PR
 
コメディ・ライト小説(新)
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.176 )
- 日時: 2025/07/11 09:33
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-   
 第158次元 来客
 
 イルバーナ侯爵家の別邸は、調度品の類が最低限の用意であるだけで、ほとんど不自由はなかった。過剰なくらいに生活感がなく、人も物もはけているのは、意図的に取り払われたからにほかならない。現当主の祖父──チェシアの実父にあたる──が金と酒と女に溺れ、エントリアの街一番の踊り子や楽団を招き、頻繁に宴会を催していたのがこの場所だ。父もこの別邸も疎んでいたチェシアが一度もここを訪れなかったので、一族の人間の足は自然と遠のいていった。
 
 いっとう華やかな灯りと甘美な香り、そして娯楽に興じる人々の声で満たされていたのが嘘のように、現在では、玄関も広間も客室も、どこをとってもなんとも慎ましやかな様相に様変わりしている。
 そんな、生活感のしない客室のひとつに居所を縛られ、レトヴェールは暇を持て余していた。セブンから軟禁を言い渡された昨日から、彼は狭い室内で、新鮮な不満を募らせていた。
 本の一冊もないせいで無為に時間を貪っていると、部屋の扉の向こうから話し声が聞こえてきた。内容までは聞き取れなかったが、レトの監視役の者が、だれかと話をしているようだ。ややあって、扉が開いた。
 部屋に入ってきたのは、冷や水の入った桶を両手に抱えた、キールアだった。
 
 「まだ、治ってない傷があるよね。わたしも、元力が戻ってきたから、次元師のみんなの治療に取りかかれるようになったの」
 
 キールアは、朝に目を覚ましたときからずっと用意していた言葉を、いかにも自然な体を装って、レトに投げかけた。しかしいざ二人の視線が重なると、微妙な沈黙が生まれた。
 つい、扉の前で立ち止まってしまって、キールアはすぐに後悔した。
 ふいにレトが、自身が腰かけている寝台の毛布に軽く触れて、口を開いた。
 
 「ロクを神族だと知ったのは、あいつが次元の力に目覚めた日の、次の日。覚えてるだろ」
 
 びくり、と手元が震えて、キールアは思わず、桶にためた水をこぼしそうになった。
 すぐにでも訊きたいのが顔に出ていたのだろうか。隠すつもりでやってきたのに、見抜かれてしまったようだった。
 キールアは、桶の中で揺らめく水面と、それに半身を浸からせた布を見下ろした。そして、桶の水をこぼさないように、ゆっくりと歩きだし、レトのもとへと近寄っていった。
 
 「うん」
 
 ロクアンズが次元の力『雷皇』に目覚めた日といえば、レイチェル村にやってきた元魔に村の少年が捕まってしまい、彼女が次元の力をもってそれを撃退したのだ。レトとキールアもその場に居合わせていた。大きな怪物の目がぎょろぎょろ動くたびに怖かったのを、キールアはよく覚えている。
 床の上にそっと桶を置いて、自身もレトの隣に腰かけると、あらためて傷跡を診た。レトは、キールアに委ねて、じっとしていた。
 
 「あいつは丸一日くらい寝てたんだっけな。寝ている間、何度か苦しそうな顔をしてた。それで俺が看病をするために、あいつの部屋を訪れたとき、偶然だった。……ロクの右目が、突然、開いたんだ」
 「!」
 「左目の色とは違って、真っ赤だったのが、そのときは恐ろしかった。ただ、両目の色が違う人種はいるし、あいつもそうかもしれないと思った程度で、そのときは深く気にしてなかった。……でも、【DESNY】と遭遇して、あいつも神族だとわかったんだ」
 
 なぜ、突然に、しかもあとにも先にもそのときだけ右目が開いたのか、レトにはわからなかった。推測するとしたら、初めて次元の力を使ったのが大きく影響しているのかもしれない。
 デスニーと相まみえたレトは、「おまえも神族なのか」と腹を決めてロクに問うべきかを迷ったが、やめた。ロクが、義母であるエアリスの墓前で枯れるまで泣いているのを横目にして、どうでもよくなってしまった。だから、たびたびレトは、ロクが神族だと忘れそうになった。無理にロクと張り合おうとしなかったのは、彼女が人間ではなく、もっと大きな存在だと気づいていたせいもあった。
 
 キールアは、相槌を打ちこそすれ、余計な言葉を挟まなかった。ただ、持ち前の『癒楽』の力で、大きな傷から一つひとつ、もとの正常な状態へと戻していく。力を施すと余計に、患部が熱を持ってしまうので、その都度冷や水に浸けた布を押し当てて、腫れを引かせるようにした。
 ふとレトが口を閉ざして、二人の間に沈黙が訪れると、キールアはそっと口を開いた。
 
 「ありがとう、教えてくれて。……あのね、レトくん。わたしも……どうしても、思えないの。ロクが、心を操っているとか、わたしたちを騙しているだなんて」
 「……」
 「わたしが、ロクのこと、まだ大好きで、この先もずっと大好きでいたいこの気持ちは……正真正銘、わたしのものなんだって思う」
 
 頬にくっくりと残っている、青い大きな痣に、キールアは薬を染みこませた布を当てるとともに、優しく触れた。これ以上傷つけないように。傷つかないように。昨日の会議では、きっと彼が人一倍傷ついたはずだった。なのに昨日、なぜレトの傍についてやらなかったのだろうとキールアは一晩悔やんでいた。ロクのことで動揺をして、頭がついていかなくて、周囲の大きな声に萎縮して、つい立ち竦んでしまったのが、友人として情けなかった。
 キールアは、どうしても言いたかったことだけを伝えると、あとは治療に専念した。そしてあらかたの処置を終えて、最後に包帯を新しいものに取り換えると、一息をついた。
 
 「あとは、経過を見させてね。もう行かなくちゃいけないから、わたしはここで」
 「いいや、むしろ、悪かったな。俺の世話までさせて」
 「診てくれって、言ってくれたでしょ? だから……悪いこと、ないよ」
 「……」
 「目を覚ましてよかった」
 
 はっとした顔で、レトがキールアのほうを向くと、彼女は恥ずかしそうにはにかんでいた。そして手持ちの片付けをさっさと済ませ、また来るね、とそう声をかけてから彼女は部屋をあとにした。
 悪かった──のは、治療で面倒をかけたのと、ロクについて黙っていたことの、二つあった。ずいぶん驚かせたに違いないのに、キールアは多くを訊いてもこなければ、大げさに動揺してもいなかった。無自覚のうちに、レトは、そんな彼女の態度に救われていた。
 ぼんやりしていると、あまり間を置かないうちに、扉が叩かれた。
 
 「客人が多いな」
 
 扉を開けて中に入ってきた人物をみとめてすぐに、レトはきつく眉をしかめた。
 穏やかだが、貼りつけたような笑みを向けてきたセブンが、静かに扉を閉める。そして颯爽とした足取りでレトの目の前まで歩いてきた。
 レトは不機嫌を隠すつもりがなく、目に警戒の色を宿していた。
 
 「なんの用だ。洗脳されている人間とまともな会話は成立しないはずだ」
 「随分と、棘のあることを言うね。昨日の仕返しかな。安心したまえ。ハルエールの話をしに来たわけじゃないよ」
 
 肩を竦めたセブンは、昨日よりかは幾分か和らいだ声色になっていた。
 それから彼は、狭い室内をわざとらしくゆったりと見渡して、言った。
 
 「一日はもったようだけど、早く出たいんじゃないかと思ってね」
 「閉じこめた張本人のくせに、よく言えるな」
 「それは悪いね。私にも立場がある」
 
 まったく悪びれがなさそうにさらりと返したセブンの顔を、レトは真正面から見られなかった。どちらかというと、見たくもなかった。昨日、ロクを指さして好き勝手に憶測を並べた口や、疑いの目、きつく寄せられた眉も、なにもかも、いまは視界に入れたくない。
 あきらかな拒絶を受け、セブンが短い息を吐いたとき、レトが応えた。
 
 「当然、早く出してもらいたい。あいつになんの説明もしてないんだ。俺が知ってたことも驚かせた。ロクと話をさせてくれ」
 
 セブンはそれを訊くと、口元に弧を描いて、指を一本立てた。
 
 「では、条件を出そう。飲んでくれたら君を解放する」
 「なんだ」
 「我々は、この拠点もいずれ移動する。長居はできないからね。だから、長期的に滞在できる新しい拠点を探しているんだ。……そこで、君に協力してほしいことがある。単刀直入に言うと、かつてエポール王家が所有していた何邸かの屋敷への滞在許可がほしいんだ」
 
 セブンの探るような目を一瞥だけして、ふいに寝台から立ち上がると、レトは壁にかかった小さな額縁の絵画を見つめた。エントリア領内には自然が多く、いったいどこからの景色を切り取ったのか、青々と茂る丘の絵は、淡い絵の具で描かれていた。
 
 「申し出る相手を間違えてる。そもそも、ここ一帯は、王城も含めてエントリア領だ。点在している旧王族たちの私邸も、ほかにいくつあるか知らん屋敷も、イルバーナ侯爵家の使用人が手入れをしてるそうだな。副隊長にでもまたかけ合ったらいい」
 「おや」
 
 セブンは顎を撫で、大げさに感嘆の声をもらした。それから、レトの背中に向かってこう続けた。
 
 「では、噂だったのかな。エントリア領で唯一……レイチェル村だけが現在もエポール一族の私有地であるのは」
 「──」
 「ああ、間違えた。村ではなく、"レイチェル庭園"──だったかな」
 
 振り返ったレトの目の色が変わっていた。
 セブンはまた口元に怪しげな笑みをたたえて、相手の顔色を伺うように首を傾げた。
 
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.177 )
- 日時: 2025/06/29 17:55
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第159次元 思惑
 
 「やっと真剣に話を聞いてくれる気になったかい。レトヴェール・エポールくん」
 「なにが言いたい」
 「ずっと言っているだろう。いまや君に所有権があるレイチェル庭園、その広大な敷地内に建てられている何棟もの屋敷、それらへの滞在許可を君からもらいたいとね」
 「噂だ」
 
 じっと探るような目で見られている、と気がついたセブンは、壁際に立っているレトヴェールに近づくように、緩慢に一歩を踏み出した。そして声を潜めて言った。
 
 「"鍵"を、君が持っているんだろう。母君から受け取っているはずだよ」
 「……」
 
 レトは黙りこんだ。
 そして、するりとセブンの横をすり抜けると、寝台に腰を下ろす。
 諦めと、すこしの動揺を含んだため息をつき、レトは観念して独り言ちた。
 
 「……そこまで知ってるとは思わなかったな」
 
 笑みを崩さないままセブンも壁にもたれかかって、すぐに補足した。
 
 「最近になるまで知らなかったよ。コルドくんから聞いた話がほとんどだ。彼の実家は根っからの、王政復刻派だからね。王政の廃止宣言が公布された当時はとくに、王家の動きに注目していたんだろう。随分と詳しいことを知っていたよ」
 「あの家、エポールの家に相当関心があるな」
 
 コルドの兄、シェイド・ギルクスいわく、ギルクス侯爵家の人間は幼い時分から王制時代のエポール王家の肖像画を目に焼きつけるのだという。シェイドの顔つきを見れば、たとえ王座から退いて二百年という月日が経とうとも、忠誠心を失わず時代を繋いできたのがわかる。彼らの徹底した教育には脱帽せざるを得ない。
 レトは思い出すような目をして語った。
 
 「あんたの言う通り、母さんから鍵を受け取った。亡くなるすこし前に。レイチェル村……いや、あのあたり一帯のレイチェル庭園に限り、領主はエポール家とされていることも教わった。ただ母さんも、たぶんいままでも、エポール家は表立った行動はしてない。表向きはイルバーナ侯爵家のもののように映り、村を取り仕切るのは村長の役目だからな」
 
 村としての形を成したのは、メルドルギース王国最後の国王、エオトーナ女王がその座を退いたあと、ひっそりと暮らすようになってからだった。王城付きの使用人をはじめ、女王を支援していた主要な後見人たちが彼女を守るために庭園に家を拵え、いつしかそこは"レイチェル庭園"から"レイチェル村"へと名前を変えた。
 レイチェルとは、メルドルギース王国を建国した初代国王、レイヴィエルフ・エポールの最初の息子の名前だという話も有名である。誕生した後継者に、祝いとして広大な庭園を与えたのだ。
 
 レトは、母を失ってすぐにレイチェル村の村長のもとへ話をつけにいった。此花隊に入隊すると決めていた彼は、村を不在にする旨と、今後の村の管理をすべて委任すると伝えた。もともとエアリスも村の情勢にはほとんど手を出していなかったので、さして影響はない。村長は寂しそうな目をしていたが、深く礼をし、送り出してくれたのだった。
 ぼんやりと思い出していると、レトははっとして、ふたたびセブンを睨んだ。
 
 「ていうか、鍵のことを知ってるってことは……」
 「ああ、うん、知っているよ。その鍵というのが、"レイヴィエルフ城"の謁見の間に続く扉の鍵なんだろう。その鍵を持っているということはすなわち……王城も、君らエポール家の人間に所有権があるとね」
 「城まで貸せと言うんじゃないだろうな」
 「まさか。そんな畏れ多いことは言わないよ。さすがにね」
 
 セブンは、今度の発言は本音のようで、しっかりと否定した。
 旧王都、エントリア領の一部であるレイチェル村およびレイヴィエルフ城は、いまもまだエポール家が所有している。エポール家の人間が代々受け継がれてきたものは、土地のほかにも古語の学習や乗馬術、王や妃が纏っていた衣服の類と数多くあるが、そのうちの一つに鍵があった。それは無人の王城、レイヴィエルフ城の謁見の間に続く扉の鍵であり、王城の所有権がエポール家に帰属していることを指す。王城がレイヴィエルフ城と呼ばれているのは、あえて言うまでもないのだが、初代国王の名を冠せられている。
 
 だいたいの話が読めてきたレトは、本筋に戻した。
 
 「それで、俺を解放する代わりにいくつかエポール家が持っている屋敷を貸せと」
 「そうだ」
 「吞んでもいい。ただし、それならロクのことも解放しろ。そしたら関係者に話を通す」
 
 セブンの切れ長の瞳が、さらにすっと細められる。
 空気がぴりついたのを感じ取って、レトが身構えると、セブンはいっとう低い声で返答した。
 
 「それは譲歩できない」
 
 壁から背を離し、セブンは寝台に座りこんでいるレトの目の前までやってきながら、続けた。
 
 「彼女への不信は、今後も募る一方だろう。そのうえ彼女が、これまでの神族らでもあったように突然豹変する可能性も秘めている以上、厳重な監視をつけなければならない。君もわかっているはずだ。こちらの立場に立って考えてみれば、彼女の解放がいかに危険な行為であるかを」
 
 セブンの目には強い警戒の色が宿っていた。援助部班班長のニダンタフの指示のもと、すぐにロクアンズへの厳戒態勢が敷かれた。彼女は地下室に追いやられ、監視役をつけられている。静かにしているが、周囲の目は一向に和らぐ気配がなく、昨日からずっと厳しい視線を受けている。彼女が神族であり、さらに心情を司る神であり、そこへ突然豹変して襲いかかってくるのではないかという懸念も乗りかかった。彼女を取り巻く不安要素が何重にもなっていながら、セブンらが"解放"を受け入れられるはずもなかった。
 眉をきつく寄せながら、しばらく黙りこんだあと、レトはふっと視線を外した。
 
 「交渉決裂だ」
 
 拒絶を含んだ声色が、静かに、床に落ちる。
 セブンは、たいして大きな反応を示さず、踵を返した。そして部屋を去ろうと扉に手をかけたところでふと立ち止まり、レトに問いかけた。
 
 「我々の敵が何者であるかを理解しているのか」
 「俺の敵は神族だ。けどロクは味方だ。この先何度でも言う」
 
 レトは顔を上げていて、きっぱりとした口調で告げた。しかし、やはりセブンは冷めたような「そうか」を返して、退室した。
 しばらく寝台に座ったまま、じっとしていたレトは、ややあって立ち上がった。そして手荷物の中から、絹糸で織られた髪紐を丁寧に取り出した。それは、エアリスが長い髪をまとめるのによく使っていた、王政時代から縁のある髪紐で、もともと一つだったのを二つに切り分けて、義兄妹にそれぞれ渡したものだった。
 レトがもらい受けた髪紐の先端には、ずっしりとした重さの細長い鍵が括りつけられていた。これが王城の謁見の間に続く扉の鍵だった。彼はこの髪紐を使って髪をまとめることはあまりないのだが、肌身離さず持ち歩くために髪紐と鍵を結ぶようにした。もしも髪紐で髪をまとめる日があれば、髪の結び目にかんざしを挿すように鍵を通し、決して失くすことのないように細心の注意を払う。
 
 義妹の分と切り分けられた髪紐の端は丁寧に織り返されていて、切り目などないみたいに美しい縫合がなされている。
 手のひらに架けたそれを、レトはしばらくの間、見つめていた。
 
 
 寝台はいくつか確保し早々に運びこむことができたが、清潔な布地はもちろん、水、薬草、酒精などの十分な用意は、貴族の屋敷の応接室にはない。一刻も早く場を整える必要があった。施術を行う者と、外部へ調達に向かう者とで人員が分けられた中へ、特例としてキールアが頭数に加わっていた。彼女の所属は戦闘部班だが、次元師の治療を専門にするため、医療部班のミツナイ班長から応接室への配置を義務づけられたのだった。
 開放されている戸口をくぐって、コルドが応接室に入ってくると、キールアがぴたりと手元を止めた。机の上で薬草を漉していた彼女は椅子から立ち上がり、コルドに近づいていった。
 
 「お待ちしていました、コルド副班長。しばらくお休みになれそうですか……?」
 「いいえ。すみませんが、治療を終えたら、持ち場に戻る予定です。急ぎお願いできますか」
 「……そうですか。わかりました。メッセル副班長のお薬を作りましたら、すぐに」
 
 キールアは、コルドの顔を見上げて心配そうに眉を下げていたが、こくりと頷いた。
 コルドが室内に足を踏み入れると、すぐに、藪から棒に声がかかった。
 
 「持ち場というのは、地下ですか」
 
 視線を向ければ、メッセルの寝台の傍らに、治療を終えたらしいガネストとルイルが付き添っていた。丸椅子に腰をかけてメッセルの顔色をはらはらと見守っているルイルの横で、ガネストが青い目を振り向かせた。
 コルドは答えた。
 
 「……ああ、そうだ。班長から、ロクの監視役を命じられた。彼女の傍につく者は、次元師でなければならないと。班長の指示はもっともだ、と俺も思う……」
 「様子は、聞いても」
 「……。なにも。ロクはずっと、ぼうっとしている。声をかければ返事はくれる、が……いや、俺も悪い。言葉を選ぼうとして、結局、まだきちんと向き合えていない」
 「では、あなたは少なからず、彼女を肯定しているのですね」
 
 ガネストにそう指摘されたコルドは、下唇を噛み締めて、言った。
 
 「ロクのことを……ただ、なにも考えず、信じていいものか、正直迷っている。こんな、中途半端な面持ちでいながら、あの子と向き合いたいなんて言ってしまえる自分が……もっとも不甲斐ない」
 
 歯切れの悪い言い方をしたコルドも、戸惑っているようで、つい部屋の真ん中で、手持ち無沙汰に突っ立ってしまった。キールアに腕を叩かれて、はっとしたコルドは、空いている寝台のふちに腰を下ろした。
 ふと訪れた沈黙が、場の空気をより重苦しくして、口を開くのも憚られた。
 
 開け放った窓から、澄んだ風がふわりと舞いこんできて、ガネストはくんと鼻先を仰いだ。窓の外を見れば、空の色は乾いていた。代わりに、吹く風は雨と土の匂いを含んでいた。
 
 「僕も、動揺しています。自分で思っているよりも、ずっと……。まだ、気持ちの整理が追いついていないのかと」
 
 ルイルが、メッセルの額に汗が滲むたびに、それを丁寧に拭き取っていた。ガネストはルイルの手元に、清潔な布を差し出して、取り替えるように促した。
 
 「神族が、この国にとって敵であることを教えていただきました。そして、それらと戦うために僕らは来た。でも、その敵の一柱が、海を飛び越えた理由であったとわかって……いったいなにと戦うべきなのかを、見失ってしまった」
 
 ぽんぽん、とメッセルのこめかみにそっと触れていたルイルも、取り替えてもらった布をぎゅっと握りこんで言った。
 
 「あの、ルイルは、よくわからないけど……。ロクちゃん、悪者なの? 一人ぼっちで、さみしくないのかな」
 
 自分だけがいて、ほかにだれもいない部屋の中で、寂しさを募らせるのが、どれほど心細かったかをルイルは知っている。だから会いに行きたいのだと、話がしたいのだと、何の気もなしに進言してみたのだが、大人たちはみんな首を横に振った。
 ロクは会いに来てくれたのに。毎日、毎日、話をしにきてくれたのに、ルイルは大人たちにたった一言諌められると、引き下がってしまった。
 薬湯を木板に乗せて、近づいてきたキールアが、二人に会釈をしてからメッセルの傍についた。小さな匙で薬湯の上澄みを掬って、メッセルの口元まで持っていく。はじめは口の周りを湿らせて、徐々に、隙間からゆっくり流しこむ。
 
 「キールアさん、ですよね。以前、ロクさんの口から、あなたが幼馴染で友人だとお聞きしました。あなたは……どのようにお考えですか?」
 
 声をかけられると、キールアは手元を下ろして、ゆっくりと振り向いた。ロクが語った昔話に登場した、小麦色の髪の友人とは、彼女のことだ。ガネストとルイルが所属する第三班はしばらく遠征していたため、本部に常駐していたキールアと顔を合わせたのはごく最近で、このたびの騒動が収まってからようやくだった。
 キールアは、ガネストに向かって、ただ微笑み返した。そしてなにも言わずにメッセルに向き直った。メッセルがひと匙ずつでも、嚥下するのを確認すると、口元を拭き取ってから立ち上がった。
 そのとき、もう一人、戸口をくぐって入ってきた人物がいた。両手に、治療に使う用具を抱えていた。
 
