コメディ・ライト小説(新)

Re: あなたの剣になりたい ( No.2 )
日時: 2019/06/23 21:43
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFLyzH3q)

episode.1 一夜きりの宿はいかが?

 あれからどのくらい走っただろうか。やがて、背後から聞こえてきていた爆発音が聞こえなくなった。

「追っ手は諦めたようです!」
「ホント!?」

 少年がそう言ったのを聞き、足を止める。それから、恐る恐る振り返ってみた。が、そこにいたのは少年だけ。敵らしき者の姿はなかった。

 ほっとして胸を撫で下ろす。

「良かったぁ……」

 呼吸は荒れるわ、胸が痛いわで、散々だ。
 ただ、逃げ切ることができたのは良かったと思う。

 薄暗い森の中で死ぬ、なんて寂しい最期だけは、絶対にごめんだ。

「あの……エアリ」

 少年が声をかけてきた。

 ……しかし、どうしていきなり呼び捨てなのか。

「なぜ、助けて下さったのですか?」

 少年は、少年らしからぬ怪訝な顔で、そんなことを尋ねてくる。その青い双眸は、私の顔をじっと捉えている。

「貴女には、わたくしを助ける義務などなかったはずです。なのになぜ?」
「理由なんて、よく分からないわ」
「まさか、理由もなくわたくしを助けて下さったのですか?」

 彼は奇妙な生き物を見るような目で私を見てくる。

 彼には理解できないのかもしれないが、助けたことに理由なんてない。彼を引っ張ってきたのは、緊急時だったから自然と体が動いただけ。それ以下でもそれ以上でもないのだ。

「そうよ。……悪い?」

 どんな反応が返ってくるだろう、と思いつつ、横目で少年を見る。

 そして驚いた。

 彼の青い双眸が、輝いていたから。

「貴女は天使様か何かですか!?」
「え」
「天使様ですよね!?」

 凄まじい勢いで迫ってくる。
 何なんだ、一体。

「ち、違うわよ!」

 曖昧な態度を取って、壮大な誤解に発展しては大惨事だ。だから、はっきり否定しておいた。早めに否定しておく方が良いだろう、と思って。

 しかし、少年の勢いは止まらない。

「貴女は天使様です! 間違いありません!」
「いや、違……」
「ですよね!?」

 あまりにも執拗に言われたものだから、ついに爆発してしまう。

「どっ……どうしてそうなるのー!」

 叫んでから、やってしまった、と焦る。
 ついさっき出会ったばかりの相手に向かって今のような高圧的な言い方をするなんて。今日の私はどうかしている。

「あ……ごめんなさい、大きな声を出して」
「い、いえ。こちらこそ、一方的に言ってばかりで申し訳ありません」

 お互い正気に戻ったようだ。

 夜空の下、非常に気まずい空気に包まれる。

 私と彼は互いの目を見合う。お互いの顔色を窺うように。私がそうであるように、彼も、悪意があって暴走したわけではないだけに気まずさを感じているのだろう。

 そんな時、私の名を呼ぶ声が聞こえた。

「エアリ!」

 声を聞き、周囲を見回す。
 すると、村の方から走ってくる人影が視界に入った。

「エアリなのか!」

 ギクッ。

 ……父親の声だ。

 恐らく、買い物に出ていったっきり夜まで帰らない娘を心配して、探し回っていたのだろう。

「エアリ!!」
「……父さん」

 ようやく、父親からも私の姿が見えたみたいだ。父親の走る速度が、急激に速まる。
 私は父親を見て、一瞬は嬉しかった。しかし、この後叱られるのだということをすぐに思い出して、複雑な心境になった。

 やや肥満体型の父親は、全力で駆け寄ってくる。
 体型のわりには速い走り。

 その頬には、涙の粒の跡。かなり心配してくれていたようだ。

「無事か、エアリ!」

 あれ?
 思っていた反応と違う。

「遅くなってごめんなさい、父さん」
「無事で良かったァ!!」

 父親は、駆けてきた勢いのまま、私の体を抱き締める。
 しかし、すぐに両腕を離した。

「……いや、違った」

 こほん、と咳払いをして。

「エアリ! 夜まで外をうろついて、どういうつもりだ!」
「えぇ?」

 父親は基本的には厳しい人だ。それゆえ、「夜まで外をうろついて、どういうつもりだ!」と言った父親の方が父親らしいと言える。
 が、今日の父親は、一度は厳しくない対応を取ったのだ。
 厳しくされることには慣れているが、どうせなら厳しくない方がありがたい。私としては、その方が助かるのだが。

「しかも」

 父親は一度、じろりと、少年へ目をやる。それから視線を私へ戻し、言い放つ。

「男連れとはどういうことだ!」
「待って待って! 話を聞いて!」

 少年に殴りかかりそうな勢いの父親を、私は慌てて制止する。

「……なに」

 眉間にしわを寄せる父親。

 いきなり敵襲が、なんて、まるで小説のようで少し言いにくい。けれど、ここで私がきちんと説明しなければ、少年にまで迷惑がかかってしまう。特に罪のない少年が罪人のような扱いを受けることがあってはならない。

 だから、言いづらくとも言わなくては。

「事情があるのよ!」
「事情、だと?」
「そう! 彼は森の中で気を失っていたの。それで、私の方から声をかけたのよ。そうしたら、いきなり得体の知れないやつに襲われて……」

 父親の眉間のしわが、さらに深くなる。

「襲われただとォ!?」
「そうなの。それで、逃げてきたのよ」

 それでも父親は、よく分からない、というような顔をしている。

 無理もない。いきなり「襲われた」なんて聞かされても、すぐに理解できるわけがないのだ。もし私が父親の立場であったなら、今の父親と同じ顔をしたことだろう。

「あ、そうだ。彼ね、不調があるみたいなの」

 ふと思い出し、述べる。

「エアリ、一体何を?」

 父親が返してくるより早く、少年が問いかけてきた。

「あの時、何だか辛そうにしていたでしょう?」
「……どうか、そのようなことは気になさらないで下さい」

 少年は私を見つめ、小さく首を左右に動かす。どうやら、私たちに世話になる気はないようである。

「駄目よ! 早期発見早期治療が大切なの!」
「いえ、しかしそこまでお世話になるわけには……」
「いいからいいから」

 私は彼に歩み寄り、その細い肩に手を乗せる。そして、そのまま首から上を父親の方へと向けた。そんな私を、父親は、眉間にしわを寄せたままじっと見つめている。

「父さん、お願い。今夜、彼をうちに泊めてあげて」

 少年の正体は分からない。だから、どこに住んでいるのかも分からない。ただ、手負いの状態で今から帰宅するというのは無理があるだろう。怪しい人ではなさそうだし、一夜泊めるくらいなら問題ないはずだ。

「いいでしょ?」
「まったく……しかたないな」

 お、いい感じ?

「今日だけだぞ」

 やった!

「いいの!?」
「不調があるなら仕方ない。今夜だけは認めよう」
「ありがとう、父さん!」

 こんなにもすんなりいくとは思わなかった。正直意外だ。まさか、という感じである。

「じゃ、早速行きましょ! えーと……」
「リゴール・ホワイトスター」
「え?」
「わたくしの名です」

 手を差し伸べてはみたものの名前が分からず困っていた私に、少年はさらりと名乗ってくれた——のだが、聞き逃してしまった。

「……リンゴリラ?」
「リゴールです」
「そう! リコール!」
「違います、リゴールです」

 何度か言ってもらい、ようやく正しく聞き取ることができた。

「リゴールね!」
「はい」
「じゃ、一緒に来て!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.3 )
日時: 2019/06/24 17:09
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 3i70snR8)

episode.2 部屋まで案内

 夜の森で出会った少年——リゴールを連れて、私は帰宅した。

「彼を部屋へ案内するわ、父さん」
「部屋?」

 私の暮らす家は、村の中では比較的大きい部類だ。二階建てで、広くはないが庭もある。そんな建物を、仕事であまり帰ってこない母親を含む家族三人と住み込みの使用人数名だけで使っているから、空き部屋もいくつかある。

「私の隣の部屋! 確か今は空いていたわよね」
「そうだな。だが、掃除はできていないぞ」
「けど、少し前まで使っていたでしょう?」

 私は曖昧な記憶で言ったが、父親は真剣な顔で頷いた。
 どうやら、私の記憶は間違ってはいなかったようだ。

「使っていいわよね!」
「……仕方ない、今夜だけだぞ」

 父親は渋々許可してくれた。

 無事部屋の使用許可を得られたところで、私はリゴールに視線を向ける。

 灯りのあるところで改めて見ると、彼はなかなか貧相な体つきをしていた。

 身にまとっている薄黄色の詰襟の服は、いかにも貧しそうといった感じの服ではない。それどころか、どちらかというと高級そうである。日頃あまり見かけることのないデザインの服だが、なかなか綺麗だ。

 しかし、その体つきといったら。
 少年だからなのだろうが、背は低く、全体的にほっそりとしたラインだ。男らしさからはかけ離れた、線の細さである。

「エアリ? どうしました?」

 ついじっくりと眺めてしまっていた私に、リゴールが言ってくる。

「わたくし、何かおかしいでしょうか?」

 いくら相手が男性だとはいえ、こんなにじっくり眺めるというのは失礼だったかもしれない。

「い、いえ! じゃあ早速、部屋へ案内するわね!」
「……お手数お掛けして申し訳ありません」
「いいの! これは全部、私がやりたくてやっていることよ」

 するとリゴールは、ふっとさりげない笑みをこぼした。

「では……ありがとうございます、ですね」

 彼が浮かべる笑みは、妙に大人びていて、不思議な魅力がある。そう、例えるなら、夏の終わりの夕暮れのような。彼の笑みは、そんな笑みだ。


 リゴールを部屋まで案内していると、途中で、一人の女性に出会った。

「エアリお嬢様!」
「こんばんは、バッサ」

 彼女は、住み込み使用人の一人。
 私が小さい頃から我が家で働いてくれている、ベテランだ。

 背はさほど高くなく、やや肥え気味で、着ている丈の長いワンピースは紺色。その上からやや黄ばんだ白エプロンを着用している。ところどころ白髪の混じった赤茶色の髪はうなじで一つに束ねてあって、その頭部には白色の帽子を被っている。

「無事帰ってこられたのですね」
「えぇ。帰ってこられたの」
「お父様が大変心配なさっていましたよ」

 そんな風に言葉を交わしていた時、バッサの視線が突然、私の後ろのリゴールに向いた。いつもはいない彼の存在に気がついたようだ。

「お嬢様、後ろの方は?」

 バッサは穏やかな表情のまま尋ねてきた。

 どう紹介すればいいのだろう。真実をそのまま伝えるのか、あるいは、もっと自然な伝え方をするのか。悩ましいところだ。

 私は暫し考える。

 十秒ほど考えた後、実際のところをそのまま伝えることにした。

 バッサは私が幼い頃から傍にいてくれた。身の回りの世話はもちろん、遊び相手だってしてくれた、いわば祖母のような存在だ。そんな彼女にだからこそ、嘘をつきたくなくて。

「さっき森で出会ったの。今夜一晩、うちに泊めることになったのよ。父さんから許可は貰っているわ」

 私の言葉に、バッサは、暫し奇妙なものを見たような顔をする。
 だが、すぐに穏やかな表情に戻って、口を動かす。

「そうでしたか。お嬢様のお部屋をお使いに?」
「さすがに分かっているわね!」
「はい。では、支度して参ります」

 そう言って、彼女は歩き出す。

 べつにそんな大層な支度は要らないの。そう言おうとしたけれど、彼女はあっという間にいなくなってしまったから、結局言いそびれてしまった。

 バッサがちょうどいなくなったタイミングで口を開くリゴール。

「素晴らしいサービスですね!」

 彼の瞳は、またしても輝いていた。
 ……これは少々まずそうな感じだ。

「感動しました! こんな素晴らしいところがあるなんて!」
「サービスなんて立派なものじゃないわよ」
「いえ! どう考えても、立派です!! 素晴らしいです!!」

 そろそろ暴走し始めそう。
 何とか止めなくては。

「あ、ありがとう。でも、その、そんなに大きな声を出さないで?」

 すると、リゴールは両の手のひらで口元を押さえた。

「も、申し訳ありません……つい……」

 彼は少女のように顔を真っ赤にしていた。頬は赤く染まり、熟れた小さな果実のよう。男性相手にこんなことを言うのは問題なのかもしれないが、今の彼には妙な可愛らしさがある。

「気にしないで。それより、行きましょう」
「はい」
「あ、そうだ。ところで不調は? もし怪我なら、簡単にでも手当てしておいた方がいいわ」

 困ったような顔をするリゴール。

「いえ、そこまでお世話になるわけには……」

 またそんなことを言う。
 私は少々苛立ってしまった。

「そういう問題じゃないでしょ!」

 つい調子を強めてしまう。
 そんな私を見て、彼は、おろおろする。

「は、はい……申し訳ありません……」

 若干言い過ぎたかもしれない。

「急に強く言ってごめんなさい。でも、無理は良くないと思うの」
「……はい」
「バッサなら手当てもできると思うから」

 その後、私はリゴールと共に再び歩き出す。

 夜の廊下は寒い。暗いし、人はいないし、まるで恐怖の館のよう。けれど、私にしてみればあまり怖くはない。視界が悪いことには慣れているし、毎晩ここを通って自室へ行っているからだ。


「はい、到着!」

 薄暗い廊下を歩くことしばらく、私の自室の近くへ到着した。
 今夜リゴールを泊めるのは、私の部屋の隣の部屋。今は使われていない、狭めの部屋である。

 扉の前で少し待っていると、やがてバッサが出てきた。

「エアリお嬢様。お待たせ致しました。支度、完了しました」
「もう使えるのね」
「はい。簡単な支度ですが」
「ありがとう、バッサ」

 バッサは両手を腹の前で会わせたまま、軽くお辞儀をした。
 私は視線を、一旦、バッサからリゴールへ移す。

「行きましょう、リゴール」
「……はい」

 リゴールの黄色い髪は、薄暗い中でもよく映える。また、青い瞳は爽やかさを高めている。

「それではこれで失礼致しま——」
「あ。待って!」

 去ろうとしたバッサを止める。

「……お嬢様?」
「彼ね、手当てしなくちゃならないかもしれないの」
「手当て、ですか?」

 言いながら、バッサはリゴールの方に目をやる。唐突に目を向けられたリゴールは、気恥ずかしそうな顔をした。そんな彼に対し、バッサは躊躇いなく尋ねる。

「どのようなお怪我です?」

 さらりと質問されたリゴールは暫し戸惑いの色を浮かべていたが、十秒ほど経ってから控えめに答える。

「……足を、少し」
「足ですか。承知しました。では準備を致しますので、先にお部屋へ行っておいて下さい」

 バッサはそう言って、にっこり笑った。
 私とリゴールは、また二人きりに戻る。

「本当に……何から何まで申し訳ありません」

 リゴールは困ったように眉を動かし、組み合わせた手を腹の前辺りに添えて、謝罪してきた。
 心から悪いと思っているような顔をしている。

「いいのよ、気にしないで。それより、足、大丈夫?」
「はい。それほど深い傷ではありませんので」

 そう言って、リゴールは笑う。

 直前までは申し訳なさそうな顔をしていたのに。
 彼の表情は一瞬にして変わった。

 すんなりとは理解しづらい、驚くべき素早い変化だ。

 ーーでも。

 なぜだろう。理由はよく分からないけれど、彼には親しみを覚える。まるでずっと昔から知り合いだったかのような、深いどこかで繋がっているような、そんな感じがするのだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.4 )
日時: 2019/06/25 18:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: exZtdiuL)

episode.3 ホワイトスター

 その後、バッサがリゴールの足を手当てしてくれた。

 リゴールは膝までもない短い丈のブーツを履いていたのだが、それを脱ぐと、足首に傷を負っていた。血は既に止まっていたようで。しかし、一時は出血があったらしく、傷の周りには赤黒いものがこびりついていて。その様といったら、非常に痛々しいものだった。

 だが、バッサの手当てが終わる頃には、リゴールの足首は綺麗になっていた。

 もちろん、すぐに傷が癒えるわけではないし、痛みが完全消滅したということもないだろう。ただ、見た目という面では、かなりましな状態になっていたのである。


 そして、翌朝。

 降り注ぐ朝日に目を覚ました私は、寝巻きからいつも着ている黒いワンピースに着替える。そして、黄みを帯びた橙という感じの色をした肩甲骨辺りまで伸びた髪を、ゆっくりと、木製の櫛くしでとかす。よく朝に行う身支度である。

 私は元々、朝に強い方ではない。それゆえ、いつもはついつい、二度寝してしまう。用事がない日だと、一度目が覚めても、「まぁいいか」と思ってしまうのである。

 だが、今日は別だ。

 今日は、リゴールに会いに行く、という用事がある。
 だから、自ら進んで起きることができた。


 隣の部屋へ移動し、木製の古ぼけた扉を見据える。中にいるのが知り合いだと分かっていても、ノックする前には一応緊張してしまうものだ。

 私は胸の鼓動が速まるのを感じつつも、迷うことなくノックした。

 そして暫し待つ。

 それから数十秒ほど経ち、少し扉が開いた。

「……おはようございます」

 細く開いた隙間から、青い瞳が覗く。
 一歩引いたように控えめで、穏やかな目つき。それは間違いなくリゴールのものだ。知り合って一日も経っていないが、今覗いているのが彼の瞳だということは容易く分かる。

「おはよう、リゴール」
「今お開けします」

 リゴールは扉を開ける。
 今度は少しではなく、人が通ることができるくらい開けてくれた。

 室内へ入る。

 やや朽ちかけている木製の一人用ベッド。そこには、二枚ほどのタオルが敷かれているだけ。寝心地は悪そうだ。少なくとも、私がそこで寝るのは無理だろう。

「昨夜はお世話になりました。感謝致します」

 リゴールは丁寧にお辞儀をする。
 彼は妙に礼儀正しい。もしや、良い家の生まれなのだろうか。

「いいの。それより、足はどう?」
「痛みはほぼありません」

 彼は言いながらベッドに腰掛けると。そして、包帯を巻いてある足首を、上下に軽く動かす。

「色々お世話になってしまい、申し訳ないです」
「気にしないで。元気になってくれたなら良かった」
「ありがとうございます……本当に」

 リゴールはベッドに腰掛けたまま、視線を微かに下げた。ほんの少し俯き、何かを思い出しているかのように漏らす。

「助けていただいていなければ……今頃は」

 森で遊んでいたら迷った。少年ゆえ、そういうことも考えられる。だが、今の彼の表情を見ていたら、そんな簡単なことではないように感じられてきた。もしただの迷子であったなら、泣きわめくことはあったとしても、こんな哀愁漂う顔をすることはないだろう。

「ねぇ、リゴール。貴方、どうしてあんなところにいたの?」
「え」
「夜の森の中で一人でいるなんて、不思議だなって思って」

 言ってから、ふとリゴールの方を見る。
 彼は俯いていた。

「答えたくなければ、答えなくていいのよ。ただ少し気になっただけで、嫌がっているのに無理矢理詮索する気はないもの」

 私がそう言っても、彼は俯き黙ったままだった。

 もしかしたら聞かない方が良かったのかもしれない。そこには触れるべきではなかったのかもしれない。

 だが、気になったのだ。
 気になってしまったのだから、仕方ないではないか。

「リゴール?」

 一度名を呼んでみる。
 すると、彼はようやく面を持ち上げた。

「エアリと仰いましたね」

 逆に確認されてしまった。
 いや、もちろん、問題があるわけではないのだが。

「助けていただいたお礼と言っては何ですが、本当のことをお話します」

 リゴールは襟を開けると、その中からペンダントを取り出した。
 星の形をした白色の石が埋め込まれた、銀色の円盤のようなペンダントを。

「わたくしの生まれはホワイトスター。そこから脱出する途中、敵襲によってご、いや、仲間と別れてしまいまして。その結果、気がつけばあの森にいたのです」

 彼が始めたのは、いつか読んだ童話のような話。
 脱出だとかこことは違う世界だとか、ロマンがあって嫌いではない。

 だが、現実の話だとはとても思えない。

「え、あの、それは一体どういう話?」
「わたくしがあそこにいた理由です」
「えっと……好きな物語の話じゃなくて?」

 するとリゴールは首を傾げた。

「物語? 何です、それは」
「え。物語を知らないというの? よくあるじゃない、本になっているような、架空のお話」

 一応説明してはみるものの、彼はまだよく分かっていないようだ。

「……架空? では違います。わたくしが話したのは、貴女が仰る物語というものではありません」

 事実であるかはまだ判断できない。
 ただ、彼はまぎれもない事実であると認識しているようだ。

「えっと……大丈夫? 頭打ってない?」

 とても事実とは思えないが、嘘と決めつけるのも早計だろう。そう思いつつ、取り敢えず問いかけてみた。

「はい。恐らく、打ってはいません」

 ——その時、ふと思い出す。

 彼と出会った時、何があったかを。

 起きたのだ、得体の知れない爆発が。それも一度ではない。爆発は、確かに、何度も起きていた。暗いうえ余裕がなかったというのもあって、何がどう爆発しているのか見ることはできなかったけれど。でも、爆発は確かに起きていた。

「……まさか、本当なの」

 私はリゴールの瞳をじっと見つめる。だが彼は、目を逸らしはしなかった。私と同じように、彼もこちらをじっと見つめている。ほんの少し、不安げな目で。

「すみません、唐突にお話してしまって。こちらではホワイトスターのことは知られていないのですよね」

 分からなさは変わらないが、今は、少しは信じてみる気になってきた。

「えぇ、聞いたことがないわ」
「やはりでしたか。名乗らせていただいた時、特に何も反応なさらなかったので、そうかと思いはしましたが……」

 もっとも、すぐに完全に理解するというのは難しいが。

「ホワイトスターでは、私たちの暮らすこの世界は知られているの?」
「そうですね、はい。仮の名として、地上界と呼んでおります。完全に明らかになってはいませんが、情報は少し聞いていましたので、地上界へ来てしまったということはすぐに分かりました」

Re: あなたの剣になりたい ( No.5 )
日時: 2019/06/26 19:28
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: GudiotDM)

episode.4 光舞う魔法

 リゴールがこの世界の人間でなかったという事実を、私は、まだ完全には信じられていない。
 だが、彼の話を信じられないのは、私が疑り深い性格だからではないはずだ。こんなことを言われてすんなり信じられる人なんて、世の中を見渡しても、そう多くはないだろう。

「じゃあリゴールは……ホワイトスターという世界から来たのね」

 リゴールは頷き、「地上界から遠く離れたところにある世界です」と付け加える。その表情は、とても穏やかだ。

「ということは、帰るのに結構かかりそうね。その足で大丈夫?」

 軽い口調で尋ねる。
 すると、リゴールの表情が曇った。

「え……。私、何か悪いこと言った?」

 悪気なんて欠片もなかった。それはまぎれもない事実。胸を張って言える。が、悪気ないから何でも言って良いということでもないだろう。私の発言で彼が不快な思いをしたのだとしたら、それは問題だ。

「気にさわったなら謝るわ」
「……い、いえ」
「ごめんなさい」
「いえっ……そんな、わたくしのことは気になさらないで下さい」

 リゴールは笑う。

 でもそれが偽りの笑みだと、私には分かった。
 眉が困り顔の時のような形になっていたから。

「それよりエアリ!」

 リゴールは唐突に話を変えてきた。
 さらに、ベッドから立ち上がる。一、二、三、四、と足を進め、くるりと体をこちらへ向けた。

「せっかくの機会ですから、ここは一つ、興味深いものでもお見せしましょう!」
「興味深いもの?」
「はい! 少しお待ち下さい」

 そう言って、胸元辺りから一冊の本を取り出す。閉じていれば片手の手のひらに収まるくらいの小さな本で、しかし立派なハードカバーがついている。

「宙を見ていて下さいね」
「えぇ」

 私は頷く。
 リゴールは、本を開いた。

「では参ります」

 そう言ってから、リゴールは宙に手をかざす。
 すると、驚いたことに、何もない空間に光が現れた。

 光、という表現が正しいのか分からない。どちらかというと、光でできた塊、という表現の方が正確かもしれないが。

 とにかく、それが宙に浮かび、しかも動いているのだ。

「え、えぇっ!?」

 思わず大声を出してしまった。

「わたくしが使える魔法のうちの一つです」

 リゴールは自慢げに述べる。

 目の前で行われている行為を、私は、信じられない思いで見つめた。
 光が塊となり、宙に浮き、自在に動く。そんな怪奇現象を、人が意図的に起こしている。

 ……とても信じられない。

「貴方は本当に魔法を使えるの?」
「はい。いくつかだけではありますが」
「いくつか……そんなの、一つだけでも十分凄いわ」

 驚いているのもあり、気の利いたことは言えなかった。

「いえ。ホワイトスターの民なら、多くが魔法を使えます」

 凄くなんてない、とでも言いたげだ。

「凄いわよ! 信じられない、けど……面白いっ!」
「そう言っていただければ嬉しいです」
「他には何かないの!?」

 いくつか、と言っていたことから考えると、リゴールが使える魔法は他にもあるのだろう。今見せてくれたものだけではないはずだ。

 もしあるなら、他のものも見てみたい!

