コメディ・ライト小説(新)

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.85 )
日時: 2020/05/12 23:07
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第076次元 眠れる至才への最高解Ⅰ 

「あらぁ、いらっしゃい、レトくん。朝早くから珍しいわネ」
「ども」

 集会所の番を担当しているモッカが、カウンターから身を乗り出してひらひらと手を振った。その袖の色は灰色でレトヴェールたち戦闘部班のものとおなじであるが、彼女は戦闘部班の班員ではない。援助部班特有の紅色の腕章が、二の腕のあたりに留められている。
 モッカはカウンター横に貼られているコルクの掲示板に顔を向けた。その拍子に、栗色の巻き髪と赤い耳飾りが揺れる。

「依頼をお探しかしら?」
「ああ、いや。今日はちがうんだ」
「あらそーなの。じゃ、飲み物でも淹れよっか。ちょ~っと待っててネ」

 レトは適当なテーブルについて、脇に抱えていた資料を広げた。しばらくすると、カウンターのほうからコーヒーの香りがふわりと漂ってきた。

「……すいません、仕事でもないのに来て」
「いーのよぅ、べつにっ。ところでどーかしたの? それ……なにか調べモノ?」
「研究部班の、昨年分の報告書。資料室からとってきた」
「ふふ。バレたらまた怒られるわよ~? それで、なんで研究部班?」
「研究部班って次元の力とか、神族に関する研究をしてるところだろ。そういえばどんな研究してるか、具体的に知らないなって思って。にしても大した報告がないけど」
「言うわねぇ~」

 しばらくすると、モッカがコーヒーを木製のトレイに乗せて運んできた。

「はぁい、ドーゾっ」
「……どうも」
「うわぁ、この紙の束、持ってくるのしんどくなかった? 資料室で読んじゃえばよかったのに」
「ここ、なんか居心地がいいっていうか。茶屋みたいで落ち着くから」
「あらそーお? もともとやってたのよぅ、お茶屋さん」
「そうなんすか」

 レトは資料に向けていた視線をあげた。モッカは向かいの椅子に腰をかけながら答えた。

「家族でネ。地元でこじんまりやってたんだケド、毎日来てくれるお客さんとかいて。あの頃は楽しかったわぁ~」
「なんで、やめて此花隊に?」
「姉がここの援助部班の班員だったの。でもトツゼン、次元の力に目覚めちゃって、14年前の戦争で殉職した。アタシそのとき、お姉ちゃんの傍にいてあげたかったなぁってずっと後悔しててね。だから入隊したの。アナタたち次元師の支えになりたくって」
「……」
「ごめんネ。でもめずらしいコトじゃないわ。だからいまは、頑張って戦い続けてるアナタたちに全力で尽くすの」

 実際に、援助部班への編入を志願する者というのは、親しい人間を元魔に殺害されたなどの過去を持つ者が多い。しかしながら次元師ではない人間が大多数であるのも事実である。喉から手が出るほど、その超人的で希望に満ち溢れた力を欲している者もいるだろう。力を持たない自分たちには元魔や神族に対抗する術がない。だからこそ援助部班の班員たちは、世界の希望ともいえる次元師たちを日々サポートしながら、募る想いを密やかに託しているのだ。

「でもアタシ、ホントは手配班ってとこの配属なんだケド、まさかここの受付に配置されるとは~ってカンジなの。レトくんたち、最近は元魔の出現連絡が入ったらすぐ出ちゃうからもうここ寄ってないじゃない? 1人で長いことここにいるって意外とさみしいのよぅ~」
「はあ」

 レトが曖昧に返事をしたそのときだった。耳元に装着していた通信具が振動した。元力を通して伝わってきた意思の持ち主は、コルドだった。

『レト、いまどこにいる?』
「集会所だけど」
『至急、班長室前に集合だ』
「ん。わかった」

 通信具から手を離すと、モッカが感嘆の息をもらした。

「それ、便利よネぇ。離れたところにいる人と会話できちゃうんでしょ?」
「距離に制限があるけどな。それに次元師しか使えない」
「じゃ、この先アタシみたいなふつうの人でも、使えるようになったりするのかしらっ」
「さあな……研究部班の腕次第だと思うけど」

 レトは報告書の束をまとめて脇に抱えた。モッカに別れを告げ、彼は集会所をあとにする。
 勝手に持ち出した報告書を元あった場所に戻すため、レトは資料室に寄ってから、まっすぐ班長室を目指した。

 上着の内袋に両手をつっこみながら歩いていくと、班長室の前にはすでにコルドと、そしてフィラ、ロクの2人も到着していた。

「おはよう、レトくん」
「おっそいよ~! レト!」
「……なんで第二班の2人まで」

 つい先日班の再編成が行われたはずだ。戦闘部班が立ちあがって以来の初の試みとはいえ、班が別々となったいまになって、ロクとおなじタイミングで招集がかかるなんておかしい。
 レトが不思議そうに眉をひそめると、事情を把握しているらしいコルドがさらっと答えた。

「詳しい話は中に入ってからだ」

 班長室の扉をこんこんと二度ほど叩き、コルドは入室した。彼に続いてフィラ、ロク、レトが室内に敷かれた赤い絨毯を順に踏む。
 頭を抱えながら得意ではない雑務に投身していたセブンが、ぱっと顔をあげる。彼は黄土を薄めたような色の瞳を細めると、見慣れた顔ぶれを鷹揚に出迎えた。
 
「やあ。よく来てくれたね」
「セブン班長、連れてまいりました」
「ありがとうコルドくん。さっそくで悪いんだけど……君たち、此花隊の第一支部、研究棟へ見学に行かないかい?」

 机の上で指を組みながらセブンが言う。聞き慣れない言葉に、ロクはこてんと首をひねった。

「研究棟?」
「そう。ここ、本部には研究部班の班員がいないだろう? じつは彼らは専門の施設で研究をしていてね。北方のウーヴァンニーフという街に門を構えている、第一支部というところなんだ」

 セブンは木製の長いテーブルから立ちあがって、本棚にかかっている大きな地図の一部分に指先をあてた。

「君たちは普段、研究部班の人間と接する機会がないし、それに彼らは次元の力の研究をしているからね。いろいろと勉強にもなるだろう」
「わあっ、行きたい行きたい!」
「ロクくんならそう言ってくれると思ってたよ」
「それは構わないんですが……セブン班長、なぜこの4人なのでしょうか? いまとなっては班も別々ですし、片方ずつとかでも……」
「あ~……特に意味はないよ」
「は、はい?」

 フィラが素っ頓狂な声をあげると、その反応を楽しむかのようにセブンが「はは」と高らかに笑った。

「冗談だよ、冗談。フィラ副班はこちらに異動してきて、団体行動の経験があまりないだろう? それに、レトくんとロクくんの2人を研究棟に行かせたことないな~と、ふと思ってね」
「……本当、昔から変わってないですね、そういう適当なところ……。班分けすることになって、この2人がどれほど」
「まあまあフィラ。今回は特例ということで、ね。特例」

 飄々と躱そうとするセブンとは昔からの間柄であるフィラは、これ以上なにを言っても無駄だと早々に判断して口を結んだ。
 そのとき、黙って立っていたコルドがごほん、と咳をした。

「はは。さて。雑談はこの辺にしておこうか」

 セブンの声色が急に低くなる。空気が一変したのを察した一同は、彼の次の言葉を待った。

「見学、というのはあくまで建前上の理由。今回君たちを研究棟に向かわせる、その本当の目的は──"ある実験"の調査だ」
「ある実験の調査……?」

 すでに卓上に並べていた2枚の資料を、セブンは指先でとんとんと示した。4人は長机に近づくと、紙面に注目した。
 ロクは資料の左上に描かれた人物画を見て、左目を細めた。そのいかにも悪そうな人相には見覚えがあった。

「あれっ、この人たち……」
「そう。じつはあの事件があって以来、コルド副班の協力のもと、秘密裏に調査を進めていたんだ。右の資料は、デーボン・ストンハック。バンサ島で人身や贋作などの売買を働いていた商人だ。そして左がオッカー・ドネル。同事件でデーボンの助手を務めていた。覚えているかな」
「もちろんだよ! この悪人面、いま見てもイライラする~……!」
「あはは」
「たしかこの2人って……研究部班が開発した、次元師しか扱えない通信具をなぜか使用していた者たちだって、仰っていましたよね?」

 セブンが首を縦に振ると、代わりにコルドが口を開いた。

「その件に関して進展があったんです。この2人の身元を調査しているうちに……ある事実に辿り着きました」
「ある事実?」
「では、こちらも見てもらおうか」
「……これは……」

 セブンは机の引き出しから、新たに2枚の紙を取り出した。それぞれ、デーボンの資料とオッカーの資料の上に重ねて置く。その2枚の紙の左上に描かれている人物画に見覚えはなかったが、どちらも、白色の隊服のようなものを羽織っていた。

「ファウンダ・ストンハック。そしてこっちが、カイン・ドネル。見てくれればわかると思うが、この2人は此花隊の隊員で、研究部班に所属していた経歴がある。そしてどちらも……14年前のメルドルギース戦争で殉職した──次元師」

 セブンが静かに告げると、コルド以外の3人は驚いて息を呑んだ。

「……この、殉職された2人の次元師隊員と、デーボンら2人が……血縁関係者だったということですか」

 おそるおそる訊ねてきたフィラに対し、セブンは首肯した。


Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.86 )
日時: 2020/03/26 21:59
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第077次元 眠れる至才への最高解Ⅱ

 重ねられた資料をずらし、ロクアンズはその紙面に描かれた人物画を2人ずつ、それぞれ見比べてみる。たしかに目鼻立ちや骨格など、似通った部分は多いようだ。縁者と教えられれば疑う余地はない。

「ストンハックは父、ドネルのほうは叔父だそうだ」
「へえー……」
「ただの偶然にしては、できすぎているような……」

 フィラは困惑したように言った。研究部班が開発したものと思われる通信具を使用していたデーボンとオッカーが、元研究部班の次元師たちと血縁者だったという事実は、そう易々とは受け入れられない。

「ということは、デーボンたちに渡っていた通信具に、そのファウンダ・ストンハックとカイン・ドネルの"元力石"が使われていたっていうことですか?」
「おそらくね」

 通信具の動力源となっている"元力石"というのは、研究部班が開発した、いわば元力の塊だ。次元師の血液から採取した小さな元力粒子の物体化、と表現するのが正しいかもしれない。次元師本人の意思に呼応するという元力の特性を生かし、その呼応能力を通信手段に利用できないかと現研究部班の班長が開発を重ねた結果、通信具という画期的な道具が誕生した。

「でも班長、実験っていうのはどういう意味? デーボンたちに通信具を渡すことが、なにかの実験だったの?」

 ロクは資料から目を離し、目の前にいるセブンになにげなくそう問いかけた。彼は「ふむ」と小さく唸り、また両手の指を組んだ。

「ここから先はあくまで私の推測だ。話半分で聴いてくれて構わない」
「え? う、うん」

 突然語調が鋭くなり、ロクは思わず気圧された。机の上に並べられた4枚の資料に視線を落としながら、セブンは次のように述べた。

「本来は次元師ではないデーボンとオッカーは、しかし次元師と血縁者である。その次元師たちの血液中に含まれていた元力をおなじように扱えるかどうか……それを今回、通信具を使用させることによって試していたのではないかと思っている」
「? なんのために?」
「──次元師の増加。それが、俺と班長の見解だ」

 コルドが言い放ったそれは、まるで夢のような話だ。世界でたった100人しか存在しない次元師がその枠を超える。ロクは驚いて、左目を大きくした。

「次元師を増やす!? そんなのムリだよ! 次元の力はこの世界に100個しかなくて、1人1つ……なんだよ! ね、レトっ!?」
「俺に振るのか。たしかに、1人の次元師が2つの次元の扉を開けた例もないし、1つの扉を……」

 そこまで言ってレトは、はっと口を結んだ。逡巡するように彼が目を伏せると、セブンはそれに構わず口を開いた。

「現時点では、発見されている次元の力はちょうど100種。もしも今後新たな次元の力が発見される可能性があったとしても、それを悠長に待っている暇はない。既存の次元の力を扱える人間を増やすことに着目したほうが、よほど現実的だとは思わないかい? なにより……扉を開ける"鍵"を増やすことに成功した例なら、存在するんだよ」
「え?」
「アディダス・シーホリーの次元継承説か」

 間髪を入れずにレトが回答すると、セブンはすかさず、ぱちんと指を鳴らした。
 
「ご名答」
「次元けいしょ……なに? その難しい感じの」
「カウリアさんが言ってただろ。俺、気になって詳しい話を聞いたことがあんだよ」

 レトは数年前の記憶を呼び起こした。ティーカップに口をつけたセブンの細い瞳が、そのとき鈍く光った。

「200年前、アディダス・シーホリーっていう1人の次元師が、『癒楽ゆらく』の扉の鍵を継承することに成功した」

 アディダスが身籠った子から、力の継承は始まった。
 彼女の子の血を引いた子も、また次に産まれた子も──アディダスの血を受け継いだ人間であればだれでも、血の濃淡に関わらず『癒楽』の扉を開けることを可能としてきた。それは、次元の力を有する人間が命を落としたとき次にもっとも早く生を受けた人間にその力が受け継がれるという不可思議な構造の輪から逸脱した、いわば革新だった。
 カウリアも例外ではなかった。ロクは幼い頃、『癒楽』の力を使うカウリアに体調を診てもらったことがある。それは彼女がアディダスの子孫にあたることの証明でもあったのだ。
 そうして200年もの間、次元の力『癒楽』は継承され続けている。しかしアディダスは、次元の力の継承について一切の情報を残さずしてこの世を発った。

「歴史上でいうと、次元の力の継承に成功したのは、そのアディダスただ1人だ」
「ええっ? それって……すごくない!?」
「すごいなんて域を超えてる。だから研究者たちは、アディダスがなにか文献を遺してないか、躍起になって探してんだよ。……まあ、いまのところなにも見つかってないけどな。もし『癒楽』以外にも次元の力の継承を成功させられたら……次元師は、とんでもない数になる」
「そうだね。それに、研究者として多大な功績を得ることにもなる」

 セブンがそう付け足すと、こくりとレトは頷いた。ロクは緑色の左目をぱちくりさせて腕を組んだ。

「な、なるほど……。え、じゃあ、通信具を使ってた2人は、継承に成功する可能性があるってことか! ひえ~~……」
「可能性としては、ね。少なくとも通信具の使用は可能だった」
「すっごーい! もしほんとにその実験が成功して次元師が増えたら、もともと次元師のあたしたちも助かるし、神族を全員倒すのだって、遠くない未来になりそう!」
「ただし」

 興奮のあまり身振り手振りを大きくしていたロクだったが、斬り捨てるようなセブンの一言でびくっと肩を震わせた。彼は表情を険しくして、続けた。

「デーボンらと関わりを持っていたのは事実だ。事件当時は単なる情報漏洩として処理されてしまったが……研究部班の一部の班員たちが、意図的に研究物を横流ししていたとなれば、話は変わってくる。たとえ本当に偉大な大実験が行われていたとしても、その一点は見逃されていいものではない」
「汚名も晴らさないとなりませんしね」

 デーボンらの手に研究部班の通信具が渡っていたということが政府陣の耳に届いたとき、わざわざ呼び出されて、セブンは直接注意を受けた。そのときのことを思い出すと胸のあたりがむかむかとしてくる。
 セブンは肩を竦めながら、冷たくなりつつあるティーカップの取っ手に指を伸ばした。

「まったくだよ。そもそも私の管轄は戦闘部班だっていうのに……」
「んじゃあとりあえず、デーボンたちと関わってたっぽい人たちを探してくればいいんだよね!」
「そういうことだ。私の汚名返上のためにもひとつ、よろしく頼むよ」
「らじゃ~! レト、ちゃっちゃと準備しに行こ!」
「ああ」
「あ、レトくんちょっと」

 セブンはレトに向かってちょいちょいと手招きをした。呼び止められたレトはぴたと足を止めて、振り返った。

「じつは君とコルドくんの第一班には、もうひとつ、別の仕事を頼まれてほしいんだ」
「……? なんだよ、別の仕事って」

 不思議そうな顔をしてレトが言うと、セブンは「えーと」と呟きながら机の上で山積みになっている本や資料を漁りはじめた。その様子を見ていたコルドとフィラは、普段からきちんと片付けをすればいいのに、と心の中で呟いた。セブンは身の回りの整理整頓がどうにも苦手な男なのであった。
 目当てのものが見つけられなかったのか、セブンはくしゃくしゃと黄土色の髪を掻くと、「はは」と苦笑をこぼしながらレトのほうに向き直った。

「ついこの間、ウーヴァンニーフにある"大書物館"から一冊の書物が盗まれた、と館の主から依頼を受けてね。その本を探してほしいんだ」
「へっ? だいしょもつ……かん? ってなにそれ」
「なんでそれを俺たちが」

 新しい情報が持ち出されると、ロク、レト、フィラの3人は困惑の色を示した。しかしセブンは、あくまで地続きの話であることを明らかにした。

「その本はね、古語で書かれていたものだったらしいんだよ」
「! 古語……」
「現代の我々にその本を読み解くことは不可能だ。だが、古語ということは……200年前にアディダスが書き残した資料、かもしれないよね」
「……研究部班の班員が、その書物を盗み出した可能性がある、ってことか?」
「もしかしたら、ね。目星をつけているにすぎない。それに君なら、もし見つかったときに内容が読めるだろう。だから君に頼みたいんだ」
「え、じゃあレトたちはその本を探して、あたしとフィラさんは……ってあれ? ……別行動?」

 ロクが頭上に疑問符を浮かべて首を傾げる。にやり、と口角をあげ、セブンは二の句を告いだ。

「言っただろう、特例だって。今回の任務は二手に分かれて調査をしてくれ。コルド副班率いる第一班は盗まれた書物の在処を。フィラ副班率いる第二班は実験の関係者を洗い出せ。情報はこまめに共有することを徹底してくれ。……これは戦闘部班班長、セブン・ルーカーから君たちへ下す、直々の依頼だ」
 
 第一班のコルドとレト、第二班のフィラとロクはそれぞれ承知の声をあげた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! -完全版- ( No.87 )
日時: 2023/03/24 19:06
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第078次元 眠れる至才への最高解Ⅲ

 ウーヴァンニーフはメルギース国の最北西に位置しているため、長旅になることが予想される。今回の任務に赴く4人は各々、準備のために一旦解散した。
 身支度が整い次第、門の前で落ち合うことになっている。準備にあまり時間をかけないロクアンズが一番乗りだった。外門に寄りかかり暇つぶしに砂利を蹴っていると、門の石造の柱から、コルドの黒髪が覗いた。
 
「お。相変わらず早いな、ロク。準備に抜かりはないか?」
「大丈夫大丈夫! なんか準備するものってそんなに思いつかなくってさ。みんないつも、なにを持ってってるの?」
「そうだな。俺は携帯食料、水筒、地図、簡単な薬品類。あと多少の路銀か。まあふつうだよ」
「レトもそんな感じだった気がする~っ」
「あとそれらの予備分も入ってる」
「よ、予備!? えっいま言った全部? それは……多いね、コルド副班……」
「準備は入念に行うべきだ」

 ほかはともかく地図の予備まで持ち歩くのか、とロクは少々引きながらも適当に相槌を返した。コルドにはまちがっても、携帯食料を多めに持ち歩いてますなどとは口にできないなと、さっと足元に視線を戻した。
 砂利を見つめていると、ふとロクは半刻ほど前の班長室でのことを思い出した。

「ねえコルド副班、セブン班長さ、ちょっとだけ怖いときない? あっ、もちろんいつもはすっごく優しいんだけど、でも……うぅーん、なんていうか」

 話半分で聴いてくれ、と切りだしてからのセブンは、いつもとはどこか雰囲気が異なっていた。だれが相手であっても物怖じすることのないロクが彼を目の前にして自然と背筋が伸びてしまったのも、単なる気のせいではない。
 コルドは答えた。

「あの方は聡明なんだよ。なにより、あらゆることを同時進行で考えている。自信、というのかな。先々のことを見据える力も、起こりうる事態の予測数も、きっと俺なんかでは遠く及ばない。だからこそ今回の任務のように、内部で行われていることにすこしでも事件性を感じると、人一倍危機感を覚えるのではないかと俺は思う」
「……。へ、へえ……」
「ああ、悪い悪い。すこし小難しい言い方をしたな。つまりなんというか、班長はとても頭のいい人だから、楽観的ではいられないときもあるってことだ。それに、すこし前まで隊長補佐であられたお方だからな。無意識のうちに、戦闘部班以外の部署にも目を光らせてしまうんだろう。……あ、っと、それは知ってたか? ロク」
「ああ、うん。フィラさんからちょっとだけ」

 ベルク村からローノの町に戻ってきたときに、たしかそんな話を聞いた。あのときは、セブンとフィラが知り合いであったことに驚くばかりですっかり頭からは抜け落ちていたが、そもそもロクは隊長補佐という役職に聞き覚えがなかった。

「でも隊長補佐ってなにする人なの? いまはそういう人いないよね?」
「隊長補佐は、文字通り隊長のお付き役で、隊長とともに国中を回るのが主な仕事だと班長が仰っていたな。行く先々での面会の段取りとか、宿屋の手配とか馬の用意とか、とにかく隊長のサポートをしていたとか」

 セブンが戦闘部班を立ち上げて以来、隊長補佐という役職は空席のままだ。彼は此花隊に入隊してまもなく隊長補佐に配属となったが、隊長のラッドウールは後にも先にも、セブン以外の人間を自分の隣に控えさせたことはなかった。セブンいわく、「幼いときから息子同然に面倒を見てきたから、単純に使いっ走りとして便利だったんだろう」とのことだった。
 コルドは左手の指を三本立てると、自慢げに言った。

「隊長補佐は、じつは此花隊の中で3番目に偉い役職なんだぞ」
「え! 3番目!? すごいっ、セブン班長!」
「だよな。だけど班長は、そのすごい役職をいとも簡単に投げ捨てて、次元師の組織化という、政会の人間たちに白い目で見られるような計画を成し遂げた。初めこそ俺も、班長のことを変わったお人だと思っていたし、なにか企みがあるんじゃないかと警戒もしていた。だが……『次元師に居場所をつくるためだ』と言われたとき、俺は図らずも、心が救われてしまったんだ」
「救われた、って?」

 ふいに視線を外し、コルドはべつの方向を見つめた。彼がうなじを向けてきたのでロクは不思議がって、彼の視線の先を追ってみた。そこには荷馬車に不具合がないかと調べている、援助部班の班員の姿があった。

「戦闘部班に入る前、俺は援助部班の警備班にいたんだ。ローノの支部にもいただろう? 町や村で事件が起こったときには対処するし、俺は次元師だから、元魔が出没したら討伐に向かう。だけど次元師っていうだけで、同僚からは一線を引かれていた。『なんの努力もしないで力を持ってる』『どうせ普通の人間を下に見てる』って……いま思い出しても、散々な言われようだったな。だから俺は、次元師として役目は果たすが、警備班として、一隊員として、周りの人間と打ち解けようとはしていなかった。打ち解けたいと思えなかった。どうせ相容れないと……どこかで冷めていたんだろうな」

 次元の力を持たない人間たちの、次元師に対する態度は主に、二分される。「次元師様」と英雄視をしてくるか、「次元師だからって」と、妬みによる嫌味の目を向けてくるか。
 コルドが警備班に所属していた頃は、後者側の人間が多くいた。というのも、警備班は腕に自信のある男たちが志願する部署だからだ。いくら日々鍛錬を積んで強靭な腕力を得ようとも、普通の人間の力が次元師を上回ることはない。妬まれ、蔑まれ、ときにはくだらない苛めにも遭った。
 隊長補佐だったセブン・ルーカーから「次元師の組織を立ち上げるのでついてきてくれ」と持ちかけられたとき、コルドは二つ返事で承諾した。が、それは快諾ではなかった。

「班長は次元師じゃない。次元師の気持ちがわかるはずもない人にそう言われたところで心は動かなかった。それに俺なんかより遥かに上の立場にいた人だ。いいように使われるだけだと、そう思ったよ。けど俺はあのとき……嘘でも綺麗事でも、なんでもいいから、あの場所から逃がしてくれる言葉がほしかったんだ。だから班長についていった。意外だろ」

 にっと白い歯を見せてコルドが笑うので、ロクは思わず、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「そ、そう……だったんだ。うん、意外……」
「いま思えば、戦闘部班を立ち上げたのはフィラ副班のことがきっかけだったんだよな。それでもべつに構わないが。結果的に俺は本当の意味で救われたし、班長は……」

 コルドは言いかけて、一度口を閉じた。そのとき、凛とした顔から笑みが消えた。彼は、落ち着き払った口調で独りごちた。

「班長は、とても聡明なお方だ。だが戦闘部班を立ち上げてから、あの方は苦しい立場にいらっしゃる」
「……」

 通信具のようなものがデーボンたちの手に渡り、情報漏洩ではないかと上から注意を促されたのも、セブンだった。本来なら研究部班の落ち度ではないかと疑うところだが、通信具を所有しているのは研究部班だけではない。戦闘部班もおなじなのだ。研究部班の班長の代わりに副班長が同席していたが、あろうことか責任を問われたのはセブンのほうだ。勘違いも甚だしいが、政会にとっては真偽などどうでもよいのだろう。ただ、傘下にある此花隊の内部で造られているものに関して、情報漏洩や横流しが行われていたとあれば黙ってはいられないのだ。それに、国をあげて次元師の組織化を禁じているにも関わらず、セブンという男は巧みにも、次元師のみで構成される組織を立ち上げてしまった。それが面白くなかったのも、ないとは言い切れない。
 セブンは不必要に呼び出され、むりやり頭を下げさせられたといっても過言ではなかった。

 此花隊、もといこの次元研究所が政会から金銭的支援を受けるようになったのはそれこそ、100年以上も昔の話になる。王政が廃止となり、一部の人間たちによって新たに創立された"オークス政会"が、次元の力の解明をしようと集まった研究者たちに手を貸そうとしたのがきっかけだった。次元の力や神族の解明が進み、やがて神族を打ち滅ぼすことができれば、メルギース国はふたたび王を迎えることができる──。この国の民は例にもれず、心の内で密かに願っているのだ。政会の人間たちも、神族を滅ぼすために尽力を惜しまない心づもりでいる。
 が、政会は、純粋に王の再誕を待ち焦がれているのではない。もしもこの国の王を決める機会が訪れたら、国の代表として地位を確立しつつある政会の人間が王位に就けるやもしれない。そう目論んでいるであろうことは火を見るよりも明らかだった。
 利害の一致によって、次元研究所の研究者たちは政会と手を組んだ。

 金銭的支援を受けているということもあり、此花隊は政会に対して強くは出られない。ましてセブンは次元師のためにと懸命に画策し、結果的に政会から睨まれるようになってしまった。
 にも拘らず、日々喰らう苦労をおくびにも出さず、己の目的を成し遂げてしまうセブンの強さに、コルドはだんだんと惹かれるようになっていったのだ。

 言い切ってから、コルドはふっと頬を緩めた。見上げると空は青々として美しく、どこまでも高かった。

「だから俺は、あの人が望むなら喜んでその手足となって働くし、常に最善を尽くしたい。俺はそれほど柔軟ではないから、この次元の力であの人の役に立てるのなら、いくらでも身体を張る所存だ」
「すごいねっ! 最初は変な人だって思ってたのに、いまでは大好きなんだ」
「尊敬、という言葉のほうが近いだろうな」

 好意、というだけではどうも軽薄だ。それにセブンという男を1人の人間として慕っているかと訊かれるとちがう気がした。よく居眠りはするし、自分の身の回りの片付けもまともにできない。どちらかというと、誠実で真面目な自分とは正反対で、苦手な人間に分類される。
 しかし、その圧倒的な存在感に目がくらむ。跳んでくる野次も、囁かれる陰口も、外部からの攻撃をものともしない究極の頑固さに心が痺れる。悔しいくらいに格好いいのだ。好意を遥かに通り越した、尊敬だった。
 ちょうどそのとき。準備を終えたらしいフィラとレトヴェールが、門の前に到着した。

