コメディ・ライト小説(新)

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.27 )
日時: 2020/06/24 10:45
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第024次元 君を待つ木花Ⅰ

 次元研究所此花隊本部の東棟は、中央棟や西棟に比べて新設さながらの整然さを感じさせる内装になっている。というのも、近年立ち上がったばかりの『戦闘部班』が、その東棟に身を置くことになったからである。かの班員たちのために施設の改造及び工事をなされたばかりの東棟だが、当然のことながらほかの棟と比べて人気が圧倒的に少ないため、そんな新鮮な空気を吸える者はごく一部に限られる。
 
 そんな中、ただ広い廊下を忙しない様子で渡る人影があった。黒い隊服をきっちりと着こなし、足早に目的地へと向かうコルドは、数十分前に戦闘部班の班長であるセブンに呼ばれていた。
 班長室の扉の前に立ち、彼は扉を叩いた。そして入室する。

 「お呼びですか班ちょ……は、班長?」

 コルドは、長机に突っ伏していびきを立てているセブンの後頭部を認めると、やや眉をひくつかせた。コルドは長机に近寄る。

 「あの、班長……セブン班長!」
 「うわぉっ!? ……えっ!?」
 「いまは勤務時間内です。なに寝てるんですか」
 「あ、あはは……いや? 背徳感という名の昼食を味わっていたところさ」
 「食べすぎには気をつけてくださいね」
 「……もちろん、だとも……」
 「はあ……。ああ、ところで班長。ご用件は」

 「ああ、そうだった」と言いながら、セブンが長机の引き出しからを取り出したのは小型の器具だった。
 似たような形のものを2つ、机の上に並べる。

 「! これ……」
 「君に頼まれていた件を調べてみたよ。この間、離島の競売場で君が回収したこの通信具だが……たしかにうちの研究部班が開発したものと、構造が酷似していた。ただ、製造者独自の改造がされていて、多少は全体の構造にちがいがある。だが部品や細部のこだわり方が、うちのものとまったく同じだ」
 「そ、そんな……」

 コルドは驚きのあまり、長机に両手をついて身を乗り出した。

 「この通信具は、あの研究部班班長が──『元力』を応用して開発したものです……! それをいったいどうやって」
 「……知っての通り、この研究所での研究内容は、他所に漏らさないよう厳重に管理させている。全隊員に共通していることだ」
 「──……情報漏洩ですか」
 「その可能性が高いだろうね」

 固唾を飲みながら、コルドはゆっくりと机から手を離した。
 
 「……。競売会の主催者は、人身と贋作の売買を主とする、裏では名の通った商人でした。そんな輩が、我々が開発した物を所持していたとなれば……」
 「実はその件で、つい先日政会に呼ばれてね。厳重注意ということで事なきを得たが……今後また問題が起きれば、処罰は免れないだろう。向こうにはしばらく頭が上がらないな」
 「……」
 「まだ内部の人間の仕業だと決まったわけじゃない。ただ可能性が高いというだけだ。もしかしたら外部の人間による策略かもしれないしね。……ただ、今後はすこし、研究部班のことも見るようにしてくれないかい」
 「は」
 「頼りにしてるよ」

 通信具を机の端によけたセブンは、反対側の端に重ねて置いてあった紙束を手に取った。

 「報告書を読んだよ。改めて、アルタナ王国での任務、ご苦労だったね。……まあ、すこし、大事があったみたいだけど」
 「……はい。その……面目ありません……」

 セブンは報告書を束をぱらぱらとめくりながら、苦笑をこぼした。

 「いやあ……だけど、すごいな。国の王女と親交を深めて帰ってきただけでも十分な成果だと言えるんだけど……まさかその王女の誘拐事件を解決して、亡くなったとされていたライラ第一王女殿下の生存も明らかにし、さらには国王陛下の怒りを買ってもなおエポールの名で脅しかけ……すべてを丸く収めてしまったとはね。はは。だめだ、感心を通り越して笑ってしまう」
 「私はいつ首を刎ねられるかとひやひやしていましたよ、班長。……正直、いまだに信じられていません。あの国で見たものがぜんぶ夢だったかのような気分です」
 「しかし、夢ではないらしい。ルイル王女とその付き人のガネスト君が、この研究所に来たんだから」

 報告書の束の中から、『新規入隊の申請書』と書かれた2枚の紙を引き抜いた。そこにはルイル・ショーストリアとガネスト・クァピットの名前と、アルタナ王国の国章が記されている。
 
 「2人は、本当に入隊するんですか?」
 「いま政府に申請を出してるところでね。アルタナ王国はメルギースと親交の深い国だし、なにより2人は次元師だ。許可は下りると思うよ。ただ、それまでは『アルタナ王国から留学してきた』という体で、丁重に扱わせていただくけどね」
 「ということは、いまは宿泊棟に?」
 「ああ。たまにロク君を見かけるよ」
 「……本当に、班長の言う通りでした。あの2人には驚かされましたよ」
 「私もだよ」

 眉を下げ肩をすくめながら、セブンはその申請書を紙束の上に重ねた。それを、コルドは目で追っていた。

 「それにしても、班員が増えてなによりですね」
 「本当にね。嬉しい限りだよ」
 「……あの、セブン班長。この戦闘部班という組織の立ち上げを思い至ったのは、班長ご自身でしたよね?」
 「そうだよ」
 「このようなことを聞くのは失礼かと存じますが……どうして、戦闘部班という組織の立ち上げを?」

 セブンは、顎をさすりながらすこしだけ目線をずらした。

 「いまが好機だと思ってね」
 「好機?」
 「元魔が活発化してきているとはいえ、いまはまだ想定の範囲内に留まっている。依然として神族は姿を見せず、まだその勢力に怯えるときじゃない。彼らがすぐに攻めてこないのは、なにかの時期を待っているんじゃないかと私は推測しているんだ。この機に、次元師たちを育成し、きたる時に備える……。そのようにお伝えしたら、隊長が自ら政会に赴いてくださってね。もちろん時間はかかったけれど、結果的に了承を得られた。政会の監視つき、だけどね」
 「隊長自ら……ですか。あまりお会いしたことがないので、どんな御方なのかもいまだに……」
 「お忙しい方だからね」
 「ですが、新しい組織の立ち上げに尽力してくださったわけですよね。噂では鬼のように恐ろしく、気難しいから感情も見えづらいと……」
 「……本当に、なにを考えているんだか」
 「え?」
 「ああいや、君の言う通りだよ。話すときはいつも緊張してる」

 はあ、とよくわからないままコルドが返事をすると、セブンは丸めていた背中を起こした。

 「さて、と。最後にもう1件」
 「はい」
 「ついさきほど、元魔の出没連絡が入った。南方のローノ支部だ。2人を連れて行ってくれ」
 「……ローノ?」
 「場所がわからなければ地図を渡すよ」
 「ああ、いえ。班長、よくローノの調査報告を読んでいらっしゃいますよね」
 「え? あ、ああ。向こうにいる隊員たちにもよろしく伝えてくれ」
 「はい」

 コルドはしっかりと頷いて、班長室をあとにした。



 「──ということで、出動要請だ。南方の支部だから距離がある。準備は怠るなよ」
 「おっけー!」

 集会所の隣に構えている談話室で、コルドはロクアンズとレトヴェールを捕まえた。さっそく元魔の件を伝えると、2人は頷いた。
 椅子から立ち上がる2人を見ながら、コルドは、すこしだけ顔を苦くした。

 「悪いが、俺はちょっと用事を済ませてから行く。先に向かってくれるか?」
 「え? それはいいけど……あたしたちで行っていいの?」
 「ああ。頼んだぞ」
 「やったー! まかせてっ、コルド副班!」
 「あんまり無茶はするなよ」
 「わかってるって~!」
 「……本当にわかってるのか? ったく……。レト」
 「ん」
 「ロクのこと、ちゃんと見といてくれな」
 「……」

 コルドは、片手にファイルや紙束やらを抱えて、談話室から出ていった。

 「……めずらしいな」
 「? なにが?」
 「元魔討伐に、俺たちだけでなんて。ちょっと前までぜったいに許さなかったことだろ」
 「ん~? まあそうだったような気もするけど……いいじゃんいいじゃん! 次元師として、あたしたちの力を認めてるってことだよ!」
 「……」

 (……──"あたしたち"っていうより……)

 レトは、ちらっとロクを横目に見る。嬉しそうにはしゃぐロクの顔は、新しいおもちゃを与えられた無邪気な子どもそのものだった。しかしその顔つきは、アルタナ王国へ向かう前といまとですこしちがうような、そんな気がしていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.28 )
日時: 2018/08/16 08:25
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: zjy96Vq7)

 
 第025次元 君を待つ木花Ⅱ
 
 目的地である『ローノ』という町は、エントリアよりも南に位置している。規模は国内最大都市のエントリアに遠く及ばず、ややこじんまりとした町ではあるが、周辺が村や集落で囲まれているため最南の地方では唯一の都会という扱いになっている。町中に漂う空気も長閑のどかそのものだった。

 エントリアを出発してから数刻が経過している。いまにも落ちそうな陽の残り火で、森は橙色に焼けていた。
 ロクアンズとレトヴェールは二手に分かれ、元魔の捜索を開始した。
 やる気満々な様子で山道を駆けていったロクとは裏腹に、レトは嫌々といった顔で草木を掻き分けていた。整備されていない獣道を歩き続けるには根気が必要だった。すこしつらくなってきたのか、レトは早々に息をついた。
 そのとき。遠くのほうで、雷鳴が轟いた。

 「! ロクか?」

 轟音は止まなかった。夕焼けを散らす雷光が、レトのいる場所からよく見えた。レトは進行方向を変え、その光を目印に林の中を突き進んだ。
 ロクがいるであろうその場所にレトが辿り着くと、すでに彼女の周囲には、炭のような黒い残骸が散らばっていた。
 
 「──雷柱!!」

 雷撃は円柱を象り、地面から一直線に伸びて空を横断する。ロクの目の前にいた元魔は、立ちこめる土埃の中から飛び出した。元魔は従来通り、黒や灰、茶が混じった泥色の肌をしていた。その体長はロクの体躯を悠に超え、相変わらずどの動物とも似つかない外観をしている。頭部は大きく腕はなかった。代わりに、奇怪に伸びた3本の足が宙を泳いだ。

 「逃がすか!」

 土を蹴り上げたロクが、樹木から伸びる太い枝に飛びつく。そのまま勢いに乗ってぐるりと全身を回し、華麗な動きで枝の上に着地した。
 前方の木の葉にしがみついている元魔を、その目で捉える。

 「──落ちろ! 雷撃!!」

 伸ばした掌を起点に、雷が飛散した。反動ですこし仰け反る。雷光は横殴りの雨を思わせる鋭さで元魔の全身に突き刺さり、叫喚を促す。ふらりと身体を傾かせた元魔が、地面に向かって落下する。
 ロクも飛び降りた。落ちていく黒い肢体に掌を向ける。

 「五元解錠──!」

 しかしそのとき。元魔の頭部が歪んだ。ぐちゅぐちゅと不快な音が響くと、刹那、顔らしき球体の一点から液体のようなものを細く噴き出した。
 ロクは上半身を大きく反らした。が、着地の体勢になるには間に合わず、真っ向から地面と衝突するとその勢いで砂の上を転げ回った。頬に付着したどろりとしたなにかが砂を掬いとっていく。それの正体はおそらく、さきほど元魔が噴き出した体液かなにかだろう。
 元魔は、地面の上で寝そべるロクに対して、ふたたび不快な音を聞かせた。顔らしき部位がぐぐっと持ち上がる。蜘蛛が糸を吐くように、細い体液が放出された。

 「ロク!」

 レトが叫んだ、その瞬間。ロクは寝転んだ姿勢のまま拳を振り上げ、思いきり地面を叩きつけた。するとロクの身体に覆い被さるように雷が半円状の膜を張った。吐き出された体液は、その防壁と化した電気の膜に接触した途端、跡形もなく掻き消えた。
 ロクは、ゆっくりと首だけを動かし、元魔を睨みつけた。

 「──五元解錠! 雷撃ィ!!」

 勢いよく放出された電光が、元魔の肢体に丸ごと喰らいついた。甲高い断末魔が辺り一帯に広がると、黒い頭の上部に埋めこまれていた赤い核も、砕け散った。
 次第に、黒い皮膚だったものが風にさらわれていく。それを見る限り、化け物は絶命したとわかる。

 「へへっ……どんなもんだい!」
 「……」

 ロクは、よっと言いながら跳ね起きた。灰色のコートにまとわりつく砂粒を払って落とす。
 呆然と眺めていたレトだったが、ふいに、ロクとばっちり目が合った。

 「あれっ、レト! いたの?」
 「……ああ。まあ」
 「もしかしていま来た? ざ~んねんでした! 元魔はぜーんぶ、あたしがやっつけちゃったよ! ……あれ、でもさっきレトの声がしたような……気のせいかな?」
 「おまえ、1人でやったのか。これぜんぶ」
 「そうだよ! えへへ~、すごいでしょ! これであたしももう、一人前の次元師になれたかなっ」
 「……」

 ──おまえはすごいよ。そう言ってやりたかったが、喉はそうさせてくれなかった。なんとなく口を噤んで、ただ元魔の残骸のような黒い粒をじっと見つめている。

 「あーあ。でも、はやく"六元の扉"とか、使えるようになりたいなあ……」
 「六元の扉って……」
 「だって、まだ"五元の扉"までしか開けないんだもん。もっと強い『次元技』を出せるようになるには、その階位を上げるのがいちばん早いんだけど……」

  次元の力は、『次元技じげんぎ』と呼ばれる数多の"技"を秘めている。それはロクの持つ次元の力『雷皇』でいうところの、『雷撃』や『雷柱』といった"雷を利用する上での応用術"を意味する。
 そこで大事なのが、『扉の階位』だ。
 次元師は原則的に、『四元解錠』や『五元解錠』などといった──"次元技そのものの威力を決めるための詠唱"を、次元技を唱える前に置いておく。そうすることで、発動する次元技の威力を調節し、次元の力が暴走しないよう働きかけているのだ。特に、次元師としての活動を始めて間もない者はその前述を必ず行い、上手く調節できるようになるまでは継続しているらしい。

 「うわさによるとさ、"十元の扉"まであるっていうでしょ? あたし、ぜんぶ使えるようになりたいんだ! レトもそうでしょ?」
 「俺はべつに……それに高位の扉を開くのは、次元師の中でも限られた人間しか成功してない」
 「だーかーら! その限られた一部の人間になるんだよ!」
 「……どっからわいてくんだよ、その自信は」
 「え?」
 「なんでもない。元魔の気配はしないし、たぶんこの辺りにはもういないだろ。戻るぞ」
 「あ、待ってよレトー!」

 赤く燃えるようだった空は、鈍色の夜に覆われつつあった。ただでさえ成長しすぎた草木が鬱陶しいのに、あたりの暗がりに呑まれ、それは不確かな影となって視界にちらついた。
 
         *
 
 ローノ支部の施設も、町の規模に合わせて建立されたのか少々控えめな建物だった。2階建ての構造で、入り口の扉をくぐるとすぐ目の前に受付のテーブルが構えている。その奥はすべて談話スペース兼資料室となっている。1階にあるのはそれだけで、あとは端の階段からから2階へ行けるようになっている。2階は隊員たちの休憩室といったところだろう。
 夜も深まらないうちに元魔討伐の報告へやってきたロクアンズとレトヴェールの2人に、支部の隊員たちは感嘆の声を浴びせた。

 「いやあさすがです、次元師様!」
 「この短時間でやっつけちまったのか。こりゃたまげたなあ!」
 「あんたたち、ウワサになってた義兄妹だろ! アルタナ王国でどえらいことしたっていう!」

 2人を囲んでいる複数人の男性隊員のうちの1人が言うと、ロクは驚いて目を見開いた。

 「えっ!? 知ってるの!?」
 「知ってるもなにも、いまじゃ国中に広まってるよ。此花隊の次元師が、よその国の歴史を動かしちまったってな!」
 「しかもこんなガキだもんなあ~」
 「ガキじゃないよっ。これでも一人前の次元師なんだから!」
 「これは失礼しました~!」

 1階の談話スペースが、どっという笑い声で満たされる。この支部に配置される隊員のほとんどが援助部班の班員だった。援助部班として訓練を受けているだけあって、だれもが屈強な体つきをしていた。

 「おいロク、おまえケガはないのか?」
 「え? ああ、そういえばさっき木の上から落ちたときに、擦りむいたっけ……。でも大丈夫だよ、このくらい!」
 「だ、だめよっ」

 そのとき。華やかな声音がした。男たちの波を掻き分け、ロクとレトの前に現れた女は、心配そうに言った。女性にしてはやや身長が高く、体型もすらりとしている。美人の部類に入るだろう。男だらけでむさくるしい中では一際その存在が目立った。彼女は肩のあたりで綺麗に切り揃えられた臙脂えんじ色の髪をすくって、耳にかける。

 「小さな傷口からでも、ばい菌は入ってしまうの。だからきちんと消毒しましょう」
 「あなたは……」
 「あ、ごめんなさい。挨拶をしていなかったわね。私は、医療部班所属のフィラ・クリストンよ。さあ、腕を出してもらってもいい?」

 フィラと名乗った女は、灰色ではなく、白い隊服の袖をまくりながら言った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.29 )
日時: 2020/03/18 21:32
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第026次元 君を待つ木花Ⅲ
 
 ロクアンズは、此花隊の本部内でその白い隊服を見かけたことがあった。というのも、本部の中央棟は主に"医療部班"の仕事場となっていて、医療部班の班員とすれ違うことも珍しくないためである。

 此花隊の隊服は、部班によって基調としている色や作り、デザインが異なっている。戦闘部班と援助部班は灰色、研究部班と医療部班は白を基調とした隊服だ。各部班の班長と副班長に任命されている者は、所属の班に関係なく、全員が黒を基調とした隊服を着用している。
 フィラと名乗った女性が着ている隊服は上下がひとつなぎになっていて、膝のあたりで裾がひらひらとしていた。全体的な色は真白。ところどころ紅色のラインが入っているのがわかる。汚れのないまっさらな白色が視界に飛びこんできて、ロクはびっくりした。

 「地面の上で転んだのね……大きな擦り傷だわ。ちょっと染みるけど、我慢してね」
 「いっ!」
 「よく効く薬だから、すぐよくなるわ。包帯も巻いてあげる」
 「ありがとう、フィラさん」
 「あら。も、もう覚えてくれたの? 嬉しいわ」

 笑顔の似合う女性だった。濃い臙脂色の髪も艶やかだ。手入れを怠っていないのだろう。ロクは思わず見とれていた。

 「ケガっていやあ、この前森に入ったときさあ、ケガしてぶっ倒れてるやつを見かけたんだよ」
 「ああ、元魔を見つけて急いでここに帰ってきたときだろ? たしかお前、ちょっと遅れて帰ってきたよな?」
 「その倒れてたやつがさあ、死んでたんだよ。そのままにしとくのも、なんか嫌だし……だから近くに埋葬してたんだ」
 「なるほどな。……あ! それってあれじゃないか? ベルク村の」

 ぴくりと、包帯を巻くフィラの手が一瞬だけ震えた。

 「あ~! 言われてみればたしかに」
 「村から逃げてきたんだろうけど、あそこの山道は人間が歩けるようなとこじゃないからな。ほとんど急斜面だし、下ろうなんて考えるもんじゃないよ。いくら命があったって足りやしねえ」
 「村の場所も、いまいちよくわかんねえんだよなあ。ほんとにあるのか?」
 「あるだろうよ。そいや、村の向こう側は整備してあるんじゃなかったか? そっちから降りたらすぐ海岸に着く。そこで貿易商どもと、どうやら酒の取引をしてるらしい。これがまた絶品なんだと」
 「本当か!? くぅ~! 姑息だねえ、ベルクの領主も」
 「ねえ、その森で倒れてたっていう男の人、ベルク村から逃げてきたんじゃないかって言ってたよね?」

 包帯を巻き終えたらしいロクは、体の向きを変えて話に加わった。

 「ああ」
 「それって、ベルク村でお酒を造るのがいやになったってこと? その領主さんが、村の人たちに重労働をさせてるとかじゃ……」
 「あ~。その線が濃いだろうな」
 「それなら調べたほうがいいよ! このままほっとくなんて、村の人たちがかわいそうだよ」
 「冗談言っちゃいけねえ。さっきも言ったけど、ベルク村への道は険しいなんてもんじゃないんだ。いくら鍛えてたって、あの山道を登る勇気は湧いてこないさ」
 「それに、ベルク村は小さい村だし、旨い酒を造ってるっつったってこの国のライフラインにはならねえよ。なくなったって困りゃしねえし、いずれあの村は自然消滅するだろうよ。人口の減少でな」
 「……」
 「ならあたしが行く!」

 決して良質とはいえない長い腰掛から立ち上がって、ロクが言った。

 「その村に行って、ほんとに領主さんがひどいことしてたら、おじさんたちが政府に報告してくれる?」
 「ちょっ、おいおい嬢ちゃん! 冗談だろ? さっきの話聞いてなかったのかい」
 「聞いてたよ。村の人たちが苦しんでるかもしれないのに、おじさんたちが見て見ぬふりしてるってことくらい……!」

 援助部班の男たちは黙りこんだ。この支部での指揮を任されているらしい黒い隊服を着た副班長位の男が、ふたたび口を挟んだ。

 「あのなあ、ちがうんだ。あそこの村は行ったってどうせ──」

 そのときだった。
 建物の入り口の扉が勢いよく放たれ、1人の男が慌てた様子で談話スペースに駆けこんできた。

 「副班長! いま、森のほうから子どもを抱えた女性が現れて、そのまま倒れて……!」
 「なに!? すぐに運んでこい! フィラ、治療の準備を」
 「はい!」

 部屋から、数人の男が出ていく。フィラはまた袖をまくると、テーブルの上に置いてあった陶器類をどかし、代わりに大きな銀のケースをそこへ乗せた。ケースを開くと、医療器具らしきものがごちゃりと入っているのが見えた。薬品の詰まった小瓶もある。
 間もなくして、1人の女が室内に運ばれてきた。女は担架に乗せられ、2人がかりでそれを運ぶ隊員の男とそれ以外もぞろぞろと戻ってくる。
 その中には、腕に布のようなものを抱える姿もあった。

 「細い切り傷が多く、脚や肘のあたりには打撲痕もあります」
 「……ひどい怪我……。出血が多いわ」

 担架から下ろした女を、長い腰掛に寝かせた。フィラは膝立ちになって女の顔を覗きこむ。テーブルの上に並べた薬瓶と女の身体とを交互に見ていたが、ふと、女の呼吸が浅くなっていることに気づく。

 「……」
 「フィラ、どうなんだ? 助かりそうか?」

 それだけではなかった。手足は折れそうなほど細く、肌がカサカサに乾いてしまっている。太陽の光を浴び続けた結果だろう。ということは、女はまともに水分を取っていない。食事を摂っていたのかも怪しい。フィラに限らず、ここの隊員には見慣れている姿だった。あの酷い山道を下ってきたのだとしたら、いま息をしているのも奇跡だと称賛に値するほどだ。フィラの喉に息が詰まる。