「まさか、興味を持って下さっているのですか?」
「えぇ! 他のも見せて!」
「分かりました。では——」

 リゴールは、言いかけて、口を止めた。

 唐突に訪れる静寂。
 私は戸惑いを隠せない。

「どうしたの?」

 その時。

 一つだけ存在している小さな窓の、ガラスが砕け散った。


 破裂音。煙の匂い。爆風。
 理解不能の現象に襲われ、気がついた時には扉の近くに倒れ込んでいた。

 何がどうなってこの体勢になったのか、記憶はない。

 幸い怪我はないようで、体は動く。なので私は、上半身をゆっくりと上げる。すると、リゴールが覗き込んでいるのが見えた。

「ご無事で!?」

 灰色の煙が揺らぐ中、リゴールの青い瞳だけが視界に映る。

「えぇ。でもリゴール、これは何が……」
「敵襲です」
「え! ちょ、ま、またっ!?」

 そんなまさか。
 急すぎて頭がついていかない。

「……申し訳ありません。またしてもご迷惑を」
「いいのよ。迷惑なんかじゃない——は変かもしれないけれど、貴方に罪があるわけではないわ」

 一部とはいえ、家を破壊されたのだ。私は絶対怒られる。後から父親に呼び出され、長い説教をされることになるだろう。

 それは嫌だ。

 でも、今はそんなことを言っている場合ではない。
 今一番大切なのは、生き残ること。つまり、殺られないようにすることだ。

「エアリのことはお護りしますから……」

 リゴールは立ち上がる。
 そして、先ほど見せてくれた手のひらに収まるくらいの小さな本を、さっと開く。

「どうか、憎まないで下さい」

 ーーやがて煙が晴れる。

 するとそこには、一人の男性が立っていた。
 非常に背の高い男性で、手脚は長く、ワイン色の燕尾服を着ている。肌は異様に白く、白どころかやや灰色がかって見えるような色。

「ふはは! 見つけたぞ、王子!」

 ……王子?

 男性は確かに、リゴールを「王子」と呼んだ。それがどういった意味なのかは、私には分からないが。

「何をしに来たのです」
「馬鹿なことを。お前ならば、分かっているだろう」
「貴方の狙いはわたくしでしょう! 無関係な者を巻き込むなど、あり得ないことです!」

 リゴールは鋭く言い放つ。

 見るからに不気味で、しかも自分よりずっと大きい男性に向かって、怯むことなく物を言えるなんて、尊敬に値することだ。

 少なくとも、私にはできない。

「ふはは! 何を言おうが無駄無駄! 我が心は変わらぬ!」

 男性は笑いつつ述べる。
 いちいち声が大きい。

「心が変わらないのは勝手。しかし! 無関係な者の家を破壊するというのは問題です!」

 リゴールも負けじと言い放つ。

「後から請求が来ますよ!」

 すると、男性はきょとんとした顔になる。

「なに……? まさか、ここはお前の家ではないのか?」

 もしかして、男性はこの家をリゴールの家だと思っていたのだろうか。それで、遠慮なく壊したというのか。

 だとしたら、迷惑極まりない。

「だ、だが! ならどうしてお前がいる!」

 男性は少しばかり動揺しているようで、頬を汗の粒が伝っていた。

「一夜の宿を恵んでいただいただけのことです」
「んなっ……!?」
「去りなさい! さもなくば、容赦はしません!」

 そう告げるリゴールは、ただの少年とは思えない凛々しさを放っている。目つき、表情、声色——そのすべてが、力強い。

「くっ……まぁいい。請求は困るので出直すとしよう。ふはは!」

 男性は笑い声をあげながら、一瞬にして姿を消した。

 一体何だったの……。

Re: あなたの剣になりたい ( No.6 )
日時: 2019/06/27 17:40
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: nWfEVdwx)

episode.5 感情的な発言には気をつけて

 男性は去った。ひとまず生き延びることに成功したようだ。

 だが、部屋がとんでもない状態になってしまった。
 こんな状態になってしまったなんて、父親には絶対に言えない。そんなことを言ったら、私は叱られるだろうし、リゴールも厳しく当たられるだろう。一歩間違えば、彼に請求が行ってしまう可能性だってある。

「一体何だったの……」
「お騒がせして申し訳ありません……」

 私とリゴールは、お互いに踏み込んだことは言えず、ただじっとしていることしかできない状態だった。
 それから数分、深い沈黙が私たちを包んだ。

 ——やがて、長い長い沈黙を破ったのは、バッサが入ってきた音。

「爆発音が聞こえたように思いましたが、何事です!?」

 部屋へ駈け込んできたバッサは、爆破によって見事に破壊されてしまった部屋を見て、唖然とする。

「こ、これは……一体……?」

 唖然とするのも無理もない。
 事情を知らずこの光景だけを目にしたとしたら、誰だって、何がどうなっているのか分からないだろう。

「まさか……そのお客様が?」
「違うの! リゴールは悪くないのよ!」
「ですが、この惨状は一体……」
「待って! 今説明するから!」

 説明する、と言うのは簡単だ。しかし、ここへ至った経緯を一から説明するとなると、それは結構難しい。

 だが、きちんと説明しなくては、リゴールに迷惑がかかる。

 だから私は、何とか、一つずつ説明した。


「屋敷の一部が吹き飛ぶとは、どういうことだ」

 バッサに事情を説明し、彼女から父親へ伝えてもらった。
 父親に直接話すなんて怖かったからだ。

 だが、そんな工夫は何の意味も持たず。結局、呼び出されてしまった。

「ごめんなさい、父さん」
「わけが分からん!」

 今私は、リゴールと二人、父親の前で頭を下げさせられている。

「まさかあんなことになるなんて思っていなくて」
「エアリがした説明はバッサからきちんと聞いた。だが! まったく! わけが! 分からん!」

 ……でしょうねー。

「エアリ、お前はどうかしている!」
「……どうもしていないわよ」

 父親の発言も理解できないことはない。いきなりあんなファンタジーな言い訳をしたのだから、どうかしていると思われるのも仕方のないことだろう。

 けれど、それが事実なのだ。
 事実である以上、他に言えることなんて何一つとしてない。

「何だ、その口の利き方は!」

 父親は一方的に言ってくる。
 それに腹を立てた私は、つい、大きな声を出してしまう。

「どうしていきなり怒鳴るのよ!」

 既に怒っている者に向かって攻撃的な言葉を投げかけるというのは、あまりよろしくないことかもしれない。怒っている相手と接する時は刺激しないようそっとしておく方が良い、というのが真実なのだろう。だが、私にはそれは無理だった。

「偉そうな口を利くな!」

 父親はじりじりと歩み寄ってくる。
 私は父親を、威嚇するように睨む。

「何よ! 怒鳴って押さえこもうとして!」
「ん!? 何だと!?」
「壊してしまったことは謝るわよ! でも、どうかしているなんて言われて許せるほど、私の心は広くないわ!」

 父親に喧嘩を売っても、良いことなんて何一つとしてない。
 それは分かっていて。
 でも、どうしても譲れないところはある。たとえ相手が父親であっても、なんでもかんでも許せるということはない。

「エ、エアリ……あまり刺激するのは……」

 隣で謝罪しているリゴールは、困り顔で、私を制止しようと声をかけてくる。
 それさえも、今は不愉快だ。

「リゴールは黙ってて」
「で、ですが……」

 リゴールはまだ粘ってくる。
 今度はそれに腹が立ち、うっかり、きつい言葉を放ってしまう。

「何よ! そもそも貴方のせいじゃない!」
「エアリ……」
「貴方がいたからあんなことになったのよ! それで私まで怒られているの!」

 そこまで言って、正気に戻った。

 リゴールが悲しそうな目をしているのを見てしまったからである。

「……はい。それは、その通りですが」
「あ。ごめんなさい、つい……」
「いえ、貴女の仰っていることはすべて事実ですから……」

 何とも言えない空気になる。

 父親に叱られている時だからこそ、二人で協力しなくてはならないのに。それなのに私は、彼にまで攻撃的なことを言ってしまった。

 反省すべき点が山盛りだ、今日の私は。

「とにかくエアリ」

 静寂を破ったのは父親。

「十分に反省しろ。そして、もう二度と繰り返すな。いいな」
「……分かったわよ」
「何だ、その不満げな態度は」
「べつに不満げなんかじゃないわ」

 一応言ってみるが、父親はやはり聞いてくれなかった。きっぱりと「いや、不満げに見えたぞ」などと返してくる。

「よし、決めた。エアリ。お前はしばらく、この家に帰ってくるな」
「え!?」

 父親はよく感情的になるタイプだが、それでも、ここまで怒るのは珍しい気がする。

「帰っていいと言うまで、外に立ってろ!」
「えぇっ。何なの、それっ」
「男に騙されるような娘には、躾が必要だ!」

 わけが分からない。

「どうなっているのよ、父さん」
「反省しろ!」

 どうかしているのは父親の方ではないだろうか。

 ふと、そんなことを思った。

 だって、言っていることが明らかにおかしいではないか。

 家の一部を破壊してしまったことは悪かったと思っているし、それによって怒られるのも仕方ないとは考えている。
 けれど、だからといって女を家から追い出すなんて。

「……分かったわ。出ていくから」

 私はそう言って、家を出ることにした。

 今の父親は、怒りのあまり正気を失っているのだろう。きっと、そうに違いない。冷静さを失っているから、あんな厳しいことを言うのだ。きっと、そう。

 時間が経って怒りが完全に静まれば、きっと父親は私を探しにくるはず。

 だから、今は家から出よう。そう思う。


「本当に良かったのですか……?」

 買い物へ行く時の手提げだけを持って家から出た私を、リゴールは追ってきた。
 私は、村の端にある湖の畔ほとりでベンチに座りながら、言葉を返す。

「いいのよ」
「本当に、申し訳ありませんでした」
「気にしないでちょうだい」
「……しかし」

 リゴールは微かに顔を下げる。

「いいの。本当に、気にしないで」

 私はそう言って、ベンチを手でとんとんと叩く。そして「座っていいわよ」と言ってみる。するとリゴールは「いえ……」と返してきた。しかし諦めず、私は、もう一度同じことを試みる。すると今度は、「では……」と言って座ってきた。

「さっきはごめんなさい、貴方を責めるようなことを言って。私、そんなつもりはなかったの。でも、あの時はついカッとなってしまって」

 弁解など何の意味もないかもしれない。
 でも、私の心が間違って伝わっていたら嫌だから、一応言っておく。

 するとリゴールは謝罪の言葉を述べる。

「こちらこそ、余計なことを……申し訳ありません」

 逆に謝られてしまった。
 本当は私が謝らなくてはならない状況だというのに。

「謝らないで。悪いのはわた——」
「ところで!」

 リゴールは唐突に話題を変えようとしてくる。

「ここはとても素敵なところですね!」

 声が妙に明るいところから察するに、彼は、暗い空気をどうにかしようとしてくれているのだろう。彼なりの配慮、といったところか。

「……湖?」

 私の問いに、彼は大きく頷く。

「はい! ホワイトスターにも、このようなところがありましたよ! 水面は透き通り、花は咲き乱れ、凄く美しいところで——って、あ。すみません。ホワイトスターの話ばかりしてしまって」

 リゴールは苦笑する。

 少年の姿をした彼が笑うと、無邪気な感じがして、とても心が癒やされる。ほっこりする——のだけれど、なぜかそれだけではなくて。彼の無垢な笑みの裏側に何か得体の知れないものが潜んでいるような、そんな気もしてしまう。

Re: あなたの剣になりたい ( No.7 )
日時: 2019/06/27 17:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: nWfEVdwx)

episode.6 湖の畔で

 湖の畔。
 私はリゴールと、ベンチに腰掛けて言葉を交わす。

「ねぇ、リゴール。そのホワイトスターってところ、どんな世界なの?」
「ホワイトスターですか?」
「もし良かったら、聞かせてくれない?」

 私がそう言うと、彼は数秒空けてからこくりと頷いた。

「ホワイトスターはですね、魔法の園とも呼ばれていまして。遠い昔、魔法を使うことができた一族が移り住んだことが始まりだと言われています」

 リゴールはベンチに浅く腰掛けたまま、高い空を見上げている。一つの雲もない、澄んだ空を。

「何だかファンタジーね」
「そうですか?」
「えぇ、不思議な感じよ。でも……」

 小さい頃は、いつか見たことのない世界へ行くことに憧れていた。人並みに夢をみたことだってある。
 でも、年をとるにつれて、そんな思いは消えて。
 まだ幼かった頃にみていた夢なんて、すっかり忘れてしまっていた。断片すら、頭から消えていた。

 だが、リゴールの話を聞いていたら、昔の記憶が蘇ってきて。

「私もいつか行ってみたいわ」

 今はまだ知らない場所。
 見たことのない世界。
 そんなところへ出掛けるという、もうとっくに失われてしまっていた夢。彼といると、それを、ほんの少し取り戻せたような気がする。

「ところで、リゴールは王子なの?」

 ぱたりと話を変える。
 急に話を変えるのは問題かもしれない、と、思わないことはないのだが。無関係な話ではないからいいだろう、と考えた結果の行動である。

「えっ!?」

 嘘がばれた子どものように顔を強張らせ、肩を上下させるリゴール。

「な、ななななななぜ!?」

 リゴールは大慌てで後退り、近くの木に隠れる。
 その様はまるで、肉食動物に見つからないように潜む草食動物のよう。

「え……」
「い、いいいいいつそのようなことをっ!?」

 木の幹の陰に隠れながら、リゴールは言う。
 口調から察するに、慌てるあまり混乱しているようだ。

「わたくし、そのようなことを申し上げましたか!? い、いつ!? 記憶がない! どこでです!?」

 まさかこんなに大慌てになるとは。

「待って。落ち着いて、リゴール」
「し、ししししかしっ……!」
「貴方が言ったわけじゃないから、落ち着いて」

 するとリゴールは、きょとんとした顔をして、「え、あ……」などと漏らしていた。それに加えて、ふぅと息を吐き出している。恐らく、安堵の溜め息なのだろう。ようやく落ち着きを取り戻してきたようである。

「しかし……ではなぜ?」
「あの襲ってきた人が、リゴールのことを王子と呼んでいたからよ」

 それを聞いたリゴールは、「な、なるほど……」と言いつつ地面にへたり込んだ。
 大慌てした疲れに襲われているものと思われる。

「リゴールは王子様なの?」

 湖の畔は静かだ。今は私とリゴールしかいないし、そもそも、普段だってここには誰も来ないのだ。だから、ここは、こういった個人的な話をするのにもってこいの場所だと思う。

「……はい」

 私の問いに、リゴールは小さく答えた。

「ホワイトスターの王子様?」
「……仰る通りです」

 彼は地面にへたり込んだまま、顔を少し下げている。
 もしかしたら、王子であるということは明かしたくなかったのかもしれない。

「信じられない……。誰も知らない世界の王子様に、あんな森で出会うなんて……」

 とても現実とは思えない。
 出会った直後と先ほどの敵襲。それらがなければ、私は多分、彼の話を現実だと受け入れられなかっただろう。

「隠していて、申し訳ありませんでした。わたくしは……エアリを騙すようなことを」

 リゴールは妙に落ち込んでいた。
 誠実な彼のことだ、真実を伝えていなかった自分を責めているのだろう。

 だからこそ、私は明るく言う。

「謝らないで! 凄いことじゃない!」

 ベンチから立ち上がり、いつもより明るい声で。

「どこかの王子様に会ったのなんて、私、初めてよ!」

 声は若干作っている。意識的に明るいものにしている。
 が、発する言葉自体に偽りはないから問題はないはずだ。

「そうだ! リゴールがホワイトスターの王子様なのなら、貴方に頼めばホワイトスターへ行かせてくれる?」

 私の言葉に、リゴールは気まずそうな顔つきになる。

「あ……その」
「ごめんなさい! 無理ならいいのよ!?」
「えっと……」
「忙しいものね。いきなりなんて無理よね。また余裕がある時でいいわ」

 強制感が出てしまっていたかもしれない、と反省する。
 しかし、リゴールが言いたいのはそこではなかったようで。

「その……お招きしたいやまやまなのですが、実は、お招きできない理由がありまして」

 リゴールの声は弱々しかった。

 ただ、弱々しいのは声だけではなくて。青い瞳にも、何となく力がない。切ない気持ちになっているかのような、暗い目だ。

「そうなの?」
「はい。と言いますのも、ホワイトスターはもう……存在しないのです」

 ホワイトスターは、もう存在しない?

 私は暫し、彼の言葉を理解できなかった。

 彼の故郷であるホワイトスターは、既に亡きものとなっているということなのだろう。だがしかし、それなら、彼はこれからどうやって生きていくのだろうか。

「リゴールの故郷は、もうないの? ……でも、だとしたら、これからはどうするの?」

 疑問がたくさん湧いてきた。

 だが、リゴールを混乱させてはいけない。
 それゆえ、すべてを問うわけにはいかない。

 だから、問いは二つだけにした。

「ホワイトスターは滅びました。……これからは、よく分かりません。ただ、この世界へ来てしまった以上は、この世界で暮らすしかないでしょうね」

 私の放った問いに、リゴールは静かにそう答えた。

「じゃあ、私の家で暮らすというのはどう?」

 暗い顔のリゴールに、私は提案する。

「エアリ……」
「私の家、わりと広いもの! 空室ならあるわ!」

 すると彼は、苦笑しながら首を左右に振った。

「……ありがとうございます、エアリ。しかし、そこまでお世話になるわけには参りません」

 おかしなところで遠慮するんだから。
 内心、そんな風に思った。

「どうしてよ?」
「わたくしには返すものがありませんから。それに、いつまた迷惑をかけてしまうかも分かりませんし……」

 リゴールは遠慮するばかり。その慎ましすぎる性格に、私は段々苛立ってきた。頼って、と言っているのに、それを拒否されるというのは、あまり良い気がしないものだ。

「わたくしのせいでエアリが何度も家から追い出されるなど、絶対に嫌です」

 彼はそんなことを言う。

 私には、彼の言葉がよく理解できなかった。

 知らない世界へ来て、帰る場所もなく。そんな状況におかれていながら他者の心配をするなど、私には分からない。

Re: あなたの剣になりたい ( No.8 )
日時: 2019/06/29 00:26
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KnTYHrOf)

episode.7 出力調節を誤りまして

「でも! 行くところがないのなら……!」

 静寂の中、私とリゴール、二人の声だけが空気を揺らす。

「お気遣いなく。自分のことは自分でどうにかしますから」

 私はリゴールのために何かしたかった。初めて来た世界に戸惑っているであろう彼へ、手を差し伸べたくて。

「……できるの? 慣れない世界でしょう。どうにかなんて、できるの?」
「はい。どうか、心配なさらないで下さい」

 リゴールはきっぱりと答えた。

 無理なのかもしれない。彼のために私ができることなんて、結局、何もないのかもしれない。

 信じたくはないけれど、それが真実で——。

 そんな時だ。
 湖の方から急に、ちゃぽん、と音がした。

 私は咄嗟に振り返る。

 が、そこには何もない。

「今、音がしなかった?」
「……はい」

 リゴールの表情が固くなる。
 警戒するのも無理もない。彼は命を狙われる立場にあるのだから。

「湖の方からでしたね」
「えぇ。離れた方が良いかもしれないわね」
「はい。では——エアリッ!」

 突如、リゴールが叫んだ。そして、叫ぶと同時に、私の体を突き飛ばす。細い腕だが、そこそこの力だ。
 身構えていなかったというのもあり、私は後ろ向きに飛ばされた。

 その直後、目の前で爆発が起きた。


 リゴールに突き飛ばされたことで転倒していた私は、飛ばされないよう手足を地面につき、爆風に耐える。そのうちに、爆風は収まった。さらに、視界を悪くしていた煙が晴れた時、目の前にはあの男性が立っていた。

 そう、リゴールを狙うあの男性だ。

 ワイン色の燕尾服を着ていて、手足は長く顔は真っ白な、今朝私の家を一部破壊した男性である。

「ふはは! 見つけたぞ、王子!」

 第一声は今朝と同じだった。
 他のパターンはないのだろうか。

「ここでなら請求も何もない! 全力で仕留めてやれる!」

 ——全力で仕留めてやれる?

 それは、全力でかからねばリゴールを仕留められない、と言っているようなものだ。つまり、己がさほど強くないということを自覚しているということで。

 ……かっこ悪いとは思わないのだろうか。

「またですか! 執拗に追い回すのが、そんなに楽しいですか!」

 リゴールは厳しい目つきで発した。

「王子は少々気が強いようだな。だがしかし! 強気なだけでは、このグラネイト様には勝てんよ!」

 ワイン色の燕尾服の男性——グラネイトは、勇ましく叫んだ後、片手を掲げて指をパチンと鳴らした。

 すると、湖の中や周囲の木々の陰から、不気味な動きをする集団が現れる。小柄な人間のような生物が、二十程度。

 完全に囲まれている。

「何これ!?」

 私は思わず叫んでしまう。
 が、グラネイトはリゴールの方を向いたままだった。

「王子、今日は護衛はいないのだな。途中ではぐれでもしたか。ふはは!」
「……狙いはわたくしですね」
「そうだ!」

 リゴールは険しい顔のまま、小さな本を取り出す。
 彼がそれを開くと、本全体が輝き始めた。

「ゆけ! したーっぱ!」

 グラネイトの指示に従い、不気味な動きをする生物たちは動き出す。半分くらいが、リゴールに迫っていく。

「リゴール!」

 私は叫ぶ。
 でも、その声は今の彼には届かなかった。

「……参ります」

 リゴールは、本を持っているのとは逆の左手を、高く掲げる。すると、本から溢れた黄金の光が上空へと舞い上がる。

 まるで怪奇現象。
 だがとても幻想的で美しい。

「ふはは! 溜めが長すぎ——ん?」

 一度は馬鹿にしたように笑ったグラネイトだったが、空を見上げるや否や顔をひきつらせる。

 直後。
 上空へ舞い上がっていた黄金の光が、凄まじい勢いで地上へと降り注ぐ。

 その様は、まるで落雷だった。

 轟音が響き、大地は震え、水面は荒れる。人為的なものとはとても思えぬ凄まじいエネルギーが、宙を駆け抜けた。

「うぐあぁぁぁぁ!!」

 黄金の光の直撃を受けたグラネイトは、痛々しいほどの悲鳴を発する。
 私はただ、呆然としている外なかった。


 静寂が戻った頃には、二十程度いた敵は全滅し消えていた。どうやら、倒されると姿が消える仕組みになっているようだ。

 そして、グラネイト自身も、「今日はここまで!」と言いつつ撤退していったのだった。

 それにしても、あの凄まじい一撃を食らって死んでいないというグラネイトの耐久力は、なかなかのものだ。ある意味、尊敬に値すると言えるかもしれない。

「リゴール!」

 私は立ち上がり、彼の方へと駆け出す。

「ご無事ですか!? エアリ!」

 ほぼ同時のタイミングで、彼も走り出していた。私の方へと、一直線に向かってきている。

「えぇ! けど……」
「何です」
「今の威力、何!?」

 結局のところ、それが一番気になった。

「凄まじい破壊力で驚いたわ。貴方、あんな凄まじい力を持っているの」

 するとリゴールは、恥ずかしげに、気まずそうな顔をした。

「じ、実は、その……」
「実は?」
「出力調節を誤りまして」

 え。何それ。

「まさか、さっきのはミスだというの?」
「はい。申し訳ありません。しばらく使っていなかったもの、で……」

 言いかけて、彼は倒れ込んだ。
 私は咄嗟に体を貸し、彼の脱力した体を支える。力が抜けているからか、そこそこ重い。

「大丈夫!?」
「……は、い」

 一人で立っているのは厳しいらしく、彼は、私にもたれ掛かるようにしている。ただ意識は確かなようで、その青い瞳は私を捉えていた。

「魔法は、使いすぎると……体力が消耗するので……しばらく控えていたのですが」
「生命に関わるの⁉︎」
「いえ、さすがに、そこまでのことは……ただ疲れるだけです」

 そう言って、彼は笑った。

 リゴールの体は少年だ。しかし、心は少年ではないのかもしれない——ふと、そんなことを考えた。

 もっとも、今までの私だったら、そんなことを考えはしなかっただろうが。

 こことは異なる世界、その王子。得体の知れない怪しい敵。そして、魔法。そういう、とても現実とは思えないような物事との出会いが、私を変えたのかもしれない。

「良かった。でも、少し休めるところへ行った方がいいわね」
「……ありますか?」

 少し考えて。

「そうねー。横になれるところといったら、村の外れにあるいかがわしい宿泊施設くらいしか思いつかな——」
「それはお断りします!」

 言い終わるより先に、拒否されてしまった。

 だが、何にせよ、あそこはリゴールには相応しくない。
 それゆえ、もしリゴールが拒否しなかったとしても、彼をそこへ連れて行くことはしなかっただろう。

 先ほど私が言った宿泊施設は、ろくに管理されておらず、勤めている人も怪しげな人一人で、いつも薄暗い。しかも時折異臭騒ぎが起こることもある。親から近寄ることを禁止されていたため、内部を目にしたことはないが、恐らく、内部は凄まじい衛生状態だろう。

 そんな場所へ、リゴールを連れて行くわけにはいかない。

「座ることができれば……それだけで、問題ありません」

 リゴールがそう言うので、私は提案する。

「なら食堂は?」
「食事をするところですか?」
「そうよ」
「なるほど、そこなら良さそうですね」

Re: あなたの剣になりたい ( No.9 )
日時: 2019/06/29 00:28
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: KnTYHrOf)

episode.8 村の食堂

 それから私とリゴールは、村の中心部辺りにある食堂へと向かった。

 食堂は、この村の中で唯一、騒々しさのある場所だ。
 昼間も、多くの村人が、食事をしにやって来る。が、特に夜は、酒を飲む男性客で溢れている。食堂という名称だが、夜間は色々な意味で危険なので、私などは入れたためしがない。

「ホワイトスターの人たちって、どんなものを食べているの?」

 食堂へ向かう途中、私は唐突に尋ねた。
 というのも。
 わりとたくさんのメニューがある食堂だが、もし彼が食べられるものがなかったら大変だと、そう思ったからである。

「パンを食べる?」
「はい。食べます」

 良かった。取り敢えず、パンは食べられるようだ。

「他には? 山菜とか干したお肉とかも食べる?」
「お肉は時折。山菜というのは……正直よく分かりません」
「じゃあ、野菜全般は?」
「野菜? はい。食べたことはあります」

