コメディ・ライト小説(新)

Re: あなたの剣になりたい ( No.34 )
日時: 2019/07/21 01:40
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: MMm5P7cR)

episode.31 意外な形でやって来る

 私は、ペンダントを握り、奇跡を願った。

 ——でも、奇跡なんて起こらなくて。

 どんなに願っても、ペンダントがあの時のように剣になることはなかった。あの時はできたことが、今はできなかった。

「……何をしているの? エアリ……?」

 失望する私。その姿を見て、エトーリアは戸惑ったような顔をしていた。まさに「何をしようとしたの?」と聞きたげな顔だ。

「前は、ペンダントが剣になったの。だから、また剣にできるんじゃないかって、考えていたのよ」

 敢えて嘘をつくこともない、と判断し、私は本当のことを言った。
 すると、エトーリアはさらに戸惑ったような顔つきになる。

「エアリ……まさか、寝惚けて……?」
「寝惚けてなんかないわ!」
「……無理しなくていいのよ。エアリ……恐怖のあまり、おかしな妄想に取り付かれ——」
「違うわよ!」

 私はつい調子を強めてしまう。
 倒れ弱っているエトーリア相手に声を荒らげるなんて、いけないことだと分かっているのに。

 その時、ふっ、という小さな笑いが耳に飛び込んできた。

「奇跡にさえ見放された、か……」

 笑いが聞こえた方を向くと、哀れむようにこちらを見ているウェスタが視界に入った。
 馬鹿にされていると分かり、悔しくて。でも、言い返せるような状況ではない。だから、黙って笑われるしかない。それが、悔しくて仕方がなかった。

「……まぁいい」

 哀れむような目になっていたウェスタの両目が、いつもの冷ややかな目に戻る。

「すぐ楽になる」

 ——刹那、ウェスタの手から帯状の炎が放たれる。

 避けなければ。
 そう思った。

 けれど、すぐに考えが変わる。私の後ろにはエトーリアと馬車がいることを思い出したからだ。

 罪なき者を、関わりすらない者を、傷つけさせるわけにはいかない。
 だから私は避けなかった。

「んっ!」

 帯状の炎が肩に命中する。
 熱を感じ、直後に痺れるような痛みが駆け抜ける。

「……避けないとは」

 ウェスタの唇にうっすらと笑みが浮かぶ。

「やはり、度胸はある」
「貴女に褒められてもあまり嬉しくないわ」
「……この状況でまだ言い返せるとは」

 一応強気に振る舞ってはいる。が、実際の胸の内は不安ばかり。発言とは程遠い弱気さである。

「でも、次で終わらせる」

 ウェスタはゆっくりと唇を動かす。
 そして、燃えるような赤の瞳でじっと見つめてきた。

「……諦めて」

 高いヒールの靴で地面を蹴り、凄まじい勢いで接近してくるウェスタ。

「エアリっ」

 背後から、エトーリアの声。

 避けなくては。そう思いはするのだけれど、動けない。恐怖のせいか、こんな時に限って体が動かない。

 もう駄目。
 そう思い、瞼を閉じる。


 ——しかし、私の体に痛みが走ることはなかった。


 ゆっくりと瞼を開けると、目の前には人の背。
 緩く一つに束ねた濃い藤色の髪が、風で揺れているのが見える。

「……え」

 見覚えのある髪色に戸惑っていると、目の前の彼は首から上だけを動かし振り返る。

「こんなところで何をしているのです」
「デスタン……」

 なぜ彼がここにいるのか。
 謎でしかない。

「呼び捨てにするなと言ったはずですが」
「あ。ごめんなさい、デスタンさん。……でも、どうして貴方がここに?」
「私が時折働きに行っているのは、この近くの酒場ですから。遭遇したのは偶然です」

 ウェスタはデスタンのいきなりの登場に動揺しているようで、言葉を発することさえできぬまま数歩後退していた。

「……助けてくれて、ありがとう」
「呑気にそんなことを言っている場合ではありません」

 デスタンはやはり冷たい。
 彼の発する言葉には、優しさなんてものは欠片もなかった。

 だが、偶然遭遇しただけなのに助けに出てきてくれたというのは、感謝しても感謝しても足りない。

 奇跡は意外な形で起こった——そう言っても問題ないだろう。

「なぜこんなところにいるのか? そこに転がっている女は何者なのか? 聞きたいことはたくさんあります。が、今は目の前の敵を殲滅するのが先です」

 淡々とした調子でそう述べてから、デスタンはウェスタの方へと視線を向ける。

「何をしに来た、ウェスタ」

 デスタンが発する声は、星一つない夜空のように、重苦しく暗い。

「……その女を殺す。ただそれだけ」
「それは許可できない」

 きっぱりと答えるデスタン。
 ウェスタは眉間にしわを寄せる。

「邪魔しないで」
「いや、悪いが邪魔はする」
「どうして……!」

 いつも冷静沈着で、まるで人形のようだったウェスタ。そんな彼女が声を震わせる様を見て、私はただ戸惑うことしかできなかった。

「今すぐ去れ。あるいは、それができないなら散れ」
「本当にホワイトスターの言いなりになったの……兄さん! どうして!」

 ウェスタは叫ぶ。
 それは、聞いているこちらの胸が痛むような、悲しげな声。

「なぜブラックスターを捨てたの!」

 こんなことに発展していくとは思わなかった。が、一方的に攻撃されるという危機的状況から切り抜けられたということを考えたら、これが最善だったのかもしれない。

「……私がブラックスターを捨てたのではない」
「なら何だと言うの。兄さんはブラックスターを裏切った! それは事実! 本当はそうではないとでも言うの!?」

 ウェスタは感情的になるが、デスタンは冷静さを失わない。

「王子殺害に失敗した時点ですべてが終わっていた。もし仮に、逃走しブラックスターへ帰ったとしても、首が飛んでいたはずだ」

 私は倒れているエトーリアの体を少し持ち上げて支え、少しずつ後ろへ下がる。彼女を馬車へ乗せたいからである。

「そんなことはない! 一度の失敗で首が飛ぶなんて、あり得ない!」

 冷静さを失っているウェスタが、鋭く言い放つ。
 だが、デスタンは、ゆっくりと首を左右に動かすだけ。

「魔法も使えぬ出来損ないが、任務失敗で逃げ帰ってきたとして。それを許すほど、ブラックスターは寛容か」
「……兄さん」
「私にはとてもそうは思えない」
「そうかもしれない……でも! 許してもらえる道は、きっとある! だから兄さんっ……」

 二人が交わす言葉には驚かされてばかりだ。
 だが、ウェスタはデスタンを敵とは見なしていない、ということが分かったのは良かったかもしれない。

 ……いや、もちろん、味方とも思ってもいないのだろうが。

 しかし、倒すべき敵だと完全に思っているような雰囲気ではない。それを知ることができただけでも、この状況に陥ってしまった意味があったと言えるだろう。

「何を言おうが無駄だ。私はもう、帰らない」
「兄さん……なぜそんなことをっ……。まさか、ホワイトスターの王子に洗脳でもさ——っ」

 そこまで言いかけて、ウェスタは急に言葉を切った。
 その理由が、彼女の首にデスタンの手が触れていたからであると気づくのに、数秒かかってしまった。

「王子はそんなことをする方ではない」

 デスタンは白に近い薄い藤色の手袋をはめた右手で、ウェスタの首を握っている。
 その状態のまま、彼は述べる。

「王子を侮辱するなら、誰であろうが関係なく殺す」

Re: あなたの剣になりたい ( No.35 )
日時: 2019/07/21 01:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: MMm5P7cR)

episode.32 母と娘、兄と妹

 その時ようやく、静寂が訪れた。

 今までは聞こえていなかった風の音が、唐突に耳に入ってくる。

「……兄さん」
「私はもう戻らない。説得しようとしても無駄だ」
「どうして……故郷を捨て敵の王子に仕えるなんて信じられない……」

 首を握られているという明らかな不利な状況であっても、ウェスタはあまり危機感を抱いていないようで、彼女は会話を続けている。

「……裏切り者」

 そう呟き、ウェスタは、首元のデスタンの手に自分の手を当てる。

 直後、彼女の手から赤い炎が溢れる。

 すると、デスタンはすぐに、彼女の首から手を離した。
 驚いてなのか、熱さを感じてなのか、そこは不明。
 だが、ウェスタが炎を放ったことにすぐに気づいたようだった。

 ウェスタとデスタンの間の距離が広がる。

「許せない……許さない、兄さん……」
「何も無理に許す必要はない。お前には、私を許さない資格がある」

 私は少し離れたところで、エトーリアを馬車に乗せようとしながら、ウェスタとデスタンが言葉を交わしているのを密かに聞いていた。

「帰る気になってくれないなら……力づくでも、連れて帰る……!」
「こんなところで殺り合う気か、ウェスタ」

 数秒後、帯状の炎が宙を飛ぶのが見えて。
 ウェスタがデスタンに攻撃を仕掛けたのだと、すぐに分かった。

 幸い、彼女の意識は完全にデスタンに向いている。さすがに、今の状態では、私の方にまで攻撃してきたりはできないだろう。

 つまり、今は安全と言える。
 そう思ったから、私は素早く、エトーリアを馬車に乗せた。

「エアリ……よく分からないけれど……逃げるの……?」

 脱力し重くなったエトーリアの体を馬車に乗せることに成功したちょうどその時、意識を取り戻した彼女が口を開いた。

「母さんは馬車で先にここから離れて。私はもう少しここに残るわ」

 問いにそう答えると、エトーリアは馬車内の椅子に横たわったまま、首を左右に動かす。懸命に動かしていた。

「駄目……そんなの駄目よ……!」
「大丈夫よ、母さん。私は一人じゃないもの」
「エアリまで失ったら、私……」

 エトーリアは懸命に瞼を開け、瞳で訴えてくる。

 悲しげな目で見つめるのは止めてほしい。そんな瞳をされたら「一緒に行くわ」としか答えられなくなってしまう。そう答えなければ、胸の内の善良な部分が痛んで仕方がない。

「……心配してくれてありがとう、母さん。でも、私、彼を置いて逃げることはできないわ」

 私は正直に返した。
 上手く飾ることなんてできないと思ったから。

「だから残らなくちゃ。見守らなくちゃならないわ」
「そう……ならエアリ、わたしもここに残る……」
「分かったわ、母さん。じゃあここにいて」

 本当は先に去ってほしかったのだが、エトーリアの優しい心を乱雑に扱うことはできない。だから私はそう返したのだ。

「少しだけ様子を見てくるわね」

 そう言って、私は馬車から離れた。

 ——だが、馬車を降り様子を確認しようとした時、ウェスタの姿はもうなくて。

 そこには、デスタン一人が立っているだけだった。
 私は、哀愁漂うその背中に向けて、彼の名を放つ。

「デスタンさん!」

 すると、彼は振り返った。
 髪に隠されていない片方、一つだけの黄色い瞳が、私をじっと捉える。

 私が「大丈夫!?」と問うと、彼は控えめに「はい」と答えた。さらにその後、数秒空けてから、はぁ、と大袈裟な溜め息をつく。

「……しかし、逃げられてしまいました」

 悔しげに漏らすデスタンに、私は速やかに歩み寄る。

「怪我はない?」
「はい」

 デスタンは頷いたが、その顔からは、感情なんてものは欠片も感じられなかった。ただ言葉を発しているだけ、という雰囲気である。

「貴女は怪我がありますね」
「え」
「その右肩、炎を食らったのでしょう?」

 彼に言われ、思い出した。一度ウェスタの炎の魔法攻撃を受けてしまった、ということを。

「えぇ……そうだったわ。忘れていたけれど。デスタンさんって、意外と鋭いのね」
「服を見れば分かります」
「え、そうなの?」

 言ってから、自分の右肩へ視線を注ぐ。すると、ワンピースの黒い袖が、一部分だけ焦げてしまっているのが見えた。

 ……これは分かりやすい。

「確かに、これはさすがにバレるわよねー……」
「はい」

 日頃も結構心が読めないデスタンだが、今日の彼は特に心が見えない。
 だとしても、これだけは言っておかなくては。

「……あの、デスタンさん」

 人を寄せ付けない冷ややかな空気をまとっているデスタンにいきなり話しかけるというのは、勇気が要る。けれど、感謝の気持ちはきちんと伝えておきたくて。

「今日は危ないところを助けてくれて、本当にありがとう」

 恩知らずな女なんて、もう言わせない!

「貴方が来てくれたおかげで、私も母も助かったわ」

 私は真剣に礼を述べた。
 しかしデスタンは適当な返し方をしてくる。

「はぁ」
「……ちょ、ちょっと! その言い方は何なの!」
「それはこちらのセリフです」

 うぐっ……。

 よく分からないけれど、何だか妙に悔しい。

「で、貴女はどちらへ?」
「え」
「高台の家へはもう戻られないのですか?」

 デスタンの問いに、私は首を左右に振る。

「いいえ。一度母の家へ行くだけよ。用が済めば、またあの家へ戻るわ」

 そう告げると、デスタンは吐き捨てるように発する。

「……迎えが来たのなら、さっさと去ればいいものを」

 酷いわね! 口が悪いにもほどがあるわよ!

「しかし、一つ判明したのは良かったです」
「何なの?」
「倒れていたあの女は、貴女の母親だったのでしょう」

 私はそっと頷く。

「……それが判明したところだけは、良かったです」
「だけは、って何よ! いちいち嫌みね!」
「私は不快な女にも親切にできるほど完成した男ではありません」

 よくそんなことをきっぱりと言いきれるわね。
 そう言ってやりたい気分だった。

「では、私はお先に失礼します」
「また戻るということは、リゴールには伝えてあるわ。だから、そこは心配しなくていいわよ」
「承知しました」

 こうして、デスタンとは別れた。

 そして私は再び馬車に乗り込み、エトーリアと共に、彼女が住んでいるという家へ向かう。あんなことがあったにもかかわらず御者が逃げ出さず待ってくれていたのは、運が良かったと思う。

Re: あなたの剣になりたい ( No.36 )
日時: 2019/07/22 16:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: N7iL3p2q)

episode.33 エトーリアの屋敷

 馬車に再び乗りしばらくすると、白い石と銀色の棒でできた立派な門がある屋敷の前にたどり着いた。

「着いたみたいね」

 横たわって休んでいたエトーリアは、そう言って、少しずつ体を起こす。

「……母さん、こんな立派な屋敷に住んでいるの?」
「いいえ、立派な屋敷なんかじゃないわ。外から見れば綺麗でも、中は意外と普通よ」

 とてもそうは思えないのだが。

「さ、行きましょ」
「えぇ……」

 エトーリアがこんなところに住んでいたなんて驚きだ。
 私は戸惑いながらも馬車を降り、彼女について歩いた。


 門を通り、白い石畳の道を抜け、玄関を開けて建物に入る。エトーリアが言っていた通り、建物の中は地味だった。内装にはあまりお金をかけていないようだ。

 ——と、その時。

「エアリお嬢様!」

 聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。いきなり名を呼ばれたことに驚き、すぐに声がした方へ視線を向ける。すると、使用人の格好をした女性が視認できて。しかも彼女は、よく知っている人だった。

「バッサ!」
「お嬢様!」

 懐かしい顔。
 目にした瞬間、喜びが湧いてくる。

 それはバッサの方も同じなようで、彼女は、ワンピースの裾を重そうに揺らしながら駆け寄ってきた。

 そして、そのまま抱き締めてくる。

「お嬢様、良かった……!」
「く、苦しいわよ。バッサ」

 肉付きのよいバッサに抱き締められると、胸元が圧迫されて呼吸がしづらくなってしまう。

「ご無事で何よりです……!」
「ちょっと、聞いているの?」
「あの晩、お嬢様が行方不明となってから……心配で心配で……」

 バッサの目もとには、小さな涙の粒が浮かんでいた。
 私がリゴールらと呑気に暮らしている間も、バッサは、私の身を案じてくれていた——そう思うと、何だか申し訳ない。

「……ありがとう、バッサ」
「いえ、お礼を言うべきはこちらです……。また生きている姿を見せて下さって、ありがとうございます」

 あの火事の後、リゴールたちについていく道を選択をしたのは、私だ。まさか気づいたら村から出ているとは思わなかったけれど。だがしかし、バッサが心配してくれるであろうことを考慮せず勝手な道を選んだということは、変わることのない事実である。そのことは、心の底から、申し訳なかったと思っている。

「良かったわね、エアリ」

 横から挟んできたのはエトーリア。
 彼女は穏やかに微笑んでいた。

「その再会が終わったら、わたしと、少しこれからの話をしましょ?」

 すると、バッサは私から腕を離した。

「申し訳ありません、エトーリアさん。つい……」

 バッサは私から数歩離れると、肉付きのよい体をエトーリアに向け、頭を下げる。

「いいえ。気にしなくていいのよ。エアリは可愛いものね。娘を可愛がっていただけて、わたしも嬉しいわ」

 エトーリアは微笑みを崩さず返した。
 するとバッサは安堵したように頬を緩め、落ち着いた調子で「では、お茶を淹れて参ります」と言って、去っていった。

「行きましょ、エアリ」
「そうね。でも母さん……これからの話って?」
「わたしとエアリの、これからのことについて話すのよ。少しだけ、ね」

 そうだ。父親が亡くなったのだから、考えなくてはならないことがたくさんある。母親——エトーリアはまだ元気でいてくれているから、すぐ一人になるということはないだろうが、だからといって油断してはいられない。


 その後、私とエトーリアは食事のための部屋へ向かった。
 木製のテーブルに白いレースのクロスを掛けた物が一つと、座る面が柔らかそうな四本脚の椅子が四つ。何の変哲もない、地味な部屋である。

「さぁエアリ、座って」
「えぇ。……それにしても、あっさりした部屋ね」

 建物の外観はかなり高級感が溢れていたのだが、中に入ってみれば、わりとシンプルな家であることが分かった。

 内装の高級感対決なら、ミセの家の方が勝っているかもしれない。

「そうよ。だから言ったでしょう? 中は意外と普通だって」

 エトーリアはそう言って笑っていた。
 そのうちにバッサがお茶を運んで来てくれて。

「あら、美味しそうなお茶。ありがとう、バッサさん」
「いえいえ」
「ありがとう、バッサ」
「いえ。けれど……エアリお嬢様にまたこうしてお会いできて、嬉しいばかりです」

 私とエトーリアの前に、それぞれ、ティーカップとクッキー二枚を乗せた小さな皿が置かれる。

「では、失礼致します」

 バッサは軽く頭を下げ、部屋から出ていった。
 それから私は、話を続ける。

「でも母さん……ここはとても素敵な家ね」

 外観は高級感たっぷり。
 内装は素朴で自然な雰囲気。

 そのギャップは、嫌いじゃない。

「エアリがそう言ってくれて、わたし、嬉しいわ」
「母さんがこんな立派な家で暮らしているなんて知らなかったけどね」
「ふふ。黙っていて悪かったわね、エアリ」

 エトーリアは笑みをこぼしながら、白いティーカップの端を唇に当てる。そうして、ティーカップの中の液体を数秒かけて飲むと、彼女は一旦、ティーカップを置いた。

「わたし、この家の外観が好きでここを選んだの」
「へぇ……」

 時間の流れはいつになくゆったりとして。
 心が穏やかになる。

 こんなに静かに寛げるのは、いつ以来だろう。

「外、白い石畳の道があったでしょう?」
「えぇ」
「白い石畳はホワイトスターにはたくさんあるの。だから何だか懐かしくって」

 エトーリアがホワイトスターの関係者。
 そこがまだ、しっくり来ない。

「なるほど! じゃあ、リゴールも気に入るかもしれないわね!」
「リゴール王子が……?」
「えぇ! そうだ。また今度、リゴールをここに誘わない? きっと喜ぶわ!」

 私は「これは良さそう」と思いそう提案したのだが、エトーリアは即座に首を左右に動かした。

「無理よ、それは」

 個人的にはかなり良い案だと思ったのだが、さらりと断られてしまった。

「どうして?」
「冷静に考えてみて。王子をこんな家にお呼びするなんて、可能だと思う? 無理でしょう」
「よく分からないわ。ただ、リゴールは素直な人よ。だから、懐かしい風景を見れば、きっと喜ぶわ」

 私はそう返し、小皿の上のクッキーをかじる。

「エアリ……貴女にはいまいち分からないかもしれないけれど、彼は王子なのよ?」
「でも私の友人だわ!」

 すると、エトーリアは黙ってしまった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.37 )
日時: 2019/07/24 10:08
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0/Gr9X75)

episode.34 一泊して

 その後、私とエトーリアは、話題を変えて話を続けた。

 亡くなった父親の遺産をどうするかだとか、これからどこでどのように生活するかだとか、あまり明るくない話ばかりで。正直私は楽しくなかったし、エトーリアも薄暗い曇り空のような表情のままだった。必要なことだから仕方ない。話さなくてはならない。そう分かっていても、進んで話そうという気にはなれなかった。それは多分、エトーリアも同じだっただろう。

 話がひと段落した後、エトーリアと二人で昼食をとった。

 その後は、彼女に、屋敷の中を案内してもらうことになり。彼女の背を追うように、屋敷の内部を歩き回った。

 日が落ちる頃になると、また二人で、今度は夕食をとる。バッサを中心に数名の使用人が、昼食よりやや本格的な料理を用意してくれて、結構美味しかった。

 夕食の後しばらくして風呂に入り、エトーリアの部屋で眠る。

 エトーリアとこんなにも一緒にいる日、というのは、いつ以来だっただろうか。もう思い出せないし、あったのかどうかすら分からない。

 でも、過去のことなんて、本当はどうでもいいのかもしれない。
 大切なのは過去ではなく、今この手の内にある現在と、いつか来る変えようのある未来。

 ——私はそう思う。

 こうして、一日はあっという間に過ぎたのだった。


「本当にもう帰ってしまうの? エアリ」

 翌朝、朝食をとっている時、エトーリアは寂しそうに質問してきた。

「えぇ、そのつもりよ」

 私はふわふわの白いパンを指で千切り、口に入れる直前で手を止めて答える。

「寂しくなるわ……」
「ごめんなさい、母さん」

 そう謝ると、エトーリアは慌てたように首を左右に動かす。

「あ、いえ! いいのよ! 気にすることはないわ」

 白いパンは柔らかくて甘みが強い。砂糖のような甘さではなく、自然な素材の甘さという感じが、私の口には合っていた。

「でもエアリ。本当にここで暮らす気はないの?」
「えぇ。リゴールを心配させるのは嫌なの」
「……大切に思っているのね」
「そうよ。だって、年の近い友人なんて、滅多にできないもの」

 事実、あの村には、同年代の者はあまりいなかった。だから、年の近い友人ができることなんて、滅多になかった。だからこそ、彼のことは大切にしたいと思う。

 その時、ふと思いついた。

「あ、そうだ」
「どうしたの? エアリ」
「リゴールもここで暮らすようにすれば、私も母さんと一緒にいられるわ」

 すると、「また?」というような顔をされてしまった。

「やっぱり……駄目?」

 正直、駄目と言われる気しかしない。が、ほんの少しでも可能性があるなら諦めたくなくて。だから私は、一応、もう一度確認しておく。

 しかし、返答は予想通り。
 何の面白みもないもの。

「駄目とは言いたくないけれど……でもね、エアリ。ここはリゴール王子を受け入れるに相応しいような家ではないのよ」

 エトーリアの口調は柔らかく優しげだ。けれど、その言葉は、完全に拒否していた。

「そんなことはないと思うわ! むしろ、ホワイトスターのことだとか、事情が理解されやすい環境の方が、リゴールも過ごしやすいはずだわ!」

 エトーリアは唇を結ぶ。
 それからしばらく、彼女は、何やら思考を巡らせているような顔をしていた。

 その間、私は食事を続ける。

 綿のような触り心地の白いパンを千切り、トマト風味の濃厚なスープに浸けてから、口へ運ぶ。すると、口の中に、パンの甘みとスープの酸味が広がった。甘い物と酸っぱい物というと正反対なように感じるけれど、案外しっくりくる。

「……そうね」

 密かに食事を楽しんでいると、エトーリアが控えめに口を開いた。

「もし彼がそれを良しとするのなら……悪くはないかもしれないわね。そうすればエアリと一緒にいられるのだし……」

 私は咄嗟に立ち上がる。

「でしょ!?」

 食事中に意味もなくいきなり椅子から立つというのは、問題だったかもしれない。

 が、ある意味仕方がなかったのだ。
 考えてやったことではなく、勢いでやってしまったことだったから。

「母さんが許してくれるなら、私、リゴールに話してみるわ! それで、もし彼が『それでいい』って言ってくれたら、ここで暮らすわ!」

 リゴールならきっと、分かってくれるだろう。そして、私と一緒に来てくれるはずだ。ただ、デスタンという存在が若干不安ではあるが。

「あ……でも」
「どうしたの? エアリ」
「昨日みたいに敵に絡まれることになる可能性はあるわ……」

 すると、エトーリアは頬を緩める。

「……リゴール王子を迎えるとなったら、それも仕方ないわね」
「許してくれる!?」
「なるべくそんなことにはならないようにしたいところだけれど……最悪の場合は仕方ないわ」

 エトーリアの言葉に、私は、大きく「ありがとう!」と返した。

 本当のところを言えば、こんなに上手くいくとは思っていなかった。リゴールをここへ連れてくるというだけのことでも断られていたのだ、敵に襲われることを許してもらえるはずがない。そう考えていた。

 でも、現実は意外と違って。

 予想より温かい返答を貰うことができた——それは嬉しい。


 朝食を済ませると、私は一人、屋敷の前から馬車へ乗る。
 エトーリアとバッサは、門の前まで見送りに来てくれた。二人とも、どことなく寂しげな顔つきだ。

「エアリお嬢様、お気をつけて」

 バッサはゆったりとお辞儀をする。

「道中襲われないよう気をつけるのよ、エアリ」

 エトーリアは不安げな眼差しをこちらへ向けていた。

 心配させてしまうなんて。
 そんな思いも強い。
 だが、私は戻ると決めたのだ。一度決めたことだから、もう迷いはしない。

 それに、リゴールのもとへ帰ったからといって、エトーリアとは永遠に別れることになるというわけではない。またそう遠くない未来で会えるだろう。

「ありがとう、母さん。今度はリゴールと一緒に帰ってこられるように、頑張ってみるわ」
「無理そうなら、無理して連れてこなくていいのよ」
「分かったわ。でも、きっと大丈夫よ。リゴールなら……分かってくれるはず」

 やがて、馬車は走り始める。
 私は最後に、窓から、屋敷の方を見た。そして、見送ってくれているバッサとエトーリアに手を振った。

Re: あなたの剣になりたい ( No.38 )
日時: 2019/07/25 16:16
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: GbhM/jTP)

episode.35 帰還

 ウェスタの炎で負った軽い火傷はバッサが手当てしてくれた。一方、焼け焦げてしまったワンピースの袖はというと、寝ているうちに元通りになっていた。こちらは多分、エトーリアか誰かが直してくれたのだろう。

 肩も袖も、もう大丈夫。
 だから不安はそんなにない。

 後は、敵襲さえなければ。それだけで十分だ。


 ミセの家の前へ着き、馬車を降りる。
 するといきなりミセが現れた。

「あーら、もう帰ってきたのね!」

 ミセの厚みのある唇は、今日もぽってりしていて、女性的な色気に満ちている。しかも、単にぽってりしているだけではなく、艶やかだ。恐らく何かを塗っているのだろう、艶かしい輝きを放っている。

「はい。そうなんです」
「二人が待ってるわよ! エアリ!」
「……二人、ですか?」
「そうよ。リゴールくんと、アタシのデスタン」

 敢えて「アタシの」などという言葉を付け、デスタンが自分の所有物であるかのように言う辺り、ミセらしいというか何というか。

 悪いことだとは言わないが、少々複雑な心境になってしまう。

 もっとも、私はデスタンを自分のものにしたいなんて考えていないから、彼女と争う気はないけれど。


 私は、ミセに言われた通り、いつも私とリゴールが暮らしている部屋へと向かった。
 扉を開けると、ベッドの脇に座り込んでいるデスタンの後ろ姿が視界に入る。暗い藤色の髪を見れば、その後ろ姿がデスタンのものであるということは、すぐに分かった。

「デスタンさん」

 私は恐る恐る彼の名を呼ぶ。
 すると、彼はくるりと振り返った。

「……もう戻ってこられたのですか」
「えぇ、戻ってきたわ」
「……案外早いですね」

 デスタンは鋭い目つきのまま、こちらをじっと見つめている。が、その片手にはナイフ。もう一方の手で持った白い布で、ナイフの刃の部分を拭いている。

「ま、約束通り戻ったのだから、それで良いとしましょう」
「ありがとう。でも……どうしてデスタンさんがここに?」

 ここは私とリゴールのための部屋。デスタンは別の部屋を使っているはずなのだ。だから、彼がここにいるなんて、奇妙としか言い様がない。それに、リゴールの姿も見当たらないし。

「どうして貴方がこの部屋にいるの? リゴールはいないの? 他にも……」
「質問を連発するのは止めて下さい」

 きっぱりと言われてしまった。

「あ……ごめんなさい。でも、気になって」
「分かりました。一つずつお答えします」

 はぁ、と、溜め息をつき、デスタンは話し始める。

「私がこの部屋にいるのは、王子をお一人にしないため。そして、王子はここにいます。ベッドで眠っていらっしゃるのです」

 そう言って、デスタンは、ベッドの上の掛け布団を掴む。そしてそれを、手の縦の長さ一つ分くらいだけ、ゆっくりとずらす。すると、ベッドに横たわっているリゴールの姿が露わになった。

「リゴールに何かあったの!?」
「しっ。騒がないで下さい」
「落ち着いてなんかいられないわ! 何がどうなったのか説明し——んっ!?」

 取り乱していた私の口を、デスタンの手が塞ぐ。
 それは、突然のことだった。

「騒ぐなと言っているでしょう」
「ん、んっん……!」

 口元に手のひらを強く押し当てられると、言葉をまともに発することはできない。

「静かにして下さい。分かりましたか?」

 この状態のまま言葉を発することは難しいので、取り敢えず頷いた。デスタンに伝わるよう、頭を縦に大きく振る。すると、数秒して手を離してもらえた。

「はっ、はっ……」
「乱暴なことをしてしまい、すみません」
「ほ、本当よっ……」
「しかし、王子を起こしてしまうわけにはいかないのです。ですからどうか、ご理解下さい」

 デスタンは淡々と述べる。
 その声からは、謝罪の気持ちなどまったく感じられない。

「……でも、一体何があったの?」
「私がここへ戻ってきた時、王子は玄関付近に倒れていまして。まだ辛うじて意識がおありだった王子に事情を伺ったところ、我々がいない間にブラックスターの者と交戦なさったようでした」

 デスタンは顔に悔しさを滲ませる。

「……油断するべきではありませんでした。私がお傍に控えていたなら、こんなことにはならなかったというのに……」

 こんな顔もするのね。
 悔しそうなデスタンを見て、そう思った。

「貴方のせいじゃないわ」
「……今、何と?」
「貴方のせいではないと言ったの」

 怪訝な顔になるデスタン。

「デスタンさんは私たちに家をくれたし、今も働いてくれている。だから、貴方がずっとリゴールの傍にいられないのは、仕方のないことよ」

 デスタンがいなかったら、どうなっていたことやら。
 考えたくもない。
 ただ、彼がいなかったら、私もリゴールも住む場所を手に入れられず、野宿することになっていただろうというのは、紛れもない事実だ。

「……知ったようなことを」

 デスタンはそっぽを向いてしまう。

 なんて可愛いげのない!

「何なの、その言い方」
「……貴女に偉そうに言われるのは不愉快なのです」
「気にしなくていいわよって、そう言っただけでしょ?」

 ひねくれているというか、何というか。
 とにかく厄介だ、この男は。
 純粋で明るく穏やかなリゴールとは真逆である。

「……はぁ」
「ちょっと! 溜め息なんてつかないでちょうだい!」
「騒ぐなと言ったはずですが」
「あぁもう、面倒臭いっ」

 話せば話すほどややこしいことになっていってしまいそうな雰囲気。堪らない。

「分かったわよ。騒がなければいいんでしょ? じゃあ私が、リゴールの傍にいるから」
「……出ていけ、と」
「ずっと付きっきりだとデスタンさんも疲れるでしょ?」

 私はそんな風に話しながら、リゴールが横たわっているベッドのすぐ横へ向かう。そして、ベッドの脇に腰を下ろしてから、デスタンを一瞥する。

「彼のことは私に任せて」

 すると、デスタンは飛んできた。

「貴女一人に任せるわけには参りません。私も王子のお傍に」
「ふふ、デスタンさんったら。リゴールが大好きね」
「……命の恩人ですから」

 少し気恥ずかしそうに述べるデスタン。

「お護りするのは当然です」

Re: あなたの剣になりたい ( No.39 )
日時: 2019/07/25 16:17
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: GbhM/jTP)

episode.36 たまに弱気になっても

 それから私は、デスタンと二人、ベッドの脇に座っていた。リゴールの意識が回復するのを、心待ちにしながら。

 デスタンはその間ずっと、白い布でナイフを拭いていた。

 黙々とナイフの刃を拭く彼を見ていると、不思議な感じがしてならない。話しかけて良いのかも分からず、私は黙っていることしかできなかった。本当は、話しかけてみるべきだったのかもしれないけれど。


 部屋に沈黙が訪れてから、どのくらい経ったのだろう。

 二十分? 三十分?
 はっきりとは分からないが、そのくらいだろうか。

 正直、そこは重要なところではないけれど。

「ん……?」

 ベッドに横たわっていたリゴールが、急に目を覚ました。

「リゴール!」
「王子!」

 私とデスタンが彼を呼んだのは、ほぼ同時。

「気がついたの!?」
「意識が戻られましたか!?」

 さらに、次も同時。
 言葉を交わすたび険悪になる私たちだが、今の光景だけ見れば「息がぴったり」という感じである。

「は……はい。わたくしは、一体……」

 リゴールの青い目が、私とデスタンを交互に捉える。
 彼は目を開いているし、言葉も話している。だが、意識が完全に回復しているということはないらしい。
 というのも、まだ状況が飲み込めていないようなのだ。

「ブラックスターの者と交戦した、と、仰っていました。それは事実ですか? 王子」

 デスタンは真剣な顔で問う。
 するとリゴールは、少しばかり眉を寄せる。

「……はい」
「やはりそうだったのですね、王子。お一人にしてしまい、申し訳ありませんでした」

 リゴールに向けて謝罪の言葉を発するデスタン。
 それに対し、リゴールは、口角を僅かに引き上げる。

「……気にしないで下さい、デスタン。貴方に罪はありませんよ」
「しかし」
「問題ありません。わたくしは一人でも戦えますから」
「王子……」

 リゴールから優しい言葉をかけられても、デスタンは「納得できない」というような顔のまま。
 なぜ素直に受け取らないのか、謎だ。

 私の発した言葉を素直に受け取れないというのは、まだ分かる。出会ってからまだ半年も経たない相手を信じられない、というのは、理解できないことはない。疑り深い性格なら、仕方がない。

 けれど、リゴールの言葉を受け取れないというのは、おかしくないだろうか。

 敬愛している相手。
 命の恩人の主。

 そんなリゴールの言葉さえ素直に聞くことができないというのは、ひねくれ過ぎだろうと思ってしまう。

「デスタン……心配して下さってありがとうございます」
「いえ。護衛として当然のことですから」
「それでも、デスタンがいてくれるとありがたいです。本当に、色々助かります」

 そこまで言って、リゴールは視線をこちらへ移す。

「エアリも……帰ってきて下さったのですね」
「えぇ」
「実は少し不安だったので、またエアリの顔を見られて……ほっとしました」

 まさか「もう帰ってこないかも」と思われていたの!?

 ……そんなこと、あるわけがないのに。

「私もリゴールに会えて嬉しいわ」
「それはもう、わたくしもです……」

 話しているうちに、彼の瞳に光が宿ってきた。徐々にいつもの輝きが戻ってきているように感じられる。目つきも声も、意識が戻ってすぐの時より、しっかりしてきているようだ。

「親子での時間、楽しめましたか?」
「えぇ! バッサとも久々に会えたし、色々楽しかったわ」
「それは……良かったです」

 リゴールは笑っている。
 けれど、その瞳には寂しげな色が滲んでいるようにも思えて。

 正しくない返し方をしてしまったかと、少し不安になる。

「エアリはやはり……そちらの方が良いですよね……」
「え?」
「家族や親しい方々と過ごす時間の方が、きっと、充実したものなのでしょう……」

 リゴールが寂しげな声でそう発した瞬間、デスタンが私を睨んできた。

「あ……そ、そんなことはないわ。決まっているじゃない、リゴールとだって一緒にいたいわよ」

 慌てて述べる。
 だが、リゴールの瞳に滲む寂しげな色は消えない。

「……気を遣うことはないのです。エアリは貴女が幸せな道を選ぶべきですし……わたくしも、それを望みます」

 彼はどうして、そんなことを言うのだろう。
 私には分からなかった。
 なぜ、そんな、突き放そうとしているかのようなことばかり言うのか。理解不能だ。

「待って、リゴール。どうしてそんなことを言うの? 貴方らしくないわ」
「……いえ、これが本来のわたくしです」
「え。そうなの?」
「はい。わたくしは——」

 リゴールが言いかけた時。

「王子はお疲れなのです」

 彼の言葉を遮って、デスタンが述べた。

「疲れている時はマイナス思考になるもの。今の王子は、まさにそれなのです」

 デスタンの淡々とした説明には、妙な説得力があって。私は何となく納得してしまった。

「それもそうね」
「でしょう」
「えぇ。納得したわ」

 私は視線を再びリゴールへ向ける。
 そして、彼の片手をそっと掴む。

「何も気にしなくていいのよ、リゴール」
「……エアリ」
「確かに、母さんやバッサといると楽しいわ。でも、リゴールと過ごしている時だって幸せなの」

 いきなりこんなことを言ったら、プロポーズか何かかと勘違いされてしまいそうだ。だが、リゴールが暗い顔をしているところなんて見たくない。だから、私は躊躇わず言ったのだ。私が思いを伝えることによって、彼が少しは楽になれるかもしれないと、そう考えたから。

「だから、その……そんな寂しそうな顔をしないで」

 デスタンは口を挟むことなく、私たちを凝視している。
 うっかりやらかせば、殺されかねない。危険だ。気をつけて、慎重に振る舞わなくては。

「……はい、申し訳ありません。わたくしときたら、つい暗い雰囲気を作ってしまって……」
「ゆっくり休んで元気になれば大丈夫よ」
「はい……ありがとうございます、エアリ」

 すぐ横のデスタンから向けられている刃物のような視線は、少しばかり恐ろしい。
 だが、リゴールとこうして言葉を交わせる時間は、嫌いではない。——否。好きだ。

「それとね、リゴール。実は興味深い話があるのよ」
「興味深いお話……ですか?」
「お誘いなんだけど」

 リゴールは目を丸くする。

「……お、お誘い?」
「これからのことに関するお誘いよ」
「何でしょう?」

 どうやら興味を持ってくれているようなので、思い切って、今ここで言うことにした。

「リゴール、私の母の家へ来る気はない?」

Re: あなたの剣になりたい ( No.40 )
日時: 2019/07/26 16:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 3i70snR8)

episode.37 もう止めて下さい

 いきなりの発言に、リゴールは困惑しているような顔をした。

 彼は、ベッドに横たわったまま、私に視線を向けている。その視線を放つ青い瞳には、戸惑いの色が濃く浮かんでいる。

 そして、それは彼だけではなかった。
 私の隣でナイフを拭きつつ話を聞いていたデスタンも、リゴールと同じように、困惑の色を浮かべている。

「え……あの、エアリ……?」

 一分にも満たない沈黙の後、リゴールが口を開く。

「エアリのお母様の家とは……どういう意味なのでしょうか」
「ごめんなさい。事情を説明するわ」
「は、はい」

 リゴールとデスタン、両者から凝視され、背筋に緊張が走る。だが、何事もきちんと説明をしなければ何も始まらない。そう思うから、私は、話すことにした。

「あの後、話をしていて分かったのだけれど、私の母はホワイトスター出身だったみたいで」
「そ、そうなのですか!?」

 リゴールは食いついてくる。

「えぇ。リゴールのことを知っていたのも、母がホワイトスター出身だったからだわ」
「確かに……あの方はわたくしを見てすぐに気がついたようでしたね」

 嘘だ、と言われたらどうしようと、不安もあった。けれど、リゴールは私の発言を否定したりせず聞いてくれたから、私は少し安堵することができた。

「そんな話をしながら、母が暮らしている家へ行ったの。思っていたより立派な屋敷だったわ」
「ということは……ご両親がそれぞれ屋敷を? もしかして、エアリは、結構高い身分のお嬢様で……?」
「まさか。それはないわ」

 貧しい暮らしをしていたということはないが、特別豊かな暮らしをしていたわけでもない。
 家は森の奥の狭い村。食事はあっさり。友人はあまりいない。そんな、ぱっとしない暮らしをしてきた。

「でね、その屋敷がホワイトスター風だって、母が言うのよ」
「それは……ホワイトスター風の建築ということですか?」
「どちらかというと、外観みたい。それと、白い石畳があるところも気に入っているみたいだったわ」

 すると、リゴールが目をぱっと開いた。

「白い石畳!」

 リゴールの青い双眸に光が宿る。
 また、彼の表情が急に明るくなった。

「白い石畳のことをご存知とは! エアリのお母様がホワイトスターの関係者だというのは、真実なのですね!」

 そんなに意味のあるものなのか、白い石畳。

「疑っていたの?」
「あ……い、いえっ! そういうことでは! ありませっ……んぅ!?」

 首を左右に振りながら、慌てて上半身を持ち上げようとしたリゴールは、突如苦痛に顔を歪める。

「リゴール!?」
「す、すみません……急に動きすぎました……」

 そう言って、リゴールは再び横になる。

「しっかりして下さい、王子」

 デスタンは冷めた声で挟んでくる。

「は、はい……」
「情けないですよ」
「すみません、デスタン……」

 デスタンは妙に厳しい言い方をする。
 なぜだろう。
 あんなに、リゴールを大切に思っているようだったのに。

「だからね、もし良かったら、リゴールも屋敷に来てくれない?」
「あ、いえ……そんな。もうお世話になるわけには……」
「皆で一緒に過ごすというのも、楽しいと思うわよ?」
「は、はい。それはその通りですが……」

 リゴールは嫌なのだろうか?
 そんな風に考えていると。

「何のつもりです」

 デスタンがそう発した。

「王子を手に入れようという算段なら、許しはしません」
「なっ……そんなわけないじゃない!」
「暮らせる家はここにあります。わざわざ移動する意味など、ありはしないでしょう」

 こちらを睨みながら、冷ややかな声を発するデスタン。

「環境が変われば、王子に負担をかけることになります。追い出されてしまったならともかく、意味もないのに移動する必要が、どこにあると言うのですか」

 ……既に反対されている。

 デスタンがこの状態では、もし仮にリゴールが移動に賛成してくれたとしても、すんなりと移動することはできないだろう。

 本当に説得すべきは、リゴールよりデスタンなのかもしれない。

「ホワイトスターのことに理解がある人がいる家の方が良いかなって思ったのよ」
「理解など必要ありません。協力してくれるなら、それだけで十分です」
「それに、この家がブラックスターにバレた可能性が高いなら、移動した方が……」
「そんなことを言って、貴女は王子を連れていきたいだけではないのですか?」

 ……う。

 ま、まぁ、それもあるけど。

 だが、リゴールを連れていきたいからという理由だけで、こんな提案をしているわけではない。

 ——けれど、そこは、デスタンには伝わっていないようで。

「王子はおもちゃではないのですよ!」

 鋭く言われてしまった。

「な、何よ、いきなり……」
「王子がいつも貴女の言いなりになると思っているなら、それは大間違いです!」

 声を荒らげるデスタンを余所に、ベッドで横になっているリゴールを一瞥する。リゴールは、焦りと不安が混ざったような表情で、私たちを見つめていた。

「都合よく利用しようとしないで下さい!」
「利用? 何よそれ。そんな言い方はないでしょ!?」
「貴女の自己中心的な発言によって、王子はいつも迷惑を被っているのです!」

 ——その時。

「もう止めて下さい、デスタン」

 リゴールがデスタンの片手を掴んで言った。

「そんなに言わなくて良いですから」

 制止されたことが意外だったのか、デスタンは戸惑ったような顔をしている。

「しかし王子、この女は……」
「この女ではありません! エアリです!」
「すみません。……ですが、彼女は、王子の善良な心に付け込むようなことばかり」

 デスタンは謝罪しつつも意見を述べる。しかしリゴールは、首をゆっくりと左右に動かすだけで、デスタンの意見に賛同はしない。

「エアリのことを悪く言うのは止めて下さい」
「……なぜですか、王子」
「彼女は信頼するに値する人物です」

 納得できない、というような顔つきをしている、デスタン。しかし、今回はリゴールも譲らない。

「意見を述べるのは自由です。が、意味もなく攻撃的な言葉を発するのは、わたくしが許しません」
「……はい」
「エアリは優しい人。それは、きっといつか、貴方にも分かるはずです」

 リゴールがそう言ったのを最後に、デスタンは唇を結んだ。
 それを確認してから、リゴールは私の方へと視線を移す。

「デスタンが色々すみません」
「え? あ。気にしないで」
「お誘いありがとうございます。その……エアリに誘っていただけて、嬉しいです」

 リゴールは、はにかむ。

「ただ、すぐには決められないので……少し待っていただけませんか?」

 デスタンにはこれでもかというほど反対されてしまったが、リゴールは嫌がってはいないようだ。

「分かった。待つわ」
「ありがとうございます……!」
「お礼なんていいのよ。こっちこそ、急に言って悪かったわね」

 この感じなら、もしかしたら、上手くいくかもしれない。まだはっきりとした返答は貰えていないから、確定ではないけれど。でも、エトーリアの屋敷へ移動するという道も消え去ってはいないと、そう考えて問題ないはずだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.41 )
日時: 2019/07/26 16:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 3i70snR8)

episode.38 歪な二人、花咲く二人

 次の日の夜、入浴を済ませて自室に帰るべく歩いていると、デスタンと彼を引っ張るミセが正面からやって来た。

 ミセは両腕をデスタンの片腕に絡め、胸元を彼にぴたりと密着させている。こんな歩き方をして、恥ずかしくないのだろうか。

 ……いや、彼女は平気なのだろう。

 平気でないのだとしたら、こんな絡み方はしないはずだ。それに、そんな状態で堂々と歩くなんてことは、絶対にしないだろう。つまり、絡みつくような体勢のまま歩くことができているという時点で、平気だということが証明されている。

「あーら、エアリ!」

 どう反応すれば良いのか分からず戸惑っていたところ、ミセが自ら声をかけてきた。

「あ、ミセさん」
「お風呂帰りかしらー?」
「はい」
「お疲れ様ー」

 ミセはご機嫌なようで、軽やかな口調だ。

「ミセさんはデスタンさんとご一緒なのですね」
「えぇそうよ!」

 物凄く親しい、という雰囲気をアピールしようとしているかのような振る舞いをする、ミセ。しかしデスタンは、それとは対照的に、真顔である。

 二人の顔を見ていれば、まともな関係が成り立っていないことは、一目瞭然。

 だが、ミセがデスタンを見上げて「ね? デスタン」と言った瞬間、デスタンはその面に穏やかな笑みを浮かべた。そして、柔らかな声で「はい」と返す。

 デスタンはこんな人ではない。
 私はそれを、嫌というほど知っている。

 だから、デスタンの偽りの仮面に騙されうっとりしているミセを見ていると、複雑な心境になってしまう。

「では失礼します」

 私が軽く頭を下げると。

「はぁーい。また明日ねー」

 ミセは可愛らしく返してきた。
 デスタンがいるからか、私にも、ぶりっこモードが適用されているようだ。珍しい。

 そうして私は、二人とすれ違い、リゴールが待つ部屋へと向かった。


「ただいま」

 驚かせないようにそう言ってから、扉を開ける。
 すると、ベッドに寝転がっていたリゴールが、視線をこちらへ向けてきた。

「終わられましたか!」

 リゴールの表情は明るい。それに、生き生きしている。昨日から今日にかけてゆっくりと休んだからか、今までよりずっと元気そうだ。

「えぇ。リゴールは入るの?」
「あ、はい」

 ベッドから起き上がるリゴール。

「昨夜は入れなかったので、今日は入りたいのです」
「一人で行ける? ついていこうか?」
「あ、いえ。問題ありません」

 リゴールはベッドから立ち上がると、素早く風呂の準備をして部屋から出ていった。

 彼が出ていってから、私はベッドに腰掛ける。

 そして、一人思う。
 大事なくて良かった、と。

 リゴールの話によれば、私がエトーリアと共にミセの家を出た後、グラネイトがやって来たらしい。そして、一対一の戦いを申し込まれたということだった。そうしてリゴールはグラネイトと交戦することになり、結果、負傷と魔法の使い過ぎで倒れることとなったのだ。

 今回はデスタンが早めに発見したから良かった。
 だが、もし彼が気づかなかったら、もっと大事になってしまっていたことだろう。

「良かった……本当に」

 誰もいない静寂の中、呟く。
 その言葉に偽りはない。

 だが、それですべてが終わったわけではない。

 リゴールが「グラネイトを倒した」とは言わなかったことから察するに、彼はまだ生きているのだろう。だとしたら、きっと、彼はまた私たちを狙いにやって来る。

 退ける方法を考えなくてはならない。

「……そうだ」

 ふと、胸元のペンダントに視線が落ちた。

「これが使えたら……」

 このペンダントを剣に変えられたなら、私も力になれるはず。素人であることに変わりはないが、それでも、少しは戦えるだろう。

 ——そんなことをぐるぐる考えているうちに、リゴールが帰ってきた。

「戻って参りました」
「リゴール! 早かったわね」
「そうでしょうか?」
「だって、さっき出ていったばかりじゃない」

 すると、リゴールは首を傾げた。

「え、そうですか……?」
「そんな気がしただけかしら」
「きっとそうですよ!」

 リゴールが言うなら、そうなのかもしれない。
 色々考え事をしていたから気がついていなかったが、意外と時が経っていたのだろうか。

「貴方が言うなら、きっとそうね」
「はい……!」
「ごめんなさい、おかしなことを言って」
「いえいえ! お気になさらず!」

 リゴールは首を左右に振り、軽やかな足取りでベッドへ近づいてくる。そして、私のすぐ隣に座った。

「昨日は、心配お掛けして、すみませんでした」
「え?」
「それに、デスタンがあのような失礼なことを……」

 すっかり元気になっているリゴールだが、どうやら、昨日のことを少し気にしているようだ。

「ただ、デスタンは悪人ではないのです。本当は優しく頼りになる人なのです。ですからどうか、嫌いにならないで下さい……」

 そこから流れるように、リゴールは、デスタンの良いところを話し出す。

「デスタンは優しいのですよ。いつもわたくしのことを心配してくれていますし、わたくしが怪我した時や体調不良の時にはずっと傍にいてくれます。また、敵に襲われた時には、自身の身を顧みることなく戦って、わたくしのことを護ってくれるのです」

 リゴールは、穏やかな表情でこちらを見つめながら、流れるように話す。

「それに、悩んでいる時には相談させてくれます。時には辛辣な意見を言ってくることもあるにはありますが……でも、それは優しさゆえなのです。根は優しい人だからこそ、本心からの言葉を言ってくれるのです」

 彼が滑らかに話すのを聞いていたら、「そうなのかもしれない」と思えるようになってきた。

「……分かるわ、リゴール」
「本当ですか!?」
「えぇ。デスタンさんは、根は善い人なのよね」

 根っからの悪人ではない、ということは、私も知っている。

 デスタンは、ほぼ初対面だった私にまで、住むところを提供してくれた。それに、ウェスタに襲撃された時も、助けに入ってくれた。

 そんな人が根っからの悪人ということは、まずないだろう。

「私は彼の多くを知っているわけではない。でも、分かるわ」
「分かっていただけますか!」

 リゴールの顔面に花が咲く。

「当然よ。分からないわけがないわ」
「良かったです……!」

 そう言って、リゴールは胸を撫で下ろす。

「デスタンは、嫌いな者にはすぐ余計なことを言うので、非常に誤解されやすいのです。ホワイトスターにいた頃も、口の悪さによって、いろんな人から嫌われていました」

 それは、さらっと明かして良いことなのだろうか……?

「ですから、エアリにも嫌われてしまったら大変だと思い、不安だったのです」
「大丈夫よ、そんなの」
「……杞憂で良かったです」

Re: あなたの剣になりたい ( No.42 )
日時: 2019/07/26 16:12
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 3i70snR8)

episode.39 かなり早い朝食

 翌朝、まだ早い時間に、デスタンがやって来た。

「……え、デスタンさん!?」

 ノックに気づき扉を開けたところ、彼が堂々と立っていたため、かなり驚いた。

「少し失礼します」

 しかも、ただやって来ていただけではない。深さのある皿を乗せたお盆を持っている。
 この時間帯に彼が家にいるというだけでも珍しいことなのに、皿を持って訪ねてくるなんて、驚きでしかない。

「こんな朝早くから……何か用なの?」

 そう尋ねると、彼は、すたすたと歩きつつ「王子の朝食です」と答えた。
 まだベッドの中で寝惚けていたリゴールは、デスタンが部屋に入ってきたことに気づくと、あくびをしながら上半身を起こす。

「デスタン」
「おはようございます、王子。食事をお持ちしました」
「朝食ですか? ……こんな早くに?」

 何とか体を起こしはしたリゴールだが、眠気はまだ吹き飛ばせていないらしく、手の甲で目元を擦っている。

「デスタン、貴方、少し早すぎやしませんか……?」
「そうでしょうか」
「こんな早朝から食事なんて……」

 珍しくぶつくさ言うリゴール。
 しかしデスタンは眉一つ動かさない。

「食べられるなら食べて下さい」

 デスタンはお盆をテーブルに起き、真顔のまま淡々と放つ。

「食べられないなら食べなくて構いません。が、その場合は朝食は抜きです」

 さらりと言われたリゴールは、目を大きく見開く。

「え!? そ、それは困ってしまいます!!」
「では食べていただけますか」
「はっ、はいっ! もちろん! い、い、いただきます!」

 リゴールは慌てて掛け布団を放り出すと、勢いよくベッドから立ち上がる。そしてテーブルに向かって駆け出す。だが、つい先ほどまで寝惚けていたというのもあってか、足がふらついている。不安定で、時々、足と足が絡みそうになっていた。

 何とかテーブルにまでたどり着いたリゴールは、皿を見下ろし、静かな声で発する。

「これは……スープですか?」

 それに対し「はい」と答えるデスタン。

「スープァンという、この辺りでは有名な料理だそうです。何でも、スープに浸けることでパンを柔らかくして食べやすくした、病人向けの料理だとか」

 そんなものがあるのか、と思う。

 私はリゴールたちと違って、ずっとこの世界で暮らしてきた。けれど、スープァンなんて料理は知らない。食べたことはないし、聞いたことさえなかった。

「なるほど、そういう料理なのですね。……しかしデスタン。なぜ病人向けの料理をわたくしに食べさせるのです?」

 リゴールは椅子に座り、スプーンを握っている。ぶつくさ言っていたわりには、食べる気満々のようだ。

「事情を話したところ、ミセが勝手に作って渡してきましたので」
「勝手に!?」
「はい。勝手に、です」
「そうでしたか……では早速いただきますね」

 私はリゴールに少し近づき、さりげなく皿の中を覗いてみる。

 赤茶色をした半透明のスープに、刻んだネギと丸い塊が浮かんでいた。丸い塊は、恐らく、千切ったパンなのだろう。

 皿を見ながらそんなことを考えていると、唐突にリゴールが振り返る。

「どうかなさいましたか? エアリ」

 いきなり声をかけられたものだから、すぐに言葉を返すことはできなかった。

「……あ。もしかして、エアリもお腹が空いているのですか?」
「え」
「あるいは、この料理が好物なのですか?」
「えぇ!?」

 何やら誤解されている気が。

「違うわ。ただ、少し気になって……それで、見ていただけよ」

 誤解されたままになっては困るので、私は、取り敢えずそう返しておいた。
 するとリゴールは笑顔になる。

「なるほど! そうでしたか!」

 理解してくれたようだ。
 良かった。

 その直後、リゴールはスプーンでスープァンのスープ部分をすくい、私の方へ差し出してきた。

「一口、食べられますか?」
「えっ」
「ご安心下さい。わたくしはまだ口をつけておりません。ですから、不潔ではありませんよ」

 差し出されたのが意外だっただけで、べつにそこを気にしていたわけではないのだが。

「じゃあ、一口だけいただこうかしら」
「はい! どうぞ」

 唇がリゴールの持つスプーンに触れかけた——刹那。

「お待ち下さい!」

 デスタンが発した。
 その声に驚き、私は口を開くのを止める。

「……何ですか?」

 眉間に戸惑いの色を浮かべつつ尋ねるリゴール。

「彼女は良いかもしれませんが、王子が後で彼女と同じスプーンでお食べになるというところは問題です!」

 デスタンは鋭く放つ。
 それに対し、リゴールは素早く返す。

「そのような言い方は止めなさい、デスタン。エアリは不潔な生き物ではありませんよ!」

 リゴールはスプーンを私へ差し出したまま、不満げに頬を膨らませている。

「彼女が不潔だと言っているわけではありません。ただ、他人とのスプーンの共用は良くないと、そう言っているだけのことです」

 デスタンは淡々とそう言い返すが、リゴールは黙らない。

「それは不潔と言っているも同然です!」
「いえ。そのような意味では言っておりません」
「そう聞こえますよ!」
「そう聞こえたとしても、そのような意味で言ってはいません」

 こんな時に限って、リゴールもデスタンも譲らない。二人とも、本当はお互いのことを大切に思っているのだろうに。

「しかしデスタン! 本人の前でそのようなことを言うのは、不快感を与えますよ!」
「そうでしょうか。事実を言ったまでですが」
「例え事実であったとしても、言って良いことと悪いことがあるのですよ!」

 私のことがきっかけであったはずなのに、私が口を挟む隙は少しもない。

「理解できません」
「なら、理解しなくて良いので、今覚えて下さい!」
「……承知しました」

 ついにデスタンが引いた。
 すると、リゴールは余裕の笑みを浮かべる。

「そうです。分かれば良いのです」

 勝ち誇ったような顔をしながらスプーンを差し出してくるリゴール。だが私は、今さら食べさせてもらう気にもなれず、「ありがとう。でも、やっぱりいいわ」と言っておいた。すると彼は、眉をひそめつつ、残念そうに「そうですか」と言っていた。

「ところでエアリ」
「何?」
「その……エアリのお母様の屋敷へ移動するという件についてなのですが」

 そういえば。
 そんな話もあった。

「わたくしは、その……賛成です」

 眉を寄せ、若干上目遣いで、言いづらそうにしながらもリゴールは放つ。

「本当!?」

 彼なら賛成してくれるだろうと予想してはいたけれど、この世に絶対なんてものはないからと、あまり期待しないように心がけていた。しかし、今のリゴールの言葉を聞けば、彼は確かに賛成してくれているのだと、理解することができる。本人が言ったのだから、間違いということはないはず。つまり、もう喜んで良いということだ。

「……はい」

 リゴールは頷く。
 それを見たデスタンは、困惑しているような顔をしていた。

「ただ、一つだけ聞かせていただいても問題ありませんか?」
「えぇ。良いわよ」
「……そこには、お父様もいらっしゃるのですよね? その……怒られたりはしないでしょうか」

Re: あなたの剣になりたい ( No.43 )
日時: 2019/07/27 15:16
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: apTS.Dj.)

episode.40 うんうん、そうだよねー

「お父様はきっと……わたくしのことを恨んでおいででしょうから……」

 リゴールはどうやら、私の父親のことを気にしているようだ。

 彼の考えもまんざら間違いではない。
 もし父親が生きていたなら、あんな火事を起こし私を無断で連れていったリゴールらを、許したりはしなかっただろう。

 父親はそういう人だ。

 でも、それはあくまで、「彼が生きていたなら」である。

「何を仰っているのですか、王子。貴方を恨む者など、存在するわけがありません」
「……いえ。恨まれていても仕方がありません。あんな迷惑をおかけしたのですから……」
「ご安心を。王子を恨むような無礼者は、私が殺してしまいます」
「デスタン、貴方はまた、すぐにそういう物騒なことを……」

 リゴールとデスタンの会話は勝手に続いていく。
 私が言葉を挟める隙がないと、父親が亡くなったことを伝えづらいのだが。

「で、エアリ。お父様は、わたくしがそこへ行くことを、許して下さっているのですか?」

 リゴールは一旦スプーンを置き、こちらを見つめながら尋ねてきた。

 言わなくては。本当のことを。

 父親が亡くなったと伝えたら、リゴールは自分を責めるのではないだろうか。そこが少し心配だ。だがしかし、だからといって嘘をつくわけにはいかない。それに、今隠したとしても、結局はバレてしまうことだ。

「父さんはいないの」
「では、エアリのお父様は今も、あの村の屋敷に?」

 リゴールは軽く首を傾げつつ尋ねてくる。
 それに対し、私ははっきりと返す。

「いいえ。実は、その……亡くなったみたいで」

 そう答えてから、リゴールの顔へ視線を向ける。
 彼の顔面は驚きに染まっており、さらに、硬直しているようだった。

「亡くなっ、た……?」

 ——その数秒後。

「なぜそのような重要なことを黙っていたのですか!?」

 リゴールは急に叫んだ。

「え?」
「呑気に『え?』などと言っている場合ではありません!」

 彼はがっつり私の方を向いている。
 朝食のことなんて、忘れてしまったかのようだ。

「わたくしはいつの間にか、エアリにとって、父親の仇になってしまっているではありませんか!」

 言われてみれば。
 考えようによっては、そう言えるかもしれない。

 ただ、私は、リゴールを仇などと捉える気はまったくない。私とリゴールは、これまで共に協力し暮らしてきた仲間。だから、たとえ何かが起きたとしても、今さら彼を敵視するなんて、不可能だ。

「やはりわたくしは行きません……いや、行けません。エアリのお父様を殺しておきながら、お母様に世話になる。そんなことは絶対にできません」

 リゴールは両手を腹の前辺りで重ね、目を細める。彼の顔に浮かんでいた驚きは、徐々に、悲しみへと色を変えていく。

 いずれ伝えなくてはならないことだった。
 だから仕方がない。

 けれど、リゴールが暗い顔をしているところを見るのは、どうしても辛くて。

 こんなことを言っては怒られてしまうかもしれない。
 が、この際正直に言おう。
 父親が亡くなったことよりもリゴールが暗い顔をしていることの方が、私にとっては辛いことなのだ。

「そんな顔しないで、リゴール」
「ですが、エアリやエアリのお母様の気持ちを考えると、どうしても……」
「その……私は意外と気にしていないの。父さんのことはあまり好きでなかったから……」

 するとリゴールは、俯き気味だった顔を突然上げた。

「そんなことを言ってはいけません!」

 気にしなくていい、という意味で言ったつもりだったのだが、逆に注意されてしまった。
 何とも言えない心境だ。

「一度失われたものは、もう二度と戻ってはこないのです!」

 そう放つリゴールの声は、彼らしからぬ鋭さで。

「あ……そ、そうよね。今のは失言だったわ。ごめんなさい」
「い、いえ。こちらこそ、声を荒らげてしまい失礼しました。もちろん、エアリが気を遣ってそう言って下さったということは、承知しておりますが……」

 リゴールの発言を最後に、沈黙が訪れた。

 デスタンは様子を窺うような目をしながら唇を結んでいる。リゴールは気まずそうな顔をしながら、時折私をちらりと見ている。

 そんな状況におかれてしまったのもあって、私は何も言えなかった。


 ——それから、二十秒ほど経った時。

「うんうん、そうだよねー」

 突如、聞き慣れない声が耳に飛び込んできて。私たち三人は、ほぼ同時に、声が聞こえた窓の方を向く。

 すると、窓枠に一人の少年が座っているのが見えた。

 さらりとしたダークブルーの髪は、艶やかで、耳の下辺りまで伸びている。重力に従い真っ直ぐ垂れているだけの髪型で、飾り気はない。だが、見る者に対してはやや中性的な印象を与える、そんな少年だ。

「一度失われたものは、もう二度と戻ってはこない。ふふふ。その通りだよねー」

 藍色に白のラインが入った丈の長い上着を羽織っている少年は、笑顔のまま、楽しげな調子で放つ。

 いきなり現れ、しかしながら攻撃を仕掛けてくるでもなく、ただ窓枠に腰掛けているだけ。
 得体の知れなさが、逆に不気味だ。

 そんな不気味な少年に向けて、デスタンが低い声で言い放つ。

「何者か」

 デスタンに睨まれても、少年は笑みを崩さない。

「いきなり名前を聞いてくるなんてねー。ふふふ。そんなにボクに興味があるのかな?」
「何をしに来た」
「また質問? まったくもうー、気が早いなぁ」

 呆れたように言いながら、少年は窓枠から軽やかに飛び降りる。

「……ま、でも」

 少年は両の手のひらで尻を数回ぽんぽんと叩く。埃を払うような動作だ。そして、それを済ませてから、警戒心を剥き出しにしているデスタンへと二三歩近づく。

「興味を持ってもらえてる方が、ボクとしても嬉しいかな」

 それまでニコニコしていた少年が、突如、怪しげな笑みを浮かべた。

「……っ」

 少年の笑い方が急変したことに驚いたのか、デスタンは顔をしかめつつ数歩後退する。

「あれ? どうして下がるのかな?」
「気味の悪い笑い方をするな、悪魔の手先め」
「あれあれー? もしかしてボク、嫌われてるー?」

 その頃には、少年の笑みは穏やかなものに戻っていた。

「困るんだけどなぁ、嫌われちゃったら」

 少年は、そう言いながら、デスタンの方へさらに近づいていく。
 それを拒むように、デスタンはナイフを抜いた。

「寄るな」

 どうやら、ナイフは、左脚の太ももにベルトで固定されていたようだ。

 デスタンがいきなりナイフを取り出したことには、少しばかり驚いた。彼がナイフを所持していることは知っていたが、こんなにもすぐに取り出せるものだとは思っていなかったからである。

「そんな顔しないでー。べつに、いきなり酷いことしたりしないって」
「狙いは何だ」

 デスタンはナイフの刃を少年へ向け続ける。
 それでも少年は、笑みを浮かべることを止めない。

「狙い? 嫌だなぁ、もう。そんな風に言わないでよ」

 少年の笑顔は、まるで仮面のよう。崩れることはないが、そこに笑うような感情が込められているようにはとても見えない。

「ボクはただ、君を迎えに来ただけだよ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.44 )
日時: 2019/07/28 20:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: lh1rIb.b)

episode.41 こう見えても

 突如現れた、どことなく不気味な少年。彼の狙いはリゴールなのだろう、と、最初私は思った。グラネイトやウェスタがリゴールを狙っていたように、彼もまたリゴールを狙ってやって来た刺客なのだろう。一切迷いなく、そう思っていた。

 だが、彼の発言を聞いているうちに、段々そうではないような気がしてきた。
 というのも、彼の視線はリゴールへ向いておらず、そこからおかしさを感じたのだ。

 少年がリゴールを狙っている者なのだとしたら、例えデスタンが立ち塞がったとしても、ターゲットであるリゴールの方をまったく見ないということはないだろう。

「……迎えに来た、だと」
「うん」
「……狙いは私か」
「うんうん。そういうこと。話が早くて助かるよー」

 やはり、リゴールを狙っているわけではないようだ。

「ブラックスターの手の者だな」

 デスタンは眉間にしわを寄せ、警戒心剥き出しの顔つきで放つ。今の彼は、警戒心を隠す気など欠片もないようである。

「もう一度だけ聞く。何者だ」

 先ほど一瞬にして取り出したナイフの先端を、少年の胸元へ向けるデスタン。銀色の刃は怪しげに煌めいていて、また、デスタンの瞳はそれと同じくらい鋭い光をまとっている。

「ボクが何者かって、そんなに大事なことかな?」
「名乗ることさえできぬような怪しい者なら、すぐに殺さねばならない」

 デスタンと少年が言葉を交わしている様子を、私は、少し離れた場所から見つめ続ける。すぐ近くにはリゴールがいるが、彼も私と同じで、デスタンの方をじっと見つめていた。

「そっかぁ。殺されちゃ困るからー、面倒だけど一応名乗ることにするよ」

 少年は「やれやれ」というような動作をしながら、口を動かす。

「ボクの名はトラン。さっき君が言った通り、ブラックスターの手の者だよ。ただし、捨て駒たちとは少し違うから、そこは勘違いしないでほしいなー」

 捨て駒たちとは違う、か。これまた妙な発言が飛び出したものだ。自分はグラネイトやウェスタとは地位が違うということを主張している、と理解して、間違いないのだろうか。

「なんたってボク、こう見えても、ブラックスター王直属軍の一員だから」
「今度は王直属の部下が私を連れ戻しに来たということか」
「え? いやー。本当はべつに、君を連れ戻さなくちゃならないなんてことは、少しもないんだけどね」

 少年——トランは、軽い口調でそう言ってから、ふふふと怪しげに笑う。

「ま、言うなればボクの遊びの一環?」

 そこまで言った直後、トランは、突然右手を掲げた。

 すると、開いている窓の遥か向こうから、黒い何か——矢が、凄まじい勢いで飛んできた。

 それらは窓を通過し、室内へ侵入してくる。が、私やリゴールを狙って飛んできた矢は一本もなく。そのすべてが、デスタンに狙いを定めていた。

「危ない!」

 半ば無意識で叫ぶ。
 けれど、既に遅くて。

 数秒後、何本もの黒い矢が、デスタンの体に突き刺さった。

「デスタン!」
「デスタンさん!」

 リゴールと私が叫んだのは、ほぼ同時。

「な……」

 デスタンは掠れた苦痛の声を漏らし、座り込む。
 彼が握っていたナイフは、床に落ちた。
 黒い矢はほぼすべて、腕や肩に突き刺さっていた。咄嗟に防御したからだろうか。その理由ははっきりとは分からない。ただ、胸部や腹部に矢が刺さるという事態は免れたようなので、即死することはなさそうだ。

「わーい、成功ー」
「く……このっ……」
「ふふふ。これで大人しく従ってくれるよねー?」

 トランは座り込んでいるデスタンの顔を覗き、楽しげに笑っている。楽しくて仕方がない、というような顔だ。

「断る……!」
「えー。どうしてー?」
「……従わせようとする者には、従わない」

 それは今このタイミングで言うべきことなのだろうか……?

 いや、もちろん、「従わせようとする者には従いたくならない」というのはもっともなのだが。

「ふーん、そっかぁ。そういうものなんだ」

 トランは感心したように目を見開く。
 凄くわざとらしい振る舞いだ。それゆえ、とても驚いたような顔をしているのに、本当に驚いているようには見えない。

「ま、ボクには関係ないけどね」

 トランは笑顔に戻ると、そう言った。そして、先ほどデスタンの手から落ちたナイフを、元々自分の物であったかのように掴む。すると不思議なことに、ナイフの刃の部分を黒いもやのようなものが包んだ。

 ——直後。

 ナイフを握ったその手を、デスタンに向けて振り下ろす。

「少し眠っててね」
「……っ!」

 デスタンは素早くナイフを持つトランの腕を掴む。何とか止めたかのように見えた——が、トランは予想外の力を発揮し、デスタンの手を振り解いた。そしてそのまま、刃をデスタンの肩へ突き刺す。

「な……」
「ごめんねー」

 刃が刺さった部分から、黒いものが溢れ出した。
 それとほぼ同時に、デスタンの体が床に崩れ落ちる。

「何をするのです!」

 リゴールが鋭く叫んだ。
 彼の青い瞳は、動揺の色を濃く映し出している。

「えー? なになにー?」
「デスタンに乱暴なことをするのは止めて下さい!」

 リゴールは懸命に訴える。だが、トランには、その訴えを聞き入れる気など欠片もないようで。彼は明るい声で「それは無理なんだよ。ごめんねー」と返す。

「それじゃ、そろそろ行くね」

 デスタンの脱力した体を軽々と抱え上げるトラン。

「ま、待ちなさい!」
「待たないよー。……あ、君たちにはコレ」

 トランは筒のように丸めた紙を投げてきた。

「つ、筒!?」

 いきなり物を投げられ、リゴールは戸惑った顔をする。

「うんうん。後で読んでねー」

 決して大きくはない体でありながら、デスタンを軽々と持ち上げるくらいの力がある——トランは不思議な少年だ。

 彼が一体何者なのか。
 真の意味でその答えにたどり着くのは、簡単ではないかもしれない。

「またね。ばいばーい」

 明るく別れを告げ、トランはその場から消えた。


 トランと彼が持ち上げていたデスタンの姿が視界から消えてから二三十秒ほどが経過した時、それまで動かなかったリゴールが、急に振り返る。

 その双眸は、じっと私を捉えていて。

「……どうしましょう」

 リゴールの瞳は私に助けを求めているかのようだった。

「これは、その……どうすれば……」

 彼は彼なりに動揺を隠そうとしているようだ。声を大きくしていないところから、それを察することができた。

 けれど、動揺を完全に隠すことはできていない。
 顔全体の筋肉が強張ったような表情を見れば、彼の心が乱れているということは容易く分かる。

「取り敢えず、その巻物みたいなのを読んでみるというのはどう?」

 慌ててもどうにもならない。
 だから私は、落ち着いて、そう提案してみた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.45 )
日時: 2019/07/29 17:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 32zLlHLc)

episode.42 私と彼の選ぶ道

 突如現れた少年トランは、デスタンを連れて消えてしまった。紙を丸めて筒状にした物体だけを残して。

「……は、はい。そうですよね。まず害がないかどうかを確認しなくてはいけません……」

 リゴールはデスタンを連れ去られたことに衝撃を受けたようで、言動が少々不自然なことになっている。

「では……」
「何もないとは思うけれど、気をつけて」
「は、はい……」

 リゴールは床に落ちている筒状の紙へ手を伸ばす。しかし、すぐには拾わず、直前で手を止めた。特に何も言わないところから察するに、危険がないか確認しているのだろう。それから十秒ほどが経過して、彼はついに筒状の紙を掴む。掴んだ瞬間に何かが起こる、ということはなかった。

「どう? リゴール」
「触れる分には害はなさそうですね……」

 彼はそう言って、紙を結んでいる紐を解く。続けて、巻かれていた紙を少しずつ広げていった。
 文字が書かれているものと思っていたのだが、紙は真っ白。そこには何も書かれていなくて。

「何も書かれていないの?」
「はい……これは一体……」

 二人揃って怪訝な顔をしていると、唐突に、音声が流れ始める。

『はいはーい。ちゃんと読もうとしてくれてありがとうー』

 軽やかで明るい声。
 これは、そう、トランの声だ。

『早速だけど、君たちにしてもらいたいことを伝えるねー』

 彼の声は続く。

『ホワイトスターの王子さんと、剣を使えるお姉さん……えーと……エアリさんだったかな。二人にお願いだよ』

 流れる音声を聞き逃さないよう、耳を澄ます。

『彼を返してほしかったらー、明日の朝、二人でブラックスターへ来てね。そして、ボクのところへ会いに来てよ。そうしたら、ボクが自ら歓迎してあげるからさー』

 ブラックスターへ来い?

 怪しすぎる。
 どう考えても、罠だとしか思えない。

 歓迎というのは恐らく、始末する、という意味なのだろう。
 トランは私とリゴールをまとめて消してしまおうと考えている——それすら分からないほど私は馬鹿ではない。

『ちなみに、この巻物を持って念じれば、ブラックスターに移動できるよ。便利だよねー? 作ってみたんだー、試作品』

 声自体は爽やかなのだが、言葉にならないような怪しさを漂わせている。

『来なかったら……ま、言わなくても分かるよね。それじゃあねー、ばいばーい』

 それを最後に、声は消えた。

 少し空いてまた始まるかもしれないと思い、しばらく黙って待ってみたが、声が再び始まることはなかった。

 どうやら、話は終了したようだ。
 私はリゴールと顔を見合わせる。

「これは……」
「怪しすぎね。いかにも罠って感じだわ」
「はい……」

 窓から吹き込んでくる風は、冷たすぎず、暑苦しくもない。いつまでも浴びていたくなるような、心地よい風だ。
 しかし、そんな風を浴びていても、私の心が軽くなることはない。一旦胸の内に広がってしまったもやは、そう易々と晴れてはくれないのである。それはリゴールも同じであろう。

「……どうする? リゴール」
「え」
「行く? 行かない?」

 私は問う。
 それに対し、彼は、数秒考えてからはっきりと答える。

「わたくしは……参ります」

 声は小さいが、迷いのない目をしていた。

「きっと本当の狙いは貴方よ、リゴール。デスタンは貴方をブラックスターへ来させるための餌だわ」
「……はい、わたくしもそう思います」
「敵地へ乗り込むなんて死にに行くようなものだわ。それでも、行くの?」

 念のため確認すると、リゴールはきっぱり「はい」と言って、首を一度だけ縦に動かした。

「……もし立場が逆であったとしたら、デスタンは迷わずわたくしを助けに来てくれるはずです」
「えぇ。それはそうよね」
「ですから、わたくしも、迷わず助けに行きます」

 止めるべきだろうか。

 ふと、そんなことを思う。

 ブラックスターになんて行かない方がいい。そんな危険な場所へ自ら突っ込んでいくなんて、馬鹿のすることだ。それに、デスタンも恐らくは「来るな」と思っているだろう。

 そんなことが脳内を巡る。

 止めるべきなのか。
 私が嫌われたとしても、それでも、行かせないべきなのだろうか。

 このままであれば、リゴールは迷いなくブラックスターへ乗り込んでいくだろう。
 止めるなら、今のうちだ。

 彼を行かせたことを後から悔やむなんてことになりたくないなら、今制止しなくてはならない。

 ——でも。

 リゴールはデスタンを助けることを望んでいるのだから、その目的を達成するために協力するというのが筋ではないのか。

 そんな風に思う気持ちもあって。

 段々、自分の心がよく分からなくなってきた。

「……リ」

 リゴールの願いを叶えたい。でも、彼に傷ついてほしくない。
 私はどうすればいいのか。
 考えて、考えて、懸命に答えを出そうとする。だが、考えれば考えるほどまとまらなくなり、答えなんてちっとも出そうにない。

「エアリ!」
「……あ」

 思考の渦に飲み込まれかけていた私に正気を取り戻させたのは、リゴールの声だった。

「えっと……ごめんなさい。聞いていなかったわ。何か言った?」

 そう返すと、不安げな眼差しを向けられてしまう。

「顔色が良くないようでしたので、体調が悪いのかと思いまして……」
「心配させてしまったのね。ごめんなさい」
「い、いえ! わたくしが勝手に心配になっただけですので、お気になさらず!」

 慌てて首を左右に動かすリゴールを見たら、自然に頬が緩んでしまった。

「……ふふ。ありがとう」
「へ?」
「心配してくれてありがとう、リゴール」
「あ、えっと……どういたしまして」

 リゴールは恥ずかしそうに笑った。
 その様は、とにかく初々しく、可愛らしいという言葉がよく似合う。

「ところで、ブラックスターへ行く件ですが……」
「そうだったわね」
「わたくしは一人で行きます」
「え!?」

 想定外の発言に、驚きを隠せない。

「そんな! 一人でなんて危険よ!」
「危険であることは承知しております。ただ、それでも、わたくしは行きたいのです」

 リゴールは私の目を真っ直ぐに見つめてくる。
 その表情を見て、「リゴールを引き留めることはできない」と悟った。

 もし私が止めたとしても、彼の心が変わることはないだろう。彼の決意に満ちた表情が、私にそう思わせたのだ。

「本気なのね」
「はい」
「分かったわ」
「ありがとうございます……!」

 リゴールの顔つきが明るくなる。

「でも、一人で行くのは駄目よ」
「そ、そうなのですか!?」
「私も行くわ。一緒にね」
「えぇっ……」

 物凄く困ったような顔をされてしまった。
 さりげなくショックである。

「私と一緒はそんなに嫌?」
「い、いえ! そんなことはありません! ただ、その……驚いてしまったのです。エアリがそのような提案をして下さる可能性など、考えてもみなかったものですから……」

 若干言い訳臭い。
 が、リゴールとて悪気があってこのようなことを言っているわけではないのだろうから、突っ込まないでおくことにしよう。

Re: あなたの剣になりたい ( No.46 )
日時: 2019/07/30 20:57
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: idHahGWU)

episode.43 ホウキ

 リゴールは私が一緒に行くと言ったことに驚いていた。だが、本来そこは、驚くべきところではない。トランの声は「二人で」と言っていたのだから。

 それを伝えると。

「そういえば確かに、『二人で』と言っていたような気はしますね……」

 リゴールはそんな風に返してきた。
 彼は、トランが「二人で」と言ったことを、はっきりと記憶してはいないようで。しかし、私が間違ったことを言っていると捉えているわけでもないようだ。

「しかしエアリ。本当に一緒に行って下さるのですか?」
「えぇ、そのつもりよ」

 私は既に、彼と行くと決めたのだ。一度決めたことを変える気はない。

「危険な目に遭うことになるかもしれないのですよ……?」

 リゴールは遠慮がちに私の顔を見つめる。私の顔色を窺っているような目つきだ。

「それでもいいわ。リゴールを一人で行かせるくらいなら、危険な目に遭う方がましよ」
「……そ、そうなのですか」
「そうよ!」

 もちろん、進んで危険な目に遭いたいというわけではない。
 だが、彼を一人で行かせてもし帰ってこなかったりしたら、この先ずっと後悔することになるだろう。そんなことになるくらいなら、多少危険があったとしても、二人で行く方が良いと思うのだ。

「行くのは明日の朝だったわよね?」
「はい」
「じゃ、それまでに準備をしておくわ」

 リゴールは戸惑ったような顔をしながら「準備ですか?」と言ってくる。

「えぇ。武器の準備とかね」
「ぶ、武器とは……?」
「ホウキか何か、ミセさんから借りてくるわ!」

 リゴールには魔法がある。だが、私には武器がない。ペンダントが剣に変わってくれればそれを武器として使えるが、敵地へ乗り込む時にそんな不確かなものに頼るわけにはいかないのだ。だから、少しでも戦えるような物を持っていかなくてはならない。


 その後、私はミセの部屋へ向かった。

 既に自室から出ているという可能性もあったため、彼女の部屋へ訪れたからといって絶対に会えるとは限らず。

 しかし、扉をノックすると、ミセは出てきた。

「あーら? エアリ?」

 ミセは、肩から胸元にかけて大きく開いた、セクシーなデザインの白いネグリジェをまとっている。裾の方がレース生地になっていて脚のラインがうっすら透けて見えるところも、これまた刺激的。

 彼女の姿を男性が目にしたら、きっと、迷わず擦り寄りたくなるだろう。

 ……いや、それは冗談だが。

「今、少し構いませんか」
「何かしら」
「ホウキか何か……もしあれば、貸していただきたいのですが」

 いきなりこんなことを言ったら、怪しまれるに違いない。そう思いつつも、私は直球で行くことにした。

「ホウキ? また急ねぇ」

 ミセは面に戸惑いの色を浮かべつつ、一本だけ伸ばした人差し指を厚みのある唇に当てる。

「あったかしら……」
「なさそうですか?」
「いーえ。少し待ってちょうだい。確かあったはず」

 そう言って、彼女は部屋から出てくる。

「ついてきて」
「はい」


 暫し歩き、たどり着いたのは、私よりずっと背の高い掃除用具箱の前。

 木製の掃除用具箱は非常に古そうで、全体的に汚れている。しかもそれだけではなく、ところどころ欠けていたりもする。ボロボロという言葉がよく似合う見た目だ。

 その扉を、ミセはゆっくりと開ける。
 するとそこには何本ものホウキが。

「やっぱりあったわ」

 ミセは満足そうに漏らし、掃除用具箱の中からホウキを一本取り出す。そして、それを私に差し出してくる。

「こんな感じのホウキでいいのかしら?」

 差し出されたホウキを受け取る。
 掃除用具箱はかなりボロボロだったが、ホウキ本体は古くはなさそうだ。木でできた長い柄はしっかりしていて、簡単に折れそうな感じはしない。

 これなら武器として使えるかもしれない。

「はい! このホウキ、お借りしても構いませんか?」
「こんなホウキを何に使うのか不思議で仕方ないけれど……。ま、一本くらいなら貸してあげるわぁ」
「ありがとうございます!」

 ホウキを手に、頭を下げる。
 こんなにもすんなりと借りることができるとは思っていなかった。

「じゃ、その代わり、一つ教えてくれるかしら」

 ミセは唐突に話題を変えてくる。

「え。……あ、はい」
「デスタン、彼は一体何者なの?」

 急に「デスタン」という言葉が出てきたため、彼が連れていかれたことがバレていたのかと思い、一瞬焦った。胸の鼓動が急加速してしまった。

「何かあったのですか……?」
「昨夜、急におかしなことを言い出したの。『近いうちにここを出ることになるかもしれない』なんて」

 ミセの厚い唇から放たれる言葉、その一つ一つを聞き逃さないよう、しっかりと耳を澄ます。

「しかも『よその家へ移動しなくてはならないかもしれないから』なんて言うのよ。訳が分からないわ」

 ……もしかして、エトーリアの家へ移動することを提案したから?

