コメディ・ライト小説(新)
- Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.83 )
- 日時: 2020/05/31 11:58
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)
第074次元 それぞれの
話し終えてからロクアンズは反省した。もとはレトヴェールと出会ったときにどのような目に遭ってどのように仲を深めたのか、のみに焦点を絞って語るつもりでいたのだ。エアリスの話まで持ち出したりして、重い気分にさせたにちがいない。幸いにも、神族【DESNY】と遭遇したと聞いてガネスト、ルイル、フィラの3人は目の色を変えた。神族への接触に成功した人間が限りなく少ないからだろう。
脳裏を掠めはしたが、キールアの存在については一切触れなかった。シーホリーの一族が生き残っているのをむやみやたらと言いふらすわけにはいかないからだ。フィラたちを信用していないのではない。そうでなくとも口にするのは憚られた。
そしてもう一つ、レトが背中に受けた【DESNY】の呪いの傷についてもロクは言及しなかった。
ロクはわざとらしく声を張りながら若草色の頭を掻いた。
「あはは。いろいろと脱線しちゃったけど、ようするにレトとは……どうやって仲直りしたかって訊かれると難しくって。ちょっとずつ歩み寄ったっていうかなんていうか」
「ろくちゃんとれとちゃんは、つらいこといっぱい、ふたりでのりこえてきたんだね……」
「え? ……そう、だね」
「いまのお話から考えると、レトさんはいまも昔も相当気難しい性格をしていらっしゃるわけですね」
「レトは優しいよ」
ロクは長椅子の上で膝を抱き寄せた。
「おばさんが亡くなって、そしたらあたしとレトはもうなにも関係ないのに、いっしょに此花隊に入ろうって……レトが言ってくれたんだよ。まだいっしょにいていいんだって、あたし、それがすごくすごく嬉しかったんだ……」
行き場を失った自分の手をとって導いてくれたのはレトだ。同情や慰めが湧いたからか、それとも2人で神族を討ちたいだけでそれ以外に余計な感情はなかったのか。レトは直接的な言い方をほとんどしない。常に本心が見えにくいからこそ余計に、談話室で突きつけられた一言が胸の奥深くを刺した。
「でも今日、レトに、『母さんの本当の子どもじゃないくせに』って言われて……あたし、勘違いしてただけなのかもしれないって思った。レトはあたしのことずっとそんな風に見てたのに、言わずにいてくれてただけだって」
抱えた膝をさらに引き寄せて、ロクは頭をうずめた。
フィラが重たい口を開いた。
「じゃあ、どうしてレトくんはあなたといっしょにここへ来たのかしらね」
「え……。……さ、さあ……それは……わかんない」
「私はね、あなたのまっすぐなところが好きなの。かけてほしい言葉をくれる。大人になると言い訳が上手になっていってね、本当はどうしたいのかを、考えたくなくなっていっちゃう。だからその蓋を開けよう、開けようって何度も叫んでくれるのが、ロクちゃんの素敵なところだなあって」
「……」
「もしあなたに対して同情心があったり、悪い風に思ってたら、いっしょに神族を討とうなんて言わないんじゃないかしら? まあそれもレトくんに訊いてみなくちゃわからないけど」
「レトに?」
「でもちょっと勇気がいるわよね。さ、そろそろ帰りましょうか。任務も済んだことだしね」
フィラが呼びかけると、ガネストとルイルは帰り支度を始めた。結局、屋敷から聞こえてくるという呻き声の正体はティリナサの操っていた幽霊たちの仕業だったので、元魔かもしれないと意気ごんでやってきたものの杞憂に終わった。
屋敷を出る間際に、ロクはガネストに声をかけた。
