コメディ・ライト小説(新)
- 一章・一話/×1 ( No.6 )
- 日時: 2018/06/06 18:02
- 名前: 灰狐 ◆R1q13vozjY (ID: dOS0Dbtf)
【一章・一話~おいでませ、我が家へ】
「ねぇ人間。名前なんて言うのか教えて」
「え、と……。覚えてないです」
「ふーん……そりゃ災難、ってやつ? じゃあこれは火車と九尾が帰ってきてから、人間の名前を決めることにしようかな。それで良い?」
いよいよ僕も今日から銀竹荘の住民の仲間入り。朝からウキウキとした気持ちで此処へやって来たのだが、なんというか想像していたのと違う。いや想像していた通りなんだけど、何か違う。分かるだろ?
まず、僕を迎え入れてくれたのは今目の前に居る男。この男には慣れた調子で迎えられ、あっと言う間に居間へと滑り込んだ。曰く、猫又なんだそうだ。猫にしか生えていない筈の尻尾や猫耳が生えているのを見る辺り、嘘では無いのだろう。先が二つに分かれた尻尾は上下左右に揺らしたりとそれぞれ違う動きをしている。黄色の瞳をした憎たらし気な目はキョロキョロと動き回り忙しない様子。ソファに座っているものの体はほとんど机にもたれかかっていて、顔だけを此方に向けている感じの体勢を保っている。そんな男の名前は平花 金次郎と言うらしい。
相手が名前を教えてくれたまでは良かった。問題は、相手が僕のことを"人間"呼びをすること。
「わ、分かりました」
「うん。じゃーゆっくりしてていーよ。また用があったら呼ぶから」
その呼び方には納得が行かない。けど、僕自身が名前を覚えていないのも事実だった。もしかしたら平花君もそこを踏まえての呼び方なのかもしれないけど。そう思いながら僕は返事をする。平花君は僕の返事を聞いて、軽く頷き悪戯っぽく笑った。まるで何かを企んでるみたいに。
ゆっくりしていけと言われたが、銀竹荘に着いたときに平花君から資料として紙を幾つか貰っていた。さらりと目を通してみると、建物の分布図や住むに当たっての注意点が細かく書かれた紙らしい。後々詳しく読み通すことになるだろうし、先に荷物を自室に持っていくことにしよう。足元に置かれた大きな荷物をうんしょとおっさん臭く言いながら抱えるようにして提げる。やっぱり重たい。持ち上げる寸前に少し足元がよろめくぐらいに重たい。全く、あの主人は何を盛り込んだんだか。見た目は中身をもうモリモリに突っ込まれた大きなパンパンのリュックサック。階段に向かうのも精一杯だし、これは階段を上るのは危険過ぎるか……? まぁ階段上がらないと始まらないし上るんだけどさ。平花君から聞いた話だと、確か階段を上って直ぐの所が僕の部屋だった筈。
階段の残り二、三段ぐらいの時には既に僕はヘロヘロだった。だって荷物が重すぎる。はぁはぁと息を荒げながら大きい荷物を引きずる男子大学生の姿は如何なものだろうか。人によっては恐怖そのものなんだろう。そうして最後の段を上りきる。汗が一筋、額をたらりと流れた。
そうしてお目にかかる僕の自室。平花君が言った通り、階段の近くに扉があるのが見える。扉は至って普通で、窓は付いていなかった。扉の引っかける部分に板が提げられており、そこには「人間」と書かれていた。おい。人間ってどういうことだよ。あながち間違ってもないんだろうけどさぁ。というか種族名で示すものなのか? そう思い回りを見ると、扉には同じようなプレートが提げられ『化け狸』だの『土蜘蛛』だのと書かれていた。ふむ、他も一緒なのか。なら良いか。焦る足で荷物を引きずりながら、ドアノブに手を伸ばす。
ガチャリ。ドアノブを回した時の音がしたとき、事件が発生した。
「いっつ…………!?」
ゴンッ! 何かがぶつかり鈍い音を発てた瞬間、僕の頂点……いわゆる頭のてっぺんに激痛が走った。
僕にぶつかったものが静かに床に落ちる。小さな丸いお盆だ。それを手にして見ると、かなり硬く丈夫なんだろうと感じられる。ヒリヒリとした痛みが僕を突き刺す中、後ろからクスクスと楽しそうな声が聞こえてきた。この声は......平花君? あんまり平花君のことは知らないけど、平花君ならやりかねないのかもしれない。あの、平花君の何かを企んでるような笑みがふっと思い浮かぶ。
僕は片手にお盆を持ち、ヒリヒリと痛む所を擦りながら、声のする方へと振り返る。そこには僕の予想通り平花君が居た。平花君はニタニタと嬉しそうに口角を歪めて笑っている。
「やーい!」
いやそれ何処の小学生の文句だ。どこか時代遅れの反応だなぁ。平花君は「ばぁか」とでも言いたげな表情を瞳に含ませ、僕を指差した。小馬鹿にしつつも、新しい発見をしたような無邪気な面白そうな声音で平花君はこう言った。
「というか、人間でも引っ掛かるんだー。オレ、人間の方では黒板落としを利用した? 悪戯とか流行ってたー......って聞くけど」
つくづく馬鹿にされているような気がする。人間という呼び名も相まって、僕が負け犬みたいな雰囲気になっていく。なんだこの、いじめっこといじめられっこみたいな典型的なこの立場は。
確かに黒板落としはよく聞くけど、生憎と僕の方ではそんな悪戯は一度も見たことが無い。というより、僕の時代になると黒板落としなんてものは時代遅れ......いや、馬鹿がするような悪戯だって身に刷り込まれていた子が大半だった気がする。
「黒板落としの事? .....でも、お盆を落とすのはやめよ? 痛いし」
僕は幼子を諭すみたいな声音でそう言いつつ、お盆をヒラヒラとさせて平花君に見せる。未だにぶつけた所がヒリヒリと刺激してきていた。全く、このお盆はどんだけ凶器なんだ?