「わ、すみませんコルド副班、お待たせしてしまって。それにロクちゃんも」

 2人は来る途中で合流したのだろう。フィラが申し訳なさそうに頭を下げると、コルドは穏やかに笑った。

「とんでもないです。それに女性を待つのは男の本分ですよ」
「へっ、そ、それは……面目ないです」
「はは。なんですか、面目ないって」
「だってそんなこと言われ慣れてないですから……」
「……レト、女性だって」
「俺のことではないだろ」

 援助部班の班員が早くから荷馬車を控えていてくれたので、コルドを筆頭に4人は荷馬車に乗りこみ、本部を発った。
 コルド一行は立ち寄った町々の宿に泊まり、夜が明けたら荷馬車を走らせた。そうして十五日ほど経てようやく、目的地であるウーヴァンニーフに辿り着いた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.88 )
日時: 2020/04/26 21:49
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第079次元 眠れる至才への最高解Ⅳ

 エポール王朝時代に爵位を賜った伯爵家の現当主がウーヴァンニーフ領の領主を務めている。ドルギース王国との国境付近に位置しているのが災いして、14年前の戦時中に次元師からの攻撃を受け、停戦以降は復興作業に投身したとの話だ。コルドもフィラも実際にウーヴァンニーフに赴いたことがなかったため、今回が初の訪問となる。
 細やかな銀の彫刻台を抜けると、異様な街並みが目に飛びこんできた。

 等間隔に立ち並ぶ家屋はみな、外観、構造、規模がほとんど統一されている。財に余裕のある家庭は二階、三階と増築しているが、そうではない一般の町民の屋根は軒並み低い。商店や宿屋も、一見すると町民の家屋と見間違えてしまう。ただ各商店や宿屋は、町の中心に集められているようだった。建物の壁から伸びている棒状の金具にぶら下がった小さな旗を注視してみると、その店の象徴となる絵や文字が旗に描かれていた。
 東西南北問わず均等な幅で設けられた街道も、さまざまな色の敷石によって規則的かつ鮮やかに彩られている。この街の領主はよほどの変わり者なのだろう。
 ロクアンズは前方に見える景色と来た道を交互に振り返った。

「な、なんか似たような景色ばっかで、迷子になりそう~! あれっ、このへんさっきも通ったよね!?」
「通ってないぞ。まあ無理もないか。こんなにきっちりとすべての建物が並んでいるとはな……まるで盤上の駒だ」
「これぜんぶ、ここの領主さんが建てたんですかね……」
「設計はそうみたいですよ。資産も相当お持ちのお方ですし、政会からも援助金が出たそうです。このあたりは戦争の被害を受けて、ほぼ壊滅状態だったらしいので」
「14年でこんなことができるのか」
「元々、ここの領主のツォーケン家は炭鉱業や土地開発に尽力したとかで、伯爵位を授かったんだ。土地や建築のことに関してはこの国随一の一家だろう」

 コルドが詰まることなく受け答えすると、きょろきょろしていたロクが不思議そうに訊ねた。

「詳しいんだねっ、コルド副班」
「俺だって、遠征前は調べ物をしていくさ」

 商店が立ち並ぶ街道を抜けて、ふたたび町民の住宅が見え始めると、コルドはおもむろに立ち止まった。

「大書物館はこっちの方向だから、ここで一旦お別れだな。ロク、くれぐれも大騒ぎするなよ。フィラ副班の言うことに従うように」
「わかってるよ~」
「なんだか親子みたいね」
「頑固オヤジ!」
「なんとでも言え。それじゃあフィラ副班、頼みます。我々もしばらくしたらそちらと合流します」
「はい」 

 第一班は道を逸れて、大書物館のある方角へと進路を変更した。
 第二班は先に研究棟へと向かう。街道をどんどん辿っていくと、住宅区域も終わりが近づいてきた。すると、街道に用いられていた色とりどりの石が惜しみなく敷かれた広い空間に出た。此花隊第一支部、研究棟の輪郭も露になる。

 本部の構造と同様、正面は吹き抜けの廊下になっていて、左右にそれぞれ大きな建物が一棟ずつ聳えている。特段、派手な装飾を施しているわけでもない堅苦しい外観が、じつに研究者たちの仕事場兼住処らしかった。
 正面の廊下の中央には階段が三段ほど構えられている。階段の脇には警備班と思われる男が2人、そして階段の上には長身の人物が1人立っていた。
 長身の人物は平らな肩をくるりと回してこちらを向いた。鼠色の髪は極端に短く切られていて、長さでいったらコルドとほぼ遜色ない。鼻筋も通っていたので、一見すると男のようだった。
 胸元が丸みを帯びていることにロクが気づく頃には、フィラが彼女に声をかけていた。

「あの……」
「よく来てくれたね! 話は聞いているよ! お初にお目にかかる、次元師殿。私は研究部班開発班の副班長、ケイシィ・テクトカータ。班長が不在のため、いまは私がこの部班全体を預かっている。困ったことがあればなんでも相談してくれたまえ!」

 きつく吊りあがった猫目がぎらぎらと光る。張りのある声とハキハキとした口調が特徴的なこの女性は、ケイシィと名乗った。さすが研究部班という部署でその黒い隊服に袖を通しているだけのことはある。自信に溢れているのがひしひしと伝わってきた。
 もとは次元の力を解明せんと研究者たちが集まり、結成されたのがこの次元研究所だ。現在でこそ組織名を『此花隊』に変更し、研究には関与しないが支援をしたいと名乗り出る一般の市民や、次元師当人たちも数多く所属するようになってきたが、原点は研究者たちの意志にある。この組織の創成期に携わった研究者たちの志を受け継いでいるのだという誇りがあるのだろう。
 思いがけない迫力に内心どぎまぎしながらも、フィラはなんとか体裁を整えた。

「初めまして。戦闘部班第二班副班長、フィラ・クリストンです。この度はお招きいただきありがとうございます。この子は班員の……」
「ロクアンズ・エポールだよ! よろしくね!」
「お。君が噂のロクアンズか! 破天荒で小さな次元師が各所で大暴れしていると、研究棟の内部では時折話題の種になってもらっているよ。まあ私としては、旧王室エポール家の血を引いているという事実のほうがじつに興味深いけれどね」

 すらりとした曲線を描く顎に手をあて、ケイシィはロクの顔を覗きこんだ。ロクはぱたぱたと両手を振って弁解する。

「あっ、えっとあたし、エポールの人の血は引いてないんだよね。あはは」
「おや? そうだったのかい? たしかに髪も、目も、輝くような金ではないからね。それは残念」
「でもねでもねっ、あたしの義理のお兄ちゃんはちゃんとしたエポールの人の末裔なんだよ!」
「義理のお兄ちゃん?」

 ロクが満面の笑みで自慢げにそう教えると、ケイシィは額に手をかざしてあたりを見渡した。

「そういえば小さいのが2人来る、と聞いていたんだが……」
「ああ、えっと。のちほど来ます。いまは大書物館のほうの見学に……」
「あそこはいいぞ! 国中の頭が活字となり、我々に問いかけているのだ。しかし記録媒体が紙のみに留まっているのはやはり惜しいな。頭脳明晰、知識と経験に富んだ人材はしかし必ずしも財に余裕のある身分とは限らない。……ふむ。今後の研究課題として手を広げる価値は十二分にあるだろう」
「は、はあ……」
「それでは行こうか! 手始めに、制作班の研究室から案内しよう」

 フィラが額に汗を滲ませ、曖昧な返事をしているうちにケイシィは足早に廊下を突き進んだ。走っているのではないかとフィラとロクは一瞬目を疑った。ぽけっとしていたら見失ってしまう。そう直感した2人は、いつもよりも歩幅を広くして、彼女の背中を追いかけた。

「なんだか独特な人ね」
「そ? たしかに足は速いけど」
「私たち、完全に置いていかれてるわ……」

 初めにケイシィに案内されたのは、研究部班を構成している三つの班のうちの一つ、"制作班"の研究室だった。中央の廊下の両脇に聳える二対の棟のうち、南側に位置している建物へと足を踏み入れる。
 制作班の仕事は主に、各班の隊服をデザインし、制作することだ。とくに戦闘部班や援助部班は外で行動するので、頻繁に服が破れたり汚れたりする。再縫合や、また新しく作り直すといった作業を現在では担当している。そのほかにも隊内で日常的に使用する布織物類の制作も行う。

「わ~っ! こんにちはー!」

 入室して早々、ロクは元気よく声をあげて挨拶した。白い隊服を着た数名の班員たちがみな一様にびくりと肩を震わせて、控えめに礼を返した。

「ロクちゃんっ、みなさんお仕事中なのよ?」
「あっそっか! ごめんごめんっ」

 ロクは慌てて、両手を口元に持っていった。くれぐれも騒ぐなと釘を差されていたのだが、目に映るものが珍しいのだから仕方ない。ロクは開き直った様子で、視線をあっちへこっちへやった。

「ねえねえフィラ副班、研究部班の班員さんって隊服白だったんだ。医療部班といっしょ?」
「そうそう。私もちょっと前までは白いのを着てたわ。研究部班と医療部班の班員が白、援助部班と戦闘部班の班員が灰色って決まってるのよ」
「へえ~、ちゃんと決まってたんだ。あたし、そのへんあんまりわかってなかったなあ……。好きな色着てるわけじゃないんだ。あ、でもたしかに入隊したとき、勝手にこれが支給された気がする……」
「あはは。好きな色って、ロクちゃん」
「ところでさ、フィラ副班っ! ここ、布とかいっぱいあるね~!」

 部屋の壁際に所狭しと並んでいる木棚の中には、それこそ様々な色の生地や糸、綿、皮などの資材がびっしりと収納されていた。

「君が着ているその隊服はここの班員たちが作ったのさ。戦闘部班は元魔という怪物と日々戦うわけだからね。破りにくい素材を選んだり、防寒性に優れた加工を施すなどしているのだよ」
「へえ~! そんなことできちゃうんだ! すっごーい!」
「フフン。そうだろうそうだろう」
「うん! ……んん?」

 ロクが遠くを見やると、部屋の奥のほうに折り重なってできた布の山がもぞもぞと動きだした。すると山頂部分が弾け、中からまんまるの頭が飛び出してきた。まんまる頭の男は両手でなにかの素材を掴み、天井に向かって掲げていた。

「ぷはっ! は~! やっと、やっと見つかりましたです! ギュンオの皮~! やったやった~!」
「ひ、人が出てきたあ!?」
「む?」

 ロクがびっくりして身を縮こませると、男が彼女の声に反応した。石粒ほどの小さな目をぎゅっと細めて凝らしたのち、「やや!」と声を張りあげ、急いでロクのもとに駆け寄る。

「あなた様はもしかして、次元師様では! ということはということは、レトヴェール様はお越しにっ!?」
「へ? れ……レト? レトなら、あとで来るけど……」

 ロクはどぎまぎしながら、ちらりとフィラの顔を窺った。フィラもなにがなんだか、と言いたげに肩を竦める。
 顔が丸いだけでなく、男は背丈も随分と低かった。目線の高さが自分と大して変わらないので、ロクは物珍しさからまじまじと観察してしまった。男は丸まった肩を大袈裟に落として言った。

「……左様でございますですか……お頼みいただいたものがもうじき完成するので、ぜひ拝見していただきたかったのですが……とほほ」
「頼まれてたもの? レトに?」
「はいです。つい先日、レトヴェール様から隊服の再調整と、鞘の作成を依頼されましたものですから」

 木棚の付近に立っているラックには隊服の上衣が一着だけ引っかかっていた。男は言いながら、ラックから上衣を取り外した。



 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.89 )
日時: 2020/06/23 21:23
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第080次元 眠れる至才への最高解Ⅴ
 
 丸顔に背丈も低いその珍妙な見た目の男は、手近なところにあったテーブルの上に隊服を広げた。ロクアンズはその隊服を食い入るように見る。
 ロクが着ているものよりも丈が短い。彼女の隊服は入隊してすぐ支給されたもので、もものあたりまで裾が作ってある。ガネストやルイルが着用しているのもまったくおなじ代物だ。しかしレトヴェールが依頼したというこの隊服は、腰よりも上のあたりで断裁してあった。
 それに加えて、男は隊服の隣に、革で拵えた2本の鞘を並べた。

(! ……鞘?)

 わざわざ鞘のみを作らせたのは、発動した『双斬』をそのまま収納できるようにするためだろう。戦闘中に身動きがとりやすくなるのは確実だ。
 ロクは驚きと感心の混ざったような曖昧な息をもらした。

「これ、レトが……」
「ええ! 次元師様から直々に賜ったご依頼ですから、わたくしも気合が入ってしまって、いやはや、雑になっていないか何度も、それはもう何度も丁寧に見直しておりますでして……」
「……」

 つい先日、ということはあまり日は経っていない。もしかしてあの日──本部の鍛錬場で一戦交えた後に依頼したものだとしたら、随分と行動が早い。ロクはこくり、と生唾を飲みこんだ。

「うわー、焦るなあ」
「ホム、挨拶はしなくてよいのかな?」
「やや! これはこれは、申し遅れましたです。わたくし、研究部班制作班の副班長を務めております、ホム・サンパンと申しますです。以後お見知りおきを、何卒、何卒……」

 ホムは小さな体躯をさらに丸めて、過剰なほど腰を低くした。決して馬鹿にするわけではないのだが、班の責任者としての位置を任されているにしては、少々威厳さに欠ける風貌だ。しかし、彼は身体も気迫も小さいながらたしかに黒の隊服の着用を許されている。レトに頼まれたという隊服や鞘を制作するのにもさほど時間をかけなかった点を鑑みると、分不相応ではなさそうだ。
 ロクとフィラもいつも通りの調子で挨拶を返す。それを見届けてから、ケイシィは「さて」と踵を返した。

「時間も限りあるのでね、次の研究室を案内しよう! それではホム副班長、引き続き頼む」
「は、はいです! ケイシィ副班長!」
「ついてきたまえ」

 黒色の上衣を大仰に翻し、ケイシィは靴音も高らかに歩きだした。ロクとフィラはふたたびその後についていく。

 次に案内されたのは調査班の研究室だった。室内には、数多の紙束を詰めこんだ吹き抜けの棚と長机が交互かつ等間隔に設置されている。長机の上や床、至るところに報告書の束や地図といった資料が散乱しているが、物音はまったくしない。
 調査班の班員たちは、ほとんどこの研究棟を留守にしている。彼らの仕事は国内外問わず各所を渡り歩き、次元の力や神族の情報をその足で集めてくることにほかならない。長い遠征から帰ってきた者でも十日と経たずに次の旅に出るため、研究班の班員は、家族を持たない独り身の者が多い。
 ケイシィは惨状に呆れつつ、口早に説明した。

「現在調査班は、副班長を除き、全班員が出払っている状態でね。班員との顔合わせはまたの機会にしていただきたい」
「あ、はい。それにしても……」
「部屋の中、ごっちゃごちゃだね!」
「……誠に恥ずかしい限りだよ。常日頃より、整理整頓も仕事の一つだと口酸っぱく指導しているのだが……なにしろ、自由奔放な気質を持った人間が多いものでね。お見苦しいものを見せた」
「いいえ、そんな」

 資料が乱雑に散らばっている机に近づくと、ケイシィは目についたものから順に片付け始めた。

「なんか手伝おっか?」
「いいや。資料によって収納する場所も決めているだろうし、君の手を借りるまでもない。すこしばかり綺麗な状態に整えるだけだ」
「次に帰ってこられた方が片付けてくださるといいですね」
「そうだな。しかしこの部屋を片付けようなどという思考に至る変わり者が、彼以外にいるとは思えないが」

 独り言のように控えめな声でケイシィが呟く。なんとなく気になったロクは、「彼って?」と彼女の言葉を拾った。ケイシィは一度手の動きを止めたが、つとめて明るく返答した。

「14年前までは比較的、正常な状態が保たれていたのだ。至極几帳面な男が、この調査班に在籍していたのが理由だろう。一端の班員だったが、入隊当時から大層頭がキレることで将来を有望視されていた。そやつは整理整頓に煩いだけに留まらず、やはり、少々思考の読めない奴だった。聞いて驚いてくれるなよ。神族を信仰していたのだ」

 神族、と聞いてロクは耳を傾けた。ケイシィは束ねた紙束の底を、とんとんと机の上で整える。

「し、神族を……信仰、ですか?」

 フィラが信じられないといったように返すと、至って冷静な態度のままケイシィは続けた。

「ああ。こちらが訝しげな態度をとると以降は、そのような発言はしなくなったが。なんという名の神族だったか……。まあともかく、ある一体の神族に対し、深い信仰心を抱いていた」
「……へえ……」

 日々、元魔によって日常を脅かされている者たちの中に、まさか神族を信仰している者がいるとは。興味深く聞き入っていたロクだったが、さきほどの"14年前までは"という言葉に彼女は引っかかりを覚えた。

「14年前までは、ってことは、いまはその人いないの?」
「……その男は、メルドルギース戦争終息後まもなく遠征に出て以降、一度も帰還していない」
「え……」
「行方不明になってしまったんですか?」
「そういうことだ。無論、この世界のどこかで元気にしているのであれば、それ以上望むことはない」

 行方不明の班員──ロクもフィラも固唾を飲んだ。ロクは、フィラの隊服の袖をくいくいと引っ張った。2人は声を潜める。

「……なあんか気になるね、その男の人」
「そうね。14年前から実験が行われていたかどうかはわからないけど、突然いなくなったっていうのが怪しいわ」
「うんうん」
「なにをしているんだい? 次の研究室を案内するよ」
「ああ、いえ! すみません、いま行きます」

 調査班の研究室をあとにし、一本の廊下の奥へと突き進んでいく。突き当たりにも大きな扉が備えつけられていた。扉より左側の壁に硝子製の窓がついていたのでロクはそちらに視線を引かれた。ところがそのとき、彼女の視界に信じられないものが映った。ロクは大袈裟に左目を見開くとすぐさま走りだし、窓にべたっと張りついた。ケイシィが扉の前で立ち止まる。

「えっ、え!? なんで元魔がここにいるの!?」

 ロクが声をあげたので、フィラも驚いて小走りになる。見ると、窓の奥にはたしかに元魔と思しき黒い物体が蠢いていた。丸いだけの胴体から細い四肢が伸びている。身体の釣り合いがとれていない個体だ。
 四肢にはそれぞれ鉄枷が装着されている。鉄枷から伸びている鎖は、床に備えつけられている金具とも繋がっているようだ。

「本当ね……。でもどうして」
「ここには捕縛したさまざまな形状の元魔を収監し、研究対象としている。当然、危険性が高まってくれば次元師殿に足労いただき、処分の運びとなるけれどね。おっと、本能が疼くであろうが討伐は勘弁してくれたまえよ」
「う、うん」
「すまないが君たち次元師を見ると興奮するやもわからない。最後に、我々開発班の研究室をご覧いただこう」

 ロクは窓に張りつけていた手のひらを離した。すると、収監室を正面に据えているロクの右の頬を、そよ風がふいに撫ぜた。



Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.90 )
日時: 2020/07/19 15:28
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 7Q5WEjlr)

 
 第081次元 眠れる至才への最高解Ⅵ

 どうやら、一方通行しかできない廊下ではなかったらしい。風が舞いこんできた方を見やると、そこから外に出られることがわかった。

「わあ……!」

 吹き抜けの廊下が北棟と繋がっている。ロクアンズが首を左側に向けると、研究棟からすこし離れたところに宿泊棟が見えた。周囲は森に囲まれていて、温かい日差しが大きな池の水面に降り注いでいる。
 ふわり、と廊下を吹き抜けようとする木の葉を目で追うと、今度は右側に顔が向く。廊下と棟の四辺に囲まれてできた空間は中庭となっているようで、こちらにも豊かな植物が広がり、舗装された道の上には木製の長椅子が点々としていた。
 ロクが中庭に行こうとしたときだった。彼女はその場でうっかりと足を踏み外し、素っ頓狂な声をあげた。

「おわっ!」
「え! ロクちゃん?」

 フィラがさっと振り向くと、中庭ではなく裏庭側の茂みにロクが落っこちていた。ロクはぶつけた頭を擦りながら勢いよく起きあがった。

「いっ……たあ! ……ん?」

 ロクは左手に違和感を感じて、ぱっと手をあげた。小さくて赤い硝子玉──が、砕けて、断面が角張っているものだ。青い空に浮かぶ雲のように、赤い硝子の中に透明なもやが滲んでいる。彼女はそれを拾いあげた。

「なにこれ?」

 どこにでもありそうな小石とは明らかにちがう。宝石のようにも見えた。だれかの落とし物かな、なんて思いながら指先でいじっていると、頭上からフィラの手が伸びてきた。

「ほら、つかまってロクちゃん」
「あ、うん。ありがとうフィラ副班っ」

 ロクは咄嗟に、その割れた硝子玉をコートのポケットに突っこんだ。


 吹き抜けの廊下を渡り、北棟へと足を踏み入れた3人が最後に向かった先は、開発班の研究室だった。

「ここが我が城、開発班の研究室さ! そして私、ケイシィ・テクトカータが開発班の副班長を務めている。改めてよろしく頼むよ!」

 研究室の大扉を開けてすぐ、ケイシィは大仰に腕を広げ、ロクとフィラを快く招き入れた。
 "開発班"は、次元師の血管内に流れる元力粒子の固体化、つまり"元力石"の生成を可能とし、それにともない通信具を開発した。また調査班と協力して、次元の力と次元師についての解明も急いでいる。ケイシィもどちらかといえば、解明に尽力している側の人員だ。

 内装は制作班の研究室とほとんど変わらない。部屋全体を使って長机が配列されていて、壁際にはずらりと書類棚が並んでいる。調査班よりかは片付いている印象だ。

「フィラ副班殿。あなたの元力石がもうすぐ目標の質量に達するよ。いまは最終段階で、調整中なんだ」
「え? そうなんですか」
「来たまえ」

 まるで親鳥についていく雛鳥のようにその背中を追いかけていると、ケイシィがおもむろに足を止めた。ロクもフィラもそれに倣って立ち止まる。

「タンバット、ここにいたのか。探したぞ」

 椅子に座っていた黒い隊服の男が、名前を呼ばれてこちらを向いた。墨色の前髪をすべて巻きこんでひっつめているが、取り逃がした二本の細い束が、顎のあたりまで伸びている。がたんっ、と椅子を鳴らして彼は立ち上がった。

「ああ、ご、ごめんなさい! ケイシィさん!」
「調査班の副班長ともあろう者が、なぜ研究室を留守にしていた。遠路はるばるおいでになられた折角の御客人が、無人の研究室を訪ねる羽目になってしまったではないか!」
「急ぎで調査資料がほしいとかで呼ばれてたんすよ~、ははは」
「む。左様であったか」
「あれ? じゃあ、その人たちが」

 男は、ここでようやくロクとフィラに視線をやった。やれやれ、とわざとらしくケイシィは肩を竦めた。

「先に到着された、2名の次元師殿だ。まったく」
「そ、それは、すいませんっした! えっとー、調査班の副班長やってます、タンバット・ロインっす!」

 タンバットは、大の男に似つかわしくない溌溂な笑顔を浮かべて名乗った。まるで物心がついたばかりの幼い子どもと子どもが初めて出会ったときに交わすような底抜けの明るさだ。制作班のホム副班長とはまたちがった威厳の欠落を感じ取ってしまったフィラが内心で詫びを入れている間に、ロクも元気よく挨拶を返していた。

「戦闘部班の第二班所属、ロクアンズだよ! よろしくねっ、タンバット副班!」
「初めまして、おなじく戦闘部班第二班、副班長のフィラ・クリストンです。タンバット副班長、よろしくお願いしますね」
「わ~! 本当の本当に次元師様なんすね! 俺、いますごい感動してるっす!」

 きらきらと目を輝かせて、タンバットがフィラの手をがばりと掴み取った。フィラが驚いて身じろぎをするのもつかの間、ケイシィの厳しい手刀がタンバットの手のほうに下った。

「いだっ! なにするんすかぁ、ケイシィさん!」
「むやみやたらと女性の手を取るものではないよ、タンバットくん。多少なりとも相手の迷惑を考慮できるようになれと何度言ったら理解する? 迷惑をかけてすまないね、フィラ殿」
「い、いえ……」
「うぅ、はいっす……」
「さて、タンバットくんとの邂逅も果たせたところで、こちらにおいでいただこうか」

 立ち並ぶ作業机の間をすり抜けていくと、一つだけ、硝子瓶がいくつも並べられている机があった。近くの棚にもごちゃりと置かれている。
 硝子瓶の蓋にはどれも、小さな貼り紙がついていた。そのうちの一つをひょいと持ちあげて、ケイシィはフィラの目の前に差し出す。瓶の貼り紙には、"フィラ・クリストン"と明記されていた。

「これが貴殿の血液から採取し、結晶化させた元力……人呼んで、元力石さ!」

 ケイシィが瓶を揺らすと、元力石がカラリ、と音を立てた。石はところどころがトゲのように角張っていて、そのまま触れると痛そうだ。元力石はどれも似たような形状をしている。

「わあ、私、元力石って初めて見ました。これが元は私の体内にあったなんて、感動です」
「思う存分目に焼きつけて帰るといい」
「はい。ねえ、見て見てロクちゃん。元力石ってこんな色してるのね。想像していたよりもずっと綺麗。これがいま、ロクちゃんの通信具の中に入ってるのね」
「……」

 ロクはフィラに返事をしなかった。無意識のうちにコートのポケットに手を差しこみ、さっき茂みの中で拾った硝子玉に、そっと触れる。
 ──フィラの元力石は、透明な中に、不規則な赤いもやが滲んでいる。そのほかの瓶に入っている元力石も多少の濃淡の差はあれど、ほとんどおなじ色だ。

(全部、薄い赤色だ。さっき裏庭で拾ったこれは真っ赤だけど……)

 どことなく元力石に似ている。そうロクは直感した。

「おや。ロクアンズ殿がつまらなそうな顔をしているね?」
「え? ……ああ~! あたし、難しいことよくわかんないし」

 まったくべつのことを考えていました、とは言えずロクは適当にお茶を濁した。

「ハハ! 当然といえば当然か。この研究棟は、メルギースという一国中に点在している謎や難問を解き明かすために形を成している。君のように無邪気な幼子の興味を引けそうなものは、あいにくと用意が間に合っていなくてね」
「ここ、頭よさそうな人たちでいっぱいだもんねっ」

 ロクがそれとなくケイシィに合わせると、1人の男性班員が通りがけに横槍を入れた。

「君と同い年くらいのやつもいるよ」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.91 )
日時: 2020/06/01 22:05
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第082次元 眠れる至才への最高解Ⅶ

 ロクアンズは声のした方に向いて、左目をぱちくりさせた。

「へ? そうなの?」
「ああ。けど、3ヶ月くらい前だったかな。遠征に出て、まだ帰還してないんだよ」
「へえ~! 会いたいなあ!」

 さっきまでの乾いた笑みとは打って変わって、ロクの表情がぱっと明るくなった。ここを訪れてからいままでも大人としか出会わなかったし、頭の中で勝手に「研究部班は頭のいい大人たちのいるところだと決定づけてしまっていたのだ。

 研究部班、医療部班、援助部班にはそれぞれ、入隊に際して年齢制限が設けられている。12に満たない者には入隊の権利が与えられないのだ。しかしこの規約は裏を返せば、最低でも12歳を迎えていれば実力次第では門をくぐることが許される、ということになる。
 入隊後しばらくは、訓練員や研修員と呼ばれる、いわゆる"見習い"として、現役班員たちの下につく。くだんの"同い年くらいのやつ"も、いまは見習いなのだろうなと、ロクは1人で頷いていた。
 唯一、戦闘部班だけが年齢制限を設けていないのは、次元師の育成が目的の一つでもあるためだ。どちらかというと年齢の幼いうちから育成をしたいというのが現班長の意向だ。

 そういえば、とロクはケイシィの顔を見上げた。

「班長さんいないの? あたし、班長さんにも会ってみたいな!」

 戦闘部班の班長、セブン・ルーカーは本部に常駐しているので、てっきり研究部班の班長もこの施設内に腰を据えているとばかり思っていた。しかしながら、表玄関で出迎えてくれたのはケイシィだった。元力石を開発したというハルシオ・カーデンにはまだお目にかかれていない。
 ケイシィは眉を下げて、申し訳なさそうに告げた。