 彼は彼なりに、密かに、早めに手を打っておこうとしてくれていたのかもしれない。

「彼、きっと、アタシには隠していることがあるんだわ」

 それはまぁ……そうよね、という感じである。
 デスタンのことだ、ホワイトスターやブラックスターのことを無関係な者にあっさりと話したりはしないだろう。

「エアリは何か知らないの?」
「私は……はい。あまり知りません」
「嘘! あまり知らない人間の顔じゃないわぁ」

 そんなに分かりやすいのか、私は。

「何か知っているのね。答えて!」
「……答えられません」
「どういうことかしらぁ?」

 ミセの眉間にしわが現れる。

「話したら、ミセさんに迷惑がかかってしまうかもしれないからです」
「あーら。それらしいこと言うじゃない」

 直後、ミセは私を睨んできた。

「まさか、アタシのデスタンに手を出したなんてことはないでしょうねぇ……?」

 ミセの怒りに満ちた視線は、恐るべき迫力だ。
 だが、彼女が心配しているようなことはない。絶対に。

「それはありません」
「怪しいわねぇ……」
「安心して下さい。デスタンさんはそんな安い男性ではありませんから」

 すると、ミセはようやく、私から視線を逸らした。

「……ま、そうねぇ。アタシのデスタンが、こーんな貧相な女に心を奪われるわけがないわよね」

 何その言い方。失礼。

「疑って悪かったわね」
「いえ」

 どちらかというと、疑ったことより貧相な女などと嫌みを言ったことを謝ってほしかったのだが。

「少し……不安になってね」
「不安に、ですか?」
「そう。あまりに進展がないから、少し不安になってきたのよ」

 進展がない、か。

 当たり前だ。

 ミセはデスタンに恋心を抱いているようだが、デスタンはミセを何とも思っていない。一応上手いこと言ってはいるようだが、デスタンがミセのことを愛していないことは明らか。

 そんな状態なのだ、進展するわけがない。

「時間がある晩はいつも、同じ部屋でお話するの。デスタンはいつでも快く付き合ってくれるわ」
「そうなんですね」
「けど、いつもそこまでなの。身を寄せても、いつもより少し露出が多い服を着ても、彼は少しも構ってくれない……」

 デスタンはそういった方面のことには関心がなさそうだ。それゆえ、アピールしても無視されてしまうというのは、当然の結果と言えるだろう。

 ただ、真剣に悩んでいるミセを見ていたら、段々彼女が可哀想に思えてきた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.47 )
日時: 2019/07/30 20:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: idHahGWU)

episode.44 それでも、できることはあるから

 家の片隅、古ぼけた掃除用具箱の前で、ミセと向かい合う。

 私と彼女二人だけの空間で過ごすというのには、いまだに慣れない。それに。敵意を向けられていないことは救いだが、安心していられるような雰囲気ではないから、まったく落ち着かない。さらに、相手の顔色を窺い続けなくてはならないということが、妙にストレスを与えてくる。

「アタシね……ずっと、まともに愛されてこなかった。愛しているように振る舞ってくれる男性はいても、ほとんどが身体目当てだったわぁ」

 唐突に自分のことを話し出すミセ。

「若い頃は色々騙されて。アタシが出会う男性は、みーんな嘘つきばかり。だからもう、素敵な男性に巡り会うことなんて諦めていたの。時折遊びに行く意外は、細々と暮らしていたのよ」

 相応しい言葉を見つけられず、口を開くことができない。
 できるのは、聞くことだけ。

「でも……デスタンを一目見た時、アタシの心は変わったわ」

 そう話すミセは、夢見る乙女のような輝きに満ちた目をしていた。

「一目見て、ですか?」
「そう。ある日、酒場の近くを歩いていたら、道端に座り込んでいる彼にばったり出会って。その鋭い眼差しを見たら、一瞬で恋に落ちたわぁ」

 一目惚れだったということか。

「だって彼、アタシを見ても何も感じないような顔をするんだもの! 他の男と違うって、すぐに分かったわ!」

 リゴールを探している途中だったデスタンが、見知らぬ女性に鼻の下を伸ばすはずはない。それは、付き合いが長いわけではない私にでも分かること。

 そこから分かるのは——ミセの話が事実だということだ。

「一目惚れ、素敵ですよね」
「エアリもそう思う!?」
「はい。一目見て恋に落ちるなんて、まさに乙女の夢ですから」

 もっとも、私にはそんな日は来ないだろうが。


「リゴール! ホウキ借りてきたわ!」

 ミセとの話を終えるや否や、私たち二人の自室へ駆け戻った。
 ベッドに腰掛け一人ぼんやりしていたリゴールは、いきなり人が駆け込んできたことに驚いたらしく、唖然とした顔で私を見る。

「あ……エアリでしたか」
「ホウキ、借りてきたわ!」
「あ、はい。それは先ほどお聞きしました」

 そう言いながら、リゴールはベッドから立ち上がる。そして、すたすたと歩み寄ってきて、私が持っているホウキの柄を優しく掴んだ。

「では魔法をおかけしますね」
「え?」
「わたくしの魔力でホウキを強化するのです」

 いきなり過ぎやしないだろうか。

「そうすれば、ただのホウキよりも戦えるようになりますので」
「……そ、そう。ありがとう」

 ブラックスターへ行くということは、敵と戦うことになるということと同義。それゆえ、少しでも強化してもらえるなら、それに越したことはない。

 が、一つ気になるところがあったので質問してみる。

「でも、もうかけてしまって大丈夫なの?」
「どういう意味でしょうか」
「時間の経過で効果が消えたり、そういうことはない? それだけが気になって」

 するとリゴールは頬を緩めて「はい。問題ありません」と答えた。
 優しさの感じられる柔らかな声色ながら、その口調に迷いはない。多分、といった雰囲気ではなかったため、私は安堵した。

「わたくしが落命せぬ限り、効果は永続します」
「ならいいの。……変なことを聞いて悪かったわね」

 彼を疑うような質問をしてしまったことを申し訳なく思い、謝罪する。すると彼は、穏やかな笑みを浮かべたまま、首を左右に動かした。

「いえ。気になることは、その都度お聞き下さい」

 やはりリゴールは優しい。
 改めてそう感じた瞬間だった。

 そんなことを言ったら「だから何」と笑われてしまうかもしれないが。

「気遣いは不要ですからね、エアリ」

 リゴールはさらに付け加えた。

 私としては、これ以上何か質問する気は微塵もなかった。別段気になることもなかったため、質問すべきことがなかったのである。
 ただ、わざわざ付け加えたということは何か聞いてほしいのかな、と思ってしまう部分もあって。だから私は、重大ではないが時折気になる、程度のことを質問してみることに決めた。

「今凄く関係ないことでもいい?」

 念のため確認しておく。
 確認に対し、彼は、柔らかな声で「はい」と返してきた。

「前にも一度話したことなのだけど……リゴールはデスタンにどうして丁寧語なの?」

 今でこそ慣れたが、出会った当初は非常に違和感があったところである。

「その件でしたか」

 リゴールは「前に話したことをきちんと覚えている」と主張しているような視線を送ってくる。

「答えとしては、誰に対してでも丁寧な言葉遣いで接するよう育てられたというのが一つです。また、もう一つの理由としましては、デスタンとは元々敵同士であったということがありますね」

 誰に対してでも丁寧な言葉遣い。それは、私にはなかった発想だ。
 ある意味では、見習うべきところと言えるかもしれない。

「わたくしの方から『護衛になってほしい』と頼みましたので、彼に対して偉そうに振る舞うわけにはいかないのです」

 リゴールは私にも丁寧な話し方をしている。それも、出会ってすぐの時から始まって、かなり馴染んだ今日まで、ずっとだ。それだけに、彼が偉そうに振る舞っているところというのは、まったくもって想像できない。むしろ、少し見てみたいと思うくらいだ。

「ふぅん、そうだったのね」
「はい。エアリが不快だと仰るなら改善しますが……」
「いいえ、改善なんてしなくていいのよ。もう慣れたもの」
「そうですか! ありがとうございます。では、今のままにしておきますね」

 デスタンをブラックスターへ連れていかれたという状況なのだ、リゴールとて心配でないということはないだろう。心の内ではデスタンの身を案じているに違いない。

 それでも、リゴールは穏やかな表情を保っている。
 彼の顔に不安の色が浮かぶことはなくて。

 そんなリゴールを見ていたら、余計に「彼の力になりたい」と思うようになった。

 不安の波に追われ、拭い去れぬ黒い影が忍び寄る。
 それが彼の、亡きホワイトスター王子リゴールの運命であるのなら、逃れようのないものなのかもしれない。

 だとしたら——否、だからこそ、私は彼の傍にありたい。

 強さはなくとも。敵の前には無力であるとしても。

 ——それでも、彼に寄り添い続けることはできるから。

Re: あなたの剣になりたい ( No.48 )
日時: 2019/08/01 02:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 8.g3rq.8)

episode.45 ブラックスター

 翌朝、私とリゴールは起きるなり、素早く服を着替えた。寝巻きのままブラックスターへ行くわけにはいかないからである。

 そうして着替えを終えた後、私は彼と顔を見合わせる。

「おかしなところはない?」
「はい。今日もよく似合っておられますよ」

 そうじゃなくて、と言いたくなるのを飲み込んで。

「ありがとう」

 軽くお礼を述べておいた。
 今から敵地へ向かうという時に、空気を悪くしたくないからである。

 その後リゴールが少し恥じらいつつ「いえ」と言うのを見て、ほっとした。不快な気分にしてしまっていないと、はっきり判断できたからである。

 数秒の沈黙の後、リゴールは話題を変えてくる。

「それにしても、昨夜は少し大変でした」
「何かあったの?」
「ミセさんにデスタンについて色々と聞かれたのです。『なぜ帰ってこないのか』などと」

 そういう意味の「大変」だったのか。
 心なしか安心した。

「それで、どう答えたの?」
「仕事で明日まで帰ってこないと聞いている。そのようにお話しておきました」

 リゴールが嘘をついて凌いだということには、少しばかり驚いた。彼に嘘をつくなどという器用さがあるとは想像していなかったから。

 だが、今はそれで良かったと思う。

 本当のことを明かしたらミセは心配するに違いない。心配し、混乱することにもなるだろう。
 彼女にそんな思いをさせるわけにはいかない。

 そういう意味では、リゴールの対応は正しかったとも言えるだろう。

「嘘をついてしまったという罪悪感はありますが……心配させてしまっても申し訳ないですから」
「えぇ。私は、リゴールの対応は正しかったと思うわ」
「……そうでしょうか」

 青い瞳が自信なさげにこちらを見つめてくる。

「そうよ! 大丈夫。自信を持って!」

 私はいつもより高めのトーンではっきりと発した。
 貴方は悪くない、と、リゴールに伝えたかったから。

 それに対しリゴールは、彼らしい丁寧な口調で「ありがとうございます」と礼を述べた。その時、彼の目つきは少し柔らかなものになっていて、私は密かに安堵した。

「ではそろそろ参りましょうか、エアリ」
「えぇ。あの紙は?」
「こちらに」

 リゴールの華奢な手に、筒状になった紙が乗っていた。
 準備は既に完了しているようだ。
 私は速やかに、壁に立て掛けていたホウキの柄を掴む。ペンダントが剣にならなかった場合に武器として使う用のホウキだ。

「準備完了ね!」
「はい」

 その後、私とリゴールは、ミセに気づかれないよう注意しながら家から出た。

 街や海を見下ろせる高台には、今日も心地よい風が吹いている。それに加え、空気がとても澄んでいて、かなり遠くにある街すらもくっきりと見える。

 自然に囲まれた美しい場所。

 そこで、リゴールが、巻かれて筒状になっている紙をゆっくりと開く。

 どう見てもただの紙としか思えない。そんな紙に人間を転移させるなどという非現実的な力があるとは、にわかには信じがたいことだ。

 一人そんなことを考えていると、リゴールが「エアリ」と私の名を呼んできた。それに反応し彼の方へ視線を向ける。すると彼は、口元にほんの少し笑みを浮かべて、「念のため、わたくしの服の裾を掴んでおいて下さいね」と発した。私は最初戸惑わずにはいられなかったが、きっと何か意味があるのだろうと勝手に理解し、ホウキを持っていない方の指で彼の上衣の裾をそっとつまんだ。

 直後、紙から灰色の光が滲み出てきて——視界が暗くなった。


 次に視界が晴れた時、私は見たことのない場所に立っていた。

 いまだに信じられないが、どうやら本当に移動したようだ。
 片手にはきちんとホウキが握られている。

 視線を少し横へ動かすと、リゴールの姿が視界に入った。
 暫し見つめていると、彼と目があう。

「無事ですか? エアリ」
「……えぇ」
「本当に移動したようですね」

 リゴールの手に乗っていたはずの紙は、完全に消滅していた。

 顔を上げると、瞳が、マグマのように赤黒い空を捉える。こんなにも毒々しい色をした空は、今まで一度も目にしたことがない。

「ここがブラックスターなの?」
「わたくしも来るのは初めてなので、確かなことは分かりかねますが……恐らくはそうかと」
「……そう」

 真っ赤に染まった空。
 それを見つめていると、どことなく悲しくなってしまう。
 空は確かに毒々しく痛々しい色をしているのに、心はその裏に潜む悲しみに触れそうになる。奇妙な感覚だ。

「どこへ行けば良いのかしら」
「……申し訳ありませんが、わたくしには分かりかねます」
「ここで待っていたら、あのトランとかいう人が来るのかしら……」

 しばらくその場から動けなかった。
 というのも、どこへ行けば良いのか分からなかったのだ。

 私もリゴールもブラックスターへ来るのは初めてで。だから、どう動くべきなのか、少しも見当がつかなくて。

 その場に留まっている間、私は周囲を見回した。

 足下へ視線を下ろせば、乾いた大地が目に映る。舗装はまったくされておらず、黒い土がぽろぽろと崩れて散らばっていて。そんな状態だから、植物らしきものは何一つ見当たらない。

「……荒れているわね」

 思わず呟くと、隣のリゴールは静かに頷く。

「はい。わたくしもそう思います。ブラックスターがこんなに不気味な場所だとは思いませんでした」

 リゴールの言葉を最後に、私たちは黙り込む。

 深い沈黙が訪れた。
 音は何一つない。人の声どころか、風が吹くことさえない。まるで世界が死んでしまったかのような静寂が、二人を包む。


 こぼっ。

 突如静寂を破ったのは、気味の悪い低音。

 すぐさまリゴールへ視線を向ける。彼も音を聞き逃してはいなかったようで、同じようにこちらを見ていた。両者から放たれる視線が重なる。

「今のは何?」
「……分かりかねます。が、良い雰囲気ではありませんでしたね……」

 リゴールは上衣の中から小さな本を取り出す。
 ちなみに、本とは、魔法を放つ時に大抵持っている本のことである。

 つまり、リゴールは既に戦闘体勢に入っているということ。なので私も、ホウキをしっかりと握り直した。

「敵かもしれませんね」
「……同意見だわ」

 リゴールと背中合わせに立つ。

 その数秒後。
 二人を取り囲むような形で、黒い土に覆われた地面が盛り上がった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.49 )
日時: 2019/08/02 03:02
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xPtJmUl6)

episode.46 迫り来る土人形に

 盛り上がった土はやがて、何体もの人形へと変貌する。

 ごぼごぼと不気味な音をたてながら、ただの土であったものが異形へと変わりゆく様は、恐ろしいとしか言い様がない。

 ほんの数十秒のうちに、黒い土人形に取り囲まれてしまった。

「……倒す?」

 背中合わせに立っているリゴールに向かって、小さな声で尋ねる。すると彼は、静かに頷きながら言葉を返してくる。

「はい。しかしエアリ、くれぐれも無理はなさらないで下さいね」

 直後、私たちを囲んでいる土人形が一斉に動き出す。
 彼らは確かに、こちらへ向かってきていた。

 一瞬背後へ視線を向ける。すると、魔法で土人形を吹き飛ばしているリゴールの姿が見えた。先日の件があったため、戦えるのか少し不安だったが、見た感じ問題なさそうだ。

 それより今は、自分の心配をせねばなるまい。

 私はすぐに、向かってきている土人形へ視線を戻した。

「……やってやるわよ」

 ホウキで土人形と戦う女。
 それは実にシュールな構図であろう。

 だが、今は、かっこよさなんてどうでもいい。そんなことより、生き残ることが重要だ。

 こんなところでやられるわけにはいかない。エトーリアやバッサを残して、私だけがあっさり逝くわけにはいかないのだ。

 だから私はホウキを振った。
 土人形は、幸い、動きはあまり早くなくて。だから、私でもホウキの先を当てることはできた。

「来ないで!」

 大きく振りかぶって殴ったり、槍で突く時のような動作で突いてみたり。取り敢えず、できることはすべてやってみる。

 赤い空の下、黄金の粉が華麗に舞っていた。


 その後、ものの数分で、土人形たちはすべて土へ還った。

「やりましたね、エアリ」
「えぇ! ……ま、倒したのはほとんどリゴールだけどね」
「いえ。エアリも頑張って下さったと思いますよ」

 確かに、頑張ったことは頑張った。自分でもそこは認めたいと思う。素人ながら二三体片付けたのだから、まだ頑張った方だろう。

 ……でも。

 今のような状態のままでは、リゴールの負担が大きすぎる。

 もっと努力して、せめて三分の一くらいは倒せるようにならなければ、いずれリゴールはへばってしまうだろう。

 そんなことを考えていると。

「いやぁ、いい戦いっぷりだったねー」

 背後から声がした。
 私とリゴールは、ほぼ同時に声がした方を向く。

 するとやはり、そこには、トランが立っていた。いつの間に、というような登場の仕方である。

「約束通り、二人で来てくれたんだね。嬉しいよ」

 トランはにっこり笑う。
 悪意の欠片も感じられないような笑顔——だが、そこが不気味なのだ。

「……デスタンは返していただけるのですね?」
「もちろん。会わせてあげるよ」

 リゴールの問いに対し、トランは明るい声で返す。
 だが、少し引っ掛かる部分があって。

「ちょっと待ってちょうだい」

 思いきって口を挟んでみることにした。

「ん? 何かな?」
「会わせるとは言ったけど返すとは言ってない、とか……後から言い出さないでしょうね?」

 相手がトランだけに、確認せずにはいられなかった。彼は後からややこしいことを言い出しそうだから。

「言わないと約束して」
「うん! 約束してあげるー。そんなことは言わないよー」

 こんな口約束、何の効力も持たないかもしれない。でも、それでも、約束しないよりかはましだと信じて。

「じゃ、案内するよ」
「……デスタンのところへですか?」
「うんうん、そういうことー」

 軽やかに言って、トランは歩き始める。私とリゴールは、その背を追うように足を動かすのだった。


 歩くことしばらく、灰色の石で作られた建造物の前にたどり着いた。

 いかにも住居という感じでなく、人がいるわけでもないのに殺伐とした空気が漂っている。いや、正しく表現するなら「昔は殺伐とした空気が漂っていたのだろうな」という感じだろうか。
 また、風化が進んでいるようで、石で作られた外壁はあちこち欠けていた。

「……こんな怪しいところへ連れてきて、どうする気?」
「まぁまぁ。そうピリピリしないでよ。心配しなくても、彼にはちゃんと会わせてあげるからさー」
「……返して、でしょ?」
「あ、そうだったね。ごめんごめんー」

 先頭を行くトランは、建造物の中へと足を進める。
 罠な気しかせず不安でいっぱいだが、今さら引き返すわけにもいかないので、黙って彼の背を追う。


 さらに歩き、到着したのは、ボロボロの広間。

 ワインレッドの絨毯はところどころ剥げ、灰色の石の床が剥き出しになっている。壁紙は、それらしき模様が微かに残ってはいるものの、とても綺麗と言えるような状態ではない。また、二人用ソファや高さのないテーブルが、幾つも転がっていて、泥棒に入られたかのよう。

 そんな凄まじい状態の広間だが、昔は綺麗な内装だったのだろう、と想像することはできる。

「……ここはなぜ、こんなにも荒れているのですか」

 荒れ果てた室内に、リゴールは戸惑っているようだった。

「昔は砦として使ってたみたいだねー。でも、今はもう使ってない。だからじゃないかな」
「なるほど……」
「ふふふ。素直だねー」

 私とリゴールの足が広間の中央辺りに差し掛かった時、トランは唐突にくるりと振り返る。

「さて。じゃ、歓迎といこうかー」

 トランは両腕を大きく広げ、顔に向日葵のように明るい笑みを浮かべる。
 ちょうどそのタイミングで、向こうから何者かがやって来た。フードを被った人陰は、淡々とした足取りでこちらに向かって進んでくる。

「……何者です?」

 リゴールが怪訝な顔で発する。が、フードを被った者は何も返さない。ただ、こちらに向かって足を動かすばかりだ。

 少しばかり目を凝らすと、その片手に斧が握られているのが見えた。

 フードを被った人物は、まったく乱れぬ足取りで歩いてきていたが、トランの真横でぴたりと停止した。
 そして、斧を握っていない方の手で、フードを外す。

 刹那、衝撃が駆けた。

 ——その正体が、デスタンだったから。

「デスタン!?」

 リゴールが叫ぶ。

 フードの人物は、確かに、デスタンの姿をしている。しかし、彼らしいかと言われれば、そうではない。いつものような鋭い眼光はなく死人のような目をしているところが、彼らしくないということの良い例だ。

「デスタン……なのですか?」

 動揺に顔をひきつらせながらリゴールは問う。
 だが、フードの彼がその問いに答えることはなかった。

「……これは一体、どういうことですか」

 デスタンらしき者の登場に衝撃を受けていたリゴールが、視線をトランへ移す。その時、彼の目には、怒りの色が滲んでいた。

「ん? どういうことーって、どういうこと?」
「とぼけないで下さい! ……デスタンに何をしたのです」

 珍しく声を荒らげるリゴール。

「んー、ま、ちょっと魔法をかけたかなぁ」
「すぐに解きなさい!」
「えー。せっかくかけたのに、面倒臭いなぁ」

 リゴールが真剣であるのに対して、トランは遊んでいるかのような表情だ。

「あ! そうだ。何なら、君が解いちゃいなよ」
「それは……どういう意味です」

 リゴールの発言に、トランはニヤリと笑いながら「こういう意味だよ」と小さく返す。

 そして。

「さ! あの二人、とっとと片付けちゃってよ!」

 トランは、フードの人物——魔法をかけたデスタンに、そう命じた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.50 )
日時: 2019/08/04 00:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: FLOPlHzm)

episode.47 止めさせて

 トランの命令に、魔法をかけられたデスタンはゆっくりと頷く。

 彼が無表情なのは元々。
 しかし、いつもの彼の表情のなさと今の彼の表情のなさは、明らかに違っている。

 いつもの彼は、無表情な時であっても、どことなく引き締まった雰囲気を漂わせている。また、髪で隠れていない右目には、鋭い光が宿っている。余計なことを言ったら攻撃されそう、と恐怖を感じるくらいの鋭さが、彼にはあるのだ。

 今の彼にはそれがない。

 目の前にいるデスタンは、中身を抜き取られたような顔つきをしていて、まるで空っぽの人形のよう。

 ただ、それでも、デスタンの容貌であることに変わりはなく。それゆえ、リゴールはかなり動揺しているようだった。

「行っけー!」

 トランが楽しげに放つ。
 すると、魔法をかけられたデスタンは駆け出す。

「来るわよ!」

 視線をリゴールへ移し、叫ぶ。しかしリゴールは「一体なぜ……」などと漏らしているだけ。顔面を硬直させ、動けなくなってしまっている。

 デスタンは、そんな彼に向かって、一直線に進んでくる。

 その手には斧。
 抵抗しないのは危険だ。

 床を蹴り、リゴールに飛びかかるように接近するデスタン。斧を大きく振りかぶっている。

「危ない!」

 私は咄嗟に、動けないリゴールと斧を振りかぶるデスタンの間に入った。
 反射的に前へ出したホウキの柄を、斧がへし折る。

「……っ!」

 柄を握る両手に伝わる衝撃は、これまでの人生で一度も経験したことがないような、凄まじいもので。

「リゴール! しっかりして!」

 二度目は防げない。そう判断し、背後のリゴールに向けて叫ぶ。
 すると、硬直していたリゴールの顔面が少しばかり動いた。

「……エアリ」
「デスタンさんを止めるのよ!」
「は、はい!」

 リゴールはようやく正気を取り戻したようだ。

 右手に持った小さな本を素早く開くと、左手をデスタンの方へかざした。黄金の光が帯のようになり、デスタンに向かっていく。しかし、デスタンはそれを、斧で防いだ。

「ここからはわたくしが!」

 溢れ出す光が薄暗い空間を黄金に染めてゆく。

「大丈夫なの!?」
「はい! お任せ下さい!」

 ホウキが使い物にならなくなってしまったため、私は少し後ろへ下がった。
 今度はリゴールがデスタンと対峙する形になる。

「止めて下さい! デスタン!」
「…………」

 デスタンに攻撃するということには抵抗があるのか、リゴールは魔法を放たず、説得するような言葉をかけている。しかし、リゴールの言葉はデスタンにはまったく届いていないようで。デスタンは、眉一つ動かさず、改めて斧を構えている。

「止めなさいデスタン! 貴方はこんなことをするような人ではないでしょう!」

 その時デスタンの瞳は、リゴールをじっと捉えていた。

「いい加減、目を覚まして下さい!」

 言葉を放つことはしても魔法を放つことはしないリゴールに向かって、デスタンの斧が振り下ろされる。

「……くっ」

 リゴールは咄嗟に膜を張り、デスタンの斧を防いだ。

 が、デスタンは止まらなかった。

 一発目は膜に防がれたものの、それで怯むことはなく、その流れのままもう一度大きく振ったのである。
 その二発目が、黄金の膜を砕いた。

「リゴール!」

 私は思わず叫ぶ。
 その声に反応し、リゴールは振り返る。

 ——刹那。

 彼の背中に、デスタンの斧が命中した。

 少女のように華奢なリゴールの体は、派手に吹き飛び、床に叩きつけられる。持っていた本は、彼の手を離れ、遠くに落ちる。

 俯せに倒れ込んだリゴールの背中は、赤いもので濡れていた。

「デス……タン……」

 リゴールは顔面に動揺の色を濃く浮かべながら、震える瞳でデスタンを見つめる。

「リゴール!」

 私はすぐに彼に駆け寄った。
 倒れているリゴールの近くにしゃがみ込む。

「エアリ……すみません」
「謝る必要はないわ」
「しか……し……せっかくのチャンスを……」

 意識を失ってはいない。しかし、青白い顔をしている。即死でなかったことは救いだが、辛そうであることに変わりはない。

 青白い顔をしたリゴールを見ていると、胸が締めつけらた。

「エアリ、その……本、を……戦わ、なければ……」

 まだ戦う気でいるというのか。こればかりは理解できない。出血がある状態で戦うなんて、無理に決まっている。そんなものは、ただ命を縮めるだけの行為だ。

「駄目よリゴール。その傷で動いたら危険だわ」
「しか、し……次は……エア、リが……」
「でもっ……!」

 その直後、斧を持ったデスタンの姿が視界の端に入った。

 トランによって操られているデスタンには、躊躇いなんてものはない。だから、リゴールが負傷していることなど、少しも気にならないのだろう。倒せ、と命じられれば、倒すまで攻撃する——それが今のデスタンだ。

 デスタンは迫ってくる。
 リゴールのことは心配だが、取り敢えず彼をどうにかしなくては、状況は改善しない。

「……逃げて、下さい」
「え」
「わたくしは……放って、おいて……エア、リは……」
「嫌よ、そんなの!」

 逃げ出したくない、ということはない。私だって、このどうしようもない危機から逃れられるのなら、そうしたい。でも、リゴールを放って自分だけ逃げるというのはどうしても納得できなくて。

「私がどうにかする。デスタンさんを止めるわ」

 だから私はそう言った。

「……で、ですが……」
「リゴールは怪我しているでしょう。だから動かないで」
「し……しかし……エアリ……」
「大丈夫。負けないわ」

 不安げな眼差しを向けてくるリゴールにきっぱりと告げ、立ち上がる。そして、視線をデスタンへ向ける。

「リゴールになんてことしてくれるの!」
「…………」
「目を覚ましなさいよ!」

 そう叫び、駆け出す。
 デスタンに向かって。

 そのまま彼の体に体当たり。滅茶苦茶だが、私にはもはやこれしかなかった。

 さすがのデスタンも体当たりは想定していなかったらしく、よろけて数歩後ろへ下がる。転倒には至らなかったが、確かにバランスを崩していた。

 その時、離れたところから私たちの様子を眺めていたトランが、唐突に口を開く。

「ふふふ。なかなか面白いことをするねー」

 こんなことを、軽やかな調子で楽しげに言われると、腹を立てずにはいられない。

「トラン! いい加減止めてちょうだい!」
「ん?」
「デスタンさんにかけた魔法を解いて!」

 暴れているのはデスタンだが、デスタンを暴れさせているのはトラン。つまり、元凶はトランなのだ。彼が魔法を解いてくれさえすれば、こんな戦いを続けなくて済む。

「こんな戦い、もう止めさせて!」

 するとトランは、にっこり笑って頷く。

「うん。いいよー」
「……え」

 私は耳を疑った。
 こんなにすんなりと頷いてもらえるとは、少しも考えてみなかったから。

Re: あなたの剣になりたい ( No.51 )
日時: 2019/08/05 00:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: O/vit.nk)

episode.48 最高なんかじゃない

 不気味なくらいあっさりと頷いたトランは、片手の指をパチンと鳴らす。
 その瞬間、デスタンの瞳に生気が戻った。

「……貴女が、なぜここに」

 デスタンは顔面に戸惑いの色を浮かべながら、そんな問いを放ってくる。

「正気を取り戻したの?」
「……私は一体、何を」

 彼の黄色い瞳には、言葉では形容できないような不思議な強さが戻ってきていた。トランの魔法はきちんと解けていそうである。

「トランに操られていたのよ」
「……私が、ですか」
「えぇ。そもそも強い貴方に斧なんかを振り回されたら、どうしようもなかったわ」

 さりげなく言ってみる。すると彼は、自身の手元へ視線を下ろした。そして、赤く濡れた斧を見て、瞳を揺らす。

「私は……貴女を怪我させたのですか?」
「いいえ、私じゃないわ。リゴールをやったのよ」

 彼はトランの魔法によって操られていただけで、己の意思でリゴールを攻撃したわけではない。それだけに、彼に「貴方がリゴールを傷つけた」と告げるのは、勇気が必要だった。いきなりこんなことを告げるのは酷なのではないかと、そう思ってしまって。

 だが、リゴールの負った傷が消えることはない。
 それゆえ、いつかは真実を知ることになるはずだ。

 デスタンも、すべてが済んだ後に聞かされるくらいなら、今聞かされる方がましだろう。

「王子を!? そんな……」

 らしくなく愕然とするデスタン。

「……こうしてはいられません」
「デスタンさん!?」

 視線を動かし、床に倒れているリゴールを捉えたデスタンは、斧を放り投げた。そして、そのままリゴールのもとまで駆ける。

 私はデスタンを追うようにリゴールの方へ戻りながら、トランを一瞥した。やはり、彼はまだ、口元に怪しげな笑みを湛えている。デスタンが正気に戻ったというのに、変わらず笑みを浮かべている辺り、不気味としか言い様がない。

「王子!」

 青くなった顔を床につけ、力なく横たわっているリゴールに、デスタンが声をかける。するとリゴールは、声に反応して瞼をゆっくりと開いた。

「……デス、タン」
「しっかりなさって下さい!」
「……正気を……取り、戻し……たのですね。良かった……」

 リゴールは弱々しい声を発する。
 その背は、紅に染まっていた。

「私がこのようなことを!?」
「……気に、しないで……下さい」
「やはり、私のせいなのですね」

 デスタンが顔面をひきつらせながら発すると、リゴールは目を伏せて首を左右に動かす。

「……いえ。デスタンは……悪くありません……」
「くっ……私はなんということを……」

 横たわるリゴールのすぐ傍に座り込んでいるデスタンは、悔しげに顔を歪めた。その様子を目にしたリゴールは、悲しそうな目つきになる。

 私は彼らにかけるべき言葉を見つけられなかった。だから、一歩下がって見守ることしかできなくて。リゴールは負傷し、デスタンは精神的にダメージを受け——そんな時に何もしてあげられない自分の無力さを、改めて痛感した。

 そんな時だ。
 すぐ後ろから突然声が聞こえた。

「ふふふ」
「……っ!?」

 驚いて振り返ると、そこにはトラン。
 いつの間にこんなに接近してきていたのか。

「ん? どうしてそんな怖い顔をするのかなー?」
「何なの……」
「ボクはただ、ここからが楽しいところーって教えてあげようとしただけなんだけどな」

 わけが分からない。

「意味不明って顔だね? じゃあ、仕方がないから、もう少し詳しく教えてあげるよ」

 トランは笑顔を崩さぬまま歩み寄ってくる。

「大切な人を己の手で傷つけてしまったことを知った人間の、絶望に染まった顔。最高だよねー」
「止めて!」

 トランから放たれる奇妙な雰囲気に恐怖を感じ、私は、半ば無意識のうちに彼を突き飛ばしていた。

「えー、何それ。つまらないなぁ」
「絶望した人を最高だなんて言わないで!」
「本当に最高だよ?」
「そんなことを言われても、ちっとも共感できないわ!」

 本来、このような刺激するようなことを言うべきではないのかもしれない。薄々そう思う部分もあって。でも、だからといって、トランと同じように「最高だよね!」なんて言うことはできない。そんな行為は、私の心が許してくれないのだ。

「うーん……そっか。まぁいいや。理解されないことなんてよくあるし」

 トランは三歩ほど下がる。
 それから、片側の口角だけを静かに持ち上げた。

「じゃ、そろそろ終わりにしようかなー?」

 トランが指を鳴らす。すると、床が突然せり上がってきた。私たち三人を取り囲むようなドーナツ型にせり上がってきているから、偶然ということは考えられない。

 そんなことを考えているうちに、せり上がってきた床が土人形へと変化した。

 一人で囲まれたらまずい。
 そう思い、私はデスタンの方へと駆け寄った。

 リゴールを胸の前に抱き抱えていたデスタンは、私の接近に気づくと、声をかけてくる。

「逃げましょう」

 デスタンの声は淡々としていた。が、その顔色は悪く、体調が優れない人のような顔つきだ。今の彼と行動を共にするというのは、少しばかり不安である。

「……逃げられるかしら」
「王子を早く手当てせねばなりません」
「それはそうね」

 デスタンに抱かれているリゴールは、気を失っているらしく動かない。デスタンが拾ったのか、その胸元からは本が覗いていて。しかし、気を失っている以上、リゴールは魔法を使えないだろう。

 彼の魔法があれば、土人形くらいさっと片付いたのに。

 少しそんなことを考えてしまった。

 人を抱き抱えているデスタンと折れたホウキしか持っていない私だけでは、土人形たちを突破できるか心配だ。

「ブラックスターのことなら、少しは分かります。私についてきて下さい」
「えぇ」
「死なないで下さいよ」
「もちろん。死ぬつもりはないわ。……ホウキしかないけど」

 いつの間にか少し離れたところへ移動していたトランが、土人形たちへ無邪気に命じる。

「もう殺していいよー!」

 トランの言葉を合図にして、土人形たちが一斉に動き始める。その迫力は凄まじいものだった。

 ——でも、怯んでいる場合ではない。

「行きますよ! 走って下さい!」

 デスタンの言葉に、私は頷く。
 そして、彼の背中だけを見つめて足を動かすのだった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.52 )
日時: 2019/08/05 00:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: O/vit.nk)

episode.49 逃走

 土人形の隙間を掻い潜り、埃臭い砦を飛び出す。血に染められたような空の下、足を懸命に動かす。一方、目は前だけを見つめる。そう、デスタンの背だけを。背後からは不気味な音がしていた。恐らく土人形たちが追ってきているのだろう。だが振り返ることはしなかった。今は、振り返る時間さえ惜しいから。

 数メートル先を行くデスタンは、さすがに足が早い。人を抱き抱えているにもかかわらず、私などとは比べ物にならない速度を出すことができている。持ち物は折れて短くなったホウキの柄だけ——そんな身軽な状態の私であっても、到底追いつけそうにない。

 だが、彼もある程度加減してくれてはいるらしく、私との距離がどんどん広がっていくということはなかった。

 私とデスタンの間で言葉が交わされることはない。

 静寂の中、痛々しく禍々しい色をした空の下を駆ける。それは、とても不思議な感覚で。終わらない夢でも見ているかのような、微妙な気味悪さがあった。


「追っ手の姿が消えましたね」

 デスタンが速度を落としたのは、地下通路へ入って三十秒ほど経った頃だった。

「え、えぇ……」

 その頃には、私は、酷い状態になっていた。

 息は荒れ、肩は激しく上下し、胴体の側面がキリキリと痛む。
 そんな悲惨な状態になってしまっている。

「こんな通路に勝手に入って問題ないの?」
「はい。問題ありません」

 壁から天井にかけて、大きな蜘蛛の巣が張られている。それも一ヶ所ではない。

「……ねぇ、デスタンさん」
「何でしょう」
「本当に、ここから私たちのいたところへ帰ることができるの?」

 通路らしいことは通路らしいが、私の生まれ育った世界——地上界へ繋がっているとは思えない。
 しかし、デスタンは一切迷わず、縦に首を振った。

「はい。ホワイトスターを経由し、地上界へ帰ります」
「ホワイトスター経由……」
「何か問題でも?」
「……い、いいえ。何でもないわ、気にしないで」

 本当に何でもない。ホワイトスターを通って地上界へ帰るという方法が意外で、少し驚いてしまっただけだ。

 その後、地下通路を抜けるべく歩き続けたが、通路は予想外に長かった。
 人生と良い勝負をするほどに、長かった。

 それでなくとも、暫し駆けたことで息が荒れているのに、こんな長距離を歩くとなると、かなり辛くて。

 だが、救いもあった。
 それは、土人形たちが追ってこなかったこと。

 地下通路に逃げ込んだ私たちを見つけられなかったのか、トランが敢えて泳がすことを選択したのか、そこは不明だが。

 ただ、ひとまず土人形から逃れることができたということは、かなり大きかった。


 そうして薄暗い地下通路を抜けた私を待っていたのは、空が灰色がかった世界。雨が降る直前のような空模様だ。

「……ここがホワイトスターなの?」
「はい」

 デスタンが抱いているリゴールの背から溢れていた赤いものは、そろそろ止まってきたようだ。血液の自然な働きによる変化かもしれない。

「ホワイトスターって……案外薄暗いところなのね。もっと美しい世界なのだと思っていたわ」

 デスタンの動きを頼りに、小石を蹴って歩きつつ、何げなくそんなことを発する。

「以前は美しいところでした」
「そうなの?」
「はい。そもそも、このような曇り空の日は滅多にありませんでした」
「なるほど……昔は綺麗なところだったのね」

 足下には土と砂ばかり。コケのようなものを時々見かけるだけ、ブラックスターよりかはましな環境なのかもしれないが、美しいとは思えない。

 また、首を捻って辺りを見回してみても、心踊るような光景は少しもない。
 時たま、建物の残骸らしき物体が転がっているのが見えるだけである。

「ところでデスタンさん。これはどこへ向かっているの?」
「崖です」
「が、崖……!?」
「はい。そこから飛び降りれば、あの街へ着きます」

 崖から飛び降りる、は、難易度が高過ぎやしないだろうか。

「あの街って……ミセさんの家を下っていったところの街?」
「そうです」

 坂道に差し掛かる。
 ここに来て上り坂。体力がもつか、若干不安だ。

「じゃあデスタンさんは、そうやって、あの街に着いたのね」
「はい。私はそのまま落ちましたが、王子は途中で攻撃を受け、違う方向へと飛ばされてしまいました。なので、別の場所へ到着してしまったのです」

 徐々に風が強まる。
 灰色の空が近づいてくる。

「それにしても、よく飛び降りたわね」
「生き延びるためには、そうするしかなかったのです」

 坂道は険しく、既に疲れている体へさらなる疲れを与えてくる。
 隣を行くデスタンは涼しい顔をしているが、平気なのだろうか。リゴールは重いだろうし、自身も無傷というわけでもないだろうに。

「生き延びるため、ね……」

 半ば無意識のうちに、その言葉を繰り返していた。

「そういうことです。さすがにそろそろ理解できたでしょうか」
「さすがにそろそろって何よ。失礼ね」
「間違ったことは言っていないはずです」
「……それはそうだけど」

 ちょっと感じが悪いわよ!

 そう言ってやりたかったが、こんなところに置いていかれたりしたら怖いので、言わないでおいた。


 上り坂を歩くことしばらく。
 ようやく、崖らしいところへたどり着いた。

 かなり登ってきたからか、灰色の空がとても近く感じられる。晴れていたらもっと心地よかっただろうな、と思った。

 また、風がとても強い。
 気を抜いていたら風に煽られて転んでしまいそう——そんな不安を抱いたくらいの強風だ。

「では降りましょうか」

 デスタンが淡々とした声で述べる。

「本当に飛び降りる気……?」
「当然です。それしかないのですから」

 当然? それしかない? 何よ、その言い方! そもそも、私がこんな目に遭っているのは、デスタンを助けにブラックスターへ行ったせいじゃない。助けに来てもらっていながら、お礼もなしにそんな冷たい態度をとるなんて、あり得ないわ!

 それが私の本心。

 だが、それをはっきり告げることはできない。
 なぜなら、デスタンの淡々とした振る舞いに励まされているという事実があるから。

「……そう」

 デスタンが崖の先端部にまで足を進めたので、私も同じように進む。あと一歩で落ちる、というところで立ち止まり、下を見る。

「た、高い……」

 異様な高さに、足が震え出す。

「どうかしたのですか?」
「な、何でも……ないわよ……」
「言動が不自然ですが」
「放っておいてちょうだい!」

 怖じ気づいて飛び降りられないなんてことだけは避けたい。特に、デスタンと二人の今、そんな情けない姿を晒すわけにはいかないのだ。

 だが、足の震えが止まらない。
 取り敢えずこれをどうにかしたいのだが、初体験ゆえ良い対策が思い浮かばず、困ってしまう。

 そんな私に向かって、デスタンは提案してくる。

「一人離れるのが怖いなら、服でも掴んでおいて下さい」
「……そうさせてもらうわ」

 行きも帰りもか、と、少し笑えてしまった。

「では、飛び降りましょう」

 三、二、一、で、私たちは崖から飛び降りた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.53 )
日時: 2019/08/06 14:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: eso4ou16)

episode.50 知ったような口を利かないで

 次に気がついた時、私は街にいた。

 どうやら、道の端のようだ。
 この街はミセに買い物を頼まれて何度か行ったことがある街。だから、少しは見覚えがある。

「……無事戻ることができたようですね」

 ぼんやりしていると、声をかけられた。そちらを向くと、リゴールを抱えたデスタンの姿があった。

「デスタンさん。これは……帰ってくることができたのね?」
「はい」

 地下通路でブラックスターから脱出し、荒廃したホワイトスターの上り坂をひたすら登り、凄まじい高さの崖から飛び降りた。

 正直「転落死するのでは」と思っていたが、帰ってくることに成功したみたいだ。

「怪我は」
「え。何の話……?」

 発言の意味が理解できず戸惑っていると、デスタンは、不快そうに調子を強めながらも、もう一度言ってくれる。

「怪我はないか、と、聞いているのです」
「そういうことね!」
「……速やかに答えて下さい」
「ないわ。大丈夫よ」

 私がそう答えると、デスタンはサクッと立ち上がる。そして「分かりました」とだけ発し、歩き出してしまう。

 置いていかれてしまいそうな雰囲気だったので、慌てて立ち上がり、叫ぶ。

「ちょ、ちょっと待って! 置いていかないで!」


 そして私たちはミセの家へ帰った。

 薄汚れた私やデスタン、そして意識のないリゴールを見て、ミセは愕然としていた。何が起こったのか分からなかったのだろう。

 だがそれも無理はない。
 もし私がミセの立場であったなら、彼女と同じような顔をしただろうと思う。

 その後、デスタンがミセに、リゴールが傷を負ったということを話した。するとミセは「知り合いの医者を呼ぶ」と言ってくれて。彼女のおかげで、リゴールは医者に診てもらえることになった。


 ミセの家、私とリゴールの部屋。
 意識のないリゴールは、ベッドに横向けに寝かせられている。

「……うむ。まぁ大丈夫でしょう」

 駆けつけてくれた医者は、意識のないリゴールの手当てを終えて、そう言った。

「本当ですか!?」

 医者が発した言葉が嬉しくて、私は思わず大きな声を出してしまった。
 そんな私へ視線を向け、医者は穏やかに微笑む。

「あぁ、大丈夫だよ。手当てもできたし、命に関わるほどではないよ」
「良かった……」

 医者の表情と声の柔らかさに、胸の内の不安の塊が溶けてゆくのを感じた。

「本当に大丈夫なのかしら?」

 私やデスタンと同じようにリゴールの様子を見守っていたミセが、不安げな眼差しで確認する。

「えぇ。大丈夫ですよ」
「そう……なら良いのだけれど」
「相変わらず優しいですね、ミセちゃん」
「何それー? 面白いわねぇ」

 ミセは頬を緩め、水の入った桶を持って部屋から出ていった。

「では、そろそろ失礼しましょうかな?」

 続いて、医者がゆっくりと腰を上げる。

「ありがとうございました」

 私は医者に頭を下げる。
 すぐ隣にいるデスタンも、無言ながら頭を下げていた。

「また何かあれば、いつでも呼んでくれていいからね」
「はい。本当にありがとうございます」

 医者は持ってきていた荷物を素早くまとめ、部屋から出ていった。

 部屋に静けさが戻る。

 リゴールの、包帯が巻き付けられている背中を見下ろし、少しばかり安堵する。命を落とす可能性がないなら、ひとまず安心だ。

「大丈夫そうで良かったわね」

 隣で黙り込んでいるデスタンに話しかけてみる。
 しかし返事はない。
 もう一度声をかけてみる。

「……デスタンさん」

 すると、彼はようやくこっちを向いた。

「失礼。何か?」
「リゴール、大丈夫そうで良かったわね」

 今度は言葉が届いたようだった。が、彼は暗い顔で「はい」と返すだけで。それ以上何かを発することはなかった。

「どうしたの、デスタンさん。もしかして、体調が優れないの?」
「なぜそのようなことを」
「顔色が良くないからよ。暗い顔をしているわ」

 そう述べると、彼は暗い顔のまま返してくる。

「……この状況で明るくあれというのは無茶でしょう」

 静かで弱々しい声だった。

「……王子にこんな傷を負わせた張本人が、私なのですから」

 デスタンはリゴールを怪我させてしまったことを悔やんでいるようだ。操られていたのだから仕方ない、と、私は思うのだが。

「貴方が自身の意思でやったわけじゃないもの、そんなに気にすることはないと思うわ」
「いえ。気にするべきことです」
「リゴールだって、きっと、貴方を恨んだりしていないわよ」
「……それは、王子がお優しい方だからです」

 逃げている間、彼は常に落ち着いていた。だから、さほど気にしていないものと思っていたのだが、実は結構気にしているようだ。

「……王子にこの手で傷を負わせた。許されることではありません……」

 デスタンは微かに俯く。
 濃い藤色の髪に半分くらい隠された顔は、今の私の位置からでははっきり見えない。

 それでも、落ち込んでいるのだと察することはできた。

 彼がしょんぼりしているというのは不思議な光景だ。だが、慕い仕えている者を傷つけてしまったという辛さは、何となく分かる気がする。

「デスタンさん……」

 何とか励ましたいところだ。

「その、そんなに気にすることはないと思うわよ?」
「気にしますよ!」

 励まそうとして言ってみたのだが、鋭く返されてしまった。

「貴女はいつもそんな調子なので、はっきり言って嫌いです」
「え!?」
「ま、この気持ちは分からないでしょうね。実の父親を亡くした時でさえヘラヘラしていた、そんな貴女には」

 つい先ほどまでは弱っているようだったのに、急に攻撃的な物言いをし始めるデスタン。

「なっ……何よその言い方!」
「親の死さえ悲しまない人に、今の私の心が理解できるとは思えません」
「失礼ね! 私だって、悲しくなかったわけじゃないわよ。知ったような口を利かないで!」

 喧嘩するつもりなんてなかった。だが、私の心をすべて知っているかのような言い方をされるのは、どうしても許せなくて。だから、つい口調を強めてしまったのである。

 その後沈黙が訪れてから、少し言い過ぎたかなと思い、私は小さく「ごめんなさい」と謝った。それに対してデスタンは「……いえ」とだけ返してくる。棘のある発言をしてくる彼だが、私に対して凄く怒っているというわけでもないようだ。

 だが、それからの時間は、言葉にならないほどの気まずさで。

 こんな時、リゴールがいてくれたら——そう思わずにはいられなかった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.54 )
日時: 2019/08/06 19:59
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: z6zuk1Ot)

episode.51 ありがたいことです

 翌日、昼過ぎ頃になって、リゴールは意識を取り戻した。

「……うぅん」
「リゴール! 目が覚めたの!?」
「……エア、リ」

 昨夜はベッドを彼が一人で使っていたため、私は床に布を敷いて、そこで寝た。眠れないというようなことはなかったものの、長時間慣れない体勢でいたせいか、背中や腰が痛い。だが、そんな不快感は、リゴールの目覚めによって吹き飛んだ。

「今は……夜ですか……?」

 左を下にして横になっていたリゴールは、「体勢が少し不快」とでも言いたげに体をもそもそ動かしながら、そんなことを質問してくる。

「今は昼過ぎよ」
「昼……そう、ですか……」
「何か問題でも?」
「いえ……特に、意味は……ありませんが」

 その頃になって、ふと気づく。
 今のリゴールには外が見えていないのだと。

 窓の外を眺めるためには顔面を窓の方へ向けなくてはならないが、彼は逆向いてしまっている。外を見ようと思ったら、寝返りしなくてはならないのだ。

 一人そんなことを考えていると、リゴールが唐突に大きな声を出した。

「そうでした!」

 それまで小さな声を発していた彼が急に大きな声を出したことに、私は驚かずにはいられなかった。予想していなかったことが突然起こると、胸がドキドキして痛くなってしまう。

「な……何……?」
「デスタン!」
「え……?」
「デスタンはどうなったのですか!?」

 目を見開きながら強く発するリゴール。

「落ち着いて。デスタンは無事よ」
「本当ですか!?」

 リゴールは気を失う直前、正気を取り戻したデスタンと言葉を交わしていた。だから、デスタンが正気を取り戻したことは知っているものだと考えていたのだが、リゴールは覚えていないようである。

「えぇ、大丈夫。彼は正気を取り戻したわ。それに、怪我もほとんどないわよ」

 私がそう述べると、彼は安堵したように「そうですか……良かった」と呟いていた。
 己が負傷している状態であっても、他人のことを気にかけている辺りは、彼らしいと言えるかもしれない。

 ただ「今は自分の心配をして」と言いたい気分だ。

「リゴール、気分はどう? 背中の傷は、昨日、ミセさんの知り合いのお医者さんが手当てしてくれたのだけど」

 一応これまでの状況を伝えておく。
 すると彼は静かに微笑んだ。

「手当てして……いただけたの、ですね……ありがたいことです」

 穏やかな表情の彼を見ていると、こちらまで心が軽くなってくる——そんな気がして。だからこそ、勇気を出せた。

「あの時は余計なことを言ってしまって、ごめんなさい」

 ちなみに、その勇気とは、謝る勇気のことである。

「えっと……何のお話、でしょうか……」
「私が『リゴール!』なんて叫んでしまったから、気を散らしてしまって。結局それが怪我に繋がった。だから、悪かったなって思っていたの」

 リゴールを物理的に傷つけたのは、操られていたデスタン。でも、私の振る舞いが、リゴールを間接的に怪我させたことも事実。

「……エアリ、それは……考え過ぎでは?」

 きょとんとした顔で言ってくるリゴール。

「そうかしら」
「えぇ……わたくしはそう思いますが」
「……ありがとう、リゴール。優しいのね」

 途端に、彼の面が赤く染まる。

「なっ……い、いえ、そのような……ことは……」

 赤くなるわ、ひきつるわで、リゴールの顔面はおかしなことになっている。しかも、言葉の発し方さえ不自然。

 いきなりどうしてしまったのだろう。

「どうしたの?」
「えっ、あ……その、ところで!」
「ん? 何?」
「デスタンはそのうち来るのでしょうか!?」

 いや、いきなりどうした。

 内心突っ込んでしまった。

「デスタンに会いたいのね?」
「は、はいっ……」
「分かったわ。じゃ、呼びに行ってみるわね」

 私一人でデスタンのところへ行くというのは少し不安ではあるのだが、リゴールの望みを叶えたいという気持ちがないわけではないので、呼びに行ってみることにした。


 一人廊下を歩いていると、ミセに遭遇。

「あーら、エアリじゃなーい。お出掛け?」
「いえ。リゴールが目覚めたので、デスタンさんを呼ぼうと思って」

 するとミセは、あらまぁ、というような顔をした。

「呼んでも出てこないかもしれないわよ」
「そうなんですか?」

 何かあったのだろうか。

「デスタンったら、昨夜も様子がおかしくて。『デスタンも怪我してるんじゃない? 良かったら手当てするわよ』って声をかけたのに、無言で部屋に入っていってしまったのよ」

 ミセの話を聞き、少し驚いた。

 デスタンはあんな性格だが、ミセに対してだけは善良な感じに振る舞っていた。不気味に思ってしまうくらい、優しげに対応していたのである。

 そんな彼が、ミセを無視するなんて、とても信じられない。

「きっととても辛い思いをしたのね……可哀想に……」

 ミセの言い方はやや演技がかっている。けれど、デスタンを心配しているという部分に偽りはないはずだ。

「そういうわけだから、エアリが呼んでも出てこない可能性は高いわよー」
「ですね。取り敢えずは数回声をかけてみて、後は様子を見ることにしますね」
「それが良いと思うわ」


 デスタン用の部屋の前に着く。軽くノックしてみるが、返事はなかった。五秒ほど経って、今度は「デスタンさん!」と名を呼んでみる。しかし、言葉が返ってくることはなく、もちろん、扉が開くこともなかった。

「あらあら。やっぱり駄目そうねぇ」
「……そうですね、困りました」

 はぁ、と溜め息をつく。

「ホントよねぇ。アタシも困っちゃうわ。デスタンに会えない暮らしなんて、辛すぎよぉ」
「寝ているのでしょうか……」
「昨夜のことがあるから、余計に心配だわ」

 まさか、また操られているとか?

 そんなことが、ふと、脳に浮かんだ。
 だが、「それはない」と、心の中で速やかに否定する。

 リゴールを傷つけてしまったことを悔やんでいるうちに体調を崩しでもしたのだろう。きっとそうだ。

「出てきそうにないですね」
「あらあら。でも、どうやら本当にそうみたいねぇ」
「では、私は一旦部屋に帰ります」

 リゴールを長時間一人にしているのは嫌だからそう言った——ちょうどその時。

 唐突にチャイムが鳴った。

Re: あなたの剣になりたい ( No.55 )
日時: 2019/08/06 20:00
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: z6zuk1Ot)

episode.52 訪問者

 チャイムを鳴らしたのは、昨日お世話になった医者だった。

「どうも、こんにちは」

 白色のあごひげが生えた優しそうな顔立ちの医者が、うぐいす色の布製鞄を持って、訪ねてきたのだ。

「あーら、リゴールくんの様子を見に来たのかしら?」
「あぁ、はい。そうです。呼ばれたら、というつもりでいたものの、つい気になってしまいましてな」

 医者とミセのやり取りを傍で聞いていると、リゴールのことを気にかけてくれていたのだなと分かり、嬉しい気持ちになった。

「あらあら。相変わらずねぇ」
「迷惑でしたかな? なら帰りますが……」
「あーら。別に、迷惑だなんて言っていないわよ?」

 ミセは唐突に、こちらへ視線を向けてくる。

「ね? エアリ」

 いきなり振ってこられたことに戸惑い、すぐに返事することはできなかった。が、数秒後に「はい」と言って頷くことはできた。私にしてはましな方だろう。

「そういうことだから、入っていいわよ」
「おぉ……! それは嬉しい!」


 私は、ミセと医者と三人で、リゴールがいる自室へと戻った。

 最初に私が部屋に入ると、ベッドに寝ているリゴールは目を輝かせた。デスタンを連れてきたと思ったのだろう。私は、彼に期待させてしまわないよう、「デスタンは連れてこれなかった」という事実を簡潔に伝えた。するとリゴールは、落胆とまではいかないが残念そうな顔をする。

 その様子を見たら、申し訳ない気分になった。

 だが仕方ない。
 デスタンが出てきてくれないのだから。

「代わりと言ってはおかしいかもしれないけれど、お医者さんが来てくれたわよ」
「そうなのですか……!」

 ちょうどその後のタイミングで、医者とミセが入室してくる。
 ミセは入室するや否や、扉から一番近い隅に移動する。

「こんにちは。調子はいかがかな?」

 医者は面に穏やかな笑みを浮かべ、リゴールに柔らかく話しかけた。

「あっ……! 昨日さくじつお世話になったお医者様……ですか!」

 医者の姿を捉えたリゴールは、半ば反射的に上半身を起こそうとする。医者はそれを、素早く制止した。リゴールは医者の制止に素直に従い、再び体を横にする。

「覚えてくれていたのですかな?」
「いえ……その、エアリからお聞きしました」
「なるほど」
「お世話に、なったにも……かかわらず……覚えておらず、申し訳ありません……」

 医者は歌うように「いやいや」と発しつつ、おおらかな足取りでリゴールが横になっているベッドへ近づいていく。そして、持っていたうぐいす色の布製鞄を、ベッドのすぐ近くへ下ろした。

「では、傷を少し診ましょうか」
「そんな……わたくしは、その……代金を払えません」
「代金は結構ですよ。今日はこちらが勝手に来てしまっただけですから」
「しかし……ただでというわけには……」

 リゴールの遠慮がちな言葉を遮り、医者は言う。

「さて。では傷の様子を確認させていただきましょうかね」

 それでもリゴールは断ろうとしているようだった。しかし、医者は意外と押しが強くて。断ろうとしているリゴールのことなどお構いなしに、処置を始めた。


 昨日巻いた包帯を解き、傷口の状態を確認した後、消毒して薬を塗って、新しい包帯を巻く。医者は慣れた手つきでそれらを行っていた。何げにたくさんのことを行わなくてはならないから、大変そうだ。

 しかし、十数分ほどですべての作業が終わった。
 さすがに仕事が早い。

 処置を終わらせると、医者は「また明日も覗かせていただきますからね」と告げて、去っていった。

 医者が出ていくと同時にミセも部屋から出ていき、室内には私とリゴール、二人だけになってしまった。

「お疲れ様!」

 ベッドの脇へ移動し、俯せで寝ているリゴールに声をかける。
 すると、彼はすぐに首から上だけを私の方へと向けた。青い双眸には、たおやかな光が宿っている。

「あ……お気遣いありがとうございます」
「背中、結構痛む?」
「いえ。安静にしていれば問題ありません」

 リゴールの答えは、迷いのない、はっきりしたものだった。
 答え方に芯の強さが見え隠れしている。

「ところでエアリ。デスタンはどのような状態でしたか」
「……え?」
「ですから、デスタンの様子についてお尋ねしたのです」
「そ、そうだったわね! ごめんなさい」

 デスタンの様子。可能ならば、きちんと伝えたいところだ。ただ、今のままでは私にもよく分からないから、伝えようがない。

「部屋にいるみたいなのだけど……呼んでも出てきてくれないの」

 私がそう言うと、リゴールは怪訝な顔をする。そしてそれから、僅かに動き、体の左側面が下になるように体勢を変えた。

「それは……何かあったのでしょうかね……?」
「ミセさんの話によれば、昨夜から様子がおかしかったみたいよ」
「……わたくしが自ら行くしかないのでしょうか」

 それは良い案かもしれない。

 リゴール本人が呼べば、さすがに出てくるだろう。デスタンはああ見えて真面目なところもあるから、主を無視するなんてことはできないはずだ。

 ただ、良い案であっても、実行できるかとなると話は別である。

「リゴール。動くのはまだ止めておいた方がいいわ」

 手のひらをベッドにつき、腕の力だけで無理に体を起こそうとするリゴールを、私は制止した。
 致命傷にならなかったとはいえ、斧で豪快にやられたのだ。一日二日で回復する傷ではない。

「しかし、デスタンの様子が気になります。体調不良なら、早めに処置した方が良いでしょうし……」

 言いたいことがたくさんありそうな目をしている。

「待って、リゴール。デスタンのことが心配なのは分かるけど、今は自分の体をいたわるべきだわ」

 そう告げると、リゴールは子どものように頬を膨らませた。

「……ですが、気になるものは気になるのです」

 なぜ、こんな時に限って頑固なのか。
 自分の意思を通そうなんて、いつもは絶対にしないのに。

「分かったわ。じゃあ、もう一度私が見てくるから。だから、リゴールはここにいて?」
「……しかし、エアリが呼んだのでは……出てこないのでは?」
「それはそうかもしれないわね。けど、リゴールを動かすわけにはいかないわ。だから私が呼んで来る。それでもいいでしょ?」

 するとリゴールは四秒ほど考えて。

「え、えぇ。もちろんです」

 頬を緩めつつ、そう答えた。
 いつものリゴール、というような顔に戻っている。

「じゃあ早速。呼びに行ってみるわね」
「お手数お掛けします……」
「いいのよ。気にしないで」

Re: あなたの剣になりたい ( No.56 )
日時: 2019/08/07 03:30
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: j9SZVVec)

episode.53 いつも冷ややかな彼女、今日も冷たい

 ブラックスターの首都に位置するナイトメシア城。
 その三階の一室、グラネイトの部屋に、ウェスタが足を踏み入れる。

「……いきなり呼び出して、どういうつもり」

 入室するなり冷ややかな言葉を発するウェスタ。その瞳は、静かな威圧感を放っている。

「いんや! 特に何でもないぞ!」

 ウェスタはグラネイトに呼び出され、彼の部屋に着いたところだ。だが彼女は、特に用事があるわけでもない様子のグラネイトを見るや否や、部屋から出ていこうとする。

「いや! 待ってくれよ!」

 二人掛けのソファに横たわり、ネズミの干物を怠惰に摘まんでいたグラネイトは、光の早さで立ち上がる。

「……何」
「グラネイト様はなぁ! この前あの王子にやられて怪我したんだ! だから、少しくらい傍にいてくれよ!」

 グラネイトはウェスタに歩み寄っていく。そして、腕を伸ばそうとしたのだが、ウェスタはそれを振り払った。

「……サービスしに来たわけではない」

 ウェスタはグラネイトを睨む。
 グラネイトが親の仇であるかのような睨み方だ。

「何をする! 仲間だろ!?」
「……帰る」
「待ってくれよ! ウェスタ!」

 何とか引き留めようとするグラネイトだが、ウェスタにはちっとも相手にされていない。

「嫌。用がないなら帰る」
「ま、待て! ならはっきり言おう。用はある!」

 グラネイトの言い方は、いかにも引き留めるため、という雰囲気の言い方だった。
 しかしウェスタは足を止める。

「……あるのかないのか、はっきりして」
「ある! あるんだ! ふはは!」

 するとウェスタはグラネイトの方へ向き直る。

「なら……聞いてもいい。ただし、手短に」


 その後、ウェスタはグラネイトから、ブラックスター王直属軍のトランが行ったことについて聞いた。

 デスタンを連れ去り、リゴールをブラックスターへ来させるための餌にしたこと。また、魔法で操り、リゴールを怪我させ、デスタンに大きな罪悪感を抱かせようとしたこと。

 ちなみに、それらはすべて、グラネイトが城内の噂で聞いたことである。

「それは……兄さんがブラックスターへ来ていたということ……?」
「ふはは! そうみたいだな!」

 グラネイトは、二人掛けソファにどっかりと腰掛けながら、サイドテーブルにちょこんと乗った皿から、ネズミの干物を摘まんでいる。話を聞くため彼の隣に座っているウェスタは、グラネイトがネズミの干物を食べるのを見て、渋い顔をしていた。

「だが、そこまでやっておいて逃がすとは、馬鹿らしいぞ! ふはは!」

 軽やかに笑い飛ばすグラネイト。しかし、彼の隣のウェスタはというと、真剣な顔をしている。

「少しくらい……会わせてくれれば良かったのに」
「何言ってんだ? ウェスタ」
「……兄さんを、取り返せたら」

 ウェスタの意味深な発言に、グラネイトは戸惑いの顔。

「いや、だから、何言ってんだ?」
「……べつに」
「はぁ? 気になるだろ!」

 するとウェスタはさくっとソファから立ち上がる。

「……帰る」

 彼女の突然の行動に、グラネイトはさらに戸惑いの色を濃くする。

「何だって!?」
「……帰ると言っている」
「いや待てよ! さすがに急すぎるだろ!」

 グラネイトも立ち上がる。

「このグラネイト様に事情を説明しないつもりか!?」
「……説明する必要はない」
「そんなことは許さないぞ!」

 ネタのように言うグラネイト。
 だが、ウェスタはそれに乗らず、冷ややかに返す。

「……何とでも言えばいい」

 そして、ヒールを鳴らしながら扉に向かっていく。

「あ、ちょ、待って! 待ってくれよ!」
「嫌」

 きっぱり言われ、グラネイトはショックを受けた顔をする。

「えぇっ。病み上がりのグラネイト様に冷たくしないでくれよー!!」
「もう来ない」
「ナッ!? ウソォッ!!」

 ウェスタが放つ心ない言葉にショックを受けつつも、何とか耐えていたグラネイト。しかし、「もう来ない」という強烈な一撃にはさすがに耐えられなかったようで、その場に崩れ落ちてしまった。今や彼は、生気のない顔で部屋から出ていくウェスタの背を見送ることしかできない、そんな悲しい状態であった。

「はぁ……。また駄目、か」

 一人きりになった部屋でグラネイトは呟く。

「どうすれば上手くいくのか……グラネイト様には……まったく分からん……」


 扉が閉まった、その時。

「あはは、面白ーい」

 突如耳元で誰かが発した。驚いたグラネイトは「何者だっ!」と鋭く放ち、素早く身を返す。
 グラネイトの視界に入ったのは、トラン。

「なっ……なぜここに!」
「ふふふ。びっくりしたみたいだねー」

 曇りのない笑顔、明るい声。
 トランはまさに不気味さの塊だ。

「いきなり現れられたら驚くに決まってるだろう!」
「ま、そうだよね」

 他人の部屋に勝手に侵入するというだけでも問題なのに、トランはまったく罪悪感を抱いていない様子。

「分かっているならするな!」
「ふふふ。そういう反応をしてもらえたら、余計にやりたくなるなぁ」
「未熟な男が好きな娘を苛めるみたいなことをするんじゃない!」
「ふふふ。反応面白いねー」

 トランは他人のソファに堂々と腰掛ける。

「ところでさ。ちょーっと協力してもらいたいことがあるんだけど、いいかな?」

 自己中心的に話を進めるトランに戸惑いつつも、グラネイトははっきりと返す。

「断る!」

 きっぱり拒否されたトランだが、何事もなかったかのような顔でさらに頼み込む。

「協力してよ。君の願いを叶えてあげるからさー」

 トランが微笑しつつ発した言葉に、グラネイトは眉頭を寄せる。

「……願い、だと?」
「うんうん。そうだよー」
「この偉大なグラネイト様の願いが分かるというのか?」

 トランは「ふふふ」と笑い、それから静かに述べる。

「ウェスタの心を掴む、だよね?」

 グラネイトは目を見開いた。
 灰色に近い色みの顔面に、動揺の色が広がってゆく。

「な……なぜそれを」

 グラネイトの声は震えていた。

「えー? なぜなんて答えるまでもないよ。ちょっと見ていれば分かることだし」
「このグラネイト様の心を読むとは、なかなかやるな……!」
「あはは、大層ー」

 二人の会話は、若干噛み合っていない。が、心理的にはトランの方が優位と言えるだろう。

「ボク、君がウェスタに振り向いてもらえるよう手伝うよ」
「お前のような子どもに何かできるのか?」
「あはは、失礼ー」

 トランはソファに腰掛けたまま、あっけらかんと笑っている。グラネイトが真剣な顔をしているのとは対照的だ。

「心配しなくていいよ。女の子の心を掴む秘訣、ボクはちゃーんと知ってるからさ! だから、君はボクの仕事を少しだけ手伝って?」
「……何を手伝えばいい?」
「ふふふ。ありがとー」

 歌うように礼を述べ、トランはソファから立ち上がる。そして、その場でくるりと一周し、グラネイトに接近していく。

「君は王子を殺っちゃって?」
「……何だと。自慢じゃないが、このグラネイト様は、既に、あいつに何度も負けている。にもかかわらず、なぜそれを頼む? 理解できないのだが」

 怪訝な顔をするグラネイトに、トランは「怖いのー?」などと冗談めかした言葉を投げかける。それに対しグラネイトは、「怖いわけではない!」と断言した。

「ふふふ。ならいいよね? よろしくー」

Re: あなたの剣になりたい ( No.57 )
日時: 2019/08/07 23:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: jX/c7tjl)

episode.54 素っ気ない

 あれ以降、デスタンが素っ気ない。

 いや、彼が私に冷たいというのは、今に始まったことではない。それは前から。だから、今さら驚くようなことではない。

 ただ、最近の彼がおかしいところは、リゴールにも素っ気ないところである。

 しかも、一日二日ならまだしも、既に一週間が過ぎているというのにその状態が継続しているのだ。どう考えても、おかしいとしか思えない。

 これまでのデスタンは、リゴールを大切に思っているようなことを言っていたし、それに相応しい行動をとっていた。家にいる間は、リゴールの傍にいることも多かった。

 しかし彼は、あれ以来変わってしまった。
 私だけでなくリゴールにまで素っ気ないし、ミセといちゃつく会にも参加していないようだし。


 そんなある昼下がり、ミセの家の廊下で浮かない顔のデスタンと遭遇した。

「デスタンさん!」

 私は声をかけた。
 この機会にどうなっているのか聞こうと思って。

「……何か」
「今、少し構わないかしら」
「……どうかしましたか」

 冷ややかなデスタンの瞳に見つめられると、うなじが粟立つ。何でもない、とだけ言って速やかに別れたいような感覚に襲われた。

 それでも、私は話を続ける。

「どうしてリゴールに素っ気なくするの」

 リゴールは、デスタンが自分に素っ気ない態度をとられることを、凄く気にしていた。それも「自分がデスタンを傷つけてしまったのかもしれない」というような心配の仕方だった。

 自分に罪があるかのように思って心配しているリゴールなんて、気の毒で見ていられない。

「私やミセさんに素っ気ないのはまだ分かるわ。けど、リゴールにまで素っ気ない態度をとる必要なんて、欠片もないじゃない」

 デスタンは足を止め、私の鼻辺りを凝視している。

「リゴールは自分を責めているの。自分がデスタンを傷つけてしまったのかもしれない、って。もうこれ以上彼を不安にさせないで」
「……はぁ」

 面倒臭そうな顔をされてしまった。
 本来なら苛立つところだが、今は、呑気に小さなことで苛立っている場合ではない。

 私はさらに問いを放つ。

「リゴールに素っ気なくする理由は何?」

 デスタンはすぐには答えなかった。が、十秒ほど経過した後、静かに口を開いた。

「……迷惑をかけたくないので」

 想定外の答えに戸惑う。

「え……それはどういう……」
「言っても分からないでしょう、貴女には」
「な、何よ! その言い方!」

 失礼な発言にカチンときて、つい調子を強めてしまう。だが今日は「こんなことに腹を立てている場合じゃない」と気づき、何とか冷静さを取り戻すことができた。

「……ま、それはともかく。これ以上リゴールを心配させたら、許さないわ。たとえどんな理由があったとしてもね」

 私がそう言った直後、デスタンは突然、ふっと笑みをこぼした。
 なぜ笑うのか分からず、戸惑う。

「な……どうして笑うのよ。私を馬鹿にしているの?」
「まさか」
「だったら何なの?」

 問うと、デスタンは微笑んだ。

「王子も安心ですね……貴女のような人が傍にいれば」

 その微笑みは、彼がいつもミセに向けていたような、作り物の微笑みではなく。もっと自然で柔らかく、素朴なものだった。

 ——だが、どこか寂しげだ。

 それに、今の彼の微笑みは、ある日突然消えてしまいそうな儚さを、確かに含んでいる。

「え……いきなりどうしたのよ、デスタンさん。貴方はそういう性格じゃないわよね。もしかして……まだ操られてる?」

 すると彼はきっぱり「それはありません」と返してきた。

 それでこそデスタン。
 その冷ややかではっきりした言動が、彼らしさ。

 急に微笑んだりされたら、逆に不安になってしまう。

「……では。そろそろ失礼します」
「待って!」

 再び歩き出そうとしたデスタンの手首を、私は、半ば無意識のうちに掴んでいた。考えるより先に体が動いていたのである。

「リゴールのところへ行きましょ!」
「……は?」

 素で返されてしまった。
 もう少し気を遣ってくれてもいいのに、などと内心愚痴を漏らしつつも、平静を保って述べる。

「リゴールに、なぜ素っ気なくしていたのか、きちんと話してあげてほしいの」
「……なぜ貴女に命令されなくてはいけないのか、理解できません」
「命令しているわけじゃないわ。ただ、リゴールのことを思って頼んでいるの」
「……王子の頼みならともかく、貴女の頼みに応じる気は微塵もありません」

 どうしてそんなに頑ななの!

 少し苛立った私は、掴んでいたデスタンの手を引っ張る。

「なっ……」
「いいから、来て!」

 リゴールに素っ気なくしていたのが、幻滅しただとか、付き合いきれなくなったとか、そういう理由でないのなら、会うことに問題はないはずだ。


 私はデスタンを、引きずるようにしながら、リゴールがいる部屋——私とリゴールの自室まで、何とか連れていった。

 扉を開け、私が先に部屋に入る。
 すると、ベッドの上で座っていたリゴールが、すぐに視線をこちらへ向けた。

「エアリ……!」
「ただいま、リゴール」

 リゴールの瞳は輝いている。

「デスタンさんを連れてきたわ」
「えっ……」

 それまでの嬉しそうな表情から一変、顔面を曇らせるリゴール。さらに、私の後ろからデスタンが現れたのを見て、リゴールは気まずそうな顔をする。が、そんなことは気にせず、デスタンをリゴールの近くまで連れていく。

「デスタン……来て下さったのですか」

 先に口を開いたのは、物凄く気まずそうな顔をしているリゴールの方。

「連れてこられたのです」
「……そ、そうですよね。すみません」

 リゴールは小動物のように身を縮めた。この場にいることが辛い、とでも言いたげな顔をしている。

 そして訪れる静寂。

 次にそれを破ったのは、デスタンだった。

「王子。正直に答えていただきたいのですが」

 デスタンがいきなり自ら話し出したものだから、リゴールは驚きと戸惑いが混じったような表情になる。

「は、はい……」
「貴方は今でも、私を必要としていますか」
「え……。なぜそのようなことを?」
「答えて下さい」

 淡々と言われたリゴールは、顔色を窺うようにデスタンを見ながら、小さく答える。

「それは……もちろん、です」
「気を遣うことはありません。本当のことを答えて下さい」
「わ、わたくしは嘘はつきません!」

 リゴールは調子を強める。

「わたくしには貴方が必要! それに嘘偽りはありません!」

 しかし、デスタンは固い顔つきのまま。

「私は貴方を傷つけました。それでも貴方は、私を信頼するのですか」
「何を聞いているのですか? 攻撃したのはデスタンの意思ではない……にもかかわらず、わたくしが貴方を責めるとお思いで?」

 問いに問いが被さり、表現しづらい空気が漂う。
 直後、リゴールは何か閃いたような顔をする。

「もしかして。デスタンがここのところあまり接して下さらなかったのは、それを気にしていたからなのですか?」

Re: あなたの剣になりたい ( No.58 )
日時: 2019/08/10 04:52
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFLyzH3q)

episode.55 今日は快晴、お散歩日和

 リゴールは相変わらず自信なさげな顔つきをしていたが、その発言は的を射ていた。

「……はい。また迷惑をかけることになってはいけないと思い」

 デスタンは素直に頷いて述べる。
 すると、リゴールはベッドからゆっくりと立ち上がった。

「良かった……! わたくしのことが嫌いになったというわけではなかったのですね……!」

 自身よりずっと背の高いデスタンを見上げ、リゴールは嬉しそうに発する。嫌われたわけではないと分かり安心したらしく、外敵に怯える小動物のようだった顔面はほぐれ、柔らかな顔つきになっていた。

「何というか、すみません」
「いえ! 謝らないで下さい! 嬉しいことですから!」

 子どものように無垢な笑みを浮かべるリゴールを目にしたからか、デスタンも若干柔らかい顔つきになっている。

 険しい道を行くからこそ。
 危機がすぐ傍に存在する暮らしだからこそ。

 笑顔でいてほしい。

 柔らかな雰囲気に包まれている二人を眺めていると、その思いが伝わったような気がして、私も少し嬉しくなった。

「ところでデスタン、貴方の怪我は問題ないのですか?」
「怪我、とは」

 デスタンは首を傾げる。そんな、よく分かっていない様子の彼に対し、リゴールははっきり告げる。

「連れていかれる時、トランにやられた傷のことです!」

 するとデスタンは、無表情のまま、ゆっくりと頭を縦に動かした。

「なるほど。それなら問題ありません。なぜか手当てされていましたので」

 きょとんとした顔になるリゴール。

「な……手当てされていたのですか?」
「はい」

 デスタンの短くもしっかりした返答を聞き、リゴールは面に安堵の色を滲ませる。

「それは良かったです。が、少し意外です。ブラックスターの者がそのような親切なことをするとは……あ、いえ! ブラックスターを悪く言っているわけでは! その……ないのですよ!?」

 安堵の色を浮かべていたかと思えば、急に慌て出す。それも、何か言われたわけでもないのに。
 リゴールの言動は、とにかく落ち着きがなかった。

「落ち着いて下さい、王子」
「あ。は、はい……すみません……」

 デスタンが落ち着くよう言ったからリゴールは止まった。が、もしデスタンが落ち着くよう言わなかったとしたら、リゴールはもっとあたふたし続けていたことだろう。

「で、では……デスタン。いきなりで申し訳ありませんが、散歩にでもいきませんか?」
「なぜですか」
「実はわたくし、少し外の空気を吸いたかったのです」
「そうですか、分かりました」

 背中に傷を負って以降、リゴールはずっとミセの家の中にいた。直後は一日のほとんどの時間をベッドに横になって過ごしていたし。数日が経過して動けるようになってきてからも、たまに家の中をうろつく程度だったし。だから、段々「外の空気を吸いたい」と思ってくるのも、無理はないだろう。

 そんなことを考えつつ二人の様子を眺めていると、リゴールが突然こちらへ視線を向けてきた。

「構いませんよね? エアリ」
「え。どうして私なの」
「少しくらいなら外へ行っても問題ありませんよね?」

 いや、取り敢えず私の発言も聞いてほしいのだが。

「え、えぇ。激しい運動でなければ大丈夫だと思うけど……」
「では少し、行って参ります!」

 急展開過ぎてついていけない。

「ちょっと待って。どこへ行くの?」
「そこらまでのつもりですが……何か問題がありますか?」

 散歩と言いつつ遠くまで行く、ということがあったらと思い、一応聞いてみたのだ。が、返ってきたのは「そこらまで」という答え。私は少し安心した。

「あ! もし良ければ、エアリも一緒に行きますか?」
「悪いわ。せっかく二人で語らえる時間なのに」
「いえ! わたくしはエアリも一緒の方が嬉しいです!」

 なんのこっちゃら。


 そうして私は、二人と一緒に家の外へ出た。

 今日は快晴。
 空は青く澄んでいて、ただ見上げるだけで心を爽やかにしてくれる。

「よく晴れていますね……!」

 頼りない足取りで歩いていたリゴールは、家から出るや否や、感心したように瞳を輝かせる。

 高台から見下ろす街。
 溶け合うような、空と海の境界線。

 言葉にならないくらい美しい光景だ。

「快晴だわ」
「実に素晴らしい。散歩にはもってこいですね……!」

 リゴールは元気そうだ。ただ、足取りだけはまだ怪しさが残っているので、私は彼のすぐ横を歩くよう心がけた。よろけた時に素早く支えられるように、である。

 一方デスタンはというと、後ろから、さりげなく私たちについてきていた。

 それでいいの?
 リゴールとデスタンが散歩する会なのではないの?

 細やかな疑問は尽きないが、それらは無視して、私は足を動かし続けた。


「王子、家から離れていますが」

 デスタンがそう発した時、私たちは、ミセの家からかなり離れたところまで来てしまっていた。

 遠出をするつもりはなくて。でも、温かい日差しの中を、ゆったり歩いていたら、いつの間にやら結構移動してしまっていたのである。

「あ。そういえばそうですね」

 雄大な印象を与える樹木を見上げながら、リゴールはあっさりと返す。

「遠出はしないという話だったのでは」
「そうですね。でも、自然の中にいると心が安らぐので、帰りたくなくなってきました」

 最初こそ頼りない足取りだったリゴールだが、歩くことに慣れてきたのか、段々軽やかに歩けるようになってきている。

「話が違います」

 せっかく楽しい散歩中だというのに、デスタンは不機嫌そうな顔をしている。

「まぁまぁ、そう固いことを言わないで下さい!」
「王子は警戒心が薄すぎます。何かあったらどうするのです」
「それはそうですが……。ただ、ずっとそんなことを言っていては、楽しみがなくなってしまいます。わたくし、そんな人生は嫌です」

 警戒心の欠片もないリゴールに、デスタンは呆れ果てた顔をする。

「まったく……」
「もし何かあっても、エアリとデスタンがいてくれれば安心です!」
「なぜそんなに呑気なのですか……」

 リゴールはご機嫌だ。
 ただ、なぜか妙にわがままでもある。

「エアリ! もっと色々なところへ行ってみたいです!」

 天真爛漫なのは良い。だが、ミセの家から離れすぎるのは、危険と言えるだろう。何か事件が起きたり敵に襲われたりした時にすぐに避難できないというのは、危険である。

「リゴール……今日はそろそろ戻った方がいいわ」
「……エアリ?」
「デスタンもああ言っていたし、そろそろ戻りましょうか」

 やんわり提案してみたところ、「えぇー」というような顔をされてしまった。

「きっと、帰り道も色々見られるわよ」
「それはそうですが……」
「じゃ、決まりね!」
「は、はい……」

 こうして、取り敢えず引き返すことにしたのだった——が、何もなく終わるはずがなかった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.59 )
日時: 2019/08/10 04:54
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFLyzH3q)

episode.56 馬鹿みたいな笑い声

「敵!?」

 ミセの家へ戻ろうと引き返し始めて一二分が経過した時、草が生い茂った木々の隙間から、敵が現れた。
 ちなみにその敵とは、グラネイトなんかが手下としてよく使っていた、小柄な人間のような生物である。

「下がって、リゴール!」
「は、はい」

 茂みから飛び出してきた一体の顎に肘を叩きつけ、リゴールを咄嗟に庇う。

 それから私は、少し離れた場所にいたデスタンへ声をかける。

 彼の付近にも敵は出現していたようだ。
 しかし彼は、何も発さず、足を使って敵を蹴り飛ばしていた。

「デスタンさん、平気!?」

 リゴールを庇いつつ、デスタンの方へと接近する。

「はい」
「これは、またまたブラックスターのやつね」
「数が多く面倒です」
「そうね……」

 一体一体ぷちぷち潰していくでも問題はないわけだが、次から次へと溢れるように現れる敵を地道に倒していくというのは面倒臭すぎる。せめてもう少し、何体か一気に倒せる方法があれば良いのだが。

「そういえば貴女」
「何?」
「あの剣は使えないのですか?」
「剣……って、あ! ペンダントの剣ね!?」
「はい」

 デスタンに言われたことで思い出し、首にかけているペンダントを手に取る。

 銀色の円盤。
 その中央には、星型に成形された白い石が埋め込まれている。

「これはある。けど、剣にはならないわ」
「……なぜです?」
「あの後、一度も剣に変えられていないの」

 そう事実を述べると、デスタンはきっぱり「それは貴女が変えようとしていないからでしょう」と言ってきた。他人ひとの頑張りを少しも認めようとしない態度に少々苛立った私は、「そんなことないわ!」と、調子を強めて返してしまう。が、デスタンは特に表情を変えず、淡々と「何でもいいので、その剣で片付けて下さい」と言ってきた。

「何なのよ、もう!」

 吐き捨てて、ペンダントを握る。
 そして、苛立ちを吐き出すように、さらに叫ぶ。

「他人の努力を何だと思っているの!」

 ——刹那。

 白色の眩い輝きが、ペンダントから溢れる。


 そして、奇跡は起きた。


 ペンダントが一本の剣へと形を変え、手の内に収まる。

「え……あ……出た?」

 木漏れ日を浴び、勇ましく煌めく、銀の刃。
 それを信じられない思いで見つめていると、変化の瞬間を目にしたデスタンが淡々とした調子で言ってくる。

「やはり変えられたではないですか」
「……信じられない。前は何も起こらなかったのよ」
「貴女が言う『前』とは、いつなのです?」

 単純な動きで飛び掛かってくる敵を蹴散らしつつ、デスタンは尋ねてきた。私は問いに速やかに答える。

「母さんの家へ向かっている途中でウェスタに遭遇した、あの時よ」

 するとデスタンは、ふっ、と、呆れたように笑みをこぼす。

「それはまぁ、無理でしょうね」
「……馬鹿にしてるの?」
「まさか。ただ、ホワイトスターに伝わる剣が貴女のような一般人のために覚醒するはずがないと、そう思っただけです」
「……微妙に酷いわね」

 デスタンの嫌み混じりな発言には、さりげなく傷ついてしまう。

 だが今は、そんなことはどうでもいい。
 今大切なのは「いかにして敵を退けるか」であって、「嫌みを言われて傷ついた」などということはさほど重要でないのだ。

「では早速。こいつらを蹴散らしましょう」
「えぇ……私もやってみるわ」

 敵はまだ次から次へと現れ続けている。敵は皆小柄で、戦闘能力もさほど高くはない。ただ、草木の隙間から突然飛び出してくるので、いちいち驚かされてしまう。それに、素早く倒しておかなくては数が増えていってしまう。そこも何げに厄介な点である。

 けれど、だからといって弱気になっている場合ではない。

「エアリ! わ、わたくしも何か加勢を……!」
「リゴールは自分の身を護ってて!」
「は、はい……」

 柄を握り、剣を振る。
 素人ゆえ正しい扱い方はできていないだろう。だが、それでも敵を消滅させることはできる。

 剣術コンテストではない。
 敵を倒すことさえできれば、それで十分だ。

「デスタン! よ、良ければわたくしも……」
「結構です」
「早くないですか!? わたくしまだ、何も申しておりませんよ!?」

 ショックを受けたような顔をするリゴール。

「戦えない状態の人は黙っていて下さい」
「なっ……!」

 デスタンは、リゴールとそんなやり取りをしながらも、敵を次々倒していく。それも、武器は使わず、だ。自身の肉体だけで敵を圧倒している様は、「勇ましい」だとか「強い」だとかを通り越し、「美しい」と表現したくなるような華麗さである。

 負けていられない。
 私も役目を果たさなくては。

 湧いてくる敵を相手に華麗に戦うデスタンを見ていたら、改めてそう思った。


 戦い続けることしばらく。
 敵の出現が止まった。

 それまでは、泉のように湧き出てきていたのに。

 不思議に思い、デスタンの目を合わせる。彼も訝しんでいるような顔をしていた。

 ——直後。

 強い風が吹いた時のような葉と葉が擦れ合う音と、「ふはははははァ!!」という馬鹿みたいな笑い声とが、重なって、耳に飛び込んでくる。また、それと同時に、蔓のようなものに掴まった人影が急接近してくるのが見えて。デスタンは警戒心剥き出しの顔つきで、その人影の方向へと一歩踏み出した。

「ふはははははァ!!」

 人影は蔓から飛び降りる。

 その正体は——グラネイトだった。
 灰色がかった肌。すらりと伸びた手足。ワインレッドの燕尾服。

「このグラネイト様が、王子を倒しに、わざわざここまで来てやったぞ! 感謝せよ!!」

 グラネイトは片手の手のひらを私たちの方へ向け、決め台詞であるかのような気合いの入り方で発した。

 反応に困ってしまう。
 どう返せば良いのか、まったく分からない。

「またか」

 デスタンは、呆れることさえ煩わしい、というような顔をしている。

「また、とは何だ! 失礼な!」

 グラネイトは腹を立てたらしく、デスタンが「また」と言ったことに抗議する。しかし当のデスタンはというと、そんな抗議には欠片も関心がないらしく。グラネイトに接近し、その首を右手で掴んでいた。

「うぐッ!?」
「……害悪は滅べ」

 デスタンは、掴んだグラネイトの首を、一気に自分の体へ引き寄せる。そして、体が下がったグラネイトの鳩尾に、膝を食い込ませる。

「ぐはぁッ!?」

 やる気満々で姿を現したグラネイトだが、既に、見事なまでにやられている。
 背の高さでは圧勝しているにもかかわらず、だ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.60 )
日時: 2019/08/11 15:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: HTIJ/iaZ)

episode.57 なぜ

 デスタンはあれよあれよという間に、グラネイトを地面へねじ伏せてしまった。

 私とて、デスタンの戦闘能力が高いことは知っている。が、グラネイトもそこまで弱いことはないはず。それだけに、この結果は予想外だった。

「く……このグラネイト様をねじ伏せるとは……」

 首を掴まれ、さらに体を地面へ押し付けられたグラネイトは、歯軋りしながらそんなことを漏らす。そんな彼を、デスタンは冷ややかに見下ろしている。

「本調子でないことは分かっている。が、だからこそ、今ここで消させてもらう」

 ゴミを見るような視線をグラネイトへ向けながら、デスタンは静かに放った。

「ふ、ふはは……。本調子でないとバレていたとは、な……」

 あからさまに不利な体勢であるにもかかわらず、グラネイトにはまだ笑う余裕があるらしい。

「だが」

 何かがおかしい——そう思った、刹那。

「この時を待っていた!」

 グラネイトが、それまでだらりと地面に伸ばしていた片腕を動かし、自身の首を掴んでいるデスタンの腕を乱暴に掴んだ。

 直後。
 デスタンの腕を掴んだグラネイトの手から、爆発が起こった。

「……っ!」

 突然の爆発にデスタンが驚いている内に、グラネイトは体を起こす。デスタンによる拘束から、一瞬にして逃れた。

 弱い爆発だったらしく腕が吹き飛ぶようなことにはなっていなかったものの、手を離してしまったデスタン。彼は、悔しげに眉を寄せていた。グラネイトを逃してしまったことを悔やんでいるのかもしれない。

 その時、リゴールがデスタンに駆け寄った。

「大丈夫なのですか!?」
「はい。ですから、王子は下がっていて下さい」

 リゴールは真剣にデスタンの身を案じているようなのだが、その心配はデスタンには届いていないようである。

「……そうですね。今のわたくしは足手まといでしかありませんものね」
「はい。下がっていて下さい」

 いやいや、そのタイミングで「はい」はないでしょ。仮にそれが本心だとしても、少しは気を遣って、「そんなことはない」くらい言ってあげればいいじゃない。

 私は密かにそんなことを思った。

 だが、少し考えていると、「下がるよう言ったのは彼なりの優しさなのかもしれない」とも思えるような気がしてきた。冷ややかに思える発言だが、それがリゴールを危険に晒さないためのものであるならば、一概に悪であるとは言えない。むしろそれは、彼なりの善であると言えるかもしれない。

「ふはは! びっくりしたか!」

 グラネイトは妙なハイテンション。
 対するデスタンは、凄く渋い物を間違って食べてしまったような顔。

「……くだらない真似を」
「そうだ! くだらない! だが無意味ではないのだ!」

 グラネイトは大声を発しながら、長い両腕を伸ばし開く。

「ではそろそろ! 本気で! 倒しにかかるとしよう!」

 彼の胸の前辺りに、球体——橙色の光が小規模に渦巻いているような物体が、いくつも現れる。それは、気味の悪いぼんやりした光を放ちながら、徐々に大きくなってゆく。

 その様を目にしたデスタンは、すぐさま視線を私へ向けてきた。

「王子を頼みます!」
「え」
「連れて逃げろと言っているのです!」

 いきなり言われ、戸惑い。
 すぐには反応できず。

 そんな私の振る舞いがデスタンに苛立ちを募らせてしまっていると分かっていても、それでも、速やかに返事することはできなくて。

「けど、デスタンさ——」
「早く!!」

 叫ぶデスタン。

 グラネイトの胸の前に浮かぶ球体は、個々の大きさが大きくなり、しかも数も増えてきていた。

 あれらが降り注いだ日には、負傷することは免れられないだろう。
 だから私は頷いた。

「……分かったわ」

 すると、険しかったデスタンの表情が、微かに柔らかくなった。

「王子は頼みます!」

 剣を握っていない方の手で、リゴールの片手首を掴む。

「エアリ!?」
「逃げるわよ」
「デスタンを置いて逃げると言うのですか? できません!」

 リゴールは抗おうとするけれど、今だけは、はっきり言わせてもらう。

「優先すべきは貴方の命よ」

 だがそれでもリゴールは頷かなかった。

「嫌です!」

 そう言い首を横に振るリゴールを見ていたら、何をしても説得できる気がしなくて。だから私は、強制的に連れて逃げることを決意した。

 リゴールの手首を握ったまま、デスタンに背を向けて駆け出す。

 回復しつつあるとはいえまだまだ怪我人であるリゴールに全力疾走させるのは酷かもしれない。そう思いもした。が、のんびりしていてはグラネイトの攻撃を受けかねない。最終的には、さらに負傷するよりかは全力疾走しなくてはならない方がましだろう、という結論に至り。だから私は、足の回転を限界まで速めた。

「おいっ! 逃げるな!!」

 背後からはグラネイトの叫びが聞こえてくる。

 でも、足は止めない。
 絶対に止まってはならない。

 少しでも動きを止めれば、的にされることは避けられないのだから。

 私は振り返らない。
 グラネイトの射程から出るまでは、絶対に。


 呼吸が荒れて。
 胸やら脇腹やらが痛くて。


 それでも、リゴールを連れて駆ける。


 ただ散歩していただけ。
 穏やかな時を過ごしていただけ。

 ……なのになぜ、こんなことになるの。

 そんな思いが胸を満たすけれど、それを口から出すことはできない。


 彼の細い手首を握っている感触だけが、彼がついてきている証。
 走り続けることに必死で、私には、後ろのリゴールの様子を確認する余裕はなかった。


 ……だけど、本当は、確認したくなかっただけかもしれない。


 リゴールが悲しい顔をしていると分かっていたから。
 だからこそ、私は彼の様子を見なかったのだろう。


 ——それからしばらくして、背後から大きな爆発音が響いた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.61 )
日時: 2019/08/12 16:25
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Re8SsDCb)

episode.58 混乱してる?

