コメディ・ライト小説(新)

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.113 )
日時: 2022/03/31 21:39
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第101次元 純眼の悪女Ⅰ

 巡回警備と、療養とをかねて、第二部班の2人は温泉街として名高い北東のセースダースに訪れていた。街のどこかしこから柔らかな笛の音色が漂うこの街には、コルドとレトヴェールのほかにも数多の来訪客が行き交っていた。

 まだ日が昇りきらないうちに、コルドは起床し一番の湯に浸かろうと廊下を歩いていた。肌寒い早暁の時分に暖かい湯に浸かるのは、格別の気持ち良さがある。それとどうも最近、動かない左腕への不安からか、早くに目が覚めてしまうのだ。
 ただ、目覚めていたのはコルドだけではなかったらしい。
 湯治場までの長い廊下を歩いていたコルドだったが、途中でふと、足を止めた。裏庭に人影が見えたのだった。朝早くから見回りか、炊事の務めだろうかとぼんやり目をやった彼はそこで覚醒した。

(レト?)

 彼は、薄明の空の下、金の髪を靡かせて踊っている──否、踊るようにしなやかに四肢を動かして、刀剣を振るっていた。
 レトは一秒より長く静止はしなかった。腕を振るい、次には足を躍らせ、合間に呼吸をし、早朝の冷たい空気を刀身で裂く。日の代わりに月が昇ったのか、とさえ錯覚しかけた。 
 息をするのを忘れていた。
 コルドはレトに声をかけなかった。足音を立たせないよう、慎重に立ち去った。

 足を運んでみれば湯治場は無人で、ひとまず身体を洗い流すと、コルドは広く張られている湯に足先から丁寧に浸かった。
 肩まで浸かれば、足の爪先から鈍い温かみが這い上がってきて、じっくりと心地良さが全身を包む。左肩を除いて。左肩から下にかけては、まったく感覚がなかった。重い物体がだらりと下がっているだけだ。いっそ切り落としたいという思いが日々募るが、先日セブンが病室でそれを制止した。コルドとしては彼の言う「神族から受けた傷に次元の力が匹敵するやもしれない」を、いまいち実感できていなかった。
 からり、と入口の引き戸が開く音がして、コルドの意識はそこで逸れた。

 音の主が淡々と背中を洗い流す物音が止んで、ひたひたとした音がこちらに向かってきた。湯けむりに遮られ、ぶれた輪郭がはっきりとすれば、音の主であったレトがはっとして金の目を見開いた。
 視線が合えば、コルドも「お前だったのか」と頬を緩ませて、彼に入浴を促した。

 レトが一瞬、ばつが悪そうに眉を顰めた。が、すぐにもとの涼しい顔をすると、二の腕のあたりまで湯に浸からせた。濡れた髪を浸からせないよう首の後ろでまとめながら口を開く。

「副班、調子は」
「変わらないよ。肩が重くて上がらない。不便だな」

 首を横に振って、コルドは左肩に湯をかけた。療養に良いと聞く、ほんのりと濁った湯が、黒ずんだ肌の上を滑り落ちた。
 コルドはふと思い立ったようにこんなことを口ずさんだ。

「そういえば、おまえたち義兄妹が入隊してから、ちょうど1年くらいか」

 水面に浮かんだ青や赤の葉が、ゆらりゆらりと、遊ぶように揺れた。
 レトも指摘されなければ、年の巡りは早いものだ、などと馳せもしなかっただろう。

「早いな」
「そうだな。しかしここ1年、妙に元魔のやつらが活性化しているように思うな。以前はこれほどではなかった。それに神族ノーラまで出現した……神族側でなにか動きがあったのか……?」

 コルドは湯に浸かりながらそう眉根を寄せる。せめてここにいる間は思考を休めたらどうかと、レトは口を開きかけてやめた。ルノスの脱隊の話を聞いてから、それとまではいかなくとも、異動か休養の可能性をほんのわずかに疑っていた。しかしそれは杞憂に終わったのだった。おそらくセブンも、ひいてはコルドも互いに望んでいないのだろう。年端もいかないような自分が心配することでもないから、いつもの調子で同意を返した。

「あったとして、原因に検討がつかない。ノーラはなにか知ってたかもしれないけど……。──そういえば、ノーラのやつ、『信仰を殺せ』って」
「……信仰……か」

 ──神族の内の1人だろうか。しかしどうして。
 順路の見直しをするからと、コルドは先に上がっていった。生暖かい湯けむりで、彼の後ろ姿が見えなくなると、レトは脱力した。
 岩を背に隠していた、黒ずみの背肌に、ひやりとしたものが伝う。呪記について進言すべきか、否か、いまだに図りあぐねていた。

 しばらくしてレトも浴場から出ていけば、出たところの廊下でコルドが壁に寄りかかっていた。彼は寝着物ではなく隊服に身を包んでいた。
 何事かと問う前に、コルドが告げた。

「ヤヤハル島で元魔が出た」
「ヤヤハル島? いま、第三班が滞在してたはずじゃ……」
「厄介なやつが出たらしい。応援要請だ。早急に向かうぞ」

 コルドは手に持っていた伝書を片手で折りながら、壁から背を離した。厄介なやつ──。近年、度々目撃されては次元の力を持つ次元師たちをも脅かす、飛竜型の個体。だろうか。レトの表情にも警戒の色が灯った。
 レトは1人で客室に帰り、早々に寝着物を脱いだ。ぱさり、とした衣擦れの音が落ちる。金の髪を一つに縛れば肩が自由になって、流れるように隊服を身に纏った。
 玄関で待機していたコルドはレトが出てくるのを確認すると、「いくぞ」と合図をした。頷いて、レトはそれに続いていく。

 船着き場で暇をしていた若い船乗りの青年に無理を押し通して、船を出してもらった。此花隊の次元師であることを告げ、隊章を見せれば、青年は調子の良いように引き受けてくれた。水上でも彼は目を輝かせて、「珍しいね。でもあの島はあんまり次元師様とか、馴染みないから。気いつけてね」と捲し立てるように言った。
 本土とはかなり距離を空けた地点に浮かぶ小島らしい。島の輪郭が見え始めれば、潮の香りが一層強くなっていた。
 
「! あれは……」

 しかし到着する手前のこと。船着き場に数体の黒い影が蠢いていた。不定形をした、下級の元魔だ。それでも普通の人間からしたら脅威にほかならない。船着き場から逃げそびれたのだろう数人の塊が、悲鳴を上げながら腰を抜かしている。
 目に入れるや否や、レトは甲板に出た。コルドが「レト」と声をかけるのを彼は無視した。
 なにもない腰元に手を持っていくと、レトは船上から叫んだ。

「次元の扉、発動──、『双斬』!」

 地表まで数メートル。レトは腰を低くして、船頭から弾くように跳びあがった。金の髪が、軌跡が一太刀伸びる。彼は波打ち際にいた黒い塊を、脳天から鮮やかに両断した。
 唐突に現れた金髪の少年、レトの姿に、しりもちをついていた男がひどく驚いたような顔で彼を見た。

「あ」

 刹那。背後に伸びかかっていた影を、レトはくるりと身を翻して真一文字に斬り払った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.114 )
日時: 2022/04/30 22:19
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第102次元 純眼の悪女Ⅱ
 
 次元師、と呼ばれる者たちをその目にしたのが初めてだとでもいうように、大袈裟に目を丸くして島民たちはレトヴェールの背中を見た。彼は両手にそれぞれ携えた短剣のどちらも暇させず、振るえば絶ち、回れば微風を起こした。単なる双剣でないことは素人目にも明らかだった。
 祈るように少年の後ろ姿を見守っていれば、次第にそれが杞憂だと知れる。あの不可思議な形をした墨色の化け物がたち、斬って落とされた断面からさらさらと身体を崩れさせ、順に消滅していく。
 コルドと若い船主とを残した船が停泊する。

「怪我人は」
「軽傷者2人。それ以外は問題ない」

 レトは納刀しながら早口で答えた。見れば、腕や足を抑えるようにしてうずくまってる男が2人、それ以外の女子供は木陰に隠れていていてよく確認できなかったが、概ね異常はないだろう。コルドは周囲にもう元魔が存在しないことを視認すると、頷いた。

「おそらくこれだけじゃないだろう。奥に──」

 そのときだった。どん、と重い地響きがした。次いで遠くから、甲高い動物の鳴き声のようなものがして、鼓膜をキンとつんざいた。レトとコルドは互いに顔を見合わせる。先に走り出したのはレトだった。
 コルドは、船から慌てたように降りてきた青年に声を浴びせた。

「怪我人が2人がいるんだ、手当してやってくれ。くれぐれも島の中へは近づけさせるな!」

 コルドは懐から治療具の入った小袋を取り出すと青年に向かって投げた。それを受け取った青年の困惑の声も聞かず、コルドも島の内部へと駆け入っていく。

 舗装された道を突き進んでいけばやがて、外壁の近くまでたどり着く。甲高い声の主が姿を現した。黒い竜鱗が太陽の光を浴びてギラギラと輝き、街中を焼くように眩い光を照り返す。背中にたくわえた両翼を大きくはためかせれば街の木々が揺れ、大地が揺れた。しかしその動きに若干の鈍さが乗っていた。また左側の翼にはいくつか大きな穴が開いていて、右の翼と比べるとほとんど機能していない。
 飛竜型の元魔と相まみえるのが二度目になるレトは、かの化け物を仰ぎ見ながら、睨むようにして目を細めた。

「レトさんっ!」

 名前を呼ばれて振り向いた先には、ガネストが安心したように肩をすくめていた。順に視線を移していけば、ルイルが顔を真っ赤にしながら元魔に向かってぐっと両腕を伸ばしている。彼女が気張れば気張るほど、元魔の翼の動きにぎこちなさが伴った。そんな彼女のすぐ傍にメッセルがいた。彼は片腕で身を覆うほどの大きな"盾"を携え、元魔から彼女を守るようにその場で膝をついている。かの武器の名は『盾円じゅんえん』。武器型の次元の力の一つだ。

「いまのうちに拘束する! ──第六解錠、円郭ッ!」

 コルドが右腕を前へ伸ばせば、その声に呼応して出現した鎖の破片が収束する。それらは何本もの鎖の束となって元魔の巨体に襲い掛かり、食らいついた。雁字搦めに拘束された巨体はまるで鉄球を宙から落とすように地面の上に叩きつけられる。
 すかさずレトが跳躍した。狙うのは負傷している左の翼だ。翼の根元を捉え、剣を振り下ろそうとしたときだった。

「ギィィイッ、アアア゛!」

 元魔が地面の上で激しくのたうち回った。縛りつけていた鎖の一端が弾け飛ぶ。それを皮切りに、全身を拘束していた鎖が弾けたのだ。
 拘束力が甘かった。コルドは奥歯を噛んだ。
 元魔はがむしゃらに両翼を大きく振り回した。巻き起こった風の余波を受け、ガネストやルイルが後退する。

「わあっ!」
「うっ──……!」
「! ルイル、ガネスト!」

 レトが2人に気を取られていた一瞬の隙でのことだった。元魔は鉤爪を伸ばしてレトのもとまで迫っていた。鋭利な猛攻に息を呑むと、そのとき、なにか盾のようなものがレトの眼前に展開された。
 鉤爪と盾とが嫌な音を発して衝突する。元魔は飛びのき、不格好な翼で上空に退避した。
 メッセルの持つ『盾円』の次元技、"展陣てんじん"。どうやら同時に展開できる盾は一つに留まらないらしい。見渡せば、フゥと息をついているメッセルの姿があった。

「──借りるぞ!」

 レトは高らかに叫んで、盾の上部を手で掴んだ。
 ぐんと伸びよく跳びあがり、盾を踏み台にしてさらに跳躍する。瞬間、盾はパキリと音を立て、割れた鏡のように崩れ落ちた。

「四元解錠──っ、真斬!」

 刀身が燃えるように赤みを帯びたかと思えば、その矛先は狂いなく元魔の左肩に突き刺さった。次の瞬間。左翼の根元を一閃の太刀筋が駆け抜ける。鈍い音とともに、翼は完全に斬り落とされた。
 悲痛を訴えるような奇怪な鳴き声があたりに響き渡る。レトは不安定な体制から飛び上がったためか受け身が取れずに地面の上に転がり落ちた。上半身を起こしたとき、慟哭を発散し続ける嘴の先が目に入った。元魔は鉤爪で地面を抉りながら上体を傾かせ、彼の視界に影を落とすと、食いかかろうと嘴を上下に開いた。

「こっちだ!」

 元魔の背後からだった。声がしたのは。後方から伸びてきた"なにか"が広げた嘴の口内に食い込む。それは鎖だった。ちょうど猿轡さるぐつわのように嘴の内部を圧迫し、次第に元魔の巨体が後ろへ傾いていく。
 コルドは右腕だけで鎖を引き寄せる。ついには元魔の脚が地面から引きはがされ、ふっと宙に浮いた。どん、という重い響きで巨体が地面に倒れ伏せば、土煙が立った。
 静寂が流れる。隊員たちは緊張の面持ちで動向を見守った。次第に元魔は、緩慢な動きで、上体を起こした。
 次の瞬間のことだった。片翼を失った身体が跳ね上がったかと思えば、鋭い鉤爪でコルドの身体に襲いかかった。

「──ッ!」

 コルドは痛みに顔を歪めた。いまや機能していない左肩に、鋭い爪のうちの一本が突き刺さり、地面と肩とが縫いつけられたのだ。眼前では飢えたような顔つきをした元魔が奇声を上げて大口を開けている。
 コルド副班、と遠くからレトがこちらを呼ぶ声がする。コルドは頬に汗を滲ませながら、にっ、と笑みを作った。

「好都合だ」

 そう呟いた刹那。コルドは空いた右腕を地面の上に添えて叫んだ。

「六元解錠──、円郭!!」

 地面の上に添えた指の隙間から光が零れる。呼応するようにどこからともなく出現した鎖の屑たちが、風を纏うように元魔の周囲を旋回し、収束し、正しく鎖の形を成すと同時に元魔の肢体を締めつけた。やがて竜鱗のひと欠片さえ見えなくなるほど鎖の鉄に覆われると──コルドが右の拳を、勢いよく握った。途端、それを合図に、元魔の肉体が鎖と鎖のわずかな隙間から弾け飛されるように四散した。ぱきりと、石の砕けるような音も混じっていた。
 周囲に飛び散った飛竜の元魔の肉が、無気力に地面の上を転がった。それから、さらさらと、黒い肉片たちが風に流れて消滅していくのに、時間はかからなかった。

「……。コルド副班!」
 
 は、と小さく息を吐いて、慌てたようにレトは走り出した。
 地面の上で寝転がったまま左肩を抑えているコルドの傍までやってくると、しゃがみこんで声をかけた。 

「げほっ、げほ……」
「肩が、コルド副班」
「大丈夫だ」

 そのうちにメッセルや、すこし遅れてルイルを引き連れたガネストも、コルドの周りに集まってくる。メッセルは怪訝そうな顔つきになると、息をつきながら膝をついた。

「さすがだねえ。神族ノーラを討伐した英雄サマだ。……っと、しっかしこりゃあ、マズいんじゃあねぇか?」
「駐屯所はどこだ。医療部班に診せる」
「それがよぉ。数日前からこの島ぁ、流行り病が広がってんだ。うちの医療部班もみんなそいつにやられちまって、島の施療院で寝かせられてんよ」
「……」

 流行り病が蔓延しているとは聞いていなかった。小さな島の事態であるし、第三班もここへ配置されてから日が浅いはずだ。単純に情報が流れてくるのが遅かったのだろう。
 医療部班も機能していない、施療院には罹患者が多いときたら、どこに頼るべきか──そう考えてあぐねていると、どこからか男の声がかかった。

「あの……。すみません」

 声の方向を振り向けば、そこには腰の低そうなふくよかな体格をした男が立っていた。腰には布を巻いているあたり職人だろうか。彼は冷や汗を流しながらこちらにぱたぱたと近づいてくる。

「お怪我をされているようで……。さきほどの化け物を、退けてくださったんですよね」
「……あなたは」
「ああ。この島で飯屋を営んでいます。ここでは施療院はあそこしかありません。よかったらご案内いたします」
「病が流行っているって。行ってかかったりしないのか」

 レトが警戒の色を見せると、飯屋を営んでいるというその男は垂れた目尻をさらに細めて、口元にも笑みを浮かべた。それから「いまはもう終息しつつあります。薬と治療法が見つかったので」と答えた。
 ──数日前に流行りだした病が、終息しつつあるとはどういうことか。レトは少々驚いた。失礼な考えではあるが、ほとんど本土との交流が少ないこのヤヤハル島の医療技術が発展しているとは到底思えない。おそらく此花隊の医療部班も、流行り病の終息に尽力しただろうが、ある程度の対策を講じられる彼らでさえ病に陥ってしまったのだ。自然か。偶然か。なににしても、この現状では、遺憾が残る。
 レトが返答をせず口を濁していると、男は、得意げにこう続けたのだった。

「奇跡の力を使う女の子がいるんです。彼女に診てもらうのがいいでしょう」


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.115 )
日時: 2022/05/15 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第103次元 純眼の悪女Ⅲ

 ヤヤハル島は島の大半が森に覆われている。また、地形の高低差がほとんどなく、かつ安定した気候が農作物を育てるのに適しているとの話だ。この島で採れた作物はエントリアやウーヴァンニーフといった大都市の市場でも出回っている。ただ、住宅街と呼ばれる地域は高い塀に囲われた区域内にしかなく、文明の進度はいかほどかと疑われたが、そもそもエントリアなどの大都市に出荷しているのだから相応の文明物を取り入れる機会はあるだろう。本土の発展都市と相違ない景観が街中には広がっていた。

 レトヴェールたち一行は島で一箇所にしか存在しないといわれる施療院に案内されてやってきた。表の扉を開いて中へ足を踏み入れれば、初めに薬品の匂いがつんと鼻をつく。広々とした平面の床に、病衣を着た何十人もの患者たちが仰向けになって寝ていた。大半の者がそのようにして時折呻き声を上げているが、よく見れば上半身を起こし、付き添い人と多少の会話を交わしている者もいる。病人に付き添っているのはここの施療院の人員だろう。ふくらみのある白衣を身に纏い、顔の鼻から下部分を三角巾で覆っていた。
 院内を一通り見渡していると、レトヴェールたちを連れてきた飯屋の男が声を上げた。

「ああ、ほら、彼女です。十数日前にここへやってきたんですが、すぐに奇跡のような力でこの流行り病を鎮めてくれた。ちょうどさきほどまであの怪物と戦ってくれたあなたたちみたいに」

 男がそう言って、指で指し示した方向には厨房があった。耳をすませばそこからわずかに少女の声が聞こえてきた。

「温度は高めで問題ありません。カンパスを潰したものを入れるので、ゆっくり混ぜて。そうです。時間をかけないと実が溶けずに残って、成分の高いものは最悪の場合毒が抜け落ちないので、丁寧に。……ああ、すみません、もう時間ですね。あの方々が外出から戻ってきたらそこのミルク粥を飲むように言って渡してくださいませんか? まだあと、数日は油断できませんから」

 男は、「きっとそちらの方の傷も診てくれますよ」とコルドに一瞥をくれてそうも言った。そして厨房へと入っていくと、柱から顔を覗かせて少女に声をかけた。

「嬢ちゃん、怪我人だ。診てやってくれないか」

 それを聞くと、「はい、ただいま」と前掛けで手についた水分を拭きながら、厨房から少女が顔を出した。その少女は、キールア・シーホリーだった。髪こそ二つではなく一つに縛っており、顔に三角巾をかけてもいるが、レトヴェールには判別がついた。
 
 カナラ街の薬屋から突然いなくなってしまったのだと話には聞いていた。それがこんなところで鉢合わせるとは。
 はたと、彼と目が合うと、彼女はしごく驚いたように目を丸くした。

