コメディ・ライト小説(新)

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.176 )
日時: 2025/06/22 21:00
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)

  
 第158次元 来客

 イルバーナ侯爵家の別邸は、調度品の類が最低限の用意であるだけで、ほとんど不自由はなかった。過剰なくらいに生活感がなく、人も物もはけているのは、意図的に取り払われたからにほかならない。現当主の祖父──チェシアの実父にあたる──が金と酒と女に溺れ、エントリアの街一番の踊り子や楽団を招き、頻繁に宴会を催していたのがこの場所だ。父もこの別邸も疎んでいたチェシアが一度もここを訪れなかったので、一族の人間の足は自然と遠のいていった。
 
 いっとう華やかな灯りと甘美な香り、そして娯楽に興じる人々の声で満たされていたのが嘘のように、現在では、玄関も広間も客室も、どこをとってもなんとも慎ましやかな様相に様変わりしている。
 そんな、生活感のしない客室のひとつに居所を縛られ、レトヴェールは暇を持て余していた。セブンから軟禁を言い渡された昨日から、彼は狭い室内で、新鮮な不満を募らせていた。
 本の一冊もないせいで無為に時間を貪っていると、部屋の扉の向こうから話し声が聞こえてきた。内容までは聞き取れなかったが、レトの監視役を務めているコルドが、だれかと話をしているようだ。ややあって、扉が開いた。
 部屋に入ってきたのは、冷や水の入った桶を両手に抱えた、キールアだった。

「まだ、治ってない傷があるよね。わたしも、元力が戻ってきたから、次元師のみんなの治療に取りかかれるようになったの」

 キールアは、朝に目を覚ましたときからずっと用意していた言葉を、いかにも自然な体を装って、レトに投げかけた。しかしいざ二人の視線が重なると、微妙な沈黙が生まれた。
 つい、扉の前で立ち止まってしまって、 キールアはすぐに後悔した。
 ふいにレトが、自身が腰かけている寝台の毛布に軽く触れて、口を開いた。

「ロクを神族だと知ったのは、あいつが次元の力に目覚めた日の、次の日。覚えてるだろ」

 びくり、と手元が震えて、キールアは思わず、桶にためた水をこぼしそうになった。
 すぐにでも訊きたいのが顔に出ていたのだろうか。隠すつもりでやってきたのに、見抜かれてしまったようだった。
 キールアは、桶の中で揺らめく水面と、それに半身を浸からせた布を見下ろした。そして、桶の水をこぼさないように、ゆっくりと歩きだし、レトのもとへと近寄っていった。

「うん」

 ロクアンズが次元の力『雷皇』に目覚めた日といえば、レイチェル村にやってきた元魔に村の少年が捕まってしまい、彼女が次元の力をもってそれを撃退したのだ。レトとキールアもその場に居合わせていた。大きな怪物の目がぎょろぎょろ動くたびに怖かったのを、キールアはよく覚えている。
 床の上にそっと桶を置いて、自身もレトの隣に腰かけると、あらためて傷跡を診た。レトは、キールアに委ねて、じっとしていた。

「あいつは丸一日くらい寝てたんだっけな。寝ている間、何度か苦しそうな顔をしてた。それで俺が看病をするために、あいつの部屋を訪れたとき、偶然だった。……ロクの右目が、突然、開いたんだ」
「!」
「左目の色とは違って、真っ赤だったのが、そのときは恐ろしかった。ただ、両目の色が違う人種はいるし、あいつもそうかもしれないと思った程度で、そのときは深く気にしてなかった。……でも、【DESNY】と遭遇して、あいつも神族だとわかったんだ」

 なぜ、突然に、しかもあとにも先にもそのときだけ右目が開いたのか、レトにはわからなかった。推測するとしたら、初めて次元の力を使ったのが大きく影響しているのかもしれない。
 デスニーと相まみえたレトは、「おまえも神族なのか」と腹を決めてロクに問うべきかを迷ったが、やめた。ロクが、義母であるエアリスの墓前で枯れるまで泣いているのを横目にして、どうでもよくなってしまった。だから、たびたびレトは、ロクが神族だと忘れそうになった。無理にロクと張り合おうとしなかったのは、彼女が人間ではなく、もっと大きな存在だと気づいていたせいもあった。
 
 キールアは、相槌を打ちこそすれ、余計な言葉を挟まなかった。ただ、持ち前の『癒楽』の力で、大きな傷から一つひとつ、もとの正常な状態へと戻していく。力を施すと余計に、患部が熱を持ってしまうので、その都度冷や水に浸けた布を押し当てて、腫れを引かせるようにした。
 ふとレトが口を閉ざして、二人の間に沈黙が訪れると、キールアはそっと口を開いた。