 食べ物について話しながら歩いている二人組なんて、端から見たら少しばかり不思議な人たちかもしれない。

「どんな野菜を食べた?」
「えぇと……。確か、緑色の葉っぱ状のものです」

 しまった。
 緑色の葉っぱ状の野菜なんて、色々ありすぎて特定できない。

「他には?」

 取り敢えず、話を進めよう。

「他ですか。えぇと……赤い球体のものなども見たことがあります」
「あ。トマト?」
「そういった名称なのですか」
「えぇ! きっとそうだわ!」

 もし違ったら、どうしよう。

 そんなたわいない話をしながら、私とリゴールは食堂を目指す。


「いらっしゃーい! ……って、あれ? エアリちゃんじゃない」

 リゴールと共に食堂へ入った私を温かく迎えてくれたのは、四十代半ばの女性。この食堂を切り盛りしている店主だ。

「お邪魔します」
「どうぞどうぞー……って、ええっ!? エアリちゃんが彼氏連れっ!?」

 リゴールの姿を見た店主の女性は、目を白黒させながら叫んでいた。

 ……そんなに驚かなくても。

「違いますよ。知り合いです」
「あら、そうだったの?」
「はい。先日知り合ったばかりの方で」

 言って、改めて「本当に知り合ったばかりだなぁ」などと思う。

 色々あったせいか、感覚的には先日知り合ったばかりとは思えないのだが、実際には知り合ったばかりなのである。

「そっかぁ。でも、いいわよね。こんな狭い村じゃ、若い知り合いなんて滅多にできないだろうし」

 温かく迎えてくれた女性は、そう言って笑った。

 女性と向かい合うような位置にあるカウンター席の端に、リゴールと座る。一番端がリゴール、その横が私。少し狭いけれど、やはり端の方が落ち着く。

「それでエアリちゃん、何を食べていってくれるのかしら?」

 女性の問いに、私はすぐに「山菜オムレツで!」と答える。そんな私を見て、隣の席のリゴールは驚いた顔をしていた。

「リゴールはどうする?」
「え……」
「ここの山菜オムレツ、とっても美味しいの! 私はそれにすることが多いんだけど、リゴールもそれにする?」

 山菜オムレツはこの食堂の名物。ふかふかとシャキシャキ、歯触りの差が楽しいオムレツだ。卵だけのオムレツも美味しいけれど、この食堂の山菜が入ったオムレツはもっと美味しい。

「い、いえ……わたくしは結構です」
「え。どうして?」
「その、わたくしは……この世界のお金を持っていませんので」

 私とリゴールの会話を、女性はにこにこしながら聞いていた。聞かれていると思うと、若干恥ずかしさがある。

「いいわよ、そんなの。私が払うわ」

 幸い、いつも買い物へ行く時に持っていく手提げは持っている。財布はその中にあるから、お金がまったくないことはない。

「いえ、そんなに甘えるわけには……」
「じゃあ、さっき助けてもらったお礼ね!」

 遠慮されてばかりだと、話がいつまでも進まない。だから私は、半ば強制的に進めることにした。

「山菜オムレツ、もう一つ!」

 私は勝手に注文する。
 すぐ隣のリゴールは焦っているような顔をしていたが、敢えて気にすることなく話を進めた。

「あの、本当に良いのですか……?」
「いいのよ。気にしないで」
「お世話になってばかりで……申し訳ありません」


 待つことしばらく、山菜オムレツが私たち二人の前へ置かれた。

 木でできた皿の上に、ふんわりとしたオムレツが乗っている。全体的には黄色いが、ところどころ緑色の部分があって、山菜が入っていることが一目見て分かる。

「さ、食べましょ」

 私はリゴールへ視線を向けた。しかし彼は、私の視線にまったく気づいておらず、目の前のオムレツを凝視している。しかも、湯気が顔にかかるくらいの近づきぶりだ。

 あまりにも凝視しているものだから、何だかおかしくなってきて、つい笑みをこぼしてしまう。

「ふふっ。夢中ね」

 すると、リゴールの視線が急にこちらへ向いた。

「も、申し訳ありません! つい!」
「珍しい?」
「はい。この世界では、料理が温かいうちに出されるのですね」

 ……そんなところ?

 今ここで作られたオムレツなのだから、特別事情がない限りは温かいうちに出されるものだと思うのだが。

「ホワイトスターでは温かいものは食べないの?」
「はい。大抵ぬるいです」

 正直、驚いた。

 意図的に冷たくしているものや、常温のパンなどはあるにせよ、大体の料理は温かいうちに食べるものだと思っていたからである。

 ホワイトスターの食生活、なかなか謎だ。

「えぇっ。いまいち美味しくなくない?」
「そうでしょうか。幼い頃からそうでしたから、特に美味しくないと感じたことはありません」

 慣れれば平気なのだろうか。

「そう……ちょっと意外。リゴールは王子様だし、出来たての良いものを食べているのだと思っていたわ」

 王子様だから、なんていうのは、結局、私の中の勝手なイメージだったのかもしれない。

「ホワイトスターにいた頃も、民からはよく言われました」
「けど実際にはそんなことはない、って?」
「はい。貧しい暮らしをしていたと言えば嘘にはなりますが、贅沢暮らしというほどではありませんでした」

 リゴールは苦笑する。
 彼の表情は妙に大人びて見えて、「いろんな苦労をしてきたのかな」なんて想像してしまう。

「そうだったのね。勝手なイメージで物を言って、ごめんなさい」
「いえ。お気になさらず」

 それから私たちは、山菜オムレツを食べた。
 しんなりした葉、噛みごたえが残っている茎、そしてふんわりした卵。いつもとまったく変わらない、見事なコラボレーションだ。

「味はどう?」

 ふと思いつき、尋ねながら隣へ目を向ける。

 ——そして、驚いた。

「えっ! も、もう食べたの!?」

 リゴールの皿の上には、何もない。
 欠片さえ、存在していなかった。

「え? はい。美味しくいただきました。その、問題がありましたでしょうか……」
「い、いえ。何も」

 リゴールが不安げな顔つきをすると胸が痛むので、私はすぐに首を左右へ動かした。
 するとリゴールは安堵の溜め息を漏らす。

「ところで。山菜オムレツ、気に入ってもらえた?」
「はい! 美味しかったです」

 他の世界から来た人が相手だけに、気に入ってもらえるかどうか不安もあった。たとえ私が美味しいと思っている料理であっても、彼の口には合わないという可能性もゼロではない。だからこそ、「美味しかった」と言ってもらえた喜びは大きい。

「なら良かったわ」
「地上界にも、美味しいものはたくさんあるようですね」
「そうよ! ……って言ってもまぁ、そんなに色々はないけどね」
「なるほど。勉強になります」

 そんな風にのんびり話していた時、突如、食堂の入り口が勢いよく開いた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.10 )
日時: 2019/06/29 18:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SEvijNFF)

episode.9 対峙

 木製の扉が勢いよく開く。
 駆け込んできたのは、一人の女性——バッサだった。

「エアリお嬢様!」

 日頃は穏やかであることの多い彼女だが、今は青ざめ汗を流している。しかも、顔全体の筋肉が引きつっているように見えた。

「……バッサ!?」
「お嬢様! ここにいらっしゃいましたか!」

 バッサは言いながら、肩を激しく上下させていた。
 今にも座り込んでしまいそうなほどに息が荒れている。

「何かあったの?」
「お、お屋敷に、不審な人物が……!」

 私は木製の椅子から立ち上がる。

「不審な人物!?」
「は、はい。女性なのですが……見慣れない服装の方で……」

 恐らくは、リゴールを狙っている一味のうちの誰かだろう。
 だとしたら、ただの人間では太刀打ちできない相手かもしれない。使用人や父親が危険な目に遭う可能性は高い。

 早いところ、どうにかしなくては。

 ーーそう思い少し焦っていた時、隣の席に座っていたリゴールが立ち上がった。

「エアリ」

 彼は、耳元で小さく呟く。

「わたくしが先に参ります」

 私は「えっ」と声を漏らしたが、リゴールは「ごちそうさまでした」とだけ言って、タタタと走っていってしまった。

「あの、ごちそうさまでした! お金、ここに置いておきます」

 店主の女性に向けてそう発し、まだ荒い息をしているバッサに声をかける。

「家で何かが起きているのね?」
「は、はい……」
「行ってくるわ。バッサは、この手提げをお願い」
「き、危険です……!」

 バッサはそう気遣ってくれたけれど、私は走り出した。

 家のこと、使用人のこと、父親のこと。そして、リゴールのこと。気になることがたくさんあるから、止まってはいられなかったのだ。


 家の前にある、赤茶の煉瓦と金属製の柵でできた門は、驚くほどに全開だった。

 日頃は、誰かが出入りする時しか開いていない。だが、今は開けっ放し。恐らく慌てていたバッサが閉め忘れたといったところなのだろうが、門が開けっ放しになっている光景は、私に緊張感を与えた。

 さらに、入口の扉も開いていた。家の入口が開けっ放しになっているなんて、門が開いていることよりも珍しい。日頃はあり得ないことだ

 私はそのまま、建物の中へ駆け込む。

 入ってすぐのところは、広間になっている。細長い木の板を敷き詰めた床なので、高級感には少々欠ける。だが入るなり目の前に二階へ続く階段があるため、若干の迫力はある。

 ——と、呑気に家の説明をしている場合ではない。

 周囲を見回す。
 人の気配はない。

 出ていくように言われていたから怒られてしまうかもしれないが、取り敢えず父親の部屋へ行ってみようか——そう思って階段に上ろうとした、その時。

「……来たね」

 私より十数段ほど先、踊り場に、突如女性が現れた。

 二十歳を少し過ぎたくらいかと思われる女性で、長い銀の髪を緩い一本の三つ編みにしている。また、前髪はとても長く、右目に被っていて、非常にミステリアス。唯一視認できる左目は、血のように火のように赤い瞳が印象的だ。

「誰? 見かけない顔だけど」

 いかにも怪しい。

 ここは森に囲まれた村だ。旅人などが来るはずはない。女性一人で旅をしている者ならなおさらだ。

 しかも彼女は、旅人とはとても思えない服装だった。

 紅のドレスを着ているのである。
 ちなみに、ドレスと言っても、絵本のお姫様が着ているような爪先まで隠れるような長いものではない。丈は膝がぎりぎり出ているくらいで、わりと短い。

「……我が名はウェスタ。ブラックスターに仕える者」

 言いながら、彼女は階段を一段下る。

 紅の布がひらりと揺れ動き、黒と肌色の中間のような色みの太ももがちらりと見えた。
 最初はそのような色の脚なのかと思ったが、少し見つめるとそうでないことが分かった。彼女は多分、ストッキングを履いているのだろう。

「何を言っているの?」
「……名を問われたから名乗った。ただそれだけのこと」
「よく分からないけど、こんなところへ何しに来たの?」

 すると彼女はもう一段下りてくる。
 高いヒールの靴が、木の板を軋ませた。

「……ブラックスターの命により、ホワイトスターの王子を殺しに来た」
「なっ……!」

 思わず後退りしてしまった。

 彼女——ウェスタが、尋常でない殺気を放っていたから。

「ホワイトスターの王子って、リゴールの……?」

 やはり、リゴールを狙っている一味のようだ。

「……そう。彼を殺しに来た」
「グラネイトって人の仲間?」

 何を仕掛けてくるか分からない、未知数なところが恐ろしい。

「……グラネイトを知っているとは」
「何回も襲われたわ。家も少し壊されたし、最悪よ!」
「悪いけど……あいつへの恨みを聞く気はない」

 ウェスタはまた、一段下りてきた。
 私のところまではまだ距離があるけれど、油断はできない。途中で急に飛び降りてくるかもしれないから。

「……お前の父親は既に拘束している」
「何ですって!?」

 妙に人の気配がないから、少しおかしいとは思ったけれど。

「どうしてそんなこと」
「我々の存在を知った者を、生かしておくわけにはいかない」
「どうしてよ!」
「それがブラックスターの掟。……悪いが、お前たちにも死んでもらう」

 それはさすがに、勝手すぎやしないだろうか。
 ブラックスターの掟だか何だか知らないが、ブラックスターの人間でもない私たちがそれに従わされるなど、おかしな話だとしか思えない。

「貴女たちの掟? 知らないわ、そんなもの。勝手なことを言わないで!」

 父親は無事だろうか? リゴールは?
 気になることはたくさんあるが、今は目の前の女をどうにかしなくてはならない。

「父さんをどこへやったの!」
「……死ぬ気になった?」
「なるわけないじゃない! 何もしていないもの!」

 広間に私の声が響く。

「ホワイトスターの王子を匿っていた人間を、放っておくわけにはいかない」

 ——刹那、彼女は床を蹴った。

 紅のスカートを翻しつつ、一直線に迫ってくる。
 後ろへ引いている片手には、火のような赤い光が仄か宿っていた。

 これは危ない。

 本能的に感じた私は、その場から飛び退く。

「……避けたか」

 やみくもにジャンプしたため、ウェスタの攻撃からは逃れられたものの、転倒してしまった。床は木の板ゆえ、石に叩きつけられるよりかはましなのだろうが、打った肘と腰が結構痛い。

「危ないじゃない!」
「……お前はなかなかセンスがある」

 いや、褒められても嬉しくないのだが。

「だがそれは生かしておく理由にはならない」

 ウェスタの体が、こちらに向く。
 背筋に悪寒が走った。

Re: あなたの剣になりたい ( No.11 )
日時: 2019/06/30 05:51
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zh8UTKy1)

episode.10 私は無力、それでも

 ウェスタはその場にじっと佇んでいる。槍の先のごとき鋭さの視線を、静かにこちらへ向けながら。

「……大人しく従え」
「殺すつもりなのでしょう?」
「……そう。王子を殺した後に」
「なら従わないわ! 大人しく殺される気なんて、欠片もないないもの!」

 ——そして訪れる、沈黙。

 広間に音はない。
 皮膚を突き刺すような静寂だけが、今ここにあるすべてだ。

 身構えつつも黙っていると、やがてウェスタの手が動いた。と言っても、私に攻撃を仕掛けてきたわけではない。

「……これを知っているか」

 ウェスタが取り出したのは、ペンダントだった。
 銀色の円盤に星形の白い石が埋め込まれたペンダント——それは間違いなく、以前リゴールが見せてくれたもの。

「それは、リゴールの」
「その通り」
「そんなものを私に見せて、どうするつもり?」

 精神的に負けているようでは駄目だ、と、私はウェスタを睨む。
 誰かを睨むなんて慣れないが、眉に力を加え、負けないという意思を可能な限り表現してみる。

「……王子も既に我が手の内にある。念のため、その証拠」

 敢えてペンダントを見せてくる辺り、嫌みである。

「リゴールも捕らえた、と、そう言いたいのね」

 私の言葉に、ウェスタは微かに頷いた。

 これはまた面倒事に巻き込まれそうだ。
 皆揃ってウェスタに捕まるなんて。しかも私が助けなくてはならないような状況になるなんて。

 まったく、面倒臭い。

 ……だが、のんびりと面倒臭がっている余裕はない。

 父親や使用人たちはともかく、リゴールまで捕まるなんて、どうなっているのか。

 ……だが、そんなことを気にしている暇はない。

 父親を、使用人を、そしてリゴールを、どうにかして助け出さなくてはならないのだ。一人だって殺されるわけにはいかない。

「父さんたちを解放して!」
「……それはできない」
「私たちは何も関係ないでしょう!」
「……王子を匿っていた、関係ないとは言えない」

 ウェスタの表情はまったく変わらない。

「そもそも、貴女たちはどうしてそんなにリゴールを狙うの!」
「……言ったはず。ブラックスターの命だから、と」

 淡々とした調子で述べるウェスタには、人間らしさなんてものは欠片もなくて。それはまるで、指示に従い任務を遂行するだけのロボットのよう。

「リゴールは罪人か何かなの?」
「……我々はただ、ブラックスターの命に従うのみ」
「はぐらかさないで。大切なことよ」

 リゴールとは昨日知り合ったばかり。
 そんな彼のために危険に向かっていってしまうなど、第三者から見れば私は少しおかしい人かもしれない。

「リゴールには殺されなくてはならない理由があるの?」

 私は問う。
 しかし彼女は、答えらしい答えを返すことはしなかった。

「……我々はただ、命に従うのみ。それ以上ではないし、それ以下でもない」

 ウェスタは高いヒールの靴を履いた足を動かし、静かに私の方へと歩み寄ってくる。じわりじわりと距離を詰められ、拍動が速まる。が、動けない。彼女の赤い瞳に見つめられると、金縛りにあっているかのように、体が動かせなくなってしまう。

「……そろそろ時間」

 こつん、こつん。
 そんな足音が、広間に響く。

「何する気?」
「少し悪いけど……拘束させてもらう」

 唇が、微かに震える。
 目と口腔内は乾き、背中を汗が伝った。

 精神的に負けているようでは、と、一応強気に振る舞ってはいる。

 しかし、本当はそんなに強くなくて。

 本当の私は、怯えているのだ。
 ウェスタに捕らえられることを、父親やリゴールもろとも殺されるかもしれないことを、心の底から恐れている。

 そんな弱い私に、ウェスタの片手が伸ばされた。

「……嫌!」

 私の腕を掴もうとした彼女の手を、私は、半ば無意識のうちに払っていた。

 ウェスタの目が大きく開かれる。

 ——しまった。

 心の内で密かに思う。
 抵抗すればどうなるか。それは目に見えている。抵抗しない場合より、ずっと酷い目に遭わされることだろう。

「まだ拒むとは……度胸はあるね」

 ウェスタは呟く。
 そして、再び手を伸ばし、今度は私の片手首を掴んだ。

「……離して!」

 手首を掴まれているという事実。ただそれだけのことなのに、いやに恐怖心を煽ってくる。

「それはできない」
「離してちょうだい!」
「……言ったはず。それはできない、と」

 ウェスタは冷ややかにそう言って、私の手首を掴む手に力を加える。

「痛っ!」

 捻られた右手首に痛みが走る。

 どうしてこんなに無力なのだろう——不意にそんなことを思った。

 私は昨日まで、普通の暮らしをしていた。小さなことに一喜一憂し、穏やかな日々の中で生き。だから、無力なのは当然とも言える。

 だけど、それでも悔しさは消えない。

 何もできないという悔しさ。
 抵抗する術を持たない己への苛立ち。

 それらは時が経つにつれて、どんどん膨らんでいく。

「さぁ、大人しくしろ」
「嫌よ!」
「……大人しくしていれば、これ以上痛いことはしないから」

 大人しくする。それしかないのか。

 普通の女だから、戦う力がないから——。

「……無駄な抵抗をするな」
「嫌よ! 大人しく殺されるなんて、絶対に嫌!」


 その時。

 ウェスタの手の内にあったペンダントが、突然輝き始めた。


「……な」

 彼女の、私の手首を掴んでいるのとは反対の手に持たれていた、リゴールのペンダント。それが、白い光を放ち始めた。

「な、何が……?」

 目を細めたくなるほどの強い光を放ち始めたペンダントを見つめながら、私は思わず漏らす。

 急なことに驚いているのは、ウェスタも私も同じ。
 彼女も、今は、輝くペンダントを凝視している。

 その数秒後。

 ペンダントが放つ光の強さが凄まじくなり、私もウェスタも、ほぼ同時に目を閉じた。
 瞼を開けていたら目が潰れてしまいそうなほどに眩しい光だったから。


 ……。


 …………。


 光が収まったようなので、恐る恐る瞼を開く。

 一番に視界に入ったのは、リゴールのペンダント。
 目の前に浮かんでいる。

「え」

 戸惑っていると、リゴールのペンダントはゆっくりと落ちてきた。私はよく分からぬまま手を出し、緩やかに落ちてきていたペンダントを掴んだ。

 刹那、再び光がほとばしる。

「……っ!」

 眩しすぎる閃光に、反射的に目を閉じてしまう。

 そして再び瞼を開いた時、私の手には、ペンダントではなく一本の剣が握られていた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.12 )
日時: 2019/06/30 05:52
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zh8UTKy1)

episode.11 一本の剣

 ペンダントは消え、手の内には一本の剣。

 刃部分は銀色で、しかしながら微かに光っている。いや、厳密には「白い光をまとっている」と表現する方が相応しいかもしれない。形自体は時折見かける普通の剣と何ら変わらない剣なのだが、微かに発光しているところだけは、普通の剣とは違っている。

 予想外の展開に驚き戸惑う。
 だが、そうなっているのは私だけではなくて。離れたところに立っているウェスタも、信じられないような顔でこちらを見ている。

「……引き離したうえ、剣になるとは」

 彼女はほんの少し驚きの色を浮かべながら、そう呟いていた。

 私よりホワイトスターのことを知っている彼女ならば、今のこの現象について何か知っているかもしれない。一瞬はそんな風に思ったのだが、彼女の表情を見ていると、そんなことはなさそうだと思えてきた。

「一体……何をした」

 眉をひそめ、怪訝な顔で問いかけてくるウェスタ。

 だが、その問いは答えようのない問いだ。
 なぜって、私もまったく状況を掴めていないから。

「知らないわよ」
「新たな情報は必要。……答えろ!」

 ウェスタは急に調子を強めてくる。

「答えられないわ!」
「……なぜだ」
「だって、私だってよく分かっていないんだもの!」

 リゴールのペンダントが剣になるなんて、想像してはいなかった。

「どうしてこんなことになったのか、まったく分からないわ。だから、その問いには答えようがないのよ」

 私は事実をはっきりと述べる。
 だが、説明したところで、ウェスタは納得してくれない。

「……黙っているつもりか」
「だ、か、ら、言っているでしょ! よく分からないから答えられないって!」

 なぜこうも理解されないのか、不思議で仕方がない。

 言語が通じないというなら分かる。しかし、意思疎通ができていないわけではないところから察するに、言語自体は通じているのだろう。

 だが、それならばなぜ分かってもらえないのか。

「仕方ない。ならば……試させてもらうまで」

 ウェスタは唇を微かに動かし、次の瞬間、床を蹴った。

 三つ編みにした銀の髪を揺らしつつ、彼女はこちらへ急接近してくる。
 その速さは、まるで疾風のよう。

 赤い瞳が、私を捉える。彼女は本気で仕掛けてきている——それは、彼女の双眸を見れば容易く察することができた。

 今の私には剣がある。

 しかし、私は剣術の稽古など受けたことがない。
 いきなり一本の剣を渡されても、どう使えと、という心境だ。

 訓練を受けていたわけでもなく、運動が得意というわけでもない。そんな私がいきなり剣を渡されても、使いこなせるはずがないではないか。

「ふっ!」

 炎のような光をまとったウェスタの拳を、私は、その場から飛び退くことで回避した。取り敢えずの回避である。

 だが、まだ終わらない。

 一撃目を何とか避けたそこへ、彼女のもう一方の拳が向かってくる——。

 私はそれを、咄嗟に剣で防いだ。

「……防ぐか」

 防いだ、と言っても、凄いことをできたわけではない。ただ、両手で横向けにした剣を持ち、体の前方へ突き出しただけである。つまり、偶然彼女の拳を防ぐことができたというだけのこと。単なる奇跡である。

「……なるほど」

 次はどうして防ごう——そう考えていたのだが、ウェスタが次を仕掛けてくることはなく。彼女は、数メートル後ろに跳び、私から離れた。

「……今日のところはここまでとしよう」
「え。わ、分かってくれたの」
「まさか。……地上の者を理解することなど、不可能だ」

 ウェスタが冷たいことに変わりはなかった。

「ただ……この件は上に報告する、必要がある」

 それだけ言って、ウェスタは姿を消した。
 ほんの一瞬にして消える辺り、驚くほど人間らしくない。

「助かった……?」

 誰もいない広間で呟く。
 だが、安堵している場合ではないことを、すぐに思い出した。

「そうだった!」

 この手に握られている剣は、まだ剣の形のまま。元々の形態であるペンダントには、まだ戻らない。どうすれば戻るのか、あるいはもう二度と戻らないのか。謎は多いけれど、一人で考え込んでも意味がない。

 今はそれより、捕まっているはずの皆を探さなくては。

 私は剣の柄を握ったまま、二階へ続く階段を駆け上がった。


「……っ!」

 二階へ上がり廊下を走っていると、目の前に現れたのは——敵。

 人間のようで人間でない、謎の生物。それが、三体ほど、私の前に立ち塞がった。

 湖の畔でグラネイトに襲われた時、数十匹単位で現れていた彼らと、とてもよく似た姿をしている。恐らく、ブラックスターの手の者なのだろう。

「邪魔はしないで! 父さんたちのことを知っているなら、それは教えて!」

 もしかしたら意志疎通できるかも、と、淡い期待を胸に述べる。だが、彼らは反応しなかった。不気味な声は発しているものの、私が理解できる言葉は何一つとして話さない。

「意志疎通は……無理なのね」

 ただ、彼らがここにいるということは、拘束されている父親たちが付近にいる可能性も高い。ある意味では、それが分かっただけで十分と言えるかもしれない。

 ……けど、私一人でここを通らなければならないなんて、大問題。

 まず、こんな怪しい生き物と戦う勇気がない。それに、もし仮に勇気があったとしても、剣術の心得がない。

 どうしろと。

 悶々としていたところ、謎の生物たちが接近してきた。明らかに私を狙っている動き方で。

「……もうっ」

 ドタバタと落ち着きのない足取りで迫ってきた一体の腹部を、私は剣で薙ぐ。

 否、薙ぐなんて立派な行為ではない。
 両手で柄を握り、横向きに大きく振りかぶり、それを敵の腹にぶち当てたのだ。

 それはもはや、『殴った』に近い。
 ホウキでもできるような、素人丸出しの攻撃である。

 ただ、まったくの無意味ということはなくて。私が剣で殴った敵は、剣が放つ白い輝きに体を裂かれて消滅した。

「……よし!」

 私は内心、小さくガッツポーズ。

 だが、まだ二体残っている。
 気を緩められるような余裕はない。

 ただ、先ほどまでよりかは気が楽になった。素人の私でも少しは戦える方法を、見つけることができたから。

 ——その後、残る二体も先ほどと同じように剣で殴って消し、私は先へ進んだ。


「……さい!」

 人気のない廊下をさらに進むことしばらく。私は、リゴールの声が聞こえた気がして立ち止まった。

 私が立ち止まったのは、少々装飾の施された木製の扉の前。
 その部屋は、時折客を招き入れることのある、やや広めの部屋だ。お茶をしたり、落ち着いて話をしたり、そういう時に使っている部屋である。
 狭い部屋ではないから、父親や使用人らを閉じ込めることもできるだろう。

