コメディ・ライト小説(新)

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.57 )
日時: 2020/04/16 14:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
参照: 特別更新*

  
 第052次元 日に融けて影差すは月Ⅰ

 凍えるような寒さの中──「うちにおいで」と言って差し伸べられた手を握りしめながら、若草色の髪をした少女は雪の降り積もった道の上を歩いていた。ざく、ざくと心地いい音を鳴らす足は、1人だけのものじゃない。
 隣を歩いているのは女性だ。美しい金色の髪をひとつに結って、それが歩を進めるたびに腰のあたりで揺れて、綺麗だった。「寒くない?」とか、「もうすこしだからね」とか、いろいろ気にかけてくれたが、少女は首を振るばかりで、一言も発しなかった。
 倒れていた場所には街灯が立っていたような覚えがあるが、気がついたときには林道へ入っていた。ぼんやりとしていたら道の終わりが見えて、どうやら村らしいところへ着いた。
 ここは『レイチェル村』というのだという。豊かな緑が広がり、木造の家がぽつりぽつりと、間隔をあけて建っていた。道という道はない。新緑に彩られた世界だ。
 形が整えられていない適当な岩を積んでつくった石段が小高い丘の上に続いている。どの家のものかわからない畑が所狭しと並んでいて、その横を順々に過ぎていく。すこし歩いたところで、女性がようやく足を止めた。
 少女が顔をあげると、目の前には可愛らしい印象のこじんまりとした家が建っていた。近くにほかの家はない。この家のすぐ裏側には、細い小川が流れていた。

 「さ、はやく入ってあったまりましょう」
 「……」

 女性が家にあがろうとすると、握られた手にぐっと力が入った。若草色の髪をした少女は難しい顔をして俯いていた。
 強引に連れてきたといっても過言ではない。警戒されるのも当然のことだった。

 「あなたをどうこうしようとは思っていないわ。本当よ」
 「……」
 「うーん……困ったわ」

 そのとき。家の扉がガチャリと開いた。2人が扉に視線を向けると、女性とおなじ金の髪をした少年が中から顔を覗かせた。

 「レトヴェール」

 女性が名前を呼ぶ。少年はなにも応えない代わりにじっと少女の顔を睨んで──

 「えっ」

 バタン! ──と物凄い音を立てて扉を閉めた。女性は「あらら」と、呆気にとられる。

 「ご、ごめんなさいね。たぶんびっくりしちゃったのよ。知らない子が来たから」

 女性は慌てて取り繕ってみせたが、少女は閉じていないほうの左目を丸くして、石のように固まっていた。
 
 無事に家の中へ案内された少女は、扉をくぐるなりさきほどの少年とばっちり目が合ってしまった。居間のテーブルについていた少年はまるで女の子みたいに可愛らしい顔をしていた。が、不愛想にもすぐにぷいっと目を逸らし、椅子から飛び降りてどこかへ行ってしまった。
 女性に促され、少女は暖炉の傍に座って冷えた身体を温めた。しばらくして、少女はあたたかいスープとつけ合わせのパンを馳走になった。ちょうどこの時間がこの家での夕餉の食卓なのだろう。
 レトヴェールと呼ばれた少年もテーブルについていた。時折、幼い子どもとは思えない怪訝な顔つきで少女の顔を睨んでは、黙々と食事を口に運んでいた。野菜がごろごろしていてよく煮こまれたスープやバターの風味が香るパンをおいしいと味わっていた少女は、途中から胃にものを詰めこむようにして手を動かした。
 
 翌日。気持ちのいい朝を迎えた少女は、女性に──「うちの子にならない?」と言い渡された。少女は驚いて、困惑して、そして小さく泣いた。嬉しい、と素直に感じたのだった。もしかしたらこの女性は悪い人で、いつか自分を傷つける日がくるかもしれないなんてことも考えた。けれども少女は、それでもいいと思った。

 若草色の髪をしたその少女はロクアンズと名づけられた。

 「さあロクアンズ、この子が私の息子のレトヴェールよ。これからあなたのお義兄ちゃんになるの。仲良くしてね」
 「れ、ヴェ……る」

 女性の名前はエアリス・エポールといった。彼女には息子が1人だけいて、それがレトヴェールという名前の幼い少年だった。少年、といったが彼はすこしだけ伸びた金色の後ろ髪を紐で小さく結っていて、目も大きいので一見すると本当に少女のようだった。美しい金の髪と瞳、そして整った目鼻立ちがエアリスによく似ている。
 が、その精巧な人形のような表情は昨晩からなんら変わりなく、子どもらしさの一切を切り離したように冷めきっている。良く言えばきりっとしていて賢そう、であるが、悪く言えば不愛想極まりない態度だ。

 「……」
 「あの、えと、なかよく……なかよくしてね、レ……レと」
 「おまえのあになんかなるかよ」

 レトヴェールはふてくされたようにそう言い捨てた。鋭い目で睨まれ、ロクアンズは萎縮する。そんな彼女の両肩に手を置くと、エアリスは柔らかく諭した。

 「レトヴェール」
 「おまえなんか、いもうとじゃない! どっかいけ!」

 なかば怒鳴るようにそう突き返して、レトヴェールは走り去っていった。ふとエアリスのほうを向き、彼女が顔を曇らせていることに気づいたロクアンズは、慌てて笑みをつくった。しかし取り繕われただけのその笑顔はとても下手くそだった。

 「だ、だいじょうぶですっ。あの、べつに、きょうだいとか……ならなくても」
 「……。あなたはなにも気にしなくていいのよ。私が娘にするって決めたんだもの。ちょっとだけ、時間はかかっちゃうかもしれないけれど……きっと仲良くなれるわ。そう思ってる」
 「……」

 それからの生活は、ロクアンズにとっては苦労の連続だった。エアリスは本当の娘のように可愛がってくれたが、その光景を見たレトヴェールが嫌な眼差しを向けてくるたびに、ロクアンズは胸になにかが閊えるような思いだった
 中でも一番困ったのは、レトヴェールとの会話がまったく成り立たなかったことだ。

 「あの」
 「……」
 「あ、のぅ……」

 ロクアンズからレトヴェールに投げかけた言葉は、十中八九返ってこない。ほとんどを無視されるのだ。本格的に嫌われている、と彼女は自覚しつつも、いつもめげずに話しかけていた。

 「えと……お兄ちゃ」
 「だから、あにじゃねえって。なんかいいえばわかるんだよ」
 「じ、じゃあなんていえばいい? れ……れとびえぇる?」
 「ちげえし、つかなまえもよぶな!」

 ロクアンズに話しかけられるだけでも嫌な顔をするレトヴェールは、名前の発音までまちがえられるとさらに怒りを沸き立たせた。刃物のような目つきを向け、またロクアンズから離れてしまう。ただレトヴェールと仲良くなりたいだけなのに──ロクアンズは、逆に彼の怒りを買うことになってしまい、ひどく落ちこんだ。

 「きらわれてるのかな……」
 「どうしたの?」

 腕に大きな竹籠を抱えたエアリスが、ロクアンズの小さな背中に声を落とした。彼女は取りこんだ洗濯物で溢れている竹籠をひっくり返した。絨毯の上に洗濯物の山ができる。

 「おに……れと、びぇ、び……」
 「ふふ。レトヴェールがどうかした? ……またなにか言われたの?」
 「う、ううん。わるいのあたしだから」
 「なにを言ってるの。あなたはなにもわるくないわ。とってもいい子よ」

 エアリスは洗濯物の山の中から衣類を取り出しては、丁寧にたたんで、積んでいく。

 「あの子はちょっと恥ずかしがり屋さんなだけなの。ロクアンズのこと、ほんとはすごく気になってるんじゃないのかしら」
 「う……うそ」
 「うそじゃないわ」
 「でも……」
 「あの子ね、あんまり村の子どもたちと遊ぼうとしなくって。『おかあさんだけでいい』なんて言っちゃって……。遊ぶのだって、いっつもおうちの中でね」
 「さびしくないの?」
 「……すこしまえにね、お外で遊んできなさいって言ったことがあるんだけれど、そのときあの子なんて言ったと思う?」
 「うーん……わかんない。なんてゆったの?」
 「『ほかのみんなが楽しそうにしてるのが見えて、いやだ』って、そう言ったのよ」

 エアリスは、袖と丈の小さな服を取って広げた。いつも汚れひとつないから洗いやすいのだけど、と眺めながらそう零す。

 「あの子は踏みこみ方がわからないの。あなたはレトヴェールと仲良くなりたいって思って、たくさんあの子に話しかけにいくでしょう? でもあの子にはそれができないみたいで。だからお願い、ロクアンズ」
 「……?」
 「あの子のこと、どうか諦めないであげて。ほんとうはすごく優しくて、家族思いで、とってもいい子だから」

 ロクアンズは、絨毯の上に残ったレトヴェールの衣服をつかむと、ばさばさと広げて、畳みだした。

 「うん。あたし、れとぶぇーると、なかよくなりたい。それで、いっしょにあそんだりしたいっ」

 エアリスは安心したように顔を綻ばせた。そしてロクアンズの頭に手を伸ばすと、若草色の髪を優しく撫でた。その手から伝わってくる温かさがとても心地よくて、ロクアンズは子犬のように嬉々とした。

 「……」

 そんな2人のやりとりを偶然目にしてしまったレトヴェールは、壁に隠れたままじっとしていた。
 
 
 
 * * *
 
 本日は主人公ロクアンズの誕生日のため、特別更新です!
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.58 )
日時: 2020/04/16 14:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
参照: ※内容加筆修正のため再掲

 
 第053次元 日に融けて影差すは月Ⅱ

 快晴に恵まれたある冬の朝。エポールの家から北の方角にいくと、家宅がいくつか立ち並んでいる場所へ出る。そのうちの一軒はこじんまりとした茶屋で、常に小さな旗を構えている。ここは朝早くに門を叩くと焼きたてのパンを売ってくれるのだ。おつかい係に任命されたロクアンズは今日一日で消費する分のパンを詰めこんだ袋を抱え、行きとおなじ道を辿って家に戻ってくる。そして大きな声をあげながら玄関をくぐった。

 「ただいまーっ! かってきたよーおばさんっ!」
 「あら、この元気な声はロクアンズね。おかえりなさい」

 ちょうど洗濯をし終えて小川から戻ってきたらしいエアリスが、裏の庭に竹籠を置いて家にあがる。愛用している前かけで手元を拭いながらロクアンズのもとに歩み寄った。

 「ありがとう、ロクアンズ。あなたが早起きで助かっちゃうわ」
 「えへへ」
 「これで朝食を作るから……あ、ごめんなさい、もう一仕事だけ引き受けてくれる?」
 「もう、ひとしごと?」
 「洗濯物を裏庭に干してほしいの。その間におばさん、おいしい朝ごはんを作って待ってるから」
 「わーい! おいしいあさごはんっ! あたしやる!」
 「ありがとう」

 ロクアンズはバタバタと走って裏庭へ出る。水浸しの衣類が山のように積まれた竹籠を両腕で抱え、よたよたと危なげに歩きだした。案の定、彼女は物干し竿の前にやってくるや否や吹っ切れたように両腕を離した。竹籠の底が、どすんと草木を踏む。
 ぜーはー、とロクアンズは息を吸ったり吐いたりする。心拍が落ち着いてきたところで、彼女は服の袖を捲った。

 「よしっ! もうひとしごとだ!」
 「あさからげんきだな」

 そこへ、寝間着姿のレトヴェールが上着を羽織りながら近づいてきた。ロクアンズは左目をまんまるにして、声のしたほうへ振り返る。

 「れ……。あっねえ、てつだって? そしたらはやく、おいしいあさごはんたべれるよ」
 「やだよ。めんどくさい」
 「……。おばさんいってたよ。れとぶぇーる、おきるのおそいんだって。あたしがパンをもらいにいったんだよ」
 「おまえはとうぜんだろ。いそーろーなんだから」
 「い、いそ、なに?」
 「よそものってことだよ」

 ロクアンズの手に握られた衣服から、ぽたぽたと水が滴り落ちる。ぎゅっと力を入れると、さらに大きな雫が落ちて、水溜まりが跳ねた。

 「……やさしくなんか、ない」
 「あ?」
 「ねえ、なんでいっつも、いじわるいうの? あたしなにも、なんにもしてないっ」
 「してんだろ」
 「なにを!」
 「かあさんのほんとの子どもでもねえくせに」

 レトヴェールの金色の瞳と、ロクアンズの緑色の片瞳が、真正面からぶつかり合った。

 「かあさんをとんなよ!」
 「とったとかとらないとか、おばさんはものじゃないし、とってないもん!」
 「じゃあちかくにいんな!」
 「やだ!」
 「んだと──このっ!」

 レトヴェールはかっとなって、ロクアンズの襟元を乱暴に掴みあげた。すると彼女の軽い身体は簡単に地面に落ちた。強く背中を打ちつけ、「うっ」と小さい呻き声をもらす。同時に洗濯物の入った竹籠も派手にひっくり返った。
 ロクアンズは細い手足をばたつかせて必死に抵抗した。

 「やーだあ! はなして!」
 「おまえがいなくなったら、はなしてやるよ!」
 「やだっ! はな、はなれるのは、ゃだ……!」
 「んでだよッ!」
 「また……っあたし、ひとり、なの……ぃやだぁ……!」

 そのときだった。突然、ロクアンズの首元の苦しさが和らいだ。ぱっと左目を開くと、レトヴェールが目を丸くして自分を見下ろしていた。
 彼の目には、新緑の瞳に滲んだ涙が映りこんでいた。

 「……」
 「……?」

 ロクアンズが動揺の色を浮かべた、そのとき。

 「なにをしてるのっ、2人とも!」

 大きな声がして、ロクアンズとレトヴェールの2人は我に返った。
 庭に出てきたエアリスは、揺れる草花の上で無造作に散らばっている衣服をすべて拾い上げて、籠の中に戻した。ふたたび山となった竹籠を2人の前に突きだし、彼女は言い放った。

 「2人で洗ってきなさい。いい? 2人でよ。わかったら行きなさい」

 エアリスは険しい顔つきになっていた。いつもは穏やかな眉がきつく吊り上がり、顔も真っ赤だ。これほどあからさまに怒りを露にしているエアリスを見たのは2人とも初めてだった。返す言葉が見つけられず、黙って竹籠を受け取った。
 
 
 小川は家の裏庭からすこし行ったところで流れている。そこまでの道のりは遠くないので、すぐに川のせせらぎが聴こえてきた。
 ロクアンズとレトヴェールはお互いの顔を見ないようにして歩いていた。先に竹籠を抱えていたロクアンズが、ちらりとレトヴェールのほうを向いて言う。

 「ねえ、あなたももって? あたしつかれた」
 「……」
 「ねえってば」
 「おまえのせいでこうなったんだろ。だからおまえが持てよ」
 「……れとぶぇーるがさきにやったのに」 
 「だからなんだよそのよびかた。ちげえし」
 「じゃあなんてゆえばいいの!」
 「しらね」

 レトヴェールはつんとしていて、反省をする気はまるでないようだ。自分ばかり竹籠を運んでいるのがばからしく思えてならない。なにを言っても聞いてくれそうにないレトヴェールの頭に竹籠をぶつけてやりたいが、ロクアンズはそれほど重たい物を持ちあげられない。代わりに小石を蹴飛ばしていた。
 小川に辿り着くと、ロクアンズは汚れた衣類を草花の上にぼとぼとと落とした。それから川べりに座りこむ。
 流れゆく川の水に衣服をさらして、引き上げて、吸いこんだ水をよく絞ってから、カラになった竹籠に戻す。黙々とそんな作業を続けるロクアンズを、レトヴェールは立ったまま見下ろしていた。

 「……」

 あなたもいっしょにやって、だとかそういった文句を言わないのかとレトヴェールは訝しんだ。ロクアンズは彼に目もくれず、言いつけられた仕事にだけ向き合っている。これだけは完遂させないとという執念の色さえ見えた。

 「おい、あれ、ウワサの緑髪じゃねえか!?」

 聞き覚えのない声がして、ロクアンズはその声につられて横を向いた。すると背格好のよく似た3人くらいの子どもたちが、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
 
 「ほんとだ! すっげえ! ほんとにいた!」
 「おいやっぱあれだよ、右の目! 閉じてやんの。すっげきっもちわりぃ」
 「──」

 ロクアンズは咄嗟に、自分の右目を手で覆った。直後、その様子を見ていた少年たちがどっと笑った。

 「おい、もっとみせろよ」

 3人のうちで一番大きな身体をしている茶髪の少年が歩み寄ってくる。ロクアンズは後ろに下がろうとした。が、踵が浮くような嫌な感覚がして、身震いした。すぐ真後ろには小川が流れている。
 茶髪の少年はロクアンズの右手首を豪快に掴んだ。

 「手どけろよ」
 「ぃ、やだ!」
 「いいじゃんかよ。みせろよ。みてえんだよ」
 「やだってば!」

 少年がロクアンズの右手首を引っ張ろうとし、彼女はその強い力に負けないようにと抗っていた。
 が、子どもといえど男と女には力の差がある。いまにでも右手首をはがされそうで、ロクアンズの目尻にはまたじわりと涙が浮かんだ。

 「……」

 ただただ、レトヴェールはその光景を見過ごしていた。
 そのままなにもしないかと思われた彼だったが──
 
 「は?」

 その場でしゃがんで、落ちていた小枝を拾うと、ロクアンズの手首に纏わりついていた少年の手の甲に思い切り突き刺した。

 「いッ!」
 「!」

 少年の手が彼女の手首から離れた。彼女はじんじんと痛む手首にもう片方の手を添えながら、ぱっと顔をあげた。
 3人の少年たちはロクアンズではなく、小枝をぽいと抛るレトヴェールに視線を集めた。
 
 
 
 * * *

 2018年はお世話になりました。
 来年も本作をよろしくお願いしますー!(*'▽')

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.59 )
日時: 2020/04/16 14:51
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第054次元 日に融けて影差すは月Ⅲ

 「んだよおまえ! じゃますんなよ!」
 「そうだぞ!」
 「……」

 レトヴェールは口をきこうとはせず、つんとよそ見なんかをしていた。ようやく少年の手から解放されたロクアンズは彼の後ろでまだすこし痛む手首を擦る。

 「こいつさぁ、たまにみるやつだよな」
 「おれらんことウラヤマシソーにみててさ、きもちわりぃんだよ」
 「みてねえよ」
 「みてんじゃんかよ!」
 「あと、うらやましいとかそういうの、かってにきめんな」
 「んだと!」

 少年たちの興味の矛先が、ロクアンズの右目からレトヴェールへと遷移しつつあった。彼女はとっくに顔から手を離しているのに、その傷のついた右目に少年たちは見向きもしない。

 「……」

 投げられる数々の暴言はすべてレトヴェールに当てられている。いつの間にやら蚊帳の外に立たされていて、その場から見えるものといったら彼の背中だけだ。
 小さく結われた金色の髪が、さらりと揺れて──綺麗だ、なんて。ふとそんなことを考える。

 「かっこつけてんのかよ? おんなのまえだからって」
 「おんなみてぇなかおしてるくせによ」
 「あ?」
 「かあちゃんが『かかわんな』って言ってたぞ」
 「……」
 「えぽーるはのろわれてんだ。かみさまにきらわれてんだってな!」

 強い語尾とともにレトヴェールが肩を突き飛ばされると、次の瞬間。
 一、二歩だけ後ずさった彼は──ドボンっ! と真っ逆さまに川底へ落ちた。高く水しぶきが打ち上がり、驚いたロクアンズがすぐに川べりに飛びついた。

 「っ! れ──」
 「きっもちわり。あーせいせいした!」
 「おまえやりすぎだろこれは!」
 「あはは!」

 げらげらという汚い笑い声にまぎれて、レトヴェールが川面を割って顔を出した。前髪がべたりと張りついていてその表情ははっきりしない。

 「れ……」
 「……」

 ロクアンズは、驚きと疑問で胸がざわついていた。ついさきほど少年の1人に腕を掴まれたときに、横槍を入れなければ彼はまちがいなく無事でいられた。やいやいと悪口を言われることも、凍えるような冬の川に身を投じることもなかった。

 「もういこうぜ。あきたし」
 「そうだな」

 彼は相変わらず目を合わせようとはしない。川底に尻をついたまま、ただ時間が過ぎるのを待っているようにも見える。
 少年たちがくるりと背を向けた。
 そのとき。

 ロクアンズは竹籠を掴み、躊躇いなくひっくり返した。そして籠の中身をすべて地面の上に落とすと、それで川の水を汲み、少年たちの背中に水を投げた。

 「ッ!」
 「っうわあ!」
 「つめて!」

 ばしゃあっ! ──と。少年たちは冷たい水を背中に被った。3人は不格好にもよろめいて膝をついたり転んだりする。
 レトヴェールは水の冷たさも忘れて、間抜けにもぽかーんとしていた。

 「お、おい! なな、なにすんだよっ!」
 「……らわないで」
 「はあ?」
 「レトのこと、わらわないでよ! たしかにおんなのこみたいだし、ぜんぜんやさしくないけど、でもあたしの……あたしの、おにいちゃんだから、わらったりしたら、ゆるさないから!」

 目尻にじわりと滲んだ涙を落とさないように、ロクアンズはきつく唇を結んだ。怯んだというよりは、得体の知れない怒りをぶつけられて少年たちは呆れ返っていた。

 「な……なんだよ。ほんとになんなの、こいつ」
 「ぎりのきょうだいってんだろ、こいつらみたいなの」
 「ああ。ぜんぜんにてねえし」
 「いっしょうやってろ、ぎりのきょうだい!」

 少年たちは、あかんべーなどをしながら水浸しの背中を向けて行ってしまった。
 レトヴェールは川底に座りこんだまま、ロクアンズの後ろ姿を見上げた。しばし静寂が流れた。
 
 「……」
 「……」
 「……んだよ、れと、って」

 ロクアンズはぎくりとした。やや目を泳がせながら、もっともらしいことを口にする。
 
 「な、ながいから。よぶときじかんかかるし、みじかいほうがかわいいし」
 「うそつけ。いえないんだろ、ヴェールって」
 「……それも、はんぶんくらいある」
 「ぜんぶだろ」
 「はんぶんだもんっ」
 「いいやぜんぶだ」

 また言い返すと永遠に終わらないな、とロクアンズは反論を諦めて、川の中で座りこんでいるレトヴェールの顔の前に手を差し出した。

 「かぜひいちゃったら……おばさん、しんぱいするよ。だからはやくあがろ?」
 「……」
 「レト?」
 「おまえ、へんだよな。なぐろうとしたやつかばったりして」
 「それは……レトもいっしょでしょ。さっきたすけてくれた」
 「べつにたすけてねえよ」

 レトヴェールは差し出された手をぷいっと無視して、起き上がろうとした。が、川底のぬめりけに足を滑らせ、そのまま大量の水しぶきをあげて彼はすっ転んだ。
 唖然としてその一部始終を見ていたロクアンズは、耐え切れず、大声をあげて笑った。

 「ぶっ……ははは! レト、レトおっかしーっ!」
 「笑うな!」

 高らかな笑い声が、澄んだ川面に浮かぶ木の葉をかすかに揺らす。笑われて頭にきたらしいレトヴェールは、ぐんっとロクアンズの腕を引いた。すると彼女は成す術もなく川面に直撃した。彼女の奇声が川の中から聴こえてくるも、彼はざまあみろと言わんばかりにフンと鼻を鳴らした。
 美しい小川の底では、2匹の小さな魚が寄り添い合っていた。
 
 
 
 レトヴェールとロクアンズの2人に小川での洗濯を言い渡したのには、いくつか理由があってのことだ。一つは言うまでもなく、2人の言い争いが原因でせっかく綺麗に洗った洗濯物が土まみれになってしまったからだ。喧嘩をすると面倒なことになりかねないと身体に教えこませることも目的のうちである。
 そしてもう一つ。2人には共同で作業をしてほしかったのだ。つい最近出会ったばかりで、互いのことをよく知らない状態では、会話やコミュニケーションがなかなか成り立たないのも無理はない。そこでエアリスはなかば強制的ではあるが、2人に共同作業をさせることで仲間意識や友情のようなものがすこしでも芽生えるのではないかと考えたのだった。しかし。

 「ちょ、ちょっとどうしたのよ2人とも! そんなにびしょぬれになって……いったいなにがあったの?」

 裏庭から帰ってきたロクアンズとレトヴェールの姿を見るなり、エアリスは卒倒しそうになった。
 頭の上からたらいの水でも被ったのかと疑うほど、2人は頭のてっぺんから足の爪先までしっかりと濡れていた。エアリスがしごく心配そうに顔を覗きこんできたので、ロクアンズは先に口を開いた。

 「ね、ねえね、おばさんきいて! あのね、レトがぜんっぜんてつだってくれなかったんだよ。だからあたし、たくさんあらってて、それでとちゅうで川におっこちちゃったの」
 「え?」

 エアリスは目をぱちくりさせた。ロクアンズの言ったことはほとんど嘘だ。が、このまま押し切ればエアリスを騙せると踏んで、ロクアンズは調子をあげた。

 「でねでね、レトったらひどいんだよ。川におちたあたしのことすっごくわらったの!」
 「ええっ? ほんとうレトヴェール?」
 「ちげえよ。かあさん、こいつがいってんのウソだから。おれはこいつをたすけようとおもって手のばしてやったのに、こいつおれのうでつかんで、おれまでかわにおとした」
 「ええっ!」
 「それはレトでしょ! レトのばか! うそつき!」
 「おまえのほうこそおれを笑っただろ。でかい声で」
 「それは! それはほんとだけど……」
 「おい」

 レトヴェールはロクアンズの頬を両手でつまんで、「このやろう」とぐいぐい頬の肉を引っ張った。「いひゃっ」と悲鳴をあげながらも、彼女も負けじと彼の頬をつまみ返して対抗する。エアリスはそんな2人を交互に見やって、唖然とした。

 「ふ、2人とも……。ケガは、ケガはなかったの?」

 2人ははたと手を離し、じとーっとお互いの顔を見合ってから、同時に告げた。

 「ない」
 「ないよっ」

 泥まみれで、水浸しなのに、清々しい顔をして2人が言うものだから、エアリスもつられて顔を綻ばせた。

 「そう。2人とも、風邪を引いてしまうといけないわ。私がすぐに湯船の準備をしてくるから、そのまえに服を着替えていらっしゃい。いいわね」
 「ん」
 「はーいっ」
 「そうだわ、ねえロクアンズ」
 「なあに?」
 「その……"レト"っていうのは、もしかしてレトヴェールのことかしら?」

 ロクアンズはこくんと大きく頷いた。

 「うんっ。だってレトのなまえながいし、こっちのほうがなんかかわいいかなって」
 「ヴェールっていえないだけだろ」
 「しーっ! なんでゆっちゃうのっ」
 「じじつだろ」
 「じじつでもだーめー!」

 言葉の売り買いが勃発し、ふたたびエアリスの胸に不安の芽が出るかと思われたが、違った。彼らが纏っている雰囲気はこれまでのような冷たく張りつめたものではなかったのだ。
 エアリスは、ぷっと小さく吹きだした。それから、こみ上げてくる笑いを抑えることができなかった。

