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コメディ・ライト小説(新)
- 星下荘の日常 壱 ( No.9 )
- 日時: 2018/11/20 13:26
- 名前: りあむ ◆raPHJxVphk (ID: OLpT7hrD)
「特に異常はありませんのじゃ」
翌日、来てくれた老医者は触診を終えて開口一番にそう告げた。付き添ってくれていたナナミさんが、ほっとしたように息を吐く。
「ボロボロじゃったという話じゃったが、外傷もなく、病気もしとらんよ。ただ、体力がとんでもなく落ちているようじゃて。地道に回復するこったの」
その言葉にナナミさんが頷くと、よかったわね、と輝く笑顔をこちらに向ける。
「記憶の方じゃが、わしも詳しいことはわからんのじゃがの……見たところ、身体を打ったようでものうて、精神的なもんかと思うがのぅ」
「そう……」
「本人が思い出すのを辛抱強く待つのが一番じゃろうな。とりあえず、じい秘伝のスペシャルな薬を処方するでの。きっと身体に合いますじゃ」
ありがとうございます、と頭を下げると、老医者は好々爺然としてニカッと笑った。
「早く元気におなり。それと坊主の方じゃが、あれも問題ないな。むしろ普通の人間より丈夫じゃて、よく寝、よく食べ、よく働かしてやれ」
「わかったわ、ありがとうじいさん」
普段丁寧な言葉遣いのナナミさんがじいさん、と呼びかける声に男らしさを感じ、人知れずドキッとする。
それじゃあの〜とカンカン帽を軽く持ち上げ、老医者はスタスタ部屋を出ていった。直さんが見送っている声がする。
「ん〜やっぱりだめか〜、あのじいさんにも専門外があるのね」
「高名な方ですか?」
「いえ……。一部では有名な方だけど。ワタシたちはずっとお世話になってるから……あの人に治せないものはないと思ってたわ」
ほんとにすごいのよ! とナナミさんは息巻くが、いまいちどう凄いのか伝わらない。こちらの印象としては、気のいいおじいちゃんだ。
「でも、じいさんから貰った薬を飲めば、格段に良くなると思うわ。本当によく効くのよ、いつも」
原料は知らないけど、とナナミさんは笑顔で続けた。
- 星下荘の日常 弐 ( No.10 )
- 日時: 2018/11/20 13:33
- 名前: りあむ ◆raPHJxVphk (ID: OLpT7hrD)
それから本当に、驚くほどの速さで回復した。
ふと目覚めてしまったいずみは早朝の布団の中で、あっという間だったこの一週間を思い返す。
おじいさんが帰ったその日のうちには一日半眠りこけていた青年も目を覚ました。目覚めてそのままこちらに駆けてきたらしく、部屋に入ってくるや否や腕の中に飛び込んできた。そのすぐに潤み始める瞳を見て思わず笑いながら、 改めて心からお礼を言った。案の定泣かれた。
その後、青年は千歳と名付けられ、ずっとくっついてそばを離れない彼に、ナナミさんが苦笑しつつも任せるわ、と言ったことで半ば強制的に彼にお世話になりながら(着替えや身体を拭くのは丁重にお断りした)、ナナミさんに服や髪を整えてもらったり、動けるようになってからは直さんに改めて住人や星下荘を紹介してもらったりして日々を過ごしていた。
直さんの本名は深瀬直巳さん、ナナミさんの本名は七海蓮さんで、名字をナナミと読ませているらしい。あとは稜葵さんと、その双子である水葵さんの四人の星下荘に、いずみと千歳が転がり込み、計六人で共同生活が始まった。
初日に全く動けなかったのが嘘のように、二日後には起き上がれるようになり、早一週間が過ぎた今では誰の助けもいらずに問題なく動き回れるようになっていた。
おじいさんの薬は本当によく効くようだ。原料は知らないが。
いろいろ考えていると目が冴えてしまった。眠りが浅いのか、寝てもすぐに起きてしまうのが続いている。寝転がっていればまた眠れるかと思ったが、どうやらそうはいかなかったようだ。
いずみはそっと起き出し、ナナミさんがどこからか調達してくれた、スタンドカラアのシャツに松葉色の木綿の半着、涅色の木綿の袴を履くと、静まり返った屋敷の中を物音を立てないように移動する。顔を洗うためだ。まだ夜が明けきらない空気中にはたくさんの"モノ"が浮遊している。夜が明けたら多くが消えるはずだ。いずみはふにふにしたそれらを手で避けながらそっと屋敷を抜け出した。