 「キールアちゃん、戻ったわ。カナラの施療院から、包帯と薬草を分けてもらったの。ここでは十分なくらい」
 「フィラ副班長、おかえりなさい。ありがとうございます」
 
 キールアは、フィラから荷物を受け取ると、作業机まで運んだ。
 軽く部屋を見渡したフィラは、ぱちりと、コルドと目が合った。
 彼女は軽傷ではないものの、傷はほとんど治っているようで、身動きをとるのに不都合がなさそうだった。しばらくぶりにフィラの姿を見かけたコルドは、彼女が元気そうでほっとしたが、同時にある疑問が頭を掠めていた。
 
 「フィラ副班長、ご無事でなによりです」
 「……え、ええ。はい。コルド副班長も……」
 「あの、巳梅は……」
 
 訊かれるだろうと予想していたフィラは、激しく動揺しなかった。彼女が返事をするより先に、肩口から『巳梅』が顔を出した。ちろりと舌を出した『巳梅』は、しなやかな肢体に細い包帯を巻いていた。
 フィラは俯いていたが、作業机の上で準備をしているキールアの近くまでやってくると、彼女の手元からそっと、酒精と布を取った。そして目配せをしてから、コルドの寝台まで自らが足を運んだ。
 コルドはフィラを目で追っていた。彼女が近くまでやってくると、上着を脱ぐ。幾日と経たないうちにぼろぼろになってしまった包帯を解いていくフィラが、先に口を開いた。
 
 「せっかくロクちゃんが送り出してくれたのに、私……最低なんです」
 「なにがあったんですか? フィラ副班長。巳梅が、エントリアにやってきましたが、俺たちに気がつきませんでした。あなたを置いてひとりでに行動するなんて……」
 
 フィラは下を向いたまま、ゆるりと首を横に振った。
 サオーリオから神族らが移動して、あとを追いかけたフィラだったが、彼女はセースダースを包みこんだ戦火を目の当たりにして、足を留めたのだった。
 神族らとはセースダースでふたたび相見えた。そして、進行を止めようとしたが、やはり『巳梅』はフィラの意思に従わなかった。街を通り過ぎようとする神族らを追いかけたかったけれど、フィラの意思はすでに希望を失っていた。だから、現地であえぐ人々の声に耳を傾け、戦い方を切り替えたのだ。クレッタが残していった置き土産──大量の元魔が街に跋扈しており、次元師も不在の中、絶望の淵に立たされた住民たちだったが、ある日を境に元魔の数が激減した。同時に、街中に雷鳴が轟き、フィラは理解した。あとから追いかける、と言ったロクが街に到着したのだ、と。しかし、元魔を一掃するとすぐに出ていってしまったらしく、ついにサオーリオで別れたきりになってしまった。
 
 『巳梅』がフィラの意思に従わなくなった、と聞いて、コルドは絶句していた。とても信じがたいが、だれかれ構わず目に入った人間に牙を向く『巳梅』を目の当たりにしているコルドは、認めせざるを得なかった。いまはなんともないようだが、フィラの肩口で、そっと彼女の首元に寄り添っている『巳梅』の顔は、どこか申し訳なさそうにしているようにも見えた。
 まだ痛々しい傷口を残しているコルドの肌に、酒精を染みこませた布をあてがうフィラは、手元こそしっかりとしていたが、言葉尻はずっと不安定に揺れていた。
 
 「巳梅は、私ではなく、クレッタの命に従ってしまいました。私の弱さが招いたことです」
 「……」
 「悔しくて、悔しくて、たまりません。全部。なにもかも、上手くいかなくて。……ロクちゃんが何度も背中を押してくれたのに。ベルク村にいたときだって、ずっとほしかった言葉をくれた。だからいままであの子が私にくれたものが、全部計算のうえで、私たちを陥れるための策略だったなんて、私は思いたくありません。ぜったいに、そんなことないもの」
 
 ぼろりと、フィラの目元から大粒の涙がこぼれて、彼女の腕の上に落ちた。それから嗚咽とともに、ひっきりなしに涙を流して、眦を真っ赤に染めた。次元師なのに神族を目の前にして、無力を叩きつけられた。背中を押してくれたのに報いるどころか諦めた。すでに自分を嫌いになりそうでたまらないのに、そこへロクの存在を責め立てる声が重なって、フィラは自分への怒りと、ロクを認めない声への怒りとで、とても整理が追いついていなかった。だから泣くつもりはなくても、説明のつけられない感情をこぼすために涙が溢れたのだった。コルドは、手拭いなど持っていなかったから、失礼だとわかっていながらも、腕の袖口をフィラの目元にあてがった。
 
 そのときだった。なにやら廊下が騒がしくなってきて、キールアは作業台から離れた。
 廊下に出ると、真剣な面持ちをした警備班の班員がちょうど、部屋に入ってくるところだったので、お互いにばっちりと目が合った。
 
 「どうかされたんですか?」
 「街の中に元魔が発生したと報告が入ったんです。動ける次元師様は……」
 
 応接室内に緊張の糸が走った。キールアが室内を振り返ると、ガネストとコルドがこちらを向いていた。
 
 「残党がいたのですか?」
 「新たにクレッタが生み出したのかもしれない」
 「私が出ます」
 
 がたり、と丸椅子の足が滑る音がする。前のめりになっていた二人よりも先にフィラが立ち上がって、コルドは思わず、彼女の背中に声をかけた。
 
 「フィラ副班長」
 「皆は、休んでいてください」
 
 フィラは扉近くに拵えられている長尺の上衣かけから、隊服の上着を取って、すぐに部屋を出ていった。もう涙声ではなくなっていたので、心配は無用かと思われたが、コルドはまだしっとりと濡れている袖口が気にかかっていた。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.178 )
- 日時: 2025/07/06 19:02
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-    
 第160次元 扉の開け方
 
 屋敷の門を抜けたあたりから、金切り声が聞こえていた。往来では、住民たちがみなおなじ方角を振り返っていて、たたら足を踏んでいる彼らの間をすり抜け、フィラはひた走った。
 フィラの緊張は最高潮に達していた。『巳梅』は瞳の色も正気も取り戻してくれたが、まだフィラはクレッタとの戦闘を引きずっていて、居ずまいが悪かった。
 
 (また、巳梅が言うことを聞かなかったら。私の意思が通じなかったら……)
 
 数日前、エントリアに帰ってきたフィラは北の塀の近くで、小さく縮んだ『巳梅』に再会した。それから一度も次元の扉を閉じていない。次元の力も使おうとしていなかった。
 疾走する足とは裏腹に、心は立ち止まってしまいそうで、フィラは苦しそうな面持ちで風を切っていた。
 中空に浮かぶ黒い影をみとめて、フィラは足を止めた。出店が立ち並ぶ広い路上に強い風を送り、悠然と浮遊するそれは竜の翼を持つ巨大な元魔だった。
 
 「! 危ない!」
 
 足腰が崩れている老齢の女と、彼女を支えようと片膝をついているすこし若い男の真上で、元魔の翼がはためいていた。
 走りだしても間に合わないと悟ったフィラは、次元の力を呼び出そうと口を開いた。
 しかし、声が出なかった。
 
 (どうして)
 
 はくはくと、乾いた唇が開閉する。
 唱えようとすると、喉元がひゅうと鳴った。もう喉元まで出かかっているのに肝心な音が痞えてしまった。愕然とする暇はなく、元魔の鋭い爪が老齢の女と男の頭に覆い被さろうとした。
 フィラは奥歯を噛み締めて走りだした。すんでのところで、元魔と二人の間に滑りこみ、鋭い爪を身に受ける。すこし掠めただけでも、フィラの肩口からは血潮が噴きだして、鮮血を浴びた二人が声を揃えておののいた。
 
 「ああ、ああ。どうして」
 「……逃げて、早く!」
 
 わなわなと震える二人の目に、此花隊の隊服がしっかりと映ったようで、彼女たちはすぐにその場をあとにした。付近で警戒していた警備班の班員たちが、声かけをしているのを遠くにする。しかし安心するのは早い。元魔はまだフィラを狙っていて、赤い目をぎらつかせていたのだ。
 フィラは意識が飛ばないように耐える。どくどくと血が溢れ、止まらない。このままでは気絶してしまうとフィラが身構えたとき、小さな影が彼女の視界をよぎった。
 『巳梅』がどこからか飛び出して、元魔の目元にびたりと身体を打ちつけた。元魔は視界に異物が貼りついて、すぐさま頭を振った。その拍子に、翼が大げさに風を薙いで、フィラは吹き飛ばされてしまった。
 地面の上を転げ回ったのち、フィラは叫んだ。
 
 「巳梅!」
 
 激しく頭を揺らして、ついに『巳梅』は元魔の目元からはがれた。そして地面の上に落ちた『巳梅』を睨みつけて、元魔は地面ごと食らいかかろうとした。勢いが余ったのか、『巳梅』の身体が小さいせいか、幸いにも逃れた『巳梅』はしかし、ぐるぐるとのたうち回った。
 『巳梅』が肢体をぴんと伸ばして、小さな口を縦に開く。しゃあと鳴いて、開いた口の中ではこれまた小さな牙が、戦いの意志を示そうとしていた。「巳梅」と、フィラの口から小さな声がこぼれ落ちた。『巳梅』は意思を失っていない。小さな姿が、フィラの視界の奥で滲んだ。
 対抗する元魔は、裂けんばかりに口を開いて、咆哮した。びりびりと頭の奥にまで響いてくると、フィラは我に返った。見れば、元魔は興奮状態のようで、鼻息を荒くしていた。
 
 (どうにかして、また次元の力が使えるようになる方法を探さなくちゃ……!)
 
 フィラが立ち上がったとき、元魔は翼を広げて、高く飛びあがった。そして一刻の猶予もなく急降下する。『巳梅』に向かってくる足の爪がぎらついたのが見えてフィラが飛び出す。瞬間、元魔が降り立つと激しい土埃が舞いあがった。しかしフィラが『巳梅』を拾いあげていて、土埃の幕を破って抜けだした。
 『巳梅』を腕に抱いたまま、フィラはやみくもに街の中を駆け抜けた。
 
 「ごめんね、ごめんね、巳梅。私……」
 
 視界の端が、光る。
 そのときだった。重々しい雷鳴があたり一帯に轟いた。びっくりして、フィラは思わず足を止めた。そして振り返ると、元魔を見下ろすように家屋の屋根の上に立ったロクアンズが、手を翳していた。
 
 「七元解錠」
 
 猛烈な電気が、彼女の肌の上を撫でる。
 
 「──雷撃!」
 
 電気はおびただしい質量で噴出され、巨大な元魔を焼き尽くす。目に痛いような光が、フィラの視界に突き刺さって、ぎゅっと目を瞑った。しかし、元魔の雄々しい咆哮が聞こえてきた。目を開くと、全身をあますことなく焼かれたはずの元魔はまだ動けるようで、身体の節々から煙をあげながら、ロクを睨んでいた。
 地下にいるはずなのに、どうして──脳裏に掠めた疑問は、飛んできた声によってかき消された。
 
 「フィラ副班! 標的が大きすぎる……! 巳梅の毒で体力を削ろう!」
 
 ロクは言ってから、殺気を感じ取って、牙を剥き出しにして襲いかかってきた元魔から距離を取った。腕を振り、翼を扇ぎ、次から次へと猛攻を繰り出してくる元魔と相対する。
 その姿を、フィラは呆然としたような目で追いかけた。
 返事をしないフィラを心配したのか、ロクがこちらを振り向いた。
 
 「任せたよ!」
 
 ──はっとして、フィラは臙脂色の目を見開いた。
 その一言が、じんわりと胸のうちに浸透して、どこか軽くなっていくような感覚を覚えた。ぼんやりとするフィラの腕の中では、『巳梅』が心配そうに、彼女の顔を見上げていた。
 
 重たかった扉が、音を立てる。
 
 「ええ、わかったわ」
 
 そう返事をしたフィラの声には芯が通っていた。
 フィラの腕の中から『巳梅』がぴょんと飛びだして、地面に着地する。途端、『巳梅』の身体が小刻みに震えだした。ぶくりと腹が膨らみ、目がぎょろりと剥いて、肢体がぐんぐん伸びていく。見る見るうちに『巳梅』のとぐろが太く巨大に膨らんで、ついにもとの大蛇の姿へと変容した。
 『巳梅』は低く唸ると、とぐろを解きながら、おなじほどの身の丈をしている巨大な元魔を目がけて猛突進した。
 
 「──六元解錠、"咬餓"!」
 
 がぱり、と大口を開く。久しく獲物を捕らえていない、餓えた牙に唾液が絡みつき、糸を引く。飛び立とうとした元魔に覆いかぶさり、『巳梅』はその喉笛に食らいかかった。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.179 )
- 日時: 2025/07/20 20:47
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第161次元 不審な熱風
 
 黒い血潮が飛散する。蛇歯で喉を食い破られた翼竜の元魔は、甲高い悲鳴をあげた。そして、周囲の建物を巨大な足で踏み潰したり蹴飛ばしたりして、もがきだした。首は半分ほど食われてなくなっていたが、内側からぶくぶくと肉が膨れあがってくると、顎の下にいびつなひだができて、頭を支えた。
 元魔が『巳梅』を標的に据えて覆い被さる。二体の大型の生物たちが、互いに食いつき、威嚇し、もがいているうちに、フィラは手元を見つめて集中を極めていた。次元技をふたたび発動できた、その実感を肌から逃がさないようにした。
 もうどうして、しばらく次元の力が使えなかったのかわからない。血とともに身体を巡る元力を慣れたように捕まえて、フィラは意思のままに、"新しく脳裏に浮かびあがった扉のふち"に触れた。
 
 「五元解錠、──"渦局"!」
 
 『巳梅』は柔らかい肢体をぐねらせて、元魔の猛攻を器用に回避する。身をねじって避けて、避けて、そうしてだんだんと元魔の身体にぴったりと貼りつき皮膚の上を滑っていく。しだいに、元魔の腹や脚、首筋にまで巻きついた『巳梅』がぐっと力を入れた。たちまちに元魔はいびつな体勢となって締めあげられる。
 拘束に成功した。フィラが続けて"芯毒"を発動させて毒を仕掛けるだろうと思ったロクアンズは、それを見越して、次の攻撃の準備に身構えた。しかし、そのときだった。
 ぐねぐねと揺れる元魔の大口が開いて、すぐに異様なものがロクの視線に突き刺さった。──赤く、鋭い一閃。それの正体がわかったのは、ロクの頬を掠めたあと、顔に妙な熱気が灯ったからであった。
 
 (火?)
 
 元魔が、口から火を吹いたのだろうか。咄嗟のことで、ロクはすぐにわからなかった。
 ロクが気を取られているうちに、フィラは二体の大型生物たちを見上げて、立て続けに詠唱した。
 
 「六元解除、"芯毒"!」
 
 『巳梅』と元魔の顔は、ごく至近距離で肉薄しており、もはや逃れる術はない。尖った牙が元魔の太い首に穴を開ける。深く深く食いこむと、元魔はより激しく鳴き喚いた。元魔は今度こそ力強く翼を仰いで、『巳梅』を振り落とす勢いで飛び立った。
 「巳梅」とフィラが名前を叫んだ。元魔から落ちるまいとがっしり捕まっていた『巳梅』は、その一声で身を離した。
 元魔は左右に大きく揺れ動いて、いまにも墜落しそうなほどにふらふらしていた。
 
 「ロクちゃん!」
 
 呼ばれたロクはすでに全身に雷を纏わせていた。崩れかけた屋根のうえに立つ彼女は、しゃがみこんで、屋根の瓦に触れた。
 指先から、雷光が飛散する。
 
 「──七元解錠、"雷柱"!」
 
 ふらつく元魔の影が落ちる、その地面の上に雷の円陣がほとばしった。刹那、円陣のふちから猛烈な雷光が立ちのぼり、巨大な翼竜の元魔を輪郭ごと、丸ごと貫いた。
 巨雷の柱の中で、元魔が黒煙をあげて、炭となっていく。やがてぼろぼろと崩れ落ち、完全に消え去ると、"雷柱"も立ち消えた。
 フィラは、何者もいなくなった空を見上げて、ほっと息をつく。そして真っ先に『巳梅』の傍へと駆け寄った。
 
 「巳梅、怪我はない?」
 
 フィラを見下ろした『巳梅』が、機嫌がよさそうにキュルルと鳴いた。フィラは、揺れそうになった目尻をぐっと支えて、言った。
 
 「また、待たせたわ。ごめんなさい。ありがとう、……もう大丈夫よ」
 
 そう胸を撫で下ろしたフィラは、思い出したようにあたりを振り返った。
 たしか屋根の上にいたはずだが、いくら視界の中を探してみても、ロクの姿が見当たらない。
 
 「ど、どこ行っちゃったのかしら。ロクちゃん……」
 
 通信具も取り上げられてしまったから、ロクとはすぐに連絡をとることができない。地下から逃走したとはいえ、乱暴にとっ捕まえたりはしないのに、とフィラは思いながらも、周辺を探し回った。
 
 
 路地裏に貼りつく濃い影が、疾走するロクの顔に落ちる。彼女は人目のつかない道を選んでひたすらに駆け回っていた。そして、住宅地でもない、閑散とした街の端にまで辿りつくと突然に振り返った。
 薄暗い路地に光が満ちる。
 
 「五元解錠、"雷砲"」
 
 一筋の雷光が、細い路地の間を掻き切った。すると、黒い人影が高く跳びあがった。おおよそ人間技ではない高さまで軽々と跳躍し、着地すると、その人物はようやくロクと対峙した。
 
 「あなただよね。元魔との戦闘中に、どこからか仕掛けてきたのは」
 
 全身を黒い布地の服で覆ったその人物は答えなかった。しかし、腰を低くし、臨戦態勢をとると、ただ一言だけロクに言い放った。
 
 「お前には死んでもらう。神族【HAREAR】」
 
 ──暗い光が、燃え立つ。そのとき、目の前の人物の足元から、煌々とした炎が燃え盛った。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.180 )
- 日時: 2025/07/20 21:03
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第162次元 炎熱と迅雷
 
 体格から、男だとロクアンズは推測した。背丈は、義兄のレトヴェールよりも頭ひとつほどは高く、肩幅もあり、筋肉質な小麦色の脚が黒い上衣の下からぐんと伸びた。黒ずくめの男らしき人物はロクの脇腹を目がけて、"炎を纏った脚"を振るった。ロクは身をねじって跳ね上がり、回避する。すると炎の熱がじり、と肌を炙る感覚がした。そうかと思えば、男は次の一手に移っていた。まだ着地していないロクとの距離を一気に縮めて、彼女の頬を殴り飛ばす。鈍い音とともにロクの視線はぶれて、かは、と咽喉を擦る。そして息を吸う間もなく、目前では猛火が湧き立っていた。
 
 「──五元解錠、"炎撃"!」
 
 炎々と盛りあがった猛火の塊がロクの視界を焼き尽くす。
 真正面からその熱を受け止め、ロクは黒い影となる。その影が炎熱の中で揺らめいて、黒衣で覆われた男の口元が動いた。
 
 「灰塵となれ、悪しき神族が……!」
 
 しかし、次に男は瞠目した。
 炎の幕をぷつりと破った一筋の電気の糸が、爆ぜる。男が身構えるやいなや、ロクは渦巻く炎の中から飛び出して、雷を従わせた手のひらを突き出した。
 
 「六元解錠、"雷撃"!」
 
 雷の大塊が、バチバチッと激しい破裂音を立て、男のことを頭から飲みこんだ。
 男は後ろに仰け反ったが、伸ばした両腕で地面をついて、宙を回転しながら見事に受け身を取った。何度か跳ねたのちに着地する。どうやら身体能力が高いらしく、生半可な攻撃では致命傷にならないだろう。そのうえ一本道であっても、"雷砲"は先刻に躱されてしまったし、"雷柱"も範囲を絞らなければ周囲の建物を破壊してしまうし、かといって小さな柱を立てても簡単に回避されてしまうのは自明の理だ。
 
 (そのうえ、相手は次元師だ。私とおなじ魔法型、かつ、"八元質"とも呼称される、自然に由来する次元の力の持ち主)
 
 ロクの『雷皇』のほかにも、自然物に由来する次元の力は七つ存在し、それらはまとめて八元質と称される。
 八元質の次元の力は、基本の四元素の炎、水、風、地のほかに、氷、雷、光、影の四つを含む。影の『影皇』は、此花隊の元研究部班班員のナダマン・マリーンが所持していた次元の力だった。八元質は、魔法型の次元の力の中でもとりわけて性質の柔軟性が高く、扱いは難しいが、使い手次第では各段に威力を高められる力を秘めている。それゆえにナダマンも次元師としての評価が高かった。
 なにが飛び出してくるのか、そしてどれほどの技量の持ち主か計り知れない。それなら、とロクは腰を低くし、身構えた。格闘の態勢に入ると、男は嘲笑するような声をあげた。
 
 「はん、格闘か! いい度胸だな。ただのちんちくりんな女の姿をしてるてめえに、男の俺と戦り合えるか!」
 
 男の足元から猛火が立つ。そして、男は手足の局所だけを炎で包みこんで、おなじように臨戦態勢をとった。
 
 「六元解錠、──"炎装"!」
 
 詠唱するやいなや、男は脱兎のごとく飛びだして、すかさず脚技を打ってきた。ロクは身構えていただけあって、最初のときのようには食らわない。最小限に抑えた下半身の動きだけでそれを躱した。しかし、避けても肌の表面が焼ける。炎の残穢まで振り切れなかったのだ。
 続いて男は、一足飛びでロクの懐に入りこんできた。燃えたぎる拳を突き上げる。だが彼女の左目から見える視界は、澄みきっていた。彼女は拳にまといつく闘志までもを捉え、顔を逸らしながらわざと右手でそれを受け止め、勢いを殺す。左手を握りこむ。男がはっとしたのは、彼女の左の拳が、青筋を浮かせた鋭利な一打が肉薄していると勘づいたからだった。
 避けろ、と男の胸のうちで警鐘が鳴る。ただの華奢な少女が握るような拳なのに男は受けずに身をねじって避けた。雷は纏っていなかった。だのに打たれるところだった頬が妙に痺れて、男は奥歯を噛んだ。
 "炎装"という次元技によって猛火を灯した四肢は、ただ格闘するよりも格段に速く振るえて、力も増し、打つとともに相手を燃焼させられる。ただの打ち合いでは優勢なはずだった。暗い路地には燃ゆる赤い光だけが散った。目の前の女が、神族ハルエールが、素手ですべての技を受けるのだ。まるで洗練された人間の動きだ。地上で、肉体ひとつで人間を相手に訓練してきたような、気に食わない呼吸の仕方に男はだんだんと腹が立ってきた。
 業を煮やした男が勢い任せに蹴り技を放つと、ロクは片腕をとんとそれに添えるようにして、またいなした。かっときて、男は次いで怒号を放つ。
 