「ガネスト、さっきはその、ごめんね」
「なんのことですか?」
「あたし、気にしたことなかったんだ。ほかの人の事情にずけずけ踏みこんだりして、ガネストやルイルのときも嫌な思いさせてたのかなって……」
「……」
ロクは下のほうに視線を這わせて、申し訳なさそうに眉を下げた。ガネストは目をしばたいた。
「……しおらしくしてると別人みたいですね、ロクさんって」
「え!」
「うだうだ言ってないではやく元通りになってください。こちらも気まずいので」
「意外と言うよね、ガネスト」
「あなたらしくないっていう意味です。だれだってぶつかれる力を持っているわけじゃありません。でもあなたにはある。僕はそれが羨ましい」
ガネストは口角をあげて言った。「ほら行きますよ」と先を歩く。
ルイルの荷物をさりげなく持ってあげているのが目に入る。主従であるとか、忠誠だとか、堅苦しい国の決まりは文字通り海の向こうに置いてきたのだ。軽い足取りの2人はすぐにフィラの後ろについた。
ロクも慌ててあとを追った。
一方、カナラ街にある小さな薬屋で治療を受けていたレトは、上半身に巻いた包帯に不備がないことを確かめると隊服を着直した。
寝台から立ちあがって身支度を整えていたとき、キールアが部屋に入ってきた。
「あ……もう、行くの? 身体は大丈夫?」
「ああ」
「そっか……」
キールアは手元に持っていた包帯を後ろに隠しながら「じゃあこれ必要なかったね」と苦笑いをした。
身支度を終えたレトは扉に向かってまっすぐ歩いた。俯いていたキールアは、自分の目の前でレトが立ち止まったことに気づくのが遅れた。
「……あのさ」
「……?」
「その」
レトが頬に汗を滲ませながら言い淀んでいると、キールアは息を吸った。だれにも聴こえないくらいのきわめて小さな声で呟く。
「レトヴェールくん、は、知ってたの」
「え?」
「私が……ううん。私と、私の家族が……変な虫に、取りつかれてるっていう話」
「──」
まさかキールアが知っていたとは露知らず、レトは言葉を失った。キールアの家族が亡くなって初めてエアリスからシーホリー一族の奇病について聞かされた折には、『キールアはこの事実を知らないから言わないでくれ』と彼女から切に頼まれていたのだ。
キールアは手に持っている包帯に視線を落としながら、ぽつりぽつりと語りだした。
「ここでお世話になり始めて、そしたらいろんな病気のことが情報として入ってくるようになったの。中には遺伝性のある病気もあるって……。店主のコナッカさんが、ほかの患者さんと話してるのを偶然聞いちゃった。シーホリーの名を持つ一族たちの身体には古代の寄生虫が棲みついていて、ある日突然、獰猛な獣みたいに人を襲うようになるって……。だから政会の人たちも血眼になって探してるんだよね。……なんだかね、だめだってわかってるけど、やっと腑に落ちたの。なんの理由もないのに殺されるわけないってずっと思ってたから……」
「……」
「わざと、言わないでいてくれたの? あのとき」
レトは顔を逸らした。両親と弟が山奥にあった家ごと焼き払われた日のことを指しているのだろう。
「……ここにいるのは、危険じゃないのか」
「うん。コナッカさんは、私がシーホリーの人間だって知らない。それにこの店に薬を届けにきてた頃からお世話になってるから」
「そうか」
「うん」
「あらあらぁ! あなたたち、若いわねぇ~。お似合いだこと」
いつの間にやら扉から顔を覗かせていたコナッカが、ふくよかな頬に意地の悪い笑みを浮かべていた。
キールアはさっと顔色を青くして、強い否定を示した。
「えっ、ち、ちがいます。昔住んでた村がいっしょで……」
「私にもいるんだけどねぇ幼なじみ。でもぜんぜん、金髪の坊やほど冴えなかったのよねぇ~……。憎いねぇっ、キールア」
