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コメディ・ライト小説(新)
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.197 )
日時: 2025/11/29 21:32
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第179次元 或る記録の番人Ⅰ 見慣れない顔がカナラの仮拠点の門を叩いた。身分証を検めた警備班の班員は、珍しい人物を目の当たりにして思わず、身分証とその男の隊服とを往復して眺めてしまった。ぼんやりしていると、戦闘部班の班長室の場所を訊かれて、警備班員は慌てて答えた。そうして中へ促したあとも、建物の中に入っていって見えなくなるまで、鈍い銀の髪と細く高い上背を目で追いかけた。 物珍しげにしていたのは門番だけではなく、廊下ですれ違えば隊員たちはだれもが振り返った。 無理もない。隊服に金の肩飾りを提げているのは隊長と副隊長を除き、四部班の長を務める四人の班長のみで、そのうちの一人だけ顔を知らないという隊員の数は圧倒的に多い。 ほとんど足音を立てず、さながら幽霊のように静かに書斎を目指していると、階段の踊り場で二人の人間が話をしているのをちょうど見かけた。 「エントリアにやってきた二人に挨拶をしたあとですが、こちらも注意深く観察をしていました。ニダンタフ班長から厳しく監視せよと言いつけられておりましたから。しかし、にわかには信じがたいのですが……目撃した班員によれば、「さきほどまでフィラ副班長と会話をしていたのに、忽然と姿を消してしまった」と。まるで煙に巻かれたかのような、不可思議な光景をたしかに見たと強く発言しております」 「フィラ副班長から直接聞いた内容と相違がないということだね。彼女が逃亡を手伝ったかと思ったけれど、君たちが見ていてくれたのなら、違うだろう。もっとも、心情を操る能力が君たちのあずかり知らぬところで行使されていれば、だれも真相は掴めないが……これについての言及はよしておこうか。君たちは引き続き、エントリアの警備と巡回を。まだ元魔がいる気配はあるかな」 「いいえ。半融合した飛竜の元魔を見たのが、最後です。それからは、まったくありません」 「わかった。報告ご苦労様」 「は。持ち場に戻ります」 胸飾りのない黒色の隊服を着ている副班長らしき男が、一度礼をして下がる。階段を下りてばっちりと目が合えば、その目をまん丸にして、副班長の男は階段の途中で足を止めた。その脇をすり抜けて昇っていくと、足音に気がついたセブンが顔をこちらに向けた。 「……これは。本日ご到着でしたか。お久しぶりです、ハルシオ・カーデン班長」 「はい」 「立ち話もなんですから、私の執務室までご一緒願えますか。この屋敷の書斎の一つを借りていましてね。あくまでも仮の拠点ですので、片づけはあまり……まあ、私は、もともと片づけが苦手なものでして。エントリアの本部にいたときから執務机周りの様相は変わっていなくて、逆に落ち着いていたりして」 セブンは手帳をぱたりと閉じ、ハルシオとともに一階へと下った。当たり障りのない話をしながら書斎へと向かっていくセブンの半歩後ろを、ハルシオは静かについていく。 拠点内では隊員が小走りになって歩いていて、多くの隊員と何度もすれ違う。見ていればだれもが、早口で用件を伝えてはすぐ姿が見えなくなる。のんびりと静かにしているハルシオは場違いなようで、つい口を開いてしまった。 「お忙しいところに立ち入ってしまい、申し訳ありません。監督者として私が不出来ですので、ファンオットには大分不便をかけています。彼女にはどうか、ご容赦を」 「ああ、ユーリ副班長ですか。彼女はよく働いてくれていて、こちらも助かっていますよ。カナラとエントリアを一日に何度も往復しているそうで、大変研究熱心な部下だとお見受けしました」 「それは、喜ばしいことですね。本人にも、伝えておきます」 「はは。ええ、ぜひ」 書斎に案内したあと、お茶の用意のために外したセブンが部屋に戻ってくると、ハルシオが腰もかけずにまだ入り口の近くでぼうっと立っていた。部屋の中央には長机とそれを挟む革製の腰掛けとがあるので、セブンはそこへ座るよう促し、机の上に茶器を並べた。 まずは固い空気を砕くべきかと、セブンは世間話をするかのような柔らかい物腰で話題を振った。 「近頃、研究のほうはいかがですか。たしか……五年前に本部でお会いしたときには、次元の力とその扉の実態について調査中だとお話されていましたよね。それと、半年ほど前だったかな。定例会で提出された報告書に目を通しましたが、随分と興味深かった。次元の扉は、それぞれが互いに繋がりを持っているとか」 「ええ」 「差し支えなければ、現在の詳しい研究状況をお聞きしても?」 セブンも向かいの腰掛けにもたれて、淹れたての紅茶を口に含んだ。目の前のハルシオが、茶器のふちで唇を濡らすくらいに小さな一口を嚥下する。 「構いません。わかっているのは、次元の力同士が、共鳴性を持っている可能性があるということです。次元の力というのは当人以外には扱えません。個人が持つ元力の質と、次元の力とが一本の糸のように結びついているためです。しかし、元力の質、というのは……その本質は、物質であるのか概念であるのか、どちらとも言えません。開発した通信具に使う元力石……つまり高濃度な元力質は、次元師当人と血の繋がりを持つ者でも、扱える。これについて私は、血縁の結びつきが条件だと考えていましたが、最近の調査で、それだけではない可能性が新たに浮上しました」 「というと?」 「訪れたある農村で、血の繋がりのない二人の次元師に出会ったのです。一人は村の生まれで、もう一人は外部からやってきた旅人の息子でした。彼らは、幼いときから次元の力を磨き、互いに高め合ってきた。一人は八元質の一つ、風を自在に操る『風皇ふうこう 』を持ち、もう一人は『凪槌なづい 』と呼ばれる槌を扱います。ある日、村の畑を狙ってやってきた大猪を退治しようと二人が畑に出てきました。しかし、風を操る次元師は、体調が優れなかったのか、後ろに控えていました。そうして、槌を持った次元師が技を振るいかけたとき。『凪槌』に奇妙な風が巻きついたのを見ました。風の次元師は技を発動していないのに……まるで、二つの次元の力が、合わさったかのような光景だった」 「……他者の次元の力に、自らの次元の力が影響したと?」 次元の力が、ほかに干渉する──とは、セブンも聞いたことがなかった。もたれていた背が自然と伸びて、彼は気づかないうちに前のめりになっ真摯に耳を傾けていた。 ハルシオは頷くとも、首を振るともせず、淡々と続ける。 「私は、他者の意思が、自らの意思と重ね合わさり、それにより"各々が持つ次元の扉が互いに向けて開かれたのではないか"、と考えています。次元の力は、意思ひとつで生まれて、意思ひとつでいかようにも変化する。しかし、意思にも質がある。すこし逸れればすれ違う。元力石の話に戻りますが、この意思は、血縁者であればあるほど、生活環境、社会の見え方、思考の持ちようが似てくるがゆえに、合わさりやすく、元力石にも意思が通りやすい。ただそれだけではなく、纏う雰囲気や胸に持つ意思が似た者たちが揃うことでも、元力は互いに共鳴する」 「それによって、次元の力の強化は期待できそうですか」 「まだ、そこまでは。しかし、村にいたその二人の次元師にはもちろん師たる人間もなく、まだ十二ほどの幼い少年でしたが、繰り出された技の質は少なくとも、五元の階級を満たすほどだったかと」 「訓練をしていても五元の階級に辿り着くには時間がかかる。二つが合わさったことでより大きな力へと変化をしたのなら……我が戦闘部班の次元師たちも、まだまだ力をつけられるわけだ」 セブンは笑って、小さく頷いた。 「ありがとうございます。あなたの研究が、ひいては彼らの成長にも繋がっています」 「最前線で戦い、日々次元の力の可能性を開いていく次元師たちに比べれば、私のしていることなど、微々たるものです。先日の、エントリアでの戦いについては、話を伺いました。犠牲者は多く……しかしながら、神族に立ち向かってくれた次元師たちが、一人として欠けていないこと、大変喜ばしく思うとともに、彼らの強さに敬服するばかりです」 ハルシオはいっぺんも表情を変えることはなく静かな声色でそう言った。細身で背が高く、物静かな彼は、見た目から受ける印象でいうと人を寄せつけない雰囲気を持っているが、言葉の端々から上品な丁寧さが伺える。セブンは、以前彼に会ったときには、貴族の生まれかと勘違いしそうになった。鈍い銀の髪やその色の瞳自体はそれほど珍しくないので、見た目からでは出身地が推測できなかった。挨拶のついでに生まれはどこなのかと訊ねてみたら、聞いたこともないような山の奥地の、傾いた家の軒下にうじゃうじゃと蛇が湧くような小さな集落──とも呼べるか怪しいほどの過疎地──の生まれだと答えられた。セブンは、ベルク村もたいして変わらなかったような記憶を思い出して、勝手に親近感のようなものを覚えていた。 話をすればするほど、貴族を相手にしているかのような気品があるのに、まるで天然の植物かのような素朴な男でもあるとわかって、セブンは大分彼に興味を持っていた。それに、此花隊でもっとも華がある研究部班の長でありながら、滅多に人前には姿を現さず、知識をひけらかす素振りもない。そういった透明度の高さにも惹かれていた。 ──この男にならば、もしかしたら。 セブンは紅茶に口をつける間にあることを考えて、茶器を受け皿に戻すと、立ち上がった。執務机まで歩いていった彼は、振り返らないまますこしだけ声を落として、ふいに切り出した。 「ハルシオ班長。お伺いしたいことが」 「なんでしょうか」 「"空白の歴史"について研究されたことは」 二百年前の、神族の顕現と襲来──その真相について"不自然なほどに手がかりがない"ことから、神族に関する歴史の研究者たちはそれを「空白の歴史」や「開かずの真相」などと呼んで、それを解き明かそうと今日もメルギース各地を歩き回っている。 ハルシオも研究者だ。次元の力だけではなく、神族の歴史に手を出したこともあるかもしれない。思った通り、彼は小さく頷いた。 「多少は。研究者ならば、だれもが一度は手を出す分野かと思います」 「であれば……この本の内容の信憑性を検めていただきたいのです」 セブンは執務机の引き出しから、紐で留められた分厚い紙束を取り出すと、それをハルシオから見えるように持ちあげた。 「それは?」 「神族ハルエールが書き記した、二百年の歴史についての文書です。彼女は、ここにすべてを書いたと言っていた。しかしながら、我々は空白の歴史についてまったく見識を持っていません。安易にこの文書に目を通せば、内容に引っ張られる可能性があり、正誤の判断がつかない。だから、この次元研究所の研究部班の班長であるあなたに、これを任せたいと考えています」 「……」 紙束を片手に持ち、セブンはハルシオの向かいの腰掛けに戻ってくる。そして紙束を長机の中央に置いた。 「ただし、二度目になりますが、くれぐれも内容の取扱いにはご注意ください。引き受けていただけますか」 「わかりました。少々、宛がありますので、またご報告をいたします」 ハルシオは承諾して、紙束を受け取った。彼が手に取って、それの表紙を眺めているのを見つめながら、セブンは申し訳なさそうに眉を下げた。 「ハルエールについては、申し訳ありません。あなたと会話の機会を、と思っていたのですが、つい先日任務中に失踪してしまい。捜索を続けていますが、足取りが掴めていません。お恥ずかしい限りです」 「……左様ですか。それは、残念です。ならば、彼女が残したという、この文書と対話をすることにします」 そう言って、ハルシオが腰掛けから立ち上がったので、セブンも合わせた。部屋の扉の前まで向かいながらセブンは訊ねた。 「しばらくはカナラに滞在を? ご要望があれば私に言ってください。すぐに用意を」 「ああ、では……。レトヴェール・エポールという少年はどちらに」 セブンは足を止めかけたが、目をしばたくだけに留まった。そして部屋の扉を開けてから答えた。 「レトヴェールなら北部の巡回を任せています」 「巡回?」 「ええ、近頃は元魔の発生が相次いでいましてね。神族クレッタの影響かと思いますが。そのためいま、街の各地に次元師を配置しています。いろいろあって人員不足なので、畏れ多くも、副隊長まで現地にいらっしゃいますよ。各地で宿の一室を借りていて、そこで休息をとらせていますので、その宿でお待ちいただければ早く会えるかと」 「そうですか」 「ただ、いまは……。少々、彼の気が立っていましてね。あなたに対して失礼な態度をとるようなら、ご報告ください。しかるべき処分を下します」 言ってから、退室を促したつもりだったが、ハルシオは開けられた扉の前で立ち止まってしまった。 不思議に思っていれば、ハルシオが口を開いた。 「セブン・ルーカー班長、街の巡回はおそらくもう、必要ありません」 「? それは……」 「正確には、人員を減らしても問題ありません。近頃、街に発生していたという元魔は、エントリアでの戦闘の際に生み出された産物。その生き残りでしょう。新たに元魔を生み出す余力があるのなら、すぐにでも我々に向かってくる。クレッタは、そういう性質を持っている。そうしてこないのは、クレッタがすこしも力のない状態だからです。生き残りの元魔を探しだし、駆除できる次元師が二人ほどいれば十分です。では」 ハルシオはそれだけ告げると、扉をくぐって出て行った。セブンは考えを巡らせていたのと、呆気に取られたのとで、見送りの言葉を失ってしまっていた。 ──彼の言う通り、カナラで飛竜の元魔が一体、エントリアで二体、大きな個体が発見されて以降は、まったく発生していない。さらには、脅威になり得ない小さな個体であれば何件か報告があがっているが、それも日を追うごとに減ってきている。ここ十日ほどは、ぱったりと目撃が途絶えている。 (ハルシオ・カーデン……。次元の力だけでなく、──本人が会ったこともないであろう神族の性質まで断言するとは……) 託した文書にどのような見解を添えて返してくるのか、セブンは珍しく、読み切ることはおろか想像することもできず、かえって期待の念が膨らんでいた。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.198 )
日時: 2025/11/29 21:35
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第180次元 或る記録の番人Ⅱ 日に日に、道端ですれ違う人は多くなっている。避難してきて直後は、陰鬱とした空気や人の呻きや泣き声が充満していて、街ですれ違うのもカナラの住民と、此花隊の隊員がほとんどだった。いまやもう軽傷者だったエントリアの住民が動けるようになっていて、街に繰り出し始めている。しかしながら重傷を負った者はまだ深く寝台に沈み、意識不明で日がな親族に祈られている者も少なくない。 レトヴェールは軟禁の処分が解かれてから元魔の警戒に勤しんでいるが、ある日を境に、小さな個体さえもめっきりと目撃されなくなって、違和感を覚えていた。 営みを閉じた静かな夜道を歩き、北で一番大きな宿屋に足を向かわせるレトの考えは"彼"と似ていた。 (クレッタがなにかをしているのか? ……いや、奴が生み出してるってことは、"なにもしていない"のか) 考え事をしていれば早く到着するもので、宿屋の軒先にぶら下がっている提灯の薄明かりが道の先に見えてきて、レトは顔を上げた。 そのとき、背が高く細身な人影が店の外壁にもたれかかってぼうっとしているのが見えて、足を止めた。 靴音がその人物の耳に届いたか、こちらに顔を向けてくる。そして悠長な歩みでレトに近づいてきた。薄明かりに照らされてようやく、はっきりとした。此花隊の黒い隊服を身に纏い、鈍い銀色の髪と目をしている男──ハルシオだった。 彼は、レトの目の前までやってくると立ち止まって、静かな面持ちでレトの顔を見下ろした。 一瞬だけ、目の前の人物がだれなのかまったく見当がつかなかった。しかし、すぐに、よく知っている男に似ているとレトは勘づいた。 「随分、大きくなったものだな」 レトはそれを聞くと、瞳孔を大きく開いて、静止した。ハルシオは、そんなレトをよそに淡々と続けた。 「話がある。お前の部屋はどこになる」 「待て」 さっさと宿に入ろうとするハルシオの腕を、レトはすかさず掴んだ。 見覚えのある背丈、顔立ち。班長位に与えられる金の肩飾り。纏う雰囲気。じっくり観察して、いや、そう時間をかけずとも、さまざまに散らばっていた欠片が嫌な音を立てて合わさっていく。 "似ている"のではない。 かちりと、情報の欠片が綺麗に合わさって、レトの中で一つの真相と相成った。 腕を掴まれたハルシオは、抵抗もせず、またレトを見下ろすと、彼は俯いていた。肩を小刻みに震わせている。そして問いを投げるその声は一段とゆっくりで、低かった。 「まず、訊きたいことがある。"ハルシオ・カーデン"ってのは……誰だ」 ぐっと、ハルシオの腕を掴む力が、強くなる。 レトの心音が、耳のすぐ傍で鳴っているくらいに昂っている。とっくに記憶の底で眠っていたあらゆる感情が一気に叩き起こされた。意を決して見上げれば、ハルシオは感情の読み取れない無色透明な表情をしていた。 レトは動揺を隠せない眼差しで彼を見つめて、言った。 「"アノヴァフ"って、名前だっただろ。──父さん」 ──いったい、自分がいくつのときだっただろうか。 ぱったりと家に帰ってこなくなった、もう顔もうろ覚えになっていた父が、目の前で鮮明になった。 船乗りだって一年に一度は家に帰ってくるし、薬売りにあちこちと出かけていたキールアの父もまめに顔を出していた。 幼い時分では、たとえ一年のうち一度だってうらやましかった。もう何年も父の顔を見ていなくて、レトは、父に遊んでもらった記憶はおろかなにかを教えられた覚えもなかったのだ。けれど、母がその分、寂しい思いをさせまいと相手をしてくれたし、ロクアンズやキールアもいたから退屈はしなくて、いつの間にやら父がいなくて寂しいなんてことは露にも思わなくなった。 それなのに再会してしまった。記憶の片隅へと押しやられていた、もういない者とさえしていた父への不満が泡立って、次第にふつふつと沸く。それでなくともこのところ虫の居所が悪いレトは、余計に苛立ちを募らせ、もはや自分でもどんな顔をしているかわからなかった。 「外では話せない。だから、お前の部屋まで案内してくれと頼んでいるんだ」 思い切って言ったつもりだったのにまるで暖簾に腕押しだ。ハルシオは──否、アノヴァフ、と呼ばれた男は、あくまでも柔和な態度で、レトにそう返してくる。 レトは、無言で彼の横をすり抜けて、小さな木板がぶら下がった宿の扉を押し開く。静かな足取りがそれに続く。 客室は、一人では持て余しそうな広さがあって、最低限の調度品が誂られている。部屋を借りてしばらくになるが、レトは持ちこんだ物が少ないので小ざっぱりとしていた。迎え入れられたアノヴァフは、ここでも変わらずに、居所がわからないみたいに食卓の傍なんかでぽつりと立つ。 ぱたん、と客室の扉を閉めるなり、レトはさっそくと言わんばかりに話の続きを持ちかけた。 「……此花隊の隊員だったなんて聞いてない。いつから、ここにいる」 「……」 「わざわざ偽名を使ってるのはなんでだ?」 疑問は次から次へと頭に浮かんで、浮かんだままを投げかける。目の前にいるのは紛れもない自分の父だが、父と過ごした思い出がほとんどないおかげで、かえって吐き出すのはたやすかった。 レトの疑問は当然なのに、アノヴァフはしかし、まだ口を開かない。 自ら姿を現しておいて、対話を拒否するなんて、レトはアノヴァフがなにを考えているのかまるでわからなかった。はっきりとしない父の態度に、だんだんと顔が強ばっていく。レトは――もっと冷然と戦うはずだったのが、急に、身体の奥底からもっとも突きつけてやりたい鋭い文句がせりあがってきてしまった。 「なんで俺たちの世話を母さん一人に任せた……? 母さんが弱っていたこと、その事情を知らないはずないだろ。母さんは、死んだんだ。その報せも送った。なのに……なのにあんたは、帰ってくるどころかひとつも返事を寄越さなかった……!」 家にいないのは、もはやどうだってよかった。有事になっても家族を放っておいたこの男を、レトは本能的に父親だと認めたくなかった。けれど母親のエアリスの口から、アノヴァフへの不満の声を聞いたことはない。彼女は常に彼を信用していた。だからレトは、いくつ不満を思いついても、父を憎みきれず、信用と不信の狭間で揺れていた。 レトがそうして、いっそう声を荒らげてすぐに、客室の扉が開いた。ちょうど夜食を運んできた年若い女給が、立ち止まってふるふると震えた。部屋の外にも声が漏れていたのだ。 