 「……ぁ……」

 か細い声が、フィラの耳に届いた。フィラは耳にかかった髪の毛を掻き上げ、そっと顔を近づける。

 「……こ……こど……もは……」
 「お子さんですか?」
 「……あの子、だけは……」

 女は、うっすらと目を開けた。その濁った赤色と目が合う。
 フィラが彼女の右手を取ったそのとき。握り返してきた女の手が、ゆっくりと力を失い、細い指先がフィラの手から離れていく。閉じた瞳から一筋、涙が流れ落ちた。
 
 フィラは、後ろで立っている副班長の男に向かってふるふると首を振った。
 この女がベルク村から出てきたのであろうことは、この場にいるほとんどの人間が推測したことだった。皆、これが日常茶飯事であるといったような諦めの表情を浮かべている。
 そのとき。1人の男が抱えていた布の塊から、耳に障るような泣き声が湧いた。赤子の声だ。母の死ではなく、空腹を嘆いているのだろう。

 「あたし、行ってくる」

 泣き止まないその声に紛れて、ロクが言った。

 「行くって……。嬢ちゃんも見ただろう。この女性はいま、」
 「『行ったってどうせ』……そう言ってたよね、さっき」
 「……」
 「あたしは行くよ。ぜったい辿り着いてみせる。──苦しんでる人を、あたしはぜったいにほっとかない!」
 「待ってっ!」

 ロクは、フィラの叫び声を無視して、部屋から外へ出ていった。
 レトヴェールはというと、そんなロクのあとをすぐに追うことはせず、自身のポーチから小さな紙を束ねただけのメモ帳とペンを取り出した。
 テーブルを借りて、紙面にペンを走らせると、すぐに書き終えレトは立ち上がった。そのとき。

 「……?」

 腰掛に横たわったまま動かなくなった女が、左手になにかを握っていた。
 周囲に気づかれないようにそっとその紙を引き抜く。くしゃくしゃになったその紙を開くことはせずに、レトはさきほど自分が書いたメモとその紙とを、おなじ便箋に入れた。

 「悪いけど、ここにコルド・ヘイナーっていう名前の戦闘部班の副班長が来たら、この手紙を渡してくれないか」
 「え? ええ……」

 手紙を差し出されたフィラは、落ち着かない様子でその便箋を受け取った。
 入り口の扉に向かおうとしたレトがロクについていくつもりなのだと直感したフィラは、そんなレトの背中を、切羽詰まったような声で呼び止める。

 「ま、待って! お願い、あの子を止めて……! 大人でも登れないほど険しい山なの。体力のない子どもが、そんなの……絶対に無理よ。それにまともに水も食料も確保できないのよ!? どう考えたって無謀だわ!」
 「あいつはなに言っても聞かないから」
 「あなたは、あの子の知り合いなんでしょう!」
 「……やるって言ったらほんとにやるよ。そういう義妹いもうとなんだ」

 レトはそう言い捨てて、建物から外へ飛び出していった。どうせすぐに音を上げて帰ってくるだろう、とだれもが肩を竦める。そんな中、フィラの真紅の瞳だけが、たしかに揺れていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.30 )
日時: 2020/05/08 12:45
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YnzV67hS)

 
 第027次元 君を待つ木花Ⅳ
 
 『ロク、聞こえるか?』
 「あ、レト!」

 通信具が使用できる範囲には限りがあり、その範囲は極めて狭い。もしかしたら交信の届かない、どこか遠くの場所まで行ってしまったのではないかと不安を覚えたレトヴェールだったが、ロクアンズからの返答を受けると安堵の息をついた。

 此花隊で製造されているこの通信具というのは、『元力』と呼ばれるものを利用している。それは、次元師である人間だけが体内に保持している"次元の力の源"だ。体内にあるうちはただの小さな粒子でしかないが、本人の意思に呼応して活性化し、次元の扉を開く力へと変貌を遂げる。
 その、"本人の意思に呼応する"という特性を生かし、開発されたのが、現在戦闘部班が使用している通信具だ。次元師の持つ元力がもととなっているため、コルド、ロク、レトの3人以外の人間とは連絡を取ることができない。そのうえお互いの居場所が遠く離れすぎている場合でも、元力の感知能力が薄れて交信を不可能とする。

 『おまえ、いまどこにいる?』
 「えっとね~……あ、レト見っけ!」

 高い樹木の枝に留まっていたロクが先にレトの姿を見つけ、そこから飛び降りた。きょろきょろしているレトの背中に声をかける。

 「ねえレト! ベルク村ってどこにあるか知ってる?」
 「……あのな、これからどんどん夜が更けてくってのに、飛び出していくやつがあるか」
 「あ……」

 ロクは、しまったという顔で空を見上げる。夜空に浮かぶ星の輝きを頼りにと思ったが、無慈悲にも高い樹木の影に塗り潰され、あたりは真っ暗闇に包まれている。

 「ごめんレト……。どうしよう?」

 レトは自分の腰元のポーチをまさぐるとすぐに、硝子で作られた筒のような器具を2本取り出した。
 「ん」
 「な、なにこれ?」
 「携帯用ランプ。油もある。何日かかるかはわからないけど、限りがあるから一晩中は使えない」
 「……すごいレト! こんなもの持ち歩いてるの!? 天才だよー!」
 「おまえがどこ行くかわからないからな」
 「すごいすごい! やっぱり、レトは頼りになるねっ!」

 レトは一瞬だけ目を丸くした。小さなランプ1つではしゃぎ回るロクを見ると、今朝コルドとロクのやり取りで感じたことが気のせいだったのかもしれないと思えてくる。

 「……地図でしか確認したことないけど、方角的にはローノから見て北東だ。だから、こっち」
 「なるほど! よーし!」

 レトが指先で示した方角に、ロクはくるりと顔を向けた。ランプを片手に、2人は深い森の中へ踏みこんでいく。



 木の葉を集めて作った簡易な寝床から、むくりとロクは起き上がった。灰色のコートにくっついた葉が落ちる。強い陽の光が、森に明るさを取り戻していく。
 ロクにゆさゆさと身体を揺らされ、レトも起床した。2人は、任務の際には常に持ち歩くようにしている固形の携帯食料で朝食を済ませ、まだ日が昇りきらないうちに行動を開始した。
 森の中はどこも人が通れるようには整備されていないため、道らしい道はない。ロクは器用に草木を掻き分け山道をどんどん進んでいくが、レトはすこし足をとられながら、ロクの背中についていく。
 そんな状態が小一時間続いたが、前を歩いていたロクが急に速度を落としたので、レトも足を止めた。

 「どうした、ロク」
 「ねえレト、見て。これ、崖かな?」
 「崖?」

 ロクが顔を上げていたので、レトも空を仰いだ。樹木の葉と葉が重なり合って視界のほとんどが遮られていたが、目の前にはたしかに、断崖絶壁と呼ぶに相応しい土の壁が聳え立っていた。首を左右のどちらに振ってもその端が見えないほど、その壁は際限なく広がっていた。
 
 「すごい崖だな……高さもかなりある。遠回りしすぎると道がわからなくなるからな。これを登りたいところだけど……岩肌に凹凸がない。これじゃ無理だな」
 「北東ってこの先だよね。ねえレト、足場があればいいんだよね?」
 「は? だから、足場は……」
 「レト、ちょっとこっち来て!」

 ロクはレトの腕を掴んで、崖とは反対方向に走りだした。崖との距離が遠くなる。すこし離れたところで、ロクは足を止めた。
 レトが息を整える間もなく、ロクの手元から、火花のような雷が散った。

 「おいロク、なにを……」
 「いいから、ちょっと見てて! 足場がないなら作るまでだよ!」
 「……は? どうやって、」
 「──届け! 五元解錠、雷撃ィ!」

 突き出した右の掌から、雷光が飛び出した。崖に向かって放たれた雷は空中を縫い、崖の天辺に襲いかかる。
 しかし放った雷撃はさほど距離が伸びず、電気の端のほうが崖上に引っかかり、土くれがぼろっと崩れただけに終わった。

 「ありゃ、失敗した……。もっと近づいてみようかな。万が一降ってきたときはすぐに避ければいいし……よしっ、もっかい!」
 「待てロク! いまのおまえの力だと、もっと近づかないとだめだ。だけどそれだとあまりにも危険すぎる。ほかに道がないか探したほうがいい」
 「大丈夫、次はやってみせるからっ。あたしに任せて、レト!」
 「だけど」
 「1回失敗したくらい、どうってことないよ。何回でもぶつかっていかなきゃ。じゃないときっと、ずっと負けっぱなしで終わっちゃう!」

 ロクの全身に雷が絡みつく。レトはそれ以上口を挟むことを諦めた。彼女の意識はもう崖の上にある。

 「五元解錠──雷撃ィ!!」

 両手をぐんと前に突き出す。と、電熱が腕に絡みつくように、手先から肩へと駆け上がった。放出された雷電はふたたび、崖の上を目掛けて空を切る。
 反動で仰け反りそうになるのをロクは両足で踏ん張りながら必死に堪えた。すると、電撃は見事に崖の上に直撃し、そこから崩れた岩の断片がごろごろと大きな音を立てながら、崖下に向かって転げ落ちていく。
 一瞬、その光景に気を取られていたロクの腕を、レトがすかさず引き寄せ、飛散した岩の欠片からロクを遠ざける。
 岩雪崩の勢いがどうやら収まったらしいということがわかると、ロクとレトは走って崖下に近づいていった。すると、まっ平だったはずの崖の上のほうの岩肌が削がれ、その岩の断片が真下の地面に積み上がっていた。

 「やった! もうちょっと、もうちょっと崩せばできるよ、足場!」
 「……」

 嬉々とするロクは、間髪を入れずに全身に雷を纏った。さきほどよりかは弱い威力で雷撃を繰り出し、どんどん崖を崩していく。
 レトは言葉を失い、ただ目の前で起こっている光景を眺めていた。彼女が言った『大丈夫』が、意図せず頭の中で反芻する。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.31 )
日時: 2018/08/21 23:14
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: xJUVU4Zw)

 
 第028次元 君を待つ木花Ⅴ

 コルドがローノ支部へ到着したのは、ロクアンズとレトヴェールが本部を出発してから2日目の午前のことだった。
 先に行っておいてくれ、と2人には伝えていたため、任務が終わっても支部で待機しているだろうとコルドは踏んでいた。が、思わぬ事実を支部の隊員たちの口から聞き、彼は驚愕した。

 「べ……ベルク村に向かった!?」
 「え、ええ……危険だと思って、お止めしたんですけど……」

 フィラは、コルドに便箋を差し出して言った。彼は衝撃のあまり声が出せず、無言でその便箋を受け取った。封を解き、中から1枚の紙を取り出す。
 内容は、フィラが伝えた報告と同一だった。2人でベルク村へ向かったと記載されている。

 「……まったく、なにを考えてるんだあいつら……!」

 コルドは片方の手で、くしゃりと便箋を握りしめた。そのとき、便箋の口からべつの紙がはみ出ているのを彼は視認した。
 その紙を引き抜くと、それはまったく異なる質の紙だった。見る限り羊皮紙らしいとわかる。コルドが握ったときとはちがう折り目がついていて、まさしくぐしゃぐしゃと呼ぶに相応しかった。
 コルドはその紙を開いた。文字らしいものが書かれている。

 「……」

 しばらくの間、コルドは黙ってその紙面を眺めていたが、すべてを読み終えると、支部の隊員たちに目をやった。突然視線を向けられた隊員たちは、緊張の面持ちでコルドと向かい合った。

 「本部に届くローノからの報告書に、いつもベルク村の記載がありませんが、それはどうしてですか?」
 「そ、それは……」
 「ベルク村の所在が、辺境の地だということもわかっています。ですが、みなさんは援助部班の班員です。入隊時から厳しい訓練の期間を経てきたみなさんであれば、あの村に辿り着くことも不可能ではないはずです」
 「あのなあ……! あの山道は、険しいってもんじゃない! 登るのは無謀なんだ! あんたたち本部の人間にゃ、そいつはわからねえだろうよ」
 「わからないからこそ、各部署に報告という義務を課しているんです。……こういった声が、こちら側には届かないから」

 コルドは、羊皮紙を広げて見せた。隊員たちはぎょっとした。
 そこには、『たすけて』『たべものがない』『だれかおねがい』──などといった文言が、脈絡のない文字列で綴られていた。

 「これは立派な職務怠慢です。上に報告させていただきます」
 「……! じ、次元師だか、なんだか知らねえけど、あんたたちと俺たちじゃちがうんだよ! それくらいわかるだろ!」
 「……そうですか。なら、あの山道に入っていったロクアンズとレトヴェールが、無事にここへ帰還したら、職務怠慢を認めてくれますね?」
 「……は?」
 「あの子たちはたしかに次元師ですが、大の男ほど体力はない子どもです。フェアだと思うのですが、どうでしょうか」
 「……。いいだろう。本当にあの子らが戻ってこられたらな」

 責任者の男が、顔を顰めながら言った。コルドは腰元のポーチに便箋を収めると、入り口に向かった。おそらくロクとレトの2人を追いかけていったのだろうが、それを止める者は1人もいなかった。
 そのとき。じっと黙りこんでいたフィラが、急に立ち上がった。

 「フィラ? ……お、おい! どこへ行くんだ、フィラ!」

 銀のケースではなく、部屋の隅に置いてあった一回り小さめのバッグをフィラは引き掴んだ。その肩紐をすばやく両腕に通すと、彼女は有無を言わさず支部の外へ飛び出していった。
 
 
 
 崖を超えたロクアンズとレトヴェールは、新しい山道を辿っていた。確実に減っていく固形の携帯食料を、小さくちぎっては喉の奥に流しこみ、2人は空腹を凌いでいた。フィラが言った通り、食べられそうな果実や茸の類はほとんどなかった。あったとしても腹の虫を抑えるには不十分なほど小さな実であったり、極度に酸っぱいか苦いか、美味とはほど遠い味かのどれかだった。
 最大の問題は、水だった。山道に入ってから川や滝などといった水源を見かけることができずにいる2人は、自身らの水筒の中身を測りながら水分を摂っているおかげで、かろうじて喉の潤いを保てているのだ。

 ただしそれにも限界がある。現に、レトの水筒の水は底を尽きようとしていた。にも拘わらず、目的地のベルク村に辿り着けそうな気配はない。彼は、水筒の底のほうで小さく揺らめく水と、ただじっと睨み合いをしていた。

 「……」
 「レト、この先けっこう崖が続いてるみたいだよ。これを登りきったら、もしかしたら村に辿り着けるかも。ねえレト……レト?」

 レトははっとした。ロクが、不安そうな顔でレトの顔色を伺っていた。しばらくぼうっとしていたらしいとそこで初めて気づいた。
 喉の渇き。身体の疲労。そして目的を達成できるのかという、底知れぬ不安。そういったものに、思考が完全に支配されてしまっていた。しかしレトは、渇いた喉に唾を流しこみ、返事をした。

 「……ああ。悪い。行こう」
 「……」
 「ロク?」

 レトの顔を、じっと見つめていたロクが、腰元のポーチから水筒を取り出した。そしてすぐに、それをレトに差し出した。

 「はいっ、レト。飲んでいいよ。喉渇いてるでしょ?」
 「……は? い、いや……」
 「いいっていいって! 気にしないでよ、レトっ」

 へらっと、ロクは笑った。そんな彼女の顔から視線を落とす。水筒が差し出されていた。
 レトは当然のように迷った。これはロク自身が飲むためのものであり、自分はただ体力がないから水を消費しやすいだけだ。鍛錬をしていなかった自分が悪い。それなのに、どうぞと差し出されたそれから目を離せなかった。
 レトは、ようやく二の句を告いだ。

 「……でも、お前の分が……」
 「あたしは大丈夫! 秘策があるんだっ」
 「秘策?」

 見てて、とロクが言った。彼女はもう一度ポーチの口を開くと、中から小型のナイフを取り出した。
 すると彼女は、迷うことなく自分の腕に刃を向け、そのまま撫でるように肌を切った。ロクは一瞬だけ、ぴくっと眉をしかめた。

 「! ば、バカおまえっ! なにして……!」
 「喉を潤すくらいだったら、こうして血をなめることもできるなあって、思って」

 肌に伸びた細い傷跡から、鮮やかな赤色がつう、と滑り落ちる。ロクはそれをすかさず舌で舐めとり、こくんと小さく飲みこんだ。
 レトは言葉を失った。ロクは、なんてことのない顔で、レトに微笑みかけた。

 「こんなの、痛くもなんともないよレト。ベルク村の人たちはきっともっと苦しい思いをしてる。だからぜったい辿り着いて、直接会って、あたしがこの手で救いたいんだ。……レトがいなかったらあたし、たぶんここまで来れなかった。だからレトはこれ飲んでっ。あたしは大丈夫だから!」

 強気な緑色の瞳には、絶望も、疲労も、不安も──諦めの色も、浮かんではいなかった。彼女は、まっすぐ前だけを見つめていたのだった。

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.32 )
日時: 2018/09/12 13:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: f/YDIc1r)

 
 第029次元 君を待つ木花VI

 乾いた手のひらで岩の壁に食らいつく。不安定な足場に爪先をかける。息つく間もなく、ただ体力を奪っていくだけの動作の繰り返しに、身体はとうに疲弊しきり、限界を迎えていた。しかし2人は、そんな四肢を無理やり動かしてでも目的を達成しようとしている。
 そして、2人はようやく崖の縁に指先をひっかけた。余力を絞り出し、上半身を浮かせる。と、待ち望んだ平たい大地が、景色のすべてに広がった。
 土を引っ掻きながらよじ登ると、ロクアンズとレトヴェールの2人は、なりふり構わず地面の上に倒れこんだ。起き上がるよりも先にごろんと仰向けになる。抜けるような青空はとても近く、鮮やかで、眩しかった。

 「はあ、はあ……。やったねえ、レトっ。すごいよ、のぼったよーっ」
 「……ああ。でもまだ到着できたわけじゃ」
 「わかってるよ~……。あー……お腹空いちゃったね、レト」
 「……だな」

 腹の虫が低く鳴いた。空の青さに安心したのか、数日間に亘る食料の調達難を嘆いているのか、明確な自覚はないがたしかに2人は、深い呼吸ができていた。
 空に流れる雲を、ロクはぼんやりと眺めていた。が、そのとき。

 「死んでんか?」

 ひょっこりと、子どもの顔のようなものがロクの視界に飛びこんできた。

 「おぅい、おい」
 「……え。う、うわあ!?」

 ロクはがばっと飛び起きた。彼女の顔を覗きこんでいたその人物も、かわすように頭を起こした。

 「いきてた」
 「び、びっくりしたあ……。君は?」
 「おれはベルクのもんだけど」
 「え?」

 擦り切れた布で髪を乱雑に上げているせいか、その布の隙間から暗い赤色の髪がぴょこぴょこはみ出ている。見る限るロクやレトよりも歳は幼く、男や女かわかりづらいような見た目をしているが、「おれ」と発言していたので少年らしいと判断した。

 「ベルクって……」
 「ばあ様に言わなきゃ! ばあ様ー! 人がいたあー!」
 「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
 
 ロクの呼び声も空しく、その少年は土まみれの細い両脚で、ごつごつした地面の上を走っていった。それほど速く走って痛みはないのだろうかと呆気に取られているうちに、どんどん少年の後ろ姿が遠ざかっていく。

 「レト、行こう! あの子、さっきベルクって……──、っ! わわっ」

 追いかけようと踏み出した足に思ったほど力が入らず、ロクは数歩よろめいた。

 「どうした、ロク」
 「……。ううん、なんでもない! 急ご!」
 「ああ」

 ふたたび山道へと駆けこんだロクとレトは、少年の後ろ姿を追い続けた。この山道はいままでとはちがって整備されている。村の人間が使用しているのだろうか。そんな風に推測した。
 一本道を駆け抜けていく。しばらくして、2人は開けた場所へ出た。
 
 「……はあ、はっ……。こ、ここが……」
 「……ベルク村……」

 周囲は鬱蒼と生い茂る木々で囲まれている。よく目を凝らせば、木の麓などに花が咲いているらしいとわかった。藁を組んだだけのような稚拙な家宅が、ぽつりぽつりと並んでいる。
 その辺りをうろついているのは村人だろうか。だれもが、生気のない目をしている。籠を運ぶ男がいたり、木の実の殻を剥いている幼い子どもがいたり、薪にするのであろう細長い枝を集めている少女の姿もある。

 ロクは太い樹木の幹に手をつき、静かに村の様子を眺めていた。が、その呼吸は荒く、浅かった。

 「やっと……やっと、着い──」

 そのとき。ロクの全身から、途端に力が失われた。視界が落ちる。カラになった胃と意識とが浮遊する感覚を覚えてすぐに、彼女はその場で倒れこんだ。
 すぐ近くで、どさっという鈍い音を耳にしたレトは、驚愕した。

 「ロク! おい、ロク!」

 必死に呼びかけるレトだったが、ロクは地面の上でうつ伏せになったまま動かなかった。そしてレトもまた、視界がぐらりと傾き、急激な眠気に襲われると、足元から崩れ落ちた。



 「……ん……。あれ、ここ……」

 ロクは、ゆっくりと瞼を開いた。その隙間はぼんやりとしていて、知らない匂いがして、自分がどういう場所にいるのか判断がつかなかった。ぼうっとする頭を起こし、ごしごしと目元をこする。
 そのとき。

 「こ……子どもだ! しらない子どもがいる!」
 
 見慣れない男が、声を張り上げながらロクに飛びついてきた。
 
 「うぇっ!?」
 「見たことない! きれいな服着た、子どもがいる!」
 「え、ちょ、まっ、うわわ!」

 男はいきなりロクの両腕を掴むと、その小さな身体を乱暴に揺すった。目を回しそうになるのを必死に耐えるロクだったが、そうしているうちに、男の叫び声につられたのか次々と人が集まってきた。間もなく、ロクは完全に包囲された。
 物珍しいものを見るかのような、好奇に満ちた視線が、一斉にロクに降り注ぐ。
 
 「どこから来たんだ」
 「え、えっと、エントリアから……」
 「えんとり……なんだ?」
 「ばかだな。大きな町だよ。国でいちばんの」
 「ああ。えんとりあ」

 ごちゃ、とざわめきが湧いた。突然のことに驚きこそしたが、ロクはそのおかげもあって完全に目を覚ました。
 そこは室内だった。決して広くはなく、鼻につくような独特の匂いがする。壁はすべて黄土に近い色をしていた。おそらく村へ入ってきたときに見かけた藁の家の1つだろう。
 大きな石を削って造ったような机と、薪の束と、木の実や芋などをぶら下げた枝の骨組みなんかが無造作に置かれている。
 ロクは複数の目と視線を合わせた。

 「あの、あたしちょっと、あなたたちに聞きたいことがあっ──」
 「めぐみか?」
 「え?」
 「あれをよんだのか?」
 「……あれ、って……?」
 「めぐみをあたえてくれるのか!」
 「くれ!」
 「ああ、たのむ!」
 「めぐみを!」
 「たべものを!」