 ——可能性はある。

 マグカップの取っ手を大きくしたような形の、扉の取っ手を握り、押してみた。

 扉はあっさりと開いた。

「リゴール!」

 中は、私が予想していた状態に近かった。
 縄で拘束された父親と使用人数名が部屋の奥に転がされており、リゴールは敵——謎の生物に刃物を向けられている。

「……エアリ!」

 リゴールの青い瞳が私を捉えるのに、そう時間はかからなかった。

「どうやってここまで……!」
「あの女の人は帰ったわ。だから、ここまで来ることができたの」
「帰ったのですか……?」

 喉元に包丁の刃を押し当てられているリゴールだが、今はそれより、ウェスタが退いたという話の方に興味が向いているようだ。

「そうよ。待ってて、リゴールもすぐに助けるから」

Re: あなたの剣になりたい ( No.13 )
日時: 2019/07/02 00:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6kBwDVDs)

episode.12 怒られずに済みはしたものの

 父親や使用人は、敵から離れている。それゆえ、彼らが一瞬にして危険に晒されるということはないだろう。

 だが、リゴールはそうではない。

 彼の場合は、近くに敵がいるし、既に首を狙われている。なので、私のほんの数秒のもたつきによって彼が危険な目に遭う可能性は、比較的高いと言えるだろう。

 ならば、優先すべきはリゴールだ。

 ……いや、本当は、私が彼を助けたかっただけなのかもしれないけれど。

「貴方が倒すべきは私よ!」

 敵に向けて言い放つ。
 すると、リゴールの首を狙っていた敵が、視線をこちらへ移した。

 先ほど言葉による意志疎通が不可能であることは確認した。だから、敵がこちらを向いたのは偶々なのだろう。私が発した言葉に反応しての行動ではないものと思われる。

 だが、それでもいい。
 今は敵の意識をリゴールから逸らすことができれば、それで十分だ。

「かかってきなさい!」

 腹部の前辺りで剣を構え、言い放つ。

 剣を持っているとはいえ素人だ。それゆえ、本当は、かかってこられると困る。が、この状況だから仕方がない。すべては、犠牲を出さないためだ。

「エアリ……!?」

 敵はこちらへと走り出す。
 その様に、リゴールは動揺しているようで。
 だが、彼に何かを返している余裕はなかった。敵が迫ってきているのだ、呑気に話してはいられない。

「遠慮なく行くわよ!」

 ……素人だが。

 剣の柄を握る両手に、力を加える。そして、接近してきた敵を狙うようにして、剣を大きく振った。
 白色の光が、宙を駆ける。

 ——そして、敵は姿を消した。

「や……やった……」

 安堵の溜め息を吐くと同時に、言葉も漏らす。
 取り敢えず目の前の敵は倒すことができたようで、心の底からほっとした。周囲に他の敵がいる様子もないし、恐らく、これで落ち着けることだろう。

 その時。

「え、え、エアリーッ!!」
「……え?」

 私の名を叫びながら、リゴールが走ってきていた。私のところで停止することなどまったく考慮していないような、凄まじい勢いで。

 まずい。このまま走ってこられたら、激突する。

「ま、待って! 止まって!」

 最優先事項はこれ。そう判断し、叫んだ。

 リゴールはその叫びによって停止しなくてはならないことに気がついたようで、急停止。何とか止まったものの、前に向かって転びそうになり、暫し両腕を肩から回転させていた。

「大丈夫だった? リゴール」
「はい」

 私の問いに、彼はこくりと頷く。

「なら良かったけど、あまり無理しちゃ駄目よ」
「は、はい……」
「敵に突っ込んでいくような真似は、特に駄目!」
「……申し訳ありません」

 リゴールは落ち込み、元々小さい体を縮めていた。そのせいで、すっかり小さくなってしまっている。まるで小動物のよう。

「よし。それじゃあ、皆を自由にしてあげなくちゃ。リゴールも手伝ってくれる?」
「……はい!」

 それから私は、リゴールに協力してもらいながら、拘束されている父親や使用人たちを自由にした。

 危険な目に遭わせてしまったうえ、許可なく勝手に家に帰ってきた。だから、怒られて当然だろう。私はそう考えていたのだが、父親は意外にも怒らなかった。

 ただ、彼は始終、起こっていたことを理解できていないというような顔をしていた。


「本当に、またしてもご迷惑を……申し訳ありません」

 私の自室内にて、向かいの椅子に座っているリゴールは、そう謝罪した。
 こうして彼の謝罪を聞くのは、これで何度目になるだろうか。数えていなかったから厳密には分からないが、二三回ではないように思う。

「気にしないで。父さんにも案外怒られなかったし、セーフだわ」
「お父様は……何と?」
「怪我がなく済んだから良かったが、あの不気味な男は今日中に出ていかせろですって」

 私は父親から言われたことをそのまま伝えた。

「なるほど……それは当然のことですね」

 リゴールは、父親の発言に反発する気はないようで。

 しかし、その表情は暗かった。
 今の彼の顔は、まるで、曇り空の下の街のよう。ぱっとしない。

「……ところで、ですが」

 リゴールはぱっとしない顔のまま話題を変えてくる。

「その剣、なぜ使えたのですか」
「え?」

 椅子に立て掛けていた剣に、改めて視線を向ける。

 元々リゴールのペンダントであった剣。しかし、ペンダントの形に戻りそうな気配はまったくない。永遠に剣のままなのではと思ってしまうくらい、完全に剣である。

 私はその剣を持ち上げる。

「これ?」
「えぇ……それは、わたくしのペンダントですよね?」
「そうなの! 急に変化したの」

 ペンダントだったなんて信じられないくらい、今は剣だ。

「……信じられません」

 リゴールは微かに目を伏せる。

「そうなの?」
「その剣を抜ける者が地上界にいるなど……とても」

 事情はよく分からないが、よくあることではないということだけは分かった。しかし、それならなおさら、「なぜ私が」という気分だ。

「そのペンダントが剣となることがあるという話は聞いたことがあります。伝説によれば……そのペンダントは、かつてホワイトスター誕生に貢献した者が使っていた剣がペンダントの形になったものなのだと。そのような話を……いつか聞きました」

 腑に落ちない、というような顔のまま、リゴールは話す。

「……ホワイトスターが滅ぶ前、幾人もの猛者が挑戦したのです。ペンダントを、何とか剣の形にできないかを。しかし……誰一人として成功しませんでした」
「剣にならなかったのね」
「はい。なのにエアリは剣を……」

 リゴールは視線を上げ、こちらをじっと見つめてきた。

「何か心当たりは?」
「な、ないわよ! 心当たりなんて!」

 すると彼は、再び視線を床に落とす。

「……そうですか」

 彼が残念そうな顔をしているのを見ると、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。

 だが、協力しようがないのが現実だ。

 私が剣を使ったのは、あの時偶々現れたから。そして、敵を退けるために使えそうなものが、剣以外になかったからである。

 それ以上でもそれ以下でもない。

「あまり役に立てなくてごめんなさい」
「い、いえ! 答えて下さってありがとうございます、エアリ」

 リゴールは笑みを浮かべながら言う。
 そして、椅子から立ち上がった。

「あの……」

 気まずそうな顔をしつつ、リゴールは小さく口を動かす。

「リゴール? どうしたの?」
「……今夜、もう一晩だけ泊めてはいただけないでしょうか」
「えっ。何それ」

 私は思わず本心を発してしまった。

「あ、む、無理……ですよね。その……申し訳ありませ……」
「え、違う! 違うの、そういう意味じゃないわ!」

 開いた両の手のひらを胸の前で振りながら述べる。
 断るつもりだったわけではないからである。

Re: あなたの剣になりたい ( No.14 )
日時: 2019/07/02 00:38
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6kBwDVDs)

episode.13 白き夢の園

 その晩、私はリゴールを泊めることにした。

 とはいえ、もう堂々と泊めることはできない。だから、父親に秘密で泊めるという形になる。そこは少しばかり罪悪感があった。

 けれど、彼を追い出すことはどうしてもできなくて。

 結果、リゴールを泊めるのは私の部屋ということになった。

「本当に……良いのですか?」
「えぇ。頼まれたら、断るなんてできないわ」
「……色々申し訳ありません」

 リゴールを部屋に泊めること自体に問題はない。が、寝るところが一つしかないという問題が浮上した。

「リゴール、ベッド使う?」

 ベッドは一つしかない。
 小さなベッドではないから二人で並んで寝ることも不可能ではないが、さすがにそれは抵抗があった。

「……え! ベッドはエアリがお使い下さい!」
「けど、そうしたらリゴールの寝るところがないわよ?」

 するとリゴールは「あ」と小さく発する。
 どうやら、気づいていなかったようだ。

「で、では……床に失礼します」
「床? それで大丈夫なの?」

 確認すると、彼は、開いた両手を胸の前で合わせる。

「はい! 問題ありません」

 リゴールはそう言って笑うけれど、本当にそんなことで良いのだろうか。王子ともあろう人を床で眠らせるなんて、怒られやしないだろうか。

「けど……寝づらいわよ?」
「いえ。無理を言ってお世話になっているのですから」
「べつに、気なんて使わなくていいのに」

 ベッドの上の掛け布団を整えつつ、リゴールと話す。

「いえ……もう本当に……何とお礼すれば良いのか」
「いいわよ、お礼なんて。あ、なんなら、もういっそうちで働いたらどう?」

 私は冗談のつもりだったのだが、リゴールは凄く驚いた顔をした。

「えっ……! わたくしが、ですか……?」
「冗談よ」
「え、あ……はい。承知しました」

 その後、私とリゴールは寝た。
 結局、私はベッドで眠り、彼は床で横になったのだった。


 ◆


 ——気づけば、見たことのない場所にいた。

 足の下には白い石畳。視界には、いくつもの白いアーチのようなもの。アーチは、まるでそちらへ歩いていけと命じているかのように、整然と並んでいる。

 私は取り敢えず歩き出す。

 付近にある物体のほぼすべてが白く、しかし、空と思われる部分だけは灰色だ。
 ここがどこなのかなんて分からないけれど、整然と並ぶアーチに導かれるかのように、歩いた。

 歩くことしばらく。

 目の前に、少しだけ開いている扉が現れた。

 石なのだろうか——少なくとも木ではなさそうな材質でできた、全体的に白い扉だ。厚みは、精一杯広げた手の親指から小指の幅くらいはあるだろうか。そして、私がいる方の面——恐らく外側には、蔓や馬のような生き物が彫られている。

 扉の向こう側からは、何やら音が聞こえてくる。

 私は扉の隙間から、恐る恐る中を覗いてみる——そして、思わず口に手を当てた。

「……っ!!」

 紅の血を流しながら倒れている女性の姿があったからである。
 腰くらいまで伸びた長い金髪、高い鼻、滑らかそうな肌。倒れている女性は、血に濡れていてもなお、美しい。

 横たわる彼女の美貌に心を奪われていると、何やら声が聞こえてきた。

「……む! 頼む、動いてくれ! 返事をしてくれ!」

 男性の声だ。
 声の質から察するに、恐らく、五十代くらいの男性のものだろう。

「……だ! こんなこと、……の子に、何と伝えれば!」

 ただならぬ空気に、胸の鼓動が加速する。

 今ここにいて良いのだろうか。間違って私が犯人扱いされるなんてことにはならないだろうか。そんな不安が込み上げる。

 けれど、その場から離れることもできない。
 まったく知らない場所だから。

「……を呼んで参りましょうか?」
「駄目だ! あの子に今以上……与えるわけにはいかない!」

 どうやら、室内にはもう一人誰かがいるようだ。

「しかし、隠すというのも……かと……ますが」
「……おるのだ! こんな……にはいかん!」

 扉の隙間から中を覗きつつ二人の会話を聞いていると、突如視界が黒く染まった。


 ◆


 次に目が覚めると、自分の部屋だった。
 灯りのない室内は真っ暗。しかし、窓から降り注ぐ月明かりがあるため、まったく何も見えないということはない。が、よく見えるということもない。お世辞にも、視界が良いとは言えない状態だ。

「……ゆ、め?」

 どうやら私は夢をみていたようだ。
 しかし、夢の中とはいえ血を流している人を見てしまうなんて、何ともついていない。アンラッキーとしか言えない。

 ——けれど、そんなものは始まりでしかなかった。

「目覚めてしまいましたか……」

 はぁ、と溜め息をつく音を聞き、何事だろうと目を開く。
 すると、目の前に見知らぬ男性がしゃがんでいるのが見えた。

「なっ……!」

 ベッドの上に見知らぬ男性がしゃがんでいるなんて。驚き、理解できず、私は慌てて上半身を起こす。

「何者なの!?」

 濃い藤色の髪は、男性にもかかわらず結構な長さで、一つに束ねてある。また、前髪の一部が長く伸びていて、左目が隠れている。

 そんなミステリアスな風貌の男性だ。

 いかにも怪しげである。

「名乗る義理はありません」
「ちょっと待って。勝手に入ってきておいてそれはおかしくない……?」

 目の前の男性はにっこり微笑む。
 が、それによって余計に不気味さが高まってしまっている。

 名乗る気はないというような発言をきっぱりしておきながら、さりげなく微笑みかけてくる辺り、怪しいとしか言い様がない。

「何を馬鹿げたことを言っているのです?」

 男性はベッドから軽やかに飛び降りる。
 長いコートの裾が、ふわりと宙を舞った。

「生かしておいただけでも、感謝していただきたいものです」
「貴方、本当に何なの……」

 男性の黄色い瞳は、床で横になって眠っているリゴールを捉えていた。

 それを見て、ふと思う。
 リゴールを狙っている輩の仲間ではないだろうか、と。

 だとしたら危険だ。

「まさか、リゴールを狙っている人たちの仲間!?」

 そう発した直後、私は男性に掴み上げられた。
 男性は、数秒もかけることなく、片手で私の首を掴んだ。しかも、首を掴むだけでなく、そのまま私の体を持ち上げたのだ。結構な力である。

「なっ……離して!」
「今、リゴールなどと言ったのはどなたです?」

 白に限りなく近い藤色の手袋をはめた手が、首を絞めてくる。
 呼吸ができないほど絞められてはいないところから察するに、彼はまだ、私をすぐに殺す気はないのだろう。

「王子を知っているのですね」
「えぇ……だったら何よ……?」
「王子を監禁した挙句、呼び捨てにするとは」

 男性の言い方に、ほんの少し違和感を抱く。

 なぜだか分からないけれど、彼はこれまで襲ってきた敵たちとは違った雰囲気をまとっているように感じられる。

 リゴールを狙う気はない、というか。

「もしかして……リゴールを狙っているわけではないの?」

 直後、男性の手が首から離れた。
 彼の手によって宙に浮かされていた私の体は垂直落下。おかげで、床で腰を打つはめになってしまった。

「まったく、恐ろしい女です」

 男性は大袈裟に溜め息をつく。

「しかし——悪意はないようなので、今日のところは見逃して差し上げましょう」
「やっぱりそうなのね? リゴールの命を狙っているわけじゃないのね?」

 そう言うと、鋭く睨まれた。

「ただし、次王子に手を出したなら、容赦なく消させていただきますので」

 よく分からないが、どうやら、彼は私を嫌っているようだ。
 しかも彼は、人の家に勝手に入った侵入者。犯罪者と言っても過言ではない。

 ーーただ。

 リゴールを殺そうとしているわけではないようなので、そういった意味では、ひと安心と言っても問題ないだろう。

Re: あなたの剣になりたい ( No.15 )
日時: 2019/07/03 22:13
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /ReVjAdg)

episode.14 噛み付かれそうな

 その後も、しばらく、気まずい時間が続いた。
 勝手に入ってきた男性はリゴールを起こそうとしていて、私に攻撃してくることはなかった。が、時折様子を窺うように睨まれるのが、微妙に怖かった。

「起きて下さい、王子」
「まだ眠い……」
「こんなところで眠っている暇はないのですよ!」

 男性に起こされたリゴールは、一応体を起こしはしたものの、まだ寝惚けている。すぐに普段通りとはいかないようだ。

「……ん?」

 少しして、リゴールは怪訝な顔をした。

「エアリでは……ないのですか」

 かなり寝惚けていたリゴールだが、さすがに、段々目が覚めてきたようだ。目が覚めるにつれ、彼の顔に訝しむような色が浮かんでくる。

「王子、何を言っていらっしゃるので?」
「……デスタン?」

 ——直後。

 リゴールの目が急に大きく開かれた。

「え、えええ!?」

 夜の闇に、リゴールの甲高い叫びが響く。

「な、な、なぜ!?」
「良かった。気がつかれたようで、何よりです」
「しっ、しかしなぜ!?」
「落ち着いて下さい、王子」

 やはり、男性とリゴールは知り合いだったようだ。ということはつまり、男性は敵ではないということ。私は内心安堵の溜め息をついた。これはもう、完全にひと安心と言って問題ないだろう。

「その人は知り合いなの? リゴール」

 私はリゴールに尋ねる。
 混乱している彼には答える余裕などないかもしれない、と思っていたが、案外そんなことはなく。

「は、はい……。彼はデスタンといいまして、わたくしの護衛です」

 意外にもきちんと返してきた。

「そうだったのね。なら良かった、安心したわ」

 敵にではないとはいえ、夜中に勝手に侵入されたのだ。呑気に「良かった」などと言っている場合ではない。

 ただ、発した言葉に偽りはない。

 侵入してきたのが敵という可能性もあったのだから、その場合に比べれば、遥かに「良かった」と言える展開だろう。

 そんなことを考えていると、男性——デスタンに、凄まじい勢いで睨まれた。

「……よくもそのような口の利き方ができますね」
「えっ」
「呼び捨てに加え、敬意の感じられない口調……あまり調子に乗ると、消しますよ?」

 デスタンの黄色い瞳からは、凄まじい殺気が放たれている。

「け、消す……!?」
「王子にとって必要のない人間と判断すれば消します」

 そこへ、リゴールが口を挟んでくる。

「待ちなさい!」

 リゴールは、私とデスタンの間に立った。彼はそれから、デスタンの方へ視線を向ける。

「デスタン! いちいち喧嘩を売るような発言をするのは止めなさい!」
「……しかし、王子」
「事情は説明します! 取り敢えず黙りなさい!」

 デスタンに向けて言葉を放つリゴールには、得体の知れない風格があった。私と話している時とは、雰囲気がまったく違う。護衛にはこうなのだろうか。

 そんなことを考えていると、リゴールが私へ視線を向けてきた。

「ご迷惑おかけして……申し訳ありません」

 やはり、いつものリゴールだ。

「貴方が謝ることはないわ。それより、彼は貴方の護衛の方かただったのね?」
「はい、実は」

 リゴールは顔色を窺うような目つきで私を見ている。
 下から来るような目つき。デスタンに対して物を言う時の凛とした振る舞いとは、別人のようだ。

「会えて良かったじゃない!」

 私としては、少し寂しい気もするけれど。

「え、あの……」
「もう寂しくないわね!」
「……エアリ?」

 リゴールは戸惑ったような顔をしている。

 寂しくなっていることがバレているのだろうか?

 いや、それはないはずだ。
 出会って数日も経っていないのだから、そんなあっさり心がバレるはずがない。

「エアリ、その……少し様子がおかしいですよ? わたくしで良ければ、何でも言って下さい」

 月の光だけが射し込む薄暗い部屋でも、リゴールの青い瞳ははっきりと見える。彼の瞳には、不安げな色が浮かんでいた。

「ふ、普通よ!」
「いえ。一日過ごさせていただいたので分かります。今の貴女は、貴女らしくありません」

 リゴールの勘の良さは驚くべきものがある。
 私が分かりやすい質なだけかもしれないが、こうも容易く異変に気づかれるとは思わなかった。

「私らしくない? 何を言っているの。私らしいなんて、分かるわけがないじゃない」
「……確かに、それもそうですが」
「とにかく、私のことは気にしないで!」

 胸の奥を覗き見られているような感覚が怖くて、つい強く言ってしまった。リゴールはただ、私を心配してくれているだけなのに。

「はい。承知しました」
「……ごめんなさい」

 後から申し訳ない気分になり謝罪すると、リゴールは笑みを浮かべて返してくる。

「い、いえ! お気になさらず!」

 暗い中でもはっきりと分かるくらいの、よく目立つ笑み。穢れのない、華やかで真っ直ぐな笑顔だった。

「わたくしに遠慮は必要ありませんので! 気兼ねなく、何でも仰って下さいね」

 王子ともあろう人がそんなことを言っていて良いのか? という疑問が、脳内に少し浮かんだ——その時。

「王子!」

 デスタンが強い声で放った。

「どうかしましたか? デスタン」
「その女、一体何なのです!」

 きょとんとしているリゴールと、険しい顔つきのデスタン。二人の表情は対照的だ。

「黙って見ていれば、王子をへこへこさせて。その女、調子に乗りすぎではないですか!」

 放っておいたら今にも私へ噛み付いてきそうなデスタンを、リゴールは「落ち着きなさい!」と制止する。

「落ち着いて下さい、デスタン。わたくしはお世話になっていた身なのです。ですから、無礼があってはならないのです」
「……しかし王子」

 納得できない、というような顔のデスタン。
 しかし、リゴールはマイペースを貫きつつ発言を続ける。

「良いですか? デスタン。事情は今から簡単に説明しますが、終わるまで騒がないで下さい」

 それに対しデスタンは静かに頷いた。

「……はい」
「では、少し時間がかかりますが、簡単に事情を説明させていただきます」

 デスタンが冷静さを取り戻したところで、リゴールはこれまでの経緯を話し始めた。
 私との出会いから、今夜は密かに泊まっているのだということまで。

Re: あなたの剣になりたい ( No.16 )
日時: 2019/07/03 22:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /ReVjAdg)

episode.15 話し方の違和感

「……なるほど。その女は無害だということですか」

 リゴールがひと通り説明を終えると、デスタンは静かにそう発した。その目つきは、先ほどまでとはまったく違う、大人しげなものに変わっていた。

「分かりましたか? デスタン」
「はい」

 デスタンの返事に、リゴールは胸を撫で下ろす。
 私も同じ心境だ。

 そんな風にほっとしていると、デスタンが小さく口を開いた。

「しかし、その女が剣を抜けたという話だけは理解できません」

 静かな声色で、表情も刺々しくない。そのため、攻撃性自体は、先ほどまでよりかなり下がっているように感じられる。

「王子は不思議だとお思いにならないのですか?」
「それは、わたくしもよく分からないところなので、それ以上突っ込んでこないでいただきたいです」

 リゴールは速やかにきっぱり返した。

 すると、デスタンはリゴールに問うことに諦めたようで、私の方へと歩み寄ってきた。
 唇に薄い笑みを浮かべながら。

 だが、その笑みが、逆に彼の不気味さを高めてしまっているように感じられる。

「な……何なの?」
「驚きました、なかなか興味深いところのある女のようですね」

 一応攻撃的ではなくなっているものの、いつ豹変するか分からないから、油断はできない。少し前まであれほど殺気を向けてきていたのだ、そう易々と気を許すわけにはいかない。

「王子を保護して下さったことは感謝しましょう。ありがとうございました。蛮族の多さで有名な地上界で王子が無事だったのは貴女のおかげですから、本当に感謝しております」

 いきなり毒を吐かれた。

 さりげなくこの世界に毒を吐いてくる辺り、彼は少々ひねくれているようだ。

 けれど、よく見ると、わりと綺麗な顔立ちをしていた。
 やや女性的な顔立ちだが、近くで目にすると、案外整っている。美しい女性、と言えば近いだろうか。知っている言葉で上手く表現するのは難しいが、彼の中性的な顔立ちは、妙に惹かれるものがある。

「王子ともあろうお方を自室に泊めるという度胸も素晴らしいですね」
「え……?」

 発言の意図が掴めず戸惑っていると、彼はふふっと笑みをこぼした。

「いえ。貴女が気になさることはありません。女は理解力に欠けている方が好まれる生物——そういうものなのでしょう?」

 あっさりと嫌みをぶちかまされてしまった。

「そういうものかしら……」
「地上界の男から聞いたことですが?」

 そこへ口を挟んでくるリゴール。

「デスタン! 貴方も地上の者と知り合いになったのですか!?」

 小柄なリゴールは、飛びかかるかのような勢いで、私たちの間に入ってくる。

「はい」
「この近くで!?」
「いえ。ここからは少し離れたところです」

 デスタンはリゴールの質問に静かに答えていく。

「うぅ、そうでしたか……」

 がっかりしたように身を縮めるリゴール。こうして肩を落としている彼は、まるで子どもである。

 ……いや、実際に子どもなのかもしれないが。

「住むところとこの世界のお金少しを手に入れました」
「なっ! デスタン、貴方、意外と有能ですね!?」

 リゴールに驚いた顔をされ、デスタンは目を細める。

「……そこを驚かないで下さい、王子」

 リゴールとデスタンは、恐らく主従関係といったところなのだろうが、凄く仲良さげだ。普通想像する感じより、よく喋っている。

 ただ、二人とも丁寧語で。
 そこがどうも気になって仕方がない。

「あの……ちょっといい?」

 どうでもいいことかもしれないが、一度気になり出すと気になって仕方がないので、直接聞いてみることにした。

「何ですか? エアリ」

 素早く反応したのはリゴール。

「リゴールは誰にでも丁寧語なのね。こだわりがあるの?」
「いえ、特に……こだわりがあるということはありません」
「護衛の人にも丁寧語なのね」

 すると、リゴールは不安げに眉を寄せる。

「……おかしいでしょうか」
「おかしいかは分からないけれど、何だか不思議な感じがするわ。二人とも丁寧語を使っているから、少し、違和感があるの」

 私の発言を聞き、リゴールは身を縮めた。が、数秒後急に元気な顔つきに戻る。それから、胸の前で両の手のひらを合わせた。

「では! わたくしがデスタンに対する話し方を変えましょう!」

 すぐにデスタンの方を向くリゴール。

「良いですね?」
「なぜですか」
「えぇと、では……」

 リゴールが言いかけた、その時。
 窓の外で、何かが光った。


 直後、室内に凄まじい風が吹き込み——。


「ふはは! 見つけたぞ王子!」

 その言葉を聞き、私は、何が起きたのかを理解した。

 グラネイトが来たのだ。

 これで三度目。

 さすがにすぐに分かったので、私は、ベッドの陰に隠れて爆風から逃れた。
 それにしても、またしてもこの家に攻撃してくるとは。それも、前とほぼ同じパターンで来るなんて、信じ難い。

「グラネイト様が来てやったぞ。ふはは!」

 ……彼は少し、頭が弱いのだろうか?

