コメディ・ライト小説(新)

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.24 )
日時: 2020/04/16 19:10
名前: あんず (ID: V9.d7PSD)

#14 『Litendrop』
 
 
 透明に生きたい。清らかなままに息をして、何も知らずに瞼を閉じて、そうして涙を流したい。考えるのは空のことだけでいい。宇宙を透かす柔らかな青色を、体いっぱいに詰め込んで息を止める。そういう生き方を夢想する。どこかに転がっていたなら良かった。拾えば記憶が消えるような生き方が。
 
 きっと感情は余分には持たない。僕に色をつける全てを捨てて、透き通る人間でいたかった。たとえばそれを人は幽霊と呼ぶかもしれないし、それでも良かった。色がなくなるなら。だから愛もいらない。情欲に塗れていなくても、純粋に誰かを思うだけでも。それはあんまりに重たいから、記憶がひしゃげてしまう。僕の胸は薄い青色で埋め尽くしておこう。
 
 空は宇宙を透かすから、あれは透明なんだ。
 
 擦り切れた記憶に相槌を打つ。僕を満たす幸せな色は空の色、空は向こうが見えるから、つまりは透明。内緒話をするように耳を擽った声を覚えている。だから僕は溶けてしまう。身体をその色で満たせば、そこに星はいらない。向こう側に星が漂うはずだから。それは空で、夜空で、星だから。あなたならクリスタルと言うだろう。少しだけ洒落た言い回し。
 
 *
 
 目を閉じる。例えば夏の日の窓辺を想像する。たっぷりとした日の光と、眩しいほどの向日葵に憧れた日。息を吸う。記憶の中の、むわりとした張り付く暑さが僕を包んでいく。何遍も何遍も繰り返した、僕の想像の中に浮かぶ夏空。懐かしくはない。ずいぶんと遠くまで来たように思ったけれど、そんなことはなかった。そうだった。そんなことも忘れていた。
 
 太陽の下、青白く透き通るようなあなたの肌が、柔らかく照らされている。普段来ているものと同じ色なのに、まっさらなワンピースはふわふわとしてうつくしい。少し大きすぎる麦わら帽子が、あなたを優しく守っている。揺れる帽子が形作る、足元の大きくまあるい影。覚束ない足取りで、それでもこれ以上ないくらいに楽しそうなあなたが歩いてゆく。遠くへ遠くへ。向日葵畑の奥へ向かって。僕はそれを追いかけながら考える。鮮烈な青。
 
 
 たった一度だけ見た光景だ。もう二度と目にしないだろう夏の日。今でも思い出す、一回きりの蝉の声。あの蝉は死んでしまった。瞼を焼いた青をまだ覚えている。僕らは蝉、あなたはきっとそう言ったでしょう。
 
 *
 
 透明に生きたい。
 
 あの日と同じ色の入院着を握りしめる。ひらひらも、ふわふわも、まるでないこの服を愛おしく思う。白こそ僕らの夏の色だ。あの日の麦わら帽子の影と、鬱陶しい湿った風に揺らされた透明な白。鮮やかな原色が輝く中で、空気は確かに透けていた。吹く風はどこまでも澄んでいたし、肺は透明に満ちていた。知っている。
 
 感情は余分に持たない。僕に色を付けてしまう。白でいたい。透明な白のままで。絵の具をのせる前のキャンバス、そのクリーム色に近い透明。あなたも知っているだろう。それは筆先にのる水に似ていたし、二人で飲んだコーヒーのガムシロップにも似ていた。
 
 
 きみも、わたしも、透明なんだ。宇宙の一つ。空は透明で、わたしはそこに住んでいて、きみもおなじ。懐かしいほどにおなじ。星が産声をあげた、そのときからおなじ。
 
 
 遠い記憶へ頷いておく。微かな吐息。目まぐるしい色彩の洪水。透き通った窓の向こうに、きっと今年も向日葵が見えるだろう。そこには多分、あの日のようで少し違う、湿った夏の風が泳いでいるのだ。想像する。それは透明かもしれないし、そうでないかもしれない。もう透けることは二度とないのかもしれない。
 あなたは向日葵畑から戻ってこない。遠く遠く、奥へと進んだまま今年も見えない。けれどもそこに白が。僕がつめこんだ青色ではない、色が。
 
「……おなじ」
 
 
 透明な白が、ほら、また溶ける。
 
 
 ✱✱✱
 
 
 #7『向日葵の揺れる』改稿。題名は造語です。