 ロクよりもずっと高いところにあった視線の数々が、波打つように伏せっていく。ぽかんとするロクをよそに、村人たちは藁の床にぴったりと額をくっつけ、「めぐみを!」「めぐみを!」とひっきりなしに叫んでいる。
 突然のことに、またしてもロクが困惑を隠しきれずにいた、そのとき。

 「しずまりなさい。こまっておられるでしょう」
 「……! ば、ばあ様!」

 伏せっていた村人たちは次々と顔を起こし、立ち上がった。"ばあ様"と呼ばれたその人物は、異様に背丈の低い老婆だった。彼女の後ろに、見覚えのある赤毛の少年が立っていた。人だかりが、黙って道を開けていく。
 ロクの胸あたりまでしかない小さな背をさらに丸め、地面の上に片膝をつくと、老婆は口を開いた。

 「此花の使者様ですね……。ようこそ、ベルクの村へ」


Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.33 )
日時: 2020/01/31 11:59
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: FFsMNg05)

 
 第030次元 君を待つ木花Ⅶ

 ばあ様、と呼ばれた老婆が人払いをしたおかげで、家の中には人っ子ひとりいなくなった。そのとき初めて気づいたことだが、ロクアンズのすぐ隣ではレトヴェールが静かに寝息を立てていた。寝顔は可愛いんだよな、なんてことを思っていたとき、ふいに声がした。

 「どうぞ、めしあがってください。次元師様」

 ロクの近くまでやってきた老婆は、しわがれた両手で木の板を掴んでいた。そこには汁物が入ったお椀と果実を乗せた小皿が置かれていて、彼女はそれらを零さないようにゆっくり腰を下ろした。
 
 「えっ? そ、そんな、いいよ! だってそれは、この村の大事な」

 必死に手を振りながら断ろうとしたロクだったが、彼女の下腹部は、ぐるるると正直に鳴いた。

 「……あっ、や、これは……」
 「ふふ。おきになさらないで」

 開いているのか閉じているのかわからない細い目で微笑む老婆は、木の板をロクの寝床のそばに置いた。

 「とおいところ、わざわざおいでくださいますとは、まさか、ゆめにもおもっておりませんでした。おみぐるしいものをおみせしてしまい、もうしわけありません。ごらんのとおり、この村はめぐまれておりませんで、つぎのはいきゅうの日もちかいので、いまおだしできそうなものは、このくらいがせいいっぱいで……」
 「ううん、そんな! むしろごめんなさい……。村の大事な食べ物なのに」
 「とんでもありません。めしあがってください」
 「……ねえ、もしかしてあなたが、ここの村長さん?」
 「はい。わたしが、村長のツヅでございます」

 ツヅは、正座を崩し左膝を立てた。両肘を曲げ、床と水平になるように持ちあげると、膝にくっつくかつかないかの位置で右手の甲に左の手のひらを重ねた。この村での挨拶なのだろう。

 「ねえツヅさん、あたしたち、この村でなにが起こってるのか知りたくてここまで来たんだ。だから村のことを教えてもらえないかな?」
 「それは……おえらいかたが、そのようにと?」
 「え?」

 一瞬、蒼い海のさざめきがロクの鼓膜をよぎった。指示されてここへ来たのかと問われているのだ。ロクは、迷わず首を振った。

 「ちがうよ。自分の意思で来たんだ。あたし、困ってる人をほっとけないんだ」
 「……。そうでございましたか。次元師様、すこしだけ、むかしばなしをしても?」
 「昔話……? うん、いいよ」
 「では、おはなしします。……いまからたった13年まえのことです。このむらには──『白蛇しらへび様』とよばれる、むらのまもりがみがおりました」
 「……しらへび様……?」

 ツヅは語りだした。

 ベルク村にはかつて、村の人間から『白蛇様』と崇められている白い蛇が棲みついていた。それは1匹ではなく何十という数にも及ぶ、白くて美しい小さな蛇だった。真白の鱗に紅色の花を押したような斑点があり、村の人間たちはその蛇とともに暮らしていたという。

 「白蛇様は、われわれにきがいをくわえるようなことは、なさりませんでした。それにそのかじつをとてもこのんでおられたのです」
 「これのこと?」
 「はい」

 ロクは、小皿に乗った果実をひと粒つまんで持ちあげた。赤紫色でやや楕円の形になっている果実だ。

 「むらのだれもが、白蛇様と、しあわせにくらしていたのです……。あの日までは」

 13年前──第二次メルドルギース戦争が停戦となった翌年のことだ。村の領主だった者が急逝し、国から新しい領主が寄越された。しかしその領主の男は「財政難」だと言って、ある日突然──村中に棲みついていた白蛇を狩り始めたのだ。

 「なんで、そんなひどいこと!」
 「白蛇様のかわは、たいへんうつくしく、おかねになるのだと……。それだけではございません。白蛇様のかわを、ずっとうっていくために、むりやりはんしょくをさせはじめたのです……」
 「……」
 「ああ。いいおくれましたが、白蛇様は、すべておすなのです」
 「え? でも、いま繁殖って……」
 「たったいっぴきだけ……。たったいっぴきだけいたのです。しろい白蛇様とは、"まぎゃくのうろこ"の……──べにいろのうろこをもった、女王蛇が」
 「女王蛇……」
 「その女王蛇は、この村では、ウメとよばれておりました。とおくのくにに、うめという名の木があって、あのべにいろによくにているとか。……わたしの夫が、あの子にそうおしえたと」
 「あの子?」
 「フィラといいます。わたしのまごですが、いまはこのむらにおりませんで……」

 聞き覚えのある名前だった。瞬時にロクは、ローノの支部にいた医療部班の女の顔を思い出した。
 そして、フィラがツヅの孫であるという事実は、意外にもすんなりと呑みこむことができた。
 ツヅは老婆さながらの白髪であるが、フィラの名前を口にしたときその細い目がすこしだけ開いた。フィラとおなじ、臙脂色をしていたのだ。それだけではない。この村へ訪れる前、崖の上で出会った少年の髪の色もたしかに赤黒かった。
 この村の人間は、身体のどこか一部の色素が臙脂色になっているのだ。ロクは口を開いた。

 「知ってるよ、あたし! 山の麓の町で、フィラって名前の、暗い赤色の髪をした女の人に会ったんだ!」
 「そ、それはほんとうですか……?」
 「うん」
 「……ま、まさかあの子が、こんなにちかくにいたなんて……」
 「でもどうして、フィラさんは村にいないの?」
 「……」
 「村でなにかあったの? もしかしてさっき言ってた、繁殖と関係が……?」
 「……はい。そうでございます。フィラは、ウメ様といちばんなかがよかったのです。しかしたくさんの白蛇様がさくのなかにおいやられ、ウメ様もうばわれ、フィラはとてもかなしみました」

 白蛇を繁殖させるように命じた領主は、その管理を村の人間に押しつけた。しかし白蛇の皮を含む村の作物の管理はすべて領主が行うこととなった。村人たちは自責の念に駆られ不運を嘆いてでも、生きるために、白蛇の繁殖を始めた。
 村の作物も、守り神も誇りも、なにもかもを差し出し絶望に打ちひしがれた村人たちだったが、たった1人、
 フィラだけはその深い憤りを隠せなかった。

 「そして、ある夜フィラは──」
 「連れ出したのよ。……柵の中にいたウメを、ね」

 凛とした声が響いた。
 声のしたほうへ2人が振り向くと、藁の家に入り口に、フィラが立っていた。

 「ふぃ、フィラ……っ!」
 「お久しぶりです……おばあ様」
 「お、おまえ……なんだって、ここに」
 「この子たちを追って、町を出てきたんです。……お元気そうでなによりです、おばあ様」
 「なにをいうんだい。おまえが……おまえさえ、いきていれば……」

 フィラのもとへ歩み寄ろうとしたツヅだったが、その短い足から力が抜け、身体が傾いた。足元を崩したツヅのもとへフィラが駆け寄ると、ツヅはそっとフィラの背中に手を回した。フィラも、やわらかくツヅを包みこむように抱き返した。

 「ごめんなさい、おばあ様……。私、どうしても……村に帰ってこられなかった。みんなを傷つけたのは、私だから……」
 「なにをいうんだい、ばかもの。ほんとにおまえは……ばかだね。なにもかわっていないよ」

 フィラは、震えそうな唇を固く結んで、咽び泣く祖母の背中を撫でた。ふいに顔を上げたフィラの臙脂色の瞳と、ロクは目が合った。

 「ここから先は私が話すわ」
 「いいの?」
 「……まさか、本当にこの村に辿りつけるとは夢にも思ってなかったの。だからかはわからないけど、なぜだか、話したくなったのよ。あなたたちに。……聞いてくれる?」

 ロクは黙って頷いた。

 「さっきの話の続きよ。私は、どうしてもウメやほかの白蛇様たちがかわいそうで……ウメを連れ出したの。そうしたら繁殖させられることはないと思った。なにより……私はウメのことが大好きだったから。ウメを傷つける領主たちの言いなりになるのが嫌だった。でも隠せるような場所が思いつかなかったら結局ウメを家に連れて帰って、そのとき家の中におばあ様と、村で仲が良かったハジって男の子と、もう1人セブンっていうちょっと年上の男の子がいたから、その3人には『このことはヒミツにして』って頼みこんだの」
 「え?」

 ロクは耳を疑った。危うく聞き流しそうになったその名前が、ある人物の顔を思い起こさせる。

 「どうかしたの?」
 「……」

 しかしロクは、その名前を口にはせず飲みこんだ。ロクの知っているセブンという男は、髪の色も目の色も臙脂色ではない。同じ名前であるというだけの別人だろう。そう思ったロクは、「なんでもない」と首を振った。
 フィラはふたたび話し始めた。

 白蛇の管理は村人たちの役割だった。領主の使いでやってきた人間に、村人たち自らが蛇を差し出すことになっていた。つまり、領主側の人間が、白蛇とウメがどのようにして柵の中で過ごしているかなどの事情を知ることはないのだ。
 まさかたった1匹しかいない雌蛇がいなくなり、どんどん白蛇が数を減らしているとも知らずに搾取を続けた領主側の人間は、当然のことながら驚愕した。気づいたときには、白蛇という種が、完全に絶ってしまったあとだった。

 「それで領主さんはどうしたの?」
 「……当然、すごく怒ったわ。怖かったけど、やってやった、っていう気持ちのほうがそのときは大きかった。……でも、甘かったのよ。私はヴィースのことを……領主っていう人間の怖さをなにもわかっていなかった」

 その日を境に、領主ヴィースは付き人を従えて村に訪れては、村人たちに暴力をふるうようになった。性別も歳も見境なく、1人捕まえるたびに呪いのように唱えていたそうだ。──「なぜだ」「なぜだ」と。
 そしてある日、怒り冷めやらぬヴィースによって身体中を痛めつけられたハジが、ついにフィラのことを話してしまったのだ。
 じゃあ、とロクが相槌を打つと、フィラは苦しそうに表情を歪め、俯いて言った。

 「……ヴィースに、見つかって、ウメも……家から引きずりだされて……私の、目の前で、」

 喉と、手脚とを震わせながら、フィラは必死に言葉を紡いだ。

 「ウメが、火に焼かれて、もがきながら、死んでしまったの」

 ロクは、自分の胸に息が閊えるのを感じた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.34 )
日時: 2018/09/24 12:27
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: zRrBF4EL)

 
 第031次元 君を待つ木花Ⅷ

 『……ぁ、いや……っ、やめて! やめてっ! ──ウメ……っ!!』

 血のような赤髪を引っ張り上げられ身体中を押さえこまれ、見せつけられたのは、渦巻く獄炎に溶けてなくなくなっていく、最愛の紅色だった。

 「そのときね」

 ウメのいた場所には、ただ黒い炭だけが残り、やがて火は消えた。フィラや村人たちが絶望する顔を眺めていた領主は、憤るように、嘆くように、高らかに嘲笑った。その笑い声だけが響き渡っていた。
 次の瞬間。

 『次元の、扉、発動』

 ──フィラの中にある"扉"が、音を立てた。

 炎を抱いた瞳が、蛇のように、領主の顔を睨んで離さなかった。

 『"巳梅みうめ"──っ!』

 フィラがそう叫ぶと、突然、空気が震動した。砕け散った大地の底から、
 "紅色の大蛇"が、けたたましい産声をあげて君臨した。

 滝のように流れ落ちる大地の破片を浴びながらフィラが見上げれば、そこには、なくしたはずの梅色が牙を剥いていた。

 『──え……?』

 大蛇が地面に噛みつき、村人たちは悲鳴をあげて、フィラのそばを離れていく。伸ばした手も虚しく、フィラは目を閉じ、耳を塞ぎ、その場にしゃがみこんだ。彼女の泣き声を掻き消すように、大蛇は甲高く啼き続けた。

 悪夢のような一夜は、終わりを告げると同時に少女を攫っていった。

 「フィラさん……次元師、だったんだ」
 「……そうよ。でも私、それから村の人たちといっしょにいるのが怖くなって、逃げるように村を出たの。私のせいでみんなを傷つけたから……。だから、ここへもずっと戻ってこられなかった」
 「じゃあ、いまこの村で起こってることは……」
 「……。知って、いたの。でも……みんなが苦しんでいるのを知っていながら、みんなに拒絶されるのが怖くて、ずっと、そのまま……」

 いまにも泣き出しそうなフィラを見かねてのことか、黙っていたツヅが口を開いた。

 「りょうしゅ様は、その日のいかりをわすれられませんで、さっきのかじつをつかってさけをつくるよう、われわれにめいじました」
 「! お酒……」

 ロクはローノでの話を思い出した。ベルク村で造られている酒が美味と評判で、支部にいた男性隊員たちが盛り上がっていた。こんな山奥にある村の事情を知っていたのは、その酒がひっそりと取引され、世に出ているからだろう。

 「つぐなえ、とおっしゃったのです。このさきもえられるはずだった、ざいさんを、うばったつみを……つぐなえと」
 「償えって……! そんなの、悪いのはぜんぶ、領主さんじゃないの!?」
 「……いまはそういうじょうきょうなのです……。われわれがさけをつくるかわりに、さくもつやみずなども、まえよりはおおくはいきゅうされるようになりました。……が、そのりょうはとても、たりていません。みな、やまいにたおれたり、やまをくだったりして……いなくなって、いっているのです」

 ロクは、ぐっと拳を握りしめた。腹の底から湧いてくる感情は、この村に住まう人間たちが持つ──燃えるような赤色に似ていた。
 我慢できず、ロクは立ち上がった。

 「フィラさん! あたし、やっぱり行く!」
 「い、行くって……どこへ」
 「決まってるじゃん! ──領主の顔を、ぶん殴りにいくんだよ!」

 ロクは隊服の袖から腕を伸ばし、強く拳を握ってそう告げた。決意を孕んだ新緑の瞳が、フィラに降り注ぐ。

 「そんな……あなたには、なにも」
 「……そうだね。関係ないかもしんない。でも、そういうんじゃなくて、いやなんだ。あたし、ほっとけないんだよ! この村の人たちも……フィラさんのことも! だからあたしが行ってくる。なにも返ってこないかもしれない。……失ったものは取り戻せない。でも……それでも! あたしが許せないんだ!」

 フィラはなにかを言おうとしていたが、ロクが遮って続けた。
 
 「だからフィラさんも、いっしょにいこ!」
 「……だ、だめよ、私は……」
 「次元師なんでしょ? 領主のこと、許せなくないの!? フィラさんの家族を……村の人たちを苦しめてきたんだ。ずっと! そんな人を、フィラさんなら……──」
 「あの子なのよッ!」

 思わず大きな声をあげたフィラに、ロクは一瞬肩を震わせた。
 
 「……あの子なのよ、私の、次元の力は……。まちがいなく、──ウメなの……!」
 「そ、そんな……ちがうよ! そんなはずない。次元の力と、ふつうの生き物はちがうよ、フィラさん!」
 「ちがわないわ! あんな、紅色の鱗の、蛇……ウメじゃないなら、なんだっていうの!? ……私はもう、あの子を傷つけたくない……っ!」
 「フィラさん……」

 これ以上はなにを言っても聞く耳を持ちそうになかった。ロクは一度だけ目を閉じて、そっと瞼を持ちあげた。
 
 「待ってるよ」
 「……だから、行かないって……!」
 「ちがうよ。次元の力が……『巳梅』が、きっとフィラさんのことを待ってるんだ」
 「え?」

 ロクはフィラの横を通りすぎて、入り口から外へ出ていった。

 フィラはゆっくりと立ち上がり、歩きだした。無意識にロクのあとを追っていて、家の入り口からこぼれる、陽の光に誘われた。
 入り口から外の景色を見た、そのとき。
 
 「フィラ!?」

 家のすぐ外にいた男と、目が合ってしまった。

 「フィラ……いきてたのか!」
 「ほんとうだ! フィラ!」
 「え? フィラ?」

 次から次へと、フィラの存在に気づいた村人たちが、彼女の周りに集まってくる。フィラの顔がみるみるうちに真っ青になっていく。

 「……み、みん、な……」
 「フィラか? ずいぶんせがのびたな」
 「かえってきてたのか」
 「どこいってたんだよ!」

 有象無象の声たちが、フィラの鼓膜に突き刺さる。ほとんど聞き取れなかった。自分の内側にこもって、フィラは弱々しく声を出した。

 「……。ごめん、なさい。私が、私があの日、ウメを連れ出さなかったら、みんなは……」

 フィラの目が、逃げるように下を向いた。周りとはちがう色をしているようで恐ろしかった。
 彼女が片足を退いたそのとき。

 「なにをいってるんだ?」

 視界が、はっと持ち上がった。13年前、村から出ていった日となにも変わらない臙脂色が、目の前に広がっていた。

 「おまえのせいじゃないよ、フィラ!」
 「ばかだなあっ、おまえは!」
 「あんたは……この村の誇りを、白蛇様を守ろうとした。みんな死んでしまったけど、金のために、むりやり繁殖させられる白蛇様をたすけたんだ。ウメ様のことだって」
 「みんなおまえに感謝してるさ」
 「つらいことなんかなにもない!」
 「おまえはよくやった……! おまえは、この村の誇りさ!」

 1人の男が、フィラの頭に手のひらを乗せた。ぐしゃり、と髪色を掻き回される。目元の臙脂色が、涙で淡く滲んだ。

 「……わ、たし……私……っ」
 「もどってきたんだな……。つらかったな、フィラ」
 「──……っ」

 涙が止まらなかった。拭っても拭っても、それは決して枯れないものだと思っていた。見上げれば頬から落ちて、だれかが拾ってくれる。ばかだな、と笑ってくれる。そうしたら涙の跡は残らないだなんて知らなかった。──初めから、逃げる必要などなかったのだ。
 フィラは喉を躍らせて、子どものように泣き声をあげた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.35 )
日時: 2018/09/07 20:40
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: pzCc2yto)

 
 『……うっ、ウメ……ウメ、わたし……わたしのせいで』

 まるで、自然災害にでも直面したかのような風景が村に広がっている。でもそれは間違いではなかった。家屋の多くは潰れ、村を囲う木々も根から折れ、子どもが遊ぶ玩具のように転がっている。異なる点があるとすれば、この惨状を呼んだのが自然ではなく──非科学的で未知なる力であるということ。
 倒れた樹木のそばで、少女はずっと泣いていた。「ウメ」と「なんで」と、「わたしのせいで」という言葉を、夜が明けるまでしきりに繰り返していた。
 朝の訪れを告げる仄かな橙色は、荒廃した大地にも温かく降り注いだ。目を覚ました少女は、真っ赤に腫らした目で村を見渡して、それから静かに背を向けた。
 日の出の光を受けて、少年は立っていた。

 『フィラ、行くのか』
 『……だって。わたし、もうここには……いられない』
 『じゃあ俺もついてく』

 少年は手を差し伸べてそう言った。呆然とするフィラの手を、少年はそっと掴んだ。

 『だから行こう。……フィラ』

 ──2人の少年少女は、そうして、故郷をあとにした。



 「いっ!」

 机の上に額をぶつけた衝撃で、セブンは目を覚ました。あいたた、と頭を擦りながら首を起こす。いつもとなにも変わらず班長室内は静まり返っていた。

 「……。懐かしいものを見たな」

 肘をすこし動かしたそのとき、机の上からはらりと紙が落ちた。身体をかがめて、椅子に腰をかけたまま紙に手を伸ばす。掴み上げたその書類は、ルイルとガネストの入隊申請書だった。希望配属先は『戦闘部班』と記述されている。

 「……」
 
 セブンは、薄黄色の目を細めた。

 (──あれから、13年か……)

 途端に熱を帯びた喉から、息ひとつ吐き出すのにも、痛みが通った。


 第032次元 君を待つ木花Ⅸ

 村の一端から、整備された一本道が伸びていた。手入れが行き届いていることから、この道が領主の住処へと続いているだろうとロクアンズは思った。睡眠も食事も摂り、充分に回復した身体は軽く、ぐんぐんと林道を走り抜けていく。

 「道は合ってるんだろうな」
 「! え、レト!?」

 聞き慣れた声が降ってきた。同時に、木の上から飛び降りたレトヴェールが、道の真ん中に着地した。ロクはゆっくりと速度を落とし、レトに近づいた。

 「レト、起きてたの?」
 「まあ」
 「体は? もうだいじょぶなの?」
 「うっせーな。心配すんな」

 レトは、腕をぐるりと回した。相変わらずの憎まれ口と、顔色の調子もよくなっている。

 「よかった~」
 「それよりロク、おまえ領主のとこに行ってどうする気だ?」
 「どうするって……ぶん殴ってやるんだよ! そんで山の麓まで引きずってく!」
 「……。俺、気になってることがあるんだけどさ」
 「なに?」
 「どうしてこの山に、水源がないのかってこと」

 思いもよらない方向から話が飛んできて、ロクはきょとんとした。

 「水源?」
 「ここへ来るまでに、俺たちは1度も川や湖を見かけなかった」
 「そりゃあ、たしかに不思議だったけど……でも領主さんのこととは関係なくない?」
 「──その領主が、水源を独り占めしているとしてもか?」
 「!」
 「おかしいと思わないか? こんな水源も少なくて、大した利益もあげられそうにない。あるのは生い茂る森と、人が過ごしにくい地形、そして人口の少ない村……。ここを治めたいなんて、ふつうだれも思わない」
 「……たし、かに」
 「でもベルク村の領主はこの土地を選んだ。それは、水源が確保できたってことの裏付けにもなる。まあこの森にある植物たちが土地の乾燥に強いっていうのもあるかもしれないけど、水がないんじゃふつうここまで広がらないだろ。だから水源は、どこかにぜったいあるんだ。それも大きなやつが。村に最低限の水を配給してるらしいしな」
 「海の水じゃない? 近くにあるんでしょ?」
 「元はそうだろうけど、ちがうな。水を運んで歩けるほどやさしい山じゃないし、一度に運べる量だってたぶんそんなに多くない」
 「じゃあっ、どこから?」
 「……領主の、家の下じゃないかと、俺は思ってる」
 「え!?」

 レトは、辺りを見回してふいに歩きだした。木の麓に落ちていた枝を拾うと、ロクのもとに戻ってくる。
 枝の先で地面を引っかいたと思えば、がりがりと砂を削り、なにやら図のようなものを描いていく。