 足を止め、振り返る。
 爆発音が聞こえてきた方向から、灰色の煙が昇っているのが見えた。

 デスタンがグラネイトにあっさり負けるなんてことはないだろう。けど、一人にしてしまったから、不安は拭えない。

「……なぜ」

 震える声を聞き、リゴールへ視線を移す。

 彼は肩を上下させながらも、煙が昇っている方向を見つめていた。その青い瞳は、不安の色で塗り潰されている。

 そんな彼に、私は話しかける。

「体は大丈夫? 走ったりして、無理させてごめんなさい」

 すると彼は私を横目で見て、「いえ」と返してくる。しかし、その後すぐに、私から目を逸らした。それも、凄く気まずそうな表情で。

 私は何か悪いことを言ってしまったのだろうか。

「リゴール?」

 恐る恐る名を呼んでみると、彼は再び少しだけこちらを見た。

「……なぜ逃げさせたのですか」
「え。どういうこと?」
「エアリ……貴女は、敵の前で一人にして、デスタンが危険だとは思わないのですか」

 リゴールの瞳から放たれる眼差しは、いつものように柔らかくはなかった。

「私だって、危険だと思いはしたわ。でも、デスタンさんがリゴールを逃がすことを望んだの。だから、私は、彼の望みを叶えただけ——っ!」

 最後まで言い終わらないうちに、頬に乾いた痛みが走った。

 何が起きたのか、すぐには分からず。私はただ、驚きと戸惑いに満ちた目で、すぐそこにいるリゴールを見つめる。

「……何をするの?」
「貴女はなぜ、そんなにも平然としていられるのです!」

 鋭く放つリゴールの体は、微かに震えていた。

「しばらく共に暮らしていても、所詮は他人たにん……そういうことなのですね?」

 その時、リゴールは私を睨んだ。
 いつも穏やかに笑いかけてくれていた彼に睨まれたこの瞬間を、私は生涯忘れないだろう。

「強い絆が生じていると、そう信じようとしたわたくしが、愚かだったのですね?」

 人が人を睨む時、そこに存在する感情というのは多様だ。
 怒り、恨み、憎しみ、嫉妬、悔しさなど——様々なものが考えられる。

 でも、私を睨むリゴールの瞳に浮かんでいた色は、そういったよくあるものではない。

 それは確信できることだった。

「待って。どうしてそんなことを言うの、様子が変よ」

 彼の双眸に満ちるは、悲嘆。
 そしてそれは、多分、私に対する感情だけではない。

「分かってはいるのです……貴女が本当はわたくしを許してはいないこと」
「ちょっと、何を言い出すの」
「親の仇の大切な人など、どうでもいい。そういうことなのでしょう?」

 デスタンを敵の前に残して、自分だけが逃げてしまった。その事実が引き金となり、これまで溜め込んできていた負の感情が、一気に溢れ出たのだろう。

「待って、落ち着いて。そんなこと、あるわけがないわ」
「ならなぜ、デスタンをあそこへ残して逃げさせたのです!」
「言ったでしょ。それは、リゴールを逃がすことを、デスタンさんが望んだからよ」

 リゴールは言葉を詰まらせる。
 そんな彼の華奢な体を、私はそっと抱き締めた。

「デスタンさんのことが心配なのは分かるわ。けど、貴方が彼を心配するのと同じくらい、彼も貴方を心配しているのよ。だからデスタンさんは、貴方を逃がすよう私に指示した……きっと、そういうことなんだわ」

 片手は剣で塞がっているため若干使いづらい。が、両腕で彼の体を包むようにして、抱き締める。

「エアリ、一体何をして……」

 突然のことに、リゴールは困惑したように発する。

「貴方の気持ちを無視したことは謝るわ。けど、貴方たちのことを他人だと思っているわけではないということは、分かって。私は、リゴールたちのこと、大事に思っているから」

 それから数十秒が経ったところで、私はようやく、彼から腕を離した。

 その頃には、リゴールの目つきは普段と変わらないものに戻っていた。もう、私を睨んでもいない。
 正気を取り戻したようだ。

「……すみません、エアリ」

 リゴールは黄色い髪を触りながら、目を伏せて、いきなり謝罪してくる。

「その……わたくし、どうかしていました。世話になっているエアリに余計なことを言い、しかもビンタして……」

 確かに、頬をはたかれた時は少し驚いた。が、それは、気が動転していたからの行動だったのだろう。そこは分かっている。それゆえ、彼を責める気はない。

「申し訳ありません!」

 リゴールは凄まじい勢いで頭を下げた。

 彼だけが悪いわけではないにもかかわらず彼一人に謝らせるのは申し訳なくて、私は慌てて「いいの! 謝らないで!」と返す。するとリゴールはゆっくり頭を上げたが、「わたくしは未熟です……。こんなだから、不幸ばかりを引き寄せるのでしょうね……」などと漏らしていた。

「さて。じゃあ家へ戻りましょ」
「そうでしたね……!」
「ここからはゆっくりで大丈夫よ」

 私は改めて手を差し出す。
 その手を、彼はそっと握った。


 リゴールが落ち着き、ようやく再び歩き出した——その時。

 背後から微かな音が聞こえ、咄嗟に振り返る。と、視界の端に、飛んでくる黒い矢が見えた。

 この矢は見たことがある。
 これは、初めてトランに会った日に、デスタンを射った矢——あれと同じだ。

「なっ……!?」

 耳に入るのは、リゴールの引きつった驚きの声。
 矢の先端は確かにリゴールの胸元を狙っている。恐らく、即死させようとしているのだろう。矢の飛び方は、驚くほどぶれがない。

「危ない!」

 咄嗟に剣を持ち上げ、横向けにして、体の前へと出す。

 ——数秒後。

 飛んできたいくつもの黒い矢は、剣の刃の部分へ命中した。

「エアリ、ご無事でっ……!?」
「えぇ。取り敢えず防いだわ」

 闇雲に放たれた矢なら、こんなに上手く防いぐことはできなかっただろう。たとえ数本を防ぐことはできたとしても、数本はどこかに刺さっていたはずだ。

 剣の刃部分だけですべてを防げたのは、全部の矢がぶれずにリゴールの胸元に向かって飛んできていたからと言えるだろう。

 そういう意味では、矢の正確さ、ぶれなさに、救われたと言えるかもしれない。

「これは、グラネイトだけでなく、トランも来ているということでしょうか!?」
「分からない……けど、その可能性も高いわね」
「では、より一層、早く逃げなくてはなりませんね!?」

 今のところ、再び黒い矢が飛んできそうな感じはない。
 けれど、油断はできない。

「そうね。急ぎましょう」
「はい!」


 私たち二人がミセの家に到着した時、ちょうど玄関からミセが出てきたところだった。

「エアリ! リゴールくん!」

 ベージュの、体のラインが出ない大きめワンピースを着たミセは、私たちの姿を見るや否や厚みのある唇を動かす。

「今さっき爆発みたいな音がしたけれど……何かあったのかしら!?」

Re: あなたの剣になりたい ( No.62 )
日時: 2019/08/12 16:27
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Re8SsDCb)

episode.59 手は出させないわ

 ミセは爆発の音を聞いている。そして、それが爆発音であると気づいている。それゆえ、適当なことを言ってごまかすわけにはいかないだろう。

 だから私は、心を決めて、ここに至るまでの流れを話した。

 外の空気を吸うため、三人で散歩していたこと。そのうちに家から離れた場所まで行ってしまっていたこと。そして、引き返そうとしたが襲われたこと。また、デスタンが私たち二人を逃がしてくれたことも。

 何も隠しはしなかった。

 ——ただ、ブラックスターだとかグラネイトだとかは言わず、知らない人に襲われたというような感じの言い方にはしておいたが。

「じゃあアタシのデスタンはまだそこにいるってことなの!?」
「はい」
「何かあったらどうするのよぉ!?」

 ミセは鋭く放った。
 デスタンを愛し大切に思っている彼女だ、彼の身を心配するのは当然のこと。

「エアリじゃ頼りないから、アタシが様子を見てくるわ!」
「えっ……ミセさん?」
「あっちなのよね!?」
「は、はい」

 ——でも、様子を見に行くまでするとは思わなかった。

 戦闘能力のない女性を敵がいるかもしれないところへ行かせるなんて、殺られに行くようなもの。危険過ぎる。

 これは止めるべきだろう。
 そう考え、私は発した。

「ミセさん! 行くのは危険です!」

 彼女を危険に晒すようなことはできない。

「は!? 止められたくらいで行くのを止めるわけないじゃない!!」
「危険なんです!」
「エアリは黙ってなさい! 家にいていいから!」
「危険です!」
「アタシは行く。アタシのデスタンに手は出させないわ」

 制止しようとしてはみたが、無駄だった。
 ミセは駆け出してしまった。

 彼女を私たちの戦いに踏み込ませるわけにはいかない。

 だから、何としても止めなくてはならなかったのに。


 ミセを止めることさえできなかった私は、失意の中、リゴールと彼女の帰りを待った。

 私は床に座って、リゴールはベッドに腰掛けて、二人の帰りを待ち続けた。

 デスタンもミセも同時に失うという最悪だけは避けたい。が、もはや私たちにできることは何もない。いや、「何もない」は言い過ぎかもしれないけれど。でも、ほぼ何もできないことは、紛れもない事実である。私たちにできたのは、無事を祈る、などという極めて現実的でないことだけだった。

 いつもの自室が、今は妙に薄暗く見える。

 リゴールがさらなる傷を負うという嫌な展開は避けられたが、どうも喜ぶ気にはなれない。

 胸を満たす重苦しいもの。それを一人で抱えているのは苦しくて。私はその息苦しさから逃れるように、リゴールへ視線を向ける。

 だが、リゴールは私よりも暗い顔をしていたのだった。


 一時間後。
 ミセは私たちの部屋へやって来た。

「帰ったわよ!」

 ぽってりとした唇。くっきりと凹凸のある体つき。そんなミセの姿を見て、思わず大きな声を出してしまう。

「ミセさん!」

 私は床から立ち上がると、扉のところにいるミセのもとへ駆け寄った。

「怪我は!?」

 まずは尋ねてみる。
 するとミセは微笑んだ。

「うふふ。ないわよぉ」

 ベージュのワンピースは心なしか汚れている気がする。が、確かに、これといった怪我はなさそうだ。

「よ、良かった……」
「あーら。心配させて悪かったわねぇ」

 ミセの無事を確認し胸を撫で下ろしていると、背後から、リゴールの声が飛んでくる。

「デスタンは!? デスタンはどうなったのですか!?」

 必死の形相で問うリゴール。
 そんな彼へ視線を向けたミセの表情は、綿のように柔らかいものだった。

「あらあら。凄く心配しているのねぇ。可愛いわ、リゴールくん」
「どうなったのか教えて下さい!」
「気が早いわねぇ。けど……まぁ、アタシも、心配する気持ちは分からないではないわ」

 リゴールはもやもやしているような顔つきをしている。

「デスタンは生きてるわよ」

 ミセは、厚みのある唇を小鳥のように尖らせ、いたずらっ子のように笑った。

「本当ですか!」
「えぇ。知らない男性と一緒にいるところに合流できたの」
「合流、ですか?」
「うふふ。そうよぉ」

 ミセはぴんと伸ばした人差し指を自身の厚みのある唇に当てる。女性らしさや可愛さを全面に押し出すような動作だ。案外似合わないこともない。

 そんな彼女の後ろから、一人の男性が現れた。

「ふはは! グラネイト様現る!」

 私とリゴールはほぼ同時に顔を強張らせる。
 現れた彼が、確かにグラネイトだったから。

「どうして!?」
「なぜここに!?」

 驚きの声が重なる。

 事情を知らないミセだけは、戸惑ったような顔をしていた。

 だが、そのような顔になるのも無理はない。彼女は、私やリゴールにとってグラネイトがどういった存在なのか、微塵も知らないのだから。

「何をしに来たのです! しつこいですね!」

 リゴールはグラネイトに向かって叫ぶ。
 それはまるで、自身より大きな動物に懸命に威嚇する小動物のようだ。

 その様子を目にしたミセは、「何? 何なの?」というような顔をしながら、リゴールとグラネイトを交互に見ている。

「相変わらず気の強い王子だな」
「押し入るとは不躾ですよ!」
「何だと? まさか! 押し入ったわけがなかろう。きちんと許可をとって入れてもらっている!」

 グラネイトは妙な真面目さをはらんだ発言をしながら、ゆっくりとリゴールに接近していく。

 リゴールを護るため、グラネイトを止めようとする——が、これまで会った時とはグラネイトの雰囲気が違っていることに気がついて。私はその場に留まった。

「ふはは! 王子、覚悟しろ! ……と言いたいところだが、そんなことを言うために来たわけではない」

 リゴールはグラネイトを見上げながら、怪訝な顔をする。世界的に有名な詐欺師からいきなり話しかけられた時のような顔つきである。

「……一体何を企んでいるのですか」

 リゴールの問いに、グラネイトはニヤリと笑う。

「何も企んでいない、と言ったら?」

 訪れる沈黙。
 その数秒後、リゴールは静かに返す。

「……信じません」
「疑り深いな」
「当然です! ……これまで何度も攻撃してきたような者を、信頼することはできません」

 リゴールが信頼できないと言うのも、分からないことはない。いや、むしろ、それが当然の反応であろう。グラネイトはこれまで、リゴールの命を狙い続けてきたのだから。

 しかし、私には、今のグラネイトがこれまでの彼と同じであるようには思えなかった。

 理由は分からない。
 見た目が変わったというわけでもない。

 ただ、なぜか、これまでとは何かが違っているような気がして。

「ふはは! それもそうだな。だが! あの男を殺さずにおいてやったことは、感謝されて然りだろう!」

 妙な上から目線。
 それを不愉快に思ったのか、リゴールは歯を食いしばった。

 さらに、それから、接近してきていたグラネイトの体を片手で突き飛ばす。

「……デスタンが無事だというのは事実なのですね?」
「ふはは! もちろんだ!」
「では、デスタンに会わせて下さい。本当に無事であったなら、貴方にはもう何も言いません」

 そう述べる彼の表情は落ち着き払っていて、また、真剣そのものだった。

 青い双眸から放たれるのは、偽りを見抜こうとしているような、冷静で真っ直ぐな視線。眉はほんの少しだけ内側に寄り、唇は一文字に結ばれ。

 日頃のリゴールとは別人のようだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.63 )
日時: 2019/08/13 17:25
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: e.VqsKX6)

episode.60 黒の裏切り

 デスタンが無事であることを確認させろ、と、リゴールは言った。
 そうすればグラネイトにとやかく言うことはしない、ということも。

「もちろん! グラネイト様は何も嘘はついていない。それゆえ、逃げも隠れもしない。必要がないからだ!」

 グラネイトはすぐにそう返す。
 彼の声は、嘘をついている者のそれとは思えないものだった。

 そこへ、ミセが口を挟む。

「リゴールくんったら、どうしちゃったのかしら? この男性は悪い方なんかじゃないわよ」
「……ミセさん」
「デスタンは疲れたみたいだったから、先にアタシの部屋へ行ってるわ。だって、アタシのデスタンだもの」

 ミセは、少し間を空けて続ける。

「連れていってあげるわ」
「ぐるではないでしょうね……?」

 今リゴールは疑り深くなってしまっているらしく、ミセの言葉さえすんなりと信じることはしなかった。

 グラネイトの嘘への加担を疑われたミセは、目を丸くする。
 そして数秒経ってから、頬に片手を当てて冗談混じりに発した。

「あーら! アタシを疑うなんて失礼ねぇ」
「……すみません」

 静かな声での謝罪に、一瞬室内が静まり返る。

「ま、そんな日もあるわね。じゃあ、早速案内するわぁ」
「ありがとうございます」

 その後、リゴールはミセの後を追って、デスタンに会いに行った。
 部屋を出る直前、彼は私をちらりと見て、とても申し訳なさそうな顔をしていた。


 私はグラネイトと二人きりになる。

 仕留める気満々の彼と二人になったわけではないし、幸い今は手元に剣がある。それゆえ「どうして私を置いていくの!」と叫びたくはならなかった。が、直前まで敵であった者と二人きりになるというのは、やはり不安なものである。

 特に、今のグラネイトは、どういう状態なのかが分からない。

 本当に戦意を失っているのか。あるいは、正面から殴り合う気はないが隙があれば殺るつもりなのか。それとも、戦意がないように振る舞っているのは完全に嘘なのか。

 分からないから、不安は消えない。


 ——そんな私に彼が声をかけてきたのは、突然だった。

「少しいいか?」

 身長では豪快に負けている。戦闘能力でも大敗している。
 そんな敵からこんなにも近くで声をかけられると、一瞬にして全身の筋肉が強張った。しかも、冷や汗まで溢れてくる。

「な……何なの」
「トランのことは知っているのだな?」
「え」

 想定していなかった問い。
 私は戸惑い、すぐには言葉を返せない。

「知っているのか知らないのか、どっちだ!」
「し、知ってるわ!」

 急に調子を強められ、うなじから背中にかけて寒気が走る。
 だが、すぐに「この程度で怯んでいてはいけない」と自分へ言い聞かせ、何とか言葉を返すことができた。

「少年みたいな外見の人でしょ」
「……そうか。知っているのだな」

 なぜか溜め息をつくグラネイト。
 その様子は、まるで、この世界のどこにでもいる普通の男性のよう。

「えぇ」
「なら、やつの卑怯さも知っているのだな?」
「そうね。デスタンを誘拐したり、操ってリゴールに危害を加えさせたり、最低最悪だったわ」

 敵との会話で緊張していたはずだったのに、一度口を開くと、言葉はするすると出た。詰まり詰まりになるでもなく、非常に小さな声になるでもなく、敵に擦り寄るようなことばかりを発するでもなく。

「おかげであの後気まずくなって、誤解が発生して、元に戻るまでにもだいぶ時間がかかったわ」

 そこまで言った時、突如、脳内に焦りが生まれる。
 というのも、「言い過ぎているのでは!?」と思ったのだ。

 私は、自然な感じで色々文句を言っていたが、聞いている相手はグラネイト。ブラックスターの人間。つまり、トランと同じ陣営の人間だ。

 そんな者に向かってトランに関する愚痴を言い続けるというのは、かなりまずいのではないだろうか。

 まず、私の愚痴がトラン本人へ伝わってしまうという可能性がある。また、仲間のことを悪く言われて良い気がする者などいないだろうから、グラネイト自身も嫌な気持ちになっているかもしれない。

「あ……ごめんなさい。つい……」

 ひとまずそう述べておく。
 愚痴を言い続けるよりかはましだろうと思ったから。

 謝罪に対し、グラネイトは、けろっと返してくる。

「なぜ謝る?」
「え、っと……仲間のことを悪く言うなんて問題だったと思ったからよ」
「ふはは! なら心配はない!」
「え」

 グラネイトはいきなり笑い出す。
 まったく、何がおかしいのやら。

「心配はない、と言っている。なぜか? 理由は簡単」
「理由……」
「このグラネイト様も悪口を言う気でいたからだッ!!」

 彼は、まるで決め台詞であるかのような、勢いのある声で放った。それに加え、「決まった!」というような自信に満ちた目で、こちらを見てくる。その様は「見ろ! かっこいい自分を!」とでも叫んでいるかのよう。

 今のグラネイトは、端から見れば完全に痛い人である。

「トラン! やつは最低最悪の男だ!」
「そ、そう……」

 トランが最低最悪ということ自体は頷ける。しかし、同じ陣営のグラネイトがトランのことを批判しているのを聞くと、複雑な心境にならずにはいられなかった。

 そもそも、それでいいのか。
 そんな関係で問題ないのか。

「貴方がトランをそこまで悪く評価しているとは思わなかったわ」
「あぁ、もちろん! グラネイト様とて、ついさっきまでは、やつがこれほど最低な男だとは思っていなかった!」

 ……ついさっきまで?

 言い方が妙に引っ掛かる。

「もしかして、彼と何かあったの?」

 思いきって直球で尋ねてみた。

「そうだ! やつはこのグラネイト様に嘘をつきやがった!」

 私の問いに、グラネイトは獣が唸るように叫んだ。

「嘘って?」
「王子を殺せば、その対価としてこのグラネイト様の願いを叶えると、やつはそう言った。だが! それは嘘だったのだ!」

 グラネイトは今にも暴れだしそうな声色で事情を説明し始める。

「やつの真の狙いは、失敗続きのグラネイト様を闇へ葬ることだったのだ!」

 自分で自分を「失敗続き」などと言って、恥ずかしくはないのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えてしまった。

「彼は貴方のことも攻撃したの?」
「そうだ。やつは黒い矢で、デスタン諸共俺を殺そうとした。グラネイト様はやつに騙された! くそぉ!」

 グラネイトは強く握った拳を震わせている。
 込み上げる感情を抑えようとしてはいるが抑えきれない、といったところか。

Re: あなたの剣になりたい ( No.64 )
日時: 2019/08/14 18:23
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: bOxz4n6K)

episode.61 約束します、会いに行くと

 その後も、トランの裏切りに憤怒し、彼に対する恨み言を吐き続けたグラネイトだったが、五六分経った時、突然真顔に戻った。

「ということで、だな……」

 直前まで強い怒りを露わにしていた彼が急に大人しい表情になったので、少し戸惑う。

「グラネイト様は身を引く!」
「えぇ!?」

 驚きのあまり、思わず大きな声を出してしまった。

「なぜ驚く? 喜ぶべきことだろう!」

 確かに、リゴールの命を狙う敵が減るというのはありがたいことだ。たとえ彼一人が来なくなるだけだとしても、襲われる回数は確実に減少するわけだから、それはとても良いこと。感謝すべきことと言えるだろう。

「そ、それはそうだけど……」
「まだ何かあると言うのか!?」
「いえ。けど、そんなことをしたら、貴方は裏切り者になるわよ。それでも良いの?」

 ブラックスターを捨てるなら、彼もまた、険しい道を行くこととなるだろう。裏切り者と呼ばれ、蔑まれ、憎まれもするだろう。

 ……デスタンがそうであったように。

「ふはは! そういうことか!」

 直後、グラネイトは急に、一人で大笑いを始める。

「心配無用! そこまで弱いグラネイト様ではない! ……だが。恋はまだ諦めん!」

 え。こ、恋? いや、いきなりそんなことを言われても、反応に困るのだが。
 そんな風に戸惑っているうちに、彼は姿を消した。

「何だったの……」

 呟かずにはいられなかった。

 一人部屋に残され、さらに驚くべき急展開の連続。そんな状況下では、落ち着き払っていられる者の方が少ないだろう。


 それからの一週間は穏やかそのものだった。

 リゴールの背中の傷は順調に回復。先日の件があったからか自ら進んで外出することはなかったが、この一週間で、足取りもかなりしっかりしてきた。

 一方デスタンはというと、リゴールを傷つけた罪悪感が少しずつながら和らいできたのか、元々の彼らしい振る舞いに戻りつつある様子だ。冷淡ながら、時折優しさを覗かせる——そんなデスタンに戻っていっている。

 そんな中、私の母親エトーリアの屋敷へ移動する計画が、徐々に進んでいった。

 リゴールは提案した当初から賛成してくれていて。けれど、デスタンは乗り気ではないようだった。
 が、時の経過と共に、少しずつ心が動いてきたようで。
 徐々にではあるが、デスタンも、エトーリアの家へ移っても良いかもしれないと考えてくれるようになってきた。

 彼はその理由として「ミセが被害を被ることを避けるため」と話したが、「彼女のことを考えるのは、愛しているからではなく、世話になってきた恩人だから」と、わざわざ付け加えていた。

 それを付け加える必要があったのか? はともかく。

 デスタンの心が動いてきたのは嬉しい兆候だ。なぜなら、彼の賛成無しに移動はできないからである。


 そして、それからさらに一週間が過ぎた朝。
 私たちはついに出立の日を迎えた。

 ほんの少しだけの荷物をまとめた私は、玄関先で、リゴールと共に礼を述べる。

「「これまで本当にありがとうございました、ミセさん」」

 私とリゴールがミセに向かって感謝の言葉を放ったのは、ほぼ同時だった。
 続けて、デスタンが口を動かす。

「長らくお世話になりました」

 表情は柔らかく、しかしながら淡々とした口調で、デスタンは礼を述べた。そんな彼に、ミセは駆け寄る。

「デスタン……本当に行ってしまうのぅ……?」

 ミセはデスタンの背に両腕を回し、彼を強く抱き締めた。デスタンは、いきなりの彼女の行動に戸惑っているようで、眉頭を微かに震わせている。

「アタシ寂しいわぁ。毎晩デスタンに会えなくなるなんてぇ……」
「また会いにきます」

 デスタンは、顔面には動揺の色を浮かべている。だが、それとは対照的に、言葉の発し方は落ち着いていた。完全に冷静さを欠いている、ということはないようである。

「や、や、約束よぅ……? 絶対に……またアタシに……あっ、会いにっ……」

 ミセは声を震わせる。
 その瞳には、涙の粒が浮かんでいた。

 それを見て私は、彼女がデスタンを心から愛していたのだと、改めて理解した。デスタンの心が変わらずとも、ミセは彼を愛することを止めなかったのだと。

「だからっ……どうか……」
「約束します。会いに行くと」

 そう言って、デスタンは、泣きじゃくる彼女の額にそっと口づけた。

 デスタンの唐突な行動に、ミセは戸惑ったような顔をする。が、デスタンは何事もなかったかのように静かに微笑み、「本当に、お世話になりました」と、短く感謝の意を述べた。

 これまで彼がミセに向けていた笑みは、目的のための作られたもの。ミセはあまり気づいてはいないようだったけれど、純粋な笑みではなかった。

 ——だが。

 ただ、この時だけは、デスタンの笑みは本物であるように思えて。

 ミセとデスタンが、初めて、真に見つめ合った瞬間。
 それはこの時だったのかもしれないと、私は密かにそう思う。


 用意されていた馬車へ乗り込み、ミセの家がある高台から離れていく。

 車内は狭い。向かい合わせに突き出した板のような座席に三人で座ると、物を置くスペースは僅かしかない。

 ちなみに三人の座り方はというと。
 進行方向を向くように座っているのが私とリゴールで、リゴールと向かい合う位置がデスタンだ。

「その……デスタン」

 馬車が走り出してからというもの、誰も言葉を発さなかったのだが、その沈黙を最初に破ったのはリゴールだった。

 彼は顔色を窺うような表情をしながらデスタンに話しかける。

「無理を言って……申し訳ありません」
「何がでしょうか」

 リゴールに謝られたデスタンは、困惑したように返す。なぜ謝罪されているのか分からない、というような顔をしている。

「ミセさんと無理に引き離すような形になってしまったので……申し訳ないことをしてしまったと思いまして……」

 弱々しい声で謝罪の理由を説明しつつ、元々小さく細い体をさらに縮めるリゴール。怯える小動物のように振る舞う彼は、王子だった人物だとはとても思えない。

「……そんなことですか」
「そんなこと!? 重要なことではありませんか!?」
「勘違いなさらないで下さい、王子。私と彼女の間に、そのような絆はありません」

 揺られながら、デスタンは淡々と述べる。

「私は彼女を利用していただけ。それは最後まで変わりませんでした」

 一切躊躇いなく「利用していた」と発したデスタンに、リゴールは小さく問う。

「……本当に、そうなのですか?」

 リゴールの青い瞳は、少しもぶれることなく、デスタンの顔をじっと捉えている。

「わたくしには、そうは見えませんでしたが……」
「王子は、私がミセに特別な感情を抱いていると仰るのですか? 馬鹿な。あり得ません」

 何をどう言おうと、デスタンは認めないかもしれない。けれど、今は、私もリゴールの意見に賛成。リゴールの見ているものと同じものを、私も見ていたように思う。

Re: あなたの剣になりたい ( No.65 )
日時: 2019/08/15 18:20
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oBSlWdE9)

episode.62 偽と真と

 エアリらがミセの家を出ていっていた、その頃。

 ブラックスターでは、トランがウェスタを、人の気配のない岩場へ呼び出していた。

「やぁ。来てくれたんだね」
「……何の用」

 血のように赤い空の下。水滴どころか、雑草さえ生えない、乾いた大地。黒や茶褐色の岩が剥き出しになっている。

 そこには、「美しい」の「う」の字さえない。

 ——そんな場所で、トランとウェスタは顔を合わせている。

「グラネイト、って人のことは知ってるかな?」

 トランは、自分の背の高さほどある一個の岩の天辺に腰掛けたまま、柔らかな表情でウェスタに問いかける。だが、対するウェスタは怪訝な顔。どことなく楽しげな顔のトランとは対照的に、彼女は固さのある顔つきをしている。

「……それが何」
「彼のことで、伝えなくちゃならないことがあるんだ。聞いてもらえるかなー?」

 軽やかな口調に苛立ったのか、ウェスタは眉をつり上げる。しかも、それだけでは収まらず。右の手のひらを胸の前で上向け、炎の小さな塊を生み出す。

「わざわざこんなところへ呼び出して……何のつもり」
「まぁまぁ。そうカッとしないでよー」

 今にも攻撃を仕掛けそうな空気を漂わせるウェスタを宥めようと、トランは頬を柔らかく緩める。

 だがそれに意味はなく。
 ウェスタが漂わせる空気は、さらに殺伐としたものへと変化していってしまう。

「まずはボクの話を聞いてほしいなぁ」
「……最短で済ませて」

 トランはウェスタの言葉に「分かったよー」と返すと、急激に真剣な顔つきになった。
 そして、彼らしからぬ重苦しい声色で告げる。

「グラネイトが死んだ」

 その言葉が、ウェスタの瞳を派手に揺らした。

 ここまでの彼女は冷静だった。不真面目な雰囲気をまとうトランに少々苛立っている様子ではあったものの、声を荒らげたり表情を大きく変えることはしておらず。ただ早く帰りたそうにしているだけだった。

 しかし、ここに来て、ウェスタの顔つきに変化が訪れた。

「……あり得ない」
「いいや、真実だよ。ボクに力を貸してくれていた彼は、王子やその仲間との戦いの中で、不運にも命を落としてしまったんだ」

 トランは悲しげに語る。
 だが、その表情は微かな余裕を感じさせるもので。

「……姿を隠しただけ、その可能性もないことはない」

 だからかどうかは分からないが、ウェスタは、トランの言葉が偽りのものであると気づいているかのような発言をした。

「ふふふ。それはないと思うなぁ」
「……なぜ」

 ウェスタはトランを睨む。
 しかしトランは平常心を保ち続けた。

「ボクは確かに見たからねー。彼の体が消えてなくなったところを」
「そう易々死ぬとは思えない」
「信じたくないのは分かるよ? けど、真実から目を逸らそうとするのは止めなよ。そういうのは良くないよー」

 その時になって、トランはついに、座っていた岩から飛び降りた。

 自分の背ほどの高さはある岩から飛び降りるとなると、普通は少しくらい身構えるであろう。下手に飛び降りると、怪我をする可能性も無ではないからだ。

 だが、今の彼には、身構えている様子など欠片もなく。
 彼は、平地を歩くのと変わらないほどあっさりと飛び降り、見事な着地を決めた。

 その結果、ウェスタとトランは同じ大地に立って向かい合うこととなる。
 背を比べるなら、ウェスタの方が高い。

「君と彼、結構付き合いが長いんだってね?」
「……どうしてそんなことを」
「彼から聞いていたんだよ。もうずっと一緒に仕事してるーって」
「……そう」

 微かな風が吹く。
 それによって乱れた髪を、ウェスタは片手で整えた。

「仲間をやられたんだよ。悔しいとは思わないのかな?」

 トランは少しばかり目を細め、煽るような問いを放つ。

「残念だが、思わない」

 ウェスタはきっぱり答えた。

「あれ? 君って案外冷たいんだねー」
「何とでも言えばいい。それに、もしグラネイトが本当に殺られたのだとしたら……それは、弱かったから。残念なこと、でも仕方がない」

 するとトランは、唐突に「ふふふ」と笑い声を漏らした。
 愉快そうに口角を持ち上げている。

「……何がおかしい」
「ううん、何でも。ただ、案外シビアなんだなーと思っただけだよ」

 トランの返答に、わけが分からない、というような顔をするウェスタ。彼女が言葉を発することはなかったが、その面には、何か言いたそうな色が浮かんでいた。

「そろそろ……時間。帰らせてもらう」
「んー? 時間ってー?」
「仕事がある」
「えぇー。ボクより仕事を優先するんだー」
「当然のこと」

 ウェスタは呆れたように、はぁ、と、大きな溜め息をつく。
 そんな彼女の背に向かって、トランは言葉を飛ばした。

「最後に一つ聞いても良いかなぁ?」

 そんな言葉を。

「……何」
「君の望みは?」

 少年のような無邪気さで問われ、ウェスタは戸惑った顔をする。が、数秒経ってから、「それに答える気はない」とはっきり返した。その時の彼女の表情に迷いはなかった。

 冷たい態度をとる彼女に、トランは「もしかして、お兄さんを取り返すこと?」と尋ねる。
 もちろん満面の笑みで。

 だが、それでもウェスタは答えない。前回の問いの時とは違って、今度はもう、何一つとして言葉を返さなかった。

 答えたくないのか。
 答えられないのか。

 彼女の心、そのすべては暗闇の中。

 闇に沈む本当のそれを知る者など、この世には存在しない。

 もし、たった一人それを知ることができる者がいるとしたら、彼女自身だろうが。
 けれど、本人さえすべてを知ってはいないと考えた方が、現実に近いのかもしれない。人の心とは難解で、本人であっても易々と理解することはできないものだから。

「……うーん、今回はあまり上手くいかなかったなぁ」

 ウェスタが去った後、荒れた地に一人残されたトランは、その場に佇みながら、独り言を漏らしていた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.66 )
日時: 2019/08/16 18:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: O/vit.nk)

episode.63 たまには呑気に過ごしたい

「来てくれたのね! エアリ!」

 エトーリアの屋敷に到着した私たち三人を温かく迎えてくれたのは、エトーリア自身だった。というのも、彼女がたまたま屋敷の外で用事をしていた時に、私たちを乗せた馬車が到着したしたのである。

 私は一番最初に馬車から降りたのだが、その姿にすぐに気がついたエトーリアは、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「急に戻ってきてごめんなさい、母さん」
「いいのよ!」

 エトーリアは一切躊躇わず、私の体を強く抱き締める。

 まだ、少し不思議な感覚だ。あまり家へ帰ってこなかった母親と、今はこんなにも近くにいるなんて。

 だが悪い気はしない。
 たとえ、これまでがかなり離れていたとしても、母と娘であることに変わりはないのだから。

「母さん。リゴールを連れてきたわ」
「えっ、そ、そうなの?」
「そうよ! リゴールたちもこれからは一緒に暮らすの」

 ちょうどそのタイミングで、停止している馬車からリゴールが姿を現す。抱き締めることを止めたエトーリアと偶然視線が重なったらしく、リゴールは気まずそうな顔をしていた。

「あ……し、失礼します」

 気まずそうな顔のまま頭を下げるリゴール。

 一方エトーリアはというと、やや引き気味なリゴールとは逆に積極的で、躊躇することなく彼の方へと向かっていく。

 それによって、リゴールはさらに気まずそうな顔つきになっていた。

「ようこそ、リゴール王子」

 エトーリアは綿のように柔らかな笑みを浮かべながら、リゴールに向かって丁寧なお辞儀をする。それに対しリゴールは、恥ずかしそうにお辞儀を返す。

「前回お会いした際は他人の空似と勘違いし失礼致しました。リゴール王子とこんな形でお知り合いになるとは思っていなかったため、ついあのような奇妙なことを」

 リゴールに接する時、エトーリアは丁寧な言葉を使っていた。
 それはまるで、大人の女性が少年を敬っているかのよう。ホワイトスターのことを知らない者からすれば、不思議で仕方ない光景だろう。

「……い、いえ。お気になさらず。わたくしも、ここでは普通の一人です」

 その頃になって、デスタンがようやく現れた。

 彼は、リゴールと自分二人分の荷物を持ち、馬車から降りてくる。二人分、とはいえ、それぞれがほんの少しだけなのでさほど重くはなさそうだ。

 それから、すぐにリゴールへと視線を向ける。そして、リゴールがエトーリアと言葉を交わしているのを目にし、少しばかり戸惑ったような表情を顔面に滲ませた。

「ではリゴール王子。すぐに屋敷の方へ案内させていただきますね」

 エトーリアは、ガイドのように丁寧な手の仕草で、屋敷そのものを示す。

「急ぎませんよ」
「いえいえ。……って、あ! そういえば、お部屋の用意がまだできていおりません! 申し訳ないのですが……暫しお待ちいただかねばなりません」

 エトーリアの発言に、リゴールは考え事をしているような顔になる——そして、十秒ほど経ってから、微笑んで質問する。

「では、屋敷の周辺を少しばかり散策しておいても構わないでしょうか?」

 リゴールの口から出た言葉が想定外だったのか、エトーリアは一瞬気が抜けたような顔をした。恐らく、彼の問いの意味が、すぐには理解できなかったのだろう。そんな風にして暫し言葉を失っていたエトーリアは、しばらくしてからようやく「え、えぇ……構いませんけど……」と返したが、その時でさえ、戸惑いが完全に消えたわけではないようだった。

「ありがとうございます。では少し散策させていただきます」

 嬉しそうにさらりと発するリゴール。

「……あと」
「え?」
「そのような丁寧な言葉を使うのは、どうかお止め下さい」

 リゴールはエトーリアに要望を述べた。
 エトーリアはあたふたする。

「え……しかしっ……」
「ここでのわたくしは王子ではありませんから。それに、軽く話しかけていただける方が心地よいのです」
「わ、分かった……わ」

 エトーリアはリゴールに対して丁寧語を使うことを止めた。が、慣れないからか、ぎこちない言い方になってしまっている。

「貴方がそう仰るのなら……そうさせていただくわ」
「わたくしの望みを叶えて下さり、ありがとうございます」
「では、わたしは一旦ここで。部屋の準備をさせてくるわ」

 してくるじゃなくさせてくるなのね、などということを、少し考えてしまった。そんなことを考えても、何の意味もないというのに。


 エトーリアは屋敷の方へと駆けてゆき、場にいるのが三人になった瞬間、リゴールは「ふぅ」と大きく息を吐き出した。少しばかり疲れがあるようだ。

「大丈夫? リゴール」
「あ、はい。エアリ……お気遣いありがとうございます」

 そこへ、デスタンが口を挟む。

「無理なさることはないのですよ、王子」
「はい。気をつけます」

 リゴールは体を一回転させ、周囲の風景を見回す。その時の表情は、直前までより少し明るくなっていた。

 ——かと思ったら、急に話しかけてくる。

「しかしエアリ!」
「えっ」
「本当にありますね! 白い石畳が!」
「……え、えぇ」

 門から屋敷まで続く、白い石畳の道。その存在に、彼はもう気づいているようだ。

「それに、凄く美しいところですね! わたくし気に入りました!」

 リゴールは胸の前で両の手のひらを合わせながら、幸せの絶頂にいる者のような笑みで述べる。
 たとえ幸福な人間であったとしても、なかなか、ここまでそれらしい顔はできまい。

「気に入ってもらえたなら良かったわ」
「はい! これはもう、めまいがするくらい気に入りましたよ!」

 めまいがするくらい、って。
 それは表現がおかしくないだろうか。

「なっ……! めまいですか、王子」

 いや、乗るな乗るな。

「何を言うのです、デスタン。それはあくまで表現です」
「表現。……なるほど。では、実際に『めまいがした』というわけではなかったのですか」

 なぜそこをそんな真面目に。
 少し突っ込みたくなる瞬間もあったが、込み上げるものは飲み込み、私は何も発さなかった。

「はい。めまいがしそうなくらい、この場所が気に入ったということです」

 その後、私とリゴールは門の付近をうろつき、エトーリアに呼ばれるのを呑気に待ったのだった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.67 )
日時: 2019/08/17 08:17
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 9i/i21IK)

episode.64 今後への思考

 数分後、私たちが案内されたのは食事のための部屋。以前エトーリアと二人で使ったことのある、地味な一室だ。一旦この部屋で待機するよう言われたため、椅子に腰を掛け、ぼんやりしながら、次に声がかかるのを待つ。

「美しい屋敷ですね!」
「そう?」
「はい! 素晴らしい屋敷だと思います。さすがはエアリが紹介して下さった屋敷、という感じです!」

 ここへ来てからというもの、リゴールは妙に上機嫌。後から疲れたりしないだろうか、と、少し心配になるくらいの勢いである。

「この場所、お気に召したのですね」

 さりげなく会話に参加してくるのはデスタン。

「はい!」
「それは良かったです」
「ありがとうございます!」
「……もっと早くここへ移動すべきだったのかもしれませんね」

 デスタンの表情が微かに陰る。また、声も同じように変化する。
 他者の声色の変化など気づきそうにないリゴールだが、目の色を変えた。デスタンが放つ雰囲気の微かな変化に、リゴールは気づいたようだ。

「まさか! そんなことはありませんよ、デスタン」

 リゴールは笑顔を作り、デスタンに話しかける。

「貴方の頑張りがあったからこそ、わたくしもエアリもミセさんの家に泊めてもらえたのです。そして、それがあったからこそ、野宿せずに済みました。ですから、わたくしはデスタンの頑張りにも凄く感謝していますよ」

 華奢な彼の口から出るのは、優しさ。善良な彼を映し出す鏡のような言葉。それらは、ややひねくれ気味なデスタンにさえ、すんなりと染み込んでゆくようで。

「……気遣いは不要です」
「あ。もしかしてデスタン、照れていますか?」

 リゴールが冗談混じりに問う。
 するとデスタンは強く「照れてなどいません!」と返した。

「……直球で礼を述べられると、どのように返すべきか分からず、少し困ってしまう……ただそれだけのことです」
「やはり照れていますね!」
「もう一度申し上げますが、照れてなどいません!」
「デスタン! どう見ても照れていますよ!」

 いや、あの、そんなことで言い合いしなくていいから……。

 そう言いたくなるのを飲み込みつつ、私はそっと口を挟む。

「照れていても照れていなくても、どっちでもいいんじゃない?」

 するとリゴールとデスタンは、唇を閉ざして視線を合わせ、それから数秒して、呆れたように笑みを浮かべ合っていた。

 なんだかんだで仲良しなのだ、彼らは。
 まるで女子同士の親友のようなのだ、二人は。

 そして私は、たまに浮いてしまう!

 ……いや、そこはおいておくとしようか。

「確かに、言われてみればそうですね。まさにエアリの言う通りです」

 苦笑しながら先に発したのはリゴール。

「……無益な言い争い、失礼しました」
「デスタンは悪くありませんよ。わたくしがあまりよろしくないことを言ったのが問題です」

 いつだって傍にいて、時にすれ違い、ぶつかり合うことはあっても、本当に憎しみ合うことはなく。どんなことがあっても、最後はまた笑って顔を見合わせられる。

 私もいつかそんな相手がほしい——少し、そう思った。

「ところで、王子」
「何でしょう?」
「今後はいかがいたしましょう」

 デスタンからいきなり話を振られ、リゴールは首を傾げる。

「ここで暮らしてゆくのではないのですか?」
「そうではありません。私が質問しているのは、ブラックスターの輩への対応です」

 瞬間、リゴールの無垢な瞳が曇った。

「……また現れるでしょうか」

 両の瞳に不安の色を滲ませながら漏らすリゴールに、デスタンは「恐らくは」と告げた。
 デスタン本人に悪意はないということは、重々承知している。が、平淡な言い方ゆえ、私には少し心ない口調に感じられてしまった。

「エアリの話によれば、グラネイトは身を引くということでしたが……ブラックスターに狙われる定めは変わらないのでしょうか……」

 片手を口元へ添えつつ、独り言のように発するリゴール。デスタンは、それに、きっぱりと返す。

「私に未来予知能力はありません。ですから、未来は分かりません」

 リゴールはすぐに言葉を返すことはできずにいた。そのため、室内に沈黙が訪れてしまう。それを気にしてか否かは不明だが、デスタンが続けて言葉を放つ。

「ただ、私は、王子をお護りするためにできることはすべて行っていこうと、そう考えています」

 デスタンは真剣な顔つきだ。

「第一は、必要な時に戦えるよう私自身が強くなること。そして次に」

 そこまで言って一旦言葉を切ると、デスタンは私へ視線を向けてきた。

「剣を持つ彼女が、ある程度まともに戦えるようになること」
「わ、私!?」
「はい。貴女は剣に選ばれた特別な存在、だからこそ、努力することが必要です」

 妙に辛口だ。
 もっとも、間違っていると言う気はないが。

「……そうね。戦えるようになるには、努力が必要だわ」
「自覚があるだけましですね」

 失礼! と内心放ちつつも、敢えて過剰に反応することは避け、滑らかに話が進むよう心がける。

「けど、何から始めればいいのか、さっぱりだわ」
「個人での基礎的な体力作りは必要ですが、剣の技を教えてもらえる場所があれば最良かと」
「剣の技……」

 今デスタンと話していることが私のことであるという実感は、まったくと言っていいくらい湧かない。体力作りだとか、剣の技だとか、よく分からない。

「デスタンさんに習うというのじゃ駄目?」
「できません」
「即答!?」
「私は剣の扱いには長けていませんから、貴女に教えるには相応しくない人間です」

 嫌だから、という理由ではなかったようだ。
 それがせめてもの救い。

「話は戻りますが……第三は、新たな戦力を味方につけるということです」
「新たな戦力とは?」

 笑いたくなるくらい王道の問いを放ったのは、リゴール。

「戦える者、という意味で言いました」
「つまり……戦える味方を増やすということですね?」
「はい」

 デスタンが言うことも、分からないことはない。

 彼一人や素人の私が必死に頑張ったところで、できることは限られている。それに、場合によって敵が大勢ということも考えられるわけだから、二人でリゴールを護ることができるのかと聞かれれば、気軽には頷けまい。

 そういう意味では、戦える味方が増えるというのはありがたいことだ。

 ただ、問題は残る。

 まずは、戦える者をどこで見つけるのか。
 世の中に手練れはそう多くはないはず。ブラックスターの者と渡り合えるような人間を探すのは、楽ではないだろう。

 そして、もし戦える者を見つけたとして、その者をいかにして味方とするのか。

 知り合いの知り合いなどなら比較的スムーズに味方になってくれるかもしれない。だが、赤の他人であったなら、味方になってもらうだけでも一苦労だろう。

「ではデスタン。戦闘能力が高い者を見つけなくてはならない、ということですね?」
「はい」
「それは……貴方が見つけられますか?」

 リゴールの問いに対し、デスタンは、「善処します」と柔らかく答えた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.68 )
日時: 2019/08/18 06:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: rE1CEdls)

episode.65 暇潰し的な

 それからはまた、穏やかな毎日だった。

 エトーリアの屋敷では、私もリゴールも、そしてデスタンも、それぞれ部屋を貰うことができた。私が与えられた部屋は、それほど広くはない部屋だったけれど、自分だけの空間を手に入れられたことは嬉しくて。久々の自室というものに、心踊らせずにはいられなかった。

 そんな中、私は、現時点で取り敢えずできることに取り組み始めた。

 ちなみに、取り敢えずできることとは、簡単な体力作りである。

 とはいえ、その内容は偉大なものではない。屋敷の中を走り回るであったり、自室のベッドで急に上半身を起こす行為を繰り返したり、そんなくだらない感じのものばかりであった。

 それでも何もしないよりかはましだろう。そう信じ、私は、そんな残念な体力作りを継続していた。

 が、正直なことを言うなら、それらの行為には暇潰し的な意味合いもあった。


 そんなある日。
 まもなく夕食という夕暮れ時に、デスタンが私の部屋へやって来た。

 彼が一人で私の部屋を訪れるのは、嵐の前触れかと不安になるほど珍しいことだ。ここへ来てからだと、初めてかもしれない。

 それだけに、扉を開けて彼が立っていた時には、かなり驚いた。

「今、少し構いませんか」
「……どうかしたの?」
「貴女の剣の師となれそうな者を探していたところ、興味深い話を聞きまして」

 エトーリアの屋敷へ移動してからも、彼は外出していることが多かった。またどこかで働いているのかと思っていたのだが、どうやらそれは違ったようだ。

「ここより南へ数分下った辺りにクレアという都市があるのですが、そこで明日、武芸大会が開かれるようなのです」

 デスタンは丁寧に話してくれる。しかし、私の部屋の中へ足を踏み入れる様子はない。どうやら、中へ入ってゆっくり語らう気はないようである。

「武芸大会?」
「はい。そこで高成績を残すような者からなら、良い技が習えるかと思うのですが」

 デスタンは良き師を探そうとしてくれていたようだ。そんなに考えてもらえていたなんて、と嬉しくなる。
 すると、「私のこと、気にかけてくれていたのね。ありがとう」という感謝の言葉が、口からするりと出た。

 それに対しデスタンは、気恥ずかしげに目を細めて、「すべては王子のためですから」と返してくる。

 相変わらず素直じゃないわね、と、私は呆れてしまった。

「貴女が望むのなら、良き剣の師となりそうな人物を探してきますが」
「そんな。任せっきりは申し訳ないわ」

 デスタンが私の護衛なのなら、彼に頼むというのも立派な一つの選択肢だろう。だが、現実はそうではない。デスタンはリゴールに仕えているのであって、私は、ほぼ無関係に近い存在。それゆえ、私がデスタンに任せてしまうというのは、少々間違っているような気がする。

「……では、どうしますか」
「武芸大会は私が観に行くわ」

 片手を胸に当てて言うと、デスタンは少し戸惑ったような顔をした。

「貴女が?」
「えぇ。駄目かしら」
「いえ、そうは思いません。ただ、素人の貴女が師に良さそうな人物を選べるのか、心なしか不安です」

 確かに、と、心の中で頷く。
 数いる参加者から良い師となってくれそうな人物を探すというのは、なかなか難しそうだ。

「それはそうね。……デスタンさんも一緒の方がいいかしら」
「強要はしませんが」

 デスタンは行きたくないと思っているわけではないようだ。

「じゃあ、リゴールも一緒に、三人で行く?」
「それは問題でしょう。王子を外へお連れするのは危険かと」
「でも、一人にするのも危険じゃないかしら」

 デスタンはすぐに言葉を発そうとしたが、何か思うところがあったのか、口の動きを唐突にぴたりと止めた。

「……デスタンさん?」

 唐突なことに戸惑っていると、十秒ほど経過してから、デスタンは再び口を動かす。

「失礼しました」
「大丈夫?」
「はい。失礼しました」

 少し空けて。

「せっかくの機会ですし、三人で観に行きましょうか」
「本当!?」
「はい。まずは王子に一度声をかけてみます」
「分かったわ。ありがとう」

 デスタンと二人でも問題はないけれど、でも、できるなら三人の方が良い。なぜなら、その方が気まずくなりにくいから。

 せっかくの外出なのだから楽しめる方が良いに決まっている。
 気まずさの中で過ごすなんて、損だ。

 デスタンと別れてから、私は、胸が高鳴るのを感じた。

 胸の内にあるのは、期待や楽しみという感情だけではない。胸の中に渦巻くのは、決してそのような前向きなものばかりではないのだ。知らない世界へ行くことへの不安や緊張、そういったものも、私は確かに抱いている。

 だがそれでも、この感覚を嫌いだとは思わない。

 知らない世界へ行くことも、新たな領域へ踏み出すことも、嫌なことではないから。


 夕食後、リゴールが私の自室へやって来た。それについてデスタンまでやって来て、自室が急に賑やかになる。

「明日武芸大会が開かれるそうですね!」

 ベッドや棚や机と椅子くらいしかない私の自室で、目を輝かせながらそう言ってきたのは、リゴールだ。

「わたくしも共に参ります!」
「いいの?」
「もちろんです!」

 リゴールの太陽のような笑顔を見ていると、何となく、こちらの心まで明るくなってくる。不思議な影響力だ。

「三人で行けることになったのね、デスタンさん」
「はい。ただし、ブラックスターの者に見つからないよう、なるべくらしくない格好で出掛けることにしましょう」
「らしくない格好って?」

 そこだけが気になったので、ピンポイントで尋ねてみた。
 その問いに答えるのは、デスタン。

「いつもとは違う服装を、ということです」
「そういうことね。……けど大丈夫? 違う雰囲気の服なんて、持っているの?」

 さらなる問いにも、デスタンは淡々と答える。

「それならご安心を。既に話はつけてありますので」
「どういうこと……?」
「エトーリアさんに、服を借りさせていただくことにしているのです」
「母さんに!?」

 行動が早いっ。

「はい。理解力のある方で、助かりました」

Re: あなたの剣になりたい ( No.69 )
日時: 2019/08/19 07:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: u5fsDmis)

episode.66 本日のお召し物

 翌朝、バッサが部屋にやって来た。

 彼女の服装は、私が父親と暮らしていたあの頃と、まったく変わっていない。

 足をしっかりと隠す丈のある、紺色のワンピース。その上には、長期に渡り使用しているからかやや黄ばんだ白エプロン。そして、頭部には布製の白い帽子。

 笑えてしまうくらい見慣れた服装だ。

「おはようございます、エアリお嬢様」
「バッサ! おはよう」

 彼女の手には、丁寧に畳まれた衣服らしき物体。

「本日のお召し物をご用意しました」
「本日のお召し物……?」
「デスタンさんが、本日は三人共いつもとは違った服装での外出をお望みとのことでしたので」

 バッサの丁寧な説明を聞き、私はようやく思い出す。デスタンが、いつもと違う服装で外出すると言っていたことを。

「忘れてた! そうだったわね!」
「はい。ですからお持ちしました」

 そう言って、バッサは畳んだ衣服を差し出してくる。

「着るの、手伝ってもらってもいい?」
「承知しました」

 こうして私は、寝巻きから、バッサが運んできてくれた衣服に着替えることにした。いつもの黒いワンピースは、今日はお休みだ。


 ——そして、十五分後。

「完成ですね」
「助かったわ! バッサ!」

 私は着替えをスムーズに終えることができた。

 だが、しばらく同じ服ばかりを身につけていたせいか、別の服をまとうと不思議な感じがする。どうもフィットしないというか、何というか。

 私がそんな言葉で表し難い違和感を感じていることに気がついたのか、バッサは「姿見をお持ちしましょうか?」と声をかけてくれる。彼女の小さな気遣いに感動しつつ、私は「頼んでもいい?」と返す。するとバッサは、柔和な笑みを浮かべながら「もちろんです」と述べた。

 その後バッサは、一旦部屋から出ていったが、ものの数分で戻ってきた。姿見と共に。

「いかがでしょう?」

 バッサは鏡面を私へ向ける。
 そこへ映っていたのは、らしくない格好の自分。

 ボタンの周囲にフリルがあしらわれた白いブラウス。胸の下ラインから始まる、コルセットをくっつけたような小花柄のスカートは、落ち着いた色彩ながら女性らしさを欠いてはいない。ただ、腰の辺りにつけられた革製の茶色いベルトは、少し男性的な雰囲気を醸し出してもいる。

「こんな感じなのね……」
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ! 素敵な服よ!」

 ただ、と続ける。

「私に似合うかどうか、少し不安なの」
「そうですか? お似合いだと思いますよ?」
「……そう言ってもらえたら、ホッとするわ」

 こんなおしゃれな女性みたいな服、私に似合うのだろうか。違和感はいまだに消えない。けれど、バッサが「似合っている」というようなことを言ってくれたから、少しだけ安心することができた。やはり、バッサは気が利く。

「靴はこの革靴をお履き下さいね」
「ありがとう! ……けど、慣れない靴で大丈夫かしら」
「あの屋敷から持ってきた物ですから、以前履かれたことがあると思いますよ」
「そうなの! なら大丈夫そうね」


 合流し、エトーリアが手配してくれた馬車に乗り、私たち三人は南下する。

 目指すは、武芸大会が開かれるという都市クレア。
 新たな出会いを期待し、微かに胸を弾ませながら、私たちは旅立つ。

「楽しみですね、エアリ!」

 明るい笑顔で述べるリゴール。
 彼も私と同じで、いつもの服装ではない。

 シンプルなデザインの白いブラウスに暗めの枯葉色のベスト。そして、その上に黒いケープのようなものを羽織っている。

 彼の代名詞と言っても過言ではない詰め襟の上衣。それを身にまとっていない彼は、どことなく別人のようだ。

「えぇ、そうね」
「そこそこ立派な都市だと聞いておりますから、今から楽しみで仕方ありません……!」

 今は収まっているとはいえ、いつ敵から攻撃されるかも分からない状況だ。にもかかわらず、こんなにも明るく振る舞えるというのは、不思議で仕方がない。もし私が彼であったとしたら、こんな明るくはあれなかったことだろう。

「デスタンも楽しみですよね!」

 リゴールは、視線を、私から向かいに座っているデスタンへと移す。

「……デスタン?」

 黒いスーツを着こなし、両家に仕える執事のような出で立ちのデスタンだが、リゴールに声をかけられても返事はしない。席に座り、瞼を閉じてじっとしている。

「どうしたのです? デスタン?」

 リゴールは不安げな眼差しを向けながら声をかける。が、デスタンは反応しない。彼はまだ、瞼を閉ざしたままじっとしている。

「……寝てるんじゃない?」

 ふと思い立ち、私はそう言ってみた。
 するとリゴールは不思議なものを見たような顔をする。

「寝ている、ですか?」
「反応がないってことは、その可能性もあるわよ」
「確かにそうですね。しばらくそっとしておきましょうか」

 デスタンが居眠りをしているというのは、なかなか奇妙な感じである。
 だが、彼とて不老不死ではない。それゆえ、たまには休息が必要な時もあるのだろう。休みたい時というのは誰にだってあるものだ。

「しかし……デスタンが人前で眠るとは驚きです」
「安心しているのかもしれないわね」
「えぇ、わたくしもそう思います。デスタンも、エアリがいてくれれば安心なのでしょうね」

 いやいや。
 私がいて、という理由ではないだろう。

「わたくしも、エアリが傍にいて下さるおかげで、安心して過ごせていますよ」

 リゴールは微笑みかけてくる。
 その笑みが眩しくて、私は少し目を細めた。

「私、何もしていないわ」
「そんなことはありません! エアリはわたくしを大切にしてきて下さったではないですか!」
「……そうだったかしら」
「そうですよ!」

 確かに私は、リゴールのことを大切に思ってはいる。華奢な彼を護りたいと思うし、傍で支えてゆきたいと願いもする。

 だが、実際そのために行動できているかどうかは別問題だ。

 私には特別な能力はないし、戦いに長けているわけでもない。戦いの面でなら、リゴール本人よりもずっと弱い、ただの素人だ。そこらを歩く人々と何も変わらない。

「エアリは、出会ったばかりのわたくしを躊躇いなく家に泊めて下さいました。そして、それによって被害を受けた時も、わたくしを責めずにいて下さいました。あの時出会っていたのが貴女でなかったなら、わたくしは多分、今頃飢え死にしていたと思います。ですから、エアリには本当に本当にお世話になりました」

Re: あなたの剣になりたい ( No.70 )
日時: 2019/08/20 08:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: aFzuuCER)

episode.67 クレアの武芸大会

 クレアに到着した。

 そこは、非常に賑わっている都市だった。

 大通りは道幅がかなり広い。しかし、それでも混雑。人で溢れかえっている。武芸大会が開かれるからなのか、いつもこのような感じなのか、そこは分からない。ただ、少なくとも、私がこれまで行ったことのあるどの街より人が多いことは確かだ。

「よく眠っていましたね、デスタン」
「……失礼しました」
「いえ、責めているわけではありませんよ。では早速。武芸大会とやらの会場へ行ってみましょう」

 馬車を降りた私たち三人は、砂利の敷かれた大通りへ足を踏み入れる。
 途中ではぐれないよう、注意しながら。


 デスタンの案内に従い、歩くことしばらく。目の前に、黒くて大きい建造物が現れた。全体的な形は円形で、外側の壁の高さは二階建ての家を縦に二つ重ねたくらい。それゆえ、外から中の様子を覗き見ることはできそうにない。

「大きいですね……!」

 一番に感嘆の声を漏らしたのはリゴール。

「こんな大きさの建物、こちらへ来てから初めて見るかもしれません……!」
「それは、ホワイトスターではよくあったということ?」

 リゴールを一人で喋らせ続けるのも何なので、思いきって質問してみた。すると彼は、頭を左右に動かす。

「いえ。よく、はありません。ただ、城はそこそこな大きさがありました」
「お城! 確かに、お城ならとっても大きいのでしょうね!」

 私は城で暮らしたことはないし、城下町で暮らしたことさえない。だから、本物の城というものは知らない。私の脳に刻まれているその姿とは、昔絵本で見たものなのである。

 それゆえ、私が考えている城のイメージが実際の城と一致しているのかどうかは、分からない。

「そうですね。内部が妙に複雑で、よく迷子になりました」
「迷子って……」
「似た部分が多いので、歩いていると段々よく分からなくなってくるのです」

 円形の建造物に向かってゆっくり歩きつつ、私はリゴールと言葉を交わす。深い意味のない話題ばかりではあるが、私としてはその方が気が楽なので、嫌ではない。

「私も迷いそうだわ……」
「はい、皆迷います。わたくしのところへ来て下さったばかりの頃、デスタンもよく迷っていました」

 リゴールがそう言ったところへ、デスタンがすかさず口を挟んでくる。

「余計なことを言い触らさないで下さい、王子」

 きちんとした雰囲気の黒い上下を身にまとっているデスタンは、隙のない印象だ。日頃の彼が情けなく見えるというわけではないが、今の彼は、特に完璧な雰囲気を漂わせている。

 それだけに、「よく迷っていた」などという話を聞くと、不思議な感じがしてしまう。

「何を言い出すのです? デスタン。余計なことではありませんよ?」
「余計なことです」
「昔貴方が迷子になっていた話をしているのです。余計などではありませんよ?」
「恥をかかせるような話は止めて下さい」

 リゴールとデスタンの永遠に続きそうなやり取り。こういったことは時偶発生するので、驚きはしない。

「そろそろ会場へ入りましょう」
「あ! デスタン、話を逸らしましたね!?」

 速やかに歩き出すデスタン。
 リゴールはその背を追って、小走りする。

「何のことでしょう? ……行きますよ」
「えぇっ」

 滑らかな足取りで速やかに先頭を行くデスタン。その黒い背中を小動物のように懸命に追うリゴール。そんな二人に、私はついていった。


 円形の大きな建造物。その内部は、個性的な構造になっていた。というのも、建物自体はドーナツのような形になっていたのである。しかも、一階の一部を除けば、そのほとんどが客席。座席がびっしりと並んでいて、自由に座ることができるようになっている。

 私たち三人は速やかに席につこうとしたのだが、一階の客席にはもうあまり空きがなく、結局三階まで上がることになった。最上階である。

 建物の内をくり貫いて作ったような楕円形のフィールドには若々しい緑がきっちり並んで生えていて、風が吹くたび、それらは波のように揺れる。

「面白い構造ね」
「ですね! わたくしもそう思います」

 隣の席のリゴールと視線を合わせ、意味もなく笑みをこぼす。

「期待通りの実力者がいれば良いのですが……」
「真剣ね、デスタンさん」
「当然です。遊びに来たわけではありませんから」

 まだ誰も現れていないフィールドへ真剣な眼差しを向けるデスタンの横顔を見ていたら、胸の中でおかしな感情が膨らんだ。これは一体何? と問いたい衝動が込み上げてきたが、問う相手がいないため諦めた。

 そんな時、リゴールが唐突に問いを放つ。

「しかしデスタン。実力者を見つけられた場合、いかにして知り合いになるのですか?」

 フィールドにはまだ誰も現れない。だが、客席は着実に埋まってきている。最上階でもほぼ空席がない状態、かなりの賑わいだ。

 武芸大会がここまで人気のある催し物だったとは。
 こう言っては失礼かもしれないが、正直、驚きしかない。

「上位数名とは表彰後に言葉を交わすことができるそうなので、その時にでも声をかけてみるつもりです」

 デスタンの淡々とした答えに、リゴールは眉を寄せる。

「呼び出せれば楽なのですがね……」

 表彰後に声をかけられる時間が設けられているというのは、ありがたいことだ。だが、たとえそのような時間があったとしても、私は話しかけには行けないだろう。

「王子がそう仰るのは分かります。城では呼び出すのが普通でしたから」
「わざわざ話しかけにいかねばならないというのは、どうも違和感が……」

 リゴールはこの世界での暮らしにすっかり馴染んでいるように見える。苦労しているようにも見えないし。

 しかし、もしかしたらそれは違うのかもしれない。それは、私の都合のいい解釈なのかもしれない。
 そんなことを、少し考えたりした。

「それは理解しています。が、ここでは他人を自由に呼び出すわけにはいきません。王子、どうか我慢なさって下さい」
「……そうですね。わがままは言いません」

 直後。

 わぁぁ、と、客席から大きな声が沸き上がる。

 一瞬何事かと思い焦ったが、事故や災害が発生したではないようで。フィールドを見下ろし、目を凝らすと、出場者が入場してきているのが視認できた。

 武芸大会がようやく始まるようだ。

 出場者が入場してくるなり、会場全体の盛り上がりが一気に高まった。客席も物凄い騒ぎで、建物が崩れてしまわないか不安なくらいである。

Re: あなたの剣になりたい ( No.71 )
日時: 2019/08/20 08:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: aFzuuCER)

episode.68 観戦とその後

 鳴り止まない異様なほどの歓声が、空気を激しく揺らす。一時間もこの歓声を聞いていたら、耳を痛めてしまいそう。

 そんな中に、私はいた。

 リゴールは歓声に驚き戸惑っているらしく、固い表情になっており、また、両耳に手を軽く当てている。耳へ飛び込んでくる大きな音を少しでも小さくしようとしているのかもしれない。

 一方デスタンはというと、直前までと少しも変わっていない落ち着き払った表情で、フィールドをじっと見下ろしていた。髪で隠れていない右目は、フィールドに向かって、真剣な眼差しを放っている。

 二人の様子は正反対。

 ちなみに、私は、どちらかというとリゴール寄りである。

 他者との接触を避けるような生き方をしてきたわけではないが、ここまで騒がしい場所に放り込まれるのは初めてかもしれない。

 大迫力の歓声が飛び交う中、フィールドには参加者のうち二人が向かい合わせに立つ。

「そろそろ始まりそうね、リゴール」
「ですね」
「どんな戦いが見られるのかしらね」


 それから、フィールドではいくつもの試合が行われていった。

 参加者は男性が多かったが、女性がいないということはなく、十数名の参加者のうち三人ほどは女性だった。

 戦いを見ていて私が意外に思ったのは、女性であってもそれなりに戦えていること。そして、相手が男性であっても怯まず挑んでいっていることだ。

 特に印象に残った剣士の少女などは、可愛らしい雰囲気の容姿ながら、木製の剣で対戦相手の男性を軽く蹴散らしていた。


 二時間ほどが経過して、武芸大会は終了した。

 始まる前は「観ているだけというのも結構疲れそうだな」などと思っていたのだが、案外そんなことはなく。始まってしまえば、不思議なくらいあっという間に時が過ぎた。

 私がさりげなく気に入っていた剣士の少女の結果は二位。
 決勝戦まで残ったものの、対戦相手の屈強な男に、最後の最後で負けてしまったのである。

 一位になれず、少し残念。

 ただ、女性ながら二位の座を手にしたというのは、素晴らしいことだと思う。

「終わりましたね」

 大会中、ずっと真剣な顔つきでフィールドだけを見つめていたデスタンが、ようやく私たちの方へ視線を向けた。

「なかなか熱かったわね!」
「……貴女、目的を忘れていませんか?」
「わ、忘れてなんてないわよ!」
「なら良いのですが」

 そう。私たちは戦いを楽しむためだけにここへ来たわけではない。私たちがここへ来たのは協力者を探すため。それを忘れてはならない。

「では行きましょうか」

 そう言って、デスタンは席から立ち上がる。

「もう行くの?」

 私がそんな風に問うと、デスタンは「はい。何事も早い方が良いですから」と述べた。

 直後、デスタンが立ち上がったのを目にしたリゴールは、すっと腰を上げる。座っているのが三人のうち自分一人だけになってしまったため、私は慌てて立ち上がった。

 誰に声をかけるつもりなのだろう? と考えながら、私はデスタンの背を見つめて歩く。


 私たちが一階へ降りた時、建物の入り口付近には既に人だかりができていた。係の人は「押し合わず、お並び下さい」と大声を発している。が、言葉など何の意味も持たず。結局、係の人の注意によって人だかりが整理されることはなかった。

「な、何ですか……この人の群れは……」

 人の海ではぐれてしまわないよう手を繋いでいるリゴールが、恐ろしいものを見たかのような調子で漏らす。

「凄い人よね」
「はい、本当に……めまいがしてきま——」

 直後。
 リゴールと繋いだ手にかかる重みが、急に大きくなる。

「ちょっ……!?」

 異変を感じ、思わず叫ぶ。

 だが返事はなく。
 その数秒後、リゴールの体が私の方へと倒れ込んできた。

 彼の細い体を包むように支え、「どうしたの!?」と声をかける。すると彼は「……いえ、その……」と掠れた声で返してきた。

 意識を失ってはいないようだ。

 けれど、だからといって油断はできない。

 いくらリゴールが華奢な体をしているとはいえ、この人混みの中で彼を支えながら歩くというのは無理がある。それに、この状態では、誰かに声をかけに行くなんて不可能だ。そんな余裕はない。

「どうしたの?」
「……少し、気分が」
「気分が悪いの?」

 デスタンはリゴールの様子の変化に気がつかなかったらしく、一人歩いていってしまう。
 可能なら名を呼んで止めたいところだが、ここで彼の名を叫ぶわけにはいかない。もし敵が人込みに紛れ込んでいたら大変だからだ。

「と、取り敢えず……人混みから離れましょ」

 デスタンを呼ぶことは諦め、ひとまず人混みから外れることにした。


 人通りが少ない建物の隅へ移動し、リゴールを地面に座らせる。
 王子だった人をこんなところへ座らせて良いのだろうか、と思いつつ。

「大丈夫?」
「はい……」

 リゴールは壁にもたれ、小さく肩を上下させる。

「怪我したわけではないわよね?」
「はい……」
「なら良かった。きっと、急に人混みに入ったせいね」
「情けない……申し訳ありません……」

 こうしていると思い出す。
 リゴールと初めて出会った日を。

 あの時も、彼は今みたいに、壁にもたれかかっていて——そんな彼に、通りかかった私が声をかけたのだ。

 思えばそれが、すべての始まりだった。

 私は彼の横にそっとしゃがみ、小さく声をかける。

「何だか懐かしいわね」
「……エアリ?」

 リゴールは戸惑ったような表情を浮かべた顔を向けてくる。

「懐かしい……とは?」
「初めて会った日も、こんな感じだったじゃない。リゴールは壁にもたれかかってて」

 するとリゴールは、過去を懐かしむような微笑みを口元に湛えながら、静かに瞼を閉じた。

「……そうでしたね」

 デスタンを呼び止めることができなかったことは少し後悔している。だが、リゴールが穏やかな表情を浮かべているのを見たら、心から「良かった」と思えた。

「懐かしいです、本当に……」
「あの時声をかけてみて良かったわ」

 私がそう言った瞬間、リゴールは急に顔をこちらへ向けた。かなり驚いているような顔をしていた。

「それは真まことですか!?」
「え」
「声をかけて良かったと、本気で言って下さっているのですか!?」

 いきなり凄まじい勢いで問いを投げかけられたことに戸惑いつつも、はっきり答える。

「本当よ。だって、あの時声をかけてみなかったら出会えなかったんだもの」

 途端にリゴールの瞳が潤んだ。

「エアリッ……!」
「え?」

 リゴールは私の体を抱いた。
 強く、抱き締めた。

 私が困惑していることなどお構い無しに。

「ありがとうございます……! 嬉しいです……!」
「え、ちょ、あの」
「これからも傍にいて下さいますか?」
「え、えぇ。それはそのつもりだけど……」

 ——その時。

「ちょっと! こんなところで何してるの!」

 鋭い声が飛んできて、慌てて声がした方を向くと、そこには一人の少女が立っていた。
 そう——私が密かに応援していた、二位になった少女が。

Re: あなたの剣になりたい ( No.72 )
日時: 2019/08/22 02:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: j9SZVVec)

episode.69 少女現る

 いきなり現れたのは、武芸大会にて二位を取っていた少女。

 橙色のショートヘアは少年のようで、しかし、前髪を留めている白い花のピンは可愛らしい。そして、ふっくらした頬のラインも、また愛らしい。小さい動物のような愛らしさがある。

 ただ、眼光は鋭い。
 戦士のようなそれである。

 少女らしい容姿に、戦士のような目つき。そのアンバランスさに、妙に興味をそそられてしまう。

 また、服装も独創的だ。

 胸元はY字のように合わさっており、胴にはそこそこ太い帯が巻かれている。ちなみに、その太い帯の柄は、ピンについているのと同じ白い花だ。帯の下から出ている部分はスカートのようになっていて、丈は太ももの真ん中までと結構短い。が、膝上までのスパッツを穿いているため、足が丸出しになっているということはない。

「公共の場でいちゃつくとか駄目!」
「えっ……」

 いきなり注意されてしまった。

 個人的に、彼女とは話してみたいと思っていた。それだけに、彼女の方からやって来てくれるとは奇跡のような展開だ。それも、嬉しい奇跡である。

 ただ、彼女の顔つきは険しい。
 すぐに友達になれそうな雰囲気ではない。

「す、すみませんっ……」

 少女に注意され、即座に謝ったのはリゴール。彼は、すぐに立ち上がり、勢いよく頭を下げたのだった。

「そのっ……わたくしが勝手に絡んでいただけなのです……! エアリは悪くありませんっ……!」

 いやいや、いきなり「エアリ」なんて固有名詞を出したら混乱させてしまうでしょ?
 そう突っ込みたい気分になったが、その言葉は飲み込んだ。

「ふぅん。庇うんだ」

 唇を尖らせながら、訝しむような視線をリゴールへ向ける。

「……貴女、少し不躾ですよ。庇うも何も、エアリは悪いことは何もしていません」
「よく言うね。こんなところで抱き締めあっておいてさ」
「抱き締めあって? まさか。わたくしが一方的に抱きついただけです!」

 いや、堂々と言えることではないと思うのだが……。

「ま、どっちでもいいよ。ただ、今度からは人気ひとけのないところでやってよね!」

 きっぱり言い放ち、少女はくるりと進行方向を変える。

 せっかくの機会なのに。
 そう思った私は、半ば無意識のうちに発していた。

「待って!」

 少女は足を止め、振り返る。
 その可愛らしい顔には、驚きの色が満ちていた。

「何?」
「あ……その……」

 想定外の速やかな反応に、私はまともな言葉を返せない。
 彼女を引き留めたのは衝動的な行いであったため、実際に言葉を交わす心の準備はまだできていなかったのだ。

「ちょっと、何なの?」
「えと……貴女と話がしたいの!」

 私はすぐに立ち上がり、彼女の方へと駆け寄る。

「話? あたしと?」
「そうなの! 武芸大会での活躍、凄いと思っていたのよ!」

 今になって、ようやく、まともな言葉を発せるようになってきた。

「……見てくれてたの?」

 結果は二位だったが、戦いの華やかさでは一位だったと言っても過言ではないだろう。

「えぇ! 剣を振り回して戦う姿、凄くかっこよかったわ!」

 そう告げると、少女は急に頬を緩めた。

「本当に? ……そう言ってもらえたら、嬉しいな」

 それまでの彼女は、険しい表情をしていたため、気の強さが前面に出ていた。いかにも勇ましそう、という雰囲気をまとっていた。が、頬を緩めた途端、その雰囲気はガラッと変わった。今度は可愛らしさが溢れ出てきたのである。

「ありがと! 励みになるよ!」
「でも……惜しかったわね、二位だなんて」
「えへへ。最後の最後で負けちゃったんだよねー」

 少女はペロリと小さく舌を出す。
 いたずらをごまかす幼い女の子を彷彿とさせる、可憐な振る舞いだ。

 普通、それなりに年をとった女性が舌をペロリと出すような動作をすれば、奇妙な感じになってしまうだろう。だが、彼女がそれをする様子には、違和感なんてものは少しもなかった。違和感がないどころか、純粋に可愛らしいと思うことができる。

 一人思考を巡らしていると、彼女は突然手を差し出してきた。

「あたしリョウカ! クメ リョウカっていうの。よろしくね!」

 そうはっきりと名乗り、少女——リョウカは可愛らしく笑う。

 まさか自ら名乗ってくれるとは思っていなかったため、驚いた。が、名を問う時間を短縮できたのは幸運と言えるかもしれない。余計な時間を使わずに済んだから。

「クメ リョウカさん?」
「うん! そだよ!」
「何だか珍しい名前ね」
「そうだと思うよ。だってあたし、この国の人間じゃないから」

 リョウカは愛らしい顔に真夏の空のような爽やかな笑みを浮かべる。

「この国の人間じゃない? ……ってことは、まさか、ホワイトスターとかブラックスターとかの……!?」

 動揺を隠しきれぬまま、私はそんなことを言ってしまう。
 気軽に口にしてはならないことなのに。

「え? 何それ?」

 ポカーンと口を開けるリョウカ。

「あ……いいえ。今のは……何でもないわ、気にしないで」

 胸の前で開いた両手を振りながら、慌てて放つ。
 するとリョウカは、眉を困っている人ような位置へ動かし、呆れ笑い。

「もう、何なのー?」
「変よね。いきなり声をかけて、しかもこんなこと。ごめんなさい」

 呆れ笑いで済んでいるだけまだましだ。だが、その程度で済んでいるのは、リョウカが広い心の持ち主だから。もしリョウカが広くない心の持ち主であったなら——いや、平均的な心の持ち主であったとしても、呆れ笑いだけで済ませてはくれなかっただろう。

 今日出会ったばかりの相手が、何の前触れもなく知らない単語を吐き出せば、誰だって反応に困る。
 私とて、出会ったばかりの人がいきなり知らない単語をいくつも言い出したら、戸惑わずにはいられないだろうと、そう思う。

「べつに謝らなくていいよ! 悪いことをしたわけじゃないし!」
「……ありがとう」
「気にしないで!」

 そう言って、リョウカは笑う。

「それでさ! アナタは名前何ていうんだっけ? エアリだった?」

 お、既に知られている。

 一瞬「なぜ知っているの?」と訝しみそうになったが、リゴールが先ほど「エアリ」という単語を口から出していたことを思い出したため、訝しむ気持ちはすぐに消えた。

「えぇ。エアリ・フィールドよ、よろしく」
「よろしくね!」

 こうして、私とリョウカは握手を交わす。
 友情の始まりを告げる握手……であってほしい。

「エアリって呼ぶね! あたしのことはリョウカでいいから!」
「呼び捨て?」
「うん! その方が馴染める!」
「分かったわ」

 視線を重ね、笑い合う。
 リョウカの心と私の心の間の距離が、ぐっと縮まった気がした。

 ——その時。

「デスタン!」

 私の近くにいたリゴールが、唐突にそんなことを発した。

 彼がそう言ったのを聞き、視線を少しばかり動かす。
 すると、滑らかになびく藤色の髪が視界に入った。

 先ほどリゴールの体調不良に気づかず行ってしまったデスタンが、私たちの居場所を探し当てたようである。

Re: あなたの剣になりたい ( No.73 )
日時: 2019/08/23 14:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: b9FZOMBf)

episode.70 剣を振らせてくれるなら

 リゴールは目を輝かせながらデスタンに駆け寄る。が、デスタンの目が捉えているのはリョウカ。

「貴女は確か……」

 突如現れたデスタンに静かに声をかけられたリョウカは、怪訝な顔をする。

「アナタ、誰?」
「私はデスタンと申します」
「エアリの知り合い?」
「はい。そのような感じです」

 デスタンの対応が丁寧だったからか、訝しむような色はあっという間にリョウカの顔から消えていった。

「そっか。あたし、クメ リョウカ! よろしくね」

 リョウカはデスタンに対しても馴れ馴れしい。彼女の頭には、躊躇などという文字は存在していないようである。

 そんな馴れ馴れしい態度を取られたデスタンだったが、彼がリョウカに対して嫌みを述べることはなかった。彼はただ、口元へほんの少し笑みを浮かべて「こちらこそ」と返すだけ。

 デスタンのことだから、きっと嫌みの一つでも言い出すだろう——私はそう思っていたのだが、案外そんなことはなかった。

「リョウカさん、貴女は確か、先ほど二位になられた方でしたね」
「そうだけど」
「ちょうど良かった。貴女にお願いしたいことがあったのです」

 デスタンの発言に暫し戸惑いを隠せていなかったリョウカ。しかし、しばらく時間が経ってから、「お願いって?」と尋ねる。問いに対し、デスタンは、穏やかな表情のまま「できれば、お力を貸していただきたいのです」と答えた。

 私は武芸大会中、ずっと、リョウカの華麗な動作に心を奪われていた。

 が、まさかデスタンも彼女に目をつけていたとは。
 驚きだ。

 武芸大会が終了した直後、彼は特に何も言っていなかった。そのため、これといった良い人材は見つからなかったのかな、と思っていたのだが。

「それは、あたしを雇いたいってこと?」
「はい。そうなりますね」

 リョウカの問いに、デスタンは頷く。

「べつに、それでもいいよ! どうせ今から仕事探すつもりだったし!」
「構いませんか」
「うん! ただ、お代はちゃーんと払ってよね?」

 デスタンは目を細め、リョウカから視線を逸らす。
 何か考えているような目だ。

 いきなり曇った表情になったデスタンに向けて、リョウカは言い放つ。

「ちょっとちょっと! 何なの? まさか、払うお金がないとか?」

 だがデスタンはすぐには言葉を返さない。考え込んでいるような顔をしたまま、黙っている。何か思考しているのだろうか。

「何なのよ!? 気になることが分からないっていうの、一番モヤモヤする!」

 橙色の短い髪を揺らしながら、リョウカは鋭く発する。
 モヤモヤがイライラに変化しつつあるようだ。

 その間、私とリゴールはというと、目の前で繰り広げられているやり取りを眺め続けることだけしかできなかった。片方は喚いているし、片方は無言。そんな奇妙な状態のところへ口を挟めるほど勇気がある私たちではなかったのだ。

 ——それからだいぶ経って。

「分かりました、お支払いします」

 ついに、デスタンが口を開いた。

「そんなこと!? そんなことをあんなに考え込んでいたの!?」
「はい。お金をどこから出すか考えていたのです」

 放たれたその言葉に、リョウカは豪快に驚く。

「アナタたち、貧乏なの!?」

 彼女は驚きを隠す気など更々ないようで、目を見開き、口をぽかんと開いている。
 ただ、顔そのものが可愛らしいため、個々のパーツを大きく変化させても可愛らしさは消えない。多少崩れたくらいで消え失せる愛らしさではないのだ。

「貧しいとまではいっていないかもしれませんが、豊かとも言えません」

 デスタンは淡々とした調子で答えた。

 彼の表現は正しい。
 そう言って間違いないだろう。

 私たちは決して、貧しい暮らしをしているわけではない。住む家も、食べる物も、着る服も、すべて持っている。そんな暮らしをしておいて「貧しい」などと言うのは、間違いだ。

 しかし、だからといって「豊かだ」と言うのは、少し違っている気がする。
 貧しくはないが、お金をどんどん払えるほど豊かでもない。

「ふぅん。そう。ま、お代はちょっとでいいよ。……で、あたしは何をすればいいの?」

 リョウカは両手で前髪のピンを直しつつ、さらりと問う。

「護衛及び剣の指導をお願いしたいと考えています。しかし、無理そうでしたらどちらかだけでも構いません」

 デスタンの言葉に、ニパッと笑うリョウカ。

「剣! いいね、それ!」
「両方頼んで構いませんか」
「うん! 剣をいっぱい振らせてくれるなら、お代は少なくてもいいよ!」

 リョウカは段々やる気になってきたようだ。
 少女ながら凄腕の彼女に剣を習えるなら、それに越したことはない。レベルの高い者から教わった方が、成長できるだろうから。

「それでは、よろしくお願いします」

 デスタンは右手を左胸に添えつつ、腰から曲げて、ゆっくりとお辞儀をする。丁寧なお辞儀をされたリョウカは、慌てて、ペコペコと何度か会釈を繰り返していた。


 その後、私たちは、荷物をまとめたリョウカと合流。爽やかな空の下、屋敷へ帰る馬車へ向かうべく移動を始める。

 道を歩いている途中、ふと思う。
 空気がいつもと違うな、と。

 溌剌としたリョウカが近くにいてくれているからか、私たちを包む空気がいつもより明るい雰囲気な気がするのだ。

 もちろん、これまでが暗かったわけではない。リゴールは明るく振る舞ってくれていたし、重苦しいなぁ、と感じたことはない。

 けれど、今は、「いつもより明るい感じがするなぁ」と思う。

 不思議なことだ。
 一人増えただけで、こんなにも空気が変わるなんて。

「上手く協力者を見つけられて良かったですね、エアリ」

 砂利道を歩いていると、リゴールが話かけてきた。

「リゴール、体調はもう大丈夫?」
「はい。回復しました」
「なら良かった。安心したわ」
「ありがとうございます」

 人込みで体調を崩した時にはどうなることかと思ったが——そのおかげでリョウカと知り合いになれたのだから、結果的には幸運であったと言えるだろう。

「まもなく馬車が待機している場所へ着きます」

 先頭を歩くデスタンが述べた、ちょうどその時、馬車の姿が見えてきた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.74 )
日時: 2019/08/24 21:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 4mXaqJWJ)

episode.71 王への誓い

 ブラックスター首都、ナイトメシア城。

 その最上階に位置する王の間、そこへ繋がる扉の前に佇むのは一人の少年——耳の下まで伸びるダークブルーの髪が見る者に中性的な印象を与える、トランだ。

「ちょっとー。まだ開かないのかな?」

 黒い鋼鉄製の扉の両脇には、甲冑に身を包み長い槍を持った屈強そうな兵士が二人待機している。トランが不満げに声をかけている相手は、彼らだ。

 トランはブラックスター王からの呼び出しを受け、珍しいことに驚きながら、ここへ駆けつけた。しかし、王の間へ続く扉は開きそうな気配がちっともなく、既にかなりの時間待たされている。トランは、意味もなく待たされるのが嫌で嫌で仕方がないのだ。

「ちょっと、そこの兵士さんー。まだー?」
「……しばらくお待ち下さい」

 兵士に、少しも感情のこもっていない言い方をされ、トランは不満げに顔をしかめる。

「えぇー困るよ。ボクだって暇じゃないんだから」
「……もうしばらくお待ち下さい」
「面倒臭いなぁ、もう。こんなに準備できないなら、呼び出さないでほしかったよ」

 ぶつくさ言いつつ、トランは辺りをうろつく。

 冷ややかな空気が漂う廊下には、いくつか高級な品が置かれている。いかにも高価そうな壺や食器、タンスなどである。

 ブラックスターに仕える者たちの間で広まっている噂によれば、それらの品は、すべてブラックスター王が趣味で集めた物だそうだ。

 その噂はトランも小耳に挟んだことがある。
 もっとも、高級な品などに興味がない彼からしてみれば「どうでもいい話」なのだが。

 無理矢理王の間へ押し入ることはできず、だからといって一旦扉の前から離れることもできず。時間を持て余してしまったトランは、廊下に展示されているさほど関心のない高級な品を眺めつつ、辺りを歩き回った。今の彼が時間を潰す方法は、それしかなかったのだ。

 ——それから、かなりの時間が過ぎて。

「トラン様。大変お待たせ致しました」

 王の間より、一人の男性が現れた。

「ん? やっと入れるのー?」
「はい。どうぞ」

 現れた男性も、兵士と同じで、淡々とした言葉の発し方をしている。その声からは、待たせたことを詫びる気持ちなど、微塵も感じられない。トランはそこに少し不満を抱いた。が、彼とて馬鹿ではないから、ここで文句を言ったところで何の意味もないことは理解している。

「ふふふ。ありがとー」

 だから、トランは笑みを浮かべた。

 不満の色を表に出すことはせず、王の間へと足を進める。


 王の間はすべてが黒い。漆黒のカーペットに鋼鉄の壁、そして、漂う空気は冷たく無機質だ。この部屋で生活するだけで誰でも陰気になりそうだ、というような、深い闇を感じさせる部屋。その一番奥に、四五段ほどの階段があり、それを上った先に王座がある。

 ブラックスターを統べる王は、そこに鎮座していた。

 細く縦に長い体を包むのは、黒いローブ。赤と暗い紫の光り輝く刺繍だけが、彼に、微かな色を与えている。しかし、その存在すらも掻き消してしまうような闇を、彼はまとっていた。

 トランは階段の上ることはせず、その直前で足を止めると、片膝を床につけて座る。

「お主は、トランか」

 黒い石で作られた王座に腰掛けているブラックスター王が、地鳴りのような低い声で述べる。
 その声は、人の声とはとても思えないようなものだった。

 ブラックスター王直属の軍に所属しているトランは、ブラックスター王の声に慣れている。それゆえ、人ならざる者のような声を耳にしても、動揺することはなかった。

 だが、もし今のトランの立場が他の者であったとしたら、恐怖を感じずにはいられなかったことだろう。

「はい。そうですー」
「お主は先日、グラネイトという男を処刑したと報告したな」

 トランは不思議そうな顔をしながら「はい」と発し頷く。

「だが。その後、地上界にて、やつの生体反応が確認されている。それはなぜか?」

 ブラックスター王は暗い瞳でトランを睨む。
 非常に静かな睨み方ではあったが、そこには、比較的強い心を持つトランをも戦慄させるような鋭さがあった。

「生体反応……? それは一体……どういうことですかー?」

 トランは平静を装っている。

 が、口元がかなり強張っている。
 本当は穏やかな精神状態でないのだろう。

「やつが生きているということだ」
「生きている……?」
「そうだ。それはつまり、お主はろくに確認もしないままやつを処理したと報告したと、そう捉えて問題ないのだな」

 トランの顔全体が徐々に強張ってゆく。
 額に浮かんだ汗の粒が、頬を伝って床へ落ちた。

「し、しかし……彼は確かにいなくなりましたよー……」
「死体を確認したか」
「い、いや……そこまではしていません、けど……」

 ぽつり。ぽつり。トランの顔から汗の粒が流れ落ちる。

「でも! あの矢の攻撃を避けきれるはずはありません……!」
「根拠は」
「……え?」
「避けきれない、その根拠は何だ」

 ブラックスター王に低い声で尋ねられるも、トランはきちんと答えられない。彼の脳には、王を納得させられるほどのきっちりとした根拠は存在していないのである。

「速やかに答えよ」
「…………」
「答えよ。それとも、答えられないとでも申すのか」

 トランは俯き、歯を食いしばる。

「……は、はい」

 日頃は自由奔放なトラン。しかし、ブラックスター王の前では、いつものような自由な振る舞いはまったくできていない。すっかり畏縮してしまっており、声も小さく自信なさげだ。

「愚か者め!!」

 ブラックスター王は突如声を荒らげた。
 低音が空気を激しく震わせる。

 トランは片膝をついて座ったまま、頭を下げ、弱々しく「申し訳ありません」と謝罪の言葉を口にする。しかし、一度爆発した王の怒りは、その程度の謝罪では収まらない。

「我が配下に無能は要らぬ! これまでずっと、そう言い続けてきたであろう!!」
「……申し訳ありません」
「口だけの謝罪など求めておらぬ! 詫びる気持ちは成果で示せ!!」

 躊躇いなく怒りを露わにするブラックスター王に対し、トランは誓う。

「……承知しました。では、グラネイト……生きているやもしれないやつを見つけ出し、今度こそ必ず……命を奪って参ります」

Re: あなたの剣になりたい ( No.75 )
日時: 2019/08/25 18:08
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oKgfAMd9)

episode.72 二人の王子が在った時代

 王の間を出たトランは、はぁ、と大きな溜め息をつく。
 羽織っている上着のポケットに両手を突っ込みながら。

「まったくもう……面倒だなぁ……」

 甲冑を身にまとった兵士、王に仕える使用人——廊下では幾人もの知り合いとすれ違う。しかしトランは、彼らに話しかけることはしなかった。ブラックスター王に大声を出された直後で、意味もなく誰かと話す気分にはなれなかったのである。

 廊下の両側、やや高い位置にある小さな窓からは、外が見える。
 ガラスの向こうにはブラックスター特有の赤い空が広がっている。

 だが、今のトランは、空を眺める気にはなれず。それゆえ、床だけを見て歩いていた。

 ——と、その時。

 誰かとぶつかってしまった。

「あ、ごめんー」

 トランは、下を向いていたがために前をまったく見ていなかったことを悔やみつつ、顔を持ち上げる。
 目の前に立っていたのは、銀の髪の女性——ウェスタだった。

「……気をつけて」

 ウェスタは紅の瞳でほんの少しの間だけトランを見、静かな調子で言う。彼女はなぜか、妙に分厚く大きな本を抱えている。

「あぁ、君だったんだねー。何していたんだい?」

 トランが問うと、ウェスタは目を伏せる。

「……何も」
「じゃあ、その本は何の本なんだい?」
「……ただの勉強」

 子どもでもないのに大きな本で勉強なんて、と、トランは一瞬笑いそうになってしまった。しかし、このタイミングで彼女を笑うのは良くないと思い、笑いを堪えて放つ。

「勉強かぁ。面白いことをしてるねー」

 トランは楽しげな口調で述べる。が、ウェスタの表情は一切動かない。しかしトランは、諦めず話しかけ続ける。

「もし良かったら、どんな勉強をしたのか教えてくれないかなー?」
「……断る」
「えぇー。即答ー?」
「無関係な者に……話すようなことではない」

 ウェスタは整った顔に不快そうな表情を浮かべながら、止めていた足を再び動かし始める。そんな彼女の、背中に垂れた銀の三つ編みを、トランは突然掴んだ。

「……っ!?」
「ちょっと待ってよー」

 ウェスタとトランの視線が重なる。

「何を調べてたのかくらい、教えてくれても良くない?」
「……なぜそこまで気にする」

 冷ややかに放つウェスタ。
 それに対し、トランは口角を持ち上げて返す。

「なぜかって? それはもちろん……反逆心を抱いていないか確認するためだよ」

 トランの口から飛び出した言葉に、ウェスタは眉をひそめる。

「……反逆心。そんなものを抱いていると疑っているの……?」
「ま! 冗談だけどねー!」
「……面白くない冗談は止めて」

 真剣なウェスタは、ヘラヘラしているトランに少しばかり腹を立てているようだった。

「厳しいなぁ。……で、勉強の成果は? ふふふ。聞いてもいいかなー?」

 トランに楽しげな調子で問われたウェスタは、銀の長い睫毛に彩られた目を細め、「迷惑だから寄らないで」ときっぱり返す。

 だがトランは食い下がる。
 執拗に「頼むよー」などと言い続けた。

 無論、そこに深い意味などない。ただの気まぐれである。

 ——しかし、その二三分後。

 あまりに執拗に頼まれるものだから面倒臭くなったのか、ウェスタはついに、首を縦に振った。

 今回は、トランの粘り勝ち、と言えるかもしれない。


 ウェスタとトランがたどり着いたのは、城の四階の一部に設けられているフリースペース。

 壁のない開放的な空間に、横に長いテーブルと椅子が並べられただけの、これといった特徴のない場所だ。一二年ほど前に、城に勤めている者が少しでも快適に働けるようにと作られた。が、実際にはあまり誰も使用しておらず、人は常に少ない。

「ここで話してくれるのー?」
「そう……ここは静かでいい」
「なるほどねー。ふふふ」

 二人は椅子に腰掛ける。
 ちなみに、隣同士。

 辺りに人は誰もおらず、静かな空気が流れていた。
 ウェスタは抱えていた分厚い本をテーブルに置くと、そこそこ厚みのある、高級感漂う表紙をめくる。

 そして、数秒開けて話し出す。

「……書かれているのは、ブラックスターの始まり」

 トランは戸惑ったように目をぱちぱちさせる。

「……その昔、魔法を使うことのできた一族は、魔の者と差別を受け、地上界を離れた……そして開かれたのが、ホワイトスター」

 本に印刷された文字を指で辿りつつ、ウェスタは述べる。

「魔法の園と呼ばれたその世界は、長らく平穏であった……が、やがて、その中でも格差が生まれてくる。そして、虐げられる側になった者たちは……魔法を応用した邪術に手を染めた……」

 最初こそ話についていけずにいたトランだったが、徐々に、ウェスタが発する言葉に引き込まれていく。

「それからまた時は流れ……ホワイトスターに二人の王子が在った時代」

 トランは時折目元を擦りながらも、ウェスタの言葉に耳を傾ける。

「二人の王子は同じ踊り子に恋をし、先にそれを言ったのは下の王子の方……が、踊り子を妻としたのは、後から名乗りをあげた上の王子であった」

 ウェスタがそこまで言った瞬間、トランは「えぇっ!?」と叫んだ。

 すぐ隣で大声を出されたことに驚いたような顔をしたウェスタだったが、それも束の間、すぐにいつも通りの静かな表情へ戻る。

 そして、続ける。

「かくして、夫婦となった踊り子と上の王子は……幸せに暮らし、子も儲けたが……兄へ憎しみを募らせた下の王子は、邪術使いたちに惹かれ、徐々に闇へ堕ちてゆく。そして……やがて下の王子は、ホワイトスターから離反。ブラックスターを築き上げた……いつの日か復讐するという思いを、胸に秘めたまま」

 そこまで読み終えると、ウェスタは顔を微かに俯け、目を伏せる。赤い瞳を、銀の睫毛がそっと覆い隠した。

「んー? どうしたのー?」
「……いいえ。ただ、既に学んだのはここまで」
「えー。もう終わり?」

 トランは冗談混じりに言う。
 それに対し、ウェスタは冷たく返す。

「そう……終わり」

Re: あなたの剣になりたい ( No.76 )
日時: 2019/08/25 18:09
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oKgfAMd9)

episode.73 変に緊張してしまって

 クレアの武芸大会にて知り合ったリョウカが私たちの味方になってくれてから、早いもので、もう二週間が過ぎた。

 明るく快活な彼女は、私の母親エトーリアやバッサら使用人たちとも、すっかり馴染んでいる。やって来て二週間とはとても思えないような、自然な暮らしぶりだ。


 そして私はというと、日々剣の訓練に勤しんでいる。

「そう! そんな感じ!」

 屋敷の片隅で毎日行われる、剣の訓練。それを受けているのは、私一人だけ。

 リョウカの指導は厳しくも楽しいのだが、リゴールに会うこともあまりできず木製の剣を振り続けるだけというのは、少し寂しさも感じる。

「疲れたわ、リョウカ。まだ素振りを続けるの?」

 木の剣の柄を片手で握りつつ、私は問う。
 それに対しリョウカは、はっきりと「もちろん!」と答えた。

「もう疲れたわ……」
「いい? 何事も基礎が大事なんだよ。正しい姿勢と正しい動作が勝利を呼び込むから!」

 もう何十回素振りしただろう?
 いや、何百回単位だろうか?