女給は、室内にいる二人のただならぬ雰囲気にあてられて、すっかり竦み上がってしまっていたが、一言断りを入れて、廊下に夜食を乗せた盆を置くと、そそくさと戻っていった。 レトは、アノヴァフへと視線を戻す。 おかげで、荒れていた胸中が、幾分か落ち着きを取り戻していた。レトは気を取り直して、本題を切り出した。 「答えろ。いまさら、何の用で、俺の前に姿を現した」 責め立てているのではなく、どちらかといえば、疑問の感情のほうが色濃かった。 だんまりとしていたアノヴァフだったが、のそのそ動きだして、食卓の椅子に腰をかける。そうして、彼はようやく口を開いた。 「そう一遍に訊くな。だが……。そうだな、いまのお前の話から、だいたいの状況を把握した」 「話すつもりがないっていうのか」 「違う。お前のたくさんの質問に答えるためには、お前が"あること"を知っている必要がある」 アノヴァフは身体をレトのほうへと向けて、このように訊ねた。 「ロクアンズの名前の意味を知っているか」 思考が止まったのはほんの一瞬で、すぐに、レトは持ち直して考えを巡らせた。"なんでそんなことを?"と、反射的に突っぱねそうになったのを引っこめる。それは、レト自身、一度は考えたことがあるが──答えが見つからず、忘れてしまっていたからだ。 レトは、アノヴァフの向かいにある椅子に近づいていきながら、それを口にした。 「……なんだ、それは。名前の意味……。考えたことはある。けど、現代語にはもちろんない。古語にもそう読めそうな単語はなかった。歴史人にもいない。地名も違う」 「ならばまだ調べが浅いだけだ」 「それを知ったら、なんだ。あんたは、さっき俺が訊いたことに、すべて答えるのか?」 「ああ。ただし」 アノヴァフの目の色が途端に変わった。レトは、その視線の切っ先に刺され、息を吸うだけのわずかな身動きさえも取れなかった。 「レトヴェール。エポールの血と名を継いだお前は、覚悟を持って知らなければいけない。この道の先には、味方にも敵にもなる人間と真実がいて、いずれお前から自由を取り上げる」 この道の先──。 どくりと、心臓が反応する。ロクアンズも言っていた、「この道の先に私は行く」と。たまたま文字列が重なっただけの、偶然の産物なのに、レトは心の中で何度か反芻をした。 ロクが歩もうとする道が、仮に神族として生きる道だったとして、その延長線上でふたたび出会うためにはどうしたらいいのかを考えていた。 そして、その答えがもしも、アノヴァフの示す"この道"──エポール旧王家の血を継ぐ者という特殊な視線の先にあるとしたら。結果、正しくても間違っていても、一つを信じて歩きだしてみないと、どちらかなんてわからない。 レトがなかなか反応を示さずにじっとしているので、アノヴァフが口を開きかけると、短い返事がかえってきた。 「わかった」 「素直に頷くのか。俺が言うことではないが、突然現れた男の言葉だ。お前は、俺を疑ってもいい」 「じゃあなにをしに来たんだよ。そもそも俺は、まだあんたを父だと思えてない。あんたを選んだ母さんを信用してるんだ」 「そうか。それでいい」 それに、アノヴァフには言っても仕方ないが、レトが素直に頷いたのはロクとの別離によって、思い悩んでいたからだ。班長はロクに対し信用に足らないの一点張りで聞く耳を持たず、当の本人からは一方的に別れを突きつけられ、よその班員たちには好きに言わせて、仕事の自由もなく与えられた任務を言いつけ通りにこなす日々だった。思い返せば、もうしばらく、自ら動こうという気概を失っていて、それではいけないとわかっていながら、動いていなかった。これもまた他人から示された道に変わりはないが、答えを探しにいけるだけで、レトの気の持ちようは随分と違っていた。 アノヴァフは小さく頷いた。 「……では、名前の意味がわかったら、俺のもとへ来い。しばらく拠点に滞在する」 「ああ」 「……」 「……まだなにかあるのか?」 「いや、ない。邪魔をした」 アノヴァフは椅子から立ち上がると、扉から廊下へ出て行った。部屋が静かになって、ぼうっとしかけたレトは、はっと夜食の存在を思い出した。廊下では丸く太ったパンと、野菜のスープが盆の上で冷えかけていた。 せっかく引き上げたのに口に運ぶのもそこそこにして、レトは食卓の椅子に座ってさっそく思案に漬かろうとした──が、すぐに、やめた。この部屋には本の一冊も持ちこんでいなくて、調査には不向きなのだった。 翌日になっても変わらずに巡回の仕事があるので調べ物をする隙はない。どうしたものかと頭の片隅で考えながらも真面目に仕事を終えて、夕刻に宿に戻ってきたレトは、看板の前でばったりと此花隊隊員に出くわした。横をすり抜けていこうとするレトをその隊員が引き止めるので、しぶしぶ従うと、隊員は告げた。 「セブン・ルーカー戦闘部班班長より伝令。任地より引き上げ、拠点へ帰還とのこと」
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.199 )
日時: 2025/12/07 11:43
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第181次元 或る記録の番人Ⅲ 「ハルシオ・カーデン班長から、君を"しばらくの間貸してほしい"と頼まれたよ」 呼び出されて仮拠点に帰還してみれば、書斎にいるセブンが執務机に張りついていて、顔も上げずに彼は、レトヴェールにそう言い渡した。視線だけでなく、心なしか声色も沈んでいるようにレトには聞こえた。レトは黙って、話の続きに耳を傾けた。 「いま取りかかっている研究で動ける次元師が必要だそうだ。それの協力要請でね、たしかに彼はいま次元師の新たな可能性を探っているところらしい。それに彼には先日、警備について指摘を受けてね。意見がもっともだったので、次元師は手が空かないとも言えなかった。まさか最初から君を使うつもりで、あのような指摘をしたのかな。まあいいのだけれど。なぜ君なのかと訊ねてみたら、以前の、次元師増加実験で地下の場所を探し当てた君の思考力に関心を持ったと言っていたよ。ハルシオ班長は、あの支部を留守にして長かったから、地下室の存在を知らなかったらしい」 「はあ」 レトは、丁寧に体裁を整えたものだなと、ハルシオ──本名、アノヴァフに感心を返した。次元の力の研究への協力要請とすれば戦闘部班の班長も耳を貸さざるを得ないだろう。加えて、研究内容を一部打ち明け、警備の指摘をすることでセブンへの説得力を嵩増し、見事に要請を受け取らせている。研究への協力要請とは表向きの、いわば言い訳だ。ハルシオは、レトがロクアンズの名前の意味を調べるための環境を整えてくれたらしい。 おもむろにセブンは立ち上がって、部屋の壁に立ち並ぶ書棚のひとつへ向かう。探している本があるのか、目はうろうろと動いているのに、手元は疎かで、書棚に手を伸ばす素振りはない。あっちへこっちへ移動して忙しないので、レトはそれを目で追いかけながら訊ねた。 「よく引き受けたな」 それにしたってあっさりとしすぎている気がして、不思議だった。するとセブンの指先がぴくりと跳ねて止まった。それから彼は振り返らずに、質問を投げ返した。 「……。"騎盤"というものを、君は知っているかい?」 「騎盤? たしか……二百年以上前からある、卓上で複数の駒を動かして敵陣でもっとも位の高い駒を奪い合う遊戯。貴族たちの間で、娯楽の一つとして流行ってたもんだって、本で読んだことがある。もう正しい遊び方を知っている人間は少ないだろう。だけど、当時製造された騎盤の卓台やら、駒やらは貴族が職人に頼んで作ったものが大半だから、材料から意匠に至るまでかなり高価な代物で、希少価値が高い。いまじゃ貴族たちは、自分の一族がどれだけ金を持っているか、くだらない資産争いのために、騎盤を物差しにすることもあるらしいな」 「ご名答」 くるりとセブンが振り返ると、彼はその手に騎士を模した駒をつまんでいた。それを卓台の上に置かれた、駒を収納する木箱の中にしまって、卓台ごと持ちあげた。革張りの椅子に挟まれた低い机の上に卓台を置くとき、セブンは慎重になっていた。そして重い音が鳴ったので、よほど純度の高い金で作られていることがわかった。さらに側面に掘られた意匠も細かく、職人の腕の良さも一級品だ。木箱からふたたび取り出された駒は木製らしく、白色と黒色の二色があった。駒も、思わず感嘆の声がこぼれてしまいそうなほど形が立派で、削りの仕事がいいのか色むらもない。 「私があまり乗り気でないのを察してか、彼が持ちかけてきたんだ。棚に置いてあったこの騎盤を指して、勝負をして勝てたら君を貸してほしいとね。さすがと言うべきか、彼の記憶力には恐れ入ったよ。私はね、たしかに騎盤の遊び方を父に教わっていたから知っているという話をしたんだよ。けれど、その話をしたのは一度だけだし、十年以上前だ。よく覚えていたよね」 木箱から取り出された駒たちが、盤上に並べられる。片側には白い駒の軍隊がそびえ、もう片側には黒い駒の軍隊が構える。実物を見たのが初めてになるレトは、すっかり夢中になってしまって、並べられた駒をじっくりと交互に見比べている。盤上は、格子状にわずかに削られていて、一つの枠に一つの駒が収まっていた。駒の軍隊の中心には、ひときわ大きくて、美しいドレスを纏ったような形の駒が周囲の駒たちに守られている。 「そいつで、負けたのか」 「ああ。いいところまでいったと思ったら、隙をつかれて……。いいや、正直に白状するよ。最初から負けていたんだ」 悔しさからだったのか、沈んだ声でセブンは言って、勝負の流れを思い出しながら、白色と黒色の駒を順番に動かしていく。白の駒を使っていたのがセブンで、黒の駒を使っていたのがハルシオらしい。 「この遊戯は国に見立てられていて、両陣はそれぞれ一つの女王の駒を持つ。女王の両脇には、屈強な騎士が二人控えている。この二体の騎士は強力で、相手の注意を引きやすいんだ。だからふつう、どちらか一方は囮に使われる。人間の心理では、利き手のほうが動かしやすいからね、もし右利きの人間なら、左の騎士の歩みは疎かになりがちだ。だから途中まで右を泳がせると見せかけて、気づかれぬように主力の右の騎士を包囲し、潰してやる算段だった。しかし……いや、いま思い出してもぞっとするよ。思った通り右の騎士を制圧し、確実に殺せたと思っていた。けれど終盤になって、突然、息を吹き返した」 白い兵たちに囲まれていたはずの黒い騎士が、終盤に差しかかったあたりで、ふいに味方の駒と繋がりだした。詳しくないレトも、その瞬間にはぞっと背筋が凍った。黒い兵と騎士に挟まれた白い兵たちが次から次へと死んでいき、白い女王への道が見えてくる。 「わざと奇襲を受け、死んだように見せかけた、というべきか……。彼は騙しの天才だ。まんまと我が陣の女王陛下の首をかっさらわれてしまった」 白い女王の御前にやってきたのは、はじめ左側に立っていた黒い騎士の駒だった。起死回生を果たした黒い騎士は、派手に動き回ったあと、最後に相棒へと橋渡しをすると、今度こそ本当に白い兵たちに殺されてしまった。しかしもはや問題はなくなっていた。残った左の黒い騎士が、鮮やかに白い女王の首を斬り払った。 ──かのように見えてしまったほど、レトは息を呑んでこの激しい戦況を傍から見守っていた。 セブンが、白い女王の駒を横に倒して、何度目かのため息を吐きながら言った。 「というわけで敗戦国となったので、要求を呑むことにした。研究の成果を期待しているよ」 「……ああ」 「それと」 セブンは執務机に向かうと、机の端から落ちそうになっていた茶封筒を持って、それをレトに差し出してきた。茶封筒はところどころ繊維がはみ出していて、手作りなようだった。 「これは、懐かしい元同胞から君宛に、昨日届いたものだ。君をここへ紹介してくれた、元援助部班警備班のルノス・レヴィンからのね」 ルノスとは、北東の山奥の僻地にあるネゴコランの洞窟を抜けた先、ノーラ村という小さな村で偶然にも再会して以来だ。わざわざ手紙を寄こしてきたのは、単なる文通のためではないだろう。レトは、茶封筒を受け取った。 「手紙にしては分厚いね。そういえば、彼になにか頼み事をしていたのだったかな」 「……」 「失礼いたします」 扉が数回鳴らされて、がちゃりと開けば、その隙間から警備班の班員が顔を出した。班員の男は畏まって入室すると、セブンに礼をして言った。 「セブン班長、出発の準備が整いました」 「わかった。すぐに出るよ」 セブンが片手を上げて返すと、班員はまた礼をして、扉を閉めて出て行った。セブンが執務机の上で手荷物をまとめだす。そして腰掛けにかけられていた外套を取って、袖を通した。 「これからどこかに行くのか」 「ラジオスタンにね。しばらくここを空けるよ。神族【BELEVE】の再臨に備えて緊急対策本部が立てられようとしているんだ。すでに多くの人間が動いている。おそらくハルシオ班長のもとにも、ベルイヴの居場所を突き止めるよう指令が下っているだろう。いまは政会、此花隊、そして諸領地の領主らが共同調査中だけれど……ゆくゆくはどこかが最高司令部に据えられる。どこが責任を持つかで揉めているんだ」 ロクの口から語られた、神族ベルイヴの復活の件はすでに政会にも報告が回っており、諸領地の領主らの耳にも届いている。【NAURE】、【IME】、【CRETA】と立て続けに神族が顕現し、大多数の人間に目撃されている状況下では、ロクの話を無視することができないと判断された。緊急対策本部は、政会、此花隊、諸領主ら、各組織によって早くも結成を目前として、ベルイヴの復活によって起こる事態を各所が想定し、そして最終的にはベルイヴやまだ生存している神族の討伐を目標として掲げている。 関係する組織が複数あるために、一組織を最高司令部とし、総括する必要があった。しかし神族の掃討は国の悲願である。この戦争の責任を持つことは国の英雄となる権利を獲得するのと同義だ。ゆえに、直接口にする者はいないものの、水面下では責任のありかを争っているのである。 「そんなくだらないことで揉めてる場合かよ。戦線に立って命を削るのは権力者じゃない。次元師だ」 「僕も君の意見に賛同だが、これはとても重要なことだ。領主らはともかく、政会に司令部を置くわけにはいかない。彼らが、次元師を奴隷のように扱うのが目に見えている。いかようにして我々此花隊が獲得すべきか、考え中だ。……君の意見を仰いでも?」 「そういうのはあんたか隊長の仕事だ」 「では、君は君のすべきことを」 セブンはそう言うと、外套の裾を翻し、扉から出て行った。 執務室をあとにしたレトは、じっくりと読み物ができる場所を探した。仮拠点内部の部屋はどこも使われているし、街の貸本屋も療養施設と化している。仕方なくレトは、仮拠点まで帰ってきて、裏手に回ってみた。家主のイルバーナ貴婦人らがひっそりとした茶会を楽しんでいたのであろう、豪奢な丸い茶卓と腰かけとを見つけて、卓上に茶封筒を置き、骨組みの細い椅子に腰を下ろした。 傍には立派な木が聳え立っていたので、木漏れ日が、ちらほらとレトの前髪に落ちた。 茶封筒の中には、ぎっしりと紙が詰まっていた。どれも文字で埋め尽くされている。意外にもルノスは字が綺麗で、見るたびに驚いてしまうほどだが、コルドと同僚だった時期に教えてもらったのだと、村で過ごしたあの夜に、嬉しそうに語っていた。 紙は重ねられて、それが束になって折りたたまれていたので、茶封筒から取り出して広げればすぐに前文が目に入った。 『天才師匠の弟子レトヴェール、ロクアンズへ。よう、元気に過ごしているか? 俺は真面目に村の警備をして、鹿を捕まえて、木の実の蜜漬けを村人に振る舞って、いい気分で過ごしている。でも、あれだな。村の若い女の子たちは立派に貞淑で声をかけるのもおっかない。手紙を出しに外へ出るついでに、そろそろ女の子と遊ぼうと思う』 「まさか、単なる文通じゃないだろうな」 紙面に入れた突っこみは墨の黒い文字に吸いこまれる。 じとっとした視線を紙面に這わせていると、やがてレトは、ある一文に辿り着いてはっと目を瞬いた。 『ナダマン・マリーンの手記の大部分が解読できた。これより下に、その内容を書き記す』 ノーラ村に辿り着いたレトとロクが、そこで偶然再会したルノスに託したのは、元研究部班調査班にして故人ナダマン・マリーンの最期の調査記録とも呼べる──、一冊の手記だった。 "神族は呪いを解かれると、心臓を得る"と、ルノスは最初に翻訳してみせた。 そこからさらに解読を進めて、"なにか"が明らかになったのだ。だから手紙を寄こしてきた。レトは、喉を鳴らしてから、紙面に注ぐ視線を下へと滑らせた。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.200 )
日時: 2025/12/13 20:57
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第182次元 或る記録の番人Ⅳ 紙面上の師ルノスは、真面目な語り口で切り出した。 "ニカにも手伝ってもらいながらおおまかな内容を翻訳をした。だから、ほぼ間違いはないだろう。 結論から言うと、ナダマンはノーラに呪いをかけられていた。そして、呪いを解くことで、ノーラに心臓を与えた。" ニカは生まれも育ちもノーラ村で、一度も村を出たことのない少女だが、彼女は現代のメルギースの言語にも理解があった。だから、ノーラ村の言語で書かれたナダマンの手記をより細かく読み解いて翻訳をするのなら、彼女の協力が必要だった。 レトヴェールはゆっくりと紙をめくりながら、前のめりになって読み進めた。 "まずナダマンは、ツォーケン家が所有する大図書館で偶然、秘密の通路を見つけて、奥へと進んだ。 それから最奥の部屋、巨大な金庫の中で神族【NAURE】と遭遇。" "ナダマンは、ノーラ村出身の、ノーラ神の信仰者だった。戦闘はせず、対話がしたいと申し出たらしい。 驚くことに、ノーラはそれを許した。その代わりに、ある条件を出した。この金庫から出ないことだ。 ノーラは、ナダマンに"光を浴びれば命を落とす呪い"をかけたんだ。 そしてノーラは続けた。"我がかけた呪いを解いてみろ。さすれば、そなたに恩恵を授ける"──と。 信仰する神から恩恵を授けてもらえると喜んだナダマンは、彼の両腕に浮かんだ呪いの文様を快く受け入れた。そして一人と一神の、奇妙な地下生活が始まったわけだ。" "呪いを解く方法を考える傍らで、ナダマンはノーラといくつも会話を交わした。たとえばナダマンは、二百年前にノーラ村が誕生した経緯を語った。ネゴコランの洞窟の先にあるあの村は、もとは痩せこけた土地にあった。高い山々が周囲にそびえ立ち、渇いた風ばかりが吹きこんでくるために、山を越えようとする若者が絶えなかった。憐れんだノーラが一夜にして山を切り拓いて、雨水を呼んだといわれている。食物は育ち、しだいに動物も棲み始めて、ノーラ村の祖先たちは涙を流して喜んだが、真実は謎のままだった。切り拓かれた山肌から、巨大な鳥の爪痕のようなものが発見されてようやく、神の御業だとわかった。村人たちは、この国で古くから伝わる天地の神の名を知っていたから、情けをかけてくれたノーラに感謝の気持ちを込めて、この土地を"ノーラ村"と呼ぶことにした。" "村の誕生の話に対して、ノーラはこのように答えた。「そなたらを憐れんだつもりはない。その折、生命の神が山々に生きる命をいたずらに弄んでいた。生物は互いに影響し合って生きているのに、そこへ手を加えようとしていた。だから、ひとつの山にて、自然と命の均衡が崩れてしまった。結果、死に絶える生命が後を絶たなかったので、切って取り上げてやった。母なる神よりお叱りを受けたのか、生命の神はそのような遊びには興じなくなかった。山を切り拓き、川が通ずると、土地はみずみずしく若返る。我はそなたらになにかを施してやったのではない。もしこれを神からの施しだと受け取るのなら、そなたらが土地を愛し、離れず、そこで生きた喜びが、大地からの恩恵として姿を変えてそなたらに帰ってきたまでのこと」。ほかにもノーラは、大地の理や、神としての矜持など、さまざまな質問にすべて丁寧に答えていた。ただ、二百年前に、神族がどうして人間を襲いはじめたのか、その質問には明確な答えを返さなかった。気になるのは、ノーラが返した言葉の中でも、この一文だ。「歴史を知らぬだけならば、知ろうとすることだ。だが、もし歴史が目に見えないのなら、そなたらの目から隠そうとするのは誰か」──これは、どういう意味だと思う? ノーラが、人間に対して友好的な神族なのは、これまでの会話からも十分にわかる。はぐらかしたり、意地悪を言っているわけじゃないとしたら、ノーラは試そうとしているのかもしれない。俺たち人間を。まあ、俺の考えはひとまず置いておこう。" "ナダマンとノーラの対話は、五日に亘った。ナダマンは隊から支給されるあの粉を固く練りこんだお世辞にもおいしくはない携帯食料で食いつないでいた。しかし、そろそろ外に出て、食料を調達しなければならなかった。