 「これを仮に家とする。そんで、水源は……家からちょっとずれたとこの、ずっと真下」
 「え、なんでそんなとこに?」
 「森の中に動物らしい動物がいなかっただろ。でも、川も湖もないこの山ん中でたしかに植物は生きてる。だから地面の下に水が流れてて、そこをあえて掘り起こしてないんじゃないかって思ったんだ。村の人たちにバレたら、その水をとられちまう可能性もある。もちろん海も近いし」
 「でも、なんで領主さんが住んでるとこの真下に、それも大きなやつがってわかるの?」
 「……それは……まあ、まだただの予想だけど。でも、この山に目星をつけた時点で水のことはしっかり調べただろうし、そしたら一番太い水源の近くに自分家を建てるのは当然っていうか……」
 「なるほど」
 「……。でも、なんで、村の人たちは領主の家に殴りこんだりしないんだろうな」

 (数で押しかければ、なんとかなるんじゃないのか? いや、領主側にどれくらい人間がついてるかにもよるか……──)

 レトは眉をひそめ、手に持っていた木の枝をぽいっと投げ捨てた。手のひらにくっついた砂粒を払う。

 「仕返しとかされちゃうんじゃないかって、怖がってるんじゃないかな? ……だって昔も、領主さんを怒らせたとき、村の人たちは暴力を振るわれたって言ってたし……」
 「……水がほしいなんて言ったところで追い返されるのがわかってるから、あの手紙を持って山を下ったんだ。その線が濃いだろうな」
 「? あれ、でもレト、なんでさっき水源の話したの?」
 
 レトはすこしだけ黙ったのち、小さく口を開いた。

 「領主の家に行くんだろ。地下に水源がある。……領主ぶん殴って、ついでにそこなんとかすりゃ、村の人たちにもっと水を渡してやれるんじゃないかって、思っただけ」

 いつも通り無表情でそう告げたレトだったが、その口調は淡々としていなかった。答えを小出しするみたいに、しどろもどろになりながら口にした提案によって、ロクの表情が途端に明るくなる。

 「いいじゃんそれ! すごいよレト! そうしよう!」
 「大声を出すな、うるせ」
 「やろう、レト! 2人で、村の人たちを助けるんだ!」

 ロクが力強く意気込むと、レトはそれに応えるようにこくりと頷いた。2人の瞳におなじ色の光が灯る。地面に描いた、ただの線で繋げただけの絵を蹴飛ばして、2人は山道を駆け上がっていった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.36 )
日時: 2020/04/13 00:02
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第033次元 君を待つ木花Ⅹ

 木製の酒器になみなみと注いだ血のような赤紫色を、顎髭を生やした中年の男が一気に煽った。バンッ、と大きな音を立て、カラになった酒器の底で机の上を叩く。顎髭の男は、1人で座るにはやや大きめの腰掛の背もたれに片腕を跨がせた。もう片方の手には紙が握られていて、それを彼はじろじろと舐め回すように睨む。

 「最近、少なくなってんような気ィするんだよなあ……。手抜いてんじゃねえだろうな、あいつら!」

 ぐしゃりと紙を握り潰した男は、目の前にあるテーブルを荒々しく蹴り飛ばした。カラになった酒器が床の上で跳ね、ごろりと転がる。男は1度舌打ちをしてから、どこへ向けるでもなく大声を出した。

 「おい! 酒持ってこい! いますぐにだ!」
 「はいはい」

 青年らしき声が、どこからともなく聞こえてきた。広い室内はあまり統一性のない陶芸品などでごった返ししていて、ほかにも部屋があるらしいが扉ではなく暖簾のれんで隔てられている。ゆえに、酒を注いでいるような物音が暖簾の向こう側からしっかりと聞こえてくる。さらりとそれをのけて、その青年は姿を現した。
 前髪は両端だけがすっと長く伸びていて、額のあたりはとても短い。いくつもの小さな銀の装飾品が耳たぶを噛んでいる。青碧色の髪をしているが、先端はところどころ白く、独特だ。瞳の色も、髪の碧さと同様だった。
 青年はひっくり返ったテーブルを、酒器を持っていない方の手で正位置に戻すと、その上に酒器を置いた。

 「あいよ、ヴィースさん」

 青年はけだるげに声をかけ、そのまま流れるように暖簾の向こう側へと帰っていった。顎鬚の男、ヴィースは返事をせず、酒器の取っ手に左手を伸ばしてその縁に口をつけた。

 「……こりゃ村のやつらに、いっぺん灸を据えてやらねえとだな」

 口元から酒器を離した、そのとき。
 ──突然、耳を劈くような低い轟音が響き渡り、左手に持っていた酒器が激しく飛散した。

 「…………あ?」

 ヴィースの背後。入り口である木製の門が打ち破られ、強風が殴りこんでくる。室内では棚に置いてあった硝子器が落ちて破損し、数多の陶芸品が床の上を転げ回った。ヴィースの黒い巻き毛も煽られ、視界が不確かになる。
 左手が、わずかに痺れ、動かせなかった。

 ヴィースは首だけを回し、振り返る。その途端、彼は瞠目した。
 木の門をぶち破った挙句、当然のように室内へ侵入してきたその犯人は、若草色の髪をした少女だった。
 
 「ヴィースって領主は、どこだあっ!」

 電気が絡まった右腕をまっすぐ突き出しながら、ロクアンズは叫んだ。
 顎鬚の男──ヴィースは鋭く吊り上がった目を、すっと細めた。

 「……あ? オレだよ」

 ロクはヴィースの姿を視認する。茶褐色の肌。深い黒色の髪の毛は天然なのだろうか、ひどくうねっている巻き毛を前髪ごと巻きこんで、乱雑に一つに束ねている。いかにも遊んで暮らしていそうな服装が、ロクの目に障った。黒光りする眼光と睨み合う。

 「村の人たちを苦しめるのはもうやめて!」
 「……。はあ。ここは、幼いガキが来るとこじゃないぜ、嬢ちゃん」
 「聞こえなかったの? あなたが、村の人たちを苦しめてる張本人なんでしょ! ……守り神もウメって子も、みんなみんな傷つけて……村の人たちがどれほど悲しかったか、あなたは考えたことあるの!?」
 「……」
 「食べ物がなくて水も足りなくて、ずっと苦しんでるんだ……! あなたのせいで! 痛い目見たくなかったら、いますぐ村の人たちに食べ物や水を渡してっ!」

 怒気を孕んだロクの一喝を受け、ヴィースは、ハッと鼻を鳴らした。

 「そいつはギゼンってやつだぜ、嬢ちゃん」
 「……ぎぜん?」
 「"カワイソウだから"……"ほっとくと胸糞悪いから"……そんなクソみたいな理由でここまで来たってんなら、うちに帰ってネンネしな」
 
 苦虫を嚙み潰したような目で、ヴィースがロクを睨みつける。正義感を振りかざすことを悦に感じているのだろうが、所詮は子どもの考える夢希望にすぎない。怯んで逃げ帰る様子を想像しながら、ヴィースは薄く笑った。
 しかし。
 ロクはただ一言、小さくも力強い声で、「ちがう」と返した。

 「あたしは、目の前で苦しんでる人を、ぜったいに放っておかない」

 ──視界に、一瞬、淡い雪が舞った。ロクは知っている。あてのない、凍えた世界に、手を差し伸べてくれることの奇跡を。その温度がどれほどあたたかかったのかも。

 「だからぜったい、助けてみせる! あたしはそのために──あなたを殴り飛ばしにきたんだッ!」

 ロクはぐっと右の拳を引く。彼女の全身を覆うように、拳から電熱が奔った。
 そのとき。

 「……っ!?」

 "太い縄"が、ロクに向かって一直線に伸びてきたかと思うと、その右腕に素早く巻きついた。
 無理やりにでも動かそうとするが、右腕はびくともしない。ロクは表情を歪める。
 
 「な、にこれ……!」
 「おーっと。雷を使うなんて、おっかないお嬢さんだなー。それにかわいい顔が台無しだ」
 「……あなたは」
 「リリエン・テール。あんたとおなじ、次元師だよ」

 青碧色の髪の青年、リリエンは悠然と告げた。驚くロクをよそに、彼女の腕から伸びる縄のもとをぐっと引っ張る。

 「痛い目、見たくなかったら、とか言ってたな?」

 リリエンの口角が吊り上がった、
 次の瞬間。

 「次元の扉、発動」

 少女、のようで冷然とした声が聞こえて、刹那。ロクとリリエンとを繋ぐ縄が鮮やかに断ち斬られた。

 「──『双斬そうざん』」

 両手に"双剣"を携えたレトヴェールが、颯爽とロクとリリエンとの間に滑りこんだ。

 「レト!」
 「なんだなんだ? こちらさんはずいぶんと、キレイなお嬢さんだな?」
 「俺、男だけど」
 「……マジかよ」

 ロクとレト、そしてリリエンは対峙する。ロクはふたたび右腕に雷を纏った。

 「あなたに用はない! こっちは2で、そっちは1。……おとなしく降参したほうが、いいと思うけど?」
 「へぇ。そーかい」

 リリエンは、床の上で無残に寝ている縄を拾い上げた。それを腕にくるくると引っかけると、腕を持ちあげ、両手で耳を塞いだ。
 2人がそれを訝しむ間もなく、

 「──なら、2対2ならどーだ?」

 空間を叩き割らんばかりの、刃物を思わせる鋭利な"音"が突如、2人の鼓膜に突き刺さった。

 「うわああッ!」

 激しく空気が波立つと、突風が巻き起こった。2人の身体はしなやかに後方へ弾け跳ぶ。強制的に室内から外へと追い出された2人は、勢いよく地面の上を転がっていく。
 カツン、と音がする。ロクとレトはふいに視線を上げた。
 黒いもやのような人影が、立ちこめる土埃の中から、その姿を露にした。

 「ウソは嫌いよぉ、リリエン。アタシちゃん、かわいくない子は専門外なんだけどな~ぁ?」

 耳に障るような高い声。クスッ、と乾いた笑みがこぼれる。
 わざとらしく小首を傾げると同時に、その女の、青碧色の短い髪が揺れた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.37 )
日時: 2018/09/17 00:24
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: gZ42Xhpr)

 
 第034次元 君を待つ木花ⅩⅠ

 ロクアンズとレトヴェールの前に現れた女は、リリエンとおなじ青碧の髪色をしていた。ところどころ白くなっている髪の先端が、わずかに肩にかかっている。頭に響くような甘ったるい声色をしているが、顔つきや体格は大人びている。そのギャップが、余計にロクとレトの2人の思考を混乱させた。
 リリエンとおなじ顔のつくりをしたその女は、フッと厭らしく口角を上げた。

 「お、おんなじ顔っ!?」
 「双子なんだろ。それにさっきの、変な音もおそらく、次元の力だ」

 女の背後から、リリエンがだらだらと歩いてやってくる。2人が並ぶとまるで鏡のようだった。しかしどちらも虚像ではなく、極めて似たような雰囲気を身に纏いながら話し始める。

 「リリアン、あんま虐めてやんなよ。特に女の子のほうは」
 「やっだぁ~リリエン、あーんな子が好みなのぉ? 顔に傷もあるしぃ、ブスじゃないのよぉ~。むしろあっちの金髪の子のほうがカワイっ」
 「ばぁか。女の子は、女の子ってだけでかわいいの」
 「なにそれぇ! それってつまりぃ、女の子ならだれでもイイってことじゃなぁいっ」
 「そうともゆ~」

 けたけたと笑い声が重なる。と、リリエンとリリアンの間を割くように、並んだ足元に鋭い電撃が落ちた。

 「おわっ!」
 「ちょっとぉ! なにすんのよっ!」

 まっすぐ右手を伸ばしたロクは、その額にぴきっと青筋を浮かばせた。

 「あなたたちに用はないってば! そこをどいて!」
 「なぁにぃ? もしかしてぇ、ブスってゆわれたこと気にしちゃってるのぉ? やっだーぁっ! どうせ直せないんだからぁ、気にしなくてもいいのにぃ」 
 「う、うぅ~! よくわかんないけどムカつく!」
 「カワイくないから、ムカつくんでしょっ?」

 言いながら、リリアンは薄肌色の"長笛"の吹口をそっと厚い唇に添えた。笛尾には真っ赤な紐がくくりつけられており、長いそれは地面に向かってまっすぐ垂れている。

 「五元解錠、"思穿しせん"!」

 リリアンは叫び、吹口を食んだ。彼女の持つ長笛の穴から金切り声のような鋭い旋律が放たれる。
 咄嗟に、ロクとレトは両手で耳を塞いだ。

 「う──ッ! な、にこ……れ!」

 頭蓋の内側に、ガンガンと響くような不協和音。一瞬にして思考のすべてが奪われ、代わりに酷い痛覚が単身殴りこんでくる。長笛から発せられている音のせいだということは理解していたが、その音から逃れようと強く耳を塞いでも、まるで効果がなかった。
 激しい痛みに全神経を持っていかれた2人は、その場で岩のように動かなくなった。

 「キャッハハハ! おもしろぉーい! ぜぇんぜん動かなくなっちゃったぁっ。思穿は、アタシちゃんの次元の力、『爛笛らんてき』の技のヒトツ。強烈な音波で、相手の脳ミソをトコトン痛めつけちゃう、つっよぉい次元技な・のっ。キャッハハぁ!」

 リリアンの高笑いが、余計にロクとレトの耳に障った。この思穿しせんという次元技は、リリアンの手によって音の方向や範囲をある程度調整できる。その範囲内にいる人間すべてが対象となり、また広範囲での襲撃を可能とするため非常に性能が高い。いくら耳を塞いでも効果が薄まらないのは、そもそもこの次元技が鼓膜ではなく脳を標的としているという事実に起因する。
 そのため、依然として痛みは弱まらず、一定の攻撃力を保ちながらロクとレトの脳に襲いかかっている。2人は意識が飛びそうになるのを堪えるのに必死だった。
 だがレトは、それに抵抗するように視界にうっすらとだけリリアンの姿を取り入れ、決死の思いで喉を開いた。

 「ロク! 下がるぞ!」
 「え!?」
 「距離を離すんだ! 相手の、次元技が音なら、離れれば痛みはなくなる!」
 「そっか!」

 ロクとレトは、耳元に手を押しつけたまま踵を返し、後方へと走りだした。ただの野原のような広い庭を横断し、リリアンのいる場所から遠く離れていく。リリアンはとくに追いかけるという動作も見せず、その場でクスッと笑った。
 立ち並ぶ双子の間から顔を覗かせたヴィースが、2人の肩に両腕をかけ、愉快そうに言い放った。

 「イイぞ、2人とも。正義の味方気取りのガキどもを、完膚なきまでに叩き潰せ」
 
 
 レトの発言通り、リリアンから離れていくと徐々にその強烈な音が弱まっていくのを実感した。庭を抜け、草木の茂みに駆けこむと、ほとんど痛みは感じなくなった。自然と耳元から手を離す。

 「はあ、はあ……。ここまでくれば、音はもうぜんぜん聴こえないね」
 「ああ。だけどこれはあくまで一時的な対処だ。攻撃をしかけようと近づけば、すぐにあの音で邪魔してくるだろう。とりあえず思考が正常なうちに、作戦を練らないと」
 「うん」

 追いかけてこないということは、まだ余裕があるということなのだろう。小さくなった双子をじっと眺めながら、レトはそう思った。
 
 「ロク、おまえの次元技、長距離では出せないのか?」
 「雷撃とか雷柱のこと? ……たぶん、届かないと思う。雨が降ってればべつだけど……」

 ロクは、ローノを出発してから一番初めに見かけた崖でのことを思い出した。高い崖の頂上を狙った雷撃は、思うようにその岩肌を崩せなかった。届きはしたが、あのとき出したものが現段階で出せる最高距離だと考えると、とてもじゃないが双子のいる場所まで雷は届かないだろうと冷静に判断した。それほどまでにいま、双子との距離は離れている。試し打ちをしたいところだが、それは『元力』を無駄に減らすことにもなってしまう。

 (もっと、距離を出すことができたら……──)

 ロクは悔しい気持ちに駆られながらも、小さくかぶりを振った。

 「……そうなると、極力近づいてあのリリアンっていう女の手から笛を離すしかないな。あの音はやっかいだ。おそらく、脳への直接攻撃だろうからな。あの音波をどうにかできれば……」
 「音波……」
 「避ける以外に、なにか……」
 「……」

 レトはなんとかいい作戦はないかと逡巡していた。そしてロクも、静かに考えていた。
 音波。広範囲での攻撃。避ける以外の道──。
 はっ、と先にひらめいたのは、ロクだった。

 「レト、あたしさいしょにローノの森で元魔を倒したとき、自分の周りに電気の膜を張ったんだ。あのときはただの思いつきでやったことだけど、それを生かせたりしないかな?」
 「ああ、あれか」
 「……? あれか、って……レト、あのときいたっけ?」
 「え?」

 レトは、すぐにしまったという表情になった。まさか、ロクと元魔が対峙しているところへ早々に到着していたがその戦闘にわざと介入しなかったなどとは言えずに、適当にお茶を濁す。

 「あ、いや、いたよ。ちょうどあれやったときに、到着したんだ。そのあとすぐに核を壊してただろ」
 「ああ、そっか」
 「……。で、それを生かせないかってことだよな」
 「うん。あの音波に、電気で直接ぶつかってみる。そうしたら、なんか、音の流れを邪魔できないかなって……」

 レトは、ロクの提案に驚いた。意外だったのはその作戦の内容だけではなく、ロク自身がそれを考えついたということだ。いつもなら「どうしようレト」などと言って、問題が起きた際どう対処すべきかの発案を彼に一任していたロクが、自ら考えて打ち出した作戦。それもレトが思いつかなかった見方だ。避けることができないのなら、わざと衝突させて音波を打ち消す。相殺、という形をとると明言したのだ。
 こんなことをロクが思いつくなんて、と。半ば見下したような感情がふっと湧いて出たが、レトは目を瞑り、重い頭を振った。

 「それでいこう。男のほうが攻撃をしかけてきたら俺が対処する。おまえは、あの音波に負けないように電気の膜を張り続けて、そのまま直進するんだ。隙ができたら、あの笛を狙う」
 「うん!」

 ロクが力強く頷く。レトは、広大な庭にぽつりと佇む領主の家に視線を向けた。
 作戦開始だ。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.38 )
日時: 2020/01/31 12:25
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: FFsMNg05)

 
 第035次元 君を待つ木花ⅩⅡ

 脱兎のごとく、ロクアンズが草木の茂みから飛び出した。身体中から微弱な電気を発しながら、リリアンとリリエンに向かって猛突進する。
 ようやく出てきたかといわんばかりに、双子の片割れであるリリアンが口角を吊りあげた。肩までの青碧色の髪を耳にかけ、横長の笛を唇に近づける。色気を孕んだその口元から、まるで品のない叫びが飛んだ。

 「何回来ても同じだっつぅの! ──五元解錠、思穿ッ!」

 甲高い悲鳴のような音が伝播する。狙うは、馬鹿正直に向かってくるロクと、その後ろに続いているレトヴェールの2人。繰り出した音波は凄まじい速さで2人の身体を呑み込もうとする。
 しかし。

 「五元解錠──雷撃ィ!」

 ロクはその場で急停止すると同時に、両手を突き出した。掌から雷撃が放出される。従来通りであれば雷は四方に拡散しているところだ。しかし、それがまるで壁となるように姿を変えていて、ロクとレトの2人を守り──音波と衝突した。
 ロクの思惑通りだ。"思穿"による強烈な音は、電気の壁とぶつかることによってその進路を絶った。雷鳴と旋律との対峙によって生まれた爆音が直接鼓膜に襲いかかってはくるが、耐えがたいほどの刺激ではない。驚いたリリアンの唇が、吹口からすこしだけ外れる。

 「な……ッ!」
 「女の子のほうが雷を使って、お前の音にぶつけてるんだ。イイ対策だ」
 「キィ~ッ! ナマイキねっ!」
 
 ロクは動きだした。半球状の壁から漏れ出している微弱な電気が、音の波を掻き分け直進する。重たい力が働いているために、思ったように前へ進めずにいるが、彼女はそれでも一歩ずつ確実に土を踏みしめていく。
 ふっと音の波が弱まった。汚いものを見る目で、リリアンがロクのことを睨みつける。
 
 「大人しく……苦しんでなさいよッ!」

 耳を劈くような音波が再来した。ロクはまたしても雷の膜を張り巡らせ、強烈な音に正面から迎え撃つ。
 が、その場で踏ん張るロクの足元が、わずかに後ろへ下がった。

 「っ! 威力を上げた……!?」

 圧し負けないようにと固めた姿勢のまま、どんどん後方へと押し返されていく。気は緩めていないはずなのに、とロクが顔をしかめた。
 ──そっちがその気なら。ロクの全身から勢いよく電気が飛び散ると、若草色の長い髪がぶわりと巻き上がった。

 「こっちだって!」

 火力が、電熱が、急上昇する。力と力の衝突が生んだ暴風がロクの長い髪を嬲った。足元はぴたと止まる。押し返されはしないが、前進できるほどの余裕もない。力は拮抗している。
 いままで動きを見せなかったリリエンが、隣で立つリリアンに耳打ちする。

 「リリアン、いまだ。技を解け」

 リリアンが眉と目だけで笑みを返すと、次の瞬間。
 ──驚くほど唐突に、すべての音が消え去った。

 「え?」

 バチッ、と、電気が空を縫って溶ける音。それだけだった。夜に酒場から、だれもいない湖畔へと瞬間移動したかのような想像に陥る。恐ろしいほどの静寂の中、ロクの身体が、反動によって前へ大きく傾いた。

 「五元解錠──"進伸しんしん"!」

 1本の縄が、ロクの身体をめがけて物凄い速さで向かってくる。

 「ロク!」

 ロクの肩を乱暴に掴み、レトは即座に前へ躍り出た。次元の力『双斬』はすでに発動している。レトはその手に握っていた双剣で素早く空を薙ぎ、迫る来る縄の先端を斬り払った。
 
 「うっわマジで? そんじゃ」

 縄は、まるで意思を持っているかのようにひとりでに動いた。そして体勢を持ち直すとすぐに、レトの身体に飛びかかった。

 「レト!」

 ロクの叫びは虚空へと吸いこまれる。捕らえられたレトの身体が宙に浮いた。すると、彼は瞬く間に地上を離れ、どんどんと空高く、高く、浮上していくのを嫌でも実感した。胃液が逆流しそうだった。ひどい吐き気と眩暈が同時に襲いかかってくる。
 気がつけば、地上とは絶縁した、遥かな空の上にいた。
 そこからの景色には、広大な平地とその周囲を取り囲んでいる森、そして小さな点が3つ並んでいた。レトの身体は固く縛りつけられて、身動きは一切とれなかった。
 おなじようにロクにとってレトが小さな点となると、彼女は真っ青な顔で空に向かい、大声を張った。

 「レトーっ! レト!」
 「ありゃりゃ~。残念だったねぇ、お嬢ちゃん。あの男の子、こーんなに小さくなっちゃって」

 リリエンは右手の人差し指と親指の先を近づけ、わずかにできた隙間によっていまのレトの姿を再現した。もう片方の左手で握っている"縄"は、空の上にいるレトの身体と繋がっている。
 リリエンがその手に掴んでいる縄は『尺縄じゃくじょう』と呼ばれている、まぎれもない次元の力だ。
 『尺縄』は一見ただの縄だが、次元技によってはその縄を自分の手足であるかのように自在に操ることもできる。さきほど、縄が生き物のようにレトの身体に飛びついたのもその能力に由来する。
 まるで子どもが玩具で遊ぶように、リリエンは縄をゆらゆらと揺らした。

 「いますぐレトを離して!」
 「べつにいーけど、ほんとに離しちゃっていいワケ?」
 「え?」
 「あの高さから落ちたら……どうなるんだろうねーぇ?」

 体内中の血液が急速に沸騰するような、そんな感覚を覚えた。ロクは打って響くように怒鳴り声をあげる。

 「ふざけたこと言わないで! 人の命をなんだと思ってんだッ!」
 「アンタそれ、人のこと言えんの? なりふり構わず雷ビリビリさせちゃってさぁ。それで万が一、人が死んじゃったらどーすんのよ」
 「あたしはぜったいにそんなことしない!」
 「あっそ。つかべつにいーじゃん。人を殺しちゃいけないルールもないのにさぁ。他国とドンパチやってるこの時代に、命の尊さとか言われてもねぇ。まあオレとしては? べつにあの男が死のうが生きようがどっちでもいーんだけど……」

 あっちへこっちへ視線を遊ばせていたリリエンが、ふいにロクと目を合わせた。

 「さ、どーするお嬢ちゃん? この村のことはすっぱり諦めてウチに帰るか?」
 「あたしは、この村の人たちを助けたくてここまで来たんだ! このまま帰るわけないでしょ!」
 「へー。んじゃ、そっちを選ぶってことで……あの金髪くんは、どうなってもいいっつーことだな?」
 「そんなわけあるか! そんな、どっちか片方なんて」
 「選べよ。どっちか、片方。人生だっておなじだろ? 選んでんだよ、知らず知らずのうちにな」
 「──ッ!」

 小さな点が、3つ。レトにわかっているのは、その点の1つが自分の味方で、もう2つが敵ということ。そしていま、こちら側が確実に劣勢であるということだけだ。

 (……悪い予感がする。もし俺の予想が正しければ、いま、ロクは……俺のせいで動けなくなってるはずだ)

 レトは地上で起こっているであろう事態を懸念していた。皮肉なことに、彼の優秀な考察力によって打ち出されたその悪い予感は、的を得ていたのだ。
 レトを離してほしければ。落とされたくなければ。目の前で殺されたくなければ──。
 そんなような文言を、ロクに吐いているに違いない。レトはいまほど自分の状況を呪ったことはなかった。悔しさのあまり噛んだ唇から、小さな血の雫が滴り落ちる。

 (……くそッ、なんで!)

