がった。
 なおも、上半身だけは生存欲を露にしていた。伸ばした細い腕で無様に空を掻くそこへ、1人の青年が近づく。額の上で生き永らえている赤い核にまっすぐ剣先を添え、心臓を突き破るとともに頭部を貫いた。ほぼ同時に黒い液体が辺りに飛散した。
 レトは呆然としていた。突然現れた謎の青年に目が釘付けになる。
 青年は振り返って、レトを見た。

 「……。大丈夫か? そこの君」
 「え……ああ」
 「つらそうだ。手を貸すよ」

 青年はレトのもとに歩み寄ってくる。短く切り揃えられた黒髪が清潔さと爽やかさを印象づける。前髪も短いせいか、はっきりとその顔つきが見えた。精悍で男らしさが際立っている。口元に浮かべた柔らかい笑みも相まって、ますます人に好印象を与える容姿だなとレトは思った。
 膝を崩すレトの顔の前に、青年は手を差し伸べた。

 「ほら、捕まって、お嬢さん」
 「……」

 性別を間違われることにもはや遺憾を感じなくなったレトは青年の手をとらずに、自分の力で立ち上がった。

 「女じゃない」
 「……え、そうなのか。それは失礼なことを言った。完全に女の子だと思ってたよ。さっきの戦闘を見てたら、なおのこと」
 「……」
 「その服は、此花隊とかいう組織の隊服だろ? 次元の力専門の施設とはいっても、あの程度なんだな」

 レトがわずかに眉を下げるのを見逃さなかった青年は、ふっと笑みをこぼした。

 「大きな囲いの中でぬくぬくと過ごしてるから、簡単に命を落とすんだよ」

 青年の顔から穏やかさが消え失せた。挑発するような物言いにレトは思わず乗っかってしまう。

 「うちの隊になにか文句があるんだったら文書とかそういうのを送りつけてくれ。さっきの礼は言う」
 「馬鹿にされて逃げの体勢をとるとはな。とんだ腰抜けに育ってるじゃないか」
 「……。此花隊に、なにか恨みでもあるのか?」
 「さあな。でも、君みたいな奴を見てると、非常に腹が立つ」
 「なんだと」
 「その程度じゃ神族を滅ぼすどころか太刀打ちもできない。君に次元師としての自覚があるのかどうかは知らないけど、いまのままじゃ、無様に殺されるのが結末だ」

 ──ガキン! と、金属と金属とが接触するときの不協和音が鼓膜を刺した。レトは双剣を、そして青年は1本の長剣を振り翳し、鬩ぎ合う。

 「……」
 「やっとその気になったな、少年」

 余裕の笑みを浮かべて、青年は言った。

 「見せてやるよ。神を殺す覚悟っていうのが、どんな戦い方なのかを」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.52 )
日時: 2022/10/02 18:11
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第049次元 英雄のかたち
 
 光り輝く長剣の刃が、レトヴェールの『双斬』を打ち上げた。両腕を高く挙げるような体勢となった彼の脇腹を青年は逃さず、長剣で突いた。
 
 「ぐッ──!」

 勢いよく血が噴いてレトは身を畳んだ。が、そこへ、まるで息つく間も与える気のない一太刀が迫った。

 「っ!」

 レトは片方の剣を手離した。短剣は宙で旋回し、からんからんと音を立てて石道の上に落ちる。矢継ぎ早に繰り出される剣戟に、レトは完全に翻弄されていた。

 「まだまだこんなものじゃないぞ、少年」

 青年の足が地面を蹴った。考える暇もなくレトは左手に残った短剣で迎え撃った。が、刃の幅も長さも敵わなければ、本来2本であるはずのそれが片方だけとなってしまっている。力の入れ方もわからず、玩具の剣を振り翳しているようにも見える必死な姿を嘲笑うかのように、青年は口角を吊り上げて、短剣ごとレトの身体を払い飛ばした。
 
 「うあッ!」

 軽い肢体はまんまと石道の上で跳ね、転がった。もはや立ち上がる力も残っていないのか、レトは地面に突っ伏したまま呼吸を荒くしていた。

 「終わりか?」

 青年は、レトの左の手に覆われている短剣を蹴り飛ばした。

 「……」
 「残念だよ。もうすこしやれるかと思ってた。……言いすぎたようだけど、どうか気を悪くしないでくれ。俺は、神族と真っ向から勝負できる人間が増えればいいと願ってる。これは本当だ」

 青年は長剣に付着した血を払いながら、続けた。

 「君も次元師なら強さを求めてほしい。勝利を望んでほしい。俺はもっと上へいく。神を滅ぼすことが、次元師として生まれた俺の使命だと、本気でそう思ってるんだ」

 虚言や絵空事を述べているようには微塵も感じなかった。この青年は本意で、だれが掲げたかもわからないような"次元師としての使命"を全うするつもりなのだと、レトは思った。 
 強い正義感。それも執念にごく近い。熱の灯った青い瞳は、恐ろしいとさえ思わせた。

 「それじゃあ、またな。少年」

 そう言い残し、藍色の外套を翻した青年がふいに背中を見せた。そのとき。
 喉の奥からかき集めた息の結晶が、詠唱に替わった。

 「次元の扉発動」

 振り返ると、"扉"はすでに開け放たれていた。

 「──『双斬』!!」

 地面に伏した両手にそれぞれ短剣が携えられる。青年が臨戦態勢をとるより先に、双剣の片方が浮いた。
 
 「四元解錠──、一迅いちじん!」

 一陣の風が青年の右腕を掻っ切った。内側から噴き出した血が真横に飛んで、石道の上に点々と跡を残す。いくら力をこめて傷口を抑えても、どくどくと、赤い液体は漏れだす一方だった。
 一度は、レトの手元から弾き飛ばし遠ざけたはずの『双斬』だったが、甘かった。レトは次元の扉を閉じることによって『双斬』を異次元の世界へ返し、その上で再発動させ、『双斬』を手元に戻したのだ。
 
 (体に傷を負っていても、頭ん中は動く……なるほどな。この少年、次元師としての力量はまだまだだが、いいものを持ってる。次元師同士の戦いの最中にその扉を閉じるとは、想定外だ)

 自然に笑みがこぼれた。青年は、腕に負った傷口を抑えたままレトに向き直った。

 「君は面白い。馬鹿にしたことを詫びるよ」
 「……」
 「俺の名前はセグ。君は?」
 「レトヴェール」
 「……レトヴェール、か。次に会うそのときは本気でやろう、レトヴェール」

 その言葉を最後に、青年はレトの前から消え去った。入れ替わるような形で街の住人がばらばらと戻ってくる。並んで歩いていた2人の男が、地面に倒れているレトの姿を認めて、慌てて傍へ駆け寄った。

 「き、君! どうしたんだいその傷は!」
 「見てみろよ。この子の着てる服、此花隊のものじゃないか?」
 「本当だ。駆けつけてきてくれたんだな。こんな傷だらけになるまで戦って」
 「傷の手当てをしてくれるとこがあっただろう。そこへ案内しよう」
 「ちょっとその子、どうしたんだい?」

 そこへ、恰幅のいい婦人が狭い歩幅でばたばたと走り寄ってきて、2人の男は表情を明るくした。

 「ああよかった。この子、怪物とやりあったみたいで傷がひどいんだ。手当てしてやってくれないか」
 「それは大変だ。いますぐうちで診るよ。あんたたち、運ぶのを手伝ってくれる?」
 「ああ」

 意識が朦朧としているせいか特に抵抗する素振りも見せず、レトは男におぶられてその場をあとにした。
 

 目を覚ますとすぐに、つんとするような嫌な匂いが鼻腔を刺激した。天井板からは灯りがぶら下がっていて、どうやら室内にいるらしいということがわかった。
 身体を起こし、ぼうっとする頭を左右に振った。寝台のすぐ傍に窓が備えつけられていて、穏やかな風が吹くとその度に金の髪が揺れた。
 寝台から降りようと身体をよじらせたとき、脇腹に電熱のごとく鋭い痛みが走った。
 レトが寝台の上でうずくまっていると、さきほど見かけた婦人が部屋に入ってくるところだった。

 「ちょっとあんた! 動いちゃだめだよ。傷が深いんだ」
 「……」
 「待ってな。いま薬と包帯を持ってくるから」

 傷跡がじわじわと熱を取り戻していくとともに、青年セグとの一戦を思い出し、表情が険しくなる。

 (まるで歯が立たなかった)

 思えば、セグは元魔に対して放った一撃を除いて、レトとの戦闘では一度も次元技を繰り出さなかった。レトの技量を測った上での対応だったのだろう。悔しいが、純粋に剣術勝負をしても適わない相手だったということになる。
 これ以上傷口を開くまいとレトはゆっくり身体を動かして、元の体勢に戻ろうとした。こんこん、と木製の扉を外側から叩く音がして、レトは扉のほうに視線を向けた。
 だれかが扉を押し開く。

 「店主が急ぎの用で出てしまったので、代わりに薬と包帯を届けにきました」

 穏やかで可愛らしい声が室内にふわりと広がった。入室してきたのは、ちょうどレトとおなじ歳くらいのまだ若い少女だった。手に持っているのは縁のついた丸い木の板で、その上に包帯と塗り薬を盛った小鉢を乗せている。
 レトは、その人物を姿を認めると、驚いたように目を見開いた。
 
 「包帯を取り換えるついでに、新しく薬を……」

 高い位置で二つに結い上げた、鮮やかな小麦色の髪が肩の上でさらりと揺れる。
 少女はレトと顔を合わせるや否や、硬直した。

 「レト、ヴェールくん」

 琥珀色の大きな瞳に、2年前となにも変わらない自分の姿がはっきりと映りこんだ。そんな気がした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.53 )
日時: 2018/12/13 08:26
名前: ひなた ◆NsLg9LxcnY (ID: E616B4Au)

瑚雲さま

はじめまして。ひなたと申します。
作品、>>26までですが、読ませていただきました!
ほんとは最後まで読んでからにしようかなと思ったのですが、
>>17のルイル王女がさらわれるところからの盛り上がりにすっかりハマって「(小説書く力的に)これは勝てない‼︎」と思ってテンションが上がってしまったのと、
事件が一段落した後、自然と次元師の仲間が増えたり、次元師に関する基本的な知識を新しい仲間に授けられたりするのは、唯一認められた次元師の組織ならではだなと気づいたら今度は伏線や設定に感動してしまって、
いったん今の時点での感想を書こうと思ってやって来ました。長い。ごめんなさい。
物語の展開のメリハリをつけるのが上手すぎて盗みたい気持ちです。うらやましい。

それと、ガネストが好きです。
事件解決のために次元の力を使うシーンとか、「ずるい」と思いました。かっこよすぎる!

また読みに来ます^^
執筆がんばってください!


(ちなみに『最強次元師!! 』旧版の方を以前読ませていただいたことがあります^^
ですが、カキコ自体しばらく来ていなくて読んだもかな~り前だったので、
今回初めて読む気持ちで読ませていただきました^^
あとこの名前だとはじめましてですが、別の名前だとはじめましてではないかも笑←)

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.54 )
日時: 2018/12/24 11:33
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: hgnE84jl)

 
 >>53 ひなたさん

 感想ありがとうございます! わざわざ本スレに足を運んでくださって嬉しいです(*'▽')
 ひなたさんにそんな風に言っていただけて、ああ書き続けてきてよかったなあという気持ちです。ひなたさんが昔のスレを読んでくださったことがあるとは思わず、びっくりしています。じつはこのアルタナ王国編は昔のスレでも似たような内容で書いていたものになるんですが、もしその部分を読んでくださったことがなかったとしても、当時と比べてすこしだけでもいいものが提供できていたら幸いです!

 じつは初めましてでない、というお言葉を聞いてたいへん困惑しています……もし差し支えなければ、ぜ、ぜひお名前を教えていただきたいのですがどうでしょうか……!

 君を待つ木花編のほうも、ぜひ読んでいただけると嬉しいです!
 感想ありがとうございました!*

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.55 )
日時: 2020/04/16 23:20
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第050次元 再会

 「……」
 「……」

 ほんの一瞬、レトヴェールと小麦色の髪をした少女の間を吹き抜ける風に冷気が交じった。少女ははっと我に返って、手元の薬と包帯とに視線を落とした。ギィ、と床を軋ませながら歩いてくる。
 呆然としているレトの傍までやってくると、少女はその場にしゃがみこんで、ぎこちなく笑みを落とした。

 「久しぶりだね」
 「……」
 「……。あ、えと……元気、だった?」
 「ああ、まあ」

 なんとなく少女の顔から視線を外したレトは、やや俯きがちになることでなんとか返事をした。
 それが少女には、レトの顔が沈んだように見えた。覗きこむことを躊躇われた彼女はおなじように視線の置きどころを見失い、唾を飲んだりしていた。

 「そうだ。ロクは? 元気にしてる?」
 「……」
 「……ロクと、なにかあったの?」
 「おまえが気にすることじゃない」

 思った以上に冷たく低い声が出てしまい、レトはすぐに後悔した。ロクアンズとの喧嘩は決してこの少女のせいではないし、むしろ「気にしなくていい」という意味合いをこめたつもりだったのが、失敗した。突き放すような言い方に聞こえたのか、思った通り少女は動揺していた。
 
 「……そ、そうだよね。ごめんね、手当てをしにきたのに」

 消え入りそうな声で呟いてから、少女は手元に視線を戻した。包帯の取り換えを行わなくてはならない。ふたたびレトの顔を見上げるも、彼とは相変わらず視線が合わない。

 「包帯、取り換えてもいい?」
 「……ん」

 肯定か否定かよくわからない返事だった。少女はすこし悩んでから、緊張した面持ちでレトの腰元に両手を伸ばした。

 「あのさ」

 急に声をかけられ、びっくりして少女は手を引っこめそうになった。

 「な、なに?」
 「こんなところにいたんだな」
 「……え?」
 「いや、どこ行ったのかと思ってたから」
 「……ああ、そうだね。2年くらい前だっけ? レトヴェールくんたちにはなんにも言わないで、出ていっちゃってたから。でもあてもなくて、あんまり遠くへ行く勇気もなくて、だからずっとここにいたの。お店もたくさんあって便利だしね」
 「そうか」
 「……」
 「……手、止めさせて悪かった」

 レトがそれ以上なにも言わなかったので、少女は恐る恐る手を伸ばしなおした。彼の上半身に巻きついた包帯を音もなく剥がす。
 どことなく空気は張りつめていて、一般でいうところの若い男女が2人きりでいる雰囲気とはかけ離れていた。少女の動きには無駄がなく、こういった傷の手当てに慣れているようだった。
 店で取り扱っている薬を傷口に塗布し、真白の新しい包帯を巻きなおす。
 留め具で包帯の端を処理し終えると少女は満足そうに一息ついた。

 「……」
 「これで大丈夫。あの、ごめんね、時間かかっちゃって」
 「……あの、さ」
 「ん? あっ、ど、どこか痛む?」
 「……そうじゃなくて──その、」

 レトがなにかを言おうと口を動かしたとき、豪快に扉を開け放つ音とともに女店主が入ってきた。

 「キールア! もうその子の手当ては済んだかい?」
 「あ、はい」
 「ちょっと手伝っておくれ。重体の客なんだ」
 「わかりました。いま行きます」

 少女はすっくと立ち上がり、扉の近くに立っている女店主にそう声を投げ返した。それからレトのほうを振り返った。

 「ごめんね、レトヴェールくん。……あの、さっき、なにか言いかけてた?」

 レトは口を結んだ。それから、いや、と小さくかぶりを振った。

 「……なんでもない」
 
 少女は、そっか、と寂しそうに笑みを返してから、くるりと背を向けた。遠くから扉の閉まる音が聞こえてきた。室内はふたたび静寂に包まれる。
 窓から入ってきた風が冷たくて、レトはぶるっと身を震わせた。

 (……──なにも変わってない。俺は、昔のままだ)
 
 
           *
 
 埃を被った腰かけに鎮座し、灰の髪の少女はただただじっとしていた。白い肌や長いまつ毛、纏う雰囲気もさながら人形のようだった。それほど歳も変わらないはずなのに、なぜかロクアンズは少女に対して委縮していた。「ヒマだから遊ぼっか」とか「どうしてそういう色の服を着てるの?」とか「お腹空かない?」とか、いろいろと反応を窺ってみたがどれも無反応に終わっている。ルイルを姉と親しんでいるくらいだし似ているところがあるのかもしれない、なんて思いながらロクは手持ち無沙汰に腰かけから足を投げ出しぶらぶらと揺らしたりして、暇を持て余していた。
 何の気なしにコートのポケットに手をつっこんだそのとき。ロクははっとした。手を入れたり出したりを繰り返すも、ポケットの中には両方ともなにも入っていないことに気づく。
 ロクが焦って立ち上がったとき。玄関の扉が開いたような気がして、ロクはぱっと視線を上げた。

 「ロクちゃん、ルイルちゃんたちを連れてきたわ」
 「あっ、フィラさん、おかえりなさい」

 ロクは笑みだかよくわからない複雑な顔をして言った。不思議がるフィラの後ろからルイルとガネスト、そして新規班員のメッセルが顔を覗かせる。

 「あれ、メッセル副班も?」
 「このガキどもの担当っつことで、同行してんだよ。だけど話に聞きゃぁ、ガキのお守りだっつぅじゃねぇか。これ以上ガキ抱えんのはごめんなんでな、俺ぁ事が終わるまで外にいる」
 
 屋内に片足も踏み入れずに、メッセルは玄関口から伸ばしていた首を引っこめた。
 そのとき。メッセルが履いているズボンのポケットからなにか黒い布切れがひらひらと揺れているのを見えて、ロクはメッセルの衣服に飛びついた。

 「待っ、ねえ! ちょっと待ってメッセル副班っ」
 「うわぉ! んだよ」
 「それ、その黒い布みたいなの、見せて!」
 「おい、勝手にとんな!」

 ロクはメッセルのズボンから布切れを引き抜いて、それをまじまじと見つめた。
 それから驚いたように、しかし安心したように息を吐いた。

 「よかったあ、あった! いつの間に落としてたんだろ」
 「んだよ、これおめぇのだったのか。隊の玄関前に落ちてたぜ。ふつうだったらこんな布切れ、捨てちまうとこなんだが……。なぁおめぇ、こいつをどこで?」

 ロクは表情を一変させた。それから布切れに目を落として、言った。

 「もらったの。昔、大事な人から」
 「大事な人、ねぇ」

 その布切れを見つめるロクの目は優しかった。それは黒一色で、平たく細長い織物だった。片方の端は綺麗に糸などで装飾されているが、もう片方は鋏かなにかで切られたように不格好だ。

 「メッセル副班長、その織物がどうかしたんですか?」
 「あーそれがよぅ、大層な上物なんだよ、それ」
 「え?」
 「おめぇも城使いが長ぇっつぅんならわかんだろ。ゆうに数百万は飛ぶような代物しろもんだ」
 「す……。本当ですか、ロクさん」
 「さ、さあ。あたしはよく知らないけど」
 「その大事な人ってのは貴族か? それとも王族か?」
 「……エアリス・エポールっていう、あたしの、恩人」

 メッセルは驚き、それから「なるほどな」と何度も首を縦に振った。

 「エポールっつぅことは元王族の末裔か。そら金持ちのはずだ」
 「……」
 「どうかしたの、ロクちゃん?」
 「……ああ、ごめんごめん! へへ、なんでもない」

 おどけたようにロクが笑うのをただじっと見つめていたルイルがふいに視線を外すと、その視線の先には、灰色の髪をした少女がいた。

 「ティリ」

 ルイルが驚いたようにその名前を口にすると、少女は腰かけから静かに立ち上がった。ルイルとガネストは慌てて少女の傍まで近寄った。

 「ティリ……な、なんでここにいるの?」
 「あいにきたの。ルイルねえねに」

 ルイルとガネストは呆気に取られていた。アルタナ王国の言葉らしいものが交わされていることはなんとなく理解できるも、どこか取り残されたような気分になりロクはそわそわと3人の様子を伺っていた。

 「あいにきたって……」
 「おとうさんとおかあさんにはないしょ。それでふねにのって。でもどこにルイルねえねがいるかわからなくって。ここにいたの」
 「だめだよティリ。おばさまもおじさまも、すごくすごくしんぱいしてるよ」
 「……いい。べつに。ルイルねえね、いなくなっちゃったから。こわくて」
 「ルイルに会いたがっている人物とは、ティリナサお嬢様のことだったんですね」
 「ガネストたちの知り合い?」
 「はい。ティリナサお嬢様は、ルイル王女の血縁者なんです。ルイルの母君様、亡くなられた王妃様の妹君様が、ティリナサお嬢様の母君様にあたりまして……──」

 この頃。屋敷の扉に凭れかかって見張りなどしていたメッセルだったが、ただ少女を説得するだけのことにどれほど時間を費やしているのかと早くも苛立ち始めていた。実際にはさほど時間は経過していないが、メッセルはすでに耐え切れなくなっていて、蹴破るかのように荒々しく扉を開けた。

 「おぅいおめぇら! どんだけ時間かけ──」
 「──それが、ヴィヴィオの一族です。つまり亡き王妃様のご実家で……」
 「……。ぶ、ヴィヴィオ、だぁ?」

 メッセル以外の全員が一斉に玄関のほうを向く。彼は奇妙に眉を曲げ、訝しげにそう言った。驚く一同を代表してガネストが答える。

 「は、はい……。ここにいるティリナサお嬢様が、ヴィヴィオ家のご息女様でいらっしゃいますが……」
 「おい、おめぇか、ヴィヴィオのガキってなぁ」
 「……」

 体格の大きいメッセルはかなり腰を曲げて、ティリナサの顔を覗きこむ。彼女は睨むようにして彼の顔を見上げた。

 「なるほどな。ヴィヴィオのおやっさん、ガキなんて産みゃあがったのか! そら何年も経てばガキの1人や2人できるか」
 「メッセル副班長は、ヴィヴィオ家となにか繋がりが?」
 「なんかもなんもねぇや。昔、アルタナに渡ったときに作品を買ってもらったんだよ」
 「……へ? さ、作品?」
 「俺ぁちょいと前までは壺造ってたからな。いやぁあんときは儲かってた儲かってた」
 「うえぇ!?」

 一同はどよめいた。中でもひっくり返る勢いで声を荒げたロクを、メッセルはキッ、と睨み返した。

 「んだよその反応はよぉ」
 「ああごめん、つい……。ちなみに壺ってどんな? 果実とかを漬けとくあの壺?」
 「ちげぇよ。芸術品だ。おやっさんに売ったときのは、アメリオンって名前をつけたけどな」
 「……アメリオン?」

 ロクはその名前をどこかで聞いたことがあった。むむっと眉をしかめて両腕を組む。直近の記憶から順に遡っていくと、ロクは「あ」となにかを思い出したように口を開けた。

 「そうだ! 競売場!」
 「きょ、 競売だぁ?」
 「うん。数ヶ月前にね、近くの島で競売してるとこがあって、そこでアメリオンの壺っていうのが出てたんだ」
 「おいおい、アメリオンはヴィヴィオのおやっさんに売ったんだぜ。向こうにあるもんがなんでこっちにある?」
 「それが全部偽物で、競売場で責任者やってた……でー、でーなんとかって人がほかの人に作らせてたって」
 「デーボン・ストンハックだな。芸術家の間で噂になってた。あんの野郎……!」
 「ああでももう大丈夫! そのデーボンさんはあたしたちが政会に連れていったし!」
 「……は? おめぇが?」
 「そ! でも驚いたなあ。偽物っていったって、本物そっくりに作るんでしょ? すごく大きくて、装飾とかもすごいなんか、キレイだった! あの壺の本物を、メッセル副班が作ったなんて」

 ロクは大きな片目を輝かせながら、身振り手振りでその壺がいかに凄かったのかを体現した。彼女の笑顔があまりにも無邪気なもので、メッセルは、ぶはっと豪快に吹き出した。

 「ぶぁははは! おんもしれぇなぁ、おめぇ。そうかそうか。知らねぇ間に、俺ぁおめぇらのやんちゃに助けられてたってわけだ。……しゃぁねぇ。礼は返すもんだよな。おい、緑のガキんちょ」
 「なあに?」
 「このヴィヴィオの嬢ちゃんをアルタナ王国に送り届けりゃ、万事解決か?」
 「……えっ、いいの!? メッセル副班」
 「おぅよ。ヴィヴィオのおやっさんにいい土産話ができたから、そのついでにな」
 「やったー! ……じゃあ、あとは……」

 ロクはちらりとティリナサを見やる。数多の視線を浴びてもなお、ティリナサはじっと無表情を湛えていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.56 )
日時: 2018/12/24 11:28
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: hgnE84jl)

 
 第051次元 会いたい人

 「あのね、ティリ。きいてくれる?」
 「……」

 ルイルに話しかけられてもティリナサの面持ちは変わらなかった。普段からティリナサが何事に対しても反応が薄いことを知っているルイルは、とくに気にすることもなく続けた。

 「ルイルはここにのこる。ろくちゃんたちといっしょにたたかうんだって、そうきめたの。だからくににはかえらない。……わかってくれる?」
 「どうして。ルイルねえねが、じげんしだから?」
 「それもだけど……いっしょにいたかったの。ろくちゃんや、みんなと」

 冷たい寝台の上で抱えこんだ身体。姉のこと。扉を閉めて塞ぎこんだ。連れ出してくれたのはロクアンズで、傍にいてくれたのはガネストで、その道の先にあったのは、此花隊だった。姉の生存を信じてやまなかったルイルはようやくその姉、ライラとの再会を果たすも、ロクたちとともにあることを望んだ。そこにロクへの敬愛や信頼が大きく働いているのだとルイル自身が気づくのはもうすこし先の話で、ただ「一緒にいたい」という漠然とした感情に任せて、アルタナの地を離れたのだった。
 ティリナサは幼いながらも、ルイルが纏っているそのきらきらした雰囲気に勘づいていた。2つの白いもやがティリナサの周りをくるくると回る。

 「じゃあ、わたしも。わたしもいる。わたしもじげんしだって、おかあさんとおとうさんがいってた。だからいる」
 「ティリ……」
 「そいつぁダメだな」

 メッセルは言いながらルイルの隣までやってくると、大股を開いて腰を下ろした。

 「此花隊に入るんなら、メルギースの言葉が話せなけりゃダメだ。それにあの温厚なおやっさんのことだ。いまごろ死ぬほど心配してんぜ、おめぇのことをよ」
 「……べつに。いい」
 「いいこたあるかバカたれ。いいかよく聞け。おやっさんたちがおめぇを笑顔で送り出せるようになるまでは我慢しろ。そんでいつかそういう日がきたら、そんときは面倒見てやるからよ」

 (……メッセル副班長、これ以上抱えるのはどうこうって言ってたのに)

 子ども好きなのかなと、ガネストは小さく吹きだした。メルギース語が理解できないロクとフィラはさておき、口元を抑えて笑っているガネストに向かってメッセルは悪態をついた。

 「おいなに笑ってんだおめぇ」
 「すみません。メッセル副班長はお優しい方だなと思いまして」
 「ああっ!?」
 「え、メッセル副班なんて言ってたの?」
 「それがですね」
 「大したことじゃねぇよ! 親を心配させてるうちはガキだっつぅんだ! 自立できるようになってから来いってな。ったくよぉ」
 「……」

 ぶつぶつと文句をこぼすメッセルの傍ら、まだ納得がいっていない様子でティリナサは顔を逸らしていた。
 ルイルが「ティリ」と声をかける。身体は正直で、ティリナサはびくっと反応を示した。

 「あいにきてくれてありがとう、ティリ。いまはいっしょにいられないけど、でも、でもぜったい、またあおうね。こんどはルイルが、ティリにあいにいくよ」
 「……」

 ルイルがぎゅっとティリナサの手を握った。そうして、ティリナサはようやくその重たい頭を縦に振った。表情でいえばさきほどからなにも変わっていないが、ルイルだけはわかっていた。寂しそうだけれど、諦めてくれたんだな、と。
 ルイルがほっと息をついたとき、2つの白いもやも満足したように、ぽふん、と姿を消した。

 「それにしても驚きましたね」
 「え? なにが?」
 「ティリナサお嬢様が次元師だったということです。さっきまで見えていた白い煙のようなものがそうなんでしょうか。いつか一緒に戦うことにもなりそうですね、ロクさん」
 「……」

 その一瞬、ある考えがロクの脳裏を過ぎった。彼女は一歩、足を踏み出して、「ねえティリ」とティリナサに話を切り出した。

 「ティリの次元の力は、幽霊を扱うことができるの?」
 「……?」
 「こっちの言葉は通じねぇって」
 「あ」
 「僕が訊いてみます」
 
 ロクの発言をそのままアルタナ語に訳し、ガネストはティリナサに訊ねた。すると、彼女は小さくこくりと頷いてみせた。

 「ティリ、なんて?」
 「『そう』だそうです。もしかしたらさっきの白い煙は、守護霊かなにかかもしれませんね」
 「……」
 「ロクさん?」
 「ねえガネスト。お願いがあるの。ティリの次元の力で、あたし、会いたい人がいるんだ」
 「……もしかしてロクさん」
 「ティリ」

 ティリナサの視界にロクの姿が入りこんでくる。新緑に輝く左瞳は、真剣そのものだった。

 「死んだ人間の霊なら、だれでも呼んだりできる?」

 ふたたびガネストが代弁を務める。おなじようにティリナサは小さく頷いた。「できるそうです」と、ガネストがその旨を伝えると、ロクは思い切ったように言った。

 「エアリス・エポールって名前の、女の人を呼んでほしい」

 ガネストの通訳を介したため、まちがいなくティリナサにはその言葉が伝わったはずだったが、今度は即答をしなかった。ティリナサが目を伏せ、これは時間を要することなのかもしれないと判断したガネストは立ち上がった。が、いつの間にか彼女がじっと見つめてきていて、彼は素早く傍耳を立てた。

 「ティリナサお嬢様が、『その人を特定できる手がかりのような物がほしい』……と」
 「手がかり?」
 「なんでもいいそうです。……血縁者であれば、髪の毛などが望ましいとのことですが、遺品でも代用はできるそうです」
 「遺品……」

 下を向きつつ思考を巡らせていると、若草色の髪の毛が、視界の端にちらりと映りこんだ。
 
 「おい。さっきおめぇが持ってった黒い布切れの持ち主、元はそのエアリスって奴なんじゃなかったのか?」
 「え? あ……」
 「そいつで代用すりゃいいだろうが」

 慌ててコートのポケットに手を突っこみ、織物の感触を得ると、それを抜き出した。

 「これ……これで、できる?」
 「……」

 ロクの手のひらにふわりと架けられた織物が、ティリナサの手に渡る。ティリナサはそれを丁寧に折りたたむと、小さな両手で優しく包みこみ、──詠唱した。

 「"索砂さくさ"」

 ティリナサの手や腕、全身から透明な糸のようなものが幾千幾万と芽吹く。それらは天井や壁を悠々とすり抜けていった。
 空高く距離を伸ばす糸、地面の上を走っていく糸、森や建物の中を縫うように通り過ぎる糸。驚くことに、目には見えない糸の大軍が様々な場所まで辿り着くのには、数刻も要さなかった。
 じつにその範囲は、メルギース国全土のうちの半分──西側の地域全体にまで行き渡っていた。そこには当然レイチェル村も含まれている。

 「……どう? ティリ」
 「……」

 ティリナサは閉じていた目をぱちっと開いた。ガネストのほうへ顔を向けると、また彼にしゃがむように目で促す。ガネストがただこくこくと頷いているだけにしては、これまででもっとも時間がかかっていた。ガネストの耳元からティリナサが離れると、彼はロクに対して弱々しく首を振った。

 「いないそうです。どこにも」
 「……そ、っか。ありがとうティリ、ガネスト」

 「じゃあもう行くぞ」と言って、メッセルはティリナサを玄関の外へ連れ出した。見送りのためにほか全員も外へ出る。建物からすこし歩いたところで、ティリナサだけがくるりと振り返った。するとルイルではなく、ロクのほうを見つめて呟くように言った。

 「ありがとう」

 ロクが目をぱちくりさせているうちに、ティリナサはさっさと背を向けて歩きだしていた。ティリナサが最後に口にした「ありがとう」は、まちがいなくメルギースの言葉だった。さきほどロクがティリナサに対して「ありがとう」と言ったのをその場で覚えたのだろう。ロクは深く感心していた。

 「てぃ、ティリすごい……。さっき覚えたんだ。あれ、でもなんで『ありがとう』?」
 「ルイルと会わせてくれたから、という意味だと思いますよ。ティリナサお嬢様ははっきり言っておられませんでしたが、お別れの際には、お顔は綻んでいらっしゃるようでした」
 「そうなんだ」
 「……ところでなんですが、ロクさん。ティリナサお嬢様からもう1つ、伝言を預かりました」
 「なに?」

 ガネストはロクに向き直り、ティリナサの言ったことを思い出しながら告げた。
 
 「死んだ人間は思念体、つまり魂だけの存在となってしばらくこの世界に居続けますが、未練がなくなると魂が浄化されて、この世を去るのだそうです」
 「未練がなくなる?」
 「はい。どうしても憎い相手がいるとか、愛しい人を残してしまっただとか、そういう生きた人間に対する執着がなくなるってことです。もう思い残すことはなにもない、そういう意味だと思います」
 「思い残すことは……なにもない。か」
 「なにを訊きたかったんですか」
 「え?」
 「……あなたを拾ったエアリスさんが、もしもまだこの世界にいらっしゃっていたら、あなたはなにを訊きたかったんですか」
 「それは……」

 ロクはうまく舌が回らないみたいに口ごもり、なんとなく頬を掻いた。それから突然笑顔になっていつもの調子良さに戻る。

 「べつに、なんでもないよ! ちょっと会いたくなっただけ。もう二度と会えないって思ってたのが、もしかしたら会えるかもしれないーなんてなったら、ふつう会いたいでしょ?」
 「ロクさん、はぐらかさないでください」
 「え?」
 「あなたは笑ってごまかそうとするときがあります。他人に対しては事情もお構いなしにずけずけと入りこんでくるというのに、自分が踏みこまれるのは嫌だと言うおつもりですか」
 「ガネストくん、言いすぎだわ」

 慌てて止めに入ったフィラのことがガネストにはまるで見えていなかった。彼は一度もロクの顔から目を逸らさずに、声を低くして告げた。

 「……ロクさん、覚えてますか。まだ僕たちがアルタナ王国にいたとき、あなたが僕とルイルに言ったこと」
 「え?」
 「『無敵の関係になれるとは思わないか』、と」
 「──」

 『でもそういう、いろんな壁を越えて笑い合えたらさ、だれにも邪魔できない、無敵の関係になれると思わない?』

 「あれは、あなた自身がレトさんとの間で望んでいることでもあるんじゃないですか。あのときは僕も、自分たちのことで頭がいっぱいだったので、そうは思っていませんでしたが。でもいまならわかります」

 ガネストの脳裏には、此花隊本部の談話室でのことが浮かんでいた。ロクとレトの言い争いを目にしたガネストは2人が義兄妹となった経緯をすこしだけ知っている。そしてロクが「家族にしてもらったんだ」と告げていたことから、彼女がレトや義母に対して引け目のようなものを感じているのではないかと疑ってもいる。それはまるで、お互い踏みこみ合わず、距離をとっていた頃のガネストとルイルの関係に酷似していた。

 「あなたは、あなたたちは、ちがうんですか」

 ロクは黙ったまま下を向いていた。それからすこしだけ顔をあげて、重い口を開いた。

 「さっきね、メッセル副班が言ってたのを聞いて、ちょっと思ったんだ。心配をかけているうちは子どもだって。おばさんは……どう思ってるかな。あたし、レトとケンカしちゃって、どうしたらいいかわかんなくって。あたしはレトと、まだ一緒にいたいけど、おばさんには……いまのあたしたちが、どう見えてるのかな──って」

 義兄妹となった2人を抱きかかえていた腕は、もうない。残された2人は、ただおなじ女性からもらった愛だけを知っていて、ただおなじ次元師だったというだけで現在まで道をおなじくしている。ロクは悩んでいた。エアリスという"母"を失った義兄妹の、これからの関係の在り方を探している。普段身に着けることのないエアリスからもらった織物を持ち出したのも、レトヴェールとの唯一の繋がりがそれだったからだ。

 「ねえ、ろくちゃん。ろくちゃん、れとちゃんとなかなおりしたい?」
 「う……うん。仲直りしたい」
 「ろくちゃん、まえにいってたよね。さいしょはいもうとだってみとめてくれなかったけど、って。じゃあどうして、なかよくなったの?」
 「え……」
 「僕もまだそこまでは聞いてません。もしかしたら昔のことがヒントになるかもしれませんよ」
 「こんどはるいる、ろくちゃんのためにおはなし、ききたい」

 ロクは、ルイルとガネスト、そしてフィラの顔を見渡した。それぞれ事情はちがうけれど、自分が勝手に心の奥まで踏みこんで、そして心を開いてくれた人たちだ。
 廃屋の正面玄関の傍には白い長椅子が置かれていて、ひしゃげたパラソルがすぐ隣で立っている。ロクはその白い長椅子に腰をかけた。傘に空いた穴から木漏れ日がちらほらと降り注ぐ。
 
 ──現在から遡って、5年前のことをロクは話し始めた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.57 )
日時: 2020/04/16 14:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
参照: 特別更新*

  
 第052次元 日に融けて影差すは月Ⅰ

 凍えるような寒さの中──「うちにおいで」と言って差し伸べられた手を握りしめながら、若草色の髪をした少女は雪の降り積もった道の上を歩いていた。ざく、ざくと心地いい音を鳴らす足は、1人だけのものじゃない。
 隣を歩いているのは女性だ。美しい金色の髪をひとつに結って、それが歩を進めるたびに腰のあたりで揺れて、綺麗だった。「寒くない?」とか、「もうすこしだからね」とか、いろいろ気にかけてくれたが、少女は首を振るばかりで、一言も発しなかった。
 倒れていた場所には街灯が立っていたような覚えがあるが、気がついたときには林道へ入っていた。ぼんやりとしていたら道の終わりが見えて、どうやら村らしいところへ着いた。
 ここは『レイチェル村』というのだという。豊かな緑が広がり、木造の家がぽつりぽつりと、間隔をあけて建っていた。道という道はない。新緑に彩られた世界だ。
 形が整えられていない適当な岩を積んでつくった石段が小高い丘の上に続いている。どの家のものかわからない畑が所狭しと並んでいて、その横を順々に過ぎていく。すこし歩いたところで、女性がようやく足を止めた。
 少女が顔をあげると、目の前には可愛らしい印象のこじんまりとした家が建っていた。近くにほかの家はない。この家のすぐ裏側には、細い小川が流れていた。

 「さ、はやく入ってあったまりましょう」
 「……」

 女性が家にあがろうとすると、握られた手にぐっと力が入った。若草色の髪をした少女は難しい顔をして俯いていた。
 強引に連れてきたといっても過言ではない。警戒されるのも当然のことだった。

 「あなたをどうこうしようとは思っていないわ。本当よ」
 「……」
 「うーん……困ったわ」

 そのとき。家の扉がガチャリと開いた。2人が扉に視線を向けると、女性とおなじ金の髪をした少年が中から顔を覗かせた。

 「レトヴェール」

 女性が名前を呼ぶ。少年はなにも応えない代わりにじっと少女の顔を睨んで──

 「えっ」

 バタン! ──と物凄い音を立てて扉を閉めた。女性は「あらら」と、呆気にとられる。

 「ご、ごめんなさいね。たぶんびっくりしちゃったのよ。知らない子が来たから」

 女性は慌てて取り繕ってみせたが、少女は閉じていないほうの左目を丸くして、石のように固まっていた。
 
 無事に家の中へ案内された少女は、扉をくぐるなりさきほどの少年とばっちり目が合ってしまった。居間のテーブルについていた少年はまるで女の子みたいに可愛らしい顔をしていた。が、不愛想にもすぐにぷいっと目を逸らし、椅子から飛び降りてどこかへ行ってしまった。
 女性に促され、少女は暖炉の傍に座って冷えた身体を温めた。しばらくして、少女はあたたかいスープとつけ合わせのパンを馳走になった。ちょうどこの時間がこの家での夕餉の食卓なのだろう。
 レトヴェールと呼ばれた少年もテーブルについていた。時折、幼い子どもとは思えない怪訝な顔つきで少女の顔を睨んでは、黙々と食事を口に運んでいた。野菜がごろごろしていてよく煮こまれたスープやバターの風味が香るパンをおいしいと味わっていた少女は、途中から胃にものを詰めこむようにして手を動かした。
 
 翌日。気持ちのいい朝を迎えた少女は、女性に──「うちの子にならない?」と言い渡された。少女は驚いて、困惑して、そして小さく泣いた。嬉しい、と素直に感じたのだった。もしかしたらこの女性は悪い人で、いつか自分を傷つける日がくるかもしれないなんてことも考えた。けれども少女は、それでもいいと思った。

 若草色の髪をしたその少女はロクアンズと名づけられた。

 「さあロクアンズ、この子が私の息子のレトヴェールよ。これからあなたのお義兄ちゃんになるの。仲良くしてね」
 「れ、ヴェ……る」

 女性の名前はエアリス・エポールといった。彼女には息子が1人だけいて、それがレトヴェールという名前の幼い少年だった。少年、といったが彼はすこしだけ伸びた金色の後ろ髪を紐で小さく結っていて、目も大きいので一見すると本当に少女のようだった。美しい金の髪と瞳、そして整った目鼻立ちがエアリスによく似ている。
 が、その精巧な人形のような表情は昨晩からなんら変わりなく、子どもらしさの一切を切り離したように冷めきっている。良く言えばきりっとしていて賢そう、であるが、悪く言えば不愛想極まりない態度だ。

 「……」
 「あの、えと、なかよく……なかよくしてね、レ……レと」
 「おまえのあになんかなるかよ」

 レトヴェールはふてくされたようにそう言い捨てた。鋭い目で睨まれ、ロクアンズは萎縮する。そんな彼女の両肩に手を置くと、エアリスは柔らかく諭した。

 「レトヴェール」
 「おまえなんか、いもうとじゃない! どっかいけ!」

 なかば怒鳴るようにそう突き返して、レトヴェールは走り去っていった。ふとエアリスのほうを向き、彼女が顔を曇らせていることに気づいたロクアンズは、慌てて笑みをつくった。しかし取り繕われただけのその笑顔はとても下手くそだった。

 「だ、だいじょうぶですっ。あの、べつに、きょうだいとか……ならなくても」
 「……。あなたはなにも気にしなくていいのよ。私が娘にするって決めたんだもの。ちょっとだけ、時間はかかっちゃうかもしれないけれど……きっと仲良くなれるわ。そう思ってる」
 「……」

 それからの生活は、ロクアンズにとっては苦労の連続だった。エアリスは本当の娘のように可愛がってくれたが、その光景を見たレトヴェールが嫌な眼差しを向けてくるたびに、ロクアンズは胸になにかが閊えるような思いだった
 中でも一番困ったのは、レトヴェールとの会話がまったく成り立たなかったことだ。

 「あの」
 「……」
 「あ、のぅ……」

 ロクアンズからレトヴェールに投げかけた言葉は、十中八九返ってこない。ほとんどを無視されるのだ。本格的に嫌われている、と彼女は自覚しつつも、いつもめげずに話しかけていた。

 「えと……お兄ちゃ」
 「だから、あにじゃねえって。なんかいいえばわかるんだよ」
 「じ、じゃあなんていえばいい? れ……れとびえぇる?」
 「ちげえし、つかなまえもよぶな!」

 ロクアンズに話しかけられるだけでも嫌な顔をするレトヴェールは、名前の発音までまちがえられるとさらに怒りを沸き立たせた。刃物のような目つきを向け、またロクアンズから離れてしまう。ただレトヴェールと仲良くなりたいだけなのに──ロクアンズは、逆に彼の怒りを買うことになってしまい、ひどく落ちこんだ。

 「きらわれてるのかな……」
 「どうしたの?」

 腕に大きな竹籠を抱えたエアリスが、ロクアンズの小さな背中に声を落とした。彼女は取りこんだ洗濯物で溢れている竹籠をひっくり返した。絨毯の上に洗濯物の山ができる。

 「おに……れと、びぇ、び……」
 「ふふ。レトヴェールがどうかした? ……またなにか言われたの?」
 「う、ううん。わるいのあたしだから」
 「なにを言ってるの。あなたはなにもわるくないわ。とってもいい子よ」

 エアリスは洗濯物の山の中から衣類を取り出しては、丁寧にたたんで、積んでいく。

 「あの子はちょっと恥ずかしがり屋さんなだけなの。ロクアンズのこと、ほんとはすごく気になってるんじゃないのかしら」
 「う……うそ」
 「うそじゃないわ」
 「でも……」
 「あの子ね、あんまり村の子どもたちと遊ぼうとしなくって。『おかあさんだけでいい』なんて言っちゃって……。遊ぶのだって、いっつもおうちの中でね」
 「さびしくないの?」
 「……すこしまえにね、お外で遊んできなさいって言ったことがあるんだけれど、そのときあの子なんて言ったと思う?」
 「うーん……わかんない。なんてゆったの?」
 「『ほかのみんなが楽しそうにしてるのが見えて、いやだ』って、そう言ったのよ」

 エアリスは、袖と丈の小さな服を取って広げた。いつも汚れひとつないから洗いやすいのだけど、と眺めながらそう零す。

 「あの子は踏みこみ方がわからないの。あなたはレトヴェールと仲良くなりたいって思って、たくさんあの子に話しかけにいくでしょう? でもあの子にはそれができないみたいで。だからお願い、ロクアンズ」
 「……?」
 「あの子のこと、どうか諦めないであげて。ほんとうはすごく優しくて、家族思いで、とってもいい子だから」

 ロクアンズは、絨毯の上に残ったレトヴェールの衣服をつかむと、ばさばさと広げて、畳みだした。

 「うん。あたし、れとぶぇーると、なかよくなりたい。それで、いっしょにあそんだりしたいっ」

 エアリスは安心したように顔を綻ばせた。そしてロクアンズの頭に手を伸ばすと、若草色の髪を優しく撫でた。その手から伝わってくる温かさがとても心地よくて、ロクアンズは子犬のように嬉々とした。

 「……」

 そんな2人のやりとりを偶然目にしてしまったレトヴェールは、壁に隠れたままじっとしていた。
 
 
 
 * * *
 
 本日は主人公ロクアンズの誕生日のため、特別更新です!
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.58 )
日時: 2020/04/16 14:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
参照: ※内容加筆修正のため再掲

 
 第053次元 日に融けて影差すは月Ⅱ

 快晴に恵まれたある冬の朝。エポールの家から北の方角にいくと、家宅がいくつか立ち並んでいる場所へ出る。そのうちの一軒はこじんまりとした茶屋で、常に小さな旗を構えている。ここは朝早くに門を叩くと焼きたてのパンを売ってくれるのだ。おつかい係に任命されたロクアンズは今日一日で消費する分のパンを詰めこんだ袋を抱え、行きとおなじ道を辿って家に戻ってくる。そして大きな声をあげながら玄関をくぐった。

 「ただいまーっ! かってきたよーおばさんっ!」
 「あら、この元気な声はロクアンズね。おかえりなさい」

 ちょうど洗濯をし終えて小川から戻ってきたらしいエアリスが、裏の庭に竹籠を置いて家にあがる。愛用している前かけで手元を拭いながらロクアンズのもとに歩み寄った。

 「ありがとう、ロクアンズ。あなたが早起きで助かっちゃうわ」
 「えへへ」
 「これで朝食を作るから……あ、ごめんなさい、もう一仕事だけ引き受けてくれる?」
 「もう、ひとしごと?」
 「洗濯物を裏庭に干してほしいの。その間におばさん、おいしい朝ごはんを作って待ってるから」
 「わーい! おいしいあさごはんっ! あたしやる!」
 「ありがとう」

 ロクアンズはバタバタと走って裏庭へ出る。水浸しの衣類が山のように積まれた竹籠を両腕で抱え、よたよたと危なげに歩きだした。案の定、彼女は物干し竿の前にやってくるや否や吹っ切れたように両腕を離した。竹籠の底が、どすんと草木を踏む。
 ぜーはー、とロクアンズは息を吸ったり吐いたりする。心拍が落ち着いてきたところで、彼女は服の袖を捲った。

 「よしっ! もうひとしごとだ!」
 「あさからげんきだな」

 そこへ、寝間着姿のレトヴェールが上着を羽織りながら近づいてきた。ロクアンズは左目をまんまるにして、声のしたほうへ振り返る。

 「れ……。あっねえ、てつだって? そしたらはやく、おいしいあさごはんたべれるよ」
 「やだよ。めんどくさい」
 「……。おばさんいってたよ。れとぶぇーる、おきるのおそいんだって。あたしがパンをもらいにいったんだよ」
 「おまえはとうぜんだろ。いそーろーなんだから」
 「い、いそ、なに?」
 「よそものってことだよ」

 ロクアンズの手に握られた衣服から、ぽたぽたと水が滴り落ちる。ぎゅっと力を入れると、さらに大きな雫が落ちて、水溜まりが跳ねた。

 「……やさしくなんか、ない」
 「あ?」
 「ねえ、なんでいっつも、いじわるいうの? あたしなにも、なんにもしてないっ」
 「してんだろ」
 「なにを!」
 「かあさんのほんとの子どもでもねえくせに」

 レトヴェールの金色の瞳と、ロクアンズの緑色の片瞳が、真正面からぶつかり合った。

 「かあさんをとんなよ!」
 「とったとかとらないとか、おばさんはものじゃないし、とってないもん!」
 「じゃあちかくにいんな!」
 「やだ!」
 「んだと──このっ!」

 レトヴェールはかっとなって、ロクアンズの襟元を乱暴に掴みあげた。すると彼女の軽い身体は簡単に地面に落ちた。強く背中を打ちつけ、「うっ」と小さい呻き声をもらす。同時に洗濯物の入った竹籠も派手にひっくり返った。
 ロクアンズは細い手足をばたつかせて必死に抵抗した。

 「やーだあ! はなして!」
 「おまえがいなくなったら、はなしてやるよ!」
 「やだっ! はな、はなれるのは、ゃだ……!」
 「んでだよッ!」
 「また……っあたし、ひとり、なの……ぃやだぁ……!」

 そのときだった。突然、ロクアンズの首元の苦しさが和らいだ。ぱっと左目を開くと、レトヴェールが目を丸くして自分を見下ろしていた。
 彼の目には、新緑の瞳に滲んだ涙が映りこんでいた。

 「……」
 「……?」

 ロクアンズが動揺の色を浮かべた、そのとき。

 「なにをしてるのっ、2人とも!」

 大きな声がして、ロクアンズとレトヴェールの2人は我に返った。
 庭に出てきたエアリスは、揺れる草花の上で無造作に散らばっている衣服をすべて拾い上げて、籠の中に戻した。ふたたび山となった竹籠を2人の前に突きだし、彼女は言い放った。

 「2人で洗ってきなさい。いい? 2人でよ。わかったら行きなさい」

 エアリスは険しい顔つきになっていた。いつもは穏やかな眉がきつく吊り上がり、顔も真っ赤だ。これほどあからさまに怒りを露にしているエアリスを見たのは2人とも初めてだった。返す言葉が見つけられず、黙って竹籠を受け取った。
 
 
 小川は家の裏庭からすこし行ったところで流れている。そこまでの道のりは遠くないので、すぐに川のせせらぎが聴こえてきた。
 ロクアンズとレトヴェールはお互いの顔を見ないようにして歩いていた。先に竹籠を抱えていたロクアンズが、ちらりとレトヴェールのほうを向いて言う。

 「ねえ、あなたももって? あたしつかれた」
 「……」
 「ねえってば」
 「おまえのせいでこうなったんだろ。だからおまえが持てよ」
 「……れとぶぇーるがさきにやったのに」 
 「だからなんだよそのよびかた。ちげえし」
 「じゃあなんてゆえばいいの!」
 「しらね」

 レトヴェールはつんとしていて、反省をする気はまるでないようだ。自分ばかり竹籠を運んでいるのがばからしく思えてならない。なにを言っても聞いてくれそうにないレトヴェールの頭に竹籠をぶつけてやりたいが、ロクアンズはそれほど重たい物を持ちあげられない。代わりに小石を蹴飛ばしていた。
 小川に辿り着くと、ロクアンズは汚れた衣類を草花の上にぼとぼとと落とした。それから川べりに座りこむ。
 流れゆく川の水に衣服をさらして、引き上げて、吸いこんだ水をよく絞ってから、カラになった竹籠に戻す。黙々とそんな作業を続けるロクアンズを、レトヴェールは立ったまま見下ろしていた。

 「……」

 あなたもいっしょにやって、だとかそういった文句を言わないのかとレトヴェールは訝しんだ。ロクアンズは彼に目もくれず、言いつけられた仕事にだけ向き合っている。これだけは完遂させないとという執念の色さえ見えた。

 「おい、あれ、ウワサの緑髪じゃねえか!?」

 聞き覚えのない声がして、ロクアンズはその声につられて横を向いた。すると背格好のよく似た3人くらいの子どもたちが、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
 
 「ほんとだ! すっげえ! ほんとにいた!」
 「おいやっぱあれだよ、右の目! 閉じてやんの。すっげきっもちわりぃ」
 「──」

 ロクアンズは咄嗟に、自分の右目を手で覆った。直後、その様子を見ていた少年たちがどっと笑った。

 「おい、もっとみせろよ」

 3人のうちで一番大きな身体をしている茶髪の少年が歩み寄ってくる。ロクアンズは後ろに下がろうとした。が、踵が浮くような嫌な感覚がして、身震いした。すぐ真後ろには小川が流れている。
 茶髪の少年はロクアンズの右手首を豪快に掴んだ。

 「手どけろよ」
 「ぃ、やだ!」
 「いいじゃんかよ。みせろよ。みてえんだよ」
 「やだってば!」

 少年がロクアンズの右手首を引っ張ろうとし、彼女はその強い力に負けないようにと抗っていた。
 が、子どもといえど男と女には力の差がある。いまにでも右手首をはがされそうで、ロクアンズの目尻にはまたじわりと涙が浮かんだ。

 「……」

 ただただ、レトヴェールはその光景を見過ごしていた。
 そのままなにもしないかと思われた彼だったが──
 
 「は?」

 その場でしゃがんで、落ちていた小枝を拾うと、ロクアンズの手首に纏わりついていた少年の手の甲に思い切り突き刺した。

 「いッ!」
 「!」

 少年の手が彼女の手首から離れた。彼女はじんじんと痛む手首にもう片方の手を添えながら、ぱっと顔をあげた。
 3人の少年たちはロクアンズではなく、小枝をぽいと抛るレトヴェールに視線を集めた。
 
 
 
 * * *

 2018年はお世話になりました。
 来年も本作をよろしくお願いしますー!(*'▽')

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.59 )
日時: 2020/04/16 14:51
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第054次元 日に融けて影差すは月Ⅲ

 「んだよおまえ! じゃますんなよ!」
 「そうだぞ!」
 「……」

 レトヴェールは口をきこうとはせず、つんとよそ見なんかをしていた。ようやく少年の手から解放されたロクアンズは彼の後ろでまだすこし痛む手首を擦る。

 「こいつさぁ、たまにみるやつだよな」
 「おれらんことウラヤマシソーにみててさ、きもちわりぃんだよ」
 「みてねえよ」
 「みてんじゃんかよ!」
 「あと、うらやましいとかそういうの、かってにきめんな」
 「んだと!」

 少年たちの興味の矛先が、ロクアンズの右目からレトヴェールへと遷移しつつあった。彼女はとっくに顔から手を離しているのに、その傷のついた右目に少年たちは見向きもしない。

 「……」

 投げられる数々の暴言はすべてレトヴェールに当てられている。いつの間にやら蚊帳の外に立たされていて、その場から見えるものといったら彼の背中だけだ。
 小さく結われた金色の髪が、さらりと揺れて──綺麗だ、なんて。ふとそんなことを考える。

 「かっこつけてんのかよ? おんなのまえだからって」
 「おんなみてぇなかおしてるくせによ」
 「あ?」
 「かあちゃんが『かかわんな』って言ってたぞ」
 「……」
 「えぽーるはのろわれてんだ。かみさまにきらわれてんだってな!」

 強い語尾とともにレトヴェールが肩を突き飛ばされると、次の瞬間。
 一、二歩だけ後ずさった彼は──ドボンっ! と真っ逆さまに川底へ落ちた。高く水しぶきが打ち上がり、驚いたロクアンズがすぐに川べりに飛びついた。

 「っ! れ──」
 「きっもちわり。あーせいせいした!」
 「おまえやりすぎだろこれは!」
 「あはは!」

 げらげらという汚い笑い声にまぎれて、レトヴェールが川面を割って顔を出した。前髪がべたりと張りついていてその表情ははっきりしない。

 「れ……」
 「……」

 ロクアンズは、驚きと疑問で胸がざわついていた。ついさきほど少年の1人に腕を掴まれたときに、横槍を入れなければ彼はまちがいなく無事でいられた。やいやいと悪口を言われることも、凍えるような冬の川に身を投じることもなかった。

 「もういこうぜ。あきたし」
 「そうだな」

 彼は相変わらず目を合わせようとはしない。川底に尻をついたまま、ただ時間が過ぎるのを待っているようにも見える。
 少年たちがくるりと背を向けた。
 そのとき。

 ロクアンズは竹籠を掴み、躊躇いなくひっくり返した。そして籠の中身をすべて地面の上に落とすと、それで川の水を汲み、少年たちの背中に水を投げた。

 「ッ!」
 「っうわあ!」
 「つめて!」

 ばしゃあっ! ──と。少年たちは冷たい水を背中に被った。3人は不格好にもよろめいて膝をついたり転んだりする。
 レトヴェールは水の冷たさも忘れて、間抜けにもぽかーんとしていた。

 「お、おい! なな、なにすんだよっ!」
 「……らわないで」
 「はあ?」
 「レトのこと、わらわないでよ! たしかにおんなのこみたいだし、ぜんぜんやさしくないけど、でもあたしの……あたしの、おにいちゃんだから、わらったりしたら、ゆるさないから!」

 目尻にじわりと滲んだ涙を落とさないように、ロクアンズはきつく唇を結んだ。怯んだというよりは、得体の知れない怒りをぶつけられて少年たちは呆れ返っていた。

 「な……なんだよ。ほんとになんなの、こいつ」
 「ぎりのきょうだいってんだろ、こいつらみたいなの」
 「ああ。ぜんぜんにてねえし」
 「いっしょうやってろ、ぎりのきょうだい!」

 少年たちは、あかんべーなどをしながら水浸しの背中を向けて行ってしまった。
 レトヴェールは川底に座りこんだまま、ロクアンズの後ろ姿を見上げた。しばし静寂が流れた。
 
 「……」
 「……」
 「……んだよ、れと、って」

 ロクアンズはぎくりとした。やや目を泳がせながら、もっともらしいことを口にする。
 
 「な、ながいから。よぶときじかんかかるし、みじかいほうがかわいいし」
 「うそつけ。いえないんだろ、ヴェールって」
 「……それも、はんぶんくらいある」
 「ぜんぶだろ」
 「はんぶんだもんっ」
 「いいやぜんぶだ」

 また言い返すと永遠に終わらないな、とロクアンズは反論を諦めて、川の中で座りこんでいるレトヴェールの顔の前に手を差し出した。

 「かぜひいちゃったら……おばさん、しんぱいするよ。だからはやくあがろ?」
 「……」
 「レト?」
 「おまえ、へんだよな。なぐろうとしたやつかばったりして」
 「それは……レトもいっしょでしょ。さっきたすけてくれた」
 「べつにたすけてねえよ」

 レトヴェールは差し出された手をぷいっと無視して、起き上がろうとした。が、川底のぬめりけに足を滑らせ、そのまま大量の水しぶきをあげて彼はすっ転んだ。
 唖然としてその一部始終を見ていたロクアンズは、耐え切れず、大声をあげて笑った。

 「ぶっ……ははは! レト、レトおっかしーっ!」
 「笑うな!」

 高らかな笑い声が、澄んだ川面に浮かぶ木の葉をかすかに揺らす。笑われて頭にきたらしいレトヴェールは、ぐんっとロクアンズの腕を引いた。すると彼女は成す術もなく川面に直撃した。彼女の奇声が川の中から聴こえてくるも、彼はざまあみろと言わんばかりにフンと鼻を鳴らした。
 美しい小川の底では、2匹の小さな魚が寄り添い合っていた。
 
 
 
 レトヴェールとロクアンズの2人に小川での洗濯を言い渡したのには、いくつか理由があってのことだ。一つは言うまでもなく、2人の言い争いが原因でせっかく綺麗に洗った洗濯物が土まみれになってしまったからだ。喧嘩をすると面倒なことになりかねないと身体に教えこませることも目的のうちである。
 そしてもう一つ。2人には共同で作業をしてほしかったのだ。つい最近出会ったばかりで、互いのことをよく知らない状態では、会話やコミュニケーションがなかなか成り立たないのも無理はない。そこでエアリスはなかば強制的ではあるが、2人に共同作業をさせることで仲間意識や友情のようなものがすこしでも芽生えるのではないかと考えたのだった。しかし。

 「ちょ、ちょっとどうしたのよ2人とも! そんなにびしょぬれになって……いったいなにがあったの?」

 裏庭から帰ってきたロクアンズとレトヴェールの姿を見るなり、エアリスは卒倒しそうになった。
 頭の上からたらいの水でも被ったのかと疑うほど、2人は頭のてっぺんから足の爪先までしっかりと濡れていた。エアリスがしごく心配そうに顔を覗きこんできたので、ロクアンズは先に口を開いた。

 「ね、ねえね、おばさんきいて! あのね、レトがぜんっぜんてつだってくれなかったんだよ。だからあたし、たくさんあらってて、それでとちゅうで川におっこちちゃったの」
 「え?」

 エアリスは目をぱちくりさせた。ロクアンズの言ったことはほとんど嘘だ。が、このまま押し切ればエアリスを騙せると踏んで、ロクアンズは調子をあげた。

 「でねでね、レトったらひどいんだよ。川におちたあたしのことすっごくわらったの!」
 「ええっ? ほんとうレトヴェール?」
 「ちげえよ。かあさん、こいつがいってんのウソだから。おれはこいつをたすけようとおもって手のばしてやったのに、こいつおれのうでつかんで、おれまでかわにおとした」
 「ええっ!」
 「それはレトでしょ! レトのばか! うそつき!」
 「おまえのほうこそおれを笑っただろ。でかい声で」
 「それは! それはほんとだけど……」
 「おい」

 レトヴェールはロクアンズの頬を両手でつまんで、「このやろう」とぐいぐい頬の肉を引っ張った。「いひゃっ」と悲鳴をあげながらも、彼女も負けじと彼の頬をつまみ返して対抗する。エアリスはそんな2人を交互に見やって、唖然とした。

 「ふ、2人とも……。ケガは、ケガはなかったの?」

 2人ははたと手を離し、じとーっとお互いの顔を見合ってから、同時に告げた。

 「ない」
 「ないよっ」

 泥まみれで、水浸しなのに、清々しい顔をして2人が言うものだから、エアリスもつられて顔を綻ばせた。

 「そう。2人とも、風邪を引いてしまうといけないわ。私がすぐに湯船の準備をしてくるから、そのまえに服を着替えていらっしゃい。いいわね」
 「ん」
 「はーいっ」
 「そうだわ、ねえロクアンズ」
 「なあに?」
 「その……"レト"っていうのは、もしかしてレトヴェールのことかしら?」

 ロクアンズはこくんと大きく頷いた。

 「うんっ。だってレトのなまえながいし、こっちのほうがなんかかわいいかなって」
 「ヴェールっていえないだけだろ」
 「しーっ! なんでゆっちゃうのっ」
 「じじつだろ」
 「じじつでもだーめー!」

 言葉の売り買いが勃発し、ふたたびエアリスの胸に不安の芽が出るかと思われたが、違った。彼らが纏っている雰囲気はこれまでのような冷たく張りつめたものではなかったのだ。
 エアリスは、ぷっと小さく吹きだした。それから、こみ上げてくる笑いを抑えることができなかった。

 「……な、にかあさん」
 「おばさん?」
 「いいえ、なんでもないわ」

 目尻を拭い、エアリスは「それじゃあお風呂の準備してくるわ」とその場をあとにした。残された2人はエアリスに聞こえないように、小さく安堵の息をもらした。

 「ばれなかったあ」
 「ああ」
 「おばさんに、しんぱいしてほしくないもんね」
 「……ん」

 エアリスに心配をしてほしくない。悲しい顔をさせたくない。──2人の意見が一致したのはこれが初めてのことだった。
 ぶるるっ、とロクアンズは寒さで身が震えあがるのを感じた。両腕を擦って暖をとりつつ、自室に戻る。
 そのとき。レトヴェールはなにかに吊られるかのように鼻をひくつかせたかと思うと、頭を豪快に振り下ろした。
 
 「くしゅっ。……うぇ」
 
 ぐずり、と彼は痛いくらいに鼻を啜った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.60 )
日時: 2020/04/16 14:51
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第055次元 日に融けて影差すは月Ⅳ

 鼻水が止まらない、なんとなく身体がだるいという症状を彼が訴えだしたのはあれから間もなくのことだった。
 ロクアンズはよく彼の部屋の扉を開けたり閉めたりしていたのだが、「うるせぇな」と一蹴されてからは大人しくするようにした。とはいっても頻繁に扉の前に訪れては、その辺りをうろうろしている。

 「あらロクアンズ。またここにいるのね」
 「おばさん!」

 台所のほうから、エアリスが木の板に食事を乗せて現れた。

 「レト、だいじょうぶかな?」
 「大丈夫よ。ちょっと風邪を引いただけなんだから。あの子、あんまり体力ないから」
 「うぅん……」
 「さ、入りましょう」

 ロクアンズは踵を浮かせて、扉の取っ手を両手で掴んで引いた。「あら、ありがとう」とお礼を言ってからエアリスは部屋に入る。ロクアンズもあとに続いた。
 木の板には、麦の入った温かいスープと木製の大きな匙が乗せられていた。エアリスが寝台の近くにある棚の上にその板を置く。椅子に腰をかけて、寝ているレトヴェールの前髪を指先ですくった。

 「この子が川に落ちて風邪を引くなんて、らしくないわね」

 くすくすと小さく笑うエアリスの顔はどことなく嬉しそうだった。自分で言ったことだが、この母子おやこは顔立ちもなにもそっくりだ。ふいに、ロクアンズは視線を落とした。

 「あら? ロクアンズ、その手はどうしたの?」
 「え?」
 「右のほうの手首よ。すこし赤くないかしら」
 「あ……」
 「見せてみて」

 なんとなく躊躇をするような仕草を見せたロクアンズに構うことなく、エアリスは彼女の右腕をやんわりと掴んだ。思った通り、右の手首には赤みが差していた。

 「どこでケガをしたの?」
 「……あ、え、と」
 「……。もしかして、レトヴェールとケンカしたとき?」
 「え」

 本当は違うのだけれど、と心の中で呟きながらもロクアンズは口を結んだ。村にいるほかの子どもたちと喧嘩をしてしまったなんてことがエアリスに知られてしまったら、彼女は心を痛めるにちがいないのだ。

 「起きたら、今度こそちゃんと言わないとね」

 エアリスは、右手首の赤らんだところを指の腹で撫でながら呟いた。何の話だかわからないといった風にロクアンズが小首を傾げると、彼女は笑み交じりに答えた。

 「いつもレトヴェールには言っているのよ? 女の子を泣かせてはだめよって」
 「──」

 エアリスは寝台で眠っているレトヴェールに目を向けた。

 「男の子はね、女の子を守るものなの。もちろんそれは国の決まりではないし、男の子と女の子を差別したいわけでもないわ。でも……レトヴェールには、大切な女の子を守れるような、そんな男の子になってほしいのよ」
 「……」
 「あとで塗り薬を塗ってあげるわ。こんなに赤くして……痛かったでしょう」
 「……う、ううん。ぜんぜん、いたくないよ」

 ロクアンズはどぎまぎしながらも、しっかりと首を横に振った。
 ふと、エアリスが棚の上の食事に視線を戻す。すると彼女はぱっちりと目を見開いて、「あら」と驚くとともに立ち上がった。

 「いけない。せっかく薬湯を作ったのに、台所に忘れてきたみたい。ごめんなさいロクアンズ、私、取りに戻るから、それまでレトヴェールの様子を見ていてくれる?」
 「うん。いいよっ」
 「ありがとう。ついでに塗り薬も持ってくるわ。待っていてね」

 部屋から出ていくエアリスの背中を見送りつつ、ロクアンズは振り返った。
 
 「……」

 眠っているレトヴェールは普段とは打って変わって、存外穏やかな顔をしていた。寝顔ともなると持ち前の少女らしさが余計に際立つようだ。性別が男だとはとても信じられない。
 ロクアンズは椅子に腰をかけた。

 「…………あたしが、ないたから?」
 
 問いかけたというよりは、つい声がこぼれたというほうが正しかった。
 ロクアンズの前では常につんとした態度をとり、それでいて他人が嫌がることを平気で口にする。かと思えば、まるでロクアンズを庇うような一面も見せた。正直彼女にはレトヴェールの気持ちや行動がさっぱり理解できなかった。
 けれど、さきほどのエアリスの話を聞いてわずかに心境が変わった。

 レトヴェールと取っ組み合いの喧嘩になったときのことだ。なにをされるのかと怖かったのと、喉元を掴まれて苦しかったのと、また一人になれと言われたのが、自分の中でごちゃ混ぜになって、気がついたら目から勝手に涙が溢れていた。
 彼が驚いたように目を丸くして、手をひっこめたのはまさにそのときだった。

 きっとエアリスに言われたことを思い出したのだ。村の子どもたちに「右目を見せろ」と怒鳴られたときも同様だった。自分の右目には切り傷のような痕がついていて、目そのものも開かない。初めは驚きこそしたが深く考えたことはなかった。けれど、このような傷はほかのだれも持っていないし、見ていて気持ちのいいものではないことはなんとなく理解していた。ただ、それを「気持ち悪い」とはっきり音にされたのは初めてだった。エアリスにもレトヴェールにも言われたことがなかった。言われて初めて、「やっぱり気持ちの悪いものなんだ」と改めて理解させられたし、傷つきもした。またいろいろなものが混ざり合って、瞼がかあっと熱を帯びた。
 あのとき、レトヴェールはたしかに助けてくれたのだ。泣いたつもりはなかったけれど、彼にそう見えたのであったら、きっと自分は泣いていたんだ。そんな気がしてくる。

 「へんなの、レト。……わかんないよ。まだよく……わかんない」

 レトヴェールの前髪をつんつんとつつく。起きそうな気配はなく、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
 部屋の扉がガチャリと開く。ロクアンズが音につられて振り向くと、扉の傍で立っているエアリスがばつが悪そうに告げた。

 「ごめんなさい、ロクアンズ。塗り薬を探したのだけど……まえに使ったとき、なくなってしまったのをすっかり忘れていて。いまうちにないの」
 「いいよそんなの、ぜんぜん! すぐなおるよこれくらい」
 「いけないわ。綺麗な肌ですもの。女の子は肌を大事にしなくっちゃ。……でも困ったわ。じつはもう薬草もなくって……。あれはカラが特別にくれたものだったのに」
 「から? って、なあに?」
 「私の親友よ。でもあまり村にはいなくってね。すこしお高いけれど、カナラに行くしかないかしら」
 「おつかいならあたしいくよ、おばさん」
 「ダメよそれは。手をケガしているのに、物は持たせられないわ」
 「でも、レトがおきたとき、おばさんいないとふあんになっちゃうよ。だからあたしいく! もう片いっぽの手でもてば、ぜんぜんへいき!」
 「……で、でも、ロクアンズ」
 「だいじょうぶ! あたしにまかせて!」

 ロクアンズの溌溂さに気圧され、エアリスはしぶしぶ引き下がった。薬代を受け取ったロクアンズは身支度を整えると、早くも玄関に駆けこんだ。
 
 「無理だけはしないでね、ロクアンズ」
 「うん! じゃいってきます、おばさん!」

 とんとんと足のつま先を鳴らし、ロクアンズは玄関の扉から外へ出た。家の戸が閉まって、くるりと前を向いた、その瞬間。
 
 「ぶッ!」
 「!? うわっ!」

 向かい側から歩いてきた人物と、真っ向から衝突した。幸い、硬いものとぶつかった感触ではなくぽよんと跳ね返されただけに終わる。ただ予想外の出来事だったために、ロクアンズは咄嗟に両手で顔を抑えた。わずかに足元も躍る。
 ロクアンズは戸惑いつつも、視界を開けた。指の隙間から見えたのは、やや膨らみのあるお腹だった。

 「おいおい、なんだぁ? この子。見たことない子だ。それにあんたいま、エリの家から出てこなかったかい?」
 「……え? え、り?」
 「──カラ?」

 戸の隙間から、エアリスが顔を覗かせた。ゆっくりと戸を開け広げていくにつれて、彼女はだんだんと顔色を明るくしていく。ついには満面の笑みとなって、彼女はこちらに手を振ってきた。
 
 「カラ! 久しぶりね」
 「よぅっ、エリ! 元気そうでよかった!」

 手を振り返すその人物を、ロクアンズは下から仰ぎ見た。目鼻立ちがはっきりしていてエアリスとは異なる部類の美人だ。ロクアンズが子どもという観点を差し引いても背は高いほうだろう。明るめの小麦色の髪を一つに束ねて、高い位置で結って止めている。

 ──そしてなにより、どこか魅惑的な光を放つ紫色の両瞳に、一瞬で目を奪われた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.61 )
日時: 2020/04/16 14:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第056次元 日に融けて影差すは月Ⅴ

 「カラ」──そう呼ばれた女性も大きく手を振り返している。ロクアンズの目は、彼女の紫色の瞳に釘付けになっていた。その視線に気づいてか気づかずが、ふと女性が下を向いた。
 
 「なあエリ。この子はなに? え、坊主のガールフレンド?」
 「ちがうわ。……えっと」

 不意をつかれて、エアリスはらしくもなく口ごもった。

 「ここで話すのもなんだし、入って。温かい紅茶を淹れるわ」

 エアリスは女性を家に招き入れた。流れでなんとなく家に引き返してしまったロクアンズだったが、その手には薬代の入った巾着袋を握りしめている。持ち上げると、ちゃり、と銅貨の音が鳴った。

 「ねえおばさん、レトのお薬、どうしたらいい?」
 「薬?」
 「そうだわカラ。まえにくれた薬草を持っていたりしないかしら? じつはレトヴェールが風邪を引いてしまって。どこで採れるものかもわからなくて……」
 「ああ、あるよ。いま旦那が持ってる。もうすぐでこっちに来ると思うから、そんとき渡すよ」
 「ありがとう。お代は払うわ」
 「いいよいいよ。あたしたちの仲だろ」
 「だめよ。そういう物の売り買いは、たとえ幼馴染の間でもしっかりしなくちゃ」
 「変わんないねえ、エリのそういうとこ」

 けたけたと女性は笑う。エアリスの名前を縮めて「エリ」なのだろう。『カラ』はどうやらエアリスとは親しい間柄のようだ。促されずとも勝手に玄関からあがって、彼女は居間に向かう。
 台所で紅茶の準備をしていたエアリスが、くるりと振り向いて言った。

 「そうそう。紹介するわロクアンズ。彼女はカウリアっていうの。さっき言ってた、私の親友よ」
 「かうりあ……さん?」
 「親友かあ。嬉しいこと言ってくれんねえ、エリ。あんたはロクアンズっていうの?」
 「う、うん」
 「いい名前じゃん」

 カウリアに名前を褒められてロクアンズは気分がよかった。

 「ロクアンズ。ちょっとの間、レトヴェールの様子を見ていてくれる? おつかいはもう大丈夫だから」
 「うん。わかった!」

 ご機嫌のロクアンズは言われるがまま居間を離れた。エアリスは、運んできたティーポットとカップをそっとテーブルの上に置いていく。

 「……」
 「それにしてもどうしたの、カラ。連絡もなかったから驚いたわ」
 「ああ、それが……」

 カウリアは椅子の向きを変えて、膨らんだ下腹部を撫でながら告げた。

 「2人目ができちまってね。落ち着けるとこに帰ってきたってわけ」
 「まあ、そうだったの。おめでとう、カラ」

 エアリスは自分のことのように喜び、カウリアのお腹の前で屈んだ。新しい生命が宿った印でもあるその膨らみを見つめ、「触ってもいい?」などと訊ねたりする。
 反して、カウリアの表情は強張っていた。屈託のない「おめでとう」と、その笑顔を崩すようなことを言うのは少々無粋かとも思ったが、彼女は思い切ったように口を開いた。

 「それで? さっきの子はいったいどうしたのさ」

 胸に刺さる一言だった。エアリスは驚いて顔をあげる。が、言われるだろうとは覚悟していた。予想していただけあって幾分か心は落ち着いていたが、それでも立ち上がるまでに時間がかかった。
 カウリアは、向かい側にエアリスが座るのを確認すると、テーブルから身を乗り出した。

 「あんたの隠し子ってのもムリがある。顔もぜんぜん似てないし、あたしがまえに帰ってきたときもいなかった」
 「……。カナラ街で、ひとりで倒れているところを見かけたの。凍えていたからうちに連れて帰ってきて、それで……」

 長年の付き合い故か、エアリスがはっきりとしたことを告げなくても、カウリアにはなんとなく伝わったようだった。何度も瞬きをして、大きくため息を吐く。

 「あんたさあ。まさかあの子の面倒見てくって言うつもりじゃないだろうね」
 「ええ。そのつもりよ」
 「『そのつもりよ』じゃないわ! このおばか! あんた自分で言ってることわかってんのか!?」
 「お、落ち着いて、カラ。お腹の子に障るわ」
 「やだね。あんたのそのお人好しには、ほとほと呆れる! 見た感じどこの生まれかもわかんないような子じゃないのさ。それに目に傷があったね。あんたは、あの子についてなんか知ってんの?」
 「……いいえ。なにも」
 「ほら見ろ。事情もなにも知れたもんじゃないってのに、ただ"可哀想"ってだけで拾ってきたってのかい」
 「ちがうわ。私は……その、うまくは言えないけど……」
 「……。あの子を見てなにか感じたとか言うつもりなら、そら、勘違いだよ。嫌な予感ってヤツさ。面倒事に巻きこまれちまうまえに、拾ったとこに戻してきな」
 「カラ!」

 エアリスは椅子から立ち上がった。怒りを孕んだ大きな声と、吊り上がった目つきにカウリアは驚きを隠せなかった。

 「あんたがそんな怒るなんてね。そんなに、良い子だっての?」
 「いい子よ。ロクアンズは、とってもいい子よ」
 「ああ、そうかい」

 カウリアはそれ以上言及することをしなかった。エアリスは決して頭の悪い人間ではないし、なんの脈絡もなしに捨て子を拾ってくるほど無責任でもない。なにかエアリスなりの理由があってのことだろうという察しもつく。
 彼女は人一倍情に厚いし、お人好しだ。街中で倒れていたロクアンズを一目見て、放っておけなくなったのだろう。素性が知れないとわかったらなおのことだ。
 カウリアは大きくため息を吐いた。皮肉にもカウリアは、そういうところも含めてエアリスのことが気に入っているのだ。

 「それで? 旦那には一報よこしてやった?」
 「お手紙は出したわ」
 「どこに」
 「……最後に、あの人がいた街」
 「はああっ!? あんたそれ何月前の話よ! あんの放浪男が、ひと月だっておなじ場所にいると思う!?」
 「い、いないと思う」
 「は~! 相変わらずよくわかんないなあ、あんたたちって。ていうかあんたよく我慢できるよ。旦那が外でフラフラしてるってのに、心配のひとつもないわけか」
 「あの人はそういうことをしないもの。優しくて誠実よ」
 「いっつも仏頂面でさ、なに考えてんだかちっともわかんないよ、あたしは。ああいうヤツとは一緒になれないね」
 「たしかにカラとあの人が話しているところはあまり見かけたことがないわ。カラってば、自分に合ういい人を見つけたのね」
 「まあね。っていってもあたしたちシーホリーの血族は、お互いにくっつき合うしかないんだけどさ」

 紫に彩られた瞳はどこか一点を見つめていた。ぴん、と細い糸が張ったような空気に変わる。急に会話が途切れる。エアリスは沈黙が長引くのを許すまいと、何気なく話題を逸らした。

 「キールアちゃんはお元気? あの子、イスリーグさんによく似ているわよね。とっても優しくていい子だわ」
 「大人しいとこもね。それになんか不安そうな顔してんだよね、いっつも。あたしに似たらそうはならなかったのに」
 「あらいいじゃない。あなたに似たら大変よ。男の子を泣かせて回って」
 「エリ~」
 「はは。ごめんなさい。でも顔はあなたにそっくりね。きっと素敵な女の子になるのだわ」
 「でしょう! 将来男に困らないよ、あれは。とびきりイイ男を捕まえさせんだから」
 「楽しみねえ」
 「……エリ、あんたもしかして、キールアを娘にとか考えてる?」
 「あら。わかった?」
 「そんなこったろうと思った! やたらキールアのこと気にすんだから」
 「だって、キールアちゃんがお嫁にきてくれたら、それはもう大変幸せなことだわ」
 「イヤだよあたしは。そりゃつまり、あんの可愛げのない坊主に、うちの姫をやれってことだろ?」
 「とってもお似合いだと思うんだけど」
 「ゼーッタイ、反対っ!」

 カウリアが拳をつくってテーブルを殴ると、2人の視線がぱちりと重なった。どっ、と笑い声が溢れだしたのは同時だった。

 「私たちも、自分たちの子どもの将来を考えるようになったのね」
 「やだやだ。まだぜんぜん若いつもりでいたのにさ」
 「でもなんだか楽しいわ。あの子たちは、どんな風に大人になっていくのかしら」
 「……」
 「ずっと見守っていたい」

 ティーカップの熱がなくなってしまわないようにと、エアリスは両手で優しく陶器を包んでいた。時間が経てば冷めてしまうからか、いま残っている熱をじんわりと肌で味わっている。
 
 「ババアになっても傍で世話焼きたいなあ、あたし」
 「ふふ。賑やかで楽しそうね」
 「……あっ」
 「どうかした? カラ。あ、痛むの? 私の部屋で休む?」
 「あーちがうちがう。いま動いたなあって。こういうの感じるとさ、ちゃんと中にいるんだなって実感するよね。来年には産まれんだな、って」

 カウリアがお腹を擦ると、玄関の扉の向こうから「すみません」という大きな声が飛んできた。エアリスは返事をしながら玄関に駆け寄っていく。
 扉を開けると、穏やかな笑みを浮かべた男が1人と、彼と片方の手を繋いでいる少女がいた。
 
 「あら。お久しぶりです、イスリーグさん」
 「どうも。すみません、カウリアがお邪魔しているみたいで」

 男性は帽子をとって挨拶をした。小麦色の髪は短かく刈られていて、清潔さを感じさせた。

 「そんな、私は大歓迎ですよ。それにキールアちゃんも。うちに来てくれて嬉しいわ。寒かったでしょう。さあ、あがって」
 「……」

 急に声をかけられてびっくりしたらしい少女は、なにも応えずにそそくさとイスリーグの背中に回った。

 「キールア。エアリスさんにちゃんと挨拶しなくちゃだめだよ」
 「ああ、いいんです。驚かせてごめんね、キールアちゃん」

 イスリーグの脚の裏から恐る恐る顔を出したキールアは、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.62 )
日時: 2020/04/16 14:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第057次元 日に融けて影差すは月Ⅵ

 耳のすぐ下で小麦色の髪が二つに結われている。少女は名をキールアといった。
 ぱっちりとしていて愛らしい瞳は、両親とは異なり、琥珀の石を空に透かしたような色をしていた。

 「そうだわ、キールアちゃん。あなたくらいの歳の女の子がうちにもいるの。ロクアンズっていう子なのだけれど、よかったら会ってくれる?」

 キールアはびくりと震えて、それから不安げに顔をゆがませた。「あ」とか「う」とかかすかに声をもらしたのち、こくんと小さく頷いた。

 「よかった。いま呼んでくるわね」

 エアリスは2階に駆け上がっていった。レトヴェールの部屋の前でうろついていたロクアンズを、居間まで連れて戻ってくる。

 「ロクアンズ、この子はキールアちゃんっていうの。カウリアの子どもなのよ」
 「きー、るあ……」

 この村で暮らすようになってから、ロクアンズは初めて同い年くらいの女の子と顔を合わせた。彼女は感極まってキールアの胸のあたりでまごついていた両手をつかみ、強引に引き寄せた。

 「ひゃっ」
 「はじめましてっ! あたし、ロクアンズっていうの! よろしくね!」
 「ぁ……え、」
 「ねえねえおばさん! この子とあそんできてもいい?」
 「あら。それはいいわね。いってらっしゃい」

 エアリスとそして両親にも見送られ、なされるがままロクアンズに腕を引かれて、キールアは寒空の下に出た。いっしょに遊ぶことになるとまでは想定していなかった彼女は案の定、

 「ねえねえっ、なにしてあそぶ!? あたし、あなたみたいなおんなのこと、はじめてあったの! だからあそぶのもはじめてで、ねえなにしたらいいかな?」
 「……」
 「なにするのがすき? いつもなにしてあそんでる?」
 「……」
 「……。おーい。きこえてる?」

 完全に押し黙っていた。かくいうキールアも自分以外の女の子と遊ぶのはロクアンズが初めてなのであったが、ころころと舌が回るロクアンズとは対照的だった。
 ロクアンズはなかなか合わない視線を合わせようと頭を振った。が、それを避けるようにキールアが俯く。

 「うぅ~ん……」
 「……」
 「そうだ! じゃああれやろうっ!」

 どうやら妙案を思いついたらしいロクアンズは、家の正面扉の傍にある小さな花壇までいくと、その裏から大きな匙のようなものを取り出した。土まみれのその匙は、割れてひしゃげた皿の角をくまなく磨いたようなもので、辺鄙な形ではあるが土を掘ったりするのには適していた。
 さっそくロクアンズはその匙でがりがりと土の表面を削って、土の山をつくりあげた。すると今度はそこらじゅうを行ったり来たり、立ったり座ったりして、細い木の枝を片手で足りるくらい集めた。
 木の枝を土の山の頂上に差すと、手についた土をぱっぱと払いながら膝を伸ばした。

 「これ……なに?」
 「あのね! ……う~ん、じゃあ、『ぼうたおし』!」
 「ぼうたおし?」
 「いまなまえつけた!」
 「……」
 「あのね、木の枝をあつめてきて、こうやって土の山つくって、そこにこう、枝をたてるの。それでね……」

 ロクアンズはとととっと駆けていき、離れた場所からキールアに声を投げた。

 「これくらいのばしょから、石をけって、その木の枝にあてるっていうあそび!」

 えいっ、というかけ声とともに、ロクアンズは実際に石を蹴ってみせた。しかしながらその石の軌道は大きく弧を描いて、目的地とはかなり離れたところで立ち止まった。

 「あ、あれ?」
 「……」
 「……へっ、えへ! しっぱいしっぱい~。つぎはちゃんとあてるよ!」

 ロクアンズは石を拾い上げ、設置し直した。「よーし!」と意気込んで片足を後ろに蹴り上げたそのとき。びゅうっと吹き抜けた風が、数本の標的たちをぱたぱたと倒していった。

 「……」
 「……」

 ふたたび土の山に戻ってくると、ロクアンズは腕を組みながらしゃがみこんだ。
 
 「う~ん。もっとおもたい木じゃなきゃだめってこと? でもおもたい木じゃたおれないし……」

 ひょい、と倒れた枝をつまんで立て直すと、その途端。ぱたり。ロクアンズはまた横になった枝をつかんで、その細い枝先で芝生をつつきながら、ため息をこぼした。
 
 「このあそびね、あたしがかんがえたんだ。レトと、あそべたらいいなって……」
 「……レトヴェールくん?」
 「え? レトのことしってるの?」
 「う……うん。おかあさんが、レトヴェールくんのおかあさんと、なかがいいから……」
 「"しんゆう"ってゆってた。ねえ、しんゆうって、なんだかわかる?」
 「え? それは……ともだち、ってことじゃないのかな」
 「ともだち? じゃあ、ともだちでいいじゃん。なんでしんゆうなんだろう」
 「さ、さあ……」
 「へんなの」

 ロクアンズが口先をとがらせて土の山を睨むのを横目にしていたキールアはそのとき、「あ」と気づきの息をもらした。

 「え、なに?」
 「……」

 キールアはあわてて両手で口をふさいだ。音になってしまった息を飲みこむように、真っ赤な顔を伏せる。

 「ねえ、なあに?」
 「……え、っと……あの……えと……」
 「『えっと』じゃわかんないよ」
 「…………」

 キールアはきゅっと口を結んだ。かと思うと、おもむろに腕を伸ばして、倒れた木の枝をすべてつかんだ。そうして束ねた木の枝にくるくると細い葉を巻きつけるのを、ロクアンズはただ呆然と見つめていた。
 できあがった枝の束を山の頂上に差すと、不思議なことに標的は、ふうっと風が吹いても倒れなかった。

 「す……すっごーい! すごいすごい! すごいよ、キールア!」
 「──」

 どきり、と胸が高鳴った。「キールア」と呼ぶその声が無邪気なせいもあったが、なによりも視界が開けたような感覚がたしかにした。自分の両手を握るこの手の温度は覚えたてだった。けれど同時に、覚えていたい温度になった。

 「ねえキールア、あそぼう! これでいっぱいあそぼ!」
 「……で、でもわたし……こういうの、はじめて、だから……」
 「おんなじだよ! あたしもはじめてなんだ!」

 ロクアンズは浮足立つ気持ちを抑えきれずに「はやくはやく」とキールアの手を引っ張って、小石の前に立った。
 「いくよ~!」のかけ声をあげ、ロクアンズは振り下ろした足先で小石を蹴った。小石はころころかさかさと芝生を掻き分けて、ついには枝の束を正面で捉えた。枝の束は気持ちがいいほど高く弾け飛んだ。

 「す……すごいっ」
 「やったやったー! たおれた! つぎ、つぎキールアのばん!」
 「えっ。や、わたし……」
 「いいからいいから! じゅんばんこでやろっ!」

 戻ってきた小石は、キールアの足先に設置された。土の山に枝束を差しなおし、ロクアンズは「いいよー!」と両手で丸をつくった。
 キールアは緊張と不安で顔がこわばっていた。待たせるのも悪いと思いつめた彼女は心の準備もままならないうちに、ぎゅっと両目を瞑って足を前後に振った。が、小石にはかすりもせず、空振りで終わった。

 「……」
 「……」
 「……ご、ごめん、なさい。わたし……やっぱり──」
 「もっかい!」

 火を噴いたように真っ赤になった顔が、ぱっと持ち上がった。
 見ると、ロクアンズはキールアのすぐ足元でしゃがんでいた。

 「あのね、たぶんけるところがずれてるんだよ。ここからぜったいうごいちゃだめだよ。このまま、まっすぐけるの。そしたらきっとあたるよ」
 「……」
 「いっかいじゃわかんないよ。あたしだってたぶん、さっきのはぐうぜんだったんだよ。だからもっかい! もういっかいやって!」

 ロクアンズが土の山の後ろで、手を振っている。"蹴っていいよ"の合図だ。 
 キールアは両手を固く握りしめて、そっと脚を後ろへやった。
 
 (うごいちゃだめ。このまま、このまま……まっすぐける!)

 振り下ろす瞬間、またきゅっと目を瞑った。足先になにかが当たる感触がして、それからすぐのことだった。
 ロクアンズの甲高いかけ声で、閉じた目が大きく開かれた。

 「やったあー! やったよキールアあー! あたったよーっ!」
 「……!」

 ぴょんぴょんと飛びはねるロクアンズにつられて、キールアの顔がやわらかく綻んだ。嬉しかった。どきどきする心臓を抑えたくて、胸の前で強く両手を結んだ。

 「ねえ、つぎあたし! あたしやってもいい!?」
 「う……うん」
 「そしたらつぎはまたキールアね! あ、そうだ、木の枝ふやそっ! それでたくさんたおせたら、ぜったいもっとたのしいよ!」
 「……うんっ」

 その後、2人は言った通り枝の束を増やし、たくさんの標的を前に夢中になって石を蹴り続けた。全身が泥まみれになっていると気がついたのは、傾いた陽に照らされて、茜色に染まった玄関の扉が開いたときだった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.63 )
日時: 2020/04/16 14:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第058次元 日に融けて影差すは月Ⅶ

 「あら、いらっしゃいカウリア。それにキールアちゃんも。どうぞ上がって」

 数日後。カウリアはキールアを連れてふたたびエポール宅を訪れた。そんな2人を快く迎えたエアリスはすぐにお茶の準備を始めようと踵を返す。

 「いいよエリ」
 「どうして? 気にしないで、カラ。ゆっくりしていって」
 「あーいや、じつはこれから仕事があってさ。すぐに戻らなきゃいけないんだよ」 
 「え? じゃあ……」
 「夕時までキールアを預かってほしいんだ。この間みたいに、あんたんとこの子と遊ばせてやってくれないかな?」
 「それはいいけれど……大変ね。お腹が大きいのに、仕事だなんて」
 「しょうがないよ。うちにとっては仕事が優先。でもあんたがいてよかった。やっとキールアにも遊び相手ができてさ」
 「キールア?」

 階段から降りてきたらしいロクアンズが、はたと足を止めた。そのすぐ後ろにいたレトヴェールもキールアの姿を視認する。

 「あら、ロクアンズ、レトヴェール。キールアちゃんが来てるわよ」
 「わーい! キールア、きょうもあそぼ!」
 「う、うん」

 だだだっ、とものすごい勢いで階段を駆け下りて、ロクアンズはキールアの腕を引いた。
 
 「そうだわカラ。この間はお薬をありがとう。レトヴェールったらすぐに良くなったの。あなたたちのおかげよ」
 「大したことしてないよ。患者が元気になったってんならなによりだ」
 「レトヴェール、あなたも元気になったのだからお外で遊んでらっしゃい。ロクアンズとキールアちゃんといっしょに」
 「おれはいい」
 「あら、どうして?」
 「きょうみない」
 「レトヴェール……」
 「おい坊主」

 怒気を孕んだ低い声がレトヴェールの耳に刺さった。おそるおそる頭上を仰ぐと、カウリアが物凄い形相でレトヴェールを睨んでいた。

 「な、なんだよ」
 「うちの可愛いキールアと遊べないってのはどういう了見だい? ええ?」
 「おれそいつとしゃべったことねえし。しらないやつといっしょにいんの、やだから」
 「……」

 "そいつ"──名前を呼ばれずともきっと自分のことを指しているのだろうと感じたキールアは、困ったように眉を下げた。

 「はあ~? "そいつ"だあ~? うちの子にはねえ、キールアっていう超可愛い名前があんだよクソガキ。それと……知らないワケねーだろう。何度もここ連れて来てんだから」
 「しらねえもんはしらねえ」
 「うそつけ。キールアが可愛いもんだから恥ずかしくてしゃべれなかっただけだろうが!」
 「ちげえよ! ……っうわ!」

 ふわっとレトヴェールの足元が浮いたかと思うと、カウリアが彼の襟元をがっしりと掴んで持ち上げていた。暴れる手足をカウリアはものともしない。

 「なにすんだよ!」
 「いいからずべこべ言わずに遊んでこい! クソガキ!」
 「うわぁっ!」

 開け広げた扉の先へ、カウリアは無造作にレトヴェールを放り投げる。ごろごろと芝生の上を転がっていく彼を追いかけるようにロクアンズとキールアも庭へ出た。

 「レトー!? わー! まってまってー!」
 「はー、スッキリした」

 エアリスが「はは……」と苦笑をこぼす。

 「あんのクソガキ、大人になってからあたしんとこ来て、『キールアをお嫁にください』ってわめき散らしても、ゼッタイ許してやんない」
 「それは手強いわねえ」
 「あの坊主にはまだ男としての自覚がないのよ。女の子を守る義務があるってのを、ちゃんと叩きこまないと」
 「言ってるには言ってるんだけど」
 「じゃあ足りないよ。耳がちぎれるまで言ってやんな。……おっと、そろそろ行くよ。裏庭から出てもいい?」
 「あら、どうして?」
 「いまはあの坊主のツラを見たくないの」
 「あはは……」

 カウリアは「そいじゃあね」と一言置いて、エポール宅をあとにした。エアリスは子どもたちにお菓子でも作っておいてあげようと思い立ち、まだ昼時に使った食器が積み重なっている台所に引き返した。
 
 「えっと、カフの蜜漬け、どこに置いたかしら……。あ」

 頭上の棚にずらりと並べられた瓶を見て、エアリスの頬が緩んだ。そのひとつを手に取った、まさにその瞬間。

 「きゃっ!」

 硝子の瓶は指先をかすかに撫で、真っ逆さまに床へと落下した。
 ──パリンッ! という甲高い音が居間中に鳴り響くとともに、エアリスはきつく目を瞑った。そっと目を開けると、床には潰れたカフの黄色い実と、鮮やかな緑色の蜜とを突き刺すように、硝子の破片が散らばっていた。

 「……」

 胸の奥がざわりと音を立てる。エアリスはふるふると首を横に振って、床に散乱する硝子の破片を丁寧に拾い集めた。
 
 
 
 先日と変わらず、ロクアンズとキールアの2人は、土の山と木の枝と手ごろな大きさの石の準備に取りかかった。土の山を作成する担当のロクアンズが満足そうな顔で両手を払っていたとき、ちょうどキールアも木の枝と石を持って戻ってきた。

 「あ、おかえりキールア」
 「ただいま」
 「よーし。あとはこの枝をこのまえみたいにふとくしよ。できあがったらレトもいっしょに、3人であそぼっ」
 「……」

 ロクアンズが数本の枝に細い葉を巻きつけようとしたときだった。キールアが気まずそうに目を伏せたので、ロクアンズの意識はすっかりキールアに向いた。

 「ねえ、キールアってレトのこと、しってるんだよね?」
 「うん。しってる……」
 「でもさっきレト、キールアのことしらないってゆってた。もしかして、おしゃべりしたことないの?」
 「……」

 キールアは、こくんと頷いた。

 「ええっ! レトがこわいとか?」
 「こわい、っていうか……その……なにを、おはなししたらいいか……わからないの。レトヴェールくん、いつもほんよんでるから……」
 「あたしがいおっか? キールアとちゃんとあそんでって」
 「い、いいのっ。いわないで。わたしがどんくさいの、しってるの……。まえにね、レトヴェールくんのまえでこけたときに、レトヴェールくん、『どんくさい』って……」
 「なにそれ! レトだってどんくさいのにっ」
 「わるかったなどんくさくて」

 玄関横の花壇に腰をかけていたレトヴェールが、ロクアンズの大きな声に反応した。その冷ややかな目はロクアンズにではなく、膝元に広げた大きな本の紙面に注がれている。

 「レト! レトもこっちきて、いっしょにあそぼうよ」
 「おれはいい。ここでおまえたちみはってるから」
 「……ふーん。でもほんとは、どんくさいのをキールアにみられるのがいやなんでしょ」
 「は? ちげえよっ」
 「じゃあこっちきて、ぼうたおしいっしょにやってよ。どんくさくないならできるよね?」
 「……ああわかったよ。やりゃいいんだろ、やりゃ」

 半分ほどヤケになって本を閉じ、レトヴェールは小石の前に立った。そして一呼吸置き、いかにも投げやりな勢いで足を蹴り上げた。
 案の定、レトヴェールが蹴った石はまったく見当違いの方向へ跳んでいった。

 「もう~! レト、どんくさいっ!」
 「うるせえ!」

 ぶつぶつと文句を吐きながらも、ロクアンズがレトヴェールの蹴った石を取りに行く。
 その場にはレトヴェールのキールアの2人だけが残った。

 「……」
 「……」
 「……だ、だいじょうぶ、だよ」
 「なにが?」
 「……わ、わたしも……へただから……」
 「だから?」
 「……ご、ごめん」
 「……」

 明らかに尻すぼみになっていく声に、レトヴェールはどことなく居心地の悪さを感じた。難しい顔をしながら、がしがしと髪を掻く。

 「ああもう、なんだよ」
 「……」
 「そういうかおはすんな。おれがなかしたってなったら、あとでかあさんにすげえおこられんだよ」
 「……う、うん。ごめん……。なか……っなかなぃ……」
 「っ!?」
 
 キールアの目尻に、じわりと涙が浮かぶ。レトヴェールは真っ青になって、慌てて自分の服の袖を彼女の目元まで持っていき、乱暴に拭った。
 
 「な、なくなっていっただろ、いま! ばか、ほら、ふけ」
 「ぅん……」
 「べつにおれ、おこってるわけじゃ」
 「え?」
 「……。だから、いいたかったのはもっとちがくて……」
 「ああー! レトがキールアなかせてるーっ!」
 「!?」

 足音を騒がしくさせながらロクアンズが戻ってくる。彼女は、ぴんと伸ばした指先を振り回し、レトヴェールに注意を浴びせた。

 「だめだよレト、おんなのこなかせちゃ! おばさんにいわれてるんでしょ」
 「な……。なんでしってんだよそんなこと」
 「へへーんだ! あたしはレトのいもうとだから、レトがいけないことしたら、ちゃあんとゆうのっ」
 「よけいなことすんな」
 「よけいじゃないもんっ」
 「あ……あの、けんかは……」

 と、そのとき。

 「──キャアアア!!」

 金切り声。そして悲鳴。そして足音。
 村の中心から走ってきたらしい男、女、子ども、老人──複数にもなる村人たちが次々とロクアンズたち3人の視界の先に現れては、緩やかに足を止めていく。みな息を切らしていて、来た道を怪訝そうに振り返っている。
 いつもとはなにか、様子が異なっている。
 ただ傍観していただけの3人だったが、ついにロクアンズが動いた。

 「おいっ、ばか! どこいくんだよ!」

 レトヴェールの声に耳も傾けず、ロクアンズは村の人々が集まっている場所へ駆け寄った。

 「……あの! なにか、あったんですかっ」
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.64 )
日時: 2020/04/16 14:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第059次元 日に融けて影差すは月Ⅷ

 「え? ……って」

 突然輪の中に割って入ってきたロクアンズに、つい生返事を返した農夫らしい男は、ぴくりと眉を引きつらせた。
 
 「ねえ、この子……エポールさんとこの……」
 「あ、ああ。身寄りがないっていう」

 ロクアンズという異端の子どもを訝しむのは決して村の子どもたちだけではない。その親たちもまた珍しいものを見る目で彼女を見下ろすのだ。
 キッ、と片方の瞳を鋭くさせてロクアンズは負けじと言った。

 「ねえっ! なにがあったのってばっ!」
 「怪物じゃよ」
 「……え?」
 「恐ろしい、神の使いがこの村にも来た」
 「かみの……つかい?」

 農夫の背後から、老いて腰の曲がった男が出てくる。彼は深くを知らないロクアンズの問いに静かに答えた。

 「その名も"元魔"。生命を襲い、喰らう、恐ろしい化け物じゃ」
 「それがきたら、どうなるの?」
 「最悪、命を落としかねん」
 「……」
 「とにかく、もし近くに元魔が現れたらその場所から離れたほうがいいってことだ。次元師様が来るまでは安心できねえ」
 「じげんしさま?」
 「おい! なにやってんだおまえっ」

 ロクアンズのあとを追って走ってきたレトヴェールが、息も切れ切れにそう叫んだ。すこし遅れて、キールアも彼の後ろで立ち止まる。
 
 「あ、レト。あのね……」
 「あのっ! どなたか、どなたかうちの子を見かけませんでしたか!?」

 この場所からも離れようと動きだした人々の背中を捕まえて、1人の女性がそう投げかける。顔は真っ青で、髪が乱れているのにも気づかず一心不乱に自分の子どもを探している。

 「そんな……」

 女性の様子が気になったロクアンズは、ととっと彼女のもとへ駆け寄った。
 
 「ねえねえ、だれさがしてるの?」
 「! うちの子よ。テマク、見たことあるでしょう? 前にあなたたちと遊んであげたって……」
 
 そこまで言って、女性はハッと口を噤んだ。レトヴェールはそのテマクという名前に聞き覚えがあった。村のこどもたちがよく口にしている名前だ。子どもたちの間では人気者で、いつもリーダー役を買って出ている、周りよりもすこし大きな身体をしている少年。
 以前、レトヴェールとロクアンズの前に現れ、「エポールは呪われてる」などと宣っていた彼にちがいないと、レトヴェールは思った。

 「てまく……?」
 「まえに、おれたちんとこに来たやつだ。あのでかい体のやつ」
 「あ……」
 「お、おねがい。あなたたち、テマクがどこにいるか知らない? 知ってたら、いじわるしないで教えてほしいの。テマクもきっと悪いと思ってるわ。あなたたちに、その、つい悪いことを言ってしまったって」

 『かあちゃんが『かかわんな』って言ってたぞ』
 『えぽーるはのろわれてんだ。かみさまにきらわれてんだってな!』

 レトヴェールは、テマクに言われたことを一言一句たがえることなく覚えていた。「エポールと関わるな」「エポールは神様に嫌われている」などと彼に教え諭したのはこの女性だったのかと、レトヴェールは一際冷めた目で彼女を見上げた。
 しかし、

 「わかった! ねえレト、あたしさがしてくる!」
 「……は?」

 やけに決意を固めた目をして、ロクアンズはレトヴェールのほうを振り返った。

 「おまえなにいってんだよ。あいつは、おれたちのこと」
 「だって、ひとりぼっちでないてるかもしんないんだよ? それにさっき、なんか"げんま"っていうへんなのがいるっていってたし……。だから、はやくさがしたげなきゃっ」
 「……げんま、って……お、おまえ」
 「おばさんだったら、……おばさんだったら、ぜったい、ほっとかないっ!」

 ロクアンズは村の中心部に向かって駆けだした。そこには"恐ろしい神の使い"がいるとまで聞かされたはずだったが、それももう彼女の中では遠い記憶と化していた。
 出会った当初からおかしい奴だとは思っていたが、ここまでバカだとは。レトヴェールは困惑した。追いかけるべきか、否か、自宅に戻るか──
 それとも、

 「あんの……ばかっ!」

 連れ戻そう。あとで「バカだ」といくらでも罵ってやる。困るのは、ロクアンズから目を離したと怒られる自分であり、母を心配させたと後悔するロクアンズ自身だ。
 ロクアンズもレトヴェールも遠ざかっていって、1人、その場に立ったままのキールアが、だれにも聞こえないであろう小さな声で2人の背中に声をかけた。

 「ゃ……あ、い、いかないで……ふたりともっ」

 とうとうキールアまでもがレトヴェールの背中を追っていってしまった。幼い子どもたちが村の中心部へ向かっていくのを目の当たりにして、大人たちはどよめいた。

 「お、おい、君たち!」
 「連れ戻します?」
 「でも……」

 3人の子どもたちと入れ違うように、ほかの村人たちが早足気味に駆けこんでくる。中心部から逃げてきたのがわかって、元いた大人たちは後ずさりした。

 「と……とにかく逃げよう!」
 「ええ? あの子たちは?」
 「すぐこわくなって引き返すだろう」

 だれも3人を追うことはなく、まったく逆の方向に踵を返す。テマクの母親だけがその場に立ち止まっていた。
 
 
 
 「はあ、はあ……っ、テマクー! テマク! きこえたら、へんじして、テマク!」

 ありったけの大きさで、ロクアンズは叫ぶ。もはやだれもいない村の中を行ったり来たりする。茂みの中を掻き分けたり、家や店の扉を開け広げたりして、手あたり次第にテマクを探していく。

 「おいっ!」
 「! レト……きてくれたんだ! ねえレトもいっしょにさがして! このへんにはいないみたいだから、もっとあっちの、おくのほうだとおも……」
 「あのなあ!」
 「っ、え、な、なに?」

 レトヴェールは眉をしかめて、叱りつけるようにロクアンズに言った。びっくりして彼女はらしくもなく口ごもった。

 「……れ、レト?」
 「はやくさがしだすぞ、テマクってやつ。ここにずっといたらあぶねえんだろ。あのな、みつけたらすぐもどるんだからな。だから」
 「……! いっしょにさがしてくれるんだっ、ありがとう、レト!」
 「……っ。そ、んなことより、」
 「たすけてくれ!」

 背中に幼い声がかかった。テマクにちがいないと確信した2人は振り返って、目にした。
 漆黒の巨体。
 
 ──ドシン。

 足の裏が震動を感じ取る。

 「た……たすけて、たすけて、くれっ! たすけてぇっ!」

 視界が翳り、大きなものが頭の上に被さると、
 小さく、ぁ、と呻き声がもれる。


 「ぐ、グル、ル、ルル……ッ!!」


 血の滴るような赤の眼球。黒い甲殻に覆われた皮膚。剥き出しの鋭い牙、爪がゆらり、と動きだした。
 こちらに近づいてくる。
 ロクアンズ、レトヴェール、そして遅れてやってきたキールアを含めた3人は──巨悪な化け物を前に、息ひとつできなかった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.65 )
日時: 2020/04/16 15:34
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第060次元 日に融けて影差すは月Ⅸ

 レイチェル村に元魔が出現するのは、じつに数年ぶりのことであった。出現する場所も時期も不特定で、まるで自然災害のように"奴ら"は突然やってくる。
 10にも満たない幼い子どもたちは耳にたこができるほど聞かされるその実態を想像でしか描いたことがなかった。炭を溶かした黒い液体に、小くて赤い果実の汁をたらしてできあがる"かいぶつ"は、想像よりもずっと大きくて、生きている。呻く。四肢を動かして確実に。迫ってきている。
 いまにもその大きな手の中で潰れてしまいそうなテマクが、ぱんぱんに膨れた顔を涙と鼻水とで濡らしていた。ぐちゃぐちゃになった声で泣き叫ぶ。

 「おねっ、おねが、い、たすけて、たすけ」

 ロクアンズはすぐさま、老人の顔を思い出した。

 「げんま……」

 『怪物』『恐ろしい神の使い』『生命を襲い、喰らう』──ロクアンズは混乱していた。そして妙に胸が痛かった。どん、どん、と鈍い力で心臓が脈打っている。胸元をぐっと抑えこんで、必死に呼吸だけをしていた。
 気持ち悪そうに身体を丸めるロクアンズに、レトヴェールはがなり声を浴びせた。

 「おい、おいばか! はやくにげるぞ! はやくしねえと、おれもおまえも死んじまう!」
 「……」
 「おいって!」
 「……ぃ」

 震える身体を抱きかかえるのに精いっぱいだった。胃の中からなにかが上がってきて、口を塞ぐ。幼い身体が限界を訴える。動けなくなる。しかし、鼓膜は正常に働いている。
 ロクアンズの耳には聞こえていた。「たすけて」の声が。

 「い、やだ」
 「……は……? ばかか! おまえいいかげんにしろよ! 死ぬっていってんだろっ!」
 「じゃあテマクは!? しなないのっ!?」
 「! そ……」
 「そんなのだめ。おかあさんが、かなしんじゃうよ。むらのみんなだって」
 「じゃあどうすんだよ! あんなのとたたかうなんてむりだ」
 「たすけるの! あのかいぶつのてからはなして、はしってにげる!」
 「できるわけないだろそんなの!」
 「できなくない!」
 「おまえなあっ!」

 近頃は穏やかであった2人の会話がまた険悪なものに逆戻りする。鋭く言い咎められるロクアンズだったが、なにをどう言われても彼女の頭の中に、逃げるという選択肢が生まれることはなかった。

 「じゃあいいよ、レトはにげても! あたしいく!」
 「お、おい! まて、ロクアンズっ!」

 がむしゃらに地面を蹴って、進む。前へ前へと、どんどん胸が前のめりになる。あと数秒ののち、ロクアンズが元魔の足元まで辿り着くといったところで、テマクが元魔の手の中で暴れだした。

 「はなっ、はなせよ! この!」

 元魔はぴたと歩みを止め、煮詰めたような濃い赤の眼でテマクを見下ろした。テマクが「ひっ」と小さく悲鳴をあげる。すると、元魔は大木の幹ほどはある豪腕を高々と陽に翳した。

 「やだあああッ!」

 ロクアンズはびっくりして急停止した。すぐに足元を見渡し、彼女はある物を見つける。手に取ることはしない。ただ、遊ぶよりも強い力でそれを蹴りあげた。
 打ち上げられた小石は緩やかな弧を描き、元魔の皮膚を掻いた。

 「ウ"」

 元魔は緩慢な動きで首を回す。真っ赤な双眸に睨まれ、ロクアンズはぞっとした。テマクからロクアンズへと標的を変えた元魔は、巨大な胴体に不釣り合いな細い脚をぶらりと泳がせ、ロクアンズの頭上に足を翳した。
 細い脚首からぶらさがったその足もまた巨大で、落ちた影がロクアンズを飲みこむ。
 
 「ロクアンズ!」

 レトヴェールの叫び声を掻き消すように投下された、爆音。それは砲玉の類などではなく巨大な足が地を穿ち、齎したものだった。土煙が大仰に舞いあがり、辺り一帯を強い風が吹き抜ける。
 土埃の中から転がるようにして脱出したロクアンズの姿。が、見えた、そのとき。レトヴェールの安堵を待たずにある人影がくさむらから飛び出してきた。

 「ロクアンズちゃん……っ!」

 レトヴェールはぎょっとして目を丸くした。二つに結んだ小麦色の髪で、その人物がキールアだと判ってしまう。なぜここにいるのか、なぜだかついてきた彼女に憤りや呆れを感じたのもたった一瞬いっときのことで、レトヴェールは元魔とキールアとを交互に見やった。

 「ばか! なんできたんだよ! はやくはなれろッ!」
 「……! レトヴェールくん……で、でも……っ」

 のっそり。胴体を回転させる速度はもの凄くのろまだった。標的の変遷が行われていくのがはっきりと見えたレトヴェールは、まったく気づかないキールアの頭上に影が落ちる直前に、走りだした。

 「くそ、キールアっ!」

 枝のように細いキールアの身体を抱きこんでレトヴェールは頭から地面に突っこんだ。巻き起こる土煙と突風とに背中を後押しされて、まるでだるまのようにごろごろと転がっていく。すると平坦な道から急に、がくんと重力が傾いた。斜面に流れ落ちたのだ。崖というほどではなく、芝生に覆われた緩やかな斜面を下った2人の身体は、また平坦な面に行き着いてやっと静止した。なにが起こったかわからなかったキールアは、視界を取り戻すと同時に、たくさん転がったはずの身体がまったく痛みを感じていないことに気がついた。

 「れ、トヴェールくん……」
 「げほっ、ごほ」

 口の中に侵入してきた砂が気持ち悪くて、レトヴェールは痛いくらいの咳をする。まだ口内に砂が張りついたままだったが、なによりも先に彼はキールアを背中に隠す仕草をした。彼の片手が肩に触れて、キールアは不覚にもどきりとする。

 「おれのうしろからぜったいでるな。げんまもみうしなったみたいだ。いいか、ぜったいだぞ、キールア」
 「う……うん」

 小高い丘にはまだロクアンズとテマクが残っている。元魔にしかと認識されている2人が心配でならなかった。レトヴェールは草萌える斜面をよじ登り、亀のように首を伸ばした。元魔の手中に捕らえられているテマクと、それを口惜しそうに仰ぐロクアンズの姿がかろうじて見えるところで留まり、息を潜めた。
 
 (はやく、はやくなんとかしねえと、ほんとに……なのに)

 はやくなにかしないと。この危険な状況から脱しないと。レトヴェールの脳裏には、そんな無益な葛藤ばかりが繰り広げられていた。考えようとしたところでそもそもどうすればいいのかがわからない。方法がわからない。語学の書物にも、虫の図鑑にも、ただの人間が元魔を打ち倒す方法など署されていない。
 だからレトヴェールはただ焦るだけ焦った。このときの彼には焦るくらいしかできなかったのだ。

 元魔の手の中では、テマクが「うっ、う」と嗚咽をもらしてじっとしている。恐怖と不安に苛まれ続けた彼は、もうこれ以上駄々をこねても助からないと憔悴しきっていた。
 しかし。 

 「テマクをはなして! ねーえっ、はなしてってば!」

 諦めの悪い少女がひとり、元魔の足の皮膚を一心不乱に蹴りつけていた。黒くて巨大な塊を臆することもなく、どんなに足が疲れても彼女は反抗を止めなかった。
 蹴るたびに足の力は弱まっていった。綿の花びらで鉄の扉を押すように、手応えがなくなってくる。それでも。それでも。望みのすべてを幼い足先に託した。
 元魔は、ぐぐ、とぎこちない動きで喉を開けた。口の端からはしたなく唾液がこぼれ落ちる。次の瞬間。どす黒い喉の奥に熱が篭もり、決して人間のものではない阿鼻叫喚が空気を焼き切って放たれた。

 「うあっ!」

 甲高い咆哮が少年少女たちの鼓膜を鋭く劈いた。突風に見舞われた地表からは土草が剥がれて舞い、また、元魔の足元に張りついていたロクアンズもいとも簡単に宙へと放り出された。地面の上を跳ねるようにしてどこまでも遠ざかっていく彼女を、立派に葉を広げた樹木の幹が受け止める。
 腕、脚、肩、背中──。激痛は一秒ごとに拡がっていく。耐えるにはあまりにも器が小さすぎた。
 すぐにでも瞼は閉じてしまいそうで、意識はどこかへ行ってしまいそうだ。けれどもロクアンズはそれらをまだ捕まえていたかった。まだ目を閉じたくなかった。
 まだ、

 (だれも、たすけてないのに)
 
 体内に、熱線のようなものがほとばしった。

 「──ッ!」

 痺れるような刺激にあてられ目が覚める。ぼやけていた視界が途端に澄みきった。
 深い闇色の皮膚。
 見る者すべてを恐怖させる巨なる全長。
 その手の中にまだ、いる。
 ロクアンズは迷わず駆けだした。

 (! あいつ、また……!)
 
 怪物の咆哮が止み、ようやく耳から手を離したレトヴェールは、まっすぐ元魔に向かっていくロクアンズを見て驚愕した。
 彼女はもはやなにかに憑りつかれているようだった。腕が満足に振るえなくても、脚がもつれていても、肩が壊れそうでも、背中がどんなに「後ろを向け」と叫んでも、なにかに身体を突き動かされていた。
 
 「て、てま……、を」

 ──腕を振るえとなにかがいう。

 「テマクを、はなしてっ!」

 ──脚を動かせとなにかに刺激される。

 そのとき。元魔が腕をたたみだした。単純に肘を曲げようというのではない。縦横に惜しみなく口を広げて上を向いたのだ。
 そこへ巨大な手が迫る。手の先に握られているテマクはだらりと頭を垂れ、無抵抗のまま、ゆっくりと、運ばれて──

 「テマク!!」

 ──肩に力を入れろ。背中に流れたなにかにそう諭される。

 全身に、

 電熱を奔らせろと

 「やめて──ッ!!」


 ────《扉を開けろ》と、雷の皇帝が、鍵を投げた。
 

 瞬間。少女の指先から弾けるようにして飛びだした"雷"が──大気を切り裂き、怒号を響かせながら元魔の巨体に喰らいついた。
 電気の塊は広大な腹部を一撃で貫いた。高々と聳え立つその全長が、いまにも上下で真っ二つに別離しそうになる。元魔はこのとき初めて完全に静止した。
 
 「──……え……?」

 ロクアンズの指の先に、バチッ、と電気の糸が絡まった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.66 )
日時: 2020/04/16 14:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第061次元 日に融けて影差すは月Ⅹ

 ロクアンズの指先から糸状の光のようなものが漏れた。それはとても微弱な、電気だった。彼女は幽霊でも見るかのように指先を見つめ、それからゆっくりと前を向いた。
 
 「ヴ…………グ、ゥ…………」

 鳴き声ともつかない奇怪な音声をもらす怪物の胴部には、まるで臓器のすべてを搔き出されたかと疑うほどの大きな風穴が空いていた。周辺の森や家宅が玩具のようにも錯覚させるその巨体に大穴を空けたのはほかでもない、
 たった1人の幼い少女だ。

 「……」

 ロクアンズはかつてないほど混乱していた。指先からなにかが出た。足の爪先から頭の天辺にかけて一気に駆け抜けた電撃。骨身が発熱し、肌が粟立ち──瞬間、"雷鳴"が轟いていた。
 聳え立つ元魔が、一切の動きも示さずにいる。見開かれた赤い双眸から目を逸らせずにいたロクアンズは「ぁ」と、目を見開いた。
 かろうじて上半身を留めていた黒い脇腹が、穴の拡がりに耐えきれずぷつんと弾け飛んだ。バランスを崩した元魔は覚束ない足取りで地面をゆらり、ゆらりと震わせ、ついに上半身を前方へ傾かせた。真黒いそれが大地を打ったそのとき、生まれた余波がロクアンズやレトヴェールたちに襲いかかった。
 上半身と下半身とは完全に切り離されている。死んだ2本の脚の断面から、火の粉のようなものがぱらぱらと立ち上った。それは砂粒にも近い。黒い皮膚はすこしずつ空へ還っていく。
 残る、上半身。
 右の巨腕が跳ねあがった。

 「──っ!」

 (だめ……ころされる!)

 「もういっかい電気をだせ、ロク!」

 カン、と頭に響くレトヴェールの声。ロクアンズは左目を大きくして、茂みから飛び出してきた彼を見た。

 「赤いのをねらえ! 目じゃなくて、目の上の、赤いやつをこわせ!!」

 血液、そして血液とともに体内中に蔓延している"べつの粒子"が一斉に沸き立つ。レトヴェールの言っていることを頭が理解するよりも迅速に、身体に電気が溜まっていく。
 この力があれば倒せる。
 漆黒の巨腕がロクアンズに影を落とすのと、彼女の脳裏に未知の詠唱が掠めたのは同時だった。
 
 「──"三元解錠"!」

 壊せ、壊せ。

 当たれ、倒せ、倒せ、

 扉を

 (──開け!)