「すまないね。我らが班長は長期に亘っての仕事に行かれてしまって、半年ほど前から席を外している。それゆえ私が責任者を代わっているのだ」
「ふーん……そっかあ。残念」
「ケイシィさんっ! すこし時間いいっすかー? 相談したいことがあって……」

 遠くから、タンバットの声が飛んでくる。ケイシィは振り返って「わかった」と返した。

「ではフィラ副班長殿、ロクアンズ殿、申し訳ないが私はすこしばかり席を外す。この研究室の隣が食堂と談話室を兼ねているんだ。疲れているだろうから、そこで暫し休憩をとるといい」
 
 ロクアンズとフィラにそう言い渡して、ケイシィは隊服の裾を翻らせた。残された2人がぽつんと突っ立っていると、ロクのお腹がきゅるる、と弱々しく鳴った。

「お腹、空いた」
「じゃあお言葉に甘えて、休憩してきましょうか」

 
 ケイシィが言っていた通り、研究室を出て十数歩と進まないうちに食堂の大扉があった。室内は広々としていて、食事をとる班員たちの姿がちらほらと見受けられる。
 研究棟には、研究部班のほかにも、援助部班の警備班と調理班も数名ずつ配置されている。この食堂を任されている調理班は、現時刻がちょうどお昼時に差しかかっているのもあって忙しそうだ。
 食膳を両手に持ち、フィラは調理場に近いテーブルに先についた。ややもすれば、ロクも配膳台から戻ってくる。

「おまたせー、フィラさん!」
「あ、おかえりなさいロクちゃ……って、えっ!? ろ、ロクちゃんそんなに食べるの?」

 フィラはぎょっとして、ロクの食膳を注視する。2枚のトレイを片手でそれぞれ掴んでいること自体にはまだ驚かないが、片方のトレイ上では肉の串焼きが針の筵にも似た山を形成し、もう片方にはさまざまな形をしたパンが見事が塔を築きあげている。二対の山は、どんとテーブルの上に腰を据える。

「へ? うん。ほらあたし、お腹ぺこぺこだからさ~。食堂来ちゃうとついつい頼んじゃ」
「……も、もももしかしてロクちゃん餓死寸前だった!? そんな私、全然……全然気づかなくて!」
「いや大丈夫だよ普段からこの量だからあたし!」

 ロクが切迫した面持ちで弁明すると、ほっ、とフィラは胸を撫で下ろした。過食は身体によくないわ、などの注意をされるならまだわかるが、餓死寸前まで追い込まれていたのかと問われたのは初めてだ。出先ではお金を無駄にできないから食事量は控えろ、とコルドに出発前から散々言われていたので、道中は我慢していたにすぎない。本来ロクは大食らいだ。いまこの場に彼がいないのをいいことに大量摂取を図ろうとしたロクだったが、フィラの心配性がここまで激しいとは意外だった。
 食事を口に運び始めてからすこしすると、フィラが声を抑えて切りだした。

「……とりあえず、主要な人たちとは会えたわね。班長さんを除いて」

 ロクもフィラも単なる見学として研究棟にやってきたわけではない。デーボンら悪徳商人と繋がりを持っている関係者を探すことが本来の目的であり、今回の任務だ。
 なにはともあれ、研究部班の各班の副班長を務める3名との接触は叶った。印象としては、3人とも少々個性的な人柄であった。学者然としたお堅い集団なのだろうと身構えていた分、肩透かしを食らう羽目にはなったが、情報が少ない現時点ではだれもが疑わしい。
 開発班の研究室にあった、元力石が入った硝子瓶。瓶についていた紙には、その元力石の持ち主である次元師の名前が書かれていたが、ロクはそのすべての名前を確認していた。もちろん怪しまれないように細心の注意を払いながら、である。

「さすがにファウンダとカインの元力石は見当たらないね……。それがあれば、大きな手がかりになるのになあ」
「そうね。デーボンたちが持ってたものは、政会の人たちに押収されてしまったけど……もしおなじものがこの施設内にあれば、だれが取り扱ってたのかとか、わかるかもしれないものね」
「うんうん」
「でも関わってる人間が少人数なら、だれの目にもつかないところに保管しているのかも」
「ええ? そんなとこあるかなあ……。あ、そういえばねフィラさん」
 
 ロクは裏庭に落っこちたときに拾った硝子玉を取り出そうとした。が、そのとき大扉のほうからガラガラ、と騒音が響いてきた。その大きな音がだんだん近づいてくるので、ロクもフィラもそちらに注意を持っていかれた。

「すみません、ここまで運んできてくださって」
「いいえ、時間がかかってしまってすみません。裏の森、道が入り組んでますね」
「そうなんです。助かりました」

 灰色の隊服を着た男が荷車を引き、調理場の近くまでやってきた。援助部班の運搬班だろうか、運んできたものを調理班の班員に渡している。荷車に積まれていたのは果実や山草類だ。

「あとついでに……これ。あの男の子がいつもつけているペンダント、ですよね? 石は割れちゃってるみたいで、裏口に落ちていたんです」
「あら、本当だわ。でもどうして裏口のほうに……。もしかして遠征から帰ってきたのかしら」

 なんとなく会話を耳に入れていたロクだったが、そのペンダントを視界の端で捉えると、勢いよく席から立ち上がった。

「ねえねえ! それってだれの?」

 ぱたぱたとロクが駆け寄ると、運搬班の男が振り向いた。男の手には、細長い革の紐と、小さな石が握られている。落とした拍子に分解してしまったのだろうか。たしかに元はペンダントだったらしい。
 その小さな石は、真っ赤で、割れたような尖った断面がある。
 調理班の女が答えた。

「ナトニっていう、君くらいの歳の男の子がいてね、その子の持ち物なの。いまは調査で外に出てるからいないはずなんだけど……」
「え、じゃあその子、もしかして次元師なの!?」
「い、いえ、それはちがかったと思うけど……。でもナトニのお父さんは次元師様だったはずよ」

 え、とロクは短く息をもらした。フィラも席を立って歩み寄ってくる。

「残していったものがこれしかないからって……。あの子、いつも肌身離さずつけていたのに。変ね」
「……残していった?」

 声を低くしてフィラが問いかけると、女は不思議そうな顔をしてから首肯した。

「はい。元調査班の班員で、14年前の終戦直後に遠征に出たきり……行方不明になってしまったとか。ナトニはその後、この施設内で生まれた子なんですよ」 

 この瞬間、ロクとフィラは一層気が引き締まるのを感じた。
 例の14年前に行方をくらませたという研究部班の男は、次元師だったのだ。そして彼と血縁関係にある者が、この研究部班に在籍している──。
 心臓がざわつくのを抑えるように、ロクは上着の胸部をぎゅっと掴んだ。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.92 )
日時: 2020/06/23 21:57
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第083次元 眠れる至才への最高解Ⅷ
 
 第二班と街中で別れたあと、コルドとレトヴェールの2人は大書物館に向かうため街の外れに出た。
 大書物館とは、ウーヴァンニーフを"本の街"たらしめる所以であり、国内でも名所とされる館だ。もとはウーヴァンニーフの現領主の祖、マグオランド・ツォーケンの別宅にすぎなかったという。彼の家系がその当時、多少裕福な暮らしをしていたこと、そして本人が持つ異常な収集癖が由来してこの館は増設を繰り返し、現在に至る。
 マグオランドの収集癖は本に留まったが、その膨大な数の本が館内を埋めつくしているため、大書物館と呼ばれるようになったのだ。
 道すがら、2人は初めて訪れる大書物館の話題で盛りあがっていた。

「どんな本が置いてあるんだろうな、大書物館」
「そうだな。建てられたのが200年前で、すでにいくつか持っていた本も格納されているとしたら、古語で書かれた本はほかにもいくつかあるかもしれないな」
「それじゃあ国中の研究家が押し寄せてそうだな。いままでにもいくつか盗まれてるんじゃねえの」
「どちらかというと、研究家たちが書き残した論文や記録書のほうが多いんじゃないか? あとは童話や小説なんかもあると聞いたことがあるぞ」
「ふーん」
「そもそも古語を読める人間は少ないし、200年以上前の文献ともなると、綺麗な状態でもなさそうだ」
「たしかに……」
「楽しみなんだろ、レト。おまえ本好きだもんな」
「……」

 無言を肯定と捉えたコルドが悪戯っぽく笑った。
 そんなやりとりを交わしつつ、道中は和気あいあいとしていたのだが、いざ大書物館を眼前に据えたときには2人とも息を呑んだ。
 創立200年を超え、代々受け継がれてきた由緒正しき伯爵家の館。14年前の戦時中に一部損壊し、修繕工事が行われたとのことだったが、館の纏う雰囲気はまったく現代のそれではなかった。
 建物は全体的に象牙色の塗装がなされていた。飛びだした小さなバルコニーには可愛らしい花壇が並んでいて、その欄干を彩る鮮やかな緋色は一際目立っている。
 入り口まで足を運び、大きな扉の前に並んで立つ。扉の金の把手とって一つとっても、きめ細かな装飾がふんだんに施されていて、コルドが触れるのを躊躇ったほどだ。
 把手を引き、いざ2人は館の中へと足を踏み入れた。
 目に飛びこんできたのは、それはもう絢爛豪華の限りを尽くした荘厳な内装だった。

「……」
「すごいな、これは……」
 
 遥か高い天井にまで届く巨大な棚が、ただ広い空間の壁一面を飾っている。上品な赤色の絨毯で彩られた中央の階段の脇にはおなじく巨大な棚の側面が聳え立ち、まるで二対の大木を従えているようだ。視界の限りを本棚と、そこに収納されている数えきれないほどの本の背表紙で埋め尽くされたその光景はじつに壮観だった。棚の一番上にある本を取るのには身の丈がいくらあっても足りないだろう。1つの棚に大きな梯子が寄りかかっているが、あれを伝って登るにしても人並みの勇気では諦めてしまいそうだ。
 絨毯に足をつくとすぐに、清楚な身なりをした1人の女が玄関のほうに振り向いた。コルドたちの到着を待っていたのだろう。
 コルドは一段と丁寧な声色を作って、挨拶をした。

「お初にお目にかかります。此花隊から参りました、戦闘部班第一班副班長のコルド・ヘイナーという者です」
「お待ちしておりました、コルド・ヘイナー様。旦那様が奥でお待ちです」

 女は恭しく礼をすると、先に歩きだした。コルドとレトは彼女の案内についていく。


 巨大な本棚と本棚に挟まれた、幅広の階段を上がっていく。階段と本棚との間には一定の間隔があるが、1階にいたときはうんと高い位置にあった本の題名が、階段を昇ると視線上にやってくる。レトはしばらく、本棚に目が釘付けだった。
 2階の廊下を突き進み、もっとも奥の大扉の前までやってくると、女が「旦那様。此花隊の次元師様が参られました」と声をかけた。扉の奥にいる人物も「お通ししてくれ」と返事をしたので、女は扉を開けた。

「ようこそおいでくださいました、次元師様。私はこの大書物館の館主をしております、バスランド・ツォーケンと申します」

 バスランドと名乗った男が腰かけから立ち上がった。物腰の柔らかさが目元にも滲んでおり、黒い顎鬚が綺麗に整えられている。彼が握手を求めてきたので、コルドはそれに応じた。

「お会いできて光栄です、バスランド・ツォーケン伯爵様。此度はセブン・ルーカーよりお話をお伺いし、馳せ参じました。私は此花隊戦闘部班第一班副班長、コルド・ヘイナーと申します」
「ヘイナー?」

 バスランドが小さな黒髭を捻って、首を傾げた。ややあって、彼はなにかを思い出したように表情を明るくした。

「ああ、もしかしてあなた様は、コルド・ギルクス坊っちゃまではございませんか?」
「え」

 コルドは一瞬言葉を失った。しかしすぐに、しまった、とでも言いたげな困り眉になった。バスランドはそれに構わず、コルドが差し出した手を両手で握りしめた。

「いやあ、これほどご立派になられましたとは。覚えておいでですか? お小さいときに一度、こちらの館においでくださったことがあるのですよ」
「え、ええ。はっきりとはいたしませんが、覚えております」
「じつは先日、ギルクス侯と食事をご一緒させていただきましてね。そのときにはあなたのお名前が上がりませんものでしたから」
「はは。申し訳ありません、私も父とは長らく会っておりませんので」
「左様でございましたか。ああ、そうだ。これからお茶の用意をさせようと思っていたのです。どうぞ、コルド様もご一緒にいかがですか」
「お誘いは大変嬉しいのですが、仕事の都合上、こちらに立ち寄った次第なのです。この後、此花隊の研究棟に向かわねばなりません。御容赦ください」
「そうでしたな。誠に残念です。ときに……なぜ奥様の姓を名乗られているのです?」
「え。と……そ、それは……」

 コルドが引き腰になりかけたそのとき。こんこん、と扉を叩く音がした。コルドの肩越しにバスランドが扉のほうを見やると、さきほどの使用人が扉を開けた拍子に、美しい小麦色の毛並みをした犬が駆けこんできた。ぱたぱたと尻尾を振るうその犬が口に本を咥えていたので、バスランドはバツが悪そうにその本を取りあげた。

「またおまえは、いったいどこから取ってきたんだ。頼むからじっとしていてくれ」
「大変申し訳ございません、旦那様。1階で見かけましたので追いかけてきたら……」
「いいんだよ、気にしないでくれ。私の躾が悪いようだ。小屋には私が繋いでこよう。君は持ち場に戻ってくれ」
「はい」
「申し訳ありませんが、この子を小屋に戻してくるので、私は少々席を外します」
「どうかお構いなく。……あ。あの、盗まれた本の特徴などをお聞かせ願えますか?」

 コルドは退室しようとするバスランドを引き留め、問いかけた。するとバスランドは使用人の女に視線をやった。

「それでしたら、彼女が詳しいでしょう。たしか君には、古語の本を置いている棚の管理を任せていたね? 代わりに答えてくれないか」
「はい、旦那様。棚からなくなっていた本は、くすんだ赤色の表紙で、本というよりは紙束を紐で縛ってあるものでした。誠に申し訳ございませんが、私は古語を解読する技術を持ち合わせておりませんので、どういった内容の書物であったかまではお答えすることができません。ただ、標題と、中に書かれている文字は古語と見て間違いないかと思われます。ご期待に沿えず、申し訳ございません」
「いいえ、そんな。助かります。教えていただきありがとうございます」
「それではコルド様、どうぞご自由に見学なさっていってくださいね」

 そう言うとバスランドは犬の首輪から伸びているリードを引いて、使用人とともに退室した。閉まった扉を見つめ、レトはここにきてようやく口を開いた。

「あの犬が持っていったんじゃ」
「どうだろうな。だったらさっきみたいに、主人に本を届けそうだ」
「……ギルクスって、侯爵家の家名じゃなかったか?」
「……おまえの記憶力がいまは恨めしいな」
「なんでいままで黙ってたんだ。初耳だけど」

 言及され、コルドは諦めたように息を吐いた。部屋から出るとバスランドの姿が見えなくなっていたので、彼は口を割った。
 
 「とうの昔に勘当されたんだよ」

 ため息交じりにそう答えると、コルドは短い黒髪をぽりぽりと掻いた。


Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.93 )
日時: 2020/05/31 12:23
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第084次元 眠れる至才への最高解Ⅸ

 興味本位で問い詰めてみただけだったのだが、予想の斜め上をいく返答だったためにレトヴェールは目をしばたいた。
 昇ってきた階段をゆっくり下りがてらコルドは身の上話を聞かせてくれた。

「恥ずかしい話になるんだが、俺は俗に言う、箱入り息子としてかなり甘やかされて育ったんだ。家を継ぐのだって、一番上の兄貴か、はたまたその下の兄貴か……まかり間違ってもその下の兄貴だろうって当然のように思ってたしな」
「……? 兄が3人いるのか」
「ああ。俺は四男なんだ」

 噂によれば一番上の兄貴が継ぐらしいが、とコルドは付け足した。揺りかごの中でぐずる自分を3人の兄たちが覗いていた。4人目の男児ともなると、母や家の使用人たちもなにか特別なことをさせようとはしなかった。兄たちが屋敷の廊下を慌しく駆けていくのを何度か見かけて、真似をしようと教本を抱いたまま急いで勉強部屋に駆けこんでみたことがあった。けれど、部屋で待っていた学問の先生に「そんなに焦らなくていいですよ」と微笑まれた。その言葉だけが妙に根強く記憶に残っている。
 何不自由ない生活を与えられていたが、他者よりも突出した能力を得ることもまたなかった。ぼんやりと日々を送っていたら、多少文字が読めるだけの不器用な人間ができあがっていた。
 ロクアンズに「俺はそれほど柔軟ではない」と告白したのも、謙遜の意は含まれていなかっただろう。

「それでちょうど、おまえたちくらいの歳の頃だったか? 長い仕事で留守にしてた親父が急に帰ってきてな。俺がとんだ体たらくだったものだから、『おまえみたいな軟弱者はこの家にいらん』って殴り飛ばされて、そのまま疎遠になった」
「殴……。ウーヴァンニーフとか、伯爵のことが詳しかったのはそういうわけか」
「それなりの知識だけな」

 レトにとっては信じがたい話だった。入隊当時からの付き合いだが、コルドという男は大がつくほど真面目で、与えられた仕事は忠実に成果をあげる。ベルク村の一件では義兄妹の身勝手な行動をフォローする役目にも回ってくれた。軟弱な部分があろうとは皆目見当もつかない。
 そんなことを考えていたら長い階段も残り一段となっていて、早くも1階に戻ってきた。

 いくつかでいいから本が見たい、とレトが主張してきたのでコルドはそれに付き合うことにした。大広間の内壁ともいえる本棚にはびっしりと本が並べられており、レトは背表紙に書かれた表題をなんとなく目で追いながら館内を歩いていた。
 なにかめぼしいものでもあったのか、レトがぴたりと留まった。彼の視線の先には、本を1冊抜き取られたような痕跡があった。

「お、ここか? たしかに1冊分、空いたとこがあるが……」
「たぶん合ってる。さっきバスランド伯が言ってた、古語の本が置いてある棚だ」

 棚を仰ぎ見ながら、レトが淡々と言う。コルドにはさっぱり読めなかったが、古語を知っているらしいレトが言うのだから間違いないのだろう。
 1冊の本が目につき、レトはそれを抜き取った。頁をめくると、淡い絵の具で描かれた人物やら景色やらが紙面にぼんやりと滲んでいた。字を覚えたての子どもでも読めそうな簡単な文章も添えてある。見たところ絵本だ。

「……? なんでこれだけ現代語なんだ」
「ああ、それ、『わたしの子エリーナ』だろ」
「知ってるのか、コルド副班」
「小さい頃、母親から聞かせられたりしなかったか? 有名な童話だぞ」

 この国に住む大抵の母親は、家事を片手にでもそらんじられるという。コルドも幼い頃に母親から聞かせてもらった経験があるらしく、以下はその内容についてかいつまんだものだ。
 ある母親が双子の赤ちゃんを授かったが、片方の子が奇病を患って生まれてきてしまう。周囲から向けられる奇異の目やいじめに立ち向かうが、ときにはつい子ども同士を比べてしまったりと、母親の葛藤が主軸に置かれた作品だ。母親、奇病の子、もう片方の子、3人の愛情が描かれている。
 物語の顛末は、そんな3人の成長や苦労を褒め称えてのことなのか、周囲の目が変わりいつしか尊敬されるまでになるといった演出が用いられている。
 コルドが端的にまとめてくれたのはいいが、レトはいまいちピンときていないらしく、眉根を寄せた。

「……覚えがないな」
「はは。でも懐かしいな。その本、もとは古語で書かれたお話だったらしいぞ。200年前に流行ったからなのか人から人へ語り継がれている。現代語へ移り変わってしばらくして、たまたま古語を知っていただれかが翻訳したっていう話だ」
「へえ」

 古語を読めるとはいっても、所詮は幼少期に習った程度の知識だ。複雑な文法を読み解くにはまだ及ばない。解読とはまるで、未知の生物を相手にするようなものだ。改めて他言語の翻訳という分野の凄さを実感する。

(本を盗んだやつも、やっぱり古語が読めるってことでまちがいないか。研究部班ではさぞ重宝されていることだろうな。……いや、古語を読めるやつに宛てがあるだけで本人は読めないっていう場合も……)

 レトは考えごとをしながら、手元の絵本をぱらぱらとめくっていた。ふと、彼は頁をめくる手を止めて、おもむろにこんなことを言い出した。

「……なんで、デーボンとオッカーに依頼する必要があったんだ」

 通信具の試用人員として選ばれたのがデーボンとオッカーだったわけだが、レトにはそこがどうも腑に落ちないらしかった。適当な本を読んでいたコルドは顔を上げて、眉をひそめる。

「それはどういう意味だ? 研究棟に、その2人の親類の元力石があったからじゃないのか?」
「コルド副班、さっき4人兄弟だって言ってたよな。コルド副班に兄弟がいることなんて調べればすぐにわかる。なんで此花隊の内部の人間じゃなくて、わざわざ外部の人間に依頼をしたのかが気になるんだ」
 
 それを聞いてコルドも、顎のあたりに手を当て、逡巡する。

「……たしかにな。あの2人に依頼をすることが賢い判断だったかと言われると、俺はそうは思えない。あえて茨の道を選んだのは……どうしても、研究部班以外の人間とは関わりたくなかったら、か?」

 悪徳商人たちか、それとも内部の仲間たちか。どちらが信用に足るかなど考えるまでもない。しかし研究部班の班員たちが手を結んだのは、前者の連中だった。この信用問題の裏側にいったいなにが潜んでいるというのだろうか。

「ここで悩んでても仕方ないか。俺たちも敵陣に参ずるとしよう、レト」

 レトはこくりと頷いた。読んでいた本を元の場所に戻し、2人は大書物館をあとにした。
 
 
 第一班が研究棟に到着すると、丁度廊下を歩いていたケイシィが声をかけてきた。すぐに研究室の見学に行くか、それとも先に第二班と落ち合うかと問いかけられたので、コルドはロクアンズに連絡した。彼女は先に施設内を回ってくるよう促し、ついでにレトに対して「制作班の副班長さんが待ってたみたいだよ」と告げた。

 ケイシィが急用で案内できないのことで、2人は施設内の簡単な地図を手渡された。地図をもとに制作班の研究室を訪れると、案の定、副班長のホムがレトに飛びついてきた。レトに頼まれていた隊服をいそいそと取り出してきて着せたものの、どうやら縫合に問題があったらしい。再調整するため、コルドは先に調査班の研究室に向かうことにした。
 調査班の研究室は依然として人っ子一人いなかった。コルドは室内の散らかり具合だけを覚えて、早々に部屋を出た。

 レトがなかなか戻ってこないので、外の空気でも吸ってくるかとコルドは裏庭側の廊下を目指した。
 そよぐ風が、ざあっとコルドの前髪を撫でる。そのとき、彼はふいに何者かの気配を察知した。

「初めましてですね。コルド・ヘイナー副班長殿」

 声をかけてきたその男は、裏庭側の壁に凭れかかっていた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.94 )
日時: 2023/03/24 18:24
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第085次元 眠れる至才への最高解Ⅹ
 
 男は墨色の前髪を乱雑にひっつめて後ろの方で縛っている。組まれた腕が黒い布地で覆われているところを鑑みるに、どこかの班の副班長だろうとコルドは判断した。男はやけに低い声色で告げた。

「あんたが研究棟の運搬班と秘密裏に連絡を取っているのは把握してます。挙句にぞろぞろと次元師様をお連れしたりして、いったいなにを企んでるんですか、お宅の班長さんは」

 長閑な風が、吹き抜けの廊下を渡っていく。どうりで白昼堂々と物騒な話題をふっかけられたわけだ。周囲にはまるで人気がない。
 コルドは極めて穏便な態度で否定した。

「企んでいるなどと。そのような意図は微塵もありません」
「この研究棟は、ケイシィ・テクトカータ副班長が厳重に預かってます。よそ者に荒らされるのは些か気持ちのいいものではなくてですね。申し訳ないんですが、これ以上は信用問題に少々罅を入れる行為です。時間を見てお立ち退きいただきたい」
「そこまで警戒なさらなくても。おなじ隊に所属する同志ではありませんか」

 墨色の髪の男、タンバットはなにも答えなかった。彼が黙ったので、コルドも真剣な声で直截ちょくさいに告げた。

「……ここに、悪徳商人らと手を組んでいる輩が潜んでいます」

 タンバットは眉一つ動かさなかった。しかし彼の口からついて出たような切り返しは怒気を孕んでいた。

「この研究部班を侮辱するおつもりか」
「もしもこの事態が公になったら、どなたが責任をお取りになるのでしょう。いまは不在の班長殿ですか? それとも……概念的にその席を譲り受けている、彼女ですか」
「どうやら本当に、田舎出の下賤な男の犬に成り下がったようですね。侯爵家のご子息ともあろう御方が」
「すでに勘当された身です。いまは此花隊戦闘部班の、一副班長にすぎません」

 コルドは冷たく切り捨てるように返した。沈黙が訪れる。実験がどうのという以前に、研究部班の人間はほかの部班員たちを敵視する傾向がある。随分と冷たい物言いにコルドが呆れていると、やがてタンバットが言い放った。

「そのような不逞の輩が本当に存在するのであれば、お帰りの時分までにお連れください。ですがそれ以上の詮索はお見過ごしできかねます。あんた方の班長殿の顔に泥を塗りたいと仰られるのであれば、こちらは一向に構いませんが」
「……」

 そのときだった。聞き慣れた陽気な声がどこからともなくコルドの名前を呼んだ。

「あれっ! コルドふっくはーん!」

 中庭のベンチに腰かけているロクがぶんぶんと片手を振っていた。隣にはフィラとも目が合う。もう一度裏庭側を振り返ると、すでにタンバットは姿を消していた。
 コルドは中庭に入り、敷石で造られた道を歩いて第二班の2人と合流した。

「だいぶ見て回りましたか? コルド副班長」
「制作班と調査班の研究室には行きましたよ」
「あれ? コルド副班、レトは?」
「制作班のホム副班長に捕まったっきり、帰ってこなくてな。だいぶ長話してるらしい」
「そうなんだ」
「……それで、なにか気になることはあったか」

 コルドは木の幹に背中を預け、呟くような声で訊ねた。3人の頭上に降り注ぐ木漏れ日が緩やかに揺れる。
 ロクとフィラはそれぞれの研究室の様子や印象、各副班長と会ってみての感想などを述べた。そして、遠征に出ているナトニという少年が次元師の息子であるとともに、その次元師が14年前から行方不明となっている事実を明かした。

「次元師の子ども?」
「これ見て、コルド副班」

 ロクは懐から、真っ赤な石を2つ取り出した。1つは彼女が裏庭に落ちたときに拾ったもので、もう片方は食堂に訪れた運搬班の男が持っていたものだ。ロクは適当な理由をつけて、彼からその石の片割れを譲り受けていた。
 割れた石同士を組み合わせてみると、石は見事に合致し、1つの元力石となった。
 ロクの手のひらできらきらと輝くそれを、コルドはまじまじと見つめる。

「この赤い石はいったい……?」
「色はすこしちがいますが、元力石だと思われます。開発班の研究室で見せてもらったものと形がよく似ています」
「そのナトニって子がこれを裏庭に落としたっぽいんだけど、二月以上前から研究棟にはいないんだって。裏庭のほうは宿泊棟もあるし、みんなが通る場所なのに今日までだれにも見つからなかったなんて、変だなって」
「たしかに、それだけの期間があればだれかが見つけていそうだな。目立つ色をしているし」
「コルド副班たちは、書物……館? だっけ? そこでなにかわかった? 本の題名とか」

 ロクが小首を傾げて訊ねる。するとやや遠くから、靴底で敷石を踏む音と、レトの声が飛んできた。

「いや。書物館にいた人たちはみんな、盗まれた本の表題まではわからないんだと」
「あっ、レト!」

 レトは右肩を回しながら、ロクたちが固まっている場所まで歩み寄った。
 大書物館を出るとき、バスランドから「本の表題はわかりかねますが、どの本にもツォーケンの家印を押しているので見分けはつくと思います」と伝えられた。いまはその家印を頼りに探すしかない、とレトはつけ加えた。
 ロクはベンチから立ちあがるや否や、レトの身なりに注目した。

