コメディ・ライト小説(新)
- Re: 不良君は餌付けしたい ( No.16 )
- 日時: 2020/11/22 17:27
- 名前: Thim (ID: SG60l.ki)
◇第二章 もりもりおにぎり/プロローグ◇
なんでこんなものが学校にあるんだろう、と言う疑問は置いておく。いつのまに準備したんだろう、という疑問も。
今重要なのは、目の前にあるこれだけ。
言われたからには開けるしかない。あの時の彼は人一人殺していそうな顔をしていた。開けないと私がどうなるか分からない。
でも、私はこれを開けたくはなかった。だって、見るだけで嫌な予感が脳裏を駆けめぐるのだ。
だめだ、だめだ。絶対に開けては駄目。
そう、理解している筈なのに、それなのに私の手はそれに近づいていき、指が硬いそれに――
「……っ」
ポチッ。ふわぁ。
「ほわぁぁっ」
だから、だからこれを、この炊飯器を開けたくなかったんだ! 鬼山くんに任された時点でこうなることが何となく予想ついていたから!
先まで緊張で強張っていた顔は一瞬で蕩け、胸は高鳴り、高揚に身体が一瞬震えた。胸に手を当て、ぎゅぅっと握りしめ正気を保とうとしたけど、それは到底無理な話だった。私の鼻は私の意志を置き去りに勝手にぴくぴくと動き、そのかおりを嗅ごうとする。
これは、これは――
「しあわせの、かおりだぁ」
嗅いでいるだけで心がほっとするような。でもぐっと締め付けられるような。きっとこれには人を魅了する魔力があるんだと思う。
押し込められていた湯気が逃げ出す様に炊飯器から出てくる。前にショッピングモールで美顔器スチーマーというものを母と一緒に試した事があるけれど、それとは比べ物にならない。こっちの方があついから、長い間は当ててられないけど、この一瞬だけでも幸福感が違う。
湯気が少しずつ晴れてくると、その下にはつやつやと光るお米たち。
――米しか勝たん。
どこで聞いた事があるわけではないのに、自然と頭に思い浮かんだその言葉。
マタタビを嗅いだ猫のようにとろとろになった思考で、全面的に同意していた。
「……お前、何してんだ」
あつくねぇのか。そう私に問いかける鬼山くんの顔は見れなかった。
- Re: 不良君は餌付けしたい ( No.17 )
- 日時: 2020/12/16 23:03
- 名前: Thim (ID: SG60l.ki)
朝。天気予報では昼間は晴れるみたいだけど、朝は曇っていてまだ少し暗くて部屋の中がよく見えない。パチン、と音を立てて部屋の電気をつける。
そのまま脱衣室へと向かう。春だけど時々肌寒い日があるから着ているのはクリーム色の生地で出来た長袖パジャマ。薄地だからもう暫く使えると思う。
上着のボタンを外し、パサッと音を立てて脱ぎ捨てる。同じようにズボンも片足ずつ足を取り出していると、ブルブルと特に寒いわけではないけど反射的に体が震え、鳥肌が立った。
脱衣所の壁に立てかけてある大きめの鏡に映るのは、タンクトップと下着だけ身に着けた自分。胸もなく、やせっぽちの貧相な体。でも少し……
「ちょっと太ってる……?」
タンクトップを捲り、お腹もじっくりと見つめる。顔、手、足。隅々まで見渡してみて、なにが、どこが、どうとかは言えないけど、確かに何かが変わったという違和感があった。うんうん唸りながら鏡を見つめていたけど、やはり見るだけでは分からないと、覚悟を決めて一角に置かれてある体重計に乗ってみると――
「あぁっ! やっぱり太ってる!」
悲鳴を上げて体重計の上に頭を抱えしゃがみこんでしまった。やっぱり、やっぱりだ。あまりの衝撃に同じ言葉を繰り返す。
やっぱり食べ過ぎたんだ。だって明らかに多かったもん。普段食べているのの十倍はあったもん。
――それを完食しちゃった私も私だけど。
後悔しても後の祭り。うなだれながらこれからの事を考える。
とりあえず、今日は鬼山くんに何を言われようとも断ろう。近寄ってきたらトイレに行くふりでもして避けよう。怖いけど、鋼の意志さえもていれば大丈夫。
うんうん、と一人で決意している間に時が過ぎ、もうそろそろ出ないと電車に遅れてしまう時間になった。朝ご飯は今日も抜いて行こう。お母さんが机に置いておいてくれた冷えた白米とお味噌汁、おかずたちを手早く冷蔵庫にしまう。
制服を着つつ、鞄をひったくって玄関まで急ぐ。ローファーを履きながら玄関を飛び出して――おっとっと、と家を振りかえり
「いってきます」
誰もいない家に私の声が溶けて消えていった。