 「……な、にかあさん」
 「おばさん?」
 「いいえ、なんでもないわ」

 目尻を拭い、エアリスは「それじゃあお風呂の準備してくるわ」とその場をあとにした。残された2人はエアリスに聞こえないように、小さく安堵の息をもらした。

 「ばれなかったあ」
 「ああ」
 「おばさんに、しんぱいしてほしくないもんね」
 「……ん」

 エアリスに心配をしてほしくない。悲しい顔をさせたくない。──2人の意見が一致したのはこれが初めてのことだった。
 ぶるるっ、とロクアンズは寒さで身が震えあがるのを感じた。両腕を擦って暖をとりつつ、自室に戻る。
 そのとき。レトヴェールはなにかに吊られるかのように鼻をひくつかせたかと思うと、頭を豪快に振り下ろした。
 
 「くしゅっ。……うぇ」
 
 ぐずり、と彼は痛いくらいに鼻を啜った。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.60 )
日時: 2020/04/16 14:51
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第055次元 日に融けて影差すは月Ⅳ

 鼻水が止まらない、なんとなく身体がだるいという症状を彼が訴えだしたのはあれから間もなくのことだった。
 ロクアンズはよく彼の部屋の扉を開けたり閉めたりしていたのだが、「うるせぇな」と一蹴されてからは大人しくするようにした。とはいっても頻繁に扉の前に訪れては、その辺りをうろうろしている。

 「あらロクアンズ。またここにいるのね」
 「おばさん!」

 台所のほうから、エアリスが木の板に食事を乗せて現れた。

 「レト、だいじょうぶかな?」
 「大丈夫よ。ちょっと風邪を引いただけなんだから。あの子、あんまり体力ないから」
 「うぅん……」
 「さ、入りましょう」

 ロクアンズは踵を浮かせて、扉の取っ手を両手で掴んで引いた。「あら、ありがとう」とお礼を言ってからエアリスは部屋に入る。ロクアンズもあとに続いた。
 木の板には、麦の入った温かいスープと木製の大きな匙が乗せられていた。エアリスが寝台の近くにある棚の上にその板を置く。椅子に腰をかけて、寝ているレトヴェールの前髪を指先ですくった。

 「この子が川に落ちて風邪を引くなんて、らしくないわね」

 くすくすと小さく笑うエアリスの顔はどことなく嬉しそうだった。自分で言ったことだが、この母子おやこは顔立ちもなにもそっくりだ。ふいに、ロクアンズは視線を落とした。

 「あら? ロクアンズ、その手はどうしたの?」
 「え?」
 「右のほうの手首よ。すこし赤くないかしら」
 「あ……」
 「見せてみて」

 なんとなく躊躇をするような仕草を見せたロクアンズに構うことなく、エアリスは彼女の右腕をやんわりと掴んだ。思った通り、右の手首には赤みが差していた。

 「どこでケガをしたの?」
 「……あ、え、と」
 「……。もしかして、レトヴェールとケンカしたとき?」
 「え」

 本当は違うのだけれど、と心の中で呟きながらもロクアンズは口を結んだ。村にいるほかの子どもたちと喧嘩をしてしまったなんてことがエアリスに知られてしまったら、彼女は心を痛めるにちがいないのだ。

 「起きたら、今度こそちゃんと言わないとね」

 エアリスは、右手首の赤らんだところを指の腹で撫でながら呟いた。何の話だかわからないといった風にロクアンズが小首を傾げると、彼女は笑み交じりに答えた。

 「いつもレトヴェールには言っているのよ? 女の子を泣かせてはだめよって」
 「──」

 エアリスは寝台で眠っているレトヴェールに目を向けた。

 「男の子はね、女の子を守るものなの。もちろんそれは国の決まりではないし、男の子と女の子を差別したいわけでもないわ。でも……レトヴェールには、大切な女の子を守れるような、そんな男の子になってほしいのよ」
 「……」
 「あとで塗り薬を塗ってあげるわ。こんなに赤くして……痛かったでしょう」
 「……う、ううん。ぜんぜん、いたくないよ」

 ロクアンズはどぎまぎしながらも、しっかりと首を横に振った。
 ふと、エアリスが棚の上の食事に視線を戻す。すると彼女はぱっちりと目を見開いて、「あら」と驚くとともに立ち上がった。

 「いけない。せっかく薬湯を作ったのに、台所に忘れてきたみたい。ごめんなさいロクアンズ、私、取りに戻るから、それまでレトヴェールの様子を見ていてくれる?」
 「うん。いいよっ」
 「ありがとう。ついでに塗り薬も持ってくるわ。待っていてね」

 部屋から出ていくエアリスの背中を見送りつつ、ロクアンズは振り返った。
 
 「……」

 眠っているレトヴェールは普段とは打って変わって、存外穏やかな顔をしていた。寝顔ともなると持ち前の少女らしさが余計に際立つようだ。性別が男だとはとても信じられない。
 ロクアンズは椅子に腰をかけた。

 「…………あたしが、ないたから?」
 
 問いかけたというよりは、つい声がこぼれたというほうが正しかった。
 ロクアンズの前では常につんとした態度をとり、それでいて他人が嫌がることを平気で口にする。かと思えば、まるでロクアンズを庇うような一面も見せた。正直彼女にはレトヴェールの気持ちや行動がさっぱり理解できなかった。
 けれど、さきほどのエアリスの話を聞いてわずかに心境が変わった。

 レトヴェールと取っ組み合いの喧嘩になったときのことだ。なにをされるのかと怖かったのと、喉元を掴まれて苦しかったのと、また一人になれと言われたのが、自分の中でごちゃ混ぜになって、気がついたら目から勝手に涙が溢れていた。
 彼が驚いたように目を丸くして、手をひっこめたのはまさにそのときだった。

 きっとエアリスに言われたことを思い出したのだ。村の子どもたちに「右目を見せろ」と怒鳴られたときも同様だった。自分の右目には切り傷のような痕がついていて、目そのものも開かない。初めは驚きこそしたが深く考えたことはなかった。けれど、このような傷はほかのだれも持っていないし、見ていて気持ちのいいものではないことはなんとなく理解していた。ただ、それを「気持ち悪い」とはっきり音にされたのは初めてだった。エアリスにもレトヴェールにも言われたことがなかった。言われて初めて、「やっぱり気持ちの悪いものなんだ」と改めて理解させられたし、傷つきもした。またいろいろなものが混ざり合って、瞼がかあっと熱を帯びた。
 あのとき、レトヴェールはたしかに助けてくれたのだ。泣いたつもりはなかったけれど、彼にそう見えたのであったら、きっと自分は泣いていたんだ。そんな気がしてくる。

 「へんなの、レト。……わかんないよ。まだよく……わかんない」

 レトヴェールの前髪をつんつんとつつく。起きそうな気配はなく、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
 部屋の扉がガチャリと開く。ロクアンズが音につられて振り向くと、扉の傍で立っているエアリスがばつが悪そうに告げた。

 「ごめんなさい、ロクアンズ。塗り薬を探したのだけど……まえに使ったとき、なくなってしまったのをすっかり忘れていて。いまうちにないの」
 「いいよそんなの、ぜんぜん! すぐなおるよこれくらい」
 「いけないわ。綺麗な肌ですもの。女の子は肌を大事にしなくっちゃ。……でも困ったわ。じつはもう薬草もなくって……。あれはカラが特別にくれたものだったのに」
 「から? って、なあに?」
 「私の親友よ。でもあまり村にはいなくってね。すこしお高いけれど、カナラに行くしかないかしら」
 「おつかいならあたしいくよ、おばさん」
 「ダメよそれは。手をケガしているのに、物は持たせられないわ」
 「でも、レトがおきたとき、おばさんいないとふあんになっちゃうよ。だからあたしいく! もう片いっぽの手でもてば、ぜんぜんへいき!」
 「……で、でも、ロクアンズ」
 「だいじょうぶ! あたしにまかせて!」

 ロクアンズの溌溂さに気圧され、エアリスはしぶしぶ引き下がった。薬代を受け取ったロクアンズは身支度を整えると、早くも玄関に駆けこんだ。
 
 「無理だけはしないでね、ロクアンズ」
 「うん! じゃいってきます、おばさん!」

 とんとんと足のつま先を鳴らし、ロクアンズは玄関の扉から外へ出た。家の戸が閉まって、くるりと前を向いた、その瞬間。
 
 「ぶッ!」
 「!? うわっ!」

 向かい側から歩いてきた人物と、真っ向から衝突した。幸い、硬いものとぶつかった感触ではなくぽよんと跳ね返されただけに終わる。ただ予想外の出来事だったために、ロクアンズは咄嗟に両手で顔を抑えた。わずかに足元も躍る。
 ロクアンズは戸惑いつつも、視界を開けた。指の隙間から見えたのは、やや膨らみのあるお腹だった。

 「おいおい、なんだぁ? この子。見たことない子だ。それにあんたいま、エリの家から出てこなかったかい?」
 「……え? え、り?」
 「──カラ?」

 戸の隙間から、エアリスが顔を覗かせた。ゆっくりと戸を開け広げていくにつれて、彼女はだんだんと顔色を明るくしていく。ついには満面の笑みとなって、彼女はこちらに手を振ってきた。
 
 「カラ! 久しぶりね」
 「よぅっ、エリ! 元気そうでよかった!」

 手を振り返すその人物を、ロクアンズは下から仰ぎ見た。目鼻立ちがはっきりしていてエアリスとは異なる部類の美人だ。ロクアンズが子どもという観点を差し引いても背は高いほうだろう。明るめの小麦色の髪を一つに束ねて、高い位置で結って止めている。

 ──そしてなにより、どこか魅惑的な光を放つ紫色の両瞳に、一瞬で目を奪われた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.61 )
日時: 2020/04/16 14:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第056次元 日に融けて影差すは月Ⅴ

 「カラ」──そう呼ばれた女性も大きく手を振り返している。ロクアンズの目は、彼女の紫色の瞳に釘付けになっていた。その視線に気づいてか気づかずが、ふと女性が下を向いた。
 
 「なあエリ。この子はなに? え、坊主のガールフレンド?」
 「ちがうわ。……えっと」

 不意をつかれて、エアリスはらしくもなく口ごもった。

 「ここで話すのもなんだし、入って。温かい紅茶を淹れるわ」

 エアリスは女性を家に招き入れた。流れでなんとなく家に引き返してしまったロクアンズだったが、その手には薬代の入った巾着袋を握りしめている。持ち上げると、ちゃり、と銅貨の音が鳴った。

 「ねえおばさん、レトのお薬、どうしたらいい?」
 「薬?」
 「そうだわカラ。まえにくれた薬草を持っていたりしないかしら? じつはレトヴェールが風邪を引いてしまって。どこで採れるものかもわからなくて……」
 「ああ、あるよ。いま旦那が持ってる。もうすぐでこっちに来ると思うから、そんとき渡すよ」
 「ありがとう。お代は払うわ」
 「いいよいいよ。あたしたちの仲だろ」
 「だめよ。そういう物の売り買いは、たとえ幼馴染の間でもしっかりしなくちゃ」
 「変わんないねえ、エリのそういうとこ」

 けたけたと女性は笑う。エアリスの名前を縮めて「エリ」なのだろう。『カラ』はどうやらエアリスとは親しい間柄のようだ。促されずとも勝手に玄関からあがって、彼女は居間に向かう。
 台所で紅茶の準備をしていたエアリスが、くるりと振り向いて言った。

 「そうそう。紹介するわロクアンズ。彼女はカウリアっていうの。さっき言ってた、私の親友よ」
 「かうりあ……さん?」
 「親友かあ。嬉しいこと言ってくれんねえ、エリ。あんたはロクアンズっていうの?」
 「う、うん」
 「いい名前じゃん」

 カウリアに名前を褒められてロクアンズは気分がよかった。

 「ロクアンズ。ちょっとの間、レトヴェールの様子を見ていてくれる? おつかいはもう大丈夫だから」
 「うん。わかった!」

 ご機嫌のロクアンズは言われるがまま居間を離れた。エアリスは、運んできたティーポットとカップをそっとテーブルの上に置いていく。

 「……」
 「それにしてもどうしたの、カラ。連絡もなかったから驚いたわ」
 「ああ、それが……」

 カウリアは椅子の向きを変えて、膨らんだ下腹部を撫でながら告げた。

 「2人目ができちまってね。落ち着けるとこに帰ってきたってわけ」
 「まあ、そうだったの。おめでとう、カラ」

 エアリスは自分のことのように喜び、カウリアのお腹の前で屈んだ。新しい生命が宿った印でもあるその膨らみを見つめ、「触ってもいい?」などと訊ねたりする。
 反して、カウリアの表情は強張っていた。屈託のない「おめでとう」と、その笑顔を崩すようなことを言うのは少々無粋かとも思ったが、彼女は思い切ったように口を開いた。

 「それで? さっきの子はいったいどうしたのさ」

 胸に刺さる一言だった。エアリスは驚いて顔をあげる。が、言われるだろうとは覚悟していた。予想していただけあって幾分か心は落ち着いていたが、それでも立ち上がるまでに時間がかかった。
 カウリアは、向かい側にエアリスが座るのを確認すると、テーブルから身を乗り出した。

 「あんたの隠し子ってのもムリがある。顔もぜんぜん似てないし、あたしがまえに帰ってきたときもいなかった」
 「……。カナラ街で、ひとりで倒れているところを見かけたの。凍えていたからうちに連れて帰ってきて、それで……」

 長年の付き合い故か、エアリスがはっきりとしたことを告げなくても、カウリアにはなんとなく伝わったようだった。何度も瞬きをして、大きくため息を吐く。

 「あんたさあ。まさかあの子の面倒見てくって言うつもりじゃないだろうね」
 「ええ。そのつもりよ」
 「『そのつもりよ』じゃないわ! このおばか! あんた自分で言ってることわかってんのか!?」
 「お、落ち着いて、カラ。お腹の子に障るわ」
 「やだね。あんたのそのお人好しには、ほとほと呆れる! 見た感じどこの生まれかもわかんないような子じゃないのさ。それに目に傷があったね。あんたは、あの子についてなんか知ってんの?」
 「……いいえ。なにも」
 「ほら見ろ。事情もなにも知れたもんじゃないってのに、ただ"可哀想"ってだけで拾ってきたってのかい」
 「ちがうわ。私は……その、うまくは言えないけど……」
 「……。あの子を見てなにか感じたとか言うつもりなら、そら、勘違いだよ。嫌な予感ってヤツさ。面倒事に巻きこまれちまうまえに、拾ったとこに戻してきな」
 「カラ!」

 エアリスは椅子から立ち上がった。怒りを孕んだ大きな声と、吊り上がった目つきにカウリアは驚きを隠せなかった。

 「あんたがそんな怒るなんてね。そんなに、良い子だっての?」
 「いい子よ。ロクアンズは、とってもいい子よ」
 「ああ、そうかい」

 カウリアはそれ以上言及することをしなかった。エアリスは決して頭の悪い人間ではないし、なんの脈絡もなしに捨て子を拾ってくるほど無責任でもない。なにかエアリスなりの理由があってのことだろうという察しもつく。
 彼女は人一倍情に厚いし、お人好しだ。街中で倒れていたロクアンズを一目見て、放っておけなくなったのだろう。素性が知れないとわかったらなおのことだ。
 カウリアは大きくため息を吐いた。皮肉にもカウリアは、そういうところも含めてエアリスのことが気に入っているのだ。

 「それで? 旦那には一報よこしてやった?」
 「お手紙は出したわ」
 「どこに」
 「……最後に、あの人がいた街」
 「はああっ!? あんたそれ何月前の話よ! あんの放浪男が、ひと月だっておなじ場所にいると思う!?」
 「い、いないと思う」
 「は~! 相変わらずよくわかんないなあ、あんたたちって。ていうかあんたよく我慢できるよ。旦那が外でフラフラしてるってのに、心配のひとつもないわけか」
 「あの人はそういうことをしないもの。優しくて誠実よ」
 「いっつも仏頂面でさ、なに考えてんだかちっともわかんないよ、あたしは。ああいうヤツとは一緒になれないね」
 「たしかにカラとあの人が話しているところはあまり見かけたことがないわ。カラってば、自分に合ういい人を見つけたのね」
 「まあね。っていってもあたしたちシーホリーの血族は、お互いにくっつき合うしかないんだけどさ」

 紫に彩られた瞳はどこか一点を見つめていた。ぴん、と細い糸が張ったような空気に変わる。急に会話が途切れる。エアリスは沈黙が長引くのを許すまいと、何気なく話題を逸らした。

 「キールアちゃんはお元気? あの子、イスリーグさんによく似ているわよね。とっても優しくていい子だわ」
 「大人しいとこもね。それになんか不安そうな顔してんだよね、いっつも。あたしに似たらそうはならなかったのに」
 「あらいいじゃない。あなたに似たら大変よ。男の子を泣かせて回って」
 「エリ~」
 「はは。ごめんなさい。でも顔はあなたにそっくりね。きっと素敵な女の子になるのだわ」
 「でしょう! 将来男に困らないよ、あれは。とびきりイイ男を捕まえさせんだから」
 「楽しみねえ」
 「……エリ、あんたもしかして、キールアを娘にとか考えてる?」
 「あら。わかった?」
 「そんなこったろうと思った! やたらキールアのこと気にすんだから」
 「だって、キールアちゃんがお嫁にきてくれたら、それはもう大変幸せなことだわ」
 「イヤだよあたしは。そりゃつまり、あんの可愛げのない坊主に、うちの姫をやれってことだろ?」
 「とってもお似合いだと思うんだけど」
 「ゼーッタイ、反対っ!」

 カウリアが拳をつくってテーブルを殴ると、2人の視線がぱちりと重なった。どっ、と笑い声が溢れだしたのは同時だった。

 「私たちも、自分たちの子どもの将来を考えるようになったのね」
 「やだやだ。まだぜんぜん若いつもりでいたのにさ」
 「でもなんだか楽しいわ。あの子たちは、どんな風に大人になっていくのかしら」
 「……」
 「ずっと見守っていたい」

 ティーカップの熱がなくなってしまわないようにと、エアリスは両手で優しく陶器を包んでいた。時間が経てば冷めてしまうからか、いま残っている熱をじんわりと肌で味わっている。
 
 「ババアになっても傍で世話焼きたいなあ、あたし」
 「ふふ。賑やかで楽しそうね」
 「……あっ」
 「どうかした? カラ。あ、痛むの? 私の部屋で休む?」
 「あーちがうちがう。いま動いたなあって。こういうの感じるとさ、ちゃんと中にいるんだなって実感するよね。来年には産まれんだな、って」

 カウリアがお腹を擦ると、玄関の扉の向こうから「すみません」という大きな声が飛んできた。エアリスは返事をしながら玄関に駆け寄っていく。
 扉を開けると、穏やかな笑みを浮かべた男が1人と、彼と片方の手を繋いでいる少女がいた。
 
 「あら。お久しぶりです、イスリーグさん」
 「どうも。すみません、カウリアがお邪魔しているみたいで」

 男性は帽子をとって挨拶をした。小麦色の髪は短かく刈られていて、清潔さを感じさせた。

 「そんな、私は大歓迎ですよ。それにキールアちゃんも。うちに来てくれて嬉しいわ。寒かったでしょう。さあ、あがって」
 「……」

 急に声をかけられてびっくりしたらしい少女は、なにも応えずにそそくさとイスリーグの背中に回った。

 「キールア。エアリスさんにちゃんと挨拶しなくちゃだめだよ」
 「ああ、いいんです。驚かせてごめんね、キールアちゃん」

 イスリーグの脚の裏から恐る恐る顔を出したキールアは、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.62 )
日時: 2020/04/16 14:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第057次元 日に融けて影差すは月Ⅵ

 耳のすぐ下で小麦色の髪が二つに結われている。少女は名をキールアといった。
 ぱっちりとしていて愛らしい瞳は、両親とは異なり、琥珀の石を空に透かしたような色をしていた。

 「そうだわ、キールアちゃん。あなたくらいの歳の女の子がうちにもいるの。ロクアンズっていう子なのだけれど、よかったら会ってくれる?」

 キールアはびくりと震えて、それから不安げに顔をゆがませた。「あ」とか「う」とかかすかに声をもらしたのち、こくんと小さく頷いた。

 「よかった。いま呼んでくるわね」

 エアリスは2階に駆け上がっていった。レトヴェールの部屋の前でうろついていたロクアンズを、居間まで連れて戻ってくる。

 「ロクアンズ、この子はキールアちゃんっていうの。カウリアの子どもなのよ」
 「きー、るあ……」

 この村で暮らすようになってから、ロクアンズは初めて同い年くらいの女の子と顔を合わせた。彼女は感極まってキールアの胸のあたりでまごついていた両手をつかみ、強引に引き寄せた。

 「ひゃっ」
 「はじめましてっ! あたし、ロクアンズっていうの! よろしくね!」
 「ぁ……え、」
 「ねえねえおばさん! この子とあそんできてもいい?」
 「あら。それはいいわね。いってらっしゃい」

 エアリスとそして両親にも見送られ、なされるがままロクアンズに腕を引かれて、キールアは寒空の下に出た。いっしょに遊ぶことになるとまでは想定していなかった彼女は案の定、

 「ねえねえっ、なにしてあそぶ!? あたし、あなたみたいなおんなのこと、はじめてあったの! だからあそぶのもはじめてで、ねえなにしたらいいかな?」
 「……」
 「なにするのがすき? いつもなにしてあそんでる?」
 「……」
 「……。おーい。きこえてる?」

 完全に押し黙っていた。かくいうキールアも自分以外の女の子と遊ぶのはロクアンズが初めてなのであったが、ころころと舌が回るロクアンズとは対照的だった。
 ロクアンズはなかなか合わない視線を合わせようと頭を振った。が、それを避けるようにキールアが俯く。

 「うぅ~ん……」
 「……」
 「そうだ! じゃああれやろうっ!」

 どうやら妙案を思いついたらしいロクアンズは、家の正面扉の傍にある小さな花壇までいくと、その裏から大きな匙のようなものを取り出した。土まみれのその匙は、割れてひしゃげた皿の角をくまなく磨いたようなもので、辺鄙な形ではあるが土を掘ったりするのには適していた。
 さっそくロクアンズはその匙でがりがりと土の表面を削って、土の山をつくりあげた。すると今度はそこらじゅうを行ったり来たり、立ったり座ったりして、細い木の枝を片手で足りるくらい集めた。
 木の枝を土の山の頂上に差すと、手についた土をぱっぱと払いながら膝を伸ばした。

 「これ……なに?」
 「あのね! ……う~ん、じゃあ、『ぼうたおし』!」
 「ぼうたおし?」
 「いまなまえつけた!」
 「……」
 「あのね、木の枝をあつめてきて、こうやって土の山つくって、そこにこう、枝をたてるの。それでね……」

 ロクアンズはとととっと駆けていき、離れた場所からキールアに声を投げた。

 「これくらいのばしょから、石をけって、その木の枝にあてるっていうあそび!」

 えいっ、というかけ声とともに、ロクアンズは実際に石を蹴ってみせた。しかしながらその石の軌道は大きく弧を描いて、目的地とはかなり離れたところで立ち止まった。

 「あ、あれ?」
 「……」
 「……へっ、えへ! しっぱいしっぱい~。つぎはちゃんとあてるよ!」

 ロクアンズは石を拾い上げ、設置し直した。「よーし!」と意気込んで片足を後ろに蹴り上げたそのとき。びゅうっと吹き抜けた風が、数本の標的たちをぱたぱたと倒していった。

 「……」
 「……」

 ふたたび土の山に戻ってくると、ロクアンズは腕を組みながらしゃがみこんだ。
 
 「う~ん。もっとおもたい木じゃなきゃだめってこと? でもおもたい木じゃたおれないし……」

 ひょい、と倒れた枝をつまんで立て直すと、その途端。ぱたり。ロクアンズはまた横になった枝をつかんで、その細い枝先で芝生をつつきながら、ため息をこぼした。
 
 「このあそびね、あたしがかんがえたんだ。レトと、あそべたらいいなって……」
 「……レトヴェールくん?」
 「え? レトのことしってるの?」
 「う……うん。おかあさんが、レトヴェールくんのおかあさんと、なかがいいから……」
 「"しんゆう"ってゆってた。ねえ、しんゆうって、なんだかわかる?」
 「え? それは……ともだち、ってことじゃないのかな」
 「ともだち? じゃあ、ともだちでいいじゃん。なんでしんゆうなんだろう」
 「さ、さあ……」
 「へんなの」

 ロクアンズが口先をとがらせて土の山を睨むのを横目にしていたキールアはそのとき、「あ」と気づきの息をもらした。

 「え、なに?」
 「……」

 キールアはあわてて両手で口をふさいだ。音になってしまった息を飲みこむように、真っ赤な顔を伏せる。

 「ねえ、なあに?」
 「……え、っと……あの……えと……」
 「『えっと』じゃわかんないよ」
 「…………」

 キールアはきゅっと口を結んだ。かと思うと、おもむろに腕を伸ばして、倒れた木の枝をすべてつかんだ。そうして束ねた木の枝にくるくると細い葉を巻きつけるのを、ロクアンズはただ呆然と見つめていた。
 できあがった枝の束を山の頂上に差すと、不思議なことに標的は、ふうっと風が吹いても倒れなかった。

 「す……すっごーい! すごいすごい! すごいよ、キールア!」
 「──」

 どきり、と胸が高鳴った。「キールア」と呼ぶその声が無邪気なせいもあったが、なによりも視界が開けたような感覚がたしかにした。自分の両手を握るこの手の温度は覚えたてだった。けれど同時に、覚えていたい温度になった。

 「ねえキールア、あそぼう! これでいっぱいあそぼ!」
 「……で、でもわたし……こういうの、はじめて、だから……」
 「おんなじだよ! あたしもはじめてなんだ!」

 ロクアンズは浮足立つ気持ちを抑えきれずに「はやくはやく」とキールアの手を引っ張って、小石の前に立った。
 「いくよ~!」のかけ声をあげ、ロクアンズは振り下ろした足先で小石を蹴った。小石はころころかさかさと芝生を掻き分けて、ついには枝の束を正面で捉えた。枝の束は気持ちがいいほど高く弾け飛んだ。

 「す……すごいっ」
 「やったやったー! たおれた! つぎ、つぎキールアのばん!」
 「えっ。や、わたし……」
 「いいからいいから! じゅんばんこでやろっ!」

 戻ってきた小石は、キールアの足先に設置された。土の山に枝束を差しなおし、ロクアンズは「いいよー!」と両手で丸をつくった。
 キールアは緊張と不安で顔がこわばっていた。待たせるのも悪いと思いつめた彼女は心の準備もままならないうちに、ぎゅっと両目を瞑って足を前後に振った。が、小石にはかすりもせず、空振りで終わった。

 「……」
 「……」
 「……ご、ごめん、なさい。わたし……やっぱり──」
 「もっかい!」

 火を噴いたように真っ赤になった顔が、ぱっと持ち上がった。
 見ると、ロクアンズはキールアのすぐ足元でしゃがんでいた。

 「あのね、たぶんけるところがずれてるんだよ。ここからぜったいうごいちゃだめだよ。このまま、まっすぐけるの。そしたらきっとあたるよ」
 「……」
 「いっかいじゃわかんないよ。あたしだってたぶん、さっきのはぐうぜんだったんだよ。だからもっかい! もういっかいやって!」

 ロクアンズが土の山の後ろで、手を振っている。"蹴っていいよ"の合図だ。 
 キールアは両手を固く握りしめて、そっと脚を後ろへやった。
 
 (うごいちゃだめ。このまま、このまま……まっすぐける!)