「また貴方なの!」
「んん?」
「さすがにもう、すぐ分かったわよ! しつこいわ!」
「なっ……このグラネイト様に『しつこい』は失礼だろうっ!!」

 グラネイトと言葉を交わしつつ、リゴールの様子を確認する。彼の身は、デスタンが護っているようだった。その様子を見て、私は一人安堵する。

「調子に乗っていると、痛い目に遭うぞ!」

 そう叫び、グラネイトは右手の手のひらを私へ向けてくる。

 ——直後、火球のようなものが飛んできた。

 咄嗟にベッドの陰に隠れ、火球のようなものをかわす。私がかわした火球のようなものは、そのまま直進し、窓の反対側の壁に当たる。そして、爆発した。

「……爆発した!?」
「ふはは! そう、このグラネイト様の力は爆発を起こす!」

 グラネイトは誇らしげに述べる。

「今回は上から許可を得て来たのだ! 家を壊しても許される!」

 滅茶苦茶な理論だ。

「さぁ、王子を渡せ!」

 割れた窓から室内に入ってきたグラネイトは、ベッドの陰にいる私の方へ歩いてくる。なぜか、リゴールではなく私に寄ってきている。

「待って。リゴールを狙っているのなら、私に寄ってくる必要はないのではないの?」
「渡すと言え」
「……へ? な、何よ! どうして私なのよ!」

 グラネイトの言動は理解不能だ。

「王子を渡せ!」
「ならリゴールの方へ行きなさいよ! 間違ってるわよ、貴方!」
「許可を取る必要があるだろう!」

 何が何だか、よく分からなくなってきた——その時。

「ぐはぁっ!」

 グラネイトの体が、予期せぬ方向へ飛んだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.17 )
日時: 2019/07/05 18:24
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6..SoyUU)

episode.16 戦闘

 グラネイトの体がいきなり妙な方向へ飛んだ——そのことに驚き、私は床にへたり込んでしまった。
 そんな私の目の前に立っていたのは、デスタン。

「な、何が……」

 驚きと戸惑いに満ちた心のまま、半ば無意識に漏らしていた。
 それに反応してか否かは分からないが、デスタンは振り向き、私の方へと視線を向ける。鋭さのある黄色い瞳が、私を捉えた。

「助けて……くれたの?」
「いえ、違います」

 デスタンは、きっぱりと否定してから、剣を放り投げてきた。リゴールのペンダントが変化した、あの剣を。

「え……」

 剣は椅子に立て掛けておいたはず。それを彼が渡してきたということは、彼は、先ほどのいざこざの間にそれを手に取っていたということなのだろうが……だとしたら凄まじい早業だ。

「使って下さい」
「え、あの」
「話によれば、貴女はそれを使えるのでしょう?」

 デスタンは口調こそ丁寧だが、目つきは悪い。物凄く睨まれている、と感じてしまうような目つきで、私を見ている。

「ただ女に興味はありませんが、その剣を抜けた貴女には少しばかり興味があります」
「……私、素人よ」
「だとしても。その剣が貴女を選んだ、それは真実でしょう」

 デスタンが放つ声は冷たい。けれど、私に敵意を向けているような冷たさではない。多分、これが彼の普通なのだろう。

 その頃になって、壁に激突しベッドの上に倒れていたグラネイトが、むくりと起き上がってきた。

「このグラネイト様に何をする! 危ないだろう!」

 グラネイトは起き上がるなり叫んだ。

「怒ったぞ!」

 そう続け、指をパチンと鳴らす。すると、これまでにも何回か見かけた小柄な敵が、ぞろぞろと、ガラスの割れた窓から入ってきた。

「ゆけ、したーっぱ!」

 グラネイトが叫ぶと、その叫びを合図にしたように、敵が一斉に襲いかかってくる。

「また出た!」

 私は思わず叫んでしまう。
 そのせいか否かは分からないが、デスタンに睨まれた。

「戦って下さい」
「む、無理よ! こんな暗闇で戦うなんて!」
「王子のためです」

 デスタンはそんな風に言いながら、敵の第一波を次から次へと蹴り飛ばした。
 素晴らしい身のこなしだと思いはするが、彼が物理攻撃をするというのは少しばかり意外だ。個人的には、彼は魔法を得意としているようなイメージだった。

「貴方は魔法は使わないの?」

 そう問うと、彼は冷たい視線を向けてくる。

「そんなことはどうでもいいので、貴女も戦って下さい」
「リゴールは魔法を使っていたわ。凄い威力だった。貴方もあれを使えば、もっと効率的に敵を倒せるはずよ」

 わざわざ素手でぷちぷち倒さずとも、魔法が使えるならそれを使った方が遥かに早い。湖の畔で襲われた時にリゴールがやったように——いや、あれは少しやりすぎかもしれないけれど。いずれにせよ、一撃で数体ずつ倒せる方が、スマートに戦えるはずだ。

「助言を求めてなどいません!」

 しかし、私の言葉が聞き入れられるはずもなく、鋭く言い返されてしまった。

「ごめんなさい。でも、ホワイトスターの人は魔法が使えるのでしょう? 私はただ、それならば、と思って……」

 剣を握りつつ述べる。が、デスタンは最後まで聞いてはくれない。

「分かりました。もう結構です」

 きっぱりとそう言った後、彼はもう振り返らなかった。

 彼は前だけを見ている。
 迫り来る敵だけを。

 睨まれなくなったことに、冷ややかな言葉をかけられなくなったことに、私は安堵する。だが、それとは裏腹に、どことなく寂しさも感じた。

 ちょうどそのタイミングで、リゴールが駆けてくる。

「エアリ! 無事ですか!?」
「リゴールこそ」
「ありがとうございます。わたくしは大丈夫です」

 こんな時だからこそ、リゴールの言動は安らぎを与えてくれる。彼といると、妙に和む。

「エアリ。貴女は無理して戦わなくて大丈夫ですよ」

 リゴールはそう言って、微笑みかけてくれる。

「デスタンがいますし、わたくしも戦えますから。無理はなさらないで下さい」

 彼の手には、本。
 既に開かれている。

「極力部屋を壊さぬよう、心掛けますので」

 リゴールは私の部屋にまで気を遣ってくれていた。この状況で気遣いなんて、誰でもできるものではない。ありがたいことだ。

 ……もっとも、デスタンが暴れ回っているせいで、室内は既に破壊されているのだが。

 リゴールの手に乗っている開かれた本から、金色の光が溢れ出す。

「……王子!」

 その光によってリゴールが魔法を使おうとしていることに気がついたらしく、敵を蹴散らし続けていたデスタンが振り返る。

「王子はそこにいて下さい!」

 デスタンは向かってくる敵を殴り飛ばしつつ言い放った。
 リゴールはすぐに返す。

「援護くらいは!」
「その必要はありません、王子。私一人で十分です」
「いえ! そういうわけにはいきません!」

 この時ばかりは、リゴールも険しい顔。
 基本穏やかな彼とて、敵が襲ってきている時までヘラヘラしているわけではない。

「参りま——」

 リゴールが開いた本を手に言いかけた、その時。

「エアリお嬢様っ!」

 背後にある扉が、勢いよく開いた。
 そして、開いた扉から室内へ駆け込んできたのは——バッサ。

「バッサ!?」

 駆け込んできたバッサと目が合う。
 彼女の瞳は、動揺を濃く映し出していた。

 動揺するのも無理はない。夜中に私の部屋に入ってみたら、そこが戦場と化していたのだから、動揺しない方が不自然と言えよう。

「……な、何の騒ぎですか? これは一体?」
「ち、違うの! これは、その……」

 言い訳しようとするけれど、相応しい言葉が上手く出てこない。

「夜中に剣を手に大騒ぎしていると、お父様に怒られますよ。それと、確か、その方はもう帰られたのではなかったのですか」

 バッサのことは嫌いではない。でも、今は少し、彼女の存在が煩わしいと感じてしまう。こんな時に来るなんてタイミングが悪すぎる、と思わざるを得ない。

「今は無理なの! バッサも巻き込まれるから、外に出てて!」
「……お嬢様?」
「いいから! お願い!」

 不思議な生物を見てしまったかのような顔をしつつも、バッサは「分かりました」と発する。その後、「どうかお気をつけて」とだけ述べ、彼女は部屋から出ていった。

「……分かっていただけたのですか?」
「えぇ。バッサは私の良き理解者だもの」

 その頃には、グラネイトが繰り出してきた敵は、ほぼ全滅していた。デスタンの働きのおかげである。

 繰り出した手下たちを全滅させられたグラネイトは、眉間にしわを寄せながら、体を震わせている。

「おのれ……したーっぱを一掃するとは……」
「去れ」

 デスタンに冷ややかに言われたグラネイトは、しばらく、ギリギリと歯軋りしていた。それから十秒ほど経過して、今度は叫ぶ。

「ふざけるな! 長髪!」
「警告しておく。王子を狙う者には容赦しない」
「かっこつけ! 陰気モドキ! ダサい! 前髪まで伸ばしやがって!」

 グラネイトの発言は、もはやおかしなところしかないくらい、支離滅裂だ。
 まるで子どもの口喧嘩である。

「…………」
「何だ! 精神的なダメージで、もう何も言い返せないのか!?」
「……いや」
「ならば何か言え!」

 グラネイトは荒々しく叫ぶ。

「……前髪を伸ばしているのは私の趣味ではない」

 いや、そこ?

 内心そう思ったけれど、口から出すことはしなかった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.18 )
日時: 2019/07/05 18:25
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6..SoyUU)

episode.17 その存在が呪い

「邪魔者はくたばれぇぇぇっ!!」

 グラネイトは壁を蹴り、デスタンに飛びかかった。

 その手の内には、先ほど私に向けて飛ばしてきたのと同じ、火球のようなものが発生している。

 しかし、デスタンは冷静だ。

 一撃目の拳を片手で受け止めると、その手首を掴んで、グラネイトの体を一気に引き寄せる。そうして、腹へ膝蹴りを叩き込む。さらにそこから、グラネイトをベッドの方へと放り投げた。

 投げられベッドに倒れ込んだグラネイトは、腕だけを動かし、火球のようなものをデスタンに投げつける。

 ——が、デスタンの前に金の膜が出現し、火球のようなものを防いだ。

「なぁっ!? ふ、防がれた!?」

 顔面を引きつらせるグラネイト。

「ありがとうございます、王子」
「サポートはわたくしにお任せ下さい!」
「はい。分かりました」

 デスタンの返事は色気ない。
 だがリゴールは気にしていない様子。
 きっと、二人の間には、二人にしか分からない絆があるのだろう。だから、他人から見ればよそよそしくとも、二人にとってはまた違う——といったところだろうか。

「貴方はなぜ、いつもいつもエアリの家に殴り込んでくるのです!」

 グラネイトに向けて言い放ったのはリゴール。
 それに対し、グラネイトは静かに返す。

「このグラネイト様がなぜここにくるか? それは簡単なこと。王子を捕らえ殺すよう、指示されているからだ!」

 投げ飛ばされて頭が冷えたのか、グラネイトの口調は若干落ち着いてい。少し前までの荒々しく滅茶苦茶な口調ではなくなっている。

「しつこいです!」
「なに? しつこいだと? しつこいのは当然だろう、任務だからな」
「大人しく帰らないなら、今度は貴方が消し飛ぶくらいの魔法をぶちかまします!」

 リゴールの勢いのある発言に、デスタンは戸惑ったような顔をしていた。

「……ふん。ふはは! そうかそうか!」

 グラネイトは突然笑い出す。
 切り替えが早すぎて、ついていけない。

「気だけは強い王子だな。威勢の良さは嫌いではない」
「……急に褒めるとは、一体何のつもりです?」

 リゴールは眉をひそめる。

「だが王子。その娘が巻き込まれるのは、お前の存在があるからだ」
「……何を」
「お前が生きている限り、周囲には災難が降りかかり続けるぞ。お前は災難ばかりをもたらす呪われた王子だからな」

 そう述べるグラネイトの声は、妙に静かな雰囲気をまとっている。これまでの彼の声とはまったく違う、真剣さの滲み出た声色。不気味だ。

「リゴール王子、お前の存在は呪いだ。お前の両親が亡き人となったのも、ホワイトスターが滅んだのも、お前がいたから。お前が存在したから」

 ホワイトスターで何があったのか、私は知らない。だから、グラネイトが発する言葉の意味も、私には分からない。

「……っ」

 ただ、リゴールが辛そうな顔をしているのを見たら、こちらまで胸が痛くなってくる。

「気にすることはありません。戯れ言は無視しましょう、王子」
「……しかし、デスタン」
「くだらない男です、彼は」

 デスタンは気を遣ってリゴールに声をかけていた。しかし、一度曇ったリゴールの顔が明るくなることはなく。むしろ、リゴールの表情は固くなっていくばかりだ。

 どうにかしてあげたい。
 心からそう思った。

 あの穏やかな瞳を、遠慮がちな笑みを、失わせたりしたくない。

 そう思ったから、私は口を開いた。

「リゴールは悪くないわ!」

 事情を知らない私には、リゴールを擁護する資格などないのだろうけど。それでも、彼をこれ以上傷つけたくなくて。

「攻撃を仕掛けてきたのはそっちじゃない! なのにリゴールに責任を擦り付けるようなことを言って。意地悪なことばかり言うなんて、最低よ!」

 リゴールもデスタンも、驚いた顔をしていた。

 無理もない、か。

 それまで空気と化していた女がいきなり騒ぎだしたのだから、驚かれるのも、当然と言えば当然のことである。

「何だと。小娘風情が入ってくるな」
「小娘風情ですって? 馬鹿にしたようなことを言わないでちょうだい!」
「いや、馬鹿にしてはいないぞ。その剣を抜けた女だからな」
「……それはどうも」

 数秒後、グラネイトの片側の口角が急に持ち上がる。

「だが、お前ももうすぐ、地獄に叩き落とされることになる」

 グラネイトは、ふふ、と、不気味な笑みをこぼした。

「……この屋敷はまもなく、炎に包まれるだろうな」

 言葉を聞いた瞬間、全身に冷たいものが駆け巡った。何とも言えない冷ややかな感触——恐怖が。

「何ですって!?」
「そろそろ、我が仲間が屋敷に火を放つ頃だ」

 動揺させるための嘘という可能性もある。
 けれど、そうは聞こえなくて。

「ふはは! このグラネイト様は時間稼ぎ役だった、ということだ!」

 この目で確認するのが一番早い、という結論に至った私は、扉に向かって走る。部屋の外の様子を見るために。

「ふはは! せいぜい走り回りたまえ。ではな!」

 そう言って、グラネイトは消えた。

 私は扉を開けて、廊下へ飛び出す。
 すると、付近にいたバッサが声をかけてきた。

「お嬢様! ご無事でしたか!」
「……バッサ」
「もう数秒もすれば声をかけにいこうと思っていたところです!」

 バッサは青い顔をしている。

「何か……あったの?」
「先ほど、屋敷の向こうの端から出火があったと、連絡を受けまして」
「そうなの!?」

 やはり、グラネイトの言葉は嘘ではなかったということか。

 だが、どうすれば。
 出火なんて、もう大事件だ。

「避難しましょう! お嬢様!」
「そ、そうね。あ、でも……少し待って」

 早く避難しなくてはならないということは分かっている。けれど、リゴールたちを放置したまま私だけ避難するわけにはいかない。

 自室へ戻ろうとした私の手首を、バッサが掴んできた。

「待てません! 危険です!」

 バッサの声は、いつになく鋭かった。

「でもリゴールたちが……」
「あの方々ですか?」
「そう! 放って逃げたりはできないの!」

 その頃になると、焦げ臭い匂いが漂ってきた。

「では、このバッサにお任せ下さい! 避難誘導はきちんとさせていただきます。ですからどうか、お嬢様は先に……!」

 煙の匂いが近づいてくる。
 そろそろ逃げなくては、本格的にまずいかもしれない。

 そう思い、悩んでいると。

「エアリ!」

 私の部屋から、リゴールが出てきた。

「これは……煙の匂い」

 リゴールは、部屋から出てくるなり、そう言った。不審な香りに、すぐ気がついたようだ。

「……やはり火が?」
「そうみたい」

 すぐ隣にいるバッサは、早くここから出たいようで、そわそわしている。

「避難せねばなりませんか」
「えぇ。けど、普通のルートで逃げたら、リゴールのことが父さんにバレてしまうわ」

 秘密で彼を泊めた私が悪い。父親に叱られるのは、当然の報いと言えよう。

 けれど、もし、それを避けられる道があるなら。
 そんな可能性があるなら、どんなに良いだろう。

 そんなことを考えていた私に、リゴールは予想外の提案をしてくる。

「では、窓から参りましょう!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.19 )
日時: 2019/07/07 17:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xXhZ29pq)

episode.18 逃れる

「……窓?」

 リゴールの提案に、私は戸惑いつつ返した。

「はい! 窓から飛び降りれば、すぐ外に出られます!」

 表情も、声色も、真剣そのもの。冗談のような提案だが、ふざけて言っているとは思えない。

「待って。ここ、二階よ」
「二階くらいなら大丈夫です!」

 いや、大丈夫とはとても思えないのだが。

 ……ただ、時間がないことも事実。

 このまま呑気に話していたら、逃げ遅れかねない。火に包まれて死ぬ——そんなのはお断りだ。

 だから、私は頷いた。

「……分かったわ」

 リゴールの顔に光が射し込む。

「分かって下さったのですね!」
「死なずに済んで、怒られずに済む方法は、それしかないもの」

 そこへ、バッサが口を挟んでくる。

「お嬢様、一体何を!? 飛び降りる、なんて、正気ですか!?」

 肌は青白く染まり、顔中の筋肉が強張っている。バッサがこんなにも動揺した顔をしているところを見るのは、初めてかもしれない。

「……えぇ」
「危険なことをした、と怒られますよ!?」
「その方がましだわ」

 リゴールと出会ったのは、ただの偶然。声をかけて知り合いになったのも、ちょっとした気まぐれ。

 彼と離れるチャンスは、何度もあった。
 けれど、私はそのチャンスを掴まないでここまで来た。

 せっかく手にした知り合いを手放すなんて惜しくて。そこへさらに、別の世界から一人来てしまった彼への同情も加わり。
 私は、彼から離れることができなかった。

 もっと早く別れていたなら、きっと、こんなことにはならなかったのだろう。

「黙って泊めていたことがバレたら、勘当されてしまうわ」
「お嬢様!」
「……勝手な娘でごめんなさい。私、行くわ」

 それだけ言って、バッサとは別れる。

 お出掛け用の手提げに、いつも着ている黒いワンピースをくしゃっと突っ込み、リゴールの手を借りて飛び降りた。


 二階から飛び降りたが、リゴールが魔法でいくつか足場を作ってくれていたため、無傷で地面へたどり着くことができて。家からの脱出に成功した。

「お怪我は?」
「大丈夫よ、リゴール」

 今私がいるのは家の裏側。それゆえ、人の気配はない。ただ月の光が降り注ぐだけで、辺りは薄暗い。
 けれど、私がいるのと反対の方——つまり正面玄関側からは、ざわざわと声が聞こえていた。

 火はどうなっているのだろう。
 ここから見えるほど豪快に火の手があがっているということはないが。

「なら良かった……ではありませんでした! またしてもご迷惑を!」

 なんというか、もはや、迷惑などという次元ではない気が。

「えと、あの、わたくしは何をすれば!?」
「リゴールは水は出せないわよね?」
「はい! 出せません!」

 意外にもはきはきと答えられたので、少し驚いてしまった。

「そうよね……」

 取り敢えずは、父親らと合流すべきなのだろうか。
 でも、そうしたら、リゴールとはここでお別れになってしまう。

「申し訳ありません、エアリ。わたくしが無力なばかりに……」

 赤い火は見えない。
 ただ、焦げ臭い香りの風が、周囲の木々を揺らす。

「どうしましょう、何と謝れば——」

 言いかけたリゴールの手首を、デスタンが唐突に掴んだ。

「王子。去りましょう」

 焦げ臭い風に髪を揺すられながらも、デスタンは冷静そのもの。眉一つ動かしていない。
 彼の片手には、リゴールのペンダントが変化した剣。それは、私が渡して持ってもらっていたもの。そして、もう一方の手が、リゴールの片手首を掴んでいる。

「何を言い出すのです、デスタン! そんなこと、できるわけがありません!」
「私たちがここに滞在しなくてはならない理由など、何一つとしてないでしょう」

 デスタンの声は冷たい。

「しかし……! エアリには世話になったのです……!」

 リゴールは懸命に訴える。だが、その言葉がデスタンに届くことはない。

「既にやつらに知られている以上、このような田舎の村に潜む必要もないはずです」
「逃げるような真似はできません!」
「死にたいのですか、王子」

 刹那、リゴールはデスタンの手を払い除けた。

「死にたくなどありません! けれど、恩を仇で返すような真似をしたまま逃げるのは嫌です!」

 リゴールはきっぱりと言い放つ。
 これにはさすがのデスタンも驚いたようで、目を大きく開いていた。

「デスタン、貴方には分からないでしょう。けれど、わたくしにとっては、エアリは大切な人なのです。何度も助けて下さったエアリに何も返せぬまま、ここから去るわけにはいきません!」

 リゴールに凄まじい勢いで言葉を浴びせられたデスタンは、何か考えているかのように、瞼を閉じる。それから少し経って、彼はゆっくりと瞼を開けた。

「分かりました、王子」
「そうですか!」
「では、その女も連れて逃げましょう」

 そう言うと、デスタンは私にすたすたと歩み寄ってきた。

「……何?」
「失礼します」

 戸惑っているうちに、ひょいと抱え上げられてしまう。

「ちょ……ちょっと!」
「それではひとまず、避難するとしましょう」

 デスタンは私の体を、肩の高さまで持ち上げた。慣れない体勢に驚き戸惑い、私はつい、両足をばたつかせてしまう。

「え、ちょ、何なの?」
「貴女をここに置いていくのは王子のお望みに反するようなので、連れていきます」
「なっ……どういうこと!?」

 何がどうなっているのか。
 理解が追いつかない。

「安心して下さい、あくまで避難ですから」

 いやいや、安心しろなんて無理があるだろう——そんな風に、内心突っ込みを入れてしまった。

「いきなり過ぎるわ」
「貴女は火の中にいたいのですか?」

 手足をばたつかせてみる。けれど、デスタンがその程度で離してくれるはずもなく。

「いいえ! ……けれど、急に村を離れるなんて」
「落ち着いた頃に帰ればいいのです」
「それは……そうだけど。でも……」

 避難という意味では、彼らと共にここから離れた方が良いのかもしれない。その方が安全かもしれない。
 そう思わないこともない。

 だが、村を離れる勇気なんてなくて。

 それゆえ、迷いなく頷くことはできなかった。

 そんな曖昧な態度を続けていたからだろうか——デスタンに溜め息をつかれてしまった。

「面倒臭いので、一撃失礼します」
「……え」

 その数秒後、視界が暗くなった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.20 )
日時: 2019/07/07 17:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xXhZ29pq)

episode.19 馬車の中で

 次に目が覚めた時、私は、木材で作られた狭い小屋のような場所にいた。

 どうやら横たわっているらしい。
 だが、本当の小屋にいるというわけではなさそうだ。というのも、微かに揺れがあるのである。小屋の中で横になっているのならば、こんな風に揺れるはずがない。

「……リ、エアリ!」

 やがて、視界の端に、見たことのある顔が現れた。
 大人びた雰囲気はあるがまだ若い少年のような——リゴールの顔である。

「……リゴール?」

 はっきりしない意識の中、私はそう発した。すると、視界の中の彼は、大きく数回頷いた。どうやら、リゴールで間違いないようだ。

 私はそれから、ゆっくりと上半身を起こす。
 すると、壁から突き出している椅子のような部分に横になっていたということが分かった。また、夜空のような紺色のコートがかけてあることにも気づいた。

「良かった! 気づかれましたか!」

 取り敢えず辺りを見回す。

 両側に窓が二つずつ。内部は決して広くなく、私が横たわっていた椅子のような部分が向かい合わせに設置されている以外は、ほぼ何もない。

「えぇ……ここは?」
「馬車の中です」
「えっ! ば、馬車!?」

 驚いて、日頃は出さないような大きな声を出してしまった。

「はい。エアリの屋敷が燃え、避難している途中で」

 リゴールに言われ、記憶が蘇ってくる。

 そう、私の家は火事になって——。

「……そういえば、そうだったわね」

 こんな時に限って、私は妙に冷静だった。
 村へ戻らなくちゃ! なんて、案外思わなくて。

「はい。何とか無傷で避難することには成功したのです。ただ、その過程でデスタンが少々乱暴な手を使ったので、エアリが気を失って……」

 すぐ隣に座っているリゴールは、穏やかな口調で、今の状況をきちんと説明してくれる。

「腹部に痛みはありませんか? エアリ。それだけが心配で」
「ちょ……それはどういう意味なの……」
「デスタンの一撃が入ってしまっていますので、まだ痛むということがないか、心配なのです」