 ……回数は何でもいい。

 が、同じ動作を繰り返し過ぎて、さすがに肩が痛くなってきた。

 やる気がないわけではない。少しでも戦えるようになろうという思いは、確かなもの。少々辛いことがあったくらいで揺らぐような、弱い思いでもない。

 だが、体力というものには限界があって。
 訓練を永遠と続けるということは、容易いことではない。

 そんなことを考えていると、まるで私の思考を読んだかのように、リョウカは言葉をかけてくる。

「ま。けど、そろそろ一旦休憩してもいいかもね」
「本当!?」
「……凄く嬉しそうだね」
「あっ……ごめんなさい。つい……」

 休憩の言葉に喜んでしまったことを謝罪すると、リョウカはその健康的な面に明るい笑みを浮かべる。そして「いいよ! 休憩しよ!」と言ってくれた。


 床に腰をつけ、リョウカと二人休憩する。無論、剣の訓練をしている部屋で、である。

「エアリ疲れた顔してるね!」
「えぇ……。もうぐったりだわ」

 訓練慣れしているリョウカは、少々のことでは疲れないのかもしれない。けれど、ほぼ素人であった私にとっては、彼女が提示する訓練内容はかなりきついものがある。

「素振りだけで音を上げてるようじゃ、強くなれないよ!」
「リョウカは凄いわね」
「えぇー!? 何その言い方!?」

 言い方が悪かっただろうか。
 私はただ、純粋に、感心したということを伝えようとしただけなのだが。

「変な意味じゃないわ」
「そうなの?」
「そうよ。凄いって思ったから、そう言ったの」

 すると、リョウカは急に頬を緩めた。
 いつもの引き締まった表情とは真逆の、だらしない顔つきになってしまっている。彼女もこんな顔をするのか、というような、力の抜けた顔つきだ。

「えへへ。そう言われたら嬉しいー」

 本当に嬉しそうな顔をしている。

「そうだ。もし良かったら、リョウカのこと、ちょっと聞かせてくれない?」
「え? 何ー?」
「リョウカがどうやって育ってきたのか、少し気になって」

 さすがにいきなり踏み込み過ぎだろうか——そういった不安がなかったわけではない。詮索していると思われたり、気を悪くさせてしまったら大変だな、という思いもあって。

 だが、それらはすべて杞憂で済んだ。

「もちろん! いいよ!」
「構わないの?」
「うん! だってあたし、他人に言えないような生き方はしてきてないもん!」


 その晩、私はリゴールと話す時間を得た。

「お邪魔して良かったのでしょうか……?」

 私の部屋へやって来たリゴールは、身を縮め、気まずそうな顔をしている。また、少し緊張しているようにも見える。久々の二人きりだからだろうか。

「良くないわけがないじゃない。私が誘ったんだもの」
「ありがとうございます、エアリ。しかし……やはり少し、緊張してしまいます……」

 リゴールは口角をぐいと持ち上げる。無理に笑顔を作ろうとしているようだ。だが、そんな笑みには違和感しかない。

 もっとも、違和感を覚えるのは、彼の本来の笑顔を知っているからであって、悪いことではないのだが。

「緊張なんてしなくていいのよ」
「それは……そうです、その通りです。しかし、どうも……」
「どうも?」
「二人というのがしっくりきません……」

 そう述べるリゴールは、先ほどからずっと落ち着きがない。周囲を見渡したり、数歩移動してみたりを、さりげなく繰り返し続けている。

 私は、「デスタンさんも呼んだ方が良かったかしら」と、ぽつりと漏らす。すると、リゴールは目をぱちぱちさせながら、首を素早く左右に動かした。

「い、いえ! エアリと二人で過ごせることは嬉しいのです!」

 かなり慌てているようで、妙に大きな声になってしまっている。

「ただ、少し、変に緊張してしまいまして! で、でも、どうかお気になさらず! わたくしの問題ですので!」

 リゴールはそう言って笑う。けれど、その笑みは歪。穏やかで真っ直ぐな笑顔ではない。こんなことを続けていては、リゴールの心にも良くない——そう思い、こちらから話を振ってみることにした。

「ところで、今日は何をしていたの?」

 どうでもいいようなことを話せば、気持ちも少しは楽になるだろう。

「え。わたくし、ですか」

 きょとんとした顔をするリゴール。

「私は今日も剣の練習だったけど、貴方は?」

 そう問うと、リゴールは「わたくしは、使用人の方から色々習っておりました」と答えた。

「……使用人と一緒にいたの?」

 思わず怪訝な顔をしてしまう。

「はい。あのバッサさんという方には、特に可愛がっていただきました」
「バッサと?」
「はい。掃除について教えていただいたのです」
「掃除!」

 確かにバッサは、昔から、家をいつも掃除してくれているが……べつに掃除の専門家というわけでもないだろうに。

「次の機会には、お茶の淹れ方でも教わろうと思っております」
「向上心があるのね」
「いえ、そんな立派なものではありません。ただ、お茶の一杯でも淹れられれば、少しは人の役に立てるかと思いまして」

 リゴールは、王子という身分であったにもかかわらず、この世界での暮らしに馴染むよう努力している。望んで訓練してもらっておきながら愚痴ばかり言っている私とは大違いだ、と思い、それと同時に、リゴールのことを尊敬した。

「貴方が淹れたお茶なら、いつか飲んでみたいわ」
「本当ですか!?」

 好物のお菓子を発見した子どものように、目を輝かせるリゴール。
 二人きりという状況による緊張は、もうすっかり消え去ったみたいだ。

「えぇ」
「エアリがそう言って下さるなら、美味しいお茶を淹れられるよう努力します!」

 リゴールはやる気に満ちた表情で拳を握り締めた。
 が、数秒で話を変えてくる。

「……と、わたくしはそんなところですが、エアリの方はどうでしたか?」

Re: あなたの剣になりたい ( No.77 )
日時: 2019/08/26 19:50
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 3edphfcO)

episode.74 気づけば私は

「そうね……私は、リョウカに話を聞いたりしたわ」

 リョウカのこれまでの人生について、である。

「お話を?」

 軽く首を傾げつつ言うリゴール。

「そうなの。生まれ育ってきた時のこととかを聞いたの」
「なるほど。それは少し気になります」
「良かったら話すわ」

 私がそう言うと、リゴールは目を大きく開き驚いたような顔をする。硝子玉のように美しい青の瞳は、微かに揺れていた。

「良いの、ですか……?」
「隠す気はないって言ってたわよ」
「なんと。そうなのですか。では……」

 それから私は、リゴールに、リョウカから聞いた彼女の人生の話をした。

 ここより遥か東にある小さな島国で生まれたこと。幼い頃から気が強く、男の子の中に入って遊び回っていたこと。そして、剣——その島国では刀というらしいが、それを十歳にも満たないうちに手に取ったこと。

 どれも、私からすれば想像できないことだ。

 私は、もし周囲に同年代の男の子がいたとしても、そこに入って遊ぶことはしなかっただろう。
 それに、十歳になるより早く武器を取るなんてことも、考えられない。

 ……いや。

 武器を取る、ということ自体、普通は起こり得ないことだ。

 私も今でこそ少しは武器を握ることもあるが、それはリゴールと出会ったから。もしその出会いがなかったとしたら、私は今でも、武器を握ることはなかっただろう。

「そこまで幼い者が武器を取る世界とは……きっとなかなか凄まじい世なのでしょうね」

 私の話を聞いたリゴールは、静かにそう言った。
 妙に深刻な顔をしている。
 こちらとしては、深刻な感じで話したつもりはないのだが。

「地上界にも、穏やかなところとそうでないところがあるのですね」
「かもしれないわね」

 私たちは、それからもしばらく、色々なことを話した。そして、話し足りたと感じた後、別れた。


 ◆


 その晩、気づけば私は、またあの場所にいた。

 ——そう、前にも夢にみた白い石畳の場所である。

 前の時は気づかなかった。ここが夢の中だなんて。
 けれど、今回は気づいた。

 なぜなら、リゴールの姿が見えたから。そして、そのリゴールが、私の知らない人と話していたから。

 深刻な顔のリゴールに向かうのは、縦向けた槍を勇ましく握る男性。読み物に出てくる騎士のような出で立ちで、ある程度年をとっていそうな容姿だ。見た感じ、四十代後半くらいだろうか。

 そんな二人を、私は白いアーチの陰から見つめている。

「王妃様……賊の……により……して」
「そう、ですか……」

 今の私の行動。
 完全に覗き見である。

「申し訳ございません!」

 騎士のような出で立ちの男性は、リゴールに向かって頭を下げる。他の文章は半分ほどしか聞こえなかったが、今の謝罪だけはすべてはっきりと聞こえた。

「……下さい。貴方に罪は……どうか……さい」

 男性の謝罪に、リゴールは何やら返していた。
 もっとも、きちんとは聞き取れなかったけれど。

 ——刹那。

 彼ら二人が立っている近くの空間が、ぐにゃり、と、ほんの僅かに歪んだ。

 気づいた直後は自分が目眩でも起こしたのかと思った。しかし、数秒経っても歪みが消えることはなく。本格的に「目眩ではない」と感じてきた頃、その歪みから『何か』が現れた。

 リゴールといた男性は、その『何か』の出現に素早く気づく。そして、叫ぶ。

「お下がり下さい! リゴール王子!」

 先ほどの謝罪の時といい、今といい、男性の声がきちんと私の耳まで届くのは、叫んだ時のみである。

 男性は一歩前へ。
 リゴールはその背後につく。

「んふふ……」

 空間の歪みから生まれた『何か』は、人の形をしたもの——女性だった。

 真っ直ぐ伸びる唐紅の髪は肩まで。また、前髪の一部、一房だけは黒。明けない夜のように、深く、沈み込みそうな漆黒。また、目鼻立ちははっきりとしていて、赤く染めた薄い唇が女性らしさを漂わせている。そして、肉付きのいい体もまた、彼女の女性としての魅力を高めているように感じられた。

 登場の仕方はかなり怪しい。

 が、街を歩けば男たちが振り返りそうな色気——それは、尊敬に値すると言っても過言ではないような、見事なものである。

 少なくとも、私には到底真似できそうにない。

「部下の出来が悪いから、自ら来ちゃったわ……うふふ……」

 発言が怪しい。
 上手く言葉にできないが、とにかく怪しい。

 だが、わりと声が大きいのか、彼女の声は私の耳まできちんと届いてくる。

 もっとも、すべて聞こえたところで嬉しくなどないけれど。

「何者!」

 騎士のような出で立ちの男性は、リゴールを庇うように立ちながら、槍の先を女性へ向ける。

「んふふ……ヒ・ミ・ツ……」

 女性は、ぴんと立てた人差し指を唇にそっと添え、わざとらしく色気のある笑い方をする。それから、少し空けて、赤い唇を何やら動かす。するとその数秒後、彼女の手元に一本の鎌が現れた。

「さぁ、その王子を渡してもらおうかしら……?」
「断る!」

 きっぱり断ったのは、槍を構える騎士のような身形の男性。

「あらそう……なら仕方ないわね」

 ——次の瞬間。

 女性は長さのある柄の鎌で、男性に襲いかかった。

 だが、そう易々とやられる男性ではない。女性の鎌を、槍の柄でしっかりと受け止めていたのだ。
 今の女性の攻撃速度に反応できるとは、男性もなかなかの手練れである。

 だが、それで終わりではなかった。

 女性は、目にも留まらぬ速さで鎌を回転させながら男性から一瞬離れ、そこからもう一度、鎌を大きく振る。

 槍を乱雑に振り、鎌の先を弾く男性。

 ——しかし。

 直後、男性の脇腹に鎌が直撃した。

「ぐ、はっ……」

 弾かれはしたものの、女性は諦めていなかったのだ。素早く体勢を立て直し、さらに鎌を振ったのだろう。そして、それが命中した。

 男性は紅の花を咲かせ、地面に倒れ込む。その様を間近で見ていたリゴールは、愕然としている。

「んふふ……おし、まい」

 倒れた男性から体を震わせるリゴールへと、女性は視線を移す。

「さ、次はそっち……安心なさいな、苦しませたりしないから……」
「来ないで下さい!」
「んふふ……残念ながらそれは無理なの」

 禍々しい鎌を握ったまま、女性はゆっくりとリゴールへ歩み寄る。二人の距離はみるみる縮まり、あっという間に、数メートルほどしか離れていないという状況になってしまう。

「こっ、来ないで下さい!」
「いいえ。死はすべての者に平等に訪れるもの」
「何を言い出すのです……!」
「安心なさいな、死は唯一の救済よ」

 不気味な笑みを浮かべながら女性が述べる言葉。そこには妙な説得力があり、普通真理とはほど遠いと思うようなことを真理であると感じさせる、そんな不思議な魔力があった。

「んふふ……」

 女性が鎌を振り上げた——刹那、リゴールは駆け出した。

 つまり、逃げたのである。

Re: あなたの剣になりたい ( No.78 )
日時: 2019/08/26 19:51
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 3edphfcO)

episode.75 休息の日

「はっ……」

 鎌を持った女性の前からリゴールが走り去った、次の瞬間、気づけば私はベッドの上にいた。
 エトーリアの屋敷の中の、自室だ。

 そこそこ硬い枕から頭を浮かせ、上半身を起こす。
 腕や体に触れる敷き布団や掛け布団は柔らかく、妙な夢のせいで強張った心を優しくほぐしてくれた。

「……夢、か」

 いつの間にかあの場所にいた時、私は、そこが夢の中であると気づいた。にもかかわらず、時が経つにつれ、そのことを忘れてしまっていた。それは多分、眺めていたのが恐ろしいものだったからだろう。

 もう一度寝よう。
 そう思い、すぐに再び横になる。

 ——だが、しばらくじっとしていても眠れなくて。

 これはしばらく眠れそうにない、と悟った私は、一回大きく背伸びをしてベッドから起き上がった。


 結局、再度眠れないまま朝を迎えてしまう。

「おはようございます、エアリお嬢様。良い朝を迎えられま……お嬢様ッ!?」

 朝、様子を見に部屋へ訪ねてきてくれたバッサは、がっつり寝不足の私を目にして、かなり驚いた顔になる。

「おはよー……」

 あの後も、一時間か二時間に一度くらいはベッドに横たわってみたのだが、結局、まったく寝られなかった。

 寝ようとしても寝られないのに、元気というわけでもない。
 そこが厄介なところだ。

「一体何があったのですか!! エアリお嬢様!?」
「二回目寝られなくて……」
「えぇっ!?」

 それから、私は、バッサに事情を説明した。
 不気味かつ恐ろしい夢をみたこと。そして、目を覚ましたはいいものの、寝られなくなってしまったということを。

「なるほど。つまり、寝不足ということですね」
「そうなの……」

 眉間には鈍痛。
 視界は霞み、平衡感覚がおかしい。

 なのにかなり覚醒してしまっていて、体を横にした程度では眠れそうにない。

「では、もうしばらく横になっていられてはいかがでしょう?」
「え」
「皆様には、こちらから事情を説明しておきますので」

 バッサはにっこり笑って、優しい言葉をかけてくれた。

「え、そんな……構わないの?」

 目を擦りながら問う。
 するとバッサは、笑顔のまま、迷いなく答えてくれる。

「はい。お任せ下さい」
「ありがとう」
「いいえ。それでは、また、食事をお持ちしますからね」
「助かるわ」

 バッサが部屋から出ていった後、私は再びベッドへ戻る。掛け布団を捲り、体を横たえてから、乱れていてもなお柔らかな掛け布団を体に被せた。

 天井を見上げ、ぼんやりと思う。

 あぁ、やはりまだ眠れそうにない——。


「エアリ!」
「ん……」
「大丈夫ですか!?」

 何やら騒がしく、意識が戻った。

 どうやら私は、眠ることができていたようだ。意識が戻った、という感覚があるのが、その証拠と言えるだろう。

 まだ重い瞼をゆっくりと開けると、リゴールのものと思われる鮮やかな黄色の髪が視界に入った。

「リゴール……」

 視界に入った彼の名を、小さく発する。
 すると、視界の中にある彼の表情が柔らかくなった。

「エアリ! 良かった……!」

 リゴールはそう言って、まだあどけなさの残る顔に、安堵の色を滲ませる。

「え?」

 戸惑う私に、彼は自ら事情を説明し始める。

「眠れないと伺っていたにもかかわらず、訪ねてみれば眠っていらっしゃったので……もしかして気絶では、と思い、少々取り乱してしまいました」

 リゴールは、肩をすくめ、申し訳なさそうな顔をしていた。
 自己主張が激しくなさそうなところは好感を持てる。が、個人的には、ここまで申し訳なさそうな顔をしてほしいとは思わない。

「そういうことだったのね……」
「驚かせてしまい、申し訳ありません」
「気にしないでちょうだい」

 いきなり名を呼ばれたことに驚いたのは事実だが、だからといって謝罪を求めようとは思わない。心配しただけのリゴールに罪はないのだから。

「そういえば。今日の訓練は中止だそうですよ」
「えっ。そうなの!?」

 リゴールからの情報に、私は思わず驚きの声をあげてしまう。

 私は、リョウカはそう易々と訓練中止を認めるような人間ではないと、そう思っていた。それゆえ、寝不足程度で訓練を休ませてもらえる可能性など、考えてもみなかった。大怪我でも重病でもないにもかかわらず訓練をなしにしてもらえるとは、かなり驚きだ。

「リョウカといいましたか……あの女性の方が、中止と言っておられましたよ」

 優しく微笑むリゴールに向けて、私は言い放つ。

「このくらいで休ませてもらえるなんて、驚きだわ」

 するとリゴールは、首を軽く傾げながら尋ねてくる。

「そんなにも厳しいのですか?」
「えぇ。結構厳しいわ」

 まぁ、私が弛んでいるだけなのかもしれないけれど……。

 戦いを得意とする者というのは、皆、日々苦労しながら生きている。苦しいことを乗り越え、己に厳しく接してこそ、強さを手に入れられる——そういう仕組みなのだろう。

 リョウカもそちら側の人間。
 山にも谷にも負けず挫けず鍛えてきたからこそ、あれだけの強さを手にできているのだ。

「ああいう経験は初めてだから、不思議な感じがするわ」

 直後、リゴールの表情が微かに曇った。

「エアリはわたくしのせいで大変な思いを……」
「待って、リゴール。貴方のせいじゃないわ。訓練は私が望んだことだもの」

 剣の腕を少しでも磨きたいと思ったのは、他の誰でもない、私自身だ。だから、リゴールには責任を感じてほしくない。

 だが、思いのすべてをきちんと伝えるのは至難の業で。
 結局伝えきることはできず、リゴールには暗い顔をさせてしまった。

「いえ。わたくしにも責任があります」
「そんなことはないわ、リゴール」
「いえ、あるのです。出会ってしまったことは仕方ないにしても、貴女から離れるタイミングは何度もありました」

 それはそうかもしれない。
 でも、どうか、そんなことを言わないでほしい。

「けれどわたくしは、思いきれず、貴女に甘える道ばかりを選んできてしまいました。それは……わたくしの罪です」

 リゴールと出会ったことで受けた被害はある。けれど、彼といることで得た幸福だって、たくさんある。
 だから私は、彼と共に過ごした日々を後悔なんてしていない。

 分かってほしいのだ、それを。

「ちょっと待って。リゴールは、どうしてそんな風にばかり言うの。私は貴方を責めてはいないわ。それなのになぜ、貴方は自分を責め続けるの」

 彼のことは嫌いじゃない。
 けれど、すべてを理解できるかと問われれば、頷けないかもしれない。

「そんな無意味なことをする意味が分からないわ。どうして——」

 言いかけた、その時。
 私もリゴールも触れていないはずの扉が、軋むような高い音を鳴らしながら、ゆっくりと開いた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.79 )
日時: 2019/08/27 03:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AQILp0xC)

episode.76 賊

 唐突に開く扉。
 そこから現れたのは、見知らぬ男だった。

「おぅおぅ、邪魔するぜぇー」

 現れた男は、服の上から銀色の鎖を全身に巻き付けるという、非常に個性的な格好。鍛えられた筋肉に鎖が食い込む様は、独特の雰囲気を漂わせている。

「何者ですか」

 ベッド付近にしゃがみ込んでいたリゴールは、速やかに立ち上がると、冷たい声色で放つ。その時、彼の瞳は、鎖の男を容赦なく睨みつけていた。

 だが、睨まれた程度で怯みはしな——いや、むしろ嬉しげだ。

 睨まれて嬉しいのか?
 そこは私には理解し難い。

 が、この正体不明の男は、リゴールが睨みつけた程度で逃げ出す弱い相手ではないようだ。

「おぅ、いいねー。良い睨みだぜぇー」

 男はニタニタと気味の悪い笑みを浮かべている。しかし、リゴールは動じない。彼は、男へ真剣な眼差しを向けたまま、様子を窺っている。

「……ブラックスターの手の者ということはなさそうですね」

 リゴールは男から視線を外さぬまま、片手を自身の上衣の中へ突っ込み、魔法を使う時によく持っている小さな本を取り出す。戦闘に備えているのかもしれない。

「あぁ? ブラなんちゃらなーんて、知らねぇよ」
「無関係な者が……なぜここに」
「おぅおぅ、何か言ってやがるな。だが、ちっさいことはどーでもいいんだぜぇー」

 鎖の男は、片方の握り拳を、意味もなく前へ突き出す。誰かを殴るわけでもなく、一見くだらない動作のように感じられる動作だ。だが、その動作によって、大きなことに気がついた。そう、拳に棘のようなものが生えた武器を装着していたのである。

 見慣れない武器だが、明らかに危険そうな物だ。
 もし男のパンチを食らったならば、打撃以上のダメージが発生しそうである。

「何しに来たのですか!」

 リゴールは調子を強める。
 しかし、鎖の男は、不気味にニタニタ笑ったまま。

「俺はなぁ、ここからちょっくら離れた山で賊やってたんだ。そしたら、ある人に頼まれたんだぜぇー。黄色い頭の男の子を連れてきてくれーってな」

 男は軽やかな口調で話す。

「それから俺らは調査を重ねてだなー、最終的にこの屋敷にたどり着いたってわけだ」

 鎖の男自身はブラックスターの手の者ではない。が、彼に今回の件を依頼した者は、ブラックスターの人間なのだろう。

 無論私の想像に過ぎないが。
 ただ、その可能性が低くないということは、誰の目にも明らかなはずだ。

「俺とてホントは自ら殴り込んでいくなんて下品な真似はしたくねぇが……良い報酬があるから仕方ねぇ!」

 言い終わるや否や、鎖の男はリゴールに突進する。

「……参ります」

 リゴールは小さく呟き、次の瞬間には、体の前に黄金の膜を作り出した。突進してきていた男の体は、その膜に激突する。

「かぶぅえ!?」
「遠慮はしません」

 開かれた本から溢れ出す光。
 それは非常に神々しく、この世の穢れをすべて払い落としてしまいそうな光。

 リゴールはそれらを宙で集結させ、大きくなった光の球を、男に向かって投げつける。

「ぶぉうるッ!?」

 光の球を顔面に受けた男は、悲鳴のような雰囲気をまとった叫びを発した。光球に激突されたせいで、四角い顔の顎の部分が歪んでしまっている。

「無益な争いは止めましょう」

 床にしゃがみ込み、ヒゲで黒ずんだ顎をさすっている男に対し、リゴールは静かに提案した。

 だが、男は何も答えない。
 体に巻き付く銀色の鎖を触りながら、俯き黙っている。

 鎖の男は口数は少ない方ではない。それは、彼の今までの振る舞いを見ていれば容易く分かることだ。
 それだけに、今の男の様子は不思議で仕方がない。

 直前までよく喋っていた者が急に黙るなんて、明らかに不自然である。

 だから、私は口を開くことに決めた。

「気をつけて、リゴール。あやしいわ」

 リゴールは鎖の男から目を離さないまま、返してくる。

「不審な動きがありましたか?」

 視線は敵だけに向け続けているリゴールだが、私の声もきちんと聞いてくれているようで、何だかとても嬉しかった。

「口数が減っているのがあやしいのよ」
「……それもそうですね」

 納得してくれたようだ。
 その後、リゴールは男に向かって問いを放つ。

「貴方、去る気はないのですか?」
「…………」
「無視とはどういうことです! 不躾にもほどがありますよ!」

 リゴールが攻撃的に言い放った——瞬間。

 男は突如立ち上がり、棘のついた拳を振りかぶる。

 放たれる、打撃。
 リゴールは体の前に防御膜を張り、それを咄嗟に防ぐ。

「おぅりゃぁ!」

 だが、黄金の防御膜は一瞬にして砕け散る。
 それだけ、男の拳が強力だったということなのだろう。

「……なっ」

 リゴールの口から引きつったような短い声が漏れる。

 ——直後、男の二発目の拳がリゴールに向けて放たれた。

 私はベッドを出て、枕元に置いているペンダントを握る。なぜなら、リゴール一人ではまずいかもしれないと思えてきたから。

 まだ決定事項ではないが、私も協力した方が良い状況になるかもしれない。

「くっ……」

 二発目の打撃、リゴールは何とか防いでいた。
 ただ、いつものように黄金の膜を張って防いでいたのではなく、腕での防御だった。彼らしくない。

「去っては下さらないようですね……」
「そりゃそーだぜぇー!! せっかく獲物を発見したのによぉ! それを逃がすなんざ、ただの馬鹿だろ!」

 男は即座に握っていた手を開き、リゴールの右手首を掴む。そして、掴んだ手首を強くひねり上げる。痛みに顔をしかめるリゴール。

「ちょっと! リゴールを離して!」
「おおーぅおぅ、何だぁ?」

 手の内にあるペンダントへ祈りを注ぐ。
 私に力を、と。

 するとペンダントは、速やかに、一振りの剣へと形を変えた。私はそれを構え、男を睨みつける。

「彼を離してちょうだい!」
「残念だがなぁ、それは無理なんだぜぇー」

 そう言われるだろうとは思っていた。むしろ、この状況ですんなり解放してもらえた方が、不自然で気味が悪い。裏がありそう、と、不安を抱いてしまいそうになる。だから、断られる方がまだ良かったのかもしれない。

「……まぁ、そうよね。離せと言って離すなら、とっくに離しているわよね」
「そりゃそうだぜぇー! 分かってるじゃねーかよ」

 そう、分かっている。最初から分かっていた。こんな乱暴な行いをした男が少し何か言ったくらいで悪事を止めるわけがない。

 それでも、もし言葉で説得できたらと。
 そんな淡い幻想を抱いた私が間違っていた。

「んじゃ、これでな。俺はもう失礼するからよ」

 男からすれば、リゴールを捕らえることさえできればそれでいいのだろう。

 ——でも、私からすれば、全然良くない。

「させないわ!」

 剣を手に、男へ接近する。
 もはや迷いはない。

Re: あなたの剣になりたい ( No.80 )
日時: 2019/08/28 08:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: jX/c7tjl)

episode.77 鎖とウシガエル

 剣の柄を握る手に力を込める。
 そうして大きく振りかぶり、勢いよく剣を振りきった。

 だが、男は素早く反応し、大きな筋肉のついた片腕で剣の先を防いだ。

 片手はリゴールを捕らえた状態のまま、もう一方の腕で攻撃を防ぐなんてことができるなんて、かなり驚きだ。

「おぅおぅ、若々しいなぁ」
「……やるわね」
「やるわね、だと? 馬っ鹿じゃねぇか!? 小娘が俺に敵うわけねぇだろ!」

 それもそうか。
 あっさり勝てる、なんてこと、あるわけがない。

 世の中、そんなに都合よくできてはいない。

「……そうね」
「おぅ? 妙に物分かりがいいじゃねーかー」
「でも、リゴールを連れていかせるわけにはいかないわ!」

 私はさらに剣を振る。
 しかし、なかなか上手く命中しない。

 ブラックスターのグラネイトなんかが使役していた小型生物が相手なら、滅茶苦茶振っていてもそれなりに倒せたのだが。

 鎖の男はこの世の人間。
 だが、それでも強い。
 実はブラックスターの人間なのではないかと思ってしまうほどに、軽やかな動きをする。

「……っ!」

 繰り出された男の拳が、剣の刃部分に命中する。
 剣は私の手をすり抜け、飛んでいってしまった。

「おぅおぅ! これで武器なしだぜぇー!」
「そんな……」

 剣がなくては戦えない。けれど、遠くへ飛んでいってしまった剣を取りに行く時間はない。そんなことをするのは愚か。ただ隙を作るだけの行為だ。ただ、剣がなくては何もできないということも、また事実なのだけれど。

「逃げて下さい、エアリ!」

 手首を掴まれているリゴールが叫ぶ。

「できないわ! そんなこと!」

 私はそう返した。
 そんなやり取りをする私たちを、男は嘲笑う。

「おぅおぅ、馬鹿じゃねぇか? いいぜ。ついでに一緒に連れていってや……うぐぅ!?」

 男は突如、唇を尖らせ、唾液を吹き出す。

 その瞬間は何が起きたのか分からなかった。が、数秒経って、リゴールが男の脛に蹴りを入れたのだと分かった。

「うぐ……」
「エアリに手を出させはしません!」

 鋭い言い方をされた男は、苛立ったらしく眉間に多くのしわを寄せ、だみ声で叫ぶ。

「この雑魚がぁ!」

 下顎を豪快に下げ、手が入りそうなほど大きく口を開き、透明感のない声で怒鳴る男。彼にはもはや、品の欠片もない。

「わたくしのことは何とでも言って構いません。しかし、エアリに対し乱暴な手を行使することは許せません」

 至近距離から威圧的に怒鳴られても、リゴールは平静を保っている。落ち着いた調子で物を言えるくらい冷静だ。

 そんなリゴールの頬を、男は躊躇なく殴った。

「テメェの許しなんぞ要らん!」
「っ……」

 殴られたリゴールは、面に戸惑いの色を浮かべている。
 即座に今の状況を理解するというのは、彼には難しかったようだ。


 ——その時。

 扉が開き、一人の男が駆け込んできた。

 入ってきたのは、ウシガエルのような顔をした男だ。鎖の男の頭部を四角形と表現するならば、今現れた男の頭部は楕円形。皮膚にはでこぼこが多く、美しいとは言えないが、くりっと丸い目はどことなく愛嬌がある。

「頭! ヤバいど!」

 可愛いのは目もとだけではなかった。声もかなり可愛らしい。高く、女の子のような雰囲気がある声だ。

「何だ! どうした!」
「途中まで上手くいってたど! けど、ヤバいやつが現れて、皆どんどんやられていってるんど!」

 ウシガエル顔の男は、長くない手足をパタパタ動かしながら発する。

「何だそれは!」
「早く引き揚げた方がいいど!」
「そういうことなら……やれ」

 ウシガエル顔の男は、鎖の男の命に、こくりと頷く。

 刹那。

「えっ……」

 背後に、人の気配。
 うなじに何かが当たる。

「あ……」

 一瞬のことだったから、何が起きたのか分からなかった。

 何? 一体何が起きたの?

 そんなことを考えていると、みるみるうちに視界が狭まってきた。
 世界が遠ざかってゆくような感覚。

 ——そして、意識は途切れた。


 ◆


 見える。薄暗い世界が。

 ここは夢? それとも現実?

 それすら分からぬまま、灰色に染まった世界を見つめる。

 若葉色の大地は、朱の炎が包んでいる。炎は、まるで生き物であるかのように不気味にうねり、すべてを塵に還す。そして、そこから昇るのは煙。嵐の前の雨雲のごとき邪悪な色をした、煙だ。信じられないくらい勢いがあり、一秒経過するごとに、大きく大きく広がってゆく。

「これは一体……」

 見下ろすのは、悪夢のような光景。
 夢なら醒めて、と、願わずにはいられない。

 炎に襲われておらずとも、命の危機に瀕してはおらずとも、このような時が続くことには耐えられない。自らへの実害は皆無であれども、見つめ続ける、ただそれだけで心が痛く。こんな光景を目にし続けていては、どうにかなってしまいそう。

 この前の夢といい、今の妙な現象といい、最近の私は見たくないものばかり見てしまう。

 単なる不運と言ってしまえばそれまで。
 けれど、本当にそうだろうか。

 もちろん過去にも悪い夢をみることはあった。恐ろしい夢、君が悪い夢、そういったものを一度もみたことがないというわけではない。

 しかし、こうも連続すると、不自然さを感じずにはいられないというものだ。

「ここはどこなの……? これは一体何なの……?」

 何もかも、よく分からない。
 なぜこんな光景を目にしているのかさえ、分からない。

 どうか私を、ここから連れ出して——。


 ◆


 ……。

 …………。

 はっ、と、目が覚める。

 瞼を開けると、一面黒い天井のようなものが視界に入った。いや、正しくは、視界を埋め尽くしていた、かもしれない。とにかく、黒いものだけが見えていたのだ。

 取り敢えず起き上がろうとして——それから気づく。

 両手首が拘束されていることに。

 指を動かしてみていると、ひんやりしたものが指先に触れた。無機質な感覚に、「あぁ、やはり拘束されているんだな」と、改めて思う。

 腕を使えず苦労しつつも、上半身を起こす。すると、足も鎖で拘束されていることが分かった。

「何よこれ……まるで罪人じゃない」

 辺りを見回すうちに、私は、誰もいない部屋に放り込まれているのだと知った。
 しかも、壁四面のうち一面だけは格子になっている。それが、牢らしさを益々高めているように感じられた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.81 )
日時: 2019/08/29 00:43
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: vKymDq2V)

episode.78 人の気配のないところ

 天井は暗く、人の気配はない。そんな空間の中で目を覚ました私は、おかれている状況に戸惑いつつも、冷静さを失わないように心掛ける。取り乱したところで良いことなどないと思うからだ。

 とはいえ、不安が少しもないというわけではない。

 私だって普通の女だ。慣れない場所へ連れてこられてしまったら、不安になるし恐怖心を抱いてしまうこともある。

 もし可能であるならば、誰かに今の状況を説明してもらいたい。

 だが、周囲に人がいる様子はないため、すぐに状況説明をしてもらえるということはなさそうだ。

 なので私は、ひとまず、その場で待つことにした。
 待っていればいつかは誰か来るだろう、と、そう考えて。


「目が覚めたみたいだねー」

 待つことしばらく。
 格子の向こう側に、一人の少年が現れた。

「……貴方は、トラン?」
「ふふふ。覚えていてくれたんだねー」

 そう、少年はトランだった。

 以前デスタンを誘拐し、彼を操ってリゴールを傷つけさせた、卑怯極まりない男の子である。
 それだけに、良いイメージはない。

「ここは一体どこなの」

 意識を取り戻してから、どのくらいの時間が経過しただろう。部屋に時計はないので、きちんとした時間を知ることはできない。が、恐らく、一時間ほどが経過しただろうか。

「ここがどこかって? ふふふ。ここは、ナイトメシア城の近くの牢屋だよー」

 トランは笑顔で答えてくれた。
 しかし、どうも怪しいとしか思えない。

 無論、牢屋という言葉自体は嘘ではなさそうである。私もそうなのだろうと思っていたし、ここは、誰が見ても牢と分かるような場所だ。

 それでも彼の言葉を怪しいと感じてしまうのは、多分、彼自身に妙な怪しさがあるからなのだろうと思う。

「私を捕まえたりなんかして、どうするつもり?」

 トランを見上げ、睨んでやる。
 こんなことをしていては、ちっとも可愛くない女かもしれない。が、今はそんなことは気にしない。

「いやー、ボクとしては君も捕まえる気はなかったんだけどなぁ」
「……そうなの?」
「うん! だって、ボクの狙いはホワイトスターの王子だからねー」

 その言葉を耳にした瞬間、リゴールのことを思い出した。

「リゴールも捉えられているの!?」

 思わず大きな声を発してしまう。

 しかし、トランはそういったことには微塵も関心がないらしく、そこについては特に何も言ってこなかった。

 大声を発してしまったことに触れられずに済み、私は、少しばかり安堵した。

「そうだよー。作戦大成功」
「リゴールに酷いことをしたりはしていないでしょうね……?」
「もっちろん。ふふふ。まだこれからだよ」

 これから、という言い方が妙に気になってしまう。が、一応、現時点では無事ということなのだろう。あくまで「現時点では」であるが。

「私も仕留めるつもり?」
「……うーん、それはまだ分からないなぁ」

 問いに対して、曖昧な言葉を返すトラン。

「地上界の仕事屋に頼んだんだけどさぁ……君まで差し出してこられるとは思わなかったんだよねー」

 あくまで王子だけを誘拐するつもりだったと。
 私——エアリ・フィールドにまで手を出す気はなかったと。

 彼はそう言いたいのだろうか。

「目的のために無関係な人たちを使うなんて、貴方、随分自分勝手ね」
「ん? 何それー」

 首を傾げるトラン。

「報酬はちゃんと出したし、自分勝手なんかじゃないよ。正式な依頼だよー」

 トランは、そう続け、さらに何か言おうと息を吸う。
 が、それを遮るように。

「トラン!」

 誰かが駆け込んできた。
 見知らぬ男性である。

「ん? なにー?」
「その娘を連れてくるように、と、王妃様が!」
「ふーん。分かった分かった」

 唐突に駆け込んできた見知らぬ男性は、トランの返事を聞き、進行方向を変える。速やかに去っていった。ただ伝えにきただけだったようだ。

 トランは羽織っている上着のポケットへ面倒臭そうに手を突っ込み、錆びついた鍵の束を取り出す。

「君は即処刑ではないみたいだね。良かったね」

 そんなことを言いながら、トランは鍵を鍵穴へと差し込む。そして、格子状の入り口部分を開けた。

「王妃様のところまで、ご案内ー」
「……何なの」
「何なの、だって? ふふふ。君、なかなかユニークなことを言うねー」

 トランはゆったりとした足取りで近づいてきて、一メートルも離れていないくらいの場所へ座り込む。それから、鍵束のうちの一本を、私の足首の枷にある鍵穴へ突っ込む。足が自由になる。

「さぁ、立って」

 トランは私へ手を差し出してくる。
 だが、その手を取ることはできない。なぜなら、両手が拘束されているから。

「……できないわ」
「へぇ。敵地だというのに、そんな強気に断るんだ?」
「いいえ。手も拘束されているから、その手を取ることはできないの」

 するとトランは、ぷっ、と吹き出す。

「なるほど、そういうことだったんだねー」


 その後、私は、トランに付き添われながら移動した。

 目的地はナイトメシア城内にある王妃の間らしい。

 リゴールをあそこまで容赦なく襲い続けたブラックスターの王妃とは、一体どのような者なのだろう? 恐ろしい、悪魔のような人だろうか?

 移動中、私は一人、色々考えていた。

 ただ、リゴールのことも心配だが、それについてはあまり考えないよう心がけている。考えてもどうしようもない、と、自分に言い聞かせて。


「着いたよー」
「もう!?」
「うんうん、到着ー」

 王妃の間の前へは、意外と早く到着した。

「ここに……ブラックスターの王妃が?」
「うん。王妃様がいらっしゃるよ」

 王妃ともあろう人の部屋の入り口なら、さぞ固く閉ざされているのだろう。
 私はそんな風に考えていた。

 だが、それは違った。

 王妃の間、その入り口は、半透明の黒い布が垂れ下がっているだけ。
 こんな無防備で良いのか、と疑問を抱いてしまうような入り口だ。

 そんな入り口の前で、トランは叫ぶ。

「王妃様ー! お連れしましたー!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.82 )
日時: 2019/08/30 09:08
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: SsOklNqw)

episode.79 あの夢の、でも

 トランが言葉を発した瞬間、垂れ下がっていた半透明の黒い布は消えた。
 その様子を目にしたトランは、私の方へと視線を移し、にっこり笑って言ってくれる。

「入っていいみたいだよー」

 黒い布が消えれば入っていい、と、決まっているのだろうか。

「……本当に大丈夫なの?」
「うんうん、問題ないよー」

 私は彼をじっと見つめる。すると彼は、私を、真っ直ぐに見つめ返してきた。

 嘘をついている人間の顔ではない。
 だから私は、信じてみることにした。

 手足はもう拘束されていない。己の意思で、好きなように動かせる。

 私は足を進め、王妃の間へと入っていく。


「んふふ……来てくれたのね……」

 王妃の間で私を待っていたのは、見覚えのある人物だった。
 肩まで伸びる唐紅の髪。唯一黒い、前髪の一房。華やかな顔立ち。そして、衣服を身にまとっていても女性の魅力を放っている、豊満な体。

「貴女!」

 間違いない。
 彼女は、私の悪夢に出てきた人物だ。

 私がみた夢の中で、リゴールを襲っていた彼女。違いない。

「……どうかしたのかしら?」

 かなり体のラインが出る、血のように赤いドレス。肩から手首まで伸びる袖は、黒いレースでできている。

「貴女、王妃だったの!?」

 夢に出てきた人物とこんなところで会うなんて、と驚き、思わず大声を発してしまう。
 後から「いきなり大声はまずかったか」と自身の行動を悔やむ。しかし、目の前の王妃は何も言わず、魅惑的な笑みを浮かべるだけだった。

「んふふ……何を驚いているのかしら……」
「ごめんなさい、いきなり。少しびっくりしてしまって」
「びっ、くり……?」
「えぇ。というのも、つい最近みた夢に貴女が出てきていたの」

 何となく普通に話してしまっているが、相手はブラックスター王妃。本人は怒っていないようだが、このような話し方をしていて問題ないのか少々不安である。

「んふふ……面白いことを言うわね……。少し、気に入ったわ。こうして巡り会えたのも何かの縁。二人でお話、しましょう……?」

 王妃は妙に友好的。
 なぜなのだろう。


 その後、私は、王妃の間にて王妃と二人の時間を過ごした。

 王妃の話によれば、ブラックスターでは、王妃を名前で呼ぶことはほとんどないらしい。何者であろうが、王妃は王妃という捉え方なのだとか。

 個人的には、永遠に名で呼ばれないというのは寂しくなりそうな気がする。しかし、彼女はあまり気にしていないようだった。もしかしたら、慣れれば案外気にならないものなのかもしれない。

「それにしても……驚いたわ」

 王妃の間のベッドに腰掛け、私は彼女と話す。

「え?」
「ホワイトスターの王子はお子ちゃまでしょう。あれが気に入るくらいたぶらかした女なんて、どんな色っぽい女なのかと気になっていたのだけれど……んふふ……」

 黒く塗られた長い爪が目立つ手を口元に添えつつ、王妃はそんなことを言う。

「案外……地味な女、だったわね……んふふ……」

 ちょっと! 馬鹿にしないでちょうだい!

 できるなら、そう言ってやりたいところだ。

 しかし、彼女の発言のすべてが間違っているわけではないため、鋭い物言いはしづらい。特に、私が地味な女であるというところなどは、まぎれもない事実である。

 そういったこともあるため、私は、何も言い返さないでおいた。

 それに。

 ここは敵地、彼女は敵陣営の王妃。それゆえ、あまり刺激するのは良くない。

 私はホワイトスター王族ではないから少しはましかもしれないけれど。でも、好戦的な態度をとったがために痛い目に遭わされるという可能性も、ゼロではない。

 ここは大人しくしておくに限る。

「んふふ……ホワイトスターの王子の趣味は、よく分からないわね」

 さりげなく失礼なことを言われたが、我慢。怒りを露わにしてしまわないよう耐えながら、王妃の様子を窺う。

 するとその時、彼女は、唐突に立ち上がった。

「んふふ。じゃあそろそろ……お開きとしましょうか?」

 立ち上がった王妃は、くるりと振り返り、まだベッドに腰掛けている私へ視線を落とす。そして、色気のある唇に怪しい笑みを浮かべた。

「話は終わり、ということ?」
「んふふ。そうよ」

 そう聞き、私は腰を上げる。

「気に入ったわ……可愛い娘ね。良ければ……んふふ。またいらっしゃい」
「ありがとう」

 話している間、ずっと、気を抜きすぎず様子を窺ってみていた。しかし、王妃にもその周囲にも、不自然な動きはなかった。王妃が私を「地味な女」などと言ったりしていたのもただの私語の一環であったようだし。

「んふふ……じゃ、迎えを呼んであげる」

 分からないことが多すぎる。
 この世界——ブラックスターは、まだ、私にはよく分からない。


 その後、王妃が迎えを呼んでくれ、トランが迎えにやって来た。私の身柄は彼へと渡され、来た道を引き返す。

「王妃様はどうだったー?」

 歩いている途中、私の両手首を掴んで動かないようにしているトランが、そんなことを尋ねてきた。

「なんというか……よく分からなかったわ」
「ふーん。よく分からなかったんだ」

 下手な答え方をしたら、何をされるか分かったものじゃない。当たり障りのないことだけを言うようにしておかなくては。

「意外と優しかったからよ。だから、少し不自然な感じがしたの」

 私たちが歩む道には、人の気配がほとんどない。

「そっか。あの人、元はボクらと同じでさぁ」
「同じ……?」
「王直属軍の一員だったんだ」

 歩きながら、トランはそんなことを話す。

 彼の言葉は信頼できない。
 彼自身が、常に怪しいから。

「そこから成り上がったんだよ、王妃様にまでねー」
「……そうなの」
「いいよねー、女は。少し可愛いだけで出世できるんだから」

 足を動かしながら、トランは軽い調子で言った。
 その言葉に、私は、ほんの少し切ない気持ちになる。そんな風に思われるのか、と。

Re: あなたの剣になりたい ( No.83 )
日時: 2019/08/31 09:27
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hZy3zJjJ)

episode.80 かつて異なる道を選んだ

 エアリとリゴールがブラックスターへ連れていかれていた、その頃。

 侵入してきた賊をすべて片付けたデスタンは、騒ぎの直前リゴールがエアリの部屋に行っていたことをバッサから聞き、エアリの部屋へ駆け込んだ。

 だが、室内に人の気配はなく、エアリの剣とリゴールの本が床に落ちているだけだった。

 その光景を目にしたデスタンは、顔をしかめ、一人呟く。

「遅かった、か……」

 数秒後、リョウカが入室してくる。

「二人は!?」
「どうやら連れ去られてしまったようです」

 デスタンの返答に、リョウカは肩を落とす。

「そんな……」

 落ち込んだ様子の彼女には目もくれず、本と剣を広い集めるデスタン。
 数秒後、リョウカは彼の背中に問う。

「で、これからどうする!? 探しに行く!?」

 デスタンはすぐには答えない。
 なかなか答えが返ってこないことに苛立ったリョウカは、叫ぶ。

「ちょっと! エアリたちが心配じゃないの!?」

 リョウカはデスタンにツカツカと歩み寄り、彼の肩をガッと掴む。

「ねぇっ!!」

 直後、デスタンは振り向く。
 彼はリョウカを睨んでいた。凄まじい形相で。

 これには、さすがのリョウカも怯む。

「黙れ」

 親の仇でも睨んでいるかのような、目つき。
 地獄の底から湧き出たかのような、声色。

 それらをいきなり目にしてしまったリョウカは、顔をこばわらせ、デスタンの肩から手を離す。そしてそのまま、一歩、二歩と、後退した。

「な……」

 リョウカの声は震えていた。

「一体何なのっ……!?」

 しかし、その数秒後には、普段のデスタンに戻った。

「失礼。二人を探してきます」

 デスタンの様子が、またしても変わった。そのことに、リョウカは戸惑いを隠せていない。彼女は、何がどうなっているのか分からない、というような顔をしている。

 しかしデスタンはというと、そんなことはまったく気にかけていない。

 先ほど拾った、剣から戻ったペンダントとリゴールの本を手に、体の向きを反転させる。そして、そのまま扉に向かって歩き出した。

「ちょ、ちょっと! ちょっと待ってよ!」

 エアリの部屋から退室すべく歩き出したデスタンの背を追って、リョウカも足を動かし始める。

「無視しないでよ! もう!」

 デスタンに振り回され続けるリョウカだった。


 屋敷の外は静かかつ穏やか。人通りはほとんどなく、近くに馬車を置いておく小屋があるだけだ。その他にあるのは、自然だけ。

 リゴールやエアリを拐われ悶々としていたデスタンは、一人、屋敷の外を歩き回る。
 何か痕跡がないかを調べるという意味も兼ねて。

 侵入してきた賊の中で落命してはいない者たちの見張りは、リョウカに任せてきた。

 人間誰しも、すべてを一人でこなすことはできない。が、賊の見張りなどという危険な役割を、バッサら一般人に頼むことは難しい。

 それゆえ、デスタンは、見張りを引き受けてくれたリョウカには感謝している。

 ただ、感謝はしているが、共に行動したいとは思っていないようだ。それは、もしかしたら、デスタンの胸の内に「無関係な者を巻き込みたくない」という思いがあったからかもしれない。

 単に誰かと行動することが苦手なだけかもしれないが。

 屋敷の周囲を一通り歩き、特に何の痕跡もないことを確認したデスタンが、屋敷へ戻ろうとしていた——その時。

「……見つけた」

 背後から聞こえた小さな声に反応し、デスタンは素早く振り返る。

 するとそこには、彼によく似た女性——ウェスタが立っていた。

「ウェスタ……」
「兄さん」

 デスタンとウェスタ、二人の視線が重なる。
 かつて異なる道を選んだ兄妹の再会である。

「王子誘拐はブラックスターの命か」
「……さぁ」

 次の瞬間。

 はっきりしない言葉を返したウェスタの首に、デスタンは包丁を突きつけていた。

 ちなみに、デスタン持っている包丁は、ホワイトスターを脱出する時に所持していたナイフの代わりとして、バッサから貰った物である。

「答えろ、ウェスタ」

 デスタンは冷ややかに言い放つ。
 だが、ウェスタは怯えない。
 首に刃物を突きつけられてもなお、冷静さを保っている。

「……刃物での脅し。陳腐」
「王子をどこに連れていった。ブラックスターか」
「……知らない」

 デスタンの包丁を握る手に、力が入る。
 それでも、ウェスタは落ち着いている。

「答えろ!」
「……それはできない。けど」
「けど?」
「……兄さんをブラックスターへ連れてゆくことはできる」

 ウェスタは静かに言って、背後に立つ兄へと視線を向けた。

 暫しの沈黙の後。
 デスタンは包丁を握る手を下ろす。

「それは真実か」
「……嘘はつかない。そもそも、嘘をつく理由がない……」

 再び、二人の視線が重なる。
 一度目とは違った意味で。

「なら、連れていけ」

 兄の言葉によってウェスタの口角が微かに持ち上がったことに、デスタン自身は気づかない。

 ウェスタはデスタンへ、片手を差し出す。
 デスタンはその手を取る。

「……移動する。ブラックスターへ」

 彼女の繊細な唇から、言葉が放たれる。

 そして、二人の姿がその場から消え——る、直前。

「ふはははは! 待たないか!」

 どこからともなく、男性の声が響いた。

 周囲の反応など微塵も気にしないような、躊躇のない、やたらと大きな声。至近距離で放たれたら耳を傷めそうな声。

 デスタンも、ウェスタも、その声の主が誰であるかすぐに分かった。
 ただ、その正体に気がついた時の心情は、大きく違っていただろうけど。

「グラネイト様、登場ッ!!」

 近くの木、その高い位置の幹から飛び降り、グラネイトが姿を現した。人が乗るのは危ないような、かなり高い場所から飛び降りたが、着地は見事に成功。その結果は素晴らしい。

 が、着地のポーズは、かなり残念な雰囲気をまとったポーズだった。

 左足を耳にぴったりくっつくほど大きく上げ、唯一地面についている右足は爪先立ち。両腕は真上へ伸ばし、手のひらが空へ向くように手首を反らしている。

 妙なポーズをとるグラネイトを目にし、一番に声を発したのはウェスタ。

「……そんな。どうして……」

Re: あなたの剣になりたい ( No.84 )
日時: 2019/08/31 20:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: eso4ou16)

episode.81 ふはは!

 デスタンは、グラネイトの急な登場にも、そこまで驚いてはいなかった。奇妙なポーズに軽く戸惑っていた程度である。

 しかし、ウェスタは違う。彼女は「グラネイトは死んだ」と聞かされていた。無論、彼女とて、その情報を無条件に信じていたわけではない。だが、グラネイトは一度もブラックスターに戻ってこなかったので、段々「グラネイトは死んだ」のだと信じるようになっていっていたのだ。

 けれどそれは真実ではなかった。
 目の前にグラネイトがいることが、その証拠である。

「ふはは! 久々だな、ウェスタ!」

 そんなことを発するのは、グラネイト。青白いを通り越し、もはや灰色に見える肌が、彼が彼であることを証明している。

 ただ、服装は、今までのグラネイトとは違っていた。

 ワイン色の燕尾服は身にまとっておらず、そこらを歩いている人間と大差ないような服装だ。

 前をボタンで閉めるようになっている、キャメルの七分袖シャツ。その上に、チョコレートカラーのベストを着用している。上半身は、そのようなやや地味な雰囲気だが、下半身はそうではない。むしろ派手である。足首より数センチ上までのズボンは、オレンジやグリーンなどのストライプ。また、履いているのは飾り気のない濃い茶色の革靴だが、爪先の辺りに穴が開いており、そこからはカラフルな靴下が覗いていた。ちなみにその靴下は、空色がベースで様々な色のレモン柄が散らばっているという、可愛いげはあるが大人の男性には相応しくないデザインである。

「ふはは! ウェスタ。いきなり無視とはどういうことだ!?」

 グラネイトは呑気にウェスタへ歩み寄っていく。
 一方ウェスタはというと、近づいてくるグラネイトに、怪訝な顔を向けていた。

「……なぜ、生きている」
「んな!? グラネイト様が死んだと思っていたのかッ!?」

 口を大きく開き、ショックを受けたことを表現するグラネイト。

「……そう聞いた」
「ななッ!? そう聞いた、だと!?」
「トランが……そう言っていた」
「クソォ! 適当なこと言いやがって!!」

 ウェスタとグラネイトは、暫し、言葉を交わすことを続けた。

 心なしか仲間外れな感じになってしまったデスタンは、まだ終わらないのか、というような顔で二人を眺めている。

 もっとも、口を開くことはなかったが。

「グラネイト。なぜ、今まで戻ってこなかった」
「ふはは! トランのやつが、このグラネイト様に嘘をついたのだ!」

 そこまでは大声で、以降は小声で「……だからもう、色々面倒になって、戦いを止めることにした」と付け加えるグラネイトだった。

 それを聞き、ウェスタは、何か察したように目を細める。

「……そういうこと」

 直後、グラネイトはまたしてもポーズをきめる。
 最初に現れ着地した時のポーズを。

「そうだ! グラネイト様はブラックスターの手下を辞め、旅芸人となった! ふはは!」

 ポーズを披露してみたもののまったく反応がない。それどころか、冷ややかな視線を向けられている。
 そのことに気がついたらしく、グラネイトは話題を変える。

「だがな! ウェスタになら協力してやってもいいぞ!」
「……は?」

 眉間にしわを寄せるウェスタ。

「ブラックスターに歯向かう気になったのだろう!?」

 グラネイトの言葉に、ウェスタは、はぁ、と溜め息をつく。

「……意味が分からない」
「違うのか!?」
「歯向かう気などない」

 ウェスタの答えを聞いた瞬間、グラネイトは頭を抱えて崩れ落ちた。
 オーバーリアクションにも程がある。

「夢をみたところで……逃れられはしない。運命からは」

 だが、グラネイトはすぐに立ち上がった。
 しかもウェスタの手を掴んでいる。

「いや! そんなことはないぞ!」
「……触らないで」

 ウェスタは不機嫌そうに睨む。が、グラネイトはそんなことは微塵も気にしない。

「いや、触る! 手くらいは触る!」

 ——刹那。

 怒りに満ちた表情になったウェスタは、グラネイトの手を強く振り払った。

「な!?」

 さらに、ウェスタは炎を放つ。ターゲットであるグラネイトに向かって帯状の炎が伸びていき、ついには彼の服の端を焼いた。

 グラネイトもさすがに本当に攻撃されるとは思っていなかったらしく、慌てて後退し、デスタンにぶつかって転んだ。

「寄らないで」
「は、はい……すみません……」

 この時ばかりは、さすがのグラネイトも素直に謝罪した。

 それからウェスタは、視線を、グラネイトからデスタンへと移す。

「……兄さん」
「もういいのか」
「……邪魔者は消えた」
「いや、まだ消えてはいないようだが」

 そんなことを言うデスタンに、ウェスタは素早く歩み寄る。そして腕を伸ばし、デスタンの片腕を掴んだ。

「……あれは放っておけばいい」

 ウェスタの赤い瞳。
 デスタンの黄の瞳。

 それぞれから放たれる視線が、静かに交差する。

「いいのか、そんなことで」
「……問題ない」

 ウェスタは微かに目を細め、唇に薄く笑みを浮かべた。

 その数秒後、ウェスタとデスタンの姿が一瞬にして消える。

 結局、グラネイトは連れていってもらえずじまい。彼は、一人寂しくその場に放置される形になってしまった。

「な……何てことだ……」

 一人ぼっちになったグラネイトは、尻を地面につけたまま、そんなことを漏らす。

「まさか……置いていかれるとはな……ふはは! 想定外!」

 もし何も知らない者が今の彼を目にしたとしたら、座り込んで独り言を発する怪しい人がいる、と思ったことだろう。

「ふはははははは! 切ない!」

 グラネイトの叫びは、高い空にこだましていた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.85 )
日時: 2019/09/03 07:10
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: jtELVqQb)

episode.82 すべてを捨てても構わない

 ウェスタに導かれデスタンがたどり着いたのは、静かな雰囲気の部屋だった。

 赤絨毯の敷かれた床にベージュ系ストライプの壁という、飾り気のないシンプルな室内。そこに置かれているのは、白い一人用ベッドが一台と、腰の高さ程度のタンスと、木の枠の姿見。

「ここは?」

 瞬間移動し、見たことのない場所へ到着したデスタンは、部屋の中央付近に立ったまま問う。

「……部屋」

 デスタンの問いに、ウェスタはそう答えた。

「ウェスタの部屋、ということか」
「そう……自室」

 いつもよりほんの少し高い声を発しながら、ウェスタは数歩移動する。そして、ベッドにそっと腰掛けた。

「……兄さんは今日から、ここで暮らして」
「なに?」

 ベッドに腰掛けたウェスタが放った言葉を、デスタンは聞き逃さなかった。

「兄さんはここで……帰りを待っていてくれればいい」
「待て、ウェスタ。何を言っている」

 兄との再会がそんなに嬉しいのか、ウェスタは、いつもより穏やかな顔をしている。また、日頃は氷剣のような視線を放っている瞳も、今は決して鋭さはなく、儚さこそあるものの優しげな雰囲気だ。

 一方、デスタンはというと、穏やかな表情を浮かべるウェスタを目にして少々戸惑っているようだった。

 だが、それも無理はないかもしれない。
 実の兄妹であるとはいえ、敵同士になっていたのだから。

「……これからは二人で暮らす。もう一度、幸せを取り戻す」

 夢みる乙女のように語るウェスタに、デスタンは冷ややかな声を突きつける。

「無理だ。それは」
「……なぜ」
「私たちは、もはや戻れない」

 デスタンは静かに足を動かし、ウェスタのすぐ隣に腰を下ろす。

「だが」

 甘い空気が部屋を満たす。
 隣り合ってベッドに腰掛ける二人は、まるで恋人のよう。

「……だが、何?」

 ウェスタは肌が触れるほど近くに迫ったデスタンを見上げる。彼女は面を上げ、デスタンの方は面を下げ。二つの顔は、信じられないほどに近づく。

 誰かがこの場面を目にしたならば、二人が恋人同士であると勘違いしたかもしれない。
 それほどに、二者の距離は近かった。

 幼い頃共に長い時間を過ごした二人にしてみれば、接近することでの恥じらいなどそれほどない。

 無論、世のすべての兄妹がこのようなことを厭わないということはないだろうが。

 ただ、この二人においては、こういったことは普通のことであった。敵同士となって以後は親しくすることはなくなっていたが、かつては毎晩、こうして話をしていたのである。

 デスタンはウェスタの問いに答えなかった。
 しかし、彼女の片手をそっと握る。


 ——そして、突如投げた。


「……っ!?」

 デスタンは、何の躊躇いもなく、握っていた手を軸にウェスタを投げたのだ。結果、彼女はもちろんベッドから転落。床に倒れ込んでなお呆然としているウェスタを、デスタンは、ものの数秒で完全に押さえ込んだ。

「……兄さん」
「抵抗しないことを推奨する」
「何を……するつもり」

 両腕を掴み、馬乗りになる。
 それも、実の妹に。

 普通なら躊躇ってしまうかもしれないようなことだ。
 だが、デスタンの胸の内には、躊躇いなど欠片も存在していなかった。

 彼が見据えているのは、ウェスタではなく、己の為すべきこと。

 ウェスタはそのために利用するものでしかないのかもしれない。

「王子を誘拐したのは、ブラックスターか」
「……知らない」
「答えろ。答えないというのなら、容赦はしない」
「知らない……それが答え」

 刹那、デスタンは再び包丁を取り出した。
 彼はそれを片手で握り、床に押さえ込んでいるウェスタの首元へ突きつける。

「それは答えではない!」

 ウェスタは、自身を躊躇なく押さえ込む兄を見上げ、動揺したように瞳を揺らしている。

 けれど、そこに滲んでいるのは恐怖ではなく。
 どちらかというと、驚きに近い色だった。

「……どうして。兄さんはどうして……あの王子のために、こんなことまで……」

 彼女は刃物には怯えていない様子だった。
 それよりも、デスタンが鋭い物言いをしたことへの衝撃の方が大きかったようだ。

「こんなことは……おかしい。兄さんはやはり……既に重度の洗脳を……?」
「洗脳はない。ただ、私は助けに行かねばならない。それができないなら、王子の護衛として在り続けることはできないからだ」

 包丁の刃が、ウェスタの首へ微かに食い込む。刃が入った部分から、一滴、赤いものが流れ出す。
 一筋のそれが、不気味に煌めく包丁の刃部分を伝い床に落ちた時。

 ウェスタは覚悟を決めたように目を細めた。

「……兄さん」

 沈黙を破る、ウェスタの小声。

「もし王子を助けられたら……そうすれば……また二人で生きてくれる……?」

 それを聞いたデスタンは、彼女の唐突な発言に戸惑ったようで、一瞬眉をひそめた。だが、不利な状況にありながらも懸命に見上げてきている彼女の赤い瞳を目にし、何かを察したようで。十数秒ほど考えてから、彼は答えた。

「兄と妹に戻ることは、できるかもしれない」

 それはとても曖昧な答え。
 兄と妹に戻ることはできても二人で生きることはできないのか、と言いたくなるような。

 だが、それでもウェスタは嬉しそうだった。

「……そう。それなら……望みは叶う……」
「どういう意味だ」
「我が望み、叶うなら……すべてを捨てても構わない……」

 ウェスタの瞳は、これまでとは違う新しい色を湛えている。

「兄さんのために……できることを」


 彼女は「待っていて」とだけ言い残し、デスタンを自室に置いて、部屋から出ていった。
 丁寧に、鍵もかけて。

 彼女が部屋から出ていくや否や、デスタンは足を動かし、扉の方へと進んだ。ドアノブを掴み、それを捻ってみるが、まったく動かない。もっとも、鍵がかかっているのだから当然と言えば当然なのだが。

 その後、彼はあっさりとベッドの方へ戻った。

 鍵がしっかりかかっていることが分かって脱出を諦めたのか。それとも別の理由があったのか。
 そこのところは誰にも分からない。

 ただ、デスタンはそれ以上脱走しようとしているような動きはとらなかった。

 ベッドに腰掛けたまま、ウェスタの帰りをじっと待っていた。


 それから一時間ほどが経過して、ウェスタは部屋へ戻ってきた。
 彼女は入室するや否や速やかに鍵をかけ、デスタンがベッドに腰掛けているのを確認すると、静かに告げる。

「……王子はいる」
「この城にか」
「城の近くの牢に……入っているらしい」

 少し空け、ウェスタは続ける。

「ただ……処刑は近い」
「処刑!?」

 デスタンは驚き、凄まじい勢いで立ち上がった。

「……そう。処刑は……明日中」

Re: あなたの剣になりたい ( No.86 )
日時: 2019/09/05 18:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /ReVjAdg)

episode.83 宵の幕開け

 私——エアリ・フィールドは、今、牢にいる。

 暗闇は嫌いだ。何もなくとも、段々気が滅入ってきてしまうから。

 それに、このいかにも罪人のような扱いも、どうも納得できない。罪を犯したなら諦められるかもしれないが、「悪いことなど何もしていない」という意識があるだけに、こんな風に牢に閉じ込められるのは不愉快だ。

 とはいえ、力無き私に抵抗する術はない。

 牢の中で座り、ただじっとしていることしかできない。

 幸い、現時点では、身体の拘束は軽い。手足の拘束はなく、見張り付きの牢に閉じ込められるだけで済んでいるのだから、ある意味幸運と言えよう。

 だが、少しでも不審な動きをしたならば、今の私にほんの少し残された自由を、一瞬にして失うことになるに違いない。

 それゆえ、反抗的な態度を取ることは許されず。結局私は、牢の中でじっとしているしかないのだ。

 リゴールは大丈夫だろうか。
 酷い目に遭わされてはいないだろうか。

 静寂の中、私は、そんなことばかり考えてしまう。

 そして、そんなことばかりを考えてしまうがために、胸の内は一向に晴れない。

 長い長い洞窟を歩いているのかと思うほどの暗闇に、私はいる。


 ——その晩。

 見張りに「就寝時間だ」と言われ、私は眠りについた。

 だが、すぐに目を覚ますことになる。
 というのも、何も見えぬ暗闇の中で、ガチャガチャという妙な音が聞こえたのだ。

 私は、その音に起こされた。

 その音を聞いた時、私は焦り、すぐに上半身を起こした。誰かが仕留めに来たのではないか、と、そう思って。

 そして、叫ぶ。

「何なの!?」

 牢内は暗闇ゆえ、視界は良くない。だからこそ、私は声を発したのである。
 けれど、私の発言に対する返答はなく。ただ、数秒後に、すぐ傍にまで迫る人の気配を感じ取った。

「……静かに」

 声は私の耳元で囁く。
 女性の声だ。

「……騒ぐな」
「な、何なの。貴女は」

 恐怖を感じつつも尋ねる。
 すると、女性の声は答えた。

「……我が名は、ウェスタ」

 聞き覚えのある名に、私は戸惑う。

「ウェスタ……?」
「そう」

 それから三秒ほどが経過した時、頬に白い指が触れた。白い手袋をはめた指が。

 恐る恐る目を見開くと、目の前に人の輪郭が浮かび上がる。

 確かに、私が知るウェスタだった。
 この世のものとは思えぬような髪と瞳の色。そして、デスタンによく似た目鼻立ち。

「どうして貴女が……」
「話は後。一旦ここを出る」

 ウェスタはひそひそ話のような声で言う。

 私の脳内は、疑問符で満ちる。色々質問したい気分だ。しかし今は、たくさんの問いを放って良さそうな雰囲気ではない。だから私は、事情をまったく理解できぬまま、「分かったわ」と小さく返した。


 突如現れたウェスタに連れていかれた先は、部屋。
 それも、ベッドやタンスくらいしか置かれていない、色気ない部屋だった。

 だが、そこには見知った顔があって。

「デスタンさん!」

 彼がこんなところへ来ていることなどまったく予想していなかったので、かなり驚いてしまった。
 ベッドに腰掛けていたデスタンは、部屋に入った私をちらりと見ると、冷ややかに言ってくる。

「しっかりして下さいよ」

 いきなり厳しい。

「助けてくれて、ありがとう」
「王子諸共誘拐されるとは、貴女、一体どういう神経をしているのですか」

 やはり厳しい。
 彼は私のことを心配してなどいないようだ。

 ……いや、それも当然か。

 デスタンはあくまでリゴールの護衛。私の護衛ではない。だから彼は、リゴールの身を案じることはあっても、私のことを心配することはないのだろう。

「ごめんなさい」
「以後、気をつけて下さい」
「そうね。分かったわ」

 何もそこまで言わなくても! と言いたい気分。

 でも言えない。

 リゴールを護ることさえできず、二人まとめて連れていかれるなんて結果になってしまったことは、まぎれもない事実だから。

 とはいえ、注意されると悲しくなってしまう。

 私が一人で若干落ち込んでいると、デスタンがベッドから立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
 何だろう、と思っていると、彼は手を差し出してくる。その手のひらには、ペンダントが乗っていた。

「……え?」

 思わず漏らしてしまう。
 すると、デスタンは苛立ったような顔をした。

「さっさと取って下さい」
「あ、ありがとう」

 私は彼の黒い手袋をはめた手から、ペンダントを受け取る。

「ウェスタの情報によれば、王子の処刑は明日中とのこと。ですから、処刑場にて彼を救出します」

 デスタンは淡々と述べる。

 彼がリゴールを助けようとしてくれていることが分かったことは嬉しい。だが、ホワイトスター王子の処刑ともなれば、警備も厳しいだろう。

「……そんな簡単に助けられるかしら」

 不安になってそう言ったところ、デスタンはまた不快そうな顔をした。

「私とて、簡単なこととは思っていません」
「そうよね」
「ただ、簡単でないということは、助けに行かぬ理由にはなりませんから」

 デスタンの決意は固いようだった。

 彼の双眸は凛々しく、鋭い。
 どんな暗雲も払えるだろう——そんな風に思わせてくれる顔つきを、今の彼はしている。

「ウェスタには、警備を外へ引き付ける役を任せます。ですから、処刑場へ乗り込むのは貴女と私。分かりましたか」
「えぇ、分かったわ。ウェスタ……ウェスタさんも協力してくれるのね」
「はい。それは決まっています」

 私は恐る恐る、ウェスタへと視線を移す。そうして目が合った瞬間、彼女はゆっくりと、一度だけ頷いた。

「けど、処刑場へ乗り込むのは貴方とウェスタさんの方が良いのではない?」
「馬鹿を言わないで下さい」
「ちょっ……馬鹿って何よ!」
「貴女に警備を引き付ける役が務まるわけがないでしょう」

 それは、確かに。

「えぇ、それもそうね」

 最初はそこまで思考がたどり着いていなかったが、よく考えてみれば、デスタンの発言は正しいと思えた。

「分かったわ。じゃあ、私は貴方のお手伝いをするわね」
「しっかり頼みます」

 正直、上手くやる自信はあまりない。

 ——でも。

 だからといって逃げていては、何も変わらない。何も変えられない。

Re: あなたの剣になりたい ( No.87 )
日時: 2019/09/07 14:40
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 16oPA8.M)

episode.84 その先に待つものが

 ウェスタの話によれば、リゴールは明日中に処刑されることに決まっているらしい。しかし、時間はまだ決定していないようだ。そして、処刑が執り行われるのはナイトメシア処刑場。重要な人物の処刑は必ずそこで行われるらしい。私たちが今いる場所がナイトメシア城という名称らしく、ナイトメシア処刑場は、ここからそう遠くないところにあるそうだ。

 それにしても『処刑場』だなんて。物騒。

 そして、私たちの作戦はというと。

 まず、早朝から処刑場の様子を確認を続ける。
 ウェスタの部屋、その壁の高い位置にある小さな窓からは、そこの様子を見ることができるそうだ。だから取り敢えずは、そこから様子を確認する。

 そして、リゴールが城内へ連れていかれるのが見えたら、ウェスタの術で処刑場付近へ移動。

 ちなみに、ブラックスターの処刑の定形としては、処刑が始まってもすぐに首が刎ねられるわけではないそうなので、大急ぎで駆けつけねばならないということはなさそうだ。

 とはいえ、のんびりしてはいられないけれど。

 処刑場付近へ着いたら、まずはウェスタが警備兵に攻撃を仕掛ける。そして、場外で騒ぎを起こす。

 その騒ぎで、城内の兵も少しは外へ向かうことだろう。
 そうなればひとまず成功。

 次はいよいよ本格的に乗り込む。
 デスタンと私が頑張らねばならない段階である。

 ……もっとも、私にとっては「足を引っ張らないように頑張らねばならない段階」かもしれないが。

 そうして乗り込み、リゴールを連れて脱出すれば、ミッションクリア。

 口で言うのは簡単でも、恐らく、現実はそう上手くはいかないことだろう。現実は大概、想像と違う方へ進展するもの。

 それでも、私たちはやらねばならない。

 作戦決行の先に、どんな結末が待っているとしても。


 翌朝、高い位置の窓から降り注ぐ微かな光で、私は目覚めた。

「ん……もう……朝?」
「何を言っているのですか。馬鹿ですか、貴女は」

 最悪の目覚めだ。
 気がつくなり「馬鹿」なんて言われてしまった。

 だが、寝心地は最悪ではなかった。ウェスタにベッドを半分貸してもらい、そこでぐっすり眠ることができたので、体の調子は良さそうだ。

「厳しいわね、デスタンさん……」
「締まりのない人間は嫌いです」

 そんなに嫌われているのか? 私は。

「仕方ないじゃない、朝くらい。べつに、昼間まで寝惚けているわけじゃないんだから」

 愚痴のように漏らしつつ、私はベッドから起き上がる。
 とはいえまだ意識がはっきりしない私へ、ウェスタが、静かに声を掛けてくる。

「……起きた、か」
「おはよう。ウェスタさん」

 彼女は赤い瞳で私をじっと見つめてくる。が、その瞳から感情を読み取ることはできない。彼女の瞳には、感情があまり表れていないのだ。

「……おはよう?」
「え、えぇ。何かおかしかったかしら」
「いや……べつに」

 ウェスタは素っ気なくそう言って、そっぽを向いてしまう。

 揃いも揃って何なんだ、この兄妹は。
 ある意味恐ろしく似ているというか何というか。

「ただ少し、不思議に思っただけ」
「そうなの?」
「昨日まで敵だった……なのにおはようなんて、変」

 予想していなかったところを変と言われてしまった。感覚は人それぞれだから仕方ない部分もあるわけだが、それでも、かなり複雑な心境である。

 ただ挨拶しただけなのに、それが変だなんて。

「何を言っているの。挨拶は親しさに関係なくするものでしょう?」
「……敵にはしない」

 ウェスタは淡々と述べながら、床を軽く蹴る。そして、高い位置にある窓の枠に腰掛け、窓の外を見ていた。恐らく、処刑場の様子を確認してくれているのだろう。

「敵同士は……挨拶なんかしない」

 妙にしつこい。
 よほど主張したいようだ。

「えぇ、それはそうかもしれないわね。けれど、今の私たちは敵同士なんかじゃないでしょ?」

 今回だけになる可能性がないことはないが、それでも、取り敢えずは協力するのだ。少なくとも今は、味方と言って差し支えないはずである。

「……そう」
「なら、挨拶したって問題ないはずよ」
「……そうとも言えるかもしれない」

 ウェスタは私へ言葉を発しながらも、窓の外へ視線をじっと向けている。どのような状況にあっても様子の確認は怠らないところは、偉いな、と思った。

 その時。
 ふと思い、尋ねてみる。

「あ。そういえばウェスタさん」

 ウェスタは窓枠に腰掛けたまま、一時的に視線を私の方へと移す。

「……何」
「私が牢からいなくなっていたら、騒ぎにならない?」

 それによってリゴール処刑の予定が変わったりしたら、計画は台無しである。

「……ならない」
「そうなの?」
「……そう。メモを置いておいたから、大丈夫」

 ウェスタは、そう言って、微かに笑みを浮かべる。
 綿のように柔らかな笑みを浮かべる彼女を見て、私は、こんな顔もするのかと驚いてしまった。


 ——数分後。

「来た」

 唐突に発し、ウェスタは窓枠から飛び降りてくる。

「……移動」

 ウェスタはデスタンに向かってすたすたと歩き、その腕を掴む。
 私はペンダントを手にしたまま、慌てて二人に駆け寄る。

 だが、近くに寄ってから困ってしまった。というのも、ウェスタの体にいきなり触れたりして良いのか分からなかったのだ。

 しかし、ウェスタはすぐに気づいてくれた。

 彼女はもう微笑むことはしない。無表情のまま。
 でも、どうすればいいか分からず困っている私へ手を差し出してくれる優しさは、確かにあった。

「……ぼんやりしていないで」
「そ、そうね」

 私はすぐに差し出された手を掴む。

「移動」

 ウェスタが呟く。


 直後、私は処刑場と思われる建物の近くにいた。
 もちろん、移動したのは私だけではない。ウェスタとデスタンの姿も、すぐ近くにある。

「……ここが処刑場裏」

 ウェスタは静かに告げた。

 本当に処刑場の近くへ移動した——そう思った瞬間、背中に汗の粒が滲んできた。また、良い意味で震えが込み上げてくる。武者震いというやつに近いかもしれない。

「ではウェスタ、頼む」

 しばらくの間黙っていたデスタンが自ら口を開く。
 それに対し、ウェスタは静かに返す。

「……承知」

 いよいよ、その時だ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.88 )
日時: 2019/09/07 14:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 16oPA8.M)

episode.85 剣技

 人のいない、処刑場裏。
 私とデスタンは、そこで待機する。

 紅の空の下、その時を待つ。誰かに見つかったわけではないが、それでも妙に緊張してしまう。

 だが、それも当然と言えば当然だ。敵地にいるのだから、緊張せずにいられるわけがない。

「ウェスタさん……大丈夫かしら……」

 彼女は女性だ。そこらの女性より遥かに強いことは確かだが、それでも女性だから、心配せずにはいられない。警備の相手を女性一人に任せるなんて、普通ならあり得ないことだろう。

「問題ありません」
「けど、女の人なのよ……?」
「ウェスタは私と血を分けた者。それに、私は使えない魔法も使えます。そう易々とやられはしないでしょう」

 デスタンはウェスタの戦闘能力を信頼しているようだ。

 ならば、私も信じよう。
 疑っていても何も始まらない。

「……そうね。そうよね。ありがとう、デスタンさん」
「いえ」

 その時。
 処刑場の正面入り口の方から、慌てたような叫び声が響いてきた。

「始まったようですね」
「えぇ」

 デスタンと目を合わせ、お互い、一度頷く。
 それから私はペンダントを剣へと変化させる。これで、戦闘準備は完了だ。

「行きますよ」
「えぇ」

 こうして私たちは、処刑場の場内を目指す。


 裏入り口から場内に入り込んだ。

 私の役割は、デスタンが場内の敵の相手をしている間に、リゴールの体の拘束を解き、彼を処刑場から連れ出すこと。そして、別れる直前デスタンから受け取った本をリゴールに渡すこと。

 正直言うなら、ここまで来ても私は怖かった。敵前に姿を晒すわけだから。

 でも、もう逃げることはできない。
 前へ進む道しかないのだ、私には。

 デスタンが先に、処刑場内へ突っ込んでゆく。

 それから私も駆けた。
 目指すは、処刑場の中央に座らされているリゴール。

「リゴール!」

 名を呼ぶと、手足を拘束された状態で座っていたリゴールが顔を上げる。彼の青い瞳が、間違いなくこちらを向いた。

「……エアリ」
「今行くから!」

 だが、あっさり通させてはもらえない。

 というのも、リゴールの傍に待機していた兵二人が、立ち塞がったのである。

 尖った帽子を被り、軽装ながら鎧を身につけ、槍を持っている。そんな男性二人が、その槍の先をこちらへ向けてくる。

「させんぞ! 賊め!」

 以前の私なら相手にならなかっただろう。
 でも今は違う。
 私はリョウカの指導を受けてきた。少しは戦えるようになっているはず。冷静でありさえすれば、二人くらい何とかなる。

「オラァ!」

 片方の兵は槍を大きく振った。私はその場で咄嗟に屈み、槍の先を避ける。そして、全力で剣を振り抜く。

「グァバ!」

 剣の先が、兵の太もも辺りを薙いだ。
 兵の動きが鈍る。

 そこが狙い目!

 もう一撃、今度は腹部を斬りつける。

 赤い飛沫を浴びてしまったが気にせず、すぐに、もう一人の兵へと意識を向ける。

「よくも! 許さん!」

 まだ斬っていない方の兵は、鬼のような形相をしながら襲いかかってくる。相方をやられたことで本気になったのだろう。

 でも、負けられない。
 傷つけるのは申し訳ないが、それでも倒す。

「ごめんなさい!」

 柄をしっかり握り、兵に向かって勢いよく剣を振る。

「ルァイム!!」

 槍の先が私に届くより速く、剣が兵を切り裂いた。兵はそのまま、地面に崩れ落ちる。

 これで二人とも片付いた。
 やっとリゴールのところへ行ける。

「リゴール、大丈夫?」

 地面に座り込んだまま愕然としているリゴールに声をかける。

「……エアリ」
「怪我はない?」
「は、はい。しかし、これは一体……」

 意外なことに、リゴールの両手両足を拘束しているのは縄だった。
 これなら剣で何とかできる。

「デスタンさんが助けに来てくれたの。それに、ウェスタさんも協力してくれているのよ」

 リゴールの両手両足を拘束している縄を、剣の先で速やかに断つ。そして、四肢が自由になったにもかかわらずぼんやりしているリゴールに、言葉をかける。

「もう動けるわよ」

 すると彼は、戸惑ったような表情で、自由になった自身の両手を見ていた。

「そうだ。はい、これ」

 私は彼に本を差し出す。

「ありがとうございます……!」
「このまま脱出するわよ」
「……は、はい。そうですね。まずはここから離れなくてはですね」

 リゴールは片手に本を持った状態で立ち上がる。

 ——刹那。

「ふっ!」

 背後からの声に、振り返る。

 そして、私は愕然とした。

 デスタンが斬り伏せられていたのである。

 その光景を目にしたのは、私だけではなかった。リゴールも、ほぼ同時にそれを見ていた。信じられない、というような顔をしながら。

「デスタンさん!?」

 どうしよう。どうすれば良いのだろう。

 このまま逃げればリゴールを助けることはできるが、デスタンを放置してゆくことになる。デスタンを助けに行けば、全員で脱出することはできるかもしれないが、逆に全員殺られる可能性も高まる。

 何をどうすればいいの——悩んでいると、リゴールがデスタンに向かって駆け出した。

「待ってリゴール!」
「待てません!」

 駆け出したリゴールは、魔法を発動し、迫り来る兵を蹴散らしていった。

 さらに、彼はそのまま、デスタンを斬り伏せた張本人へ向かってゆく。凄まじい気迫で。

 デスタンを斬り伏せた張本人、唯一剣を持つ兵は、視線を、倒れて動かないデスタンから迫り来るリゴールへと移す。

 リゴールと剣使いの兵。
 一対一だ。

「覚悟!」
「本性を晒したな、白の王子!」

 リゴールは黄金の光の弾丸を剣使いの兵に向けて連写。兵はそれを、剣で確実に防いでいく。並の兵とは思えぬような剣技だ。

 ——だが。

 必死の形相のリゴールは、力押しで兵を仕留めた。

「レモッ……ン」

 光の柱を胸元に受け、剣使いの兵は後ろ向けに倒れ込む。

Re: あなたの剣になりたい ( No.89 )
日時: 2019/09/07 14:42
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 16oPA8.M)

episode.86 奪還作戦の行方

 剣使いの兵を倒したリゴールは、地面に横たわっているデスタンへ駆け寄る。

「デスタン! 起きて下さい! デスタンッ!」

 倒れているデスタンの周囲には、赤い飛沫が散っている。しかしリゴールはそんなことは気にせず、デスタンの体を左右に揺さぶる。

 それでも、デスタンの体は動かない。
 リゴールの青い瞳には、涙の粒が浮かんでいた。

「デスタン! 返事をして下さい!」

 早くここから離れなければ。もたもたしていては捕まってしまう。捕まったりなんかすれば、ここまでの頑張りが水の泡だ。

 ——でも。

 だからといってデスタンを見捨てるわけにもいかないし、そんな選択はリゴールが許さないだろう。

 私はひとまず、リゴールとデスタンの方へ駆け寄る。
 すると、リゴールが今にも泣き出しそうな目でこちらを見てきた。

「エ、エアリ……ど、どうし……」
「反応がないの?」
「は、はい……」

 リゴールは震えていた。
 指先も肩も、瞳も、声も。

 きっと、とても不安なのだろう。

 デスタンはあくまでリゴールの護衛。けれど、すべてを失ったリゴールにとっては、家族のような存在でもあっただろう。そのデスタンが倒れてしまったのだ、落ち着いていられないのも分からないではない。

「リゴール。彼を持ち上げられる?」
「え……」
「できる?」

 二度目に問った時、リゴールは手の甲で目元を拭って頷いた。

「……はい」

 彼の目元はいまだに潤んでいるし、頬にも涙の粒が通った跡が残っている。だが、それでも彼の心は、完全に折れきってはいないようで。青い双眸には、悲しみと懸命に戦おうとしているような色が浮かんでいた。

「私も手伝うわ。なるべく静かに、持ち上げて」

 剣をペンダントに戻し、自分の首にかける。

「はい」

 私は頭部側を、リゴールは足の方を、それぞれ持つ。
 そうして、脱力したデスタンの体を協力しながら持ち上げる。

 デスタンは成人男性だ、そこそこ重いだろうな——そう覚悟してはいたのだが、彼の体は、私が想像していたよりずっと重かった。

 リゴールと協力して、やっと、何とか宙に浮かせることができる。
 そのくらい、重い。

 脱力している人間の重さは、その人の普段の重さより、ずっと重い。それはいつかバッサから習った。けれど、まさかここまで重いとは。

「持ち上がりましたが……これで、どう、するのです……?」
「脱出するのよ」
「だ、だっしゅ……!?」

 眉を寄せ、目を丸くし、口を大きく開いて。
 まさに驚いている人! というような顔をするリゴール。

「急ぐわよ」
「え、えっ……しかし……」
「いいから」

 そう言って、歩き出す。
 リゴールは顔面に戸惑いの色を浮かべたまま、それについてきてくれた。


 あと十歩ほどで処刑場を出られる、という時。
 正面から一人の兵が駆けてきた。

 上の尖った帽子を被った、軽装の男性兵士。手には槍。

「賊め! 逃がさん!」

 勇ましく叫ぶ彼の目が捉えているのは、私。
 どうやら、私を倒したくて仕方がないようだ。

「き、来ますよ! エアリ!」

 後ろでリゴールが発する。私は「分かってるわ!」と返し、持っていたデスタンの肩を地面へそっと置く。そしてすぐにペンダントを手に取り、剣へと変化させる。

「覚悟しろ! 女!」

 それはこっちのセリフよ。

 心の中で、言ってやる。

 彼は仲間の兵を斬られて私を憎んでいるのかもしれないが、こちらとてデスタンを斬られているのだ。

 どちらが悪いなんて言えない。
 こればかりは、お相子。

 兵は接近しきるより早く槍を振る。柄の長さを活かした攻撃だ。
 こちらも負けじと剣を振り、槍の先を弾き返す。

 もうじき、兵本体が攻撃可能範囲に入る。そうなれば、もうこちらのもの。

「おおお!」

 興奮状態の兵は、こちらから攻撃できる範囲に入ることも厭わず、考えなしに突っ込んでくる。

 ——迷うな。

 自身に言い聞かせ、私は剣を振った。

 紅は散る。その飛沫は、この身さえも濡らす。剣の先は痛々しいほどに染まるけれど、今だけは、何も感じない。

 兵はその場にずしゃりと倒れ込んだ。

「……お見、事……」

 背後から聞こえた掠れた声に驚き、振り返る。
 すると、仰向けに横たわっているデスタンの瞼が、ほんの少しだけ開いていた。

「デスタンさん!」
「……今の、は……なかなかです……」
「気がついたの!」

 私は彼に駆け寄る。
 そして、リゴールの方へ視線を向けた。

 リゴールの瞳は今にも涙が溢れ出そうなほどに湿っている。が、彼の表情は、直前までより明るいものに変わっていた。希望の感じられる顔つきだ。

 それから私は、再び、デスタンの方へ視線を戻す。

「動ける?」

 そう問うと、彼は考えるように黙った。
 それから五秒ほどが経ち、目を細めて「いえ」と答える。

「動けないの?」
「……はい」

 デスタンは気まずそうな顔をする。それを見て、私も気まずいような気分になってしまう。そして訪れる、ほんの数秒の沈黙。

 やがてそれを、リゴールが破った。

「引き上げましょう……エアリ……」

 そうだ。
 のんびりしている時間はない。

「えぇ。じゃあデスタンさん、少し運——」

 言いかけた、刹那。

「その必要はない」

 そんな風に述べる女性の声を聞き、顔を上げる。
 声の主はウェスタだった。
 いつの間に処刑場内へ戻ってきたのか。まったく気づかなかった。

「ウェスタさん」
「……ここから直接、あちらへ飛べばいい」

 彼女は静かにそう言って、仰向きに横たわっているデスタンのすぐ傍へ行く。そして、しゃがみ込む。そうして、指を揃えた手をデスタンの体に当ててから、私とリゴールへ「準備して」と指示を出した。

 私は彼女の片腕をそっと掴み、怪訝な顔をしているリゴールにも、同じことをするよう促す。と、彼は素直にそれに従った。

「脱出する」

 ウェスタは呟く。

 こうして、私たちは処刑場から去った。

Re: あなたの剣になりたい ( No.90 )
日時: 2019/09/08 13:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: hjs3.iQ/)

episode.87 護れるのは、貴女だけ

 母の手のように優しい風が、木々を揺らし、頬を撫でる。
 気づけば私たちは、地上界へ戻ってきていた。

「……到着」

 呟くのは、ウェスタ。

 傍には、面に戸惑いの色を浮かべたリゴールと、仰向けに横たわっているデスタンの姿があった。
 全員帰ってくることができたようだ。

「ウェスタさん、ここは?」
「……貴女の屋敷の近く」
「もうそんなところまで!?」
「そう」

 デスタンの体を抱き上げるウェスタ。

「兄さんを……貴女の屋敷へ連れていく」
「そうね!」


 こうして、私たちは四人は、屋敷へ戻った。

 屋敷に戻るや否や、私たちのことを心配してくれていたエトーリアが飛び出してきて。さらにその後、バッサやリョウカとも再会した。

 デスタンはエトーリアが呼んでくれた医者による治療。リゴールもついでに確認。そして私は、赤く染まった服を着替えた後、リョウカと二人、別室で待機。

「もー、エアリったら! 心配したよ!」
「ごめんなさい、リョウカ」

 椅子に腰掛け、バッサが淹れてくれたカモミールティーを飲みながら、リョウカと話す。ようやく戻ってきた、穏やかな日常。素晴らしい。

「入ってきた賊たちは、まとめて地区警備兵に差し出してきておいたからねっ」

 リョウカの溌剌とした笑みに癒やされる。

「そうだったの。ありがとう」
「うんっ」
「あ、そういえば。リョウカに教わった剣術、少し役に立ったわ」

 そう言って、ふと思い出す。

 紅の飛沫が散る光景を。

 鮮明に。生々しく。
 あの瞬間の光景は、今でも脳にこびりついている。

「……っ」

 思い出したくない記憶を思い出し、吐き気が込み上げる。

「エアリ?」

 胃が熱くなる。気を抜いたら口から何かを出してしまいそうな、そんな感覚。弱いところを見せたくはないが、こればかりはどうしようもない。

「エアリ!?」

 リョウカが不安げに叫ぶ。
 でも、答えられない。

「急にどうしたの? 大丈夫?」

 何か返したいのに、うんともすんとも言えなくて。

「エアリ! エアリ!?」

 駄目だ。動けない。返事もできない。
 今私は、込み上げる嫌な感覚に支配されていた。


 ——気がついた時、私は、自室のベッドに横たえられていた。

「気がついたのね、エアリ」
「大丈夫っ!?」

 ベッドの脇にはエトーリアとリョウカ。

「……母さん、リョウカ……」

 重い瞼を持ち上げながら言う。
 胃から何かが込み上げるような嫌な感覚は、既に消えていた。ただ、なんとなく体が重い。

「何があったの? エアリ」
「……分からないわ」

 不安げな表情のエトーリアが放った問いに、はっきりとは答えられなかった。

「思い出したくない光景を思い出して……それで……」
「そう。そういうことなら仕方ないわね。思い出したくないことは、誰にだってあるものだものね」

 エトーリアはすっと立ち上がる。

「じゃ、そろそろ失礼するわ」
「母さん……」
「用があればいつでも呼んでちょうだい、エアリ」
「……えぇ」

 エトーリアはあっという間に部屋を出ていってしまう。

 待って、なんて声をかける時間はなくて。本当はもう少し傍にいてほしいと思ったりしたけれど、言えなかった。

 室内に一人残ってくれているリョウカに対し、謝罪する。

「迷惑かけたんじゃない? ごめんなさい」

 しかしリョウカは、首を左右に動かす。

「ううん。気にしないで。困った時はお互い様だよ」

 彼女の言葉に、私は救われた。

「ありがとう、リョウカ」
「ううん」
「それでも、ありがとうって言わせて」

 するとリョウカは少し驚いたような顔をして。

「う、うん。そこまで言うなら……ありがとうって言っていいよ」

 彼女は少し戸惑っているようだ。もしかしたら、私の言い方は不自然だったかもしれない。


 その日の夜。
 私はデスタンの部屋を訪ね、そこで初めて彼の容態を耳にした。

「そんな……元通りにはならない……?」
「はい」
「そんなことって……」

 医者から「日常生活はともかく、運動できるところまで回復するかどうかは分からない」と告げられたという事実を明かしたのは、外の誰でもない、彼自身であった。

 残酷な現実と対峙しているというのに、デスタンは、不自然なくらい落ち着いている。明確な原因は分からず、希望なき未来を告げられたのだから、少しくらい取り乱しても良さそうなものなのだが。

「こうして話すことができているだけ、幸運です」
「……でも」
「暗い顔をしないで下さい。同情は必要ありません」

 デスタンはうつ伏せでベッドに寝ながら、静かな調子で発する。

「貴方は……平気なの?」
「当然の報いと言えるでしょう」
「……どうしてそんなに冷静でいられるのよ」

 なぜ淡々としていられるのか分からない。私には、彼が理解できない。

「それは……いずれこうなると分かっていたからです」
「動けなくなると、予感していたというの?」

 デスタンの黄色い瞳に宿る凛々しい光は消えていない。ただ攻撃性は低い。日頃より、ほんの少し大人しい雰囲気だ。

「……いえ。そこまで分かっていたわけではありません。ただ、いずれ何かしらの形で報いを受けるだろうということは、分かっていました。……想定の範囲内です」


 室内には、私とデスタンだけ。
 言葉にならない静けさだ。

「そう……だったのね」

 私が返せる言葉は、そのくらいしかない。聡明な人間であれば、もっと気の利いた言葉を見つけられるのかもしれないが、今の私には無理だ。

「これからは、王子を頼みます」
「え……わ、私?」
「はい。今の貴女なら、王子を護ることができるはずです」

 いきなりそんなことを言われても、困ってしまう。

「……まだ無理よ、そんなの」
「できます」
「……けど!」
「王子を護れるのは、貴女だけですから」

 そんな風に言われたら、断れない。
 私がやらなければ! と思ってしまいそうになる。

「今日は妙に私を信頼してくれているのね、不気味だわ」
「不気味? 失礼な。私はただ、いつでも自分に正直なだけです」

Re: あなたの剣になりたい ( No.91 )
日時: 2019/09/09 14:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: u5fsDmis)

episode.88 最良ではなくても

 翌日の朝、まだ世界が目覚めるより早い時間帯に、リゴールが部屋を訪ねてきた。

 彼は泣いていた。
 リゴールが涙ながらに言うには、昨夜、デスタンの体の状態について本人から聞いたらしい。

「申し訳ありません、その……こんな朝早くから」

 リゴールが着ているのは、いつもの詰め襟の服ではない。今の彼は、白いブラウスに紺の布ズボンという、シンプルな格好をしている。

 ちなみに、それらは屋敷の隅に置かれていたのをバッサが発掘してきたもの。
 薄黄色の詰め襟はというと、今は、洗ってもらうべくバッサら使用人に渡している。

「……聞いたのね。デスタンさんから……その話」
「はい。それであまり眠れず、寂しくなり、最終的にエアリに会いたくなりました」

 リゴールの顔はリンゴのように真っ赤。目の周囲や頬なども含め、顔面が全体的に腫れてしまっている。

「部屋に入る?」

 取り敢えず落ち着ける方が良いだろう、と思い、尋ねてみる。
 だが、リゴールは頷かない。

「……また迷惑をかけてしまってはいけないので」
「そうよね、ごめんなさい。あんなことがあった後だし、二人だと不安よね」

 するとリゴールは慌てて首を左右に振る。

「ち、違います……! エアリを責めているわけでは、なくてっ……!」

 気を遣わせてしまったようだ。
 そんなつもりはなかったのだが。

「待って待って。責められたなんて思っていないわ。一人だと不安なのでしょう?」
「……は、はい」
「じゃあどうする? デスタンさんのところにでも行く?」

 刹那、リゴールは「それはできません!」と叫んだ。彼らしからぬ鋭い言い方に、私は驚き戸惑う。当のリゴールはというと、困惑している私の様子を見てから鋭い物言いをしたことを悔いたようで、気まずそうに身を縮める。

「その……デスタンには、もう会えません」
「なぜ?」
「わたくし、飛び出してきてしまったのです」

 それを聞き、やれやれ、と言いたくなってしまった。

 彼らは親しく、お互いを大切に思っているにもかかわらず、妙に不器用ですぐに弾き合う。前にトランの術のせいでリゴールが負傷した時もそうだった。あの時も、彼らは気まずくなっていた。向き合って話せばすぐに分かりあえるにもかかわらず、だ。