「……幼なじみ、っていうか……はい、まあ」
キールアは煮え切らない返事をして、「あはは」とお茶を濁した。レトは、ふっと視線を逸らした。
店の入り口の前まで見送りについてきたキールアは、塗り薬の入った小瓶と宛て布をレトに手渡した。
「これ、傷口に塗ってね」
「ん」
「……あの、よかったらロクに伝えてくれると、嬉しいです。私は元気だって。それじゃあ……元気で」
キールアが笑った。その拍子に、高い位置で二つに結びあげられた小麦色の髪が揺れる。寂しそうに眉を寄せているのがレトにはわかった。
「わかった」
淡泊にそうとだけ告げて、踵を返した。
が、背中を向けただけでレトは、そこから一歩も動かなかった。キールアが不思議に思っていると、彼はふたたびキールアのほうを振り返って言った。
「危なくなったら、言えよ。……またな」
琥珀色の瞳が大きく見開く。キールアは呆然としたまま、町の喧騒の中に消えていくレトの背中を見送った。
(『またな』……って……。レトヴェールくんにそう言われたの、初めて)
まだ村にいた頃のレトとはちがうような。どこか冷たい物言いだったり、返事の声が短いのは2年前のままだけれど、目が鋭くなかった。この2年の間になにか、彼の中で心境の変化があったのだろうか。おなじ時間を共有してこなかったキールアには皆目見当もつかなかった。困惑ばかりが胸の内に広がった。
「……上手くいかねえ」
レトはというと、キールアと別れてすぐに髪をくしゃりと掻き乱していた。
本部に帰還したロクは、真っ先にレトの姿を探し回った。このままでは嫌だ。訊きたいことも山ほどある。が、決意が鈍らないうちにと意気ごむあまり、焦って何度もおなじ場所を訪ねるなどしてしまった。
レトの自室、談話室、班長室、資料室、裏庭、風呂場──。
思いつく限りの彼が出没しそうな場所へと、片っ端から足を運んでみたロクだったが、レトとはいまだに出会えていない。
(むしろあとどこに行ってないんだ……? レトが行きそうなとこ、もう思いつかない)
廊下で、うろうろと行ったり戻ったりしながら、うーんとロクは唸った。
「……あ」
はた、とロクは突然足を止めた。しばらく考えたのちに、爪先の向きをくるりと変えて、歩き始めた。
もしかしてあの部屋にいるだろうか。
確信は薄い。どちらかというと半信半疑だったが、ロクはまっすぐその場所に向かった。心臓が逸るのに合わせて、歩く速度があがる。
目的の部屋の扉の前までやってくると、ロクはポケットから黒くて細長い布織物を取り出した。エアリスが亡くなる前夜に彼女から貰ったものだ。布織物を首にかけると、彼女は若草色の長い髪をまとめあげた。細い髪紐を取り出してくるくると巻きつける。崩れないようにしっかりと縛った。そして、髪紐の上から布織物を結んだ。
ロクは胸に手をあてて、深呼吸をした。
ぎぃ、と重たい扉の押し広げて、ロクは室内に足を踏み入れた。
「……──」
ロクの思った通りだった。鍛錬場の中央で立っていたレトは、扉の音に気がついて振り返った。
頬を流れていた汗が床に滴り落ちた。
2人の視線が交わったのは、朝に別れて以来だ。
「レト……」
「……」
- Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.84 )
- 日時: 2020/02/23 18:08
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: mUcohwxZ)
第075次元 つながり
襟元をぐいと引きあげて、レトヴェールは額から吹きだしている大粒の汗を拭いとる。金色の細い毛先からも一粒落ちた。彼は軽装だった。どのくらいの時間ここにいたのかはロクアンズには計り知れないが、彼は相当疲れているように見受けられた。