 よりにもよって自分が、最悪の状況を招いてしまった。心のどこかで、いつの間にか頼りにするようになってしまっていた。だれからも愛されてだれからも期待される、そんな小さな英雄のようにも思える義妹の、──荷物でしかないいまの自分が、恥ずかしくて、嫌でたまらなかった。

 どうせ追いつけやしないのに。
 それならせめてと、足枷にだけはならないように、
 ずっとそう思ってきたのに。

 (俺は、)

 レトは右手に持った短剣を、痛いほど強く握りしめた。

 身体中をきつく縛られてはいるが、幸いなことに手首の自由だけは許されていた。
 地上に向かってまっすぐに伸びる縄。手首の動作を確認する。軽く振っただけだったが、剣の刃が、きちんと縄に触れた。

 レトは息を吸いこんだ。
 通信具が、ざざっ、とノイズを立てる。

 『ロク、聞こえるか』
 「レト! レトだよね!? 待っててね、レト! いますぐ助けるから!」
 『……。ロク、おまえあの女の笛を狙えるか? ただ狙うだけじゃなくて、雷の膜を張ってからだ。その膜から一点だけでいい。糸みたいに伸ばして笛を狙ってほしい。俺のことは気にしなくていいから』
 「え……? で、でもそんなことしたら」
 『俺にも策があんだよ。おまえは、おまえのことだけやればいい』

 機器の向こう側にいるレトは、至って落ち着いた口調だった。相当自信のある策なのかもしれない。レトの腕を信じて疑わないロクは、間を置かずに頷いた。

 「わかった。あたし信じるよ、レトのこと」

 ロクは決意をこめてそう返す。いつもの短い返事がなかったが、それほどレトも切迫しているということなのだろう。そう思ったロクは、くるりとリリアンのほうに向き直った。

 「なぁにぃ? もしかして、あの子の命はどうでもよくなっちゃったのぉ? アンタけっこう薄情なヤツだったのねぇ~?」
 「ちがうよ。信じてるんだ。──レトのこと、信じてるから、あたしは戦えるんだ!」

 ぐんと右手を突き出す。と、雷電が掌から腕にかけて這い上がった。

 「五元解錠──雷撃ィ!!」

 眩い光とともに放たれた雷撃は、金色の壁となってロクの周りを丸く囲った。ロクは突き出した右手に、おなじように左手を添えた。
 一点を、糸のように。
 レトからの指示を、頭の中で反芻する。イメージする。ロクは一度閉じた左目を、力強く開いた。

 「いっけェ──!」

 半球状の雷の壁から、一本の糸が伸びる。それは電気の糸だった。空を焼き切りながら直進する雷の閃光は、リリアンの持つ長笛にまっすぐ向かっていく。
 動揺したリリアンは、咄嗟に吹口を噛んだ。

 「こっ、こないでよ! ──き、"響波きょうは"!!」

 甲高い音色が響き渡る。空気が大きく波打ち、次いで突風が巻き起こった。脳を刺激するような音ではなかった。が、荒く波立った風には、電気の糸の軌道をねじ曲げるくらい造作もなかった。

 「しまっ──!」

 そのとき。

 「あれ?」

 リリエンが、手元に違和感を感じたときには、遅かった。
 彼はふと空を仰いだ。

 「……は?」

 黒くて細長い一本線。大空を横断しているそれが、自身の次元の力である『尺縄』だということはすぐに理解できた。だが、それとはべつの黒い点のようななにかが、なにかの輪郭が、徐々に大きくなっていくのも見えた。
 リリエンは目を剥いたまま完全に硬直する。形が明らかになるより先に、全身から血の気が引いていくのを感じ取った。

 「う……ウソだろ! あいつ、あの高さから飛び降りやがったッ!」

 ──え、と。ロクは小さく声をもらして、反射的に空を見上げた。
 その左目に映ったのは、まぎれもなく、レトヴェールその人が空から落ちてくる様だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.39 )
日時: 2018/10/04 10:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: HyYTG4xk)

 
 第036次元 君を待つ木花ⅩⅢ

 リリエンの次元の力『尺縄』によって空の上へ連れていかれたレトヴェールは、驚くべき行動に出た。ロクアンズが空を見上げたときすでに彼は、大空に波打つ風の中へ飛びこんでいたのだ。金の髪を振り乱しながら、彼は地上へ向かって急降下している。

 驚愕のあまり声も出せなかったのは、フィラもおなじだった。

 (い、いったい、なにが起こって……──っ!?)

 フィラは息を整える間もなく唖然とした。彼女はたったいま到着したばかりだった。木の幹に添えた手が震えている。
 ロクがヴィースの家に向かったということはわかっていた。だが、まさか彼の付き人である双子の次元師と相見あいまみえていたとは夢にも思わなかった。

 「……そんな……」

 カタカタと震えた両手で口元を覆い隠すように驚くことしか、フィラにはできなかった。

 地上では風が吹き荒れている。『爛笛』の次元技の1つ、"響波"が引き起こしたものだ。ロクは強風によってその左目を瞑るほかなかった。が、すぐに瞼を起こそうと奮起する。
 理由はほかでもない。義兄のレトが空から降ってくるのだ。気にしなくていいとはたしかに告げていたが、これほど無鉄砲な策だったとはまったく予想していなかった。できなかった。頭の中は正直にできていて、ロクは混乱していた。
 風で濁った視界に、レトの姿が飛びこんでくる。
 彼は顔の前で両腕を交差させていた。身体を丸めて、リリアンが繰り出した強風の中に突っこんでくる。
 激しい潮の流れに身を任せるように、強風の中へ投じられた肢体は容赦なくその力に嬲られ真横へ吹き飛んだ。

 「レト!!」

 ロクは、レトの姿を目で追った。風に弄ばれ、地面に身体を打ちつけたかと思ったらすこしだけ浮いてまた地面と衝突し、平地の上をもの凄い勢いで転がっていく。
 ふと、風の力が弱まった。ロクはすかさず、人形のように倒れているレトのもとへ駆け寄るとその背中に飛びついた。

 「レト! ねえレト! レトってばっ!」

 顔を覗きこむも、金色の前髪がちらついていて具合の善し悪しはわからなかった。ロクは必死にレトの上体を揺らし何度も声をかける。間もなくして、レトの唇がわずかに動いた。

 「……るせ。心配、すんなって、言っただろ」
 「レトっ! ……よかった、レト……よかったぁ」

 ロクはいまにも泣きだしそうな顔で、へにゃりと笑みをこぼす。情けない顔だなと思いながらレトはすこしだけ俯き、とにかく立ち上がろうと試みるが、すぐに、全身に力が入らないことを悟った。それだけではない。腕や足をすこしでも動かそうものなら途端に激痛が走り、体勢を正すことすら憚られた。顔には出さないが、もうこれ以上動けないだろうとレトは察した。

 「……うっわぁ~……あいつ、リリアンの風を利用しやがったな。あそこまでやられちゃうとちょっと、さすがに引くわぁ」

 遠くのほうでやりとりをしているロクとレトを眺めながら、リリエンが頬を掻いた。
 隣で、リリアンが小さく呟く。

 「……なにあれ」

 彼女の口から聞いたことのない低音がこぼれて、リリエンはぎょっとした。

 「アタシちゃん、ああゆうの、ホンっトに無理!!」

 リリアンは激昂しながら長笛に噛みついた。

 「六元解錠──思穿!!」

 ロクは咄嗟に振り返った。しかし、すでに眼前にまで迫っていた音波が、猛烈な勢いで2人の脳内に喰らいついた。

 「うああッ!」

 これまでの比ではない。両手を離せばすぐにでも頭部が砕け散ってしまうのではないか。そんな想像が脳裏を駆け抜けていった。意識を保てているのが奇跡といえるほど、その痛覚は想像を絶するものだった。

 (こ……これが──六元、解錠!?)

 考えてから、ロクははっとした。気を抜けばすぐにでもどこかへ持っていかれそうな意識を懸命に呼び止めて、義兄であるレトのほうを向いた。彼は地面に突っ伏し、苦しそうにうずくまっていた。

 「……っ、ら、雷撃ィ!」

 頭を強く抑えながらロクは絶叫した。手の甲から、雷が火花のように発散する。空中を彷徨う電気はロクとレトを包みこむように球体を象り、防壁と化した。
 なおも抵抗しようとするその姿勢は、リリアンの加虐心を余計に煽った。

 「そんなモロい壁で、防げたつもりぃッ!?」

 笛から発せられた音波が、広い平地の風を切る。どしん、と一帯に負荷がかかった。かろうじて両足で立てているだけでロクの膝はひどく震えていた。ロクが苦しげに表情を歪ませているのを、リリアンは持ち前の甘ったるい声音で笑い飛ばす。
 
 「キャッハハハハハ! イイ気味ぃ~! どっかの国でなんかうまいことやってぇ? いまじゃ有名人なんかになっちゃってチヤホヤされてるみたいだケド……ブ・ザ・マね~ぇ! さっすが、おこちゃまってトコかしらぁ!?」

 カチン、と。ロクの脳裏を怒りの感情が掠めた。彼女は『子ども』を示唆する言葉にいい色を示さない。一層きつく眉をしかめ、快活な笑い声を遮って言った。

 「か……関係、ない!」
 「はぁ?」
 「──次元の、力に、子どもも大人も関係ない!!」

 項垂れていたフィラが、視線を上げた。

 ロクの身体が強く発光した。独特の轟音が音の波を割き、リリアンの鼓膜を突き抜ける。一瞬、気をとられたリリアンが、しまったという顔つきに一変する。そんな彼女の意を汲んだかのように、暴君と化していた音波の力が弱まった。

 「チッ……! なによぉ、まだそんな力が残ってたの?」
 「あたしは、そういう言い方が大ッ嫌い! 大人だから偉いの? 大人だから強いの? 歳だけとってて、子どもが子どもがって文句ばっか言って……そんなの、やってることは子ども以下だ!」
 「ハァッ!? ガキがなに粋がってンのよ! オトナに理想でも抱いてンの!? バァーカ! アンタが思うほど、オトナはキレイじゃないっつぅーの!」
 「しかたないって、これが世の中なんだって、そうやってあきらめさせて、汚いことを押しつけて、なにが大人だよ! お金欲しさに子どもからぜんぶ取り上げることが──フィラさんからウメを奪うことが、あなたたちの正義だったっていうのかッ!」
 「うっせぇンだよブス黙りなッ! これだからガキは嫌いなのよ! ……いーい? あんた子ども子どもって言ってるケド、あの蛇たちを金に換えるの、村中の人間が認めたのよ? だぁれも反論しなかった。人形みたいにお利口だったの! わかるでしょ。村の大人たちも子どもたちも、みんなよ、みぃんな。そのフィラってやつが1人騒いでただぁけ。聞き分けのなってないガキだったの! 賢い子どもがたくさんいたのにね? あんたもそーよ。頭の悪いガキなのよ!」
 「フィラさんは、村のだれもがあの人を恐れてできなかったことをやったんだ。あれほど大事にしてた白蛇様たちを奪われて……悔しくて悔しくてたまらない村の人たちのために、勇気を持って立ち向かったんだッ! そんなフィラさんのことをバカにすんな!!」

 フィラは、喉の奥から急速に熱が込み上げてくるのを感じた。胸のあたりが苦しくなる。咄嗟に衣服を掴むが、ちがう熱と熱とを孕んだその痛みは複雑に絡み合って、いまにも喉元が焼き切れそうだった。

 「ホンっトに、気に食わない……! キライキライ大ッキライ!!」

 苦虫を嚙み潰すかのように、リリアンは吹口に歯を突き立て絶叫した。

 「うわあああ!」

 突風が吹き荒れる。ロクの肢体がしなやかに跳びあがった。受け身もとれず彼女は地面と衝突し、車輪のごとく勢いのまま転がっていく。ついにロクまでも膝をついた。
 すぐに起き上がろうと両肘を伸ばすが、まるで小枝のように簡単に関節が折り畳まれ、額から砂地に落っこちる。ぐしゃりと乱れている若草色の髪が、何度も起き上がろうとして、ふらふらと揺れていた。

 「キャッハハハハハぁ! バッカみたぁい! そんなにがんばっちゃっても、なぁんにもならないのに!」

 不愉快な笑い声が、フィラの耳に届く。ボロ雑巾のように伏せっているロクとレトの姿をこれ以上見ることができなかった。彼女は膝から崩れ落ち、木の幹に触れていただけの左手を、固く握り締めた。

 「そんな……っ」

 (どうしよう、どうしよう……! 私の、また、私のせいで……)

 ベルク村の話をしなければよかったと、そう思った。祖母とロクの会話を無理やりにでも止めるべきだった。自分が話したくなってしまうほど、ロクに、気を許さなければよかったのだ。
 フィラを取り巻く後悔の渦が、どんどん深くなっていく。

 次元師に太刀打ちできるのは、次元師しかいない。
 それはフィラ自身も痛いほど理解していた。

 (助けたい……これ以上あの子たちに傷ついてほしくない。私のせいで傷つく姿を、見ていられない……! それなのに)

 フィラは次元師だ。いまこの場で、ロクとレトの2人を助け出せるのは彼女しかいない。人間を遥かに凌駕する次元の力。フィラはそれを胸に秘めているのだ。
 しかし、フィラにはどうしても、その名を叫ぶことができなかった。

 (あの子たちを助けたい、のに……私……。私はまた、──ウメを傷つける……っ! 私はあの子を、もう傷つけるわけには……!)

 ──あの日見た"あか色"が、ずっと、瞳の中に閉じ込められたままだ。
 
 臙脂色を滲ませた涙が、ぽたぽたと溢れて落ちていく。リリアンの言う通りだ。子どもだったのだ。ただウメのことが可哀想で、助けてあげたくて、なにも考えずに逃がした。結果的に、ウメの命の奪ってしまったのはそんな愚かな自分だった。
 あんな悲劇は二度と繰り返さない。
 初めて自分の次元の力を、紅色の大蛇を目の当たりしたそのときに、フィラはそう心に誓った。
 誓ったはずだった。

 「……わた、し、どうしたらいいの……? わからない、わからないよ……──ウメっ!」

 ──ざあっ、と。長閑な風が鳴いた。

 《フィラ》

 聞いたことのない、懐かしい気持ちだけが、フィラの胸に吹き抜けた。

 「え……」

 《フィラ》

 聞き間違いではなかった。だれかが自分の名前を呼んでいる。咄嗟に振り返るが、人の姿はなかった。
 フィラは、その名前を呼んでいた。

 「ウメ……?」

 返事はなかった。フィラはゆらりと立ち上がる。だれもいない山道を見渡して、もう一度名前を叫んだ。

 「ウメ! どこ、近くにいるの、ウメ! ウメっ!」

 フィラは走りだした。ウメ、ウメ、どこにいるの──と、しきりに名前を呼ぶが、返事はないままだった。
 なにかに導かれるように、ただひたすらに森の中を駆け回る。乾いた地面を、無造作に伸びた草木を、でこぼこの山道を踏み抜ける。
 ──そうして、フィラはある場所に辿り着いた。
 すこしだけ開けた草原。さわさわと揺れている木漏れ日。見覚えのある風景だった。ゆっくりと速度を落とし、辺りを見渡す。

 フィラは、立ち止まった。

 「……ウメ……」

 目の前には小さな墓標が立っていた。
 それはかつて、炎に焼かれていなくなったウメを想い、唯一その場に遺っていた炭を必死にかき集め、埋めた場所だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.40 )
日時: 2018/11/19 20:46
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: OWyP99te)

 
 第037次元 君を待つ木花ⅩⅣ
 
 ウメの大好物だった果実も添えたはずだったが、13年も経ったいまとなってはもう跡形もない。その赤紫色の果実がなる木の枝だけが、しゃんとまっすぐ立っている。

 「ウメ……」

 フィラは墓標に近づいていった。墓標を目の前に据えると、その場でしゃがみこむ。

 「……ねえ、ウメ。私どうしたらいい? あの子たちを助けたい気持ちはあるのに私、それ以上にあなたを傷つけたくないの。……最低よね。心のどこかで、まだ、あなたのこと……」

 弱々しく吐いた言葉が、ただの土の表面にぽつりぽつりと落ちていく。

 「……ばかね、私。答えてくれるわけなんてないのに。……本当はね、わかってるの。もうあなたがこの世界のどこにもいないことくらい。次元の力が、『巳梅』が、あなたじゃないってことくらい……わかってるのよ」

 『次元の力と、ふつうの生き物はちがうよ、フィラさん!』──ロクアンズの言葉を思い返しながら、フィラはそう呟いた。
 心のどこかで、『巳梅』がウメであることを肯定したかったのだと思った。ウメはまだ自分の中でちゃんと生きているのだと、そんな夢を見たかっただけなのかもしれない。フィラは薄く笑みを浮かべた。

 「まだ子どものままだったのね。体ばっかり大きくなっても、心はあの日のまま……なにも変わってない。あの子が言うほど私……勇気なんか、ないわ」

 フィラはすっくと立ち上がり、墓標に背を向けた。

 「村の人たちに知らせなくちゃ。……どうにかしてくれるかもしれない」















 《フィラ》


 凛、と。一輪の鳴き声。
 浮かせた足がぴたと静止する。
 もう一度フィラは、墓標と見つめ合った。

 そのとき。
 背後。

 ドシン──と地表が激しく震動した。
 フィラはよろけて転びそうになる。大きななにかが影を落とした。
 頭上から、雨のように、砂粒が降ってくる。

 「──え……」

 ぱらぱらと落ちてくる大地の欠片を浴びながら、フィラはゆっくり顔を上げた。
 13年の月日を経て、ふたたびその目にした真紅の鱗は、息を呑むほどに鮮やかだった。

 「……あ、あなたは……」

 心音が跳ね上がる。紅色の鱗を持った大蛇は、真一文字に結ばれた口から、ちろりと舌を出した。
 真ん丸の両眼。それを縦に割くような細長い瞳孔が、じっとフィラを見つめていた。

 《フィラ》

 どこからともなく声が聞こえた。
 フィラは、はっとして墓標のほうに向き直った。

 「……もしかして」

 フィラはあることに思い至った。いままでフィラを呼んでいた声の主は、もしかしたらウメではなかったのではないかと。
 彼女の視界の中でたしかに息をしている、『巳梅』の声だったのではないかと。

 『巳梅』は依然としてフィラのことを見下ろしていたが、大きな頭部をわずかに動かしたかと思うと、ぐっと彼女に顔を近づけた。肩を強張らせ、彼女は思わず目を瞑った。
 しかし、頬に生温い感触を覚えると、フィラはすぐに目を開けた。

 「……」

 『巳梅』の顔をはっきりと見たのは、これが初めてのことだった。『巳梅』はじっとしている。噛みつくでも、鳴くでもなく、ただずっとフィラの目を見つめ返している。
 ずっと。
 深い赤色のに、光が差す。

 「なんだ」

 呟いた声がすこしだけ震えた。

 指先を宙に泳がせて、そっと、鱗に触れた。丸い眼は琥珀の色。硬質な頬を、指の腹で優しく掻いた。そこには真白の花を押したような斑点はなかった。
 真っ紅で、美しい鱗を、何度も撫でた。

 瞼が熱を帯びる。

 「よく見たら、あなた……ウメに、ぜんぜん似てないのね」

 フィラは笑みを浮かべた。その頬に一筋、涙が伝った。

 「ごめんなさい。あなたはウメじゃないのに、勝手にウメと重ねて、ウメだと思いこみたくて……あなたをずっと閉じこめてた。怒ってるわよね。……13年も、ほったらかしにするなんて、主失格だわ……っ」

 フィラの泣き声がして、『巳梅』はすこしだけ頭を落とした。真一文字に結んだ口をフィラの額にそっと押しつける。

 「こんなにも長い間、待たせて、本当にごめんなさい」

 でも、おねがい。フィラは熱のこもった声音でそう続けた。

 「今度こそ私……あなたといっしょに戦いたいの」

 ──私と、戦ってくれる?

 『巳梅』がちろりと舌を出す。鳴きも頷きもしないが、フィラにはわかっていた。13年という月日の間、ずっと棲み続けた心の中に、その声が流れこんでくるようだった。

 「いこう、巳梅」

 胸の中に咲いた、熱色の花を携えて、1人と1匹はともに駆けだした。



 頭蓋骨が砕け散ってしまいそうだった。意識を保つことに全神経を費やしているロクアンズは、声も出せず、立ってもいられず、ぐっと堪えるように這いつくばっていた。

 (どうしたら……っ!)