 一撃が入った、って……。

 殴るか蹴るかされた、ということなのだろう。

 私は一応確認してみる。けれど、腹部に痛みはなかった。違和感も特にない。いつもと何も変わらない、普通の感じだ。

「特に違和感はないわ」

 そう答えると、リゴールは安堵の溜め息を漏らす。

「本当ですか! 良かった……!」

 リゴールの表情が柔らかくなるのを見て、こちらも「良かった」と思った。

 しかし、呑気に安堵している場合ではない。
 まだ把握できていないことがたくさんあるのだから、のんびり「良かった良かったー」などと言っていられる状況にはないのである。

「心配してくれてありがとう。それは嬉しいわ。けれど……よく分からないことが多いの。いくつか質問してもいいかしら」

 座っていても、小刻みに揺れるのを感じる。馬車に乗っていると、こんな風に揺れるのが普通なのだろうか。

「もちろん。構いませんよ」
「えぇと、じゃあ一つ目。私の家の火事はどうなったの? 火は消えたの?」

 私が問いを放つと、リゴールの表情が少しばかり曇る。

「……それは」
「どうしてそんな顔をするのよ」
「その……わたくしには分かりません」

 分からない、と返ってくるとは。

「確認することなく……出てきたので」
「そ、そうなの!?」
「はい。勝手なことをしてしまい申し訳ありません……」

 リゴールはすっかり小さくなってしまっている。元々細く小さめな体をしているが、しゅんとして縮んでいるせいで、今は余計に小さく見える。

「じゃあ、父さんや皆は私がどうなったか知らないの?」
「……はい」
「そんな。死んだと誤解されるかもしれないじゃない」

 実際に死んではいないわけだから、亡骸は発見されないだろう。それに、バッサだけは私が飛び降りて脱出したことを知っている。
 だから、多分、完全に死んだことにはならないはずだ。
 とはいえ、急に行方不明になれば、心配はされるだろう。

「う……。そ、それは……」

 リゴールは言葉を詰まらせる。
 そんな時、背後から声が聞こえてきた。

「王子を困らせるような口の利き方をしないで下さい」

 それまでずっとリゴールと二人で話していただけに、彼以外の人が急に口を挟んできたことに驚きを隠せなくて。私はすぐさま振り返った。

「……貴方だったの」
「何ですか。その、がっかりというような顔は」

 声の主はデスタンだったようだ。

 彼は、壁から突き出した椅子のような部分には座らず、木材を敷き詰めた床に座っていた。結構寛いでいるのか、壁にもたれている。

「ごめんなさい。そんなつもりではなかったの」
「……何でも構いませんが、王子を困らせるような真似だけはしないで下さい」

 その時ふと、私の家にいた時とは、デスタンの雰囲気が違うことに気がついた。どこがどう違っているのか、すぐには分からなかったけれど、数秒経って分かった。

 違っているのは、服装だ。

 私の家で出会った時は、丈が長いコートを羽織っていた。しかし今は、シャツにベストという軽装である。

 ——と、そこで、私の手元にあるコートの存在を思い出す。

「これって、もしかして貴方の?」

 恐る恐る尋ねてみる。
 するとデスタンは、小さく一度だけ頷いた。

「貴方って、意外と親切なのね。ありがとう」

 そうお礼を言うと、彼はにっこり笑って「王子の指示に従っただけのことです」と返してきた。
 デスタンの笑顔の不気味なことといったら。

 彼には無表情が似合っている。あるいは、攻撃的な表情をしている時の方が、しっくりくる。
 笑っている彼なんて、悪事を企んでいる人にしか見えない。

「ところでリゴール」

 視線を隣に座っているリゴールへと戻す。

「は、はいっ」
「この馬車は一体、どこへ向かっているの?」

 するとリゴールは少し考えて。

「街の名は分かりませんが……デスタンが世話になっている家がある街へ向かっているところです」

 そんな風に答えた。

 デスタンが世話になっている家がある街。そんなことを言われても、それがどんな街なのか、まったく見当がつかない。

 ただ、余所者であっても受け入れられる余裕のある街なのだろうということくらいは、想像できる。
 そう考えると、受け入れてもらう先としては、悪くはない街だろう。

 けれど、不安がないわけではない。

 父親に安否を伝えぬまま、村を出てきてしまったのだから。

Re: あなたの剣になりたい ( No.21 )
日時: 2019/07/10 18:55
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: apTS.Dj.)

episode.20 風の吹く高台

 それから半日ほど、私たちは馬車に乗り続けた。

 二三時間に一度くらい馬車から降りて休憩したが、それ以外の時間は、ほとんど狭い馬車の中。
 私はこれまで、狭いところで誰かとずっと一緒にいる経験なんて、したことがなかった。それだけに、じっとしていたら頭がどうにかなりそうな気がして。
 だから私は、馬車の中で揺られている間、リゴールと色々話していた。

 楽しく話していれば、気分も晴れやかになるだろう——そう信じて。


 やがて、馬車が停まった。
 窓から見える外は、既にかなり明るくなっている。

「到着したようですね」

 床に座り込み壁にもたれていたデスタンが、ゆっくりと立ち上がりながら言う。

「到着って?」
「……何ですか、馴れ馴れしい」

 デスタンは驚くくらい冷ややかに返してきた。

「ただ聞いただけじゃない」
「言っておきますが、私は貴女と親しくする気はありません」

 デスタンは私の前を通り過ぎ、すっかり眠ってしまっているリゴールの肩を両手で掴む。そして「起きて下さい」と言いながら、リゴールの体を軽く揺する。

 しかし、リゴールは目を覚まさない。
 デスタンはそれからもリゴールを起こそうと頑張っていた。が、リゴールはまったく起きそうになくて。

 だいぶ時間が経ってから、デスタンが私に言ってくる。

「協力していただけますか」
「親しくする気はないんじゃなかったかしら?」

 先ほどの素っ気ない態度には少し腹が立っていたので、思いきって、嫌み混じりの言葉をかけてやった。
 するとデスタンは顔をしかめる。

「……言いますね、女の分際で」
「女の分際? 何よ、その言い方!」
「すみません。つい本音が」

 さりげなく本音であることを仄めかしてくる辺り、非常に嫌な感じである。

「分かりました。協力していただけないということなら、べつにそれで結構です」

 吐き捨てるように言って、デスタンは視線を再びリゴールの方へと戻した。

 リゴールはあんなに素直なのに、なぜ彼はこうもひねくれているのだろう……。

 人と人を比べてはいけないと思いつつも、比べずにはいられなかった。

 リゴールはともかく、デスタンとは上手くやっていく自信がない。近くにいたら喧嘩になりそう——そんな気しかしないのだ。


 しばらくしてリゴールは目を覚まし、私たち三人は馬車から降りた。

「凄い……!」

 私は思わず発してしまう。
 視界に入るものすべてが、これまで見たことのない新鮮なものだったからだ。

 見上げればどこまでも広がる空。見下ろせば輝く海。
 信じられないくらいの青が、視界を埋め尽くす。時折髪を揺らす爽やかな風すらも青く見えるような、そんな世界。

「デスタン。貴方はこんなにも美しいところへ飛ばされていたのですか?」

 微かに潮の香りを帯びた風が吹く中、リゴールはデスタンに尋ねる。

「いえ。知り合った人の家が、偶々この高台だっただけです」
「知り合った人?」
「はい。私が飛ばされたのは、ここからずっと下った辺りの街でした」

 見下ろすと輝く海ばかりを認識してしまう。が、意識して目を凝らせば、ずっと下の方に街が見えた。赤茶の平らな屋根がずらりと並んでいる光景は、壮観としか言い様がない。

「適当に歩いていると、酒を飲まないかと誘われまして」
「酒!?」

 リゴールは驚きを露わにしつつ、隣のデスタンを見つめる。

「そうです。酒自体に興味はありませんでしたが、取り敢えずついていってみたのです」
「ついていったのですね……」
「はい。そこは男性がお客の女性に奉仕するという、極めて珍しい酒場でした」

 デスタンは淡々とした調子で話し続けている。

「男性が……女性に? それはまた、珍しいところですね」

 リゴールは眉を寄せ怪訝な顔をしながら、デスタンの話を聞いている。

「帰ることができない雰囲気になったので、少々手伝いをしました」
「て、手伝いとは一体……?」
「ご心配なく、王子。何てことのない手伝いしかしておりません」

 笑顔で話すデスタンに、怪訝な顔をしたリゴールは「具体的には何をしたのです」と問う。それに対してデスタンは、笑顔を崩さぬまま返す。

「飲み物を運んだり、飲み物を飲んだり、飲み物を運んだりしました」
「……飲み物を運んでばかりじゃないですか」
「はい、運んでばかりでした」

 リゴールは額に手を当てて、溜め息をつく。

「まったく……何をやっているのですか。そのような奉仕、必要ないでしょう。貴方は王子の護衛なのですよ?」
「いえ、違います」
「なっ……」
「王子の護衛、ではなく、リゴール・ホワイトスターの護衛、です」

 ほぼ同じ意味なのではないだろうか。遠巻きに話を聞きながら、そんなことを考えてしまった。それに。デスタンはいつも、リゴールを「王子」と呼んでいるではないか。それなのに、こんな時だけ「王子の、ではない」などと言うなんて、おかしな話だ。

「……何を言い出すのです、デスタン」

 そう発したリゴールは、驚きと困惑の混じったような顔つきをしている。

「ここはホワイトスターではありませんから」
「それはそうです。しかし……いつも『王子』と呼んで下さるではないですか」
「癖だから。ただそれだけです」

 デスタンにきっぱりと言われたリゴールは、急にふっと笑みをこぼした。

「……ふふ。相変わらずですね、デスタンは」

 意外にも楽しそうに笑みを浮かべたリゴールを見て、デスタンは戸惑っているようだった。無論、見ていただけの私も戸惑ったが。

「一時はどうなることかと思いましたが……こうしてまた会えて良かったです」
「今日の王子は何だか気持ち悪いです」
「なっ! 良いではないですか、再会を喜ぶくらい!」

 するとデスタンは、少し間を空けてから、「そうですね」とだけ返した。リゴールは不満げな顔をしていたが、デスタンはそんなことは気にせず話を進める。

「ではそろそろ参りましょう、王子」
「……どこへです?」
「答えの分かりきった問いは、答えるのが面倒なので止めて下さい」

 潮の香りの風が吹く中、デスタンは歩き始める。リゴールも、「……何だか妙に厳しいですね」などと言いながら、デスタンの背を追って歩き出す。

 私は完全に忘れられている。

 少し寂しい気もしたが、それはひとまず置いておき、彼らの背を追うように足を動かした。

Re: あなたの剣になりたい ( No.22 )
日時: 2019/07/10 18:56
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: apTS.Dj.)

episode.21 二つの動き

 エアリらが風の吹く高台に到着していた頃。

 ブラックスターの首都にそびえる鋼鉄製の五階建て建築物——ナイトメシア城。その一階の大広間に、グラネイトとウェスタは帰還していた。

「ふはは! ご苦労だったな、ウェスタ!」
「……騒がないで、不愉快」

 ウェスタは漆黒の石を敷き詰めた床の上を行ったり来たり。ヒールが石に当たる硬い音だけが、天井の高い大広間に響く。

「相変わらずつれないな!」
「……黙って」

 冷たくあしらわれても挫けず話しかけ続けるグラネイト。そんな彼を、ウェスタは冷ややかに睨む。

「……くだらない話をしに集まったわけじゃない」

 ウェスタはグラネイトを冷たく突き放す。それでもグラネイトは止まらない。彼はウェスタに歩み寄りながら、「くだらなくなんかない! これは、凄く意味のある会話だ!」などと主張する。そんな彼を見て、ウェスタは呆れ果てた顔になっていた。

「……誰のせいで任務失敗になったと思っている」
「任務失敗? まさか! 屋敷を焼き払うことには成功しただろ!」
「だが王子は逃した」

 ウェスタの赤い瞳が、グラネイトを真っ直ぐに捉える。
 そこに滲んでいるのは、怒り。

「王子を逃しては意味がない」
「うっ……し、仕方ないだろう! 護衛がいたんだから!」

 グラネイトは慌てて言い訳をする。

「アイツがしたーっぱを蹴散らさなければ、このグラネイト様が敗走することになんてならなかったんだ!」

 だが、いくら言い訳をしたところでウェスタの怒りは収まらない——かと思われたのだが。

「……そう」

 意外にも、ウェスタは責めることを止めた。

「分かってくれたか!?」
「確かに……アイツは強い」

 責められなくなった途端、グラネイトは調子に乗る。ウェスタに急接近すると、後ろから彼女の体を抱き締める。

「だろ!? 仕方なかったんだ! ウェスタなら分かってくれると思っていたぞ! ふは——ぐぅッ!?」

 すっかり油断していたグラネイトの腹に、ウェスタの右肘が突き刺さる。

「う……ぐ……何しやがる」
「抱き締めるのは止めろと、前にも言ったはず」
「す、すまん……」

 腹部を押さえながら謝るグラネイトに、ウェスタは氷のような眼差しを向ける。

「謝罪はいい。ただ、繰り返すな」
「も、もちろんだ……」

 肘での一撃がよほど効いたのか、グラネイトはよろけていた。

「しっかし、アイツがもう合流しているとはな」

 グラネイトは肘で殴られた腹部を押さえたまま、ブラックホールのように黒い天井を見上げる。

「確か、お前の兄だったか」

 その問いに、ウェスタは俯く。

「……そう」

 ウェスタの唇が微かに動いた。

「アイツは兄さんだった……」

 俯くウェスタの儚げな表情に、グラネイトはむず痒そうな顔をする。
 何とかしたいが良い案が思いつかない、というような表情。

「でも、もう仲間ではない」
「いいのか? ウェスタ。もしアイツと戦うことになっても」

 グラネイトが問うと、ウェスタはゆっくりと顔を上げた。そして、彼に向かってそっと微笑む。

「……もちろん」

 その時の声だけは、それまでとは違って、柔らかさのあるものだった。


 ◆


「あーら、デスタン! ちゃーんと帰ってきてくれたのねぇ!」
「はい」
「大切な方とやらには、会えたのかしらぁ?」
「はい。おかげさまで。馬車代ありがとうございました」

 あれから少し歩いて、一軒の家に到着した。一階建てではあるけれど、それなりに立派な石造りの家である。先頭を歩いていたデスタンは、特に何も言わぬまま玄関のベルを鳴らした。すると、家から女性が出てきて——今に至る。

「いーのよ、そんなのはぁ! それよりそれより、寂しかったわぁ。アタシ、昨夜は寂しくて死ぬかと思った!」

 ぽってりとした唇が印象的な女性は、出てきてデスタンの姿を視認するや否や、体を彼にぴったりとくっつけていた。

「……何だか凄く積極的ね」
「……ですね」

 少し離れた位置に立ってその様子を見ていた私は、同じく離れた位置に立っているリゴールと、さりげなく言葉を交わす。
 今の私とリゴールの心は、恐らく、同じ感情で満ちていることだろう。

「デスタンはどうだったのぉ? アタシがいなくて寂しかったぁ?」

 女性は気味が悪いくらいの猫撫で声でそんなことを問う。
 だが、相手はあのデスタン。彼女が理想とするような答えが返ってくるわけがない——そう思っていたのだが。

「えぇ、それはもう……」

 デスタンは少し目を細め、切なげな笑みをうっすらと浮かべる。

「言葉にならないくらい寂しかったです」

 刹那、隣に立っているリゴールが、ぶふぉっと吹き出した。

 一方私はというと、吹き出すことは何とか免れたが、信じられない振る舞いをするデスタンを見て、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

「やーん、嬉しいー」

 女性はデスタンを抱き締め、甘ったるい声を発する。

「私も同じ想いですよ」
「うふふぅ」
「ところで、少し構わないでしょうか?」

 目の前でいちゃつく二人を見ていたら、段々、「私はここにいない方がいいのでは」と思ってきた。

 ……もっとも、デスタンは本気ではないのだろうが。

「ところで、少し構わないでしょうか」
「なぁにぃ? デスタン」
「実は……しばらくここに泊めてほしい者がいるのです」

 抱きつかれたまま、デスタンは切り出す。

「あーら。それは一体、どういうことかしらぁ?」
「二人なのですが、どちらも私の大切な人なのです」

 どちらも。
 その言葉は、私にさらなる衝撃を与えた。

 デスタンはあんなに私を好いていないようなことを言っていたのに、泊まる場所を確保するためだけに嘘を。
 そう考えると、彼も案外悪い人ではないのかもしれないと思えてきた。

「ただ、事情があって家には帰られないのです。なので住むところがなく……」

 彼がそこまで言った時、女性は急に片手の人差し指を伸ばした。そして、その指先を、デスタンの唇へ当てる。

「うふふぅ。相変わらず、おねだりが上手ねぇ」
「頼んでばかりで申し訳ありません」
「普通なら断るところだけど……デスタンの頼みなら仕方ないわ。泊めてもいいわよぉ」

 凄い! これは上手くいきそう!

「で、どんな方々なのかしらぁ?」

 女性はぽってりした唇を動かしながら問う。その問いに答えるように、デスタンは私たちの方を向いた。

「彼らなのですが」

 その時になって、初めて、女性の視線が私とリゴールへ注がれた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.23 )
日時: 2019/07/10 18:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: apTS.Dj.)

episode.22 お世話になります

 デスタンに引っ付いていた女性の視線が、私たちの方へと向く。

 リゴールへ視線を向けた時、彼女は、少し驚いた顔をしていた。
 一方、私へ視線を向けた時は、渋い物を食べてしまったかのような表情を浮かべていた。

 反応に差がありすぎるような気がしてならない。

「問題ありませんか?」

 デスタンは柔らかな笑みを浮かべながら、落ち着きのある調子で問う。
 すると女性は、甘ったるい声で返す。

「あーらデスタン。女の子が見えるけどぉ?」

 もしかしたら、デスタンが女を連れてきたことに腹を立てているのかもしれない。
 彼女の声を聞いていたら、ふとそんなことが頭をよぎった。

「はい。一人は女です」
「えぇー? どういう関係なのかしらぁ?」

 女性は、厚みのある唇を尖らせながら、デスタンに向かって問いを放つ。

「大切な方の大切な人なのです」

 デスタンはさらりと答えた。

「大切な人の、大切な人……ですってぇ?」
「はい。そうです」
「そう……恋愛関係ではないと言うのねぇ」

 女性はデスタンへ、じっとりとした視線を送る。しかしデスタンはまったく動じない。

「そんなこと、あるわけがないでしょう。私が愛しく思っているのは貴女一人です」

 デスタンの芝居がかった発言に、女性は、ふっくらした頬を赤く染める。

「まぁそこまで言ってくれるなら……いいわ!」

 そう言って、女性は私たちの方へと駆けてきた。

「いらっしゃーい!」

 女性は、ふっくらした頬を持ち上げて、愛らしく笑う。

「アタシの名前はミセよ! 貴方たち、お名前は?」

 両手を大きく広げながら、波打った柔らかそうな赤毛を揺らす彼女を見ていると、「案外悪い人ではないのかも」なんて思えてきた。

「……リゴールと申します」

 ミセの華やかな雰囲気に圧倒されている様子のリゴールは、控えめに名乗った。
 すると、ミセは突然リゴールを抱き締める。

「そう! よろしく頼むわね!」
「なっ……いきなり何を……」

 リゴールは狼狽えている。

「可愛い少年っていうのも好きよー!」

 ミセは遠慮などという概念を持たない女性だった。リゴールが狼狽えていることなどまったく気にせず、母親が幼い息子を抱き締めるかのようにがっつりと抱き締めている。

「や、止めて下さい!」
「えぇー? いいじゃなーい、このくらい」
「不躾ですよ! いきなりこんなことをして!」

 らしくなく少々攻撃的な言葉を放つリゴール。

「いきなりこのような行為、不快です!」

 リゴールがそこまで言うと、ミセはようやく抱き締めることを止めた。
 威嚇するように睨むリゴールに対し、彼女は、笑いながら「そんなに怒らないでちょうだいよー」などと言っていた。

「えーと、それでー……」

 それからミセは、私の方へと視線を向けてくる。

「貴女、お名前は?」
「……え」
「名前よ、名前!」

 やはり私には厳しい。

 デスタンはもちろん、リゴールにも優しく接していた。だから、実はそちらが本性なのかもしれないと思いもしたのだが、そんなことはなさそうだ。

「あ、はい。エアリ・フィールドといいます」

 するとミセは。

「そ。ま、安心していいわ。泊めてはあげるから」

 上から目線の言葉選び。直前までとはまったく異なる声色。そして、暗に「私の方が偉いのよ」と主張しているような目つき。

「ありがとうございます」
「デスタンの頼みだから泊めてあげるだけよ!」
「それでもありがたいです。感謝します」

 ひとまず下手に出ておいた。
 ミセを怒らせてしまったりしたら、どうなるか分からないからである。

 それに、今は泊めてもらえるだけでありがたい。

 村から出てきてしまった以上、これまでのように振る舞っている余裕はない——自分の心にそう言い聞かせた。


 デスタンが頼んでくれたおかげで、私とリゴールに部屋が与えられた。

 ……と言っても、私とリゴール、二人で一つの部屋だが。

「なんと! こんな素晴らしい部屋を使わせていただけるのですか!」

 デスタンに案内してもらい、私たち用の部屋に入るや否や、リゴールが感嘆の声を漏らした。その瞳は輝いている。

「貴方のおかげです、デスタン! 本当にありがとうございます!」
「いえ。私は何も、たいしたことはしていません」
「しかしデスタン! この部屋はかなり立派です!」

 リゴールは興奮気味だ。

「ベッドもありますし、テーブルもランプも! こんなのは、ホワイトスターにいた頃以来です!」

 謎のステップを踏むリゴールの姿は、珍妙としか言い様がない。

 ただ、立派な部屋であることは確かだ。

 二人で過ごすとなると若干狭く感じる可能性もある——が、決して狭い部屋ではない。それに、床にはワインカラーの絨毯が敷いてある。見ても華やかだし、歩くたびふかふかという音が聞こえてきそうだ。歩く時に足の裏に伝わる感触が、木の板の床とはまったく違う。

「素敵ですよね! エアリ!」

 黙って周囲を見渡していたところ、リゴールに急に話しかけられた。

「え……えぇ、そうね。ゆっくり生活できそうなところだわ」

 話しかけられたのが急だったせいで、ぎこちない話し方になってしまった。
 それに違和感を抱いたのか、リゴールは首を傾げる。

「どうしました? エアリ。あまり元気がなさそうですが……」
「え、あ……そうかしら。そんなことないわよ」

 ただ、ぎこちない話し方になってしまっただけだ。

「本当ですか……?」

 私を見つめるリゴールの瞳は、まだ不安げに揺れていた。

「えぇ、本当よ」
「……なら良いのですが」
「気にかけてくれてありがとう、リゴール」

 その時、少し離れた位置に立っていたデスタンが口を挟んできた。

「王子を心配させないで下さいよ」

 冷たい言葉を投げかけられ、「何よその言い方!」と返したい衝動に駆られる。
 だが、彼のおかげでこの部屋を借りることができたということがあるから、あまり攻撃的には返せない。

「分かったわよ。心配させないよう気をつけるわ」
「あまり心配させるようなら、消しますから」
「しつこいわね!」
「……念のため言っておいただけです」

 数秒空けて、デスタンは続ける。

「それでは、どうぞ、ゆっくりお休みになって下さい」

 自分は休めないけれど、という言葉が後ろにくっついていそうな言い方だった。

「え。貴方は?」
「私はあの女の機嫌取りです」

 ちょ、言い方。

「機嫌取りって……その表現はまずくない?」
「まずくなどありません、事実ですから」
「いや、だとしてももう少しましな言い方が……」

 デスタンは最後まで聞かず返してくる。

「慕っているわけではなく、愛しているわけでもなく、しかしそれらしいことを言う。機嫌取りとしか言い様がないと思うのですが」

 堂々と言うことだろうか、それは。

Re: あなたの剣になりたい ( No.24 )
日時: 2019/07/12 16:57
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: vnwOaJ75)

episode.23 ペンダント

 デスタンが出ていくと、私はリゴールと二人きりになった。

 初めて来た部屋で彼と二人。
 何だか、不思議な感覚だ。

 数日前に知り合ったばかりの人と、慣れない場所で過ごす。それは、何となく奇妙な感覚を覚えるようなことで。でも、悪い気はしなかった。良い刺激があるという意味では、悪いことばかりでもないのかもしれない。

「あ、そうでした。エアリ」

 そんな何とも言えない空気が漂う中で、先に口を開いたのはリゴールだった。

「あのペンダント、お返ししますね」

 彼はそう言って、襟を開ける。そして、首にかけてあったペンダントを取り出す。

 いつの間にか彼のところへ戻っていたことが驚きだ。だが、驚いた点はそこだけではなく。いつの間にやら剣の形ではなくペンダントの形に戻っていたというところも、驚いた点と言えよう。

「これは……」
「剣になっていたペンダントです。なぜだか分かりませんが、いつの間にかペンダントの状態に戻っていたみたいで」
「そうだったの。不思議ね」

 うっかり馬車の中に忘れたりしなくて良かった、と安堵する。
 そんな私に、リゴールは歩み寄ってきた。

「……何?」

 私がそう問うと、彼は少し笑みを浮かべてペンダントを差し出してきた。

「これ、エアリに差し上げます」

 リゴールは穏やかに微笑みつつ言う。

「えっ。いいわよ、そんなの。それはリゴールの大切なものじゃない」
「いえ……貴女に受け取っていただきたいのです」

 私は暫し、言葉を失った。

「貴女は初対面のわたくしに泊まる場所を恵んで下さった。それに、わたくしのせいで襲撃に巻き込まれた時も、責めずにいて下さった。……そのお礼として、これを貴女に贈りたいのです」

 リゴールの青い双眸は、私をじっと捉えていた。

「……悪いわ、そんなの」

 少ししてようやく言葉を取り戻した私は、小さな声で返す。

「それはリゴールのものよ。私が持つべきものなんかじゃないわ」

 するとリゴールは、ほんの僅かに両の眉を寄せ、それから軽く首を傾げた。
 その様は、まるで、純粋な子どものよう。

「……そうでしょうか?」
「えぇ。無関係な私が持つべきものではないと思うの」

 すると、リゴールは心なしか険しい顔つきになる。

「エアリは……無関係ということはありません。このペンダントを初めて剣に変えた人ですから」

 言われると、確かに、と思ってしまった。
 彼が言うことも間違いではない。

 ほんの数日前までの私なら、リゴールらの世界とはまったく無関係の人間だった。けれど、リゴールに出会い事情を聞いてしまったその時からは、無関係ではなくなったのだ。

 まだ、自らを「関係者」と言えるほどではないけれど。

「確かに……言われてみればそうね。無関係ではなかったわね」
「はい! ですから、受け取って下さい!」

 ……いや、それはさすがにこじつけだろう。

 だが、ペンダントを受け取るくらいは何の問題もないだろう。彼がせっかくこう言ってくれているのだから、わざわざ拒否することもなさそうだ。

 そんなことを考え、私は、ペンダントを貰うことにした。

「ありがとう、リゴール」
「受け取っていただけますか……?」
「えぇ。貴方がそう言ってくれるなら」

 途端にリゴールの表情が柔らかくなる。

「本当ですか! ありがとうございます!」

 よく晴れた日の空のように曇りのない顔つきをしているリゴールから、ペンダントを手渡される。受け取る瞬間、ほんの一瞬だけ指と指が触れたので、不思議な感じがした。

 手のひらにペンダント。
 こちらも、これまた不思議な感じだ。

 磨きあげたばかりのように輝く銀色の円盤。そこに埋め込まれた、星形の白い石。何か深いメッセージが込められていそうな、厳かな空気を漂わせたデザインである。

「近くで見ると綺麗なペンダントね」
「そう言っていただけると、嬉しいです!」
「大切にするわ。ありがとう」

 言いながら、私は少し移動。室内に一つだけある大きめのベッドの端に腰掛ける。

 ……ん?