ロクはレトのもとまで歩み寄ると、意を決して口を開いた。
「レト、あの」
「ちょっと相手してくれねえか」
両手にはすでに『双斬』が握られていた。改めて柄に力を入れ直すと、レトはゆっくりロクとの距離を縮めていく。
ロクは突然のことで返答に困り、え、と曖昧な声をもらした。
「ちょ、ちょっと、レト」
「ぼさっとしてると、本気で斬るぞ!」
「──っ」
真一文字に一太刀、薙ぐ。ロクは驚くと同時に屈んで、逃げるようにしてレトの背後に回った。
太刀筋に躊躇がなかった。どうやら冗談ではないらしいことを悟ると、ロクも腹を決めた。
「次元の扉、発動──」
握った拳から電気が飛散する。
「──『雷皇』!!」
鋭い明るさが空気を焼き、床を這う。ロクが戦闘態勢に入ると、レトは間髪入れずに彼女の懐に踏みこんだ。
「っ、わ!」
今度は床から天井にかけて片方の短剣を振りあげた。軌跡が、縦一閃を描く。前髪の先端がほんのすこしだけ切り落とされて、ロクは顔をしかめた。速い。ロクは後方に退く。
「先手必勝、ってこと? そっちがその気なら──っ、三元解錠! 雷撃!」
ロクは片手を振りかぶって、"雷撃"を床に叩きつけた。電気が足の爪先をめがけて猛スピードでやってくる。レトはロクからかなり距離をとった。
「もう近づけないよ?」
「……」
ロクが口角をあげてにやりと笑った。
近接武器はこういうときに不利だ。『双斬』は基本的に、相手の身体に直接損傷を与える技が多い。対してロクの有する『雷皇』は遠距離からの攻撃および奇襲を可能とし、敵を近づけさせない壁をも築ける。隙があるとすれば、ロクが技を繰り出す動作に集中する、一瞬の間のほかにはない。
(試してみるか)
「四元解錠──、交波斬りッ!」
双剣が重なると甲高い金属音が鳴った。刹那。『双斬』は左右に薙ぎ払われ、突風が巻き起こった。遠距離からやってくる向かい風にロクは左目を瞑り、すぐに詠唱した。
(この次元技、初めて見る……──っ!)
「五元解錠──!」
電気の糸と糸とが絡み合い、ロクの周囲を囲うように雷の球体が編みあげられていく。"雷撃"から派生した新次元技、"雷籠"だ。ローノ支部に出現した元魔や、ベルク村でリリエンら兄妹と相まみえたときに活躍していた。
雷の壁が完全な球体を築く、その直前。
「隙だらけだぜ、ロク」
背中越しにレトの声がした。いつの間にかロクより後ろに回っていた彼は、すでに、双剣を振りかぶっていた。
しまった、とロクは直感した。
"雷籠"が完成したところで簡単に打ち破られる。それに新しい壁を作ろうものならその隙に斬撃を打ちこまれるだろう。形状が散漫とする"雷撃"もだめだ。難なく斬り抜かれてしまう。
ロクは咄嗟に、右の指先に電熱を這わせた。
「六元解錠」
猛熱をこめた細い指先を、レトの身体に向けてまっすぐ伸ばす。
「──雷砲!!」
強い光を帯びた熱線がロクの指先から飛び出し、空気を焼き切るとともにレトの左肩を撃ち抜いた。手離した双剣が遠くまで飛んでいくと、からんからん、と音を立てて床に落ちた。
はっ、と気づいたときには遅かった。壁際まで弾き飛ばされたレトが、肩を抑えながら項垂れている。レトの後ろの壁も大きく抉れていた。
「ご、ごご、ごめんレト……っ! あたしつい、そんなつもりじゃ」
ロクはさっと青ざめて、レトの傍まで駆け寄った。肩から大量に出血しているのをどうにかしなきゃとおろおろしていると、レトは深く嘆息した。
「あー、くそ。やっぱ強いな」
空いているほうの手でがしがしと頭を掻き、レトは悔しそうに眉を顰める。ロクは呆然とした。
「どういう感じ、五元とか、六元解錠って」
「え……」
「四元とかとやっぱちがう?」
ロクは戸惑いながら答えた。