 「"雷撃らいげき"ィ──ッ!!」

 独特の重低音が辺り一帯に鳴り響き、空を搔っ切る。ロクアンズの手のひらから飛び出した雷の塊は芝生の舞う中を一直線に猛進し、──元魔の額を打ち上げた。その拍子に、赤い両目の上にはめこまれていた宝石のようなものが砕け散った。
 元魔の上体は緩やかに反り返る。脚と同様、指先や身体の断面から粒と化して散っていく。元魔の腕も紐解くようになくなっていくと、その手の中に捕まっていたテマクがするりと抜け落ちて、さほど高くない位置から地面の上に落ちた。
 空の彼方へ舞いあがる黒い粒を見送りながら、ロクアンズ、そしてレトヴェールの2人は肩で大きく息をしていた。巨大な怪物が視界の中から消えてもまだ、心臓はばくばくと高鳴ったままだった。

 「…………。て……テマ…………」

 ふと。緊張の糸が切れたようにロクアンズがその場で倒れこんだ。レトヴェールはあわてて彼女のもとへ駆け寄り、キールアも彼に続いた。

 「ロクアンズ! おい、おきろ! どうしたんだよ!」
 「ど、どうしよう、ロクアンズちゃん……!」
 「……」
 「おいガキども! そこでなにやってんだ!」

 どこからともなく怒声が飛んできて、レトヴェールとキールアはびくりと肩を震わせた。2人のもとに人影が駆け寄ってくる。銀にすこし青が混じったような髪色をした、男だった。男は濃い灰色の上着を羽織っていて、それにはところどころ赤を薄めたような曖昧な色のラインが着色されている。レトヴェールは物珍しげに彼の服装を見つめた。

 「大人たちに言われなかったのか、このへんにでけえ怪物が出て、危ねえから離れろって! へたしたら死んじまうんだ。わかってんのか!? いいからはや……」

 男は緊迫した面持ちで周囲に視線を巡らせた。しかし、のどかな風の流れる田園風景をゆったりと眺めるだけに終わった。空を渡る雲といっしょになって、時間の流れさえも遅く感じさせる独特な雰囲気に彼は呑まれそうになった。

 「……い、ねえ。どういうことだ……?」

 不思議そうに辺りを見渡す男は、はっとなって、おもむろに駆けだした。芝生の上に降りかかっている黒い粒を認めた彼は、息を飲む。

 (元魔の残骸だと? じゃあ……)
 
 レトヴェールとキールアのもとに戻ってきた男の顔は相変わらず強張っていた。2人はびくびくしながら男を仰ぎ見る。鈍い銀の髪をした男は、がしがしと頭を掻きながら「いくぞ」と呟いた。

 「いくって……どこに」
 「あーほ。おまえたちのおふくろや親父さんのいるところだよ。……この嬢ちゃんは、まだ息があるな。目立つような傷もほとんどねえ、か。よし」

 倒れるロクアンズの前でしゃがみこんだ男にレトヴェールが言った。

 「もうひとり」
 「あ?」
 「もうひとりいる。あっちに」

 レトヴェールが指差す方へ男が顔を向けると、そこに幼い子どもが1人倒れ伏せているのが見えた。男はさらに大きなため息をこぼし、たたんだ膝を伸ばしてテマクのもとへ歩み寄った。

 
 
 「! 戻ってきた! 戻ってきたぞ!」
 「次元師様!」
 「やった!」

 レイチェル村の住人たちが身を寄せ合う場所に、ロクアンズとテマクとを脇に抱えた男が現れる。彼の姿を見つけるなり、村の年長者たちの表情が安堵と喜びに満ちた。

 「テマク……テマク!」
 「気を失っているだけみたいです。ケガをしてなかったのは幸いです」
 「よかった、ああ、よかった」

 テマクの母親と思われる女性が、息子の身体を強く抱きしめ、足元を崩した。彼女はそこが地面の上であることも忘れてわんわんと声をあげて泣いた。そこへ、

 「レトヴェール、ロクアンズ!」

 群衆を掻き分けて男の前に現れたエアリスが、よろめく足を止めた。乱れて束からはずれた髪を耳にかけ、彼女は、レトヴェールとロクアンズを交互に見つめた。ロクアンズの顔がぐったりしていることにはすぐに気がついた。男は、ロクアンズの身柄をエアリスの腕の中に渡した。

 「ろ、ロクアンズ……。あの、なにが、なにがあったんですか? この子は大丈夫なんですか?」
 「大丈夫ですよ。この子もさっきの子とおなじで、気を失っているだけみたいですから」
 「気を失って……」

 ふとエアリスはレトヴェールにも視線をやった。頬や腕、足などの至るところに土が貼りついている。肘などの関節部には擦り傷も見えた。
 レトヴェールの顔に細い指先を伸ばす。頬についた土を丁寧に拭うと、エアリスは、レトヴェールとロクアンズの2人を抱き寄せた。左腕ではロクアンズを、右腕ではレトヴェールを優しく包む。

 「よかった。よかった、本当に。……無事で、よかったぁ……っ」

 金髪の男の子と、緑色の髪をした女の子が怪物のいるほうへ向かっていったと話を聞いたときエアリスは「悪い予感が当たってしまった」と、頭の中が真っ白になった。カウリアには申し訳なくて口にできないが、キールアも2人の後を追いかけたと知っておきながらエアリスはなによりも2人のことが心配でならなかった。しかしきっとカウリアも心境はおなじだっただろう。
 
 「よかった」「よかった」と泣いてやまないエアリスの腕の中はなんだってこんなにも安心できるのだろう。目尻に小さく涙を浮かべたレトヴェールはそんなことを思いながら、ちらっとロクアンズの寝顔を見やった。

 「……」

 (じげんし──)

 ロクアンズが出した雷。いや電気だったか。はたまたべつの魔法か。彼女が戦場で見せたあの異質の力が、"じげんのちから"と呼ばれるものであることを知識として蓄えているレトヴェールは困惑を隠せなかった。エアリスの服をぎゅっと彼が握り返した、そのとき。

 「おい、坊主」

 頭の上から、眉を顰めたカウリアが、そう鋭い声を降らした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.67 )
日時: 2020/06/01 09:32
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第062次元 日に融けて影差すは月ⅩⅠ

 声につられてレトヴェールが顔をあげる。すると小麦色の髪を一つに結いあげたカウリアが紫色の目に角を立てていた。彼の肩がびくっと震えたので、エアリスは首だけで振り返る。その拍子にレトヴェールが腕から離れた。

 「あんた……よくもうちのキールアを危険をさらしてくれたね! ええ!? この子に傷でもつけた日にゃどうなるかわかってんだろう!」
 「カラ、お願い落ち着いて。私が代わりに謝るわ」
 「エリは黙ってて。いい? この子が元魔がいるようなとこに行くわけないだろう。なんで連れ出した。ほら、言ってみな!」
 「ち、ちがうの……おかあさんっ」

 レトヴェールの背中のあたりにいたキールアが、彼を庇うようにととっとカウリアの前に出てくる。カウリアは眉をひそめて、自分の娘に問い質した。

 「なにがちがうんだい」
 「レトヴェールくんね……ま、まもってくれたの。わたしがついてっちゃったのに……レトヴェールくん、ケガ、しちゃって。だからレトヴェールくんをおこらないで。おねがい」
 「ま……守ったあ?」

 カウリアは片眉を下げながら、まじまじとレトヴェールの身体を観察した。ところどころ、肌が擦り傷によって黒ずんでいる。対してキールアは傷ひとつ負っていないようだった。
 ついかっとなって叱りつけた手前、なんとなく謝りづらいカウリアは「あー」とまず口元を濁した。が、すぐにレトヴェールに向き直り、真剣な声で言った。

 「そうかい。怒鳴りつけて悪かったね、坊主。キールアのこと、守ってくれてありがとうな」
 「……べつに。まもったとかそんなんじゃ」

 レトヴェールは斜めに視線を下げて、小さな声で言った。

 「そういうときゃ素直に『はいそうです』って言うんだよ!」
 「いでっ!」

 ぐわっと頭を鷲掴みにされ、レトヴェールは無理やりカウリアのほうを向かせられる。それから、くしゃっと軽く頭を撫でられる。

 「ちょっとは認めてやってもいいかな。でも、もっといい男になんだよ」

 カウリアは表情を柔らかくして、笑った。エアリスが彼女のことを「美人」と言う理由が、レトヴェールにもわかったような気がした。
 
 濃灰のコートのポケットに手を突っこんだまま、灰青色の髪をした男はじっくりと3人の子どもたちを見比べていた。金髪の少年、小麦色の髪を二つ結びにした少女、──そしていまもまだ、気を失っている若草色の髪の少女。
 元魔出現の報せを聞いてエントリアの本部から飛び出してきたのが数十分前になる。対象は大型で、しかも角、四肢、翼、体格とどれをとっても上級に分類される出来のものだった。元魔は神族によって生み出されていると聞くが、その個体差は激しい。形の整った個体のほうが肉体のバランスがいいため動きも良く、討伐は困難だ。しかしやたらと頭部だけが出っ張っていたり腕と脚の本数が噛み合っていないなどの"粗悪品"はその限りではない。
 だからこそ不可解なのだ。一体、どうしたらただの子どもたちに元魔を屠ることが可能になるのか。

 (……いや、ただの、じゃねえのか)

 男が注意深く観察していたのはロクアンズだった。次元師に年齢は関係ないのだが、体内にある元力を一気に消費してしまうと気絶もしくは身体が思うように動かないなどの副作用が生じてくる。それは未熟な身体であればなおのことだ。テマクはいましがた意識を取り戻し、母親に連れられて帰路についたため、注目すべきはロクアンズただ1人となった。彼女はいまもなお夢の中だ。
 男は濃灰のコートを翻す。

 (また来りゃあいいか。どの道、"同志"だっつんなら嫌でも顔を突き合わすことになるだろ)

 薄い鈍色の髪をした男は、レイチェル村から颯爽と姿を消した。



 目を覚ましたとき、彼女は真っ先に手が痺れていないかどうかを意識した。寝台に横たわりながら彼女は無理のない程度に首を回して、シーツの中から手を出した。握ったり開いたりする。どこにも異常は見当たらなかった。
 ロクアンズは丸一日という時間をかけてようやく意識を取り戻した。いま、陽の高さは一日の間でもっとも高い。にもかかわらず部屋の中はひんやりと冷たい空気に包まれていた。
 木製の扉が、ギィ、と音を立てて内側に開く。廊下から顔を覗かせたのはエアリスだった。彼女は、上体を起こしているロクアンズを見て驚いた。

 「……! ロクアンズ、目を覚ましたのね。よかった。すこし待ってて、いまカウリアを呼んでくるわ」

 エアリスが扉の表側から奥に姿を消すと、開けっ放しの戸口からレトヴェールが入ってきた。彼は両手で木の丸板を持っていた。

 「かあさんに持てっていわれて、きた」

 聞かれてもいないのにそう答えて、レトヴェールは寝台のすぐそばにある台の上まで木の板を運んだ。板の上には、乳白色の薬湯と、匙とが並べて置かれている。

 「ぐーすかねてっからいっしょう起きねえとおもった」
 「……」
 「……うそだよ。げんきねえな」
 「ねえ、レト、みた? あたしのてから、なんか、ばああってでんきがでたの……」
 「……」
 「あれなんだったのかな? レト、なんでレトは、あのかいぶつの……おでこのあかいのにあてたら、やっつけられるってわかったの?」
 「いっぺんにきくなよ。おれがわかんなくなる」
 「あ……ごめん……」
 「本でよんだ」

 レトヴェールは匙でくるくると薬湯を混ぜながら答えた。

 「本……?」
 「とうさんのへやにあった本。げんまには、"かく"っていうしんぞうがあって、それをこわせばげんまはしぬんだ。でもそれはすげえがんじょうだから、じげんしにしかこわせない」
 「え、……じげんし、って、なに?」
 「……」
 「ああ、ほんとに起きたんだねー、ロクアンズ。よかったよかったよ」

 溌溂な声を撒きながらカウリアがロクアンズの部屋に入ってくる。ちょうどロクアンズの様子を見に玄関口までやってきたところをエアリスが捕まえたらしい。
 カウリアは肩にかけていた布製のバッグをどすんと床に下ろして、ロクアンズの顔色やら傷やらを丹念に診た。

 「肌の色よし。傷よし。じゃ……」

 カウリアは静かに目を閉じて、言った。

 「次元の扉、発動。──『"癒楽ゆらく"』」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.68 )
日時: 2020/04/16 14:54
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第063次元 日に融けて影差すは月ⅩⅡ
 
 ロクアンズとレトヴェールは目を瞠った。とくにカウリア自身に変わった様子はない。彼女は立て続けに詠唱する。

 「"診架しんか"」

 途端、ロクアンズの全身が薄い光に包まれた。彼女はおろおろしながら腕の表面、手首、脚などに視線を這わせてみたが、どこにも異常はなかった。ただふわふわした感触だけが肌を撫でた。かと思えば、柔らかい光はふっと絶えた。

 「……?」
 「なかを診た感じも異常なし、か。いやー、さすが若い子は治りが早いね〜」
 「よかった。ありがとう、カラ」
 「どうってことないさ。こんなの、シーホリーの人間ならだれでも使えるんだから。アディダスのせいでね」
 「おかげで、でしょう」

 2人の会話をぼんやりと聞いていたロクアンズは、思い切って口火を切った。

 「あの! かうりあ……さん。いまのって、なあに?」
 「いまの? あー、次元の力のこと?」
 「じげん……って?」
 「200年ほど前、この世に突如神々が降り立ち、その災いに見舞われた人間たちが突然手に入れた異質の力。それをこの世の中では、次元の力と云う」

 カウリアは、いかにもこれからお伽話をしますといった風に仰々しく語りだした。しかし、ぽかんとするロクアンズを前にしてすぐにいつもの調子に戻る。

 「でも、この力ってのはたった100しかない。だから次元師は100人しかいない……と言いたいところだけど例外もあってね。シーホリーの血を継ぐ人間だけは、なぜか全員『癒楽』の扉を開けられるのさ。どうやらあたしたちの先祖のアディダス・シーホリーがなんかしたらしくて。ま、それはいいとして。この次元の力を持ってる人間たちにはね、共通点がないの。つまり、ランダムで選ばれてるってこと。だからあんたも……偶然選ばれちゃったってことだよ、ロクアンズ」
 「え?」

 エアリスは目を丸くしてカウリアを見た。カウリアはというとそんなエアリスに笑みだけを返して、「それじゃあお大事に」と、部屋を出ていった。

 「選ばれちゃった、って……なにに?」
 「……」
 「ロクアンズ?」
 「……あのね、おばさん、あたし……手から、手からでんきがでたの」
 
 ロクアンズは自分の両手を見下ろしながらぽつりとそうこぼした。

 「くろいかいぶつをね、やっつけなきゃって、みんなをまもらなきゃって……そうおもったら、てとか、あしとかがびりってして、それで……」
 
 思い返せばあのとき、ロクアンズはいままでになく必死だった。ころされる。漠然とした恐怖に抗うように願った。「たすけたい」、「たすかりたい」と、神に祈るような気持ちだった。
 手先が痺れるような錯覚がして、ロクアンズは両手をぎゅっと固く握りしめた。

 「あたし、こわくて……手もしびれて、いたくて……っ」
 「すごいじゃない、ロクアンズ」

 言いながらエアリスが、ロクアンズの両手を自分の両手で優しく包みこんだ。

 「すご……い?」
 「だってそれは……だれもが持てるものじゃないのよ。何億何十億って人がこの世界にいて、そのたった100人の中に選ばれたの。きっと偶然じゃないんだわ。この世界に偶然はないもの。あなたはこれからたくさんの怖いものと戦わなくちゃいけないかもしれない。でも怖がらないで。あなたとおなじような力を持った99人の次元師たちが、きっとあなたを支えてくれる」
 「……どうしたらいいの?」
 「ロクアンズ、それはね、大事な人を守れる力なのよ」

 強ばるロクアンズの頬を撫でながら、エアリスは続けた。

 「この世界の怖いものたちをやっつけられる力があなたにはある。そうしたら、力を持ってなくておびえてる人たちを笑顔にできるわ。もちろんわたしも、レトヴェールも、みんな。みんなを助けられる。あなたはとても強い子だから、それができるって私は信じているわ」

 『たすけて』と泣き叫ぶテマクの姿を見たとき、使命感のようなものが身体中を駆け抜けた。まえに彼にいじめられただとか、そんな小さなことはもはやどうでもよかった。泣いている人を放っておきたくない。かつて自分がエアリスに助けてもらった日とおなじように、テマクの手を引いてやりたかった。
 テマクだけではない。この世界にはまだ、彼とおなじように泣き叫んでいる人がいる。「次元師様」と祈る声で溢れているのだ。

 「おばさん、あたし……。このでんき、もっとつかえるようになりたい。まだ、こわいけど……」
 「そう。ロクアンズはえらいわね」
 「おばさんがいるからだよ」
 「私?」
 「あたし……おばさんみたいになりたい。おばさんみたいに、こまったひとを、たすけられるようになりたい」

 言うと、ロクアンズは恥ずかしそうに頬を赤らめた。固く結んでいた手もほどかれている。エアリスは何度か目をしばたいた。赤らんだ瞳をやわらかく細め、一度唇をきつく結ぶと、微笑んで言った。

 「きっとできるわ。あなたなら」



           *

 まだ厳しい寒さの残る中、カウリアが自宅にて第二子を出産した。十月とつきという時間をかけてお腹の中で育んできた命である。イズリアと名づけられた赤子は男児だった。
 親友の子が無事産まれたことをお祝いするためにとエアリス、レトヴェール、ロクアンズの3人は昼下がりにシーホリー宅に訪れていた。

 「あらあ~」
 「ちっちゃぁい! かわいい!」
 「でっしょ~? 名前はイズリアってんの。男の子だったから、旦那の最初の文字をとった」
 「イズリア……ふふ」
 「なに? なんかおかしい?」
 「ううん。ただ……古語でね」
 「……ああ。あんた好きだねえ。んで、なんで笑ってたのさ。イズリアって言葉が古語にあるわけ?」
 「いいえ。"イズ"、ってね、娘って意味なのよ」
 「げ。ほんとに? えー、どうしよ。なよなよした男になったら」
 「あら。あなたのことだから、イイ男に育てるんじゃないの?」
 「はは。そらそうだ。うんとイイ男に鍛えて、お姉ちゃんを守ってもらわなきゃね。あんたもぐずぐずすんじゃないよ~、坊主」
 「べつにしょうぶしねえし」

 けたけたとカウリアが快活に笑う。しょうぶ、という言葉を聞きつけたロクアンズがすかさず片手を突きあげた。

 「いいなあ~! はいはい! あたしもしょうぶしたい!」
 「おまえ女じゃん」
 「いーの! あたしもキールアまもりたい! レトのほうがおんなのこっぽいし」
 「ロクおまえおぼえてろよ」
 「え?」

 は、っとレトヴェールが息を呑む音がした。つい口から出てしまった言葉ごと吸いこみたかったができなかった。ロクアンズの片瞳がだんだんと輝きを得る。

 「ロ、クって……え、なになに!?」
 「まちがえた」
 「うそ!」
 「……あ。でも、あの、レトヴェールくん、あのかいぶつがきたとき……ロクアンズちゃんを、そうよんでた……」
 「よ……、んでねえ」
 「えー!? ほんとキールア!? しらなかった! ゆってよ! よんでよ"ロク"って、ねえっ、レト!」
 「うっせえな! だいたい、長いんだよ、ロクアンズって!」

 3人の小競り合いをただ眺めていたエアリスとカウリアが同時にどっと笑いだす。ロクアンズがレトヴェールのことを『レト』と呼び始めた出来事を鮮明に覚えているエアリスにとっては、ただ微笑ましいだけではない。2人の距離が確実に縮まってきているのがひしひしと伝わってきて嬉しかった。
 
 「あはは。そうだわカラ、台所を借りてもいい?」
 「え? べつにそれは構わないけど……」
 「キールアちゃんやイスリーグさんのお昼がまだでしょう。わたしたちの分といっしょに作って、イスリーグさんには直接持っていくわ。薬草の調達に行かれたんだったわね」
 「あー、悪いねエリ。助かるよ」
 「いつも助けてもらっているもの」

 エアリスが腰を持ちあげて炊事場に向かって歩きだした。
 そのときだった。
 がたん、という物音がして、カウリアとロクアンズとレトヴェールの3人が同時に音のしたほうを向いた。見ると、エアリスが膝をついて蹲っていた。顔のあたりに手を持っていっているようにも伺える。ロクアンズとレトヴェールがあわててエアリスのもとに駆け寄った。

 「だいじょうぶ!? おばさん!」
 「エリ、どうかした? 具合でも悪いの?」
 「……。いいえ、なんでもないわ。だいじょう」
 
 ぶ、と言いかけてエアリスが身体を左右に揺らした。途端、その場に倒れこむ。ロクアンズもレトヴェールも目を大きく見開き、エアリスの身体に飛びついた。床にべったりと張りついた腰のあたりをロクアンズがゆさゆさと揺り動かす。

 「おばさんっ! おばさんっ!」
 「ちが……」
 「え?」
 
 倒れ伏したエアリスの横顔を呑みこむようにして、鮮やかな赤の液体が、木張りの床を侵食した。

 
 窓の外では雪が降りはじめていた。
 しんしんと。
 雪は静かに、すこしずつ、そしてたしかな冷たさとなって降り積る。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.69 )
日時: 2020/04/16 14:54
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第064次元 日に融けて影差すは月ⅩⅢ

 青々と生い茂る木々に囲まれたレイチェル村の空は高い。草原の中を軽快に駆け抜けて目指すのは、村の北東にあるシーホリー一家の住まう家だ。からりと乾いた風に煽られて青い葉が舞っている。彼女の髪色はそんな爽やかな景色によく溶けこんでいた。
 木の扉のすぐ横にぶら提がった鈴つきの紐を揺らすと、からんからんと心地よい音が鳴る。次いで彼女は、大きな声で扉の向こうに呼びかけた。

 「カウリアさーん!」

 しばらくして家の中から出てきたのは、小麦色の髪を高い位置で一つに縛った女性だった。カウリアは片手に小袋を携えていた。

 「おう、ロクアンズ。そろそろ来るんじゃないかと思ってたよ。はい、頼まれたもん」
 「ありがとう! ねえ、キールアは?」
 「ああ、朝に薬草を採りに行かせたんだよ。もう戻ってもいい頃……あ」
 「ロク?」

 背中に呼びかけられ、ロクアンズは振り返った。二つに結い分けられた小麦色の髪は高い位置で結ばれている。きっと母であるカウリアの好みなのだろう。キールアがロクのそばに駆け寄ろうと足を速めると、彼女の手から提がっているバスケットが揺れた。

 「来てたんだ」
 「ちょうどいまね。カウリアさんから薬もらいに」
 「そっか」
 「ねえちゃー!」
 
 どたばたと足音をうるさくして玄関から飛び出してきたのは、キールアよりもうんと背の低い少年だった。彼女とおなじ色の髪をした彼は、紫色の両目を輝かせていた。姉の帰りを待っていたらしい。

 「ねえね、おかえり」
 「ただいまイズ。お姉ちゃんを待っててくれたの?」
 「うんっ」
 「そっか。じゃあお姉ちゃん、イズと遊ぼうかな」
 「ほんと? やったやった!」

 自分も自分もと言いだしたかったが、早くこの薬を自宅に持って帰らねばならない。姉弟が家の中に戻るその背中に後ろ髪を引かれつつ、ロクはシーホリー宅をあとにした。



 「ただいまーっ!」

 玄関を扉をくぐりながら家中に聴こえるように言う。返事はない。居間にはだれもいないようだった。ロクは真っ先にエアリスの部屋へ向かった。
 エアリスの部屋の扉を開けると、彼女は寝台の上で上半身だけを起こし、顔を窓の外へ向けていた。扉の音に気がつき、彼女は振り返る。

 「やっぱりロクアンズだったのね。おかえりなさい」

 穏やか声が室内にふわりと広がる。迷える子羊を導く聖母のような微笑みでロクを部屋に招き入れた。しかしその頬は、病に倒れる前と比べると確実に痩せこけていた。
 
 エアリスがこうして病床に臥せるようになったのは3年前からだ。当時はまだ「大丈夫」と余裕の色を見せる日が多かったものだが、最近では10日に2、3日活動できる日があれば調子がいい方だ。当然、調薬士であるシーホリー夫妻には3年前から定期的に診てもらっている。しかし彼らの技量をもってしても、快復には至らなかった。それどころか病状は年々、悪化している。"原因不明"の病だった。
 ロクは寝台まで近づくと、エアリスに小さな布袋を差し出した。

 「はい、これ。カウリアさんからもらってきたよ、薬。あとで水も汲んでくるね」
 「ありがとう」
 「あと……」

 もう片方の手に持っていたものをロクは差し出した。それは羊皮紙で拵えられた薄い便箋で、宛名と送り主の名前を綴っている文字はメルギース語に似ても似つかない。しかしロクはその送り主がだれかを知っていた。

 「これ、届いてたって。たぶん、おじさんから……」
 「あの人から?」

 シーホリー宅へ向かう前、ロクは街に出かけていた。林道を抜けたところにあるカナラ街だ。街中にある役場で、エアリス・エポール宛てのものはないかと訊いてみたところ一通の便箋が届いていると言われた。ロクはエアリスから預かってきた身分証を見せ、本人確認が済むと便箋を受け取った。手のひらに乗るくらいの小ぶりな木板で拵えられたその身分証には役場の判子がされている。もちろん発行元も同所だ。
 カナラ街などの繁華街に出たときに、買い物がてらに役場に寄って帰るという人は少なくない。というのも、遠いところにいる人間との連絡手段として文通が発展し始めてからのことだ。運び屋、という職人も徐々に母数を増やしつつある。メルギースの交通技術はいま、荷馬車での移動が主なため、荷車や馬を持たない者たちにとって運び屋は嬉しい存在だった。
 運び屋たちの手から手へと渡ってきた便箋をロクから受け取ったエアリスは、その裏側を見た。細い黒筆で書かれた名前を視認すると、彼女は自然と口を緩ませた。

 「あの人だわ。まったく、最後にお手紙を送ったの、いったい何月前だと思っているのかしら。しかたのない人ね」
 
 くすくすとエアリスが子供っぽく笑う。あまり陽を浴びなくなったせいか、もとより色白である肌が余計に透き通るようになった。嬉しそうに封を切るエアリスの顔を見ながらロクは静かにしていた。
 じっくり時間をかけて手紙を読み進めるエアリスを見ているうちに、だんだん自分もその文面に興味が湧いてきて、ロクは寝台に身を乗り出した。

 「あらロクアンズ、お手紙に興味があるの?」
 「うんっ。……でも」

 ロクはまじまじと文面を見つめる。すこし黄ばんだような、ざらざらしたその紙の表面にびっしりと並べられた文字たちはまるで異国の呪文のようで、何度首をひねってみてもロクには読めなかった。封筒に書かれた宛名、それと送り主の名前を綴っているらしい文字とおなじような形をしていることだけはわかった。
 
 「ねえ、この文字、おばさんに習った文字とちがうよね? ぜんぜん読めない」
 「これはね、ぜんぶ古語なの。遠い昔に使われていた文字。言葉もどんどん発展してきているから、いまじゃ、もうどの古文書を開いてもそれを読める人はすくないでしょうね」
 「おばさんは? これ、読めるの?」
 「ええ」
 「どうして?」

 エアリスは、美しい金で彩られた瞳で手紙を見つめた。それから、紙の表面に綴られた古文字を指先で撫でた。

 「……この文字が使われてる本が、昔の家にたくさんあったから。この家にもすこしはあるのよ。それに私、古語の読み方はお母さんに教えてもらったの。お母さんも、祖母に教えてもらって……。あなたも読めるようになりたい? それならおばさん、喜んでロクアンズにも教えてあげるわ」
 「ほんと!? あたし、古語読めるようになりたいっ!」
 「それじゃあ、毎日お勉強の時間を設けなきゃね」
 「やったあ! ねえ、レトは? もう知ってるの?」
 「ええ。あの子にも簡単な文法を教えたことがあるの。でもね、そうしたらあの子、いつの間にか古語で書かれた本を読むようになっていたのよ。私びっくりしちゃった。いまでもよく見かけるわ」
 「うっわあ……熱心どころじゃないよ。なんかもう、こわっ」
 「こらこら。怖がらない」

 エアリスの笑った顔を見ていると、彼女が病気であることをつい忘れてしまう。子どものように無邪気な顔になるせいだろう。ついつい、彼女につられて頬が緩んでしまうのもしかたがなかった。
 ふいにロクは、ずっと疑問に思っていたことがふわりと脳裏に浮かんでくるのを感じた。上目遣いでエアリスの顔色を窺うと、もごもごとしていた口元に白状させた。
 
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.70 )
日時: 2020/04/16 14:54
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第065次元 日に融けて影差すは月ⅩⅣ

 「ねえ、おばさん……アノヴァフおじさんって……」

 その先の言葉は紡げなかった。「どうして帰ってこないの?」「どこでなにしてるの?」「どんな人?」──いろいろと候補はあったけれど、どれも不適切な気がした。それに気がついたのは、エアリスの夫であるその人物の名前を口にしてからだった。同時に後悔した。
 エアリスはそんなロクの心情を察してか、ゆるゆると首を振った。

 「会えることは、しばらくないでしょうね……。お仕事がすごく忙しいみたいなの。だから、こうしてお手紙をくれるだけで本当に嬉しいのよ。普段は物静かで口数も少なくてね、あんまり表情も変わらない人だから、なにを考えているのか最初はぜんぜんわからなくて……でも、その独特な雰囲気に惹かれる女性は多かったわ。彼がこの村に来たとき、みんな目の色を変えたものよ。もちろん私も。いまではそんな彼の考えてること、顔を見なくてもわかるようになった」
 「顔を見なくても? わかるの?」
 「ええ。そうよ」

 ロクは「ふぅん」と曖昧に返事をした。遠く離れた場所にいる人間の気持ちがわかるだなんて、どうにもロクには理解しがたかった。しかしエアリスの表情は至って真面目だ。きっと、そのアノヴァフという男と彼女との間には他人には侵せない絆があるのだ。夫婦とはそういうものなのだろうか、とも思った。
 ロクはアノヴァフに一度も会ったことがない。だからこそ、エアリスの夫でありレトヴェールの父であるその男の正体が気になっていた。手紙が届くたびに、送り主の名前を綴ったへんてこりんな文字を見るたびに、その興味は募っていった。しかしエアリスから、しばらく会えないと告げられた以上、詮索することは躊躇われた。それならと、べつの話題をロクは持ちかけた。

 「じゃあどうして古語を使って手紙書いてるの?」
 「それはね……昔からそうしているの。夫婦になる前からあの人とはよくお手紙の交換をしたわ。最初に使い始めたのは私。読めるはずないだろうって思って、文章の中に混ぜた。そしたらあの人、おなじように古語を使ってお返事をくれたの」
 「おばさんはなんて書いたの?」
 「あなたのことをお慕いしています。って、そう書いたのよ」
 
 直接文字に興す勇気がなかったから、ずるをしちゃった。エアリスははにかみながら言った。いつもの母親らしさはなく、少女の頃に還ったかのようにあどけない。頬もすこし赤らんでいた。顔が熱くなったことを本人も自覚したのか、思いついたように咳払いをした。
 
 「この話は、ここでおしまい」
 「ええ~?」
 「きっと会ったらわかるわ。私の言ったこと」
 「うぅん……。でもなんか、レトみたいだね。無口で、あんまり表情変わんないなんて」
 「そうね。あの2人はそっくりだわ」
 「顔はおばさんそっくりなのにね、レト」

 ロクがそう言ったのには深い意味はなかった。性格は父と似ていて、容姿は母に似ている──。たったそれだけのことを微笑ましく言ったつもりだった。
 しかし、エアリスはじっとロクの瞳を見つめ返していて、すぐには返答をしなかった。やや間があってから、彼女は告げる。

 「あなたが3年前に言ってくれたこと、私、ちゃんと覚えてるわ」
 「3年前?」
 「『おばさんみたいになりたい』……って。すごく嬉しかった。私は、自分の生き方に自信があるわけではないけれど、義母として誇りに思ったの。あなたになにかしてあげられたのかな、それなら、よかったなって」

 嘘や、慰めの意がその目にはいっさい含まれていなかった。雪の降る中「うちにおいで」と手を引いてくれた日とまったくおなじだ。レトヴェールと自分とで、決して色を変えたりしない彼女のその金色の瞳がロクは好きだった。
 エアリスは、安心したように笑って言った。

 「この先も、ずっと忘れないでしょう。死んだって忘れたりしない」

 小さな針でちくりと胸を刺されたような、そんな感覚を覚えた。が、それもたったの一瞬だった。大好きなエアリスの笑顔を前にしていると、胸中で荒立った小さな波などすぐに穏やかになる。

 「薬を飲むから、お水持ってきてくれる?」
 「うん。あとで洗濯物も見てくるね! なにかあったら、すぐに呼んで。すっ飛んでくるからっ」
 「あら嬉しい。ありがとう、ロクアンズ」
 
 ロクは部屋をあとにした。毎日欠かさず薬を飲み、元気なときには動き、けたけたと笑いもする。見えない敵と戦い続けるエアリスのために、ロクはできる限りのことをしたいと心に決めていた。
 
          *
 
 裏庭の整備で手が離せないというロクアンズに代わって、今日はレトヴェールがカナラ街まで足を運ぶことになった。肩から提げた布製の鞄には、1枚の紙といくらか銭を入れた小袋、そしてまだ読み途中の本が1冊入っている。紙が示す通りに、まずはカナラ街にある役場に寄らなければならなかった。
 役場の出入り口は開放的な造りになっている。順番待ちの列の最後尾の人たちが入り口付近に溜まっていた。レトは室内にいる人の多さに圧倒された。勝手がわからない彼はとりあえず窓口に向かって一直線に人が並んでいる列の最後尾に立ち、人々がはけていくのを待った。待つだけの時間にも飽きてきて、自分たちの列以外のところはどうだろうか、と顔を横に振ったときだった。
 ずらりと人が立ち並んでいるほかの列の、ずっと後方。視界の端でなにかを捉え、思わずそちらを見た。

 (……?)

 室内の隅に、人物の頭がひとつ抜けて立っていた。ほかの町村民とは明らかに立ち振る舞いが異なっている。その人物は、屋敷の柵の前で警護を仰せつかっている番人のようにじっとしている。周りにいる人間が大人ばかりなので肩から上しか見えないのが残念だった。
 「次の方どうぞ」という声で我に返ったレトは、いざ自分の順番が訪れると緊張を催した。いかにも不慣れな様子で、エアリス宛ての手紙の有無について問いかける。
 
 「ああ、きてるぜ。差出人……はたしかいつもとおなじだ。身分証はあるか?」
 「え? あ」
 
 しまった、とこのときレトは数十分前の自分を恨んだ。身分証を呈示しなければ手紙を受け取ることができないということが、頭からすっかり抜け落ちてしまっていたのだ。いつも役場での用事をロクに委ねていたのが悔やまれる。身分証にまで頭が回らなかったのはそのためだろう。
 引き返すしかないか……とレトが沈んだ表情をしていると、窓口に立っていた男がこんなことを言ってきた。

 「なあおめえさん、エアリス・エポールさんとこの子だろう? 今回は見逃してやるから、次からは気をつけな」

 男はなんの後腐れもなく便箋を差し出してきた。役場に訪れることすらも珍しいレトの顔をこの男が覚えているという事実がどうも信じがたい。たとえ以前、この男が偶然にもエアリスを担当したときにたまたま自分が傍にいたとしても、毎日大勢の人たちと顔を付き合わせる仕事なのだ。来場者の顔などいちいち覚えていられないだろう。
 レトが訝しむような視線を向けてきたので、男は代わりに大げさな笑みを返した。

 「なんでだって顔してんな? そらわかるさ。おめえさんもエアリスさんもべっぴんさんだからな。さすが、王家の血を引いてる人間たちってのは顔立ちも普通じゃねえ。おっと、いまは廃王家っつうんだったか?」
 「……。や、なんでもいいです。ありがとうございます。……あの」
 「ん? なんだ?」
 「ひとつだけ質問いいですか」
 「ああ。後ろにもまだ並んでっから手短にな」

 手短に、と言うがこの男のほうこそ王家だなんだと無駄話をしたのではないか。レトは少々腹を立てたものの、しかし単なる興味本位で時間を消費するなんて、ほかの来訪客に迷惑をかけかねない行為なのは事実だ。訊こうか、やめておこうか。しかし最終的には好奇心のほうが勝ってしまい、彼は思い切って言った。

 「後ろのほうに、へんな雰囲気の人が、立ってたんですけど……あれは」
 「ああ。政会から派遣されてきたんだとよ」
 「政会?」
 「なんつったかなー……なんとかっていう一族の生き残りがこのへんに潜んでるらしいとかで、探しに来ただかなんだか言ってたなあ。政会のやつらはもうずうっと昔から、血眼になってその一族を追ってんだとよ。しっかしなあ、いっこの血を完全に絶やさせるってのは正気の沙汰じゃねえよ。それもひとつのでっけえ組織が世界中を探し回ってるときた。いったいどんなやつらなんだ? ……ああ、安心しろよ。おまえさんとこじゃあねえ」
 
 レトは礼を言って男から便箋を受け取り、列の先頭から外れた。そして出入口に差し掛かる数歩手前になって、室内の端のあたりを視線だけで凝視した。まだそこでは長身の人物が山の如くどっしりと構えていた。それも1人だけではなかった。反対側の壁際にもおなじような出で立ちの男が立っていたのだ。レトは最初に発見した人物のほうに注目し、今度は頭のてっぺんから爪先までしっかりと確認した。男だとわかったのはすぐのことだ。

 濃紺に金の刺繍が誂えられた長めのコート。堅実そうな強ばった顔のパーツの中で、特に際立っていたのは真一文字に結ばれた口と──獲物を狩らんばかりにギラついた目だった。それは反対側にいるべつの男も同様だった。
 このときレトの脳裏に、その濃紺の制服が深く刻みこまれた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.71 )
日時: 2020/04/16 14:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第066次元 日に融けて影差すは月ⅩⅤ
 
 生き残りの一族──。そう聞いてレトヴェールが真っ先に思い浮かべるのは、自分とエアリスのことだ。

 エポール一族の血筋であることは理解しているものの、自分の身体に王族の血が流れているという実感は薄い。
 いまから200年ほど昔。エポールの姓を持つ者たちが王族として国を背負っていた。が、"なにかの事件"をきっかけに、エポール一族は急速に衰退していったと伝えられているのだ。ある者は病に陥り、ある者は自らの首を括り、またある者は『これは呪いだ。この血を継いではいけない』と周囲に吹聴した。
 そうして徐々に王家の血脈は勢いを失くし、事件後、50年あまりで王制に幕が下ろされた。現在ではまるで風前の灯火のように絶えかけている。役場の男が悪びれもなく口にしていた「廃王家」というのは、彼の創作言葉ではない。細々と生き残っているエポール一族の子孫に対して使われている造語だ。いつ発祥したものかはだれも知らないし、だれが言い始めたのかも不明瞭だった。それも当然といえば当然だ。
 王制が廃止されてから150年という時間が経過している。レトは、自分とエアリス以外にエポール一族の血を持つ者はこの世にいないのではないか、とこの頃からすでにそう推測していた。
 
 カナラ街の林道を抜けてレイチェル村に戻ってきたレトは次に、シーホリー宅をめざした。エアリスの薬を買い取る仕事が残っている。
 見慣れた煉瓦造りの家屋に到着すると、玄関の扉のすぐ横の外壁からぶら下がっている紐を揺らした。上部に取りつけられた二つの鈴がからんからんと乾いた音を鳴らす。
 カウリアのことを苦手としているレトは道中からすでに身構えていたのだが、扉の奥から現れたのがキールアだったため、少々面食らった。

 「あ……レトヴェールくん」

 キールアは驚きこそすれ怯えることはなく、「おはよう」と柔らかい口調で続けた。3年という時間を、いっしょに遊んだり食卓を囲んだりして共有してきた結果だ。とはいえ、2人ともロクアンズのように積極的な性格の持ち主ではない。仲が進展したかと問われれば、否であった。

 「母さんの薬買い取りにきた」
 「ああ。うん、ちょっと待っててね」
 「ん」

 レトがいつもの調子で冷たい話し方をしてもキールアは幼少期ほど動じなくなった。怒っていてもいなくても、声のトーンがさほど変化しないという彼の特徴を無意識のうちに掴んだのだろう。
 キールアが後ろを振り返り、小走りになりかけたそのとき。居間の奥の廊下から前掛けを身につけたカウリアと、彼女と手を繋いでいるイズリアが現れた。不在だと思っていただけに、レトは急に緊張する羽目になった。

 「おー、坊主。珍しいねえ。今日はあんたがおつかいに来たのかい? エライエライ」
 「……どうも」

 褒められたというより小馬鹿にされたような印象を受け、レトはむすっとして声を低くした。その反応さえも楽しむかのようにカウリアはけたけたと高笑いする。
 イズリアがじぃっとレトの顔を見上げていた。レトは幼い子どもの相手をするのが大の苦手だった。
 そのうえ、独特な妖しい光を放つその紫色の眼をまじまじと見つめてしまうと、たちまち目が離せなくなってしまうことをレトは知っていた。シーホリー一家の瞳はそれほど魅力的だ。

 「せっかく来たんだ。ちょっと茶でも飲んできな」
 「え? べつに俺は……」
 「いーから。どうせ家帰ったって、本読むしかしないんだろ。薬を渡すついでさ、ついで。キールア、お茶を淹れておくれ」
 「うん」

 カウリアが前掛けの紐を解きながら歩きだしたので、レトは彼女の後ろについていくように家の中へ入った。従来通りならば家中に蔓延している薬類の匂いにやられて顔をしかめるところだが、彼はそちらにはまったく意識をとられなかった。それもそのはず、広い居間のあたり一帯に、風呂敷の包みやら大小さまざまな箱やらが散乱していたのだ。代わりに、どの棚もほとんどなにも収納されていなかった。数冊の本やいくつかの空き瓶が置かれているにすぎない。

 「……?」
 「ふぅー。ずっと作業してたから、疲れちまった」
 「お疲れ、お母さん」

 カウリアが木の椅子の背凭れに前掛けを引っかけたそのとき、床に座りこんで1人で遊んでいたイズリアがおもむろに立ち上がった。

 「ねえおかあさん、おそといってもいい? ぼくおそとであそびたい」
 「今日はだめ。うちで遊びな」
 「きょうも、だよ。ねえねもあそんでたって……」
 「イズ。だめと言ったらだめ。わかった?」
 「……」
 「大丈夫。数日のうちにはね、お外で遊べるようになるから」
 「ほんとっ? うそじゃない?」
 「ほんとさ」
 「やった! ねえおかあさん、やくそくだよ」
 「よかったね、イズ」
 「うんっ」

 イズリア、キールア、そしてカウリアの3人が団子になって笑い合う。その光景は微笑ましいものだった。が、レトは、一層目を鋭くさせていた。3人の小麦色の髪だけを凝視していたのである。
 彼女たちの身体にはおなじ血が流れている。ここにイスリーグ・シーホリーが加わってもおなじことだ。キールアの瞳の色だけが異なっているという点を除けば、4人の容姿も纏っている雰囲気もじつに家族らしい。
 健康な母。
 家族の傍にいてくれる父。
 血の繋がった姉弟きょうだい──。
 海底に向かって沈んでいくように考えごとをしていたレトは、カウリアに呼びかけられたことによって、現実に引き揚げられた。

 「あんた、まだ突っ立ってたのかい? あたしを待たずに、座っててよかったのに」
 「……」

 ついさっきまでは持っていなかったはずの風呂敷の包みを2つ、手元から提げてカウリアは小首を傾げた。彼女が席に着いたので、レトも椅子を引いて彼女の正面に座る。キールアが横から「はい」と紅茶の入ったカップを差し出してくる。カウリアが「キールア、向こうでイズと遊んでやって」と促すと、キールアはイズリアの手を引いて奥へ引っ込んだ。
 カウリアがテーブルの上に子どもの頭くらいありそうな大きさの包みを2つともどんと置いた。これまでよりもずっしりと重たそうで、中に入っているであろう薬の量も多いと伺えた。レトは素直に疑問を口にした。
 
 「いつもより、多くないすか」
 「ああ。ちょっとね、じつは、この家空けるんだ。もうすこししたら」
 「え?」
 「だから数十日分、渡しておく。なくなる頃になったらキールアに届けさせるから心配はいらないよ」
 「あ、空けるって……どこに」
 「森の奥のほう。十分往復できる距離さ」
 「……」
 「あんたさ……うちの一家について、どのくらい知ってる?」

 カウリアは声を張らずに、ぼそりと零すように言った。突然のことで動揺したレトはすぐには返答できなかった。
 
 「え、と」
 「いいから。なんでも」

 涼しい顔をしてカップに口をつけるカウリアの質問の意図がわからなかった。しかし彼女は依然としてレトの言葉を待っているようだった。
 レトは、シーホリー一家について思いつく限りのことを述べた。

 「……家族構成は、4人で、調薬師のカウリア・シーホリーとイスリーグ・シーホリーの間に、2人の子どもがいる。11年前に生まれたキールアと、3年前に生まれたイズリア。カウリアさんはうちの母エアリス・エポールとは幼い頃からの親友で、周囲の男児とよくケンカをして泣かせていたほどの乱暴な人で、この村でイスリーグさんと出会って、村を出た。それで何年かに1回は村に帰ってきてて、また出てってを繰り返して……3年前、出産のために戻っきてきてからはずっといて……。カウリアさん?」

 しどろもどろになりながら言葉を捻り出していたレトがふとカウリアのほうを見ると、彼女は後ろを向いて椅子の背凭れを掴み、わなわなと震えていた。どうやら笑いを堪えているらしかった。ついに我慢できなくなった彼女は堰を切ったようにどっと大声をあげた。

 「あっははは! なるほど、なるほどね。いやー、正解だよ。すっごく正解」
 「……なんか、間違ってました?」
 「いーや、なんも。そっかそっか。……なら、いいや。うん。それだけで十分だよ」

 目尻に浮かんだ涙を拭いながらカウリアははにかんだ。レトが釈然としない調子でいると、そのとき、廊下の奥からキールアが現れた。

 「おう、どうしたキールア」
 「イズがここに忘れ物したって……。それよりもどうしたの? お母さんの笑い声、こっちまで聞こえてたよ」
 「あー、なんでもないよ。気にしないどくれ」
 「あの、俺、そろそろ戻ります」
 「そうかい? そんじゃあキールア、ついでだからあんたもエリんとこ行っといで。坊主1人じゃ重いだろうし、帰りに小麦とミルクを買ってきてほしいんだ」
 「わかった」
 「頼んだよ」

 カウリアがキールアの頭を撫でる。キールアは嬉しそうに頬を染めて、満面の笑みで「うん」と返事をした。廊下の奥からのっそりと出てきたイズリアが、「ねえね、はやくかえってきてね」ともじもじしながらねだってきたので、キールアは大きな包みの1つを両手で抱えてみせた。

 「うんっ。お姉ちゃん、すぐ帰ってくるよ」
 「……」

 このときレトは、なんとなくキールアの笑顔を見ていることができなくて視線を逸らした。机の上に代金を置き、すばやく自分も大きな包みを抱えると、ずっしりとした重たさが両腕にのしかかってきた。これがすべてエアリス1人で服用する薬の量なのだと実感してしまう。そこから一歩も動けなくなりそうな重さだなと錯覚したのは、ほんのわずか一瞬のことで、正気を取り戻すのは早かった。
 歩けないほどの重さではないのに、歩けないと思いたかったのだろうか。
 レトが一歩、踏み出したところで、カウリアが「坊主」と声をかけてきた。

 「キールアのこと、頼んだよ」

 レトは、完全には振り返らず中途半端に頭を下げた。キールアが「いってきます」とカウリアにかけながら玄関の扉を開け、外に出る。その横をレトが静かに水が流れていくようにするりと抜けた。挨拶はしなかった。扉をゆっくり閉め終えると、すでにレトの背中は遠のいていて、彼女は急いで彼の隣まで駆け寄った。

 「歩くのはやいんだね、レトヴェールくん」
 「……」
 「重たくない? ごめんね、急なことで……。でも、これからもちゃんと届けに行くから」
 「……」
 「……あ、の……」

 まるで知り合って間もない頃に時間が遡ってしまったかのようだった。返事が返ってこない。こちらを向かない。時間をかけたおかげで多少なりとも会話が成り立つようになったと勘違いしていたのだろうか。急に不安がこみあげてきて、キールアからはなにも発言できなくなった。

 「……」
 「……」

 ──様子がおかしい、とは勘づいていた。けれどキールアはレトに「様子がおかしいよ」と告げる勇気がなかった。どうせ返事が返ってこないのであれば最初から投げかけないほうがずっといい、とさえ思った。
 キールアの足が緩やかに速度を落とし、ぴたりと動きを止めた。しかしレトはずんずんと先へ足を進ませる。彼女を置いて先へ行く。彼女は駆けだし、彼のすこし後ろについた。

 道中、「もう俺が2つとも持つから」とレトが言いだすまでの間に、2人の距離は大きく開いていた。
 彼らはそこで別れた。



 レトが家に帰り着くと、室内はしんと静まり返っていた。ロクアンズは裏庭の川まで洗濯に出ているのだろうか。
 大きな包みの1つを居間のテーブルの上に置いて、もう1つをエアリスの部屋まで運ぶ。彼女の部屋に入ろうとノックをしかけた、まさにそのとき。

 「……ごほっ、ごほ」

 扉の奥から、ひどく咳きこむような声が聴こえてきた。扉の表面を叩くことができず、レトはしばらくの間、扉のすぐ前で立ち尽くしていた。風呂敷の結び目を掴んだ右手が痛くてしかたがなかった。
 咳の声がまだ止まないうちに、レトは扉を背もたれにしてその場に座りこんだ。
 薬の包みを床に置く。ぎゅっと膝を抱えて、いつまでもそうしていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.72 )
日時: 2022/12/30 23:05
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 第067次元 日に融けて影差すは月ⅩⅥ

 シーホリー一家がレイチェル村を離れてから、二月ほど経過した。心地よく晴れた日の朝、エポール宅では、ロクアンズがせっせと居間の掃除に勤しんでいた。水を含んだ布の切れ端を固く絞り、床の上にぼとりと落とすと、彼女は勢いよく床の上を駆けずり回った。光が反射するくらいまでピカピカに磨きあげることに成功したので彼女は満足だった。
 そこへ、玄関の扉がトントンと響いた。ひと月ぶりにキールアがエポール宅へやってきたのだ。彼女は肩から麻で拵えたような布袋をかけていた。

 「キールア! 久しぶりだね!」
 「久しぶり、ロク。これ、おばさんに」

 と言って、キールアは布袋から風呂敷の包みを取り出すと、ロクに手渡した。

 「わあ! いつもありがとう、遠いのに。でも大変だったらすぐ言ってね? ここまでくるのにけっこうかかるって聞いたし、あたし、ぜんぜんキールアの家に取りに行くよ」
 「ううん。大丈夫だよ。それにロクはエアリスおばさんのそばにいてあげなきゃ」
 「うん……。でも、それじゃあいまごろ、イズリアが寂しがってるね。遊び相手がいなくなっちゃうんだもん」
 「……」

 ロクは言ってからはっとして「あがる?」と気を利かせた。だけどもキールアが扉の近くで立ち止まったままなので、小首を傾げた。キールアはすこしだけ寂しそうに笑った。

 「そんなこと。イズには、お母さんもお父さんもいるよ。わたしもイズもまだ子どもだから、山の中でいっしょに遊んだりしちゃだめだって。だからお母さんがイズに言葉とか文字とかを教えてて、わたしは近くでいつも薬草摘みしてるの」
 「そうだったんだ。じゃあ、キールアはあんまり遊べないんだね」
 「うん……あ、でも、薬草摘みもすごく楽しいよ? はやくお母さんやお父さんみたいにいろんな薬草を覚えて、もっとたくさん薬を作れるようになりたいから」

 キールアは笑顔を浮かべていたが、どこか無理をしているのではないかとロクは心配になった。そこでロクは、沈むキールアの手をつかんで言った。

 「ねえキールア、久しぶりに会えたし、これからいっしょに遊ぼうよ!」
 「……え、これから? 本当に?」
 「うん! お昼食べ終わったら山ん中探検しよーって、レトと約束してるんだっ。だからキールアもいっしょに!」
 「……」

 山暮らしのため、普段はなかなかロクと会う機会がないキールアにとっては願ってもいない誘いだった。が、彼女は突然、表情を一変させた。
 キールアは俯いたままで、ぎこちなく首を横に振った。

 「わたしは、いいよ。これから行かなきゃいけないところもあって。……ごめんね、ロク。せっかく言ってくれたのに」
 「え、それはいいけど……。もしかしてまた薬売りに?」
 「うん。今日はカナラまで。お母さんから頼まれてるから。いまは薬を売るのが唯一の稼ぎだし」
 「そっかあ……。じゃあ、しょうがないね。また遊ぼうねっ、キールア」
 「……。うん、また」

 キールアは軽くなった麻袋の紐をぎゅっと掴み、玄関の扉から外へ出て行った。
 ロクはしぼらく扉を見つめていたが、やがて目を離した。そのとき、どこから現れたのかレトヴェールの顔が近くにあったので、ロクは飛び退いた。

 「おぅわっ!? び、びっくりしたあー……。いたんならそう言ってよっ、レト。せっかくキールアがきてたんだよ? ちょっとでも会ったらよかったのに」
 「べつにいい。あいつだって、家族のために忙しいんだろ」
 「え? まあ、そうだろうけど……」

 小難しそうな分厚い本を脇に抱えて自室に戻っていくレトの背中を、ロクは見えなくなるまでなんとなく目で追っていた。

 「……?」

 いつの頃からだったか、レトとキールアが揃っているところをまったく見かけなくなった。最後に2人が会話しているのを見たのは、まだシーホリー一家が村に住んでいたときのように思う。
 彼らが揃って居る場には常に自分も一緒にいた。ロクはふと、自分が不在のときには2人はいったいどんな話をするのだろう、と考えた。大人しい彼らのことだから、きっと隣には座るものの、互いに本を黙読したりするだけの緩やかな時間の過ごし方をしているにちがいない。想像してみるとおかしくて、ロクはこのときあまり深く考えることをしなかった。

 「……あ! そうだっ、あたしもカナラの役場に行かなきゃなんだった!」

 家で療養しているエアリスの代わりに役場に手紙を出しに行くのもロクの仕事の一つだ。磨いたテーブルの上に、エアリスがアノヴァフ宛てに書いた手紙が置きっぱなしになっている。ロクはそれを掴んで、慌てて家をあとにした。



 「おーい! キールア!」
 「!」

 遠くに小さく見えるキールアの背中を捕まえるようにしてロクが叫ぶと、キールアがそれに気がついて立ち止まる。振り向くと、ロクがぜえはあと息を荒くしながら歩み寄ってきていた。

 「よかったーっ、追いついた!」
 「ど、どうかしたの? ロク」
 「じつはあたしもカナラに行く用事があってさ。遊べなくても、せめていっしょに行きたいなと思って」
 「ロク……。うんっ、わたしもいっしょに行きたい」
 「やった!」
 「でも、ロクはなんの用事?」
 「えっとね、おばさんのお手紙出しに、役場まで!」
 「へえ。そうなんだ」

 2人が肩を並べて歩き始めてから、すぐのことだった。鍬を肩に担いだ男が2人の横を通り過ぎたそのとき、

 「なんだ? この匂い」

 男が、道端でおもむろに立ち止まった。彼の一言によってロクアンズとキールアも足を止め、振り返る。そこへちょうど、花束を抱えた長身の女が通りかかった。村の人間はみなお互いに顔見知りであるため、彼女はなにとなく男の傍まで寄り、小首を傾げる。

 「なに、どうかしたの?」
 「なんか変な匂いがしないか? 鼻をつんと刺すような」
 「ええ? ……あら、ほんとだわ」

 そのとき。キールアが途端に顔つきを変えた。彼女はぴくりと眉を寄せて黙りこむ。そのうちに、押し殺したような声で言った。

 「……マナカンサス……」
 「え?」

 キールアがぽつりと放ったマナカンサスという言葉に、近くにいた長身の女が「あら」と反応した。彼女はこの村で花や蜜を取り扱っている店の主人だ。

 「マナカンサスの花はこんな香り、しないはずよ? 匂いがなくて見た目も華やかだから、お部屋を飾ったりするのによく買われるお花なの。こんなに強い香りがしていたら、とてもお部屋になんか置けないわ」
 「そうなんだ。へえ」

 キールアは納得がいっていない様子で固く口を噤んでいる。ロクは、珍しく難しい表情をするキールアの顔を覗きこんだ。女性は続けて付け加えた。

 「それにマナカンサスはとても栽培が難しいのよ。この近くでは、自然に生えているところはなかったはずだけど……」
 「だって、キールア」
 「……燃やすの」
 「え?」
 「あの花は……火に、くべると、一輪でもとても強い刺激臭がする。薬にするのに、火で燃やすの。お母さんに教えてもらったし、わたしも作ったことある、から、匂いもちゃんと覚えてる。それに……」
 「それに?」
 「……」
 「キールア……?」

 キールアは、蚊の鳴くような小さな声を震わせて、言った。

 「……わたしの、家の周りにいま、たくさん植えてるの。──でも薬にするのは、一月も先で……っ」
 「煙あがってないか、あれ」

 男が、鍬を持っていない方の腕をあげて、森の広がっている方向を指差した。

 「森の向こうだよ、ほら、おっきな煙が」
 「あら、ほんと。だれかが狼煙をあげているのかしら」
 「狼煙にしては煙の範囲が大きくないか?」
 「たしかに、そうね……」
 「──」

 キールアは、男が指差した方向へ顔を向けた。それは自分の家がある方向でまちがいなかった。
 風に乗って運ばれてきたマナカンサスの香り。
 空へ延々と立ち昇る濃灰の柱。
 ──突然、キールアは胸にどしんと重石を落とされたかのような焦りを覚えた。直後、彼女はわき目も振らずに駆けだした。

 「えっ! ちょ、ちょっと待ってキールア、どういうこと!? ねえ、待ってってば!」

 カナラへと向かっていた足先をくるりと真逆に揃え、2人は森を目指して走りだした。
 マナカンサスの花の香りがだんだんと濃厚になっていくにつれて、キールアの不安も膨張していく。2人は独特なその香りに導かれるまま森の奥地へと足を急がせる。

 上り坂になっている小道を簡単に走り抜けていくキールアの背中に、ロクは感服した。だてに自宅と村とを往復していない。可愛いらしく大人しい顔立ちの彼女の両脚は一度も動きを止めることなく働き続けた。
 森に入ってから、二刻ほどが経過した。マナカンサスの香りはすでに、鼻がひしゃげるほど強さを増していた。
 キールアが完全に立ち止まった。どうやら自宅に辿り着いたらしいことがわかったロクは、彼女のもととまで最後の力を振り絞って駆け寄った。
 が、
 
 「──ッ!」

 焼け焦げた花弁の強い香りと、火の粉と、煤とが、辺り一帯に蔓延している。

 家宅は全焼し傾き、なにかを耕していたであろう周囲の畑が黒い土壌と化している。ひどい悪臭が鼻腔を突き刺してくる。ロクはすぐさま鼻を指でつまんだが、からからに乾いた喉で息を吸うのも痛かった。小さな火の粒が左目に染みる。
 けれども、隣に立つキールアはその小麦色の瞳で、瞬きひとつしていなかった。

 「……。き、キール……」
 「……」

 ──そのとき。焼けて黒く染まった家宅の中から、人影が出てきた。
 2人は息を呑んでその場に立ち尽くした。
 徐々に明らかになっていくその人物は、紺の布地に黒と金の刺繍を誂えた軍服のようなものを羽織った、1人の男だった。

 「……」

 身体はやや細めであり、白髪を短く刈りあげている。獲物を眼前に据えた獣のような鋭い目だ。それに反して表皮は青白い肌であった。目つきと肌の色のちぐはぐさに、ロクは身が凍りつきそうな恐怖を覚えた。
 右手に小袋を掴んでいる以外にはなにも身に着けておらず、軽装だ。袋の布はところどころ丸く膨れあがっているため、中に入っているのは球状のなにかなのであろう。
 この男だ。この男の仕業にまちがいない。ロクは瞬時にそう確信した。沸き起こった怒りをぶつけようと息を吸った。唇を広げた。
 だが、

 「……」
 「……」
 
 キールアとその男が、無言で、お互いの顔を見合わせている。ロクはなぜか一言も、一息も発せなかった。「おまえの仕業か」とも、「どうしてこんなことを」とも、なにも。男の顔を見上げるキールアの横顔が、なにか尋常ではないものになっていたからだ。ロクはわずかに開いた口を、結んだ。
 男は2人の真横を通りすぎていった。
 ロクは息を殺して振り返り、男の背中が見えなくなるまで、ずっと森の奥を凝視していた。男が完全にいなくなる。ロクはおそるおそる、キールアの横顔を見やった。キールアは壊れた人形のようにまったく動かない。彼女の代わりに一歩、ロクは踏みだした。
 視界の先に、なにかが光った。

 「……?」

 地面の上になにか落ちている。ロクは訝しみながらそのなにかに近づいた。
 それがなにかを理解したとき、ロクは、言われようのない悲しみに心を喰い潰された。

 「………………え」
 
 それは紫色をしていた。
 鮮やかな紫の、眼球だったのだ。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.73 )
日時: 2020/04/16 14:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第068次元 日に融けて影差すは月ⅩⅦ


 『おいおい、なんだぁ? この子』

 自宅の扉から勢いよく飛びだしてすぐに、彼女の大きなお腹とぶつかった。彼女の顔を仰ぎ見たとき、なんて鮮やかで綺麗な紫色だろう、とその瞳に目を奪われた。心を強く惹きつけられたせいで、周りの景色が見えなくなったほどだ。

 眼が地面の上にころりと転がっている。だれのものかはわからなかった。カウリアか、イスリーグか、それともイズリアか──。
 3人のうち、だれかのものであるのは確実なのに、ロクアンズは現実から目を逸らしたかった。しかしその魅惑の彩りがロクの視線を捕らえて離さない。

 「それ…………」

 頭上から、ぽつりとか細い声が降ってきて、ロクはすかさず首を捻った。キールアがロクの足元に転がっているものを注視していたのだ。いつ我に返ったのか、虚ろだったキールアの瞳が大きく見開かれて、動揺の色に染まっている。

 「き、キール、あ、これ」

 ロクは必死に手を泳がせてそれを隠そうとした。しかし、遅すぎた。血の気の引いた真っ青な顔でキールアは叫び声をあげ、走りだした。

 「お母さん! お父さんっ! ──イズリア!!」
 「待って、待って、キールア!」

 ロクが絞りだした声も虚しく、キールアは真っ黒に焼き目のついた家宅の中へ飛びこんでいった。ロクは追いかけることができなかった。がくがくと膝が震えて、胸のあたりからぐんと涙が突きあげてきて、ロクはその場に崩れ落ちた。

 「お母さん!!」

 家の戸口を押し開けると、がらんと大きな音を立ててその黒い板が倒れた。部屋の中は真っ暗だった。真っ黒だった。
 キールアは入ってすぐに、口元を両手で抑えた。

 「──っ、……!」

 黒焦げに焼けたなにかが、床の上で折り重なっていた。太い棒のようなそれらは長い。黒一色になった2本の身体はぴくりとも動かない。なにかを守るみたいに覆い被さっている。

 「……っぁ、や……、ぁ……」

 キールアは、ゆっくりとそれらに近づいた。見たことのない姿をしていたそれらは、実の母と父にまちがいなかった。快活な母の笑顔。温厚な父の背中。なにもかも黒に塗り潰されている。
 ぼとり、と大きな粒が頬から流れ落ちた。ぼとり、ぼとりと。すでにキールアの顔はぐしゃぐしゃになっていた。

 「お父、さん……おか、あさ……」

 折り重なる父と母の前で、キールアは膝をついた。そのとき。彼女は2人の身体の下に、もうひとつ黒いものがあることを発見した。小さな手が床の上に伸びていたのだ。真っ黒だった。
 ぷつん。
 と、彼女の頭の中で張っていた理性の糸が切れた。
 キールアは絶叫した。

 「ああああああああああ──ッ!」

 喉が張り裂けんばかりの大きな声を聞きつけて、ロクがシーホリー宅に駆けこんできた。居間の中央で1人の少女が蹲り泣き声を散らしている。

 「キールア!」

 ロクはキールアの両肩を力強く掴んだ。ほんのすこしでも落ち着かせたかった。しかしキールアは、凍えているくらい全身を震わせて喚き続けている。

 「やだ、やだ、やだ! やだよ、やだよ、やだ、やだぁ……っ!」
 「キールア、ここを離れよう! ここから、はやく!」
 「……やだ……っ、うそ、うそって言ってよ、こんな、こんなの、ねえロク」
 「……」
 「やだよおかあさん……おとうさん……イズ……──死んじゃ、やだあっ!」

 小麦色の髪が、ロクの胸に飛びこんでくる。ぎゅうと強く、強くロクの身体に抱きついて、キールアは崩れ落ちた。それからずっとキールアは泣き叫んでいた。
 失ったのはたった一瞬のように思った。
 村に着くまでは。森に入るまでは。扉に手をかけ、振り返って、「いってきます」と言うまでは。
 生きていたのだ、と思い知らされる。世界の仕掛けみたいに当たり前に繰り返す毎日は決して当たり前ではないことを、このときキールア・シーホリーは知ったのだった。



 キールアを除くシーホリー一家3名が死亡したことをエアリスが知ったのは翌日のことだった。ロクは明け方、雨の降る森の中をキールアを連れて歩いた。エポール宅に帰り着いたのはお昼時を過ぎてからだった。
 家族がいなくなったショックによってキールアは深い眠りに落ちてしまった。エアリスは、事のあらましをロクから聞かされた。

 「……カラ……」

 エアリスは寝台に腰をかけた状態で、ロクが差し出した紫色の眼球をそっと手に取った。そして苦しそうに表情を歪ませて、一言、

 「……やっぱり、こうなってしまったのね」

 と、なぜだかこうなることを予測していたかのような口ぶりで告げた。ロクは、なぜキールアの家族が殺されてしまったのか、その理由をエアリスが知っているような気がして訊ねてみた。エアリスは重い口を開き、シーホリーの一族が政府の人間たちに命を脅かされていることをロクに教えた。

 「シーホリーの祖先にあたる人が、遠い昔、とある寄生虫に寄生されてしまったんですって。その寄生虫は人間の脳や筋線維に影響を及ぼす種類のものだったらしいの。シーホリーの人間はその寄生虫に肉体を支配されてしまい、挙句の果てには思考能力や記憶、脳が司るすべての機能を奪われる。野生の獣のようになって、強靭な身体をもって人間を襲ってしまうんですって。でもそういう状態になるにはなにかの条件があるみたいなの。そうでなければカラや、イスリーグさんや、イズリアくんはとうの昔に理性を失って、人間ではなくなっているはずだもの」
 「キールアは? 動物みたいにならない?」
 「……。さあ、私にもわからないわ。でもキールアちゃんの瞳の色が、普通のシーホリーの人たちとちがうのがちょっと気になるわね。たしかにあの子はカラとイスリーグさんの子のはずなのに」

 手の平に乗った紫色の眼球を見つめながら、エアリスが呟いた。キールアの瞳は、髪の毛の小麦色に寄った琥珀色をしている。しかしキールアはその髪色もさることながら顔立ちも母親そっくりで、むしろ血が繋がっていないと断定するほうが困難だ。

 「それも寄生虫による、なんらかの影響なのかしら……」
 「その……虫って、殺せないの?」
 「いまのところは、なんとも……。私は医師ではないから。シーホリーの一族はね、血が繋がっていればその寄生虫が身体に宿るのよ。寄生虫が、女性のお腹の中で卵を産んでしまうの」
 「そうなの?」
 「ええ。だから政府の人たちは、シーホリーの一族……つまりこの紫色の眼球を持つすべての人間の命を奪おうとしてる」
 「……だから、カウリアさんたちが、殺されちゃったの?」
 「……」

 エアリスは頷けなかった。いまだ友人と、その友人の家族の死を受け入れられていないのだ。ロクは急に不安になってきて、思わずエアリスにこう訊ねた。

 「おばさん……キールアは? キールアも……あの人たちに、殺されちゃうの?」
 「そんなことはさせないわ。私たちで守りましょう、ロクアンズ。キールアちゃんを」
 「うん。守りたい。あたし、ぜったいキールアを守る」
 「ありがとう、ロクアンズ。……あ、そうだわ。いまの話、レトヴェールにもしてあげたいんだけど、どこにいるか知ってる?」
 「ああ、それなんだけど……レト、ずっとあたしの部屋の前にいるの」
 「あなたのお部屋の前に?」

 現在、キールアはロクの部屋の寝台を借りて眠っている。そんなロクの部屋の前にレトヴェールが張りついているのだった。

 「……」
 
 部屋の内側からは物音ひとつ聴こえてこない。眠り続けているキールアは、夢を見たりしているだろうか。
 扉を開ける勇気はなかった。
 レトはただ、この部屋の前から離れることができないだけだ。目を覚ましたときになんて言葉をかけるのがもっとも自然で、もっとも彼女を傷つけずに済むのかを延々と、延々と考えていた。


 一方、キールアは、深い眠りの中で夢を見ていた──。


 『なあキールア』
 『ん? なあに、お母さん』
 『キールアはどんな大人になりたい?』
 『どんな大人? うーん……』
 『どんなでもいいよ。あたしとかあいつみたいな調薬士だっていい』

 膝の上で寝息を立てている弟の髪を撫でながら、母がこんなことを訊いてきた。これはたった数日前に母と交わした会話だった。
 母に言われた通りに、摘んできた薬草の葉と茎をちぎって分けて、網籠に入れていくうちに自然と湧き起こったことを口にした。

 『……お母さんみたいな、強くてかっこいい女の人になりたい、な』
 『お。そいつは嬉しいねえ。キールアならなれるさ』
 『ほんとに? お母さん』
 『ああ。あんたならなれるよ。うちの家族で一番、強く生きていけるさ』
 『……?』

 作業していた手を止めて母の顔を仰いだ。すると母はいままでで一番くらいに母親の顔をして、こう告げた。
 
 『いいかいキールア。強く生きるんだよ。この先何回泣いてもいい。何回立ち止まったっていいよ。でも自分の、ほんとの気持ちだけは忘れちゃだめだ。──好きなように生きな。母さんとの約束だ』

 それが母と最期に交わした約束だった。
 この先、どんなことが待ち受けているのかなんて予想だにしていなかった。だから、満面の笑みで「うん」と頷いた。思えば、それだけが救いだったのかもしれない。母はいつもみたいにからりと、気持ちいいくらいの笑みを返してくれた。





 そのまた翌日。レイチェル村の空はいまだ灰色の厚い雲に覆われていた。エポール宅では、ようやくキールアが目を覚ました。
 病床に臥すエアリスも、そのときだけは自室を出てロクの部屋に駆けつけた。
 
 「おはよう、キールアちゃん。目が覚めたみたいでよかったわ。……気分は、どう?」

 キールアは、ぼうっとしたような目つきで、室内を見渡した。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.74 )
日時: 2020/04/16 14:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第069次元 日に融けて影差すは月ⅩⅧ

 室内にはロクアンズとレトヴェールもいた。ロクは心配そうにキールアを見つめている。レトはというと、ちらちらとキールアの顔を見やってはいるものの彼女と目が合うのを避けていた。
 一夜明けたところで、巨大に膨らんだ不の感情が消えてなくなることはない。まだ彼女の意識は昨日の、炎に包まれて真っ黒に焼けた家の中にあった。重なり合った黒い死体が視界に張りついている。刺すような強い花の香りが鼻腔に纏わりついている。
 エアリスの澄んだ声が聴こえてきた。なにか返事をしなくちゃ、と咄嗟に思った。キールアは掠れた声で応えた。

 「大丈夫……です」

 大丈夫なはずがない。エアリスもロクもレトも、それが強がりだとすぐにわかった。キールアはくっと目尻に力をこめて、毛布の端を両手で握りしめた。

 「キールアちゃん、お腹空いているでしょう。お昼ご飯作ったから、食べたいときに食べてね」
 「……いえ、平気です。わたし……」

 ぐるる、と彼女の胃袋だけは正直に応える。キールアはお腹のあたりをぎゅっと隠して俯いた。

 「お願い。食べて、キールアちゃん」
 「……」
 「私は平気じゃないわ」

 独り言のようにエアリスは言った。キールアがそれに反応して顔を上げると、エアリスは金色の瞳を潤ませ、まっすぐキールアのことを見つめていた。

 「大好きな人たちが亡くなって、大好きだった親友が、もう会えないところへ行ってしまった。寝床が浸るほど涙を流したの。とても悲しくて、とてもとても悔しかった」

 幼い頃はともに野山を駆け回った。足が速くて体力もあったカウリアの後ろをへとへとになりながら追いかけた。朝から昼を過ぎて晩を越えて、翌朝までいっしょにいた日も数えきれないほどある。飽きるほど喧嘩を繰り返して、その度に仲直りをした。
 アノヴァフが村に現れたとき、小心者の自分の背中を叩き続けてくれたのはほかでもない、カウリアだった。勇気をだして手紙に想いを綴ってみたら、飛びあがるほど嬉しい返事がかえってきた。その報せを聞いたときのカウリアの姿をよく覚えている。彼女は本当に飛び跳ねて喜んでくれたのだった。彼女は昔から、裏表のないまっすぐな性格だった。そんな彼女だからこそイスリーグと出会い、幸せな家庭を築くことができたのだとエアリスは信じている。イスリーグはカウリアとおなじでシーホリー一族の血を持つ男だ。穏やかで心優しく、なによりカウリアにとって一番の理解者であった。最良の相手だと、カウリアが酒を片手に語っていたのを思い出す。

 きっと、子を産むことにはひどく悩んだことだろう。
 しかし彼らは家族を望んだ。凄惨な現実が待ち受けるその未来が変わってほしかった。どうか、シーホリー一族の命が守られますようにと。明日も生きられますようにと。願わない夜がはたしてあったのだろうか。彼女たちが抱えていた苦しみを考えると、エアリスは胸が張り裂けそうだった。

 『エリ!』──何事にも奥手で、上手に自信を持つこともできない自分の腕をぐいぐいと引っ張ってくれた逞しい姿が、まだしっかりと瞼の裏に焼きついている。

 「どうして強がるの。まだ泣いてたっていいじゃない」

 エアリスはキールアのことを抱き寄せた。少女のその身体は、氷のように固く冷たくなっていた。
 琥珀色の大きな瞳から、ぽろり、と大粒の涙がこぼれた。
 キールアは必死に喉の奥に押し返していた言葉をようやく吐きだした。

 「だって、お母さんが、強く生きなさいって、いったから」

 ──「泣いてもいいよ」とも母は言っていた。けれどもキールアは、「強く生きる」と「泣いてもいい」を上手くくっつけることができなかった。明朗快活な母のようになりたいと心の中でひっそりと願う彼女が、母の泣き顔を見たことは一度もない。彼女は母親に倣おうとしただけだった。

 「だから泣かないようにしよう……って、がんば、って」

 ひっく、と時折喉がひっくり返っても、キールアは懸命に告げた。震えているこの肩はまだ幼くて小さい。母の言いつけを守ろう守ろうと必死になっている彼女の心情がエアリスにはわかっていた。そしてカウリアの言いたかったことも。エアリスは、キールアを困らせないように丁寧にこう告げた。

 「……キールアちゃん、私はね、強い人ってたくさん泣いたことのある人だと思うわ」

 背中をとん、とんと優しく叩く。キールアはわずかに目を瞠った。幼子に絵本を読み聞かせるみたいに優しい声でエアリスは続けた。

 「苦しいことがあったとしましょう。その度に思いつめて、その度に口惜しんで、いつも枯れるほど涙を流す。……でもそうやって苦しむときいつも、最後には必ず笑う人」
 「……わら……う?」
 「そう。たとえば100回、1000回泣いたとしても……101回、1001回笑えたらそれは、自分に勝ったことになるのよ。だって泣いた数より笑った数のほうが多いんですもの。カラは……あなたに、そんな女性になってほしいんじゃないかしら。泣いたままではなくて、心から笑って、『もう大丈夫』が言える人に」

 『何回泣いたっていいよ』

 「…………わ、たし、なれ……ますか」
 「もちろんよ。だってあなたはカラの子だもの。小さいときからずっと私の憧れで、尊敬していて……大好きだった。あなたは、カウリア・シーホリーがこの世に残した、最高の財産なのよ」


 カウリア・シーホリーと、イスリーグ・シーホリーが命を賭して守り抜いた命。
 ──キールア・シーホリーは、赤子のように大きな声をあげて泣いた。「お母さん」「お父さん」「イズリア」と、何度も何度も家族の名前を呼んでいた。平気なわけがなかった。


 カウリアとイスリーグは、カナラ街、そしてレイチェル村に政府陣の制服が現れ始めた頃から薄々勘づいていた。近いうちに命を脅かされるだろう。死が、より明確なものになって彼女たちの脳裏を埋め尽くしていた。
 森の奥へ居住を移したのは、政府の人間たちの目から逃れるためだけではない。
 キールアが、自分たちの傍から離れる時間を、できるだけ多く作るためだった。

 シーホリー夫妻は自分たちにどんな結末が待ち受けていようと、キールアの命だけは守ろうと固く心に決めていた。それは11年前。つまりキールアがこの世に生を受けて間もなくのことだ。

 家族の中で、キールアの瞳の色だけが紫ではなく、琥珀だった。

 その謎は夫妻にも解明できなかった。前例がなかったのだ。あったとしても、カウリアたちが知るところではなかった。しかしそんなことはどうだって構わない。キールアだけは、シーホリーの一族なのだと政府の人間たちに気づかれずに生きていくことができるのではないかと、夫妻は希望を抱いた。
 森の中では生活上の不便さがつきまとう。わざわざレイチェル村に降りさせ、薬を届けさせ、隣街まで薬の売りに行かせる。川に水を汲みに向かわせたりもした。口実などいくらでも作れた。
 最悪なのは、カウリアたちが襲われる際に、近くにキールアがいるという状況だ。瞳の色が違うだけでは逃してもらえる可能性は格段に低い。苦肉の策として、「その娘は本当の娘ではない」と言い張ることも視野には入れていた。その場合、虚言とはいえキールアを困惑させ、失望させてしまうだろう。しかしそれも致し方なかった。
 結果としては、シーホリー夫妻が狙った通りの結末となった。

 (……だけど、カラ。あなたたちだって……生きたかったに決まっているのにね)

 シーホリーの血脈に棲みつき、主の身体を恐ろしい獣に変えてしまう寄生虫。エアリスは今日ほど、その生物に対して腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えた日はなかった。それさえいなければ──と、何度も繰り返し沸騰させては、吹きこぼれたその憎しみが涙となって頬をすべり落ちた。
 ──どうかこの少女だけは、彼女の血を巣食う生物に喰われませんように。
 エアリスはそう強く祈った。





 ぼんやりと、目を覚ました。しんと静かで暗い室内にはまだ陽の光が届いていない。
 エアリスが自分の手を握ってくれていたようだが、彼女はそのまま床の上で座って寝ていた。キールアが使っている寝台に体重を預けて突っ伏してはいるものの、彼女は身体が衰弱している身なのだ。そんな状態でも自分に付き添ってくれていたのだと思うと、キールアは申し訳ない気持ちになった。
 扉の近くに転がって寝ているのはロクアンズだった。本来は彼女のものであるはずの寝台を自分が占領していた。またふつふつと罪悪感が募ってきて、キールアはやんわりとエアリスの手から逃れた。そして寝台から降りると、まずは毛布をエアリスの肩にかけた。
 室内をぐるりと見回して、隅のほうにもう一枚毛布を発見した。キールアはロクの身体にもかけてあげた。ひたひたと床の上を歩き、音を立てないよう慎重に部屋の扉を開ける。
 廊下に出て、そっと扉を閉めたときだった。レトヴェールがすぐ横の壁に寄りかかって寝ていたのだった。

 「……」

 エアリスも、ロクも、そしてレトも、この部屋に身を寄せてくれていたのだ。床の上が固くて冷たいなど構わずにおなじ場所で夜を過ごしてくれた。キールアはまた泣きそうになって、服の袖で目元をごしごしと擦った。
 居間の隅に無造作に丸めて置いてあった毛布を抱えて、ふたたびキールアは部屋の前に戻ってきた。起こさないように気を張りながら、それをレトの身体にもかける。幸い彼が起きる様子はなかった。
 レトの寝顔をしっかりと見たのはこれが初めてだった。物珍しいものを見る目で、彼の顔を覗きこむ。

 「……レト、ヴェールくん」

 結局、彼とは上手く馴染むことができなかった。ロクと接するときには自然体でいられるのに、レトを前にすると心も体も強張ってしまう。慣れと親しみはちがうのだと、2人と接してきたキールアはそれらを感覚として記憶した。

 (……なかよく、なれなかったな)

 「ごめんね」

 だれにも聴こえないような小さな声で呟くと、キールアは踵を返した。
 間もなくして、彼女は玄関の扉からまだ冷たい空の下に出た。彼女がカナラ街でレトヴェールと再会を果たすのは、それから約2年後のことだ。

 エポール一家の3人が目覚めたとき、すでにキールアは家のどこにもいなかった。


Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.75 )
日時: 2019/10/10 15:11
名前: (朱雀*@).゜. ◆Z7bFAH4/cw (ID: 3t44M6Cd)

 瑚雲さん、はじめまして!

 コメライの新版に見知ったタイトルを見かけたので、最近読んでいます^^
 【海の向こうの王女と執事】の途中まで進みました。
 結論から言うと、とっても面白いです! 完全版と言うことで完成度がとても高くて……1話からあっという間に物語の世界に入り込んじゃいました。描写も丁寧で、文章がそのまま映像化されて頭の中にすっと入ってきます、すごい……。私は特に最初の、女の子を助けるお話がとても好きです、というかああいう導入にとても惹かれましたv 
 あと天真爛漫なロクちゃんが可愛いです。しかも雷を操ってばりばり戦っちゃうんですよね……かっこいい。

 本当はもう少し先まで読んでから感想送りたかったのですが、如何せん忙しくて読むスピードがめちゃめちゃ遅いので……。
 今後も合間を見つけて読み進めたいなと思います。またお邪魔します!

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.76 )
日時: 2019/10/11 09:02
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: My8p4XqK)

 
 >>075 朱雀さん

 !! 朱雀さん、初めまして!!
 ずっと何年もお名前だけはお見かけしていて、でもずっとコンタクトをとったことがなかったので、この度コメントしていただけてすごく嬉しいです……!!

 読んでいただきありがとうございます!*
 じつは導入部分にはとても悩んで、すごい長い年月をかけて書いたものなので感慨深いです……。そう言っていただけてひとつ安心した気持ちです(;▽;)
 ロクはそうですね、いつもパワフルで、わたしも羨ましいなーこんな人間になれたらなーという気持ちでいつも書いています笑
 雷使いなのは完全に私の趣味ですね!

 好きになっていただけたらとても嬉しいです(* '▽')

 そそ、そうだったのですか;;
 お忙しい中、当作を読んでくださり感謝しかありません……。ほんとうにありがとうございます(>人<;)

 ぜぜぜひー!! お時間に余裕のあるときにぜひまた読んでいただけたら幸いです!
 この度はコメントありがとうございました!*
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.77 )
日時: 2020/04/16 14:56
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第070次元 日に融けて影差すは月ⅩⅨ
 
 「おばさんっ、キールアが! キールアがいない!」

 家の中の隅々にまで響き渡るようなロクアンズの叫び声で、エアリスは目を覚ました。寝ぼけ眼で寝台を見やるとたしかにそこにはキールアの姿がなかった。握っていたはずの手も解かれている。
 ロクはエアリスのいる部屋に急いで戻ってきた。顔からは血の気が引いていて真っ青だった。

 「ロクアンズ」
 「いないんだよ、おばさん。あたし、起きて、それでキールアがいないことに気がついて、探し回ったけどどこにも……っ!」
 「落ち着いて、ロクアンズ。キールアちゃんならきっと……」
 「あたし探してくる! まだ近くにいるかもしんない!」
 「! だめ、ロクアンズ! いかないで!」

 駆けだそうとしたロクをエアリスは鋭く制した。ぴた、と動きを止めてロクは振り返る。いますぐにでも部屋を飛び出していきたいロクは思わず声を荒げた。

 「どうして!? 殺されちゃうかもしれないんだよ、キールア! そんなのダメだって昨日、おばさんだって……!」
 「キールアちゃんは知らないの。なぜ両親と弟が亡くなってしまったのか、その理由をキールアちゃんは知らないのよ」
 「どういうこと……?」

 怪訝そうな目つきでロクが訊き返す。エアリスはロクの傍までやってくるとその場でしゃがみ、ロクと視線の高さをおなじにした。

 「カウリアやイスリーグさんが告げていないの。そんなことを知ってしまったら、いつか家族が殺されてしまうのだとわかってしまうでしょう? あの幼さではとても受け入れられないわ。それにね、ロクアンズ。いま彼女を追いかけて、うちに連れ戻そうとしているところを政会の人たちに見られてしまったら、彼らに怪しまれる可能性があるの。彼らは、まだこの村に生き残りがいるんじゃないかと探しているはずよ」
 「……でも……じゃあ……キールアは……」
 「……キールアちゃんの瞳の色は、紫じゃない。から、一目見ただけでは、シーホリーの一族だとわからない。彼らだって、確証がないまま人殺しはできないわ。立場があるもの。……こうなってしまった以上、いま一番いいのは……キールアちゃんを無理に探そうとしないこと。政会の人たちの目から隠そうとしないことよ」
 「で、でも……でも……っ」
 「あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。けど、いまは我慢をしてほしいの、ロクアンズ。そしてもし……もしもこの先、どこかでキールアちゃんに会えたなら、そのときは絶対に味方になってあげて。絶対によ」
 「…………うん」

 ロクは、小さく頷いた。そして下を向いたままかすかに鼻をすすり、泣いていた。エアリスはロクの腕を優しく引き寄せ、ああ、ロクにとってキールアは初めての友だちだったのだと、心の中で噛みしめた。大事な存在をロクから奪ってしまったような罪悪感がした。すると、エアリスの喉元になにかがこみあげてきて、彼女は間もなく咳き払いをした。

 「……っ、ごほっ、ごほ」
 「おばさんっ、大丈夫?」
 「ええ、大丈夫よ。……ごめんね」

 すっくと立ちあがり、エアリスはロクの頭を一度撫でてから、部屋を出ていった。廊下からしばらくエアリスの咳きこむ声が響いていたがロクは上の空で一歩も動かなかった。
 がたんっ、と大きな音がしてロクははっとした。急いで廊下に出ると、エアリスが壁に寄りかかりながらうずくまっていた。

 「おばさんっ! おばさん大丈夫!?」
 「……ちょっと、目眩がして。ごめんなさい。でももう平気みたい」
 「あたし、部屋までいっしょに行くよ」
 「ううん、1人で行けるわ。心配してくれてありがとう」
 「……」

 エアリスはロクの手を借りることなく立ち上がり、1人で自分の部屋に帰っていった。そんな彼女の後ろ姿を見て、ロクはふいに、あれほど小さな背中だっただろうかと不安を覚えた。もとより痩身な女性ではあったが、現在の彼女にはもはや元の面影もない。火を見るよりも明らかな、衰弱であった。


 「大丈夫」と、エアリスは明るく笑う。病気を発症する以前といまとでなにひとつ変わらない。太陽みたいな笑顔だとロクはいつも思っていた。
 しかし時の流れは、冬の空に舞う雪のように、ひどく冷たい刃となって義兄妹に降り注ぐ。
 
 
 
 キールアが失踪してから半年ほど経過した。レイチェル村に冬季が訪れる。
 12月。
 
 
 エアリスはすっかり寝こむようになってしまった。一日中部屋から出てこない日が何日も続いた。レトやロクが様子を見に行くと、苦しそうに胸を抑えて咳払いを繰り返す彼女の姿があった。2人に気がつくとエアリスはいつも、「大丈夫」と笑っていた。その唇から零れる血の濃さも日に日に危険なものになっているのだと、2人は勘づいていた。だからいつも笑みを返せなかった。悔しくて、唇を噛むばかりだった。
 自分の誕生日が明後日に迫っていることなどすっかり頭から抜け落ちてしまっていたロクは、エアリスが珍しく上体を起こして寝台に腰をかけているその日に、彼女からそのことを告げられて目を丸くした。

 「ああ、そっか。そうだったっけ。すっかり忘れてた」
 「そうだろうと思ったのよ。だからおばさん、明後日のために明日、森へ出ようと思ってるの。この頃は元気だし。あなた、カフの実好きでしょう? だからその果実を煮詰めてジャムを作るわ。そしてケーキも焼くの。レトヴェールに頼んで材料揃えてもらわなくちゃね」
 「そんなっ、いいよおばさん、ムリしないで! それでまた体調悪くなっちゃったらいやだよ……っ。あたし、誕生日なんてどうでもいいから。おねがいおばさん……」
 「……どうでもいい、なんて言わないで、ロクアンズ。私にとってはあなたと出会うことのできた、特別な日よ。あなたはこんなにも他人思いのいい子に育ってくれて………。私はとっても嬉しいの。だから祝わせて? お願いよ」
 「……」

 ロクはまだ頬を膨らませて黙っていた。エアリスは困ったように眉を下げて、それから、寝台横の木の箪笥からなにかを取り出した。それは見たところ細長い黒の髪紐であった。刺繍が細かく、単純なデザインであるものの目を惹く繊細さの代物だ。
 エアリスが「手を出して」と言うので、水をすくうようにロクは手のひらを広げた。黒い髪紐が手の中に収まる。

 「おばさん……これ……」
 「そう。私の髪紐。もうすこし長かったのだけど、二つに切り分けて片方はレトヴェールに渡したの。だからこれはあなたの分」
 「ど、どうして? おばさん、この紐大事にしてたよね?」
 「あなたたちにあげたいと思ったのよ。レトヴェールにも渡してしまったから、なんだか特別な感じはしないかもしれないけれど……お誕生日だもの。私、やっぱりあなたになにかしてあげたいの。それとも、これでは嫌だった?」
 「そんな……うれしいよ、すごくうれしい。あたし、これがいい」
 「そう、よかったわ。それは、お金に困ったら売ってもいいわ。すこしだけなら助けになるでしょう。好きに使いなさい」
 「売ったりなんか、しないよ! ぜったい、ずっと、ずーっと大切に持ってるっ、約束する!」
 「ふふ。ありがとう、ロクアンズ」

 さっそくロクは髪紐を口に咥え、自分の髪をまとめあげた。片手で髪の束を掴みながら、もう片方の手で髪紐を結わえようとするがなかなか上手くいかない。ロクが苦戦しているのを見て、エアリスは片手を差し出しながら「向こうを向いていてごらん」と言った。エアリスはロクの代わりに、彼女の若草色の長い髪をまとめあげた。
 
 「ねえロクアンズ」
 「なあに? おばさん」
 「ロクアンズは神様のことをどう思う?」

 神様──それを聞いて、真っ先にロクの脳裏を掠めたのはあの黒い怪物の形貌だった。ロクはあの日の出来事を思い返し、眉をしかめた。

 「あの黒い怪物をつくってるのが、神様なんでしょ? だからあたしにはあいつらをやっつけれる力があるんだっておばさん言ってたよね。……あたしはきらいっ。へーきで弱い人たちをいじめるやつらなんか、あたしがこの力でやっつけてやるんだ!」
 「……そうね。ロクアンズの言うとおり、神様は悪い人たちなのかもしれないわね」
 「でしょっ!」
 「だけどね、ロクアンズ。善悪を決めるのは人間だけよ」
 「え?」
 「……。いつか、神様と人間が手を取り合えたら、どんなに素敵な世界になるでしょう」

 ロクがぼうっとしているうちに髪は結い終えたようだった。「できた」とエアリスの明るい声がしてロクははっと我に返る。高く結いあげられた髪がするりと腰まで伸びて、頭をゆすると同時に髪の束もゆらゆらと左右に揺れた。それが楽しくて、ロクは部屋中をくるくると駆け回った。

 「わあっ! すごいすごい! ありがとうおばさんっ!」
 「素敵よロクアンズ」
 「レトにもあげたんでしょ? レトとおそろいにしてこよっかなっ」
 「あら、いいわね」
 「さっそくいってこよー!」

 ロクが駆け足で部屋を出ていこうとした、そのときだった。

 「ロクアンズ」

 鈴を転がすような綺麗な声音で、エアリスがロクのことを呼び止める。ロクは当然のようにすぐ振り向いた。

 「なあに? おばさん」
 「……」

 しかし、エアリスはなかなか口を開こうとしなかった。苦笑いにも似た、寂しそうな表情をした。すこしだけ彼女は下を向いて、それからすぐにまた顔をあげた。今度は笑顔だった。

 「なんでもない。呼びたかっただけ」
 「えーっ? なにそれ!」

 ロクは大きな口でけたけたと笑い声をあげた。"ロクアンズ"と、そうエアリスに呼ばれるのがロクは好きだった。名前を与えてくれた本人だからだろうか。
 
 「んじゃ、レトんとこいってくるね! あとでまたくるからー!」
 「ええ。いってらっしゃい」

 一つにまとめあげられた若草色の髪を、ゆらゆらと忙しなく揺らしながらロクは部屋を飛び出ていった。彼女の足音が完全に聞こえなくなる。エアリスはゆっくりと寝台から起き上がった。そして、部屋の戸を閉めた途端、彼女はそれまで喉の奥底に押し戻していたものを口の外へ吐き出した。

 「……っ、ごほっ、ごほ!」
 
 咳は深い音をしていて止まらなかった。エアリスは戸に寄りかかりながら床に崩れ落ちる。口を覆っている手の指の隙間から、血がしたたり落ちた。止まらなかった。丸めた背中が、突然水を浴びたように冷たくなった。どくどくと心臓は熱く鼓動を繰り返しているのに、その心臓を外側から締めつけるみたいに、色濃い悪寒が身体中を駆け巡った。

 (まだ……まだだめ)

 悪寒に身体を食い潰されそうだ。意識を失ってしまえば、そのまま凍死してしまうのではないかと怖かった。はっ、はっ、と浅くて小さな呼吸を繰り返し、エアリスは辛うじて意識を保っていた。心臓に血と熱を回し続ける。


 (明日、までは)
 
 
 まるで雪の降りしきる中、小さく灯った火が決して絶えないよう両の手のひらで囲うように、彼女は祈った。
 


 翌日。レイチェル村は早朝から大荒れの吹雪に見舞われた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.78 )
日時: 2019/10/28 22:13
名前: (朱雀*@).゜. ◆Z7bFAH4/cw (ID: /FmWkVBR)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

 こんばんは^^ 更新お疲れ様です!
 私のこと知っていただいていたなんて光栄です…泣 実は前々からお知り合いになりたいなと思ってました(*^^*)
 今日は【君を待つ木花】を読み終えて、いてもたってもいられずコメント失礼します。多分長文になります、ごめんなさい。笑

 まず【海の向こうの王女と執事】の感想から。ガネストのみならず、ルイルちゃんも次元師だったんですね…! ルイルはまだ幼いのに、自国とお姉ちゃんから巣立って一人の次元師として此花隊へ赴くところが偉いです…。最後の帽子のプレゼントも素敵でした! ライラとルイルの姉妹愛に感動いたしました泣
 レトは王家の子だったんですね。何だかんだロクが心配になって手助けしてくれる彼が素敵です。朝が弱かったり可愛い一面を持ちつつ、次元の力で双剣を扱っちゃうギャップがたまりません。笑 ロクに引け目を感じているようですが、彼は彼のままでいいんだよと伝えたいです(´・ω・`)

 【君を待つ木花】は、タイトルの回収がもう、素晴らしかったです…! 読み終わった後、しばらく余韻に浸ってました。私このお話大好きです。笑
 まず、ロクちゃん六元解錠おめでとう! 物凄い速度で成長しますねロクは。笑 でもベルク村に行く途中、水が足りない場面で、レトに水筒を渡して自分の血を飲む場面は少しぞっとしました…他者を優先して無意識的に自分を犠牲にしてしまうロクが心配です。一人で突っ走らないように、レトはロクの手綱をしっかり握っていてほしいです。笑
 それとセブン班長、13年も待っててくれたんですか……? フィラの書いた報告書をマメに読んでいるところも……尊いです。ちょっと抜けてる印象が強かったセブン班長の一途な一面を知ってしまって最高の一言です。末永く幸せになってください。
 フィラのお爺ちゃん(総隊長)も貫禄があって素敵です…もしかして彼も次元師だったりするんでしょうか。そうだとしたら滅茶苦茶に強そうです。

 次元師が続々と集合してきて今後の展開がとても楽しみですー!
 早く最新話追いつきたいです(*´▽`*)
 また来ます! 長文失礼しました。笑

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.79 )
日時: 2019/11/02 13:08
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: LpTTulAV)

 
 >>78 朱雀さん

 コメライ板でよく活動されていたので……! いまになって(?)お話できる機会ができて、不思議な気持ちです(´`*)
 わたしもずっとお話してみたいなと思っていたのですがいかんせん消極的なもので汗
 朱雀さんのほうから話しかけていただけたのが嬉しかったです!

 そして長文のコメントをありがとうございます……!!
 すべて目を通させていただきました。この作品を読んでたくさんのことを思っていただけるのがこの上なく嬉しいです。
 群像劇なのでキャラクターも多い分、一人ひとりに目を向けるのが大変かと思うのですが、朱雀さんがたくさんのキャラクターについてお話してくださったことに感激しました。ありがとうございます……!ヽ(;▽;)ノ
 ロクはそうですね、その自分の腕をナイフで傷つけるところは今後に繋がる大事なシーンでもありました。自分の犠牲を厭わない子であるということを頭の片隅にでも覚えておいていただけると幸いです(*´ω`*)

 長編を予定しているのでまだまだ先の長い作品になりますが、朱雀さんに最後までお読みいただけるように今後もがんばります!
 コメント、本当にありがとうございました!!
 
 

 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.80 )
日時: 2020/04/16 14:56
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第071次元 日に融けて影差すは月20

 玄関の扉が、がたがたと音を鳴らしていまにも壊れそうだと訴えてくる。時折、ばんっと一際強く叩かれる。まるでだれかが外から扉を殴っているようだった。その正体はほかでもない、吹雪だ。

 一歩でも外へ出てみればたちまちひどい吹雪に攫われてしまうことだろう。今年は特に異様なほどの勢力だ。
 エポール一家も朝から自宅でなりを潜めていた。レトヴェールは例のごとく本を読み耽っているようだが、ロクアンズはこれといった趣味もないので時間を持て余していた。身の回りのこともあらかた済ませてしまったので、いまはただぼうっと暖炉の火に薪をくべている。
 しばらくしてから、ロクは立ち上がった。居間で壁を背に座りこみ読書をしているレトの足元に、ことん、とティーカップが置かれる。彼は紙面から視線を外した。

 「紅茶、いれたから飲んで。今日寒いし」
 「……ん。母さんには」
 「おばさんにはこれから持ってくよ」
 「なら煎じ茶にしろよ。母さんの部屋にあるだろ、薬」
 「ああ、たしかに! でもあたし、ちょうごう? とかよくわかんない……」
 「俺がやる」

 レトは言いながら立ちあがった。

 「えっ、レトできるの!? すごい!」
 「かんたんな方法のやつだけな。前にカウリアさんからむりやり」
 「そうだったんだ。いいな、レト」
 「おまえも覚えれば」
 「教えてくれるの、レト!」
 「……見せるだけなら。きかれても説明はできねえぞ」
 「わーい! せっんじちゃ、せっんじちゃあ~」
 「静かにしてろ」
 
 ただでさえ外は吹雪で騒々しいのに。レトはそう心の中で悪態をつきながらエアリスの部屋へと足を運んだ。
 こんこん、とレトは木の扉の表面を打ち鳴らしてから部屋に入った。
 
 「母さん、ちょっと薬さ」

 しかしドアを開け広げてすぐにレトは目を剥いた。

 「…………母さん」
 
 室内にはエアリスがいなかった。一瞬、動揺の色を見せるレトだったが、彼は落ち着いて部屋の中を見渡した。それでもなお彼女の姿はない。
 
 「母さん……? ──母さんっ!」

 レトは血相を変えて居間に戻ってきた。そこへ、

 「どうしたの、そんなに騒いで」

 炊事場で洗い物を拭きあげていたらしいロクが歩み寄ってきた。レトは興奮した状態のまま早口でまくし立てた。

 「いないんだ、母さんが、部屋に」
 「え? じゃあどっかにいったのかな」
 「この吹雪でか?」
 「ちがうよ、家の……」
 「……今日、見たか、家で。母さんを」
 「……」
 「母さんがいない」

 レトとロクの間に流れる空気が凍りつく。レトはかなり動揺しているようだった。対してロクは、俯きがちに視線を巡らして、小さく口を開いた。

 「……もしかして」
 「なんだよ」
 「明日、あたしの誕生日だからって……おばさんが、カフの実を採りにいってあげるって、昨日そんな話」
 「……」
 「あたし、いいよって言ったのに……っ」

 エアリスは自身の体調の良し悪しも判別がつかないほど間抜けではない。家の外が危険かそうでないかは火を見るよりも明らかだ。病人はおろか至って健康体の人間でさえ足踏みしてしまうような天候の下へ、なぜ。
 レトは走って玄関のほうへ向かった。低い木の棚から分厚い羊の毛がついた靴を引っ張り出してきゅっと紐を結わえる。太い毛で編まれた上着を重ねて羽織った。靴のつま先でとんと床を鳴らすと、ロクの声が後ろから飛んできた。

 「まってレト! あたしも行く!」
 
 ロクも分厚い生地で袖のない簡易な羽織りものを頭から被り、毛と綿で拵えた手袋をはめると、レトのあとを追う。義兄妹はそうして吹雪の中へ身を投じた。




 厚く降り積もった雪道はとても不安定で、レトはもつれそうになりながらもざくざくと突き進んだ。時折、バランスを崩して転びもした。雪にまみれた鼻や頬が痛いくらいに冷たくなる。手袋で顔を挟むことでレトは温度を取り戻そうとした。それから立ち上がるのも早く、雪道を勇敢に進んでいく。目指すのはカフの実が成る木の群生地だ。
 曇天が頭上で笑っている。
 
 「かあさん!!」

 レトの声は虚しくも闇の中に吸いこまれていった。ひゅう、ごう、と鳴り響く雪と風の音が邪魔をする。
 そのときだった。

 「……」

 林道の真ん中。倒れ伏せている人物が、降りしきる雪を背中に被っていた。
 真白の雪の絨毯の上できらきらと光を照り返すその黄金の髪は、恐ろしいほど美しかった。

 彼女がぴくりとも動いていないのは雪の重さのせいではない。

 「………………かあ、さ」

 行き倒れているエアリスをしっかりと視界で捉えた彼は、ぞくりと身を震わせた。

 「母さん──ッ!」

 深い足跡を残しながらレトはエアリスのもとへ駆け寄った。
 
 「母さん! しっかりしろ、母さんっ!」

 彼女の身体の上に降り積もった雪を払う。毛糸で編んだ手袋に染みこんできた雪水が肌を刺す。だがそんなことはどうでもよかった。レトは一心不乱に雪を取り除いた。
 ──そのとき、レトは"なにか"に手をぶつけて、ぴたと動きを止めた。
 背中だと思っていたところからはナイフの柄が伸び、その周りの雪が赤黒く変色している。

 「──え」

 刹那。
 不自然で強い突風が、突如レトに襲いかかった。彼はエアリスの傍から剥がされると来た道を戻るようにして吹き飛んだ。
 雪道を転がり回り、泥水の味が口いっぱいに広がる。寒さ、そして口内に張りつく気持ち悪さを吐きだそうと咳払いを繰り返した。息も絶え絶えな彼の耳に、だれかの声が聞こえてくる。

 
 「コンニチハ~、かな? 次元師サマ」


 少年──のようにも少女のようにも聞こえる幼い声。語尾が伸びるような特徴的なしゃべり方をしたその人物は体躯もレトとそう変わらず、エアリスの身体に突き刺さったナイフの柄の上に片足だけを乗せて、ぶらりぶらりと揺れていた。レトは顔だけを起こして声のしたほうを向くと、硬直した。

 「ハジめまして~、ボクは【DESNY】。気軽にデスニーって呼んでよ」

 少年のようなだれかは垂れた目を細めて笑った。足場が不安定にも拘わらず悠々とレトに話しかける。


 「本で読んだことあるかな、少年クン? 神族っていうんだけど」
 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.81 )
日時: 2023/11/26 11:54
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第072次元 日に融けて影差すは月21
 
 吹き荒れる雨雪。森の奥深く、道すがら倒れ伏せている母。母の身体には一本のナイフが深く突き刺さっている。そのナイフの柄に片足だけを乗せて、ゆらゆらと細い体躯を揺らしている──少年、しかしながら極めて中性的な顔立ちの、知らないだれか。
 その人物は気味の悪い灰色の肌をしていた。血のように鮮やかな赤で塗り潰された眼球とその血だまりの上に浮かぶ白い虹彩が生物としての異質さを訴えてくる。髪は深い漆黒の剛毛で、吹雪に弄ばれているせいもあってか自由な毛先だ。どこをとっても、日常出会う人間の雰囲気とはかけ離れていた。

 少年のようなだれかは云った。名は【DESNY】
 "神族"である──と。
 
 「あれ、もしかして知らないのかな? まあいっか。ボクらってあんまりヒトの前に現れたりしないからさ、驚いちゃうよね。キミは運がイイよ~、少年クン。せっかくだから拝んでいきなよ、ボクはね」
 「……ねえよ」
 「え?」
 「だれとか知らねえよ。そこどけ」

 吐き捨てるように言うと、レトヴェールは膝を浮かせた。腰を伸ばし、顔をあげた彼の金色の瞳は怒りで鋭くなっている。デスニーと名乗るその神族を睨みつける。
 デスニーが黙っていると、いよいよレトは我慢ができず、

 「どけっつってんだろ!」

 叫びながら、怒り心頭に猛進した。飢えた子獣のようになりふり構わずに向かってくるのに対して、デスニーの赤い瞳は無感情だった。

 「よ」

 ナイフの柄から、たんっと翔び立ったデスニーはまるで胡蝶のように宙を舞い、レトの突進を悠々と躱した。行き場を失ったレトの身体は、厚く積もった雪に受け止められる。

 「っ!」
 「抱きつく相手をまちがえてるよ。ほら、大好きなお母さんはあっちだ」

 デスニーはレトの頭を鷲掴みにし、乱暴に放り投げた。柔らかい雪はレトを受け入れた途端、冷徹な刃となって彼の体温を奪おうとしてくる。レトが目をうっすらと開けると、すぐ傍にはエアリスの寝顔があった。閉じたままの瞳と、雪とおなじくらい透き通った白い肌がレトに不安を与える。
 レトは上体を起こし、エアリスの背中に乗っている雪を取り払おうとした。
 しかし、
 
 「……」

 エアリスはうつ伏せではなく、仰向けの状態で寝ていることに気がついた。

 「ザンネンだね、少年クン。お母さん死んじゃって」
 「──っ、おまえ! おまえが、おまえが母さんを!」
 「そんな怒んないでよ~。この女はべつにボクが殺したワケじゃない」
 「…………は?」

 レトは瞳をさらに大きくする。突然湧いて達した反感と嫌悪感とが、どす黒く汚い音となって口の端からこぼれた。

 「死んだきっかけはたしかにボクだよ。でも選んだのは」
 「ふざけんな! おまえが、おまえが殺したんだろ! じゃなかったらなんで顔が上向いてんだよ。母さんは病気だった、ただ倒れただけならうつ伏せになんだろ、おまえが病気の母さんをむりやり連れ出してこの、このナイフで殺したんだ! そうだろ!」
 「落ち着いて。だからボクはなにも」
 「なんだよ"神族"って。神がなんで俺たちの前に出てきたりすんだよ。200年前のことがなんだってんだ。関係ねえだろ俺たちは、──母さんは! なにも、なんもしてない、のに……なんで!」

 一枚の大きな布で全身を包んだような格好をしたデスニーの首元をぐっと掴んで寄せる。レトは両手に力を入れ、溢れんばかりの怒号を浴びせた。その瞳には涙が溜まっていた。

 「なんで、母さんを殺したんだ!!」

 放り投げられたデスニーは太い樹木の幹と衝突した。その拍子に木の葉が揺れ、積もった雪がぼとぼとと彼の頭上に降り落ちた。
 雪の欠片が控えめに降ってくる。デスニーは閉口していた。人形のように生気のない目や眉、口はただそこにあるだけでなんの役割もない。そんな彼の喉元に、
 一本の刃が伸びた。

 「……」
 「ころしてやる」

 それは一瞬前まで、姿かたちもなかった、短剣だった。もう一本の短剣がレトの左手に握られている。デスニーは、その二本の短剣が次元の力であることを、予め知っていた。
 次元の扉を開く"鍵"──。選ばれた者にしか与えられないそれは、レトがこの世に生を受けた日からずっと彼の中に存在していた。鍵を見つけた者だけが開けることを許された次元の扉は、一度開けば瞬く間に、鍵の主を次元師とする。以後、次元師となった人間はその身に異質の力を宿す。
 真っ赤な眼球に浮かぶ光彩は正常な白さを保ったまま、淡々と応えた。

 「ムリだよ。いくら人間がそんなモノ持ってたって。ボクらはヒトを恐ろしく思ったことはないよ」
 「だまれ!」
 「ヒトって小さくてうじゃうじゃいるからさ、騒ぐのが好きだよね。そしてボクらに祈るんだ。神様どうか助けてくださいって。ばかだよね。なんの代償もなしに救いが降りてくると思っているんだよ。キミだって願っちゃったんじゃない? ウソであってくれ。夢であってくれ。それってだれにかけたのかな? 神様以外にいるなら教えてよ」
 「……」
 「ヒトはすぐに神を頼るくせに、悪いことが起きると神様の悪戯なんて言い始める。本当に鬱陶しいよね。……ああ、ごめんごめん。キミに愚痴を言ってもしょうがないよね。忘れてよ。あ、そうそう少年クン、彼女がなにもしてないかと訊かれるとちょっとちがくて……」
 
 ──そのとき。

 独特の重低音が空気を劈き、デスニーの寄りかかっていた樹木を破壊した。それが雷の砲撃だと理解するまでに時間はかからなかった。デスニーは驚いたように目を見開いたが、ざくざくと雪を踏んでやってくる足音の主を認めると、口角を上げた。

 「あれ、またまた次元師サマのお出ましだね? キミ、すっごく目がイイんだね。えっと、お名前は?」
 「あなたはだれ? なんでここにいるの? おばさんに、なにしたのっ!」

 ロクアンズの片目は既に状況を捉えているようだった。視力のいい彼女は遠目から、レトが少年に飛びついて投げ飛ばされたその一部始終を追っていた。

 「はあ。チョット待ってよ。キミたちなにかカンチガイして……」
 「──答えて!!」

 若草色の髪が逆立ち、ロクの全身から雷光が飛び散った。次の瞬間、雷鳴が轟くのとほぼ同時に発散した眩い光がデスニーに襲いかかった。

 「二元解錠──"雷撃"ィ!!」

 真正面から電撃を浴びせられ、デスニーは「うわ!」と声をあげながら吹き飛んだ。ナイフの上からつま先が離れる。
 雷の力の扱いが格段に上達している。いつの間に腕を磨いたのかと、しばしの間、レトは面食らった。

 「レトっ! おばさんは!? おばさんは大丈夫!?」
 「……」
 「レ……なんで……ねえレト、生きてるよね、おばさん、まだ生きて」

 レトは俯いたまま応答しなかった。ロクの片目がだんだんと見開いていく。細い喉が小刻みに震える。

 「うそ。そんな。まだ、大丈夫だよ、レト、急いで帰ろ。おばさん、このままじゃ、死ん……」
 
 ロクはエアリスの顔を覗いた。整った顔は淡雪みたいに透き通っていた。頬に手を伸ばすと、とても冷たくなっていた。
 こんな寒空の下で、瞼ひとつ、動く気配がしない。

 「うそ……だよ……うそだよ、おばさん……起きて! 起きておばさん! うそだよ、ねえ、ねえレトぉ……!」
 「ウソじゃないよ」

 肩に被った雪を振り払いながら、代わりにデスニーが答えた。彼はざくざくと雪を踏み、歩み寄ってくる。

 「やあ、こんにちは。改めまして、ボクは【DESNY】。キミは神族って知ってるかな?」
 「……しん……ぞく」
 「ボクは、"運命"を司る神様なんだよ。だからキミたち一人ひとりにまつわる運命がぜんぶわかっちゃうんだ。もちろんそれはこれまで辿ってきた運命と、これから先に起こる運命のどちらも。ああでも、カンチガイはしないでほしいな。ボクには細かい道筋は視えない。運命っていうのはただの点でしかなくて、未来という漠然としていて広大な時間の中で小さく瞬く、いわば星みたいなモノ。ね、すごくロマンチックでしょ?」

 神族。神様。黒い怪物。次元師。──運命。真っ黒に塗り潰された情報がまるで洪水のように脳裏に流れこんでくる。澄み渡らせたのはほかでもない。目の前で血まみれになって倒れている、エアリスの姿だった。
 
 「しん、ぞく……──がっ! なんで、おばさんを!」
 
 血で染色したような深紅の瞳にぎろりと睨み返され、ロクはぞっとした。足の爪先から脳天へと電気が走り抜ける。外気の寒さとは関係のないところで、身体が震えていた。

 「そんなことよりキミさ、」
 「……」
 「もしかして」

 デスニーはそう低い声で呟いてから、雪道をゆっくりと踏みしめて歩いた。そしてロクの目の前で立ち止まる。至近距離にまで迫ってきた彼に恐怖を覚えたロクはすぐさま、距離をとろうと一歩退いた。
 だが、そんなロクの頭を強く掴んでデスニーは持ちあげた。幼い両足は地面と離れ、ばたばたと宙を掻く。

 「うああっ! ああ!」
 「──やっぱりそうだ、キミの運命が、視えない」
 「……え?」
 「ねえキミ、どこから来たの? なんでボクの"能力"が……運命が視えないのかな? ねえ? ねえ? ねえ?」
 「っ、わか、んない……家族、も、記、憶も、なんにもない」
 「そうなんだ。じゃあ名前は? ボク、キミの名前が知りたいな」
 「ロ、ロク……アンズ」
 「……ロクアンズ……」

 デスニーが小さな声で口ずさむ。灰色の五本指を立てると、ロクが「うあ」と呻き声をあげた。少年らしい見た目に似つかわしくない重い力が彼女の頭蓋骨を痛めつける。彼女は、頭の中にあるその骨が砕け散ってしまうんじゃないかとひどく怯えた。

 「ロクアンズ。どうやらキミにはトクベツななにかがあるみたい。ボクらはキミを決して見逃さない。だからキミも目を逸らすな」

 ゴミを抛るように乱暴にロクの頭は投げ出された。打ちどころが悪いわけでもないのにまだ頭の内側がガンガンと響いている。早く痛みから逃れたい一心でいたロクは、レトの呻き声を聞いてから我に返った。

 「レト!」
 「エアリス・エポール。彼女は大罪を犯した。けど、まだ罪を払いきらないうちに死んだ。だから彼に代償を支払ってもらうんだよ。よく見ておいてよ、ロクアンズ」

 地面に頭を抑えつけられ、デスニーの手から逃れようと必死に藻掻くレトの姿があった。しかし完全に組み敷かれてしまっている。彼の抵抗も虚しく、デスニーは余裕の笑みを浮かべながらじつに緩慢とした動きで、空いている右手をレトの背中の上に翳した。

 「やめて! レトに……レトになにもしないで! おねがいッ!」
 「──"呪記じゅき二条にじょう"」

 見たことも聞いたこともない奇怪な呪文。
 のちにそれが、"神の呪い"と呼ばれるものだということを知るのだった──。

 詠唱が結ばれるとレトの背中が、突然、かっと猛熱を帯びた。背にあたる布地が一瞬のうちに焼け落ち、彼は間髪入れずに絶叫した。

 「レト!!」

 肉を貫通し骨の髄に殴りかかってくる猛烈な熱さ。痛みを越えた圧倒的な息苦しさ。それらが拍車をかけて幼い身体をいたぶろうとしてくる。デスニーが手のひらを翳している背肌には、みるみるうちに黒い文様が刻まれていった。

 「5年。5年のうちにこの呪記……"神の呪い"を解くことができなければ彼は死に至る。これはエアリス・エポールにかけたものとほぼ同様だよ。時が経つにつれ衰弱していく。呪いを解く方法は1つだけ。このボク、【DESNY】を殺すこと」
 「……」
 「ひとつイイことを教えてあげる。ボクはたしかにエアリスをこの呪いで殺そうとした。だけど……呪いは"果たせなかった"。失敗した」

 ロクは瞠目した。デスニーはロクのほうに振り返ると、人形のように生気のない瞳を細めて、

 「彼女は自害したんだよ」

 と言った。
 
 「抗えよ、少年少女。ボクにじゃない。運命にだ」

 静かに告げてから、運命の神は忽然と姿を消した。森の中にはまだ轟々と吹雪が降り注いでいて、現実に帰ってこられそうもない膨大な虚無と悲壮感が立ちこめていた。

 レトはこのときすでに意識を失っていた。母、エアリスが目覚める様子もない。ただひとり、世界に取り残されたロクは2人の姿を見つめた。それから震えている自分の両手を見下ろした。「う」と呻いて、それから、涙がぼろぼろ落ちた。
 雪なんかじゃない、あれは非常に冷たく鋭利な剣であり、槍であり、矢だった。
 突然空から降り注いできたそれは、残酷にも義母の胸を貫き、義兄の背に深い傷を残した。
 ロクは堪らなく悔しかった。情けない声でわめいた。

 『この世界の怖いものたちをやっつけられる力があなたにはある』

 降ってくる雪を掴もうと手をいくら伸ばしても決して掴めないように、

 『そうしたら、力を持ってなくておびえてる人たちを笑顔にできるわ。もちろんわたしも、レトヴェールも、みんな。みんなを助けられる』

 広げて受け止めても必ず溶けてしまうように、
 無情で非情で不条理で理不尽で凄惨で残酷な、現実には


 『あなたはとても強い子だから、それができるって私は信じているわ」


 敵わなかった。敗北した。無力だった。


 「あ……あたし……おばさん、みたいに……こまったひと、たす、け…………たかった……っ!」


 ──あたしがこの力でやっつけてやるんだ、なんて。
 なんて子どもじみた願いなんだ。途方もなく幼稚で力のない自分が大嫌いになった。


 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.82 )
日時: 2020/04/16 14:57
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第073次元 日に融けて影差すは月22(終)


 くすんだ濃灰の肌。

 血で染めたように真っ赤な眼球。

 宵闇に溶けていた黒い剛毛。

 ──それとおなじくらい、立ち振る舞いも喋り方もどこかゆらゆらしていて、掴みどころがまるでなかった。雷を司る次元の力で威嚇をしても、傷つけようとしても、神族【DESNY】の表情は一寸も崩れなかった。愉快そうに笑う顔が脳裏に焼きついている。

 レトヴェールがデスニーに抑えつけられたとき、ロクアンズは咄嗟に「やめて」と懇願した。
 どうしてあのとき、たとえ無謀だと、敵わないと、心の底から感じていたとしても次元の力を使って対抗しなかったのかと、ロクは翌日目を覚ましてから延々と自問自答を繰り返していた。
 が、答えは案外早く浮上してきた。戦いを挑んで勝利することよりも、恐怖ひとつに全神経を支配されていたからだ。



 一足早い暖かな風が吹くと、ロクの長い髪がふわりと浮いた。昨日の悪天候が嘘みたいで、照りつける太陽はじわじわと雪を溶かしつつある。随分と歩きやすくなった雪の道をさくさくと進むレトとロクの間にはしかし、まだ凍てついた空気が流れている。
 
 ロクは昨日、レトの身体を引きずって命からがら帰宅したのだが、彼女自身あまりよく覚えてはいなかった。翌日の朝には日の出を待っていた太陽がやってきて、悪夢のようだった夜は吹雪とともにどこかへ去っていった。
 エアリスの埋葬に出よう、とレトが言った。
 
 
 先に足を止めたレトに追いつく形で、ロクが彼の隣に並ぶ。レトが見下ろしていたのは仰向けになって倒れているエアリスだった。動きだす気配がないのを再認識させられる。雪解けが始まっていたせいで、胸元に刺さったナイフが妙に生々しかった。
 レトはエアリスの胸元からナイフを引き抜いた。引き抜く前に、う、と小さく呻いたのをロクは聞き逃さなかった。

 「……レ……」

 ロクはレトに手を伸ばしかけたが、ぴたと動きを止めた。目尻にたまった涙を落とすまいと眉をきつく寄せ、唇を強く結び、決して泣き声をあげようとしないレトを見て、なにもできなくなった。
 ロクの頬にも涙が流れた。2人は鼻を啜るばかりで一言も会話を交わすことなく、一生懸命に母の遺体を埋葬した。
 木の枝を組んで作ったちんけな墓標を土の表面に挿した。枝の断面には"エアリス・エポール"と文字も入れてある。
 その場から動けない呪いにでもかけられているのだろうか。
 しばらくの間、2人の足は地面に張りついたまま、かすかにも動かせなかった。しかし、
 
 「……おばさん」

 ロクがエアリスのことを呼んだ。次の瞬間、ロクは抑えることができずに大粒の涙をこぼした。

 「おばさん、ごめんなさい。まも、れなくて、ごめんなさい。おばさんは……まもってくれたのに。たすけてくれたのに。あたし……あたし、おばさんみたいになれなかった。ごめん。ごめんなさい」
 「……」
 「だいすきだった、のに……──っ」

 吠えるようにロクは泣き声をあげた。勝手に溢れてきて、勝手に頬を伝ってこぼれ落ちていく。枯れてしまうんじゃないかと思うほど彼女は泣いた。ずっと泣いていた。「ごめんなさい」と何度も謝った。「大好きだった」と何度も伝えた。返事はかえってこない。どんどん口から言葉が溢れ出るのに、行き場はなくて、溶けかけた雪の上に滴り落ちた。
 レトはそんなロクの隣で口を閉じていた。唇を噛みしめていた。そしてぼろぼろと涙をこぼしていた。おなじだった。2人は母をうしなった。

 (……あいつも、こんな気持ちだったのかな)

 ふとレトの脳裏を掠めたのは、数か月前に村から姿を消したキールアのことだった。レトは今日にでも腹を切って母の後を追いたいほどの失意にあるのに、彼女は母ばかりではなく父や弟までも同時に失っている。いまだったら、あのときの彼女の泣き顔に寄り添える。それなのに、彼女ももういない。
 もし次に会えたらなんと言葉をかけようか。この日からレトは、キールアのことをふと思い出したときに考えるようになった。




 弔いからの帰り道はすでに日が傾いていて、森林の葉が、泥と交じった雪が、橙色に染まっていた。レトのすこし後ろを歩いているロクは、すんすんと鼻を啜りながらこれから先のことを憂いていた。

 (これから……どうしよう)

 もともとはエアリスという人物に拾われただけの身なのである。エアリスを失ったいまとなっては、レトやあの家との繋がりはもはや皆無といっても過言ではない。
 レトと別々の道を歩むとなれば、ロクには行く宛てなどない。
 足元に視線を落としながら、このままレトについていってもよいのだろうかとロクは不安に思った。申し訳なさからか、だんだん歩き方もぎこちなくなっていく。
 そんなとき、急にレトが道の途中で立ち止まった。ロクも慌てて足を止める。滑りやすくなっている雪道で転びそうになるのを堪えてから、ロクは顔をあげた。
 
 「レト?」
 「此花隊に入らないか」

 唐突に持ち出された言葉には馴染みがなく、ロクは最初、レトがなにを言っているのかまったく理解できなかった。動揺と驚きが混じったような曖昧な声で、「このはなたい?」とロクは訊き返した。

 「次元の力のことを扱ってる専門の組織らしい。おまえとか……俺、みたいな次元師もいる」
 「! え、レト……」

 くるりと振り返ると、レトは静かに瞼を閉じた。胸のあたりに意識を集中させ、ふと、頭に浮上してきた呪文を彼は口にした。

 「次元の扉、発動──"双斬そうざん"」

 短い詠唱がなにもない空間から"双剣"を出現させる。ロクは大きな目でぱちぱちと瞬きをした。
 彼の両手に握られた二本の短剣を交互に見つめる。幻覚などではなく、本物の剣だった。

 「うそ……」
 「……昨日、なんでか俺にも次元の力っていうのが使えるようになった。たぶんこれがそう」
 「じゃあ」
 「戦える。【DESNY】とかいうふざけたヤツも、ほかの神族も全員。俺たちの手で殺せる」

 此花隊という組織は神族に関する情報も集めているらしい、とレトは加えて説明した。断る理由のないロクは大きく頷き、その提案を受け入れた。

 「うん。……強くなりたい、あたし。あきらめたりもしない。この力がある限り、全力で全部を守る!」

 ──あなたならきっとできる。エアリスがくれた大切な言葉が、胸の内側から響いた。
 神族たちとの因果。次元師としての宿命。戦い。この扉の先には恐ろしく長い道が続いていて、一度踏みこめば後戻りはできない。自分はその暗澹たる巨大な穴の中へ身を投じようとしている。強がりも多少はある。だけど強がってでもいないとすぐに足が竦んでしまう。あの家の中で小さく縮こまっているしかできなくなってしまう。
 叶えたい目標。願望。未来。それらを大きな声で叫ぶには、両足で立ち、前を向かなくちゃいけない。

 「ああ」

 レトはまっすぐ前を見ながら言った。エアリスが遺していった金の瞳は一雫の涙で陽を照り返し、一片の淀みもなかった。美しくて眩しい。背中に傷を負っていても彼はしゃんと立っている。
 冬の冷たい風が木の葉を揺らし、雪を撫で、2人の間を吹き抜ける。

 運命に抗うべくして、血の繋がっていない義兄妹は手を取り合った。


 
 家に帰り着いた2人は、薄暗い家の中を明かりを灯してまわった。「おかえりなさい」の声が聴こえてこないだけで、別の誰かの家に帰ってきたわけでもないのにそんな心地悪さがつきまとった。
 
 (そういえば……)

 『彼女は自害したんだよ』

 デスニーが去り際に残した台詞が、ロクは妙に引っかかっていた。もちろんエアリスが自ら命を投げ出すなどとは露ほども信じていない。なぜデスニーがあんな突拍子もない発言をしたのかが疑問だった。

 (あたしたちのことをおもしろがるため? うーん……なんかちがうような気がする。それに、おばさんに呪いをかけてたってことは、おばさんはデスニーに会ったことがあるのかな?)

 エアリスは、デスニーを殺せば呪いが解けることを知っていたのだろうか。もし知っていたとしたらなぜ、次元師に助けを求めなかったのか。ロクでは頼りないとしても、大人の次元師にかけあうことだって可能だったはずだ。それこそ此花隊という次元師や神族の研究をしている機関が存在しているにも拘わらず、だ。
 ロクはこっそりとエアリスの部屋に入った。室内は整理整頓されていて、寝台も整えられている。外へ出る前に直していったのだろう。律儀な彼女のことだから頷けはするが、そもそも衰弱した身体で外出するというのもおかしな点のひとつだ。
 彼女はなにかを隠していたのだろうか。
 ロクは室内に踏み入るとすぐに、寝台横の小棚に目をやった。引き出しのひとつになにかの切れ端のようなものが挟まっていたからである。下から二番目の引き出しを引くと、挟まっていたのは平たい包み紙の端だった。調合薬だ。

 「あ、これ……カウリアさんの」

 エアリスの病気がまさか呪いによるものだとも知らずに、カウリアは彼女のためにと調薬に勤しんでいた。それをエアリスはいつも嬉しそうに受け取っていた。呪いのことはつまり、カウリアにも伏せていたのだ。
 ロクは薬の入った包み紙をそっと引き出しに戻して閉めた。すると、

 「……?」

 一番下の引き出しにだけ、鍵穴があった。
 引き出しを引こうとしても当然のように固く、開くことができない。鍵穴がついているのはこの引き出しだけだ。ロクの心拍数が急にあがった。

 (まさか……ここになにか)

 ロクはきょろきょろと辺りを見渡した。鍵穴が小さいため、おそらく解錠する鍵そのものも小さいのだろう。見つけるのは困難を極める。加えて、もしエアリス本人が昨日、いっしょに外へ持ち出していたらもはや地面の下だ。鍵のために墓を荒らすなど到底できない。
 残る方法はひとつ。鍵穴を壊すしかない。

 「……」

 「次元の扉、発動」──とロクは小さな声で詠唱した。ロクの内側にある扉は簡単に解錠を許し、雷の力を彼女に与える。
 ロクは深く息を吸って、吐いた。彼女は手のひらを鍵穴へ向けた。

 「一元解錠、雷撃!」

 ばちっ、と電撃が散る。最小の力で放たれたそれは鍵穴へ命中し、棚ががたんと上下に揺れた。一番下の引き出しは心なしか歪んだ。が、どうやら解錠には成功しているようだ。
 ロクはそっと引き出しを開けた。中に入っていたのは、巾着袋一つと、小型の秤だった。彼女は一つひとつ手に取った。

 「なにこれ……こっちは秤? なんで……」

 巾着袋のほうは両手に乗せられるくらいの大きさだ。秤のほうは金属製で古めかしい。ところどころメッキも剥がれている。
 ロクは巾着袋を凝視した。秤を一旦元の場所に戻そうとしたそのとき、彼女は手を滑らせて秤を落としてしまった。

 「しまっ!」

 がっしゃん、と大きな音が響き渡った。金属で造られているせいもあって音はかなり大きく、下の階にいたレトの耳にも入ったようだった。
 大きな金属音を聞きつけたレトはすぐさま、ロクのいるエアリスの部屋に駆けこんできた。

 「おまえ……! こんなところでなにしてんだよ、ったく」
 「え、あ、こ、これはその……! ごご、ごめん! べつにおばさんのこと信じてないとかじゃ、なくって……!」
 「は? ……おいロク、おまえその左手に持ってるの、なんだ」
 「へ? ああ、これはその……おばさんの棚から出てきて……見覚えないし、カウリアさんからの薬ともちがうし、なにかなって……」
 「母さんの棚から?」
 「うん……。この一番下の引き出しだけ、鍵がかかってて、それで」
 「勝手に開けたな」
 「うっ。ご、ごめん……」
 「……。貸せ、俺も見たい」

 レトはロクの左手にあった巾着袋をひょいと取りあげた。怒っているわけではないようだった。デスニーは彼と対峙した際、「ボクが殺したわけじゃない」「彼女が選んだ」「罪を払いきらないうちに死んだ」などの発言をしていた。嘘だ、と一言で片づけてしまうこともできる。デスニーの言ったことが本当か嘘かなど、エアリスが死んだいまとなっては知る由もない。
 せめて彼女の遺したものがデスニーや神族を倒す手がかりになれば。レトはそんな風に考えていた。それにエアリスが自分たちに隠しごとをしていたとあれば、知りたいと思うのは彼女の子として当然の摂理だ。

 レトは巾着袋の紐を緩めた。その様子を、ロクが固唾を飲んで見守る。
 巾着袋の中には長い葉が幾重にもなって敷かれていた。そして、

 濃厚な黒が視界に飛びこんでくる。粉末らしいそれはぎっしりと詰まっていた。

 「な……んだ、これ」
 「……」

 色で判断をするには早すぎる。もしかしたら砂鉄のようなものかもしれない。しかし2人の心臓は正直で、どくどくどく、と速く脈打った。
 なにかの粉だ。
 この粉の正体。彼女がこれを飲用していたのか否か。鍵穴をつけた理由。「自害」の一言──。すべてにおいて不明だった。得られたのは、砂利を噛んだような後味の悪さ、それだけだった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.83 )
日時: 2020/05/31 11:58
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第074次元 それぞれの

 話し終えてからロクアンズは反省した。もとはレトヴェールと出会ったときにどのような目に遭ってどのように仲を深めたのか、のみに焦点を絞って語るつもりでいたのだ。エアリスの話まで持ち出したりして、重い気分にさせたにちがいない。幸いにも、神族【DESNY】と遭遇したと聞いてガネスト、ルイル、フィラの3人は目の色を変えた。神族への接触に成功した人間が限りなく少ないからだろう。

 脳裏を掠めはしたが、キールアの存在については一切触れなかった。シーホリーの一族が生き残っているのをむやみやたらと言いふらすわけにはいかないからだ。フィラたちを信用していないのではない。そうでなくとも口にするのは憚られた。
 そしてもう一つ、レトが背中に受けた【DESNY】の呪いの傷についてもロクは言及しなかった。
 ロクはわざとらしく声を張りながら若草色の頭を掻いた。

 「あはは。いろいろと脱線しちゃったけど、ようするにレトとは……どうやって仲直りしたかって訊かれると難しくって。ちょっとずつ歩み寄ったっていうかなんていうか」
 「ろくちゃんとれとちゃんは、つらいこといっぱい、ふたりでのりこえてきたんだね……」
 「え? ……そう、だね」
 「いまのお話から考えると、レトさんはいまも昔も相当気難しい性格をしていらっしゃるわけですね」
 「レトは優しいよ」

 ロクは長椅子の上で膝を抱き寄せた。

 「おばさんが亡くなって、そしたらあたしとレトはもうなにも関係ないのに、いっしょに此花隊に入ろうって……レトが言ってくれたんだよ。まだいっしょにいていいんだって、あたし、それがすごくすごく嬉しかったんだ……」

 行き場を失った自分の手をとって導いてくれたのはレトだ。同情や慰めが湧いたからか、それとも2人で神族を討ちたいだけでそれ以外に余計な感情はなかったのか。レトは直接的な言い方をほとんどしない。常に本心が見えにくいからこそ余計に、談話室で突きつけられた一言が胸の奥深くを刺した。

 「でも今日、レトに、『母さんの本当の子どもじゃないくせに』って言われて……あたし、勘違いしてただけなのかもしれないって思った。レトはあたしのことずっとそんな風に見てたのに、言わずにいてくれてただけだって」

 抱えた膝をさらに引き寄せて、ロクは頭をうずめた。
 フィラが重たい口を開いた。

 「じゃあ、どうしてレトくんはあなたといっしょにここへ来たのかしらね」
 「え……。……さ、さあ……それは……わかんない」
 「私はね、あなたのまっすぐなところが好きなの。かけてほしい言葉をくれる。大人になると言い訳が上手になっていってね、本当はどうしたいのかを、考えたくなくなっていっちゃう。だからその蓋を開けよう、開けようって何度も叫んでくれるのが、ロクちゃんの素敵なところだなあって」
 「……」
 「もしあなたに対して同情心があったり、悪い風に思ってたら、いっしょに神族を討とうなんて言わないんじゃないかしら? まあそれもレトくんに訊いてみなくちゃわからないけど」
 「レトに?」
 「でもちょっと勇気がいるわよね。さ、そろそろ帰りましょうか。任務も済んだことだしね」

 フィラが呼びかけると、ガネストとルイルは帰り支度を始めた。結局、屋敷から聞こえてくるという呻き声の正体はティリナサの操っていた幽霊たちの仕業だったので、元魔かもしれないと意気ごんでやってきたものの杞憂に終わった。
 屋敷を出る間際に、ロクはガネストに声をかけた。

 「ガネスト、さっきはその、ごめんね」
 「なんのことですか?」
 「あたし、気にしたことなかったんだ。ほかの人の事情にずけずけ踏みこんだりして、ガネストやルイルのときも嫌な思いさせてたのかなって……」
 「……」
 
 ロクは下のほうに視線を這わせて、申し訳なさそうに眉を下げた。ガネストは目をしばたいた。

 「……しおらしくしてると別人みたいですね、ロクさんって」
 「え!」
 「うだうだ言ってないではやく元通りになってください。こちらも気まずいので」
 「意外と言うよね、ガネスト」
 「あなたらしくないっていう意味です。だれだってぶつかれる力を持っているわけじゃありません。でもあなたにはある。僕はそれが羨ましい」

 ガネストは口角をあげて言った。「ほら行きますよ」と先を歩く。
 ルイルの荷物をさりげなく持ってあげているのが目に入る。主従であるとか、忠誠だとか、堅苦しい国の決まりは文字通り海の向こうに置いてきたのだ。軽い足取りの2人はすぐにフィラの後ろについた。
 ロクも慌ててあとを追った。



 一方、カナラ街にある小さな薬屋で治療を受けていたレトは、上半身に巻いた包帯に不備がないことを確かめると隊服を着直した。
 寝台から立ちあがって身支度を整えていたとき、キールアが部屋に入ってきた。

 「あ……もう、行くの? 身体は大丈夫?」
 「ああ」
 「そっか……」

 キールアは手元に持っていた包帯を後ろに隠しながら「じゃあこれ必要なかったね」と苦笑いをした。
 身支度を終えたレトは扉に向かってまっすぐ歩いた。俯いていたキールアは、自分の目の前でレトが立ち止まったことに気づくのが遅れた。
 
 「……あのさ」
 「……?」
 「その」

 レトが頬に汗を滲ませながら言い淀んでいると、キールアは息を吸った。だれにも聴こえないくらいのきわめて小さな声で呟く。

 「レトヴェールくん、は、知ってたの」
 「え?」
 「私が……ううん。私と、私の家族が……変な虫に、取りつかれてるっていう話」
 「──」

 まさかキールアが知っていたとは露知らず、レトは言葉を失った。キールアの家族が亡くなって初めてエアリスからシーホリー一族の奇病について聞かされた折には、『キールアはこの事実を知らないから言わないでくれ』と彼女から切に頼まれていたのだ。
 キールアは手に持っている包帯に視線を落としながら、ぽつりぽつりと語りだした。

 「ここでお世話になり始めて、そしたらいろんな病気のことが情報として入ってくるようになったの。中には遺伝性のある病気もあるって……。店主のコナッカさんが、ほかの患者さんと話してるのを偶然聞いちゃった。シーホリーの名を持つ一族たちの身体には古代の寄生虫が棲みついていて、ある日突然、獰猛な獣みたいに人を襲うようになるって……。だから政会の人たちも血眼になって探してるんだよね。……なんだかね、だめだってわかってるけど、やっと腑に落ちたの。なんの理由もないのに殺されるわけないってずっと思ってたから……」
 「……」
 「わざと、言わないでいてくれたの? あのとき」

 レトは顔を逸らした。両親と弟が山奥にあった家ごと焼き払われた日のことを指しているのだろう。

 「……ここにいるのは、危険じゃないのか」
 「うん。コナッカさんは、私がシーホリーの人間だって知らない。それにこの店に薬を届けにきてた頃からお世話になってるから」
 「そうか」
 「うん」
 「あらあらぁ! あなたたち、若いわねぇ~。お似合いだこと」

 いつの間にやら扉から顔を覗かせていたコナッカが、ふくよかな頬に意地の悪い笑みを浮かべていた。
 キールアはさっと顔色を青くして、強い否定を示した。

 「えっ、ち、ちがいます。昔住んでた村がいっしょで……」
 「私にもいるんだけどねぇ幼なじみ。でもぜんぜん、金髪の坊やほど冴えなかったのよねぇ~……。憎いねぇっ、キールア」
 「……幼なじみ、っていうか……はい、まあ」

 キールアは煮え切らない返事をして、「あはは」とお茶を濁した。レトは、ふっと視線を逸らした。
 店の入り口の前まで見送りについてきたキールアは、塗り薬の入った小瓶と宛て布をレトに手渡した。

 「これ、傷口に塗ってね」
 「ん」
 「……あの、よかったらロクに伝えてくれると、嬉しいです。私は元気だって。それじゃあ……元気で」

 キールアが笑った。その拍子に、高い位置で二つに結びあげられた小麦色の髪が揺れる。寂しそうに眉を寄せているのがレトにはわかった。

 「わかった」

 淡泊にそうとだけ告げて、踵を返した。
 が、背中を向けただけでレトは、そこから一歩も動かなかった。キールアが不思議に思っていると、彼はふたたびキールアのほうを振り返って言った。

 「危なくなったら、言えよ。……またな」

 琥珀色の瞳が大きく見開く。キールアは呆然としたまま、町の喧騒の中に消えていくレトの背中を見送った。
 
 (『またな』……って……。レトヴェールくんにそう言われたの、初めて)

 まだ村にいた頃のレトとはちがうような。どこか冷たい物言いだったり、返事の声が短いのは2年前のままだけれど、目が鋭くなかった。この2年の間になにか、彼の中で心境の変化があったのだろうか。おなじ時間を共有してこなかったキールアには皆目見当もつかなかった。困惑ばかりが胸の内に広がった。

 「……上手くいかねえ」

 レトはというと、キールアと別れてすぐに髪をくしゃりと掻き乱していた。
 
 
 
 本部に帰還したロクは、真っ先にレトの姿を探し回った。このままでは嫌だ。訊きたいことも山ほどある。が、決意が鈍らないうちにと意気ごむあまり、焦って何度もおなじ場所を訪ねるなどしてしまった。
 レトの自室、談話室、班長室、資料室、裏庭、風呂場──。
 思いつく限りの彼が出没しそうな場所へと、片っ端から足を運んでみたロクだったが、レトとはいまだに出会えていない。
 
 (むしろあとどこに行ってないんだ……? レトが行きそうなとこ、もう思いつかない)

 廊下で、うろうろと行ったり戻ったりしながら、うーんとロクは唸った。

 「……あ」

 はた、とロクは突然足を止めた。しばらく考えたのちに、爪先の向きをくるりと変えて、歩き始めた。
 もしかしてあの部屋にいるだろうか。
 確信は薄い。どちらかというと半信半疑だったが、ロクはまっすぐその場所に向かった。心臓が逸るのに合わせて、歩く速度があがる。
 目的の部屋の扉の前までやってくると、ロクはポケットから黒くて細長い布織物を取り出した。エアリスが亡くなる前夜に彼女から貰ったものだ。布織物を首にかけると、彼女は若草色の長い髪をまとめあげた。細い髪紐を取り出してくるくると巻きつける。崩れないようにしっかりと縛った。そして、髪紐の上から布織物を結んだ。
 ロクは胸に手をあてて、深呼吸をした。
 ぎぃ、と重たい扉の押し広げて、ロクは室内に足を踏み入れた。

 「……──」

 ロクの思った通りだった。鍛錬場の中央で立っていたレトは、扉の音に気がついて振り返った。
 頬を流れていた汗が床に滴り落ちた。
 2人の視線が交わったのは、朝に別れて以来だ。

 「レト……」
 「……」
 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.84 )
日時: 2020/02/23 18:08
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: mUcohwxZ)

 
 第075次元 つながり

 襟元をぐいと引きあげて、レトヴェールは額から吹きだしている大粒の汗を拭いとる。金色の細い毛先からも一粒落ちた。彼は軽装だった。どのくらいの時間ここにいたのかはロクアンズには計り知れないが、彼は相当疲れているように見受けられた。
 ロクはレトのもとまで歩み寄ると、意を決して口を開いた。
 
 「レト、あの」
 「ちょっと相手してくれねえか」

 両手にはすでに『双斬』が握られていた。改めて柄に力を入れ直すと、レトはゆっくりロクとの距離を縮めていく。
 ロクは突然のことで返答に困り、え、と曖昧な声をもらした。

 「ちょ、ちょっと、レト」
 「ぼさっとしてると、本気で斬るぞ!」
 「──っ」

 真一文字に一太刀、薙ぐ。ロクは驚くと同時に屈んで、逃げるようにしてレトの背後に回った。
 太刀筋に躊躇がなかった。どうやら冗談ではないらしいことを悟ると、ロクも腹を決めた。

 「次元の扉、発動──」

 握った拳から電気が飛散する。

 「──『雷皇』!!」

 鋭い明るさが空気を焼き、床を這う。ロクが戦闘態勢に入ると、レトは間髪入れずに彼女の懐に踏みこんだ。

 「っ、わ!」

 今度は床から天井にかけて片方の短剣を振りあげた。軌跡が、縦一閃を描く。前髪の先端がほんのすこしだけ切り落とされて、ロクは顔をしかめた。速い。ロクは後方に退く。

 「先手必勝、ってこと? そっちがその気なら──っ、三元解錠! 雷撃!」

 ロクは片手を振りかぶって、"雷撃"を床に叩きつけた。電気が足の爪先をめがけて猛スピードでやってくる。レトはロクからかなり距離をとった。

 「もう近づけないよ?」
 「……」

 ロクが口角をあげてにやりと笑った。
 近接武器はこういうときに不利だ。『双斬』は基本的に、相手の身体に直接損傷を与える技が多い。対してロクの有する『雷皇』は遠距離からの攻撃および奇襲を可能とし、敵を近づけさせない壁をも築ける。隙があるとすれば、ロクが技を繰り出す動作に集中する、一瞬の間のほかにはない。

 (試してみるか)

 「四元解錠──、交波斬まじわぎりッ!」

 双剣が重なると甲高い金属音が鳴った。刹那。『双斬』は左右に薙ぎ払われ、突風が巻き起こった。遠距離からやってくる向かい風にロクは左目を瞑り、すぐに詠唱した。

 (この次元技、初めて見る……──っ!)
 