「……」
「頼んだよ」

 ぽんとキールアの肩に手を置いて男は立ち去った。
 キールアはぶんぶんと首を横に振った。それから真剣な眼差しになり、コルドと一行を別室へと案内した。
 案内された別室はよくいえば片付けられた、悪くいえばてんで物の置いていない静かな空き部屋だった。物置だったこの部屋を、流行風邪の蔓延で急遽片付けたといったところだろう。なにせ島内にある医療施設はここだけだ。流行病以外の症状を訴えてやってくる一般の患者もいるだろう。ちょうどコルドがそうであるように。
 コルドを寝台に寝かせると、骨組みの軋む音がした。彼の顔色を伺いながらキールアが訊ねる。

「事情を聞いてもいい?」
「……街中に現れた元魔との戦闘中に負傷した。左肩を抉られてる」

 レトの返答を聞くと、キールアは慣れたようにコルドの上衣を脱がした。負傷したという左の肩口の黒ずみを見たとき、彼女は訝しむように眉をひそめた。

「これは……?」
「すこし前に、ノーラっていう……神族と交戦した。そのときに受けた傷だとは聞いた。変色してるだけじゃなくて、動かすことができない」
 
 神族との交戦と聞けば、キールアは目を丸くした。彼女も次元の力はもちろんのこと、神族の存在についても幼い頃から両親に聞かされてきたのだ。

「神族と……? その、まったく動かないの? 神経が損傷しちゃったのかな……」
「一般でいうところの、物理的な損傷とは……似ているようで違うと思う。……その黒ずみは、神族が使う特有の力に影響を受けたもので、広く一般の医術が適うかはわからない」
「特有の力?」
「神族は"呪記"と呼ばれる呪いの術を有してる。その力の一端じゃないかと……俺は思うけど」
「……」

 キールアは、きつく目を閉じているコルドの顔と、それから左肩の黒ずみに順番に目をやってから、逡巡した。

「わかった。とりあえず、目に見えるところから治療するね」

 キールアは、ぼんやりとコルドの容態を眺めていた第三班の3人に声をかけた。まだほかにも作ったという空き部屋に3人を案内し、看護婦をつけた。
 コルドとレトのいる部屋に戻ってくると、キールアは早速治療に取りかかった。見ていれば、容態を観察し、傷口を消毒し、薬を塗布し──と、すべて手作業で賄っていることがわかった。
 彼女が、次元の力『癒楽』を保持していることをレトは知っている。実際に使用しているところを見たわけではないが、彼女の母カウリアが語っていた。シーホリーの血族は、一人として例外なく、『癒楽』の力をその身に宿して産まれてくるのだと。
 黙ってキールアの横顔を眺めていたレトが口を開いた。

「使わないのか」
「……」

 ぬるめにした薬湯をコルドの口にゆっくりと流し込み、傍にある台上に置いた。キールアはそれに応えなかった。
 そもそも、ここへは「奇跡の力を使う少女がいる」、と聞いて足を運んだのだ。彼女は島民たちに次元の力の所持を明らかにしている。にも関わらず彼女が避けるのには訳があった。

「『癒楽』に頼れば、診療も、治療も、自分の手でやるよりもずっと早いよ。それはわかってるの。ここにきて、すぐ、原因不明の風邪が流行りだして……。早めにどうにかしてあげたかった、けど、ここの土地のことをまだわかっていなかったから、原因を突き止めてから治療にあたるんじゃ……遅くて。だから『癒楽』に頼ったの。最悪の場合、たくさんの人が亡くなってしまうと思ったから……。でもそれきり。わたしには、両親からもらった知識があるから。それを蔑ろにして、医師のような存在を名乗るなんて、わたしには」

 言葉少ななキールアにしては珍しく舌が乗っていて、意志の固さが垣間見えた。しかし端切れの悪いようでもあった。レトの前ではどうにも遠慮の色が見え隠れする。その延長線上か、次に口からつい出た声も小さかった。

「でも……」
「なんだよ」
「……。ううん。なんでもない」

 コルドの上半身に包帯を巻き終えると、キールアは一息ついた。

「ここには、長く留まらないんだよね」
「ああ。コルド副班……この人が動けるようになれば、早いうちに引き上げる」
「……このくらいの怪我なら、今日一日療養すれば、大丈夫だと思う」
「そうか」
「あの……レトヴェールくんは、大丈夫?」
「俺は問題ない。から、気にするな」

 それを聞くと小さく返事をして、キールアは余った包帯と医療器具をまとめてから、レトの横をすり抜けて退室しようとした。そのときだった。レトがおもむろに、「なあ」と声をかけた。

「……な……なに?」
「……」

 手伝えることはあるか。大変そうであれば手を貸す──と、言い募りたかった。振り返ってこちらを見たキールアの顔が目に入ると、変に眉をひそめてしまった。

「……いや。もし……力仕事が必要だったら、言え」

 実際に口から出た言葉のなんてぶっきらぼうなことだろう。
 キールアは一瞬驚いたような表情をしたが、ふっと下を向くと、弱弱しく首を振った。

「だ……大丈夫」

 それだけ小さくこぼし、キールアは逃げるようにその場から立ち去る。ぱたん、と扉の閉まる音が寂しく室内に響いた。レトは、寝台横の丸椅子に腰をかけると、はあとため息をついた。
 
 今夜は施療院で休むこととした。それぞれが空き部屋の中で夜を過ごす。静かな夜の風が、窓の隙間から入ってくると、レトの前髪を掬うようになぜた。
 気のせいだったのかもしれないが、深夜、かすかに物音がしたのでレトは目を覚ました。しかしあたりを見渡してみても人影はなく、殺風景な室内の様相があるばかりだ。じっと、扉のほうを見やってから、レトはふたたび眠りについた。

 日が昇り、鳥の鳴き声がしてくると、レトはぼんやりと瞼を起こした。身体がどことなく痛いと感じるのは椅子に腰をかけたまま眠ったせいだろう。瞼を擦りながらコルドのほうへ視線を向ければ、違和感を覚えた。
 コルドが彼の指先に視線を落としながら、驚いたように固まっていたのだ。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.116 )
日時: 2023/03/24 18:27
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第104次元 純眼の悪女Ⅳ

 もう起床していたのか、と見れば、上半身を起こし、手元を見下ろしながら硬直しているコルドがいた。レトヴェールも覚醒し、彼に訊ねた。

「なにかあったか」
「動くんだ」
「なにが」
「指だ。指先がかすかに動く」

 視線をつられてコルドの指先を凝視する。かすかに指先が痙攣しているのを見て、驚愕した。これまでまったく動く兆しを見なかったのに、いったいなにが──と途方に暮れていれば、部屋の扉が開かれる音がした。扉の隙間から顔を出したキールアが、おずおずと室内に入ってきた。

「あの、おはようございます。お加減は……」
「おはよう。肩のほうは問題ない。君のおかげでだいぶ楽になった。それよりも、君に一つ聞きたいことがあるんだが」
「なんでしょうか」
「左肩から下にかけて指先まで、てこでも動かなかったんだ。神族の術の影響、といえば伝わるかな。それなのに、見てくれ、指先が動いていて。君はなにか、知ってるか……?」

 キールアは何も知らない風ではなかった。さっと目を泳がせて、話しにくそうに押し黙る。コルドは前のめりになると彼女にこう畳みかけた。

「なにをしたか、だけでいい。教えてくれないだろうか。快復の手立てがわかれば、あとはこちらで何とでもする」
「おひとりではおそらく、治療できません」
「どういうことだ」

 コルドが眉をひそめてそう訊ねると、キールアはいよいよ諦めたように、口を開いた。

「その皮膚の変色と硬化が、神族の術の影響なら、元魔に次元の力が匹敵するのとおなじく、私の力が敵うのではと思ったんです。それで昨日……」
「君の力?」
「──次元の力『癒楽ゆらく』。これは、えと……他者を癒す、次元の力で……」

 キールアはコルドの強い視線を避けながら、しどろもどろとしつつも答えた。元来、人付き合いが得意ではない彼女のことだから、話をしているうちに気が小さくなってしまったのだろう。
 コルドは意を決したように身を乗り出して、彼女に頼みこんだ。

「君のその力で、もしかしたら俺の腕がまた動くようになるかもしれない。また戦線に復帰できる。遺憾なく動くようになるまでの間でいい、しばらく俺の腕を診てくれないだろうか」

 キールアは想定していた。それに彼女は、可能であればコルドの腕を診たいと言い出すだろう。調薬が専門とはいっても彼女も医療に従事する人間の一人だ。それとは別に、コルドがレトの同胞であることも理解している。彼らにも使命や役目がある手前引き留めていいものか、考えあぐねる彼女の表情は、困ったようにも見えた。
 レトはキールアの顔を見てから、コルドの腕を掴んだ。

「副班、セースダースに戻らないと。それか本部に一報寄こさなきゃこれは独断だ」
「しかしこの機会を逃すわけにいかない。頼む。勝手なのも承知だ」
「……」

 冷や汗がたらりとコルドの頬を流れた。彼は早口に、さらに念を押した。焦っているのであろうことは、彼の表情を見ていればわかる。なにせ、キールアという次元師の少女に出会うまで対処法も、治療法も、まるで手掛かりがなかったのだ。神族から受けた呪術が解けるかもしれない──藁にもすがる思いとはこのことだ。
 レトの返答を待たずして、キールアはぎこちなく首肯した。

「わかりました」

 レトが軽く息をついたように見えたが、それよりもコルドが表情を柔らかくして心から嬉しそうに「ありがとう」と告げてきたので、キールアはなにも言えなくなった。
 それからというものの、キールアは日中は島民の看病に走りながら、手が空く夜更けにコルドの病室にやってきて、腕の治療に努めている。

「──四元解錠、"仇解あだどき"」

 そう口ずさめば、コルドの左肩の周りにふっと薄い膜が張る。さながら水泡のようなそれの内側で、黒ずみがまるで生きた物のように蠢き、わずかに収縮するのだ。キールアいわく、一度の術で消失させるには彼女自身の力量が足りないらしく、また元力の消耗も激しいことから、日をかけて徐々に薄めていく方針をとった。
 やがて日が経つにつれ、だんだんとキールアの顔色が悪くなっていくのを、レトはただ見守りながらしかし口を挟めなかった。

 キールアが倒れたのは、6日後の暮れ方のことだった。

 病にかかっていた島民たちのほとんどが快復し、彼女の手を借りることもない状態にまで達していた。街も、病が流行る前と遜色ない機能を取り戻していたのが、不幸中の幸いだった。
 コルドの部屋の前で倒れていたキールアを、ヤヤハル島駐在の医療部班が診れば、明らかな睡眠不足と元力の消耗による体調不良だと言い渡された。単なる体調不良であれば口も利けるだろうが彼女の場合は違っていた。昏倒したまま半日以上目を覚まさないのだ。班員によれば、しばらく目を覚ます見込みはないという。
 彼女を連れて本部へ一度帰還しよう、と提案したのはコルドだった。ここでは十分な療養体制が整っていないのもそうだが、セブンに一報もなく任務外の土地で滞在してしまったのだ。事の経緯を漏れなく報告し、一般市民を巻き込んでしまったと打ち明けなければならない。ようやく頭が冷えてきたのか、彼はじつに申し訳なさそうに身支度も手早く済ませて、帰りの船を手配するとともに第三班に別れを告げた。

 港に降り立ったあとは、セースダースに位置している駐屯所の荷馬車を発進させ、なるべく平坦な道を選ぶように指示しながら本部へと帰還した。その間、キールアの容態に変化はなかったが、相変わらず昏倒状態が続いた。
 
 本部の門をくぐり抜けて、班長室へと足を運んだコルドはまず謝罪の意を述べた。事前に文を出していたので大体の事情を察していたセブンは驚きこそしなかったものの、表情はいつもより固かった。

「ヤヤハル島で翼竜型の元魔が発現し、第三班のみでは討伐は困難と判断。応援要請を受けて島に向かった……までは問題ない。第三班の人員構成にはまだ不安が残っているし、我々が第一に考えるべきは島民の安全だ。その点でいえば、君がキールアという少女に無理をいって我欲のために腕の治療を頼み込んだ、この行動は褒められたものではないね。わざわざ言わずとも理解しているんだろう」
「はい。仰る通りです」
「わかった。では今回の処遇は後日言い渡すとしよう。彼女は現在医務室で休ませているね?」
「はい」
「彼女の様子を見てあげなさい。目を覚ますまではここで面倒を見るよ。君から文が届いたあとに上には伝えてある。彼女に非はないからね」

 コルドが頭を下げてから、班長室を出ていく。ちらりとレトがセブンの顔を見やれば、彼は致し方ないとでもいうように肩を竦めていた。
 二人はその足で医務室へと向かった。キールアの寝台の傍まで歩み寄れば、彼女の顔色には明るみが戻っていた。もうしばらく休めばじきに目を覚ますだろうと、医療部班の班員が告げると、コルドは安心したようにほっと息をついた。
 
「あとは、医療部班に任せて退室しよう。また夜に見に来る」
「……」

 レトは一度、キールアの寝台へと振り返った。寝息を立てて静かに眠る彼女の顔色を見て、コルドのほうへ向き直ると、小さく頷いた。

「わかった」

 医務室をあとにして2人は集会所へと移動した。
 明日には本部を発ってセースダースに戻らなければならなかった。巡回が済めばそのあとはフィリチアに引き返す。
 フィリチア行きは、さきほどついでにとセブンから命が下った。彼が手にしていた仰々しい依頼書には、畑荒らしの調査を依頼する内容が記載されていた。ここまで聞けば此花隊の管轄ではないのだが、どうも痕跡が害獣のそれではないのだと、ひいては町の近隣に元魔が潜んでいる可能性があるとして、政会から此花隊に流れてきた案件だ。彼は淡々とそれを読み上げて、第一班の派遣を決定した。
 集会所でそんな打ち合わせを行っていると、なにやら廊下のほうが騒がしくなってきた。口を止めてコルドが扉のほうを振り返る。

「なんだ……?」

 集会所を出て、コルドが外へ出る。レトもそれに続いて出ると、2人組の男隊員が、声をひそめながらコルドたちの目の前を通りすぎようとするところだった。コルドは、片方の男の肩を掴んで、問いかけた。
 
「すみません。なにか、あったんですか」
「ああ。戦闘部班の、コルド副班長。それが……ついさっきのことなんですが、どうやら政会の連中が、来てるらしいんです」
「政会が……?」
「調査の一環で至急門を開けろと、なにやら揉めているとか。下ではちょっとした騒ぎになっていましたよ」

 コルドは眉をひそめ、男隊員を解放すると、レトに目配せをした。
 政会の人間が直接此花隊本部を訪ねてくるだなんて、何事だというのか。2人は集会所を離れて階下に降りていった。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.117 )
日時: 2025/04/06 15:18
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 82jPDi/1)

 
 第105次元 純眼の悪女Ⅴ

 正門まで降りてくれば、門前での騒ぎが目についた。紺を基調とした布地にところどころ金細工があしらわれている華美な制服と、1人の男の後ろで控えている付人ちの足並みの揃ったところを見ると、政会の人間と見てまず間違いない。
 政会は、メルギース国が王政を廃止してから後のまつりごとを担っている政治団体だ。元は爵位を持った一族による一商会だったと噂には聞くが、いかようにしてこの国の政治を一手に担うほどにまで上り詰めたかは、コルドもレトヴェールも知るところではない。政治団体でありながら軍を整備しているのも、当時、メルギース王国軍を引き受けた流れによる。控えの付人たちは腰から剣を提げていた。

「至急の調査なのだ。門を通してくれ」
「し、しかし……。書状はお出しいただいておりますでしょうか? どなたへの会見で」
「至急だと言っているだろう。時は一刻を争う。ここを通したまえ」

 介入すべきか、しかし自分たちが出て行ったところで騒ぎが収まるとも限らない──とコルドもレトも足踏みをしていると、2人の横をすうと横切る小さな影があった。
 灰色の髪がお団子状に美しくまとめあげられ、赤い隊服を外気に靡かせた後ろ姿が、まっすぐ正門へ向かう。

「何事ですか」

 たった一声かかると、正門の周りにいた警備班員たちがぴしりと背筋を立たせる。凛とした女性の声が辺り一帯に響いたのだ。ざわめき立っていた周囲を、一喝で諫めてしまった老齢の女性の名を知らぬ者はこの隊には存在しない。チェシア・イルバーナ。メルギース国随一である商家、イルバーナ侯爵家の当主であった彼女はその席を後継の息子に譲り、現在は此花隊の副隊長として赤い隊服を身に纏っている。
 杖もつかずにしゃんと背を立たせて門まで歩み寄ると、彼女は続いて口を開いた。

「訪問があるとは聞いていません。一体何用で参られた次第ですか」
「これは、副隊長殿。何用で、などと、副隊長殿はお分かりではありませぬか?」
「……何と?」
「隠し事はいただけませんなあ」

 細く切って揃えた無精ひげの先をわざとくるくると弄んで、先頭に立って弁をたれる男はそう答えた。
 イルバーナ家の当主の座から降りた途端に、なめた口を利く輩は増えた。彼女とて引退した老いぼれがあつかましく過去の名誉を引き合いに出すべきではないと自負しているが、それを加味しても、目の前の男のニヤついた笑顔に腹が立たないほどお人好しでもなかった。

「話を聞いていないと申し上げているのです。それとも我が国の政を担われる政会の重役様方は、相手先に一報のお入れもなく突然ご訪問なさるのが礼儀でございましょうか。そうではないでしょう。出直しなさい、会員風情が」

 チェシアは瞳をきつく細めて、男に鋭い視線をくれた。男は、うっ、とばつの悪そうな顔をして、後ずさった。政会の構成員の位は、制服の意匠を見れば一目瞭然だ。襟元の金の刺繍が一本であれば会員でも下っ端の部類に値する。一端の騎士団員や諜報員らより一つ上の位といったところだろう。そのうえ金のバッヂを胸に飾ってはいるが飾緒が垂れていない。将来の見込みの有無が伺えるが、チェシアはあえてそこまで突っ込まなかった。

「そ、そのような態度をとられるとは。こちらではすでに情報を掴んでおりますぞ! あなた方此花隊が、この本部内で、シーホリーの娘を匿っているなどということは!」

 思いがけない方向から名前を聞けば、チェシアは眉をひそめて跳ね返した。

「何を仰います。シーホリーの一族など。匿う理由などこちらにはありません」
「小麦色の髪の、14、15ほどの少女ですぞ。たしかに、少女を乗せた荷馬車が此花隊の正門をくぐったと諜報の者が……」
 
 男は慌てて口を噤んだ。すると、チェシアはしばらく考えこんで、もしや、とあることを思い返す。数日前、セブン・ルーカーが上げてきた報告書の中に、一般市民の少女を巻き込んでしまった、暫く医療部班に預けさせてくれといった報告が紛れていたのだ。

「少女……。14、15ほどの子どもでお間違いありませんね。たしかに1人、そのような娘を保護しております」
「ええ、ええ! きっとおそらくそうでございましょう、副隊長殿。その少女こそが、150年前、かのアディダス・シーホリーが遺した"悪魔"の子らの1人なのです。レトヴェールという名の少年と通じているのだとか。少年に聞けば明かされましょう!」
「……」

 政会の役員たちは、"悪魔の子"と総称されるアディダス・シーホリーの血を継ぐ一族の残党を躍起になって探している。なにがそこまで彼らを掻き立てるのか、驚くほどに此花隊には詳細な情報が流れてきていないのだ。研究部班の一部の班員がアディダスの『癒楽』継承説について調査しているが、政会に情報を求めても反応が鈍いとまで聞く。
 単に非常に暴力的な、危険因子を身に宿しているためなのか。
 チェシアは黙ったのち、緩慢な動きで半身振り返った。