「貴方たちって、なんだか、女の子同士みたいね」

 私はうっかり本心を発してしまった。それを聞いたリゴールは、きょとんとした顔をして、こちらをじっと見る。

「お互い変に気を遣ってるところとか、何となく、男同士ってイメージじゃないわ」
「そ、そうですか」
「あ。べつに、悪い意味で言っているわけじゃないわよ」
「は、はい。もちろん……それは承知しております」

 リゴールは口角を上げ、笑みを作る。しかし自然な笑顔を作ることはできておらず。固く歪な笑顔になってしまっている。

「まぁでも、緊急でもないのに夜中にお邪魔するのは問題かもしれないわね」

 この時間であれば、デスタンもまだ起きてはいないだろう。
 もし睡眠中だとしたら、それを起こしてしまうのは申し訳ない。

「……はい」
「リゴールの部屋へ移動する?」
「あ……か、構いませんか」
「えぇ! じゃあ、そうしましょっか」

 ひとまず彼の部屋へ向かうことに決めた。


 リゴールの自室へ入れてもらった私は、ぱっと目についた一人掛けのソファに腰掛ける。

 外は、朝を迎えるべく、徐々に明るくなってきている。その光が窓から差し込んでくるため、視界は悪くない。それに、テーブルの上にはランプがあった。だからさらに、暗くはなくて。

 ただ、空気は暗く重苦しい。

「共に来て下さって、ありがとうございます」
「いいえ。気にしないで」

 ベッドにポンと飛び乗るリゴール。
 私たちの場所は離れている。

「リゴールも疲れているのよね、分かるわ。だって、貴方は……処刑されかかっていたのだものね」

 押し潰されてしまいそうな沈黙に耐えられず、私は、そんな話を振ってみる。

 本当なら、もっと明るくなれるような話題を振るべきだったのかもしれないが、それは今の私にはできなかった。それに、悲しんでいるリゴールに明るすぎる話を振るというのも、ある意味嫌みのようになってしまうかもしれないと思って。

 だから、結局こんな、ぱっとしない話題を提供することになってしまった。

「そうでした。きちんとお礼も言えておらず、すみません。助けて下さって……ありがとうございました」

 ようやく落ち着いてきたらしく、リゴールの声は段々安定してきた。
 気のせいという可能性もゼロではないのだけれど、でも、きっとただの気のせいではないと思う。

「確か、エアリも連れていかれたのでしたよね。……傷つけられたりはありませんでしたか?」
「えぇ。王妃と話をしたりはしたけれど」

 そう言うと、リゴールは驚きを露わにする。

「王妃!?」
「そうよ。ま、たいしたことは話せなかったけど」

 彼女と話せたのは、本当に、少しの時間だけだった。

「ただ、トランが言うには、王妃は元々直属軍の一人だったらしいわ」
「そうなのですか……ではもしかしたら、わたくしは、以前会ったことがあるかもしれませんね」

 もしあのまま私があそこに滞在していれば、より多く会うことができたのかもしれない。そうしたら、もっと、重要な情報を聞き出すことができたのかもしれないと、そう思いはする。

 けれど、私はそれを望まなかったし、今も望んではいない。

 あのままだったら、リゴールは処刑されていただろう。彼が殺されてしまえば、ブラックスターの情報を手に入れたところで、何の意味もない。

 結局のところ、一番大事なのは命。

 リゴールは処刑されなかったし、私も牢から脱出できた。デスタンも生き延びてはいるわけだし、協力してくれたウェスタはあの後すぐに行方をくらませたが、きっとどこかで暮らしているだろう。

 最良の結末ではなかったかもしれない。

 でも、最悪の結末は回避できた。

 それだけでも、喜ぶべきなのではないだろうか。

 私たちはただ逃げてきただけ。だから、きっとまた狙われはするだろう。このくらいで見逃してくれるブラックスターではあるまい。

 でも。それでも。

 今はただ、こうして生きていられることに感謝していたい。

「そうなの?」

 途端に、リゴールの表情が曇る。
 話題の進め方を間違えたかもしれない。

「はい。陥落直前の頃、直属軍の者と何度か遭遇しましたから」
「そうだったの……」
「王妃、ということは、女性ですよね。彼女は……深紅のような色の髪ではありませんでしたか?」

 リゴールの口から出た言葉に、私は少しゾッとしてしまった。
 その通りだったからだ。

「え、えぇ……そうよ……」
「ということは、やはり、会ったことのある者です」

 髪色くらい、適当に言っても当たる。
 そう言われてしまえば、それまでかもしれない。

 世には奇跡なんて溢れているのだから、ここでそれが起きたとしてもおかしくはない。
 そう言う人がいるかもしれない。

 でも、偶然だとしても一発で当たったのだから、驚くべきことだろう。

 少なくとも、私は、驚かずにはいられなかったのだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.92 )
日時: 2019/09/09 14:32
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: u5fsDmis)

episode.89 夢と記憶と

「あの女は、危険な女です。不気味な笑みを浮かべながら、鎌を振り回す。あれはもはや、思い出したくない光景です」

 リゴールはベッドから立ち上がりながら、そんなことを述べる。

 彼が発するその言葉に、私は動揺せずにはいられなかった。彼が述べる言葉の端々に、私がみた夢と共通する部分があったからである。

 しかし、私が密かに動揺していることを、リゴールは気づいていないようで。彼はソファの前まで歩いてきて、私の手をそっと握った。

「……何もなくて、良かったです」

 絞り出すような声だった。

「エアリだけでも無事で、良かった」
「ありがとう」

 彼の青い瞳は、私をじっと捉えている。
 私もその瞳を見つめ返す。

 ここには私たちしかいない。二人だけの空間は静かで、でもどこか温かい。

「ねぇ、リゴール」

 今なら何でも聞けそうな気がしたから、私はそっと尋ねてみることにした。

「何でしょう?」
「あのね、私、夢をみたの。しばらく前のことなんだけど……」

 いきなりこんな話を始めても理解してもらえないかもしれない。
 でも、それでも、誰かに言いたかった。

「貴方ともう一人男の人が話していて、そこにあの王妃が現れる、そんな夢」

 リゴールは黙って、こちらへ真剣な眼差しを向けてくれている。

「今貴方の話を聞いていて、妙に共通点を感じてしまって。もしかしてあの夢は、貴方の記憶なんじゃないかって……」

 言いたいことは明確にある。けれど、それを言葉に落とし込むのは難しく。何とか上手く言おうと努力してみてはいるが、なかなか思い通りにはならない。思いを言葉に変えようとする時には、これでは伝わらないのではないか、おかしいと思われるのではないか、というような不安が常に付きまとい。結局、まとまらない文章しか、口から出せなくなってしまう。

「……ごめんなさい、おかしなことを」
「いえ。実際にそうである可能性はありますよ」
「えっ」

 思わず、怪訝な顔をしてしまった。

「多少であれホワイトスターの血を引く者であるならば、そういうことがあってもおかしくはありません」

 リゴールはほんの少し頬を緩める。

「もしかしたら……それが貴女の力なのかもしれないですね」


 その日以降、私はまたリョウカとの剣の訓練に戻った。

 デスタンが戦えない状況だからこそ、私が強くならねばならない。今でも最初に比べればましだが、それで満足しているようでは意識が低すぎる。

「せいっ!」
「……っ!」
「とりゃ! はぁっ!」
「ちょっ……ま……」
「待って、なんてないよ!」
「えぇ!?」

 だが、やる気さえあれば強くなれるというわけでもないようで。

「ま……また負けた……」
「えっへん!」

 私はリョウカには勝てない。
 木製の剣での模擬試合、今日だけで既に十戦十敗だ。

「ま、あたしが負けるわけないね!」

 十試合も続けているというのに、リョウカは呼吸さえ乱れていない。彼女の体力は無尽蔵なのか。

「さすがに強いわね……」
「まぁね!」

 私は立ってさえいられず、その場に座り込んでしまう。

「けど、エアリもいい感じじゃない? 短期間でここまで戦えるようになったのは凄いよっ」

 座り込んでいるにもかかわらず息が整わない私のすぐ横へしゃがみ、リョウカはそんな言葉をかけてくれた。

「そう……?」
「この年でこの成長スピードは凄いよ!」

 リョウカがかけてくれる言葉は、とても嬉しい言葉だ。

 けれど、それに甘えていてはならない。

 見据えるのはもっと上。
 そうでなくては、私は強くなれない。

「何が凄いってさ、デスタンに『凄い』って言わせたことが凄い!」
「……デスタンさんが?」
「うん。前に一回話した時ね、処刑場でのエアリの動きは凄かったって、そう言ってたよ」

 処刑場、なんていうのは、リョウカに言って良いところなのだろうか……。

「あと、もっと強くしてやってほしいって、なんか大金渡された!」
「大金?」
「自分の稼ぎだから遠慮なく受け取れーってさ。ま、遠慮なく返したけどね!」

 返したのか。
 受け取らなかったのね。

「……期待してくれているのね、デスタンさんは」
「みたいだねっ」
「なら一層……頑張らなくちゃ」

 こんなことになるなんて、考えてもみなかった。けれど、これが定めだったのかもしれないと、今は思う。

 リゴールと出会った時から。
 彼の手を取った時から。

 私はこの道に進むと決まっていたのかもしれない。

 だとしたら、私がすべきことは一つ。
 リゴールを護れるように、日々鍛練を怠らないことだ。

「エアリがその気なら、あたし、もっと協力するよ!」
「ありがとう、リョウカ」
「任せて任せてっ!」


 こうして私がリョウカと剣の練習をしていた間、リゴールはバッサから家事の指導を受けていたそうだ。

 ある日ばったり出会ったバッサから聞いた話によれば、彼は、家事の才能があるらしい。掃除やゴミまとめ、お茶淹れなど、様々な家事を教えたバッサが言うには「向いている」とか。

 こう言っては失礼になるかもしれないが——家事が向いている王子なんて少し意外だ。

 だが、リゴールは素直である。人の言うことを素直に聞ける心の持ち主ゆえ、習得するのも早いのかもしれない。

 リゴールが頑張っているのだから、私も頑張らなくちゃ。
 バッサから話を聞き、私はそう思った。


 そうして時が過ぎてゆく中、ふと思うことがあった。

 デスタンはどうすべきなのだろう、と。

 彼の世話は使用人が付きっきりで行おこなっているようだ。だが、それだけで良いのだろうかと、時折疑問に思ってしまうことがある。彼にも、もっと何か、楽しいことがある方が良いのではないか。そんなことを考えてしまって。

 だが、善意からであっても、余計なことをしてしまったら申し訳ない。

 だから私は、本人に直接尋ねてみることに決めた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.93 )
日時: 2019/09/10 16:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oKgfAMd9)

episode.90 所詮、それは善意の押し付け

 のんびりした空気が流れる昼下がり。私は数日ぶりにデスタンの部屋へ行った。

「お邪魔しまーす」

 室内には、バッサではない使用人の女性。凄く不機嫌そうな顔をしながら、部屋の隅に控えている。
 怖くて話しかけられなかった。

 だから私は、彼女を飛ばして、デスタン本人に話しかける。

「デスタンさん、調子はどう?」
「元気ですが。何をしに来たのですか」

 うつ伏せでベッドに寝かされているデスタンは、冷たい声で返してくる。
 使用人の女性はかなり不機嫌そうだったが、デスタンも機嫌良くはないようだ。彼もまた、ぴりぴりした空気を漂わせている。

「退屈じゃない?」
「もちろん退屈ですよ」

 デスタンは顔をしかめながら言った。

「何か欲しい物とかある?」
「ありません」
「そうなの?」
「貰ったところで、使えませんから」

 返ってきた言葉を聞き、私は何も言えなくなってしまった。

 彼がおかれている状況を、いかに、よく考えていなかったか。気遣いが足りていなかった、と、軽率な発言をしてしまったことを後悔した。

 真に彼のことを思っているのなら、彼の状態を考慮して物を言うべきだったのだ。

「……そう、よね。ごめんなさい。配慮が足りなかったわ」
「いえ」

 痛いほどの沈黙が訪れる。

 彼は黙ってしまった。私には自ら話し出す勇気がなかった。
 結局、沈黙から逃れる術はない。

「それで。用は終わりですか」

 沈黙を破ったのは、デスタン。
 まだ何も話せていないから、私は思いきって話を振ってみる。

「……リゴールとは? 最近会っていないの?」

 デスタンはすぐには答えなかった。
 が、十秒ほどの沈黙の後、口を開く。

「はい。あの日以来会っていません」
「……会いたくは、ないの?」
「いえ、私は会いたいです。しかし王子はそれを望んでいません」

 淡々と述べるデスタンは無表情。死んだような顔つきだ。

「無理強いをさせようとは思いません」
「……それでいいの?」
「貴女には関係のないこと。放っておいて下さい」

 近寄りがたい空気を漂わせるデスタンに、私は歩み寄る。そして、ベッドの脇に座った。嫌みの一つでも言われるかと思ったが、デスタンは何も言わなかった。

「放ってなんておけないわ。だってこんなの、貴方があまりに可哀想だもの」

 そう発すると、デスタンは獣のように鋭く睨んでくる。

「同情は要らぬと言ったはずです」

 彼の口から出るのは、突き放すような冷ややかな文章。

「可哀想なんて言い方が悪かったのね。ごめんなさい、それは謝るわ。……でも私、貴方をこのまま放っておくことはできない」

 デスタンは、昔からの知り合いというわけではないけれど、昨日知り合ったばかりというわけでもない。しばらく共に暮らした人を、放置することなんてできない。たとえ本人がそれを望んだとしても、私の心はそれを選べないのだ。

「待っていて。今リゴールを呼んでくるわ。それから、ゆっくり話しましょう」
「余計なお世話です」
「そんなことを言わないで。リゴールだって貴方を嫌っているわけじゃないし、きちんと話せば、きっと……」

 言いかけて、口を閉ざす。
 驚くほど冷たい視線を向けられていることに気づいたから。

「……ごめんなさい。迷惑よね、こんなこと」

 悪気はなかった。

 でも、私が頑張ろうとしていたのは、間違った方向性で。
 それは結局、デスタンが求めていないものだったのだ。

 彼自身が求めていないことをするのは、善意の押し付けに過ぎない。そんな行為に意味なんてないのだ。そんなものは私の自己満足で、彼からすれば、迷惑以外の何物でもないだろう。

「今日のところは帰るわ。でもねデスタンさん。もし何か、欲しい物とかしてほしいことがあったら……遠慮せずに言って」

 気まずさに耐えきれず、私は部屋から出てしまった。


 そうしてデスタンの部屋から出ると——目の前にリゴールの姿があった。

 茶色い液体が注がれた透明なグラス、それが二つ乗った木製の盆を、慣れない手つきで持っている。

「あ。リゴール」
「デスタンの部屋へ行かれていたのですか? エアリ」
「えぇ、少し話をしていたの」

 するとリゴールは「ちょうど良かったです」などと言い出す。何かと思っていたら、数秒空けて彼は言ってくる。

「デスタンの顔を見に行こうと……わたくしもそう思っていたところで」
「そうだったの!」

 嬉しかった。
 よく分からないが、とても。

「なので、お茶を持ってきてみたのです」
「いいわね」
「しかし、その……あのようなままで終わっているので、少し、入る勇気がなくて……」

 そう言って、リゴールは苦笑する。

「デスタンさん、待っているわ」
「え?」
「会いたいって言っていたから」

 直後、リゴールの顔つきがパアッと明るくなる。
 顔全体が緩み、瞳は輝いている。

「本当ですか!」
「えぇ、嘘はつかないわ」
「で、では、頑張ってみます! ありがとうございます!」

 リゴールは、顔面に喜びの色を滲ませながら、数回軽く頭を下げる。それからデスタンの部屋の扉についたノブへ、手を掛ける。そうして、リゴールはゆっくり、部屋の中へと入っていった。

 上手くいくと良いわね。

 私は心の中でそんな風に呟く。


 自室へ戻るべく廊下を歩いていると、エトーリアに遭遇する。

「母さん!」
「あら、エアリ」

 エトーリアは今日も若々しい。私のような大きな娘がいる年齢だとはとても思えないような容姿だ。

「母さん、今日は仕事じゃないの?」
「違うわよ」

 私の問いに、エトーリアは柔らかな笑顔で答えた。

「お出掛けでもする?」
「……うーん」

 すぐには答えられない。
 鍛練もしなくてはならないからだ。

「何か問題が?」
「剣の練習しなくちゃならないのよ」
「そういうこと。でも、息抜きは必要ではないかしら」

 エトーリアは私の手をそっと掴む。

「買い物でも行きましょ、エアリ」

 どうやら、エトーリアは出掛けたくて仕方がないようだ。
 そういうことなら、断る理由はない。私とて、外出したくないわけではないし。

Re: あなたの剣になりたい ( No.94 )
日時: 2019/09/13 19:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6..SoyUU)

episode.91 ミンカフェ

 私はエトーリアと二人、街へ出掛けることにした。

 母娘での外出。
 何だか新鮮な気分だ。

 頬を撫でる風も、晴れ渡った青空も、今はなぜか新しいもののように感じられる。

 思えば、エトーリアと二人で出掛けた記憶はあまりない。それだけに、最初は緊張していた。が、徐々に慣れてきて。時間が経つにつれ、ドキドキはワクワクへと変化していった。

 ただ、少し疑問に思う部分はある。
 それは、なぜ歩きなのだろう、ということだ。

「ねぇ母さん」
「何?」

 エトーリアは横顔さえも整っている。
 実際には母娘だというのに、並んで歩いていたら姉妹だと思われてしまいそう。

「どうして今日は歩きなの?」
「それはね。ただ、一緒に歩きたかったからよ」
「えっ……」

 想定外の理由に、思わず低い声を漏らしてしまった。

「それだけの理由で?」
「えぇ、そうよ」
「馬車で良かったのに……」
「それもそうね。けど、自然を感じながら歩むというのも、たまには良いと思うわよ」

 否定はしないけれども、敢えてしんどいことをする意味が理解できない。

「……それに」
「それに?」
「歩くのも鍛練になるんじゃない!」

 エトーリアが発した言葉を聞いた時、私はハッとさせられた。ただ歩くこと、それすらも体力を強化するために役立つのだと、彼女の発言によって気がついたからだ。

「た、確かに……」
「だから歩くのよ」
「それはそうね! 頑張るわ!」

 私は気を引き締め、前を向いて歩く。
 これも体力強化のための一つの訓練なのだと、そう理解して。


 クレアに到着した時、私は既に疲れ果てていた。肌は汗でびっしょり濡れているし、膝が微妙に軋む。しかも息は乱れてしまっていて、もはや、普通に歩くことさえままならない。

 そんな私へ、平然としているエトーリアが声をかけてくる。

「大丈夫? エアリ」

 エトーリアも私と同じだけ歩いたはずなのに、彼女はちっとも疲れていない。

「……母さん、どうして……平気なの……」

 呼吸が乱れているせいで、上手く話せない。

「エアリこそ、このくらいで呼吸を乱しているようじゃ戦えないんじゃない?」
「確かに……けど、歩き続けるなんて……」
「技も大切、でも、基礎体力も大切でしょ?」

 母親だからだろうか、エトーリアは妙に厳しい。

「そ、そうね……」
「じゃあひとまず、どこかお店に入りましょうか」
「それがいいわ……疲れた……」


 その後、私は、エトーリアが好きだというカフェに入った。

 そこは、外観からしていかにもおしゃれそうな、民家風カフェだった。外壁は一面赤いレンガ。入り口の脇には花の植わった植木鉢。そして、扉に掛かったベージュのプレートには、おしゃれな字体で『ミンカフェ』と刻み込まれている。

 それから中へ入り分かったのは、おしゃれなのは外観だけではなかったのだということ。

 石畳風の床と壁に、植物風のデザインが施されたテーブルと椅子。奇抜過ぎず、しかし特別感はある内装が、温かくも非日常的な空気を醸し出している。

 私とエトーリアは、隅の二人席に座った。そして、エトーリアがいつも頼むというアイスティーを、二つ注文した。

「何だかおしゃれな雰囲気の店ね、母さん」

 向かいの席に座るエトーリアは美しい。目鼻立ちはもちろんのこと、絹のような金の髪が神々しくて、直視できない。

「でしょ。こっちへ来て最初にお世話になったお店なの」
「勤めていた、ということ?」
「えぇ、そうよ。……と言っても、本当に短い期間だけだったけれどね」

 エトーリアがカフェで働いているところを想像したら、何だか笑えてしまった。

「あの人とは、その時ここで出会ったの」

 遠い目をして述べるエトーリア。

「え、そうなの!? あの人って、父さん!?」

 つい大きな声を出してしまった。
 カフェ内の他の客から視線を浴びてしまい、大きな声を出してしまったことを後悔する。

「そう。観光に来ていたあの人がたまたまこのお店へ来て、そこで知り合いになったの」
「へぇ」
「その頃はわたしもまだ女の子だったから、大人びた容姿の彼に憧れたわ」
「凄い、何だか青春って感じ」

 私には縁のない話だ。
 でも、嫌いではない。

 運命に導かれるようにして巡り合った異界の二人。

 そういうロマンチックな話も、なかなか悪くはないと思う。

「けど、意外と年が近かったのよね。彼の年齢を知った時は、びっくりしたわ」

 楽しいことを思い出したのか、エトーリアは、ふふふ、と笑う。少女のような、可愛らしい笑い方だ。

「これは後から知ったことだけど……ホワイトスターの人間とこの世界の人間では、加齢による容姿の変化のスピードが少し違っているみたいね」

 エトーリアはさらりと述べた。だがそれは、私にはすぐには理解できない内容で。暫し、言葉を失ってしまった。何と言葉を返せば良いのか分からなかったのだ。

「びっくりした、って顔ね」

 分かりやすい顔をしてしまっていたらしく、見事に当てられてしまった。

「びっくりしたわよ」
「やっぱりね。エアリ、分かりやすいわ」

 ふふ、と笑いつつ、エトーリアはアイスティーを飲む。ストローを加える仕草が可愛らしい。

「ということは……リゴールも案外年をとっているのかしら……?」

 恐る恐る言うと、エトーリアは笑顔で返してくる。

「そうね。少なくとも、エアリよりは年上なはずよ」
「本当に!?」

 信じられない。
 年が近そうだなくらいには思っていたが、まさか彼の方が年上だなんて。

「だって、わたしがこちらへ来る前にはもう生まれていらっしゃったもの」
「た、確かに……」

 衝撃のあまり、くらくらしてきた。私は何とか落ち着きを取り戻そうと、ストローに唇をつけ、アイスティーを飲む。優しげな芳香が漂い、淡い甘みが広がり、ほんの少しだけながら心を落ち着かせてくれる。

 これは何げにかなり美味しいアイスティーだ。

「まぁ、けど、今のエアリたちには年齢なんて関係ないものね?」
「え」
「そんなことでどうこうなるような柔な関係ではないでしょ?」
「え、えぇ。それはそうね」

 エトーリアの言う通りだ。
 リゴールが何歳かなんて、関係ない。

 彼とは、年下だからとか、年上だからとか、そんなことは気にならないような関係を築けているはず。

Re: あなたの剣になりたい ( No.95 )
日時: 2019/09/13 19:59
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6..SoyUU)

episode.92 芸

 渋みはなく、香りは良い。そして、微かに甘ささえ感じられるようなアイスティー。

 これだけハイクオリティな紅茶なら、エトーリアがいつも頼むというのもよく分かる。実際、私も機会があればまた頼もうと思ったくらいの、良い味だったから。


 こうして『ミンカフェ』で飲み物を楽しんだ私たちは、体が休まったところで、別の場所へ行ってみることになった。

 再びクレアの街を歩き出し、最初に立ち寄ったのはガラス細工の店。透明なガラス越しに色とりどりのガラス細工が見えるという、幻想的でとても素敵な店構えだった。

「どう? エアリ。素敵なところでしょう?」
「綺麗だわ!」

 人はいない。

 けれども、とても華やかな店内だ。

 赤、黄、緑、青、紫。
 もちろんそれだけではないが、本当に様々な色のガラスが、棚に並べられている。

 触れたら壊れてしまいそう。
 けれど、それゆえ美しい。

 私は店内を見て回りながら、そんなことを思ったりした。


「ようこそ! ここはビーズアクセサリーのお店なの!」

 美しいが寂れたガラス細工の店を出て、次に入ったのは、一軒家の一階を改造したような店。人の頭くらいの大きさのハートが一個彫り込まれた扉を開け、中へ入ると、二十歳少し手前ぐらいと思われる少女が元気に迎えてくれた。

「素敵なお店ですね」

 エトーリアが軽く褒めると、少女は自慢げに胸を張る。

「あたしの作品がたくさんあるの! ぜひ見ていってほしいの! 全部売ってるの!」

 店内にはテーブルや棚があり、そこにビーズアクセサリーが飾られている。陳列の仕方自体は、先ほどのガラス細工店とよく似ている。

 ただ、ガラス細工店と違うところもあり。
 それは、店内に私たち以外にも人がいることである。

「見て、エアリ。これなんて素敵じゃない?」
「何これ……蛇の正面?」
「ふくろうよ。値札にフクロウって書いてあるもの」

 そんな話をしながら、エトーリアと店内を見て回る。

 ビーズアクセサリーと聞くと可愛い系のイメージが強かったのだが、この店に陳列されているビーズアクセサリーは可愛い物ばかりではなかった。

 暖色系の花やリボン、ハート、小型犬など愛らしいモチーフも多い。が、それとは対照的に、骨付き肉やサソリなど可愛くはないモチーフの物もある。

 ただ、そういったセンスも嫌いではない。
 可愛いのは良いけれど、やや渋い物もある方が幅が感じられて、私は好きだ。

「エアリ、何がいい?」
「……私?」
「そうよ。気に入った物があったら言ってちょうだい。プレゼントとして買うわ」

 買うことを前提に見ていなかった。

「見るだけで大丈夫よ、母さん」
「気に入るのがなかった?」
「いいえ。素敵な物はたくさんあるの。けど、買ってもらうなんて申し訳なくて」

 するとエトーリアは、ぷっ、と吹き出す。

「エアリったら、おかしいわね」

 笑われてしまった。

「リゴール王子に似てきたんじゃない?」
「そうかしら」
「だって、エアリそんなに遠慮がちだった?」

 言われてみれば、そうかもしれない。
 傍にいる人の影響を受けるというのは、よくあることだ。それを考えると、私がリゴールの影響を受けているという可能性もないことはない。

「それもそうね。母さんの言う通りかもしれない」

 静かにそう言うと、エトーリアは控えめに笑みをこぼす。それから、小さな声で「じゃ、わたしが選んでプレゼントするわね!」と言った。

 私たちには思い出が少ない。
 けれど、思い出は今から作っていけばいい。

 母と娘であるという事実が変わることはないのだから。


「もうすぐ始まるって!」
「ええっ! 行く行く!」

 エトーリアが選んだビーズアクセサリーの入った紙袋を受け取り、二人並んで歩いていると、何やら話し声が聞こえてきた。話し声の主たちの方へ視線を向けると、走っていく少年少女の背中が見える。

「あっちは広場の方ね。広場で何かやってるのかしら」

 エトーリアが呟いた。
 そんな彼女に、私は問う。

「見に行ってみる? 母さん」

 その問いに、エトーリアは強く頷く。一回だけではあったが、はっきりした動きだった。
 意見が一致した私とエトーリアは、早速、広場へと足を進める。


 広場には人だかりができていた。

 人だかりは、少年少女が主だが、中には成人男性やバッサくらいのおばさんも交ざっている。また、日向ぼっこ中の老人かなというようなおじいさんも、一人二人紛れていた。

「何なのかしら? よく見えないわね」

 エトーリアが先に足を進め、人だかりへ接近していく。
 私はその背を追う。

 やがて、人だかりの向こう側にいる人物の姿が隙間から見え——衝撃を受ける。

 人だかりの中心いたのが、グラネイトとウェスタだったから。

「……ぎっくり腰」
「はぅあ!」
「……腰痛」
「ふ、ふふふふふぅ」
「……健康的なポーズ」
「ふははははーっ!」

 ウェスタがキーワードを呟き、グラネイトがそれに合った芸を疲労するという奇妙な会が、堂々と開催されていた。

 グラネイトの振る舞いはかなり珍妙なものだが、少年少女は爆笑している。私からしてみればただの変な会。ただ、若い世代には意外と人気があるみたいだ。

「……美男子」
「ふっ」
「……ナルシスト」
「ぐはは! 見よ! 我がかっこよさを!」

 グラネイトの奇妙過ぎる芸を目にしてしまったエトーリアは、完全に固まっていた。

「……卵」
「つるんっ。つるっ。つるつるつつつつつるるんっ」
「……こむら返り」
「あだっ!! あたっ、あた、あたっ、あだだだだァッ!!」

 わはは、と、人だかりが笑う。
 何が笑いを起こしているのかよく分からない。ただ一つ分かるのは、グラネイトの体を張った芸が人気だということ。

「……散歩」
「のしのし、のしのし、のしのしのし」
「……つまづいた人」
「あっ、ぶばっ!」

 グラネイトは身を引くと言ってくれていたし、ウェスタはリゴール奪還に協力してくれた。だから、ブラックスターへは戻っていないのだろうなとは思っていた。

 が、まさか二人揃ってこんなことをしているとは。

Re: あなたの剣になりたい ( No.96 )
日時: 2019/09/13 20:00
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6..SoyUU)

episode.93 かつての刺客二人組

 少し前までブラックスターからの刺客だったグラネイトとウェスタ。二人が道端で芸を披露しているなんて、微塵も想像してみなかった。これはかなりの衝撃である。

「あの人って……」

 ウェスタを凝視しつつ、不安げに漏らすエトーリア。

「大丈夫よ、母さん。二人はもう敵ではないの」

 不安にさせてはいけないと思い、言葉をかける。するとエトーリアは、怪訝な顔をしながら、視線をこちらへ向けてきた。

「……そうなの?」
「今はもう敵じゃないの。まぁ、まさかあんなことをしているとは思わなかったけどね」

 苦笑いしつつ述べる。
 するとようやく、エトーリアの表情が柔らかくなった。

 僅かに、だが。

「ならどうする? 話しかけてみる?」

 エトーリアにそう問われたが、すぐには返せなかった。なぜなら、話しかけるべきなのかどうかすぐには判断できなかったから。知り合いだから、話しかけてはいけないということはないのだろうけど。でも、話しかけないでおいた方が良いのかなと思う心もあって。

「……エアリ?」
「ま、べつに、話しかけなくてもいいかもしれないわね」

 二人が話しかけてほしいと思っている可能性は低いはずだ。話しかけないでほしいと思っているかどうかは別として。

 だから私は、そっとしておくことに決めた。

「じゃ、行きましょっか」

 エトーリアの言葉に、私は頷く。

 そして歩き出した——刹那。

「エアリ・フィールド!」

 背後から、声が飛んできた。

 声の主はグラネイト。
 彼は人だかりを押し退け、私に駆け寄ってきていた。

「なぜ見なかったかのように流すッ!?」
「え、えっと……」

 手首を掴まれてしまった。これはもう、見なかったことにはできない。面倒臭さも若干あるが、話すしかなさそうだ。

「声をかけないのはなぜだ!?」
「え、いや……邪魔しちゃ悪いかと……」
「ふはは! 寂しいぞ!」

 それまでは芸を続けていたグラネイトが、急に私のところまで駆けたのを見て、観客たちは不思議そうな顔をしている。

「暇なら、グラネイト様の芸を見ていってくれ!」

 ……もう見た。

 けれど、そんなことは言えなくて。

「そ、そうね。分かったわ」

 私はそう答えた。


 グラネイトに発見され捕まってしまった私は、結局、彼らの演技をまたしても見ることになってしまった。心優しいエトーリアは付き合ってくれたので、一人にはならず、そこは良かった。だが、グラネイトの芸はやはり何ともいえない雰囲気で。笑えないし、感動もしなかった。

 芸が終わると、人だかりはみるみるうちに散っていく。
 一部の人たちは、ウェスタが持っている箱にお金を放り込んでいた。あの妙な芸に金を出す人がいるとは、驚きである。

 しばらくして人だかりが完全に去ると、グラネイトとウェスタは私たちのところへ歩いてきた。

「……こんなところで何をしている」

 一番に口を開いたのはウェスタ。

 長い睫毛に彩られた赤い瞳に、感情的でない顔つき、そして銀色に輝く髪。
 金属のような冷ややかささえ、彼女の魅力となっている。

「何をしている、って……私はただ、街を色々見て回っていただけよ」
「……そうか」
「ウェスタさんこそ、何をしているの?」
「……生活費が必要」

 こうして近くで見ると、彼女は本当に、デスタンによく似ている。彼女は鏡に映るデスタンのようだ。髪や瞳の色はまったく異なっているにもかかわらず、である。

 聡明さの表れた目鼻立ちの奥に潜む、複雑な色。
 仮面のような顔から見え隠れする、燃え上がる心。

 多分、そこが似ているのだ。

「そうだったの」
「……そう」
「けど、良かったわ。グラネイトさんと合流できたみたいで、安心した」

 グラネイトとウェスタ。二人はブラックスターにいた頃からの友人だから、きっと、上手くやっているのだろう。

「……ありがとう」
「元気だった?」

 そう問うと、ウェスタは怪訝な顔をする。

「なぜ……そこまで気にかける」

 ウェスタの口から出た言葉は、私にとっては意外なものだった。

「我々はブラックスターの人間だ。お前たちを傷つけた。にもかかわらず、なぜ……そんな風に接するのか、理解できない」

 真剣な表情で発するウェスタに、グラネイトはいきなり肩を組にいく。

「ふはは! ウェスタは考えすぎだ!」
「……グラネイトには聞いていない」
「ふはは! 大概のことは気にしたら負——ぐはぁ!」

 妙なノリで絡むグラネイトの腹に、ウェスタの肘が突き刺さる。

 肘での一撃は、静かだが、かなり威力がありそうだ。

 しかも、それだけでは終わらない。ウェスタは自身の腕を握ろうとしていたグラネイトの片手を掴み、指を逸らせる。

「あだだだだ!」
「……余計なことをするな」
「ごっ、ごめ、ごめっ、ごめんて!」

 ウェスタは容赦なかった。
 痛みにジタバタするグラネイトを見ていたら可哀想になり、余計な発言と分かりながらも言ってしまう。

「あ、あの、ウェスタさん……止めて差し上げては……」

 それに対しウェスタは、淡々と返してくる。

「理解力のない人間は、物理でいかねば止まらない」

 それ以上は何も言わなかった。

 これが二人の関わり方なのだとしたら、第三者が勝手な感覚で口出しするのは良くない——そんな風に思ったからだ。

 傍にいるエトーリアは、戸惑いつつ苦笑していた。

「……ところで。兄さんはどう?」

 答えづらい質問が来てしまった。
 私は思わず言葉を詰まらせる。

「えっと……」

 ウェスタの眉間にしわが現れる。

「言えないような様子?」

 怪しまれている!
 勘違いをされては困るので、ここは、はっきりと返さなくてはならないところだ。

「い、いいえ! 意識はしっかりしているし、元気そうではあるの! ……ただ、体が」

 私が言い終わるのを待たず、ウェスタとグラネイトが同時に発する。

「「体が!?」」

 少し空け、答える。

「……斬られた傷のせいかどうか分からないけれど、すぐには戻らないみたいなの」

 打ち明けるのは怖かった。特に、ウェスタの存在は恐ろしかった。彼女の憎しみが私に向くのではなどと考えてしまって。

 ウェスタは物分かりのいい人。だから、理不尽に憎しみを向けてきたりなんかはしない。
 そう信じている。

 けれど、信じていても、不安があることに変わりはない。

「……生きては、いるの」

 やがて口を開いたのはウェスタ。

「え」
「兄さんは生きている。それは事実なんだね」

 確認に、私は強く頷いた。
 するとウェスタの表情がほんの僅かに柔らかくなる。

「……なら、良かった」

Re: あなたの剣になりたい ( No.97 )
日時: 2019/09/13 20:01
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6..SoyUU)

episode.94 いくつもの遭遇

 グラネイトとウェスタ、ブラックスターを脱退した二人と別れ、私はエトーリアと共に歩き始める。

 舗装された道に入ると歩きやすくなってきて、どんどん足を前へ進めることができた。

 エトーリアは歩くのが早い。
 けれど、舗装された道であれば私も遅れはしない。

 私たちは進む。

 クレアの街並みを眺めながら。


 やがて、分岐点に差し掛かった。
 二つの方向に分かれる直前で足を止めたエトーリアが、振り返り、尋ねてくる。

「どっちへ行く?」

 唐突に問われ答えられるほど簡単な二択ではない。

 そもそも、私はクレアのことはよく知らないのだ。だから、分岐点が来たからといってどちらへ進むか聞かれても、答えようがない。どちらへ進めば何が待っているのか、それを知らないのにどちらかを選べなんて、難易度が高過ぎだ。

「答えられないわ。だって、どっちに何があるか知らないもの」
「確か……右が商店街で左が飲食店街だった気がするわ」

 それを先に言ってほしかった。

「じゃあ、左にしようかしら」
「さすがエアリ! 素敵な選択ね!」

 左が素敵な選択ということは、右は何なのだろう。もし右を選んでいたら、注意でもされたのだろうか。


 分岐点を左を選んだ。

 選んだ方向へ歩み出してから数分も経たないうちに、飲食店が並ぶ通りに突入。
 パーラーから本格的なレストランまで、幅広い飲食店がずらりと並んでいるその様は、もはや壮観としか言い様がない。

「こんなところがあるなんて。知らなかった」

 賑わっているのも、案外悪くない。

「エアリはあまり出掛けられなかったものね」
「えぇ。……けど、おかげで無事大きくなれたわ。酷い怪我も事故もなかったし」

 隣を歩くエトーリアと話しながら、ゆったり足を動かしていた時——ふと、見覚えのある顔が視界に入った気がした。

「ちょっと待って、母さん」

 見覚えのある顔を探し、首を回す。暫し周囲を眺めた後、私はついに、その見覚えのある顔を発見した。
 ある一軒のカフェ。その店外にあるパラソル付きの席に、彼女は一人座っていた。

「ミセさん!」

 名を呼ぶと、彼女は面を上げる。
 そして数秒後、私の存在に気づく。

「あーら」
「お久しぶりです、ミセさん」

 私は彼女のもとへ駆け寄る。
 エトーリアは待ってくれていた。

「久々ねぇ」
「ミセさん、なぜこんなところに?」
「なぜ、ですって? 暇だったから遊びに来ていた、ただそれだけよ」

 ほんのり色づいた厚みのある唇が、甘い雰囲気を漂わせている。

「そういえば、アタシのデスタンはどう? 元気かしらー?」

 問われてから、しまった、と焦る。

 こんなことを言ってはいけないかもしれないが、ミセに声をかけてしまったことを後悔した。

 彼女と話せばデスタンの話が出てくるのは当然のこと。それゆえ、迂闊に彼女に話しかけてはならなかった。

 話しかけるなら、それなりの覚悟を決めて。
 そうでなければならなかったのだ。

「……は、はい」

 どう言葉を返すべきか分からず、しかし黙っているのも不自然だと思い、結果、私は小さな声で答えた。

 するとミセは訝しむような顔をする。
 今日はそんな顔をされてばかりだ。

「あーら。何かしら、その自信なさげな言い方は」
「お元気です……心は」
「心は? それはつまり、体は元気でないということ?」

 ミセを心配させたくはないが、嘘をつくわけにもいかず。

「はい……」

 私は首を縦に動かした。
 刹那、ミセは私の肩を掴んでくる。

「ならこうしてはいられないわ! アタシが元気をあげなくちゃ。彼に会わせてちょうだい!」
「え……」
「今の家、ここからそう遠くはないのでしょう!?」
「ま、まぁ……」

 徒歩だと結構な距離があるが、馬車に乗ればあっという間だ。

「少し待って下さいね」

 私はそう言って、背後にいるエトーリアの方へ顔を向ける。そして、彼女に向かって問いを放つ。

「母さん。ミセさんを家へ連れていっても構わない?」

 エトーリアは穏やかに返してくる。

「構わないわよ。エアリがそうしたいならね」

 エトーリアなら許してくれると信じていた。だが絶対的な自信があるわけではなかったため、彼女の口から発された答えを聞いて安堵した。

 こうして、私たちはミセと合流。
 それからは三人でクレアを歩き、馬車に乗って家へ帰った。


 屋敷に戻り、エトーリアと別れてから、私はミセをデスタンの部屋まで案内する。
 その間、私の心臓の拍動は加速するばかり。言葉を発することもできず、黙って歩くことしかできなくて。

 ただ唯一の救いは、ミセが何も言ってこなかったこと。

 緊張で脳が埋め尽くされている状態で、さらに話しかけられるとなれば、私はきっと、とんでもないことになっていただろう。


 静寂の中、歩くことしばらく。デスタンの部屋の前へ到着した。

「ここなのー?」
「はい」

 私は扉を数回ノックする。
 そして、扉を開けた。

 向こう側に人がいる可能性もあるため、事故が起こらないよう気をつけながら。

「失礼します」

 ゆっくり扉を開けると、ベッドの脇に座っているリゴールがこちらを向いた。

「エアリ!」

 それから彼は、ベッドに仰向けに寝ているデスタンに向かって言葉を発する。

「デスタン、エアリが帰ってきましたよ」
「良かったですね王子」
「デスタンも喜んで下さ——あ」

 言いかけて、リゴールは唇を閉ざす。彼の瞳には、私の背後にいるミセの姿が映っていた。

「あーら、リゴールくん! こんにちはー!」

 リゴールは戸惑った顔をしつつも立ち上がる。そんな彼に、ミセは屈託のない笑みを浮かべながら歩み寄っていく。

「こ、こんにちは」
「久々ねぇー!」

 ミセは立ち上がったリゴールの華奢な体をぎゅっと抱き締める。今の彼女は、まるで、息子との再会を喜ぶ母親のよう。ただならぬ包容力を漂わせている。

「それでー……」

 リゴールを抱き締め終えると、ベッドで寝ているデスタンへ視線を移す。

「アタシのデスタン、何をしているの?」

 ミセの問いに、ベッド上のデスタンの表情が固くなった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.98 )
日時: 2019/09/14 17:00
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: UIQja7kt)

episode.95 愛を囁いてくれる日まで

 ベッドに寝ているデスタンを目にしたミセは、一瞬、その顔に戸惑いの色を浮かべた。が、すぐに微笑み、デスタンの手を握る。

 ——直後、困惑したような顔に変わった。

「デスタン……?」

 ミセに困惑したような顔をされたデスタンは、少々気まずそうに目を細めながら、返す。

「お久しぶりです、ミセさん」
「これは一体どうなっているのぉ……?」
「斬られて、それから動けなくなりました」
「えぇ!? 一体何なのぉっ!?」

 派手に驚くミセ。
 状況が理解できない、というような顔をしていた。

 だが、それも無理はない。前まで活発に動いていた人間が静かにベッドに横たわっていれば、動揺もするだろう。

「治るの……よねぇ?」
「訓練すれば多少は機能が回復するかもしれないですが、完治はないだろうと言われています」

 デスタンの口から放たれた言葉に、ミセはへたり込む。
 信じられない、というような顔つきで。

「そん……な……」

 ミセの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 彼女はデスタンを心から愛していた。だからこそ、デスタンがこんなことになってしまったショックは大きいだろう。そこまで親しいわけではない私でさえかなりの衝撃を受けたのだから、今ミセが受けているショックは凄まじいもののはずだ。

 それからしばらく、室内はしんとした空気に包まれた。

 ミセは力なく床に座って泣き出すし。デスタンは申し訳なさそうな顔をしつつ黙っているし。何とも言えない静寂の中、リゴールと私はさりげなく目を合わせることしかできなかった。言葉をかけるなんて不可能だった。

 重苦しい沈黙を、やがて、デスタンが破る。

「泣かないで下さい、ミセさん。貴女が泣いても、私の体が治るわけではありません」

 デスタンの発言に、私は驚いた。
 良く見せようと飾り立てていない、彼らしい発言だったからだ。

 ミセの家にいた頃、デスタンは彼女にだけは優しく振る舞っていた。微笑み、愛を囁き。彼女にだけは、デスタンとは思えないような穏やかで柔らかな言葉遣いで、紳士的に接していた。

 それだけに、デスタンがミセの前でデスタンらしい発言をしたことに、内心かなり驚いたのである。

「え……。その言い方、何なのぉ……?」

 涙に濡れた顔を持ち上げ、戸惑いの色を滲ませるミセ。
 デスタンの振る舞いの異変に気がついたのは私だけではなかったようだ。

「この際、真実を話させていただきますが」

 デスタンは首だけを僅かに動かし、顔をミセの方へ向ける。
 そして、淡々とした調子で告げる。

「これが本来の私です」

 ミセはまだ涙の粒の残る目を大きく開き、デスタンを見つめながら、瞳を震わせている。また、眉は奇妙な形に歪み、口はぽかんと空いて、情けない顔つきだ。

「私は貴女を騙しました」
「デス、タン……?」
「かつて私が貴女を愛していると言ったのは、嘘偽りです。私は貴女を愛してなどいませんでした」

 真実を明かすデスタンの表情に躊躇いはなかった。

「私はただ、王子のために住む場所を確保できればそれで良かった」

 ミセの目の前で躊躇なく真実を明かすデスタンを見守るリゴールは、かなり緊迫したような顔をしていた。
 顔全体の筋肉が固くなってしまっている。

 恐らく、今この部屋の中で一番緊張しているのはリゴールだろう。私にはそう思えてならない。

「そのために貴女を利用してきました。貴女は愛を囁きさえすればいくらでも力を貸して下さる。それは、私にとっては、とても都合が良かったのです」

 リゴールがちらちら視線を送ってくる。まるで助けを求めるかのように。しかし私は、視線を返すこと以外何もできない。今の状況で声を出す勇気は私にはない。

 ベッドの脇に座り込んでいるミセは、力なく俯いていた。

 愛していた者に、愛してくれているのだと思っていた者に、想いなど欠片もなかったのだと、真実を告げられる。それはあまりに残酷で。ミセが顔を上げることすらままならないのも、理解できる。

「……結局……何もかも偽りだったと……」
「そういうことです」
「……どうして、そんな……」

 ミセが絞り出すようにして発する声は、震えていた。

「私はそういう人間だということです」

 デスタンはあまりに無情だった。
 彼には感情などというものが存在しないのではないか——見ていてそう思ったくらい。

「憎いなら気が済むまで殺せば良いのです。素人とて、抵抗しない人間を殺めることくらいならできるでしょう」

 十秒ほどの沈黙の後、ミセは唇を僅かに開く。

「……できないわよぅ」

 ミセは改めてデスタンの片手を握り、涙で濡れ赤く腫れた顔をほんの少しだけ持ち上げる。

「……好き……なんだもの」

 ミセの口から放たれた言葉に、驚きと戸惑いの入り混じったような表情を浮かべるデスタン。

「よく分かりません。馬鹿なのですか、貴女は」

 馬鹿とか使わないで、馬鹿とか。
 そんな言葉が出てきては、せっかくの良さげな空気が台無しだ。

「分かってるわよぅ……アタシが馬鹿だってことくらい……」

 ——認めた!?

「でも好きになってしまったら、仕方ないのよぉ……」

 それは一理あるかもしれない。

 誰かを愛している時、人間は、その人に関して盲目になるものだ。小さなことくらい許してしまえるし、少々のことでは幻滅しないという、普通ならあり得ないようなことが起こり得る。

 だからこそ、冷静さを欠いてはいけないというものなのだが。

 ただ、それは時に、武器ともなるだろう。

 弱点になりうることは、強みにもなりうる。それは、どんな分野においても通じる、世の仕組みの一つ。

 ……もっとも、その仕組みをいかに上手く使うかが難しいわけなのだが。

「だから……デスタン、傍にいさせて……」
「なぜそうなるのでしょうか」
「アタシ、何でもするから……」

 デスタンは戸惑っている。
 一方リゴールはというと、顔を真っ赤にしていた。

「いつか本当に愛を囁いてくれる日まで……アタシ、貴方の傍にいるわ……」

Re: あなたの剣になりたい ( No.99 )
日時: 2019/09/15 17:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: e/CUjWVK)

episode.96 薄暗くても楽しんで

 以降、ミセはちょくちょく、エトーリアの屋敷へやって来るようになった。

 デスタンの世話を任されていた使用人は、ミセが来ている間だけはその職務から解放されることとなったため、それは良かったと言えるかもしれない。

 それに、デスタンにとっても良いことだろう。

 動くことはできないにしても、意識はあるデスタンだから、話し相手くらいはいる方が良いに決まっている。


 それからも、私は訓練に勤しんだ。

「せいっ!」
「え……」
「とりゃ! はいっ!」
「ちょっ……えーっ!?」

 その日も、私は、木製の剣でリョウカと模擬試合を行っていた。

「ま、また負けたっ……」
「えっへん! やっぱりまだあたしの方が強いねっ」

 リョウカの強さは圧倒的だ。

 訓練の成果もあり、私も、徐々に慣れてきてはいると思う。最初の頃に比べれば、反応速度は上がったし、連戦であっても動けなくなることはなくなってきたと感じる。

 だがそれでも、リョウカには敵わない。
 稀に勝てることはあっても、連続で勝利を収めるというのはまだ難しい。

「けど、エアリもやるね! あたしが相手で十戦中三回も勝つなんて、なかなか!」

 リョウカは明るい表情で褒めてくれた。

「ありがとう」
「うんうん!」
「けど……まだまだよね。せめて半分くらいは勝てなくちゃ、まともには戦えないわ……」

 恐らくリョウカは手加減してくれているはずだ。本気のリョウカが相手なら、きっと、私はまだ敵わない。

 戦場では誰も手加減などしてくれない。

 だから、本気のリョウカにも一矢報いることができるくらいにならなければ。
 そんなことを考えていた私に、リョウカは軽やかな口調で声をかけてくる。

「焦らなくて大丈夫だよっ」

 あぁ、なんて善い人。
 心からそう思った。

「腕は確実に上がってるから!」


 ◆


 リゴール処刑目前まで進んでいたにもかかわらず逃がしてしまったあの日以降、ブラックスターには何とも言えない空気が漂っていた。

 また、グラネイトに続いてウェスタまでもがブラックスター陣営から離反したため、リゴールを捉えるための人手が急激に失われてしまい。ブラックスターは人材不足に悩んでいた。

 そんな状況を打開すべくブラックスター王が考えたのは、優秀な人材を発見するためのイベントだ。

 とはいえ、皆がそれに賛成していたわけではない。

 王直属軍でさえも、ブラックスター王の考えに賛同する一派と、現在の状態を無理に変える必要はないと考える一派とに別れてしまっていた。

 賛同する一派は、主に、ブラックスター王を盲信する者たちで構成されている。また、ブラックスターが築かれるより前からブラックスター王と交流があった家系の者が多い。それに対し、変える必要はないと考えている一派には、ブラックスター王に仕え始めてまだそれほど年が経っていない家の者が多かった。


 世が徐々に乱れ始める中。

 トランはというと、牢へ入れられていた。

 既に失敗を積み重ねていたこと。また、エアリを逃がし、リゴールを奪還されたこと。相次ぐミスを怒ったブラックスター王の命により、トランは囚われることとなってしまったのだ。

 トランが囚われている部屋は、カビの匂いが漂う狭い部屋。古ぼけたテーブルと椅子が一つずつ置かれているだけの、殺風景な部屋だ。穏やかに眠るためのベッドさえ用意されていない。

 トランが、外からの光の入らない薄暗い部屋の中でぼんやりしていると、鋼鉄の扉が開いた。

「入るぞ! 昼食だ!」

 銀色の器を三つ乗せたお盆を持った男が部屋の中へと入ってくるのを、椅子に座ったトランは、やる気のなさそうな瞳でじっと見つめている。

 男は不機嫌そうな顔をしながら、お盆をテーブルに置く。
 バン、と強い音の鳴る、雑な置き方だった。

 トランは男が持ってきたお盆へ視線を注ぎ、顔をしかめる。

「今日も美味しくなさそうだなぁ」

 一番深さのある器には、ほんの僅かに茶色がかった透明な液体。浅い楕円の器には、乾燥したパンが二個。そして、三つの器のうち最も小さな器には、橙色のジャム。

「さっさと食え」
「ふぅん。なかなか偉そうな口を聞くんだねー」

 トランの挑発的な言い方に、男はピクリと眉を動かす。

「……何だと?」

 男は岩のような顔面に不快の色を滲ませる。が、トランは引かない。それどころか、煽るような笑みを浮かべている。

「一介の兵が勘違いしない方がいいよ」
「き、貴様ッ……!」

 怒りを堪えきれなくなった男は、トランが座っている椅子を蹴った。

 椅子は飛んでいく。
 が、トランは一瞬早く椅子から離れていた。

「まったくもう、乱暴だなぁ」
「なっ……」

 トランの反応の早さに、男は目を見開く。

「びっくりしたーって顔だね」
「この部屋では術は使えぬはず……今、一体何をした!」
「えー? 何もしてないよ」
「嘘をつくな!」

 歯茎を剥き出しにして叫ぶ男を目にしたトランは、呆れに満ちた顔をする。

「ついてないよ、嘘なんて」
「そんなわけがない! 何もせずそんな反応速度……あり得ん!」

 喚き散らす男の顔には、トランへのおそれが滲んでいた。

「ま、一介の兵ならそうなのかもしれないねー。けど残念ながら、ボクは一介の兵じゃないんだ。だからボクには、君の常識なんて通用しないんだよー」

 トランは敢えて笑う。
 雲一つない空のように晴れやかな笑みを浮かべる。

 だが、その笑みが不気味さをさらに高めていて。

 最初は威勢よく叫んでいた男だったが、時が経つにつれ、少しずつ威勢のよさを失っていく。畏れの色が濃くなっていっている。

「……む、無能で囚われているくせに!」
「確かにボクは失敗続きだったよ。けど、君より能力が高いことは確かだねー」

 言いながら、トランは蹴飛ばされた椅子を元の位置へ戻す。

「ちょっ……調子に乗るな!」
「乗ってないよ。ボクは事実しか言っていない」

 トランがニヤリと笑うのを見て、男の顔面が石のように強張る。

「じゃ、ボクは昼を食べるよ。そこにいられたら焦るから、外で待っててもらっていいかなぁ」

 怪しげな表情を浮かべ、男の動揺ぶりを密かに楽しんでいるトランだった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.100 )
日時: 2019/09/20 00:48
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: lDBcW9py)

episode.97 叩き起こされ

 ある朝。
 自室のベッドで眠っていると、バッサに叩き起こされた。

「お嬢様! エアリお嬢様!」
「ん……」

 まだ早い時間でしょう。
 もう少し寝かせて。

 ——そう言おうと思ったのだが。

 ぼんやりとした視界に入ったバッサの顔は、異様に青ざめていて。それを見た私は、非常事態かもしれないと感じ、飛び起きた。

「何か……あったの?」

 心臓が鳴る。
 胸元が痛くなるほどに。

「良かった! 気がつかれましたか!」
「え、な、何……?」
「得体の知れない者たちが現れたのです!」
「えぇ!?」

 敵襲。

 となると、敵は恐らく、ブラックスターの手の者なのだろう。

「そ、そんな」

 情けないことだが、声が震えてしまう。
 敵襲なんてしばらくなかった。だから、急に言われても戸惑うことしかできない。心の準備ができていないのだ。

「バッサ、どういう状況なの?」
「今はリョウカさんが、怪しい者たちの相手をして下さっています」
「リゴールは!?」
「動けないデスタンさんを護らなくてはと、デスタンさんの部屋へ行かれました」

 私が訓練を積んでも積んでも敵わないくらいの強さを持つリョウカがいてくれるから、多少心強くはある。しかし、彼女一人に任せっきりにするわけにはいかない。それに、数で負けていたら、さすがのリョウカでも勝てるとは限らないだろう。だから、油断はできない。

「私、リゴールのところへ行くわ」

 ベッドから下り、枕元のペンダントを握る。

「バッサ。気をつけて」
「お、お待ち下さい! エアリお嬢様をお一人にはできません!」

 歩き出そうとした私の右手首を、バッサの片手が掴んだ。

「……お願い、離して」

 私は静かにそう言ったけれど、バッサがそれに頷いてくれることはなく。彼女は低い声で「それはできません」と返してきた。

「エアリお嬢様を護るようにと、エトーリアさんから命ぜられております。ですから、このバッサ、今回ばかりはお嬢様から離れるわけには参りません!」

 どうして、と言いたくて。

 でも言えなかった。

 エトーリアは私の身を案じてくれているはず。そしてバッサも、その心は同じのはずだ。
 そんな二人の気持ちを無視することは、私にはできない。

 私はリゴールに会いに行きたい。彼のことが心配だから、傍へ行って、少しでも護りたいと思っている。

 だからこそ、エトーリアやバッサの心も理解できてしまって。
 手を振り払い、無理矢理走り去るなんてことは、どうしてもできなかった。

「バッサも一緒に来てくれない?」
「……お嬢様?」

 顔面に困惑の色を濃く滲ませるバッサ。

「リゴールのことが心配なの。だから彼のところへ行きたいの。お願い、どうか分かって」

 デスタンは戦えない状態だ。だからこそ、私が戦力にならなくてはならない。もしもの時には剣を抜き、敵を倒さなくてはならないのだ。

「お願い、バッサ。理解して」
「……エアリお嬢様。貴女はなぜ、エトーリアさんやこのバッサが心の底から心配しているということが、お分かりにならないのです」

 バッサは目を細め、切なげな表情で言ってきた。

「違う! 分からないわけじゃないわ。他人の身を案じる心は私にだってあるもの!」
「ならお分かりになるはずです。なぜこのバッサが貴女を止めるのか」

 そう、分かっている。

 エトーリアも、バッサも、私のことを本当に大切に思ってくれていて、だから心配し、無茶なことをしようとするのを制止するのだろう。

 私とて、その程度のことは理解できるのだ。

 でも、だからといって彼女たちの意見のすべてに賛同できるわけではない。

 私の人生は、私自身が決めるもの。誰かに言われたからといって、納得してもいないのに道を変えるなんてことは、したくない。他人ひとの人生ではないのだから。

「でも、私だってリゴールのことが心配なの」
「あの方は男性ですよ、お嬢様。きっと大丈夫です」
「ごめんなさいバッサ。私にはそうは思えない。だから行くわ」

 それだけ言って、部屋を出る。退室する直前、バッサが「お待ち下さい!」と叫ぶのが背後から聞こえたけれど、振り返ることはしなかった。


 デスタンの部屋まではそう遠くない。だから、冷静さを欠かず進めば、たいして苦労することなくたどり着けた。

 が、そこからが問題だった。

 というのも、扉の前に敵がいたのだ。

 扉の前に集っている敵は、一見、背が高いだけのただの人間のよう。
 だが、よく見れば、人間ではないことがすぐに分かる。
 肌は、昆布色を白寄りの灰色で薄めたような微妙な色み。耳は人の三倍ほどの長さがあり、その先端は二股に分かれ尖っている。

 背が低いタイプしか見たことがないためはっきりとは判断できないが、恐らく、ブラックスターの使いだろう。

「剣!」

 ペンダントを持っていた手に力を込め、剣へと変化させる。

 敵の視線がこちらを向く。

 彼らの大きな瞳から放たれる眼差しは、敵に向ける眼差しそのもの。
 実は味方ということはなさそうだ。

 なら、遠慮なくいける。

「ごめんなさい!」

 柄を両手でしっかりと握り、敵が接近してきたところを狙って、剣を振り抜く。剣の先が、勢いよく突っ込んできた敵を薙ぐ。

 刹那、右斜め後ろから気配。

 鳩尾の前辺りに剣を構えたまま、その場で回転する。
 右斜め後ろより接近してきていた敵一体は、一二秒ほどで消滅した。

 敵はまだ残っている。

 もっとも、そう易々と負ける気はないけれど。

「悪いけど……」

 数や身長ではあちらの方が有利かもしれないが、その代わり、こちらには剣がある。それゆえ、こちらが圧倒的に不利ということはない。

 そもそも、一度斬りさえすれば倒せる相手だ。彼らの迫力に飲まれさえしなければ、負けることはない。

「構ってる暇はないの!」

 数体の敵に真っ直ぐ突っ込み、剣を振る。一体、一体、確実に剣を当て、消滅させていく。

 そして。

 結局、一分も経たないうちに、すべての敵を消滅させることができた。

 早くリゴールに会いに行かねば。
 その思いを胸に、デスタンの部屋へと続く扉のノブへ手をかけた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.101 )
日時: 2019/09/20 00:49
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: lDBcW9py)

episode.98 高齢男性

 扉を開けて、室内に入る。
 そこには、ベッドに横たわっているデスタンと、不安げに寄り添うリゴールの姿があった。

「エアリ!」

 リゴールは一瞬警戒心を露わにした。が、扉を開けたのが私だと気づくと、その顔面に安堵の色を滲ませる。

「大丈夫!?」

 私が彼へ駆け寄るのとほぼ同時に、彼も私に駆け寄ってきた。

「はい! しかし、なぜここが?」
「バッサが教えてくれたの」
「そうでしたか! ……無事で何よりです」

 少しして、リゴールは私の手元へ視線を落とす。そうして剣を目にし、ハッとしたような顔をする。

「もしかして……既に敵と?」
「えぇ、少しだけね」
「それは……申し訳ありません。エアリに戦わせるようなことになってしまって」

 泣き出しそうな顔をするリゴールに、私は、首を横に振りながら「気にしないで」と言っておいた。リゴールに罪の意識を持ってほしくはないからである。

 その頃になって、扉が再び開く。

 駆け込んできたのはバッサ。

「失礼しますよ!」
「バッサ!」
「エアリお嬢様、やはりこちらに」

 バッサはスムーズな足取りで寄ってきて、私の左手首を掴む。

「安全なところへ避難しましょう」
「無理よ。できないわ」
「エアリお嬢様、どうか……」
「私はここから離れないわ」

 リゴールと離れる気はない。
 たとえ、自分の身を護るためであったとしても。

 そう心を決め、私はバッサをじっと見つめる。すると、十秒ほどの沈黙の後、バッサは口を開いた。

「……分かりました。では、バッサもここに待機しておきます」

 呆れた、というような顔をされてしまっている。けれどそれで問題はない。むしろ、呆れられるくらいで済むならありがたいくらいだ。

「ありがとう!」
「ただし、このようなワガママはこれきりにして下さいよ」
「分かってる! 分かってるわ、バッサ!」

 私は何度も大きく頷く。
 ワガママはこれきりにする——そんな約束、果たせるわけがないけれど。


 リゴールらがいる部屋へ着き、バッサとも合流して、十分ほどが経過しただろうか。
 何の前触れもなく、突如扉が開いた。

 ——否、厳密には、吹き飛んだ。

「なっ……!」

 埃が舞い上がる。
 リゴールの顔は一瞬にして強張る。

「何事です、王子」
「デスタンはそこで寝ていて下さい」
「承知しました」

 やがて、埃の舞い上がりが落ち着き、視界が晴れる。
 するとそこには、高齢と思われる男性が立っていた。

 しわの多い額や皮が弛たるんだ頬が年を感じさせる男性だ。背はさほど高くなく、手足は痩せ細っていて、杖をついている。

「ふぉ、ふぉ、ふぉ」

 高齢の男性は、攻撃を仕掛けてくるでもなく、文章を話すでもなく、ゆったりとした笑い声だけを発している。

 リゴールは本を取り出し、戦闘準備を整えつつ、怪訝な顔をした。
 海のような色をした二つの瞳は、高齢男性をじっと捉えている。

「何者ですか」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉぉ、ふぉ」

 警戒心を隠そうともせず、高齢男性へ問いを投げかけるリゴール。しかし高齢男性は何も答えなかった。いや、答えなかった、などという次元の話ではない。彼はそもそも、「ふぉ」以外の音を、まだ一度も発していないのだから。

「名乗りなさい!」

 リゴールは調子を強める。
 だが、高齢男性はニヤニヤするだけ。

 このような調子では、高齢男性の正体は一向に分からないだろう。それでは、対話すべきなのか力を以て倒すべきなのかも決められない。

「彼は敵なの? リゴール」
「……恐らくは」
「ブラックスターの手の者?」
「そうと思われます、しかし……」

 リゴールは眉をひそめている。

「しかし?」
「会ったことはないので、詳しいところまではよく分かりません」

 控えめな口調でそう言って、リゴールは高齢男性の方を向く。さらに、視線を高齢男性へ集中させ、手に持っていた本を開く。

「敵意がないなら名乗りなさい。名乗らぬなら、敵意があるものと見なします」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉふぉ、ふぉぉ、ふぉ」

 リゴールは目を細める。

「……参ります」

 直後、持っている本の紙面から黄金の光が湧く。
 直視したら目を傷めそうなほど、目映い輝き。それは、宙に弧を描き、じっとしている高齢男性に向かって飛んでいく。

 いくつもの黄金の弧が高齢男性を襲う——直前。

 高齢男性が初めて動いた。
 杖の先をリゴールへ向けたのだ。

「リゴール!」
「……分かっています!」

 杖の先端より放たれるは、銀の刃。

 リゴールは咄嗟に自身の前へ防御膜を張る。
 黄金の膜が刃をギリギリのところで防いだ。

「ふぉ、ふぉ、ふぉ。ふぉふぉふぉふぉ、ふぉ」

 防がれてもなお、高齢男性は笑っていた。しかも、とても穏やかな笑い方だ。しわがれてはいるが、綿菓子のように軽やかな、不思議な声である。

「ふぉ、ふぉ、ふぉ」

 高齢男性は杖をつきながら、ゆっくり、私たちがいる方へと近づいてくる。
 一歩。二歩。そんな風に足を進める速度は、非常にゆっくりで。しかし、そのゆっくりさが、逆に恐怖心を掻き立ててくる。

「ふぉ!」

 突如、男性はまたしても銀の刃を飛ばしてきた。
 私は半ば無意識のうちにリゴールと高齢男性の間に飛び込み、剣を振って刃を弾き返す。

 ——が、大きく振り過ぎて、隙が生まれてしまった。

「……っ!」

 高齢男性の口角がほんの僅かに持ち上がるのが、スローモーションのように見える。

 このままでは駄目だ。
 そう思った瞬間。

 男性とは逆の方向から、黄金の光が迫ってきていることに気づく。

「え……」

 黄金の光は私へ向かっている。

 なぜ?
 高齢男性にではなく?

 リゴールにそんなことを問う暇はなく。

 黄金の光は私に命中。私の体を遠くへ飛ばした。

 私の体は制御不能な勢いで宙を飛び、一瞬にして床に落ちる。頭からの落下は何とか防ぐことはできたが、肩から床へ落ちたため、右肩を強打してしまった。

 これは、普通に痛い。

「ちょっとリゴール、何を!?」
「申し訳ありませんエアリ! わたくしはただ、エアリが怪我させられてはいけないと……!」

 いやいや。魔法をぶち当てておいて、そんなことを言われても。

 ただ、リゴールの行動によって高齢男性からの攻撃をかわせたということは、事実だ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.102 )
日時: 2019/09/22 17:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: tDpHMXZT)

episode.99 二対一

 肩を打ち、倒れ込んでしまったが、そこまで重傷ではないため速やかに体勢を立て直すことができた。

 高齢男性はリゴールをキッと睨み、舌打ちをする。
 それまでずっと「ふぉ」しか言っていなかったため、舌打ちをするなんて想定外で、正直かなり驚いてしまった。

「エアリに攻撃などさせませんよ!」

 リゴールはらしくない勇ましい表情で言い放つ。

 一見、かっこいい場面。
 だが……助けるためとはいえ自分が攻撃を当てておいて、それを言うのはどうなのだろうか。

「ふぉ、ふぉ、ふぉ」

 一時は不機嫌そうになっていた高齢男性だが、すぐに元通りの穏やかな表情に戻り、柔らかな笑い声を漏らし始める。

 そんな高齢男性に向け、リゴールは魔法を放つ。
 遠慮がない。

 黄金に輝く幾本ものラインは、目標である高齢男性に集中していく。

「ふぉぉぉぉぉ」

 刹那、高齢男性は跳んだ。天井へ達するのではないかというほどの高さにまで。

 信じられない。
 恐ろしい脚力だ。

「かわされましたか……!」
「ふぉぉぉぉぉ!」

 天井付近まで跳び上がっていた高齢男性は、甲高い声を発しながら垂直落下。
 その下にいるのは、リゴール。

「来るわよ!」
「はい!」

 リゴールは咄嗟にその場から移動し、高齢男性の垂直落下攻撃を回避する。

 高齢男性が着地した直後。
 彼の杖の一番下側——地面に接している面に、果物ナイフのような刃が現れる。

「ふぉ!」

 杖を振り、リゴールに攻撃を仕掛ける高齢男性。
 リゴールは刃をすれすれのところでかわす。

 ——だが。

「ふぉぉ!」

 一度目の振りから間を空けず、高齢男性はもう一度攻撃を仕掛けた。
 お年寄りとは思えぬ挙動。

「くっ……!」

 リゴールは背を反らせ回避しようとした。

 が、今度は先ほどのようにはいかず。
 刃を右脇腹に受けてしまった。

「リゴール!」

 思わず高い声を発してしまう。

「問題ありません! エアリ、援護を!」
「そ、そうね!」

 この高齢男性、ただの高齢者ではなさそうだ。
 常人とはかけ離れた戦闘能力を持っている。油断はできない。

 ただ、二人でかかれば、そう易々と負けはしないはず。

「挟み撃ちね!」
「はい!」

 そうは言ったものの、仕掛けるタイミングが難しい。というのも、高齢男性は常にこちらにも意識を向けているのだ。見ているのはリゴールの方なのだが、背後への警戒も怠っていない。隙の無い背中だ。

「ふぉ!」
「……くっ」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ」
「……っ」

 高齢男性とリゴールの攻防が続く。

 だが、リゴールは防御に必死で、反撃する隙を見つけられていない。

 彼は小柄ゆえか動きが素早い。その素早さのおかげで、高齢男性の杖による攻めを何とかかわし続けられているようだ。

 けれど、得意の魔法を放つタイミングは与えてもらえていない。

 このまま同じことを続けていたら、リゴールはいずれ負けてしまうことだろう。彼の体力が尽きた時が、敗北の時だ。

 高齢男性の背に隙はない。
 それでも、仕掛けなければ。

 倒せなくてもいい。
 リゴールに魔法を打つ隙を与えられるだけでも十分。

 そう考え、私は踏み出す。

 大きな一歩。そして、剣を振る。

「ふぉ、ふぉ」

 剣の刃部分が背に触れかけた刹那、高齢男性は振り返る。
 ほうれい線がくっきり現れた口元にうっすらと笑みが浮かぶのが見えた。

「え……」
「ふぉぉぉぉ!」

 直後、剣を握る右腕に鋭い痛みが走る。

「あっ……」

 痛みのせいでほんの数秒脱力し、剣が手からするりと落下する。

 これでは攻撃できない!

 そう焦った、直後。

「ふ——ふぉぉぉぉぉぉ!?」

 私へ意識を向けていた高齢男性の背に、黄金の光の線が幾本も突き刺さる。

 凄まじい黄金の光が、室内を満たす。
 恐ろしいくらいの輝き。

 私はハッとしてリゴールの方へ視線を向ける。すると、本を片手に険しい表情をしている彼の姿が見えた。やはり、この凄まじい魔法を放ったのは彼だったようだ。

「ふぉ、ふぉ、ふぉ……」

 リゴールの魔法をもろに受けた高齢男性は、掠れた声を漏らしつつ、ゆっくりと倒れ——床に倒れ込んだ直後に消滅した。

「エアリ!」

 高齢男性が消滅したのを見るや否や、リゴールは駆け出す——そして、飛びついてきた。

「えぇ!?」
「あ、あわわ……!」

 リゴールの体は華奢で軽い。だがそれでも、勢いよく飛びかかってこられたら、何事もなかったかのように立ってはいられず。私はよろけて、地面に倒れ込んでしまった。私が倒れ込んだことによって、リゴールも倒れ込んでしまう。

「……っ!」

 結果、リゴールに被さられる形になってしまった。

 顔と顔が近づく。
 彼の青い瞳が、すぐ傍にまで迫る。

「り、リゴール……」

 私がそう漏らした、直後。
 リゴールの顔が真っ赤に染まった。

「あっ、あああ!」
「え、ちょ、何? 何なの?」
「申し訳ありません! こんなことになってしまって!」

 リゴールはリンゴのような顔になりながら、私の上から飛び退く。表情を見た感じ、かなり慌てていそうだ。

「こ、このような積極的なことをするつもりでは……」

 いや、ちょっと待ってほしい。

 積極的なこと?
 何なのか、その表現は。

「大丈夫よ。落ち着いて、リゴール」
「は……はい……」

 頷きはするものの、リゴールはまだ赤い顔をしている。

 ——そんな時。

「王子、先に怪我の手当てを済まされた方がよろしいかと」

 ベッドに寝たまま一部始終を見ていたデスタンが、淡々とした口調で言葉をかけてきた。
 その言葉を聞いて、私は思い出す。リゴールが負傷していたということを。

「そうだったわね。リゴール、脇腹は?」
「え?」
「怪我してたでしょ」

 するとリゴールは目をぱちぱちさせ、続けて、自身の脇腹へと視線を落とした。それから二三秒が経過した後、面を上げて苦笑する。

「そうでした。失念していました。思い出させて下さってありがとうございます」
「思い出させてくれたのはデスタンさんよ」

 するとリゴールは、ベッドの上で横になっているデスタンへ視線を向ける。

「思い出させて下さってありがとうございます、デスタン」
「いえ。当然のことです」

Re: あなたの剣になりたい ( No.103 )
日時: 2019/09/22 17:12
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: tDpHMXZT)

episode.100 あなたの剣になりたい

 突如現れた高齢男性を倒した後、深手ではないものの負傷した私とリゴールは、手当てを受けることとなった。手当ては、慣れているバッサが行ってくれたため、比較的スムーズに完了。その頃になって、リョウカやエトーリアとも合流できた。色々あったが皆無事。それが分かり、私は安堵した。


「怪我、本当に大丈夫なの?」

 デスタンの部屋でバッサに手当てをしてもらい終えた私に、エトーリアが不安げな面持ちで声をかけてくる。

「大丈夫よ。ありがとう母さん」

 リゴールはベッドのすぐ傍へ行き、デスタンと何やら話していた。

「そう……それなら良かったのだけれど」
「心配かけてごめんなさい」
「いいの。無事でいてさえくれれば、それでいいのよ」

 エトーリアはそっと首を左右に動かす。

「でも屋敷……」
「幸い、被害も少なかったわ」
「良かった」

 リゴールと過ごすようになってから、もう結構な時間が経った。それゆえ、いきなりの敵襲というものにも慣れてきて。けれど、それによって屋敷に被害が出たりするのは、申し訳ない気持ちになる。だから、被害が少なかったと知ることができ、安心した。

「エアリ、頑張るのは良いことだけれど……あまり無理しちゃ駄目よ?」

 そう言って、エトーリアは私をそっと抱き締める。

 腕も、胸も、とても温かい。
 これが母親の温もりというものなのだろうか。

「分かってるわ、母さん」

 するとエトーリアは、唐突に、ふふっと笑みをこぼした。

「懐かしいわ……」
「え?」
「わたし、姉がいたの」

 ぽつりと呟くエトーリア。
 その表情は、どことなく切なげだ。

「お姉さん?」
「そう。年は二つしか違わない、姉だったわ。でも彼女は、私より年上なのに、ずっと頼りなかったの」

 エトーリアから姉の話を聞くのは初めてかもしれない。

「けれど、とても美しい容姿で……踊り子をしていたわ」
「踊り子?」
「そうよ。それなりに人気はあったわ。でも——」
「でも?」

 私は視線をエトーリアの瞳へ向ける。すると彼女は、一瞬、ハッとしたような顔をする。さらにそこから、気まずそうな表情へと移行した。

 何なの? と問いかけてみたいけれど、聞いてはならないような気がして。

「……いいえ。何でもないわ」

 そう言って、エトーリアは穏やかに微笑む。

「気にしないでちょうだい」

 その先を知りたいと、思わないことはない。けれど、話したくなさそうなエトーリアを見ていたら、聞くべきではないという気がして。だから私は、そっとしておくことにした。

 ——きっと、彼女は既にこの世にはいないのだろうし。


 その晩、リゴールと二人になる機会を得ることができた。

 と言っても、私が望んだわけではなく。彼の方から会いに来てくれたのである。

 私の部屋で二人というのは不安なのでは、と思っていたのだが、リゴールはもう平気そうだった。

「ミセさんは本日もやって来て下さったようでしたよ」
「そうだったのね」
「デスタンはあのような器用でない性格なので、誰かに頼るということができないのです。ですから、ミセさんが来て下さってホッとしています」

 リゴールは室内をうろつきながら、控えめに苦笑する。
 脇腹の傷はまだ癒えていないはず。重傷ではないにせよ、傷は傷だ。ずっと動いていて大丈夫なのだろうか。

「あのお方は、正直、あまり得意な雰囲気ではありませんでした」
「馴れ馴れしい振る舞いを嫌がっていたものね」
「はい。そうなのです」

 少し空けて、リゴールは続ける。

「けれど、今は感謝しています」

 柔らかな雰囲気をまとった声だった。

「デスタンは愛も優しさも知らずに育ってきたようでしたが、あの方ならきっと、デスタンにそれらを教えてくれるでしょう。わたくしとしても、それは望ましいことだと思います」

 私はリゴールほど、デスタンのことを知ってはいない。けれども、デスタンが愛や優しさを知らずに育ってきたのだろうということは、彼の振る舞いを見ていたら容易く想像できた。だからこそ、リゴールの発言には共感することができる。

 愛を知らぬ者には、誰かを愛することはできない。
 優しさを与えられたことのない者には、優しさを与えることはできない。

 それは当然のこと。

 そして、それらを知ることは、回り回って人生を豊かにしてくれる。

「リゴール、貴方って善い人ね」
「善い人だなんて……もったいないお言葉です。わたくしはただ、当然のことを思ったまで」

 それが世のすべての人たちの『当然』なら良かったのに。
 そうすれば、誰もが幸せに生きられたかもしれないのに。

「……当然じゃないのよ」
「エアリ?」

 でも、悲しいことに、現実はそんなに美しくできてはいない。

 誰もが当たり前に他人の幸福を願える世界——そんなものは、所詮幻想でしかないのだ。

「もし誰もが貴方みたいな善い人だったら……ホワイトスターは滅ぼされなかっただろうし、リゴールだって執拗に命を狙われたりはしていないはずよ。だって、それが皆の幸福に繋がらないと分かるはずだもの」

 人間誰しも、幸せに暮らしたい。
 その気持ちは私にも分かる。私とて人間だから。
 幸せを求めること、それ自体は罪ではない。むしろ人として当然のことだろう。誰も、不幸になりたくて生きてはいない。

 けれど、幸福を強く求める心は、いずれ他人を傷つけるようになる。

 ただ幸せを求めていただけの心は、いつしか、悪魔へと変貌するのだ。

「それはそうですが……」

 少し困ったような顔をしながら、リゴールはこちらを見つめてくる。
 小動物のような瞳でじっと見つめられ続けると、庇護欲を掻き立てられてしまう。

「でも、貴方はそんな人たちとは違う。貴方は他人の幸福を願える人。だからこそ、私は貴方の力になりたいと思うの」
「エアリ……」
「もっと強くなって、いつか、リゴールを護れるような人になるから」

 ここまで歩んできたから、もはや引き返すことはできはしない。ならば、ただ、前へ進むのみ。それしかないが、後悔はない。

 たとえ、茨の道を歩むことになろうとも。

 私は、あなたの剣になりたい。

Re: あなたの剣になりたい ( No.104 )
日時: 2019/09/24 18:59
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /ReVjAdg)

episode.101 面白くなりそうだね

「あーん! デスターン!」
「……無理矢理されては飲み込めません。困ります」
「えぇー。絶対美味しいのにぃー」

 あれ以来、ミセはほぼ毎日訪ねてきている。

 午前中にやって来て、デスタンの部屋へ直行。それからはずっと彼の傍に控え、彼の身の回りの世話をして一日を過ごす。そして、夕方頃に帰っていく。

 それがミセの日々の暮らし。

「ミセさん、今日も来て下さっていたのですね」
「あーら、エアリじゃない」
「いつもお疲れ様です」
「アタシは来れる限り毎日来るわよ。だって、愛するデスタンのためだもの」

 正直、ミセがここまでするとは思っていなかった。

 ミセの家からこの屋敷までは、結構な距離がある。行き来だけでも、そこそこ長い時間がかかるはずだ。少なくとも、気楽に行き来できるような距離ではない。

 たとえ相手を愛していたとしても、忙しい暮らしを継続する気力を保ち続けるのは簡単なことではないはず。それを迷いなく続けているミセを見たら、凄いと思わずにはいられない。

 少なくとも私にはできないこと。

 彼女だからできるのだ。

「さぁデスタン! 食べてぇ!」
「……大きな声を出すのは止めて下さい」
「静かにするわぁ。だから食べてちょうだぁーい」
「その不気味な話し方、止めて下さい」

 ミセは茶色いスープの入ったスプーンの先を、デスタンの口元へと持っていく。それに対し、デスタンは眉をひそめる。が、数秒経過してから、さりげなく口を開けた。ミセはすかさず、スプーンの先端を彼の口腔内へ突っ込む。

 ——しばらくして。

 スプーンがデスタンの口から取り出された時、茶色いスープは消えていた。

「美味しい?」
「そうですね……」
「美味しいのぅ? どうなのぉ?」

 ミセは執拗に聞く。
 どうやら、デスタンに「美味しい」と言ってほしいようだ。

 だが、デスタンの口から出たのは、厳しい意見だった。

「不味いとまではいきませんが、少し塩辛さが強いような気がしますが」

 空気を読んで褒めておかない辺りは、デスタンらしいと言えるかもしれない。が、個人的には「少しくらい気を遣っても良かったのでは?」と思わないこともなかった。

「えぇー、本当ぅ?」
「はい。塩がきついと喉が渇きます」
「デスタンたら正直ぃ」

 味を否定されても、ミセは微塵も動じていなかった。

 これも愛しているゆえなのか?
 私にはよく分からない。

 ただ一つ分かることがあるとすれば、それは、今の状況で私がここにいても何の意味もないということ。デスタンとの交流に夢中なミセには、私の存在など見えていない。

「ではミセさん、私はこれで失礼します」
「はぁーい!」

 やはり、思った通りの返答。ミセにしてみれば、室内に私がいるかどうかなど、どうでもいいことだったようだ。

 少し寂しい気はするけれど、幸せならそれが一番。
 そう思いながら、私はデスタンの部屋を出た。


 部屋を出て、扉を閉め、歩き出す。人のいない廊下は静か。妙だなと感じてしまいそうになるほど、静かだった。無論、私以外には誰もいないのだから当然なのだが。

 そんな廊下を、私は一人歩いていく。

 私たちはこれからどうなるのだろう?
 どんな景色を見ながら行くことになるのだろう?