六日目のことだ。ナダマンは、ついに呪いを解く方法を思いついた。" "彼は影を操る、『影皇えいこう 』という次元の力の持ち主だ。そして、影そのものになることもできた。次元技"影装えいそう "は、彼の身体に影をまとわりつかせる。暗闇に身を隠すことをもっとも得意とする次元技だ。それに鍛錬を積んでいた彼は、影と一体化し、影そのものにもなれたんだ。手持ちの角灯に近づけなかった彼だが、影となって床の上を泳ぎ、ついに角灯の光の前に躍り出た。影は、光を遮ることで生まれるものだ。しかし影──ナダマン──は、光の有無に関係なく存在できる、矛盾した現象だった。だから常に光を浴びていない状態でいられる。つまり彼は、光を浴びても消えなかった!" "そのときだった。ノーラの呻き声がして、ナダマンは驚いて人間の姿に戻った。そのときには、ナダマンの両腕からは呪いの文様が消えていた。"光を浴びると命を落とす呪い"と、"光を浴びていないことにできる影"が、このとき矛盾を生んだんだと。矛盾があれば事象は成立しない。つまり、呪いが成立しなかったんだ。" "ノーラは、真っ赤に濡れた十字の目をぎらぎらと煮えさせて、ナダマンに告げた。" 「我はいま、母なる神ヘデンエーラより心臓を与えられた。人間に下す絶対の啓示が、人間によって否定されることで、母より不信とみなされたのである。いますぐにでも人間の手で我を葬ることができる」 "そして、ナダマンに指示をした。この事実を手記に記すようにと。──人が神を葬る、その唯一の方法をだ。" "ナダマンは、ノーラの指示に従い、この手記に事実を記した。だけど、信仰する神族の命を脅かしてしまった自責の念からか、これより以降は、ノーラと故郷に対する懺悔の言葉をひたすらに書き連ねている。もう陽の光を浴びられるようになったのだから、外に出て行けばいいのに、しなかった。祖先を救い、対話を許してくれた神に対し、なんたる不敬を働いてしまったのか。水の一滴さえ喉を通らないとか、生きる意味はないとか、お傍を離れることができないとか、もう気がおかしくなっていた。ノーラからは、金庫から出て行けと再三言い渡されていたようだが、拒否をし続けたんだろう。ナダマンは、敬愛すべき神の傍で命を絶つことを選んだ。餓死だった。" レトは、いつの間にか紙の端を強く握っていた。そして、ナダマンの死因を知ったあたりで、顔を上げた。 (神族に心臓を与える方法。つまり呪いの解き方は──"呪いを成立させないこと"……!) ナダマンは、呪いを解くためにあらゆる実験をしただろう。たとえば腕に刻まれた文様を消すために皮膚を削ったり、文様が言語になっていて読み解けるのではないかと模索したりしたはずだ。あるいはノーラとの対話の中で、手がかりを探そうとしたかもしれない。しかし上手くいかなかった。そしてついには、神族が人間に与える呪いに矛盾を与え、その呪いの内容が成立しないようにすればよいのではないかと、おそらく仮説を立てたのだ。この考えに至るまでが異様に早いのは、彼も研究者だったからに違いない。そして一度きりの実験の末に、解呪方法が実証された。神族の呪いの秘密が暴かれたのだ。 ともすれば、レトがデスニーから与えられた呪いも、同様の理屈で解くことができるかもしれない。上手くいけばデスニーに心臓を与えられる。デスニーはレトに、"五年の月日の果てに命を落とす呪い"をかけた。五年をかけて徐々に肉体が衰弱し、ついには心臓が止まる呪いだ。 レトは、椅子の背にもたれかかって、すばやく思考を巡らせた。 (呪いをかけられたのは四年前の十二月二十四日。つまりは、来年の二十四日に、命を落とす。──身体の衰弱を起点として進行する呪いなら……なんらかの方法で衰弱を遅らせて、一日でも長く心臓を動かせば俺の勝ちだ。だけど……) とんとん、と紙面を叩いていたレトの指先が、このとき止まった。 (……──待てよ。呪いを解く方法は……成立させないこと?) 身体の奥深いところから、心臓の音が波打ちだす。しだいに大きくなっていき、レトの思考の世界を埋め尽くす。 エアリス・エポール──レトの母親である彼女は、デスニーの呪いにかかっていて、来たる日に死亡した。しかしデスニーがあの日、奇妙なことを言っていたのを、レトは唐突に思い出した。 もし、"あの言葉が嘘ではない"としたら──。 乱暴に立ち上がったレトの足元で椅子が倒れた。白い卓上でぐしゃりと手紙が握り潰し、彼は飛び出していた。 息を切らして屋敷の表に回ってきたレトは、そこで偶然にも、いまもっとも会いたかった人物と遭遇した。 「キールア……!」 屋敷の中へ入っていこうとするキールアはきょとんとして、裏庭から走ってくるレトを見た。そして、切羽詰まった表情をしている彼を不思議に思い、その場で立ち止まると、いきなり彼に両肩を掴まれてびっくりした。 「きゃっ」 「キールア、以前お前に渡した、黒い粉の正体はわかったか?」 肩を掴まれた拍子に、腕に抱えていた木の実の入った籠を落とす。赤くて丸い木の実がこぼれて、ごろごろと転がっていった。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.201 )
日時: 2025/12/14 20:20
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第183次元 或る記録の番人Ⅴ 表門の前で荷馬車を停めた調査班班員は、屋敷の外壁の影の下でレトヴェールとキールアがなにやら話しこんでいるのを目にした。遠目に眺めていると、ちょうど門から出てきたほかの班の副班長に見つかって注意を受けた。班員はびくりと肩を震わせ、慌てて頭を下げた。 「す、すみません」 「第三班の班員か。ハルシオ・カーデン班長が帰還されているのだ。気を引き締めて行動をするように」 こくこくと利口に頷いてみせたが、調査班班員は、心の中ではやんわりと意義を唱えたくなっていた。研究部班の班長でありながらあまりにも表に出てこない──何年も遠征に出ていて支部に帰還すらしない。噂によると班長会議も欠席の常習犯だという──せいで、班の長としての存在感がまるでなかった。数日前に突然、カナラの仮拠点に訪れた彼に招集をかけられたので慌てて駆けつけたが、時間に遅れても苦言ひとつなかったのだ。存在感の大きさでいえば、開発班前副班長のケイシィのほうがよほどあっただろう。気を引き締めようにもどことなく締めきれなかった。 しかし、そんな畏れ多いことは口にせず、班員は荷物を下ろしながら話題を変えた。 「ところで……班長は、こんなにも長い間、どこへ遠征に行っていたんでしょうか?」 調査班副班長の男は、大きめのため息をついてから、黙って荷下ろしを手伝いはじめた。 「直近ではウーヴァンニーフ領の、ジンバルという町に滞在していたと定期連絡が来ていた。二十日ほどで移動されるので、どこへというよりかは、メルギース国の各地へ出向かれていたものと思われる。調査対象の一つには、元魔の発生の法則性が含まれていたと聞くが……神族クレッタが生み出していたとわかったいまとなっては、班長のご足労も無駄になってしまったな」 「各地へ? へえ……。それじゃあいまは、神族ベルイヴの居場所の特定に専念されているのでしょうか。頼まれたものは、その調査に使うのかな」 「頼まれたもの?」 班員の男が、荷物の包みを見下ろしたので、副班長の男もそれにつられた。顔を上げれば、荷馬車の中は似たような荷物で山積みになっていた。 「ずいぶんと多いな。なんだ、これは?」 「大図書館から拝借してきました。年代が、およそ二百年くらい前の、古い文献ばかりです。内容は問わず、とにかく集めてほしいと、班長に頼まれて……」 ウーヴァンニーフ領は遠くて大変でした、これで十分だと言ってくれるでしょうか、と大げさなため息にまじえて班員の男がぶつぶつと言っている横で、副班長の男は大量の積み荷を見上げていた。 此花隊の研究部班の班員を名乗る者が訪れてから数日後に、またその隊員がやってきたかと思えば顔なじみのレトだったので、ツォーケン伯爵家の使用人の女はバスランドの弟夫妻に話を通して、快く彼を大図書館へと迎え入れた。バスランドは、北のラジオスタンに召喚されているため不在だった。 聳え立つうず高い本棚の麓には、至るところに小さな卓と椅子がぽつぽつと置かれるようになっていて、小洒落た雰囲気があった。レトはできるだけ広い卓を見つけ、そこで何冊も本を広げながら頭を悩ませていた。 そこへ、使用人の女が紅茶を盆に乗せてやってきて、レトに声をかけた。 「いかがですか? レトヴェールさん。調べ物のためにいらしてくださったのですよね」 レトは、卓についていた肘を引いて、顔を上げた。それから首を横に振る。使用人は、眉を八の字にした。 「本当に、申し訳ありません。つい先日、此花隊の調査班さん? がいらっしゃって、古い文献を端から端まで、持って行かれてしまったのです。ですので、その調査班さんを尋ねていただければと……」 「いや、大丈夫だ。残っている本もあるし、ここへ来たのは……半分は、静かな場所で思考を整理するためだ」 レトはふたたび、広げた本の紙面に視線を落とした。読んでいるのは図録だったり、手書きの教本であったり、はたまた創世神話の複写本だったりした。 まず、"ロクアンズ"と読めそうな言葉や用例をひたすらに探している。しかしこれといって見つからない。ロクアンズ、という文字でひとまとまりになっていないのではないかと思い、ロクとアンズに分けてみたり、バラバラにして組み替えたりしてみたその形跡が、真っ白だった紙面に書き殴られているが、どれもピンとこない。 レトは机に広げた本をどかして、その下敷きになっていたルノスの手紙を持ちあげた。目に入ってきたのは、ナダマンの手記の解読を終えたルノスが最後に書き綴った締めくくりの言葉だった。 "俺には、ここまでが限界だ。細かい会話も拾いたかったけど諦める。これ以上は時間がかかりすぎるからな。" "すごいだろ? レトヴェールのおかげだ。そういえば、ノーラ村の言葉は、古語と共通するところもあったよ。たとえば自分を指す言葉は【E】で、これは古語とおなじだ。手記にも何度も出てきた。この村に来たあの日の夜に、簡単な言葉をレトがいくつか教えてくれたよな。まさかと思ってニカに訊いてみたら、予想は当たってた。発音は"エィ"だった。すこし使い方が変わると音が短くなったりもするらしいぞ。このへんは、現代語もおなじか。" 古語で書かれた文章の意味がわかっても、音の響きを知らないレトは、自分を指す【E】が"エィ"と発音することすら知らなかった。母が教えてくれたのは日常的に使いそうな単語の意味と、文法の解き方ばかりだったのだ。そもそも古語に目をつけているのには理由が二つあって、一つは、母が古語の読み書きが巧みで、交際する前から父と文通をしているほどそれが好きだからだ。二つ目は、自分の名前の由来も、古語だからだ。といっても単語ではなく、人名だ。"レトヴェール"は、母が昔に語ってくれた建国史に出てくる、初代国王の"レイヴィエルフ"と音の響きが似ているのだ。おそらく偉大な王の名前を拝借したのだろう。 だからこれをきっかけに、もう一度、一から学習してみようとした。しかし本では限界があった。紙は音の記録まではしないからだ。音を記録して保存しておく便利な道具はないし、それが作れるならとっくに作っている。レトはまた手紙に意識を吸いこまれてしまった。ルノスの手紙の最後の一文だけは、二度も読みたくなかったのに、つい視線がそれをなぞってしまった。 "さて、そろそろ筆を置くよ。二人とも仲良くな。いや、俺が心配しなくてもお前たちは勝手に仲が良いか。それじゃあ、無茶はほどほどに。また会おう。" "ルノス・レヴィン" ルノスが住んでいるノーラ村というところは、俗世の情報がまったく入ってこないような辺境の土地だった。だから言語も暮らしも発達しておらず、建築様式は二百年前のままだった。彼には、ノーラの死亡は伝えたが、そのあとにクレッタやアイムが現れたことも、エントリアが崩壊したことも、そしてロクアンズがハルエールという名前の神族だったこともなにも知らないはずだ。返事の手紙を書くついでに、こっそり伝えるつもりだった。 レトは手紙を重ねて折りたたんで、茶封筒の中にしまい直した。 (古語の音の響きを、探す方法は……) ノーラ村の言語も古語に似ているそうなので、念のため"ロクアンズ"に似ている言葉があるかどうかも、ルノスに訊いてみるといいかもしれない。そう考えていると、盆を胸に抱えた使用人が、卓上に転がった筆の先を眺めていた。 「どうしてそんなに、ロクアンズさんのお名前を?」 「ああ、これは。ちょっと」 調べ物に関わりがありそうで、と返したときには、彼女は考え事をしているかのように視線を宙に置いていた。それから首を傾げて言った。 「……そういえば、ロクアンズってお名前、この間見たあれに似ているなあ……」 「え? なにに」 レトは目をぱちぱちと瞬いて、彼女の顔を仰いだ。彼女は、首をこてんと左右に揺らし、指先でおでこをつつきながら続けた。 「たしか……村の名前? あれ、遊牧民族の呼び名だったのかな……。ともかく、ログアースって名で呼ばれている農村が、北西にあるそうですよ。先日貸し出しをした本の中の一冊が、ある旅行好きの貴族の旅行記で、ふと内容を思い出しました。その本は、翻訳版なのですが。なかなか面白いので、レトヴェールさんもぜひ……あ、申し訳ありません。貸し出し中なので、返ってきたあとにでも」 使用人は恥ずかしそうにはにかんだ。レトは、あらかた調べたつもりでいたが、"ログアース"なんて農村は聞いたことがなかった。おもむろに椅子から立ち上がって、レトは卓上の本を重ねては隅によける。そして分厚い図録に挟まっていた一枚の大判の古紙を両手で広げた。メルギース国の古い地図だった。 (ない。北西にそんな名前の村や町は……) 「どこだ、その農村があるのは。場所は覚えてるか?」 地図を使用人に見せれば、彼女が指先で示した。そこは、トンターバとウーヴァンニーフに挟まれたちょうど中央の地点をまっすぐ北へ向かった先。高い山々に囲まれた、国で一番の降雪地帯だった。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.202 )
日時: 2025/12/31 22:00
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第184次元 或る記録の番人Ⅵ 故郷で降る雪は、こんなにも容赦のないものじゃなかった。横殴りの吹雪が耳の横でばたばたと鳴っていて、目は常に半分しか開けられなかった。制作班に急いであつらえてもらった厚い帽子と外套はとくに重さがあって、足取りも悪かったが、この重さのおかげで極寒に耐えられているのでかえって立ち止まらずに済んでいた。 地図でいうとどのあたりを歩いているのかも、もう定かではない。空もずっと曇天で方角があいまいだ。ひとまずレトヴェールは、まだ体力のあるうちに、吹雪をしのげそうな屋根のある場所を探していた。足首をきつめに縛った厚底の靴であちこちを歩き回って、彼はようやく、崖下に洞窟を見つけた。 なだれこむようにして洞窟の中へと避難する。もうへとへとで、お腹が空いているのにしばらくじっと座りこんでいた。 荷物になっても山の麓で食料を買い足しておいて正解だった。隊から支給される携帯食料はもう底を尽いてしまって、このときばかりは、義妹のロクアンズとあちこち旅をした経験が生きた。あたしと一緒にいたおかげだね、なんてにやついた声が聞こえてきそうだったが、聞こえてくるのは暗闇の中でぱちぱちと爆ぜる火の粉の音だけだった。 腹を満たしてすぐに、気絶するように眠りについた。 目を覚ますと、あんなに吹き荒れていた吹雪はすっかり止んでいて、透明な雪風の冷たさに揺り起こされる。 洞窟の外には、昨夜はなかった美しい銀世界が広がっていた。こんもりと積もる雪の小山や、枯れ枝にのしかかった厚い雪雲から、小動物が顔を出してはひっこめている。 はー、と長めに吐いた白い息が、目の前で立ち消える。レトは荷物をまとめて、洞窟を出た。 「"ログアース"……」 人が削ったような木の看板が、雪を被って埋もれていたので引き上げてみれば、濡れた表面には"ログアース"と現代語で書かれていた。顔をあげてみると、ただ白い平野が視界に飛びこんできて、蔵みたいな木造の家と家畜小屋、雪の覆い被さった畑が見えていた。 そのとき、遠くから小走りでやってくる人影があった。人影は、大きく弧を描くように手を振りながらこちらへ駆け寄ってくる。 「おーい。看板はそっちにあったか? 昨夜の雪はまったく、酷かったなあ。……ん?」 背が高く肩ががっしりとしていたので大の大人かと思えば、声からして年若い青年だった。彼は、ぼろぼろだが立派な防寒具をしっかりとまとっていた。レトの顔をはっきりと認識すると、ぴんと伸ばしていた肘を曲げていって、足を止める。それからわかりやすく首を傾げた。 「ありゃあ、あんた、キレイな顔した旅人さんだな。東の都から来たのか? って、ああ! その手に持ってるのは……看板! あんたが見つけてくれたんだな、ありがとう」 青年は目深に被った帽子をとる。茶系でぼさぼさの前髪の下で、細い目をいっぱいに輝かせて、彼はにこにこと笑った。拍子抜けするほどに朗らかで人懐こく、ついでに言葉の訛りが強かった。格式高い居住区と貴族の別荘が余るほどあると名高いウーヴァンニーフ領にはまだこれほど田舎じみた生活が残っていたのだ。しかしベルク村やノーラ村を見てきたレトは特別に驚いたりしなかった。 青年が看板を探していたとわかったので、レトはそれを返した。すると彼は、ついでにかレトの顔を物珍しそうにじろじろと見つめて訊ねてきた。 「ここへは観光? なわけは、ないか。あはは。学者さん?」 「まあ、そんなところだ」 「大変だなあ。都から来たんなら、ここへ来るまですごく寒かったろう。村の看板を見つけてくれた礼もあるし、なにか温まるものをご馳走するよ」 青年は看板を柵の近くに立たせ直して、雪かきを終えたばかりでぬかるんだ地面の上を大股で歩いていった。とんとん拍子に事が運んで、レトは、青年の案内のもと村に迎え入れられた。 青年の家に向かいがてら話を聞けば──正確には青年が勝手に話しはじめたのだが──青年は、トグウクといって、村の自警団に入っている若者の一人だった。あたりを見渡せば雪かきをしている男たちが何人もいて、昨夜の猛吹雪の成れの果てに手を焼いていた。 朝早くから取りかかっているのに一向に終わりが見えてこないので、ぶつくさ文句をたれはじめた二人組の男が、トグウクを見かけて振り返った。一人は腰の曲がった老人で、一人はそれよりは若い大柄な男だった。彼らはトグウクが見知らぬ人物を連れているので、驚いて作業の手を止め、声をかけてきた。 「ようトグウク。なんだなんだ、えらいべっぴんさん連れて、どうした?」 「まさか都で捕まえてきたんか! そろそろ嫁さん迎えねえといけないもんなあ。やるじゃねえの!」 「よせよ、ちがう。この人は、さっき初めて会った、学者さんだ」 トグウクは赤い鼻からさらに頬まで赤くして、手をぶんぶんと振り乱した。 行く先々で性別を間違えられるレトは、いよいよ否定するのも疲れてきており、トグウクの影に隠れてため息をこぼした。 到着するまでの短い間に、レトは何人の村人がここで暮らしているだとか、どんな果物が成っていて生で齧るならどれがおすすめだかとか、ついには番犬や牧羊犬の名前と性格にまで詳しくなってしまった。 村人たちの暮らしは想像していたよりも立派だ。建てられた家はどこも木造で、少なくとも外観の作りはどこも変わらなかった。壁の一箇所に四角い穴が開いていて、細い木材を円柱の形に丁寧に削ったものが等間隔で挟まっている。外壁側では木の板が上下に動くので、あれは窓だろうとレトは思った。 家に招き入れられたまま玄関で突っ立っているレトに、トグウクは詫びを入れた。彼は分厚い外套の大きな留め具を外して脱ぐと、椅子の背もたれに被せた。 「悪いな、旅人さん。ぼろっちいもんでさ。それに、女の子なのに……」 「心配しなくていい。俺は男だから」 「ええっ!」 反応が予想できていたレトは、トグウクのわかりやすい大声を浴びてもすんとして、自身も外套を脱ぐ。トグウクは目を白黒させ、口をあんぐりと開けたままにして、レトの頭のてっぺんから足先まで観察した。 「わ、悪いこと言ったなあ。ごめんよ!」 「慣れてるから問題ない」 「いや〜、こんなにキレイな男がいるんだなあ……」 しげしげと眺めるのも悪いと思って、トグウクはわざとらしくレトをまっすぐに見つめ、室内にある食卓を指した。 「ああ、そんなことより、食卓の向かいの椅子にでも座っていてくれ。温かいものを作るから。……そうだ、聞いてなかった。あんた、名前はなんていうんだ?」 「……レト」 「レトかあ。都人って感じだ。うんうん。かっこいい名前だなあ」 一通り感心したあとで、トグウクは炊事場に入っていった。