「レトヴェール・エポール。こちらに」

 来て、話を──とレトに声をかけようとして、チェシアの動きがはたと止まる。廊下に突っ立っていたはずの彼の姿が、見当たらないのだ。

「コルド・ヘイナー副班長。彼はどこへ」
「はい! ……え、あれ。え!?」

 名指しをされて勢いのまま返答をするコルドだったが、横を見やれば、たしかにレトの姿が忽然と消えていた。

「あ、あいつ、どこへ……?」



 ──なぜキールアの素性が知れている。ともかく、あの男が阿呆にも大きな声で名を告げてくれたので、レトはすぐさま医務室まで向かうことができた。
 何事かと思えばキールアが目的だったのだ。早く伝えなければと心の逸るまま、レトが勢いよく医務室の扉を開けば、扉の傍で立っていた女性班員が「きゃあ!」と声をあげた。
 キールアの寝台は窓の傍だ。つかつかと歩み寄れば、寝台の上のシーツは丸く膨らんでいた。
 レトは呼吸も整わないうちにシーツを引きはがした。

「なにを……!」

 慌てて走り寄ってきていた女性班員が、そのとき目を丸くした。
 膨らんだシーツの下にはなにもいなかった。枕を適当な布地で固めてぐるぐるに巻きつけているものが、無造作に寝台の上で転がされている。
 キールアの仕業だ、と思い至るのに時間はかからなかった。

「な、なんてことなの? さきほどまで、ここに、あの、女の子が……」
「どうして気づかなかった」

 レトは、なかば睨むようにして女性班員を一瞥した。彼女が息を呑むのもよそに、彼はすかさず窓に目をやった。
 窓は開け放たれていた。風が吹き込んできており、はためくカーテンを指先で押し返しながら、窓から身を乗り出せば、近くに高い樹木が聳え立っているのが見て取れた。
 
「まさか、ここから飛び下りた、なんて……。ここは2階よ」
「できる」

 女性の言葉を遮るように、レトは窓の向こうを眺めながら、そう言い切った。

「あいつなら、ここから地上に飛び下りるなんて、朝飯前だ」

 窓の淵から手を離して、踵を返せば、そのうちにレトは医務室の扉から廊下へと飛び出していった。女性は窓の向こうと、彼の後ろ姿とを、交互に見送っては唖然としたのだった。


 キールア・シーホリーが建物の2階から地上へ飛び下りるなど、造作もない。誇張表現でもなければ比喩でもなかった。事実、医務室に近い樹木のふもとには、彼女の足跡らしき痕跡が残っていた。
 幼少の時分に、彼女が山と村とを頻繁に往復していたのを記憶している。華奢で大人しい見た目からは想像しにくいが、彼女には存外体力があった。長らく顔を突き合わせる機会がなかったとはいえ、医務室から姿を消したことを考えれば、足腰の強さは健在のようだ。
 
 問題は、どこへ消えたか、だ。本部の裏口から街へと繰り出したレトは、街角で一度立ち止まって、思案するように街並みを見渡すと、それからまた地面を蹴って走りだした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.118 )
日時: 2022/08/29 22:40
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第106次元 純眼の悪女Ⅵ
 
 意識を取り戻したキールアは、廊下から聞こえてきた会話を耳に入れて、驚愕した。手の先で触れた覚えのないシーツや、自分を囲う白壁がどうでもよくなった。政会がこの施設の門前にまでやってきているというのだというのだから。
 即座にキールアは覚醒した。政会は自分を捕らえにやってきたのだ。
 室内で雑務をしていた看護服の女性の目を盗み、キールアは窓から飛び降りた。2階とはいえ樹木を捕まえて降りればとりわけて大きな怪我もせずに済んだ。
 
 エントリアの街並みには馴染みがある。まだカナラ街の薬屋で手伝いに明け暮れていた頃、隣町のここへは遣いで足を運んだものだ。近道を抜け、カナラとの間を隔てる森の中をひたすらに走っていた。
 森の奥へ、奥へと駆け進み、いよいよ足が千切れそうにまでなったとき、キールアは石に躓いて、這うように地面の上に転がった。

「っ! ……う、うぅ」

 立ち上がろうとした手で土の表面を掻く。爪の先が黒く染まろうとも構ってはいられない。ただ、膝からじんわりと痛みが伝ってくれば、目の端から涙がこぼれそうにもなった。
 かぶりを振って、膝を伸ばし、走りだそうと身をかがめたときだった。後ろからぐん、と腕を引かれてキールアは咄嗟に身を強ばらせた。

「いやっ!」
「見つけた」

 声を聞いて、キールアははっとする。振り返れば、そこには息を切らしたレトヴェールの姿があったのだ。
 彼はキールアの手首を掴んだまま、肩で呼吸を整えた。ふと下を向けば彼の靴は土で汚れていた。
 なぜ彼がここまで。自分を追ってきたのだろうか。いったいどこから。疑問が次から次へと湧き上がってきて、キールアは上手に言葉を見つけられずに、つい漠然と訊ねてしまった。

「……ど、どうして、……?」
「忘れもん」

 ぱっとキールアの腕を離すと、レトは彼女に向かって小袋を差し出した。
 キールアは差し出されたそれを目に入れるや否や、血相を変えてそれに飛びついた。

「……!」
「大事な物だろ。俺の家から出ていくときにも、持って出てた。……医務室の外の木の根元に、落ちてた。飛び降りたときにでも落としたんだろ」

 受け取った小袋を胸に抱くと、キールアは安心したようにほっと息をついていた。彼女は逃げも隠れもせず棒のように突っ立っている。レトはあたりを見渡して不審な人影がないのを確認すると、キールアに問いかけた。
 
「カナラに戻るのか。もともと、いたんだろ。薬屋に」

 キールアはゆっくりかぶりを振ると、「戻らない」と弱弱しい声でそう答えた。

「え?」
「……。あの、お店の店主がね、政会の……諜報員だったの」
「……」
「まえに、レトヴェールくんが、お店に来たでしょ。そのときにわたしたちの話を……聞いていたみたい。それでわたしがシーホリーの血族なんだろうって、だれかに店の前で話しているのを偶然見ちゃって……。だから、あの店もやめて……。行く当てが、なくて。本土を離れて……あの島に」

 ──成程合点がいった。薬屋から突然姿を消したと聞いたときに、おかしい、とは感じていた。キールアの真面目な性格からして理由も告げずに突然店を出ていくなど考えにくかったからだ。だが、店主が政会側の人間だったとなれば話は別だ。それで本土を離れ、辺境の島に渡っていたのだと彼女は語る。

「じゃあこれから、どこに行くつもりだったんだ」
「……どこにも。どこにも、向かって、なかった。どこへ行っても、どこで暮らしていても、政会の役人さんたちが、近くに潜んでいて、血眼になってわたしたちを探してる」

 震える肩を抱きながらそう言うと、キールアはその場にしゃがみこんだ。膝に顔を埋めてしまった彼女に、手を伸ばそうか、どうか。一瞬の迷いののちに、くぐもったような声が聞こえて、レトは手を引っ込めた。

「……。殺すんだよ。知ってるでしょ? わたしの家族が、山奥の家の中で焼かれて、そのまま放置されていたの。それも……──目を。やつらはシーホリーの目を奪っていくの」
「……目を?」

 どうして、とレトが問おうしたそのときだった。彼の通信具から聞き慣れた、精悍な声がした。咄嗟にレトは顔を逸らして、耳元の器具に指をあてる。

『レト、どこにいる?』

 コルドからの通信だ。彼に訳も告げずに本部を飛び出してきてしまったのだから、小言の二言や三言落とされるのは容易に想像できた。怒気と焦りを含んだような彼の声色に、レトはばつが悪そうに答えた。

「……エントリアを外れたとこの森にいる」
『森だと? ともかく本部へ戻れ。チェシア副隊長殿がお前を探しているぞ』
「は? まあ、すぐに──」

 言いかけて、ふとキールアを見やれば、彼女の姿が忽然と消えていた。レトはすかさず前方に目を凝らした。束ねていない小麦色を無造作にゆらゆらと揺らしながら、森の奥に消えていく彼女の後ろ姿を捉えたのだった。

「あいつ……! 悪い副班、あとで説明する!」
「あ、おい、レトっ!」

 戻れ、というコルドの鋭い声が何度も耳の奥でした。しかし、本部から離れていくたびに、だんだんと彼の声は掠れて、しまいには完全に聞こえなくなった。



 舗装された道から外れ、レトは獣道を突き進んだ。ぬかるんだ地面と険しい岩肌とが続くその道の先には、広けた空間があった。陽が落ちる間際の、夕焼けを水面に溶かした大きな湖が広がっていた。
 息を整えながら、レトはゆっくりと、湖畔へと歩みを進めた。

「……やっぱりここか」

 湖畔には、小麦色の髪を胸の下まで伸ばした少女が1人、座りこんでいるのみだった。声を聞けばはっと少女が振り返って、琥珀色の両目で、近づいてくるレトの顔を見上げた。
 少女、キールアは驚いたように、小さな口をはくはくと開閉した。

「ど、どうして……わかったの」
「水。お前どうせ、医務室で目覚ましてから一滴も飲んでなかったんだろ。いくら体力あるからって、そんなひょろっこい身体じゃ限界がある」
 
 レトはキールアの横をすり抜けると、身を屈ませて、透き通った湖面に指先を浸からせた。それからゆっくりと手のひらで湖水を掬いあげ、口元に運んだ。

「なんでもわかっちゃうんだね。……あなたは」
「予想が当たっただけだ」

 レトも喉を潤すと、踵を返し、キールアの近くでぴたりと歩を止めた。足を崩せばようやく深い息を吐きだした。彼女との間には、人ひとり分の幅が空いていた。

「……。わたしをどうするの」

 キールアはさらに膝を抱えると、絞り出すような声でそうレトに問いかけた。

「わたしを探して、ここまで追いかけてきて。なにかするの……?」
「……」

 レトは難しい顔をしているが、黙りこんだままだった。彼は、自分の意見を主張することを躊躇わない少年のはずだ。キールアはそう記憶している。後ろめたさがあって答えにくそうにしているわけでもなさそうだった。
 だからこそ、カナラ街で再会してから、彼の態度や口ぶりの歯切れの悪さに違和感を覚えていた。彼はこんなにも物言わぬ少年だっただろうか。
 キールアは、湖を眺めるレトの横顔を見ながら、ぐっと拳に力を入れた。

「俺は……」
「ねえ、レトヴェールくん」

 意を決して口を開いたときには、レトがなにか言いかけたことにすら気が回らなかった。静かな湖畔に、鈴を転がすようなキールアの声が響く。

「捕まえにきたのなら。わたしを殺してほしい」

 水鳥が湖面に降り立つ。はためく翼が、湖面を叩く音がして、しかしレトは、聞き間違いではないと悟った。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.119 )
日時: 2022/10/09 17:26
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: UKb2Vg8d)

 
 第107次元 純眼の悪女Ⅶ

 キールア・シーホリーといえば、子どもにはらしくない大人しさで、常に周りの様子を気にして俯いているような少女であった。ロクアンズと上手く付き合っていられたのは、ロクがだれにでも分け隔てない明るさを持ち、引っ張り回していたからにほかならない。キールアはロク以外に友人を持っていなかった。
 無論、冗談でも、自分を殺してほしいなどと口にできる気概を持ち合わせていなかったはずだ。──すくなくともレトヴェールの目には、「殺してほしい」どころか「遊んでほしい」とも言えぬほどに臆病で、消極的な少女に映っていたのだ。

「……は?」

 驚きのあまりレトは硬直して、物一つ言えなかった。キールアはさらに、彼に迫った。堰を切ったように彼女は言い募る。

「この湖から落とすでも、もっと先の崖でもいい。あるいは……次元の力でなんとかしたって、いい。ほかの次元の力は、『癒楽』とは違って常人以上の力を発することができるって、聞いたの。レトヴェールくんも次元師なんでしょ? だったら、わたしの身体を塵一つも残さないで、この世界から、なくすことができる──?」

 矢継ぎ早に、そして淡々と零していくキールアの、真に迫ったような表情をレトはしばらく信じられなかった。
 目を伏せ、肩を震わせ、吹き出した汗も拭わず彼女の手は地面の上でぎゅうと固く握りこまれている。

 ずっと胸のうちにため込んでいた。
 殺害された家族の住む家に足を踏み入れた日の光景を、まだ瞼の裏は覚えていて、目を閉じれば赤一色に焼きつく。寝つけない日も珍しくなかった。まるで昨日のことのように思い起こせるが、ひとつ忘れてしまったのは、笑い方だ。
 あの日どうして自分もともに逝けなかっただろう。
 愛する家族とともに命を終えられたなら、残された途方もない時間の中で、跡形もなくなりたい、などと絶望する暇もなかったのに。
 だれにも吐けず、体の真ん中で煮えていたままだった赤黒い感情が、ようやく声になって聞かせた相手はしごく戸惑っていた。

「お前……なに言って」
「おねがい。もうあなたにしかこんなこと、言えない」
「できるわけねえだろ」
「どうして!?」

 声を荒らげたキールアに気圧されて、レトは息を飲んだ。見ればキールアは、その琥珀色の瞳からぼろぼろと涙を落としていた。

「……どうして……? だって、レトヴェールくん……わたしのこと、きらいでしょ……?」

 キールアは顔を上げた。
 夕焼けにあてられた明るい瞳が、涙を滲ませて、水面のように揺らいだ。
 レトは口を噤むよりほかに、為す術がなかった。

「──」
「言ったじゃない。『おまえなんて友だちじゃない』って。そう言ったよね」

 小袋を、まるで宝物を扱うように胸元に抱きながら、キールアはかたかたと震えていた。せっかく整えた息が乱れても彼女は構わず続けた。

「だからわたしを、この身体もぜんぶ、跡形もなくしてほしい。そのあとに、この袋に入ってる目も、潰して、どこかへやって。あいつらの手に渡したくない。おねがい、おねがい……っ」
「──……落ち着け、俺は、」

 そのときだった。
 森の奥からこちらに向かって駆けてくる獣の気配がした。野生よりも鋭く、異様な殺気を放っていた。レトはなかば手で押しのけるようにキールアを庇い、立ち上がった。
 キールアが一人驚いていると、叢を掻き分けてそれは突進してきた。
 警戒していたレトの腕に向けて一直線に跳びかかり、がぶりと勢いよく噛みついてきたそれは灰色がかった毛並みをしていた。

「──っ!」

 犬だ。剥き出しになった犬歯が深く、レトの左腕に突き刺さる。ぐっと顔を顰めた彼は右腕を振るってその犬の頬を叩こうとした、が、すんでのところで犬は飛び退いて、地面に着地した。

「次元の扉発動、『双斬』!!」

 レトが叫べば、呼応するように空中が振動した。どこからともなく出現した双剣が彼の手に収まると、刹那。
 真っ向から新たな殺気が飛来した。反射的に両刃を構えて迎え撃つ。飛んできた刀身は、双剣とかち合うとぎらりと鋭い光を放った。
 眼前に迫った長身の男が、低い声で告げた。

「退け」

 怒りでも憎しみでもない、底知れない悪意を孕んだ眼光がレトの視線を突き返す。青にも近い白肌の頬には一切の情がなく、また、その顔の半分は酷く焼け爛れていた。
 濃紺の生地に金の刺繍を誂えた外套。国花と、オークスの家紋を象徴する西海を掛け合わせた胸章が、政会の名を主張していた。また、外套の作りは階級や所属によって異なるとは聞くが、いかった肩幅と金飾りの極端に少ないところを見ると軍服だろう。腰元に提げられた鞘が、目の前の男が軍部の人間であることを語る。
 鬩ぎ合う両刃から嫌な音が立った。剣が傾き峰がこちらに迫った。

(まずい──)
「逃げろっ!」

 相手の刀身の上を滑るように角度を変えて、レトは飛び退いた。日頃から剣で打ち合う習慣がない彼でも悟った。相手の男は体格のみならず、非常に剣技に優れた軍人だ。元魔を相手するばかりのレトにとって打ち合いは分が悪い。
 次元技でケリをつけるしかない、と柄を握りこんだ、が──キールアが逃げ出す気配がしない。焦って背後を振り向けば、彼女は琥珀色の瞳を瞠目したまま、固まっていた。

「──」

 その視線は政会の男に注がれており、釘付けとなっていた。一度たりとも瞬きをせず石のようにそこで動かなくなっている。
 まさか、とレトは察して、固唾を飲んだ。

「覚えていたか。目の色が異なっていたために、あの家宅の前ですれ違ったときには手を下さなかった」
「……」
「運の悪い」

 シーホリー一族の家宅に火を放ち、命と瞳とを奪い去っていった男。見間違えるはずもない。あのときはろくに会話をする余裕もなければ、目が合うほど背丈もなかったが、キールアは正しく記憶していた。
 異なる点を挙げるのであれば、たしか、顔にあれほど大きな火傷の痕はなかった。すれ違ったのは彼が家を出てすぐだった。だとしたらキールアらから離れたあとに負った傷なのだろうが、いまの彼女にそれ知る術もなければ興味もないような些末事だ。

「現政会会長フルカンドラ・オークスの命によって、貴殿を連行する。キールア・シーホリー」

 男は一歩、キールアに近づいて宣告した。
 瞬間。垂れ下がった手元に強い衝撃を覚えて男は仰け反った。長剣が、柄を握る手元ごと空へ向けて打ち上げられていたのだ。大きく脇を開いた男は目を見開き、たん、と足で地面を鳴らす音を耳にする。姿勢を低くしてこちらの懐まで踏み込んでいた少年が、間を置かずに、詠唱した。

「四次元解錠──交輪斬り!!」

 重ねた両刃を八の字に薙いで空を掻き切れば、一陣の風が巻き起こった。男に直撃したのを視認すると、レトはなかば乱暴にキールアの手首を引き掴んだ。動かなかった彼女を無理やり立ち上がらせると、森の奥へと一目散に駆け出していく。

「走れ!」

 力強い声とともに細い腕を引かれていく。泥に浸かったようだった足元は走っているようで、しかし感覚がなく、彼の声と腕に走らされているのと同義だった。 
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.120 )
日時: 2022/12/30 21:31
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第108次元 純眼の悪女Ⅷ

 遠くへ飛んだ意識が手元に戻る。キールアは掴まれた左手と、レトヴェールの背中とを順番に視界に入れた。手首がじんじんと痛みだせば、ようやく、彼に連れられてあの男から逃げているのだと理解した。
 足元から焦りがせり上がってきて、気を抜けば、遮蔽物に躓いて転倒してしまいそうだ。いくら逃げ隠れしようとも無駄な抵抗のように思えてならず、キールアは前を向いて走れなかった。

 レトの背筋に、鋭いものが迸る。背後。猛進してくる獣の気配を察知して、彼は後ろを振り返るのと同時にキールアの身体を腕の中に抱きこんだ。
 彼女が驚いて声を上げるよりも先に、突進してきた大型犬が、歯を荒々しく剥いて、レトの腕に喰らいついた。

「──っ」
「! レトヴェールくん!」

 レトはぐっ、と眉を顰めた。噛まれた腕で掴んでいる双剣がびくとも動かない。腕を濡らしていく生暖かい血がぼたぼたと音を立てて地面に落ちた。

「走ってここから離れろ」

 キールアの耳元で短く囁いて、レトは彼女の身体を緩く解放した。
 腰元に指を伸ばし、瞬間、キールアを後ろへ引き下がらせた。一呼吸もなく片方の剣を振り抜いて、大型犬の顔面を真上から叩き斬った。
 きゃうと甲高く鳴いて、犬が距離をとる。毛を立たせ、低く唸りながら威嚇してくるそれをレトも睨み返す。

「れ、レトヴェールくん……! でも」
「いいから早くしろっ!」

 鋭く尖った刃物のような彼の一喝に、背筋がたちまち粟立った。制されればキールアは唇を引き結んで、零しかけた声を喉奥へ押し戻す。幼子のように簡単に萎縮してしまった身体で、ぎこちなく背を立たせると、足早にこの場を走り去っていった。