 振り下ろす瞬間、またきゅっと目を瞑った。足先になにかが当たる感触がして、それからすぐのことだった。
 ロクアンズの甲高いかけ声で、閉じた目が大きく開かれた。

 「やったあー! やったよキールアあー! あたったよーっ!」
 「……!」

 ぴょんぴょんと飛びはねるロクアンズにつられて、キールアの顔がやわらかく綻んだ。嬉しかった。どきどきする心臓を抑えたくて、胸の前で強く両手を結んだ。

 「ねえ、つぎあたし! あたしやってもいい!?」
 「う……うん」
 「そしたらつぎはまたキールアね! あ、そうだ、木の枝ふやそっ! それでたくさんたおせたら、ぜったいもっとたのしいよ!」
 「……うんっ」

 その後、2人は言った通り枝の束を増やし、たくさんの標的を前に夢中になって石を蹴り続けた。全身が泥まみれになっていると気がついたのは、傾いた陽に照らされて、茜色に染まった玄関の扉が開いたときだった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.63 )
日時: 2020/04/16 14:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第058次元 日に融けて影差すは月Ⅶ

 「あら、いらっしゃいカウリア。それにキールアちゃんも。どうぞ上がって」

 数日後。カウリアはキールアを連れてふたたびエポール宅を訪れた。そんな2人を快く迎えたエアリスはすぐにお茶の準備を始めようと踵を返す。

 「いいよエリ」
 「どうして? 気にしないで、カラ。ゆっくりしていって」
 「あーいや、じつはこれから仕事があってさ。すぐに戻らなきゃいけないんだよ」 
 「え? じゃあ……」
 「夕時までキールアを預かってほしいんだ。この間みたいに、あんたんとこの子と遊ばせてやってくれないかな?」
 「それはいいけれど……大変ね。お腹が大きいのに、仕事だなんて」
 「しょうがないよ。うちにとっては仕事が優先。でもあんたがいてよかった。やっとキールアにも遊び相手ができてさ」
 「キールア?」

 階段から降りてきたらしいロクアンズが、はたと足を止めた。そのすぐ後ろにいたレトヴェールもキールアの姿を視認する。

 「あら、ロクアンズ、レトヴェール。キールアちゃんが来てるわよ」
 「わーい! キールア、きょうもあそぼ!」
 「う、うん」

 だだだっ、とものすごい勢いで階段を駆け下りて、ロクアンズはキールアの腕を引いた。
 
 「そうだわカラ。この間はお薬をありがとう。レトヴェールったらすぐに良くなったの。あなたたちのおかげよ」
 「大したことしてないよ。患者が元気になったってんならなによりだ」
 「レトヴェール、あなたも元気になったのだからお外で遊んでらっしゃい。ロクアンズとキールアちゃんといっしょに」
 「おれはいい」
 「あら、どうして?」
 「きょうみない」
 「レトヴェール……」
 「おい坊主」

 怒気を孕んだ低い声がレトヴェールの耳に刺さった。おそるおそる頭上を仰ぐと、カウリアが物凄い形相でレトヴェールを睨んでいた。

 「な、なんだよ」
 「うちの可愛いキールアと遊べないってのはどういう了見だい? ええ?」
 「おれそいつとしゃべったことねえし。しらないやつといっしょにいんの、やだから」
 「……」

 "そいつ"──名前を呼ばれずともきっと自分のことを指しているのだろうと感じたキールアは、困ったように眉を下げた。

 「はあ~? "そいつ"だあ~? うちの子にはねえ、キールアっていう超可愛い名前があんだよクソガキ。それと……知らないワケねーだろう。何度もここ連れて来てんだから」
 「しらねえもんはしらねえ」
 「うそつけ。キールアが可愛いもんだから恥ずかしくてしゃべれなかっただけだろうが!」
 「ちげえよ! ……っうわ!」

 ふわっとレトヴェールの足元が浮いたかと思うと、カウリアが彼の襟元をがっしりと掴んで持ち上げていた。暴れる手足をカウリアはものともしない。

 「なにすんだよ!」
 「いいからずべこべ言わずに遊んでこい! クソガキ!」
 「うわぁっ!」

 開け広げた扉の先へ、カウリアは無造作にレトヴェールを放り投げる。ごろごろと芝生の上を転がっていく彼を追いかけるようにロクアンズとキールアも庭へ出た。

 「レトー!? わー! まってまってー!」
 「はー、スッキリした」

 エアリスが「はは……」と苦笑をこぼす。

 「あんのクソガキ、大人になってからあたしんとこ来て、『キールアをお嫁にください』ってわめき散らしても、ゼッタイ許してやんない」
 「それは手強いわねえ」
 「あの坊主にはまだ男としての自覚がないのよ。女の子を守る義務があるってのを、ちゃんと叩きこまないと」
 「言ってるには言ってるんだけど」
 「じゃあ足りないよ。耳がちぎれるまで言ってやんな。……おっと、そろそろ行くよ。裏庭から出てもいい?」
 「あら、どうして?」
 「いまはあの坊主のツラを見たくないの」
 「あはは……」

 カウリアは「そいじゃあね」と一言置いて、エポール宅をあとにした。エアリスは子どもたちにお菓子でも作っておいてあげようと思い立ち、まだ昼時に使った食器が積み重なっている台所に引き返した。
 
 「えっと、カフの蜜漬け、どこに置いたかしら……。あ」

 頭上の棚にずらりと並べられた瓶を見て、エアリスの頬が緩んだ。そのひとつを手に取った、まさにその瞬間。

 「きゃっ!」

 硝子の瓶は指先をかすかに撫で、真っ逆さまに床へと落下した。
 ──パリンッ! という甲高い音が居間中に鳴り響くとともに、エアリスはきつく目を瞑った。そっと目を開けると、床には潰れたカフの黄色い実と、鮮やかな緑色の蜜とを突き刺すように、硝子の破片が散らばっていた。

 「……」

 胸の奥がざわりと音を立てる。エアリスはふるふると首を横に振って、床に散乱する硝子の破片を丁寧に拾い集めた。
 
 
 
 先日と変わらず、ロクアンズとキールアの2人は、土の山と木の枝と手ごろな大きさの石の準備に取りかかった。土の山を作成する担当のロクアンズが満足そうな顔で両手を払っていたとき、ちょうどキールアも木の枝と石を持って戻ってきた。

 「あ、おかえりキールア」
 「ただいま」
 「よーし。あとはこの枝をこのまえみたいにふとくしよ。できあがったらレトもいっしょに、3人であそぼっ」
 「……」

 ロクアンズが数本の枝に細い葉を巻きつけようとしたときだった。キールアが気まずそうに目を伏せたので、ロクアンズの意識はすっかりキールアに向いた。

 「ねえ、キールアってレトのこと、しってるんだよね?」
 「うん。しってる……」
 「でもさっきレト、キールアのことしらないってゆってた。もしかして、おしゃべりしたことないの?」
 「……」

 キールアは、こくんと頷いた。

 「ええっ! レトがこわいとか?」
 「こわい、っていうか……その……なにを、おはなししたらいいか……わからないの。レトヴェールくん、いつもほんよんでるから……」
 「あたしがいおっか? キールアとちゃんとあそんでって」
 「い、いいのっ。いわないで。わたしがどんくさいの、しってるの……。まえにね、レトヴェールくんのまえでこけたときに、レトヴェールくん、『どんくさい』って……」
 「なにそれ! レトだってどんくさいのにっ」
 「わるかったなどんくさくて」

 玄関横の花壇に腰をかけていたレトヴェールが、ロクアンズの大きな声に反応した。その冷ややかな目はロクアンズにではなく、膝元に広げた大きな本の紙面に注がれている。

 「レト! レトもこっちきて、いっしょにあそぼうよ」
 「おれはいい。ここでおまえたちみはってるから」
 「……ふーん。でもほんとは、どんくさいのをキールアにみられるのがいやなんでしょ」
 「は? ちげえよっ」
 「じゃあこっちきて、ぼうたおしいっしょにやってよ。どんくさくないならできるよね?」
 「……ああわかったよ。やりゃいいんだろ、やりゃ」

 半分ほどヤケになって本を閉じ、レトヴェールは小石の前に立った。そして一呼吸置き、いかにも投げやりな勢いで足を蹴り上げた。
 案の定、レトヴェールが蹴った石はまったく見当違いの方向へ跳んでいった。

 「もう~! レト、どんくさいっ!」
 「うるせえ!」

 ぶつぶつと文句を吐きながらも、ロクアンズがレトヴェールの蹴った石を取りに行く。
 その場にはレトヴェールのキールアの2人だけが残った。

 「……」
 「……」
 「……だ、だいじょうぶ、だよ」
 「なにが?」
 「……わ、わたしも……へただから……」
 「だから?」
 「……ご、ごめん」
 「……」

 明らかに尻すぼみになっていく声に、レトヴェールはどことなく居心地の悪さを感じた。難しい顔をしながら、がしがしと髪を掻く。

 「ああもう、なんだよ」
 「……」
 「そういうかおはすんな。おれがなかしたってなったら、あとでかあさんにすげえおこられんだよ」
 「……う、うん。ごめん……。なか……っなかなぃ……」
 「っ!?」
 
 キールアの目尻に、じわりと涙が浮かぶ。レトヴェールは真っ青になって、慌てて自分の服の袖を彼女の目元まで持っていき、乱暴に拭った。
 
 「な、なくなっていっただろ、いま! ばか、ほら、ふけ」
 「ぅん……」
 「べつにおれ、おこってるわけじゃ」
 「え?」
 「……。だから、いいたかったのはもっとちがくて……」
 「ああー! レトがキールアなかせてるーっ!」
 「!?」

 足音を騒がしくさせながらロクアンズが戻ってくる。彼女は、ぴんと伸ばした指先を振り回し、レトヴェールに注意を浴びせた。

 「だめだよレト、おんなのこなかせちゃ! おばさんにいわれてるんでしょ」
 「な……。なんでしってんだよそんなこと」
 「へへーんだ! あたしはレトのいもうとだから、レトがいけないことしたら、ちゃあんとゆうのっ」
 「よけいなことすんな」
 「よけいじゃないもんっ」
 「あ……あの、けんかは……」

 と、そのとき。

 「──キャアアア!!」

 金切り声。そして悲鳴。そして足音。
 村の中心から走ってきたらしい男、女、子ども、老人──複数にもなる村人たちが次々とロクアンズたち3人の視界の先に現れては、緩やかに足を止めていく。みな息を切らしていて、来た道を怪訝そうに振り返っている。
 いつもとはなにか、様子が異なっている。
 ただ傍観していただけの3人だったが、ついにロクアンズが動いた。

 「おいっ、ばか! どこいくんだよ!」

 レトヴェールの声に耳も傾けず、ロクアンズは村の人々が集まっている場所へ駆け寄った。

 「……あの! なにか、あったんですかっ」
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.64 )
日時: 2020/04/16 14:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第059次元 日に融けて影差すは月Ⅷ

 「え? ……って」

 突然輪の中に割って入ってきたロクアンズに、つい生返事を返した農夫らしい男は、ぴくりと眉を引きつらせた。
 
 「ねえ、この子……エポールさんとこの……」
 「あ、ああ。身寄りがないっていう」

 ロクアンズという異端の子どもを訝しむのは決して村の子どもたちだけではない。その親たちもまた珍しいものを見る目で彼女を見下ろすのだ。
 キッ、と片方の瞳を鋭くさせてロクアンズは負けじと言った。

 「ねえっ! なにがあったのってばっ!」
 「怪物じゃよ」
 「……え?」
 「恐ろしい、神の使いがこの村にも来た」
 「かみの……つかい?」

 農夫の背後から、老いて腰の曲がった男が出てくる。彼は深くを知らないロクアンズの問いに静かに答えた。

 「その名も"元魔"。生命を襲い、喰らう、恐ろしい化け物じゃ」
 「それがきたら、どうなるの?」
 「最悪、命を落としかねん」
 「……」
 「とにかく、もし近くに元魔が現れたらその場所から離れたほうがいいってことだ。次元師様が来るまでは安心できねえ」
 「じげんしさま?」
 「おい! なにやってんだおまえっ」

 ロクアンズのあとを追って走ってきたレトヴェールが、息も切れ切れにそう叫んだ。すこし遅れて、キールアも彼の後ろで立ち止まる。
 
 「あ、レト。あのね……」
 「あのっ! どなたか、どなたかうちの子を見かけませんでしたか!?」

 この場所からも離れようと動きだした人々の背中を捕まえて、1人の女性がそう投げかける。顔は真っ青で、髪が乱れているのにも気づかず一心不乱に自分の子どもを探している。

 「そんな……」

 女性の様子が気になったロクアンズは、ととっと彼女のもとへ駆け寄った。
 
 「ねえねえ、だれさがしてるの?」
 「! うちの子よ。テマク、見たことあるでしょう? 前にあなたたちと遊んであげたって……」
 
 そこまで言って、女性はハッと口を噤んだ。レトヴェールはそのテマクという名前に聞き覚えがあった。村のこどもたちがよく口にしている名前だ。子どもたちの間では人気者で、いつもリーダー役を買って出ている、周りよりもすこし大きな身体をしている少年。
 以前、レトヴェールとロクアンズの前に現れ、「エポールは呪われてる」などと宣っていた彼にちがいないと、レトヴェールは思った。

 「てまく……?」
 「まえに、おれたちんとこに来たやつだ。あのでかい体のやつ」
 「あ……」
 「お、おねがい。あなたたち、テマクがどこにいるか知らない? 知ってたら、いじわるしないで教えてほしいの。テマクもきっと悪いと思ってるわ。あなたたちに、その、つい悪いことを言ってしまったって」

 『かあちゃんが『かかわんな』って言ってたぞ』
 『えぽーるはのろわれてんだ。かみさまにきらわれてんだってな!』

 レトヴェールは、テマクに言われたことを一言一句たがえることなく覚えていた。「エポールと関わるな」「エポールは神様に嫌われている」などと彼に教え諭したのはこの女性だったのかと、レトヴェールは一際冷めた目で彼女を見上げた。
 しかし、

 「わかった! ねえレト、あたしさがしてくる!」
 「……は?」

 やけに決意を固めた目をして、ロクアンズはレトヴェールのほうを振り返った。

 「おまえなにいってんだよ。あいつは、おれたちのこと」
 「だって、ひとりぼっちでないてるかもしんないんだよ? それにさっき、なんか"げんま"っていうへんなのがいるっていってたし……。だから、はやくさがしたげなきゃっ」
 「……げんま、って……お、おまえ」
 「おばさんだったら、……おばさんだったら、ぜったい、ほっとかないっ!」

 ロクアンズは村の中心部に向かって駆けだした。そこには"恐ろしい神の使い"がいるとまで聞かされたはずだったが、それももう彼女の中では遠い記憶と化していた。
 出会った当初からおかしい奴だとは思っていたが、ここまでバカだとは。レトヴェールは困惑した。追いかけるべきか、否か、自宅に戻るか──
 それとも、

 「あんの……ばかっ!」

 連れ戻そう。あとで「バカだ」といくらでも罵ってやる。困るのは、ロクアンズから目を離したと怒られる自分であり、母を心配させたと後悔するロクアンズ自身だ。
 ロクアンズもレトヴェールも遠ざかっていって、1人、その場に立ったままのキールアが、だれにも聞こえないであろう小さな声で2人の背中に声をかけた。

 「ゃ……あ、い、いかないで……ふたりともっ」

 とうとうキールアまでもがレトヴェールの背中を追っていってしまった。幼い子どもたちが村の中心部へ向かっていくのを目の当たりにして、大人たちはどよめいた。

 「お、おい、君たち!」
 「連れ戻します?」
 「でも……」

 3人の子どもたちと入れ違うように、ほかの村人たちが早足気味に駆けこんでくる。中心部から逃げてきたのがわかって、元いた大人たちは後ずさりした。

 「と……とにかく逃げよう!」
 「ええ? あの子たちは?」
 「すぐこわくなって引き返すだろう」

 だれも3人を追うことはなく、まったく逆の方向に踵を返す。テマクの母親だけがその場に立ち止まっていた。
 
 
 
 「はあ、はあ……っ、テマクー! テマク! きこえたら、へんじして、テマク!」

 ありったけの大きさで、ロクアンズは叫ぶ。もはやだれもいない村の中を行ったり来たりする。茂みの中を掻き分けたり、家や店の扉を開け広げたりして、手あたり次第にテマクを探していく。

 「おいっ!」
 「! レト……きてくれたんだ! ねえレトもいっしょにさがして! このへんにはいないみたいだから、もっとあっちの、おくのほうだとおも……」
 「あのなあ!」
 「っ、え、な、なに?」

 レトヴェールは眉をしかめて、叱りつけるようにロクアンズに言った。びっくりして彼女はらしくもなく口ごもった。

 「……れ、レト?」
 「はやくさがしだすぞ、テマクってやつ。ここにずっといたらあぶねえんだろ。あのな、みつけたらすぐもどるんだからな。だから」
 「……! いっしょにさがしてくれるんだっ、ありがとう、レト!」
 「……っ。そ、んなことより、」
 「たすけてくれ!」

 背中に幼い声がかかった。テマクにちがいないと確信した2人は振り返って、目にした。
 漆黒の巨体。
 
 ──ドシン。

 足の裏が震動を感じ取る。

 「た……たすけて、たすけて、くれっ! たすけてぇっ!」

 視界が翳り、大きなものが頭の上に被さると、
 小さく、ぁ、と呻き声がもれる。


 「ぐ、グル、ル、ルル……ッ!!」


 血の滴るような赤の眼球。黒い甲殻に覆われた皮膚。剥き出しの鋭い牙、爪がゆらり、と動きだした。
 こちらに近づいてくる。
 ロクアンズ、レトヴェール、そして遅れてやってきたキールアを含めた3人は──巨悪な化け物を前に、息ひとつできなかった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.65 )
日時: 2020/04/16 15:34
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第060次元 日に融けて影差すは月Ⅸ

 レイチェル村に元魔が出現するのは、じつに数年ぶりのことであった。出現する場所も時期も不特定で、まるで自然災害のように"奴ら"は突然やってくる。
 10にも満たない幼い子どもたちは耳にたこができるほど聞かされるその実態を想像でしか描いたことがなかった。炭を溶かした黒い液体に、小くて赤い果実の汁をたらしてできあがる"かいぶつ"は、想像よりもずっと大きくて、生きている。呻く。四肢を動かして確実に。迫ってきている。
 いまにもその大きな手の中で潰れてしまいそうなテマクが、ぱんぱんに膨れた顔を涙と鼻水とで濡らしていた。ぐちゃぐちゃになった声で泣き叫ぶ。

 「おねっ、おねが、い、たすけて、たすけ」

 ロクアンズはすぐさま、老人の顔を思い出した。

 「げんま……」

 『怪物』『恐ろしい神の使い』『生命を襲い、喰らう』──ロクアンズは混乱していた。そして妙に胸が痛かった。どん、どん、と鈍い力で心臓が脈打っている。胸元をぐっと抑えこんで、必死に呼吸だけをしていた。
 気持ち悪そうに身体を丸めるロクアンズに、レトヴェールはがなり声を浴びせた。

 「おい、おいばか! はやくにげるぞ! はやくしねえと、おれもおまえも死んじまう!」
 「……」
 「おいって!」
 「……ぃ」

 震える身体を抱きかかえるのに精いっぱいだった。胃の中からなにかが上がってきて、口を塞ぐ。幼い身体が限界を訴える。動けなくなる。しかし、鼓膜は正常に働いている。
 ロクアンズの耳には聞こえていた。「たすけて」の声が。

 「い、やだ」
 「……は……? ばかか! おまえいいかげんにしろよ! 死ぬっていってんだろっ!」
 「じゃあテマクは!? しなないのっ!?」
 「! そ……」
 「そんなのだめ。おかあさんが、かなしんじゃうよ。むらのみんなだって」
 「じゃあどうすんだよ! あんなのとたたかうなんてむりだ」
 「たすけるの! あのかいぶつのてからはなして、はしってにげる!」
 「できるわけないだろそんなの!」
 「できなくない!」
 「おまえなあっ!」

 近頃は穏やかであった2人の会話がまた険悪なものに逆戻りする。鋭く言い咎められるロクアンズだったが、なにをどう言われても彼女の頭の中に、逃げるという選択肢が生まれることはなかった。

 「じゃあいいよ、レトはにげても! あたしいく!」
 「お、おい! まて、ロクアンズっ!」

 がむしゃらに地面を蹴って、進む。前へ前へと、どんどん胸が前のめりになる。あと数秒ののち、ロクアンズが元魔の足元まで辿り着くといったところで、テマクが元魔の手の中で暴れだした。

 「はなっ、はなせよ! この!」

 元魔はぴたと歩みを止め、煮詰めたような濃い赤の眼でテマクを見下ろした。テマクが「ひっ」と小さく悲鳴をあげる。すると、元魔は大木の幹ほどはある豪腕を高々と陽に翳した。

 「やだあああッ!」

 ロクアンズはびっくりして急停止した。すぐに足元を見渡し、彼女はある物を見つける。手に取ることはしない。ただ、遊ぶよりも強い力でそれを蹴りあげた。
 打ち上げられた小石は緩やかな弧を描き、元魔の皮膚を掻いた。

 「ウ"」

 元魔は緩慢な動きで首を回す。真っ赤な双眸に睨まれ、ロクアンズはぞっとした。テマクからロクアンズへと標的を変えた元魔は、巨大な胴体に不釣り合いな細い脚をぶらりと泳がせ、ロクアンズの頭上に足を翳した。
 細い脚首からぶらさがったその足もまた巨大で、落ちた影がロクアンズを飲みこむ。
 
 「ロクアンズ!」

 レトヴェールの叫び声を掻き消すように投下された、爆音。それは砲玉の類などではなく巨大な足が地を穿ち、齎したものだった。土煙が大仰に舞いあがり、辺り一帯を強い風が吹き抜ける。
 土埃の中から転がるようにして脱出したロクアンズの姿。が、見えた、そのとき。レトヴェールの安堵を待たずにある人影がくさむらから飛び出してきた。

 「ロクアンズちゃん……っ!」

 レトヴェールはぎょっとして目を丸くした。二つに結んだ小麦色の髪で、その人物がキールアだと判ってしまう。なぜここにいるのか、なぜだかついてきた彼女に憤りや呆れを感じたのもたった一瞬いっときのことで、レトヴェールは元魔とキールアとを交互に見やった。

 「ばか! なんできたんだよ! はやくはなれろッ!」
 「……! レトヴェールくん……で、でも……っ」

 のっそり。胴体を回転させる速度はもの凄くのろまだった。標的の変遷が行われていくのがはっきりと見えたレトヴェールは、まったく気づかないキールアの頭上に影が落ちる直前に、走りだした。

 「くそ、キールアっ!」

 枝のように細いキールアの身体を抱きこんでレトヴェールは頭から地面に突っこんだ。巻き起こる土煙と突風とに背中を後押しされて、まるでだるまのようにごろごろと転がっていく。すると平坦な道から急に、がくんと重力が傾いた。斜面に流れ落ちたのだ。崖というほどではなく、芝生に覆われた緩やかな斜面を下った2人の身体は、また平坦な面に行き着いてやっと静止した。なにが起こったかわからなかったキールアは、視界を取り戻すと同時に、たくさん転がったはずの身体がまったく痛みを感じていないことに気がついた。

 「れ、トヴェールくん……」
 「げほっ、ごほ」

 口の中に侵入してきた砂が気持ち悪くて、レトヴェールは痛いくらいの咳をする。まだ口内に砂が張りついたままだったが、なによりも先に彼はキールアを背中に隠す仕草をした。彼の片手が肩に触れて、キールアは不覚にもどきりとする。

 「おれのうしろからぜったいでるな。げんまもみうしなったみたいだ。いいか、ぜったいだぞ、キールア」
 「う……うん」

 小高い丘にはまだロクアンズとテマクが残っている。元魔にしかと認識されている2人が心配でならなかった。レトヴェールは草萌える斜面をよじ登り、亀のように首を伸ばした。元魔の手中に捕らえられているテマクと、それを口惜しそうに仰ぐロクアンズの姿がかろうじて見えるところで留まり、息を潜めた。
 
 (はやく、はやくなんとかしねえと、ほんとに……なのに)

 はやくなにかしないと。この危険な状況から脱しないと。レトヴェールの脳裏には、そんな無益な葛藤ばかりが繰り広げられていた。考えようとしたところでそもそもどうすればいいのかがわからない。方法がわからない。語学の書物にも、虫の図鑑にも、ただの人間が元魔を打ち倒す方法など署されていない。
 だからレトヴェールはただ焦るだけ焦った。このときの彼には焦るくらいしかできなかったのだ。

 元魔の手の中では、テマクが「うっ、う」と嗚咽をもらしてじっとしている。恐怖と不安に苛まれ続けた彼は、もうこれ以上駄々をこねても助からないと憔悴しきっていた。
 しかし。 

 「テマクをはなして! ねーえっ、はなしてってば!」

 諦めの悪い少女がひとり、元魔の足の皮膚を一心不乱に蹴りつけていた。黒くて巨大な塊を臆することもなく、どんなに足が疲れても彼女は反抗を止めなかった。
 蹴るたびに足の力は弱まっていった。綿の花びらで鉄の扉を押すように、手応えがなくなってくる。それでも。それでも。望みのすべてを幼い足先に託した。
 元魔は、ぐぐ、とぎこちない動きで喉を開けた。口の端からはしたなく唾液がこぼれ落ちる。次の瞬間。どす黒い喉の奥に熱が篭もり、決して人間のものではない阿鼻叫喚が空気を焼き切って放たれた。

 「うあっ!」

 甲高い咆哮が少年少女たちの鼓膜を鋭く劈いた。突風に見舞われた地表からは土草が剥がれて舞い、また、元魔の足元に張りついていたロクアンズもいとも簡単に宙へと放り出された。地面の上を跳ねるようにしてどこまでも遠ざかっていく彼女を、立派に葉を広げた樹木の幹が受け止める。
 腕、脚、肩、背中──。激痛は一秒ごとに拡がっていく。耐えるにはあまりにも器が小さすぎた。
 すぐにでも瞼は閉じてしまいそうで、意識はどこかへ行ってしまいそうだ。けれどもロクアンズはそれらをまだ捕まえていたかった。まだ目を閉じたくなかった。
 まだ、

 (だれも、たすけてないのに)
 
 体内に、熱線のようなものがほとばしった。

 「──ッ!」

 痺れるような刺激にあてられ目が覚める。ぼやけていた視界が途端に澄みきった。
 深い闇色の皮膚。
 見る者すべてを恐怖させる巨なる全長。
 その手の中にまだ、いる。
 ロクアンズは迷わず駆けだした。

 (! あいつ、また……!)
 