一刻も早く話を聞きたかったが、料理の支度の最中に長話をするのは気が引けたので、レトは大人しく待つことにした。 炊事場の戸口からは、台所の隅にある籠の中で一生懸命に野菜を吟味しているトグウクの姿が垣間見えていた。 独特な香辛料の匂いがしてきてややもすれば、トグウクが野菜の吸い物から食事を運んでくる。塩味のきいていそうな色とりどりの漬物の小鉢に、小麦を炊いてから焼いて焦げ目をつけた焼き物の山、近場で採れる山菜の揚げ物もあって、見た目は簡素だが手がこんでいそうだった。 「汁もんだけのつもりだったんだけど、作っていたらお腹が空いてきて。けっこう待たせたろう」 「構わない。腹が空いていたから、助かるよ。それにしても手がこんでるな」 「そうか? この村じゃあ、ふつうのことだよ。都に出たって帰ってくるやつもいないからさ、目新しいものなんか入ってきやしないし」 最後に温かい茶を淹れて、それを食卓に添えるとようやくトグウクが向かいの椅子に腰を下ろした。 互いに匙を手に取り、早めの夕餉をつつきだしたところで、レトは本題を切り出した。 「トグウク、この村について知ってることを教えてほしいんだ」 「ん? ああ、そうだな。あんた、調べもんにきたんだったなあ」 トグウクが大口で山菜の揚げ物にかぶりついたところだった。口の中でさくさくといい音をさせて、彼は舌の上で味わいながら言った。 「この村は、ログアース村ってんだ。じいさんばあさんがうるさいから、よく聞かされたんだけど、なんていったかなあ。ああそうだ、たぶん二百年くらい前の……まだこの国に王様がいたとき、エインドラっていう女王様がいた。エインドラ女王は、お小さいときに政争? に巻きこまれて、ここで育ったんだと」 (……ここが、エインドラ女王の故郷……) エインドラといえば、メルギース王国最後の女王として有名なエオトーナの祖父の、姉にあたる人物だ。エインドラはちょうど二百年前の神族襲来の時期に女王として君臨している。メルギース国は、南北分断よりも以前から女の主権を認めていた国として、世界から見ても珍しかった。たとえ幼い娘子だったとしても、王族なら命を狙われる可能性は十分にある。レトは一人で納得しながら、トグウクの話の続きに耳を傾けていた。 「有名な話は、それくらいかな。女王が大きくなって城に呼ばれて帰っちゃって、それから、この村はずっとこのまんまだ。暖かくなりゃあ作物を植えて、動物たちを陽の下に出してやって、のどかに暮らして、そんで寒い空気がやってくる前に冬支度をする。タイクツだって言って、都に出ていくやつもいるけど、オレはこの村にいる友人たちも、動物たちもみんな好きでな」 「女王が暮らしていた村なのに、地図にこの村が載ってなかった。よほど来訪者がいないのか?」 「そうなのか! ははっ。ここ、田舎だもんよ。載ってなくたって、おかしくねえや」 トグウクは、どっと大きめに口を開けて笑った。 山積みになっていた焼き物がもう半分くらいの量になっているが、トグウクの手が止まることはなく、ばくばくと気持ちいいくらいの食べっぷりを披露している。逆に、レトはすっかり手元がおろそかで、もうそろそろ匙が卓とくっつきそうなのにまた口のほうを動かした。 「じゃあ、"ログアース"ってのは、どういう意味の言葉なんだ?」 「さあ? 聞いたことないなあ」 「古語なのか?」 「さ、さあ……。オレが生まれる前から、ログアース村だ。そんなに名前が気になるのか? 変わった学者さんもいるもんだな」 やっと焼き物を食べすぎたことに気がついて、トグウクは心底まずったという顔をして、必死に謝っていた。しかしレトは、情報の収穫のなさを顧みていて、心ここにあらずだった。そのあともいろいろな質問を投げかけてみたが、ログアースという村の名前に関して手ごたえはなかった。せっかく温かいものを作ってくれたのに、ちゃんと手をつけはじめた頃には冷めかけてしまっていて、レトはすこし申し訳ない気持ちになった。 ご馳走になった礼を告げてから、レトはまた外套を羽織り直した。陽が落ちるにはまだ時間があったので、村の中を見て回ったり、ほかの村人たちとも話がしてみたかった。そう言えば、トグウクは案内を買って出てくれた。 しかし、村人を見かけては捕まえて、村の名前の由来について訊ねて回ったが、若者はもちろん老人たちからも首を傾げられるばかりだった。経緯は知らない。遠い遠い昔から呼ばれている。昔この土地に住み着いた遊牧民族がつけたのかもしれない。旅の途中の吟遊詩人が語った歌だった。でたらめにそれらしく歌いだして、周囲にいた村人たちはどっと笑った。下手なもんだとトグウクに指を差されている歌い手の影に隠れて、レトは一人、難しい顔をしていた。 ("ロクアンズ"と"ログアース"は、ただ似ているだけだったのか……。別の可能性も並行して考えておかないと。ただ、決めつけるのはまだ早い。明日は村の近辺を探索する) 最後に、薪を腕に抱えて足りなくなった家に回っている男を引き留めた。その傍らで、トグウクが空を仰いでいた。 収穫なしとわかって男を解放すると、レトは首を横に振って合図を送った。 トグウクは笑って言った。 「一段と冷えてきたな。もう暮れてきたし、帰って寝支度をしよう。おつかれさん!」 「付き合わせて悪かったな」 「いいよ! あんまり力になれそうになくて、ごめんなあ。そうだ、寝るところだけど、うちじゃあ狭いしくさいだろう。客人用の小屋があるから、そっちに案内するよ」 トグウクのあとについていけば、そのうちに完全に陽が落ちてしまって、あたりはしっとりとした暗闇に包みこまれた。街灯などは立っていないので、もしもトグウクのように手持ちの燭台と蝋燭を持ち歩いていなければ、道がわからなくなってしまうだろう。 案内された客人用の小屋は、ほかの家々とほぼ変わらない広さで、室内には簡易的だが食卓や棚、寝台まであつらえてあった。食卓の上にはいくつかの果物が入った籠まで用意されていて、早めに夕餉をとってしまったレトの夜食にするにはちょうどよかった。 「果物は喉が渇いたときにでも食べてくれ。それじゃあ、レト。ゆっくり休んでくれよ」 トグウクが扉の隙間から小さく手を振って、やがてぱたんと扉が閉じる。昼間の賑やかさとは打って変わって、途端に静寂が押し寄せてきた。 客人用の部屋なので当然ともいえるが生活の匂いはしなかった。最近建てられたと言われたら納得するだろう。 レトは、すんすんと鼻を立てた。 重い外套を脱いで、それと荷物を部屋の隅に固めて置いた。疲れがたまっているレトは寝台に吸い寄せられて、そのまま倒れこむようにして毛布の海に沈んだ。 顔を上げれば、壁の一部を真四角に切り取ってはめられた小窓が、隙間風を遮るために閉じていた。 ──異変が起きたのは、夜も更けて、いっそう厳しい冷風が吹いてきた頃だった。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.203 )
日時: 2025/12/28 20:58
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第185次元 或る記録の番人Ⅶ 違和感が鼻について、レトヴェールは素早く上体を起こした。起き抜けの眠気に弱い彼がはっきりと覚醒できたのは、違和感のもとである異臭が、危険を孕んでいるとわかったからだった。異臭はすでに、部屋の隅々にまで行き渡ろうとしている。視界は白く煙りはじめていた。 目を細め、冷静になってあたりを観察し、そして頭上を仰いでみれば、小窓にぴったりはまっている縦格子の根元に紐が括りつけられ、見覚えのない角灯がいくつも吊り下がっていた。どれも、蝋燭を立てておくべきところに木片を収めている。さらに角灯の硝子にはわざと開けたような隙間があり、そこから煙が泳ぎ出ていた。 寝る前には、あんなものは吊り下がっていなかった。 (有毒木) それもかなり毒性が強い種だ──レトは息を止めた。そして、すっくと立ちあがって小窓に手をかけた。木の縦格子はびくともしない。窓は外壁側についていて、部屋の中からは開けられない造りをしていた。諦めて寝台から飛び降りると今度は、出入口の扉に肩からぶつかった。その拍子に掴んだ扉の取っ手は、ひねれなかった。外から鍵がかけられている。隙間風を凌ぐためか扉は分厚く、力任せには破れなさそうだった。 窓の戸は外壁側にある。扉は鍵がかかっている。悠長に考えていれば息のほうがもたなくなってくるだろう。 レトは外套をまず羽織った。そして、村の大工が建てただろう立派な家屋だったのに忍びないが、命の危機と天秤にかけてレトは、"意思"を固めた。 虚空の扉を開く音が、レトにだけ聞こえる。 「次元の扉発動。『双斬そうざん 』──四元解錠、"交輪斬まじわぎ り"!」 なにもない空間から飛び出した双剣の柄をすかさずに逆手で捕まえる。と、ほぼ同時に刀身を重ね、切っ先で円を描くように空を斬り払った。すると強い突風が室内で起こった。充満する煙、机や棚や寝台、毒を吐く角灯、手をつけていない夜食の果実──それらをいっしょくたに巻きあげた風が、天井を衝いた。 天井の木板が風に殴打されて剥がれる。それはまんまと弾けて、夜空に跳んだ。小屋はぐらぐらと横に揺れだす。やがて支えの柱が風の勢いに負けて折れてしまうと、壁が外に向かって押し出され、弾けた。 飛び散る木板の幕間から白い雪景色が見えたのは、家の外で、口を縦に開けて棒立ちをしていたトグウクや村人たちが、手に角灯を持っていたからだった。 雪風がいっそう強く吹き荒れる。 トグウクは、レトと目が合って、そして彼が見知らぬ双剣を握っているのと、ついいましがた目の当たりにした強い突風を思い返して言った。 「び、びっくりだ。あんた、あの……奇跡の術を使う人間、だったのか……!」 「そんな学者がいるんじゃ、もうかないっこない」 トグウクの横で震えている小柄な老人が、呟くように言った。 レトは、真っ白な息を吐ききらないうちに、まだ目を大きくしているトグウクを見つめて、訊ねた。 「説明してくれるんだろうな。これは、どういうことだ」 「……。なんでわかった? 警戒していなけりゃ、ぐっすり寝ていたはずだろう。オレたちは、あんたがちゃんと寝ただろうと思って来て、仕掛けて、窓や戸を締めたばかりだった。それなのに、終えたら、扉からどんと音がして、そいでいきなり、大きな風が吹いた!」 訊きたいのはこちらだとでも言いたげだった。彼の目は、不安と驚きの間をとったような色をして、ちかちか揺れていた。 レトが目を覚ましたのが、想定していたよりもかなり早かったので動揺しているのだろう。仕掛けられたあの有毒木──名前はツギイという──は、毒性は強いが臭気が強くないやっかいな植物なので、あの小屋でいえば室内に充満する頃にようやく気がつく。だから、寝入っている人間がそれに気がついて目を覚ましたときには、すでに身体に毒が回り始めているはずだった。しかし、警戒していれば別だ。たしかにレトは、トグウクが言ったように、村に入る前からずっと警戒を解いていなかった。 レトは外套の襟をぐっと押し上げ、冷えた首元を覆う。そして、トグウクの目を見ながら指を四本立てて、彼の質問に答えた。 「警戒していたよ。その理由は四つある。まず窓の造りがおかしかった。ふつうは家の中からも開け閉めできるようにするだろう。おそらく設計の時点で間違えたのをわざと直さず、利用しているんだ。おなじ造りで建てたこの客人用の小屋を使って、殺しをするために。二つめは果物の話。ピーニという名前で知られてるあの果物は、短い時間、わずかに体温をあげる効能がある。寝る前に食すと、深い睡眠を誘いやすい。お前は自宅へ俺を案内するまでの間に、わざわざ「生でかじるとおいしい」という話をして、俺と小屋で別れるときにも食べるように促した」 いくつかは雪の上で潰れてしまっているが、まだ形をなしているピーニを拾って、ついた泥を払う。 トグウクが、暑くもないのに、こめかみから冷や汗を垂らした。何度も瞬きをして、言葉を失っていた。 次いで、レトは三本めの指を立てた。 「三つめ。小屋の中でマナカンサスの匂いがした。燃やしたあとのな」 「し、知ってるのか」 「ああ。あれは大量に咲いた場所なら、そこがたとえ山奥でも、燃やせば麓にまで匂いが辿り着くほどの激臭を放つ花だ。小屋の中でかすかにあの匂いがした。だから、たぶん前に小屋を使っただれかが、今回とおなじように謀られて、そのときに本人が持ちこんだか村の周辺に咲いているのか、室内にあったマナカンサスがなんかの拍子にあの有毒木を入れた角灯と接触して、燃えたんだ。小屋の造りが新しかったのも、匂いがきつくて何枚か木を張り替えたからなんだろ。ぜんぶ張り替えてれば気づかなかった」 マナカンサスといえばまず、花弁が大きく色鮮やかなので、花瓶に差したり押し花にして楽しむのが一般的だ。それが薬にもなったり、燃やせば激臭を放つことをシーホリー一家の過去の一件で知っていたレトはそして花の匂いを覚えていたから、ここで火事に近い出来事が起こったとわかった。 ついに四本めの指を立て、腕を下ろしてから、レトは言った。 「あとは、トグウク。お前が、最初から俺を学者だと決めつけたことだ」 「……」 「こんな山奥にある村に訪れる人間のことを、まず学者とは思わないだろう。ほかの村や集落からの流れ者か、詩人のような旅人だと思うのがふつうだ。なのにこの村はそうじゃないらしいな。訪れる人間の多くが学者だから、俺のこともそうだと思いこんで、つい口走った。あのときに、この村はどこかおかしいと思った」 「……最初から……オレは疑われてて、あんたは自分が殺されるかもしれないって、わかってたのか?」 「わかってたわけじゃない。半信半疑だった。だから、意識の半分しか起きてなかったよ」 なにもされないだろうと信じていたかった心が半分あるのは、トグウクの人懐こさや雰囲気が、どこかロクアンズに似ていたからだった。けれど天秤が黒いほうに傾いていくから、レトは意識の半分だけを寝かせることにした。ただ、角灯を仕込まれたときに窓は開いただろうし物音も立ったはずなのに、寝入ってしまっていたのは失敗だった。 (修行が足りないな……) 自己反省に気を取られたそのときだった。トグウクが、きらりと光るなにかを背中から引き抜いて突然レトに襲いかかってきた。雪風を絶って振り下ろされたそれは斧の刃だった。『双斬』の刃とかち合い、いやな金属音が響く。レトが力任せに斧を弾くと、トグウクはその隙にレトの足元に自身の足をかけて、ひっくり返した。斧を握り直して、眼下にあるレトの顔を目がけて、力一杯に刃を叩きつける。しかしレトは、頭だけを横向きに転がして直撃を回避した。そしてトグウクが、地面に刺さった斧を抜くより先に、レトは『双斬』の切っ先をトグウクの喉仏に突き立てた。 トグウクは、顎を浮かせながら顔をぐしゃぐしゃに歪め、必死の表情でわめいた。 「村にやってくる学者どもが、あとをたたないんだよ……! エインドラがここに真実を隠したんじゃないかとか、王家の血縁がいるんじゃないかとか、もううんざりだ。この村にはなにもないよ! なのにずかずか入りこんできて、村を好き勝手に踏み荒らして……オレたちは、静かに暮らしたいだけなんだ!」 吹き抜けていく冷風が、ごうごうと唸る。 そうだ、そうだ、村から出ていけ、学者は出ていけ──村人たちの怒声が重なって、徐々に膨らんでいくのを耳にするレトの脳裏には、ある考えがよぎっていた。 (学者ってのは……おそらく、政会か、諸領主らの差し金) 神族ベルイヴの居場所を突き止めることが、政会と此花隊と諸領主らからなる対策本部の急務だ。アノヴァフにだけその任務が下っているわけはないだろう。此花隊以外の組織も研究者を雇い、血眼になって調査にあたっているに違いない。かつて神族の襲来の時代にこの国で女王をしていたエインドラの育った村に目をつけるのは当然といえた。ログアース村の人たちは、最近になって急に増えだした学者の来訪に困惑したはずだ。そして政会や諸領主らに雇われておそらく鼻を高くしているであろう彼らの態度に、不満を募らせてきたのだ。だからその怒りを凍夜にしたためては、毒煙に代える。 学者かと問われてつい頷いてしまったのは失敗だった。しかし、調べ物をしに村へやってきたのは間違いではない。どう名乗っていても、あれやこれやと訊ねていれば彼らの中では学者と紐づけられて、どの道にしても襲われていただろう。 レトの目を睨みつけているトグウクの喉が、ふるふると震えだしていた。体勢を変える機を伺っていると、膨らむ怒声の中から、トグウクを呼ぶ声が飛び出した。 「と、トグウク! チイヤが吠えてないか!? ほら、声が!」 トグウクがはっと顔をあげて、レトのことはもう構わずに羊舎のあるほうへと視線を向けた。たしかにその方角から犬の鳴き声が聞こえてくる。金切声のような動物の鳴き声がたえずこちらまで響いてくる。ただごとではない。村人たちの顔がさあっと真っ青に冷めていく。トグウクは、さらに目を大きく開いて、がくがくと唇を震わせた。 「間違いない、学者どもがまた来たんだ……! そうか、あんたはあの学者どもの仲間だったんだな! このあいだ、追い払ったのを根に持ってんのか!?」 「違う!」 鬼のような形相で襟元を掴んでこようとするトグウクの手を払って、その隙に、レトはさっと立ち上がった。そして羊舎のほうに視線を向けたまま、両手をついて呆然とするトグウクを見ずに言った。 「俺は学者じゃない。嘘をついて悪かった。あとでぜんぶ説明する」 トグウクの傍に落ちている角灯をすばやく拾いあげ、レトは踵を返して、駆けだす。動物たちの鳴き声だけを頼りにして雪の上を走った。そして息を切らしながら、なんとか羊舎に辿り着いた。羊舎の傍に建っている小屋の入り口で、チイヤと呼ばれた牧羊犬が、飼い主の男の足元でたえず吠えていた。ぐるりと建屋の外を回れば、裏口が破壊されていた。厳しい冷風が舎内へと吸いこまれている。 裏口から舎内に入ると、羊たちはもう興奮状態で、仕切られた柵の中でうごうごと蠢いていた。レトは一部の柵が乱暴に開け放たれていることに気がついて足を止めた。見れば、柵の中から無理やり引きずりだされ、腹や背から血を噴いて倒れている羊たちがいた。鋭い刃物のようなもので切りつけられたのだ。駆け寄って、傷口を観察していたとき、裏口から入ってきたのか、息を切らしたトグウクのかすれた声が飛んできた。 「レト! なにが起こってる! どうしたんだ!」 「中に入って、こいつらの手当をしてやってくれ。腹や背を切られている羊が五体はいる。足元には気をつけて入ってこい。飼槽も倒れて床が荒れてる。俺はいまから出て行くから、そうしたらまずその裏口の戸を直して、風が入ってこないように締めきれ」 「き、切られ……!? じゃあ、待てよ、あんたはどこに……!」 言い切ったあとは、困惑するトグウクのかけ声を無視して、彼の脇をすり抜け羊舎から出て行った。そして裏口から伸びている、だれかがこの場所を往復したようないくつもの足跡を追いかけて、レトは山道に駆け入った。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.204 )
日時: 2026/02/01 16:43