「って、あれ、その隊服……」
「ああ、さっき直してもらった。着てみたらちょうどよかったから、そのままもらってきた」

 レトは腰周りの生地をつまんで見せる。腰元には2本の鞘も装着されていた。制作班の研究室でホムに見せてもらった特注の隊服だ。フィラが胸の前で両手を合わせて言う。

「あら。すっごく似合ってるわ、レトくん」
「ん」
「ようやく全員揃ったな」

 さきほどまでの会話の流れをレトにも共有する。彼は時折頷きながら自分の中で噛み砕いていった。
 一通り再確認を終えると、コルドが第二班の2人にこう問いかけた。

「ファウンダとカインの元力石は見つかったか?」
「ううん…」

 ロクもフィラも肩を竦める。もっとも証拠となりうるものが見つからず、2人とも行き詰まっていたところだ。コルドも残念そうに息を吐き、腕を組んだ。

「もうすでに処分されている可能性もあるか。デーボンとオッカーの件が落ち着いたら実験を再開すると睨んでたんだがな」
「そうですよね。もしあったとしたら、だれの目にもつかない場所に保管するんじゃないかしらとは思うんですけど……」

 全員が揃って、うーん、と頭を捻った。
 元調査班の班員かつ次元師だった男の息子であり、二月以上前から遠征に出ているナトニという少年の所在がロクにはもっとも気にかかっていた。しかし長期間この研究棟を留守にしている現研究部班班長の存在もまた謎めいていて、いよいよ頭がこんがらがってくる。
 見て回れる場所にはすべて足を踏み入れたし、それなりに情報も獲得した。しかし肝心の元力石が見つかっていない。すでに処分されているとしたら打つ手もないだろう。訪れた沈黙が、行き止まりを告げたそのとき。

「──調査班の研究室、はどうだ」

 静かに発言したレトの顔に、注目が集まった。 
 調査班の研究室は所狭しと並ぶ資料棚と机の上に、紙束や本などが乱雑に抛られていた。足の踏み場もなく、大事な資料をうっかりと踏みつけないかとひやひやしたほどだ。人の出入りが激しくないからこその惨状なのだろう。彼も中庭に来るまでに、一度調査班の研究室に寄ったらしかった。

「ロクとフィラ副班の話だと、あの研究室にはほとんど人が留まらないんだろ。たしかにあそこは、集めてきた情報の保管所って感じだった。班員たちはみんな外に出てて、普段から人気がない。そのうえ室内の散らかりようは異常だった。この施設内でなにかを隠すなら、あそこは適した環境だ」
「た……たしかに! それだあー!」
「レトくん、さすがねっ。行ってみる価値はありそうだわ」

 きゃっきゃとはしゃぐ女子陣に悪いと思いつつ、レトは「けど」と水を差した。

「全員で確かめに行くのは不自然だ。俺とコルド副班はこの後も見学しながら本を探す。だから第二班に……」
「いや、せっかくだからおまえの目で確認してこい、レト。本だって、関係者が盗んでいたらおなじ場所に保管しているだろう」
「……。まあ、そうかもだけど」
「そうね。それに私たちみたいな大人より、無邪気な子どもたちが迷子になるほうが自然だわ」
「たち? ……ってことは、レトとあたしで行ってきていいのっ?」

 ロクは目をぱちくりさせ、レトと自分の顔を順番に指差した。本来なら班行動をとるべきだが、ロクが嬉しそうに訊いてくるので、フィラは満足げに頷いた。

「ふふ。頼んだわよロクちゃん、レトくん」
「やったあ!」
「まじか……」
「2人とも、気をつけて行けよ」

 一際強い風が吹いて、短い黒髪が靡く。呟くようにそう言ったコルドの表情は強張っていた。 
 廊下でタンバットと対面した折、これ以上詮索をするなと釘を刺された。あまり不審な動きを見せると、向こうもどう出てくるか。危険を承知で動かなければならない。

「俺たちがここでなにかを探っていることが割れてる。時間はない。今日を逃せば、いつ次の機会がやってくるともわからない。だから……」

 ぐっ、とコルドは拳を握りしめる。太い眉をきつく寄せ合う彼は、なにかを堪えているようでもあった。
 コルドは次の言葉を待っている義兄妹と視線を交えた。力強くも挑戦的な笑みを含んだ語調で、彼ははっきりと命じる。

「だからくれぐれも注意を怠らず……思う存分、迷子になってこい」
「はーい! お任せあれっ!」
「当然だ」

 コルドにつられて2人も口角をつりあげる。副班長たちのもとを離れた義兄妹は、足並みを揃えて調査班の研究室へと赴いた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.95 )
日時: 2020/06/21 12:07
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第086次元 眠れる至才への最高解ⅩⅠ

 義兄妹の後ろ姿を見送ると、コルドは腰に手をあて、嘆息した。くすりと笑う声が聴こえて、彼はフィラのほうを振り返った。

「なんだか私、ついあの2人にはいっしょにいてほしくなっちゃうんです。班行動が基本なのに、無責任ですよね」
「いいえ、わかりますよ。俺も初めこそあの義兄妹きょうだいが心配で仕方がなかったのですが、最近は逆になってきました。なにかをやらかすのを期待しています」
「コルド副班長、セブンくんみたいなこと言うんですね」
「……。班長のこと、そう呼ばれてるんですか?」

 コルドが何の気なしに問う。するとフィラは固まって、一瞬のうちに顔を伏せた。臙脂色の前髪の隙間から見え隠れしている頬もほんのすこし赤らんでいる。彼女は自ら弁明した。

「……すみません、昔の癖で、つい。報告はしないでいただけると助かります……」
「普段から呼んで差しあげたらきっとお喜びになりますよ」
「やっぱり似てます。意地悪ですね」
「まさか。俺は優しいですよ」

 お手をどうぞ、と言わんばかりにコルドが手を差し出した。からかわれた悔しさをぐっと抑えながら、フィラは彼の手を取って立ちあがる。

「さて。あの2人にばかり任せるわけにもいきません。元力石は別の部屋にあるかもわかりませんし、我々も探しにいきましょう」
「そうですね。私も蛇みたく、鋭い目つきで周囲を観察しないと」
「はは。じゃあ俺は犬ですね」
「犬?」
「……下賤な男の犬らしいので。嗅ぎまわってやりますよ、地獄の果てまでも」

 穏やかな声色なのに、言い方はどこか鋭さを帯びていた。触れたら本当に噛みつかれそうで一瞬フィラは息を呑んだ。おそらく彼になにかあったのだろう。が、それを訊くのは任務が終わってからでも遅くない。
 フィラは、コルドよりも一歩後ろをついていきながら、自身の黒い袖をぎゅっと掴んだ。


 調査班の研究室へと忍びこんだロクとレトは早速、室内の捜索を開始した。
 レトは物音を立てないよう慎重にあちこちを見て回る。ロクは腰を落として、板目の床に散らばった資料を適当にめくっていたのだが、急にくるりとレトのほうを向いた。

「にしても、またレトと行動できてうれしいな~。久々じゃんっ、こういうの!」
「そうか? べつに、あんまり変わってないだろ」
「もう~変わるよ~! この浮気者っ! コルド副班のほうが好きなんだ」
「おまえこそフィラ副班と逢引してるだろうが」
「…………た、たしかに……」
「おまえのそんな険しい顔、戦場でも見かけねえな」
「なにおうっ!」

 ロクが声を張ろうとすると、すかさずレトは彼女の口を塞いだ。

「騒ぐな、バカっ。気づかれたらどうすんだ」
「ふごふご!」

 お尻だけを浮かせて座りこんでいたロクが、その姿勢のまま後ずさりをしたときだった。彼女は床に落ちている紙に足を滑らせ転倒した。脳天が勢いよく床と衝突した拍子に、ごんっ、と激しい音が鳴り響いた。
 資料がふわりと宙を巻い、丸まった体に降りかかる。その背中は痛みを訴えているのか、小刻みに震えていた。悪気のない顔をしてレトは謝罪した。

「あ、わり」
「くぉっ、ぅ……!」
「ほら、手貸してやるから起きろ」

 伸ばされた手に既視感を覚えたのは、研究棟に来てから転ぶのが二度目だからだろう。ロクは涙目で起きあがり、レトの手をとった。
 が、いくら待っても引き上げらず、ただやんわりと手を握られている。不思議に思ってレトの顔を見上げると、彼は丸くした目で宙を見つめていた。

「……レト? どうし」
「音」
「へ?」
「いま、音が変じゃなかったか」

 レトはしゃがみこみ、適当な場所に拳を振り落とした。音はくぐもっていて響きはしない。明らかに音の質が異なっていると確信を得た彼は、早口でロクに訊ねた。

「ロク、さっきどのへんに頭打った」
「ええっと……このあたり、かな」

 ロクは、頭を打ちつけたあたりに散らばる本や紙束をせっせとよける。そして日頃扉を叩くみたいに、握った拳の骨ばったところでこんこんと床を叩いた。高くて乾いた音がした。

「……ほんとだっ、レト、音がちがう……!」
「近くにあるはずだ。なにか、指をひっかけられそうなとことか……」
「あっ見て、ここ! 小さいけど穴が開いてる」

 ロクは、床板と床板の間にできた僅かな隙間に指をひっかけて、動かそうと力を入れた。顔を真っ赤にして奮闘した甲斐あってか、突然、1枚の床板が浮いた。宝箱の蓋でも開けるように持ち上げてみると、大人が1人入れそうなほどの穴と、階段が現れた。階段はずっと下まで続いている。
 息を切らしながらロクは興奮の声をあげた。
 
「……っ、はあ~! すごいよレトっ、階段だ!」
「……地下がある、ってことか……」

 ロクとレトは顔を見合わせ、ごくりと息を呑む。吸いこまれそうなほどの真っ暗闇が、まるで2人を誘っているようだ。
 レトは研究室を照らす燭台を1つだけ拝借した。早速階段を下りようとするロクのあとを追い、彼女に燭台を手渡してから、音を立てないように床板を閉じた。

 不気味な暗さと静けさが2人に襲いかかる。灯かりで足場を照らさなければ、階段を踏み外して転落してしまいそうだ。
 石で造られた階段を慎重に下りていく。静かなせいもあってか靴音がやけに響く。壁に手を伝わせながら黙々と先を進んでいたロクが、ふと口を開いた。

「ねえレト、この階段長くない? けっこう下りたと思うんだけど、ぜんぜんなんにも見えてこないよ」
「すくなくとも、調査班の資料庫とかじゃねえだろうな」
「へ、そうなの? 調査班の研究室の地下なのに?」
「だったらここまで階段を長くする必要がない。なんの目的かはまだわからねえけど……あの研究室からはもう随分離れた。そんなに人の出入りが激しい場所じゃないんだろうな」
「ふ~ん……。そういうもんか。それにしても、ほんっとになにかあるのかな~?」

 いつもの調子でロクが声を張る。ついに堪忍袋の緒が切れ、レトは口元に指をあてて「しっ」と制した。

「あんまり大声でしゃべるなって。下にだれかいるかもしれねえだろ」
「あっ!」
「おまえは期待を裏切る天才だな。わざとか?」
「レト、壁だ、壁が見える。えっ、もしかして行き止まり!?」

 ロクは駆け足で階段を下りていった。彼女は自分が燭台係であることをすっかり忘れていて、遠のいていく灯かりを捕まえるように、レトも駆け下りた。
 ついに最後の一段から足を下ろす。目の前にはたしかに石の壁が迫っているが、行き止まり、ではなかった。壁にはいくつか燭台がかかっていて、辺りをぼんやりと照らしている。
 廊下が横長に広がっている。廊下の端と端に扉が1つずつ備えつけられていた。

「あっちと、こっちにも扉がある。なんでこんなに離れてるんだろ?」
「……さあな。大部屋になってたら、扉が2つあるのもわかるけど」
「じゃああたし、こっちの扉開けてくる!」

 ロクは右奥の扉を指差し、走って近づいた。
 見たところ何の変哲もない普通の扉だ。鍵がかかっているかどうかを確認したが、鍵穴らしきものはどこにも見当たらない。勢いよく開けたいのも山々だがそれをすると遠くから拳骨が飛んできそうなので、ロクはゆっくりと把手をひねった。
 
 室内は本棚と机、椅子があるだけで、これといって目立つものもなく殺風景だ。本棚と机の上には本や資料が置かれている。息を殺してみたが人気もない。
 ロクはとりあえず机の上に放置されている本を手に取った。
 標題を視認してすぐ、ロクは瞠目する。

「次元師……増加実験の……経過記録……」

 思いがけず読みあげてしまった文面に、ロクは鼓動が速くなるのを感じた。途端に、胸のあたりに息がつかえたような錯覚を覚える。
 セブンが打ち明けた"次元師を増やす実験"──。それは推察の域を超え、現実の光景としてロクの目に焼きついた。
 震える指先で、おそるおそるロクは本の頁をめくった。

「本実験の目的は、現存している次元の力の源である元力および元力石を用いて対象の次元の力が非次元師においても使用可能であるか否かを検証することである」

 考えるよりも先に、ロクは頁をめくった。専門的な難しい用語、理解不能な数値の羅列。どんどん頭が追いつかなくなる。我慢できず、ぱらぱらっと紙を弾いた彼女は、覚えのある名前を見かけると手を止めた。

「被検体002、デーボン・ストンハック。参照する次元師、ファウンダ・ストンハック……。これ、デーボンだ……! あ、こっちにオッカーの頁もある。どっちも、通信具の使用が可能、って書いてある」

 本実験の第一検証。それが通信具の使用だと明記されていた。デーボンもオッカーもいまは政会の施設にて拘束されている身だ。実験の経過欄にはほとんど情報がない。
 気になるのは、通信具の使用を"第一検証"とした場合の、次の検証内容だ。この書き方では第二、さらには第三検証の存在を想起させる。次なる過程ではいったいなにが行われるというのだろうか。

「あれ? でもデーボンが2番目ってことは、その前にもだれか……。あ、いた!」

 ロクは雑な手つきでいくつか頁を戻り、『被検体001』の経過記録に目を通した。

「被検体001、シアン・クルール。第一検証、通信具の使用、可能。第二検証……」

 ──『元力の投与』
 記録書にはそのように記述されていた。
 シアン・クルールという男の経過記録は異様だった。第二検証結果の欄には『吐き戻し』『吐血』『皮膚の過剰痙攣』──といった不穏な症状が多数書き連ねてあったのだ。それも記述は連日に亘っている。結果の記録は複数枚に及ぶにも拘わらず、欄末には『身体過剰負荷に至り実験中止』という一言が、冷然と書き殴られていた。

「な、にこれ……次元師を増やすって、なんで、こんな……っ!」

 水でも浴びたかのように背中がぞっとする。ほかにも同様の目に遭っている被検体がいるかもしれない。気が急くばかり、いくつか頁を飛ばしてしまった彼女の視線を引いたのは、"530年8月"という日付だった。つい2ヶ月前の記録だ。
 頁の冒頭に明記されたその被検体の名前を目にしたとき、食堂で感じた嫌な予感が的中した。

「被検体004、ナトニ・マリーン」

 ──次の瞬間。壁の向こうから、耳を劈くような叫喚が殴りこんできた。


 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.96 )
日時: 2020/06/21 12:26
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第087次元 眠れる至才への最高解ⅩⅡ

 喉もはち切れんばかりの痛々しい叫びが、ロクアンズの鼓膜に突き刺さる。彼女は血相を変えて入り口の扉の把手に掴みかかった。
 部屋から飛び出していこうとする──が、しかし扉には鍵がかかっていて、開けることは叶わなかった。

「うそ……! なんで!?」

 入室するとき、扉に鍵穴がないことは確認した。なればさほど重要なものは置いていないのだろう、とすこしも疑わなかった自分の詰めの甘さを思い知る。内側に鍵穴があったのだ。だれでも部屋に入れる代わりに、鍵を持った人間しか出ることができない。関係者以外の人間がもし侵入した場合に、この部屋に閉じこめておける仕組みになっている。
 無理やり壊すほかはない。扉の表面に蹴りかかろうとしたそのとき、レトヴェールの意思が声となって耳元でがなった。

『ロク!』
「レト!? レト、なにがあったの! こっちの部屋、鍵かかってて、でもすぐ行……」
『え、いまの、おまえじゃないのかロク。おまえの部屋のほうから声がしたから、てっきり……』
「……え? あたしは、レトのほうから声が……」

 ロクは扉ではなく、声がした方向の壁へと視線を移した。レトが向かったであろう左の扉と、彼女が開けた右の扉にはだいぶ間隔があった。2つの部屋が繋がっていないとすれば、距離が置いてあるのはなんのためだというのか。

『ロク、そっちの壁になにかないか』
「なにかって……あ!」

 視界一面の石の壁に一か所だけ小さな硝子窓がついていた。ロクが食い入るように覗くと、なにかが蠢いているのが視認できた。外見ははっきりとしないが、いまもまだ叫び続けるその声の主にちがいない。

「あった! ちっちゃいけど、硝子の窓、奥にだれかいる!」
『よし。その窓を起点に壁を壊せ。くれぐれも力加減には注意しろ。できるな』
「当然! ──次元の扉発動、『雷皇』!」

 主の声に応え、辺り一帯に電気の糸が散る。ロクは硝子の小窓から顔を離した。右の人差し指を伸ばし、右半身に、腕の中を這う血流、指の先、爪の一点。電熱が波のように押し寄せる。

「三元解錠──」

 硝子の小窓を睨みつける。視界の先にいる人物を傷つけず、壁も必要以上に破壊しない。力の限り次元技を放つのではなく、目の前の弊害を切り崩すためだけの力と、なれ。
 ロクの意思が呪文に換わる。

「──雷砲!!」

 放たれた細い雷光が、小窓もろとも壁を撃ち抜く。壁の向こうに広がっていた空間が顕となり、室内を一直線に駆け抜けた電気の糸は奥側の壁を撫ぜ、霧散した。
 がらり、と石の破片が崩れ落ちる。穴は予定よりもずっと小さく収まった。ロクは空いた穴を潜り抜け、壁の向こうに広がっていた空間に出た。
 硝子越しに見た人物が、部屋の端でうずくまっていた。急いで駆け寄り身体を起こしたが、気を失っているらしい。寝顔のあどけなさも背格好も、自分とさして変わらない。

「この子が、ナトニ……」

 濃い紫色の髪が元気よく、悪く言えば粗放に跳ねている。薄汚れた衣服の裾から、どこかに打ちつけたような痕が見え隠れしている。

(これが第二検証の傷……!? ……いや、待って、この子……)

 シアンという被検体が第二検証を行った結果、彼は『吐き戻し』『吐血』『皮膚の過剰痙攣』といったような症状に苛まれていた。しかしこの部屋にナトニが嘔吐したような跡もなければ、皮膚が痙攣している様子もない。どうもシアンとは症状が異なる。もしかすると第二検証はすでに終わっていて、いまは第三検証の最中だったのかもしれない。
 加えて、ナトニの身体はひどく熱を持っていた。シアンの検証結果にはなかった発熱を起こしているようだ。

 ロクの居場所の確認をとると、彼女たちが近くにいないであろう場所の壁を切り崩して、レトも入室した。見慣れない少年が彼女の腕の中で気を失っていた。レトは、青く濁った痕のあるその細い腕を持ちあげ、すぐに眉を顰めた。

「……っ、つ。なんだこいつ、熱があるのか? 皮膚も痣だらけだ」
「レト、たぶんこれが、次元師増加実験っていうやつだよ」
「……そっちの部屋になにがあった」

 ロクは先刻までいた部屋から実験の経過記録書を持ちだした。手渡された記録書にレトも目を通す。だんだんと顔色を曇らせていった彼だったが、仕舞いには感嘆の息をもらした。

「セブン班長が言ってたこと、本当だったんだな。次元師を増やす実験をしてるかもしれないって」
「うん……あたしもびっくりした。この地下室がきっとその実験場なんだ」
「それで、いま進行してる実験の被検体がこいつってわけか……」
 
 身体中痣だらけのナトニを一瞥し、レトは記録書に視線を戻した。
 ロクは、膝元で大人しくしているナトニの寝顔を眺めていた。応急処置をしようと腰元のポーチを漁り始めたそのとき、彼が身じろぎをした。ぎゅっと瞑った目がうっすらと開く。ロクの左目と目が合うと、彼は素早く起きあがった。

「わっ! な、なに? 起きた?」
「……」

 ナトニは起き抜けにいきなり走りだして、床の上に転がっていた1つの小瓶に飛びついた。中に残っていた少量の赤い液体を彼は一気に煽ろうとする。しかしすんでのところでロクに組みつかれ、小瓶を取り上げられた。

「なにすんだっ! 離せ!」
「だめだよナトニ! これ、元力なんでしょ!? それ以上飲んだら身体が壊れて本当に死んじゃうよ!」

 液体の赤さからいって、元力が含まれている液体だということはすぐに目星がつく。第二検証である『元力の投与』を経てシアン・クルールがどのような目に遭ったのかを考えると、ナトニの手を止めなければならない。
 
「うるせえ、離せっ、離せよ! 指図すんな!」
「いーやーだ!」
「次元師が作れるかもしんねー実験なんだよ、これは! 成功させて、父さん帰ってきたら、ぜったい喜んでくれんだ。だから余計なことすんな!」
「……」

 抵抗を続けたせいか、意外にもすんなりと手が離れた。急に解放されて、ナトニはたたらを踏んだ。

「じゃあ、これいらないの?」

 懐からバラバラになっているペンダントの部品を取り出し、ロクはそれをナトニの目の前に突きつけた。一つだった石は割れ、紐もほどけているが、紛れもなく父の形見のペンダントだ。彼は激しく動揺した。

「なっ、アンタ、なんで、それ……! 返せっ!」

 奪い返すつもりで素早く手を伸ばした。が、ロクに難なく躱されてしまう。足に力が入らず、傾いた体勢から立て直すことができなかったナトニは床の上に倒れこんだ。傷ついている膝をさらに擦り、苦悶する彼の顔を、ロクはキッと睨んだ。

「ナトニがまだ無茶するつもりなら、あたしだって黙ってらんない」
「なんだよそれ、アンタに関係ねーだろ!」
「そんな傷だらけの身体見せられて、ほっとくと思ったら大まちがいだっつってんの!」
「ほっとけよ! 部外者だろ!」
「あたしはそういう性分です無理!」
「ムリってなんだっ!」

 ナトニはロクに噛みつくように、一心不乱にペンダントを取り返そうとする。ほとんど背丈が変わらないにも拘わらず、ロクの柔軟な動きにまったくついていけないどころかまるで遊ばれているようだ。いよいよ頭にきて、飛びかかる勢いで猛攻を繰り出したがあっさり避けられ、彼は顔面で床を殴打した。
 微動だにしなくなった背中を、ロクがつんつんとつつく。

「……」
「ナ……ナトニ?」
「……が、かっ……がえぜよぉ……っ! なん、なんだよっ、がえぜっていってんじゃんかあ……っ!」

 ロクは絶句した。敵意むき出しで攻撃してきたかと思えば今度は情けなくわんわんと泣きだしたのだ。両目から溢れでている涙が、みるみるうちに床に水たまりを作っていく。彼女は冷や汗を飛ばしながらナトニの周りをうろついた。

「えっ……ごっご、ごごごめん!? あたし!? あたしが悪かったから!」
「あーあ。泣かせた」
「レト~~!」

 小さな嗚咽と、鼻を啜るのを繰り返すナトニに、ロクは問いかける。

「ね、ねえナトニ、なんでそこまで……」

 ナトニは両手を胸のあたりまで寄せ、痣だらけの腕で上体を起こそうとした。しかし発熱を患っているせいもあってか力が思うように入らず、上半身が震えている。彼は顔もあげずに、懸命に言葉を紡いだ。

「父さんの……それが、唯一父さんのものなんだよ。母さん死んじゃったから、ずっとオレ、父さんに会いたくて。ここには父さんの元力石しか残ってない、それしかないんだよ。オレは父さんのためにがんばってんだ。帰ってきたとき、父さんの次元の力を、オレが使えるようになってたら、父さん……絶対喜んでくれるって……だからぁ……っ!」
 
 ロクはだんだん申し訳なくなってきて、ナトニにペンダントを返そうと手を差し出した。が、レトが鋭い声でそれを制する。

「ロク、ちょっとそれ貸せ」
「え? で、でも……」
「いっとき借りるだけだ。あとおまえの通信具も」
「つ、通信具も? ……え、なにするの、レト?」
「いいから」

 ロクは言われた通りに、ナトニのペンダントと通信具をレトに手渡した。力を振り絞って起きあがったナトニが、膝立ちのままレトの脚に縋りついた。

「か、返せっつうの!」
「あとで返す。その代わり、ちょっと調べたいことがある。協力してくれ」
「……へ? だっ、だれがアンタなんかに──、っ!」

 そのとき。両手から急に力が抜け落ちて、倒れる。と思われたが、レトは持っていた記録書を手離し、間一髪のところでナトニの腕を引き寄せた。本は床に落ちるとばさりと音を立てた。
 怪我人を立たせるのも悪いと思ったレトは、ナトニとともにその場で座りこんだ。床の上にある記録書を拾いあげ、見せつけると、レトは言った。

「おまえ、通信具の実験やってないんだな?」

 金色の前髪がわずかにかかるその耳に、白い器具のようなものが装着されている。ナトニは困惑の色を示していた。確信を得たレトは、自分の通信具をも取り外した。

「いまからやるぞ。第一検証」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.97 )
日時: 2022/08/29 13:08
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第088次元 眠れる至才への最高解ⅩⅢ

 『いまからやるぞ。第一検証』──そうレトヴェールが言い出したときに動揺を隠せなかったのはナトニだけではない。ロクアンズもまた頭が真っ白になった。レトはナトニの傷の手当を先に済ませると、持ち運び用の工具を取り出し、あろうことか通信具を解体し始めた。
 恐ろしいほどの手際が良さで事を進めていく。が、見とれている場合ではない。ロクはすでに念頭にあった疑問をそのまま口にする。

「ま、まま待ってレト! 第一検証って……え、なんで? てかどうやってやるの!?」
「ナダマンの元力石を使う。ちょうど2つに割れてるし、俺たちの通信具に片方ずつ組み込んでナトニに使わせる」
「……ナダマン? って、なに?」
「おまえ読んだんじゃなかったのか、実験の経過記録書。こいつの頁に書いてあった父親の名前だ。ナダマン・マリーン。行方不明になったっていう調査班の次元師だ。そんでこいつの頁に第一検証の経過が載ってなかったから、やるってだけ」
「……たしかに、やってねーっちゃ、やってねーけど……でも、なんでアンタが」
「興味本位」

 会話の片手間に躊躇なく支給品を改造していくその姿は一周回って清々しかったが、称賛の言葉を送るよりも先になぜ通信具の改造ができるのかが気になって仕方なかった。黙々と作業を続ける彼におそるおそる訊いてみると、「支給された日に1回解体した」と彼は事も無げに答えた。ロクは心の中で、レトは編入する部班を間違えたのでは、とひそかに呟いたのだった。

 レトとナトニが第一検証を行っている間、手持ち無沙汰になってしまったロクはとりあえず、ナトニが実験をしていた大部屋と廊下とを隔てている壁に穴を空けた。ロクとレトが最初に入った部屋はどちらも内側から鍵がかかってしまい、出られなくなったからだ。
 空けた穴の先は廊下で、自分たちが下りてきた階段が上に伸びている。穴をくぐり、仁王立ちしながらなんとなく階段を見上げていると、やがて実験室の中から2人の話し声が聴こえてきた。どうやら検証が終わったらしい。
 ようやく終わったかとロクが実験室を振り返った、直後。

「──っ!」

 銃声、と金弾がロクの左耳を掠め去った。
 ロクは素早く耳を抑えた。奥で立ち尽くしている2人に向かって力一杯叫ぶ。

「伏せてッ!」

 続けてもう一発放たれる。今度の弾はロクの左足を切った。彼女は膝から崩れ落ちるも、身体を捻って階段のほうを向いた。細い手足に稲妻が奔る。レトも実験室に面している壁に肩を押しつけ、息を潜めた。2人は臨戦態勢をとった。
 不気味なほどの静けさが蔓延する。階段のほうからはまるで足音も聞こえてこない。耳から、脚から、止めどなく流れる血に目もくれず、階段を鋭く睨みつける。緊張がついに、頂点に達した矢先。
 からん、からん、となにかが弾みをつけて階段から落ちてきた。

(……! た、球……?)