「退け」
「……」
「聞こえないのか。邪魔をするな。これ以上は、反逆と見做す」
 
 硬質な声色と、重々しい軍人の足音が近づいてくる。一太刀浴びせたはずだったのは思い違いだったか、傷一つない巨躯──六、七尺は悠にある──が、平然とした面持ちで、大型の犬の隣に立ち並んだ。
 反逆。此花隊が政会から支援を受けているのは事実としても、男の言い方には含みがあるように思えた。政会側の目線では、此花隊は所有物の一つとして数えられているのだろう。当然、此花隊にその意識は毛ほどもない。政会から支援を受ける見返りには、次元の力の研究成果報告、そして政会の手の回らない街町村の視察および警備までこちらの機関が請け負っている。ただの研究機関の組員が警備や視察に就くなど本来であれば考えられない事態だが、此花隊は従っている。しかし従順に見せるためではない。
 さらに戦闘部班の立ち上げ後、神族や元魔を屠るために次元師を育成し、つい先日には神族の一柱を崩した。この事実を政会がどう受け止めたのか、此花隊の本部内で休息をとっていたコルドの元に、政会の会長から一通の文が届いていた。政会本部まで赴くように命じた厭味な文面だとセブンが語っていた。それからセブンは、コルドが政会へ赴けない理由を淡泊に並べて早々に文を返送していた。
 反逆と見做す、とそう告げる目の前の男の瞳には芯が宿っていなかった。楯突かれれば、いまの文句を返すようにでも訓練されているのだろうか。そう疑いたくもなる。

「これより先、我々政会の仕事を邪魔するようであれば。お前一人の行動を組織の行動と判断し、こちらも動く」

 しかしながら政会と此花隊が協力体制にあるのは事実であり、両組織に思惑はあれど、均衡は保たれている。いまここで彼らの政策に反するような姿勢を見せれば、此花隊という組織そのものが、政会から厳しい目を向けられることになるのは容易に想像がつく。
 レトは黙りこんだ。返答にせずにいれば隙をついて斬りかかってきそうな気迫がしていて、肌がひりひりと痺れだした。彼は一つ丁寧に息を吐いてから、口を開いた。

「シーホリーの血族の根絶、か」

 脳裏に蘇るのは、母エアリスの死に際であった。神族と呼ばれる得体のしれない集団の一柱に齎された理不尽な死であった。しかしそれと、キールアの家族を火の海に沈めた目の前の男との区別がどうしてもつかなかった。
 神も人も、変わらない。国を、正義を、世界を盾にすればどこまでも非道を往けてしまうのだ。

「それがこの国の政策やりかただったとしても。俺は、理解のできない思想に従う気はない」

 レトははっきりと口答えをすると、双剣を構え直し、姿勢を低くして臨戦態勢をとった。
 真一文字に結ばれた口を、男はゆっくりと開く。──返答する代わりに、彼は、静かに"詠唱"を口ずさんだ。

「『戌旺じつおう』──、強加」
 
 途端。
 男に寄り添っていた大型の犬が、肉体を震わせ、めきめきと膨れ上がっていった。膨張は留まるところを知らず、周囲の木々がその肉体と接触すればたちまち、太い幹が音を立てて婉曲した。耐え切れず、木々たちの幹は口を開けるようにぱっくりと割れて、ついには地面の上に倒れこんだ。
 生物のかたちをとった、次元の力──同胞のフィラ・クリストンが有する『巳梅』とは別種の、“生物型”の一種、『戌旺じつおう』だ。

(──こいつ、次元師か!)

「戌旺、あの娘を追え」
「!」

 『戌旺』は緩慢な動きで地面に鼻を寄せると、くんくん、と鼻先を鳴らした。ほどなくして、『戌旺』は軽やかに空中へと跳ね上がり、レトの頭上に巨大な影を落とした。
 レトはその影を逃すまいと、爪先で地面を踏みしめた。すかさず剣を振るう構えをとり、腰を落とす。

「行かすか──!」
「お前の相手は俺だ」

 殺気が肉薄する。ぞっ、と背筋に鋭い感覚が走ってレトは身を翻した。真後ろに立たれているかと思えば男は数歩先で、刃渡りの立派な大剣を振り上げていた。
 一刻前に背肌で受けた殺気はあの距離から飛ばされていたのか。危機を察しては、なりふりなど構っていられない。男の大剣は次元の力ではなく人の手によって生み出された代物だが、この期に及んで異次元の産物で相対するのを躊躇う余裕がレトにはなかった。

「四次元解じ──」

 しかし。一呼吸として間はなかった。一歩。たった一歩で、男は長い脚で跳ぶように懐へ踏み込んできたのだ。

(──速い!)

 下から、切っ先で円を描くようにして男は剣を突き上げた。仰け反らせるのが遅れていたら、顔面が真っ二つに切り分けられていただろう。

「……っ、!」

 ぐっと片目を瞑りながらレトは飛び退いた。斬られた頬の傷口から血が流れ落ちる。構える間がなかった。いや、息を吸えなかった。かろうじて体を操れたからよいものの、呼吸を許されない間合いで斬りかかられたら長くはもたない。一太刀、浴びせられただけで、肌が理解させられた。
 
「遅い。そのような甘い姿勢では一太刀も受けないだろう」

 武人。完成された肉体。それから叩きだされる圧倒的な速度。体躯に見合った大振りの剣を軽々と掲げた男は、次の瞬間、身を屈めた。

「剣とはこのように振るう」

 弾丸の如く鈍い音が轟き、地面が蹴飛ばされる。一秒未満の間。眼前、現れた男の顔面をようやくはっきりと視認したレトは大木を背に縫いつけられていた。肩口に深く、深く、突き刺さる剣の刃。鈍色の光が、血しぶきの鮮やかな赤を照り返した。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.121 )
日時: 2022/12/30 21:49
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第109次元 純眼の悪女Ⅸ

 重い切っ先は、木幹に打ちつけた左肩に深く突き刺さっていた。血と汗の混じったものが地面に落ちる。頭の中がぐわんと揺れ、飛びかけた意識はしかし、まだレトヴェールの手中にあった。
 セグと名乗った青年の剣筋にも無駄がなく、技としての純粋な端麗さがあった。カナラ街で偶然出会った長剣を操る次元師。戦士然とした彼と火傷痕の男の輪郭が、レトの頭の中で重なった。
 けれども余計な思考は振り払うように、レトは己を鼓舞した。

(感覚を研ぎ澄ませ。思考を放棄するな。──頭を回せ!)

 ぴぃ、と甲高い鳴き声が、遥か頭上からした。それを逃さず聞き取ったレトは、間髪入れずに、握っていた剣を真上に放り投げた。

(やけになったか)

 次の瞬間。レトと男との間に割って入ってくる黒い影があった。それらはわっと折り重なって上空から落ちてきた。男が剣を引き抜き、警戒して距離をとって見てみれば、黒い影──烏ほどの大きさの鳥たちが衆を成して、レトの足元で一心不乱に地面の上をつついていた。
 どくどくと溢れる血を抑えるように左肩を強く掴む。男の目の色が変わると、レトが口を開いた。

「……ガララ鳥はこの木の実を好む。ただし地面の上に落ちたものしか食べない」

 エントリアとカナラとを繋ぐ森林に生息しているガララ鳥とは、食用としては一般流通していないが、ここらの街付近では見かけやすい種類の鳥だ。彼らが好んでいるナゴイ──レトがいましがた木の上から打ち落とした木の実──を地面に落ちた実しか食べないのは、よく熟れたナゴイだけが地面に落ちるとされているからだ。1200年以上も昔、南東の島に棲んでいたガララ鳥の祖らが土地の食糧難を喘ぎ、メルギースの地に渡って、完熟していないナゴイを食べていた経緯があった。しかし熟す前のナゴイにはアハラという名の害虫が寄生しており、アハラがあたったガララの祖らは絶滅寸前にまで種を減らした。ガララ鳥は現代まで本能的にナゴイを避けてきたのだ。
 なお、現在、この森林で生っているナゴイにもアハラは寄生しているが、1200年前と比べると頭数は激減してきた。人体はもちろん、ガララ鳥にも影響はないと指摘されるが、彼らは慎重を期している。

(……とにかく、ここで奴を通すわけにはいかない。犬が追いかけてったのも気になる。早くしないと)

 男を無力化し、『戌旺』のあとを追わなければならない。しかし──。
 空気が、ひやりと冷たく、尖る。男は口元を真一文字に結んだまま、大振りの剣を構えて突進してきた。
 重い、その一振の斬撃が迫り、レトはすんでのところで飛び退いた。ふたたび豪快な一太刀が飛ぶ。身を屈めた。頭上から叩く動作。背中を丸め横転した。横腹に目掛けて追撃。──双剣を重ねて応対すれば、刀身はかち合い、弾き合う。
 剣を落とせばたちまち命も落とす。しかし息つく暇さえ与えられず、足元がだんだんとぐらついてくる。

(──詠唱する暇が、ない。前唱を置かずに発動できるか。一度も試したことがないが、やってみるしか)

 呼吸を止める。浅かった。
 男の大剣の切っ先が後ろへ下がる。隙を逃すな──と意気込み、息をわずかに吐いたそのとき、男は大きく一歩を踏みこんで、剣は蔑ろに太い脚を振り上げてきた。厳しい一撃がレトの脇腹に入ると、弾かれるようにして彼の身体は吹き飛んだ。

 地面に口づけながらけほ、けほとレトは咳をこぼす。あの男、体術にも相当秀でている。鈍器を振り下ろすのと変わらない先の一蹴は、ただ体格に恵まれているだけの代物ではなかった。
 狭まった視界の奥から、ゆっくりと男が歩みを進めてくるのが見えた。距離が縮まれば縮まるほど不利だ。大剣の切っ先が、剛脚が、届いてしまう。
 いましかない、と、腹に力を入れて跳び起きた。
 
「真ざ」

 眼前。鋭い眼光から殺気。視線に射殺される、と脳が錯覚した頃、レトの頬に切り筋が入った。血潮が真横に吹き出す。勝手に身体は横倒しに傾いて、地面と衝突する寸前で受け身をとった。
 もはや、立っているよりも、地べたを這っている時間のほうが長く感じる。ふたたび砂を噛んだ歯の隙間から、血が零れる。頬の切り傷から垂れる血と混じり合って、顎の先からぽたりと、赤い塊が落ちた。

(どっからでも距離詰められるのかよ……あいつ!)

 発動できない。隙などない。
 次元の力とは、元を辿れば、意思の力だ。意思を確立するために──すなわち、己のうちに眠る力を具現化するために”言葉“を用いる。それゆえに詠唱をしなければ正しく次元技を繰り出すことができないとされてきた。しかし発声は、あくまで力の形を脳に深く認識させ、確実なものにするための保険だ。意識一つで、心ひとつで、脳裏に描くだけで、正確に発動できる次元師が存在するとしたら、それは完全に次元の力を掌握している上級者とされる。
 とくに、次元技の解錠時などに用いられる”前唱”を置かずに発動できる者はごく限られているだろう。いまやメルギースの英雄とまでもて囃されているコルド・ヘイナーでさえ前唱を無視できていない。
 息を吸って吐き出すにも肺に強烈な痛みが走った。空気が薄い。体力が、単純に、追いついていない。

 火傷痕の男はいうと、倒れ伏している無防備なレトにとどめも刺さず、立ち止まっていた。
 一目で彼がエポールの末裔であると察した。すでに血族は絶えているものと思い込んでいたが、度々、此花隊に所属している若い男女の次元師が噂になっているのを耳にする。一人は雷を操る少女。もう一人、興味深いのは双剣を扱う少年のほうだ。絹のように細く美しい金の髪、珠玉のごとき金の瞳、滑らかな白い肌。かつて王座に腰かけていた王家の血筋を思い起こさせる容姿を持つ彼の名はレトヴェール・エポールといい、無様にも敵前で突っ伏しているこの少年で間違いないだろう。
 消すか。否か。
 厄介な芽は摘んでおくに越したことはない。しかし政会とて、いくら訳を並べられるのだとしても同盟組織の人間の命をやすやすと刈り取れるほどの絶対的権威はない。一歩間違えれば両組織の信頼問題に発展する。力を蓄えつつある此花隊に喧嘩を売るには、高くつきすぎる。
 わざわざ手を汚さずともこの程度の実力であればいずれ自然と淘汰される。崖から転落したと見せかけて殺害してもなんら問題はないのだが、男は面倒臭さが勝ったのか、そうしなかった。

 とかく、キールア・シーホリーを追わなければならない。『戌旺』は摘むべき命を捕らえただろうか。
 大剣を肩に担いだ男はレトの横をすり抜ける。態勢を低くし踵を浮かせた、そのとき。

 たとえるならば一本の糸。それでいて針のように細く先端の鋭い殺気を感じ取ったのだ。

「五元解錠」

 男の脳裏に糸の先端が突き刺さる──否、捉えた殺気が明確な形を持って迫り来た。見れば、倒れていたはずの少年の身体は跳ね上がっていて、構えた双剣で半円を描くように空を切っていた。
 
「真斬──ッ!」

 狙いは足元。脛。横振りに、叩かんと勢いづいた鋼鉄の肌が肉薄すると男はばねのように飛び上がった。刃の先端は男の褐色の肌を、浅いながらも搔き切った。
 男が着地すると、レトは口元の泥を拭いながら言った。

「……くそっ、……素早いな」
「……」
「先には行かせねえよ」

 冗談を言える余裕はないだろう。男の表情はしかし一変もせずに堅く、眉一つ動かない。体力は底を尽いていたはずが、まだ動く気概でいるらしい少年を叩き斬らなければならない。男は背中の鞘から飛び出した大剣の柄を握ると、ゆっくりと銀の刃が顔を出した。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.122 )
日時: 2023/01/08 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第110次元 純眼の悪女Ⅹ

 分厚い鋼の一刃が、レトヴェールの細い体を割らんと容赦なく振り回される。彼はその刃先から逃れ、何振りかに一度双剣を充てがい、そしてつかの間に呼吸をするのでやっとだった。
 火傷痕の男が弱視であることは、男の右側にもぐりこむたび、彼の的が外れるので確認できた。しかし武人たる男は弱点を突かれたところで動きを鈍らせるような素振りはてんで見せなかった。
 が、レトの見つけた弱点は、次第に功を為した。
 しばらく剣と剣とで打ち合いを繰り広げる間に、レトは何度か隙をついて男の右側に切り込んだ。見切っている男は回避をする。この攻防が時折あると、レトの中に、ある周期が生み出されるのだ。
 技とは繰り返し、繰り返し型をとることで身にしみついてくる。剣技の型など習った覚えもないレトにとってただの打ち合いは体力を奪われるだけの、遊戯ちゃんばらと遜色ない。しかし彼は、男の右側の守りが一定の型で築かれているので、そこをあえて攻めるとした。したらどうだろうか。レトの振るう剣は同じ動作を繰り返す。動きに身体が慣れてくると、各段に呼吸がしやすくなる。止まらずとも動いていられる。だんだんと手足が最小限の動きを会得していく。
 奇妙な感覚だった。弄ばれるだけだった形勢から一変して、あたりの木々や草花で翳った視界は澄み渡り、剣を握る手指の感覚は研ぎ澄まされていくようだった。

 とはいえ、相も変わらず次元技を発動させる暇はない。息はしやすくなったものの、悠長に詠っていられる隙を作るにはまだ壁が厚い。男の剣術はなかなかに易しくなかった。
 男の大剣がごうんと低く唸った。横凪ぎの一刀が、残光を引きながらレトの首元にかかったのだ。銀色の切っ先が柔らかい首肌を引っ掻いた、その瞬間だった。

 脱兎のごとく森林から飛び出してきた巨大な影を目にする。影の実態は白く巨大なもので、情けなく眉間を皺を寄せた『戌旺じつおう』だった。『戌旺』は主人の姿も忘れたのか、火傷痕の男に向かって突進し、ついには男に覆い被さった。過剰に鼻をひくひくと痙攣させながらぐったりと伸びている。
 レトがびっくりして目を見開いていると、『戌旺』が飛び出してきた茂みから、声が飛んできた。

「──レトヴェールくん! こっち!」

 状況が飲み込めなかったが、迷っている余裕はなかった。素早く双剣を鞘に納めると、レトは茂みに向かって駆け出し、キールアの手を取ってそのまま走り出した。生い茂る木々の陰の下にできた、深い暗闇に紛れていく。

 目指す先はまず、カナラ街の方角だが、カナラに留まらせる気はなかった。さらに北西を往けばウーヴァンニーフとトンターバの境界、山脈地帯の麓に入る。幾晩かかけて麓を抜け、トンターバに辿り着きさえすれば、ルーゲンブルムへと渡る船を捕まえられるだろう。
 ルーゲンブルムは先刻までアルタナ王国との関係不和があり、国内も荒れていたが、両国の王家同士が先月婚姻の儀を執り行っている。両国の水面下の争いは減りつつある頃だろうとレトは見ている。まだ反対派の活動は鎮火しきっていないだろうが、じきにそれも収拾がつく。逆に身を隠しやすい時期かもしれない、と睨んでいた。
 できるだけ舗装されていない──簡単に足がつかなさそうな──道を選び、レトは先を急いだ。レイチェルと隣接しているとはいえ熟知しているほどではない。多少の右往左往はあった。キールアといえば、黙って手を引かれているから、彼の選ぶ道を信頼しているらしい。幸い、キールアの足はほかの年頃の少女よりも森中や山道に慣れているし、そうそう根を上げなかった。

 森中には、北西の山脈から南にかけて流れているテンハイトン川から枝分かれした小川が、いくつか流れている。そのうちのひとつに行き着いた2人は、あたりに人の気配があるかを探ってから、しばしの休息をとるとした。 
 軽く喉を潤したレトは、たまたま通りかかった野兎を狩って、下処理をしていた。動植物が豊富な環境下でわざわざ携帯食料を消費するまでもない。それに動物の開き方は、まだレイチェル村に住んでいた頃、祭りで村の男から習った覚えがあった。
 下処理を済ませると、レトはあたりを見回して、キールアを探した。彼女は川の傍らに腰を下ろして、水を掬っては口をつけていた。
 キールアが、レトのいる場所まで戻ってくれば、彼は早速、兎の肉に串を通して火にかけていた。
 どこで見つけてきたのだとか、長居はしていられないだとか、二言三言交わし合ってそれから、沈黙が生まれる。
 ぱちぱちと火花の音が立つ。ゆらり、曲線を描いて昇る火の糸をぼんやりと眺めながら、外気にさらされた両腕をさすっているキールアの肩に、レトは隊服の上衣をかけてやった。
 肩に暖かくて重たいものがのしかかって、キールアがはっとレトのほうを見た。

「なんで戻ってきた」

 見れば、彼の横顔は静かにそう告げていた。
 それにどうやって。レトの目に疑問の色が滲んでいるのを察したキールアは、長くは見ていられないのか、すぐに目を逸らして話しだした。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.123 )
日時: 2023/01/22 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第111次元 純眼の悪女ⅩⅠ

 次元の力『戌旺じつおう』に追跡されていると勘づいた。追いつかれるのも時間の問題だ。策を講じなければ捕らえられるか、最悪その場で噛み殺されてしまうだろう。
 だから、とキールアがもったいぶって次に口にしたのは、意外にも植物の名前だった。

「マナカンサスを探したの。レイチェル村で住んでたときに、ここの森でも育つのかなって、なにも考えずに植えたことがあったから……。あとでお母さんに話したら、ここの森の環境じゃ上手く育たないよって、叱られたけど」
「たしか、火で炙ると、独特な強い薫りが立つっていう」

 キールアは無言で頷いた。2年前、まだ薬草について知識の浅かったキールアが、この森の中にいたずらに種を植えたマナカンサスがあった。運よく進路の近くにあるのを彼女は思い出したのだ。巨大な体を持つ『戌旺』が入りこめないような、狭くて複雑な獣道をわざと選びながら、わずかな希望に賭けてマナカンサスを目指した。植えただけの数は育たなかったようだが、子どもが迷いそうな茂みの中にそれは鮮やかに咲いていた。マナカンサスが育つ本来の環境とは異なるため、花弁も葉も小さいし、茎も短かかったが、キールアを満足させるには十分だった。

 進路を限定すれば、『戌旺』の目を撹乱し、さらに遠回りさせられる。次に狙うのは嗅覚だった。ただ奪う、狂わせるだけでは意味がない。
 『戌旺』が次元の力であれば、『戌旺』が活動できるのはすなわち、術者も動ける状態にあるのだ。だとしたら、レトヴェールと術者──あの火傷痕の男との戦闘が続いている証拠だ。
 キールアはまず上衣を脱ぎ、マナカンサスから一枚だけ葉をちぎっておいて、あとの花弁や葉、茎を上衣に包んだ。布の表面に、手持ちの薬用の馬油を軽く塗りこんでから水辺近くの茂みに仕込む。次に茂みからかなり距離をとって、軽く火を焚く。ちぎっておいた葉を炙って煙を浴びた。十分に浴びたら、適当な石をくくりつけた枝先に点火する。最後に、火元を足でもみ消した。
 ここが正念場だ──決意を固めたキールアは大木の根元に身を隠し、やがてやってきた『戌旺』を視界の先に捉えた。『戌旺』は黒ずんだ鼻先をすんすんと地面にこすりつけながら、近くまで歩み寄ってくる。見上げるほどの巨躯に、肩が震えて固まる。恐ろしい見た目に変わりはない。しかし、恐れている場合ではないのだ。
 『戌旺』は、上衣を隠した茂みに寄っていく。なにせキールア本体は炙ったマナカンサスの煙を浴びている。キールアの目論見通り、彼女の衣類に引き寄せられた『戌旺』が、茂みの中へ顔をうずめた、瞬間。彼女はいまだ、と、着火している枝つきの石を茂みに向かって投擲した。空中でくるりくるりと旋回した枝先が、やがて茂みに着地すると、瞬く間に茂みを包むように火が立った。マナカンサスは火に炙ればたちまち強烈な薫りが立つ植物だ。煙を被っただけでも薫りを発生させるそれが、嗅覚の優れた犬型の生物に無効なはずはない。
 マナカンサスの激臭を吸い込んだ鼻が天高く突き上げられ、頭を大きく振り、じたばたと『戌旺』は暴れ始めた。固唾を飲んで見守っていれば、『戌旺』は足元を踏み荒らしたあと、巨体を翻して一心不乱にどこかへと駆け出してしまった。
 おそるおそる大木の裏から顔を出したキールアは、はっとした。

(術者のもとに帰るんだ!)