 「五元解錠──!」

 電気の糸と糸とが絡み合い、ロクの周囲を囲うように雷の球体が編みあげられていく。"雷撃"から派生した新次元技、"雷籠らいろう"だ。ローノ支部に出現した元魔や、ベルク村でリリエンら兄妹と相まみえたときに活躍していた。
 雷の壁が完全な球体を築く、その直前。

 「隙だらけだぜ、ロク」
 
 背中越しにレトの声がした。いつの間にかロクより後ろに回っていた彼は、すでに、双剣を振りかぶっていた。
 しまった、とロクは直感した。
 "雷籠"が完成したところで簡単に打ち破られる。それに新しい壁を作ろうものならその隙に斬撃を打ちこまれるだろう。形状が散漫とする"雷撃"もだめだ。難なく斬り抜かれてしまう。
 ロクは咄嗟に、右の指先に電熱を這わせた。
 
 「六元解錠」

 猛熱をこめた細い指先を、レトの身体に向けてまっすぐ伸ばす。
 
 「──雷砲!!」

 強い光を帯びた熱線がロクの指先から飛び出し、空気を焼き切るとともにレトの左肩を撃ち抜いた。手離した双剣が遠くまで飛んでいくと、からんからん、と音を立てて床に落ちた。
 はっ、と気づいたときには遅かった。壁際まで弾き飛ばされたレトが、肩を抑えながら項垂れている。レトの後ろの壁も大きく抉れていた。

 「ご、ごご、ごめんレト……っ! あたしつい、そんなつもりじゃ」

 ロクはさっと青ざめて、レトの傍まで駆け寄った。肩から大量に出血しているのをどうにかしなきゃとおろおろしていると、レトは深く嘆息した。

 「あー、くそ。やっぱ強いな」

 空いているほうの手でがしがしと頭を掻き、レトは悔しそうに眉を顰める。ロクは呆然とした。

 「どういう感じ、五元とか、六元解錠って」
 「え……」
 「四元とかとやっぱちがう?」

 ロクは戸惑いながら答えた。

 「……う、うん。五元とか六元って、だんだんと扉が重たくなってるっていうのかな。だから重たい扉を開けるときみたいに……呼吸を整えるのと、一気に全身に力を入れるイメージ、っていうか……」
 「ふーん……。そうか」
 「……」
 「……」
 「レト、ごめ」
 「謝んな」

 レトは壁を頼りに立ちあがって、扉のあるほうに向けて歩きだした。まだ彼の語気は荒い。遠ざかっていく背中を呼び止めるように、ロクは声を絞り出した。

 「で、でも」
 「謝るのは、俺のほうだ。だからおまえは謝らなくていい」

 扉のすぐ近くに、小ぶりのポーチと手拭いが無造作に置かれていた。レトはポーチから消毒液と包帯、当て布を取り出すと、上に着ていた練習着を脱いだ。患部にぐっと当て布を押しつけ、止血をする。
 彼は背中越しに告げた。

 「おまえがものすごい早さで強くなってくのが……嫌、だった」

 怒っているわけでも毅然としているわけでもない。レトの声はか細かった。頭の中で整理ができていないうちに喋っているのが伝わってきて、ロクは目を丸くした。

 「もちろんそんなの、自業自得だ。……おまえみたいに成長するには、どうしたらいいかわかんなくて、わかんないまま時間が過ぎた。いまの俺に母さんの仇は討てない。でもおまえならわからない。……それがすげえ悔しいのに、どうしても次元の力が俺には重い。おまえが言った通りだ。おまえみたいに努力してこなかった、その報いだ」

 レトは、遠くのほうの床の上に落ちている『双斬』にちらと目をやった。戦闘中、満足に剣を振るえない瞬間がある。筋力がないせいだ。体力が足りないせいだ。まだ自分の武器ものになっていないのだと、彼は十二分に自覚していた。

 「……俺は母さんの子どもなのに、って。おまえとの差に勝手に絶望して、勝手に嫉妬してたんだ。……ごめん」
 「……」
 「だからおまえはなにも気にするな。悪いのは俺だ」

 普段より一回りも二回りも小さく見える背中に消毒液を垂らし、それから不慣れな手つきで包帯を巻き始めた。キールアに治療してもらったばかりなのにと申し訳ない気持ちになりながら、レトは練習着をふたたび被った。
 ポーチを腰に装着し片手で手拭いを拾いあげると、レトは壁伝いに鍛錬場の大扉に向かった。
 ──なにか言わなきゃ、とロクは口を開いた。けれど声が出なかった。

 『でもちょっと勇気がいるわよね』

 ぎゅっと下唇を噛みしめる。遠のいていく背中にどうしても聞いてほしくて、大きな声を出した。

 「──っ、ちがう!」
 「え?」

 レトは後ろから投げられたその声に反応して、すぐに振り返った。すると、ロクが左目に大粒の涙を浮かべていた。
 驚くとともに、レトは動揺した。縋るような目をしたロクが、まっすぐ彼の顔を見つめながら、繰り返した。

 「ちがうよ、レト」
 「ち……。ちがわねえよ、俺はおまえに」
 「あたしもレトにひどいことたくさん言った……。考えなしとか、弱いって思ってるとか……。……あたしは……レトに助けてもらったのに、なにも言わないでそばにいてくれたのに、なのになんでレトが謝るの? レトだけが謝らないで、あたしが悪くないみたいに言わないで!」
 「……。お、おいロク落ちつ」
 「どうしたらレトの妹になれる」

 ぽろ、っと。薄く開いた唇から、勝手にそうこぼれた。
 レトは口を閉じた。服の袖を強く握りしめているロクは、そうしていないと立っていられなかった。項垂れたまま、床に吐き捨てるように吐露する。
 
 「──血が繋がってないとか、いまさらそんなのわかってるよ。2人の優しさにずっと甘えて、縋って……。なのにあたしは、2人のためにしてきたことがなにもない」
 「……」
 「本当の兄妹だったら……なにもなくてもいっしょにいられるのになって……ばかみたいにいっつも考えてる。ずっといっしょにいてもいい理由を探してる。だってじゃないと、あたしとレトは……なんの繋がりもないから。だから怖くてしょうがないの。いますぐにでも離れていっちゃうんじゃないかって、そればっかり……っ。ねえ、どうしたらあたし、レトと──ほんとの兄妹に、なれるのかな」

 拾われた自分。拾ってくれた女性の本当の子ども。
 レトと自分とを隔てる扉は途方もなく重くて厚い。片方が頑張って押し開けようとしたって、もう片方がいるところへは行けない。片方の力だけでは狭い隙間しかできない。だからその先へ踏み入ることができない。「あけて」と泣いて頼むことしか、ロクにはできなかった。
 レトは、極めて落ち着いた低い声を絞り出し、端的に答えた。

 「本物の兄妹にはなれねえよ」

 重い響きが、ロクの心臓の真ん中のあたりを突く。現実だ。また幼子のように喚いてしまった。"血の繋がり"と冠された扉は、ロク一人の力ではとても開けられなくて、手を離してしまいそうになる。
 
 「けど、本物以上にはなれる」

 レトはそう言い切ってから、数歩、石のように動かなくなっているロクの近くまで歩いた。

 「血をどうこうすることができないんだったら、べつのなにかで勝るしかない。……って、世の中の実の兄妹たちになにを張り合ってんだって感じだけど」
 「……べつの、なにかって……」
 「血の繋がり、以外に、勝れるもんがあるとしたら、絆くらいじゃねえの」
 
 レトは手に持っていた手拭いを腰元の隙間に引っかけると、ズボンの内懐から黒い布織物を取り出した。ロクはそれを見て、はっとする。エアリスはロクにこの黒い髪紐を渡すとき、二つに切り分けたのだと教えてくれた。片方はレトに渡した、とも。
 髪の結び目に合わせて、レトはその髪紐を結んだ。深い黒色の髪紐は、きらきらと美しく輝く金色の髪によく映えた。
 
 「俺たちの母さんは……おなじだ」
 「……」
 「本物とか本物じゃないとか、ほんとは関係ない。おなじくらい大事に想ってて、想われてた。それはまちがいないんだ。ほかのだれかが変えることはできない。だから……」
 「……兄妹、みたいに……なれてるってこと?」

 ロクは弱々しい声でそう訊ねた。新緑の瞳が涙で濡れると、室内の灯かりと反射して煌めいた。レトは答えづらそうに目を逸らしたが、やがて呟くように言った。

 「……まあ、そうだと思う、俺は」
 「……うそじゃない……?」
 「うそじゃねえよ」
 「じゃあ、そばにいてもいい?」
 「いなきゃデスニーを倒せねえ」
 「いっしょに戦ってもいいの……?」
 「ああ」
 「ほ……ほんと?」
 「……。あのなあ、そんな訊くなよ。もう答え」
 「あたし、レトの」
 「……」
 「……」

 口を閉ざしたロクの左側の頬には、涙の跡が残っていた。目尻からもう一滴ひとしずく落ちそうになった、そのとき。
 レトが、服の袖でぐいっと彼女の涙を拭いとった。その拍子にロクは顔をあげた。

 「破天荒で、なにかと手出したがりで、一人で突っ走って。いちいち危なっかしいのに、いつも一人だけへらへら笑ってやがる。でも……目の前にあるものを見捨てたことはただの一度だってない。もしもが起きないようにいつも全力で戦う。俺の義妹だ」
 「……レ、」
 「そうだろ、ロクアンズ・エポール」

 柔らかく笑いかけるとともに、レトが言った。
 すると、ロクはまた、ぽろぽろと涙をこぼした。レトはぎょっとして、すぐさま彼女の顔に腕を伸ばす。ごしごしと目尻を拭ってやりながら、ため息交じりに彼は言った。

 「だいたい、なんでおまえのほうが落ちこんでんだよ……。いや、まあ、俺が言いすぎたせいだろうけどさ……」

 レトは「だから、その」と口ごもった。素直に口にするのが苦手なくせに、何度も謝ろうとしてくれているのが伝わってくる。
 ロクは嬉しくなって、思わず口元を緩ませた。

 「へへ」
 「な、なんだよ。急に笑って」
 「だってうれしいんだもん。よかった。レトが優しくて」
 「は? 優しくはねえだろ」
 「優しいよ。レトはいつも、まちがったって思ったら、まちがったってちゃんと言う」
 「……言うか?」
 「……ちゃんとは、あんまり言わないか。でもなんかそういうの、見えるんだよ。だから大好きなんだっ」

 ロクは満面の笑みをたたえてそう言った。レトは一瞬言葉に詰まって、腰元から手拭いを引き抜くと首にかけた。

 「もう余計なこと、考えるなよ」
 「うん。わかった」
 「それより今日のは本当に俺が悪いから。おまえはなにも気にすんな」
 「わかったってば。もー、マジメだなあ」

 ロクが返すと、突然レトがくるりとロクのほうを振り返った。そして、ぽすっ、と若草色の頭の上に手の重みが乗りかかる。ロクはそのままぐしゃぐしゃと頭を撫で回された。

 「本当にわかってんだろうな」
 「うわっ、わ、わかってるよ! わかってます!」
 「今回おまえは?」
 「わ……わるくない!」
 「……」

 ふっ、とレトがわずかに笑った。

 「ん。わかればよろしい」

 最後にぽんぽんと頭を撫でられると、レトの手が離れた。
 ロクはふと、お兄ちゃんみたいだなと、そんな風に感じた。きっと兄とはこういうもので、妹とは兄に頭を撫でられるものなのだ、なんて。幼すぎる発想だろうか。
 2人は鍛錬場から外の長廊下へと出た。ひんやりとした冷たい空気が肌を撫でる。

 「ねえレト」
 「なんだよ」
 「レト、どうしてあたしまで此花隊に誘ってくれたの?」

 ロクはレトと並んで廊下を歩きがてら訊ねた。レトは言い渋る様子もなく率直に答えた。

 「……母さんを埋葬したとき」
 「え?」
 「あのとき、おまえ……俺とおなじくらいずっと泣いてただろ。なんていうか、世界で一番自分が不幸だって、そういう顔してた。だから俺たちはいっしょなんだって思ったんだ。母さんを想う気持ちがさ。あのときにちゃんと、おまえが……妹になった、っていうか」

 エアリスが亡くなったと聞きつけて、悼んでくれる村の住人は少なからずいた。「可哀想に」と、「お気の毒に」と、嫌というほど聞かされた当時は、正直なところうんざりしていた。いま思い返せば、子ども心に余裕のなかったせいだったのだろうが、それでも墓標の前で「ごめんなさい」と謝り続けた、血の繋がらない義妹の涙が色濃く目に焼きついたのだった。
 
 「でもなんでいまさら」
 「あ、えっと……じつはね、ずっと気になってたんだ。でもなんか訊くに訊けなくて……」
 「なんだよそれ。変なやつ」
 「あはは」
 「おまえと別々になるって発想もなかったしな」

 ──本当に聞きたかったことが聞けてよかったと、ロクはしみじみとそう思った。勇気を出すのは簡単なことではなかった。もしかしたら自分が傷つくような答えが明確な音ととなって返ってくるかもしれない、そう思うと声が出なくなった。
 けれど、相手の気持ちをただ知るだけではだめなのだ。自分の心の声を聞いてもらわなければ、心が通い合うことはない。嬉しい言葉が返ってくることもなかった。ロクはいつもの調子で、「へへ」と無邪気に笑った。

 「じゃあ、いまからでもやっぱ戻してもらう? 班分け!」
 「それはいい」
 「えー! なんでなんで!? 別々になっちゃうよ!」
 「おまえなあ。だいたいおまえが別々でもいいって言ったんだろ」
 「ええ~うそだよ~。ねえレト、すねないでいっしょにいようよぅ~」
 「すねてねえよ」
 
 がっしりと腕を掴み、泣きついてくるロクの手をレトは無理やり引き剥がした。廊下を歩く間中ずっと「ねえねえ」「いっしょにいようよ」と縋りつかれたが、レトは頑として首を縦に振らなかった。
 
 途中、資料室の前で立ち話をしていたセブンとフィラが、廊下を並んで歩く2人の姿を見かけた。声をかけようかとも思ったが、2人がおなじ髪紐を頭に結っていたので、彼らは黙って義兄妹の後ろ姿を見送った。セブンとフィラは互いに笑い合った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.85 )
日時: 2020/05/12 23:07
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第076次元 眠れる至才への最高解Ⅰ 

「あらぁ、いらっしゃい、レトくん。朝早くから珍しいわネ」
「ども」

 集会所の番を担当しているモッカが、カウンターから身を乗り出してひらひらと手を振った。その袖の色は灰色でレトヴェールたち戦闘部班のものとおなじであるが、彼女は戦闘部班の班員ではない。援助部班特有の紅色の腕章が、二の腕のあたりに留められている。
 モッカはカウンター横に貼られているコルクの掲示板に顔を向けた。その拍子に、栗色の巻き髪と赤い耳飾りが揺れる。

「依頼をお探しかしら?」
「ああ、いや。今日はちがうんだ」
「あらそーなの。じゃ、飲み物でも淹れよっか。ちょ~っと待っててネ」

 レトは適当なテーブルについて、脇に抱えていた資料を広げた。しばらくすると、カウンターのほうからコーヒーの香りがふわりと漂ってきた。

「……すいません、仕事でもないのに来て」
「いーのよぅ、べつにっ。ところでどーかしたの? それ……なにか調べモノ?」
「研究部班の、昨年分の報告書。資料室からとってきた」
「ふふ。バレたらまた怒られるわよ~? それで、なんで研究部班?」
「研究部班って次元の力とか、神族に関する研究をしてるところだろ。そういえばどんな研究してるか、具体的に知らないなって思って。にしても大した報告がないけど」
「言うわねぇ~」

 しばらくすると、モッカがコーヒーを木製のトレイに乗せて運んできた。

「はぁい、ドーゾっ」
「……どうも」
「うわぁ、この紙の束、持ってくるのしんどくなかった? 資料室で読んじゃえばよかったのに」
「ここ、なんか居心地がいいっていうか。茶屋みたいで落ち着くから」
「あらそーお? もともとやってたのよぅ、お茶屋さん」
「そうなんすか」

 レトは資料に向けていた視線をあげた。モッカは向かいの椅子に腰をかけながら答えた。

「家族でネ。地元でこじんまりやってたんだケド、毎日来てくれるお客さんとかいて。あの頃は楽しかったわぁ~」
「なんで、やめて此花隊に?」
「姉がここの援助部班の班員だったの。でもトツゼン、次元の力に目覚めちゃって、14年前の戦争で殉職した。アタシそのとき、お姉ちゃんの傍にいてあげたかったなぁってずっと後悔しててね。だから入隊したの。アナタたち次元師の支えになりたくって」
「……」
「ごめんネ。でもめずらしいコトじゃないわ。だからいまは、頑張って戦い続けてるアナタたちに全力で尽くすの」

 実際に、援助部班への編入を志願する者というのは、親しい人間を元魔に殺害されたなどの過去を持つ者が多い。しかしながら次元師ではない人間が大多数であるのも事実である。喉から手が出るほど、その超人的で希望に満ち溢れた力を欲している者もいるだろう。力を持たない自分たちには元魔や神族に対抗する術がない。だからこそ援助部班の班員たちは、世界の希望ともいえる次元師たちを日々サポートしながら、募る想いを密やかに託しているのだ。

「でもアタシ、ホントは手配班ってとこの配属なんだケド、まさかここの受付に配置されるとは~ってカンジなの。レトくんたち、最近は元魔の出現連絡が入ったらすぐ出ちゃうからもうここ寄ってないじゃない? 1人で長いことここにいるって意外とさみしいのよぅ~」
「はあ」

 レトが曖昧に返事をしたそのときだった。耳元に装着していた通信具が振動した。元力を通して伝わってきた意思の持ち主は、コルドだった。

『レト、いまどこにいる?』
「集会所だけど」
『至急、班長室前に集合だ』
「ん。わかった」

 通信具から手を離すと、モッカが感嘆の息をもらした。

「それ、便利よネぇ。離れたところにいる人と会話できちゃうんでしょ?」
「距離に制限があるけどな。それに次元師しか使えない」
「じゃ、この先アタシみたいなふつうの人でも、使えるようになったりするのかしらっ」
「さあな……研究部班の腕次第だと思うけど」

 レトは報告書の束をまとめて脇に抱えた。モッカに別れを告げ、彼は集会所をあとにする。
 勝手に持ち出した報告書を元あった場所に戻すため、レトは資料室に寄ってから、まっすぐ班長室を目指した。

 上着の内袋に両手をつっこみながら歩いていくと、班長室の前にはすでにコルドと、そしてフィラ、ロクの2人も到着していた。

「おはよう、レトくん」
「おっそいよ~! レト!」
「……なんで第二班の2人まで」

 つい先日班の再編成が行われたはずだ。戦闘部班が立ちあがって以来の初の試みとはいえ、班が別々となったいまになって、ロクとおなじタイミングで招集がかかるなんておかしい。
 レトが不思議そうに眉をひそめると、事情を把握しているらしいコルドがさらっと答えた。

「詳しい話は中に入ってからだ」

 班長室の扉をこんこんと二度ほど叩き、コルドは入室した。彼に続いてフィラ、ロク、レトが室内に敷かれた赤い絨毯を順に踏む。
 頭を抱えながら得意ではない雑務に投身していたセブンが、ぱっと顔をあげる。彼は黄土を薄めたような色の瞳を細めると、見慣れた顔ぶれを鷹揚に出迎えた。
 
「やあ。よく来てくれたね」
「セブン班長、連れてまいりました」
「ありがとうコルドくん。さっそくで悪いんだけど……君たち、此花隊の第一支部、研究棟へ見学に行かないかい?」

 机の上で指を組みながらセブンが言う。聞き慣れない言葉に、ロクはこてんと首をひねった。

「研究棟?」
「そう。ここ、本部には研究部班の班員がいないだろう? じつは彼らは専門の施設で研究をしていてね。北方のウーヴァンニーフという街に門を構えている、第一支部というところなんだ」

 セブンは木製の長いテーブルから立ちあがって、本棚にかかっている大きな地図の一部分に指先をあてた。

「君たちは普段、研究部班の人間と接する機会がないし、それに彼らは次元の力の研究をしているからね。いろいろと勉強にもなるだろう」
「わあっ、行きたい行きたい!」
「ロクくんならそう言ってくれると思ってたよ」
「それは構わないんですが……セブン班長、なぜこの4人なのでしょうか? いまとなっては班も別々ですし、片方ずつとかでも……」
「あ~……特に意味はないよ」
「は、はい?」

 フィラが素っ頓狂な声をあげると、その反応を楽しむかのようにセブンが「はは」と高らかに笑った。

「冗談だよ、冗談。フィラ副班はこちらに異動してきて、団体行動の経験があまりないだろう? それに、レトくんとロクくんの2人を研究棟に行かせたことないな~と、ふと思ってね」
「……本当、昔から変わってないですね、そういう適当なところ……。班分けすることになって、この2人がどれほど」
「まあまあフィラ。今回は特例ということで、ね。特例」

 飄々と躱そうとするセブンとは昔からの間柄であるフィラは、これ以上なにを言っても無駄だと早々に判断して口を結んだ。
 そのとき、黙って立っていたコルドがごほん、と咳をした。

「はは。さて。雑談はこの辺にしておこうか」

 セブンの声色が急に低くなる。空気が一変したのを察した一同は、彼の次の言葉を待った。

「見学、というのはあくまで建前上の理由。今回君たちを研究棟に向かわせる、その本当の目的は──"ある実験"の調査だ」
「ある実験の調査……?」

 すでに卓上に並べていた2枚の資料を、セブンは指先でとんとんと示した。4人は長机に近づくと、紙面に注目した。
 ロクは資料の左上に描かれた人物画を見て、左目を細めた。そのいかにも悪そうな人相には見覚えがあった。

「あれっ、この人たち……」
「そう。じつはあの事件があって以来、コルド副班の協力のもと、秘密裏に調査を進めていたんだ。右の資料は、デーボン・ストンハック。バンサ島で人身や贋作などの売買を働いていた商人だ。そして左がオッカー・ドネル。同事件でデーボンの助手を務めていた。覚えているかな」
「もちろんだよ! この悪人面、いま見てもイライラする~……!」
「あはは」
「たしかこの2人って……研究部班が開発した、次元師しか扱えない通信具をなぜか使用していた者たちだって、仰っていましたよね?」

 セブンが首を縦に振ると、代わりにコルドが口を開いた。

「その件に関して進展があったんです。この2人の身元を調査しているうちに……ある事実に辿り着きました」
「ある事実?」
「では、こちらも見てもらおうか」
「……これは……」

 セブンは机の引き出しから、新たに2枚の紙を取り出した。それぞれ、デーボンの資料とオッカーの資料の上に重ねて置く。その2枚の紙の左上に描かれている人物画に見覚えはなかったが、どちらも、白色の隊服のようなものを羽織っていた。

「ファウンダ・ストンハック。そしてこっちが、カイン・ドネル。見てくれればわかると思うが、この2人は此花隊の隊員で、研究部班に所属していた経歴がある。そしてどちらも……14年前のメルドルギース戦争で殉職した──次元師」

 セブンが静かに告げると、コルド以外の3人は驚いて息を呑んだ。

「……この、殉職された2人の次元師隊員と、デーボンら2人が……血縁関係者だったということですか」

 おそるおそる訊ねてきたフィラに対し、セブンは首肯した。


Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.86 )
日時: 2020/03/26 21:59
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第077次元 眠れる至才への最高解Ⅱ

 重ねられた資料をずらし、ロクアンズはその紙面に描かれた人物画を2人ずつ、それぞれ見比べてみる。たしかに目鼻立ちや骨格など、似通った部分は多いようだ。縁者と教えられれば疑う余地はない。

「ストンハックは父、ドネルのほうは叔父だそうだ」
「へえー……」
「ただの偶然にしては、できすぎているような……」

 フィラは困惑したように言った。研究部班が開発したものと思われる通信具を使用していたデーボンとオッカーが、元研究部班の次元師たちと血縁者だったという事実は、そう易々とは受け入れられない。

「ということは、デーボンたちに渡っていた通信具に、そのファウンダ・ストンハックとカイン・ドネルの"元力石"が使われていたっていうことですか?」
「おそらくね」

 通信具の動力源となっている"元力石"というのは、研究部班が開発した、いわば元力の塊だ。次元師の血液から採取した小さな元力粒子の物体化、と表現するのが正しいかもしれない。次元師本人の意思に呼応するという元力の特性を生かし、その呼応能力を通信手段に利用できないかと現研究部班の班長が開発を重ねた結果、通信具という画期的な道具が誕生した。

「でも班長、実験っていうのはどういう意味? デーボンたちに通信具を渡すことが、なにかの実験だったの?」

 ロクは資料から目を離し、目の前にいるセブンになにげなくそう問いかけた。彼は「ふむ」と小さく唸り、また両手の指を組んだ。

「ここから先はあくまで私の推測だ。話半分で聴いてくれて構わない」
「え? う、うん」

 突然語調が鋭くなり、ロクは思わず気圧された。机の上に並べられた4枚の資料に視線を落としながら、セブンは次のように述べた。

「本来は次元師ではないデーボンとオッカーは、しかし次元師と血縁者である。その次元師たちの血液中に含まれていた元力をおなじように扱えるかどうか……それを今回、通信具を使用させることによって試していたのではないかと思っている」
「? なんのために?」
「──次元師の増加。それが、俺と班長の見解だ」

 コルドが言い放ったそれは、まるで夢のような話だ。世界でたった100人しか存在しない次元師がその枠を超える。ロクは驚いて、左目を大きくした。

「次元師を増やす!? そんなのムリだよ! 次元の力はこの世界に100個しかなくて、1人1つ……なんだよ! ね、レトっ!?」
「俺に振るのか。たしかに、1人の次元師が2つの次元の扉を開けた例もないし、1つの扉を……」

 そこまで言ってレトは、はっと口を結んだ。逡巡するように彼が目を伏せると、セブンはそれに構わず口を開いた。

「現時点では、発見されている次元の力はちょうど100種。もしも今後新たな次元の力が発見される可能性があったとしても、それを悠長に待っている暇はない。既存の次元の力を扱える人間を増やすことに着目したほうが、よほど現実的だとは思わないかい? なにより……扉を開ける"鍵"を増やすことに成功した例なら、存在するんだよ」
「え?」
「アディダス・シーホリーの次元継承説か」

 間髪を入れずにレトが回答すると、セブンはすかさず、ぱちんと指を鳴らした。
 
「ご名答」
「次元けいしょ……なに? その難しい感じの」
「カウリアさんが言ってただろ。俺、気になって詳しい話を聞いたことがあんだよ」

 レトは数年前の記憶を呼び起こした。ティーカップに口をつけたセブンの細い瞳が、そのとき鈍く光った。

「200年前、アディダス・シーホリーっていう1人の次元師が、『癒楽ゆらく』の扉の鍵を継承することに成功した」

 アディダスが身籠った子から、力の継承は始まった。
 彼女の子の血を引いた子も、また次に産まれた子も──アディダスの血を受け継いだ人間であればだれでも、血の濃淡に関わらず『癒楽』の扉を開けることを可能としてきた。それは、次元の力を有する人間が命を落としたとき次にもっとも早く生を受けた人間にその力が受け継がれるという不可思議な構造の輪から逸脱した、いわば革新だった。
 カウリアも例外ではなかった。ロクは幼い頃、『癒楽』の力を使うカウリアに体調を診てもらったことがある。それは彼女がアディダスの子孫にあたることの証明でもあったのだ。
 そうして200年もの間、次元の力『癒楽』は継承され続けている。しかしアディダスは、次元の力の継承について一切の情報を残さずしてこの世を発った。

「歴史上でいうと、次元の力の継承に成功したのは、そのアディダスただ1人だ」
「ええっ? それって……すごくない!?」
「すごいなんて域を超えてる。だから研究者たちは、アディダスがなにか文献を遺してないか、躍起になって探してんだよ。……まあ、いまのところなにも見つかってないけどな。もし『癒楽』以外にも次元の力の継承を成功させられたら……次元師は、とんでもない数になる」
「そうだね。それに、研究者として多大な功績を得ることにもなる」

 セブンがそう付け足すと、こくりとレトは頷いた。ロクは緑色の左目をぱちくりさせて腕を組んだ。

「な、なるほど……。え、じゃあ、通信具を使ってた2人は、継承に成功する可能性があるってことか! ひえ~~……」
「可能性としては、ね。少なくとも通信具の使用は可能だった」
「すっごーい! もしほんとにその実験が成功して次元師が増えたら、もともと次元師のあたしたちも助かるし、神族を全員倒すのだって、遠くない未来になりそう!」
「ただし」

 興奮のあまり身振り手振りを大きくしていたロクだったが、斬り捨てるようなセブンの一言でびくっと肩を震わせた。彼は表情を険しくして、続けた。

「デーボンらと関わりを持っていたのは事実だ。事件当時は単なる情報漏洩として処理されてしまったが……研究部班の一部の班員たちが、意図的に研究物を横流ししていたとなれば、話は変わってくる。たとえ本当に偉大な大実験が行われていたとしても、その一点は見逃されていいものではない」
「汚名も晴らさないとなりませんしね」

 デーボンらの手に研究部班の通信具が渡っていたということが政府陣の耳に届いたとき、わざわざ呼び出されて、セブンは直接注意を受けた。そのときのことを思い出すと胸のあたりがむかむかとしてくる。
 セブンは肩を竦めながら、冷たくなりつつあるティーカップの取っ手に指を伸ばした。

「まったくだよ。そもそも私の管轄は戦闘部班だっていうのに……」
「んじゃあとりあえず、デーボンたちと関わってたっぽい人たちを探してくればいいんだよね!」
「そういうことだ。私の汚名返上のためにもひとつ、よろしく頼むよ」
「らじゃ~! レト、ちゃっちゃと準備しに行こ!」
「ああ」
「あ、レトくんちょっと」

 セブンはレトに向かってちょいちょいと手招きをした。呼び止められたレトはぴたと足を止めて、振り返った。

「じつは君とコルドくんの第一班には、もうひとつ、別の仕事を頼まれてほしいんだ」
「……? なんだよ、別の仕事って」

 不思議そうな顔をしてレトが言うと、セブンは「えーと」と呟きながら机の上で山積みになっている本や資料を漁りはじめた。その様子を見ていたコルドとフィラは、普段からきちんと片付けをすればいいのに、と心の中で呟いた。セブンは身の回りの整理整頓がどうにも苦手な男なのであった。
 目当てのものが見つけられなかったのか、セブンはくしゃくしゃと黄土色の髪を掻くと、「はは」と苦笑をこぼしながらレトのほうに向き直った。

「ついこの間、ウーヴァンニーフにある"大書物館"から一冊の書物が盗まれた、と館の主から依頼を受けてね。その本を探してほしいんだ」
「へっ? だいしょもつ……かん? ってなにそれ」
「なんでそれを俺たちが」

 新しい情報が持ち出されると、ロク、レト、フィラの3人は困惑の色を示した。しかしセブンは、あくまで地続きの話であることを明らかにした。

「その本はね、古語で書かれていたものだったらしいんだよ」
「! 古語……」
「現代の我々にその本を読み解くことは不可能だ。だが、古語ということは……200年前にアディダスが書き残した資料、かもしれないよね」
「……研究部班の班員が、その書物を盗み出した可能性がある、ってことか?」
「もしかしたら、ね。目星をつけているにすぎない。それに君なら、もし見つかったときに内容が読めるだろう。だから君に頼みたいんだ」
「え、じゃあレトたちはその本を探して、あたしとフィラさんは……ってあれ? ……別行動?」

 ロクが頭上に疑問符を浮かべて首を傾げる。にやり、と口角をあげ、セブンは二の句を告いだ。

「言っただろう、特例だって。今回の任務は二手に分かれて調査をしてくれ。コルド副班率いる第一班は盗まれた書物の在処を。フィラ副班率いる第二班は実験の関係者を洗い出せ。情報はこまめに共有することを徹底してくれ。……これは戦闘部班班長、セブン・ルーカーから君たちへ下す、直々の依頼だ」
 
 第一班のコルドとレト、第二班のフィラとロクはそれぞれ承知の声をあげた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.87 )
日時: 2023/03/24 19:06
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第078次元 眠れる至才への最高解Ⅲ

 ウーヴァンニーフはメルギース国の最北西に位置しているため、長旅になることが予想される。今回の任務に赴く4人は各々、準備のために一旦解散した。
 身支度が整い次第、門の前で落ち合うことになっている。準備にあまり時間をかけないロクアンズが一番乗りだった。外門に寄りかかり暇つぶしに砂利を蹴っていると、門の石造の柱から、コルドの黒髪が覗いた。
 
「お。相変わらず早いな、ロク。準備に抜かりはないか?」
「大丈夫大丈夫! なんか準備するものってそんなに思いつかなくってさ。みんないつも、なにを持ってってるの?」
「そうだな。俺は携帯食料、水筒、地図、簡単な薬品類。あと多少の路銀か。まあふつうだよ」
「レトもそんな感じだった気がする~っ」
「あとそれらの予備分も入ってる」
「よ、予備!? えっいま言った全部? それは……多いね、コルド副班……」
「準備は入念に行うべきだ」

 ほかはともかく地図の予備まで持ち歩くのか、とロクは少々引きながらも適当に相槌を返した。コルドにはまちがっても、携帯食料を多めに持ち歩いてますなどとは口にできないなと、さっと足元に視線を戻した。
 砂利を見つめていると、ふとロクは半刻ほど前の班長室でのことを思い出した。

「ねえコルド副班、セブン班長さ、ちょっとだけ怖いときない? あっ、もちろんいつもはすっごく優しいんだけど、でも……うぅーん、なんていうか」

 話半分で聴いてくれ、と切りだしてからのセブンは、いつもとはどこか雰囲気が異なっていた。だれが相手であっても物怖じすることのないロクが彼を目の前にして自然と背筋が伸びてしまったのも、単なる気のせいではない。
 コルドは答えた。

「あの方は聡明なんだよ。なにより、あらゆることを同時進行で考えている。自信、というのかな。先々のことを見据える力も、起こりうる事態の予測数も、きっと俺なんかでは遠く及ばない。だからこそ今回の任務のように、内部で行われていることにすこしでも事件性を感じると、人一倍危機感を覚えるのではないかと俺は思う」
「……。へ、へえ……」
「ああ、悪い悪い。すこし小難しい言い方をしたな。つまりなんというか、班長はとても頭のいい人だから、楽観的ではいられないときもあるってことだ。それに、すこし前まで隊長補佐であられたお方だからな。無意識のうちに、戦闘部班以外の部署にも目を光らせてしまうんだろう。……あ、っと、それは知ってたか? ロク」
「ああ、うん。フィラさんからちょっとだけ」

 ベルク村からローノの町に戻ってきたときに、たしかそんな話を聞いた。あのときは、セブンとフィラが知り合いであったことに驚くばかりですっかり頭からは抜け落ちていたが、そもそもロクは隊長補佐という役職に聞き覚えがなかった。

「でも隊長補佐ってなにする人なの? いまはそういう人いないよね?」
「隊長補佐は、文字通り隊長のお付き役で、隊長とともに国中を回るのが主な仕事だと班長が仰っていたな。行く先々での面会の段取りとか、宿屋の手配とか馬の用意とか、とにかく隊長のサポートをしていたとか」

 セブンが戦闘部班を立ち上げて以来、隊長補佐という役職は空席のままだ。彼は此花隊に入隊してまもなく隊長補佐に配属となったが、隊長のラッドウールは後にも先にも、セブン以外の人間を自分の隣に控えさせたことはなかった。セブンいわく、「幼いときから息子同然に面倒を見てきたから、単純に使いっ走りとして便利だったんだろう」とのことだった。
 コルドは左手の指を三本立てると、自慢げに言った。

「隊長補佐は、じつは此花隊の中で3番目に偉い役職なんだぞ」
「え! 3番目!? すごいっ、セブン班長!」
「だよな。だけど班長は、そのすごい役職をいとも簡単に投げ捨てて、次元師の組織化という、政会の人間たちに白い目で見られるような計画を成し遂げた。初めこそ俺も、班長のことを変わったお人だと思っていたし、なにか企みがあるんじゃないかと警戒もしていた。だが……『次元師に居場所をつくるためだ』と言われたとき、俺は図らずも、心が救われてしまったんだ」
「救われた、って?」

 ふいに視線を外し、コルドはべつの方向を見つめた。彼がうなじを向けてきたのでロクは不思議がって、彼の視線の先を追ってみた。そこには荷馬車に不具合がないかと調べている、援助部班の班員の姿があった。

「戦闘部班に入る前、俺は援助部班の警備班にいたんだ。ローノの支部にもいただろう? 町や村で事件が起こったときには対処するし、俺は次元師だから、元魔が出没したら討伐に向かう。だけど次元師っていうだけで、同僚からは一線を引かれていた。『なんの努力もしないで力を持ってる』『どうせ普通の人間を下に見てる』って……いま思い出しても、散々な言われようだったな。だから俺は、次元師として役目は果たすが、警備班として、一隊員として、周りの人間と打ち解けようとはしていなかった。打ち解けたいと思えなかった。どうせ相容れないと……どこかで冷めていたんだろうな」

 次元の力を持たない人間たちの、次元師に対する態度は主に、二分される。「次元師様」と英雄視をしてくるか、「次元師だからって」と、妬みによる嫌味の目を向けてくるか。
 コルドが警備班に所属していた頃は、後者側の人間が多くいた。というのも、警備班は腕に自信のある男たちが志願する部署だからだ。いくら日々鍛錬を積んで強靭な腕力を得ようとも、普通の人間の力が次元師を上回ることはない。妬まれ、蔑まれ、ときにはくだらない苛めにも遭った。
 隊長補佐だったセブン・ルーカーから「次元師の組織を立ち上げるのでついてきてくれ」と持ちかけられたとき、コルドは二つ返事で承諾した。が、それは快諾ではなかった。

「班長は次元師じゃない。次元師の気持ちがわかるはずもない人にそう言われたところで心は動かなかった。それに俺なんかより遥かに上の立場にいた人だ。いいように使われるだけだと、そう思ったよ。けど俺はあのとき……嘘でも綺麗事でも、なんでもいいから、あの場所から逃がしてくれる言葉がほしかったんだ。だから班長についていった。意外だろ」

 にっと白い歯を見せてコルドが笑うので、ロクは思わず、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「そ、そう……だったんだ。うん、意外……」
「いま思えば、戦闘部班を立ち上げたのはフィラ副班のことがきっかけだったんだよな。それでもべつに構わないが。結果的に俺は本当の意味で救われたし、班長は……」

 コルドは言いかけて、一度口を閉じた。そのとき、凛とした顔から笑みが消えた。彼は、落ち着き払った口調で独りごちた。

「班長は、とても聡明なお方だ。だが戦闘部班を立ち上げてから、あの方は苦しい立場にいらっしゃる」
「……」

 通信具のようなものがデーボンたちの手に渡り、情報漏洩ではないかと上から注意を促されたのも、セブンだった。本来なら研究部班の落ち度ではないかと疑うところだが、通信具を所有しているのは研究部班だけではない。戦闘部班もおなじなのだ。研究部班の班長の代わりに副班長が同席していたが、あろうことか責任を問われたのはセブンのほうだ。勘違いも甚だしいが、政会にとっては真偽などどうでもよいのだろう。ただ、傘下にある此花隊の内部で造られているものに関して、情報漏洩や横流しが行われていたとあれば黙ってはいられないのだ。それに、国をあげて次元師の組織化を禁じているにも関わらず、セブンという男は巧みにも、次元師のみで構成される組織を立ち上げてしまった。それが面白くなかったのも、ないとは言い切れない。
 セブンは不必要に呼び出され、むりやり頭を下げさせられたといっても過言ではなかった。

 此花隊、もといこの次元研究所が政会から金銭的支援を受けるようになったのはそれこそ、100年以上も昔の話になる。王政が廃止となり、一部の人間たちによって新たに創立された"オークス政会"が、次元の力の解明をしようと集まった研究者たちに手を貸そうとしたのがきっかけだった。次元の力や神族の解明が進み、やがて神族を打ち滅ぼすことができれば、メルギース国はふたたび王を迎えることができる──。この国の民は例にもれず、心の内で密かに願っているのだ。政会の人間たちも、神族を滅ぼすために尽力を惜しまない心づもりでいる。
 が、政会は、純粋に王の再誕を待ち焦がれているのではない。もしもこの国の王を決める機会が訪れたら、国の代表として地位を確立しつつある政会の人間が王位に就けるやもしれない。そう目論んでいるであろうことは火を見るよりも明らかだった。
 利害の一致によって、次元研究所の研究者たちは政会と手を組んだ。

 金銭的支援を受けているということもあり、此花隊は政会に対して強くは出られない。ましてセブンは次元師のためにと懸命に画策し、結果的に政会から睨まれるようになってしまった。
 にも拘らず、日々喰らう苦労をおくびにも出さず、己の目的を成し遂げてしまうセブンの強さに、コルドはだんだんと惹かれるようになっていったのだ。

 言い切ってから、コルドはふっと頬を緩めた。見上げると空は青々として美しく、どこまでも高かった。

「だから俺は、あの人が望むなら喜んでその手足となって働くし、常に最善を尽くしたい。俺はそれほど柔軟ではないから、この次元の力であの人の役に立てるのなら、いくらでも身体を張る所存だ」
「すごいねっ! 最初は変な人だって思ってたのに、いまでは大好きなんだ」
「尊敬、という言葉のほうが近いだろうな」

 好意、というだけではどうも軽薄だ。それにセブンという男を1人の人間として慕っているかと訊かれるとちがう気がした。よく居眠りはするし、自分の身の回りの片付けもまともにできない。どちらかというと、誠実で真面目な自分とは正反対で、苦手な人間に分類される。
 しかし、その圧倒的な存在感に目がくらむ。跳んでくる野次も、囁かれる陰口も、外部からの攻撃をものともしない究極の頑固さに心が痺れる。悔しいくらいに格好いいのだ。好意を遥かに通り越した、尊敬だった。
 ちょうどそのとき。準備を終えたらしいフィラとレトヴェールが、門の前に到着した。

「わ、すみませんコルド副班、お待たせしてしまって。それにロクちゃんも」

 2人は来る途中で合流したのだろう。フィラが申し訳なさそうに頭を下げると、コルドは穏やかに笑った。

「とんでもないです。それに女性を待つのは男の本分ですよ」
「へっ、そ、それは……面目ないです」
「はは。なんですか、面目ないって」
「だってそんなこと言われ慣れてないですから……」
「……レト、女性だって」
「俺のことではないだろ」

 援助部班の班員が早くから荷馬車を控えていてくれたので、コルドを筆頭に4人は荷馬車に乗りこみ、本部を発った。
 コルド一行は立ち寄った町々の宿に泊まり、夜が明けたら荷馬車を走らせた。そうして十五日ほど経てようやく、目的地であるウーヴァンニーフに辿り着いた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.88 )
日時: 2020/04/26 21:49
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第079次元 眠れる至才への最高解Ⅳ

 エポール王朝時代に爵位を賜った伯爵家の現当主がウーヴァンニーフ領の領主を務めている。ドルギース王国との国境付近に位置しているのが災いして、14年前の戦時中に次元師からの攻撃を受け、停戦以降は復興作業に投身したとの話だ。コルドもフィラも実際にウーヴァンニーフに赴いたことがなかったため、今回が初の訪問となる。
 細やかな銀の彫刻台を抜けると、異様な街並みが目に飛びこんできた。

 等間隔に立ち並ぶ家屋はみな、外観、構造、規模がほとんど統一されている。財に余裕のある家庭は二階、三階と増築しているが、そうではない一般の町民の屋根は軒並み低い。商店や宿屋も、一見すると町民の家屋と見間違えてしまう。ただ各商店や宿屋は、町の中心に集められているようだった。建物の壁から伸びている棒状の金具にぶら下がった小さな旗を注視してみると、その店の象徴となる絵や文字が旗に描かれていた。
 東西南北問わず均等な幅で設けられた街道も、さまざまな色の敷石によって規則的かつ鮮やかに彩られている。この街の領主はよほどの変わり者なのだろう。
 ロクアンズは前方に見える景色と来た道を交互に振り返った。

「な、なんか似たような景色ばっかで、迷子になりそう~! あれっ、このへんさっきも通ったよね!?」
「通ってないぞ。まあ無理もないか。こんなにきっちりとすべての建物が並んでいるとはな……まるで盤上の駒だ」
「これぜんぶ、ここの領主さんが建てたんですかね……」
「設計はそうみたいですよ。資産も相当お持ちのお方ですし、政会からも援助金が出たそうです。このあたりは戦争の被害を受けて、ほぼ壊滅状態だったらしいので」
「14年でこんなことができるのか」
「元々、ここの領主のツォーケン家は炭鉱業や土地開発に尽力したとかで、伯爵位を授かったんだ。土地や建築のことに関してはこの国随一の一家だろう」

 コルドが詰まることなく受け答えすると、きょろきょろしていたロクが不思議そうに訊ねた。

「詳しいんだねっ、コルド副班」
「俺だって、遠征前は調べ物をしていくさ」

 商店が立ち並ぶ街道を抜けて、ふたたび町民の住宅が見え始めると、コルドはおもむろに立ち止まった。

「大書物館はこっちの方向だから、ここで一旦お別れだな。ロク、くれぐれも大騒ぎするなよ。フィラ副班の言うことに従うように」
「わかってるよ~」
「なんだか親子みたいね」
「頑固オヤジ!」
「なんとでも言え。それじゃあフィラ副班、頼みます。我々もしばらくしたらそちらと合流します」
「はい」 

 第一班は道を逸れて、大書物館のある方角へと進路を変更した。
 第二班は先に研究棟へと向かう。街道をどんどん辿っていくと、住宅区域も終わりが近づいてきた。すると、街道に用いられていた色とりどりの石が惜しみなく敷かれた広い空間に出た。此花隊第一支部、研究棟の輪郭も露になる。

 本部の構造と同様、正面は吹き抜けの廊下になっていて、左右にそれぞれ大きな建物が一棟ずつ聳えている。特段、派手な装飾を施しているわけでもない堅苦しい外観が、じつに研究者たちの仕事場兼住処らしかった。
 正面の廊下の中央には階段が三段ほど構えられている。階段の脇には警備班と思われる男が2人、そして階段の上には長身の人物が1人立っていた。
 長身の人物は平らな肩をくるりと回してこちらを向いた。鼠色の髪は極端に短く切られていて、長さでいったらコルドとほぼ遜色ない。鼻筋も通っていたので、一見すると男のようだった。
 胸元が丸みを帯びていることにロクが気づく頃には、フィラが彼女に声をかけていた。

「あの……」
「よく来てくれたね! 話は聞いているよ! お初にお目にかかる、次元師殿。私は研究部班開発班の副班長、ケイシィ・テクトカータ。班長が不在のため、いまは私がこの部班全体を預かっている。困ったことがあればなんでも相談してくれたまえ!」

 きつく吊りあがった猫目がぎらぎらと光る。張りのある声とハキハキとした口調が特徴的なこの女性は、ケイシィと名乗った。さすが研究部班という部署でその黒い隊服に袖を通しているだけのことはある。自信に溢れているのがひしひしと伝わってきた。
 もとは次元の力を解明せんと研究者たちが集まり、結成されたのがこの次元研究所だ。現在でこそ組織名を『此花隊』に変更し、研究には関与しないが支援をしたいと名乗り出る一般の市民や、次元師当人たちも数多く所属するようになってきたが、原点は研究者たちの意志にある。この組織の創成期に携わった研究者たちの志を受け継いでいるのだという誇りがあるのだろう。
 思いがけない迫力に内心どぎまぎしながらも、フィラはなんとか体裁を整えた。

「初めまして。戦闘部班第二班副班長、フィラ・クリストンです。この度はお招きいただきありがとうございます。この子は班員の……」
「ロクアンズ・エポールだよ! よろしくね!」
「お。君が噂のロクアンズか! 破天荒で小さな次元師が各所で大暴れしていると、研究棟の内部では時折話題の種になってもらっているよ。まあ私としては、旧王室エポール家の血を引いているという事実のほうがじつに興味深いけれどね」

 すらりとした曲線を描く顎に手をあて、ケイシィはロクの顔を覗きこんだ。ロクはぱたぱたと両手を振って弁解する。

「あっ、えっとあたし、エポールの人の血は引いてないんだよね。あはは」
「おや? そうだったのかい? たしかに髪も、目も、輝くような金ではないからね。それは残念」
「でもねでもねっ、あたしの義理のお兄ちゃんはちゃんとしたエポールの人の末裔なんだよ!」
「義理のお兄ちゃん?」

 ロクが満面の笑みで自慢げにそう教えると、ケイシィは額に手をかざしてあたりを見渡した。

「そういえば小さいのが2人来る、と聞いていたんだが……」
「ああ、えっと。のちほど来ます。いまは大書物館のほうの見学に……」
「あそこはいいぞ! 国中の頭が活字となり、我々に問いかけているのだ。しかし記録媒体が紙のみに留まっているのはやはり惜しいな。頭脳明晰、知識と経験に富んだ人材はしかし必ずしも財に余裕のある身分とは限らない。……ふむ。今後の研究課題として手を広げる価値は十二分にあるだろう」
「は、はあ……」
「それでは行こうか! 手始めに、制作班の研究室から案内しよう」

 フィラが額に汗を滲ませ、曖昧な返事をしているうちにケイシィは足早に廊下を突き進んだ。走っているのではないかとフィラとロクは一瞬目を疑った。ぽけっとしていたら見失ってしまう。そう直感した2人は、いつもよりも歩幅を広くして、彼女の背中を追いかけた。

「なんだか独特な人ね」
「そ? たしかに足は速いけど」
「私たち、完全に置いていかれてるわ……」

 初めにケイシィに案内されたのは、研究部班を構成している三つの班のうちの一つ、"制作班"の研究室だった。中央の廊下の両脇に聳える二対の棟のうち、南側に位置している建物へと足を踏み入れる。
 制作班の仕事は主に、各班の隊服をデザインし、制作することだ。とくに戦闘部班や援助部班は外で行動するので、頻繁に服が破れたり汚れたりする。再縫合や、また新しく作り直すといった作業を現在では担当している。そのほかにも隊内で日常的に使用する布織物類の制作も行う。

「わ~っ! こんにちはー!」

 入室して早々、ロクは元気よく声をあげて挨拶した。白い隊服を着た数名の班員たちがみな一様にびくりと肩を震わせて、控えめに礼を返した。

「ロクちゃんっ、みなさんお仕事中なのよ?」
「あっそっか! ごめんごめんっ」

 ロクは慌てて、両手を口元に持っていった。くれぐれも騒ぐなと釘を差されていたのだが、目に映るものが珍しいのだから仕方ない。ロクは開き直った様子で、視線をあっちへこっちへやった。

「ねえねえフィラ副班、研究部班の班員さんって隊服白だったんだ。医療部班といっしょ?」
「そうそう。私もちょっと前までは白いのを着てたわ。研究部班と医療部班の班員が白、援助部班と戦闘部班の班員が灰色って決まってるのよ」
「へえ~、ちゃんと決まってたんだ。あたし、そのへんあんまりわかってなかったなあ……。好きな色着てるわけじゃないんだ。あ、でもたしかに入隊したとき、勝手にこれが支給された気がする……」
「あはは。好きな色って、ロクちゃん」
「ところでさ、フィラ副班っ! ここ、布とかいっぱいあるね~!」

 部屋の壁際に所狭しと並んでいる木棚の中には、それこそ様々な色の生地や糸、綿、皮などの資材がびっしりと収納されていた。

「君が着ているその隊服はここの班員たちが作ったのさ。戦闘部班は元魔という怪物と日々戦うわけだからね。破りにくい素材を選んだり、防寒性に優れた加工を施すなどしているのだよ」
「へえ~! そんなことできちゃうんだ! すっごーい!」
「フフン。そうだろうそうだろう」
「うん! ……んん?」

 ロクが遠くを見やると、部屋の奥のほうに折り重なってできた布の山がもぞもぞと動きだした。すると山頂部分が弾け、中からまんまるの頭が飛び出してきた。まんまる頭の男は両手でなにかの素材を掴み、天井に向かって掲げていた。

「ぷはっ! は~! やっと、やっと見つかりましたです! ギュンオの皮~! やったやった~!」
「ひ、人が出てきたあ!?」
「む?」

 ロクがびっくりして身を縮こませると、男が彼女の声に反応した。石粒ほどの小さな目をぎゅっと細めて凝らしたのち、「やや!」と声を張りあげ、急いでロクのもとに駆け寄る。

「あなた様はもしかして、次元師様では! ということはということは、レトヴェール様はお越しにっ!?」
「へ? れ……レト? レトなら、あとで来るけど……」

 ロクはどぎまぎしながら、ちらりとフィラの顔を窺った。フィラもなにがなんだか、と言いたげに肩を竦める。
 顔が丸いだけでなく、男は背丈も随分と低かった。目線の高さが自分と大して変わらないので、ロクは物珍しさからまじまじと観察してしまった。男は丸まった肩を大袈裟に落として言った。

「……左様でございますですか……お頼みいただいたものがもうじき完成するので、ぜひ拝見していただきたかったのですが……とほほ」
「頼まれてたもの? レトに?」
「はいです。つい先日、レトヴェール様から隊服の再調整と、鞘の作成を依頼されましたものですから」

 木棚の付近に立っているラックには隊服の上衣が一着だけ引っかかっていた。男は言いながら、ラックから上衣を取り外した。



 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.89 )
日時: 2020/06/23 21:23
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第080次元 眠れる至才への最高解Ⅴ
 
 丸顔に背丈も低いその珍妙な見た目の男は、手近なところにあったテーブルの上に隊服を広げた。ロクアンズはその隊服を食い入るように見る。
 ロクが着ているものよりも丈が短い。彼女の隊服は入隊してすぐ支給されたもので、もものあたりまで裾が作ってある。ガネストやルイルが着用しているのもまったくおなじ代物だ。しかしレトヴェールが依頼したというこの隊服は、腰よりも上のあたりで断裁してあった。
 それに加えて、男は隊服の隣に、革で拵えた2本の鞘を並べた。

(! ……鞘?)

 わざわざ鞘のみを作らせたのは、発動した『双斬』をそのまま収納できるようにするためだろう。戦闘中に身動きがとりやすくなるのは確実だ。
 ロクは驚きと感心の混ざったような曖昧な息をもらした。

「これ、レトが……」
「ええ! 次元師様から直々に賜ったご依頼ですから、わたくしも気合が入ってしまって、いやはや、雑になっていないか何度も、それはもう何度も丁寧に見直しておりますでして……」
「……」

 つい先日、ということはあまり日は経っていない。もしかしてあの日──本部の鍛錬場で一戦交えた後に依頼したものだとしたら、随分と行動が早い。ロクはこくり、と生唾を飲みこんだ。

「うわー、焦るなあ」
「ホム、挨拶はしなくてよいのかな?」
「やや! これはこれは、申し遅れましたです。わたくし、研究部班制作班の副班長を務めております、ホム・サンパンと申しますです。以後お見知りおきを、何卒、何卒……」

 ホムは小さな体躯をさらに丸めて、過剰なほど腰を低くした。決して馬鹿にするわけではないのだが、班の責任者としての位置を任されているにしては、少々威厳さに欠ける風貌だ。しかし、彼は身体も気迫も小さいながらたしかに黒の隊服の着用を許されている。レトに頼まれたという隊服や鞘を制作するのにもさほど時間をかけなかった点を鑑みると、分不相応ではなさそうだ。
 ロクとフィラもいつも通りの調子で挨拶を返す。それを見届けてから、ケイシィは「さて」と踵を返した。

「時間も限りあるのでね、次の研究室を案内しよう! それではホム副班長、引き続き頼む」
「は、はいです! ケイシィ副班長!」
「ついてきたまえ」

 黒色の上衣を大仰に翻し、ケイシィは靴音も高らかに歩きだした。ロクとフィラはふたたびその後についていく。

 次に案内されたのは調査班の研究室だった。室内には、数多の紙束を詰めこんだ吹き抜けの棚と長机が交互かつ等間隔に設置されている。長机の上や床、至るところに報告書の束や地図といった資料が散乱しているが、物音はまったくしない。
 調査班の班員たちは、ほとんどこの研究棟を留守にしている。彼らの仕事は国内外問わず各所を渡り歩き、次元の力や神族の情報をその足で集めてくることにほかならない。長い遠征から帰ってきた者でも十日と経たずに次の旅に出るため、研究班の班員は、家族を持たない独り身の者が多い。
 ケイシィは惨状に呆れつつ、口早に説明した。

「現在調査班は、副班長を除き、全班員が出払っている状態でね。班員との顔合わせはまたの機会にしていただきたい」
「あ、はい。それにしても……」
「部屋の中、ごっちゃごちゃだね!」
「……誠に恥ずかしい限りだよ。常日頃より、整理整頓も仕事の一つだと口酸っぱく指導しているのだが……なにしろ、自由奔放な気質を持った人間が多いものでね。お見苦しいものを見せた」
「いいえ、そんな」

 資料が乱雑に散らばっている机に近づくと、ケイシィは目についたものから順に片付け始めた。

「なんか手伝おっか?」
「いいや。資料によって収納する場所も決めているだろうし、君の手を借りるまでもない。すこしばかり綺麗な状態に整えるだけだ」
「次に帰ってこられた方が片付けてくださるといいですね」
「そうだな。しかしこの部屋を片付けようなどという思考に至る変わり者が、彼以外にいるとは思えないが」

 独り言のように控えめな声でケイシィが呟く。なんとなく気になったロクは、「彼って?」と彼女の言葉を拾った。ケイシィは一度手の動きを止めたが、つとめて明るく返答した。

「14年前までは比較的、正常な状態が保たれていたのだ。至極几帳面な男が、この調査班に在籍していたのが理由だろう。一端の班員だったが、入隊当時から大層頭がキレることで将来を有望視されていた。そやつは整理整頓に煩いだけに留まらず、やはり、少々思考の読めない奴だった。聞いて驚いてくれるなよ。神族を信仰していたのだ」

 神族、と聞いてロクは耳を傾けた。ケイシィは束ねた紙束の底を、とんとんと机の上で整える。

「し、神族を……信仰、ですか?」

 フィラが信じられないといったように返すと、至って冷静な態度のままケイシィは続けた。

「ああ。こちらが訝しげな態度をとると以降は、そのような発言はしなくなったが。なんという名の神族だったか……。まあともかく、ある一体の神族に対し、深い信仰心を抱いていた」
「……へえ……」

 日々、元魔によって日常を脅かされている者たちの中に、まさか神族を信仰している者がいるとは。興味深く聞き入っていたロクだったが、さきほどの"14年前までは"という言葉に彼女は引っかかりを覚えた。

「14年前までは、ってことは、いまはその人いないの?」
「……その男は、メルドルギース戦争終息後まもなく遠征に出て以降、一度も帰還していない」
「え……」
「行方不明になってしまったんですか?」
「そういうことだ。無論、この世界のどこかで元気にしているのであれば、それ以上望むことはない」

 行方不明の班員──ロクもフィラも固唾を飲んだ。ロクは、フィラの隊服の袖をくいくいと引っ張った。2人は声を潜める。

「……なあんか気になるね、その男の人」
「そうね。14年前から実験が行われていたかどうかはわからないけど、突然いなくなったっていうのが怪しいわ」
「うんうん」
「なにをしているんだい? 次の研究室を案内するよ」
「ああ、いえ! すみません、いま行きます」

 調査班の研究室をあとにし、一本の廊下の奥へと突き進んでいく。突き当たりにも大きな扉が備えつけられていた。扉より左側の壁に硝子製の窓がついていたのでロクはそちらに視線を引かれた。ところがそのとき、彼女の視界に信じられないものが映った。ロクは大袈裟に左目を見開くとすぐさま走りだし、窓にべたっと張りついた。ケイシィが扉の前で立ち止まる。

「えっ、え!? なんで元魔がここにいるの!?」

 ロクが声をあげたので、フィラも驚いて小走りになる。見ると、窓の奥にはたしかに元魔と思しき黒い物体が蠢いていた。丸いだけの胴体から細い四肢が伸びている。身体の釣り合いがとれていない個体だ。
 四肢にはそれぞれ鉄枷が装着されている。鉄枷から伸びている鎖は、床に備えつけられている金具とも繋がっているようだ。

「本当ね……。でもどうして」
「ここには捕縛したさまざまな形状の元魔を収監し、研究対象としている。当然、危険性が高まってくれば次元師殿に足労いただき、処分の運びとなるけれどね。おっと、本能が疼くであろうが討伐は勘弁してくれたまえよ」
「う、うん」
「すまないが君たち次元師を見ると興奮するやもわからない。最後に、我々開発班の研究室をご覧いただこう」

 ロクは窓に張りつけていた手のひらを離した。すると、収監室を正面に据えているロクの右の頬を、そよ風がふいに撫ぜた。



Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.90 )
日時: 2020/07/19 15:28
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 7Q5WEjlr)

 
 第081次元 眠れる至才への最高解Ⅵ

 どうやら、一方通行しかできない廊下ではなかったらしい。風が舞いこんできた方を見やると、そこから外に出られることがわかった。

「わあ……!」

 吹き抜けの廊下が北棟と繋がっている。ロクアンズが首を左側に向けると、研究棟からすこし離れたところに宿泊棟が見えた。周囲は森に囲まれていて、温かい日差しが大きな池の水面に降り注いでいる。
 ふわり、と廊下を吹き抜けようとする木の葉を目で追うと、今度は右側に顔が向く。廊下と棟の四辺に囲まれてできた空間は中庭となっているようで、こちらにも豊かな植物が広がり、舗装された道の上には木製の長椅子が点々としていた。
 ロクが中庭に行こうとしたときだった。彼女はその場でうっかりと足を踏み外し、素っ頓狂な声をあげた。

「おわっ!」
「え! ロクちゃん?」

 フィラがさっと振り向くと、中庭ではなく裏庭側の茂みにロクが落っこちていた。ロクはぶつけた頭を擦りながら勢いよく起きあがった。

「いっ……たあ! ……ん?」

 ロクは左手に違和感を感じて、ぱっと手をあげた。小さくて赤い硝子玉──が、砕けて、断面が角張っているものだ。青い空に浮かぶ雲のように、赤い硝子の中に透明なもやが滲んでいる。彼女はそれを拾いあげた。

「なにこれ?」

 どこにでもありそうな小石とは明らかにちがう。宝石のようにも見えた。だれかの落とし物かな、なんて思いながら指先でいじっていると、頭上からフィラの手が伸びてきた。

「ほら、つかまってロクちゃん」
「あ、うん。ありがとうフィラ副班っ」

 ロクは咄嗟に、その割れた硝子玉をコートのポケットに突っこんだ。


 吹き抜けの廊下を渡り、北棟へと足を踏み入れた3人が最後に向かった先は、開発班の研究室だった。

「ここが我が城、開発班の研究室さ! そして私、ケイシィ・テクトカータが開発班の副班長を務めている。改めてよろしく頼むよ!」

 研究室の大扉を開けてすぐ、ケイシィは大仰に腕を広げ、ロクとフィラを快く招き入れた。
 "開発班"は、次元師の血管内に流れる元力粒子の固体化、つまり"元力石"の生成を可能とし、それにともない通信具を開発した。また調査班と協力して、次元の力と次元師についての解明も急いでいる。ケイシィもどちらかといえば、解明に尽力している側の人員だ。

 内装は制作班の研究室とほとんど変わらない。部屋全体を使って長机が配列されていて、壁際にはずらりと書類棚が並んでいる。調査班よりかは片付いている印象だ。

「フィラ副班殿。あなたの元力石がもうすぐ目標の質量に達するよ。いまは最終段階で、調整中なんだ」
「え? そうなんですか」
「来たまえ」

 まるで親鳥についていく雛鳥のようにその背中を追いかけていると、ケイシィがおもむろに足を止めた。ロクもフィラもそれに倣って立ち止まる。

「タンバット、ここにいたのか。探したぞ」

 椅子に座っていた黒い隊服の男が、名前を呼ばれてこちらを向いた。墨色の前髪をすべて巻きこんでひっつめているが、取り逃がした二本の細い束が、顎のあたりまで伸びている。がたんっ、と椅子を鳴らして彼は立ち上がった。

「ああ、ご、ごめんなさい! ケイシィさん!」
「調査班の副班長ともあろう者が、なぜ研究室を留守にしていた。遠路はるばるおいでになられた折角の御客人が、無人の研究室を訪ねる羽目になってしまったではないか!」
「急ぎで調査資料がほしいとかで呼ばれてたんすよ~、ははは」
「む。左様であったか」
「あれ? じゃあ、その人たちが」

 男は、ここでようやくロクとフィラに視線をやった。やれやれ、とわざとらしくケイシィは肩を竦めた。

「先に到着された、2名の次元師殿だ。まったく」
「そ、それは、すいませんっした! えっとー、調査班の副班長やってます、タンバット・ロインっす!」

 タンバットは、大の男に似つかわしくない溌溂な笑顔を浮かべて名乗った。まるで物心がついたばかりの幼い子どもと子どもが初めて出会ったときに交わすような底抜けの明るさだ。制作班のホム副班長とはまたちがった威厳の欠落を感じ取ってしまったフィラが内心で詫びを入れている間に、ロクも元気よく挨拶を返していた。

「戦闘部班の第二班所属、ロクアンズだよ! よろしくねっ、タンバット副班!」
「初めまして、おなじく戦闘部班第二班、副班長のフィラ・クリストンです。タンバット副班長、よろしくお願いしますね」
「わ~! 本当の本当に次元師様なんすね! 俺、いますごい感動してるっす!」

 きらきらと目を輝かせて、タンバットがフィラの手をがばりと掴み取った。フィラが驚いて身じろぎをするのもつかの間、ケイシィの厳しい手刀がタンバットの手のほうに下った。

「いだっ! なにするんすかぁ、ケイシィさん!」
「むやみやたらと女性の手を取るものではないよ、タンバットくん。多少なりとも相手の迷惑を考慮できるようになれと何度言ったら理解する? 迷惑をかけてすまないね、フィラ殿」
「い、いえ……」
「うぅ、はいっす……」
「さて、タンバットくんとの邂逅も果たせたところで、こちらにおいでいただこうか」

 立ち並ぶ作業机の間をすり抜けていくと、一つだけ、硝子瓶がいくつも並べられている机があった。近くの棚にもごちゃりと置かれている。
 硝子瓶の蓋にはどれも、小さな貼り紙がついていた。そのうちの一つをひょいと持ちあげて、ケイシィはフィラの目の前に差し出す。瓶の貼り紙には、"フィラ・クリストン"と明記されていた。

「これが貴殿の血液から採取し、結晶化させた元力……人呼んで、元力石さ!」

 ケイシィが瓶を揺らすと、元力石がカラリ、と音を立てた。石はところどころがトゲのように角張っていて、そのまま触れると痛そうだ。元力石はどれも似たような形状をしている。

「わあ、私、元力石って初めて見ました。これが元は私の体内にあったなんて、感動です」
「思う存分目に焼きつけて帰るといい」
「はい。ねえ、見て見てロクちゃん。元力石ってこんな色してるのね。想像していたよりもずっと綺麗。これがいま、ロクちゃんの通信具の中に入ってるのね」
「……」

 ロクはフィラに返事をしなかった。無意識のうちにコートのポケットに手を差しこみ、さっき茂みの中で拾った硝子玉に、そっと触れる。
 ──フィラの元力石は、透明な中に、不規則な赤いもやが滲んでいる。そのほかの瓶に入っている元力石も多少の濃淡の差はあれど、ほとんどおなじ色だ。

(全部、薄い赤色だ。さっき裏庭で拾ったこれは真っ赤だけど……)

 どことなく元力石に似ている。そうロクは直感した。

「おや。ロクアンズ殿がつまらなそうな顔をしているね?」
「え? ……ああ~! あたし、難しいことよくわかんないし」

 まったくべつのことを考えていました、とは言えずロクは適当にお茶を濁した。

「ハハ! 当然といえば当然か。この研究棟は、メルギースという一国中に点在している謎や難問を解き明かすために形を成している。君のように無邪気な幼子の興味を引けそうなものは、あいにくと用意が間に合っていなくてね」
「ここ、頭よさそうな人たちでいっぱいだもんねっ」

 ロクがそれとなくケイシィに合わせると、1人の男性班員が通りがけに横槍を入れた。

「君と同い年くらいのやつもいるよ」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.91 )
日時: 2020/06/01 22:05
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第082次元 眠れる至才への最高解Ⅶ

 ロクアンズは声のした方に向いて、左目をぱちくりさせた。

「へ? そうなの?」
「ああ。けど、3ヶ月くらい前だったかな。遠征に出て、まだ帰還してないんだよ」
「へえ~! 会いたいなあ!」

 さっきまでの乾いた笑みとは打って変わって、ロクの表情がぱっと明るくなった。ここを訪れてからいままでも大人としか出会わなかったし、頭の中で勝手に「研究部班は頭のいい大人たちのいるところだと決定づけてしまっていたのだ。

 研究部班、医療部班、援助部班にはそれぞれ、入隊に際して年齢制限が設けられている。12に満たない者には入隊の権利が与えられないのだ。しかしこの規約は裏を返せば、最低でも12歳を迎えていれば実力次第では門をくぐることが許される、ということになる。
 入隊後しばらくは、訓練員や研修員と呼ばれる、いわゆる"見習い"として、現役班員たちの下につく。くだんの"同い年くらいのやつ"も、いまは見習いなのだろうなと、ロクは1人で頷いていた。
 唯一、戦闘部班だけが年齢制限を設けていないのは、次元師の育成が目的の一つでもあるためだ。どちらかというと年齢の幼いうちから育成をしたいというのが現班長の意向だ。

 そういえば、とロクはケイシィの顔を見上げた。

「班長さんいないの? あたし、班長さんにも会ってみたいな!」

 戦闘部班の班長、セブン・ルーカーは本部に常駐しているので、てっきり研究部班の班長もこの施設内に腰を据えているとばかり思っていた。しかしながら、表玄関で出迎えてくれたのはケイシィだった。元力石を開発したというハルシオ・カーデンにはまだお目にかかれていない。
 ケイシィは眉を下げて、申し訳なさそうに告げた。

「すまないね。我らが班長は長期に亘っての仕事に行かれてしまって、半年ほど前から席を外している。それゆえ私が責任者を代わっているのだ」
「ふーん……そっかあ。残念」
「ケイシィさんっ! すこし時間いいっすかー? 相談したいことがあって……」

 遠くから、タンバットの声が飛んでくる。ケイシィは振り返って「わかった」と返した。

「ではフィラ副班長殿、ロクアンズ殿、申し訳ないが私はすこしばかり席を外す。この研究室の隣が食堂と談話室を兼ねているんだ。疲れているだろうから、そこで暫し休憩をとるといい」
 
 ロクアンズとフィラにそう言い渡して、ケイシィは隊服の裾を翻らせた。残された2人がぽつんと突っ立っていると、ロクのお腹がきゅるる、と弱々しく鳴った。

「お腹、空いた」
「じゃあお言葉に甘えて、休憩してきましょうか」

 
 ケイシィが言っていた通り、研究室を出て十数歩と進まないうちに食堂の大扉があった。室内は広々としていて、食事をとる班員たちの姿がちらほらと見受けられる。
 研究棟には、研究部班のほかにも、援助部班の警備班と調理班も数名ずつ配置されている。この食堂を任されている調理班は、現時刻がちょうどお昼時に差しかかっているのもあって忙しそうだ。
 食膳を両手に持ち、フィラは調理場に近いテーブルに先についた。ややもすれば、ロクも配膳台から戻ってくる。

「おまたせー、フィラさん!」
「あ、おかえりなさいロクちゃ……って、えっ!? ろ、ロクちゃんそんなに食べるの?」

 フィラはぎょっとして、ロクの食膳を注視する。2枚のトレイを片手でそれぞれ掴んでいること自体にはまだ驚かないが、片方のトレイ上では肉の串焼きが針の筵にも似た山を形成し、もう片方にはさまざまな形をしたパンが見事が塔を築きあげている。二対の山は、どんとテーブルの上に腰を据える。

「へ? うん。ほらあたし、お腹ぺこぺこだからさ~。食堂来ちゃうとついつい頼んじゃ」
「……も、もももしかしてロクちゃん餓死寸前だった!? そんな私、全然……全然気づかなくて!」
「いや大丈夫だよ普段からこの量だからあたし!」

 ロクが切迫した面持ちで弁明すると、ほっ、とフィラは胸を撫で下ろした。過食は身体によくないわ、などの注意をされるならまだわかるが、餓死寸前まで追い込まれていたのかと問われたのは初めてだ。出先ではお金を無駄にできないから食事量は控えろ、とコルドに出発前から散々言われていたので、道中は我慢していたにすぎない。本来ロクは大食らいだ。いまこの場に彼がいないのをいいことに大量摂取を図ろうとしたロクだったが、フィラの心配性がここまで激しいとは意外だった。
 食事を口に運び始めてからすこしすると、フィラが声を抑えて切りだした。

「……とりあえず、主要な人たちとは会えたわね。班長さんを除いて」

 ロクもフィラも単なる見学として研究棟にやってきたわけではない。デーボンら悪徳商人と繋がりを持っている関係者を探すことが本来の目的であり、今回の任務だ。
 なにはともあれ、研究部班の各班の副班長を務める3名との接触は叶った。印象としては、3人とも少々個性的な人柄であった。学者然としたお堅い集団なのだろうと身構えていた分、肩透かしを食らう羽目にはなったが、情報が少ない現時点ではだれもが疑わしい。
 開発班の研究室にあった、元力石が入った硝子瓶。瓶についていた紙には、その元力石の持ち主である次元師の名前が書かれていたが、ロクはそのすべての名前を確認していた。もちろん怪しまれないように細心の注意を払いながら、である。

「さすがにファウンダとカインの元力石は見当たらないね……。それがあれば、大きな手がかりになるのになあ」
「そうね。デーボンたちが持ってたものは、政会の人たちに押収されてしまったけど……もしおなじものがこの施設内にあれば、だれが取り扱ってたのかとか、わかるかもしれないものね」
「うんうん」
「でも関わってる人間が少人数なら、だれの目にもつかないところに保管しているのかも」
「ええ? そんなとこあるかなあ……。あ、そういえばねフィラさん」
 
 ロクは裏庭に落っこちたときに拾った硝子玉を取り出そうとした。が、そのとき大扉のほうからガラガラ、と騒音が響いてきた。その大きな音がだんだん近づいてくるので、ロクもフィラもそちらに注意を持っていかれた。

「すみません、ここまで運んできてくださって」
「いいえ、時間がかかってしまってすみません。裏の森、道が入り組んでますね」
「そうなんです。助かりました」

 灰色の隊服を着た男が荷車を引き、調理場の近くまでやってきた。援助部班の運搬班だろうか、運んできたものを調理班の班員に渡している。荷車に積まれていたのは果実や山草類だ。

「あとついでに……これ。あの男の子がいつもつけているペンダント、ですよね? 石は割れちゃってるみたいで、裏口に落ちていたんです」
「あら、本当だわ。でもどうして裏口のほうに……。もしかして遠征から帰ってきたのかしら」

 なんとなく会話を耳に入れていたロクだったが、そのペンダントを視界の端で捉えると、勢いよく席から立ち上がった。

「ねえねえ! それってだれの?」

 ぱたぱたとロクが駆け寄ると、運搬班の男が振り向いた。男の手には、細長い革の紐と、小さな石が握られている。落とした拍子に分解してしまったのだろうか。たしかに元はペンダントだったらしい。
 その小さな石は、真っ赤で、割れたような尖った断面がある。
 調理班の女が答えた。

「ナトニっていう、君くらいの歳の男の子がいてね、その子の持ち物なの。いまは調査で外に出てるからいないはずなんだけど……」
「え、じゃあその子、もしかして次元師なの!?」
「い、いえ、それはちがかったと思うけど……。でもナトニのお父さんは次元師様だったはずよ」

 え、とロクは短く息をもらした。フィラも席を立って歩み寄ってくる。

「残していったものがこれしかないからって……。あの子、いつも肌身離さずつけていたのに。変ね」
「……残していった?」

 声を低くしてフィラが問いかけると、女は不思議そうな顔をしてから首肯した。

「はい。元調査班の班員で、14年前の終戦直後に遠征に出たきり……行方不明になってしまったとか。ナトニはその後、この施設内で生まれた子なんですよ」 

 この瞬間、ロクとフィラは一層気が引き締まるのを感じた。
 例の14年前に行方をくらませたという研究部班の男は、次元師だったのだ。そして彼と血縁関係にある者が、この研究部班に在籍している──。
 心臓がざわつくのを抑えるように、ロクは上着の胸部をぎゅっと掴んだ。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.92 )
日時: 2020/06/23 21:57
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第083次元 眠れる至才への最高解Ⅷ
 
 第二班と街中で別れたあと、コルドとレトヴェールの2人は大書物館に向かうため街の外れに出た。
 大書物館とは、ウーヴァンニーフを"本の街"たらしめる所以であり、国内でも名所とされる館だ。もとはウーヴァンニーフの現領主の祖、マグオランド・ツォーケンの別宅にすぎなかったという。彼の家系がその当時、多少裕福な暮らしをしていたこと、そして本人が持つ異常な収集癖が由来してこの館は増設を繰り返し、現在に至る。
 マグオランドの収集癖は本に留まったが、その膨大な数の本が館内を埋めつくしているため、大書物館と呼ばれるようになったのだ。
 道すがら、2人は初めて訪れる大書物館の話題で盛りあがっていた。

「どんな本が置いてあるんだろうな、大書物館」
「そうだな。建てられたのが200年前で、すでにいくつか持っていた本も格納されているとしたら、古語で書かれた本はほかにもいくつかあるかもしれないな」
「それじゃあ国中の研究家が押し寄せてそうだな。いままでにもいくつか盗まれてるんじゃねえの」
「どちらかというと、研究家たちが書き残した論文や記録書のほうが多いんじゃないか? あとは童話や小説なんかもあると聞いたことがあるぞ」
「ふーん」
「そもそも古語を読める人間は少ないし、200年以上前の文献ともなると、綺麗な状態でもなさそうだ」
「たしかに……」
「楽しみなんだろ、レト。おまえ本好きだもんな」
「……」

 無言を肯定と捉えたコルドが悪戯っぽく笑った。
 そんなやりとりを交わしつつ、道中は和気あいあいとしていたのだが、いざ大書物館を眼前に据えたときには2人とも息を呑んだ。
 創立200年を超え、代々受け継がれてきた由緒正しき伯爵家の館。14年前の戦時中に一部損壊し、修繕工事が行われたとのことだったが、館の纏う雰囲気はまったく現代のそれではなかった。
 建物は全体的に象牙色の塗装がなされていた。飛びだした小さなバルコニーには可愛らしい花壇が並んでいて、その欄干を彩る鮮やかな緋色は一際目立っている。
 入り口まで足を運び、大きな扉の前に並んで立つ。扉の金の把手とって一つとっても、きめ細かな装飾がふんだんに施されていて、コルドが触れるのを躊躇ったほどだ。
 把手を引き、いざ2人は館の中へと足を踏み入れた。
 目に飛びこんできたのは、それはもう絢爛豪華の限りを尽くした荘厳な内装だった。

「……」
「すごいな、これは……」
 
 遥か高い天井にまで届く巨大な棚が、ただ広い空間の壁一面を飾っている。上品な赤色の絨毯で彩られた中央の階段の脇にはおなじく巨大な棚の側面が聳え立ち、まるで二対の大木を従えているようだ。視界の限りを本棚と、そこに収納されている数えきれないほどの本の背表紙で埋め尽くされたその光景はじつに壮観だった。棚の一番上にある本を取るのには身の丈がいくらあっても足りないだろう。1つの棚に大きな梯子が寄りかかっているが、あれを伝って登るにしても人並みの勇気では諦めてしまいそうだ。
 絨毯に足をつくとすぐに、清楚な身なりをした1人の女が玄関のほうに振り向いた。コルドたちの到着を待っていたのだろう。
 コルドは一段と丁寧な声色を作って、挨拶をした。

「お初にお目にかかります。此花隊から参りました、戦闘部班第一班副班長のコルド・ヘイナーという者です」
「お待ちしておりました、コルド・ヘイナー様。旦那様が奥でお待ちです」

 女は恭しく礼をすると、先に歩きだした。コルドとレトは彼女の案内についていく。


 巨大な本棚と本棚に挟まれた、幅広の階段を上がっていく。階段と本棚との間には一定の間隔があるが、1階にいたときはうんと高い位置にあった本の題名が、階段を昇ると視線上にやってくる。レトはしばらく、本棚に目が釘付けだった。
 2階の廊下を突き進み、もっとも奥の大扉の前までやってくると、女が「旦那様。此花隊の次元師様が参られました」と声をかけた。扉の奥にいる人物も「お通ししてくれ」と返事をしたので、女は扉を開けた。

「ようこそおいでくださいました、次元師様。私はこの大書物館の館主をしております、バスランド・ツォーケンと申します」

 バスランドと名乗った男が腰かけから立ち上がった。物腰の柔らかさが目元にも滲んでおり、黒い顎鬚が綺麗に整えられている。彼が握手を求めてきたので、コルドはそれに応じた。

「お会いできて光栄です、バスランド・ツォーケン伯爵様。此度はセブン・ルーカーよりお話をお伺いし、馳せ参じました。私は此花隊戦闘部班第一班副班長、コルド・ヘイナーと申します」
「ヘイナー?」

 バスランドが小さな黒髭を捻って、首を傾げた。ややあって、彼はなにかを思い出したように表情を明るくした。

「ああ、もしかしてあなた様は、コルド・ギルクス坊っちゃまではございませんか?」
「え」

 コルドは一瞬言葉を失った。しかしすぐに、しまった、とでも言いたげな困り眉になった。バスランドはそれに構わず、コルドが差し出した手を両手で握りしめた。

「いやあ、これほどご立派になられましたとは。覚えておいでですか? お小さいときに一度、こちらの館においでくださったことがあるのですよ」
「え、ええ。はっきりとはいたしませんが、覚えております」
「じつは先日、ギルクス侯と食事をご一緒させていただきましてね。そのときにはあなたのお名前が上がりませんものでしたから」
「はは。申し訳ありません、私も父とは長らく会っておりませんので」
「左様でございましたか。ああ、そうだ。これからお茶の用意をさせようと思っていたのです。どうぞ、コルド様もご一緒にいかがですか」
「お誘いは大変嬉しいのですが、仕事の都合上、こちらに立ち寄った次第なのです。この後、此花隊の研究棟に向かわねばなりません。御容赦ください」
「そうでしたな。誠に残念です。ときに……なぜ奥様の姓を名乗られているのです?」
「え。と……そ、それは……」

 コルドが引き腰になりかけたそのとき。こんこん、と扉を叩く音がした。コルドの肩越しにバスランドが扉のほうを見やると、さきほどの使用人が扉を開けた拍子に、美しい小麦色の毛並みをした犬が駆けこんできた。ぱたぱたと尻尾を振るうその犬が口に本を咥えていたので、バスランドはバツが悪そうにその本を取りあげた。

「またおまえは、いったいどこから取ってきたんだ。頼むからじっとしていてくれ」
「大変申し訳ございません、旦那様。1階で見かけましたので追いかけてきたら……」
「いいんだよ、気にしないでくれ。私の躾が悪いようだ。小屋には私が繋いでこよう。君は持ち場に戻ってくれ」
「はい」
「申し訳ありませんが、この子を小屋に戻してくるので、私は少々席を外します」
「どうかお構いなく。……あ。あの、盗まれた本の特徴などをお聞かせ願えますか?」

 コルドは退室しようとするバスランドを引き留め、問いかけた。するとバスランドは使用人の女に視線をやった。

「それでしたら、彼女が詳しいでしょう。たしか君には、古語の本を置いている棚の管理を任せていたね? 代わりに答えてくれないか」
「はい、旦那様。棚からなくなっていた本は、くすんだ赤色の表紙で、本というよりは紙束を紐で縛ってあるものでした。誠に申し訳ございませんが、私は古語を解読する技術を持ち合わせておりませんので、どういった内容の書物であったかまではお答えすることができません。ただ、標題と、中に書かれている文字は古語と見て間違いないかと思われます。ご期待に沿えず、申し訳ございません」
「いいえ、そんな。助かります。教えていただきありがとうございます」
「それではコルド様、どうぞご自由に見学なさっていってくださいね」

 そう言うとバスランドは犬の首輪から伸びているリードを引いて、使用人とともに退室した。閉まった扉を見つめ、レトはここにきてようやく口を開いた。

「あの犬が持っていったんじゃ」
「どうだろうな。だったらさっきみたいに、主人に本を届けそうだ」
「……ギルクスって、侯爵家の家名じゃなかったか?」
「……おまえの記憶力がいまは恨めしいな」
「なんでいままで黙ってたんだ。初耳だけど」

 言及され、コルドは諦めたように息を吐いた。部屋から出るとバスランドの姿が見えなくなっていたので、彼は口を割った。
 
 「とうの昔に勘当されたんだよ」

 ため息交じりにそう答えると、コルドは短い黒髪をぽりぽりと掻いた。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.93 )
日時: 2020/05/31 12:23
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第084次元 眠れる至才への最高解Ⅸ

 興味本位で問い詰めてみただけだったのだが、予想の斜め上をいく返答だったためにレトヴェールは目をしばたいた。
 昇ってきた階段をゆっくり下りがてらコルドは身の上話を聞かせてくれた。

「恥ずかしい話になるんだが、俺は俗に言う、箱入り息子としてかなり甘やかされて育ったんだ。家を継ぐのだって、一番上の兄貴か、はたまたその下の兄貴か……まかり間違ってもその下の兄貴だろうって当然のように思ってたしな」
「……? 兄が3人いるのか」
「ああ。俺は四男なんだ」

 噂によれば一番上の兄貴が継ぐらしいが、とコルドは付け足した。揺りかごの中でぐずる自分を3人の兄たちが覗いていた。4人目の男児ともなると、母や家の使用人たちもなにか特別なことをさせようとはしなかった。兄たちが屋敷の廊下を慌しく駆けていくのを何度か見かけて、真似をしようと教本を抱いたまま急いで勉強部屋に駆けこんでみたことがあった。けれど、部屋で待っていた学問の先生に「そんなに焦らなくていいですよ」と微笑まれた。その言葉だけが妙に根強く記憶に残っている。
 何不自由ない生活を与えられていたが、他者よりも突出した能力を得ることもまたなかった。ぼんやりと日々を送っていたら、多少文字が読めるだけの不器用な人間ができあがっていた。
 ロクアンズに「俺はそれほど柔軟ではない」と告白したのも、謙遜の意は含まれていなかっただろう。

「それでちょうど、おまえたちくらいの歳の頃だったか? 長い仕事で留守にしてた親父が急に帰ってきてな。俺がとんだ体たらくだったものだから、『おまえみたいな軟弱者はこの家にいらん』って殴り飛ばされて、そのまま疎遠になった」
「殴……。ウーヴァンニーフとか、伯爵のことが詳しかったのはそういうわけか」
「それなりの知識だけな」

 レトにとっては信じがたい話だった。入隊当時からの付き合いだが、コルドという男は大がつくほど真面目で、与えられた仕事は忠実に成果をあげる。ベルク村の一件では義兄妹の身勝手な行動をフォローする役目にも回ってくれた。軟弱な部分があろうとは皆目見当もつかない。
 そんなことを考えていたら長い階段も残り一段となっていて、早くも1階に戻ってきた。

 いくつかでいいから本が見たい、とレトが主張してきたのでコルドはそれに付き合うことにした。大広間の内壁ともいえる本棚にはびっしりと本が並べられており、レトは背表紙に書かれた表題をなんとなく目で追いながら館内を歩いていた。
 なにかめぼしいものでもあったのか、レトがぴたりと留まった。彼の視線の先には、本を1冊抜き取られたような痕跡があった。

「お、ここか? たしかに1冊分、空いたとこがあるが……」
「たぶん合ってる。さっきバスランド伯が言ってた、古語の本が置いてある棚だ」

 棚を仰ぎ見ながら、レトが淡々と言う。コルドにはさっぱり読めなかったが、古語を知っているらしいレトが言うのだから間違いないのだろう。
 1冊の本が目につき、レトはそれを抜き取った。頁をめくると、淡い絵の具で描かれた人物やら景色やらが紙面にぼんやりと滲んでいた。字を覚えたての子どもでも読めそうな簡単な文章も添えてある。見たところ絵本だ。

「……? なんでこれだけ現代語なんだ」
「ああ、それ、『わたしの子エリーナ』だろ」
「知ってるのか、コルド副班」
「小さい頃、母親から聞かせられたりしなかったか? 有名な童話だぞ」

 この国に住む大抵の母親は、家事を片手にでもそらんじられるという。コルドも幼い頃に母親から聞かせてもらった経験があるらしく、以下はその内容についてかいつまんだものだ。
 ある母親が双子の赤ちゃんを授かったが、片方の子が奇病を患って生まれてきてしまう。周囲から向けられる奇異の目やいじめに立ち向かうが、ときにはつい子ども同士を比べてしまったりと、母親の葛藤が主軸に置かれた作品だ。母親、奇病の子、もう片方の子、3人の愛情が描かれている。
 物語の顛末は、そんな3人の成長や苦労を褒め称えてのことなのか、周囲の目が変わりいつしか尊敬されるまでになるといった演出が用いられている。
 コルドが端的にまとめてくれたのはいいが、レトはいまいちピンときていないらしく、眉根を寄せた。

「……覚えがないな」
「はは。でも懐かしいな。その本、もとは古語で書かれたお話だったらしいぞ。200年前に流行ったからなのか人から人へ語り継がれている。現代語へ移り変わってしばらくして、たまたま古語を知っていただれかが翻訳したっていう話だ」
「へえ」

 古語を読めるとはいっても、所詮は幼少期に習った程度の知識だ。複雑な文法を読み解くにはまだ及ばない。解読とはまるで、未知の生物を相手にするようなものだ。改めて他言語の翻訳という分野の凄さを実感する。

(本を盗んだやつも、やっぱり古語が読めるってことでまちがいないか。研究部班ではさぞ重宝されていることだろうな。……いや、古語を読めるやつに宛てがあるだけで本人は読めないっていう場合も……)

 レトは考えごとをしながら、手元の絵本をぱらぱらとめくっていた。ふと、彼は頁をめくる手を止めて、おもむろにこんなことを言い出した。

「……なんで、デーボンとオッカーに依頼する必要があったんだ」

 通信具の試用人員として選ばれたのがデーボンとオッカーだったわけだが、レトにはそこがどうも腑に落ちないらしかった。適当な本を読んでいたコルドは顔を上げて、眉をひそめる。

「それはどういう意味だ? 研究棟に、その2人の親類の元力石があったからじゃないのか?」
「コルド副班、さっき4人兄弟だって言ってたよな。コルド副班に兄弟がいることなんて調べればすぐにわかる。なんで此花隊の内部の人間じゃなくて、わざわざ外部の人間に依頼をしたのかが気になるんだ」
 
 それを聞いてコルドも、顎のあたりに手を当て、逡巡する。

「……たしかにな。あの2人に依頼をすることが賢い判断だったかと言われると、俺はそうは思えない。あえて茨の道を選んだのは……どうしても、研究部班以外の人間とは関わりたくなかったら、か?」

 悪徳商人たちか、それとも内部の仲間たちか。どちらが信用に足るかなど考えるまでもない。しかし研究部班の班員たちが手を結んだのは、前者の連中だった。この信用問題の裏側にいったいなにが潜んでいるというのだろうか。

「ここで悩んでても仕方ないか。俺たちも敵陣に参ずるとしよう、レト」

 レトはこくりと頷いた。読んでいた本を元の場所に戻し、2人は大書物館をあとにした。
 
 
 第一班が研究棟に到着すると、丁度廊下を歩いていたケイシィが声をかけてきた。すぐに研究室の見学に行くか、それとも先に第二班と落ち合うかと問いかけられたので、コルドはロクアンズに連絡した。彼女は先に施設内を回ってくるよう促し、ついでにレトに対して「制作班の副班長さんが待ってたみたいだよ」と告げた。

 ケイシィが急用で案内できないのことで、2人は施設内の簡単な地図を手渡された。地図をもとに制作班の研究室を訪れると、案の定、副班長のホムがレトに飛びついてきた。レトに頼まれていた隊服をいそいそと取り出してきて着せたものの、どうやら縫合に問題があったらしい。再調整するため、コルドは先に調査班の研究室に向かうことにした。
 調査班の研究室は依然として人っ子一人いなかった。コルドは室内の散らかり具合だけを覚えて、早々に部屋を出た。

 レトがなかなか戻ってこないので、外の空気でも吸ってくるかとコルドは裏庭側の廊下を目指した。
 そよぐ風が、ざあっとコルドの前髪を撫でる。そのとき、彼はふいに何者かの気配を察知した。

「初めましてですね。コルド・ヘイナー副班長殿」

 声をかけてきたその男は、裏庭側の壁に凭れかかっていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.94 )
日時: 2023/03/24 18:24
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第085次元 眠れる至才への最高解Ⅹ
 
 男は墨色の前髪を乱雑にひっつめて後ろの方で縛っている。組まれた腕が黒い布地で覆われているところを鑑みるに、どこかの班の副班長だろうとコルドは判断した。男はやけに低い声色で告げた。

「あんたが研究棟の運搬班と秘密裏に連絡を取っているのは把握してます。挙句にぞろぞろと次元師様をお連れしたりして、いったいなにを企んでるんですか、お宅の班長さんは」

 長閑な風が、吹き抜けの廊下を渡っていく。どうりで白昼堂々と物騒な話題をふっかけられたわけだ。周囲にはまるで人気がない。
 コルドは極めて穏便な態度で否定した。

「企んでいるなどと。そのような意図は微塵もありません」
「この研究棟は、ケイシィ・テクトカータ副班長が厳重に預かってます。よそ者に荒らされるのは些か気持ちのいいものではなくてですね。申し訳ないんですが、これ以上は信用問題に少々罅を入れる行為です。時間を見てお立ち退きいただきたい」
「そこまで警戒なさらなくても。おなじ隊に所属する同志ではありませんか」

 墨色の髪の男、タンバットはなにも答えなかった。彼が黙ったので、コルドも真剣な声で直截ちょくさいに告げた。

「……ここに、悪徳商人らと手を組んでいる輩が潜んでいます」

 タンバットは眉一つ動かさなかった。しかし彼の口からついて出たような切り返しは怒気を孕んでいた。

「この研究部班を侮辱するおつもりか」
「もしもこの事態が公になったら、どなたが責任をお取りになるのでしょう。いまは不在の班長殿ですか? それとも……概念的にその席を譲り受けている、彼女ですか」
「どうやら本当に、田舎出の下賤な男の犬に成り下がったようですね。侯爵家のご子息ともあろう御方が」
「すでに勘当された身です。いまは此花隊戦闘部班の、一副班長にすぎません」

 コルドは冷たく切り捨てるように返した。沈黙が訪れる。実験がどうのという以前に、研究部班の人間はほかの部班員たちを敵視する傾向がある。随分と冷たい物言いにコルドが呆れていると、やがてタンバットが言い放った。

「そのような不逞の輩が本当に存在するのであれば、お帰りの時分までにお連れください。ですがそれ以上の詮索はお見過ごしできかねます。あんた方の班長殿の顔に泥を塗りたいと仰られるのであれば、こちらは一向に構いませんが」
「……」

 そのときだった。聞き慣れた陽気な声がどこからともなくコルドの名前を呼んだ。

「あれっ! コルドふっくはーん!」

 中庭のベンチに腰かけているロクがぶんぶんと片手を振っていた。隣にはフィラとも目が合う。もう一度裏庭側を振り返ると、すでにタンバットは姿を消していた。
 コルドは中庭に入り、敷石で造られた道を歩いて第二班の2人と合流した。

「だいぶ見て回りましたか? コルド副班長」
「制作班と調査班の研究室には行きましたよ」
「あれ? コルド副班、レトは?」
「制作班のホム副班長に捕まったっきり、帰ってこなくてな。だいぶ長話してるらしい」
「そうなんだ」
「……それで、なにか気になることはあったか」

 コルドは木の幹に背中を預け、呟くような声で訊ねた。3人の頭上に降り注ぐ木漏れ日が緩やかに揺れる。
 ロクとフィラはそれぞれの研究室の様子や印象、各副班長と会ってみての感想などを述べた。そして、遠征に出ているナトニという少年が次元師の息子であるとともに、その次元師が14年前から行方不明となっている事実を明かした。

「次元師の子ども?」
「これ見て、コルド副班」

 ロクは懐から、真っ赤な石を2つ取り出した。1つは彼女が裏庭に落ちたときに拾ったもので、もう片方は食堂に訪れた運搬班の男が持っていたものだ。ロクは適当な理由をつけて、彼からその石の片割れを譲り受けていた。
 割れた石同士を組み合わせてみると、石は見事に合致し、1つの元力石となった。
 ロクの手のひらできらきらと輝くそれを、コルドはまじまじと見つめる。

「この赤い石はいったい……?」
「色はすこしちがいますが、元力石だと思われます。開発班の研究室で見せてもらったものと形がよく似ています」
「そのナトニって子がこれを裏庭に落としたっぽいんだけど、二月以上前から研究棟にはいないんだって。裏庭のほうは宿泊棟もあるし、みんなが通る場所なのに今日までだれにも見つからなかったなんて、変だなって」
「たしかに、それだけの期間があればだれかが見つけていそうだな。目立つ色をしているし」
「コルド副班たちは、書物……館? だっけ? そこでなにかわかった? 本の題名とか」

 ロクが小首を傾げて訊ねる。するとやや遠くから、靴底で敷石を踏む音と、レトの声が飛んできた。

「いや。書物館にいた人たちはみんな、盗まれた本の表題まではわからないんだと」
「あっ、レト!」

 レトは右肩を回しながら、ロクたちが固まっている場所まで歩み寄った。
 大書物館を出るとき、バスランドから「本の表題はわかりかねますが、どの本にもツォーケンの家印を押しているので見分けはつくと思います」と伝えられた。いまはその家印を頼りに探すしかない、とレトはつけ加えた。
 ロクはベンチから立ちあがるや否や、レトの身なりに注目した。

「って、あれ、その隊服……」
「ああ、さっき直してもらった。着てみたらちょうどよかったから、そのままもらってきた」

 レトは腰周りの生地をつまんで見せる。腰元には2本の鞘も装着されていた。制作班の研究室でホムに見せてもらった特注の隊服だ。フィラが胸の前で両手を合わせて言う。

「あら。すっごく似合ってるわ、レトくん」
「ん」
「ようやく全員揃ったな」

 さきほどまでの会話の流れをレトにも共有する。彼は時折頷きながら自分の中で噛み砕いていった。
 一通り再確認を終えると、コルドが第二班の2人にこう問いかけた。

「ファウンダとカインの元力石は見つかったか?」
「ううん…」

 ロクもフィラも肩を竦める。もっとも証拠となりうるものが見つからず、2人とも行き詰まっていたところだ。コルドも残念そうに息を吐き、腕を組んだ。

「もうすでに処分されている可能性もあるか。デーボンとオッカーの件が落ち着いたら実験を再開すると睨んでたんだがな」
「そうですよね。もしあったとしたら、だれの目にもつかない場所に保管するんじゃないかしらとは思うんですけど……」

 全員が揃って、うーん、と頭を捻った。
 元調査班の班員かつ次元師だった男の息子であり、二月以上前から遠征に出ているナトニという少年の所在がロクにはもっとも気にかかっていた。しかし長期間この研究棟を留守にしている現研究部班班長の存在もまた謎めいていて、いよいよ頭がこんがらがってくる。
 見て回れる場所にはすべて足を踏み入れたし、それなりに情報も獲得した。しかし肝心の元力石が見つかっていない。すでに処分されているとしたら打つ手もないだろう。訪れた沈黙が、行き止まりを告げたそのとき。

「──調査班の研究室、はどうだ」

 静かに発言したレトの顔に、注目が集まった。 
 調査班の研究室は所狭しと並ぶ資料棚と机の上に、紙束や本などが乱雑に抛られていた。足の踏み場もなく、大事な資料をうっかりと踏みつけないかとひやひやしたほどだ。人の出入りが激しくないからこその惨状なのだろう。彼も中庭に来るまでに、一度調査班の研究室に寄ったらしかった。

「ロクとフィラ副班の話だと、あの研究室にはほとんど人が留まらないんだろ。たしかにあそこは、集めてきた情報の保管所って感じだった。班員たちはみんな外に出てて、普段から人気がない。そのうえ室内の散らかりようは異常だった。この施設内でなにかを隠すなら、あそこは適した環境だ」
「た……たしかに! それだあー!」
「レトくん、さすがねっ。行ってみる価値はありそうだわ」

 きゃっきゃとはしゃぐ女子陣に悪いと思いつつ、レトは「けど」と水を差した。

「全員で確かめに行くのは不自然だ。俺とコルド副班はこの後も見学しながら本を探す。だから第二班に……」
「いや、せっかくだからおまえの目で確認してこい、レト。本だって、関係者が盗んでいたらおなじ場所に保管しているだろう」
「……。まあ、そうかもだけど」
「そうね。それに私たちみたいな大人より、無邪気な子どもたちが迷子になるほうが自然だわ」
「たち? ……ってことは、レトとあたしで行ってきていいのっ?」

 ロクは目をぱちくりさせ、レトと自分の顔を順番に指差した。本来なら班行動をとるべきだが、ロクが嬉しそうに訊いてくるので、フィラは満足げに頷いた。

「ふふ。頼んだわよロクちゃん、レトくん」
「やったあ!」
「まじか……」
「2人とも、気をつけて行けよ」

 一際強い風が吹いて、短い黒髪が靡く。呟くようにそう言ったコルドの表情は強張っていた。 
 廊下でタンバットと対面した折、これ以上詮索をするなと釘を刺された。あまり不審な動きを見せると、向こうもどう出てくるか。危険を承知で動かなければならない。

「俺たちがここでなにかを探っていることが割れてる。時間はない。今日を逃せば、いつ次の機会がやってくるともわからない。だから……」

 ぐっ、とコルドは拳を握りしめる。太い眉をきつく寄せ合う彼は、なにかを堪えているようでもあった。
 コルドは次の言葉を待っている義兄妹と視線を交えた。力強くも挑戦的な笑みを含んだ語調で、彼ははっきりと命じる。

「だからくれぐれも注意を怠らず……思う存分、迷子になってこい」
「はーい! お任せあれっ!」
「当然だ」

 コルドにつられて2人も口角をつりあげる。副班長たちのもとを離れた義兄妹は、足並みを揃えて調査班の研究室へと赴いた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.95 )
日時: 2020/06/21 12:07
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第086次元 眠れる至才への最高解ⅩⅠ

 義兄妹の後ろ姿を見送ると、コルドは腰に手をあて、嘆息した。くすりと笑う声が聴こえて、彼はフィラのほうを振り返った。

「なんだか私、ついあの2人にはいっしょにいてほしくなっちゃうんです。班行動が基本なのに、無責任ですよね」
「いいえ、わかりますよ。俺も初めこそあの義兄妹きょうだいが心配で仕方がなかったのですが、最近は逆になってきました。なにかをやらかすのを期待しています」
「コルド副班長、セブンくんみたいなこと言うんですね」
「……。班長のこと、そう呼ばれてるんですか?」

 コルドが何の気なしに問う。するとフィラは固まって、一瞬のうちに顔を伏せた。臙脂色の前髪の隙間から見え隠れしている頬もほんのすこし赤らんでいる。彼女は自ら弁明した。

「……すみません、昔の癖で、つい。報告はしないでいただけると助かります……」
「普段から呼んで差しあげたらきっとお喜びになりますよ」
「やっぱり似てます。意地悪ですね」
「まさか。俺は優しいですよ」

 お手をどうぞ、と言わんばかりにコルドが手を差し出した。からかわれた悔しさをぐっと抑えながら、フィラは彼の手を取って立ちあがる。

「さて。あの2人にばかり任せるわけにもいきません。元力石は別の部屋にあるかもわかりませんし、我々も探しにいきましょう」
「そうですね。私も蛇みたく、鋭い目つきで周囲を観察しないと」
「はは。じゃあ俺は犬ですね」
「犬?」
「……下賤な男の犬らしいので。嗅ぎまわってやりますよ、地獄の果てまでも」

 穏やかな声色なのに、言い方はどこか鋭さを帯びていた。触れたら本当に噛みつかれそうで一瞬フィラは息を呑んだ。おそらく彼になにかあったのだろう。が、それを訊くのは任務が終わってからでも遅くない。
 フィラは、コルドよりも一歩後ろをついていきながら、自身の黒い袖をぎゅっと掴んだ。


 調査班の研究室へと忍びこんだロクとレトは早速、室内の捜索を開始した。
 レトは物音を立てないよう慎重にあちこちを見て回る。ロクは腰を落として、板目の床に散らばった資料を適当にめくっていたのだが、急にくるりとレトのほうを向いた。

「にしても、またレトと行動できてうれしいな~。久々じゃんっ、こういうの!」
「そうか? べつに、あんまり変わってないだろ」
「もう~変わるよ~! この浮気者っ! コルド副班のほうが好きなんだ」
「おまえこそフィラ副班と逢引してるだろうが」
「…………た、たしかに……」
「おまえのそんな険しい顔、戦場でも見かけねえな」
「なにおうっ!」

 ロクが声を張ろうとすると、すかさずレトは彼女の口を塞いだ。

「騒ぐな、バカっ。気づかれたらどうすんだ」
「ふごふご!」

 お尻だけを浮かせて座りこんでいたロクが、その姿勢のまま後ずさりをしたときだった。彼女は床に落ちている紙に足を滑らせ転倒した。脳天が勢いよく床と衝突した拍子に、ごんっ、と激しい音が鳴り響いた。
 資料がふわりと宙を巻い、丸まった体に降りかかる。その背中は痛みを訴えているのか、小刻みに震えていた。悪気のない顔をしてレトは謝罪した。

「あ、わり」
「くぉっ、ぅ……!」
「ほら、手貸してやるから起きろ」

 伸ばされた手に既視感を覚えたのは、研究棟に来てから転ぶのが二度目だからだろう。ロクは涙目で起きあがり、レトの手をとった。
 が、いくら待っても引き上げらず、ただやんわりと手を握られている。不思議に思ってレトの顔を見上げると、彼は丸くした目で宙を見つめていた。

「……レト? どうし」
「音」
「へ?」
「いま、音が変じゃなかったか」

 レトはしゃがみこみ、適当な場所に拳を振り落とした。音はくぐもっていて響きはしない。明らかに音の質が異なっていると確信を得た彼は、早口でロクに訊ねた。

「ロク、さっきどのへんに頭打った」
「ええっと……このあたり、かな」

 ロクは、頭を打ちつけたあたりに散らばる本や紙束をせっせとよける。そして日頃扉を叩くみたいに、握った拳の骨ばったところでこんこんと床を叩いた。高くて乾いた音がした。

「……ほんとだっ、レト、音がちがう……!」
「近くにあるはずだ。なにか、指をひっかけられそうなとことか……」
「あっ見て、ここ! 小さいけど穴が開いてる」

 ロクは、床板と床板の間にできた僅かな隙間に指をひっかけて、動かそうと力を入れた。顔を真っ赤にして奮闘した甲斐あってか、突然、1枚の床板が浮いた。宝箱の蓋でも開けるように持ち上げてみると、大人が1人入れそうなほどの穴と、階段が現れた。階段はずっと下まで続いている。
 息を切らしながらロクは興奮の声をあげた。
 
「……っ、はあ~! すごいよレトっ、階段だ!」
「……地下がある、ってことか……」

 ロクとレトは顔を見合わせ、ごくりと息を呑む。吸いこまれそうなほどの真っ暗闇が、まるで2人を誘っているようだ。
 レトは研究室を照らす燭台を1つだけ拝借した。早速階段を下りようとするロクのあとを追い、彼女に燭台を手渡してから、音を立てないように床板を閉じた。

 不気味な暗さと静けさが2人に襲いかかる。灯かりで足場を照らさなければ、階段を踏み外して転落してしまいそうだ。
 石で造られた階段を慎重に下りていく。静かなせいもあってか靴音がやけに響く。壁に手を伝わせながら黙々と先を進んでいたロクが、ふと口を開いた。

「ねえレト、この階段長くない? けっこう下りたと思うんだけど、ぜんぜんなんにも見えてこないよ」
「すくなくとも、調査班の資料庫とかじゃねえだろうな」
「へ、そうなの? 調査班の研究室の地下なのに?」
「だったらここまで階段を長くする必要がない。なんの目的かはまだわからねえけど……あの研究室からはもう随分離れた。そんなに人の出入りが激しい場所じゃないんだろうな」
「ふ~ん……。そういうもんか。それにしても、ほんっとになにかあるのかな~?」

 いつもの調子でロクが声を張る。ついに堪忍袋の緒が切れ、レトは口元に指をあてて「しっ」と制した。

「あんまり大声でしゃべるなって。下にだれかいるかもしれねえだろ」
「あっ!」
「おまえは期待を裏切る天才だな。わざとか?」
「レト、壁だ、壁が見える。えっ、もしかして行き止まり!?」

 ロクは駆け足で階段を下りていった。彼女は自分が燭台係であることをすっかり忘れていて、遠のいていく灯かりを捕まえるように、レトも駆け下りた。
 ついに最後の一段から足を下ろす。目の前にはたしかに石の壁が迫っているが、行き止まり、ではなかった。壁にはいくつか燭台がかかっていて、辺りをぼんやりと照らしている。
 廊下が横長に広がっている。廊下の端と端に扉が1つずつ備えつけられていた。

「あっちと、こっちにも扉がある。なんでこんなに離れてるんだろ?」
「……さあな。大部屋になってたら、扉が2つあるのもわかるけど」
「じゃああたし、こっちの扉開けてくる!」

 ロクは右奥の扉を指差し、走って近づいた。
 見たところ何の変哲もない普通の扉だ。鍵がかかっているかどうかを確認したが、鍵穴らしきものはどこにも見当たらない。勢いよく開けたいのも山々だがそれをすると遠くから拳骨が飛んできそうなので、ロクはゆっくりと把手をひねった。
 
 室内は本棚と机、椅子があるだけで、これといって目立つものもなく殺風景だ。本棚と机の上には本や資料が置かれている。息を殺してみたが人気もない。
 ロクはとりあえず机の上に放置されている本を手に取った。
 標題を視認してすぐ、ロクは瞠目する。

「次元師……増加実験の……経過記録……」

 思いがけず読みあげてしまった文面に、ロクは鼓動が速くなるのを感じた。途端に、胸のあたりに息がつかえたような錯覚を覚える。
 セブンが打ち明けた"次元師を増やす実験"──。それは推察の域を超え、現実の光景としてロクの目に焼きついた。
 震える指先で、おそるおそるロクは本の頁をめくった。

「本実験の目的は、現存している次元の力の源である元力および元力石を用いて対象の次元の力が非次元師においても使用可能であるか否かを検証することである」

 考えるよりも先に、ロクは頁をめくった。専門的な難しい用語、理解不能な数値の羅列。どんどん頭が追いつかなくなる。我慢できず、ぱらぱらっと紙を弾いた彼女は、覚えのある名前を見かけると手を止めた。

「被検体002、デーボン・ストンハック。参照する次元師、ファウンダ・ストンハック……。これ、デーボンだ……! あ、こっちにオッカーの頁もある。どっちも、通信具の使用が可能、って書いてある」

 本実験の第一検証。それが通信具の使用だと明記されていた。デーボンもオッカーもいまは政会の施設にて拘束されている身だ。実験の経過欄にはほとんど情報がない。
 気になるのは、通信具の使用を"第一検証"とした場合の、次の検証内容だ。この書き方では第二、さらには第三検証の存在を想起させる。次なる過程ではいったいなにが行われるというのだろうか。

「あれ? でもデーボンが2番目ってことは、その前にもだれか……。あ、いた!」

 ロクは雑な手つきでいくつか頁を戻り、『被検体001』の経過記録に目を通した。

「被検体001、シアン・クルール。第一検証、通信具の使用、可能。第二検証……」

 ──『元力の投与』
 記録書にはそのように記述されていた。
 シアン・クルールという男の経過記録は異様だった。第二検証結果の欄には『吐き戻し』『吐血』『皮膚の過剰痙攣』──といった不穏な症状が多数書き連ねてあったのだ。それも記述は連日に亘っている。結果の記録は複数枚に及ぶにも拘わらず、欄末には『身体過剰負荷に至り実験中止』という一言が、冷然と書き殴られていた。

「な、にこれ……次元師を増やすって、なんで、こんな……っ!」

 水でも浴びたかのように背中がぞっとする。ほかにも同様の目に遭っている被検体がいるかもしれない。気が急くばかり、いくつか頁を飛ばしてしまった彼女の視線を引いたのは、"530年8月"という日付だった。つい2ヶ月前の記録だ。
 頁の冒頭に明記されたその被検体の名前を目にしたとき、食堂で感じた嫌な予感が的中した。

「被検体004、ナトニ・マリーン」

 ──次の瞬間。壁の向こうから、耳を劈くような叫喚が殴りこんできた。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.96 )
日時: 2020/06/21 12:26
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第087次元 眠れる至才への最高解ⅩⅡ

 喉もはち切れんばかりの痛々しい叫びが、ロクアンズの鼓膜に突き刺さる。彼女は血相を変えて入り口の扉の把手に掴みかかった。
 部屋から飛び出していこうとする──が、しかし扉には鍵がかかっていて、開けることは叶わなかった。

「うそ……! なんで!?」

 入室するとき、扉に鍵穴がないことは確認した。なればさほど重要なものは置いていないのだろう、とすこしも疑わなかった自分の詰めの甘さを思い知る。内側に鍵穴があったのだ。だれでも部屋に入れる代わりに、鍵を持った人間しか出ることができない。関係者以外の人間がもし侵入した場合に、この部屋に閉じこめておける仕組みになっている。
 無理やり壊すほかはない。扉の表面に蹴りかかろうとしたそのとき、レトヴェールの意思が声となって耳元でがなった。

『ロク!』
「レト!? レト、なにがあったの! こっちの部屋、鍵かかってて、でもすぐ行……」
『え、いまの、おまえじゃないのかロク。おまえの部屋のほうから声がしたから、てっきり……』
「……え? あたしは、レトのほうから声が……」

 ロクは扉ではなく、声がした方向の壁へと視線を移した。レトが向かったであろう左の扉と、彼女が開けた右の扉にはだいぶ間隔があった。2つの部屋が繋がっていないとすれば、距離が置いてあるのはなんのためだというのか。

『ロク、そっちの壁になにかないか』
「なにかって……あ!」

 視界一面の石の壁に一か所だけ小さな硝子窓がついていた。ロクが食い入るように覗くと、なにかが蠢いているのが視認できた。外見ははっきりとしないが、いまもまだ叫び続けるその声の主にちがいない。

「あった! ちっちゃいけど、硝子の窓、奥にだれかいる!」
『よし。その窓を起点に壁を壊せ。くれぐれも力加減には注意しろ。できるな』
「当然! ──次元の扉発動、『雷皇』!」

 主の声に応え、辺り一帯に電気の糸が散る。ロクは硝子の小窓から顔を離した。右の人差し指を伸ばし、右半身に、腕の中を這う血流、指の先、爪の一点。電熱が波のように押し寄せる。

「三元解錠──」

 硝子の小窓を睨みつける。視界の先にいる人物を傷つけず、壁も必要以上に破壊しない。力の限り次元技を放つのではなく、目の前の弊害を切り崩すためだけの力と、なれ。
 ロクの意思が呪文に換わる。

「──雷砲!!」

 放たれた細い雷光が、小窓もろとも壁を撃ち抜く。壁の向こうに広がっていた空間が顕となり、室内を一直線に駆け抜けた電気の糸は奥側の壁を撫ぜ、霧散した。
 がらり、と石の破片が崩れ落ちる。穴は予定よりもずっと小さく収まった。ロクは空いた穴を潜り抜け、壁の向こうに広がっていた空間に出た。
 硝子越しに見た人物が、部屋の端でうずくまっていた。急いで駆け寄り身体を起こしたが、気を失っているらしい。寝顔のあどけなさも背格好も、自分とさして変わらない。

「この子が、ナトニ……」

 濃い紫色の髪が元気よく、悪く言えば粗放に跳ねている。薄汚れた衣服の裾から、どこかに打ちつけたような痕が見え隠れしている。

(これが第二検証の傷……!? ……いや、待って、この子……)

 シアンという被検体が第二検証を行った結果、彼は『吐き戻し』『吐血』『皮膚の過剰痙攣』といったような症状に苛まれていた。しかしこの部屋にナトニが嘔吐したような跡もなければ、皮膚が痙攣している様子もない。どうもシアンとは症状が異なる。もしかすると第二検証はすでに終わっていて、いまは第三検証の最中だったのかもしれない。
 加えて、ナトニの身体はひどく熱を持っていた。シアンの検証結果にはなかった発熱を起こしているようだ。

 ロクの居場所の確認をとると、彼女たちが近くにいないであろう場所の壁を切り崩して、レトも入室した。見慣れない少年が彼女の腕の中で気を失っていた。レトは、青く濁った痕のあるその細い腕を持ちあげ、すぐに眉を顰めた。

「……っ、つ。なんだこいつ、熱があるのか? 皮膚も痣だらけだ」
「レト、たぶんこれが、次元師増加実験っていうやつだよ」
「……そっちの部屋になにがあった」

 ロクは先刻までいた部屋から実験の経過記録書を持ちだした。手渡された記録書にレトも目を通す。だんだんと顔色を曇らせていった彼だったが、仕舞いには感嘆の息をもらした。

「セブン班長が言ってたこと、本当だったんだな。次元師を増やす実験をしてるかもしれないって」
「うん……あたしもびっくりした。この地下室がきっとその実験場なんだ」
「それで、いま進行してる実験の被検体がこいつってわけか……」
 
 身体中痣だらけのナトニを一瞥し、レトは記録書に視線を戻した。
 ロクは、膝元で大人しくしているナトニの寝顔を眺めていた。応急処置をしようと腰元のポーチを漁り始めたそのとき、彼が身じろぎをした。ぎゅっと瞑った目がうっすらと開く。ロクの左目と目が合うと、彼は素早く起きあがった。

「わっ! な、なに? 起きた?」
「……」

 ナトニは起き抜けにいきなり走りだして、床の上に転がっていた1つの小瓶に飛びついた。中に残っていた少量の赤い液体を彼は一気に煽ろうとする。しかしすんでのところでロクに組みつかれ、小瓶を取り上げられた。

「なにすんだっ! 離せ!」
「だめだよナトニ! これ、元力なんでしょ!? それ以上飲んだら身体が壊れて本当に死んじゃうよ!」

 液体の赤さからいって、元力が含まれている液体だということはすぐに目星がつく。第二検証である『元力の投与』を経てシアン・クルールがどのような目に遭ったのかを考えると、ナトニの手を止めなければならない。
 
「うるせえ、離せっ、離せよ! 指図すんな!」
「いーやーだ!」
「次元師が作れるかもしんねー実験なんだよ、これは! 成功させて、父さん帰ってきたら、ぜったい喜んでくれんだ。だから余計なことすんな!」
「……」

 抵抗を続けたせいか、意外にもすんなりと手が離れた。急に解放されて、ナトニはたたらを踏んだ。

「じゃあ、これいらないの?」

 懐からバラバラになっているペンダントの部品を取り出し、ロクはそれをナトニの目の前に突きつけた。一つだった石は割れ、紐もほどけているが、紛れもなく父の形見のペンダントだ。彼は激しく動揺した。

「なっ、アンタ、なんで、それ……! 返せっ!」

 奪い返すつもりで素早く手を伸ばした。が、ロクに難なく躱されてしまう。足に力が入らず、傾いた体勢から立て直すことができなかったナトニは床の上に倒れこんだ。傷ついている膝をさらに擦り、苦悶する彼の顔を、ロクはキッと睨んだ。

「ナトニがまだ無茶するつもりなら、あたしだって黙ってらんない」
「なんだよそれ、アンタに関係ねーだろ!」
「そんな傷だらけの身体見せられて、ほっとくと思ったら大まちがいだっつってんの!」
「ほっとけよ! 部外者だろ!」
「あたしはそういう性分です無理!」
「ムリってなんだっ!」

 ナトニはロクに噛みつくように、一心不乱にペンダントを取り返そうとする。ほとんど背丈が変わらないにも拘わらず、ロクの柔軟な動きにまったくついていけないどころかまるで遊ばれているようだ。いよいよ頭にきて、飛びかかる勢いで猛攻を繰り出したがあっさり避けられ、彼は顔面で床を殴打した。
 微動だにしなくなった背中を、ロクがつんつんとつつく。

「……」
「ナ……ナトニ?」
「……が、かっ……がえぜよぉ……っ! なん、なんだよっ、がえぜっていってんじゃんかあ……っ!」

 ロクは絶句した。敵意むき出しで攻撃してきたかと思えば今度は情けなくわんわんと泣きだしたのだ。両目から溢れでている涙が、みるみるうちに床に水たまりを作っていく。彼女は冷や汗を飛ばしながらナトニの周りをうろついた。

「えっ……ごっご、ごごごめん!? あたし!? あたしが悪かったから!」
「あーあ。泣かせた」
「レト~~!」

 小さな嗚咽と、鼻を啜るのを繰り返すナトニに、ロクは問いかける。

「ね、ねえナトニ、なんでそこまで……」

 ナトニは両手を胸のあたりまで寄せ、痣だらけの腕で上体を起こそうとした。しかし発熱を患っているせいもあってか力が思うように入らず、上半身が震えている。彼は顔もあげずに、懸命に言葉を紡いだ。

「父さんの……それが、唯一父さんのものなんだよ。母さん死んじゃったから、ずっとオレ、父さんに会いたくて。ここには父さんの元力石しか残ってない、それしかないんだよ。オレは父さんのためにがんばってんだ。帰ってきたとき、父さんの次元の力を、オレが使えるようになってたら、父さん……絶対喜んでくれるって……だからぁ……っ!」
 
 ロクはだんだん申し訳なくなってきて、ナトニにペンダントを返そうと手を差し出した。が、レトが鋭い声でそれを制する。

「ロク、ちょっとそれ貸せ」
「え? で、でも……」
「いっとき借りるだけだ。あとおまえの通信具も」
「つ、通信具も? ……え、なにするの、レト?」
「いいから」

 ロクは言われた通りに、ナトニのペンダントと通信具をレトに手渡した。力を振り絞って起きあがったナトニが、膝立ちのままレトの脚に縋りついた。

「か、返せっつうの!」
「あとで返す。その代わり、ちょっと調べたいことがある。協力してくれ」
「……へ? だっ、だれがアンタなんかに──、っ!」

 そのとき。両手から急に力が抜け落ちて、倒れる。と思われたが、レトは持っていた記録書を手離し、間一髪のところでナトニの腕を引き寄せた。本は床に落ちるとばさりと音を立てた。
 怪我人を立たせるのも悪いと思ったレトは、ナトニとともにその場で座りこんだ。床の上にある記録書を拾いあげ、見せつけると、レトは言った。

「おまえ、通信具の実験やってないんだな?」

 金色の前髪がわずかにかかるその耳に、白い器具のようなものが装着されている。ナトニは困惑の色を示していた。確信を得たレトは、自分の通信具をも取り外した。

「いまからやるぞ。第一検証」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.97 )
日時: 2022/08/29 13:08
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第088次元 眠れる至才への最高解ⅩⅢ

 『いまからやるぞ。第一検証』──そうレトヴェールが言い出したときに動揺を隠せなかったのはナトニだけではない。ロクアンズもまた頭が真っ白になった。レトはナトニの傷の手当を先に済ませると、持ち運び用の工具を取り出し、あろうことか通信具を解体し始めた。
 恐ろしいほどの手際が良さで事を進めていく。が、見とれている場合ではない。ロクはすでに念頭にあった疑問をそのまま口にする。

「ま、まま待ってレト! 第一検証って……え、なんで? てかどうやってやるの!?」
「ナダマンの元力石を使う。ちょうど2つに割れてるし、俺たちの通信具に片方ずつ組み込んでナトニに使わせる」
「……ナダマン? って、なに?」
「おまえ読んだんじゃなかったのか、実験の経過記録書。こいつの頁に書いてあった父親の名前だ。ナダマン・マリーン。行方不明になったっていう調査班の次元師だ。そんでこいつの頁に第一検証の経過が載ってなかったから、やるってだけ」
「……たしかに、やってねーっちゃ、やってねーけど……でも、なんでアンタが」
「興味本位」

 会話の片手間に躊躇なく支給品を改造していくその姿は一周回って清々しかったが、称賛の言葉を送るよりも先になぜ通信具の改造ができるのかが気になって仕方なかった。黙々と作業を続ける彼におそるおそる訊いてみると、「支給された日に1回解体した」と彼は事も無げに答えた。ロクは心の中で、レトは編入する部班を間違えたのでは、とひそかに呟いたのだった。

 レトとナトニが第一検証を行っている間、手持ち無沙汰になってしまったロクはとりあえず、ナトニが実験をしていた大部屋と廊下とを隔てている壁に穴を空けた。ロクとレトが最初に入った部屋はどちらも内側から鍵がかかってしまい、出られなくなったからだ。
 空けた穴の先は廊下で、自分たちが下りてきた階段が上に伸びている。穴をくぐり、仁王立ちしながらなんとなく階段を見上げていると、やがて実験室の中から2人の話し声が聴こえてきた。どうやら検証が終わったらしい。
 ようやく終わったかとロクが実験室を振り返った、直後。

「──っ!」

 銃声、と金弾がロクの左耳を掠め去った。
 ロクは素早く耳を抑えた。奥で立ち尽くしている2人に向かって力一杯叫ぶ。

「伏せてッ!」

 続けてもう一発放たれる。今度の弾はロクの左足を切った。彼女は膝から崩れ落ちるも、身体を捻って階段のほうを向いた。細い手足に稲妻が奔る。レトも実験室に面している壁に肩を押しつけ、息を潜めた。2人は臨戦態勢をとった。
 不気味なほどの静けさが蔓延する。階段のほうからはまるで足音も聞こえてこない。耳から、脚から、止めどなく流れる血に目もくれず、階段を鋭く睨みつける。緊張がついに、頂点に達した矢先。
 からん、からん、となにかが弾みをつけて階段から落ちてきた。

(……! た、球……?)

 その球状のものは最後の一段からも滑り落ちた。そして廊下の床面とぶつかるや否やカチッと音を立て、まるで風船から空気が抜けるような音を発しながら辺り一面に白いもやを撒き散らす。

「ごほっごほっ! な、なに……これ!?」
「煙幕だ──、ッうぁ!」
「レト!」

 レトの呻き声がしたかと思えば、ロクも後ろからだれかに首根っこを掴まれた。壁の内側に隠れていた2人が階段から見える位置に放り出される。と、
 かちゃりと耳元で装填音がした。
 身体が硬直する。煙幕が目に染みてすぐにでも拭いたい。が、一切の動作を本能が辞めたのは、こめかみに銃口を突きつけられていることを瞬時に理解したからだ。
 白いもやがだんだんと晴れていく。視界が開けてくるとともに、ロクは左目の端で、自分に銃口を向けている人物を認識した。

「ほ……ホム副班──」

 制作班の副班長、ホムが石粒のような小さな目でロクを見下ろしていた。

「じっとしててくだされば、我々はなにもいたしませんです、はい」
「……」
「すいませんね、次元師様。これも目的のためなんすよ」

 レトと肉薄しているのはタンバットだった。彼もまた引き金に指をかけ、レトを脅かしている。目の前で繰り広げられる悪夢のような光景に怯えきったナトニは後ずさりし、その場で尻もちをついた。

「ご苦労」

 階段の上から聴こえてきた声が、薄暗い地下室内を静かに制圧する。
 ロクは声の主の容姿を認めると彼女の名前を口にした。

「ケイシィ副班」

 彼女は右手で銃を一丁提げ、もう片方の手で靴をつまんでいた。階段から足音がしなかったのは靴を脱いで下りたためだろう。彼女は左手に提げた靴を適当に抛り捨て、銃も懐にしまいこんだ。

「随分と迷子になっていたようだね、諸君。まあ無理もない。この研究棟には本日初めて来訪されたのだからな」
「……」
「そう、初めてな。初めて訪れ、そしてこの場所を嗅ぎつけた。君たちは余程鍛え抜かれた間者らしい」

 数段上から義兄妹を見下ろし、乾いた笑みを浮かべてケイシィは言う。

「ケイシィ副班、どうして……どうしてこんなことしてるの? 次元師を増やす実験って」
「余計な穿鑿はお勧めしない。いまだれが君の命を握っていると?」
「……」
「ほう。噂に聞いていたよりも随分と利口じゃないか、ロクアンズ殿。次元師といえどもその力が使えなければ常人とさして変わらないな。今度論文の題材にでもしよう」
「……。ナトニは、」

 ロクが小さく口を開く。ケイシィは黙ったまま、俯く彼女の次の言葉を待った。

「ナトニの身体は、もう限界だよ。まともに立ちあがれないくらい怪我をしてる。でもお父さんのためにって、その一心で、まだできあがってない身体を、意地を張ってるんだ。ナトニは生まれたときからここにいるんでしょ。そんなナトニに対して、情のひとつも湧かないっていうの」

 ケイシィの口から放たれた返答には、情けなど一欠片も含まれていなかった。

「これは至って清廉潔白な取引だ、次元師殿」

 腕組みをし、一段と落ち着き払った声で彼女は続ける。

「彼は父上の偉大な力を受け継ぎ、我々は次元師の増加に成功した研究者として絶対的な栄誉を手に入れる。双方納得した上でこの取引は成立している。にも拘わらず、立場も弁えず早計にも口を挟むとは些か滑稽な行為だとお思いになれないか?」
「あんなことを続けてたらナトニの身体は取り返しのつかないことになる。シアン・クルールって人だってそうだ。身体が使いものにならなくなってから実験中止だなんて、そんなのあまりにも非情すぎる」
「そんな被検体もいたな。あれはよくもった」

 幼子の戯言だと切り捨てんばかりの冷めきった目をしてケイシィは一蹴した。
 ロクは口を閉じた。反論しないかと思われた彼女だったが、その細い両肩は打ち震えていた。

「……るか」
「は?」
「納得がなんだ。ナダマンさんがどこかで元気にしてればいいだって? 帰ってきたら困るからあんなこと言ってたんだろ! ナトニに、父親が喜ぶからとすりこんだのだってあなたのはずだ。そんな人の気持ちを利用して得られる栄誉なんかに──価値があるかって言ってんだッ!」

 ついに怒りが沸点に達し、ロクの手足から鋭い稲妻が迸ると、間もなく。
 彼女の腿に一発の銃弾が撃ちこまれた。
 
「うあっ! ……っ」

 血飛沫が鮮やかに飛散する。ロクはふたたび項垂れ、急速に熱を帯びた腿を押さえつけた。かちゃり、とホムが手持ちの銃を装填させる。
 ケイシィは強い語調で警告する。

「よくお聞きになることだ、次元師殿。ここで見聞きしたすべての事象を口外しないと誓え。逆らえば次こそその矮小な脳天に風穴を空け、元魔の餌に換えよう」

 若草色の頭を床にこすりつけ、浅く息をするロクを見下ろしながら、ケイシィは呟いた。

「下等な種が。我々研究者に物を言うなど高慢も甚だしい」

 まるで苦虫を噛み潰すようにケイシィが表情を歪めた。
 次の瞬間。

 ──タンバットの背後から伸びてきた鎖が、彼の身体に影を落とした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.98 )
日時: 2020/07/05 20:30
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第089次元 眠れる至才への最高解ⅩⅣ
 
「っ、な──!」

 構えていた銃が彼の手から滑り落ちる。瞬きひとつする間にも、タンバットの身体は鎖によって強く締めつけられた。両目を剥いてケイシィは傍観していた。

「うわああ!?」

 続いてホムが悲鳴をあげる。彼の身体に纏わりついていたのは紅色の鱗をした蛇だった。蛇の肢体が食いこんだところから豊満な肉がはみ出している。
 蛇に触れたくない一心で両手を挙げた拍子に、持っていた銃をはたき落とされる。赤い蛇はホムの耳元で大口を拡げ、彼を威嚇した。

「ひいいっ!」
「……」
「副班長殿が揃いも揃って幼子いじめですか」

 暗闇の奥から歩いてきたのは、黒髪を短く切り揃えた長身の男だった。身に纏う隊服さえ黒く、景色によく溶けこんだコルドは、タンバットの背後で足を揃えた。ホムは傍らで立ち止まった臙脂色の髪をした女、フィラを見上げると、丸い体躯をさらに縮こませた。

「こっ、コルド副班、フィラ副班……! なんでここに……!?」

 ロクは傷の痛みも忘れて、驚きのあまり大きく左目を見開いた。
 コルドはタンバットが落とした銃を蹴り飛ばし、廊下の端まで滑らせた。それからロクの疑問に答える。

「俺たちも怪しい場所がないか探した。レトが言っていたように、普段は人が立ち寄らない場所をな。そしたらフィラ副班長が、元魔の管理室もそうじゃないか、って」
「え! じゃあ、あそこから……!?」
「そうよ。行って調べてみたら、本当に隠し扉みたいな仕掛けがあって、そこから入ってきたの」
「成程」

 ぱちぱちと、乾いた拍手が地下室に響き渡る。ケイシィは作り物めいた笑みを浮かべて、コルドとフィラを称賛した。

「これは、コルド副班長殿にフィラ副班長殿。助太刀さながらのご登場とはお見事。もう一つの入口を見つけられたのも流石と言わざるを得ない」
「あまりこのような場所に長居をしていると、ほかの班員が不審に思われますよ」
「なに。貴殿の仰る通り、ここにいるのは全員、各班の副班長だ。会議をしていたとでも言えば疑う者は出るまい。それに研究部班の人間はあまり他人に興味を示さない。世に蔓延る未解明の現象事象のほうがよほど魅惑的なのだ。研究者とは元来そういう生き物でね。よってご心配には及ばない」
「次元師を増やす実験などというものにご執心なのもそういった理由からでしょうか」
「……。私は、証明や裏付けのない事象提唱を最も嫌う」
「それは失礼いたしました。では」

 コルドは懐から2つの小瓶を取り出した。開発班の研究室に保管されていた、元力石の入った小瓶だ。

「勝手ながら、開発班の研究室にあったこちらの小瓶を拝借いたしました。中に入っているのは元力石です。あなたの管轄ですから当然ご存知かとは思いますが」
「ふむ。それがどうかしたか」
「元力石の入った小瓶にはそれぞれ、名前の書いてある小さな紙を貼りつけていらっしゃいますね。研究室にあったものにはどれも、現在戦闘部班に所属している者たちの名前が書かれていました。こちらの小瓶も同様で、私、コルド・ヘイナーの名前が明記されています。……しかしこの小瓶には、非常に不可解な点がございまして」
「……」
「勝手ながら、こちらの記録を閲覧させていただきました」

 発言がフィラに代わって、ケイシィは彼女に視線を向けた。フィラが片手に掲げていた紙束を認めたそのとき、ケイシィの眉がわずかに動いた。

「元力石が置いてあった机の、すぐ近くの棚に収納されていたものです。これは、すべての元力石の形を描きとどめた一覧表だとお見受けいたしました」

 フィラはコルドとともにもう一度開発班の研究室を訪ねていた。その際に、もしも元力石を誤って混同してしまった場合に見分けはつくのだろうかと、ふと彼女は疑問に思った。
 室内にいた班員たちに訊ねてみると、どの元力石がだれの物なのかわかるように石の形を描いて記録していることがわかった。当然、記録の管理者はケイシィ・テクトカータだという。
 ふたたびコルドが口を開く。

「私とフィラ副班は協力して、研究室にあった元力石と、ここに描かれている絵をすべて見比べました。しかし……私の名前が書かれたこちらの小瓶に混じっている2つの元力石だけが、どうも形が合いません。これらは一体、どなたとどなたの元力石なのでしょうか」

 小瓶の中で、数粒の元力石がからりと音を立てる。
 デーボンとオッカーの元力石を地下室ではなく開発班の研究室に保管していたのは、被検体が誤って飲用するのを防ぐためだ。開発班の人間以外は元力石の形に見慣れていないため、その危険性が伴う。
 紛失、誤飲を確実に避けられれば、デーボンとオッカーが釈放されたときに、実験を再開させられる可能性がある。が、その前に元力石を紛失してしまえば元も子もない。そのうえ、すでに亡くなっているファウンダとカインからふたたび元力を抽出することは不可能だ。
 木を隠すなら森の中。もっとも安全かつ日々目の届く場所として、ケイシィは自分の城である開発班の研究室を選んだ。

「なるほど、素晴らしい解答だった。数少ない情報からよくぞ導きだされた。あなた方は我々の首に縄をかけることに見事成功したわけだが、ついでに我々がとるべき今後の行動についてご享受願いたい。妥当な判断でいえば、本部に連行し、我々の行動を告発するといったところだろうか」

 ケイシィは肩を竦め、おどけた風につらつらと述べた。まるで初めましてと挨拶をするような砕けた笑みまで添えて。追い詰められているにしては余裕な態度を見せる彼女に、コルドはすこしだけ黙ると、紳士然とした穏やかな笑みで言った。

「察しが早くて大変助かります。そうですね、ではひとつ、答え合わせに付き合っていただいても?」
「答え合わせ?」

 予想外の返答を投げられ、ケイシィは、訝しむようにコルドの顔を見据えた。

「あなたはご覧の通り大変聡明でいらっしゃいます。しかしあなたは、我々隊内にいる次元師ではなく、デーボンら闇商人と取引をしました。……なぜ頑なに、研究部班に関わりのある人間以外と手を組まなかったのか、その理由がわかったのです」
「ほう。では聞こうか」
「いや、逆ですね。戦闘部班の班員とはよほど関わりたくなかったのでは」

 ケイシィは否定するでも肯定するでもなく閉口した。この実験に関わっていた人間を挙げると、元研究部班の班員で親類の中に次元師がいた者、元研究部班で殉職した次元師と血縁関係にあった者、現研究部班の班員だが行方不明になってしまった次元師と親子関係にある研修員。いずれの場合も、研究部班内の関係者に限られている。
 此花隊に所属している班員の中で次元師は現在、戦闘部班にしかいない。コルドはその点を改めて検討したにすぎなかった。

「私たちのうちのだれかと取引をするということは、戦闘部班の班長であり元隊長補佐のセブン・ルーカーに勘づかれる危険性を伴うということです。そして総隊長ラッドウール・ボキシスの実の孫娘、フィラ・クリストンが在籍しているのも見過ごせないでしょう。さらに申し上げるなら、班員のロクアンズとレトヴェールは、各地で問題が起こるとすぐに首を突っ込み、解決にまで導いてしまう恐ろしい行動力を持った子どもたちです。きっとその奇行の噂はあなた方の耳にも届いていることと思います。そんな危険分子で溢れ返った戦闘部班に取引を持ちかけるなど、見方によっては、悪徳商人と手を組むよりも愚かな選択です。まさにいまのように内情を嗅ぎつけられれば、辞職に追い込まれかねません」
「ではその愚かな選択を避けてなお貴方がたの手に落ちてしまった我々は道化だとでも?」
「いつ愚かな選択を避けましたか? 我が部班の班長が研究物の流出を見過ごしたとして不名誉を授かりましたのでそのお礼をさせていただいたにほかありませんが」
「……」
「研究部班班長、ハルシオ・カーデン」

 その名前を耳にした途端、頑として平静を装っていたケイシィの表情が一瞬のうちに崩れた。

「あなたは彼からその座を奪うためにこの実験を急いだ。違いますか、ケイシィ・テクトカータ副班長殿」
 
 確信を抱いている口振りでコルドが言及する。ハルシオの名前が持ち出され、タンバットとホムも動揺を露にしたのを彼は見逃さなかった。
 ケイシィは細く息を吐くと、肯定の意を示した。

「当たらずも遠からず、といったところだ。私はハルシオ・カーデンという男が心底憎くてて堪らない」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.99 )
日時: 2020/07/12 13:33
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第090次元 眠れる至才への最高解ⅩⅤ

 コルドは以前、セブンの口からケイシィとハルシオの確執について聞かされた。元警備班の班員で支部を転々としていたコルドがほかの部班の内情に詳しいはずはない。班長の座を奪うためなどと、妄言だと蹴り返されればそこまでだがどうやら的は大きく外れていなかったようだ。
 本人が口にした"憎しみ"からか、ケイシィは苦痛に歪んだ口元で矢継ぎ早に言った。

「あなた方程度の理解力で足る問題ではない。奴は……ハルシオ・カーデンは化け物だ。ただの人の子が化け物に対抗するべく術をお考えになったことは? ないだろうな。では教えて差しあげよう。それはこちらも人間の皮を剥がすことだ。感情を捨て、理性を捨て、成果に執着する。さもなければ我々は化け物と足並み揃えて舞台に立つそれすらも叶わない。わかるか。今生では敵わないと脳がひとりでに受信する恐怖を。だから私は邪魔な感情をなげうちこの実験に執着した。これが私の打ち出した、奴の上をいける最高の解式だった!」
 
 入隊規律の最年少ともなる12歳で此花隊の門をくぐり、持ち前の頭脳と底知れぬ探求心でほかの班員を圧倒し、ついには21歳という異例の若さで開発班の副班長に就任した。当時、研究部班の班長は高齢の男で、彼の退隊が決定した際には当然ケイシィ・テクトカータがその席を譲り受けるのだろうとだれもが確信していた。
 しかし、ある日のことだった。調査班の班員であったハルシオ・カーデンが元力の固体化に成功し、あろうことか通信器具を自主開発したという報せが届き、部班内全域に衝撃が走った。前班長は才能に溢れるハルシオを次の班長に推薦し、隊長のラッドウールもそれを承認した。
 次の班長の座は自分のものだ。本人さえそれを信じて疑わなかった。しかし彼女は争いに敗れた。顔も名前も認知されていなかったような一端の班員が明日から班長の座に腰を据え、右肩部に班長のみ許される金章を飾り、自分を下に見るなどと、どうしたら認められようか。急速に湧きあがった感情は、嫉妬などという生易しい域には収まり切らなかった。常軌を逸した敗北感。彼女の脳に憑りついたそれは、いま現在までずっと彼女の思考の真ん中にある。
 ロクはふらつく身体を支えながら立ちあがり、憤りに侵されたケイシィの顔を見上げた。

「じゃああなたは、いま戦ってる次元師のためだとか、神族を倒すためだとか、そういう気持ちじゃなくて……班長さんに負けたままなのが悔しいから、次元師を増せば勝てるからって、そう思ったの」
「稚拙な言語で語るな。汚れる。動機などは結果に反映されない。私が彼より優れていたという名目が後から自ずとついてくる。それだけだ」
「そんなものがほしいってだけで、だれの身体が、気持ちが、どれくらい傷つこうがいいっていうのか!」

 ケイシィに近づくと、ロクは彼女の隊服をぐっと掴んで引き寄せた。片目だけが彼女の顔を強く睨みつける。すぐにでも電撃を浴びせかねない剣幕に、コルドが引き止めるように叫んだ。

「ロク!」
「ほう。私に手を挙げるか? 次元師とはつくづく便利な生き物だな。その力の前では力を持たないほかの種族など等しく虫けらだ。我々はそんな偉大な次元師を生み出すべく行動していたのだぞ。これは世界中の民の悲願である神族掃討への、大きな橋掛かりとなる世紀の実験だ。おまえたち次元師に感謝こそされど貶される謂れはない! さあ、傷つけられるものなら傷つけてみろ。殺せるものなら殺してみせよ。私と一体なにが異なる! おまえたちこそ本物の……人間の皮を被った化け物だろう!」

 ロクは思い切り拳を引いた。彼女の右腕を電気が這いあがり、ふたたびコルドが彼女を制する声を発したそのとき、握った拳から電気の糸は消え失せた。瞬間、何の変哲もないただの拳と成り下がった一撃がケイシィの頬に叩きこまれた。
 階段の上に、黒い隊服がぐしゃりと倒れこむ。ケイシィを見下ろす新緑の眼差しはまっすぐ彼女の身に突き刺さった。

「この力を持ってたから、故郷の人たちや大切なものを傷つけたんだって泣いた人がいる。この力が自分には重いって、それでも前に進もうって決めた人だっている。この力しかないからって自分を卑下しても、だれかのために戦い続ける人もいる。そんな次元師たちの思いも知らないくせに、なにが世紀の実験だ! 次元師を侮辱するのも大概にしろッ!」

 フィラ、レト、そしてコルドが、力強くそう叫ぶロクの姿から目を逸らせなかった。

「あなたみたいなクズ野郎には拳だけで十分だっての!」

 次元師は、だれしもが神族を打ち倒そうと正義を掲げているわけではない。その力を以てほかの人間を見下し、残虐な行為に及ぶ者もいる。しかし次元師とて人間だ。正義か悪のどちらかで分類できるほど単純な存在ではない。人目に触れない地下室に籠り、地上に出たところで他者とは最低限の交流だけを営み、特定の人間に対する負の感情だけをしたためた実験記録書に「成功」の文字が記されることはない。
 上体を起こし、ケイシィは殴られた頬に触れた。内側に溜まった血をぷっと吐き捨てる。

「……クズ野郎、か」

 そう呟くや否や、ケイシィは懐から素早く銃を抜き、ロクの額に銃口を押しつけた。

「──!」
「君はナトニの実験の経過記録を盗み見たのでは? であれば殊更、我々の邪魔をする理由はないはずだ」

 獣のように鋭い目つきでロクを睨みながら、ケイシィは至って冷然と述べた。

「え……?」
「ナトニは以前の被検体とは反応が異なっている。身体が拒否反応を起こした過程はなく、さらには投与した元力を一度たりとも吐き戻していない。そのうえナトニは、元力液を嚥下したのち、すぐに発熱を起こす。この発熱とは、君たち次元師が次元の力を行使する際に引き起こすのものと同様の症状だ」
「!? じ、じゃあ……!」
「ここまでの結果を顧みるに、ナトニは元力の体内への蓄積に成功し──かつ、元力に強い反応を示している」

 ロクは息を呑んだ。たしかに、最初に実験室内を見回したときに、ナトニが嘔吐したような跡がないのを彼女はその目で確認した。発熱はただの副作用のようなものだろうと勘違いしていたが、ケイシィの指摘によって考え方ががらりと変わる。いまの段階ではただ発熱を起こしているにすぎないが、取りこんだ元力が身体に馴染めば、いずれ正確に意思を通せるようになる。なんとしても勝利の盃を傾けてみせるという気概が、ケイシィの血走った瞳、額と接触する銃口から、犇々ひしひしと伝わってくる。

「理論的に考えてそんなこともわからないようであれば口を挟むな! いずれこの実験は完成し、ナトニは『癒楽』以外の次元の力の継承に成功したこの世で初めての次元師となる。証跡の伴わない正義論を振り翳し大口を叩くだけの君に我々の邪魔をする資格などない。──いまここでその目出度い頭をぶち抜かれたくなければ、誓え! 誰がなんと言おうとも、私は決してこの実験を中止には」

 ケイシィが言い切るまさに寸前だった。銃の先端部分を目がけ、剣筋が一太刀、真上から落ちた。かしゃんっ、と音を立て銃頭が離脱する。間もなく、地下室内に静寂が満ちた。
 剣の持ち主はレトだった。眼前で銃口が斬り落とされ、わなわなと怯えるロクの頭上から、冷静を窮めた一声が降ってくる。