 ちょっと待って。
 この部屋にあるベッドは一つだけ。二人で一室なのに、ベッドは部屋に一つだけ。

 これって、少しおかしくない?

「ねぇリゴール」
「はい?」
「この部屋、ベッドは一つしかないわよね?」

 それまでとまったく違う話をいきなり振ったからか、リゴールは顔に戸惑い色を浮かべていた。が、戸惑いつつも周囲をきちんと見回す。それから答える。

「確かに。そのようですね」
「二人の部屋なのに、変だわ」
「そうですか?」
「いや、だって、異性と同じベッドに入るなんてリゴールも嫌でしょう?」

 こんな状況下だから仕方ないとも言えないことはないが。

「そうですか? わたくしはべつに、気にはしませんよ」
「えっ……」
「昔は親と一緒に寝ていましたし。よく子守唄を歌ってもらったりしたものです」

 リゴールはそう言って笑う。

 その表情に穢れはない。
 真っ白な、純粋な、そんな笑顔だ。

「エアリはそうではないのですか?」
「私は……そういう経験はあまりないわ。母は仕事が忙しかったし、父は堅物だから」
「そうでしたか」
「あ、でも、バッサに物語を読んでもらったことはあるわよ」

 遠い昔のことだから、それがどんな物語だったかは忘れてしまった。ただ、バッサが枕元で物語を読み聞かせてくれたということだけは、今でも覚えている。

「……あの家も、今はもうないのでしょうけどね」

 ふと、父親やバッサのことが脳裏をよぎる。

 父親やバッサはもちろん、他の使用人たちも、皆無事だったのだろうか。怪我はなかったか、命を落とした者はいなかったのか、気になり出すと気になって仕方がない。

 楽しいことばかりではなかったし、あの村が大好きだったわけでもないけれど。

 でも、あそこは確かに、私が生まれ育った場所であって。

「……エアリ」

 リゴールが掠れたような小さな声をかけてくる。

「辛いのですか、やはり」
「まぁ、ね……。さすがに平気ってわけにはいかないわ」

 はぁ、と溜め息を漏らす。

「こんな心持ちじゃ駄目よね。今は生き延びられたことに感謝しなくてはならない時だというのに」

 するとリゴールは、私の両手を、包み込むように握ってきた。

「分かります」

 彼は私の手を優しく握ったまま、真っ直ぐに見つめてくる。

「……分かったようなことを言うなと、そう言われてしまうかもしれませんが。それでも、それでもどうか……分かると言わせて下さい」

 リゴールの眼差しが真剣な色を滲ませたものだったから、私は何も返せなかった。

「こんなですが、わたくしも一応、故郷を追われた身ですから……」

 そこまで言いきってから、リゴールは苦笑い。

「……少しはお力になれるかと」

Re: あなたの剣になりたい ( No.25 )
日時: 2019/07/12 16:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: vnwOaJ75)

episode.24 穏やかな日々の中

 以降、ミセが貸してくれた部屋で毎日を過ごした。

 慣れない環境での暮らし。それは苦労の連続でもあったが、案外辛いことばかりでもなくて。リゴールが傍にいてくれるから、私にとってはわりと楽しい日々だった。

 ミセは案外親切で、居候に等しい私たちにも無理難題を押し付けることはしない。

 デスタンは顔を合わせるたび余計なことを言ってくるけれど、働きに出つつ、私たちが追い出されないよう上手くミセの機嫌を取ったりしてくれる。

 そんな中で過ごせている私は、ある意味、幸せ者かもしれない。
 徐々にそう思うようになってきた。


 それから二週間ほどが経過した、ある日。
 私とリゴールはミセに頼まれ、高台の下にある街へと買い物に行くこととなった。

 ミセから、街への道のりを簡単に描いた地図と現金三千イーエンを受け取ると、リゴールと共に家を出る。

「よく晴れていますね」

 青く澄んだ、雲一つない空を見上げ、リゴールは言った。

「えぇ、そうね」
「……美しい空です」
「私もそう思うわ」

 ミセが描いてくれた地図を辿り歩く。

「ここへ来て、もう二週間。早いものですね、エアリ」

 こちらへ来てからは、まだ一度も襲われていない。死ぬまでここで暮らせばいい、と思ってしまうくらい、穏やかな日々だ。

「あれからは敵襲はないわね」
「恐らく、わたくしがここにいることがまだバレていないのでしょう」

 居場所がバレなければ、襲われることはない。ひっそりと暮らしていれば、毎日は穏やか。
 私はそれでいい。
 リゴールに出会ったことも、巻き込まれたことも、後悔してはいないから。

「すみません、エアリ。貴女までこんな暮らしをしなくてはならないことになってしまって」
「いいのよ。私、今の暮らし、意外と楽しいわ」

 発した言葉に偽りはない。
 それだけは言いきることができる。

「エアリは意外と楽観的ですね」
「暗い人生なんて楽しくないわ。前を向いていなくちゃ」

 するとリゴールは、唐突に、ふふ、と笑みをこぼした。

「……素晴らしいですね」

 坂道を下りながら、彼は微笑む。

「初めて出会った地上界の方がエアリで、本当に良かったです」

 リゴールの瞳は、私たちを見下ろす空と同じくらい澄んだ、美しい青だった。


「へい! いらっしゃい!」

 街へたどり着いて最初に訪ねたのは八百屋。
 古そうなテントの下に、かごに入った色々な野菜が並んでいる、非常に原始的な店構えだ。
 辺りには、果物の爽やかな香りが漂っている。

「すみませんー」

 勇気を出して、店主らしき男性に話しかけてみた。

「ん? お嬢ちゃん、見かけない顔だな。旅行か何かか?」

 日焼けした肌と筋肉のついた肩が印象的な店主と思われる男性は、私を見るなり、不思議そうな顔をする。

「あの、少しお聞きしたいのですが……じゃがいも、にんじん、みかん、ありますか?」

 ミセから渡された買う物リストに書かれていたものの中から、野菜らしきものを選んで質問してみた。

「あぁ! あるぞ! 買ってくれるのか?」
「はい」
「何個だ?」
「えっと……」

 買う物リストを再度確認し、答える。

「じゃがいも三つ、にんじん二本、みかん五つです」
「おし! そしたら、全部合わせて五百イーエンだ!」
「ありがとうございます」

 ミセから渡されていた三千イーエンから、五百イーエン支払う。すると男性は、じゃがいもとにんじんとみかんをすべて詰めた紙袋を渡してくれた。

 かなりずっしりしている。

「礼儀正しいお嬢ちゃんだから、サマーリンゴ一つ入れといた! 食べてくれよな!」
「ありがとうございます」

 こうして、八百屋から去る。

「凄いです、エアリ! 買い物慣れしているのですね!」

 八百屋から離れて砂利道を歩き始めるや否や、リゴールがそんなことを言ってきた。

「え。買い物のどこが凄いのよ」
「買い物などしたことがありませんから……その、わたくしから見れば、凄いことなのです」
「王子様だから?」
「はい、恐らく。物資の調達は、わたくしの役割ではなかったので」

 ……でしょうね。

 王子に食料の買い物をさせるなんてこと、普通はないだろう。

「本当に……役に立てないことばかりです、わたくしは」

 リゴールはそう言って、身を縮める。

「何を言っているの、リゴール。貴方は戦えるじゃない」
「しかし、さほど強くありません」
「でも、私を何度も護ってくれたじゃない」
「……いえ。わたくしこそ、エアリに助けられてばかりです」

 砂利道なうえ人通りが多いので、結構豪快に、じゃりじゃりという音がする。最初こそ違和感があったが、慣れてくるにつれ気にならなくなった。

「わたくしの魔法はあまり連続で使えないので、かなり不便なのです。せめて、デスタンくらい戦えたなら……」

 いや、それは無理があるだろう。

 デスタンとリゴールでは、そもそも、身長が違う。もちろん体つきにも差があるし、性格もまったく異なっている。
 それなのに同じくらいの戦いをしようなんて、無茶だ。

「彼には彼の良さがあるし、貴方には貴方の良さがあるわ。それでいいじゃない」
「しかし、わたくしはかなり弱く……」
「強さがすべてじゃないわ」

 人が戦いの強さでしか評価されない世界なんて、虚しすぎる。

「優しさだって、時には武器になるものよ」

 買い物の途中だというのに、なぜこんなシリアスな空気になってしまっているのだろう。そんなことを考えつつも、淡々と足を動かし続ける。

 それからしばらく、私たちは言葉を交わさなかった。


「これで買い物は終わりだわ」

 何とも言えない空気になってしまってから、しばらく、まとも言葉を交わしていなかった。隣を歩いてはいたけれど、話すことはなかったのだ。

 だが、いつまでもこんな空気のままというのも嫌で。
 だから私は、ミセに頼まれた買い物がすべて終わったタイミングで、自ら沈黙を破った。

「本当ですか! 早いですね!」

 リゴールは意外にも、気まずくなさそうだ。
 気まずくなっていたのは私の方だけだったのかもしれない。

「……そう?」
「はい! 驚きました!」
「それって、驚くほどのことなの?」
「えっと、それは分かりません。ただ、わたくしにとっては、驚くようなことだったのです」

 一人気まずくなっていた私だったが、いざ話すとなると、案外自然に話すことができた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.26 )
日時: 2019/07/16 03:04
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Jolbfk2/)

episode.25 冷たい時間

 その日の晩。
 夕食を終え、部屋に戻った頃。

「王子、お風呂はいかがです?」

 デスタンはいつもより早く、風呂を勧めに私たちの部屋へとやって来た。

「え! ……いつもより早くはありませんか?」
「はい。いつも最後の方で申し訳ないので、本日は順番を変えるよう話をつけてきました」

 リゴールに向かってそう言うデスタンは、柔らかな微笑みを浮かべている。

「そんな。結構です、気遣いなんて」
「いえ。本来は王子を優先すべきですから」
「しかし……」

 何か言おうとするリゴール。
 しかし、デスタンは言葉を被せて、リゴールに言わせない。

「ゆっくりとお入り下さい」

 デスタンは声も表情も柔らかい。が、「いいえ」とは言わせない空気を放っている。

「そ……そうですね。分かりました、入ってきます」

 リゴールはそう返すと、速やかに入浴に使う物を集め、丁寧に「それではお先に失礼します」と言って、部屋から出ていった。


 部屋に残された私は、デスタンと二人になってしまう。

「貴女……エアリと言いましたね」

 二人になるや否や、デスタンが話しかけてくる。
 彼の方から声をかけてくるとは予想していなかったため驚いた。が、平静を装って返す。

「そうよ」

 デスタンは悪人ではない。リゴールのことを大切に思っていることは確かだし、リゴールと親しくしている私のことも気にかけてくれてはいるのだから、悪人なはずがないのだ。

 ただ、彼が発する言葉には毒がある。
 それゆえ、二人の時に話すのは少し不安だったりする。

「何か話でもあるのかしら」
「どうです、ここは」

 闇が人となったような容姿をしている彼だが、その口から放たれる問いは、案外可愛らしいものだった。

「……どういう意味?」

 もしかしたら言葉そのままの意味なのかもしれない。けれど、彼の口から放たれたものであるだけに、そのままの意味であるとは考えづらくて。

「深い意味などありません。ただ、現在の暮らしがこの世界ではどの程度の快適さなのかが、少し気になっただけのことです」

 デスタンはぼんやりと宙を眺めながら、そんな風に返してきた。
 どうやら、言葉そのままの意味であったようだ。嫌みではなかったらしい。なので私は、普通に答えることにした。

「快適だと思うわよ」

 きちんとした部屋があって、食事も出してもらえて、風呂に入ることだってできる。それに、ほんの少し家から出るだけで、空と海の繋がる美しい世界を目にすることができるのだ。

 これを快適と言わず、何を快適と言うのか。

「そうですか。なら良いのですが」
「もしかして……私のことを心配してくれているの?」

 すると。

「まさか。それはありません、絶対に」

 即座に否定されてしまった。

 いや、もちろん、彼が私のことなど心配していないことは分かっていた。彼にとっては、私は他人。当然だ。

 けれど——即座に否定されるのはさすがに悲しい。

「……そうよね、分かってたわ」
「ならなぜ聞いたのですか」
「……それは聞かないでちょうだい」

 答えたくないから。

「分かりました。これ以上は聞きません」

 デスタンはすんなりと下がった。
 が、まだ二人であることに変わりはない。

 それにしても、なぜ彼はここにいるのだろう。彼には自分の部屋があるのだから、いつものようにさっと戻ればいいのに。

「ねぇ、ちょっと。何をしているの?」
「王子の帰りを待っています。何か問題でも」

 う、そう来るか……。

「いつもはすぐに部屋に帰るじゃない」

 すると彼は、ふっと柔らかな笑みを浮かべて、口を動かす。

「そんなに不快ですか? 私は」

 笑顔だ。でも、きっと、心は笑ってなどいない。
 彼が笑みを浮かべるのが普通笑うようなタイミングだけではないということを、私は知っている。

「私も、恩知らずな女は嫌いです。不快ですから」
「ちょ……何よそれ」
「王子を保護していただいたという恩があるゆえ放り出せないというところも不快ですし」
「……それは私と関係なくない?」

 不快なところを言っていく会みたいな空気は勘弁。
 取り敢えず、この嫌な空気から逃れたい。そこで私は、思いきって、こちらから話を振ってみることにした。

「ところでデスタン」
「呼び捨てにしないで下さい。不愉快です」
「あ、ごめんなさい。じゃあ……デスタンさん」
「はい」

 デスタンの双眸は、鋭い視線を向けてくる。
 敵ではないから攻撃してはこないだろうが、少しでも余計なことを言えば掴みかかられそうな雰囲気だ。

「リゴールとは長い付き合いなの?」

 デスタンとリゴールが信頼しあっていることは、これまでの二人の関わり方を見ていたら分かった。けれど、どのようにして出会ったのかは知らない。

「出会いとか……もし良かったら聞かせてくれない?」
「私と王子の出会い、ですか」
「えぇ!」

 知らなくてはならない、ということはないが、知りたいと思ってしまうのだ。

「他人ひとの過去を詮索するなど、趣味が悪いですよ」

 デスタンはそんなことを言う。

「大層ね。ただ少し聞いただけじゃない」
「出会って一月も経たない者に己の過去を話すなど、自殺行為です」
「自殺行為って、おかしな言い方ね。それはつまり、話したくないということ?」

 遠回しに「言いたくない」と主張しているのかもしれない。
 そう思ったので一応言ってみたところ、デスタンは頷いた。

「やっぱりそういうことだったのね。ならいいわよ、話さなくて。無理矢理聞き出そうなんて思っていないわ」

 何も、デスタンの口から聞かなくてはならないことではない。デスタンが話したくないのなら、リゴールに聞けばいいのだから。

「じゃあ、リゴールに聞——」
「なら私が話します!!」

 急に叫ぶデスタン。
 静かだった空気が、荒々しい声に揺らされる。

「え……」
「王子にそのようなくだらぬことを話させるわけにはいきません!」
「えっと、あの……」

 デスタンの態度が急変したことに戸惑いを隠せない。

「出会いから話せば良いのでしょう」
「え、えぇ……。でも、嫌ならいいのよ?」
「いえ。王子に迷惑をおかけするわけにはいきませんから、私が話します」

 よく分からないが、話してくれるみたいだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.27 )
日時: 2019/07/16 03:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Jolbfk2/)

episode.26 彼らの始まり

 デスタンはゆっくりと話し始める。

「私が初めて王子に出会ったのは、ブラックスター王より彼の暗殺を命じられ、ホワイトスターの城へ忍び込んだ時でした」

 最初の一文で早速驚いた。
 ブラックスターなんて言葉が出てきたからだ。

「え! ちょっと待って。貴方、ブラックスターの手下なの!?」

 ブラックスターの者はリゴールの敵のはず。
 だが、デスタンはリゴールの護衛だ。

 ……何がどうなっているの?

「黙って話を聞いて下さい」
「え、えぇ。そうね。ごめんなさい、続けて」

 衝撃を受けたせいで取り乱してしまったが、彼に注意されたことで正気を取り戻す。いつもなら不愉快でしかないところだが、今ばかりは、彼の冷たさに救われたと言えるかもしれない。

「夜に王子の部屋へ侵入し、首を絞めて殺そうとしたのです。しかしそう易々とくたばる王子ではなくてですね」

 夜に部屋へ侵入するのは彼の得意分野だったのか、と、意味もなく少し納得。

 ……いや、本当は納得するべきところではないのだろうが。

「彼は枕元にあったペンで私の左目を突き、逃れたのです」
「ご、豪快ね……」
「はい」

 しかし、なかなか興味深い話だ。
 リゴールとデスタンの出会いがこんな変わった出会いだったとは、驚きである。

 続きが気になって仕方がない私は「それでどうなったの?」と問う。するとデスタンは、ほんの少し顔をしかめて、冷ややかに「せっかちは止めて下さい」と返してきた。安定の冷ややかな対応である。

「その後、少しの交戦を経て、王子に敗北した私は捕らえられてしまったのですが……」

 強いじゃない、リゴール。

 買い物の時、リゴールは「さほど強くない」とか「デスタンくらい戦えたなら」とか言っていたが、彼はかなり強いということが判明してしまった。

 何とも言えない、複雑な心境である。

「処刑は避けられないと諦めていた私に、王子は救いの手を差し伸べて下さったのです」
「救いの手?」
「はい。護衛になる気はないかと声をかけて下さって。当時の私は断り続けていたのですが、処刑前夜に王子が勝手に話をつけてきて……そのまま自動的に、彼の護衛となりました」

 自動的に、て。
 粘り強い説得によって心が動いて、などという夢のある話じゃないのね。

「そうだったのね。でも意外。貴方って、そんなすんなり、主を裏切れる人だったのね」
「失礼ですね。主のこと裏切りません。ブラックスター王は私が決めた主ではありませんから」
「……そうなの?」

 私は心の中で軽く首を傾げつつ発する。

「はい。私が決めた主は、王子だけです」

 そう述べるデスタンの表情に迷いはなかった。

「ブラックスター王の命に従っていたのは、従うしかなかったから。ただそれだけのことですので」

 少し空けて、彼は続ける。

「裏切るかもなどという心配は不要です」


 ちょうど、その時。
 扉が勢いよく開いて、全身から湯気が立っているリゴールが入ってきた。

「ただいま戻りましたっ」

 いつもなら外向きに跳ねている髪だが、濡れているからか、今は毛先が下に向かっている。また、日頃着ている薄黄色の詰め襟の上衣は脱いでおり、煉瓦色のシャツが露わになっている。

「おや?」

 そんな彼は、室内にデスタンがいることに気づくと、不思議そうにそちらへ視線を向ける。

「まだいたのですか、デスタン」
「はい。少しばかりお話を」

 途端に、リゴールの表情が明るくなる。

「本当ですか!」

 頬は緩み、瞳には光が宿る。
 希望に満ちた顔だ。

「エアリと仲良くなれたのですね!」
「いえ」

 デスタンはきっぱり返す。

「えぇっ……」

 きっぱり返されたリゴールは、渋い食べ物を食べたかのような顔つきになる。そう、それはまるで、醜悪な香りと味の物をうっかり口に含んでしまった者のような表情。

「王子と私の出会いを話していたところです」
「……なるほど! そうでしたか!」

 リゴールの表情は明るいものへ戻った。
 彼は表情がくるくる変わるから、見ていると意外と面白い。退屈しないで済む。

「意外な出会いでびっくりしたわ」
「……エアリ」
「それにしても、リゴール、心が広いのね」
「え……?」

 少し焦ったような顔をするリゴール。

「安心して、悪口じゃないわ。ただ、自分の命を狙った人を護衛にするなんて寛容だなーって思っただけなの」

 私が彼の立場であったなら、デスタンを護衛になんてしなかっただろう。一度は自分の命を狙った人間を傍に置いておくなんて、怖くてできない。

「え、えぇ……それは、よく言われます……」
「やっぱり?」
「はい。提案した時は、周囲から猛反対されました……」

 それはそうだろう。
 周囲が「普通」と言える。

「ま、普通はそうなるわよね。リゴールはどうして、彼を護衛にしたかったの?」
「そうですね……敢えて言うなら、片目を奪ってしまったから、でしょうか……」

 少し空けて、リゴールは続ける。

「わざとではないとはいえ、あれは過剰防衛に値します。ですから、せめて命だけでもお助けしようと」

 ——刹那。

「そういうことだったのですか!?」

 デスタンが叫んだ。
 かなり驚いたような顔をしている。

「何を驚いているのですか? デスタン」
「驚かずにはいられませんよ! そのような理由だったとは、知りませんでした!」

 いつもは淡々とした口調を崩さないデスタンが、驚きのあまり大きな声を発している。その光景は、実に興味深い。

「そんなどうでもいいことが、私に手を差し伸べて下さった理由だったのですか!?」
「どうでもいいことではありません! 重大なことです!」

 確かに、どうでもいいことではない。

「私にとっては視力などどうでもいいことなのですが」
「デスタン! 貴方は自分を大切にしなさすぎです!」
「今の状態でも十分戦えます」
「問題なのは戦えるかどうかではなくてですね!」

 ひとまず落ち着きを取り戻し、淡々と言葉を発するデスタン。懸命に突っ込みを入れるような物言いをするリゴール。

 二人がまとう空気は正反対で。
 でも相性が悪いという感じはしないから、不思議だ。

 それから数十秒ほどが経過し、二人の会話が終わると、リゴールが改めて私の方を見てくる。

「……と、こんなわたくしたちですが。これからもよろしくお願いしますね、エアリ」

 リゴールが笑うと、心が温かくなった。
 それはまるで魔法のよう。

 彼の使う魔法は黄金の光を操るものであって、笑顔で他人の心を温かくするものではない。が、これはもう、魔法と言っても過言ではないくらいの、見事な効果がある笑みである。

Re: あなたの剣になりたい ( No.28 )
日時: 2019/07/16 03:06
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Jolbfk2/)

episode.27 母親との再会は唐突に

 リゴールとデスタンの始まりを聞いた日から三日ほどが経過した、ある朝。
 起きて間もない私を、ミセが呼びに来た。

「エアリ! お客様よ!」

 三十分ほど前に起きたばかりだから、寝巻きのままだし髪も整えていない。にもかかわらず、部屋の外へ出なくてはならなくなってしまった。

「お客様、ですか? 私に……?」
「そうよ! 早く来てちょうだい!」
「え、でも……」
「貴女の母を名乗っているのよ! いいから、早く来て!」

 身支度くらいさせてほしいのだが、ミセは聞いてくれそうにない。仕方がないから、私は、このままの状態で部屋を出ることにした。


 玄関を出てすぐのところに立っていたのは、私の母親——エトーリアだった。

 絹のように滑らかな長い金髪。サイドは長く伸びているが、後頭部側は華やかに結ばれている。また、肌は艶やかで、十代終わりの娘を持つ女性とは思えない。

 私にはまったく似ていない、美しい容姿をしている。

「……母さん」

 変わらない女神のような容姿を目にし、思わず漏らす。

「無事だったのね、エアリ!」
「どうしてここにいると……分かったの」

 すると、母親は抱き締めてきた。

「聞いたわ、屋敷が火事になったんですって? ……災難だったわね、エアリ。でももう大丈夫よ。エアリはわたしが護るわ。これまではあまり会えなかったけれど……これからは共に過ごしましょう」