外に出て、小さな井戸のそばまで来る。辺りはまだ暗いが、視界に困るほどではない。柄に止まっていた変な大きな虫のようなモノを追い払い、常備されている桶の水で呼び水をして、ぎっこんぎっこんと水を汲み上げ、設置されている、円柱を縦で割ったような形の石の台にバシャバシャとあける。初めは戸惑ったが慣れたものだ。暑い夏の間でも、ここの水は常に冷たい。
音に引き寄せられたのか、モノ達が集まってきていた。興味深そうに飛び出してくる水を覗き込んでいる。いずみが水を掬うために手を近づけると、サッと散った。
屋敷の中にも洗面所はあるが、いずみは余計な物音で他の住人を起こしたくなかった。
気が済むまで冷水で顔を洗うと、台の縁に手と体重をかけ、暗く翳る水面を見下ろす。見慣れない顔がそこにはあった。
いずみは自分が一体いくつなのかわからなかったが、既に成人済みだという星下荘の住人は漠然と年上の人間だと感じる。まだ成人ではないのだろうと思う。それどころかおそらくまだ多くの人から見れば子どもだと感じるはずだ。しかし。
いずみは重く垂れるぼさぼさの髪の中から、こちらを見返すやけに鋭く冷たい紅い瞳から目を逸らした。
腰に下げてきた手ぬぐいで顔を拭いながら屋敷に戻るため歩き出した。
一体自分は何者なのか……。ここでの生活が落ち着いてくればくるほど考えないことは無い。相変わらず、出くわせばこちらを探るように警戒してくる稜葵さんの顔が思い浮かぶ。こちらの隠し事か何かを疑っているようだが、そんなのこちらが知りたいくらいだ。
気になって目が冴え眠れないこともあるけれど、気づかれないように振舞っても青年には心配そうにされてしまうし、ナナミさんがそっと声をかけてくれることもある。その優しさに心が温かくなりながら過ごしているものの、果たして自分にそんなに優しくされる価値があるのだろうか……。
屋敷に戻ると、直さんがすでに起き出していた。その姿を見た訳ではないが、朝ごはんのいい匂いがしているのでわかるのだ。直さんはあんな顔をして料理上手で、星下荘の料理番なのである。いずみは男性で料理する人を初めて見たのでとても驚いた。果たして記憶をなくす前はわからないが。
モノ達も、小気味よい音とおいしそうな匂いにつられて移動している。こんな朝ともいえぬ時間から直さんが動き出すとは、みんな今日も朝が早いらしい。
おいしそうな匂いを嗅ぐうちに、いつもぐるぐると鬱屈した思考は霧散してしまう。手伝わなきゃ……。
その匂いを辿って、いずみは厨房に向かうのだった。
- 星下荘の日常 参 ( No.11 )
- 日時: 2018/11/20 13:47
- 名前: りあむ ◆raPHJxVphk (ID: .pUthb6u)
「いずみ、千歳、来い」
「はい」
至福の時間(朝ごはん)を終え、その絶品料理の余韻に浸っていたところに御空色の青い着流し姿の気だるげな男性に声をかけられる。こうしてぶっきらぼうに自分を呼ぶのは、もうひとりの住人である水葵さんだ。どうやらあまりよく思われていないようで必要最低限の会話しかしていない。怜悧そうな綺麗な顔に、凍るほど冷たい眼差しをたたえている。
水葵さんはあの稜葵さんと初めは見間違えたほど顔や背格好がそっくりで、どうやら双子らしい。表面上は穏やかな稜葵さんとぶっきらぼうな水葵さん、正反対のようだけど、こちらを見る瞳の冷たさはそっくりだ。
星下荘では仕事の都合上ひとりひとり食事を取る時間がバラバラだ。どうやら水葵さんも朝食を済ませてきたらしい。
いずみは、同じように居候している千歳とのみ、ずっと食事を共にしている。他の住人と被ることもなく、作ってくれる張本人である直さんでさえ全く被ることがないので、忙しい直さんと会うこともなく、あの美味しいご飯のお礼を言うのもままならない。しかも直さんは少し前まで、あの時間のない朝の中、回復しきらないいずみのために別の献立にしてくれていたのだった。今はもう同じではあるが、いずみは厨房を手伝ってお礼をしようと、そうっと実行していた。ものすごい迷惑がられているが、少しずつ馴染めてきたような気がしていた。
「千歳、おいで」
「!!」
心得たように青年が寄ってくる。
いずみの声だけにはちゃんと反応するので、いずみが通訳者(一方的だが)になるうちに、新人ふたりはふたりで一緒くたの扱いを受けている。
来たばかりの頃は、いずみ以外の人に対して警戒心を顕にしていたらしいが、今ではその欠片ほども感じられないくらい穏やかに過ごしている。時々、どこかに行きたそうにしていずみに何かを訴えかけるくらいだが、いずみにはサッパリわからなかった。常にぴったり後をついてくるこの青年の正体も未だに謎だ。