「じゃあ、理論的な方面での話でもするか」

 ロクとケイシィに向けられていた関心が一気にレトへと焦点を変える。彼は『双斬』の片割れを鞘に納めながら言った。

「あいにくだけどナトニは次元の力を継承できねえよ」

 ケイシィは両目を一層鋭く細めた。それからすでに使い物にならなくなった銃を下げもせずに抗言を繰り出す。
 
「なんだと……!? ふざけたことを」
「ナトニだけやってなかっただろ、第一検証。やってなかったというか、やれなかったんだろうけど。いまこの施設内には次元師がいねえからな。肝心の通信相手がいなくちゃ第一検証は成り立たない。それに父親と息子っていう関係性でいったらデーボンとファウンダもそうだ。デーボンが父親の元力石で通信具を使えたってことはナトニも同様の結果を得られると見て、第一検証を通さず第二検証を施行したんだろ」
「まどろっこしい、なにが言いたい!」
「さっき俺が代わりにナトニの相手役をやった。結論から言うと、ナトニには通信具が使えなかった」

 ケイシィの思考が一時、停止した。緩慢に首を回し、ナトニの怯えた顔、その耳元に着目する。彼は白い器具を身につけていた。通信具だ。器具を一瞥した彼女の口から、間の抜けた声が出る。

「……は……?」
「第二検証の結果、ナトニの身体に起こった変化は2点。発熱と全身の打撲痕だ。あんたも言ったように次元師は力を発動させるときに身体が発熱するような感覚を覚える。そしてナトニは飲んだ元力液を吐き戻さなかった。以上のことを踏まえて普通に考えれば、取り入れた元力は体内に蓄積できていて、そしてその元力に身体が反応したから発熱が起こったと判断できる。……だけどナトニは、シアンもデーボンもオッカーも、いままでの被検体全員が使えた通信具が使えなかった。ナダマンの元力石はナトニの意思には一切反応しないっていう、最大の証拠だ」

 体外から取り込んだ元力は確実にナトニの身体の中で留まり、発熱まで起こしたはずだったが、彼はその体内にあるものとまったくおなじ元力石に意思を通すことが叶わなかった。これが本当であれば発熱の正体が途端に曖昧なものとなる。ケイシィが意識半ばに銃を下ろし、物凄い早さで思考を巡らしているうちにもレトは親指を立て、後方にいるナトニを振り返らずに指し示した。

「次にあの打撲痕だけど、あれはどこかに手足をぶつけてできた傷跡じゃないらしいな。ナトニがそう言ってた。つまりあれは……外からの衝撃じゃなくて、血管内部に問題が起こってできた、鬱血うっけつだ」
「血管の……内部…………。──、っ! まさか」
「さすがに頭の回転が速いな」

 レトは顔色ひとつ変えずに断言した。

「最初からナトニの体内にあった元力が、外部から侵入してきたほかの元力を追い出そうと過剰に反応したため発熱が起こり、その過程で鬱血を併発させた。それだけだ」

 口を挟める者も、野次を飛ばせる者もいなかった。自信に溢れた彼の答弁はこの場にいた全員を理解の域へと連れていく。
 開いた口が塞がらず、ロクはそのまま、震えた声でレトに訊ねた。

「さ……最初からって、レト、それ……」
「俺の仮説が正しければ、ナトニは本物の次元師だ」
「……。そんな……ありえない……」

 反論したさが先走って、口にするつもりのない弱音がこぼれた。しかし残酷なことに、レトの解答が一理抱えているのを聡明な頭脳が否定しない。ケイシィの理性はついに決壊し、取り繕いのない純粋な疑問がただ漏れていく。

「ナトニが、本物の次元師……?」
「……」
「この世界には、幾百、幾千万いやもしかしたらそれ以上の人間がいるのだぞ……ナダマンも、ナトニも次元師である可能性など、そんなの、極めて低……」
「どこかの下等な種の言葉を借りてこの実験の失敗理由を述べるなら」

 このとき、レトの顔を仰ぎ見たケイシィは、屈辱、恐れ、驚きなど、複雑に入り組んだ感情を覚えながらも、唯一はっきりと、羨望を記憶した。
 そして脳裏には9年前の班長の任命式にてハルシオが前班長を前に傅き、班長のみ着用を許される金の肩飾りを授かったあの一場面が、鮮烈に蘇っていた。

「ひとつだって可能性は捨てるな」

 静かな声音を奏でる唇。整った目鼻立ち。纏う雰囲気。すべてに至るまでまるで毒だ。心身を蝕む毒。あの日味わったそれが、ふたたび口の中に広がった。

 ナトニに第一検証をさせようと思い立ったのには動機があった。レト自身、この実験については失敗するほうに意見が傾いていたからである。そのため、ナトニが次元師特有の発熱を起こし、取り入れた元力液を吐き戻していないという好触感の記録を目にしたとき、当然のように疑念を抱いた。
 失敗の見解を打ち出した理由としては単純だ。次元師と血の繋がっている人間の体内に、その次元師の元力を取り込ませるだけで継承が成り立つならば、とうの昔にハルシオ・カーデンが成功させてしまうだろう。ケイシィを凌ぐ頭脳の持ち主であり、元力の物質化を成功させた張本人でもある彼が取り組まなかったのだ。次元師ではない一般の人間の身体に元力という異物を投与すれば拒否反応が起こるのも容易に想像がつく。もし成功の目途が立っていたとしても、シアンやナトニのような被害者を生み出してしまうのは必然だ。実験に犠牲はつきものだというが、ハルシオはその偉大な発展よりも、数人、もしかすると数十人分に及んだかもしれない人命を優先した。それだけのことだ。
 レトはくるりと身体を向きを変えて、ナトニの左耳に取りつけてある通信具を見ながらこうも言った。

「ま、ナトニが持ってたナダマンの元力石っていうのが、本当はナダマンのじゃないってなったらいまの俺の考えはぜんぶ白紙に戻るけど」
「いや、相違ない。心配なら右の部屋の棚にある元力石の記録書を確認するといい。そこにはナダマンやほかの参照元となった次元師たちの元力石の形を描きとめてある」
「なるほどな。さすが、元力石の混同を防ぐことには余年がなかったわけだ」
「……」

 口答えさえ諦めたケイシィをはじめ、タンバットとホムも加えた3名を拘束した。この黒い隊服に身を包んだ実験関係者たちは本部まで連行し、証拠物とともに上層部の御前に突き出す予定だ。
 コルドはケイシィらを階段付近に固めると、立ち話をしているロクとレトの間に割りこみ、2人を見下ろしながら質問した。

「そういえば、本はあったのか? この地下室に」
「ああっ! 忘れてた!」
「……。まあ、仕方ないか。おまえたちもいろいろ危ない目に遭ってたもんな」
「あたし、ちょっと部屋見てくる!」
「あ。そういえばあったな、それらしいやつなら。俺が入った部屋に」
「…………え?」

 レトは何食わぬ顔でそう言うと、一番最初に入室した部屋にすたすたと戻っていった。コルドは、レトがくぐった壁の穴を眺めながら一息吐いた。

「へえ。あの部屋か。俺とフィラ副班はあの部屋の奥の扉から入ってきたんだぞ」
「扉? あっちの部屋、奥に扉なんてあったんだ。あたしの入った部屋にはなかったのに」
「そうだったのか。扉の奥は長い通路になってて、階段のあるところまで繋がってるんだ。階段も随分な長さで大変だったな」
「あ、やっぱりそっちの階段も長かったんだ~! でもなんでだろ?」
「うーん、そうだな……。もし仮に被験者が次元の力を使えるようになって、制御できずにいきなり爆発音とかが響いたら、研究棟にまで音が届く恐れがあるからじゃないか? そうなったらほかの班員たちに気づかれる」
「あー! たしかにっ。コルド副班あったまいい~!」

 ずっと不思議だったんだよね、とロクが指先で左頬を掻いた。頬には弾丸を掠めたような鋭い傷跡が走っている。幸い深い傷ではないようで布などは当てられていない。が、コルドは自分が痛みを負ったように苦い表情を浮かべてから、優しくロクに問いかけた。

「ロク、怪我はどうだ? まだ痛むか」
「ううん! 即行でフィラ副班に手当てしてもらったからもう大丈夫!」
「そうか。怖い思いをさせたな」
「……まだまだだった、あたし。コルド副班とフィラ副班が来てくれたとき、すっごく嬉しくて、心の底からほっとしちゃった。せっかくセブン班長が、あたしたちは別々でも大丈夫って言ってくれたのに……まだぜんぜん一人前なんかじゃないや。へへ」

 認めてもらいたい。早く一人前になりたい。まだ幼いからこそ抱く焦りやもどかしさを理解できるからか、コルドは、焦らなくてもいいぞとは言えなかった。
 かつての自分も父親に認めてもらいたくて一杯一杯だった。元魔に街を襲われたときに突然次元の力に目覚め、真っ先に「これだ」と舞いあがった。自分には選ばれた力があるのだ。だからこの力でギルクス家に貢献してみせる。立派な理由を並べてみせたのに、父は怒りに怒って、ついには家からつまみ出された。渡されたものといえば母親の姓と、「どこかの組織にでも入って性根を叩き直してこい」の一言だけだった。あのとき父が抱いた正確な心情など知り得ないが、もしかすると、一回頭を冷やして次元の力と向き合い直せと伝えたかったのかもしれない。
 コルドはわずかに笑みだけをこぼして、ロクの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 脇に本を抱えて、レトが部屋から戻ってくる。彼は、コルドとロクの目の前にその赤い表紙の本を差し出した。

「これ。書物館にいたあの使用人の人が教えてくれた本の特徴には似てる。けど……ツォーケン家の家印ってやつがないんだよな」
「家印がない? 200年前のものだから、薄れたのかもしれないな」
「いや……そもそもこれ、200年前のものか……?」
「え、ちがうのか? でも俺には書かれてる文字がさっぱり読めんが」
「これは古語じゃない。若干似てるけど、べつの土地の言葉だと思う」
「えっ!」

 驚きの声をあげたロクが、ふと視線を感じて首を回すと、フィラから手当てを受けている最中のナトニがこちらを向いてわなわなと震えていた。
 ロクはきょとんとして、ナトニに声をかける。

「ナトニ?」
「……ご、ごご、ごめん! それ、盗んだの、オ……オレなんだ!」

 ナトニはフィラの手を振りきり立ちあがると、そう告白して目線を落とした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.100 )
日時: 2020/07/19 13:09
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 7Q5WEjlr)

 
 第091次元 眠れる至才への最高解ⅩⅥ

「は?」

 レトヴェールは素っ頓狂な声をあげた。大書物館から盗み出された本がこの地下室にあったために、やはり犯人は実験関係者なのだと睨んでいたが、思わぬ方向から自白の声があがってきた。ナトニはおろおろしながら、ぽかんと立ち尽くすロクアンズたちのもとに駆け寄った。そのあとをフィラも追う。
 ロクはレトが持っている本を指し示しながらナトニに訊ねた。

「な、なんでナトニが大書物館の本を? そんなに読みたかったの? これ」
「……いや、じつは、ちがくて……。その本を盗みたくて、大書物館に行ったんじゃねーんだ」
「ほえ? じゃあ……」

 疑問が疑問を呼ぶ中、ナトニは静かに口を開いた。

「……調査班の研究室で、偶然見たんだ、オレ。二月前、オレがこの実験場に入るほんの直前に。行方不明になったっていう父さんの、最後の遠征予定記録。大書物館に向かってから東の町に行くって書いてあった。オレ、すごい気になって気になって、がまんできなくなって、二十日くらい前に1回だけこの実験場から抜けだしたんだ。そんで大書物館と東の町に行って、『14年前、戦後に白い隊服を着た次元師が来なかったか』っていろんな人つかまえてきいたんだけど……町の人は、灰色の人はいたけど白を着た人を見た覚えはないって。でも、大書物館のほうには、来た、って言われたんだ」

 肌身離さず持ち歩いていた父の形見のペンダントは、脱走に際して落としたものだった。落ちていたのが裏庭だったのもナトニが表門を通るのを避けたためだろう。 

 ウーヴァンニーフ領より東の方面といえばメルドルギース戦争で被害を受けた土地の一部だ。見かけたという灰色の隊服は、復興作業で派遣された此花隊の援助部班とみてまちがいない。此花隊の隊員が訪れたのを町の住民たちも喜んだはずだ。その隊章が印された衣装を着ていた人間のことならば覚えていそうなものだが、否とあれば、ナダマンはおそらく本当に東の町へは訪れていなかったことになる。


「だから父さんがいなくなった理由が、大書物館にあるんじゃないかってオレ思って、館内をめちゃくちゃ探し回った。そしたら見覚えのある文字で書いてあった本が……それがあったから、持って帰ってきたんだ」
「見覚えのある文字ってどういう意味だ」
「いまオレが宿泊棟で使ってる部屋、もとは父さんの部屋なんだよ。オレ、父さんのこと知りたくて、書棚とかぜんぶ見た。けど父さんの部屋にあった書類ぜんぶ、ぜんぜん読めない言葉で、走り書きしてあった。それがその……あんたがいま持ってる赤い本の文字だ。書体だって父さんのだ。見りゃわかる」
「じゃあナダマン氏はその本を持って大書物館に向かったあと、東の町へ行くまでに行方不明になったということか」

 コルドの見解を耳に入れながら、レトは本を開き、適当な頁に視線を落とした。そして逡巡しながら口を開いた。

「……そうだな。わかるのは、ナダマンが大書物館で、この本になにか記録していたらしいってことだけだ」
「き、記録?」

 ロクが小首を傾げる。ぱらぱらと、いくつか頁をめくりながらレトは続けた。

「この本の中身、よく見たら図とか数字とかもちらほら出てくる。もしかしてナダマンは、なにか記録するとき最初にこの文字を使って殴り書きして、それから書類にまとめるときにはメルギース語に直してたんじゃないか?」
「! ああ、そうだよ。よくわかったなアンタ! 調査班の研究室に残ってた父さんの調査記録書、探して読んだけど、ぜんぶちゃんとメルギース語だったし、字もキレイだった」
「……とにかく、一度届けてみないことには始まらねえな。これが大書物館にあったのは間違いないし、ナダマンのこともすこしはわかるかもしれない」
「じゃあオレも連れてけよ! たのむ!」
「それはダメよ、ナトニくん」

 フィラが諭すように釘を差した。びくりと肩を震わせたナトニは、包帯の巻いてある両腕を背中に隠した。彼の状態を見た彼女が許すはずもなかった。

「あなたの身体、応急手当をしたとはいえまだひどい状態よ。すぐにでもちゃんとした治療をしないと」
「でも……!」
「だーめ。そんな状態のナトニくんを、もしいまナダマンさんが見たら……きっとすごく悲しむわ。……大丈夫。元医療部班の私が責任をもって、あなたの傷を治します」
「……わかったよ。おい、えっと……ロ……ロ、レ? ……緑のと黄色いの!」

 ロクとレトは同時に、目をぱちくりと瞬かせた。通信具の検証中に名乗ったはずだったし、何度かお互いに"ロク"、"レト"と呼び合っていたのだがまさか略称まで覚えられていなかったとは。呆れたようにレトが息を吐いた。

「どんな記憶力してんだ」
「なんかわかったら教えろよな。ゼッタイだぞっ」
「あはは。もっちろん!」
「わあってるよ」
「あ、ねえっ、じゃあその代わりにさ~……名前で呼んでよ!」
「はっはあ!? だだだれが、あ、アンタらなんか……!」
「あたしはロク、ロクアンズ! そんでこっちの黄色いのが」
「レトヴェール」
「そう、レトね! ほらナトニ、ほらっ」
「……」

 ナトニは眉根を寄せると、ぷいっとそっぽを向いた。それから口を尖らせて答える。

「オレにウソついたら承知しねーからなっ、…………ロク、レト」
「はーい!」
「素直じゃねえな」
「いい勝負だよレト」

 ナトニが盗んだ赤い本と、実験の経過記録書、元力石の図本を持って、一同は地下室をあとにした。ロクとレトが下りてきた方の階段を昇って、調査班の研究室へと戻ってくる。
 研究室から廊下に出ても、道行く班員たちの目に留まることはなかった。ケイシィたっての希望で、研究室にあがる手前で拘束具をすべて外していたのだ。おかげで大きな騒ぎにはならなかったが、ケイシィはもっとも信頼を置く部下の男を捕まえて、「しばらく研究棟を空けるが、仕事だけは決して滞らせるな」と、開発班における指揮を彼に託した。調査班と制作班の班員たちも似たような指示を副班長から受け、当然だが、眉をしかめていた。
 後日、研究部班の副班長3名の懲戒処分の報せが届くことになろうとは、このときはまだだれも知る由のないことだった。

 門の前で一同は足を止めた。荷馬車の手配で厩舎から戻ってきたコルドに、フィラが声をかける。

「コルド副班長、今後の動きはどうしますか? これから大書物館に行かれるのでしたよね?」
「そうですね……。フィラ副班、ロクとともに先にウーヴァンニーフを出発してください。俺とレトは大書物館で用事を済ませたら、2人のあとを追いかけます。ここから一番最初に着くのは、たしかキナンでしたよね? キナンの町で落ち合いましょう。着いたらこちらから連絡します」
「わかりました。そうしていただけると助かります。ナトニくんの怪我の様子もゆっくり見たいので」
「……」
「ナトニくん?」
「あ、お、おう」
「ちぇー、じゃあ大書物館はまた今度かあ」

 ロクがそうぼやきながら足元の小石を蹴る。国の名所とされる大書物館に行けなかったのが残念なのだろう。そんなロクを見かねてか、フィラが明るい表情をして提案した。

「ロクちゃん、せっかくだからコルド副班長たちといっしょに行ってくる?」
「えっ、いいの? でもそれじゃあフィラ副班、1人になっちゃうよ」
「そうです、フィラ副班長。いくらなんでも危険すぎます」
「大丈夫ですよ。明日の夕方頃には落ち合えるんですし、それに私には、巳梅っていう立派な護衛もついてますから」

 フィラは肩に乗っている巳梅の顎のあたりを指先でくすぐった。コルドは渋々、頭を縦に振った。

「……わかりました。それではフィラ副班長、この方々のことを頼みます」
「はい。必ず」

 フィラは右手を丸めて、左腕のあたりをとんと一度叩いた。左の二の腕のあたりには、此花隊の隊章が刻まれている。此花隊内で用いられている敬礼だ。
 ロクは、とととっとナトニの傍まで行くと、ぼーっと俯いている彼の顔を下から覗きこんだ。

「ナートニっ!」
「うわあ!? な、なんだよっ」
「じゃあまた明日、キナンで会おうね!」
「……。……あ、あの、さっレト!」

 ナトニはなにか言いたそうに顔を歪めてから、ふっとロクから視線を外し、レトの名前を呼んだ。レトは立ったまま赤い本を読んでいたが、呼ばれたことに気がつくと本を閉じ、すたすたと歩み寄ってきた。

「へえ、今度はちゃんと覚えてんじゃん。で、なに」
「なあ、さっき言ってたことホント……なのか。オレがその……じ、次元師だって」
「……あくまで予想、だけど。たぶん外れてない」
「じゃあ……オレも……アンタたちみたいな……」

 消え入りそうな声で言って、ナトニは猫のような目を伏せた。検証用に改造した通信具も解体し、二月前の元の姿に直った元力石のペンダントをぎゅっと握りしめ、彼は吐露する。

「……父さん、みたいに……立派な次元師に……なれるかな。14年前の戦争で、父さん、次元師として前線で戦ったって……強くて、その強さで生き残って、かっこよかったってみんな言ってたんだ……」

 強制的に前線へと送られていたほとんどの次元師は奴隷という身分で、彼らはのちに政会陣によって保護されていたわけだが、その当時、此花隊にも少なからず次元師はいた。隊に属していた次元師も一兵として戦場に駆り出されていたのだ。戦場で散った次元師は数多く、ほとんどが命を落とした中で、ナダマンは生きて隊に帰還した。終戦後、その功績を大いに称えられた彼だったが、まもなくして行方不明になってしまったのは不幸以外の何物でもなかった。
 ナトニは、そんな父親の次元の力が受け継げるのだと心の底から信じていた。しかし結局叶わなかった。正直身体だって限界だったし、そもそも、もしかしたら本物の次元師かもしれないと言われて非常に混乱している。加えて今日、本物の次元師たちの力を目の当たりにして、わかった。ずっと欲しかった力が手に入る可能性があるのに、実感が恐怖を連れて次から次へと溢れてくるのだ。次元師の戦死者が続出した戦場で、父ナダマンが生き残ったのは偶然でもなんでもない。実力者だったからだ。自分も槍の降る戦場に足を踏み出さなければならないなんて、死と隣り合わせの日常に駆け入るだなんて、そんな覚悟を急に押しつけられても怖いだけだ。
 雨さえ降っているわけでもないのに、手足ががたがたと震えてやまなかった。

「でもオレの中にあるのは、そんな父さんの次元の力じゃない……。得体のしれない力だ。それに、オレすげえ泣くし、急に怖くて、たまんなくて……だから」
「なれるよぜったいっ!」

 ペンダントが壊れてしまうほど固く握っていたその手をやんわりと包み、ロクは言った。晴れた空みたいに、突き抜けた明るい笑顔だった。ペンダントからひとつずつ、指が離れていく。首元できらきらと光るニつの珠玉は、強い輝きを放った。

「たしかに次元師だったら、これからたくさん、怖い思いすると思う。でも怖がる必要はまったくないよ。だってナトニの中に眠ってるそれは、すごい才能なんだよ!」
「……才、能……」
「強くてかっこいいナダマンさんの力は、ちゃんとナトニの中にも流れてるよ。ナトニはそんなお父さんから託されたものと、世界から託されたもの、どっちも持ってる。そう考えたら無敵! って気がしてこないっ? それに……きっと実験は失敗してた。どんなにがんばっても、ナダマンさんの力は受け継げなかったと思う。だけどナトニは次元師だよ。今度こそ本当の意味で、お父さんとおんなじ次元師になれるんだよっ、ナトニ!」
「……父さん……と、おなじ──」

 ロクもレトも、自分と歳はあまり変わらない。なのに銃弾にも臆さず、拳を振りかぶり剣を抜く。戦場を、屍の上を駆け抜けた父にもそんな強さがあったのだろうか。一秒先の未来に決して屈しない、次元師たちの強さが。だれかに唆されて簡単に信じきって縋りついて、残ったのは傷痕だった。だけどこんな不甲斐ない足ででも、自分で選んだ道を歩こうとするなら、父は喜んでくれるだろうか。
 父に憧れて、日々流した痛みよりもずっと澄んだ色をした涙が、いくつもナトニの頬を滑り落ちた。

「オレ、今度は自分の力で、次元師になる」

 これがいま、彼がその身ひとつで打ち出せる最高の解答だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.101 )
日時: 2020/07/28 10:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第092次元 眠れる至才への最高解ⅩⅦ
 
 だんだんと日が傾いてきて、行路に揺らめく影も伸びてきた。ロクアンズは肌寒さに身震いした。まだ吐く息が白くなるには早いが、だいぶ冬季に近づいてきている。
 大書物館に到着したコルド、レトヴェール、ロクの3人はまず、古語の本棚を管理している使用人の女のもとを訪ね、ナトニが盗んだ赤い本を差し出した。依頼された本と、ナトニが盗んだ本が本当に一致するかどうかを確かめるためだ。彼女は目を瞬き、これです、と答えた。詳しい事情をバスランドにも話すため、彼女に部屋まで案内してもらった。
 事の顛末を聞くと、バスランドは「そのナトニという少年に悪いことをしてしまった」と眉を下げた。ナダマンについて訊ねてみると、たしかにこの館には訪れたという。しかし退館したかどうかは、さすがにわかりかねるとのことだった。
 部屋から出ると、コルドは赤い本について、使用人の女に詳しい話を訊ねてみた。大書物館の棚の管理者たちは、本の背表紙から標題、中身に至るまで、任されている棚のことはすべて把握している。ただ、古語関連の本を収容した棚に限っては例外である。その昔、古語で書かれた文献のほとんどが、言語が移り変わるとともに別の文献へと写生された。有名な童話『わたしの子エリーナ』もその1つである。古語の文献はいまや文化遺産に等しい。そのため、古語の棚の管理者は、本の中身以外の特徴を記憶するよう教育されている。
 使用人の女はちょうど十数年前からこの棚の管理者になったとのことで、返答はなかなかに好触感だった。彼女は階段を下りながら説明してくれた。

「そちらの本についてですか? そうですね……たしか初めてその本を見たのは、ハスウェルが本棚の前でその本を咥えていたときでした」
「ハスウェルというのは、バスランド伯が飼っていらっしゃるあの犬ですか?」
「はい。そのときは棚の管理者として新参者だったこともあり、収納し損なっていたものなのだとなんの疑いもなく本棚に加えてしまいまして……。申し訳ありません」
「ああ、いえ、そんな。……あの、そのときの状況をもっと詳しくお伺いしても?」
「状況ですか……。そういえばあのときも……」

 階段を下りきると、使用人の女は古語の棚の前まで足を運んだ。彼女は片腕をあげ、揃えた指先で棚の最下段を示した。

「このあたりの最下段の本を、随分散らかしていましたね」
「へ~」
「ご覧の通り、最下段から上二つまでの段は、それより上の段よりも多少幅を広めに作ってあります。幅の広い書物や大きな地図などを収納するためにこのような造りとなっています。ハスウェルはなぜか、このあたりの本を散らかすのが好きなようで、それを片付けるのも仕事のうちになってしまいました」
「最下段にある本、ちょっと見てみてもいいですか」

 レトは棚の最下段を指差して、使用人の女に訊ねた。彼女は「どうぞご自由にご覧くださいませ」と許諾したのち、「あ」と小さく声をあげた。

「どうぞ本を抜いて、棚の奥にも触れてみてください。きっと面白いものが見られます」

 悪戯っぽく微笑んでから、残っている仕事を片付けにいくと言って、使用人の女は一旦離脱した。
 じっ、とレトは最下段に並ぶ本を舐めるようにして眺めた。

「面白いもの?」
「えー、見てみたい見てみたい! 本どかしてみよ!」

 ロクとレトは手あたり次第に本を抜いてそのあたりに散らかすと、棚の奥とやらにぺたぺたと触れてみた。間もなくレトの手がぴたりと止まる。

「あ」
「なんかあった?」
「奥の板、微妙にずれてるところがあるな。動くのか?」
「えっ!」

 どうやら棚の奥の板の一部が左右に動く仕組みになっているらしく、板を横に滑らせてみると、またしても本がぎっしりと収納されていた。

「へえ、すごいなこれは。棚が奥にもあるのか。二重で収納できるんだな」
「ええ!? 普通に前から見ただけでもすっごいたくさん本があるのに、ここの館にある本棚、ぜんぶこうなってるのかな? じゃあ思ったよりずっとたくさんの本があるんだ~……」
「さすが、物好きな建築家が設計した館なだけあるな」
「……」

 大書物館において戦争の被害を受けたのは表のガレージなど、一部のみだった。大部分は200年前に建立されたままの姿であり、現在まで受け継がれている。
 この館を設計した物好きな建築家とは、世界中のありとあらゆる本を集め、資産の限りをこの館に注ぎこんだ男、マグオランド・ツォーケンだ。風変わりな彼が建てたものなのだから、仕組みの一つや二つあっても驚きはしない。

「物好きな建築家、か……」

 おそらく彼が発案したであろう二重の本棚をぼんやりと眺めながら、レトはぽつりと呟いた。

『そういえばあのときも……このあたりの最下段の本を、随分散らかしていましたね』

 使用人の女がそう言っていたのを思い出すと、レトは即座に周囲を見渡した。自分とロクとで抜き取った本が辺り一帯に散らばっている。
 レトはなにを血迷ったのか、二重棚の本にも手を伸ばし、さきほどとおなじようにぽいぽいと本を放り出しはじめた。

「ちょっえ、ちょっと! なにしてんのレト!?」
「再現。あの犬は、たしかこのあたりを散らかしてたって言ってただろ」
「それはそうだけど~……! ねえ、あとでこれぜんぶ元通りに戻さなきゃなんだよ? あたし場所なんてもう覚えてないよ、レト……」
「俺が覚えてるから大丈夫だろ」
「ぜんぶっ!?」
「うん」
「こわ……」
「ロクそういう顔もするんだな。本気で気持ち悪がってる顔だぞそれ」

 奥の二重棚の本をすべて抜き終わると、レトは目を凝らして、真っ暗な棚奥をじいっと睨んだ。

「それにしてもときとして大胆だな、レト」
「ロクのがうつったかな」
「え、それは褒めてるって受け取ってもいいやつ? だめなやつ?」

 二重棚を発見したときのような板のずれは見当たらない。さすがに三重にはなっていないらしい。引き返そうと身をよじったそのとき、レトは、はっとして金色の目を見開いた。
 二重棚の本はすべて抜きだすことができた。最初から十数冊しか収まっていなかった。正面は巨大な棚で横広の造りになっているのに、なぜこの場所の奥の二重棚は、たった十数冊しか収まらないほどスペースが狭いのだろう。
 ロクやレトくらいの歳の子どもであれば十分に入ることできる。その基準でいえばハスウェルも同様だ。
 だが、犬がわざわざ本棚の本をよけ、この狭い場所へ来るとは考えにくい。

(もしかして)

 レトは靴を脱ぐと、あろうことか本棚の奥へと這い進んだ。

「えええ!? ちょ、ちょっとレト! なにしてんの!?」

 ロクとコルドが驚いた顔をして本棚を覗きこんだ。奥から、きぃ、と木の扉でも開くような小さな音がした。それから、かん、かん、となにかが跳ねるような甲高い音が遠のいていったり、似たような音が比較的近くで響いたりもした。レトのくぐもった声が飛んできたのはそれからすぐのことだった。

「二重棚の奥に、通路っぽいものがある」

 レトは四つん這いになったまま後ずさりをして、戻ってきた。

「つ、通路ぉ!?」
「奥になにが見えた、レト」
「奥の板に切れ目と小さなくぼみがあった。押しても開かなかったから、くぼみに指の先を引っかけて引いてみたら扉みたいに開いた。その先は暗くてよく見えなかったけど、適当なもん投げたら奥まで跳ねていったから、なにかを収納する空間とはまたちがう。上にも投げてみたら天井に当たってまっすぐ落ちてきた。たぶん子どもが立って通れるくらいの道がある」

 棚板にぶつからないよう頭を引き抜くと、レトはそのまま足を崩した。

「子どもが通れる道? なんで?」
「これはただの想像だけど、建築家業が成功して一族も繁栄しただろうから、子どもの遊び場としてマグオランドが改築したとかじゃないか?」
「なるほどー!」
「俺としてはこの先に行ってみたい。おそらくハスウェルはここ以外のどこかから隠し通路に入って、道すがら本を見つけ、二重棚にある本をのけながら館内に入ったんだ。だから管理者のあの人がハスウェルを見かけたとき、このあたりに本が散らばってた」
「あたしも行く行く! なんかおもしろそう!」

 立ち上がって腰を伸ばすと、レトは辺りに散乱している本を見下ろした。ロクも行きたそうにうずうずしていたが、コルドは難色を示した。

「しかしだな、この先は大人が入るには厳しいんだろ? ナダマン氏は成人の男だぞ。どうやって入ったんだ……?」
「……そこなんだよな。まさか俺やロクがしたみたいにそのへんに本を散らかして行ったとは思えない……」

 この棚奥の隠し通路を偶然で見つけるには無理がある。義兄妹がしたようにすべての本を抜き取った上で、這いつくばって棚の奥を調べる必要があるからだ。
 もしナダマンも、ハスウェルがよくこの棚の周りを散らかしてたことと、狭い二重棚が造られていること、そして棚奥の隠し扉が手前に引かなければ開かないことから、子どもが遊ぶ用の隠し通路があるのではと気づいていたとしても、大の男が通れるかどうかも怪しい入り口に頭を突っこむ姿は想像に易くない。
 頭を抱えたまま固まってしまった男たちの背中を叩くように、ロクが元気な声を張りあげた。

「行ってみたらその秘密もきっと解けるよっ! せっかくレトが見つけたんだもん、可能性のあるとこへ行こうよ! ナトニとの約束もあるしさっ」

 こういうとき、余計なことはなにも考えずにこにこと足を踏みだせる彼女の性格が羨ましくなる。研究棟での潜入調査の影響か、すっかり張りつめた空気に慣れつつあった脳が、途端に力を抜いた。

「そうだった。ナトニのためにも、いまはとにかく動きたい」
「まったくその通りだ」
「そうこなくっちゃ!」
「正直、俺とロクだったらすんなり入れるけど、コルド副班は覚悟したほうがいいかもな。入り口も狭いけど、あの通路をいくには身長が高すぎる」
「まず俺は入り口を通れるかどうかが心配だが」
「通るときだけ隊服ぜんぶ脱げば? それなかったらだいぶ楽だよ」
「伯爵家の建造物内で俺を変態にするつもりか?」

 しばらくして、使用人の女が棚の前に戻ってきた。どうやら隠し通路の存在は知らなかったようで、彼女はかなり驚いていた。二重棚はとくに普段読まれないものを収納するスペースのため、ハスウェルが散らかさない限り目に触れることもほとんどないせいだろう。
 コルドは使用人の女とともに、もう一度バスランドの部屋へと向かった。隠し扉の奥の通路について話をするのと、その探索の許可を得るためだ。

 使用人の女と同様に、バスランドも隠し扉については初めて耳にしたらしかった。あまり驚く素振りを見せなかったのは、祖先のマグオランドが変わり者であることを彼が十分に理解しているからだ。バスランドは先祖代々受け継がれてきたものだからとこの館を管理してはいるが、邸宅はべつに構えている。彼の家族も館へはほとんど立ち入らず、一家ともどもこの屋敷への関心の薄さが伺える。
 だが均等に区切られた立地に、寸分たがわず外郭を揃えた建物が並ぶ街の景観を見る限り、その変人さで言えばバスランドもマグオランドといい勝負だろうとコルドは心の中でひっそり独り言ちたのだった。

 口では興味なさげな風を装いつつも、バスランドもコルドとともに古語の本棚の前へとやってきた。すでにロクとレトが準備万端といった様子でコルドの帰りを待っていた。
 隠し通路にすっかり興味津々なバスランドと使用人の女に見送られながら、此花隊隊員の3人は、二重棚の奥に構える通路へと這い進んだ──。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.102 )
日時: 2020/08/09 09:15
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第093次元 眠れる至才への最高解ⅩⅧ
 
 通路への狭い入り口をはたしてコルドが通れるかどうかがもっとも心配を要するところだったが、彼は副班長としての意地にかけて隊服を着用したまま通路に抜け出てみせた。レトヴェールは携帯用のランプと蝋燭を2つずつ取り出し、ロクアンズに『雷皇』の電熱で灯をともすよう頼むと、2つあるランプのうち1つをコルドに手渡した。狭くて暗い通路を、小さなランプの明かりがぼんやりと照らす。
 まるで、幽霊でも出そうな廃屋敷の中を歩いているようだ。ロクは幽霊の類が苦手なため、ずっとコルドの腕にしがみついていたのだが、彼も彼で身を屈めて進まなくてはならない。腕に負荷がかかり、腰に負荷がかかり、口を閉じるのも早かった。
 通路は一本道で、途中で曲がったりなどもしたが、分かれ道はなかった。
 途方もない暗闇がいったいどこへ続いているのかも知らず、出口も見えず、ただひたすらに歩き続けて四半刻が経った頃だった。
 一本道の終わりは唐突に訪れた。コルドたち3人を待っていたのは、四方を石壁に囲まれた広い空間だった。ようやく背中を伸ばすことができたコルドは、頑丈そうな大きな鉄扉を前方に認めると、扉の前まで歩を進めた。仰々しい銀細工の把手とってが設けられているが、扉の片方が横に滑らせてあり、隙間が空いていた。隙間からはさらに深い闇色が漏れ出している。

「ひえ~! おっきな扉だね~!」
「……開いてるっぽいな、扉」
「そのようだな。この凝った造りの把手は飾りか。ともかく幸運だった。俺でも通れそうな隙間だ」

 コルドは先陣を切って、扉の隙間に身体を滑らせ、中に入っていった。レトもそのあとに続く。
 最後に隙間を通り抜けたロクは、早々にぎょっとした。視界が文字通り真っ暗で、室内がほとんどなにも見えないのだ。コルドとレトの手元で揺らめく灯かりのおかげで、かろうじて彼らの位置を把握できるものの、それも薄らぼんやりとしている。気のせいだろうか、まだ蝋燭の火が絶えるには早すぎるはずなのに、ランプの灯かりが小さくなったように見える。まるでこの暗闇が、光そのものを丸呑みしようとしているようだ。
 レトやコルドの傍を離れたら一巻の終わりだ。危険を肌で察知したロクは、涙目になりながら片足を踏みだした。

「れ、レトお願いっ、あんま離れないで~……」

 そのときだった。ロクの足の爪先に、かつん、となにかが当たった。

「ひえっ!? ……な、なに? なんか足に当たって……」
「どうした、ロク」

 ロクの異変に気がついたレトが、手に持ったランプで彼女の足元を照らすとそこには、頭蓋骨が転がっていた。

「ひゃああっ!?」

 甲高い叫び声をあげてロクはひっくり返った。暗闇にくり抜かれた大きな黒い眼が、しりもちをついた彼女をじっと見上げている。頭蓋骨のほかにもいくつか細長い人骨が寄り添い合っておりどことなく人の形を象っている。
 
「驚くのはまだ早いぞ2人とも」

 ランプの灯かりでうっすらと顔を照らしながら、コルドが振り返った。彼はもう片方の腕に布の塊を引っかけていた。視界が悪いので、ロクは左目を細めた。

「な、なに? それ」
「隊服だ。此花隊のな。灯かりを近づければもっとわかりやすいが、白い。服の作りからして……研究部班のものだろう」
「……え、研究部班、って……え?」
「これを見てくれ」

 コルドは隊服を持っているほうの肘を曲げ、握った拳を掲げた。その手には懐中時計の鎖が握られていた。隊服を調べた際に、懐から見つけたものらしい。
 レトに受け取らせると、蓋を開けるようコルドは指示する。レトはロクにランプを預けてから、言われた通りに懐中時計の蓋を開いた。蓋の裏側には文字が刻まれていた。文字はメルギースの言語ではなく読むことができないが、いまここにいる3人は強い既視感を覚えた。

「レト、この懐中時計の文字、いまおまえが持っている本の文字と……似ていないか?」
「……似てるどころじゃねえ。まったくおなじだ」

 レトは本を裏返して裏表紙を見せた。下部にはやはり馴染みのない文字が書き記されてある。その文字列の横に、懐中時計の蓋を並べてみると、文字の形は見事に一致していた。

「この文字、古語にすこしだけ似てる部分があって、人名とかほかに意味を持たない文字列ならだいたい予想がつく。この文字列の読み方を現代っぽく直すと……おそらく、"ナダマン・マリーン"。だからこれはナダマンの隊服と……遺骨だろう」
「……っ、そんな……! でも、それじゃあ」

 ナトニは──そう言いかけて、ロクは口を閉じた。彼が次元の力の実験に執心していたのは、きっとこの世界のどこかで生きているであろう父親が帰ってきたときに、喜んでもらうためだったのだ。生まれてから一度も会ったことがない父の姿や声をどんな風に想像していただろう。想像に終わってしまうことがこの上なく虚しくて、ロクは奥歯を噛みしめ、その場にふたたびへたりこんだ。

「しかしそうなると、ナダマンはここで命を絶ったことになるが……なぜだ? だれかに閉じ込められたか?」
「ナダマンは次元師だった。それも実力者だったんだろ。次元の力で扉をこじ開けるくらい造作もないはずだけど……」
「まさか……ここで自ら命を絶ったのか?」

 コルドが信じられないようにそう言った、次の瞬間。

「左様」

 深い闇に覆われたこの空間の、遥か奥のほうからたしかに声が響いた。

「かの者は自ら望んで陽を拒んだ。己のことを語りたがらない男だった。幾つ月日を超えたか既に記憶は及ばぬが、あの男との日々は愉快であった」

 その声は声と呼ぶにはあまりにも深い響きをしていて、絡まる闇の中を巧みにすり抜けてロクたちの鼓膜に触れた。

「ときに。我が御魂を奪いにきたのか、異界の術を身に宿す、人の子らよ」

 刹那。途方もない暗闇に突然、ぽつりと明かりが浮きあがった。その火の玉のようなものの実態は両側の壁にかかった燭台で、まるで波が海に引いていくように奥へ奥へとひとりでに明かりを灯しながら、コルドたちが立ち尽くすこの空間全土に光を齎していく。
 すると、部屋の奥に積み上げられていた金貨や宝の山が、光源にあてられ姿を現した。ここは宝物庫だったのだ。高い位を許された家系の生まれであっても、ひとたび見やれば瞬く間に目を奪われてしまいそうな金銀財宝が目と鼻の先にあるのに、コルドたちの意識を支配したのは、べつのものであった。
 中央に鎮座する立派な宝箱の上に、白亜の大きな羽毛に身を包んだ、なにかが佇んでいた。
 一見楕円型をした白い塊のような"それ"は、人語を解してはいる。がしかし、この地球上に現存するどの生物ともかけ離れた異様な雰囲気を纏っていた。

 殻にこもるように、大きな両翼で覆われていた頭部が、ゆっくりと露になっていく。白い殻から覗いた真紅の十字。息が止まるようなその赤い眼光が、義兄妹の視界に突き刺さった。

「──っ!」
「赤い……目……」

 血で染めたように真っ赤な眼球。
 人間の形をした人間ではないもの。──神族、【運命デスニー】の愉快げで不愉快な姿が瞼の裏に蘇り、途端に視界が血塗られたような錯覚に襲われる。
 四つの白い翼をはためかせ、それは宝箱の上から飛び立った。巻き起こった風がかまいたちとなって3人に襲いかかる。

「くっ──!」
「うわあっ!」

 咄嗟に瞑った左目を、ロクがうすらと開けたそのときだった。霞んだ視界に一本の白い羽が舞い降りた。その白い羽が幾重にもなり、まるで花びらのように降りしきる中、この世のものとは思えない神聖な声音で白い生物は鳴いた。

「異術師らよ。男の仇討か、使い魔に怨恨を抱く者か。そなたらの素性はあずかり知らぬ。我が御魂を脅かさんとするならば、力の全てを以てそなたらに牙を向けよう」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.103 )
日時: 2020/08/13 11:38
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第094次元 眠れる至才への最高解ⅩⅨ

 白く大きな片翼が一凪ぎ、闇を掻くと同時に宝物庫内に突風が吹き荒れた。竜巻に絡めとられた金貨、宝箱、宝石、ありとあらゆる宝物がちかちかと光を放つ。そのうちに竜巻は天井と激突し、轟音が鳴り響いた。
 大破した天井が、鉄塊と化し頭上に影を落とす。座りこんでいたロクアンズは一瞬対応に遅れ、さっと顔を青くした。

「次元の扉発動──『鎖幕さばく』!!」

 叫び声がしたかと思われたとき。空を仰ぐロクと落ちてくる鉄塊との間にコルドが滑りこんだ。鉄塊は彼の両手に握られた鎖と衝突し、粉々に砕け散った。細かくなった石片がぱらぱらとロクに降りかかる。

「こ、コルド副は……!」
「ロク、立てるな!? 次元の力を発動しておけ! 奴は外へ行くつもりだ!」

 コルドはぐっと鎖を握りしめた。武器型の次元の力『鎖幕』は異次元から取り出した鎖を自在に操ることができる。さらに、鎖本体の強度は次元師の意志によって変化させることができる。鍛錬を積んだ者の鎖ときに、この世界に現存する金属や鉱物のそれを遥かに上回るという。
 天井に空いた大穴から覗く月。そしていままさに飛び立たんとする白い化け物を黒い目で捉えながら、コルドは詠唱した。

「五元解錠──伸軌しんき!」

 降り注ぐ月光を真っ向から突き抜け、鎖は白い化け物を目がけて一直線に伸びた。
 しかし。化け物は酷く折れ曲がった嘴を上下に開け広げた。次の瞬間。月夜を貫くような超高音の叫喚が辺り一帯に打ち放たれた。耳を塞ごうが塞ぐまいが意味はない。甲高い不協和音が頭を直接鷲掴みにし、激しく揺さぶられるような、そんな不快感がコルドたちを襲った。
 コルドの放った鎖も、化け物の口から放たれた咆哮によって粉々に分解した。

「な……っ! 鳴き声、ひとつで……!」

 白い化け物は四つの翼で飛行し、宵闇の中へ姿を消した。飛び去ったのが街のある方面であることを確認したコルドはすぐさま振り返り、2人に向かって指示を飛ばした。

「ロク、レト! 俺は奴を追う。おまえたちはすぐに館内に戻って、バスランド伯に現状の説明をしてきてくれ! 緊急だから一方的に話をするだけでいい、あとはおまえたちも外に出て俺と合流だ。奴が街にでも出たら大変な騒ぎになる、そうなる前に俺が先に足止めをする。以上だ。質問は」
「ない!」
「ない」
「いい返事だ」

 コルドはもう一度鎖を天井に向かって放ち、大穴の淵のあたりで出っ張っている瓦礫に引っかけた。伸軌、という名の術は鎖の長さを操作するものなのか、鎖を掴んだコルドの身体が一気に天井の外へ放り出されているのが、かろうじて見えた。

 ロクとレトは駆け足で館内に戻った。衝撃音が聴こえていたのか、館内中で使用人たちがざわめいていた。中央階段と2階の廊下を風のように走り抜けた2人は、バスランドのいる執務室に転がりこむやいなや、宝物庫内で起こったことを告げた。そしてそこに、この世の生物とは思えない白い化け物が棲んでいたこと、その化け物が外へ飛び出していったことを続けて明らかにした。館からは離れていったとはいえ、また舞い戻ってこないとも限らない。可能であれば街とは逆方面に避難をするよう、ロクとレトはバスランドに促した。

 早急に大書物館をあとにした2人は、街へ続く林道を駆けていた。白い化け物を追っていったコルドとはすぐに合流できなかった。合流できないどころか、白い化け物の姿もコルドの姿もどこにもない。緊張が高まっていく中、2人はついに街の輪郭を視界に捉えた。そのとき。街の方面から人の声が聴こえだした。2人が街へと踏み入ったそのときにはすでに、街中がざわめきだっていたのだ。窓から顔を出し、立ち話をしていたらしい数人の若者が首を傾げ、また、赤子の泣き声もあちこちから聴こえてくる。
 
「コルド副班っ!」

 ロクは視界の先に、地面に膝をつく大きな背中を捉えるとそう叫んだ。よろめきながら立ち上がるコルドのもとまで駆け寄り、彼の顔を覗くと、ロクはぎょっとした。彼の額からは真っ赤な血が流れ落ちていた。

「副は……っ、だ、大丈夫!?」
「……! ロク、レト、来たか。すまない、完全に侮っていた」
「奴は」

 レトがそう口にした、次の瞬間。大広場のある北の方角から、甲高い悲鳴が相次いで飛んできた。
 それは大広場の上空で悠々と翼を扇いでいた。
 大広場にある噴水やベンチから転げ落ちた住民たちの顔を赤い十字眼で見降ろしながら、白い化け物は鳴いた。

「我が名は【NAURE】──創造神ヘデンエーラよりめいと肉体を賜った、"天地"を司る神族なり」

 白い化け物──否、神族ノーラの声音が、街の隅々まで響き渡った。それはウーヴァンニーフの空に突如現れた雨雲が如く、住民たちに暗影の到来を告げる。

「し……神族だって!?」
「え!? な、なに、しんぞく? ほ、ほんとに、本当にいたの!?」
「とにかく、とにかく逃げろ! 喰い殺されちまう!」
「きゃあああっ!」

 空想上の生き物のようにぼんやりと認識していた神族。そのたしかな君臨を目の当たりにした街の住民たちは、混乱の渦へと巻きこまれた。ロク、そしてレトの心臓も早鐘を打っていた。運命を司る神族デスニーと並ぶ力を持つであろうその存在の名をしかと耳にしたのだ。

「し、神族……ノーラ──」
「……」
「……大広場のほうだな。いいか、決して気を抜くな。行くぞ!」

 力任せに額を拭い、コルドは駆けだした。悲鳴、叫び声、怒号──それらは伝播し、徐々に大きな喧騒となって街全体を包みこんでいく。そんな中、呆然と立ち尽くす人影をコルドは見つけた。騒ぎを聞きつけてきたのか、研究棟所属の援助部班員が数名、大広場のほうを見つめながら動揺の色を露にしている。

「広場のほうから叫び声がしたぞ」
「神族だって? 本当にいたのか」
「様子を見に」
「待て!」

 コルドは立ち尽くす3人を大声で呼び止めた。びくりと反応した男たちは、彼の顔を見るなり背筋を正した。元警備班で次元師であるコルドのことを知らない援助部班員は少ない。かつてコルドと先輩後輩関係にあった男がいたらしく、彼は目を丸くして敬礼した。

「こ、コルドせんぱ……じゃなくて、コルド副班長殿! あの、さっきの声はいったい」
「大書物館にて神族が現れた。奴は大広場にいる。俺たちが討伐に向かうから、おまえたちは住民に危険を呼びかけ、避難誘導をしてくれ」
「避難誘導!? って、え、どちらへ」
「南だ! 北の方面にはいまから俺たちが向かう、だからほか三方角をぞれぞれ頼む。援助部班班長に報告されたくなかったらさっさと行け! 人命がかかってる。緊張感を持って行動しろ!」
「はっ!」

 援助部班員の3人はそれぞれ、コルドの指示通り三方角に散り散りになった。一刻も早く大広場に到着しなければならない。北の方面に家を構える住民たちに避難を呼びかけながら、コルドたちは大広場へと急いだ。
 コルドたちは、南へ向かって一目散に逃げていく人々の波の中を縫って走り、そうしてようやく、大広場へと足を踏み入れた。
 途端。立ちこめた空気がより一層張りつめたものへと一変する。

 白亜の大翼を持ち、天地を司るとされる神族【NAURE】は大広場の噴水の上に降り立った。十字を象る赤い眼が3人の次元師と相対する。
 ──人類の力。それを超越した者たちによる戦いの火蓋がいま、切って落とされる。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.104 )
日時: 2020/08/23 21:34
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第095次元 眠れる至才への最高解20
 
 鳥類、が形態としてもっとも近いといえる。しかし白亜の羽毛に包まれた大きな体躯も、大小四つの翼も、ひどく折れ曲がった嘴も、見たことはおろか聞いたこともない。そのうえ、かの鳴き声は天を劈く超高音だ。思い出すだけで鼓膜がぴりぴりと痛みだす。
 噴水の上から飛び立とうとノーラが翼を開きかけた、その瞬間のことだった。
 だれよりも早く飛び出したレトヴェールがノーラの身体をめがけ、『双斬』の片方を振りあげた。

「デスニーはどこだ!!」

 レトは眉根をきつく寄せ、切迫詰まった表情でそう叫んだ。ノーラの白い翼を叩き切らんと振り下ろされた短剣だったが、その切っ先は羽の先にも触れず、宙を割いた。すんでのところで飛び立ったノーラの羽がひらりと降り落ちる。噴水の内側でレトが着地する。水しぶきがあがった。
 空を舞うノーラがレトを見下ろすと、彼は濡れた金色の瞳を鋭くさせていた。
 ノーラは依然として、揺れる森の葉のような落ち着き払った声音を以て、こう返す。

「【運命】の居所など我の与り知らぬことだ。200年という時が過ぎた」
「おまえたちは仲間なんだろ、神族ノーラ。奴はどこにいる!」
「……──呪いを受けたか、人の子よ」

 ノーラは声色を低くして、そう告げた。レトは目を見開いた。3年前、母エアリスが亡くなった日に彼は神族デスニーから呪いを受けた。焼け爛れるような痛みを受けたその背中を、後日彼が確認してみるとそこには、禍々しい黒い紋様が刻まれていた。エアリスを埋没する際、偶然彼女の背中にも見えてしまった紋様とほとんどおなじものだ。
 しかし、"5年の月日ののちに衰弱死する"という呪いをレトが身に受けたことを知っているのは、ロクアンズただ1人だ。彼はだれにも明らかにしたことがなかった。無論彼女も口外などしていない。
 呪い、という言葉にコルドだけが困惑の表情を浮かべていた。

「成程。黒き"呪記"を身に受けし子よ。しかしかの異界の術でいくら我々神族の身を貫こうとも、破壊することは叶わない。決して」

 呪いの話を聞かれるわけにもいかなければ、次元師として挑発を受けたようにも感じたレトは奥歯を噛みしめた。神族と相反した彼が冷静でいられるはずもない。彼は即座に、顔の前で双剣を重ねた。

「四元解錠──ッ、交波斬まじわぎり!!」

 眼前の風を割るように、重ねた双剣がそれぞれ左右に薙ぎ払われる。すると『双斬』の刃から真空波が飛び出した。真っ向から飛んでくる風刃の切っ先。ノーラは間髪を入れず、折れ曲がった嘴を広げた。咽喉から放たれた甲高い叫喚が風刃に喰らいつく。
 叫喚は真空波をいともたやすく噛み砕き、またたく間に、レトの身体と噴水とを呑みこんだ。彼の身体と、衝撃とともに粉砕した噴水だったものの破片が同時に宙へと投げ出される。

「レトっ! ──この!」

 ロクの緑髪がぶわりと舞いあがる。電気にあてられた肌が粟立ち、彼女はその手を伸ばして叫んだ。

「──四元解錠、雷撃!!」

 独特の重低音とともに雷撃が放たれる。ロクの手元から枝分かれする電気の糸。そのわずかな隙間を巧みにすり抜け、ノーラは回避した。次いで、ノーラは二つの小さな翼で体勢を保ちながら、ほか二つの大きな翼を薙いだ。迫りくる突風にロクは左目を見開く間もなく、地面の上に薙ぎ倒され、身体を打ちながら後退した。
 地上にいるロクたちと空を支配するノーラとでは分が悪すぎる。しかしロクは根性で飛び起きると、間髪入れずに詠唱した。

「避……! けん、なあっ! ──五元解錠、雷柱!!」

 ノーラの影が落ちている地面の上に雷が走り、円を描いた。描かれた円から吐き出された雷光は文字通り太い柱となって空を突く。しかしノーラは器用に身体をひねり、旋回するようにして雷の柱から逃れた。
 刹那。

「六元解錠」

 雷柱の追撃を躱したノーラの周囲に、幾重にも重なった鎖の輪が降りかかった。

「──円郭!!」

 環状となった鎖が収束し、ノーラの身体を絞めつける。鉄の塊と化し、宙をふらふらと行き来するノーラにコルドは叫ぶようにして問いかけた。

「神族【NAURE】、おまえに訊ねたい。おまえはさきほど、"次元の力では神族を破壊することは決して叶わない"と言ったな。ではなぜおまえは宝物庫から逃げた? 俺たちに対し『御魂を奪いにきたか』と言ったのはなぜだ!」
 
 ノーラは応答する代わりに、藻掻くようにして宙を旋回した。鎖と鎖の隙間からはみだした白い羽毛が、その度にひらりひらりと地面の上に落ちた。

「おまえはなぜあの場所にいた! 200年前からいたのか、それとも14年前か! どちらにせよなぜ今日まで姿を現さなかった!? 答えろっ!」
 
 神族は人間に対し怒りを覚えたため、突然姿を現し、世界に粛清を与えた──そうこの国では伝えられきた。しかしノーラは、宝物庫の中でナダマンという次元師に接触したものの、彼との日々を愉快だったと言っていた。庫内に残っていた彼の隊服にも大きな汚れや傷などはなかった。なにより、神族と次元師が交戦すればすくなくとも大書物館の人間には気づかれるだろう。14年前にそのような事件が起こっていなかったことから、おそらくノーラとナダマンは交戦していなかったのだ。
 だが現在のノーラはコルドたちと遭遇した途端、宝物庫から飛び出し、ウーヴァンニーフの上空に君臨した。その行動の不可解さにコルドは疑念を抱いていた。
 
「知を望むなら剣を抜け」

 鎖によって閉じられた嘴をわずかに開き、ノーラはそのように返答した。

「そうか」

 コルドが短く息をする。ぐっ──と彼が、鎖を持つ手に力を入れた、次の瞬間。すでに雁字搦めに固められた鎖の繭がより一層きつくノーラの身体を絞めつけ、絞めあげ、金属が擦り合う嫌な音が鳴り続けた。
 そしてコルドが息を止め、もっとも強く鎖を引いたときだった。鉄繭の隙間から真っ黒い液体が四方に飛び出した。まるで花火を仰ぎ見ているようだがそれは美しい光景とはほど遠く、黒い液体が地面の上に点々と散らばった。ロクとレトの2人は息を呑んで一部始終を見守っていた。
 鎖の繭が、ごとん、と地面に落下する。重い音が響いてからすこしだけ鎖が緩んだ。直後。
 ──地面の下から、突きあげるような衝撃。地震。自然的な力であるはずのそれは、明白な殺意を持っているかのようにコルドたちの足元に襲いかかった。
 矢先、地面の上に伏していた白い羽が、ふわりと宙に浮いた。それらはまっすぐにコルドたちを見据えると、空中を一直線上に切り裂き、迫ってきた。

「うわ!」

 地震によって体勢が崩されていたロクは、膝を伸ばす間もなく白い羽に頬を切られ、転倒した。

「……くっ! 無事かっ、2人と」

 叫びながらコルドが後ろを振り返ったそのとき、そこには信じられない光景が広がっていた。
 ロクとレトの真後ろにある建物が地震の影響を受け、傾倒していたのだ。
 逃避するのは不可能だ。たとえ彼らがいまいる場所から動けたとしても、隣の建物も次の瞬間には傾いているかもしれない。建物の高さからいって崩落に巻きこまれるのは必然だろう。
 となれば、とるべき行動はひとつだ。
 鎖を握りしめて踵を返すと、コルドは鉄の繭を解放した。放たれた鎖を纏い、彼は力の限り詠唱した。

「四元解錠──ッ、伸軌しんき!!」

 コルドの手元から、二本の鎖がロクとレトを目がけて放たれた。鎖は2人の身体に絡みつく。コルドがぐっと腕を引くとともに、2人は彼のもとへと強い力で引き寄せられた。
 真っ向から飛んでくるロクとレトの身体をコルドが抱きとめる。次の瞬間には建物は瓦解し、激しい音を轟かせながら地面の上に倒れ伏した。
 
「……けほっ、う、コルド、副は」

 建物が崩落する音を耳にしながら、ロクがうすらと左目を開ける。間一髪のところで助けてくれたコルドの顔を見上げると、同時に彼女の頬に赤い液体が飛び散った。

「……え、……こっ、コルド副班っ!」

 さっと青ざめた顔でロクは身を乗り出した。コルドの背中に手を回した彼女の指先に、なにか鋭いものがあたった。
 恐る恐る目をやる。するとそれは白い羽だった。無数のそれがコルドの広い背中に隙間なく突き刺さっていた。

 ロク、そしてレトが、コルドの背中越しにゆらりと蠢く白い影を見た。
 ノーラを取り囲むようにして宙に浮かぶ、白亜の羽。それは刃のごとく鋭い切っ先でこちらを睨んでいた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.105 )
日時: 2020/10/14 09:16
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第096次元 眠れる至才への最高解21

 建造物の倒壊を誘えば、たしかに人間は簡単に当惑し、逃げ切れなければ次の瞬間には命を落とす。たとえ次元の力を有していたとしてもおなじことだ。次元師とはいえ次の一手を考えあぐねる。そのうえ次元の力の如何によっては太刀打ちできない。事実、コルドが救出の手を伸ばしてくれなかったらロクアンズもレトヴェールも建物の下敷きになっていた。
 ひとたび鳴けばその声音は天を劈き、明確な意思のもとに大地をも揺さぶる。神族とはまさに人を、次元師までもを超越した力を有する存在だ。
 化け物じみたその存在らと相対するには、そして打ち破るには、相応の力をぶつけなければならない。

「──六元解錠ッ! 雷籠!」

 ロクはコルドの肩越しに腕を伸ばした。身体中で沸き立つ熱が左の掌に収束し、瞬間、雷電が唸りをあげて放たれた。電気の糸は絡み合い、コルド、ロク、レトの3人を取り囲うようにして半球形の壁を形成する。
 向かってくる白亜の刃は電気の壁に突き刺さった。それらは電熱にあてられてもなお焼け落ちることなく、それどころか、みるみるうちに雷の壁を突き破っていく。

(うそ……! 六元なのに──!)

 羽先はついに電気の壁を突き抜け、勢いを増して飛びかかってくる。

「──四元解錠! 交波斬り!」

 レトは向かってくる羽の刃たちにではなく、あらぬ方向の地面に真空波を撃ち放った。コルドの身体を支えるように抱きかかえる。真空波が地面と衝突した反動で、レトたち3人は右方へと逃れた。標的を逃した刃先たちは一寸前に彼らがいた場所に突き刺さった。
 衝撃波に背中を押してもらったとはいえ、そう距離は稼げなかった。間一髪といったところで危機を逃れたにすぎない。土埃が辺り一帯を包みこむ。
 ロクは右肩から落ちたせいか、肩を押さえながら上半身を起こした。

「逃げ……ろ」

 やっと声を絞り出したかと思えば、コルドはそんな背筋の凍るようなことを言い始めた。

「はやく」
「に……っ! 逃げるわけないじゃん! なに言ってるの副班!?」
「……俺たちは神族を追って戦ってきた。奴を逃すことも俺たちが逃げることもしねえ」
「あたしたちが隙を作る。だから副班はちょっとだけ休んでて。絶対なんとかす」

 コルドはロクが言い切らないうちに彼女の手を乱暴に振り払った。振り払った腕をそのまま空に掲げる。
 直後のことだった。
 振り上げた手を地面に叩きつけ、コルドは叫んだ。

「──、"額絡がくらく"ッ!!」

 超高音の叫喚が襲いかかってきたのはコルドの詠唱とほぼ同時だった。彼の背後、地面の下から無数の鎖が飛び出した。"雷籠"と同様に急速に絡み合うと、文字通り鉄壁を築き上げる。超高音はすんでのところで鉄壁と衝突した。
 ノーラが奇形の嘴を開くときにわずかに、きぃという耳障りな音がする。コルドはそれを聞き取っていた。予め集中していなければ当然対応には遅れていただろう。彼は一切の冷静さを欠かさず淡々と告げた。

「隙を作ってる時間はない。だから行け」
「コルド副班っ!」
「言われないとわからないか。おまえたちを守りながらでは戦えない」

 彼の口からは聞いたこともない冷たい声だった。それでいて説得力があった。

「退け。本当に命を落とすぞ」
「……」

 ロクは絶句した。大書物館でノーラと邂逅してここに至るまでの経緯を思い返してみても、コルドの後援あってこそいまの戦況が成り立っていることは火を見るよりも明らかだ。
 手持ちで最大の術である六元級の次元技でさえ打ち破られてしまった。頑張ればなんとかなる。なにかの奇跡が起こって七元の扉だって開く可能性があるかもしれない。などと、ロクには宣えなかった。
 それをレトも十分に理解しただろう。眉根を寄せてから、小さく呟いた。

「……──わかった。いくぞ」

 レトは、ロクの左腕を掴んでぐっと引き寄せた。それからコルドに背を向ける。ロクは腕を振りほどきたくてたまらなかったが、できなかった。右肩がそのときぴきりと嫌な音を立てた。鈍い痛みが走る。ついさっき地面の上に肩を打ちつけていた彼女が、起き上がるときに一瞬苦悶の表情を浮かべていたのを、レトもコルドも見ていた。

「ま……っ、待って! レト、あたし……!」

 だんだんと小さくなっていくコルドの顔を見た。険しい表情を浮かべていた彼は、ふと、笑みを返してきただけだった。

「……ま、って。おねがい、まだぜんぜん大丈夫だよ、レト! こ……コルド副班!」

 ロクは左目にじわりと涙を滲ませながら叫んだ。倒れた建物の瓦礫を踏み越えて街道へと向かっていく義兄の腕も振りほどけなければ、遠ざかっていく副班長のもとへ駆け寄ることもできなかった。
 

 辛うじて義兄妹を逃がすことには成功した。まだあの若い芽たちを踏み潰されるわけにはいかない。次元師が命を落とせばこの世界のどこかで芽吹く新しい命にその次元の力が引き継がれるため、戦力の減少という意味合いでも避けたい事態ではある。
 戦場において情けなど取るに足らないものだ。いま逃げ道を作ってやったところで、自分がノーラにやられてしまっては、次の標的はあの2人になる。しかし、彼らを可愛がってきたこの手がまだ動くうちは、鎖を握るよりも先に彼らを抱きかかえてしまうのだ。そんな生半可な姿勢では、超人的な存在と渡り合うなど不可能だろう。

(さて)

 背中に突き刺さった数本の羽を根本から抜き取っていく。血でぐっしょりと濡れた上着を脱ぎ、適当に捨て置いた。次元技『額絡』の巨壁に肩を預けながらコルドは思考した。

(本来なら可能な限り拘束し、対象から情報を搾り取るのが最良だ。だが相手は神族。本当のところはわからないが、驚異的な力を持っていることにちがいはない。討伐とまではいかないだろう。再起不能にできれば上々だ)

 果たしてどこまでやれるだろうか。そんな自問自答が胸中では何度も繰り返されていた。
 不意にノーラの鳴き声が止んだ。コルドはすかさず腰を落とした。地面に手をつき、間髪入れずに詠唱を繰り出す。

「──ッ、七元解錠! 浪咬なみかみ!!」

 コルドがそう高らかに詠唱するとともに、眼前を覆い尽くす鉄の絶壁は分解した。次の瞬間、数十数百に及ぶ鎖たちが、まるで飢えた多頭の大蛇が如く鉄の身体をうねらせながら猛進した。それらは広場を囲う建物の外郭に頭を打ちつけ、地を這い、一心不乱にノーラに向かっていく。建物が次から次へと崩れ落ちていく激しい騒音が立ちこめる。
 鎖を自由自在に操る力──とはいったものの、コルド自身、完全に『鎖幕』の自在性を操作できるかと問われたら、自信を持って頷けない。細かい操作までできるのはせいぜい十数本が限界だろう。数百ともなると、さすがの彼でも手に負えない瞬間が生まれてきてしまう。ロクとレトをこの広場から退却させたのはその可能性が捨てきれなかったからだ。

 数十の鉄頭の蛇が飛び掛かるがノーラはまたしてもひらり、ひらりと、蝶のように優雅に空を舞いながら回避する。
 両翼が大きく波打った。一陣、というには強い勢力を持った風の塊が広場上空に吹き荒れる。地上に蔓延る鎖のこうべは瞬間、叩き折られた。地面の下から抉り出された鉄の肢体たちはノーラを中心に旋回する風の中へと引きこまれる。
 風と混じり合い、鎖の蛇のその長い肢体が分解していく。小さなひと欠片になるまで細かく千切られたそれらが風の流れに乗って、ノーラの周りを廻る。竜巻がどす黒く、黒く染まっていく。

「元は過小な鉄屑よ」

 まるで、超自然的な力の前では塵も同然かと言うように、ノーラは口ずさんだ。
 短い黒髪が強風に煽られる。足が、ずるり、と風渦巻くほうへ引き寄せられた。眼前に聳え立つ風の柱に巻きこまれるのも時間の問題だ。コルドは地面に喰らいつくように腰を落とした。
 
「繋がった鎖だけが、俺の『鎖幕ぶき』じゃない」

 身体中がかっと熱を帯びる。ここへくるまでに多くの元力を消費した。残るわずかな元力粒子をひと欠片として取りこぼさないよう、コルドは全身の至るところに意識を張り巡らせた。
 
「六元解錠──ッ浪咬!!」

 熱を孕んだ浅い息でコルドは喉の許す限り号哭した。竜巻に飲みこまれた無数の鉄片が主の声に呼応し、徐々に、収束していく。ただひとつの輪状の鎖でしかなかったものたちが連結し、連結し、瞬く間に、巨大な黒い影が誕生した。ゆらり、と"それ"が竜巻の中を遊泳する。巨大な肢体をうねらせ、ぐるりと一周したそれ──黒い大蛇は、ノーラを真正面に据えた。直後。縦に拡げた大口が神の身体に喰らいかかった。
 ノーラをひと呑みした大蛇の腹が、地面を抉り、そのまま前方へと這いずり直進する。めくれあがっていく地面の敷石が四方八方に弾き飛んだ。勢いが止んだのは、その進路にあった建造物に大蛇が頭から突っこんでまもなくだった。建物自体は倉庫であったが、規模は大きく、鎖の大蛇が正面の外郭を破壊したものの倒壊の気配はない。
 コルドが建物に到着した頃には、大蛇だったものはすでに瓦解し、建物の内部に鎖の山ができあがっていた。取り壊し予定であったのだろうか。中はがらんどうで、ただ広い空間の隅に廃材などが積まれていた。
 鎖の山から、白い羽が飛び出しているのが彼の目に映った。

「……おまえにもう一度問いたい」

 コルドは気を抜かずにそう白い羽に声をかけた。
 
「おまえはなぜ、あの宝物庫に隠れ潜んでいた?」

 白い羽は答えなかったが、コルドは立て続けに問い質した。

「もしかするとおまえは、人間を襲う気がないんじゃないのか? 答えてくれ、神族【NAURE】」

 大地を動かすほどの力があるのなら、街に現れた段階で住民たちが逃げる前に皆殺しにすることができただろう。だがノーラはそうしなかった。コルドがロクとレトを逃がしたときも、ただ黙って見逃した。ただの気まぐれというには不自然すぎる。神族との交渉の機会を逃すまいとコルドは勇んでいた。
 そして長い沈黙ののち、ノーラはようやく、このように返答をした。

「信仰しろ」

 途端。
 鎖の山から飛び出していたその白い羽が──瞬きひとつする間もなく、灰色へと変色した。
 次いで灰色の羽を中心に強風が巻き起こった。渦に巻かれた鎖の破片はしかし、風の流れに乗ることさえできずに四方へと弾かれる。コルドは棍棒のように一本の鎖を携え、勢いよく飛んでくる鎖を弾き返した。そうしてなんとか体勢を保つ。
 吹きすさぶ風の壁。その分厚い風がときおり薄く口を開き、風の中心にいる者が目に入ってくる。垣間見えたかの鳥獣の毛並みは、白亜ではなかった。濃灰。ぞっと背筋が震えあがるほどの威圧を放つ深淵が、ゆらりと、コルドのほうを向いた。
 赤い十字目でまっすぐこちらを見据えた濃灰の化け物は、次の瞬間、けたたましい鳴き声をあげた。

「信仰しろ信仰しろ信仰しろ信仰しろ信仰しろ!」

 壁、床、天井、コルドとノーラを取り巻く空間のどこからともなく軋む音が聞こえてくる。突然知性を失ってしまったかのようなノーラの急変にコルドは戸惑いを隠せなかった。

「なん、だ──っ!? 様子が」

 ここが倒壊するのも時間の問題だ。しかしコルドとて無尽蔵の元力を有しているわけではない。六元級を超える次元技を猛発している。残り少ない元力でどう切り抜ける。どう片をつける──。

(迷うな!)

 コルドは、そのとき飛んできた灰羽の矢を避けるようにして腰を落とした。

(まずはあの鳴き声をどうにか──)

 いまもなお響き渡る甲高い絶叫が、鼓膜を突き破らんと襲いかかってくる。その鳴き声に、気を取られた。刹那。一際大きな羽がコルドの左肩を貫き、そのまま背後の壁へと彼の身体を縫いつける。

「がはっ!」
 
 ぐぎり、と左肩に嫌な音が走った。ぶらさがった左腕を伝って、赤い血が無造作に揺れる指先から滴り落ちる。
 まだ動く右腕を浮かせた。床の上に散らばっている無数の鎖の破片のうちのひとつをその手で掴んだ。

 ひと呼吸さえできない。
 しない。
 このとき周りの景色が、急に白んで、薄ぼんやりとした。

 まるで雲間から陽が射すように。風の壁が、一間置いて、晴れた。深い濃灰に覆われたノーラの全貌を視界がはっきりと認知する。折れ曲がった真黒いその嘴が、わずかな音を立て、開いた。
 次の瞬間。

「六元解錠」
 
 幼い少女の叫び声がした。

「────雷砲ッ!!」

 大きく開けたノーラの咽喉に、一閃。眩く、痺れるような熱線が突き刺さった。
 
 
 
 * * *

 2020年夏大会銀賞ありがとうございました!
 当作に投票してくださった皆様へ、この場をお借りしてお礼申し上げます……!(*'▽')
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.106 )
日時: 2020/12/23 11:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第097次元 眠れる至才への最高解22

 不定形の砲撃が漆色の大きな嘴の奥へと突き刺さる。ノーラは仰け反り、赤い眼で天井を仰いだ。
 何者かが2階のギャラリーから身を乗り出しているのを視認したときには、彼は高らかに叫んでいた。

「四元開錠──"真斬しんざん"っ!」

 彼は両手に握った双剣を天井へと向けて振るった。刀身から飛び出した目には見えない風が確実に天井と衝突すると、次の瞬間。十数本にも及ぶ鉄骨が天井から剥がれ落ち、ノーラの頭上に降り注いだ。ノーラは逃れようと、焼け焦げた喉も閉じられずに羽ばたいた。降り注ぐ鉄骨と鉄骨の間を縫うようにして上昇する。が、しかし。
 そのうちの一本が、ノーラの黒い片翼を突き破った。まるで地上へ押し戻すようにして。
 片翼を貫かれ、空中で傾いたノーラの身体が地上へ真っ逆さまに落ちる。

 見るも鮮やかな若草色の長髪をぶわりと靡かせて、ロクアンズは振り返る。その片目は鬼気迫る色をしていた。

「コルド副班!」
「コルド副班!」

 ほぼ同時にコルドの方を振り向き、2人は幼い声を合わせてそう叫んだ。2階から聞こえたもう一方の声はレトヴェールか。鉄骨を落としたのも彼だろう。
 片方の手に掴んでいた鎖の破片を、強く握りしめてコルドは"解錠"する。

「──八元解錠!!」

 血を伝わせろ。建物内部のありとあらゆるところに散乱したすべての鎖を、ひと欠片として余すことなく意識下に捉えた。──我が身が如く集え、従え。コルドは鎖の欠片を床に叩きつける。そして本能の赴くままに号哭した。

「"鸞業区らんごく"──!!」

 彼が詠唱を口遊むと、周囲の鎖の欠片たちが集い、重なり、大きな一本の柱へと変貌を遂げていく。柱が形成されるのに要した時間は一瞬にも満たなかった。そしてさらに柱は一本ではなかった。太さの一定しない数十もの鉄柱の外装をロクとレトが視界に捉えたたそのとき、それらは墜落するノーラの身体を無数の方向から一直線に貫いた。
 翼の付け根から胴の下部へ。頭部から足へ。横腹から反対側を。首の後ろから胸部を。
 そして鎖の柱はノーラの身体を貫くだけに留まらなかった。柱の先端は天井を突き抜け、そして床の表面を穿った。すべての鎖の鉄柱がそのようにして、天井と床を、あるいは四方の壁と壁とを縫いつけるのと同時にノーラの身体を串刺しにした。
 ノーラの急変により崩れるやもしれないと恐れていた建物の震動が、このとき、驚くほど静かに収束した。数十にも及ぶ鎖の鉄柱が建物を支えているのだろうか。ロクとレトは、現状を見てそのように解釈した。
 動かなくなったノーラを視認して、ロクはさっそくコルドに声をかけようと思ったが、彼はどこか遠くの一点を見つめていた。
 彼の視線を追ってロクが振り向いてみると、ノーラの胸部から伸びる細い鎖の柱が目についた。そこには、真っ赤な色をした結晶のようなものが串刺しになっていた。
 ノーラの眼でないことはたしかだ。奴の眼の形は十字であり、鎖に突き刺さっているそれはところどころ尖っている。
 ロクがそれに近づこうと、片足を踏み出したときだった。

「神は心臓を持たない」

 無残な姿へと変わり果てたその黒い身体から、人のものとは程遠い神聖な声音が響いた。開いたままの嘴から語りかけているのか、それとも思念のようなものがロクたちの脳内で直接響いているのか、わからなかった。

「しかし一つだけ、神に心臓を与える術がある。それは神の"呪い"を人間が克服すること。神により下された絶対の享受が解かれるそのとき、神は母なる神ヘデンエーラより不信と見なされ、心臓を得る。心臓を得た神であればたとえ人間であってもその手で葬り去ることができる。そなたらがそうしたように」

 細い鎖の鉄柱に突き刺さった赤い結晶体が、ぼろり、とそのとき崩れ落ちる。それは吹き抜ける風に撫でられ、砂を吹く岩のようにゆっくりと消えてなくなっていく。

「……え。どう……して。なんでっ、そんなこと……!」

 ロクは身を乗り出し、問いかけた。羽の色がまだ白かったときの口調であり、ノーラは正気のように思えた。しかし人語を解するとはいえ神族と人とは相対しているはずだ。ノーラの告げたことが策略か否か、判断しかねているうちにノーラは最後にこう口遊んだ。

「【信仰】を殺せ」

 そうとだけ告げると、ノーラの身体はぼろりぼろりと崩れ落ち、しまいには完全にその場から姿を消した。ロクが呆然と立ち尽くしていると、背後からコルドの声がした。

「出るぞ」

 振り返るとコルドは背中を向けていて、左肩に突き刺さった大きな黒い羽をそのとき引き抜いた。ノーラの身体の一部だったものはすべて砂のように風に溶けてなくなったしまったと思っていたが、唯一、彼の身体に突き刺さったその羽だけが形として残ったらしい。彼は呻きもせず、右手で黒い羽を掴みながら立ち去ろうとした。
 ロクもレトもそれに続いた。



 倉庫場から退却し、しばらくは3人とも黙ったまま瓦礫の積みあがった中央広場を歩いていた。
 しかし、突然背後から轟音が鳴り響き、ロクとレトは同時に振り返った。倉庫だったあの建物がついに瓦解し始めたのだ。その一部始終をぼんやりと遠目に眺めていると、どさり、と衣擦れの音がした。
 音のしたほうを向くと目の前でコルドが地面に倒れ伏していた。

「コルド副班っ!」

 ロクとレトは、倒れているコルドに駆け寄った。左肩部から血を流し、浅い呼吸を繰り返す彼からの応答はない。2人が彼の周りで狼狽えていると、遠くから人影が近づいてきた。警備班の1人である男は、街の住民たちの誘導が終わったため様子を見に来たらしかった。
 男はコルドの姿を認めると青ざめ、そしてすぐにコルドの身体を自分の背中に預け、「俺が運びます」とロクとレトに告げる。大の男を運んで歩く力のない2人は安堵して、男に続いた。
 
 ロクたちはこの日、研究棟で夜を明かした。出戻りになってしまったがコルドの治療が先決だった。代わりに、棟内の援助部班員数名に近隣の町村へ向かってもらい、「神族は討伐した」との言伝を頼んだ。ウーヴァンニーフの街の住民たちにもう街から神族が去ったことを早急に伝える必要があったからだ。夜分で心苦しくはあったが、援助部班員たちはすぐに馬を走らせてくれた。
 
 翌日。此花隊から神族討伐の報せを聞いたのだろう。街の住民たちが徐々に街へと戻ってくる様子が伺えた。凄惨な街の光景を見て嘆く者もいただろうが、実際の死者数は0であり、喜ばしい現実であることに間違いはなかった。
 日が昇ると、コルドとロクとレトの3人は研究棟をあとにした。一晩休んだおかげかコルドも口を利けるくらいには快復し、3人はともにキナンの町へと直行した。
 正午を過ぎた頃に町に到着し、3人はフィラと合流を果たした。彼女も神族の出現については耳に入れていたらしく、開口一番その件について訊ねられた。詳しい話は、フィラと研究部班の副班長3名、加えてナトニが泊っている宿屋で話すこととなった。
 一通り事の顛末を話し終えると、「ちょっと聞いてほしいことがある」とレトが話題を切り替えた。その手にはナダマンが記したとされる赤い本を携えていた。

「昨晩、研究棟でまた一から読み返してみた。ナダマンっていう名前と同様に、固有名詞だったら現代のメルギース語でも解読できる箇所があるかと思って。そしたら、"ノーラ"とも読める単語が何度か出てきた。ナダマンがあの宝物庫でノーラとなんらかの接触を図ってたことは間違いないだろう。ノーラもナダマンのことを認識してたみたいだし。……そこで、ロク。おまえ昨日の昼間、研究棟の中庭で失踪した調査班員が神族を信仰してたらしいって話をしたよな」
「あ、うん」
「それについても昨日、研究棟の班員たちに聞いて回ってみた。興味深いのは、失踪してた調査班員……つまりナダマン・マリーンが信仰していた神族の名前が、ノーラだったらしいってことだ」
 
 ナダマンと交流関係の深かったとある班員の話によると、彼の故郷は北東の山奥にあるのだという。神族に対する信仰心がその故郷の外ではまるで理解されないことを悟ると、以降はおくびにも出さなくなったが、ノーラひいては神族を信仰している集落が北東の山奥のどこかに実在している。この事実についてレトは言及した。
 黙って話を聞いていたコルドがそのとき、おもむろに呟いた。

「……洞窟……」
「え? なあに、コルド副班」

 ロクに促されると、コルドは身を乗り出して語り始めた。それは彼がまだ年端もいかない頃に住んでいた実家で聞いた話だという。

「200年前のエポール王朝時代、当時王国騎士団の団長を務めていたギルクス一族の当主は騎士志願者たちを試すために『ネゴコランの洞窟』という巨大な洞窟に志願者たちを挑ませていたらしい。その洞窟は別名……"大地への挑みの洞窟"と呼ばれていて、足を踏み入れた人間はどれほど屈強な肉体、精神を持とうとも必ず引き返す、と言われている」

 事実、志願者たちのうちのだれも洞窟の向こう側に到達することは叶わなかったという。単なる肝試しだったのだろうとコルドは付け足した。それから彼は続ける。

「すなわち世間とは隔絶されたなにかが、洞窟の向こうにあるのかもしれない。洞窟のある場所も北東付近だと聞いた覚えがある」
「大地への挑みの洞窟、かあ……。ノーラ、たしか自分のことを"天地の神"だって言ってたよね? もしかしたらその洞窟、ノーラとなにか関係があるのかも」
「……ノーラのこともそうだけど、この手記に使われてる文字、微妙に古語とちがうからな……そこがもしナダマンの故郷なら、読み解ける人物に会えるかもしれない」

 ナダマンの手記、赤い本は分厚く、中は余白も残らないほどびっしりと文字や記号で埋め尽くされていた。ノーラと接触を図っていた期間が一日や二日程度ではないことは明らかだ。
 レトは本の表紙に視線を落とした。

「ノーラが死に際に言った、"神を殺す方法"。それについてもっと明確な記述がここにある可能性に俺は賭けたい」

 神族に関することの多くはいまだ謎に包まれている。その一端を崩す手がかりがこの一冊の手記にあるのだとしたら。居ても立ってもいられなくなる。
 コルドはロクとレトの目を見据えながら告げた。

「レトヴェール、ロクアンズ。おまえたちに緊急の遠征を命じる。2人でネゴコランの洞窟に向かい、その洞窟の向こう側を調査してこい。セブン班長には俺から話を通しておく。おそらく普通の人間では通れない場所だ。……あいにく俺はこの様だから同行できない。だからおまえたちで行ってこい」

 フィラもすこし考えたあと、周囲を見渡し、短く息を吐いた。

「……私もついていきたいのはやまやまだけれど、2人に任せるほかないわね。この状態のコルド副班長を1人にはできないし、研究部班の人たちと、そしてナトニを無事に本部へ連れていかなくちゃならないもの」

 コルドはロクとレトを寝台まで近づくように手招いた。2人がコルドの傍まで寄ると、突然、2人の頭の上に順番に手刀が下った。ロクが「いだっ!」と呻き声をあげると、一段と低くなった声が降り注いだ。

「命を落とすと言ったはずだ。いまその命があるのも運がよかったと思え」
「……」
「これは上司命令だ。必ず成果をあげて帰還しろ。でなければおまえたちに厳重な処罰が下るよう班長に上訴する。わかったら行け」

 行け、と鋭い声で告げるコルドが小さく顎を振って、部屋の扉を示した。2人は返す言葉もなかった。扉から2人が出て行くのを見送ると、フィラは緊張の糸が解けたように安堵し、それからおずおずと切り出した。

「コルド副班長。なにも、あそこまで……」
「あの2人を甘やかしてはいけません」
「ですが」
「事が起こってしまえば関係ない。歳も、女子どもも。そこにあるのはただの人間であるか次元師であるかの違いだけ。俺は彼らに、次元師として言い渡したにすぎません」

 言い切った直後のこと、コルドは左肩を抑え、低い声で唸った。ノーラとの交戦時に受けた黒羽の傷だ。処置を施したとはいえ一時を凌ぐためのものでしかなかった。
 フィラはすぐに出発の準備を整え、本部への帰路を急いだ。


 研究部班員4名とフィラ、そしてコルドの6名が本部の門をくぐったのは数日後のことだった。左肩部の損傷が激しくコルドの快復は難航した。元医療部班員のフィラも時間の合間を縫って医務室に足を運んでは、コルドの容態を伺っている。
 コルドは現在第三医務室で療養している。医務室は第一から第八まで存在し、それぞれ8人収容できる広さがある。第三医務室は彼以外に使用している者がおらず、彼は1人、窓際の寝台の上でぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。どうにも暇を持て余してしまっていた。
 からり、と医務室の扉の開く音がして、コルドはそちらに目をやった。フィラだろうと予測していたのだが、ちがった。腕に花束を抱えたその人物はコルドと目が合うと、笑みをこぼした。

「起きていたのかい。まだ動かしづらいと聞いたのだが……」
「セブン班長」

 上体を起こしていたコルドは、さらに背筋をぴんと伸ばした。病人であろうと部下である意識を忘れないのが彼らしい。楽にしてくれと言ったところできっぱり断られるのをわかっているからか、セブンはただ眉を下げた。
 セブンは、コルドの寝台に寄り添うように置かれている花瓶台に近づいた。そして殻の花瓶に、持ってきた花を一本ずつ活けていく。

「私は花や植物に明るくないから、見舞いにはどの花を選んだらよいのか随分悩んでしまってね。花屋の店主にだいぶ手間をとらせた」
「フリシアですか。香りが療養に良いと聞くものですね。一般的には、ハノイも好まれますね。花びらが小さく慎ましやかで。早い時間に開花することから、早い回復をお祈りする、という意味も含まれるのだそうです」
「へえ。それは知らなかったな。……そういえばフリシアは遅い時間に咲くと聞いたな。夜に眺めてくれればよいと思って選んだが……失敗したかな」
「いいえ、そんな」
「君が勉強熱心だと私も助かるよ」

 セブンは背もたれのない小さな椅子に腰かけ、膝の上で指を組む。それから一間置いて話を切り出した。

「此度の件、報告を受けたよ。ウーヴァンニーフに神族と思われる個体が出現。街の住民たちの避難誘導を行うと同時に交戦を開始。結果、神族は討伐した、と。……これらはフィラ・クリストン副班長から口頭で伝えられた話になるのだが、内容に相違ないか」
「はい」
「そうか。神族ノーラの討伐に最尽力したのも君だと聞いて、私はこれまでになく胸が高鳴るのを感じた。君に力があるのは元より把握していることだが、結果として返ってきたものが神族の討伐だ。私は君を誇りに思うよ」
「……身に余るお言葉です」

 そう言いつつもコルドの表情は険しいものだった。神族ノーラの心臓をその手で貫いた彼はしかし素直に首を縦に振ることができなかったのだ。
 そもそも神族は何体存在しているのだろうか。一体討伐するのにも相当骨を折る事態となった。ウーヴァンニーフはエントリアと並ぶ大都市であるが、現在は大半が壊滅状態だ。コルドは、ぐっと拳を握ったが、左手に力が入ることはなかった。左肩から指先にかけてまったく動かないのである。仕方ない、で片づけたくはなかった。口惜しさが口内に拡がっていくのを、吐き出すとも飲みこむともできずにいた。
 コルドが眉根を寄せている理由をセブンは察していた。

「その腕、君は治らないと思っているかい」
「すくなくとも、動く気配はありません」
「諦めるのは早計だと思うけれどね。次元の力が神族に匹敵するのであれば、神族から受けた傷に次元の力が匹敵するやもしれないよ」

 コルドは顔をあげ、目をしばたいた。目が合うとセブンはにこりと微笑み、それからこのように告げた。

「君をその位置に留めているのは少々気が引けてきたな」
「え?」
「いやね、いつかだれかに私の席を明け渡すことがあれば君に頼みたいと思っているんだけど、近いうちでもいいかもしれないな。それくらい君の成し遂げたことは大きい。人類の悲願である要素の一つを取り除いたのだから。それを自覚させるにも良い提案だろう、コルド・ヘイナー副班長」

 冗談を言っているようには聞こえなかった。セブンは、さすれば私は別の班にでも異動するか、なんて飄々と口にしてみせる。
 ──警備班の一員だった頃の彼を誘い出したときから気に入ってはいた。とにかく固さの目立つ男で、視野も狭いためか不器用だった。だが真面目だった。初めは手を焼いていた書類仕事も板につくようになった。なによりも時間が空けば、いつも鍛錬場で身体を動かしていた。次元の力と真面目に向き合う男だった。
 左腕はまるで動かないのに、胸のうちを覆っていた不安の影がほんの少しだけ薄れるのをコルドは感じた。ただの慰めの言葉ではないことはわかっていた。なぜなら、「私と手を組んでくれないか」と差し出してきた手が、警備班から逃がすための言葉ではなかったと薄々感じ取っていたからだ。
 しばらくして、コルドはかぶりを振り、しっかりと答えた。

「いえ、それは」
「おや。気に入らないかい」

 というより、とコルドはひとつ挟んだ。骨ばった右手がそのとき、強くシーツを握りしめていた。

「あなたにもっとも近いところでお仕えできるこの立場が、俺にとっては最高位です」

 呟くような声だった。しかしコルドは固くなった頬をわずかに緩ませ、断言した。
 花瓶に挿し込まれたフリシアが、窓から吹きこむ風によってゆらゆらと揺れる。それは花びらを閉じてじっと夜を待っている。

「困ったな。回答が満点だ」

 セブンはくしゃりと破顔して、高めに笑い声をあげた。ひとしきり笑うと、彼はすっくと立ちあがった。それから、「では次はハノイを手土産に口説くとしよう」とだけ言って、彼は病室を去った。

 医務室の扉が閉まる。静寂が訪れる。風が薫る。左腕の重たさを再認識した。
 毎秒身体を圧迫してくるそれは、しかしまだ右腕が動くことを、同時に自覚させたのだった。
 

 翌日。昼をすぎた頃に第三医務室に訪れたフィラは驚いて目を丸くした。夜更かしでもしていたのだろうか、寝台に腰かけているコルドが手元に本を開きながら船を漕いでいたのだ。彼女はくすくすと小さく笑みをこぼしながらこう独り言ちた。「まるでセブンくんみたい」、と。
  
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.107 )
日時: 2021/11/05 08:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 6Nc9ZRhz)

 
 第098次元 大地への挑みの洞窟

 ウーヴァンニーフより北東への遠征を命じられたロクアンズとレトヴェールは、鬱蒼と生い茂る森の中をひたすらに歩み進めていた。手がかりといえば方角のみだ。ネゴコランの洞窟と呼ばれている巨大な洞窟を目指している。
 道中のことだった。レトが小走りになってなにかに近づく。ロクがその背中を追うと、彼はしゃがみこんで地面の土を手のひらでぱっぱと払っていた。
 覗きこんで見ているうちにレトは地面の盛り上がった部分から一枚の厚い板を抱え上げた。
 土を被った板の表面には、薄く文字が浮かんで見えた。

「……ネゴコラン。おそらくそう示された標識だ」
「えっ! じゃあ、もうすぐ近くまで来れたのかな?」

 レトは看板を捨て置き、土まみれになった両手をはたいて立ち上がった。

「とはいえ頼りになるのは方角だけだ。……今夜中にはたどり着けないだろうな」

 空を見上げれば、ねずみ色の青にうっすらと橙が混じってた。
 二人はこの夜、草木を敷いてその上で休んだ。時折羽虫が鼻を掠めて起き上がったりなどもした。朝日が顔を出すのは早かった。
 柔軟な身体を生かして、ロクが木のてっぺんまで登る。そうして高いところから洞窟の在り処を捜していた。このあたりではない。あっちのほうに山肌がある。歩いては登り、捜し、を繰り返し、彼女の口からようやく「あ!」という期待の声があがった。

「あそこ! 見える、見える! 洞窟っぽいの見つけたよレト!」

 ロクがまっすぐ指を指した方向へと、2人は道なき道を突き進みながら向かっていった。
 
 ついに発見したその洞窟は、崖下に大口を開けて2人のことを待ち構えていた。洞窟の入り口の端で朽ちかけた木の看板がかろうじて立っていた。ほとんど掠れてしまっていたが、レトにはその標識に記された文字が「ネゴコラン」と読めた。かつて王族騎士団長を務めていたギルクス家の当主が、入団志願者の度量を試すためにその洞窟に挑ませていたという。件の洞窟はここで間違いないのだろう。

「ひや~……。おっきいね。これがネゴコランの洞窟かあ。入ってった人たちがみんな引き返したっていうの、なんなんだろうね?」

 入り口付近から洞窟の奥を眺めてみても、真っ暗でなにも見えない。レトは携帯用の簡易な造りのランプに小さな蝋燭を差し入れて火を灯した。

「入りゃわかる。行くぞ」
「うん!」

 ロクとレトは足並みを揃えて、暗い洞窟の中へと踏み入った。
 洞窟内に入ると、ひんやりとした空気が2人を包み込んだ。
 時折、ぴちゃりと地面を叩く水の音がした。耳のすぐ横を通り抜ける虫の羽音もあった。
 しんと静まり返る洞窟内にはあと、2人の足音だけが響く。

「不気味なくらいに静かだ」
「ねー。にしても寒いなあ」

 袖の上から腕のあたりを擦りながらロクがぼやく。肌に触れる空気が冷たい。
 そよ風が首元を撫でるたびに、ぶるりと身を震わせたくなった。手先もかじかみ、痛みだす。衣服をすり抜けて皮膚が著しく凍っていく。
 寒い。
 ロクは白い息を吐いた。
 
「あれ。急に。なんでこんな」

 ふと、くるぶしのあたりに痛いほど鋭いそよ風が触れて、ロクは思わず足を止める。
 次の瞬間、彼女は叫んでいた。

「なにか来るよっ、レト!」

 間髪入れずに真っ向から吹き荒んできたのは、風だった。ゴオ、と低く唸る吹雪のようなそれに殴打される。
 ロクは左目を細め、のけぞりそうになるのを必死で堪えた。すかさず次元の扉を解錠すると、彼女の身体に纏わりつくようにして電気の糸が熱を帯びる。
 ついでた右腕に高圧の電気が走る。

「レト下がってて! 六元解錠──、雷砲!」

 撃ち放たれた雷塊は、巨大な冷風と衝突する。熱と力で切り裂ける。そう確信していたのはほんの束の間だった。
 風が止まない。ロクとレトの身体の真横を凄まじい勢いですり抜けていく。だのに風の勢いは留まることを知らず、まるで絶壁のように2人の前に立ちはだかる。
 ぐ、とロクが奥歯を噛みしめたときだった。
 彼女の右腕がぴきりと悲鳴を上げた。"雷皇"によるものではない。次元の力は、主の身体にはほぼ影響を及ぼさない。にも関わらず右腕が激痛に襲われる。
 ノーラとの対戦時に負った傷であることを思い起こさせられる。

「うっ──!」

 腕を引っ込めたなら、2人とも大風にやられ、激しく吹き飛ばされてしまう。だめだ、だめだと言い聞かせた右腕を、そのときだれかが掴む。
 彼女の右側に立っていたのはレトだった。彼は、腰元に提げた鞘から短剣──『双斬』を引き抜いた。

「左で応対しろ!」

 ロクの左腕に電気の糸が這う。右腕を圧迫していた電圧が下がる。彼女は頷く間も惜しんで、左右の出力を切り替えた。
 片手に構えた短剣をレトが大きく振るった。

「四元解錠──十字斬り!!」

 瞬間の出来事だった。

 立ちはだかる風の巨壁に向かって伸びていった砲電と衝撃波の軌道が重なる。
 かちり、とどこからともなく音がした。
 それが2人の頭の中なのか、心の奥なのか、指の先なのか、居所を掴むことはできなかった。
 そして。

「え?」

 レトの振るった双斬の刀身に、電気の糸が宿る。
 それも束の間。発出された電撃と風刃は互いの勢いを喰らい合うことはなく、絡み、膨張した力の塊となって、眼前の障壁を打ち破った。
 狭い洞窟に余波が吹き荒れ、2人は顔を覆った。
 次に顔を上げ、視界を見渡したときには、自然風ではなく激しかったそれが、はたと止んでいた。

「……」
「な……んだ」

 舞った土埃が収まる頃には、2人に襲いかかっていた風の猛威などまるで最初からなかったように、洞窟内は鬱々と、しかし整然と静まり返っていた。
 ロクはゆっくりとした動きで自分の左手を見下ろすと、「ねえ」とレトに声をかけた。

「いまの、なに? なんかこう、……変な言い方だけど、すごくいま、なにかと"繋がった"気がしたんだ」
「……」
「変だよね。それも、レトのことをすごく身近に感じた」
「俺も思った」
「レトも!?」
「最初に次元の扉を開くときに、俺は自分の中でなにかが開く感覚がする。たぶんおまえもそうだと思う。それが、もう"双斬"は開いてるのに……新しくなにかを開く音がした。次元の扉は、ひとつじゃないのか」
「あたしもおんなじ! うーん、なんだったんだろ」
「ともかく。これで道が開けたな」

 ロクは、うん、と返した。
 妙だったのは2人の次元の力に関することだけではない。洞窟を進むごとに増した寒気。それも異常な速度で気温が下がっていた。かと思えば真向から突風が吹き荒び、2人はあえなく吹き飛ばされてしまうところだった。
 次元師でなければ、文字通り返り討ちにあっていただろう。

「あの寒さといい、いまの風といい。自然なものじゃなかったな。次元的な力を感じる」
「ね。"踏み入った者は必ず引き返す"って……。つまりあの風でムリやり洞窟の外まで引き戻されるってことだったのかな」
「ああ。かもな。あれを次元師じゃない普通の人間がどうこうするのは難しい」

 風の開けた洞窟の向こうには小さな光がぼんやりと差している。おそらく出口だろう。そう遠くはない距離だった。2人は光の先を目指して、静まり返った洞窟の中を歩み進めた。

 暖かい陽の光が、さんさんと、木々の隙間から降り注ぐ。
 ようやく空の下へ出た2人は息を飲んだ。出口の周囲を囲う木々は枝の先も見えないほどに高く、また、ほかの草木も花もみなみずみずしく生い茂り、風に揺られてのどかに踊っている。
 わあ、と感嘆の息をもらしたロクが、空高い木々を仰いだ。

「すごい! すっごく高いよ、レト! 空気もなんか、めちゃくちゃおいしい。まるでちがう国に来たみたい」

 レトは、近くの茂みに成っていた一本の木の幹に触れた。それから上を仰いで、あたりを見渡す。
 人の手が入った痕跡がない。また、舗装された道が見当たらない。ここには人の気配を感じないのだ。

「たしかに……見たことのない植物だ。かなり頑丈そうだな。それに、道が舗装されてない」
「う〜ん、完全に未知の領域って感じ! どこに向かえばいいかなあ? 木も高すぎて登れないよ」
「なんでもいい。人や動物が残した痕跡を探すぞ。辿ればいつかどこかには着く」
「いつかどこかには〜!?」

 金色の髪をふわりと揺らして、レトが歩き始めたそのときだった。
 ──たん、と軽い音がした。レトが足を止める。彼の足元に、矢が一本射られていたのだ。
 つられて足を止めたロクが、え、と顔を上げれば。

 高い木の枝の上に、慣れたように腰をかけてこちらに矢じりを向ける──奇妙な鳥面をした何者かがいた。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.108 )
日時: 2022/01/11 18:05
名前: りゅ (ID: B7nGYbP1)

金賞受賞おめでとうございます!!(=^・^=)
とても素晴らしいですね!応援しているので
執筆頑張って下さい!( *´艸`)

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.109 )
日時: 2022/01/31 20:20
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)


≫りゅさん
 初めまして!作者の瑚雲です。
 お返事遅くなってしまってすみません、、!
 お祝いのお言葉、とってもうれしいです! ありがとうございますー!
 いま更新が遅くて恐縮ですが、どうかお暇なときにでも覗いていただけるとうれしいです*

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.110 )
日時: 2022/08/29 11:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第099次元 不可侵域

 たん、たんたん、と続けざまに、何者かは発矢する。レトヴェールが一歩後退すれば、足のあった位置に矢が突き立った。
 それより先に踏み込んでくるな。そうでも言いたげな、威嚇だ。
 レトは腰元に差してある双斬の柄に手をかけた。

「迎え討つぞ」
「うん!」
「──三元解錠、十字斬り」

 彼が叫び、同時に刀身で宙を払えば、周囲の草木が風に大きく煽られた。
 男はすかさず、強く弓を引き絞った。ぱん、と弾き出せばそれは素直に風の渦に飲み込まれた。が、驚くことに、渦巻く風が易々と霧散した。何者かのもとへ届くまえにするりと解かれてしまったのだ。

 え、とレトが目を見開いていると、何者かは弓の持ち手から手を離した。背負っていた矢籠しこからも腕を抜く。
 がしゃん。弓が、籠が地面に叩きつけられると、身軽にもその場からわざと飛び降りて、足場にしていた太い枝を片手で掴んでぶら下がる。

「次元の扉、発動」

 面の内側からくぐもった声がした。
 ぶら下がったほうの手元に長物が出現した。それは身の丈以上もある棍棒だった。何者かは不自由なその場所からしかけてこようと、肩から腕を引いた。

 (棍棒──……っ!?)

 ──レトは、はっと目を見開く。それからすぐ、身を乗り出していたロクを制するように、彼女の身体の前に腕を伸ばした。

「ロク、一旦止まれ!」
「ええっどっち!?」

 ロクがこけそうな素振りを見せている横で、レトは棍棒の主に向かって叫んだ。

「ルノス! 俺たちはエポールだ! わかるか!」

 そのとき。男の動きがぴたりと止まった。臨戦態勢が、ゆっくりと解かれていく。彼はなんてことない風に片腕だけで身体をさらに浮かせると、元の足場に腰を下ろした。
 男はつけていた鳥面を外す。その内側から覗いたのは、若い男の銀髪と、浮かべられた苦笑いだった。

 「……ありゃ?」

 *

 かろうじて道として機能している道をゆっくりと進んでいく。流れる空気はどこまでものどかで、しかしどこか排他的だった。いくら進んだところでいつまでたっても道らしい道はなく、人を拒むようにさえ感じる。
 かしゃん、かしゃんと、わずかに金属の擦れる音がしていた。ロクはルノス、と呼ばれた男の足元を見てから、顔を上げた。

「ルノス、ありがとう。案内してくれて」
「んー? いいって、いいって。にしてもおまえたちとは思わなかったなあ。この仮面見えづらいんだわ。でもこれが伝統だってうるさくてさあ」
「……なんでこんなところにいる?」

 ルノスはそうレトから指摘されると、笑みを返した。
 すこし休むか、とルノスは進路を変えた。彼のあとについていくと大きな切り株のある、広い場所に出た。切り株や、短く揃えられた草木はどうやら彼が整えたものらしい。
 切り株に腰を掛けたルノスの足元の裾がほんのすこしだけたくし上げられる。そうすれば、木製の肌が垣間見えた。

「おまえたちと別れてからは、ちょうど1年くらいかな」

 ルノス・レヴィンが2年半前、エポール義兄妹の家に訪れたときすでに彼は両脚を失っていた。
 彼が開口一番「此花隊って知ってるか?」と2人に問いかけてきたのが、まだ記憶に新しい。

 飛竜の翼を持った巨大元魔がレイチェル村に出現したと、此花隊の本部から指令を受けて村に駆けつけた青年その人が、ルノスだった。しかし到着したときには元魔は跡形もなく破壊され、そのとき周辺にいたのは、たった3人の少年少女だった。
 彼は確信していた。この中に次元師がいると。そして、それはおそらく一人昏倒していた緑髪の少女である、と。

 そんな緑髪の少女のことを次に思い出したのは、彼が別個体の翼竜の元魔と相対し、激闘の果てに両脚を失ったときだった。元魔を退けたものの歩行不能となった彼は、病床に伏しながら緑髪の少女──ロクアンズのことを想起した。
 そんなとき。警備班班長より呼び出しを受けたルノスは、班員に付き添われながら、此花隊本部へと訪れた。
 呼び出された内容は脱退の辞令だった。
 ルノスは車椅子に腰かけたまま素直に頭を垂れた。両脚を失った戦士に居場所などなかったのだった。

 そうして軽くなった身の上で義足を手にし、真っ先にエポール義兄妹の家門を叩いたルノスだったが、エアリスを喪って途方に暮れていた2人にとってそれは願ってもいない提案だった。
 そもそもレトとロクは、此花隊に入隊することを志願していた。
 が、とはいえ突然訪問してきた謎の男の言葉においそれと首肯するほど子どもでもない。真っ先にレトが怪訝の目を向けた。

『なんだ、おまえ。いきなり。名前を名乗れ』
『まあそんな威嚇しないでよ。な? 俺はルノス・レヴィン。次元研究機関の此花隊で警備班をしてた』
『してた?』
『脱退したんだ。脚がなくなっちまったもんで』

 ルノスが片方の足の裾をたくし上げると、レトもロクも驚いて黙り込んだ。

『俺も次元師だ。だから会いにきたんだよ、お嬢ちゃん。俺の代わりとか言うつもりはぜんぜんないんだけど、興味あったらど?』

 レトヴェールもじつは次元師であったことを彼が知ったときにはたまげてひっくり返りそうになっていたものだが、とにもかくにも、エポール義兄妹と元此花隊隊員の次元師ルノス・レヴィンはこうして再会を果たした。

 ルノスが、エポール義兄妹を此花隊に送り出すまでの1年半ほどの時間になにをしていたかというと、彼の自宅で次元の力の扱い方を2人に教唆していた。次元の力の質が異なるとはいえ扱っている大元のものは、元力にほかならない。それはどの次元師にも共通している。ゆえにルノスは、基礎知識に習得に重きを置きつつ、たまの実践まで幅広く2人に指南していたのだ。
 つまるところ次元師としてのエポール義兄妹の基礎はルノスが叩き上げたものだったのだ。

「しっかし驚いたな~。まさかネゴコランを抜けてくるとはな。成長が見れてカンシンカンシン」
「さっきの質問に答えてくれ。ふらっと俺たちの前に現れたかと思えばふらっといなくなって。挙句こんなところにいるにも理由があるんだろ」
「あ~ね。観光?」
「は?」
「悪かったって。そんな睨むなよ」

 変わんないねえ、とルノスはレトの眉間のしわを指さしてけたけたと笑った。

「なあレト、俺がお前たちの面倒を見るようになって、いちばん驚いたことはなんだと思う?」
「俺が次元師だったことか」
「あー、それもそうだったなあ。たまげた。でもそれ以上に衝撃だったのは、レト、お前が古語を読めると知ったときだよ」

 ルノスは手に持っていた鳥面を上下に揺らし、その内側をこつこつと、骨ばった拳で叩いた。奇妙な鳥の貌をしたその面を見下ろした。

「だから俺はあの村を目指した。この国で唯一、他部族との交わりの一切を絶ち、200年の時を経たかの村は幻だとも囃されたが、実在していた。ノーラ村。あの場所に現代の言語は通用していない。だがお前が幼少の時分に古語を学び習得を果たしたのなら、戦士として死に爆ぜた俺にも、まだ呼吸をする意味があるとみた」

 ルノスは腰を持ち上げた。鳥面を頭に軽く被って、ふうと息を吐いた。レトとロクの顔を見やると、彼はさて、と矢籠を肩に担いだ。

「もうひと踏ん張りだ」

 鳥の鳴き声も、水の流れる音も、この山を取り巻く環境そのものが澄んでいるのだと実感するのは遅くなかった。麓とは一切の交わりを絶った土地。その全貌に触れたのは、森がだんだんと深まり、日の傾きがわからなるほどあたりが木々に覆われ、暗くなり始めてからだった。
 前を歩いていたルノスが足を止めた。続くようにしてロクもレトもその場で立ち止まった。木で作られた細いアーチ状の門が構えているのが見える。しかしまだそれはすこし遠くにある。近づかないのかと、ロクが訝しむように首を傾げると、ルノスは鳥面をつけた。

「さあて。あんまりはしゃぐなよ、お前ら。ここが天地を司る神族【NAURE】を信仰する村。それから大事なことがもうひとつ。絶対に村人には見つかるなよ」


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.111 )
日時: 2022/03/12 23:18
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 第100次元 神を信仰する村
 
 ルノスは、鳥面の突起部分──嘴の形になっている──の前で人差し指を立てた。
 彼が言うことには、ノーラ村の人間は非常に排他的で、人影を目にするや否や話も聞かずに槍や矢などを投げては威嚇をするのだという。ただの威嚇に済めばいいのだが、こんな話もあったそうだ。森の中で迷子になった村の青年が数日後、村の近くまで戻ってくると、その姿を見かけた警備役の村人が槍を投擲し青年を殺害した。警備役の村人は咎められなかったらしい。それほどまでに異常な警戒態勢と徹底した隔絶を望んでいる。
 しかしそこまでは想像に難くない。
 ルノス、ロクアンズ、レトヴェールの3人は連携して一旦解散した。ルノスが村の正面から入っていくのを確認してから、2人は村の周囲を大回りをして、ルノスが事前に教えてくれた抜け道を利用して村の中へと踏み入った。視界の悪い中ではあったが、村の中にぽつぽつと、鳥の彫像が置かれているのが目に入った。神族ノーラを模して建てられているのだろう。
 
 よそ者であるのにルノスに居住が与えられている理由を、レトが訊ねてみた。彼は次元師であることを笠に着て、警備として雇ってくれと身振り手振りで懇願したらしい。村人たちがそれを承諾したのはおそらく、投擲された槍を持ち前の身のこなしでいなしてみせたからだろう、とほかでもなくルノスが自身の鼻を高くした。
 居住、といっても都市部より贅沢な施設は、この村にはなかった。木材でそれとなく家宅の形を成しているだけの倉庫に近い。奥まった空間はないし、一間だけに生活に必要なものが揃っている。見れば天井からハンモックが釣り下がっている。床の上がほとんど家具や本、武器類などで占められているのだから寝床が宙になるのは頷けた。
 物音立てないようにロクとレトが静かにしていると、人数分のお茶を淹れ終えたルノスが2人に向き直る。

 「んで、なんの用だっけ? 本がどうとか?」

 ここに訪れるまでの山中でルノスには、2人がノーラ村を目指していた理由を話した。ノーラ村の言語が読める人間を探している、と。
 しかしルノスと出会えたことは、これ以上なく好都合だった。ここで住まう彼なら村の言語の理解はもちろん、メルギースの言葉に翻訳もしてくれるだろうと期待していた。
 だが、本をめくり始めたルノスの顔色が明るくなることなかった。それどころかだんだんと難色を示していく。

「……ン~~。こいつは研究者ね。いや、難しいよ。読めるところがないこたないけど……。専門用語はさすがにサッパリだし、独特なんだよね、ここのヤツらの文字って。人によって癖があるのよ。ちっと、時間くれない?」

 淹れたお茶に手をつけることなく、ルノスは2人に苦笑いをした。ロクはかぶりを振って応えた。

「いーよ。難しいもんね。協力してくれてありがとう」
「悪いな。ちょっと資料庫のような場所があってさ、そっちに向かってみる。おまえたちはここでくつろぐなり自由に過ごしといて」
 
 そう言うとルノスは立ち上がって、「くれぐれも物音立てるなよ」と最後に一言釘を刺してから、義兄妹を残して家を出ていく。
 ロクはそろりと湯呑に手を伸ばし、できるだけズズと吸い上げないように気をつけて飲みながら、レトに訊ねた。

「どうする? レト」
「どうするもなにも、いまはルノスだけが頼りだ。なにひとつ成果をもって帰らないとなると、またコルド副班になにを言われるかわからない」
「だよねえ……。あーあ、ここまで来るの大変だったのにな」

 かたん、とそのとき音が鳴った。見れば扉のほうからだ。素早く振り向いたのと同時、扉の奥に人影が立っているのが見えた。
 ルノスではなかった。細い輪郭をした、少女だ。ロクもレトも驚愕のあまり目を見開いたまま硬直した。
 扉の奥から現れた少女は乳白色の長髪をしており、陶器の照り返しのような薄い光を放つ瞳でじっと義兄妹を見つめた。

「ごめんっ。ええっと」
「ばか」
「あ」

 ロクが慌てて口元を両手で覆った。緊張が走る。少女の出方を伺いながら、警戒していると、彼女は薄い唇を開いた。

「言わない。この村。人には」

 驚くことに、少女の口から発せられたのはメルギース語であった。発音も怪しく、かなり片言ではあるものの、単語を前後させれば、意味は通る。
 "この村の人には言わない"。

「あたしたちの言葉、わかるの……? 君は?」

 ロクは普段よりもゆっくりとした口調で言葉を投げた。レトは固唾を飲んで見守る。

「メルギース。わかる。わたし。教えた人、いる」
「……ルノス?」
「ハルシオ」

 ハルシオ。正しく聞き取れたそれから2人が連想したのは、ハルシオ・カーデンだ。研究部班の班長に就く男で、たびたび研究棟を空けているという、謎の多い研究者。
 なぜこの村に──? 
 いかようにして──? 
 さまざまな疑問が2人の脳内を駆け巡った。本当か、とロクが問うよりも先に、扉の奥から靴擦れの音がした。

「……! ニカ」

 慌てて入ってきたルノスが目を見開いて、乳白の少女の名を呼んだ。それからよく聞き取れない言語で一言二言、2人が交わし合うと、ニカは義兄妹には目もくれずに立ち去った。
 扉を後ろ手で閉めながら、ルノスは長いため息をついた。
 
「悪い悪い。すぐ戻るつもりだったし、俺の家になんてだれもこないから、油断してた。ニカのやつ、妙に鋭いのよ。なにか気配でも感じて来たのかもな」
「そうだったんだ。でもど、どうしよう、バレちゃったよ、ルノス」
「大丈夫だ。おそらくニカはなにも言わないよ」
「そうなの?」
「勘」
「勘~?」
「何事もなけりゃ、べつにいいけど……」

 一息ついたルノスが、思い出したように「そんなことより」と切り出した。ナダマンの本を片手に提げ、彼は義兄妹の目の前に腰を下ろす。

「一部だけだけど、読めた。この本はどうやら日誌らしい」
「日誌?」
「研究日誌、いや観察日誌に近い。日数と、会話のような内容と、登場人物が2人。1人はこの本の持ち主だったナダマン・マリーンだな。もう1人は…………。や、もう1体は、──ノーラ。信じられないけど。鳥のようだと描写がたまに出てきて、どうやらそのノーラの観察記録みたいだ」
「観察……? ノーラを?」

 ロクが首を傾げる。これにはレトも顔をしかめた。大書物館の奥のあの金庫で、ノーラの観察が行われていたとは不思議だ。ノーラがそれを許したのか、なにかやり取りがあったに違いないが、具体的な内容は読み取れない、とルノスは断りを入れた。

「ホントかウソかはさておき、解読していくうちに気になる文脈を見つけた。正しい翻訳かもわからないけど、そう読めたんだ。落ち着いて聞いてくれ」
「なに? なんでも聞くよ」
「"神族は呪いを解かれると、心臓を得る"……って」

 言いながらも驚いているルノスの目の前では、義兄妹が静かに、確信を得ていた。
 なにを隠そうノーラ自身が、死に際に放った言葉がそれだった。ノーラはナダマンにも教授していたのだ。
 2人が口を挟む間を見計っていると、そんなことをつゆも知らないルノスは続けた。

「非常に気になったのはこの一文だ。神族は呪いのようなものを扱うと噂があるが、本当なのか? そのかけた呪いを解かれたとき、つまりは"成立しなかった"とき……神は心臓を得るとされる、と記述がある。本当であれば大きな進展だ。神に心臓を獲得させればいい」
「その話だけど」

 ようやくレトが会話に切り口を入れた。間髪を入れまいと、彼は言葉を続ける。

「ノーラがウーヴァンニーフの地で顕現した。つい先日のことだ。それから、破壊した。」

 はたと、ルノスの動きが止まった。信じられないものを見る目でレトの顔を見、そしてロクの顔を見た。
 沈黙がしばらく続くと、ルノスは小さく口を開き、それから矢継ぎ早に言った。

「破壊した……? ノーラを、神族を、どうやって。どうしたら殺したことになる」
「……あったんだ、心臓が。さながら結晶みたいだった。赤いそれが砕けて落ちたときに、元魔を破壊したときとおなじ黒い砂になって、跡形もなく消えた」

 唖然とした表情で、ただし思考を巡らせながら、ルノスは顎に手をやった。

「おまえたちがやったのか、まさか?」
「いいや。その場にはいたけど、実際にはコルド・ヘイナーっていう戦闘部班の副班長が……」
「コルド?」

 ルノスが眉をしかめて繰り返した。反応からして知り合いなのだろう。しばらく視線を適当に巡らせたあと、「ああ」とルノスは声を上げた。

「あいつか。なっつかしい名前。警備班んとき、ちょくちょく現場被ってさ。……そういえば、新しい部班ができたとかどうとか、あいつが引き抜かれたとか、そんな話があったっけ。どこのボンボンなんだかすうごいお堅いよなあいつ。とにかく不器用だしおもしろみもゼロの男だったけど、たしかに、実力は俺と張ってた」

 心做しか"ゼロ"を強調をしていたような。仲が悪かったのだろうか。しかしルノスの表情からしてそうでもないらしい。言葉尻には真剣な目をして、感嘆の息を漏らしていた。

「あのコルドがねえ……。……しかし、そうか、ノーラ……。……いなくなったんだな……この世から」
「うん……たぶん。この村の人たち、大丈夫かな?」
「いまは、問題ないだろ。あいにくと俗世の情報はここには一切届かない。俺が話すか、外部から不用意に持ち込まれない限り明かされない。とはいえ時間の問題かもしれないけど……」

 夜の冷たい風が義兄妹の頬を撫でた。家の中とはいえ、ここも充分な素材で設計されていない。刺すような痛みに肌が粟立って、ロクは身震いした。

「おまえたち、ここで休んでいっていいけど、日が昇るまでには適当に出ろ。長居はしないほうがいい。出るときに声もかけなくていい。わかったな」
「うん」
「わかった」

 2人が並んで頷いたのを見て、ルノスはふっと笑みをこぼした。
 それから簡単な、とても豪勢とは言い難い、味の薄いスープのようなものと硬い干し肉を振る舞って、一年越しの晩餐と洒落こんだ。会話の間際にルノスは、気分の良さそうな調子でこのように言っていた。

「コルドによろしく言っといてくれ。流浪の天才次元師は絶賛自分磨き中だってな」

 帰還するまでにはたして覚えていられるだろうか。持ち帰ったとしても、推察にすぎないが、コルドが眉を顰めてため息をつくまでが目に浮かんだ。
 
 約束した通りロクとレトは、日が昇る前に目を覚ました。それから一宿一飯の恩人にはなにも告げずに、村をあとにした。
 薄い霧のような、靄のような、視界がうんと悪い中、来た道を正しく戻っていく。
 
 ネゴコランの洞窟を抜けるとき、風は一迅とも吹かなかった。抜けた先の麓の匂いがなんとなくこもっているように感じた。メルギースの匂いだ、とロクは独りごちたあと、すこし笑った。あの村もメルギースの一部であるのに、そのはずなのにだ。

「まだ行ったことないとこ、たくさんあるね。ぜんぶ行ってみたいよ」

 メルギースの匂いが2人の鼻腔を抜けて、身体に満ちれば、それからエントリアに下るまでの足取りは、軽くなっていた。



 本部に帰還する道中でのこと。レトは思い出したように、「そういえばキールアがカナル街にいる」とロクに教えた。長らく会っていなかった友人の行方──それも生きている──が知れて、ロクは跳ぶように喜んだ。何も告げずにエポール宅から出ていき、探すことも叶わなかったキールア・シーホリーの身をだれよりも案じていたのはロクだ。路線を変更して、カナル街に寄ってから帰還するとした。

 しかし2人は、キールアが世話になっていた薬屋の前で愕然とすることになる。

 ──キールアはある日突然、従業員用の部屋から姿を消したらしい。理由はまったくわからない、と店主は断っていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.112 )
日時: 2022/03/07 10:58
名前: りゅ (ID: B7nGYbP1)

閲覧10000突破!!おめでとうございます!!( *´艸`)
応援していますので執筆頑張って下さい!

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.113 )
日時: 2022/03/31 21:39
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第101次元 純眼の悪女Ⅰ

 巡回警備と、療養とをかねて、第二部班の2人は温泉街として名高い北東のセースダースに訪れていた。街のどこかしこから柔らかな笛の音色が漂うこの街には、コルドとレトヴェールのほかにも数多の来訪客が行き交っていた。

 まだ日が昇りきらないうちに、コルドは起床し一番の湯に浸かろうと廊下を歩いていた。肌寒い早暁の時分に暖かい湯に浸かるのは、格別の気持ち良さがある。それとどうも最近、動かない左腕への不安からか、早くに目が覚めてしまうのだ。
 ただ、目覚めていたのはコルドだけではなかったらしい。
 湯治場までの長い廊下を歩いていたコルドだったが、途中でふと、足を止めた。裏庭に人影が見えたのだった。朝早くから見回りか、炊事の務めだろうかとぼんやり目をやった彼はそこで覚醒した。

(レト?)