 母親、エトーリア。
 彼女は仕事があるらしく、あまり家にいなかった。だから、今までずっと、たくさん話すことはできなくて。

 ——でも、その胸の温かさは失われていなかった。

 エトーリアは私を抱き締め終えると、ミセの方を向いて、すっと頭を下げる。

「うちの娘がお世話になりました」

 いきなり礼儀正しく礼を言われたミセは、きょとんとした顔をしながら「い、いえいえー」と返した。ミセは戸惑っているようだった。

「さぁエアリ、帰りましょう」
「待って母さん! 勝手に話を進めないで!」

 私を連れて帰る気満々の母親に向かって、私は言い放つ。

「一人でお世話になっているわけじゃないの。だから、勝手に帰るなんてできない」

 今度はエトーリアがきょとんとした顔をする番だった。

「一緒にお世話になっている人がいるの。それに、私たちをここへ泊まらせてくれた人もいる。だから、勝手に帰るわけにはいかないわ。彼らにきちんと話さなくちゃ駄目なの」

 リゴールにもデスタンにも、恩がある。
 だから、自分一人だけ勝手に脱出するようなこと、できるわけがない。

「そうなの?」
「えぇ。分かってくれた? 母さん」

 するとエトーリアは、穏やかな目をして、一度ゆっくりと頷いた。

「分かったわ。じゃあわたしは、エアリが準備できるまで待っているわね」
「……ありがとう、母さん」


 それから一旦自室へ戻り、リゴールに事情を話した。すると彼は「エアリのお母様になら、一度お会いしてみたい」と言った。私にはその意味がよく分からず、少々戸惑ってしまってしまったけれど、せっかくなので紹介することにした。それを聞いたミセは、気を利かせて、そのための部屋を用意してくれて。おかげで、三人で顔を合わせられることとなった。


 私が部屋へ入っていった時、エトーリアは既に、その部屋の中にいた。
 狭い部屋の中にある一つの丸いテーブル。それを取り囲むように置かれた幾つかの椅子の一つに、静かに座っていたのだ。

「お待たせ、母さん」

 私が先に部屋へ入る。
 するとエトーリアは、こちらを向いて、柔らかく微笑んだ。

「これは一体どういうことなの? エアリ。三人で、なんて、聞いていなかったわ」
「そうなの。そんなつもりはなくて……でも、彼が会ってみたいって言うから」

 すると、エトーリアは微笑む。

「……そう。分かったわ」

 三人にするべきではなかったかもしれない——そう不安になったりしたが、エトーリアが微笑んでくれたから、少しは心が軽くなった。

 ちょうどそのタイミングで、扉がほんの少し開く。
 細い隙間から、リゴールが覗いてきた。

「あ、あのー……」

 遠慮がちに声をかけてくるリゴール。
 私は彼をすぐに招き入れようとしたのだけれど——それより先に、エトーリアが発した。

「リゴール王子っ……!?」

 凄まじい勢いで、椅子から立ち上がる。
 無関係であるはずの母親がリゴールの名を呼んだことに、私は驚きを隠せない。

「え。ちょ……母さん?」
「……あ。ごめんなさい、人違いだわ」

 いや、人違いではないだろう。数多の名前の中から正しい名前を当てたのだから、それは人違いなどではない。見た目と名前のどちらもがまったく同じな者が二人もいるなんてことは、考えられないから。

「母さん……リゴールを知っているの?」

 改めて問うと、彼女は首を横に振った。

「……いいえ、彼ではないわね。彼なはずがない。人違いだわ。まだ故郷にいた頃……彼によく似た知り合いがいただけよ」
「故郷……?」
「えぇ。でも、もう昔のことよ。忘れてちょうだい」

 気になる点はいくつかある。だが、「忘れて」と言っている者に質問を続けるというのも問題だろうから、それ以上は質問しないでおいた。

「じゃあ! 改めて紹介するわ!」

 気を取り直して。

「彼はリゴール。あの火事の少し前に、森で出会ったの。出身は……」

 ホワイトスター。

 そう明かしてしまって良いのか分からず、リゴールを一瞥する。
 すると、彼は続けた。

「遠いところから参りました」

 そう言って、リゴールはエトーリアに笑いかける。

「エアリのお母様であると、お聞きしております」
「リゴールお……違ったわね。リゴールくん、エアリと一緒にいてくれてありがとう」

 リゴールくん、て。

 ……いや、べつに間違ってはいないのだが。

 しかし「くん」付けとは妙な感じがして仕方がない。

「わたしはエトーリア。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 頭を下げるリゴール。
 穏やかに微笑む私の母親——エトーリア。

 不思議な構図だ。

「リゴールくんがエアリを村の外へ避難させてくれたの? ありがとう。おかげで、エアリが無事で済んだわ」

 感謝の言葉を述べられたリゴールは、恥ずかしそうに顔を赤らめる。

「い、いえ……勝手に彼女まで避難させてしまって、すみませんでした」
「許すわ。だって、おかげでエアリは無事だったんだもの」

 勝手な行動をしてしまったことを怒られなくて良かった。
 今、私の心は、その思いで満ちている。

Re: あなたの剣になりたい ( No.29 )
日時: 2019/07/16 03:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Jolbfk2/)

episode.28 頭がパンクしそう

 その後、私は、久しぶりに再会した母親エトーリアと共に、今彼女が住んでいる家へ向かうことになった。

 ……と言っても、これからずっとそちらで暮らすというわけではない。

 それは、私が望まないからである。

 安定した生活を得るという意味では、エトーリアの家へ行きそこで暮らすことが一番良いのだろう。でも、そうすると、せっかく親しくなれたリゴールに会えなくなってしまう。それは寂しい。

 だから、一旦は彼女の家へ行くけれど、またミセの家へ帰ってくると、リゴールにはそう伝えておいた。


 移動している間、馬車の中には私とエトーリアだけ。馬車に乗るのは二度目だから慣れてきているものの、エトーリアと二人きりというのは初めてなので、不思議な気分になる。

「ふふ。二人で出掛けるなんて、いつ以来かしら。エアリ」
「記憶にないわ」

 前に会ったのがいつだったかさえ、忘れてしまいそうなくらいだ。
 そんな状態だから、前に出掛けたのがいつだったかなんて、思い出しようがない。

 それでもやはり、私と彼女は母と娘で。

 だから、しばらく会っていなくても、普通に言葉を交わすことができる。

「母さんは仕事が忙しいのでしょう? 父さんからそう聞いていたわ。一体何のお仕事をしているの?」

 狭い馬車の中、向かいの席に座っているエトーリアは、本当に美しかった。
 彼女が私の母親だなんて、見た目では、とても信じられない。
 白いレースに包まれた胸元も、水色のワンピースがぴったりと密着しているくびれも、私よりずっと綺麗。

「……えぇ、しばらく忙しくしていたわ。だから、家にもあまり帰ることができなかった、ごめんなさいね、エアリ」

 じっと見つめて謝られると、何だか恥ずかしくなってしまって。
 私は、視線を窓の外へと泳がす。

 答えをぼかされてしまった気がするが、まぁ、今日のところはそれでいいとしよう。

「べつに気にしていないわ」

 エトーリアの顔を見ることはできなかったが、そう返すことはできた。
 窓の外には、穏やかな青空が広がっている。

「ところで母さん。一つ聞いてもいい?」
「いいわよ」
「どうして……彼のこと、リゴール王子って知っていたの?」

 聞かない方がいい。そう思いもしたのだが、やはりどうしても気になってしまうから、思いきって尋ねてみた。

 その問いに、エトーリアは口を閉ざす。
 何か考え事をしているような顔で、じっと黙っている。

「母さん……」
「……そうね、エアリには話すべきかもしれないわね」

 彼女の第一声はそれだった。

「わたしの生まれ育った国の王子がね、彼に凄くよく似ていたの。それに、名前もリゴールだった……」

 偶然の一致?
 いや、そんな偶然はあり得ない。

「その生まれ育った国って……ホワイトスターっていうところ?」

 そんなこと、あるわけがない——そう思いつつも、私は尋ねた。
 するとエトーリアは目を大きく見開く。

「どうしてその名を!?」

 エトーリアはかなり動揺しているようだった。
 だが、今動揺しているのは、エトーリアだけではない。私だって、同じように驚いていた。

「リゴールはホワイトスターの王子だわ」
「……本気で言っているの? エアリ」
「えぇ、嘘じゃないわ。だって、彼はリゴール・ホワイトスター。今はもうないけれど、ホワイトスターという世界の王子だったって、そう言っていたもの」

 言い終わるや否や、エトーリアは大きな声を出す。

「今はもうない、ですって!?」
「え、えぇ……そう言っていたけれど……」
「ホワイトスターが滅んだということ!?」

 エトーリアの鋭い叫びによって、馬車内の空気が揺れる。
 それまでは馬車特有の微かな震動以外の音はほとんどなかったため、彼女の叫びが余計に大きく聞こえた。

「……信じられないわ。あれからの間に、一体何があったというの」

 いや、「信じられない」と言いたいのは私の方だ。

 この世の者たちはホワイトスターのことなんて知らない。私だって、リゴールと出会ったから知ることができただけであって、彼と出会わなければ知ることはなかっただろう。

 そのくらいの認知度なのに、エトーリアはホワイトスターを知っていて。
 しかも、生まれ育ったなんて言い出す。

 話についていけないのだが。

「何があったかまでは分からないわ。リゴールに聞けば分かるでしょうけど……」

 私はそう述べた。
 それに対しエトーリアは、胸に右手を当てながら、静かに返してくる。

「そう。そうよね、仕方ないわ。エアリは当事者じゃないものね」

 私は一旦黙り、しばらくしてから発する。

「……それより、母さんがホワイトスターを知っていたことが驚きよ」

 ホワイトスターが滅んだ理由も、大切でないことはない。特に、ホワイトスターをよく知る者にとっては、気になるところなのだろう。

 だが、私にとっては、それより重要なところがある。
 エトーリアが、私の母親が、ホワイトスター出身であった——というところだ。

「そうね。驚かせてしまってごめんなさい、エアリ。黙っていたことは悪かったと思っているわ」

 こんな身近に、ホワイトスターにルーツを持つ者がいたなんて。

「そのこと、父さんは知っているの?」
「知らないわ」
「えっ。隠しているの?」
「そうよ。彼は、私がこちらへ来て働いていた時に出会った人だもの」

 父親が知らないのなら、私が知らなかったのも仕方がない、か。

「じゃあ、今後も父さんには言わない方がいいわね」

 何も考えずそう発すると、エトーリアの表情が一変する。
 それだけは言わないでほしかった、とでも言わんばかりに。

「……エアリ」
「え?」
「父さんは……その」

 目を伏せ、悲しげに声を揺らす。

「この前の火事で……亡くなったのよ」

 時が止まった。

 ほんの一瞬、そんな気がした。

「やはりまだエアリは知らなかったのね。……伝えるのが遅くなってごめんなさい」

 エトーリアは顔を俯け、秋の夕暮れのような声で述べる。

 馬車内に、葬式のような空気が広がっていく。私にとっては父親、エトーリアにとっては夫にあたる人が命を落としたというのだから、仕方のないことではあるのだけれど。でも、つい先ほどまでの穏やかな時間が恋しい。

「父さんは……逃げ遅れたの?」

 いきなり言われても、どうも実感が湧かない。

「わたしもその場にいたわけではないから、詳しいことまでは分からないわ」

 エトーリアは瞼を閉じたまま、ゆっくりと首を左右に動かす。

「母さんはどうして知ったの?」
「家で働いてくれていた方いらっしゃったでしょう? えぇと……バッサさん、だったかしら」
「バッサが伝えたのね!」
「えぇ、そうなの。他二人くらいの使用人の方を連れて、わたしが暮らしている家まで知らせに来てくれたのよ」

 こんなことを考えては叱られるかもしれないが……バッサが無事だと分かって嬉しかった。実質母親のような存在であったバッサに、あんな形で別れてもう二度と会えないなんて、そんなのは胸が痛い。

「バッサ……無事だったのね。良かった……」

 彼女の無事を耳にした途端、急に心が解ほぐれた。
 日々の中で特別彼女の身を案じていたというわけではないけれど、心のどこかで実は心配していたのかもしれない。

「彼女もわたしの家にいるわ。会えるわよ、エアリ」
「それは嬉しいわ! 変な別れ方になってしまったから、きちんと謝りたかったの!」

 バッサが生きていたことは、とても嬉しいことだ。今すぐここで踊り出したくなるくらい、嬉しい。

 けれど、正直、頭が追いついていない部分もかなりあった。

 エトーリアがホワイトスターを知っていたこと。
 父親があの世へ旅立ってしまったこと。

 新しい情報が多すぎて、頭がパンクしてしまいそうだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.30 )
日時: 2019/07/17 12:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HhjtY6GF)

episode.29 どうか、奇跡を

 揺られ続けることしばらく。
 がたん、と音を立てて、唐突に馬車が止まった。

 向かいに座るエトーリアと顔を見合わせる。

 恐らく、人か野生動物かと接触しかけて急停止した、といったところだろう。そんな風に思い、再び動き出すのを待つ。

 だが、数分が経過しても馬車が再び動くことはなかった。
 なかなか動き始めないことに違和感を抱き始めた頃、エトーリアが立ち上がる。

「何かあったのかしらね? 少し様子を見てくるわ」

 エトーリアは入り口に向かって数歩進み、扉をゆっくりと開ける——直前、窓から人影が見えた。

「待って! 母さん!」

 嫌な予感がして叫ぶ。

「え?」
「開けないで!」

 エトーリアは戸惑った顔をしながらも、扉を開けないでいてくれた。
 私は木材製の壁で身を隠すようにしながら、窓から外を覗く。人影の正体を確認するためである。

「……やっぱり」

 銀の緩い三つ編みに、燃えるような赤い瞳——ウェスタだ。

 私を狙っているのか。
 それとも、リゴールを探しているのか。

 そこのところは明確ではないが、顔を合わせるとなると厄介だ。リゴールがおらずとも、攻撃される可能性がないわけではないのだし。

「何がどうなっているの? エアリ」
「あの人……厄介な人だわ」

 エトーリアは、私とは反対の窓から、外を覗いていた。

「厄介な人? あの女性が?」
「えぇ。前にリゴールを狙って襲ってきたの」
「それは確かに厄介ね」

 呑気に「厄介ね」なんて言っている場合ではないと思うのだが。

「できれば顔を合わせたくないわ……」

 私は思わず漏らす。
 すると、エトーリアは閃いたように言う。

「分かった! じゃあ、わたしが話をしてみるわ!」
「え」
「エアリのことは知っているとしても、わたしのことまでは知らないはずだもの。わたしが話せば安全よ」

 安全だとは思えない。
 私が出ていくよりはましかもしれないけれど、知らない人だからといってウェスタが何もしないという保証は、どこにもない。

「危険よ、母さん」
「でも、ずっとこのままというわけにはいかないでしょう?」
「それはそうだけど……」
「ふふ。大丈夫よ、エアリ。きっと分かってもらえるわ」

 エトーリアは穏やかに微笑みながら扉を開ける。そして、馬車から降りていった。

 私は一人残される。

 こんなところで一人隠れているなんて、怖いものから逃げているみたいでかっこ悪い。そう思いもしたが、それでも、馬車から降りていく勇気はなかった。


 馬車の中でしゃがみ、エトーリアが戻ってくるのを待つ。

 私が出ていくよりかはましだろうが、それでも、相手はウェスタ。油断はできない。
 誰か一人でも彼女の相手をできる者がいればいいのに——そう思った時、ペンダントのことを思い出す。

「……そうだ」

 首にかけている、銀と白のペンダント。リゴールから貰ったものだ。

 確か、これは剣に変化させることができたはず。

 今はペンダントの形だし、どうすれば剣になるのかも分からない。けれど、これを剣の形にすることができたなら、少しは戦えるかもしれない。

 もっとも、素人の私が剣を握ったところで、ウェスタを撃退できる保証なんてどこにもないのだが。

「でもこれ……どうすれば剣になるのかしら」

 前に剣になった時は、土壇場での変化だった。それゆえ、どうすれば変化するのか、はっきりとした答えは知らない。きっと何かあるのだろうが。


 その時、何やら大きな破裂音が耳に飛び込んできた。

 一瞬は耳を塞ぎ、その後すぐに、窓から外の様子を確認する——と、地面に倒れ込んでいるエトーリアの姿が見えて。

「……っ!」

 思わず手で口を押さえる。

 助けないと。
 そう思った私は、半ば無意識のうちに馬車の外へ駆け出す。

「母さんっ!」

 馬車を降り、地面に倒れ込んでいるエトーリアに駆け寄る。

「何をされたの!?」

 倒れ込んでいるエトーリアに問う。
 すると彼女は、掠れた声でそっと答える。

「……平気よ、エアリ」
「とても平気には見えないわ、母さん……」

 意識ははっきりしているようだ。それに、目立った外傷もない。出血があるわけでもないから、早く手当てしなければ死ぬということはないだろう。

 だが、それでも、心配であることに変わりはない。

「それより……駄目じゃない、エアリ。馬車から降りて……くるなんて」
「そんなことを言っている場合じゃないでしょ!?」
「駄目よ降りてくるなんて……。危険よ」

 エトーリアは私のことを心配してくれているが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 横たわるエトーリアを抱えようと彼女の体に手を回した、ちょうどその時。
 冷ややかな声が聞こえてきた。

「……来たね」

 聞き覚えのある声に、私は視線を上げる。

 ——その先にはウェスタ。

「貴女……!」
「……こんなところで会うとはね」

 銀の三つ編みが風に揺れている。

「正直驚いた。でも……ちょうどいい」

 ウェスタは淡々と述べつつ、私とエトーリアの方へ歩み寄ってくる。

「来ないで!」
「……それはできない」
「貴女、母さんに何をしたの!」
「……答える必要はない」

 こんな形で彼女と再会することになるなんて、何ともついていない。

 街から少し外れた人通りのない道。
 助けを呼ぶことはできない。

 一体どうしろと。

 戦えとでも言いたいのか、運命は。

「貴女の狙いはリゴールでしょう? 残念だけど、彼はここにはいないわよ」
「……それは問題ない。ホワイトスターの王子は、今頃グラネイトが殺しているだろう」
「何ですって!?」

 ……いや、落ち着こう。

 ウェスタの発言は偽りかもしれない。私を動揺させるための嘘ということも考えられる。
 それに、リゴールはそう易々と殺されるような弱者ではない。

「そんなことを言って、何のつもり?」
「……事実を述べたまで」

 ウェスタの赤い瞳は、私をじっと捉えて離さない。
 その視線は、まるで刃のよう。鋭くて恐ろしい。

 けれど、その程度で怯む私ではない!

「残念だけどね! リゴールはそんなに弱くないわよ! あんな間抜けに負けたりしないわ!」

 本当は怖いのだが、弱気なところを見せたくなくて、日頃より強気に振る舞う。

「……そうは思えない」

 ウェスタは相変わらずの淡々とした口調で言った。

「グラネイトが間抜けであることは認める。だが……ホワイトスターの王子にも勝てぬほどの間抜けではない」

 ウェスタはそう言って、右手を掲げる。すると、その手に赤い炎が宿った。

「……今日こそは仕留める」

 逃げることが最善。
 それができるなら、迷わずそうしただろう。

 だが、今の私には、逃げるという道がなかった。どうしても、その道は見つけられなくて。

 ——だから。

「分かったわ! 相手してあげるわよ!」

 私はペンダントを握る。

 奇跡は何度も起こらない。世の中そんなに上手くできてはいない。
 それは分かっている。

 でも、それでも——。

 どうか、奇跡を。

Re: あなたの剣になりたい ( No.31 )
日時: 2019/07/17 12:48
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HhjtY6GF)

episode.30 無益な戦い

 ——同時刻、ミセの家。

 リゴールは一人の男と対峙していた。

「ふはは! 今日こそは決着をつけさせてもらうぞ、王子!」
「……今日は窓を割らなかったのですね」

 一人の男というのは、グラネイト。
 現在の自室、エアリと共用の部屋で一人のんびりしていた時、グラネイトがいきなり窓から入ってきたのだった。

「そうだ。というのも、今日はいつもと違い、誘いに来たからな」
「……誘いに?」

 怪訝な顔をするリゴール。

「そう! では早速。一対一の戦いをしようではないか!」
「お断りします」
「な、なにィ!?」

 一対一の戦いを所望したものの即座に拒否されたグラネイトは、顎が外れかけるほど口を大きく開ける。

「このグラネイト様の提案を拒否するだと!?」

 グラネイトの灰色の肌が、怒りのせいか徐々に赤く染まっていく。

「……わたくしは、無益な戦いはなるべく避けたいのです」
「無益だと? 馬鹿か! 無益などではない! これは、我がブラックスターとホワイトスター、どちらの血が優秀かの戦いだ!!」

 グラネイトは、戦闘を避けようと消極的な態度を取るリゴールに腹を立てているらしく、荒々しく言葉を発する。

「ですから……そのような争いは無益なのです」
「何だと!?」
「どちらの血が優秀かなんて、傷つけあってまで決めることではないでしょう……!」

 リゴールは怯まず主張する。しかし、グラネイトはリゴールの主張を受け入れない。否、そもそも聞こうとさえしていなかった。

「あぁ!? いつもの威勢の良さはどうしたんだ!?」

 グラネイトは脅すような低い声で挑発的な言葉を発しながら、一歩、一歩と、リゴールに迫る。

「今日は妙に弱気じゃないか!」

 リゴールは挑発に乗ることはせず、眉をひそめて少しずつ後退する。

「……わたくしは本来、気の強い人間ではありません」
「なら、いつも偉そうな口利きやがるのは何なんだ!」

 グラネイトは苛立ちを爆発させるように叫ぶ。
 リゴールは落ち着いた声で返す。

「エアリを不安にしたくないからです」

 そしてリゴールは、上衣の内ポケットから本を取り出す。

「それ以外の理由などありません」

 リゴールが本を取り出したのを見て、グラネイトは口角をくいと上げた。

「ふはは! ようやくやる気になったか!」
「……いえ。無益な戦いは望まない、わたくしの思いに変わりはありません。それでも……貴方は戦いを望むのですか」

 暫し、沈黙。

 リゴールとグラネイト、二人だけしかいない空間は、痛いほど静かな空間と化している。

 ——そんな中、先に口を開いたのはグラネイトだった。

「そうだ。このグラネイト様はもちろん、ブラックスターに生きるすべてが、戦いを望んでいる」

 リゴールは戦いたいとは思っていない。もし戦わずに済む道があるなら、間違いなく、その道を行ったことだろう。

 だが、戦いを避けられる道はない。
 彼はそれに気がついていた。

 だから、望まないものの武器を取り出したのだ。

「戦うしかないと言うのですね……分かりました」

 リゴールは改めて、グラネイトを見据える。

「そうだ。だがここは狭い。場所を変えよう」
「場所を?」
「外でならお互い全力で戦える。その方が良いだろう」

 グラネイトの提案に、リゴールは戸惑いつつも頷いた。
 そして二人は場所を移す。


 ミセの家から歩いて五分もかからないところにある、高台の中でも一段高くなっているところ。
 草が生えていない、土が剥き出しになった地面。
 遮る物がないせいで乾いた風が吹き荒れている。

 普通の人なら、よほど重要な用がない限り決して行くことのないような、そんな場所だ。

 リゴールはそこで、本を片手にグラネイトと対峙している。

「ふはは! ここでなら存分にやり合える! 今日こそ、このグラネイト様が、お前を殺る!!」

 グラネイトは長い腕を伸ばし、正面に立つリゴールを指差す。

「……風が寒いので、早く帰りたいのですが」

 吹き荒れる強風に黄色い髪を揺らしつつ愚痴を言うリゴール。その少年のような顔には、不快の色が濃く滲んでいる。

「余裕をかましやがって……」
「寒いところは嫌いです!」
「文句は、このグラネイト様を倒してから言えばいい……」

 グラネイトは片手を横に伸ばす。すると、彼の体を囲むように、火球のようなものが並んだ。

「いくぞ!」

 叫ぶグラネイト。
 火球のようなものが、リゴールに向かって飛ぶ。

 リゴールは右手に軽く持っていた本を素早く開く。
 そして、左手から溢れさせた黄金の光で膜を作り、火球のようなものを防ぐ。

 黄金の光の膜にぶつかった火球のようなものは、その場で小爆発を起こして消えた。

 辺りに煙が立ち込める。
 グラネイトはその煙へと突っ込んでいく。

「せやぁっ!」

 煙の中で接近し、長い足で回し蹴りを繰り出すのはグラネイト。対するリゴールは、咄嗟に後ろへ跳び、回し蹴りを回避する。

 ——しかし、そこへ、もう一方の足での蹴り。

「……っ」

 リゴールは左腕で蹴りを受け流す。そしてそのまま片足を突き出し、グラネイトを蹴り飛ばす。

「なにっ!?」

 反撃を想定していなかったらしく、グラネイトはバランスを崩す。

「……参ります!」

 バランスを崩したタイミングを狙い、リゴールは黄金の光を放つ。

「ぐぅっ」

 脇腹に黄金の光を食らったグラネイトは、短く詰まるような声を漏らし、よろけながら数歩下がる。
 魔法による攻撃を食らい動きを止めたグラネイトに向かって、リゴールの魔法がさらに放たれる。

「ぐっ!」

 グラネイトは両手を胸の前で交差させ、黄金の光を防ぐ。
 だが、防いだからといってダメージがないわけではないようで、眉間にしわを寄せている。

「……やるな、王子」
「気が済んだなら去って下さい。無益な争いは望みません」

 リゴールは静かな声でそう告げる。

「もう止めましょう、こんなこと」

 だが、リゴールの言葉がグラネイトに火をつけた。

「馬鹿にしやがって……ふざけるなぁぁぁ!」

 草一つ生えない大地を蹴り、グラネイトはリゴールに向かって駆けてゆく。

「……まだ続けるのですね」
「当然だろう! どちらかが絶命するまで、戦いは終わらない!!」

 襲い来るグラネイトを捉えるリゴールの瞳には、悲しげな色が滲んでいた。