 「どうした!? 雷を撃ってこいよ! ここじゃ人もいねえ……! なんでてめえみたいな存在が、人を気にすんのかも意味わかんねえが! 人みてえな動きをするんじゃねえよ……!!」
 
 男が大口を開けるとともに深い息を吐きだしたとき、なにかの機を待っていたのか、ロクの足先から頭の天辺へと電気が迸った。男は鋭い野生感を持っており、すぐに、しまったと目元を歪ませた。ロクは、男が深い息を吐く瞬間を、息を切らすときを待っていたのだ。そうして始めて、疲労を誘われていたのだと気づかされた男は、周りの空気が電気で振動したので、つられて視線をあちこちへ泳がせてしまった。
 
 「七元解錠、"雷装"」
 
 雷光が瞬く間に空気を縫う。一打が、迫る。丸い肘が残光を引いて、男の視界に突き刺さった瞬間に、男は顎を叩き割られた。ぶれて反転した世界に青天上が映る。透き通る青を、一本の電糸が両断する。男が下を向くと、雷鳴を伴った細脚が男の脇腹に突き刺さった。男は頭から建物の壁に突っこみ、勢い余ってがらんどうの屋内へと転がりこんだ。ともに押しやられた壁の一部の、瓦礫の下から這い出たところへ、やまず電光石火が、雷を従えた彼女が到来する。彼女が踏みしめる足元から電気が散ればたちまちに距離はたんと縮まり、構える余裕もなく、男は稲光りする拳の軌道がまま真横に弾け飛んだ。
 まるで動きが、追えない。息つく間はおろか、洞察するわずかな暇さえ与えられない素早さだ。まさしく迅雷を体で表す彼女の、若草色の左目を遠目にしながら、男は背中から壁に衝突し、またがらがらと壁の一部が崩れ落ちる音が立った。
 意識が飛びかける。すると、男は胸元の布をぐいと引っ張られ、無理やりに叩き起された。
 
 「っ、く、そったれ……! 離せッ! 殺すなら、殺せよ!」
 「……だれの命令? それにどうして、まだ此花隊隊員以外が知らないはずの、私のことを知ってるの? 教えてくれたら、もう手荒なことはしないよ」
 「クソが……!」
 
 顔を覗きこんでくるロクに向かって、唾を吐きかける勢いで男が悪態をつくと、そのときだった。
 たたっ、と急ぎ足な靴音がして、ロクが振り返ると、穴の空いた壁をくぐって入ってきたフィラが、わっと臙脂色の目を丸くした。
 
 「大きな音がしたと思ったら、こんなところにいたのね、ロクちゃん……! ……って、なにをしているの……?」
 
 謎の黒ずくめの人物の胸ぐらを捕まえているロクを見て、フィラが首を傾げる。ロクは、手負いの獣のように警戒心を剥き出しにしている男を一瞥してから、フィラに目配せをした。
 その後、ロクとフィラは街内の警備を担当している警備班班員らに、元魔を撃退した旨を伝えた。それから街の修復を彼らに任せると、間もなくして此花隊の拠点へと帰還した。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.181 )
- 日時: 2025/08/17 12:33
- 名前: 瑚雲 (ID: 0otapX/G)
-  
 第163次元 吠える刺客
 
 屋敷へと帰還したロクアンズとフィラを玄関で出迎えた隊員たちは、二人が謎の男を連れていたので吃驚した。黒ずくめのその男は、元魔との戦闘中にロクの命を狙って襲いかかってきた。ただ喧嘩を売ってきただけの浮浪者ならばまだよかった。男はロクが神族であることを知っていた。だからフィラの手──ひいては『巳梅』の胴体──ですぐさま拘束され、屋敷まで連行された。
 道中、離せだの、どこに連れていくだの、生かすくらいなら殺せだのと吠えていた男は、セブンの執務室の中で膝をつかされ、黒い頭巾を取り払われると、燃えるような赤髪に藍鼠色の瞳をした年若い青年だと暴かれた。
 執務室には、軟禁処分中のレトヴェールや、いまだに昏倒しているメッセルを除き、戦闘部班の面々が揃っていた。命を狙われた当人であるロクも、拘束を受けた状態ではあるが、状況の報告のために同席を許可された。
 セブンは、いまにも噛みついてきそうな青年の顔をじっくりと観察してから、口を開いた。
 
 「話は聞いたよ。早速だけれど、君は、"ロクアンズ・エポールを神族だと知っている"らしいね。しかしそれはね、まだこの隊の人間しか知り得ないはずの最重要機密事項だ。どこで知った」
 
 語尾は強く、執務室内の空気が途端に張り詰めたものになる。眉間を射抜かれるような視線を受けていながら、青年はしごく落ち着いた声で突き返した。
 
 「俺は口を割らねえぞ。たとえなにをされてもな」
 「なるほど。周りが見えていないようだね。いま君を取り囲んでいるのは、全員が次元師だ。つまり君が次元師であってもこちらは臆さない。死なない程度に拘束をすることも、毒を与えることも、わけはない。君がどれほど耐えられるかは実物だね」
 
 青年は鼻を鳴らし、なおも強気な物言いで食ってかかった。
 
 「はん、そいつは脅しか? そんなちゃちな脅しを受けて怖じ気づくと思われてるたあな……! ああ、やってみろよ! 拘束でも毒でも、なんでも受けてやる! 俺は死んでも口を割らねえぜ!」
 
 吠える青年が虚勢を張っているようには、セブンには見えなかった。怖気づいていないのはどうやら本当らしい。青年の目の奥を探っていると、コルドが傍までやってきて、恭しくセブンに耳打ちをした。
 
 「班長。我々此花隊の隊員しか知り得ないはずの情報を、彼が知っているということは、つまり……」
 
 セブンは片手をあげ、コルドにそれ以上続けさせなかった。短く嘆息をすると、セブンはガネストに視線をやった。
 
 「ガネストくん。悪いけれど、彼の上布を取り払ってくれないかい?」
 「は、はい。ただちに」
 
 言われた通り、ガネストが青年の黒衣に手をかけると、青年はあからさまに嫌な顔をして、乱暴に身をよじった。
 
 「なにすんだ、てめえ! 触るな!」
 
 しかし、青年は手足を縛られているから、抵抗も虚しく上半身が暴かれた。
 首から腰あたりまでを覆っていた布が取り払われると、どよめきが起こる。青年の左肩に黒い奴隷紋が刻まれていたのだ。
 わなわなと震えるフィラが驚きの声をこぼした。
 
 「嘘……そんな、奴隷制は廃止されたはずよ。それに、元奴隷であっても、紋様は書き換えられたと噂では聞いたけど……どうしてまだ彼の腕に……」
 
 セブンは、執務机の上で指を組み直して、青年に言った。
 
 「君は政会に飼われた、次元師の奴隷だ。そうだろう」
 「……」
 「君に、ハルエール暗殺の指示を下した人間の名を吐かせるのは難しそうだね。どうせ政会の上層部か、中層の人間、そして単独犯だろうけど……。さしづめ、たしかな情報筋から事実を知ったその人物が手柄を急いて刺客を寄越した、といったところかな。神族相手に単身乗り込ませるとは……信じられない詰めの甘さだけれどね。結果、鼠はいま我々の手のうちだ」
 
 淡々と言ってのけるので、フィラはすこしの間、あっけにとられていたが、すぐにはっと思いつくことがあった。ベルク村の元領主、ヴィースが連れ立っていた双子の次元師だって、思い返してみれば奴隷とそう立場は変わらない。それに彼らはドルギース国側についていた元奴隷だ。停戦後、奴隷制から解放された彼らは、ヴィースに拾われたのだと喜んで供を務めていたが、ヴィース本人にも政会の息がかかっていたし、遠目に見れば、実情は解放されていないかのようにも見える。いうなれば、"政会が元奴隷の次元師を買った"あるいは"拾って懐にしまいこんだ"、ともとれてしまう。
 フィラが難しい顔をして考えこんでいる横で、ガネストが思い切って口を挟んだ。
 
 「あの、つかぬことをお伺いするのですが……メルギースとドルギースには次元師の奴隷が存在したというのは、本当ですか?」
 「よく勉強しているね。感心なことだ」
 「この国……ひいてはこの大陸の歴史について、多少なりとも知っておく必要があると判断しましたので。……して、なぜ次元師なのに奴隷なのでしょう? 人間を屈服させる力を持った者たちが、みすみす奴隷になるだなんて、にわかには信じがたいのですが」
 
 赤髪の青年が、あからさまに怪訝な顔つきになる。上衣を取り払われた私怨も混じってか、青年はガネストに悪態をついた。
 
 「なんだてめえ。よそ者かよ」
 「そうだよ。わざわざ他国から、次元師として神族と戦うために力を貸してくれているんだ。では、よそ者の彼らに教えてあげてくれないかな、刺客くん。なぜ次元師の奴隷が存在しているのか」
 「は? てめえで言えばいいだろ。なんで俺が言わなきゃならねえ」
 「恥ずかしい話、私もよくは知らないんだ。なぜなら、奴隷制が廃止された十四年前というと、まだ私も無知な青年であったし、実情を知らない国民も多いんじゃないかな?」
 
 セブンをよく知っている者から見れば、彼が明らかに嘘をついていて、発言を唆しているのだと察せられたが、青年はこの日初めてあった男の懐など知る由もない。まんまと焚きつけられた青年は、ぐるりと周囲の視線を睨み返した。
 
 「どいつもこいつもお花畑かよ。なにも知らねえでのうのうと生きてやがんのか? 次元師ならなおのこと腹立つぜ! てめえも、てめえも、みんなふざけた野郎だ!」
 
 だんだんと頭に血が昇ってきたか、青年の声もそれに応じて激しくなっていき、もはや触れればたちまちに熱を点火させられそうな剣幕で彼は続けた。
 
 「いいぜ。バカなてめえらに教えてやるよ。人間の力をはるかに上回る次元師が、なんで大人しく国の奴隷なんかに成り下がったって? 国の頭どもがばかほどに強え次元師を飼ってたからに決まってんだろ! だから従うしかなかったんだよ。だから尊厳もなにも全部捨てた! 命が惜しかったからだ……! 自分より強え奴に制圧されたら、手も足も出ねえだろうがよ!」
 
 青年が吠えるように語ったのは、この場を乗り切るために練られた作り話ではなかった。奴隷として、国中から捕獲されたならず者の次元師たちは、抵抗しようにも叶わなかった。自らよりも強い存在が、政会の一駒として権力を握っていたからだった。奴隷の次元師たちは、本能的に力では適わないと悟り、従うよりほかになかった。ごく一部、反感の意を唱えた次元師もいたが、見せしめのためか殺害されている。政会の人間たちはことあるごとに、奴隷たちに言って聞かせた。「ここで死を選ぶならそれでもかまわない。力も満足に振るえず憐れで救いのない終わりを迎え、あとにはなにも残らない。そんなお前たちの尊厳と、存在意義を買ってやれるのは、国しかいない」──と。そう、奴隷の次元師たちは刷りこまれていたのである。
 現代を生きる赤髪の青年も例外ではなかった。血気盛んな彼は、政会に飼われた"実力のある次元師"という存在に歯向かったことだって当然のごとくあった。しかし、制圧された。命が惜しければその力を国のために捧げろと、雇い主は得意げに鼻を高くして言った。そうしているうちに、青年はふっきれたのか、公には存在しないことになっている奴隷という居場所に定着してしまった。
 
 「腐ってんだよこの国は……。神との戦い? それを打ち倒す次元の力? 選ばれた英雄だ? 結局は、強い力を持つ次元師を国の頭どもが抱えこんで、北との戦争に備えてやがるんだ! 違えねえ! 都合のいいときだけ神と戦うための戦士で、俺たちは、どこまでいっても国の奴隷だ……!!」
 
 嫌悪か、自嘲か──どちらかといえば、後者に傾いた感情の吐露は、だれに放ったものでもなかった。しかし、戦闘部班の班員たち──とくにメルギースで生まれ育った者たちの顔つきは一層の真剣みを帯びていた。一時休戦を機に、奴隷制と次元師の軍団化の廃止を公布したのは、政会である。次元師を戦争の道具にしないための政策だと銘打っておきながら、水面下では着々と、次元師の力を一か所に集約しようとしているのではないか──そんな疑念が頭の中に沸いた。
 青年は肩を上下させ、まだ息が整わないうちに、ロクを視界の中心に据えた。
 
 「なあおい、神族。てめえは知ってんだろ。教えろよ! 神族は国の頭どもの産物か!? 本物の敵はどいつなんだよ!? いったいどこの腐れ野郎が神族を、次元師をこの国にもたらして、いらねえ戦を生んだ!?」
 
 ロクが返す言葉を失っていると、青年はさほど待たずして、彼女の態度に辟易した。それから音を立てて舌打ちをする。
 
 「言わねえのかよ。やっぱり人間の味方をする気がねえんだな。おい、俺だけだと思うなよ。てめえは、国の敵だ。すぐに国中から矛先が向く。てめえを殺そうと動きだす! すぐにだ! てめえや元魔に、家族や大事なもんを奪われた奴がこの国でまだ生きてる限り、いつかその報復を必ず受けるぜ。必ずだ……!」
 
 眉をひそめたロクの頬に、一筋の汗が伝う。青年は、神族を直接恨んでいるというよりは、神族の顕現とともに誕生した次元師たちが、耳に聞こえのいい言葉で国の駒となり、戦争の道具とされることに怒りを覚えている。だからきっと、神族の存在が許せないのだ。彼の言い分はもっともであるし、ロクだって、ベルク村でリリアンやリリエンと対峙したときには、彼女たちの身の上──元奴隷であり、当時齢六歳という幼子でありながら、十四年前の南北戦争で一時期前線に立たされていたこと──を思い、憂いた。リリアンからは憐れむなと突き離されたが、次元師たちが望まない形で力を利用されていいはずはない。それはずっとロクの頭の片隅にあって、いまもときおり、胸の奥を締めつける。
 
 「それは……そうだろう、けど、一つ教えて。あなたは、国の味方? それとも、……国の奴隷? あなたの心は、どっちにあるの?」
 
 青年ははじめて、しばし目を見開いて、閉口した。目元だけは変わらずにロクを睨んでいたのだが、青年は突然にはっと瞬きをして、ゆっくりと唇を開いた。
 
 「……てめえはそういや、心情の神……」
 
 それだけ呟くと、さっきまでの威勢が嘘のように、青年は黙って項垂れてしまった。
 執務室がやっと静寂を取り戻すと、その途端。事態に気がついたセブンが眉をしかめ、急いでガネストに指示をした。
 
 「ガネストくん、彼の様子を確認してくれ。早く」
 
 焦ったような口調でセブンが言うので、ガネストはさっそく青年の傍まで近づいて、そして。
 項垂れた重たい頭を、両手で掴んで持ちあげたとき、青年の口の端からつうと赤い血が滴り落ちた。
 
 「舌を、嚙み切っています……!」
 
 ごぽり、と吐き出された血の塊が、赤い絨毯の上を濃厚な色に染めあげる。ガネストは、驚いて立ち尽くす一同を見渡して青年の危険を知らせた。おそらく、心情の神に読心をされると恐れた、もしく胸中を悟らせまいとしたのだろう。すがすがしいほどに迅速な判断だ。
 慌てて駆け寄ったキールアが、すかさず術を展開する。青年の安否の確保が優先だ、とセブンの声が室内に響く。治癒を与えながらキールアは、青年を抱えてすぐに執務室を出て行った。フィラも連れ立って、三人は医務室へと急いだ。
 ロクが、三人が飛び出していった扉を見つめて、眉をしかめていると、コルドが口を開いた。
 
 「彼のことはキールアたちに任せよう」
 
 ちゃり、と鉄鎖の擦れ合う音が立つ。ロクは小さく頷くと、コルドに連れられて執務室をあとにした。
 地下室への道筋を、ゆっくりと俯きがちに辿っていると、どこからともなく隊員たちのひそめた声が聞こえてきた。
 
 「おい、あれ」
 「ああ。ロクアンズだ。神族だって? まだ信じられない」
 「地下で監視されているんじゃなかったのか?」
 
 ──ついに此花隊の全隊員に情報が公表されたのだろう。道すがら、すれ違う者たちはみな、ぎょっとするような、信じられないものを遠目にするような、忌避の目を向けてきた。いずれこうなることが予想できていたロクは、ほとんど動揺を見せなかった。
 
 「どっちだと思う。信用していいのか、疑うべきか」
 
 揺らぎ、伝播し、膨らむ心情をあえて探ろうとしなくとも、ひしひしとそれを肌が感じ取った。ロクは変わらない速度で、コルドとともに屋敷の廊下を進んだ。
 
 「神族って心臓がないと聞いたけど、本当だろうか。じゃあ、いったいどうやって……」
 「待って、それ以上はやめよう。いま、こっちを見た。心の声を聞かれたかもしれない」
 
 目を背けられたように感じたが、ロクは言及も、追及もしなかった。悪い気がして、周囲の声を遮断しようとしても、鼓膜が勝手に声を拾いあげる。
 
 「レトヴェール・エポールを騙していたらしい。彼はいまも、あの子に心酔し、狂乱しているそうだよ」
 
 ロクは足を止めた。
 しかし、一瞬だった。彼女が静止したために、手元の鎖がたゆんだ感覚を覚えたコルドだったが、すぐにまた彼女が歩きだしたので、黙って後ろについた。
 
 耳に入ってくる声が募る。後ろ向きな思惑がそこかしこで渦巻いている。自覚をしていないうちにロクの脳髄は熱く膨張していって、やがてぼうっとなりかけたとき、ちょうど地下へ続く階段に至った。
 ひやりとした空気は彼女を抱きこんで、そしてふたたび、暗闇の中へと閉じこめてしまった。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.182 )
- 日時: 2025/08/03 17:46
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第164次元 詰まる言葉
 
 地下の暗闇と静けさは、時間の感覚を鈍らせた。だからロクアンズは自身が思っている以上にこんこんと考えに耽っていた。
 地下室はほとんど倉庫の様相を呈している。格子状の廊下は壁に取りつけられた燭台の蝋燭の明かりで薄らぼんやりと照らされているだけで、人が歩くのなら手持ちの角灯が必要だ。物置部屋のような一角がいくつも並び、もう使われていない派手な硝子品や杯、飾り物、それから擦れた燭台に提灯のたぐいなどが押しこめられている。どれも貴族が好むような嗜好品だが、もうかなり劣化が目立つ代物ばかりで、市場価値はとっくに失われているだろう。
 それから、地下室の北側に鉄格子の嵌められた牢が五つ、物々しく並んでいる。元来は、悪さをした使用人、屋敷に侵入した不届き者、躾のなっていない愛玩動物らの仕置にでも使われていたのだろう。中央の部屋にロクは幽閉されている。そして昨夜からは、一命を取り留めた赤髪の青年が不貞腐れた顔をして隣の牢で寝転がっている。
 
 青年は、着ていた黒ずくめの衣服をとっくに剥がされていて、いまは病衣を被せられていた。
 健康的な小麦色の肌をした手首、足首には枷が嵌められ、枷から伸びる鎖が部屋の隅の留め具に繋がっている。次元の力を使っても破壊できないことは昨晩、実証済だ。どうやら、コルドとかいう長身の黒髪の男が、次元の力で細工をしたらしい。おかげで窮屈で仕方ない。鉄格子の奥に見えるコルドの背中をきっと睨みつけて、青年はわざとらしく声を大きくした。
 
 「クソ。あーあー、息が詰まるぜ。犬じゃねえんだからよ、こんなもんジャラジャラつけんじゃねえっての。やってるこたあ、政会のクソジジイどもと変わんねえなあ。てめえもそう思うだろ? なあ、おい神族。てめえの電撃で壊せよ、このくらい。なに大人しくしてんだ? この期に及んで人間に従ってるふりか?」
 「……」
 「おい、無視してんじゃねえよ! てめえコラクソ神族!」
 
 青年が思わず前のめって、じゃらりと擦れた鎖の音も、吠えた声も、ロクの耳には届いていなかった。彼女の思考は深みに潜っていた。そして、ふと考えがまとまると、集中力は紐解かれて、ふわりと意識を浮上させる。同時にロクは顔をあげた。
 
 「コルド副班」
 「俺の話聞けよ! 聞こえてんだろ!」
 「紙を多めにくれないかな? あと、筆もほしいんだけど」
 「なにに使うんだ?」
 
 コルドが探るような目でロクに問いかける。
 
 「大事なことを書きたくて。検分してもいいよ。メルギースの現代語で書くから」
 「……大事なこと?」
 「うん。みんなに伝えなくちゃいけないことがある」
 
 "そのために私は、きっと記憶を思い出したんだ。"
 ロクが、聞いたこともないような真剣な声で言うので、コルドはしばし外した。地下の倉庫には、もう使われなくなった物品が数多く眠っている。中には紙類や筆もあるだろう。牢があるということは、監視役も常駐する。監視は交代で行われるだろうから、記録をつけるために手近な場所に備品を置いておくのが自然だ。コルドの思惑通り、紙類と筆、それから墨も倉庫の中からすぐに見つかった。
 コルドは、言われた通り、それらをロクに渡した。大事なこととはなんだろうか。どうして口頭で伝えるのではなく、わざわざ紙に記す必要があるのか──そう訊いてしまいたかったが、コルドはまた口を噤んでしまった。
 