 その球状のものは最後の一段からも滑り落ちた。そして廊下の床面とぶつかるや否やカチッと音を立て、まるで風船から空気が抜けるような音を発しながら辺り一面に白いもやを撒き散らす。

「ごほっごほっ! な、なに……これ!?」
「煙幕だ──、ッうぁ!」
「レト!」

 レトの呻き声がしたかと思えば、ロクも後ろからだれかに首根っこを掴まれた。壁の内側に隠れていた2人が階段から見える位置に放り出される。と、
 かちゃりと耳元で装填音がした。
 身体が硬直する。煙幕が目に染みてすぐにでも拭いたい。が、一切の動作を本能が辞めたのは、こめかみに銃口を突きつけられていることを瞬時に理解したからだ。
 白いもやがだんだんと晴れていく。視界が開けてくるとともに、ロクは左目の端で、自分に銃口を向けている人物を認識した。

「ほ……ホム副班──」

 制作班の副班長、ホムが石粒のような小さな目でロクを見下ろしていた。

「じっとしててくだされば、我々はなにもいたしませんです、はい」
「……」
「すいませんね、次元師様。これも目的のためなんすよ」

 レトと肉薄しているのはタンバットだった。彼もまた引き金に指をかけ、レトを脅かしている。目の前で繰り広げられる悪夢のような光景に怯えきったナトニは後ずさりし、その場で尻もちをついた。

「ご苦労」

 階段の上から聴こえてきた声が、薄暗い地下室内を静かに制圧する。
 ロクは声の主の容姿を認めると彼女の名前を口にした。

「ケイシィ副班」

 彼女は右手で銃を一丁提げ、もう片方の手で靴をつまんでいた。階段から足音がしなかったのは靴を脱いで下りたためだろう。彼女は左手に提げた靴を適当に抛り捨て、銃も懐にしまいこんだ。

「随分と迷子になっていたようだね、諸君。まあ無理もない。この研究棟には本日初めて来訪されたのだからな」
「……」
「そう、初めてな。初めて訪れ、そしてこの場所を嗅ぎつけた。君たちは余程鍛え抜かれた間者らしい」

 数段上から義兄妹を見下ろし、乾いた笑みを浮かべてケイシィは言う。

「ケイシィ副班、どうして……どうしてこんなことしてるの? 次元師を増やす実験って」
「余計な穿鑿はお勧めしない。いまだれが君の命を握っていると?」
「……」
「ほう。噂に聞いていたよりも随分と利口じゃないか、ロクアンズ殿。次元師といえどもその力が使えなければ常人とさして変わらないな。今度論文の題材にでもしよう」
「……。ナトニは、」

 ロクが小さく口を開く。ケイシィは黙ったまま、俯く彼女の次の言葉を待った。

「ナトニの身体は、もう限界だよ。まともに立ちあがれないくらい怪我をしてる。でもお父さんのためにって、その一心で、まだできあがってない身体を、意地を張ってるんだ。ナトニは生まれたときからここにいるんでしょ。そんなナトニに対して、情のひとつも湧かないっていうの」

 ケイシィの口から放たれた返答には、情けなど一欠片も含まれていなかった。

「これは至って清廉潔白な取引だ、次元師殿」

 腕組みをし、一段と落ち着き払った声で彼女は続ける。

「彼は父上の偉大な力を受け継ぎ、我々は次元師の増加に成功した研究者として絶対的な栄誉を手に入れる。双方納得した上でこの取引は成立している。にも拘わらず、立場も弁えず早計にも口を挟むとは些か滑稽な行為だとお思いになれないか?」
「あんなことを続けてたらナトニの身体は取り返しのつかないことになる。シアン・クルールって人だってそうだ。身体が使いものにならなくなってから実験中止だなんて、そんなのあまりにも非情すぎる」
「そんな被検体もいたな。あれはよくもった」

 幼子の戯言だと切り捨てんばかりの冷めきった目をしてケイシィは一蹴した。
 ロクは口を閉じた。反論しないかと思われた彼女だったが、その細い両肩は打ち震えていた。

「……るか」
「は?」
「納得がなんだ。ナダマンさんがどこかで元気にしてればいいだって? 帰ってきたら困るからあんなこと言ってたんだろ! ナトニに、父親が喜ぶからとすりこんだのだってあなたのはずだ。そんな人の気持ちを利用して得られる栄誉なんかに──価値があるかって言ってんだッ!」

 ついに怒りが沸点に達し、ロクの手足から鋭い稲妻が迸ると、間もなく。
 彼女の腿に一発の銃弾が撃ちこまれた。
 
「うあっ! ……っ」

 血飛沫が鮮やかに飛散する。ロクはふたたび項垂れ、急速に熱を帯びた腿を押さえつけた。かちゃり、とホムが手持ちの銃を装填させる。
 ケイシィは強い語調で警告する。

「よくお聞きになることだ、次元師殿。ここで見聞きしたすべての事象を口外しないと誓え。逆らえば次こそその矮小な脳天に風穴を空け、元魔の餌に換えよう」

 若草色の頭を床にこすりつけ、浅く息をするロクを見下ろしながら、ケイシィは呟いた。

「下等な種が。我々研究者に物を言うなど高慢も甚だしい」

 まるで苦虫を噛み潰すようにケイシィが表情を歪めた。
 次の瞬間。

 ──タンバットの背後から伸びてきた鎖が、彼の身体に影を落とした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.98 )
日時: 2020/07/05 20:30
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第089次元 眠れる至才への最高解ⅩⅣ
 
「っ、な──!」

 構えていた銃が彼の手から滑り落ちる。瞬きひとつする間にも、タンバットの身体は鎖によって強く締めつけられた。両目を剥いてケイシィは傍観していた。

「うわああ!?」

 続いてホムが悲鳴をあげる。彼の身体に纏わりついていたのは紅色の鱗をした蛇だった。蛇の肢体が食いこんだところから豊満な肉がはみ出している。
 蛇に触れたくない一心で両手を挙げた拍子に、持っていた銃をはたき落とされる。赤い蛇はホムの耳元で大口を拡げ、彼を威嚇した。

「ひいいっ!」
「……」
「副班長殿が揃いも揃って幼子いじめですか」

 暗闇の奥から歩いてきたのは、黒髪を短く切り揃えた長身の男だった。身に纏う隊服さえ黒く、景色によく溶けこんだコルドは、タンバットの背後で足を揃えた。ホムは傍らで立ち止まった臙脂色の髪をした女、フィラを見上げると、丸い体躯をさらに縮こませた。

「こっ、コルド副班、フィラ副班……! なんでここに……!?」

 ロクは傷の痛みも忘れて、驚きのあまり大きく左目を見開いた。
 コルドはタンバットが落とした銃を蹴り飛ばし、廊下の端まで滑らせた。それからロクの疑問に答える。

「俺たちも怪しい場所がないか探した。レトが言っていたように、普段は人が立ち寄らない場所をな。そしたらフィラ副班長が、元魔の管理室もそうじゃないか、って」
「え! じゃあ、あそこから……!?」
「そうよ。行って調べてみたら、本当に隠し扉みたいな仕掛けがあって、そこから入ってきたの」
「成程」

 ぱちぱちと、乾いた拍手が地下室に響き渡る。ケイシィは作り物めいた笑みを浮かべて、コルドとフィラを称賛した。

「これは、コルド副班長殿にフィラ副班長殿。助太刀さながらのご登場とはお見事。もう一つの入口を見つけられたのも流石と言わざるを得ない」
「あまりこのような場所に長居をしていると、ほかの班員が不審に思われますよ」
「なに。貴殿の仰る通り、ここにいるのは全員、各班の副班長だ。会議をしていたとでも言えば疑う者は出るまい。それに研究部班の人間はあまり他人に興味を示さない。世に蔓延る未解明の現象事象のほうがよほど魅惑的なのだ。研究者とは元来そういう生き物でね。よってご心配には及ばない」
「次元師を増やす実験などというものにご執心なのもそういった理由からでしょうか」
「……。私は、証明や裏付けのない事象提唱を最も嫌う」
「それは失礼いたしました。では」

 コルドは懐から2つの小瓶を取り出した。開発班の研究室に保管されていた、元力石の入った小瓶だ。

「勝手ながら、開発班の研究室にあったこちらの小瓶を拝借いたしました。中に入っているのは元力石です。あなたの管轄ですから当然ご存知かとは思いますが」
「ふむ。それがどうかしたか」
「元力石の入った小瓶にはそれぞれ、名前の書いてある小さな紙を貼りつけていらっしゃいますね。研究室にあったものにはどれも、現在戦闘部班に所属している者たちの名前が書かれていました。こちらの小瓶も同様で、私、コルド・ヘイナーの名前が明記されています。……しかしこの小瓶には、非常に不可解な点がございまして」
「……」
「勝手ながら、こちらの記録を閲覧させていただきました」

 発言がフィラに代わって、ケイシィは彼女に視線を向けた。フィラが片手に掲げていた紙束を認めたそのとき、ケイシィの眉がわずかに動いた。

「元力石が置いてあった机の、すぐ近くの棚に収納されていたものです。これは、すべての元力石の形を描きとどめた一覧表だとお見受けいたしました」

 フィラはコルドとともにもう一度開発班の研究室を訪ねていた。その際に、もしも元力石を誤って混同してしまった場合に見分けはつくのだろうかと、ふと彼女は疑問に思った。
 室内にいた班員たちに訊ねてみると、どの元力石がだれの物なのかわかるように石の形を描いて記録していることがわかった。当然、記録の管理者はケイシィ・テクトカータだという。
 ふたたびコルドが口を開く。

「私とフィラ副班は協力して、研究室にあった元力石と、ここに描かれている絵をすべて見比べました。しかし……私の名前が書かれたこちらの小瓶に混じっている2つの元力石だけが、どうも形が合いません。これらは一体、どなたとどなたの元力石なのでしょうか」

 小瓶の中で、数粒の元力石がからりと音を立てる。
 デーボンとオッカーの元力石を地下室ではなく開発班の研究室に保管していたのは、被検体が誤って飲用するのを防ぐためだ。開発班の人間以外は元力石の形に見慣れていないため、その危険性が伴う。
 紛失、誤飲を確実に避けられれば、デーボンとオッカーが釈放されたときに、実験を再開させられる可能性がある。が、その前に元力石を紛失してしまえば元も子もない。そのうえ、すでに亡くなっているファウンダとカインからふたたび元力を抽出することは不可能だ。
 木を隠すなら森の中。もっとも安全かつ日々目の届く場所として、ケイシィは自分の城である開発班の研究室を選んだ。

「なるほど、素晴らしい解答だった。数少ない情報からよくぞ導きだされた。あなた方は我々の首に縄をかけることに見事成功したわけだが、ついでに我々がとるべき今後の行動についてご享受願いたい。妥当な判断でいえば、本部に連行し、我々の行動を告発するといったところだろうか」

 ケイシィは肩を竦め、おどけた風につらつらと述べた。まるで初めましてと挨拶をするような砕けた笑みまで添えて。追い詰められているにしては余裕な態度を見せる彼女に、コルドはすこしだけ黙ると、紳士然とした穏やかな笑みで言った。

「察しが早くて大変助かります。そうですね、ではひとつ、答え合わせに付き合っていただいても?」
「答え合わせ?」

 予想外の返答を投げられ、ケイシィは、訝しむようにコルドの顔を見据えた。

「あなたはご覧の通り大変聡明でいらっしゃいます。しかしあなたは、我々隊内にいる次元師ではなく、デーボンら闇商人と取引をしました。……なぜ頑なに、研究部班に関わりのある人間以外と手を組まなかったのか、その理由がわかったのです」
「ほう。では聞こうか」
「いや、逆ですね。戦闘部班の班員とはよほど関わりたくなかったのでは」

 ケイシィは否定するでも肯定するでもなく閉口した。この実験に関わっていた人間を挙げると、元研究部班の班員で親類の中に次元師がいた者、元研究部班で殉職した次元師と血縁関係にあった者、現研究部班の班員だが行方不明になってしまった次元師と親子関係にある研修員。いずれの場合も、研究部班内の関係者に限られている。
 此花隊に所属している班員の中で次元師は現在、戦闘部班にしかいない。コルドはその点を改めて検討したにすぎなかった。

「私たちのうちのだれかと取引をするということは、戦闘部班の班長であり元隊長補佐のセブン・ルーカーに勘づかれる危険性を伴うということです。そして総隊長ラッドウール・ボキシスの実の孫娘、フィラ・クリストンが在籍しているのも見過ごせないでしょう。さらに申し上げるなら、班員のロクアンズとレトヴェールは、各地で問題が起こるとすぐに首を突っ込み、解決にまで導いてしまう恐ろしい行動力を持った子どもたちです。きっとその奇行の噂はあなた方の耳にも届いていることと思います。そんな危険分子で溢れ返った戦闘部班に取引を持ちかけるなど、見方によっては、悪徳商人と手を組むよりも愚かな選択です。まさにいまのように内情を嗅ぎつけられれば、辞職に追い込まれかねません」
「ではその愚かな選択を避けてなお貴方がたの手に落ちてしまった我々は道化だとでも?」
「いつ愚かな選択を避けましたか? 我が部班の班長が研究物の流出を見過ごしたとして不名誉を授かりましたのでそのお礼をさせていただいたにほかありませんが」
「……」
「研究部班班長、ハルシオ・カーデン」

 その名前を耳にした途端、頑として平静を装っていたケイシィの表情が一瞬のうちに崩れた。

「あなたは彼からその座を奪うためにこの実験を急いだ。違いますか、ケイシィ・テクトカータ副班長殿」
 
 確信を抱いている口振りでコルドが言及する。ハルシオの名前が持ち出され、タンバットとホムも動揺を露にしたのを彼は見逃さなかった。
 ケイシィは細く息を吐くと、肯定の意を示した。

「当たらずも遠からず、といったところだ。私はハルシオ・カーデンという男が心底憎くてて堪らない」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.99 )
日時: 2020/07/12 13:33
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第090次元 眠れる至才への最高解ⅩⅤ

 コルドは以前、セブンの口からケイシィとハルシオの確執について聞かされた。元警備班の班員で支部を転々としていたコルドがほかの部班の内情に詳しいはずはない。班長の座を奪うためなどと、妄言だと蹴り返されればそこまでだがどうやら的は大きく外れていなかったようだ。
 本人が口にした"憎しみ"からか、ケイシィは苦痛に歪んだ口元で矢継ぎ早に言った。

「あなた方程度の理解力で足る問題ではない。奴は……ハルシオ・カーデンは化け物だ。ただの人の子が化け物に対抗するべく術をお考えになったことは? ないだろうな。では教えて差しあげよう。それはこちらも人間の皮を剥がすことだ。感情を捨て、理性を捨て、成果に執着する。さもなければ我々は化け物と足並み揃えて舞台に立つそれすらも叶わない。わかるか。今生では敵わないと脳がひとりでに受信する恐怖を。だから私は邪魔な感情をなげうちこの実験に執着した。これが私の打ち出した、奴の上をいける最高の解式だった!」
 
 入隊規律の最年少ともなる12歳で此花隊の門をくぐり、持ち前の頭脳と底知れぬ探求心でほかの班員を圧倒し、ついには21歳という異例の若さで開発班の副班長に就任した。当時、研究部班の班長は高齢の男で、彼の退隊が決定した際には当然ケイシィ・テクトカータがその席を譲り受けるのだろうとだれもが確信していた。
 しかし、ある日のことだった。調査班の班員であったハルシオ・カーデンが元力の固体化に成功し、あろうことか通信器具を自主開発したという報せが届き、部班内全域に衝撃が走った。前班長は才能に溢れるハルシオを次の班長に推薦し、隊長のラッドウールもそれを承認した。
 次の班長の座は自分のものだ。本人さえそれを信じて疑わなかった。しかし彼女は争いに敗れた。顔も名前も認知されていなかったような一端の班員が明日から班長の座に腰を据え、右肩部に班長のみ許される金章を飾り、自分を下に見るなどと、どうしたら認められようか。急速に湧きあがった感情は、嫉妬などという生易しい域には収まり切らなかった。常軌を逸した敗北感。彼女の脳に憑りついたそれは、いま現在までずっと彼女の思考の真ん中にある。
 ロクはふらつく身体を支えながら立ちあがり、憤りに侵されたケイシィの顔を見上げた。

「じゃああなたは、いま戦ってる次元師のためだとか、神族を倒すためだとか、そういう気持ちじゃなくて……班長さんに負けたままなのが悔しいから、次元師を増せば勝てるからって、そう思ったの」
「稚拙な言語で語るな。汚れる。動機などは結果に反映されない。私が彼より優れていたという名目が後から自ずとついてくる。それだけだ」
「そんなものがほしいってだけで、だれの身体が、気持ちが、どれくらい傷つこうがいいっていうのか!」

 ケイシィに近づくと、ロクは彼女の隊服をぐっと掴んで引き寄せた。片目だけが彼女の顔を強く睨みつける。すぐにでも電撃を浴びせかねない剣幕に、コルドが引き止めるように叫んだ。

「ロク!」
「ほう。私に手を挙げるか? 次元師とはつくづく便利な生き物だな。その力の前では力を持たないほかの種族など等しく虫けらだ。我々はそんな偉大な次元師を生み出すべく行動していたのだぞ。これは世界中の民の悲願である神族掃討への、大きな橋掛かりとなる世紀の実験だ。おまえたち次元師に感謝こそされど貶される謂れはない! さあ、傷つけられるものなら傷つけてみろ。殺せるものなら殺してみせよ。私と一体なにが異なる! おまえたちこそ本物の……人間の皮を被った化け物だろう!」

 ロクは思い切り拳を引いた。彼女の右腕を電気が這いあがり、ふたたびコルドが彼女を制する声を発したそのとき、握った拳から電気の糸は消え失せた。瞬間、何の変哲もないただの拳と成り下がった一撃がケイシィの頬に叩きこまれた。
 階段の上に、黒い隊服がぐしゃりと倒れこむ。ケイシィを見下ろす新緑の眼差しはまっすぐ彼女の身に突き刺さった。

「この力を持ってたから、故郷の人たちや大切なものを傷つけたんだって泣いた人がいる。この力が自分には重いって、それでも前に進もうって決めた人だっている。この力しかないからって自分を卑下しても、だれかのために戦い続ける人もいる。そんな次元師たちの思いも知らないくせに、なにが世紀の実験だ! 次元師を侮辱するのも大概にしろッ!」

 フィラ、レト、そしてコルドが、力強くそう叫ぶロクの姿から目を逸らせなかった。

「あなたみたいなクズ野郎には拳だけで十分だっての!」

 次元師は、だれしもが神族を打ち倒そうと正義を掲げているわけではない。その力を以てほかの人間を見下し、残虐な行為に及ぶ者もいる。しかし次元師とて人間だ。正義か悪のどちらかで分類できるほど単純な存在ではない。人目に触れない地下室に籠り、地上に出たところで他者とは最低限の交流だけを営み、特定の人間に対する負の感情だけをしたためた実験記録書に「成功」の文字が記されることはない。
 上体を起こし、ケイシィは殴られた頬に触れた。内側に溜まった血をぷっと吐き捨てる。

「……クズ野郎、か」

 そう呟くや否や、ケイシィは懐から素早く銃を抜き、ロクの額に銃口を押しつけた。

「──!」
「君はナトニの実験の経過記録を盗み見たのでは? であれば殊更、我々の邪魔をする理由はないはずだ」

 獣のように鋭い目つきでロクを睨みながら、ケイシィは至って冷然と述べた。

「え……?」
「ナトニは以前の被検体とは反応が異なっている。身体が拒否反応を起こした過程はなく、さらには投与した元力を一度たりとも吐き戻していない。そのうえナトニは、元力液を嚥下したのち、すぐに発熱を起こす。この発熱とは、君たち次元師が次元の力を行使する際に引き起こすのものと同様の症状だ」
「!? じ、じゃあ……!」
「ここまでの結果を顧みるに、ナトニは元力の体内への蓄積に成功し──かつ、元力に強い反応を示している」

 ロクは息を呑んだ。たしかに、最初に実験室内を見回したときに、ナトニが嘔吐したような跡がないのを彼女はその目で確認した。発熱はただの副作用のようなものだろうと勘違いしていたが、ケイシィの指摘によって考え方ががらりと変わる。いまの段階ではただ発熱を起こしているにすぎないが、取りこんだ元力が身体に馴染めば、いずれ正確に意思を通せるようになる。なんとしても勝利の盃を傾けてみせるという気概が、ケイシィの血走った瞳、額と接触する銃口から、犇々ひしひしと伝わってくる。

「理論的に考えてそんなこともわからないようであれば口を挟むな! いずれこの実験は完成し、ナトニは『癒楽』以外の次元の力の継承に成功したこの世で初めての次元師となる。証跡の伴わない正義論を振り翳し大口を叩くだけの君に我々の邪魔をする資格などない。──いまここでその目出度い頭をぶち抜かれたくなければ、誓え! 誰がなんと言おうとも、私は決してこの実験を中止には」

 ケイシィが言い切るまさに寸前だった。銃の先端部分を目がけ、剣筋が一太刀、真上から落ちた。かしゃんっ、と音を立て銃頭が離脱する。間もなく、地下室内に静寂が満ちた。
 剣の持ち主はレトだった。眼前で銃口が斬り落とされ、わなわなと怯えるロクの頭上から、冷静を窮めた一声が降ってくる。

「じゃあ、理論的な方面での話でもするか」

 ロクとケイシィに向けられていた関心が一気にレトへと焦点を変える。彼は『双斬』の片割れを鞘に納めながら言った。

「あいにくだけどナトニは次元の力を継承できねえよ」

 ケイシィは両目を一層鋭く細めた。それからすでに使い物にならなくなった銃を下げもせずに抗言を繰り出す。
 
「なんだと……!? ふざけたことを」
「ナトニだけやってなかっただろ、第一検証。やってなかったというか、やれなかったんだろうけど。いまこの施設内には次元師がいねえからな。肝心の通信相手がいなくちゃ第一検証は成り立たない。それに父親と息子っていう関係性でいったらデーボンとファウンダもそうだ。デーボンが父親の元力石で通信具を使えたってことはナトニも同様の結果を得られると見て、第一検証を通さず第二検証を施行したんだろ」
「まどろっこしい、なにが言いたい!」
「さっき俺が代わりにナトニの相手役をやった。結論から言うと、ナトニには通信具が使えなかった」

 ケイシィの思考が一時、停止した。緩慢に首を回し、ナトニの怯えた顔、その耳元に着目する。彼は白い器具を身につけていた。通信具だ。器具を一瞥した彼女の口から、間の抜けた声が出る。

「……は……?」
「第二検証の結果、ナトニの身体に起こった変化は2点。発熱と全身の打撲痕だ。あんたも言ったように次元師は力を発動させるときに身体が発熱するような感覚を覚える。そしてナトニは飲んだ元力液を吐き戻さなかった。以上のことを踏まえて普通に考えれば、取り入れた元力は体内に蓄積できていて、そしてその元力に身体が反応したから発熱が起こったと判断できる。……だけどナトニは、シアンもデーボンもオッカーも、いままでの被検体全員が使えた通信具が使えなかった。ナダマンの元力石はナトニの意思には一切反応しないっていう、最大の証拠だ」

 体外から取り込んだ元力は確実にナトニの身体の中で留まり、発熱まで起こしたはずだったが、彼はその体内にあるものとまったくおなじ元力石に意思を通すことが叶わなかった。これが本当であれば発熱の正体が途端に曖昧なものとなる。ケイシィが意識半ばに銃を下ろし、物凄い早さで思考を巡らしているうちにもレトは親指を立て、後方にいるナトニを振り返らずに指し示した。

「次にあの打撲痕だけど、あれはどこかに手足をぶつけてできた傷跡じゃないらしいな。ナトニがそう言ってた。つまりあれは……外からの衝撃じゃなくて、血管内部に問題が起こってできた、鬱血うっけつだ」
「血管の……内部…………。──、っ! まさか」
「さすがに頭の回転が速いな」

 レトは顔色ひとつ変えずに断言した。

「最初からナトニの体内にあった元力が、外部から侵入してきたほかの元力を追い出そうと過剰に反応したため発熱が起こり、その過程で鬱血を併発させた。それだけだ」

 口を挟める者も、野次を飛ばせる者もいなかった。自信に溢れた彼の答弁はこの場にいた全員を理解の域へと連れていく。
 開いた口が塞がらず、ロクはそのまま、震えた声でレトに訊ねた。

「さ……最初からって、レト、それ……」
「俺の仮説が正しければ、ナトニは本物の次元師だ」
「……。そんな……ありえない……」

 反論したさが先走って、口にするつもりのない弱音がこぼれた。しかし残酷なことに、レトの解答が一理抱えているのを聡明な頭脳が否定しない。ケイシィの理性はついに決壊し、取り繕いのない純粋な疑問がただ漏れていく。

「ナトニが、本物の次元師……?」
「……」
「この世界には、幾百、幾千万いやもしかしたらそれ以上の人間がいるのだぞ……ナダマンも、ナトニも次元師である可能性など、そんなの、極めて低……」
「どこかの下等な種の言葉を借りてこの実験の失敗理由を述べるなら」

 このとき、レトの顔を仰ぎ見たケイシィは、屈辱、恐れ、驚きなど、複雑に入り組んだ感情を覚えながらも、唯一はっきりと、羨望を記憶した。
 そして脳裏には9年前の班長の任命式にてハルシオが前班長を前に傅き、班長のみ着用を許される金の肩飾りを授かったあの一場面が、鮮烈に蘇っていた。

「ひとつだって可能性は捨てるな」

 静かな声音を奏でる唇。整った目鼻立ち。纏う雰囲気。すべてに至るまでまるで毒だ。心身を蝕む毒。あの日味わったそれが、ふたたび口の中に広がった。

 ナトニに第一検証をさせようと思い立ったのには動機があった。レト自身、この実験については失敗するほうに意見が傾いていたからである。そのため、ナトニが次元師特有の発熱を起こし、取り入れた元力液を吐き戻していないという好触感の記録を目にしたとき、当然のように疑念を抱いた。
 失敗の見解を打ち出した理由としては単純だ。次元師と血の繋がっている人間の体内に、その次元師の元力を取り込ませるだけで継承が成り立つならば、とうの昔にハルシオ・カーデンが成功させてしまうだろう。ケイシィを凌ぐ頭脳の持ち主であり、元力の物質化を成功させた張本人でもある彼が取り組まなかったのだ。次元師ではない一般の人間の身体に元力という異物を投与すれば拒否反応が起こるのも容易に想像がつく。もし成功の目途が立っていたとしても、シアンやナトニのような被害者を生み出してしまうのは必然だ。実験に犠牲はつきものだというが、ハルシオはその偉大な発展よりも、数人、もしかすると数十人分に及んだかもしれない人命を優先した。それだけのことだ。
 レトはくるりと身体を向きを変えて、ナトニの左耳に取りつけてある通信具を見ながらこうも言った。

「ま、ナトニが持ってたナダマンの元力石っていうのが、本当はナダマンのじゃないってなったらいまの俺の考えはぜんぶ白紙に戻るけど」
「いや、相違ない。心配なら右の部屋の棚にある元力石の記録書を確認するといい。そこにはナダマンやほかの参照元となった次元師たちの元力石の形を描きとめてある」
「なるほどな。さすが、元力石の混同を防ぐことには余年がなかったわけだ」
「……」

 口答えさえ諦めたケイシィをはじめ、タンバットとホムも加えた3名を拘束した。この黒い隊服に身を包んだ実験関係者たちは本部まで連行し、証拠物とともに上層部の御前に突き出す予定だ。
 コルドはケイシィらを階段付近に固めると、立ち話をしているロクとレトの間に割りこみ、2人を見下ろしながら質問した。

「そういえば、本はあったのか? この地下室に」
「ああっ! 忘れてた!」
「……。まあ、仕方ないか。おまえたちもいろいろ危ない目に遭ってたもんな」
「あたし、ちょっと部屋見てくる!」
「あ。そういえばあったな、それらしいやつなら。俺が入った部屋に」
「…………え?」