 彼は、薄明の空の下、金の髪を靡かせて踊っている──否、踊るようにしなやかに四肢を動かして、刀剣を振るっていた。
 レトは一秒より長く静止はしなかった。腕を振るい、次には足を躍らせ、合間に呼吸をし、早朝の冷たい空気を刀身で裂く。日の代わりに月が昇ったのか、とさえ錯覚しかけた。 
 息をするのを忘れていた。
 コルドはレトに声をかけなかった。足音を立たせないよう、慎重に立ち去った。

 足を運んでみれば湯治場は無人で、ひとまず身体を洗い流すと、コルドは広く張られている湯に足先から丁寧に浸かった。
 肩まで浸かれば、足の爪先から鈍い温かみが這い上がってきて、じっくりと心地良さが全身を包む。左肩を除いて。左肩から下にかけては、まったく感覚がなかった。重い物体がだらりと下がっているだけだ。いっそ切り落としたいという思いが日々募るが、先日セブンが病室でそれを制止した。コルドとしては彼の言う「神族から受けた傷に次元の力が匹敵するやもしれない」を、いまいち実感できていなかった。
 からり、と入口の引き戸が開く音がして、コルドの意識はそこで逸れた。

 音の主が淡々と背中を洗い流す物音が止んで、ひたひたとした音がこちらに向かってきた。湯けむりに遮られ、ぶれた輪郭がはっきりとすれば、音の主であったレトがはっとして金の目を見開いた。
 視線が合えば、コルドも「お前だったのか」と頬を緩ませて、彼に入浴を促した。

 レトが一瞬、ばつが悪そうに眉を顰めた。が、すぐにもとの涼しい顔をすると、二の腕のあたりまで湯に浸からせた。濡れた髪を浸からせないよう首の後ろでまとめながら口を開く。

「副班、調子は」
「変わらないよ。肩が重くて上がらない。不便だな」

 首を横に振って、コルドは左肩に湯をかけた。療養に良いと聞く、ほんのりと濁った湯が、黒ずんだ肌の上を滑り落ちた。
 コルドはふと思い立ったようにこんなことを口ずさんだ。

「そういえば、おまえたち義兄妹が入隊してから、ちょうど1年くらいか」

 水面に浮かんだ青や赤の葉が、ゆらりゆらりと、遊ぶように揺れた。
 レトも指摘されなければ、年の巡りは早いものだ、などと馳せもしなかっただろう。

「早いな」
「そうだな。しかしここ1年、妙に元魔のやつらが活性化しているように思うな。以前はこれほどではなかった。それに神族ノーラまで出現した……神族側でなにか動きがあったのか……?」

 コルドは湯に浸かりながらそう眉根を寄せる。せめてここにいる間は思考を休めたらどうかと、レトは口を開きかけてやめた。ルノスの脱隊の話を聞いてから、それとまではいかなくとも、異動か休養の可能性をほんのわずかに疑っていた。しかしそれは杞憂に終わったのだった。おそらくセブンも、ひいてはコルドも互いに望んでいないのだろう。年端もいかないような自分が心配することでもないから、いつもの調子で同意を返した。

「あったとして、原因に検討がつかない。ノーラはなにか知ってたかもしれないけど……。──そういえば、ノーラのやつ、『信仰を殺せ』って」
「……信仰……か」

 ──神族の内の1人だろうか。しかしどうして。
 順路の見直しをするからと、コルドは先に上がっていった。生暖かい湯けむりで、彼の後ろ姿が見えなくなると、レトは脱力した。
 岩を背に隠していた、黒ずみの背肌に、ひやりとしたものが伝う。呪記について進言すべきか、否か、いまだに図りあぐねていた。

 しばらくしてレトも浴場から出ていけば、出たところの廊下でコルドが壁に寄りかかっていた。彼は寝着物ではなく隊服に身を包んでいた。
 何事かと問う前に、コルドが告げた。

「ヤヤハル島で元魔が出た」
「ヤヤハル島? いま、第三班が滞在してたはずじゃ……」
「厄介なやつが出たらしい。応援要請だ。早急に向かうぞ」

 コルドは手に持っていた伝書を片手で折りながら、壁から背を離した。厄介なやつ──。近年、度々目撃されては次元の力を持つ次元師たちをも脅かす、飛竜型の個体。だろうか。レトの表情にも警戒の色が灯った。
 レトは1人で客室に帰り、早々に寝着物を脱いだ。ぱさり、とした衣擦れの音が落ちる。金の髪を一つに縛れば肩が自由になって、流れるように隊服を身に纏った。
 玄関で待機していたコルドはレトが出てくるのを確認すると、「いくぞ」と合図をした。頷いて、レトはそれに続いていく。

 船着き場で暇をしていた若い船乗りの青年に無理を押し通して、船を出してもらった。此花隊の次元師であることを告げ、隊章を見せれば、青年は調子の良いように引き受けてくれた。水上でも彼は目を輝かせて、「珍しいね。でもあの島はあんまり次元師様とか、馴染みないから。気いつけてね」と捲し立てるように言った。
 本土とはかなり距離を空けた地点に浮かぶ小島らしい。島の輪郭が見え始めれば、潮の香りが一層強くなっていた。
 
「! あれは……」

 しかし到着する手前のこと。船着き場に数体の黒い影が蠢いていた。不定形をした、下級の元魔だ。それでも普通の人間からしたら脅威にほかならない。船着き場から逃げそびれたのだろう数人の塊が、悲鳴を上げながら腰を抜かしている。
 目に入れるや否や、レトは甲板に出た。コルドが「レト」と声をかけるのを彼は無視した。
 なにもない腰元に手を持っていくと、レトは船上から叫んだ。

「次元の扉、発動──、『双斬』!」

 地表まで数メートル。レトは腰を低くして、船頭から弾くように跳びあがった。金の髪が、軌跡が一太刀伸びる。彼は波打ち際にいた黒い塊を、脳天から鮮やかに両断した。
 唐突に現れた金髪の少年、レトの姿に、しりもちをついていた男がひどく驚いたような顔で彼を見た。

「あ」

 刹那。背後に伸びかかっていた影を、レトはくるりと身を翻して真一文字に斬り払った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.114 )
日時: 2022/04/30 22:19
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第102次元 純眼の悪女Ⅱ
 
 次元師、と呼ばれる者たちをその目にしたのが初めてだとでもいうように、大袈裟に目を丸くして島民たちはレトヴェールの背中を見た。彼は両手にそれぞれ携えた短剣のどちらも暇させず、振るえば絶ち、回れば微風を起こした。単なる双剣でないことは素人目にも明らかだった。
 祈るように少年の後ろ姿を見守っていれば、次第にそれが杞憂だと知れる。あの不可思議な形をした墨色の化け物がたち、斬って落とされた断面からさらさらと身体を崩れさせ、順に消滅していく。
 コルドと若い船主とを残した船が停泊する。

「怪我人は」
「軽傷者2人。それ以外は問題ない」

 レトは納刀しながら早口で答えた。見れば、腕や足を抑えるようにしてうずくまってる男が2人、それ以外の女子供は木陰に隠れていていてよく確認できなかったが、概ね異常はないだろう。コルドは周囲にもう元魔が存在しないことを視認すると、頷いた。

「おそらくこれだけじゃないだろう。奥に──」

 そのときだった。どん、と重い地響きがした。次いで遠くから、甲高い動物の鳴き声のようなものがして、鼓膜をキンとつんざいた。レトとコルドは互いに顔を見合わせる。先に走り出したのはレトだった。
 コルドは、船から慌てたように降りてきた青年に声を浴びせた。

「怪我人が2人がいるんだ、手当してやってくれ。くれぐれも島の中へは近づけさせるな!」

 コルドは懐から治療具の入った小袋を取り出すと青年に向かって投げた。それを受け取った青年の困惑の声も聞かず、コルドも島の内部へと駆け入っていく。

 舗装された道を突き進んでいけばやがて、外壁の近くまでたどり着く。甲高い声の主が姿を現した。黒い竜鱗が太陽の光を浴びてギラギラと輝き、街中を焼くように眩い光を照り返す。背中にたくわえた両翼を大きくはためかせれば街の木々が揺れ、大地が揺れた。しかしその動きに若干の鈍さが乗っていた。また左側の翼にはいくつか大きな穴が開いていて、右の翼と比べるとほとんど機能していない。
 飛竜型の元魔と相まみえるのが二度目になるレトは、かの化け物を仰ぎ見ながら、睨むようにして目を細めた。

「レトさんっ!」

 名前を呼ばれて振り向いた先には、ガネストが安心したように肩をすくめていた。順に視線を移していけば、ルイルが顔を真っ赤にしながら元魔に向かってぐっと両腕を伸ばしている。彼女が気張れば気張るほど、元魔の翼の動きにぎこちなさが伴った。そんな彼女のすぐ傍にメッセルがいた。彼は片腕で身を覆うほどの大きな"盾"を携え、元魔から彼女を守るようにその場で膝をついている。かの武器の名は『盾円じゅんえん』。武器型の次元の力の一つだ。

「いまのうちに拘束する! ──第六解錠、円郭ッ!」

 コルドが右腕を前へ伸ばせば、その声に呼応して出現した鎖の破片が収束する。それらは何本もの鎖の束となって元魔の巨体に襲い掛かり、食らいついた。雁字搦めに拘束された巨体はまるで鉄球を宙から落とすように地面の上に叩きつけられる。
 すかさずレトが跳躍した。狙うのは負傷している左の翼だ。翼の根元を捉え、剣を振り下ろそうとしたときだった。

「ギィィイッ、アアア゛!」

 元魔が地面の上で激しくのたうち回った。縛りつけていた鎖の一端が弾け飛ぶ。それを皮切りに、全身を拘束していた鎖が弾けたのだ。
 拘束力が甘かった。コルドは奥歯を噛んだ。
 元魔はがむしゃらに両翼を大きく振り回した。巻き起こった風の余波を受け、ガネストやルイルが後退する。

「わあっ!」
「うっ──……!」
「! ルイル、ガネスト!」

 レトが2人に気を取られていた一瞬の隙でのことだった。元魔は鉤爪を伸ばしてレトのもとまで迫っていた。鋭利な猛攻に息を呑むと、そのとき、なにか盾のようなものがレトの眼前に展開された。
 鉤爪と盾とが嫌な音を発して衝突する。元魔は飛びのき、不格好な翼で上空に退避した。
 メッセルの持つ『盾円』の次元技、"展陣てんじん"。どうやら同時に展開できる盾は一つに留まらないらしい。見渡せば、フゥと息をついているメッセルの姿があった。

「──借りるぞ!」

 レトは高らかに叫んで、盾の上部を手で掴んだ。
 ぐんと伸びよく跳びあがり、盾を踏み台にしてさらに跳躍する。瞬間、盾はパキリと音を立て、割れた鏡のように崩れ落ちた。

「四元解錠──っ、真斬!」

 刀身が燃えるように赤みを帯びたかと思えば、その矛先は狂いなく元魔の左肩に突き刺さった。次の瞬間。左翼の根元を一閃の太刀筋が駆け抜ける。鈍い音とともに、翼は完全に斬り落とされた。
 悲痛を訴えるような奇怪な鳴き声があたりに響き渡る。レトは不安定な体制から飛び上がったためか受け身が取れずに地面の上に転がり落ちた。上半身を起こしたとき、慟哭を発散し続ける嘴の先が目に入った。元魔は鉤爪で地面を抉りながら上体を傾かせ、彼の視界に影を落とすと、食いかかろうと嘴を上下に開いた。

「こっちだ!」

 元魔の背後からだった。声がしたのは。後方から伸びてきた"なにか"が広げた嘴の口内に食い込む。それは鎖だった。ちょうど猿轡さるぐつわのように嘴の内部を圧迫し、次第に元魔の巨体が後ろへ傾いていく。
 コルドは右腕だけで鎖を引き寄せる。ついには元魔の脚が地面から引きはがされ、ふっと宙に浮いた。どん、という重い響きで巨体が地面に倒れ伏せば、土煙が立った。
 静寂が流れる。隊員たちは緊張の面持ちで動向を見守った。次第に元魔は、緩慢な動きで、上体を起こした。
 次の瞬間のことだった。片翼を失った身体が跳ね上がったかと思えば、鋭い鉤爪でコルドの身体に襲いかかった。

「──ッ!」

 コルドは痛みに顔を歪めた。いまや機能していない左肩に、鋭い爪のうちの一本が突き刺さり、地面と肩とが縫いつけられたのだ。眼前では飢えたような顔つきをした元魔が奇声を上げて大口を開けている。
 コルド副班、と遠くからレトがこちらを呼ぶ声がする。コルドは頬に汗を滲ませながら、にっ、と笑みを作った。

「好都合だ」

 そう呟いた刹那。コルドは空いた右腕を地面の上に添えて叫んだ。

「六元解錠──、円郭!!」

 地面の上に添えた指の隙間から光が零れる。呼応するようにどこからともなく出現した鎖の屑たちが、風を纏うように元魔の周囲を旋回し、収束し、正しく鎖の形を成すと同時に元魔の肢体を締めつけた。やがて竜鱗のひと欠片さえ見えなくなるほど鎖の鉄に覆われると──コルドが右の拳を、勢いよく握った。途端、それを合図に、元魔の肉体が鎖と鎖のわずかな隙間から弾け飛されるように四散した。ぱきりと、石の砕けるような音も混じっていた。
 周囲に飛び散った飛竜の元魔の肉が、無気力に地面の上を転がった。それから、さらさらと、黒い肉片たちが風に流れて消滅していくのに、時間はかからなかった。

「……。コルド副班!」
 
 は、と小さく息を吐いて、慌てたようにレトは走り出した。
 地面の上で寝転がったまま左肩を抑えているコルドの傍までやってくると、しゃがみこんで声をかけた。 

「げほっ、げほ……」
「肩が、コルド副班」
「大丈夫だ」

 そのうちにメッセルや、すこし遅れてルイルを引き連れたガネストも、コルドの周りに集まってくる。メッセルは怪訝そうな顔つきになると、息をつきながら膝をついた。

「さすがだねえ。神族ノーラを討伐した英雄サマだ。……っと、しっかしこりゃあ、マズいんじゃあねぇか?」
「駐屯所はどこだ。医療部班に診せる」
「それがよぉ。数日前からこの島ぁ、流行り病が広がってんだ。うちの医療部班もみんなそいつにやられちまって、島の施療院で寝かせられてんよ」
「……」

 流行り病が蔓延しているとは聞いていなかった。小さな島の事態であるし、第三班もここへ配置されてから日が浅いはずだ。単純に情報が流れてくるのが遅かったのだろう。
 医療部班も機能していない、施療院には罹患者が多いときたら、どこに頼るべきか──そう考えてあぐねていると、どこからか男の声がかかった。

「あの……。すみません」

 声の方向を振り向けば、そこには腰の低そうなふくよかな体格をした男が立っていた。腰には布を巻いているあたり職人だろうか。彼は冷や汗を流しながらこちらにぱたぱたと近づいてくる。

「お怪我をされているようで……。さきほどの化け物を、退けてくださったんですよね」
「……あなたは」
「ああ。この島で飯屋を営んでいます。ここでは施療院はあそこしかありません。よかったらご案内いたします」
「病が流行っているって。行ってかかったりしないのか」

 レトが警戒の色を見せると、飯屋を営んでいるというその男は垂れた目尻をさらに細めて、口元にも笑みを浮かべた。それから「いまはもう終息しつつあります。薬と治療法が見つかったので」と答えた。
 ──数日前に流行りだした病が、終息しつつあるとはどういうことか。レトは少々驚いた。失礼な考えではあるが、ほとんど本土との交流が少ないこのヤヤハル島の医療技術が発展しているとは到底思えない。おそらく此花隊の医療部班も、流行り病の終息に尽力しただろうが、ある程度の対策を講じられる彼らでさえ病に陥ってしまったのだ。自然か。偶然か。なににしても、この現状では、遺憾が残る。
 レトが返答をせず口を濁していると、男は、得意げにこう続けたのだった。

「奇跡の力を使う女の子がいるんです。彼女に診てもらうのがいいでしょう」


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.115 )
日時: 2022/05/15 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第103次元 純眼の悪女Ⅲ

 ヤヤハル島は島の大半が森に覆われている。また、地形の高低差がほとんどなく、かつ安定した気候が農作物を育てるのに適しているとの話だ。この島で採れた作物はエントリアやウーヴァンニーフといった大都市の市場でも出回っている。ただ、住宅街と呼ばれる地域は高い塀に囲われた区域内にしかなく、文明の進度はいかほどかと疑われたが、そもそもエントリアなどの大都市に出荷しているのだから相応の文明物を取り入れる機会はあるだろう。本土の発展都市と相違ない景観が街中には広がっていた。

 レトヴェールたち一行は島で一箇所にしか存在しないといわれる施療院に案内されてやってきた。表の扉を開いて中へ足を踏み入れれば、初めに薬品の匂いがつんと鼻をつく。広々とした平面の床に、病衣を着た何十人もの患者たちが仰向けになって寝ていた。大半の者がそのようにして時折呻き声を上げているが、よく見れば上半身を起こし、付き添い人と多少の会話を交わしている者もいる。病人に付き添っているのはここの施療院の人員だろう。ふくらみのある白衣を身に纏い、顔の鼻から下部分を三角巾で覆っていた。
 院内を一通り見渡していると、レトヴェールたちを連れてきた飯屋の男が声を上げた。

「ああ、ほら、彼女です。十数日前にここへやってきたんですが、すぐに奇跡のような力でこの流行り病を鎮めてくれた。ちょうどさきほどまであの怪物と戦ってくれたあなたたちみたいに」

 男がそう言って、指で指し示した方向には厨房があった。耳をすませばそこからわずかに少女の声が聞こえてきた。

「温度は高めで問題ありません。カンパスを潰したものを入れるので、ゆっくり混ぜて。そうです。時間をかけないと実が溶けずに残って、成分の高いものは最悪の場合毒が抜け落ちないので、丁寧に。……ああ、すみません、もう時間ですね。あの方々が外出から戻ってきたらそこのミルク粥を飲むように言って渡してくださいませんか? まだあと、数日は油断できませんから」

 男は、「きっとそちらの方の傷も診てくれますよ」とコルドに一瞥をくれてそうも言った。そして厨房へと入っていくと、柱から顔を覗かせて少女に声をかけた。

「嬢ちゃん、怪我人だ。診てやってくれないか」

 それを聞くと、「はい、ただいま」と前掛けで手についた水分を拭きながら、厨房から少女が顔を出した。その少女は、キールア・シーホリーだった。髪こそ二つではなく一つに縛っており、顔に三角巾をかけてもいるが、レトヴェールには判別がついた。
 
 カナラ街の薬屋から突然いなくなってしまったのだと話には聞いていた。それがこんなところで鉢合わせるとは。
 はたと、彼と目が合うと、彼女はしごく驚いたように目を丸くした。

「……」
「頼んだよ」

 ぽんとキールアの肩に手を置いて男は立ち去った。
 キールアはぶんぶんと首を横に振った。それから真剣な眼差しになり、コルドと一行を別室へと案内した。
 案内された別室はよくいえば片付けられた、悪くいえばてんで物の置いていない静かな空き部屋だった。物置だったこの部屋を、流行風邪の蔓延で急遽片付けたといったところだろう。なにせ島内にある医療施設はここだけだ。流行病以外の症状を訴えてやってくる一般の患者もいるだろう。ちょうどコルドがそうであるように。
 コルドを寝台に寝かせると、骨組みの軋む音がした。彼の顔色を伺いながらキールアが訊ねる。

「事情を聞いてもいい?」
「……街中に現れた元魔との戦闘中に負傷した。左肩を抉られてる」

 レトの返答を聞くと、キールアは慣れたようにコルドの上衣を脱がした。負傷したという左の肩口の黒ずみを見たとき、彼女は訝しむように眉をひそめた。

「これは……?」
「すこし前に、ノーラっていう……神族と交戦した。そのときに受けた傷だとは聞いた。変色してるだけじゃなくて、動かすことができない」
 
 神族との交戦と聞けば、キールアは目を丸くした。彼女も次元の力はもちろんのこと、神族の存在についても幼い頃から両親に聞かされてきたのだ。

「神族と……? その、まったく動かないの? 神経が損傷しちゃったのかな……」
「一般でいうところの、物理的な損傷とは……似ているようで違うと思う。……その黒ずみは、神族が使う特有の力に影響を受けたもので、広く一般の医術が適うかはわからない」
「特有の力?」
「神族は"呪記"と呼ばれる呪いの術を有してる。その力の一端じゃないかと……俺は思うけど」
「……」

 キールアは、きつく目を閉じているコルドの顔と、それから左肩の黒ずみに順番に目をやってから、逡巡した。

「わかった。とりあえず、目に見えるところから治療するね」

 キールアは、ぼんやりとコルドの容態を眺めていた第三班の3人に声をかけた。まだほかにも作ったという空き部屋に3人を案内し、看護婦をつけた。
 コルドとレトのいる部屋に戻ってくると、キールアは早速治療に取りかかった。見ていれば、容態を観察し、傷口を消毒し、薬を塗布し──と、すべて手作業で賄っていることがわかった。
 彼女が、次元の力『癒楽』を保持していることをレトは知っている。実際に使用しているところを見たわけではないが、彼女の母カウリアが語っていた。シーホリーの血族は、一人として例外なく、『癒楽』の力をその身に宿して産まれてくるのだと。
 黙ってキールアの横顔を眺めていたレトが口を開いた。

「使わないのか」
「……」

 ぬるめにした薬湯をコルドの口にゆっくりと流し込み、傍にある台上に置いた。キールアはそれに応えなかった。
 そもそも、ここへは「奇跡の力を使う少女がいる」、と聞いて足を運んだのだ。彼女は島民たちに次元の力の所持を明らかにしている。にも関わらず彼女が避けるのには訳があった。

「『癒楽』に頼れば、診療も、治療も、自分の手でやるよりもずっと早いよ。それはわかってるの。ここにきて、すぐ、原因不明の風邪が流行りだして……。早めにどうにかしてあげたかった、けど、ここの土地のことをまだわかっていなかったから、原因を突き止めてから治療にあたるんじゃ……遅くて。だから『癒楽』に頼ったの。最悪の場合、たくさんの人が亡くなってしまうと思ったから……。でもそれきり。わたしには、両親からもらった知識があるから。それを蔑ろにして、医師のような存在を名乗るなんて、わたしには」

 言葉少ななキールアにしては珍しく舌が乗っていて、意志の固さが垣間見えた。しかし端切れの悪いようでもあった。レトの前ではどうにも遠慮の色が見え隠れする。その延長線上か、次に口からつい出た声も小さかった。

「でも……」
「なんだよ」
「……。ううん。なんでもない」

 コルドの上半身に包帯を巻き終えると、キールアは一息ついた。

「ここには、長く留まらないんだよね」
「ああ。コルド副班……この人が動けるようになれば、早いうちに引き上げる」
「……このくらいの怪我なら、今日一日療養すれば、大丈夫だと思う」
「そうか」
「あの……レトヴェールくんは、大丈夫?」
「俺は問題ない。から、気にするな」

 それを聞くと小さく返事をして、キールアは余った包帯と医療器具をまとめてから、レトの横をすり抜けて退室しようとした。そのときだった。レトがおもむろに、「なあ」と声をかけた。

「……な……なに?」
「……」

 手伝えることはあるか。大変そうであれば手を貸す──と、言い募りたかった。振り返ってこちらを見たキールアの顔が目に入ると、変に眉をひそめてしまった。

「……いや。もし……力仕事が必要だったら、言え」

 実際に口から出た言葉のなんてぶっきらぼうなことだろう。
 キールアは一瞬驚いたような表情をしたが、ふっと下を向くと、弱弱しく首を振った。

「だ……大丈夫」

 それだけ小さくこぼし、キールアは逃げるようにその場から立ち去る。ぱたん、と扉の閉まる音が寂しく室内に響いた。レトは、寝台横の丸椅子に腰をかけると、はあとため息をついた。
 
 今夜は施療院で休むこととした。それぞれが空き部屋の中で夜を過ごす。静かな夜の風が、窓の隙間から入ってくると、レトの前髪を掬うようになぜた。
 気のせいだったのかもしれないが、深夜、かすかに物音がしたのでレトは目を覚ました。しかしあたりを見渡してみても人影はなく、殺風景な室内の様相があるばかりだ。じっと、扉のほうを見やってから、レトはふたたび眠りについた。

 日が昇り、鳥の鳴き声がしてくると、レトはぼんやりと瞼を起こした。身体がどことなく痛いと感じるのは椅子に腰をかけたまま眠ったせいだろう。瞼を擦りながらコルドのほうへ視線を向ければ、違和感を覚えた。
 コルドが彼の指先に視線を落としながら、驚いたように固まっていたのだ。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.116 )
日時: 2023/03/24 18:27
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第104次元 純眼の悪女Ⅳ

 もう起床していたのか、と見れば、上半身を起こし、手元を見下ろしながら硬直しているコルドがいた。レトヴェールも覚醒し、彼に訊ねた。

「なにかあったか」
「動くんだ」
「なにが」
「指だ。指先がかすかに動く」

 視線をつられてコルドの指先を凝視する。かすかに指先が痙攣しているのを見て、驚愕した。これまでまったく動く兆しを見なかったのに、いったいなにが──と途方に暮れていれば、部屋の扉が開かれる音がした。扉の隙間から顔を出したキールアが、おずおずと室内に入ってきた。

「あの、おはようございます。お加減は……」
「おはよう。肩のほうは問題ない。君のおかげでだいぶ楽になった。それよりも、君に一つ聞きたいことがあるんだが」
「なんでしょうか」
「左肩から下にかけて指先まで、てこでも動かなかったんだ。神族の術の影響、といえば伝わるかな。それなのに、見てくれ、指先が動いていて。君はなにか、知ってるか……?」

 キールアは何も知らない風ではなかった。さっと目を泳がせて、話しにくそうに押し黙る。コルドは前のめりになると彼女にこう畳みかけた。

「なにをしたか、だけでいい。教えてくれないだろうか。快復の手立てがわかれば、あとはこちらで何とでもする」
「おひとりではおそらく、治療できません」
「どういうことだ」

 コルドが眉をひそめてそう訊ねると、キールアはいよいよ諦めたように、口を開いた。

「その皮膚の変色と硬化が、神族の術の影響なら、元魔に次元の力が匹敵するのとおなじく、私の力が敵うのではと思ったんです。それで昨日……」
「君の力?」
「──次元の力『癒楽ゆらく』。これは、えと……他者を癒す、次元の力で……」

 キールアはコルドの強い視線を避けながら、しどろもどろとしつつも答えた。元来、人付き合いが得意ではない彼女のことだから、話をしているうちに気が小さくなってしまったのだろう。
 コルドは意を決したように身を乗り出して、彼女に頼みこんだ。

「君のその力で、もしかしたら俺の腕がまた動くようになるかもしれない。また戦線に復帰できる。遺憾なく動くようになるまでの間でいい、しばらく俺の腕を診てくれないだろうか」

 キールアは想定していた。それに彼女は、可能であればコルドの腕を診たいと言い出すだろう。調薬が専門とはいっても彼女も医療に従事する人間の一人だ。それとは別に、コルドがレトの同胞であることも理解している。彼らにも使命や役目がある手前引き留めていいものか、考えあぐねる彼女の表情は、困ったようにも見えた。
 レトはキールアの顔を見てから、コルドの腕を掴んだ。

「副班、セースダースに戻らないと。それか本部に一報寄こさなきゃこれは独断だ」
「しかしこの機会を逃すわけにいかない。頼む。勝手なのも承知だ」
「……」

 冷や汗がたらりとコルドの頬を流れた。彼は早口に、さらに念を押した。焦っているのであろうことは、彼の表情を見ていればわかる。なにせ、キールアという次元師の少女に出会うまで対処法も、治療法も、まるで手掛かりがなかったのだ。神族から受けた呪術が解けるかもしれない──藁にもすがる思いとはこのことだ。
 レトの返答を待たずして、キールアはぎこちなく首肯した。

「わかりました」

 レトが軽く息をついたように見えたが、それよりもコルドが表情を柔らかくして心から嬉しそうに「ありがとう」と告げてきたので、キールアはなにも言えなくなった。
 それからというものの、キールアは日中は島民の看病に走りながら、手が空く夜更けにコルドの病室にやってきて、腕の治療に努めている。

「──四元解錠、"仇解あだどき"」

 そう口ずさめば、コルドの左肩の周りにふっと薄い膜が張る。さながら水泡のようなそれの内側で、黒ずみがまるで生きた物のように蠢き、わずかに収縮するのだ。キールアいわく、一度の術で消失させるには彼女自身の力量が足りないらしく、また元力の消耗も激しいことから、日をかけて徐々に薄めていく方針をとった。
 やがて日が経つにつれ、だんだんとキールアの顔色が悪くなっていくのを、レトはただ見守りながらしかし口を挟めなかった。

 キールアが倒れたのは、6日後の暮れ方のことだった。

 病にかかっていた島民たちのほとんどが快復し、彼女の手を借りることもない状態にまで達していた。街も、病が流行る前と遜色ない機能を取り戻していたのが、不幸中の幸いだった。
 コルドの部屋の前で倒れていたキールアを、ヤヤハル島駐在の医療部班が診れば、明らかな睡眠不足と元力の消耗による体調不良だと言い渡された。単なる体調不良であれば口も利けるだろうが彼女の場合は違っていた。昏倒したまま半日以上目を覚まさないのだ。班員によれば、しばらく目を覚ます見込みはないという。
 彼女を連れて本部へ一度帰還しよう、と提案したのはコルドだった。ここでは十分な療養体制が整っていないのもそうだが、セブンに一報もなく任務外の土地で滞在してしまったのだ。事の経緯を漏れなく報告し、一般市民を巻き込んでしまったと打ち明けなければならない。ようやく頭が冷えてきたのか、彼はじつに申し訳なさそうに身支度も手早く済ませて、帰りの船を手配するとともに第三班に別れを告げた。

 港に降り立ったあとは、セースダースに位置している駐屯所の荷馬車を発進させ、なるべく平坦な道を選ぶように指示しながら本部へと帰還した。その間、キールアの容態に変化はなかったが、相変わらず昏倒状態が続いた。
 
 本部の門をくぐり抜けて、班長室へと足を運んだコルドはまず謝罪の意を述べた。事前に文を出していたので大体の事情を察していたセブンは驚きこそしなかったものの、表情はいつもより固かった。

「ヤヤハル島で翼竜型の元魔が発現し、第三班のみでは討伐は困難と判断。応援要請を受けて島に向かった……までは問題ない。第三班の人員構成にはまだ不安が残っているし、我々が第一に考えるべきは島民の安全だ。その点でいえば、君がキールアという少女に無理をいって我欲のために腕の治療を頼み込んだ、この行動は褒められたものではないね。わざわざ言わずとも理解しているんだろう」
「はい。仰る通りです」
「わかった。では今回の処遇は後日言い渡すとしよう。彼女は現在医務室で休ませているね?」
「はい」
「彼女の様子を見てあげなさい。目を覚ますまではここで面倒を見るよ。君から文が届いたあとに上には伝えてある。彼女に非はないからね」

 コルドが頭を下げてから、班長室を出ていく。ちらりとレトがセブンの顔を見やれば、彼は致し方ないとでもいうように肩を竦めていた。
 二人はその足で医務室へと向かった。キールアの寝台の傍まで歩み寄れば、彼女の顔色には明るみが戻っていた。もうしばらく休めばじきに目を覚ますだろうと、医療部班の班員が告げると、コルドは安心したようにほっと息をついた。
 
「あとは、医療部班に任せて退室しよう。また夜に見に来る」
「……」

 レトは一度、キールアの寝台へと振り返った。寝息を立てて静かに眠る彼女の顔色を見て、コルドのほうへ向き直ると、小さく頷いた。

「わかった」

 医務室をあとにして2人は集会所へと移動した。
 明日には本部を発ってセースダースに戻らなければならなかった。巡回が済めばそのあとはフィリチアに引き返す。
 フィリチア行きは、さきほどついでにとセブンから命が下った。彼が手にしていた仰々しい依頼書には、畑荒らしの調査を依頼する内容が記載されていた。ここまで聞けば此花隊の管轄ではないのだが、どうも痕跡が害獣のそれではないのだと、ひいては町の近隣に元魔が潜んでいる可能性があるとして、政会から此花隊に流れてきた案件だ。彼は淡々とそれを読み上げて、第一班の派遣を決定した。
 集会所でそんな打ち合わせを行っていると、なにやら廊下のほうが騒がしくなってきた。口を止めてコルドが扉のほうを振り返る。

「なんだ……?」

 集会所を出て、コルドが外へ出る。レトもそれに続いて出ると、2人組の男隊員が、声をひそめながらコルドたちの目の前を通りすぎようとするところだった。コルドは、片方の男の肩を掴んで、問いかけた。
 
「すみません。なにか、あったんですか」
「ああ。戦闘部班の、コルド副班長。それが……ついさっきのことなんですが、どうやら政会の連中が、来てるらしいんです」
「政会が……?」
「調査の一環で至急門を開けろと、なにやら揉めているとか。下ではちょっとした騒ぎになっていましたよ」

 コルドは眉をひそめ、男隊員を解放すると、レトに目配せをした。
 政会の人間が直接此花隊本部を訪ねてくるだなんて、何事だというのか。2人は集会所を離れて階下に降りていった。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.117 )
日時: 2025/04/06 15:18
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第105次元 純眼の悪女Ⅴ

 正門まで降りてくれば、門前での騒ぎが目についた。紺を基調とした布地にところどころ金細工があしらわれている華美な制服と、1人の男の後ろで控えている付人ちの足並みの揃ったところを見ると、政会の人間と見てまず間違いない。
 政会は、メルギース国が王政を廃止してから後のまつりごとを担っている政治団体だ。元は爵位を持った一族による一商会だったと噂には聞くが、いかようにしてこの国の政治を一手に担うほどにまで上り詰めたかは、コルドもレトヴェールも知るところではない。政治団体でありながら軍を整備しているのも、当時、メルギース王国軍を引き受けた流れによる。控えの付人たちは腰から剣を提げていた。

「至急の調査なのだ。門を通してくれ」
「し、しかし……。書状はお出しいただいておりますでしょうか? どなたへの会見で」
「至急だと言っているだろう。時は一刻を争う。ここを通したまえ」

 介入すべきか、しかし自分たちが出て行ったところで騒ぎが収まるとも限らない──とコルドもレトも足踏みをしていると、2人の横をすうと横切る小さな影があった。
 灰色の髪がお団子状に美しくまとめあげられ、赤い隊服を外気に靡かせた後ろ姿が、まっすぐ正門へ向かう。

「何事ですか」

 たった一声かかると、正門の周りにいた警備班員たちがぴしりと背筋を立たせる。凛とした女性の声が辺り一帯に響いたのだ。ざわめき立っていた周囲を、一喝で諫めてしまった老齢の女性の名を知らぬ者はこの隊には存在しない。チェシア・イルバーナ。メルギース国随一である商家、イルバーナ侯爵家の当主であった彼女はその席を後継の息子に譲り、現在は此花隊の副隊長として赤い隊服を身に纏っている。
 杖もつかずにしゃんと背を立たせて門まで歩み寄ると、彼女は続いて口を開いた。

「訪問があるとは聞いていません。一体何用で参られた次第ですか」
「これは、副隊長殿。何用で、などと、副隊長殿はお分かりではありませぬか?」
「……何と?」
「隠し事はいただけませんなあ」

 細く切って揃えた無精ひげの先をわざとくるくると弄んで、先頭に立って弁をたれる男はそう答えた。
 イルバーナ家の当主の座から降りた途端に、なめた口を利く輩は増えた。彼女とて引退した老いぼれがあつかましく過去の名誉を引き合いに出すべきではないと自負しているが、それを加味しても、目の前の男のニヤついた笑顔に腹が立たないほどお人好しでもなかった。

「話を聞いていないと申し上げているのです。それとも我が国の政を担われる政会の重役様方は、相手先に一報のお入れもなく突然ご訪問なさるのが礼儀でございましょうか。そうではないでしょう。出直しなさい、会員風情が」

 チェシアは瞳をきつく細めて、男に鋭い視線をくれた。男は、うっ、とばつの悪そうな顔をして、後ずさった。政会の構成員の位は、制服の意匠を見れば一目瞭然だ。襟元の金の刺繍が一本であれば会員でも下っ端の部類に値する。一端の騎士団員や諜報員らより一つ上の位といったところだろう。そのうえ金のバッヂを胸に飾ってはいるが飾緒が垂れていない。将来の見込みの有無が伺えるが、チェシアはあえてそこまで突っ込まなかった。

「そ、そのような態度をとられるとは。こちらではすでに情報を掴んでおりますぞ! あなた方此花隊が、この本部内で、シーホリーの娘を匿っているなどということは!」

 思いがけない方向から名前を聞けば、チェシアは眉をひそめて跳ね返した。

「何を仰います。シーホリーの一族など。匿う理由などこちらにはありません」
「小麦色の髪の、14、15ほどの少女ですぞ。たしかに、少女を乗せた荷馬車が此花隊の正門をくぐったと諜報の者が……」
 
 男は慌てて口を噤んだ。すると、チェシアはしばらく考えこんで、もしや、とあることを思い返す。数日前、セブン・ルーカーが上げてきた報告書の中に、一般市民の少女を巻き込んでしまった、暫く医療部班に預けさせてくれといった報告が紛れていたのだ。

「少女……。14、15ほどの子どもでお間違いありませんね。たしかに1人、そのような娘を保護しております」
「ええ、ええ! きっとおそらくそうでございましょう、副隊長殿。その少女こそが、150年前、かのアディダス・シーホリーが遺した"悪魔"の子らの1人なのです。レトヴェールという名の少年と通じているのだとか。少年に聞けば明かされましょう!」
「……」

 政会の役員たちは、"悪魔の子"と総称されるアディダス・シーホリーの血を継ぐ一族の残党を躍起になって探している。なにがそこまで彼らを掻き立てるのか、驚くほどに此花隊には詳細な情報が流れてきていないのだ。研究部班の一部の班員がアディダスの『癒楽』継承説について調査しているが、政会に情報を求めても反応が鈍いとまで聞く。
 単に非常に暴力的な、危険因子を身に宿しているためなのか。
 チェシアは黙ったのち、緩慢な動きで半身振り返った。

「レトヴェール・エポール。こちらに」

 来て、話を──とレトに声をかけようとして、チェシアの動きがはたと止まる。廊下に突っ立っていたはずの彼の姿が、見当たらないのだ。

「コルド・ヘイナー副班長。彼はどこへ」
「はい! ……え、あれ。え!?」

 名指しをされて勢いのまま返答をするコルドだったが、横を見やれば、たしかにレトの姿が忽然と消えていた。

「あ、あいつ、どこへ……?」



 ──なぜキールアの素性が知れている。ともかく、あの男が阿呆にも大きな声で名を告げてくれたので、レトはすぐさま医務室まで向かうことができた。
 何事かと思えばキールアが目的だったのだ。早く伝えなければと心の逸るまま、レトが勢いよく医務室の扉を開けば、扉の傍で立っていた女性班員が「きゃあ!」と声をあげた。
 キールアの寝台は窓の傍だ。つかつかと歩み寄れば、寝台の上のシーツは丸く膨らんでいた。
 レトは呼吸も整わないうちにシーツを引きはがした。

「なにを……!」

 慌てて走り寄ってきていた女性班員が、そのとき目を丸くした。
 膨らんだシーツの下にはなにもいなかった。枕を適当な布地で固めてぐるぐるに巻きつけているものが、無造作に寝台の上で転がされている。
 キールアの仕業だ、と思い至るのに時間はかからなかった。

「な、なんてことなの? さきほどまで、ここに、あの、女の子が……」
「どうして気づかなかった」

 レトは、なかば睨むようにして女性班員を一瞥した。彼女が息を呑むのもよそに、彼はすかさず窓に目をやった。
 窓は開け放たれていた。風が吹き込んできており、はためくカーテンを指先で押し返しながら、窓から身を乗り出せば、近くに高い樹木が聳え立っているのが見て取れた。
 
「まさか、ここから飛び下りた、なんて……。ここは2階よ」
「できる」

 女性の言葉を遮るように、レトは窓の向こうを眺めながら、そう言い切った。

「あいつなら、ここから地上に飛び下りるなんて、朝飯前だ」

 窓の淵から手を離して、踵を返せば、そのうちにレトは医務室の扉から廊下へと飛び出していった。女性は窓の向こうと、彼の後ろ姿とを、交互に見送っては唖然としたのだった。


 キールア・シーホリーが建物の2階から地上へ飛び下りるなど、造作もない。誇張表現でもなければ比喩でもなかった。事実、医務室に近い樹木のふもとには、彼女の足跡らしき痕跡が残っていた。
 幼少の時分に、彼女が山と村とを頻繁に往復していたのを記憶している。華奢で大人しい見た目からは想像しにくいが、彼女には存外体力があった。長らく顔を突き合わせる機会がなかったとはいえ、医務室から姿を消したことを考えれば、足腰の強さは健在のようだ。
 
 問題は、どこへ消えたか、だ。本部の裏口から街へと繰り出したレトは、街角で一度立ち止まって、思案するように街並みを見渡すと、それからまた地面を蹴って走りだした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.118 )
日時: 2022/08/29 22:40
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第106次元 純眼の悪女Ⅵ
 
 意識を取り戻したキールアは、廊下から聞こえてきた会話を耳に入れて、驚愕した。手の先で触れた覚えのないシーツや、自分を囲う白壁がどうでもよくなった。政会がこの施設の門前にまでやってきているというのだというのだから。
 即座にキールアは覚醒した。政会は自分を捕らえにやってきたのだ。
 室内で雑務をしていた看護服の女性の目を盗み、キールアは窓から飛び降りた。2階とはいえ樹木を捕まえて降りればとりわけて大きな怪我もせずに済んだ。
 
 エントリアの街並みには馴染みがある。まだカナラ街の薬屋で手伝いに明け暮れていた頃、隣町のここへは遣いで足を運んだものだ。近道を抜け、カナラとの間を隔てる森の中をひたすらに走っていた。
 森の奥へ、奥へと駆け進み、いよいよ足が千切れそうにまでなったとき、キールアは石に躓いて、這うように地面の上に転がった。

「っ! ……う、うぅ」

 立ち上がろうとした手で土の表面を掻く。爪の先が黒く染まろうとも構ってはいられない。ただ、膝からじんわりと痛みが伝ってくれば、目の端から涙がこぼれそうにもなった。
 かぶりを振って、膝を伸ばし、走りだそうと身をかがめたときだった。後ろからぐん、と腕を引かれてキールアは咄嗟に身を強ばらせた。

「いやっ!」
「見つけた」

 声を聞いて、キールアははっとする。振り返れば、そこには息を切らしたレトヴェールの姿があったのだ。
 彼はキールアの手首を掴んだまま、肩で呼吸を整えた。ふと下を向けば彼の靴は土で汚れていた。
 なぜ彼がここまで。自分を追ってきたのだろうか。いったいどこから。疑問が次から次へと湧き上がってきて、キールアは上手に言葉を見つけられずに、つい漠然と訊ねてしまった。

「……ど、どうして、……?」
「忘れもん」

 ぱっとキールアの腕を離すと、レトは彼女に向かって小袋を差し出した。
 キールアは差し出されたそれを目に入れるや否や、血相を変えてそれに飛びついた。

「……!」
「大事な物だろ。俺の家から出ていくときにも、持って出てた。……医務室の外の木の根元に、落ちてた。飛び降りたときにでも落としたんだろ」

 受け取った小袋を胸に抱くと、キールアは安心したようにほっと息をついていた。彼女は逃げも隠れもせず棒のように突っ立っている。レトはあたりを見渡して不審な人影がないのを確認すると、キールアに問いかけた。
 
「カナラに戻るのか。もともと、いたんだろ。薬屋に」

 キールアはゆっくりかぶりを振ると、「戻らない」と弱弱しい声でそう答えた。

「え?」
「……。あの、お店の店主がね、政会の……諜報員だったの」
「……」
「まえに、レトヴェールくんが、お店に来たでしょ。そのときにわたしたちの話を……聞いていたみたい。それでわたしがシーホリーの血族なんだろうって、だれかに店の前で話しているのを偶然見ちゃって……。だから、あの店もやめて……。行く当てが、なくて。本土を離れて……あの島に」

 ──成程合点がいった。薬屋から突然姿を消したと聞いたときに、おかしい、とは感じていた。キールアの真面目な性格からして理由も告げずに突然店を出ていくなど考えにくかったからだ。だが、店主が政会側の人間だったとなれば話は別だ。それで本土を離れ、辺境の島に渡っていたのだと彼女は語る。

「じゃあこれから、どこに行くつもりだったんだ」
「……どこにも。どこにも、向かって、なかった。どこへ行っても、どこで暮らしていても、政会の役人さんたちが、近くに潜んでいて、血眼になってわたしたちを探してる」

 震える肩を抱きながらそう言うと、キールアはその場にしゃがみこんだ。膝に顔を埋めてしまった彼女に、手を伸ばそうか、どうか。一瞬の迷いののちに、くぐもったような声が聞こえて、レトは手を引っ込めた。

「……。殺すんだよ。知ってるでしょ? わたしの家族が、山奥の家の中で焼かれて、そのまま放置されていたの。それも……──目を。やつらはシーホリーの目を奪っていくの」
「……目を?」

 どうして、とレトが問おうしたそのときだった。彼の通信具から聞き慣れた、精悍な声がした。咄嗟にレトは顔を逸らして、耳元の器具に指をあてる。

『レト、どこにいる?』

 コルドからの通信だ。彼に訳も告げずに本部を飛び出してきてしまったのだから、小言の二言や三言落とされるのは容易に想像できた。怒気と焦りを含んだような彼の声色に、レトはばつが悪そうに答えた。

「……エントリアを外れたとこの森にいる」
『森だと? ともかく本部へ戻れ。チェシア副隊長殿がお前を探しているぞ』
「は? まあ、すぐに──」

 言いかけて、ふとキールアを見やれば、彼女の姿が忽然と消えていた。レトはすかさず前方に目を凝らした。束ねていない小麦色を無造作にゆらゆらと揺らしながら、森の奥に消えていく彼女の後ろ姿を捉えたのだった。

「あいつ……! 悪い副班、あとで説明する!」
「あ、おい、レトっ!」

 戻れ、というコルドの鋭い声が何度も耳の奥でした。しかし、本部から離れていくたびに、だんだんと彼の声は掠れて、しまいには完全に聞こえなくなった。



 舗装された道から外れ、レトは獣道を突き進んだ。ぬかるんだ地面と険しい岩肌とが続くその道の先には、広けた空間があった。陽が落ちる間際の、夕焼けを水面に溶かした大きな湖が広がっていた。
 息を整えながら、レトはゆっくりと、湖畔へと歩みを進めた。

「……やっぱりここか」

 湖畔には、小麦色の髪を胸の下まで伸ばした少女が1人、座りこんでいるのみだった。声を聞けばはっと少女が振り返って、琥珀色の両目で、近づいてくるレトの顔を見上げた。
 少女、キールアは驚いたように、小さな口をはくはくと開閉した。

「ど、どうして……わかったの」
「水。お前どうせ、医務室で目覚ましてから一滴も飲んでなかったんだろ。いくら体力あるからって、そんなひょろっこい身体じゃ限界がある」
 
 レトはキールアの横をすり抜けると、身を屈ませて、透き通った湖面に指先を浸からせた。それからゆっくりと手のひらで湖水を掬いあげ、口元に運んだ。

「なんでもわかっちゃうんだね。……あなたは」
「予想が当たっただけだ」

 レトも喉を潤すと、踵を返し、キールアの近くでぴたりと歩を止めた。足を崩せばようやく深い息を吐きだした。彼女との間には、人ひとり分の幅が空いていた。

「……。わたしをどうするの」

 キールアはさらに膝を抱えると、絞り出すような声でそうレトに問いかけた。

「わたしを探して、ここまで追いかけてきて。なにかするの……?」
「……」

 レトは難しい顔をしているが、黙りこんだままだった。彼は、自分の意見を主張することを躊躇わない少年のはずだ。キールアはそう記憶している。後ろめたさがあって答えにくそうにしているわけでもなさそうだった。
 だからこそ、カナラ街で再会してから、彼の態度や口ぶりの歯切れの悪さに違和感を覚えていた。彼はこんなにも物言わぬ少年だっただろうか。
 キールアは、湖を眺めるレトの横顔を見ながら、ぐっと拳に力を入れた。

「俺は……」
「ねえ、レトヴェールくん」

 意を決して口を開いたときには、レトがなにか言いかけたことにすら気が回らなかった。静かな湖畔に、鈴を転がすようなキールアの声が響く。

「捕まえにきたのなら。わたしを殺してほしい」

 水鳥が湖面に降り立つ。はためく翼が、湖面を叩く音がして、しかしレトは、聞き間違いではないと悟った。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.119 )
日時: 2022/10/09 17:26
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: UKb2Vg8d)

 
 第107次元 純眼の悪女Ⅶ

 キールア・シーホリーといえば、子どもにはらしくない大人しさで、常に周りの様子を気にして俯いているような少女であった。ロクアンズと上手く付き合っていられたのは、ロクがだれにでも分け隔てない明るさを持ち、引っ張り回していたからにほかならない。キールアはロク以外に友人を持っていなかった。
 無論、冗談でも、自分を殺してほしいなどと口にできる気概を持ち合わせていなかったはずだ。──すくなくともレトヴェールの目には、「殺してほしい」どころか「遊んでほしい」とも言えぬほどに臆病で、消極的な少女に映っていたのだ。

「……は?」

 驚きのあまりレトは硬直して、物一つ言えなかった。キールアはさらに、彼に迫った。堰を切ったように彼女は言い募る。

「この湖から落とすでも、もっと先の崖でもいい。あるいは……次元の力でなんとかしたって、いい。ほかの次元の力は、『癒楽』とは違って常人以上の力を発することができるって、聞いたの。レトヴェールくんも次元師なんでしょ? だったら、わたしの身体を塵一つも残さないで、この世界から、なくすことができる──?」

 矢継ぎ早に、そして淡々と零していくキールアの、真に迫ったような表情をレトはしばらく信じられなかった。
 目を伏せ、肩を震わせ、吹き出した汗も拭わず彼女の手は地面の上でぎゅうと固く握りこまれている。

 ずっと胸のうちにため込んでいた。
 殺害された家族の住む家に足を踏み入れた日の光景を、まだ瞼の裏は覚えていて、目を閉じれば赤一色に焼きつく。寝つけない日も珍しくなかった。まるで昨日のことのように思い起こせるが、ひとつ忘れてしまったのは、笑い方だ。
 あの日どうして自分もともに逝けなかっただろう。
 愛する家族とともに命を終えられたなら、残された途方もない時間の中で、跡形もなくなりたい、などと絶望する暇もなかったのに。
 だれにも吐けず、体の真ん中で煮えていたままだった赤黒い感情が、ようやく声になって聞かせた相手はしごく戸惑っていた。

「お前……なに言って」
「おねがい。もうあなたにしかこんなこと、言えない」
「できるわけねえだろ」
「どうして!?」

 声を荒らげたキールアに気圧されて、レトは息を飲んだ。見ればキールアは、その琥珀色の瞳からぼろぼろと涙を落としていた。

「……どうして……? だって、レトヴェールくん……わたしのこと、きらいでしょ……?」

 キールアは顔を上げた。
 夕焼けにあてられた明るい瞳が、涙を滲ませて、水面のように揺らいだ。
 レトは口を噤むよりほかに、為す術がなかった。

「──」
「言ったじゃない。『おまえなんて友だちじゃない』って。そう言ったよね」

 小袋を、まるで宝物を扱うように胸元に抱きながら、キールアはかたかたと震えていた。せっかく整えた息が乱れても彼女は構わず続けた。

「だからわたしを、この身体もぜんぶ、跡形もなくしてほしい。そのあとに、この袋に入ってる目も、潰して、どこかへやって。あいつらの手に渡したくない。おねがい、おねがい……っ」
「──……落ち着け、俺は、」

 そのときだった。
 森の奥からこちらに向かって駆けてくる獣の気配がした。野生よりも鋭く、異様な殺気を放っていた。レトはなかば手で押しのけるようにキールアを庇い、立ち上がった。
 キールアが一人驚いていると、叢を掻き分けてそれは突進してきた。
 警戒していたレトの腕に向けて一直線に跳びかかり、がぶりと勢いよく噛みついてきたそれは灰色がかった毛並みをしていた。

「──っ!」

 犬だ。剥き出しになった犬歯が深く、レトの左腕に突き刺さる。ぐっと顔を顰めた彼は右腕を振るってその犬の頬を叩こうとした、が、すんでのところで犬は飛び退いて、地面に着地した。

「次元の扉発動、『双斬』!!」

 レトが叫べば、呼応するように空中が振動した。どこからともなく出現した双剣が彼の手に収まると、刹那。
 真っ向から新たな殺気が飛来した。反射的に両刃を構えて迎え撃つ。飛んできた刀身は、双剣とかち合うとぎらりと鋭い光を放った。
 眼前に迫った長身の男が、低い声で告げた。

「退け」

 怒りでも憎しみでもない、底知れない悪意を孕んだ眼光がレトの視線を突き返す。青にも近い白肌の頬には一切の情がなく、また、その顔の半分は酷く焼け爛れていた。
 濃紺の生地に金の刺繍を誂えた外套。国花と、オークスの家紋を象徴する西海を掛け合わせた胸章が、政会の名を主張していた。また、外套の作りは階級や所属によって異なるとは聞くが、いかった肩幅と金飾りの極端に少ないところを見ると軍服だろう。腰元に提げられた鞘が、目の前の男が軍部の人間であることを語る。
 鬩ぎ合う両刃から嫌な音が立った。剣が傾き峰がこちらに迫った。

(まずい──)
「逃げろっ!」

 相手の刀身の上を滑るように角度を変えて、レトは飛び退いた。日頃から剣で打ち合う習慣がない彼でも悟った。相手の男は体格のみならず、非常に剣技に優れた軍人だ。元魔を相手するばかりのレトにとって打ち合いは分が悪い。
 次元技でケリをつけるしかない、と柄を握りこんだ、が──キールアが逃げ出す気配がしない。焦って背後を振り向けば、彼女は琥珀色の瞳を瞠目したまま、固まっていた。

「──」

 その視線は政会の男に注がれており、釘付けとなっていた。一度たりとも瞬きをせず石のようにそこで動かなくなっている。
 まさか、とレトは察して、固唾を飲んだ。

「覚えていたか。目の色が異なっていたために、あの家宅の前ですれ違ったときには手を下さなかった」
「……」
「運の悪い」

 シーホリー一族の家宅に火を放ち、命と瞳とを奪い去っていった男。見間違えるはずもない。あのときはろくに会話をする余裕もなければ、目が合うほど背丈もなかったが、キールアは正しく記憶していた。
 異なる点を挙げるのであれば、たしか、顔にあれほど大きな火傷の痕はなかった。すれ違ったのは彼が家を出てすぐだった。だとしたらキールアらから離れたあとに負った傷なのだろうが、いまの彼女にそれ知る術もなければ興味もないような些末事だ。

「現政会会長フルカンドラ・オークスの命によって、貴殿を連行する。キールア・シーホリー」

 男は一歩、キールアに近づいて宣告した。
 瞬間。垂れ下がった手元に強い衝撃を覚えて男は仰け反った。長剣が、柄を握る手元ごと空へ向けて打ち上げられていたのだ。大きく脇を開いた男は目を見開き、たん、と足で地面を鳴らす音を耳にする。姿勢を低くしてこちらの懐まで踏み込んでいた少年が、間を置かずに、詠唱した。

「四次元解錠──交輪斬り!!」

 重ねた両刃を八の字に薙いで空を掻き切れば、一陣の風が巻き起こった。男に直撃したのを視認すると、レトはなかば乱暴にキールアの手首を引き掴んだ。動かなかった彼女を無理やり立ち上がらせると、森の奥へと一目散に駆け出していく。

「走れ!」

 力強い声とともに細い腕を引かれていく。泥に浸かったようだった足元は走っているようで、しかし感覚がなく、彼の声と腕に走らされているのと同義だった。 
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.120 )
日時: 2022/12/30 21:31
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第108次元 純眼の悪女Ⅷ

 遠くへ飛んだ意識が手元に戻る。キールアは掴まれた左手と、レトヴェールの背中とを順番に視界に入れた。手首がじんじんと痛みだせば、ようやく、彼に連れられてあの男から逃げているのだと理解した。
 足元から焦りがせり上がってきて、気を抜けば、遮蔽物に躓いて転倒してしまいそうだ。いくら逃げ隠れしようとも無駄な抵抗のように思えてならず、キールアは前を向いて走れなかった。

 レトの背筋に、鋭いものが迸る。背後。猛進してくる獣の気配を察知して、彼は後ろを振り返るのと同時にキールアの身体を腕の中に抱きこんだ。
 彼女が驚いて声を上げるよりも先に、突進してきた大型犬が、歯を荒々しく剥いて、レトの腕に喰らいついた。

「──っ」
「! レトヴェールくん!」

 レトはぐっ、と眉を顰めた。噛まれた腕で掴んでいる双剣がびくとも動かない。腕を濡らしていく生暖かい血がぼたぼたと音を立てて地面に落ちた。

「走ってここから離れろ」

 キールアの耳元で短く囁いて、レトは彼女の身体を緩く解放した。
 腰元に指を伸ばし、瞬間、キールアを後ろへ引き下がらせた。一呼吸もなく片方の剣を振り抜いて、大型犬の顔面を真上から叩き斬った。
 きゃうと甲高く鳴いて、犬が距離をとる。毛を立たせ、低く唸りながら威嚇してくるそれをレトも睨み返す。

「れ、レトヴェールくん……! でも」
「いいから早くしろっ!」

 鋭く尖った刃物のような彼の一喝に、背筋がたちまち粟立った。制されればキールアは唇を引き結んで、零しかけた声を喉奥へ押し戻す。幼子のように簡単に萎縮してしまった身体で、ぎこちなく背を立たせると、足早にこの場を走り去っていった。

「退け」
「……」
「聞こえないのか。邪魔をするな。これ以上は、反逆と見做す」
 
 硬質な声色と、重々しい軍人の足音が近づいてくる。一太刀浴びせたはずだったのは思い違いだったか、傷一つない巨躯──六、七尺は悠にある──が、平然とした面持ちで、大型の犬の隣に立ち並んだ。
 反逆。此花隊が政会から支援を受けているのは事実としても、男の言い方には含みがあるように思えた。政会側の目線では、此花隊は所有物の一つとして数えられているのだろう。当然、此花隊にその意識は毛ほどもない。政会から支援を受ける見返りには、次元の力の研究成果報告、そして政会の手の回らない街町村の視察および警備までこちらの機関が請け負っている。ただの研究機関の組員が警備や視察に就くなど本来であれば考えられない事態だが、此花隊は従っている。しかし従順に見せるためではない。
 さらに戦闘部班の立ち上げ後、神族や元魔を屠るために次元師を育成し、つい先日には神族の一柱を崩した。この事実を政会がどう受け止めたのか、此花隊の本部内で休息をとっていたコルドの元に、政会の会長から一通の文が届いていた。政会本部まで赴くように命じた厭味な文面だとセブンが語っていた。それからセブンは、コルドが政会へ赴けない理由を淡泊に並べて早々に文を返送していた。
 反逆と見做す、とそう告げる目の前の男の瞳には芯が宿っていなかった。楯突かれれば、いまの文句を返すようにでも訓練されているのだろうか。そう疑いたくもなる。

「これより先、我々政会の仕事を邪魔するようであれば。お前一人の行動を組織の行動と判断し、こちらも動く」

 しかしながら政会と此花隊が協力体制にあるのは事実であり、両組織に思惑はあれど、均衡は保たれている。いまここで彼らの政策に反するような姿勢を見せれば、此花隊という組織そのものが、政会から厳しい目を向けられることになるのは容易に想像がつく。
 レトは黙りこんだ。返答にせずにいれば隙をついて斬りかかってきそうな気迫がしていて、肌がひりひりと痺れだした。彼は一つ丁寧に息を吐いてから、口を開いた。

「シーホリーの血族の根絶、か」

 脳裏に蘇るのは、母エアリスの死に際であった。神族と呼ばれる得体のしれない集団の一柱に齎された理不尽な死であった。しかしそれと、キールアの家族を火の海に沈めた目の前の男との区別がどうしてもつかなかった。
 神も人も、変わらない。国を、正義を、世界を盾にすればどこまでも非道を往けてしまうのだ。

「それがこの国の政策やりかただったとしても。俺は、理解のできない思想に従う気はない」

 レトははっきりと口答えをすると、双剣を構え直し、姿勢を低くして臨戦態勢をとった。
 真一文字に結ばれた口を、男はゆっくりと開く。──返答する代わりに、彼は、静かに"詠唱"を口ずさんだ。

「『戌旺じつおう』──、強加」
 
 途端。
 男に寄り添っていた大型の犬が、肉体を震わせ、めきめきと膨れ上がっていった。膨張は留まるところを知らず、周囲の木々がその肉体と接触すればたちまち、太い幹が音を立てて婉曲した。耐え切れず、木々たちの幹は口を開けるようにぱっくりと割れて、ついには地面の上に倒れこんだ。
 生物のかたちをとった、次元の力──同胞のフィラ・クリストンが有する『巳梅』とは別種の、“生物型”の一種、『戌旺じつおう』だ。

(──こいつ、次元師か!)

「戌旺、あの娘を追え」
「!」

 『戌旺』は緩慢な動きで地面に鼻を寄せると、くんくん、と鼻先を鳴らした。ほどなくして、『戌旺』は軽やかに空中へと跳ね上がり、レトの頭上に巨大な影を落とした。
 レトはその影を逃すまいと、爪先で地面を踏みしめた。すかさず剣を振るう構えをとり、腰を落とす。

「行かすか──!」
「お前の相手は俺だ」

 殺気が肉薄する。ぞっ、と背筋に鋭い感覚が走ってレトは身を翻した。真後ろに立たれているかと思えば男は数歩先で、刃渡りの立派な大剣を振り上げていた。
 一刻前に背肌で受けた殺気はあの距離から飛ばされていたのか。危機を察しては、なりふりなど構っていられない。男の大剣は次元の力ではなく人の手によって生み出された代物だが、この期に及んで異次元の産物で相対するのを躊躇う余裕がレトにはなかった。

「四次元解じ──」

 しかし。一呼吸として間はなかった。一歩。たった一歩で、男は長い脚で跳ぶように懐へ踏み込んできたのだ。

(──速い!)

 下から、切っ先で円を描くようにして男は剣を突き上げた。仰け反らせるのが遅れていたら、顔面が真っ二つに切り分けられていただろう。

「……っ、!」

 ぐっと片目を瞑りながらレトは飛び退いた。斬られた頬の傷口から血が流れ落ちる。構える間がなかった。いや、息を吸えなかった。かろうじて体を操れたからよいものの、呼吸を許されない間合いで斬りかかられたら長くはもたない。一太刀、浴びせられただけで、肌が理解させられた。
 
「遅い。そのような甘い姿勢では一太刀も受けないだろう」

 武人。完成された肉体。それから叩きだされる圧倒的な速度。体躯に見合った大振りの剣を軽々と掲げた男は、次の瞬間、身を屈めた。

「剣とはこのように振るう」

 弾丸の如く鈍い音が轟き、地面が蹴飛ばされる。一秒未満の間。眼前、現れた男の顔面をようやくはっきりと視認したレトは大木を背に縫いつけられていた。肩口に深く、深く、突き刺さる剣の刃。鈍色の光が、血しぶきの鮮やかな赤を照り返した。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.121 )
日時: 2022/12/30 21:49
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第109次元 純眼の悪女Ⅸ

 重い切っ先は、木幹に打ちつけた左肩に深く突き刺さっていた。血と汗の混じったものが地面に落ちる。頭の中がぐわんと揺れ、飛びかけた意識はしかし、まだレトヴェールの手中にあった。
 セグと名乗った青年の剣筋にも無駄がなく、技としての純粋な端麗さがあった。カナラ街で偶然出会った長剣を操る次元師。戦士然とした彼と火傷痕の男の輪郭が、レトの頭の中で重なった。
 けれども余計な思考は振り払うように、レトは己を鼓舞した。

(感覚を研ぎ澄ませ。思考を放棄するな。──頭を回せ!)

 ぴぃ、と甲高い鳴き声が、遥か頭上からした。それを逃さず聞き取ったレトは、間髪入れずに、握っていた剣を真上に放り投げた。

(やけになったか)

 次の瞬間。レトと男との間に割って入ってくる黒い影があった。それらはわっと折り重なって上空から落ちてきた。男が剣を引き抜き、警戒して距離をとって見てみれば、黒い影──烏ほどの大きさの鳥たちが衆を成して、レトの足元で一心不乱に地面の上をつついていた。
 どくどくと溢れる血を抑えるように左肩を強く掴む。男の目の色が変わると、レトが口を開いた。

「……ガララ鳥はこの木の実を好む。ただし地面の上に落ちたものしか食べない」

 エントリアとカナラとを繋ぐ森林に生息しているガララ鳥とは、食用としては一般流通していないが、ここらの街付近では見かけやすい種類の鳥だ。彼らが好んでいるナゴイ──レトがいましがた木の上から打ち落とした木の実──を地面に落ちた実しか食べないのは、よく熟れたナゴイだけが地面に落ちるとされているからだ。1200年以上も昔、南東の島に棲んでいたガララ鳥の祖らが土地の食糧難を喘ぎ、メルギースの地に渡って、完熟していないナゴイを食べていた経緯があった。しかし熟す前のナゴイにはアハラという名の害虫が寄生しており、アハラがあたったガララの祖らは絶滅寸前にまで種を減らした。ガララ鳥は現代まで本能的にナゴイを避けてきたのだ。
 なお、現在、この森林で生っているナゴイにもアハラは寄生しているが、1200年前と比べると頭数は激減してきた。人体はもちろん、ガララ鳥にも影響はないと指摘されるが、彼らは慎重を期している。

(……とにかく、ここで奴を通すわけにはいかない。犬が追いかけてったのも気になる。早くしないと)

 男を無力化し、『戌旺』のあとを追わなければならない。しかし──。
 空気が、ひやりと冷たく、尖る。男は口元を真一文字に結んだまま、大振りの剣を構えて突進してきた。
 重い、その一振の斬撃が迫り、レトはすんでのところで飛び退いた。ふたたび豪快な一太刀が飛ぶ。身を屈めた。頭上から叩く動作。背中を丸め横転した。横腹に目掛けて追撃。──双剣を重ねて応対すれば、刀身はかち合い、弾き合う。
 剣を落とせばたちまち命も落とす。しかし息つく暇さえ与えられず、足元がだんだんとぐらついてくる。

(──詠唱する暇が、ない。前唱を置かずに発動できるか。一度も試したことがないが、やってみるしか)

 呼吸を止める。浅かった。
 男の大剣の切っ先が後ろへ下がる。隙を逃すな──と意気込み、息をわずかに吐いたそのとき、男は大きく一歩を踏みこんで、剣は蔑ろに太い脚を振り上げてきた。厳しい一撃がレトの脇腹に入ると、弾かれるようにして彼の身体は吹き飛んだ。

 地面に口づけながらけほ、けほとレトは咳をこぼす。あの男、体術にも相当秀でている。鈍器を振り下ろすのと変わらない先の一蹴は、ただ体格に恵まれているだけの代物ではなかった。
 狭まった視界の奥から、ゆっくりと男が歩みを進めてくるのが見えた。距離が縮まれば縮まるほど不利だ。大剣の切っ先が、剛脚が、届いてしまう。
 いましかない、と、腹に力を入れて跳び起きた。
 
「真ざ」

 眼前。鋭い眼光から殺気。視線に射殺される、と脳が錯覚した頃、レトの頬に切り筋が入った。血潮が真横に吹き出す。勝手に身体は横倒しに傾いて、地面と衝突する寸前で受け身をとった。
 もはや、立っているよりも、地べたを這っている時間のほうが長く感じる。ふたたび砂を噛んだ歯の隙間から、血が零れる。頬の切り傷から垂れる血と混じり合って、顎の先からぽたりと、赤い塊が落ちた。

(どっからでも距離詰められるのかよ……あいつ!)

 発動できない。隙などない。
 次元の力とは、元を辿れば、意思の力だ。意思を確立するために──すなわち、己のうちに眠る力を具現化するために”言葉“を用いる。それゆえに詠唱をしなければ正しく次元技を繰り出すことができないとされてきた。しかし発声は、あくまで力の形を脳に深く認識させ、確実なものにするための保険だ。意識一つで、心ひとつで、脳裏に描くだけで、正確に発動できる次元師が存在するとしたら、それは完全に次元の力を掌握している上級者とされる。
 とくに、次元技の解錠時などに用いられる”前唱”を置かずに発動できる者はごく限られているだろう。いまやメルギースの英雄とまでもて囃されているコルド・ヘイナーでさえ前唱を無視できていない。
 息を吸って吐き出すにも肺に強烈な痛みが走った。空気が薄い。体力が、単純に、追いついていない。

 火傷痕の男はいうと、倒れ伏している無防備なレトにとどめも刺さず、立ち止まっていた。
 一目で彼がエポールの末裔であると察した。すでに血族は絶えているものと思い込んでいたが、度々、此花隊に所属している若い男女の次元師が噂になっているのを耳にする。一人は雷を操る少女。もう一人、興味深いのは双剣を扱う少年のほうだ。絹のように細く美しい金の髪、珠玉のごとき金の瞳、滑らかな白い肌。かつて王座に腰かけていた王家の血筋を思い起こさせる容姿を持つ彼の名はレトヴェール・エポールといい、無様にも敵前で突っ伏しているこの少年で間違いないだろう。
 消すか。否か。
 厄介な芽は摘んでおくに越したことはない。しかし政会とて、いくら訳を並べられるのだとしても同盟組織の人間の命をやすやすと刈り取れるほどの絶対的権威はない。一歩間違えれば両組織の信頼問題に発展する。力を蓄えつつある此花隊に喧嘩を売るには、高くつきすぎる。
 わざわざ手を汚さずともこの程度の実力であればいずれ自然と淘汰される。崖から転落したと見せかけて殺害してもなんら問題はないのだが、男は面倒臭さが勝ったのか、そうしなかった。

 とかく、キールア・シーホリーを追わなければならない。『戌旺』は摘むべき命を捕らえただろうか。
 大剣を肩に担いだ男はレトの横をすり抜ける。態勢を低くし踵を浮かせた、そのとき。

 たとえるならば一本の糸。それでいて針のように細く先端の鋭い殺気を感じ取ったのだ。

「五元解錠」

 男の脳裏に糸の先端が突き刺さる──否、捉えた殺気が明確な形を持って迫り来た。見れば、倒れていたはずの少年の身体は跳ね上がっていて、構えた双剣で半円を描くように空を切っていた。
 
「真斬──ッ!」

 狙いは足元。脛。横振りに、叩かんと勢いづいた鋼鉄の肌が肉薄すると男はばねのように飛び上がった。刃の先端は男の褐色の肌を、浅いながらも搔き切った。
 男が着地すると、レトは口元の泥を拭いながら言った。

「……くそっ、……素早いな」
「……」
「先には行かせねえよ」

 冗談を言える余裕はないだろう。男の表情はしかし一変もせずに堅く、眉一つ動かない。体力は底を尽いていたはずが、まだ動く気概でいるらしい少年を叩き斬らなければならない。男は背中の鞘から飛び出した大剣の柄を握ると、ゆっくりと銀の刃が顔を出した。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.122 )
日時: 2023/01/08 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第110次元 純眼の悪女Ⅹ

 分厚い鋼の一刃が、レトヴェールの細い体を割らんと容赦なく振り回される。彼はその刃先から逃れ、何振りかに一度双剣を充てがい、そしてつかの間に呼吸をするのでやっとだった。
 火傷痕の男が弱視であることは、男の右側にもぐりこむたび、彼の的が外れるので確認できた。しかし武人たる男は弱点を突かれたところで動きを鈍らせるような素振りはてんで見せなかった。
 が、レトの見つけた弱点は、次第に功を為した。
 しばらく剣と剣とで打ち合いを繰り広げる間に、レトは何度か隙をついて男の右側に切り込んだ。見切っている男は回避をする。この攻防が時折あると、レトの中に、ある周期が生み出されるのだ。
 技とは繰り返し、繰り返し型をとることで身にしみついてくる。剣技の型など習った覚えもないレトにとってただの打ち合いは体力を奪われるだけの、遊戯ちゃんばらと遜色ない。しかし彼は、男の右側の守りが一定の型で築かれているので、そこをあえて攻めるとした。したらどうだろうか。レトの振るう剣は同じ動作を繰り返す。動きに身体が慣れてくると、各段に呼吸がしやすくなる。止まらずとも動いていられる。だんだんと手足が最小限の動きを会得していく。
 奇妙な感覚だった。弄ばれるだけだった形勢から一変して、あたりの木々や草花で翳った視界は澄み渡り、剣を握る手指の感覚は研ぎ澄まされていくようだった。

 とはいえ、相も変わらず次元技を発動させる暇はない。息はしやすくなったものの、悠長に詠っていられる隙を作るにはまだ壁が厚い。男の剣術はなかなかに易しくなかった。
 男の大剣がごうんと低く唸った。横凪ぎの一刀が、残光を引きながらレトの首元にかかったのだ。銀色の切っ先が柔らかい首肌を引っ掻いた、その瞬間だった。

 脱兎のごとく森林から飛び出してきた巨大な影を目にする。影の実態は白く巨大なもので、情けなく眉間を皺を寄せた『戌旺じつおう』だった。『戌旺』は主人の姿も忘れたのか、火傷痕の男に向かって突進し、ついには男に覆い被さった。過剰に鼻をひくひくと痙攣させながらぐったりと伸びている。
 レトがびっくりして目を見開いていると、『戌旺』が飛び出してきた茂みから、声が飛んできた。

「──レトヴェールくん! こっち!」

 状況が飲み込めなかったが、迷っている余裕はなかった。素早く双剣を鞘に納めると、レトは茂みに向かって駆け出し、キールアの手を取ってそのまま走り出した。生い茂る木々の陰の下にできた、深い暗闇に紛れていく。

 目指す先はまず、カナラ街の方角だが、カナラに留まらせる気はなかった。さらに北西を往けばウーヴァンニーフとトンターバの境界、山脈地帯の麓に入る。幾晩かかけて麓を抜け、トンターバに辿り着きさえすれば、ルーゲンブルムへと渡る船を捕まえられるだろう。
 ルーゲンブルムは先刻までアルタナ王国との関係不和があり、国内も荒れていたが、両国の王家同士が先月婚姻の儀を執り行っている。両国の水面下の争いは減りつつある頃だろうとレトは見ている。まだ反対派の活動は鎮火しきっていないだろうが、じきにそれも収拾がつく。逆に身を隠しやすい時期かもしれない、と睨んでいた。
 できるだけ舗装されていない──簡単に足がつかなさそうな──道を選び、レトは先を急いだ。レイチェルと隣接しているとはいえ熟知しているほどではない。多少の右往左往はあった。キールアといえば、黙って手を引かれているから、彼の選ぶ道を信頼しているらしい。幸い、キールアの足はほかの年頃の少女よりも森中や山道に慣れているし、そうそう根を上げなかった。

 森中には、北西の山脈から南にかけて流れているテンハイトン川から枝分かれした小川が、いくつか流れている。そのうちのひとつに行き着いた2人は、あたりに人の気配があるかを探ってから、しばしの休息をとるとした。 
 軽く喉を潤したレトは、たまたま通りかかった野兎を狩って、下処理をしていた。動植物が豊富な環境下でわざわざ携帯食料を消費するまでもない。それに動物の開き方は、まだレイチェル村に住んでいた頃、祭りで村の男から習った覚えがあった。
 下処理を済ませると、レトはあたりを見回して、キールアを探した。彼女は川の傍らに腰を下ろして、水を掬っては口をつけていた。
 キールアが、レトのいる場所まで戻ってくれば、彼は早速、兎の肉に串を通して火にかけていた。
 どこで見つけてきたのだとか、長居はしていられないだとか、二言三言交わし合ってそれから、沈黙が生まれる。
 ぱちぱちと火花の音が立つ。ゆらり、曲線を描いて昇る火の糸をぼんやりと眺めながら、外気にさらされた両腕をさすっているキールアの肩に、レトは隊服の上衣をかけてやった。
 肩に暖かくて重たいものがのしかかって、キールアがはっとレトのほうを見た。

「なんで戻ってきた」

 見れば、彼の横顔は静かにそう告げていた。
 それにどうやって。レトの目に疑問の色が滲んでいるのを察したキールアは、長くは見ていられないのか、すぐに目を逸らして話しだした。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.123 )
日時: 2023/01/22 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第111次元 純眼の悪女ⅩⅠ

 次元の力『戌旺じつおう』に追跡されていると勘づいた。追いつかれるのも時間の問題だ。策を講じなければ捕らえられるか、最悪その場で噛み殺されてしまうだろう。
 だから、とキールアがもったいぶって次に口にしたのは、意外にも植物の名前だった。

「マナカンサスを探したの。レイチェル村で住んでたときに、ここの森でも育つのかなって、なにも考えずに植えたことがあったから……。あとでお母さんに話したら、ここの森の環境じゃ上手く育たないよって、叱られたけど」
「たしか、火で炙ると、独特な強い薫りが立つっていう」

 キールアは無言で頷いた。2年前、まだ薬草について知識の浅かったキールアが、この森の中にいたずらに種を植えたマナカンサスがあった。運よく進路の近くにあるのを彼女は思い出したのだ。巨大な体を持つ『戌旺』が入りこめないような、狭くて複雑な獣道をわざと選びながら、わずかな希望に賭けてマナカンサスを目指した。植えただけの数は育たなかったようだが、子どもが迷いそうな茂みの中にそれは鮮やかに咲いていた。マナカンサスが育つ本来の環境とは異なるため、花弁も葉も小さいし、茎も短かかったが、キールアを満足させるには十分だった。

 進路を限定すれば、『戌旺』の目を撹乱し、さらに遠回りさせられる。次に狙うのは嗅覚だった。ただ奪う、狂わせるだけでは意味がない。
 『戌旺』が次元の力であれば、『戌旺』が活動できるのはすなわち、術者も動ける状態にあるのだ。だとしたら、レトヴェールと術者──あの火傷痕の男との戦闘が続いている証拠だ。
 キールアはまず上衣を脱ぎ、マナカンサスから一枚だけ葉をちぎっておいて、あとの花弁や葉、茎を上衣に包んだ。布の表面に、手持ちの薬用の馬油を軽く塗りこんでから水辺近くの茂みに仕込む。次に茂みからかなり距離をとって、軽く火を焚く。ちぎっておいた葉を炙って煙を浴びた。十分に浴びたら、適当な石をくくりつけた枝先に点火する。最後に、火元を足でもみ消した。
 ここが正念場だ──決意を固めたキールアは大木の根元に身を隠し、やがてやってきた『戌旺』を視界の先に捉えた。『戌旺』は黒ずんだ鼻先をすんすんと地面にこすりつけながら、近くまで歩み寄ってくる。見上げるほどの巨躯に、肩が震えて固まる。恐ろしい見た目に変わりはない。しかし、恐れている場合ではないのだ。
 『戌旺』は、上衣を隠した茂みに寄っていく。なにせキールア本体は炙ったマナカンサスの煙を浴びている。キールアの目論見通り、彼女の衣類に引き寄せられた『戌旺』が、茂みの中へ顔をうずめた、瞬間。彼女はいまだ、と、着火している枝つきの石を茂みに向かって投擲した。空中でくるりくるりと旋回した枝先が、やがて茂みに着地すると、瞬く間に茂みを包むように火が立った。マナカンサスは火に炙ればたちまち強烈な薫りが立つ植物だ。煙を被っただけでも薫りを発生させるそれが、嗅覚の優れた犬型の生物に無効なはずはない。
 マナカンサスの激臭を吸い込んだ鼻が天高く突き上げられ、頭を大きく振り、じたばたと『戌旺』は暴れ始めた。固唾を飲んで見守っていれば、『戌旺』は足元を踏み荒らしたあと、巨体を翻して一心不乱にどこかへと駆け出してしまった。
 おそるおそる大木の裏から顔を出したキールアは、はっとした。

(術者のもとに帰るんだ!)

 燃え立つ茂みの火の手がこれ以上回らないうちに、キールアは水辺に足首まで浸からせ、ばしゃばしゃと水をひっくり返して消火した。『戌旺』の巨大な足跡を追って辿り着いた先では、やはり、レトと火傷痕の男が相対していた。
 レトは一部始終の説明を受け終えた。感心する反面、危険を顧みない彼女の行動に、少々の不安と苛立ちとがくつくつと腹の底から煮え立ってくるのを感じた。眉をひそめ、苦々しい顔で彼は言った。

「向こうは普通の飼い犬じゃない。次元の力だ。下手すれば食い殺される。たしかにどの道、策は考えるべきだけど、お前のしたように道を選びながら森を抜ければそれだけで十分だった」
「でもだってレトヴェールくん、危なかったじゃない!」

 キールアが、めずらしく間髪入れずに、はっきりとした声で反論してきたのでレトは目を丸くして彼女の顔を見た。
 『戌旺』がなかなか扉を閉じないうえ、術者のもとにも帰らないので、キールアは心配でたまらなかった。『戌旺』のあとを追って道を引き返した先で、レトの首に剣の切っ先が差しかかっているのを目撃したら、いてもたってもいられず、声をかけていた。
 返す言葉が見つからず、レトはしようがなく黙った。「心配するな」「余計なお世話だ」「あとから追う算段はできていた」──堂々と虚勢を張るには十分な文句があったのに、できなかった。図星をつかれていたのだ。

「……悪い」

 息を詰め、言葉を探し、ようやく唇からこぼれ落ちたのは、そんな情けない声だった。キールアは、思いがけない彼の弱音にどう返したらいいか迷った挙句、「ううん」と小さくかぶりを振った。
 レトがふいに仰いだ空はまだ青かったが、彼はきつく眉根を寄せた。すばやく火元を消して、荷物をまとめ始める。
 森林では、日が傾き始めてから暗くなるまでが早いし、日が落ちればあたりは深い闇に包まれてしまう。身動きが取れなくなってしまえば不安が募り、緊張状態が引き延ばしになるだけだ。

「日が落ち始める前に動くぞ。とりあえず、お前をカナラに送り届けたらあとは指示をする。俺は引き返して、隊と政会連中に上手いこと話を通す」
「……」

 キールアは頷くとも、返事をするともなく、その幼い顔に暗い影を落としていた。頼み事はなかったことにされたのだろうか。跡形も残さずに殺してほしい、などと背負わせようとしたのが、愚かな考えだったのか。彼女の瞳にはほとんど生気が宿っていなかった。
 日没までに森を抜けなければと気負いすぎたのだろう、レトは途中の分かれ道で、行き先を誤った。大地が緩やかに盛り上がっていくのを訝しんではいたが、しかし引き返している余裕がなかった。しまった、と後悔したのは、進路を断つように切り立った絶壁の崖の上に立たされてからだった。
 崖下を覗けば、遥か下方ではテンハイトン川が立派に幅をもたせてごうごうと流れていた。

「……こっちじゃなかったな。悪い、途中の分かれ道で道を誤った」
「大丈夫。じゃあ、戻ろっか」

 向こう岸で青々と茂っている林道はまだ、日に照らされて白く光っている。2人が踵を返した途端だった。来た道の方向からひやりとした殺気が飛んできたのだ。外気とはちがう寒気が足元から背にかけて肌を逆撫でした。

「その娘を引き渡せ」

 火傷痕の男は林の陰から現れると、威圧的な低い声で、レトに言った。
 無駄な争いはしないよう体裁を整えるため、あえて剣を抜いていないのだろうが、そのじつ男には隙がなかった。側に控えさせている『戌旺』も身体の大きさは元に戻っているものの、歯を剥き出しにして低く唸っている。くれてやったマナカンサスの激臭はすっかり抜け落ちたのだろう。足がつかぬような道を選んできたのに、短い時間で距離を縮めてこられたのはそのせいだ。

 男を睨みながらレトは、頭を回さなければならなかった。背後には崖。すでに足が竦んでしまっているキールアを抱えて男の脇をすり抜けるのは厳しすぎる。身体をひとつでも揺らせば男は鞘に手をかけそうな剣幕である。
 ぐちゃぐちゃと絡まってほどけそうにない思考の奥に、ふと、レイチェル村の田園風景が広がった。
 レイチェル村に突然襲来した、翼竜型の元魔。たくましい翼をたたえた化け物の出現はまだ幼いレト、ロク、キールアに恐怖を与えた。元魔が襲いかかってくると、レトは咄嗟にキールアを背後に隠したのだった。何を考える余裕もなかったのにそうした。田園風景は、霧が晴れるように白々と開けて、するとキールアの母──カウリアの顔が浮かんできた。
 頼んだよ、とカウリアはただひとつそれだけをレトに託したのだ。

「キールア。殺される覚悟があるんだったな」

 名前を呼ばれて、キールアは気の抜けたような声で、え、と口からこぼした。

「跡形もなく殺してやるよ。お前の望みの通り」

 言われるやいなや、キールアの肩をレトが抱いて引き寄せた。男の指先が鞘に伸びる。同時に足が浮く。それよりも早く。速く。レトの足は地面を蹴って跳び上がっていた。
 身体が宙に浮いて、緩やかに頭が傾きかけたときに、キールアは川の香りを吸い込んではじめて、崖から落下しているのだと理解したのだ。
 眉一つ動かさなかった男が、細い目を大きく開いて、初動作を完全に止めてしまったのに、レトたちはそれを見るまでもなく崖下に消えた。

 レトは腰元の鞘から一本、すでに抜刀していた。テンハイトンの水流は勢いづいており、岩壁から白いしぶきが跳ね返っている。しかし崖の上から覗いたときに余計な岩やほかの遮蔽物はほとんど見えなかった。無事に着水してしまえばあとは水の流れに身を任せられる。目下の問題はただ一つ。着水するまでの距離がもうない。一秒、二秒が生死を分けるだろう。

「できるだけ息を吸え!」

 レトは大きな声で言って、天高く、剣を振り上げた。右腕の中で抱きこまれているキールアは言われるがまま胸と腹に息をためた。
 川面が、すぐそこまで迫る。

 前唱を唱えている時間はない。レトは覚悟に満ちた目をしていた。

「真斬──!!」

 脳裏に描くは、五等級の厚い扉。血管内の元力が脳から左手指まで、一直線上に沸き立った。縦一線。銀の刀身が振り下ろされれば、白い真空波が唸りをあげて川面を叩き割った。瞬間、水面から太い首が伸びて、大きな弧を描く。すかさずレトは息を吸いこんで、抱きかかえたキールアとともに、透明な水柱に身を投げ入れた。
 

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.124 )
日時: 2023/02/05 12:30
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第112次元 純眼の悪女ⅩⅡ

 眼下では、テンハイトンの川水がごうごうと激しい音を立てながら流れていた。あの激流へ投身した少年と、キールア・シーホリーはまず助からないだろうとルドルフ・オークスは冷静になった。
 ウーヴァンニーフ領の地理にさえあまり興味も湧いておらず、細部まで記憶していないルドルフはしかし、エントリア領の名もない森を横切るテンハイトン川の流れを把握しつつあった。追跡をするうちに、風の流れが、動物の動きが、水の匂いが、彼の身体にしみついてきたのである。男は生粋の武人で、身一つとそれにまといつく感覚で物事を覚えていくのに非常に長けていた。
 ルドルフはフルカンドラの実の息子ではない。少年期、ただの荒くれ者だった自分が拾われ、オークスの名を頂戴し、戦場に置いてくれたフルカンドラには返しきれない恩があるのだ。政の補佐は義兄らに任せ、養父の──政会会長の命のもと、軍人として身を捧げるのが、ルドルフにとって唯一絶対の喜びであった。
 この川の流れる先では、滝がくだっていたのではなかったか。頭の中で地形のパズルを引き合わせ、確信を抱くと、さっそく踵を返し、エントリアの此花隊本部へ足を向けた。外交官を父に持つ末官の男がなにやら肩幅をいからせて本部に参じたと聞く。その男に報告し、人を遣わす手配を整えてもらわねばならない。少年らを拾うとしたら最南の港、ミゼになるだろう。
 
 *
 
 崖から転落すればたしかに命の補償はない。殺してほしいとは頼んだが、しかし、まさかレトヴェール自身も命を擲つような行動に出るとは予想外だった。
 川面に衝突するわずか数秒前。彼が次元技を放ち、水柱を生んで、強く抱き寄せられたときの感覚だけが妙に、身体に残っているような──。
 肩に熱を感じて意識を浮上させればそこは、見慣れない木造りの室内だった。一間だけの狭い空間には物らしい物もなく、ただむんとした男特有の匂いが立ち込めている。キールアはさらに、老年の男性がまとうような匂いだと気がついた。
 頭を軽く回せば、視界に白いものがちらついた。頭をゆるく締めつけていた包帯の端が、はらりとほどけて顔にかかったのだ。

(留め具、されてない。でも包帯巻いてるってことは、誰かに手当されてる……)

 雑な処置だ、とめずらしくキールアは──心の中でだけだが──苦言を唱えた。
 キールアの意識は存外はっきりとしていて、夢か現かはすぐに判断がついた。
 生きている。
 感激をするよりもまず、レトの安否が気になったキールアが、あらためて室内を見渡しかけたとき、近くで足音がして彼女は音のしたほうに顔を向けた。

「……!」
「おや。起きたか。嬢ちゃん」

 入口にかかっている掛け布を避けて室内に入ってきた老年の男は、杖もつかずに、つかつかとキールアの寝床まで歩み寄ってきた。キールアのすぐ傍で腰を下ろし、ぎょろりと大きな丸い目を開いて、彼女の顔を覗き込む。

「あの……」
「ふむ。起きたならいい。悪いがわしは人の手当なんぞまるで知らん。生きておるだけでも感謝するのだな」
「……はい。助けていただいたようで、ありがとうございます。……あの、一緒に少年はおりませんでしたか? わたしと変わらない年ほどの、男の子が……いませんでしたでしょうか」

 キールアは床に手をついて深々と礼をしてから、ふと顔を上げて、老人に詰め寄った。
 老人は髪や眉なんかはすっかり白いし、髭も不揃いで、まぶたも落っこちそうなほど重ために目にかぶさっているが、見た目のわりには若々しそうに見える。無精髭を手で握ったりすいたりして、ふむ、とひとつ唸ると答えた。

「知らんな。見かけておらん」
「……」
 
 キールアは息を呑んだ。ただでさえ、落下した地点の川の流れは、荒れていた。水脈が枝分かれでもしていたのだろうか。どうか無事でいてほしいと、切なる望みだけがこんこんと胸のうちに湧きだして、キールアは老人にろくな返事もできずに黙りこんだ。

「……」
女子おなごならもう1人おったが」
「はい?」

 思いがけず頓狂な声がもれでて、キールアは慌てて、口元を手で覆った。目だけをぱちくりと瞬かせて、唇からゆっくり手を離すと、あらためて老人に訊ねた。

「もしかして……金色の髪、ではありませんか。瞳も、綺麗な金色です」
「まなこの色では知らんが。目を開けとらんからなあ。しかし、金じゃな。髪のほうは」

 それを聞くとキールアは、胸のつかえがとれたように、深い安堵の息を吐いた。どうやらレトのことも拾ってもらえていたらしい。そうだ初見では、彼の容姿が少女に見間違えられてしまうのを、すっかり忘れていた。
 しかし室内を見渡してみても、彼らしい姿はない。キールアは不思議に思って、首を傾げた。

「彼はどこへ? 目を開けていないと仰っていましたが……」
「ああ、傷だらけじゃったからな、薬草つんでもどってくるのが面倒でな、引きずって連れてっとった」
「引きずって!?」
「ああ、違うな。背負ったわい」
「はあ……」

 いまどこにいるのかを訊ねてみれば、山菜やら薬草やらが成っている木のふもとに転がしておいているのだと老人は答えた。レトを放置して家に戻ってきたのも、喉が渇いたせいじゃと、水筒を探す素振りを見せていた。キールアは頭を抱えたのだが、命の恩人である手前、このやろうとまでは罵れなかった。
 採集場まで同行させてほしいと頼めば、老人はとくに断らなかった。

 自分たちを拾った経緯についても訊ねてみれば、老人は道すがら教えてくれた。

 そもそもまだ、エントリアとカナラとを繋ぐ森の中にいるらしいことがわかった。とはいってもかなり南に下りてきており、地図上ではレイチェル村のほうが先に着いてしまいそうな地点だ。
 レトとキールアは滝壺の水辺で気を失った状態で老人に発見された。滝の上から垂直落下したのち、奇跡的に意識を保っていたレトがキールアを抱えたまま水辺に行き着いたところで、気を失ったのだろう、と老人は述べていた。
 キールアは経緯の一部始終を耳に入れながらもずっと胸が痛んでいた。

 老人に案内されてついていけば、たしかに、適当な草むらの上にレトは寝転がされていた。顔色は悪くなく、まるで彼自身も植物と成り果ててしまったかのように日光浴させられている。安否を確認すれば、キールアは一安心していた。
 老人はというと、腰を曲げながらあっちに行ったりこっちに行ったりとうろついている。当初の目的では、この近辺に薬草が成っており、摘みにきたのだった。
 
「たしかこっちに……」
「こちらですね」

 うろうろとしていた老人が腰を伸ばして、感嘆の声を上げながらキールアに近づいた。彼女は茂みの近くでしゃがんでいて、白くつつましい花弁を咲かせている草花を根本から引き抜いていた。

「ほう」
「ユガが成っています。種子は塾すと有毒になるので気をつけなければいけませんが、それ以外の部分は栄養価が高いんです」
「ほう! 詳しいのか」

 細く青い葉をつけたユガを数本、地面から引き抜きながら、言われるとキールアは照れたようにすこしだけ笑みをこぼした。

「見習いですが、調薬師をやっています。どうかその少年……レトヴェールくんのことは、わたしに看させていただけませんか」

 キールアの頼みを断るはずもなく、老人は「手間が省けたわい」と高々に笑った。聞けば、半日ほど診てもらっており、あたりはすでに真っ暗な夜を迎えていたのだった。ついでに山菜にも詳しいキールアは、老人宅までの帰り道にいくつか採集すると、今晩のご飯の話もした。老人は気のいい性格で、ぜひ振舞ってくれと目尻に皺を寄せていた。

 この夜、キールアは、自身でも休みつつではあったが、レトの看病についた。
 しかし、深く昏倒してしまっているせいか、レトはなかなか目を覚さなかった。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.125 )
日時: 2023/02/19 12:45
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第113次元 純眼の悪女ⅩⅢ

 レトヴェールが目を覚ましたのは翌日の、もう日が落ちかけて、山々に橙の光が差していたときであった。寝床を離れていたキールアは、木桶を抱えて掛け布の下をくぐってすぐに立ち止まった。上体を起こしているレトと目が合ったからだ。

「……! レトヴェールくん、大丈夫? 目覚ましたんだね」
「……ああ」

 まだ意識がぼんやりとしているのか生返事を返して、レトは、寝床まで小走りで寄ってきたキールアの顔を見た。彼女は緊張の糸がほぐれたような、安心しきった笑みを薄く浮かべていた。
 水の入った木桶を枕元に置くと、キールアはレトの額に手を伸ばした。冷や水に漬けてきたような、ひんやりとした手の感覚が、レトの額に触れる。

「熱はもうなさそう。今朝まではね、すこし熱があったの。でも引いたみたい。お腹空いてる? なにか口にできそうかな」
「すこしなら」
「わかった。ちょっと早いけど、お夕飯の支度をするから。安静にして待っててね」
「……。ところでここ、どこだ」

 訝しげにレトが訊ねれば、あ、とキールアは声をもらして、慌てて現状の説明をした。
 謎の老人が住んでいる家だと聞いて、さらに眉間の皺を深くしたレトだったが、その老人とやらがひょっこりと顔を出してきたので挨拶を済ませた。中央に囲炉裏が切られているから家と呼ばれれば納得はしたが、物らしい物は最小限でがらんとしているし、一日のうちのほとんどの時間は外出しているようだ。実際、老人は家を空けている時間が長かった。

 キールアが煮て作った山菜の味噌汁をゆっくりと喉の奥に流しこめば、新鮮な菜の匂いが鼻腔をくすぐった。冷え切った川水に揉まれていた記憶が新しいものだから、暖かい飲み物は身体の芯に染みた。
 
「滝壺の水辺で、倒れてるところを見つけてもらったらしいの。レトヴェールくんがそこまで、運んでくれたの?」
「あんまり覚えてないけど、たぶんそう。力尽きたんだろうな」
「そう……」

 手指を絡め、意図もなく指先をいじっていたキールアは、なにか言いたげな目を伏せた。
 しばらくして老人が帰宅すれば、3人で囲炉裏の火を囲んだ。老人は、話好きではないのか、食事をとっている間は静かに箸を動かしていた。
 ただ、

「寝床をとって悪いな、爺さん」
「なんの。構わんよ。休みなさい」

 小屋に人が増えて、窮屈になったとて悪い顔はされず、レトはほっとした。ずけずけと素性を聞いてきたりもしなかったので、レトとキールアは余計な気回しをする必要もなく、穏やかに夕餉の時を過ごした。


 まだ夜も深いうちに、キールアは不意に目を覚ました。すっかり看病癖が板についてしまって、レトの寝床の傍らで寝こけてしまっていたらしい。軽くみじろぎをしたときに、はっ、と息を詰めた。寝ていたはずのレトが忽然と消えてしまっているのだ。

「レトヴェールくん……?」

 室内では、老人が1人、部屋の隅で背中を丸めているだけだ。いったいどこへ行ってしまったんだろうと、外に出て、近場を歩いているとふと、自然ではない物音をとらえた。音は不規則に、なにかで空を切っていて、引き寄せられてみれば音の正体がわかった。
 木々の葉の隙間から、とぎれとぎれにこぼれ落ちた月光が、きらきらと二双の刀身を照らしている。レトは、滝壺を背に、舞うように双剣を薙いでは、美しい金の髪を靡かせていた。
 キールアが息を呑んで彼の姿を見守っていたときだった。レトは唐突にびくりと肩を震わせて、剣を取り落とした。甲高い金属音がして、はっと我に帰り、キールアは慌ててレトの背中に声をかけた。
 
「……! 安静にしてないと、だめだよ。どうしてこんな時間に……」
「目が覚めた。ついでに体がどれくらい動くか確認してる」

 滑り落とした剣を拾いながら、レトはぶっきらぼうに答えた。
 火傷痕の男に抉られた肩がまだ鋭く痛んでいる。けれど、剣を交えたあの数瞬に掴みかけた動きを忘れたくなかった。筋肉の動きはどうだったろう。重心は。息つぎはいつしていた。鳥の声。草木の匂い。土の柔らかさ──何度も何度も脳裏に思い起こして、切り取った数分間を、レトは正確に再現しようとしていたのだった。
 刀身を見つめてだんまりとしてしまったレトに、キールアはなおも食い下がった。

「完治してからじゃだめなの? レトヴェールくん、頭も打っていたし、傷も治りきってないでしょう。……心配で。あんまり無理……しないで」

 尻すぼみになりながらも、キールアはそう言った。レトは、俯いたキールアの顔をじっと見て、それから、ふと視線を外す。周囲の気配を探った。しばらく気を張っていたが、やがて彼は短く嘆息して、双剣を鞘に収めた。

「現状は、変わってない。このへんに人気は感じないから、いますぐに襲われるなんてことはないだろうけど」

 レトは言いながら水辺に腰を下ろし、足を崩した。また人ひとり分の間隔を空けて、キールアも隣に並んだ。
 爽やかな初夏の風が、さらり、と吹き抜けていく。滝壺の水面がたおやかに揺れた。水面に浮かんでいる葉はのんきにゆらり、ゆらりと遊泳していて、キールアは膝を抱えながら、ぼんやりそれを眺めていた。
 此花隊の医務室から脱走し、森の中でレトに追いつかれてから、彼とは何度か会話をする機会があった。しかし常に気が気でなかったし、レトと2人きりになると途端に、どうしたらいいかわからなくなるのだ。だから煮え切らないような返答ばかりしてしまっていた気がする。
 悪い癖だ。幼いとき、キールアは、レトに対しての恐れを隠していなかった。物言いは冷たいし、ぶっきらぼうだし、綺麗な目鼻立ちだがそれが余計に、周囲を寄せつけない要素の一つになっていた。彼を前にすると反射的にびくついてしまって、まともに会話を交わせた試しがなかった。
 だけど、彼がもう冷たいばかりの少年ではないことくらい、キールアは知っていた。
 沈黙が続くと、キールアは決意したように口を開いた。

「あのね、レトヴェールくん」
「なに」
「…………ありがとう」

 意外な言葉をかけられて、レトは目を丸くする。見ればキールアは膝を抱えた両腕に、顔を半分うずめていた。視線は滝壺にやっていたがむしろ、レトとの間につくった──人ひとり分の間隔に意識が向いていた。

「崖から一緒に落ちてくれたこと。庇ってくれようとしたんだよね……? 滝壺から引き上げてくれたのも……。あなたがいなかったら、ここでこうして、生きていないのだと思う」

 かぼそい声でぽつり、ぽつりとこぼしていくキールアの口元には、まだ暗い影が落ちていた。
 レトは黙って聞いていたのだが、やがて試すような口ぶりで言った。

「殺してほしいんじゃなかったのか」
「……」
「そうだとしたら、命を奪いきれなかった。俺の失態だ」

 夜の暗がりが邪魔をして、レトの表情は伺えなかった。正直、はっきり見えてしまうのも怖かった。けれどもきっと、本心から言っているのではないのだ。何度も言い聞かせていれば、次第に胸の奥から込み上げてくるものがあった。
 キールアは、顔をうずめたまま、ゆるゆると首を振った。

「……。ちがう、そんなこと……。ごめんなさい。わたし、殺してほしいなんて、うそだった」

 くぐもった声で告げたキールアは肩を震わせていた。寒さのせいではない。顔を上げられずに彼女は、自分の腕の中で泣いていたのだ。

「あなたが目を覚ましたときに、わたし、すごく安心した。自分でもびっくりするくらい、安心したの。生きててよかったって。そんなわたし自身も……生きて、ご飯を食べられて、あなたとこうして話ができることに、心の底からほっとしているの。……だから、ありがとう。助けてくれて」

 両腕を掴む手に力をこめてキールアはもう一度、ありがとう、と告げた。ひとしきりしゃくってから、まちがってた、とも最後に付け加えた。
 レトはただ静かに耳を傾けていた。相変わらず、目線が交わることはないのだが、ややもすればキールアの背中は震えなくなっていった。
 ひとひらの若い葉が、船をこぎながら、滝壺の水面に降り立つ。波紋がじんわりと広がって、水面はまた穏やかに揺れる。

「……大したことは、してない。あいつらのいいようにされたくない……だけ」

 返答に迷ったのか、レトはぎこちなくそう返した。でもなぜだかキールアは悪い心地にならなかった。彼女がゆっくりと顔を上げ、すん、と鼻をすする小さな音だけがした。
 

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.126 )
日時: 2023/03/05 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第114次元 純眼の悪女ⅩⅣ

 静かに夜は深まっていく。もうすっかり虫のさざめく声と、風の吹き抜ける音ばかりになったというのに、レトヴェールもキールアも、滝壺の水辺から立ち上がろうとはしなかった。
 やがて、キールアの方向から鼻をすする音が聞こえなくなると、レトは落ち着いた声で訊ねた。 

「"跡形もなく"、殺してくれって、どういう意味だ」

 キールアの言い方がずっと引っかかっていた。政会の人間に連れられて処分されるくらいなら、その前に命を絶ちたい──と考えるのは納得がいくが、キールアは自害を選択しなかった。そもそも生きたかったのだから自害をしなかったという思惑は差し置くとして、追い詰められていたのなら、自傷痕の一つや二つあっても不思議ではない。
 そのうえ彼女は「跡形もなく殺してくれ」と頼んできた。跡形もなく、というのが自身の身体そのものを指しているのだろうが、遺体が残っていてはまずい理由が、レトには皆目見当もつかなかった。
 キールアはなかなか口を割ろうとしなかったのだが、しばらく逡巡したのちに目を伏せると、レトに問い返した。
 
「……政会が、シーホリーの一族を捕捉したあと、どうするか知ってる?」
「どうするって。処分するとは聞いてる」

 処分、に命を奪う意味も含まれていることを強調しながら、レトは言った。返答を聞くとキールアはふたたび静かになった。
 ややもすれば、彼女は重々しい口を開き、真意を語りだした。

「そう。シーホリー一族の身体を処分するの。……ある部位を除いて」
「ある部位?」

 レトは顔をしかめた。するとキールアは、懐から小さな巾着を取り出した。彼女が後生大事に持ち歩いているものだ。レトは、あの荒波にもまれて中身は無事なのだろうかと危惧したが、杞憂に終わった。彼女は紐を引いて袋の口を開くと、中から塗装された小箱を取り出したのだ。
 キールアが小箱の蓋を開けると、顔を出したのは、美しい紫色をした宝石だった。

「眼」

 一見、"そう"だと勘違いしてしまったのだ。それは切り整えられていない、鉱石から削りだされたばかりの原石。まごうことなき石の形をしていた。しかしキールアはそれが人体の一部だとはっきりと告げて、水面に写った月の光に反射させた。

「政会はシーホリーの一族の体に棲まう寄生虫を処分するとともに、それを口実として、眼を抉り取る。これは……この眼は、家族が殺されたときに、家の近くに落ちてたものなの。誰のかはわからないけど」
「眼……? いや、眼球には見えないな。どこから見ても、ふつうに宝石にしか」
「だから眼を奪っているんだよ。シーホリー一族の眼球は、ふつうの人間のそれとは違って、血液が通わなくなると──眼球全体が結晶化しはじめる。寄生虫が、人体に問題が起こったと判断して、守る手段をとろうとするからじゃないかなとは思う……」

 血液の通わなくなった眼球──つまり本人が死亡するか、眼窩から取り外されるかした眼球にのみ、その変化は訪れる。
 眼球を構成しているほとんどの水分が、眼球の腐敗を止めるように、結晶化し始める。もともとシーホリー一族の瞳は妖しく艶めきだった、世にも美しい紫色をしている。虹彩を起点にして結晶化が進むので、全体的に紫色がかった石のような物体になってしまうのだという。
 よくよく見せてもらえれば、本来、瞳孔にあたる部分がうっすらと宝石の中央に滲んでいるのが見てとれた。

「これを奴らは、"悪女の瞳"と呼ぶ。それから金に替える。ごく一部の貴族の間でだけ、この瞳の真実と金が回っているの」

 レトは真剣みを帯びた表情をして、ただきつく眉を寄せた。

 シーホリーの一族を捕らえ、瞳だけを抉り取って、処分する──そこで終わるとは、レトは思えなかった。捕らえたシーホリー一族に、適当な異性をあてがい、無理やり子を孕ませるという手段も用いているのかもしれない。政会がそこまで非道な行いに手を染めるかは定かでないが、目的が金であれば、話は変わってくるだろう。王政が廃止された当初といえば神族からの襲撃が相次いで、国内各地が混乱に陥っていた。各地の立て直しのため、財政に喘いでいた時期であろうから、その当時からシーホリー一族に目をつけていたのであれば、まったく可能性のない話ではない。
 おそらくキールアも頭のどこかでは、そうではないかと疑っているだろう。でなければ、「跡形もなく殺してほしい」──などとは言わない。あえて言葉にする内容ではないから、お互いに口にしなかった。レトはその"眼"を見ながら嘆息した。

「悪女の瞳……。とんだ侮蔑だな」
「……。シーホリーの始祖が、女性だから、そうつけられたんだと思う……でも、悪女だなんて呼んでおいて、好き勝手に捕らえて、殺して、目だけくり抜いて利用して……わたし、悔しくて悔しくて、たまらないの」

 キールアの声は怒りに打ち震えていて、柔和な性格からは想像もできないほど低い声だった。

「お前、どうやってこの内情を知った? 政会と、ごく一部の貴族の間でだけ出回ってる話なら、お前の耳にまで届くはずはないだろ」

 指摘されるとキールアは顔を上げて、情けなさそうに視線を落とした。

「わたし……シーホリーの一族にまつわる話、ぜんぜん聞かせられなかったの。両親から。たぶん、そのしがらみに取り憑かれないようにしてくれたんだと思う。……でも、どうしても知りたくて。なんで殺されたのか、知りたくて。自分なりに考えて、いろいろ調べてた。それでもやっぱり限界があったから、政会の諜報員をやっている人のもとに転がりこんだ。そうすれば、もっと詳しい情報が掴めると思ったから」
「は? ……待て、お前、知ってたのか、あの薬屋の店主が、政会の人間だって。知らなかったから、それが割れて、あの店を出たんだってお前、言ってただろ」

 キールアは、はっとすると、ばつの悪い顔をして、わかりやすくレトから視線を逸らした。
 どうやら嘘を言っていたらしい。レトは呆れて物も言えなかった。無茶をしないでと他人には指摘していたが、敵の懐に潜り込むような真似をするのは無茶に値しないのだろうか。レトが言葉を失っている間も、言い訳はせず、キールアは黙って視線を逃れていた。
 さらに問い詰めれば、身の上がバレたから逃げたのではなく、これ以上はレトに被害が及ぶと判断したから、薬屋から出ていったのだと真意を語った。

「お前な」
「ごめんなさい、嘘ついて。だって……本当のことを言ったら、呆れられると、思ったから」
「……」

 呆れないと言えば嘘になるのだが、まだキールアがこわごわと身構えているので、レトは閉口した。
 だがそれ以上にレトは驚いていた。部屋の隅で縮こまっているような少女だったキールアが、親姉弟の仇である政会の人間と接触を図ろうとした事実に。大胆かつ危険な行動に出てまで彼女は、真相が知りたかったのだ。
 愛する家族が血のためだけに理不尽に殺害されれば、人格のひとつやふたつ変化するだろう。レトはすこし考え込んだだけで、これ以上キールアに言及したりしなかった。

 いっとう冷たい夜風が吹いて、キールアが身を震わせた。初夏とはいっても薄着で夜に出歩くものではない。だのにずいぶんと軽装で話しこんでしまった。

「悪い、話しこんだな。そろそろ戻るぞ」
「そうだね」

 キールアはこくりと頷いて、先に立ち上がったレトに続いた。
 静かな夜道では靴底の音がやけに響いていた。2人は小屋まで続いている緩やかな坂を登っていく。とくに会話もなく黙々と帰路についていたのだが、途中でふと、レトが足を止めた。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.127 )
日時: 2023/03/19 13:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第115次元 純眼の悪女ⅩⅤ

 不思議に思ってキールアも足を止めて、数歩先で立ち止まっているレトヴェールの背中を眺めた。
 彼は振り返らず、一段と静かな声色で言った。

「……あのさ」
「な……なに?」
「…………」

 レトはなかなか答えず、しばらく立ち尽くしていた。いよいよ心配になってきて、キールアが困ったように、おずおずとその背中に声をかけた。

「レトヴェールくん……?」

 なにかを言おうとしては、口を閉じ、をレトは繰り返している。こめかみには正体のわからない汗が滲んでいた。
 そのうち「なんでもない」と切り上げてしまうのだろう、とキールアはそう思って待っていたが、違った。
 レトは後ろを振り返って、キールアの目をまっすぐに見ながらこう告げた。

「この件が落ち着いたら、お前に話したいことがある」

 キールアは、大きな目を瞬いた。レトが目を逸らさずにキールアの顔を見つめていた。
 動揺を隠しきれず、キールアは、なんとなく指の先が宙を泳いでしまって、風に煽られた小麦色の髪のひと束を耳をかけた。 

「……え。……話……?」
「そのときになったら、言う」

 はっきりとそう、しかしぶっきらぼうに告げてから、レトはまた前を歩きだした。キールアの胸の内にわだかまりのようなものがぼんやり滲んで残ったが、これも、悪い心地はしなかった。話したいことがある、と言ったレトの声色が、存外穏やかで、まったく冷たいものではなかったからだろうか。


 夜更かしをしていたというのにレトは、日が昇る前にすでに目を覚まして、身体を動かしていた。無茶をしないでと頼まれた手前、朝の稽古をしようかすまいか迷ったのだが、レトは焦りを拭いきれなかった。
 力が足りない。動きが想定できていない。まだ剣が手に馴染んでいない。次元の力に頼りすぎなのだ──と、思いつく限りの反省の色が、黒々と刀身に滲んでいけばいくほど、柄を握る手に、得体の知れない重さがのしかかった。

(どうしたらいい。どうすれば)

「朝から物騒なものを振って、獣でも狩りにいくのかい」
「!」

 突然、背後から声をかけられてレトは振り返った。剣を振るのに夢中になっていて、老人が起きてきた物音にも気がつかなかった。老人はレトの握っている双剣をじろじろと見ると、顎を引いた。

「獣を狩るにゃ、大仰じゃのう。弓を出してやろうかえ。ちょうど作ったのがある」
「いや……違う。獣じゃない。人を……人に敵う術を探していて」

 言ってから、なにを真面目に相談しているのだ、とレトは我に返った。気恥ずかしくなって首の裏を掻くと、老人は口を開いた。

「人を斬るには、音が軽すぎる」

 老人はこともなげに口ずさむと、レトの真横を通り過ぎて、洗濯物をかけてある物干し竿の下まで歩いていった。

「え……」
「体重を増やしなさい。肉をつけなんだ、人は斬れんよ。お前さんからは男の匂いがせん。隆々しろとまでは言わんがね。わしもこの通りの小爺じゃ」
「……」

 老人は小さい背中をうんと伸ばして、竿にかかっている洗濯物を引っ張り下ろした。いまにも洗濯物に押し潰されそうな華奢な体躯なのに、彼は細い両腕でそれらを抱えてなお、まったく重心がぐらついていなかった。
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、しばらく呆然としていたレトだったが、ふいに何者かの気配を察知して双剣を構えた。
 腰を低くして身構えていると、木陰から濃灰の上衣をまとった1人の男が姿を現した。

「……こんなところにいたのか」
「コルド副班」

 コルドは、疲れの滲んだ顔に安堵の色を浮かべて、軽く項垂れると、黒い前髪の下に影を落とした。森中を散々歩き回ったのだろう、足元には泥が跳ねているし、着ている上衣や、首から下げている三角巾にも蒼い葉がくっついていた。

「まったく、探したぞ。俺たち此花隊も、おそらく向こうもな。──あのお嬢ちゃんと一緒なんだろう。彼女はどうした」

 気配の正体がコルドと知れても、レトは警戒を解かなかった。
 なかば睨むようにしてコルドの様子を伺うレトだったが、そんな彼の胸中を察しているのか否か、コルドは強めの口調で言い放った。

「悪いが、同行してもらうぞレトヴェール。戦闘部班班長ならびに副隊長命令だ」



 *

 直々に出迎えられたともなればレトヴェールもキールアも、静かに従うほかはなかった。キールアはいない、としらを切ることもできたのだが、睨めっこをしていればコルドが嘆息して、「悪いようにはしないと誓う」と、両腕を上げたのだ。同行を促したコルドの口調には強い威圧が含まれていたが、レトの目には、身柄の確認ができて安心したようにも映っていた。
 向かう先が政会本部だと聞くと、キールアは拒否反応を示すかのように、ひどく汗をかいていた。無理もない。まるで処刑台への登り階段をゆっくりと登っているような感覚なのだろう。発狂して逃走、なんてことにならなかったのは、コルドが再三、悪いようにしない、と彼女に言い聞かせたからであった。政会本部まで赴く理由が、会議への出席だと知ると、キールアはいくらか落ち着いて話を聞くようになった。
 
 道中は、コルドもほとんど口を開かなかった。「班長はなんて言ってる」「悪いようにしないとはどういう意味だ」「副隊長からの要求は同行することだけか」など、レトは鋭く投げかけてみたのだが、どれにも煮え切らない返事をした。上から指示されてやってきたにしては、彼の顔にも動揺の色が浮かんでいたのだ。

 一宿一飯の世話になった老人とはろく礼も返せないまま別れてしまった。コルドが現れたとき、驚くような素振りは見せていたが、やや首を傾げただけで、とくに言及もされずに見送られた。

(あの爺さん……ぼけてんのかな)

 森を抜けて、エントリア街の南東にある関所を通過してからは荷馬車に揺られながら北に進行する。コルドとの会話が成り立たないので、レトの脳裏にはふと老人の顔がちらついて、荷馬車の中で息をついていた。
 キールアは老人宅をあとにしてから一言も発していなかった。不安に満ちた瞳は床に落としたままで、車内が揺れれば、彼女の肩もまた揺らいだ。
 

 政会本部は、ドルギース国との国境線の間際に聳え立っている。エントリア街の北口の関所を通過してからもさらに北上しなければならず、一行は長旅を強いられることとなった。幾夜と過ごす間も、キールアはほとんど口を聞かなかった。コルドもぼんやりとしているし、この旅には、常に重々しい空気が付き纏っていた。

 政会本部が位置しているラジオスタン通りは、エポール王朝時代には、常に殺伐とした雰囲気に覆われていた地域であった。ドルギースとの国境線の傍だったのが原因だろう。この街に配属された兵団らは、線を越えた先の国の兵団らと常に睨み合いをしていた。だがしかし、王政が廃止となり、政会が発足するとここに国政の要である政会が建設された。現在では当時のような重苦しい空気はだいぶ払拭され、ラジオスタン通りには武装した人間だけではなく、行商人も多く行き交うようになった。生活水準の高いウーヴァンニーフと隣接している影響か、金の回りも良く、都市部であるエントリアと遜色ない賑わいを見せている。

 ラジオスタンの中央に広い幅をとっている大通りをまっすぐ突っ切って、一行はようやく、政会本部へと到着した。
 メルギース国の国政を担う組織──なだけあって、敷地内を広々と惜しみなく占領している巨大な建物が、眼前に聳え立っていた。白亜の外郭や高い鉄城門に圧倒されながらも建物の屋上を見上げれば、メルギースの国旗が数本、並んでおり、ばたばたと強風に煽られていた。

 鉄城門の前には、時期を見計らってやってきたのか、セブン・ルーカーが壁に寄りかかってコルドたちの到着を待っていた。

「来たね。そろそろかなと思って、宿を出てきたんだ。全員いるね」
「班長、詳しい話を聞かせてくれ。それとも、中で奴らから何か指示があるのか? どちらにせよ、おいそれと引き渡す気はない」

 レトが険しい表情で言い募りながら、門兵のいるところまでへ向かおうとすると、セブンがそれを制した。

「ああ、君はここまで」
「……は?」
「君は招待されていないからね。この先に行くのは私と、コルド君、それからキールアの3人だけだ」
「ふざけるな。俺も同行しろと指示してきたのはあんただろ。俺も会談に同席させろ」

 さらに眉根を深めて睨みつけると、反してセブンは、気に留めていない様子で穏やかに告げた。

「同行しろとは言ったが、同席させるとは言っていない」
「……」

 セブンは外壁にもたれていた背を離し、意地の悪い笑みを浮かべた。
 心からの笑みというには些か冷やついていた。傍らで、コルドが重いため息をつく。レトに意地悪を仕掛けるために呼びつけたのは、想像していたのだろう。
 納得のいっていない視線を訴えかけてくるレトに対して、セブンは折りたたんである地図を手渡した。
 
「まあ、そう怖い顔をしないでくれ。近くに宿をとってある。会談が終わるまで、君は休むなり、街を散策するなり自由に過ごしてくれて構わない。ああ、鳥料理が美味しかったよ」
「班長!」
「好き勝手に行動をしたのは、誰だ。レトヴェール・エポール。頭を冷やしなさい」

 一段と低い声色で告げられると、レトの背筋がぞくりと粟立った。眼球の奥まで射抜くような厳しい視線。レトは黙らざるを得なくなった。
 セブンは踵を返し、門兵に一言二言告げる。すると門兵は招待状を確認して、高い鉄柵の門を開いた。重々しい音に導かれながら、セブンがその奥に消えていった。コルド、そしてまごついているキールアもあとに続こうとする。

「副班」
「……なんだ」

 レトは落ち着き払った声で、コルドを呼び止めた。コルドは一度足を止めて振り返る。
 不思議に思ってキールアが眺めていれば、レトはつかつかとコルドの傍まで歩み寄ってくる。コルドに何事かを耳打ちするとレトは、小さな紙のようなものをコルドに渡していた。
 コルドはそれを受け取ると、ぼんやりしているキールアを一瞥して「行こうか」と声をかけた。

 レトはただ、不安そうな面持ちをしたまま門の先へと消えていくキールアの背中を、静かに見送った。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.128 )
日時: 2023/04/02 13:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第116次元 純眼の悪女ⅩⅥ

 政会本部、第二会議室。定例会の"代表会議"に使用される第一会議室よりは、ひと回り狭い造りの部屋であるものの、十数人程度の人間を納めるのには十分な広さだ。壁際に複数人の監視役が突き立っていることや、記録を取る人間の険しい表情を除けば、室内はさながら王城の一角の応接間のような、豪奢な内装をしている。
 "代表会議"には、有事でなければセブンは出席しないので、どちらかといえば第二会議室のほうが馴染みがあった。なにを隠そう代表会議は、メルギース国内の五大領地の領主たち──すなわち、エポール王朝時代より爵位を預かったままの一族の当主、そこに此花隊の長を加えた6名と彼らの側近のみが集められる。厳密にいえば、イルバーナ家、ギルクス家、ツォーケン家、ビスネオニ家、そしてベルク村の一件でヴィースから領地を奪還した、ルーカー家を含めた五大家だ。もとはセブンの父、もといルーカー家の領地であったが、当主の死後、政会の手によってヴィースに統治権が渡っていた。そんなローノ領の統治権をルーカー家が奪還した経緯には、セブン・ルーカーが一枚噛んでいた。ベルク村の人間に対し不当な扱いを強いたとして、ヴィースを直々に送検したのはセブン率いる此花隊の戦闘部班だった。交渉の末、領地の奪還に成功したのだが、当の本人はルーカー家当主の座を断っている。
 王政廃止のお触れが出て以降、国の権利が政会一手に集まるのを危惧した各領地の主たちが、それぞれの領地内に関する問題についてのみ政治的介入を認めるように申請した。それが形を成して、現在の代表会議が成り立っている。

 今日、執り行われるのはその代表会議ではなく、キールア・シーホリーに係る審問会だ。本件の責任者を任されている公安長官の男、グナウドは、堀の深い顔に一層暗い影を落として、じっとセブンを見据えていた。軍部上がりなのだろう、幾度となく死線をくぐり抜けてきたような厳格な顔つきと、欠損している左腕に恐れ慄く部下は多いに違いない。彼の席の背後には軍官らが整然と付き従っている。
 ほか国務大臣らとは違って、公安相は軍部を率いる特殊な組織だ。それゆえか、着ている制服は見慣れない意匠をしていた。
 
「こちらからの要求はすでにお伝えさせていただいている通り。貴殿らが匿っているシーホリーの娘をお引き渡しいただきたい」

 グナウドは開口一番、厳しい口調ではっきりと告げると、キールアを一瞥した。
 しかしすぐに視線を外して、差し向かいの席に腰かけているセブンを睨んだ。

「……と、話を進める前に、我々はチェシア・イルバーナ副隊長殿にご出席の申し出を送らせていただいたのですが。手違いですかな、セブン・ルーカー殿」
「これは説明もなく失敬。副隊長殿はお忙しいようでしたので私が代理として参りました。書状には、代表者一名と付き添い人、そして件の娘の同席を命ずるとありましたから、私めでも問題はないと判断しまして」
「勝手な行動は慎んでいただきたい。貴殿はいま現在、隊長補佐官の任からは退いたと聞く。一部班の班長位でしかない貴殿が相手では話になりませぬ」
「私の地位では役不足というわけですね。……それでは、読み違いだったようだ」
「何と?」
「あなた方は、私に頭を下げさせるのがご趣味かと思っていたのですが。うちの隊員が、そちらの軍部の一員と交戦したと耳に入れましたのでね。まずはそのお詫びを」

 まったく悪びれていない口調でセブンはさらりと言ってのける。昨年の通信具の情報漏洩事件では、指摘を受け、セブンが直々に頭を下げさせられたものだ。いつまで引きずるつもりか、とでも言いたげに、グナウドは眉間の皺を深めた。
 セブンは口元にふっと笑みを浮かべると、こともなげに続けた。

「さて、件の娘の処遇ですが……このような席までご用意いただいた手前で申し訳ないのですが、こちらで身柄を預からせていただきたいのです」

 セブンの口から思わぬ発言がなされると、室内にどよめきが起こった。キールアも目を丸くして、セブンの後頭部を見つめた。
 唯一、グナウドだけが動揺の色を見せなかった。想定の範囲内といったところだろうか。彼はあくまで淡々と静かな声色で返した。

「……シーホリー一族の身柄の回収は、我々政会の管轄です。始祖アディダス・シーホリーが遺した悪魔である彼女たちは、その身に危険な寄生虫を宿し、現代までに数々の蛮行が報告されてきている。メルギース国民の不安要素としてこの地に根づいている、それを我々が国務の一環として対処しているのです」
「その蛮行というのは?」
「始祖アディダスが、城下のエントリアに住まう40近い人間を素手で嬲り殺したという異常事件が、事の始まりです。以降もシーホリーの一族は、数十年に一度、どこからともなく現れては無作為に町民や村民に暴行を加え、その殺戮の現場を我々が抑えてきた。……そちらに立っているキールアという名の少女が、シーホリーの血族であることは判明しています。危険な血統である彼女たちはこれまでも例外なく、我々で処分してきた。同じ人間と思わないほうが良いのです。芽が花開き、毒を撒く前に、根絶やしにしなければならない」
「処遇の決定権すらそちらに帰するところであれば、会談の席など設けずに、さっさとレトヴェールの手から攫ってしまえばよかったでしょう。そうしなかったのは……こちらの主張をある程度、予測しているからでは」

 セブンは指を組んで、机上に肘を載せると、身を乗り出して続けた。

「事情は理解しました。ですが彼女は、次元の力『癒楽ゆらく』を有している。この事実は揺るがない。『癒楽』はあらゆる次元の力の中で唯一、他者を癒す力。神族との交戦が始まっている以上、彼女の力は必要不可欠です。現に、そこで立たせているコルド・ヘイナーは、神族ノーラとの交戦時に肩を負傷し、ノーラの術の影響を受け、片腕がまったく動かない状態が続いておりました。が、彼女が施した『癒楽』の術で、手先が動くようになっています。……この先、神族らとの戦は激化していく。奴らと渡り合うために彼女の力が必要なのです。その偉大な能力を踏み潰そうとは、まるで神族の恐ろしさをわかっていない」

 笑みを浮かべたままだったが、セブンの目元には薄暗い影がかかっていた。グナウドはしばし黙って、セブンと睨み合っていたが、やがてため息混じりに切り捨てた。

「なりませんな。『癒楽』が必要と仰られるなら、正当な『癒楽』の次元師をお探しください」
「……正当な?」
「シーホリーの一族が持つ『癒楽』とは、アディダスのからくりによって引き継がれてきた生半可な力のことを指しているのでしょう。どのような手段を用いたかなど知りませぬが、そのような紛い物ではどの道、太刀打ちできなくなりましょう。正当な『癒楽』の次元の力であれば、肩の傷などたやすく治癒してしまえるが、紛い物ではちんたらと時間をかけなければならない。それでは普通の医術師となんら変わらない」

 はっと鼻を鳴らしたグナウドは、セブンの頭越しに、キールアへと厭らしい視線を投げた。紛い物、と罵られ、キールアは思わず目を伏せた。たしかに正当な次元師かと問われればかなり怪しい。アディダスが遺した産物を、シーホリーの一族らで分割して所持しているに過ぎない。指摘されると返す言葉もなかった。
 セブンは、ふむ、と片手で顎のあたりを撫でた。

「正当な『癒楽』の次元の力であれば、ねえ……。いや、それにしても、初めて耳に入れましたね。あなた方は随分と、シーホリー一族の持つ『癒楽』にお詳しい。次元研究所に勤める我々にもぜひご提供いただきたい内容です」
「御託はいい。話をすり替えようとしないでいただきたい」
「……失礼。そんなつもりは微塵も。そう、かっかなさらないでください」
「! いまここで見せていただいても構わないのですぞ。娘の能力が正当な『癒楽』に匹敵するかどうかを。この場で男の腕を治癒できなければ、娘の力は劣等品だ。正真正銘、シーホリーの一族だと知れるでしょう。さあ、ルーカー殿。いかがなさるか!」

 グナウドは激しい音を立てながら席から立ち上がると、そう怒鳴りつけた。場内の空気は一気に張り詰めたものになる。セブンに注目が集まる。彼はゆっくり息をつくと、提案に乗った。

「いいでしょう。やってみせても構いませんよ」

 言われるやいなや、キールアはひゅっと息を詰めた。
 いますぐにコルドの腕を治せだなんて、無理だ。ヤヤハル島で療養させていたときだって、幾晩もかけて術を行使して、やっと手先の自由が利くようになった程度だったのだ。
 キールアは額に嫌な汗が滲むのを感じた。心の中で何度も首を横に振っていたが、知る由もないセブンはくるりと後ろを振り返って、柔和に微笑んだ。

「君の力を見せてご覧、キールア。大丈夫。そんなに緊張しなくてもいい」

 ただならぬ緊張感がどっとキールアに襲いかかる。耳元で心臓の音がして、鳴り止まない。場内の視線が急に集まるとなおのこと心音が高まった。
 だけども「できません」と頭を下げるくらいなら。なにもせずに逃げるよりは──。
 キールアは口元をきゅっと引き結んでから、コルドのほうへ体を向けると、どこかへと祈りを捧げるように胸の前で指を組んだ。

「次元の扉、発動──『癒楽』。四元解錠、"仇解あだどき"」


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.129 )
日時: 2023/04/16 12:15
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第117次元 純眼の悪女ⅩⅦ

 キールアが詠唱を口ずさめば、コルドの左腕を包むようにして水泡が現れる。薄青色の水泡が三角巾の縁をなぞって、柔らかく発光した。次元の力を目の当たりにする機会のない軍兵たちが、ほう、と物珍しいものを見る目をして、釘付けになっていた。
 薄青色の光は絶えず、コルドの左腕を包んで、じんわりと内側を癒していく。そのうちにキールアの額から、汗がつうと流れた。まだ。まだ解いてはいけない。手応えがない。だんだんとグナウドの顔色に苛立ちが滲んでくると、コルドがそれを横目にし、諦めたように左腕を動かそうとした。水泡がそのとき、ぱんっ、と弾けて散った。
 すぐにコルドは小さく呻いて、奥歯を噛み締めた。項垂れるコルドと、わなわなと震えるキールアの表情を舐めるように見やると、グナウドはおさえきれずに、は、と嘲笑の息を漏らして、口角を吊り上げた。

「……は。はは! いかがか、ルーカー殿。満足いきましたでしょう。その娘では力が及ばない。次元の力の等級くらいこちらとて弁えている。四元は、十ある階級の中では下級に分類される。いまこの場で、それ以上の力を示せぬなら、認められませぬなあ……!」
「なにがそこまで面白いのでしょう」
「何だと」
「次元師も普通の人間も変わりません。技を磨くために鍛錬を積みますよ。そうしなければ得られるものも得られませんから。まだ14、15才ほどの少女に、多大な期待を寄せすぎないであげてください。ああ、それともあなたの率いる軍部では、一切の鍛錬をせずとも、赤子の頃から剣が振るえて、弓が引けるのでしょうか」
「……き、貴様! いい加減その、人をおちょくったような喋り方をやめろっ!」
「ときに」

 間髪を入れずにセブンは、飄々とした声色はそのままに、あくまで穏やか口調で切り込んだ。

「キールアが、正当な『癒楽』の次元師ではないと、なぜ断言ができるのでしょう」
「……は……?」

 グナウドは、セブンがなにを言っているのかわからず、じっくりと眉を顰めた。虚をつかれたような声しか返せなかったのだ。セブンは切長の目をさらに細めて言い募った。

「『癒楽』を有するのはシーホリー以外の人間でもありうる。あなたの言う通り、正当な手段で後継される場合が存在する。あなた方国家の象徴は、"ただ『癒楽』の次元の力を持つ"という理由だけで、もしかしたらシーホリーの血筋でもなんでもない、いたいけな少女を手にかけるのやもしれない」
「抜かすな! だからその娘がシーホリーの血族であることは、報告されているのだ! 何度も言わせ──」

 セブンは、はっと嘲笑を浮かべて強気な目元をたたえると、「まさか」と鋭く突き返した。

「血眼になってその瞳を捜し歩いているあなた方の目に、彼女の瞳の色が紫に映っているとは、仰せにならないでしょうね」

 キールアの琥珀の双眸が大きく見開かれる。このとき、室内に満ちていた喧騒が、嘘のように静まり返った。壁に突き立っていた監視役や軍官らがキールアの顔と、セブンの顔を交互に見やっている。
 グナウドは反射的に黙ってしまったのを口惜しんだが、そうせざるを得なかった。当然、シーホリーの一族を探すには瞳の色を目印にしている。セブンの指摘の通り、キールアの瞳の色が、紫ではないのが最大の懸念点であった。しかし、アディダスの代から100年以上が経過している現代では純血の者はすでに存在しないだろう。血とは混ざり、変化するものだ。瞳の色だって異なった者が生まれてもおかしくはない。ないはずだが、しかし前例はない。机上の空論に過ぎない主張だけを頼りにこれ以上反論をしても不利な状況は覆らないだろう、とグナウドは判断した。背後に控える部下たちも閉口してはいるが、動揺しているような気配をひしひしと感じる。

「…………」
「キールアの身柄を此花隊こちらで預からせていただけますね、グナウド公安長官殿」

 グナウドはしばらく、口元をきつく引き結んで黙っていた。が、しまいにはセブン・ルーカーからの提案の受け入れを余儀なくされた。

 *

 
 外へ出れば日が落ちかかっており、庭園に咲く草花に、橙色の西日がやわく差し込んでいた。鉄格子の門の前まで戻ってくると、おや、とセブンは目を丸くした。レトヴェールが険しい顔をして石壁に寄りかかっていたのだ。

「レトヴェールくん、まさかそこでずっと待っていたのかい」
「……」

 レトは声をかけられると、きっ、とセブンを睨んだ。しかし勝手な行動は慎めと諫められた手前、出方を考えてから、静かな声で訊ねた。

「……あいつの処遇は。どうなったか教えてくれ」

 平静を装ってはいるが、目に不安の色が滲んでいた。差し迫ったレトの表情を見て、セブンはふっと微笑みかけると、後ろからついてきているキールアに「おいで」と声をかけた。小走りで近づいてきたキールアの背中をぽんと叩いて、セブンが言う。

「悪いようにはしないと言っただろう。安心したまえ。此花隊うちで預かることになったよ」
「……」

 レトは一瞬だけ目を見開いて、長い睫毛を伏せると、「そうか」と短く呟いた。レトが安心したのを悟ったセブンは満足げに笑みを浮かべる。
 はあと深く息を吐き、セブンは肩をぐるりと回した。

「さてと。しゃべりすぎて疲れてしまった。コルドくん、すこし付き合ってくれないか? 一服したくてね」
「食事は構わないのですが……我々だけで、ですか?」

 首を傾げ、頭上に疑問符を浮かべるコルドをよそに、セブンはレトとキールアの顔を順番に見た。

「すまないが、君たちは先に2人で宿に向かっていてくれないか。私は休憩がてらすこしコルドくんと仕事の話があるから、あとで向かうよ。地図はもう確認したかい?」
「……。見、たけど」
「それじゃあ問題ないね。……うっかり攫われてしまわないよう、見てあげるんだよ」

 セブンは含みのある笑みを浮かべて、レトに向かって微笑みかけた。ぽかんと突っ立っていたコルドは、満面の笑みをたたえるセブンに促され、あれよあれよという間に年長者たちがこの場から姿を消した。
 
 街の一角で呆然と立ち尽くすレトとキールアからずいぶんと離れたところで、コルドはやっと我を取り戻し、のんきに隣を歩いているセブンに問い質した。

「……はっ。あの、班長。話というのはどちらで? 人気の少ない店を選びましょうか」
「あ、どこでも構わないよ。2人きりにしてあげたかっただけだから」
「はい?」
「水入らずで話したいこともあるだろう。それにほら、逃亡中は気が張っていただろうから、ろくに話ができていないんじゃないかなと思ってね」
「はあ……たしかにそれは、そうかもしれませんが」
「君は本当にこの手の話題に気が回らないね」
「……それは申し訳ありません。勉強不足で」
「はは。冗談だよ。そうへそを曲げないでくれ」

 ラジオスタンの大通りは活気に溢れていて、露店なんかからは美味しそうな揚げ物の匂いが漂ってくる。セブンは小腹が空いたと言って、ふらりと適当な露店に立ち寄った。コルドが慌てて後ろにつくと、焼き串を2本、セブンから手渡された。
 店から離れたあと、串に刺さった団子をひとつ喉に通してから、コルドはため息混じりに口を開いた。

「しかし、緊張しましたよ。さきほどの会議では。瞳のことがわかっていたなら、あれほどもったいぶらなくとも」
初端はなから瞳の色について言及していればもっと円滑に終わっただろうね。でもそれでは、せっかくの会談の席が勿体ない。向こうがどれほど手札を持っているのか知りたかったしね。……思っていた通り、彼らはシーホリー一族の情報を一部秘匿しているようだ。つつけばもうすこし落としたかもしれないけど、今日はこのくらいで限界かな」
「この戦が終わるまでは、向こうも下手な手出しはしてこないでしょう。お見事です」
「……しかしいずれ手出しをしてくるのは目に見えているからね。彼らへの対抗手段としてこちらも手札を得られた。こんな極北まで足を運んだ甲斐はあったかな」

 セブンは懐から、一枚の小さな紙きれをひょいと取り出すと、コルドに笑いかけた。それは会談が行われる前に、レトがコルドにこっそりと手渡した紙きれだった。紙には「目」「悪女の瞳」「宝石になる」──というような文言が雑に並べられていた。レトが、キールアから聞いた話を断片的に書き記したものだろう。
 紙きれを懐にしまいこむと、セブンはコルドが抱えている団子の1本を抜き取った。

「それまでは彼女にも、うちで働いてもらうとしよう。もし物騒なことが起こってもまあ、レトヴェールくんが守ってあげるだろうしね」
 
 幼馴染なんだろう、とセブンは楽しそうに言いながら団子を口に含む。すっかり普段通りの柔和な表情に戻っていて、それからは、適当にぶらぶらと街道を歩きながら2人で時間を浪費した。


  

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.130 )
日時: 2023/04/30 15:17
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第118次元 純眼の悪女ⅩⅧ

 街の一角に取り残されたレトとキールアは、どちらからともなく歩きだして、2人で宿を目指していた。
 大通りから一本通りを外れれば、中央よりかは静かな街道に出た。住居も多く立ち並んでいて、煉瓦造りの屋根に立った風見鶏や、花々が植えられた鉢植えが、夕日の下で慎ましやかな風に吹かれている。

 キールアは、まだ高鳴ったままの心臓のあたりに手を添えて、会議で起こった一連の流れを、頭の中で反芻していた。ぼんやりと歩いていたせいだろう、キールアはふいに足の先がなにかに突っかかる感覚がして、前に倒れそうになった。地面に敷き詰められた石畳の一部が、剥がれてしまっており、そこに彼女の爪先が引っかかったのだ。

「わっ!」
「!」

 キールアの小さな悲鳴が聞こえてきて、レトはすばやく振り返った。咄嗟に、前に倒れそうになったキールアの上半身を、支えるように抱き止める。レトの腕の中で、キールアはぱちぱちと大きな目を瞬かせた。

「大丈夫か、怪我は」
「……。ご、ごめん。大丈夫」
 
 申し訳なさそうにキールアが言うやいなや、彼女は顔を顰め、右足をさっと地面から浮かせた。
 
「捻ったのか。肩貸すから、噴水のとこまで歩けるか」

 キールアはこくりと頷いた。近くの広場では、街道に十字を切るように、水気を吹く噴水が中央に建てられていた。噴水の石段に腰をかけて、キールアは顔を伏せた。

「ごめんね。この程度なら、休めばすぐに歩けるようになるから。あ、でも、すぐに宿に行くなら、治したほうが、いいかな」
「いや、いいよ。時間使っても。……べつにそんなに焦る必要はない」

 レトも石段に腰をかける。背後では水の流れる心地良い音が立っていた。しばらくは会話もなく、手持ち無沙汰に街を行き交う人を眺めたり、噴水の縁に降り立った鳥たちが、ばさりと翼をはためかせる音に耳を傾けていた。
 キールアは視線を落として、捻った右足を動かさないように、気をつけていた。妙にいたたまれなくて、やはりはやく治したほうが良かったかもしれないだとか、適当な話題を探してみたりして、じっと静かにしていた。
 キールアが内心でのみ奮闘していると、ふいに隣から声がかかった。

「俺の言ったこと、覚えてる」

 打たれたようにキールアは額を上げて、レトが座っているほうに顔を向けた。

「お前に話があるって言った、あれ」
「……。うん。……覚えてる」
 
 キールアは頷いたが、唐突に、指の先から足元までこわばった。わざわざあらたまって話とは、いったい何の用だろうか。キールアにはまったく見当もついていなかった。次第に水の音も、鳥の声も遠のいて、聞こえてくるのは耳元についた心音だけになった。
 なおもレトは、キールアの顔を見ていなかったが、黙って待っていれば、彼は小さく呟くように言った。

「ごめん」
「……。え? そんな、レトヴェールくんが謝るようなことなんて、なにもないよ。ずっと助けてもらってるのはむしろ、わたしのほうで……」

 慌ててキールアは返そうとしたのだが、それを遮るように、レトが口を開いた。

「『お前なんて友だちじゃない』……って。言っただろ、お前に。3年前」
 
 心臓が跳ねる。
 まるで予想もしていなかった、記憶が思い起こされて、キールアは口を閉ざした。瞬間的に脳裏に蘇ってきたのは、3年前の、蒸し暑いある夏の日暮れだった。


 体調を崩しがちなエアリスの薬を受け取りにシーホリーの家に足を運んで、帰り道は、レトとキールアの2人きりだった。2人は両手にいっぱいの薬袋を抱えて、ともにレイチェル村の畦道を歩いていた。会話はほとんどなく、歩くのが早いレトに、キールアは何度か置いていかれそうになった。せめて並んで歩きたかったキールアは小走りになりながら、レトのすこし後ろについた。

『……ねえ、もうちょっと、ゆっくりがいいよ。薬袋、落としちゃうよ』
『……』
『おばさん、元気になるといいね。でもお母さんの薬はね、とっても効くから。きっと元気になるよ』
『……』

 夕焼けに染まった畦道には、蛙の鳴き声がかすかに響いていた。
 一向に黙ったままのレトの横顔をじっと見てから、なにかを決意すると、キールアが足を止めた。しかし彼は知らん顔をして、たった1人で歩いているみたいに変わらない速度で、どんどん道の先を歩いた。

『れ……レトヴェールくんっ。なんで先行っちゃうの? わたしとは、お話もしたくないの?』

 キールアはたまらなくなって、道の真ん中で、声を張り上げていた。
 怖くても話しかけたのに。勇気を出して、訊いてみたのに。先を歩くばかりのレトはちっとも返してくれなくて、いよいよキールアは感極まって、目尻に涙を滲ませた。

『……なんで、むし、するの? わたしと、レトヴェールくん、友だちじゃない……?』
『友だち?』

 ようやく口を利いた彼は、冷ややかな声でぼそりと呟いて、立ち止まった。次の瞬間に振り返ったレトの表情には、ひどくどす黒い感情がむき出しになっていた。

『お前なんて友だちじゃない。そんなの、頼んだ覚えもない』
『…………』

 きつく眉根を寄せて、突き放すようにレトが言う。キールアは絶句した。目を見開いたまま動けなくなって、二つに結いあげた髪の毛だけが、さあっと吹いた風に揺れた。
 レトは、キールアの目の前までつかつかと歩み寄ってくると、キールアの腕から薬袋を取り上げた。

『もう俺が2つとも持つから』

 キールアの返事も聞かずに、レトは2つの袋を両腕に抱えこんで、さっさと踵を返した。道の真ん中にキールアを置き去りにして畦道の先へと消えてしまったのだ。
 
 心に深く巣食ってしまったあの日の会話は、脳裏に掠めるだけでも、キールアの胸をひどく締めつけた。どうせ言った本人は忘れているだろう、と思い込んでいた。たとえ覚えていたと知っても、キールアの顔色は曇っていた。

「…………」
「……あれは、……あれを言ったのは、お前のことが……嫌いだったんじゃない」
「じゃあ、どうして」
 
 夜更けよりもうんと静かな、しかし底冷えするような低い声で、キールアは問いかける。
 会話は途切れ、長い沈黙が訪れた。

 彼女との距離は常に推し測ってきた。近くにいようといまいとも。近づいたように見えて、すぐに壁が築かれてしまうのは、自分の行いのせいだと自覚があった。
 レトは口元を強く結んで、じっとしていた。が、やがて薄く唇を開くと、決心したように告白した。

「……元気な母親がいて、帰ってくる父親がいて、血の繋がった姉弟がいるお前が……ただただ、羨ましかったんだ」

 噴水の高い飾りに止まっていた鳥たちが、ぱさぱさっと、翼をはためかせて飛び立つ。
 キールアは大きな瞳を丸くして、静止していた。

「……。……え?」

 すぐに言葉が出てこなくて、戸惑ったような声だけが口をついて出た。

「……だから、ずっと、ただお前に……、それを言えなくて、むしゃくしゃしてあんなこと言った。だから謝りたかった。でもお前に会えても、いざ、言おうとすると、なんて言ったらいいかわかんなくなって。……それもぜんぶ、ひっくるめて、ごめん」
「……」
「お前は悪くないのに、あたって、悪かった。忘れろとは言わねえよ」

 ──いつも、ふとした折にレトは、なんとキールアに告げたものかと繰り返し、繰り返し考えてきた。彼女が怯えない声色を、引け目に思わない言い方を、常に想像してみては頭の片隅に残してきた。相手の人間性を意識せず、言い訳という逃げ道を探りながら話すのでは、前進しない。それらがまったく得意でなかったレトはだから、非常に言いにくそうにしていたのだ。キールアを傷つけずに胸の内に抱いていた感情を伝えるのには、回りくどい外堀など取っ払って、ありのまま言葉に換える。何度考えてみても、それ以外には思いつかなかった。

 レトは顔を上げて、まっすぐにキールアの目と向き合っていた。彼の口ぶりはたどたどしかったし、瞳も不安げに揺れていた。
 黙ってキールアの反応を待っていたレトだったが、キールアの顔を見ていたら、ぎょっとした。
 彼女の頬に一筋の涙が伝ったのだ。

「っ、おい」
「ごめ、ごめん……なさ、っ。だって、」

 つう、ともう一筋、跡を滑り落ちた涙が、キールアの膝元にじんわりと染みた。涙はふたつ、みっつと、ぱたぱたとこぼれ落ちていく。ためこんでいた思いの数だけ、震えていた声の分まで、琥珀の瞳は艶やかに濡れた。
 
 母や、父や、弟──。シーホリーの因縁などなにも知らなかった琥珀の瞳の少女は、さぞ幸せに暮らしているように見えただろう。レトの視線に立ってみれば無理もなかった。それらを羨ましがられていたとは微塵も気がつかなかった。
 そして、一夜にして無惨にも奪われたからこそ、レトは、キールアを敬遠していた本当の理由を言えなくなったのだ。

 キールアはここにきてようやく理解した。レトが、ごめんの一言を告げるのにあれほど躊躇していたのは、キールアの傷を抉ってしまうことを恐れて、避けたからなのだ、と。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.131 )
日時: 2023/05/14 12:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第119次元 純眼の悪女ⅩⅨ(最終) 

 形容しがたい感情が次から次へと押し寄せてきて、キールアの胸につかえる。苦しくなって、彼女は胸元を強く抑えこんだ。大きくしゃくりあげると、キールアは呼吸を整えて、ぽつぽつと、声をもらした。

「わたし、ずっとレトヴェールくんに……きらわれてるって、おもってて、友だちじゃないんだ、もうなかよくなれないんだって、あの日から、おもってて」
「……」
「だから、……だから、ね」

 情けなく、汚い声になっても、レトは黙って、キールアの言葉に耳を傾けていた。

「教えてくれて、言ってくれて……、やっと、わかった。言いづらかった、でしょ、ごめんね。ありがとう」

 逸らさずに、レトヴェールの目を見つめ返せたのは、久しぶりだった。キールアは悪女になりきれなかった琥珀の瞳を細めた。言葉尻には笑っているつもりだったのに、彼女は涙をとどめきれずに、中途半端に頬を緩ませた。
 遠くからからん、からんと大鐘を鳴らす音が聴こえてきて、キールアははっとする。通りを挟んで立ち並ぶ家屋の屋根に夕日が沈みかけていた。目元をぐしぐしとこすってから、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。

「こんなところで、泣いちゃってごめんね。そろそろ宿に行かないとだよね。もう足も平気になったから」

 キールアが立ち上がろうと身じろぐと、すっくとレトは腰を浮かせて、彼女の目の前に立った。なにも言わずに彼は手を差し出す。キールアは差し出された手をしばらく見つめて、それからおずおずと手を取ると、石段から立ち上がった。
 しかし、レトがその手をなかなか離さなかった。歩きだすような素振りも見せない。困惑したキールアが口を開きかけると同時に、声がした。

「俺と友人になってくれないか」
 
 まだ濡れていた琥珀の瞳に、橙の、か細い光が差す。やわく繋がれた手元が震えているように感じた。それが彼なのか、自分のせいなのかも曖昧だった。
 ぱさぱさっ、と、石畳をつついていた鳥の群れが、翼をはためかせて飛び去っていく。

「……」
「……」
「……いいの……?」

 呟くような声でキールアは言って、空いていたもう片方の手を出すと、両手に包みながら彼の手を握り返した。

「……わたし……、……友だち、になりたかったの。……レトヴェールくんと。だから、だから……嬉しい。──わたしも……なりたい」

 上手く伝わった、だろうか。しんとした、穏やかな静寂が訪れたけれども、悪い心地にならなかった。返事を待つほんのすこしの間も手を重ねていた。とくとくと、早まっていく心音が、耳の奥から聴こえてくる。
 「うん」と小さな声が降ってきたときには、飴色に焼け昏れていく家々の屋根に、薄い紫光が落ちていた。

 夜を迎えようとしている静かな街並みに沿って通りを歩いていけば、洒落た提灯で表の戸が照らされた宿屋に到着した。キールアが湯を済ませて廊下に出たら、隊服を羽織ったままのレトが壁際で待機していた。2人は窓口前の長椅子に腰かけながら、ゆったりとまどろんでいた。しばらく過ごしていれば、セブンとコルドも宿の戸をくぐって入店してきたのだが、外で飲んできたのかぐったりとしているコルドにセブンが肩を貸していた。項垂れているコルドとは打って変わって、セブンは機嫌が良さそうだった。
 
 ラジオスタンで夜を明かした4人は翌日、エントリアに向けて馬を走らせた。

 *

 到着したばかりで馴染みのない此花隊本部の廊下を、キールアはこつこつと靴底を鳴らしながら歩いていた。客人用の宿泊棟から東棟までの道のりは、一度聞いてから、何度も頭の中で辿ったから、覚えているはずだ。
 廊下をまばらに行き交う人たちが皆一様に、白や灰色の隊服に身を包んでいて、キールアは俯きがちになっていた。履き潰したぺたんこの靴が視界に入った。
 指示された部屋の前までやってくると、キールアは深呼吸をした。扉の表面についた金板に『班長室』と掘られているのを何度も確認してから、扉を二度叩いた。間もなく「どうぞ」という男性の声がして、キールアは入室した。

「遅くに呼びつけて申し訳ないね。明日は朝から予定があって、しばらく立て込むんだ。ああ、突っ立っていないで、こっちに来てくれて構わないよ。あまり片付けもしていなくて、いや、恥ずかしいな」
「いいえ、そんな」
「楽にしてくれていい。すこし待っていてくれ」

 そう言ってキールアを迎え入れると、セブンは執務机の上に雑多に積まれた書類の中を漁り始める。
 緊張した面持ちで、キールアは部屋の中央まで歩み進める。組織全体で四つに分割された部班のうちの一つの責務を任されている班長の執務室。それにしては雑然としており、壁際にはずらりと本棚が並べられているし、心なしか狭いように感じた。
 手持ち無沙汰にきょろきょろと見回していると、セブンが手招きをした。

「こっちにおいで」
「あ、はい」

 反射的に背筋がぴんと伸びて、キールアはおずおずと執務机の前まで近づいた。セブンは手元の書面を見ながら言った。

「君を入隊させるにあたり、いくつか話をと思って呼んだ次第なんだけれど」
「はい」
「まず私はね、君が本物だと思っているよ。キールア・シーホリー」

 書面から視線を上げ、セブンはキールアの顔を見ると、そう告げた。キールアの喉元がこくりと小さく鳴る。
 困惑の色に染まった琥珀色の両目をじっくりと眺めたまま、セブンは続けた。

「ただ君の瞳がなぜ紫でないのかなど、いろいろ疑問は残っているのだけれど、私にとってはさして重要ではない。欲しかったのは君の力だ。あの場で言ったことは嘘じゃないよ。私は、神族との争いが激化していくと予想している。小さな力ひとつでも取り逃したくないんだ。それが勝機に繋がるならね」
「……。はい」
「さて」
 
 セブンは仕切り直して、手に持っていた1枚の書類をキールアの前に差し出した。

「先日の会談後に、政会から書簡が届いていた。君に対していくつか誓約を立てさせてほしいそうだ。懲りない連中でね。まるで脅迫文のようだが、大した内容は含まれていない。大事なのはいま政会との間に余計な火種を生まないことだ。目を通して、問題なければ判を押してくれ」

 差し出された書類を受け取って、キールアはその書面に視線を落とした。小難しい言葉で記載されている、誓約に係る文面を確認する。しばらく黙っていたのだが、やがて筆を借りて、誓約書の下の方に名前だけを記した。最後に指で判を押し、セブンに返却する。
 セブンは署名と判とを一瞥してから改めて言った。