 
 カナラ近辺の巡回警備を終え、ガネストはどっと疲れた身体を引きずるようにして、仮拠点への帰路についていた。帰路とはいっても、キールアに頼まれた必要物資を街で買いつけて、彼女のもとに届けたら、またすぐに警備の配置につかなければならない。まともに動ける次元師はいまガネストとフィラだけで、二人きりで広範囲の警備を任されているのだ。ルイルはというと、目を覚まさないメッセルの傍らで待機をしていて、彼の容態に変化があればキールアに伝えるよう言いつけられている。
 街道は昼夜問わず、人の行き交いが激しい。忙しなく働く人々の邪魔にならないよう、気をつけて歩きながら、ガネストは市場を巡った。あれこれと買って回って、最後に果物の卸屋で足を止めて、調薬に使うのだという果実の種を注文する。店番をしている帽子を被った青年は、ガネストに言われた数だけ種を入れた袋を手渡そうとしたとき、彼の手のひらの上に紙片を滑らせ、袋の底でそれを隠した。そして自然な態度でガネストを送り出す。ガネストも、なんてことのないような顔で踵を返し、拠点までの道すがら、人目が少なくなってきた頃合いを見計らって紙片を暴いた。それの中に書かれていた文字に目を通すと、ガネストは道の途中で立ち止まった。突っ立っていると、人とぶつかりかねないので、ガネストはすぐに紙片をたたんで、懐にしまいこんだ。
 
 屋敷の裏庭で薬草の世話をしていたキールアを見つけて、ガネストは声をかけた。頼んだものは医務室まで運んでほしいと彼女が言うので、ガネストは首を縦に振った。ついでにメッセルとルイルの様子も見ていこうと、そう思った矢先、医務室までの廊下を歩いている途中で、ガネストの耳に甲高い泣き声が聞こえてきた。
 ルイルの声だ。医務室に近づくにつれ、泣き声は大きくなっていく。
 逸る鼓動を抑え、ガネストは駆け足になって部屋に向かった。つい、扉を強く開け広げて、ガネストは部屋の中に入った。
 
 「ルイル、どうかしましたか。なにが」
 
 ガネストは、はっとして、言葉を切った。
 目の前には、メッセルの大きな手のひらで頭をぐしぐしと撫でられながら、彼の毛布にしがみついてわんわんと泣き続けるルイルの姿があった。
 
 「メッセル……副班長……」
 「ようっ。生きてたか。元気そうじゃねーか」
 
 軽く片手をあげて、メッセルはガネストと視線を合わせた。それから、一層激しくわめきだしてしまったルイルのことを困った顔で「泣くな、泣くな」とあやしている。
 ガネストはしばし呆然として、ようやく事態を呑みこむと、糸で引っ張られるているかのようにふらふらと寝台まで歩み寄った。それから、ずいぶんと久しく見ていなかったメッセルの薄い目元を見て、下唇をぐっと噛み締める。
 
 「目を覚まされたのですね。本当に、よかった」
 「なあにしけた面してる。お前さんが素直に俺を心配するたあな。ははは! 寝るのも悪かねえなあ」
 
 茶化さないでくださいと切り返したかったが、ガネストはすぐに言葉が出てこなかった。メッセルの笑い声があまりにもいつも通りで、ほっと心が落ち着いてしまうのが先だったのだ。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.183 )
- 日時: 2025/08/15 19:05
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第165次元 海の向こうより
 
 「しっかしまあ、いろいろあったんだろ。あのあともよ。知らねえ家にいるみてえだし……。なにがあったか、かいつまんで教えてくれねえか」
 
 そう訊ねられると、ガネストは、はっと表情を引き締めた。寝台の傍にあった丸椅子に腰を落ち着かせると、メッセルに事のあらましを伝えた。メッセルは東の都サオーリオでの【IME】との戦闘中に意識を落としたため、【CRETE】の存在や能力、エントリアへの進行と壊滅状況──そしてロクアンズの正体を聞くと、心底驚いていた。無理もない。たった数日の間に、あらゆる出来事が起こりすぎていた。
 状況を伝えながら、ガネストはメッセルが目を覚ましたことをキールアに知らせなければと考える一方で、あることを思い返していた。
 
 「メッセル副班長。ひとつ、お伺いしたいことが」
 「なんだ?」
 「ベルイヴ、という言葉に聞き覚えはございますか」
 
 メッセルは片眉をあげて、さらに首を傾げた。その表情からも、とんと思い当たる節がない、と言いたげなのが伝わってくる。
 
 「さあな……知らねえなあ。音の感じは、メルギースかドルギースの言葉か? なんだその、ベルイヴってのは。どこで聞いたもんだ」
 「時間の神【IME】が、一時の間だけ、正気に戻ったんです。そのときに口にしていました」
 
 『人間、様。どうか。どうか……』
 『【信仰】……ベルイヴ様を……──』
 
 「……【信仰】っていやあ、どこかで聞いたな」
 「天地の神【NAURE】が、死に際に放った最後の言葉が、『【信仰】を殺せ』だったと、第一班が報告をあげていました。つまり……」
 「新たな神族の名前か」
 
 ガネストは、腿に両の拳を乗せて、神妙な面持ちで頷く。話していると、すうすうという寝息が聞こえだした。ルイルが、メッセルの毛布にしがみついたまま、泣き疲れて眠ってしまったらしい。
 
 「お姫さんにも、心配かけちまったな」
 
 赤く滲んだルイルの目元と、それから彼女を起こしてしまわないように、指先だけで桃色の髪を撫でるメッセルの横顔を見て、ガネストはおもむろに立ち上がった。そして深々と頭を垂れ、言った。
 
 「メッセル・トーニオ副班長殿。お詫び申し上げます。僕は、誤って貴方の胸を撃った。貴方はそれゆえに重体となってしまった。これについて、上への報告は済んでおります。本当に、申し訳ございませんでした」
 
 謝意の言葉を述べるだけで許される問題ではない。ガネストはそれを重々承知で、出兵経験がないものの重く受け止めていた。神族との会敵中に、故意でなくとも上官の胸を撃ち抜き、生死を彷徨わせてしまった責任はとるべきだ。いかような罰も受けるつもりだと、セブンには意思表明をしているが、ガネストの立場もあって処分を下しづらいのだろう。報告書をあげてくれとだけセブンは言っていた。しかし、責任感の強いガネストは、それだけでは到底、くすぶる胸の内を冷ますことができなかった。
 だから当のメッセルの口からでもいい。苦言を呈してほしかった。
 
 「じゃあもう外すんじゃねえぞ」
 
 低く、威圧的なメッセルの声に、ガネストは、びくりと肩を震わせた。心臓がどくどくと脈打ちはじめる。とっくに構えてあったとしても、ガネストとてまだ齢十五ほどの少年である。どきどきしているのが悟られないように、表情を噛み殺して、ガネストは、次に放たれるであろう厳しい処断を待っていた。
 
 「でもお前さんも姫さんも生きてる。すげえことじゃねえか。こんなありがてえことは、ねえ。なあガネスト、よくやった!」
 
 打たれたように顔をあげると、ころりと明るい声色になっていて、心の底から嬉しそうに破顔するメッセルの顔が視界に飛びこんできた。
 
 「俺あ、褒めてやりてえ。いいや、褒めるぜ。たいしたもんだなあ」
 
 もう片方の空いた手で、ガネストの頭が左右に揺れるほどにがしがしと撫で回す。固く構えていた身体も、心も、無理やりにほぐれて、ガネストは自身の感情を理解するのに遅れてしまった。傷つけて申し訳がなかった。失敗して悔しかった。ルイルを守ったのは貴方だった。なのに、笑う。笑って、身に余るほど十分に褒めてくれる。正しくないとわかっていても、ガネストの心の底に、ほんの少しの嬉しさが湧いた。ガネストはまた悟られないように、表情を噛み殺して、緩みそうになる口元をぐっと結んだ。
 
 「コルドのヤツだったらお前さん、もう何刻もかけて、説教垂れられてたぜ。あいつぁ、固いからよお。俺でよかったなあ」
 「はい」
 「はは! 素直か!」
 
 ほっと肩の荷が下りると、メッセルの力強い撫で回しを甘んじて受け入れた。
 ガネストは、メッセルの声でルイルが起きてしまうのではと心配した。寝台に突っ伏す彼女を見やると、深く眠ってしまったのか、起きてくる気配はない。ガネストには、もうひとつ、メッセルに話しておきたいことがあった。
 上着の内側に手を差し入れたガネストは、折りたたんだ一枚の紙を取り出した。街の果物屋が渡してきた紙切れだ。メッセルはまた片眉をあげて、それを見つめた。
 
 「なんだ? 紙切れなんか出して」
 「急遽、帰還命令が出されました」
 
 すぐにはピンと来なかったメッセルだったが、紙切れとガネストを交互に見やると、合点がいったらしい。目をまん丸にして、ああ、と何度も頷いた。神族の調査でサンノを訪れると、ガネストは現地に滞在していたアルタナ王国からの使者と連絡を取っていた。ガネストがいま手に握っている紙切れも、カナラ街の使者から渡された王国からの通達状だった。しかし内容は、定期的に交わされる業務連絡ではなく、至急の帰還命令だったのである。
 
 「……本当か? なんだ、どうしたって?」
 「陛下の容態が悪化して、ご危篤の状態だと……」
 
 ガネストは念のため小声で言った。それを聞くと、メッセルはまた何度も首を縦に振って、深刻な面持ちになる。
 
 「そいつは大変だ。……って、お前さん、なんて顔してる?」
 
 顎をさすっていたメッセルが、ふとガネストの顔を見て、手を離す。ガネストの表情は薄青くなっていてた。自国の王の身に危険が訪れていると聞けば動揺するのも無理はないが、それにしたって、ガネストの目には不安や恐れ以外の色が複雑に入り混じっていた。どこか納得がいっていないようにも見えたのだ。
 
 (本当に、陛下が重篤なために呼びつけられたのだろうか)
 
 ある予感が静かに寄せては返してを繰り返し、ガネストの頭の中に、小さなさざ波を起こしていた。
 
 
 黄金でこしらえた玉座へと伸びる緋色の絨毯に膝をつき、深々と頭を垂れるのは、浅黒肌の青年だった。青年の身なりはしかしだれから見てもひどく小汚く、着のみ着のまま畑仕事にでもやってきたような気軽さで、絨毯の深い赤色にも、白亜の壁や床にも、まるで溶けこんでいない。青年は後ろ手に縛られ、彼を挟んで脇には二人の兵士が厳かな面持ちで立っている。
 青年は、深縹色の長い前髪から、気力のなさそうに垂れた目を覗かせ、しかし目の前の玉座の脇に控えるやんごとなき人物の姿を見ないように注意して、口を開いた。
 
 「……王女様、それで、俺だけをここに連れてきたのは……」
 「無礼者。貴様の前におわしますのは、ライラ子帝殿下である。仲間の命が惜しければ口を改めろ、賊めが」
 「子帝殿下。殿下のお望みは」
 
 青年の脇に控えた兵士の一人が、強い口調で諌めたものの、青年の態度はあまり変わらなかった。緩やかに言って、目の前の人物の発言を待つ。
 空の玉座の傍らに立つライラ・ショーストリア──アルタナ王国で次期国王となることが約束された第一王女が、愛らしい桃色の瞳をじつに鋭く光らせる。
 
 「私から貴方への要求はただ一つです。この命に背けば、捕らえた仲間とともに、貴方の首も刎ねましょう。これを無事果たした暁には、貴方がたを解放すると約束いたします。ただし、盗賊団「銀の爪痕(ぎんのつめあと)」は、どちらにせよ解体を命じます」
 
 青年は甘んじて受け入れるほかなかった。盗賊団の一味として、海沿いの町で幅を利かせていた貴族の男と手を組み、利益を求めすぎたばかりに町の住民から巨額の金品を騙し取ったその行為が運悪く国王直下の軍兵に見つかってしまった。貴族一家は資産を取り上げられ没落し、また協力した盗賊団「銀の爪痕」は総員が捕えられ、王城の地下牢で処罰のときを待っている。ただ一人、浅黒の肌に深縹色の髪をした"次元師の青年"を除いて。
 ライラは小さく息を吸うと、間もなく、青年に命を下した。
 
 「我が妹にして第二王女ルイル・ショーストリアの傍らにいる神族ロクアンズを討ち取り、その首を私の前に差し出しなさい」
 
 かつて最愛の妹を、かの手に託したときの柔らかな面影はもうどこにもなかった。澄み切った冷徹な目をして王女は言い放つ。
 やがて、次期国王からの直々の命を受けた盗賊あがりの青年は、──目的のために青い海を越える。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.184 )
- 日時: 2025/08/17 19:31
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第166次元 次から次へと
 
 "大事なことを書く"と言っていた通り、ロクアンズは日がな筆を握って、与えた大量の紙束になにかを必死に書き綴っていた。それに、多めにほしいと要求された理由もわかった。何日経ってもロクの筆が止まらなかったのである。件の"大事なこと"は、どうやら紙の一枚や二枚に収まる話ではないらしい。そろそろ底を尽くのではないかと、コルドは追加の分の紙を探しておいたほどだ。
 
 若草色の長い髪を床にべったりと貼りつけて、真剣そのものの目をして筆を走らせる彼女に、暇を持て余した赤髪の青年が茶々を入れる光景も見慣れてきた頃だった。
 大量の紙の海に身を委ねるロクと、顰めっ面で座ったまま目を閉じている青年が、それぞれ眠りはじめてから幾刻かが経過する。
 夜も深けてきてうっかり意識を落としそうになったコルドの首筋に、突然、ひやりとした殺気が突き立った。振り返る間もなく、コルドの意識は一瞬にして大きくぐらついて、その場に倒れこんだ。
 彼の首筋には強力な麻酔針が打たれていた。
 音もなく、何者かが牢の鍵をコルドの腰元から取り外す。それで中央の牢の錠をすばやく解くと、不要になった鍵を床に置いた。
 
 牢に入ると、紙の海に囲まれた標的が、あどけない顔で寝息を立てていた。懐から、静かに短刀の刃を覗かせる。逆手にして、柄をぐっと握りこむと、標的の細い首を目がけて勢いよく振り下ろした。
 ──が、手首を掴まれる。
 寝転がったまま、迫ってきた浅黒肌の手首を制し、ロクは左目を開いた。
 
 「誰?」
 「……!」
 
 浅黒肌の人物──アルタナ王国から遣わされた盗賊団一味の男は、すかさずもう片方の手を、腰元に下げた刀袋に伸ばした。そして目にも止まらぬ速さでもう一丁の短刀を抜く。しかしロクは下腹部に力を入れて、膝を跳ねさせた。すると短刀は膝に打たれて飛んで、カランカラン、と音を立てて部屋の隅に落ちた。ロクは男の空いたほうの手も捕まえて、ぐぐと押し除けながら上体を起こす。
 ちらりと牢の外を見やれば、コルドが昏倒しているのがロクの目に入った。
 
 「……コルド副班に、なにしたの?」
 「眠ってもらった。用があるのは、アンタの首だけだ。……心当たり、あるだろ」
 
 緊迫しているわりに悠長な言い方で、男はロクに迫った。
 ふいに、先日の赤髪の青年の言葉が脳裏に蘇る。『すぐに国中から矛先が向く。てめえを殺そうと動きだす! すぐにだ!』──当然だ。ロクだって、此花隊の一員として神族を捜し出すために赤い目を追っていた。その標的が自分になるとはまさか思っていなかっただけだ。
 ロクの両手両足に電気が走る。猛烈な電力が伝うと、鎖はたちまち音を立てて砕け散った。ロクは、男の土手っ腹を蹴りあげるとともに男の手を離し、そのまま開いた牢の扉をくぐり抜けていった。そのとき、床に落ちた牢の鍵束を蹴った。鍵束は隣の牢の前まですうっと滑っていった。
 牢を出て、長い廊下を曲がり、地上への階段を駆け上がっていくロクの背中を追いかけて、男もその場を離れた。
 
 「んん……ん?」
 
 騒ぎが遠のいてすぐ、赤髪の青年が眉をぴくりと動かした。目を覚まし、きょろきょろとあたりを見回した彼の目に、倒れている見張りの姿が映る。そして、牢の前に落ちているものを見て、しっかり覚醒した。
 
 「……! おい、鍵落ちてんじゃねえか! 見張りも寝てるぜ。よくわかんねえけど、しめた!」
 
 鉄格子の隙間に手首を通して、なんとか鍵束を牢の中へと持ちこむ。歯で鍵を噛みながら一つ一つ試して、やっと鍵穴に合うものが見つかると、手枷が解けた。足枷の錠も解いて、青年はやっと身軽になり、機嫌よく鼻を鳴らした。倒れているコルドの身体を飛び越え、青年も地下牢から飛び出していった。
 
 屋敷の外に出ると、すっかり真夜中で、橙に色づく街灯と酒屋の玄関にかかる提灯だけが街路に灯りを落としていた。また、屋敷周辺の見張り番の警備班班員たちは軒並み伸びていた。おそらく、いま後ろから追ってきている男の仕業だろう。ロクは建物の屋根の上を走りながら、ちらりと後ろを振り返った。
 そのとき、びゅ、とロクの耳の横をなにかが通り過ぎた。あとすこし首を捻るのが遅かったら、頬が深く裂けていただろう。いまのは、まるで先端を尖らせた鏃のようなものだった。ロクは眉をしかめ、警戒を強めた。
 
 「……まあ、あんなので、止まるわけないか」
 
 男は淡泊な声色で独り言ちると、目深にかぶっていた外套の頭巾の端をつまんで、首の後ろへやった。夜闇とそう変わらない深縹色の髪の先が、首元のあたりで靡く。青年だが、赤髪の青年とはまた違って気力のない垂れた瞳が橙色で、風が吹いていなければ長い前髪に隠れてしまうだろう。
 彼は遠のいていくロクの背中から目を離さず、ゆっくりと腕を持ちあげ、そこにまだなにもないうちに姿勢を作りあげた。
 
 「次元の扉、発動」
 
 そして詠唱さえ、ほとんど縦に開かない口の隙間からわずかに息を拾うだけだった。
 
 「──礒弓」
 
 虚空から突如現れた"弓"が、すでに整っていた青年の姿勢にぴったりとはまる。青年はそのまま、立て続けに詠唱した。
 
 「六元解錠──"三閃矢"!」
 
 唱えれば、青年の指と指の間に光の粒子が寄り集まり、それが"三本の矢"となり放たれた。鋭利で素早い殺気が迫ってきて、ロクは驚く間もなく、なんとか咄嗟に身をねじったが、躱せたのは一本だけだった。二本の矢が、ロクの脇腹を貫通する。ロクは体勢を崩して、ふらふらとたたらを踏んでしまい、ついには屋根の上から転落した。
 しかし、街路に身体を叩きつけたロクは立ち上がる暇さえ与えられなかった。すぐさま、たたん、とまたロクの足元に矢が突き立つ。次から次へと放ってくるつもりだ。ロクはほんのすこしだけ、考えた。ここで次元技を使って応戦すれば、雷鳴が響き、騒ぎになりかねない。静かな夜更けだ、なおさら目立ってしまうだろう。
 
 (それに……──)
 
 ロクは、立て続けに放たれる矢の雨をかいくぐり、脇腹に刺さった二本の矢を引き抜くと、くるりと足の向きを変えた。そして東の方角に向かって逃げだした。
 
 「……まだ逃げるのか。雷を使うなら、遠距離戦もできると思うけど……まあ、いいか。どうでも」
 
 青年は視界が不自由そうなわりに目が良く、夜目も利く。盗賊団の団員に野生の獣の肉を食わせる役目だった彼は、どんなに小さな野兎の背中も見失わない。青年もまた、東に向かっていった。
 
 
 「は~! 空気がうめえなあ! 地下は最悪だった。やっと自由だ!」
 
 軽快な足取りで建物の屋根を跳び超えては、街路に着地し、軽やかに駆けていく。赤髪の青年は水を得た魚のように生き生きとした身のこなしで、自由になった身を謳歌していた。とはいえ、ロクを殺害するという目的は、まだ果たせていない。それがふと脳裏によぎると、またつまらなさそうに舌打ちをした。
 どうしたものかとぼんやり思考しながら、屋根の上に跳びあがったそのときだった。すぐ目の前に、しゅたっと人影が降り立って、それがロクだとわかると青年は背中を仰け反らせた。
 
 「うわあっ、てめえ! 急になんだよ! 追いかけてきたのか!?」
 「しーっ。あまり大きな声を出しちゃだめだよ。ここはまだ、住宅地だから」
 「んなもん気にしてなんになんだよ」
 
 赤髪の青年は、不機嫌そうに眉をしかめる。真面目な顔をして言うロクから目を逸らして、さらに大きなため息をついた。
 
 「なんだ? わざわざ俺の前に出向いてきて、戦おうってのか。上等じゃねえか。どの道、てめえを殺さなきゃなんねえからな!」
 「お願い、協力してほしいんだ」
 「……はあ?」
 
 思わぬ発言が飛び出したので、青年も思わず素っ頓狂な声をあげた。しかしすぐに、ロクが抑えている脇腹から流血しているのに目がいって、それから後ろを振り返った。暗いせいもあって見えづらかったが、遠くで不審な人影が動いていた。こちらの動向を伺っているようだ。赤髪の青年は口の端をあげた。
 
 「はーん。なるほどね。俺の言った通りだろ? あんなのが、これからうじゃうじゃ湧くぜ。はは、いい気味だな! そうだな、お得意の電撃でどうにかしたらどうだ? 第一、てめえの言うことを俺が素直に聞くと……」
 
 ふらりと手を振っておどけて見せた赤髪の青年は、そのときぴたりと動きを止めた。
 底知れない殺気が、胸に刃を突き立てるかのように、肉薄する。ロクの目を見ればさらにぞっとして、途端に肌が粟立った。
 赤髪の青年はこれをよく知っている。集団の中でもっとも強い力を持った動物が、ほかのものを従えようとするときに発する威厳と圧力だ。政会で飼っている、かの力のある次元師もこうして奴隷たちを威圧するのだ。
 
 「……は、やっぱり、てめえも"そっち側"じゃねえか。力で相手を威圧して、言うことを聞かせる。大人しいフリをしちゃいるが神族は神族だ。腹の底では、自分より弱い人間を見てほくそえんでるんだろ? 性格が悪いな」
 
 強がりからか、文句を言うのが止まらない赤髪の青年の頬に、つうと汗が伝う。いよいよ逃げ場を失ってきた彼は、観念したのか、悪態をつきながらもロクに訊ねた。
 
 「チッ。で、協力ってなんだよ。あんなの、てめえ一人で追っ払えやいいだろうが」
 「違うよ」
 
 静かに返したロクは、東の方角へと視線を促し、それから、エントリアの街を指さした。
 
 「──エントリアに元魔がいる。しかも、早くしないと、大変なことになる」
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.185 )
- 日時: 2025/08/24 20:25
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第167次元 徒党
 
 赤髪の青年は、ロクアンズの指の先につられて、東の方角を眺めた。深い森を超えると、その先にはいまや無人と噂の旧王都、エントリアに続く。青年の感覚ではしかし、静かな夜風が通りすぎていくばかりで、気配もなければ生き物の鳴き声も聞こえてこない。
 
 「いるか? 俺は、元魔退治なんかしてねえから、気配とかよくわかんねえんだけど」
 「いる。いたんだ、クレッタたちが来てから、去ったあともずっと。おそらく次元師でも感知できないほど小さい個体だった元魔たちが、ここ数日で共食いを繰り返していたんだよ。このまま野放しにしてしまうと、個体は徐々に大きくなって、また飛竜に……それ以上の、もっと危険な存在に成長してしまうかもしれない」
 
 エントリアの街に残された元魔の残党たちは、ラッドウールが対処に回っていた。クレッタが姿を消してからもしばらくはそうだったのだが、感知と視認ができた範囲には限界があった。ラッドウール自身も気づかなかった、ごく矮小な元魔たちが、荒廃した街の影に隠れて蔓延っているのだ。それらが互いに吸収し合って、気配が肥大してきたのが今夜だったらしい。外へ出たロクは、夜風に乗って流れてくるその徐々に大きくなる元魔の匂いに気がつくことができた。
 たくさんの小さいもの同士が融合するのには時間がかかるが、だいたい人間とおなじくらいの大きさになったいくつかの個体がさらにまた互いを喰い合えば、そこからの成長速度は各段に跳ねあがる。
 
 「だからその前になんとしても食い止めないと」
 「じゃあ、この前みてえに、ぱっぱとやっちまえよ。一人でも問題ねえだろ」
 「そのときは蛇を扱う次元師の人がいたでしょう? それに、近くに一般の人間がいる場合、一人で対処するのは難しいよ。いまエントリアには、警備班が配置されているだろうからね。私たちは互いに魔法型だし、コルド副班やフィラ副班みたいに攻撃と捕縛のどちらにも特化しているような次元師じゃない。だからここは協力して、警備班の人たちを守りながら元魔の討伐をする」
 「……。は?」
 「とにかく、ついてきて!」
 
 ロクはそう言うと、エントリアの方角に足を向けて、颯爽と駆けていった。赤髪の青年はほんのしばしの間だけ放心していた。力を持った神族の女が、なぜ協力をしたがるのか、青年は不思議でならなかった。一人で戦えばいいものを。次元師には力があるのだから。それをしないのは、ほかの人間と徒党を組んで戦おうとする此花隊の意思なのかもしれない──そこまで考えたのだが、青年には致命的に欠けている感覚があって、途中でぷつりと思考が途切れてしまった。
 
 (人を守りながら……戦う?)
 