 一人、そんなことを考えながら。


 ◆


 ブラックスターの首都に位置する、ナイトメシア城。その要塞のような城に併設された牢に監禁されているトランのもとへは、今日も、係の兵がやって来る。

「夕食の時間だ! 入るぞ!」
「……はいはーい」

 床に座っているトランは、気だるげな声で、係の兵を迎え入れる。

「喜べ。今日は少し良い夕食だ」

 兵士が持つお盆には、器が三つとコップが一つ。さらに、金属製のスプーンとフォークが一本ずつ乗っている。

 広げた手の親指から小指の距離程度の直径、三つのうち一番大きな器には、牛肉とネズミ肉を使った肉団子のトマトソース和え。一番浅い器には、干からびたパンが二つと赤いジャム。三つのうち一番主張のないサイズの器には、薄茶の具なしスープ。そしてコップには、濃い茶色の液体が注がれている。

「……良い夕食ー?」

 退屈そうに座り込んでいたトランは、ゆっくりと顔を上げる。

「あぁ、そうだ。ここのテーブルに置くぞ」
「どうしてー? 移動するのは面倒だから、ここに置いてよ」

 トランは、ぼんやりとした笑みを浮かべながら、自身が座っている近くの床を指でトントンと叩く。
 だが、兵士は首を左右に動かした。

「食事を床に置くことは許されない」
「えー、面倒臭ーい」
「食事の時くらい、移動しろ!」

 兵士が調子を強めると、トランは渋々立ち上がる。重苦しい動作で。

「仕方ないなぁ」

 立ち上がったトランはのろのろと歩き、テーブルの近くの椅子へぽんと座る。
 それから、彼は改めて、兵士の方へ視線を向けた。

「で?」

 いきなり疑問符の付いた発言をされた兵士は、困惑した顔で、思わず「え」と漏らす。

「どうして少し良い夕食なのかな?」
「……そ、そういうことか」
「どうしてー? あ。まさか、ボク処刑? ふふふ」

 自身の処刑などという物騒な発想をしておきながら、笑っている——トランは歪だった。

 その歪さに、兵士は戸惑った顔。

 が、それも当然と言えば当然のこと。
 正常なのは、どちらかといえば兵士の方だろう。

「いや、そうじゃない」
「じゃあ何ー?」
「今日、ブラックスター王が命令を発された」
「命令?」
「ホワイトスター王子殺害の本格的な命令だ」

 兵士の言葉を聞いたトランは「あぁ、なるほどね」と言い、納得したように一度目を伏せる。そしてゆっくりと瞼を開いた後、ふふふ、と笑みをこぼし始めた。

 その様子を見ていた兵士は、少しばかり動揺しているようで。トランを見つめる兵士の目は、まるで、狂人を見るかのような目だった。

「あぁ……これはなかなか面白くなりそうだねー……」

 トランは独り言のように呟く。

「ボクが無能だったわけじゃないって……王様が分かってくれればいいんだけどなぁ。……なんてね」

Re: あなたの剣になりたい ( No.105 )
日時: 2019/09/25 17:53
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: OSKsdtHY)

episode.102 真の剣で

 窓の外は薄暗い。空全体が、厚い雲に覆われ、灰色に染まっている。そして、大地には雨粒が激しく降り注ぐ。

 雨降りは久々だ。

 けれど、嫌いではない。
 こんな日にしか感じることのできない湿り気。私はそれが、案外好きだったりする。

 ただ、外へ出掛けられないことは少し残念だ。
 晴れていれば、どこかへ出掛けることもできただろうに。

 そんな思いを掻き消すように、私は訓練に取り組む。

 もちろん、リョウカに協力してもらいつつの訓練だ。

 まずは素振りや簡単な運動で体を起こす。それからが訓練の本番だ。木製の剣を手に実践に近い形式で対戦をしたり、フラッグ取り競争で息抜きしたり。

 動くことは疲れる。
 だが、嫌だとは思わない。

 薄暗い日だからこそ、動いている方が心が落ち着く。じっとしているより心地よいのだ。

 先日、高齢男性との交戦で腕に怪我を負った時は、剣の扱いに支障が出ないか少々不安になった。が、問題はなさそうだ。怪我は順調に治ってきているし、動きもそれほど落ちていない。

「ふぅー。エアリ、急成長したんじゃない?」

 十本勝負、五勝五敗。
 本気を出されれば勝ちようがないだろうが、多少手加減してくれているリョウカにならちょくちょく勝てるようになってきた。

「そう?」
「うんっ。動きが良くなってるよ!」

 リョウカは、向日葵のような笑みを浮かべると同時に、私の動きを褒めてくれた。
 素人の目さえも惹きつける華麗な剣技を持つ彼女に褒められると、嬉しくて、ついうっかり顔面を緩ませてしまいそうになる。だから私は、だらしない顔をしてしまわないよう、常に意識している。

「そう言ってもらえたら嬉しいわ。けど、まだまだよ」
「十戦で五勝! 誇っていいよ!」
「ありがとう、リョウカ」

 礼を述べてから、私は恐る恐る言う。

「もし大丈夫なら……もう一度付き合ってもらっても構わない?」
「十本勝負?」
「えぇ。それと、今度は木の剣でなく、本物の剣でやってみるというのはどうかしら」

 付き合ってもらっている身で提案をするなどおこがましいかもしれない。そう思いはしながらも、勇気を出して言ってみた。

 するとリョウカは快晴の空のような声で返してくる。

「本物の剣! エアリ、なかなか面白いねっ」
「どうかしら……」
「あたしはいいよ。エアリはペンダントの剣を使うの?」
「そうしようと思うわ」

 首元からペンダントを取り出す。
 その瞬間、問題を思い出した。

「あ」

 根本的なところの問題を。

「どうかした?」
「そうだった……このペンダント、リゴールを護るためにしか剣にならないんだったわ……」

 リゴールが近くにいるわけでもない。彼を狙う敵が迫っているわけでもない。危機も何もないこの状況では、ペンダントを剣に変えることはほぼ不可能。

「えぇっ、そうなの!?」
「ごめんなさい……やっぱり、本物の剣で戦うのは無理そうね……」

 実際敵とやり合う時に使うのは、このペンダントの剣。
 だから、この剣でも訓練を行ってみておきたかった。

 けれど、ペンダントが剣に変わってくれないことには、どうしようもない。訓練なんてできっこない。

 そう思い、少し落ち込んでいると。

「あ! じゃあさ、リゴールをここに呼んだら良くない!?」

 リョウカが提案してきてくれた。

「でも、危機じゃないと使えるかどうか分からないわ……」
「あたしがリゴールに攻撃を仕掛ければ、変わるかもよ!?」
「……そこまでしてくれるの」

 ペンダントの剣を使っても練習もしておきたい、という本音は今も変わらない。だが、リョウカに加えリゴールにまで協力してもらうとなると、申し訳ないという気持ちが膨らんでしまって。

「あたしにしてみれば、お安いご用だよ!」

 だが、そんな罪悪感は、リョウカの言葉によって消えた。

「ありがとう、リョウカ」
「じゃあ早速! リゴールを連れてきてみて!」
「そうね。呼んでみるわ」

 こうして、私はリゴールを呼びに行くことにした。


 玄関から入ってそこそこ近くにある広間でリゴールを発見した私は、彼に事情を説明した。そして、訓練に協力してほしい、というようなことをお願いした。すると彼は、「承知しました、エアリ。お任せ下さい」と、快く頷いてくれて。話は非常にスムーズに進んだ。


 リョウカのいるところへリゴールを連れていき、早速訓練を再開する。

「じゃあ予定通り、あたしが彼を狙うね!」
「頼むわ、リョウカ」

 部屋の中央にリゴール。
 彼を静かに見据えるのは、刀という名の剣を手にしたリョウカ。

 私はその間に立つ。

 右手にペンダントを握りながら。

「行っくよー!」

 リョウカは風を切り、走り出す。
 接近まで時間はない。

「剣!」

 ペンダントは白い輝きをまとう。
 そして、みるみるうちに形を変え、剣となった。

「ふっ!」
「ん……くっ……!」

 リョウカの手に握られた刀の刃部分が迫る。
 私は咄嗟に柄を当て、それを防ぐ。

 ——そして幕開ける攻防。

 剣を握っていると、木製の剣での訓練との感覚の違いを、改めて感じた。

 まず、握っている柄の素材が違う。そのため、剣を持つことそれだけでも、いつもと異なる感覚を覚えずにはいられない。

 そして、重みも違う。長さ自体はほぼ同じなのだが、こちらも素材の違いゆえに重量が異なる。そのため、剣を振る際の力の入れ方も、少し変えなくてはならない。自身が思う振り方をするためには、どの程度の力を使うのか——ペンダントの剣を実際に使用することによって、それが、徐々に明確になっていくような気がする。

 それらの違いもかなり大きくはある。

 が、最も大きい違いは、それらではない。

 木製の剣での訓練と一番違ってくるところは、緊張感。

 相手もこちらも、本物の剣を使っている。それはつまり、少しでも気を抜けば斬られるかもしれないということ。

 斬られる可能性が生まれた瞬間、模擬戦は単なるお遊びではなくなる。お遊びの要素は消え去り、真の戦いへと姿を変える。そこに残るのは、緊張感。そして、奪われるかもしれないと思うことで初めて湧き上がる、生への執着。

 本物の剣を使って戦うことの一番の意味は、実戦に近い心境で戦えることかもしれないと、私は密かに思ったりした。

Re: あなたの剣になりたい ( No.106 )
日時: 2019/09/26 12:13
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: nWfEVdwx)

episode.103 雨降りは終わらない

 ペンダントの剣を使っての十本勝負、私は四勝六敗だった。

 日頃訓練で使っている木製の剣とはコントロールする際の感覚が大きく違っていて。それにすべての責任を押し付けるわけではないが、感覚の違いゆえ剣を思った通りに操れず、負けの方が多いという結果になってしまった。

「剣変えてみてどうだった? エアリ」
「そうね……何だか怖かったわ」

 リョウカの問いに、私は正直に答えた。

「怖かった、って?」
「えぇ。実際に斬られる可能性があるもの、恐怖心を抱かずにはいられなかったわ」

 訓練という意味での戦闘なら、星の数ほど重ねてきた。だが、実際に戦った経験は、まだほんの数回しかない。それゆえ、緊張感の中で戦うという経験が、私にはまだ足りていない。今回の十本勝負で、それを改めて思い知った。

「ま、けど、そういう経験も必要かな?」
「えぇ。そう思うわ」

 実戦は多分、こんなものではない。

 今は訓練の一環だから、リョウカは手加減してくれているはず。少なくとも、本気で倒しにかかってきてはいない。

 だが実戦になれば、手加減などありはしない。

 敵は本気でかかってくる。負けまいと、がむしゃらに来るだろう。
 そうなれば、もっと熾烈な戦いになるはずだ。

 その緊張感にも潰されない強い心を身につけなくては。

「素晴らしい剣|捌《さば》きですね、エアリ」
「協力してくれてありがとう、リゴール」
「いえ。わたくしにできることがあれば……何でも仰って下さい」

 十本勝負を終えた私に、協力者のリゴールは温かく接してくれた。

「……あ、そうでした」
「何?」
「エアリ、訓練はこれで一旦休憩ですか?」
「えぇ。そうなると思うわ」
「では! わたくしがお茶を持って参ります!」

 リゴールは嬉しくてたまらないというような笑みで、そんなことを言ってくれる。

「リョウカさんの分もお持ちしますね」
「えーっ! あたしまで? いいのっ?」
「はい。それでは、少し失礼します」

 笑顔のリゴールは、丁寧にそう言ってから、軽く頭を下げる。
 そして、部屋から出ていった。

 室内から彼の姿が消えた瞬間、リョウカが私に声をかけてくる。

「彼、意外といい人だね!」

 リゴールがいい人。
 その発言には、全面的に賛成する。

 それは、私も常々思っていることだから。


 待つことしばらく。
 リゴールが戻ってきた。

 彼が両手で丁寧に持つ円形のお盆には、透明なグラスが二個。そこには、赤茶色の液体が注がれている。

「お待たせしました」

 柔らかく微笑みながら述べるリゴールに、リョウカは小走りで寄っていく。

「おおっ! もうできたの!?」
「はい」

 話に入りそびれてしまった。

「凄! 早!」
「光栄なお言葉です」
「何でもできるんだねっ」
「いえ。何でもとはいきませんよ」

 たおやかに言って、リゴールはこちらへ歩いてくる。そして彼は、私の前で足を止めた。

「どうぞ」

 グラスを差し出されたが、すぐに受け取ることはできなかった。というのも、心の準備ができていなくて。

「エアリ?」
「あ、ごめんなさい」
「もし良ければ、どうぞ」
「ありがとう」

 差し出された瞬間からかなり時間が経ってから、私はグラスを受け取った。

 透明なグラスは、赤と茶を混ぜたような色みに染まっている。ただのお茶という感じの色彩ではない。どこか不思議な、魔法のような、そんな色合いだ。

 私が一人意味もなくグラスを眺めていると、リョウカがリゴールに尋ねる。

「あたしも貰っていい!?」
「はい」
「ありがと! 助かるっ」

 リョウカは、お盆の上に残っていたグラスを自ら手に取ると、鑑賞することもなく飲み始める。
 多めの一口をごくりと飲み込み、リョウカは明るい声で言い放つ。

「凄い! 美味しいよ、これ!」

 美味しいという意見を聞くと、飲みたい気持ちが高まる。そこで私は、鑑賞することを止め、グラスの端に唇をつけた。グラスは冷えていて、端に唇を当てると、口元にひんやりした感覚が駆ける。運動の後だけに、その冷たさが心地よい。

「……さっぱりしてる」

 思わず漏らした。
 するとリゴールは確認してくる。

「気に入っていただけましたか?」
「えぇ、美味しいわ」

 厳しい訓練の後に、美味しい飲み物とほのぼのとした会話。
 こんな幸せなことは、世の中なかなかない——そんなことを思ったりした。


 翌日も、その次の日も、雨。
 世は薄暗く、空は一面灰色で。降りしきる雨は、いつまでも止みそうにない。

 単なる雨季なのかもしれない。ただ、こんな大雨が続いたことは、私の記憶にはなくて。だから、降り止まぬ雨を、妙に不気味に感じてしまう。

 そんな中でも、ミセはデスタンのところへ来てくれていたし、使用人は買い出しに行ってくれていた。
 彼女らにとっては、大雨など、何の意味も持たぬことだったのかもしれない。

 でも、私にはそうは捉えられなくて。

 天気は、心。
 空は、心映し出す鏡。

 そして、逆もまた言える。

 それゆえ、雨空が続けば続くほど、胸の内も暗くなっていってしまうのだ。


 降雨が続いていた、そんなある日。何の前触れもなく、ウェスタが屋敷を訪ねてきた。銀の髪を湿らせることさえ躊躇わず。

 バッサから訪問者があったと聞いたことで、私は、訪問者の彼女——ウェスタと顔を合わせることになった。

「久々ね、ウェスタさん」
「いきなり申し訳ない」
「構わないわ」

 濡れていた彼女を屋敷の中へ招き入れ、タオルを渡し、二人きりで話を始める。

「それで? 何か用?」

 まずはこちらから問う。
 するとウェスタは、濡れた体をタオルで拭きながら返してくる。

「伝えねばならないことがある」

 ウェスタの表情は真剣そのもの。彼女の顔には、「冗談」の「じょ」の字もない。

「……ブラックスターが、本格的に動き出した」

 冷ややかな声で告げられたその内容に、思わず喉を上下させてしまう。得体の知れない緊張感に襲われ、背筋には氷に触れたような感覚が走る。

「それは、どういう意味?」
「……ブラックスターの術の気配を感じた」
「そんなものが分かるの?」
「分かる。ブラックスターの術を使うことのできる者なら……誰でも」

 ウェスタの視線は真っ直ぐで、嘘をついているとはとても思えない。いや、そもそも、彼女が私たちを騙す意味などないはずだ。ブラックスターに所属していた時代ならともかく。

「あくまで警告。……詳細を伝えられないことは、申し訳なく思う」

Re: あなたの剣になりたい ( No.107 )
日時: 2019/09/29 04:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gZQUfduA)

episode.104 ギョロリ

 ブラックスターが動き出したと、ウェスタから聞いた。しかし、私はまだ理解できていない。動き出したとだけ言われても、何をどう理解すれば良いのか分からなくて。

「伝えに来てくれてありがとう、ウェスタ」

 ひとまず礼を述べておく。
 すると、ウェスタは首を左右に動かした。

「いえ」

 伏せた目を囲む銀色の睫毛は、思わず撫でたくなるような柔らかさだ。

「ウェスタさん、一つだけ聞かせて。私たちはどうするべきなの?」
「……それは、分からない」

 少し空けて、ウェスタは続ける。

「ただ……戦闘の準備はしておいた方が良いと、そうは思う」

 ウェスタが発する言葉は、なぜか、不思議なくらいの説得力があった。彼女の言葉からは、ただ聞いただけなのにすんなり納得してしまうような力が感じられるのだ。

「戦闘準備……」

 半ば無意識のうちに、独り言のように呟いてしまった。
 そんな私を見てか、ウェスタは小さく口を開く。

「……戦力が不足しているというのなら、協力しても構わないが」
「協力してくれるの!?」

 ウェスタの提案は、想定外の提案だった。

「……そちらが望むのならば」
「望む! 望むわ!」

 既に戦いから降りた者を再び争いに巻き込むなんて、望ましいことではないだろう。けれど、それでも、貸してもらえるならば貸してほしいと思わずにはいられない。敵襲の可能性がある以上、戦闘能力のある味方が一人でも多くいてくれる方が安心だから。

「あ……けど、この屋敷で受け入れることができるかどうか分からないわ。人が増えてきて、今は手が一杯だから……」

 まず、空き部屋があるかどうか分からない。それに、彼女にもここで暮らしてもらうとなれば、色々準備を整える必要があるだろう。食事、洗濯、入浴。一人増えるだけで、とにかく色々な用事が増えてしまうのだ。

「……元より、ここで暮らす気はない」
「そうなの?」
「この屋敷の近くでブラックスターの力を感じたら、駆けつける。それなら……そちらの負担も減るはず」

 ウェスタはタオルで腕を拭きながらそう述べた。

「じゃあ、それでお願いするわ」

 私に絶対的な決定権があるわけではないが、この程度の内容なら、勝手に決めても文句を言われはしないだろう。

「構わない?」
「……分かった」

 念のため確認すると、ウェスタは静かに頷いた。

 彼女が本当に味方してくれるのか、はっきりとは分からない。絶対、という保証など、どこにもありはしない。

 だがそれでも、今は信じようと思っている。


 ウェスタは、告げるべきことを告げると、すぐに去っていった。

 その後、私はエトーリアのところへ行って、近いうちにブラックスターの輩が来るかもしれないということを伝えた。また、ウェスタが力を貸してくれると言っていたことも、彼女に話した。

 エトーリアは困惑したような顔をしていたけれど、最終的には「良かったわね」と言ってくれ。私はその言葉を聞き、ホッとした。


 さらに三日ほどが経過した、雨降りの日。
 午後、自室のベッドの上にてリゴールと指で遊んでいたところ、バッサが駆け込んできた。

「エアリお嬢様!」
「バッサ?」
「屋敷付近にて、またしても、不審な者が発見されました!」

 バッサが部屋に駆け込んできた時点で薄々気づいてはいたが……やはりブラックスターの手の者なのだろうか。

「そうなの!?」
「外出中のエトーリアさんには、既に連絡しております」
「母さんは仕事?」
「はい」

 指遊びを中止し、ベッドから下りる。
 ペンダントは確かに胸元にある。これなら、敵が攻めてきても対抗できるはず。

「ところでバッサ、不審な者って?」
「目撃情報によれば、怪しげな男性だそうです」

 怪しげな男性、か。

 心当たりがあまりない。

 グラネイトは戦いから下りてくれたはずだし、トランなら「怪しげな男性」という表現はされそうにない。せめて「怪しげな少年」だろう。

 そこを考えると、私の知らない者の可能性が高いと考えて問題ないかもしれない。

「ミセさんは?」
「いらっしゃっています。現在はデスタンさんのお部屋に」
「一応知らせておいた方が良いかもしれないわね」

 すぐ隣に立っているリゴールは、不安げな眼差しをこちらへ向けている。今の彼は、顔全体を強張らせていた。

「承知しました。ではお伝えして参ります」

 バッサは帽子を被った頭を一度だけ軽く下げ、部屋から出ていった。
 彼女の姿が部屋から消えてから、私はすぐ隣のリゴールと顔を見合わせる。

「やはりブラックスターでしょうか……」
「その可能性が高そうね」

 僅かに言葉を交わした瞬間、リゴールの表情が暗くなるのを感じた。微かに引いた顎の角度が、そう見せているだけなのかもしれないが。

「大丈夫よ」

 私は片手を伸ばし、彼の肩をポンと叩く。

「これまでだって乗り越えられた。だから大丈夫」

 大丈夫だという保証はない。
 けれど、それでも、彼に不安を感じてほしくなくて。

「……そうですね」

 だから笑おう。
 笑みを絶やさずにいよう。

 ——せめて。


 それから一時間ほどが経過した頃、何者かが扉をノックした。コンコン、と軽い音。

「何でしょう……?」
「きっとバッサよ! 開けてみるわ」

 私は速やかにそちらへ駆け寄り、ノブを掴んで、扉を開ける。
 そして、唾を飲み込んだ。

「……っ!」

 開けた扉の細い隙間から、ギョロリとした赤黒い瞳が覗いていたからである。

 リゴールが背後から「エアリ?」と声をかけてくるのが聞こえた。けれど、何か言葉を返すことはできなかった。目の前の不気味な瞳が恐ろし過ぎて。

 私はすぐに、扉を閉ざす。
 できるなら見なかったことにしたい。

「エアリ? 何があったのです?」
「……バッサじゃなかったわ」

 リゴールは怪訝な顔で歩み寄ってくる。

「何なのですか?」

 彼はそう問うけれど、すぐには答えられなかった。ほんの一瞬見てしまったものを、どう表現すれば良いか分からなくて。

「化け物でもいました?」
「……そう」

 震える唇から、声がこぼれた。
 きょとんとした顔をするリゴール。

「え。化け物がいたのですか」
「そんな感じかしら」
「何をご覧になったのです?」
「……目」

 するとリゴールは、顔に、驚きの色を浮かべた。

「目、ですか……」

Re: あなたの剣になりたい ( No.108 )
日時: 2019/09/29 04:38
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gZQUfduA)

episode.105 やり取りしつつ

 扉一枚挟んだ向こう側に、不気味な生物が存在している。そう考えると恐ろしく、扉を開ける気になれない。皆と合流するには部屋から出なくてはならないわけだが、今この扉を開けてしまったらそれが戦いの幕開けになりそうで、ノブに手をかける勇気が出なかった。そんな私に、リゴールは声をかけてくる。

「大丈夫ですか? エアリ。顔色が良くありませんよ?」

 すっきりした顔立ちの彼に見つめられると、日頃なら、少しはドキッとしたかもしれない。けれど、今の状況においては、見つめられて胸の鼓動を速めている余裕はなくて。

「え、えぇ……ただ、開けてみる勇気がなくて」
「その目とやらが怖いからですか?」
「情けないことだけれど……そうみたい」

 するとリゴールは真剣な顔つきになり、落ち着きのある声色で「ではわたくしが開けます」と言ってくれた。

 先ほど一瞬扉を開けた時に見えたのは、目だけだった。つまり私は、扉の向こう側にいる何者かについて、ほとんど何も知らない状態なのだ。だが、それゆえに、恐怖心が高まるのかもしれない。人間は知らぬことや見たことのないものほど、異様に恐れるものだから。

「頼んで構わない?」
「はい。もちろんです」

 そう言って、本を取り出しつつ、扉のノブを掴むリゴール。

「リゴール、大丈夫?」

 彼とて無敵ではなかろう。見えぬものへの恐れも、少しくらいはあるはずだ。だから私は、確認のため質問してみた。

 けれど、リゴールは意外としっかりしていた。

「もちろん。お任せ下さい」

 彼はそう返し、微笑む。
 それは、夏の空のような、とても爽やかな笑みだった。


 扉がゆっくりと開く。
 その隙間には、やはり眼球。しかも、血のように赤黒い。

 それを目にしたリゴールは、ほんの一瞬、顔を強張らせた。が、すぐに落ち着いた表情になる。凛々しい目つきだ。

 人一人が何とか通れるくらいまで開いた時、赤黒い眼球の持ち主は、その隙間に入り込んできた。

「……入らせません」

 リゴールは息を吸い込む。

 そして、魔法を放つ。

 黄金の光が、扉と壁の隙間に向かっていく。
 室内に入り込もうとしていた薄緑の体の敵は、筋になった黄金の光をまともに食らい、焼けるように消えていった。

「行きましょう、エアリ」
「不用意に出歩いて大丈夫かしら……」

 またあんな生き物に遭遇するかもしれないと思うと、部屋から出る気にはなれなくて。

「エアリ? 不安なのですか?」

 リゴールは心配そうな顔で歩み寄ってきてくれる。
 彼のそんな姿を見ていたら、少し、申し訳ないような気分になってしまった。本当に不安なのは、私ではなく、彼の方だろうに。

「……平気。どうってことないわ」

 私は笑顔を作って返す。
 が、リゴールは怪しむような顔をするだけ。

「……本当ですか?」
「えぇ」
「本当に?」
「えぇ」

 ほぼ同じやり取りを二度繰り返した後、リゴールは柔らかに微笑んだ。

「分かりました。では参りましょう」


 私たち二人は廊下へ出る。

 いつもなら人のいない廊下は静かなのだが、今日は少し違っていた。何やら騒々しい。使用人がパタパタと行き来しているのも、日頃とは違う。

 リゴールと話し合った結果、まずはデスタンの部屋に行ってみることになった。

 ——だが、その途中でリョウカと遭遇。

「エアリ! リゴール!」

 リョウカは私たちをすぐに見つけ、小走りで寄ってくる。その面に笑みはなく、とにかく真剣な表情が浮かんでいて。ただ、それでも顔立ちの可愛らしさは消えてはいない。

「何か起こっているの?」
「そうそう! また敵襲とか何とか!」

 まったく、もう、面倒臭い。またか、と言いたい気分だ。

 でも、言えない。
 多少なりとも身の危険はあるわけだから、そんな呑気なことを言っていられるような状況ではないのだ。

「だからあたし、剣を取りに帰ってるところなの!」
「そうだったの」
「うんっ。戦わなきゃいけないかもしれないから!」

 リョウカまで巻き込まれるのだと思うと、とても明るくはいられなかった。だから、暗い顔になっていたのかもしれない。そんな様子を見てか、リョウカは問いかけてくる。

「エアリ、大丈夫? 何だか体調悪そうだよ?」

 またもや心配させてしまった。

「そんなことないわ。元気よ」
「そうは見えないけど……ま、いっか。とにかく、敵には気をつけて!」

 こうしてリョウカと別れた私とリゴールは、再び足を動かし始める。目的地であるデスタンの部屋にたどり着くために。


 デスタンの部屋に到着。
 その室内へ駆け込む。

 部屋には、ベッドに横たわっているデスタンとそれに付き添うミセ、二人だけがいた。

「あーら、エアリ。それにリゴールくん!」

 エアリの部分とリゴールの部分の温度差が、微妙に気になる。しかし、今は、そんな小さなことを気にしている場合ではない。

「デスタン」

 てってってっという軽やかな足取りでベッドに向かっていくのは、リゴール。

「無事ですね」
「はい」
「良かった……」

 リゴールはミセの存在を微塵も気にしていない様子。だが、相手がリゴールだからか、ミセの方もさほど気にしていないようだ。

「王子も、ご無事で何より」
「ありがとうございます」
「またしてもブラックスターですか?」
「はっきりとは分かりませんが……恐らくそうかと」

 リゴールは、ベッドの脇に座り込み、横たわるデスタンの片手をそっと握っている。デスタンは横になったままだが、髪に隠されていない側の瞳で、リゴールをじっと見つめている。

 そんな二者を後ろから見守るミセは、母親のような、穏やかな笑みを浮かべていた。

「いきなりお邪魔してすみません、ミセさん」
「あーら? いきなり謝るなんて、エアリ、おかしいわねぇ」

 何と返せば良いのか。

「驚かせてしまったのではありませんか?」
「別に。大丈夫よ」

 ミセの口調は驚くほどさっぱりしていた。
 こんな状況におかれているにもかかわらず、彼女はとても落ち着いている。声も動作も、冷静そのものだ。

「それより、ここ、本当に何がどうなっているの? 色々わけが分からないわぁ」
「で、ですよね……」

 ただ苦笑するしかなかった。

 私とて、すべてを把握できているわけではない。
 それゆえ、何とも言えないのである。

Re: あなたの剣になりたい ( No.109 )
日時: 2019/09/29 04:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gZQUfduA)

episode.106 ダッサ

 その時。
 修繕したばかりの扉が、突如開いた。

 乱暴な開き方ではなかったものの、室内の空気が微かに動き、それによって私は視線を後ろへ移した。

「ハロー」

 そこに立っていたのは、一人の少女。

 十代前半くらいに見える、あどけなさの残る目鼻立ち。しかし、その金の双眸そうぼうは少女らしからぬ鋭さをまとっている。瞳孔の目立つ、猫のような瞳だ。また、少女らしくないのは、そこだけではない。額には紋章のような入れ墨がある。そこもまた、迫力があり、少女らしくなさを高めてしまっているように感じられる。

 暗めの灰色をした髪は、両側頭部の耳より高い位置で黒いリボンによって結ばれている。その二つの房は、どちらも、肩に触れるか触れないかという程度の長さ。

 身長は高くない。が、極めて低いということもない。もし彼女が、見た感じの通り十代前半であるならば、年相応の身長と言えるだろう。

「来ちゃっタ」

 包帯を巻いたようなデザインの衣装を着た彼女は、いたずらっを意識したような声を発し、その場でくるりとターンする。

「……何者なの?」

 思わず尋ねてしまった。
 すると少女は、片手の大きく開いた手のひらで口を覆うようにして、挑発的に発する。

「プププ。ダッサ」

 まさかいきなり「ダッサ」などと言われるとは。
 この一言には、さすがに衝撃を受けてしまった。

「いきなり名前聞くとカ、ダッサ」

 生まれてからこれまでに出会った中で、最も生意気な少女だ。いや、最も生意気な者、と表す方が良いかもしれない。

 それゆえ、最初は驚きが勝っていたが、時が経つにつれ、今度は苛立ちが込み上げてきた。

 ——刹那。

 私の苛立ちを露わにするかのように、リゴールが勢いよく立ち上がる。

「貴女、無礼にもほどがありますよ」

 リゴールは凛とした声色で言い放つ。

「初対面の相手です。最低限の礼儀というものがあるでしょう」

 落ち着きのある表情、迷いのない声。
 それらはまさに『王子』というくらいに恥じない、偉大さを感じさせるものであった。

 だが、少女はそれすらも、笑いの対象に変えてしまう。

「プププ! くっだらなイ!」

 徐々に、室内の空気が冷えていく。
 物理的な寒さではなく、感覚的な冷え。

「おこちゃまのくせに偉そうにシテ、勘違いにもほどがあるってネ! ダッサ!」
「貴女ッ……!」

 挑発に乗せられたリゴールが、本を開く——が、次の瞬間、本は背後へ飛んでいってしまっていた。

「なっ……」

 しかも、少女は一瞬にして、彼の目の前まで接近。
 私の方が彼女に近かったのだから、私の目の前も通過したはず。それなのに、まったくもって見えなかった。

「一人かっこつけるとか、ダッサ」

 唇に挑発的な笑みを浮かべる少女。その手には、小型の黒い銃。十代前半の少女が持っても大きすぎるようには見えないくらい小型化された銃だ。彼女はそれを、両手で持っている。いや、厳密には、右手で握りそこに左手を添えていると表現した方が相応しいかもしれない。

「バイバーイ」

 少女はニヤリと口角を持ち上げ、呟くように言う。
 そして、小型の銃の引き金を引いた。

 パァン——と破裂音。

 鼓膜を貫きそうな大きな破裂音が、室内の静かな空気を揺らす。私は半ば反射的に目を閉じてしまった。

 ——少しして、瞼を開ける。

 リゴールは無事だった。

 彼の体の前には、黄金の膜。
 そして、その一部分から、黒に限りなく近い灰色の煙が、一筋立ち昇っていた。

 彼自身には怪我はなさそうなことから察するに、恐らく、リゴールは咄嗟に魔法の膜を張ったのだろう。そして、至近距離からの銃撃を防いだ。

 だとすれば、幸運だ。
 二メートルも離れていない場所からの銃撃にもかかわらず、負傷せずに済んだのだから。

「膜で防ぐとカ、セッコ」

 少女は愚痴をこぼしている。

 今なら!
 そう思い、ペンダントを握り直した——瞬間。

「させなーイ!」

 添えていた左手を私の方へかざしてきた。

 直後、その爪から、灰色の包帯のようなものが飛び出す。

 包帯のようなそれは、信じられない速さで向かってくる。そして、ほんの数秒のうちに、驚くべき勢いで私の体に巻き付く。

 腕も足もお構いなく。
 たった一本のそれに、ぐるぐる巻きにされてしまった。

「くっ……離して!」

 今度こそ力になれる、戦えると、そう自信を持っていたのに。これではすべてが台無しだ。ペンダントを剣に変えられたって、剣の扱いを学んだって、拘束されてしまっていてはどうしようもない。これでは、始まる前に終わっている。

「邪魔しないデ、そこでじっとしてテ」
「武器持って入ってきた人を放置なんて! できないわ!」
「そこで大人しくしてタラ、こっそり見逃しテあげてモいいヨ」

 身をよじり抵抗を試みる。しかし、どうしようもない。腕と足が動かせない状態で体を動かしたところで、包帯の拘束から逃れることはできなかった。

 その時、ふと、思い出す。

 ウェスタが力を貸してくれると言っていたことに。

 もし彼女がここへ来てくれたなら、魔法か何かで、この拘束を解いてくれるかもしれない。そうすれば、私は動けるようになり、戦いに参加できる。

 ……でも。

 ウェスタにこの危機を知らせる方法はない。

 どうすればこの状況を彼女に伝えられるのか。
 そんな風に悩んでいた時、私はふと、彼女の言葉を思い出した。

『ブラックスターの力を感じたら、駆けつける』

 彼女は確かに、そう言っていた。

 ——ならば方法はある。

「見逃してなんていらないわ! だから早く解放してちょうだい!」
「何それ? 命乞いとかダッサ」
「ダサいのは貴女の方でしょ!」
「ン?」

 少女に術を使わせればいい。
 そうすれば、離れたところにいるウェスタも気づいてくれるはず。

 とはいえ、実際にウェスタがここへ来てくれるのかどうかは不明だ。所詮口約束。向こうが守ってくれるとは限らない。来てくれない可能性も、ゼロではないわけで。

 そんな不確かなものに頼ろうとするなんて。
 私はどこまでも弱い人間だ。自分でもそう思う。

「攻撃してきたわけでもない人を虐めるなんて、最低よ! ダッサの極みだわ!」
「うるさいッテ、黙ってッテ」
「いいえ、黙らない! 解放してくれるまで、言い続けるわ。貴女はダサいってね!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.110 )
日時: 2019/09/30 11:55
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5TWPLANd)

episode.107 煽る

 煽り過ぎるのはどうか、と、思わないこともない。だが、今はそれしかないから、仕方がないのだ。

「かっこつけてるのがダサいならね! 弱い者虐めをするのは、その百倍ダサいのよ!」
「……ウッザ」

 少女は不快そうに顔をしかめながら漏らす。
 どうやら彼女は、挑発に乗ってきてくれるタイプのようだ。それならまだ、やりようはある。

「分かったなら離しなさい!」
「離せ? バーカ。言われて離すわけないカラ!」

 少女は舌をべーっと伸ばしてくる。だが、そのような態度を取られることは想像の範囲内。むしろ、乗ってきてくれてありがとう、という感じだ。

「残念だけど、馬鹿はそっちよ。他人のことを簡単に馬鹿呼ばわりするんだもの」

 少女の意識が私へ向いている隙に、リゴールは後ろへ飛ばされた本を拾っていた。
 ただ、意外なことに、少女はリゴールを攻撃しなかった。小型の銃はまだ構えている。だから、すぐにでも攻撃できそうなものなのに。

「私や彼を見下したいなら、せめて、名乗ることくらい覚えたら?」
「うっさい、黙レ!」

 少女は叫び、リゴールに向けていた小型銃の先端をこちらへ向け直す。

「魔弾銃の餌食になレ!」

 小型の銃——魔弾銃より、灰色の弾丸——厳密にはエネルギー弾が、飛ぶ。風を切り、飛ぶ。その速度は、目に留まらぬほど。

 魔弾銃の先端から飛び出したエネルギー弾は、動けない私に命中。
 ただ、包帯のようなものがあったおかげで、エネルギー弾の直撃を受けることは免れた。

 破裂音と衝撃は確かにあったけれど、ダメージ自体はあまりない。多少驚いた程度である。少女も愚かだ。包帯を外していれば、私へダメージを与えることだってできただろうに。

 ……もっとも、私からすればラッキーだったのだが。

「エアリ! すぐ助けます!」

 リゴールが言い放つ。

 私はこんな時に限って、「それを言ったら、敵にバレてしまうのではないか」などという冷めたことを考えてしまった。

 助けると言ってくれたこと自体はありがたいことなのに。

「プププ! そんなこと言うとカ、馬鹿っみたイ!」

 やはり予想通りの展開。
 案の定、少女の意識がリゴールの方へ向いてしまった。

 少女は一瞬にして、魔弾銃の銃口をリゴールの方へ戻す。そして、引き金を引いた。灰色のエネルギー弾が宙を駆ける。

 が、リゴールはそれを防御膜で防ぐ。

 そして、少女に向かって直進する。

「直進!?」

 リゴールが真っ直ぐ突っ込んでくることに動揺しつつも、少女は弾丸を放つ。
 しかしリゴールには防御膜がある。だから、少女の放つ弾丸は効かない。命中はしても、黄金に輝く膜が威力を殺してしまうのだ。

 みるみるうちに距離が詰まる。

「……参ります!」

 本を開く。

 溢れるは、黄金の輝き。

 目を傷めそうなほど目映い光に、少女の顔がひきつる。

 ほんの一瞬だけ、青い双眸が煌めいて見え。数秒経つと、放たれる輝きは増す。光の洪水は、やがて、剣のようにも槍のようにも見える形を作り出す。

「覚悟を」

 リゴールの唇が微かに動く。
 それを合図にしたかのように、剣と槍を混ぜたような姿の光は少女に向かう。

「チョ……!?」

 生意気だった少女も、リゴールの想像を軽く越える攻撃には、さすがに怯んでいるようで。顔は強張っているし、発する声も上ずっていた。少し可哀想に思えてくるくらいに。

 ——そして、突き刺さる。

 少女に、リゴールの生み出した輝きが。

 武器のような形となった光が、少女に、包み込むように命中する。ただそれだけのことで、血の一滴も流れないというのに、凄まじい熱量。

 信じられない。
 理解できない。

 私はただただ、呆然とする外なかった。

 しかし、そのような状態になっているのは私だけではなく。ベッドの脇に移動しているミセも、同じように、呆然としていた。

 空気の流れが乱れ、熱いものが迫り来る。
 自分が攻撃されていると錯覚してしまうほどのエネルギー。

 ——気づいた時には、少女の姿は消えていた。

 もちろん、少女だけではない。私に巻き付いていた包帯のようなものも、すべて消滅していた。

「エアリに意地悪なことをする人は嫌いです!」

 リゴールは唇を尖らせつつ、吐き捨てるように言い放っていた。
 晴れて自由の身となった私は、リゴールに駆け寄る。

「ありがとう、リゴール」
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫よ」
「良かったです」

 リゴールは笑みを浮かべる。
 どことなく切なげな雰囲気のある笑みを。

「また役に立てなかった……ごめんなさい」
「いえ。怪我がないようで安心しました」

 すべてが終わった証拠もないのに気を抜くのは、良くないかもしれない。けれど、今だけはどうか、ホッとさせてほしい。

「リゴールくんって……案外凄いのねぇ……」

 デスタンの傍で待機していたミセが、感心したように漏らした。
 それに言葉を返すのは、デスタン。

「王子は本当はお強いのです」
「あーら、そうなのぉ? さすがアタシのデスタン! 詳しいのねぇ!」

 ミセは相変わらず、粘り気のある甘い声を出している。デスタンの方は少しずつ素を出していっているようだが、ミセは今でも最初と変わらない振る舞いだ。

「リゴールくんが超能力者だったなんてぇ、アタシ、知らなかったわぁ!」
「王子が本気を出した際の力。それは、どんな者でも倒せてしまうようなお力なのです」

 デスタンは淡々と、リゴールの強さについて語る。それを聞いたリゴールは、恥ずかしいからなのか、頬を赤らめていた。

「デスタンったら、知り合いが凄ぉい!」

 知り合いが凄い、て。

 少しばかり突っ込みを入れたくなってしまった。
 無論、実際に入れることはしなかったが。

「さすがねぇ! デースタン!」

 ミセは、両手でデスタンの片手を包むように握ると、自分の胸元まで引き寄せる。

「どうしたのです、ミセさん」
「いやね、デスタン! どうもしてないわぁー。アタシはデスタンのことが好き! それだけよぅ」

 この期に及んで、まだいちゃつくか。
 思わずそう言いそうになったくらい、ミセはデスタンに擦り寄っている。

 平常運転というか何というか。

「失礼かもしれませんが、少し鬱陶しいと思ってしまいます」
「あぁん、冷たいー!」

 ミセはデスタンを二人の世界に引き込もうと必死だ。だが、デスタンはさすがにデスタン。そう易々と乗せられはしない。

 そんな二人を見ていたところ、リゴールが声をかけてきた。

「そろそろ帰りましょうか、エアリ」
「もういいの?」
「ミセさんの交流を邪魔するわけには参りませんから……」

 空気を読んで、ということだったようだ。
 そういうことなら、と、私は頷いた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.111 )
日時: 2019/10/02 15:33
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kct9F1dw)

episode.108 間に合った

 一旦、デスタンの部屋から出た。
 ちょうどその時、廊下の向こうから、私の名を呼ぶ声が聞こえてくる。

「エアリ!」

 声がした方へ視線を向けると、こちらに向かって駆けてくるリョウカの姿が見えた。

 橙色の髪が揺れている。
 ロングではないから重苦しさはないが、結構激しい揺れだ。

 右手に刀を持っている。だが左手は空いていて。彼女はその左手を頭の上まで掲げ、左右に大きく振っていた。

 それを走りながら行っているのだから、かなり激しい動作である。

「大丈夫!?」
「えぇ! 無事よ!」

 私はそう返しつつ、手を振り返す。
 その頃には既に、リョウカはかなり近くにまで来ていた。

「リョウカは?」

 私たちが戦っている間、彼女もまた、どこかで敵と交戦していたはず。見た感じ目立った負傷はなさそうだが、パッと見ただけで判断してはならないと考え、尋ねてみた。

 すると、リョウカは顔面に向日葵を咲かせる。

「あたしは平気! 協力してくれた人がいたから!」
「協力?」
「そうそう! えーとね、ウェスなんとかって女の人とか!」

 ウェスタか。
 ということは、彼女は来てくれていたのか。

「それと、デッカイ背の男の人っ」
「デッカイ背?」
「名前忘れちゃった! けど、確か、ウェスなんとかさんの知り合い!」

 リョウカの説明はかなり大雑把なもので。けれど理解できないことはなかった。
 可能なら、もう少し分かりやすい説明をしてほしいところだが。

「……グラネイト?」
「そうっ、それ!」

 びしっと指を差されてしまった。

「二人も協力してくれたら、楽勝! 退けられたよっ」

 リョウカはウインクしながら元気そうな声を発する。
 彼女には陰りというものがない。

 ——否、ないわけではないのだろう。

 ただ、彼女はいつだって元気そうに見える。とにかく明るく、晴れやか。
 そんな振る舞い、私には絶対できない。

「そっちの戦いは終わったの?」
「うん! そだよっ」
「良かった。それで……二人はまだ、屋敷にいるのかしら」

 協力してくれたのなら、せめて礼くらいは言わせてほしい。

「うーん、絶対とは言えないかな。でもまぁ、終わったのがさっきだし、まだ玄関にでもいるんじゃない?」

 リョウカは首を軽く傾げながら、曖昧なことを言う。
 けれど、そこに悪意なんてものは存在していない。それは私にも分かる。リョウカは意図的に曖昧なことを言うような人ではない。
 つまり、彼女の言葉こそが、彼女にとっての真実だということなのだろう。

「ありがとう! 少し会いに行ってくるわ」

 リョウカに向けて放った瞬間、付近で待機していたリゴールが怪訝な顔で問いかけてくる。

「エアリ? どこへ行かれるのですか?」

 なんて捻りのない問い。
 少しそう思ったが、その思いは無視して、返す。

「二人のところよ!」

 ウェスタとグラネイトが来てくれているなら、会いたい。会って、協力してくれたことへの感謝を伝えたいのだ。

 その一心で、私は廊下を駆けた。


「ウェスタさん! グラネイトさん!」

 玄関に近づき、二人らしき背中が見えた瞬間、私は二人の名を呼んだ。

 直後、ウェスタが振り返る。
 私の声に反応してなのかどうかは、はっきりとは分からないけれど。

「ウェスタさん!」

 もう一度、彼女の名を呼ぶ。
 すると、振り返っていた彼女の瞳がこちらへ向いた。

「……あ」
「お願い、待って!」

 心の底からの思いを放つ。
 その結果、ウェスタは足を止めてくれて、彼女たちに追いつくことができた。

「来てくれていたのね! ウェスタさん!」
「……グラネイトも」

 ウェスタの言葉に、グラネイトの存在を思い出す。それから、視線を僅かに動かしていると、引き返してきているグラネイトが視界に入った。

「グラネイトさんも来てくれたのね、ありがとう」
「ふはは! 感謝されるのは心地いいものだ!」

 ……相変わらずのテンション。

 私はすぐに視線をウェスタへ戻す。

「ウェスタも、戦ってくれたのよね?」
「……少しは」
「ありがとう。感謝するわ」

 ウェスタも、グラネイトも、私やリゴールとは違う。ブラックスター出身の身でブラックスターと戦うというのは、少なからず葛藤があったはず。

 だからこそ、ありがとうと言いたいのだ。

「……べつに、感謝しなくていい」

 目を伏せ、静かに述べるウェスタ。
 その表情は夜の湖畔のよう。暗い空のもと、音はなく、微かな風が木々を揺らすだけの、湖の畔。そんな光景をイメージさせるような表情だ。
 そんな何とも言えない顔をしているウェスタに、グラネイトが覆い被さる。

「そう照れるな! ウェスタ!」
「……入ってこないで」
「感謝を述べられた時にはな! ふはは! と返せば、それでよし!」

 そんなことを言うグラネイトを見て、ウェスタは渋い顔。

「……今すぐ離れて」

 ウェスタは凄く不快そうな顔をしている。だが、それも仕方のないことかもしれない。赤の他人ではないにしても、異性にいきなり触られれば、渋い顔になってしまうのも無理はないだろう。

 愛し合っているならともかく、というやつだ。

「あまり恥ずかしがっていると損するぞ? ほら、このグラネイト様を見習ってふははと言ってみ——グハァッ!?」

 凄まじい勢いで喋っていたグラネイトは、鳩尾みぞおちに肘を入れられ、思わず涙目になる。

 気の毒なような、自業自得なような……。

「みっともないところを見せて、すまない」

 ウェスタは何事もなかったかのような静かな顔つきで、私の方を見つめて謝罪してくる。
 鳩尾を肘を突かれたグラネイトのことを心配してあげた方が良いのでは? と、少し思ってしまう部分はあるのだが。

「い、いえ……気にしないで……」

 私は控えめに返しておいた。
 そんな私に、ウェスタは話を振ってくる。

「また何かあれば来る」
「構わないの? ウェスタさん」
「もちろん……構わない。兄さんがいるのだから」

 ウェスタは、デスタンがいるから、こちらへ協力する道を選んでくれたのだろう。なら、たまには会えた方が良いのではないだろうか。

 そんなことを思い、私は尋ねてみる。

「そうだ、ウェスタさん。せっかくの機会だし、デスタンさんのところまで来ない?」

 だが、彼女は頷かなかった。

「……それは遠慮しておく」
「そうなの? でも、兄妹なら、会いたいのではないの?」
「いや……そこまで単純なことではない」

 単純なことではない、か。
 姉妹兄弟のいない私には、ウェスタの胸の内を理解することはできないのかもしれない。

Re: あなたの剣になりたい ( No.112 )
日時: 2019/10/02 15:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kct9F1dw)

episode.109 そんなのは思いやりじゃない

 その日、夕食の後、帰ってきていたエトーリアに呼び出された。

 あまり使われていない一室。木の窓枠がいかにも古そうな窓があり、そこからは、外の景色が見える。とはいえ、今は夜。だから外は暗く、それゆえ、窓から見える景色もはっきりとはしていない。木々のシルエットと灰色に塗り潰された空少しが見える程度で。ただ、かなり大きな窓なので、昼間であればもっと景色がはっきりと見えそうだ。

 そんな部屋に、私は呼び出されたのである。

 バッサからの伝言によれば「一人の方が良い」とのことだった。
 なので、私は、一人で部屋に入ったのだ。

 部屋の中では、美しい金髪を下ろし緩やかなラインのワンピースを着たエトーリアが待っていた。

「来たわね、エアリ」

 そんな言葉で私を迎えてくれたエトーリアは、室内に二つ置かれている一人掛けソファの片方に、足を揃えて座っている。

 長く伸びた金髪。滑らかな肌に、しわの少ない顔。少女的な印象を与える、体のラインの出ない白のワンピース。

 今のエトーリアは、まるで人形のよう。
 すべてが整っていて、美しく——しかしながら、どことなく不気味。

 母親に対し「不気味」などという言葉を使うのは、失礼と思われるかもしれない。だが、今私が感じているものに相応しい言葉は、他には見つけられないのだ。

「母さん……何か用?」

 気まずさを感じつつも、尋ねてみた。
 するとエトーリアは静かに口を開く。

「また敵襲があったのね」

 発言の意図が分からない。
 どう返せば良いのか。

「え、えぇ……そうなの。けど、皆無事だったわ!」

 私は悩みつつも、そう返した。

「そうね。安心したわ」

 エトーリアは微笑む。

 だが今は、その微笑みさえも、怪しげに感じられて。
 彼女の顔を直視できない。

「……ねぇ、エアリ」
「何?」
「こんなことを言っては貴女を傷つけることになるかもしれない……そう思って、今までは黙っていたわ。けれど、今日、言おうと決意したの」

 エトーリアは真剣な声色で言う。
 これから何を告げられるのだろう、と不安になりつつも、私は再び「何?」と返した。

「やっぱり、彼とは一緒にいない方が良いわ」
「……彼って、リゴールのこと?」

 戸惑いつつ確認すると、エトーリアはこくりと頷く。

「そう……怒らないで聞いてね、エアリ。わたし、やっぱり、エアリは彼と共に在るべきではないと思うの」

 どうして?
 なぜ、いきなりそんなことを言い出すの?

 頭の中が疑問符で満たされていく。
 エトーリアの発言の意味をすんなり理解することは、私にはできそうにない。

「これからもこんなことが続いたら危険だわ。だからエアリ……彼とは離れた方が良い。わたしはそう思うの。せめて、一緒にいないように心掛けるくらい、した方が良いわ」

 エトーリアはそんなことを言う。
 でも、同意はできない。

「私はそうは思わないわ」
「エアリ……なぜ分からないの? 彼といれば、敵襲が何度も繰り返されるのよ?」
「彼の力になると決めたの。だから私、今さら去れないわ」

 リゴールを護ろうと、彼の剣になろうと、そう決めたのだ。誰に何と言われようが、その決定を変える気はない。

「あのね、エアリ。わたしはただ、エアリに傷ついてほしくないだけなの」
「……傷ついてほしくないなら、そんなことを言わないでちょうだい」
「いいえ。言うわ。エアリはわたしの娘だもの」

 エトーリアは、きっぱりと言い放つ。

「彼は強くはないとしても男性だわ。でもエアリは違う。貴女は女の子。だから、エアリが無理して彼を護ろうなんて、しなくていいことなのよ」

 彼女が私の身を案じてくれているのだということは分かっている。心配しているからこそ、こう言ってくれているということは、理解できる。

 でも、彼女が言っていることは、私がリゴールを護らない理由にはならない。

 男だから、一人で生きてゆけるわけではない。
 女だから、誰かを護ってはいけないわけでもない。

「私はもう決めたの。彼の力になるって。……だから、心を変えるつもりはないわ」

「力になろうという想いは責めないわ。でもね、エアリ。それによってエアリ自身が傷つくのなら、わたしは母親として、その選択に賛成はできないの」

 緊迫した空気が室内を埋め尽くす。

 エトーリアは譲らない。
 もっとも、私も譲る気はないから、お互い様といえばお互い様なのだが。

「今からでも遅くはないわ。どうか身を引いて。ここには、わたしやバッサさんがいるじゃない。わたしたちと、穏やかに暮らしましょう」

 ——穏やかに。

 それは魔法のようであり、逆に呪いのようでもある。

 ——穏やかな暮らし。

 それはきっと素晴らしいこと。
 けれど、リゴールを失う悲しみは、その素晴らしさよりもずっと大きいだろう。

「……望まないわ、そんなこと」
「どうして? 平穏が一番じゃない。ゆっくり眠ることさえできない毎日なんて——」
「リゴールと離れたくないの! ……たとえ平穏を手にしたとしても、彼と別れる悲しみの方がずっと大きいわ」

 でも、これは私の我が儘。
 エトーリアの屋敷に住ませてもらっている私に、こんな我が儘を言う権利はないのかもしれない。

 ミセの家に住ませてもらっていた時、デスタンはずっと、ミセの望むデスタンを演じていた。それと同じで、私も、エトーリアの望む私でいなくてはいけないのだろうか。

 もし、そんなことを求められるのなら。

 なら私は、もう、ここに残る気はない。

「母さんがどうしても嫌なら、私、ここから出ていくわ」
「どうしてそうなるの」
「住ませてもらっている以上、我が儘は言えないわよね。だから、私はここから出ていくの。そうすればもう、母さんには関係ないでしょ」

 あの火事の後しばらくそうしていたように、エトーリアとは離れて暮らせばいい。大丈夫、きっとできる。リゴールの傍にいられるなら、きっと平気。

「待って、エアリ。そうじゃないのよ。わたしはね、ただ、エアリのことを思って——」
「そんなのは思いやりじゃない!」

 私は思わず叫んだ。
 エトーリアの言葉を、途中で遮って。

「善意の押し付けよ!」

 そう言って、私は部屋から飛び出した。


 なぜ、理解しようとしてくれないの!
 どうして、一方的なことばかり言ってくるの!

 駆けているうちに、涙が溢れた。悔しくて、悲しくて、どうしようもなく。ただただ、辛かった。

「っ……」

 途中で足が絡んで、転びかけ、床に座り込んでしまって。私はそこから、立ち上がることができなくて。

 エトーリアに腹が立っていた。
 でも、少し経って私は気づく。

 ——彼女は、鏡に映った私。

「母さんには関係ないこと……放っておいて……」

Re: あなたの剣になりたい ( No.113 )
日時: 2019/10/05 20:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gK3tU2qa)

episode.110 死んだように眠り

 その晩、私は死んだように眠った。
 座り込んだ後、暫し泣き、それから何とか立ち上がって。そうして自室へ戻ると、ベッドに飛び込み。そのまま寝たのである。

 優しいエトーリアがあんなこと言うなんて、信じたくなくて……。


 気づけば、朝。
 窓の外は晴れていた。

 まだ重い体を起こし、組んだ両手を上へと伸ばして、背伸びをする。

 太陽の光が降り注ぐ朝。こんな爽やかな朝は、いつ以来だろう。

 もうずっと雨が続いていたから気も重かったが、晴れてくれれば、きっと心も爽やかになってくるはず。そう思ったが——そんなに簡単なことではなくて。

 やはり、まだ、爽やかな気持ちにはなれそうにない。

 こんなに心が重いのは、昨夜あんなことがあったせい?

 ……いや、違う。

 多少は関係があるかもしれないけれど、エトーリアだけのせいではない。

 あぁ、なんて惜しい朝。
 空は晴れ渡り、私の心も晴れていたなら、きっと素晴らしい目覚めだっただろうに。

 一人そんなことを考えていると、誰かが扉をノックしてきた。

「エアリお嬢様! いらっしゃいますか?」

 バッサの声。
 私は少し迷ったけれど、バッサなら問題はないだろうと思い、「入って」と言っておいた。

 すると扉がゆっくり開き、バッサの張りのある顔が覗く。

「おはよう、バッサ」

 明るい声で挨拶しておく。
 無意味な心配をさせるわけにはいかないから。

「おはようございます。……ところでエアリお嬢様、どうかなさったのですか?」
「え?」
「朝食の時間にお見かけしなかったので……」
「えっ、もうそんな時間?」

 まさかもう朝食が済んでいたなんて。正直、想定外だった。まだ朝早い時間だと思っていただけに、驚きを隠せない。

「そうですよ。今からお食べになります?」

 どうしよう。
 お腹はそんなに空いていないのだけれど。

 でも、体調不良ではないのだから、食べないというのは少々不審かもしれない。

「……少しだけいただこうかしら」

 だから私はこう答えた。

「いつもの食堂で? それともこちらで?」
「食堂にするわ。わざわざ持ってきてもらうのも申し訳ないし」
「承知しました」

 バッサはそう言って、張りのある顔に愛嬌たっぷりの笑みを浮かべる。
 しわはそれなりにあるし、若そうな顔というわけではないが、萎しおれきってはおらず。むしろ、若者より生き生きしているくらいだ。重ねた年が良い方に出ていると言えるだろう。


 簡単に準備を済ませ、食堂へ向かう。
 朝食は皆とうに済ませているからか、既に人気ひとけはなかった。

 食堂にある椅子の一つに腰掛けていると、しばらくして、バッサが食事を運んできてくれる。

「お待たせしました」
「そんなに待っていないわ」
「そうでしたか?」
「えぇ、そうよ」

 バッサが運んできてくれたお盆を受け取っていた、ちょうどその時。エトーリアとリゴールが並んで歩いてくるのが見えた。

 二人に届かないくらいの小さな声で、バッサに尋ねる。

「あれは何?」

 するとバッサは返す。

「え? あ、はい。朝食の後、少し話をするからと、お二人で食堂を出ていかれましたよ」

 ……嫌な予感しかしない。

 昨夜私は、エトーリアとの話を、途中で切ってしまった。結果、意見が一致するところまでは話し合えていない。だから、エトーリアがリゴールに何か余計なことを言った可能性も、ゼロとは言えないだろう。

 できれば、何でもない話であってほしいのだけれど。
 そんなことを考えていると、偶々、歩いてくるリゴールと目が合った。

「おはようございます」
「……あ。お、おはよう」

 リゴールは何事もなかったかのような自然な挨拶をしてくる。が、色々考えていたせいもあり、私は自然には返せなかった。だが、リゴールは気にしていないようで、穏やかに微笑む。

「起きられたのですね」
「えぇ」
「良かった。安心しました」

 短い言葉を交わした後、リゴールはエトーリアに軽く頭を下げ、食堂から出ていく。
 私としては彼に聞きたいことがいくつもあったのだが、それらを問う時間はなかった。

 リゴールと別れたエトーリアは、静寂という単語の似合うような笑みを浮かべながら、穏やかな声で「おはよう、エアリ」と言ってくる。私は昨夜のことを気まずく思いながらも「おはよう」と返した。するとエトーリアは、隣の椅子に、ゆったりとした品のある所作で腰掛ける。

「……リゴールと何を話していたの?」

 恐る恐る問いを放つと、彼女は目を僅かに伏せて答える。

「昨夜のことよ」

 やはり。
 あぁ、もう、どうして。

 リゴールは自然に挨拶してくれたから、そのパターンは避けられたかもしれないと安易に考えた私が、どうしようもなく馬鹿だった。

「……余計なこと言ったんじゃないでしょうね」

 無意識のうちに、声が低くなってしまう。

「余計なことは言っていないわ。もちろん、傷つけるような言い方もしていないわよ。ただ、『敵襲の可能性が低くなるまで、エアリとは距離をおいておいて』と伝えただけよ」

 確かに、傷つくほど鋭い言い方ではなかったかもしれない。エトーリアは元々そんなに鋭い物言いをする人間ではないから、そこは、必要以上に心配することもないだろう。

 ただ、少々直球過ぎやしないだろうか。
 何でもぼかした言い方にすれば良い、というわけではないが、「もう少しどうにかならなかったの?」と思わずにいられない。

「エアリより、彼の方が、わたしの言いたいことをきちんと理解してくれたわ」

 何それ、嫌み?

「とにかく、そういうことだから。だからエアリも、今日からは、彼に依存することなく生きるといいわ」

 依存、なんて表現を使われ、複雑な心境。様々な色の絵の具を混ぜたような、心の色。言葉では上手く表せない心境で、けれども、それは確かに存在している。


 遅めの朝食を終えた私は、一旦、部屋へ戻ることにした。が、その途中で、リゴールにばったり出会ってしまう。

 今、一番会いたくない相手だ。しかし、真正面から歩いてこられると、無視するわけにはいかなくて。

「あ、エアリ。奇遇ですね」
「どこかへ行くところ?」
「はい。デスタンに会いに行こうかと」

 リゴールが発するのは、控えめな声。

「私も行って構わない?」
「はい……あ。しかし……その、すみません」

 凄まじく気まずそうな顔をされてしまった。
 これもエトーリアの話ゆえだろうか。

「ねぇ、リゴール。少し質問しても構わないかしら」
「え? ……は、はい」
「母さんから何か言われた?」

 勇気は必要だった。
 けれど、何とか問うことができた。

「はい。少しお話はさせていただきました。あ! け、けど! おかしなことを言われたりはしていませんよ?」

 リゴールは妙に饒舌じょうぜつ
 何かあったことは確か、と考えて、問題ないだろう。

「母さんはリゴールのことを良く思っていないのかもしれない……でも、私はいつまでも、貴方と共にあるつもり。私の人生だもの、大切なことは私が決め——」
「お母様のお言葉、無視するべきではありません」

 私が言い終わるより早く、リゴールは言葉を発した。

「えっ……」
「エアリのお母様は善良な方ですから、貴女に害があるようなことは仰いませんよ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.114 )
日時: 2019/10/05 20:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gK3tU2qa)

episode.111 夕焼けの刻

 なぜそんなことを言うの?
 リゴールはエトーリアの味方なの?

 わけが分からなくて、どんな反応をすればいいのか困ってしまった。

「待って、リゴール。貴方は、今までみたいに親しくできなくなってもいいの? 平気なの?」

 私は平気じゃない。そんなことを言ったら重い女と思われてしまうかもしれない。けれど、それでも言える。リゴールと離れるのが平気でない、ということは、決して揺らぐことのない事実だと。

「どうなの?」

 怖々尋ねてみると、リゴールはきっぱりと答えた。

「いえ。そんなことはありません」

 まやかしのない表情。
 真っ直ぐな視線を放つ瞳。

 今のリゴールの顔つきは、真剣そのもの。日頃笑っている時とは真逆の色が、面全体に広がっている。

「わたくしとて、エアリと親しくできなくなれば、当然寂しく思います。けれど、貴女のお母様の意見を無視することは、わたくしにはできません」
「それは……そうだけど……」

 真剣な面持ちで言われてしまっては、軽い気持ちで否定することはできない。

「では、お先に失礼します」

 リゴールは軽やかに頭を下げ、再び足を動かし始める。

「ちょっと、リゴール! デスタンさんのところへ行くの? なら私も!」
「……すみません」

 心優しいリゴールのことだから足を止めてくれるだろうと、そう信じていた。けれど、彼は小さく謝罪の言葉を述べただけで、待ってはくれなかった。

 お願い、待って。
 もう少し話をさせて。

 ——言いたかったけれど、言えなかった。


 その日、私は自室で過ごした。

 出歩いてリゴールに遭遇してしまうのが嫌だったから。

 私は多分恐れていたのだと思う。リゴールに素っ気ない態度を取られることを想像すると、胸が痛くて、息苦しくて。

 こんなことになったのはエトーリアのせい。
 エトーリアが悪いの。

 自分の母親に責任を押し付けるなんて汚いと分かっている。けれど、それでもエトーリアを責めずにはいられなかった。


 窓の外に夕焼けが広がる頃。
 ベッドに寝転がりながら暗い気分になっていた私の部屋に、ミセが現れた。

「ちょーっとお邪魔するわね」
「ミセさん……」

 彼女が屋敷に出入りしていることは知っていたから、ここにいること自体には驚かない。だが、彼女が自ら私のところへやって来ることは滅多にないので、そこは少し驚いてしまった。

「あーら、どうしちゃったの? 何だか元気ないわねぇ」
「……はい」

 寝転がったままだと申し訳ないから、私は、取り敢えず座り体勢になる。

「あらあら、しっかりなさいよぅ」
「……今は、一人になりたいんです」
「あーら。もしかして、リゴールくんとのことを悩んでいるのかしらぁ?」

 ミセは部屋にずかずか入ってくる。

「……どうして、それを?」

 問いかけてみるけれど、ミセはすぐには答えない。彼女は口を開くことなく、私の方まで、流れるような足取りで歩いてくる。そして、そのまま、私の隣に腰掛けた。

「リゴールくんも、同じこと、悩んでいたわよ」

 ミセの声は、女神のように優しかった。

「こんな時に限って、どうすればいいか分からない。……そう言ってたわ」
「……リゴールが?」
「そう。アタシはその時、偶々、デスタンの動けるようになるための訓練を手伝ってたのよぉ。そしたら、部屋にリゴールくんがやって来てね」

 ミセは遠慮なく話し続ける。

「彼はデスタンに言ったの。どうすればいいのか分からない、って。それから、リゴールくんの話を聞いたわぁ」

 ミセは柔らかい髪を指でいじりながら話す。

「エアリの母親から距離をおくように言われたこととか、そのせいでエアリにどう接して良いか分からなくなったこととかを、彼は話していたわよ」

 そうか。
 リゴールも、色々考え、悩んでくれていたのか。

 そう思うと、少し安堵することができた。

 私一人こんな風に悩んでいるのかと思っていた。けど、それは違って。彼は彼でいろんなことを考えていたのだ。彼の振る舞いの妙な感じは、色々考えているからこそのものだったのかもしれない。

「そうしたら、デスタンがエアリを連れてこいって言い出して、それでアタシはここへ来たのよぅ」

 私を連れてこいって言ったの?
 デスタンが?

 ……怒られるのだろうか。

「だから、一緒に来てくれないかしら」
「構いませんけど……」
「けど、何?」
「あ、いえ。何でもありません」

 リゴールの件を知ったデスタンに会うというのは、正直、少し怖いけれど。でも、逃げることはできないだろう。

 それに、デスタンと話すことで解決法が見つかる可能性も、ゼロではない。
 やってみる価値はある。

「では行きます」

 ベッドから立ち上がると、私ははっきり述べる。

「良いのかしら?」
「もちろんです」

 逃げていても始まらない。


 ——けれど、後悔した。

「貴女の母親は王子に『距離をおくように』などと言ったそうですね。失礼だとは思わぬのですか」

 デスタンは怒りに満ちていた。黄色い片目にはただならぬ殺気が滲んでいるし、口角は下がっているし、表情は固いし。とにかく本気で怒っていそうな様子だ。

「貴女の母親はホワイトスターの出と聞きました。そして、王子のこともご存知だったと。だからこそ、許せないのです」

 デスタンの言うことも分からないではない。
 だが、エトーリアへの怒りを私にぶつけられても、改善のしようがないのだ。

「……とはいえ、貴女に言ったところでどうしようもないことでしょう。ですから、これ以上は言いません」

 少し空けて、彼は続ける。

「それで、貴女はどうなさるつもりなのですか」
「え?」
「王子を護る気は、もう失われたのですか」

 デスタンはベッドに横になっているのに、その表情ときたら、私なんかより数百倍しっかりしている。

「私だって……できるなら、これからも今までみたいに暮らしたいわ。リゴールの傍にいると、とうに心を決めていたもの」

 心を変える気はない。
 今でも。

「なら、今まで通りの関係を維持するということですか」
「私はそうしたいわ。でもリゴールは……」
「王子は、何ですか」
「リゴールはエトーリアの言葉を聞くべきだと言っていたわ」

 するとデスタンは、はぁ、と溜め息をつく。

「そんなものが王子の本心なわけがないでしょう」

 呆れられてしまっただろうか?
 だとしたら、少し悔しい。

「貴女は王子の何を見ていたのですか」

 デスタンは今日も愛想ない口調。だが、彼に言葉に心がないというわけではない。

「王子の傍に在ると決めたのなら、貴女は、嫌でも王子を見なければならないのです」
「……そうね」
「貴女が色々残念なことは知っています。ですから、多くを求めることはしないつもりです。けれど、せめて王子を見ることくらいは——忘れないで下さい」

Re: あなたの剣になりたい ( No.115 )
日時: 2019/10/05 20:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: gK3tU2qa)

episode.112 彼女は確かに目の前にある

 デスタンから注意を受けた後、自室へ戻る。

 彼がリゴールをいかに大切に思っているのか。そして、リゴールのためにどんなに色々なことを考えているのか。
 それは分かった。

 ……いや、元々知ってはいたけれど。

 厳密には、分かっていなかったのが分かったのではない。前から分かっていたのが、さらに分かったという状態なのである。

 そのこと自体は悪くはなかったのかもしれない。

 けれど、リゴールとの関係を改善するヒントは、私には見つけられなかった。

 真っ直ぐに向き合えばいい。
 彼だけを見つめればいい。

 そう思いはするけれど、それは、そんなに簡単なことではないのだ。

 これから私はリゴールにどう接すればいいの?
 その問いの答えは、まだ出ない。

 純粋に彼を大切にしたいこの気持ちを胸に歩んでゆけば、エトーリアの存在がいずれ立ちはだかる壁となるだろう。その壁は多分、天辺が見えぬほど高いものに違いない。しかも、単に壊せば良いだけの壁でないところが厄介。ただ壊せば良いだけなら苦労はしないが、私への思いやりがあるゆえの壁なので、対処が難しい。

 そんなことを歩きながら、私は一旦自室へ戻った。

 が、扉を開ける直前、足を止める。

「……話してみなくちゃ」

 リゴールと、である。

 厄介そうなエトーリアは後回し。今はそれでいい。今は取り敢えず、少し話せば分かり合えそうなリゴールと話してみよう。

 部屋の中でうじうじしていても始まらない。
 そうして、私はリゴールの部屋へと向かうのだった。


「あ、こんばんは。エアリでしたか」
「いきなりごめんなさい」

 リゴールの部屋を訪ねると、幸運なことに、彼と会うことができた。
 彼は、扉を開けて私を見た時、少々気まずそうな顔つきをしたけれど。でも、嫌な顔はしないでいてくれた。

「少し、話がしたいの」
「お話……ですか?」
「えぇ。私、リゴールとまた仲良くしたくて」

 そう述べると、リゴールの顔面は曇った。瞼を半分ほど伏せ、切なげな表情を浮かべる。

「……それは、無理です」

 リゴールの声は弱々しい。しかし、言い方はきっぱりしている。
 彼の心には彼なりの決意があるということなのだろうか。だとしたら、それを変えることは容易ではないかもしれない。

 けれど、それでも私は、リゴールに私の気持ちを分かってほしい。エトーリアが何と言おうが関係なく、私はリゴールの傍にいたい——それを理解してほしいのだ。

「どうして無理なの?」
「エアリこそ、なぜ、お母様のお言葉を聞かず……いえ、すみません。本当は、貴女にもお母様にも罪はないのです」

 そうして訪れる、沈黙。

 声も音もなく、人の気配すらない。そんな静寂は、あまりに痛くて。肌を、胸の奥を、針で突かれているかのような感覚すらある。

 そんな沈黙の果て、リゴールは僅かに唇を開く。

「わたくしに勇気がないことが……すべての元凶です」

 発言の意味をすぐに理解することはできなかった。だが、その後十秒ほど考えたら、自身に責任があると言っているのだということくらいは掴めた。無論、それが正しい解釈なのかどうかは不明だけれど。

「とにかく、エアリは悪くありません。ではこれで……」

 部屋に引っ込もうとするリゴールの片腕を、咄嗟に掴んだ。

「待って!」

 リゴールは驚いたようにこちらを見る。私は何とか待ってもらおうとリゴールを凝視する。半ば無意識のうちに、二人の視線が重なった。

「お願い、待って」
「……エアリ」
「どうか落ち着いて話を聞いて。貴方は私のことを嫌いになったわけではないのでしょう?」

 もうチャンスを逃のがしたりはしない。
 できることはすべてしよう。

「それは……そうですが」
「なら私たち、きっと分かり合えるわ」
「し、しかし、お母様は……」
「母は関係ない! これは、私とリゴールの問題よ」

 私は少し調子を強めてしまったが、声を落ち着かせて続ける。

「そうでしょう?」

 するとリゴールは、五秒ほど間を空けてから、こくりと頷く。

「……仰る通りです」

 さらにそこから少し空けて、リゴールは口を動かす。

「そのためにも、ブラックスターの輩に襲われなくなる方法を、速やかに考えねばなりませんね」

 リゴールは、私とは反対の方向を向いていた体を回転させ、顔と体をこちらへ向ける。どうやら付き合ってくれるようなので、私は掴んでいた手を離した。彼がその気になってくれたなら、もう掴んでいる必要もない。

「わたくしはこの屋敷から出た方が良いかもしれません。しかし、そうなるとデスタンのことが心配です……」

 心配するところが若干間違っている気はする。が、長い間傍にいてくれたデスタンのことを心配するというのは、ある意味では当然のことと言えるのかもしれない。とはいえ、普通は自分の身を一番気にしそうなものだが。

「デスタンさんはミセさんの家に引き取ってもらう、というのは?」
「そんなことが可能でしょうか……?」
「ミセさんならきっと大切にしてくれると思うわよ」

 一体何の話をしているのか、という感じではあるけれど。

 その後もしばらく、私とリゴールは話し合った。
 主に、これからのことについて。

 エトーリアにとやかく言われないよう、敵襲の可能性を減らす策を考えなくてはならない。が、それは案外難しく。パッと答えが出るような問題ではなかった。

 結局良い答えは出なかった。

 リスクの多い選択肢がとにかく多過ぎるのだ。

 何かを手にするということは、何かを失うということ。それが世における『当然』だから、リスクのない選択肢などありはしないのかもしれないけれど。


 その夜。

 ふと目が覚めて瞼を開くと、紅の何かが視界に入った。

 さらりと流れる、唐紅の髪。
 見覚えがある。

「えっ……」

 血のごときワンピースに、黒いレースの袖。そして、紅の髪。

 間違いない。
 ブラックスター王妃の彼女だ。

 ——でも、彼女がなぜここに?

 その疑問が消えない。

 私は、エトーリアの家の自室でベッドに横になっていたはず。だから、ブラックスター王妃がこんなところにいるはずがない。

 でも、確かに見える。
 見間違いではない。

 幻かもしれないけれど、彼女は確かに、目の前にある。

Re: あなたの剣になりたい ( No.116 )
日時: 2019/10/11 04:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 32zLlHLc)

episode.113 鎌の王妃

 仰向けで寝ている私の上に覆い被さるようにしている、唐紅の髪の女性。彼女は間違いなくブラックスター王妃。以前ブラックスターに連れていかれた時に顔を合わせた、その人だ。

「えっ……」

 驚きと戸惑いが心の中で混じり合い、思わず声を出してしまった。できるのならば、もうしばらく気がついていないふりをしたかったのだが。

「んふふ……起こしてしまったかしら……」

 最初は幻でも見ているのだろうと思った。けれど、厚みのある唇から放たれる艶のある声を聞いていたら、そうではないと確信できてきた。無論、なぜ彼女がここにいるのかは、依然不明のままだが。

 しかし、女性に覆い被さられるというのは、奇妙な感じを覚えずにはいられない。
 しかも相手がブラックスター王妃だから、なおさらだ。

 いや、そもそも、王妃という身分の者がこんな時間にこちらの世界にやって来ること自体、不自然ではないか。

「ブラックスター王妃がこんなところに何の用!?」

 やや調子を強めつつ放ち、上半身を勢いよく立てる。

 すると王妃は一瞬にして体勢を変えた。
 直前までの仰向けに寝た私に覆い被さるようなポーズを止め、ベッドの端に腰掛けて足を組む。

「んふふ……警戒しているみたいね。でも必要ないわ。悪いことはしないから……」

 黒く長い爪の目立つ片手を口元に添え、上品に笑う。

 ブラックスターの、であるとはいえ、さすがに王妃は王妃。そこらの女性とは、まとっている雰囲気が違う。威厳のようなものが感じられるし、何より、色気はあるのに品が良い。

「こんなところまで、何しに来たの」

 そんなことを発しつつ、枕の方を一瞥する。

 ペンダントは枕元にあった。
 没収されてはいないようだ。

 だが、ペンダントは、この状況下では役に立たない可能性が高い。リゴールがいないから。彼が傍にいなければ、このペンダントを剣として使うことはできない。

「警戒しないで……良いことをしに来てあげたのよ? んふふ……」

 王妃はやはり気さくだ。前にブラックスターで面会した時もそうだったが、彼女は、私に対してであっても友人と話すような話し方をする。

 だが、笑い方からして善良な者とは思えない。

「良いこと? 何なの?」
「そう。良いこと」

 直後、彼女の唇が動いた。
 呪文か何かを唱えたかのような動き。

 そして、その数秒後、彼女の手には鎌が握られていた。

 漆黒で長い柄の鎌だ。持ち手には気味の悪い輝きがあり、先端部分は見るからに鋭利で。目にするだけで鳥肌が立ちそうな鎌である。

「——救済を」

 王妃は呟くように発し、鎌の柄を両手で握って、こちらへ近づいてくる。寝起きな上、武器も持っていない——そんな私は抵抗しないだろうという余裕があるのか、王妃の足取りはゆっくりしている。

「私を殺すつもり?」

 枕元のペンダントをそっと掴みつつ、問いを発した。
 すると王妃はほんの僅かに口角を持ち上げる。

「そう……んふふ。せめて苦しまず済むように、あなただけは……この鎌で命を刈り取ってあげるわ」

 余計なお世話! としか言い様がない。
 私は死を望んでなどいない。一方的過ぎるだろう。

「ちょっと、何なの? 私、まだ死ぬ気はないわ」
「んふふ……けれど、ブラックスターに捕まったら……死なせてと願うようになるほどの目に遭うわよ……?」

 王妃はさらっと怖いことを言った。

 死なせてと願うようになるほどの目に遭う、なんて、聞くだけでも恐ろしい。とにかくおぞましい。

 けれど、捕まらなければいいのだ。
 そうすれば、死なせてと願うようになるほどの目に遭うこともない。

 でも、脅しに怯んでここで大人しく言いなりになってしまったら、この先を生きてゆくことはできない。楽に死ぬことができたとしても、そこに益なんてそんなにない。

「止めて! 来ないで!」
「怖いのね? んふふ……可愛い娘……」

 ついに、鎌を持った王妃が、枕の近くにまで接近してきた。

「何人かの手下を使って偵察しておいた成果……十分にあったわ。おかげでここまで、誰にも見つからずに来ることができたもの。んふふ……」

 余裕ゆえか、王妃はそんなことを話し出す。

「家の構造さえ分かれば、侵入するのもたいしたことないわ——ね!」

 ——突如、彼女は鎌を振った。

 私は咄嗟にベッドから飛び退く。

「っ……!」

 鎌の先端は思っていたよりも大きく。
 十分距離は取れていると考えていたのに、左腕に掠ってしまった。

 私はその衝撃でバランスを崩し、床に落下。

 ペンダントを握っている右腕は問題ないが、鎌が掠った左腕が赤く滲み、ジクジクと痛む。大量出血するほどの傷ではない。比較的浅い傷だということは、何となく分かる。それでも、出血も痛みもまったくないということはない。

「避けたわね……やるじゃない。んふふ……」

 動けなくなるほどの傷を負う展開は避けられた。それは幸運と言えるかもしれない。けれど、その幸運に甘えて油断していてはいけない。幸運を良き結末に繋ぐためには、油断が一番良くないのだ。

「易々と殺される気はないわ!」
「そう……気が強いのね」

 一応強気な発言をしておいた。

 しかし、本心は、その言葉ほど強くはない。それに、私は元来、そんなに勇ましい人間ではないのだ。だから、命を狙われているにもかかわらず強い心を持ち続けるなんてことは、とてもできそうにない。

 強気に振る舞っていても足はガクガク、というやつである。

「でもね。んふふ……気が強いだけじゃ意味がないのよ」

 王妃は女性的な魅力のある声で言いながら、再び足を動かし始める。今度は、私が今いる方に向かって、歩いてきている。

「大人しくなさい……痛いことはしないから……」
「痛いこと、したじゃない!」
「それはあなたが動いたからよ。んふふ……痛いのが嫌なら、大人しくしていなさい」

 剣を使えれば戦えるのかもしれないが、私は、ここでは剣を使えない。リゴールがいないところでは、ずっとペンダントのまま。リゴールの近くにいる時、なんていう厄介な制約がなければ、いつでも身を護れるというのに。妙な制約のせいで、こういう時に使えないのは、正直辛い。

 私に選べる道は二つ。

 一つは、ここで王妃に殺されること。

 そしてもう一つは——逃げる!

 私は後者を選んだ。

 急に立ち上がり、扉のほうへ駆ける。そして扉を開けて廊下へ出、扉は一旦閉めておく。
 それから私は、リゴールの部屋の前まで走るのだった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.117 )
日時: 2019/10/11 04:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 32zLlHLc)

episode.114 凄惨な死か、穏やかなる死か

 リゴールの部屋の前へは、案外早く着いた。

 日頃のように呑気に歩いていれば、もう少し時間がかかったのだろう。だが、今日は走っていたから、予想以上に早く到着することができた。

「剣!」

 リゴールの部屋、その扉の前に着くや否や、発する。すると、手に持っていた銀色の円盤に星型の白い石が埋め込まれているペンダントが、白く輝き始め。十秒もかからぬうちに、剣へと姿を変えた。

 ちょうどその時、ブラックスター王妃が追いついてくる。

「んふふ……逃げても無駄よ。そう簡単に逃れることはできないわ」

 鎌の長い柄を右手で握り、左手を口元に添えながら、王妃はゆっくりと口角を持ち上げる。大人の余裕を感じさせる笑みは、どことなく不気味だ。

 でも、先ほどまでよりかは、ほんの少し心が軽い。
 なぜなら、今は剣が使えるからである。

 当然、剣が手にあるからといって王妃に確実に勝てるという保証はない。いや、それどころか、私が彼女を倒せる可能性は高くないかもしれない。

 だが、それでも、剣がある心強さは大きい。

 王妃を前にし、胸の鼓動は速まる。私はそれを抑えるよう意識しつつ、体の前で剣を構え、王妃を睨む。

「分かっているわ。けれど、こんなところで殺されるなんてごめんなのよ」
「んふふ……あなた、意外と身のほど知らずなのね。もう少し……利口と思っていたのだけれど」

 そう、私は賢くなんてない。
 勝ち目のない相手とでも戦おうとするほどに愚かな人間だ。

 けれど、命を狙われたらできる限りの抵抗をするのが、人間というものではないだろうか。私には、命を奪われそうになって抵抗しない者の方が、少し変わっていると感じられる。

「ま……でも構わないわ。んふふ……」

 王妃は笑いながら、直進してくる——そして、鎌が振り下ろされた。

 咄嗟に剣を振り、弾き返す。
 結構な衝撃が腕に走る。

 だが、そういうことは、リョウカとの訓練の中でも時々あった。それゆえ、さほど驚きはしない。

 そこから、もう一振り。
 しかし、そちらも何とか弾き返す。

 王妃は切り替えが早い。攻撃を弾かれてもそれほど気にせず、すぐに次の攻撃に移る。それは夢の時に見て記憶していたから、何とか反応することができた。

 王妃は一旦、二歩ほど後ろへ下がる。

「んふふ……良い動きをするじゃない……」

 体勢を立て直しつつ、王妃は、余裕に満ちた表情で褒めてくれた。

 でも、嬉しくない!
 ……いや、褒めてもらえたことは喜ばしいことではあるのだけれど。

 ただ、褒められても素直に喜びはできない私がいた。

 それにしても、初めて出会った時のウェスタといい、王妃といい、ブラックスターの女性はなぜ戦闘中に褒めてくれるのだろう。

 私からしてみれば、戦闘中に敵を褒めるなど、謎の行動でしかない。

 相手を認められるほど余裕があるということを、暗に示しているのだろうか?
 あるいは、実は褒める気などなくて、ただ馬鹿にしているだけなのだろうか?

 何にせよ、他人の心というのは分からないところが多過ぎる。

「褒められても、ちっとも嬉しくないわ」

 実際には「ちっとも」ということはないが。

「んふふ……そう? ブラックスター王妃に認められる人なんて、滅多にいないわよ……?」
「褒め言葉は求めていないわ」
「なら……何を求めているというのかしら」
「こんなこと、もう止めて! ……私が言いたいのはそれだけよ」

 彼女のことは嫌いではない。むしろ、人柄的には好みなくらいでもある。けれど、命を狙ってくるならば、戦わざるを得ない。

 だが、本当はそんなこと、望んでいないのだ。

 私はできるなら戦いたくない。生まれ育った世界は違っても、穏やかな関係でいられたら、それが一番良い。王子のリゴールとだって親しくなれたのだから、頑張れば、王妃とだって親しくなれるはずなのだ。

「殺し合う意味なんてないでしょ!? こんなこと、もう止めて!!」

 ここぞとばかりに言い放つ。
 すると、ほんの一瞬だけ王妃の表情が曇った。

 ——しかし、それも長くは続かず。

「無理な願いよ、それは」

 王妃の声が急激に冷たくなった。また、顔つきも、それまでとは大きく変わる。どことなく柔らかさのある色が滲んでいた顔が、刃のような鋭さを放つ顔へと変貌した。

「凄惨な死か、穏やかなる死か。んふふ……あなたが選べるのはそれだけ……」
「いいえ! そんな二択、どっちもごめんよ!」

 改めて剣を構える。
 見据えるは、王妃。

「そう……んふふ。やる気なのね?」
「本当はやりたくないけど、殺されるくらいなら戦うわ」
「いい覚悟ね……分かったわ」

 王妃はそう言って、鎌を、弧を描くように振ってくる。
 こちらはそれに、剣で対抗。

 火花が散る。

「貴女が退いてくれれば、こんな戦い必要ないのよ!」
「……いいえ、戦いは必要よ」

 王妃の鎌の扱いには、目を見張るものがあった。動きは速く、しかしながら狙いは正確。実力は、王妃の方が圧倒的に勝っている。

「んふふ……裕福に暮らしてきた人には分からないのかもしれないわね。けれど……戦いは必要。それは当然のことだわ」

 鎌を振る度、王妃の唐紅の髪がさらりと揺れる。
 その華やかな色みの髪は、闇の中ですら映える。

 右、左、右、右、左。
 上、下、下、上、下。

 王妃はあらゆるところから仕掛けてくる。それゆえ、攻撃を防ぐことで精一杯だ。反撃の隙は与えてもらえない。

「くっ……!」
「いつまで動けるかしらね? んふふ……」
「舐めないでちょうだい!」

 一応そう返しはするが、このままでは勝ちようがないというのもまた事実である。

 王妃の攻撃を防ぐことに必死では、勝利などできるわけがない。しかも、疲労で動きが遅れてきてしまえば、かなりの確率でやられる。
 何としても、反撃の隙を見つけなければ。

「んふふ……まさか。舐めてはいないわよ……?」

 王妃の表情は、いつの間にか元通り。
 唇に余裕の笑みを浮かべる、大人の女性らしい表情に戻っていた。

 まともにやり合っては勝てない——そう思った私は、いきなり、王妃の背中側の壁を指差して叫ぶ。

「あ! 変なのが!!」

 ほんの一瞬、王妃の視線が逸れる。

 そこを狙って踏み込む。
 そして、剣を振る。

 剣の先が王妃を捉えた。

 白銀の刃部分が、王妃の右腕を薙ぐ。腕を斬り落とすには至らなかったが、二の腕の辺りに一撃入れることができた。

 理想に最も近い形だ。

 これでいい。何も、腕を斬り落とすところまですることはないのだから。右腕の動きをほんの僅かにでも抑えることができたなら、それで十分だ。

「卑怯な……!」

 王妃の顔に焦りの色が浮かんだ。

 すかさずそこへ仕掛けていく。

 柄を両手でしっかりと握り、大きな一歩を踏み込む。そして、勢いよく振り上げる。そこからさらに、重力に従うようにして振り下ろす。

Re: あなたの剣になりたい ( No.118 )
日時: 2019/10/11 04:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 32zLlHLc)

episode.115 温厚さはどこへやら

 白色の輝きをまとう剣を振り下ろした——が、鎌の柄で止められてしまう。

「あなた、案外卑怯ね……んふふ……」

 彼女が退散するところまで一気に追い込めるかと思ったが、世の中なかなか、そう上手くはいかないようで。さすがに押し切ることはできなかった。

 けれど、まだ最悪の展開ではない。
 一応少しはダメージを与えられているし、そのおかげか、王妃の鎌の動きはほんの僅かに鈍っている。

 とはいえ、いつまでもこんなことを続けるわけにはいかない。私の命は諦めて帰ってもらわなくては。

 ……でも、そんなことができる?

 私は、自分で自分に問いかける。

 そして私は私に答える。
 できるかどうかではなく、やらねばならないのだと。

「何とでも言えばいいわ。私は、生き延びるためなら、何だってするわ」

 心の迷いを振り払うように言い放つ。その発言は、一見王妃に向けた発言のようだが、本当は自身へ向けた言葉だったのかもしれない。

「んふふ……そう。どこまでも愚かね」
「愚か、ですって? まさか! 生き延びようとするのは、人間として当たり前のことじゃない」

 ブラックスターではそうではないのかもしれないが、少なくとも地上界ではそれが普通だ。日頃から意識しているか否かはともかく、人間誰しも、命を奪われそうになれば「生きたい」と思うものだろう。感謝しながらだとか、笑いながらだとか、そんな風にして命を奪われていく人間など、滅多に見かけない。

「いいえ。それは違うわ。……んふふ、良いかしら? 死とは……救済なの」

 王妃は話し始める。
 時間稼ぎか何かだろうか。

「誰にでも平等に訪れる救い……それは『死』だけよ」
「死が救い? そんな悲しいことを言わないで!」
「事実しかいっていないわ……んふふ。これが大人の世界なのよ……?」

 大人の世界?
 馬鹿なことを言わないでほしい。

 確かに私は、まだ、大人の世界のことは知らないけれど。でも、『死』を救済と肯定するような歪んだ空間が大人の世界だとは、とても思えない。そんなものが大人の世界なのなら、世界はもっと荒んでいるはず。

「貴女はどうして、そんな悲しいことを言うの。……過去に何かあったの? そうでないなら、そんな極端なことを言える理由が分からないわ」

 王妃は極端な思想を口から出す一方で、動きを止めている。攻撃を仕掛けてはこない。鎌も、先ほどから、少しも動かしていない。

 そこには何か意味があるように思えて。
 だからこそ、私は言う。

「もし何かあったなら……話だけでも聞くわ。私、多分、たいしたことはできない。でも、話を聞くことくらいはできるから」

 すると王妃はほんの少し寂しげな色を滲ませ、呆れたように、ふっと笑みをこぼす。

「そんなこと……何の意味もないわ」

 王妃は独り言のような呟きで返してきた。
 それはつまり、実は何かあるということで間違いないということなのだろうか。

 きっとそうだ。
 そうに違いない。

 何でもないのなら、話すことなどないのなら、「そんなこと何の意味もない」なんて意味深な言い方はしないはずだ。

「まぁいいわ……んふふ、今日はここまでにしましょう」

 ……ん?
 それは、私の命を奪うことを諦めて、去ってくれるということ?

 そういうことなら、とてもありがたいのだが。

「……殺す気がなくなったということ?」

 恐る恐る尋ねてみた。
 すると王妃は静かに返してくる。

「んふふ……今日のところは、よ」
「ということは、またいつかは襲いに来るということね」
「んふふ……それは、ヒ・ミ・ツ」

 秘密と言われるだけで複雑な心境になってしまうものだが、半分ふざけたような調子で言われたものだから、余計に何とも言えない気分になってしまった。

「じゃ」

 王妃の唇が動いた直後、彼女の姿は消え去った。
 私は一人、リゴールの部屋の前に取り残される。

 王妃の姿が完全に消えたことを確認するや否や、膝を折り、その場に座り込んでしまった。
 安堵の日差しを浴びて胸の内の氷が溶けたからだろう、恐らくは。

「は、はぁぁー……」

 夜の廊下に一人座り込み、最大級の溜め息をつくのだった。


 その晩は、左腕の怪我を自力で簡単に応急処置してから、ベッドで眠った。

 あんなことがあった後だから眠れないかも、と思っていたのだが、意外とそんなことはなく。逆にぐっすりと眠ることができた。王妃との戦いで激しく動いたからかもしれない。だとしたら皮肉なことだ。

 けれど、よく眠れるのは悪いことではない。


 翌朝、私は腕の傷のことをバッサに相談してみることにした。
 ブラックスター王妃に傷を負わされた、なんて、エトーリアには絶対言えないからだ。
 ということで、まず、朝一にバッサを呼びつけた。話す場所は私の部屋。自室で話せば、エトーリアには聞かれないはず。

「おはようございます、エアリお嬢様。朝からどうなさいました?」
「実は……昨夜怪我してしまって」

 そう告げると、バッサは首を傾げる。

「ベッドから転落なさって打ち身ですか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「ではどのようなお怪我ですか?」

 私は寝巻きの白い左袖をめくる。
 露わになるのは、浅い傷。
 昨夜自力で手当てしておいたから問題はないだろうが、一応バッサにも確認しておいてほしくて。だから私は、バッサに傷を見せた。

「こ、これは! いかがなさったのです!?」

 傷を目にしたバッサは叫ぶ。

「実は、その……昨夜ちょっと襲われて」
「襲われ!?」
「それで、少し攻撃を受けてしまったの」
「攻撃を受け!?」

 バッサはいちいち叫びながら、目を皿のようにしている。

「敵が帰ってから、一応、自分で手当てはしてみたの。でも上手くできているか不安で。だからバッサに確認しようと思って、それで呼んだのよ」

 私はひとまず真実を話した。
 隠しても仕方ないから。

「エアリお嬢様! こういう場合は、もっと早く仰って下さい!」

 鋭い調子で言われてしまった。

「でも、わざわざ起こすのは悪くて……」
「そのような時のための住み込み使用人です! 躊躇わず起こして下さい!」
「ごめんなさい」
「次からは遠慮せず起こすようにして下さいよ!」

 今日のバッサは妙に厳しい物言いをする。いつものような温厚さは感じられない。

Re: あなたの剣になりたい ( No.119 )
日時: 2019/10/15 18:43
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AtgNBmF5)

episode.116 消毒液が染みる朝

 私は今、バッサに、傷の手当てしてもらっている。

「では消毒しますからね。染みるかもしれませんが、動かないで下さいよ」

 ベッドに腰掛ける私に、バッサは前もって注意してきた。その手には、消毒液に浸した脱脂綿をつまんだV字形の器具。

「じっとなさって下さいね」
「分かってるわ、バッサ」

 私はそう返したけれど。

「イタッ!」

 脱脂綿が左腕の傷に触れた瞬間、反射的に叫んでしまう。
 また、叫ぶと同時に、左腕を少々震わせてしまった。

 だが、こればかりは仕方ないだろう。何せ、反射的に動いてしまったのだから。意図的に動かしたわけではないから、仕方がないはずだ。

「じっとなさって下さいね?」
「イタタ……分かってるわ。でも、勝手に動いてしまったの。仕方ないのよ……」

 するとバッサは、呆れたように溜め息をつき、「そういうことなら仕方ありませんが」とぼやいていた。

「今後は、このようなことにならないよう、細心の注意を払って下さい」
「えぇ、分かっているわ。気をつける。だから、母さんには黙っていてちょうだいね」
「今回だけですよ」

 次にこんなことがあれば、バッサは黙っていてくれないかもしれない。彼女の反応を見て、そんな風に思った。

 けれど、今回は黙っていてくれる。
 ならそれでいい。

 このタイミングで、というのを避けられるのならば、それで十分。次のことは、最悪、その時に考えれば良いのだから。


 その日の昼食は、皆が食堂に集まった。
 私、リゴール、エトーリア。そしてリョウカも。デスタンはいないが、それ以外のメンバーは勢揃いしている。

 しかし、空間は静かだ。

 リゴールは小さく口を開け、スプーンでポタージュを飲んでいる。顔色を窺うようにエトーリアをちらちら見ているが、何かを発することはしない。

 一方エトーリアは、白くて丸く柔らかいパンを音もなく千切りながら、ぼんやりしている。考え事でもしているのか、視線が定まっていなかった。

 そんな中におかれ気まずい思いをしていると、リョウカが小声で話しかけてくる。

「ねぇねぇエアリ」

 場の雰囲気に気を遣っているのか、リョウカらしからぬ控えめな声だ。

「何だか妙に静かじゃない?」
「そ、そうかしら」

 咄嗟に気づいていないふりをしてしまった。

「だってほら、リゴールもエアリに話してきてないしっ」
「確かに……それもそうね」

 リョウカは恐らく、私たちの事情を何も知らないのだろう。だからこそこんなことを言ってきているに違いない。

 複雑な事情を敢えて説明することもないだろう——そう思い、私は気づいていなかったふりを続けることにした。

「エアリ、リゴールと何かあった?」

 リョウカは私の方へ、不安げな眼差しを向けてくる。

 心配してくれているのだろうか?
 だとしたら、少し申し訳ない気もするが。

「まさか。何もないわ」
「本当にー?」

 あ、怪しまれている……。

「えぇ、もちろん。本当よ。だって、そんな嘘をつく意味がないじゃない」

 嘘を隠すために嘘をつかなくてはならないなんて、何とも言えない心境だ。けれど、気づいていないふりをしていたとバレたら、今以上に気まずい空気になってしまいかねない。また、活発なリョウカのことだから、何を言い出すか分からない。そういうのは困る。

 ややこしいことになるのは避けたいから、申し訳ないけれど、ここで真実を打ち明けることはできないのだ。

「うん。ま、そうだよねっ。エアリが嘘つくわけないしっ」

 向日葵のような笑みを浮かべてくれているリョウカを見たら、少し胸が痛くなる。本当のことを話せなかった後ろめたさが、胸の奥を突き刺して。

「じゃあ、リゴールが大人しいのは体調不良か何かかなっ?」
「私には分からないわ……」
「何も聞いていないの?」
「えぇ。特に聞いていないわ」
「そっか」

 リョウカとの会話はそれで終わった。

 私はパンをかじりながら、気まずい空気に耐える。
 結局、その後誰かが話を振ってくることはなかった。


 さほど楽しくはない昼食だったけれど、エトーリアに何か言われるようなことはなかったし、良かった。そんな風に密かに安堵しながら、私は自室へと戻る。

 扉を開け、誰もいない自室の中へ——だが、そこは無人ではなかった。

「待っていたわよ……んふふ」

 いつも私が寝ているベッドに腰掛けていたのは、ブラックスター王妃。

 血のような色の髪と、豊満な肉体。そして、どことなく甘い香りを漂わせている。
 そんな彼女は、確かに、私の目の前に存在していた。

「え……」

 思わず漏らしてしまう。
 彼女が再び現れるとは、欠片も思っていなかったからだ。

 数日か数週間が経過してまた現れたというのなら、まだ分かる。完全に諦めてもらえたとは、こちらも思っていないから。けれど、昨夜戦ったばかりで今日のうちにまた現れるとは、理解できる範囲を超えていた。

「驚いてるって顔ね」
「……実際、驚いているわ」
「んふふ……正直だこと。嫌いじゃないわ」

 王妃はベッドからするりと立ち上がると、片手で赤いドレスの裾を簡単に整え、それからこちらへ歩み寄ってくる。

 彼女の体からは、得体の知れない圧力のようなものが発されている。そのせいで、距離が近づくにつれて後退したい衝動に駆られてしまうのだ。

 けれど私は、衝動に何とか抗おうとする。

「何しに来たのよ」

 強気なのは発する言葉だけ。
 けれど、その言葉は、この心をほんの少しだけ強くしてくれる。

「なぜ『死が救済である』と言うのか……昨夜、聞きたがっていたでしょう? だからね……んふふ。話しに来たの」

 王妃は右腕を伸ばし、私の背へと回す。
 一瞬かなり警戒したが、その手つきから攻撃の意図を感じることはなく。拍子抜け、という感じだった。

「どういうつもり」
「聞きたかったのではないの?」

 確かに「なぜそんなことを」と思った部分はあったけれど。でも、そんなことを話すためにわざわざやって来るなんて、理解できない。

「確かに、気になってはいたわ」
「そうよね……んふふ。少しばかり暗い話にはなってしまうかもしれないけれど……聞かせてあげるわ。ブラックスター王妃になる前の……日々のお話」

 王妃は私の背に片腕を伸ばしたまま、ベッドの方へと歩いていく。体に腕をしっかりと絡められているため、私は、王妃から離れることができなくて。仕方がないから、抵抗せず、流れに従うことにした。なぜなら、今の王妃からは殺気を感じなかったからだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.120 )
日時: 2019/10/15 18:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AtgNBmF5)

episode.117 我らが王を

 二人揃ってベッドに腰掛け、視線を重ねる。
 不思議な感覚だ、ブラックスターの王妃とこんな風に向かい合うことになるなんて。

 それに、不思議なのはそこだけではない。

 こうしていると、まるで母と娘であるかのように、真っ直ぐ見つめ合うことができる。

 ブラックスターはリゴールの命を狙っている。だから敵。そう認識しながらここまで来たけれど、今になって「本当に敵なのだろうか?」などという疑問を抱いてしまいそうになる。

 グラネイトは、ハイテンション過ぎてついていけないが、曲がったところのない純粋な人。
 ウェスタは、物静かで冷ややかなのに、時折とても優しい人。
 二人とも、敵として向かい合う時には恐ろしかったけれど、敵同士という枠がなくなった途端に善良な部分が見えてきて、嫌いではなくなった。

 だからもしかしたら、王妃にも、好意的に捉えられる部分があるかもしれない。

 今はそんなことを思ってしまう。

「生まれたのは、貧しい地区。親に捨てられ、親族はおらず、友人たちと路上暮らしをしていたわ」

 ゆっくりとした調子で語り始める王妃。
 その話は、いきなり、決して明るくはないものだった。

「悲惨ね……」

 思わず言ってしまった。
 言ってから、失礼なことを言ってしまった、と焦る。こんな小さなところで怒らせてしまったら、大惨事だ。

 だが、王妃は怒ったりはせず、むしろ笑みをこぼした。

「んふふ……直球な反応ね。嫌いじゃないわ」
「ごめんなさい」
「いいのよ、べつに。当然の反応だわ」

 当然の反応。
 上手く言葉にできないが、何だか寂しい表現だと思った。

「でも、ある時、友人たちは命を落としてしまった」
「命を? ……飢えか何か?」
「いいえ。皆で泥棒して、その途中で誤って殺されてしまったの」

 泥棒なんて、私にはよく分からない。盗むしかないほどに貧しくて、ということなのかもしれないが、いまいちイメージが湧かない。それは多分、罪を犯すほどの貧しさを経験したことがないからなのだろうが。

「そうだったのね」
「けれど、一人生き残ってしまって。ブラックスター王に初めて出会ったのは、その時よ……んふふ。不思議な出会いでしょう」

 それにしても不思議だ。

 今、私と彼女は、敵味方としてではなく言葉を交わしている。
 本当に、不思議でならない。

「友人を失い、自分も牢に入れられて、落ち込んだわ。そんな時、彼が声をかけてくれたの……直属軍に入らないかって」

 王妃は、淡々と、しかしどこか嬉しげに話す。

「もちろん……最初は入る気なんて欠片もなかったわ。皆が死んでしまったことに落ち込んでいたから……。けれど、彼は温かく励ましてくれた。その時にね、教えてもらったの。『死を悲しむことはない』とね」

 ——そう、話はそこへ至る。

「彼が言うには……『死は救済』なの。人は誰しも、生きている限り、悩み苦しむわ。人は体験したことのない『死』を恐れるけれど、本来それは恐れるようなことではなくて、この世と別れられることはつまり……人に与えられた唯一の救いなんだわ」

 それはあまりに抽象的で、私にはいまいちよく分からなかった。

 人は死を恐れる。
 そして、人は死に抗おうとする時にこそ最高の力を発揮する。

 ——なのに『死は救済』なの?