「再三言うようで悪いが、君の身を預かる以上、こちらはリスクを背負う。忘れないでくれたまえ。下手をすれば政会の信用を落とし、かろうじて保っているいまの信頼関係が崩れるだろう」

 間を置かずにキールアが頷いた。すでに承知の上だろう。脅しかけられても彼女の目は動揺していなかった。
 セブンはふっと微笑んで、受け取った書類を机の上に置くと、キールアの目の前で指を2本立てた。

「そこで、私から君に望むことが2つある」

 キールアは目を見開く。固唾を飲んで、セブンの次の言葉を待った。彼は、さきほど机の上に置いた書類の裏面をとんと指で弾いた。

「1つはシーホリーの姓を名乗らないこと。いついかなる場合であっても、必ずだ。できるね」
「……はい」
「もう1つは」

 机上に肘をついて指を組むと、セブンは前のめりになる。
 切長の瞳をさらに細めて彼は言い放った。

「真価を示してくれ。君がただの次元師でも、シーホリーの血族でもない。君が背負っているすべての負荷要素を覆す、君自身の価値を我々に示せ」

 語気はきわめて穏便であったが、鋭い寒気が背筋に走るのを感じて、キールアは目を瞠った。
 しかしそれも一瞬だった。

 彼女は静かに睫毛を揺らし、ゆっくりと瞼を閉じると、丁寧に礼をした。

「──はい、必ず。このご恩は、決して忘れません」

 愛らしい声色の奥。わずかに混じった、幼くも凛とした響き。
 未だ何ものにも侵されていない、純な双眸が、持ち上がる瞼の下から覗く。部屋の窓の向こう、小さな月が雲間から顔を出すと、ひと匙の月光が琥珀色に差しこんだ。

 
 行き先はもう決めた。友が歩く道の上なら、隣に立ち、彼の見る景色をこのに映したいのだ。


  
 *「純眼の悪女」編 終
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.132 )
日時: 2023/05/28 14:06
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第120次元 前進

 施設の案内役を任されていたコルドが急な呼び出しで外してしまったので、キールアは言い渡された通り、資料室の中で彼の帰りを待っていた。資料室には本棚が所狭しと並んでおり、棚と棚の間は1人の人がやっと通れるほどの狭さである。キールアは長机の上に、次元の力に関する資料を広げてそれらを読み耽っていた。
 紙面に集中していたためか、扉が開いた音に気がつかなかった。ふらりと人影が長机に寄ってきて、キールアの正面の椅子に腰をかけると、彼女が必死に読み込んでいる本を覗き込んだ。

「なに読んでんの」
「ひゃあっ!」

 突然、声をかけられてキールアが顔を上げると、目の前には金色の睫毛を伏せているレトヴェールの姿があった。彼はキールアの声にぎょっとして目を瞬いた。

「……。悪い、そんな驚かせるつもりはなかった」
「ううん、ご、ごめん大きな声出して。なにか用事?」
「コルド副班が廊下を急いでったのが見えたから、お前が1人なんじゃないかと思って。近くを通りかかったついで。……それ、基本資料じゃん」

 机上に置かれている本の表紙や紙面に目をやってからレトがそう指摘する。本の題目には「次元の力」やら「元力」やらの文字が並んでいた。
 驚くついでに両手で掲げてしまった1冊の本をゆっくりと下ろしながら、キールアは「うん」と答えた。

「わたしは、次元の力を持ってはいるけど、詳しくはなかったんだよね……。『癒楽』のことしか知らないから、ほかにはどんな力があるんだろうとか、そもそも元力の扱い方って定義があるのかな、とか。知っておく必要があるかなって」
「熱心だな」
「……だって、そういう班なんでしょう? この戦闘部班って」
「まあ。組織の説明受けたならもう教わっただろうけど、この部班の立ち上げには政会が絡んでる。「次元師の育成および次元の力の正しい知識を与えるのが目的」ってことで成り立ってるからな。勉強しとけば、政会から妙な絡み方されることもない。まだ詳しく明かされてない部分のほうが多いから、大した資料はないけどな」
「そうなんだ……。言われてみればたしかに、本棚をいろいろ探したけど、資料は少なかったな。レトヴェールくんは、いろいろ知ってる? たとえば元力って詳しくいうと、どういうものなの? 精神力……? でも体内にある感覚はするんだよね……。どう思うかな」

 キールアは本を胸に抱えて、ずいっと身を乗り出した。
 しかしレトはそれには応えず、急に黙りこんで、キールアの目をじいっと見つめていた。

「……」
「レトヴェールくん?」
「長いだろ。ロクみたいに呼んでいい」
「え?」
「名前」

 キールアは指摘されて、目をぱちくりさせた。一瞬、なんの話だかわからなかったのだが、レトの言葉の意図に気がつくと、冷や汗を飛ばしながら返答した。

「でもずっと、「レトヴェールくん」って呼んできたから……急に、ロクみたいに呼んだら、変じゃないかな」
「ここの連中はほとんどそう呼ぶし、慣れた。面倒じゃないならいいけど」
「……」

 キールアは黙りこむ。真剣に葛藤をしていた。友人になりたいと返事をした以上は歩み寄りの精神が必要不可欠なのではないだろうかとか、しかしいきなり愛称で呼び捨てるなんて気安すぎるのではないだろうかとか、だがわかりやすく呼び名から変えてみるというのは仲を深める一つの手段として……と云々考えているうちに、思考の沼にはまりかけて、慌てて彼女は口を開いていた。

「……れ、レト、くん」
「……」
「……」
「ん。それでいい」

 そう言ったレトの口元は、ほんのわずかに笑っているように見えた。さすがに「レト」と愛称で呼び捨てる勇気はなく、キールアは視線を逸らしてしまう。どちらからともなく黙りこんで、しばらくして、ふとした折に「なんの話だっけ」とレトが本を覗きこんできた。
 そんなときだった。資料室の扉のほうからどたどたと慌ただしい足音が近づいてきた。同時に、頭にきんと響くような甲高い声が飛んでくる。

「ああ〜〜!! こんなところにっ、え!? レトいるじゃん! あたし抜きで2人でいたの! ひどい! 呼んでよーっ!」
「……うるせえのが来たな……」

 レトとキールアの前に現れるなり、ロクアンズは机をばんばんっと激しく叩いて、若草色の長髪を揺らした。不満げに頬を膨らませるロクは、キールアの入隊の報せを耳にして左目が飛び出るほどに驚いていた。また、もっとも喜んだのも彼女だった。
 興奮しきっているロクを、キールアが「まあまあ」と嗜める。

「ロク、もしかして探してくれたの?」
「そうだよー! あたしだって、あたしだって、キールアにここの案内したかったのに……コルド副班に横から取られたんだもんっ」
「いやお前、たしか任務で東方に発つんじゃなかったか? こんなところで道草食ってないでさっさと行けよ。フィラ副班に怒られるぞ」
「ひど! ひっさしぶりにキールアに会えたんだよ!? 冷たすぎない!?」
「俺はしばらく本部に滞在するから」
「薄情〜〜者〜〜!」

 ロクはレトの胸ぐらに掴みかかる勢いで彼に迫った。義兄妹のやりとりを目の当たりにして、キールアが苦笑をこぼす。
 第一班はしばらくエントリアに滞在するようにと、セブンより言い渡されている。大きな理由はコルドの療養のためだ。セブンの意向により、キールアはまだどの班にも属しておらず、コルドの左肩が完治するまで彼女は本部に滞在する見込みだ。レトがキールアを連れて独断で逃走した件については、こっぴどく叱られたものの、十数日間の自室謹慎後に解放された。

 ロクとレトの応酬は一向に止まず、むしろ加速していき、いよいよレトが分厚い本を手に取ってロクの頭に下してやろうかと掲げたところで、フィラが資料室に入ってきた。ロクが「げ」と眉をひくつかせたが抵抗も虚しく、出発の準備のためにと回収されるまでは速かった。
 フィラに首根っこを掴まれて資料室から引きずり出されようとしたとき、ロクはキールアに向かってぶんぶんと両手を振って、声をかけた。

「キールア〜! 任務から戻ってきたら遊びに出かけようねっ! ぜったいだよ〜!」
「うん、またね」

 キールアもひらひらとロクに手を振って、笑顔で見送った。
 3年前。家族を亡くし、エポール宅で一晩を過ごしたあと、突然出て行ったものだから心配をかけただろう。キールアは引け目に感じていたのだが、ロクは深く追求してくることはなく、変わらずに接してくれた。もしロクが本部に帰還したら、エントリアの街をいっしょに散策するのを提案してみようか、なんてキールアはふと考えついて、想像して、口元を緩ませた。

「相変わらず元気だね、ロク。ぜんぜん変わってない」
「ああ。悪い方向でな。いつもどこでもあの調子」
「悪い、って。あれがロクの良いところだよ」

 レトは嘆息した。それからふいに、周囲を見渡した。
 完全に人の気配がしないのを確認してからレトは、上着の懐から小さな布袋を取り出した。

「……あのさ、お前に頼み事があって」
「え?」

 キールアは目を瞬いて、取り出されたその布袋に視線をやった。外見はただの布袋で、なんの変哲もない。キールアがまじまじと見つめていると、レトはその布袋の紐を解いて、中を開いてみせた。
 布袋の内側には細い葉が何枚か重ねて敷かれていて、それらがまたさらに、黒い粉末状のものを包んでいた。

「……な、なに……? この黒い粉は……?」
「俺もわからない。だからお前に調べてほしいんだ。……これが、いったいなんなのか。ただし周囲には言わないでくれ。あくまでも、俺とお前の秘密で」
「どうして?」

 レトは、眉を顰めた。この話をすると決めていたのに、言葉に詰まって、間を置いてしまう。話しにくそうに、彼は重い口を開いた。

「……母さんが亡くなった。お前が俺たちの家から出ていって、そのあと。カウリアさんが薬を処方してくれてたけど、そもそも、病じゃなかったことがあとからわかった。神族と関わりがあったらしくて、神族にかけられた"呪い"で死んだんだ。遺体から呪いを受けた痕跡も見つかってる。……けど、神族のやつは、『自害』だと言っていた。俺は信じてない。だけど母さんの部屋の、鍵のかかった机の引き出しからこの黒い粉末が出てきた。俺はどうしても、これがなんなのかを知りたい。なんで神族と関わりがあったのか、呪いをかけられたのか、その答えが、ここにある気がする。俺は、この手のことはまったく詳しくないから……お前に頼みたいんだ」
「……」

 キールアはおそるおそる手を出して、布袋の縁を指先でなぞった。
 エアリスには随分よくしてもらっていたし、家族を喪った日からあとも、優しく励ましてくれた。美しく、貞淑で、女の憧れのような人だった。キールアは、結局、母の薬でも助けられなかった事実を受けて悲しんだが、目尻に力を入れて我慢をした。

「病気じゃなくて、その……呪いでずっと体調が悪かったの……?」
「ああ」
「……そう、亡くなっちゃったんだね、エアリスさん……。すごく良くしてもらったのに、なにもできなかった……」
「お前が気にすることはない。死期は、決まってたんだ。……じつをいうと、言いにくいんだけど、お前に言っておきたいことがもう一つあって……」
「なに? もう一つ調べ事?」
「いや。その呪いの話だ。母さんが亡くなったときに俺も、その神族から……呪いを受けた」
「えっ? うそ、そんな! それも……死んじゃう呪いなの!?」

 キールアは椅子の音を立てて、思わず立ち上がった。レトは彼女の顔を見上げながら、宥めるように言った。

「すぐにじゃない。──『5年で命を落とす』と奴は言ってた。……あれからもう3年半くらい経つが、5年が経過する前になんとかしたいと思ってるところだ。あとこの話を知ってるのは、ロクと、お前だけ。隊の人間に話せば、最悪班から外されるから話してない。だから俺の身になんかあったときは、できるだけお前に任せたいんだ。極力、隊の人間にバレたくないからな」
「……」

 衝撃の告白にキールアが目を白黒させて、返答しかねていると、そのとき部屋の扉が開かれる音がした。だれか入ってきたのかもしれない、と2人は身を強張らせる。室内に足音が響きだして、レトは声をひそめてキールアに念押しした。

「とにかく、任せてもいいか?」
「わ、わかった」

 キールアが懐に布袋をしまいこむとすぐに、足音の主が顔を出した。本棚の間を縫うようにして現れたのはコルドだった。彼は、静かに椅子に腰かけているキールアを目にすると、眉を八の字に曲げた。

「待たせてしまってすまない。……なんだレト、お前もいたのか」
「……暇潰し」
「とんでもないです、コルド副班長さん」

 レトは椅子を引くと、立っているコルドのほうに身体を向けた。

「副班、今日の案内ってどのくらいで終わんの」
「このあと鍛錬場を案内して、あとは西棟がまだだったか。一度にすべて回っても頭に入らないだろうからな。今日はそのくらいだ」
「……ふーん。そのあとでもいいから、頼みたいことがあるんだけど」
「頼み? もし急ぎなら、言ってくれればすぐに対応するが」

 レトは緩く首を横に振って「いや」と断ると、真剣味を帯びた表情をして、コルドに言った。

「手が空いたときでいい。ギルクス邸に紹介状を送ってくれないか。数日……いや、1日でいい。剣術の指南を受けたい」

 コルドは目を瞬いた。
 ギルクス侯爵家は現代では、政会お抱えの軍部に在籍している者が大半で、また当主は剣術の指南役に就任している。もとはエポール王家に仕える王国騎士団を台頭していたのだが、王政廃止後、騎士団は政会に帰属するようになったのだ。
 たしかにギルクス邸には武術や馬術の訓練場が備わっている。とくに現当主の息子で次男にあたるシェイドは幼い頃から武術に秀でていた。コルドはぼんやりと思い出しながら、頷いた。

「……それは、構わないが。以前にも言った通りだ。期待はしないでくれ」
「ああ。勘当されてるんだったな」
「もうすこし言葉を選んでほしかったな。俺の柔らかいところに刺さる……。しかしまあ、その件は母上に相談してみよう」

 この日のうちにコルドはギルクス邸に向けて紹介状を送った。数日後、コルドの母親らしき人物から色の良い返事が返ってきたので、第一班の2人はセブンに十数日間の外出許可を申請した。
 此花隊では、ある程度の期間、勤務をすると隊員それぞれに休暇日を与えられ、各班長に申請する形で取得する。だがレトもコルドも、どちらかといえば休暇日を持て余す部類の人間だったので、これまでろくに休暇日を取得したことがなかったのである。それも加味して、鍛錬のためならとセブンから了承が下りた翌日に、2人はエントリアを発った。

 道中、レトとコルドを乗せた荷馬車の中で、コルドがため息をつきながらこんなことを吐いた。

「しかし……少々不安だな。母上からすぐに返事がきたのもそうだが、まさかあっさり受け入れられるとは思わなかった」
「母親には敬遠されてないんだろ。姓をもらったくらいだし」
「……母上にはな。これは悪い予感というやつなんだが……母上、俺が送った紹介状を、父上には見せたんだろうか……」
「……」

 一抹の不安を残しながら、2人を乗せた荷馬車は、北東に位置するホークガン領──その領地を治めるギルクス邸を目指して北上していったのだった。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.133 )
日時: 2023/06/11 12:26
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第121次元 門前

 メルギース国において五大領地と呼ばれている各領地の名称は、領内でもっとも発展している街町の名から取られている。北東を占めるホークガン領も、喧騒の街ホークガンが中心街とされている。
 喧騒の街、というのは読んで字の如く、ホークガンは古代に建設された闘技場をはじめとして多くの賭場や武器屋、そのほか娯楽施設が立ち並んでおり、日夜ともに賑わいが絶えない。
 人の行き交いが激しいので、はぐれないようにとコルドはレトヴェールに言って聞かせた。そんなコルドも、到着して早々に闘技場の観戦客に絡まれ、厄介を被っていた。

「おぅいそこの黒髪のニイちゃん! いいガタイしてんじゃあねえか。どうだい、腕に自信があるんなら会場に上がんな! ちょうどいまどこぞの若い農夫が連勝中でさあ。アンタに賭けてやるから、な。悪い気はしねえだろう」
「申し訳ありませんが、ガタイばかりで、腕には自信がないもので」
「チッ。性根のねえ男だなあ」

 絡んできた男はわざとらしく舌打ちを鳴らして、足を放り出しながら離れていった。どうせ勝てれば花でも吹雪かせて胴上げ、負ければ好き勝手に罵詈雑言を浴びせれるのだろう。コルドは生まれ育った街をよく理解しているからか特別困った顔はしなかった。レトはというと、どこからともなく聞こえてくる罵声や歓声に気圧され、人ごみにも揉まれ、住民の男とのすれ違いざまに大振りな武器に背中を打たれなどし、ホークガンの洗礼を受けていた。
 
 街の中央から離れた土地にギルクス邸は建っていた。背の高い鉄城門の前に、屈強な男が2人、門番として立っている。門番の目の前にコルドが歩み寄ると、門番は持っている鉄槍をお互いに交差させて、鋭い声で訊ねてきた。

「何用でございますでしょうか。名を」
「コルド・ヘイナーと申します。数日前に、リランテス夫人に書状を送っております。用事がありまして、一時帰宅いたしました」
「は? ……ああっ、も、申し訳ありません、コルド様。本日ご帰宅されるとは伺っておりましたが、何分、本日は人の出入りが多いもので」
「いいえ。お気になさらないでください」
「ど、どうぞ、中にお入りください」

 門番は慌てて鉄槍を退いて、門の錠を解くと、レトとコルドを庭園の中へと促した。
 ギルクス邸の庭園は、広いながらも庭師の手入れが申し分なく行き届いており、足を踏み入れた瞬間からため息が漏れそうだった。植えられた草花は、色も形もさまざまに咲き乱れ、花弁に乗った朝露が太陽の光を受け、宝石のようにきらめいている。来客があれば、さぞ喜ばれる景観だろう。ギルクス家といえば元を辿れば王国騎士団団長の血統であるため、武術に秀いで、国のために命を惜しまないという厳格な印象が色濃い。だからこの庭園の美しい景観はそれこそ、夫人の好みなのだろう。

 レトとコルドは、門番に付き添われながら屋敷の門前まで辿り着く。ウーヴァンニーフのツォーケン家の屋敷とは違い、上の階層はなく、惜しみなく敷地面積を利用した幅のある平屋の造りになっていた。訓練場は屋敷よりもさらに奥に建てられているらしく、庭からちらりと塀の高い建物が見えた。

 門番が屋敷の扉から奥へと消えて、しばらく待機していると、ぎぃと重い扉の開く音が立った。
 扉の奥から、壮年の男が1人、現れる。男はコルドの顔を見つけるなりつかつかと足早に近づいてくると、問答無用で鞘ごと剣を引き抜いた。次の瞬間には、柄頭でコルドの脳天を強打し、その拍子に彼は地面に倒れ伏した。
 引き抜いた鞘を腰元に納めると、身の毛がよだつような深い低音があたりに響いた。

「どの面を下げて帰ってきた、木偶の坊め。いまさら一族の姓が惜しくなったか」
「……」

 ギルクス侯爵家の現当主、ディオッドレイ・ギルクスは、武道家の長に恥じない高い背丈といかった肩、鋭い眼光を併せ持っていた。なによりも、肌色を曝け出した丸い頭部には大きな傷跡が刻まれており、余計に威圧さを感じさせた。
 左腕を庇ったために、コルドは変な姿勢で転がってしまったが、起き上がるのは素早かった。さっと地面に膝を立てると、彼は首を垂れた。

「滅相もございません、ギルクス侯爵様。本日は、リランテス夫人にご協力賜りまして、ある部下の剣術指南……いえ、訓練場の見学でも構いません。どうかお引き受けいただけないかと申し……」
「俺に隠れてこそこそと、なにをあいつに泣きついた。身体ばかりで中身は大して変わらぬようだ。一族の主は誰だ。この家に用があるのなら俺を通せ。軟弱なお前のことだ、どうせ俺には物一つとして言えぬのだろう」

 話の途中で切り込んでくる悪癖は健在だ。声色も物言いもかなり高圧的ゆえに、屋敷に出入りする従者や訓練兵たちの悲鳴も絶えない。ディオッドレイを前に怯まずにいられるのは息子の中でも長男と、それから妻であるリランテスだけだ。
 例に漏れず、コルドも口を結んでいた。

「神の一柱を崩しただなんだと、それで鼻高に褒賞でも受けにきたつもりか。自惚れるな。口惜しくもお前にも一族の血が流れている。ならば、そのような布を下げてくるな。だから軟弱だと言っているのが、まだ理解わからないか」
 
 ディオッドレイは、コルドが首から下げている三角巾を睨みつけて言った。白い三角巾はいまだ動かないコルドの左腕を支えている。手指は自在に動くようになったとはいえ、ここで握り拳を作ってみても、めざとい父には「情けない」と一蹴されてしまうだろう。コルドは頭をもたげたまま、静かにしていた。
 そのとき。玄関の扉の奥からもう1人、幾重にも衣を纏った女が現れた。女は数歩、歩み出てくると、目を丸くして口元で両手を重ねた。慌てたように薄桜色の豊かな髪を揺らしながら、女はディオッドレイの服の袖にしがみついた。

「あらっ。いやですわ、あなた。愛しい我が子が、せっかくお顔を見せに帰ってきてくれたのに、そんなひどいことを仰らなくたって。コルド、着いていたのね。帰ってきてくれて母は嬉しいですわ。お顔を上げて頂戴」
「お前がそのように甘やかすから、こやつは逃げ道ばかり覚えたのだ。なぜ門を通した。敷居は跨がせないと、お前の前でも誓わせただろう」
「まあ、そんな。いったいいつのお話? また追い出しちゃ、コルドがかわいそうですわ。それに今日はわたくしの客人ですのよ。あなたが相手をして、コルドに嫌味ばかり言うなら、わたくし黙っていられませんわ。我が子の顔も見たくないのなら、お仕事でもなさっていて」

 袖を掴まれた手をのけないのは、彼女がディオッドレイの妻、リランテスだからにほかならない。リランテスは愛くるしく垂れた目元で、じっ、とディオッドレイを睨んでみせた。もちろん怖さの欠片もないのだが、ディオッドレイは妻にまで怒号を浴びせたりはしなかった。
 ディオッドレイは妻をひと睨みし、それからコルドにまた視線をやったときに初めて、レトの姿を認識した。
 尖っていた目が、ふと丸みを帯びる。
 ディオッドレイは一拍黙ったのち、レトに訊ねた。

「……。そなたは」
「お初にお目にかかります。さきほど、ご紹介に預かりました。此花隊ではコルド・ヘイナー副班長の下についております」

 傍から呆然と親子喧嘩を見守っていたレトは、声をかけられると、姿勢を正して礼をした。一つに結んだ金色の髪が肩口からさらりと垂れる。コルドに倣って膝をつこうとしたレトに、ディオッドレイが手を挙げた。レトは膝をつかずに、たたみかけた背筋を伸ばした。
 ディオッドレイはレトから視線を外すと、踵を返した。

「また俺の目に入ってみろ。お前が何と喚こうと叩き出すぞ」

 そう言葉を吐きながらディオッドレイは屋敷の中に入ってしまった。
 リランテスは、コルドの傍らまでぱたぱたとやってくると、ゆったりとした幅のある袖の中から、白くて細い手指を伸ばした。コルドが差し出した手を、彼女は真綿にでも包むかのようにやわらかく握り、そうして彼を立ち上がらせる。

「大丈夫? かわいそうに。お顔をもっとよく見せて、コルド」
「ご心配には及びません。それよりも、ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。コルド・ヘイナー、ただいま帰宅いたしました」
「そんなにかしこまらないで。親子でしょう? それよりも……コルドったら、上背もあの人みたいにとっても立派になって。うんと男前になったみたい。あっ、そうだわ、コルド」

 リランテスはコルドの手を握ったまま、少女のように目を輝かせながら、続けた。

「あなたが神族の一柱を討ったというのは、本当なの? その話題でもう、しばらくは持ちきりでしたのよ。我が一族から神族を討つ子が現れるだなんて、なんと名誉なことかしら。ねえ、コルド、数日泊まってゆくのでしょう。豪華な食事を用意させますから、あなたも出席して頂戴。皆、話を聞きたいでしょうし、兄たちもきっとあなたに会いたがっているはずよ」
「それは……本当でしたら、身に余る光栄ですが」

 そう返しながらもコルドは、やんわりと母の手から逃れた。しかしリランテスはまったく気にしていない風で、べったりとコルドに寄り添ったまま、屋敷の中へ入るようにと急かした。
 親子のあとについていけば、ふんわりとあたりを漂う甘い花の香りがレトの鼻についた。夫人が香水をつけているのだろう。厭らしくはないのだが、女気の強さに眩暈がしそうだった。

 リランテスは身に纏う香水のみならず、とにかく話し方も性分も、あらゆる面で甘すぎるきらいがある。じつのところ、実母でありながらリランテスの相手をするのがコルドはやや苦手だった。嫌っているのではない。むしろ、幼い頃からコルドを過剰に甘やかしてきた主な人物が、リランテス夫人なのである。それを真っ向から享受してきたコルドはついぞ、父から堕落者の烙印を押されるに至ったのだが、母のせいにするのは気が引けた。だから彼女を否定こそしないが、距離も考えなければならないのだ。

 コルドは、屋敷内の広い廊下に敷かれたカーペットの上を歩きながら、いたって穏便に断った。

「しかし、さきほど父上からも言われてしまった通り、夕餉にご一緒するわけには参りません。あの方はそうと決めたら実行される御方です。食事の席に俺がいたら、たとえ夜更けであろうと叩き出されるでしょう。……ご提案は大変嬉しゅうございますが、どうぞ俺にはお構いなく。夕食は適当な場所でとります。母上が、父上から睨まれてしまうのは、本意とするところではございません」
「まあ、コルド……あなたって子は。こんなに良い子に育っているのに、どうしてあの人はコルドを除け者にしてしまうのかしら。わたくし、とっても悲しいわ……。やっぱりあの人がわかってくれるまで、わたくしからきつく言うべきなのだわ。そうよね。そうなのだわ」
「い、いいえ、母上。本当に、構わないのです。それに今日は、休息のための里帰りではなく、部下に稽古をつけていただきたくて参った次第です。ええと……指南役はどなたか、引き受けてくださりましたでしょうか」
 
 コルドは慌てて、それとなく話題を逸らす。すると廊下の奥から、かつかつと小気味のいい音がして、コルドもレトもそちらを向いた。
 つられてリランテスも顔を向ければ、「まあ」と花が綻ぶように破顔した。

「シェイド。ちょうど良かったわ。もうじき、朝の鍛錬が終わる時間でしょう? コルドの頼みを聞いてあげてほしいのだけれど」
「……シェイド兄様」

 コルドも思わず、慣れたように名前を口にした。シェイドと呼ばれた黒髪の男は、わかりやすく不機嫌そうに眉を顰めて、コルドを睨みつけた。

「……なんだ、破門にされた恥晒しが。いったいどういうつもりでここへ来た」


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.134 )
日時: 2023/06/25 20:15
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第122次元 ギルクスの血

 視線の鋭さと容赦のない物言いは、父親譲りなのだろう。レトヴェールは一目で察しがついた。
 シェイド・ギルクスは、ディオッドレイの息子であり次男にあたる。四兄弟の中でも群を抜いて武術に秀でており、まるで現当主の写し鏡のような男だ。父と似ていないのは頭髪くらいで、シェイドは胸元まで伸びた黒髪を一つに束ね、高めの位置で結い上げている。

 リランテスからも言及されていたが、稽古の最中らしく、シェイドは鎧を着用していた。腰元から提がっている鞘は鮮やかな青の塗料やら、金細工やらで装飾され、ギルクス家の家紋が彫られている。
 シェイドは、目元にきつい色を帯びると、コルドに向かって言い放った。

「それに兄と呼ばれる筋合いはない。俺の弟はただ1人。末の愚弟は十数年前からいないものとしている」
「……失礼しました。シェイド・ギルクス様。差し出がましいとは重々承知の上でございますが、あなた様に折り入って、頼みがあるのです」
「……頼みだと? 軟弱者のお前の頼みなど、聞くと思ったか。図々しい。いますぐ俺の視界から消えるんだな」
「おやめなさいっ、シェイド。あなたって子は。コルドが萎縮してしまいますわ」
「しかし、母上。この男は……」
「もう、だめよ、今日はわたくしの客人なの。みんなして、寄ってたかっていじめないであげて。頼みも聞いてあげて頂戴」
「……」

 シェイドは眉をひそめて、リランテスと睨み合った。しばらく、次男と夫人との視線の間にはばちばちと火花が散っていたのだが、やがてシェイドのほうがふいっと顔を逸らした。
 物言いたげたな目は相変わらずだが、シェイドは、コルドにこう問いかけた。

「だれのなにをしろと言った」
「聞いていただけるのでしょうか」
「用件による。早く話せ。くだらない内容だったら斬って捨てるぞ」
「シェイドったら」

 母の甘い諫めも聞かずに、シェイドはぎっ、とコルドを睨んでいる。恥晒しやら軟弱者やらと罵っているシェイドだが、まだコルドが勘当されるより以前からこの態度は変わっていない。侯爵家の次男として生まれた以上、長男より前へ出ないよう、また下の三男や四男よりは必ず秀でていられるように緻密な努力が必要だったシェイドの立場からすれば、四男で末弟のコルドの存在は目に毒だった。母や従者たちから飴ばかり与えられ、道を歩くときでさえ先にある小石を丁寧に取り払われ、何の責任も努力も問われない、綺麗な衣を被っただけの食い扶持。そうとさえ思っていた。だから父であるディオッドレイがコルドを殴って門前までつまみ出し、姓さえ取り上げた瞬間には手を叩いて喜んだものだ。
 そんな腑抜けの末弟が突然帰ってきたかと思えば、用があると頭を下げてきた。その用件の内容に、シェイドは眉間の皺を深める準備さえしていた。

「部下に剣術の指南をいただきたいのです」
「部下だと? 軟弱者が、一丁前に部下など……」

 コルドが頭を下げたときだった。彼の背中に隠れていて見えなかったが、金髪の少年が傍に立っていた。
 レトはシェイドの前まで出てくると、ここでも恭しく礼をした。

「……お初にお目にかかります。此花隊ではコルド・ヘイナー副班長の下についております」
「……」

 シェイドは黙ると、頭の先から足先まで、じっくりとレトの姿を観察した。
 それから、小さく息を吸って、おもむろに問いかけた。

「名は」

 レトは瞼を持ち上げて、シェイドと向き合うと、名乗った。

「レトヴェール、と申します」

 虚を突かれた顔で、シェイドはしばし呆然としていた。しかし気を取り直すと、くるりと踵を返し、この場から離れようとする。コルドが慌てて、シェイドの背中に声をかけた。

「シェイド様」
「気が変わった。ついてこい。遅れるな」

 かしゃ、かしゃと鎧の鉄が擦れる音を立てながら、シェイドは廊下の奥へと向かっていった。レトはシェイドのあとを追うようにして歩きだす。ぽかんとしていたコルドだったが、彼もはっと我に返って、リランテスに一礼をすると、2人の後ろに続いた。

 到着した訓練場は塀に囲まれており、日の当たる更地で、訓練生たちがまだ木刀の打ち合いに励んでいた。待機を言い渡されたレトとコルドは、場内でも端のほうに設置されている吹き抜けの通路の下で、太い柱に寄りかかりながら、訓練の様子を眺めていた。剣術の名門と謳われるギルクス家の敷地の半分以上を占める訓練場は広く、訓練生の数の多さも相まって、場内にはむわりとした熱気が立ち込めていた。訓練生たちは個人差こそあるものの、体格は鍛え上げられた者ばかりで、訓練の精度の高さが伺えた。
 ややもすれば、訓練時間の終了を知らせる鐘が、あたり一帯に鳴り響いた。木刀を提げた訓練生たちが、疲れた身体を引きずりながら、まばらに退場していく。宿舎に戻る者もいれば、休息所で昼食を取ろうとしている者もいた。

「幼いときにはよく入り浸っていたものだ。剣はたいして振れなかったけどな。こうして大人になってから眺めてみると、よく統率が取れている」
「……」
「レト? どうかしたか」
「あ、いや。べつに」
「食い入るように見ていたな、お前も」

 コルドは嬉しそうに笑った。朝早くから熱心に素振りをしているレトの姿を、コルドは何度か見かけている。もともと早起きが苦手だったレトに頭を悩ませた日もあったが、すっかり心配する必要がなくなった。

「ここに紹介状を出してほしいと言われたときも驚いたな」
「まあ、それは……」
「朝早くから稽古しているのも見かけるようになったし……。しかし、そういえば……お前が早起きするようになったのは、ロクと喧嘩をした直後からだったか……?」

 レトは図星を突かれたように、一瞬、硬直すると、口を尖らせて顔を逸らした。

「……どれだよ。しょっちゅうあいつが突っかかってくるから、どれだか」
「はは。競い合える兄妹がいるのは、良いことだな」

 訓練場からほとんどの訓練生がいなくなると、一足遅れて、シェイドが2人のもとに近づいてきた。彼は鎧は着ておらず、動くに不自由しない軽装だったが、しっかりと2本の木刀を手元に携えていた。

「始めるぞ」
「休息はよろしいのですか、シェイド殿」
「お前と一緒にするな、軟弱者。訓練の指揮など準備運動のうちにも入らん」
「……左様ですか」

 指揮とは言うが、シェイド自身も訓練生たちの打ち合いに混じって、木刀を振るっていた姿は陽炎ではなかっただろう。とはいえ息も上がっていないし、平気を装っているような顔つきでもなかった。おそらく本当に疲弊していないのだろう。
 シェイドが、早速レトに木刀を差し出そうとするが、レトはそれを断った。
 
「特殊なもので。真剣で頼みたい……んですけど」
「……その鞘は見間違いか。剣が差さっていないではないか」
「いや。ちょっと、失礼」

 レトは、腰元から提げてある空の鞘に指先だけで触れると、シェイドから距離を取る。一瞬、空気は張り詰めて、ひんやりと冷えた。
 軽く息を吸い込むと、レトは慣れたように詠唱し、『双斬』を呼ぶ。

「次元の扉、発動──『双斬そうざん』」

 なにもない空間から一対の双剣が出現すれば、さすがのシェイドも目を丸くした。ただ、次元の力がどういった存在かは理解しているためか、それ以上驚くことはなかった。

「……。噂に聞く、次元師とやらだな。……こいつの部下というからには当然か。失礼した」
「いいえ」

 シェイドはなかば乱雑に、コルドの胸元に2本の木刀を押しつけた。コルドはそれを受け取ると、レトとシェイドからは離れた位置に立っている柱に寄りかかった。
 間もなく、シェイドが真剣な目をして切り出した。

「では、手並みを拝見といこう」

 どちらからともなく剣の切っ先が浮くと、刹那。きんという甲高い金属音が鳴って、両者の刃がしのぎを削り合った。
 刃と刃とが接近し、肉薄する。また金属音がして、どちらかが相手の刃を弾くと、空を切る音がしきりに立った。石畳の上では忙しなく靴底が音を鳴らす。
 そうしてしばらく打ち合い、お互いの呼吸音のみに集中が高まってきた頃だった。ふとシェイドが口を開いた。

「つかぬことを訊いても」
「……? どうぞ」
「貴殿は、エポール一族の末裔なのでは?」

 シェイドの顔は、思い切って口をしたように見えた。
 けれども剣が振られる速度に変わりはなかった。レトの頭上から切りかかり、それを双剣が受け止めると、2人の剣にかかる力が鬩ぎ合った。重なり合った剣の隙間から、シェイドの真剣な顔が覗く。

「なぜ身の上を明かされなかったのです。貴殿がエポールの末裔だと知れれば、我らギルクス家の人間は、だれしもが貴殿の前で平伏し、貴殿の一言一句に余すことなく従いましょう」
「どうして、俺がそうだと」
「見紛うはずもございませぬ。その黄金が如き金の髪。金の瞳。珠玉の容貌とも称される、美しいお顔立ちは、まさにエポール王家の象徴。我々の一族は、幼い頃より、王制時代のエポール王家の肖像画を目に焼きつけるのです。貴方がたに仕えるべき、誇り高い騎士の血族なのだと、骨の髄まで叩き込まれる。そういう血が流れているのです。──我らが絶対の主、それはエポール王家以外には存在しない。政会の人間などではないのです……!」
 
 ディオッドレイに挨拶をしたときのことが、ふとレトの脳裏に過ぎる。彼が自分の姿を見て目の色を変えたのも、エポール王家の血筋だと気がついたからだろう。
 ギルクス一族の力も誇りも、王政廃止後、エポール一族から政会へと譲渡される形となった。150年という時間が経過しているが、驚くべきことに、ギルクス一族の忠誠心はどうやら政会に傾いていないらしい。
 空席の王座の前で膝をつき、決して離れず、王を焦がれ続けているのだ。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.135 )
日時: 2023/07/09 12:39
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第123次元 業

("政会派"の国民は、俺たちを廃王家と揶揄するが……。このギルクス一族みたいな"反政派"も、いるにはいるらしい)

 国を動かす権利が国王から国民に変遷すれば、大きく思想が別れることは、歴史上珍しい話ではない。メルギース国では政会陣を支持する"政会派"と、エポール王家復帰を支持する反政会派──"反政派"、それらの二翼に国民の思想は別れている。ただ現在は、神族や元魔の襲撃が相次ぐ時代の最中にいる。だから表立って王だの政会だのと騒ぎ立てるような事件が起こっていないのだ。相反する両思想も、神族の脅威の陰で、まだなりを顰めている。

(いまは、神族そのものが、メルギース国にとっての脅威だ。政会派であっても反政派であっても、神族は等しく敵。神を討つ、っていうたった一点において国民の思想が表向き一致している。……だから余計な内乱が起きてない、に過ぎないんだろうな)

 たしかに反政派のギルクス一族の前で、己がエポール王家の血族であると声高に掲げれば、わざわざコルドに頼んで紹介状を書いてもらう必要などなかったかもしれない。
 しかしレトヴェールは、シェイドに熱弁をされたところで、良い顔をしなかった。金色の長い睫毛を一度伏せて、しっかりと瞳を開くと、答えた。

「それじゃあ意味がない」
「意味? 意味とはなんでございましょうか。貴殿がエポールの血族であり、我々は貴殿に付き従うと、この血と魂に記憶されている。これ以上に説明の必要なことがよもやあるとは思えませぬ」
「俺はただ、剣術を学びにきた。それ以外の目的はない。……次元の力を使えるだけじゃ足りないんだ。使いこなすための術が必要だ。それを極めた人間から見て、認められるような、剣士にならなきゃいけない」
「……。剣士……? その力があるのに、なぜ、そこまで」
「いまは、強さがほしい。それだけなんだ」

 レトが静かに告げると、シェイドはまだ納得がいっていないのか表情を歪ませた。
 刀身は、徐々じょじょにレトの眼前に迫ってくる。身体の細いレトと比べると、シェイドはずいぶんと体格ががっしりとしていて、力もあった。ギルクス一族の中では、当主を除いて一番の剣の使い手だという。
 気を抜けばたちまち押し負けてしまうだろう。気を抜かずとも、やがて隙を突かれて斬りこまれそうな気迫が迫っていた。レトはわずかに片足を引き、踏ん張ろうと息を止めた。しかしすんでのところでシェイドが仕掛けてきた。大きく剣を傾けて、力任せにレトの右腕を払ったのだ。
 脇が空く。シェイドはすかさず、縦一文字に剣を振り下ろした。咄嗟に避けなければ、左肩から下がなくなっていただろう。幸い、髪のひとかけらを切り落とされただけで済んだ。

「レトヴェール殿。ここまでにいたしましょう。私と貴殿とでは──」
「まだだ!」

 視界の左端。ぐん、と伸びてきたレトの短剣が、瞬く間に、シェイドの頬を浅く切り裂いた。
 シェイドはよろめいた足元を支えるように一歩、下がった。

「……!」
「手を抜かないでくれ。頼む。あんたがここでもっとも強いと、副班から聞いた。それなら俺は、あんたに膝をつかせるまで死ねない」
「死……なにを。殺すおつもりなど!」
「次元師は、一瞬一秒が命取りだ。諦めも悪い。離されても食らいついて、食らいついて、──元魔の、神の心臓を狙う。それだけのために俺たちはいる」
「──」
「言ったはずだ。強さがほしい、それだけなんだ」

 150年もの間、姿も現さず、謎に包まれていた神族の一柱を、愚弟が斃したと耳にしたときには、正直のところ、目が飛び出るほどに驚いたのだった。毎夜、祭にでも浮かれるように、ギルクス家では良い酒と食事が振る舞われ、そのほとんどは、政会やよその貴族から祝いにと持ちこまれたものだった。
 当のコルドは、政会から褒賞が出るため遣わされる予定だったが、断ったと、耳には入ってきた。
 いくら穏便で、謙遜家で、過剰に控えめな性格だったとはいえ、褒賞にも称賛にも目の眩まない人間が存在するだろうか。
 コルドの性格からして考えられるとしたら、ただ一つ。興味がなかった──としか。

(この御方や、あいつ……コルドは、いったいなにと戦っているのだ──)

 悶々と考え耽るシェイドの視界にはもはや、レトの姿などまったく映っていなかった。
 は、と我に帰ったときレトは動き出す直前で、しかし、脱兎のごとく動き出してからの彼は目にも止まらぬ速さであった。
 シェイドは即座に間合いを詰められた。柄に力を入れるほどささいな動きさえ、許されなかった。
 文字通りたったの一瞬だったのである。
 
 ──キン、と甲高い音がした。次の瞬間、シェイドが握っていた長剣が、くるりと宙を舞って、しばし離れた場所に突き刺さった。

「……」
「考え事か? そんな気がする」

 浅い呼吸を繰り返すレトの頬に、汗が一筋、したたった。まだ肩も休まらないうちに、シェイドは口を開いて、淡々と答えた。

「気を抜いていたのはたしかでございますが、これを言い訳にはしませぬ。軍人たるものいつ何時であっても、雑念に囚われてはならぬのです。ですからこれは……己の軟弱さが招いた結果の、敗北です」

 苦々しい表情を浮かべるシェイドの頬にも汗は滲んでいたが、口調は乱れず、穏やかだった。
 レトはわずかに首を傾げながら、こともなげにこんなことを口にした。

「……そうか。真面目で固そうなところは、副班にそっくりだな」
「あの愚弟と私とを、一緒にしないでいただきた……」
「だれかいるのか」

 シェイドの背後から声がかかって、彼は後ろを振り向いた。通路の先に立っていた人物を認識すると、シェイドはぎょっとして目を見開いた。

「お祖父様」

 さっとその場で膝をついて、シェイドは、つかつかと歩み寄ってくる1人の老人に向かって首を垂れた。その老人は、軽装だが質の良い羽織を着ており、一見では身分のわからない人物だった。レトもコルドもその人物の登場に呆気に取られていると、シェイドが、棒立ちになっているコルドをきつく睨みつけて言った。

「コルド、貴様! なにをそこで突っ立っている! ムジナドお祖父様の前だぞ、膝をつけ!」
「構わんでいい。シェイド坊。そっちは……コルド。末の弟だったか。豆粒ほどの大きさの頃には、抱いてやったような気がせんでもないが。悪い、あまり覚えておらんな」
「……失礼いたしました、ムジナド様。なにか、屋敷内でご不便ございましたでしょうか。このシェイドにお申し付けいただけたらと存じます」

 ムジナドと呼ばれた老人の着ている羽織には、ギルクス家の家紋が入っていた。また、彼よりもずっと後ろには、2人の従者が控えていた。ふらふらと散歩でもしていたのかほとんど寝巻きのような格好をしているので、コルドはしばらく理解が遅れたのだが、理由はそれだけではなかった。
 ムジナドの顔に見覚えがある。赤子のときの記憶ではない。もっと新しい記憶で、最近出先で会った気がしてならないのだ。

「おじい、……え? あなたはたしか、先日、エントリアの森で……」

 頭の中でばらばらになっていた記憶のパズルがぴたりとはまると、コルドはさっと顔を青くした。それから急いで膝をつき、焦ったように謝罪をした。

「も……申し訳ございません、ムジナド・ギルクス様でいらっしゃいましたか。お顔を忘れてしまうなど、大変無礼を働きました。先日は、部下のレトヴェールの命を救っていただきましたとのこと、誠に感謝しております。あの、まさか……あのような森小屋に……お住みだったとは……噂には、聞き及んでいたのですが」
「ほう。それじゃ、それじゃ。子どもらを保護しておったら、あのあと政会のお偉いさんがわしの小屋まで来よって。事情を聞かせろだのなんだのとうるさくてな。しばらく北におったのだ。疲れたんで、帰るついでにこの屋敷で休んでおったところじゃ」

 レトも目をぱちくりとさせた。納得するまでに少々時間がかかった。エントリアの森でレトとキールアの面倒を見てくれた小柄の老人は、ギルクス侯爵家の血筋の者だったのだ。なんだって森の奥で、質の悪い麻の衣を着て、生活しているのかレトには皆目見当もつかなかった。
 しかし事情はどうであれ、レトは、世話になった礼の一つもしていなかったのだ。すこし考えて、レトはムジナドに声をかけた。
 
「……ここの家の人間だったんだな、じいさん。あ、いや、失礼」
「構うな、構うな。あまり好きでないのだ。ややこしい、身分というものが。わしには合わぬ。だから窮屈でやることもないここをとうの昔に出た。久方ぶりの里帰りじゃ。しかし家も前より広うて、飯も味濃くて、やはり好きでない」
「はあ……そうだったのか。あのときは、世話になった。とくに礼も言わず悪かったな。俺も、あのとき一緒にいたやつも感謝してる」
「ふむ。そうか」

 ムジナドは緩慢な動きで首を回して、周辺を見渡すと、こんなことを言いだした。

「ときにお前さん、人の斬り方は、わかったのか」
「……まだ。よく、わからない」
「左様か」

 レトからの返答を聞くと、ムジナドはゆっくりと歩きだした。シェイドの横をすり抜け、まっすぐ歩いた先には、彼がさきほど手放した真剣が突き立っていた。
 ムジナドは剣を引き抜いて、その刀身を一度だけ眺めて言った。

「老人の運動に付き合うてくれるか。少年」
「え?」
「さあ。剣を抜きなさい」

 急な申し出についていけず、ムジナドが牛歩ののろさで目の前までやってきても、レトはしばらく口が閉じられないでいた。レトがそうしているうちにもムジナドは、乾いた唇で続ける。

「あの常人では使えぬという、異術を使うのじゃろう。それを振るってよい」
「は? でも……」
「見てみたい。なに。死なんよ」

 コルドとシェイドが腰を持ち上げ、目を見合わせて、端に避けていくのを横目に、レトは、ムジナドの全身を見た。殺気はないが、佇まいからは、わずかな覇気を感じ取った。甘さのない脇。どっしりと中央を捉えている重心。柄を握っている手も、しわがれているわりにはしっかりと力が入っている。
 瞬時にレトは悟った。素人ではない。しかし力量までは計り知れず、考えた末に、すこしばかり息を吸った。

「四元解錠──、真斬!」

 高々と双剣を構え、一気に空気を裂くように真下に振り下ろす。と、突風を纏った衝撃波が、石畳の上を駆け抜ける。"真斬"に特殊な動きはない。単純な軌道によって生み出される力の塊で、敵を真っ向から切り刻む術だ。
 
 レトが驚きのあまり小さな声をもらしたのは、次の瞬間だった。

 放たれた衝撃波は瞬く間にもムジナドの眼前に迫り、彼を食らいつかんと刃を剥いた。しかし、彼がまるで、獣の首元でも狙うように、躊躇いなく刀身を横に薙いだ。刀身の軌道は、衝撃波の軌道なき軌道をするりと解く。また一閃。薙いで、解く。もう一太刀。振るって、解く。解く。解く。それは目にも止まらぬ速さであった。ムジナドが何度剣を振るったか。それが見えた者は、この場にはだれ一人としていなかった。
 渦巻く風を成していた糸はすべて断ち切られ、景色が晴れた、ほんの一瞬のあと。レトの目の前にムジナドの姿が映った。彼の、手に持った剣の切っ先が、視界に突き刺さったのだ。
 金の目をしばたけば、剣の切っ先が、レトの首筋に寄り添っていた。

「──」

 それだけではない。指の一本でも動かそうものなら首を刎ね飛ばされる──とさえ、レトは錯覚した。シェイドとの打ち合いでもこれほど汗は流れなかった。ムジナドの剣の刃が首と肉薄している。たったそれだけで額はびっしょりと濡れ、背中が異様なほどに震えあがった。

「手を抜かんでよかった」
「……。悪い」
「優しいな少年」

 そう、ムジナドはたった二言呟いてから、剣を下ろした。ようやく緊張の糸が解けて、レトは焦るように肩で息を整えた。

「あんた……いったい、何者だ……?」
「人を斬っていた。それだけじゃ」

 白い眉毛が分厚いばかりにわかりづらかったが、ムジナドの目元が笑ったように見えた。彼の目元には、笑い皺はほとんどなかった。けれども声に恐ろしさはなかったし、もう殺気立ってもいなかった。


  

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.136 )
日時: 2023/07/23 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)


 第124次元 強き剣士

 剣を持ち主に返すと、ムジナドは砂埃が立つ訓練場も一瞥してから、踵を返してどこかへと去ってしまった。こめかみの下に冷や汗をかいたシェイドが、レトヴェールの傍まで寄ってきて、静かな声でこう耳打ちした。
 ムジナド・ギルクスが、歴代のギルクス一族の人間の中でも最高峰と謳われる剣の使い手である、と。

「ムジナド祖父様は、これまでに現れたどのような剣士よりもはるかに秀でた、"天才の剣士"だと言われています。……惜しいのは、彼の代で起こった大きな戦争が一度きりでございました。その腕は間違いなく群を抜いており、他者の追随を許さぬほどに優秀であったのに、その力が活きたのは15年前の戦争ただ一度だけなのです。弟子もとっておりません。父上でさえ、剣を習ったことはないのだそうです。……祖父様は、昔、仰せになっていました。「人殺しの術を教える気はない」と。間違いはございませぬ。しかし、しかし……。祖父様の剣術は、いくらきんがあろうとも買えぬ財産だった。私は惜しんでしまうのです。せめて父上一人にでも、わざを継承されればよかったのに……」

 次元の力を真っ向から斬って解してしまった、その御業。シェイドや、その周囲の人間たちが惜しむのも無理はない。
 例に漏れずレトも、しばらくは手の震えが収まらなかった。


 午後になると、訓練場には、まばらに人の気配が集まってきた。もうしばらくすれば午後の訓練が始まるのだろう。レトは、コルドが炊事場からもらってきた麦飯をご馳走になった。シェイドに頼みこめば、また訓練場の隅に立たせてもらうどころか、一緒にどうかと提案もされた。
 お言葉に甘えて、レトも場内に入っていった。シェイドや訓練生たちに混ざって、走り込みや体術、打ち合い、模擬試合などの訓練に励む時間が、あっという間に過ぎ去っていった。

 夕餉の時間になって、コルドのもとにリランテスからの使いがやってきたが、頑としてコルドは首を横に振った。リランテスの目に涙が滲む様子が手に取るようにわかったが、彼の意思は固かった。日はすっかり暮れて、紺色の空が頭上に広がってくる。コルドとレトはしかたなく、ムジナドが住むという離れを訪ねた。
 事情を説明すればムジナドは嫌な顔ひとつせず、寝床も貸してくれると言った。もしかしたら、事情を説明しなくとも、すんなり入れてくれたのかもしれない。レトはそんな風に思った。ムジナドは良い意味でも、悪い意味でも、他人への関心が薄いのだ。離れの外も中も、使用人の姿をまったく見かけなかった。聞けば、完全に人払いをしているそうだ。
 ムジナドの酒の相手をしたコルドが床の上で陥落しているのを横目にしながら、夕餉を口に運ぶレトもまた、考え事に耽っていた。
 しばらく、そうしてゆったりと夜を過ごしていたのだが、ムジナドが急に席を立った。「夜風にあたりにいく」と言うので、レトもついていくことにした。
 ムジナドはまた断らなかった。


 離れの周辺には、建物は一つとしてなく、寂びしい風の吹く草原が広がっていた。ムジナドは星がよく見えそうな岩場によじ登って、腰をかけた。レトは岩場の根元に腰を下ろして、岩を背もたれに、星を見上げた。

「近いうちに帰るのか、あの森に」
「そうじゃな」
「あんたがあんな森の中で暮らしてるのは、ただ身分が似合わないからか? それとも……感覚を失わないためか」

 初めてムジナドは、なにも返してこなかった。次元師の術でさえ剣一つで断ち切ってしまった彼のことだ。鍛錬を積み、極限まで鍛え上げたに違いない。しかし戦がなければ感覚は失われていくし、動かなければ肉体は腐っていく。そうでなくとも、人間は老いればどちらも勝手に衰えていくのに、ムジナドはそれを許したくなかったように思えた。彼には、値の良い装いよりも、麻で拵えた衣のほうがよほど似合っていた。

「シェイドさんが言ってた。あんたが昔、『人殺しの術を教える気はない』と言ったって。それはあんたの信念か?」

 シェイドはどこからかムジナドの噂を聞きつけ、積極的に教えを乞おうとしたことだろう。当の本人からは上の一言で一蹴されてしまったらしいが、レトはそんなムジナドの言葉が気になっていた。

「そんなことを、言ったかのう。覚えとらんな」
「……。はあ、覚えてないなら、大した意味はないのか」
「ないじゃろうな。しかし、わざわざ己の命を脅かすかもしれん術を、他人に教える気はない。敵を増やすだけじゃ」

 血の繋がった家族さえも"他人"と切り捨てられてしまうのは、極端に他人への興味が薄いからというのもあるだろうが、言葉の通り、命を狙われた経験が少なくないせいだろう。レトは、ムジナドの言葉の説得力に、納得することしかできなかった。
 ムジナドは、手元にぶら下げていた酒入りの瓢箪をぐいと煽って、言った。

「お前さんはなんで戦う。なぜ、あんなことができる」

 レトの持っている次元の力を指して言っているのだろう。レトは、空の鞘に指先で触れ、こう答えた。

「次元の力を得たのは……たまたまだ。これは、努力で手に入るものじゃない。生まれながらに持ってる人間と、持ってない人間がいる」
「ほう。どうりで、いくら剣を振っても、それが手に入らぬわけじゃ」
「剣を振るだけじゃ手に入らない代物でもある」
「なぜ」

 ムジナドが、前のめりに訊ねてくるので、レトは説明した。次元の力は、どういうわけか、持ち主の意思に呼応する。激しく感情が昂ったときに初めて、発現するのだ。もしもその経験がなければ、たとえ生まれながら次元の力を持っていても、出会うことがない。
 持つ者、持たざる者。それらを分かつのは、すべて運だ。レトからは見えなかったが、ムジナドは納得したのかしていないのか、わかりづらく、浅く頷いていた。

「欲しかったのか?」
「ああ。欲しかった」
「……そうか」

 次元の力が、どんな人間の手に渡るかは、だれも知り得ない。善人の手か、悪人の手か。次元の力は持ち主を選ばない。
 また、適任な人間──たとえば、猛き力を持つ戦士の手に渡るとも限らない。レトは、あんたの手に渡ればよかったとは、口が裂けても言えなかった。言っても仕様がない。
 頭上に広がる濃紺の夜空に視線を移せば、そこへ散らしたかのような爛々と輝く星々があった。
 ムジナドはまた、瓢箪を口につけて喉を鳴らした。持ち手を下ろすと、手首からぶら下がった瓢箪が、からからと水音を立てた。
 
「コルドの奴が羨ましかったのう。神は、強いのか。どれほど。どのような業を用いる?」
「一緒にコルド副班と戦ったけど、それはもう、手強かった。一つの街が、いまじゃ見る影もない。壊滅状態だ。【天地】の神だと名乗ったそいつは、風も自然も、思いのままのようだった」
「よいな! それは! 相見えてみたかったのう。コルドの奴はぁ、強いのか」

 はは、とムジナドは高らかに声をあげて笑った。星を嗤うような大きな声は、静かな野原にうんと気持ちよく響き渡った。

「剣か、異界の術か、違いはない。高みにゆけるのなら、悪魔に魂を売ろうともよかった。神を退けたというのだ、なにが悪いのか! わしは、コルドが神を下したと耳にし、心地が良かった。力のある者が生きて残る。それは、明らかじゃ」

 ムジナドは瓢箪のくびれを掴んで、豪快に煽った。しかし、瓢箪の口から垂れてきた酒はかなりの少量で、彼は自身の口を開けたまま瓢箪を上下に揺らしたりなどした。諦めて、瓢箪を下ろすと、愉しそうな声色とは打って変わって、夜闇のようにしんとした声で言った。

「その力がお前さんにあるのなら、思うまま、振るってしまいなさい。お前さんは、持っているのじゃから」

 見抜かれたような気がして、レトは目を丸くし、体をねじりながらムジナドの顔を仰いだ。膨らんだ瞼から覗いた小さな目は、まっすぐ前方を向いていた。
 彼の視線の先にはなにが映っているのだろう──それをレトは、無性に知りたくなった。同じ方角を眺めたって、暗闇に包まれた野原が続いているだけだった。
 酒が底を尽いたので、ほどなくしてムジナドが大岩から腰を下ろした。レトもそれに続いて腰を上げた。ムジナドは背中を向けて、屋敷に帰ろうと歩き始めた。

 声をかけるならいましかない。レトは腰元の鞘に震えた手で触れながら、ムジナドを引き止めるように声を上げた。

「今日一晩でいい。夜が明けるまで、俺と手合わせしてくれないか」

 ムジナドは立ち止まってゆっくりと振り返った。

「老人を寝かせないつもりか」
「できるのか、できないのか。どっちだ」
「良いだろう。言った通り、一晩だ」

 言うと、ムジナドは足の向きをそのままに、屋敷に向かった。レトは自分で言っておきながら目を丸くして、しばらく待っていたら、ムジナドが片手から鞘を提げて戻ってきた。
 たいした会話はないままに、どちらからともなく仕掛けた。2人が静かに剣を振るう音が、閑静な真夜の中を縫う。忙しなく移動をすれば草の絨毯が擦れて、ざわと揺れる。この夜の星ははっきりと明るかったのだが、それにしてもムジナドはまるで明かりさえ必要ないといったような見事な剣捌きを見せてくれた。
 夜明けが訪れるまで永遠のように思えたのに、ひとたび日が顔を出してしまえば、なんと早いものだろうか。薄青い空が連れてきた透明な空気は、すうと澄みきっていた。


 このときはまだ、翌年にムジナドが病に罹って没するなどと、だれも知り得なかった。
 そして稀代の剣豪ムジナド・ギルクスの最後の一太刀を受けた人物が──廃王家の末裔、レトヴェール・エポールとなることもまた、予想できなかったのである。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.137 )
日時: 2023/08/06 12:10
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第125次元 時の止む都Ⅰ

 戦闘部班第二班班員、ロクアンズ・エポールは窮地に立たされていた。東方のセースダースへの遠征を言い渡されて早十数日と経つのだが、重大な任務のために足腰に厳しい荷馬車での長旅を経て、ようやく足を踏み入れたかの地で、さらなる試練が彼女を待ち受けていたのである。
 石壁に囲まれた食堂内では客たちの歓談の声がこだましている。そんな中、大きな左目を鋭くさせて、料理名がずらりと書き連ねられた木板をぎゅうと両手で掴んでいるロクは、絞り出すような声で独りごちた。

「二つに一つ。どちらを選ぶべきか……」
「ろくちゃん……」
「う〜〜〜〜〜〜〜〜んこれいかに」
「早く注文を済ませてください、ロクさん」
「だって! 大鶏の丸焼き串も、あんかけ海老の大包みも、どっちも捨てがたいんだもん──!」

 ロクは渾身の叫び声をあげながら、だあんと机を叩いた。
 同席している第三班はそれぞれ、ルイルがくりくりとした目を瞬かせていたり、ガネストがその横で静観を決め込んでいたり、我関せずといった様子で熱いお茶を啜っていたメッセルがロクの癇癪に咽せていたりしていた。
 隣接した席の客たちが、なんだなんだとざわめき立てば、それを収めるのはフィラの役目だった。周囲が落ち着いてくると、細い葉のついた茎を噛みながら、メッセルがため息混じりに口を開いた。

「どっちにしたってデケエのが食いたそうだなぁ」
「もしかしたら、どちらが大きいのかを真剣に考えていたのかもしれませんね」
「そんな悩むなら、どっちも食っちまったらいい」
「だ、だめですよ、メッセル副班長。ただでさえ、今回の遠征では、遠征費がかつかつなんです。ロクちゃんには食費を抑えてもらわないと……!」
「ハア。大変だねぇ、アンタも」

 メッセルの一言に、フィラは苦笑いで応えた。遠征費が厳しいのにはれっきとしたわけがある。
 ノーラの討伐戦でウーヴァンニーフが大打撃を受けた事実は、国をあげて受け止めなければならなかった。政会はウーヴァンニーフへの支援として復興費や人手を大幅に回している。月例の代表会議に出席したラッドウールは、来年度、此花隊に下ろす支援金を削るとの打診に頷いた。
 そう繰り返し説明しようとも、腹を空かせたロクはもはや別の生き物である。物分かりはいいはずだが、食事が絡むとまるで飢餓寸前の獣のような執着心を見せてくるから困りものだ。たまに手作りのおやつなどを口に含ませて、フィラはたびたび窮地を凌いでいるのである。

 しばらく談笑して待っていれば、ロクたちの食卓に、注文した料理が運ばれてくる。といた卵で蓋をされたスープ、分厚い生地で包まれた蒸し料理がたんと積まれて、くたくたになった色鮮やかな野菜の和え物も添えられている。
 ガネスト真っ先に、スープに口をつけた。しばらく舌の上でたしかめて、嚥下してから、ルイルに「熱いのでお気をつけて」と促す。お行儀よく待っていたルイルは、いざ匙を手にとると、そわそわとそれを彷徨わせる。匙で掬ったスープはごく薄い肌色をしていた。透明なのをじっくりと見て、ふうふうと息を吹きかけ、ルイルも口に運んだ。

「あーん。……んふぅ、あふ、あつっ」
「! だから言いましたのに。火傷はされてませんか?」

 ルイルは首をぶんぶんと横に振って、おそるおそる飲み下してから、目を輝かせて言った。

「これおいしいね、ガネスト! 口にしたことない味がする」
「お気に召したのでございましたら、帰国した折には、宮廷料理人に作らせましょうか。香辛料は、買って帰らねばなりませんが」
「うんっ」
 
 膳が用意されてから、毒味役を挟んだりすると、ルイルの口に運ばれる頃には食事が冷め切っていることがほとんどだった。だから熱さには不慣れで、すこしばかり舌を火傷したような感触がしたが、ルイルはガネストには言わなかった。痛みがじわじわと引いてくると、このまま隠してしまいたくなった。
 ロクは、2人の様子を微笑ましく見ており、やがて身を乗り出して、口を挟んだ。
 
「ルイル、もうメルギースには慣れた?」
「うん、すこしずつね、なれてきたの。ろくちゃんたちのおかげだよ」
「そっか〜。でも、"帰国"なんて言葉聞いちゃうと、寂しいなあ」
「だいじょうぶだよ! るいる、次元師として、ろくちゃんたちのお手伝いがちゃんとできるまで、この国にいるの!」

 ルイルは誇らしげに笑って、匙に乗せたスープにふうふうと息を吹きかけてから、そっと口に含んだ。しかし見れば、ガネストは静かに匙を下ろしていて、彼の顔には一瞬影が差していた。
 ロクは気づいたか気づいていないか、どちらともつかない変わらない調子で笑みを向けた。

「ありがとね! そいえばさ、そっちはどこ行くんだっけ? セースダースより〜、ちょっと北?」
「そうです。こちらは、ホークガン街の周辺に出現していると聞く……"宙に蠢く赤い光"を追います」

 ガネストが答えると、フィラは和え物を嚥下してから続けた。

「私とロクちゃんが追うのは、ここセースダースで目撃されている……おなじく"赤い光"、ね。近辺で目撃証言が多かったから、調査に乗り出すことになったみたい。ただの心霊現象とかなら専門家に引き継けばよし。町民の見間違いならそれまで。でもその赤い影の正体がもし……"神族の瞳"だったなら、私たち此花隊の戦闘部班が早急に対処しなくちゃいけないわ。ウーヴァンニーフでのコルド副班たちみたいにね」

 フィラはロクに向けて視線を送り、ロクはこくんと頷いた。

 神族の特徴として、いま共通して言えることは、"瞳が赤いこと"である。
 神族【DESNY】と邂逅したレトヴェールとロクは、此花隊への入隊時に、デスニーの外見的特徴を──瞳が血に濡れたように赤かった、と証言している。また、神族【NAURE】にしても赤い瞳を持っていたのを、コルドと義兄妹は確認している。これらの報告を受けてセブンは、「赤い瞳」またはそれに近しいものの目撃がされた暁には、此花隊の次元師たちをすみやかに調査に向かわせるよう手配する方針を取った。

 第三班が向かうのは、ホークガン街より南で、山々の連なる山岳地帯だ。東に向けて流れている河川に沿ってひとつ山を越える。街で商いをしている隊商や、現地の隊員からの証言によれば、最近、山中に奇妙な赤い光を見かけるようになったというのだ。
 第二班が目指す赤い光は、温泉街セースダースで日夜問わずたびたび出没している。第一班が療養で訪れていた時期には赤い光の報告はなく、ごく最近の現象と見られる。

 匙を指先でぶらぶらと揺らし、メッセルはため息まじりに告げた。

「なぁんでここんとこ、神族のヤツらが出てくるようになったのかねぇ。おかげで上の連中がピリピリしちまってよ。緊張が抜けやしねぇ」
「謎……ですよね。班長も言っていました。研究部班に情報収集を急がせているようで。調査班総員、誠意調査中と聞きました」
「目撃証言ってヤツも、調査班からの報告が含まれてるだの、なんだの、言ってたような気ぃすんなぁ」

 ガネストはスープに口をつけながら、アルタナ王国からメルギースに渡ってきたときに聞いた話を思い返した。

「ロクさんたちのお話ではたしか、200年前に現れたときに……『罪を知れ』だとか『永劫の時を以て償え』などと伝えたそうですね。その数年後には忽然と姿を消した……。初めて姿を現したときと、おなじような状況が起こってしまった、と考えるべきでしょうか? 我々の与かり知らぬところで」
「う〜ん。案外、どこかから、戻ってきたとかなんじゃない?」
「もどってきた?」
「急にいなくなってさ、それからずっと現れなかったんだから、きっとどこかで隠れてたんだよ。そこから戻ってきたんだって!」

 ロクの言葉を最後に、一同は腕を組み、うんうんと首をひねった。それからは任務での動きの確認や、たわいもない世間話など、あちこちと話題が飛びながら、昼餉の時間を過ごした。

 第三班はホークガン領に入るために、北へと進路を変える。それぞれの班は飯屋を出たところで解散した。
 第二班のロクとフィラは腹ごなしも兼ねて街の中を散策した。目撃者は、セースダースの住民それから調査班の班員であり、どちらの証言も目撃した時間はばらばらで、見かけたのも街の一角だとか、散歩中に視界の端に映った、だとか、かなり曖昧だった。調査班の班員に、どのあたりで見かけたかを聞き出してみれば団子屋の傍だというので、周辺を小一時間ほど徘徊してみた。が、赤い光らしきものは見つかる気配もない。

 団子屋の店主をしている老夫婦から団子を買うと、店の横につけてある長椅子に2人して腰をかけた。ロクはあっと口を広げて、串に刺さった団子のひとつを食んだ。

「こないだ、この街の温泉入ったんだって? コルド副班とレト! 本部に戻ったときに聞いたんだけどっ。いいな〜! あたしたちも温泉行こうよフィラ副班!」
「そういえばコルド副班が言っていたわね……。でも私たち、支部でお湯いただくことになってるし、その……費用がね」
「ええー! だめかあ〜……ガッカリ」

 ロクはわかりやすくがっくりと肩を落とした。温泉なんてめったに入る機会がないし、若い女性隊員たちの間でも温泉の湯は肌に良いと噂になっているのを聞くので、フィラも声には出さずとも静かに同情していた。セースダースは地盤のあちこちから質のいい湯が沸いていて、富裕層でなくても温泉を楽しめるという売り文句が出回っている。温泉の湯面に、はらりと落ちてきた葉が浮かび、ゆったりと極楽へ浸かる自分の姿を一瞬想像しかけて、フィラはかぶりを振った。暇を出されて慰安にやってきたのではないのだ。目的は、謎の赤い光の解明だ。
 
 しかし、調査は順調とはほど遠く、日中歩き続けてみてもたいして手掛かりを掴みきれないもどかしい日々が続いた。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.138 )
日時: 2023/08/06 14:46
名前: りゅ (ID: miRX51tZ)

ストーリー性がとても抜群で尊敬します(⋈◍>◡<◍)。✧♡
更新頑張って下さい♪

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.139 )
日時: 2023/08/20 12:46
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 >>りゅさん
 コメントありがとうございます。
 今後も細々と更新して参りますので、宜しくお願いいたします(*´`)

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.140 )
日時: 2024/03/24 23:27
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第126次元 時の止む都Ⅱ

 調査が本格化してから、数日が経過した、ある日の晩。
 この日の調査を終えたロクアンズとフィラは、日が沈むと、セースダースの此花隊支部に向かう。支部といっても作りは宿屋に似ていて、扉から入ってすぐのところには食事をとるための円状の卓が転々と並んでおり、奥の階段から上へと視線を移すと、二階は班員用の休憩室や、資料室、会議室などの扉が構えていた。
 この支部には研究部班の班員と警備部班の班員が十数名ずつ常駐しているが、夜間に見回りをする警備班員が出払っていたり、研究部班の班員らも日夜会議で離席していたりと人の気配は少なく、初日の挨拶回りもほどほどに済ませられた。
 手配されている空き部屋は2人用だった。室内には、左右の壁にぴったりと寄り添っている2台の寝台と、机や棚などの最低限の家具が揃っている。ロクは部屋に入るなり、ため息をもらしながら片方の寝台に沈んだ。

「うはあ、今日も情報ゼロだよ〜……! 何日目!? こんなに捕まんないんじゃ、見間違いだったのかなあ〜……?」
「そうよねえ……街の中は一通り回ったし、大きい施設にも聞き込みが済んじゃったのよね。でもこれといって有益な情報はなし。かといって街の外れにも、怪しい物質はなかったみたい。……ごめんね、巳梅。疲れちゃったでしょう」

 フィラの肩で遊んでいた『巳梅』が、彼女の耳の下からにゅるりと紅色の頭を出した。セースダースの街の近辺には『巳梅』を放っておき、怪しい生命体を感知するか観察させてみたがそれも失敗に終わった。硬質な下顎を指の腹で撫でて、フィラは『巳梅』を労った。

「あーあ。コルド副班とレトはこんな夜に毎日、温泉入って、ゴクラクしてたのかなあ〜〜いいな〜〜」
「まだ諦めていなかったのね……」

 苦笑をこぼしてフィラも寝台に腰を下ろした。腰の装具を外しながらそういえば、とフィラが口を開く。

「幼馴染のキールアちゃん? あの子のおかげもあって、コルド副班、腕がだんだん治ってきてるって言っていたわ。すごいのね、キールアちゃんって」

 キールアの名前が出ると、ロクはぱっと上半身を起こして、表情を明るくした。

「そっか! よかったね〜、コルド副班! キールアは、シーホリー一族ならぜったいに使える『癒楽』の次元の力の持ち主だから、神族から受けた傷にも効いちゃうんだって。あたしね、それでキールアのお母さんに治療してもらったこともあって……あっ! キールアがシーホリー一族っていうのは、ええっと、えっとっ、秘密なんだけど……!」
「ふふ。大丈夫よ、聞いているわ。セブン班長も、キールアちゃんを本物の生き残りだと思っているって。戦闘部班の班員だけの内緒になるんだけど」
「ならよかった!」
「幼馴染思いなのね」
「幼馴染、って、それだけじゃないんだよ。友だち!」
「友達?」
「そ! あたしにとって、初めてできた友だち。任務が終わったら、エントリアに戻って、遊びに行こうって、約束してるんだ」

 ロクは寝台から立ち上がると、備え付けの窓まで跳ねるように近づいた。窓硝子は四角く夜の街を切り取っていて、黒と紺に染まっている。表面にはほんのりと橙の灯が滲んでいた。無邪気な横顔をするロクは、まだまだ遊び盛りの年頃だ。故郷を離れているロクにとって、旧友との再会はさぞ喜ばしい出来事だっただろう。次元師としての責務に駆られていなければ、任務などについていなければ、こんな夜にはきっと朝まで友人と語り明かしていたのだ。
 フィラも腰を上げてロクに歩み寄ると、窓の奥を一瞥して、またロクの横顔を見た。

「さて、と。ロクちゃん、すこし休憩したら、また外へ出てみない? 今度は、夜に探しに出てみましょう。もしかしたら夜のほうが捕まりやすいのかも」
「おーっ、いいね! 昼間はいっくら探しても、ぜんぜん見つからないもんね。らーじゃっ!」

 びしっと此花隊の敬礼をしてみせて、ロクは口角を吊り上げた。
 軽く湯を浴びたあと、ロクとフィラは寝室でしばし仮眠をとった。目を覚ませばせっせと支度をして部屋を出る。門の番をしている警備班に声をかけ、真っ暗な夜闇に包まれている街道に足を踏み入れた。
 日中の往来の人の多さ、騒がしさに比べて、随分と寝静まった街中には、ひやりとする風がしきりに吹き抜けていた。目の端では、野鼠やらも通り過ぎていく。
 手元から提げた角灯で、足元と周囲を、注意深く照らした。大通りはまだ、表で橙色の灯りを灯している店が多く、街道はそれなりに明るかった。だが道を外れて路地裏に忍びこんでしまえば、もう華やかな街灯も届かない。2人はそんな、どんよりと暗く湿った、街の裏側のような道をくまなく歩いていた。

 それは、突然だった。街の端にある街道に出たところで、フィラの肩の上で『巳梅』が身じろぎをした。
 『巳梅』は鱗で覆われた身体を立て、暗闇の中のある一点を、じっと睨んだ。

 フィラは眉をひそめて、ロクに合図を送る。ロクははっとしたように左目を見開き、闇の奥の、そのまた奥を注視した。
 暗闇の先にぼんやりと光る、赤いなにかを見た。
 足音を殺しながら2人はゆっくりと暗闇に近づいた。その光も気がついたのか、真っ向から向かってくる気配がした。そして赤い光の輪郭が浮かび上がった、刹那。間髪入れずロクの右腕に──電気が迸る。

「次元の扉、発動──ッ!!」

 飛び出してきた輪郭に向かってロクは大きく右腕を振りかぶった。まさに放電しかけたその寸前、ロクは、輪郭の正体を知って目をぱちくりと瞬かせた。

「へっ? と、鳥っ!?」
「き、気をつけて、ロクちゃん!」

 慌てて腕を上げて、大きく開いたロクの胸元に、一羽の大きな鳥が突進してくる。わっ、とびっくりしながらもその鳥を抱え込んでしまえば、鳥はあっけなく捕まって、ばさばさと腕の中で翼を仰いだ
 その鳥は、ロクの胴ほどはある大きさで、鮮やかな赤や青色で彩られた綺麗な翼を持っていた。嘴は先端でぐにゃりと曲がっている。メルギースでは見かけない種類の鳥だった。もっとも目立つのは、充血したように赤い2つの目だった。
 ロクの腕の中から逃れようと、きーっ、と高く鳴いたり、必死に暴れているのだが、それだけだった。ロクが困ったように眉を下げていると、遠くから男の声がした。

「あ〜! すみません、すみません! その子を逃がさないように、捕まえててくれませんか?」

 現れたのは若い商人で、頭には端の切れた真っ青な布を巻いた、変わった格好をしていた。ロクとフィラの傍までやってくると足を止めて、息を整えている。フィラは男を警戒して、ロクの前に立ち塞がった。

「こんな夜中に、いったいなにを?」
「ああっ! 怪しい者ではないんです。ええと、その、最近来るようになったんです、この街には。前来たときよりもすこし到着が遅れましたが、そう。異国の商品を仕入れていて。ここより遥か南東の、シンカンバーク大陸から、はるばると」

 シンカンバークといえば、メルドルギース大陸よりも南東に位置している巨大な大陸だ。古来からメルギースとの外交は薄く、移民族もほとんどいないため、情報の出入りが乏しい。とりわけて技術進歩がめざましい土地でもない。一部の商会や、個人商売主の中には、そんな遠方からわざわざ商品を仕入れる物好きがいるのだ。
 フィラは眉根を寄せたまま、警戒を解かずに、さらに言及した。

「事情はわかりました。ですが、このような夜中に移動するなんて」
「ですから、別の街で商売を終えて、それから出立が遅れてしまったのです」
「はあ」

 遅れてしまったのなら、なにもすぐに飛び立たずともよいのに、とフィラは心の中で独りごちた。ロクは両腕で鳥を抱きかかえたまま、男のほうに向き直った。

「ねえねえ、この鳥、お兄さんの?」
「ああ、そうだ、そうだ! 返してくれませんか? 大事な商品なんです」
「商品?」
「そうですとも。ほら、ご覧ください。瞳がとても赤くて、綺麗でしょう? ランガーという鳥でね、あっちの大陸で生息しているんですが、とても珍しいことに赤い瞳をしてたのですよ。ほかの子たちはそんなことはない。この子は特別。ほら、言うではないですか、まれに生物の中では遺伝子の問題で赤い瞳の個体が生まれることがあるんだとか! そういう特別性には値がつくものなんでさ」

 フィラは男の話を聞いて、すぐにあることに気がついた。それからわなわなと彼女の肩が震えだした。

「……あのですね、ひとつ言わせていただけるのでしたら、その子は白皮症ではありませんよ」
「白皮? いいえ、ご覧の通りでさ、身体は鮮やかなものでしょう」

 ぎろりと鋭い視線を男に送ったあと、フィラはため息をつく。そして意識していないのに低くなった声で告げた。

「ですから、あなたの言う"遺伝子の問題で赤い瞳の個体が生まれる"という事象は病気のことを指し、白皮症と呼ばれます。そういった個体には特徴があって、全身の色素が欠落しているので白い皮膚や羽毛を持っているんです。でもご覧ください、その子は、瞳の色以外は普通の個体と変わらずに鮮やかでしょう? だからその瞳が赤いのは別の要因によるもので、決して特殊な個体ではありません」
「ええっ!? そんな! では、ではなぜ赤いのですか!? それこそ、あなたも知らないような、特殊な個体なのでは!?」 
「……あの……それくらい、ちょっとこの子を見たらわかるでしょうがっ!!」
 
 フィラの口からは聞いたこともないような怒号が降ってきて、ロクと男の肩はびくびくと震え上がった。興奮冷めやらぬまま、フィラはランガーの目の当たりを指さして、言い募った。
 
「おおむね、シンカンバークで暮らしていたときに、ほかの個体と喧嘩をしてしまったのでは? ほら、目の周囲に傷ついた痕が見えるでしょう。眼球が傷ついているもしくは目の周囲の傷から菌が入り込んでしまっていると考えられます。つまり、特殊な個体でもなんでもなくて、この子は傷ついていて、いますぐにでも治療をしてあげないと最悪目が見えなくなるんです! おわかりですかっ!?」
「ひーっ!! すみません、すみません……っ!」
「これだから生き物のことをよく知りもせずに売り物にしようとする人が私は、私はー……!」
「お、落ち着いてっ、フィラ副班〜〜!!」

 ロクは、暴れかけたフィラの服の裾を掴んで、どうどう、と制した。ベルク村で白蛇の皮が売買されていた当初、村でもっとも憤っていたのがフィラだったと話には聞いていたが、なるほど合点がいった。村民たちがフィラを止められなかった理由のひとつだろう。
 フィラは、言いたいことを言ってすっきりすると、肩をいからせたまま、2人に断りもせずに街の外へと消えていってしまった。それから帰ってきたと思えば、その手には見たこともないような果実と薬草を握っており、街灯の下で腰を下ろすやいなや、人間用にと持ち歩いていた油と混ぜて調薬を始めてしまった。それからあとは、慣れたようにロクからランガーを預かって、できあがった薬を新品の布の先に浸し、眼球に触れないようランガーの目の周りにだけ塗布していく。
 ロクと男はもはや感激する以外になにも触れられず、ただただフィラのことを感心の眼差しで見つめていた。

「それにしても詳しいねえ、フィラ副班。動物の病気も知ってるんだ」
「ベルク村はいろんな動物と暮らしていたから。昔はいまよりたくさんいたのよ。いちばんはもちろん、蛇だけど。それに白皮症は人間にも起こりうるの。実際に見かけたことはないんだけどね」
「へえ〜」

 ロクは訊ねなかったが、ベルク村の周辺に生息していた白蛇の真白の皮は、それとは異なる。あの地域は昔から自然が豊かで、あまり日光が当たらなかったせいもあるだろうが、白蛇たちはもとより白い鱗を持っていた。それに鱗には、紅色の斑点があった点から、一般的な白皮ではないのだ。
 フィラから薬とランガーを受け渡された男は、毎日薬を塗布してあげるようにと口すっぱく言いつけられ、それを彼女に固く誓った。もう売り物にしようとも考えません、と男が意気消沈をして背中を丸めていたのが、なんだかロクにはおかしかった。
 
 男からさらに詳しい話を聞きだせば、この街へ足を運んでいた時期と、赤い光が目撃された時期とが見事に一致した。それから、男に団子が好きかどうかフィラが訊ねれば、彼は頷き、以前団子屋に立ち寄っていただいていた、と話してくれた。
 ランガーの首周りを優しく撫でてやりながら、フィラは深く嘆息する。

「これでこっちの噂の正体は、突き止められたわね」
「うん。向こうは大丈夫かなあ?」

 ロクは夜空を見上げて、ぐるりと首を倒し、ホークガン領の方角を見つめた。セースダースに出没していた赤い光の正体は商人の連れていたランガーだったと知れたが、さらに東へと向かった第三班も赤い光とは遭遇できているのだろうか。

 夜が明けて、ロクとフィラが商人の男と別れを告げるその一方で、ホークガン領の山麓にて第三班が動き出していた。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.141 )
日時: 2023/09/03 17:31
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
第127次元 時の止む都Ⅲ

 脈々と険しくそそり立っているホークガンの山の麓、広々とした扇状地で慎ましやかな人の営みに迎えられ、第三班は数日ぶりに荷を下ろした。視界いっぱいの草原の端を埋め尽くす果樹園に、上流から流れ着いた緩やかな川の水が太陽の光を反射して、この地で生活する人々にかすかな潤いを与えている。サンノと呼ばれる集落だった。
 煉瓦のような立派な物資で拵えられた建物は、この集落にはなく、ほとんどの家屋や店が、組み木でできていたり、石を積み立てて布を被せるのみで成り立っていた。
 第三班の面々を一晩泊めてくれるような民家もあったりと、サンノの住民はよそ者の来訪には好意的だった。
 
 もう数日、馬を走らせて山なりに北上すれば、目的の地点に到着できる。が、旅が続くので、食料や必要物質の買い足しに出なければならなかった。
 一泊した民家で朝食をいただいてから、ガネスト、ルイル、メッセルの一行は商店へと足を運んだ。ガネストが店主らと交渉しているのを遠目にしながら、石壁を背もたれにメッセルは感心していた。

「ハァ。あいつぁ、利口だな。なーんも言わなくても買い物が済んじまう」
「めっせる副班は、買い物きらいなの?」
「俺ぁ、売るのは得意だったが、買うのはちとな。すぐ余計なもんがほしくなんだよ」
「そうなの」
「おうそうだ姫さん、飴いるか? 喉渇いたろ」
「いるっ! いいの? いいの?」
「あいつにはナイショな。お前さんを甘やかしすぎっと怒るんだ、あのガキゃ」

 メッセルは無邪気に歯を剥き出しにして、しーっと口の前で指を立てた。ルイルが嬉しそうに受け取った大粒の飴玉は、セースダースの菓子屋でこっそり買い込んだものだった。
 買い物を終えたのか、ガネストは手に革の袋を提げてメッセルたちのもとへと帰ってくる。

「お待たせしました」
「お、済んだか?」
「ええ。滞りなく。それと、ついでに何人か捕まえて訊ねてみましたが……赤い光の噂について知っている人はいませんでした。人の出入りが少ない集落のようですから無理もありませんが」
「おつかえさま、がねふとっ」
「……。なにか与えましたか」
「ギク」

 祖国を離れメルギースの地に足を踏み入れたとあらば出自は一切もらしてはならず、此花隊の関係者以外に勘づかれてもならず、王女殿下の口に入るものはたとえ飴玉一粒であっても把握しておかなければならなかった。それが側近ガネストの仕事の一つでもあるのだ。第三班の顔合わせの際に、ガネストは次元師である以前に王女殿下の側近であると身分を説明し、メッセルにも細心の注意を払うよう協力を仰いでいたはずだった。はずだったのに、釘を刺しても刺しても隙あらばルイルを甘やかそうとする、このいかにも島育ち風の信用を置きかねる大男の耳は飾りなのではなかろうか、と疑いたくなる日もあった。
 軽くメッセルに小言の二つや三つ投げていると、ルイルの姿を見失った。すかさず周囲を見渡して、ガネストははっとした。

「ルイル? ……あ」

 商店の店主やら、集落の人間たちに囲まれて、ルイルは手遊びを披露していた。芸術の国アルタナでは細い綿糸一本でも、立派に芸が披露できて、アルタナの子ならだれでも遊び方を心得ている。指と指の間に綿糸を通して見事な模様を作り出すルイルに、人々は関心の声を寄せていた。子どもに教えてやってくれなんて言われて、また彼女の周りに人が増えていく。
 危なげはなさそうだと、ガネストは息をついた。

「……」
「いいじゃねえの、騒ぎ立てんのは、よくねぇんだろ? 異国の王女様ってぇのは、秘密なんだからよ」
「わかっています」

 輪の中心から、それとなくルイルを引き抜いて、3人は厩舎まで馬を迎えに行った。荷物をまとめ始めてからほどなくして、サンノの緩やかな空気に別れを告げた。

 山川に沿って余裕を持たせながら馬を歩かせていけば、豊潤な緑の地肌に出迎えられる。ときおり、ルイルが前のめりになって大自然を仰ぐのを、ガネストがやんわりと支えながらの旅になった。地面の傾きが緩やかになってきた頃には夕陽が落ちかけており、あたりに害のありそうな獣の気配がしないのを念入りに確認したあとで、天幕を張る準備に取りかかった。

 かすかに響いてくる虫の鳴き声を遠くにして、先に体力の尽きたルイルを寝かしつけた。寝心地のよさは、アルタナの宮廷にある私室の寝台とはまるで比べ物にならないだろうが、彼女がとっぷりと寝入るまでにそう時間はかからなかった。
 天幕の外で焚いた火を囲み、メッセルは道中に採集した山菜の選別に手を忙しくさせていて、ガネストは見慣れない書物に目を通していた。
 メッセルは天幕を振り返って、言った。

「すっかり慣れちまったなぁ〜。最初の頃なんかは、野宿なんてしたこともねぇ箱入りだからよ、イヤイヤって騒いじまって大変だったよなぁ」
「ルイル殿下はご立派です。次元師である運命を受け入れて、この国の力になろうとしておられますから」
「お前さんは、あんましそういう風には見えねぇな」

 ガネストは虚をつかれたものの、紙面に注いだ視線は外さずに、一拍を置いてからしっかりと問答した。

「僕にとって最重要の任務は、ルイル王女殿下がお役目を果たしたあと、無事に我らの国へお連れすること……ですから。そのためには、次元の力を振るうことも厭いません」
「そのためねぇ〜。まいろいろあるわな。どうだぃ、俺と酒でも交わすか」
「いいえ。任務に支障をきたします」
「あっそう。……ところで、さっきからなぁに読んでんだぁ?」

 メッセルは手を止めて、大きな体をさらに屈むとガネストの手元に視線を落とした。

「これは、定期連絡です」
「てーきれんらくぅ?」
「アルタナ王国からこちらへ送られている使者を介して、報告を受送信しています」

 メッセルは豆粒ほどの目をぱっちりと開いて、あんぐりと開けた口元から、噛み遊んでいた草花が落ちたのにも気づかずに、さらに前のめりになった。

「お前さん……えぇ? いつからだ、そいつは」
「もちろん、こちらへ渡ってきてから……初めからですよ。この国でなにかあってからでは遅いですから。先んじて、優秀な者を何人かこちらへ手配し、此花隊の活動範囲内で待機させています。サンノの使者に会ったのは初めてでしたね」
「どいつがどこにいんのか、わかんのか!?」
「い、いいえ。まだ、この国の地理には、把握しきれていないところもあるので……方角と、範囲をある程度、頭に入れているだけです」
「すげぇ〜なぁ。ま、この国でなんかあっちゃ、国際問題に発展しちまうわな」

 がはは、とメッセルは大口で笑っているが、なにかあってからではまったく笑い事にならない。ガネストはそれを十二分に理解していた。友好国なのだからなにも秘密裏に使者を送らずとも、メルギースの政会上層部に話を通せばよいのだが、ライラ子帝殿下の御心とあっては首肯せざるを得なかった。話を通せば、もしかすると使者に紛れて、政会の人間が守護を大義名分に過剰に接触してくるとも限らない。ライラがそれを懸念したのでは、とガネストは推察していた。
 ガネストを含め、この国にはルイルを守護するよう動いている人間は極端に少ないのだ。

「僕は次元師である以前に、ルイル王女殿下の側近です。なんとしても、彼女を守る義務がある」
「……ヒュ〜。若ぇのに、大層なこったな。そら、お姫さんを守るにゃ、必死にならねぇとなぁ。気ぃ張りすぎんなよ」

 大きな手指を広げて、メッセルはガネストの背中を力いっぱい叩く。小さくガネストが悲鳴を上げるのも構わず、メッセルは夜空に向かって豪快に笑い飛ばした。この男とはことごとく調子が合わないのだが、悪い気がしないのだから不思議だ。

「……承知の上です」

 メッセルは満足そうににっと笑い、ひとつ伸びをして、番をガネストに任せると外に敷いてある布の上にさっさと寝転んだ。横に広い体が布の端からはみ出ているのを見やってから、ガネストは焚き火に視線を戻す。使者から受け取った伝書の、最後の一文にまでじっくり目を通し終えると、それをたたんで、火にくべた。
 紙は、端からじんわりと火に食われていく。黙々と考え耽るにはちょうどいい夜だった。

 さらに幾日かかけて、緩やかな傾斜になっている山道を登っていくと、道が開けた。周辺は、ようやく商隊が抜けられるに叶う平坦な地面の広がりを見せてくれるようになった。しかし同時に、異様な白い霧と冷気が、全身を絡め取らんと立ち込めていて、緊張を辞さなかった。
 行き先を迷わなかったのは舗装された道を運よく見つけられたからだったが、人の気配は一切せず、こんこんとした静けさに招かれるままその地に辿り着いた。

 霧の立ち込める中、建物らしき輪郭を視界の先に捉えて、道なりに歩を急がせる。いの一番に足を踏み入れたガネストは、目に映る光景を前にして、息を呑んだ。
 
「ここは……」

 建物の上半身が崩れ落ち、横たわっては、街路だったと思わしき道を豪快に塞いでいる。そのような瓦礫と化した石材や煉瓦、木片の山がそこかしこで無造作に積み上がり、それらが建物の一部だったであろうこと以外には、もはやなんの情報も持っていなかった。建物だけではない。立派な太い街路樹も、幹の表面は灰色で、水の味を覚えてはいなさそうだ。

 正気のない、すでに十何年も昔に死に絶えたような荒廃都市はこの日、時久しく来訪者を迎え入れた。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.142 )
日時: 2023/09/27 08:08
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第128次元 時の止む都Ⅳ

 ガネストは膝をたたんでしゃがみこむと、石畳の表面を撫でた。立ち上がって、霧に覆われた街をぐるりと見渡す。言葉を失っているガネストの隣で、メッセルが大きな声をあげた。

「ここ……そうかぁ、こいつは驚いた! ここに着いちまうのか」
「ここは? どこなの、めっせる副班?」
「あぁ。東で一番でけぇ都市だった。水と霧の都、サオーリオ。いまじゃ見る影もねぇなぁ」

 ホークガン領の東の一角にはかつて、サオーリオという都市が存在していた。街中の至るところに水路が引かれ、北側から吹き込んでくる冷風によって霧が立ち込める"水と霧の都"。先の戦争で受けた被害がもっとも甚大な地域で、すでに街としての機能は完全に失われている。いまとなっては住居を持たない浮浪者たちの溜まり場だ。当時サオーリオで暮らしていた者たちのほとんどは死亡し、生存者はホークガン街で受け入れられた。領主のディオッドレイ・ギルクスは、戦後から一度もこの廃都を訪れておらず、手つかずの状態が続いているのだという。

 サオーリオの壊滅によって難民となった者たちの中でも、ホークガンへの引き入れを拒否した者がごく一部存在した。喧騒の街とは肌が合わなかった。のどかに暮らせる土地を見つけだして細々と暮らし始めた人々がいるそこは、彼らによってサンノと名づけられた。
 物々しい景観と、寒々しさに気圧されたルイルが、ガネストの服の裾をぎゅっと掴んで、彼の背後に身をひそめた。
 
「ジメジメしてる……ひとのこえもしないよ、ガネスト。ちょっとこわい……」 
「離れないでくださいね」
「うん」

 廃材の山肌に細い脚をした蜘蛛が、這っていた。家の中はどこも、戦火に呑まれた日からそのまま時間が経過していて、倒れた家具を正したり、潰れた果実を棄てる人間はいない。三人はサオーリオの街の中を歩き始めた。視界が悪いので、目を凝らしながら慎重に赤い光を探してみるが、明かりらしい明かりは灯っていない。
 過去、食糧庫として扱われていた倉庫の戸から、メッセルが鼻をつまみながら顔を出して、言った。

「だめだ、だめだ。動物の死骸しかねぇや。っかしなぁ〜。いまじゃ、浮浪者どもが溜まってると聞いてたんだが。人っ子ひとりいやしねぇじゃねぇか」
「この街にはもう食糧はありませんし、雨風を凌ぐ家屋があるだけのようです。気温も一段と低いですから、この時期には寄りつかないのかもしれません。上等な糸を使った織物もありましたが、ほとんど虫に食われています」
「昔はもっと華やかで、活気のある街だったけどなぁ」
「赤い光……この街でも出現するのでしょうか。見る影もありませんが」
「それに、ヤな空気だな」

 赤い光どころか、人工物の灯りさえなく、吐き出した呼気は冷やされて白く煙った。ぎらりと視界の端でなにかが光って見えて、ガネストは路地裏に視線を送った。外套の裾を静かに揺らしながらそこへ近づけば、硝子瓶の破片が、路地裏の影からはき出されていた。
 目を逸らして、街路へ視線を戻したときだった。
 白い霧は一層深まって見えていたはずの二人の姿を覆い隠してしまっていた。

「──。ルイル、そこにいますか?」

 眉をひそめるガネストの頬を白い霧が掠めていく。彼を取り巻く景色はすっかり霧に呑みこまれ、前後の判別がつかなくなった。ルイルを見失った焦りからかガネストは額に汗を滲ませ、力任せに喉を締め上げた。

「ルイル! ルイル王女殿下っ!」

 返事がない。地を這う風の声に嘲笑われているような、嫌な感覚が肌に纏いつく。ガネストはいてもたってもいられず駆け出して、白い霧に覆われた視界の中をひた走った。何度もルイルの名前を呼んだが、返ってくるのは風の声だけだった。
 この白い世界から抜け出せないのではないか、そんな出口の見えない恐怖と主人の安否がわからない焦燥感とに苛まれていたガネストにとって、ついぞ視界の奥からぼんやりと浮き出した縦長の輪郭は、まさしく唐突に現れた異物だった。はたと足を止めた彼は、肩で息を整える。緩やかな足取りでその輪郭の正体を確かめにいった。

 霧が晴れてくる。すると明瞭になっていく景色が真っ先に教えてくれたのは、サオーリオ街の石の門から首を伸ばしている建造物の外壁だった。
 草木の匂いが鼻腔を掠める。
 ぬかるんだ土を踏み締めている。
 頭上から鳥や虫の合唱が遅れてやってくる。
 ガネストは死人のように数歩、足を運んで、街に踏み入ってから、項垂れるがまま地面を見た。乾いた石畳の表面を凝視してそれから、眼前に広がる街の景観を見渡す。すぐ傍でだれかが足を揃える靴音を聞いて、はっとして顔を上げれば隣には、メッセルとルイルが立っていた。
 言葉を失っているガネストの隣で、メッセルが大きな声をあげた。

「ここ……そうかぁ、こいつは驚いた! ここに着いちまうのか」
「ここは? どこなの、めっせる副班?」
「あぁ。東で一番でけぇ都市だった。水と霧の都、サオーリオ。いまじゃ見る影もねぇなぁ」

 ──既視感、だ。

「え?」

 ガネストは目眩を起こしてしまいそうになり、正気を保つのに必死だった。たった数十分前にも行われたやりとりをメッセルとルイルが繰り返し口にした。無邪気にもルイルは、メッセルやガネストの傍を離れて、きょろきょろと首を回している。ガネストの傍に戻ってくると、彼の服の裾をぎゅうと掴んだ。

「ジメジメしてる……ひとのこえもしないよ、ガネスト。ちょっとこわい……」 

 つい先刻にはなんて返していただろう。いや、そもそもなぜまったくおなじ表情で、まったくおなじ言葉をかけてくるのだろうか。ガネストはいったいなにが起こっているのか皆目見当もつかず、白く霞んでいる現実に一人戸惑っていた。

「離れんなよー、嬢ちゃん」
「うん」

 ガネストが、ルイルの声に返答をせずにいると、メッセルがやれやれと肩を竦めて代わりを務めた。明らかに様子のおかしいガネストを見て、メッセルが言った。

「やっと気づいたか」

 メッセルは長めに息を吐き出した。打たれたように顔を上げたガネストは、戸惑いを隠せず、メッセルの言葉に食いついた。

「……え? 気づいた、って」
「気づいたんだろ。この街の異変」
「め……メッセル副班、あなたは」

 ガネストの問いかけに、メッセルは何拍かの間、答えなかった。しけった髪の毛を乱暴に掻きながらまた息を吐いた。

「50回くれぇか。正確には53度目。もうそうしてずっとやってるぜ。つっても俺が気づいたのが何回目なんだかなぁ……本当のところは何回繰り返してるか知らねぇ」
「繰り返し……」
「あぁ。おなじ時間を、延々と繰り返してる」

 食んでいた葉の茎を雑に吐き出して、メッセルはそれを踏みつけた。ガネストはその真剣極まりない横顔を見て息を呑んだ。

「気ぃつけろよ。いるぜ、ここ。なにかが」


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.143 )
日時: 2023/10/08 16:39
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第129次元 時の止む都Ⅴ

 時間が、進んでは巻き戻っている──。半信半疑だったガネストは、メッセルから東の方角にある一軒家に行くように言い渡されて、そこで見た。床にぶちまけられた腐ったスープを、舌先で舐めている一匹の猫だ。体は痩せ細り、いまにも手足が折れそうなその野良猫はついぞ床の上に倒れると、事切れた。小さな命が果てるのを見ていれば彼の周囲を白い霧が包み込んで、ガネストは気がつけばまた、サオーリオ街の入り口で突っ立っていた。
 街の景観に興味津々なルイルをメッセルに任せて、ガネストは脇目もふらず東の一軒家に足を運んだ。そこには、さきほど命を落としたはずの痩せた猫が短い舌を伸ばして、腐ったスープの水面を舐めとっていた。
 一度時間を止めた生命が、ふたたび動き出すなんてのは夢物語だ。メッセルの言った通り、時間が巻き戻っていると納得するほうが早かった。

 原因を探るため、警戒を解かずに街を歩き回ること、4回。ガネストが街の異変に気がついてから4回、時間の巻き戻りを経験したが、街にはなんの音沙汰も訪れず、一定の時間が経過すると霧に包まれてしまう。その繰り返しだ。5度目にして、ガネストはかなり参ってしまっていた。
 ルイルはというと、一向に気がつく気配がなかった。次元師としての力量の違いだろうと、彼女に聞こえないように、メッセルはぼやいていた。

(次元師としての、力量の違い……)

 ガネストが街道に立ち尽くして考えに耽っていると、厩舎だったであろう崩れかけた小屋からメッセルが顔を振りながら出てきた。

「だめだ、ここもハズレだ。……あぁ〜、見れるとこは、あらかた見て回ったぜ! けどよ、怪しいモンはねぇし、ただつまんねぇ街並みがあるだけだ。何回繰り返したって変化ひとつありゃしねぇ」
「変化……?」
「特異点、つぅやつだ。どんだけみてくれが完璧にできたもんでもよ、弱いとこはあんだよ。そこを突かれたら簡単に崩れちまう。俺の壺はそういう弱ぇとこが、若ぇ頃はよくあって……」

 関係のない話題へと移り変わってから、ガネストはもう一度考え込んだ。周囲をぐるりと見渡してみても、変化はない。この街に変化がないのだとしたら、いったいどこに出口があるというのだろう。街から出ようと試みたこともあったが、すぐに白い霧に包まれてしまって、どう歩こうとも街の門前に辿り着くだけだった。
 頭の片隅で、なにかがちかちかと明滅している。思いつきそうなのに、それを手に掴むことができない──もどかしさに苦しんでいれば景色はまた白一色に包まれて、それが晴れてくる頃には、3人はサオーリオの街門前に立っていた。
 6回目、だ。ガネストはもう外壁を見上げる力もなく、街の中へと足を踏み入れた。

(……いけない。顔を上げなくては。視野が狭まっては本末転倒だ。もっと広い目で状況を見据えないと……)

 自分を鼓舞するつもりで、空を見上げた。そのときだった。ガネストは、はっと、息を吐く。
 街の空に浮かぶ太陽と月が赤く染まっていた。
 太陽と月は空の上で臨場し、赤々と燃えているではないか。ありえない。それらは代わる代わる上空に現れるのであって、仲良く隣り合う天体ではない。そしてどちらも不気味な赤色をして瞬いているのだ。

 どんどんと、突然胸の内側で心臓が暴れだす。ガネストは空を見上げたまま硬直し、自然と声をもらしていた。

「まさか……」
「どうしたぁ? なんか見つけたか」

 『扉』はとっくに解錠してある。ガネストは震える手で革の拳銃嚢から二丁の『蒼銃』を引き抜くと、それの銃口を、まっすぐ空へと向けた。

「ガネスト?」

 ルイルがこちらを振り向いて、不思議そうに小首を傾げた。それとほぼ同時だった。

「──四元解錠、"真弾"!」

 引き金は引かれ、同時に発砲された二つの弾筋が、瞬く間に空を突き抜けていった。発砲音が響くとともに街を覆っていた白い霧も一気にかき消される。晴れ渡った空を見上げ、弾丸の目指す先へと釘付けになった3人は、2つの赤い光が砕け散るのを目の当たりにした。
 赤い光の粒子がはらり、はらりと、空から落ちてきて、3人の頭上に降り注ぐ。しばしの静寂があたりを包みこんだ。心臓の音が収まってくると、ガネストは結んでいた口元から小さく息を吐きだした。

「霧が……晴れた、ようです」
「な、なん、だったんだぁ……? あの赤い星はよ。どうなってんだ」
「わかりません。でもきっと、これで……」
「ガネスト」

 背筋が凍るような感覚。ぞっと、それは足元から這い上がってきて、ガネストは即座に、ルイルの声がしたほうへと振り返った。すると彼女は棒きれのように立ち尽くしていて、彼女の体より何倍も大きな影に包み込まれていた。

「……この人、だあ、れ」
 
 聳え立っていた。十尺はある長躯、全身が長い裾の布織物で覆われた、悍ましい何か、が。
 ルイルの頭上から濃い影を落とし、息づいている。
 人ではない。


 目深に被った頭巾の下に、二つの赤い目玉が浮かんで見えた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.144 )
日時: 2024/12/04 23:12
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第130次元 時の止む都Ⅵ

 神族。
 全身の血に混じった次元師としての本質が、"そう"だと、内側で荒波を起こしている。

 天地の神と謳われた【NAURE】を討伐したコルド、そこへ臨場したロクアンズとレトヴェールらの目を通して記された報告書の文字列をなぞるだけでは、まるで御伽噺を読み聞かされているかのように実感がなく、今日この日を迎えるまで、ガネストは神話を信じ崇める者の心情を知り得なかった。
 首筋に電流が走り、血流が激しく波打つ。
 強すぎる光に眼球が焼かれ、頭蓋に激音が響き渡る。
 濁流のごとき激しさで感情の渦に呑まれて、呑まれて、正気でいる、などと──。
 ガネストは無我夢中で引き金を引いた。目の前のそれを破壊したかったのか、魅入られるのではと恐れたのか、真実は弾丸の飛び出す破裂音に、掻き消された。
 
 十尺はあるその化け物は、撃たれた衝撃で上半身を仰け反らせた。と同時──。

「──馬、鹿野郎がッ! 伏せろッ!」
「!」
「六元解錠──"絶豪ぜつごう"!!」

 メッセルの鋭い声が脳みそに響き渡り、刹那。化け物を隔てるように『盾円じゅんえん』が地面の下から飛び出した。幅のある大きな盾は、両端のへりを伸ばし、瞬く間に、化け物の視界から三人の姿を覆い隠していく。
 盾を半球形に婉曲させ、対象から自身らを隔絶する次元技、"絶豪"。次第に完全な半球形となると、あたりは闇に包みこまれた。呼吸音だけが静かにこだまする。
 襲撃に備えて身構える。心臓が早鐘を打つ。汗が顎の先から落ちる。身構える。脚が震える。身構える。
 そうして緊張が頂点に達したまま、闇の中で息を殺していると、頭上からふいに、声がした。
 小さく啜り泣くような、声だ。わずかだが声が降ってくる。

「……え?」

 ガネストは顔を見上げた。"絶豪"の天井の部分を越して声は聞こえてくる。男とも女とも、若人とも老人ともいえない奇妙な声色で、わずらわしく涙声を降らし続けているのは、神族だというのだろうか。
 決して騙されてなるものか。
 ガネストが固く決意し、じっと身を潜めている傍ら、忽然と姿を消している者がいた。彼は頭上にばかり注意していて主人の足音に気がつかなかった。

「ガネスト、めっせる副班」

 だから"絶豪"の外側からルイルの声が飛んできて、二人は激しく肩を震わせた。想像したくない光景が物凄い速さで脳裏をよぎる。ガネストはがちがちと奥歯を鳴らし、返事さえままらなかった。

「出てきて、ねえ」

 心臓の音が大きくてうまく聞き取れなかったガネストは、壁越しのくぐもったルイルの声がわずかに困惑しているのにも気づかなかった。

「泣いてるの……この、おっきなひとね、ずっと、泣いてる。……おそってこないよ」

 ガネストの頬の上を、一筋の汗がつう、と滑り落ちた。そのとき、だれかに肩を叩かれてびくりと身を震わせた。暗がりに慣れてきた目がメッセルの表情を映し出して、彼が黙って頷いたのが見えた。ガネストもゆっくりと頷き返して、二人は緊張の中、息を顰めた。
 "絶豪"を解除し、溶け出した盾の壁の向こうに現れたのは空を見上げているルイルと、彼女の目の前で首を垂れて、さめざめと泣き続けている十尺の化け物の姿だった。
 ガネストとメッセルの姿を認めると、ルイルはくるりと顔をこちらへと向け、ほっと安堵の息をついた。
 目深に被った頭巾の下から漏れ出ている小さな泣き声にうんざりとしながらメッセルがいっとう低い声で告げた。

「……何のつもりだ、なぁ、お前さん神族だろう。騙そうったってそうはいかねぇ。俺の血がそう言ってんだよ。悪ぃが警戒は解かねぇぜ。その嬢ちゃんからいますぐ離れろ」

 腹の底から響く低音が、あたりにぴんと緊張の糸を張る。十尺の化け物は緩慢な動きでルイルを見下ろして、じっくりと間を置いてから、ようやく言葉のようなものをこぼした。

「ああ、その……妾は……嬉しいのです……なにぶん……二百年ぶりに、こうしてお外に……人間様にも……お会いできたのでございますから……」
「あなたは……だあれ?」

 ルイルはこわごわとしながらも、はっきりとした口調で目の前の存在に問いかけた。
 化け物の顔にかかっている頭巾の陰の下から吐き出された声は想像よりもずっと美しく、声色だけで絆されてしまいそうだった。

「我が名は【IME】(アイム)……創造神ヘデンエーラよりめいと肉体を賜った、"時間"を司る神にございます」

 ガネストは、はっと目を見開いて、声にしていた。

「時間……──」
「ははあ。お前さんがやってたっつうわけだな。この街の、時間の繰り返しをよ。……なんだって、んなことをした」

 緊張の糸はまだぴんと張っている。つゆ知らずアイムと名乗った神族はゆったりとした動作で、霧の晴れた夜空を見上げて、長い腕をまっすぐ空へ向けて伸ばした。長らく眠っていた動物が、目覚めて体を起こすように、無防備な動きだった。

「失っていた力が……戻って参りました……二百年ぶりですから……どうにも制御がきかなかったのです……」

 冷たい風が吹いて、アイムの顔を覆っていた頭巾が首の後ろへとなだれ落ちた。アイムはそれから、三人を見下ろした。白い肌に、広い額、極端に低い鼻、それに口のような穴が眉間のあたりに開いていた。人間とはまったく異なる、まさに化け物と呼ぶに相応しい相貌だ。そして二つの赤い瞳に、白い虹彩がぎらぎらと輝いていたのだった。ふいにガネストは、その魅惑的な白い虹彩に釘付けになった。
 ノーラの瞳は十字の形で、虹彩もまたおなじ形をしていたと報告書には上がっていた。しかしアイムの瞳には、"白い円"が描かれている。ちょうど真ん中を、さらに小さな丸でくり抜いたような模様だ。

(おなじ神族でも、姿形はだいぶ異なる……。ノーラは襲いかかってきたがこの神は……)

 ガネストは問いかけながら、指の先で引き金に触れていた。

「二百年前に……貴方がた神族が現れ、この国の民と戦争を始めたとお聞きしています。間違っていませんか?」

 アイムはそれを聞くと、十尺ある体を屈めてガネストに顔を近づけ、穏やかな声色で答えた。

「はい」
「……と、当時のことを覚えているのですか? なぜこの国の人々は、貴方がた神族に憎まれなければならなかったのです? そしてなぜ、戦時中に忽然と姿を消してしまったのですか」

 果たしてどこまで答えるのか──。ガネストはもはや、茨の道を素手素足で突き進んでいるかの如く心地だった。メッセルは黙って警戒していた。

「それが……妾は……覚えて……おりません……【信仰】様より、命が下ったのです……そのあとはどうしたのか……目を覚ましたかと思えば……このような土地におりました……」
「【信仰】様……とは?」

 聞き覚えがある。ガネストの脳裏ではまた、報告書の紙面が捲られていき、行き着いたのはノーラが消滅する寸前の発言の記録だった。「【信仰】を殺せ」とは、どんな思惑があって、コルドらに伝えられたのだろう。その真意を掴めるやもと、ガネストは前のめりになった。

「教えてください、神族アイム」
「その……我々を統べるのは……はい……【信仰】様でございます……秩序を持ちこの世を統治する人間様を守護するため……我々六柱の神族は……母なる創造神ヘデンエーラ様より……生み出されました……ですが【信仰】様が……ひどく……お怒りになられて……それから……記憶しているものがないのです……人間様と戦を起こしたことは……ええ……存じ上げて」

 微細に話の筋が逸れている、とガネストは奥歯を噛み締めた。【信仰】の正体とはいったい何なのか。かの神族の怒りの原因はどこからやってきたのか。なぜノーラは、神族を統べるその【信仰】とやらを殺せと言ったのか。ガネストはさらに問い詰めたい気持ちが逸っているのに、アイムはまるでそれには気がついておらず、何気なく話を続けた。

「六柱……ああ、いいえ……七……」

 そう思いついたように口にした、次の瞬間だった。

「ぁ、ぁ、あ、ぁ」

 アイムの様子が急変する。体を小刻みに震わせ始めたかと思えば、嗚咽のような醜い声を短くもらし、頭を振りながら不安定な足取りで揺れ動いた。
 白い肌膚の一部が変色する。

 次第に、日向が影に飲み込まれていくみたいに、真白の肌を灰色の闇が覆い尽くした。
 
「信仰しろ」

 まるで、呪いの言葉。
 機械的でしかなかった報告書の文字列が現実に映し出される。ガネスト、ルイル、メッセルは悟った。逃れられない高波が眼前に、唐突に、聳え立ったのだ。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.145 )
日時: 2024/04/07 12:57
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第131次元 時の止む都Ⅶ

 激しい警鐘が頭の中に鳴り響いた。動きだしたのは、メッセルがだれよりも早かった。いの一番に、五元級の巨大な盾を惜しみなく展開し、アイムが振り下ろした大腕の襲撃に受けて立つ。直後、鋼のごとく硬い盾の表面に、激しい衝突音が叩きつけられた。

「備えろガキども! ガネスト、常に構えてろ! おめぇが攻撃の要だ! 時間を操ってくるってんだ一秒も気抜くんじゃねぇ! 一瞬で持ってかれるぜ!!」
「は、はい!」
「チ……! 俺ぁよ、コルドほどやれる自信ねぇってんだ……!」

 衝撃の余波で、噛み潰していた葉茎がちぎれて舞い上がった。  
 『盾円じゅんえん』。たとえ槍が降ろうとも、鉄の塊が降ろうとも、何人たりとも侵入を許さない、防護に絶対特化した"盾"。それがメッセルの有する次元の力だった。守護に長けている反面、攻撃手段をほとんど持たず、だからこの班で主力に置くべきは銃撃を得意とするガネスト・クァピットだとメッセルは班編成を言い渡された日からわかってはいたものの、深慮していなかった。メッセルもコルドとほぼ同時期に声をかけられ戦闘部班へ異動してきたとはいえ、先述の通り防御に特化し、戦闘能力の劣る次元師だ。次元師だからという理由ひとつで、同期のよしみで、セブンが買い被っているだけだ。
 だというのに、まさか天下の神族──その一柱に遭遇してしまうとは。メッセルの頭の中はとっくに冷え切っていた。

(こいつぁ、心臓タマぁあんのか……!? なけりゃマトモに闘っても適わねぇぜ。──だがやらねぇわけにもいかねぇ。無力化、が最善手だ!)
 
 ドン──と、さらに足元が激震する。ただもう一発腕を叩きつけられただけだ。だのに、地面が、空気が、震え立つ。何度も何度も繰り返し大腕が振り下ろされ、次第に、頭上に展開した『盾円』から嫌な音が降り落ちた。

「クッソ、重いな……チクショウ! 能力なしでこの威力かよ! さすがに図体でけぇだけあんなぁ!」

 口の中に残った茎の根を雑に吐き捨てて、メッセルは額に汗を滲ませながら、叫んだ。

「ガネスト! こいつぁもうもたねぇ、一旦解くぜ! イイ感じに奴のドタマぶち抜いて、隙を作れ!!」
「……わ、かりました! メッセル副班長、解いてください!」

 照準。合わせて一瞬の、後。視界を埋め尽くす盾の裏面が火をあてられた鉄のようにどろりと溶け出して、いびつな穴が開く。その穴は敵にとっても絶好の急所になるだろう。そこを穿てば盾は一瞬にして粉砕できてしまう。大腕は即座に空へ向かって掲げられ、そして、急速落下した。
 引き金を引く音が立つ。

「──四元解錠! "真弾"!!」

 刹那。細い穴を通り抜けた二発の弾丸が、アイムの頭部を穿つ。頭部が後ろへのけぞり、巨大な体がわずかに傾いた。
 瞬きをした。
 次の瞬間だった。

「え?」

 ガネストの視界が翳る。視界は開けたはずだったのに。傾いたと見えた巨大な腕が、ガネストの眼前を黒に染めあげて、その向こう。わずかに見えた。いいや、見えなかった。アイムの頭部に撃ち込んだはずのその二つの弾痕がなくなっていたのだ。

「──っ!」
(時間を……巻き戻された──!?)

 声を出すことさえ阻まれて、ガネストは神の大腕に薙ぎ飛ばされる。小さなごみを払うような緩慢な動きだったそれで、しかし彼の身体は横跳びし、崩れかけた家屋の壁に突き刺さった。石造の壁は脆くも、彼とともに崩れ落ちた。

「ガネストっ!」

 ルイルが悲痛な叫び声をあげ、大きな音が立ったほうへと顔を向ける。すぐに、ガネストは瓦礫をのけて顔を出し、額から流れ落ちた血の一筋を拭うよりも先に、メッセルに向かって声を張った。

「ぼ、くに……構わず! それよりも、ルイル王女を……!」
「わあってるよっ!」

 手早くルイルのことを抱き上げて、雑に脇元に抱え込むと、メッセルは彼女の顔を見下ろして言った。

「いまだけ許してくれや、お姫さん。ちゃぁ〜んと捕まってろよ!」
「う、うん」

 メッセルは、次に十尺の体から生える巨腕の大振りが投下されるだろうと、予感していた。そして予感は命中し、神の巨腕はすぐにメッセルとルイルに襲いかかった。間一髪。出力大の打撃が降り注ぐより前に、メッセルはルイルの頭部を腕で覆いながら横跳びして、撤退した。
 爆風のような余波がメッセルの背中を押し出して、地面の上を勢いよく転がっていく。アイムは手応えのなかったのをすぐに感じ取ったのか、体の方向をゆったりと正して、立ち上がろうとするメッセルとルイルの頭上を目がけてふたたび巨腕を振り上げた。

「こっちだ、アイム! 四元解錠──、"真弾"!!」

 二発、弾丸が放たれる。アイムの背後から飛んできたそれは肩を撃ち抜いた。だが浅い。ぐるり、と頭部をひねって、アイムは頭巾の下で輝く赤い眼でガネストを凝視した。巨腕は簡単に持ち上がって、また、ガネストの頭上に濃い影を落とした。ごう、と風を叩き切る音がしたかと思うと、強烈な一打が石畳の地面に突き刺さった。
 土埃を纏いながらガネストは危機を脱し、訓練で身につけた通りに受け身を取った。すかさず『蒼銃』を構える。しかし息つく間もなく巨大な影が迫ってきた。撃つが早いか、打たれるが早いか、一瞬の迷いのあと、ガネストは銃身を下げて後方に飛び退いた。巨腕はまたも標的のいない地面を殴打した。しかし、よほど頑丈な体なのだろう、まるで動きが鈍くなる気配がない。
 
 神族の体の頑丈さは、人間はもちろん、元魔をも凌ぐ。この神族【IME】も例外ではないが、しかし、アイムの一挙一動は操り人形がごとく単調だ。注意すべきは時間の巻き戻しだけといっていい。
 その過剰な警戒が仇となる。ガネストは、アイムの動きを注視するあまり周囲が見えていなかった。荒れ果て、立派な道のない街中は、折り重なって横たわる木々や、無造作に転がる瓦礫の山で溢れており、戦闘を妨げるのに十分だった。回避の傍らで射撃を続けるガネストは、地面を這う蔦に足を取られ、がくりと視界が急降下した。頭上に濃い影が落ちる。神の巨腕がいままさに振りかかろうとする。そうした、矢先。
 ガネストの眼前に巨大な黒い"盾"が展開された。
 巨腕の一撃を巨大な盾が受ける。打撃音が轟き、響き、重なり、続き、連続して、神は、盾の壁を殴打する。

「六元解錠、"巌兜いわかぶと"。ちっとやそっとで壊れる盾じゃぁねぇぞ」

 築かれた鉄壁巨郭の盾。形容しがたい異国風の模様が掘られたその真っ黒な盾の表面をアイムが幾度となく叩く。しかし、"巌兜"は傷もつけられなければ、微動だにもしない。
 ガネストは目を丸くして、巨大な黒い盾の内側で息をして、地面にべたついていた腰を持ち上げた。メッセルはとうに立て直していて、傍らのルイルを庇い、術を展開してくれている。

(これが『盾円』──)

 守護に特化した次元の力。見上げればその盾の背はうんと高く、十尺はあるアイムがすっかり隠れてしまっている。事実、アイムの攻撃はまったく貫通せず、だだをこねて腕を振り回す子どもの姿そのものだった。
 そのとき、アイムの攻撃が、ふっと止む。単純な殴打をやめて、アイムは長い腕を伸ばし、盾の両端を掴んだ。"巌兜"をどかすつもりなのだろう。
 ガネストは、はっとして、走り出していた。
 アイムから遠ざかっていくガネストは、かろうじて根を張っている太い木の幹にしがみついた。太さのある枝の根元まで登りきると彼はそこへ腰かけ、すかさず『蒼銃』を構える。

(顔を出したら、その瞬間に射撃する。集中するんだ!)

 が。
 黒い盾の端を掴んでいる、長く歪な、灰色の指。そしてついに顔を覗かせた。ぞわりとガネストの背中が震え上がる。赤い目が、深い真紅の眼が、遠くにいるガネストの視線をたしかに貫いた。
 ガネストは引き金に指をかけたまま静止した。
 ぎらぎらと瞬く赤い、目元から皺が走る。
 途端景色が一変した。ガネストのすぐ目の前にアイムが迫っていた。そして無意識に一歩引き下がる。と、蔦に足元をとられた。瞬間、巨大な腕が風を薙ぐ轟音がして、ガネストはその横薙ぎの手刀に弾き飛ばされた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.146 )
日時: 2024/04/07 19:01
名前: りゅ (ID: vHHAQ2w4)

凄い文章力ですね!
ファンなので応援していますね!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.147 )
日時: 2024/05/05 20:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第132次元 時の止む都Ⅷ

 "巌兜"を発動させる直前の時間まで巻き戻ったのだ。メッセルは怒りで震える拳を固く握りしめた。

「……クッソ! また時間が巻き戻りやがった!」

 時間の巻き戻しが行われると、状況把握に一瞬気を取られる。よって、発動できていたはずの次元技の再発動に遅れを取る。いくら的確に盾を展開できたとしても、なかったことにされてしまうのだから厄介このうえなかった。自身の扱える次元技の中でも、"巌兜"は、一方向からの防御にもっとも優れているが、破られてしまった以上、再考しなければならない。メッセルには早急な対処が求められていた。

 瓦礫の山に突き刺さったガネストの体はぴくりとも動かない。しかし彼はまだ意識を保っていた。
 恐ろしかった。あの赤い目がまっすぐこちらを捉えている、と認識した途端、身動きが一切とれなくなった。ロクアンズやレトヴェールは、あんな化け物と二度も相まみえて、そのうえでまだ探し続け、戦おうとしている。神族どころか、元魔との戦闘経験すら両手の指で足りてしまうガネストは、圧倒的な力の存在を前に、圧倒的な経験値不足を嘆き、戦意を喪失しかけていた。
 けれど、息をするのもやっとなその口で、呼吸以上の嘆きを吐けないのには理由がある。ガネストは一度首をたれて主人に誓った忠誠を覆せない。だから言えない。ここで果てられない。「恐い」も、「相手にならない」も、それから──「守れない」だなんて、一瞬考えてしまうだけで、口の中に広がる鉄のような罪の味が濃くなった。

「まだ、だ……。こっちを狙え、神族、僕がお前の……相手だ!」

 思考する脳を置き去りにして、ガネストは感情任せに引き金を引く。

「──四元解錠、"挟弾雨さみだれ"!!」

 照準が合わないままに弾丸はたて続けに二つの銃口から吐き出されて空気中を駆け抜ける。アイムの顔面を穿つそれはさながら、大粒の雨が地面を叩くようにけたたましい音を降らせた。巨大な腕で顔を覆い隠し、縮こまっているが、弾丸の雨が止めばアイムはきっと意にも介さず、動きだすだろう。
 ルイルは、困惑していた。彼女は神族【IME】の能力による時間の巻き戻しをいまだ感知していなかった。だんだんと焦りが深くなっていくメッセルの表情も、らしくない戦い方をしているガネストも、考えれば考えるほど奇妙で、幼いながらにルイルはぼんやりと察していた。寂しさ、そして難しい言葉をさらに並べるのなら、疎外感だ。

「じかんが、まきもどり……?」
「……せ、説明はあとだ、嬢ちゃん! おめぇさんは、俺にしっかり捕まっててなぁ」

 さっきまで怖い顔をしていたメッセルが、目尻にしわを寄せて、にかっとルイルに笑いかける。ルイルにはまだ、人の表情の機微が読み取れなかった。母国で生き別れた姉のライラ子帝殿下ならば、上手に言葉を切りこめるだろうが、ルイルはまだ小さすぎて、なにが正しいのかもどう言えば正解なのかもわからない。ルイルは不安げな表情を隠しきれずに、ふいとメッセルから視線を外して、俯いた。

(めっせる副班もガネストも、たくさん動いてるのに……ルイルは、いま、なにをしたらいいか、わかんない)

 元魔だって自分の背丈より遥かに大きくてまだ戦うのは怖いのに、神族はもっと恐ろしい存在だとメッセルやガネストが教えてくれた。だから下手に動いて二人の邪魔をしたくなかったり、"もっと恐ろしい存在"への得体のしれない恐怖心に襲われて、メッセルの袖元に匿われているのが精一杯だった。
 側近のガネストには再三、危険だと思ったら身の安全を第一に考えろ、と口酸っぱく言いつけられている。
 次元師としてこの国のためにいる、と友人の前では言えたはずなのに、いざ戦場ここに立つと、足元がぐらついて仕方ない。
 でも、言いつけの通り、素直に身の安全ばかりを考えてしまうのだから、まだ一国の王女としての自覚が勝っているのだろう。そのうえ王宮で暮らしていた頃とは違って、たった一人だけ側近を連れ立って、海を渡ってきてしまった。心だけでも何重と警戒していなければ、いまの身の上は無防備極まりない。
 ルイルは気疲れからか、だんだんと頭が重くなってくるように感じた。視界がぐらり、ぐらり、と右へ左へ傾いて、不安定になる。
 そんなときだった。俯くルイルの頭の上に、大きくて粗忽な手が乗りかかった。ぐわんと頭が持っていかれそうになり、ルイルは袖を掴む力を強めた。
 メッセルが、すぼめた口先から細い息を、熱く吐いた。

 瓦礫の山から身を乗り出して、横殴りの鉛の雨を降らすガネストは、いよいよ集中を切らしつつあった。"挟弾雨"は、術者の元力と意思の許す限り、半永久的に弾を射出する。絶え間なく撃ちだせばそれだけ元力は激しく消耗する。ガネストは撃ち続ける間にも、どうにか策を練ろうとしたが、かえって思考はまとまらず焦りだけが格段に募っていった。

『ガネスト、攻撃を止めろ!』

 ふいに耳元でがなり声がした。元力を結晶化し、人工的に生み出された"元力石"を用いて発明されたこの研究物から聞こえてくる意思の声にまだ馴染みがなく、一瞬、ガネストは反応に遅れた。

「止めればあの腕が飛んできます! この距離じゃ、止めたあとに回避しようとしても間に合いません。……さすがにもう一度受けてしまえば、どうなるかわかりません。策を講じてからでないと止めるのは無理です!」
『その前に、おめぇさんがぶっ倒れるだろうが! だぁから止めろって言ってんだドぁアホ。しばらくこっちでなんとかする!』

 焦りと苛立ち、そりの合わない口汚なな罵倒、身に降りかかるあらゆる嫌悪感に、沸騰しかけていた全身の血がついに臨界点を超えた。

「さきほどの黒い盾ではおなじことの繰り返しです! それに守るだけでは、この戦闘は終われません。神族やつの心臓の有無がわからない以上、優先するべきは無力化。そのために僅かでも攻撃を与え、消耗させなければなりません。我々の中で僕が攻撃の要だと言ったのはあなたでしょう、副班長! だから早く、攻撃の指示を!」
『……だぁ~~~~! 言うこと聞かねぇガキだなおめぇも! その攻撃を立て直せっつぅ話をだな……あぁクソ、子守りはしねぇっつったのに、まったくよ!』

 その矢先だった。銃把を握る手の内に溜まってきた汗で、ガネストははっとした。握りが甘くなっている。残る力を振り絞り、持ち直そうとした、が、手の中でそれは変に滑ってしまった。
 ガネストは、右手に携えていた『蒼銃』を取り落とした。

(しまった!)

 一丁の『蒼銃』が瓦礫の上で跳ねながら、落ちる。白む景色がゆっくりと流れる。
 もう一丁手元に残る銃を引き続ければよかったのに、ガネストは手を止めてしまった。
 自身を取り巻く景色、風の音、耳元で名前を呼ぶ声、それらを遮断し孤独になった世界を叩き割ったのは、耳をつんざくように鳴った衝撃音だった。

 しかしガネストの身に降りかかったのは、痛みでも衝撃でもなく、──巨大な影だった。
 
 ガネストは閉じかけた瞼を持ち上げる。膨大な質量をしたその音が、目の前で弾け飛んでいた。
 否、音だけではない。自身を目掛けて飛んできた神族の二本の腕が、"なにか"に切断されて空を舞ったのだ。

「六元解錠──、"絶豪"!」

 巨腕を叩き割ったのは、相手と自身らを隔てるようにして発動する盾、"絶豪"。
 アイムの腕の軌道上に生み出され、上腕と、肘から下を絶した。ガネストはただ目を見開いて、空を飛び、視界の端に消える巨腕を見送った。
 "絶豪"の特性、完全に空間を分つその力を利用した、防御であり攻撃の一手。
 メッセルは、余裕の消えた頬に汗を滲ませて、乾いた笑みをこぼした。

「……クソ、付け焼刃になっちまったが、運がいいぜ」

 アイムの短くなった腕が、がくりと崩れ落ちる。神は四つん這いになり、ぴたりと静止した。銃声が止んでしんと静まり返った街の中に、三人の呼吸が落ちる。
 ガネストは揺れる体で立ち上がった。瓦礫の山に突き刺さっている一丁の拳銃を取り上げようとして、すぐに、滑り落とした。

(──……)

 ぐっと奥歯を噛み締める。今度こそ拳銃を拾い上げ、通信具からメッセルの呼吸音が聞こえているのを確認すると、口を開いた。

「メッセル副班長。あの……」

 ドシン。大地が、揺れた。
 足元が踊った。視界がブレた。声が途切れた。息を、止めた。
 それを凝視した。
 
 巨躯が激しく震動している。残された短い腕ががたがたと小刻みに動き出して、次の瞬間だった。

「厳戒態勢だ!」

 その声は通信具の奥からだったのか、街の中からだったのか。
 直接脳みそを揺さぶられるほどに、深くガネストの意識に突き刺さった。

 腕の切断口から、太い腕が"再生"した。末端までしかと伸び切った新しい手指はアイムの両端に聳え立っていた建物の上に降り立ち、平らな脳天を崩落させた。そして。脇の下。肋骨の横。腰の上。腿の端。それらの両端から二本ずつ新たな腕が芽吹く。アイムの周囲を取り囲んでいた建造物の天井が、十本もの手指の末端と衝突しただけでいとも容易く弾け飛んだ。周囲の建造物に、触れ、壊し、触れ、弾き、触れ、崩し、を悪夢のように繰り返す。

「ア゛ア゛アア ア゛アアア゛!!」

 巨躯に十本の腕を携え、不愉快な哭き声を発信し続ける"それ"は、もはや神聖な生き物ではなく、醜悪極めた化け物だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.148 )
日時: 2024/06/03 22:14
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第133次元 時の止む都Ⅸ

 十本の巨腕を縦横無尽に振り乱し、アイムは、周囲の建造物を手当たり次第に破壊していく。その魔の手は、メッセル、ルイル、ガネストにも届こうとしていた。

『メッセル副班!』
「わぁってるよ! その場を動くな、ガネスト! ──クソ神野郎が、何遍なんべんでも防いでやる!!」

 メッセルは固く握っていた手を広げる。分厚い手のひらから瞬く間に溢れだした光が、『異次元への扉』を開く。

「六元解錠──"展陣"!!」

 宙に出現する、人の身の丈ほどの"盾"──それは数十にも連なって、複腕の化け物を完全包囲にした。化け物、アイムはゆうるりと首を回しただけで、意に介さず、巨腕を振り乱そうと動き出した。一本、太い腕が風を切るだけで重低音が響き、"展陣"に向かって墜落するとそれはたちまちに砕け散る。が、『展陣』は複数の盾を自在に生み出して操作する次元技だ。すかさずメッセルは、また新たに盾を、アイムの腕の軌道上に生み出して、文字通り"陣形"を整える。
 アイムは十本の巨腕を、なんの脈絡も意図もなく、ただ激しいばかりに振り回し、盾と衝突すればそれを叩き割った。されど盾は延々と空中に湧いて出る。アイムの腕の軌道や、盾が破壊されればその余波を懸念し、数十に貼り巡らせた盾を見事に操作し続けるメッセルは、頭の隅で次の一手を講じていた。

「おいガネスト! 聞こえてっかぁ!」
『は、はい』
「このままじゃ埒が明かねぇ。おめぇさんよ、最初に俺がぶっ飛ばした腕、わかるよな!? そいつの根元を狙い撃て! 勘だが新しく生えやがった八本よりか強度は低いはずだぜ。一本二本飛ばしゃまたバランスを崩すだろ。そこを突く! 頼むぜ!」

 ガネストは、すぐに返事ができなかった。初めの二本の狙い撃ちが、容易ではないと、頭で理解したのが先だったからだ。十本の腕はどれも休まず元気に動き続けている。それに根元から波打っており縦横無尽で、軌道も読みにくい。理由はもうひとつあって、メッセルの"展陣"もまた、盾であると同時に、弾の障壁になっているのだ。
 特定の腕の、特定の部位を、正確に狙ったうえで、それを弾丸で切断する力も伴っていなければならないなんて、課題が多くて頭が痛くなりそうだった。

(千載一遇の機会を狙うような余裕のある戦況では、ない。ほかの腕に仕掛けてみてはだめなのか? ……いいや、やっぱり、よそう。それにしても、そこを突くと言っていたけども、メッセル副班長はなにか策を考えている……?)

 なかば身のないような声で、承知しました、と、ガネストがようやくメッセルに返事をしかけたときだった。
 通信具越しに、ルイルの甲高い悲鳴が聞こえてきた。
 
『! ルイル!!』
 
 ほんの数瞬、前。メッセルとルイルの目の前に展開していた『展陣』に巨腕が衝突した。すぐさま新しい盾を生み出そうとしたメッセルだったが、それよりも早く、死角からもう一本の腕が迫っていた。盾を貼るのは間に合わないと察したメッセルはルイルを抱きかかえ、身をよじって力任せに飛びのいた。
 目の前まで接近した腕の、平べったい手の先に、爪のような鋭利なものが伸びていた。メッセルはそれによって衣服ごと背中を裂かれた。傷はまだ浅い。態勢を立て直し、次の襲撃に備えるまで余裕があった。盾を空中に展開。した途端、心配そうな表情で、ルイルがメッセルの服の裾にしがみついた。

「安心しな、嬢ちゃん」

 ルイルの頭の上をまたメッセルが撫でた。彼の顔は汗まみれで、背中の切り傷からはどくどくと赤い血があふれ出ているのに、声はつとめて明るかった。

「俺ぁ……優秀な術師じゃねぇからよ。カッケー感じで敵さん倒せねぇんだわ。さっきの"絶豪"は運がよかっただけだしな! けどよ、おまえさんだけは守らなくちゃあな」

 守る、と言ってくれるメッセルもガネストも、苦しそうだ。傍で血を流されて、遠くで鳴っている銃声を耳にしていれば、幼いルイルにもそのくらいはわかる。まるで安心ができない。ずっと心臓がうるさいままだ。そのせいか、メッセルの声がいっとう静かに感じられた。大人の声だ、と当たり前のことを思った。

守護まもりは、俺の専売特許だぜ」

 メッセルはルイルの目線の高さに合わせてしゃがみこむ。それから彼の手元が明るく瞬いた。詠唱が聞こえてきたのだが、ルイルにはその強い瞬きのほうに意識を捕えられていて、メッセルがなんと唱えたかまではわからなかった。しかし、手のひらに収まった鶏の卵ほどの大きさの球体を見せながら、メッセルは答えてくれた。

「こいつは"封蛹ふさなぎ"。携帯型の盾でな、持ってるやつが望みゃ発動して、そいつを守ってくれるもんだ。強度はあるがあいにくと小さいもんでよ、一人を覆うので精一杯だが、ほれ、持っときな」
「な、なんで……?」
「お守りだ」

 聞きたかったのは、「なんでそんなものをいま渡すのか?」だった。このままメッセルや、彼の盾が守ってくれるのではないのか。ルイルは突然不安に感じたが、口にしたらことさら心が縮まりそうで、言えなかった。だからそのお守りを、なかば押しつけられる形でメッセルから受け取った。
 アイムの複腕は休止の二文字を知らず、極限の激しさを保ったまま周囲の建物を、木々を、『盾』を片っ端から薙ぎ倒していくが、よくよく観察していると、腕の何本かに傷跡が刻まれているのが見えた。防御に徹しているメッセルにも、その足元にひっついているルイルにも、機会を伺い続けているガネストにも、あのような細い切り傷や、ぶつけたようなへこみはつけられない。アイム自身が、傷つけているのだ。建物の一角や、木枝の切っ先、盾の破片に爪痕を残されて。しかしアイムに自覚はないだろう。なぜならばとっくに自我はなく、自身を省みるなんて意識もない。ガネストは、まじまじと腕の動きを観察していたためか、アイムの腕の傷にいち早く気がついた。

(いまならば、僕の次元の力でもアイムの腕を二本……いや、一本だけでも、なんとか破壊できるか?)

 そのときだった。左側の上腕が真上に弾けて、脇が開く。続けてその下の腕もくねりと舞い上がったので、左側は狙うのが厳しいが、その向こう。右側の上腕が無防備に持ち上がった。くっきりと腕の根元が視界に映った。

(いまだ!)