 レトは何食わぬ顔でそう言うと、一番最初に入室した部屋にすたすたと戻っていった。コルドは、レトがくぐった壁の穴を眺めながら一息吐いた。

「へえ。あの部屋か。俺とフィラ副班はあの部屋の奥の扉から入ってきたんだぞ」
「扉? あっちの部屋、奥に扉なんてあったんだ。あたしの入った部屋にはなかったのに」
「そうだったのか。扉の奥は長い通路になってて、階段のあるところまで繋がってるんだ。階段も随分な長さで大変だったな」
「あ、やっぱりそっちの階段も長かったんだ~! でもなんでだろ?」
「うーん、そうだな……。もし仮に被験者が次元の力を使えるようになって、制御できずにいきなり爆発音とかが響いたら、研究棟にまで音が届く恐れがあるからじゃないか? そうなったらほかの班員たちに気づかれる」
「あー! たしかにっ。コルド副班あったまいい~!」

 ずっと不思議だったんだよね、とロクが指先で左頬を掻いた。頬には弾丸を掠めたような鋭い傷跡が走っている。幸い深い傷ではないようで布などは当てられていない。が、コルドは自分が痛みを負ったように苦い表情を浮かべてから、優しくロクに問いかけた。

「ロク、怪我はどうだ? まだ痛むか」
「ううん! 即行でフィラ副班に手当てしてもらったからもう大丈夫!」
「そうか。怖い思いをさせたな」
「……まだまだだった、あたし。コルド副班とフィラ副班が来てくれたとき、すっごく嬉しくて、心の底からほっとしちゃった。せっかくセブン班長が、あたしたちは別々でも大丈夫って言ってくれたのに……まだぜんぜん一人前なんかじゃないや。へへ」

 認めてもらいたい。早く一人前になりたい。まだ幼いからこそ抱く焦りやもどかしさを理解できるからか、コルドは、焦らなくてもいいぞとは言えなかった。
 かつての自分も父親に認めてもらいたくて一杯一杯だった。元魔に街を襲われたときに突然次元の力に目覚め、真っ先に「これだ」と舞いあがった。自分には選ばれた力があるのだ。だからこの力でギルクス家に貢献してみせる。立派な理由を並べてみせたのに、父は怒りに怒って、ついには家からつまみ出された。渡されたものといえば母親の姓と、「どこかの組織にでも入って性根を叩き直してこい」の一言だけだった。あのとき父が抱いた正確な心情など知り得ないが、もしかすると、一回頭を冷やして次元の力と向き合い直せと伝えたかったのかもしれない。
 コルドはわずかに笑みだけをこぼして、ロクの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 脇に本を抱えて、レトが部屋から戻ってくる。彼は、コルドとロクの目の前にその赤い表紙の本を差し出した。

「これ。書物館にいたあの使用人の人が教えてくれた本の特徴には似てる。けど……ツォーケン家の家印ってやつがないんだよな」
「家印がない? 200年前のものだから、薄れたのかもしれないな」
「いや……そもそもこれ、200年前のものか……?」
「え、ちがうのか? でも俺には書かれてる文字がさっぱり読めんが」
「これは古語じゃない。若干似てるけど、べつの土地の言葉だと思う」
「えっ!」

 驚きの声をあげたロクが、ふと視線を感じて首を回すと、フィラから手当てを受けている最中のナトニがこちらを向いてわなわなと震えていた。
 ロクはきょとんとして、ナトニに声をかける。

「ナトニ?」
「……ご、ごご、ごめん! それ、盗んだの、オ……オレなんだ!」

 ナトニはフィラの手を振りきり立ちあがると、そう告白して目線を落とした。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.100 )
日時: 2020/07/19 13:09
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 7Q5WEjlr)

 
 第091次元 眠れる至才への最高解ⅩⅥ

「は?」

 レトヴェールは素っ頓狂な声をあげた。大書物館から盗み出された本がこの地下室にあったために、やはり犯人は実験関係者なのだと睨んでいたが、思わぬ方向から自白の声があがってきた。ナトニはおろおろしながら、ぽかんと立ち尽くすロクアンズたちのもとに駆け寄った。そのあとをフィラも追う。
 ロクはレトが持っている本を指し示しながらナトニに訊ねた。

「な、なんでナトニが大書物館の本を? そんなに読みたかったの? これ」
「……いや、じつは、ちがくて……。その本を盗みたくて、大書物館に行ったんじゃねーんだ」
「ほえ? じゃあ……」

 疑問が疑問を呼ぶ中、ナトニは静かに口を開いた。

「……調査班の研究室で、偶然見たんだ、オレ。二月前、オレがこの実験場に入るほんの直前に。行方不明になったっていう父さんの、最後の遠征予定記録。大書物館に向かってから東の町に行くって書いてあった。オレ、すごい気になって気になって、がまんできなくなって、二十日くらい前に1回だけこの実験場から抜けだしたんだ。そんで大書物館と東の町に行って、『14年前、戦後に白い隊服を着た次元師が来なかったか』っていろんな人つかまえてきいたんだけど……町の人は、灰色の人はいたけど白を着た人を見た覚えはないって。でも、大書物館のほうには、来た、って言われたんだ」

 肌身離さず持ち歩いていた父の形見のペンダントは、脱走に際して落としたものだった。落ちていたのが裏庭だったのもナトニが表門を通るのを避けたためだろう。 

 ウーヴァンニーフ領より東の方面といえばメルドルギース戦争で被害を受けた土地の一部だ。見かけたという灰色の隊服は、復興作業で派遣された此花隊の援助部班とみてまちがいない。此花隊の隊員が訪れたのを町の住民たちも喜んだはずだ。その隊章が印された衣装を着ていた人間のことならば覚えていそうなものだが、否とあれば、ナダマンはおそらく本当に東の町へは訪れていなかったことになる。


「だから父さんがいなくなった理由が、大書物館にあるんじゃないかってオレ思って、館内をめちゃくちゃ探し回った。そしたら見覚えのある文字で書いてあった本が……それがあったから、持って帰ってきたんだ」
「見覚えのある文字ってどういう意味だ」
「いまオレが宿泊棟で使ってる部屋、もとは父さんの部屋なんだよ。オレ、父さんのこと知りたくて、書棚とかぜんぶ見た。けど父さんの部屋にあった書類ぜんぶ、ぜんぜん読めない言葉で、走り書きしてあった。それがその……あんたがいま持ってる赤い本の文字だ。書体だって父さんのだ。見りゃわかる」
「じゃあナダマン氏はその本を持って大書物館に向かったあと、東の町へ行くまでに行方不明になったということか」

 コルドの見解を耳に入れながら、レトは本を開き、適当な頁に視線を落とした。そして逡巡しながら口を開いた。

「……そうだな。わかるのは、ナダマンが大書物館で、この本になにか記録していたらしいってことだけだ」
「き、記録?」

 ロクが小首を傾げる。ぱらぱらと、いくつか頁をめくりながらレトは続けた。

「この本の中身、よく見たら図とか数字とかもちらほら出てくる。もしかしてナダマンは、なにか記録するとき最初にこの文字を使って殴り書きして、それから書類にまとめるときにはメルギース語に直してたんじゃないか?」
「! ああ、そうだよ。よくわかったなアンタ! 調査班の研究室に残ってた父さんの調査記録書、探して読んだけど、ぜんぶちゃんとメルギース語だったし、字もキレイだった」
「……とにかく、一度届けてみないことには始まらねえな。これが大書物館にあったのは間違いないし、ナダマンのこともすこしはわかるかもしれない」
「じゃあオレも連れてけよ! たのむ!」
「それはダメよ、ナトニくん」

 フィラが諭すように釘を差した。びくりと肩を震わせたナトニは、包帯の巻いてある両腕を背中に隠した。彼の状態を見た彼女が許すはずもなかった。

「あなたの身体、応急手当をしたとはいえまだひどい状態よ。すぐにでもちゃんとした治療をしないと」
「でも……!」
「だーめ。そんな状態のナトニくんを、もしいまナダマンさんが見たら……きっとすごく悲しむわ。……大丈夫。元医療部班の私が責任をもって、あなたの傷を治します」
「……わかったよ。おい、えっと……ロ……ロ、レ? ……緑のと黄色いの!」

 ロクとレトは同時に、目をぱちくりと瞬かせた。通信具の検証中に名乗ったはずだったし、何度かお互いに"ロク"、"レト"と呼び合っていたのだがまさか略称まで覚えられていなかったとは。呆れたようにレトが息を吐いた。

「どんな記憶力してんだ」
「なんかわかったら教えろよな。ゼッタイだぞっ」
「あはは。もっちろん!」
「わあってるよ」
「あ、ねえっ、じゃあその代わりにさ~……名前で呼んでよ!」
「はっはあ!? だだだれが、あ、アンタらなんか……!」
「あたしはロク、ロクアンズ! そんでこっちの黄色いのが」
「レトヴェール」
「そう、レトね! ほらナトニ、ほらっ」
「……」

 ナトニは眉根を寄せると、ぷいっとそっぽを向いた。それから口を尖らせて答える。

「オレにウソついたら承知しねーからなっ、…………ロク、レト」
「はーい!」
「素直じゃねえな」
「いい勝負だよレト」

 ナトニが盗んだ赤い本と、実験の経過記録書、元力石の図本を持って、一同は地下室をあとにした。ロクとレトが下りてきた方の階段を昇って、調査班の研究室へと戻ってくる。
 研究室から廊下に出ても、道行く班員たちの目に留まることはなかった。ケイシィたっての希望で、研究室にあがる手前で拘束具をすべて外していたのだ。おかげで大きな騒ぎにはならなかったが、ケイシィはもっとも信頼を置く部下の男を捕まえて、「しばらく研究棟を空けるが、仕事だけは決して滞らせるな」と、開発班における指揮を彼に託した。調査班と制作班の班員たちも似たような指示を副班長から受け、当然だが、眉をしかめていた。
 後日、研究部班の副班長3名の懲戒処分の報せが届くことになろうとは、このときはまだだれも知る由のないことだった。

 門の前で一同は足を止めた。荷馬車の手配で厩舎から戻ってきたコルドに、フィラが声をかける。

「コルド副班長、今後の動きはどうしますか? これから大書物館に行かれるのでしたよね?」
「そうですね……。フィラ副班、ロクとともに先にウーヴァンニーフを出発してください。俺とレトは大書物館で用事を済ませたら、2人のあとを追いかけます。ここから一番最初に着くのは、たしかキナンでしたよね? キナンの町で落ち合いましょう。着いたらこちらから連絡します」
「わかりました。そうしていただけると助かります。ナトニくんの怪我の様子もゆっくり見たいので」
「……」
「ナトニくん?」
「あ、お、おう」
「ちぇー、じゃあ大書物館はまた今度かあ」

 ロクがそうぼやきながら足元の小石を蹴る。国の名所とされる大書物館に行けなかったのが残念なのだろう。そんなロクを見かねてか、フィラが明るい表情をして提案した。

「ロクちゃん、せっかくだからコルド副班長たちといっしょに行ってくる?」
「えっ、いいの? でもそれじゃあフィラ副班、1人になっちゃうよ」
「そうです、フィラ副班長。いくらなんでも危険すぎます」
「大丈夫ですよ。明日の夕方頃には落ち合えるんですし、それに私には、巳梅っていう立派な護衛もついてますから」

 フィラは肩に乗っている巳梅の顎のあたりを指先でくすぐった。コルドは渋々、頭を縦に振った。

「……わかりました。それではフィラ副班長、この方々のことを頼みます」
「はい。必ず」

 フィラは右手を丸めて、左腕のあたりをとんと一度叩いた。左の二の腕のあたりには、此花隊の隊章が刻まれている。此花隊内で用いられている敬礼だ。
 ロクは、とととっとナトニの傍まで行くと、ぼーっと俯いている彼の顔を下から覗きこんだ。

「ナートニっ!」
「うわあ!? な、なんだよっ」
「じゃあまた明日、キナンで会おうね!」
「……。……あ、あの、さっレト!」

 ナトニはなにか言いたそうに顔を歪めてから、ふっとロクから視線を外し、レトの名前を呼んだ。レトは立ったまま赤い本を読んでいたが、呼ばれたことに気がつくと本を閉じ、すたすたと歩み寄ってきた。

「へえ、今度はちゃんと覚えてんじゃん。で、なに」
「なあ、さっき言ってたことホント……なのか。オレがその……じ、次元師だって」
「……あくまで予想、だけど。たぶん外れてない」
「じゃあ……オレも……アンタたちみたいな……」

 消え入りそうな声で言って、ナトニは猫のような目を伏せた。検証用に改造した通信具も解体し、二月前の元の姿に直った元力石のペンダントをぎゅっと握りしめ、彼は吐露する。

「……父さん、みたいに……立派な次元師に……なれるかな。14年前の戦争で、父さん、次元師として前線で戦ったって……強くて、その強さで生き残って、かっこよかったってみんな言ってたんだ……」

 強制的に前線へと送られていたほとんどの次元師は奴隷という身分で、彼らはのちに政会陣によって保護されていたわけだが、その当時、此花隊にも少なからず次元師はいた。隊に属していた次元師も一兵として戦場に駆り出されていたのだ。戦場で散った次元師は数多く、ほとんどが命を落とした中で、ナダマンは生きて隊に帰還した。終戦後、その功績を大いに称えられた彼だったが、まもなくして行方不明になってしまったのは不幸以外の何物でもなかった。
 ナトニは、そんな父親の次元の力が受け継げるのだと心の底から信じていた。しかし結局叶わなかった。正直身体だって限界だったし、そもそも、もしかしたら本物の次元師かもしれないと言われて非常に混乱している。加えて今日、本物の次元師たちの力を目の当たりにして、わかった。ずっと欲しかった力が手に入る可能性があるのに、実感が恐怖を連れて次から次へと溢れてくるのだ。次元師の戦死者が続出した戦場で、父ナダマンが生き残ったのは偶然でもなんでもない。実力者だったからだ。自分も槍の降る戦場に足を踏み出さなければならないなんて、死と隣り合わせの日常に駆け入るだなんて、そんな覚悟を急に押しつけられても怖いだけだ。
 雨さえ降っているわけでもないのに、手足ががたがたと震えてやまなかった。

「でもオレの中にあるのは、そんな父さんの次元の力じゃない……。得体のしれない力だ。それに、オレすげえ泣くし、急に怖くて、たまんなくて……だから」
「なれるよぜったいっ!」

 ペンダントが壊れてしまうほど固く握っていたその手をやんわりと包み、ロクは言った。晴れた空みたいに、突き抜けた明るい笑顔だった。ペンダントからひとつずつ、指が離れていく。首元できらきらと光るニつの珠玉は、強い輝きを放った。

「たしかに次元師だったら、これからたくさん、怖い思いすると思う。でも怖がる必要はまったくないよ。だってナトニの中に眠ってるそれは、すごい才能なんだよ!」
「……才、能……」
「強くてかっこいいナダマンさんの力は、ちゃんとナトニの中にも流れてるよ。ナトニはそんなお父さんから託されたものと、世界から託されたもの、どっちも持ってる。そう考えたら無敵! って気がしてこないっ? それに……きっと実験は失敗してた。どんなにがんばっても、ナダマンさんの力は受け継げなかったと思う。だけどナトニは次元師だよ。今度こそ本当の意味で、お父さんとおんなじ次元師になれるんだよっ、ナトニ!」
「……父さん……と、おなじ──」

 ロクもレトも、自分と歳はあまり変わらない。なのに銃弾にも臆さず、拳を振りかぶり剣を抜く。戦場を、屍の上を駆け抜けた父にもそんな強さがあったのだろうか。一秒先の未来に決して屈しない、次元師たちの強さが。だれかに唆されて簡単に信じきって縋りついて、残ったのは傷痕だった。だけどこんな不甲斐ない足ででも、自分で選んだ道を歩こうとするなら、父は喜んでくれるだろうか。
 父に憧れて、日々流した痛みよりもずっと澄んだ色をした涙が、いくつもナトニの頬を滑り落ちた。

「オレ、今度は自分の力で、次元師になる」

 これがいま、彼がその身ひとつで打ち出せる最高の解答だった。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.101 )
日時: 2020/07/28 10:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第092次元 眠れる至才への最高解ⅩⅦ
 
 だんだんと日が傾いてきて、行路に揺らめく影も伸びてきた。ロクアンズは肌寒さに身震いした。まだ吐く息が白くなるには早いが、だいぶ冬季に近づいてきている。
 大書物館に到着したコルド、レトヴェール、ロクの3人はまず、古語の本棚を管理している使用人の女のもとを訪ね、ナトニが盗んだ赤い本を差し出した。依頼された本と、ナトニが盗んだ本が本当に一致するかどうかを確かめるためだ。彼女は目を瞬き、これです、と答えた。詳しい事情をバスランドにも話すため、彼女に部屋まで案内してもらった。
 事の顛末を聞くと、バスランドは「そのナトニという少年に悪いことをしてしまった」と眉を下げた。ナダマンについて訊ねてみると、たしかにこの館には訪れたという。しかし退館したかどうかは、さすがにわかりかねるとのことだった。
 部屋から出ると、コルドは赤い本について、使用人の女に詳しい話を訊ねてみた。大書物館の棚の管理者たちは、本の背表紙から標題、中身に至るまで、任されている棚のことはすべて把握している。ただ、古語関連の本を収容した棚に限っては例外である。その昔、古語で書かれた文献のほとんどが、言語が移り変わるとともに別の文献へと写生された。有名な童話『わたしの子エリーナ』もその1つである。古語の文献はいまや文化遺産に等しい。そのため、古語の棚の管理者は、本の中身以外の特徴を記憶するよう教育されている。
 使用人の女はちょうど十数年前からこの棚の管理者になったとのことで、返答はなかなかに好触感だった。彼女は階段を下りながら説明してくれた。

「そちらの本についてですか? そうですね……たしか初めてその本を見たのは、ハスウェルが本棚の前でその本を咥えていたときでした」
「ハスウェルというのは、バスランド伯が飼っていらっしゃるあの犬ですか?」
「はい。そのときは棚の管理者として新参者だったこともあり、収納し損なっていたものなのだとなんの疑いもなく本棚に加えてしまいまして……。申し訳ありません」
「ああ、いえ、そんな。……あの、そのときの状況をもっと詳しくお伺いしても?」
「状況ですか……。そういえばあのときも……」

 階段を下りきると、使用人の女は古語の棚の前まで足を運んだ。彼女は片腕をあげ、揃えた指先で棚の最下段を示した。

「このあたりの最下段の本を、随分散らかしていましたね」
「へ~」
「ご覧の通り、最下段から上二つまでの段は、それより上の段よりも多少幅を広めに作ってあります。幅の広い書物や大きな地図などを収納するためにこのような造りとなっています。ハスウェルはなぜか、このあたりの本を散らかすのが好きなようで、それを片付けるのも仕事のうちになってしまいました」
「最下段にある本、ちょっと見てみてもいいですか」

 レトは棚の最下段を指差して、使用人の女に訊ねた。彼女は「どうぞご自由にご覧くださいませ」と許諾したのち、「あ」と小さく声をあげた。

「どうぞ本を抜いて、棚の奥にも触れてみてください。きっと面白いものが見られます」

 悪戯っぽく微笑んでから、残っている仕事を片付けにいくと言って、使用人の女は一旦離脱した。
 じっ、とレトは最下段に並ぶ本を舐めるようにして眺めた。

「面白いもの?」
「えー、見てみたい見てみたい! 本どかしてみよ!」

 ロクとレトは手あたり次第に本を抜いてそのあたりに散らかすと、棚の奥とやらにぺたぺたと触れてみた。間もなくレトの手がぴたりと止まる。

「あ」
「なんかあった?」
「奥の板、微妙にずれてるところがあるな。動くのか?」
「えっ!」

 どうやら棚の奥の板の一部が左右に動く仕組みになっているらしく、板を横に滑らせてみると、またしても本がぎっしりと収納されていた。

「へえ、すごいなこれは。棚が奥にもあるのか。二重で収納できるんだな」
「ええ!? 普通に前から見ただけでもすっごいたくさん本があるのに、ここの館にある本棚、ぜんぶこうなってるのかな? じゃあ思ったよりずっとたくさんの本があるんだ~……」
「さすが、物好きな建築家が設計した館なだけあるな」
「……」

 大書物館において戦争の被害を受けたのは表のガレージなど、一部のみだった。大部分は200年前に建立されたままの姿であり、現在まで受け継がれている。
 この館を設計した物好きな建築家とは、世界中のありとあらゆる本を集め、資産の限りをこの館に注ぎこんだ男、マグオランド・ツォーケンだ。風変わりな彼が建てたものなのだから、仕組みの一つや二つあっても驚きはしない。

「物好きな建築家、か……」

 おそらく彼が発案したであろう二重の本棚をぼんやりと眺めながら、レトはぽつりと呟いた。

『そういえばあのときも……このあたりの最下段の本を、随分散らかしていましたね』

 使用人の女がそう言っていたのを思い出すと、レトは即座に周囲を見渡した。自分とロクとで抜き取った本が辺り一帯に散らばっている。
 レトはなにを血迷ったのか、二重棚の本にも手を伸ばし、さきほどとおなじようにぽいぽいと本を放り出しはじめた。

「ちょっえ、ちょっと! なにしてんのレト!?」
「再現。あの犬は、たしかこのあたりを散らかしてたって言ってただろ」
「それはそうだけど~……! ねえ、あとでこれぜんぶ元通りに戻さなきゃなんだよ? あたし場所なんてもう覚えてないよ、レト……」
「俺が覚えてるから大丈夫だろ」
「ぜんぶっ!?」
「うん」
「こわ……」
「ロクそういう顔もするんだな。本気で気持ち悪がってる顔だぞそれ」

 奥の二重棚の本をすべて抜き終わると、レトは目を凝らして、真っ暗な棚奥をじいっと睨んだ。

「それにしてもときとして大胆だな、レト」
「ロクのがうつったかな」
「え、それは褒めてるって受け取ってもいいやつ? だめなやつ?」

 二重棚を発見したときのような板のずれは見当たらない。さすがに三重にはなっていないらしい。引き返そうと身をよじったそのとき、レトは、はっとして金色の目を見開いた。
 二重棚の本はすべて抜きだすことができた。最初から十数冊しか収まっていなかった。正面は巨大な棚で横広の造りになっているのに、なぜこの場所の奥の二重棚は、たった十数冊しか収まらないほどスペースが狭いのだろう。
 ロクやレトくらいの歳の子どもであれば十分に入ることできる。その基準でいえばハスウェルも同様だ。
 だが、犬がわざわざ本棚の本をよけ、この狭い場所へ来るとは考えにくい。

(もしかして)

 レトは靴を脱ぐと、あろうことか本棚の奥へと這い進んだ。

「えええ!? ちょ、ちょっとレト! なにしてんの!?」

 ロクとコルドが驚いた顔をして本棚を覗きこんだ。奥から、きぃ、と木の扉でも開くような小さな音がした。それから、かん、かん、となにかが跳ねるような甲高い音が遠のいていったり、似たような音が比較的近くで響いたりもした。レトのくぐもった声が飛んできたのはそれからすぐのことだった。

「二重棚の奥に、通路っぽいものがある」

 レトは四つん這いになったまま後ずさりをして、戻ってきた。

「つ、通路ぉ!?」
「奥になにが見えた、レト」
「奥の板に切れ目と小さなくぼみがあった。押しても開かなかったから、くぼみに指の先を引っかけて引いてみたら扉みたいに開いた。その先は暗くてよく見えなかったけど、適当なもん投げたら奥まで跳ねていったから、なにかを収納する空間とはまたちがう。上にも投げてみたら天井に当たってまっすぐ落ちてきた。たぶん子どもが立って通れるくらいの道がある」

 棚板にぶつからないよう頭を引き抜くと、レトはそのまま足を崩した。

「子どもが通れる道? なんで?」
「これはただの想像だけど、建築家業が成功して一族も繁栄しただろうから、子どもの遊び場としてマグオランドが改築したとかじゃないか?」
「なるほどー!」
「俺としてはこの先に行ってみたい。おそらくハスウェルはここ以外のどこかから隠し通路に入って、道すがら本を見つけ、二重棚にある本をのけながら館内に入ったんだ。だから管理者のあの人がハスウェルを見かけたとき、このあたりに本が散らばってた」
「あたしも行く行く! なんかおもしろそう!」

 立ち上がって腰を伸ばすと、レトは辺りに散乱している本を見下ろした。ロクも行きたそうにうずうずしていたが、コルドは難色を示した。

「しかしだな、この先は大人が入るには厳しいんだろ? ナダマン氏は成人の男だぞ。どうやって入ったんだ……?」
「……そこなんだよな。まさか俺やロクがしたみたいにそのへんに本を散らかして行ったとは思えない……」

 この棚奥の隠し通路を偶然で見つけるには無理がある。義兄妹がしたようにすべての本を抜き取った上で、這いつくばって棚の奥を調べる必要があるからだ。
 もしナダマンも、ハスウェルがよくこの棚の周りを散らかしてたことと、狭い二重棚が造られていること、そして棚奥の隠し扉が手前に引かなければ開かないことから、子どもが遊ぶ用の隠し通路があるのではと気づいていたとしても、大の男が通れるかどうかも怪しい入り口に頭を突っこむ姿は想像に易くない。
 頭を抱えたまま固まってしまった男たちの背中を叩くように、ロクが元気な声を張りあげた。

「行ってみたらその秘密もきっと解けるよっ! せっかくレトが見つけたんだもん、可能性のあるとこへ行こうよ! ナトニとの約束もあるしさっ」

 こういうとき、余計なことはなにも考えずにこにこと足を踏みだせる彼女の性格が羨ましくなる。研究棟での潜入調査の影響か、すっかり張りつめた空気に慣れつつあった脳が、途端に力を抜いた。

「そうだった。ナトニのためにも、いまはとにかく動きたい」
「まったくその通りだ」
「そうこなくっちゃ!」
「正直、俺とロクだったらすんなり入れるけど、コルド副班は覚悟したほうがいいかもな。入り口も狭いけど、あの通路をいくには身長が高すぎる」
「まず俺は入り口を通れるかどうかが心配だが」
「通るときだけ隊服ぜんぶ脱げば? それなかったらだいぶ楽だよ」
「伯爵家の建造物内で俺を変態にするつもりか?」

 しばらくして、使用人の女が棚の前に戻ってきた。どうやら隠し通路の存在は知らなかったようで、彼女はかなり驚いていた。二重棚はとくに普段読まれないものを収納するスペースのため、ハスウェルが散らかさない限り目に触れることもほとんどないせいだろう。
 コルドは使用人の女とともに、もう一度バスランドの部屋へと向かった。隠し扉の奥の通路について話をするのと、その探索の許可を得るためだ。

 使用人の女と同様に、バスランドも隠し扉については初めて耳にしたらしかった。あまり驚く素振りを見せなかったのは、祖先のマグオランドが変わり者であることを彼が十分に理解しているからだ。バスランドは先祖代々受け継がれてきたものだからとこの館を管理してはいるが、邸宅はべつに構えている。彼の家族も館へはほとんど立ち入らず、一家ともどもこの屋敷への関心の薄さが伺える。
 だが均等に区切られた立地に、寸分たがわず外郭を揃えた建物が並ぶ街の景観を見る限り、その変人さで言えばバスランドもマグオランドといい勝負だろうとコルドは心の中でひっそり独り言ちたのだった。

 口では興味なさげな風を装いつつも、バスランドもコルドとともに古語の本棚の前へとやってきた。すでにロクとレトが準備万端といった様子でコルドの帰りを待っていた。
 隠し通路にすっかり興味津々なバスランドと使用人の女に見送られながら、此花隊隊員の3人は、二重棚の奥に構える通路へと這い進んだ──。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.102 )
日時: 2020/08/09 09:15
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第093次元 眠れる至才への最高解ⅩⅧ
 