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第186次元 或る記録の番人Ⅷ 「騒ぎが起こせればそれでいいってよ。いい仕事だ。あんな村になにがあるんだかな」 「いいんだよ、どうだって。あのケンキュウシャが金は弾むって言ったんだ。俺らみたいなのは、だまあってやることをやって、金さえ降ってくりゃいいんだ」 夜も更けてきたのに、暗い山中で下卑た笑い声を高らかにあげているのは、岩場で焚き木を囲み、一仕事終えたあとの酒を愉しんでいる山賊たちだった。雇い主から金が入ってくるからと貴重な酒を浴びるほどに飲んでいる。酔っぱらって、気持ちが悪くなってもまだ飲んで、だれがなにをしても次から次へと笑い声が湧き出している。 小さい樽を模した盃になみなみと注がれた酒が踊って、ふちからこぼれた一滴が、焚き木の火の粉に降りかかった、そのときだった。 突然、どこからか激しい突風が吹きこんできた。男たちはみなおなじ方向に倒れこんで、一人二人は転げてしまった。燃え盛っていた焚き木の火も、さっと掻き消える。男たちは、目をぱちぱちとしばたいて、すっかり酔いが醒めた目で仲間の顔を探した。 「な、なんだ!」 「おい、火、消えたぞ! 火つけろ、火!」 狼狽える男たちの耳に、知らない足音が聞こえてきた。男たちは急いで松明をこしらえ、その足音を警戒した。 真っ先に、松明の火に照らされたのはレトヴェールの高い鼻先だった。それから白くて張りのある頬がぼんやりと浮かぶ。はん、とだれかが鼻を鳴らしたのを皮切りに、山賊の男たちはにやにやと互いを見合って、それから舐めるようないやな視線をレトに浴びせた。 「なんだ、ガキか。びびらせるなよ」 「オイ、身なりは、それなりだぜ。金目のもんを持ってるんじゃねえか。殺って、剥いじまったらいい」 「待てよ、こいつはキレイな顔をしてやがる。売ったほうが……」 無遠慮に顔を覗きこもうとしてきた男の言葉が続かなかったのは──レトがいきなり拳を頬に叩きこみ、無理やりに口を閉ざしてやったからだった。 警戒を緩めたところへ鋭い殴打をお見舞いされた男は首を真横に捩じ切って、身体を回転させながら地に伏せた。山賊たちは大振りの大刀を握りしめ、いきり立った。レトは大刀の切っ先を睨んで、冷静に詠唱した。 「四元解錠──、"裂星閃れつせいせん !」 唱えれば、刹那。星降るがごとき剣筋が、鋭い軌跡を引いて何重にも振るわれる。レトが、男たちの間を縫って駆け抜ければ、途端に、斬りつけられた彼らの口から悲鳴があがった。彼らのうちの一人が尻餅をついたまま、わなわなと震わせた腕を持ちあげ、レトを指さした。 「こ、こいつ……次元師だ! にに、逃げろ! ここからすぐに!」 「逃がすかよ」 退路に立ったレトは、間髪入れずに詠唱を告ぐ。繰り出された『交輪斬まじわぎ り』が突風を生み、彼らの身体をまるごと風の中へと抱きこんで、宙に突きあげる。どさどさ、と落下してくる男たちの中でも、ほかと比べてたふな者は、怒り任せに拳を打ってこようとした。しかし筋ががむしゃらだ。レトは、双剣を握った手の甲で拳をいなして、もう片方の剣の柄頭で男の項うなじ を穿った。男は、がくんと膝から落ちた。息つく間もなくべつの殺気が迫ってきた。レトは、近づく殺気を捉えては斬り払って、素手で打った。 ひっきりなしに拳や蹴りや大刀の切っ先が飛んでくるのを、『双斬そうざん 』で斬り捌いていく。 (こんな風に振るうのは、久しぶりだ) 一太刀──『双斬』を颯爽と薙げば、レトの心の中にふつふつと湧き立っていたなにかが、斬り払われた。 斬りきれなかった神族の肉体や、凍るように鈍っていく自分の手足の感覚を、生々しく思い出す。 そうしてついにはこの手から、大事なものが取り上げられてしまった。自分を置いて勝手に進もうとする時間すら憎かった。他人のような顔をした父もいまさらになって姿を見せる。 もうしばらくずっと、感情の整理がついていない。ついていないまま、息だけしていた。 悔しさ、歯がゆさ、憤り、不満が、沸騰した胸の中でぼこぼこと無限に泡を噴く。ログアース村でやられた羊たちや、村人たちの悲痛の声はいっとき忘れてしまった。振るえば振るうほどに無心になった。だからただひたすら、己の胸に巣食う鬱憤を晴らすために、二つの剣筋が夜風を斬った。 声が止む。最後まで立っていた頭かしら の男に頭突きを見舞って、男の首がかくんと後ろに折れた。 気を絶したその男の襟首を捕まえたまま、レトはぼんやりとしていたが、あることに気がついてはっと我に帰った。 (……待てよ。さっき、『騒ぎを起こせればそれでいい』とかって聞こえて……) 「──! そうか。目的は、村への憂さ晴らしじゃない」 レトは、男からぱっと手を離し、急いでその場から立ち去った。白目を剥いた男が力なく膝から崩れた音を最後にして、あたりはやっと静かになった。 雪の上にうっすらと残っていた足跡を辿って、ログアース村まで戻ってくると、村人たちは混乱のさなかにいた。どうやらやられたのは牧羊たちだけではなく、薪の置き場や備蓄庫も荒らされていて、事態に慌てふためいた者が怪我を負ったり、村に漂う空気が怖くなって泣いてしまった子どものわめき声も聴こえていた。 そんな村人たちの死角に身を隠しながら、村の奥──もっとも大きな家屋へ向かって走っていく怪しげな人影があった。レトは、その人影を見失わないように距離を保ち、あとを追った。 思った通り、人影はひときわ立派な家屋へと忍び入った。いまは住人が出払っているのか、まるで人気がない。わずかに開いた玄関の扉の隙間に、レトも細い身体を滑りこませた。 黒ずくめの人影は、居間のあちこちの家具に手をつけて、手当たり次第に棚の戸を開け、引き出しを暴き、ぎょろぎょろと目を滑らせる。しばらく無言で物色していたのに、やがて独り言をこぼしはじめた。 「ない! ない……! それらしいものが、どこにも。くそ、どこにあるのだ」 置き物にまで手を伸ばしひっくり返したりして、棚の上に飾られている小箱の蓋も開けてなにも入っていないとわかれば放り捨てた。黒い外套の頭巾の下の、厚い瞼で潰れかかった目は血走っていた。 「あるはずだろう……二百年前の秘密の遺物がここに!」 ひゅっと、一筋、細い冷気のようなものが背中を撫でる。振り返る間もなく、黒ずくめの人物は双剣のひとつで背中を斬られていた。う、とうめき声をあげて、人影はその場に倒れた。 ほかに人気がないことを探ってから、レトは『双斬』を鞘に納めた。 (こいつが今回の騒ぎの首謀者か) 泡を吹いて寝ている人物の外套を剥いて、身なりを検めてみれば、男で、防寒着なのにいかにも学者風情といった清潔かつ高価な身に纏っていた。適当な紐で手足を縛ってから、研究者の男を引きずってレトは家の外に出た。 村人たちの前に気絶した研究者を出せば、たしかに数日前に村へやってきた男だと口を揃えた。それも横柄な態度であれこれ指示をしてきて、遺物が眠っているはずだとか、村の事情に詳しそうな老人を連れてこいとか、一方的にそんなことを言ってくるばかりでとにかく村人たちはこの研究者を良く思っていなかった。あげく、村人たちが協力を渋っていると、使えない田舎者どもだ、などと散々罵って、勝手に村中を嗅ぎ回りはじめたらしい。 無理やりに村から追い出されたので、おそらくその腹いせもあるだろうが、遺物とやらを諦めきれなかったのだろう。わざわざ山賊を金で雇って襲ってきて、騒ぎに乗じて遺物探しをするつもりだったのだ。 憶測は横に置いておいて、レトが山賊や研究者の話をすれば、村人たちは耳を傾けてくれる姿勢になった。そのあと、まだ混乱のさなかにいる村人たちから状況を聞き出し、整理した。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.205 )
日時: 2026/01/11 20:58
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第187次元 或る記録の番人Ⅸ レトヴェールは事態の収拾のために奔走した。羊舎、薪の置き場、備蓄庫以外にも、畑や井戸、監視塔などにも被害が出ていないかの確認と、各地の修繕を年若い男たちに任せ、女子どもと老人は早々に自宅へ帰し、戸締りを徹底するよう指示した。そして怪我人も、軽傷ならばレトが手当てを買って出た。彼が一人ひとり自宅へと送り届け、そして村の薬師には羊舎に向かってもらうよう促した。薬師はトグウクと交代して、夜が明けるまで羊たちの面倒を見た。 騒ぎが落ち着いたのは、翌日、太陽がちょうど空のてっぺんに昇ろうとしていた頃だった。レトは、研究者の男と山賊らをひとまとめにして山の中腹に置き去りにし、村に戻ってきたところで、羊たちが一命をとりとめたと薬師から報告を受けた。村長ゼンナイの家宅──昨晩、研究者の男が忍びこんだ大きな家──に案内されて向かえば、そこでは村長夫妻とその娘が一人、薬師、自警団の団長と、それからトグウクを含めた団員が三人ほどいて、レトの帰りを待っていた。 昨夜は暗かったしよく見る余裕もなかったが、居間は十分な広さがあって、貴族が食事するような長い食卓が中央に据えられていた。これだけの人間が集まって座ってもまだ席に余りがある。食卓の意匠はかなり古いものだったが、良い木材を使用していて、立派な代物だった。 まず、ゼンナイと名乗った老齢の女の村長が、固い面持ちで頭を伏せた。彼女をはじめとして、集まった面々から深々と頭を下げられる。 「私はゼンナイ。この村の長をしております。まずは、そなたを学者と思いこみ、命を奪おうとしたこと。そして奴と我々の問題に巻きこんでしまったこと。本当に申し訳ない。そなたは、我々から嫌疑をかけられたうえで、村の混乱を解くのに尽力くださった。まさに恩人。なんと礼を述べればよいのか……」 「俺が嘘をついて、トグウクに学者と名乗った。なにも知らない俺も軽率だったんだ。だから、謝る必要はない。まだ命もある。それよりも、あなたたちに話しておきたいことがある」 ゼンナイが頭を上げれば、彼女は切れ長の目尻に赤い塗料をきつく引いてはあるが、無垢な視線で、レトを見つめてくる。それからほかの村人たちも次々に頭を浮かせて、レトは彼らの顔を見渡しながら言った。 「いまよりも警備を強化したほうがいい。警備塔は北と南の二箇所に。備蓄庫もできればもう一つ用意したほうがいいだろう。自警団にはもっと若い層も入れて、早々に訓練を始めるべきだ」 「あのような厄介な学者は珍しく、そうそう現れないものと思うておりますが……」 「いま、ある重大な調査のために研究者たちの動きが活発になってる。あいつのような研究者が次から次へとここへやってくるよ。外部の人間の詮索を避けたり、いざというときに村を守るためにも、十分な体制を整えておくことが必要だろう」 「それは、こっちとてわかった。もともとここは賊なんか来やしねえような貧乏な村だ。自警団といっても名ばかりでよ。たいして警備なんか、できちゃいない。だが昨晩のあの騒ぎだ。そうも言ってられねえ。しかしよ、あんた、その重大な調査ってのはなんなんだ? この村が、そいつに関わりがあるのか?」 ひときわ黒く焼けた肌の男が口を開いた。男は、隆々とした太い腕でおもちゃのような茶器を鷲掴みにして、くっと一口でいった。腕章を二の腕に巻いているのは彼だけだった。自警団の団長と思しき彼は前のめりになって、レトが答えにくいことを訊いてきた。 神族ベルイヴの復活は、まだ公になっていない。神の居場所もわかっていないうちに、それを大々的に知らしめてしまったら、国民の不安と混乱は一気に加速してしまう。その事態を避けるためにも、政会の上層部は、公開の時期を見計らっているはずだ。 だからいまはまだ国家の最重要機密であり、一般市民には明かしてはならない。けれどレトは、隊の規律である守秘義務の徹底を冒してでも、彼らに話をするべきだと直感していた。 「……神族の存在は知ってるだろう。その神族の中でもっとも力を持つ存在が、復活しようとしているんだ。そのせいで、国の主要な組織が優秀な研究者を雇って、神の居場所を調べさせてる。だから研究者たちがここに遣わされている。この村には、調査に値するほどの根拠があるんだろ」 聞き手に回っていたゼンナイの顔つきがこのとき変わった。 レトはその表情の変化を見逃さなかった。 神族の復活は公になっていないので、ここだけの話にしてくれと釘を刺す。そしてレトは間を置かずに、本題に入った。 「……俺もあることを調べてるけど、研究者じゃないから、神の復活とはまた別の話だ。俺は此花隊の隊員で、次元師の一人。名前はレトヴェール・エポール。ログアース村にきたのは、"ロクアンズ"という、ある言葉の意味を探すため。その言葉には王家の秘密が隠されていて、俺はそれを知る必要があるんだ。この村の名前と似ていると知ったから、気になってここへ来た」 「え、エポール!?」 置物みたいに黙って座っていたトグウクが、大きな声で驚いて、勢いで椅子から立ち上がった。明らかに空気が変わる。が、名乗るとだいたいこうなるので、レトは慣れていた。団長が我に返ったあとで諫めるような目を送ったが、トグウクは興奮しきっていて気がつかないまま、続けた。 「レトは、それじゃあ、エインドラ女王の子孫なのか。もう、王家の血は、とっくの昔に絶えたんだと思ってたよ」 「一応、そういうことになる」 ぼうっとした目でレトの顔を見つめたトグウクが、ようやく背中に突き刺さる冷たい視線を察知して、慌てて座った。すると、ゼンナイも息を止めていたのか、はっと小さくそれを吐いて、噛み締めるように言った。 「まさかこの村にふたたび……その血を継ぐ御方が、足を踏み入れてくださるとは。疑いようもありませぬ。その美しい金の御髪と瞳は、エポール王家の血族である証だと、先代より伝え聞いています。さきほど、初めてお見かけしたときに感じた期待と高揚は、たしかだったようですね」 「……信じてもらえるなら、教えてくれないか。この村のことを。話せる範囲で構わない」 ゼンナイが、食卓の脇にしゃんと立っていた娘に手招きを送った。彼女は近づいてから、静かに頷いてその場を離れ、すぐに茶を淹れた瓶を持って戻ってくる。一人ひとりの湯呑の茶が満たされていく音だけがしばらくして、やがて末席まで行き渡ると、ゼンナイは口を開いた。 「では、お話をしましょう。我々が知っている限りの、この村についてのお話を、すべて」 「……」 「この村は……遠い昔、もとは名前を持たない遊牧民族が住み着いた、小さな集落でした。エインドラ女王がこの村でお過ごしになられていた頃には、村の呼び名はありません。女王が王都へ召喚されたずっとあとで、ログアースと名前がつけられたのです」 「この村に名前をつけたのはだれだったんだ? エインドラか?」 ゼンナイは静かに首を横に振った。 「いいえ。エインドラ女王の死後……女王の侍女を名乗る女が、女王の死を弔うために、たった一人でここを訪れたそうです。『女王の故郷に名がないのは、いささか寂しいこと。だから、ログアースとするのはどうか』……そう、侍女が提案したと伝えられています」 「女王の侍女が……? その侍女の名前がログアースだったのか?」 「申し訳ありません。それは、我々も存じ上げません。しかし、女王の死をおひとりで弔われた方が、女王の名を差し置いて、自身の名を女王の故郷の名とするようには、考えられませぬ」 ゼンナイの言い分に納得して、レトは引き下がった。トグウクは、レトがずっと村の名前を気にかけているのを知っているから、つい口先でぼやいた。 「……その侍女さんは、なんで"ログアース"って名前にしたんだろうなあ」 問題はそこだった。侍女はなにを思い立って、この村の名前を"ログアース"としたのだろうか。その思惑を知る必要がある。 「わかった。侍女についてもっと詳しいことが知りたいんだけど……たとえば、彼女がここでどう過ごしたのか、好んでいたものがなにかは知ってるか? あるいは、彼女がここに残していったものがあれば」 「……それであれば、一つだけ。侍女が置いていったと思われる、置き飾りが」 ゼンナイから目配せを受けた娘が、また席を外した。食卓に戻ってきたとき彼女は手のひらに置物のような小さな真四角の箱を乗せていた。 レトはそれに見覚えがあった。昨夜、あの研究者が手当たり次第に掴んでは、違う違うと言って投げ捨てていた物品の一つだ。彼が蓋を開けてそのまま放り投げたが中からはなにも出てこなかったから、中身はないはずだ。 (これが……奴が探していた、二百年前の秘密の遺物?) 娘から小箱を手渡され、レトはそれをまじまじと観察した。まずかなりの重さがあった。そして箱の表面は、どの面もかなり細かい意匠が掘られ、並の職人が作ったものではないようだ。しかし宝石が埋めこまれていたりだとか、派手な色使いで仕上げられているようなこともなく、一見するとただの安物の小箱にしか映らないだろう。 小箱をくるくると回して、さまざまな角度から十分に眺めたのちに、レトは口を開いた。 「"真実"……」 面の真ん中に掘られた模様のように見える意匠をじっと見つめて、レトが呟く。手首を回し、ほかの面にもある似たような意匠を、一つひとつ読み解いていく。 「"英知"、"威厳"、"高潔"、"純真"、"富"……」 「なんと。箱に文字が書いてあったのですか? 奇怪な模様ばかりだと思っておりました」 「ああ。かなり崩してあるけど、古語だ」 意匠らしく見せるために見事に癖のある形で堀り刻まれているが、よくよく見れば、文字だ。箱の内側はというと、文字どころか模様もなく、良質な赤色の生地が張られているだけだった。 レトが言えば、みな気になりだして席を立ち、ぞろぞろと周りに集まってくる。古語が読めなくとも意匠の素晴らしいのは伝わったのか、居間が感嘆の声で包まれていると、そこへゼンナイの厳かな声が投じられた。村人たちが一斉に黙ったので、レトも身を引き締めた。 彼女は目を固く閉じていたが、やがてうっすらと瞼を持ちあげて、言った。 「侍女は、その箱を村に授けられたときに……このように言ったそうです。──『私は知ってほしい。真実は残酷だとしても、その影には美しい涙がたしかにあったことを』……」 ゼンナイは、これで知っていることはすべてだと言って、締めくくった。さらに小箱を預かってほしいとレトに頼んできた。ゼンナイたちログアースの村人も、きっと知りたいのだろう。女王の侍女がこの小箱を村に授け、放った言葉の意味を。レトは、必ず返しにくるという約束をして、小箱を受け取った。 村を出ることを決めると、トグウクはもちろん、村人たちが出発の準備を手伝ってくれた。家庭を持ち旺盛な母親をやっている女たちが袖をまくって出てきて、腹持ちするものを大量に用意してくれた。果汁が豊富な果物もいくつか厳選され、中にはピーニも入っていた。寝すぎたらいけないから一度に丸ごと食べないようにとトグウクが焦ったように言ってきたので、レトは思わず笑ってしまった。村の男たちからは、雪道を凌ぎやすい長靴を譲ってもらった。履いてみるとまったく滑りにくくて、ついでにすぐふくらはぎが熱くなるくらい温かいので感動した。ほかにも防寒具をこれでもかと押しつけられそうになったが荷物にも限界があると断ったら、みな大男なのに肩身を小さくして、寂しそうにしていた。 傷を負った羊たちも徐々に快復しているらしい。といってもまだ草原を駆け回れる元気はないので、ほかの羊たちと牧羊犬の鳴き声が外から聞こえてくるのを、羊舎の中で聞きながら、静かに過ごしている。薬師が毎日様子を見にきているので、レトが羊舎に立ち寄ると出くわした。彼もまたレトを探しに行こうとしていたらしく、ちょうどよかったと嬉しそうにして、すり傷なんかによく効く塗り薬をくれた。 数日前に村へ訪れたときよりも、だいぶ重たくなった荷物を背負って、レトは村人たちに別れを告げた。 村の周辺はだいぶでこぼことしていて道もはっきりわからないので、途中までトグウクが付き添ってくれることになった。岩肌が広がる危険な道にくると、トグウクが荷物を代わりに持った。先に軽々と岩を下っていったトグウクが、レトに手を差し出した。その手をとって、レトも岩の道を下った。 トグウクが先導して、道のない道を歩む。背の高い草木を掻き分けながら進んで、しばらくしてようやく平坦な道に出ると、あとは滑らかな下り坂が見えていた。トグウクは、坂の向こうを眺めてから、あらためてレトに伝えた。 「この坂をずうっと下ってけば、麓に出るはずだ。東の都の方角でよかったよな?」 「ああ。案内してくれてありがとな」 「……本当にごめんな、レト。その……殺そうとしたり、あの学者の仲間だなんて、言いがかりをつけてさ」 「もういいって。あんなのが来たあとで、学者と名乗る人間がまた現れたら、警戒して当然だ。村のことは頼んだぞ。万が一のときのために、山を下りる準備もしておいてくれ」 「! あ、ああ」 トグウクはこくこくと頷いて、それから指をいっぱいに広げた手をレトの前に差し出した。 「会えてよかった、レトヴェール・エポール。運命ってのは、たぶんこのことをいうんだな! ……なあ、この国がもし神を退けて、平和になったら、あんたが王になってくれるのか?」 差し出された手を握り返そうとしたが、それを聞いてレトは、中空で手を泳がせた。 「さあな。戦に勝ったとしても、俺は死んでるかもしれないし」 「そ、そんな寂しくなるようなこと、言うなよ。あんたはきっと、強いジゲンシなんだろ」 トグウクが身振り手振りで、あの夜に見た突風を表現しようとした。あんまり必死な形相なので、おかしくなって、レトはほんのすこしだけ頬を緩めた。しかしすぐに顔を引き締めると、レトは暖かい風が吹いてくる坂の方角を向いて言った。 「ほかにやるべきこともあるし、正直あんまり、考えてないよ。けど……神との戦争がどんな結末に辿り着いても、また王を迎えるかどうかは、国次第だ」 トグウクのほうに向き直って、今度はレトから手を差し出した。ぱっと満面の笑みを浮かべて、トグウクが一回り大きな手で握り返した。 「俺も会えてよかった。またな。トグウク」 「……おう! またな、レト! 元気でなあ!」 背中が見えなくなるまで、トグウクはぶんぶんと両腕を振って、見送ってくれた。 坂の上に吹いている風は暖かいし、もう厳しい雪道も越えたので、レトは譲ってもらった長靴の紐をほどいて脱ぎ、此花隊の靴に履き替えた。トグウクと別れたあとも、レトは荷物が重くて大変だとは、欠片も感じなかった。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.206 )
日時: 2026/01/18 19:49