 立ち尽くしているうちにも、ロクの背中はどんどん、夜闇の向こうへと遠のいていく。青年はかぶりを振って、見失う前にその背中を追いかけた。
 
 「……クソ! おい待て、神族女!」
 
 ロクが、見知らぬ赤髪の青年と合流したかと思えば、東へ向かっていくのを、盗賊の青年は瓦屋根の上から静かに見下ろしていた。
 
 
 "雷装"──八元質の次元技の一つ、"魔装"は、不定形の次元の力をその身に纏う。元力が底をつくか、解除を行うまで効果は継続される。ロクは"雷装"を発動し、電気によって全身の筋肉を刺激することで、目にもとまらぬような速度でエントリアまでの道のりを──深い森の中を疾走した。しかし、ロクが森を抜けて、エントリアに到着したときには、すでに事態は悪い方向へと駒を進めていた。
 秒を過ぎるごとに、元魔の匂いは色濃く鼻をつき、門の外にいてもだいたいの居場所が推測できた。街の西側から、夥しい気配が漂っていた。
 エントリアはいま、東西南北すべての門が封鎖されている。街の中へ入るには、警備班に申告して開けてもらうか、見つからないように城壁を超えるか、もしくはいま城壁の再建中で忍びこみやすい東門から入るしかない。
 警備班に申告するのが正攻法なのはわかっているが、ロクの素性は、すでに全隊員に知れ渡っている。地下に幽閉されているはずのロクが外を出歩いている時点で、警備班の班員たちはロクを訝しむかもしれない。すんなりと通してもらえるとはすこし考えにくく、説得するのにかえって手間取る可能性がある。高い城壁を超えるのも、現実的とはいえない。残る東門からの侵入がもっとも時間がかからないのではないか、とロクは踏んでいた。西から東へ回りこむのだって、"雷装"を使っていれば時間はかからないのだから。
 ロクが思った通り、再建中の東門は綺麗に積み重なった瓦礫の山が点々と鎮座しており、作業用具や、それを載せた台車、天幕なども張られていて物々しい。身を隠す物影はいくらでもあった。何人かの見張り番が起きていて、薪に火をくべながら談笑しているのみで、人の動きはほとんどないに等しい。見張り番たちの視界に入らないように、慎重に門をくぐり抜けた。
 
 膨れあがっていく元魔の気配をまっすぐに目指して、無人の街の中を駆け抜ける。まだ姿は見えていないのに嫌な予感がしていた。ようやく西側に辿り着いて、大きな街道を抜けると、その先の広間にそれがいた。
 それは、"それら"だったものが、一つになろうとしているところだった。周辺の建物よりも身の高さがある、二体の飛竜の元魔。片方の飛竜が尾から食われたのだろう。捕食側の飛竜の口からぴんと太い首を伸ばし、いびつな顎を突きあげてあえいでいる。不快な音を立てて混ざり合うそれは、突然、腹を二倍に膨らませて、さらに背中には、二枚だった翼の裏側にもう二枚の翼がたくわえられていた。被食側の飛竜の首元がじんわりと溶け、捕食側の飛竜の皮膚と繋がろうとする。ロクは絶句していた。
 
 (まずい、このままじゃ……これまでの飛竜よりも厄介な個体が生まれる!)
 
 元魔の中では、飛竜の姿をした個体が、筋肉も知力も発達しており、もっとも厄介だ。なのに、まさか飛竜型同士で共食いが起こるとは、ロクも観測したのは初めてになる。ロクは警戒を強めて、すかさず、周辺に人の気配がないことを確認した。
 
 (人はいない。けど、そうするとまだ、来てないか。私が"雷装"で先に来ちゃったから……)
 
 そのときだった。ちょうど、かぎ慣れた人の気配がして、ロクは視線を滑らせる。近くの建物の影から、赤髪の青年が文句をたれながら、顔を出した。
 
 「速いんだよ、てめえ」
 「ごめん! 文句はあとで聞くよ。まずは、この元魔が完全に共食いを終えるのを食い止めるのが──」
 
 言いかけた瞬間、ロクの言葉を遮るように、それは降ってきた。矢だ。無数の矢が雨のように降り注ぎ、ロクは驚いて、後ろに下がった。それらを躱したかと思えば、目の前。炎を纏った脚が迫っていた。熱い残光は鋭くロクの頬に突き刺さる。ロクは横薙ぎに蹴り飛ばされた。
 広間の石畳の上を跳ねて、転がっていく。四つん這いに倒れこんだロクは、咳きこみながら立ち上がった。ロクが、赤髪の青年をじっと見つめると、物陰から、盗賊の青年が姿を現した。彼は『礒弓』を片手に構えて、赤髪の青年の傍までゆっくりと歩み寄り、隣に並んだ。
 
 「……神様とか、よく知らないけど。あんた、人間と手と組むつもりだったの?」
 「まあ、てめえに協力するとは、俺は言ってねえけどな」
 
 三つの視線がかち合って、見えない小さな火花が、散る。じわじわと痛みだすロクの背中越しに、元魔たちの共食いが進行しているであろう、不快な接合音が聞こえていた。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.186 )
- 日時: 2025/08/31 21:09
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第168次元 廃都での混戦
 
 力の見せつけによる圧制は、あの赤髪の青年には有効だと算段していた。だが効き目は、ロクアンズが思ったほどではなかったらしい。その証拠に、カナラからエントリアまでの道中で深縹髪の青年と遭遇し、すんなりと結託している。彼らの目的は、ロクの殺害という点で合致している。
 後ろを振り返れば、飛竜型の二体の元魔が、着々と融合を進めている。前に向き直れば二人の次元師がロクの出方を伺っている。ロクはごくりと固唾を飲みくだすと、身を乗り出して言った。
 
 「元魔を討伐するのが先でしょう! 共食いを終えたら、どんな凶悪な存在になるかわからない! 三人でかかっても敵わないかもしれない! 手を打つならいましかないんだ!」
 「関係ない」
 「俺たちの目的は、てめえだけだ。【HAREAR】」
 
 ロクは、ぐっと口を閉じた。元魔をまず退けなければならない、というロクの思惑は彼らには響かず、煙のように霧散してしまった。ロクを殺すために遣わされた者たちの目には、変化を遂げようとする元魔など眼中にないのだろう。
 だれもが正義感で次元の力を振りかざすわけではないことを頭ではわかっていても、ロクは歯がゆかった。次元師が元魔を討伐するのは、法律でもなければ、誓約もないのだ。
 雄々しい元魔の咆哮がしているのに青年たち二人は呑気に会話を始めた。長い前髪から橙の瞳を覗かせて、青年が先に告げる。
 
 「奴の首はもらうから……」
 「はあ!? こっちだって持って帰んなきゃなんねえんだよ。協力してやんだから、そこは譲れや」
 「協力してやってるのは、こっちもおなじ。……それなら、あいつの心臓を先に止めたほうが、首を持ち帰る。……これでいい?」
 「乗った!」
 
 赤髪の青年が、八重歯を見せて声高らかに返事をすると、そのとき雷鳴が轟いた。青年たちに背を向けたロクが、元魔に向かって"雷撃"を放ち、動きを鈍らせようとする。
 
 「背中がガラ空きだぜ、神族女!」
 
 三本の矢が撃たれ、その軌跡の隙間を炎熱が縫う。
 ロクは次元技が迫ってくると、その気の流れのようなものを肌で感じとった。振り返りながら屈み、横っ飛びに転がり、躱した。そして間髪入れず、石畳に指先を添えて"雷柱"を焚く。青年たちの足元からばちりと電気が沸き立つ、と、雷でできた大きな柱が二人の姿を飲みこんだ。
 
 "雷柱"が青年たちの身動きを封じているうちに、ロクはまた、元魔のほうへ視線を戻して、"雷撃"で追い打ちをかける。元魔は不完全体なのと、体が重いためか、動きは大振りでのんびりとしている。取り乱して手足をばたつかせるが、ロクには当たらなかった。
 仕方がない。まずは青年たちの攻撃をかいくぐりながら、元魔の討伐を優先にして動く。
 ロクが意気込んで、まだ電気の糸に絡まってまごついている元魔に飛びかかろうとした、そのときだった。複数の足音と、人の声が聞こえてきた。
 
 「副班長! あれは!」
 「! 激しい鳴き声が聞こえてきたので来てみれば……元魔だ! それも、かなり大きい!」
 
 黒色の隊服を着た者が一名、灰色の隊服を着た者が二名、手持ち用の角灯を提げて近づいてきた。ここから一番近い西門の警備をしている此花隊の警備班だろう。彼ら三人は元魔の鳴き声を訝しみ、様子を見にここへ駆けつけたのだ。
 
 「それに、さきほどまで雷の柱も見えていた。まさか……」
 
 警備班たちがまさに、"雷柱"が見えていた地点に視線を移すと、その方向から鋭い矢と炎熱が飛んできた。彼らの叫び声と、雷鳴が轟いたのはほぼ同時だった。
 遠くから"雷撃"を飛ばすには間に合わない、最悪警備班たちにも"雷撃"の余波が当たってしまうのではと懸念したロクは、"雷装"を使って加速した。そして電光石火のごとく速さで駆けつけると、警備班たちの目の前に滑りこんだ。すると右肩には一本の矢が貫通したものの、降りかかった炎熱は、"雷装"によって全身に纏っている電気の鎧で相殺した。
 警備班たちは、突然現れたロクの姿を視認すると、目を丸くした。
 
 「ひい! ろ、ロクア……【HAREAR】だ!」
 「なぜここに」
 「早く、三人ともここを離れて!」
 
 ロクは振り返ってそう叫ぶ。しかし、立て続けに、何本もの矢が放たれて、そのうえ拳に炎を纏わせた青年が飛びかかってきた。一般の人間を巻きこんでもあの二人には関係がないのだ。ロクはふつふつと湧きそうになる怒りを抑えこんで、"雷円"を発動する。ロクと警備班を半円型の雷の膜の中に閉じこめるとともに、赤髪の青年はすぐ目の前にそれが張られたので、目を細めて忌々しげに睨みつけ、雷の膜に触れると弾き飛ばされた。あとからやってきた何本もの矢も膜を破れずに、あちこちの方向へ弾き返る。
 赤髪の青年は、空中で見事に体勢を丸めると、もう一人の青年の傍らへと鮮やかに着地した。
 
 「クソ! コロコロといろんな技を使いやがって!」
 「そっちにも、お返しするよ」
 
 ロクは脱兎のごとく飛び出して、雷の膜を通り抜けると、青年たちに向けて手を翳した。
 
 「六元解錠──、"雷円"!」
 
 青年たちを取り囲むようにして、地面の上に電気の糸が奔る。刹那、描かれた円形の軌跡から薄膜のような雷が湧き立って、あっという間に、半円状の雷の膜の中へと二人を閉じこめてしまう。
 そうこうしているうちにも元魔が動きだしそうだ。ロクは、三人の警備班を置き去りにして、また踵を翻し、元魔を振り返った。"雷撃"を見舞っていたおかげで共食いの進み具合は牛歩だ。まだ咀嚼音にも似た不快な結合音がしていた。
 
 (まずは頭)
 
 元魔の核は頭部にあるものだが、融合しかかった元魔の身体が大きすぎて、顎のあたりと、微妙に盛り上がった鼻先を仰ぎ見るので限界だ。小さな核はともかく、脳が二つあっては厄介だ。ロクは息を整え、いざ集中を高めると、指先の一点に猛烈な雷を蓄える。
 
 「──七元解錠! "雷砲"!」
 
 目に痛いほどの雷光が瞬き、放射される。雷の砲撃は宙空を裂き、二つある元魔の片方の頭を撃ち抜いた。黒い皮膚と液体が勢いよく飛散したが、その中に、元魔の赤い核は混じっていない。核はすでに、もう片方の元魔に取りこまれてしまったのかもしれない。片方の頭を破壊すると、元魔は残った頭を激しく揺らして、暴れだしたが、どの角度から見ても核が見当たらなかった。
 
 (まさか、体内にある……?)
 
 考えていると、だんだんとこちらに近づいてくる足音に気がついて、ロクはすぐに振り返った。走り寄ってきたのは青年たちではなく、警備班だ。しかし三人ではなく、二人だった。一人の姿が見当たらない。
 
 「もう一人の班員は? その人を連れて、ここから逃げて! 早く!」
 「カナラへ次元師様を呼びに向かわせた。退避するわけにはいかない! 【HAREAR】、あなたの監視は戦闘部班のコルド・ヘイナー副班長ならびに、我々警備班にもその命が下されている。万が一逃走した際には、必ず逃がすなと! ニダンタフ援助部班班長からの命令である!」
 「……!
 
 黒い隊服を着た副班長の男の目は真剣だった。援助部班を統括するニダンタフの影響か、班員たちはロクへの反感の念が強い。本来なら、此花隊の次元師が到着すれば警備班は周囲に一般の市民が残っていないかを確認し、安全な場所へ退避するのが仕事だ。しかしいくらロクがまだ此花隊に属している次元師であっても、戦闘部班の班員としては認められないのだ。
 彼らの意思は固く、ロクを置いて退避する様子はない。彼らを説得している余裕もない。しだいに、"雷円"の効果も薄れて二人の次元師が仕掛けてくるだろうし、元魔の咆哮はたえず街中に響き渡っている。
 ロクは新たに決意を固めることとした。
 
 (ここへ来る前、あの赤髪の人に言った通りに、やるしかない。私一人でも)
 
 戦場にいる一般の人間を守りながら、次元師の青年たちをいなし、元魔を屠る。──それ以外に、この窮地を切り抜ける選択肢はない。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.187 )
- 日時: 2025/09/07 20:20
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第169次元 三つ巴
 
 ロクアンズは細く浅い息を吸った。
 視線の先から、細長い殺気と、揺らめく闘気が飛んでくる。"雷円"──電気の膜をとうとう突き破り、三本の弓矢と鮮やかな赤髪の青年がロクを目がけて仕掛けてきた。
 足の爪先から、髪の先にまで、一気に雷が駆けあがる。
 "雷装"を発動したロクはすぐさま、近くにいた警備班二人の腕を掴んで、渾身の力で遠く──青年たちからも、元魔からも距離がある広場の隅──へと、宙を架けるようにして放り投げた。
 
 「ごめん! 受け身をとって!」
 
 叫んで、刹那。ロクにできたのは、向かってくる三本の矢を、咄嗟に構えた左腕で受け止めるので最善だった。
 赤髪の青年の、肘にまで炎を宿した真っ赤な拳が、ロクの頬に吸い寄せられる。
 ロクは、矢を突き刺したままの左腕の拳を固く握りしめて、その骨ばった指の付け根で青年の脇腹を穿った。
 青年が腰をくの字に曲げて、真横に弾け飛ぶ。すると今度は、背後で翼のはためく音が立った。
 三本の矢を、まとめて腕から引き抜くと、敵は次元師から化け物へと替わる。四枚の立派な翼をぴんと広げた元魔がけたたましく鳴きわめき、竜足を伸ばしてロクに覆いかぶさった。しかしロクは細い二本の脚に、二本の腕に、激しい雷光を這わせていた。四本の竜足のうち、妙に長い二本だけをロクは素手で捕まえる。
 ──殺気。
 背中にひやとしたそれが伝ったかと思うと、立て続けに、何本もの矢が突き刺さった。まだ、来る。予感がしてロクは、歯を食いしばっていたのをほどいて、詠唱した。
 
 「六元解錠、"雷柱"!」
 
 自身と、そして元魔を中心にして、雷光が地面の上を滑り、円を描いた。たちまち、縁取った円の内側に、雷の柱が立つ。すでに寄越されていた第二陣の矢束が柱に弾かれて宙を舞った。
 元魔は天を仰いで、雷電の渦の中、金切声をあげた。ぐねぐねと身体をねじり、ロクが反動の重さに耐えかねて竜足から手を離すと、元魔はじたばたともがきながら柱の外に向かって後退した。
 四枚の竜翼をぎこちなく仰ぎ、元魔が夜空の下へ飛び出す。
 
 「──七元解錠! "雷砲"!!」
 
 詠唱。ロクの声が響くと、雷の柱が渦を巻いてさあっと霧散し、その中心を一本の細い砲撃が突き抜けた。"雷砲"が瞬きひとつする間に、元魔の翼を二枚焼き切った。
 二枚とも右半身の翼だ。片側の翼を失った元魔は途端に、体勢をがくりと崩し、せっかく飛び立ったものの地面の上に落下した。
 地響きにまぎれた足音を聞き分けて、ロクはすぐに振り返った。赤髪の青年が振りあげた脚と、ロクが構えた腕がかち合うと、炎と雷が燦燦と光を散らした。
 
 「神族、大変だなあ。人を守って、元魔の相手をして、そんで俺たちとも闘り合う。どれかは諦めちまえよ」
 
 赤髪の青年はふっと力を抜いて、脚を浮かすと、流れるような所作で脚を下ろし、もう片側の脚でロクの顎を素早く蹴りあげた。後退するロクの視界に、鏃が突き刺さる。首をひねって躱す。しかし矢継ぎ早にそれは迫った。目を凝らし、躱し、手の甲で叩き落とし、加速して。赤髪の青年のもとまでぐんと、距離を詰めた。
 
 「……ない」
 
 たん、と、青年の目前で足を踏みしめると、金色の雷電が燃え盛った。
 青年の懐に入りこんだロクは、彼の胸ぐらを乱暴に掴んで、ぐるりと身をねじる。いまももがいている元魔を目がけて力づくで青年を放り投げた。次いで矢が、束のごとく迫り来るのがわかった。振り向かずに矢軸を掴んだロクは、またその場でぐるんと回りながら振りかぶって、矢の主のもとへと間髪入れずに投げ返した。
 電気を纏った矢束が、凄まじい速さで帰ってくると、深縹髪の青年はぎょっとして身動きをとれなかった。身体の節々にそれらが突き刺さる。背や腕、腿の裏から血潮が噴く。
 ロクは息を整えるよりも先に、叫んだ。
 
 「諦めない! ──次元の力は、守りたいものを守るための力だ……! あたしはずっとそう信じてるから!」
 
 次元技の矢に意思を通せば、深縹髪の青年の身体に突き刺さった矢が煙のように消える。彼はまだ痺れを残した腕を持ちあげて、弓に指を添える。
 青年の額にぴきりと青筋を浮かんだ。ふうふうと荒い息遣いをして、青年は手元に集まった光の矢を、引く。
 
 「俺にだって守らなくちゃならないものはあるんだよ……! ──六元解錠、"真閃"!」
 
 怒りを孕んだ一矢が青年の手元から放たれる。中空を掻き切るその音は重かった。回避をしている時間は、ない。ロクは真向から受けることに決めて、飛んできた矢の先端を、両腕で抱えこむようにして受け止めた。踏ん張っても、矢の勢いはとどまらず、足を滑らせて後退した。
 ロクは、息を止め、ぐっと腕に力をこめる。雷光が飛散し、膨張した筋肉が電気にあてられて震える。矢がまとう光を、さらに雷光が覆う。気を抜けば、一瞬にしてどてっ腹を貫かれるだろう。集中力を手元に注ぎ、ついに、ロクの手の中で光の矢が砕け散った。
 