 燃え立つ茂みの火の手がこれ以上回らないうちに、キールアは水辺に足首まで浸からせ、ばしゃばしゃと水をひっくり返して消火した。『戌旺』の巨大な足跡を追って辿り着いた先では、やはり、レトと火傷痕の男が相対していた。
 レトは一部始終の説明を受け終えた。感心する反面、危険を顧みない彼女の行動に、少々の不安と苛立ちとがくつくつと腹の底から煮え立ってくるのを感じた。眉をひそめ、苦々しい顔で彼は言った。

「向こうは普通の飼い犬じゃない。次元の力だ。下手すれば食い殺される。たしかにどの道、策は考えるべきだけど、お前のしたように道を選びながら森を抜ければそれだけで十分だった」
「でもだってレトヴェールくん、危なかったじゃない!」

 キールアが、めずらしく間髪入れずに、はっきりとした声で反論してきたのでレトは目を丸くして彼女の顔を見た。
 『戌旺』がなかなか扉を閉じないうえ、術者のもとにも帰らないので、キールアは心配でたまらなかった。『戌旺』のあとを追って道を引き返した先で、レトの首に剣の切っ先が差しかかっているのを目撃したら、いてもたってもいられず、声をかけていた。
 返す言葉が見つからず、レトはしようがなく黙った。「心配するな」「余計なお世話だ」「あとから追う算段はできていた」──堂々と虚勢を張るには十分な文句があったのに、できなかった。図星をつかれていたのだ。

「……悪い」

 息を詰め、言葉を探し、ようやく唇からこぼれ落ちたのは、そんな情けない声だった。キールアは、思いがけない彼の弱音にどう返したらいいか迷った挙句、「ううん」と小さくかぶりを振った。
 レトがふいに仰いだ空はまだ青かったが、彼はきつく眉根を寄せた。すばやく火元を消して、荷物をまとめ始める。
 森林では、日が傾き始めてから暗くなるまでが早いし、日が落ちればあたりは深い闇に包まれてしまう。身動きが取れなくなってしまえば不安が募り、緊張状態が引き延ばしになるだけだ。

「日が落ち始める前に動くぞ。とりあえず、お前をカナラに送り届けたらあとは指示をする。俺は引き返して、隊と政会連中に上手いこと話を通す」
「……」

 キールアは頷くとも、返事をするともなく、その幼い顔に暗い影を落としていた。頼み事はなかったことにされたのだろうか。跡形も残さずに殺してほしい、などと背負わせようとしたのが、愚かな考えだったのか。彼女の瞳にはほとんど生気が宿っていなかった。
 日没までに森を抜けなければと気負いすぎたのだろう、レトは途中の分かれ道で、行き先を誤った。大地が緩やかに盛り上がっていくのを訝しんではいたが、しかし引き返している余裕がなかった。しまった、と後悔したのは、進路を断つように切り立った絶壁の崖の上に立たされてからだった。
 崖下を覗けば、遥か下方ではテンハイトン川が立派に幅をもたせてごうごうと流れていた。

「……こっちじゃなかったな。悪い、途中の分かれ道で道を誤った」
「大丈夫。じゃあ、戻ろっか」

 向こう岸で青々と茂っている林道はまだ、日に照らされて白く光っている。2人が踵を返した途端だった。来た道の方向からひやりとした殺気が飛んできたのだ。外気とはちがう寒気が足元から背にかけて肌を逆撫でした。

「その娘を引き渡せ」

 火傷痕の男は林の陰から現れると、威圧的な低い声で、レトに言った。
 無駄な争いはしないよう体裁を整えるため、あえて剣を抜いていないのだろうが、そのじつ男には隙がなかった。側に控えさせている『戌旺』も身体の大きさは元に戻っているものの、歯を剥き出しにして低く唸っている。くれてやったマナカンサスの激臭はすっかり抜け落ちたのだろう。足がつかぬような道を選んできたのに、短い時間で距離を縮めてこられたのはそのせいだ。

 男を睨みながらレトは、頭を回さなければならなかった。背後には崖。すでに足が竦んでしまっているキールアを抱えて男の脇をすり抜けるのは厳しすぎる。身体をひとつでも揺らせば男は鞘に手をかけそうな剣幕である。
 ぐちゃぐちゃと絡まってほどけそうにない思考の奥に、ふと、レイチェル村の田園風景が広がった。
 レイチェル村に突然襲来した、翼竜型の元魔。たくましい翼をたたえた化け物の出現はまだ幼いレト、ロク、キールアに恐怖を与えた。元魔が襲いかかってくると、レトは咄嗟にキールアを背後に隠したのだった。何を考える余裕もなかったのにそうした。田園風景は、霧が晴れるように白々と開けて、するとキールアの母──カウリアの顔が浮かんできた。
 頼んだよ、とカウリアはただひとつそれだけをレトに託したのだ。

「キールア。殺される覚悟があるんだったな」

 名前を呼ばれて、キールアは気の抜けたような声で、え、と口からこぼした。

「跡形もなく殺してやるよ。お前の望みの通り」

 言われるやいなや、キールアの肩をレトが抱いて引き寄せた。男の指先が鞘に伸びる。同時に足が浮く。それよりも早く。速く。レトの足は地面を蹴って跳び上がっていた。
 身体が宙に浮いて、緩やかに頭が傾きかけたときに、キールアは川の香りを吸い込んではじめて、崖から落下しているのだと理解したのだ。
 眉一つ動かさなかった男が、細い目を大きく開いて、初動作を完全に止めてしまったのに、レトたちはそれを見るまでもなく崖下に消えた。

 レトは腰元の鞘から一本、すでに抜刀していた。テンハイトンの水流は勢いづいており、岩壁から白いしぶきが跳ね返っている。しかし崖の上から覗いたときに余計な岩やほかの遮蔽物はほとんど見えなかった。無事に着水してしまえばあとは水の流れに身を任せられる。目下の問題はただ一つ。着水するまでの距離がもうない。一秒、二秒が生死を分けるだろう。

「できるだけ息を吸え!」

 レトは大きな声で言って、天高く、剣を振り上げた。右腕の中で抱きこまれているキールアは言われるがまま胸と腹に息をためた。
 川面が、すぐそこまで迫る。

 前唱を唱えている時間はない。レトは覚悟に満ちた目をしていた。

「真斬──!!」

 脳裏に描くは、五等級の厚い扉。血管内の元力が脳から左手指まで、一直線上に沸き立った。縦一線。銀の刀身が振り下ろされれば、白い真空波が唸りをあげて川面を叩き割った。瞬間、水面から太い首が伸びて、大きな弧を描く。すかさずレトは息を吸いこんで、抱きかかえたキールアとともに、透明な水柱に身を投げ入れた。
 

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.124 )
日時: 2023/02/05 12:30
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第112次元 純眼の悪女ⅩⅡ

 眼下では、テンハイトンの川水がごうごうと激しい音を立てながら流れていた。あの激流へ投身した少年と、キールア・シーホリーはまず助からないだろうとルドルフ・オークスは冷静になった。
 ウーヴァンニーフ領の地理にさえあまり興味も湧いておらず、細部まで記憶していないルドルフはしかし、エントリア領の名もない森を横切るテンハイトン川の流れを把握しつつあった。追跡をするうちに、風の流れが、動物の動きが、水の匂いが、彼の身体にしみついてきたのである。男は生粋の武人で、身一つとそれにまといつく感覚で物事を覚えていくのに非常に長けていた。
 ルドルフはフルカンドラの実の息子ではない。少年期、ただの荒くれ者だった自分が拾われ、オークスの名を頂戴し、戦場に置いてくれたフルカンドラには返しきれない恩があるのだ。政の補佐は義兄らに任せ、養父の──政会会長の命のもと、軍人として身を捧げるのが、ルドルフにとって唯一絶対の喜びであった。
 この川の流れる先では、滝がくだっていたのではなかったか。頭の中で地形のパズルを引き合わせ、確信を抱くと、さっそく踵を返し、エントリアの此花隊本部へ足を向けた。外交官を父に持つ末官の男がなにやら肩幅をいからせて本部に参じたと聞く。その男に報告し、人を遣わす手配を整えてもらわねばならない。少年らを拾うとしたら最南の港、ミゼになるだろう。
 
 *
 
 崖から転落すればたしかに命の補償はない。殺してほしいとは頼んだが、しかし、まさかレトヴェール自身も命を擲つような行動に出るとは予想外だった。
 川面に衝突するわずか数秒前。彼が次元技を放ち、水柱を生んで、強く抱き寄せられたときの感覚だけが妙に、身体に残っているような──。
 肩に熱を感じて意識を浮上させればそこは、見慣れない木造りの室内だった。一間だけの狭い空間には物らしい物もなく、ただむんとした男特有の匂いが立ち込めている。キールアはさらに、老年の男性がまとうような匂いだと気がついた。
 頭を軽く回せば、視界に白いものがちらついた。頭をゆるく締めつけていた包帯の端が、はらりとほどけて顔にかかったのだ。

(留め具、されてない。でも包帯巻いてるってことは、誰かに手当されてる……)

 雑な処置だ、とめずらしくキールアは──心の中でだけだが──苦言を唱えた。
 キールアの意識は存外はっきりとしていて、夢か現かはすぐに判断がついた。
 生きている。
 感激をするよりもまず、レトの安否が気になったキールアが、あらためて室内を見渡しかけたとき、近くで足音がして彼女は音のしたほうに顔を向けた。

「……!」
「おや。起きたか。嬢ちゃん」

 入口にかかっている掛け布を避けて室内に入ってきた老年の男は、杖もつかずに、つかつかとキールアの寝床まで歩み寄ってきた。キールアのすぐ傍で腰を下ろし、ぎょろりと大きな丸い目を開いて、彼女の顔を覗き込む。

「あの……」
「ふむ。起きたならいい。悪いがわしは人の手当なんぞまるで知らん。生きておるだけでも感謝するのだな」
「……はい。助けていただいたようで、ありがとうございます。……あの、一緒に少年はおりませんでしたか? わたしと変わらない年ほどの、男の子が……いませんでしたでしょうか」

 キールアは床に手をついて深々と礼をしてから、ふと顔を上げて、老人に詰め寄った。
 老人は髪や眉なんかはすっかり白いし、髭も不揃いで、まぶたも落っこちそうなほど重ために目にかぶさっているが、見た目のわりには若々しそうに見える。無精髭を手で握ったりすいたりして、ふむ、とひとつ唸ると答えた。

「知らんな。見かけておらん」
「……」
 
 キールアは息を呑んだ。ただでさえ、落下した地点の川の流れは、荒れていた。水脈が枝分かれでもしていたのだろうか。どうか無事でいてほしいと、切なる望みだけがこんこんと胸のうちに湧きだして、キールアは老人にろくな返事もできずに黙りこんだ。

「……」
女子おなごならもう1人おったが」
「はい?」

 思いがけず頓狂な声がもれでて、キールアは慌てて、口元を手で覆った。目だけをぱちくりと瞬かせて、唇からゆっくり手を離すと、あらためて老人に訊ねた。

「もしかして……金色の髪、ではありませんか。瞳も、綺麗な金色です」
「まなこの色では知らんが。目を開けとらんからなあ。しかし、金じゃな。髪のほうは」

 それを聞くとキールアは、胸のつかえがとれたように、深い安堵の息を吐いた。どうやらレトのことも拾ってもらえていたらしい。そうだ初見では、彼の容姿が少女に見間違えられてしまうのを、すっかり忘れていた。
 しかし室内を見渡してみても、彼らしい姿はない。キールアは不思議に思って、首を傾げた。

「彼はどこへ? 目を開けていないと仰っていましたが……」
「ああ、傷だらけじゃったからな、薬草つんでもどってくるのが面倒でな、引きずって連れてっとった」
「引きずって!?」
「ああ、違うな。背負ったわい」
「はあ……」

 いまどこにいるのかを訊ねてみれば、山菜やら薬草やらが成っている木のふもとに転がしておいているのだと老人は答えた。レトを放置して家に戻ってきたのも、喉が渇いたせいじゃと、水筒を探す素振りを見せていた。キールアは頭を抱えたのだが、命の恩人である手前、このやろうとまでは罵れなかった。
 採集場まで同行させてほしいと頼めば、老人はとくに断らなかった。

 自分たちを拾った経緯についても訊ねてみれば、老人は道すがら教えてくれた。

 そもそもまだ、エントリアとカナラとを繋ぐ森の中にいるらしいことがわかった。とはいってもかなり南に下りてきており、地図上ではレイチェル村のほうが先に着いてしまいそうな地点だ。
 レトとキールアは滝壺の水辺で気を失った状態で老人に発見された。滝の上から垂直落下したのち、奇跡的に意識を保っていたレトがキールアを抱えたまま水辺に行き着いたところで、気を失ったのだろう、と老人は述べていた。
 キールアは経緯の一部始終を耳に入れながらもずっと胸が痛んでいた。

 老人に案内されてついていけば、たしかに、適当な草むらの上にレトは寝転がされていた。顔色は悪くなく、まるで彼自身も植物と成り果ててしまったかのように日光浴させられている。安否を確認すれば、キールアは一安心していた。
 老人はというと、腰を曲げながらあっちに行ったりこっちに行ったりとうろついている。当初の目的では、この近辺に薬草が成っており、摘みにきたのだった。
 
「たしかこっちに……」
「こちらですね」

 うろうろとしていた老人が腰を伸ばして、感嘆の声を上げながらキールアに近づいた。彼女は茂みの近くでしゃがんでいて、白くつつましい花弁を咲かせている草花を根本から引き抜いていた。

「ほう」
「ユガが成っています。種子は塾すと有毒になるので気をつけなければいけませんが、それ以外の部分は栄養価が高いんです」
「ほう! 詳しいのか」

 細く青い葉をつけたユガを数本、地面から引き抜きながら、言われるとキールアは照れたようにすこしだけ笑みをこぼした。

「見習いですが、調薬師をやっています。どうかその少年……レトヴェールくんのことは、わたしに看させていただけませんか」

 キールアの頼みを断るはずもなく、老人は「手間が省けたわい」と高々に笑った。聞けば、半日ほど診てもらっており、あたりはすでに真っ暗な夜を迎えていたのだった。ついでに山菜にも詳しいキールアは、老人宅までの帰り道にいくつか採集すると、今晩のご飯の話もした。老人は気のいい性格で、ぜひ振舞ってくれと目尻に皺を寄せていた。

 この夜、キールアは、自身でも休みつつではあったが、レトの看病についた。
 しかし、深く昏倒してしまっているせいか、レトはなかなか目を覚さなかった。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.125 )
日時: 2023/02/19 12:45
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第113次元 純眼の悪女ⅩⅢ

 レトヴェールが目を覚ましたのは翌日の、もう日が落ちかけて、山々に橙の光が差していたときであった。寝床を離れていたキールアは、木桶を抱えて掛け布の下をくぐってすぐに立ち止まった。上体を起こしているレトと目が合ったからだ。

「……! レトヴェールくん、大丈夫? 目覚ましたんだね」
「……ああ」

 まだ意識がぼんやりとしているのか生返事を返して、レトは、寝床まで小走りで寄ってきたキールアの顔を見た。彼女は緊張の糸がほぐれたような、安心しきった笑みを薄く浮かべていた。
 水の入った木桶を枕元に置くと、キールアはレトの額に手を伸ばした。冷や水に漬けてきたような、ひんやりとした手の感覚が、レトの額に触れる。

「熱はもうなさそう。今朝まではね、すこし熱があったの。でも引いたみたい。お腹空いてる? なにか口にできそうかな」
「すこしなら」
「わかった。ちょっと早いけど、お夕飯の支度をするから。安静にして待っててね」
「……。ところでここ、どこだ」

 訝しげにレトが訊ねれば、あ、とキールアは声をもらして、慌てて現状の説明をした。
 謎の老人が住んでいる家だと聞いて、さらに眉間の皺を深くしたレトだったが、その老人とやらがひょっこりと顔を出してきたので挨拶を済ませた。中央に囲炉裏が切られているから家と呼ばれれば納得はしたが、物らしい物は最小限でがらんとしているし、一日のうちのほとんどの時間は外出しているようだ。実際、老人は家を空けている時間が長かった。

 キールアが煮て作った山菜の味噌汁をゆっくりと喉の奥に流しこめば、新鮮な菜の匂いが鼻腔をくすぐった。冷え切った川水に揉まれていた記憶が新しいものだから、暖かい飲み物は身体の芯に染みた。
 
「滝壺の水辺で、倒れてるところを見つけてもらったらしいの。レトヴェールくんがそこまで、運んでくれたの?」
「あんまり覚えてないけど、たぶんそう。力尽きたんだろうな」
「そう……」

 手指を絡め、意図もなく指先をいじっていたキールアは、なにか言いたげな目を伏せた。
 しばらくして老人が帰宅すれば、3人で囲炉裏の火を囲んだ。老人は、話好きではないのか、食事をとっている間は静かに箸を動かしていた。
 ただ、

「寝床をとって悪いな、爺さん」
「なんの。構わんよ。休みなさい」

 小屋に人が増えて、窮屈になったとて悪い顔はされず、レトはほっとした。ずけずけと素性を聞いてきたりもしなかったので、レトとキールアは余計な気回しをする必要もなく、穏やかに夕餉の時を過ごした。