 バチッ、と手の甲から弱々しく電気が伸びる。使える元力の量もそろそろ限界に近い。じりじりと、苦境へ追い詰められているのを実感する。
 次元師が体内に有している元力には限りがある。もちろんそれは個人差があるため一概には言えないが、年齢による差というものがあるのは確実だった。
 元力の量に個人差があるのは、各個人の思考能力、身体能力、そのほか個人を形成するためのあらゆるステータスがもとになっているためである。簡単に言ってしまえば、体力があればあるほど、頭の回転が速ければ速いほど元力の量が伸びていくのだ。どの能力も抜かりなく高められている者がハイスペックであると言われる、その点においては、普通の人間も次元師も変わらないだろう。
 当然、子どもと大人とでは体力や筋肉量、知識の数などで大きく差が出るため、どちらが劣っているかなどは歴然だ。おそらく、リリアンとリリエンの2人に元力量では敵わない。わかっているからこそ、ロクの表情にただならぬ悔しさが滲み出ていた。
 リリアンは、腹の底からこみ上げてくる優越感を堪えきれずに、ぶはっと吹きだした。

 「キャッハハハ! イイ顔するじゃなぁ~いっ! だぁから言ったでしょぉ? ガキは大人しく、おうちに帰りなさいってねぇッ!」

 悦楽に満ちた表情。高らかな笑い声。甲高い音波が空気を揺るがし──

 「ガキでごめんなさいね」

 花のような一声。
 次の瞬間──大地が激しく躍動した。一瞬、浮遊感に襲われたリリアンの足元に亀裂が奔った。彼女は反射的に数歩退き、
 声を裏返らせた。

 「は?」

 ──紅色の大蛇が、地表を穿つとともに、けたたましい咆哮をあげて君臨した。

 人間では発し得ない凄まじい叫喚が空間一帯を殴打する。ひび割れた大地は剥がれて吹き飛び、リリアンもリリエンも、家宅の傍らで様子を伺っていたヴィースも、無防備な姿で宙に投げ出される。
 ロクは大きく目を瞠った。

 「も、もしかして……っ──これが『巳梅みうめ』!?」

 話を聞いたときに想像したものとは桁違いだ。本物であるという迫力、風貌に身の毛がよだつ。その全長は一目見ただけではとても計り知れない。太くて長い肢体を持つその大蛇はちろりと細長い舌を出し、2つの琥珀色の珠を妖しく光らせた。
 ロクの耳に、ザッ、と靴底で砂を蹴るような音が届いた。

 「フィラさん!」

 木陰から、臙脂色の横髪を耳にかけながらフィラが歩み寄ってくる。

 「遅くなってごめんなさい」
 「フィラさん……あの、あれって」
 「ええ。でももう、大丈夫よ」

 平地であったことが嘘のように地面がひっくり返っている。盛り上がった大地の一片に捕まるリリアン、岩塊に挟まれ身動きをとれずにいるリリエン。そして、腰を抜かし愕然としている領主ヴィース。
 3人の姿を一瞥したフィラが、ここからは、と続けた。

 「私が力を貸すわ。あいつらをぶん殴るんだって、そう言っていたわよね?」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.41 )
日時: 2018/10/17 22:36
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: SyVzJn9Z)

 
 第038次元 君を待つ木花ⅩⅤ

 ベルク村の領主ヴィースの家宅は広大な平地の中に建っている。その地面の一部が、地下深くからごっそりと抉られ隆起や陥没などを起こし、もとの平坦で整然とした景色を完全に過去のものとしていた。この事態を招いた元凶は何食わぬ顔でその黄色い眼をギョロリと剥いている。
 フィラの次元の力、『巳梅みうめ
 鮮やかな紅色の鱗を持った大蛇は、ベルクの地に再臨した。
 
 「そうだフィラさん、レトが……!」
 「ええ、わかっているわ。私に任せて」

 フィラはレトヴェールのもとに近づくとその場でしゃがんだ。倒れているレトの顔を覗きこむ。

 (気を失ってる……。でもよかった。頭だけはしっかり守っているみたいだわ。頭部の外傷がほとんどない。その代わり、腕や脚に打撲痕が多いけど……。しばらく、立つことはできなさそうね)

 レトの身体をじっくりと診ていたフィラの背中に、怒気を含んだ甲高い声が投げつけられた。

 「なによなによなによぉ! 3対2なんて、ヒキョウなんじゃなぁい!」
 「卑怯ですって? あなたたちがそんな言葉を知っていたなんてね」
 「は、ハァッ!? なによアンタ! いきなり出てきて何様のつもりぃ!?」
 「私はフィラ・クリストン。この村の、ベルクの民よ」

 フィラの臙脂色の瞳に熱が灯る。リリアンは一拍置いたのち、ハッと小さく嘲笑した。

 「やっだ傑作ぅ! アンタがフィラねぇ!? いまさら現れるなんて、どーゆう神経してんのよっ! キャッハハハぁっ! オモシロいじゃなぁい。アンタとアタシちゃんたちの次元の力……どっちが強いか勝負したげるわ! ──思穿ッ!!」

 リリアンが笛に口元をあてると、ロクは青ざめた表情ですばやくフィラのほうを向いた。

 「フィラさん! 下がっ──」
 「大丈夫よ」

 フィラはロクよりも前へ出た。落ち着き払った声音で、紅色の大蛇『巳梅』へと呼びかける。

 「巳梅ッ!」

 主の声に反応した大蛇が、その太い首元をねじってリリアンのほうへ顔を向けた。すると大蛇は大きく口を開けて、絶叫した。

 「キャアアアアッ!!」

 大地が震撼する。空が上下に振れた。──ような錯覚がした。強烈な音波と大蛇の咆哮とが正面からぶつかり合うと、刹那、爆風が巻き起こった。
 相殺したのだ。それも拮抗する予兆も見せず。両者の繰り出した力は完全に塵埃と化し、風に乗って吹き抜ける。

 「す、っご……」

 ロクの口から思わず感嘆の声がもれた。打って変わってリリアンは、金切るような声で喚き散らした。

 「はあァッ!? なによいまのぉ! キィィー! どいつもこいつも、大ッキラぁイ!!」

 地団駄を踏みあからさまに怒りを露わにしているリリアンを尻目に、フィラは冷静に庭全体を見渡した。

 (あの笛の音は巳梅の咆哮でなんとか対応ができる。幸い、縄を使う男の子のほうは岩に挟まってて身動きがとれない。これ以上この場が長引くのはよくないわ。あの子たちの体力もとっくに限界を迎えているはずだもの。はやく終わらせるためにも、私にできることは……──)

 「……ィラ、さん」
 「レトくん? 気がついたのね、よかったわ」
 「ロクを、高く飛ばせ」

 え、とフィラは小さく声をもらした。レトの掠れた声はロクにまで届かなかった。驚くフィラをよそに、レトは呼吸を乱しながら言葉を紡ぐ。

 「飛ばして、そんな高くない、とこまで……」
 「え、なに? なにをどうすればいいの?」
 「水路を……」

 そこまで言って、レトはまた気を失った。少女とまちがえそうな可憐な顔で小さく寝息を立てている。フィラはぽかんとしてその寝顔を眺めていた。

 「フィラさん、レトどうかしたの!?」
 「え、いや、それがいま、水路がどうのって……」
 「水路……? ──っ! フィラさん下がって!」

 ロクが叫んだそのとき。ロクとフィラのもとに音波が奇襲した。即座に対応に躍り出たロクは両手を突き出し、雷電を解き放った。

 「アンタ、そろそろ元力も限界なんじゃなぁい? ムリしないでくたばってなさいよぉ、ドブス!」
 「そっちこそ……! 大人なんだから、ムリすると体壊しちゃうかもよっ!」
 「はああッ!? 調子こいてんじゃないわよ、ガキがッ!」

 小さな背中で立ちふさがるロクをフィラは慌てて制した。

 「無理はしないで、ロクアンズちゃん! ここは私と巳梅で、」
 「ムリなんかじゃないよフィラさん」
 「え?」
 「やってみせる。守ってみせる。そのための力なんだ!」

 ロクとレトの身体が、疲労が、元力が限界を迎えている。
 だからなんとかして早くこの戦いを終わらせなくてはいけない。これ以上2人に無理をさせたくない。という一心で共闘を願い出たフィラだったが、どうやらそれは勝手な思い込みだったようだと彼女は身震いした。

 「……そう。そうよね。でもお願い、ここは任せてロクアンズちゃん」
 「フィラさん」
 「私たちの力で、なんとかしてみせるわ」

 ロクがこくりと頷いた。フィラは『巳梅』に向かって叫んだ。

 「巳梅! もう1度、力強く鳴くのよ!」

 『巳梅』が顎を下ろしていく。人ひとり丸呑みできそうなほど広がった喉の奥が、震動したそのときだった。横から飛んできた縄がその頭部に絡みつき、ガチンと鋭牙をかち合わせた。

 「そうカンタンには、させねーよ……!」

 盛り上がった土の大塊に身体を押し潰されながらも、リリエンは懸命に手を掲げていた。その腕には縄が巻きついている。腕から伸びる縄は、『巳梅』の頭部を捕らえてピンと張っている。言わずもがな彼による奇襲だった。

 「さっすがねリリエン! あの鳴き声さえなけりゃ……こっちのモノよっ!」

 リリアンは絶好のチャンスだと言わんばかりに狂喜した。笛を持ち上げ、口元に添えようとする。

 (ま、まずいわ、どうしたら……! 巳梅はいま口を塞がれててあの音を相殺できない。あの音を直接喰らうわけにはいかないし、なんとかしないと……なんとか、)

 『ロクを、高く飛ばせ』

 フィラは、すこし前にレトが言っていたことを思い出した。彼がなにを思ってこう発言したのか、その真意までは探れなかったが、彼は苦し紛れにそう告げたのだ。落ちるか落ちないかというところで意識を保ちながら、"ロクアンズを空へ飛ばせ"と、それだけはしかとフィラに伝えた。
 信じるしかない。迷っている時間はない。
 フィラは意を決した。

 「巳梅!!」

 その名を叫ぶ。主の声がまっすぐ大蛇のもとへ届く。
 『巳梅』は、がんじがらめに縛られた頭でわずかに後方を振り返り──

 自身の"尾"を地中で泳がせ、ロクの足元から出現させた。

 「──ぅえっ!?」
 
 瞬間。ロクの足が宙に浮いた。それもほんの一瞬だった。彼女は、空へ向けて打ち上げられていた。

 「……は? ちょ、ちょっとちょっと待ちなさいよッ! ……あっ、あんな高いとこまで行っちゃったら……──音なんて、届かないじゃないのよぉっ!」

 上昇。急上昇。ぐんぐんと引っ張られていく。心地の悪い浮遊感が風とともに纏わりついて──
 ロクは、身体を回転させながら、大空の中を泳いでいた。

 (う、うそ……! なんで……っ!?)
 
 空の上からは、広大な庭と、それを取り囲む森が見える。『巳梅』によって荒らされた庭の一部は文字通りの惨状だった。ヴィースの家宅から向かい側のほとんどがその有様だということが、空の上からだと十分に理解できた。
 しかし。
 家宅の、裏庭側。そちらは戦場になっていないため平坦な土地が広がっている。

 (……あれ? もしかして)

 ふいにロクはあることを思い出した。

 『これを仮に家とする。そんで、水源は……』

 「水源……」

 『それがいま、水路がどうのって……』

 「水、路……」

 枝先で砂を引っ掻いて描いた、ただの記号みたいな家の絵が、
 ぱっと頭に浮かび上がってきた。

 『家からちょっとずれたとこの、ずっと真下』

 ──頭の中にある回路が、かちっと音を立てて、繋がった。

 『巳梅』によって荒らされた場所からは水が湧き出てこなかった。もしも本当にヴィースの家宅の近くに大きな水源があるのだと仮定するならば、『巳梅』が荒らしていない領域の地下深くにその水路が流れているということになる。
 つまりは、裏庭。
 ロクはヴィースの家宅の裏庭のほうを睨んだ。平地が広がっている。なにかを耕しているのか、土地の色が一部異なっているのがかろうじてわかった。
 標的とは、これまでとは比にならないほど距離があった。
 ロクは、自身が発する電気がどれほど距離を出せるのか、その限界を痛感したばかりだ。それはおよそ十数メートル。いまロクがいる空中から地上への距離を考えると、絶望的な数値だった。
 ──それでも、と。
 固く握った拳から雷が飛散した。

 「──ぜったいに、届かせてみせる!!」

 体内に蔓延っている小さな元力の粒子。それらひとつひとつが、主の声に呼応する。
 繰り寄せろ、練り上げろ、──極限まで。最大限で最高値の元力が右の拳に集っていく。雷が唸る。右半身だけが体温を急上昇させる。
 電熱が、空気を焦がすとそれが、

 新しい扉を開くための鍵となった。

 「"六元"──解錠!!」

 詠唱が、天を衝く。

 「────"雷砲らいほう"ッ!!」

 突き出した拳。放した指先から、
 一閃。
 ──"雷の光線"が、気流を裂き、撃ち放たれた。

 まさに怒涛の勢い。熱線が地上を目がけてけ抜ける。大気を焼き切りながら、空と大地とを裁断したそれは、次の瞬間。
 地上に堕ちた。
 一触即発。鉛のような爆発音が轟いた。次いで灰煙が辺り一帯に蔓延した。土塊が跳ねて離脱し、熱風爆風突風が連鎖し、視界が一瞬、暗闇に還る。
 そのとき。

 水がひとすじ、大地の隙間から手を伸ばした。

 割れた大地の底から大量の水が噴き出した。空に向かって、透明の花が咲く。あこがれた地中の外へ幼虫たちが顔を覗かせるように、待ちこがれた青空に水しぶきが架かった。
 噴き出た水は、抉られた地盤の底へとまっさかさまに落ちた。みるみるうちに水が溜まっていく。同時に、ヴィースの家宅が大きく傾き、その溜まり場に向かってひっくり返った。

 「そ……そん……な」

 ドボン、と横広の家屋が水の溜まり場に落ちて大きく水しぶきをあげた。否、それはもはや池などではなかった。
 ──"湖"
 目を瞠るほど巨大な湖が、その美しい水面に射す太陽の光を、キラキラと照り返している。

 「ウソ……ウソよ、ありえない、ありえない。こんな、」

 そのとき。ガタガタと肩を震わせていたリリアンの上体を、なにかがきつく絞めあげた。全身が真紅色に染まっている太い体躯を見下ろしリリアンは顔をしかめた。

 (し、しまったッ!)

 『巳梅』は、頭部に縄を巻きつけたままの状態にも拘わらず、その長い肢体でリリアンを完全に捕縛した。リリエンは岩塊に挟まれていてもとより身動きがとれない状態だ。
 小さく安堵の息を吐いたフィラは、

 瞬間、思い出した。

 「──そうだわ! ロクちゃんが、まだ!」

 焦った様子で空を見上げる。と、上空に飛ばしたロクアンズが大声を張り上げながら地上へと戻ってくるのが見えた。

 「ああああああああ──ッ!?」

 地面が迫ってくる。近づいてくる。物凄い速さで自分が落ちているのが嫌でも理解できた。雷の力はもう使えない。切迫した脳内は、ついに、まっしろに返った。
 が。

 紅いなにかが、視界に飛びこんできた。

 「ぉ、わあっ!?」
 
 ロクは、その紅くて細いなにかに飛びついた。ロクにはそれが『巳梅』の尾の先端であることがすぐにわかった。が、彼女はその尾と衝突すると1度だけ大きく宙返りし、そこから坂道のように延々と続いている鱗肌の上をごろごろと転がり落ちた。
 そうしてどんどん降下していくと、その長い坂道の終着点が見えてきた。『巳梅』の肢体が地面と接触している部分だ。リリアンを捕らえているためにぐにゃりと曲がっている『巳梅』の上体からずっと下の部分では、まるで芋虫が歩くように一部だけ盛り上がっている。
 ゆえに、ロクの進路の障害とも言えるその突起部分に、彼女は為す術もなく真正面からぶつかった。
 
 「ぶっ!」

 ロクの身体はそこでようやく静止した。ずるり、と頭が落ちる。ロクは後頭部を押さえながら顔を起こした。

 「……ったたぁ……。へへ、助かっちゃった。ありがとねっ、巳梅!」

 『巳梅』は頭だけで振り返って、キュルル、と鳴いた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.42 )
日時: 2020/05/16 21:43
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第039次元 君を待つ木花ⅩⅥ 
 
 青く澄み渡っていた空は、いつの間にやらじんわりと朱く滲みつつあった。落ちていく陽の光は、大きな湖の水面に温かく降り注いでいる。

 ロクアンズは、『巳梅』によって捕らえられていたリリアンと岩塊に挟まれていたリリエンの2人を拘束した。腰から提げているポシェットには、簡単な治療具のほかに麻縄などの拘束具も備えてあった。常にそれらを持ち歩くようにしているのだとロクに告げられたフィラは深く関心した。
 しっかりと拘束を施された2人は地面の上に座りこみ、怪訝そうな顔をしていた。

 「さてっと。こんなもんかな」
 「……。アタシちゃんたちを、殺さないんだ」
 「あたしは人を殺したりはしないよ。それに悪いのは領主さんで、あなたたちじゃないでしょ?」
 「いっしょよ。アタシちゃんたちだってやってたもん。蛇狩り」
 「へ?」

 フィラは聞き間違えでもしたかと、すぐに2人の会話に割って入った。

 「まっ、待ってちょうだい。あれは13年前に起きたことよ? それじゃあ、あなたたち……」
 「アタシちゃんたち、20だけど? 今年で。7のときに拾われたの。ヴィースさんに」
 「拾……われた?」

 ロクが小さく聞き返した。リリアンはぶすっとした表情のまま続けた。

 「そーよ。アワれんだりしないでよね。べつに悲しくもなんともないから。14年前に、第二次メルドルギース戦争とかゆーのが停戦になったのはとーぜん知ってるでしょ?」
 「うん。それは知ってるけど……」
 「アタシちゃんたち、ドルギースと取引してた、あの奴隷商人のとこにいたのよ。そんでドルギースに売られて……次元師として戦って。なんか生き残っちゃったってワケ」

 第二次メルドルギース戦争が停戦になったのは、両国の前線に駆り出されていた次元師たちによる戦闘の火花が、大きくなりすぎたためだった。だが、たった6、7歳の幼い子どもまで戦場に立たされていたという実情までは、今日まで知らなかった。

 「じゃあ、あなたたちはあの戦争で前線にいたの?」
 「だからそうって言ってんでしょ。一瞬だけね。そんで政会のやつらに保護されてからはしばらく施設? みたいなとこにいたケド、停戦になったからすぐ出てって、てきとーにフラフラしてたら……ヴィースさんに会って拾われて。村までいっしょに連れてってもらってそこで世話んなりながら、あんたたちの大事な大事な蛇どもを殺してたってワーケ。だから同罪。わかった?」
 「そう……だったんだ」
 「アワれむなっつったでしょ。だぁからガキは嫌いなんだっつの。あんたからしたら、アタシちゃんたちだって子どもだったんじゃんって言いたいだろうケド、あんたたちとアタシちゃんたちは違う。なんでも与えてもらって、あたりまえみたいにヘラヘラしてさ、キレイゴトばっかでホントムカつく。あんたが思うほど大人はキレイじゃないし、子どもだってあんたが思うほど……キレイなもんばっか見てないっつぅの」

 リリアンは視線を逸らした。ロクは閉口したままなにも返さなかった。すると、じっと黙っていたリリエンが小さく口を開いた。

 「アンタさ、さっきどっちも選んだよな」
 「え?」
 「金髪の男か、この村か。どっちか片方っつったのに。アンタはどっちも選んで、どっちも手にした。……なんでそんなことができんの? 命は惜しくないってか。アンタにはやりたいこととか野望とかもないってワケか」
 「あるよ。あたし、神族を全員やっつけたいんだ」
 「は?」
 「そのためにはもっと強くなんなきゃいけない。あたしには大事なものと大事なものを比べて、どっちか片方しか、なんてできない。だからどっちも救える道を自分でつくるんだ」
 「なにソレ。バッカじゃない? 神様倒したいとか」

 顔をあげたリリアンが、ハッと嘲笑した。

 「神様なんてどーでもイイじゃん。あいつらのせいでこんなヘンな力持たされてるワケでしょ? 次元の力がどうやって生まれたなんて知らないケドさ、そのせいでこっちは戦争の道具にされて、神様に恨みがあるわけでもないのに「やっつけてくれ」なんて一方的に義務感押しつけられて、イイ迷惑だっつぅの。敵は神様なんかじゃなくて、人間よ。腐りきってて手に負えない、バケモノみたいな人間のほうなのよ」

 神様に恨みがあるわけでもないのに。語調こそ荒っぽいが、リリアンの見解は真に的を得ていた。
 元魔に肉親の命を奪われた。大切な人を危険に晒された。生まれ育った町を侵食された。
 こういった直接的な恨みや憎しみなどが神族に対して向かない限り、次元師として選ばれた人間たちは「なんのために戦っているのか」という疑問を常に抱えることになる。もとより正義感の強い人間ならばそのような悩みを持つこともなく「これが使命だから」と区別ができるのだろうが、ほとんどの次元師は前者のように、神族に対しての己の感情を見失ってしまうのだ。

 「……あたしは」

 ロクは小さく呟いた。空から降ってくる雪の結晶をつかまえるみたいに、手のひらを優しく握りしめた。

 「目の前に助けられるものがあって、差し伸べる手がここにあるなら、ぜんぶ救いたいって、思うんだ」
 「……。悪いケド、ぜんぜんわかんない。いつか自滅しそうアンタ。つぅかしちゃえ、ばぁか」
 「……」

 ロクはなにも答えなかった。リリアンとリリエンもそれ以上ロクに突っかかることはなかった。
 そのとき。ロクはなにかを思い出したように、あ、と声をあげた。

 「そういえば! 領主さんどこいった!?」

 フィラも、ロクの大きな声につられて辺りを見渡す。が、ヴィースの姿はどこにもなかった。
 隙を見て逃亡したか。だが意外ではなかった。相変わらず賢い判断するなと思った、その矢先。

 「こいつのことか?」
 「えっ?」

 ロクは思わず自分の耳を疑った。
 しっかりとしていて、青年を思わせるような爽やかな声音だった。数日前に本部で聞いたきりになっていた懐かしい口調に気が緩む。
 コルドが、全身を鎖で縛られたヴィースと思しき人物とともに草陰から現れた。

 「こっ、コルド副班!?」
 「ようロク。合流できてよかった。こいつなんだが、いきなり草陰に飛び出してきたもんで一応拘束しといたんだ。話を聞いてみたら、どうやらこいつがくだんのヴィースっていう男で、ベルク村の領主らしいことがわかってな」
 「なんちゃら隊とかいう政会の使いっ走りが!」
 「此花隊だ。その政会までいっしょに行くんだ。よく覚えておけ」
 