 通路への狭い入り口をはたしてコルドが通れるかどうかがもっとも心配を要するところだったが、彼は副班長としての意地にかけて隊服を着用したまま通路に抜け出てみせた。レトヴェールは携帯用のランプと蝋燭を2つずつ取り出し、ロクアンズに『雷皇』の電熱で灯をともすよう頼むと、2つあるランプのうち1つをコルドに手渡した。狭くて暗い通路を、小さなランプの明かりがぼんやりと照らす。
 まるで、幽霊でも出そうな廃屋敷の中を歩いているようだ。ロクは幽霊の類が苦手なため、ずっとコルドの腕にしがみついていたのだが、彼も彼で身を屈めて進まなくてはならない。腕に負荷がかかり、腰に負荷がかかり、口を閉じるのも早かった。
 通路は一本道で、途中で曲がったりなどもしたが、分かれ道はなかった。
 途方もない暗闇がいったいどこへ続いているのかも知らず、出口も見えず、ただひたすらに歩き続けて四半刻が経った頃だった。
 一本道の終わりは唐突に訪れた。コルドたち3人を待っていたのは、四方を石壁に囲まれた広い空間だった。ようやく背中を伸ばすことができたコルドは、頑丈そうな大きな鉄扉を前方に認めると、扉の前まで歩を進めた。仰々しい銀細工の把手とってが設けられているが、扉の片方が横に滑らせてあり、隙間が空いていた。隙間からはさらに深い闇色が漏れ出している。

「ひえ~! おっきな扉だね~!」
「……開いてるっぽいな、扉」
「そのようだな。この凝った造りの把手は飾りか。ともかく幸運だった。俺でも通れそうな隙間だ」

 コルドは先陣を切って、扉の隙間に身体を滑らせ、中に入っていった。レトもそのあとに続く。
 最後に隙間を通り抜けたロクは、早々にぎょっとした。視界が文字通り真っ暗で、室内がほとんどなにも見えないのだ。コルドとレトの手元で揺らめく灯かりのおかげで、かろうじて彼らの位置を把握できるものの、それも薄らぼんやりとしている。気のせいだろうか、まだ蝋燭の火が絶えるには早すぎるはずなのに、ランプの灯かりが小さくなったように見える。まるでこの暗闇が、光そのものを丸呑みしようとしているようだ。
 レトやコルドの傍を離れたら一巻の終わりだ。危険を肌で察知したロクは、涙目になりながら片足を踏みだした。

「れ、レトお願いっ、あんま離れないで~……」

 そのときだった。ロクの足の爪先に、かつん、となにかが当たった。

「ひえっ!? ……な、なに? なんか足に当たって……」
「どうした、ロク」

 ロクの異変に気がついたレトが、手に持ったランプで彼女の足元を照らすとそこには、頭蓋骨が転がっていた。

「ひゃああっ!?」

 甲高い叫び声をあげてロクはひっくり返った。暗闇にくり抜かれた大きな黒い眼が、しりもちをついた彼女をじっと見上げている。頭蓋骨のほかにもいくつか細長い人骨が寄り添い合っておりどことなく人の形を象っている。
 
「驚くのはまだ早いぞ2人とも」

 ランプの灯かりでうっすらと顔を照らしながら、コルドが振り返った。彼はもう片方の腕に布の塊を引っかけていた。視界が悪いので、ロクは左目を細めた。

「な、なに? それ」
「隊服だ。此花隊のな。灯かりを近づければもっとわかりやすいが、白い。服の作りからして……研究部班のものだろう」
「……え、研究部班、って……え?」
「これを見てくれ」

 コルドは隊服を持っているほうの肘を曲げ、握った拳を掲げた。その手には懐中時計の鎖が握られていた。隊服を調べた際に、懐から見つけたものらしい。
 レトに受け取らせると、蓋を開けるようコルドは指示する。レトはロクにランプを預けてから、言われた通りに懐中時計の蓋を開いた。蓋の裏側には文字が刻まれていた。文字はメルギースの言語ではなく読むことができないが、いまここにいる3人は強い既視感を覚えた。

「レト、この懐中時計の文字、いまおまえが持っている本の文字と……似ていないか?」
「……似てるどころじゃねえ。まったくおなじだ」

 レトは本を裏返して裏表紙を見せた。下部にはやはり馴染みのない文字が書き記されてある。その文字列の横に、懐中時計の蓋を並べてみると、文字の形は見事に一致していた。

「この文字、古語にすこしだけ似てる部分があって、人名とかほかに意味を持たない文字列ならだいたい予想がつく。この文字列の読み方を現代っぽく直すと……おそらく、"ナダマン・マリーン"。だからこれはナダマンの隊服と……遺骨だろう」
「……っ、そんな……! でも、それじゃあ」

 ナトニは──そう言いかけて、ロクは口を閉じた。彼が次元の力の実験に執心していたのは、きっとこの世界のどこかで生きているであろう父親が帰ってきたときに、喜んでもらうためだったのだ。生まれてから一度も会ったことがない父の姿や声をどんな風に想像していただろう。想像に終わってしまうことがこの上なく虚しくて、ロクは奥歯を噛みしめ、その場にふたたびへたりこんだ。

「しかしそうなると、ナダマンはここで命を絶ったことになるが……なぜだ? だれかに閉じ込められたか?」
「ナダマンは次元師だった。それも実力者だったんだろ。次元の力で扉をこじ開けるくらい造作もないはずだけど……」
「まさか……ここで自ら命を絶ったのか?」

 コルドが信じられないようにそう言った、次の瞬間。

「左様」

 深い闇に覆われたこの空間の、遥か奥のほうからたしかに声が響いた。

「かの者は自ら望んで陽を拒んだ。己のことを語りたがらない男だった。幾つ月日を超えたか既に記憶は及ばぬが、あの男との日々は愉快であった」

 その声は声と呼ぶにはあまりにも深い響きをしていて、絡まる闇の中を巧みにすり抜けてロクたちの鼓膜に触れた。

「ときに。我が御魂を奪いにきたのか、異界の術を身に宿す、人の子らよ」

 刹那。途方もない暗闇に突然、ぽつりと明かりが浮きあがった。その火の玉のようなものの実態は両側の壁にかかった燭台で、まるで波が海に引いていくように奥へ奥へとひとりでに明かりを灯しながら、コルドたちが立ち尽くすこの空間全土に光を齎していく。
 すると、部屋の奥に積み上げられていた金貨や宝の山が、光源にあてられ姿を現した。ここは宝物庫だったのだ。高い位を許された家系の生まれであっても、ひとたび見やれば瞬く間に目を奪われてしまいそうな金銀財宝が目と鼻の先にあるのに、コルドたちの意識を支配したのは、べつのものであった。
 中央に鎮座する立派な宝箱の上に、白亜の大きな羽毛に身を包んだ、なにかが佇んでいた。
 一見楕円型をした白い塊のような"それ"は、人語を解してはいる。がしかし、この地球上に現存するどの生物ともかけ離れた異様な雰囲気を纏っていた。

 殻にこもるように、大きな両翼で覆われていた頭部が、ゆっくりと露になっていく。白い殻から覗いた真紅の十字。息が止まるようなその赤い眼光が、義兄妹の視界に突き刺さった。

「──っ!」
「赤い……目……」

 血で染めたように真っ赤な眼球。
 人間の形をした人間ではないもの。──神族、【運命デスニー】の愉快げで不愉快な姿が瞼の裏に蘇り、途端に視界が血塗られたような錯覚に襲われる。
 四つの白い翼をはためかせ、それは宝箱の上から飛び立った。巻き起こった風がかまいたちとなって3人に襲いかかる。

「くっ──!」
「うわあっ!」

 咄嗟に瞑った左目を、ロクがうすらと開けたそのときだった。霞んだ視界に一本の白い羽が舞い降りた。その白い羽が幾重にもなり、まるで花びらのように降りしきる中、この世のものとは思えない神聖な声音で白い生物は鳴いた。

「異術師らよ。男の仇討か、使い魔に怨恨を抱く者か。そなたらの素性はあずかり知らぬ。我が御魂を脅かさんとするならば、力の全てを以てそなたらに牙を向けよう」
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.103 )
日時: 2020/08/13 11:38
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第094次元 眠れる至才への最高解ⅩⅨ

 白く大きな片翼が一凪ぎ、闇を掻くと同時に宝物庫内に突風が吹き荒れた。竜巻に絡めとられた金貨、宝箱、宝石、ありとあらゆる宝物がちかちかと光を放つ。そのうちに竜巻は天井と激突し、轟音が鳴り響いた。
 大破した天井が、鉄塊と化し頭上に影を落とす。座りこんでいたロクアンズは一瞬対応に遅れ、さっと顔を青くした。

「次元の扉発動──『鎖幕さばく』!!」

 叫び声がしたかと思われたとき。空を仰ぐロクと落ちてくる鉄塊との間にコルドが滑りこんだ。鉄塊は彼の両手に握られた鎖と衝突し、粉々に砕け散った。細かくなった石片がぱらぱらとロクに降りかかる。

「こ、コルド副は……!」
「ロク、立てるな!? 次元の力を発動しておけ! 奴は外へ行くつもりだ!」

 コルドはぐっと鎖を握りしめた。武器型の次元の力『鎖幕』は異次元から取り出した鎖を自在に操ることができる。さらに、鎖本体の強度は次元師の意志によって変化させることができる。鍛錬を積んだ者の鎖ときに、この世界に現存する金属や鉱物のそれを遥かに上回るという。
 天井に空いた大穴から覗く月。そしていままさに飛び立たんとする白い化け物を黒い目で捉えながら、コルドは詠唱した。

「五元解錠──伸軌しんき!」

 降り注ぐ月光を真っ向から突き抜け、鎖は白い化け物を目がけて一直線に伸びた。
 しかし。化け物は酷く折れ曲がった嘴を上下に開け広げた。次の瞬間。月夜を貫くような超高音の叫喚が辺り一帯に打ち放たれた。耳を塞ごうが塞ぐまいが意味はない。甲高い不協和音が頭を直接鷲掴みにし、激しく揺さぶられるような、そんな不快感がコルドたちを襲った。
 コルドの放った鎖も、化け物の口から放たれた咆哮によって粉々に分解した。

「な……っ! 鳴き声、ひとつで……!」

 白い化け物は四つの翼で飛行し、宵闇の中へ姿を消した。飛び去ったのが街のある方面であることを確認したコルドはすぐさま振り返り、2人に向かって指示を飛ばした。

「ロク、レト! 俺は奴を追う。おまえたちはすぐに館内に戻って、バスランド伯に現状の説明をしてきてくれ! 緊急だから一方的に話をするだけでいい、あとはおまえたちも外に出て俺と合流だ。奴が街にでも出たら大変な騒ぎになる、そうなる前に俺が先に足止めをする。以上だ。質問は」
「ない!」
「ない」
「いい返事だ」

 コルドはもう一度鎖を天井に向かって放ち、大穴の淵のあたりで出っ張っている瓦礫に引っかけた。伸軌、という名の術は鎖の長さを操作するものなのか、鎖を掴んだコルドの身体が一気に天井の外へ放り出されているのが、かろうじて見えた。

 ロクとレトは駆け足で館内に戻った。衝撃音が聴こえていたのか、館内中で使用人たちがざわめいていた。中央階段と2階の廊下を風のように走り抜けた2人は、バスランドのいる執務室に転がりこむやいなや、宝物庫内で起こったことを告げた。そしてそこに、この世の生物とは思えない白い化け物が棲んでいたこと、その化け物が外へ飛び出していったことを続けて明らかにした。館からは離れていったとはいえ、また舞い戻ってこないとも限らない。可能であれば街とは逆方面に避難をするよう、ロクとレトはバスランドに促した。

 早急に大書物館をあとにした2人は、街へ続く林道を駆けていた。白い化け物を追っていったコルドとはすぐに合流できなかった。合流できないどころか、白い化け物の姿もコルドの姿もどこにもない。緊張が高まっていく中、2人はついに街の輪郭を視界に捉えた。そのとき。街の方面から人の声が聴こえだした。2人が街へと踏み入ったそのときにはすでに、街中がざわめきだっていたのだ。窓から顔を出し、立ち話をしていたらしい数人の若者が首を傾げ、また、赤子の泣き声もあちこちから聴こえてくる。
 
「コルド副班っ!」

 ロクは視界の先に、地面に膝をつく大きな背中を捉えるとそう叫んだ。よろめきながら立ち上がるコルドのもとまで駆け寄り、彼の顔を覗くと、ロクはぎょっとした。彼の額からは真っ赤な血が流れ落ちていた。

「副は……っ、だ、大丈夫!?」
「……! ロク、レト、来たか。すまない、完全に侮っていた」
「奴は」

 レトがそう口にした、次の瞬間。大広場のある北の方角から、甲高い悲鳴が相次いで飛んできた。
 それは大広場の上空で悠々と翼を扇いでいた。
 大広場にある噴水やベンチから転げ落ちた住民たちの顔を赤い十字眼で見降ろしながら、白い化け物は鳴いた。

「我が名は【NAURE】──創造神ヘデンエーラよりめいと肉体を賜った、"天地"を司る神族なり」

 白い化け物──否、神族ノーラの声音が、街の隅々まで響き渡った。それはウーヴァンニーフの空に突如現れた雨雲が如く、住民たちに暗影の到来を告げる。

「し……神族だって!?」
「え!? な、なに、しんぞく? ほ、ほんとに、本当にいたの!?」
「とにかく、とにかく逃げろ! 喰い殺されちまう!」
「きゃあああっ!」

 空想上の生き物のようにぼんやりと認識していた神族。そのたしかな君臨を目の当たりにした街の住民たちは、混乱の渦へと巻きこまれた。ロク、そしてレトの心臓も早鐘を打っていた。運命を司る神族デスニーと並ぶ力を持つであろうその存在の名をしかと耳にしたのだ。

「し、神族……ノーラ──」
「……」
「……大広場のほうだな。いいか、決して気を抜くな。行くぞ!」

 力任せに額を拭い、コルドは駆けだした。悲鳴、叫び声、怒号──それらは伝播し、徐々に大きな喧騒となって街全体を包みこんでいく。そんな中、呆然と立ち尽くす人影をコルドは見つけた。騒ぎを聞きつけてきたのか、研究棟所属の援助部班員が数名、大広場のほうを見つめながら動揺の色を露にしている。

「広場のほうから叫び声がしたぞ」
「神族だって? 本当にいたのか」
「様子を見に」
「待て!」

 コルドは立ち尽くす3人を大声で呼び止めた。びくりと反応した男たちは、彼の顔を見るなり背筋を正した。元警備班で次元師であるコルドのことを知らない援助部班員は少ない。かつてコルドと先輩後輩関係にあった男がいたらしく、彼は目を丸くして敬礼した。

「こ、コルドせんぱ……じゃなくて、コルド副班長殿! あの、さっきの声はいったい」
「大書物館にて神族が現れた。奴は大広場にいる。俺たちが討伐に向かうから、おまえたちは住民に危険を呼びかけ、避難誘導をしてくれ」
「避難誘導!? って、え、どちらへ」
「南だ! 北の方面にはいまから俺たちが向かう、だからほか三方角をぞれぞれ頼む。援助部班班長に報告されたくなかったらさっさと行け! 人命がかかってる。緊張感を持って行動しろ!」
「はっ!」

 援助部班員の3人はそれぞれ、コルドの指示通り三方角に散り散りになった。一刻も早く大広場に到着しなければならない。北の方面に家を構える住民たちに避難を呼びかけながら、コルドたちは大広場へと急いだ。
 コルドたちは、南へ向かって一目散に逃げていく人々の波の中を縫って走り、そうしてようやく、大広場へと足を踏み入れた。
 途端。立ちこめた空気がより一層張りつめたものへと一変する。

 白亜の大翼を持ち、天地を司るとされる神族【NAURE】は大広場の噴水の上に降り立った。十字を象る赤い眼が3人の次元師と相対する。
 ──人類の力。それを超越した者たちによる戦いの火蓋がいま、切って落とされる。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.104 )
日時: 2020/08/23 21:34
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第095次元 眠れる至才への最高解20
 
 鳥類、が形態としてもっとも近いといえる。しかし白亜の羽毛に包まれた大きな体躯も、大小四つの翼も、ひどく折れ曲がった嘴も、見たことはおろか聞いたこともない。そのうえ、かの鳴き声は天を劈く超高音だ。思い出すだけで鼓膜がぴりぴりと痛みだす。
 噴水の上から飛び立とうとノーラが翼を開きかけた、その瞬間のことだった。
 だれよりも早く飛び出したレトヴェールがノーラの身体をめがけ、『双斬』の片方を振りあげた。

「デスニーはどこだ!!」

 レトは眉根をきつく寄せ、切迫詰まった表情でそう叫んだ。ノーラの白い翼を叩き切らんと振り下ろされた短剣だったが、その切っ先は羽の先にも触れず、宙を割いた。すんでのところで飛び立ったノーラの羽がひらりと降り落ちる。噴水の内側でレトが着地する。水しぶきがあがった。
 空を舞うノーラがレトを見下ろすと、彼は濡れた金色の瞳を鋭くさせていた。
 ノーラは依然として、揺れる森の葉のような落ち着き払った声音を以て、こう返す。

「【運命】の居所など我の与り知らぬことだ。200年という時が過ぎた」
「おまえたちは仲間なんだろ、神族ノーラ。奴はどこにいる!」
「……──呪いを受けたか、人の子よ」

 ノーラは声色を低くして、そう告げた。レトは目を見開いた。3年前、母エアリスが亡くなった日に彼は神族デスニーから呪いを受けた。焼け爛れるような痛みを受けたその背中を、後日彼が確認してみるとそこには、禍々しい黒い紋様が刻まれていた。エアリスを埋没する際、偶然彼女の背中にも見えてしまった紋様とほとんどおなじものだ。
 しかし、"5年の月日ののちに衰弱死する"という呪いをレトが身に受けたことを知っているのは、ロクアンズただ1人だ。彼はだれにも明らかにしたことがなかった。無論彼女も口外などしていない。
 呪い、という言葉にコルドだけが困惑の表情を浮かべていた。

「成程。黒き"呪記"を身に受けし子よ。しかしかの異界の術でいくら我々神族の身を貫こうとも、破壊することは叶わない。決して」

 呪いの話を聞かれるわけにもいかなければ、次元師として挑発を受けたようにも感じたレトは奥歯を噛みしめた。神族と相反した彼が冷静でいられるはずもない。彼は即座に、顔の前で双剣を重ねた。

「四元解錠──ッ、交波斬まじわぎり!!」

 眼前の風を割るように、重ねた双剣がそれぞれ左右に薙ぎ払われる。すると『双斬』の刃から真空波が飛び出した。真っ向から飛んでくる風刃の切っ先。ノーラは間髪を入れず、折れ曲がった嘴を広げた。咽喉から放たれた甲高い叫喚が風刃に喰らいつく。
 叫喚は真空波をいともたやすく噛み砕き、またたく間に、レトの身体と噴水とを呑みこんだ。彼の身体と、衝撃とともに粉砕した噴水だったものの破片が同時に宙へと投げ出される。

「レトっ! ──この!」

 ロクの緑髪がぶわりと舞いあがる。電気にあてられた肌が粟立ち、彼女はその手を伸ばして叫んだ。

「──四元解錠、雷撃!!」

 独特の重低音とともに雷撃が放たれる。ロクの手元から枝分かれする電気の糸。そのわずかな隙間を巧みにすり抜け、ノーラは回避した。次いで、ノーラは二つの小さな翼で体勢を保ちながら、ほか二つの大きな翼を薙いだ。迫りくる突風にロクは左目を見開く間もなく、地面の上に薙ぎ倒され、身体を打ちながら後退した。
 地上にいるロクたちと空を支配するノーラとでは分が悪すぎる。しかしロクは根性で飛び起きると、間髪入れずに詠唱した。

「避……! けん、なあっ! ──五元解錠、雷柱!!」

 ノーラの影が落ちている地面の上に雷が走り、円を描いた。描かれた円から吐き出された雷光は文字通り太い柱となって空を突く。しかしノーラは器用に身体をひねり、旋回するようにして雷の柱から逃れた。
 刹那。

「六元解錠」

 雷柱の追撃を躱したノーラの周囲に、幾重にも重なった鎖の輪が降りかかった。

「──円郭!!」

 環状となった鎖が収束し、ノーラの身体を絞めつける。鉄の塊と化し、宙をふらふらと行き来するノーラにコルドは叫ぶようにして問いかけた。

「神族【NAURE】、おまえに訊ねたい。おまえはさきほど、"次元の力では神族を破壊することは決して叶わない"と言ったな。ではなぜおまえは宝物庫から逃げた? 俺たちに対し『御魂を奪いにきたか』と言ったのはなぜだ!」
 
 ノーラは応答する代わりに、藻掻くようにして宙を旋回した。鎖と鎖の隙間からはみだした白い羽毛が、その度にひらりひらりと地面の上に落ちた。

「おまえはなぜあの場所にいた! 200年前からいたのか、それとも14年前か! どちらにせよなぜ今日まで姿を現さなかった!? 答えろっ!」
 
 神族は人間に対し怒りを覚えたため、突然姿を現し、世界に粛清を与えた──そうこの国では伝えられきた。しかしノーラは、宝物庫の中でナダマンという次元師に接触したものの、彼との日々を愉快だったと言っていた。庫内に残っていた彼の隊服にも大きな汚れや傷などはなかった。なにより、神族と次元師が交戦すればすくなくとも大書物館の人間には気づかれるだろう。14年前にそのような事件が起こっていなかったことから、おそらくノーラとナダマンは交戦していなかったのだ。
 だが現在のノーラはコルドたちと遭遇した途端、宝物庫から飛び出し、ウーヴァンニーフの上空に君臨した。その行動の不可解さにコルドは疑念を抱いていた。
 
「知を望むなら剣を抜け」

 鎖によって閉じられた嘴をわずかに開き、ノーラはそのように返答した。

「そうか」

 コルドが短く息をする。ぐっ──と彼が、鎖を持つ手に力を入れた、次の瞬間。すでに雁字搦めに固められた鎖の繭がより一層きつくノーラの身体を絞めつけ、絞めあげ、金属が擦り合う嫌な音が鳴り続けた。
 そしてコルドが息を止め、もっとも強く鎖を引いたときだった。鉄繭の隙間から真っ黒い液体が四方に飛び出した。まるで花火を仰ぎ見ているようだがそれは美しい光景とはほど遠く、黒い液体が地面の上に点々と散らばった。ロクとレトの2人は息を呑んで一部始終を見守っていた。
 鎖の繭が、ごとん、と地面に落下する。重い音が響いてからすこしだけ鎖が緩んだ。直後。
 ──地面の下から、突きあげるような衝撃。地震。自然的な力であるはずのそれは、明白な殺意を持っているかのようにコルドたちの足元に襲いかかった。
 矢先、地面の上に伏していた白い羽が、ふわりと宙に浮いた。それらはまっすぐにコルドたちを見据えると、空中を一直線上に切り裂き、迫ってきた。

「うわ!」

 地震によって体勢が崩されていたロクは、膝を伸ばす間もなく白い羽に頬を切られ、転倒した。

「……くっ! 無事かっ、2人と」

 叫びながらコルドが後ろを振り返ったそのとき、そこには信じられない光景が広がっていた。
 ロクとレトの真後ろにある建物が地震の影響を受け、傾倒していたのだ。
 逃避するのは不可能だ。たとえ彼らがいまいる場所から動けたとしても、隣の建物も次の瞬間には傾いているかもしれない。建物の高さからいって崩落に巻きこまれるのは必然だろう。
 となれば、とるべき行動はひとつだ。
 鎖を握りしめて踵を返すと、コルドは鉄の繭を解放した。放たれた鎖を纏い、彼は力の限り詠唱した。

「四元解錠──ッ、伸軌しんき!!」

 コルドの手元から、二本の鎖がロクとレトを目がけて放たれた。鎖は2人の身体に絡みつく。コルドがぐっと腕を引くとともに、2人は彼のもとへと強い力で引き寄せられた。
 真っ向から飛んでくるロクとレトの身体をコルドが抱きとめる。次の瞬間には建物は瓦解し、激しい音を轟かせながら地面の上に倒れ伏した。
 
「……けほっ、う、コルド、副は」

 建物が崩落する音を耳にしながら、ロクがうすらと左目を開ける。間一髪のところで助けてくれたコルドの顔を見上げると、同時に彼女の頬に赤い液体が飛び散った。

「……え、……こっ、コルド副班っ!」

 さっと青ざめた顔でロクは身を乗り出した。コルドの背中に手を回した彼女の指先に、なにか鋭いものがあたった。
 恐る恐る目をやる。するとそれは白い羽だった。無数のそれがコルドの広い背中に隙間なく突き刺さっていた。

 ロク、そしてレトが、コルドの背中越しにゆらりと蠢く白い影を見た。
 ノーラを取り囲むようにして宙に浮かぶ、白亜の羽。それは刃のごとく鋭い切っ先でこちらを睨んでいた。
 
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.105 )
日時: 2020/10/14 09:16
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

 
 第096次元 眠れる至才への最高解21

 建造物の倒壊を誘えば、たしかに人間は簡単に当惑し、逃げ切れなければ次の瞬間には命を落とす。たとえ次元の力を有していたとしてもおなじことだ。次元師とはいえ次の一手を考えあぐねる。そのうえ次元の力の如何によっては太刀打ちできない。事実、コルドが救出の手を伸ばしてくれなかったらロクアンズもレトヴェールも建物の下敷きになっていた。
 ひとたび鳴けばその声音は天を劈き、明確な意思のもとに大地をも揺さぶる。神族とはまさに人を、次元師までもを超越した力を有する存在だ。
 化け物じみたその存在らと相対するには、そして打ち破るには、相応の力をぶつけなければならない。

「──六元解錠ッ! 雷籠!」

 ロクはコルドの肩越しに腕を伸ばした。身体中で沸き立つ熱が左の掌に収束し、瞬間、雷電が唸りをあげて放たれた。電気の糸は絡み合い、コルド、ロク、レトの3人を取り囲うようにして半球形の壁を形成する。
 向かってくる白亜の刃は電気の壁に突き刺さった。それらは電熱にあてられてもなお焼け落ちることなく、それどころか、みるみるうちに雷の壁を突き破っていく。

(うそ……! 六元なのに──!)