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第188次元 或る記録の番人Ⅹ 山麓の町で、ちょうど港町のトンターバからやってくる大きな隊商の便があると小耳に挟んだレトヴェールは、そこへ同乗して、ウーヴァンニーフ街まで運んでもらった。隊商はトンターバで獲れる新鮮な海鮮類だけを大量に載せて、ウーヴァンニーフ街まで届けるために海沿いを走る。馬車の規模が大変立派なので、ウーヴァンニーフ領ではちょっとした観光名物だった。 わざわざ街で宿をとらずとも、此花隊の第一支部、研究棟が近いので、そこで世話になれば費用も浮くのだが、レトは街の様子が気になっていた。久しぶりに降り立ったウーヴァンニーフの街は、まだ神族ノーラの襲撃の傷跡を残していて、瓦礫や資材が街中のあちこちに積まれている。しかし、さすがメルギース国の建築業界を台頭するツォーケン伯爵家の力が及んでいるか、襲撃から約一年でほとんど元通りに復元されていた。しかも以前はなかったまったく新しい建築様式を取り入れた家もいくつか見受けられて、街の大工事は、復元のみに留まらないようだ。 一通り街を歩き回ったレトは、長旅の疲れもあって夕方にはもう宿の世話になった。きちんと休息するのは十数日ぶりだった。湯浴みのあとには寝台の毛布に身をうずめてどっぷり寝てしまいたい衝動に駆られたが、レトは頭の隅にいる使命感を叩き起こして、適当な組紐で髪をくくり、荷物をまさぐった。 ログアース村のゼンナイ村長から預かった小箱を手に、寝台に備えつけられた作業机に腰をかける。 宿をとった理由は、街の様子を見るのと、もうひとつ、だれにも邪魔されないためだった。 小箱を手に、レトはあらためて、じっくりと観察する。これはもう現代では値がつけられない代物だろうとレトは思っていた。なぜなら、母から授かったレイヴィエルフ王城の謁見の間の鍵と、意匠がおなじだった。レトは、鍵と小箱を机の上に並べてそれを確信した。つまり、これを村に授けた人物がエインドラ女王の侍女という話は本当で、この小箱は亡き王家の遺物なのだ。 細部にまで目を行き渡らせると、箱の上蓋にはまっている金属の板に違和感を覚えた。四辺に一つずつ、丸いくぼみがあるのだが、よくよく見てみると一か所だけくぼみの形が異なっていた。──微妙な台形だ。台形の角が丸いので、初見ではほかの三か所のくぼみと見分けがつかない。 軽くくぼみを押す。しかし、なにも変化はない。板の上に指を滑らせて、レトは、ゼンナイの言葉を思い出していた。 ("真実は残酷だとしても、その影には"……。真実……影……裏?) ちょうど、小箱の上蓋には、"真実"という意味を示す古語が彫られている。 レトは、台形にくぼんだところを、また押した。今度は強めに。なにも変わらなければ、弱めに。変化はない。押したまま左右上下に動かそうとする。すると、金属の板が思ったよりもずれて、かたんと音を立て、すこしだけ沈む。レトはそれを繰り返した。音が鳴るまであてずっぽうで上下左右に板を動かし、また一つ沈ませたら、また板を動かす。そうしてずいぶん沈んだあと、上蓋の正面の口のあたりに空いた隙間から、金属の板を引き抜くと、板の下敷きになるように、四つに折りたたまれた古い紙が出てきた。 紙は、濾し方からすでに古い手法で作られていた。そのうえかなり劣化している。下手に扱えば破けてしまいそうなので、レトは丁重に紙を暴いた。 飛びこんできたのが、古語で書かれた文章の羅列だったので、レトは瞬きも忘れそうなほど目を開いて、読み入った。 表題はない。書き手と思われる人物はおそらく女だった。そして、彼女の子どもが登場した。双子で、どちらのことも深く愛している、片時も離れたくない──そんな心情を綴った文章が何行にもわたっていて、紙の半分以上を埋め尽くしていた。 「『わたしの子エリーナ』……か?」 有名な童話だ、といつかコルドに教えてもらった記憶が蘇る。 古紙の文体は、童話のわりにわかりづらい表現が多いが、おおむね間違っていなさそうだ。 レトはそのときにコルドが言った言葉を思い出した。 『その本、もとは古語で書かれたお話だったらしいぞ。二百年前に流行ったからなのか人から人へ語り継がれている。現代語へ移り変わってしばらくして、たまたま古語を知っていただれかが翻訳したっていう話だ』 彼が言うには、『わたしの子エリーナ』の原文は古語だ。もしかするとこの古い紙は原文の一部なのかもしれない。 (流行っていたとはいえ、二百年前だ。娯楽本なんて、上流階級の一部の人間の目にしか触れない。貴族のだれかが市井に広めた……それが、エインドラの侍女か? 彼女がこれを大事に持っていたのは、単純に好きな物語だったのか、それとも……原作を書いたのが彼女?) レトはこんこんと思考を湧かせる。紙の端まで目を通した彼は、文章が途切れていたので紙を裏返した。しかし裏側には、続きの文章はなかった。 代わりに、短い文字が並んでいた。 掠れてしまっているところもあるが、そこにはたしかに「RAU」と「EIS」という文字がすこし間隔をあけて、並んでいる。 ("RAU"が頭、"EIS"が語尾だとすると……"G"あたりの文字が間に挟まれば、──"ログアース"、と読める音になる) "ログアース"とは、『わたしの子エリーナ』に由来する言葉なのかもしれない。侍女は、童話の原文を持っていて、女王が育った村にその名をつけた。原文の表題がログアースだったのかもしれないし、やはり侍女の名前だった可能性もある。 しかし新たな問題が浮上してくる。仮に"RAUGEIS"だったとしても、レトは言葉の意味にまったく思い当たる節がない。それに、村にその名前をつけた理由が、童話が好きだったから、ではなんとなく納得しきれない。 ロクアンズの名前にしたって、"ロクアンズ"と"ログアース"にはなんらかの繋がりがあると確信めいたものを覚えているのに、そうすると名前の由来がエインドラの故郷の村とするか、童話とするか、いずれかになってしまう。いまいちレトは、ぴんとこなかった。まだはずれのような気がしている。 (原文がどこかにあれば) レトは手元の古紙に視線を下ろす。 いまある原文は、たった一枚で、文章が途切れてしまっている。もし全文をたしかめることができれば、侍女があの村を"ログアーズ"と名づけた理由がわかるかもしれない。 そうすればおのずと、ロクの名前の意味も──。 『わたしの子エリーナ』の原文を探す旅に切り替えたレトは、さっそく翌日、大図書館まで足を伸ばした。呼び鈴を鳴らして出迎えてくれたのが、古語の棚を担当しているあの助言をくれた使用人の女だった。おかげで調べ物は前に進んでいるとレトは礼を告げ、ついでに原文を探している旨を彼女に伝えた。此花隊の研究部班に貸し出した本の中にあるのかを訊いてみると、彼女は申し訳なさそうに眉を下げて、言った。大図書館には古語を読める人間がいないので、そもそも原文があるのかもはっきりしないらしい。仕方がないので、レトは翻訳版の絵本を借りていくことにした。 ついでに、此花隊第一支部の研究棟もあてにしてみた。しかし、棟内のあちこちにある資料室をひとつ残らず回ってみるも、それらしいものは出てこなかった。正午から夜遅くまでかかってしまって、調査班の研究室の座椅子で船を漕いでいたら、いつの間にか眠っていて、夜が明けていた。 ウーヴァンニーフを発ち、カナラ街まで直線経路で帰還する。それでも半月はかかってしまって、出発する前よりも、街には枯れ木が増えていた。葉が散ってしまうのは早い。 研究部班に本の問い合わせをしようと思っていたが、仮拠点の窓口──表玄関から屋敷に入って、すぐ正面に見える階段の下に低い戸棚の什器を置き据えた場所。来訪者の応対をする──で、レトは手配班の班員、モッカから呼び止められた。 エントリアから避難後、カナラに移った彼女は、人手の足りないトンターバに早々に呼ばれていた。それがカナラにいるのは、配置の移動があったからだろう。すこし痩せたみたいで、隊服の肩のあたりがくしゃりと遊んでいた。 「久しぶり、レトくん。ひどい怪我だって聞いてたケド、もうお仕事してるのネ。ムチャしてない? 元気なの〜?」 「モッカさん。……食べてる?」 「食べてるわヨ〜。でも、私たち大人は後回しよ。子どもたちに食べさせてあげるのが先だもん。ナトニくんもだけど、育ち盛りなのに、かわいそうでね。いまは、みんなが頑張るときね。よかったわ、次元師たちも、みんな生きて帰ったって聞いたわ。ロクちゃんのことは、残念だけど……」 ああ、それでね、とモッカは机上に散らかった書類の中から、一通の封筒を探し出した。封筒からは上品な花の匂いが香ってる。赤い封蝋で綴じられたそれの裏には、イルバーナ侯爵家当主の署名が走っていた。 「はい、コレ。イルバーナ侯爵様からだって、遣いの人が届けに来てくれたワ。レトくん宛てですってネ〜。侯爵様に呼ばれているなんて、なんのご用事なの?」 モッカはレトに封筒を手渡した。彼女は前のめりになって頬杖をつきながら首を傾げる。 中身は見なくとも、レトは察しがついていた。レイチェル村の村長サガシムの名を連ねた書状が、イルバーナ家現当主に届いたのだろう。返されたのは、イルバーナ家への召喚の通達だ。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.207 )
日時: 2026/01/31 01:58
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第189次元 或る記録の番人ⅩⅠ エントリア領の領主イルバーナ家は、領内の最北にあるキナンの町の別荘に避難していた。レトヴェールは早々に出発して、数日をかけてキナンの町を訪れた。町の様相はほとんどエントリア街と変わらず、まるで小さなエントリアだ。ここを中継してラジオスタンやウーヴァンニーフに北上する若い商人や旅行者が多く、小さな町でありながら人の出入りが活発で、いつ訪れても賑わっている。 町をきっちり東西で分断するように拓かれた大きな街道、市場街道を抜けた先にイルバーナ家の別荘があると茶屋の店主から聞いたレトは、市場街道の人混みの流れに身を任せ、その端で人混みの中から吐き出された。市場街道を外れれば、意外なほどに閑静な町並みが続く。一階が花屋になっている二階建ての家屋の脇に石階段を見つけたら、あとはそこを長らく登っていくだけだ。茶屋の店主に教えてもらった通り、階段を登りきるとすぐに、立派な屋敷と庭園が見えた。この高さからだと、市場街道の賑わいがよく見渡せた。 現当主はチェシアの長子、チャルマール・イルバーナだ。現在は政会に招集をかけられていて家を空けている。 つまりいまは、家のことは夫人が仕切っており、レトは夫人と会話せざるを得なかった。 (あの一家に会いに行くのはべつにいいけど……あのおばさんとあんまり話したくないんだよな) イルバーナ侯爵夫人の人柄を思い出し、レトは嘆息した。 七つのとき、母に小奇麗な服を着せられ、イルバーナの家に参上した。挨拶ができればそれでいい、と母から言われていたので素直にそれだけを口にした記憶があるが、あれはエポール家とイルバーナ家の正式な顔合わせだったらしいとあとで知った。ともかく、顔合わせをしに行っただけなのに、当時再婚したばかりでチャルマールの後妻となった若い夫人が、エアリスとレトの顔を値踏みにするようにじろじろと見た挙句に鼻を鳴らしたので、レトは一瞬で嫌な気分になったのを覚えている。しかもエアリスが挨拶をすれば最初は無視をしていたし、二人が帰るまでずっととげのある態度をとっていた。二人と懇意にする気がないのが、年端もいかないレトでもよくわかった。 とはいえ、なにも彼女だけエポール家を嫌煙しているのではない。イルバーナ家はかつての王領をエポール王家から預けられた特別な一族だ。王領を所有しているという自負ごと代々継承している。たとえ相手が王家の末裔だったとしても、権力を持たない家にへりくだるほど腰が低くないのだ。 だからレトは、イルバーナの家に足を踏み入れればどんな言葉を吐かれるのか、容易に想像できていた。 「申し訳ないのだけれどもね。いまさらエポールの名を使われても困るわ。あなたの要求を呑んで我々が土地を貸し出せば、まるであなたたちエポールの一家が、いまも旧王家の力を持っていると、周囲に知らせてしまうのと同義。それではあなたも困りましょう? レトヴェール様」 言葉使いは取り繕えても、まともにこちらの顔も見ずに指の爪をいじっている夫人は相変わらずだった。 革張りの高級な腰掛けに背中から腰まで預けて紅茶を口に運んでいる夫人の正面に座って、レトは口を閉じていた。彼女の口ぶりからでもなんとなく察せられる。イルバーナ家は、エポール家がふたたび力を持つことを恐れ、わずかでも彼らが表立とうとするのを阻止したいのだ。それにいまは大事なときだ。神との戦争で確実に司令部を置くためには、レトに余計な動きをとらせたくないのだろう。 しかしそれとこれとは別の話である。レトは主張をはっきり伝える心づもりでここへ参上したのだ。 「お言葉ですが、スウラン夫人。エントリア領内でも、レイチェル庭園だけはエポール一族の私有地です。あなたがたに黙っているのでは、不義理なので、報告に参った次第です。表向きはイルバーナ家の領地ですから。他家の目にどう映るかご心配であれば、貴家のチェシア・イルバーナ様へのお力添えとしていただければ問題はないかと思いますが」 「お義母様の名前を出しても無駄ですわ。彼女はもう我が一族の当主ではないし、なんの権利も持たないの。戦士として生きる道だけが残されているだけ。こたびの戦争では、きっとご活躍なさいますわね」 話の逸らし方が鋭角なのも健在である。いくらイルバーナ家の人間がエポール家をよく思っていなくとも、彼女はかなり露骨なほうだろう。レトは仕方なく、ため息を飲みこんで、続けた。 「貴家が最高司令部を立てれば国の英雄になれる。それまでに、エポールには余計な動きをさせたくない。あなたのお考えはおそらく侯爵様と一致していて、今頃ラジオスタンで責任の引っ張り合いが行われている頃なのでしょう」 「は?」 スウランは、わざと音を立てて茶器を机の上に置いた。余裕だった表情がまんまと崩れて、彼女は口の端を歪ませた。 「なんて面の皮が厚いの? もしかして、まだ自分が王族だとでも? 笑わせないで。もうあなたの血は一銭も稼げず、たいした力もないの。お帰りいただいてよろしくて? 主人の頼みでなければ、あなたのような下賤な庶民と口を利くこともないのよ」 「エントリア領の領主、イルバーナ侯爵夫人が、そのような態度を庶民に見せてもよいのでしょうか? いまなおエントリアの民は苦しんでいる。十分に休息できる場所が確保できず、適切な環境で治療を受けられていない。だから早く、カナラにあるあなたがたの屋敷を空けて、新しい避難所としたい。そう書状にも書きましたが……。あなたは、神族の襲撃後、一度でもカナラやトンターバに足を運ばれましたか? ああ、見てないからわからないのか」 「……」 「ウーヴァンニーフ領のツォーケン伯爵はエントリアの避難民を快く受け入れてくれた。なのにあんたらときたら自分の家と財産にしか興味がなく、まとまな会話もできやしない」 ついにスウランは腹が立ったか、ばん、と強く机を叩いて、革張りの腰掛けから立ち上がった。そしてきんきんと響く声で言い募る。 「貸してやった屋敷だけでなんとかしなさいよ! これ以上、私たちの資産を食い荒らそうとして……いったい何様のつもりなの!? いいこと? 私たちイルバーナの一族は、あなたのことなんか、微塵も認めてないの! いつまでも古臭い血に追いすがって、みっともない。見ていられないわ。帰って頂戴。だれか、この薄汚いガキをはやくつまみ出して!」 「お、奥様」 傍で控えていた使用人が、焦ったように口を挟んだ。ものすごい形相で叫びながら振り返ったスウランは、その目にとある人物の姿を捉えて、途端に竦み上がった。 「大きな声を出さないでと、何度注意をさせるつもりですか。品がありませんよ、スウランさん」 広間の奥の扉が開く。入ってきたのは、此花隊の副隊長チェシアだった。いつもの隊服ではなくゆったりとした作りの、淡い色の私服を身に纏っており、幾分か雰囲気が和らいで見えた。しかしそう見えただけで、家の中だろうと変わらずに毅然としている彼女の一声で、室内に冷気が奔った。 石みたいに固まっているスウランの顔を見て、チェシアは深いため息をついた。 「息子が不在で書類の整理もままならないというので手伝いに顔を出してみれば……。あら、レトヴェール・エポール。ああ、今日が、いらっしゃる日でしたか。これは、わざわざキナンまで呼びつけてしまって申し訳ありませんでしたね」 「いいえ。問題ありません」 「スウランさん」 チェシアは、すっかり黙りこくっているスウランの傍まで歩み寄ってくる。察しの良いスウランの肩が、なにかを言われるより先にびくりと震えた。チェシアは、そんな彼女を見下ろしながら、薄い唇を開いた。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.208 )
日時: 2026/02/01 21:13
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第190次元 或る記録の番人ⅩⅡ 「あなた、レトヴェール・エポールから送られた書状に、隅まで目を通しましたか。サガシム様の名があったでしょう」 スウラン夫人は、数日前に破いて棄ててしまった書状がどんなだったかを思い出そうとした。しかし夫から受け取って、ろくに目を通さなかったので、思い至る節がなく素直にこぼしてしまった。 「は……? それが、なにか。だ、だれです? サガシムというのは」 チェシアは呆れたようにまた浅く息を吐きだすと、黙って広間の食卓まで足を運んだ。食卓の隅に用意されている硝子の茶器をひっくり返し、水差しを傾けて、とぷとぷと水を注ぎながら告げた。 「彼はレイチェル庭園の最高管理者で、名はサガシム・イルバーナ。我々の親族です。我が一族に嫁いでいらした以上、ご存じないはずはないですが、大事なことですのでもう一度お伝えします。サガシム様の血族こそイルバーナ一族の本家であり、我々の一族は、正式には分家となります。なぜ、ただの商家だった我々イルバーナ家が、百五十年前に王領を預かることになったのか、歴史はお勉強されましたか?」 「……」 訊ねたが、スウランの目にはあきらかな落胆の色が浮かんでいるだけだった。レイチェル村の村長サガシムの正体を知らなかったのだろう。サガシムの一家は、大事な用事のない限り、村の外には足を伸ばさず、用があれば遣いを出していた。徹底して、身分を隠していたのだ。イルバーナ侯爵家の本流でありながら、爵位は分家に託し、旧王家を守る影武者であり続けた。そうした姿勢はエポール旧王家に倣っているのだろう。 チェシアは白磁の茶器に口をつけ、喉を潤すと、口を開いた。 「エントリア領でもっとも事業が栄え、国の繁栄に貢献した我々の祖先は女王より爵位を授かりました。そして、王政が廃止された百五十年前、エポール王家は、王族の解体とともに、我々に王領の管理を任せてくださったのです。エントリア領の事情にもっとも精通し、そして我々の家は財力も十分にありましたから。王領は二つに分けられました。エポール王家と、イルバーナ侯爵家がそれぞれ所有するために。ひとつは、王族を神の危険から遠ざけるため、その住まいを構えたレイチェル庭園。旧王家は、表向きは領土を手放さなければなりませんでしたから、当時のイルバーナ家当主が庭園に住まいを拵えて、あたかも庭園を含めたエントリア領全域がイルバーナ家の領地であるかのように振る舞う必要がありました。そしてもうひとつは旧王都エントリアです。こちらは説明をするまでもありませんね。当時のイルバーナ家当主の弟が、エントリアの屋敷に残りました。その弟こそが、我々の祖先にあたります。初めに申し上げましたが、イルバーナ家は、王領を与えられたのではありません。正式な書面をもって、旧王家より預からせていただいているのです。その意味がおわかりですか?」 貴族の子息令嬢に指南をつけるようによく砕いて語られたそれはしかし、旧王家と侯爵家の間で取り交わされた重大な約束事であった。 神の怒りを買った理由も明らかにならないまま襲撃を良しとしてしまったメルギース王国では次々に王族が倒れる事態となった。神の呪いだと恐れをなした最後の女王、エオトーナ・エポールは王族の血が絶えるのを回避するために王政の廃止を宣言し、そうして百五十年前に王室は解体された。しかし王室の解体は国の本意とするところではなかった。王族の権威を残すため、王領エントリアの一部はいまもなおエポール家の領地であるし、イルバーナ侯爵家への領地の譲渡も表向きの体裁だ。実際には、譲渡ではない。一時的な委任であった。 チェシアは、問いかけた答えを返してこないスウランに改めて釘を刺した。 「我々の祖先が、エポール王家に信頼いただいていたからにすぎません。にも関わらず、まるで王族であるかのように振る舞い、面の皮が厚いのはあなたのほうですよ。恥を知りなさい。