 けたたましい元魔の咆哮が、鼓膜をつんざく。
 
 「──」
 
 固く握りこんだ指の隙間から電撃が飛散する。ロクは、まだのたうち回っている元魔のもう二枚の翼に向かってぴんと指先を伸ばす。
 
 「六元解錠──、"雷砲"!」
 
 指先に集中した電撃が、一気に撃ち放たれる。それが元魔の翼に風穴を開けると、大きく仰け反り、どんと地響きを鳴らしながら、崩壊しかけた建物にもたれるようにして倒れこんだ。
 ロクは、突然頭がくらりときて、思わず体勢を崩しかけた。元力も、身体も、酷使しすぎているのだ。もうずいぶん長いこと息を止めていたのにもいまさら気がついた。はあ、と塊のような息を吐いたとき、どこからか悲鳴が聞こえてきた。
 焦って振り向くと、警備班の男たちが地面に膝をついている姿が視界に入った。否、膝をつかされていたのだ。一人は、その首元に鋭い鏃を向けられ、もう一人は後ろに回された手首を、熱のこもった手で掴まれている。
 完全に注意が逸れていた──赤髪の青年が、口角をあげて、ロクに語りかける。
 
 「こうすりゃ早かったんだ。さっさとケリをつけようぜ、なあ」
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.188 )
- 日時: 2025/09/15 13:45
- 名前: 瑚雲 (ID: wf9BiJaf)
-  
 第170次元 戦いのあと
 
 鏃の先端が、警備班の一人の首筋に突き立ち、いまにも貫かれそうだった。
 ぴたりと動きを止めたロクアンズを嘲笑するかのように、赤髪の青年がはっと鼻を鳴らした。
 
 「守る? ハハ! くだらねえ。だれも、てめえに守ってもらいたくなんか、ねえんだよ!」
 
 捕えられた男たちの表情を見やれば、彼らは、ロクのほうを見るでもなく、悔しそうに奥歯を噛んで、俯くばかりだった。
 青年たちはどちらも、立場は違えど、暗殺者だ。人の命を奪うことに抵抗のない人種である。それも、力を持たない一般の人間に次元の力を振りかざしてでも欲しいものを奪おうとする。ロクは慎重になって、最善の手を考えていた。頬に冷や汗が伝う間に、思考を嚥下して、静かに口を開いた。
 
 「解放して」
 「……なら、わかってるよな? その首を寄こすことが条件だ!」
 
 赤髪の青年が、警備班の男の腕を乱暴に放し、それをもう一人の青年が受け取ると、炎を纏った脚で素早く飛び出した。一直線に飛んできた火の粉がじり、とロクの皮膚に触れるや否や、頬を殴り飛ばされた。思わず地面に手をついてしまうが、立つ隙もなく、腹を蹴られ、背中に踵を落とされて、髪を掴まれては、振って払われる。ロクは手出しするわけにいかず、耐えた。ぐわぐわと揺れる視界の奥ではまだ、もう一人の深縹髪の青年が、警備班らの首に光の矢を向けているのだ。もしも反撃するような素振りを見せれば、こちらにだって矢を放たれるだろう。
 そのときだった。四枚の翼を失った元魔が、ぐにゃりと激しく脈動し、途端に、隆起と陥没を繰り返す。またさらに変化しようとしている──ロクは察した。見ていると、元魔の皮膚は漆黒の色から、徐々に薄らいで、灰色がかっていく。
 元魔の色が変色していくのは、ロクは、その目で初めて見た。まるで神族らの様相が途端に変化をするときのようだった。
 ロクは、伏した体勢からばっと起きあがって、つい元魔のいる方向へ駆け出しかけた。
 
 「見捨てるのか?」
 
 赤髪の青年の声がして、後ろを振り返れば、そのとき三本に連なった矢が真向からやってきた。ロクの頬や肩、腿をさっと掠めて、それらは地面に突き立つ。
 ゆっくりと歩み寄ってくる赤髪の青年の肩越しに、警備班らの顔が覗いている。
 
 「人を諦めるのかよ、カミサマ」
 
 ロクは頬につう、と伝う血を、雑に拭いとった。そして、すこし考えたあとに、両腕をあげた。
 
 「……彼らのことは、諦められないよ。だから、首がほしいのなら、それで構わないし、どこへだって行く。代わりに、彼らを解放してほしい」
 「へえ。じゃあ、後ろの化け物ももう、放っておくんだな。俺たちはてめえの命さえ奪えや、あとは知らないぜ?」
 「警備班の人が、カナラに向かったはずだよ。夜が明けるまでには、此花隊の次元師たちがここへ来る」
 
 青年たちは、お互いに視線を投げ合った。赤髪の青年は、ロクに向き直って言い渡した。
 
 「まだ信用しちゃいないぜ。次元の扉を閉じて、こっちに来い」
 
 ロクは言われた通りにした。ふっと、ロクの身体の周りから電気の糸が立ち消えた。
 ゆっくりと踏み出して、赤髪の青年のもとへ向かって歩く。
 若草色の左目で、じっと、青年の顔を見つめながら。
 
 そして赤髪の青年が前振りもなしに、思い切り拳を握りこんだとき、彼の横腹を掠めた光の矢が、ロクの胸に突き刺さった。
 
 「俺が速かったな」
 「──ああ!? てんめえ……!」
 
 赤髪の青年は矢が飛んできたほうを振り返って、歯を剥き出しにしてがなった。どちらが早く、ロクの心臓を止めるか──水面下で競い合っていた彼らだったが、手柄を急いた詰めの甘さが、一瞬の隙を生む。そこへ痺れにも似た闘気がねじこまれるとも知らずに。
 一瞬でもロクから目を逸らした赤髪の青年の首が、がくんと折れた。
 蹴りだった。鋭い蹴りが首筋に叩きこまれ、視界が回転する。ロクが彼の脇をすり抜けると、すでに一迅の雷電が、彼女の足元を走っていた。
 
 「──」
 「遅いよ!」
 
 地面の上を滑走した雷電が、深縹髪の青年の手元にまで一気に駆け上がり、矢軸を持った指がびんと折れ曲がった。ロクが、青年の懐に入る。拳の裏手を扇いで、彼の顎を突きあげた。
 
 「七元解錠」
 
 元力を沸かせ、身体中が熱くなる。"したいこと"はもう定まっている──、一か八か、試すつもりでは意志は揺らいでしまうだろう。だからロクは、頭の中でより濃く想像を巡らせて、次元技を放った。
 
 「──"雷円"!」
 
 二つ──だった。倒れ伏した青年たち二人、"それぞれ"を取り囲むように、半円状の雷の膜が二か所で盛り上がった。それだけではない。半円状の雷膜を、ロクは徐々に圧縮していく。わざと青年たちの身体にべったりと雷膜が貼りつくように変形させてみせた。雷の被膜に覆われると青年たちは、二人とも呻き声をあげた。
 コルドやフィラがいないのなら、雷の力だけで拘束を仕掛けるしかない。
 選択肢がないのなら、新しい選択肢を作るしかない。レトがこれまでに教えてくれたように──。ロクの中には、ロクの元力しか流れていないのに、なぜだかこれまでともに戦ってきた次元師たちの姿が、思考が、この身に深く刻まれているようだった。
 
 「てめ、この、蹴」
 「諦めるとは、言ってないでしょう」
 
 文句を言いたげな赤髪の青年の横を通りすぎて、ロクは、一直線に元魔へと向かっていった。すでに全身は、墨を水で薄めたような灰色となっており、変色が続いている。そして禍々しい気配が増していることに気がついた。
 
 (あの変色を止めないと。──いや、完全に破壊する!)
 
 警備班らは解放されている。そして、二人の青年は動きを封じた。残るは、元魔の対処のみだ。巨大な元魔を葬るには、核を狙って破壊するのが最善なのだが、明確な位置がわからない以上は、肉体に損傷を与えて消滅させるよりほかに方法はないだろう。
 より強力な次元技を放たなければならない──と予想できていたロクは、ようやく集中を高めて、そこへ意識を沈めた。
 猛烈な電気が、ロクの身体中に纏いつく。
 
 神族らがエントリアに襲来した日のことを鮮明に思い返す。クレッタを消し炭にしてしまおうと、焼き殺してしまおうと高めた意思を、そうして撃ち放った電撃の質量を、きっともう一度呼び出せる。
 ロクは、しゃがみこみ、地面に手をつくと、薄布で覆われた右目を輝かせた。
 
 「八元解錠──"雷柱"……!」
 
 唱えれば、途端。元魔の足元から煌々とした雷光が一気に噴きあがり、天を突いた。巨大な元魔を覆い隠すように聳え立った雷の柱が、秒を追うごとに電熱をあげ、元魔の皮膚を焼き尽くす。ロクは強く奥歯を噛んで、決して集中を切らさないように、電熱が落ちることのないように、瞬きひとつしなかった。そのうちに、元魔の皮膚は黒く焦げあがり、肉体の端からはらはらと散っていく。
 雷の柱の中の巨大な影が小さくすぼんでいって、やがて消し炭になると、ロクはようやく止めていた息をついた。
 
 「……。どうにか、なった」
 
 ロクが振り返ると、"雷円"で拘束されていた青年たち二人が気絶していた。どうやら"雷柱"の電熱をあげるとともに、青年たちにしかけた次元技のほうにも影響が出てしまったらしい。慌てて近寄ったが、軽いやけどを負ってしまっただけで、かろうじて心臓は止まっていなかった。深縹髪の青年の傍らでは、警備班らもまた、電撃の余波を受けたか緊張がほどけたか、おなじように倒れこんでしまっていた。
 
 「さて。……これは、二人とも、連れて行かないとかな」
 
 そう独り言ちたロクの頬に、一筋の光が差す。見上げれば、城壁の向こうからうっすらと、太陽が顔を出していた。
 ロクは目を細めて、もっとも明るく白んでいる空を、ぼんやりと眺めた。
 
 降り注ぐ朝焼けを浴びて、ロクは一人、無人の街の中で立ち尽くした。
 それから、此花隊戦闘部班の全班員に話をしたいことがある、と言い出したのは数日後のことだった。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.189 )
- 日時: 2025/09/21 18:43
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第171次元 半心
 
 「此度の襲撃の件、誠に申し訳ございません。任務中に気を絶し、……ハルエールと青年に、一時的に脱出を許してしまいました」
 「利口にも帰ってきてくれたようで、なによりだよ。……して、またしてもハルエールが連れ帰ってきた新しい襲撃者というのは、いったい何者だったんだい?」
 
 昨晩の出来事は、ロクアンズから説明を受けたコルドが報告書にしたため、セブンのもとに提出された。屋敷の一角に据えられた手狭な書斎──現在は、セブンの執務室として機能している──にて、報告書の文面を眺めながら、セブンが息を吐く。
 コルドは顔をあげると、考えがあるのか、口を開いた。
 
 「そちらの彼は、まったく口を開こうともしなかったのですが……青年らを隣接した牢に入れたところ、口喧嘩のような、小突き合いのような……ともかく、会話をしている様子を偶然耳にしました。その話口調から、アルタナ王国の国民ではないかと推測します」
 「アルタナ王国?」
 
 コルドは頷く。ロクとともにアルタナ王国へ入国した経験から、コルドは、現地の人間同士の会話を何度も耳にしている。よくよく思い出してみると、発音の仕方やその癖が、似ているのだ。
 それを聞くと、さらに眉間の皺を深めたセブンが、今度は別の書類を手に取った。先日、ガネストから受け取った帰国の届け出だ。
 
 「……これはまた、不思議なこともあるものだね? ちょうど、王女とその側近が急遽の呼び出しで帰国したかと思えば……まるで入れ替わるように、ハルエールの暗殺を目論んだ次元師がその国からやってきた、と?」
 「はい。おそらく、ですが……」
 「素性は? 調べはついたのかい」
 「本人たちは、口を割ろうとしません。が……アルタナ王国からやってきた次元師については、メッセル・トーニオ副班長から言及が」
 「ほう」
 「アルタナ王国で壺の制作人をしていた折、職人の間では、ある噂が流れていたとのことです。『宮廷に納めるような一級品を手がけるのなら、「銀の爪痕」に気をつけろ』と。「銀の爪痕」とは、森林地域を根城にした盗賊団の呼称です。そして一味の中には弓を扱う次元師がおり、ヒグヤと呼ばれていた、と」
 
 ふむ、とセブンが相槌を打つ。コルドはそれから、申し訳なさそうに続けた。
 
 「ですが、赤髪の青年については……変わりなく、まだ、調べがついておりません。申し訳ございません」
 「構わない。また舌を嚙み切られたら大変だから、情報を引き出すのなら慎重にね。君は、引き続き彼らの監視を頼むよ」
 「は」
 
 返事をしたコルドが、部屋から去るかと思えば、なかなか動こうとしないのでセブンは片眉をあげた。不思議に思って口を開きかけると、コルドのほうが先に切りこんだ。
 
 「班長。ハルエールから言伝を」
 
 セブンは眉ひとつ動かさなかったが、一息分だけ間を置くと、続きを促した。
 
 「聞こうか」
 「はい。此花隊の今後の動きに関わる、重要な話があると。戦闘部班の全班員を集めて話をさせてほしいと言っています」
 
 執務室内に沈黙が訪れる。セブンは、目を伏せているコルドの顔をじっくりと見つめた。やがてセブンは、まるで世間話でもするかのような重みのない口調で言った。
 
 「そうか。そこでレトヴェールと再結託し、隣人の次元師二人も抱きこんで、この拠点を内側から壊滅させる算段かな」
 「は、班長」
 
 そう思わず口がついて出たが、コルドは続く言葉を持ち合わせていなかった。ただ、いまだロクを警戒しているセブンに、反射的に異を唱えそうになった。
 それに気がつくと、セブンは、コルドの黒い瞳の奥を探るような視線で、彼を突いた。
 
 「……なるほど。君はあくまで中立の立場でいたいか」
 「……」
 「どう考えようかは自由だ。最近は、フィラが私を見る目にも不安や反感が宿っている。メッセルに至っても、彼女に対する印象を変える気はさほどないらしい。しかし私は考えを改めるつもりはないよ。むしろ、此花隊の次元師たちが皆一様にして彼女を擁護しようとする姿勢に関心を寄せる一方だ」
 
 セブンは手元に広げていた報告書や、帰国の届け出などの書類をまとめて、とんとんと机の上で正すと、続けた。
 
 「いいだろう、では召集をかけようか。どのような判断を下すにしても、まず聞いてみないことには情報にもなりえない。といっても、すぐに集められる次元師は、随分と頭数を減らしてしまったね。隊長と副隊長には、内容を検めたあとで報告をする。明日の朝、執務室に連れてきたまえ。ほかの班員にも伝えるように。ほかに用件がなければ、下がっていい」
 「はい。承知しました」
 
 頭を下げたのち、コルドは退室した。執務室の扉がぱたんと閉まると、喉の奥でわだかまっていた息が、ようやく吐き出された。
 メッセルやキールアがいる医務室に向かって歩きながら、セブンの言葉を、頭の中で何度も反芻した。中立の立場でいたいか。そう言われればそうかもしれないし、かといってすぐに頷けない自分もいる。いったい、たしかな気持ちは、どこにあるのだろうと、コルドは考えていた。
 
 一夜明けて、朝を迎えると、コルドをはじめとした戦闘部班の次元師たちが執務室に集合した。
 相変わらずロクは手足を拘束され、その隣にはコルドが立ち並んでいたが、彼は片手に、大量の紙を紐で束ねたものを掴んでいた。
 
 ロクは、自身とコルドのほかに、セブン、フィラ、メッセル、キールアの姿しか見えないことに、驚いていた。ロクの視線が行ったり来たりしているのを見て、セブンが早々に口を開いた。
 
 「ガネストとルイルだが、暇を出した。長らく不在にする」
 「え?」
 「それ以上のことを知る権利は、君にはない」
 
 左の瞳を伏せて、ロクは考えこんだあと、はっと思いついたようにまた顔をあげた。
 
 「レトは」
 
 ロクは、言ってからすぐに、思い出した。エントリアでの戦闘からほどなくして開かれた緊急会議のあと、レトヴェールは個室にて軟禁処分と言い渡されていた。それがまだ解かれていないだけでは、ないだろう。ロクは薄々察していながらも、セブンの返事を待った。彼は、いっとう声を低くしてすぐに返答をやった。
 
 「再三言うようだが、君と彼を会わせるわけにはいかない。彼がいなければ、成立しない話なのか?」
 
 ロクはゆっくりと首を横に振った。
 それからしばしの沈黙のあと、セブンは気を取り直して、班員たちに視線を配ると、ロクに向き直った。
 
 「ハルエール。君の言う通り、次元師たちに集まってもらった。話があるというのなら、聞こう」
 
 ロク以外の戦闘部班の班員たちが、緊張した面持ちで、彼女の発言を待った。
 張り詰めた空気の中、ロクは口を開いた。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.190 )
- 日時: 2025/09/28 21:07
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第172次元 その神の名は
 
 「私は、記憶を思い出した」
 
 かちりと、置時計が部屋の隅で針を鳴らす。
 落ち着いた声色でロクアンズはそのように口火を切った。彼女は続けた。
 
 「それは生まれてから五年ほどの記憶だけじゃない。いまから話をするのは、私が神族として自覚をしたことで、この肉体にふたたび蘇った……"二百年前の戦いの歴史"」
 
 傍らに控えるコルドが目を丸くしてロクの顔を見た。
 
 「でも、ここですべてを語ることは……できない。……歴史をそのまま語ろうとすると、視点や事象が複雑化して、きっとうまく伝えられないんだ。だから、文字におこした」
 
 ロクが、コルドに視線を投げると、驚いて固まっていた彼は我に返った。コルドは手元に握っていた紙束をはっと思い出したように持ちあげて、室内の視線を集める。
 自身を取り囲むようにして立つ、戦闘部班の班員らの視線に向き直って、ロクは「それと」と続けた。
 
 「文書にした理由はほかにもあるんだ。二百年前の出来事を知るか、どうかは、あなたたちに委ねたい。そして……本題はここからだ。どうしても、私の口から語らなくてはいけないことがある」
 「それは」
 
 厳しい視線をロクに向けて、セブンが切りこむ。さらに重くなった空気の中、班員たちは、息を呑んで、ひたすらにロクの言葉を待った。
 ロクの左の瞳は、いまから大切なことを語るのだという、緊張感を宿した色をしていた。そしてじっくりとセブンに視線を返したあとで、ついにそれを告げた。
 
 
 「"幸厄"を司る神族であり、すべての神族の頂点に立つ統治者。────【BELEVE】(ベルイヴ)がもうじき復活する」
 
 
 時計の針が、また一つ、進む。
 まばたきも、吐く息もなく、あったのは沈黙、のみだった。
 ただ名前を耳にしただけで、本能的に、唇の隙間が締まる。キールアは、こめかみにじんわりと汗が噴き出していて、それがようやく滑りだしたときに、まばたきができて、口を開けた。
 
 「ベ……ベルイヴ?」
 「そう。ベルイヴは、二百年前の人と神との争いで、最たる中心人物となった神の名前だよ。……戦いの末に、封印されたんだ。ほかの神族たちと同様にね。でも、いま続々と神族が目を覚ましているでしょう? それは、神たちにかけられた封印が、二百年という時間が経過したことによって、解かれてしまっているんだ。デスニー、ノーラ、アイム、クレッタの四柱はすでに目を覚まして……そして、近いうちに必ず、ベルイヴという、五体めの神も目を覚ます」
 
 前のめりになりかけたロクの手元から鎖の擦れ合う音が鳴った。彼女が口にした、二百年前の人と神の争い──メルギース国において最大にして最悪の歴史であるにも関わらず、"その真相を知る者はだれひとりいない"とされている。多くの謎と秘密を孕んだその歴史のはじまりは、神族からメルギース国民への宣戦布告であった。
 
 『罪を知れ。覚えぬ者は大罪と知れ。人である者たちよ、永劫の時を以て償え』
 
 キールアは、此花隊に入隊して間もなく、次元の力についての勉強を始めると、レトヴェールから神族について話を聞かされた。神族が放ったとされる、その有名な言葉を頭の中で反芻していた。
 そのとき、「うぅん」と濁った声で唸ったあとメッセルがいきなり、目をかっぴらいて、大声を出した。
 
 「ああ、ベルイヴって! そういや、ガネストのヤツが、言ってたなあ!」
 「ガネストくんが? 彼、なんて言っていたんですか?」
 「なんでも、時間の神アイムが、一瞬正気に戻ったときによお。ベルイヴって名前を口にしたってんだ。なんつったかなあ……。ああそうだ! 『人間様』『どうか』『【信仰】』『ベルイヴ様を』……とか、なんとかって、言ってたんだとよ」
 
 メッセルが首を上下に振って、うんうんと頷いていると、残りの班員たちにも実感が湧いてきたのか、互いに目を見合わせていた。メッセルは、ロクと目線の高さが合うようにすこし屈んで、彼女に返した。
 
 「そいつで合ってるかあ? 嬢ちゃん」
 「……うん。ガネストが知っていたとは、驚いたけど、間違いないよ」
 「じゃあ、神族は、その……ロクちゃんも含めて、全部で六体なの?」
 「そうだよ。ヘデンエーラは、神族を生んだ神様だから、厳密には、神族とは異なる存在になる。だから、彼女が造った"神族"とされる存在は、すべてで六体で合ってる」
 
 ロクは頷いた。そのとき、ロクが動いていないのに、手枷から伸びる鎖が、しゃり、と音を立てた。鎖を掴んでいる手を口元にあてて、コルドが思い出したように呟く。
 
 「そういえば……。ノーラと相対して、レトヴェールがデスニーの居場所を訊こうとしたとき、奴は言っていた。『【運命】の居所は知らない』、『二百年という時が過ぎた』……と。奴が言っていたのは、そういう意味だったのか。二百年間、身動きがとれなかったことで、ほかの神族の所在を知らなかった」
 「それなら、ノーラが言っていた、【信仰】は……? その、幸厄を司る神族を指していたのでしょうか?」
 「おそらくは」
 
 言いながら、次はコルドが、ロクに視線をやった。ロクはまたこくりと頷いて返した。室内にはいまだ緊張の糸が張り巡らされているが、副班長たちは思い思いの見解を口にし、徐々に空気は和らいでいくものと思われた。
 しかし、執務机の上に肘をつき、静かに話を聞いていたセブンが鋭い声を発したので、雑音ごとさあっと消え去った。
 