 怪物の咆哮が止み、ようやく耳から手を離したレトヴェールは、まっすぐ元魔に向かっていくロクアンズを見て驚愕した。
 彼女はもはやなにかに憑りつかれているようだった。腕が満足に振るえなくても、脚がもつれていても、肩が壊れそうでも、背中がどんなに「後ろを向け」と叫んでも、なにかに身体を突き動かされていた。
 
 「て、てま……、を」

 ──腕を振るえとなにかがいう。

 「テマクを、はなしてっ!」

 ──脚を動かせとなにかに刺激される。

 そのとき。元魔が腕をたたみだした。単純に肘を曲げようというのではない。縦横に惜しみなく口を広げて上を向いたのだ。
 そこへ巨大な手が迫る。手の先に握られているテマクはだらりと頭を垂れ、無抵抗のまま、ゆっくりと、運ばれて──

 「テマク!!」

 ──肩に力を入れろ。背中に流れたなにかにそう諭される。

 全身に、

 電熱を奔らせろと

 「やめて──ッ!!」


 ────《扉を開けろ》と、雷の皇帝が、鍵を投げた。
 

 瞬間。少女の指先から弾けるようにして飛びだした"雷"が──大気を切り裂き、怒号を響かせながら元魔の巨体に喰らいついた。
 電気の塊は広大な腹部を一撃で貫いた。高々と聳え立つその全長が、いまにも上下で真っ二つに別離しそうになる。元魔はこのとき初めて完全に静止した。
 
 「──……え……?」

 ロクアンズの指の先に、バチッ、と電気の糸が絡まった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.66 )
日時: 2020/04/16 14:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第061次元 日に融けて影差すは月Ⅹ

 ロクアンズの指先から糸状の光のようなものが漏れた。それはとても微弱な、電気だった。彼女は幽霊でも見るかのように指先を見つめ、それからゆっくりと前を向いた。
 
 「ヴ…………グ、ゥ…………」

 鳴き声ともつかない奇怪な音声をもらす怪物の胴部には、まるで臓器のすべてを搔き出されたかと疑うほどの大きな風穴が空いていた。周辺の森や家宅が玩具のようにも錯覚させるその巨体に大穴を空けたのはほかでもない、
 たった1人の幼い少女だ。

 「……」

 ロクアンズはかつてないほど混乱していた。指先からなにかが出た。足の爪先から頭の天辺にかけて一気に駆け抜けた電撃。骨身が発熱し、肌が粟立ち──瞬間、"雷鳴"が轟いていた。
 聳え立つ元魔が、一切の動きも示さずにいる。見開かれた赤い双眸から目を逸らせずにいたロクアンズは「ぁ」と、目を見開いた。
 かろうじて上半身を留めていた黒い脇腹が、穴の拡がりに耐えきれずぷつんと弾け飛んだ。バランスを崩した元魔は覚束ない足取りで地面をゆらり、ゆらりと震わせ、ついに上半身を前方へ傾かせた。真黒いそれが大地を打ったそのとき、生まれた余波がロクアンズやレトヴェールたちに襲いかかった。
 上半身と下半身とは完全に切り離されている。死んだ2本の脚の断面から、火の粉のようなものがぱらぱらと立ち上った。それは砂粒にも近い。黒い皮膚はすこしずつ空へ還っていく。
 残る、上半身。
 右の巨腕が跳ねあがった。

 「──っ!」

 (だめ……ころされる!)

 「もういっかい電気をだせ、ロク!」

 カン、と頭に響くレトヴェールの声。ロクアンズは左目を大きくして、茂みから飛び出してきた彼を見た。

 「赤いのをねらえ! 目じゃなくて、目の上の、赤いやつをこわせ!!」

 血液、そして血液とともに体内中に蔓延している"べつの粒子"が一斉に沸き立つ。レトヴェールの言っていることを頭が理解するよりも迅速に、身体に電気が溜まっていく。
 この力があれば倒せる。
 漆黒の巨腕がロクアンズに影を落とすのと、彼女の脳裏に未知の詠唱が掠めたのは同時だった。
 
 「──"三元解錠"!」

 壊せ、壊せ。

 当たれ、倒せ、倒せ、

 扉を

 (──開け!)

 「"雷撃らいげき"ィ──ッ!!」

 独特の重低音が辺り一帯に鳴り響き、空を搔っ切る。ロクアンズの手のひらから飛び出した雷の塊は芝生の舞う中を一直線に猛進し、──元魔の額を打ち上げた。その拍子に、赤い両目の上にはめこまれていた宝石のようなものが砕け散った。
 元魔の上体は緩やかに反り返る。脚と同様、指先や身体の断面から粒と化して散っていく。元魔の腕も紐解くようになくなっていくと、その手の中に捕まっていたテマクがするりと抜け落ちて、さほど高くない位置から地面の上に落ちた。
 空の彼方へ舞いあがる黒い粒を見送りながら、ロクアンズ、そしてレトヴェールの2人は肩で大きく息をしていた。巨大な怪物が視界の中から消えてもまだ、心臓はばくばくと高鳴ったままだった。

 「…………。て……テマ…………」

 ふと。緊張の糸が切れたようにロクアンズがその場で倒れこんだ。レトヴェールはあわてて彼女のもとへ駆け寄り、キールアも彼に続いた。

 「ロクアンズ! おい、おきろ! どうしたんだよ!」
 「ど、どうしよう、ロクアンズちゃん……!」
 「……」
 「おいガキども! そこでなにやってんだ!」

 どこからともなく怒声が飛んできて、レトヴェールとキールアはびくりと肩を震わせた。2人のもとに人影が駆け寄ってくる。銀にすこし青が混じったような髪色をした、男だった。男は濃い灰色の上着を羽織っていて、それにはところどころ赤を薄めたような曖昧な色のラインが着色されている。レトヴェールは物珍しげに彼の服装を見つめた。

 「大人たちに言われなかったのか、このへんにでけえ怪物が出て、危ねえから離れろって! へたしたら死んじまうんだ。わかってんのか!? いいからはや……」

 男は緊迫した面持ちで周囲に視線を巡らせた。しかし、のどかな風の流れる田園風景をゆったりと眺めるだけに終わった。空を渡る雲といっしょになって、時間の流れさえも遅く感じさせる独特な雰囲気に彼は呑まれそうになった。

 「……い、ねえ。どういうことだ……?」

 不思議そうに辺りを見渡す男は、はっとなって、おもむろに駆けだした。芝生の上に降りかかっている黒い粒を認めた彼は、息を飲む。

 (元魔の残骸だと? じゃあ……)
 
 レトヴェールとキールアのもとに戻ってきた男の顔は相変わらず強張っていた。2人はびくびくしながら男を仰ぎ見る。鈍い銀の髪をした男は、がしがしと頭を掻きながら「いくぞ」と呟いた。

 「いくって……どこに」
 「あーほ。おまえたちのおふくろや親父さんのいるところだよ。……この嬢ちゃんは、まだ息があるな。目立つような傷もほとんどねえ、か。よし」

 倒れるロクアンズの前でしゃがみこんだ男にレトヴェールが言った。

 「もうひとり」
 「あ?」
 「もうひとりいる。あっちに」

 レトヴェールが指差す方へ男が顔を向けると、そこに幼い子どもが1人倒れ伏せているのが見えた。男はさらに大きなため息をこぼし、たたんだ膝を伸ばしてテマクのもとへ歩み寄った。

 
 
 「! 戻ってきた! 戻ってきたぞ!」
 「次元師様!」
 「やった!」

 レイチェル村の住人たちが身を寄せ合う場所に、ロクアンズとテマクとを脇に抱えた男が現れる。彼の姿を見つけるなり、村の年長者たちの表情が安堵と喜びに満ちた。

 「テマク……テマク!」
 「気を失っているだけみたいです。ケガをしてなかったのは幸いです」
 「よかった、ああ、よかった」

 テマクの母親と思われる女性が、息子の身体を強く抱きしめ、足元を崩した。彼女はそこが地面の上であることも忘れてわんわんと声をあげて泣いた。そこへ、

 「レトヴェール、ロクアンズ!」

 群衆を掻き分けて男の前に現れたエアリスが、よろめく足を止めた。乱れて束からはずれた髪を耳にかけ、彼女は、レトヴェールとロクアンズを交互に見つめた。ロクアンズの顔がぐったりしていることにはすぐに気がついた。男は、ロクアンズの身柄をエアリスの腕の中に渡した。

 「ろ、ロクアンズ……。あの、なにが、なにがあったんですか? この子は大丈夫なんですか?」
 「大丈夫ですよ。この子もさっきの子とおなじで、気を失っているだけみたいですから」
 「気を失って……」

 ふとエアリスはレトヴェールにも視線をやった。頬や腕、足などの至るところに土が貼りついている。肘などの関節部には擦り傷も見えた。
 レトヴェールの顔に細い指先を伸ばす。頬についた土を丁寧に拭うと、エアリスは、レトヴェールとロクアンズの2人を抱き寄せた。左腕ではロクアンズを、右腕ではレトヴェールを優しく包む。

 「よかった。よかった、本当に。……無事で、よかったぁ……っ」

 金髪の男の子と、緑色の髪をした女の子が怪物のいるほうへ向かっていったと話を聞いたときエアリスは「悪い予感が当たってしまった」と、頭の中が真っ白になった。カウリアには申し訳なくて口にできないが、キールアも2人の後を追いかけたと知っておきながらエアリスはなによりも2人のことが心配でならなかった。しかしきっとカウリアも心境はおなじだっただろう。
 
 「よかった」「よかった」と泣いてやまないエアリスの腕の中はなんだってこんなにも安心できるのだろう。目尻に小さく涙を浮かべたレトヴェールはそんなことを思いながら、ちらっとロクアンズの寝顔を見やった。

 「……」

 (じげんし──)

 ロクアンズが出した雷。いや電気だったか。はたまたべつの魔法か。彼女が戦場で見せたあの異質の力が、"じげんのちから"と呼ばれるものであることを知識として蓄えているレトヴェールは困惑を隠せなかった。エアリスの服をぎゅっと彼が握り返した、そのとき。

 「おい、坊主」

 頭の上から、眉を顰めたカウリアが、そう鋭い声を降らした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.67 )
日時: 2020/06/01 09:32
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第062次元 日に融けて影差すは月ⅩⅠ

 声につられてレトヴェールが顔をあげる。すると小麦色の髪を一つに結いあげたカウリアが紫色の目に角を立てていた。彼の肩がびくっと震えたので、エアリスは首だけで振り返る。その拍子にレトヴェールが腕から離れた。

 「あんた……よくもうちのキールアを危険をさらしてくれたね! ええ!? この子に傷でもつけた日にゃどうなるかわかってんだろう!」
 「カラ、お願い落ち着いて。私が代わりに謝るわ」
 「エリは黙ってて。いい? この子が元魔がいるようなとこに行くわけないだろう。なんで連れ出した。ほら、言ってみな!」
 「ち、ちがうの……おかあさんっ」

 レトヴェールの背中のあたりにいたキールアが、彼を庇うようにととっとカウリアの前に出てくる。カウリアは眉をひそめて、自分の娘に問い質した。

 「なにがちがうんだい」
 「レトヴェールくんね……ま、まもってくれたの。わたしがついてっちゃったのに……レトヴェールくん、ケガ、しちゃって。だからレトヴェールくんをおこらないで。おねがい」
 「ま……守ったあ?」

 カウリアは片眉を下げながら、まじまじとレトヴェールの身体を観察した。ところどころ、肌が擦り傷によって黒ずんでいる。対してキールアは傷ひとつ負っていないようだった。
 ついかっとなって叱りつけた手前、なんとなく謝りづらいカウリアは「あー」とまず口元を濁した。が、すぐにレトヴェールに向き直り、真剣な声で言った。

 「そうかい。怒鳴りつけて悪かったね、坊主。キールアのこと、守ってくれてありがとうな」
 「……べつに。まもったとかそんなんじゃ」

 レトヴェールは斜めに視線を下げて、小さな声で言った。

 「そういうときゃ素直に『はいそうです』って言うんだよ!」
 「いでっ!」

 ぐわっと頭を鷲掴みにされ、レトヴェールは無理やりカウリアのほうを向かせられる。それから、くしゃっと軽く頭を撫でられる。

 「ちょっとは認めてやってもいいかな。でも、もっといい男になんだよ」

 カウリアは表情を柔らかくして、笑った。エアリスが彼女のことを「美人」と言う理由が、レトヴェールにもわかったような気がした。
 
 濃灰のコートのポケットに手を突っこんだまま、灰青色の髪をした男はじっくりと3人の子どもたちを見比べていた。金髪の少年、小麦色の髪を二つ結びにした少女、──そしていまもまだ、気を失っている若草色の髪の少女。
 元魔出現の報せを聞いてエントリアの本部から飛び出してきたのが数十分前になる。対象は大型で、しかも角、四肢、翼、体格とどれをとっても上級に分類される出来のものだった。元魔は神族によって生み出されていると聞くが、その個体差は激しい。形の整った個体のほうが肉体のバランスがいいため動きも良く、討伐は困難だ。しかしやたらと頭部だけが出っ張っていたり腕と脚の本数が噛み合っていないなどの"粗悪品"はその限りではない。
 だからこそ不可解なのだ。一体、どうしたらただの子どもたちに元魔を屠ることが可能になるのか。

 (……いや、ただの、じゃねえのか)

 男が注意深く観察していたのはロクアンズだった。次元師に年齢は関係ないのだが、体内にある元力を一気に消費してしまうと気絶もしくは身体が思うように動かないなどの副作用が生じてくる。それは未熟な身体であればなおのことだ。テマクはいましがた意識を取り戻し、母親に連れられて帰路についたため、注目すべきはロクアンズただ1人となった。彼女はいまもなお夢の中だ。
 男は濃灰のコートを翻す。

 (また来りゃあいいか。どの道、"同志"だっつんなら嫌でも顔を突き合わすことになるだろ)

 薄い鈍色の髪をした男は、レイチェル村から颯爽と姿を消した。



 目を覚ましたとき、彼女は真っ先に手が痺れていないかどうかを意識した。寝台に横たわりながら彼女は無理のない程度に首を回して、シーツの中から手を出した。握ったり開いたりする。どこにも異常は見当たらなかった。
 ロクアンズは丸一日という時間をかけてようやく意識を取り戻した。いま、陽の高さは一日の間でもっとも高い。にもかかわらず部屋の中はひんやりと冷たい空気に包まれていた。
 木製の扉が、ギィ、と音を立てて内側に開く。廊下から顔を覗かせたのはエアリスだった。彼女は、上体を起こしているロクアンズを見て驚いた。

 「……! ロクアンズ、目を覚ましたのね。よかった。すこし待ってて、いまカウリアを呼んでくるわ」

 エアリスが扉の表側から奥に姿を消すと、開けっ放しの戸口からレトヴェールが入ってきた。彼は両手で木の丸板を持っていた。

 「かあさんに持てっていわれて、きた」

 聞かれてもいないのにそう答えて、レトヴェールは寝台のすぐそばにある台の上まで木の板を運んだ。板の上には、乳白色の薬湯と、匙とが並べて置かれている。

 「ぐーすかねてっからいっしょう起きねえとおもった」
 「……」
 「……うそだよ。げんきねえな」
 「ねえ、レト、みた? あたしのてから、なんか、ばああってでんきがでたの……」
 「……」
 「あれなんだったのかな? レト、なんでレトは、あのかいぶつの……おでこのあかいのにあてたら、やっつけられるってわかったの?」
 「いっぺんにきくなよ。おれがわかんなくなる」
 「あ……ごめん……」
 「本でよんだ」

 レトヴェールは匙でくるくると薬湯を混ぜながら答えた。

 「本……?」
 「とうさんのへやにあった本。げんまには、"かく"っていうしんぞうがあって、それをこわせばげんまはしぬんだ。でもそれはすげえがんじょうだから、じげんしにしかこわせない」
 「え、……じげんし、って、なに?」
 「……」
 「ああ、ほんとに起きたんだねー、ロクアンズ。よかったよかったよ」

 溌溂な声を撒きながらカウリアがロクアンズの部屋に入ってくる。ちょうどロクアンズの様子を見に玄関口までやってきたところをエアリスが捕まえたらしい。
 カウリアは肩にかけていた布製のバッグをどすんと床に下ろして、ロクアンズの顔色やら傷やらを丹念に診た。

 「肌の色よし。傷よし。じゃ……」

 カウリアは静かに目を閉じて、言った。

 「次元の扉、発動。──『"癒楽ゆらく"』」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.68 )
日時: 2020/04/16 14:54
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第063次元 日に融けて影差すは月ⅩⅡ
 
 ロクアンズとレトヴェールは目を瞠った。とくにカウリア自身に変わった様子はない。彼女は立て続けに詠唱する。

 「"診架しんか"」

 途端、ロクアンズの全身が薄い光に包まれた。彼女はおろおろしながら腕の表面、手首、脚などに視線を這わせてみたが、どこにも異常はなかった。ただふわふわした感触だけが肌を撫でた。かと思えば、柔らかい光はふっと絶えた。

 「……?」
 「なかを診た感じも異常なし、か。いやー、さすが若い子は治りが早いね〜」
 「よかった。ありがとう、カラ」
 「どうってことないさ。こんなの、シーホリーの人間ならだれでも使えるんだから。アディダスのせいでね」
 「おかげで、でしょう」

 2人の会話をぼんやりと聞いていたロクアンズは、思い切って口火を切った。

 「あの! かうりあ……さん。いまのって、なあに?」
 「いまの? あー、次元の力のこと?」
 「じげん……って?」
 「200年ほど前、この世に突如神々が降り立ち、その災いに見舞われた人間たちが突然手に入れた異質の力。それをこの世の中では、次元の力と云う」

 カウリアは、いかにもこれからお伽話をしますといった風に仰々しく語りだした。しかし、ぽかんとするロクアンズを前にしてすぐにいつもの調子に戻る。

 「でも、この力ってのはたった100しかない。だから次元師は100人しかいない……と言いたいところだけど例外もあってね。シーホリーの血を継ぐ人間だけは、なぜか全員『癒楽』の扉を開けられるのさ。どうやらあたしたちの先祖のアディダス・シーホリーがなんかしたらしくて。ま、それはいいとして。この次元の力を持ってる人間たちにはね、共通点がないの。つまり、ランダムで選ばれてるってこと。だからあんたも……偶然選ばれちゃったってことだよ、ロクアンズ」
 「え?」

 エアリスは目を丸くしてカウリアを見た。カウリアはというとそんなエアリスに笑みだけを返して、「それじゃあお大事に」と、部屋を出ていった。

 「選ばれちゃった、って……なにに?」
 「……」
 「ロクアンズ?」
 「……あのね、おばさん、あたし……手から、手からでんきがでたの」
 
 ロクアンズは自分の両手を見下ろしながらぽつりとそうこぼした。

 「くろいかいぶつをね、やっつけなきゃって、みんなをまもらなきゃって……そうおもったら、てとか、あしとかがびりってして、それで……」
 
 思い返せばあのとき、ロクアンズはいままでになく必死だった。ころされる。漠然とした恐怖に抗うように願った。「たすけたい」、「たすかりたい」と、神に祈るような気持ちだった。
 手先が痺れるような錯覚がして、ロクアンズは両手をぎゅっと固く握りしめた。

 「あたし、こわくて……手もしびれて、いたくて……っ」
 「すごいじゃない、ロクアンズ」

 言いながらエアリスが、ロクアンズの両手を自分の両手で優しく包みこんだ。

 「すご……い?」
 「だってそれは……だれもが持てるものじゃないのよ。何億何十億って人がこの世界にいて、そのたった100人の中に選ばれたの。きっと偶然じゃないんだわ。この世界に偶然はないもの。あなたはこれからたくさんの怖いものと戦わなくちゃいけないかもしれない。でも怖がらないで。あなたとおなじような力を持った99人の次元師たちが、きっとあなたを支えてくれる」
 「……どうしたらいいの?」
 「ロクアンズ、それはね、大事な人を守れる力なのよ」

 強ばるロクアンズの頬を撫でながら、エアリスは続けた。

 「この世界の怖いものたちをやっつけられる力があなたにはある。そうしたら、力を持ってなくておびえてる人たちを笑顔にできるわ。もちろんわたしも、レトヴェールも、みんな。みんなを助けられる。あなたはとても強い子だから、それができるって私は信じているわ」

 『たすけて』と泣き叫ぶテマクの姿を見たとき、使命感のようなものが身体中を駆け抜けた。まえに彼にいじめられただとか、そんな小さなことはもはやどうでもよかった。泣いている人を放っておきたくない。かつて自分がエアリスに助けてもらった日とおなじように、テマクの手を引いてやりたかった。
 テマクだけではない。この世界にはまだ、彼とおなじように泣き叫んでいる人がいる。「次元師様」と祈る声で溢れているのだ。

 「おばさん、あたし……。このでんき、もっとつかえるようになりたい。まだ、こわいけど……」
 「そう。ロクアンズはえらいわね」
 「おばさんがいるからだよ」
 「私?」
 「あたし……おばさんみたいになりたい。おばさんみたいに、こまったひとを、たすけられるようになりたい」

 言うと、ロクアンズは恥ずかしそうに頬を赤らめた。固く結んでいた手もほどかれている。エアリスは何度か目をしばたいた。赤らんだ瞳をやわらかく細め、一度唇をきつく結ぶと、微笑んで言った。

 「きっとできるわ。あなたなら」



           *

 まだ厳しい寒さの残る中、カウリアが自宅にて第二子を出産した。十月とつきという時間をかけてお腹の中で育んできた命である。イズリアと名づけられた赤子は男児だった。
 親友の子が無事産まれたことをお祝いするためにとエアリス、レトヴェール、ロクアンズの3人は昼下がりにシーホリー宅に訪れていた。

 「あらあ~」
 「ちっちゃぁい! かわいい!」
 「でっしょ~? 名前はイズリアってんの。男の子だったから、旦那の最初の文字をとった」
 「イズリア……ふふ」
 「なに? なんかおかしい?」
 「ううん。ただ……古語でね」
 「……ああ。あんた好きだねえ。んで、なんで笑ってたのさ。イズリアって言葉が古語にあるわけ?」
 「いいえ。"イズ"、ってね、娘って意味なのよ」
 「げ。ほんとに? えー、どうしよ。なよなよした男になったら」
 「あら。あなたのことだから、イイ男に育てるんじゃないの?」
 「はは。そらそうだ。うんとイイ男に鍛えて、お姉ちゃんを守ってもらわなきゃね。あんたもぐずぐずすんじゃないよ~、坊主」
 「べつにしょうぶしねえし」

 けたけたとカウリアが快活に笑う。しょうぶ、という言葉を聞きつけたロクアンズがすかさず片手を突きあげた。

 「いいなあ~! はいはい! あたしもしょうぶしたい!」
 「おまえ女じゃん」
 「いーの! あたしもキールアまもりたい! レトのほうがおんなのこっぽいし」
 「ロクおまえおぼえてろよ」
 「え?」

 は、っとレトヴェールが息を呑む音がした。つい口から出てしまった言葉ごと吸いこみたかったができなかった。ロクアンズの片瞳がだんだんと輝きを得る。

 「ロ、クって……え、なになに!?」
 「まちがえた」
 「うそ!」
 「……あ。でも、あの、レトヴェールくん、あのかいぶつがきたとき……ロクアンズちゃんを、そうよんでた……」
 「よ……、んでねえ」
 「えー!? ほんとキールア!? しらなかった! ゆってよ! よんでよ"ロク"って、ねえっ、レト!」
 「うっせえな! だいたい、長いんだよ、ロクアンズって!」

 3人の小競り合いをただ眺めていたエアリスとカウリアが同時にどっと笑いだす。ロクアンズがレトヴェールのことを『レト』と呼び始めた出来事を鮮明に覚えているエアリスにとっては、ただ微笑ましいだけではない。2人の距離が確実に縮まってきているのがひしひしと伝わってきて嬉しかった。
 
 「あはは。そうだわカラ、台所を借りてもいい?」
 「え? べつにそれは構わないけど……」
 「キールアちゃんやイスリーグさんのお昼がまだでしょう。わたしたちの分といっしょに作って、イスリーグさんには直接持っていくわ。薬草の調達に行かれたんだったわね」
 「あー、悪いねエリ。助かるよ」
 「いつも助けてもらっているもの」

 エアリスが腰を持ちあげて炊事場に向かって歩きだした。
 そのときだった。
 がたん、という物音がして、カウリアとロクアンズとレトヴェールの3人が同時に音のしたほうを向いた。見ると、エアリスが膝をついて蹲っていた。顔のあたりに手を持っていっているようにも伺える。ロクアンズとレトヴェールがあわててエアリスのもとに駆け寄った。

 「だいじょうぶ!? おばさん!」
 「エリ、どうかした? 具合でも悪いの?」
 「……。いいえ、なんでもないわ。だいじょう」
 
 ぶ、と言いかけてエアリスが身体を左右に揺らした。途端、その場に倒れこむ。ロクアンズもレトヴェールも目を大きく見開き、エアリスの身体に飛びついた。床にべったりと張りついた腰のあたりをロクアンズがゆさゆさと揺り動かす。

 「おばさんっ! おばさんっ!」
 「ちが……」
 「え?」
 
 倒れ伏したエアリスの横顔を呑みこむようにして、鮮やかな赤の液体が、木張りの床を侵食した。

 
 窓の外では雪が降りはじめていた。
 しんしんと。
 雪は静かに、すこしずつ、そしてたしかな冷たさとなって降り積る。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.69 )
日時: 2020/04/16 14:54
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第064次元 日に融けて影差すは月ⅩⅢ

 青々と生い茂る木々に囲まれたレイチェル村の空は高い。草原の中を軽快に駆け抜けて目指すのは、村の北東にあるシーホリー一家の住まう家だ。からりと乾いた風に煽られて青い葉が舞っている。彼女の髪色はそんな爽やかな景色によく溶けこんでいた。
 木の扉のすぐ横にぶら提がった鈴つきの紐を揺らすと、からんからんと心地よい音が鳴る。次いで彼女は、大きな声で扉の向こうに呼びかけた。

 「カウリアさーん!」

 しばらくして家の中から出てきたのは、小麦色の髪を高い位置で一つに縛った女性だった。カウリアは片手に小袋を携えていた。

 「おう、ロクアンズ。そろそろ来るんじゃないかと思ってたよ。はい、頼まれたもん」
 「ありがとう! ねえ、キールアは?」
 「ああ、朝に薬草を採りに行かせたんだよ。もう戻ってもいい頃……あ」
 「ロク?」

 背中に呼びかけられ、ロクアンズは振り返った。二つに結い分けられた小麦色の髪は高い位置で結ばれている。きっと母であるカウリアの好みなのだろう。キールアがロクのそばに駆け寄ろうと足を速めると、彼女の手から提がっているバスケットが揺れた。

 「来てたんだ」
 「ちょうどいまね。カウリアさんから薬もらいに」
 「そっか」
 「ねえちゃー!」
 
 どたばたと足音をうるさくして玄関から飛び出してきたのは、キールアよりもうんと背の低い少年だった。彼女とおなじ色の髪をした彼は、紫色の両目を輝かせていた。姉の帰りを待っていたらしい。

 「ねえね、おかえり」
 「ただいまイズ。お姉ちゃんを待っててくれたの?」
 「うんっ」
 「そっか。じゃあお姉ちゃん、イズと遊ぼうかな」
 「ほんと? やったやった!」

 自分も自分もと言いだしたかったが、早くこの薬を自宅に持って帰らねばならない。姉弟が家の中に戻るその背中に後ろ髪を引かれつつ、ロクはシーホリー宅をあとにした。



 「ただいまーっ!」

 玄関を扉をくぐりながら家中に聴こえるように言う。返事はない。居間にはだれもいないようだった。ロクは真っ先にエアリスの部屋へ向かった。
 エアリスの部屋の扉を開けると、彼女は寝台の上で上半身だけを起こし、顔を窓の外へ向けていた。扉の音に気がつき、彼女は振り返る。