平花君がそのお盆を見て何かを言いかけようとした時、ガチャリとドアノブが回る音がした。僕と平花君は音がした方向へと目を向ける。扉に掛けられたプレートには『土蜘蛛』と大蜘蛛の絵も添えられて書かれていた。平花君がポツリと「げ、土蜘蛛だ」と面倒臭そうに言った様に聞こえた。
「お客さんかー? ん? いや、新しい子?」
新しく現れたその土蜘蛛とやらは、僕と僕の足元にある荷物を見てそう問い掛けてきた。平花君はさっきまでの威勢はどっかへ飛んでいったのか、むっすりと大人しく口をつぐんだ。もしかしてこの人、怖い感じなのか? 逆らっちゃいけないタイプなのかな? そんな僕の止めどなく溢れる不安をよそに、土蜘蛛は僕と平花君を交互に見つつヘラッと余裕を孕んだ笑みを浮かべる。優しそうな笑みだけど、どこか眠たそうだ。逆鱗か何かに触れる訳にもいかないし、礼儀正しくいかなきゃ。
「あ、はい、そうです。えっと、土蜘蛛? さん?」
「ぅん? いいや。土蜘蛛って名前じゃぁないよ。あたしは八束。葛 八束って言うんだ」
僕が土蜘蛛さんと呼んだとき、八束さんは「うむ?」と言うような表しがたい声を漏らし眉間に皺を寄せた。あれ? これヤバイやつ? 僕はヒヤッとした感覚が体を包んでいくのを一瞬の内に感じた。でも、直ぐに八束さんはケラケラと笑って名前をポトリと落とした。怒らせた訳じゃないらしいから良かった。
「えっと、八束さん、ですね」
「堅苦しいし、八束で良えけんど」
「は、はい」
ガチガチと声が震える。全く、これだから人見知りは困る。恐る恐ると名前を呼んでみれば、八束さんは余裕綽々な飄々とした笑みを浮かべてそう提案してきた。八束さん......いや、八束は優しいのかな? でも必要以上に言動に気を付ける必要は無さそうだなぁ。
そう僕は安心するが、対する平花君は変わらず口を閉じたままだった。八束が話し始めてから、一言も発していない。八束は僕に向かって軽く微笑み、視線を僕から外す。次に射ったのは僕の隣に立ち尽くす平花君だった。平花君が背筋をピンと伸ばすのが分かった。八束の笑みも、先程までの友好的なものとは違う。何処か威圧するような雰囲気が漂ってきていた。八束の視線の標的でないにも関わらず、僕は額に冷たい汗が垂れるのを感じた。
嫌な感じが空気に漂うのを感じる。
平花君は肩をすくめ小さく縮こまっている。八束と平花君は大して身長も変わらないのに、八束が鬼みたいに大きく感じられた。
八束は少しの間、僕の方を見て「部屋に入ってて、その荷物も一緒に。あまり良いものは見せられないからさ」と至って明るくてフレンドリーさが滲み出た声音で言った。僕はすっかり怖い気持ちで一杯で、八束の言葉に従った。
開きかけの扉にすっと身を隠し、重い荷物を引きずるようにして部屋の中に引っ張り扉を閉める。部屋の中はすっからかんで綺麗だ。机、椅子、ベッドぐらいしか物は無く部屋の広さと釣り合っていない。タンスや本棚といったものは一切置かれていなかった。生憎と僕はそういった収納家具は引っ越しついでに持ってきていない。それでもいっぱいいっぱいに窓から射す光は眩しくも元気なものだと思う。まるで太陽が励ましてくれてるみたい。
「もうするなって言わなかったか?」
「......はい」
扉の向こうから聞こえてくる八束の叱る声と平花君の反省の声を除けば、すっきりとした未来が見えたことだろう。