あなたの目の前に御座しますは、エントリア領を任せてくださっているエポール家の御仁です。いずれ時が満ちれば我々の領地をすべてお返しすることが約束されています。この契約は決して覆りません」 「す、すべて……?」 開いた口が塞がらないスウランの耳に、衣擦れの音が届く。ようやくレトヴェールが前のめりになって、たたみかけた。 「あらためてご報告を。此花隊本部は、レイチェル庭園に移動いたします。来る神との再戦に備えて準備を進めさせていただきたく。どうかご協力を」 スウランは、奥の歯で苦虫を潰すような顔をして立ち上がった。そしてふんと鼻先を逸らすと、つかつかと靴の音を立てて、広間を去った。 去り際までも背中は堂々としていて、さすが侯爵夫人だとレトは感心してしまった。呆れを通り越した尊敬の眼差しで彼女を見送っていると、レトの正面までやってきたチェシアが、腰を下ろしながら謝罪の言葉をかけてきた。 「申し訳ございません。レトヴェール・エポール。彼女は、成り上がりの貴族の出身で、口の利き方もなっていない世間知らずの娘です。見合いの時点で、すでに私は反対していました。初めの結婚相手との間に子が設けられず、離縁したあと、すぐに彼女を迎えたいと言い出したのでしぶしぶ許可を出しましたが……御覧の通り、手を焼いております」 「なるほど……」 正直口を挟む間も必要もなかった。発言力の強さを垣間見たレトは、彼女が此花隊副隊長の位に留まり続けている理由に納得してしまった。 レトは軽く肩を回した。畏まった衣服をほぐしてから、嘆息する。 「助かりました、副隊長」 「いまは隊服を着用しておりませんので、そう畏まらなくとも結構です。それにあなた、私がここにいると知っていて、利用したでしょう」 口をつけていなかった紅茶にようやく手を伸ばしかけたところへ鋭い指摘が飛んできて、レトの指先がぴくりと固まる。 チェシアは背もたれに細い肩を預け、わかっていたような口ぶりで続けた。 「カナラの警備を外れても問題ないとセブン・ルーカーより報告があったのが、つい最近のこと。ちょうど、家の者たちがみな急いでこの別荘に移ってきて間もなく、まだ整理が行き届いておりませんでした。息子もおらず家中が片付いていないと使用人たちが泣いていたので、致し方なく帰省をしました。私の動向などすこし調べればわかること。あの嫁の口を閉ざすのなら、姑の私を使うのがもっとも話が早く、効果的です。よく気がつきましたね」 「……」 「わざとらしく逆上を誘い、私を呼びつけた。柔軟で、賢いこと。エアリス様によく似ておいでです」 チェシアは骨ばった指を茶器に伸ばして、静かに水を口にした。どんな言い訳を並べても彼女の前では無意味だろうと諦めたレトは、正直に白状した。 「……利用するような真似をして、申し訳ありませんでした」 「構いません。私は義母として……そしてイルバーナ家の前当主として、あなたに礼を欠いてはならないことを示したまで」 「副隊長。俺は」 「失礼を承知で申し上げますが、勘違いをなさいませんよう。もしあなたが、彼女のように厚顔無恥で、だれかれ構わず名を振りかざそうとする人間でしたなら、さきほど私は口を挟んでいなかったでしょう。我々五大家は、あなたの一挙手一投足を観察し、あなたという人間の本質を見定めています。しかし、私が確認をした限りでは、あなたがその名をお使いになられたのは、二度だけでした。アルタナ王国でジースグラン王の暴挙を止めたときと、今回の此花隊本部の移設の件です」 五大家とは、メルギース国でもっとも影響力を持つ領家を指す。イルバーナ侯爵家、ギルクス侯爵家、ツォーケン伯爵家、ビスネオニ伯爵家、そしてルーカー子爵家がそれに当てはまり、各家の当主は定例的に、政会の会長と此花隊の代表を含んだ"代表会議"に呼ばれ、国の内政に関与する。五大家はかつて王政の時代にエポール王家の臣下だった名残からか、エポール一族への関心が高い。最たるはギルクス侯爵家だが、王領を預かっているイルバーナ侯爵家も関心があるという点では同様だ。 しかし、忠誠心が強いギルクス侯爵家とは似て非なる角度からエポール家を評価している。イルバーナ侯爵家は、いずれ領地を返還することが約束されてはいるが、同時に、エポールの人間がその器に相応しいかを見極めなくてはならなかった。もしも適う器でなければ政会に申し立てて、協力体制を組み、エポールの人間を教育しながらエントリア領を管理していく必要があるからだ。 レトは、アノヴァフに言われた言葉を思い出していた。『この道の先には、味方にも敵にもなる人間と真実がいて、いずれお前から自由を取り上げる』──。脅しではなかっただろう。父という人間と交わしたやりとりは両手で足りるほどだが、彼は悪意のある話し方をしない人だ。きっと、警告だったのだ。 ロクアンズの名前の意味を知り、歴史の真相を知り、神との戦いの中枢に臨んでいくのなら、──数多の人間の注意を引く。"エポール旧王家"に関心を持つ五大家も、そうでない人間も、等しく監視の目を注ぐ舞台の上にいま片足をかけようとしているのだと、レトはなんとなく気がついた。 (けど、止まることはできない) 茶器の中で冷えていく紅茶はしかしまだ透きとおっていて、それを覗きこむレトの顔を映し出していた。一口含むと、チェシアは付け足すように続けた。 「それから、もうひとつ」 「?」 「私が神族クレッタに噛みつかれて吐き出されたとき、振り返ったのは、ロクアンズ・エポールだけでした。あなたとコルド・ヘイナーは、クレッタの動向を見て追いかける姿勢に入った。咎めているのではございません。むしろ、あなたは一度掲げた目的を違えず肉体を動かせる人間なのだと、ひとつ感心いたしました」 「……」 「ですから、ひとまず私の持つ天秤は、信頼に傾いております。ただしこの先、器にそぐわないと判断すれば、すぐにでも盤面は変わりましょう。お忘れなきよう、レトヴェール・エポール」 厳しく諫めるようでありながら、芯の通った彼女の声は、不思議とすんなり、レトの腹の底に落ちた。レトには祖母と呼べる存在がいなかったが、もしエアリスの母が存命だったなら、似たような感覚を覚えたかもしれないと空想をした。 チェシアはすっくと立ち上がると、恭しく頭を下げ、礼をした。 「たいしたもてなしもできず、本当に申し訳ございません。また、折を見て、愚息からもご挨拶をさせてくださいませ。それに、任務中でいらしたのに、長々と引き留めてしまいましたね。セブン・ルーカーよりお伺いしました。ハルシオ・カーデンの次元の研究に協力されていると」 「ああ、それで副隊長に訊きたいことが」 「何でございましょう」 「この家に……『わたしの子エリーナ』の原文の複写はありますか?」 イルバーナの家にやってきた理由は、此花隊本部の移設の件と、もう一つあった。いまは『わたしの子エリーナ』の原文探しの旅の途中だ。市井に出回っていないとすれば、貴族らが骨董品として所有している可能性がもっとも高い。名家のイルバーナ家ならばもしかすると、と淡い期待があった。 しかし、チェシアの表情には変化がなく、彼女は申し訳なさそうに口を開いた。 「原文の複写……ですか。残念ながら、我が家は所有しておりません。すでにこの世にはないものかと。度重なる戦争があり、大図書館も一度は半焼し、大量に資料が失われたと聞き及んでいます。あの場所になければ、ないものと思ってよいでしょう。ですが、『わたしの子エリーナ』について調べているのであれば、歌劇団の演目をご覧になったらいかがでしょうか」 「歌劇団?」 「ええ。彼らはときどき、『わたしの子エリーナ』を舞台で演じるのです。そのように創作の物語を舞台で演じながら、幕間に歌を歌います。歌は、メルギース語ではないようですが」 「歌……」 レトは逡巡するように目を伏せたあと、顔を上げて訊ねた。 「その劇は、どこで観られる?」
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.209 )
日時: 2026/02/14 19:46
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第191次元 或る記録の番人ⅩⅢ 見送りは断りたかったが、それが顔に出ていたみたいだ。チェシアが使用人たちに声をかければ、表門にはイルバーナ侯爵家の使用人たちによる見事な整列が展開されていた。 カナラまで馬車に乗せるだのという申し出にはさすがにお断りをした。レトヴェールはまだろくに市場街道を見物していなかったので、ついでにふらっと寄っていくつもりもあった。 表門には、当然のようにスウランは出てこなかった。代わりにチェシアが家人らの先頭に立ち、彼女が礼をすれば、使用人たちもそれに倣う。 「それでは、レトヴェール・エポール。私は、用を済ませましたら速やかにカナラへ帰還いたしますので。拠点の移動には力をお借りいたします」 「こちらこそ」 顔を上げたチェシアの青い瞳にじっと見られて、自然と背筋が伸びたレトは、彼女の言葉を待った。しかしチェシアは、静かに礼をしただけで、なにかを告げることはなかった。 イルバーナの邸宅をあとにしたレトは、市場街道に下り、人の波にもみくちゃにされながらもなんとか旅の支度を整えた。市場街道では、食料や衣料がずいぶんと安価で手に入ったが、似たような店が所狭しと立ち並んでいて商品の吟味に時間がかかるし、人波のせいで進みも悪い。その大変さも相まって、まだ昼前だというのにレトはすでにどっと疲れていた。 いっそ一泊していきたい衝動に駆られるも、一日動きが遅れれば、歌劇団を捕まえられない恐れがあるので踏みとどまった。歌劇団は国中を転々と移動して興行するのだ。現在はセースダースに立ち寄っているとチェシアから情報を仕入れたレトは、買い物もほどほどにキナンを発った。 歌劇団「ラバ・ラアーン」は、屋根が半分以上崩れ落ちた屋外舞台の上に降り立っていた。セースダースは、サオーリオからエントリアまでの神族の進路にぶつかってしまったために、二都市に次ぐ被害地となった。明朝から夜更けまで互いに声をかけあって、壊れた街の一片を踏み越えてはあちこちへ行き交う住民たちに憩いと励ましを届けるための興行で、歌劇団は一銭も取らずに昼夜歌い踊り、音楽を奏でた。 顔なじみの旅館の館主から街の状況を聞き出して、レトは復興作業の手伝いをさせてもらえないかと頼んだ。ここ数ヶ月は力仕事漬けだったし、吹雪の中で山を超えたのも経験になったはずなのに、呪いによる体力の低下が並走しているせいかやはり息が上がるのは早かった。 休憩の号令がかかったのは深夜だった。けれど、どこにいても忙しなく人の声が聞こえていた。作業場の男たちが歌劇を観に行くというので、それについていけば、ひときわ明るい場所に辿り着いた。瓦礫が多くて物々しい景色だが、街の広場だった。欠けたところの多い石畳の上にじかに置かれた灯篭が、闇夜の中で点々と輝き、崩れかかった舞台の上を照らす。舞台の上では、ラバ・ラアーンの役者が小道具の剣を手にして、見事に舞い踊っていた。 演目は、『わたしの子エリーナ』ではなかった。 『キャンドラ家の真実』という、王政の時代に生まれ広まった民間小説をもとにした脚本だ。ある村の正義感の強い若い青年が、キャンドラという家の生まれの意地悪な領主に立ち向かい、村に自由と安寧をもたらす物語だった。作業の合間に調べた限りでは、歌劇団の創始者は言語学者であり、また音楽家でもあった。 創始者が残した歌曲は数十にも及んだ。そのうえ、すべての曲の詩が古語で書かれており、劇中で歌われたのもまた例にもれず、古語であった。 「"GAS NIC RAUKA"!("真実を白日のもとに!")」 歌詞は丁寧に、紙に手書きされて、観劇者の手元に配られる。レトは、もう片方の手に握っているエインドラの侍女の小箱を静かに見下ろし──確信していた。 盛り上がりを迎える物語の終盤、主役の青年と村の仲間たちが高らかに歌い、舞い踊る姿を見ずに俯いていた観客は、きっとレト一人だっただろう。 "RAUKA"の文字が刻まれた小箱の一面を、舞台上から降り注ぐ光が照らす。 それが意味するのは"真実"──ならば、小箱に隠されていた原文に記されたあの短い文字列は──。 (そういうことか) レトの中で、一つの答えが導き出された。 音楽が最高潮に転調し、重なった歌声が天を抜けていけば、わあっと拍手喝采が湧く。舞台装置が故障しているのか幕が下りてこなかったが、役者たちが勢ぞろいで出てきて、きっちり美しく並んで長めの礼をする。そうすれば、幕引きだとわかった観客席から、また大きな拍手を呼んだ。 観客席に向かってまんべんなく手を振り、役者たちは笑顔で袖にはけていく。数多の楽器の音が重なって共鳴し、街の隅々にまで明るい音を届けていく。音は止まらず、しだいに緩やかな曲調へと変化した。まるで子守歌のようで眠気を誘う音楽だ。観客席や、作業場の近く、道端でも毛布に包まって、そのまま眠ってしまったらしい住民がいた。 レトも、音楽に身を委ねて身体を休めたかったが、頭のほうが冴えてしまって、寝つけなかった。なので旅館に戻ってからログアース村で土産にもらったピーニを絞り、飲み水に加えてそれを飲んだ。なるほどたしかに体温はすぐに上がって、眠気はすぐにやってきた。 明朝。眠りがどれだけ浅くても、冬が近くて風が冷たくても、日が昇ってくれば街人たちは冷水を浴びてまで目を覚まし、しゃんと動きだす。カナラにいるエントリアの住民たちもそうしていた。なんとなく思いを馳せていれば支度が済んでいて、レトは、まだ白んでいる空の下に出た。 そうしてしばらくセースダースに滞在したが、ある日ラジオスタンから大量の物資が届けられた。此花隊の援助部班の異動もあったらしく、街中で見かける人の数が増えてきたので、レトはカナラへと帰還することにした。 カナラに着いたら、まっさきに父を尋ねなければならない。父から出された問いかけに答えが出たからだ。いよいよだというのに、レトの胸中は不思議なほど落ち着いていた。仕事をしていても、食事をとっていても、湯に浸かっていても、常に考え事をしていたから、かえって頭の中が整理されたのかもしれない。 しかし、馬の蹄がカナラへの道の上を駆けて、遠くに街並みが見えてくれば、大人しくしていた心臓の音が聞こえだした。 拠点の移動の話が正式に上から降りてくると、援助部班は拍車をかけて忙しくなった。レイチェル庭園に運び出す物資の調整を終えたばかりなのに、人の出入りがさらに激しくなったものだから入館の記録待ちで並んでいる隊員たちの列を見て、モッカは儚げにため息をついた。次から次へと人を捌き、ついにだれを受け入れたかだれを送り出したか意識しなくなってきた頃、帳簿に目を落としたまま受付をしていれば見知った人物が並んでいることにも気がつかなかった。 「はい、次の人ー。所属は?」 「モッカさん。俺だけど」 帳簿に注いでいた視線をあげれば、列の先頭にはレトが立っていた。モッカは目をぱちぱちとさせたあとで、ぱっと表情を明るくした。 「アラ! おかえりなさい、レトくん~。ごめんネ、バタバタしてて。仕事はひと段落ついたのかしら?」 「いや。これから」 「これから?」 「ハルシオ・カーデン班長は屋敷の中にいるか? どこかに出てる?」 「研究部班の班長さん? 今日は記録をつけていないワ。だから、いるとしたら、研究部班が使っている一階の奥の遊戯場かしら」 わかった、と短く返事をして、レトは受付を終えると遊戯場に向かって歩きだした。 研究部班が遊戯場をあてがわれたのは、部屋の広さが十分にあるからだ。遊戯場にあった卓台や小道具は隅に追いやられ、研究部班がウーヴァンニーフから持ちこんだ荷物の山が広大な部屋を埋め尽くしている。もはや遊戯場の面影はまるでなく、ウーヴァンニーフの研究棟の調査班の部屋が、ちょうどこんな感じで、棚や書類で溢れ返っていたのをレトは思い出した。 部屋に入ると、研究部班の班員たちがみな振り返って、物珍しそうにレトを見ていたが、彼はその視線を振り切って、奥へ向かっていく。 やがて、背の高い棚と積まれた荷物の隙間からアノヴァフの横顔が見えると、彼もレトに気がついて、顔を上げた。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.210 )
日時: 2026/02/18 12:48
名前: 瑚雲 (ID: ylrcZdVw)
第192次元 或る記録の番人ⅩⅣ アノヴァフの執務机は、四方八方をうず高い書物の山に囲まれていた。片づけが不得意なセブンの執務室と良い勝負かもしれない。それらに目をやっていれば、アノヴァフのほうがレトヴェールに声をかけた。 「帰ってきたか」 「ああ。場所を変えてくれ」 アノヴァフは、仕事道具を持ち歩くようにしているのか、数冊の書籍を抱えて執務机から立ち上がった。机の脇に聳える本の山の中腹からは雪崩れが起きているのに、アノヴァフも気にしない性分なのだろうか。床に散らばった本を片付けるのではなく避けながら、彼はまっすぐ、遊技場の出入口に向かった。 ゆっくりめに歩く彼の後ろについていき、螺旋状の階段昇って二階に上がれば、覚えのある廊下が見えてくる。突き当たりに豪華な花瓶台があり、左右に別れた廊下にはそれぞれ客室が並んでいる。 空き部屋の扉を開けて中に入ったアノヴァフに続いて、レトも入室する。しばらく謹慎処分で世話になった部屋とは違う部屋だが、広さも匂いも調度品もほとんどおなじだった。 レトは、扉を閉めると口を開いた。 「古い文献を集めてるそうだな」 「前置きは必要ない。答えを告げにきたのだろう」 「そのせいで大変だったって言ってんだよ」 レトがため息交じりに返す。鋭い切り口で先を促すアノヴァフに、こちらも思わず嫌味をこめて切り返してしまったが、やりづらさを感じないのは、言葉の端々の冷たさがどこか自分と似ているせいだろう。 もちろん、世間話をしにきたわけではないレトは、彼の顔に視線を定めて、切り出した。 「ウーヴァンニーフの大図書館に、『わたしの子エリーナ』の原文の複写はあったか」 大図書館から多くの古い文献が貸し出されていた。それも貸し出した先が此花隊の研究部班となれば、アノヴァフの指示だろうとレトは予想していた。予想通り、アノヴァフの執務机の周りにはそれらしき書物が山積みになっていた。アノヴァフも心当たりがあるらしい目をしていたが、やがて小さく首を横に振った。 「いいや。ない。おそらく十四年前の戦争で焼失した」 「……そうか。ないなら、いいや」 すでにこの世にないこともレトは覚悟できていた。だから、すぐに取り出せるようにしていた。レトは、上着の内袋から真新しい封筒を取り出す。さらに封筒の中から古い紙を丁寧に引き抜いて、それをアノヴァフに差し出した。 アノヴァフが無言で受け取り、寝台に腰を下ろすと、レトは続けた。 「ログアース、という北西の山奥にある村を訪ねた。そこで、エインドラ女王の侍女が村に残した王家の遺物を預かった。それは遺物に隠されていたものだ。遺物は六面体の小箱で、六つの面には古語が刻まれ、そのうちの一つ、"真実"と刻まれた面に仕掛けがあったから解いた。そうすると中からはたった一枚だけ……その古めかしい紙が出てきた。おそらく……『わたしの子エリーナ』の原文の一部だ。文章は物語調ではなくどちらかといえば語り口調だけど、間違ってないだろう。それはその冒頭の部分。証拠に、文章がつらつら書かれていないほうの裏面には、表題らしい短い文字が書かれてる」 レトが、指を立てて、紙をひっくり返せと言わんばかりに指し示すと、アノヴァフは従った。彼の視線が紙の下のほうへ滑っていくのをたしかめてから、レトは言った。 「端に書かれた短い文字は、一部掠れているが……──"RAUKA E IS"(ラウカエイズ)。現代語で発音しやすくするなら……"ロクアンズ"。つまり、"ロクアンズ"とは、童話の表題からつけた名前だ」 「……」 「それにこれは、ただの文字列じゃない。文章として成立した言葉だ」 「"RAUGEIS"(ログアース)だとは思わなかったのか」 「最初はそう思ったけど、一文字入れるだけにしては空白が空きすぎてるし、よく見れば"E"と"IS"の間にも、若干の隙間がある。あんたがその指摘をするってことは、逆にログアースじゃないんだろ。それに、成り立った文章の意味を考えれば、"RAUKA E IS"以外にはありえない」 「では、文章ラウカエイズ の意味は」 アノヴァフが顔を上げた。そして彼は口元を結ぶ。レトが答えを告げるのを、待っていた。 セースダースで歌劇団による古語の歌を聞いたレトの脳裏にはあのとき、遠い過去の記憶が唐突に呼び起こされていた。キールアの母、カウリアが、生まれた息子にイズリアと名づけたのに対して、"IS"「イズ」とは娘という意味を持つのだとエアリスが返していた。単語の意味だけなら知っていたレトは、"IS"と書けば「イズ」と発音するのだと同時に知った。そして、自分を指す"E"は「エ」もしくは「エィ」と発音する。それは最近、ルノスも手紙の上で鼻高々に語っていた。 