 「やっぱりロクアンズだったのね。おかえりなさい」

 穏やか声が室内にふわりと広がる。迷える子羊を導く聖母のような微笑みでロクを部屋に招き入れた。しかしその頬は、病に倒れる前と比べると確実に痩せこけていた。
 
 エアリスがこうして病床に臥せるようになったのは3年前からだ。当時はまだ「大丈夫」と余裕の色を見せる日が多かったものだが、最近では10日に2、3日活動できる日があれば調子がいい方だ。当然、調薬士であるシーホリー夫妻には3年前から定期的に診てもらっている。しかし彼らの技量をもってしても、快復には至らなかった。それどころか病状は年々、悪化している。"原因不明"の病だった。
 ロクは寝台まで近づくと、エアリスに小さな布袋を差し出した。

 「はい、これ。カウリアさんからもらってきたよ、薬。あとで水も汲んでくるね」
 「ありがとう」
 「あと……」

 もう片方の手に持っていたものをロクは差し出した。それは羊皮紙で拵えられた薄い便箋で、宛名と送り主の名前を綴っている文字はメルギース語に似ても似つかない。しかしロクはその送り主がだれかを知っていた。

 「これ、届いてたって。たぶん、おじさんから……」
 「あの人から?」

 シーホリー宅へ向かう前、ロクは街に出かけていた。林道を抜けたところにあるカナラ街だ。街中にある役場で、エアリス・エポール宛てのものはないかと訊いてみたところ一通の便箋が届いていると言われた。ロクはエアリスから預かってきた身分証を見せ、本人確認が済むと便箋を受け取った。手のひらに乗るくらいの小ぶりな木板で拵えられたその身分証には役場の判子がされている。もちろん発行元も同所だ。
 カナラ街などの繁華街に出たときに、買い物がてらに役場に寄って帰るという人は少なくない。というのも、遠いところにいる人間との連絡手段として文通が発展し始めてからのことだ。運び屋、という職人も徐々に母数を増やしつつある。メルギースの交通技術はいま、荷馬車での移動が主なため、荷車や馬を持たない者たちにとって運び屋は嬉しい存在だった。
 運び屋たちの手から手へと渡ってきた便箋をロクから受け取ったエアリスは、その裏側を見た。細い黒筆で書かれた名前を視認すると、彼女は自然と口を緩ませた。

 「あの人だわ。まったく、最後にお手紙を送ったの、いったい何月前だと思っているのかしら。しかたのない人ね」
 
 くすくすとエアリスが子供っぽく笑う。あまり陽を浴びなくなったせいか、もとより色白である肌が余計に透き通るようになった。嬉しそうに封を切るエアリスの顔を見ながらロクは静かにしていた。
 じっくり時間をかけて手紙を読み進めるエアリスを見ているうちに、だんだん自分もその文面に興味が湧いてきて、ロクは寝台に身を乗り出した。

 「あらロクアンズ、お手紙に興味があるの?」
 「うんっ。……でも」

 ロクはまじまじと文面を見つめる。すこし黄ばんだような、ざらざらしたその紙の表面にびっしりと並べられた文字たちはまるで異国の呪文のようで、何度首をひねってみてもロクには読めなかった。封筒に書かれた宛名、それと送り主の名前を綴っているらしい文字とおなじような形をしていることだけはわかった。
 
 「ねえ、この文字、おばさんに習った文字とちがうよね? ぜんぜん読めない」
 「これはね、ぜんぶ古語なの。遠い昔に使われていた文字。言葉もどんどん発展してきているから、いまじゃ、もうどの古文書を開いてもそれを読める人はすくないでしょうね」
 「おばさんは? これ、読めるの?」
 「ええ」
 「どうして?」

 エアリスは、美しい金で彩られた瞳で手紙を見つめた。それから、紙の表面に綴られた古文字を指先で撫でた。

 「……この文字が使われてる本が、昔の家にたくさんあったから。この家にもすこしはあるのよ。それに私、古語の読み方はお母さんに教えてもらったの。お母さんも、祖母に教えてもらって……。あなたも読めるようになりたい? それならおばさん、喜んでロクアンズにも教えてあげるわ」
 「ほんと!? あたし、古語読めるようになりたいっ!」
 「それじゃあ、毎日お勉強の時間を設けなきゃね」
 「やったあ! ねえ、レトは? もう知ってるの?」
 「ええ。あの子にも簡単な文法を教えたことがあるの。でもね、そうしたらあの子、いつの間にか古語で書かれた本を読むようになっていたのよ。私びっくりしちゃった。いまでもよく見かけるわ」
 「うっわあ……熱心どころじゃないよ。なんかもう、こわっ」
 「こらこら。怖がらない」

 エアリスの笑った顔を見ていると、彼女が病気であることをつい忘れてしまう。子どものように無邪気な顔になるせいだろう。ついつい、彼女につられて頬が緩んでしまうのもしかたがなかった。
 ふいにロクは、ずっと疑問に思っていたことがふわりと脳裏に浮かんでくるのを感じた。上目遣いでエアリスの顔色を窺うと、もごもごとしていた口元に白状させた。
 
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.70 )
日時: 2020/04/16 14:54
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第065次元 日に融けて影差すは月ⅩⅣ

 「ねえ、おばさん……アノヴァフおじさんって……」

 その先の言葉は紡げなかった。「どうして帰ってこないの?」「どこでなにしてるの?」「どんな人?」──いろいろと候補はあったけれど、どれも不適切な気がした。それに気がついたのは、エアリスの夫であるその人物の名前を口にしてからだった。同時に後悔した。
 エアリスはそんなロクの心情を察してか、ゆるゆると首を振った。

 「会えることは、しばらくないでしょうね……。お仕事がすごく忙しいみたいなの。だから、こうしてお手紙をくれるだけで本当に嬉しいのよ。普段は物静かで口数も少なくてね、あんまり表情も変わらない人だから、なにを考えているのか最初はぜんぜんわからなくて……でも、その独特な雰囲気に惹かれる女性は多かったわ。彼がこの村に来たとき、みんな目の色を変えたものよ。もちろん私も。いまではそんな彼の考えてること、顔を見なくてもわかるようになった」
 「顔を見なくても? わかるの?」
 「ええ。そうよ」

 ロクは「ふぅん」と曖昧に返事をした。遠く離れた場所にいる人間の気持ちがわかるだなんて、どうにもロクには理解しがたかった。しかしエアリスの表情は至って真面目だ。きっと、そのアノヴァフという男と彼女との間には他人には侵せない絆があるのだ。夫婦とはそういうものなのだろうか、とも思った。
 ロクはアノヴァフに一度も会ったことがない。だからこそ、エアリスの夫でありレトヴェールの父であるその男の正体が気になっていた。手紙が届くたびに、送り主の名前を綴ったへんてこりんな文字を見るたびに、その興味は募っていった。しかしエアリスから、しばらく会えないと告げられた以上、詮索することは躊躇われた。それならと、べつの話題をロクは持ちかけた。

 「じゃあどうして古語を使って手紙書いてるの?」
 「それはね……昔からそうしているの。夫婦になる前からあの人とはよくお手紙の交換をしたわ。最初に使い始めたのは私。読めるはずないだろうって思って、文章の中に混ぜた。そしたらあの人、おなじように古語を使ってお返事をくれたの」
 「おばさんはなんて書いたの?」
 「あなたのことをお慕いしています。って、そう書いたのよ」
 
 直接文字に興す勇気がなかったから、ずるをしちゃった。エアリスははにかみながら言った。いつもの母親らしさはなく、少女の頃に還ったかのようにあどけない。頬もすこし赤らんでいた。顔が熱くなったことを本人も自覚したのか、思いついたように咳払いをした。
 
 「この話は、ここでおしまい」
 「ええ~?」
 「きっと会ったらわかるわ。私の言ったこと」
 「うぅん……。でもなんか、レトみたいだね。無口で、あんまり表情変わんないなんて」
 「そうね。あの2人はそっくりだわ」
 「顔はおばさんそっくりなのにね、レト」

 ロクがそう言ったのには深い意味はなかった。性格は父と似ていて、容姿は母に似ている──。たったそれだけのことを微笑ましく言ったつもりだった。
 しかし、エアリスはじっとロクの瞳を見つめ返していて、すぐには返答をしなかった。やや間があってから、彼女は告げる。

 「あなたが3年前に言ってくれたこと、私、ちゃんと覚えてるわ」
 「3年前?」
 「『おばさんみたいになりたい』……って。すごく嬉しかった。私は、自分の生き方に自信があるわけではないけれど、義母として誇りに思ったの。あなたになにかしてあげられたのかな、それなら、よかったなって」

 嘘や、慰めの意がその目にはいっさい含まれていなかった。雪の降る中「うちにおいで」と手を引いてくれた日とまったくおなじだ。レトヴェールと自分とで、決して色を変えたりしない彼女のその金色の瞳がロクは好きだった。
 エアリスは、安心したように笑って言った。

 「この先も、ずっと忘れないでしょう。死んだって忘れたりしない」

 小さな針でちくりと胸を刺されたような、そんな感覚を覚えた。が、それもたったの一瞬だった。大好きなエアリスの笑顔を前にしていると、胸中で荒立った小さな波などすぐに穏やかになる。

 「薬を飲むから、お水持ってきてくれる?」
 「うん。あとで洗濯物も見てくるね! なにかあったら、すぐに呼んで。すっ飛んでくるからっ」
 「あら嬉しい。ありがとう、ロクアンズ」
 
 ロクは部屋をあとにした。毎日欠かさず薬を飲み、元気なときには動き、けたけたと笑いもする。見えない敵と戦い続けるエアリスのために、ロクはできる限りのことをしたいと心に決めていた。
 
          *
 
 裏庭の整備で手が離せないというロクアンズに代わって、今日はレトヴェールがカナラ街まで足を運ぶことになった。肩から提げた布製の鞄には、1枚の紙といくらか銭を入れた小袋、そしてまだ読み途中の本が1冊入っている。紙が示す通りに、まずはカナラ街にある役場に寄らなければならなかった。
 役場の出入り口は開放的な造りになっている。順番待ちの列の最後尾の人たちが入り口付近に溜まっていた。レトは室内にいる人の多さに圧倒された。勝手がわからない彼はとりあえず窓口に向かって一直線に人が並んでいる列の最後尾に立ち、人々がはけていくのを待った。待つだけの時間にも飽きてきて、自分たちの列以外のところはどうだろうか、と顔を横に振ったときだった。
 ずらりと人が立ち並んでいるほかの列の、ずっと後方。視界の端でなにかを捉え、思わずそちらを見た。

 (……?)

 室内の隅に、人物の頭がひとつ抜けて立っていた。ほかの町村民とは明らかに立ち振る舞いが異なっている。その人物は、屋敷の柵の前で警護を仰せつかっている番人のようにじっとしている。周りにいる人間が大人ばかりなので肩から上しか見えないのが残念だった。
 「次の方どうぞ」という声で我に返ったレトは、いざ自分の順番が訪れると緊張を催した。いかにも不慣れな様子で、エアリス宛ての手紙の有無について問いかける。
 
 「ああ、きてるぜ。差出人……はたしかいつもとおなじだ。身分証はあるか?」
 「え? あ」
 
 しまった、とこのときレトは数十分前の自分を恨んだ。身分証を呈示しなければ手紙を受け取ることができないということが、頭からすっかり抜け落ちてしまっていたのだ。いつも役場での用事をロクに委ねていたのが悔やまれる。身分証にまで頭が回らなかったのはそのためだろう。
 引き返すしかないか……とレトが沈んだ表情をしていると、窓口に立っていた男がこんなことを言ってきた。

 「なあおめえさん、エアリス・エポールさんとこの子だろう? 今回は見逃してやるから、次からは気をつけな」

 男はなんの後腐れもなく便箋を差し出してきた。役場に訪れることすらも珍しいレトの顔をこの男が覚えているという事実がどうも信じがたい。たとえ以前、この男が偶然にもエアリスを担当したときにたまたま自分が傍にいたとしても、毎日大勢の人たちと顔を付き合わせる仕事なのだ。来場者の顔などいちいち覚えていられないだろう。
 レトが訝しむような視線を向けてきたので、男は代わりに大げさな笑みを返した。

 「なんでだって顔してんな? そらわかるさ。おめえさんもエアリスさんもべっぴんさんだからな。さすが、王家の血を引いてる人間たちってのは顔立ちも普通じゃねえ。おっと、いまは廃王家っつうんだったか?」
 「……。や、なんでもいいです。ありがとうございます。……あの」
 「ん? なんだ?」
 「ひとつだけ質問いいですか」
 「ああ。後ろにもまだ並んでっから手短にな」

 手短に、と言うがこの男のほうこそ王家だなんだと無駄話をしたのではないか。レトは少々腹を立てたものの、しかし単なる興味本位で時間を消費するなんて、ほかの来訪客に迷惑をかけかねない行為なのは事実だ。訊こうか、やめておこうか。しかし最終的には好奇心のほうが勝ってしまい、彼は思い切って言った。

 「後ろのほうに、へんな雰囲気の人が、立ってたんですけど……あれは」
 「ああ。政会から派遣されてきたんだとよ」
 「政会?」
 「なんつったかなー……なんとかっていう一族の生き残りがこのへんに潜んでるらしいとかで、探しに来ただかなんだか言ってたなあ。政会のやつらはもうずうっと昔から、血眼になってその一族を追ってんだとよ。しっかしなあ、いっこの血を完全に絶やさせるってのは正気の沙汰じゃねえよ。それもひとつのでっけえ組織が世界中を探し回ってるときた。いったいどんなやつらなんだ? ……ああ、安心しろよ。おまえさんとこじゃあねえ」
 
 レトは礼を言って男から便箋を受け取り、列の先頭から外れた。そして出入口に差し掛かる数歩手前になって、室内の端のあたりを視線だけで凝視した。まだそこでは長身の人物が山の如くどっしりと構えていた。それも1人だけではなかった。反対側の壁際にもおなじような出で立ちの男が立っていたのだ。レトは最初に発見した人物のほうに注目し、今度は頭のてっぺんから爪先までしっかりと確認した。男だとわかったのはすぐのことだ。

 濃紺に金の刺繍が誂えられた長めのコート。堅実そうな強ばった顔のパーツの中で、特に際立っていたのは真一文字に結ばれた口と──獲物を狩らんばかりにギラついた目だった。それは反対側にいるべつの男も同様だった。
 このときレトの脳裏に、その濃紺の制服が深く刻みこまれた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.71 )
日時: 2020/04/16 14:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第066次元 日に融けて影差すは月ⅩⅤ
 
 生き残りの一族──。そう聞いてレトヴェールが真っ先に思い浮かべるのは、自分とエアリスのことだ。

 エポール一族の血筋であることは理解しているものの、自分の身体に王族の血が流れているという実感は薄い。
 いまから200年ほど昔。エポールの姓を持つ者たちが王族として国を背負っていた。が、"なにかの事件"をきっかけに、エポール一族は急速に衰退していったと伝えられているのだ。ある者は病に陥り、ある者は自らの首を括り、またある者は『これは呪いだ。この血を継いではいけない』と周囲に吹聴した。
 そうして徐々に王家の血脈は勢いを失くし、事件後、50年あまりで王制に幕が下ろされた。現在ではまるで風前の灯火のように絶えかけている。役場の男が悪びれもなく口にしていた「廃王家」というのは、彼の創作言葉ではない。細々と生き残っているエポール一族の子孫に対して使われている造語だ。いつ発祥したものかはだれも知らないし、だれが言い始めたのかも不明瞭だった。それも当然といえば当然だ。
 王制が廃止されてから150年という時間が経過している。レトは、自分とエアリス以外にエポール一族の血を持つ者はこの世にいないのではないか、とこの頃からすでにそう推測していた。
 
 カナラ街の林道を抜けてレイチェル村に戻ってきたレトは次に、シーホリー宅をめざした。エアリスの薬を買い取る仕事が残っている。
 見慣れた煉瓦造りの家屋に到着すると、玄関の扉のすぐ横の外壁からぶら下がっている紐を揺らした。上部に取りつけられた二つの鈴がからんからんと乾いた音を鳴らす。
 カウリアのことを苦手としているレトは道中からすでに身構えていたのだが、扉の奥から現れたのがキールアだったため、少々面食らった。

 「あ……レトヴェールくん」

 キールアは驚きこそすれ怯えることはなく、「おはよう」と柔らかい口調で続けた。3年という時間を、いっしょに遊んだり食卓を囲んだりして共有してきた結果だ。とはいえ、2人ともロクアンズのように積極的な性格の持ち主ではない。仲が進展したかと問われれば、否であった。

 「母さんの薬買い取りにきた」
 「ああ。うん、ちょっと待っててね」
 「ん」

 レトがいつもの調子で冷たい話し方をしてもキールアは幼少期ほど動じなくなった。怒っていてもいなくても、声のトーンがさほど変化しないという彼の特徴を無意識のうちに掴んだのだろう。
 キールアが後ろを振り返り、小走りになりかけたそのとき。居間の奥の廊下から前掛けを身につけたカウリアと、彼女と手を繋いでいるイズリアが現れた。不在だと思っていただけに、レトは急に緊張する羽目になった。

 「おー、坊主。珍しいねえ。今日はあんたがおつかいに来たのかい? エライエライ」
 「……どうも」

 褒められたというより小馬鹿にされたような印象を受け、レトはむすっとして声を低くした。その反応さえも楽しむかのようにカウリアはけたけたと高笑いする。
 イズリアがじぃっとレトの顔を見上げていた。レトは幼い子どもの相手をするのが大の苦手だった。
 そのうえ、独特な妖しい光を放つその紫色の眼をまじまじと見つめてしまうと、たちまち目が離せなくなってしまうことをレトは知っていた。シーホリー一家の瞳はそれほど魅力的だ。

 「せっかく来たんだ。ちょっと茶でも飲んできな」
 「え? べつに俺は……」
 「いーから。どうせ家帰ったって、本読むしかしないんだろ。薬を渡すついでさ、ついで。キールア、お茶を淹れておくれ」
 「うん」

 カウリアが前掛けの紐を解きながら歩きだしたので、レトは彼女の後ろについていくように家の中へ入った。従来通りならば家中に蔓延している薬類の匂いにやられて顔をしかめるところだが、彼はそちらにはまったく意識をとられなかった。それもそのはず、広い居間のあたり一帯に、風呂敷の包みやら大小さまざまな箱やらが散乱していたのだ。代わりに、どの棚もほとんどなにも収納されていなかった。数冊の本やいくつかの空き瓶が置かれているにすぎない。

 「……?」
 「ふぅー。ずっと作業してたから、疲れちまった」
 「お疲れ、お母さん」

 カウリアが木の椅子の背凭れに前掛けを引っかけたそのとき、床に座りこんで1人で遊んでいたイズリアがおもむろに立ち上がった。

 「ねえおかあさん、おそといってもいい? ぼくおそとであそびたい」
 「今日はだめ。うちで遊びな」
 「きょうも、だよ。ねえねもあそんでたって……」
 「イズ。だめと言ったらだめ。わかった?」
 「……」
 「大丈夫。数日のうちにはね、お外で遊べるようになるから」
 「ほんとっ? うそじゃない?」
 「ほんとさ」
 「やった! ねえおかあさん、やくそくだよ」
 「よかったね、イズ」
 「うんっ」

 イズリア、キールア、そしてカウリアの3人が団子になって笑い合う。その光景は微笑ましいものだった。が、レトは、一層目を鋭くさせていた。3人の小麦色の髪だけを凝視していたのである。
 彼女たちの身体にはおなじ血が流れている。ここにイスリーグ・シーホリーが加わってもおなじことだ。キールアの瞳の色だけが異なっているという点を除けば、4人の容姿も纏っている雰囲気もじつに家族らしい。
 健康な母。
 家族の傍にいてくれる父。
 血の繋がった姉弟きょうだい──。
 海底に向かって沈んでいくように考えごとをしていたレトは、カウリアに呼びかけられたことによって、現実に引き揚げられた。

 「あんた、まだ突っ立ってたのかい? あたしを待たずに、座っててよかったのに」
 「……」

 ついさっきまでは持っていなかったはずの風呂敷の包みを2つ、手元から提げてカウリアは小首を傾げた。彼女が席に着いたので、レトも椅子を引いて彼女の正面に座る。キールアが横から「はい」と紅茶の入ったカップを差し出してくる。カウリアが「キールア、向こうでイズと遊んでやって」と促すと、キールアはイズリアの手を引いて奥へ引っ込んだ。
 カウリアがテーブルの上に子どもの頭くらいありそうな大きさの包みを2つともどんと置いた。これまでよりもずっしりと重たそうで、中に入っているであろう薬の量も多いと伺えた。レトは素直に疑問を口にした。
 
 「いつもより、多くないすか」
 「ああ。ちょっとね、じつは、この家空けるんだ。もうすこししたら」
 「え?」
 「だから数十日分、渡しておく。なくなる頃になったらキールアに届けさせるから心配はいらないよ」
 「あ、空けるって……どこに」
 「森の奥のほう。十分往復できる距離さ」
 「……」
 「あんたさ……うちの一家について、どのくらい知ってる?」

 カウリアは声を張らずに、ぼそりと零すように言った。突然のことで動揺したレトはすぐには返答できなかった。
 
 「え、と」
 「いいから。なんでも」

 涼しい顔をしてカップに口をつけるカウリアの質問の意図がわからなかった。しかし彼女は依然としてレトの言葉を待っているようだった。
 レトは、シーホリー一家について思いつく限りのことを述べた。

 「……家族構成は、4人で、調薬師のカウリア・シーホリーとイスリーグ・シーホリーの間に、2人の子どもがいる。11年前に生まれたキールアと、3年前に生まれたイズリア。カウリアさんはうちの母エアリス・エポールとは幼い頃からの親友で、周囲の男児とよくケンカをして泣かせていたほどの乱暴な人で、この村でイスリーグさんと出会って、村を出た。それで何年かに1回は村に帰ってきてて、また出てってを繰り返して……3年前、出産のために戻っきてきてからはずっといて……。カウリアさん?」

 しどろもどろになりながら言葉を捻り出していたレトがふとカウリアのほうを見ると、彼女は後ろを向いて椅子の背凭れを掴み、わなわなと震えていた。どうやら笑いを堪えているらしかった。ついに我慢できなくなった彼女は堰を切ったようにどっと大声をあげた。

 「あっははは! なるほど、なるほどね。いやー、正解だよ。すっごく正解」
 「……なんか、間違ってました?」
 「いーや、なんも。そっかそっか。……なら、いいや。うん。それだけで十分だよ」

 目尻に浮かんだ涙を拭いながらカウリアははにかんだ。レトが釈然としない調子でいると、そのとき、廊下の奥からキールアが現れた。

 「おう、どうしたキールア」
 「イズがここに忘れ物したって……。それよりもどうしたの? お母さんの笑い声、こっちまで聞こえてたよ」
 「あー、なんでもないよ。気にしないどくれ」
 「あの、俺、そろそろ戻ります」
 「そうかい? そんじゃあキールア、ついでだからあんたもエリんとこ行っといで。坊主1人じゃ重いだろうし、帰りに小麦とミルクを買ってきてほしいんだ」
 「わかった」
 「頼んだよ」

 カウリアがキールアの頭を撫でる。キールアは嬉しそうに頬を染めて、満面の笑みで「うん」と返事をした。廊下の奥からのっそりと出てきたイズリアが、「ねえね、はやくかえってきてね」ともじもじしながらねだってきたので、キールアは大きな包みの1つを両手で抱えてみせた。

 「うんっ。お姉ちゃん、すぐ帰ってくるよ」
 「……」

 このときレトは、なんとなくキールアの笑顔を見ていることができなくて視線を逸らした。机の上に代金を置き、すばやく自分も大きな包みを抱えると、ずっしりとした重たさが両腕にのしかかってきた。これがすべてエアリス1人で服用する薬の量なのだと実感してしまう。そこから一歩も動けなくなりそうな重さだなと錯覚したのは、ほんのわずか一瞬のことで、正気を取り戻すのは早かった。
 歩けないほどの重さではないのに、歩けないと思いたかったのだろうか。
 レトが一歩、踏み出したところで、カウリアが「坊主」と声をかけてきた。

 「キールアのこと、頼んだよ」

 レトは、完全には振り返らず中途半端に頭を下げた。キールアが「いってきます」とカウリアにかけながら玄関の扉を開け、外に出る。その横をレトが静かに水が流れていくようにするりと抜けた。挨拶はしなかった。扉をゆっくり閉め終えると、すでにレトの背中は遠のいていて、彼女は急いで彼の隣まで駆け寄った。

 「歩くのはやいんだね、レトヴェールくん」
 「……」
 「重たくない? ごめんね、急なことで……。でも、これからもちゃんと届けに行くから」
 「……」
 「……あ、の……」

 まるで知り合って間もない頃に時間が遡ってしまったかのようだった。返事が返ってこない。こちらを向かない。時間をかけたおかげで多少なりとも会話が成り立つようになったと勘違いしていたのだろうか。急に不安がこみあげてきて、キールアからはなにも発言できなくなった。

 「……」
 「……」

 ──様子がおかしい、とは勘づいていた。けれどキールアはレトに「様子がおかしいよ」と告げる勇気がなかった。どうせ返事が返ってこないのであれば最初から投げかけないほうがずっといい、とさえ思った。
 キールアの足が緩やかに速度を落とし、ぴたりと動きを止めた。しかしレトはずんずんと先へ足を進ませる。彼女を置いて先へ行く。彼女は駆けだし、彼のすこし後ろについた。

 道中、「もう俺が2つとも持つから」とレトが言いだすまでの間に、2人の距離は大きく開いていた。
 彼らはそこで別れた。



 レトが家に帰り着くと、室内はしんと静まり返っていた。ロクアンズは裏庭の川まで洗濯に出ているのだろうか。
 大きな包みの1つを居間のテーブルの上に置いて、もう1つをエアリスの部屋まで運ぶ。彼女の部屋に入ろうとノックをしかけた、まさにそのとき。

 「……ごほっ、ごほ」

 扉の奥から、ひどく咳きこむような声が聴こえてきた。扉の表面を叩くことができず、レトはしばらくの間、扉のすぐ前で立ち尽くしていた。風呂敷の結び目を掴んだ右手が痛くてしかたがなかった。
 咳の声がまだ止まないうちに、レトは扉を背もたれにしてその場に座りこんだ。
 薬の包みを床に置く。ぎゅっと膝を抱えて、いつまでもそうしていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.72 )
日時: 2022/12/30 23:05
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 第067次元 日に融けて影差すは月ⅩⅥ

 シーホリー一家がレイチェル村を離れてから、二月ほど経過した。心地よく晴れた日の朝、エポール宅では、ロクアンズがせっせと居間の掃除に勤しんでいた。水を含んだ布の切れ端を固く絞り、床の上にぼとりと落とすと、彼女は勢いよく床の上を駆けずり回った。光が反射するくらいまでピカピカに磨きあげることに成功したので彼女は満足だった。
 そこへ、玄関の扉がトントンと響いた。ひと月ぶりにキールアがエポール宅へやってきたのだ。彼女は肩から麻で拵えたような布袋をかけていた。