 救済から逃れるために、そんなにも必死になるのだとしたら、人は何て憐れな生き物なのだろう。

「んふふ……分かってくれるかしら?」
「ごめんなさい。ちょっと、よく分からないわ」

 私は正直に答えた。
 本当はもう少し理解を示した方が良かったのかもしれないが、心を偽るなんて高度なことは、私にはできなかったのだ。

「ま、そうよね……んふふ。無理もないわ」
「新鮮な捉え方だとは思うけれど」
「そうね。ブラックスターで育ったわけでないあなたには……理解できない部分もあるかもしれないわね」

 生まれ育ちが違えば、思考も思想も異なってくる。
 確かにそれは真実。
 だが、死に縋るほどに満ち足りていないのだとしたら、ブラックスターの環境には恐ろしいものがあると言わずにはいられない。

「ブラックスターはそんなに悲惨な状況なの? そんなことになっているのだとしたら、王様が何か手を打たなければならないのではないの?」

 率直な意見を言ってみた。
 刹那、王妃の顔つきが急変する。

「……我らが王を悪く言わないでちょうだい」

 声も急激に冷ややかになった。

「王は素晴らしいお方。皆の心を癒やすお言葉をお持ちよ。それを否定する者に……容赦はできないわ」

 ものの数秒で空気が変わってしまった。
 王を否定するような発言は、さすがに迂闊だったかもしれない。

 王妃は王のことを心から慕っている。そのことは知っていた。なのに私は、王を否定するようなことを言ってしまった。それは完全にミス。私は、犯してはならない過ちを犯してしまった。

「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
「あなたは可愛い娘こ。でも、我らが王を悪く言うというのなら……敵と見なすしかないわね……」

 感情のこもっていない声でそんなことを述べ、王妃はその場で立ち上がる。数秒後、右手に鎌が現れた。黒く光る、不気味な鎌が。

「っ……!」

 さらに数秒後、鎌の先が私の喉元へ突きつけられた。

 ひんやりとした感触。
 あまりに恐ろしく、背中を一筋の汗が伝う。

「歩み寄れるかもしれないと思ったけれど……それは勘違いだったようね。やはりこうなる結末しかありはしなかった……んふふ……」

 笑みさえ今は恐ろしい。

 怪物だ、彼女は。

 グラネイトやウェスタにも善良な部分があったように、王妃にも良いところはあるのではないかと、私は本気でそんなことを考えていた。けれど、それは違った。それはただ、私がそう信じたかっただけで。

 彼女は、グラネイトともウェスタとも違う。もちろんデスタンとも。

「こ、こんなこと! 止めて!」
「それはできないわ」

 王妃の耳に、私の制止は届かない。

「どうして急に……こんな危険なことをするのよ!」
「あなたは王を否定した。それは、許されることではないわ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.121 )
日時: 2019/10/15 18:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AtgNBmF5)

episode.118 平和的解決はもはや不可能

 鎌の先端が、喉元に触れる。
 ひんやりした不気味な感覚。感覚だけでゾッとしてしまうような、得体の知れない恐ろしさがあって。

「待って。こんなこと、無意味だわ。止めてちょうだい」
「残念ながら止められないのよ……ごめんなさい」

 言葉で止めてもらえれば、どんなに良いだろう。そう思い、最後の望みを託して止めるように言ってみた。

 けれど、望みは砕かれた。
 平和的解決はもはや不可能だ。

 背後はベッド。前には王妃。挟まれてしまい動けない状況に陥っている。つまり、どちらかを動かさなくては、ここから逃れられないのだ。

 ——やる!

 心を決め、蹴りを入れる。
 ほんの少しではあるが、王妃の体勢が崩れた。

 その隙に、すかさず逃れる。

「ちょこまかと……!」

 王妃の表情が急激に固くなる。彼女の顔から、余裕が完全に消えた。

 睨まれるのは少々恐ろしい。
 けれど、命を奪われるのに比べればずっとまし。

 私は生きたい。生き延びて、いろんなことを経験したい。だから諦められはしないのだ。たとえそれが救済であったとしても、私はそれを欲していない。

 私は扉に向かって走る。

「待ちなさい!」

 背後から聞こえる王妃の声。
 それに対し、私は、咄嗟に謝る言葉を発する。

「ごめんなさい、無理!」

 謝りつつも、足は止めない。

 どこへ行く? 誰に知らせる?

 そんなことを考えながら、駆ける。

 デスタンは今は戦力にならないから駄目。リゴールはより一層殺し合いになりそうだから駄目。エトーリアは論外。バッサも、巻き込みたくないから駄目。

 少し考えて、リョウカの部屋へ行ってみることに決めた。

 彼女が部屋にいる保証はない。それはつまり、彼女が部屋にいなかったら終わりということ。ある意味では、危険な賭けだ。


 もうまもなくリョウカの部屋に着く。

「リョウカ! いる!?」

 扉に鍵はかかっていなかった。だから私は、ノックもせず、その扉を開けた。
 ベッドはなく、敷き布団が床に直接敷かれている。二メートルほどの高さのタンスや椅子があるだけの、殺風景な部屋。

「エアリ!?」

 幸運なことに、リョウカは部屋にいた。

「リョウカ! 追われてるの、助けて!」
「お、追われてる!? 何それっ!?」

 ——その直後。

 バン! と大きな音を立てて、乱暴に扉が開いた。

「逃がさないわよ……?」

 長い柄の鎌を持った王妃が姿を現す。その表情は、冷ややかなまま。余裕のなさもそのままだ。

「ちょっ……エアリ、誰?」

 リョウカは怪訝な顔で尋ねてくる。
 少し困惑しているからか、いつもより声は小さい。

「リゴールを狙っている集団の一人なの」
「それって、敵ってこと?」
「そうなるわね」

 私がそう答えると、リョウカは壁に立て掛けていた刀を手に取る。

「じゃ、倒すんだね?」
「えぇ」
「オッケー」

 リョウカはウインク。
 それを見て、私は少しほっとする。

 味方が一人いるのといないのとでは、不安感に大きな差がある。敵と対峙している時の孤独ほど辛いものはないから、その辛さを和らげてくれる人の存在は、とてもありがたい。

 それが腕の立つ人なら、なおさら心強いというもの。

「エアリ、護身にはタンスの木刀使って」
「た、タンス?」
「そ。そこのタンスに、あたしが使ってる木刀あるから」
「わ……分かったわ」

 王妃が一歩迫ってくる。

 ほぼ同時に、リョウカが一歩前へ出る。

 私はリョウカの指示に従い、タンスに近づく。そして、その扉を開く。

 リョウカが言った通り、タンスの中には木刀が入っていた。しかも一本ではなく、三本だ。
 三本も入っているとは思わなかったから、驚き、少し戸惑ってしまった。

 けれど、呑気に戸惑っている暇はない。
 私はそのうちの一本をすぐに手に取った。

 ——その時。

 王妃とリョウカの戦いが突如始まる。

「邪魔者はすべて始末するわ……たとえ見知らぬ者であっても、ね。んふふ……」
「舐めないでよねっ」

 鎌と刀が交わり、甲高い接触音が空気を揺らす。それはあまりに刺々しく、恐怖すら感じるような音。優しさや柔らかさなど、欠片もない。

「リョウカ! 私も……」
「エアリはいいよっ! そこにいて!」

 王妃は柄の長さを活かした豪快な戦い方。対するリョウカは、王妃とは逆に、素早く細やかな戦闘スタイル。

 二人の戦い方は対照的。
 まさに真逆だ。

 しかし、強さ自体は互角といったところ。両者共に、負けはしないが勝ちにも行けないという、微妙な状況に陥ってしまっている。

「援護するわ!」

 そんな状況だからこそ、私は言った。
 一対一では互角でも、一対二になればリョウカが有利になるのではないかと、そう考えたからである。

「大丈夫っ! だから下がってて!」

 けれど、あっさり断られてしまった。
 私などは戦力のうちに含まれない弱さだということだろうか。足手まといにしかならない、と思われているのかもしれない。

 ……だとしたら、少し悔しい。

「本当に大丈夫なの?」
「うんっ。任せて!」

 王妃とリョウカの激しい攻防は続く。

 どちらも引かない。
 それゆえ前にも出られない。

 そんな進展のない戦いが続くのを、私はただ見守ることしかできなくて。それは正直、悔しいし苦しい。
 本当は私も力になりたいのだ。

 そんなことを考えつつ、王妃とリョウカの戦闘を見守っていると。

「とりゃっ!」

 リョウカが先に動いた。
 刀ではなく足を使い、王妃の手元に蹴りを入れたのだ。

「くっ……」

 鎌の柄は王妃の手からするりと抜けた。
 結果、王妃は鎌を手放すことになったのである。

「せい!」

 そこへ、リョウカは刀を降り下ろす。

 王妃は咄嗟に、胸の前で両腕を交差させる——そこへリョウカの斬撃が入った。

「んぐっ……」

 赤い飛沫が散る。
 顔を強張らせている王妃に向かって、リョウカは直進していく。もちろん、刀を持ったまま。

「たあっ!」

 リョウカは刀を槍のように構え、先端を王妃に向けて突き出す。
 刀は、王妃の胸へ命中した。

「く……はっ……」

 私は、二人から少し離れた場所で、王妃を凝視する。
 刀は確かに刺さっているが、だからといって油断はできない。王妃が怪しげな術を使う可能性もゼロではないから。

Re: あなたの剣になりたい ( No.122 )
日時: 2019/10/15 18:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AtgNBmF5)

episode.119 痛くないようにして

「どうよ!」

 リョウカは王妃の胸に刀を突き立てたまま発した。

 王妃は顔をしかめながらも、体を大きく左右に振る。その三往復目辺りで、リョウカと刀は振り飛ばされた。

 一メートルほど飛ばされ床に落下したリョウカは、状況を即座に理解することができなかったのか、暫しきょとんとした顔をしていた。

 対する王妃は、左手で胸元を押さえつつも、辛うじてまだ立っている。しかし、その表情は苦しげで。呼吸も乱れている。

「小娘ごときが……!」

 王妃は獰猛な獣のような目でリョウカを睨む。
 立ち上がり再び刀を構えたリョウカは、勇ましく睨み返しながら、強い調子で言う。

「小娘とか! 失礼っ!」

 リョウカは不満げだ。

「次は首を貰うからっ」
「……ふ。そうかそうか……首……んふふ……」

 憎しみのこもった目でリョウカを睨んでいた王妃が、突然、不気味な笑みをこぼし始める。
 得体の知れない振る舞いに、私は動揺せずにはいられなかった。

「舐められたものね……」

 王妃は低い声で呟く。それとほぼ同時に、彼女の体を黒いもやが包み込む。暗雲のようなそれがどこから湧いてきているのかは、私には分からない。ただ、量が増してきていることは確かだ。

「ちょ、何なの!?」

 リョウカはまだ剣を構えている。だが、溢れ出す黒いもやのようなものにかなり驚いているようで、誰にでも分かるくらい派手に瞳を震わせている。

 王妃は右腕を真横に伸ばす。
 すると、黒い鎌がその手に引き寄せられる。

 胸に一撃を受けてもなお、彼女の動きが止まることはなく。むしろ、それまでより凶悪な表情を唇に浮かべて。

「可愛くない小娘に手加減はしない……覚悟なさい……」

 唐紅の髪が、まるで床から風が吹いてきているかのように、ふわりと浮き上がる。

 ——直後、王妃は一瞬にしてリョウカの背後に回った。

「え?」

 何かが起こるかもしれないと考え、じっと見つめていた私にすら、何も見えない速度の移動。もはや人間の域を超えている。

「凄惨な死を」

 そう呟き、王妃は鎌を振り下ろした。
 宙を舞うは、朱と黒の混じった飛沫。

「そんな……!」

 私は思わず漏らす。

 リョウカは弱くなどなかった。経験も技術も、さして不足はなかったはず。
 それでも、王妃の鎌はリョウカの背を捉えた。

「んふふ……可愛くない娘に容赦はしないわ……」

 数秒すると、リョウカの背を黒いもやのようなものが覆った。得体の知れないもやは、どうやら、鎌が命中したところから溢れ出ているようだ。

「何するの!」

 堪らず叫んでしまう。
 すると王妃はくるりと振り返り、両方の口角をゆっくり持ち上げる。

「んふふ……てこずらせてくれたお礼よ。あなたも彼女も……痛い目に遭わせてあげるわ」

 黒いもやに包まれているリョウカが、ゆらりと立ち上がり、体をこちらへ向けてくる。

 その顔つきを目にした時、私は愕然とした。
 力のない死人のような目をしていたからである。

 リョウカはこんな顔をする少女ではない。彼女はいつだって明るく、向日葵のような、太陽のような、そんな少女だ。

「な……リョウカに何を!?」
「邪術をかけたのよ」

 数秒空けて、王妃は続ける。

「彼女はもはや……彼女ではないわ。ただの操り人形なの」

 その時ふと、デスタンがトランに操られた時のことを思い出した。今のリョウカが、あの時のデスタンによく似ていたからかもしれない。

「さ、生意気な小娘。彼女をやっておしまい」

 王妃が命じる。
 死人のような顔をしたリョウカは、僅かにさえ顔色を変えることなく、こちらへ向かってきた。

「リョウカ!? 待って、止め……っ!!」

 振り下ろされる刀。
 鋭い一閃。

 私はそれを半ば無意識のうちに防いだ。
 偶々持っていた木刀で、である。

「待って、リョウカ! 止めて! 止めるのよ!」

 攻撃を止めてもらおうと叫ぶ。
 けれどリョウカには届かない。

「んふふ……無駄よ」

 王妃は薄暗い笑みを浮かべ、直後、一瞬にしてその場から消えた。

 だが、リョウカの術は解けない。
 彼女は躊躇なく攻めてくる。

 ——死にたくない。

 その一心で、私はリョウカの攻撃を防ぎ続ける。

 けれど、あちらは本物の刀なのに対し、こちらはただの木刀。威力にも耐久性にも大きな差がある。こちらも剣が使えれば少しは戦えるかもしれない。が、今のままでは明らかに不利。取り敢えず、その差をどうにかしなければ。

「リョウカ! 聞こえないの!?」
「…………」
「私たち、仲間じゃない! それに、もう友人でしょ! 斬り合うなんて絶対おかしいわ!」

 必死に訴えても返答がないという虚しさ。

「こんなの変よ! だって私た……」

 躊躇なく振り下ろされる白刃。

 見えない!

 木刀を反射的に胸の前へ出す——直後、今までで一番凄まじい衝撃が腕に駆け巡った。

 衝撃に続き、メキメキという痛々しい音。恐怖で何も思考できない。そのうちに、胸の前へ出していた木刀が真っ二つに折られてしまった。

 もはや木刀は使い物にならない。そう悟った私は、ひとまず、大きな一歩で後ろへ下がる。

 呼吸が乱れる。
 激しい運動ゆえか、極度の緊張ゆえかは、はっきりしないけれど。

 リョウカは息を乱していない。それも、まったくと言っておかしくないほどに。

 彼女はこちらへ歩いてくる。

 攻撃の嵐から一旦逃れることはできたが、これでは、また仕掛けられるに違いない。こうして距離をおいていられるのも今だけだ。

 戦わなくては。そう思うのに、そのためにどう動くべきかがはっきりしない。焦りや不安で脳内は掻き乱され、正常な判断ができなくなってしまっているみたいだ。ペンダントの剣は使えない、木刀は折れてしまった、と、そんな悲観的なことばかり考えてしまう。

 その間にも、リョウカは近づいてくる。

「ま、待って! 駄目!」
「…………」

 近づかれた分、後ろへ下がる。
 それを繰り返しているうちに、背が壁にぶつかってしまった。

 これ以上は下がれない。

 刀を静かに構えたリョウカが、一歩、また一歩、こちらへ向かってくる。ゆったりとした足取りではあるものの、止まりそうにはない。

「待って! 待つのよ!」

 リョウカは無言で刀を上げる。

「止めてっ!」

 悲鳴のような叫びを放ちながら、瞼を閉じる。

 あぁ、どうか、痛くないようにして——。

Re: あなたの剣になりたい ( No.123 )
日時: 2019/10/18 23:21
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: MSa8mdRp)

episode.120 操り人形は、味方で敵で

 瞼を閉じて、しばらく時間が経った——が、痛みを感じることはなくて。とはいえ、今から来るかもしれないから油断はできず、まだ瞼を開けられない。どうなっているのか状況を確認してみたいという思いはあるのだが、今はそれすら恐ろしく、瞼を開く勇気が出なかった。

 そんな時だ、私の体に誰かの手が触れたのは。

「エアリ!」

 耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた声。
 そう、リゴールの声だ。

 恐る恐る瞼を開けてみる。すると、目の前にしゃがみ込んでいるリゴールが視界に入った。

「リゴール……」
「ご無事で?」
「ど、どうして……ここに」

 なぜ彼がここにいるのかは不明だが、本当は、そんなことはどうでも良いことなのかもしれない。
 いずれにせよ、彼が救世主であることに変わりはない。

「ブラックスターの術の力を感じたので来てみたのです。そうしたら、エアリが彼女に襲われていて。驚きました」

 リゴールの手には本がある。そして、よく見てみると、宙に黄金の膜が張られていた。その膜が、リョウカに襲われるのを防いでくれているようだ。

「彼女は裏切り者だったのですか?」

 リゴールの問いに、私は首を左右に動かす。

「違うの……術のせいよ」
「術?」
「えぇ。王妃が術をかけて、リョウカを操っているのよ。だからリョウカは悪くないわ」

 けれど、リョウカが襲ってくることは事実。だから放置というわけにはいかない。何とか術を解きたいところなのだが。

「……戦うしかなさそうですね」
「待って、リゴール。術が解けさえすればそれでいいのよ」
「しかし、術者が解かない限り術は解けないでしょう?」
「それはそうだけど……」

 何とも言えない心境になっている私に、リゴールは微笑みかけてくれる。

「そんな顔をしないで下さい。大丈夫ですから」
「……リゴール」
「必ず止めてみせます」
「……ありがとう」

 リゴールが来てくれたなら、ペンダントの剣が使える。だから、私も戦わなくては。そう思うのに、今は立てそうになくて。

「それでは」

 立ち上がるリゴール。

「……参ります!」

 右手に本を持ち、左手を前方へ伸ばす。そうして構えた瞬間、黄金の光が迸る。
 それはまるで、奇跡のような輝き。

 網膜まで焼けてしまいそうな——。


 リゴールとリョウカが戦うところを見つめ続けるのは、心苦しいものがあった。

 リョウカは王妃に操られている。だからリゴールにも仕掛けてゆくのだ。そう分かってはいても、一応仲間であった二人が交戦する光景を目にするのは、辛いとしか言い様がない。

 ……もっとも、デスタンと戦うことになるよりかはましなのかもしれないが。


 リゴールの魔法は強い。
 だが、リョウカの剣技も冴え渡っている。

 リョウカの方は、操られていることによってより一層速くなっているかのように感じられるくらいだ。

「っ……!」

 自分が攻撃を受けている時は防御することに必死で、リョウカの剣捌きを客観的に見る余裕はなかった。が、今は少し離れている。だから、自分が攻められている時よりかは、動きを見ることができる。

「リゴール! 大丈夫なの!?」
「……はい!」
「今なら援護できるわ!」
「エアリは無理をなさらないで下さい……!」

 気を遣いつつ、あっさり断られてしまった。

「けど!」
「いえ! 大丈夫で——くっ!」

 背を反らせ、素早く豪快な袈裟斬りをすれすれのところで回避したリゴールは、バランスを崩す。
 彼の華奢な体が後方へ倒れ込んでゆくのが、異様にゆっくりと見えた。

 後方へ倒れかけるなどという大きな隙を、リョウカが見逃すわけがない。つまり、今のリゴールはかなり危険な状態。

 私は半ば無意識のうちに駆けていた——ペンダントから変化した剣を握りながら。

「リゴールを斬らないで!」

 後ろ向けに倒れかけながらも何とか持ちこたえたリゴールと、躊躇なく刀を振り下ろそうとするリョウカ。

 そんな二人の間に、私は入り込む。
 振り下ろされた刀を弾き返し、改めて剣を構える。

「エアリ……」
「ここからは私がやるから!」

 剣は手の内にあるし、戦う気力も蘇ってきた。

 大丈夫。
 リョウカの剣は知っている。

 だから、負けはしない。

「本気で斬る気なのですか……!?」

 背後のリゴールが震える声で発したのが分かった。

 私とて、本当は人を斬りたくなどない。人、しかも味方を斬るなんてこと、微塵も望んではいない。
 でも、リゴールを斬られるくらいなら、私はやる。

「本当は斬りたくなんてないわ。けど……リゴールを失うのはもっと嫌なのよ!」

 リョウカが向かってくる。

 私は心を決め、下から上へと勢いよく剣を振ったーー結果、剣の刃はリョウカの体を確かに捉えたのだった。

「……エア……リ……」

 倒れ込む直前、リョウカはほんの一瞬だけ唇を動かした——そんな気がした。

 脱力したリョウカの体は、捨てられた人形のように、あっという間に崩れ落ちる。床には赤いものが広がり、付近に立っていた私の足までも痛々しく染める。

 私は赤に染まった足で倒れたリョウカへ寄り、傍にしゃがんで、怖々声をかけてみた。

「リョウカ? ……リョウカ。聞こえる?」

 けれど、返事はない。

「ごめんなさい、こんなことを。でも、でもね、仕方がなかったの。……手当てはするわ、リョウカ。だからどうか、いつか元気になって、またあんな風に笑って……」

 こんな言葉をかけたところで、何の意味もないのかもしれないけれど。でも、私は言わずにはいられなかった。もはやリョウカのための発言ではなく、私自身のための言葉になっていたのかもしれない。

「怪我はありませんか? エアリ」

 その頃になって、リゴールが私の方へ歩いてきた。

「え、えぇ……」
「バッサさんに連絡して、お医者様を呼んでいただきますか」

 リゴールの言葉に、私は頷く。

「なるべく急いだ方が良いわね」

 その後、私はバッサを呼びに走った。
 リョウカの見張りはリョウカはリゴールに任せて。

 足が刺激的な色に染まった私を見てバッサは驚いていたけれど、彼女は冷静さを失うことなく一緒に来てくれた。そうしてリョウカが倒れていることを目にするや否や、彼女はリョウカの首に手を当てる。刹那、顔を強張らせた。

「エアリお嬢様、これは……もはや手遅れです」

 バッサの口から出た言葉に、私はただただ愕然とすることしかできず。斬ったのが私だということも、もちろん言えなかった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.124 )
日時: 2019/10/18 23:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: MSa8mdRp)

episode.121 それは才能なのか

 また一つ、尊いものが失われた。

 突きつけられたその事実に、私はどのように対応すれば良いのか分からなくて。

 何も言えない。
 何もできない。

 リョウカの命が失われたことをエトーリアに隠すことは結局できなかった。というのも、屋敷内で死人が出たことを告げないなどという選択肢は存在しなかったのだ。

 友人リョウカは、ブラックスターの襲撃によって落命。
 エトーリアにはそんな伝え方をした。

 リョウカは木製の棺にそっと寝かされ、刀や木刀、そしてたくさんの花と共に、屋敷を去った。

 当たり前にそこにあると思っていたもの。それが一瞬にして失われる恐怖を、私は改めて思い知る。

 しかも、彼女に止めをさしてしまったのは私。
 そのたった一つの事実が、この胸を痛め続ける。

 ただ、それも仕方のないこと。

 殺意はなくとも、この手で命を奪う結果になってしまったのだから、私はこの思いを背負って生きてゆかねばならない。

 これからずっと、永遠に。


「そうですか。で、彼女は命を落とされたと」

 あれから数日が経った、ある夕暮れ時。
 私は自ら、デスタンの部屋を訪ねた。

 体の機能を取り戻すべく訓練しているという彼は、今や上半身を起こせる状態になっており、クッションや毛布などで支えつつではあるものの、ベッドの上で座ることができている。

 幸運なことに、今はミセがいない。
 デスタンの話によれば、今日は珍しく早めに帰ったとのことだ。

「……ごめんなさい。いきなりこんなことを打ち明けたら、困らせてしまうわよね……」

 今の私が最も大切に思っているのはリゴール。これまでの長年の付き合いの中で心から信頼しているのはバッサ。そして、ある意味一番関係が近いと言えるのはエトーリア。

 それなのに、今日はなぜか、デスタンに話してしまった。

 彼は第一印象があまり良くなかった。それに、いつも嫌みが多くて心地よい交流がしづらい。
 それなのに、なぜここへ来てしまったのだろう。

「私に言わせれば、貴女の選択は正しい選択です」
「え……?」
「彼女は術で操られていたのでしょう。それはつまり、既に本来の彼女でなくなっていたということ。そうでしょう」

 デスタンは私を否定はしない。
 むしろ、淡々と肯定してくれた。

 それは現在の私にとって、とてもありがたいこと。救いだった。

「操り人形と王子を天秤にかけ、もし貴女が操り人形の方を救う道を選んでいたなら、私が貴女を殺したと思います」

 デスタンの唇から出たのは、氷のような刃のような、冷ややかで鋭さのある文章。

「殺!?」
「……いえ、『殺した』は言い過ぎかもしれません。ただ、私が貴女を許すことはなかったと、そう思います」

 彼は「言い過ぎかもしれない」と言っているけれど、いざとなったら本当に命を狙ってきそうだ。

 デスタンは悪人ではない。
 けれど、リゴールのことになれば容赦しないところがある。

 だから、もし私がリョウカを選んでいたら、あるいはリゴールが傷を負うようなことになっていたら……何をされることになっていたか分からない。

「ですから、貴女が罪悪感を抱くことはありません」
「デスタン……」
「元より能力の低い貴女にすれば上出来です」
「能力の低い!?」

 いきなりの毒には、戸惑わずにいられなかった。

「何なの、その言い方……」

 思わず本心を発してしまう。
 するとデスタンは眉間にしわを寄せる。

「事実を述べたまでですが、何か?」

 そんなことを、きっぱり言われてしまった。

「い、いえ……べつに」
「不満げですね。何なのです? 問題があるのなら、はっきりと言って下さい」
「な、何でもないわよ。気にしないで」

 私がそう言うと、デスタンは大きな溜め息をついた。
 凄くわざとらしい溜め息。感じ悪いとしか言い様がない。デスタンが嫌みな人間であることは既に知っていたからまだしも良かったが、もし私が何も知らぬ状態であったとしたら、絶対に怒ってしまっていたと思う。

「気にしないで? ……はっ、馬鹿らしい。気にしないでほしいなら、わざわざ話しに来ないで下さい」

 斬撃のような発言が来た。

 内容自体は間違っていないと思うが、もう少し言い方を工夫することはできなかったのだろうか……。

「……それもそうね」

 独り言のように呟く。
 そこへまたしてもデスタンの心ない言葉が飛んでくる。

「もう良いですか。話が終わったのなら、帰って下さい」
「……いいえ、帰らないわ」
「なぜです」

 改めてデスタンを見つめる。

「まだ聞きたいことがあるからよ」

 そう告げると、デスタンは珍しい生き物を見るような目で私を見て、「なるほど」と低い声で呟く。さらに、それからしばらく経った後、「で、質問は何ですか」と付け加えた。

「貴方は人を殺めたことがあるのよね」

 いきなりこんなことを確認するのは不躾かと悩みつつも、確認する。するとデスタンは、少々困惑したような顔つきになりながらも「はい」と答えてくれた。

「最初の頃は辛かった?」
「いえ、べつに」
「じゃあ……同胞を倒した時は?」
「違和感を覚えはしましたが、辛くなどありませんでした」

 デスタンは落ち着き払った声で答えた。
 どことなく恐ろしさを感じるほど落ち着いた言い方だ。これを私と同じ人間が発しているなんて、信じられない。

「そもそも、私は望んでブラックスターに生まれたわけではありませんから」
「躊躇も……なかったの?」
「ほんの少しの違和感以外は、何もありませんでした」

 デスタンの言葉を聞いた私は、半ば無意識のうちに漏らしてしまう。

「……それは、才能なの?」

 本当は羨ましいことなどではないはずなのに、今はなぜか、妙に羨ましく思える。私も彼のように常に冷静でいられたら良いのに、と考えしまって。

「何ですか、その問いは」
「デスタンさんが平然としていられるのは、才能?」

 問いに、デスタンは目を伏せる。

「それは違うと思います。敢えて言うなら、生まれ育った環境ではないかと思いますが」
「……そういうもの?」
「他人を殺して生きざるを得なかった私と、不幸にも殺めてしまった貴方とでは、何もかもが違っているのです」

 そこまで言って、デスタンは改めて私の顔へ視線を向けた。

「ところで、王子は?」

 彼は唐突に話題を変えてくる。

「え、あ……リゴール?」
「はい。元気になさっていますか」

 なぜ私に聞くのだろう?
 そんな疑問が湧いてきて。

「え、えぇ。元気そうだったわよ。体調が悪いわけでもないだろうし……でも、どうして?」
「いえ、たいしたことではありません。ただ少し気になっただけです」

 彼は私から僅かに視線を逸らせつつ、問いに答えた。

「デスタンさんって、本当は優しいのね」
「なっ……」
「リゴールのこと、凄く大事に思っているものね」

 もうすぐ夜が来る。

 私の心は、ほんの少しだけ柔らいでいた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.125 )
日時: 2019/10/18 23:23
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: MSa8mdRp)

episode.122 決意表明?

 翌朝、私は数日ぶりに、リゴールとまともに顔を合わせた。

「おはよう、リゴール」
「あ、エアリ。おはようございます」

 廊下で私に気づいたリゴールは、丁寧に挨拶してくれた。しかし、その顔に元気そうな雰囲気はなく。顔全体の色みが暗く、しかも、目の下にはくっきりと隅ができている。

「リゴール、大丈夫?」
「え。……はい」
「何だか顔色が悪いみたいだけど」

 念のため言ってみておく。
 するとリゴールは、微かな笑みを浮かべる。

「ただの寝不足です。お気になさらず」

 単なる寝不足なら、よく眠ればそのうち回復するだろう。それならなんてことはない。案外、心配するほどのことでもないのかもしれない。

「本当に大丈夫なの?」
「はい。平気です」

 リゴールは穏やかに微笑むけれど、私には、それが心からの笑みであるとは感じられなくて。

「エアリも体調は大丈夫そうですか?」
「えぇ。……けど、少し寂しいわ。リョウカさんがいなくなって」

 デスタンが温かい言葉をかけてくれたおかげで、胸の痛みは少し緩和された。でも、痛みが完全になくなったかと聞かれれば、そうとは言えない。

「……それは、そうですね。リョウカさんは、多くを説明できない中でも味方して下さった貴重な方でしたから……」

 懐かしむように述べるリゴール。

「そんな人を殺めたのよ、私。どうしてこんなことになってしまったのかって……」

 暗い言葉を発するべきではない。
 特に、私よりもっと大きなものを背負っているリゴールには。

 そう思ってはいるのに、溢れるものを止めることはできなくて、ただただ唇が震える。

「……本当はあんなこと、すべきじゃなかった。剣を使うのではなく、術を解くことを考えるべきだったのね……」

 彼の前で暗い顔をしたくはなかった。なぜって、彼の方が日々辛い思いをしているはずだから。

 辛い思いを抱きながら生きている人に向かって、自分の辛さを主張するなんて、一番意味のないこと。
 だから、そんなことを言うべきではなかったのだ。本当は。

「いえ。わたくしはそうは思いません」
「……リゴール」
「もちろん、リョウカさんの死は悲しいこと。けれど、わたくしは、あの時のエアリの行動に感謝しています」

 リゴールはこちらへそっと歩み寄り、それから、「どうか、自身を責めたりなさらないで下さい」と声をかけてくれる。

「情けないことですが……エアリがいなければ、わたくしはあの場で斬られていたと思います。ですから、その……今こうして命があるのは、貴女のおかげなのです」

 リゴールは慰めてくれるけれど、慰められれば慰められるほど胸は痛くなる。上手く形容できない申し訳なさに襲われてしまって。

「……けど」
「いえ。本当に、エアリが気になさる必要はありません」
「でも……」
「エアリは何も気にしないで下さい!」

 突然鋭い調子で言われた。
 そのことに、私は戸惑わずにはいられなくて。

「……も、申し訳ありません。ただ、エアリは本当に、何も悪くなどないのです。わたくしが弱かったことが、あんなことになってしまった一番の原因です」

 廊下の真ん中にもかかわらず、空気は雨が降り出す直前のように重苦しい。
 そんな中、リゴールは無理矢理笑った。

「なのでわたくし、決意しました!」

 あまりの唐突さに、戸惑わずにはいられない。

「……決意?」
「はい! お母様に認めていただけるように、そして貴女にもう迷惑をかけないように、すべてに決着をつけようと決めました」

 急な決意表明。
 どう反応すれば良いのか。

 すべてに決着を、なんて、一般人であっても簡単なことではない。絡み合う多くの線の先にいる彼なら、なおさら、ややこしく難しいことになるだろう。

「ということで、ブラックスターへ行って参ります!」
「えええ!?」

 思わず叫んでしまった。
 リゴールはいきなり何を言い出すのか。理解不能だ。

「ど、どういうことよ!?」
「ブラックスターへ行き、すべてを終わらせます」
「ちょ、何!? 変よ、そんなの!」

 これはさすがに流せない。
 ブラックスターに行く、なんて。

「急にどうしたの、リゴール」
「え。なぜそのようなことを? 急にも何も、わたくしは最初から、今日ブラックスターへ向かうつもりでいたのですよ」
「え!? ちょ……えぇっ!?」

 衝撃のあまり、語彙力は失われ、まともな言葉を発することができなくなってしまった。

「駄目よ! そんなの!」

 混乱したまま、リゴールの右手首を掴む。
 リゴールは少し驚いたような目をしていた。

「……離していただけませんか」
「いいえ! ブラックスターへ行くつもりなら、離すわけにはいかないわ」

 ブラックスターには、リゴールの命を狙う者たちがいる。王や王妃、それに、その手下たちも。
 だから、そんな危険な場所にリゴールを一人で行かせるわけにはいかない。

 もし彼がそれを望んでいるのだとしても、それでも、一人でなんて絶対に行かせない。

 そんなことを許したら、デスタンに怒られそうだ。それに、私も、リゴールが孤独の中で傷つくことなど願っていない。

「エアリ……なぜ止めるのですか」
「当然じゃない。そんな無茶なこと、止めない方がおかしいわ」

 右手で右手首を、左手で左肩を。それぞれ掴んで、そのまま、リゴールの青い双眸をじっと見つめる。

「そもそも、どうやってブラックスターへ行く気?」
「一人うろついていれば、そのうちブラックスターの輩が現れるかと思いまして」

 実は計画をきちんと立てているのかも、と思い尋ねてみたが、返ってきたのはあまりに大雑把な計画だった。

 リゴールは狙われている。
 それゆえ、外で一人になれば襲われることは必至。
 それはそうかもしれない。

 否、きっとそうなるだろう。

 これまで一緒に暮らしてきたから分かる。
 間違いなくそうなる、と。

「待って、リゴール。そんな計画、いい加減過ぎよ」
「はい。それは分かっています」
「ならどうして……!?」
「それしかないからです」

 リゴールは落ち着いた調子で述べた。

「この先もエアリと共に暮らすには、今のままではいけない。そう思ったのです。これ以上迷惑をかけることがないよう、わたくしはブラックスター王と話してきます」

 控えめで、遠慮がち。それでいて、時には無邪気。そんないつものリゴールとは違う、静かで大人びた顔つき。そして、淡々とした口調。

 彼は本当にリゴールなの?

 そう言いたくなるような様子のリゴールを前に、私は言葉を詰まらせる。

「お願いです、エアリ。どうか放っておいて下さい」

 私が戸惑いのせいで何も言えなくなっている間に、彼は私の手を振り払った。しかも、手を振り払うだけではなく、歩き出してしまう。

「ま、待って! どこへ!?」
「……しばらく留守にすると、皆さんにはそうお伝え下さい」

Re: あなたの剣になりたい ( No.126 )
日時: 2019/10/22 19:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6kBwDVDs)

episode.123 棺の王妃、通路の王子

 ブラックスターの首都に位置する、ナイトメシア城。その最上階にある王の間には、ブラックスター王と、棺のような形をしたベッドに仰向けに寝かされた王妃の姿があった。

 王妃は透明感のある黒い布をかけられている。布の下には、赤いドレス。ほんのりと透けて見えている。また、瞼は僅かに開いていて、そこから虚ろな瞳が覗いていた。

 一方、王はというと、仰向けに寝かされた王妃を静かに見下ろすのみ。

「お主はこれまでよく働いた。此度の任務の失敗は残念なことであったが、特別に、見逃すこととしよう」

 ブラックスター王は片腕をゆっくりと前方へ伸ばす。すると、その手のひらから、漆黒の霧のようなものが溢れ出した。その黒い霧は、徐々に、横たえられた王妃の方へと向かってゆく。そして。やがて、ついに、彼女の体を完全に包み込んだ。

「お主に、更なる力を」

 王は告げる。
 直後、王妃の体を繭のように包んでいた黒いものが、消滅した。

 そして王妃の目が開く。

「……ここ、は」

 王妃はそんなことを呟きながら上半身を縦にする。

「目覚めたか。ここは王の間よ」
「……王」
「目覚めたようだな」
「はい。……そうだわ、胸を刺されて……あら?」

 王妃は胸へ視線を下ろし、面に驚きの色を滲ませた。負ったはずの胸の傷が消えていたから。

「我が術を使えば、すぐに回復する」
「まさか……貴方が?」
「その通り」
「あ、ありがとうございます」

 王妃は慌てて頭を下げる。

「頭を上げるのだ。お主は今や、我が妻よ」
「……はい」

 ほんの少し頬を赤らめる王妃。

「これからも、我がブラックスター繁栄のために戦うのだ」
「もちろん……もちろんです」

 王妃は恋する少女のような初々しい顔をしながら、棺に似たベッドから出、立ち上がる。嬉しそうに片手を頬に当てる様は、まるで乙女。

「そのような光栄なお言葉、他にはありません……んふふ」

 その時、王が突然、何かに気づいたように「む!?」と低い声を発した。その動きに、王妃は怪訝な顔をする。

「どういうことだ……?」
「王。一体どうなさいました」

 王妃は素早く問うが、王はすぐには答えない。

 ——直後。

「失礼します!」

 扉が開き、一人の男性兵士が駆け込んできた。

「……む?」
「お、王子が! リゴール王子が、城内へ!」

 軽装な男性兵士は慌てたような調子で報告。
 王妃は警戒心を露わにし、固い顔つきになる。

 だが、王は違っていた。

 ブラックスター王、その人だけは、慌てるでも警戒心を露わにするでもなく、むしろ口元に笑みを浮かべている。

「な……リゴール王子ですって……!?」

 王妃が一歩前へ出た。
 兵士は控えめに頷く。

「は、はい……。自分は目にしてはいませんが、彼の魔法の気配を感じた者がいたとのことで……」

 兵士の言葉を聞くや否や、王妃は素早く王の方を向く。そして、右手を胸へ当てながら言う。

「王子の始末、お任せ下さい」

 その時、王妃の瞳には、決意が確かに存在していた。

「まだ本調子ではないだろうが、問題ないのか?」
「もちろんです、王。じっとしてはいられません」
「それでこそ、偉大な王の妻。よかろう——存分に働くがよい」

 地鳴りに近い低音で述べる王に、王妃は一度だけ深く礼をする。そうして頭を上げた彼女は、くるりと身を回転させ、兵士の方へ顔と体を向けた。

「んふふ……案内してくれるかしら」
「あ、案内ですか?」
「そう……リゴール王子のところへ案内してちょうだい」


 ◆


 ナイトメシア城、地下通路。

 水の匂いが漂う薄暗く狭い通路に、リゴールは立っていた。
 足下には、気絶し倒れた男性。

「……よし」

 リゴールはそう呟き、しゃがみ込む。そして、足下に倒れている男性から黒に近い灰色のフード付きコートを奪い取り、身にまとう。

 青い双眸が見据えるは、通路の先。

 リゴールはもう、華奢で弱々しい少年ではない。護られ逃げ回るだけのか弱い王子でもない。
 今の彼には、戦う覚悟がある。

「すみませんエアリ……勝手をお許し下さい」

 誰もいない空間で謝り、彼は歩き出す——その次の瞬間。

「待て!」

 背後から聞こえた叫びに、リゴールは一瞬にして振り返る。そして、本を取り出し開くと、魔法を放った。中程度の威力の魔法を。

 何者かに魔法が命中した瞬間、爆発が起こり、煙が広がる。

 やがて煙が晴れた時、リゴールの視界に入ったのは、マゼンタの花が描かれた水色シャツを着たグラネイトだった。

「……貴方は」
「ふはは! いきなり攻撃してくるとはやるな!」

 グラネイトは数歩でリゴールのすぐ傍まで近づく。
 歩幅が広いからだ。

「わざと狙われ、ブラックスターへ入り込む! なかなかのものだな!」
「……静かにして下さい」

 苦い物を食べてしまった時のような顔をするリゴール。

「だが! こんな無茶なことは止めた方がいい」

 グラネイトは一切躊躇うことなく、リゴールの腕を掴んだ。

 その時のグラネイトの瞳には、悪意は欠片もなく。単にリゴールの身を案じているというような目をしている。

 だが対するリゴールはというと、グラネイトのことを信じられていないような顔。

「案ずるな! ふはは! このグラネイト様が屋敷まで送ってやろう!」
「静かにして下さい!」
「あ……す、すまん」

 鋭く注意されたグラネイトは、ひそひそ声で続ける。

「だが、ここは危険だ。今のうちに引き返すべきだと思うぞ」
「……そういうわけには参りません」

 グラネイトは、無視して歩き出そうとするリゴールの腕を引っ張り、止めようとする。

「待てっ」
「離して下さい……!」
「ふはは、無理だ。離さん」

 半分ふざけたような言い方をするグラネイトに腹が立ったのか、リゴールは彼の手を強く振り払った。

「こんなくだらぬことをしている時間はありません!」

 リゴールに強く言われ、グラネイトは一瞬驚き戸惑ったような顔になった。が、グラネイトはすぐに平常心を取り戻し、リゴールに声をかけ続ける。

「……今日は妙に余裕がないな。どうしたんだ?」
「どうもしません! 放っておいて下さい」

 歩き出すリゴール。
 それについていくグラネイト。

「いや、そういうわけにはいかん。連れて戻るようウェスタに言われているのでな」
「では、戻らないとお伝え下さい」
「気強すぎだろ!」

 グラネイトはリゴールについていく。執拗とも思えるほどに、ついていき続ける。

「なぜそこまで必死なんだ」
「…………」
「無視!? 少しくらい答えてくれよ!!」

 刹那、リゴールはぴたりと足を止めた。
 それから彼は、悲しげな視線をグラネイトへ向ける。

「愛しい女性と生きるためなら、貴方も、少しくらい無茶はするのではないですか?」

 静かに発された言葉を聞いたグラネイトは、はっきりと一度頷く。

「確かに、それは当然だな」
「そうでしょう?」
「ウェスタのためなら、グラネイト様は命も懸ける!」

 リゴールは呆れ顔ながら「は、はぁ……」と漏らしていた。
 いきなり具体的な例を挙げられても、という気分だったのかもしれない。

「分かっていただけましたか」
「あぁ! よく分かったぞ! ……で、相手は誰なんだ?」

 ワクワクした目でリゴールを見つめるグラネイト。

「もしや、エアリ・フィールドか?」
「……なぜ」
「仲良しなのは知っているぞ! ふはは!」
「……そうでしたか。話が早くて助かります。では失礼します」

 さらりと流し、再び歩き出すリゴール。

「待てっ! 待て待て待て!」

 グラネイトはリゴールを制止する。

「……まだ何かあるのですか?」
「もう止めん。だが……グラネイト様も同行する! これは絶対だ!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.127 )
日時: 2019/10/22 19:48
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6kBwDVDs)

episode.124 彼を追って

 そそくさと外へ向かってしまったリゴールを追おうと思っていたら、偶々通りかかったエトーリアに話しかけられてしまった。しかも、こんな日に限ってエトーリアの機嫌が良く、前に二人で出掛けた時のビーズアクセサリーの話なんかを振られてしまって。私は早くリゴールを追いたかったのだが、なかなか追うことができなかった。

 その後、何とかエトーリアから逃れて私が外へ出た時には、リゴールの姿はどこにもなかった。

 屋敷の外は、白い石畳が荘厳な雰囲気を漂わせる空間。
 私はそこを駆け、辺りを見て回るけれど、リゴールらしき者の姿は見当たらない。目に映るのは、自然だけ。

 もう行ってしまった?

 ……いや、でも、リゴールの運任せ過ぎる作戦がこんなすんなり成功するとは思えない。

 まさか、木々の方へ?

 ……いや、徒歩でそんなに速く移動できるとは考え難い。

 どうしよう、と迷い、一人あたふたしていた、そんな時だった。

「見つけた」

 建物の陰から静かな声が聞こえてきて、私はそちらへ視線を向ける。すると、白銀の髪の女性——ウェスタの姿が視界に入った。

「ウェスタさん!」
「……王子がわざと敵に連れていかれたけど……何事?」
「リゴールを見かけたの!?」

 私は思わず、彼女の手を強く握ってしまった。

「そう……襲われるのを待ってるみたいだった。一切抵抗しないのはおかしい……」
「リゴールはブラックスターへ行ったのね!?」

 問いに、ウェスタはそっと頷く。

「お願い、ウェスタさん! 私をブラックスターへ連れていってちょうだい!」
「……まずは落ち着いて」
「落ち着いてなんていられない! リゴールに何かあったら大変よ!」

 ——刹那、手首に鋭い痛みが走る。

「っ!?」

 目の前のウェスタに手首を捻られていたのだった。

「ちょ、何するの!」
「……落ち着け、と言っている」

 瞳は激しく燃え上がる炎のように赤いのに、そこから放たれる視線は氷でできた剣のように冷ややか。

「ご、ごめんなさい。落ち着くから、離して」

 すると、数秒経ってから、ウェスタはようやく手を離してくれた。

「……心配要らない。グラネイトがつけているから。連れ戻すよう、指示しておいた」
「グラネイトさんが……そうなの。ありがとう」

 一人ぼっちでないなら、危険度も少しは下がるかもしれない。グラネイトならブラックスターとこちらの世界を行き来できるし、リゴール一人より安心だ。

「けど心配だわ。私も傍にいたいわ」
「危険」
「連れていってと頼んだら……怒る?」

 また手首を捻り上げられたらどうしよう、と、恐れつつも言ってみる。するとウェスタは、赤い瞳で私の顔を凝視してくる。

「……な、何?」
「怒りはしない。怒る意味がないから」
「そ、そう……」
「ただ、行くのなら覚悟は必要」

 表情も声色も、真剣そのもの。そんなウェスタを目にしたら、心の隅に恐怖心という名の芽が現れてきて。行かない方が良いのではないかと、そんな考えが脳内に溢れてくる。

「……どうする」

 ウェスタの口から放たれた問いに、私はすぐには答えられなかった。

 リゴールの傍にいる。
 そして、彼を護る。

 とうにそう心を決めていたはずなのに、ウェスタの問いに即答はできなくて。

「私、は……」
「即答できる覚悟がないなら、行かない方が良い」

 ウェスタはきっぱり述べた。
 私も、彼女の発言が間違っているとは思わない。けれど、その発言に従って大人しくしている気には、どうもなれない。

「い、行くわよ! リゴールが心配だもの。当然じゃない!」

 彼を救えるほどの強さが私にないとしても、だからといって下がってはいられない。

「……本気?」
「もちろん! 本気よ!」
「……そう」

 ウェスタは独り言のように呟き、それから私の右腕を掴む。

「なら……様子を見に行く」

 ——直後、私たちの体はその場から消えた。


 次の瞬間、立っていたのは古びた狭い通路。
 一応ところどころにランプはあるようだが、数は少なく、しかも光は弱々しい。そのため、薄暗く、視界はあまり良くない。

「……問題はない?」
「え、えぇ。ここは……ブラックスターの近く?」
「そう」

 ウェスタはすっと頷き、周囲を見回す。私も真似して見回してみたが、灰色の空間と煉瓦が視界に入るだけで、他には特に何も見えなかった。

「ここに気配があったように思った。だが……見当たらない」
「どこへ行ったか、分からないの?」

 敵地を闇雲に歩き回るわけにはいかない。もしまったく見当がつかないのなら、一旦引き返すことも視野に入れなければならないかもしれないというものだ。無論、そんなことはなるべく避けたいが。

「……王子は何か言っていたか」
「え?」
「ブラックスターへ行く目的」
「目的? そ、そうね……確か、ブラックスター王に話をつけるとか何とか……。けど、そんなこと、できるわけがないわ……」

 その時、ウェスタは急に、納得したように「そうか」と発した。

「分かった。行こう」
「え。わ、分かったの?」

 ウェスタは足を動かし始める。
 それに従い、私も歩き出した。

「王の間は最上階。ルートは……二つ。片方は皆が使う最短ルート、もう一方は基本誰も使わない裏ルート。王子らが使っているのは、恐らく、裏ルート」

 歩きながら、ウェスタは淡々と話す。

「ま、待って。リゴールはブラックスターのことをそんなに知らないはずよ。裏ルートなんて、知っているわけがないわ」

 リゴールがここへ来たのは、この前誘拐された時くらいしかないはず。一度だけでそんな詳しいところまで把握するなんて、超能力でもない限り不可能だ。一回しか来たことがないのだから、裏ルートどころか最短ルートさえ知らない可能性が高い。

「……グラネイトがいる」
「グラネイトさん? 確かに、それなら、分かるかも……でも、連れ戻すよう言ってくれたのではないの?」

 連れ戻すよう言われているのに、リゴールの意思に従って王のところを目指しているというの?

「そう。けど、これだけ戻ってこないということは……グラネイトが心変わりした可能性が高い」
「裏切ったってこと?」
「いや、それはないはずだが……」

 ウェスタは、言いかけて止めた。また、それと同時に足も止めていた。

「え、あの、ウェスタさん?」

 ——刹那。

 狭い通路に乾いた破裂音が響いた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.128 )
日時: 2019/10/24 05:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1CRawldg)

episode.125 痕跡を辿り行く

 破裂音に続き、煙が漂う。

 しばらくしてそれが晴れた時、目の前には少女が立っていた。
 十代前半くらいに見える背格好。灰色の髪は黒のリボンで結んでおり、包帯を巻いたようなデザインのワンピース。

 そして——黒い小型銃。

 見覚えがある。確か、彼女とは以前に一度交戦したことがある。この記憶に間違いはないはずだ。

「ハロー。裏切り者サン」

 少女は軽やかな足取りで近づいてくる。
 対するウェスタは、警戒心を隠すことなく、目の前の少女を睨んでいた。

「侵入者は王子とか聞いてたカラ、今、ちょーっと残念な気分なんだよネ」
「……それ以上、近寄るな」
「プププ。ごめんだケド……それは無理!」

 少女の指が引き金を引く。
 銃口から、灰色の弾が飛び出す。

 ウェスタは炎を宿した右手で、弾を払った。

「ウェスタさん、私……」
「構わない。後ろにいればいい」

 剣が使えたら戦えるのに——そんな風に思い、複雑な心境になっていた私に、彼女はそっと言ってくれた。

 少女は小型銃の銃口をこちらへ向けている。
 が、ウェスタは構わず直進していく。

「ぶっ飛ばしてやル!」

 次から次へと撃ち出される、灰色のエネルギー弾。しかしウェスタは、弾丸のことなど微塵も気にせず、真っ直ぐに駆けてゆく。

「……甘い」

 エネルギー弾をかわしながら少女に接近したウェスタは、ぽつりと呟き、振りかぶって蹴りを放つ。

 ウェスタの蹴りをまともに食らった少女は、数メートル後方の壁に激突。気を失った。

 少女は動かなくなった。が、ウェスタはまだ警戒しているようで、彼女は、倒れている少女にゆっくりと歩み寄る。それから少女の首を掴み上げる。

「待って! ウェスタさん!」

 私は咄嗟に叫んだ。
 ウェスタが少女を殺めるような、そんな気がしたから。

「何」
「彼女を殺す必要はないわ」
「……なぜ」
「無意味な殺生は控えた方が良いわ」

 ウェスタは数秒驚いたような顔をしたけれど、すぐに普段通りの冷ややかな顔つきに戻り、少女の首から手を離した。

「……後悔しても知らない」
「分かってくれてありがとう」
「問題ない。……それより、急がなければ」

 ウェスタは再び歩き出す。

「そっちで合っているの? 分かるの?」
「微かに、グラネイトの力の痕跡を感じる」

 私は何も感じない。否、感じられないのだ。グラネイトのものであろうが、リゴールのものであろうが、何も感じ取ることはできない。

「力を使った痕跡、ということ?」
「そういうこと」
「……そんなのが分かるのね。少し、羨ましいわ」

 力の痕跡。それを微かにでも感じ取ることができたなら、私も、きっともっと役に立てるだろうに。


 それからはずっと、闇の中を進んだ。

 ウェスタが選ぶのは細い通路ばかり。しかも、そのすべてが暗闇に近くて。ウェスタの作り出した炎は微かに闇を照らしてくれはするものの、それでも「薄暗い」程度。さすがに「明るい」には至らない。

 それはまるで、先の見えない旅のようで。途中、何度か挫けそうになったりもした。だが、その度にリゴールの顔を思い出すようにし、挫けるのを防いだ。

 リゴールに会う。
 そして、彼の傍にいる。

 ——それが私の願いなの。


 挫けそうになりながら歩き続けること、数十分。
 一枚の扉の前にたどり着いた。

 柄はなく、飾りもない、地味という単語の似合う扉。鉄製で黒く、縦長の四角。それ以外に表現のしようがないような扉だ。

 そんな扉の前でウェスタが突然立ち止まったから、戸惑わずにはいられなかった。

「ウェスタさん?」
「この先……気配がする」
「気配って、敵の? それとも、グラネイトさんの?」
「グラネイト」

 ウェスタは、小さな声で、しかしながらはっきりと答えた。

「ということは、リゴールかも一緒かもしれないわね!?」

 リゴールに会えるかもしれない!

 そう思うだけで、胸の内に立ち込めていたもやが晴れてゆく。

「落ち着いて。慌てても何の意味もない」
「そ、そうね……」

 また腕を捻られたりしたら大変なので、一旦、大人しく下がっておいた。

 ウェスタはほんの僅かな隙間から、扉の向こう側の様子を確認する。足を引っ張ってはいけないから、私は、その間ずっと、じっとしておく。

「……よし。行く」
「行くの?」

 確認すると、ウェスタは「黙ってついてくるように」と静かな声で指示してきた。それに対し、私は頷き「分かったわ」と返す。彼女に従っている方が上手くいくだろうと思うから。

 ウェスタが扉を開ける。
 そして歩み出す。

 私は恐怖心を抱きながらも、ウェスタの背を見つめて足を前へ出した。


「……グラネイト」

 立ち止まっているグラネイトとリゴール。その背後から、ウェスタがそっと声をかける。
 二人は警戒したように振り返り——私とウェスタの姿を見るや否や、顔に安堵の色を浮かべた。

「ウェスタ!」
「……何をしている」

 グラネイトは両手を大きく開きながら、ウェスタに寄っていく。今すぐにでも抱き締めてしまいたい、というような顔だ。

「心配して来てくれたのか? ふはは! ウェスタは優しいな!」

 大きく開いていたグラネイトの両腕が、ウェスタの体を包み込むように動く——が、ウェスタはそれを素早く回避。

 その結果、グラネイトは転びそうになっていた。
 無論、本当に転びはしなかったが。

 そんな風にドタバタしているグラネイトの後ろに立っていたリゴールは、驚きに満ちた表情で、震える声を発する。

「そんな……。エアリ、どうして……?」
「勝手に行ってしまったから心配したのよ」

 私は彼に接近する。
 しかし、私が近づいた分、離れられてしまった。

 ……正直、少しショックだ。

「どうして無茶な道を選ぶの。リゴール。こんな自殺みたいなこと、絶対に駄目よ。今からでも遅くないわ、帰りましょ」

 私は手を差し出しながら言った。だが、リゴールは少しも頷いてくれず。それどころか、彼は頭を左右に動かしていた。

「こればかりは譲れません」
「そんな、どうして……」
「申し訳ありません、エアリ」

 リゴールは妙に余所余所しい態度を取ってくる。

「これはわたくしの選ぶ道。エアリが相手でも、譲れはしません」

 友人どころか知人ですらないかのような振る舞いだ。
 なぜ彼がこのような態度を取るのかは分からない。もしかして「一緒来るな」とでも言いたいのだろうか。

「ですから、エアリは屋敷へお戻り下さい」
「そんなの嫌よ」
「屋敷で帰りを待っていて下さい」
「で、できるわけないじゃない! そんなこと!」

 感情的になってしまい、つい口調を強めてしまった——ちょうどその瞬間。

 コツン、コツン、という足音が聞こえてきた。
 四人の視線が、一斉に足音がした方へ向く。

「あらあら……んふふ。意外と大勢ね……」

 唐紅のさらりとした髪。色気のある顔立ち。そして、豊満な体。

 足音の主は、ブラックスター王妃だった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.129 )
日時: 2019/10/24 05:08
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1CRawldg)

episode.126 辛辣なお嬢ちゃん

「王妃……」

 私は思わず漏らしてしまった。

 先日交戦した時、彼女は胸元にリョウカの刀を受けていた。それも、掠ったという程度ではない傷で。それゆえ、しばらくは戦えないはずだったのだ。

 だからこそ、驚かずにはいられない。
 もう動けるようになっているなんて、想像できる範囲を遥かに超えている。

「んふふ……びっくりしたって顔ね……」

 怪しげな笑みを浮かべる王妃の背後には、男性兵士が控えていた。
 だが、急所に軽そうなプレートをまとっただけの軽装。顔つきからも、恐ろしさはさほど感じられない。恐らく、彼はただの兵士に過ぎないのだろう。

 そんな男性兵士に、王妃は告げる。

「もう良いわよ。んふふ……」

 だが男性兵士は首を横に振った。

「お供させて下さい」
「可愛いわね……けど駄目よ。許可できないわ」

 柔らかな声で、しかしはっきり言われた男性兵士は、肩を落としながら後ろへ去っていった。
 それから、王妃は改めて私たちの方を向く。

「んふふ……さて、誰から楽にしてあげようかしら」

 王妃から放たれる空気には、ただならぬものがある。表情自体は柔和であるにもかかわらず。

「歯向かうというのはどうもしっくりこない」

 独り言のように呟きつつ前へ出るのは、ウェスタ。

「まずはお嬢ちゃんね……んふふ。良いわ。すぐに消し去ってあげる……」

 ウェスタが数歩前へ出たのを見て、王妃は愉快そうに口角を持ち上げた。そして、闇から生まれたような黒の鎌を出現させる。

「大丈夫なの!? ウェスタさん」
「問題ない」
「怪我しちゃ駄目よ!」
「ホワイトスターの者たちは弱くて役に立たない……」

 いや、それは酷くない!?

 思わず叫びたくなってしまった。
 無論、実際に叫びはしなかったけれど。

「んふふ……お嬢ちゃん、意外と辛辣な発言をするのね……」
「本当のことを言ったまで」
「確か、お兄さんもそんな人だったものね。んふふ……」

 私やリゴールと同じくらいの位置に残っているグラネイトは、王妃と対峙するウェスタを不安げに見つめている。

「裏切ったのも……」

 王妃は鎌を構える。
 そして。

「血筋かしらね!」

 地面を蹴った。
 王妃は一瞬にしてウェスタに接近。鎌を大きく振る。

 ウェスタは即座に後ろへ下がり、鎌による攻撃を回避。すぐさま片腕を前へ伸ばし、帯状の炎を放つ。彼女の手から放たれるその炎は、宙を彩る可憐なリボン。

 帯状の炎が王妃に絡みつく。

 が、王妃はそれを、鎌を振って起こした風で払った。

 しかし、振り払うことによって隙が生まれた。
 ウェスタはそれを見逃さない。

 深く踏み込む。

 跳躍のごとき一歩。

 長い片足を振りかぶり、回し蹴りを放つ。

 咄嗟に鎌を前へ出し、ギリギリのところで蹴りを防ぐ王妃。だがそれも完全な防御には至らず。王妃の体は後方へ飛んだ。
 王妃の反応も決して遅くはなかった。いや、むしろ、人とは思えぬほどの反応速度だった。だがそれでも、ウェスタの蹴りの速度の方が勝っていたのだ。

「いける、いけるぞ! ふはは!」

 グラネイトは騒ぎ出す。

 確かに、ウェスタの方が有利そうな状況ではある。けれど、勝敗はまだ分からないのだ。そんな状況にあるのだから少しは緊張感を持つべきなのではないか、と、思ってしまったりした。

「……お嬢ちゃんのわりには、やるじゃない。やはり、貧しさを知る者ゆえの強さなのかしら……?」

 個人的には、あの回し蹴りをまともに食らっていながらすぐに体勢を立て直せる王妃もなかなかのものだと、そう思う。

 少なくとも私にはできない芸当だ。

「けどね、んふふ……そう易々とくたばりはしないわよ」
「今はただ、倒すだけ」
「あらあら……変ね。んふふ。会話になってないじゃない」

 ウェスタはさらに踏み込み、王妃との距離を縮めようとする——が、途中で足を止めた。

 私は、ウェスタがなぜ足を止めたのか、すぐには理解できず。しかし、しばらくしてから気がついた。
 王妃の構えがこれまでと違っていたのだ。

 足を開き、重心を下げ。そうして、鎌の先端が腹の前になるような位置で、鎌を構える。顔からは表情が消え、呼吸していないのではないかと思うほどの静寂を作り出す。

 そんな構え方を、王妃はしていた。

 これまでの戦闘時と構えが違うことは明らか。私にですら分かるほどの大きな違和感が、今この瞬間の王妃にはある。

 ——不気味。

 とにかくその一言に尽きる。

 ウェスタが接近するのを止めたのは、この構えを怪しく思ったからに違いない。
 私でさえ気づく違和感だ、ウェスタが気づかないわけがない。

 ウェスタは軽やかなステップで後退し、王妃から一旦離れた。そして片手を真上へ掲げる。すると、その掲げた手から、瞳の奥まで焼けそうな炎が溢れ出す。

「うぉぉい! ウェスタ! なぜ下がる!?」
「……馬鹿」
「なっ……グラネイト様が馬鹿だとッ……!? おいウェスタ、それはないぞ! 酷い!」

 グラネイトは王妃の構えの不気味さに気がついていないのかもしれない。

 敵であれば少し抜けているくらいがありがたいが、味方になるとその勘の悪さが不安でしかない……。

「んふふ……来ないのかしら」

 王妃は静かに、視線をウェスタへ向けた。

「仕掛けてこないのなら、こちらからいかせてもらうわよ……?」

 ——刹那。

 王妃は鎌を下から上へと豪快に動かした。
 人の背ほど縦の長さのある黒い刃が、私たちの方に向かって飛んでくる。

「ウェスタ!」

 グラネイトは、叫び、少し前にいるウェスタへ飛びかかる。

 ——結果、黒い刃はグラネイトの背に当たった。

 グラネイトの体は、刃を受けた衝撃で、ウェスタを抱き締めたまま数メートル横に飛んだ。それも、見えないくらいの勢いで。

「え」
「なっ」

 その光景を近くで見ていた私とリゴールは、ほぼ同時に声を漏らしてしまう。

他人ひとを庇うなんて……馬鹿らしいわね」

 刃を受けて倒れ込み動けないグラネイトと、彼の下敷きになりほぼ身動きが取れない状態のウェスタ。
 そんな二人を、王妃は嘲り笑う。

「ま、命中しただけ上出来……ここは計画を変更しようかしら」

 王妃が鎌を振り上げるのを見た瞬間、私は反射的に叫んだ。

「グラネイトさん! 避けて!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.130 )
日時: 2019/10/24 05:09
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1CRawldg)

episode.127 説得は平行線

 鎌は振り下ろされる。
 が、それがグラネイトに命中することはなかった。

「ご無事で?」

 リゴールが黄金の防御膜を張り、それが王妃の鎌を止めたのだった。

「ふ、ふはは……助かった……」
「しっかりなさって下さい」
「わ、悪かったな」

 いつもは自信家そうに見えるグラネイトだったが、今は、珍しく上から目線でない。それに、自信家という雰囲気もあまりない。

 グラネイトがゆっくり体を起こす。
 続けて、彼の下敷きになっていたウェスタが、「遅い」と文句を呟きながら起き上がる。

「このっ……王子風情が!」

 勝利を決定付けたであろう一撃の邪魔をされた王妃は、眉間にしわを寄せ、不愉快そうにリゴールを睨む。その双眸は憎しみに満ちている。

「もう殺させたりはしません」
「……何ですって?」

 王妃の眉間のしわが、さらに深くなる。

「躊躇なく命を奪おうとする者を許すわけには参りません」

 リゴールはきっぱりと言い放つ。
 しかし、王妃の顔から憎しみの色が消えることはなくて。

「あら……んふふ、何も知らないのね。我々の苦しみのすべては、元を辿ればホワイトスター王族へ行き着くというのに……」

 王妃は笑っていなかった。
 言葉選びや声色は、いつもの彼女のそれらと大差ない。なのに、顔つきだけは、いつもの彼女とはかなり違っている。

「一体何を?」

 怪訝な顔をするリゴール。

「知らないなんて言わせないわよ、リゴール王子……ホワイトスターには王も王妃もいなくなったのだから、次に罪を背負うのはあなた。残念だけど……んふふ、それは真実なの」

 ブラックスターの者たちがリゴールの命を狙っていたことは知っている。けれど、その具体的な理由は知らない。単に滅びた国の生き残りの王子だから、というわけではないのか。

「ちょっと待って。何なの? リゴールを狙う理由があるの?」
「そう……我々が貧しい暮らしを余儀なくされていたのは、ホワイトスター王族の統治が悪かったから。だから、ね……そんな悪い統治を続けてきた者たちの血を引く者を生き残らせておくわけにはいかないのよ……」

 そんな風に話す王妃の声は、荒々しくなどなく、静かな雰囲気をまとっていた。けれどそれは、冷静さからくるような静かさではなくて。露わにはしないけれど心の奥底では燃えるものがあるような、そんな声。

「我らが王も……かつてはホワイトスターの王族だったの。けれど、彼は他の王族とは違っていた。彼だけは……貧しい者たちにも目を向けて下さったのよ」

 王妃に接近しようとしたウェスタの手首をグラネイトが掴む光景が、視界の端に入った。

「そうして、我らが王と貧しかった者たちが築き上げたのが、ブラックスターよ」
「……悲しい歴史ね」
「そうかしら。歴史なんて、悲しいことばかりだと思うわよ? んふふ……」

 そういうものだろうか。
 私にはよく分からない。

「貧しさの中に生きるしかなかったことは、不幸なことと思うわ。でも、だからといって憎しみだけに生きていたら、いつまでも貧しい心のままなのではないの」

 リゴールが小走りで数歩近づいてきて「刺激しないで下さい!」と耳打ちしてくる。

 確かに私は、刺激してしまうようなことを言っているかもしれない。
 けれど、それが私の本心だから仕方ない。

「なぜ和解の道を選べないの。武器を取らない道を選ぼうとしないの。戦ったって、悲しみしか生まれない。それくらい分かるでしょう」

 完全に理解してもらうことはできないだろう。育ってきた環境も、今の状況も異なっているのだから、すべてを分かり合おうとするのは無理がある。

 でも、もし少しでも分かってもらえたら。
 ほんの僅かにでも歩み寄ってもらえたら。

 そんなことは所詮夢に過ぎないと分かっていて。でも私は、夢をみずにはいられなかった。

「そうね。戦ったところで悲しみしか生まれない……それは真実だわ。けれど、その方がずっとまし。戦えば悲しみが生まれるけれど……戦わなければ地獄なのだから」

 そこまで言って、王妃は一旦言葉を止める。鎌の柄を握っていない左手の指を唇へ当てつつ、息を吐き出す。ピィー、と、高い音が鳴る。

 その瞬間、四方の壁に備えられている扉がすべて同時に開き、大勢の兵士が現れた。

「んふふ……時間稼ぎはこれで終わりね」

 まずい!
 結構な数の兵に囲まれている!

「どうする? リゴール」
「……数の差が大きすぎますね」

 四人揃っているとはいえ、こんな大勢の敵と戦わなくてはならないとなると厳しいものがある。しかも、大勢のただの兵士に加えて王妃もいるから、なおさら厳しい。

 もっと早く、王妃をどうにかすべきだった。

「戦う?」
「エアリは撤退するべきです……!」

 リゴールは本を開いている。いつでも魔法を放てる体勢だ。この兵士たちと戦う気なのだろうか。

「撤退するなら皆で、よ」

 私はそう声をかけた。
 しかしリゴールは頷かない。

「……すみません。それは難しいです」
「どうして!」
「わたくしは、その……ここまで来て引き返す気はないのです」

 控えめな言い方だ。
 でも、心は決まっているのだろう。

 だから彼はこんなにも真っ直ぐな物言いができるのだと、私にはそう思えた。

「駄目よ、リゴール。そんなのは絶対に駄目。私、リゴールをここに残して帰るなんてできないわ」

 私がリゴールを説得している間、王妃は一歩も動いていなかった。

 一方、兵士たちは動いていた。
 ウェスタの炎が蹴散らしていたけれど。

「わたくしのことは気にしなくて良いのですよ、エアリ」
「気にしないなんて無理よ!」
「わたくしにはわたくしの役目があります。エアリにはエアリのすべきことがあります」
「駄目よ! 一緒に帰って!」

 何とか分かってもらおうと言葉を発するも、すれ違いばかり。心と心が繋がることはなく、平行線のままだ。

 そんな私たちのところへ、それまで兵士を蹴散らしていたウェスタが駆けてくる。

「……引き上げる!」

 三つ編みにした白銀の長い髪を揺らしながらやって来たウェスタは、小さめにそんなことを言った。

 私はそちらの方がありがたい。
 だが、リゴールは反対に嫌そうな顔。

 けれどウェスタは、リゴールに意見を述べさせる時間など与えない。即座に私とリゴールの腕を掴んだ。

「な、何をするのです!」
「ウェスタさん……?」

 腕を握られたリゴールと私は、ほぼ同時に発する。が、ウェスタは何も返さなかった。集中したような表情を浮かべているだけで、特に何も発しはしない。

 ——そして、視界が暗くなった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.131 )
日時: 2019/10/24 21:03
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /.e96SVN)

episode.128 まっしぐら

 次に気がついた時、私は小屋の中のような場所にいた。

 高めの天井。厚みのある壁。どちらも、縦長の板をくっ付けたような作り。床もそれらと同じような素材でできているようだが、ワインレッドの絨毯が敷かれているため、板はさほど気にならない。

 近くには、ウェスタと灰色のフード付きコートをまとったリゴール。

「え……ウェスタさん、ここは……?」

 ウェスタの術で移動したようだ。
 それは分かる。

 だが、見たことのない場所である。

「ここは、家」
「家!?」
「そう。二人の。……なぜ驚く?」
「あ、そ、そうなの。グラネイトさんとウェスタさんの家なのね」

 他人の家の中に移動したのかと一瞬驚いてしまった。だが、ここがグラネイトとウェスタの家だというのなら、ここへ移動したのも理解できないことはない。二人が同じ家で暮らしているということは、少し驚きだったけれど。

「そういうこと」
「分かったわ。……ところで、グラネイトさんは?」
「じきに移動してくるはず」

 その数秒後、室内の離れた場所からドタンと何かが倒れるような音が聞こえてきた。そちらへ視線を向けると、そこには、病人のように力なく座り込んでいるグラネイトの姿。

「あ、グラネイトさん」

 グラネイトが負傷していることを思い出した私は、彼に歩み寄ろうと足を動かしたが、それより速くウェスタがグラネイトに寄っていく。

 日頃は冷ややかなウェスタだが、やはり今はグラネイトのことを心配して——と思ったのも束の間。

「……立て」

 ウェスタはグラネイトの腕を掴むと、真っ直ぐ引っ張り上げた。

 躊躇は欠片もない。
 凄まじく豪快な引っ張り上げ方だ。

「な、何をするんだ……。負傷者だぞ……少しは労ってくれェ……!」
「だらしない」

 ばっさりいくウェスタ。

「……そもそも、あんな愚かな行動で負傷するというのが、理解できない」
「酷ッ!」

 少し、グラネイトに共感してしまった。

「そ、そんなこと言うなよォ……ウェスタ……」
「さっさと立て。そして椅子まで歩け。……そこで手当てするから」

 グラネイトが着ている水色のシャツは、左脇腹から背中にかけて赤く染まっている。

「手当てしてくれるか! ふ。ふはは! 急に元気出たァ!!」

 急激にハイテンションになるグラネイト。だが、その体はまだふらついている。

 ウェスタから「手当てする」との言ってもらえたのが嬉しくて精神的には元気を取り戻したのだろう。だが、さすがに、肉体まで回復したというわけではないようだ。


「手当てに時間がかかって、すまない」

 グラネイトの傷の手当てが終わるのを待つこと、しばらく。用事をようやく終えたウェスタが、淡々と謝ってきた。

「……茶でも淹れよう」
「え! いいわよ、そんなの!」

 私はつい、妙に大きな声を出してしまった。
 そこまで強く断る気もなかったのだが。

「マゥス茶か、雑草の茶か……どっちが好みか」

 ……マゥス?
 ……雑草?

 飲み物にできる面々だとは、とても思えないのだが。

「リゴールはどっちにする?」
「……わたくしはブラックスターへ戻りたいです」

 リゴールは何やら不満げだ。
 いつになく不機嫌そうな顔をしている。

「もう、リゴールったら。そんなこと言わないで。そんなに慌てなくていいじゃない」
「……せっかくのチャンスが台無しになりました」

 唇を尖らせ、頬を膨らませ、眉間にはしわを寄せ。リゴールは、欲しい物を買ってもらえなかった子どものような、不満の色に満ちた顔つきをしている。

「まぁまぁ。ひとまずゆっくりしましょ」

 苦笑いしながら、返事を待つウェスタに向かって言う。

「ウェスタさんがオススメする方を頼むわ」
「……分かった」

 マゥス茶。雑草の茶。どちらも、どんな味なのかと考え出したらきりがない。しかも、考えれば考えるほど湧いてくるのは『不安』で。でも、答えのない思考を繰り返していても、何一つとして変わりはしない。それは分かっているから、私は、不安な部分にはあまり思考を巡らせないよう心がけた。


 それからしばらくして、木のティーカップに注がれて出てきたのは、マゥス茶。
 濃い赤茶色の液体で、炙ったような香ばしさを含んだ湯気が立ち上ってくる、凄く不思議なお茶だ。

「……塩、辛い?」

 口に少し含んだ瞬間、しょっぱさが感じられた。
 渋い、甘い、爽やか、などなら分かる。茶とは大抵、それらのうちのどれかに当てはまるような味をしているから。
 だが、このマゥス茶は塩辛い。

 これは本当に茶と呼べるもの?

 ……謎でしかない。

「塩辛いのは当然。なぜなら、マゥス茶は塩を入れる飲み物だから」

 思わず疑問を口から出してしまった私に対し、ウェスタはそんな風に説明してくれた。

「しょっぱいものなの?」
「……そう。元々は……肉の塩漬けで作っていた茶」
「に、肉?」
「そう。それがどうかした?」
「い、いえ……」

 お茶を作る時に肉を使うという発想は、私にはなかった。だから驚いてしまって。それゆえ、すぐにそれらしい言葉を返すことはできなかった。

「ウェスター、グラネイト様にもマゥス茶淹れてくれー」
「……断る」
「庇ったお返しにキス付きでもいいぞー」
「ただの馬鹿」


 マウス茶を淹れてもらった後、私とリゴールは、エトーリアの屋敷へ戻ることにした。

 グラネイトは負傷して動けないため、屋敷までの案内はウェスタが担当してくれて。おかげで私たちは、酷い目に遭うことなく、困ることもなく、エトーリアの屋敷へ戻ることができた。

 夜が迫り、空が紫に染まる、そんな時間帯だ。

「ありがとう、ウェスタさん。送ってもらえて助かったわ」
「……気にしなくていい」
「気にはしないわ。けど、これだけは言わせて。本当に、色々ありがとう」

 本当ならグラネイトにも言わなければいけなかった。ありがとう、って。でも、彼には丁寧に礼を述べる時間がなかったから、軽くしかお礼を言えていない。だから、代わりと言っては何だが、ウェスタにきちんと感謝の気持ちを伝えておこうと決めたのだ。

「あ。それと。グラネイトさんにも、ありがとうって、伝えておいてもらって構わないかしら」
「分かった」
「手間かけて申し訳ないけれど……よろしくね」
「構わない」

 リゴールはまだ不機嫌そうな顔をしている。

「では、失礼」

 そう言って、ウェスタは消える。

 ——ちょうどその時。

「エアリ!」

 屋敷から、エトーリアが飛び出してきた。

「母さん」
「エアリ! 無事なの!?」

 水色のワンピースの上から革のコルセットを着用するというファッションのエトーリアは、まっしぐらに駆けてくる。

Re: あなたの剣になりたい ( No.132 )
日時: 2019/10/27 02:15
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)

episode.129 花の山と、雨降り

 日が落ちて、空の色が紫から紺へと変わりゆく頃、私とリゴールはエトーリアの屋敷の中へ入った。

「勝手に出ていって、暗くなるまで彷徨うろついてちゃ駄目よ。エアリ」

 屋敷に入ってすぐの場所で、エトーリアはそんなことを言ってきた。
 言葉や言い方は優しい。なのに、どことなく厳しい雰囲気がある。

「ごめん、母さん」
「何もなかったようだし、今回はもういいわ。けど、次は駄目よ」

 私たちに背中を向けていたエトーリアは、体をくるりと回転させ、私の方を向く。

「夜は危険だもの」

 エトーリアの言うことも間違ってはいないと思う。夜が危険というのは、ある意味、真実と言えるだろう。
 暗闇は私もそんなに好きではないから、エトーリアの言うことは、一応理解はできる。

「……それはそうね」
「分かったわね?」
「え、えぇ……」

 私が言ってから十秒ほどが経って、エトーリアは、視線を私からリゴールへと移した。それも、単に視線を移しただけではない。直前までより目つきが厳しくなっている。

「リゴール王子」
「は、はい」

 唐突に名を呼ばれたリゴールは、緊張した面持ちで返事をし、真剣な顔つきのエトーリアをじっと見つめる。

「暗くなるまでエアリを連れ歩くのは止めてもらえるかしら」

 エトーリアははっきりと言った。
 彼女は一応『リゴール王子』と呼んではいるが、最早、リゴールを王子とは考えていない様子だった。

「……あ、はい。申し訳ありません。以後気をつけます」
「こんなことが続くようなら、出ていってもらうしかなくなるわよ」
「はい。……承知しております」


 その後、夕食を取って、解散になる。
 帰宅してから、既に二時間が過ぎていた。

「母さんはどうして、あんなことばかり言うのかしら」

 横に並んで自室へ戻りながら、リゴールに話しかけてみた。
 それに対し、リゴールはするりと答える。

「エアリのことを心配なさっているのだと思います」

 彼らしい控えめで柔らかな答えだ。私には絶対真似できない物言いである。

「そっとしておいてくれれば良いのに……」

 私は半ば無意識のうちに本音を漏らしてしまった。

 こんなことを言っていたら、普通、愚痴っぽい女と思われてしまいそうだ。でも、今はそれでもいい。気にしない。言いたいことは言える時に言っておかなければ、溜め込んで息苦しくなってしまう。だから、たまには吐き出しておかなくては。

 そんな心で愚痴を吐き出す私に、リゴールは苦笑いしながら言ってくる。

「エアリとお母様、よく似ているではないですか」
「え。どういう意味?」

 問うと、リゴールは畳んで持っていた灰色のフード付きコートを持ち直しながら、そっと答えてくれる。

「お母様はエアリの身を心配なさって、色々気にしていらっしゃいますよね。けど、エアリはエアリで、わたくしのことをいつも心配して下さっています。ですから、わたくしからすれば、エアリとお母様はよく似ていると思えて仕方がないのです」

 似ている——か。

 私とエトーリアは母娘。私の血の半分は、エトーリアの血。それゆえ、性格が似ているのも当然のことなのかもしれない。

 だが、複雑な心境だ。
 エトーリアとよく似ていると言われても、今はあまり嬉しくない。

「あ。部屋に着きましたね」
「……えぇ」
「エアリ? どうかしましたか?」

 リゴールに首を傾げられてしまった。少し、愛想ない接し方をし過ぎてしまったかもしれない。


 ◆


 白色の光が降り注ぐ夕暮れに、私はいた。

 地面に敷かれた石畳にも、周囲を見渡すと視界に入る建物にも、はっきりとした色はなく。それらは、まるで絵を描く前のキャンバスのように、穢れがない。

 どうしよう? と戸惑っていると、どこかから声が聞こえてきた。
 それも、何となく聞いたことがあるような気のする声。

 私は辺りを見回しながら少し歩いてみる——すると、建物の陰に少女が立っているのが見えた。

 それも、一人ではない。
 長い金髪の少女が二人だ。

 私は陰に隠れながら、二人の少女の話を盗み聞きする。

「王妃の命が狙われているって本当なの?」
「うん。そうみたい。詳しいことは分からないけど、踊り子たちの間で噂になってる」

 長い絹のような金髪、人形のような顔立ち。二人の少女は本当によく似ている——少し離れたところから眺めていても、そう感じられた。

「貴女も気をつけた方が良いわよ。情報を知っているからと狙われないように……」
「えー? エトーリアったら、心配し過ぎー」
「し過ぎであってくれればそれで良いわ。姉さんが生きていてくれれば、それだけで良いの」

 エトーリア。
 その言葉を聞き、目の前にいるのが私の母親なのだと初めて気づいた。

 茜色に染まり始めた空の下、私は耳を澄ます。

「もう。エトーリアったら。どうしてそんなに心配症なのー?」


 そこで、目の前に広がる世界が切り替わる。


 今度は草原だった。

 足下、大地からは、緑色の若々しい草が生えている。

 けれども、爽やかな草原ではない。

 果てしなく広がる空は、分厚い雲に覆われて灰色。涙のような雨は激しく降り注ぎ、強い風が吹き荒れて。
 そんな中、ずっと向こうに見えるのは、少女の背中と花の山。

 私はそちらに向かって駆け出す。

「……これは」

 少女の背中から十メートルも離れていない辺りにたどり着き、白い花の山を見下ろした時、私は愕然とした。

 ——花の隙間から、どことなくエトーリアに似た雰囲気の少女の姿が覗いていたから。

 私はさらに目を凝らす。
 すると、横たえられている少女の容姿が見えてきた。

 微かに波打った柔らかそうな金の髪は、腰くらいまで伸びている。また、睫毛は長く肌は滑らかで、美しい目鼻立ち。ただ、目鼻立ちが整いすぎているせいか、少々人間らしくない。少女の姿をした人形、といった感じの見た目である。

「……姉、さん」

 背中だけを見せ続けている少女が、突然ぽつりと呟いた。

 私は視線をそちらへ向ける。
 だが彼女は、振り返りはしなかった。

「ねぇ、貴女。少し構わないかしら。……何があったの?」

 背を見せ続けている少女に、私は質問してみた。
 だが、答えは返ってこない。

 よく見ると、彼女は大きな鞄を持っていた。革製で、そこそこ重そうな、横長の鞄。

「貴女……どこかへ行くの?」

 徐々に雨が強まる。
 それを合図にしたかのように、少女は歩き出す。

 彼女はやがて、雨の中へ消えた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.133 )
日時: 2019/10/27 02:17
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)

episode.130 脇に

 目が覚めると、ベッドの脇にエトーリアがいるのが見えた。驚き、私は飛び起きる。

「か、母さん!?」

 もしかして、また何かあったのだろうか。敵襲だろうか。そんなことを思いつつ、すぐ近くのエトーリアへ視線を向ける。

「何かあったの!?」

 エトーリアは、意外と、穏やかな顔をしていた。

「驚かせてしまったわね。ごめんなさい、エアリ」

 いきなり謝罪された私は、少しばかり申し訳ない気分になり、頭を左右に動かす。

「気にしないで。……ところで母さん、こんなところへ来て何をしているの?」
「エアリに会いたくなって」

 エトーリアの発言は、母親が娘にかける言葉とは思えないようなものだった。こういうことは普通、恋人なんかに言うものではないのだろうか。いちいち指摘するのは無粋かもしれないけれど、でも、違和感があることは確かだ。

「え。私に?」
「そう、そうなの。だって、エアリと過ごせる時間はあまりないじゃない」
「それはそうね」

 話しながら、ふと思う。

 ……エトーリアがベッドの脇にいたから、あんな夢を見たの?
 そんなことを。

 あれがエトーリアの影響を受けた夢だというのなら、夢の中にいたあの少女は、やはりエトーリアなのだろうか。

「じゃあ母さん、少し質問しても構わない?」

 容姿は似ていた。
 でも、あの少女が絶対にエトーリアだという保証はない。

 だから私は、取り敢えず本人に聞いてみようと思い立ったのである。

「良いわよ、エアリ」
「母さんのお姉さんは、ずっと前に亡くなったの?」

 私が問いを放った瞬間、エトーリアの顔が硬直する。
 その様子を見て、私は、「何かある」と確信した。

 前に姉の話になった時、エトーリアは何も教えてくれなかった。普通、すべては長くなるから無理だとしても、断片的にくらいなら教えてくれそうなものなのだが。

 そんなだから、何かあるのだろうなとは思っていた。

 話せないような——否、話したくないようなことがあるのだろうと、想像することは難しくなくて。

「エアリ……いきなりどうして?」
「夢をみたの」
「ゆ、夢?」
「えぇ。母さんによく似た、二人の女の子の夢」

 こちらから積極的に述べると、エトーリアは悲しげな目をした。

「……わたしの姉が踊り子をしていたってことは、前に話したわね」

 エトーリアの言葉に、私は頷く。

「姉はね、ホワイトスター王妃と知り合いだったの。踊り子同士だったからよ。……それで、ある時、王妃がブラックスターに命を狙われているという噂を聞いてきたの」

 ついに話し出すエトーリア。

「それからしばらくして、姉は殺されたわ」
「……そんな」

 既に生きていないのだろうと予想してはいたから、そこまで衝撃的ではなかったけれど。

「他にも何人もの踊り子たちが殺されていたから、姉だけじゃないわ。でも、姉がいなくなってしまったことは辛くて、耐えられなかった。だからわたしは、ホワイトスターから旅立つことにしたの」

 エトーリアは静かに語る。
 その瞳に浮かぶは、哀の色。

「ずっと遠い世界へ行ってしまえば、悲しみも忘れるかもしれないと思って……けど、そんなに上手くはいかなかったわ」

 親しかった姉を失った悲しみ。それを抱えながら一人生きてゆくことは、きっと、簡単なことではなかっただろう。そこにはきっと、言葉では形容し難いような痛みがあったはず。

 ……でも、もっと早く打ち明けてほしかった。

 その思いは消えない。

 贅沢を言ってはいけないと怒られるかもしれないけれど。

 エトーリアがホワイトスター出身であることを知らなかった父親が生きていた時に話せなかったというのは分かる。出身を明かすことでややこしいことになったら嫌だと考えるのは、分からなくもないから。

 でも、もう少し早く話してほしかったという気持ちは、まだ消えない。

「母さん……どうしてこれまで話してくれなかったの?」
「隠していたみたいになってごめんなさい、エアリ。エアリにだから言わなかったのではないの。わたし、辛いから、姉のことはあまり口にしたくなかったの」

 エトーリアは弱々しく述べた。

 もっと早く話してほしかった、なんて考えるのは無粋かもしれない——そう思わないこともない。

「話せばきっと、辛い記憶だって、少しは薄れるはずだわ」
「そうね……ごめんなさい、エアリ。本当は、もっと早く言うべきだったのね……」

 そして、沈黙が訪れる。
 真夜中の湖畔のごとき静けさ。突き刺すような静寂。そんな中では、ただ呼吸すること、それすら容易くない。

 ——それから、かなりの時間が経って。

「わたしはもう、同じ悲劇を繰り返したくないわ」

 先に沈黙を破ったのは、エトーリアだった。

「だから、あの小さな村に貴女を任せていたの」
「……そうだったの?」

 それが、私があの村で育てられた理由だったのか。

「人が多い街だったら、ホワイトスターから出てきた人なんかに出会う可能性も、ゼロではないでしょう。けど、あの村なら、そんなことは起こらない。そう思っていたわ」

 返す言葉を見つけられない。
 そんな私に、エトーリアは悲しげに微笑みかける。

「けど、甘い考えだったわね。エアリはあの村にいたからこそ——リゴール王子に出会ってしまった」

 エトーリアの言い方は、まるで、私とリゴールが出会ったことが不幸だったかのような言い方だ。出会わなければ幸福であれたのに、と言いたいかのような口調。

「母さん。そんな言い方をしないで」
「わたしの選択が、貴女とリゴール王子を出会わせてしまったのよ……」
「そんなこと言わないで! 私は、あの村にいて良かったわ。だって、リゴールに会えたんだもの!」

 違う。
 悔やむようなことじゃない。

 私はただ、それを伝えたかった。エトーリアに、分かってほしかった。

 あの夜、リゴールと出会って。それから色々ありながらも段々親しくなれた。時には言い合いになったり、喧嘩になりかけたりすることはあっても、それでも最後はいつも笑い合えて。

 きっとそれは素晴らしいこと。

「エアリには……ホワイトスターのことなんて知らずに育ってほしかった……」

 ホワイトスターとの縁。
 それは彼女にとって、ある意味、一種の呪いなのかもしれない。

 幸せだった、戻らない過去。捨ててしまえればまだ楽になれるというのに、どこへ行っても執拗にこびりつく。もう二度と手にすることはできず、なのに完全に切り離すこともできない。

「母さん。私は、リゴールに会って、多くのことを学んだの。だから、彼との出会いは尊いものよ」

 一応発言してはみたが、正直、相応しいことを言えている自信がない。とんちんかんなことを言ってしまっている可能性が高い。

「それにね。ホワイトスターのことだって、知らないままより知っている方がずっと良いわ」
「……そう?」
「母さんの故郷のことだもの、知っている方が良いに決まってるわ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.134 )
日時: 2019/10/27 02:18
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)

episode.131 手を取って

 その日から、私はまた、訓練を再開した。

 姉の死がエトーリアの心に傷を残しているということは分かった。また、そのことがあったからこそ私に関しても神経質になっているのだということは、容易く想像できる。

 エトーリアのためを思うのならば、リゴールとは縁を切るべきなのかもしれない。彼と、そしてホワイトスターとも縁を切り、エトーリアやバッサだけと関わって暮らしていく方が望ましいのかもしれない。そうすれば、エトーリアも、過去を思い出さずに済む。

 でも、私はその道を選ばなかった。

 もちろん、エトーリアの存在を軽く見ているわけではない。
 彼女がいたから今私が生きている——それは事実。だから、彼女のことを軽く見るなんて、できるはずがない。

 けれども、リゴールとの縁を断ち切るなんてことは、私にはできなかった。


 それから一週間ほどが経過した、ある日の午後。真剣な顔をしたリゴールが、私の部屋にやって来た。

「失礼します、エアリ」

 薄いクリーム色の、詰め襟の上衣を身にまとったリゴール。彼の表情は、いつになく真剣そのもので。

「リゴール。……どうしたの? こんな昼間に」

 何かあったのだろうか、と不安を抱きながらも、リゴールの海のように青い双眸をじっと見つめる。

「先ほど、ウェスタさんから連絡がありまして。何でも、ブラックスター王妃が向かってきているようだそうで」

 今のリゴールの声には、柔らかさがない。

「なので、わたくしはそこへ行きます」
「え。行くの……?」

 ブラックスター王妃は、リゴールの命を狙っているはず。そんな者の前に姿を現すなど、自殺行為だ。
 隠れているだけで生き残る可能性は上がるのだから、敢えて姿を晒す必要性なんて少しも感じられない。

「出ていくなんて危険よ。隠れていればいいんじゃない?」
「いえ。終わらせるためにも、行くのです」

 リゴールの少年のような顔には、真っ直ぐな決意の色が濃く浮かんでいた。
 顔立ち自体はいつもと変わらない。可愛らしさのある、あどけない少年の顔だ。けれど、まとっている雰囲気はいつもと少し違っている。

「……エアリも共に来てくれませんか?」
「え!?」

 リゴールの口から出た言葉に驚き、うっかり品のない刺々しい声を発してしまった。

「まずは説得を試みるつもりです。しかし、ブラックスター王妃がその説得に速やかに応じてくれるかは分からないので、もしもの時にはエアリの力をお借りしたいのです」

 そう言って、リゴールは右手を差し出してくる。控えめな肉付きの手のひら。私は、それを取るか否か、少しばかり迷ってしまった。

 彼と共に生きると、彼の傍にいると、とうに決意したはずなのに。

 なぜリゴールの手を取ることを躊躇ってしまったのか、自分でもよく分からない。ただ、躊躇してしまったという事実があるだけだ。

 けれど、このままでは嘘つきになってしまう。
 だから私は、差し出された手をそっと握った。

 その時、手が差し出されてから、既に数十秒が経過していた。が、リゴールは時間の経過に怒ることはなく。いや、怒らないどころか、むしろ安堵の笑みをこぼしていた。

「……良かった」

 リゴールは、目を細め、鳥の羽のようなふんわりした笑みを浮かべながら、呟くように発する。

「ここのところ、わたくしのワガママで振り回してばかりで……気まずくなってしまい、申し訳ありませんでした」

 彼は丁寧に謝罪してきた。
 べつに、罪はないのに。

「気にしないで、リゴール」
「……ありがとうございます」

 リゴールの口から放たれる感謝の言葉。それは、私の胸をがっしり掴んで離さない。日頃滅多に見かけることのないような純真さに、心を奪われてしまう。

「嬉しいです!」

 彼と並んで歩く道を選んだら、待つのはきっと険しい道。恐らく、戦いを避けることはできないだろう。

 それでも歩もう、彼と共に。


 その日の夕方、まだ日が落ち始めていない時間帯に、私はリゴールと屋敷を出た。

 目的地は、屋敷から離れた自然の中。

 ちなみに、その場所を考え選んだのはリゴール自身。エトーリアの屋敷に被害が出てはならないということで、リゴールが、屋敷から離れた場所に決めたのだ。

 私は外出時によく着る黒いワンピースを着てきた。首元と輪を連ねたようなベルトが緑色なことくらいしか目立った特徴のない、比較的体に密着したデザインのワンピース。軽く膨らんだ肩回りなど、多少修繕しているため、新品には見えなくなってしまっている。が、着なれているから、このワンピースを着ておいた。

 もちろん、ペンダントも持ってきている。

「人のいないところで王妃と顔を合わせるなんて、危険じゃない?」
「それはそうですが……お母様に迷惑をかけるわけにはいきません」
「気にしなくて良いのよ」
「いえ。これ以上迷惑をかけては、追い出されてしまいそうですので」

 それはそうかも。
 最近のエトーリアは、リゴールに妙に厳しいものね。

「あ。もちろん、エアリが負傷しないように気をつけますよ。エアリが傍にいて下されば、わたくしの戦闘能力も二割増しくらいにはなりますから」

 二割増し、とは、何と曖昧な表現だろうか。戦闘能力が数値化されていない限り、二割増しなんて表現は、どこまでも曖昧な表現だ。

 そんな風に言葉を交わしているうちに、歩き出してから十五分ほどが経過していた。

「この辺りにしましょうか」

 辺りには、背の高い木々がたくさん生え、壁のように整然と並んでいる。木々には、生命を感じさせる深い緑の葉が、大量についている。その葉たちは、時折微かに吹く風に揺られ、ガサガサと音を立てていた。

「ここで王妃が来るのを待つの?」
「そうしようと思います」


 待つことしばらく。

 突如、木々の隙間の空間がぐにゃりと歪んだ。
 誰かの姿が見えたわけではないけれど、私は、それにすぐ気づくことができた。

 すぐ隣でしゃがみ込んでいたリゴールも気づいたようで、すっと立ち上がっていた。

「来た?」
「そうかもしれませんね……」

 緊張が空間を満たす。

「エアリは後ろにいて下さい」

 歪みは徐々に広がり、そこから体が現れる——そう、ブラックスター王妃の体が。

「んふふ……ここにいたのね……?」

 宙の歪みから現れた王妃は、以前とは違って、黒い衣装をまとっていた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.135 )
日時: 2019/10/30 23:57
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: CejVezoo)

episode.132 黒いベールの王妃

 現れた王妃は、黒いベールで唐紅の髪を隠していた。

 首には革製の黒いチョーカー。彼女の唇と同じように、しっとりとした艶がある。

 身にまとっている漆黒のドレスは、肩が大きく露出した大人っぽいデザイン。レース生地は硬そうながら肌に吸い付くようで、体のラインがくっきりと出ている。また、胸回りやウエスト、手首などには、金の糸で刺繍が施されている。それゆえ、シックな色みながら煌びやかな雰囲気に仕上がっていて。王妃という言葉の似合うドレスだ。

 そして、履いているのは夜の闇のような色をしたロングブーツ。膝までか太ももまでか、丈ははっきりとは分からない。ただ、不気味に輝く黒が、妙な色気を漂わせている。

「んふふ……今日こそ決着をつけましょう」

 王妃は右腕を前方へ伸ばす。すると、黒い鎌が現れた。現れた黒い鎌の柄は、王妃の右手にすんなり収まる。

「戦う気はありません!」

 リゴールが一歩前へ進み出る。

「このような戦いは無意味です。武器を下ろして下さい」

 相手は戦う気満々の王妃。けれども、リゴールは怯んでいない。彼は、本を取り出しもしないまま、堂々と王妃の前に立っている。

「武器を下ろせ? ……それは無理な願いね」

 うっすらと笑みを浮かべる王妃。

 こんなことを言ってはリゴールに失礼かもしれないが、普通に話して彼女を説得できるとはとても思えない。

 王妃はブラックスター王を盲信している。もはや、思考力はないも同然。そんな彼女が相手では、何を言っても効果はないだろう。
 すぐに暴力に走ったりしない。なるべく言葉で分かり合おうとする。それは、崇高な選択かもしれない。けれど、相手によっては、その選択が最善とは言えないこともあるのではないだろうか。

「わたくしは何もしません。ブラックスターの方々に手を出すつもりもありません。ですから、もう襲ってくるのは止めて下さい!」

 リゴールははっきりと告げる。
 だが、その言葉は、王妃には届かない。

「何を言っても……無駄よ!」

 王妃は鎌を手に、リゴールに迫る。

 私は剣を抜こうとした——が、それより先にリゴールは防御膜を張っていて。結果、振り下ろされた鎌を黄金の膜が防ぐ形になっていたのだった。

「戦いを続けても、こちらもそちらも損しかしません!」
「そんなことは関係ないのよ」

 王妃は冷ややかな声を発しつつ、さらに鎌を振る。だがリゴールもそう易々と殺られはしない。鎌による至近距離からの一撃を、リゴールはまたしても防御膜で防いだ。

「我らが王はホワイトスター王子を生かすなと仰せよ」
「発想が物騒なのです!」
「大人しくくたばりなさい」
「それはできません!」

 リゴールは体の前に張った黄金の膜で防御を継続している。が、王妃は諦めることなく、攻撃を仕掛け続けていて。彼女の攻めは、まだまだ終わりそうにない。

 しばらくして、王妃は一旦後ろへ下がる。
 それに合わせ、リゴールも一二歩後退。

 二人の間の距離が開く。

 時間ができたところを逃さず、リゴールは詰め襟の上衣から本を取り出す。そして、その本を開き、左手で持つ。

「説得は不可能なようですね」
「そう……んふふ。説得なんて、無意味よ……」

 王妃の言葉に、リゴールは目を伏せる。

「なら、申し訳ないですが撃退させていただきます」

 リゴールの声は真剣さに満ちていた。ただの脅しなどというものではないということは、少し聞けばすぐ分かる。

 だが王妃は、余裕の笑みを浮かべていた。

「んふふ……そう易々と撃退できると思わないことね」

 王妃は鎌を持っていない方の手を頭の高さにまで上げ、パチンと指を鳴らす。

 ——直後、王妃の前に得体の知れない生物が現れた。

 人間に似た二足歩行の生物で、背の高さは二メートルほど。頭部は坊主。肌はオリーブ色でごわごわしている。姿勢は猫背ぎみで、それゆえ、上に向かうに連れて大きくなっているように見えた。腕は私やリゴールの腕より数倍太く、ぱっと見ただけで筋肉がついていることが分かるような形をしている。

 そんな生物が三体も同時に現れたから、リゴールは愕然としていた。
 愕然とするのも無理はない。私だって、今、同じ思いだ。

「……さぁ、お行き」

 王妃が冷ややかに命じると、三体が一斉に動き出す。

 ターゲットは、リゴール。
 三体とも、リゴールを狙っている。

 太い腕を振り上げながら正面から接近してきた一体は、リゴールを捉えると、上げていた片腕を勢いよく振り下ろす。

 土煙が巻き起こる。
 だが、リゴールは飛び退いて回避していた。

「リゴール!」
「……問題ありません」

 声をかけると、彼は振り向いて返してくれる。
 その声には険しさがあり、余裕はあまりなさそうだった。

「私も戦うわ」
「構わないのですか?」
「もちろんよ」

 私は首にかけていたペンダントを握り、「剣!」と発する。すると、ペンダントは白い光を帯びて、剣へと形を変えた。

 そこへ、先ほど腕攻撃を仕掛けてきた個体が迫ってくる。

「任せて」

 私は剣の柄部分をしっかりと握り、躊躇いを払って、剣を振り抜く。
 白色の光が宙を駆け、生物を横向けに斬った。

 一撃目にしては上手くいった——けれど油断する暇はない。というのも、左右から残りの二体が迫ってきているのだ。

「エアリッ」
「……大丈夫!」

 両手で剣を持ち、その場で回転する。
 剣の刃を包む白い光が、回転によって円になり、近づこうとしてきていた生物二体を弾き飛ばした。

「それは何の技です!?」

 瞳を輝かせたリゴールが問いを放ってくる。

「あ、いや……」

 特に何の技ということはない。ただの思いつきだ。けれど、期待に瞳を輝かせて問われたら、ただの思いつきだなんて言いづらくなってしまう。がっかりされてしまいそうな気がして。

「何でもないの!」

 けれど、結局私は真実を述べた。
 嘘をついても何の意味もない、という結論に至ったからである。

 そして、改めて生物たちの方へ視線を向ける。少々可哀想な気もするが、残る二体も倒さなくてはならない。彼らが攻撃を仕掛けてくる以上、放っておくわけにはいかないのだ。

 だが、不思議なことに、二体は接近してこない。

 不気味に思い警戒していると、二体は、突如足を動かし始めた。歩くでも走るでもなく、その場で足を素早く動かす。前後左右、動かし、動かす。その様は奇妙としか言い様がない。

「何なの……?」

 徐々に土煙が巻き起こってくる。

 が、それ以外に変化はない。
 ただ少し視界が悪くなるだけ。

 どうやら攻撃ではなさそうだ。間接的な攻撃の可能性も考えたが、それもなさそう。となると、何か他の意図があるのだろう。しかし、現時点ではまだよく分からない。

Re: あなたの剣になりたい ( No.136 )
日時: 2019/10/30 23:58
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: CejVezoo)

episode.133 ゼロ距離攻撃

 巻き起こる土煙が、視界を曇らせる。

 ——刹那、黒い影が見えた。

「っ……!?」

 土煙から現れたのは王妃。
 思った以上に接近されている。逃げる余裕はない。

 どうする!? と思っていた時、突如、背後から片手首を掴まれ、後方に向かって強く引かれた。

 何事かと驚き戸惑っていると、リゴールが目の前に現れる。
 直後、王妃の鎌と黄金の防御膜がぶつかり、ガキンと硬い音が響いた。

「リゴール!?」
「エアリ! 無理はなさらないで下さい!」

 鎌による攻撃を防がれた王妃は、一旦鎌を消す。そして、長い脚で蹴りを繰り出した。リゴールは咄嗟に片腕を体の前へ出し、蹴りを防ぐ。が、少しばかり顔をしかめていた。

「大丈夫!?」
「平気です。エアリは下がっていて下さい」
「そ、そうね。分かったわ」

 一応返しておいたけれど、はいはいと大人しく下がってなんていられない。
 私は護られるためにここへ来たわけではない。リゴールの力になるために、ここへ来たのだ。リゴールの足を引っ張るための私ではないのだから、なるべく護られず、戦いたい。

 でも……。

 瞬間、視界の端に生物が入った。

 私は剣を振り上げる。
 白い光が生物を切り裂く。

 剣が斬った生物は脱力し、その場で崩れ落ちた。

「よし!」

 つい叫んでしまった。

 一体倒したというだけで、それは誇るようなことではない。けれど、私にとっては大きなことで。だから、妙に大きな声を発してしまったのである。

 しかし、ほっとしている暇はなかった。
 というのも、反対側からもう一体が迫ってきたのだ。

 生物は接近してきながら、片腕を振り上げている。私は咄嗟にそちらへ視線を向け、横にした剣を胸の前へ出す。

 駆ける、衝撃。

 生物の腕を振り下ろす攻撃は、何げに凄まじい威力で。けれど、剣はその攻撃を何とか防いでくれた。

 だがすぐに次の攻撃が来る。

 腕を振り上げる生物。

 私は剣を上から下へ振る。
 縦向きに走る白色の輝き。それは見た目以上の鋭さを持っており、生物の太い片腕を傷つけた。

 さすがに、倒すには至らなかったけれど。
 ただ、生物の動きは確かに鈍った。直前までとは、キレがまったく違っている。

 ——これならいける!