 引き金にかける指に力を込めた。次の瞬間。

「あ」

 ほぼ同時だった。ガネストは見てしまった。手元から、なにかを滑り落としたらしいルイルが、小さく悲鳴をあげて、それを追いかける。まるで手元で遊んでいた毬を落としてしまったかのように、けつまずきそうな足取りで走り出していた。
 アイムの腕の一本、低い位置から生えている左腕がぐんと急に曲がった。その軌道上に、ルイルは飛び出していた。
 ばかやろうの声に、迫りくる巨腕に、気がついたときには、目前にまで脅威は迫っていた。

 ガネストは迷わず引き金を引いた。激しい銃声が響いた。

 ──が、誤算だった、とあとになって理解した。ガネストもまた、頭が真っ白で、視野が狭まっていて、見えていなかったのである。
 『蒼銃』が撃ち抜いたのはアイムの巨腕ではなくメッセルの胸元だった。そのはずだ。ガネストが狙いを変更して発砲するよりも先に、メッセルが動いていたのだ。彼はばかやろうと叫ぶ間にも大きく一歩を踏み出していて、二歩ほどでルイルに追いついた。彼女の腕を手早く引き寄せながら『展陣』を貼り、巨腕と衝突させた。その瞬間だったのだ。メッセルの肩口と胸のちょうど間を、一発の弾丸が貫いていったのは。

 視界の奥で、メッセルの体から赤い血液が飛び出して、ガネストは息を詰めた。
 途端に心臓が暴れだす。全身の血が忙しなく巡っている。引き金を引いた指先にすべての意識と熱が集まっているんじゃないかと疑うほどに、その指は痛く軋んで、動かすことができなかった。代わりに、大きく見開いた瞳を、瞬かせた。

「メ……メッセル副班長!!」

 頼むから無事だと返事をしてほしい。だぁいじょうぶだといつもの調子で声を返してほしい。その一心で叫んでいた。また手元から銃が落ちそうになるのを気にも留めずに、ガネストはメッセルの名前を呼び続けた。

「信じてるぜ」

 意思の声がガネストの耳元で反響し、そう聞こえてきた。口元は笑っているのだろうが、息も絶え絶えで、いまにも掠れて消えそうで、まったく取り繕えていなかった。

「俺ぁ、おめぇさんをよ」

 途切れた。苦しそうに掠れた語尾が、その後訪れた静寂に尾を引いた。
 だらりと落ちた腕の重みで、そのまま崩れ落ちてしまいそうになるのを、意志だけで引き上げたのは、ルイルのもとへ向かうためだった。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.149 )
日時: 2024/06/30 19:19
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第134次元 時の止む都Ⅹ

 ガネストは瓦礫の山のてっぺんから飛び出して、巨大なアイムの脇を駆け抜けた。暴れ回る腕の波間を縫い、遮蔽物を越えて、一心不乱にルイルとメッセルの居場所を目指した。鮮やかな桃色の頭が見えてくると、それは小刻みに揺れていた。血だまりの中で倒れているメッセルに縋りついて、ルイルが声をあげて泣いているのだ。

「めっせ、る、ふくはん。ねえ、ねっ、おきて、めっせ」

 彼を血だまりに沈めたのが、その胸元を撃ち抜いたのが、自分の射出した弾であると、ルイルは気づいてしまっただろうか──。その懸念はすぐに霧散することとなる。
 ルイルは瞳にいっぱいの涙を溜めて、近づいてきたガネストの顔を、その潤んだ双眸で見上げた。

「……! ぁ、ガネスト! ガネスト、めっせる副班がね、おきないの。どうしよう、どうしよう……! ルイルが、お守り、落としちゃって、ひろいにいったからぁ……!」

 ガネストはぐっと拳を作った。爪先で手のひらを裂いて出血してしまうのじゃないかというほどに、固く、握りこんでいた。ルイルは気が動転しているのもあって、メッセルが倒れた本当の理由を知らずに、ただひたすらガネストに助けを求めた。

「ガネスト……!」
「ルイル、一度離れましょう」

 掠れた声で静かに言い放って、ガネストはルイルから視線をそらし、メッセルの傍でしゃがみこんだ。そして自身より一回りも二回りも大きいメッセルの体を背負うと、足をぐらつかせながら歩き出した。ばらばらと、背後で数多のなにかが一斉に崩れ落ちる、大きな音がした。振り返れば、メッセルの『展陣』が主人の声をなくし、次々と死に絶えていた。アイムの十本の腕がもし、"周囲にあるものを破壊しようとしていた"なら、『展陣』を失ったこの戦況に留まるのは自殺行為に等しい。盾なきいま、真っ先にガネストとルイルが標的にされる。だからこそガネストは、一刻も早くこの場を離れようと急いだのだ。
 縦横無尽に荒れ狂っているアイムの複腕にはまだ捉えていない。この隙にと、二人はなんとか形を保っている建物の影の下に入りこんだ。
 
(勝機はない)

 応急処置を施したメッセルを建物の壁に寄りかからせながら、ガネストは冷静に状況を理解をしていた。
 まだメッセルが動けているうちでも、戦況は防戦一方だった。その"防戦"すら封じられてしまったガネストとルイルの二人に打つ手はない。一時撤退を図り、応援を呼ぶのが最善手だろうが、忘れてはならない事実がある。アイムの最大の能力は、時間の巻き戻しだ。下手に動いて、認知をされれば、時間は後退し、かえって相手に隙を与えてしまう。考えるのと武器を取るのとを同時にしなければならない。こうしている間にも、アイムは標的を探して、巨体を引きずりながら動き回っているのだ。
 そうしていると、ふいにガネストは、ルイルが両手で大事そうに抱えている白い球体に視線を吸い寄せられた。

「ルイル……それは?」

 ルイルは、蕾を膨らませるように、ゆったりとした動作で両手を開いた。その手のひらには複雑な金細工が施された白い球体──"封蛹ふさなぎ"が収まっており、それをガネストにもよく見えるようにすこし持ち上げた。

「これ……メッセルふくはんから、もらったの。ルイルのこと、守ってくれるんだって。ひとり分なんだって……。さなぎ? みたいな……名前だったよ」
「……」

 ガネストはしばし考え込んだ。口ではガキのお守りは面倒だのと、大声で文句をたれるような男だが、甘やかし方も一丁前で、なんだかんだと異国からきた二人の子供の面倒を見てくれていた。ルイルに飴を与える傍らで、ガネストの任務を応援するように背中を押してくれたのだってつい最近の出来事だ。正確には叩いた、なのだが。
 ──信じてる、とは、僕のなにを信じているのだろう?
 一つの球体をじっくりと眺めていたガネストの脳裏に、ある答えがよぎった。メッセルは、これをルイル一人の分だけ作って彼女に渡した。まさかガネストの性格が気に食わないから、なんて意地悪はしないだろう。考えられる理由としては、一つ、この次元技は同時に複数作ることができない。もしくは複数作ってしまうと一つ分の効力が落ちていく代物である。そしてもう一つある。意地悪ではなく、意図して、"わざとガネストの分を作らなかった"としたら。

『信じてるぜ』
『俺ぁ、おめぇさんをよ』
(まったく、自分勝手で、いい加減で、一方的な……無茶ぶりだ)
 
 絡まっていた思考の糸が、驚くほど単純な一本の線になった。その糸は、メッセルと自身の魂の部分を繋いでくれているような、急にそんな心地がしてきた。ぐったりと壁に背中を預けるメッセルと、その傍らで立ち尽くす自分との間にはもちろん、糸なんてものは張られていなくて、ただメッセルの胸元に巻かれた包帯をじんわりと濡らしている赤色だけが鮮明だった。

 ──次元の力は、大切な人を守る力なんだ。
 ロクアンズの口癖が身に鋭く染み入ってくる。ガネストは、メッセルの隣で小さくなっているルイルに向かうと、意を決して、口を開いた。

「ルイル、その次元技を発動させてください。そして、ここでじっとして、絶対に動かないでください。声もあげないで。奴に標的にされてしまいますから」
「ガネスト……? どこか行くの?」

 ルイルの声色は不安そうで、本人の意志とは関係なく、核心的だった。彼女からすれば「そうなってほしくない」とでも言いたいのだろう、また大きな桃色の瞳に涙の膜が張って、ガネストを見つめている。
 ガネストは『蒼銃』を銃嚢から取り出し、滑りがないかを確認し、返答した。

「はい」
「……や、やだ! やだよ、ガネスト、るいるのちかくにいてよ! そうしてくれるって、はなれないって、ガネスト言ったのに!」

 ルイルは勢いのまま立ち上がる。そして、ガネストの外套にしがみついた。その拍子に、"封蛹"がルイルの手元から落ちて、からんと地面の上を跳ねた。ガネストは『蒼銃』を銃嚢にしまい直すと、失礼のない仕草でルイルの手をやんわりのけて、彼女の瞳を見つめ返した。

「お聞き入れください。貴方の御命は、僕よりもずっと重く、尊い。だからなにがあっても守り抜かなければなりません。そのために僕は、貴方の命にも背きましょう」
「…………」
「どうか、守らせてください、ルイル王女殿下。ご安心を。貴方のことは、この僕が……。"僕たち"が、必ず無事に、アルタナ王国に帰します」

 ガネストは静かにそう告げると、地面の上にぽつりと転がる"封蛹"を拾いあげて、ルイルに向き直った。ルイルはなされるがまま小さな両手を引き寄せられて、その手にまた、ガネストは球体を包ませた。
 ルイルの両手ごと包み込み、ガネストは祈るように目を閉じていた。
 それからすぐに手を離した。『蒼銃』を構えて路地に飛び出す。思わずルイルは、その背中に呼びかけていた。

「ガネス……っ!」

 しかし。すぐにはっとして、ルイルは小さな手で口元を覆った。ここでじっとして。動かないでいて。声もあげないで。言いつけが、もうなにも考えたくなくなっている自分の足の先までも締めつけた。わがままの振り方を忘れてしまった王女殿下は、ただくしゃくしゃに顔をゆがませて、とめどなく涙をこぼした。

 月明りの下、一人で街道に飛び出したガネストは、ふたたび十尺の化け物を視界に据えた。

(彼が……わざと、僕に"さなぎ"を作らなかった理由を汲むとしたら、まずルイルのことだろう。彼女の蛹を守らせようとしたんだ、きっと。二人とも隠れてしまったら、万が一見つかってしまったときに対処できる者がいなくなる。だから)

 ガネストは視線を落とし、手元に携えてある『蒼銃』をじっと見つめた。次に顔を上げて、アイムの腕のうち、ある二本の腕を見据えた。腕の根元にいびつな線が走っており、腕の外周をぐるりと回っている。一度切断された二本の古株だ。
 交戦中だというのに余計な感情に左右された。異国にやってきてからずっと、周囲のすべてを警戒をしていたのが、あだとなった。上官の性行にいちいち角を立て、命じられた動きを躊躇し、ついには判断が出遅れた。いまさら後悔に及んだところで遅いのだが、たった一人で戦場に立つのは、いささか──あるいは大分だろうが、自覚のないうちに心の隅で押し潰し──緊張して、この先に起こりうる絶望を頭の中で想像しては、無理やりにそれを払いのけた。メッセル・トーニオが抜けた穴は大きく、一歩誤れば、そこへ真っ逆さまに落ちるだろう。彼が、ガネストの胸中に置いていってしまった、いまやもう透明になった安心感を、ひしと感じてしまう。

 出てきたからには腹を括らなければならない。ガネストは片手を持ち上げ、黒い空に向かって一発の"真弾"を放った。
 ぱん、と乾いた発砲音が、薄い宵闇あたり一帯に、響く。
 アイムの頭部がゆらりとひねられて、血のように赤い両目がガネストを認識した。

(いつまで生きていられるかはわからない。だけど、彼女には指一本でも触れさせるわけにいかない)
「そのための次元ぼくの力だ」

 ゆっくりと銃口が下りる。ガネストはアイムを標的に据え、構え直した。
 大切な者を守る力は、この扉の先にしかない。

「来るなら来い、神族。もう守り方は教わった! 僕は、死んでも彼女を守るために、"ここ"にきたんだ!」


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.150 )
日時: 2024/07/13 12:58
名前: りゅ (ID: 07JeHVNw)

とても面白いので更新頑張って下さい!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.151 )
日時: 2024/07/28 18:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
第135次元 時の止む都ⅩⅠ

 同時、標的を捕捉した複腕の化け物──アイムの白い身体から、木の幹より二回りも三回りも太い十本の腕が一斉に飛びかかってくる。しかし巨大に膨らんだその触手をうねらせてしまえば、かえって幾本かが視界を遮って、ガネストという小さな標的を捉えきれない。一本だ。自身に届くと予測できたその一本にだけ的を絞って、"真弾"で迎え撃った。
 真正面からの射撃の衝撃に怯んだか、一本の腕が大きくのけ反ったのと同時に、ガネストは走り出した。残りの九本が、続けざまに襲いかかってこようとする。アイムがあたり一帯を破壊し尽くしてくれたおかげで、文字通り山のように遮蔽物が積み重なっており、幸運にもそのほとんどから逃れられた。しかし、ほとんどから、だ。偶然にもガネストの背中に届いた一、二本は、背中に当たっただけでも強い衝撃を伴って、吹き飛ばされたガネストは遮蔽物の山に頭から突っ込んだ。額の薄皮が切れ、鼻の片穴から出血しても、足を止められなかった。
 幸い、九本のうち多くは遮蔽物に自ら突っ込んで、動きを鈍らせている。ガネストはルイルとメッセルが隠れている場所からどんどんと離れていき、まだ無事な建物が多い場所へ、それもできるだけ背丈のある建物を目指した。アイムはまんまと誘導されて、遮蔽物の山を踏み越え、木々を踏み倒し、四肢を引きずりながら、とにかくガネストの背中を追いかけた。
 アイムの全長を超えるほどの高い建物を見つけると、迷わずガネストは路地裏へ滑り込んだ。そこへアイムが、闇に紛れようとするガネストを目掛けて、十本の腕を束ね、それを薙ぎ払った。腰を折られた建物は、割れるような大きな衝撃音とともに、大破した。ぐらり、と建物が胴体を傾かせる。
 瞬間、倒れこんできた建物が、束になったアイムの腕に乗りかかり、そのまま十本もの腕がすべて建物の下敷となった。
 余波に巻き込まれたガネストは、宙に浮きながら銃を構えた。すると、次の瞬間、脳みそがかき混ぜられるような不快感と、わずかな浮遊感が一気に打ち寄せてきた。ばち、と目の前で光が爆ぜる。と、視界が一瞬にして切り替わった。
 ガネストは背の高い建物の壁際で影と相成っていて、路地の奥へ足を向けている。アイムは腕をひっこめて建物と建物の隙間に顔を突っ込んだ。大きな赤い目が闇の中で光り、それと目が合うと、ガネストはどきりと心臓を跳ねらせた。ガネストは曲がり角へと滑り込んで、赤い視線から逃れようとした。

(また使い始めた)

 時間の巻き戻しだ。戦闘が開始したあとしばらくは使っていたのに、そういえば、随分と長らく時間を巻き戻されていなかった気がする。単純に、使う必要がないから使わなかっただけなのか──いや。妙に、頭に引っかかる。ガネストは肩で息をしながら、思考を巡らせ始めた。

 傾向をかえりみると、アイムは自分が不利になったと判断した行動の直前の時間まで巻き戻しを行うようだ。もしかすると時間の巻き戻しには、恐ろしいことに時間の際限がないのかもしれない──その気になればどの時間にも、数億年と昔まで巻き戻せてしまう──が、その懸念はいまは、横に置いておくとする。
 だとすれば、メッセルの"絶豪"に腕を切り落とされたときに時間の巻き戻しを行わなかったのは、不自然だ。

負荷リスクを伴う……?)
 
 単に使わなかった、と考えるのではなく、使えなかった、とガネストは仮定することにした。
 二本の腕を切断された直前の時間に戻ればよかったものを、戦闘を続行させたのも、『展陣』との戦闘時に一度も時間を巻き戻さなかったのも、それならば納得がいく。
 
(巻き戻しの回数に上限があった? いいや……いまの正気ではないアイムが、上限を気にして動いているようには到底見えない。なら……──疲労、や、消耗? 神族にもあるのだろうか……そんな、僕たち人間みたいなことが。人間が運動すれば体力を消耗していくように、)

 次元師が、扉を開けば、元力を失っていくように。
 そこまで思い至ったガネストは、このとき、神族の真理のひとつを掴みかけていた。しかし当の本人は知る由もなく、ただそれを、頭の隅にひっかけておいた。
 メッセルがそう察しをつけていたのかどうか、いますぐに知りたくなった。しかし言葉を交わそうにも、作戦をすり合わせようにも、もう遅い。できない。ならば、ガネストにできるのは、戦場に残された彼の思考の痕跡を拾い集め、それを弾丸とともに『蒼銃』へと込めることだけだ。
 
 ガネストの手によって持ち上げられた『蒼銃』は、空に向かってひときわ甲高く、咆えた。
 口元ではなにかを口ずさんでいた。
 そのとき、ガネストは巨大な敵意が塊となって差し迫っていることに早く感づいた。灰色の巨腕が路地の隙間に無理やりにねじこまれ轟音が響く。颯爽と、銃を構えて曲がり角から飛び出した。
 飛び出した、と同時に、ガネストは銃を構えた片腕をぴんと伸ばし、銃口を、腕の先端と接触させた。

「四元解錠、"真弾"」

 接射。
 音が響く。うずもれた銃撃音が神の腕の中を駆け抜けて瞬く間に、銃口との接触部から肘にかけてすばやく亀裂が走り灰色の皮膚がぶくりと膨れる。しかしこれでも、浅い。アイムが怯んだのは一瞬だった。すぐに切り替えて、ガネストは狭い路地のさらに奥へ駆け入った。
 だが灰色の巨腕がごうと鋭い音を立て、物凄い速さで追跡してきた。
 気がつけば、ガネストの背中にあともう少しで触れるところまで、その悪魔のような巨塊は迫っていた。
 
 激しい衝撃音がガネストの耳をつんざいた。否、もしかしたら鼓膜は耳もろとも、"そのとき"に潰されていて、無音だったのかもしれない。
 背中に喰らいつくように灰色の手で少年の身体を乱暴に捕まえて、ところかまわず、狭い路地にもかかわらずアイムはためらいなく腕を上下に振り乱してついには、建物の壁に少年の身体を叩きつけた。周囲一帯を震わせるような、空も割れそうなほどの激しい衝撃音が響き渡って、巨大な瓦礫片が宙を舞った。
 ガネストの半身が潰れていた。人の形はもう保てなかった。否応なしに変形した彼の輪郭は一瞬にして破裂した。
 
「五元、かいじょ」

 真上の夜闇に、白いなにかが、瞬いた。
 
 静かに彼は口ずさんでいた。
 心のまま、意志の赴くままに、打ち寄せられた詠唱うたが──"星"のように降り落ちる。

「降らせ──ッ! "挟弾雨さみだれ"!!」

 それは流星だった。
 深い夜闇の中で数多の白い光が瞬く。まさに流れ星。刹那。白い光──不定形の光の弾丸たちは目にも止まらぬ速さで地上を目掛けて夜の中を滑り落ち、やがてアイムの頭上から激しく降り注いだ。

「──巻き戻せっ、アイム!!」
 
 ガネストは残った口の端を大きくかっ開いて、唾と血の混じった液体を吐き散らしながら、決死の怒号を響かせた。アイムは、篠を束ねた弾丸の雨から逃れることができずに激しく頭を揺らし、そして、赤い瞳が一層強く瞬いた。
 視界が歪む。現在と過去が綯い交ぜになる。頭の後ろのほうを強い力で引っ張られているのにふわりと浮くような不快感が襲い掛かった。
 瞬きをすると、そこは影が落ちる路地裏で、ガネストは両肩を上下させていた。胸に手を当てるまでもなく肺が呼吸で膨らんでいた。
 間髪入れずに、巨大な敵意が塊となってガネストの頭上に影を落としていた。

 ガネストは振り仰ぐと、思わず笑みをこぼした。

「狙い通り、"ここ"に戻ったな」

 巨腕が風を切って振り下ろされる。ガネストの手によって持ち上げられた『蒼銃』は、空に向かってひときわ甲高く、咆えた。

「五元解錠──"真弾"!!」

 一つ前の過去をなぞろうと腕が、銃口が、寸分違わない動きで素早く弾丸を放つ。しかしガネストが唱えたのは、ひとつ前の過去とは違う。雨のような弾丸を放つ"挟弾雨"ではなく、"真弾"。同時に放たれる二発に力を集約させた単純強化系の次元技だ。弾丸はアイムの腕に二つの風穴を開け、夜空の向こうへと突き抜けた。
 アイムが胸を反らして、ゆっくり街道の上に倒れようとする。そのときぶちり、と嫌な音が響いた。二つの風穴が開いている腕が、根元からぱっくりと割れたのだ。どしん、と一際大きな音をさせて倒れたアイムのすぐ隣に、その太い腕が寝転がった。根元に歪な線が走っている二本の腕のうち一本だった。

 ガネストの脳内は緊張と恐怖とでいっぱいに満たされていたが、ゆっくりと、足先だけは路地裏から街道へと出た。まだ胸の内側では激しく心臓が運動している。それでもじっとしていられなかった。
 アイムは荷馬車などが通る車道を挟んで、向こう岸に見える街道に頭部を倒して、足元はガネストのすぐ傍で横になっていた。身体から伸びている九本の太い腕もまばらに伸びている。

(……静かになった……。やはり、時間の巻き戻しを過剰に行ったからこその、疲労……?)

 まだ気を抜いてはいけない。ガネストは固く銃身を捕まえていた。一定の距離を保ちながら、静かに倒れ伏しているアイムをまじまじと観察する。まったく動く気配がないように見えたが、眉間に開いた小さな穴のような口が、わずかに動いた。

「……ああ、ど……して」

 ガネストはすばやく銃を構えて、アイムの顔面を射程内に捉えた。だがアイムは起き上がるような素振りはなく、ただ小さな口をぱくぱくと開いたり閉じたりしている。

「人間、様。どうか。どうか……」

 泣いているのだろうか。
 ガネストは緊張した面持ちで、けっして銃身は下げずに身構えていた。だけど、アイムの声があまりにもか細く、弱々しく、気が抜けそうになった。


「【信仰】……ベルイヴ様を……──」


 ──"ベルイヴ"…………?
 ガネストがその名前をたしかに聞き取った、そのときだった。


 突然、アイムの胸元が激しく脈動した。まるで地面に弾かれたかのように、灰色の大きな背中が仰け反ったのだ。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.152 )
日時: 2024/11/20 20:47
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第136次元 時の止む都ⅩII

 いや、"地面の下から無数の木の根が槍のように鋭く飛び出して"、その力に弾かれて巨体が浮いたのだ。地面からまっすぐ伸びて、アイムの身体を貫通している無数の木の根は、それだけでアイムの上体を起こしてしまった。まるで操り人形のようにぐらぐらと頭部を揺らすアイムよりももっと高い場所から声がする。声の主は、崩れかけた建物の屋上に腰をかけていた。

「なに寝そべってんだ? オイ、困るぜ。オマエも付き合ってくんねーと。ノーラを殺したヤツ探すんだよ」

 声の主はそう言うと、建物の屋上から軽やかに跳躍した。次の瞬間には、たっ、とアイムの広い肩の上に到着する。そこでガネストの存在に気がつき、目が合った。

「あ?」

 ガネストはだらしなく口を開け、刮目していた。灰色に染まり上がった筋肉質な細い四肢。はためく外套から覗く、人間ではありえない極端に細い腰。膝まである白い髪が風に嬲られ、激しく靡いてる様は、それだけで粗暴な性質を助長する。長い髪の波間から血濡れた赤い瞳が見えた。
 見た目よりもずっと人間の男に近い声で、それはガネストに言った。

「オイ、オマエ。コルド・ヘイナーってヤツはどこにいる」

 ガネストの背後から絶望が足音を立てて駆けてきた。
 心臓が激しく暴れ回って、すぐにでも止まってしまいだった。神族だ。また新しい神族が現れたのだ。当然、見たことも聞いたこともない風貌をしている。銃口はとっくに地面を向いていて、腕は力なく垂れ下がってしまっている。指一本も動すことができない。そうすればたちまちに命を奪われてしまうのではないかと恐怖していた。身をこわばらせてしまうのは、あの神族が現れた瞬間から、周囲の空気をまるごと支配されているような気がしてならないからだ。
 ガネストが黙りこみ、氷のように固まっていると、長髪の人型の神族は片眉を上げた。

「聞いてンの? 言えよ。コルド・ヘイナーはどこだよ。なあ。オイ。言えって」
「…………」
「名前違ったか? まあいいや。ほかの人間(やつ)に訊く」

 長髪の神族はゆらりと立ち上がって、長いかぎ爪を持った指先を宙に置いた。すると、アイムの身体を貫いているのとおなじような木の枝が地面の下から飛び出した。枝の矛先はなんの初動も見せず、静かに、ガネストの左胸に到達した。

(あ。死──)

 予感した、瞬間。
 雷光。

 視界を焼き尽くす、白く眩しい光がかっと瞬いた。同時に重低音が耳を劈き、大地を激しく殴打する。
 吹き荒れる風を全身に浴び、ガネストは、額のあたりがくらくらとして、意識ごと吹き飛ばされそうだったがなんとか、小刻みに揺れる足元を視界に映した。
 舞い上がった土埃が晴れる。
 頭の芯を貫いていくような、よくよく響く少女の怒号が聞こえた。

「あたしの仲間になにしようとしてんだ、──お前っ!!」

 若草色の長髪が風に嬲られ、踊る。少女が一人、電気を纏った手を突き出して、道の上に立っていた。
 ロクアンズ・エポールは左目を鋭く光らせて、風の壁の向こう、雷を落としたあたりの一点を睨んでいた。
 聞き覚えのある声を捉えてようやくガネストは、そちらに目を向けた。ふと顔を振った拍子に、ガネストと目が合ったロクは、表情を崩した。
 急いで駆け寄ってくる彼女の顔を見て初めて、ガネストはずっと歯を食いしばっていたのだと気づいた。

「ガネストっ! 大丈夫!?」

 ガネストの姿は、一目見ただけでも、虚勢を張れるような状態ではなかった。身体のあちこちに打撲痕があり、頭部からは出血の痕が残っていた。衣類はただのぼろ布を被っているのとそう変わらない。それに、近くにはルイルもメッセルも見当たらない。心配そうな表情をして顔を覗き込んでくるロクの問いかけには、ガネストはぎこちなく答えた。

「は、はい」
「……ルイルとメッセル副班は?」
「この近くにはいません。街道を一つ挟んで、向こう側の建物の近くに、います」

 ガネストが視線を投げかけて、それをロクは追いかける。緊迫した状況下で、ルイルを安全な場所に避難させていたのは流石だ。だが、メッセルがガネストの傍にいない。
 ロクはぐっと奥歯を噛み締める。そうしていると、ロクの隣にたっと降り立つ人影があった。

「ロクちゃん……いまのって」
「……」

 フィラが険しい表情でロクに訊ねた。ロクは、ほとんど確信したような顔で、雷を落としたその地点へと視線を注いだ。
 ガネストと相対しているように見えたのは、灰色の肌をした何者かだった。それに、姿が見えた途端に、正体不明のおぞましさが襲いかかってきて、全身の肌が粟立った。気がつけば"雷撃"を放っていたロクだったが、結果的に彼女の直感は当たっていたらしい。

「赤い光の正体……。こっちがビンゴだったんだ」
「はい。それも、二体います」
「に、二体!? もしかして、あの倒れている大きいのも神族なの?」

 ロクは視線を動かして、地面の上に座り込んでいる巨大な灰色の塊を見た。ガネストは頷く。まだ震えている自身の手を見下ろし、固く握りこんでから言った。

「メッセル副班長が善戦し、ついさっき……ようやく気絶しました。また動き出す可能性があります。注意してください」

 神族が一体以上臨戦する現場を、ロクは初めて見た。あの長髪の神族はほんのさっき、突然現れたのだとガネストは付け足して説明した。ロクはそれを静かに聞き入れながら、臨戦態勢をとり直した。

「ガネストが教えてくれたんだよね。セースダースでの調査が終わって、ガネストたちと合流しようってフィラさんと相談して、それで向かう途中だったかな。数日前に、空に光が見えたんだ。赤い星が砕けるみたいな……。なんか胸騒ぎがしてさ、超特急で来たんだよ」

 それで来てくれたのか、とガネストは納得した。サオーリオの街に足を踏み入れてから、何十回と、時間の繰り返しが行われたとき、ガネストは『蒼銃』で空に浮かぶ赤い太陽と月に向けて発砲した。そのときの光をロクたちが目撃していたらしい。
 運がよかった。しかし幸運というのは長くは続かない。
 土埃の中から、生き物の動く気配がする。細い影がぼんやりと浮かび上がってきて、やがてその薄膜の帳を押しのけて神族は顔を出した。

「随分なアイサツだぜ。せっかく目ぇ覚ませたと思ったら、途端にコレだ。なんだよ、オマエ? だれ?」

 ロクはすでに射程を捉えていた。

 ぴんと張った指先から金色の火花が散り、ロクは暇もなく口ずさんだ。
 
「六元解錠」

 主人の意思こえに呼応して、次元の力は、惜しみなく扉を開け拡げる。

「──"雷砲"!」

 指先一点。集約された電気の塊が最高速度で放射される。雷の砲弾を真正面から受けた神族が、太い声を上げながら転げていった。
 ガネストは、眩しい雷光に一瞬目を瞑るも、煙を上げながら転がっていった神族の姿を、息を呑んで見ていた。
  
「あなたは神族でしょ? 名前は? 答えて!」

 一歩、片足を踏み出して、ロクは問い詰めるように叫んだ。指先には雷光の糸が絡まっている。
 ガネストは喉を鳴らした。つい数刻前まで、どれほど願っていただろう、"力"の象徴がいま目の前で煌めいているのだ。
 街を覆う曇り空から、一筋、稲妻が降り落ちる。鋭い光は、起き上がりかけた神族の頭に向かい走るが、神族はそれを軽い跳躍で回避した。神族は鳥のような軽さで瓦礫の山を飛び越えて、倒壊した建物の上に降り立つ。
 
「何度も食らうかよ、バ~カ」
「さっきの質問に答えて! あなたの名前はなに? なんでここに来たの!」
「コルドってヤツはどこだ?」

 ぴく、とロクの眉が動く。
 なぜコルドの名前があの神族の口から出てくるのか、なぜ探しているのか、すぐには思いつかなかったロクは、声に動揺の色を混ぜたまま返答した。

「……ど、どうしてその人を探しているの?」
「知ってるな、その顔」

 神族は、白い髪が風で暴れ回るのを意に介さず、ロクの顔を捉えて離さないような鋭い視線をしていた。

「オマエたちが思ってるほど、薄情じゃあねえんだぜ、神様はよ! 仲間が殺されたんだ、悲しむだろ? 怒るだろ? 仇討ちってやつだよ! オマエたちも好きだろ、それだよ!」
「そんなふうには、見えない!」
「へえ、どう見えるワケ?」

 神族は顎を煽って、長いかぎ爪の根元を鳴らしている。
 ロクはふと、視線を外して、地面の上で鎮座している巨大な灰色の怪物を見やった。ガネストは、あれも神族だという。盛り上がった地面の下から無数の植物が伸びて、怪物の身体を無理矢理に座らせていた。貫通口からはわずかに真っ黒い液体が滴り落ちているのを、ロクは凝視していた。

 瀕死の身体に無数の穴を開け、無理矢理起こさせておいて、同族の死を悼む心があるようにロクは見えなかった。

「仲間のことなんて考えてないんだ。だから、自分のことばかり考えてる。あなたからは、自尊、嗜虐、闘志、そんな心だけがばかみたいに伝わってくるよ」

 腰を落としたロクの全身から金色の火花が散った。電気の糸が彼女の周囲を包み込む。
 白髪の神族が口角を上げた。
 はっとロクは左目を見開いた。地面の下から鋭い気配がせり上がってきたのだ。間髪入れずにロクは、足元の地面を蹴って後方に跳ねた。しかし次の瞬間、地面を割って出現した木の根の矛先がロクの視界を、脇腹を貫いた。
 赤い鮮血が咲き乱れる。一瞬でも動き出すのが遅かったら左胸に穴が空いていただろう。ロクは、空中でわずかに体勢を崩しながら、白髪の神族を睨みつけた。

「アハハ。鈍くてしょうがねえや」

 地面に着地する。雷光が足元から激しく発散し、若草色の髪が明るく照らしだされた。
 ロクの頭の天辺、指の先、腹の底、足の先へ、余すことなく電熱が迸った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.153 )
日時: 2024/10/05 21:55
名前: りゅ (ID: 6HmQD9.i)

閲覧17000突破!!おめでとうございます!
更新頑張って下さい❣

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.154 )
日時: 2025/01/19 19:33
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第137次元 時の止む都ⅩⅢ

 地面を踏みしめ、いざ踵が弾ける。と、電気が迸った。ロクアンズの爪先が、白髪の神族の喉笛を捉える、が神族は羽虫にするように手の甲でそれを払った、そして反対の腕を鋭くさせて、ロクアンズの脇腹を貫きにかかった。間一髪のところでロクは神族の腕を踏み台にし、身軽くさっと頭上に跳びあがると、空中で回転する。
 手のひらを突き出せば、指の隙間に神族の姿を捕まえる。神族の足元に猛烈な電気が奔るやいなや、神族を中心に、雷光が眩く沸き立った。
 轟音とともに、雷の柱が噴出された。
 "雷柱"は煌々とした光の塊となって天上を貫く。だが、見れば、神族は星空の中を高く舞っていて、すたっ、と瓦礫の山に降り立っていた。

「フィラ副班!」
「ええ、わかっているわ!」
 
 ロクも地面の上に着地して、神族から目を離すまいと、フィラの姿も見ずに叫んだ。フィラは頷いて、ガネストの腕を自身の肩に回すと、早々に戦場から離れようと走り出した。
 神族は、去っていく二人の背中を視界に据えていた。口の端を上げて、灰色の腕を颯爽と持ち上げる。
 広い街道を走り続けるフィラのすぐ背後で、地面が小刻みに揺れ始めた。またあの木の槍を隆起させるつもりなのか──予想は当たり、地面の下から木の根の軍勢が乱暴に出現した。すると、間髪入れずに、雷鳴が轟く。電気の塊が降り落ちて、先鋒が焼き切られた木の槍たちは、煙を上げながらばたばたと地面に伏していく。
 白髪の神族は、わざとらしく舌打ちを鳴らした。

「ツマンネーことすんなよ」
「あたしが相手だ! 邪魔されて悔しいなら……あたしを止めてみなよ!」
 
 神族とロクの会話を背にして、フィラは一度も足を止めずに走り続けた。一刻も早くガネストを安全な場所に連れていって、怪我の治療をしなければならなかった。ガネストから、ルイルとメッセルが潜んでいる場所を案内してもらったフィラは、その建物の路地に滑りこんだ。
 建物に辿り着いてすぐに、止血から取りかかろうとガネストに触れようとしたフィラだったが、しかしガネストは、治療を受けて安心しきってしまう前にと、伸ばされた腕を力強く掴んで止めた。

「なりません、いくらロクさんでも、神族を一人で相手するだなんて。無茶です。早く戻らないと……」

 出血は止まらず、呼吸もままならないなかで、ガネストは言い切った。彼の言い分は正しい。ガネストのいまにも落ちそうな瞼と、傷だらけの顔をフィラはきちんと見つめていた。それから、壁に寄りかかって動かないメッセルの姿を見やった。彼は戦闘不能だろう。おそらくメッセルの次元の力の中で守られているのだろう、ルイルも気絶しているようだった。
 フィラはすぐにガネストに視線を戻すと、掴まれた手を上からさらに強い力で掴んで、なかば無理やりに引きはがした。そして、今度は優しくその手を握りしめた。反対の手で、ガネストの額の傷跡に布をあてがってからフィラは言った。
 
「大丈夫。ロクちゃんのことをどうか信じて。それにあなたたちの治療を終えたら、すぐに私もロクちゃんのもとへ向かうわ」
「……」
 
 ガネストには、すごんで言い返すまでの気力はもうなかった。そうして五体を投げ出して、なされるがまま治療を受ける。働かない頭をゆったりと動かした彼は、瞼の隙間からかろうじて見える街路を眺めた。
 電光が走る。地面が抉れる音がする。神族が挑発的ながなり声で叫んで、ロクも負けじと詠唱を突き返して、またあたりが眩い光に満ちる。

 白髪をざっくばらんに靡かせる神族の四肢はまるでそれ自体が生き物であるみたいに縦横無尽、変幻自在で、地上を跳び回る様は水を得た魚のように自由だった。そして野生的な鋭い眼をして、獲物の心臓をしつこく狙おうとする。ロクは、まさしく人に似た形をしているだけの獰猛な獣を相手にしている気分だった。
 気分、だけで済めばよかった。
 神族が地上高く跳び上がるのを逃さず、ロクは暗雲から雷を呼ぶ。

「五元解錠──雷撃!」

 雷の鉄槌が降り落ちたのは、神族の頭上。だったが、神族の影が空中で身をひるがえす。ひらり、と雷の鉄槌を紙一重で躱したその影は、瞬きをした次の瞬間、形を変えていた。

(……っ、つ、翼──!?)

 神族の背にたくわえられた立派な翼は鳥類のそれらしく見えた。灰色の翼を左右に広げ、余裕たっぷりに空中浮遊を楽しんだあと、神族は地面に向かって急降下した。
 ぶわりと土煙が立って、ロクは顔を覆った。慎重に腕を下ろしていくと、砂で覆われた視界の先で、神族の影が揺らめいていた。しかしあれほど立派に生えていた翼の影がどこにもないではないか。さきほど見た光景は、幻覚だったのだろうか?
 ロクはかぶりを振って、すぐに考えを改めた。幻覚なんかじゃない。それでは、空中で雷撃を避けたことに説明がつかない。おそらくこの白髪で痩身の神族は、あらゆる野生生物の姿かたちを自由に再現する能力を持っているのだ。

(それに、野生生物だけじゃなくて、植物なんかも操れる。この神が司るものは、たぶん──!)

 分析をしていると、土煙の向こう側で、神族が大きく吠えた。はっと我に返って、ロクは警戒した。
 土煙はだんだんと薄らいで、晴れていく。すると、華奢な神族の身体の影が、むくむくと膨らみ上がるのが見えた。腕や脚の筋肉が、隆々と盛り上がり、背丈も見る見るうちに高くなっていく。

「オイオイ、オマエの芸はカユい電気だけかよ! ツマンネーな!」

 一段と低くなった声で神族がまたひとつ吠える。次の瞬間、土煙の幕を破って、白く厚い毛に覆われた太い腕が突き出された。一瞬のうちにロクの眼前にまで拳が迫り、彼女が息を詰めるのと、その豪腕に首を掴まれたのはほぼ同時だった。
 がっしりとした大きな体躯で悠々とロクの身体を持ち上げ、彼女は宙ぶらりんになった。変貌を遂げた神族の姿は、熊にも虎にも見える獰猛な獣になっていた。

「ぅ、ぐ──っ」
  
 太い腕にしがみついて、ロクはそれを剥がそうと奥歯を噛み締めた。しかし、神族はまったく意に介さず、じたばたと暴れるロクの姿を愉しんだあと、瓦礫の山に向かって乱暴に放り投げた。ロクは長い距離を水平に飛んで、頭から瓦礫の山に突っ込んでしまった。重く激しい音が、あたりに響き渡る。
 余韻もないうちに、神族は瓦礫の山に突進した。しかしそのとき、瓦礫の山の底から、雷の塊が噴き出した。
 電子の糸を纏いながら飛び出したロクに、かまわず獰猛な前肢が伸びる。神族は太いそれでロクをわし掴みにかかった。
 すんでのところでロクは身体をねじり、躱した。
 だが、猛攻は止まらなかった。二本だけだとは信じられないほど次から次へと前肢が伸ばされて、そのうちに、獣の手先の爪がより鋭利に尖った。
 鋭い一点、二点の切っ先がロクの首元を狙う。狙う。狙い続ける。 
 ロクはぶつぶつとなにごとかを呟きながら、頭部を揺らし、身体をねじり、肩を引き、脚を畳み、避ける。鋭利で断続的なそれらの猛攻から必死に逃れていた。
  
「逃げてばっかかよ、オイ! 撃ってこいよオマエのでんきをさあ!」
 
 真っ先に勢いが死んでいく手先からいなす。脇腹に迫るもう片方の前肢が爪の先を鋭くさせても、その"一点"の到達する地点を読んで、避ける。ロクはそれから、神族の呼吸を捉えようとしていた。この神族は、人の形であったときには、呼吸の音がしなかった。しかしいまは獣の姿をとっている。ロクは精神を研ぎ澄まして、獣としての神族の呼吸を聴こうとしていた。しばらく格闘していると、独特だったが、呼吸音が聞こえ始めた。そうして掴んだ神族の呼吸音がロクの鼓膜から脳に送られる頃には、彼女は体勢を整えていた。猛烈な攻撃を躱し、反撃の機会を探るための体勢を、だ。

「……右、突き。左、横薙ぎ。次に殴打。足払い。振り上げ。左、突き。右……」

 ロクはずっと、ぶつぶつと呟きながら、矢継ぎ早に繰り出される乱暴な戯れと相対していた。
 ガネストは、息をするのも忘れて、ロクの動きを目で追いかけていた。遠くて細かな動作までは見えなくとも、変貌した神族相手に防戦一方ながら、一撃もまともに食らっていないのがわかった。彼女は上手に"受けている"。遠距離での戦法の印象が強い彼女が、長い時間、肉弾戦で敵と格闘しているのを初めて見たのだった。

 「クッソおまえ……ムっカつくな! ちょこまかしやがって、ウザッテエ野郎!!」
 
 一方的で手ごたえのない攻防に、苛立ちが隠せなくなったか、神族は表情をぐわりと歪ませて勢いよく飛びかかった。両腕を振り上げたので、正面から掴みかかってくるのだろうと予測していたロクだったが、二秒と経たないうちに予測が外れた。がくり、とロクの膝が折れた。体勢を崩したのは、途端に地面が隆起したからだった。
 地面の下から、無数の腐った木の根たちが一斉に産声をあげた。そしてロクの左足を掴まえると、それをかわきりに彼女の右足、胴、右腕、左腕、そして細い首に絡みつき一気に締めあげた。
 目の前に立ちはだかる神族が、堅く握りこんだ手先を振り上げる。

「ほらよ、避けてみな──!」

 丸太ほどある太い前肢から繰り出される渾身の一撃が、ロクの頬に叩き込まれた。何度も。何度も、何度も叩き込まれた。嫌な鈍い音があたり一帯に響き渡って止まない。殴打を繰り返した神族は、より一層力をこめると、大きく身を振るった。無数の木の根に締めあげられていたにもかかわらず、ロクの身体はいともたやすく吹き飛んで、宙を舞った。軽い身体はよく打ち上がって、空に弧を描いたのち、右肩から雑に落下した。何度か地面の上を跳ねた彼女は、しまいにはくったりと静止した。
 重力に逆らえず地面にべったり貼りついていたそのとき、どん、どんと身体が跳ね始めた。
 跳ねていたのは、地面だ。さらに一回りも二回りも大きく成長した神族が一歩ずつ、地面を踏みしめるたびに、小刻みに震動した。

 「ノーラにトドメ刺したヤツにしかキョーミねえんだよ、ザコ! とっととコルド・ヘイナーの居場所を言え!!」

 獰猛な獣は、歯茎を剥き出しにしてけたたましく咆哮する。一歩、また一歩、無防備に伸びているロクに近付いた。
 そのときだった。神族の足元から、金色の光がわっと湧きあがった。
 黄金の魔法陣が地面の上に広がった。外円の淵から、ばちりと、電気の糸が飛散する。
 ロクは、右側の拳を高く振り上げていた。

「──ご、元解錠っ! "雷柱"!!」

 "雷柱"が生み出される瞬間、神族は、もう一度翼をたくわえて飛翔する体勢をとった。しかし、地面から湧きあがった、猛烈な雷撃の塊が、飛び立った瞬間の鳥の片翼を焼き切った。
 片翼を失い、一瞬、がくりと肩から落ちた神族だったが、激しい舌打ちをしながらもすかさず翼を再生させる。この間にも神族は、空を飛ぶために余計な肉を取り払って、機能的な細身へと変化していた。
 
「だァ! オイ! どうしたどうした! もっとちゃんと当ててこい! いまのが全力」
 
 左手の指先をぴんと張り、ロクは息を止めていた。
 
 "雷柱"を繰り出すために地面に振り下ろした右の拳はそのままに、彼女はとっくに、次なる攻撃の姿勢に入っていた。しっかりと地面に片膝をついて、自身の軸を揺らがないものにしていた。
 神族の挑発の声が聞こえていなかった。
 ただ、緩やかな風にまつ毛が揺れたのも、額から流れ落ちるぬるい血液が歪んだ頬を伝ったのも、わからなくなっただけだ。

「ちゃんと当てるよ」

 まるで、一本の糸のように細い息を吐く。殺気に似たたしかな攻撃性を孕んでいた。彼女はそして、しごく冷静な声色で言うと、極限まで指先にこめた黄金の電熱を撃ち放った。

「────"雷砲"!!」

 開いたのは、六元の扉だった。
 彼女の深層心理だけがそれをわかっていて、本人は、"前唱"──次元技を発動する前に行う、強度の段階の定義──を唱えなくとも次元技が発動した事実にさえ気がつかなかった。
 雷の光線は落星のように空を駆け、次の瞬間、神族の身体の真ん中を撃ち抜いた。
 くの字に折れ曲がった細い肢体が空中で回転しながら、急速に落下する。ロクはまだ、電気の絡まった腕を下ろさず、ずっと神族の姿を睨んでいた。

「言わないよ……絶対に! たとえなにをされても、教えてなんかやるか!!」

 ぶたれた頬が歪んで、目を閉じそうになっても、そうするわけにはいかず視線を外さなかった。
 ロクはぐらつきながらも立ち上がり、重い右腕のほうに力を入れると、拳を握りこんだ。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.155 )
日時: 2025/01/26 21:29
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第138次元 時の止む都ⅩⅣ

 ──『逃げろ』、と言い渡されてしまったときの底知れない無力感が、ずっとロクアンズの記憶の最前列に並んでいて、いつでも鮮明に思い出せた。

 右腕は完治していたのに、また負傷してしまったようだった。肩がかっと熱を持ち始め、どうにも腕が重たく感じる。しかしロクはそれを忘れてしまおうと、一層集中力を高めた。
 二枚の翼を背に生やした神族が、雷の光線に射抜かれて急速落下した。どごん、と、神族が地面と衝突する激しい音がしても、ロクは警戒を解かずにいた。
 衝撃の余波の風を受け、若草色の長髪が靡く。
 
 フィラが、メッセルの胸元の銃痕のまわりに慎重に治療薬を塗布していたのだが、音につられて視線を上げた。
 ロクの横顔を遠くに眺めて、彼女はふいに口を開いた。

「ロクちゃん、とても悔しがっているように見えたわ。コルド副班長から諫められたときのこと……。私は、当時の戦場がどうだったのかを知らないけれど……いつもだったら、嫌なことは『イヤ!』ってはっきり言って、したいことはどんなに難しくても挑戦して、食べたいものは『食べたい』って本能のままに言っちゃうあの子が、あのときのことは、なにも言わないの」

 フィラはすこし笑みを交えながら、ガネストにそう言った。
 義母が亡くなったときのことでさえ話してくれたロクだったが、ノーラとの戦場から一時撤退を強いられたときの話は、フィラは一度も聞いたことがなかった。あれから何日も経過している。すっかり気持ちを切り替えていて、もう落ち込んでいないのであればよいのだが、なんとなくフィラは気楽な心地になれなかった。
 ロクがその話題には触れず、日々ひたすらに研鑽を積み重ねている。たったそれだけのことに、妙な焦燥を抱くまであった。

 ──もっと、もっと自分に力があったなら、コルドが重症を負うことはなかった。
 また、上流階級の貴人たちの居住区だったウーヴァンニーフもいまや機能不全だ。死者が出ていないのは奇跡でも功労でもなく、ノーラが"そう"巧みに操作をしたからにほかならない。もし、ノーラが、人間に対して敵意のある神だったなら被害の規模はこの程度では収まっていないだろう。コルドとて命を落としていたかもしれない。
 思い出して、最悪の事態を妄想して、あたかもそれが起きてしまったかのように苦い心地になった日が、何日も何日もあって、ロクはいわれようもなく苦しかった。
 神族を目の前にして、仲間を置いて逃げた事実に耐えられなかったロクはあのとき、レトヴェールを必死に説得したのだ。

『やっぱりだめだ、レト、止まって! あたしこのまま逃げたくないよ。戻りたい! コルド副班が死んじゃうよ……! あたし、そうなったら、悔しくて悔しくて、やりきれない……!』

 ロクは、真に迫った表情で何度も叫んだ。レトは深く悩んだ末に、二つの条件を出した。一つは決して無茶をしないこと。二つめは、コルドの邪魔をしないことだった。それから、戻るなら自分も一緒に、とレトは付け加えた。それらの条件を守ると約束して、ロクとレトはともに踵を返したのだった。

 夜空の上から降ってきた神族の、その落下地点の付近では、緊張が走っていた。ロクはまだ息を止めていた。そのうちに、神族の影が、ゆらりと身を起こした。両肩にあった翼は、どちらも雷撃に触れて焼き切れて、灰になった羽や骨がぼろぼろと、風にさらわれていく。
 ざっくばらんに伸びた白い長髪が、ゆらりと動いてから、神族は身体を左右に揺らしながら、しかしたしかな足取りでロクに近づいてきた。
 やはり、致命傷は与えられなかったみたいだ。
 神族は、あー、と汚い声で発声してから、面倒くさそうに外套の内側に手を差し入れて、懐をがりがりと掻いた。

「……だから言ってンだろ、カユいだけだ。オマエの電気なんてさ。いくらそいつをぶっ放そうが、足掻こうが、なにもかも無意味だ!」

 風にはためく外套をばさりと開いて、神族は上半身を露わにした。首のすぐ下から腰の上までの胴部が"なくなっている"。正確には、胸を中心に大きな空洞がぽっかりと開いていて、暖簾のように黒い血がたえず空洞に幕を張っている。ロクにそれを見せつけるだけでは満足できず、神族は畳みかけた。

「見てみろ! オマエが必死になって、どてっ腹に穴を空けたって死にゃしねーんだよ、"神"は! オマエたち人間と違って……心臓がねえんだからさァ!」

 神は心臓を持たない──ノーラが死に際に放った言葉が、脳裏に蘇る。またノーラは、「神に心臓を与える術がある」とも言っていたが、いま目の前にいる神族の態度は余裕に満ちている。おそらくまだ心臓を与えられておらず、斃す手段のない状態なのだ、というのがロクにもなんとなく察せられた。
 ロクはこのとき、気落ちしそうになるのをなんとか保とうとした。
 ──なにを隠そう、神族に心臓を与える方法が、いまだわかっていない。
 それを判明させるにしろ、ほかの方法を探るにしろ、いまは目の前に立ちはだかる神族との終わりの見えない戦闘を続行しなければならなかった。
 
「ノーラの阿呆、わざわざ心臓をもらってやっておっ死んだらしいな。とんだ阿呆だ! なにが面白くてそんなクソほど意味のねえことをしたんだ? あいつは昔から意味わかんねえんだよな。サッパリだ」

 大きな声で、満足がいくまでべらべらと独り言をしていた神族が、突然赤い瞳をぎらつかせて、ロクに向かって舐めるような視線をくれた。

「まあいいや。オイ、ザコ! ようやく、身体ぁ、あったまってきたんだ! 準備運動の礼に名乗ってやってもいいぜ。なあ、知りてえんだろ!?」

 神族は、大仰に片腕を天に突き上げた。
 途端のことだった。あたり一帯、無造作に倒れ、折り重なっている木々の幹や枝葉、それら断片や、虫の死骸、獣の骨片が、風も吹いていないのに蠢き始める。
 ロクが目を見開いて、警戒を身に纏っていると、視界の端に映ったある虫の死骸が、一瞬にして炭と化したように黒ずんだ。それは地面の上をのたうち回ると、縮小を繰り返しながらどんどん膨らんでいく。歪な形状をしたその黒い塊は、見る見るうちにロクの背丈よりも大きくなり──。
 
 顔、と思われる外郭の一部に、血濡れたように赤い目を、宿した。
 ロクは、信じられないものを見る目で"それら"の相貌に釘付けとなり、一瞬の間完全に静止した。

「我が名は【CRETE】(クレッタ)。創造神ヘデンエーラよりめいと肉体を賜った、"生命"を司る神だ!」

 ──それらが"元魔"であると、感情よりも先に頭が理解してしまったからだった。

「……げ、元魔────」

 謎に包まれた存在といわれてきた、"元魔"。
 それは神の使者とも、悪魔ともされて、世界中の人々を苦しめてきた悪しき存在を指す。
 
 二百年前、神族がこの国から消え去った当初から、まるで入れ替わるように世界各地で出現するようになった謎の生命体がこの元魔だ。元魔という呼び名も人間が定めた。神族となんらかの関わりがあると判断されて研究も進められてきたが、生態も出生もいまだ解明されていない。次元の力でのみ排除できるがゆえに、政会も次元研究所も次元師を雇っているのだ。

(元魔は、神族が……クレッタが、生み出していたものだったんだ!)

 "生命を司る神"、と自称した神族──クレッタの周囲に、黒き魔物"元魔"が出現する。十体や二十体では収まらないほど数多く、ひしめき合い、不快な叫び声で彼らは輪唱した。

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.156 )
日時: 2025/02/02 19:42
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第139次元 時の止む都ⅩⅤ
 
 目の前に広がる光景に気を取られていると、クレッタがロクアンズを指し示して叫んだ。

「オイ、食事だ! ヤツを食らい尽くせ!」
 
 有象無象の黒い塊──元魔らが、クレッタの声に応じる。それらは束になって地面から跳ね上がり、ロクを目がけて落下してくる。
 しかしそのとき、視界の端から飛んできた大蛇の頭が、数体の元魔に食らいかかった。
 紅色の鱗をした大蛇、『巳梅』は頭を大きく振り乱して、食らった元魔を嚙み砕く。取り逃がした元魔は、太く長い肢体で鞭打って、跳ね返した。
 ロクの傍らまでフィラが駆け寄ってくると、彼女もまた驚きを隠せないといったように、強張った表情をしていた。

「フィラ副班! ガネストたちは?」
「もう平気よ。治療をして、全員の無事を確認したわ。それよりも、ロクちゃん、これって……! 元魔よね!? 私にはなんだか、いま、神族の傍から湧いてきたように見えるのだけど……!」
「……"生命を司る神"、【CRETE】(クレッタ)って名乗ってたよ。予感はきっと当たってる! あいつが、元魔を生み出してる張本人なんだ……!」
「そんな……」

 二人で息を呑んでいると、『巳梅』がらしくもなく唸った。ロクとフィラが同時に振り返り、眼前まで元魔が距離を詰めていることに遅れて気がついた。地面から跳ね上がった元魔の数体を、ロクが"雷撃"で焼き払う。反対に地面を這って突進してきた元魔らを、『巳梅』が肢体で鞭打ち、撃破した。
 両翼を持つ、竜の姿に似た小型の元魔の背に乗って高見から見物をしていたクレッタが、ハッと鼻を鳴らした。

「べらべらしゃべる余裕があるんだな! それになんだよ、さっきから。そのゲンマっつーのは。名前なんか与えてねえよ、勝手につけやがって」
「あなたがこれを生み出して、この世界に放ってたの? いったいどこから、どうやって……!」

 ロクは声を張り上げて、問いかける。クレッタはしごく面倒くさそうな顔をして、それには答えず、緩慢な動きであたりを見渡した。視界の先に、猫の死骸を見つけたクレッタが、それに向かって手を伸ばした。するど死骸は、まるで粘土のごとくぐにゃりといびつに変形し、見る見るうちに姿かたちを変えていく。そして腐った皮膚がより黒く変色して、やがて完全に真っ黒の塊となってしまうと、塊から奇怪な手足を生やす。こうして、元魔は造り出されていく。
 盤面に駒を並べるみたいに、ロクとフィラにやられてしまった数をあっという間に取り戻すと、クレッタは口を開いた。
 
「力の感覚を取り戻すための練習で造ってたんだ、これは。つーか、それしかやることなかったんだよな。ぼこぼこ、ぼこぼこ造って。でも、造ったら消えるんだよな。まあどうでもいいんだけど。それで、やっと目ェ覚めた! 最高の気分だ!」

 かっと頭にきて、ロクはたったいま生み出されたばかりの元魔に激しい"雷撃"を振るった。元魔の身が粉砕し、黒い破片が飛散するのをクレッタはたいして感情のこもっていない目で見過ごした。
 ロクはきつく眉を吊り上げて言い募った。

「練習……? 元魔のせいで何人もの人が、大切な人を失って、傷ついて、いままで生きてきたんだ! それをわかってるの!?」

 ロクの身体から高圧の電気が飛散する。宙を飛んでいるクレッタのちょうど真下にあたる地面に、円を描くように眩い光が走った。クレッタを目がけて"雷柱"が立つと、しかし、クレッタは小型の竜の元魔を踏み台にして跳躍し、回避した。クレッタの眼下では、踏み台にされた元魔が炭と化して、はらはらと消滅しだした。

「うるせえな」

 怪訝そうにクレッタが眉をひそめたとき、殺気を嗅ぎつけた鼻がぴくりと動いた。人間のそれよりも長く尖った耳が立つとクレッタは真横を向いた。大口を開けた『巳梅』が、獲物を丸呑みにせんと飛んでくるが、クレッタは両腕をぶらぶらさせながら身を反らして、それを躱した。
 『巳梅』の傍でクレッタを睨んでいるフィラも、憤った声で続いた。

「『うるさい』で、済まされる話じゃないのよ」
「ハハ。怒った、怒った」

 悪童のようにわざと神経を逆撫でするような物言いで、ころころと笑い、クレッタはまた気分次第で元魔を創造する。
 そうはさせるかと意気込んで、ロクとフィラは互いに連携をとりながらクレッタに攻撃を仕掛け続けるも、動きに変化が訪れていることにロクは気がついた。一対一で相対していたときとは、元魔が戦場にいることや、またフィラが参戦していることなど違いはあるが、そうではない。時間を追うごとに、クレッタ自身の動きが洗練されたものになっていく。
 雷を振るい、撃ち、落とし。蛇身がしなり、噛みつき、咆哮を浴びせても、クレッタは見事な軽快さで踊るようにくるくると立ち回り、難なくそれらをいなす。ときおり元魔を盾にして棄て置けば、次元師たちの攻撃を回避する片手間に、いくらでもあたりに転がっている木片や死骸を使って元魔の創造を繰り返す。
 これでは分が悪い。ロクたちの体力が消耗する一方だ。

「……」

 ロクは思考を巡らせて、すかさずフィラのもとへと向かった。合流してすぐ、「フィラ副班、耳貸して!」と彼女は言うと、相手の返事も聞かずに"雷円"を発動した。ロクとフィラを覆い隠すように、半円状の雷の幕が張られると、その幕に触れた元魔の身体が電気にあてられ跳ねかえった。しゅうしゅうと煙をあげながら転げ回っていった元魔を、呆然と見つめていたフィラが我に返ったのは、ロクが息を潜めて声をかけてきたからだった。

「このままじゃ埒が明かないよ。だから、作戦を聞いてほしいんだけど……」

 ロクは、頭の中で考えた策をフィラに耳打ちした。フィラはそれを静かに聞き終えると、笑って一言返したあと、すぐに頷いた。
 それから間もなく、"雷円"に大きな負荷がかかり、あたりが震動した。はっとして、二人が頭上を見上げると、クレッタが大股を開いて幕の上に座り込んでいた。

「なにをコソコソしてる。出てこいよ、なあ!」

 クレッタが拳を振り下ろしたと同時に、強い衝撃で"雷円"が破られると、ロクとフィラは左右に散って回避した。
 そして至近距離からクレッタに仕掛ける、かと思えば──否、二人ともクレッタの真横をすばやく通り抜けて、周囲に集っていた元魔に襲いかかった。

「何度避けてもおなじだ!」

 細い脚で飛びあがり、クレッタはフィラの頭上から踵を振り下ろした。だが間一髪のところで、『巳梅』が間に割って入り、甲高く啼き喚く。真向から咆哮を浴びたクレッタは眉根を寄せ、空中で一回転すると、宙に浮いている元魔を足場に着地した。
 間を置かずにクレッタは、次に目に入ったロクを標的に据える。飛び跳ねる。長く尖ったかぎ爪は鋭い光を降らして、ロクは頭上を仰いだ。しかしクレッタの姿を視認するとすぐに目を逸らして、脱兎のごとく駆けだした先で、元魔の一体に電撃を見舞った。
 クレッタは、だん、と地面を鳴らして、獲物が逃げたばかりの地点に着地する。苦々しい表情で一瞬、黙ったあと、不機嫌そうな声色で喚いた。

「……なんだ? オマエたちも、ノーラみたいなことするんだな。あいつも、阿呆だと思ってコケにしやがってよ! 無視すりゃイキり立つとでも思ったか!? バーカ! なんべんでも生み出せるんだよ、こっちは!」

 叫んでから、クレッタは手のうちに捕まえた腐った魚鱗を、乱暴に握りこんだ。
 そのとき。
 クレッタは、ロクが視界から消えていることに気がついた。

「──隙、見つけた!」

 あたり一帯に蔓延る元魔の影に隠れたロクが、指をまっすぐにクレッタへ向けた。
 指の先一点に、激しい電気が纏いつく。
 瞬間。六元級の"雷砲"が──クレッタ目がけて一直線に奔走した。

 クレッタの短絡的な性質を利用する、と見せかけて元魔を生み出すその隙を狙う作戦を実行してみたい、とロクは提案した。元魔の相手を続けたところで、クレッタはどうやら無尽蔵にそれを生み出せてしまうらしいし、それに反してロクとフィラは技を行使した分だけ元力を消費し続けてしまう。それならばやはり標的にするべきはクレッタであり、元魔を生み出す、という作業をさせることでより多く隙をつける戦況に持ち込んだ。そこに加えて、あえてクレッタを相手にしないでいれば、きっとクレッタは短絡的な思考で「わざと相手にしないのは神経を逆撫でしたいからではないか」と誤った思考をしてくれるはずだ。それは、元魔を生み出す隙を作らせる、という真の目的を意識させないための布石の役目を果たしたのだ。
 フィラはこれを聞いて真っ先に、「レトくんが考える作戦みたいね」と笑みをこぼしたのだった。

 雷の砲撃が空間を真一文字に焼き切って、刹那のうちに、クレッタの赤い眼前に差し迫った。
 電気の糸が眼球に触れる。
 ──はずだった。

 後頭部をがつんと強い力で殴られたような感覚がロクとフィラを襲う。
 脳の裏側から意識が引っ張られる。一瞬、不快な浮遊感で胃の中がぐるりと回って、そして──。

 ぱちりと瞬きをして、次に目を開いたとき、ロクは電気を纏っただけの指先を見つめ、呆然としていた。その隙に、いつの間にか眼前に現れたいびつな鱗を貼りつけた黒い奇形が大口を開けて、鋭い歯でロクの肩口に食らいついた。

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.157 )
日時: 2025/02/09 21:27
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第140次元 時の止む都ⅩⅥ

「──ッ!」
「ロクちゃんっ!」

 ロクアンズの首筋から血潮が噴き出した。表情を歪めると、彼女はすぐに身体中から電熱を放った。

「五元解錠──雷撃!!」

 猛烈な電撃を間近で浴びせられた元魔は奇声をあげながら天を仰いだ。黒い皮膚がはらはらと剥がれ落ち、元魔がゆっくり倒れゆく間に、ロクの胸は激しく脈打っていた。首元を噛まれたことではない。"雷砲"を撃ち放ったはずがまるで跡形もなくなっているし、六元級の力を放ったあとの手ごたえも一切手元に残っていない。意気込んだのにそれがぱっと消えてしまったようななんとも言えない徒労感や、肩透かしを食らったような気分とでもいうべきか──。
 フィラのほうを見やれば、彼女もまた不思議そうな顔をしていた。ロクは自身の手を見下ろした。
 
(いまのは──)

 地面がゆったりと震動し始めて、ロクははっと顔を上げる。
 するといままで地面の上でぐったりとしていたアイムの身体が小刻みに揺れだしていた。
 アイムの赤い瞳が、痛いほどぎらぎらと輝いている。
 アイムの全身に絡まり、纏わりついていた木々の根もふっと力を失って、アイムを解放する。肩を鳴らしながらクレッタは、起き上がったアイムに向かって声を飛ばした。
 
 「もう十分休んだだろ。こいつらをまとめて始末するぞ」

 ロクとフィラは固唾を吞みながら、この十尺はある灰肌の化け物を、否、時間の神を凝視した。
 アイムはうわごとのように、ただ「信仰しろ」「信仰しろ」と繰り返して、巨躯をゆったりと揺らしていた。
 
 これがガネストの言っていた、"時間を司る神【IME】(アイム)"だ、とフィラは心の中で呟いた。
 
 ガネストが力を振り絞って話してくれたことには、アイムは致命傷となりうる襲撃を受けた際に、それを受ける直前まで"時間"を巻き戻し、相手が戸惑ってまごついている隙に反撃を仕掛けてくるのだという。だが、どうやら時間の巻き戻しは体力を消耗するようで、疲労すると時間の巻き戻しをしなくなる。また、アイムは肌が灰色に変色している間は、決して理性的ではない。「信仰しろ」という言葉を一辺倒に呟いていて、なりふり構わずに攻撃的な姿勢をとる。
 通信具を介して、フィラは、アイムについてガネストから聞いたことをロクに端的に説明した。
 
 ロクは話を聞きながら、コルドから聞いた話を思い出していた。「信仰しろ」という言葉はたしかノーラも口ずさんでいたらしいのだ。それに、その攻撃的な姿勢になる直前に、全身の皮膚が灰色に変色してしまうことなども、ノーラの状況と一致していた。
 少しの間それを思い出しただけで、ロクは改まってアイムの様相を見据え直した。
 
 フィラは、ロクへの共有を済ませたあと、思案した。
 
(時間を巻き戻す能力はとても厄介だわ。強い攻撃を当てようとしても、巻き戻されて、その隙を狙われる。ガネストくんもなんとか対応したという話だったし、きっととても大変だっただろうけど……もう一度気絶させて、戦闘不能にするしかないわね)

 ロクがちょうどこちらを振り返って、互いに頷き合う。ロクは飛び跳ねて、次から次へと立ちはだかる元魔を退けながらまっすぐアイムを目指して直進した。その導線を観察しながらフィラも『巳梅』を放つ。ロクが轟音を鳴らし、雷光を散らし、派手に立ち回る影に潜んで、『巳梅』は頭部から勢いよく飛んだ。
 フィラは声を張り上げて詠唱する。

「五元解錠──"咬餓こうが"!」
 
 鋭い牙の根元まで剥き出しにし、『巳梅』は大口を縦に開けた。狙った獲物を確実に仕留めんとする獰猛な蛇がごとく敵意を孕んだ襲撃は、しかし、ぱちりと瞬きをした瞬間に"まだ起きていない"ことにされた。時間の巻き戻しをされた、とフィラが気がついたときには、『巳梅』の頬に巨大な灰色の腕が叩き込まれていた。

「巳梅!」

 巨腕から繰り出された殴打が、いともたやすく大蛇たる『巳梅』を弾き飛ばした。宙を跳んで、『巳梅』は肢体をうねらせながら崩れた建物の一角に真っ逆さまに落下した。
 より重量のある轟音があたりに鳴り響く。フィラはすかさず耳を塞いで、すぐに、薄目を開きながら『巳梅』の落下地点に視線をやった。
 しかしすぐに、背筋がぞくりと震え上がる。
 背後に獰猛な生き物の気配を感じ取って、フィラは目を見開いたが、振り返る暇はなかった。

「ヘビの心配をしてるのか?」

 見た目から想像するよりもずっと人間の男じみた低い声で、口を薄く開いて笑ったクレッタが、フィラの臙脂色の髪を乱暴に掴みあげた。小さく呻き声をあげたフィラの足先が、ふっと地面から離れ、宙に浮く。足はどんどん地面から離れて、高く高く吊り上がっていく。驚くのと、頭部が痛いのとで思考が支配されていると、いつの間にかクレッタの様相が変貌していた。それはまた熊にも虎にも見える、筋肉の発達した巨大な二足歩行の生き物だった。
 クレッタは掴みあげたフィラの頭を、身体ごと地面に叩きつけた。フィラは、あばら骨がぐきりと歪み、さらに臓器が圧し潰される嫌な音を聞いた。そして咽喉が圧迫されたせいか、呻き声よりも先に唾液が吐き出されて、必死に頭を上げようとすると、それが地面の上から細く糸を引いた。

(なんて……強い力なの)

 『巳梅』のもとに駆けつけてあげたいのに、全身が硬直してしまったように動かない。絶えず頭上から降り注ぐ獰猛な生物の威圧感を受けて、生物としての本能から「抗いたくない」と身体が叫んでいるかのようだった。それならば意識を手放したほうがまだ人間的であるのに、次元師としての「抗いたい」本能が、それを許可せず、二つの意志が拮抗している。
 遠くでロクが叫んでいる、その声が聞こえてくる気がした。
 
「フィラ副班!」

 ロクは焦った表情で叫ぶと、フィラもとへ向かおうと駆けだした。しかしそのとき、ロクは視界の端で灰色の残像を捉えた。アイムの全身から奇妙に伸びている複腕のうちの一本が、ロクを目がけて猛威を振るった。

「邪魔だっ!! ──五元解錠、"雷撃"!」

 激しい電撃が放たれて、巨腕はのけぞり天を仰いだ。急いで、ふたたび駆けだした、途端。眼前に灰色の影が迫る。ロクが瞠目するのもつかの間、小さな身体とそれが正面から衝突した。
 灰色の巨腕だった。べつの一本がすでに放たれていたことに気づかず、ロクは対処が間に合わなかった。
 頭の前のほうが激しく揺れて、視界もはっきりしないうちに、ロクは宙を飛んでいた。それから朽ちた街路樹の幹に背中からぶつかって、ぐしゃりと崩れ落ちた。
 ──はやく助けに行かないと。そう思うばかりで身体が思うように動かない。
 どく……どくと、心臓が、全身に流れる血潮が、高揚している。

(……──なに? なんだか、おかしい)

 クレッタに痛めつけられた頬が、アイムに痛めつけられた腹が、痛みを通り越して、熱を帯びていく。皮膚が悲鳴をあげているような熱じゃなかった。もっと、違う──いうなれば、昂ぶりだった。戦場だからこその感覚なのか、追い詰められているからなのか、ロクにはわからなかった。ただ身体は、激しく心臓を鳴らし、酸素を回し、内側からロクの意思を渇望している。

 動け、と。体内に蔓延する元力粒子が、ロクの意識を鮮明にせんと活性化する。
 ロクは木の根にぐったりと凭れかかり、ひどい姿勢のまま、なにかに突き動かされるように手のひらを地面につけた。

「六元解錠」

 霞む視界の奥で、クレッタがフィラの頭部を掴みあげて、ぶらりと彼女の身体を揺らした。
 新緑の瞳に、雷光が宿る。

 クレッタ、そしてアイム──"両方"の足元に、雷が円となって迸った。間髪入れずに、二本の轟雷の柱が立つ。噴出する雷の渦に飲み込まれたクレッタとアイムは、激しく輪郭をぶれさせながら、天を仰いだ。
 途端に手を離されて、フィラは地面の上に落ちた。激しく咳きこんだのち、電気の糸を浴びてフィラはぎゅっと目を瞑った。ぱっと顔を逸らし、おそるおそる見上げると、電撃に焼かれ続けるクレッタの姿が目に入った。
 ロクが雷柱を放ってくれたのだ、とわかってすぐに、フィラはクレッタから離れた。そして身体を引きずるように駆けだすと、一心不乱に『巳梅』のもとへ向かった。

「巳梅っ!」
 
 『巳梅』は、建物を下敷きにして、とぐろを巻きながらぐったりと横たわっていた。だが、フィラが近づいてきて、何度も声をかけると、目を覚ました。次元の力は頑丈だ。それに本物の生き物ではないから、『巳梅』が死ぬことはないのだが、それでもフィラは『巳梅』が無事に起きあがったことに深く安堵した。

「巳梅……ごめんなさい」

『巳梅』は、頭を持ち上げて、フィラのほうへもたげると、「キュルル」と元気そうに聞こえる声で鳴いた。

 二体の神族を目の前にして、フィラは、底知れない不安を抱えていた。
 とにかくアイムを戦闘不能にしなければ。そればかり考えていて、肝心の戦闘は詰めが甘かったし、なによりもまずクレッタの存在を無視できないのだ。どんな戦況に持ちこむにせよアイムの能力と、クレッタの動きをどちらも最優先で考えなければならなかった。
 
 強い意思があればどれほど困難でも立ち向かえると思っていた。過去を振り払い、『巳梅』と向き合うことを決意できた自分と、それを導いてくれたロクが力を貸してくれるなら、きっとどこまでも意思を高められる。しかし、生命の神クレッタに組み敷かれ、意識を投げ出したい自分が顔を出して、次元師としての自分と鎬を削ってしまった。
 フィラは恥ずかしくて『巳梅』に顔向けができず、俯いた。
 そして下唇を噛みながら、心の中で自分を叱責して、すぐに顔を上げる。
 
 思考を止めてはいけない。考えがないのなら、生み出さなければならない。クレッタを凌ぎながら、アイムの能力を封じる方法を。

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.158 )
日時: 2025/02/16 21:49
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)


 第141次元 時の止む都ⅩⅦ

 フィラはきつく眉根を寄せ、真剣な表情で戦場を振り返った。ロクアンズが生み出した二本の雷の柱はふっと立ち消えて、二体の神族──クレッタとアイムが、ぐらりと身体を揺らしていた。
  
(山奥でのどかに生活していた私は、もともと頭を使うことはそんなに得意じゃないのよね。それなら……)
 
 またロクに策を講じてもらって──いや。フィラはかぶりを振った。戦闘部班第二班の副班長を任された以上、自分は現場で指示を出す立場でなければならない。
 それにどうしても、クレッタを許せない気持ちが大きかった。
 
 しかし、ガネストが行ったように、アイムが致命的だと感じた攻撃に対して巻き戻しを行う地点を逆算しわざと巻き戻させて消耗させる──という作戦は、聞くだけでもフィラには向いていなさそうだった。

(私とロクちゃんにならできること……──)
 
 フィラは握りこんだ拳を見つめて、顔を上げた。『巳梅』を"幻化"によって小さくさせたあと、手のひらに抱えて走り出す。
 戦場に戻っていきながら、フィラは片耳に指を添えて、ロクと通信を図った。

「ロクちゃん、意識はある!? 聞いてほしいことがあるの。あんまり自信はないんだけど……。耳を貸してくれるかしら……!」

 耳元からフィラの声が聞こえてきて、ロクは意識を取り戻した。どうやら、半分気を失っていたようで、変わり映えのしない荒れたサオーリオの街並みが視界にうっすらと浮かび上がってくる。
 そのとき、突然、頭が痛くなって、ロクは咄嗟に左目を細めた。

(っ、なんだ……?)
 
 傷の痛みとも違う、覚えのない頭痛が、寄せては返す波のように断続的に、ロクの頭を締めつける。
 ずきずきと増していく痛みに耐えていると、耳元から「ロクちゃん?」と、返事をしないロクを案ずる声が聞こえてきた。
 痛みが引く気配はなく、「うん」と小さく返したロクは、フィラの作戦を頭に流しこむと、よろけた身体で立ち上がった。

 かっ、と赤い目を開く──すると、眼前に、臙脂色の短髪を靡かせる人間の女がいた。フィラは、唐突に目を開いたアイムの視界に入って息を呑む。
 フィラを視界に捉えたアイムは反射的に太い腕を薙いだ。そのとき。アイムは遠くから鋭い気配を察知した。しかし気がついたときには遅く、瞬間、太い腕の中腹に風穴が開いた。
 稲妻だ。高い枯れ木の枝に腰を下ろしているロクが、アイムに向かって雷砲を放っていた。しかしロクは直後、何者かが背後に立つのを感じ取った。獣の気配。どこからともなく接近していたクレッタの鋭い爪が容赦なく脇腹を貫通した。

「──っ!」
「さっきのは熱かったな。なあ」
 
 ロクは苦悶の表情を浮かべ、クレッタを睨み返す。そして、全身から猛烈な電気を放出した。"雷撃"が、ロクごとクレッタを黄金の光に包み込む。電撃の放出は止まらない。もっと、もっとだ。フィラが危険に陥ったときにやってみせたように、もっと強く、自在に、雷の力を使うことができれば──!
 がんがんと頭に響く痛みが、秒を追うごとに増しているのさえ焼き切ろうとするように、ロクはさらに電熱を上げ続けた。
 歯を食いしばっていると、はた、とロクは唐突な浮遊感に襲われた。我に返ったときには、ロクの近くにクレッタの姿がなかった。その代わりに、フィラと対峙しているアイムが太い腕をフィラに振るおうとしているのが見えた。時間の巻き戻りが起こった。ふたたび"雷砲"を放とうとすごんだが──後ろから、その背中を強い力で蹴り飛ばされて、ロクは木の上から飛び出した。ロクがさっきまで立っていた場所には、片足をあげたクレッタが立っていた。
 
「イライラすんなぁ! オマエ!」
「そ……れは! こっちの台詞だ!」

 落下していきながら、ロクは電撃を身に纏った。両腕を広げて準備を始めたロクを見下ろして、クレッタの縦に伸びた耳がぴんと動いた。あの雷の柱をまた二つ生み出そうとしている。そう本能的に察知したクレッタは、奥歯まで剥き出しにして「アイム!」と乱暴にがなった。

「時間を戻せ!!」
 
 ──アイムの赤い両の瞳が、強く瞬いた。後頭部を引っ張られる感覚とともに、ロクとフィラは、たった数刻前の時間軸にまた連れ戻された。アイムの巨腕が、クレッタの猛攻が、二人に襲いかかる。しかしロクもフィラも、必死でそれらに食らいついた。
 次元師としての元力を、人間としての体力を、どんどん奪われていく。それらがもはや底を尽きつつある二人だったが、ロクはしきりにあたりを見渡し、着実に"確認"を進めていた。
 ロクは、何度目かの時間の巻き戻しを経て、クレッタの蹴りを回避し、街中に蔓延る元魔の群れの中へ飛びこんだ。無数の元魔から襲撃を受けるがそれも躱していく。疲労しているはずなのに、ついてきてくれる限り身体を酷使した。ロクは息を切らして走りながら、視界の先に見えたアイムとフィラの姿を観察する。それから、片耳に指を添えて言った。

「フィラ副班! こっちはもう大丈夫! あとは運次第だけど……できるだけ、やってみる!」

 加えてロクは、なにかをフィラに指示した。
 途端、アイムの大振りな殴打が、フィラに襲いかかろうとした。しかしフィラは慣れてきたといわんばかりの素早さで、身を屈んで回避した。フィラが退場するのと入れ替わって、ロクがアイムの背中に向かって手を翳す。
 ロクの右腕に、猛烈な電気が迸る。

「背中がガラ空きだ。とびきりの穴を開けてやる──!」
 
 身に纏う電気が、一層強く光を放つ。かっ、と眩い光があたり一帯を焼き尽くしたとき、その光に負けじとアイムの赤い瞳がぎらついた。
 が、しかし。瞬いたのはほんの一瞬で、アイムの瞳の光はゆっくりと勢いをなくしていった。
 雷光が明滅して、街中を照らしだすさなか、煩わしそうに表情を歪めているクレッタが、アイムの様子がおかしいことに気がついた。時間が巻き戻らない。クレッタは、口の端を吊りあげて叫んだ。

「オイ! もうへばったのかよ! 使えねえな!」

 雷光が、晴れる。
 クレッタは、次に目に飛び込んできた街の風景に、違和感を覚えた。

「あ?」

 光に充てられた、大小さまざまな元魔たちが、ぐわんぐわんと身体を左右に揺らしていて、行動不能だ。
 くん、とクレッタの鼻先が疼く。
 なにかの匂いが、足りない。
 クレッタが勢いよく振り返ると背後から、ロクに指をさされていた。
 ロクはなにも声に出さず、ただ口をはくと動かして、「残念」とでも告げたようだった。

 がぱ、と開いたのは、巨大な蛇顎だった。
 
 途端に視界が暗くなってクレッタは首を真上に向ける。次の瞬間、猛烈に剥き出しになった"生物の殺意"が、生命の神を頭から丸ごと吞み込んだ。

(こいつ、の殺意、さっきの光に紛れ──)

 数多に蔓延る元魔たちを全身で圧し潰した『巳梅』の頭と顎が勢いよく嚙み合った。その口内では、上顎に立つ牙が生み出す聞くもおぞましい不快な咀嚼音と、"液体"とが溢れて、外に漏れ出していた。

「──六元解錠、"芯毒しんどく"……!」

 伸ばした腕が震えていたが、フィラは、クレッタを確実に嚙み潰したと確信を得るまでは、気が抜けなかった。しかし、心音をうるさくさせていると、風とともに時間も刻一刻と経過する。指先からふっと力を抜いて、フィラはようやく、深く息を吸った。
 
 ロクはフィラから作戦を聞いて真っ先に、「途中でへばらないようにしないと」と思った。これは真に、体力が結果に繋がる──なんとも単純で誤魔化しが利かない作戦だった。
 
 "雷柱"を食らったアイムが意識を取り戻す直前、フィラは小さくしておいた『巳梅』でアイムに"芯毒"──つまり、毒を注入した。
 アイムはその後すぐに目を覚ましたが、作戦の一段階はこのときすでに達成していた。あとはアイムにあらゆる次元技を仕掛け続け、何度も時間を巻き戻させることで、アイムの体力を削っていくだけだ。毒で神経を狂わせ、早めに体力が尽きるように操作したのが、この作戦の肝だ。
 ではクレッタはどうするかというと、フィラは、あえてクレッタの攻撃は受けても避けてもどちらでもいいとロクに告げた。時間の巻き戻しをさせてしまえば受けた傷はその時間軸の状態に戻る。早めに攻撃の種を撒いておいて、できるだけ多くの時間を巻き戻しさせる──これさえ守れば、最終的には、怪我も少なく、アイムも気絶させられるからだ。
 もちろんクレッタの存在を完全に放置していても意味はない。だからフィラは、作戦の終盤でクレッタにも"芯毒"を与えられるよう、ロクに協力を頼んだ。ロクは、派手な動きと次元技で戦場を掻き乱しながら、フィラと『巳梅』の姿がクレッタの視界から外れるような位置を探し回っていたのだ。大小さまざまな元魔が大量に蔓延ってくれたおかげで、隠れ蓑候補が多く、助かった。
 雷光に紛れ、牙を光らせた蛇が素早く獲物をしとめる瞬間を、ロクはその目にしたのだった。

 フィラは瓦礫の山の上に立ち、風に吹かれる。眼下では大蛇の下敷きとなった無数の元魔たちが黒い粒子状になり、さらさらと砂に還ったり、息も絶え絶えなのか無様な歩き方をしたりしていた。
 いまや『巳梅』の口内で咀嚼され、姿の見えないクレッタに向けて、フィラは燻っていた感情を吐露した。
 
 「生命の神だとあなたは言っていたけれど……草木を傷つけ、生物の命を愚弄するあなたには相応しくないわ」

 震える手で拳を作って、握りこむ。ロクの無事を確認しに行こうと足を踏み出した、そのときだった。
 『巳梅』の口ががぱりと縦に大きく開いた。低い唸り声をあげたのも、すぐに掻き消える。灰色の両腕を伸ばしたクレッタが、無理やりに口を開かせて姿を現したのだ。その姿は巨大化した『巳梅』の大きな顎を開かせられるほどに大きく膨れ上がっていて、またしても筋肉の発達した野生の獣だった。『巳梅』は顎を震わせ、なおも噛み潰そうと抵抗していたが、びくともしなかった。
 毒の影響なのか、震えだした灰色の太い腕でしかしがっちりと『巳梅』を制し、クレッタは、奇妙な笑い声をあげた。

 「ああ、戻ってきた」

 それから、破裂音のような笑い声が空気一帯を振るわせて、どこまでも高らかに響き渡った。

「力が、だんだん戻ってきて……これだ。アハハ! ハハ! 気持ちがイイ! 最高だ!」
 
 クレッタの四肢がさらに太く膨らんだ。そしてついに『巳梅』は力尽きて、拮抗していた力がふいに、緩み始める。瞬間。クレッタは巳梅の毒牙を掴んでへし折った。『巳梅』がぐらりと後方にのけぞるのがわかって、フィラはさあっと顔を青くさせた。

「巳梅!」

 フィラの悲痛の叫びも虚しく、『巳梅』が地面の上に首を倒した。大きな音が鳴り響いて、激しく舞い上がった土埃がフィラの視界を覆った。フィラは咄嗟に『巳梅』の身体を小さくさせようと手を伸ばした。
 が。フィラは思うように術が発動できず、ぴくと指先を弾いただけだった。

「え?」

 『巳梅』の身体に、異変が訪れる。地面にべったりと突っ伏す巳梅が、薄く両目を開いていた。その目は血濡れたように真っ赤だった。
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.159 )
日時: 2025/02/23 19:08
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第142次元 時の止む都ⅩⅧ

 『巳梅』は、倒れたばかりだというのに、ゆっくりと首を持ち上げて、けたたましい雄叫びをあげた。するとどうしたことか、『巳梅』は突然、四肢を乱暴に振り回し、我が身も顧みずに建物や木々に衝突しだした。
 クレッタが喉を鳴らして、愉しそうにまた高い笑い声をあげた。

「そうだ! そうだ! 暴れろ! 壊せ! 全部壊していい! 壊せ!」

 神の声に呼応するかの如く、次元の力の大蛇──『巳梅』は、我を失ったように慟哭し、巨大な肢体を振り乱し、赤い血の雨を降らせた。
 フィラは肩を震わせて、開いた口が塞がらないまま、必死に声を絞り出した。

「う、嘘……どうして!? 巳梅! やめなさい! どうしたの!? ねえ……どうして、どうして……私の声を聴いてよ、巳梅ッ!」

 声が枯れるまで呼びかけても、『巳梅』はフィラに一切の反応を示さない。ただ身体の動く限り、街の建造物を瓦礫の山に変えていく。空を掻くような鳴き声と、頭上に障る高笑いの声と、鼓膜を叩く崩壊音とか混ざり合って、目の前に繰り広げられる光景は混沌を極めた。
 ロクアンズも大きく左目を開け、動揺を隠せずにいた。飛んでくる瓦礫を身体が勝手に避けてくれるだけで、頭ではまったく状況が呑み込めていなかった。
 まず二人にわかるのは、いますぐに『巳梅』を止めなければならない、ということだった。
 フィラは開いた口が塞がらなかったが、はっと思い立つことがあり、唇を噛み締めた。次元の扉を閉じるしかない。そうと決めればフィラは片手を固く握りしめ、『巳梅』に向かってそれを翳した。
 意思のままに閉じるだけだ。次元の力は主の意志に呼応する。それだけのはずだった。

「──っ……!?」

 フィラは、意思を固め、強く念じたにも関わらず、まるで手ごたえのない片手を震わせた。

(私の、"意思"が──通じない!?)

 ──『巳梅』は、いまもなお鋭利な毒牙を剥き出しにして、激しく咆哮する。
 
 次元の扉を閉じることが、できない。
 
 『巳梅』がフィラの声を無視するだけでなく、次元の扉さえフィラの意思の外へ追いやられてしまったかのようだった。衝撃のあまり、フィラは完全に言葉を失ってしまった。
 ロクは、フィラの様子がおかしいと気がついたが、気を取られているうちに『巳梅』の肢体が飛んできていて、衝撃の余波で耳たぶを裂いてしまった。その拍子に後退したロクの目に、耳元から離脱した通信具が、路上に転がっているのが見えた。だがそれは、飛んできた瓦礫によって木っ端みじんに砕け散ってしまった。
 ロクは、ぐっと奥歯を噛み締めて、走り出すと、息を切らしながら叫び続けた。

「フィラ副班ッ! ……フィラさんッ! 聞こえる!? ねえ! あたし、いまそっちに行くから!!」 

 瓦礫が倒れ合ってできた隙間をくぐり抜け、折り重なる木々の幹を踏み越えて、手足がちぎれそうになってもロクは走り続けた。視界の先に見えるフィラは、放心していた。すぐに彼女のもとへ向かわなければ──逸る心を無理やりに気力に替えて、ロクはフィラのもとまで急いだ。

「フィラさんっ!」

 フィラの真っ青な顔色がはっきりと見えてくるようになると、ロクはもう一度彼女の名前を呼んだ。声に気がついたフィラが、不安げに揺れる瞳を歪めて、口を開こうとしたときだった。
 フィラが瞠目する。彼女の視線がロクの背後に釘付けになったとわかるや否や、ロクは咄嗟に振り返った。
 大蛇の毒牙が視界を刺す。暗い影が落ちる。
 赤い咽喉に視線が吸い込まれそうになってロクは、はっと身構えた。

(──いや、違う!)

 途端。『巳梅』の背後から"違う殺気"が猛烈に枝葉を伸ばした。まるで『巳梅』の背中から歪な翼が生えるように、枯れた木々の根の群れが顔を出す。
 息を呑む間もなかった。『巳梅』の身体を太い木々が幾本と貫通する。立て続けに、ロクとフィラの身体にもそれらの先端が突き刺さった。二人の頬には赤い血の雨が、ぼつぼつ降って、二人と一匹は串刺しにされたまま後方へと押し返された。
 大蛇の身体、無数の木々の根、そして周囲の瓦礫とにもみくちゃに巻き込まれて、ロクとフィラは厚い土埃の中で倒れこんだ。
 紅色の鱗の上を軽快に跳んでやってきたクレッタが、素知らぬ顔で『巳梅』の頭を見下ろして、言った。

「オマエさ、コルド・ヘイナー知ってるか。そいつのところまで連れていけ」

 『巳梅』はもたげていた頭をゆっくりと起こす。鱗に引っ掛かり、絡まっていた、木々の枝や根たちがぶつり、ぶつりとちぎれる。
 クレッタは『巳梅』の鱗の上に立ち、疲労のためか静止しているアイムのほうを向いた。くるりと宙で指を回すと、またしても、息絶えた無数の生き物の破片が地面の上から、下から、どこからともなく浮上する。"元魔"になった生き物たちは、アイムの周りに集結すると、太い腕や脚の下に潜り込んで、十尺はある巨体をゆっくりと持ち上げた。
 クレッタと、ぐったりと身体を揺らすアイムと、そして無数の元魔たちとともに立ち去ろうとする『巳梅』の姿が、薄く開いた視界の先にぼんやりと映って、フィラはか細い声を出した。

「まって……行かないで」

 フィラは力を振り絞って、身体を起こし、歩きだす。身体は不安定によろめいて、すぐに彼女は膝から崩れた。それでも、がたがた震える脚を立てて、立ち上がる。視界が定まらない。頭痛が鳴りやまない。もはや紅色の鱗もぼんやりと景色に滲んでしまって、すぐに消えそうなのに、近くにいるみたいに独りよがりな声で、フィラは喉を締めた。

「いかないで、巳梅……!」
 
 頭に血が昇ってきて、耐えきれずフィラはまた倒れこんだ。なにが起こってしまったのか、どうして『巳梅』が言うことを聞いてくれなかったのか、その恐怖と悔しさと、そして次元の力と離れ離れになってしまった虚無感に、頭だけでなく身体も戸惑っていた。
 だからフィラは、ロクの安否を確認するのが遅れた。我に返ったフィラは心臓を逸らせ、急いでロクのもとへと駆け寄った。
 大きな瓦礫の下から細い腕と、若草色の髪の毛が伸びているのが見える。フィラはぎょっとして、ロクの身体に覆い被さった大きな瓦礫をどけようと、手をかけた。
 
「フィラ副班、行って!」

 ばちり、と電子の糸がフィラの足元を這う。ぐぐと瓦礫が浮いて、その下からロクの声が聞こえた。ロクは、びっしょりと汗に濡れた頬を引き攣らせ、声を力ませた。
 
「早く追いつかなくちゃ、多くの人やものが犠牲になる……! あいつを絶対に止めるんだ!」
「わかっているわ! でも私、次元の力を扱えなくなっちゃったの……! どうしてかはわからない。これじゃあ巳梅も、神族も止められないのよ。だから、私が行くよりも、あなたのほうが、」
「それならなおのこと、『巳梅』が望まない破壊を続けるのを、だれより、フィラさんが許しちゃだめだ……っ!」

 フィラは押し黙った。口を閉じたのは、追いつきたいのも、『巳梅』を止めたいのも、ロクが思う以上にフィラは望んでいて、本当はすぐにでも駆け出したかったからだ。
 胸が苦しくなって、フィラは自身の胸元のあたりを強く握った。
 ロクの背中が浮いてくると、大きな瓦礫も同時に押し上げられて、やがて重い音を立てて崩れ落ちた。ロクは膝と手をついたまま、数回咳き込んだあと、申し訳なさそうに言った。
 
「あたし、ごめん、すぐに動けそうにないから、だから……」

 ロクがそう言いかけて、フィラの顔を仰ぐと、彼女は考えるようにぎゅっと目を瞑り、下唇を噛んでいた。
 それからゆっくりと口元を解いた。
 
「……わかった。私、先に行くわ。ロクちゃん、必ず安全第一で、あの三人を道中の支部に預けるの。神族たちはコルド副班長を狙っていたから、きっとエントリアへ向かうはず。それまでに本部と連絡をとれるといいけれど……。どの道、セースダースで落ち合うことになりそうね。あとからでいいから、そこで合流よ」

 臙脂色の瞳を開く。フィラは決意を新たにすると、ロクにそう指示をした。
 ロクは強きな笑みを口元にたたえて、了承した。
 
「うん。わかった、任せてよ。副班長」
 
 フィラは、後ろ髪を引かれる思いだったが、ロクに背を向けて、街の外へと駆けていった。
 臙脂色の髪が見えなくなると、ロクは全身に力を入れた。ばちばち、と猛烈に、ロクを包み込むように電気の波が立って、彼女は力の入らない四肢を無理やりに焚きつけた。
 身体が左右に揺れて、ロクは立ち上がる。電気の糸が小麦色の肌を這う。息が整う前に彼女も動きだした。
 
 嵐が去ったあとのような、道という道が塞がれた街の中を、ロクは二回半往復した。第三班の三人を一人ずつ街の外に運びだすためだった。しかしサオーリオ街の外で待機させていた馬は、フィラが跨っていたのを除いても三頭はいたはずだが、激しい戦闘音で驚かせてしまったらしい。外壁の付近には動物の気配がまったくと言っていいほどに感じられなかった。
 さすがに三人を背負って山を下りられるほど体格に恵まれていない。行き詰っていたロクだったが、そこへ運よく、ラジオスタンの狩猟人が通りかかった。大きな音に驚いた動物たちが一斉に下山してきたので様子を見にきたとその人物が言ったので、ロクは、事情を説明して下山を手伝ってもらえないか頼みこんだ。
 大量の元魔が出現し、山を下りたので急いでほしい、と念を押したためか、四人を乗せた荷馬車は思ったよりも早く麓の町に辿り着いた。
 ロクは狩猟人に礼を言うとすぐに、町の中で改めて荷馬車を調達し、セースダースへと急いだ。セースダースに辿り着きさえすれば、あとは此花隊の支部に駆けこんで、メッセルとガネストとルイルの身柄を預けるだけだ。
 しかしロクは、セースダースが近づくにつれて、全身から血の気が引いていくのがわかった。
 ──神族らの軍団は、セースダースを通過したのだ。その光景を遠目に、馬に跨りながらロクは、大きな左の瞳をさらに見開いた。
 
 街を包むように燃え盛る戦火が、重なり合って響く人々の阿鼻叫喚が、あたり一帯の空気を震撼させていた。

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.160 )
日時: 2025/04/05 14:03
名前: 瑚雲 (ID: 57S6xAsa)

 
 第143次元 時の止む都ⅩⅨ

 一頭の早馬が高らかに蹄を鳴らし、野畑を駆け、エントリアの城門へと急いでいた。馬に跨っている灰色の隊服に身を包んだ男は、手綱とともに大量の汗を握りこみ、早々に門を抜けると街の中心部──此花隊本部へと脇目もふらず向かっていった。街の住民や、警備中の此花隊隊員らが、ただならぬ表情をしたその男を一目見て、ざわめき立つ。

「隊長ッ! ラッドウール隊長! お戻りですか! 緊急事態にございます! どうかお返事を!」

 その男の隊員は、本部の門を抜けるや否や、額から滝のような汗を流しながら、人目も憚らず叫んだ。廊下を突っ切っていく彼を見て、なにごとかと注目が集まった頃、廊下の曲がり角から怪訝な顔をした老齢の女性が顔を覗かせた。
 チェシアは、副隊長らしく赤い外套を身に纏い、しゃんと背筋を伸ばした立ち姿で、慌てふためく男を制止するように彼の前に立ちはだかった。

「何です、騒々しい。あなたは……本部の隊員ではありませんね。隊長は現在、ウーヴァンニーフに滞在中です。急用ならば私に言いなさい」

 男はチェシアの姿を見ると、慌てつつも、恭しく首を垂れて、矢継ぎ早に告げた。
 
「大蛇が、紅い大蛇がセースダースに現れたのです、副隊長!」
「大蛇? それはたしか……フィラ・クリストンの次元の力では」
「それが、見たこともない数の元魔と、謎の異形らとともに街で暴動を起こし、セースダースはいま、壊滅の危機に瀕しています!」

 隊員が、唾を散らすほどの勢いでチェシアに告げると、彼女の目の色が変わった。

「とにかく一刻も早く住民の避難と、東門の封鎖を! 赤い大蛇が一体、謎の異形二体、元魔複数体──それらが群れを成し、この街に向かってきております!」

 間もなく、緊急事態を知らせる大鐘の音が何度も、何度も、エントリア上空に鳴り響いた。

 
 本部の廊下では灰色や白色の隊服が忙しなく行き交って、その一部の隊員たちは門の外へと飛び出していく。隊員たちの怒号が飛び交う中、チェシアは鍛錬場で汗を流していたレトヴェールと医務室で養生をしていたコルドを引き連れて、だれよりも機敏な足取りで正門を目指していた。
 その表情はいつにも増して固く強張っている。チェシアは颯爽と廊下を歩きながら、後ろをついてくる二人に告げた。

「端的に説明をいたします。おそらく神族と思われる個体が二体、元魔複数体、それから原因は不明ですがフィラ・クリストンの次元の力『巳梅』のような大蛇が、ともに北東の方角よりこのエントリアに向かっています。東門の警備班員にはすでに事実確認も取らせています。フィリチア付近で謎の軍勢が確認できていると。事は一刻を争います。お二人は急ぎ東門へ向かい、彼らを迎え討ちなさい」
「了解」

 レトとコルドは声を揃えて返事をした。此花隊本部の正門前でチェシアと別れると、二人は指示通り東門へ向けて出動した。

 
 援助部班班長、医療部班班長らとともに、人員の配置指示を含む各所への伝令を早々に終え、セブンは一度班長室に戻ってきた。それまでは平静を保っていたが、ふと一人になると、耳の奥から心音が聞こえだして、何度も息を吐いた。本部中に、そして街中に緊張の糸が張り巡らされていて、部屋の中は静かなのに、頭の奥がずっと騒がしいままだった。
 資料や紙束の山で散らかった長机の端をとんとんと指で叩きながら、セブンは思考をまとめていた。

(神族が二体出現……。その事実だけで卒倒しそうだったが、隊員たちが思うよりも動揺していないのが救いだ。先の神族ノーラの出現が大きいだろう。私も調整を終えたらただちに、避難誘導を行っている西門へ向かわなければ)
 
 東方へと戦闘部班の二班を向かわせたが、二つあった宛のうちどちらかの見当が当たったらしい。それも『己梅』の姿が確認されている以上、フィラの身になにかあったのは間違いない。しかしセースダースからやってきた支部の隊員は、戦闘部班の班員については「姿を見かけていない」と報告してきた。
 セブンはさらに眉間を深めた。
 
(……『巳梅』が神族と行動をともにしているのは、なぜだ?)

 セブンはすぐにかぶりを振った。考えても仕方がない。研究者でもなければ、次元師でもない自分には、想像もできない力の働きがきっとあるのだ。
 そのとき。班長室前の廊下がなにやら騒がしく、セブンは顔を上げた。扉に近づくにつれて、声は大きくなり聞き取れるようになった。

「だから、お、俺だって、戦いに行きたいんだよ……! 止めないでよ!」
「だめよナトニくんっ。キミが次元師かもしれないっていうのはコッソリ聞いたけど……でもまだ使えないんでしょ? エントリアに残ってたら危険だわ……。私たちと一緒にカナラへ向かって、現地の態勢を整えましょ? ね?」
「そんなこと言って、エントリアでカミサマとかを食い止められなかったらどうすんだよ! 二体もいるって! こないだなんか一体だったのにあの戦闘部班の……マジメそうな男の人! 強そうだったのに、腕怪我して休んでるじゃんか! じゃあ一人でも多く次元師がいたほうがいいだろ!」

 ウーヴァンニーフの此花隊第一支部からナトニ・マリーンを引き取り、本部の援助部班手配班へと所属させた。当班のモッカに面倒を見させているが、ナトニの旺盛さに手を焼いているらしいのがこの会話からも伺える。扉越しでも、モッカが眉を下げている表情が目に浮かぶようだった。

「安心したまえ。コルド副班長は回復しつつあるし、さきほど神族らが到着すると思われる東門に向かわせた。同じ方角からは別班の副班長と、君の友だちのロクアンズも向かっているよ」

 セブンは班長室の扉を開けて、廊下で立ち往生をしている二人の前に姿を現した。ナトニを安心させるために、フィラやロクが問題なく向かっているような嘘までついてしまったが、これでナトニが諦めて従ってくれるのなら、嘘も真実も大差ない。
 ナトニは、首をぐるりと回して、セブンの顔を見上げた。

「あ! アンタ……班長の人!」
「君には君の仕事があるだろう? 急ぎカナラへ向かい、先に現地へ向かったほかの援助部班の班員と連携をとってくれ。カナラの街も混乱しているはずだからね」
「なあ! 俺も、俺も戦地に出動させてくれよ! 次元師なんだったら、きっと役に立つから!」
「だめだ。次元の力を発現していない以上、危険な場所に送ることはできないよ」
「じゃあ力がねえ俺たちは、次元師のみんなが勝つのを遠くから祈って、じっさいなにもできないっていうのかよ……!」

 セブンは間を置いたが、表情を崩さずに鋭い声を降らせた。

「なにもできないわけがないだろう。だから指示をしたんだよ。カナラに向かって、君は君ができることをやってほしいんだ」
「で、でもそれじゃあ……みんな戦ってるのに!」
「戦う場所が違うだけだよ、ナトニくん。僕たちは僕たちの戦いをしよう。一人でも多くの人の命を守り、そして一秒でも早く安全を確保する。これが、かっこ悪い仕事だと思うかい?」
「……」

 セブンが片膝を折って、ナトニにそう言葉をかける。まっすぐに視線が重なって、ナトニはなにも言えなくなった。
 しばらく二人の様子を見てはらはらしていたモッカだったが、セブンの言葉を聞くとふいに口元を緩めて、ナトニの背中を優しく撫でた。

「行きましょ、ナトニくん。私たちだって力になれるわよ。……そして、いざってときは、私たちを守ってね。未来の次元師サマ」

 ナトニは、悔しそうに下唇を噛み、ぐっと眉を寄せていたが、すぐに「うん」と頷いた。モッカがもう一度背中を押したので、自然と歩き出していて、二人は正門へと向かった。彼らを見送ったセブンにもまだ本部内の調整、各所への指令、西門の確認──やるべき仕事は多く残っている。

 東の城門塔に配属された警備班の班員たちは、目尻までかっ開いて、城壁の外の景色を睨んでいた。揺らめく影がだんだんと輪郭を大きくして確実に近づいてきているのがわかっていた。それらの軍勢を警戒して、東門を閉じる準備を進めている。城壁の外を出歩いていた街人たちは一人と残さず中へと誘導し、人気がなくなったことを確認した。塔内の班員たちを取りまとめている副班長の男の声に合わせて、鉄製の落とし扉がゆっくりと下ろされていく。

「よーし! そのまま! ゆっくりと下ろせ! 焦らずとも間に合う!」

 副班長の男が、そのときふいに目を見開いた。

「ま、待て! 一時中断! 城門の外に子どもを確認! 一時中断!」

 男が焦ったように叫ぶと、落とし扉がびたりと動きを止める。男たちの視線の先には、草陰から飛び出してきた一人の少年がいた。少年は注目されると、びくりと肩を震わせて、きょろきょろとあたりを見渡したあと、閉じかけた門を見て、焦ったように走り出した。
 ぱたぱたと細い足を振って、少年が門をくぐり抜けようとした、そのときだった。
 少年の背後の空間が不自然に歪んだのだ。

「げ、元魔……っ!!」

 歪みの中心から、黒い塊のようななにかがまろび出てくる。それは赤い粒ような両目を持ち、口らしい部分をがぱりと縦に大きく開いた。奇声が聞こえてきて、やっと振り返った少年だったが、目前にまで元魔の口が迫り、驚きで息を呑んだ。
 動かなくなった手をだれかが引いた。
 そのまま抱き寄せられた少年は、その何者かの腕に抱かれながら宙を跳んで、ガチンと虚空を噛み潰す元魔の姿を見る。
 少年は、頭上から凛とした冷静な声が降ってくるのを聞いた。

「──四元解錠、"真斬"!」

 レトヴェールは『双斬』を持つ片腕を横向きに大きく振って、鋭い真空波を放った。それは空中を跳んで、元魔の身体を真っ二つに切り裂いた。
 ぽかんと口を開ける少年を抱えて走り、レトは東門の前まですばやくやってくると、警備班の班員たちに向けて力強く叫んだ。

「こいつを入れて早く門を閉じろ!」

 しかし、次の瞬間だった。背筋が、ぞっと粟立ち、レトは数多の生き物の息遣いを感じ取った。
 振り返ると、空中にいくつもいくつも歪みが生じていた。それらの歪みの中心から黒い頭が、黒い四肢が、黒い胴が飛び出し、そうして数えきれないほどの元魔がレトを取り囲んだ。
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.161 )
日時: 2025/03/09 20:51
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
第144次元 時の止む都20

 中空に浮かぶもの、地面の上を這うもの、それらは十何体にもなり、レトヴェールに嫌な視線を浴びせた。元魔の群れを前にして、レトはすばやく『双斬』を握り直し、姿勢を低くする。重心を身体の前面に据える。たっぷりと時間を使って構えると、目を閉じた。まるで、彼の周囲だけ時間が止まっているかのようだった。
 ふいに雑音が途絶えて、レトは小さく息を吸った。

「五元解錠」

 黄金の美しい相貌が開いて、瞬間レトは跳び上がった。

「──"裂星閃れつせいせん"」

 目にも止まらぬ速さで斬撃が飛んだ。否、"飛び交った"。あたりに蔓延る無数の元魔たちが、ほぼ一斉に断末魔をあげ、身体の表面をぱっくりと切り裂かれたのだ。まさに瞬きをする間に、幾度となく斬撃を繰り出したレトがやっと地面に着地すると、元魔たちは一匹残らず霧散していった。
 しかし安堵するにはまだ早い。
 撃退した元魔の塵の幕が開けていくと、紅色の鱗を持った大蛇の姿が、レトの視界の先に迫っていた。

「ア゛アア! ギ、イアアアッ!」
「──」

 『巳梅』の口からはとても聞いたことのない奇声が響き渡り、レトは全身がびりびりと痺れるように感じた──そして『巳梅』が巨体をしならせて、怒涛の勢いでこちらに突進してくる!
 レトはこめかみに汗を滲ませ、固く身構えた。『巳梅』の鱗の上には何者かが搭乗していて、さらに、大きな灰色の化け物が無数の元魔に囲まれながら運ばれているのが見えるのだ。
 心構えを新たにして、レトはさらに鋭く目を細める。

(間違いない──……あいつらは、どちらも神族!)

 『巳梅』の鱗の上に乗りかかった何者かが、すうと腹を膨らませ、高らかに雄叫びをあげた。
  
「コルド・ヘイナーはどこだア──!」

 レトは下半身に力をためて、片方の短剣を力強く薙いだ。繰り出された斬撃は一直線に空を切り、『巳梅』の顎を目がけて飛翔する。

「五元解錠、"真斬"!」

 飛んでくるのを察知したか、『巳梅』はぐるりと頭を回して、向かってくる術の波動に激しい奇声を浴びせた。奇声は空気を殴打し、波動は空中で砕けた。あまりにもわずらわしくて大きな鳴き声に、レトは唇を噛み締め、両耳を塞いでしまう。加えて足元を踏ん張っていないと、咆哮の余波に身体が浮きそうにもなった。やがて『巳梅』は、けたたましく絶叫したまま、巨大な頭部を城壁へと叩きつけた。

「ギイアアアッ!」

 大蛇の頭を叩きつけられると城門の一角が凄まじい音を立てて崩壊した。たちまちに悲鳴が聞こえてきてレトは絶句する。半信半疑だったのだ。『巳梅』が神族とともに行動し、挙句に人に危害を加えようとは、到底考えられなかった。
 やめろと叫ぼうとしてレトが前のめりになったそのとき。崩壊した東門の付近から数本の鎖が飛び出して、『巳梅』の頭から胴体にかけて巻きついた。『巳梅』が頭から尾まで激しくしならせているうちに、城門の塀の上に乗りあがったコルドが、鎖を束にして力一杯握りこんでいた。

「俺が……コルド・ヘイナーだ! お前たちは、神族だな!」

 『巳梅』はがむしゃらに頭を振り乱すも、鎖の拘束が解けず、のたうち回った。悲痛そうな鳴き声がコルドの耳に刺さる。彼は表情を歪めた。すでに『巳梅』は全身に怪我を負っていて、血だらけだった。
 苦しそうにもがく『巳梅』をまったく意に介さず、人間の姿をしたクレッタは灰色の頬を紅潮させて、真っ赤な目を輝かせた。

「コルド・ヘイナー……オマエが、コルド! 会いたかったぜ、なア! ノーラを殺した男!! コルド!!」

 興奮の色を剥き出しにしたクレッタは、感情の昂ぶりに合わせて、その身体を変化させた。首や手足がぐっと太く膨れて、隆々とした筋肉に発達していく。瞬く間に、背丈はもとの十倍以上にまで高くなって、全身は硬い皮膚で覆われ、頬の周りには立派なたてがみを生やし、上顎には鋭い牙をたくわえた。巨大な野獣は、大口を開け、空に向かって吠えた。すると、周囲の草木がざわついて、途端に黒い靄が出現した。レトはその目でしかと見てしまった。草陰の下で息絶えている虫や小動物たちから黒い靄が噴き出して、見る見るうちに姿を変えていくのを。
 "元魔"が生み出されたのは、東門の周辺だけではなかった。野獣クレッタの雄叫びが高らかに響き渡ると、エントリアの街中から、暗雲のような黒い靄が立ち昇った。
 間もなかった。街中の全方位から人々の絶叫がこだまする。レトはさらに、元魔の誕生を目前にして混乱もしていたが、すぐに意識が引き戻された。

 巨大な野獣へと変化を遂げたクレッタは、コルドの手元から『巳梅』へと繋がっている鎖の束を一纏めにして、むんずと掴んだ。そして、まるで『巳梅』を槌にでもするように、いきなり鎖ごと振り回した。コルドは、驚愕のあまり咄嗟に回避できなかった。前動作は一切なかったのに、ごう、と風を切る音は凄まじく、すでに半壊している城壁も巻き込まれた。

「コルド副班!」

 レトは急いで、コルドのもとへ向かった。クレッタはコルドの名前を口にしていたし、ノーラを討伐したことも耳に入れているようだった。仲間を殺されたことで因縁をつけてやってきたのだろう。運命の神【DESNY】の姿は見えない。
 城壁の近くから逃げていく者、崩壊に巻き込まれて息絶えている者らを眼下にして、クレッタは咆哮のごとく唸った。

「コルド! コルド・ヘイナー! カンタンに死ぬなよ! なア!!」

 城壁の傍では、これまた巨大な蛇が、ぐったりと横たわっている。鎖に絡まったまま『巳梅』は完全に静止していた。舌を伸ばし、白目を剥いた『巳梅』の傍らで、一人の男が瓦礫を押しのけて姿を見せた。コルドが、クレッタをひどく睨みつけて、眉間に皺を寄せる。

「誰が死ぬか……!」

 『巳梅』に絡まった鎖が、解ける。ばらばらになったそれらは、もう一度空中で渦を巻いて、一つになっていく。
 竜巻が起きる。数えきれないほど無数の鎖の破片が寄り集まって、黒い影がどんどんと膨らみ、形を成していく。コルドは詠唱した。

「──七元解錠、"浪咬なみかみ"!」
 
 渦巻く無数の鎖たちは、巨大な蛇のように竜巻の中をぐるりと遊泳する。見る見るうちに肥大化した鎖の大蛇は、クレッタの喉笛に噛みつきかかった。クレッタの巨大な身体は、勢いに喰われて後方へと傾いた。
 ちょうど城壁に辿り着いたレトは、コルドを見つけて、彼のもとへ駆け寄った。

「コルド副班、街中も危ない! ここは別れた方が……」

 街中からは住民の悲鳴が響き続けている。コルドは百も承知の上で、鋭く切り返した。
 
「いや、いい! 俺たちはここで神族を足止めする。どの道、俺を狙っているようだから、俺がここにいる限り、奴が動くことはないだろうが……万が一、もう一体のあの、いまは動いていないほうの化け物が動きだしたら、一人では対処しきれない」
「そしたら、街のほうは……」
「不安だろうが、あの方に任せておけ。それが最善手だ」

 コルドは、転倒したクレッタから目を離さず、レトに告げた。次第に、クレッタが起きあがってくる。足はしっかりと地に着き、ギラギラと光る赤い両目が、獲物を狙うように、こちらを強く睨みつけている。
 「承知」と、レトは短く了承し、息を荒げている巨大な野獣──クレッタに、意識を集中させた。
 

 エントリアではいま、混乱の渦が巻き起こっている。
 神族の来襲を告げられた街の住民たちのうち、まず怪我人と医師と高齢の者が、西門から外へ逃がされた。しかし想定よりも早く神族が到着し、そしてほどなくして、無数の元魔が街中で発生した。地面の下から、街角から、屋根の上から、あらゆる場所から元魔は姿を現し、退避が間に合っていない街の住民はさらなる混乱を余儀なくされ、一刻も早く街を出ようと西門へと急いでいた。しかし、襲撃から逃れることができなかった者は、西門に行きつくまでに息絶えた。絶望と不安が、一瞬のうちに街中を包み込んだ。

「早く、急いで! 西門で我々此花隊隊員が待機しています! 誘導をしますから、早く退避を!」

 避難誘導に忙しなくしている警備班の班員たちが、切羽詰まった表情で、必死に呼びかけている。街中に残っている住民は若い男が多いが、それでも元魔を初めて目にする者も多く、緊張で走れなかったり、腰を抜かしてしまう者が相次いだ。
 
「……っ、ひ、ああ!」
「ギイイイ」

 中央広場で、足をもつれさせ、派手に転げた住民の男の目の前に、元魔が立ちはだかる。奇怪な鳴き声で男を威圧し、男は完全に委縮してしまった。男は目を大きく見開いて、声を枯らしながら必死に助けを乞う。

「だ、だれか! だれか!」
 
 ついに元魔は大口を開けて、男を丸呑みにしようと覆い被さった。
 ──しかし、そのときだった。
 男が悲痛の叫び声をあげ、腕で顔を覆う。だが、いくつ数えても、死にもしなければ痛くもない。混乱して、顔を上げた男は目にした。
 背後から鋭い一閃を浴びた元魔が、目の前で真っ二つに斬り捨てられた。
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.162 )
日時: 2025/04/05 13:36
名前: 瑚雲 (ID: 57S6xAsa)

 
 第145次元 時の止む都21

 尻餅をつく男は唖然として、いま目の前で、真っ二つに切り裂かれた元魔に釘づけになっていた。残骸が地面の上に落下する。ざり、と靴の裏面で地面を擦った人物を認めて、男はさらに驚いた。

「あ、あなたは……!」

 男の声を置き去りに、彼女は彼の脇をすり抜ける。つられて男が振り向くと、複数体の元魔が次から次へと迫っていた。華奢な彼女は、軽々しく跳びあがり、"刀身"を輝かせる。

「──五元解錠、"疾千しっせん"」

 凛とした妙齢の女性の声が、ゆっくり紡がれるのとは裏腹に、瞬きひとつするのも遅いほどの烈閃が迸った。幾重もの軌跡が宙空を切り刻む。美しい刀捌きですべての元魔の赤い核を叩き割ると、女性は、音もなく地面に降り立った。
 彼女は静かな所作で、鞘に刀を収めた。それから赤い外套をはためかせて振り返った。

「なにをしているのです。早くお行きなさい。この近くに、我が隊の警備班が待機していますのでそちらへ」

 イルバーナ侯爵家の前当主であり、此花隊現副隊長の位置に座するチェシア・イルバーナが、鋭い声で男に告げる。
 チェシアは"刀"と呼ばれる、剣とは形の異なる刃物を扱う次元師であった。刀は、遥か遠くの国に由来し、メルギースとドルギースの連なるこの大陸ではほとんど見かけない。しかし彼女は、メルギース人でありながら遥か遠い大地の刀術の腕を磨き、ムジナド・ギルクスに次ぐ優れた刀剣士としても名が知れている。
 周囲に元魔の気配がないことはわかっていても、すっかり腰を抜かしてしまった男を前にしてチェシアは眉間を深めて嘆息し、さらに語気を強めて恫喝した。

「早くしなさい! 死にたいのですか!」
「あっ、あ! すみません!」

 男は、鋭い一喝を浴びると反射的に身体を跳ねさせて、慌ててその場から逃げ去った。エントリアを領地とするイルバーナ家の前侯爵という肩書きは案外役に立ち、とっくに席を退いていても、この街の住民は、いまだに自分を見て萎縮する。しかし、元魔との遭遇で動けなくなる者の尻を叩いて立たせてやれるならまだいいが、それに間に合わず手遅れになった者も、この短い間に多く目にした。

(街中の至る場所から元魔が発生している。私一人では御しきれないでしょう。かといって、コルド・ヘイナーとレトヴェール・エポールを街に呼び戻すことは不可能。東の方角から聞こえる激しい争いの音は、読み通り、神族が出現した証拠。第二班ならびに第三班は、エントリアへの道中で戦闘不能になっている可能性が高い。警備班の者たちが、持ち堪えてくれればよいのだけれど……)

 チェシアは、元魔の禍々しい気配を察知して、息つく間もなく駆け出した。

 エントリア南西部。気さくな主人が経営している狭い酒場の前には、酔っ払いではなく緊張の面持ちで元魔と対峙する数人の警備班員たちがいた。路上で数体の元魔を取り囲んだ警備班の班員たちは、槍の穂先を元魔たちへ向けて、じりじりと一箇所に集める。その間にも、一般市民を逃がし、西門へと向かわせた。元魔がひとたび奇声をあげれば班員たちはみな、息を呑んで槍を取り落としそうになった。しかし逃げようとする班員は一人もいない。
 近くに次元師がいないときには元魔の注意を惹きつけ、一般市民を現場から離れさせる。これは警備班班長、ひいては隊長ラッドウール・ボキシスより下されている、警備班員が守るべき最重要の鉄則である。
 副班長の男は、胸につけた隊章の前で拳を握ると、その手を掲げて班員たちに言い渡した。
 
「瞬きをするな! 一匹とて逃してはならない!!」

 元魔の唸り声が大きく膨らんでいく。一回り大きな元魔が、激しく奇声をあげて、群れの中から飛び出した。

「ガ、ィアア!」
「おおおッ!」

 大柄な男の班員が、槍を強く握りこんで、飛び出した元魔の脳天を突く。続けて弓兵の班員二人が、高所から元魔らの足元に向かって矢を放った。ただちに矢の檻を乱立させ、元魔らが一瞬、身動きに詰まる。しかし、地面に突き立った矢を噛みちぎって、元魔らは矢の檻にのしかかった。
 元魔らは一斉に動きだした。勢いよく突進し、班員たちの身体に覆い被さる。班員たちは、腕を食われても、脚を貫かれても、元魔を離すまいと喰らいついていた。

「必ず、ここで止めろっ!!」
「この先へは……行かせない! 行かせないぞ、元魔ども!!」

 一回り大きな元魔が身体を起こした。そして、歪な腕を振って乱暴に風を切り、大柄な男に掴みかかった。鋭い爪を男の腕に突き刺し地面に縫いつける。男は絶叫しそうになったが耐え忍んでいた。
 意識の糸が切れる直前、なにかが空を切る、音がした。
 後方から鋭い斬撃が一陣飛来、景色を裁断する。男に覆い被さっていた元魔の顔半分が"斬り飛ばされた"。

「よく耐えました」

 胡蝶のごとく軽やかさで飛翔する、人影──チェシアは、切先まで顕になった刀身を天に翳し、凛とした声で詠唱した。

「──七元解錠。"囲駄斬いだぎり"」

 目では捉えられぬ、"美技"だった。
 術が口遊まれるや否や、格子状に成った斬撃がくうを裂いた。瞬間、十数体の元魔が瞬く間に細切れにされ、黒い肉片が空を舞う。
 が、空中から落下するチェシアに、それは迫っていた。彼女の右側の肩口から赤い血潮が噴き出した。先刻、顔半分を斬り飛ばされた大きな元魔がチェシアの身体に密着し、長い爪で彼女の肩を刺し貫いていた。
 チェシアの顔面に、自身の血が降り注ぐ。細い骨が砕ける音が鳴った。しかしチェシアは声ひとつ上げずに、代わりに一層眉間に皺を集めた。

「副隊長!!」

 大柄な男の班員が力の限り叫んだ声とは打って変わって、底冷えするような低い声でチェシアは言った。

「これ以上、此の街を侵すことは断じて許しません」

 右手から、ふっと刀が立ち消える。しかし。一瞬で、刀は左手の中に現れた。彼女は左肩を後ろへ引かせ、刹那、力強く刀身を振るった。

「七元解錠──、"真斬しんざん"!」

 切先が眩い光を帯びた。刀身は元魔の頬を真一文字に斬り払い、顎の下にあった赤い宝石のような核を砕く。チェシアの何倍もあった大きな元魔の身体が黒い粒子となり飛び散って、霧散した。チェシアは空中から落下し、直後、地面に身体を叩きつけたが、彼女は丁寧に受け身を取った。
 副班長の男が、元魔に噛まれた足を引き摺りながら、慌ててチェシアのもとへと駆け寄った。

「ふ、副隊長……! お怪我を!」

 チェシアは班員の助けを借りずに立ち上がり、頬についた血を軽く拭った。
 ことが済んだのに、班員たちはまだ目を丸くして、呆然としていた。そのうちの一人が喉を鳴らし、思わず笑みをこぼす。

「う、噂には聞いていたが……」
「ああ。あれが、チェシア・イルバーナ副隊長の次元の力──『希刀きとう』だ……!」

 チェシアは動かなくなった右腕の代わりに、左腕で『希刀』を一振りするとそれを鞘に収めた。チェシアの傍まで寄ってきた副班長の男の情けない表情を見ると、チェシアは眉根をひそめ、一蹴した。

「この程度のことで騒ぐんじゃありません。周辺の元魔は撃退していますから、いまのうちに、残った住民を逃がし、体制を立て直しなさい」

 冷然とした声でチェシアは告げる。元魔に襲われたものの一命を取り留めた班員たちが、表情を引き締めてチェシアの周囲に集まり、整列する。班員たちの目からはまだ闘志の色が消えていない。チェシアは全員の顔を順番に見てから、厳しく言い渡した。

「一般市民を南門から退避させることが最優先です。この周辺をくまなく捜索し、逃げ遅れた者がいないと確認が取れましたら、ただちにここを離れ、別班と合流しなさい。よいですか、元魔と遭遇しても、近くに一般市民がいなければ無駄な戦闘は避けること。自らの命を重んじられない者に他者の命を守ることはできません。この先一層、気を引き締めて行動しなさい。これ以上奴らの好き勝手にさせてはなりません。この事態の収束は、我々此花隊隊員の手に懸かっています」

 班員たちは声を揃えて返事をする。彼らの目を見て、チェシアはひとまず安堵した。各所に配置した警備班員たちが持ち堪えてくれなければ、とてもチェシア一人では被害を最小限に抑えられないのだ。
 そのとき、チェシアは急に右肩を痛めて、耳につけた紅色の飾りを揺らした。簡単に骨を砕かせてしまうとは、歳を言い訳にしたくはないが、しごく情けない。すぐに固定しなければならないので、添え木になるものを班員から譲ってもらうと、やむをえず救護用の天幕の中で腰を下ろした。
 剣士として鍛錬を積んでいるチェシアにとっては、右で振ろうが左で振ろうが大した差はないが、老体の腕一本で守るにはこの街は広すぎる。

(肝心なときに不在とは。まったく、役に立たない男だこと)

 チェシアは愚痴を振り払うようにさっさと処置を済ませると、赤い外套を肩にかけた。悠長に腰を落ち着かせている暇はない。彼女は班員たちから敬礼を受け、すぐさまその場をあとにした。
 

 エントリア北部。赤や、浅葱色の屋根を被った家々の前の通りでは、街灯が横薙ぎに倒され、割れた表札の破片が飛び散っていた。足場の悪い戦場に立ち、警備班の班員たちは元魔の群れと睨み合いをしていた。元魔は三体で、数は少ないが、どれも運悪く身体の大きい個体ばかりだ。そのうちの一体が、班員の腰からもぎとった片脚をがりがりと咀嚼して、飲み込んだ。

「ぐ、うぅ……!」
「おい、カラッド立てるか!? 退がるぞ! ここにいれば食われちまう!」

 カラッドと呼ばれた男は苦悶の表情を浮かべて、腰から下の、脚があったはずのところを凝視していたが、それに従って顔を上げる。肩を差し出してきた班員の一人にもたれかかって、そして立ちあがったとき、足元に異変が訪れた。地面がぼこぼこと波打って、二人で咄嗟に後退すると、地面の下から新たに一体の元魔が飛びあがった。

「うわああ!」
「ガアア!」

 男たちの頭上をめがけて元魔ががぱりと口を開く。そのとき、小さな人影が男たちの前に飛び出して、元魔に向かって両腕を伸ばした。元魔はその細い腕に食いついて、鋭い歯で噛みちぎろうとした。しかし、横から飛んできた槍の石突が元魔の頬を叩いた。不意を突かれた元魔は口を開けてのけぞると、奇怪な鳴き声をあげて、うごうごと地面を這う。そして、三体の元魔の群れの中に混ざった。
 槍を握った男は、振り返って、声を荒げた。

「お、おい! 大丈夫なのかお嬢さん!」

 耳の上で二つに結い上げた小麦色の髪を揺らす少女の両腕から、新鮮な血が滴り落ちる。彼女は返事の代わりに詠唱を繰り出した。
 
「四元解錠」

 穴の空いた両腕から球体状の薄い膜が膨らみ、傷口を包み込む。槍を持った男はあんぐりと口を開け、その光景を見ていた。

「──"治傷ちしょう"」

 少女、キールアは薄く唇を開き、口遊む。球体状の薄い膜の内側に柔らかな光が満ちた。
 
  

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.163 )
日時: 2025/03/30 21:41
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第146次元 時の止む都22

 眩い光が、花開くように芽吹き、キールアの細い両腕を包みこむ。腕の傷口から絶え間なく流れ出る新鮮な血液に、その光の粒子が降りかかった。すると血は、みるみるうちに凝固していき、やがて傷口も縮まって閉じていく。生々しい傷痕はあっという間に、跡形もなくなって、すぐ傍らで傷が癒えていくのを見ていた男が手に持った槍を取り落としそうになった。男の口から、感嘆の声がついて出た。
 
「き、傷が……!」
「私は大丈夫です。奇跡の子……いいえ。……次元師、なので」

 キールアは控えめに笑って、視線を下げた。怪我や病気などがわざわいして身動きがとれなくなっている住民を一人でも多く、支援するのが、彼女に与えられた任務だ。診療所や、薬屋にも片っ端から向かっては、街中を駆け回り、避難の手助けをしていた。だがしかし、この民家に辿り着いたとき近くで元魔が発生し、足止めを食らってしまった。どうやら元魔の発生は、周辺各地で起こっているらしい。どこからともなく悲鳴する声が聞こえてきて、キールアは一層不安になった。
 次元師だと言ってみせたものの、キールアは攻撃の手段を持たず、どちらかといえば戦場の後方で待機しているような次元師だ。
 ロクアンズやレトヴェール、ほかの次元師たちのように元魔を撃退する力がないキールアは、あまり深く意識していなかった歯がゆさに直面していた。

(さっきみたいに、攻撃を庇って、自分で自分を治すことでしか……街の人たちを守れない)

 傷口は閉じても、痛みはすこしの間、尾を引いた。無意識のうちに腕をさすったそのとき、前方から鳴き声が聞こえてきて、キールアは顔を上げた。
 声は人間から発せられたものではなかった。寄り集まった四体の元魔がいびつな輪唱を空に捧げて、不協和音を奏でている。

「な……なんだ?」

 キールアは本能的に、心臓をうるさく鳴らし、ひどい緊張を覚えた。
 背後から、翼のはためく音が聞こえた。
 咄嗟に振り返ったキールアは瞠目する。上空で一体の元魔が立派な両翼を扇ぎ、こちらに向かってきて降下していたのだ。

「……! あ、危ない! 気をつけてっ!」

 翼竜の元魔が翼を広げ、猛烈な勢いで飛来する。警備班員たちは悲鳴をあげ狼狽えた。しかし翼竜の元魔は一目散に、元魔の群れに頭から突っ込むと、元魔らを貪り共食いを始めた。不快な咀嚼音が響くたびに、翼竜の元魔の身体がどんどん膨れあがっていく。
 キールアは息を呑んだ。
 食われた元魔らの残骸が、煙に巻かれて、消える。そして食事を──否、"一体化"を済ませた翼竜の元魔がゆっくりとこちらに振り返った。手足はよりたくましく発達し、鼻を膨らませて息を吹く。一つの大きな赤い核が広い額の上で輝いていた。翼竜の元魔は、大きな翼を扇いでひと風起こすと、空気を割らんばかりにけたたましく喚いた。

 キールアはぞっとして、口の端を噛んだ。過去に、レイチェル村に翼竜の元魔が現れたときの恐ろしさと緊張感を思い出したのだ。ロクが次元の力を目覚めさせたきっかけにもなったあの日の出来事は、キールアにとっては恐ろしい経験として記憶に根づいている。
 キールアが動けないでいると、警備班員たちが突撃しようと武器を構え直した。

「怯むな! キールア隊員を守り、この場を切り抜ける!」

 班員たちは、副班長の男のかけ声に応じて、果敢に飛び出した。しかし、キールアはすぐにでも止めたかった。恐怖で震えあがっていた彼女は、一拍遅れて、声の限り叫んだ。

「だ……だめ! その元魔は……ほかの元魔とは違うの……!」

 だが声はすぐにかき消されることとなった。翼竜の元魔がもう一度空に向かって咆哮する。すると長い首をしっかりと据えて、突進してくる班員たちを追い払うように、大きな翼で風を薙ぎ払った。ひとたび翼を扇げば、強風が巻き起こって、班員たちは厚い風の壁と衝突した。身体の大きい男たちが軽々と弾け飛んで、宙を舞う。落下し、地面に身体を打ちつけた者のうち、何人かは負けじと己を奮い立たせて、翼竜の元魔に突進していく。
 当たりどころが悪く、地面の上で悶える男たちに向かって、キールアはすかさず、"治傷"を展開した。術を展開しながら彼女は、到底敵わない、と察していた。男たちの持つ槍の穂先では、あの元魔の硬い皮膚は貫けないだろうし、赤い核を砕けるのは強烈な意思を宿した次元の力だけだ。

(どうしたら……どうしたらいいの……!?)