 「キールア! 久しぶりだね!」
 「久しぶり、ロク。これ、おばさんに」

 と言って、キールアは布袋から風呂敷の包みを取り出すと、ロクに手渡した。

 「わあ! いつもありがとう、遠いのに。でも大変だったらすぐ言ってね? ここまでくるのにけっこうかかるって聞いたし、あたし、ぜんぜんキールアの家に取りに行くよ」
 「ううん。大丈夫だよ。それにロクはエアリスおばさんのそばにいてあげなきゃ」
 「うん……。でも、それじゃあいまごろ、イズリアが寂しがってるね。遊び相手がいなくなっちゃうんだもん」
 「……」

 ロクは言ってからはっとして「あがる?」と気を利かせた。だけどもキールアが扉の近くで立ち止まったままなので、小首を傾げた。キールアはすこしだけ寂しそうに笑った。

 「そんなこと。イズには、お母さんもお父さんもいるよ。わたしもイズもまだ子どもだから、山の中でいっしょに遊んだりしちゃだめだって。だからお母さんがイズに言葉とか文字とかを教えてて、わたしは近くでいつも薬草摘みしてるの」
 「そうだったんだ。じゃあ、キールアはあんまり遊べないんだね」
 「うん……あ、でも、薬草摘みもすごく楽しいよ? はやくお母さんやお父さんみたいにいろんな薬草を覚えて、もっとたくさん薬を作れるようになりたいから」

 キールアは笑顔を浮かべていたが、どこか無理をしているのではないかとロクは心配になった。そこでロクは、沈むキールアの手をつかんで言った。

 「ねえキールア、久しぶりに会えたし、これからいっしょに遊ぼうよ!」
 「……え、これから? 本当に?」
 「うん! お昼食べ終わったら山ん中探検しよーって、レトと約束してるんだっ。だからキールアもいっしょに!」
 「……」

 山暮らしのため、普段はなかなかロクと会う機会がないキールアにとっては願ってもいない誘いだった。が、彼女は突然、表情を一変させた。
 キールアは俯いたままで、ぎこちなく首を横に振った。

 「わたしは、いいよ。これから行かなきゃいけないところもあって。……ごめんね、ロク。せっかく言ってくれたのに」
 「え、それはいいけど……。もしかしてまた薬売りに?」
 「うん。今日はカナラまで。お母さんから頼まれてるから。いまは薬を売るのが唯一の稼ぎだし」
 「そっかあ……。じゃあ、しょうがないね。また遊ぼうねっ、キールア」
 「……。うん、また」

 キールアは軽くなった麻袋の紐をぎゅっと掴み、玄関の扉から外へ出て行った。
 ロクはしぼらく扉を見つめていたが、やがて目を離した。そのとき、どこから現れたのかレトヴェールの顔が近くにあったので、ロクは飛び退いた。

 「おぅわっ!? び、びっくりしたあー……。いたんならそう言ってよっ、レト。せっかくキールアがきてたんだよ? ちょっとでも会ったらよかったのに」
 「べつにいい。あいつだって、家族のために忙しいんだろ」
 「え? まあ、そうだろうけど……」

 小難しそうな分厚い本を脇に抱えて自室に戻っていくレトの背中を、ロクは見えなくなるまでなんとなく目で追っていた。

 「……?」

 いつの頃からだったか、レトとキールアが揃っているところをまったく見かけなくなった。最後に2人が会話しているのを見たのは、まだシーホリー一家が村に住んでいたときのように思う。
 彼らが揃って居る場には常に自分も一緒にいた。ロクはふと、自分が不在のときには2人はいったいどんな話をするのだろう、と考えた。大人しい彼らのことだから、きっと隣には座るものの、互いに本を黙読したりするだけの緩やかな時間の過ごし方をしているにちがいない。想像してみるとおかしくて、ロクはこのときあまり深く考えることをしなかった。

 「……あ! そうだっ、あたしもカナラの役場に行かなきゃなんだった!」

 家で療養しているエアリスの代わりに役場に手紙を出しに行くのもロクの仕事の一つだ。磨いたテーブルの上に、エアリスがアノヴァフ宛てに書いた手紙が置きっぱなしになっている。ロクはそれを掴んで、慌てて家をあとにした。



 「おーい! キールア!」
 「!」

 遠くに小さく見えるキールアの背中を捕まえるようにしてロクが叫ぶと、キールアがそれに気がついて立ち止まる。振り向くと、ロクがぜえはあと息を荒くしながら歩み寄ってきていた。

 「よかったーっ、追いついた!」
 「ど、どうかしたの? ロク」
 「じつはあたしもカナラに行く用事があってさ。遊べなくても、せめていっしょに行きたいなと思って」
 「ロク……。うんっ、わたしもいっしょに行きたい」
 「やった!」
 「でも、ロクはなんの用事?」
 「えっとね、おばさんのお手紙出しに、役場まで!」
 「へえ。そうなんだ」

 2人が肩を並べて歩き始めてから、すぐのことだった。鍬を肩に担いだ男が2人の横を通り過ぎたそのとき、

 「なんだ? この匂い」

 男が、道端でおもむろに立ち止まった。彼の一言によってロクアンズとキールアも足を止め、振り返る。そこへちょうど、花束を抱えた長身の女が通りかかった。村の人間はみなお互いに顔見知りであるため、彼女はなにとなく男の傍まで寄り、小首を傾げる。

 「なに、どうかしたの?」
 「なんか変な匂いがしないか? 鼻をつんと刺すような」
 「ええ? ……あら、ほんとだわ」

 そのとき。キールアが途端に顔つきを変えた。彼女はぴくりと眉を寄せて黙りこむ。そのうちに、押し殺したような声で言った。

 「……マナカンサス……」
 「え?」

 キールアがぽつりと放ったマナカンサスという言葉に、近くにいた長身の女が「あら」と反応した。彼女はこの村で花や蜜を取り扱っている店の主人だ。

 「マナカンサスの花はこんな香り、しないはずよ? 匂いがなくて見た目も華やかだから、お部屋を飾ったりするのによく買われるお花なの。こんなに強い香りがしていたら、とてもお部屋になんか置けないわ」
 「そうなんだ。へえ」

 キールアは納得がいっていない様子で固く口を噤んでいる。ロクは、珍しく難しい表情をするキールアの顔を覗きこんだ。女性は続けて付け加えた。

 「それにマナカンサスはとても栽培が難しいのよ。この近くでは、自然に生えているところはなかったはずだけど……」
 「だって、キールア」
 「……燃やすの」
 「え?」
 「あの花は……火に、くべると、一輪でもとても強い刺激臭がする。薬にするのに、火で燃やすの。お母さんに教えてもらったし、わたしも作ったことある、から、匂いもちゃんと覚えてる。それに……」
 「それに?」
 「……」
 「キールア……?」

 キールアは、蚊の鳴くような小さな声を震わせて、言った。

 「……わたしの、家の周りにいま、たくさん植えてるの。──でも薬にするのは、一月も先で……っ」
 「煙あがってないか、あれ」

 男が、鍬を持っていない方の腕をあげて、森の広がっている方向を指差した。

 「森の向こうだよ、ほら、おっきな煙が」
 「あら、ほんと。だれかが狼煙をあげているのかしら」
 「狼煙にしては煙の範囲が大きくないか?」
 「たしかに、そうね……」
 「──」

 キールアは、男が指差した方向へ顔を向けた。それは自分の家がある方向でまちがいなかった。
 風に乗って運ばれてきたマナカンサスの香り。
 空へ延々と立ち昇る濃灰の柱。
 ──突然、キールアは胸にどしんと重石を落とされたかのような焦りを覚えた。直後、彼女はわき目も振らずに駆けだした。

 「えっ! ちょ、ちょっと待ってキールア、どういうこと!? ねえ、待ってってば!」

 カナラへと向かっていた足先をくるりと真逆に揃え、2人は森を目指して走りだした。
 マナカンサスの花の香りがだんだんと濃厚になっていくにつれて、キールアの不安も膨張していく。2人は独特なその香りに導かれるまま森の奥地へと足を急がせる。

 上り坂になっている小道を簡単に走り抜けていくキールアの背中に、ロクは感服した。だてに自宅と村とを往復していない。可愛いらしく大人しい顔立ちの彼女の両脚は一度も動きを止めることなく働き続けた。
 森に入ってから、二刻ほどが経過した。マナカンサスの香りはすでに、鼻がひしゃげるほど強さを増していた。
 キールアが完全に立ち止まった。どうやら自宅に辿り着いたらしいことがわかったロクは、彼女のもととまで最後の力を振り絞って駆け寄った。
 が、
 
 「──ッ!」

 焼け焦げた花弁の強い香りと、火の粉と、煤とが、辺り一帯に蔓延している。

 家宅は全焼し傾き、なにかを耕していたであろう周囲の畑が黒い土壌と化している。ひどい悪臭が鼻腔を突き刺してくる。ロクはすぐさま鼻を指でつまんだが、からからに乾いた喉で息を吸うのも痛かった。小さな火の粒が左目に染みる。
 けれども、隣に立つキールアはその小麦色の瞳で、瞬きひとつしていなかった。

 「……。き、キール……」
 「……」

 ──そのとき。焼けて黒く染まった家宅の中から、人影が出てきた。
 2人は息を呑んでその場に立ち尽くした。
 徐々に明らかになっていくその人物は、紺の布地に黒と金の刺繍を誂えた軍服のようなものを羽織った、1人の男だった。

 「……」

 身体はやや細めであり、白髪を短く刈りあげている。獲物を眼前に据えた獣のような鋭い目だ。それに反して表皮は青白い肌であった。目つきと肌の色のちぐはぐさに、ロクは身が凍りつきそうな恐怖を覚えた。
 右手に小袋を掴んでいる以外にはなにも身に着けておらず、軽装だ。袋の布はところどころ丸く膨れあがっているため、中に入っているのは球状のなにかなのであろう。
 この男だ。この男の仕業にまちがいない。ロクは瞬時にそう確信した。沸き起こった怒りをぶつけようと息を吸った。唇を広げた。
 だが、

 「……」
 「……」
 
 キールアとその男が、無言で、お互いの顔を見合わせている。ロクはなぜか一言も、一息も発せなかった。「おまえの仕業か」とも、「どうしてこんなことを」とも、なにも。男の顔を見上げるキールアの横顔が、なにか尋常ではないものになっていたからだ。ロクはわずかに開いた口を、結んだ。
 男は2人の真横を通りすぎていった。
 ロクは息を殺して振り返り、男の背中が見えなくなるまで、ずっと森の奥を凝視していた。男が完全にいなくなる。ロクはおそるおそる、キールアの横顔を見やった。キールアは壊れた人形のようにまったく動かない。彼女の代わりに一歩、ロクは踏みだした。
 視界の先に、なにかが光った。

 「……?」

 地面の上になにか落ちている。ロクは訝しみながらそのなにかに近づいた。
 それがなにかを理解したとき、ロクは、言われようのない悲しみに心を喰い潰された。

 「………………え」
 
 それは紫色をしていた。
 鮮やかな紫の、眼球だったのだ。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.73 )
日時: 2020/04/16 14:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第068次元 日に融けて影差すは月ⅩⅦ


 『おいおい、なんだぁ? この子』

 自宅の扉から勢いよく飛びだしてすぐに、彼女の大きなお腹とぶつかった。彼女の顔を仰ぎ見たとき、なんて鮮やかで綺麗な紫色だろう、とその瞳に目を奪われた。心を強く惹きつけられたせいで、周りの景色が見えなくなったほどだ。

 眼が地面の上にころりと転がっている。だれのものかはわからなかった。カウリアか、イスリーグか、それともイズリアか──。
 3人のうち、だれかのものであるのは確実なのに、ロクアンズは現実から目を逸らしたかった。しかしその魅惑の彩りがロクの視線を捕らえて離さない。

 「それ…………」

 頭上から、ぽつりとか細い声が降ってきて、ロクはすかさず首を捻った。キールアがロクの足元に転がっているものを注視していたのだ。いつ我に返ったのか、虚ろだったキールアの瞳が大きく見開かれて、動揺の色に染まっている。

 「き、キール、あ、これ」

 ロクは必死に手を泳がせてそれを隠そうとした。しかし、遅すぎた。血の気の引いた真っ青な顔でキールアは叫び声をあげ、走りだした。

 「お母さん! お父さんっ! ──イズリア!!」
 「待って、待って、キールア!」

 ロクが絞りだした声も虚しく、キールアは真っ黒に焼き目のついた家宅の中へ飛びこんでいった。ロクは追いかけることができなかった。がくがくと膝が震えて、胸のあたりからぐんと涙が突きあげてきて、ロクはその場に崩れ落ちた。

 「お母さん!!」

 家の戸口を押し開けると、がらんと大きな音を立ててその黒い板が倒れた。部屋の中は真っ暗だった。真っ黒だった。
 キールアは入ってすぐに、口元を両手で抑えた。

 「──っ、……!」

 黒焦げに焼けたなにかが、床の上で折り重なっていた。太い棒のようなそれらは長い。黒一色になった2本の身体はぴくりとも動かない。なにかを守るみたいに覆い被さっている。

 「……っぁ、や……、ぁ……」

 キールアは、ゆっくりとそれらに近づいた。見たことのない姿をしていたそれらは、実の母と父にまちがいなかった。快活な母の笑顔。温厚な父の背中。なにもかも黒に塗り潰されている。
 ぼとり、と大きな粒が頬から流れ落ちた。ぼとり、ぼとりと。すでにキールアの顔はぐしゃぐしゃになっていた。

 「お父、さん……おか、あさ……」

 折り重なる父と母の前で、キールアは膝をついた。そのとき。彼女は2人の身体の下に、もうひとつ黒いものがあることを発見した。小さな手が床の上に伸びていたのだ。真っ黒だった。
 ぷつん。
 と、彼女の頭の中で張っていた理性の糸が切れた。
 キールアは絶叫した。

 「ああああああああああ──ッ!」

 喉が張り裂けんばかりの大きな声を聞きつけて、ロクがシーホリー宅に駆けこんできた。居間の中央で1人の少女が蹲り泣き声を散らしている。

 「キールア!」

 ロクはキールアの両肩を力強く掴んだ。ほんのすこしでも落ち着かせたかった。しかしキールアは、凍えているくらい全身を震わせて喚き続けている。

 「やだ、やだ、やだ! やだよ、やだよ、やだ、やだぁ……っ!」
 「キールア、ここを離れよう! ここから、はやく!」
 「……やだ……っ、うそ、うそって言ってよ、こんな、こんなの、ねえロク」
 「……」
 「やだよおかあさん……おとうさん……イズ……──死んじゃ、やだあっ!」

 小麦色の髪が、ロクの胸に飛びこんでくる。ぎゅうと強く、強くロクの身体に抱きついて、キールアは崩れ落ちた。それからずっとキールアは泣き叫んでいた。
 失ったのはたった一瞬のように思った。
 村に着くまでは。森に入るまでは。扉に手をかけ、振り返って、「いってきます」と言うまでは。
 生きていたのだ、と思い知らされる。世界の仕掛けみたいに当たり前に繰り返す毎日は決して当たり前ではないことを、このときキールア・シーホリーは知ったのだった。



 キールアを除くシーホリー一家3名が死亡したことをエアリスが知ったのは翌日のことだった。ロクは明け方、雨の降る森の中をキールアを連れて歩いた。エポール宅に帰り着いたのはお昼時を過ぎてからだった。
 家族がいなくなったショックによってキールアは深い眠りに落ちてしまった。エアリスは、事のあらましをロクから聞かされた。

 「……カラ……」

 エアリスは寝台に腰をかけた状態で、ロクが差し出した紫色の眼球をそっと手に取った。そして苦しそうに表情を歪ませて、一言、

 「……やっぱり、こうなってしまったのね」

 と、なぜだかこうなることを予測していたかのような口ぶりで告げた。ロクは、なぜキールアの家族が殺されてしまったのか、その理由をエアリスが知っているような気がして訊ねてみた。エアリスは重い口を開き、シーホリーの一族が政府の人間たちに命を脅かされていることをロクに教えた。

 「シーホリーの祖先にあたる人が、遠い昔、とある寄生虫に寄生されてしまったんですって。その寄生虫は人間の脳や筋線維に影響を及ぼす種類のものだったらしいの。シーホリーの人間はその寄生虫に肉体を支配されてしまい、挙句の果てには思考能力や記憶、脳が司るすべての機能を奪われる。野生の獣のようになって、強靭な身体をもって人間を襲ってしまうんですって。でもそういう状態になるにはなにかの条件があるみたいなの。そうでなければカラや、イスリーグさんや、イズリアくんはとうの昔に理性を失って、人間ではなくなっているはずだもの」
 「キールアは? 動物みたいにならない?」
 「……。さあ、私にもわからないわ。でもキールアちゃんの瞳の色が、普通のシーホリーの人たちとちがうのがちょっと気になるわね。たしかにあの子はカラとイスリーグさんの子のはずなのに」

 手の平に乗った紫色の眼球を見つめながら、エアリスが呟いた。キールアの瞳は、髪の毛の小麦色に寄った琥珀色をしている。しかしキールアはその髪色もさることながら顔立ちも母親そっくりで、むしろ血が繋がっていないと断定するほうが困難だ。

 「それも寄生虫による、なんらかの影響なのかしら……」
 「その……虫って、殺せないの?」
 「いまのところは、なんとも……。私は医師ではないから。シーホリーの一族はね、血が繋がっていればその寄生虫が身体に宿るのよ。寄生虫が、女性のお腹の中で卵を産んでしまうの」
 「そうなの?」
 「ええ。だから政府の人たちは、シーホリーの一族……つまりこの紫色の眼球を持つすべての人間の命を奪おうとしてる」
 「……だから、カウリアさんたちが、殺されちゃったの?」
 「……」

 エアリスは頷けなかった。いまだ友人と、その友人の家族の死を受け入れられていないのだ。ロクは急に不安になってきて、思わずエアリスにこう訊ねた。

 「おばさん……キールアは? キールアも……あの人たちに、殺されちゃうの?」
 「そんなことはさせないわ。私たちで守りましょう、ロクアンズ。キールアちゃんを」
 「うん。守りたい。あたし、ぜったいキールアを守る」
 「ありがとう、ロクアンズ。……あ、そうだわ。いまの話、レトヴェールにもしてあげたいんだけど、どこにいるか知ってる?」
 「ああ、それなんだけど……レト、ずっとあたしの部屋の前にいるの」
 「あなたのお部屋の前に?」

 現在、キールアはロクの部屋の寝台を借りて眠っている。そんなロクの部屋の前にレトヴェールが張りついているのだった。

 「……」
 
 部屋の内側からは物音ひとつ聴こえてこない。眠り続けているキールアは、夢を見たりしているだろうか。
 扉を開ける勇気はなかった。
 レトはただ、この部屋の前から離れることができないだけだ。目を覚ましたときになんて言葉をかけるのがもっとも自然で、もっとも彼女を傷つけずに済むのかを延々と、延々と考えていた。


 一方、キールアは、深い眠りの中で夢を見ていた──。


 『なあキールア』
 『ん? なあに、お母さん』
 『キールアはどんな大人になりたい?』
 『どんな大人? うーん……』
 『どんなでもいいよ。あたしとかあいつみたいな調薬士だっていい』

 膝の上で寝息を立てている弟の髪を撫でながら、母がこんなことを訊いてきた。これはたった数日前に母と交わした会話だった。
 母に言われた通りに、摘んできた薬草の葉と茎をちぎって分けて、網籠に入れていくうちに自然と湧き起こったことを口にした。

 『……お母さんみたいな、強くてかっこいい女の人になりたい、な』
 『お。そいつは嬉しいねえ。キールアならなれるさ』
 『ほんとに? お母さん』
 『ああ。あんたならなれるよ。うちの家族で一番、強く生きていけるさ』
 『……?』

 作業していた手を止めて母の顔を仰いだ。すると母はいままでで一番くらいに母親の顔をして、こう告げた。
 
 『いいかいキールア。強く生きるんだよ。この先何回泣いてもいい。何回立ち止まったっていいよ。でも自分の、ほんとの気持ちだけは忘れちゃだめだ。──好きなように生きな。母さんとの約束だ』

 それが母と最期に交わした約束だった。
 この先、どんなことが待ち受けているのかなんて予想だにしていなかった。だから、満面の笑みで「うん」と頷いた。思えば、それだけが救いだったのかもしれない。母はいつもみたいにからりと、気持ちいいくらいの笑みを返してくれた。





 そのまた翌日。レイチェル村の空はいまだ灰色の厚い雲に覆われていた。エポール宅では、ようやくキールアが目を覚ました。
 病床に臥すエアリスも、そのときだけは自室を出てロクの部屋に駆けつけた。
 
 「おはよう、キールアちゃん。目が覚めたみたいでよかったわ。……気分は、どう?」

 キールアは、ぼうっとしたような目つきで、室内を見渡した。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.74 )
日時: 2020/04/16 14:55
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第069次元 日に融けて影差すは月ⅩⅧ

 室内にはロクアンズとレトヴェールもいた。ロクは心配そうにキールアを見つめている。レトはというと、ちらちらとキールアの顔を見やってはいるものの彼女と目が合うのを避けていた。
 一夜明けたところで、巨大に膨らんだ不の感情が消えてなくなることはない。まだ彼女の意識は昨日の、炎に包まれて真っ黒に焼けた家の中にあった。重なり合った黒い死体が視界に張りついている。刺すような強い花の香りが鼻腔に纏わりついている。
 エアリスの澄んだ声が聴こえてきた。なにか返事をしなくちゃ、と咄嗟に思った。キールアは掠れた声で応えた。

 「大丈夫……です」

 大丈夫なはずがない。エアリスもロクもレトも、それが強がりだとすぐにわかった。キールアはくっと目尻に力をこめて、毛布の端を両手で握りしめた。

 「キールアちゃん、お腹空いているでしょう。お昼ご飯作ったから、食べたいときに食べてね」
 「……いえ、平気です。わたし……」

 ぐるる、と彼女の胃袋だけは正直に応える。キールアはお腹のあたりをぎゅっと隠して俯いた。

 「お願い。食べて、キールアちゃん」
 「……」
 「私は平気じゃないわ」

 独り言のようにエアリスは言った。キールアがそれに反応して顔を上げると、エアリスは金色の瞳を潤ませ、まっすぐキールアのことを見つめていた。

 「大好きな人たちが亡くなって、大好きだった親友が、もう会えないところへ行ってしまった。寝床が浸るほど涙を流したの。とても悲しくて、とてもとても悔しかった」

 幼い頃はともに野山を駆け回った。足が速くて体力もあったカウリアの後ろをへとへとになりながら追いかけた。朝から昼を過ぎて晩を越えて、翌朝までいっしょにいた日も数えきれないほどある。飽きるほど喧嘩を繰り返して、その度に仲直りをした。
 アノヴァフが村に現れたとき、小心者の自分の背中を叩き続けてくれたのはほかでもない、カウリアだった。勇気をだして手紙に想いを綴ってみたら、飛びあがるほど嬉しい返事がかえってきた。その報せを聞いたときのカウリアの姿をよく覚えている。彼女は本当に飛び跳ねて喜んでくれたのだった。彼女は昔から、裏表のないまっすぐな性格だった。そんな彼女だからこそイスリーグと出会い、幸せな家庭を築くことができたのだとエアリスは信じている。イスリーグはカウリアとおなじでシーホリー一族の血を持つ男だ。穏やかで心優しく、なによりカウリアにとって一番の理解者であった。最良の相手だと、カウリアが酒を片手に語っていたのを思い出す。

 きっと、子を産むことにはひどく悩んだことだろう。
 しかし彼らは家族を望んだ。凄惨な現実が待ち受けるその未来が変わってほしかった。どうか、シーホリー一族の命が守られますようにと。明日も生きられますようにと。願わない夜がはたしてあったのだろうか。彼女たちが抱えていた苦しみを考えると、エアリスは胸が張り裂けそうだった。

 『エリ!』──何事にも奥手で、上手に自信を持つこともできない自分の腕をぐいぐいと引っ張ってくれた逞しい姿が、まだしっかりと瞼の裏に焼きついている。

 「どうして強がるの。まだ泣いてたっていいじゃない」

 エアリスはキールアのことを抱き寄せた。少女のその身体は、氷のように固く冷たくなっていた。
 琥珀色の大きな瞳から、ぽろり、と大粒の涙がこぼれた。
 キールアは必死に喉の奥に押し返していた言葉をようやく吐きだした。

 「だって、お母さんが、強く生きなさいって、いったから」

 ──「泣いてもいいよ」とも母は言っていた。けれどもキールアは、「強く生きる」と「泣いてもいい」を上手くくっつけることができなかった。明朗快活な母のようになりたいと心の中でひっそりと願う彼女が、母の泣き顔を見たことは一度もない。彼女は母親に倣おうとしただけだった。

 「だから泣かないようにしよう……って、がんば、って」

 ひっく、と時折喉がひっくり返っても、キールアは懸命に告げた。震えているこの肩はまだ幼くて小さい。母の言いつけを守ろう守ろうと必死になっている彼女の心情がエアリスにはわかっていた。そしてカウリアの言いたかったことも。エアリスは、キールアを困らせないように丁寧にこう告げた。

 「……キールアちゃん、私はね、強い人ってたくさん泣いたことのある人だと思うわ」

 背中をとん、とんと優しく叩く。キールアはわずかに目を瞠った。幼子に絵本を読み聞かせるみたいに優しい声でエアリスは続けた。

 「苦しいことがあったとしましょう。その度に思いつめて、その度に口惜しんで、いつも枯れるほど涙を流す。……でもそうやって苦しむときいつも、最後には必ず笑う人」
 「……わら……う?」
 「そう。たとえば100回、1000回泣いたとしても……101回、1001回笑えたらそれは、自分に勝ったことになるのよ。だって泣いた数より笑った数のほうが多いんですもの。カラは……あなたに、そんな女性になってほしいんじゃないかしら。泣いたままではなくて、心から笑って、『もう大丈夫』が言える人に」

 『何回泣いたっていいよ』

 「…………わ、たし、なれ……ますか」
 「もちろんよ。だってあなたはカラの子だもの。小さいときからずっと私の憧れで、尊敬していて……大好きだった。あなたは、カウリア・シーホリーがこの世に残した、最高の財産なのよ」


 カウリア・シーホリーと、イスリーグ・シーホリーが命を賭して守り抜いた命。
 ──キールア・シーホリーは、赤子のように大きな声をあげて泣いた。「お母さん」「お父さん」「イズリア」と、何度も何度も家族の名前を呼んでいた。平気なわけがなかった。


 カウリアとイスリーグは、カナラ街、そしてレイチェル村に政府陣の制服が現れ始めた頃から薄々勘づいていた。近いうちに命を脅かされるだろう。死が、より明確なものになって彼女たちの脳裏を埋め尽くしていた。
 森の奥へ居住を移したのは、政府の人間たちの目から逃れるためだけではない。
 キールアが、自分たちの傍から離れる時間を、できるだけ多く作るためだった。

 シーホリー夫妻は自分たちにどんな結末が待ち受けていようと、キールアの命だけは守ろうと固く心に決めていた。それは11年前。つまりキールアがこの世に生を受けて間もなくのことだ。

 家族の中で、キールアの瞳の色だけが紫ではなく、琥珀だった。

 その謎は夫妻にも解明できなかった。前例がなかったのだ。あったとしても、カウリアたちが知るところではなかった。しかしそんなことはどうだって構わない。キールアだけは、シーホリーの一族なのだと政府の人間たちに気づかれずに生きていくことができるのではないかと、夫妻は希望を抱いた。
 森の中では生活上の不便さがつきまとう。わざわざレイチェル村に降りさせ、薬を届けさせ、隣街まで薬の売りに行かせる。川に水を汲みに向かわせたりもした。口実などいくらでも作れた。
 最悪なのは、カウリアたちが襲われる際に、近くにキールアがいるという状況だ。瞳の色が違うだけでは逃してもらえる可能性は格段に低い。苦肉の策として、「その娘は本当の娘ではない」と言い張ることも視野には入れていた。その場合、虚言とはいえキールアを困惑させ、失望させてしまうだろう。しかしそれも致し方なかった。
 結果としては、シーホリー夫妻が狙った通りの結末となった。

 (……だけど、カラ。あなたたちだって……生きたかったに決まっているのにね)

 シーホリーの血脈に棲みつき、主の身体を恐ろしい獣に変えてしまう寄生虫。エアリスは今日ほど、その生物に対して腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えた日はなかった。それさえいなければ──と、何度も繰り返し沸騰させては、吹きこぼれたその憎しみが涙となって頬をすべり落ちた。
 ──どうかこの少女だけは、彼女の血を巣食う生物に喰われませんように。
 エアリスはそう強く祈った。





 ぼんやりと、目を覚ました。しんと静かで暗い室内にはまだ陽の光が届いていない。
 エアリスが自分の手を握ってくれていたようだが、彼女はそのまま床の上で座って寝ていた。キールアが使っている寝台に体重を預けて突っ伏してはいるものの、彼女は身体が衰弱している身なのだ。そんな状態でも自分に付き添ってくれていたのだと思うと、キールアは申し訳ない気持ちになった。
 扉の近くに転がって寝ているのはロクアンズだった。本来は彼女のものであるはずの寝台を自分が占領していた。またふつふつと罪悪感が募ってきて、キールアはやんわりとエアリスの手から逃れた。そして寝台から降りると、まずは毛布をエアリスの肩にかけた。
 室内をぐるりと見回して、隅のほうにもう一枚毛布を発見した。キールアはロクの身体にもかけてあげた。ひたひたと床の上を歩き、音を立てないよう慎重に部屋の扉を開ける。
 廊下に出て、そっと扉を閉めたときだった。レトヴェールがすぐ横の壁に寄りかかって寝ていたのだった。

 「……」

 エアリスも、ロクも、そしてレトも、この部屋に身を寄せてくれていたのだ。床の上が固くて冷たいなど構わずにおなじ場所で夜を過ごしてくれた。キールアはまた泣きそうになって、服の袖で目元をごしごしと擦った。
 居間の隅に無造作に丸めて置いてあった毛布を抱えて、ふたたびキールアは部屋の前に戻ってきた。起こさないように気を張りながら、それをレトの身体にもかける。幸い彼が起きる様子はなかった。
 レトの寝顔をしっかりと見たのはこれが初めてだった。物珍しいものを見る目で、彼の顔を覗きこむ。

 「……レト、ヴェールくん」

 結局、彼とは上手く馴染むことができなかった。ロクと接するときには自然体でいられるのに、レトを前にすると心も体も強張ってしまう。慣れと親しみはちがうのだと、2人と接してきたキールアはそれらを感覚として記憶した。

 (……なかよく、なれなかったな)

 「ごめんね」

 だれにも聴こえないような小さな声で呟くと、キールアは踵を返した。
 間もなくして、彼女は玄関の扉からまだ冷たい空の下に出た。彼女がカナラ街でレトヴェールと再会を果たすのは、それから約2年後のことだ。

 エポール一家の3人が目覚めたとき、すでにキールアは家のどこにもいなかった。


Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.75 )
日時: 2019/10/10 15:11
名前: (朱雀*@).゜. ◆Z7bFAH4/cw (ID: 3t44M6Cd)

 瑚雲さん、はじめまして!