 「話は理解した。要は、ベルイヴという神族の復活が迫っており、対処しなければならないと君は思っているということだろう。一応訊こう。復活する前に斃す術は」
 「それは……できないと思う。そもそも、封印されている場所まで、行けないんだ。場所がどこかは……説明がしづらくて。とにかく簡単に足を踏み入れられるところじゃない」
 「そうか」
 「……信じてくれるの?」
 
 若草色の瞳だけで、ロクはセブンを見つめた。セブンは、それによって表情を一片も変えることはなかったが、机の上で置き去りにされていた甘みのない紅茶にようやく手をつけた。
 
 「いま、私はおそらく君に感情操作をされていない」
 「……」
 「君の発言の一つ一つに思考を巡らせているところだ。どう判断したものか、と。が、此度の件に関しては、ただ君を信用できないの一言で突き離してしまえないと判断した。真実であっても虚偽であっても、我々は脅威の可能性を捨ててはならない。事実、神族は近年になって初めて我々の目の前に姿を現し、そして幾度と襲撃を受けてきた。まだ未知の脅威がどこかで隠れ潜んでいると仮定して動きをかけておけば、不測の事態に見舞われたときに被害を最小限に抑えられる」
 
 紅茶の入った陶器を、そっと受け皿の上に帰してやって、セブンは言った。彼の立場からいっても、神族の情報をより多く集めることが急務となっている。もしも神族の目覚めを予測できていたのなら、いくらでも対策の取りようがあったし、エントリアが壊滅する事態に陥ることはまずなかっただろう。不自然なほどに、現代を生きるメルギース人たちは、神族について無知なのだ。セブンはそれを大きな懸念とし、弱点だと自覚していた。
 だからたとえその情報源が神族の口からとなっても、一度は喉元を通し、呑みこむ。エントリアのような悲劇を繰り返さないためにも。
 セブンはふたたび顔の前で指を組むと、続けてロクに質問を投げかける。
 
 「いくつか質問をする。"幸厄"とはどのような意味を持つ? 幸厄が、ベルイヴの能力にも直結しているのか?」
 「"幸厄"というのは、人の身に降りかかる幸福と厄災を指すんだ。ベルイヴはこれらを人間に与え、生きる幸せを覚えさせ、乗り越えるべき試練をもって人の成長を促す存在とされるのだけど……ベルイヴの能力はそれとは異なり、【信仰】と定義づけられている。その力の実態には、おそらく無限の可能性があって……。言えるのは、ベルイヴは"信仰心を強制的に向けさせる力を持っている"、ということだけ。みんなも、それについては、目の当たりにしたことがあると思う」
 
 ロクに指摘されると、副班長たちの目元が揃って、あることに思い至ったようにはっきりした。これまでの神族との戦いの最中に、幾度となく、神族が突然に変容する様を彼らは見てきた。神族らは変容する直前、共通して、「信仰しろ」──と口にする。まるで呪いの言葉のようだった。それを発すれば、たちまちに神族らは狂暴化し、さらに手のつけられない存在へと進化する。その実態はベルイヴの能力【信仰】によって強制的に力を発揮させられたものだったのだと、腑に落ちたのだった。
 
 「強制性を持った求心力、か……。事実であれば、じつに厄介だな。それについて、対抗手段はあるか? 君はどのように考える」
 
 ロクは、記憶を取り戻してからずっと、ベルイヴについて考えていた。牢の中で焚き続けていた、繰り返し想像した──それをようやく、吐露する。
 
 「来る日に備えて力を蓄えることだ。できるだけ多くの次元師を一か所に集め、結託し、意志を通わせ、力をつけるんだ。神族に対抗できるものは、次元の力しかない。そして信仰に立ち向かえるのは、強い意思だけだ。ベルイブは、必ず復活する。不屈の意思と高い戦闘力を持った次元師を一人でも多く育てあげること、これがこの先、神族にこの大地を、尊い命を、未来を蹂躙されないために私たちがしなければならないことだ……!」
 
 背中に隠れている手が、ぐっと強く握りこめられる。かすかに鎖の擦れ合う音が立ったのを、コルドは聞いていた。
 眉間をきつく寄せ、厳しい顔つきをしているロクを、セブンは見つめた。見つめたセブンもまた、目元に一層の険しさを宿しており、一段と低くなった声でまた一つ問う。
 
 「では、ハルエール。いまだからこそ、訊こうか。そうした先に、ベルイヴを斃すことができると……そう考えるのなら、いや、君自身が神族なのであればわかっているだろう。神を斃す方法。心臓を与えそれを破壊する以外の、決定的な術を」
 
 心臓を与える以外に、神を斃す方法があるのなら。
 此花隊の次元師たちは、たった二回の戦いの中で、数えきれないほどそれを願っていた。心臓など持っていないと、クレッタから聞かされたときの絶望感がまだ舌の上を転がっている。それがわかるのなら、喉から手を出したって掴みたかった。
 ロクは一呼吸分、考えたあと、告白した。
 
 「ある。神族にしか使えない、確実な方法が一つだけ。私はそれでアイムを斃したんだ」
 「……!」
 「神族が、各々持っている能力とは別の特殊な力……"呪記"。そう、呪いの力だ。これの"零条"……ヘデンエーラが、六体の神族全員に与えた、同士討ちの権利。だけどもとは、同士討ちをさせないようにしようという、ヘデンエーラの計らいがあった。この呪いの力を神族全員が握っていることで、神族は互いの命を脅かし合える。神同士の争いが起きないように、あえてヘデンエーラが与えた力だけど……結果的に、そうも言っていられなくなった。心臓を持たない神族を斃すには、この呪いを行使するしかない」
 
 次元師の班員たちは、口にこそしなかったが、愕然とした。次元の力だけでは、神族を完全に葬ることはできないのだと、突きつけられてしまったからだ。それを察したか、ロクが続けて言った。
 
 「それを使うにしても、呪いを唱えただけで斃せるなら、二百年前に戦争は終わっている。重要なのは、神族と戦いを続け、消耗させることなんだ。彼らは桁違いの力を持っているけれど、力は使えば消耗する。だから、彼らと相対し続けられるほどの実力が必要不可欠だ」
 「……つまり、やはり君にしか、君以外の神族を斃すことは不可能であり、かつ我々人間側に協力を望むわけだな」
 
 ロクは、口を噤んだ。その口から確実な方法を聞かされたわけだが、どうにも、セブンの顔色は晴れたようにならなかった。彼女の発言の是非は、慎重に判断しなければならない──。
 一度話題の隅に置いておくとして、セブンは一つ瞬きをすると、いよいよ真に迫った表情に変わった。
 
 ぴり、と、電気をまとっているわけでもないのに、肌が粟立つ。彼の視線ひとつに、ロクは息を呑んだ。
 
 「最後の質問だ。ベルイヴの復活の時期を、想定できるか」
 「……──おそらく、年を越して、三月ほど」
 
 ロクが言いにくそうに、ゆっくりと答えると、間髪入れずに、メッセルが口にくわえていた飴玉の棒を掴んで、むせた。息を呑むと同時に飴を吸いこんで、喉奥に閊えてしまったのだ。動揺したのはメッセルだけではなく、ロク以外の班員たちは揃って目を丸くしていた。
 
 「はア!? お前さんそれ……ほとんど半年しかねぇってことか……!? その神族が復活するまでによお」
 「う、嘘……そんな……」
 
 フィラはつい手元に視線を落とし、指折って、月日を数えた。しかし何度数えても、ほとんど年の半分ほどの日数にしかならなかった。
 ただ一人、セブンは厳しい目でロクを睨んで、机を叩く勢いとともに椅子から立ち上がった。それかららしくもなく語気を荒げる。
 
 「なぜもっと早く言わなかった」
 「……」
 「いや、違う。愚問だ。私が君を信用していないからだ。このままでは埒が明かないと思い、告白に踏み切った。そうなのだろう」
 
 がっくりと首をもたげて、セブンは自己だけで話を終わらせてしまうと、すぐに座り直した。そして机の上を、とんとん、としきりに指先で叩きながら、仕切り直す。
 
 「数えで約半年。来年の三月だな。わかった。早急に動きを取る」
 「は……はっ。班員一同、心して備えます」
 「ハルエール。ほかに、我々に伝えることは」
 「もう、大丈夫」
 
 セブンはそれを聞くと、前のめりになっていたのを正して、椅子の背にもたれかかる。それからロクと、コルドを順番に見やって告げた。
 
 「では下がりたまえ。コルド副班長、ハルエールが書いたというその文書は私が預かる。彼女を地下へ」
 「は。……レトヴェールにも、いまの話を」
 「私から話をする。この件に関しては、班長の私の口から伝えなければならないだろう。話は以上だ。各自、持ち場へ戻るように」
 
 四人は、隊礼をして執務室から退出した。扉の締まる音がしてから、セブンは手元でとっていた調書をじっくり見下ろし、筆の先で、また何度か紙面を突く。
 筆を調書の傍らに置くと、コルドから受け取った文書を手に取った。紙束は随分と分厚かった。
 二百年前の神と人との戦の原点、その背景はいったいなんだったのか──セブンは当然のように知りたがった。だのに、一向に、表紙をめくる気持ちになれなかった。読むかどうかの判断は委ねる、と言ったロクの顔が、このときふっと脳裏に蘇った。
 
 (──なぜ、彼女は、まだ完全に信用されていないとわかっていて、これを書いた?)
 
 いくら大層な歴史が綴られていようとも、媒体はただの紙にすぎない。
 セブンの一言があれば、簡単に燃えてなくなってしまうような代物を使って情報を差し出してきた意味を、彼は探ろうとした。
 
 (もしもこの文書の存在自体に……別の意図があるのなら。まだ、そのときではないのだろう)
 
 セブンは胸の内袋から小さな鍵を取り出すと、錠のついた引き出しに差しこむ。そして引き出しを開けて、そこへ文書をしまいこんだ。
 
 二日後の朝、セブンは整えた調書を携えて、レトがいる部屋へと向かった。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.191 )
- 日時: 2025/10/11 15:03
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-   
 第173次元 復帰
 
 変わり映えのしない狭い部屋の中で、神族ベルイヴの復活の話を粛々と伝えられたレトヴェールは、最後まで静かに耳を傾けていた。復活の時期はもう目前に迫っており、話を聞いたばかりのレトにも、事態の緊急性を飲みこめた。セブンは息をついてから、脚を組んだ。
 
 「私の提案に応じるまで、君をこの部屋から出さないつもりだったが……状況が変わった。今日から処分を解くよ。だがしばらく監視はつけるし、行動も制限する。悪く思わないでくれたまえ」
 
 ただでさえ人手は足りていないし、近頃では、クレッタの影響か、カナラ近辺でたびたび元魔の目撃もされている。次元師が二人も席を空けてしまったうえに、さらにレトをこの部屋に縛り続けておくのは得策ではない。
 すぐに頷くかと思われたレトが、視線を床のほうにやって、黙ったままなので、セブンはまた口を開かざるを得なかった。
 
 「信用していないのかい? まだここにいたいというのなら構わない、と言いたいところだけれど……いまは一人でも多く、次元師の手が借りたいところだ。指示に従ってもらうよ、レトヴェール。君はカナラの、北側の警備を担当すること。あと、先日街中に元魔が出現してね。被害を受けた区域で復元作業が行われているから、現地の援助部班員に声をかけて加わってくれ。手が空いたら、エントリアからの避難民が滞在している施設を回るように。まだまともに動けない避難民も大勢いるんだ。現地の医師や、医療部班員たちは夜通し看病をしていると聞く。すこしでも負担を吸い上げてくれ」
 
 レトはまだ、セブンと焦点が合わずにいた。しかし、わざと返事をしないでいるというよりは、長らく考えごとをしていたのだった。セブンが肩を竦めかけたところへ、レトは顔を上げて、言った。
 
 「そうじゃない。あんたの言う条件で、提案に応じようかと考えてた」
 
 セブンは瞬きをした。エポール一族が所有している屋敷一帯──ひいては、レイチェル村の土地の一部を此花隊に貸与する代わりに、レトの身柄を解放する。これが、セブンが最初に差し出した提案だった。望み薄だろうとなかば諦めていただけに、もう引き出しにでもしまいこんでしまったそれをレト自身によって取り上げられると、やや拍子抜けをした。
 
 「こちらとしては、願ってもいないが。いいのかい、私からの提案には、ハルエールの解放は含まれていないよ」
 「ああ、いい。それなら、俺に監視も行動の制限もないんだろ」
 「いいだろう。交渉成立だ」
 
 満足げに笑って頷いたセブンの顔を、レトは訝しむように見つめた。監視も制限もなしにレトを解放すれば、ロクアンズと接触する危険性は高まるのに、その点についてはセブンはさほど懸念していなさそうだ。ロクの監視役をしているコルドを信用しているのか、はたまた、危険性と天秤にかけてでも拠点の確保は急務だったのだろう。考えてみれば、先にセブンが告げたように、エントリアの避難民の中でも身動きのとれない者はまだ多くいて、場所が足りていないのだ。イルバーナ侯爵家から借り入れているこの屋敷も近いうちには返還したいのだろう。
 寝台に腰かけるレトの目の前で、足を組んで椅子に座っていたセブンが「さて」と息をついて、足を正した。
 
 「隊服はね、一階の、裏口に近い部屋で預かってもらっているよ。君の血と土の汚れもそうだし、損壊がひどくてね、援助部班の清掃班が直してくれたはずだから、回収してくれ。ほかに質問がなければお暇するよ」
 「じゃあ、一つ。ロクはほかになにか言ってたか」
 
 訊ねられると、セブンは、先日コルドから手渡された報告書の文面を思い出すように、視線を宙にやった。
 
 「……元魔について、すこし奇妙な報告を受けたよ。先日エントリアに元魔が出現し、飛竜の元魔が二体、共食いを始めたそうだ。これまでに前例がないことだね。そして完全な共食いは阻止できたものの、体色が、黒から灰色へ変容していく様子を観測した。これについては、その場に居合わせた警備班の班員たちからも話を聞いたけれど、間違いなさそうだ」
 「元魔も変色をしたのか?」
 「ああ、まるで。神族みたいだね。もう一度エントリアを見て回りたいというから、今日はフィラと二人で向かってもらっているよ」
 
 レトの指先がぴくりと跳ねた。
 部屋の時計を見やったセブンが、もうレトの口からも質問が出てこないことを悟ると、椅子から腰をあげて、言った。
 
 「長居してしまったね。私はこれで失礼するよ。指示は話した通りだ、準備を整えたら持ち場につくように。あとは、村の件を頼んだよ」
 「ああ」
 
 セブンが部屋をあとにして、扉が閉まると、レトは立ち上がった。隊服は一階の裏口近くの部屋に預けてあると言っていたから、準備を終えたら向かい、その場で着替えてしまって、外に出るのが早いだろう。
 このあとの動きを頭の中で整えていると、そのうちにも、病衣を軽装に取り替え、黒の髪紐で結った結び目に、隠すように鍵を差した。
 
 (……おそらく、今夜だ)
 
 部屋の扉を開いて、外へ出て行くレトの顔つきは、鋭く引き締まっていた。
 
 
 さきほどまで着ていた病衣を片手に抱えて、レトは応接室へと向かった。いまは次元師専用の医務室だから、キールアが常駐しているはずだ。向かえば、室内にいたのはキールアの一人だけだった。しばらく休養していたメッセルも、動けるようになると任務につき始めたので、キールアは応接室の清掃に取り掛かっていた。いまだ別室で溢れ返っている負傷隊員たちに部屋を明け渡すためだ。彼女は窓硝子を拭いていて、部屋に入ってきたレトと目が合うと、驚いていた。
 
 「レトくん。一人、なの?」
 「ああ。処分は解かれた。このあと出るから、声かけに。ついでに、着てたもんは、お前に預けていいのか?」
 
 キールアは窓際に布巾を置いておくと、レトの目の前まで歩み寄った。そして前掛けで手元を拭うと、彼に向かって両手を差し出す。
 
 「うん。預かるよ。洗濯をするから」
 「ん」
 
 病衣を手渡すと、レトはぐるりと肩を回した。その様子を見て、キールアは訊ねる。
 
 「調子はどう? もう平気?」
 「平気。つうか、俺があの部屋にいた間も、お前が診てたんだから、わかるだろ」
 「そうだけど。痛みはもうないのかなって」
 「ないよ。動きづらいだけ」
 「え? でも、傷は……」
 
 おおむね、傷の処置は終えたつもりだったけれど、まだ皮膚が張るような傷跡が残っていただろうかと、キールアがレトの頭のてっぺんから足の爪先まで視線を滑らせていると、頭上からレトの声が降った。
 
 「班長から話を聞いた。ベルイヴって神族が、半年もしないうちに、復活するとかって」
 「……うん。そうなんだってね。驚いたよ」
 「ロクから直接聞いたんだろ。あいつの様子はどうだった」
 「ロク? 何度か、元魔を討伐しに出てたり、襲われたりしてたみたいだけど、その日は元気そうだったよ」
 「そっちじゃなくて……」
 「あ。ああ、ごめんね、そうだよね」
 
 ロクに怪我や体調がないか、いつも気にかけていたからか、つい「元気そうだった」なんて返事をしてしまったが、レトはベルイブの話を聞かせにやってきたときのロクの様子を知りたいのだろう。すぐに気がついたキールアは、気恥ずかしそうにすこし笑って、作業台の脇に置かれた竹籠の中に、病衣を入れた。
 
 「やっぱり、大事なお話をしていたからかな。顔つきはすごく真剣で、どこか大人っぽく見えて……でも、なんだか……」
 「……」
 「……なんていったらいいのかな。ふっきれたような、そんな顔してた」
 
 キールアは作業台の上に手をついて、頭をもたげていた。耳の下で結んだ二束の髪が、物寂し気に垂れ下がっている。彼女は作業台の上にぽつりと置かれた封筒に触れて、指先で撫でていた。
 
 「それは?」
 「ひゃあっ」
 
 キールアの肩越しに顔を覗かせたレトが、そう彼女の顔の傍で囁くと、キールアは髪先を跳ねさせてびっくりした。その拍子に、封筒の端を思わず握ってしまい、くしゃりと紙のひしゃげる音が立つ。キールアは慌てたように、封筒について説明した。
 
 「あ、こ、これはね、本当は、ロクに渡したかったの。でも、コルド副班長に受け取ってもらえなかったんだ。会えないなら、せめて、お手紙で気持ちを伝えられたらと思ったんだけど……。上手くいかないね。どうせ渡せないのに、捨てることもできなくて、このまま」
 「俺が捨てといてやろうか」
 
 そう言うと、レトはキールアの手元から封筒を取り上げる。キールアは封筒の行方を目で追って、ぽかんと口を開けたものの、言葉を詰まらせた。
 
 「え? で、でも」
 「嫌なら返すけど。捨てられないんだろ」
 「……ごめんね、なんだか、いつも変な頼みごとをしてるみたいになっちゃって」
 「言われてみればそうだな。次はもうちょっと、ましな頼みごとにしてくれ。どうせまともに寝てないんだろうしな」
 
 レトは、キールアの顔に片手を伸ばすと、指の背で彼女の前髪をよけながら、目元の隈をなぞった。触れたのか、触れなかったのか、一瞬だったのでキールアはわからなかった。呆然としていると、レトは手紙を片手に、扉に向かって歩き出していた。
 
 「も、もう行くの?」
 「ああ。仕事の邪魔して悪いな。また来る」
 
 こともなげにレトはそう言って、作業台の前で棒立ちしているキールアを残し、応接室をあとにした。
 隊服と『双斬』専用の空の鞘とを、裏口付近の部屋──物置部屋を清掃し、解放した場所──で回収して身支度を整えていると、随分と長いこと、任務から離れていたのだと思い知らされた。敵にも味方にも会えない、孤独な部屋の中では、考えごとばかりしていた。いまもしている。
 
 (まずは街の北側。あらかた見て回って、状況が把握できたら、街の作業現場に。日が暮れるより二刻ほど前に出発をして、レイチェル村の村長に話をつけにいく。そう遅くはならないはずだ)
 
 それから。腰に装着する鞄に、短刀や薬、清潔な布、携帯食料、手紙を詰める。最後に靴を履いて、つま先をとんとんと鳴らしてから、きつく紐を結んだ。部屋にぽつんと置かれた丸椅子から立ち上がると、部屋を出て、さらに裏口の扉から外へ出る。
 
 何十日ぶりに対面した太陽は、雲ひとつない青い空の真ん中で燦燦と輝いていた。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.192 )
- 日時: 2025/10/12 20:57
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第174次元 帰郷
 
 カナラ街の北側を回っていると、レトヴェールは、どこを歩いていても厭な視線をやられた。そのほとんどは、街中で往来している此花隊隊員だった。副班長以上の隊員しかいなかったはずの緊急会議のときに貼りつけられた「神族ロクアンズに心酔している最たる狂信者」なんていうくだらない肩書きは、いまや、隊全体に広まってしまったらしい。どうせ、会議に参加した隊員のだれかが吹聴したのだろう。
 だから巡回を終えた正午過ぎに、復旧現場に向かうと、作業人の警備班班員たちからもやっかまれた。現場を取り仕切っているひときわ大きな身体をした男が、にやにやした顔つきで、小柄なレトを見下ろして言ったのだ。
 
 「ああ、あんた、エポールの。部屋で神にお祈りを捧げて、そのまま出てこないもんだと思ったな」
 「悪いがここで布教活動でもされちゃあ、困るんだよ。それに、そんなひょろっこくて、まともに仕事ができるかよ」
 
 男たちは、どっとはしたなく笑った。作業の手を止めてまで他人に文句を言いたいくらいには鬱憤がたまっているのか、とでも切り返してやりたかったが、レトは浅く息をつくだけでなにも言い返さなかった。
 重労働は任せてもらえず、仕方なくレトは、男たちとの会話もほどほどに必要物資の調達に回った。現場を観察し、足りないものを把握して、さらに余計な反感を買わないように注意して動くのは、ふつうに働くよりもずっと疲れてしまった。
 この日に使う分の、十分な資材を集めておくと、レトは次の仕事があると男たちに告げて、さっさと現場を立ち去った。彼らは厄介者がいなくなるとわかってせいせいした顔をしていたが、作業は今日この日に終わるわけじゃない。明日もまた来る予定だが、レトは意地が悪いので、あえて言わなかった。
 