 まだ夜も深いうちに、キールアは不意に目を覚ました。すっかり看病癖が板についてしまって、レトの寝床の傍らで寝こけてしまっていたらしい。軽くみじろぎをしたときに、はっ、と息を詰めた。寝ていたはずのレトが忽然と消えてしまっているのだ。

「レトヴェールくん……?」

 室内では、老人が1人、部屋の隅で背中を丸めているだけだ。いったいどこへ行ってしまったんだろうと、外に出て、近場を歩いているとふと、自然ではない物音をとらえた。音は不規則に、なにかで空を切っていて、引き寄せられてみれば音の正体がわかった。
 木々の葉の隙間から、とぎれとぎれにこぼれ落ちた月光が、きらきらと二双の刀身を照らしている。レトは、滝壺を背に、舞うように双剣を薙いでは、美しい金の髪を靡かせていた。
 キールアが息を呑んで彼の姿を見守っていたときだった。レトは唐突にびくりと肩を震わせて、剣を取り落とした。甲高い金属音がして、はっと我に帰り、キールアは慌ててレトの背中に声をかけた。
 
「……! 安静にしてないと、だめだよ。どうしてこんな時間に……」
「目が覚めた。ついでに体がどれくらい動くか確認してる」

 滑り落とした剣を拾いながら、レトはぶっきらぼうに答えた。
 火傷痕の男に抉られた肩がまだ鋭く痛んでいる。けれど、剣を交えたあの数瞬に掴みかけた動きを忘れたくなかった。筋肉の動きはどうだったろう。重心は。息つぎはいつしていた。鳥の声。草木の匂い。土の柔らかさ──何度も何度も脳裏に思い起こして、切り取った数分間を、レトは正確に再現しようとしていたのだった。
 刀身を見つめてだんまりとしてしまったレトに、キールアはなおも食い下がった。

「完治してからじゃだめなの? レトヴェールくん、頭も打っていたし、傷も治りきってないでしょう。……心配で。あんまり無理……しないで」

 尻すぼみになりながらも、キールアはそう言った。レトは、俯いたキールアの顔をじっと見て、それから、ふと視線を外す。周囲の気配を探った。しばらく気を張っていたが、やがて彼は短く嘆息して、双剣を鞘に収めた。

「現状は、変わってない。このへんに人気は感じないから、いますぐに襲われるなんてことはないだろうけど」

 レトは言いながら水辺に腰を下ろし、足を崩した。また人ひとり分の間隔を空けて、キールアも隣に並んだ。
 爽やかな初夏の風が、さらり、と吹き抜けていく。滝壺の水面がたおやかに揺れた。水面に浮かんでいる葉はのんきにゆらり、ゆらりと遊泳していて、キールアは膝を抱えながら、ぼんやりそれを眺めていた。
 此花隊の医務室から脱走し、森の中でレトに追いつかれてから、彼とは何度か会話をする機会があった。しかし常に気が気でなかったし、レトと2人きりになると途端に、どうしたらいいかわからなくなるのだ。だから煮え切らないような返答ばかりしてしまっていた気がする。
 悪い癖だ。幼いとき、キールアは、レトに対しての恐れを隠していなかった。物言いは冷たいし、ぶっきらぼうだし、綺麗な目鼻立ちだがそれが余計に、周囲を寄せつけない要素の一つになっていた。彼を前にすると反射的にびくついてしまって、まともに会話を交わせた試しがなかった。
 だけど、彼がもう冷たいばかりの少年ではないことくらい、キールアは知っていた。
 沈黙が続くと、キールアは決意したように口を開いた。

「あのね、レトヴェールくん」
「なに」
「…………ありがとう」

 意外な言葉をかけられて、レトは目を丸くする。見ればキールアは膝を抱えた両腕に、顔を半分うずめていた。視線は滝壺にやっていたがむしろ、レトとの間につくった──人ひとり分の間隔に意識が向いていた。

「崖から一緒に落ちてくれたこと。庇ってくれようとしたんだよね……? 滝壺から引き上げてくれたのも……。あなたがいなかったら、ここでこうして、生きていないのだと思う」

 かぼそい声でぽつり、ぽつりとこぼしていくキールアの口元には、まだ暗い影が落ちていた。
 レトは黙って聞いていたのだが、やがて試すような口ぶりで言った。

「殺してほしいんじゃなかったのか」
「……」
「そうだとしたら、命を奪いきれなかった。俺の失態だ」

 夜の暗がりが邪魔をして、レトの表情は伺えなかった。正直、はっきり見えてしまうのも怖かった。けれどもきっと、本心から言っているのではないのだ。何度も言い聞かせていれば、次第に胸の奥から込み上げてくるものがあった。
 キールアは、顔をうずめたまま、ゆるゆると首を振った。

「……。ちがう、そんなこと……。ごめんなさい。わたし、殺してほしいなんて、うそだった」

 くぐもった声で告げたキールアは肩を震わせていた。寒さのせいではない。顔を上げられずに彼女は、自分の腕の中で泣いていたのだ。

「あなたが目を覚ましたときに、わたし、すごく安心した。自分でもびっくりするくらい、安心したの。生きててよかったって。そんなわたし自身も……生きて、ご飯を食べられて、あなたとこうして話ができることに、心の底からほっとしているの。……だから、ありがとう。助けてくれて」

 両腕を掴む手に力をこめてキールアはもう一度、ありがとう、と告げた。ひとしきりしゃくってから、まちがってた、とも最後に付け加えた。
 レトはただ静かに耳を傾けていた。相変わらず、目線が交わることはないのだが、ややもすればキールアの背中は震えなくなっていった。
 ひとひらの若い葉が、船をこぎながら、滝壺の水面に降り立つ。波紋がじんわりと広がって、水面はまた穏やかに揺れる。

「……大したことは、してない。あいつらのいいようにされたくない……だけ」

 返答に迷ったのか、レトはぎこちなくそう返した。でもなぜだかキールアは悪い心地にならなかった。彼女がゆっくりと顔を上げ、すん、と鼻をすする小さな音だけがした。
 

 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.126 )
日時: 2023/03/05 12:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第114次元 純眼の悪女ⅩⅣ

 静かに夜は深まっていく。もうすっかり虫のさざめく声と、風の吹き抜ける音ばかりになったというのに、レトヴェールもキールアも、滝壺の水辺から立ち上がろうとはしなかった。
 やがて、キールアの方向から鼻をすする音が聞こえなくなると、レトは落ち着いた声で訊ねた。 

「"跡形もなく"、殺してくれって、どういう意味だ」

 キールアの言い方がずっと引っかかっていた。政会の人間に連れられて処分されるくらいなら、その前に命を絶ちたい──と考えるのは納得がいくが、キールアは自害を選択しなかった。そもそも生きたかったのだから自害をしなかったという思惑は差し置くとして、追い詰められていたのなら、自傷痕の一つや二つあっても不思議ではない。
 そのうえ彼女は「跡形もなく殺してくれ」と頼んできた。跡形もなく、というのが自身の身体そのものを指しているのだろうが、遺体が残っていてはまずい理由が、レトには皆目見当もつかなかった。
 キールアはなかなか口を割ろうとしなかったのだが、しばらく逡巡したのちに目を伏せると、レトに問い返した。
 
「……政会が、シーホリーの一族を捕捉したあと、どうするか知ってる?」
「どうするって。処分するとは聞いてる」

 処分、に命を奪う意味も含まれていることを強調しながら、レトは言った。返答を聞くとキールアはふたたび静かになった。
 ややもすれば、彼女は重々しい口を開き、真意を語りだした。

「そう。シーホリー一族の身体を処分するの。……ある部位を除いて」
「ある部位?」

 レトは顔をしかめた。するとキールアは、懐から小さな巾着を取り出した。彼女が後生大事に持ち歩いているものだ。レトは、あの荒波にもまれて中身は無事なのだろうかと危惧したが、杞憂に終わった。彼女は紐を引いて袋の口を開くと、中から塗装された小箱を取り出したのだ。
 キールアが小箱の蓋を開けると、顔を出したのは、美しい紫色をした宝石だった。

「眼」

 一見、"そう"だと勘違いしてしまったのだ。それは切り整えられていない、鉱石から削りだされたばかりの原石。まごうことなき石の形をしていた。しかしキールアはそれが人体の一部だとはっきりと告げて、水面に写った月の光に反射させた。

「政会はシーホリーの一族の体に棲まう寄生虫を処分するとともに、それを口実として、眼を抉り取る。これは……この眼は、家族が殺されたときに、家の近くに落ちてたものなの。誰のかはわからないけど」
「眼……? いや、眼球には見えないな。どこから見ても、ふつうに宝石にしか」
「だから眼を奪っているんだよ。シーホリー一族の眼球は、ふつうの人間のそれとは違って、血液が通わなくなると──眼球全体が結晶化しはじめる。寄生虫が、人体に問題が起こったと判断して、守る手段をとろうとするからじゃないかなとは思う……」

 血液の通わなくなった眼球──つまり本人が死亡するか、眼窩から取り外されるかした眼球にのみ、その変化は訪れる。
 眼球を構成しているほとんどの水分が、眼球の腐敗を止めるように、結晶化し始める。もともとシーホリー一族の瞳は妖しく艶めきだった、世にも美しい紫色をしている。虹彩を起点にして結晶化が進むので、全体的に紫色がかった石のような物体になってしまうのだという。
 よくよく見せてもらえれば、本来、瞳孔にあたる部分がうっすらと宝石の中央に滲んでいるのが見てとれた。

「これを奴らは、"悪女の瞳"と呼ぶ。それから金に替える。ごく一部の貴族の間でだけ、この瞳の真実と金が回っているの」

 レトは真剣みを帯びた表情をして、ただきつく眉を寄せた。

 シーホリーの一族を捕らえ、瞳だけを抉り取って、処分する──そこで終わるとは、レトは思えなかった。捕らえたシーホリー一族に、適当な異性をあてがい、無理やり子を孕ませるという手段も用いているのかもしれない。政会がそこまで非道な行いに手を染めるかは定かでないが、目的が金であれば、話は変わってくるだろう。王政が廃止された当初といえば神族からの襲撃が相次いで、国内各地が混乱に陥っていた。各地の立て直しのため、財政に喘いでいた時期であろうから、その当時からシーホリー一族に目をつけていたのであれば、まったく可能性のない話ではない。
 おそらくキールアも頭のどこかでは、そうではないかと疑っているだろう。でなければ、「跡形もなく殺してほしい」──などとは言わない。あえて言葉にする内容ではないから、お互いに口にしなかった。レトはその"眼"を見ながら嘆息した。

「悪女の瞳……。とんだ侮蔑だな」
「……。シーホリーの始祖が、女性だから、そうつけられたんだと思う……でも、悪女だなんて呼んでおいて、好き勝手に捕らえて、殺して、目だけくり抜いて利用して……わたし、悔しくて悔しくて、たまらないの」

 キールアの声は怒りに打ち震えていて、柔和な性格からは想像もできないほど低い声だった。

「お前、どうやってこの内情を知った? 政会と、ごく一部の貴族の間でだけ出回ってる話なら、お前の耳にまで届くはずはないだろ」

 指摘されるとキールアは顔を上げて、情けなさそうに視線を落とした。

「わたし……シーホリーの一族にまつわる話、ぜんぜん聞かせられなかったの。両親から。たぶん、そのしがらみに取り憑かれないようにしてくれたんだと思う。……でも、どうしても知りたくて。なんで殺されたのか、知りたくて。自分なりに考えて、いろいろ調べてた。それでもやっぱり限界があったから、政会の諜報員をやっている人のもとに転がりこんだ。そうすれば、もっと詳しい情報が掴めると思ったから」
「は? ……待て、お前、知ってたのか、あの薬屋の店主が、政会の人間だって。知らなかったから、それが割れて、あの店を出たんだってお前、言ってただろ」

 キールアは、はっとすると、ばつの悪い顔をして、わかりやすくレトから視線を逸らした。
 どうやら嘘を言っていたらしい。レトは呆れて物も言えなかった。無茶をしないでと他人には指摘していたが、敵の懐に潜り込むような真似をするのは無茶に値しないのだろうか。レトが言葉を失っている間も、言い訳はせず、キールアは黙って視線を逃れていた。
 さらに問い詰めれば、身の上がバレたから逃げたのではなく、これ以上はレトに被害が及ぶと判断したから、薬屋から出ていったのだと真意を語った。

「お前な」
「ごめんなさい、嘘ついて。だって……本当のことを言ったら、呆れられると、思ったから」
「……」

 呆れないと言えば嘘になるのだが、まだキールアがこわごわと身構えているので、レトは閉口した。
 だがそれ以上にレトは驚いていた。部屋の隅で縮こまっているような少女だったキールアが、親姉弟の仇である政会の人間と接触を図ろうとした事実に。大胆かつ危険な行動に出てまで彼女は、真相が知りたかったのだ。
 愛する家族が血のためだけに理不尽に殺害されれば、人格のひとつやふたつ変化するだろう。レトはすこし考え込んだだけで、これ以上キールアに言及したりしなかった。

 いっとう冷たい夜風が吹いて、キールアが身を震わせた。初夏とはいっても薄着で夜に出歩くものではない。だのにずいぶんと軽装で話しこんでしまった。

「悪い、話しこんだな。そろそろ戻るぞ」
「そうだね」

 キールアはこくりと頷いて、先に立ち上がったレトに続いた。
 静かな夜道では靴底の音がやけに響いていた。2人は小屋まで続いている緩やかな坂を登っていく。とくに会話もなく黙々と帰路についていたのだが、途中でふと、レトが足を止めた。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.127 )
日時: 2023/03/19 13:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第115次元 純眼の悪女ⅩⅤ

 不思議に思ってキールアも足を止めて、数歩先で立ち止まっているレトヴェールの背中を眺めた。
 彼は振り返らず、一段と静かな声色で言った。

「……あのさ」
「な……なに?」
「…………」

 レトはなかなか答えず、しばらく立ち尽くしていた。いよいよ心配になってきて、キールアが困ったように、おずおずとその背中に声をかけた。

「レトヴェールくん……?」

 なにかを言おうとしては、口を閉じ、をレトは繰り返している。こめかみには正体のわからない汗が滲んでいた。
 そのうち「なんでもない」と切り上げてしまうのだろう、とキールアはそう思って待っていたが、違った。
 レトは後ろを振り返って、キールアの目をまっすぐに見ながらこう告げた。

「この件が落ち着いたら、お前に話したいことがある」

 キールアは、大きな目を瞬いた。レトが目を逸らさずにキールアの顔を見つめていた。
 動揺を隠しきれず、キールアは、なんとなく指の先が宙を泳いでしまって、風に煽られた小麦色の髪のひと束を耳をかけた。 

「……え。……話……?」
「そのときになったら、言う」

 はっきりとそう、しかしぶっきらぼうに告げてから、レトはまた前を歩きだした。キールアの胸の内にわだかまりのようなものがぼんやり滲んで残ったが、これも、悪い心地はしなかった。話したいことがある、と言ったレトの声色が、存外穏やかで、まったく冷たいものではなかったからだろうか。


 夜更かしをしていたというのにレトは、日が昇る前にすでに目を覚まして、身体を動かしていた。無茶をしないでと頼まれた手前、朝の稽古をしようかすまいか迷ったのだが、レトは焦りを拭いきれなかった。
 力が足りない。動きが想定できていない。まだ剣が手に馴染んでいない。次元の力に頼りすぎなのだ──と、思いつく限りの反省の色が、黒々と刀身に滲んでいけばいくほど、柄を握る手に、得体の知れない重さがのしかかった。

(どうしたらいい。どうすれば)

「朝から物騒なものを振って、獣でも狩りにいくのかい」
「!」

 突然、背後から声をかけられてレトは振り返った。剣を振るのに夢中になっていて、老人が起きてきた物音にも気がつかなかった。老人はレトの握っている双剣をじろじろと見ると、顎を引いた。

「獣を狩るにゃ、大仰じゃのう。弓を出してやろうかえ。ちょうど作ったのがある」
「いや……違う。獣じゃない。人を……人に敵う術を探していて」

 言ってから、なにを真面目に相談しているのだ、とレトは我に返った。気恥ずかしくなって首の裏を掻くと、老人は口を開いた。

「人を斬るには、音が軽すぎる」

 老人はこともなげに口ずさむと、レトの真横を通り過ぎて、洗濯物をかけてある物干し竿の下まで歩いていった。

「え……」
「体重を増やしなさい。肉をつけなんだ、人は斬れんよ。お前さんからは男の匂いがせん。隆々しろとまでは言わんがね。わしもこの通りの小爺じゃ」
「……」

 老人は小さい背中をうんと伸ばして、竿にかかっている洗濯物を引っ張り下ろした。いまにも洗濯物に押し潰されそうな華奢な体躯なのに、彼は細い両腕でそれらを抱えてなお、まったく重心がぐらついていなかった。
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、しばらく呆然としていたレトだったが、ふいに何者かの気配を察知して双剣を構えた。
 腰を低くして身構えていると、木陰から濃灰の上衣をまとった1人の男が姿を現した。

「……こんなところにいたのか」
「コルド副班」

 コルドは、疲れの滲んだ顔に安堵の色を浮かべて、軽く項垂れると、黒い前髪の下に影を落とした。森中を散々歩き回ったのだろう、足元には泥が跳ねているし、着ている上衣や、首から下げている三角巾にも蒼い葉がくっついていた。

「まったく、探したぞ。俺たち此花隊も、おそらく向こうもな。──あのお嬢ちゃんと一緒なんだろう。彼女はどうした」

 気配の正体がコルドと知れても、レトは警戒を解かなかった。
 なかば睨むようにしてコルドの様子を伺うレトだったが、そんな彼の胸中を察しているのか否か、コルドは強めの口調で言い放った。

「悪いが、同行してもらうぞレトヴェール。戦闘部班班長ならびに副隊長命令だ」



 *

 直々に出迎えられたともなればレトヴェールもキールアも、静かに従うほかはなかった。キールアはいない、としらを切ることもできたのだが、睨めっこをしていればコルドが嘆息して、「悪いようにはしないと誓う」と、両腕を上げたのだ。同行を促したコルドの口調には強い威圧が含まれていたが、レトの目には、身柄の確認ができて安心したようにも映っていた。
 向かう先が政会本部だと聞くと、キールアは拒否反応を示すかのように、ひどく汗をかいていた。無理もない。まるで処刑台への登り階段をゆっくりと登っているような感覚なのだろう。発狂して逃走、なんてことにならなかったのは、コルドが再三、悪いようにしない、と彼女に言い聞かせたからであった。政会本部まで赴く理由が、会議への出席だと知ると、キールアはいくらか落ち着いて話を聞くようになった。
 
 道中は、コルドもほとんど口を開かなかった。「班長はなんて言ってる」「悪いようにしないとはどういう意味だ」「副隊長からの要求は同行することだけか」など、レトは鋭く投げかけてみたのだが、どれにも煮え切らない返事をした。上から指示されてやってきたにしては、彼の顔にも動揺の色が浮かんでいたのだ。

 一宿一飯の世話になった老人とはろく礼も返せないまま別れてしまった。コルドが現れたとき、驚くような素振りは見せていたが、やや首を傾げただけで、とくに言及もされずに見送られた。

(あの爺さん……ぼけてんのかな)

 森を抜けて、エントリア街の南東にある関所を通過してからは荷馬車に揺られながら北に進行する。コルドとの会話が成り立たないので、レトの脳裏にはふと老人の顔がちらついて、荷馬車の中で息をついていた。
 キールアは老人宅をあとにしてから一言も発していなかった。不安に満ちた瞳は床に落としたままで、車内が揺れれば、彼女の肩もまた揺らいだ。
 

 政会本部は、ドルギース国との国境線の間際に聳え立っている。エントリア街の北口の関所を通過してからもさらに北上しなければならず、一行は長旅を強いられることとなった。幾夜と過ごす間も、キールアはほとんど口を聞かなかった。コルドもぼんやりとしているし、この旅には、常に重々しい空気が付き纏っていた。