 コメライの新版に見知ったタイトルを見かけたので、最近読んでいます^^
 【海の向こうの王女と執事】の途中まで進みました。
 結論から言うと、とっても面白いです! 完全版と言うことで完成度がとても高くて……1話からあっという間に物語の世界に入り込んじゃいました。描写も丁寧で、文章がそのまま映像化されて頭の中にすっと入ってきます、すごい……。私は特に最初の、女の子を助けるお話がとても好きです、というかああいう導入にとても惹かれましたv 
 あと天真爛漫なロクちゃんが可愛いです。しかも雷を操ってばりばり戦っちゃうんですよね……かっこいい。

 本当はもう少し先まで読んでから感想送りたかったのですが、如何せん忙しくて読むスピードがめちゃめちゃ遅いので……。
 今後も合間を見つけて読み進めたいなと思います。またお邪魔します!

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.76 )
日時: 2019/10/11 09:02
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: My8p4XqK)

 
 >>075 朱雀さん

 !! 朱雀さん、初めまして!!
 ずっと何年もお名前だけはお見かけしていて、でもずっとコンタクトをとったことがなかったので、この度コメントしていただけてすごく嬉しいです……!!

 読んでいただきありがとうございます!*
 じつは導入部分にはとても悩んで、すごい長い年月をかけて書いたものなので感慨深いです……。そう言っていただけてひとつ安心した気持ちです(;▽;)
 ロクはそうですね、いつもパワフルで、わたしも羨ましいなーこんな人間になれたらなーという気持ちでいつも書いています笑
 雷使いなのは完全に私の趣味ですね!

 好きになっていただけたらとても嬉しいです(* '▽')

 そそ、そうだったのですか;;
 お忙しい中、当作を読んでくださり感謝しかありません……。ほんとうにありがとうございます(>人<;)

 ぜぜぜひー!! お時間に余裕のあるときにぜひまた読んでいただけたら幸いです!
 この度はコメントありがとうございました!*
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.77 )
日時: 2020/04/16 14:56
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第070次元 日に融けて影差すは月ⅩⅨ
 
 「おばさんっ、キールアが! キールアがいない!」

 家の中の隅々にまで響き渡るようなロクアンズの叫び声で、エアリスは目を覚ました。寝ぼけ眼で寝台を見やるとたしかにそこにはキールアの姿がなかった。握っていたはずの手も解かれている。
 ロクはエアリスのいる部屋に急いで戻ってきた。顔からは血の気が引いていて真っ青だった。

 「ロクアンズ」
 「いないんだよ、おばさん。あたし、起きて、それでキールアがいないことに気がついて、探し回ったけどどこにも……っ!」
 「落ち着いて、ロクアンズ。キールアちゃんならきっと……」
 「あたし探してくる! まだ近くにいるかもしんない!」
 「! だめ、ロクアンズ! いかないで!」

 駆けだそうとしたロクをエアリスは鋭く制した。ぴた、と動きを止めてロクは振り返る。いますぐにでも部屋を飛び出していきたいロクは思わず声を荒げた。

 「どうして!? 殺されちゃうかもしれないんだよ、キールア! そんなのダメだって昨日、おばさんだって……!」
 「キールアちゃんは知らないの。なぜ両親と弟が亡くなってしまったのか、その理由をキールアちゃんは知らないのよ」
 「どういうこと……?」

 怪訝そうな目つきでロクが訊き返す。エアリスはロクの傍までやってくるとその場でしゃがみ、ロクと視線の高さをおなじにした。

 「カウリアやイスリーグさんが告げていないの。そんなことを知ってしまったら、いつか家族が殺されてしまうのだとわかってしまうでしょう? あの幼さではとても受け入れられないわ。それにね、ロクアンズ。いま彼女を追いかけて、うちに連れ戻そうとしているところを政会の人たちに見られてしまったら、彼らに怪しまれる可能性があるの。彼らは、まだこの村に生き残りがいるんじゃないかと探しているはずよ」
 「……でも……じゃあ……キールアは……」
 「……キールアちゃんの瞳の色は、紫じゃない。から、一目見ただけでは、シーホリーの一族だとわからない。彼らだって、確証がないまま人殺しはできないわ。立場があるもの。……こうなってしまった以上、いま一番いいのは……キールアちゃんを無理に探そうとしないこと。政会の人たちの目から隠そうとしないことよ」
 「で、でも……でも……っ」
 「あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。けど、いまは我慢をしてほしいの、ロクアンズ。そしてもし……もしもこの先、どこかでキールアちゃんに会えたなら、そのときは絶対に味方になってあげて。絶対によ」
 「…………うん」

 ロクは、小さく頷いた。そして下を向いたままかすかに鼻をすすり、泣いていた。エアリスはロクの腕を優しく引き寄せ、ああ、ロクにとってキールアは初めての友だちだったのだと、心の中で噛みしめた。大事な存在をロクから奪ってしまったような罪悪感がした。すると、エアリスの喉元になにかがこみあげてきて、彼女は間もなく咳き払いをした。

 「……っ、ごほっ、ごほ」
 「おばさんっ、大丈夫?」
 「ええ、大丈夫よ。……ごめんね」

 すっくと立ちあがり、エアリスはロクの頭を一度撫でてから、部屋を出ていった。廊下からしばらくエアリスの咳きこむ声が響いていたがロクは上の空で一歩も動かなかった。
 がたんっ、と大きな音がしてロクははっとした。急いで廊下に出ると、エアリスが壁に寄りかかりながらうずくまっていた。

 「おばさんっ! おばさん大丈夫!?」
 「……ちょっと、目眩がして。ごめんなさい。でももう平気みたい」
 「あたし、部屋までいっしょに行くよ」
 「ううん、1人で行けるわ。心配してくれてありがとう」
 「……」

 エアリスはロクの手を借りることなく立ち上がり、1人で自分の部屋に帰っていった。そんな彼女の後ろ姿を見て、ロクはふいに、あれほど小さな背中だっただろうかと不安を覚えた。もとより痩身な女性ではあったが、現在の彼女にはもはや元の面影もない。火を見るよりも明らかな、衰弱であった。


 「大丈夫」と、エアリスは明るく笑う。病気を発症する以前といまとでなにひとつ変わらない。太陽みたいな笑顔だとロクはいつも思っていた。
 しかし時の流れは、冬の空に舞う雪のように、ひどく冷たい刃となって義兄妹に降り注ぐ。
 
 
 
 キールアが失踪してから半年ほど経過した。レイチェル村に冬季が訪れる。
 12月。
 
 
 エアリスはすっかり寝こむようになってしまった。一日中部屋から出てこない日が何日も続いた。レトやロクが様子を見に行くと、苦しそうに胸を抑えて咳払いを繰り返す彼女の姿があった。2人に気がつくとエアリスはいつも、「大丈夫」と笑っていた。その唇から零れる血の濃さも日に日に危険なものになっているのだと、2人は勘づいていた。だからいつも笑みを返せなかった。悔しくて、唇を噛むばかりだった。
 自分の誕生日が明後日に迫っていることなどすっかり頭から抜け落ちてしまっていたロクは、エアリスが珍しく上体を起こして寝台に腰をかけているその日に、彼女からそのことを告げられて目を丸くした。

 「ああ、そっか。そうだったっけ。すっかり忘れてた」
 「そうだろうと思ったのよ。だからおばさん、明後日のために明日、森へ出ようと思ってるの。この頃は元気だし。あなた、カフの実好きでしょう? だからその果実を煮詰めてジャムを作るわ。そしてケーキも焼くの。レトヴェールに頼んで材料揃えてもらわなくちゃね」
 「そんなっ、いいよおばさん、ムリしないで! それでまた体調悪くなっちゃったらいやだよ……っ。あたし、誕生日なんてどうでもいいから。おねがいおばさん……」
 「……どうでもいい、なんて言わないで、ロクアンズ。私にとってはあなたと出会うことのできた、特別な日よ。あなたはこんなにも他人思いのいい子に育ってくれて………。私はとっても嬉しいの。だから祝わせて? お願いよ」
 「……」

 ロクはまだ頬を膨らませて黙っていた。エアリスは困ったように眉を下げて、それから、寝台横の木の箪笥からなにかを取り出した。それは見たところ細長い黒の髪紐であった。刺繍が細かく、単純なデザインであるものの目を惹く繊細さの代物だ。
 エアリスが「手を出して」と言うので、水をすくうようにロクは手のひらを広げた。黒い髪紐が手の中に収まる。

 「おばさん……これ……」
 「そう。私の髪紐。もうすこし長かったのだけど、二つに切り分けて片方はレトヴェールに渡したの。だからこれはあなたの分」
 「ど、どうして? おばさん、この紐大事にしてたよね?」
 「あなたたちにあげたいと思ったのよ。レトヴェールにも渡してしまったから、なんだか特別な感じはしないかもしれないけれど……お誕生日だもの。私、やっぱりあなたになにかしてあげたいの。それとも、これでは嫌だった?」
 「そんな……うれしいよ、すごくうれしい。あたし、これがいい」
 「そう、よかったわ。それは、お金に困ったら売ってもいいわ。すこしだけなら助けになるでしょう。好きに使いなさい」
 「売ったりなんか、しないよ! ぜったい、ずっと、ずーっと大切に持ってるっ、約束する!」
 「ふふ。ありがとう、ロクアンズ」

 さっそくロクは髪紐を口に咥え、自分の髪をまとめあげた。片手で髪の束を掴みながら、もう片方の手で髪紐を結わえようとするがなかなか上手くいかない。ロクが苦戦しているのを見て、エアリスは片手を差し出しながら「向こうを向いていてごらん」と言った。エアリスはロクの代わりに、彼女の若草色の長い髪をまとめあげた。
 
 「ねえロクアンズ」
 「なあに? おばさん」
 「ロクアンズは神様のことをどう思う?」

 神様──それを聞いて、真っ先にロクの脳裏を掠めたのはあの黒い怪物の形貌だった。ロクはあの日の出来事を思い返し、眉をしかめた。

 「あの黒い怪物をつくってるのが、神様なんでしょ? だからあたしにはあいつらをやっつけれる力があるんだっておばさん言ってたよね。……あたしはきらいっ。へーきで弱い人たちをいじめるやつらなんか、あたしがこの力でやっつけてやるんだ!」
 「……そうね。ロクアンズの言うとおり、神様は悪い人たちなのかもしれないわね」
 「でしょっ!」
 「だけどね、ロクアンズ。善悪を決めるのは人間だけよ」
 「え?」
 「……。いつか、神様と人間が手を取り合えたら、どんなに素敵な世界になるでしょう」

 ロクがぼうっとしているうちに髪は結い終えたようだった。「できた」とエアリスの明るい声がしてロクははっと我に返る。高く結いあげられた髪がするりと腰まで伸びて、頭をゆすると同時に髪の束もゆらゆらと左右に揺れた。それが楽しくて、ロクは部屋中をくるくると駆け回った。

 「わあっ! すごいすごい! ありがとうおばさんっ!」
 「素敵よロクアンズ」
 「レトにもあげたんでしょ? レトとおそろいにしてこよっかなっ」
 「あら、いいわね」
 「さっそくいってこよー!」

 ロクが駆け足で部屋を出ていこうとした、そのときだった。

 「ロクアンズ」

 鈴を転がすような綺麗な声音で、エアリスがロクのことを呼び止める。ロクは当然のようにすぐ振り向いた。

 「なあに? おばさん」
 「……」

 しかし、エアリスはなかなか口を開こうとしなかった。苦笑いにも似た、寂しそうな表情をした。すこしだけ彼女は下を向いて、それからすぐにまた顔をあげた。今度は笑顔だった。

 「なんでもない。呼びたかっただけ」
 「えーっ? なにそれ!」

 ロクは大きな口でけたけたと笑い声をあげた。"ロクアンズ"と、そうエアリスに呼ばれるのがロクは好きだった。名前を与えてくれた本人だからだろうか。
 
 「んじゃ、レトんとこいってくるね! あとでまたくるからー!」
 「ええ。いってらっしゃい」

 一つにまとめあげられた若草色の髪を、ゆらゆらと忙しなく揺らしながらロクは部屋を飛び出ていった。彼女の足音が完全に聞こえなくなる。エアリスはゆっくりと寝台から起き上がった。そして、部屋の戸を閉めた途端、彼女はそれまで喉の奥底に押し戻していたものを口の外へ吐き出した。

 「……っ、ごほっ、ごほ!」
 
 咳は深い音をしていて止まらなかった。エアリスは戸に寄りかかりながら床に崩れ落ちる。口を覆っている手の指の隙間から、血がしたたり落ちた。止まらなかった。丸めた背中が、突然水を浴びたように冷たくなった。どくどくと心臓は熱く鼓動を繰り返しているのに、その心臓を外側から締めつけるみたいに、色濃い悪寒が身体中を駆け巡った。

 (まだ……まだだめ)

 悪寒に身体を食い潰されそうだ。意識を失ってしまえば、そのまま凍死してしまうのではないかと怖かった。はっ、はっ、と浅くて小さな呼吸を繰り返し、エアリスは辛うじて意識を保っていた。心臓に血と熱を回し続ける。


 (明日、までは)
 
 
 まるで雪の降りしきる中、小さく灯った火が決して絶えないよう両の手のひらで囲うように、彼女は祈った。
 


 翌日。レイチェル村は早朝から大荒れの吹雪に見舞われた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 【完全版】 ( No.78 )
日時: 2019/10/28 22:13
名前: (朱雀*@).゜. ◆Z7bFAH4/cw (ID: /FmWkVBR)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

 こんばんは^^ 更新お疲れ様です!
 私のこと知っていただいていたなんて光栄です…泣 実は前々からお知り合いになりたいなと思ってました(*^^*)
 今日は【君を待つ木花】を読み終えて、いてもたってもいられずコメント失礼します。多分長文になります、ごめんなさい。笑

 まず【海の向こうの王女と執事】の感想から。ガネストのみならず、ルイルちゃんも次元師だったんですね…! ルイルはまだ幼いのに、自国とお姉ちゃんから巣立って一人の次元師として此花隊へ赴くところが偉いです…。最後の帽子のプレゼントも素敵でした! ライラとルイルの姉妹愛に感動いたしました泣
 レトは王家の子だったんですね。何だかんだロクが心配になって手助けしてくれる彼が素敵です。朝が弱かったり可愛い一面を持ちつつ、次元の力で双剣を扱っちゃうギャップがたまりません。笑 ロクに引け目を感じているようですが、彼は彼のままでいいんだよと伝えたいです(´・ω・`)

 【君を待つ木花】は、タイトルの回収がもう、素晴らしかったです…! 読み終わった後、しばらく余韻に浸ってました。私このお話大好きです。笑
 まず、ロクちゃん六元解錠おめでとう! 物凄い速度で成長しますねロクは。笑 でもベルク村に行く途中、水が足りない場面で、レトに水筒を渡して自分の血を飲む場面は少しぞっとしました…他者を優先して無意識的に自分を犠牲にしてしまうロクが心配です。一人で突っ走らないように、レトはロクの手綱をしっかり握っていてほしいです。笑
 それとセブン班長、13年も待っててくれたんですか……? フィラの書いた報告書をマメに読んでいるところも……尊いです。ちょっと抜けてる印象が強かったセブン班長の一途な一面を知ってしまって最高の一言です。末永く幸せになってください。
 フィラのお爺ちゃん(総隊長)も貫禄があって素敵です…もしかして彼も次元師だったりするんでしょうか。そうだとしたら滅茶苦茶に強そうです。

 次元師が続々と集合してきて今後の展開がとても楽しみですー!
 早く最新話追いつきたいです(*´▽`*)
 また来ます! 長文失礼しました。笑

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.79 )
日時: 2019/11/02 13:08
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: LpTTulAV)

 
 >>78 朱雀さん

 コメライ板でよく活動されていたので……! いまになって(?)お話できる機会ができて、不思議な気持ちです(´`*)
 わたしもずっとお話してみたいなと思っていたのですがいかんせん消極的なもので汗
 朱雀さんのほうから話しかけていただけたのが嬉しかったです!

 そして長文のコメントをありがとうございます……!!
 すべて目を通させていただきました。この作品を読んでたくさんのことを思っていただけるのがこの上なく嬉しいです。
 群像劇なのでキャラクターも多い分、一人ひとりに目を向けるのが大変かと思うのですが、朱雀さんがたくさんのキャラクターについてお話してくださったことに感激しました。ありがとうございます……!ヽ(;▽;)ノ
 ロクはそうですね、その自分の腕をナイフで傷つけるところは今後に繋がる大事なシーンでもありました。自分の犠牲を厭わない子であるということを頭の片隅にでも覚えておいていただけると幸いです(*´ω`*)

 長編を予定しているのでまだまだ先の長い作品になりますが、朱雀さんに最後までお読みいただけるように今後もがんばります!
 コメント、本当にありがとうございました!!
 
 

 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.80 )
日時: 2020/04/16 14:56
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第071次元 日に融けて影差すは月20

 玄関の扉が、がたがたと音を鳴らしていまにも壊れそうだと訴えてくる。時折、ばんっと一際強く叩かれる。まるでだれかが外から扉を殴っているようだった。その正体はほかでもない、吹雪だ。

 一歩でも外へ出てみればたちまちひどい吹雪に攫われてしまうことだろう。今年は特に異様なほどの勢力だ。
 エポール一家も朝から自宅でなりを潜めていた。レトヴェールは例のごとく本を読み耽っているようだが、ロクアンズはこれといった趣味もないので時間を持て余していた。身の回りのこともあらかた済ませてしまったので、いまはただぼうっと暖炉の火に薪をくべている。
 しばらくしてから、ロクは立ち上がった。居間で壁を背に座りこみ読書をしているレトの足元に、ことん、とティーカップが置かれる。彼は紙面から視線を外した。

 「紅茶、いれたから飲んで。今日寒いし」
 「……ん。母さんには」
 「おばさんにはこれから持ってくよ」
 「なら煎じ茶にしろよ。母さんの部屋にあるだろ、薬」
 「ああ、たしかに! でもあたし、ちょうごう? とかよくわかんない……」
 「俺がやる」

 レトは言いながら立ちあがった。

 「えっ、レトできるの!? すごい!」
 「かんたんな方法のやつだけな。前にカウリアさんからむりやり」
 「そうだったんだ。いいな、レト」
 「おまえも覚えれば」
 「教えてくれるの、レト!」
 「……見せるだけなら。きかれても説明はできねえぞ」
 「わーい! せっんじちゃ、せっんじちゃあ~」
 「静かにしてろ」
 
 ただでさえ外は吹雪で騒々しいのに。レトはそう心の中で悪態をつきながらエアリスの部屋へと足を運んだ。
 こんこん、とレトは木の扉の表面を打ち鳴らしてから部屋に入った。
 
 「母さん、ちょっと薬さ」

 しかしドアを開け広げてすぐにレトは目を剥いた。

 「…………母さん」
 
 室内にはエアリスがいなかった。一瞬、動揺の色を見せるレトだったが、彼は落ち着いて部屋の中を見渡した。それでもなお彼女の姿はない。
 
 「母さん……? ──母さんっ!」

 レトは血相を変えて居間に戻ってきた。そこへ、

 「どうしたの、そんなに騒いで」

 炊事場で洗い物を拭きあげていたらしいロクが歩み寄ってきた。レトは興奮した状態のまま早口でまくし立てた。

 「いないんだ、母さんが、部屋に」
 「え? じゃあどっかにいったのかな」
 「この吹雪でか?」
 「ちがうよ、家の……」
 「……今日、見たか、家で。母さんを」
 「……」
 「母さんがいない」

 レトとロクの間に流れる空気が凍りつく。レトはかなり動揺しているようだった。対してロクは、俯きがちに視線を巡らして、小さく口を開いた。

 「……もしかして」
 「なんだよ」
 「明日、あたしの誕生日だからって……おばさんが、カフの実を採りにいってあげるって、昨日そんな話」
 「……」
 「あたし、いいよって言ったのに……っ」

 エアリスは自身の体調の良し悪しも判別がつかないほど間抜けではない。家の外が危険かそうでないかは火を見るよりも明らかだ。病人はおろか至って健康体の人間でさえ足踏みしてしまうような天候の下へ、なぜ。
 レトは走って玄関のほうへ向かった。低い木の棚から分厚い羊の毛がついた靴を引っ張り出してきゅっと紐を結わえる。太い毛で編まれた上着を重ねて羽織った。靴のつま先でとんと床を鳴らすと、ロクの声が後ろから飛んできた。

 「まってレト! あたしも行く!」
 
 ロクも分厚い生地で袖のない簡易な羽織りものを頭から被り、毛と綿で拵えた手袋をはめると、レトのあとを追う。義兄妹はそうして吹雪の中へ身を投じた。




 厚く降り積もった雪道はとても不安定で、レトはもつれそうになりながらもざくざくと突き進んだ。時折、バランスを崩して転びもした。雪にまみれた鼻や頬が痛いくらいに冷たくなる。手袋で顔を挟むことでレトは温度を取り戻そうとした。それから立ち上がるのも早く、雪道を勇敢に進んでいく。目指すのはカフの実が成る木の群生地だ。
 曇天が頭上で笑っている。
 
 「かあさん!!」

 レトの声は虚しくも闇の中に吸いこまれていった。ひゅう、ごう、と鳴り響く雪と風の音が邪魔をする。
 そのときだった。

 「……」

 林道の真ん中。倒れ伏せている人物が、降りしきる雪を背中に被っていた。
 真白の雪の絨毯の上できらきらと光を照り返すその黄金の髪は、恐ろしいほど美しかった。

 彼女がぴくりとも動いていないのは雪の重さのせいではない。

 「………………かあ、さ」

 行き倒れているエアリスをしっかりと視界で捉えた彼は、ぞくりと身を震わせた。

 「母さん──ッ!」

 深い足跡を残しながらレトはエアリスのもとへ駆け寄った。
 
 「母さん! しっかりしろ、母さんっ!」

 彼女の身体の上に降り積もった雪を払う。毛糸で編んだ手袋に染みこんできた雪水が肌を刺す。だがそんなことはどうでもよかった。レトは一心不乱に雪を取り除いた。
 ──そのとき、レトは"なにか"に手をぶつけて、ぴたと動きを止めた。
 背中だと思っていたところからはナイフの柄が伸び、その周りの雪が赤黒く変色している。

 「──え」

 刹那。
 不自然で強い突風が、突如レトに襲いかかった。彼はエアリスの傍から剥がされると来た道を戻るようにして吹き飛んだ。
 雪道を転がり回り、泥水の味が口いっぱいに広がる。寒さ、そして口内に張りつく気持ち悪さを吐きだそうと咳払いを繰り返した。息も絶え絶えな彼の耳に、だれかの声が聞こえてくる。

 
 「コンニチハ~、かな? 次元師サマ」


 少年──のようにも少女のようにも聞こえる幼い声。語尾が伸びるような特徴的なしゃべり方をしたその人物は体躯もレトとそう変わらず、エアリスの身体に突き刺さったナイフの柄の上に片足だけを乗せて、ぶらりぶらりと揺れていた。レトは顔だけを起こして声のしたほうを向くと、硬直した。

 「ハジめまして~、ボクは【DESNY】。気軽にデスニーって呼んでよ」

 少年のようなだれかは垂れた目を細めて笑った。足場が不安定にも拘わらず悠々とレトに話しかける。


 「本で読んだことあるかな、少年クン? 神族っていうんだけど」
 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.81 )
日時: 2023/11/26 11:54
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第072次元 日に融けて影差すは月21
 