 カナラを出発して、久方ぶりになる故郷への道を歩いた。といっても、カナラとレイチェル村の距離はほど近い。村人が街へ買い出しに行くとなったら、真っ先に向かうのがカナラだ。幼い頃は、レトもよく母から買い物を頼まれて、カナラへ足を運んだものだ。
 
 舗装された林道を抜けると、開けた空間に出た。澄んだ風の匂いが、レトの鼻腔をくすぐった。視界いっぱいに、懐かしい田園風景が飛びこんできて、レトは腕をぐっと伸ばした。
 小高い丘を下っていって、川沿いの道につくと、足がぬかるんだ地面を踏みしめる。
 夕焼けの色と、すいすい泳ぐ小魚の鱗できらきらと輝く川面を眺めていると、なにがきっかけだったか──ロクアンズと喧嘩をして、それで洗濯物が汚れてしまって、母のエアリスから一緒に洗濯をしてきなさいと怒られた日のことをふと思い出す。しぶしぶ二人で川辺に足を運んで、そこでまた口喧嘩に発展したが、家に帰ってきたときにはなんとなく和解していた。いいや、記憶の引き出しをあれこれ引っ張ってみる。一緒に洗濯をしたから仲直りしたんじゃなかった。村の悪ガキたちがやってきて、ロクが一方的に悪口を言われたのに腹が立って、柄にもなく対抗したのだ。そしたら悪ガキたちの矛先は自分に向かって、また悪口や暴力のやられっぱなしが続いた。
 ロクはあのとき、赤い実の果汁を頭から被ったかと思うくらいに顔を真っ赤にして、言ったのだ。
 
 『あたしの、おにいちゃんだから、わらったりしたら、ゆるさないから!』
 
 よくもまあ、冷たくあしらってくる義兄を庇えるものだと、そのときは半分呆れたが──お互い様だった。
 突然現れたへんてこな生き物に母を奪われたようで、だから嫌いで、つっけんどんな態度が得意だったのに、このときからもうどんな文句を言っても、ロクはけたけたと楽しそうに笑うばかりになった。
 川底で寄り添い合っていた二匹の小魚たちの、一匹が、ふいに早泳ぎになって下っていく。
 
 
 村の端に構える、古い木造建ての家を訪ねると、その老齢の男は、目尻にしわをたたえて笑顔で出迎えてくれた。村を出立してから二年ほどしか経っていないのに、立派になったなどと言われてもぴんとこなかった。出されたお茶に手をつけず、さっそく此花隊への土地の貸与の話を願い出ると、村長は恭しく頭を垂れた。
 
 「かしこまりました。イルバーナ侯爵様へご連絡の折には、私サガシムの名を連ねおきください」
 「助かる。あなたの口添えがないと、たぶん動きが悪いだろうからな。最悪無視される可能性もある。そうさせてもらう」
 「私どもは、大切な土地をお守りさせていただいているだけにございますから。貴方様のお決めになられたことに、全霊をもってお応えするのみです」
 「そうか」
 
 話がまとまると、レトは丸い湯呑みに手を伸ばした。口元に近づけていけば、湯気とともに立ち昇る香りでなんの茶であるかを察して、あやうく渋い表情になるところだった。この苦い果樹の葉を煎じたお茶は、風邪をひくと食前に出されたものだ。すぐにかっと身体が温まる利点がある反面、とにかく香りと苦みが強いので、レトは少々苦手な口だった。
 
 「申し訳ありません、そちらのお茶しかお出しできず。苦手でいらっしゃいましたよね」
 「……顔に出てたか?」
 「ああ、いいえ。昔、こちらに遊びにいらっしゃったときに、ご兄妹揃って、おなじ顔をなされたのを思い出したのです」
 
 サガシムは朗らかに笑った。母に連れられて、ロクとともにこの家に遊びに来た日の記憶がほんのりと蘇る。彼の妻に出されたこの茶があんまり苦かったので、その記憶が強烈すぎて、ほかになにをして遊んだだとか、どんな話をしたかとかは正直覚えていなかった。
 湯呑に浮かぶ細やかな茶葉を眺めてみると、そのときのロクの表情が鮮明に思い出される。まるで目元をばってんにするみたいに顔をくしゃっと縮めて、淹れてくれた人がいる手前なのに大声で、ニガイニガイと騒ぎ立てたのだ。声を発さなかっただけで、レトだって思い切り顔に出ていただろう。
 
 「本日は、妹様とご一緒ではないのですね」
 「悪いな。連れてこられたらよかったけど」
 「いいえ。またあの元気なお声が聞きたかっただけにございますから」
 
 サガシムはそう言ったが、寂しそうに目尻を下げていた。レトは、黙って湯呑に口をつけた。
 だんだんと日が傾いてきて、夕餉の支度の音が聞こえだすと、レトは湯呑に残った茶を最後の一口にして、ぐっと煽った。椅子から立ち上がって礼を告げたレトに、サガシムは言った。
 
 「つい先日、お家のお掃除をさせていただいたばかりでございます。お忙しくなければ、立ち寄っていかれてください。きっと、エアリス様もお喜びになられるでしょう」
 「……ああ、そうする」
 
 サガシムは、玄関の外でレトを送り出して、影も見えなくなるまで低く頭を下げていた。
 外はもう、すっかりと、夜を迎える準備を始めていた。
 
 
 
 庭の雑草の丈は大人しく、家を出たあとも、サガシムや彼の奥さんによって手入れされていたのだろう。玄関の扉に向かって点々と敷かれている、石の敷板には土の汚れのひとつもなくて、石と石の間の距離を跨いでいきやすそうだったが、さすがにもうしない。石の敷板は高さがないし、そもそも石から足が外れたって底なしの沼に落ちるのでもなく、土を踏むだけだ。わざわざ跨ぐ必要はもうなくなったので、気にせずに玄関まで歩いた。
 
 家の中も、薄暗いが、埃は舞っていなくて、綺麗に片づけられていた。巣立った日とおなじ木の匂いが鼻先に降る。女物の靴と、二回りほども小さな靴が二人分、玄関にある。居間の広い食卓の上に、主人のない花瓶が立っている。四人分の椅子が整列する。奥の調理場に、底の焦げた鍋と、空っぽの小瓶が並んでいる。
 物はすこし減っていた。自分たちが出て行くときに、もたないものは捨てたのだから、当然だ。
 
 食卓の机にはなにも並べられていない。けれども手が伸びて、意味もなく、指先で触れてみた。
 ふいに夜風が、背中を冷たく押した。
 
 「玄関を開けたままにするなよ」
 
 声にはっとして、振り返る。玄関の扉の奥から、月の光が漏れ出していた。
 
 「そんなに日は経ってないはずだけど、随分と長いこと、会ってないような気がするな」
 「……」
 
 彼は手提げの角灯に火を点してから、玄関の扉を閉めた。窓硝子をすり抜ける光も差しこんでくるので、明かりは十分だった。彼の顔ははっきり見えた。
 食卓の机まで近づいてきて、角灯を置き据える。彼はいつもと変わらない仏頂面を向けた。
 
 「久しぶりだな。ロク」
 
 静かな声が、エポールの家の中に落ちた。
 
 
 
 
 
- Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版-  ( No.193 )
- 日時: 2025/10/19 22:01
- 名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
-  
 第175次元 太陽と月
 
 ロクアンズは、若草色の左目を大きく見開いた。まるで、こともなげに吹きこんできた風みたいに現れた義兄のレトヴェールの頬を、角灯の明かりがほんのりと照らす。
 彼の均整の取れた横顔と、ほのかな暗がりが、いっそうの物静けさを形作る。だからなのか、彼が腰から提げた小鞄の中をまさぐる物音がやけに響いた。
 
 「どうして……」
 
 食卓の端に置かれた角灯の火がゆらめく。
 つい、そう口から出たときに、レトは、探していたものが見つかったらしかった。鞄の隅から引き抜いて、彼はロクの目の前にそれを差し出す。
 
 「これを渡しに来た。キールアからお前に」
 
 ロクの視線が吸い寄せられる。キールアがロクに宛てて書いた手紙だった。封の端に歪んだ跡があるが、皺は丁寧に伸ばされていた。ロクは呆然とそれを見下ろした。
 
 「そういうことじゃない」
 「知りたいなら教えてやる。お前がこいつを受け取ったらな」
 
 ロクは、しばらく微動だにしなかったが、やがて手を伸ばして、封筒の端を掴んだ。彼女が受け取ったのを確認してから手を下ろしたレトが、机の端面に腰を預けると口を開いた。
 
 「簡単なことだ」
 
 玄関の扉の脇には、物入れ棚が据えられていて、その上には二人が作った編み物人形の力作やら、川辺で拾った綺麗な石やらが並べられている。棚の真上に視線を滑らせれば窓がついていて、外の景色がよく見えた。レトは窓の向こうを眺めて、いつもの、突き放すみたいな、それでいて諭すみたいでもある、冷たく聞こえる言い方で続ける。
 
 「お前が、いまになってベルイヴの話をしだしたのは、切羽詰まったからじゃない。逆だ。最初から、話をしたら出て行くつもりだった。さっさと話をしなかったのは……それを班長たちが信用するに値する条件が揃わなかったから。そんなところだろ」
 「……」
 「お前の考えてることくらいわかる。いまから、どっか行こうとしてるってことも」
 
 窓の外にはただ広い草原と、どこまでも深い夜の静けさがこんこんと広がっていて、吹いた風が吸いこまれていく。
 レトは、ベルイヴという新たな神族の存在と脅威とを伝え聞いたときに、勘づいていた。いよいよロクは、重要な予言を渡すだけ渡して、すぐにでも行方をくらまそうとしているかもしれない、と。だからレトは、どうしても、今日この日に自由にならなければいけなかった。ただの直感だ。けれどロクは、いた。彼女はエントリアの調査を口実に外へ出て──エポールの家にやってきた。
 とっくに瞳の奥を探られていた。もう隠しようもないのに、ロクはレトと目を合わせられなかった。
 そして、ずっと訊きたかったことを吐いて出した。
 
 「……いつから……私が神族だと、知っていたの?」
 
 レトは、隠さずに語りはじめた。訊かれなくとも、自分から話すつもりでいた。それはキールアにも聞かせた、ロクが初めて次元の扉を開いた日に目にした、右目の赤さと恐ろしさの記憶だ。
 
 このとき唐突に、ロクの脳裏に、レトと過ごした日々の一瞬一瞬の景色が、色濃く蘇る。
 
 母を亡くした日の空の色を、神族デスニーを斃すという誓いを胸にはじめて隊服に袖を通した感覚を、ともに肩を並べて戦い作った傷の痛みを、旅先で目に焼きつけた景色と吸いこんだ匂いを、譲れなかった口喧嘩を、隊の鍛錬場で向けられた切っ先が恐れるに足らなかったことを、本物以上の兄妹になれると言ってくれたときも、レトはロクが神族だと知っていた。
 知っていて言わなかった。
 ロクは、だんだんと眉をきつく寄せていって、やがてレトの話がひと段落つくとともに、立て続けに問いかけた。
 
 「ずっと黙っていたのはどうして」
 「言っても言わなくても、どっちでもよかった。けど、きっと母さんは知っていて、わざとお前に言ってないんだと思ったから、俺も言わなかったし、どの道必要なかっただろ」
 
 机の端を指先で撫でて、レトは家の中を振り返った。幻覚が目に浮かぶ。小さな二人の影が、あちこちと家の中を駆け回っていると、台所からまた一人の影が伸びて、柔らかく微笑むのだ。三人の幻影は、レトが小さく息を吐けば煙のように霧散して、すぐに深い静寂が帰ってくる。
 
 「血が繋がってなくても、次元師でも、神族でも、この先もう何者になってもたいして変わんねえよ。お前は何年経っても母さんの娘で、俺の義妹だ」
 
 ロクは表情を歪めると、数歩後ろに下がって、手紙を持っていないほうの手で胸を抑えて言った。
 
 「違う。もう、違う。現実を見てよ、レト。私のことがわかっていたなら、目を逸らさないでいて。あなたと私はもう違う生き物なんだ。人間と、神族とじゃ、息の仕方も、血の色も、身体の形も、愛するものも、ひとつひとつ違っていく。その違いが、離れていくことはあっても、戻って合わさることはない」
 
 ぶら下がった手元から、ぐしゃりと音が立つ。ロクは手紙を握り締めていることを自覚していなかった。そんなロクの手元を見やって、レトは怪訝な顔つきになると、ふたたび彼女の目元へと視線を返した。
 
 「……つまんねえしゃべり方をするようになったな、お前」
 
 レトは低い声で言って、さらに目の端を尖らせた。もうずっと、癪に障っていた。明朗快活な口調でもなければ声色も落ち着いて、ロクは話し方さえもまるで別人みたいに変わってしまったようだった。そうしてわざと周囲の人間を拒絶しているようにレトには聞こえていて、だから、思わず声を荒らげて畳みかけた。
 
 「たかが目開いて、自覚したくらいで、突然神様気取りか? 違う違うって……ならなんでここに来た! とっくに踏ん切りつけたみてえな言い方しておいて、まだぐちゃぐちゃ引きずってるから、ここへ来たんだろ。捨てきれてないんだろ、お前は!」
 
 静寂に包まれていた家の中に、レトの怒声が波紋のように響き渡る。ずかずかと、床を蹴りながらレトが歩きだせば、足元から軋む音がした。
 ロクは、まだ俯いていた。
 下を向いていれば、床板にいくつも小さく欠けたところがあるのが、見えた。
 額がくっつくほどの距離になってもまだロクが目を逸らしているので、レトは、勢いを止められなかった。
 
 「中途半端なことするくらいなら逃げるんじゃねえよ。ここで苦しんで、戦っていろ。お前は不必要に自分を責めて、大層な言い草で逃げ道を作って、それで楽なほうへ自分だけでけりつけようとしてるだけだ。お前が目を逸らすなよ、ロクアンズ!」
 
 ロクの手首を捕まえて、引っ張ると、ロクは無理やり顔をあげさせられた。
 二人の目が合う。
 レトだってこんなことを言ってやりたくはなかった。ロクには、過度に己を責めるきらいがあるが、人の話を聞かない人間じゃない。大層な言い草をしているのは見ていればわかるが、丹念に逃げ道を作ることはしない。けりをつけようとはするけれど、楽な道も選ばない。頭ではわかっているのに、レトには、まるでここで初めて会った人物と会話をしているみたいな手ごたえのなさがずっとあった。義兄の自分にさえ壁を作ろうとする彼女の態度がもどかしくてたまらないのだ。だから、言う予定のなかった厳しい言葉が次から次へと口をついて出た。
 ロクは唇を噛み締めていた。下瞼にぐっと皺を寄せた目つきで、突き返す。
 
 「離して」
 「じゃあ振りほどけよ」
 「あなたは私には敵わないよ」
 
 呟くように言ったロクの手首が、さらに強く掴まれる。レトは凄んだ声で、言い返した。
 
 「ああ、やってみろ。受けて立ってやる。言っておくけど、行かせる気はない」
 
 ばちり、と。緑の目と、金の目との間に、電気の糸が奔る。
 ──黄金の雷光が瞬く。掴まれたロクの手から猛烈に湧きあがった雷撃の余波が、二人の髪の毛を嬲って乱す。翻った前髪の下からは、右目に巻かれた包帯が解けて、赤い瞳が現れた。
 電糸が飛散する。食卓の上の角灯、続いて花瓶が、ぱりん! と音を立てて割れた。棚の上の人形が、石が、弾け飛ぶ。扉には雷の爪痕が奔った。天井も床も壁もあらゆる家中の物が、がたがたとわなないて、悲鳴をあげるようだった。そうなってもレトは、決してロクの手を離さなかった。
 やがて、飛散する雷光の強さは徐々に収まっていき、もとの暗がりが戻ってくる。
 ロクの前髪がゆっくりと下りて、赤い瞳はその下に隠れた。
 
 「……」
 「なんだよ、生ぬるい覚悟だな。その程度なら引き返せ、ロク」
 
 しばらくの沈黙だった。諦めたのだろうかと、レトはロクの顔を覗きこもうとした。しかし、その前に、ロクの口からふと、弱弱しい声がこぼれ落ちた。
 
 「ごめん、ちがう、んだ。レト」
 
 固く拳を握りしめていた。しかし、覇気のない声をもらすとともに、彼女は手のひらを開いた。思わず力を緩めたレトの手を、今度はロクのほうから掴んだ。
 彼の手に縋るみたいに、握る。
 顔をあげないまま、喉のずっとずっと奥から絞り出した声は震えていた。
 
 「レトが……これ以上みんなに責められるところを見るのが、もう耐えられないんだよ……! どうしても、あたしの存在があなたの枷になる。この先何度も! 何度も何度も何度も、何度も、あなたが悪いって言われる! みんな、レトのこと、なんにも知らないくせに……っ!」
 
 両目のどちらもひどく揺らして、ロクは堰を切ったように言った。
 床の欠けたところも、食卓の椅子も、レトの足元も、ぼやけて、もうその色もわからなかった。
 レトは、口を閉ざしていた。
 
 ──自分が神族だとわかって、忌避の目を向けられるのはまだよかった。心を読まれそうだと噂されてもよかった。でも、「レトヴェールを騙している」「洗脳している」「狂わされている」だなんて、嘘だ。そんなわけはない。ロクは、本当は、そんなことを言ってくる人間たちを一人ひとり捕まえて、言ってやりたかった。
 「騙してなんかない」
 「レトヴェールがロクアンズに優しいのは洗脳なんかじゃない」
 でも、いくら言って回ったとしても、与えられるのは真実じゃないだろう。神族という敵の虚言を火種にして、さらに批判の声を盛りあげるだけだ。すでにロクを神族だと認識し、彼女が周囲を騙しているのではないかと疑いかかっている人たちには、かえって火に油を注ぐようなもの。それならば是も否も飲みこみ、沈黙を貫いて、間違っても火が燃え盛らないようにするしか、ロクには思いつかなかった。
 
 「レトは、あたしにただ、優しいだけなのに。ずっと、優しいだけなのに。その声がどんどん大きくなる。それが、あたしはどうしようもなく嫌だ」
 
 ロクは、声がつっかえていて、ときどき鼻をすすりあげて、涙声なのに、決して涙を落とさないようにしていた。いや、レトの手の甲を、震える指の腹でしきりに撫でていると、平静でいられた。
 レトは、ロクの気持ちをはやく頭の中で処理しなくちゃいけなかったのに、追いつけなかった。だから微動だにできなくて、縋ってくる仕草にもうまく応えてやれなかった。できたのは、苦しそうにぐしゃぐしゃに歪めた彼女の表情を目に焼きつけながら、喉の奥の熱を放つことだけだった。
 
 「お前はなにもしてないだろ」
 「そうだよ。なにもしてない! あたしたちはなにもしてないんだよ」
 「じゃあお前がいなくなって、俺がお前を逃がしたって報告したらどうする? お前がいようが、いなくなろうが、どっちにしたって神を擁護してるって言われる。変わんねえなら、行く必要はないだろ」
 「レトは、あたしが苦しむことをするの?」
 
 レトはついに、完全に口を閉じて、返す言葉を失ってしまった。たったいま選んで向けたものが、かえって自分を追い詰める刃物だったと、あとになって後悔するのだった。
 ロクの呼吸の音だけがする。彼女はだんだんと落ち着いてきたのか、肩が震えなくなっていた。ようやく顔をあげて、まだ引き留める手段を探そうとするレトの目を見て、静かな声で続ける。
 
 レトの視界に映った赤い瞳は、もう恐ろしい色をしていなくて、事実だけを訴えてくる。
 
 「どれだけ本当のことを周りの人たちに言っても、あたしは神族で、あなたは人間だ。いまこの国じゃ、もう、そうとしか映らない。このままじゃ悪い方向にいくばっかりだ」
 
 だから。ロクはそう挟んで、一度だけ瞬きをすると、ふたたび視線を下げた。手元を見れば、火傷を負った彼の手のひらが、力を失って、花弁のように閉じかけていた。そんな彼の片手に、そっと、もう片方の手を重ねて言った。
 
 「だから、お願い。お別れをしよう。お義兄ちゃん」
 
 冷たい川の水を頭からかぶったような、心地だった。
 ロクは、月の光を宿した両目を揃えて、陰る彼の双眸を見つめ返し、そうして彼の手を離した。
 
 「……私は、この道の先に行く。そして、あなたも辿り着いたときには……会って、話がしたい」
 
 ロクはそう言って、呆然と立ち尽くすレトの脇をすり抜けていくとき、ゆっくりとした歩みで床を踏みしめた。
 なにごとかを耳打ちする。
 
 それが聞こえて、レトははっと我を取り戻し、急いで振り返った。しかしもう、ロクはいなかった。玄関の扉は閉ざされていた。まるで、いままで幻を見ていたかのように、彼女の気配さえもまっさらに立ち消えてしまう。
 
 「ロク──」
 
 閉ざされた扉の前にはただ、暗い影の中で、きらきらとするちりや埃の欠片が、白くたゆたうばかりだった。
 玄関の扉を乱暴に開け放つと、レトは外へ飛び出した。
 
 「おい、ロク! ロクアンズ……! 違うんだ、言いたかったのは、そんなことじゃ……! 行くな──お前は……!」
 
 慟哭は、虚しくも夜空の深さに吸いこまれて、消える。のどかな田園風景と、宵闇との隙間を縫う地平線が、当たり前の顔をして二つを分かつ。
 一夜では欠けても満ちない。
 帰りを待っても「ただいま」の声はない。
 
 
 レトヴェールは一人冷たい夜風にさらされて、萌える草原のさなかに突っ立って、そこでいつの間にか思考も、意識も、手放していた。
 そうしていると深かった夜空は白み、薄色の朝が、やってくる。
 日は昇ってきたが、他人事みたいな顔をしていた。
 
 
 川底に取り残された一匹の小魚の鱗を、真新しい日の光が照らした。
 
 
 
 
 ──第一章 「兄妹」 完
 
 
 
 
 
 
 
 
  
  
  
 
小説投稿掲示板
イラスト投稿掲示板
総合掲示板
その他掲示板
過去ログ倉庫