「……う、うん。五元とか六元って、だんだんと扉が重たくなってるっていうのかな。だから重たい扉を開けるときみたいに……呼吸を整えるのと、一気に全身に力を入れるイメージ、っていうか……」
「ふーん……。そうか」
「……」
「……」
「レト、ごめ」
「謝んな」
レトは壁を頼りに立ちあがって、扉のあるほうに向けて歩きだした。まだ彼の語気は荒い。遠ざかっていく背中を呼び止めるように、ロクは声を絞り出した。
「で、でも」
「謝るのは、俺のほうだ。だからおまえは謝らなくていい」
扉のすぐ近くに、小ぶりのポーチと手拭いが無造作に置かれていた。レトはポーチから消毒液と包帯、当て布を取り出すと、上に着ていた練習着を脱いだ。患部にぐっと当て布を押しつけ、止血をする。
彼は背中越しに告げた。
「おまえがものすごい早さで強くなってくのが……嫌、だった」
怒っているわけでも毅然としているわけでもない。レトの声はか細かった。頭の中で整理ができていないうちに喋っているのが伝わってきて、ロクは目を丸くした。
「もちろんそんなの、自業自得だ。……おまえみたいに成長するには、どうしたらいいかわかんなくて、わかんないまま時間が過ぎた。いまの俺に母さんの仇は討てない。でもおまえならわからない。……それがすげえ悔しいのに、どうしても次元の力が俺には重い。おまえが言った通りだ。おまえみたいに努力してこなかった、その報いだ」
レトは、遠くのほうの床の上に落ちている『双斬』にちらと目をやった。戦闘中、満足に剣を振るえない瞬間がある。筋力がないせいだ。体力が足りないせいだ。まだ自分の武器になっていないのだと、彼は十二分に自覚していた。
「……俺は母さんの子どもなのに、って。おまえとの差に勝手に絶望して、勝手に嫉妬してたんだ。……ごめん」
「……」
「だからおまえはなにも気にするな。悪いのは俺だ」
普段より一回りも二回りも小さく見える背中に消毒液を垂らし、それから不慣れな手つきで包帯を巻き始めた。キールアに治療してもらったばかりなのにと申し訳ない気持ちになりながら、レトは練習着をふたたび被った。
ポーチを腰に装着し片手で手拭いを拾いあげると、レトは壁伝いに鍛錬場の大扉に向かった。
──なにか言わなきゃ、とロクは口を開いた。けれど声が出なかった。
『でもちょっと勇気がいるわよね』
ぎゅっと下唇を噛みしめる。遠のいていく背中にどうしても聞いてほしくて、大きな声を出した。
「──っ、ちがう!」
「え?」
レトは後ろから投げられたその声に反応して、すぐに振り返った。すると、ロクが左目に大粒の涙を浮かべていた。
驚くとともに、レトは動揺した。縋るような目をしたロクが、まっすぐ彼の顔を見つめながら、繰り返した。
「ちがうよ、レト」
「ち……。ちがわねえよ、俺はおまえに」
「あたしもレトにひどいことたくさん言った……。考えなしとか、弱いって思ってるとか……。……あたしは……レトに助けてもらったのに、なにも言わないでそばにいてくれたのに、なのになんでレトが謝るの? レトだけが謝らないで、あたしが悪くないみたいに言わないで!」
「……。お、おいロク落ちつ」
「どうしたらレトの妹になれる」
ぽろ、っと。薄く開いた唇から、勝手にそうこぼれた。
レトは口を閉じた。服の袖を強く握りしめているロクは、そうしていないと立っていられなかった。項垂れたまま、床に吐き捨てるように吐露する。
「──血が繋がってないとか、いまさらそんなのわかってるよ。2人の優しさにずっと甘えて、縋って……。なのにあたしは、2人のためにしてきたことがなにもない」
「……」
「本当の兄妹だったら……なにもなくてもいっしょにいられるのになって……ばかみたいにいっつも考えてる。ずっといっしょにいてもいい理由を探してる。だってじゃないと、あたしとレトは……なんの繋がりもないから。だから怖くてしょうがないの。いますぐにでも離れていっちゃうんじゃないかって、そればっかり……っ。ねえ、どうしたらあたし、レトと──ほんとの兄妹に、なれるのかな」