 吹き荒れる雨雪。森の奥深く、道すがら倒れ伏せている母。母の身体には一本のナイフが深く突き刺さっている。そのナイフの柄に片足だけを乗せて、ゆらゆらと細い体躯を揺らしている──少年、しかしながら極めて中性的な顔立ちの、知らないだれか。
 その人物は気味の悪い灰色の肌をしていた。血のように鮮やかな赤で塗り潰された眼球とその血だまりの上に浮かぶ白い虹彩が生物としての異質さを訴えてくる。髪は深い漆黒の剛毛で、吹雪に弄ばれているせいもあってか自由な毛先だ。どこをとっても、日常出会う人間の雰囲気とはかけ離れていた。

 少年のようなだれかは云った。名は【DESNY】
 "神族"である──と。
 
 「あれ、もしかして知らないのかな? まあいっか。ボクらってあんまりヒトの前に現れたりしないからさ、驚いちゃうよね。キミは運がイイよ~、少年クン。せっかくだから拝んでいきなよ、ボクはね」
 「……ねえよ」
 「え?」
 「だれとか知らねえよ。そこどけ」

 吐き捨てるように言うと、レトヴェールは膝を浮かせた。腰を伸ばし、顔をあげた彼の金色の瞳は怒りで鋭くなっている。デスニーと名乗るその神族を睨みつける。
 デスニーが黙っていると、いよいよレトは我慢ができず、

 「どけっつってんだろ!」

 叫びながら、怒り心頭に猛進した。飢えた子獣のようになりふり構わずに向かってくるのに対して、デスニーの赤い瞳は無感情だった。

 「よ」

 ナイフの柄から、たんっと翔び立ったデスニーはまるで胡蝶のように宙を舞い、レトの突進を悠々と躱した。行き場を失ったレトの身体は、厚く積もった雪に受け止められる。

 「っ!」
 「抱きつく相手をまちがえてるよ。ほら、大好きなお母さんはあっちだ」

 デスニーはレトの頭を鷲掴みにし、乱暴に放り投げた。柔らかい雪はレトを受け入れた途端、冷徹な刃となって彼の体温を奪おうとしてくる。レトが目をうっすらと開けると、すぐ傍にはエアリスの寝顔があった。閉じたままの瞳と、雪とおなじくらい透き通った白い肌がレトに不安を与える。
 レトは上体を起こし、エアリスの背中に乗っている雪を取り払おうとした。
 しかし、
 
 「……」

 エアリスはうつ伏せではなく、仰向けの状態で寝ていることに気がついた。

 「ザンネンだね、少年クン。お母さん死んじゃって」
 「──っ、おまえ! おまえが、おまえが母さんを!」
 「そんな怒んないでよ~。この女はべつにボクが殺したワケじゃない」
 「…………は?」

 レトは瞳をさらに大きくする。突然湧いて達した反感と嫌悪感とが、どす黒く汚い音となって口の端からこぼれた。

 「死んだきっかけはたしかにボクだよ。でも選んだのは」
 「ふざけんな! おまえが、おまえが殺したんだろ! じゃなかったらなんで顔が上向いてんだよ。母さんは病気だった、ただ倒れただけならうつ伏せになんだろ、おまえが病気の母さんをむりやり連れ出してこの、このナイフで殺したんだ! そうだろ!」
 「落ち着いて。だからボクはなにも」
 「なんだよ"神族"って。神がなんで俺たちの前に出てきたりすんだよ。200年前のことがなんだってんだ。関係ねえだろ俺たちは、──母さんは! なにも、なんもしてない、のに……なんで!」

 一枚の大きな布で全身を包んだような格好をしたデスニーの首元をぐっと掴んで寄せる。レトは両手に力を入れ、溢れんばかりの怒号を浴びせた。その瞳には涙が溜まっていた。

 「なんで、母さんを殺したんだ!!」

 放り投げられたデスニーは太い樹木の幹と衝突した。その拍子に木の葉が揺れ、積もった雪がぼとぼとと彼の頭上に降り落ちた。
 雪の欠片が控えめに降ってくる。デスニーは閉口していた。人形のように生気のない目や眉、口はただそこにあるだけでなんの役割もない。そんな彼の喉元に、
 一本の刃が伸びた。

 「……」
 「ころしてやる」

 それは一瞬前まで、姿かたちもなかった、短剣だった。もう一本の短剣がレトの左手に握られている。デスニーは、その二本の短剣が次元の力であることを、予め知っていた。
 次元の扉を開く"鍵"──。選ばれた者にしか与えられないそれは、レトがこの世に生を受けた日からずっと彼の中に存在していた。鍵を見つけた者だけが開けることを許された次元の扉は、一度開けば瞬く間に、鍵の主を次元師とする。以後、次元師となった人間はその身に異質の力を宿す。
 真っ赤な眼球に浮かぶ光彩は正常な白さを保ったまま、淡々と応えた。

 「ムリだよ。いくら人間がそんなモノ持ってたって。ボクらはヒトを恐ろしく思ったことはないよ」
 「だまれ!」
 「ヒトって小さくてうじゃうじゃいるからさ、騒ぐのが好きだよね。そしてボクらに祈るんだ。神様どうか助けてくださいって。ばかだよね。なんの代償もなしに救いが降りてくると思っているんだよ。キミだって願っちゃったんじゃない? ウソであってくれ。夢であってくれ。それってだれにかけたのかな? 神様以外にいるなら教えてよ」
 「……」
 「ヒトはすぐに神を頼るくせに、悪いことが起きると神様の悪戯なんて言い始める。本当に鬱陶しいよね。……ああ、ごめんごめん。キミに愚痴を言ってもしょうがないよね。忘れてよ。あ、そうそう少年クン、彼女がなにもしてないかと訊かれるとちょっとちがくて……」
 
 ──そのとき。

 独特の重低音が空気を劈き、デスニーの寄りかかっていた樹木を破壊した。それが雷の砲撃だと理解するまでに時間はかからなかった。デスニーは驚いたように目を見開いたが、ざくざくと雪を踏んでやってくる足音の主を認めると、口角を上げた。

 「あれ、またまた次元師サマのお出ましだね? キミ、すっごく目がイイんだね。えっと、お名前は?」
 「あなたはだれ? なんでここにいるの? おばさんに、なにしたのっ!」

 ロクアンズの片目は既に状況を捉えているようだった。視力のいい彼女は遠目から、レトが少年に飛びついて投げ飛ばされたその一部始終を追っていた。

 「はあ。チョット待ってよ。キミたちなにかカンチガイして……」
 「──答えて!!」

 若草色の髪が逆立ち、ロクの全身から雷光が飛び散った。次の瞬間、雷鳴が轟くのとほぼ同時に発散した眩い光がデスニーに襲いかかった。

 「二元解錠──"雷撃"ィ!!」

 真正面から電撃を浴びせられ、デスニーは「うわ!」と声をあげながら吹き飛んだ。ナイフの上からつま先が離れる。
 雷の力の扱いが格段に上達している。いつの間に腕を磨いたのかと、しばしの間、レトは面食らった。

 「レトっ! おばさんは!? おばさんは大丈夫!?」
 「……」
 「レ……なんで……ねえレト、生きてるよね、おばさん、まだ生きて」

 レトは俯いたまま応答しなかった。ロクの片目がだんだんと見開いていく。細い喉が小刻みに震える。

 「うそ。そんな。まだ、大丈夫だよ、レト、急いで帰ろ。おばさん、このままじゃ、死ん……」
 
 ロクはエアリスの顔を覗いた。整った顔は淡雪みたいに透き通っていた。頬に手を伸ばすと、とても冷たくなっていた。
 こんな寒空の下で、瞼ひとつ、動く気配がしない。

 「うそ……だよ……うそだよ、おばさん……起きて! 起きておばさん! うそだよ、ねえ、ねえレトぉ……!」
 「ウソじゃないよ」

 肩に被った雪を振り払いながら、代わりにデスニーが答えた。彼はざくざくと雪を踏み、歩み寄ってくる。

 「やあ、こんにちは。改めまして、ボクは【DESNY】。キミは神族って知ってるかな?」
 「……しん……ぞく」
 「ボクは、"運命"を司る神様なんだよ。だからキミたち一人ひとりにまつわる運命がぜんぶわかっちゃうんだ。もちろんそれはこれまで辿ってきた運命と、これから先に起こる運命のどちらも。ああでも、カンチガイはしないでほしいな。ボクには細かい道筋は視えない。運命っていうのはただの点でしかなくて、未来という漠然としていて広大な時間の中で小さく瞬く、いわば星みたいなモノ。ね、すごくロマンチックでしょ?」

 神族。神様。黒い怪物。次元師。──運命。真っ黒に塗り潰された情報がまるで洪水のように脳裏に流れこんでくる。澄み渡らせたのはほかでもない。目の前で血まみれになって倒れている、エアリスの姿だった。
 
 「しん、ぞく……──がっ! なんで、おばさんを!」
 
 血で染色したような深紅の瞳にぎろりと睨み返され、ロクはぞっとした。足の爪先から脳天へと電気が走り抜ける。外気の寒さとは関係のないところで、身体が震えていた。

 「そんなことよりキミさ、」
 「……」
 「もしかして」

 デスニーはそう低い声で呟いてから、雪道をゆっくりと踏みしめて歩いた。そしてロクの目の前で立ち止まる。至近距離にまで迫ってきた彼に恐怖を覚えたロクはすぐさま、距離をとろうと一歩退いた。
 だが、そんなロクの頭を強く掴んでデスニーは持ちあげた。幼い両足は地面と離れ、ばたばたと宙を掻く。

 「うああっ! ああ!」
 「──やっぱりそうだ、キミの運命が、視えない」
 「……え?」
 「ねえキミ、どこから来たの? なんでボクの"能力"が……運命が視えないのかな? ねえ? ねえ? ねえ?」
 「っ、わか、んない……家族、も、記、憶も、なんにもない」
 「そうなんだ。じゃあ名前は? ボク、キミの名前が知りたいな」
 「ロ、ロク……アンズ」
 「……ロクアンズ……」

 デスニーが小さな声で口ずさむ。灰色の五本指を立てると、ロクが「うあ」と呻き声をあげた。少年らしい見た目に似つかわしくない重い力が彼女の頭蓋骨を痛めつける。彼女は、頭の中にあるその骨が砕け散ってしまうんじゃないかとひどく怯えた。

 「ロクアンズ。どうやらキミにはトクベツななにかがあるみたい。ボクらはキミを決して見逃さない。だからキミも目を逸らすな」

 ゴミを抛るように乱暴にロクの頭は投げ出された。打ちどころが悪いわけでもないのにまだ頭の内側がガンガンと響いている。早く痛みから逃れたい一心でいたロクは、レトの呻き声を聞いてから我に返った。

 「レト!」
 「エアリス・エポール。彼女は大罪を犯した。けど、まだ罪を払いきらないうちに死んだ。だから彼に代償を支払ってもらうんだよ。よく見ておいてよ、ロクアンズ」

 地面に頭を抑えつけられ、デスニーの手から逃れようと必死に藻掻くレトの姿があった。しかし完全に組み敷かれてしまっている。彼の抵抗も虚しく、デスニーは余裕の笑みを浮かべながらじつに緩慢とした動きで、空いている右手をレトの背中の上に翳した。

 「やめて! レトに……レトになにもしないで! おねがいッ!」
 「──"呪記じゅき二条にじょう"」

 見たことも聞いたこともない奇怪な呪文。
 のちにそれが、"神の呪い"と呼ばれるものだということを知るのだった──。

 詠唱が結ばれるとレトの背中が、突然、かっと猛熱を帯びた。背にあたる布地が一瞬のうちに焼け落ち、彼は間髪入れずに絶叫した。

 「レト!!」

 肉を貫通し骨の髄に殴りかかってくる猛烈な熱さ。痛みを越えた圧倒的な息苦しさ。それらが拍車をかけて幼い身体をいたぶろうとしてくる。デスニーが手のひらを翳している背肌には、みるみるうちに黒い文様が刻まれていった。

 「5年。5年のうちにこの呪記……"神の呪い"を解くことができなければ彼は死に至る。これはエアリス・エポールにかけたものとほぼ同様だよ。時が経つにつれ衰弱していく。呪いを解く方法は1つだけ。このボク、【DESNY】を殺すこと」
 「……」
 「ひとつイイことを教えてあげる。ボクはたしかにエアリスをこの呪いで殺そうとした。だけど……呪いは"果たせなかった"。失敗した」

 ロクは瞠目した。デスニーはロクのほうに振り返ると、人形のように生気のない瞳を細めて、

 「彼女は自害したんだよ」

 と言った。
 
 「抗えよ、少年少女。ボクにじゃない。運命にだ」

 静かに告げてから、運命の神は忽然と姿を消した。森の中にはまだ轟々と吹雪が降り注いでいて、現実に帰ってこられそうもない膨大な虚無と悲壮感が立ちこめていた。

 レトはこのときすでに意識を失っていた。母、エアリスが目覚める様子もない。ただひとり、世界に取り残されたロクは2人の姿を見つめた。それから震えている自分の両手を見下ろした。「う」と呻いて、それから、涙がぼろぼろ落ちた。
 雪なんかじゃない、あれは非常に冷たく鋭利な剣であり、槍であり、矢だった。
 突然空から降り注いできたそれは、残酷にも義母の胸を貫き、義兄の背に深い傷を残した。
 ロクは堪らなく悔しかった。情けない声でわめいた。

 『この世界の怖いものたちをやっつけられる力があなたにはある』

 降ってくる雪を掴もうと手をいくら伸ばしても決して掴めないように、

 『そうしたら、力を持ってなくておびえてる人たちを笑顔にできるわ。もちろんわたしも、レトヴェールも、みんな。みんなを助けられる』

 広げて受け止めても必ず溶けてしまうように、
 無情で非情で不条理で理不尽で凄惨で残酷な、現実には


 『あなたはとても強い子だから、それができるって私は信じているわ」


 敵わなかった。敗北した。無力だった。


 「あ……あたし……おばさん、みたいに……こまったひと、たす、け…………たかった……っ!」


 ──あたしがこの力でやっつけてやるんだ、なんて。
 なんて子どもじみた願いなんだ。途方もなく幼稚で力のない自分が大嫌いになった。


 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.82 )
日時: 2020/04/16 14:57
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第073次元 日に融けて影差すは月22(終)


 くすんだ濃灰の肌。

 血で染めたように真っ赤な眼球。

 宵闇に溶けていた黒い剛毛。

 ──それとおなじくらい、立ち振る舞いも喋り方もどこかゆらゆらしていて、掴みどころがまるでなかった。雷を司る次元の力で威嚇をしても、傷つけようとしても、神族【DESNY】の表情は一寸も崩れなかった。愉快そうに笑う顔が脳裏に焼きついている。

 レトヴェールがデスニーに抑えつけられたとき、ロクアンズは咄嗟に「やめて」と懇願した。
 どうしてあのとき、たとえ無謀だと、敵わないと、心の底から感じていたとしても次元の力を使って対抗しなかったのかと、ロクは翌日目を覚ましてから延々と自問自答を繰り返していた。
 が、答えは案外早く浮上してきた。戦いを挑んで勝利することよりも、恐怖ひとつに全神経を支配されていたからだ。



 一足早い暖かな風が吹くと、ロクの長い髪がふわりと浮いた。昨日の悪天候が嘘みたいで、照りつける太陽はじわじわと雪を溶かしつつある。随分と歩きやすくなった雪の道をさくさくと進むレトとロクの間にはしかし、まだ凍てついた空気が流れている。
 
 ロクは昨日、レトの身体を引きずって命からがら帰宅したのだが、彼女自身あまりよく覚えてはいなかった。翌日の朝には日の出を待っていた太陽がやってきて、悪夢のようだった夜は吹雪とともにどこかへ去っていった。
 エアリスの埋葬に出よう、とレトが言った。
 
 
 先に足を止めたレトに追いつく形で、ロクが彼の隣に並ぶ。レトが見下ろしていたのは仰向けになって倒れているエアリスだった。動きだす気配がないのを再認識させられる。雪解けが始まっていたせいで、胸元に刺さったナイフが妙に生々しかった。
 レトはエアリスの胸元からナイフを引き抜いた。引き抜く前に、う、と小さく呻いたのをロクは聞き逃さなかった。

 「……レ……」

 ロクはレトに手を伸ばしかけたが、ぴたと動きを止めた。目尻にたまった涙を落とすまいと眉をきつく寄せ、唇を強く結び、決して泣き声をあげようとしないレトを見て、なにもできなくなった。
 ロクの頬にも涙が流れた。2人は鼻を啜るばかりで一言も会話を交わすことなく、一生懸命に母の遺体を埋葬した。
 木の枝を組んで作ったちんけな墓標を土の表面に挿した。枝の断面には"エアリス・エポール"と文字も入れてある。
 その場から動けない呪いにでもかけられているのだろうか。
 しばらくの間、2人の足は地面に張りついたまま、かすかにも動かせなかった。しかし、
 
 「……おばさん」

 ロクがエアリスのことを呼んだ。次の瞬間、ロクは抑えることができずに大粒の涙をこぼした。

 「おばさん、ごめんなさい。まも、れなくて、ごめんなさい。おばさんは……まもってくれたのに。たすけてくれたのに。あたし……あたし、おばさんみたいになれなかった。ごめん。ごめんなさい」
 「……」
 「だいすきだった、のに……──っ」

 吠えるようにロクは泣き声をあげた。勝手に溢れてきて、勝手に頬を伝ってこぼれ落ちていく。枯れてしまうんじゃないかと思うほど彼女は泣いた。ずっと泣いていた。「ごめんなさい」と何度も謝った。「大好きだった」と何度も伝えた。返事はかえってこない。どんどん口から言葉が溢れ出るのに、行き場はなくて、溶けかけた雪の上に滴り落ちた。
 レトはそんなロクの隣で口を閉じていた。唇を噛みしめていた。そしてぼろぼろと涙をこぼしていた。おなじだった。2人は母をうしなった。

 (……あいつも、こんな気持ちだったのかな)

 ふとレトの脳裏を掠めたのは、数か月前に村から姿を消したキールアのことだった。レトは今日にでも腹を切って母の後を追いたいほどの失意にあるのに、彼女は母ばかりではなく父や弟までも同時に失っている。いまだったら、あのときの彼女の泣き顔に寄り添える。それなのに、彼女ももういない。
 もし次に会えたらなんと言葉をかけようか。この日からレトは、キールアのことをふと思い出したときに考えるようになった。




 弔いからの帰り道はすでに日が傾いていて、森林の葉が、泥と交じった雪が、橙色に染まっていた。レトのすこし後ろを歩いているロクは、すんすんと鼻を啜りながらこれから先のことを憂いていた。

 (これから……どうしよう)

 もともとはエアリスという人物に拾われただけの身なのである。エアリスを失ったいまとなっては、レトやあの家との繋がりはもはや皆無といっても過言ではない。
 レトと別々の道を歩むとなれば、ロクには行く宛てなどない。
 足元に視線を落としながら、このままレトについていってもよいのだろうかとロクは不安に思った。申し訳なさからか、だんだん歩き方もぎこちなくなっていく。
 そんなとき、急にレトが道の途中で立ち止まった。ロクも慌てて足を止める。滑りやすくなっている雪道で転びそうになるのを堪えてから、ロクは顔をあげた。
 
 「レト?」
 「此花隊に入らないか」

 唐突に持ち出された言葉には馴染みがなく、ロクは最初、レトがなにを言っているのかまったく理解できなかった。動揺と驚きが混じったような曖昧な声で、「このはなたい?」とロクは訊き返した。

 「次元の力のことを扱ってる専門の組織らしい。おまえとか……俺、みたいな次元師もいる」
 「! え、レト……」

 くるりと振り返ると、レトは静かに瞼を閉じた。胸のあたりに意識を集中させ、ふと、頭に浮上してきた呪文を彼は口にした。

 「次元の扉、発動──"双斬そうざん"」

 短い詠唱がなにもない空間から"双剣"を出現させる。ロクは大きな目でぱちぱちと瞬きをした。
 彼の両手に握られた二本の短剣を交互に見つめる。幻覚などではなく、本物の剣だった。

 「うそ……」
 「……昨日、なんでか俺にも次元の力っていうのが使えるようになった。たぶんこれがそう」
 「じゃあ」
 「戦える。【DESNY】とかいうふざけたヤツも、ほかの神族も全員。俺たちの手で殺せる」

 此花隊という組織は神族に関する情報も集めているらしい、とレトは加えて説明した。断る理由のないロクは大きく頷き、その提案を受け入れた。

 「うん。……強くなりたい、あたし。あきらめたりもしない。この力がある限り、全力で全部を守る!」

 ──あなたならきっとできる。エアリスがくれた大切な言葉が、胸の内側から響いた。
 神族たちとの因果。次元師としての宿命。戦い。この扉の先には恐ろしく長い道が続いていて、一度踏みこめば後戻りはできない。自分はその暗澹たる巨大な穴の中へ身を投じようとしている。強がりも多少はある。だけど強がってでもいないとすぐに足が竦んでしまう。あの家の中で小さく縮こまっているしかできなくなってしまう。
 叶えたい目標。願望。未来。それらを大きな声で叫ぶには、両足で立ち、前を向かなくちゃいけない。

 「ああ」

 レトはまっすぐ前を見ながら言った。エアリスが遺していった金の瞳は一雫の涙で陽を照り返し、一片の淀みもなかった。美しくて眩しい。背中に傷を負っていても彼はしゃんと立っている。
 冬の冷たい風が木の葉を揺らし、雪を撫で、2人の間を吹き抜ける。

 運命に抗うべくして、血の繋がっていない義兄妹は手を取り合った。


 
 家に帰り着いた2人は、薄暗い家の中を明かりを灯してまわった。「おかえりなさい」の声が聴こえてこないだけで、別の誰かの家に帰ってきたわけでもないのにそんな心地悪さがつきまとった。
 
 (そういえば……)

 『彼女は自害したんだよ』

 デスニーが去り際に残した台詞が、ロクは妙に引っかかっていた。もちろんエアリスが自ら命を投げ出すなどとは露ほども信じていない。なぜデスニーがあんな突拍子もない発言をしたのかが疑問だった。

 (あたしたちのことをおもしろがるため? うーん……なんかちがうような気がする。それに、おばさんに呪いをかけてたってことは、おばさんはデスニーに会ったことがあるのかな?)

 エアリスは、デスニーを殺せば呪いが解けることを知っていたのだろうか。もし知っていたとしたらなぜ、次元師に助けを求めなかったのか。ロクでは頼りないとしても、大人の次元師にかけあうことだって可能だったはずだ。それこそ此花隊という次元師や神族の研究をしている機関が存在しているにも拘わらず、だ。
 ロクはこっそりとエアリスの部屋に入った。室内は整理整頓されていて、寝台も整えられている。外へ出る前に直していったのだろう。律儀な彼女のことだから頷けはするが、そもそも衰弱した身体で外出するというのもおかしな点のひとつだ。
 彼女はなにかを隠していたのだろうか。
 ロクは室内に踏み入るとすぐに、寝台横の小棚に目をやった。引き出しのひとつになにかの切れ端のようなものが挟まっていたからである。下から二番目の引き出しを引くと、挟まっていたのは平たい包み紙の端だった。調合薬だ。

 「あ、これ……カウリアさんの」

 エアリスの病気がまさか呪いによるものだとも知らずに、カウリアは彼女のためにと調薬に勤しんでいた。それをエアリスはいつも嬉しそうに受け取っていた。呪いのことはつまり、カウリアにも伏せていたのだ。
 ロクは薬の入った包み紙をそっと引き出しに戻して閉めた。すると、

 「……?」

 一番下の引き出しにだけ、鍵穴があった。
 引き出しを引こうとしても当然のように固く、開くことができない。鍵穴がついているのはこの引き出しだけだ。ロクの心拍数が急にあがった。

 (まさか……ここになにか)

 ロクはきょろきょろと辺りを見渡した。鍵穴が小さいため、おそらく解錠する鍵そのものも小さいのだろう。見つけるのは困難を極める。加えて、もしエアリス本人が昨日、いっしょに外へ持ち出していたらもはや地面の下だ。鍵のために墓を荒らすなど到底できない。
 残る方法はひとつ。鍵穴を壊すしかない。

 「……」

 「次元の扉、発動」──とロクは小さな声で詠唱した。ロクの内側にある扉は簡単に解錠を許し、雷の力を彼女に与える。
 ロクは深く息を吸って、吐いた。彼女は手のひらを鍵穴へ向けた。

 「一元解錠、雷撃!」

 ばちっ、と電撃が散る。最小の力で放たれたそれは鍵穴へ命中し、棚ががたんと上下に揺れた。一番下の引き出しは心なしか歪んだ。が、どうやら解錠には成功しているようだ。
 ロクはそっと引き出しを開けた。中に入っていたのは、巾着袋一つと、小型の秤だった。彼女は一つひとつ手に取った。

 「なにこれ……こっちは秤? なんで……」

 巾着袋のほうは両手に乗せられるくらいの大きさだ。秤のほうは金属製で古めかしい。ところどころメッキも剥がれている。
 ロクは巾着袋を凝視した。秤を一旦元の場所に戻そうとしたそのとき、彼女は手を滑らせて秤を落としてしまった。

 「しまっ!」

 がっしゃん、と大きな音が響き渡った。金属で造られているせいもあって音はかなり大きく、下の階にいたレトの耳にも入ったようだった。
 大きな金属音を聞きつけたレトはすぐさま、ロクのいるエアリスの部屋に駆けこんできた。

 「おまえ……! こんなところでなにしてんだよ、ったく」
 「え、あ、こ、これはその……! ごご、ごめん! べつにおばさんのこと信じてないとかじゃ、なくって……!」
 「は? ……おいロク、おまえその左手に持ってるの、なんだ」
 「へ? ああ、これはその……おばさんの棚から出てきて……見覚えないし、カウリアさんからの薬ともちがうし、なにかなって……」
 「母さんの棚から?」
 「うん……。この一番下の引き出しだけ、鍵がかかってて、それで」
 「勝手に開けたな」
 「うっ。ご、ごめん……」
 「……。貸せ、俺も見たい」

 レトはロクの左手にあった巾着袋をひょいと取りあげた。怒っているわけではないようだった。デスニーは彼と対峙した際、「ボクが殺したわけじゃない」「彼女が選んだ」「罪を払いきらないうちに死んだ」などの発言をしていた。嘘だ、と一言で片づけてしまうこともできる。デスニーの言ったことが本当か嘘かなど、エアリスが死んだいまとなっては知る由もない。
 せめて彼女の遺したものがデスニーや神族を倒す手がかりになれば。レトはそんな風に考えていた。それにエアリスが自分たちに隠しごとをしていたとあれば、知りたいと思うのは彼女の子として当然の摂理だ。

 レトは巾着袋の紐を緩めた。その様子を、ロクが固唾を飲んで見守る。
 巾着袋の中には長い葉が幾重にもなって敷かれていた。そして、

 濃厚な黒が視界に飛びこんでくる。粉末らしいそれはぎっしりと詰まっていた。

 「な……んだ、これ」
 「……」

 色で判断をするには早すぎる。もしかしたら砂鉄のようなものかもしれない。しかし2人の心臓は正直で、どくどくどく、と速く脈打った。
 なにかの粉だ。
 この粉の正体。彼女がこれを飲用していたのか否か。鍵穴をつけた理由。「自害」の一言──。すべてにおいて不明だった。得られたのは、砂利を噛んだような後味の悪さ、それだけだった。