「ありがとう、教えてくれて。……あのね、レトくん。わたしも……どうしても、思えないの。ロクが、心を操っているとか、わたしたちを騙しているだなんて」
「……」
「わたしが、ロクのこと、まだ大好きで、この先もずっと大好きでいたいこの気持ちは……正真正銘、わたしのものなんだって思う」

 頬にくっくりと残っている、青い大きな痣に、キールアは薬を染みこませた布を当てるとともに、優しく触れた。これ以上傷つけないように。傷つかないように。昨日の会議では、きっと彼が人一倍傷ついたはずだった。なのに昨日、なぜレトの傍についてやらなかったのだろうとキールアは一晩悔やんでいた。ロクのことで動揺をして、頭がついていかなくて、周囲の大きな声に萎縮して、つい立ち竦んでしまったのが、友人として情けなかった。
 キールアは、どうしても言いたかったことだけを伝えると、あとは治療に専念した。そしてあらかたの処置を終えて、最後に包帯を新しいものに取り換えると、一息をついた。
 
「あとは、経過を見させてね。もう行かなくちゃいけないから、わたしはここで」
「いいや、むしろ、悪かったな。俺の世話までさせて」
「診てくれって、言ってくれたでしょ? だから……悪いこと、ないよ」
「……」
「目を覚ましてよかった」

 はっとした顔で、レトがキールアのほうを向くと、彼女は恥ずかしそうにはにかんでいた。そして手持ちの片付けをさっさと済ませ、また来るね、とそう声をかけてから彼女は部屋をあとにした。
 悪かった──のは、治療で面倒をかけたのと、ロクについて黙っていたことの、二つあった。ずいぶん驚かせたに違いないのに、キールアは多くを訊いてもこなければ、大げさに動揺してもいなかった。無自覚のうちに、レトは、そんな彼女の態度に救われていた。
 ぼんやりしていると、あまり間を置かないうちに、扉が叩かれた。

「客人が多いな」

 扉を開けて中に入ってきた人物をみとめてすぐに、レトはきつく眉をしかめた。
 穏やかだが、貼りつけたような笑みを向けてきたセブンが、静かに扉を閉める。そして颯爽とした足取りでレトの目の前まで歩いてきた。
 レトは不機嫌を隠すつもりがなく、目に警戒の色を宿していた。

「なんの用だ。洗脳されている人間とまともな会話は成立しないはずだ」
「随分と、棘のあることを言うね。昨日の仕返しかな。安心したまえ。ハルエールの話をしに来たわけじゃないよ」

 肩を竦めたセブンは、昨日よりかは幾分か和らいだ声色になっていた。
 それから彼は、狭い室内をわざとらしくゆったりと見渡して、言った。

「一日はもったようだけど、早く出たいんじゃないかと思ってね」
「閉じこめた張本人のくせに、よく言えるな」
「それは悪いね。私にも立場がある」

 まったく悪びれがなさそうにさらりと返したセブンの顔を、レトは真正面から見られなかった。どちらかというと、見たくもなかった。昨日、ロクを指さして好き勝手に憶測を並べた口や、疑いの目、きつく寄せられた眉も、なにもかも、いまは視界に入れたくない。
 あきらかな拒絶を受け、セブンが短い息を吐いたとき、レトが応えた。

「当然、早く出してもらいたい。あいつになんの説明もしてないんだ。俺が知ってたことも驚かせた。ロクと話をさせてくれ」

 セブンはそれを訊くと、口元に弧を描いて、指を一本立てた。
 
「では、条件を出そう。飲んでくれたら君を解放する」
「なんだ」
「我々は、この拠点もいずれ移動する。長居はできないからね。だから、長期的に滞在できる新しい拠点を探しているんだ。……そこで、君に協力してほしいことがある。単刀直入に言うと、かつてエポール王家が所有していた何邸かの屋敷への滞在許可がほしいんだ」

 セブンの探るような目を一瞥だけして、ふいに寝台から立ち上がると、レトは壁にかかった小さな額縁の絵画を見つめた。エントリア領内には自然が多く、いったいどこからの景色を切り取ったのか、青々と茂る丘の絵は、淡い絵の具で描かれていた。
 
「申し出る相手を間違えてる。そもそも、ここ一帯は、王城も含めてエントリア領だ。点在している旧王族たちの私邸も、ほかにいくつあるか知らん屋敷も、イルバーナ侯爵家の使用人が手入れをしてるそうだな。副隊長にでもまたかけ合ったらいい」
「おや」

 セブンは顎を撫で、大げさに感嘆の声をもらした。それから、レトの背中に向かってこう続けた。

「では、噂だったのかな。エントリア領で唯一……レイチェル村だけが現在もエポール一族の私有地であるのは」
「──」
「ああ、間違えた。村ではなく、"レイチェル庭園"──だったかな」

 振り返ったレトの目の色が変わっていた。
 セブンはまた口元に怪しげな笑みをたたえて、相手の顔色を伺うように首を傾げた。