拾われた自分。拾ってくれた女性の本当の子ども。
レトと自分とを隔てる扉は途方もなく重くて厚い。片方が頑張って押し開けようとしたって、もう片方がいるところへは行けない。片方の力だけでは狭い隙間しかできない。だからその先へ踏み入ることができない。「あけて」と泣いて頼むことしか、ロクにはできなかった。
レトは、極めて落ち着いた低い声を絞り出し、端的に答えた。
「本物の兄妹にはなれねえよ」
重い響きが、ロクの心臓の真ん中のあたりを突く。現実だ。また幼子のように喚いてしまった。"血の繋がり"と冠された扉は、ロク一人の力ではとても開けられなくて、手を離してしまいそうになる。
「けど、本物以上にはなれる」
レトはそう言い切ってから、数歩、石のように動かなくなっているロクの近くまで歩いた。
「血をどうこうすることができないんだったら、べつのなにかで勝るしかない。……って、世の中の実の兄妹たちになにを張り合ってんだって感じだけど」
「……べつの、なにかって……」
「血の繋がり、以外に、勝れるもんがあるとしたら、絆くらいじゃねえの」
レトは手に持っていた手拭いを腰元の隙間に引っかけると、ズボンの内懐から黒い布織物を取り出した。ロクはそれを見て、はっとする。エアリスはロクにこの黒い髪紐を渡すとき、二つに切り分けたのだと教えてくれた。片方はレトに渡した、とも。
髪の結び目に合わせて、レトはその髪紐を結んだ。深い黒色の髪紐は、きらきらと美しく輝く金色の髪によく映えた。
「俺たちの母さんは……おなじだ」
「……」
「本物とか本物じゃないとか、ほんとは関係ない。おなじくらい大事に想ってて、想われてた。それはまちがいないんだ。ほかのだれかが変えることはできない。だから……」
「……兄妹、みたいに……なれてるってこと?」
ロクは弱々しい声でそう訊ねた。新緑の瞳が涙で濡れると、室内の灯かりと反射して煌めいた。レトは答えづらそうに目を逸らしたが、やがて呟くように言った。
「……まあ、そうだと思う、俺は」
「……うそじゃない……?」
「うそじゃねえよ」
「じゃあ、そばにいてもいい?」
「いなきゃデスニーを倒せねえ」
「いっしょに戦ってもいいの……?」
「ああ」
「ほ……ほんと?」
「……。あのなあ、そんな訊くなよ。もう答え」
「あたし、レトの」
「……」
「……」
口を閉ざしたロクの左側の頬には、涙の跡が残っていた。目尻からもう一滴落ちそうになった、そのとき。
レトが、服の袖でぐいっと彼女の涙を拭いとった。その拍子にロクは顔をあげた。
「破天荒で、なにかと手出したがりで、一人で突っ走って。いちいち危なっかしいのに、いつも一人だけへらへら笑ってやがる。でも……目の前にあるものを見捨てたことはただの一度だってない。もしもが起きないようにいつも全力で戦う。俺の義妹だ」
「……レ、」
「そうだろ、ロクアンズ・エポール」
柔らかく笑いかけるとともに、レトが言った。
すると、ロクはまた、ぽろぽろと涙をこぼした。レトはぎょっとして、すぐさま彼女の顔に腕を伸ばす。ごしごしと目尻を拭ってやりながら、ため息交じりに彼は言った。
「だいたい、なんでおまえのほうが落ちこんでんだよ……。いや、まあ、俺が言いすぎたせいだろうけどさ……」
レトは「だから、その」と口ごもった。素直に口にするのが苦手なくせに、何度も謝ろうとしてくれているのが伝わってくる。
ロクは嬉しくなって、思わず口元を緩ませた。
「へへ」
「な、なんだよ。急に笑って」
「だってうれしいんだもん。よかった。レトが優しくて」
「は? 優しくはねえだろ」