 政会本部が位置しているラジオスタン通りは、エポール王朝時代には、常に殺伐とした雰囲気に覆われていた地域であった。ドルギースとの国境線の傍だったのが原因だろう。この街に配属された兵団らは、線を越えた先の国の兵団らと常に睨み合いをしていた。だがしかし、王政が廃止となり、政会が発足するとここに国政の要である政会が建設された。現在では当時のような重苦しい空気はだいぶ払拭され、ラジオスタン通りには武装した人間だけではなく、行商人も多く行き交うようになった。生活水準の高いウーヴァンニーフと隣接している影響か、金の回りも良く、都市部であるエントリアと遜色ない賑わいを見せている。

 ラジオスタンの中央に広い幅をとっている大通りをまっすぐ突っ切って、一行はようやく、政会本部へと到着した。
 メルギース国の国政を担う組織──なだけあって、敷地内を広々と惜しみなく占領している巨大な建物が、眼前に聳え立っていた。白亜の外郭や高い鉄城門に圧倒されながらも建物の屋上を見上げれば、メルギースの国旗が数本、並んでおり、ばたばたと強風に煽られていた。

 鉄城門の前には、時期を見計らってやってきたのか、セブン・ルーカーが壁に寄りかかってコルドたちの到着を待っていた。

「来たね。そろそろかなと思って、宿を出てきたんだ。全員いるね」
「班長、詳しい話を聞かせてくれ。それとも、中で奴らから何か指示があるのか? どちらにせよ、おいそれと引き渡す気はない」

 レトが険しい表情で言い募りながら、門兵のいるところまでへ向かおうとすると、セブンがそれを制した。

「ああ、君はここまで」
「……は?」
「君は招待されていないからね。この先に行くのは私と、コルド君、それからキールアの3人だけだ」
「ふざけるな。俺も同行しろと指示してきたのはあんただろ。俺も会談に同席させろ」

 さらに眉根を深めて睨みつけると、反してセブンは、気に留めていない様子で穏やかに告げた。

「同行しろとは言ったが、同席させるとは言っていない」
「……」

 セブンは外壁にもたれていた背を離し、意地の悪い笑みを浮かべた。
 心からの笑みというには些か冷やついていた。傍らで、コルドが重いため息をつく。レトに意地悪を仕掛けるために呼びつけたのは、想像していたのだろう。
 納得のいっていない視線を訴えかけてくるレトに対して、セブンは折りたたんである地図を手渡した。
 
「まあ、そう怖い顔をしないでくれ。近くに宿をとってある。会談が終わるまで、君は休むなり、街を散策するなり自由に過ごしてくれて構わない。ああ、鳥料理が美味しかったよ」
「班長!」
「好き勝手に行動をしたのは、誰だ。レトヴェール・エポール。頭を冷やしなさい」

 一段と低い声色で告げられると、レトの背筋がぞくりと粟立った。眼球の奥まで射抜くような厳しい視線。レトは黙らざるを得なくなった。
 セブンは踵を返し、門兵に一言二言告げる。すると門兵は招待状を確認して、高い鉄柵の門を開いた。重々しい音に導かれながら、セブンがその奥に消えていった。コルド、そしてまごついているキールアもあとに続こうとする。

「副班」
「……なんだ」

 レトは落ち着き払った声で、コルドを呼び止めた。コルドは一度足を止めて振り返る。
 不思議に思ってキールアが眺めていれば、レトはつかつかとコルドの傍まで歩み寄ってくる。コルドに何事かを耳打ちするとレトは、小さな紙のようなものをコルドに渡していた。
 コルドはそれを受け取ると、ぼんやりしているキールアを一瞥して「行こうか」と声をかけた。

 レトはただ、不安そうな面持ちをしたまま門の先へと消えていくキールアの背中を、静かに見送った。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.128 )
日時: 2023/04/02 13:00
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第116次元 純眼の悪女ⅩⅥ

 政会本部、第二会議室。定例会の"代表会議"に使用される第一会議室よりは、ひと回り狭い造りの部屋であるものの、十数人程度の人間を納めるのには十分な広さだ。壁際に複数人の監視役が突き立っていることや、記録を取る人間の険しい表情を除けば、室内はさながら王城の一角の応接間のような、豪奢な内装をしている。
 "代表会議"には、有事でなければセブンは出席しないので、どちらかといえば第二会議室のほうが馴染みがあった。なにを隠そう代表会議は、メルギース国内の五大領地の領主たち──すなわち、エポール王朝時代より爵位を預かったままの一族の当主、そこに此花隊の長を加えた6名と彼らの側近のみが集められる。厳密にいえば、イルバーナ家、ギルクス家、ツォーケン家、ビスネオニ家、そしてベルク村の一件でヴィースから領地を奪還した、ルーカー家を含めた五大家だ。もとはセブンの父、もといルーカー家の領地であったが、当主の死後、政会の手によってヴィースに統治権が渡っていた。そんなローノ領の統治権をルーカー家が奪還した経緯には、セブン・ルーカーが一枚噛んでいた。ベルク村の人間に対し不当な扱いを強いたとして、ヴィースを直々に送検したのはセブン率いる此花隊の戦闘部班だった。交渉の末、領地の奪還に成功したのだが、当の本人はルーカー家当主の座を断っている。
 王政廃止のお触れが出て以降、国の権利が政会一手に集まるのを危惧した各領地の主たちが、それぞれの領地内に関する問題についてのみ政治的介入を認めるように申請した。それが形を成して、現在の代表会議が成り立っている。

 今日、執り行われるのはその代表会議ではなく、キールア・シーホリーに係る審問会だ。本件の責任者を任されている公安長官の男、グナウドは、堀の深い顔に一層暗い影を落として、じっとセブンを見据えていた。軍部上がりなのだろう、幾度となく死線をくぐり抜けてきたような厳格な顔つきと、欠損している左腕に恐れ慄く部下は多いに違いない。彼の席の背後には軍官らが整然と付き従っている。
 ほか国務大臣らとは違って、公安相は軍部を率いる特殊な組織だ。それゆえか、着ている制服は見慣れない意匠をしていた。
 
「こちらからの要求はすでにお伝えさせていただいている通り。貴殿らが匿っているシーホリーの娘をお引き渡しいただきたい」

 グナウドは開口一番、厳しい口調ではっきりと告げると、キールアを一瞥した。
 しかしすぐに視線を外して、差し向かいの席に腰かけているセブンを睨んだ。

「……と、話を進める前に、我々はチェシア・イルバーナ副隊長殿にご出席の申し出を送らせていただいたのですが。手違いですかな、セブン・ルーカー殿」
「これは説明もなく失敬。副隊長殿はお忙しいようでしたので私が代理として参りました。書状には、代表者一名と付き添い人、そして件の娘の同席を命ずるとありましたから、私めでも問題はないと判断しまして」
「勝手な行動は慎んでいただきたい。貴殿はいま現在、隊長補佐官の任からは退いたと聞く。一部班の班長位でしかない貴殿が相手では話になりませぬ」
「私の地位では役不足というわけですね。……それでは、読み違いだったようだ」
「何と?」
「あなた方は、私に頭を下げさせるのがご趣味かと思っていたのですが。うちの隊員が、そちらの軍部の一員と交戦したと耳に入れましたのでね。まずはそのお詫びを」

 まったく悪びれていない口調でセブンはさらりと言ってのける。昨年の通信具の情報漏洩事件では、指摘を受け、セブンが直々に頭を下げさせられたものだ。いつまで引きずるつもりか、とでも言いたげに、グナウドは眉間の皺を深めた。
 セブンは口元にふっと笑みを浮かべると、こともなげに続けた。

「さて、件の娘の処遇ですが……このような席までご用意いただいた手前で申し訳ないのですが、こちらで身柄を預からせていただきたいのです」

 セブンの口から思わぬ発言がなされると、室内にどよめきが起こった。キールアも目を丸くして、セブンの後頭部を見つめた。
 唯一、グナウドだけが動揺の色を見せなかった。想定の範囲内といったところだろうか。彼はあくまで淡々と静かな声色で返した。

「……シーホリー一族の身柄の回収は、我々政会の管轄です。始祖アディダス・シーホリーが遺した悪魔である彼女たちは、その身に危険な寄生虫を宿し、現代までに数々の蛮行が報告されてきている。メルギース国民の不安要素としてこの地に根づいている、それを我々が国務の一環として対処しているのです」
「その蛮行というのは?」
「始祖アディダスが、城下のエントリアに住まう40近い人間を素手で嬲り殺したという異常事件が、事の始まりです。以降もシーホリーの一族は、数十年に一度、どこからともなく現れては無作為に町民や村民に暴行を加え、その殺戮の現場を我々が抑えてきた。……そちらに立っているキールアという名の少女が、シーホリーの血族であることは判明しています。危険な血統である彼女たちはこれまでも例外なく、我々で処分してきた。同じ人間と思わないほうが良いのです。芽が花開き、毒を撒く前に、根絶やしにしなければならない」
「処遇の決定権すらそちらに帰するところであれば、会談の席など設けずに、さっさとレトヴェールの手から攫ってしまえばよかったでしょう。そうしなかったのは……こちらの主張をある程度、予測しているからでは」

 セブンは指を組んで、机上に肘を載せると、身を乗り出して続けた。

「事情は理解しました。ですが彼女は、次元の力『癒楽ゆらく』を有している。この事実は揺るがない。『癒楽』はあらゆる次元の力の中で唯一、他者を癒す力。神族との交戦が始まっている以上、彼女の力は必要不可欠です。現に、そこで立たせているコルド・ヘイナーは、神族ノーラとの交戦時に肩を負傷し、ノーラの術の影響を受け、片腕がまったく動かない状態が続いておりました。が、彼女が施した『癒楽』の術で、手先が動くようになっています。……この先、神族らとの戦は激化していく。奴らと渡り合うために彼女の力が必要なのです。その偉大な能力を踏み潰そうとは、まるで神族の恐ろしさをわかっていない」

 笑みを浮かべたままだったが、セブンの目元には薄暗い影がかかっていた。グナウドはしばし黙って、セブンと睨み合っていたが、やがてため息混じりに切り捨てた。

「なりませんな。『癒楽』が必要と仰られるなら、正当な『癒楽』の次元師をお探しください」
「……正当な?」
「シーホリーの一族が持つ『癒楽』とは、アディダスのからくりによって引き継がれてきた生半可な力のことを指しているのでしょう。どのような手段を用いたかなど知りませぬが、そのような紛い物ではどの道、太刀打ちできなくなりましょう。正当な『癒楽』の次元の力であれば、肩の傷などたやすく治癒してしまえるが、紛い物ではちんたらと時間をかけなければならない。それでは普通の医術師となんら変わらない」

 はっと鼻を鳴らしたグナウドは、セブンの頭越しに、キールアへと厭らしい視線を投げた。紛い物、と罵られ、キールアは思わず目を伏せた。たしかに正当な次元師かと問われればかなり怪しい。アディダスが遺した産物を、シーホリーの一族らで分割して所持しているに過ぎない。指摘されると返す言葉もなかった。
 セブンは、ふむ、と片手で顎のあたりを撫でた。

「正当な『癒楽』の次元の力であれば、ねえ……。いや、それにしても、初めて耳に入れましたね。あなた方は随分と、シーホリー一族の持つ『癒楽』にお詳しい。次元研究所に勤める我々にもぜひご提供いただきたい内容です」
「御託はいい。話をすり替えようとしないでいただきたい」
「……失礼。そんなつもりは微塵も。そう、かっかなさらないでください」
「! いまここで見せていただいても構わないのですぞ。娘の能力が正当な『癒楽』に匹敵するかどうかを。この場で男の腕を治癒できなければ、娘の力は劣等品だ。正真正銘、シーホリーの一族だと知れるでしょう。さあ、ルーカー殿。いかがなさるか!」

 グナウドは激しい音を立てながら席から立ち上がると、そう怒鳴りつけた。場内の空気は一気に張り詰めたものになる。セブンに注目が集まる。彼はゆっくり息をつくと、提案に乗った。

「いいでしょう。やってみせても構いませんよ」

 言われるやいなや、キールアはひゅっと息を詰めた。
 いますぐにコルドの腕を治せだなんて、無理だ。ヤヤハル島で療養させていたときだって、幾晩もかけて術を行使して、やっと手先の自由が利くようになった程度だったのだ。
 キールアは額に嫌な汗が滲むのを感じた。心の中で何度も首を横に振っていたが、知る由もないセブンはくるりと後ろを振り返って、柔和に微笑んだ。

「君の力を見せてご覧、キールア。大丈夫。そんなに緊張しなくてもいい」

 ただならぬ緊張感がどっとキールアに襲いかかる。耳元で心臓の音がして、鳴り止まない。場内の視線が急に集まるとなおのこと心音が高まった。
 だけども「できません」と頭を下げるくらいなら。なにもせずに逃げるよりは──。
 キールアは口元をきゅっと引き結んでから、コルドのほうへ体を向けると、どこかへと祈りを捧げるように胸の前で指を組んだ。

「次元の扉、発動──『癒楽』。四元解錠、"仇解あだどき"」


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.129 )
日時: 2023/04/16 12:15
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第117次元 純眼の悪女ⅩⅦ

 キールアが詠唱を口ずさめば、コルドの左腕を包むようにして水泡が現れる。薄青色の水泡が三角巾の縁をなぞって、柔らかく発光した。次元の力を目の当たりにする機会のない軍兵たちが、ほう、と物珍しいものを見る目をして、釘付けになっていた。
 薄青色の光は絶えず、コルドの左腕を包んで、じんわりと内側を癒していく。そのうちにキールアの額から、汗がつうと流れた。まだ。まだ解いてはいけない。手応えがない。だんだんとグナウドの顔色に苛立ちが滲んでくると、コルドがそれを横目にし、諦めたように左腕を動かそうとした。水泡がそのとき、ぱんっ、と弾けて散った。
 すぐにコルドは小さく呻いて、奥歯を噛み締めた。項垂れるコルドと、わなわなと震えるキールアの表情を舐めるように見やると、グナウドはおさえきれずに、は、と嘲笑の息を漏らして、口角を吊り上げた。

「……は。はは! いかがか、ルーカー殿。満足いきましたでしょう。その娘では力が及ばない。次元の力の等級くらいこちらとて弁えている。四元は、十ある階級の中では下級に分類される。いまこの場で、それ以上の力を示せぬなら、認められませぬなあ……!」
「なにがそこまで面白いのでしょう」
「何だと」
「次元師も普通の人間も変わりません。技を磨くために鍛錬を積みますよ。そうしなければ得られるものも得られませんから。まだ14、15才ほどの少女に、多大な期待を寄せすぎないであげてください。ああ、それともあなたの率いる軍部では、一切の鍛錬をせずとも、赤子の頃から剣が振るえて、弓が引けるのでしょうか」
「……き、貴様! いい加減その、人をおちょくったような喋り方をやめろっ!」
「ときに」

 間髪を入れずにセブンは、飄々とした声色はそのままに、あくまで穏やか口調で切り込んだ。

「キールアが、正当な『癒楽』の次元師ではないと、なぜ断言ができるのでしょう」
「……は……?」

 グナウドは、セブンがなにを言っているのかわからず、じっくりと眉を顰めた。虚をつかれたような声しか返せなかったのだ。セブンは切長の目をさらに細めて言い募った。

「『癒楽』を有するのはシーホリー以外の人間でもありうる。あなたの言う通り、正当な手段で後継される場合が存在する。あなた方国家の象徴は、"ただ『癒楽』の次元の力を持つ"という理由だけで、もしかしたらシーホリーの血筋でもなんでもない、いたいけな少女を手にかけるのやもしれない」
「抜かすな! だからその娘がシーホリーの血族であることは、報告されているのだ! 何度も言わせ──」

 セブンは、はっと嘲笑を浮かべて強気な目元をたたえると、「まさか」と鋭く突き返した。

「血眼になってその瞳を捜し歩いているあなた方の目に、彼女の瞳の色が紫に映っているとは、仰せにならないでしょうね」

 キールアの琥珀の双眸が大きく見開かれる。このとき、室内に満ちていた喧騒が、嘘のように静まり返った。壁に突き立っていた監視役や軍官らがキールアの顔と、セブンの顔を交互に見やっている。
 グナウドは反射的に黙ってしまったのを口惜しんだが、そうせざるを得なかった。当然、シーホリーの一族を探すには瞳の色を目印にしている。セブンの指摘の通り、キールアの瞳の色が、紫ではないのが最大の懸念点であった。しかし、アディダスの代から100年以上が経過している現代では純血の者はすでに存在しないだろう。血とは混ざり、変化するものだ。瞳の色だって異なった者が生まれてもおかしくはない。ないはずだが、しかし前例はない。机上の空論に過ぎない主張だけを頼りにこれ以上反論をしても不利な状況は覆らないだろう、とグナウドは判断した。背後に控える部下たちも閉口してはいるが、動揺しているような気配をひしひしと感じる。

「…………」
「キールアの身柄を此花隊こちらで預からせていただけますね、グナウド公安長官殿」

 グナウドはしばらく、口元をきつく引き結んで黙っていた。が、しまいにはセブン・ルーカーからの提案の受け入れを余儀なくされた。

 *

 
 外へ出れば日が落ちかかっており、庭園に咲く草花に、橙色の西日がやわく差し込んでいた。鉄格子の門の前まで戻ってくると、おや、とセブンは目を丸くした。レトヴェールが険しい顔をして石壁に寄りかかっていたのだ。

「レトヴェールくん、まさかそこでずっと待っていたのかい」
「……」

 レトは声をかけられると、きっ、とセブンを睨んだ。しかし勝手な行動は慎めと諫められた手前、出方を考えてから、静かな声で訊ねた。

「……あいつの処遇は。どうなったか教えてくれ」

 平静を装ってはいるが、目に不安の色が滲んでいた。差し迫ったレトの表情を見て、セブンはふっと微笑みかけると、後ろからついてきているキールアに「おいで」と声をかけた。小走りで近づいてきたキールアの背中をぽんと叩いて、セブンが言う。

「悪いようにはしないと言っただろう。安心したまえ。此花隊うちで預かることになったよ」
「……」

 レトは一瞬だけ目を見開いて、長い睫毛を伏せると、「そうか」と短く呟いた。レトが安心したのを悟ったセブンは満足げに笑みを浮かべる。
 はあと深く息を吐き、セブンは肩をぐるりと回した。

「さてと。しゃべりすぎて疲れてしまった。コルドくん、すこし付き合ってくれないか? 一服したくてね」
「食事は構わないのですが……我々だけで、ですか?」

 首を傾げ、頭上に疑問符を浮かべるコルドをよそに、セブンはレトとキールアの顔を順番に見た。

「すまないが、君たちは先に2人で宿に向かっていてくれないか。私は休憩がてらすこしコルドくんと仕事の話があるから、あとで向かうよ。地図はもう確認したかい?」
「……。見、たけど」
「それじゃあ問題ないね。……うっかり攫われてしまわないよう、見てあげるんだよ」

 セブンは含みのある笑みを浮かべて、レトに向かって微笑みかけた。ぽかんと突っ立っていたコルドは、満面の笑みをたたえるセブンに促され、あれよあれよという間に年長者たちがこの場から姿を消した。
 
 街の一角で呆然と立ち尽くすレトとキールアからずいぶんと離れたところで、コルドはやっと我を取り戻し、のんきに隣を歩いているセブンに問い質した。

「……はっ。あの、班長。話というのはどちらで? 人気の少ない店を選びましょうか」
「あ、どこでも構わないよ。2人きりにしてあげたかっただけだから」
「はい?」
「水入らずで話したいこともあるだろう。それにほら、逃亡中は気が張っていただろうから、ろくに話ができていないんじゃないかなと思ってね」
「はあ……たしかにそれは、そうかもしれませんが」
「君は本当にこの手の話題に気が回らないね」
「……それは申し訳ありません。勉強不足で」
「はは。冗談だよ。そうへそを曲げないでくれ」