最後に、"RAUKA"は──歌劇『キャンドラ家の真実』の主人公が、声高に「ラウカ」と歌っていた。そのときのレトにとっては、まるで、すべての真実さえ物語った歌であるかのようにも聴こえていた。 レトは意を決して、告げた。 「"RAUKA E IS"の直訳は、『真実、私の娘である』。つまり、────"私の本当の娘"、という意味だ」 固く手を握りこめば、火傷のあとに皺が寄って、痛みが走る。しかしいざそれを告げた胸中のほうがよほど、怖いくらいにばくばくと脈打った。 旅の帰路で整理をつけたはずの感情が、ふたたび熱を帯びて、レトの喉奥をじりじりと焦がす。レトは、この答えに辿り着いてからほかの可能性も探ってみようとした。しかしいくら考えても浮かんでこなかった。はまり合った情報の欠片の中から納得のいかない欠片を取り除いても、空いた穴の形にはそれしかはまらない。そのうえさらなる疑問が次から次へと湧き出してきた。レトは、胸に抱えていた思いの丈を、喉の奥の熱とともに吐露する。 「本当の娘って……どういうことだ? 母さんとロクは、血が繋がってるのか? 母さんが、あいつをカナラで拾ったって言って、家に連れてきたのは十二月二十五日だった。母さんがデスニーから呪いをかけられて、死んだのも、ちょうどその前後だった。それも偶然じゃなかったんじゃないか?」 アノヴァフのすぐ目の前までレトは距離を詰めた。そして人形のように顔色を変えない彼の胸ぐらを掴みあげ、真に迫った瞳で問い詰める。 「俺の考えが間違ってないなら、答えろよ。知ってること全部! 父さん!」 アノヴァフは、黙っていたが、レトの手を払いのけることもしなかった。しんと静まり返れば、よりいっそう部屋の空気を冷たく感じた。しばらく二人は視線だけを交わし合った。やがて、アノヴァフが小さく口を開いた。 「正解だ。ロクアンズの名前は、お前の言うように、『わたしの子エリーナ』の原文、ラウカエイズからつけられた。名前を考えたのはエアリスさんだ。彼女は古語の表現を好んでいて、ラウカエイズは特別に好きな言葉だと言っていた」 赤くなりだしたレトの手を、ようやく、優しい力ではがした。そして脇に寝かせていた二冊の本の間からなにか薄い紙束を引き抜いた。引き抜かれたそれは端々がぼろぼろで、ひどく劣化している。 「さきほどお前に嘘をついたことを詫びる。これが、現存する『わたしの子エリーナ』の原文の写しだ。しかしこれも半分以上が焼け落ちている。状態はよくはない」 紙束の表紙には"RAUKA E IS"という大きな文字が飾られており、レトは、アノヴァフの手元にあるそれに視線が釘付けになった。アノヴァフは続けた。 「彼女は俺に、俺がお前に訊ねたことと、まったくおなじ問いかけをした。ロクアンズという名前の意味がわかるかと。そして、空白の歴史を知る覚悟をともにしてくれるか、と」 「……は?」 「約束通り、お前の訊きたいことにすべて答えよう。まずは彼女……エアリス・エポールとロクアンズという神族の、本当の出会いについて」 アノヴァフが、紙束を下げて、毛布の上に寝かせる。 このときようやくレトは父と目が合った気がして、そして、無彩色な瞳の奥がほんのわずかに淡く色づいたようにも見えた。 彼は小さく口を開き、語りだした。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.211 )
日時: 2026/02/23 13:20
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第193次元 或る記録の番人ⅩⅤ 「二人目は難しいかもしれないね」 昨年、北のドルギースとの間で一時休戦の宣誓が交わされたものの、その余波はまだ北東を中心に全国を蝕んでいた。サオーリオから仕入れていた純水を治療に用していたカウリアは、それがなかなか手に入らなくなったので、しかたなく手間をかけて精製している。そんな世間話を、エアリスの家にやってくるなり茶を飲みながらぐちぐちとこぼしていたカウリアだったが、それもほどほどにして、検診の結果を切り出した。 まだ首の座っていない赤子が、エアリスの腕の中でふにゃりと顔をゆがませる。泣き出しそうだったが、赤子は、ふいに大人しくなった。代わりにエアリスがしばらくの間放心していた。 「そう……」 「近頃じゃ珍しくないよ。戦が終わったって、精神的な負荷は残る。母親の不安が胎内の子に移ったりもするだろう。身体の方が変わっちまうのさ。どうしてもほしいのか? エリ」 「私、兄弟がいないの。母は早くに亡くしてしまったし、父は出稼ぎに行っていたから……。小さい頃に相手をしてくれたのはカラ、あなただけだった。大変なときも、兄弟がいたら支え合えるものでしょう。この子には……私とおなじ思いをさせたくないの。それに、ものすごく大切な宝物ができたみたいだわ、子どもって」 エアリスが、腕の中でうとうととする赤子の顔を見つめる。まだ産まれたばかりのレトヴェールを優しく揺らしていれば、笑みがこぼれた。 そんな二人を見て、カウリアが息をついた。 「宝物ね……。あんの学者野郎は、二言目には仕事仕事でほとんど顔見せやしないもんな。あんたの父といい勝負だ」 「もう。アノヴァフさんは優しい人よ。忙しいのに、いまは月に何度も帰ってきてくれるし……」 「はいはい。あんたの目には、ずいぶんいい男に見えてるんだったな。でも、気持ちはわかる気がするよ」 「イスリーグさんもいい人だものね」 「そっちじゃなくて。宝物。子どもを持つってことの気持ちがね」 頬杖をついて、じっとしているレトを見つめ、カウリアも口元を緩ませた。今日は、夫のイスリーグにキールアの世話を任せてきている。レトよりも半年ほど早く生まれたキールアはいまごろ、夫手製のおもちゃにべたべたお手つきをしている頃だろうか。 表情が柔らかくなっていることにカウリア本人は気がついていなさそうだ。彼女がまた、茶器に口をつける。キールアを授かるまでは真昼から夜更けまで酒瓶を煽っていた彼女が、きっぱりとそんな習慣をやめた。エアリスは、それがなんだか嬉しかった。 「寂しい思いをさせたくないってのはわかるけど、こればかりは、授かりもんだ。一応薬は出しておくけどさ、大丈夫だよ。うちのキールアも同じ歳だし、あたしらみたいに、遊ばせたらいい。勝手に仲良くするだろう」 「ええ。そうね。ありがとう、カラ」 「どうってことないよ。あたしが親友でよかっただろう」 からからとカウリアが笑う。それからは、もっぱら子育ての話で盛り上がった。二人で話していると、子どもの頃に戻ったみたいに時間を忘れた。夕刻には、半泣きのキールアを背負ったイスリーグが、おなじように顔をくしゃくしゃにしながらエポールの家の玄関を叩いたので、二人で顔を見合せて笑ってしまった。 運命のような"その日"は、三月が経ったある冬の夜に、突然訪れた。 二月前に、アノヴァフが仕事に戻ってしまって、家の中には、自分と赤子の二人きりになった。お金のことは夫の収入に頼っていたので、エアリスは一日中、レトと一緒だった。 その日の夜は、特別に寒い風が吹いていた。もう一枚毛布を被せてレトを寝かしつけてから──といってもレトはどこでもすぐ寝る赤子で、夜泣きもほとんどしなかった──寝台に入り、エアリスは、自身も眠りついた。無意識のうちに夢の中へと沈みこみ、こんこんと、意識の深いところに落ちていく。 《エアリス》 ──は、と目を覚ます。 頭の奥で不気味な声がして、エアリスは飛び起きた。毛布を強く掴む手にどくどくと血が流れる。心臓は激しく脈打ち、腹の底からは、妙な痛みがせりあがってきていた。 額に浮いた大粒の汗を拭い、エアリスはきょろきょろとあたりを見渡した。 (だれか、私を呼んだ?) しかし、近くには、赤子用の寝台で眠るレトが、すうすう寝息を立てているだけだ。 そうしているうちにも頭の奥からはじりじりと痛みがにじり寄ってきて、エアリスは、額に手を当てて項垂れる。ぼうっとする視界に、ふいに映像が浮かんでくると、エアリスは意識もなかばに呟いていた。 「泉……」 向かわなくては。"そこ"へ──なぜだか、そんな衝動が身体中を支配して、エアリスは寝台から降りていた。そしてなにかに突き動かされるように、赤子のレトを一人部屋に置いて、上着と明かりだけを持って家を出た。 ふらふらした足取りで、エアリスは村の外れの林道に入っていく。野鳥の群れが、ばさばさと翼をはためかせて夜空に飛び立つ。虫の声と月の光が林道に降り注ぐ。それらに導かれ、エアリスは人気のない道を歩き進んだ。 彼女が辿った道は、林の奥深くにある無人の聖域──"エインドラの泉"に繋がっていた。 水面はまんまるい月の光を抱きこんで、きらきらと眩しく輝き、静かに凪いでいる。ここには、風の鳴き声と、広大な泉と、不思議と心地の良い静けさだけがある。エポールの人間だけが立ち入ることを許された王域であった。女王エインドラに縁があり、"エインドラの泉"と呼ばれているが──その仔細を知る者はいない。 エアリスは、泉のふちに立って、ゆらめく水面と夜の静けさとを隔てる水平線を、ぼんやりと見つめた。 そのときだった。泉の水面が、とくん、とくんと、小さく波打ちはじめる。波はやがて水柱を噴く。ちょうど中央を囲むように水柱が林立し、目を見開いたエアリスの頭の上から、こまかな水しぶきが降り注いだ。 泉の中央に、水が湧く。 ぶくぶくと湧き出で、なにかが隆起する。湧いては沈み、沈んでは湧いて──を繰り返した水は、徐々に形をなしていく。隆起したなにかは、ひだのような水の薄膜を頭部らしきところに被って、そしてゆっくりと水面を滑ってエアリスのすぐ目の前まで躍り出た。 《エアリス・エポール》 エアリスは声が出せなかった。自分が見ている光景は、夢なのだろうか。静かだった泉の水面が突然に変異して、従者のごとく立ち並んだ水柱たちが開けた道を、得体の知れないなにかが悠々と歩いてくる。それは、まるで人間の女性のように細い身体をして、この世のものとは思えない美しい声音でエアリスに語りかけてきた。 《貴方の腹に私の子を宿します。産み育て、いずれ時満ちれば人の剣となり盾となりましょう》 水の女性の声は、それきりだった。エアリスは頭の中がぐらぐらしていて、かろうじて小さな声を絞り出したのに、そのときざあっと強く吹いた風の音にかき消されてしまった。冷たい風がエアリスの肌に突き刺さる。薄く瞼を開けたとき──泉の水面はもう、静かに凪いでいた。 はっと息を吸いこんだ。見慣れた木目の天井が、視界に入ってくる。窓の外からは朝日が注がれていて、毛布の上に淡い光を降らしていた。 「……あ、朝……」 エアリスはゆっくりと上体を起こした。上着は着ていない。足先までしっかりと毛布で覆っていた。 「! レトヴェール……!」 我に返った彼女は慌てて起き上がって、レトの寝ている寝台を覗いた。昨晩、たしかに、彼を置いて家を出た。どうしてまだ幼い赤子を置き去りにできただろう──罪悪感が急に沸騰して、エアリスは心臓が握り潰されるような心地になったが、幸いレトは大人しく眠っていた。寝かしつけたときのままだ。 エアリスは深く息をついて、へたりこんだ。 (夢……だったんだわ) だんだんと、そんな気がしてきて、エアリスの心が軽くなった。力が抜けてしまって動けなかったが、しばらくすれば調子を取り戻して朝の支度をはじめた。 奇妙な夢を見たことは、すぐに忘れてしまった。朝食の準備をして、なかなか起きないレトをそっと起こして、二人で食事をとって、彼を背中にくくって水仕事や掃除に勤しむ。母親の朝はめまぐるしくて、なにもかもあっという間に片づけていれば、ささいなことには気も留まらない。 玄関の壁にかかっている角灯の中に、短い芯の残った蝋燭が立っていた。
Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.212 )
日時: 2026/03/01 20:09
名前: 瑚雲 (ID: 82jPDi/1)
第194次元 或る記録の番人ⅩⅥ 泉の夢を見た日から、しばらくして、エアリスの身体に異変があった。昼になっても眠気が続き、食事も思うように進まず、疲労もたまりやすい。まるでレトヴェールを妊娠していたときの症状だ。似ていたり、逆にそれほど重くなかったので、気がつくのが遅れてしまった。 月のものがもうひと月はきていないのが極めつけとなった。いよいよ疑問が強くなってきたエアリスは、レトを連れてカウリアの家を訪ね、検査を頼んだ。 質疑と触診を終えたカウリアが、一息ついてから、エアリスに笑みを向けた。 「驚いたな。ああ、いるよ。おめでとう、エリ。懐妊だ」 エアリスも驚いて目をまんまるにした。開いた口が塞がらない彼女の顔の前で、カウリアが大げさに手を振る。そして不思議そうに首を傾げた。 「なんだい、その顔は。てっきりものすごく喜ぶんだと思って、踊り出しそうになっちまったよ。おーい。嬉しすぎて、言葉がないのか?」 「……」 「あれ。でも、あんたんとこの旦那、二月か三月前には、もう仕事に出てなかったか? 帰ってきたのかい? ずいぶん早いね。子のほうは、まだ三周か四周目くらいだと思うけど」 おそらくこのときは、「ええ、そうなの」とでも答えたのだろう。衝撃のあまり、そこからの記憶があまりなかった。カウリアの家をあとにして、買い物をして、帰宅をして、レトの世話をして、はっと我に返ったのはもう夜も遅い時間だった。 けれどエアリスは筆を執り、急いで文をしたためた。そして翌日、カナラの街の役所に向かった彼女は、その手紙を出した。 夫、アノヴァフに話をしなければいけなかった。 めったに甘えたことを言わない嫁から、「急ぎお伝えしたいことがあります。どうか帰ってきてはいただけませんか」──なんてしたためられた手紙が届いて、ウーヴァンニーフの研究棟の執務室にいたアノヴァフは、動揺して資料棚に肘をぶつけ、大量の書物を床に落としてしまった。音を聞きつけた警備班が駆けてきてくれたのを詫びる。彼は改まって、また手紙に注意を戻した。 エアリスはこれまでに一度も、仕事に出た自分を家に呼び戻すようなことはしなかった。良妻の鑑のような女で、帰宅をすると伝えていれば温かいご飯を用意し、湯を沸かして待っていてくれるし、仕事で長らく空ける日の朝には明朝から起きて準備を手伝い、眠たそうな素振りも見せず、笑顔で見送りをしてくれる。 それが急ぎの用事だなんて、よほどのことがあったに違いない。アノヴァフは仕事を調整して、実家に帰宅することにした。 村に到着して家路につくと、しだいに良い匂いが漂ってきた。香ってくる方向を見れば、自宅の屋根が見えていた。アノヴァフの好きな根菜の煮物と、ぱりぱりに焦がしたような焼き魚の匂いが、だんだんとわかりやすくなってくる。それにつられるようにして、並んで敷かれた石畳の上を踏み、自宅の玄関に着いた。扉を数回叩けばすぐに開いて、エアリスが顔を覗かせる。彼女はアノヴァフの顔が見えると、頬を緩ませた。 「おかえりなさい、アノヴァフさん」 「ただいま戻りました」 「お湯を沸かしてあります。お疲れでしょうから、先に入っていらしてください」 アノヴァフは頷いた。エアリスに手荷物を預け、家にあがる。二月前しか家を空けていないので懐かしさは感じないが、春を迎えようとしているためか、洗濯されたばかりの分厚い毛布などが重ねられ、居間に置いてある。押し入れにしまうはずだとなんとか思い出したアノヴァフは、それを彼女の寝室に運んだ。それから入浴のために、家のいちばん奥まで向かう。狭いながらに質の良い木材で組まれた立派な湯殿があるのだ。湯はほどよい温度で沸かされていた。 よほどの話があるだろうから、いつ切り出されるのだろうと、アノヴァフはエアリスの顔色を伺っていたが、彼女はアノヴァフが帰ってきてからずっと忙しそうにあちこちしていた。いや、彼が帰ってこない日でも、生まれて間もない赤子がいるのだから忙しいに違いない。妻の仕事の邪魔をしないよう部屋の隅にでもいようとしたが、ふと、大きな寝床でぐっすりしているレトのふくふくした顔が目に入って、そちらに寄った。 触れるでも抱き上げるでもなく、じっと見つめていたから、それを面白がったのか、通りかかったエアリスがくすくすと笑った。 「この子は……俺がいつ帰ってきても、寝ていますね」 「ふふ。どうやら、寝るのが好きみたいなんです。夜泣きもしないで、いつもぐっすりなんですよ。ほかの子とすこしちがうようなので、心配ですが……」 「ほかの子どもと違っても、焦ることはありません。この子は、これでずいぶん安心しているのかもしれない」 「そうですね。ああ、せっかくですから、抱っこしますか? 早いもので、もうけっこう重たいんですよ」 「……いいえ。あまり泣かないというのに、俺が抱いたら、大声で泣いてしまうかもしれない」 「そんなことはないと思いますけれど」 常に大人しく冷静で、なにを考えているかわからないと──主にカウリアから──定評のあるアノヴァフが、赤子との触れ合いに躊躇をしがちなのが、エアリスはいつもなんだかおかしかった。ほらぜひと押してようやく、レトの手元に指を伸ばし、そして強く掴まれるとびっくりして彼は肩を震わせる。 そんなアノヴァフの横顔を眺めて、エアリスは言った。 「呼びつけてしまって、ごめんなさい。お忙しかったでしょう。ウーヴァンニーフからでは、ここは遠いですし」 「問題ありません。仕事は調整しました。しばらくは、エントリア領内にいれば、仕事ができます」 「え? なにもそこまで……」 「急ぎ伝えたいことがあると、手紙に書かれていました。よほどのことなのではないですか。何でしょうか。言ってください」 まっすぐエアリスを見つめてアノヴァフが言えば、彼女は視線を返して、彼を食卓に促す。 沸かしておいた湯で茶を淹れて、エアリスは台所から戻って来た。それを机の上に並べると、彼女はお盆もゆっくりと置いて、彼に向き直った。 「驚かないで聞いてください。そして、どうか、あなたに対して不義な行いをしていないと信じてくださいますか」 「ええ。わかりました」 「私のお腹の中に、神様の子がいるようなのです」 エアリスが、お腹の上にそっと手のひらをやった。 アノヴァフは驚いてすこし目を見開いたが、取り乱すようなことはなく、冷静に続きを促した。 「……神様の子? というのは」 「すこし前に、夜、だれかに名前を呼ばれて目を覚まし、呼ばれるがまま村のはずれにある、エインドラの泉に向かいました。そこで、泉が突然に変容して、いくつも水柱が立ち……やがて水の一部が女性の姿へと変わって、私に告げました。『貴方の腹に私の子を宿します』と……」 エアリスはあの夜の出来事を包み隠さず、すべてアノヴァフに明かした。アノヴァフは静かにそれを聞いていた。だからエアリスも口からすんなりと言葉が出てきて、続きを話した。 「次に目を覚ましたとき、家にいたので、ただの夢だとそのときは思ったのです。でも……日を追うごとに、私の身体にも異変があり、まるであの子を妊娠していたときのような症状が立て続けに起こるのです。不思議に思って、カラに診察を頼みました。そうしたら……新たな命を授かっていると。だからあれは、夢ではなかったのだと思い直しました。そしてそのように、他人のお腹に命を宿すだなんて……神様にしかできないことではないかと思ったの」 エアリスは玄関に置いてある角灯に、不自然な長さの蝋燭が立ったままなのを見つけ、考え直したのだった。やはりあの光景も、出会った女性も、彼女の言葉も夢ではなかったのだと。話すにつれ、指先が凍ったように震えだしていた。まだ無表情でいるアノヴァフの顔色を伺い、エアリスはおずおずと言った。 「あの、アノヴァフさん。初めに申し上げた通り、私は決して……」 「はい、わかっています。あなたは誠実な女性だ。俺はあなたを疑っていません。気になることがあります」 「気になること?」 「その泉で現れた女性は、どのような姿をしていましたか? 詳しく聞いてもいいでしょうか」 エアリスは夢の光景をできるだけ鮮明に思い出そうと、真剣に考えこみながら言った。 「そうですね……。そのときに見た光景は、すべてはっきりと覚えていますが、なぜか女性の姿は妙にぼんやりしていて、よく思い出せないのです」 「では、あなたの母君については、顔を思い出せますか」 「え? 私の母、ですか? いいえ……幼いときに病で倒れて、亡くなってしまったので、覚えておりません。ただ……。ああ、そういえば、髪の毛はとても長くて、身体はとても細かったように思います。ちょうど、泉の女性も、似たような姿をしていました」 「……」 「それが、どうかなさいましたか?」 アノヴァフは、エアリスの話を聞いて、しばらく黙っていた。そしてなにか確信を得たらしく、彼女のほうへ向き直ると、一層真剣な声色で告げた。 「あなたの考えは間違っていないと思います。おそらく、泉で出会った女性とは──創造神ヘデンエーラ。神様なのでしょう」
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