 不安と焦りで、キールアは苦しい顔をしていた。翼竜の元魔は素知らぬような黒い目で人間を見下ろすと、鋭い爪を生やした腕をまっすぐ振り下ろした。
 一人の男にその矛先が向くと、キールアは、思わず飛び出していて、虚をついて男の上半身を押し除ける。太い爪がキールアの肩から腰までを一直線に掻き裂く。赤い血が横っ飛びに噴き出した。
 庇われた男が狼狽する傍らで、キールアは間を置かずに詠唱した。

「四元解錠、"治傷"……!」

 光の球体がキールアの背中を包むように膨らんで、傷口を覆う。が、間髪入れずに、翼竜の元魔の腕がふたたびキールアたちに迫った。逃げられない、キールアは判断して、治ったばかりの腕をわざと頭上に掲げた。太い竜爪が腕を貫通する。頭を鈍器で殴られたみたいに、意識が飛びそうになる、それを無理やりに捕まえてキールアは叫んだ。

「──五元、解錠……!」

 キールアの顔の前で光の球体がふわりと立ち昇って、彼女の表情を照らし出す。眉をきつく寄せて、瞳を鋭く尖らせた彼女を眼前にした翼竜の元魔は爪を引き抜いた。
 両腕を覆う光が強くなるさなかに、キールアは続けて紡ぐ。

「"治傷"……っ!」

 傷口から、血と混じった水泡が次から次へと立ち昇る。何度、傷ついても、その傷は恐ろしいほど"綺麗"に治っていく。奇跡の力、と称賛されたのは傷がすぐに治るからだけではない。痛み以外の痕跡をまったく残さず、まさしく"完治"させてしまう御業みわざを、奇跡と呼ぶほかなかったのだ。
 男は驚いていたが、すぐに切り替えて、キールアに下がるよう促した。
 
「キールア隊員、ここは、我々が……! ですから、どうかご無理は……!」
「無理じゃ、ないんです。怖くても、逃げだしたくても、飛び出さなきゃいけないときが、わたしたちには、あるから……っ」

 かつて元魔から守ってくれた幼馴染二人の姿を、いまでもお守りのように記憶の隅に置いている。キールアはこのとき、戦いへの恐ろしさを隠しきれずに不安にまみれた表情をしていたに違いないが、男はさらにかけようとした言葉を飲みこんでしまった。
 しかし、いくら自身らに降りかかる負傷を取り払っても、元魔本体には傷一つつけられていない。翼竜の元魔は、大きな翼を扇ぎ、飛び立つ。そしてキールアではなく、男たちを標的に据えると、翼を畳んで急降下した。
 庇おうにも距離がありすぎる。間に合わない、とキールアはわかっていても前のめりになった。
 
「に、逃げてっ!」

 翼竜の元魔は口を大きく開け拡げ、男たちに喰いかかろうとした。が、なにかと衝突して元魔の頭部が弾けた。中空に突然壁が現れたのではない。突然、現れたのは、一人の大柄の男だった。
 男は赤い外套を靡かせて、まっすぐに突き出した手に"扇子"を掴んでいた。

「六元、解錠」

 腹の底に直接響くような低い声色と、そして臙脂色に燃える鋭い眼光。男は、ぱちりと音を立てて扇子を閉じた。

「"打烙だらく"」

 翼竜の元魔が額を打たれてぐらついて、地面に倒れれば、激しい砂ぼこりが舞って、あたりを包みこんだ。此花隊隊員の男たちはいましがた目にした光景と、そして砂煙の中に紛れる男の広い背中姿と、赤い外套に唖然としていた。

「あ、た、隊……──」

 竜が、吼える。ひとたび撃ち放たれた咆哮が、砂煙を払い飛ばして、家屋、看板、樹木、石畳──あらゆるものを震わせる。激しい咆哮に隊員たちがひっくり返っている中、赤い外套を身に纏った男だけが微動だにせず、翼竜の元魔から視線を外さなかった。
 翼竜の元魔は爪を振り下ろした。が、赤い男が扇子の先でいなした。次いで足をあげて踏みつけにしようとする。赤い男は素早く身をねじり、扇子の尾で元魔の腹部を鋭く刺すと、元魔が悲鳴をあげて、顎を天に向けた。一歩。歩み出ただけで、翼竜の懐へと静かに踏みこんだ男の手元で、扇子が鮮やかに開く。

「六元解錠、"嵐舞らんぶ"」

 赤い男が口遊み、扇子を煽ればたちまち竜巻が巻き起こった。巨大な風の渦が男と翼竜の元魔を飲みこんで、瞬間、元魔は遥か上空へと突き上げられた。
 竜巻は溶け、霧消する。すると、上空から、翼竜の元魔が真っ逆さまに落下してくる。だが男は顔色ひとつ変えずに、その真下で、緩慢に扇子を掲げた。
 ぴったりと閉じられた扇子の先と、落ちてくる翼竜の元魔の額に輝く真っ赤な核とが、接触する。

 「七元解錠──"打烙"!」

 ──、一触即発。扇子の先と衝突した真っ赤な核が、粉砕する。途端、元魔は口を開けたまま黒い靄と化して、中空で激しく霧散し、消えてしまった。
 赤い外套を靡かせて立つ、臙脂色の瞳の男は、静かに扇子を閉じた。ぱちり、という音が鳴ると、それを皮切りに隊員の男たちが彼のもとへ駆け寄った。
 此花隊の副隊長以下全隊員、全部班を統括するその男の名は、ラッドウール・ボキシス。
 軍人なみの体格と、臙脂色の鋭い眼光を併せ持った彼に、気安く近づくことはそうそうないのだが、隊員の男たちは興奮を抑えきれず、次々に声をかけた。
 
「ら……ラッドウール隊長……!」
「た、隊長! お戻りで……!?」

 副隊長のチェシアと顔を合わせることは何度かあったが、隊長のラッドウールにお目にかかったことのないキールアは、しばらくぼんやりとして、彼の姿を遠目に眺めていた。フィラの祖父という話だが、瞳の色がおなじなので、血縁だとわかるくらいにはほとんど似ていないように見えた。
 ラッドウールは、赤い外套の中で両腕を組むと、隊員の男たちに告げた。

「指示だ。この場にいる住民を連れて退避しろ。残党は請け負う」
「……は、はっ!」

 男たちは一斉に敬礼をし、持ち場へと戻っていく。
 いまだ呆然と立ち尽くしているキールアだったが、突然ラッドウールがこちらに振り向いて、目を見開いた。

「キールア・シーホリー、会うのは初めてだな」

 苗字まで呼ばれるとは思わず、キールアは変に委縮して、返事の声をひっこめてしまった。こめかみから一粒の汗が伝うのが、妙にゆっくり感じられた。
 
「……」
「俺は血筋のことなど毛ほども興味はない。恐れるな」

 そう言うと、ラッドウールはゆっくりとキールアのほうへと歩み寄り、目の前で立ち止まった。そして臙脂色の瞳でまっすぐキールアを見下ろして続けた。

「お前の持つ、治癒の力が必要だ。休んでいる暇はない。早急にここを発ち、己の責務を完遂せよ」
「は……はい。承知しました」

 キールアに言えたのは、そのたった一言だけだった。ラッドウールもまた、それだけを告げると、ほかにはほとんど指示もなく、隊員たちを鼓舞するような言葉もなかった。だが、短い言葉の中に、上に立つ者としての威厳や強さを感じ取れる。だから彼は、此花隊の隊長に就任した日から、隊員たちの憧れの的であり続けている。
 ──己の責務を完遂せよ。キールアは、かけられたその言葉を、重く受け止めた。
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.164 )
日時: 2025/04/10 07:16
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第147次元 時の止む都23

 エントリアの街はどこを見渡してもひどい有り様で、人の声もなければ秩序もなく、理不尽と緊張感ばかりが街中から漂っている。最後に戻ったのは数月も前の話だが、この街は、王国時代から変わらず、活気に溢れたメルギース最大の都市であったはずだ。
 倒壊した家の石柱に運悪く捕まった一人の女が、意識を取り落とすまいと、息を荒げていた。しかし呼吸がしづらく、まともに声が出ない。
 女は息も絶え絶えになりながら、必死に周囲に呼びかけていた。

「だ……れか! だれか……」

 身動きひとつとれず、泣くことしかできない女がなかば諦めかけたとき、突然、背中がふわりと浮いた気がした。浮いたのは、背中を押し潰していた石柱のほうで、女は見開いた目に光を浴びる。
 女は仏頂面の大男に見下ろされていた。

「息は」

 男、ラッドウールが臙脂色の瞳を鋭くさせて問いかけると、女ははくはくと、乾いた口を動かした。そして目にためた涙をぼろぼろとこぼしながら伝えた。

「わた、私はもう、死にます。この子を、この子を……」
「……」

 見ると、女は下腹部から足の先まで潰れており、血の海がいまも広がり続けていた。間もなく死に絶えるだろうと、ラッドウールにも予測できた。
 女の腕に抱かれた赤子が、突然、わあわあと泣きだす。赤子は頬に擦り傷があるのみで、ほかに目立った外傷はない。
 ラッドウールは女の上に乗りかかっているいくつかの石柱をひとつひとつ持ちあげてはどかしていく。やがて、女の身が自由になると、血の赤にべったりと染まった布に包まれたその赤子を手渡された。

「おねがい、します。お優しい方……」

 女は言うと静かに目を閉じた。
 ラッドウールの腕の中で、赤子はより激しく泣きわめきだした。たしか、近くに見える機織りの店を左折してしばらく行くと、警備班が配置されている待機所を見かけたはずだ。班員に赤子を引き渡し、あとを任せようとラッドウールが振り返ると、視線の先に刀を握ったチェシアが立っていた。

「隊長、お戻りになられていたのですね」
「つい先刻だ。もとより近々戻る予定だった」
「左様でございますか。……して、そちらの赤子は?」

 ラッドウールが答えるより先に、チェシアは視線を動かして倒れている女の姿を認めると、事の顛末をすぐに理解した。
 このラッドウール・ボキシスという男は、滅多にエントリアへは戻ってこない。此花隊の隊長であるわりには、本部に滞在している時間が極端に短く、本部の管理はほとんどチェシアが行なっているといっても過言ではない。彼は各地へ視察のために飛び回っているのがほとんどだが、政会の上層部と頻繁に会合の席をともに、情報を集めている。ウーヴァンニーフに向かっていたのは、現地の此花隊隊員の様子を見に行ったのもあるだろうが、おそらく体制立て直しに口出ししているのだろうと、チェシアは推測していた。ラッドウールは山奥の辺鄙な村の出身と聞くから、食糧問題には鼻が利くだろうし、口を挟むなんてしていたのだろう。
 彼は、意見介入の機会を逃さず奪い取り、政会の上層部に価値と権威を示すことで、「政会と此花隊はあくまで対等な協力関係である」という意識づけを常に実行する。口数が極端に少ないせいで隊内での交流はまったく上手くいっていないが、その手腕を買っているから、チェシアは文句をたれつつも本部の門を従順に守っているのだ。

 チェシアは女のほうに歩み寄って、腰を落とすと、すでに息絶えている女の身体を起こして、石柱にもたれさせる。そのうちにもラッドウールに報告をしようと口を開いたが、まだ赤子が割れんばかりに泣いているので、チェシアはいつもより声を張った。

「ご存じかもしれませんが、念のためご報告を。二体の神族、ならびに街の各地に元魔が出現しております。神族らが到着する前に情報を得ておりましたので、市民はおおむね、西門よりカナラ街へ退避が完了しております。元魔は、神族が生み出しているものと判断しております。戦闘部班第一班のコルド・ヘイナー、レトヴェール・エポールの二名が現在神族と交戦中です。現状は上手く持ちこたえているようで、街の中へ進行してくる様子はございません。よって警備班ならびに第一班以外の次元師は、街内に残る市民の退避の支援、そして出現し続けている元魔の対処に動員しております」
「では、引き続き元魔の掃討にあたる。南へ向かえ。北半分は俺が受け持つ」
「は」

 続けてチェシアは、援助部班と医療部班の詳しい配置を、時間をかけずに報告した。ラッドウールはその間、一度も相槌を打たなかった。聞いているのかいないのかもわからない、態度の悪い男の横顔を見てもチェシアは、気にとめずに一方的に報告を終える。その何の変哲もない横顔からわずかな憤りを感じ取れるくらいには、付き合いが短くないのだ。
 チェシアは、視線を女に戻し、女の閉じた瞼を見つめると、左手で『希刀』の鍔に触れた。

「この老体で、また戦線に立つことになろうとは。まったく隠居の隙がございませんね」

 ラッドウールは、チェシアの右腕を一瞥して、それから口を開いた。

「エントリアを守るのは死ぬまで貴様の責務だろう」
「……」

 チェシアは一瞬黙ったが、すぐに、凛とした表情が崩れて代わりに苦い悪態が口をついて出た。

「女を捕まえて"貴様"とは。相も変わらず、口の悪いガキが」
「口の悪さは互い様だ。それに枯れた枝を女とは言わん」
「……」

 チェシアはまた、眉の上がぴくりと動くのを感じたが、嘆息しただけで言い返さなかった。この男は、引退したとはいえ侯爵家一族の人間に向かってまるで口の利き方がなっていない。それも、出会った当初から一片も態度が変わっていないのだ。チェシアはそのたびに、口うるさく苦言を呈してきたつもりだが、どうやら改める気はさらさらないらしい。
 チェシアは、ラッドウールの顔をひと睨みすると、すっくと立ち上がった。まだなにか言いたげな顔をしているが口喧嘩を長引かせるだけだ。チェシアは口調を整えて言った。

「そのようなこと、言われずとも……」

 そこまでチェシアが言って、二人は、同時に元魔の気配を感じ取った。
 チェシアが気配の出所を探るつもりで素早く振り返ると、一体の元魔が死んだ女のもたれかかった石柱にしがみついていた。元魔は丸く大きな口を開けて、黒い汚泥をこぼし、女を頭から喰らおうと前のめりになった。
 真一文字に一太刀が走る。
 元魔は顎の下の赤い核ごと身体を一瞬で真っ二つに斬り裂かれた。

 チェシアは藍色の眼光を鋭くさせた。たとえ腰下ろす席が変わろうと、歳をいくらくったとしても、彼女の為すべきは変わらずこの街を守護し続けることだ。

「塵も残らず排除致します」

 間を置かず、地面の下から新たな元魔が飛び出した。しかしすでにラッドウールが扇を片手に構えていた。チェシアが振り返ったときには、扇の要が元魔の核を突いていて、要から伸びる美しい房が揺れていた。
 屋根の上から、柱の裏から、街路を這いながら、数多の元魔らが二人を取り囲んだ。二人の顔がまったく動揺の色を見せず、平常を伴っているのとは裏腹に、ラッドウールの腕の中ではまだ赤子が泣いていた。

「向こうからやってくるとは、願ってもいない」
「盛況なことだ」
「そちらの赤子を、私が預かりたいところでございましたが」
「いい。貴様は片腕で剣を握るので一杯だろう」

 ラッドウールは、赤子をあやす素ぶりはなかったのに、片腕でしっかりと抱きかかえるのは慣れたようだった。
 元魔らが固まっている地点へとチェシアは視線を定める。ラッドウールは逆方向に顔を向けた。特別な合図はなかった。二人はそれぞれに動き出して、"扉の鍵"を開ける。

「六元解錠」

 詠唱が重なる──瞬く、間もなく。刀身が輝けば、扇子が開けば彼らは意思のままに扉の向こうから、異界の術を解き放つ。

「"囲駄斬り"」
「"嵐舞"」

 格子状の斬撃が中空を乱暴に掻き切って、細切れになった元魔たちは風の縁に捕まる。刹那、風は肥大化して数多の元魔らを一体も、いや一欠片も残さずに天上へと突き上げた。
 風の渦の中で、元魔らが次から次へと黒く霧散していく。

 だが、次の瞬間、二人が見ていたはずの景色が一変した。
 
 二人は街道の真ん中に並んで立ち、数多の元魔らから、一斉に、赤い視線を浴びせられていた。
 既視感。そして、後頭部を引っ張られるような奇妙な感覚が身体中にまとわりついた。


 つい、たったの数瞬前、縦横無尽に跳ねるクレッタの太い足首にレトヴェールが"二対の斬撃"を食らわせてやった隙をついて、コルドは"鎖"で手足を捉えた。そして空高く投げ飛ばした。だが、はっと気がついたときには、クレッタは鎖に繋がれていなかった。それどころか、足首に斬り傷もなく、二人が驚いている間にも太い腕を振り上げ、クレッタは握り拳を下した。

「──……!?」
「ウラアアアッ!」

 崩れた城壁──いまや瓦礫の積み上がる山となったそれをさらに殴り飛ばした衝撃で、レトとコルドはまとめて宙へ投げ出された。理解が追いつかないうちに、クレッタは激しく腕を振り回して、がむしゃらに殴打を、踏みつけを、雄叫びを、繰り返した。
 アイムが能力を使って、時間が巻き戻したのだが、まだ知らない二人は事態が飲みこめていなかった。
 しかしレトが、崩れかけの城壁の影から飛び出すと、彼は迷いのない目をしていた。

 巨獣のクレッタの影に隠れて呆然と聳えている、アイムの赤い目を目がけてレトは、『双斬』を構え、その刀身から鋭く斬撃を飛ばした。

「五元解錠──"真斬"!」
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.165 )
日時: 2025/04/13 20:28
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第148次元 時の止む都24
 
 斬撃は一直線に飛んで、アイムの赤い目に突き刺さった。するとアイムはクレッタの雄叫びとも違う、甲高くて奇妙な声で苦悶した。
 短く丸い脚が、九本の触手の下から見えた。アイムはまわりを囲う元魔を踏みつけにして、右往左往と蠢いた。
 ついにあの、灰色の皮膚をした十尺の化け物──もう一体の神族が動きだした。
 クレッタはいまだに城壁付近で暴れており、降り注ぐ瓦礫の雨に打たれながらもレトヴェールはコルドのもとへと急いだ。通信具はとうに壊れてしまっているから、話をするなら近くまで寄らなければならない。
 クレッタを挟んで反対側の城壁付近でコルドを見つけると、彼の表情は固く、困惑を拭いきれていないようだった。
 二人は死角になっている瓦礫の山の隅に隠れて、声をかけ合った。
 
「いまのは、なんだ? たしかにおまえが『双斬』で獣の神族の足を叩いて、俺が投げ飛ばした、はず……。あのいままで動かなかったほうの神族がなにかしたのか? レト、おまえいま、奴を真っ先に狙ったな」
「違和感を覚える直前、奴の赤い目が光るのを見た。一瞬だけだったけど……。だから、あっちの仕業な気がした」

 二人が顔を出して、あらためて十尺の神族を見やると、ぼろぼろになった頭巾のようなものが向かい風に煽られて、ひらひらとはためいていた。口の位置も鼻の形もおかしいなんとも珍妙な顔をした、まさに化け物と呼ぶに相応しい相貌に、鮮やかな赤色の瞳がぎらぎらと光っている。二つの瞳の光彩は白く、美しい丸の図形が描かれていた。
 レトは思案をする顔で、考えていたことを口にした。

「俺たちの攻撃は、なかったことになった。幻覚を見せられていたのか、あるいは……攻撃をする前の時間に戻されたか、だと思う」
「時間……」

 二人は殺気を察知して、すかさず、その場から退避した。瞬間、瓦礫の山は激しい殴打を受けて、宙に咲くように飛散する。やがて硬い石の雨が、地面に向かって次々に降り注いだ。曇り空の下に出た二人が、大きな瓦礫を中心にその雨を凌いでいると、今度は、アイムの腕が一本、ぐんと伸びてきて二人を追い詰めた。コルドが、鎖を束ねて盾のようなものを築くと、アイムの腕はその鎖の盾にぶつかって、軌道を逸らした。
 獣の目をしたクレッタの顔の周りの毛が、ぐんぐんと伸びて、豊かなたてがみが広がった。クレッタはたてがみの毛先を逆立てながら野太い声で吠えた。

「人間は、コソコソするのが好きだな! なあ、コルド! 戦おう! どっちが強いか証明だ!」
「信仰しろ、信仰しろ」

 アイムはうわごとのようにそう、何度も繰り返していた。
 コルドは、眉間に皺を寄せ、アイムを注視した。

「レト。獣の神族は【レータ】、そしていま動きだした能力がよくわからない神族は【イム】と仮に呼ぶ。おまえは【イム】の観察をしろ。攻撃が向かってきたら回避に専念していい」
「了解。……副班、耳貸して」

 コルドは言われると、前屈みになって、レトのほうへと頭を傾かせた。レトは、コルドに何事かを耳打ちした。
 そのあと、すぐに二人は二手に別れた。ぐるぐると動き回る、小さな人間の影をクレッタは目で追った。そしてふと、コルドを見失ったとき、金属の擦れる音を耳で捉えた。しかし背後を振り返ればたちまち、津波のごとく立ち上がった鎖の巨壁がクレッタに覆いかぶさった。
 瓦礫の山の頂上に足をかけたコルドが、力強く鎖の根元を引いて、クレッタの巨躯をまるごときつく縛りあげた。コルドはクレッタを見上げて言った。

「力比べなんてものに興味はないが……いいだろう。最後まで立っていられたほうが強者だ」
「ああ、イイな! そうだ、強いヤツっていうのは、そういうものだ!」

 クレッタは肩をいからせて、むくむくと筋肉を膨らませる。鎖が一本、弾け飛んだのを皮切りに、まだまだ膨らんでいくクレッタの筋肉に圧されて、立て続けに鎖が弾ける。クレッタは我慢できず、すべての鎖を解ききるまえにコルドに襲いかかった。だがコルドは冷静に構えていて、跳んで引き下がった。
 アイムは人間二人の動きがてんで見えていないようで、九本の巨腕を鞭のようにしならせて、がむしゃらに暴れだした。不規則な動きを捉えきれず、レトは激しい殴打を頬にくらった。が、しかし、運良く直撃は免れた。レトは軽く横転しただけで、すぐに起き上がった。

 灰色の皮膚に覆われており、全長はおよそ十尺ほどある。首と思われる部位から下には柱のように太い腕、あるいは脚が九本伸びている。一本はどこかで失ってきたか、その根元が不自然な傷跡だけを残していた。顔の造形は、珍妙と呼ぶほかはなく、目鼻口はおかしな位置に並んでいた。そして血濡れたような赤い瞳と白い虹彩が、もっとも存在感を放っていて、じっくりと見る者には不安と恐怖を与えてくる。
 レトは、頭のてっぺんから足元までアイムを観察し、分析に入っていた。

(さっきの幻覚、あるいは時間の巻き戻しを、なんでいままで使わなかった? どうしていま動きだした?)
 
 アイムは、全身の至るところに傷を負っている。しかしそのほとんどの傷口は塞ぎかかっている。傷は、つけられた箇所も、形状もばらばらだが、レトはしっかりと見極めていた。

(複数の弾痕。火傷、焼き切れた肉体の断面。これらはおそらく、『蒼銃』と『雷皇』による負傷だ。つまりガネストとロク、どちらの班とも戦闘した。五人の次元師と戦闘しておきながら、まだ動けてる理由はなんだ。決定打を受けてないからか? 攻撃を受けたそばから回復するのか? ……それなら合点がいくな。断続的に戦闘が続いたとしてもそのひとつひとつの攻撃が浅く、すぐに回復しちまうなら、むしろそれによる負傷はたいして蓄積されない)

 傷は治りかけているだけで、完治はしていない。時間が経過したので回復したと見るのが自然だろう。しかし時間の経過に任せているということは、たとえばキールアの『癒楽』のような治癒を施せる術は、おそらく持っていないのだ。

(それなら……)
 
 そのとき、レトの瞼がぴくりと跳ねた。アイムの赤い目がじんわりと光を帯びはじめたのだ。急いで周囲を見渡すと、コルドの放った"浪咬"が、クレッタの喉笛に食らいつこうとしていた。
 ──が、頭蓋骨の後ろを、強い力で引っ張られるような心地悪い感覚を覚えて、すぐに、見えていた景色が変転した。

 時間が巻き戻る。直後。クレッタがけたたましい咆哮を空に放ちながら、太い両腕を地面に叩きつけた。弾け飛ぶ瓦礫に混じってコルドの身体が宙に放り出される。
 逃げ遅れた彼は、受け身をとって着地したが、瓦礫がぶつかったのか額からは塊のような血液をとぷりとこぼしていた。
 
「は……厄介な、力だな」

 "浪咬"となるはずだった鎖の一片を握りしめながら、コルドは立ち上がって独りごちた。

「悪いな、レト。次は上手くやってみせる」

 コルドは息つく間もなく駆けだした。地面に無数に落ちている鎖の破片が踏みつけられて、音が立つ。クレッタの腕から繰り出される殴打を身をねじって回避して、ぐんぐん走っていくコルドは、クレッタの背後に回った。
 そしてクレッタがコルドの走る姿を目で追いかけて、振り向くときには、手の中に収まった鎖の一片をコルドは強く握りこんでいた。

「五元解錠──円郭!」

 何百何千もの鎖の破片が、コルドの一声でどこからともなく一斉に浮上する。それらはクレッタをめがけて槍のように降り注いだ。
 しかしクレッタは、向かってくる鎖の雨を強引に殴り返した。一度ならず、幾度となく向かってくるそれを片っ端から弾いては飛ばし、飛ばしては弾き、腕を存分に振り回す。

「ガアッ!! わずらわしい鉄屑だ!!」

 弾け飛んだ鎖の一片を刃で受けて、レトはいなした。土を踏み締めて颯爽と駆けてきた彼は、半身振り返って、小さく言った。

「ドンピシャ」

 クレッタの顔面に、太い柱のような灰色の巨腕が突き刺さったのは、すぐのことだった。
 獣の目の端で捉えなくとも、アイムの匂いが強烈に鼻を刺した。クレッタは目の端まで赤くしたが、それも潰れて、宙で一回転をした。その刹那のうちに、クレッタは獰猛な獣のような鋭い目をして、宙の上から、アイムをきつく睨みつけた。
 赤い二つの瞳が、瞬く。
 しっかりしていた自意識がないまぜになる。なにかの力に強引に引っ張られる。そうしてまた、時間が巻き戻る。
 
 ときは数刻前、鎖の海の真ん中で、クレッタが聳え立っていた。
 クレッタは躊躇なく、コルドがいるであろう方向に向かって拳を振り薙いだ。しかし、瓦礫や木々が豪快に弾き飛ばされたそこに、コルドだけがいなかった。
 くん、とクレッタの鼻先が立つ。コルドの匂いが遠のいていくのと入れ替わって、レトの匂いが近づいてきていた。
 コルドは、まるで初めからわかっていたかのようにとっくにその場を脱していて、走り寄ってくるレトとすれ違うと、二人はほとんど同時に詠唱をした。

「六元解錠──"浪咬"!」
「五元解錠──"烈星閃"!」

 鎖が寄り集まって形成された"鉄の大蛇"が、縦に口を開けて、アイムを顔面から飲みこんだ。そして双剣から放たれた無数の斬撃は中空を奔り、交差する。昼の空を駆ける星々はクレッタを目がけて一直線に降り注いだ。
 コルドが、レトに背中を預けながら、思わず笑みをこぼした。

「はは、おまえの言った通りにしたら、上手くいったな。しかしこれは、けっこう気を張るぞ」
「しょうがないだろ。頭を使わないからまだましだ」

 "後頭部が引っ張られる感覚がしたら、なにも考えずにすぐにその場所から離れろ"。
 幻覚あるいは時間の巻き戻りに対してなにか策を練ることも、思考をすることも無意味だと、レトはそうばっさりと切り捨てた。"いつの時点から幻覚なのか"あるいは"いつの時点に戻る"のか、がわからない以上、無駄な対策は捨てるべきだ。だから、確実に実感として残る「後頭部を引っ張られる感覚」があれば次の行動は「ひとまず退避を行う」と決め打ちしてしまうのがいい、とレトはコルドに提案していた。

 だからといって、アイムの力を放っておくのは危険だ、とレトも例にもれずそう思っていた。第二班と第三班もそう判断したから、アイムの負傷が目立つのだ。
 クレッタとアイムが再起するまえにと、レトは話を続けた。

「コルド副班、【イム】を狙ってくれ。奴を完全に行動不能にしたい」
「捕縛か」
「いいや、もっと単純。いま副班が出せる最大限の力を【イム】にぶつける、それでいい。たぶん、これはあんたじゃなきゃダメだ。完封できる強力な一手を奴に食らわせない限り、何度やっても起きてくる。だから」

 コルドは考えるように目を伏せた。より強力な次元技を放とうとすると、元力の消耗も激しい。クレッタが控えている手前、ひとつでも判断を誤るのは命取りになる。けれどコルドは、レトの判断を信頼していた。
 顔を上げると、コルドは頷いた。そして、ゆっくりと、鎖の海から顔を出したアイムに視線を定めた。

「わかった」

 鎖の一片を右手で握りしめて、コルドは集中を高めた。彼は見たことのない顔をしていて、レトは一瞬、視線を動かせなかった。
 そしてさらに拳を握る力を強めると、彼は詠唱した。

「六元解錠」

 あたりに広がる鎖の海が、破片が、次から次へと浮き上がる。

「"嵩重かさねとく"」

 それは、感覚、だった。空気が変わったような、否、"重くなったような感覚"がして、レトは無意識に、周囲を確認してしまった。
 すると、崩れた城壁にもたれかかったクレッタが余裕そうな動きで起き上がった。そして前足を地面につけるとこちらに向かって猛烈な勢いで駆けてきた。

「ガアア! 弱いんだよ、なんだいまのは!? 弱い!! コルドと戦わせろ!!」

 コルドはレトの肩を掴んで、自分の後ろへ下がらせると、すかさず詠唱を繰り出した。

「五元解錠、"伸軌しんき"!」

 無数の鎖が集まって一本の鉄の槍となり、それが、跳び上がったクレッタの胸元を目がけて跳ぶ。"伸軌"は、真正面からクレッタの胸を貫通した。
 五元級の次元技だ、クレッタならばすぐに引き抜いてしまい、たいした足どめには──そう思われたが、レトは驚いた。胸を貫かれたクレッタが、不自然なほど垂直に地面に叩きつけられたのだ。ただ一本に伸びた鎖が刺さっただけなのに、想像以上に重苦しい音を伴って、クレッタが地面に倒れ伏す。
 レトが唖然としていると、一心不乱に向かってくるアイムの奇声があたりに響き渡った。急いで振り返ったレトの目には、コルドが間髪入れずに詠唱を繰り出す姿が映った。

「八元解錠──"浪咬"!」

 鎖が広がり、海のようになったその鉛色の海面から、どぷんと大蛇が顔を出す。一つではなかった。頭部は八又に枝分かれし、瞬く間に顕現する。すると"浪咬"はたちまちに、巨躯のアイムがまるで子どもに見えてしまうほど、それを凌ぐ巨大な肢体をうねらせて、アイムの頭、胴、九肢を余すことなく喰らいかかった。耳を塞いだのが無意味なくらいに凄まじい轟音があたり一帯に響き渡る。身体を食い散らかされたアイムは、ぐったりと地面に倒れこんだ。
 
 コルドの目はまだ鋭かった。
 鎖が、浮く。
 アイムを取り囲んで、無数の鎖の破片が舞いあがる。コルドは、腕の筋肉がびきりと音を立てても、一切気を緩めず、体内に残る元力を極限まで練り上げ──そして力の限り叫んだ。

「──八元解錠、"円郭えんかく"!!」

 無数の鎖が、アイムを取り囲み、寄り集まって、球状を形成する。それらは内側にいる標的に向かって一斉に撃ち放たれた。甲高い絶叫がアイムの口から飛び出して、鎖の球体の隙間から真っ黒い液体が飛散する。瞬く間に、鎖の球体はアイムを完全に閉じ込めてしまった。
 息を呑んで見ていたレトが、やっと呼吸をすると、見上げたコルドの表情はまだ張り詰めていた。
 
 腕が動かないと、いままでのようには戦えないと、悔しそうな顔をしていた彼は、もう過去の存在だ。
 キールアの次元の力は、神の術を取り払っただけでなく、どうやら彼の心を巣食っていた不の感情さえどこかへやってくれたらしい。

 コルドが彼らしい、気を緩めない固い顔をしてアイムを観察していると、巨大な鎖の球体の一部が、ばらりと剥がれ落ちた。それから徐々に球体の外郭が崩れていく。
 ようやく現れたアイムの皮膚の色が、灰色から白へと変化していた。そして鮮やかだった瞳の赤色が、ゆっくりと彩度を失って、しだいに濁っていった。

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.167 )
日時: 2025/04/20 18:40
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

   
 第149次元 時の止む都25

 アイムはもう動きだすことはないだろうと、レトヴェールとコルドは、そう肌で感じ取った。鎖の海面に浸った、ぼこぼこと歪んだ白い巨体は微動だにせず、起きあがってくる気配はない。
 『鎖縛』の"円郭"は、標的を鎖の玉の中に閉じ込め圧迫する。コルドはこれを捕縛の目的で発動することがほとんどだが、圧力をかければかけるほど、細かな鎖は肉体に食いこんで、しまいには破裂させるほどの力を発揮する。
 コルドがこれを発動したのは、アイムが"心臓"を持っているかどうか、確かめるためでもあった。
 肉体には、無数の鎖が突き刺さり、強く圧迫して破裂をさせたにもかかわらず、アイムは、ノーラのときのように消滅しない。コルドは、なかばわかっていたような顔をしていた。

(アイムの体内に、"心臓"はない……。薄々わかっていたが、ノーラのときのようにはいかないわけだな)

 ふと、コルドの脳裏にある疑問がよぎった。"心臓"を持たない神族を斃すことは不可能なのだろうか──と。

 周囲の空気が重くなったように錯覚した原因を、レトはすぐに理解した。
 アイムの顔面に、まばらにかかっている鎖の破片が、ぼとぼとと音を立てて雪崩落ちる。見ると、アイムの顔面は歪んでいて、元に戻りそうになかった。

(……鎖の重さを変える次元技か……?)

 "嵩重・特"と聞こえた次元技には聞き覚えがなかった。レトは興味をそそられたが、後方で、重い鎖を引きずるような音が聞こえてきて、注意がそちらに向いた。

「ガアア、なんだ、これは……? 重てエな、なア! クソ!」

 胸に刺さった鎖の槍──鎖を一本の束にする次元技"伸軌"──を、クレッタは無理やりに引き抜いた。そして肩を膨らませ、それを振りかぶり、二人に向かって投擲した。
 しかしコルドが"伸軌"を解除して、鎖の槍は空中でばらばらに解体された。クレッタは、低く唸りながら頭を振ったあと、猛突進してきた。
 コルドからの合図を受けて、レトが走りだしたとき、城壁付近の惨状が目に入って、レトははっと気がついた。

(巳梅がいない? どこに行った)

 ──城壁付近でぐったりとしていたはずの『巳梅』の姿がない。



 チェシアと別れたあと、道すがら警備班員たちの拠点に寄って赤子を預けたラッドウールは、北門の城壁塔の最上階に登った。鋭い目元をたたえて、街を一望している。住民の避難はおおむね済んでいると、チェシアから報告を受けた通り、街の中からは、人の気配はほとんど薄れていた。

(だが、煩わしい元魔ねずみの匂いは、まだ鼻につく)

 ラッドウールは懐から、一本の扇子──さしあたって、次元の力『仙扇せんせん』を取り出し、面を開いた。
 そして美しい所作で、街並みをなぞるように頭の先をゆっくり泳がせると、口ずさんだ。

「四元解錠、"鳴手なぎて"」

 どこからも、だれからも、楽器を奏でるような音はしていないのに、空気が震えて風は鳴いた。
 扇子はひらりと宙を滑る。房が揺れ、美しい玉の光が、軌跡を残す。ラッドウールの手元は厳かながらにつつましやかで、足音もせず、翻える外套の赤さは、いまは舞を彩る飾りのひとつみたいだった。
 だれも観ていない、静かな舞台の中で、ラッドウールは扇子を主役にして舞い踊る。
 だが彼が、"鳴手"という次元技が惹きつけたいのは、人ではない。

 眼下では、黒い影が数体、数十体、北門の塔に吸い寄せられるようにして集まっていた。気配が強くなってくると、ラッドウールは舞をやめて、塔の下を見下ろした。
 そのとき、塔の外壁を猛烈な勢いで登ってくる元魔が一体、ラッドウールの前に飛び出してきた。
 ラッドウールは扇子の面を閉じる。そして、すばやく持ち手を変えて、要で元魔の目玉を突き刺した。元魔は丸い身体を傾かせ、空中からまっさかさまに落下する。
 扇子の面をふたたび広げて、ラッドウールはそれで空を切るように薙いだ。

「七元解錠──、"嵐舞"」

 塔の下から、凄まじい強風が立ちのぼり、渦巻き状になって空を突き抜けた。寄り集まった数十体の元魔らは風に嬲られ、巻きあげられ、空高く跳んだ。
 次から次へと、元魔らの赤い核が砕け散る。風の渦はどんどん肥大化していき、撹拌された元魔らからなる黒い砂状のものと、赤い核の破片とが混ざり合って、濁っていく。やがて周囲の家屋が音を立てて、渦の端に捕まりそうになったとき、ラッドウールは扇子の面を閉じた。
 それを合図に風の渦は立ち消え、あとには、元魔は一体も残っていなかった。
 しかしラッドウールの表情はまだ厳しいままだった。

(元魔らの発生は際限なく、時間稼ぎにしかならん。次元師以外の撤退が完了し、合流するが先か。若いのが、神族らを退けるが先か)

 ラッドウールは、ゆっくりと思考をしたのち、ふいに視線を移動させた。
 やがて近づいてきたのは、家々の屋根に乗りかかっては崩して、街路樹を踏んで倒し、太くて長い肢体をしならせる紅色の鱗を持った大蛇だった。
 塔の上からとっくに観測していたラッドウールには察しがついていた。書面上で報告を受けたその次元の力は、『巳梅』という名をしていた。

 『巳梅』は頭部から尾の先に至るまで、さまざまな傷を負っていた。いまにも倒れそうだったが、なにかに無理やり動かされているのか、またはなにかから逃れようとしているのか、苦しみにもがくような動きで、ぐねぐねと身体をしならせてとぐろを巻いていた。

「主人はどうした」

 答えるはずもなく、『巳梅』は真っ赤に染まった眼球の端から、涙のような液体を流していた。

「とうに覚悟はしてきたのだろう、ミウメ」

 ラッドウールは、塔の上から飛び降りた。そして、落下のさなかに『仙扇』の面を閉じる。
 『巳梅』が頭上を見上げた。ラッドウールは『巳梅』の目と目の間、目がけたその一点を扇子の天で突いた。

「──五元解錠、"打烙だらく"」

 天と眉間が触れると、『巳梅』は大きくしなって、肢体を逸らした。口を大きく縦に開いて一度だけ悲痛そうな鳴き声もあげたが、『巳梅』は気を失っていくようにゆっくりと倒れこんだ。
 『巳梅』の鱗の上に着地して、ラッドウールはしばらく観察していた。しかし、『巳梅』の次元の扉は開いたままなのか、消える様子はなかった。

 見ていると、また肌の上をなぞる厭な気配が、一つ、二つと、現れる。いくら破壊しても、元魔の気配は際限なく、どこからともなく湧いてきて、街の中を跋扈する。観察を切り上げ、ラッドウールは『巳梅』から離れると、ふたたび塔に登った。
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.168 )
日時: 2025/04/27 21:08
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第150次元 時の止む都26

 拍車をかけて興奮しているクレッタは、とにかく手あたり次第に、城壁だったものの瓦礫や大木を掴んでは乱暴に投げる。不満を募らせているのか、クレッタは鼻の皺を寄せて、低く唸っていた。

「グ、ルアア。また寝やがった。根性のねえヤツだ! ノーラもそうだ。もういい! いらねエ!」

 口を開けば牙が見えて、隙間から荒い息を吐きだした。
 回避はたやすいが、それが続けばもちろんレトヴェールとコルドの体力は奪われていく一方だ。とくにコルドは、強力な次元技を立て続けに発動したせいでまだ息があがっていた。
 しかしクレッタはまったく疲れていないのか、動きが鈍る様子がない。むしろ、興奮状態に入っていて、さきの"伸軌しんき"による胸の貫通もものともせず、元気に動き回っているのだ。観察してみればクレッタにも噛み痕や、焦げ痕が見受けられたから、第二班と戦闘をしたのは間違いないのだが、それも嘘のように思えてきてしまう。

「ヴヴゥグ」

 クレッタの前足が下りて、どしんと地面が揺れた。すると、四足歩行になったクレッタの様相が変化し始めた。
 四足の筋肉が、ぶくぶくと収縮を繰り返し、足の付け根は太く、足先にかけて鋭くなる。後ろ脚で地面の砂を掻くと、光沢を帯びた蹄が光った。下顎には豊かなたてがみはそのままに、加えて、肉垂がぶら下がった。そして頭部から立派な"赤い角"が二本、先に向かって枝分かれに伸びて、思わず見とれてしまうほど巨大に成長する。
 それは、灰色の体毛に覆われ、大きな赤い角と、赤い瞳を輝かせた。
 獅子や熊に似た獣の姿から、"鹿"のような姿へと変化すると、クレッタは頭を低くしながら猛突進してきた。
 
(また姿を変えたのか……!)

 巨大な鹿角の接近を目前にして、コルドは元力をかき集め、詠唱した。

「五元解錠、"伸軌"!」

 一本に連なった鎖、"伸軌"がクレッタの前足の爪先を目がけて飛びだした。危険を察知したクレッタはすかさずにそれを飛び越え、コルドの頭上に、自身の大きな影を落とした。コルドは回避の暇を与えられず、やむなく、傍らに佇んでいた石柱の街灯とともに薙ぎ倒される。
 クレッタは石柱の街灯をいともたやすく折ってしまうと、その上に前足を乗り上げて、コルドもろとも踏みつけにした。

「五元解錠、"交輪斬まじわぎり"!」

 レトは、『双斬』を交差させ、十字を切るように刀身を薙いだ。十字形の斬撃が飛び、クレッタの前足の関節部へと突き刺さったが、しかしクレッタは体勢を崩すどころか膝も曲げずに悠々と胸を張った。傷ひとつつかない。やがて石柱が盛り上がり、下敷きとなったコルドが再起した。間髪入れずに、一本の連鎖を鞭のようにしならせてクレッタを捕まえようとするが、クレッタは助走もなしに高く跳びあがってをそれを躱した。

「ヴヴゥル、ウラララ!」

 クレッタは、凛とした響きの奥から雑な唸り声をひねり出すように鳴いて、巨体を大きく反らして勢いをつけ、突進する。巨大な角がコルドに迫った。今度は避けてみせたが、クレッタはすぐに前足を振り上げて、そして、蹄で地面を殴打した。どしん──と地響きがした。レトとコルドは体勢が傾いた。巨大な角は荒々しく振り乱され、太い脚がいまにも二人を蹴り上げようと迫る。避ける。その繰り返しだった。
 あの角と、脚から繰り出される蹴りを一度でも食らってしまえば、ひとたまりもないだろう。二人は慎重になって、防戦一方を余儀なくされ、なかなか手が出せずにいた。
 
「オイオイ、どうした? さっきあいつをやったみたいに、デカイのを撃ってこいよ。なあ。なア、コルド!」
 
 コルドはまだ顔がびっしょりと濡れていて、たえず胸を収縮させていた。彼の表情からは明らかな疲労が見てとれる。まともに動けるのは自分のほうだと頭ではわかっていても、このときレトの身体はひどく強張っていた。もし『双斬』を握り直そうとしても、それも叶わない。

(──緊張か? 畏怖か? ……身体が思うように動かない)

 それとも、不安なのか。レトは奥歯を強く噛み締めた。次の瞬間だった。
 なかなか動きださないコルドに、クレッタは業を煮やして、わざと蹄の音を大きくしながら猛突進した。舗装された道の端に建っている石柱は、次から次へと薙ぎ倒され、弾き飛ばされていく。まだ距離があるうちに、回避をするか迎え撃つかで考えあぐねた、そのたった一瞬の間だった。
 コルドの足元から、地面の下から、"無数の木の根"が飛び出した。

「なに!?」

 先端の尖った木の根たちが、コルドの身体を貫いた。血潮が噴き出し地面を濡らす。レトが、声を出すよりも先に、二人を目がけて突進してきたクレッタの前足が視界に突き刺さった。強い衝撃とともにレトは弾き飛ばされて、宙を舞った。
 コルドは、木の根から離れたが、クレッタの前足を受けて吹き飛んでいた。コルドが、すかさず立ち上がろうとしたとき、遠目にうっすらと見えるレトの後ろ髪が、クレッタが振り下ろした巨大な角によって圧し潰された。

「レト!」
 
 コルドが血と汗にまみれた顔で叫ぶ。
 至近距離だったが小回りが利くレトは、角の鉄槌から逃れられたつもりでいた。しかし、咄嗟が利かなかった。全身を圧迫され、臓器が破裂しそうなほどの痛みに、声も出せない。だが『双斬』は固く握ったままだ。なんとか声を絞り出して、レトは握りこんだ『双斬』の片割れに、意思を通す。

「──四、元解錠……! 裂星閃!」

 一太刀。たったそれだけの軌跡が、無数の星が瞬くほどの光を放った。否、それは刀身が一瞬のうちに何十回と振るわれたからこそ、太陽の光を何度も照り返した結晶だった。クレッタは目を焼かれると、前足を大きく振り上げて、レトの上から退いた。
 クレッタは不満そうに頭を振って、低く唸っていた。レトは立ち上がり、けほけほと、数回咳をする。しかし咳をするたびに、砕けたあばら骨が痛みだすので、呼吸もほどほどに、頭だけを回そうとした。
 頭は冷え切っていた。一夜だけ、剣術を見せてくれたムジナド・ギルクスは、日が昇るまで、いや出会った瞬間からずっと冷静だった。彼は、どれだけ自由な剣の振り方をしようが、次元技を放とうが、動揺しなかった。目の前にあるものを捌く。ただそれだけだった。
 レトは『双斬』を握り直して、手元に一層集中をした。
 
「すこしの間、俺が相手をする」
 
 クレッタは視界が元通りになったのか、しきりに瞬きをしていたのがようやく落ち着いて、ゆっくりとした動作でレトを見下ろした。
 きっと頭に血が昇っていて、すぐにでも襲いかかってくるかと思えたが、それに反してクレッタはレトの顔をじっくりと眺めたあと、首を傾げた。

「オマエ、見覚えあるな」
「は?」

 不意を突かれ、レトは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.169 )
日時: 2025/05/04 21:59
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)


 第151次元 時の止む都27

 レトヴェールには覚えがない。クレッタは姿を自在に変えられるようだから、もしかするとどこかで見かけたのかもしれないが、しかし赤い瞳をした──元魔以外の──存在と遭遇すれば、レトの脳裏にしっかりと刻まれるはずだ。

「……」

(見覚えか)

 ただそれを告げてきただけで、クレッタはすぐに頭の位置を下げようとした。
 クレッタが角を地面に突き刺す直前に、レトは身軽に跳んで躱した。間髪入れずに、角が地中を縫って土をめくりあげた。土砂の津波が立ち、レトの視界が、土一色に覆われた。
 躱しきれない、と悟ったレトは、『双斬』の刀身を輝かせた。

「五元解錠、"真斬しんざん"!」
 
 右手に持った剣を真一文字に振るい、そうして刀身から飛び出した一迅の斬撃で津波を裂く。しかし、切り開いた視界の先には、縦に大きく開かれた赤黒い口蓋が待ち構えていた。レトは舌打ちをして、咄嗟に走った。否応なく、上と下の歯が噛み合い、がちんという激しい音とともに口が閉ざされる。
 一秒と経たずにクレッタの頬が、破裂した。
 内側から頬が破かれる。鋭いもので切り裂かれた感触がした。クレッタは、レトが剣で斬ったのだと感じ取って、頭を振るった。
 見れば破けた穴から、レトが脱出していた。その目に余裕の色はなく、彼は奥歯を強く噛み締めながら跳んでいて、転がるようにして着地した。
 クレッタは、すでに血濡れたよう真っ赤な目をさらに充血させて、レトを踏み潰さんと前足を振り下ろした。

「!」

 避ける、だけで十分に動けたほうだった。しかし、次いでクレッタは暴れるように地団駄をして、その後ろ足によってレトは蹴り飛ばされた。それから止まる気配がなかった。クレッタは、レトを追いかけて、たった二歩で追いついて、前足でまた蹴り上げようとする。その前足が浮いた隙をついて、レトは足の真下をすばやく潜り抜けるのでやっとだった。
 頭で考える時間はてんで与えられない。レトはほとんど本能で動くしかなかった。後ろ足が迫るのも、身をねじって躱して、けたたましく鳴くのも奥歯を噛んで耐え忍んだ。

(視界が回る)

 自分で思っているよりもずっと、レトの脈は早まっていた。
 走り続けていると、進行方向の先で、振り乱れた角の先端が襲いかかった。ぶつかるか、否か、しごく絶妙な位置にいたレトは早々に、わざと足を止めた。直撃は免れる。だが、急に足を止めたせいか、途端に身体中から気持ち悪さが込み上げてきて、吐き気がした。
 胃液を飲みくだすように息を止めて、レトはきつく眉間を寄せながらも、そのまま思考を回していた。

(右から抜けて、奴の頬をもう一度狙い、隙を作る)

 駆け出す。が、頭に、身体が追いつかなくなったのは、すぐのことだった。
 ふと足元の感覚が抜け落ちて、レトは思考を止めた。何手先も考えていた、それも足の感覚とともに霧散する。違う。膝ががくりと折れて、足が棒のように傾いたのだ。一瞬の出来事だったので、すぐに体勢を持ち直せた。
 驚愕している間もなく。クレッタの前足の蹄がぐんと迫って、レトの視界に突き刺さった。

(間に合え!)

 すばしっこさには自信があり、これまでにも、持ち前の身軽さで幾度となく危機を回避してきた。それにレトは判断にかける時間が極端に短いので、動き出しも早かった。だからクレッタの蹄が、自身のもとへ到達するまでの時間を計測し、周囲の状況も鑑みて、もっとも安全な回避経路を選ぶのに躊躇はなかったはずだ。しかし、レトは、危機的状況下に置かれたことで思考を切り替えてしまい、先刻に感じた足元の違和感を度外視していた。
 このとき、動かそうとした下半身が鉛のように重たく感じた。
 瞬間。まるで、両足を泥沼に囚われてしまったかのようにレトの動きが静止する。そして間もなく、それは到達した。巨大な鹿足、その蹄から繰り出される激しい蹴りがレトの右半身にめりこんだ。
 身体が高く打ち上げられる。空中で何度も旋回して、視界はもうぐちゃぐちゃに歪んで、次に思考できたのは、地面の上だった。
 なされるがまま転がって、きわめて細い息を吐いて、そうして混濁する意識の中で、レトは真っ先にある事実に気がついてしまった。

(違う)

 結わいていた髪紐がほどけ、美しい金色の髪がばらばらに広がる。
 揺れる視界の中、空中で手放してしまったのか、『双斬』を失った手元を見つめた。

 指先が小刻みに震えた。

(呪いが進んでるんだ。とっくに表れてた。だから、ずっと上手く動けなかったんじゃないか)

 まるで吹雪の中で凍えているみたいだった。
 身軽といえども、身体能力はロクアンズに劣っていた。体力も彼女ほどはなかった。咄嗟が利かない瞬間があった。剣を重たく感じていたのは常だった。
 戦闘において不足しているすべてが、鍛錬が足りていなくて、甘えなのだと思い込んでいた。
 それらの理由の一つに隠れ潜み、ようやく芽を出した実感が、じわじわとレトの身体を締めつける。
 かつて母、エアリスがどのように実感を覚えて、苦しんでいたのかを、レトはもちろん教えてもらってなどいない。彼女は、できるだけ子どもたちに見苦しい姿を見せないように日々を過ごしていたに違いないのだ。だからレトは今日、ようやく、母が辿った"神の呪い"という名前をした道の出発地点に立つ。

 言うことを聞かない身体は、自分のものではないみたいで、レトは傷だらけの手足を無防備に投げ出した。

 蹄に感触があったので、蹴り飛ばしたらしいことはわかるが、手応えはほとんどない。だからクレッタはすぐに視界の中を探索して、金色の髪をしたあの人間を見つけだした。
 ゆらりと首を下ろして、すぐに、蹄の音が高らかに鳴った。
 跳びあがって、──たったの二歩。一気に距離を詰めたクレッタは、ぼろ雑巾のように転がる金の髪を目がけて、前足をぐんとまっすぐに伸ばした。
 そのときだった。
 クレッタの角の真上から鎖の雨が降り注ぐ。前足の蹄がレトに突き刺さるかと思えた、その直前に、無数の鎖はクレッタの巨大な身体に巻きついて、真横に強く引かれ、クレッタは勢い余って横転した。

 鎖の根元を握るその手の中から、血が滴り落ちた。皮膚が裂けるまで強く握りこんで、コルドは、額に浮かぶ青筋がいまにもはちきれそうな形相でクレッタを睨みつけていた。クレッタに向かって一直線に伸びていく"伸軌しんき"をさらに引き寄せると、クレッタはわずらわしい声で鳴き叫んだ。 

「俺を殺しにきたんじゃないのか……! 目の悪い奴だな! お前の獲物はこっちだろう!!」 

 コルドはもっと手に力をこめて鎖を引き寄せる。クレッタは悲痛なのか、威嚇なのか、甲高い声で喚いて、のたうち回った。

「コルド……ッ、コルドォ!!」

 神聖な風体とは裏腹に、聞くに耐えないがなり声を轟かせながらクレッタは立ち上がり、直進した。本能が戻ってきた。ふたたびコルド・ヘイナーを標的に据え、牙を剥きだしにし、地上を駆け、咆哮する。
 刻一刻と迫るクレッタを眼前にし、コルドのこめかみから一筋の汗が流れた。

(次元技を発動してる時間はない! 一か八か、この身一つで凌ぐ!)

 コルドが固く鎖を握りこんだ──次の瞬間だった。
 聞き覚えのある声が、飛んでくる。彼の意識はすぐさま声のしたほうへと引っ張られた。

「コルド副班、鎖から手を離して!」

 思わずそちらへ視線を向ければ、右手に雷光を纏わせたロクアンズが目を瞠るような速さで駆けてきていた。
 彼女は、たんと爪先で土を蹴って、跳んで、雷光をより強く瞬かせる。
 
「六元解錠──、"雷柱らいちゅう"!!」

 コルドは握っていた鎖から手を離した。
 瞬間、ロクが振りあげた拳を地面に叩きつける、と途端に──轟雷が、一本の柱のように地表から噴き出して、クレッタの巨躯を貫いた。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.170 )
日時: 2025/05/11 21:27
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第152次元 時の止む都28
 
 胴部の毛先に、細い電気の糸が纏いつき、クレッタはぐらりと傾きかけた。次いで、素早く飛んできた斬撃がクレッタの片足の関節部に突き刺さった。するとクレッタは激しい音とともに転倒した。
 レトヴェールは持ち直しており、到着したロクアンズと遠目ながらに視線を交わし合うと、二人はコルドのもとへと向かった。
 倒れ伏すクレッタが、もぞもぞと動きだすのを見据え、コルドは詠唱した。

「五元解錠──、"額洛がくらく"!」

 地面の上に散らばった鎖の破片たちが、ばらばらと浮上して組み合わさっていく。そうしてできあがった鎖の壁の内側へと、ロクとレトが滑りこんだ。

「ロク!」
「──五元解錠、"雷円らいえん"!」

 コルドの呼び声に応えるようにして、ロクも立て続けに詠唱を繰り出した。ロクは、"雷円"という名の半円状の電気の膜を生み出し、それを"額洛"とぴったり重ね合わせる。
 横たわっていたクレッタはとっくに体勢を立て直し、怒り心頭といった形相ですかさず駆けてくると、鎖と雷の壁に突撃した。が、二つの次元技によって築かれた壁は、歪みこそしても崩れはせず、また電気の鋭い痺れによって、クレッタは弾かれてしまった。
 負けじと、クレッタががつん、がつん、と角をぶつけてくる音が、頭上から聞こえてくる。そのうちに、レトはロクへと問いかけた。
 
「ロク、こいつと戦ったか」
「うん、サオーリオっていう東の都で遭ったんだ! 名前は【CRETE】(クレッタ)。生命を司どる神族だって言ってたよ。クレッタは、あらゆる生物の姿に変化できるし、植物も操れる。それと、元魔を生み出していたのもクレッタだったみたい。その瞬間もちゃんと見たよ」
「クレッタ……」

 ロクは矢継ぎ早にそう説明した。レトが、ほかにもわかっていることをロクに訊こうとすると、コルドが壁に注意を注ぎながら、口を挟んだ。

「二人とも、まだ戦えるか」

 コルドは二人の顔を振り返った。頭上からは、絶え間なく、激しい衝突の音が降り注いでいる。
 ロクとレトは、示し合わせたわけでもないのに、声を揃えて答えた。

「戦うよ」

 コルドは、そう答えるだろうとわかっていたが、その返事を聞いてわずかに口角を上げた。返事を口にした二人の表情は引き締まっていた。
 レトは、目の前にいるロクとコルドからは見えないように、震える手先を固く握りこんでいた。

 あらためて、コルドはロクに問いかけた。

「俺もレトも、もう元力が底を尽きかけている。ロクはどうだ?」
「……あたしもあんまり自信ない。ここにたどりつくまでにだいぶ回復したけど、最初にクレッタたちと戦闘したときの消耗が激しかったんだ」

 コルドは頷いた。それに、とロクは付け加えて、エントリアに戻ってくるまでの道中、クレッタがいたずらに生み出したのであろう数多くの元魔にも遭遇し、対処に追われていたと言った。
 ロクが二体の神族と遭遇してからの経緯をかいつまんで説明し、それを聞き終える頃には、コルドはさらに表情を険しくしていた。

「わかった。さっきも言った通り、俺たちの元力は残りわずかだ。だから連携を取り、反撃の隙を与えず、奴を討つ。いいな、二人とも」
「うん!」
「了解」

 遥か頭上では、躍起になったクレッタが、意地になって鎖と雷の壁を壊そうと衝突を続けている。ロクは、頭上を見上げて、壁から飛び出しているクレッタの顔を睨んでいた。そのうちにコルドが口を開いた。

「まず心臓の有無がわからないからな。心臓があると仮定して動きを……」
「いいや、コルド副班、たぶんクレッタに心臓はないよ。一度胸からお腹にかけて大きな穴を開けたし、何度も雷で焼いてみてるけど、ずっと余裕そうなんだ。見てるとわかると思うけど、クレッタはかなり野生動物っぽくて、直情的だから、嘘をついて余裕に見せてるってこともないと思うんだよね」
「そうか。なら、あの大きな白い神族にやったみたいに、再起不能にするしかないのか……」

 二人が話をしている間、睫毛を伏せ、レトはしばらく考えこんでいた。
 ふと顔をあげると、彼は口を挟んだ。

「ロク、さっきぐらいの等級の次元技をあと何回発動できる?」
「えっと、六元なら三回かな。五元とか四元にするなら撃てる回数は増えるけど……」
「クレッタ相手に四元以下は通用しないな」
「うん、そうだね」
「コルド副班は?」
「……七元、六元が一度ずつで限界だな。お前が寝かせてくれたおかげで多少、戻ってきたよ」

 コルドが冗談まじりに言って、拳を握ったり開いたりした。それほど時間は稼げなかった、と返そうとしたが、レトは言葉を飲み込んで、ロクとコルドの目を見つめ直した。

「耳を貸してくれ。考えがある。コルド副班、俺が最後に合図をする。そしたら──やってほしいことがある」

 低い唸り声が、だんだんと凄みを増して、クレッタの苛立ちは最高潮に達していた。クレッタは、筋肉の膨らんだ前足を跳ね上げた。そして胴を立たせると、鎖と雷の壁に向かって前足からのしかかった。
 クレッタの全体重がかかった壁は、途端に崩れだし、瞬く間にばらばらに砕け散って、陥落した。
 鎖の破片の雨が降り注ぐ中、飛び出したレトが、『双斬』を薙いだ。

「四元解錠、"真斬"!」

 飛んでいった斬撃はクレッタの巨大な角の根元に衝突した。だが、角は傷ひとつつかず、悠々と持ち上げられて、レトを目がけて振り下ろされた。すぐに逃げる準備をしていたレトは、角の追撃から免れた。

「弱い。コルドォ!」
「六元解錠──、"雷撃"!」

 次いで、雷光が瞬く。"雷撃"は、ロクの手元を中心に飛散して、そのままクレッタの全身を包みこんだ。クレッタが前足を振り上げ、地団駄を踏むと、そこらじゅうに散乱している鎖の破片が高く跳ねた。クレッタはたたらを踏んだあと、頭を振って、そして地面の上に立っているロクの姿をみとめた。

「電気のガキ。おっ死んでなかったのかよ」
「まだ死ねないよ……! あなたたちを斃すまでは!」
「言ったぜ。何度やっても殺せねエよ。心臓はねエんだからよ!」

 クレッタは、ロクを目がけて猛突進した。すかさずロクは拳を握りしめ、電光を纏う。

「──これならどうだ! 六元解錠、"雷柱"!」

 握った拳を振り上げて、地面に叩きつけると、駆けだしたばかりのクレッタの足元から猛烈な勢いで、雷の柱が放出した。"雷柱"はクレッタの胴を貫く。同時に無数の鎖の破片を天上へと突きあげた。
 だが、大きな雷の柱が胴を貫通しているまま、クレッタは、激しく鳴き喚いた。

「グラアア! 邪魔だ! 邪魔をするな! どいつもこいつも! 殺させろ! コルドォ! オマエじゃないと話にならない!」
「なら、登場させてあげる!」

 ロクはそう言って振り返る。その拍子に、こめかみに滲んだ汗の粒が跳ねて、彼女は声を投げかけた。

「コルド副班!」

 すでに体勢を整えて待機していたコルドが、クレッタを遠くに見据え、鎖の破片を握りしめた。

「動くなよ、生命の神【CRETE】」

 雷の柱が、立ち消える。
 しかし、遥か高く天上に打ち上げられた鎖は消えない。まるで大粒の雨のように、クレッタの頭上からそれらが降り注ごうとする、直前に、コルドは力の限り詠唱した。

「七元解錠──、"鸞業区らんごく"!!」

 天上天下に散乱した鎖の破片が、主人の声に呼応して、形を成す。
 鎖の破片は寄り集まって、太い鉄柱へと姿を変える。天上で形成された無数の鉄柱は、すぐさま、クレッタの角から頭を、背中から腹部を貫通して地表に突き刺さった。そして地表に咲いた無数の柱は逆に、腹部、顎の下、腿を突き上げ空に向かって幹を伸ばした。
 神族ノーラを屠った、逃げ場のない鎖の監獄。"鸞業区"がふたたび神族の身に突き刺さる。

 ふいに静寂が訪れる。三人の息遣いが、地上に吹く風に混ざって、流れる。
 全身を鎖の柱によって串刺しにされ、静止したクレッタだったが、口は免れたようで、やがて喚きだした。

「知ってるぜ。こいつでノーラを殺ったんだろ。身体中にこいつを突き刺して……アハハ! ハハ! 死ぬなんてもったいねえなあ、ノーラ! 目が冴えてたまらねえよ! 永遠だ。永遠にこうして戦おう! ずっとずっとずっとずっと!」

 そのとき、まるで横槍を入れるかのように鋭い斬撃が飛んだ。大きく開いた口内にそれが突き刺さって、クレッタの顎が跳ねあがった。

「しゃべってるとこ悪いな」

 合図だ、とレトは続けて言った。
 鎖の柱が振動する。呼吸を整えるのと、身体中に流れる残りわずかの元力を極限まで掴みきるのに、数秒、時間がかかったものの、コルドは合図を受けてからすぐに詠唱した。

「七元解錠」

 ──七元、六元が一度ずつで限界だ、と言っていたのに、彼は昂っていく意思に正真正銘の全力を賭けて、前言を覆した。

「"嵩重かさねとく"!」

 周辺一帯の気圧が変化した、と錯覚させるような重苦しい衝撃が走った瞬間、クレッタの背が中心からがくりと割れ、顎と四つ脚が跳ねあがり、全身がくの字に折れ曲がった。"鸞業区"、そのすべての鎖の柱が重みを増して、さらに地面の下へとめりこむと、巨大なクレッタの身体があらぬ形に歪曲した。
 そして、間髪入れずに、ロクの手元から電気が飛散する。彼女も、頭に血が昇っていくのを、心臓がうるさく跳ねあがっているのを差し置いて、コルドに続いた。

「六元解錠──"雷円"!!」

 眩い光があたりを覆い、そして鋭い轟音が鳴り響くと、いびつな形のまま白目を剥いているクレッタの周囲に雷の膜が張った。それは球体状で、文字通り、クレッタを包囲する。

「ァ、ヴ……ッ、グガガ……」

 声を発する余力はあるようだった。だが、クレッタの頬には大量の汗が噴き出していて、開きっぱなしの口をはくはくと動すのみだった。

「形を変えたければ変えてみろ。できないだろうけどな」

 レトは、額に滲んだ汗を拭って、息を整えてから言った。手元の集中を切らさないように、ロクは注意を払いながら、レトに訊ねた。

「ほ、本当に身動きとれてない……! でも、なんで? もっと大きくならないの?」
「なれるならとっくになってるんだよ。おそらく、あの体積が最大なんだ。だからあいつにはもう、いまのままの大きさでいるか、小さくなるかの二択しかない。だが小さくなるのはかえって状況が悪化する。体積が縮小すれば、体内に入れこんだ鎖も集約されるからな。つまり、いまの筋肉量でも受け止めきれていない重量を、小さい身体で支える羽目になり、余計に身動きがとれなくなる。もしいま以上の大きさになったとしても、お前の"雷円"に引っかかって自滅する」

 もがくこともできず荒い呼吸ばかりしているクレッタを見上げながら、レトはロクにそう返した。

「でかい図体は的も同然だ。さっさと小さくなっておけば免れただろうけど……それを利用させてもらった」

 連携のさきがけが、レトによる四元級の攻撃だったのは、クレッタを追い詰めないためだった。追い詰めてしまえば状況の悪化を恐れて、戦闘の最中に身体を変化させてしまう──現状より小さい身体に変わる──可能性があった。そのあとロクが続いたのもほとんど同様の役割で、ロクとレトは、クレッタに決定打を与えず「現状のままで戦える」と丁寧に擦りこんでから、コルドに手番を渡したのだ。

 緊張が走る。クレッタの目はさらに赤く血走り、いまにも歯を剥き出しにして噛みついてきそうな形相で、三人を見下ろしていた。すると、クレッタがガタガタと縦に揺れ始めた。三人が警戒を強めたとき、クレッタは高らかに吼えた。

「グァッ──ガガア!!」

 次の瞬間、三人は、地面の下から異様な殺気が迫り上がってくるのを察知した。しかし、間に合わない。回避しようとしたとき、突然地面が隆起し、無数の木の根が産声をあげた。

「まずい、避けろッ!」

 木の根の切先が三人を目がけて伸びる──しかし、襲いかかってきた木の根の切先がすべて、速やかに斬り落とされた。

 ぼとぼとと音を立て、木の根の残骸が次々に転がり落ちた。咄嗟のことで驚く三人だったが、唯一ひとつだけ、一陣の風が横切った気がしていた。だがそれは気のせいではなかった。一人の老齢の女が、半壊した東門を通り抜け、近づいてきた。
 
「なるほど。これも神族の力ですね」

 左手に刀を携えたチェシアがゆっくりと歩み寄ってくる。その出で立ちには一分の隙もなかった。険しい表情でクレッタを見上げるチェシアの姿をみとめると、コルドが目をしばたいた。

「チェシア副隊長」
「そのまま、注意を逸らさずお聞きなさい。住民の退避は完了しています。また、元魔の再発生に備えて、街の中には次元師を残してきていますから、ご安心を」

 チェシアの言う次元師は、ラッドウールを指しているのだが、三人は彼が到着していることを知らされていない。そもそも、チェシアが次元師であることを知っているのはコルドだけで、ロクとレトはしばし呆気にとられていた。ロクが、チェシアにそれを訊ねようと口を開きかけたが、言葉は続かなかった。

「信仰しろ」

 頭上から聞こえてきたその声に、意識が取りあげられた。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.171 )
日時: 2025/05/19 00:34
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第153次元 時の止む都29

 チェシアは『それ』をじかに耳にするのが初めてだったが、ロクアンズ、レトヴェール、コルドの三人の目に強い警戒の色が灯ったのを見て、臨戦態勢をとった。
 すばやく"希刀"の柄に左手を翳し、チェシアは叫んだ。

「下がりなさい!」

 地面の下からせりあがってきた無数の木の根が断ち切られた。
 クレッタの様子が、見る見るうちに変化していく。灰色の体毛がより一層濃くなって、四肢にはどす黒い血管が浮き上がった。そしてクレッタの身体は、これ以上大きくならないと考えていたのに、また見る見るうちに成長していき、"雷円"の膜を破った。
 瞳の赤色は、まるで噴き出したばかりの血潮のように、磨きをかけて鮮やかになった。
 雄々しく高鳴きをするクレッタの鼻先も見えなくなって、四人は絶句した。
 クレッタが頭の位置を下げ、勢いをつけて巨大な角を振り仰ぐ。それとともに地面を割って跳ねあがった無数の木の根が四人に襲いかかった。
 刀身が鮮やかに空を薙ぎ、軌跡が走る。チェシアは、満身創痍な三人の姿から、激闘を終えたばかりだとわかっていて、己が最前に立つべきと自負していた。
 木の根の大群は、一本も余すことなく断頭され、弾け飛ぶ。しかし、豹変したクレッタの巨角は凌ぐに及ばなかった。
 クレッタが動き出す。

("嵩重かさね"で重くした"鸞業区らんごく"を身体中に抱えたまま……動けるのか!?)

 コルドは顔から血の気が引いていくのがわかった。クレッタは、角を地面に突き刺したまま、ぐぐと地中を泳がせて、そして地面を割って角を突き上げた。

「回避に集中しなさい!」

 振り返らずにチェシアは言い渡して、すばやく腰の位置を落とした。
 
(元力は残り僅か)

 であるなら、最大出力で、最速で片をつけるしかない。チェシアは刀の柄を握る手に力をこめ、闘志を燃やす。

「七元解錠──、"井駄斬いだぎり"!」

 刹那、格子状の烈閃が迸る。それは刀身から解き放たれると、クレッタの頭部を捉えて切り刻んだ。
 だが。クレッタはまるで微動だにせず、首を仰け反らせもしない。
 目をしばたく、間もなく、クレッタは大口を開けてチェシアを丸呑みにした。雑に数回咀嚼したのち口の端から彼女は吐き捨てられた。五体を投げ出し、空中を飛んだ彼女は城壁だった瓦礫の山の天辺に落ちた。それを目で追っていたロクは、たまらずに叫んだ。

「副隊長さん!!」

 コルドは鎖の破片を握りしめた拳を震わせ、疾走していた。
 そのとき、首を伸ばしてどこかを見据えたかと思うと、クレッタはわずかに呼気を吐き、すぐに身体の向きを変えた。そしていきなり駆け出して、エントリアの街の中へと入っていった。
 否、街の中ではない。クレッタの視線は街の端、西門に注がれていた。

「早く追いかけなさい! 私はあとに続きます!」

 チェシアは瓦礫の山から這い出てきて、怒号をあげた。額から絶え間なく流血している彼女は、そうでなくとも顔を真っ赤にして、きつく目の端を吊りあげていた。
 ロクは、チェシアの姿を見て胸が押し潰される思いだったが、それを振り切って自身を奮い立たせた。

「副たいちょ……っ、ごめんなさい! ──行こう、レト、コルド副班! 絶対に止めるんだ!」

 レトとコルドが頷き、三人は、足元がもつれながらもクレッタのあとを追う。元力はもう底を尽きかけている。彼らの顔にはひどい疲労の色が滲んでいて、いますぐに倒れてもおかしくなかったが、駆ける両足を止めてはならないと心臓がずっと言っていた。
 
 変わり果てた街中を三人の影が疾走する。さきがけを務めたのはレトだった。ほかの二人に比べればまだ元力に余裕があったのだ。だがレトはもうずっと歯を食いしばっていて、一秒が経つたびに、いつ息を切らして倒れるのだろうと不安を抱えていた。
 レトはクレッタの脛に焦点を合わせる。残りわずかな元力を燃焼して、叫ぶように詠唱した。

「五元解錠──"真斬"ッ!」

 振り薙いだ銀の刃から鋭い斬撃が飛ぶ。狙ったままに、一直線上に空を掻き切って、斬撃はクレッタの左足に突き刺さった。
 しかし、足を止めるどころか振り向きもせず、まったく意に介していない素振りで、クレッタはぐんぐん遠ざかろうとする。

「っ、硬すぎる、だろ……!」

 直後、レトの身体の重心がぐらついた。そのまま意識が吹き飛びかけて、彼はさらに強く奥歯を噛みしめた。
 そのとき後ろを走っていたロクが、咄嗟にレトを抱きとめた。

「レト!」

 レトと義母にかけられた呪いを知っているロクは、それを察したのか、一瞬の間、心配そうな目を彼に向けた。
 だがレトと目を合わせるとすぐに前を向いて、足元に電気を纏わせる。そして、早く行けと言わんばかりの顔をしている彼をその場に残して駆け出し、加速した。
 巨大な屋根のような腹の下をくぐり抜け、ロクはクレッタの正面に躍り出ると、格子状の傷がついた顔面に向かって手を翳した。

「これ以上先には行かせない──!」

 細い電気の糸が、ロクの全身から噴出する。びっしょりと頬を濡らす汗を雷光が照り返した。これまで、今日ほど元力を消耗した戦いはなかった。血液ではないそれがからからに渇いていくのが手に取るようにわかる。けれどもかき集めて、集めて、小さな手のひらにそれを託そうと全身全霊で足掻く。
 そしてロクは手のひらに眩い光を蓄えて、口を開いた。

「六元か」
 
 しかし紡げなかった。
 ロクの手からさあっと雷光が飛散して、消える。身体の内側から激しい警鐘が鳴り響いていた。
 "これ以上は本当に底を尽きてしまう"、と。
 
「──」

 ロクは大きな左目をさらに見開いて、硬直した。発動できない。その事実に打ちひしがれ激しく動揺したせいなのか、身体が先に限界を迎えたのか、そのどちらも要因になってしまったのかもしれない。ロクは、ふいに全身から力が抜けて、踏ん張ることもできずに、倒れこんだ。
 薄目を開けて突っ伏すロクの頭上にそのとき、影が降りかかった。クレッタの頭部が、屋根のようになって、沈みかけた太陽の光を遮ろうとしていた。

 踏み潰される。

 なかば意識を失ったロクがそうぼんやりと肌で感じ取ったとき、事態はまたしても唐突に変化した。クレッタの首が、がくんと激しく折れ曲がって、瞬間地面に頭を叩きつけた。頭だけではない。角も胴も足もすべて沈んで、その衝撃で激しい音が立った。
 目を光らせたコルドがその手に鎖の欠片を固く握りしめていた。血が滴り落ちていた。彼は、クレッタが轢き潰したのであろう、逃げ遅れた人間の無残な死体の一片を踏まないように立って、鋭い眼差しをくれる。

「止まれ……!!」

 クレッタの全身に突き刺さっている何本もの大きな鎖の柱が、かの神をふたたび地面に縫い留める。コルドは、新しく次元技を発動できるほどの余裕がなかったし、"嵩重"や"鸞業区"を解除したところでほかに引き留める策を持ち合わせてもいなかった。だが偶然にも、無意識にも、高めた"意思"をさらに注がれた次元技は力を増して、ようやくクレッタは足を止めた。
 だが。それもつかの間だった。クレッタの足の関節が伸びる。背が浮きあがる。角がまっすぐ空を向く。そして目が赤く赤く光ったとき、クレッタは我を失ったようにがむしゃらにがなった。

「信仰しろ! 信仰しろ! 信仰しろ! 信仰しろ! 信仰しろ!」

 咆哮しながら、クレッタは前足を振りあげて立ち、背中を仰け反らせた。そのままぐるんと身をねじった。前足の影が、コルドの頭上に落ちた。
 前足が地面を殴打すると、街路樹や石畳が粉々になって飛散し、土煙があたりを覆い尽くした。

 一人街路の真ん中に突っ立って、呼吸をするので精一杯になっていたレトは、土煙のせいで顔を伏せていたのだが、やがて視界が晴れてくると、倒れているコルドの姿を目のあたりにした。

「コ、ルド、副班」

 口をはくと動かして、レトは眉を寄せた。
 そのときだった。レトは、荒々しい視線を全身に浴びて、打たれたように顔をあげた。
 クレッタの赤い視線がレトの瞳に突き刺さる。クレッタはぴたと進行をやめて、立ち止まり、レトを注視していた。

(──なんだ?)

 だれかに見られている。それも、クレッタではないだれかが、クレッタの視界を介してレトを見ている。そんな気がした。
 そして次の瞬間、クレッタは頭の位置を低くすると、いきなり猛突進した。

「グル、ア。アガ、ルアアア゛!」
  
 巨大な角が怒涛の勢いで迫ってきてレトは成す術がなかった。真正面から角の激突を受け横跳びに吹き飛んだ。崩れかけた家屋の石壁に背中から衝突する。ぐしゃりと倒れこみ、ひゅうと細い息を吸いこむと、すぐにまた角の鋭い先端が降った。降り注いだ。何度も、家屋の屋根を叩いては角を引き抜き、叩いては引き抜いて、ぐちゃぐちゃになるまで押し潰した。
 そして、ゆらりと頭部が持ちあがったかと思うと、クレッタは空を仰いで雄叫びをあげた。

「ヒオオオオ」

 ヒオオオ。ヒオオオオ。クレッタが咆えるたびに街路の石畳はめくれ、草木は傾いて、街中に咲いていた国花の花弁が散り散りに舞う。
 
 しばらくすると、クレッタの身体がだんだんと小さく、縮んでいった。
 やがて人間の姿へと変化すると、ぶらりと首を垂れて、クレッタはじっと立ち尽くした。そして、ぱちぱちと目をしばたいたのち、素っ頓狂な声をあげながら顔をあげた。

「ア? ……。ああ、クソ。あいつ、干渉しやがったな」

 ごきりと首の骨を鳴らして、クレッタは独り言ちた。
 それからクレッタは二本足で歩きだして、倒れ伏しているコルドの前で立ち止まった。片手でコルドの頭を鷲掴みにして乱暴に持ちあげる。コルドが呻き声をあげるのを、つまらなさそう目でクレッタは見た。

「こんなもんか。飽きた」

 雑にコルドの頭を放り投げたあと、視線を滑らせたクレッタはあるものを見つけた。それは金色の髪だった。近づいて、瓦礫に埋もれたそれを引っ張りだしたクレッタは、昏倒しているレトの顔を見つめた。
 呆けた表情のまま、クレッタは「ああ」と声をあげ、そして徐々に口角をあげた。

「見たことある、あれだ。オマエ……エポールだ! ダイキライな、この国の王ども!」

 クレッタはそう言うと、金の髪を掴みあげたその腕を乱暴に振って、レトを街路に放り投げた。

「そうだ、そうだよな! ダイキライな! 憎い! 忌々しい! 敬愛すべき! 称えるべき! ダイキライな、ダイキライな、ダイキライなキライなキライなキライな王ども!!」

 裂けんばかりに口の端を曲げたクレッタは矢継ぎ早にそうわめいて、レトの首を掴み、振り回し、投げては、蹴り飛ばし、笑って、笑って笑いながら殴った。すでにレトに意識はなかった。でもクレッタは目の前の金の髪にただひたすら手を伸ばし、突き放した。それを繰り返していた。
 クレッタの笑い声だけがあたりに響きはじめた頃、うっすらと開いていたロクの瞳に光が灯った。
 細くぼんやりとした視界の奥では、二足歩行の影が手足を存分に振り回して、金色の髪がそのたびに乱れていた。

「れ」

 景色がだんだんと鮮明に映し出されていって、レトが危険だと悟ったロクだったが、彼女はうまく動けなかった。手を地面につけ、身体を寄せるようにして起きあがろうとした。しかし力が入らなかった。動きたいのに、飛び出していきたいのに、いつでもできたはずなのに、できなかった。
 潰れかけた喉がひゅうと音を鳴らした。
 
「ぇ、……」

 左目の端に滲んだ涙が、零れて落ち、つうと鼻の上を滑って、地面を濡らす。
 
「レト……!」

 喉のずっと下からこみ上げてきた声を、吐き出したそのときだった。
 
 激しく心臓が跳ねて、ロクアンズは締めつけられるような頭痛に襲われた。

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.172 )
日時: 2025/06/01 18:14
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第154次元 時の止む都30

 これまでに感じたことのない痛みだった。
 ロクアンズの頭の中では断続的に、鈍痛が響いている。心臓は激しく脈打ち、元力の枯渇した血液がすさまじい速さで体内の隅々まで巡っている。重心を支えていなければ、地面の下に沈んでしまうのではないかと不安に駆られるほど、身体全体が重たくなった。

(なにが、起こっ……)

 サオーリオにいたときからどうも、ずっと、調子がおかしい。知らない頭痛がしている。まるで胃から逆流したものをすかさず喉から下へ押し戻すように、静かに寄せては返す暗い海の波のように、頭の中心にとどまり続けている不安感が、緩やかにロクを締めつけている。
 思い当たる節はないはずだった。

『さようならね』

 ふいに、だれかの声が頭の中で響く。

『あなたと私は、もう二度と会うことはないでしょう。幸せだったわ。私のもとへ来てくれて、ありがとう』

 だれかが目の前にいて、自分に声をかけている、そんな光景だった。頭のてっぺんから、足の爪先まで、しっとりと雨水に濡れていくような寒気が肌を撫でた。

『あなたの幸せを願っています、』
 
 ──"ロクアンズ"。声の主が、そう言ったように聞こえた。

 雷鳴。

 エントリアを覆う暗雲に一筋の雷光が迸り、広い街路の上を、その光の大塊が穿った。落雷だ。落ちたのは、クレッタの立っている位置から近く、無防備にしていたクレッタは咄嗟に飛びのいた。
 半円状の大きな穴が地面に空いて、黒い煙が逆立った。

 ぽつりと、空から落ちてきた雨粒が、ロクの頬を濡らす。途端に、篠突くような雨が降りだした。
 ロクは左目をいっぱいに見開き、驚愕と困惑の色をその目に浮かべていた。

(あれ、いまの、あたしの力じゃ、)

 ない。鼓動が逸る。
 元力はもうわずかにしか残っていなかったはずだ。だって術は発動できなかった。なのに、ロクの心臓はどくどくとうるさくて、血が巡って、なにかを強く主張しているみたいだった。

(──だれの力……?)

 ロクの瞳が揺らぐ。
 クレッタのため息が聞こえてきて、ロクははっと我に返った。

「驚かせンなよ」

 クレッタは口を尖らせて、そう言いながら、レトヴェールの首根っこを掴む。彼はされるがまま、ぶらりと頭を垂れた。また彼に暴力を振るわれるかと恐怖したロクの喉はぐっと締まったが、彼女は反射的に口を開いていた。

「待って!」

 ロクが、目尻をきつく釣りあげて叫んだそのときだった。彼女の全身から猛烈な電気が飛散し、地上をすばやく滑走してクレッタの脚元を焼き払った。クレッタはまたしても反応が遅れた。ついレトの首を離し、跳びあがったあとに、大きく舌打ちを鳴らした。

 身体中に電気の糸を纏わせる。四肢に鞭打って、ロクは立ちあがった。
 どこから湧いているのか、ロクにはまったくわからなかった。しかし間違いなく元力だった。拳を握り締めれば、雷光が飛散するのを、彼女はぼうっとした目で見下ろした。

 長い耳に小指を突っこんで、クレッタはけだるげに言った。

「もう用はない。そいつを殺したら帰──」

 頬が裂け、黒い血潮が跳んだ。緩慢に首をねじったクレッタは、ロクが距離を詰めてきていて、電気を纏った腕で殴りかかってきたのだとわかった。
 クレッタはすかさずロクの腕を強い力で掴んだ。しかし空いたほうの腕でロクは今度こそ、クレッタの頬を殴りつけた。すると、電気の力で勢いづいたのか、クレッタの身体がねじれて飛んだ。横転したクレッタだったが、指先がぴくりと跳ねた。一瞬にして爪が長く伸びて、クレッタは前動作もなしに、筋力だけで跳びあがった。そしてまるで獣の鉤爪のような鋭利な光を放つそれを振りかぶり、ロクに襲いかかった。
 ロクは、肉薄したクレッタの爪の矛先をすんでのところで躱し、手首を掴んだ。なにも口にしなかった。彼女の手からは、烈火のごとく、雷撃が噴出した。

「ヴアアア」

 クレッタは顎を天に突きあげ、絶叫する。顔の輪郭がぶれ、首が左右にがくがくと揺れて、クレッタは絶えず鳴き喚いた。

「オマエ! オマエ゛! なンだ!!」

 鼻の先がつくほどの至近距離で、クレッタはロクに怒号を浴びせる。すると、クレッタの両肩がぼこりと音を立てていかった。ぼこり、ぼこりと、骨が膨らんで、ずらして、徐々に身体の形を変えていく。クレッタは熊のような太い胴と手足、牛の角を頭に据え、そして背中にはたくましい竜翼を広げた。荒息を吐き、眼下のロクに向かって腕を振り下ろす! ロクが飛び退くと、拳が地面に叩き込まれて陥没した。
 矢継ぎ早に、強烈な殴打が目にも止まらぬ速さで降り注ぐ。電気の糸が、残光を引く。踊るように躱す。いなす。喰らう。けれど倒れず、鋭い眼光でクレッタを睨みつけると、燦燦とした雷光が放たれた。
 クレッタと格闘を繰り広げるロクの動きは、電気で筋肉を刺激しているのか、目で捉えられない瞬間があるくらいに俊敏だった。
 地面に伏しているコルドは、起きあがろうとしていたが、ロクの姿に釘づけになっていた。正確には、まるで彼女らしくない動きを目の当たりにして、驚いていた。

(ロク、なのか……?)

 妙に、視界が広い。左目だけのロクの視界は常に、右側が不明瞭だったのに、長年付き合ってきた不利な景色を忘れてしまいそうなほどに、徐々に鮮明になる。
 けれど、頭の痛みは増すばかりで、一向に引く気配がないのだ。それどころか、痛みは収束して、塊みたいになって、頭の中心に寄り集まってくる。ずっとずっと、そこでなにかが響いていた。

 目の前の人間の目の色が変わったことには、クレッタは気づいていた。そしてなぜだか、この人間に喰われそうだ、という野生の勘が働いていた。にじり寄ってくる本能的なそれは恐怖とは違っていた。まるで、得体の知れない生き物と遭遇したときに湧いてくるような警戒心だ。
 判然としない。気味が悪い。むしゃくしゃする。クレッタは底知れない心地悪さに、無意識のうちに低く唸っていた。
 そして、ぷつりと目尻の血管を切らし、白目を剥くと、クレッタは腹の底にためていた渾身の力を振るった。

「アア──! ヴアア゛ッ!」

 太い腕が存分に振るわれる。ついにロクは、反応ができなかった。咄嗟に、腕で顔を覆ったものの、襲いかかってきた猛威に身体が弾けた。ロクは高く飛びあがり、弧を描いて空を舞うと、地面の上にぐしゃりと落下した。
 クレッタは鼻の穴も、口も広げて、呼吸を荒くしていた。
 
「ハア、ハア」 
 
 ロクはすかさず、雷を焚いて、四肢を叱咤する。立て。起きあがれ、と。命令は一瞬にして全身を巡り、頭に、腕に、胸に、脚に、意思を点火する。彼女はふたたび立ちあがろうとしていた。
 しかしぴたりと動きが止まってしまう。ロクは飛びこんできた光景に瞠目した。
 見ればクレッタが、倒れているレトを目がけて、怒涛の勢いで地の上を走っていた。

「オマエがいるから、この国のヤツらは、喚き立つ。また殺してやるよ! ヒトリ残さず! 跡形もなく! 殴って引き裂いてちぎってブザマに、殺してやるんだ!!」

 心臓が跳ねる。見開いた左の目は、瞬きができず、逸らせず、義兄の潰れてでこぼこになった顔を直視した。
 口だけが動いた。

「だめだ」

 電気の糸が舞う。 

「──、レトっ!!」

 力で無理やりに動かした棒のような手足よりも、ずっと痛いままの頭よりも、高鳴る心臓を真っ先に連れて、ロクは走った。

 そのとき。
 目の前で雷光が爆ぜた。
 光に包まれたロクは、この一瞬。
 白い世界の中で一人だった。


 痛かったのは頭ではなく右の目だったのだと、ようやく気がついた。


 眩い光が天上から一直線に落ちて地を穿つ。残光が空を真っ二つに裂いた。一本の光の大槍は、クレッタの脳天を突くとただちに爆発するように膨張した。天から下された巨雷の鉄槌がクレッタを殴打する。人間より遥かに大きな身体を持つクレッタがまるで豆粒かのように圧倒的な質量で、雷撃は神の身を塵芥にせんと燃え盛る。

 若草色の前髪が、風に弄ばれて揺れた。
 雷を呼んだ少女は瞳孔をかっ開き、硬直していた。
 
 視界が、広い。
 星を数えられるほどに鮮明で、本当の景色を映し出していて、けれど彼女の意識は内側にあった。


「────」


 このとき、ロクアンズは失っていたすべての記憶を思い出した。


「………………──え……?」


 巨雷の渦の中、クレッタは、全身の輪郭が消し飛ばされるかと錯覚するほどの激痛に耐えていた。猛火のごとく盛る電撃が、皮を焼き、肉を焦がし、骨を溶かすのだ。雷の勢力はとどまるところを知らず、拍車をかけて激しくなっていく。

「、ォ、ォ、ォ゛!」

 しかしロクは、クレッタには目もくれず、立ち尽くしたまま、俯いていた。
 片手は右目を覆っていて、その腕ごと小刻みに震えていた。頭も脚もがたがたと揺れだしていた。それは、雨粒と冷や汗の混ざったものが肌を濡らしたせいではなかった。

「……あ、ああ。あ……っ」

 彼女の口元が、はく、はくと、開閉する。衣服をぐしゃりと掴んで胸を抑える。なにか吐き出したがっていた。けれど出てきたのは、言葉にならない声ばかりだった。どこにも焦点が合っていない左の瞳も曇っている。呆然としているのか、動揺しているのかもわからないような彼女の表情には、ただ暗い影が落ちていた。

「うそ。わたし、私は」

 そう呟く声が雨の音にかき消された。
 
 すると突如、彼女の足元が陥没して地面の下から十数本もの木の根の群れが飛び出した。
 彼女は、咄嗟を利かせて高く跳びあがり、回避した。その拍子に巨雷の柱がふっと収束し、細い電気の糸を残して、瞬く間に立ち消えた。雷の渦中からようやく解放されるや否や、クレッタはけたたましく喚き散らした。それから歯茎まで剥き出しにして、脱兎のごとく地上を疾走し、猛烈な速度をもって彼女に迫った。

 しかし、視界の先ではすでに、雷を生み出すあの手のひらが待ち構えていた。

「オイ、その目」

 クレッタの口から想像もできないほどの静かな声が、ふいにこぼれ落ちた。
 金色の光が彼女の顔を照らしだす。轟く雷鳴が耳に差す。横殴りの雨風が、ごうと吹き荒れる、まさにそのときだった。

「オマエ、いたのかよ」
 
 若草色の前髪がめくれあがってそれが見えた。

 
裏切者うらぎりもんの……──【心情神(ハルエール)】ッ!」


 開かれた右の瞳は、血に濡れたような鮮やかな赤色だった。

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.173 )
日時: 2025/06/01 18:22
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第155次元 時の止む都31

 赤い瞳が光る。
 その艶やかで、いたく鋭い眼光は、いくら雨足が強くなっていこうとも、月明りが曇ってしまっても、なおも煌々と輝いて、迫りくる生命の神を真っ向から射抜いた。
 激しい雨が地面を叩く。暗雲の間をやみくもに駆けた雷光が、街中のいたる場所に次から次へと降り落ちる。
 高く跳びあがって八重歯を見せつけてきたクレッタを仰ぎ見て、ロクアンズは片手を掲げた。
 
「八元解錠」

 彼女は扉を開く。

「──"雷撃らいげき"!」

 巨大に膨張した雷電の塊が解き放たれ、光を浴びたクレッタが燃え盛った。クレッタは口を縦一杯に開けて絶叫する。その質量の余力をいったいどこに隠し持っていたのだろうか。彼女だけではない。天候さえ豹変し、嵐のように強い雨風が吹き荒れている。
 一瞬のうちに、クレッタの外皮は真っ黒焦げになる。灰塵も同然の肉体は、ただの黒い塊に変えられて、ぼろ雑巾のように落っこちた。直後だった。黒い塊がうごうごと身動ぎをしだす。そして何度も地面の上を跳ね、焦げた皮膚を剥がす。ぼこぼこと音を立てながら伸び縮みしていると、やがて頭が膨らみ、手足も伸びてくる。
 しかし赤い眼差しは看過しなかった。
 眩い一閃。力を圧縮させた細い雷の砲撃がまっすぐに飛んで、いびつな黒い塊のままのクレッタに突き刺さった。そのまま、地面と並行に、クレッタは中空を横っ飛びする。その速さは凄まじかった。あっという間に、クレッタは東門の城壁と衝突した。

 左右で長さの違う手で、積み上がった瓦礫の山肌を掴むクレッタが、のっそりと這い出てくる。
 かろうじて二足歩行の生物の外形をとっていた。が、すぐに背骨が柔らかく曲がって、身体と脚の長さが変形する。より速く、より遠くまで走れる肉体に替える。しかし走り出せなかった。ぴりっとした鋭い気配を感じ取り、耳が立つ。視界を動かすと、その奥から、目に痛いような光を纏った人影が、人間には出せない速度で地面を蹴って迫ってきた。雷光だ。雷を纏ったロクが、地面を踏みこんで、跳躍する。残光が斜線を描いて空を裂き、その脚を張って彼女はクレッタを蹴り飛ばした。

 ごうと低く唸る雷鳴が、一向に止まずにあたりに轟いていて、チェシアは失いかけていた意識を明らかにした。
 瓦礫の山の中から下半身を引き抜いて、彼女はようやく地に足をつけたのだが、その目に映ったのはロクがクレッタらしき生物と差し向かいになって、そして攻撃の手を緩めず果敢に戦っている様だった。状況を読み取るのに困難したチェシアは、唖然としてしまった。
 北門から視線を捧げるラッドウールも、巨大な鹿の姿をしていたクレッタが街を横断して疾走しているのを目にしてから合流を目指していたが、その道中で、天気がおかしくなったことに気がついていた。
 
「……ロク──……?」

 落雷が、すぐ近くの地点を強打して、キールアは高い声をあげて身体を逸らした。この場を離れてようとしても意味はないのだろう。まるで突然嵐が訪れたかのような、横殴りの豪雨と降りしきる落雷が、街中を襲っているのだ。
 キールアは遠くの空に、幾度となく瞬く雷光を、不安げな瞳で見つめていた。


 ──危険信号はとっくに鳴りだしていた。


 神が、外皮を焦がされ、骨を痺れさせ、胴を貫かれ、頭を殴られ、再生も変形も許されず一方的な暴力を許容しているなどと、天地がひっくり返っても認められるはずがなかった。クレッタは、はらわたが煮えくりかえるほどの憎しみを育てていたが、それを吐き出す隙さえなく電撃は降った。
 赤い視線がかち合う。

 このままでは、"殺される"。クレッタの憎しみとは裏腹に、全細胞が危険を知らせるように沸き立っていた。

 クレッタはすばやく思考を巡らせた。走ろうとすれば脚を焼かれて、叫ぼうと口を開けば喉を焼かれる。無論、植物を操ろうとするものならば、火を灯したような熱い切っ先をした電撃で斬り捨てられるだろう。
 高い空を見つめ、クレッタは逃走の手を決めた。雷撃を受ける、それが捨て身になってでも、クレッタは背中に小さな翼をたくわえた。そして彼女の一挙手一投足を眼と耳で観察する。彼女が片腕を突き出したそのとき、もう片腕が後ろへ振り切るのを目で見て、身体の重心がもっとも地面に負荷をかけた瞬間を足のつま先で感じ取って、両目で瞬きをする音を聞き分けた。野生の勘が"ここだ"と告げる。すかさず、クレッタは翼を大きく広げて、飛び立った。

 身体の形は飛行しながら操作するしかなく、クレッタは急いで鳥本来の体格へと変形した。そして暗雲に紛れてしまえるまで高く、疾く、ぐんぐんと高度を上げて飛翔した。
 しかし。ロクの赤い目に映る景色は恐ろしく鮮明だった。彼女は空に手を翳す。豆粒大にまで小さくなったクレッタの目頭に眩い光が降る。雷鳴。激しい爆音を伴った落雷が飛ぶ鳥を叩き落とした。

 黒い煙をあげる消し炭のような小さな塊が、真っ逆さまに落下する。

 ロクは赤い目をぎらつかせて、ゆっくり足を動かした。一歩、また一歩と、しっかりとした足どりで向かった先はクレッタの落下地点だ。
 しかしロクは、道中でぴたと足を止めた。そしてまだ空中にいるクレッタを視界の真ん中に捉えてから、自身の腕を見下ろした。
 纏っていた電気がふいに立ち消える。
 彼女が小さな口でわずかに息を吸う。すると、右目の赤色はより濃密に、より色鮮やかに光を放った。

 落下するクレッタに焦点を合わせ、詠唱する。


「────"呪記じゅき零条れいじょう"」


 黒い消し炭と化したクレッタは"それ"の気配を感じ取って我が身をがたがたと震わせた。
 "それ"がどのような呪いであるかを知っているのだ。
 鳴り続けている危険信号が一層激しくがなる。クレッタは、ふたたび鳥の姿に戻ってゆきながら、空の上からロクを睨みつけて号哭した。

「クソクソクソクソッ、オマエェ──ッ!!」

 突然、クレッタの落下地点から、無数の木の根、あらゆる植物が地面を割って噴き出した。怒涛の勢いで急成長し、それらは東門の方角に向かって幹や茎を伸ばす。そして気絶しているアイムを乱暴に捕まえると、ばねのように反動を利かせて、巨体のアイムを投げ飛ばした。
 旋回しながら宙を飛んだアイムはついに、クレッタの落下地点──ロクの視界の中央に到達した。
 
 次の瞬間。
 ──異様な紋様が、アイムの白い皮膚の上に刻みこまれる。紋様は崩した文字の羅列のようだったが、現代語ではなかった。紋様は徐々に、不安を誘うような赤黒い色合いに変色して、まるでアイムを侵食するかのように幾重にも折り重なって滲んでいく。
 最後に、赤い目が覆い隠されて、やがて完全に赤黒色の薄膜にアイムが包みこまれると──
 
 四散。

 衝撃的な光景だった。アイムの身体が酷く凄惨に、しかし花開くようにも大きく弾け飛んで、散る。撒かれた肉体はもはや雨粒と相違ないほどに細切れだった。十尺はあった胴体も、九本の触手も、おかしく並んだ目鼻立ちも、なにもかもばらばらになって飛び散った。
 降る雨粒に、黒い血潮が覆い被さった。

 ばたばと降る雨音だけが、街中を包みこむ。あとに残った黒い液体の水溜りはすぐに、雨水に流されて、消えてしまった。しかしぼんやりと地面を見つめていれば、その液体は雨水とは混ざらずに、ひとりでに蒸発したようにも見えた。
 気がつくと、クレッタの姿はもうどこにもなかった。おそらく暗雲の向こうに消えていったのだろう、目で追える距離にはもういなくて、街の中へと視線を戻した。

 ロクは踵を返し、ゆっくりと歩きだした。
 足どりは覚束ない、だから小石に躓いただけで、簡単に膝を崩した。息も絶え絶えで、指の一本も動かせそうにないほど疲れた横顔をしているのに、身体を起こして、荒れ果てた街の中を、一心不乱に歩き続けた。

 しかし、やがてぷつりと糸が切れたみたいに、彼女は道の途中で倒れた。

 さあさあと、耳のすぐ傍で雨音が響いている。そうしてようやく、彼女は瞼を閉じた。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.174 )
日時: 2025/06/08 23:03
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

 
 第156次元 時の止む都32

 瞼を持ちあげる。目に飛びこんできたのは、知らない色をした天井だった。
 起きあがろうとすると身体の節々が痛んだ。よく見れば、痣だらけで、顔も腫れているようでまだ熱を持っている。

 戦いはどうなっただろう。エントリアの街の様子は。クレッタとアイムはどこに──?
 レトヴェールが、次々と頭に浮かんでくる不安や疑問と格闘していると、藪から棒に声がかかった。

「レトヴェールさん、起きたんですね。よかった。具合はいかがですか?」

 レトははっとして、意識を引っ張られた。見知らぬ部屋の中に、見知った医療部班の班員が立っていて、こちらの顔色を窺っている。部屋の壁や時計、机なんかの調度品は見慣れないが、室内にいる人物や、薬品の匂い、道具の類はごくごく慣れ親しんだもので、此花隊本部の医務室を想起させる。
 しかし、医務室でもなければ、本部の一室でもなさそうだった。内装は、まるで貴族が住まう屋敷の客室のような様相を呈している。
 しばらく部屋の中を見渡してから、レトは班員の女の質問に答えた。

「……悪くない。まだ、傷は痛むけど」
「そうですか。食べられそうなものをお持ちしますね。すこしお待ちください」
「待て。戦いはどうなった? 収束したのか? エントリアの街は? 神族たちはどこに行った。ここは」

 レトは、矢継ぎ早に訊ねた。女は、急にたくさん問いかけられて、思わず手に持っている布巾をくしゃりと潰してしまったが、やがて手の緊張を解いた。
 彼女は次のようにレトに伝えた。

 神族【CRETE】と神族【IME】のエントリアへの襲撃事件は、つい数日前に幕を閉じた。エントリアは、街中に生存者がいないことを入念に確認されたあとですべての門を封鎖した。街の住民たちは、隣町のカナラと最西の港町トンターバにそれぞれ身柄を置いている。国でもっとも栄えた都市に住む住民の数だ。カナラだけでは、エントリアからの避難民を賄いきれず、此花隊隊長ラッドウールが西部の領主であるバスランド・ツォーケンに協力を要請した。ラッドウールが直近までウーヴァンニーフを気にかけていた経緯もあり、バスランドは快く避難民の受け入れを承諾した。
 カナラはエントリア領の一部であるから、領主のイルバーナ家にチェシアが都合を利かせて、避難民の受け入れ体制を整え、また彼らがの所有する別邸を借りられるよう話を通した。別邸は使用人以外の出入りがなくほとんど使われていなかったが、十分な広さがあり、手入れも行き届いていて清潔な状態だった。
 この邸宅が現在、此花隊本部の仮の拠点となっている。
 此花隊隊員たちは、かつてないほど多忙の日々を送っている。エントリアからの避難民の支援にはじまって、怪我人の治療、神族の再出現への厳戒警備、死亡者の確認とエントリア街内の巡回、やることは多岐にわたり、あげればきりがなかった。

 一通り答えたあと、彼女は「あとは」とレトの質問を順番に思い出していって、ふいに眉を下げた。

「……すみません、現場にいなかったもので、これは医療部班の班長から伝え聞いたお話になるのですが……神族は、エントリアの街から消えた、と」
「消えた?」
「はい」

 女は頷いた。
 レトは戦いの途中で意識を失い、ことの顛末を知らない。消えた、と一口に告げられても、どうにも頭の中では整理がつかない。戦闘部班の班員に訊ねたほうが話が早いだろう。

「……わかった。たくさん聞いて悪い。あと、班長たちはいまどうしてる?」
「ええと、それが……」

 彼女はそれを聞くと、今度は歯切れが悪そうに、口元を結んだ。レトが不思議に思っていると、彼女はすこし小声になって答えた。

「……今日は、副班長以上の方が全員で、なにやら会議をしているみたいで……それが、どうにもただならない雰囲気というか。隊のこれからのお話についてかとも思ったんですが、なんだか違うようなんです……。朝から、皆さん、ぴりついていました。まだ、私たち一端の班員には降りてきていないお話みたいです」

 女の頬には汗が滲んでいた。邸内のどこかですれ違った上層部の人間たちの緊張を宿した目を見て、萎縮したのかもしれない。
 レトにはぴんときていなかったが、次に彼女が口にした言葉を聞いて、目の色を変えた。

「ああ、でも。戦闘部班の方々は、なぜだか班員も出席されているみたいですよ。レトヴェールさんはお怪我がまだひどいので、このまま欠席されたほうがいいかと……」

 戦闘部班の班員だけは出席を許可されているのなら、議題は、組織のこれからでもなければエントリアに関わる話でもないのだろう。
 次元師もしくは神族にまつわる重大な議題が掲げられている可能性がある。
 レトはなんだか嫌な予感がして、毛布を剥がして寝台を降りた。
 
「会議はどこでやってる」
「え? ええと、二階で……」
「わかった」
「待ってください! まだ、安静に」

 女の制止する声も聞かずに、レトは扉に向けて歩き出した。歩くたびに筋肉の軋む音がして、眉をひそめたが、痛い素振りを見せれば強く止められる。だからレトは堂々と歩いてやって、部屋を出た。扉を閉めてすぐに、頭のてっぺんから足の爪先まで、そこかしこが痛んでどっと汗が噴き出した。
 壁に手をついてでも、廊下を歩き進めた。やはり、訪れた覚えのない施設だったが、階さえわかれば辿り着くのに時間はかからないだろう。できるだけ人目につかないよう注意を払いながら、レトは会議室を探して回った。




「神族ならば、殺してしまえ!」

 木目調の机を叩き、顔を真っ赤にして男が叫ぶ。胴も手足も丸太のように太いその浅黒の男、ニダンタフ・ジーセンは、金の肩章を提げる援助部班の班長である。机を叩いた腕には血管が浮き出ていて震えている。
 会議が執り行われているのは、もとは書斎だったようで、壁沿いに本棚が立ち並んでいる。壁紙も絨毯も落ち着いたくすんだ赤色で揃えられていて、調度品は一流の品ばかりだった。隅々まで控えめな煌びやかさを放ち、閑静だったはずの室内はいま人で溢れ、もうずっと騒然としている。鋭い声をあげたのはニダンタフだけではなかった。研究部班、医療部班が腰かけている席の周辺からも、不安の声は相次いで放たれている。黙りこんでいるのはラッドウール、チェシアと並んで、戦闘部班の班員だけであるほどに、ざわめきは嵩んでいく一方だった。

「たかが処分に時間をかけすぎではないか、セブン・ルーカー班長。情報を引き摺り出すならさっさとしろ。お前のことだ、吐かせるのは得意なはず。いったい、収束して何日経ったと思っているんだ? この事実が、万が一外部に漏れたらどうする。そうなれば隊の沽券に関わる事態。『我々が神族を飼っていた』と国中から反感を買う前に、処分しなければならないのは自明の理! これは断じて、譲ってはならない!」 
「ニダンタフ班長。言いたいことは理解できますが、冷静に話をさせていただきたい。皆、貴方の大きな声に感化され、興奮してしまっています。これでは話が進まない」
「その娘の目が毒々しいほどに赤いことをしかと目に焼きつけ、神族だとわかっていながら、なぜさっさと殺さないのかと訊いているのだ!」

 室内はさらに、ざわめきの声に満ちていく。
 その娘、と指をさされたロクアンズが、部屋の中央でまるで見せ物みたいに立たされていた。顔の半分は、右目を覆い隠すように白い布が巻かれている。首から下は鎖で縛られていて、身動きひとつとらせないつもりだ。鎖は、コルドの次元の力によって生み出したもので、彼がロクの隣に控えている。
 コルドは、自身の横に立つ、ロクの横顔を見やった。だが、前髪から落ちる影の暗さが深くて、表情が読み取れなかった。そんなコルドもまた、いつにも増して深刻な顔をして、困惑を隠しきれていなかった。

 ──ロクアンズ・エポールが神族である。

 先の戦いで、その事実を目のあたりにしたのはコルドとチェシアの二名だった。彼らは、ロクの右目がほかの神族とおなじように真っ赤であるのを目視し、そして神族が所有する特別な力、"呪記"を行使する瞬間を目撃した。さらにエントリアの街中を襲った雷雨が彼女の力によるものだとわかると、隊員たちはなおのこと納得せざるを得なかった。
 二人の証言によって、戦いのあとしばらく昏倒していたロクは目を覚ますや否や、厳重な拘束と監視を受けた。そして、全班の副班長以上の隊員と、戦闘部班の班員の目の前で、つい先刻に、右の瞳の色を明らかにされた。即刻、協議にかけられる運びとなり、現在に至る。
 ロクはもうすでに、数多くの尋問と忌避の視線を浴びている。
 けれども口を閉ざしていた。

 目の端を鋭く尖らせたセブンが、語調を固くして、言い返した。

「まず、神族に関する情報の連携をいたしました。神族は心臓を持たず、肉体の損壊だけで討伐することは不可能。神族に心臓を与える方法もあるようですが、即時の実行は現実的ではありません」
「それも神族【NAURE】の虚言という可能性は?」

 白い隊服に身を包み、セブンやニダンタフとおなじく肩章に金の飾りをつけた一人の女が、片手をあげていた。医療部班の班長を務めるミツナイ・マランは、しっかりと結いまとめて崩れそうにない団子状の髪を左右に揺らして、淡々と意見した。

「ノーラの討伐時、ノーラはある機を境に正気を失ったような状態になり、その直後、神族の心臓について発言をし、消滅に至ったと聞きました。正気でなかったのなら、発言の信憑性は低いように感じますが。なににせよ、一度ロクアンズ・エポールの肉体を解体し、検証するのも手だと思います」
「ああ、そうだ、ロクアンズ・エポールをひき潰せば、すぐにわかること」

 加勢の声に調子をあげたニダンタフが、セブンがなにかを答える前に、睨みをきかせた。
 頬杖をついていたチェシアが、ニダンタフの態度になかば苛立っているような声色で、すかさず切りこんだ。

「神族が心臓を持たないのは、真実でしょう。神族【CRETE】、神族【IME】ともに、我が隊の戦闘部班が総員でかかりましたが、いくら肉体に損傷を加えようとも討伐は叶いませんでした。神族【NAURE】との戦いのあと、報告があがった"歪な結晶のような赤い心臓"を持っていなかった、そうですね?」

 チェシアは、コルドに視線を投げた。
 戦闘部班の班員は、メッセルとレトを除いて頭を揃えていた。中でもフィラの顔色はひどく、考えこむようにずっと眉根を寄せており、俯いている。
 視線のいどころに迷う者が多い中、しきりに瞬きをしながらでも、キールアだけがロクの顔を見つめて、手元を握っていた。
 
 緊張した面持ちで頷いて、コルドがチェシアの発言を肯定する。

「はい。左様でございます、副隊長」
「ひとえに攻撃の手が緩かったのでは? それに子どもばかりが戦線に立っていたのですから」

 ついに、チェシアは沸点に達して、右の拳で机を強く叩いた。そして目に角を立て、矢継ぎ早に言い募る。

「口を慎みなさい。先の戦いで、我が隊の次元師がどれほど危険な戦況に立ち、前線を張っていたと知っておいでですか。サオーリオではメッセル・トーニオ副班長が、エントリアではレトヴェール・エポールが善戦し、現在も意識不明です。二人だけではありません。次元師総員、肉体と精神を捧げ戦いに臨みました。それを、我々の軟弱さが招いた結果と? その子どもたちがいなければ、戦況は酷烈を極めていたと断言します」
「であれば! その犠牲を払って得た、ロクアンズ・エポールという大きな餌を前にして悠長に構えていないで、一刻も早く情報を引き摺り出し、心臓を持たせ、抹消する。これ以外のいったいなにが最善だと!? この国の宿敵が目の前にいて、それが豹変するかもしれぬ可能性を秘めているだなんて、我々は巨大な雷雲の真下にいるのと変わらないのですよ!」

 だから早く殺してしまわなければならない。ニダンタフの発言の強さに、周囲の雰囲気が徐々に呑まれていく。此花隊に所属する隊員の多くは、神族や元魔に怨恨を抱く。それにメルギース国の民としての矜持もある。二百年も国の敵とされている神族を目の前にして、興奮しやすいのは火を見るよりも明らかだった。だから一つ大きな旗を掲げてしまえば簡単に引き寄せられる。

「ともかく、神族ロクアンズに厳重な処分を」
「彼女はこの次元研究所を壊滅させる目的で紛れこんだに違いない」
「ノーラやクレッタのように豹変してしまう前に、早く!」
「まったく、すこし静かになさい。室外に話が漏れてしまいます。情報の取り扱いに注意を」

 チェシアは、室内にこもっていく熱を鎮めようとしたが、とても治まりきらなかった。ニダンタフの激昂を皮切りにして隊員たちが好き好きに発言を放ち、声が飛び交う。どうしたものかと収束にあえいでいると、部屋の奥の窓際にあるもっとも豪奢な長机からたん、と大きな音が立った。
 その席に腰をかけたラッドウールが、片手に持った扇子を机に突き立てていた。大きな音の正体は、扇子の親骨の先端が、机をついて出たものだった。

「静かにしろ。まだ、ロクアンズ・エポールがなにも発言していない」

 騒然としていたのが嘘のように、室内は、しんと静まり返った。
 そして、立ち尽くしているロクに部屋中の視線が集中したときだった。

 部屋の扉が開かれる。病衣に身を包んだレトが、室内に足を踏み入れた。

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.175 )
日時: 2025/06/15 19:11
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

  
 
 何年も一緒にいたのに、君の瞳は、知らない色をしていた。

 
 第157次元 時の止む都33(最終)
 
 いっとう豪奢な扉の向こうから、飛び交う人の声と、それを鎮めた大きな物音が聞こえてきて、レトヴェールは足を止めた。そして部屋に入るならいましかないと踏み切ったのだった。
 案の定、室内にはラッドウールをはじめとした上層部の面々と、戦闘部班の班員たちの顔が揃っていた。 
 突然扉を開けて部屋に入ってきたのがレトだとわかると、コルドは驚いて、真っ先に声をかけた。
 
「レト、起きたのか。動いて平気なのか?」

 頷き返そうとしたが、しかしレトは、部屋の中央に立たされ、鎖で拘束されているロクアンズと目が合った。
 それからゆっくりと室内の様子を見渡して、隊員たちのほとんどが、怪訝な目つきで彼女を見ていたのだとわかると、眉間に皺を寄せた。

「どういう状況だ」

 レトが低い声で呟くように言うや否や、しばらく閉口していたセブンが、仕切り直した。

「隊長が仰せになられた通り、ロクアンズ・エポールからは、まだなんの証言も得られていません。レトヴェールも来てくれたことですし、彼女も多少は、話がしやすくなったかもしれない。まずは必要なことを訊きましょう。レトヴェール、そこから動かなくてもいい、大変だろう。だれか彼に椅子を」

 セブンが言うと、扉の付近に座っていた男の隊員が、壁に立てかけていた椅子をレトに薦めた。レトは、淡々と話を進めようとするセブンを訝しげに見たが、ひとまずは、素直に着席した。レトが腰を下ろしたのを確認してから、セブンはロクの顔を見つめ直した。

 「君に、我々と会話をする意思はあるか。なければ、黙ったままでいい」

 どこか他人行儀で、尋問でもされているかのような声色でそう尋ねられたロクは、新緑色の左目でセブンを見つめ返し、こわごわと口を開いた。

「……ある。話は、できる」

 ようやくロクが声を発したので、それだけで周囲がまたすこし、ざわめきだした。セブンが片手をあげてすぐに制する。

「わかった。まず、君は入隊当初、「五歳以前の記憶を失っている」と我々に申し出た。その記憶を思い出した、それで間違いないだろうか?」
「……」

 そう問われると、ロクはまた黙りこんでしまった。わざと黙っているというよりは、しごく言いにくそうに、眉根を寄せているのだ。セブンはそれをしかし、回答の拒否にとらえて、冷たく嘆息した。

「話す意思があるとはいっても、答えられないことも多いようだ。では、切り口を変えさせてもらう」

 セブンの視線が動くのに合わせて、室内にいる人間の視線も動く。セブンと目が合ったレトは、確信した。セブンはこれまでに見たことのない、正しく言えば、他者を寄せつける気のない冷徹な面持ちをしていたのだ。
 真意の読み取れない視線をレトに投げかけ、セブンは指を組んで前かがみになった。

「レトヴェール、君はエントリアでのことを、どこまで記憶している? コルド副班長から聞いた話では、戦闘中に意識を失ったとのことだが」

 目を覚ましてからあまり時間が経っていなかったが、頭はすっきりと冴えていた。レトは丁寧に記憶を辿り、答えた。

「……俺が最後に見たクレッタは、巨大な鹿の姿だった。クレッタが、エントリアの西門に向かって走りだしたあと、コルド副班、ロクとともにそれを追いかけて街の中へ入った。コルド副班がクレッタの進行を止めようとしたけど、クレッタが暴れだして、副班に襲いかかった。そのとき突然、クレッタが俺のことを見つめてきて……。標的は俺に移った。躱せなくて、一方的に攻撃を受けた。気を失ったのはおそらくそのときだ」

 セブンが満足したように軽く頷く。それから、背中をまっすぐに正し、深刻な声で彼は告げた。

「君にいまから残酷な事実を告げなければならない」

 セブンは、視線を滑らせて、ロクを一瞥した。
 なにを言われるのか、ロクはすぐに察しがついたが、口を開く頃にはすでに遅かった。

「君の義妹いもうとのロクアンズ・エポールは、神族だ」

 ──レトが目を見開いて、硬直する。瞬きひとつせずに、できずに、彼は呆然とセブンの顔を見つめ返した。
 それからロクに視線を移した。
 ロクとレトは言葉を交わさなかった。
 室内は、急に重苦しい空気に包まれて、わずかな物音も響きそうなくらいに静まり返った。
 レトが言葉を失っていると、セブンは沈黙を破って、 続けた。

「先日の戦いにおいて、その証明となる二つの事象を、チェシア副隊長とコルド副班長が目撃した。ひとつは、彼女の右目がほかの神族と同様に真っ赤な色であること。これは両者から証言があったあと、この場にいる全員が確認をとった。そしてもうひとつが、神族が使うとされる呪いの力の行使だ。彼女の呪いの力によって、神族【IME】が消滅をしたとのことだが、直後に神族【CRETE】も追跡不可能となり、彼女が使用した呪いの力の詳細はまだ不明だ。しかし、ここまでの情報は得られても、まだ彼女の本当の名前すら、我々は知らない。義兄あにである君から訊けば、彼女は答えるかもしれない。いま君は混乱しているだろうが、君の口から……」
「待って。私、ちゃんと、言う」

 ロクがたえかねたように口を挟んだ。
 室内にいる一人ひとりの隊員と目を合わせ、最後にレトの顔をまっすぐに見つめると、ロクはぎゅっと目を閉じた。
 瞼をゆっくりと開いて、彼女は名乗った。
 
「私は……私の名前は、【HAREAR(ハルエール)】──"心情"を司る神族」

 張り詰めた空気に、その響きが、静かに染みわたる。部屋にいるだれもが、いまこの瞬間に、彼女の名前を脳に深く刻みこんだ。
 神族【HAREAR】。またひとつ神族の名が明らかとなって、興奮しているとか、おなじ旗の下で戦ってきた仲間が神族だったことが現実味を帯びてしまい、困惑しているとか、さまざまな思惑が入り混じっているはずなのに、だれも彼も口を閉ざしてしまい、依然として室内は静かなままだった。
 しばし目をしばたき、間を置いたのちに、ようやくセブンが口を開いた。
 
「……心情を司る? 心情とは、心を指すのか」

 ロクは頷いた。

「つまり、ロクア……いや、ハルエールは、人の心を操ることができるのか?」

 ふいにだれかが口をついて、ロクは、はっとして口を噤んだ。
 それを皮切りに、またしてもざわめきの声がふつふつと湧き立ち、徐々に膨れあがっていった。
 セブンが、眉間の皺をより一層深くして、慎重になってロクに問い質した。

「まさかその力を利用して、我々の感情を」
「ち、違う! そんなことはしていないし、できない!」
「どのように証明する? 君に抱いていた好意、期待、信頼、あらゆる肯定的な感情を、自らが我々に植えつけたうえで、いつ本性を露わそうかと機を伺っていたのか?」

 ロクは切羽詰まったように、首を横に振り、否定の意思を絞り出した。しかし隊員たちのほとんどはすっかり疑心暗鬼になってしまい、ロクへの不信感を募らせた。
 セブンの厳しい視線がロクに突き刺さる。

「ちがう、そうじゃないんだ。心情は……」

 掠れたようなロクの声が、周囲の雑音に掻き消される。
 ──心を操る力を持つのなら、隊員たちの感情をいいように操作し、組織に溶けこむなど造作もないだろう。
 ──彼女への心象は紛いものだったのだ。
 ──騙されていた。

 隊員たちが口々にこぼす。募る。そうやって収集もつけられないほどに飛び交い、昂り、溢れていく声を、ばん! という一発の激しい音が堰き止めた。
 レトが、背後の壁に拳を叩きつけていた。
 不審と動揺の色に染まった視線が彼に集中すると、彼はたまらずに口火を切った。

「いい加減にしろ! ロクが否定してるだろ! ただの憶測で好き勝手に言うな!」

 レトの口から勢い任せの怒号が飛ぶ。しかし、すかさずにセブンが、わざと椅子の音を立てて立ち上がった。そして、顔を真っ赤にし、目元をいからせているレトを諭した。

「君とて騙されていた可能性が高く、影響力でいえば私たち以上かもしれない。……いや、もしかして君は、この期に及んでまだ、彼女が神族だと認めていないのか? だれでもいい、レトヴェールにも見せてやりなさい、彼女の目を暴き、その瞳の色を」

 ロクの傍にいるコルドが躊躇している間に、ほかの隊員が動きだそうとしたが、レトが彼らを鋭く睨みつけた。睨まれた隊員たちは思わず、びくりとして動きを止める。レトは、間髪入れずに、セブンに突き返した。

「必要ない。騙されてなんかねえよ」
「なにを根拠に」
「俺は最初からロクが神族だと知ってる」

 衝撃的な一言が放たれて、セブンも、ほかの隊員たちも言葉を失った。

「……え?」

 ロクだけが小さく、意表をつかれたような声をもらした。
 
 セブンは片手で側頭部を抑えた。頭が痛くなるような告白だ。机の上を、しきりに指先でとんとん叩きながら、彼は真っ先に指摘する。
 "ロクアンズが神族だととっくに知っていた"、──などと。妄言だ。

「……苦し紛れに彼女を庇おうとしても無駄だ。そんなことはありえない」
「真実だ。俺は、ロクが神族だってことを、ずっと前から知ってる。だから疑ってもなけりゃ、騙されてもねえよ」
「ではそれが仮に真実だとして、どのように証明する。いい加減な発言は、時間の無駄だ」

 レトは、扉の近くにいたがおもむろに歩きだして、部屋の中央までやってくると、ロクとコルドと肩を並べた。そしてもうとっくに啖呵を切っている彼は、セブンと視線をかち合わせたまま、矢継ぎ早になって続けた。

「証明する方法ならある。ロクの右目の光彩だ。神族は、個々によって、瞳の虹彩の形が異なる。これはもう此花隊の隊員たちには周知されてる。そしてロクも例外じゃない。俺がいまから、ロクの右目の虹彩の形を言い当ててやる。俺は先日の戦いで、ロクが右目を開ける前に気絶し、そのときには目を見ていない。だからそれ以前に確認していなけりゃ、知る由もないはずだ」

 神族の瞳の虹彩は、特殊な形をしていて、個体によってもその形はばらばらだ。
 デスニーなら頂点の尖った菱形を、ノーラなら十字を、アイムなら円形を、クレッタなら三角形をそれぞれ模していた。
 戦闘部班の班員たちから報告が上がっているので、当然ながら熟知しているセブンは、一瞬だけ間を置いて、レトとの睨み合いは断ち切らずに、コルドに話だけを振った。

「コルド副班長。彼は本当に、さきほど彼が告げたように、クレッタが鹿の形態であるときに気絶したのか」
「……は、はい。それは、相違ありません。私が、この目で確認しています」
「では、教えてもらおうか。ハルエールの右目の虹彩が、どのような形であるかを」

 室内に緊張の糸が張る。レトは小さく息を吸って、答えた。

「五芒星だ。ロクの右目の光彩は、五つの点をもった星の形をしてる」

 真っ先に声をもらしたのはロクだった。

「嘘だ」

 そして動揺が隠しきれず、濡れた瞳を揺らして、呟くように言ったのだった。

「なんで……知ってるの」

 顔に巻かれた包帯に触れる。すると、包帯ははらりと解かれて、床に落ちた。ロクの右目が顕になる。雷が走ったよう切り傷がある瞼の下、その赤い瞳の中では、"五芒星"が輝いていた。
 ロクは興奮のあまり、身を乗り出そうとして、コルドが慌ててそれを差し止めた。ロクは、拘束されていることも忘れて不格好にもがきながら、声を張りあげた。

「どうして、レト、──あなたが知ってるはず、ないのに……!」

 まっすぐにレトの横顔を見ていた、しかし彼は振り返る素振りもなく、つかつかとセブンの目の前まで歩いていった。

「神族だからってなんだ。根拠のない憶測を掲げて、寄ってたかって責め立てて、そっちこそなんのつもりだ」

 そしてセブンの襟元を乱暴に掴んで引っ張り、額がつきそうな至近距離まで寄こすと、憤怒を抑えきれない剣幕で口早に言った。

「"心を操ってない"ってロクは言ってるだろ。第一、いま俺たちが対立してるのが、心を操ってないなによりの証拠だ! 俺がロクの立場で、もしも人間が憎いなら、まず心情の神だと明かさない。思い出した記憶は一部だけと嘘をついて、ひそかに全員の心を「自分への好意」にすり替え、操りやすくするほうがよほど賢明だ。ここで隊の人間同士を対立させることに利はない! そんなくだらねえことに時間を使ってねえで、もっとほかにやるべきことがあるだろ!」

 セブンは、自身の襟元を捕まえているレトの手首を一瞥し、それから強く圧迫し返して、乱暴に引き剥がした。すぐに、悠長に襟元を整えて、なかば呆れたような息を吐いたのちに、冷たく言い放った。

「そうか。君はすでに洗脳されているようだな。心の神に」

 それを聞くや否や、レトの目頭はさらにかっと熱くなった。そして前のめりになって、セブンに近づこうとしたとき、彼の剣幕が一層鋭くなったのを見たニダンタフが、レトが次元の力を発動させる気ではないかと恐れて、周囲に言い渡した。

「だれでもいい! 彼を止めろ! 危険だ!」

 懸念は伝播し、援助部班の男隊員たちが颯爽と動きだした。レトの腕や胴を捕まえて、必死に抑え込む。しかしレトは止まらなかった。捕まえてきた隊員たちを引き剥がそうともがき、そして荒々しく殴りつけ、肘を打ちこみ、暴れ、ついにはより強い力で押さえつけられてしまった。彼は、病み上がりで、すでに身体中が汗でびっしょりと濡れていた。けれど、なにもかもを押しのけてでもセブンに掴みかかろうと必死だった。セブンだけではない。手あたり次第に、視界に入る人間すべてに、言ってやりたいことが山ほどもあった。
 
「なんでロクのことを信じてやらない! この中のだれかを傷つけたことがいままであったか? 突然降って湧いた薄っぺらい事実だけを見て、裏目ばかり気にして、なんでロク自身を、あいつがいままでしてきたことをだれも見ないんだよ。ちゃんと見ろよ! ロクはちゃんとあんたたちに向き合おうとしてるだろ! 話をする気がねえのはあんたたちだ!」

 こうなってはもはや、事態の収拾はつけられそうもなかった。動揺と困惑、不安などの感情が、声にもれずとも部屋に充満している。ふたたびの仕切り直しも利かないだろうと、セブンは早々に判断していた。
 セブンは、区切りをつけるために、レトを取り押さえている男たちに向かって言い渡した。

「レトヴェール・エポールを部屋の外へ。彼は心情の神ハルエールによって気が狂わされている可能性が高く、正常な会話は不可能と判断する。上官命令により彼を自室にて軟禁処分とする。ニダンタフ班長、少々班員をお借りします」
「構わない。ハルエールは地下だ」
「はい」
 
 強引に部屋から締め出されたレトが、その去り際までも、まだ言い足りないような不満な顔つきをして、セブンを睨んでいた。
 続いて、コルドの先導のもとロクが退室したのだが、ロクは、義兄とは反対に大人しくなっていた。でもそれは、ただ呆然としていただけにすぎなかったかもしれない。

 義兄妹が二人とも部屋から退室すると、室内にはまた、しんとした静寂が帰ってきた。だれも口を割らないうちは、空気の重さが嵩んでいくような心地だった。
 窓の外からは、しとしとという雨の音が聞こえてきていた。数日が経っても、エントリア近隣の空には暗雲がたちこめていた。
 
「雷雲が去ってもまだ、雨は降り続いているな」

 セブンは長机に腰かけていたのだが、ラッドウールと目が合うと、合図を受けた。彼の目つきは解散の意を告げている。セブンが頷いて、浅く息をつくと、研究部班の班員が着ている白い制服が視界の端に映った。セブンもラッドウールもそちらに顔を向ける。
 
「あのう、今日はもう、解散、でしょうか……」

 おずおずとやってきたのは、髪が短く天然で縮れていて、鼻の先から頬までそばかすを散らした、長身の女だった。背が高いわりに腰の低い彼女は、会議中もまったく発言をしておらず、置き物のように座っていただけだった。見慣れた顔ではないが、セブンは彼女のことを知っていた。
 先の次元師増加実験の事件で、各班の副班長が全員席を明けたので、新しい副班長が選任された。此花隊が次元研究所と呼ばれていた時代から組織の顔となってきた花形の部門、開発班の副班長となったのが、彼女だった。
 
「ああ、そうだね。また後日、招集をかけると思うけれど。今日は解散だ。くれぐれも、会議の内容は他言しないように。改めて隊長の口から周知をされるだろう。ご苦労様、開発班のユーリ・ファンオット副班長。ときに、ハルシオ・カーデン班長殿は、こんな大事なときにも不在にして、いったいどこにいるんだい。なにか聞いている?」
「す、すす、すみません。班長はいま、南東部の、離島に足を運んでいると聞き及んでいます。手紙を送ってみたところ、近々本部に帰還すると返事がありました。あと数日もすれば、帰ってくると、思うのですが……」
「へえ。さすがの彼も、事態の深刻さは受け止めてくれるようだ。隊の内情には一切興味がなくとも、神族の話には食いついてくれるといいのだけどね」

 セブンはそう言ってから、片手をあげた。ユーリはぺこぺこと、余計なくらいに礼をしてから、及び腰で、すこしずつ扉のほうへと向かった。ほかの隊員たちもお互いに目を合わせて、ぞろぞろと部屋を出て行く。
 
「隊長、すこしよろしいですか」

 セブンがラッドウールを引き留めているのを横目にしながら、チェシアも退室した。
 やがて、室内から人がはけると、セブンは口を開いた。彼は、会議中に見せた厳しい口調に戻っていた。

「引き続き、ロクアンズ……。いいえ、神族【HAREAR】の監視と、情報収集を急ぎます。これまで彼女は一切口を開きませんでしたが、今日の様子から、会話は可能と判断します。ただし、彼女への心象操作が行われている懸念を拭う手段はありませんので、彼女から得られた情報の正否の判断は慎重に行うつもりです」
「今日のお前はらしくもなく、直情的だったな」

 指摘を受け、セブンは言葉に詰まった。そして強張っていた肩の力をいくらか抜くと、静かに息をついた。

「……。自分で思っている以上に、ハルエールという存在に、動揺したのかもしれません。しかし、班の長の動揺は、班員にも影響しかねない。戦闘部班の面々が、もっとも困惑しているはず。私がしっかりと監督し、隊の内部が荒れて取り返しがつかなくなるような事態とならないよう、細心の注意を払っていきます。……隊長は、彼女に対して、どのようにお考えで」

 ラッドウールは、思い返せば、まともに顔を合わせたのも入隊時の挨拶が最初で最後だった。しかし外では、よく義兄妹の噂を耳にした。お転婆で自由奔放、行く先々で問題を起こす、世話のかかる二人の次元師がいるらしい、と。とくにロクの行動は突拍子もなく、海を渡った隣国アルタナでまさか国王の面前で啖呵を切ってきたと報告を受けたときには、さすがのラッドウールも関心を覚えた。そんな彼女の表情が、今日は、記憶していたよりもずっと変わっていたが、ラッドウールは、彼女の顔が別人のようだとは思えていなかった。

「彼女が、なにかを言いたそうであったのは、間違いない。機会を見計らい、対話をしろ」
「……は」
「ここも長くは滞在しない。一時、イルバーナ侯爵の好意に甘んじているのみ。すぐにでも撤退しなければならない。考えはあるか」

 本部を構えていた旧王都エントリアは、都としての機能を完全に失い、時を止めたように沈黙してしまった。
 もちろん本部も、元魔の襲撃や、周辺の建物の倒壊に巻きこまれ、いまや見る影もない。その本部と遜色のない規模で、長期にわたって滞在が許される新たな拠点を探そうとしているが、なかなかすぐには見つからなかった。そのうえ、エントリアの復興作業や、街からの避難民の支援を引き続き行なっていくとなると、そう遠くへは移動できない。新たな拠点の調査は長期戦が見込まれている。
 セブンは顎に手を当て、考えこむような仕草をした。
 
「一応……あるにはありますが、少々手強い相手と、交渉が必要です」

 セブンはそう言って、肩を竦めた。ラッドウールは一言、「任せる」とだけ言い渡すと、部屋をあとにした。新たな拠点の調査ははたして戦闘部班班長の仕事だろうかと一度文句を言うべきか考えたが、やめた。セブンは幼少の時分から、故郷のベルク村で散々ラッドウールの小間使いをしてきた経験が根強いうえに、隊長補佐として飛び回っていた感覚も抜け切っていない。よって、言いつけられればたいていの命令には反射的に頷いてしまうのだった。

 一人になると、つい先刻までの喧騒がまるで嘘みたいに、窓を叩く雨の音が鮮明だった。
 並べられた長机の一端に腰をかけて、セブンは独り言ちた。

「あの二人は近いうちに、僕どころか、国中を驚かせる」
 

 メルギース歴531年6月。神族および元魔の襲来により、旧王都エントリアの街の時計台の針が止まった。重軽症者は二千を超え、死亡者は数百人にのぼる。しかし人々は、足を止めてはいられなかった。その街で生きた、死に果てた、多くの人々の命を背負っている。たとえまだ雨が降り続いていても、晴れ間を目指して歩くよりほかに涙を乾かす方法もないのだから。
 まだそれも教わっていない、小さな赤子だけが、母親を求めて泣いていた。

 
 歯車の動き出す音が、どこからともなく聞こえていた。
 
 
 *「時の止む都」編 終
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.176 )
日時: 2025/06/22 21:00
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

  
 第158次元 来客

 イルバーナ侯爵家の別邸は、調度品の類が最低限の用意であるだけで、ほとんど不自由はなかった。過剰なくらいに生活感がなく、人も物もはけているのは、意図的に取り払われたからにほかならない。現当主の祖父──チェシアの実父にあたる──が金と酒と女に溺れ、エントリアの街一番の踊り子や楽団を招き、頻繁に宴会を催していたのがこの場所だ。父もこの別邸も疎んでいたチェシアが一度もここを訪れなかったので、一族の人間の足は自然と遠のいていった。
 
 いっとう華やかな灯りと甘美な香り、そして娯楽に興じる人々の声で満たされていたのが嘘のように、現在では、玄関も広間も客室も、どこをとってもなんとも慎ましやかな様相に様変わりしている。
 そんな、生活感のしない客室のひとつに居所を縛られ、レトヴェールは暇を持て余していた。セブンから軟禁を言い渡された昨日から、彼は狭い室内で、新鮮な不満を募らせていた。
 本の一冊もないせいで無為に時間を貪っていると、部屋の扉の向こうから話し声が聞こえてきた。内容までは聞き取れなかったが、レトの監視役を務めているコルドが、だれかと話をしているようだ。ややあって、扉が開いた。
 部屋に入ってきたのは、冷や水の入った桶を両手に抱えた、キールアだった。

「まだ、治ってない傷があるよね。わたしも、元力が戻ってきたから、次元師のみんなの治療に取りかかれるようになったの」

 キールアは、朝に目を覚ましたときからずっと用意していた言葉を、いかにも自然な体を装って、レトに投げかけた。しかしいざ二人の視線が重なると、微妙な沈黙が生まれた。
 つい、扉の前で立ち止まってしまって、 キールアはすぐに後悔した。
 ふいにレトが、自身が腰かけている寝台の毛布に軽く触れて、口を開いた。

「ロクを神族だと知ったのは、あいつが次元の力に目覚めた日の、次の日。覚えてるだろ」

 びくり、と手元が震えて、キールアは思わず、桶にためた水をこぼしそうになった。
 すぐにでも訊きたいのが顔に出ていたのだろうか。隠すつもりでやってきたのに、見抜かれてしまったようだった。
 キールアは、桶の中で揺らめく水面と、それに半身を浸からせた布を見下ろした。そして、桶の水をこぼさないように、ゆっくりと歩きだし、レトのもとへと近寄っていった。

「うん」

 ロクアンズが次元の力『雷皇』に目覚めた日といえば、レイチェル村にやってきた元魔に村の少年が捕まってしまい、彼女が次元の力をもってそれを撃退したのだ。レトとキールアもその場に居合わせていた。大きな怪物の目がぎょろぎょろ動くたびに怖かったのを、キールアはよく覚えている。
 床の上にそっと桶を置いて、自身もレトの隣に腰かけると、あらためて傷跡を診た。レトは、キールアに委ねて、じっとしていた。

「あいつは丸一日くらい寝てたんだっけな。寝ている間、何度か苦しそうな顔をしてた。それで俺が看病をするために、あいつの部屋を訪れたとき、偶然だった。……ロクの右目が、突然、開いたんだ」
「!」
「左目の色とは違って、真っ赤だったのが、そのときは恐ろしかった。ただ、両目の色が違う人種はいるし、あいつもそうかもしれないと思った程度で、そのときは深く気にしてなかった。……でも、【DESNY】と遭遇して、あいつも神族だとわかったんだ」

 なぜ、突然に、しかもあとにも先にもそのときだけ右目が開いたのか、レトにはわからなかった。推測するとしたら、初めて次元の力を使ったのが大きく影響しているのかもしれない。
 デスニーと相まみえたレトは、「おまえも神族なのか」と腹を決めてロクに問うべきかを迷ったが、やめた。ロクが、義母であるエアリスの墓前で枯れるまで泣いているのを横目にして、どうでもよくなってしまった。だから、たびたびレトは、ロクが神族だと忘れそうになった。無理にロクと張り合おうとしなかったのは、彼女が人間ではなく、もっと大きな存在だと気づいていたせいもあった。
 
 キールアは、相槌を打ちこそすれ、余計な言葉を挟まなかった。ただ、持ち前の『癒楽』の力で、大きな傷から一つひとつ、もとの正常な状態へと戻していく。力を施すと余計に、患部が熱を持ってしまうので、その都度冷や水に浸けた布を押し当てて、腫れを引かせるようにした。
 ふとレトが口を閉ざして、二人の間に沈黙が訪れると、キールアはそっと口を開いた。

「ありがとう、教えてくれて。……あのね、レトくん。わたしも……どうしても、思えないの。ロクが、心を操っているとか、わたしたちを騙しているだなんて」
「……」
「わたしが、ロクのこと、まだ大好きで、この先もずっと大好きでいたいこの気持ちは……正真正銘、わたしのものなんだって思う」

 頬にくっくりと残っている、青い大きな痣に、キールアは薬を染みこませた布を当てるとともに、優しく触れた。これ以上傷つけないように。傷つかないように。昨日の会議では、きっと彼が人一倍傷ついたはずだった。なのに昨日、なぜレトの傍についてやらなかったのだろうとキールアは一晩悔やんでいた。ロクのことで動揺をして、頭がついていかなくて、周囲の大きな声に萎縮して、つい立ち竦んでしまったのが、友人として情けなかった。
 キールアは、どうしても言いたかったことだけを伝えると、あとは治療に専念した。そしてあらかたの処置を終えて、最後に包帯を新しいものに取り換えると、一息をついた。
 
「あとは、経過を見させてね。もう行かなくちゃいけないから、わたしはここで」
「いいや、むしろ、悪かったな。俺の世話までさせて」
「診てくれって、言ってくれたでしょ? だから……悪いこと、ないよ」
「……」
「目を覚ましてよかった」

 はっとした顔で、レトがキールアのほうを向くと、彼女は恥ずかしそうにはにかんでいた。そして手持ちの片付けをさっさと済ませ、また来るね、とそう声をかけてから彼女は部屋をあとにした。
 悪かった──のは、治療で面倒をかけたのと、ロクについて黙っていたことの、二つあった。ずいぶん驚かせたに違いないのに、キールアは多くを訊いてもこなければ、大げさに動揺してもいなかった。無自覚のうちに、レトは、そんな彼女の態度に救われていた。
 ぼんやりしていると、あまり間を置かないうちに、扉が叩かれた。

「客人が多いな」

 扉を開けて中に入ってきた人物をみとめてすぐに、レトはきつく眉をしかめた。
 穏やかだが、貼りつけたような笑みを向けてきたセブンが、静かに扉を閉める。そして颯爽とした足取りでレトの目の前まで歩いてきた。
 レトは不機嫌を隠すつもりがなく、目に警戒の色を宿していた。

「なんの用だ。洗脳されている人間とまともな会話は成立しないはずだ」
「随分と、棘のあることを言うね。昨日の仕返しかな。安心したまえ。ハルエールの話をしに来たわけじゃないよ」

 肩を竦めたセブンは、昨日よりかは幾分か和らいだ声色になっていた。
 それから彼は、狭い室内をわざとらしくゆったりと見渡して、言った。

「一日はもったようだけど、早く出たいんじゃないかと思ってね」
「閉じこめた張本人のくせに、よく言えるな」
「それは悪いね。私にも立場がある」

 まったく悪びれがなさそうにさらりと返したセブンの顔を、レトは真正面から見られなかった。どちらかというと、見たくもなかった。昨日、ロクを指さして好き勝手に憶測を並べた口や、疑いの目、きつく寄せられた眉も、なにもかも、いまは視界に入れたくない。
 あきらかな拒絶を受け、セブンが短い息を吐いたとき、レトが応えた。

「当然、早く出してもらいたい。あいつになんの説明もしてないんだ。俺が知ってたことも驚かせた。ロクと話をさせてくれ」

 セブンはそれを訊くと、口元に弧を描いて、指を一本立てた。
 
「では、条件を出そう。飲んでくれたら君を解放する」
「なんだ」
「我々は、この拠点もいずれ移動する。長居はできないからね。だから、長期的に滞在できる新しい拠点を探しているんだ。……そこで、君に協力してほしいことがある。単刀直入に言うと、かつてエポール王家が所有していた何邸かの屋敷への滞在許可がほしいんだ」

 セブンの探るような目を一瞥だけして、ふいに寝台から立ち上がると、レトは壁にかかった小さな額縁の絵画を見つめた。エントリア領内には自然が多く、いったいどこからの景色を切り取ったのか、青々と茂る丘の絵は、淡い絵の具で描かれていた。
 
「申し出る相手を間違えてる。そもそも、ここ一帯は、王城も含めてエントリア領だ。点在している旧王族たちの私邸も、ほかにいくつあるか知らん屋敷も、イルバーナ侯爵家の使用人が手入れをしてるそうだな。副隊長にでもまたかけ合ったらいい」
「おや」

 セブンは顎を撫で、大げさに感嘆の声をもらした。それから、レトの背中に向かってこう続けた。

「では、噂だったのかな。エントリア領で唯一……レイチェル村だけが現在もエポール一族の私有地であるのは」
「──」
「ああ、間違えた。村ではなく、"レイチェル庭園"──だったかな」

 振り返ったレトの目の色が変わっていた。
 セブンはまた口元に怪しげな笑みをたたえて、相手の顔色を伺うように首を傾げた。