 ヴィースを適当にあしらうコルドに、ロクは不思議そうな面持ちで訊ねた。
 
 「でもコルド副班、なんでここに?」
 「先に行っといてくれって言ったのは俺だぞ。……まあ、お前たちを追ってローノに向かって、『ベルク村に行きました』なんて言われたときには気絶しかけたけどな」
 「ご、ごめんなさい……勝手なことして」
 「体は無事か?」
 「え、う、うん」
 「ならいい」

 コルドは大きな手でロクの頭をくしゃりと撫でた。ロクはすこし苦笑ぎみに、へらっと頬を緩ませてみせた。
 2人のやりとりをぼんやりと眺めていたフィラに向かって、ヴィースが声をかけた。

 「おい。オレをぶん殴るんじゃなかったのかぁお前さん。絶好のチャンスだろうが、あァ?」
 「言われなくったってあんたなんか! ねえフィラさ……。フィラさん?」
 「いいえ。もういいわ。あなたの家、湖に沈ませてしまったもの。それにそのおかげで、村の人たちがこれから水に困ることはなくなった。だからもう十分よ」
 「ンだそれ。あの紅い蛇を焼いて殺しちまったってのを忘れたのかァ? 哀れだなァ、あの蛇も」
 「あんたねえ!」

 身を乗り出すロクを静かに制して、フィラはヴィースと向かい合った。

 「それでも、よ。ウメだってきっと喜んでくれるわ」
 「……あァ?」
 「村の人たちが、これからもちゃんと生きていけるように、大事なものを手に入れることができたの。ウメも、白蛇様たちもみんな……村の人たちのことが大好きだったから。私たちがあの子たちを、大好きだったみたいに。だから忘れなんかしないわ。この先なにがあっても、ぜったいによ」
 
 会話はそこで途切れた。ただ、ヴィースが小さく舌を打つ音だけがした。

 「よく見たらお前、ボロボロじゃないかロク。レトは大丈夫なのか?」
 「それが、レトのほうがひどいの。すぐ手当しなきゃ」
 「お前もな。持ってきた治療薬、足りるといいけど……」
 「私が2人を看ますよ。ローノから持ってきているので。……でも、その前にすこし……」

 フィラはちらっと後ろを振り返った。その視線の先に気づいたロクが、くっとコルドの隊服の裾を引っぱる。

 「先に行こう、コルド副班! あの人たちも連れて」
 「え? でもあの女の人にすぐ看てもらったほうがいいんじゃ……」
 「あとでいいんだよ! ほらっ、行こ!」


 ロクはコルドとほか4人を率いて森の中へと消えていった。その姿が見えなくなる頃には、庭に1人と1匹だけが取り残されていた。
 彼女たちは向かい合った。

 「……巳梅、ありがとう。あなたのおかげでいろいろと助かったわ。感謝してもしきれないくらい」

 夕焼けがあかく燃えている。橙に灼けた湖が、この世のものとは思えないほどに美しかった。長閑な風がその水面を軽やかに撫ぜている。
 『巳梅』は鳴きも頷きもしなかったが、その琥珀色の眼でまっすぐフィラを見つめていた。

 「私はウメを忘れないわ」

 フィラが高いところへ手を泳がせると、『巳梅』は頭を下ろした。紅い鱗を受け止めながらフィラは柔らかく笑みをこぼし、
 「そして」と言った。

 「それ以上に、あなたがずっとそばにいてくれたことを忘れないわ。……ねえ巳梅。これからも、私と、いっしょにいてくれる……?」

 なにかひんやりとしたものが首筋に触れた。それは、『巳梅』の硬い頬だった。フィラの肩にその大きな頭部が乗りかかると、わずかに、すり寄ってきているのがわかった。
 フィラの言葉に応えるように、『巳梅』はキュルルと喉を鳴らした。

 「ありがとう巳梅。本当に、ありがとう」

 あかい、夕日が落ちていく。木も草も風も、湖も、空も。燃えるような紅に染まっていた。
 それもたったの一瞬だ。すぐに夜は闇色を連れてやってきて、光を呑みこむのだろう。しかしそんなことは彼女たちにとって恐れでもなんでもなかった。

 1人と1匹は心の中に、夕焼けにも似た熱を抱いている。

 「あなたのそばにいるわ。これからもずっと……ずっとよ」

 それは色褪せることのない梅色の花。
 ──「約束よ」と、フィラは目を真っ赤にしてそう言った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.43 )
日時: 2018/12/21 21:11
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: hgnE84jl)

 
 第040次元 君を待つ木花ⅩⅦ

 村に戻るとすでに村人たちは寝静まっていて、聞こえてくるのは夜虫の鳴き声だけだった。手元の暗い中でもフィラはさすがの身のこなしでロクアンズとレトヴェールに治療を施した。もとより疲労で眠り続けているレト同様に、ロクも施しを受けてすぐに眠りについた。
 翌日。ロクは村人たちを連れて湖へと向かった。
 広大な湖をその目にした村人たちは歓喜に身を震わせていた。お互いを抱きしめ合い、涙を流し、湖の水を飲んだり浴びたりし、「白蛇様」と唱えている者もいた。
 はしゃぎ回る村人たちの姿をロクは嬉しそうに眺めていた。するとロクのもとに村人たちがどっと押し寄せてきて、各々が感謝の言葉を述べた。

 「ありがとう! ありがとう!」
 「あなたたちのおかげよ」
 「本当にありがとう!」
 「ありがとう、じげんしさま!」

 ロクは照れ臭いように頬を掻いて、「どういたしまして!」と満面の笑みで返した。
 
 レトはいうと、いまだ床の上で眠り続けていた。昨日の戦闘で負った傷が癒えないのと身体を酷使しすぎた結果だろうと、フィラがレトの様子を伺いながら言った。
 
 「ロクアンズちゃんはもう元気そうね」
 「うん! あたしは1日寝たら、元気になった!」
 「ふふっ。それはよかったわ」
 「お前はそこだけが取り柄みたいなところあるもんな」
 「そ、そんなことないよコルド副班! だってあたし、昨日六元の扉を開くことができたんだよ! ね、すごいでしょ!」
 「そうだったのか。みるみるうちに成長していくな、お前。置いていかれそうだ」
 「へへ。コルド副班なんかこてんぱんにできるくらい強くなるんだもんね~」
 「頼もしくてなによりだ」

 果実の絞り汁を湯で溶かしたものを口にしながら、コルドが「そうだ」と話題を切り替えた。

 「挨拶を済ませたら村をあとにするぞ、ロク。ローノに下るのにも時間がかかるし、そこから本部へ戻る道も長い。しばらく本部を空けたからな。さすがに説教だけじゃ済まされなくなってくる」
 「そっか。さびしいけどしょうがないね」
 「また来れる機会がきっと来るさ」
 「うん。そうだよね!」

 身支度を済ませたロク、フィラ、そして眠っているレトを背負ったコルドの4人は、ヴィースら3人を連れ、見送りに集まった村人たちと別れの挨拶を交わしていた。

 「それでは皆さん、どうかお元気で」
 「ありがとう! じげんしさま!」
 「よかったらまたきてね」
 「うん、また来るよ! みんなも元気でね!」

 村人たちの群れの先頭にいたツヅが、小さな体躯を丁寧に折り曲げて言った。

 「ほんとに、ありがとうございましたで、このごおんはいっしょう、わすれられません」
 「こちらこそだよ。あたし、ここに来れて本当によかった。ありがとうツヅさん」
 「そんな。とんでもありません」
 「おばあちゃん。また会えなくなっちゃうけど、どうか元気でね」 
 「フィラ。げんきでやるんだよ。白蛇様もウメ様もきっとあんたをみまもっていてくださる。もちろんわたしたちベルクの民も、みんな」
 「……ありがとう」
 「おれいのしなとしてはとおくおよびませんけれど、わたしたちのせいいっぱいのきもちでして、どうかうけとってください」

 ツヅがそう言うと、群がりの中にいた村人の2人が大きな樽を持ってロクたちの前までやってきた。

 「このむらでつくっていたおさけです。ろくあんずさまがたにはまだおはやいしろものですが、どうぞみなさんでめしあがってください」
 「え? いいんですか、こんな貴重なものを……。他所ではかなりの値を張る代物だとお聞きしましたが」
 「いいんです。わたしたちは、おかねいじょうにかちのあるものをいただきました。これくらいのものしかおわたしできませんで、せめてものきもちです」
 「そうですか。それではありがたく頂戴いたします、ツヅ村長殿」

 コルドがそう言って頭を下げる。と、ツヅは一度だけ後ろを振り返り、村人たちの群れを一瞥した。そしてまたロクたちを見上げる。
 ツヅは身を屈め、片方の膝だけを立てた。するとほぼ同時に村人たちも一斉に同じ体勢をとった。立てた膝の上で両手を重ねる。

 「じげんしさまがたに、白蛇様のご加護があらんことを」

 臙脂色の頭が一同に伏した。ロクは身が震えるのを感じ、この光景を忘れないようにと瞼の裏に熱く焼きつけた。

 「うん! またねっ!」

 そうして、ロクたち一行はベルク村をあとにした。
 
 
 村からローノへ戻るのにその近道を知っているというフィラを筆頭に、ロクたち一行は順調に山を下っていた。
 途中、フィラからこんな提案があった。

 「巳梅に乗って下れば自分たちで歩くこともないし、すぐにローノに到着できると思うけどそうしましょうか?」
 「ううん。あたしは歩きでいいや」
 「どうして?」
 「この山の感じを覚えておきたいんだ。土がどんなだったとか、草木の匂いとか、そういうの。忘れないように」
 「……。そう。でもわかるわその気持ち。13年前、私もそう思いながらこの山を下ったもの」

 フィラが懐かしむように言った。フィラの提案を断ったロクだったが、彼女はすぐに「あ」と声をあげた。ベルク村の住人たちから礼として賜った酒の大樽を持つ担当をしていたロクは、「じゃあこの樽をお願いしてもいい?」とちゃっかり前言撤回をしたのだ。フィラは笑って、「ええ」と快諾した。
 
 
 
 翌日、正午に差しかかる頃。驚くべき早さでローノの町へと到着したロクたち一行は、支部の隊員たちを仰天させた。
 理由はもちろん、その早さではない。数日前、ベルク村という辺鄙な土地に向かったロクとレトに対し「どうせ戻ってこられるわけがない」と支部の隊員たちは嘲笑していた。その発言にコルドは反感を抱き、「2人が無事に帰還できたら、ベルク村の事態を軽視していたことを認めるか」と提案していたのだった。
 支部の門を叩くなり、コルドは挨拶をした。

 「お久しぶりです、援助部班副班長殿。戦闘部班一同、無事に帰還致しました」
 「……。これはこれは、ご無事でしたかコルド副班長殿。さぞ、大変でしたでしょうな。山の中で行き倒れでもしていたんでしょう? その2人は。それをこうして連れて戻ってくるなどと」
 「なにを仰られているのかわかりませんが、この2人はベルク村におりましたよ。そしてそこで村の住人たちと触れ合い、問題を解消し、こうして無事に戻ってきたのです」
 「問題だと? でたらめを申さないでいただきたい。次元師様としての尊厳を保ちたい気持ちもわかりますが」
 「そうですか。それでは残念ですが、こちらは差し上げられませんね。せっかく皆さんにも振る舞って差し上げようかと思っていたのですが」
 「は? なにを」

 コルドがちらっと目配せした先にはロクがいた。ロクはそれに凭れかかっていた身体を起こし、両手でその側面を挟み持ちあげると、支部の隊員たちの目の前にドンとその大樽を置いた。

 「ひっ!」
 「お酒だよっ。あなたたちが話してた、超おいしいっていうウワサのお酒!」
 「……」
 「あちらにはベルク村の領主、ヴィースを含める3名を拘束して待機させています。本人たちにはすでに政府までの同行の許可を得ています」
 「あ、ああ……」
 「認めてくださいますね? あなた方の過失も、この子たちの勇気ある行動も」

 コルドの気迫に押されたのか、支部の責任者である男はがっくりと項垂れて「ああ」とだけ言った。
 支部の隊員たちがヴィース、リリアン、リリエンの3人の保護に出るのと入れ替わるように、ロクたち4人の次元師が支部の施設内へと足を踏み入れた。
 入ってすぐのところにある広い談話スペースの腰掛けにレトは寝かせられた。フィラはというと、持ち運び用の肩掛けバッグを下ろし、中に詰めこんでいた薬品類を丁寧に取り出していた。談話スペースの一角に大きな薬品棚が置かれていて、そこに1つ1つ戻していく。

 「棚にあるの、ぜんぶフィラさんの?」
 「そうよ。ここの支部は広くないから実験用のものも上のほうに置いてあるの。それに自分で調合したりもするから、私しか扱っていないわ。この支部では私が唯一の医療部班だしね」
 「フィラさんはどうして医療部班に入ろうと思ったの?」
 「もともと好きだったのよ。こういうことをするのがね。村にいたときから新しい薬草を見つけては、どういう効能があるのかとか自分なりに調べたりしていたわ。だれも解き明かしたことのない難病の治療法を見つけることが夢なの」
 「へえ……。そっかあ」

 ロクは残念だとでも言いたげに、すこしだけ口を尖らせた。

 「ねえフィラさん」
 「なあに?」
 「あたし、フィラさんに戦闘部班に入ってほしい」

 フィラが目をまるくする。ロクはそれを気には留めずに、早口で捲し立てた。

 「だってフィラさん、これからも『巳梅』といっしょに戦いたいってそう思ったんでしょ? それならこっちに来ようよ! ……ここの支部で医療部班はフィラさんだけだし、夢もあるって言ってたから、そんなカンタンなことじゃないかもだけど……でも、でもきっと本部にいたらもっとたくさん研究できるよ! ここより大きいし、道具とかもいっぱいあるよ! だからフィラさん」
 「……」
 「戦闘部班で、本部でいっしょに戦おうよ!」

 フィラは固く口を結んでいた。ロクは、フィラの様子がおかしいことにようやく気がついた。

 「フィラさん?」
 「……そう、ね。戦闘部班には入れるかもしれないわ。でもごめんなさい、本部には行けないの」
 「どうして? ここで1人の医療部班だから? だったらほかのとこにいる人と交代したっていいんじゃないかな? だってフィラさんは次元師なんだよ? みんな納得してくれるよ」
 「そうじゃないの、ロクちゃん。私がここに勤務することになったのは……上からの指示なのよ」
 「う、上?」

 フィラはロクの目を見つめ返し、告げた。

 「──ラッドウール・ボキシス総隊長。此花隊という組織の中で、もっとも地位の高い御方。そして……私の祖父よ」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.44 )
日時: 2018/10/25 09:37
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 0aJKRWW2)

 
 第041次元 君を待つ木花ⅩⅧ
 
 「ラッドウール・ボキシス総隊長。此花隊という組織の中で、もっとも地位の高い御方。そして……私の祖父よ」

 ロクアンズは言葉を失った。予想通りの反応が返ってきて、フィラは一呼吸置いた。

 「私が13年前にベルク村を飛び出したって話はしたわよね?」
 「え、ああ、うん」
 「どうしてだか覚えてる?」
 「えっと……ウメのことを逃がしたせいで、領主さんが怒って村の人たちにひどいことしたり、巳梅の力で村をめちゃくちゃにしちゃったり……したから?」
 「そうね。それがほとんどの理由よ。でもたったの11歳だった私が、村を飛び出してあの山を下りて、どこかへ行くなんてあまりにも危険だとは思わない?」
 「そう、だね……アテがあればべつだけど……」
 「そのアテが、此花隊にあったのよ」

 フィラが告げた『祖父』という言葉を、ロクは脳内で繰り返した。

 「どうしても村を出て行きたかった私は、昔村からいなくなった祖父のことを思い出したの。祖父は有名な次元研究所の人で、そこで偉い立場にいて、だから孫の私の顔を見ればそこの組織で引き取ってくれるって、そう思った」
 「それで此花隊に入隊したんだ」
 「ええ。村をいっしょに飛びだしてくれたセブンって男の子もね」
 「え」

 ロクの口から小さく声がもれる。まただ。またフィラの口から『セブン』という名前を耳にしたロクは硬直した。
 その疑問符の意味を知る由もないフィラはロクの顔に一瞥もくれることなく、棚に薬瓶を戻しながら続けた。

 「いっしょに入隊試験も受けて、無事どっちも受かることができた。祖父は……ラッドウール隊長はもちろんセブン君を知っていたし、彼が18歳ながらにして頭脳明晰であることもわかってたから、セブン君はその歳で、しかも入隊早々に隊長補佐に就いたの」
 「セブン班長がっ!?」
 「え?」
 「あ、いや、なんでもない。……あの、フィラさん、1つ聞いてもいい?」
 「ええ。いいわよ」
 「そのセブン……君の、本名は?」

 ロクがおずおずと聞いてくるので、フィラはすこしだけ訝しんだ。が、たいして気にする素振りも見せずに即答した。

 「セブン・ルーカーよ。もしかして会ったことがあるのかしら? ロクちゃんも本部にいるんだものね。隊長のおそばにいるはずだけど」

 ロクは黙っていた。まちがいない、とも思った。此花隊に入隊する際、初めて顔を合わせたそのときに一度だけ聞いたことのある名前そのものだった。
 本当に自分の上司であるあのセブンだったのだ。だがしかし彼の髪色も目の色も鈍い黄色で、臙脂色ではなかったはずだ。ロクはますます困惑していた。

 「……? まあ、それでね、私も本部に置かせてもらえるのかなって勝手に思っていたんだけど……。どうやら隊長は、私が村でしたことを知っていたみたいだった。だから私を医療部班の班員として真っ先にローノへ送り込んだんだわ」
 「ど、どうして?」
 「……さあ、私にも、その真意まではわからないわ。でもわざわざ私を、ベルク村の管轄をやっているローノに送るっていうことは、そういう意味よ。罪を償わずして逃げることは許さない。祖父だってベルク村の民なのよ。おなじ民として、そう言いたかったんじゃないかしら」
 「そんな、家族なのに」
 「でもこれが現実なのよ」

 最後の1つの瓶を置いて、フィラはロクのほうを向いた。

 「だから私は、本部には移れないの。ローノを離れられないから」
 「……」
 「でも私、戦闘部班への異動はしようと思うわ。私も次元師だもの。薬と睨めっこばかりしていられない。あなたたちがやってきたみたいに戦わなくちゃね。離れ離れになってしまうけど」
 
 明るい語尾だったが、フィラの表情には翳りが差していた。無理をしているようにも見えてロクは慌てて言葉を投げかけた。
 
 「でも、でもセブン……君って人がいるんだよ? 本部には。フィラさん、13年間一度も会ってないんじゃないの?」

 13年もの間、一度も会わなかったからこそフィラはセブンがいまだに隊長補佐であると勘違いしている。そのことにロクは気がついていた。

 「え? それはそうだけど……。でも、いまさら会ったって、どういう顔をしていいかわからないわ。13年よ? 入った時が、あの人18だったから、いまは31とかになっているんじゃないかしら。私のことなんか忘れてるわ。それに彼は隊長補佐だもの。私なんかよりずっと高い地位にいて、私みたいな一介の隊員とは会う暇もないでしょう」

 寂しそうに笑みを落とすフィラに、ロクはそれ以上なにも返せなくなった。
 ロクは特段、フィラにどうしても本部へ移ってほしいわけではなかった。ただ、いまの会話からロクは、なぜだかフィラが自分の望みをことごとく諦めているように思えたのだ。自責の念か。もとより反省色の強い性格なのか。ロクはいまだ納得がいっていない様子で、ぼそっと吐いた。

 「でもフィラさん、つらくないの? ここにいるの」

 フィラは口を閉ざした。
 つらいに決まっている、と心の中ではすぐに返事をした。
 村にはいられないと思って山を下りた。当てにしていた祖父には故郷近くの町に行けと命令され、来た道を戻り、以来ずっとローノで過ごしてきた。ベルク村をこけにするような陰口が耳を刺しても、山から下りてくるベルク村の人間の死体を目にする度に心臓を刺されるような、そんな痛みを蓄えてでも、命令に従ってきた。生きた心地はしなかった。けれどそれ以外に生きていく方法が浮かばなかった。
 ──居場所がないのだ。13年経ったいまでも。
 時折考えはする。夢を見たりもする。しかし何度考えてみても、ここでやっていくしかないのだという結論に落ち着いてしまう。だからフィラは口を開かなかった。
 そこへ、コルドが顔を覗かせた。

 「ロク。ちょっと手伝ってほしいことがあるんだが」
 「あ、はーい!」

 コルドに手招きをされ、ロクはぱたぱたと彼のもとに駆け寄った。

 「なあに?」
 「報告書を書かなくちゃいけなくてな、お前にも協力してほしいんだ。なんせ俺が村に辿り着いたときには、すでに事が済んでいたみたいだったからな」
 「うん、いいよ」
 「向こうに資料室がある。そっちへ行こう。談話室ここは人が多いからな」

 建物の扉をくぐってすぐに広い談話室が見えるため、それ以外の部屋はないものだとロクは勝手に思っていた。半信半疑でコルドのあとについていくと、たしかに建物の入り口から見て右手にはまっすぐ奥へと続く廊下があった。廊下を進んでいくとその突き当たりには、部屋の扉らしきものが備えつけられていた。

 「ほんとだ! 部屋あったんだ」
 「これまでの報告書の写しが置いてあるらしい。あとは町の資料とかもな」
 「へ~」

 資料室内は広くはなかった。だがその壁にはぎっしりと本棚が敷き詰められていた。中央に空いたスペースには小振りの机に椅子が2つだけと、必要最低限のものしか置かれていない。本棚と机との距離は人が1人通れるくらいだ。実に簡易な作業場だった。
 椅子に腰かけるなりコルドは机の端に置かれている円筒に手を伸ばし、そこに差してある筆を手に取った。が、あろうことかその筆先は乾いていた。彼は眉を下げた。

 「しまった。ロク、近くに墨の入った瓶とかないか?」
 「ええ? 本棚しかないよ、コルド副班」
 「困ったな」

 首の裏を掻きながら立ち、コルドが軽く周囲を見渡した。そのとき。
 本棚からはみ出ていたらしい本の背に肘がぶつかる。「いっ!」と声をあげたコルドがその本の表紙を見やると、
 そこには『ローノ 報告書』と記されていた。コルドはその冊子を取り出し、中を開けた。

 「コルド副班、どうしたの?」

 報告書を書くのに参考にでもするのだろうかと思ったロクだったが、コルドの表情がどこか真剣みを帯びていて、疑問に思った。

 「いや、班長がな。よくローノからの報告書を読んでらっしゃるものだから、ローノになにか思うところがあるんじゃないかと思ってな」
 「……」
 「でもどの頁を見ても、書いてあるのはほとんど無災の報告、市場の情勢、町の住人からの要望なんていう普遍的なものばかりだ」