 羽先はついに電気の壁を突き抜け、勢いを増して飛びかかってくる。

「──四元解錠! 交波斬り!」

 レトは向かってくる羽の刃たちにではなく、あらぬ方向の地面に真空波を撃ち放った。コルドの身体を支えるように抱きかかえる。真空波が地面と衝突した反動で、レトたち3人は右方へと逃れた。標的を逃した刃先たちは一寸前に彼らがいた場所に突き刺さった。
 衝撃波に背中を押してもらったとはいえ、そう距離は稼げなかった。間一髪といったところで危機を逃れたにすぎない。土埃が辺り一帯を包みこむ。
 ロクは右肩から落ちたせいか、肩を押さえながら上半身を起こした。

「逃げ……ろ」

 やっと声を絞り出したかと思えば、コルドはそんな背筋の凍るようなことを言い始めた。

「はやく」
「に……っ! 逃げるわけないじゃん! なに言ってるの副班!?」
「……俺たちは神族を追って戦ってきた。奴を逃すことも俺たちが逃げることもしねえ」
「あたしたちが隙を作る。だから副班はちょっとだけ休んでて。絶対なんとかす」

 コルドはロクが言い切らないうちに彼女の手を乱暴に振り払った。振り払った腕をそのまま空に掲げる。
 直後のことだった。
 振り上げた手を地面に叩きつけ、コルドは叫んだ。

「──、"額絡がくらく"ッ!!」

 超高音の叫喚が襲いかかってきたのはコルドの詠唱とほぼ同時だった。彼の背後、地面の下から無数の鎖が飛び出した。"雷籠"と同様に急速に絡み合うと、文字通り鉄壁を築き上げる。超高音はすんでのところで鉄壁と衝突した。
 ノーラが奇形の嘴を開くときにわずかに、きぃという耳障りな音がする。コルドはそれを聞き取っていた。予め集中していなければ当然対応には遅れていただろう。彼は一切の冷静さを欠かさず淡々と告げた。

「隙を作ってる時間はない。だから行け」
「コルド副班っ!」
「言われないとわからないか。おまえたちを守りながらでは戦えない」

 彼の口からは聞いたこともない冷たい声だった。それでいて説得力があった。

「退け。本当に命を落とすぞ」
「……」

 ロクは絶句した。大書物館でノーラと邂逅してここに至るまでの経緯を思い返してみても、コルドの後援あってこそいまの戦況が成り立っていることは火を見るよりも明らかだ。
 手持ちで最大の術である六元級の次元技でさえ打ち破られてしまった。頑張ればなんとかなる。なにかの奇跡が起こって七元の扉だって開く可能性があるかもしれない。などと、ロクには宣えなかった。
 それをレトも十分に理解しただろう。眉根を寄せてから、小さく呟いた。

「……──わかった。いくぞ」

 レトは、ロクの左腕を掴んでぐっと引き寄せた。それからコルドに背を向ける。ロクは腕を振りほどきたくてたまらなかったが、できなかった。右肩がそのときぴきりと嫌な音を立てた。鈍い痛みが走る。ついさっき地面の上に肩を打ちつけていた彼女が、起き上がるときに一瞬苦悶の表情を浮かべていたのを、レトもコルドも見ていた。

「ま……っ、待って! レト、あたし……!」

 だんだんと小さくなっていくコルドの顔を見た。険しい表情を浮かべていた彼は、ふと、笑みを返してきただけだった。

「……ま、って。おねがい、まだぜんぜん大丈夫だよ、レト! こ……コルド副班!」

 ロクは左目にじわりと涙を滲ませながら叫んだ。倒れた建物の瓦礫を踏み越えて街道へと向かっていく義兄の腕も振りほどけなければ、遠ざかっていく副班長のもとへ駆け寄ることもできなかった。
 

 辛うじて義兄妹を逃がすことには成功した。まだあの若い芽たちを踏み潰されるわけにはいかない。次元師が命を落とせばこの世界のどこかで芽吹く新しい命にその次元の力が引き継がれるため、戦力の減少という意味合いでも避けたい事態ではある。
 戦場において情けなど取るに足らないものだ。いま逃げ道を作ってやったところで、自分がノーラにやられてしまっては、次の標的はあの2人になる。しかし、彼らを可愛がってきたこの手がまだ動くうちは、鎖を握るよりも先に彼らを抱きかかえてしまうのだ。そんな生半可な姿勢では、超人的な存在と渡り合うなど不可能だろう。

(さて)

 背中に突き刺さった数本の羽を根本から抜き取っていく。血でぐっしょりと濡れた上着を脱ぎ、適当に捨て置いた。次元技『額絡』の巨壁に肩を預けながらコルドは思考した。

(本来なら可能な限り拘束し、対象から情報を搾り取るのが最良だ。だが相手は神族。本当のところはわからないが、驚異的な力を持っていることにちがいはない。討伐とまではいかないだろう。再起不能にできれば上々だ)

 果たしてどこまでやれるだろうか。そんな自問自答が胸中では何度も繰り返されていた。
 不意にノーラの鳴き声が止んだ。コルドはすかさず腰を落とした。地面に手をつき、間髪入れずに詠唱を繰り出す。

「──ッ、七元解錠! 浪咬なみかみ!!」

 コルドがそう高らかに詠唱するとともに、眼前を覆い尽くす鉄の絶壁は分解した。次の瞬間、数十数百に及ぶ鎖たちが、まるで飢えた多頭の大蛇が如く鉄の身体をうねらせながら猛進した。それらは広場を囲う建物の外郭に頭を打ちつけ、地を這い、一心不乱にノーラに向かっていく。建物が次から次へと崩れ落ちていく激しい騒音が立ちこめる。
 鎖を自由自在に操る力──とはいったものの、コルド自身、完全に『鎖幕』の自在性を操作できるかと問われたら、自信を持って頷けない。細かい操作までできるのはせいぜい十数本が限界だろう。数百ともなると、さすがの彼でも手に負えない瞬間が生まれてきてしまう。ロクとレトをこの広場から退却させたのはその可能性が捨てきれなかったからだ。

 数十の鉄頭の蛇が飛び掛かるがノーラはまたしてもひらり、ひらりと、蝶のように優雅に空を舞いながら回避する。
 両翼が大きく波打った。一陣、というには強い勢力を持った風の塊が広場上空に吹き荒れる。地上に蔓延る鎖のこうべは瞬間、叩き折られた。地面の下から抉り出された鉄の肢体たちはノーラを中心に旋回する風の中へと引きこまれる。
 風と混じり合い、鎖の蛇のその長い肢体が分解していく。小さなひと欠片になるまで細かく千切られたそれらが風の流れに乗って、ノーラの周りを廻る。竜巻がどす黒く、黒く染まっていく。

「元は過小な鉄屑よ」

 まるで、超自然的な力の前では塵も同然かと言うように、ノーラは口ずさんだ。
 短い黒髪が強風に煽られる。足が、ずるり、と風渦巻くほうへ引き寄せられた。眼前に聳え立つ風の柱に巻きこまれるのも時間の問題だ。コルドは地面に喰らいつくように腰を落とした。
 
「繋がった鎖だけが、俺の『鎖幕ぶき』じゃない」

 身体中がかっと熱を帯びる。ここへくるまでに多くの元力を消費した。残るわずかな元力粒子をひと欠片として取りこぼさないよう、コルドは全身の至るところに意識を張り巡らせた。
 
「六元解錠──ッ浪咬!!」

 熱を孕んだ浅い息でコルドは喉の許す限り号哭した。竜巻に飲みこまれた無数の鉄片が主の声に呼応し、徐々に、収束していく。ただひとつの輪状の鎖でしかなかったものたちが連結し、連結し、瞬く間に、巨大な黒い影が誕生した。ゆらり、と"それ"が竜巻の中を遊泳する。巨大な肢体をうねらせ、ぐるりと一周したそれ──黒い大蛇は、ノーラを真正面に据えた。直後。縦に拡げた大口が神の身体に喰らいかかった。
 ノーラをひと呑みした大蛇の腹が、地面を抉り、そのまま前方へと這いずり直進する。めくれあがっていく地面の敷石が四方八方に弾き飛んだ。勢いが止んだのは、その進路にあった建造物に大蛇が頭から突っこんでまもなくだった。建物自体は倉庫であったが、規模は大きく、鎖の大蛇が正面の外郭を破壊したものの倒壊の気配はない。
 コルドが建物に到着した頃には、大蛇だったものはすでに瓦解し、建物の内部に鎖の山ができあがっていた。取り壊し予定であったのだろうか。中はがらんどうで、ただ広い空間の隅に廃材などが積まれていた。
 鎖の山から、白い羽が飛び出しているのが彼の目に映った。

「……おまえにもう一度問いたい」

 コルドは気を抜かずにそう白い羽に声をかけた。
 
「おまえはなぜ、あの宝物庫に隠れ潜んでいた?」

 白い羽は答えなかったが、コルドは立て続けに問い質した。

「もしかするとおまえは、人間を襲う気がないんじゃないのか? 答えてくれ、神族【NAURE】」

 大地を動かすほどの力があるのなら、街に現れた段階で住民たちが逃げる前に皆殺しにすることができただろう。だがノーラはそうしなかった。コルドがロクとレトを逃がしたときも、ただ黙って見逃した。ただの気まぐれというには不自然すぎる。神族との交渉の機会を逃すまいとコルドは勇んでいた。
 そして長い沈黙ののち、ノーラはようやく、このように返答をした。

「信仰しろ」

 途端。
 鎖の山から飛び出していたその白い羽が──瞬きひとつする間もなく、灰色へと変色した。
 次いで灰色の羽を中心に強風が巻き起こった。渦に巻かれた鎖の破片はしかし、風の流れに乗ることさえできずに四方へと弾かれる。コルドは棍棒のように一本の鎖を携え、勢いよく飛んでくる鎖を弾き返した。そうしてなんとか体勢を保つ。
 吹きすさぶ風の壁。その分厚い風がときおり薄く口を開き、風の中心にいる者が目に入ってくる。垣間見えたかの鳥獣の毛並みは、白亜ではなかった。濃灰。ぞっと背筋が震えあがるほどの威圧を放つ深淵が、ゆらりと、コルドのほうを向いた。
 赤い十字目でまっすぐこちらを見据えた濃灰の化け物は、次の瞬間、けたたましい鳴き声をあげた。

「信仰しろ信仰しろ信仰しろ信仰しろ信仰しろ!」

 壁、床、天井、コルドとノーラを取り巻く空間のどこからともなく軋む音が聞こえてくる。突然知性を失ってしまったかのようなノーラの急変にコルドは戸惑いを隠せなかった。

「なん、だ──っ!? 様子が」

 ここが倒壊するのも時間の問題だ。しかしコルドとて無尽蔵の元力を有しているわけではない。六元級を超える次元技を猛発している。残り少ない元力でどう切り抜ける。どう片をつける──。

(迷うな!)

 コルドは、そのとき飛んできた灰羽の矢を避けるようにして腰を落とした。

(まずはあの鳴き声をどうにか──)

 いまもなお響き渡る甲高い絶叫が、鼓膜を突き破らんと襲いかかってくる。その鳴き声に、気を取られた。刹那。一際大きな羽がコルドの左肩を貫き、そのまま背後の壁へと彼の身体を縫いつける。

「がはっ!」
 
 ぐぎり、と左肩に嫌な音が走った。ぶらさがった左腕を伝って、赤い血が無造作に揺れる指先から滴り落ちる。
 まだ動く右腕を浮かせた。床の上に散らばっている無数の鎖の破片のうちのひとつをその手で掴んだ。

 ひと呼吸さえできない。
 しない。
 このとき周りの景色が、急に白んで、薄ぼんやりとした。

 まるで雲間から陽が射すように。風の壁が、一間置いて、晴れた。深い濃灰に覆われたノーラの全貌を視界がはっきりと認知する。折れ曲がった真黒いその嘴が、わずかな音を立て、開いた。
 次の瞬間。

「六元解錠」
 
 幼い少女の叫び声がした。

「────雷砲ッ!!」

 大きく開けたノーラの咽喉に、一閃。眩く、痺れるような熱線が突き刺さった。
 
 
 
 * * *

 2020年夏大会銀賞ありがとうございました!
 当作に投票してくださった皆様へ、この場をお借りしてお礼申し上げます……!(*'▽')
 
 

Re: 最強次元師!! 《第一幕》 -完全版- ( No.106 )
日時: 2020/12/23 11:52
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: YYcYgE9A)

  
 第097次元 眠れる至才への最高解22

 不定形の砲撃が漆色の大きな嘴の奥へと突き刺さる。ノーラは仰け反り、赤い眼で天井を仰いだ。
 何者かが2階のギャラリーから身を乗り出しているのを視認したときには、彼は高らかに叫んでいた。

「四元開錠──"真斬しんざん"っ!」

 彼は両手に握った双剣を天井へと向けて振るった。刀身から飛び出した目には見えない風が確実に天井と衝突すると、次の瞬間。十数本にも及ぶ鉄骨が天井から剥がれ落ち、ノーラの頭上に降り注いだ。ノーラは逃れようと、焼け焦げた喉も閉じられずに羽ばたいた。降り注ぐ鉄骨と鉄骨の間を縫うようにして上昇する。が、しかし。
 そのうちの一本が、ノーラの黒い片翼を突き破った。まるで地上へ押し戻すようにして。
 片翼を貫かれ、空中で傾いたノーラの身体が地上へ真っ逆さまに落ちる。

 見るも鮮やかな若草色の長髪をぶわりと靡かせて、ロクアンズは振り返る。その片目は鬼気迫る色をしていた。

「コルド副班!」
「コルド副班!」

 ほぼ同時にコルドの方を振り向き、2人は幼い声を合わせてそう叫んだ。2階から聞こえたもう一方の声はレトヴェールか。鉄骨を落としたのも彼だろう。
 片方の手に掴んでいた鎖の破片を、強く握りしめてコルドは"解錠"する。

「──八元解錠!!」

 血を伝わせろ。建物内部のありとあらゆるところに散乱したすべての鎖を、ひと欠片として余すことなく意識下に捉えた。──我が身が如く集え、従え。コルドは鎖の欠片を床に叩きつける。そして本能の赴くままに号哭した。

「"鸞業区らんごく"──!!」

 彼が詠唱を口遊むと、周囲の鎖の欠片たちが集い、重なり、大きな一本の柱へと変貌を遂げていく。柱が形成されるのに要した時間は一瞬にも満たなかった。そしてさらに柱は一本ではなかった。太さの一定しない数十もの鉄柱の外装をロクとレトが視界に捉えたたそのとき、それらは墜落するノーラの身体を無数の方向から一直線に貫いた。
 翼の付け根から胴の下部へ。頭部から足へ。横腹から反対側を。首の後ろから胸部を。
 そして鎖の柱はノーラの身体を貫くだけに留まらなかった。柱の先端は天井を突き抜け、そして床の表面を穿った。すべての鎖の鉄柱がそのようにして、天井と床を、あるいは四方の壁と壁とを縫いつけるのと同時にノーラの身体を串刺しにした。
 ノーラの急変により崩れるやもしれないと恐れていた建物の震動が、このとき、驚くほど静かに収束した。数十にも及ぶ鎖の鉄柱が建物を支えているのだろうか。ロクとレトは、現状を見てそのように解釈した。
 動かなくなったノーラを視認して、ロクはさっそくコルドに声をかけようと思ったが、彼はどこか遠くの一点を見つめていた。
 彼の視線を追ってロクが振り向いてみると、ノーラの胸部から伸びる細い鎖の柱が目についた。そこには、真っ赤な色をした結晶のようなものが串刺しになっていた。
 ノーラの眼でないことはたしかだ。奴の眼の形は十字であり、鎖に突き刺さっているそれはところどころ尖っている。
 ロクがそれに近づこうと、片足を踏み出したときだった。

「神は心臓を持たない」

 無残な姿へと変わり果てたその黒い身体から、人のものとは程遠い神聖な声音が響いた。開いたままの嘴から語りかけているのか、それとも思念のようなものがロクたちの脳内で直接響いているのか、わからなかった。

「しかし一つだけ、神に心臓を与える術がある。それは神の"呪い"を人間が克服すること。神により下された絶対の享受が解かれるそのとき、神は母なる神ヘデンエーラより不信と見なされ、心臓を得る。心臓を得た神であればたとえ人間であってもその手で葬り去ることができる。そなたらがそうしたように」

 細い鎖の鉄柱に突き刺さった赤い結晶体が、ぼろり、とそのとき崩れ落ちる。それは吹き抜ける風に撫でられ、砂を吹く岩のようにゆっくりと消えてなくなっていく。

「……え。どう……して。なんでっ、そんなこと……!」

 ロクは身を乗り出し、問いかけた。羽の色がまだ白かったときの口調であり、ノーラは正気のように思えた。しかし人語を解するとはいえ神族と人とは相対しているはずだ。ノーラの告げたことが策略か否か、判断しかねているうちにノーラは最後にこう口遊んだ。

「【信仰】を殺せ」

 そうとだけ告げると、ノーラの身体はぼろりぼろりと崩れ落ち、しまいには完全にその場から姿を消した。ロクが呆然と立ち尽くしていると、背後からコルドの声がした。

「出るぞ」

 振り返るとコルドは背中を向けていて、左肩に突き刺さった大きな黒い羽をそのとき引き抜いた。ノーラの身体の一部だったものはすべて砂のように風に溶けてなくなったしまったと思っていたが、唯一、彼の身体に突き刺さったその羽だけが形として残ったらしい。彼は呻きもせず、右手で黒い羽を掴みながら立ち去ろうとした。
 ロクもレトもそれに続いた。



 倉庫場から退却し、しばらくは3人とも黙ったまま瓦礫の積みあがった中央広場を歩いていた。
 しかし、突然背後から轟音が鳴り響き、ロクとレトは同時に振り返った。倉庫だったあの建物がついに瓦解し始めたのだ。その一部始終をぼんやりと遠目に眺めていると、どさり、と衣擦れの音がした。
 音のしたほうを向くと目の前でコルドが地面に倒れ伏していた。

「コルド副班っ!」

 ロクとレトは、倒れているコルドに駆け寄った。左肩部から血を流し、浅い呼吸を繰り返す彼からの応答はない。2人が彼の周りで狼狽えていると、遠くから人影が近づいてきた。警備班の1人である男は、街の住民たちの誘導が終わったため様子を見に来たらしかった。
 男はコルドの姿を認めると青ざめ、そしてすぐにコルドの身体を自分の背中に預け、「俺が運びます」とロクとレトに告げる。大の男を運んで歩く力のない2人は安堵して、男に続いた。
 
 ロクたちはこの日、研究棟で夜を明かした。出戻りになってしまったがコルドの治療が先決だった。代わりに、棟内の援助部班員数名に近隣の町村へ向かってもらい、「神族は討伐した」との言伝を頼んだ。ウーヴァンニーフの街の住民たちにもう街から神族が去ったことを早急に伝える必要があったからだ。夜分で心苦しくはあったが、援助部班員たちはすぐに馬を走らせてくれた。
 
 翌日。此花隊から神族討伐の報せを聞いたのだろう。街の住民たちが徐々に街へと戻ってくる様子が伺えた。凄惨な街の光景を見て嘆く者もいただろうが、実際の死者数は0であり、喜ばしい現実であることに間違いはなかった。
 日が昇ると、コルドとロクとレトの3人は研究棟をあとにした。一晩休んだおかげかコルドも口を利けるくらいには快復し、3人はともにキナンの町へと直行した。
 正午を過ぎた頃に町に到着し、3人はフィラと合流を果たした。彼女も神族の出現については耳に入れていたらしく、開口一番その件について訊ねられた。詳しい話は、フィラと研究部班の副班長3名、加えてナトニが泊っている宿屋で話すこととなった。
 一通り事の顛末を話し終えると、「ちょっと聞いてほしいことがある」とレトが話題を切り替えた。その手にはナダマンが記したとされる赤い本を携えていた。

「昨晩、研究棟でまた一から読み返してみた。ナダマンっていう名前と同様に、固有名詞だったら現代のメルギース語でも解読できる箇所があるかと思って。そしたら、"ノーラ"とも読める単語が何度か出てきた。ナダマンがあの宝物庫でノーラとなんらかの接触を図ってたことは間違いないだろう。ノーラもナダマンのことを認識してたみたいだし。……そこで、ロク。おまえ昨日の昼間、研究棟の中庭で失踪した調査班員が神族を信仰してたらしいって話をしたよな」
「あ、うん」
「それについても昨日、研究棟の班員たちに聞いて回ってみた。興味深いのは、失踪してた調査班員……つまりナダマン・マリーンが信仰していた神族の名前が、ノーラだったらしいってことだ」
 
 ナダマンと交流関係の深かったとある班員の話によると、彼の故郷は北東の山奥にあるのだという。神族に対する信仰心がその故郷の外ではまるで理解されないことを悟ると、以降はおくびにも出さなくなったが、ノーラひいては神族を信仰している集落が北東の山奥のどこかに実在している。この事実についてレトは言及した。
 黙って話を聞いていたコルドがそのとき、おもむろに呟いた。

「……洞窟……」
「え? なあに、コルド副班」

 ロクに促されると、コルドは身を乗り出して語り始めた。それは彼がまだ年端もいかない頃に住んでいた実家で聞いた話だという。

「200年前のエポール王朝時代、当時王国騎士団の団長を務めていたギルクス一族の当主は騎士志願者たちを試すために『ネゴコランの洞窟』という巨大な洞窟に志願者たちを挑ませていたらしい。その洞窟は別名……"大地への挑みの洞窟"と呼ばれていて、足を踏み入れた人間はどれほど屈強な肉体、精神を持とうとも必ず引き返す、と言われている」

 事実、志願者たちのうちのだれも洞窟の向こう側に到達することは叶わなかったという。単なる肝試しだったのだろうとコルドは付け足した。それから彼は続ける。

「すなわち世間とは隔絶されたなにかが、洞窟の向こうにあるのかもしれない。洞窟のある場所も北東付近だと聞いた覚えがある」
「大地への挑みの洞窟、かあ……。ノーラ、たしか自分のことを"天地の神"だって言ってたよね? もしかしたらその洞窟、ノーラとなにか関係があるのかも」
「……ノーラのこともそうだけど、この手記に使われてる文字、微妙に古語とちがうからな……そこがもしナダマンの故郷なら、読み解ける人物に会えるかもしれない」

 ナダマンの手記、赤い本は分厚く、中は余白も残らないほどびっしりと文字や記号で埋め尽くされていた。ノーラと接触を図っていた期間が一日や二日程度ではないことは明らかだ。
 レトは本の表紙に視線を落とした。

「ノーラが死に際に言った、"神を殺す方法"。それについてもっと明確な記述がここにある可能性に俺は賭けたい」

 神族に関することの多くはいまだ謎に包まれている。その一端を崩す手がかりがこの一冊の手記にあるのだとしたら。居ても立ってもいられなくなる。
 コルドはロクとレトの目を見据えながら告げた。

「レトヴェール、ロクアンズ。おまえたちに緊急の遠征を命じる。2人でネゴコランの洞窟に向かい、その洞窟の向こう側を調査してこい。セブン班長には俺から話を通しておく。おそらく普通の人間では通れない場所だ。……あいにく俺はこの様だから同行できない。だからおまえたちで行ってこい」

 フィラもすこし考えたあと、周囲を見渡し、短く息を吐いた。

「……私もついていきたいのはやまやまだけれど、2人に任せるほかないわね。この状態のコルド副班長を1人にはできないし、研究部班の人たちと、そしてナトニを無事に本部へ連れていかなくちゃならないもの」

 コルドはロクとレトを寝台まで近づくように手招いた。2人がコルドの傍まで寄ると、突然、2人の頭の上に順番に手刀が下った。ロクが「いだっ!」と呻き声をあげると、一段と低くなった声が降り注いだ。

「命を落とすと言ったはずだ。いまその命があるのも運がよかったと思え」
「……」
「これは上司命令だ。必ず成果をあげて帰還しろ。でなければおまえたちに厳重な処罰が下るよう班長に上訴する。わかったら行け」

 行け、と鋭い声で告げるコルドが小さく顎を振って、部屋の扉を示した。2人は返す言葉もなかった。扉から2人が出て行くのを見送ると、フィラは緊張の糸が解けたように安堵し、それからおずおずと切り出した。

「コルド副班長。なにも、あそこまで……」
「あの2人を甘やかしてはいけません」
「ですが」
「事が起こってしまえば関係ない。歳も、女子どもも。そこにあるのはただの人間であるか次元師であるかの違いだけ。俺は彼らに、次元師として言い渡したにすぎません」

 言い切った直後のこと、コルドは左肩を抑え、低い声で唸った。ノーラとの交戦時に受けた黒羽の傷だ。処置を施したとはいえ一時を凌ぐためのものでしかなかった。
 フィラはすぐに出発の準備を整え、本部への帰路を急いだ。


 研究部班員4名とフィラ、そしてコルドの6名が本部の門をくぐったのは数日後のことだった。左肩部の損傷が激しくコルドの快復は難航した。元医療部班員のフィラも時間の合間を縫って医務室に足を運んでは、コルドの容態を伺っている。
 コルドは現在第三医務室で療養している。医務室は第一から第八まで存在し、それぞれ8人収容できる広さがある。第三医務室は彼以外に使用している者がおらず、彼は1人、窓際の寝台の上でぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。どうにも暇を持て余してしまっていた。
 からり、と医務室の扉の開く音がして、コルドはそちらに目をやった。フィラだろうと予測していたのだが、ちがった。腕に花束を抱えたその人物はコルドと目が合うと、笑みをこぼした。

「起きていたのかい。まだ動かしづらいと聞いたのだが……」
「セブン班長」

 上体を起こしていたコルドは、さらに背筋をぴんと伸ばした。病人であろうと部下である意識を忘れないのが彼らしい。楽にしてくれと言ったところできっぱり断られるのをわかっているからか、セブンはただ眉を下げた。
 セブンは、コルドの寝台に寄り添うように置かれている花瓶台に近づいた。そして殻の花瓶に、持ってきた花を一本ずつ活けていく。

「私は花や植物に明るくないから、見舞いにはどの花を選んだらよいのか随分悩んでしまってね。花屋の店主にだいぶ手間をとらせた」
「フリシアですか。香りが療養に良いと聞くものですね。一般的には、ハノイも好まれますね。花びらが小さく慎ましやかで。早い時間に開花することから、早い回復をお祈りする、という意味も含まれるのだそうです」
「へえ。それは知らなかったな。……そういえばフリシアは遅い時間に咲くと聞いたな。夜に眺めてくれればよいと思って選んだが……失敗したかな」
「いいえ、そんな」
「君が勉強熱心だと私も助かるよ」

 セブンは背もたれのない小さな椅子に腰かけ、膝の上で指を組む。それから一間置いて話を切り出した。

「此度の件、報告を受けたよ。ウーヴァンニーフに神族と思われる個体が出現。街の住民たちの避難誘導を行うと同時に交戦を開始。結果、神族は討伐した、と。……これらはフィラ・クリストン副班長から口頭で伝えられた話になるのだが、内容に相違ないか」
「はい」
「そうか。神族ノーラの討伐に最尽力したのも君だと聞いて、私はこれまでになく胸が高鳴るのを感じた。君に力があるのは元より把握していることだが、結果として返ってきたものが神族の討伐だ。私は君を誇りに思うよ」
「……身に余るお言葉です」

 そう言いつつもコルドの表情は険しいものだった。神族ノーラの心臓をその手で貫いた彼はしかし素直に首を縦に振ることができなかったのだ。
 そもそも神族は何体存在しているのだろうか。一体討伐するのにも相当骨を折る事態となった。ウーヴァンニーフはエントリアと並ぶ大都市であるが、現在は大半が壊滅状態だ。コルドは、ぐっと拳を握ったが、左手に力が入ることはなかった。左肩から指先にかけてまったく動かないのである。仕方ない、で片づけたくはなかった。口惜しさが口内に拡がっていくのを、吐き出すとも飲みこむともできずにいた。
 コルドが眉根を寄せている理由をセブンは察していた。

「その腕、君は治らないと思っているかい」
「すくなくとも、動く気配はありません」
「諦めるのは早計だと思うけれどね。次元の力が神族に匹敵するのであれば、神族から受けた傷に次元の力が匹敵するやもしれないよ」

 コルドは顔をあげ、目をしばたいた。目が合うとセブンはにこりと微笑み、それからこのように告げた。

「君をその位置に留めているのは少々気が引けてきたな」
「え?」
「いやね、いつかだれかに私の席を明け渡すことがあれば君に頼みたいと思っているんだけど、近いうちでもいいかもしれないな。それくらい君の成し遂げたことは大きい。人類の悲願である要素の一つを取り除いたのだから。それを自覚させるにも良い提案だろう、コルド・ヘイナー副班長」

 冗談を言っているようには聞こえなかった。セブンは、さすれば私は別の班にでも異動するか、なんて飄々と口にしてみせる。
 ──警備班の一員だった頃の彼を誘い出したときから気に入ってはいた。とにかく固さの目立つ男で、視野も狭いためか不器用だった。だが真面目だった。初めは手を焼いていた書類仕事も板につくようになった。なによりも時間が空けば、いつも鍛錬場で身体を動かしていた。次元の力と真面目に向き合う男だった。
 左腕はまるで動かないのに、胸のうちを覆っていた不安の影がほんの少しだけ薄れるのをコルドは感じた。ただの慰めの言葉ではないことはわかっていた。なぜなら、「私と手を組んでくれないか」と差し出してきた手が、警備班から逃がすための言葉ではなかったと薄々感じ取っていたからだ。
 しばらくして、コルドはかぶりを振り、しっかりと答えた。

「いえ、それは」
「おや。気に入らないかい」

 というより、とコルドはひとつ挟んだ。骨ばった右手がそのとき、強くシーツを握りしめていた。

「あなたにもっとも近いところでお仕えできるこの立場が、俺にとっては最高位です」

 呟くような声だった。しかしコルドは固くなった頬をわずかに緩ませ、断言した。
 花瓶に挿し込まれたフリシアが、窓から吹きこむ風によってゆらゆらと揺れる。それは花びらを閉じてじっと夜を待っている。

「困ったな。回答が満点だ」

 セブンはくしゃりと破顔して、高めに笑い声をあげた。ひとしきり笑うと、彼はすっくと立ちあがった。それから、「では次はハノイを手土産に口説くとしよう」とだけ言って、彼は病室を去った。

 医務室の扉が閉まる。静寂が訪れる。風が薫る。左腕の重たさを再認識した。
 毎秒身体を圧迫してくるそれは、しかしまだ右腕が動くことを、同時に自覚させたのだった。
 

 翌日。昼をすぎた頃に第三医務室に訪れたフィラは驚いて目を丸くした。夜更かしでもしていたのだろうか、寝台に腰かけているコルドが手元に本を開きながら船を漕いでいたのだ。彼女はくすくすと小さく笑みをこぼしながらこう独り言ちた。「まるでセブンくんみたい」、と。