「優しいよ。レトはいつも、まちがったって思ったら、まちがったってちゃんと言う」
「……言うか?」
「……ちゃんとは、あんまり言わないか。でもなんかそういうの、見えるんだよ。だから大好きなんだっ」
ロクは満面の笑みをたたえてそう言った。レトは一瞬言葉に詰まって、腰元から手拭いを引き抜くと首にかけた。
「もう余計なこと、考えるなよ」
「うん。わかった」
「それより今日のは本当に俺が悪いから。おまえはなにも気にすんな」
「わかったってば。もー、マジメだなあ」
ロクが返すと、突然レトがくるりとロクのほうを振り返った。そして、ぽすっ、と若草色の頭の上に手の重みが乗りかかる。ロクはそのままぐしゃぐしゃと頭を撫で回された。
「本当にわかってんだろうな」
「うわっ、わ、わかってるよ! わかってます!」
「今回おまえは?」
「わ……わるくない!」
「……」
ふっ、とレトがわずかに笑った。
「ん。わかればよろしい」
最後にぽんぽんと頭を撫でられると、レトの手が離れた。
ロクはふと、お兄ちゃんみたいだなと、そんな風に感じた。きっと兄とはこういうもので、妹とは兄に頭を撫でられるものなのだ、なんて。幼すぎる発想だろうか。
2人は鍛錬場から外の長廊下へと出た。ひんやりとした冷たい空気が肌を撫でる。
「ねえレト」
「なんだよ」
「レト、どうしてあたしまで此花隊に誘ってくれたの?」
ロクはレトと並んで廊下を歩きがてら訊ねた。レトは言い渋る様子もなく率直に答えた。
「……母さんを埋葬したとき」
「え?」
「あのとき、おまえ……俺とおなじくらいずっと泣いてただろ。なんていうか、世界で一番自分が不幸だって、そういう顔してた。だから俺たちはいっしょなんだって思ったんだ。母さんを想う気持ちがさ。あのときにちゃんと、おまえが……妹になった、っていうか」
エアリスが亡くなったと聞きつけて、悼んでくれる村の住人は少なからずいた。「可哀想に」と、「お気の毒に」と、嫌というほど聞かされた当時は、正直なところうんざりしていた。いま思い返せば、子ども心に余裕のなかったせいだったのだろうが、それでも墓標の前で「ごめんなさい」と謝り続けた、血の繋がらない義妹の涙が色濃く目に焼きついたのだった。
「でもなんでいまさら」
「あ、えっと……じつはね、ずっと気になってたんだ。でもなんか訊くに訊けなくて……」
「なんだよそれ。変なやつ」
「あはは」
「おまえと別々になるって発想もなかったしな」
──本当に聞きたかったことが聞けてよかったと、ロクはしみじみとそう思った。勇気を出すのは簡単なことではなかった。もしかしたら自分が傷つくような答えが明確な音ととなって返ってくるかもしれない、そう思うと声が出なくなった。
けれど、相手の気持ちをただ知るだけではだめなのだ。自分の心の声を聞いてもらわなければ、心が通い合うことはない。嬉しい言葉が返ってくることもなかった。ロクはいつもの調子で、「へへ」と無邪気に笑った。
「じゃあ、いまからでもやっぱ戻してもらう? 班分け!」
「それはいい」
「えー! なんでなんで!? 別々になっちゃうよ!」
「おまえなあ。だいたいおまえが別々でもいいって言ったんだろ」
「ええ~うそだよ~。ねえレト、すねないでいっしょにいようよぅ~」
「すねてねえよ」
がっしりと腕を掴み、泣きついてくるロクの手をレトは無理やり引き剥がした。廊下を歩く間中ずっと「ねえねえ」「いっしょにいようよ」と縋りつかれたが、レトは頑として首を縦に振らなかった。
途中、資料室の前で立ち話をしていたセブンとフィラが、廊下を並んで歩く2人の姿を見かけた。声をかけようかとも思ったが、2人がおなじ髪紐を頭に結っていたので、彼らは黙って義兄妹の後ろ姿を見送った。セブンとフィラは互いに笑い合った。