 ぱらぱらと捲られていく紙面をただ呆然と眺めていた。が、突然ロクはコルドの手をつかみ、その動きを止めさせた。

 「ねえコルド副班、どうして頁のあちこちで、書いてる人がちがってるの?」
 「ああ、この定期報告書は、1人だけが書くものじゃないからだよ。1枚の紙に何人もが記入できるんだ。日によってべつの人間が書いていたりもするし、報告の内容によって記入する人を分けているかもしれないしな。たとえば犯罪の報告はある人だけど、市場の報告はべつの人、とかな」
 「……書く人がちがう……。これ、フィラさんも書いたりするかな」
 「え?」
 「見せて!」

 ぴょこんと跳ねて、ロクはコルドの手元から報告書の冊子を奪い取った。紙面の左端から、日付欄、報告内容欄とあって、その一番右端には名前を書く欄があった。ロクはその部分を睨みつけるようにして見ている。

 「フィラ……フィラ……あった! あ、でもここだけだ。ほかのとこには……あ、こっちにも! でも……たまにしかないなあ、フィラさんの名前」
 「どうかしたのかロク」
 「……。セブン班長、もしかして報告内容は読んでないんじゃないかな?」
 「え? そんなわけないだろう」
 「フィラさんだよ。フィラさんがここにいるから、読んでるんだ」
 「? な、なんのために?」
 「決まってるよ! セブン班長は、フィラさんのことを忘れてなんかない。むしろ逆だよ!」

 ロクは目を輝かせてそう言った。コルドはそれに気圧され、目をぱちくりさせた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.45 )
日時: 2018/10/29 09:23
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: QVI32lTr)

  
 第042次元 君を待つ木花ⅩⅨ

 ローノから送られてくる定期報告書を入念に読みこんでいたというセブンだが、彼が確認したかったのはローノの現状ではないと、ロクアンズは断言した。
 幼なじみのセブンとフィラは13年前、ともにベルク村を飛び出し此花隊に入隊した。しかしセブンは本部、フィラはローノ支部に配属となり、以来2人は疎遠になっていた。セブンはローノにいるフィラのことが気になっているからこそ報告書を読んでいるのだ。ロクはこくこくと、1人で何度も頷いた。
 当然、セブンとフィラの関係を知らないコルドは首を傾げた。

 「逆というのはなんのことだ。ロク、1人で盛り上がらないで俺にもわかるように説明してくれ」
 「えっとね、うーん……つまり~……」

 セブンとフィラのことを説明するのには、一言や二言では足りない。コルドはベルク村で起こったことをフィラの口から聞いてはいたが、あくまでも断片的にだ。そこにセブンの名前は出されていなかった。
 一から説明したい気持ちもやまやまだがその手のことが大の苦手であるロクは案の定すべての過程をかなぐり捨て、極論を述べた。

 「コルド副班、フィラさんが戦闘部班に入ってくれたらうれしいよね!?」
 「な、なんだ急に。まあ、それはもちろん願ってもないことだが。班長も言っていたよ。各支部にいる次元師たちに声をかけているところだ、ってな。だがそもそも世界に100人しかいない次元師がどれくらいの数此花隊にいるのかと聞かれれば、難しい問題だ。あの人が異動してくれたら班長もお喜びになるだろう」
 「だよね! よ~しっ。コルド副班、2人でフィラさんを説得しよう!」
 「よし。そういうことなら俺も協力しよう」

 ロクアンズとコルドは結託し、まっさらな報告書を置き去りにして資料室を出た。談話スペースにいるフィラのもとへと急ぐ。
 フィラは、腰掛けで横になって寝ているレトヴェールのそばについていた。

 「フィラさんっ」
 「あら。おかえりなさい。どうかした?」
 「あのねフィラさん、あたしどうしてもフィラさんに戦闘部班に入ってほしいんだ」
 「え? ええ……。それは考えて……」
 「戦闘部班は立ち上がったばかりで、班員も少ないんです。各支部にいる次元師に声をかけているところですが結果は芳しくありません」
 「立ち上がったばかり……そういえば、今年の初め頃から活動されているんでしたよね」

 噂を耳にした程度だったフィラは何の気なしに聞き返した。

 「ええ、そうなんです。戦闘部班の班長と総隊長様の類まれなるご尽力のおかげで、今年から。特に、十何年という時間の中寝る間も惜しんで政府にかけ合ってきたセブ」
 「わあああっ!」

 握りこぶしをたたえ熱をこめて語り出したコルドを制するように、ロクは彼のコートの裾を引っ張った。伸びる衣服につられてコルドはたたらを踏んだ。
 ロクはできるだけ声をひそめて、コルドに耳打ちした。

 「だめだよコルド副班! セブン班長の名前出しちゃ」
 「え、そうなのか? お前がさっきしきりにセブン班長セブン班長って言ってたから、てっきり2人に関係があるのかと思って俺は……」
 「だからだよっ! まったく、これだからコルド副班は。わかってないなあっ」
 「な、なんだと?」

 コルドは眉をぴくりとしかめた。まだ年端もいかないロクに、男女のことがわかっていないと言われたような気がしたコルドは、ロクの襟元にある分厚いフードを掴んで持ち上げた。足がわずかに浮き、ロクは慌ててつま先で宙を掻いた。

 「うっわわ! こ、コルド副班!?」
 「報告書を書くのを忘れていたな。手伝え」
 「ええ~! 急!」
 「いいから行くぞ!」

 フードを引っ張られ連行されていく姿を呆然と見送っていたフィラに向かって、ロクは叫んだ。

 「ふ、フィラさん、またあとでね! 戦闘部班の班長さんに、いっしょにあいさつ行こうねー!」

 ロクの姿が視界から消えてなくなると、フィラはぽつりと呟いた。

 「……本部、か……」

 もう二度と訪れることはないと思っていた。ともに故郷を飛び出してくれた幼なじみと離れ離れになってしまった場所でもある。そしていま、彼は、どういう顔になっていてどう毎日を過ごしているのだろうか。
 フィラはすぐに顔を横に振った。13年という時間の厚さを感じ取ってしまっただけで、虚しく思えてきたからだ。
 
 
 
 ローノを出発して、半日が経過した。エントリアの街並みにはほんのりと橙が差している。もうすぐ夕刻を迎えるという頃に、ロクたち4人は此花隊本部の門をくぐった。ヴィース、リリアン、リリエンの3人はローノ支部に引き渡したため、4人で戻ってくるという形になった。
 レトヴェールはというと、いまだ目を覚まさないという状態が続いていて、コルドの背中で大人しくしていた。到着してすぐ医務室で休ませることになった。
 医務室の扉を閉め、3人は長廊下へと出る。いまいる場所は中央棟の2階だ。3人は、戦闘部班の班長室がある東棟へ向けて歩きだしていた。

 「ねえロクちゃん、戦闘部班の班長ってどんなお方?」
 「えっ」

 フィラは純粋に知りたがっているようだったが、ロクにとってそれは核心を突く質問だった。ロクは目を泳がせ、しどろもどろになりながら答えた。

 「え、えっとね~……うーんと……や、やさしい、人!」
 「そう。優しいお方なのね」
 「う、うん……。たま~に抜けてるけど」
 「そうなの?」
 「うん。あとね、班長室入ったら、居眠りしてることもあるんだ~」
 「まあ」
 「でもほんとにいい人だよ。あたしやレトのこと、子どもだってバカにしたりしないし、すっごい面倒見てくれる。次元師を戦争の道具にしないためだからって国の上の人たちは次元師の集団をつくるのをだめにしたでしょ? でも班長は、次元師をちゃんと育てるんだって、仲間をつくるんだって、そう思って立ち上げたんだって。ここに入るときに班長がそう言ってたんだ」
 「そう……素敵な人ね」
 「……。班長はいい人だよ。フィラさんも、会えばきっとすぐにわかるよっ」
 「ええ。お会いするのが楽しみだわ」

 中央棟と東棟を繋いでいる長い通路を渡り、3人は東棟に足を踏み入れた。階段を昇り、『班長室』と明記されている部屋の前までやってくる。すると、ロクはそわそわしながらコルドのほうを見やった。が、彼がいつもの真面目顔を据えて突っ立っていたので、見かねたロクはわざとらしく「あ!」と大きく声をあげた。

 「そういえば~、今日のこの時間って、班長は部屋にいないとかなんとか言ってなかったっけ~? ねえ、コルド副班?」
 「え? ……あ、ああ! そうだそうだ~。忘れてたよ。いまは会議の時間で、班長はいないんだったー」
 「そうなんですか? じゃあ、また改めて」
 「や! すぐ戻るよ班長! もうすぐ終わるはずだから! ねっ、コルド副班!」
 「そ、そそ、そうだなロク! ということでフィラさん、どうぞ部屋の中でお待ちください。俺たちが行って、班長にお伝えしてきますので」
 「え? そ、そうですか?」
 「ええ。なのでどうぞ、中へ。あ、ついでに今回のことを書いたこの報告書を、班長の机の上に置いておいてくれませんか」
 「はあ……」

 なかば無理やり書類を持たされ、フィラは班長室の中へと押しこまれた。扉を閉めてから、はあ、と一息つくコルドに対してロクは小さな声で叱責を浴びせた。

 「コルド副班! ローノを出る前にちゃんと話し合いしたのに! もー!」
 「ちゃ、ちゃんとできたんだからいいだろう。それに班長が会議のときを狙おうって提案したのは俺だぞ」
 「……うん。たしかにそうだ。あとは班長がちゃんと戻ってくるかどうか、どこかから見守っとかないと」
 「本当に、2人きりにできるだろうか」
 「できるよ! あたしたちがここまでやったんだもん。ぜったい成功するって!」

 廊下の突き当たりにある階段から2人は身を乗り出して、様子を伺っていた。逸る心を抑えながら、セブンの登場を今か今かと待ち構えていた2人の真横を、
 人影が過ぎった。

 「……え?」

 その人物は、班長室に向かって歩いていた。


 室内で1人、フィラは棒のように立ったまま辺りをきょろきょろと見渡していた。壁沿いには本棚がずらりと並べられている。部屋の扉と向かい合うように、班長の仕事場であろう長机が奥の窓際に置かれていた。フィラは、手に持っていた報告書を机の上に置こうと動きだした。
 机の上には筆やら書類やらが散漫していた。整理する時間がないのだろうか。それとも整理する能力が欠けているのだろうか。フィラは、ロクから聞いた「たまに抜けている」という言葉を思い出し、後者かなと小さく笑った。
 机の左側には紙束が山のように積まれている。フィラはふいに、その山に目をやった。その山の一番上にあった書面は、ローノの報告文だった。

 「ローノの報告書だわ。ひと月前のものね。……あら? 下にあるのは半年前のものね。こっちは……1年以上前のだわ。なんでこんなにバラつきがあるのかしら」

 定期報告書はひと月ごとに作成される。ローノの情勢を確認したいのであれば少なくとも直近の数か月のものに目を通すはずだが、ここにある書類のまとめ方、およびその内容はまちまちで、なんの目的で搔い摘まれたものだかフィラにはさっぱりわからなかった。
 しかし、そのどれもに、自分が書いた報告文が載っていることに気がついた。

 「これ、ぜんぶ、私が書いた文章が載ってる……?」

 そのときだった。
 ギィ、と扉を開く音がした。
 
 フィラは振り返った。班長室の扉を押し開け、中へ入ってきたその人物は──

 「……え……」

 入り口の上部にぶつかってしまうのを避けるためか、高い位置にある白頭をすこし下げていた。いままでに出会った男性の中では群を抜いて背丈が高い。その上、体格は暴れ馬を悠に手懐けられそうなほどがっしりしていた。隊服の袖に腕を通さずただ両肩に引っかけているだけの彼は、毅然とした態度で班長室へと足を踏み入れた。
 彼はフィラを視認した。

 「おじい、……総隊長」

 ラッドウール・ボキシス。此花隊の総隊長という責務を背負うその男の視線から、フィラは一瞬で逃れられなくなった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.46 )
日時: 2022/08/31 21:48
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第043次元 君を待つ木花ⅡⅩ

 研究部班と医療部班は白。援助部班と戦闘部班が灰。各部班によって、その隊服は基調としている色やデザインが異なっている。加えて各部班の班長と副班長の位を任されている者だけは、黒の隊服の着用を義務付けられているのだ。
 そして。此花隊の総隊長として組織の統括を担う男、ラッドウールは、燃えるような真紅の隊服を身に纏うことが許されている。
 とはいっても彼はその広い肩に引っかけているだけで、袖に腕を通してはいなかった。

 「何用だ」

 鋭い針のようにも鈍器のようにも思える口調が、フィラの背筋を凍らせた。まぎれもなく祖父の声だった。
 何の用で班長室へ来たのか。何の用で声をかけたのか。
 何の用で、本部の門をくぐったのか。
 フィラは想像した。ラッドウールが放った言葉の裏にどんな思惑が込められているのか。そして悪い想像ばかりが脳裏を駆け抜け、フィラは怯えを隠しきれずにようやく口を開いた。

 「……。えっと、その、隊長。私……ご存知とは思いますが、私は次元師です。なので次元師としての役目を優先することに、考えを改めました。それで、あの……」

 フィラは床の至るところに視線を配っていた。顔を上げられなかった。自分でもなにを言っているのか定かでなかった。

 「医療部班から、戦闘部班への異動を、希望したいのです。もちろんローノに留まるつもりです。隊長から賜りました、そのご命令に背くつもりはございません。なので私を、どうか」

 フィラが顔を上げると、そこにラッドウールの姿はなかった。

 「湖とは何のことだ」

 フィラの真横から声がした。急いで振り向くと、ラッドウールが書類を片手に眉を顰めていた。

 「え……」
 「ベルク村は何を強いられていた」
 「あ、その」
 「なぜ領主を送還した。ヴィースという男が何をしたというのだ」

 矢継ぎ早に繰り出される高圧的な物言いが、フィラをしごく動揺させた。質問をされている。なにか答えなければと、フィラは一心不乱に口を動かした。

 「それは……その、ヴィースの敷いたしきたりに、村の人間が耐えかねて、山を下りて……でも十分な食べ物も水も、あ、与えられていなかった、ので……山の中にはベルク村の人間と思われる死体が転がっていることも、珍しくなくなっていて……酒も、造らされて」
 「領主を送還したのは何故だ」
 「村人を苦しめるような言動に、及んでいたからです」
 「早まったな」
 「え」
 「食料や水の配給が不十分であった、と記載があるがゼロではなかった。村で製造されていた酒は他国で評価が高く、唯一の金の出所だったはずだ。それを絶ち、"あたま"を自らの意思を以て咎めたとすれば、今度は村の人間たちに目が向くだろう。男は無差別な殺しをやっていたわけではない。ある意味では、村に金をつくった恩人ともとれる」

 フィラは絶句した。その通りだ、とも思った。ベルク村の住人たちは外との交流を持たない。そんな人間たちの言葉にはたして政府陣は耳を貸すだろうか。考えるだけでゾッとするような意見だ。
 しかしフィラの胸中には、なにかもやっとしたものが膨らんでいた。

 「……で、ですが隊長。ベルク村の民たちは苦しんでいました」
 「……」
 「同胞を亡くし、飢餓に苛まれ、枯渇した喉で必死に叫んでいたのです。ローノにいた援助部班の班員たちにはベルク村の調査を行う義務があったのに、それを放棄し続けていました。だからその嘆きはだれの耳にも届かなかった。それを、ある2人の子どもたちがしかと聞き入れたのです。村人たちは心から喜んでいました。村に活気が戻りました。笑いが溢れていました。私も、巳梅とふたたび会う決心がつきました。だから、あれでよかったのだと、私はそう思っています」
 「それがお前の見解か」
 「……はい」

 ラッドウールはそこで初めてフィラの顔を見て、それから手に持っていた書類を紙束の上に置いた。
 
 「『保護対象である町村の住人に対し過度な労働を課した』と、村の人間全員が証言すること。ローノ所属の隊員たちの過失を証明する書類を提出すること。以上で、この男には速やかに処罰が下される。山を下ろうとして絶命した村人の死体もあるとなお良いだろう」
 「……」

 「早まったな」と言われたとき、フィラの耳には「ヴィースを咎めることは不可能だ」とそう聞こえていた。ゆえに彼女は、さきのラッドウールの言葉をすぐには呑みこめなかった。
 ──ラッドウールは自分に脅しをかけていただけなのか。フィラはふとそんなことを思った。が、なぜ彼がそうするのかは皆目見当もつかなかった。試されているのか。暗くて抑揚のない声色が余計に彼の真意へ探りを入れるのを妨げる。
 じっとこちらを見るフィラに、ラッドウールは向き直った。

 「次元の力をものにしたのか」
 「え……」
 「質問に答えろ」

 臙脂色の瞳を細めて、ラッドウールは鋭く言い放った。

 「『巳梅』……巳梅とは、生涯共にあることを誓い合いました。そして共に戦うことも。だから、戦闘部班へ異動したいのです」

 ラッドウールはもう1度、報告書の山に目を向けた。しばらくそうして見つめていた時間が、フィラにはとてつもなく長く感じられた。唾を飲みこんだり、コートの裾を掴んだりした。
 ラッドウールは口を開いた。

 「13年前のことだ」

 突然、ラッドウールは語り始めた。

 「ある男が、次元師の組織を立ち上げたいと言ってきた」
 「え……?」
 「若造の考えることだ。『戦争に発展させるためではない』『神に立ち向かう組織』などと夢物語じみたことを発言していた。だから初めは当然のように許諾を下さなかった。しかし何年もそれを繰り返していた。奴は諦めの悪い男だった」
 「……」
 「何年かののち、奴がこう発言したことによって私は、奴の提案に"別の意図"があることを確信した」

 言いながら、ラッドウールはフィラの瞳を見やり、そして告げた。

 「『次元師に居場所をつくりたい』、と」

 「当然、そのような理由では承諾不可能だったがな」とラッドウールは冷たく一言を添えた。しかしフィラは、自然とその言葉を復唱していた。

 「……居場所……」
 「奴は13年前から、1人の女のことしか考えていなかった」

 ラッドウールは肩にかけた隊服を翻し、歩きだした。フィラは呆然としていた。まっすぐ扉に向かっていたが、ラッドウールは途中で足を止めた。

 「ミウメといったか」
 「え。あ、はい」
 「良い名だ」

 フィラは振り返ったままの姿勢で静止した。放心しているようにも見えるその無防備な表情をラッドウールが一瞥したのは、扉に手をかけたそのときだった。

 「奴に挨拶をしておけ。資料室にいる」

 ゆっくりと扉が閉まった。次いで、フィラが班長室を飛び出していくのには、そう時間がかからなかった。
 
 
 
 資料室には本棚が所狭しと並んでいる。本棚と、それに向き合うように置かれている本棚との距離は近く、人が2人通れるか否かといったところだ。実際の室内は広めなのだが、本棚の数が多いため広いようには感じられない。
 その本棚の1つの前で立ち、セブンはある分厚い本に目を落としていた。本の表には『植物資料』と書かれている。
 普段とはまたちがう、真に迫る表情で紙上の字面を追っていたとき、資料室にだれかが入室してきた。
 セブンはふいにそちらのほうを向いた。

 「…………フィ、ラ」

 思いもよらない人物が目の前に現れて、セブンは驚くとともにその人物の名前を口にしていた。
 そんなセブンをよそに、フィラは彼のもとに近づいていった。

 「なぜ君が……」

 そしてフィラは、手を伸ばせばすぐに触れられるという位置で立ち止まった。
 フィラはセブンの顔を見上げた。

 「セブン班長」

 十数年越しに見た臙脂の瞳。そして懐かしい声音。すこし大人びていた。背丈もずっと高くなっていた。
 拙かった文字も大人しくなっていたのだから当然か。そんなことを考えながら、セブンは取り繕うように声をあげた。

 「ああ、そうだフィラ。君に聞かせたい話があるんだ」

 セブンはさきほどまで読んでいた本の、ある頁をフィラにも見えるように広げてみせた。

 「……13年前、隊長殿は君をローノへ送っただろう。そのとき私は、隊長殿に対して得も言われぬ怒りを感じていた。孫の君のことをなんとも思っていないのではないかとそう思っていたんだ。……ついさっきまではね」
 「……」
 「この頁を見てくれ。ここ。ここに……"うめ"という名の花の記述があるだろう。見えるかい?」

 フィラはなにも答えずじっとセブンの顔を見つめていた。が、セブンはそれを気に留めることなく続けた。

 「ベルク村にいた、紅い鱗の女王蛇。あの子に『ウメ』という名を授けたのはラッドウール隊長だった。遠方のある国には、あの紅さによく似た花を咲かせる、『うめ』という名の木があるんだってそう言っていただろう。私はそれを思い出したんだ。……去年までここは、ただの『次元研究所』と呼ばれていた。そして今年の初め、戦闘部班の立ち上げとともに、組織そのものの名前が変わった」

 セブンは、フィラによく見えるように差し出していた本を自分の手元に戻した。

 「それが『此花隊このはなたい』だ。この名前は、ほかでもない隊長が名づけられたものなんだ。ある国で『うめ』と呼ばれている紅い花……あれは、別名『コノハナ』とも呼ばれているのだと、私はいまさっき知ったんだ。本当に驚いたよ」

 紙面に注いでいた視線を持ちあげ、セブンはフィラの紅い瞳と目を合わせた。

 「実は最近、君のことを思い出してね。ああいや、君のことを忘れていたということじゃない。つまり……。いや、この話はいい。つまりだ、ラッドウール隊長は……君とウメのことを想っていらした。君をローノへ送ったのは、次元の力と向き合わせるためじゃないかと私は思うんだ。いや、きっとそうだろう。不器用な御方だよ。何年も君と連絡をとらずに、」
 「セブン君」

 懐かしい響きがして、セブンの動きがぴたりと止まった。

 「私のために、立ち上げてくれたの?」
 「……」
 「私に居場所をくれるために、何年も……13年も」

 声が震えていた。いまにも泣き出しそう顔をするフィラにセブンはぎょっとして、焦りを隠しきれず慌てて問い返した。

 「何の話だいフィラ。落ち着いて話を」

 セブンの胸になにか、とすんとぶつかった。その胸にフィラが飛びこんでいた。顔をうずめているフィラの真っ赤な髪が目線のすぐ下に現れる。セブンはしばらく黙っていた。息をついて、ようやく彼は言葉を発した。

 「……フィラ、とりあえず落ち着くんだ。君が困るような事態に」
 「セブン班長」

 涙交じりの力強い声だった。鼻を啜る音。えづき。背中に回された両手がどちらも震えていた。
 フィラが顔を上げた。

 「私を、戦闘部班に入れてください。入りたいです。あなたのつくった、その場所に、そこにいたい」

 紅い瞳が、涙で淡く濡れていた。ぽろぽろと、ぽろぽろと雫が落ちる。セブンはその目尻に浮いた涙の粒をそっと指先で拭って、柔らかく笑みを落とした。

 「……そうかい。歓迎するよ、フィラ」



 メルギース歴530年。この年の初め、エントリアに本部を構える大規模な次元研究所は、隊長のラッドウール・ボキシスの発案によって組織名を変更した。
 その名も『此花隊このはなたい
 白や灰や黒といった具合に、製作されている隊服は各部班によって基調とする色も異なっているが、
 どの部班の隊服にも必ず──差し色として鮮やかな紅があしらわれている。
 
 ある女性を待つために華々しい開花を遂げた、
 木花このはなの色が。