少し遅れてついて行くと、履き物を履き替え外に出る。そして今朝来た汲み上げ井戸の前で、洗濯物の籠を片手に抱えた水葵さんが待っていた。いずみは思う。まったく揺るがない無を讃えた綺麗な顔に、ここまで洗濯カゴが似合わないとは。
そして先日の洗濯が思い出され、苦い思いがする。六人分の肌襦袢と手拭いなどの洗濯は思っていたよりもキツかったのだ。
しかし、いずみは早く慣れたかった。着物の洗濯は本来季節間に年に数えるほどしかしないはずだが、何故かここの住人は毎日驚くほど汚して帰ってくるせいで、着まわしても足りないはずなのだ。しかし肌襦袢はともかく、着物の洗濯は大変なので、今まで洗濯の手が足りなかったらしい。せっかく居候しているうちは自分が少しでも力になって、気持ちよく過ごしてもらいたいと思う。
道のりは険しい。先日でさえ、千歳はケロッとしていたが、いずみは洗濯だけで疲れてしまってそれ以上他のことは出来ず、水葵さんから「情けない」のお言葉と冷たい眼差しを頂戴していた。その通りである……。
「今日は洗濯物の干し方」
「はい」
「……洗濯は昨日教えた通りにやって。洗い終わったらこの桶にいれて――――」
話を聞きながら、いずみは襷を咥え袂を固定するために括りあげる。
数日前からこうして星下荘での生活の仕方と仕事を教えて貰っている。先日の洗濯の仕方に始まり、今日は干し方だ。簡単な家事さえ何一つ知らないいずみを訝しがるも、記憶喪失なのもあり、「ここで過ごすなら仕事をこなせ」と直さんが教え込むことに決めたのだ。みんな忙しいらしく常に誰かがいないので、こういう生活するための仕事がたくさんあるのを手伝ってくれると助かるという。正直、数日過ごしただけで既に、今までよくやってこれたものだと思う。とても大変であるのはもちろん、みんな本当に忙しいのだ。休んでいる姿は未だ見ていない。
それほどであるにも関わらず、一通り覚えるまでは水葵さんがつきっきりで教えてくれているのだが、直さんの指名であるとはいえ、正直なぜ水葵さんが引き受けてくれたのかは謎だ。洗濯を一緒にしてくれている今も、明らかに馴れ合う気はないオーラがビシバシ出ている。……本当に謎だ。笑顔で毒を吐いてくる稜葵さんに比べれば、わかりやすく態度に出す水葵さんはまだ大分マシだと思うが。
その水葵さんの穴を埋めるように、それ以外の人がいつも以上に駆り出されているようだった。実際今日も、もうすでに星下荘には自分たち三人しかいない。どうやら星下荘のみんなは同じ職場らしいのだが……。一体なんの仕事か気になったが、ナナミさんは苦笑して「んー……営業のお仕事?」としか言わなかった。
現状では、居候組がいることによってより大変になることはあれど、楽になることはない。役に立てるようになるために必要な期間といえど、いずみは歯痒かった。
「……ここで干す。竿を組み立てるから少し待って」
「はい」
全員分の洗濯物を三人で洗い終え、洗濯物の桶を持って水葵さんについて行く。洗い場が腹の位置なので、しゃがむことなく、袴でも問題なかった。先日よりは手際よく出来たと思ったのだが、水葵さんからは何の反応もなかった。
少し歩いて庭の一角で足を止める。
だいぶ陽は昇ってきてしまっているものの、先日に比べればまだマシな時間だ。
星下荘は荘の周りを庭で囲まれ、そのさらに周りを垣根で囲われている。山に面しているところだけ土留で遮られていて、庭がその方向は広くなっていて、今はそこに立っている。
この辺りは陽が沈むのが早く、その分陽が当たり辛いが、早いうちは陽が当たるのだ。
- 星下荘の日常 肆 ( No.12 )
- 日時: 2018/11/20 14:28
- 名前: りあむ ◆raPHJxVphk (ID: .pUthb6u)
支えは普段下ろされているので、それを立ち上げる。三本の棒が一箇所で括られていて、それを三方向に広げて立たせるのだ。そして竿を一方にかけると水葵さんは手招きした。
「洗濯物を竿に通して。今日は人数多いから、俺が竿持ったままでいるから」
「わかりました」
せっせと二人で洗濯物をかける。襦袢の袖口をそのまま竿に通すので、竿の一端は上げたままにしていないといけないのだ。ひとつの竿に掛け終わると、水葵さんがサッと飛び上がり、身長の倍近くある支えの突起に竿をかける。
今は六人いるので洗濯物の量もそれなりだ。今まで竿は三つ使っていたようだが、今は少し詰めて四つ使っている。一組の支えに上下二本ずつかけ、最後の一本を掛け終わると、気づけば太陽は高く上っていた。
「終わり」