 ラジオスタンの大通りは活気に溢れていて、露店なんかからは美味しそうな揚げ物の匂いが漂ってくる。セブンは小腹が空いたと言って、ふらりと適当な露店に立ち寄った。コルドが慌てて後ろにつくと、焼き串を2本、セブンから手渡された。
 店から離れたあと、串に刺さった団子をひとつ喉に通してから、コルドはため息混じりに口を開いた。

「しかし、緊張しましたよ。さきほどの会議では。瞳のことがわかっていたなら、あれほどもったいぶらなくとも」
初端はなから瞳の色について言及していればもっと円滑に終わっただろうね。でもそれでは、せっかくの会談の席が勿体ない。向こうがどれほど手札を持っているのか知りたかったしね。……思っていた通り、彼らはシーホリー一族の情報を一部秘匿しているようだ。つつけばもうすこし落としたかもしれないけど、今日はこのくらいで限界かな」
「この戦が終わるまでは、向こうも下手な手出しはしてこないでしょう。お見事です」
「……しかしいずれ手出しをしてくるのは目に見えているからね。彼らへの対抗手段としてこちらも手札を得られた。こんな極北まで足を運んだ甲斐はあったかな」

 セブンは懐から、一枚の小さな紙きれをひょいと取り出すと、コルドに笑いかけた。それは会談が行われる前に、レトがコルドにこっそりと手渡した紙きれだった。紙には「目」「悪女の瞳」「宝石になる」──というような文言が雑に並べられていた。レトが、キールアから聞いた話を断片的に書き記したものだろう。
 紙きれを懐にしまいこむと、セブンはコルドが抱えている団子の1本を抜き取った。

「それまでは彼女にも、うちで働いてもらうとしよう。もし物騒なことが起こってもまあ、レトヴェールくんが守ってあげるだろうしね」
 
 幼馴染なんだろう、とセブンは楽しそうに言いながら団子を口に含む。すっかり普段通りの柔和な表情に戻っていて、それからは、適当にぶらぶらと街道を歩きながら2人で時間を浪費した。


  

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.130 )
日時: 2023/04/30 15:17
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第118次元 純眼の悪女ⅩⅧ

 街の一角に取り残されたレトとキールアは、どちらからともなく歩きだして、2人で宿を目指していた。
 大通りから一本通りを外れれば、中央よりかは静かな街道に出た。住居も多く立ち並んでいて、煉瓦造りの屋根に立った風見鶏や、花々が植えられた鉢植えが、夕日の下で慎ましやかな風に吹かれている。

 キールアは、まだ高鳴ったままの心臓のあたりに手を添えて、会議で起こった一連の流れを、頭の中で反芻していた。ぼんやりと歩いていたせいだろう、キールアはふいに足の先がなにかに突っかかる感覚がして、前に倒れそうになった。地面に敷き詰められた石畳の一部が、剥がれてしまっており、そこに彼女の爪先が引っかかったのだ。

「わっ!」
「!」

 キールアの小さな悲鳴が聞こえてきて、レトはすばやく振り返った。咄嗟に、前に倒れそうになったキールアの上半身を、支えるように抱き止める。レトの腕の中で、キールアはぱちぱちと大きな目を瞬かせた。

「大丈夫か、怪我は」
「……。ご、ごめん。大丈夫」
 
 申し訳なさそうにキールアが言うやいなや、彼女は顔を顰め、右足をさっと地面から浮かせた。
 
「捻ったのか。肩貸すから、噴水のとこまで歩けるか」

 キールアはこくりと頷いた。近くの広場では、街道に十字を切るように、水気を吹く噴水が中央に建てられていた。噴水の石段に腰をかけて、キールアは顔を伏せた。

「ごめんね。この程度なら、休めばすぐに歩けるようになるから。あ、でも、すぐに宿に行くなら、治したほうが、いいかな」
「いや、いいよ。時間使っても。……べつにそんなに焦る必要はない」

 レトも石段に腰をかける。背後では水の流れる心地良い音が立っていた。しばらくは会話もなく、手持ち無沙汰に街を行き交う人を眺めたり、噴水の縁に降り立った鳥たちが、ばさりと翼をはためかせる音に耳を傾けていた。
 キールアは視線を落として、捻った右足を動かさないように、気をつけていた。妙にいたたまれなくて、やはりはやく治したほうが良かったかもしれないだとか、適当な話題を探してみたりして、じっと静かにしていた。
 キールアが内心でのみ奮闘していると、ふいに隣から声がかかった。

「俺の言ったこと、覚えてる」

 打たれたようにキールアは額を上げて、レトが座っているほうに顔を向けた。

「お前に話があるって言った、あれ」
「……。うん。……覚えてる」
 
 キールアは頷いたが、唐突に、指の先から足元までこわばった。わざわざあらたまって話とは、いったい何の用だろうか。キールアにはまったく見当もついていなかった。次第に水の音も、鳥の声も遠のいて、聞こえてくるのは耳元についた心音だけになった。
 なおもレトは、キールアの顔を見ていなかったが、黙って待っていれば、彼は小さく呟くように言った。

「ごめん」
「……。え? そんな、レトヴェールくんが謝るようなことなんて、なにもないよ。ずっと助けてもらってるのはむしろ、わたしのほうで……」

 慌ててキールアは返そうとしたのだが、それを遮るように、レトが口を開いた。

「『お前なんて友だちじゃない』……って。言っただろ、お前に。3年前」
 
 心臓が跳ねる。
 まるで予想もしていなかった、記憶が思い起こされて、キールアは口を閉ざした。瞬間的に脳裏に蘇ってきたのは、3年前の、蒸し暑いある夏の日暮れだった。


 体調を崩しがちなエアリスの薬を受け取りにシーホリーの家に足を運んで、帰り道は、レトとキールアの2人きりだった。2人は両手にいっぱいの薬袋を抱えて、ともにレイチェル村の畦道を歩いていた。会話はほとんどなく、歩くのが早いレトに、キールアは何度か置いていかれそうになった。せめて並んで歩きたかったキールアは小走りになりながら、レトのすこし後ろについた。

『……ねえ、もうちょっと、ゆっくりがいいよ。薬袋、落としちゃうよ』
『……』
『おばさん、元気になるといいね。でもお母さんの薬はね、とっても効くから。きっと元気になるよ』
『……』

 夕焼けに染まった畦道には、蛙の鳴き声がかすかに響いていた。
 一向に黙ったままのレトの横顔をじっと見てから、なにかを決意すると、キールアが足を止めた。しかし彼は知らん顔をして、たった1人で歩いているみたいに変わらない速度で、どんどん道の先を歩いた。

『れ……レトヴェールくんっ。なんで先行っちゃうの? わたしとは、お話もしたくないの?』

 キールアはたまらなくなって、道の真ん中で、声を張り上げていた。
 怖くても話しかけたのに。勇気を出して、訊いてみたのに。先を歩くばかりのレトはちっとも返してくれなくて、いよいよキールアは感極まって、目尻に涙を滲ませた。

『……なんで、むし、するの? わたしと、レトヴェールくん、友だちじゃない……?』
『友だち?』

 ようやく口を利いた彼は、冷ややかな声でぼそりと呟いて、立ち止まった。次の瞬間に振り返ったレトの表情には、ひどくどす黒い感情がむき出しになっていた。

『お前なんて友だちじゃない。そんなの、頼んだ覚えもない』
『…………』

 きつく眉根を寄せて、突き放すようにレトが言う。キールアは絶句した。目を見開いたまま動けなくなって、二つに結いあげた髪の毛だけが、さあっと吹いた風に揺れた。
 レトは、キールアの目の前までつかつかと歩み寄ってくると、キールアの腕から薬袋を取り上げた。

『もう俺が2つとも持つから』

 キールアの返事も聞かずに、レトは2つの袋を両腕に抱えこんで、さっさと踵を返した。道の真ん中にキールアを置き去りにして畦道の先へと消えてしまったのだ。
 
 心に深く巣食ってしまったあの日の会話は、脳裏に掠めるだけでも、キールアの胸をひどく締めつけた。どうせ言った本人は忘れているだろう、と思い込んでいた。たとえ覚えていたと知っても、キールアの顔色は曇っていた。

「…………」
「……あれは、……あれを言ったのは、お前のことが……嫌いだったんじゃない」
「じゃあ、どうして」
 
 夜更けよりもうんと静かな、しかし底冷えするような低い声で、キールアは問いかける。
 会話は途切れ、長い沈黙が訪れた。

 彼女との距離は常に推し測ってきた。近くにいようといまいとも。近づいたように見えて、すぐに壁が築かれてしまうのは、自分の行いのせいだと自覚があった。
 レトは口元を強く結んで、じっとしていた。が、やがて薄く唇を開くと、決心したように告白した。

「……元気な母親がいて、帰ってくる父親がいて、血の繋がった姉弟がいるお前が……ただただ、羨ましかったんだ」

 噴水の高い飾りに止まっていた鳥たちが、ぱさぱさっと、翼をはためかせて飛び立つ。
 キールアは大きな瞳を丸くして、静止していた。

「……。……え?」

 すぐに言葉が出てこなくて、戸惑ったような声だけが口をついて出た。

「……だから、ずっと、ただお前に……、それを言えなくて、むしゃくしゃしてあんなこと言った。だから謝りたかった。でもお前に会えても、いざ、言おうとすると、なんて言ったらいいかわかんなくなって。……それもぜんぶ、ひっくるめて、ごめん」
「……」
「お前は悪くないのに、あたって、悪かった。忘れろとは言わねえよ」

 ──いつも、ふとした折にレトは、なんとキールアに告げたものかと繰り返し、繰り返し考えてきた。彼女が怯えない声色を、引け目に思わない言い方を、常に想像してみては頭の片隅に残してきた。相手の人間性を意識せず、言い訳という逃げ道を探りながら話すのでは、前進しない。それらがまったく得意でなかったレトはだから、非常に言いにくそうにしていたのだ。キールアを傷つけずに胸の内に抱いていた感情を伝えるのには、回りくどい外堀など取っ払って、ありのまま言葉に換える。何度考えてみても、それ以外には思いつかなかった。

 レトは顔を上げて、まっすぐにキールアの目と向き合っていた。彼の口ぶりはたどたどしかったし、瞳も不安げに揺れていた。
 黙ってキールアの反応を待っていたレトだったが、キールアの顔を見ていたら、ぎょっとした。
 彼女の頬に一筋の涙が伝ったのだ。

「っ、おい」
「ごめ、ごめん……なさ、っ。だって、」

 つう、ともう一筋、跡を滑り落ちた涙が、キールアの膝元にじんわりと染みた。涙はふたつ、みっつと、ぱたぱたとこぼれ落ちていく。ためこんでいた思いの数だけ、震えていた声の分まで、琥珀の瞳は艶やかに濡れた。
 
 母や、父や、弟──。シーホリーの因縁などなにも知らなかった琥珀の瞳の少女は、さぞ幸せに暮らしているように見えただろう。レトの視線に立ってみれば無理もなかった。それらを羨ましがられていたとは微塵も気がつかなかった。
 そして、一夜にして無惨にも奪われたからこそ、レトは、キールアを敬遠していた本当の理由を言えなくなったのだ。

 キールアはここにきてようやく理解した。レトが、ごめんの一言を告げるのにあれほど躊躇していたのは、キールアの傷を抉ってしまうことを恐れて、避けたからなのだ、と。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.131 )
日時: 2023/05/14 12:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第119次元 純眼の悪女ⅩⅨ(最終) 

 形容しがたい感情が次から次へと押し寄せてきて、キールアの胸につかえる。苦しくなって、彼女は胸元を強く抑えこんだ。大きくしゃくりあげると、キールアは呼吸を整えて、ぽつぽつと、声をもらした。

「わたし、ずっとレトヴェールくんに……きらわれてるって、おもってて、友だちじゃないんだ、もうなかよくなれないんだって、あの日から、おもってて」
「……」
「だから、……だから、ね」

 情けなく、汚い声になっても、レトは黙って、キールアの言葉に耳を傾けていた。

「教えてくれて、言ってくれて……、やっと、わかった。言いづらかった、でしょ、ごめんね。ありがとう」

 逸らさずに、レトヴェールの目を見つめ返せたのは、久しぶりだった。キールアは悪女になりきれなかった琥珀の瞳を細めた。言葉尻には笑っているつもりだったのに、彼女は涙をとどめきれずに、中途半端に頬を緩ませた。
 遠くからからん、からんと大鐘を鳴らす音が聴こえてきて、キールアははっとする。通りを挟んで立ち並ぶ家屋の屋根に夕日が沈みかけていた。目元をぐしぐしとこすってから、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。

「こんなところで、泣いちゃってごめんね。そろそろ宿に行かないとだよね。もう足も平気になったから」

 キールアが立ち上がろうと身じろぐと、すっくとレトは腰を浮かせて、彼女の目の前に立った。なにも言わずに彼は手を差し出す。キールアは差し出された手をしばらく見つめて、それからおずおずと手を取ると、石段から立ち上がった。
 しかし、レトがその手をなかなか離さなかった。歩きだすような素振りも見せない。困惑したキールアが口を開きかけると同時に、声がした。

「俺と友人になってくれないか」
 
 まだ濡れていた琥珀の瞳に、橙の、か細い光が差す。やわく繋がれた手元が震えているように感じた。それが彼なのか、自分のせいなのかも曖昧だった。
 ぱさぱさっ、と、石畳をつついていた鳥の群れが、翼をはためかせて飛び去っていく。

「……」
「……」
「……いいの……?」

 呟くような声でキールアは言って、空いていたもう片方の手を出すと、両手に包みながら彼の手を握り返した。

「……わたし……、……友だち、になりたかったの。……レトヴェールくんと。だから、だから……嬉しい。──わたしも……なりたい」

 上手く伝わった、だろうか。しんとした、穏やかな静寂が訪れたけれども、悪い心地にならなかった。返事を待つほんのすこしの間も手を重ねていた。とくとくと、早まっていく心音が、耳の奥から聴こえてくる。
 「うん」と小さな声が降ってきたときには、飴色に焼け昏れていく家々の屋根に、薄い紫光が落ちていた。

 夜を迎えようとしている静かな街並みに沿って通りを歩いていけば、洒落た提灯で表の戸が照らされた宿屋に到着した。キールアが湯を済ませて廊下に出たら、隊服を羽織ったままのレトが壁際で待機していた。2人は窓口前の長椅子に腰かけながら、ゆったりとまどろんでいた。しばらく過ごしていれば、セブンとコルドも宿の戸をくぐって入店してきたのだが、外で飲んできたのかぐったりとしているコルドにセブンが肩を貸していた。項垂れているコルドとは打って変わって、セブンは機嫌が良さそうだった。
 
 ラジオスタンで夜を明かした4人は翌日、エントリアに向けて馬を走らせた。

 *

 到着したばかりで馴染みのない此花隊本部の廊下を、キールアはこつこつと靴底を鳴らしながら歩いていた。客人用の宿泊棟から東棟までの道のりは、一度聞いてから、何度も頭の中で辿ったから、覚えているはずだ。
 廊下をまばらに行き交う人たちが皆一様に、白や灰色の隊服に身を包んでいて、キールアは俯きがちになっていた。履き潰したぺたんこの靴が視界に入った。
 指示された部屋の前までやってくると、キールアは深呼吸をした。扉の表面についた金板に『班長室』と掘られているのを何度も確認してから、扉を二度叩いた。間もなく「どうぞ」という男性の声がして、キールアは入室した。

「遅くに呼びつけて申し訳ないね。明日は朝から予定があって、しばらく立て込むんだ。ああ、突っ立っていないで、こっちに来てくれて構わないよ。あまり片付けもしていなくて、いや、恥ずかしいな」
「いいえ、そんな」
「楽にしてくれていい。すこし待っていてくれ」

 そう言ってキールアを迎え入れると、セブンは執務机の上に雑多に積まれた書類の中を漁り始める。
 緊張した面持ちで、キールアは部屋の中央まで歩み進める。組織全体で四つに分割された部班のうちの一つの責務を任されている班長の執務室。それにしては雑然としており、壁際にはずらりと本棚が並べられているし、心なしか狭いように感じた。
 手持ち無沙汰にきょろきょろと見回していると、セブンが手招きをした。

「こっちにおいで」
「あ、はい」

 反射的に背筋がぴんと伸びて、キールアはおずおずと執務机の前まで近づいた。セブンは手元の書面を見ながら言った。

「君を入隊させるにあたり、いくつか話をと思って呼んだ次第なんだけれど」
「はい」
「まず私はね、君が本物だと思っているよ。キールア・シーホリー」

 書面から視線を上げ、セブンはキールアの顔を見ると、そう告げた。キールアの喉元がこくりと小さく鳴る。
 困惑の色に染まった琥珀色の両目をじっくりと眺めたまま、セブンは続けた。

「ただ君の瞳がなぜ紫でないのかなど、いろいろ疑問は残っているのだけれど、私にとってはさして重要ではない。欲しかったのは君の力だ。あの場で言ったことは嘘じゃないよ。私は、神族との争いが激化していくと予想している。小さな力ひとつでも取り逃したくないんだ。それが勝機に繋がるならね」
「……。はい」
「さて」
 
 セブンは仕切り直して、手に持っていた1枚の書類をキールアの前に差し出した。

「先日の会談後に、政会から書簡が届いていた。君に対していくつか誓約を立てさせてほしいそうだ。懲りない連中でね。まるで脅迫文のようだが、大した内容は含まれていない。大事なのはいま政会との間に余計な火種を生まないことだ。目を通して、問題なければ判を押してくれ」

 差し出された書類を受け取って、キールアはその書面に視線を落とした。小難しい言葉で記載されている、誓約に係る文面を確認する。しばらく黙っていたのだが、やがて筆を借りて、誓約書の下の方に名前だけを記した。最後に指で判を押し、セブンに返却する。
 セブンは署名と判とを一瞥してから改めて言った。

「再三言うようで悪いが、君の身を預かる以上、こちらはリスクを背負う。忘れないでくれたまえ。下手をすれば政会の信用を落とし、かろうじて保っているいまの信頼関係が崩れるだろう」

 間を置かずにキールアが頷いた。すでに承知の上だろう。脅しかけられても彼女の目は動揺していなかった。
 セブンはふっと微笑んで、受け取った書類を机の上に置くと、キールアの目の前で指を2本立てた。

「そこで、私から君に望むことが2つある」

 キールアは目を見開く。固唾を飲んで、セブンの次の言葉を待った。彼は、さきほど机の上に置いた書類の裏面をとんと指で弾いた。

「1つはシーホリーの姓を名乗らないこと。いついかなる場合であっても、必ずだ。できるね」
「……はい」
「もう1つは」

 机上に肘をついて指を組むと、セブンは前のめりになる。
 切長の瞳をさらに細めて彼は言い放った。

「真価を示してくれ。君がただの次元師でも、シーホリーの血族でもない。君が背負っているすべての負荷要素を覆す、君自身の価値を我々に示せ」

 語気はきわめて穏便であったが、鋭い寒気が背筋に走るのを感じて、キールアは目を瞠った。
 しかしそれも一瞬だった。

 彼女は静かに睫毛を揺らし、ゆっくりと瞼を閉じると、丁寧に礼をした。

「──はい、必ず。このご恩は、決して忘れません」

 愛らしい声色の奥。わずかに混じった、幼くも凛とした響き。
 未だ何ものにも侵されていない、純な双眸が、持ち上がる瞼の下から覗く。部屋の窓の向こう、小さな月が雲間から顔を出すと、ひと匙の月光が琥珀色に差しこんだ。

 
 行き先はもう決めた。友が歩く道の上なら、隣に立ち、彼の見る景色をこのに映したいのだ。


  
 *「純眼の悪女」編 終