「ふぅー……おつかれさまです」
「今日みたいに洗濯して干すのは週に一回。基本的に交代制でね。でも君らが来たから週に二回はお願いしたい」
大変だ。思わず疲れた顔になってしまう。男所帯での苦労が伺える。
「今は夏だしすぐ乾くから、昼過ぎには取りに来るよ」
「はい」
今日の午後は洗濯物を取り込む以外は水葵さん監督のもと、セミの鳴き喚く中、全てリハビリにあてられた。急になぜ、と困惑するいずみだったが、彼曰く、「なよすぎ。この先また倒れられても困るから」とのことだった。
ぐぅの音も出ず、鬼教官に従うしかなかった。しかしそれがキツかった。とてもキツかった。初めからキツかったのだが、次々に尚も厳しく課題の難易度をあげられる。水葵さんはもちろん、付き合ってくれた千歳もあまりにも楽々とこなすので、音をあげるにもあげられず、千歳のサポートを受けながらなんとか食らいつく。
無理をした結果、夕方頃に目を回して倒れたいずみだった――――
いずみは天井を睨んだ。改めて自分の弱さを自覚し、憤慨していた。
先程まで伸びていたいずみは、千歳によって運ばれ寝かせられていたらしい。満身創痍でとてもだるい。
少し前、目覚めるとあわあわと心配する千歳の顔が視界いっぱいに映り込んでいた。苦笑いで大丈夫だと宥める。
やっと気づいたか、と突然声が聞こえ驚いて視線を上げると、なんと水葵さんが部屋の隅の壁に寄りかかって立っていた。目が合うと、「脆弱」と呟き、すぐにそのまま出て行ってしまった。いずみが目覚めるのを確認するためだけにいたらしい。
去り際の蔑むような視線が痛い。
いずみは満身創痍で起き上がれないまま、片手を額にバチンと下ろした。ぐぅと唸る。
ちょうど部屋に戻ってきた千歳が、いずみの突然の行為に驚いたらしく、持ってきた水を零しそうなほど飛び上がる。
……情けない。
世話になっている身ながら、何か役に立とうともわからないことばかりで何もできず、水葵さんに教えてもらっている身……そればかりでなく、すぐ倒れてしまうなんて。
実は倒れたのは初めてではなかった。動けるようになってすぐは少しでも無理をすると倒れてしまっていた。
その度に千歳がつきっきりで介抱してくれる。何度も何度も申し訳なく、断ろうとするのだが、離れている方が辛そうな顔をするのだ。
仕方がない、無理はしないで、と直さんやナナミさんは言ってくれる。しかし、本音はその度に辛辣な言葉を投げかけてくる稜葵さんと同じに違いない。
はやく役に立てるようになりたい。必要とされるように。いらない、ただの居候ではいたくないのに……。
ここしばらくは大丈夫であったけれど、また倒れてしまったことを知られれば、また稜葵さんに責められる、だろう。ただでさえ歓迎されていないのに、迷惑しかかけないのだから……。
……頭が痛い。ズキズキする。苦しい。
――――ぴとり、と額に冷たいものが当てられた。
途端に当てられた布に熱を奪われ、火照っていた顔の強張りが緩む。いつの間にか浅くなっていた呼吸も、ホッとしてふーっと深く吐き出す。
きっと千歳が当ててくれたのだろう。手の先に彼のものと思われる服の裾が当たった。確認するべくもなく、熱が引くとともにスーッと意識が再び遠のき始める。
苦しそうに歪んでいたいずみの顔が、ふっと緩むのを見て、安心したように千歳は息を吐き出した。水を持ってきたものの、飲まずにまた寝てしまったらしい。起きたときに飲めるよう、枕の傍らに盆を置いた。
かつての自分の居場所を見失い、無意識に探して、倒れる度に追い詰められていくようないずみを見る度、千歳は胸が張り裂ける思いがしていた。
――――あのとき、あンなことが起こらなければ。
行かなければならない。しかし、ここにいる限り彼女は無事……。そもそも彼女に伝える手段が何もない今、それならば全て忘れたまま、何も知らない方がいいのではないか……。
過去に思いを馳せ、苦しげに顔をゆがめる千歳の揺れ動く胸中は、声を失った今、誰にも伝わることはなかった。
「あり、がとう……」
「……っ!」
千歳の袖が握り込まれ、完全に眠りに落ちたと思っていたいずみの唇の端から溢れた。
事あるごとに、振り返って手を握り、受け取るには烏滸がましい言葉をくれる彼女の顔が、目の前にありありと浮かぶ。今の彼女の顔も、幼い彼女の顔も。
いつだって、その言葉に見合う対価を払えたことはなかったのに。
千歳はいずみに布団を掛け直し、そっと部屋を出た。
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