 珍しく、前向きな思考が湧いてきた。

 その勢いに乗り、剣を水平に動かす。生物は筋肉の豊富そうな腕でそれを受け止めた。が、すぐに切り替え、さらなる攻撃を仕掛ける。

 とにかく攻めの姿勢を崩さない。そう心を決めて。

 勢いのままに剣を振りながら、数メートルほど離れたところにいるリゴールを一瞥する。

 彼は王妃と交戦していた。
 二人は互角の戦いを繰り広げている。両者共に一切後ろへ下がらない、激しい戦闘だ。

 リゴールには魔法がある。それゆえ、易々とやられる彼ではないはずだ。王妃は肉弾戦に切り替えているが、現に、リゴールは上手く捌けている。

 だから大丈夫。
 可能なら、そう思いたい。

 けれど私には無理だ。どうしても、心配で仕方がない。

 ならどうするか?

 簡単なこと。
 目の前の敵をさっさと倒して、援護しに行けば良い。

 ……いや、実際には、目の前の敵を倒すこと自体が大変なわけだが。

 でも、迷っていては始まらない。今の私がすべきことは一つ、目の前の生物を倒すこと。まずはそれを達成しなければ、リゴールの援護へ移れない。

 飛ぶように駆け寄ってくる生物。私は片足を伸ばし、生物の足に引っ掛ける。生物はつまづき、バランスを崩す。

「邪魔しないで!」

 生物がバランスを崩している隙に、剣を叩き込む。
 腕力があまりない私の一撃ではさほどダメージを与えられないかもと思ったが、案外そんなことはなく。縦に真っ二つにすることができた。

「ふぅ……」

 真っ二つになった生物は、地面に崩れ落ちる過程で、黒いもやになって消滅した。

 私はすぐに、進行方向を切り替える。
 リゴールの援護をしなければ。その一心で、リゴールと王妃が交戦している方へと向かう。

「エアリ!?」
「ここからは協力するわ」

 少し呼吸が乱れているけれど、問題ない。多少は動ける。

「し、しかし……」
「大丈夫。二人でなら勝てるわ」

 王妃は大きな一歩で後退。
 私たちと王妃の間の距離は広がる。

「んふふ……もう倒しちゃったのね……」

 余裕の笑みを浮かべる王妃は、どことなく憎たらしい。だが、同時に美しくもある。彼女は、羨ましいくらいの美貌を持っている。
 また、あれだけ動いたにもかかわらず呼吸が乱れていないところも、なかなか凄い。

「……ま、いいわ。こちらとしても……操るものがない方が動きやすいもの」

 王妃は唇にうっすらと笑みを浮かべたまま、高いヒールで大地を蹴る。そして急接近。狙いは恐らくリゴール。私狙いではなさそうな動き方だ。

 それに対し、リゴールは、金の光を発生させる。
 湧き出した光は、ものの数秒で、いくつもの球体へと形を変えた。

 リゴールは左腕を真っ直ぐに前へと伸ばす。

 すると、大量発生していた直径三センチほどの球体が、一斉に宙を駆けた。
 もちろん、王妃に向かって。

 だが、王妃は光の嵐を避けなかった。

 雨のように降り注ぐ黄金の球体を腕で払いながら、直進。リゴールに迫っていく。

 その光景を目にした私は焦る。しかし、その焦りは五秒もかからぬうちに消えた。王妃を迎え撃つリゴールが、驚くほど冷静な表情だったからだ。

 腰を捻り、蹴りを放つ王妃。

 リゴールは小さく張った膜で防御。
 何とか身を護れはしたリゴールだが、落ち着く暇はない。というのも、王妃が今度は拳による攻撃を仕掛けてきたのだ。

 だがその拳に焦っているのは私だけだったようで。
 リゴールは本を持っていない方の手で、王妃の手首を掴んだ。

「……参ります!」

 一瞬、青い瞳が煌めいたように見えた。

 その直後。
 リゴールが掴んでいた部分から、煌めく黄色い光が迸る。

 その光はあっという間に大きくなり、やがて、目を傷めかねないほどの強い光へと変化してゆく。

 私は思わず、瞼を閉じた。

 瞼を閉じていても感じるほどの眩しさだ。
 しばらくして、光が収まったと感じてから、私はゆっくりと瞼を開く。

 視界に、リゴールと王妃が入る——そして驚いた。

 王妃がまとっている衣服が、ところどころ、豪快に破れていたからである。

「どうです! ゼロ距離攻撃は!」

 リゴールは凛々しい顔つきで、勇ましく言い放つ。
 王子という身分に恥じない、凛とした態度。容姿自体は何も変わっていないのに、まとっている雰囲気はいつもとはかなり違っている。

Re: あなたの剣になりたい ( No.137 )
日時: 2019/11/04 22:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /ReVjAdg)

episode.134 それはあるかも

「……んふふ、やるじゃない……今までとは違うってわけね。ならいいわ……」

 王妃はよろけながらも笑みをこぼしていた。

 その笑みが強がりだと、私には分かる。ダメージがないわけではないということは、考えるまでもなく、容易に想像できる。そもそも、リゴールの強力な魔法を受けたのだから、ダメージがないなんてことはあり得ないのだ。

「そちらが本気で来るのなら……こちらも本気で仕掛けるだけのことよ」

 そう言って、王妃は鎌を二本出現させる。いつもの彼女の鎌の三分の一程度の長さの鎌が、両手にそれぞれ一本ずつ、合わせて二本だ。

「覚悟なさい!」

 王妃は、鋭く発し、二本の鎌を同時に投げる。
 鎌は凄まじい速さで回転しながら、リゴールめがけて飛んでゆく。

「……覚悟はしています」

 リゴールは黄金の球体をぶつけ、鎌を弾く。弾かれた鎌はどこかへ飛んでいってしまった。木々に隠され、どこに落ちたのかまでははっきりとは分からない。

「わたくしはもう、迷いません」

 本から巻き起こるは、金の輝きをまとった竜巻。

 発生直後は小さなものだったが、規模は徐々に大きくなり、やがて周囲の木々を揺らし始める。

 日が傾き始めた茜色の空に、眩い黄金の渦。
 それはとても新鮮味のある組み合わせで、非常に幻想的な光景を生み出している。

 風を受け、髪や服の裾が激しく揺らされる。日常生活の中では滅多に経験しないような強い風に、私は、何度か飛ばされそうな感覚に陥った。日頃は風などさほど気にしないものだが、強風は時に人に恐怖心を与えるのだと、今ここで知った。

「……終わりにしましょう」

 リゴールの唇が微かに動くのが見えて。
 次の瞬間、彼は本を持っている側の手を王妃へかざした。

「何これっ……」

 想定の範囲を遥かに超える光量。
 瞼を閉じていても視界が白色になるほどの凄まじさ。

 もはや、何も見えない。私にできたのは、脳まで焼けそうな光の刺激に耐えることだけ。それ以上のことはできない状況で——。


 ……。

 …………。


 ——やがて、視界が戻る。


 葉は散り、砂煙が起こって。
 周囲は嵐の中にいるかのような状態だった。

 呼吸を荒らしながらも威嚇する小動物のような険しい顔つきをしているリゴール。砂の舞い上がる地面に伏して倒れ込んでいるブラックスター王妃。

 ……やったの?

 リゴールと王妃の様子を目にして、そう思いはしたけれど、でもはっきりとは分からない。
 なぜって、私は、一番重要なところを見逃したのだから。
 私が一人心の中で首を傾げていると、リゴールがゆっくりと歩み出す。細い足を動かし、倒れ込んでいる王妃へと近づいていっている。

「終わりです」

 王妃のすぐ傍に着いたリゴールは、本を持っていない手を王妃に向け、冷ややかに見下ろしながら告げた。

「んふ、ふ……やるじゃ、ない……」
「……何か、言い遺すことは?」

 それは、切ない問いだった。

「そう、ね……悪魔よ、あなたは……」

 王妃の口が微かに動いたのを確認し、リゴールは別れを告げる。

「さようなら」

 リゴールの手から光が放たれ、王妃の肉体は消滅した。

 やった。これは倒せたはず。これでもう、彼女に襲われることはない。襲いくる者は、また一人減った。

 ——なのに。

 なぜか脳裏に浮かぶのは、王妃の笑み。
 可愛い娘ね、と言ってくれた、彼女の声。

 私は私を理解できなかった。

 王妃は私やリゴールを本気で殺そうとしていた。ブラックスター王を盲信し、説得しようと試みても応じず。どうしようもなく敵だった。

 なのに、今は素直に喜べない。
 私はおかしいのだろうか。


 考え込んでいた私の耳に、ドサッという音が飛び込んでくる。
 音がした方へ視線を向けると、リゴールが地面に力なく座り込んでいた。

「リゴール!」

 慌てて駆け寄る。
 そして、片手で背をさする。

「大丈夫? 辛いの? 平気?」

 リゴールは青い顔をしていた。それに、呼吸の乱れは継続していて、目力がない。声をかけた際の反応もあまり良くない。

「……平気です」
「平気にはとても見えないわよ?」
「いえ……魔法を、使い……過ぎただけです……」

 王妃を跡形もなく消し飛ばすという大技を披露したのだ、疲労困憊になるのも無理はないだろう。

 私は魔法を使った経験がないから、魔法の使用による疲労については詳しくない。感覚的に分かるということもない。

 ただ、そんな私でも想像はできる。
 大量の球体を作り出したり、竜巻のようなものを起こしたりを連続すれば、きっとかなり疲れるはずだ。

「そう。そうね。とても頑張っていたものね」
「いえ……」
「少し休憩して、屋敷へ戻りましょ」

 空は徐々に、茜色から紫色へ。夜が迫ってきている。

 暗い世界は不気味だ。誰かに襲われる可能性も否定はできないし、そもそも、木々しかない闇を歩くのは危険というもの。だから、無理にとは言わないが、なるべく暗くなりきる前に屋敷へ戻りたい。


 屋敷へ戻ると、ちょうど、夕食の時間の直前だった。

 運動してお腹が空いていた私は、砂で汚れたワンピースを着替えてから、食堂へ向かう。私がそこへ到着した時には、既に、準備は八割方完了していた。

 茶色い渦巻きの山菜と葉野菜のサラダ。白く柔らかいパンと、金塊のように輝くバター。焼いた肉ような香りの、焦げ茶色をしたスープ。

「エアリ、また出掛けていたの?」

 私が席につくや否や、先に座っていたエトーリアが問いかけてきた。

「そうなの。ちょっと用事があって」
「……用事? 何の用事かしら」

 エトーリアは「用事」では済ませてくれなかった。遠慮なく、さらに深いところまで聞いてくる。
 買い物だとか、散歩だとか、嘘を言うことも一瞬は考えた。けれど、そんな嘘をついても良いことはない——そう思ったから、正直に本当のことを話すことにした。

「敵を一人倒してきたわ」

 はっきり述べると、エトーリアは眉間にしわを寄せる。

「……戦ってきたというの?」
「そうなの」
「それで……倒したのね?」
「そうそう。そういうこと」

 数秒経ってから思い立ち、「と言っても、私はちょっとしか戦っていないけど」と付け加えておく。

「まったくもう。エアリは本当に戦いが好きね」
「好きなんかじゃないわ!」
「そう。なら……好きなのはリゴール王子?」

 なぜここでリゴールになる!?

 そんな風に内心呟きつつ、少し考える。

 そして、十秒くらい経過してから、私は小さく首を縦に動かす。

「……それはあるかも」

Re: あなたの剣になりたい ( No.138 )
日時: 2019/11/04 22:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: /ReVjAdg)

episode.135 ふぅん、そんなことするんだ

「そう。やっぱり。そういうことなのね」

 呆れを含んだような笑みを浮かべるエトーリア。

「エアリったら、案外乙女ね」
「……どういう意味よ」
「ふふ。可愛い心の持ち主だって言っているのよ」

 エトーリアは笑うけれど、私は笑う気にはなれなかった。

 王妃を消し去ってからまだ一日も経っていない。いや、一日どころか、半日も経っていないのだ。彼女のことは敵だと捉えていたけれど。それでも、彼女はもうこの世にいないのだと考えたら、複雑な心境にならずにはいられなくて。

「仲良しなのね、リゴール王子と」
「そうよ。また離れろって言うつもり?」

 これまで幾度も離れておくように言われた。にもかかわらず、私たちはそれを無視して、無理に交流を続けている。だから、厳しく注意されたとしても、仕方のない部分はある。

 そんな状況ゆえ、エトーリアと言葉を交わしている間は、警戒せずにはいられない。

「……気をつけて、って言いたいの」
「何なの? 母さん」
「わたしだって、べつに、一生会うななんて言う気はないのよ」

 エトーリアは小さく「いただきます」と呟き、用意されている料理に手をつける。最初はサラダから食べ始めていた。

 彼女が料理を口に運び始めたところで、私とエトーリアの会話は途切れる。
 話はまだ中途半端なところだったから、私としては、できるだけきりの良いところまで話したかった。だが、彼女は食事に集中していて。それを邪魔してまで話すほど重要な話題ではない、そう判断したから、私も食べ物に手を伸ばすことにした。

 白いパンは柔らかい。また、数回噛むと、ほのかな甘みが口腔内を満たしてゆく。口の中、そして胸の奥までも、天使の羽のような優しさがそっと広がる。

 私たちは美味しい料理を食し、食べ終わったら解散した。
 結局、その日の夕食に、リゴールは出てこなかった。


 ◆


 ブラックスター、ナイトメシア城。
 その城に併設されている牢の一室に、あれ以来ずっと閉じ込められているトランのもとへ、王妃の訃報が届いた。

 訃報を届けたのは、係の兵士である。

「王妃様がお亡くなりになった」

 長い間、閉所に押し込まれているトランは、基本的に何事にも動じない。これまでも兵士が何らかの出来事を伝えたことはあったが、それによって動揺することはなく、ただ「ふぅん」と発する程度の反応であった。

 だが、今回は違っていた。
 王妃が落命したとの報告に、トランは驚いた顔をしたのだ。

「……嘘じゃなくて?」
「正式なルートからの情報だ、恐らく間違いはないだろう。もしこのようなガセ情報を流した者がいれば、処刑される」

 衣服の上に急所を護る最低限の防具のみを着用した軽装の兵士は、淡々と述べる。

「ま、だろうねー。さすがに嘘はないかなぁ」

 トランは床に座ったまま、片手で頭を掻く。

「で? そんなことをボクに伝えて、どうするつもり?」
「いや、特に意味はない。黙っているのも変かと思い、話しただけだ」
「ふぅん。そっかぁ」

 トランが驚いた顔をしたのは、ほんの少しの短い時間だけで。何だかんだで、あっさり、普段通りの様子に戻っていた。既に、何事もなかったかのような顔である。

「……悲しくはないのか」
「えー何でー?」

 座ったまま、子どものような声を発するトラン。

「王妃様は確か、以前は直属軍だったはず。仲間だったのではないのか」
「そうだねー。確かに、あの人は直属軍所属だったよ。けど、べつに悲しくはないなぁ」

 そう言って、トランは不気味な笑みを浮かべる。
 悲しむどころか笑っていた。

「これから益々面白いことになってきそうだねー」

 王妃ともあろう人が命を失った。にもかかわらず、トランは軽やかな口調を崩さない。そんな光景を目にした兵士は、恐ろしいものを見てしまったかのような固い顔つきになりながら、床に座るトランを見つめている。

「王様はどうするのかなぁ? そろそろ本気を出すのかなぁ?」
「……後ほど、国民に向けてお言葉を映像にて放送されるそうだが」

 兵士は、付き合っている女性に叱られ気まずくて仕方がない男性のような顔をしながら、トランに向かって言葉を発した。

「へぇ。放送?」
「そうだ。少し落ち着き次第……放送が始まると思われる」
「それはボクも気になるなぁ。見てみたーい」

 トランは甘えたような声を出しながら、その場でゆっくり立ち上がる。それから、二三回ほど尻をぽんぽんと払い、さりげなく兵士に歩み寄っていく。

「放送、ボクにも見せてくれないかなー?」

 兵士に猫のように擦り寄るトラン。
 擦り寄られている兵士も、擦り寄っていっているトランも、両者ともに男。珍しい状況と言えるだろう。

 だが、トランは比較的中性的な容姿なので、案外違和感はないかもしれない。

「な、何を言い出す! ここでは無理だ!」
「どうしてー」
「この部屋の中では、映像魔法も使えない!」

 トランが入れられている部屋は、強力な魔法類を使用する罪人を閉じ込める場合のことも考慮して作られた部屋である。つまり、室内で特殊な力を使うことは不可能。映像を映し出すこともできない。

「ふぅん、そっか。不便だなぁ」
「そういうことだ。すまんが、見せることはできない」
「じゃあさー。その時間だけここから出るっていうのは、どうかなぁ?」

 一度は諦めたかのようだったトラン。だが、彼は、王の映像を見ることをまだ諦めてはいなかったようで。自ら提案する。

「見終わったらすぐに戻るから。どう?」
「無理だ! 部屋から出すわけにはいかん!」
「大人しくしてるからさー」
「それはできない! 禁止されている!」

 兵士はトランの提案を却下。
 だがトランはすぐには下がらず、粘り続ける。

「何もしないよー。大人しくしてるよー。だから出してくれないかなぁ?」
「き、禁止は禁止だ!」
「もちろん、君が外に出したことは黙っておくよ。だからさ。ね? その放送の間だけ、出してくれないかな?」

 兵士にさらに接近しようとするトラン。既にかなり近くに身を寄せていたにもかかわらず、もっと近寄ろうとしているようだ。体を押し当てる、に近いくらい、彼は兵士に近づいている。

 そんなトランの近づきぶりをさすがに気味悪く思ったのか、兵士は突然、腰に掛けていた短剣を抜く。

「それ以上、寄るな!」

 薄暗い空間の中、兵士が握っている短剣の刃だけが輝いている。
 胸元に短剣を向けられたトランは、さほど慌てず、少しばかり不満げに漏らす。

「……ふぅん、そんなことするんだ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.139 )
日時: 2019/11/07 18:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kI5ixjYR)

episode.136 放送

 短剣を向ける兵士。
 短剣を向けられるトラン。

 二人の視線は重なり、小さな火花を散らす。

「ボクたち仲間だよねー。どうして刃物なんて向けるのかなー?」
「無礼は承知のうえ。だが、不自然な動きをする者に警戒するのは当然のこと!」

 トランの軽やかな問いに、真剣に返す兵士。そんな兵士を見て、トランは呆れたように笑う。

「真剣過ぎて逆に笑えるねー」
「何だと!?」

 挑発的なトランの発言に、苛立ちを露わにする兵士。

「いや、だから、そういうところが笑えるんだってー」
「他人を馬鹿にするな!」
「馬鹿に? まさか。ボクは馬鹿になんてしてないよー」

 兵士は誰の目にも明らかなほどに苛立った様子だ。しかしトランはヘラヘラした態度を崩さない。

 その態度が気に食わなかったのか、兵士はついに短剣を持った腕を動かした——が、その腕はすぐにトランに受け止められる。

「ボクに勝てるつもりなのかな?」

 トランの顔から笑みが消えた。

「なっ……!」
「その考えはさすがに甘いよ」

 突如笑みを消したトランを見て、兵士は、心なしか怯えたような顔つきになる。

「一介の兵士がボクに勝てるわけがない。……そのくらい分からないの?」

 トランは兵士の腕を掴んだまま離さない。

「おい! 離せ!」
「嫌だね」
「こ、こんなところで戦うつもりか!? 味方同士だぞ!?」
「けど、先に仕掛けたのはそっちだよ」

 腕をトランに捻られた兵士は、静かな痛みに顔をしかめる。けれどトランは止めない。彼は一切の躊躇なく、指を不自然な方向に曲げた。兵士は「ぎゃ!」と情けない悲鳴をあげ、握っていた短剣を落とす。

「ボクはただ頼み事をしただけ。なのに君は武器を向けた。これでボクが悪いなら、この世界はもう終わってるよねー」

 そこまで言って、トランは兵士を投げた。
 掴まれている部分を基点とし、兵士は宙で一回転。そのまま床に叩きつけられ、衝撃により気絶した。

「まったく、だねー」

 一撃で兵士を動けなくしたトランは、誰もいなくなった空間でぽつりと呟く。
 そして、落ちた短剣を拾い上げた。

「……さて。これからどうしようかなー?」

 片手に短剣を持ち、一人、ニヤリと笑うトラン。

 彼の瞳には、未知の色が滲んでいる。


 そしてトランは牢を出た。
 兵士から没収した短剣を服の下に隠し、点から点へジャンプする術を駆使しながら、彼はナイトメシア城内を移動する。

 久々の牢の外が想定外に眩しかったのか、トランは常に目を細めていた。

「……ぞ!」
「な、いった……ったんだ!?」

 一人で移動していたトランの耳に、話し声が飛び込む。それによって、トランは足を止めた。もちろん、ただ足を止めただけではない。壁の陰にさっと隠れた、という表現の方が、ある意味正しいかもしれない。

「放送が……と……いる!」
「な、何だって……!」

 聞こえてきた話し声は、兵士二人のものだった。

 二人の視線の先には、横二メートル縦一メートルほどのサイズの、四角いものが浮いていて。そこに、映像が流れている。

 無論、トランのところからでは、その映像をはっきりと捉えることはできなかっただろうが。

 トランは壁の陰に隠れつつ、様子を窺う。

『それでは、ブラックスター王よりお言葉をいただきます』

 大きな音声が流れ出す。そしてその数秒後、浮いている画面のような四角の中にブラックスター王らしき者の姿が現れる。それまで何やら喋っていた二人の兵士は、宙に浮かぶ四角に王らしき影が出現した瞬間、ぴたりと話を止めた。

『本日は、皆に、非常に残念な報告をせねばならない』

 兵士たちは、四角に現れた王の姿を凝視している。だがそれは、トランが見ている二人の兵士に限ったことではないと思われる。

 王が話せば、皆それを聞く。
 それは当たり前のこと。

 むしろ、意地でも聞かないなどと言い出す者の方が稀なはずだ。

『つい数時間前、王妃が、任務の途中で命を落とした』

 正式な発表を聞くも、トランの心に悲しみはなかった。

『身柄を確保しようとしただけの王妃の命を奪ったのは、ホワイトスター王子及びその協力者! 我がブラックスターの誇りたる王妃を殺害した、その罪を許すでない!』

 その時、荒々しい声を発する王をさりげなく見ていたトランの耳に、兵士と思われる男性の涙声が飛び込んできた。

「う、うっ、うぅ……」
「しっかりしろよ、アンタ」
「いや、だってさぁ……王妃様がさぁ……」

 一人は泣きかけており、もう一人は励ましている。
 どうやら、放送が始まる直前に喋っていた二人とは別の二人らしい。
 そんな声と共に聞こえてくるのは、足音。トランは面に警戒の色を浮かべる。が、足音は壁の向こう側を歩いていて。それゆえ、声の主である彼らがトランの存在に気づくことはなかった。

『誇り高きブラックスターの民よ。今こそ、皆で力を合わせ、憎しき敵を倒す時! 偉大な王妃を殺めた残虐な者たちを許すな!』

 非常に扇動的な王の演説に、トランは、呆れたように溜め息をつく。当然、誰かに聞かれないように注意しつつ、だ。

「……おかしな演説だなぁ」

 ただ、一応注意していても、発生してきた言葉のすべてを飲み込むことはできないようで、多少は心を漏らしてしまっていた。

『本日より、我々は、持てる力すべてを使って、王妃の仇を打つ!』
「……大袈裟ー」
『ブラックスターの名誉を傷つけたことは、絶対に許さぬ! 以上!』
「……以上、て」

 浮かぶ四角に表示されている映像が切り替わる。王が消え、最初の画面に戻った。

『以上、ブラックスター王よりのお言葉でした』

 そうして、放送は終わる。
 場には何とも言えない静けさだけが残ってしまった。

 気まずい静寂の中、それまで時を止められたかのようにびくともしなかった兵士たちは、それぞれの持ち場へ戻ってゆく。

「さて、ボクは何をしようかなー」

 トランは、動き始めた兵士たちに発見されないよう警戒しつつも、安定の軽く聞こえる口調で一人呟く。そして、それから彼は、音もなくじわりと片側の口角を引き上げる。

「まずは裏切り者から……潰そうかなぁ?」

 術にて瞬間移動を行う直前、トランの顔は、悪魔のような笑顔になっていた。
 その笑顔は、無関係な誰かが見ていたら恐れを抱きすらしたかもしれないほどの、奇妙な顔であった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.140 )
日時: 2019/11/07 18:06
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kI5ixjYR)

episode.137 もうそろそろ

 王妃を倒した一件以来、私の心に光は射し込まなくなってしまった。

 体調が悪いわけではない。
 頭痛や腹痛、倦怠感といった症状はないし、発熱している感じもないし。

 ただ、心だけが重苦しくて。

 しかし、私がそんな状態であっても、世界の変化には何の関係もなく。時間はただひたすらに過ぎてゆく。時計の針が止まることはない。


 そんなある日のこと。
 軽い昼食を終え、自室へ戻ってぼんやりしていると、誰かが戸を叩いてきた。

 私の部屋に訪ねてくるとしたら、リゴールかバッサ、あるいはエトーリア辺りだろう。だが、エトーリアは夜間に来ることが多い。となると、リゴールかバッサが有力と言えるかもしれない。

 いずれにせよ、会いたくない相手ということはない。
 開けても問題なさそうだ。

 そんなことを暫し考えた後、私は扉の方へ向かう。そして、「はーい」と軽やかに発しながら、戸を開けた。

「……っ!」

 そして驚く。
 扉の向こうに立っていたのが、ミセに肩を借りているデスタンだったから。

「物凄く驚いたような顔ですね。そんなに私が嫌でしたか」

 いや、そうじゃない。

 私はただ訪ねてきたのがデスタンであることに衝撃を受けただけであって、デスタンが嫌でこんな顔になってしまったわけではない。

 そもそも、デスタンが嫌だったのなら、驚いた顔ではなく不快そうな顔をするはずではないか。嫌な人がやって来たから驚いた顔をするなんて、ずれている。

「ち、違うの。嫌だなんて思っていないわ。ただ少し……驚いてしまったのよ。だって、訪ねてきたのが貴方だなんて、考えてもみなかったから……」

 ミセは何も口を挟んでこない。デスタンの体を支えることに集中しているようだ。彼女の、デスタン絡みの熱心さは、常人の域を遥かに超えていると言っても過言ではないくらいである。

「言い訳は結構です、嫌われるのには慣れていますから。……それより。話があるので、少し入れていただいても?」

 デスタンが私の部屋に来るなんて嘘みたい。でも、それより信じられなかったのは、彼が立てていること。支えてもらいながらではあるが、それでも、立てているのが凄いことであることに変わりはない。

「え、えぇ。どうぞ」
「では失礼」

 デスタンはミセにもたれかかりつつゆっくりと歩き、やがて床に座る。デスタンを床に座らせたミセは、素早く彼の隣に陣取る。

「大丈夫かしらぁ? デスタン」
「はい。問題ありません」

 二人は一瞬だけ、そんなやり取りをしていた。
 そして、デスタンは改めてこちらを向く。

「調子はどうですか」
「え?」
「貴女の調子がどうかを聞いているのです。馬鹿げた説明をさせないで下さい」

 彼が発する言葉に含まれるさりげない毒は健在。ミセとの交流の中で少しは変わってきているものかと思っていたが、そうでもないようだ。

「ごめんなさい」
「謝罪は結構なので、答えて下さい」

 何なのよ! と言いたくなるも、ギリギリのところで堪える。

「え、えぇ。そうするわ。……と言っても、調子なんて自分ではよく分からないわね」
「単刀直入に言うと、王子が心配なさっていたのです。貴女のことを、ですよ? なので、私が直接様子を確認しに来ました」

 そういうことだったのか。
 事情が分かり、ほんの少し心が緩んだ気がした。

 それにしても、今日のデスタンはさっぱりしている。藤色の長髪はさらさらだし、シャツや体からは石鹸のような爽やかな香りが漂っているし。

「お疲れですか?」
「私は、その……疲れてなんかないわよ」
「では、王子はなぜ心配を?」

 そんなこと、聞かれても分からない。
 内心呟きつつも、返す。

「あ……もしかしたら、少しすっきりしなかったのを気づいてくれたのかもしれないわ」

 曖昧な発言になってしまった。
 それを聞いたデスタンは、眉と眉を内に寄せ、訝しんだような顔をする。

「すっきりしない、とは」
「……実は、少し悩んでいるの」
「残念な頭の方も、悩むことはあるのですね」

 ちょっと、何それ! 失礼!

 怒りが込み上げる。
 だが、込み上げたからといってそれをすぐに露わにするのは、短絡的。人であるならば、時には我慢することも必要だ。

「そうなの。王妃との一件以来、どうも明るい気分になれなくて」
「王子が王妃を倒された一件以来、ですか?」

 デスタンの確認に、私は「えぇ」と言って頷く。

「犠牲が多すぎるわ。こんなに人が死んでいく争いなんて、絶対良くない。私はそう思うの」
「何もしなければ殺られるのは王子の方です」

 私は勇気を振り絞って本当の気持ちを述べた。しかしデスタンは、眉一つ動かさず、あっさり一文を返してくるだけ。

「それはそうかもしれないわね。私だって、一応は分かっているつもりよ」
「ならば、歯向かう者は蹴散らすしかありません」
「でも、命の奪い合いなんて……」

 私は俯く。

 ——否、正しくは、半ば無意識のうちに俯いていた。

 私とて馬鹿ではない。命を狙われている以上、生きるためには抵抗しなければならないということは、理解しているつもりだ。リゴールが本気で戦うのも、とにかく生き残るため。生き延びようとするのは人として当然のことだし、それを悪く言う気もない。

 ただ、それでも、命の奪い合いなんてない方が良いと思わずにはいられなくて。

 何を今さら。
 綺麗事ばかり言って。

 既に人の命を奪ったことのある私がいくら善良なことを述べても、そんな風に思われてしまうだろうけど。

「……愚かな」

 一人思考の渦に巻き込まれてしまっていた私に向け、デスタンは低い声で言った。

「何を今さら迷っているのです」

 彼は少し苛立っているみたいだった。

「幸せな夢を想像するのは結構です。しかし、夢は所詮夢。夢と現実の境目を見失うのは、愚か者以外の何者でもありません」

 ……そうね。
 デスタンの言う通りだわ。

 私は既に手を汚した身。今さら平和主義的なことを考えても、それはただの夢でしかないの。だって、現実はもう、嫌になるくらい血に濡れているんだもの。

「……そう。そうよね。もう、夢みても無駄なんだわ……」

 リゴールと共に歩む道を選んだのは、他の誰でもない、私自身だ。だから、たとえそれが辛い道であったとしても、誰かを責めることなどできない。

 そして、その道から逃げ出すことも、一切できはしない。

 選んだ道。決めた人生。
 歩み出せばもう、引き返せはしない。

「甘いのね……私は」

 リゴールに心配をかけ、デスタンを歩かせ、これでは皆に迷惑をかけてばかりではないか。なんて情けない。こんなこと、許されたことではない。

 戦うと決意した身なのだから、私ももうそろそろ、一人で地面に立たなければ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.141 )
日時: 2019/11/07 18:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kI5ixjYR)

episode.138 過度な触れ合いは、お断りします

「デスタンの周り、本当に色々あるのねぇ」
「はい」
「凄いわぁ。やっぱり美男子には陰があるのねぇ」
「陰しかありません」

 ミセは甘い声を発しながら、すぐ隣に座っているデスタンの片腕に、腕を絡める。また、体も密着させている。

 二人の時にいちゃつくのならば自由。
 それは二人の問題だから、デスタン本人が拒否しない限り、親しくするのは勝手だろう。

 だが、今は二人きりではない。目の前に私がいるのだ。知り合いとはいえ第三者がいる時は、もう少し遠慮がちに振る舞えないものなのだろうか。

 心の中にて愚痴を漏らしていると、ミセがちらりとこちらを見てきた。

「あーら。羨ましいのかしらぁ?」

 挑発的な目つきと言い方だ。

 私を悔しがらせたいのだろうが、そうはいかない。操り人形みたく、思い通りになってたまるものか。
 ミセの意のままになってたまるか、と、私は苦笑で流す。

「人の前では止めた方が良いと思います。ミセさん」

 淡々とした注意を放つデスタン。
 しかしミセは離れない。
 それどころか、より一層、デスタンに接近していっている。

「デスタンったらぁ、冷たぁーい! もっと仲良くしてちょうだぁーい!」
「嫌です」
「酷ぉーい。もっと優しくしてぇー」

 ミセは両手をデスタンの胴体に絡め、優しく抱き締める。また、デスタンの肩の辺りに頬を当て、すりすりする。

 ……これは一体、何を見せられているのだろう。

 ミセの方からの一方通行とはいえ、いちゃついている光景を見せられ続けるというのは、何とも言えない気分。私は、どのように反応すれば分からず、その妙な光景をただぼんやりと見つめ続けることしかできない。

「過度な触れ合いは、お断りします」

 デスタンは凛とした態度で触れ合いを拒む。が、その程度であっさり止めるミセではない。

「……仲良しね」

 異様に近い距離の二人を眺めていたら、半ば無意識のうちに漏らしてしまっていた。

 漏らしてしまった言葉に素早く反応したのはミセ。彼女は、デスタンに体をぴたりとくっつけたまま、妙に嬉しそうな顔でこちらへ視線を向けてくる。

 何も競っていないのに、彼女は勝ち誇ったような顔をしていた。

「いえ、仲良しではありません。世話になった恩があるため無理矢理引き離せないだけです」

 本当にそうだろうか?

 少し、疑問がある。

 デスタンのようにはっきりした性格の者なら、本当に嫌なら、無理矢理であっても逃れようとするのではないだろうか。

「……本当に?」

 こんなことを言ったら、デスタンの言葉を疑っているかのようで、彼に対して失礼になってしまうかもしれないけれど。

「当然です。私に何を期待しているのですか」
「いいえ。そうね……何度も聞いて、ごめんなさい」

 念のため謝罪しておくと、デスタンは素っ気なく「いえ」と返してきた。それから「ではこの辺りで、失礼します」と述べる。すると、その言葉を合図にするようにして、ミセがデスタンに手を差し伸べる。

「立つのねぇ?」
「はい」

 デスタンは、ミセの手や腕の力を借りつつ、徐々に腰を上げていく。
 十数秒ほどかけて起立した。

 ミセの行動はいつだって少し過激で。目を逸らしたくなるような時もあるし、控えるよう注意したくなるような時もある。

 けれど、彼女のデスタンを想う心は強いもの。
 彼女の愛は、広く深い海のようだ。

「では、これにて失礼します」
「もういいの?」
「はい。悪質な術や体調不良ではないようでしたから」

 悪質な術、て。
 そんなものがかかっていたら怖すぎる。

「心配かけてごめんなさい」
「いえ。それは王子に言って下さい」
「う……相変わらずね」

 私は言葉を詰まらせてしまう。
 すれ違いざまにいきなり殴られたような気分だ。

「でも、気にかけてくれてありがとう」
「いえ。私は何もしていません」
「そんなことないわ。わざわざ部屋まで来てくれたじゃない」

 するとデスタンは、呆れたように目を逸らす。

「……運動がてらです」

 その発言が、本当のことなのか、あるいは恥ずかしさを隠すための偽りなのかまでは、はっきりとは分からないけれど。

「そう! ……でも、そうね。運動は大切よね!」
「なぜ急に明るい顔になったのです?」

 言われてみれば、そうかもしれない。確かに、私は今、一瞬明るい気持ちになったような気がする。なぜだろう、理由は思いつけないけれど。

「ごめんなさい、分からないわ」
「そうですか。……ま、そうでしょうね。お気になさらず」

 秋風のように言い切り、デスタンは私の部屋から出ていった。もちろん、ミセに支えてもらいながら。

 彼が動けなくなった時、一時はどうなることかと思ったけれど、多少は回復してきたようで良かった。戦えるまで元通りにはならずとも、日常生活くらいは行えるようになった方が良いだろう。リゴールもきっと、回復を望んでいるはずだ。


 私はデスタンが徐々に動けるようになってきたことに安堵しつつ、扉を閉める。それから十歩ほど移動し、ベッドの上に寝転んだ。背中に柔軟な感覚。ただ、首もとにだけ違和感を覚えてしまう。その原因に気づくのに、四五秒かかってしまった。ちなみに、原因とは、首にかけていたペンダントの紐部分である。

 ペンダントを首から外し、体のすぐ傍にそっと置く。
 これで違和感は消え去るはず。

 それから私は、意味もなく天井を見上げる。しかしすぐに飽きてしまって。今度はそっと瞼を閉じた。

 ——その時。

 扉の方で、ガタンと大きな音が鳴った。
 私は飛び起きる。

 何かが倒れただけかもしれない。誰かが物を落としたりしただけかもしれない。
 けど、どうしても気になって。

 だから私は、ペンダントを再び首にかけて、扉の方へ向かった。

「何の音!?」

 扉を開け、廊下へ出て——愕然とする。

「……トラン」

 そこに立っていたのは、トラン。
 青みを帯びた髪の中性的な少年。

 そして、どのようにして侵入してきたのか分からぬ彼と対峙しているのは、デスタンとミセ。

「やぁ、君もいたんだね」

 トランはうっすら笑みを浮かべつつ、そんなことを言う。

「どうして貴方がここにいるの」
「やだなぁ。そんな怖い顔しないでよ」

 いや、この状況でニコニコしているなんて普通不可能だろう。

「ボクは、外で偶然会った人から鍵を借りて、訪問しただけ」
「それは侵入と言うのではないの!?」
「違う違う。ただ、少ーし、お邪魔しただけだよー」

 トランの発言はどれも理解不能。

「……それで、何の用なの?」
「ボクが会いに来たのは君じゃなくて、そっちだよ」

 私の問いに静かに答え、片手で指差すトラン。彼の人差し指が示しているのは私ではなく——私より彼に近い位置にいる、デスタンだった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.142 )
日時: 2019/11/07 18:12
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: kI5ixjYR)

episode.139 操っちゃってもいいかなぁ

 デスタンを指差し、トランは話し出す。

「本当はさ、先に裏切りたての裏切り者たちを先に仕留めようと思っていたんだよねー。けど、それより良い作戦を思いついてしまった。そこで、先にこっちへ来たんだよー」

 トランは機嫌良さげに話している。また、漂わせている空気も平和的だ。
 だが、それはあくまで現時点のこと。
 悪い企みを抱いていることは確かだし、いつ本性を露わにするか分からないから、油断はできない。

「そしたらびっくり。彼が女の人に支えられてるなんて、想定外だったよー。そういう交流は嫌いなんだろうなって思っていたからさぁ」

 デスタンは警戒心剥き出しの表情でトランを睨んでいる。
 ミセは彼を支えたまま、怖れたような眼差しをトランへ向けている。

 二人とも、戦える状態の人物ではない。それを知っているから、私は、二人の前へと歩み出る。

 しかしトランは、うっすらと笑みを浮かべるのみ。
 まだ、特に変化は感じられない。

「でも、むしろラッキーだったよ」
「……どういうこと?」
「察しが悪いね。言うまでもないくらい、簡単なことだよ」

 言って、トランは上着の内側から短剣を取り出した。

「大切な人の命を奪って絶望している彼を、ボクが殺る。そしてその亡骸を妹の前に晒す。……どうかなー?」

 物騒なことを言い出すトラン。
 発言の内容自体もそこそこ恐ろしいものだが、一番恐ろしく感じるのはそこではなく、怖いことを笑顔で平然と言ってのけているところである。

「そんなことはさせないわ」
「できれば邪魔しないでほしいなぁ」

 私とトランが言葉を交わしている隙に、ミセとデスタンは、トランがいるのとは反対の方に向かって歩き出す。

 だがトランは見逃さない。
 彼は突如動いた。

 私を軽くかわし、デスタンらの進行方向へ立ち塞がる。

「待ってよ」

 トランの冷ややかな声。
 空気が急激に冷える。

「……退け」
「嫌だね。逃がさないよー」

 デスタンの低い声にも一切怯まないトランを目にして、ミセは顔全体を強張らせる。目の前の少年が普通でないということは、彼女も感じているようだ。

「デスタン……これは一体、何なの……?」

 そう発するミセの唇は震えていた。

 デスタンを支えていたミセだが、今は逆に、彼女がデスタンにすがり付いているかのよう。
 そんなミセに、デスタンは告げる。

「ミセさん。離れて下さい」
「な……何を言っているの? デスタンはまだ一人で立てないじゃなぁい……」

 不安げに瞳を潤ませるミセ。

「構いません」
「そんな……わけが分からないわよぅ……」

 トランが漂わせるただならぬ恐ろしさに恐怖心を抱きながらも、ミセはデスタンから離れない。いや、正しくは「離れられない」なのかもしれないが。

 そんな彼女を、デスタンは刺々しく睨む。

「死にたくなければ、速やかに去って下さい」
「で、でも、一人じゃまともに立てないじゃないの……」
「早く!」

 鋭く発され、ミセは体を震わせる。

 だがそれも無理はない。
 いきなり叫ばれたりなんかすれば、誰だって驚くはずだ。

 それから数秒、ミセは進行方向を反転させる。そして、そそくさと歩いていった。

 私は咄嗟に彼に駆け寄る。

「デスタンさん!」
「……何です」
「大丈夫なの!?」
「……はい」

 デスタンは一応自力で立てているようだ。
 だが、つい先ほどまでミセに力を借りて立っているところを見ていたから、どうしても不安を感じずにはいられない。

「その体の状態で、女の人を逃がすとはねー」

 口を挟んできたのはトラン。
 短剣を手で回している彼は、少しばかり不機嫌そう。

「逃がすってことは、本命なのかなぁ?」
「……まさか」

 デスタンは氷剣のような視線をトランへ突きつける。

「関係ない者を巻き込めないだけだ」

 対するトランは、冗談めかした言葉を放つ。

「ホントにそうー?」
「嘘をつく理由がない」
「ふーん」

 直後、トランが動く。
 彼は短剣をデスタンに向かって振った。

 私はデスタンの服を掴み、後ろへ引っ張る。

「やるね」

 短剣による攻撃をかわされながらも、トランはまだ余裕の笑みを浮かべている。手はいくらでもある、というような顔つきだ。

「……すみません」
「気にしないで。それより、彼は危険だわ。デスタンさんは下がっていて」

 そう告げると、デスタンは怪訝な顔をする。

「貴女が一人で相手をする、と?」
「できるかどうか分からない……けどやるわ。デスタンさんはあまり前に出ない方が良いと思うの」

 デスタンの体は、回復してきつつあるとはいえ、一人で日常生活をできるくらいまでは治っていない。そんな状態でトランと向き合うなど、危険以外の何物でもない。

 だから私は彼に下がるよう言ったのだ。
 けれど、その気持ちは彼には届いていないみたいで。

「……偉そうですね」

 むしろ不快感を覚えられてしまっている様子だ。

「違うの! 心配しているだけよ。だから下がっていて!」
「嫌です」

 今だってデスタンは、私が軽く手を握り、それで立っているような状態だ。トランの相手なんてできるわけがない。トランが本気で動き出せば、切り刻まれてすぐに終わるだろう。

「どうして。戦えもしないのに」
「戦えもしない? ……馬鹿にしているのですか」

 デスタンの整った面に、怒りの色が微かに滲む。

「馬鹿になんてしてない! けど、事実でしょ!」
「今に始まったことではありませんが、貴女は失礼です」
「ちょっと、何よその言い方! 失礼はそっちじゃない!」

 ——刹那。

 銀の刃が視界の端に入った。

「後ろ!」

 半ば無意識のうちに叫ぶ。
 反射的に振り返ったデスタンは、トランの手首を掴み、その手から短剣をもぎ取った。

 デスタンの手の動きは乱雑な動きに見える。が、短剣を上手く奪い取っているところから考えると、それなりに複雑な動きをしているのかもしれないと思えてきた。

 不思議だ。私にはよく分からない。

「……やっぱり、やるね」

 薄い笑みを浮かべたトランは、そこからさらに片足を振り上げる。トランが放った蹴りは、短剣を奪い取ったばかりのデスタンの手に命中。短剣はデスタンの手の内から離れ、床に落下する。その床に落ちた短剣を、トランは、一秒もかからぬうちに拾い上げる。

 ——そして、その刃をデスタンの喉元へ突きつけた。

「惜しかったね。ボクもさすがに、今の君に負けるほど弱くはないんだ」

 トランは片側の口角を僅かに持ち上げる。

「前みたいにさ、また操っちゃってもいいかなぁ?」

Re: あなたの剣になりたい ( No.143 )
日時: 2019/11/08 20:14
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0llm6aBT)

episode.140 ある意味ラッキー

 喉元に刃を突きつけられたデスタンは、余裕たっぷりな表情のトランを、威嚇するように睨んでいる。

 威嚇するように、と言っても、野性味に満ちた睨み方なわけではない。静かな水面のような、冷たい目つきである。ただ、相手を今以上近寄らせないという力が溢れ出しているようだ。

「……強がらなくていいんだよー?」
「理解できない」
「怖いなら怖いって言えばいいし、止めてほしいなら止めてくれって言えばいい。ま、それでボクが止めるとは限らないけどね?」

 トランはよく喋る。
 しかし、短剣を握っている手は、先ほどのまま。
 短剣の先は、まだデスタンの首へ向いている。

「じゃ、そろそろ始めようか——」
「待ちなさい!」

 突如背後から聞こえてきた叫び声は、よく聞き慣れた声だった。

 そう、声の主はリゴールである。

 彼は基本、丁寧かつ穏やか。時に大きな声を出すことはあっても、それは大概、笑えるような時かむきになっている時かである。だから、彼がつい先ほど聞こえてきたような荒さのある言い方をしているのを聞いたことは、ほとんどない。ゼロかと言われればそうではないけれど、あっても数回くらいだろう。

 ただ、それでも、今の声がリゴールの声だとすぐに気づくことができた。

「リゴール!」

 振り返り、彼の姿を瞳で捉えて、半ば無意識のうちに名を呼んでいた。

「来てくれたのね!?」
「はい! 侵入者と聞きました。好きにはさせません!」

 来てくれた! 彼が、ちょうど、このタイミングで!

 胸の内で、安堵の洪水が発生する。

 実際に洪水が起こるのは恐ろしく嫌なことだが、この胸の内の洪水は逆に嬉しくありがたいことだ。

 リゴールの少し後ろには、ミセの姿。
 彼女が呼んできてくれたのだろう。

「……ふぅん。王子自ら参戦してくるんだ」

 トランは少しばかり目を細め、楽しくなさそうな声で呟く。

「ま、関係なく進めるけどねー」

 短剣を柄を握る手に力を加えるのが見えた。
 私は片手を、首元のペンダントへ。

「駄目!」

 そして、ペンダントから変化した剣を、トランの手元に向かって振った。

 トランの片手から短剣が落ちる。

 いきなりの斬撃に、デスタンは後ろ向きに転倒。
 しかし彼は、転倒した体勢のまま、床に落ちたトランの短剣を掴む。

 そして、後ろへ投げる。

 投げられた短剣は、リゴールの手元に収まった。

 ——場の状況は少しだけ動いた。

「……へぇー」

 トランは感心したように漏らす。

 その右手の甲には浅い傷ができていて、そこから、一筋の赤が流れ出ている。

 私は、力を加減する暇もなく剣を振った。にもかかわらず、トランの手の傷は浅い。それは恐らく、トランの反応が早かったということなのだろう。

 もっとも、王の直属軍に所属しているくらいだから、そのくらいの反応はできて普通なのかもしれないが。

「短剣は没収。手にも一撃。ふふふ。面白いねー。……これはなかなか面白くなってきたよ」

 トランが一人で話している隙に、リゴールはデスタンへ駆け寄る。転んでしまいすぐには立てそうにないデスタンに、リゴールは不安げな眼差しを向けていた。また、それだけではなく、リゴールは両手を差し出しながら「立てますか?」と声をかけている。もちろん、トランの短剣は床に置いて。ただ、そんなに心配してもらっているにもかかわらずデスタンは平常運転で、「手を貸していただく必要はありません」などとあっさり返していた。

 私は剣を構える。
 先端をトランへ向けながら。

 リゴールとデスタンはまだ言葉を交わしている。それゆえ、二人が狙われては大変だ。だから私は、剣を向けて牽制しておく。

「デスタン。後ろにミセさんがいらっしゃいますから、彼女と共に下がって下さい」
「……いえ。そのような真似はできません」
「駄目です! 下がっていて下さい」

 厳しく言い放つリゴール。
 だが、対するデスタンは、まだ納得しない。

「……止めて下さい、王子。逃げ出すなど、情けないにもほどがあります」

 デスタンは体を軽く捻り、床に片腕をついて、腰を浮かせる。
 どうやら、自力で立ち上がろうとしているようだ。

 彼の、苦労があってもすぐ他人に頼らない態度は、尊敬に値すると言っても言い過ぎではないかもしれない。

 ただ、時には他人に力を借りた方が良い場合もあると思うが。

「……できることはします」
「いえ。デスタン、速やかに下がりなさい」

 その頃になって、リゴールとデスタンがいるところへミセが接近。彼女は素早くデスタンを立たせると、納得がいかないというような顔つきの彼を、半ば強制的に下がらせる。その時リゴールは、ミセに短く感謝を述べていた。

 デスタンとミセが避難し始めるなり、リゴールは、先ほど床に置いた短剣を手に立ち上がる。

「エアリ、お怪我は?」
「ないわよ」
「それは良かった。安心しました」

 リゴールはホッとしたような笑みを浮かべる。

「エアリ。後はわたくしにお任せを」
「待って、大丈夫なの?」

 王妃を倒した日からは、とうに数日が経過している。だから、普通ならもう回復していることだろう。しかし、王妃を倒したあの時、リゴールは日頃とは比べ物にならないような威力の魔法を使っていた。それだけに、少し心配だったのだ。

 私のお節介な問いを聞いたリゴールは、キョトンとしながら首を傾げる。

「え。何がですか?」
「この前、恐ろしいくらい魔法を使っていたでしょ。もうちゃんと回復したの? 本調子?」

 改めて問いの意図を説明するのは、少しばかり恥ずかしい。けれど、問いを一度放ってしまった以上、仕方のないことだ。

 説明から少し時間が経って、リゴールは口を開く。

「そういった意味でしたか。それなら問題ありません。わたくしはもう回復しましたので」

 それから彼は、トランへ視線を移す。

 その横顔は凛々しくて。
 つい見惚れてしまう。

「逃げられちゃったかぁ。……ま、でも。王子がのこのこ現れるなんて、ある意味ラッキー」

 トランは意外とポジティブ。

「ここでちょこっと金星あげることにしようかな」

 そう続け、トランは片手を掲げる。
 すると、彼の背後に黒い矢のようなものが現れた。

「そーれ」

 トランが右の口角を僅かに持ち上げた瞬間、宙に浮かんでいた黒い矢が一気にこちらへ向かってくる。

 私は、剣で。
 リゴールは、防御膜で。

 それぞれ、飛んできた黒い矢を防ぐ。

 私たちが矢を防いでいる隙に、直進してくるトラン。彼のどことなく虚ろな双眸はリゴールを捉えている。

「させないわよ!」

 リゴールとトランの間に割って入る。

「……斬れるのかな?」

 挑発的な物言いをするトランは、真っ直ぐ来る。

Re: あなたの剣になりたい ( No.144 )
日時: 2019/11/08 20:15
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 0llm6aBT)

episode.141 一撃は突然に

 トランの走りは直線的。
 上下左右、まったくぶれがない。

 真っ直ぐに駆けてこられるということは、接近するまでの時間が長くないということで。しかしながら、剣で捉えやすい動きとも言える。

 ここまで来たら、やるしかない。
 リゴールにこれ以上負担をかけないためにも、一撃で動けなくしてみせる。

 集中が高まるに連れ、時の流れが遅くなる。視界に入るすべての動作が、直前までよりゆっくりに。

 そして——剣を振る!

 ちょうど、その瞬間だった。
 私の剣を避けるかのように、トランの体が宙へ舞い上がる。

「ごめんねー」

 彼は、一度だけ私の肩にぽんと手をつき、そのまま空中へ飛び上がった。

 動けなくするどころか、逆に、彼が飛び上がるための台にされてしまった……。

 上から迫るトラン。
 その姿を、リゴールの瞳は確かに捉えている。

 急降下してきたトランに向かって、短剣を振るリゴール。しかし、リゴールは短剣の扱いに慣れていないらしく、ぎこちない動作になってしまっていて。降下してきたトランは短剣を蹴り飛ばし、そのままリゴールを床へ押さえ込んだ。

 その間、たったの五秒程度である。

「王妃様を殺したって、本当?」

 トランはリゴールに馬乗りになりながら尋ねた。

「……そうです」
「ふふふ。弱そうな外見のわりにはやるんだねー」
「わたくしとしては戦うことを望んではいませんでしたが……やむを得ませんでした」

 リゴールが述べて、暫し沈黙。
 それから数十秒ほどが経過して、トランは小さな声を発する。

「そっか、面白いね。人を殺すってどんな気持ちー?」
「……聞かないで下さい」
「嫌だよー。聞かないでって言われたら余計に聞きたくなるのが、ボクなんだ」

 今は会話しているだけだからまだ良いけれど、いずれトランはリゴールを攻撃するだろう。今のままの体勢で攻撃されたら、リゴールもさすがに勝てないかもしれない。

 だから私は、そちらへ向かった。
 黙って近づき、トランの背をターゲットとして剣を振る。

 ——だが。

「甘いよ」

 トランは私の剣に気づいていた。
 彼は体勢を変えないまま、片足で私の剣を蹴る。

 柄をしっかり握っていたから、剣が手をすり抜けることはなかった。が、衝撃が大きく、すぐにさらなる斬撃を繰り出すことはできない。

 トランはリゴールの細い首を片手で掴む。

「そんなことをするなら、ボクはこの王子の息を止めちゃうよ? いいのかなぁ?」

 リゴールは目を見開き、戸惑いと一匙の恐れが混じったような顔をする。

「卑怯よ! 離してちょうだい!」
「よく言うよね。背後からとかいう卑怯な真似をしておいてさ」
「私を卑怯と言うのなら、私に卑怯なことをやり返せばいいでしょ!」

 私のせいでリゴールの命が脅かされるなんてこと、あってたまるか。

「……そんなこと言うんだ?」
「そうよ。私に腹が立っているなら、私にやり返せば良いのよ。その方が正しいわ」

 トランに卑怯な手を使われることに対して恐れがないと言えば、嘘になる。
 でも、私が何かされることとリゴールが命を奪われることを天秤にかけたなら、私は、後者の方がずっと嫌だ。
 私の行動によってリゴールに迷惑をかけるなんてこと、あってはいけない。

「その気なら来なさい。相手してあげるから」

 誰の発言!? と自分でも思ってしまうような文章を発してしまった。思考するより早く、言葉が、するりと口から出てしまったのだ。つまり、じっくり考えての発言ではない。

「ふぅん。そんなこと言うんだ」

 言うつもりはなかったの。本当は、ね。
 でも今さら引くことはできない。

「相手してあげるわ」
「……随分強気だね?」
「そうよ。だって、勝つ気満々だもの」

 もちろん嘘。

 トランが相手だ、簡単に勝てるなんてちっとも思っていない。
 私とて、そこまで愚かではない。

 強気な発言を継続している理由は二つ。一つは、一旦強気なことを言ってしまって今さら引けない状況だから。そしてもう一つは、やり合うとなった以上心で負けるわけにはいかないから。

 私は改めて、腹の前で剣を構える。

「準備はいいわよ」
「本気で言っているのかな?」
「そうよ」
「……そっか。覚悟はできているみたいだね」

 呟き、トランはようやくリゴールから離れた。

 彼はついに体をこちらへ向ける。
 その虚ろな瞳には、私の姿が映り込んでいて。彼が私を見ているのだと分かった瞬間、急激に緊張感が高まる。

「じゃあ、いかせてもらおうかな」

 トランはどうやらやる気になってきたようだ。

 そんな彼の後ろから「いけません!」というリゴールの声が聞こえたけれど、私はそれには応えられなかった。
 戦いを前にして、言葉を返すほど心に余裕がなかったのだ。

 ——瞬間、トランが大きな一歩で急接近。

 想定外の速さ。見えない。
 仕方がないから、私は、思いきり剣を振る。

「……適当に振ったね?」

 トランには完全にばれていた。
 彼は、宙に弧を描く剣をあっさりかわすと、豪快にジャンプ。しかし、私に攻撃を浴びせることはなく、私から二メートルほど離れた場所へ着地する。そして、落ちていた短剣を拾った。

「そっちが狙い!?」
「ふふふ。気づくのが遅いよー」

 私に攻撃しようと迫ってきているのだと思い込んでしまっていたが、それは間違いだった。

「さぁ、行くよー」

 短剣を手にしたトランは、体の前方に向かってそれを振り続けながら、徐々に距離を詰めてくる。

 ゆっくりとした足取り。
 しかし、妙な圧がある。

 本当なら下がって攻撃を受けないようにしたいところ。でも、今はそれではいけないと思った。のんびりしている暇はないから。

 だから、踏み込む。

 刹那、ほんの一瞬、リョウカの笑みが脳裏に浮かんだ。

 大丈夫だよ、って。
 エアリならできる、って。

 そう言ってくれている彼女が傍にいる——そんな気がして。

「ごめんなさい、躊躇できなくて」

 私は呟く。
 誰に対しての言葉かも分からぬまま。

 そして、剣を振る。

「っ……!」

 息がこぼれるような音が微かに聞こえた気がした。
 数秒経って、振り返る。

「ふふ、ふ……普通に斬られた、かぁ……」

 剣の刃部分は赤く染まっていて、それと同じように、トランの体の側面——肋骨の高さ辺りも赤くなっていた。

「お願い、じっとしていて」

 剣の柄の下側でトランの頭部を殴る。

 すると、彼は意識を失ったのか、数秒もかからぬうちに脱力して倒れる。
 その体を、私は受け止めた。

 トランは動かない。

 ただ、傷口から赤いものが流れ出すのは、まだ止まっていない。

Re: あなたの剣になりたい ( No.145 )
日時: 2019/11/14 19:43
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

episode.142 気絶中

「エアリ! 一体何を!?」

 数秒して、それまで呆然とこちらを見ていたリゴールが、駆け寄ってきた。

 私の腕の中には、気を失ったトラン。

 瞼を閉じ、口も開かず。そんな状態のトランは、どこにでもいる平凡な少年のよう。トランがいつも放っている不気味な無邪気さがないからだろうか。

「リゴール、バッサを呼んできてくれないかしら」
「バッサさんを? しかし……それは一体、どういう意図で?」

 リゴールは戸惑いの色が濃く浮かんだ顔をしながら問いかけてくる。

「できれば殺したくないの」
「え? そ、それは一体?」
「殺し合いとは別の方法を考えてみたいの」

 トランに好意を抱いていたわけではない。それに、彼は過去、卑怯な手でデスタンやリゴールを傷つけた。そういったこともあるから、さらりと許せる相手ではない。

 けれど、命を奪うことはないのではないかと、そんな風に思ってしまって。

 馬鹿、と罵られること。
 甘い、と嘲笑われること。
 想像できないわけではない。いや、むしろ、生々しくイメージできるくらいだ。

 けれど、それでも、殺すことで物事を解決するということを繰り返したくはなくて。

「……手当てするのですね」
「そうよ。彼をどうするかは、落ち着いた環境で考えるべきだわ」

 リゴールは一度そっと瞼を閉じ、何か考えているような顔をする。そんな顔を数秒続け。そして、やがて、瞼を開く。青い瞳は私を真っ直ぐに捉えている。

 そして、彼の口から言葉が発される。

「承知しました。では、バッサさんを呼んで参ります」

 リゴールは駆けていった。
 どうやら、私の思いを汲んでくれたようだ。


 リゴールがバッサを呼びに行ってくれてから、どのくらいの時間が経過したのだろう。

 十分? 二十分?

 廊下に時計はなかったため、厳密には分からないが、恐らく二十分より少し短いくらいだと思われる。

 私は今、狭い一室にいる。
 部屋にいるのは、私と意識のないトラン、トランの止血を終えたバッサ、そしてリゴール。四人だ。

「エアリお嬢様、お医者様を呼びますか?」

 床に厚みのあるタオルを三枚ほど敷き、トランを寝かせ、上からバスタオルを一枚被せる。そんな作業をしていたバッサが、唐突に尋ねてきた。

「呼んだ方が良さそうかしら」
「そうですね。止血は済みましたが……これだけで十分と言えるかどうかは分かりません」
「どうするべきなのかしら……」

 迷っていると、それまで後方に立っていたリゴールが耳打ちしてくる。

「彼は敵です。エアリがそこまでする必要はないのでは」

 リゴールの発言が間違いだとは思わない。むしろ、私の思考より彼の言っていることの方がまともだ。

 医者を呼べばお金がかかる。そのお金をどこから出すのか。
 それに、トランがもし回復すれば、また私たちを狙ってくるかもしれない。

 とにかく、問題が山盛りだ。

「バッサ。少し、このまま様子を見ておくというのはどう?」
「そうされますか?」
「えぇ……そうしようかなって思うわ」

 するとバッサはにっこり笑う。

「分かりました。ではそうしましょう。このことはエトーリアさんにも伝えておきます」
「私の顔見知りだからって伝えておいて」

 嘘ではない。
 私とトランは、顔見知りという言葉の似合う関係である。

「分かりました」

 そう言って、バッサは、汚れた水の入った桶を手に立ち上がる。そして、部屋から出ていこうと歩き出す。
 その背に向かって、リゴールが発する。

「バッサさん!」

 リゴールの声を聞き、僅かに振り返るバッサ。

「細長いタオルがあれば、貸していただけませんか」
「……細長い、タオル?」
「はい!」
「分かりました。何枚ほど必要ですか?」

 リゴールは二秒くらいだけ思考し、返す。

「えっと、四枚でお願いします!」

 それに対し、バッサはさらりと述べる。

「分かりました。では、後ほどこちらへお持ちします」

 リゴールと言葉を交わす時のバッサは、声は柔らかく、表情は自然だ。以前、彼女はリゴールに色々な家事を指導していた。恐らく、だから、こんなにも慣れた様子なのだろう。


 私はそれからも、床に横たえられたトランについていた。そして、リゴールもそれに付き添っていてくれた。

 待つことしばらく、タオル四枚を手にしたバッサが再びやって来る。
 リゴールはそれを受け取り、「ありがとうございます」と丁寧に礼を述べる。それに対しバッサは「いえいえ」と明るく言ってから、速やかに退室していった。

 室内にいるのは、私たち二人と意識のないトランのみ。

「リゴール、タオルなんて何に使うの?」

 私は不思議に思い尋ねた。
 するとリゴールは、あどけない顔に淡い笑みを滲ませる。

「トランに使うのですよ」
「どういう意味? ……まさか! 首を絞めでもする気!? 駄目よ!!」

 半ば無意識のうちに、私はリゴールの片手を掴んでいた。
 きょとんとしているリゴールと目が合って、私はようやく正気を取り戻す。

「大丈夫ですよ、エアリ。そのようなことはしません」
「あっ……ご、ごめんなさい」

 衝動的に彼の手首を掴んでしまったことを恥じ、手を離す。

「いえ。お気になさらず」
「でもリゴール、タオルでトランに何を?」

 落ち着きを取り戻し、問う。
 するとリゴールは、横たえられたトランの脇にしゃがみ込みながら、静かに答える。

「手足を拘束しておこうかと」

 ……手足を拘束。

 そう聞くと、何だか物騒な気もしてしまう。

 だが、首を絞めるのに比べれば、手足を拘束するくらい大したことではない。

 トランは敵なのだし、そのくらいはしておくべきと考えるのが普通の感覚なのだろう。

 私も反対ではない。
 ただ、自ら思いつくことはできなかったけれど。

「そういうことだったのね」
「はい。突然暴れ始めても大変ですから」
「……それもそうね」

 そんな風に言葉を交わしている間、リゴールは、細くしたタオルでトランの手足を縛る作業に勤しんでいた。

 リゴールは華奢な腕をしている。なのに、手足を縛るのは案外上手くて。てきぱきと作業を行っている様子を見ていたら、自然と尊敬の念が湧いてくる。

「それにしてもリゴール、慣れているのね」
「慣れて? え。それはどういう意味です?」
「ごめんなさい、分かりにくかったわね。縛るのに慣れているんだなぁって、感心していたの」

 するとリゴールは恥ずかしそうに笑う。

「実は、研修を受けたことがあるのです」

 頬を赤らめる様は、まるで、恋する乙女のよう。

「研修?」
「はい。ホワイトスターにいた頃のことです。デスタンが研修を受けると言うので、わたくしもついていきました」

Re: あなたの剣になりたい ( No.146 )
日時: 2019/11/14 19:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

episode.143 二人を繋ぐホットミルク?

 その日の晩、まだ比較的早い時間に、トランが目を覚ました。

 彼が音もなく瞼を開いた時、部屋には、彼以外では私しかいなかった。

 数時間ぶりに意識を取り戻した彼は、まだ眠そうな目をしながら、「うぅん……」と低い声を発している。そんな彼を、私は、ただ見つめることしかできない。本当は何か話しかけるべきなのかもしれないが、私には話題を見つけられなくて。

 少しして、彼は手足を括られていることに気がついたらしく、奇妙な出来事に遭遇したかのような顔をする。

 それまで一切声をかけられずにいた私だったが、その頃になって、ようやく発することのできそうな言葉を思いつく。

「……気がついたの?」

 意識が戻ったことは誰の目にも明らかなのだから、わざわざ本人に尋ねるほどの内容ではないかもしれないけれど。

 すると、トランの顔がこちらを向いた。

「どうして……君が?」
「あの時は斬ったりして悪かったわね」

 念のため謝罪しておくと、彼はおかしなものを食べてしまったかのような顔をしながら発する。

「……わけが分からないよー」

 彼が現在の状況を理解できないというのは、分からないでもない。交戦を経て、今こうして近くにいるわけだから、現状をすんなり飲み込める者など稀だろう。

「傷、一応手当てはしておいたわ。止血とかね」
「……手当てしておいて拘束する辺り、趣味が妙だねー」
「ごめんなさい。拘束はリゴールの意思なの」

 リゴールのせい、みたいな言い方はしたくなかったけれど。

「ふぅん、そっか」

 そう言って、トランは勢いよく上半身を起こす。
 直後、顔をしかめた。

「っ……!」

 面が突然苦痛の色に染まったから、驚いて、私は彼に駆け寄る。そして、片手で彼の背を何度もさすった。最初彼は不思議そうな顔をしていたが、その顔つきは、徐々に柔らかなものへと変わってゆく。

「大丈夫?」
「う……うん。どうってことないよー」

 そんな風に答えるトランは、本当に、普通の少年みたいだった。
 平凡な父母のもとに生まれ、同年代の友人などと外を駆け回り、家事のお手伝いをしたり両親から様々なことを学んだりしつつ、少しずつ大人へと近づいてゆく。
 そんな、絵に描いたような普通の少年に、今のトランは見える。

「自分で斬っておいてなんだけど、まだあまり無理しない方がいいわ。休んでいて」
「手当てしておきながら、手足は拘束して、でも休むように言うんだ……君たちって、変わってるね」

 トランの言葉は真っ直ぐだった。
 少々嫌み混じりだけれど、飾り気のない純粋な言葉選びは嫌いではない。

「そうね。……そうだ、トラン。お腹は?」
「どういう質問かなぁ」
「お腹空いてない?」

 戦いが終わってから、今まで、トランは一度も目を覚ましていなかった。だから、少なくとも数時間は何も食べていないはずだ。運動はそれなりに行っていたわけだから、空腹な可能性もあるだろう——そう考えて、私は尋ねたのだ。

 だが、トランの答えに真剣さはなく。

「秘密ー」

 彼はいつになくおちょけた調子でぼやかすような答えを述べた。

「もう。何なの、それ」
「何でもないよー」
「お腹が空いているのか空いていないのかを聞いているの。ちゃんと答えてちょうだい」

 すると、今度はきりりとした表情と声で、答えてくる。

「秘密!」

 ただ、答えの内容自体は何も変わっていなかった。

「……また秘密?」
「他の答えを言う気はないよー」
「頑固なのね」

 だが、まぁ、仕方のないことかもしれない。
 つい数時間前まで敵同士の関係だったのだから。

 そう思い、私は、彼から明瞭な答えを聞き出すことは諦めた。

「じゃあ取り敢えず、飲み物でも貰ってくるわ」

 私はその場で腰を上げ、扉に向かって歩き出す。
 目的地は、バッサのところだ。

「そのまま少し待っていてちょうだい」
「はいはーい」

 負傷し、敵の中で拘束されているのに、トランに緊迫感はない。むしろ、以前よりのびのびしていると感じられるくらいだ。

 落ち着いたら、少し話してみよう。

 仲間になってもらえたら嬉しいし、それは無理でも、せめてこのホワイトスターとブラックスターの争いから離れてもらえたら。

 彼は少々癖が強く、残酷な物事を好む部分があるようだから、そう簡単には説得できないかもしれない。だが、言葉がまったく通じない人間なわけではないから、話すことを続ければ、いつかは分かってくれるはず。

 敵は一人でも減った方がいい。

 そのためにも頑張ろう、私が。


 食堂付近にいたバッサに声をかけ、ホットミルクを作ってもらった。その白いカップを手に、私は再びトランのもとへ向かう。暴れず、大人しくしてくれていれば良いのだが。


「戻ってきたわ」
「お帰りー」

 トランは私が出ていく前とまったく同じ体勢だった。

 私はホットミルクをこぼさないよう慎重に歩く。

 白い液体はカップのかなり上まで注がれているから、揺れるたび跳ねそうになる。それが怖くて、普段のような速度では進めない。
 そこをトランに笑いの対象にされてしまった。

「どうしたのー? もたもたしてー」
「こぼしそうで不安なの」
「遅いなぁ。亀か何かかな?」
「ごめんなさい、少し待っていて」

 馬鹿にされていることには気づいていたが、それに反応するほど余裕がなくて。
 しばらくして、私はやっと、トランのすぐ横に座り込むことができた。一旦カップを床に置き、トランの両手を結んでいるタオルをほどく。

「はい。どうぞ」

 そして、白色のカップをトランに差し出す。
 すると彼は怪訝な顔をした。見たことのない怪しい液体を差し出されたかのような表情だ。

「……何これ、白い液体」
「ホットミルクよ。知らないの?」
「知らないよ」

 さらりと返してくるトラン。

「飲んでみて。きっと気に入るわ」
「ホット何とかって……何で作られたもの?」

 バッサのホットミルクが美味しくないはずがない。それに、そもそも、バッサの作ってくれた料理や飲み物に外れはないのだ。だから、このホットミルクも、自信を持っておすすめできる。

「牛乳よ。牛乳を温めて、それから、ほんの少しだけ砂糖を入れるの」
「……ふぅん」

 なぜか非常に興味がなさそうな返事。

「美味しそうって思うでしょ?」
「よく分からないや」
「それもそうね。まずは飲んでみて! それから感想を聞きたいわ」

 日頃より僅かにテンションを上げて言うと、ようやく、トランはカップを受け取ってくれた。
 彼はカップの中を覗き込む。その白い水面に顔が映り込むほど、じっと見つめている。まだ怪しんでいるのかもしれない。

「……ホットミルク、かぁ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.147 )
日時: 2019/11/14 19:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

episode.144 言いたいこと

 私は今、目を覚ましたばかりのトランと共にいる。

「しみじみ言うのね」
「……問題でもあるのかなー」
「いいえ、べつに。そんなことないわよ」

 話しかけ続けることで変に刺激してしまっても問題なので、私は、黙って見守っておくことにした。

 すると、トランはやがて、カップの端に唇をつける。

 それからしばらく、彼は何も言わなかった。黙ったまま、ホットミルクを飲み続ける。
 一分ほどが経ち、彼はようやくカップから唇を離した。

「どう?」
「ふふふ。確かに、なかなか良い味だねー」

 良い味という言葉を聞くことができ、私は嬉しくなった。胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。

「気に入ってもらえたなら良かったわ」
「うんうん、美味しいねー」

 こうして普通に話している分には、残酷さなど少しも感じない。今すぐにでも友達になれそうな、そんな気がする。

「ねぇトラン」
「何ー?」
「貴方はまた、ブラックスターに戻るつもりなの?」

 私は彼の暗い瞳を見つめ、尋ねてみた。
 すると彼は、くいと口角を持ち上げる。

「何その質問ー。変なのー」

 どこが変なのか、私にはよく分からない。

「質問に答えて!」
「まぁまぁ、落ち着いて。騒がれると耳が痛いよー」
「……ごめんなさい」
「いいよいいよ。あ、これ」

 そう言って、トランはカップを返してくる。

「美味しかったって伝えて」


 次の日の朝。
 私はトランの部屋へ向かった。

「おはよう、トラン」

 昨夜別れる時には、手首はきちんと縛り直したし、外から鍵をかけておいた。だから、そう易々と逃げられる状態ではなかったけれど、それでも、見に行く時は不安があった。脱走されていたら私のせいだ、と。

「……まだ寝てるのね」

 だが、それらはすべて杞憂だった。
 トランは部屋から脱走するどころか、まだがっつり眠っていたのだ。

 拍子抜けだ。

 だが、脱走されているよりかは良い。

 時には睡眠も必要だろう。そう思って、私は、それ以上声をかけることはしないでおいた。そのまま部屋を後にしたのである。


 午後、窓から見える木々が日の光を浴びて瑞々しく輝く頃。
 私は再びトランのもとを訪ねた。

「トラン、起きた?」
「やぁ。今日はなかなか来なかったねー」

 トランは上半身を起こした状態で扉を方を向いていたようだ。

「朝は一回来たのよ?」

 私は彼に歩み寄る。

「えー。朝なんか、起きないよ」
「そうなの?」
「用事に合わせてしか起きないからなぁ」

 面倒臭そうな顔をし、愚痴のような調子で漏らすトラン。
 思い通りにならず不満をたくさん溜め込んでいる子どものような様子だ。

「ご飯、食べる?」

 尋ねると、トランはぷいとそっぽを向く。

「……いいよ」
「え。お腹空いてないの?」
「なんていうか、よく分からないんだよね」

 お腹が空いているか空いていないかが分からない状態なんて、私には想像できない。

「じゃあ、軽食を貰ってくるわ! それなら食べられるわよね」
「……そうだね」

 私はすぐに部屋を出、外から鍵をかけて、バッサのもとへ向かうことにした。


 ——三十分後。

 私はお盆を持って、トランがいる部屋へ入る。

「お待たせ!」
「待ってたよー」
「遅くなって悪かったわね」
「いいよー」

 軽食を貰うためバッサのところへ向かっている途中、リゴールに会って、彼に「どこへ行くのですか?」と聞かれた。そこで事情を説明していたため、思っていたより時間をとってしまったのだ。バッサが軽食の用意を素早くしてくれていなかったら、もっと時間がかかっていただろう。

「で、何を貰ってきたのかなー?」

 トランの問いはさらりとしている。
 まるで、昔からの友人に問いかけているかのようだ。

「パンの欠片みたいなものよ」
「パン? しかも、欠片ー?」
「そうよ」

 トランの横へ座り込み、お盆ごと一旦床へ置く。
 そして、彼の手の拘束を解く。

「……それが、パンの欠片?」
「えぇ。美味しそうでしょ」

 お盆の上の皿に乗っているのは、一口サイズに千切られたパン。
 トマトのペーストが軽く塗ってある。

「赤いね」
「それがどうかした?」
「いや、べつにー」

 それから彼は、パンを食べ始める。最初は恐る恐るといった感じだったが、徐々に勢いは増し、彼は、皿の上のパンをあっという間に食らい尽くしてしまった。


 以降、数日、私はずっとそんな暮らしを続けた。

 毎日トランのもとへ通い、バッサに提供してもらった飲食物を提供する。それが私の仕事となっていた。

 だが、それも仕方のないことだ。
 トランをここにいさせようと思い立ったのは私だし、やむを得ない状況だったとはいえトランを怪我させたのも私。だから、彼に関しては、私が責任を持たなくてはならないだろう。


 そんなある日の夕暮時。
 ずっと話したかったことを話してみることにした。

「トラン。もう戦いに参加しないで、って言ったら、貴方は怒る?」

 私はトランと数日色々な話をしてきた。それらはほとんど、当たり障りのない内容だったけれど、それでも、以前よりかは親しくなれてきているような気がする。

 だからこそ、今日話してみることにしたのだ。

「……問いの意図が分からないよー」
「ブラックスターの王様に仕えている人にこんなことを言うなんて失礼ってことは分かっているわ。でも、もしできるなら、これ以上戦いに参加してほしくないの」

 するとトランは不思議そうに首を傾げる。
 そして、述べる。

「正直……ボクは王様のことがよく分からないんだよねー。だから、べつに、ブラックスターに固執はしてない。ただ、さ。ボクは戦いを止めようとは思わないんだ。だって、面白いことがなくなったら、生きがいもなくなるしねー」

 彼の口から出ている言葉は、なにげに恐ろしい言葉だった。
 ただ、私の発言の怒っているという感じではない。

「ボクはいずれ戦いに戻るよー」
「……そう」
「で? 話はそれだけ?」

 逆に問われた私は、言葉を詰まらせてしまう。

 ブラックスター王に絶対的な忠誠を誓っているわけではなく、それでも、戦いを止める気はないと。
 そんなことを言われたら、もはやどうしようもない。

「もっとさ、何か、言いたいことがあるんじゃないの?」

 トランは私の心を見透かしているのかもしれない。
 私の胸にまだ口にできていないものがあると感じたから、このような問いを発しているのだろう。

Re: あなたの剣になりたい ( No.148 )
日時: 2019/11/14 19:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

episode.145 いたずら、困る

「……もう私たちを狙わないでほしいの」

 静寂の中、私は一番根本的なところを告げる。

「貴方の人生だもの、絶対に戦うなとは言わないわ。ただ、リゴールやその周りに手を出すのは、もう止めてほしいのよ」

 すぐ隣にいるトランは、こちらをじっと見つめていた。その見つめ方といったら、理解不能な動きをする生物を見ているかのよう。

「今日は気が弱いんだね」
「……平穏に暮らすのが、私たちの願いよ」

 するとトランは、ぷっ、と吹き出す。

「ふふふ。君がそれを言うと変だね」
「どうして?」
「君はもっと血気盛んなタイプだと思っていたからさー。正直びっくりだよー」

 そんな風に驚かれるなんて、と、少しばかりショックを受けた。
 私は普通の女なのに。リゴールと出会ってから少し力をつけただけで、それ以外は何の変哲もない娘なのに。

「ま、でも、誰だって二面性はあるものかなぁ」

 ショックを受けている私を見て、トランは笑いながら言った。
 言葉だけ聞けば、軽くフォローしてくれているかのようだ。しかし、愉快そうに笑っている時点で、まったくフォローになっていない。

 ——その時。

「エアリ!」

 声と共に扉が開き、リゴールが入ってきた。

「良かった、ここに。少しお話したいことが——」

 瞳を輝かせたリゴールがそこまで言った、瞬間。
 トランは、突如体を動かし、私の頬に唇をそっと当ててきた。

「なっ……!」

 リゴールの顔が全体的に強張る。眉や目もと、口角までも、引きつっていた。
 そんなリゴールを、トランはさりげなく横目で見る。勝ち誇ったような、刺激するような、そんな表情で。

「彼女、結構可愛いよねー」
「不潔ですよ! エアリから離れなさい!」
「やだねー」

 煽るような発言を続けるトラン。リゴールはその煽りにすっかり乗せられて、顔を真っ赤にしながら、ズカズカとこちらへ向かってくる。

「異性に唇を当てるなど、無礼にもほどがありますよ!」
「えー。どうしてそんなに怒ってるのかなー」

 トランは私の頬から唇を離し、舌を僅かに出しながら、ニヤリと笑みを浮かべる。その様は、まるで、親にいたずらを咎められた幼児のよう。これがトランの本当の姿であれば良いのに、と、そう思わずにはいられない。

 そんなトランのもとへ、苛立ちを匂わせるような力んだ足取りで迫るリゴール。

「君、一人でそんなにイライラして、何が楽しいのかなぁ?」

 リゴールが怒りに満ちていることを知りつつも、さらに挑発を続けるトラン。

 もう止めて。それ以上刺激するような発言をしないで。
 個人的にはそう思っているのだが、トランは、挑発をまったく止めそうにない。

 だが、リゴールは大人だった。かなり怒りに震えているような様子だが、すぐに攻撃を仕掛けることはせず、トランの正面へさっとしゃがみ込む。

「えー? どうしたのかなー?」

 ——刹那、リゴールはトランの片頬をはたいた。

 ぱぁん、と乾いた音が鳴る。

 その様子を間近で目にした私は、言葉を発することができなかった。想定外の展開に、ただただ、愕然としながら見つめていることしかできなくて。

 言葉を失っているのは、はたかれたトランも同じだった。
 彼はリゴールからの奇襲に戸惑いを隠せずにいる。

「口づけなど、論外です!」

 私もトランも何も言えない状態に陥ってしまっている中、リゴールだけが口を開く。
 それからしばらくして、トランはようやく発する。

「……暴力反対ー」

 そんな風に言われても、リゴールは固い表情を崩さなかった。

 リゴールはいつになく険しい顔をしている。戦場にいる戦士かと見間違いそうなほどに、勇ましく、険しく。あどけない少年の面持ちは欠片も見受けられない。

「次にそんなことをしたら、どうなるか分かっていますね」
「偉そうー」
「分かっているのですか!?」

 トランは悪ふざけの多い子ども。
 リゴールはそれをいつも叱っている厳しめの親。

 段々そんな役どころを二人が演じているかのように感じられてきた。

「……はいはい」

 トランはかなり面倒臭そうだ。

「理解できましたね?」
「うん。分かったー」
「なら、今回のいたずらだけは見逃しましょう」

 そう言って、リゴールは視線を私の方へ向けてくる。

「エアリ。今少し、お話しても構いませんか?」
「え、えっと……」

 今はトランと話をしているところだ。彼が軽い雰囲気を醸し出してくるせいで軽い雰囲気になってしまっているが、一応、真面目かつ重要な話をしているところである。せっかくの機会だから、可能なら、もう少しトランと話したい。そして、もう私たちの命を狙わないように、と頼みたい。

 だが、ここしばらくリゴールを放置するような状態になっていたのも事実。この期に及んでまだトランを優先するとなると、リゴールに寂しい思いをさせてしまうかもしれない。それはそれで申し訳ない気もする。

 どちらを選べば良いのだろう——悩んでいると。

「ふぅん。王子って言っても、意外と愛されてるわけじゃないんだねー」

 トランがいきなり失礼なことを述べた。
 リゴールのこめかみに怒りの筋が走る。

「今……何と?」

 日頃は大抵穏やかなリゴールだが、今日は真逆。温厚さなど、どこにもない。どうやら、非常に怒りやすい精神状態にあるようだ。

「えー? ボク何も言ってないよー?」
「……とても失礼なことを言いませんでしたか?」
「言ってないってー。失礼なのはそっちだよー」

 リゴールが怒りの感情を露わにしても、トランはちっとも動じない。いや、動じないどころか、へらへらしている。余計にリゴールを刺激しそうな表情と言動。

 この二人を近くに置いておくのは危険かもしれない。
 特に、今は。

「待って。リゴール。少しだけいいかしら」

 イライラし過ぎるのは健康に良くないと思うから、私は、細やかな勇気を出して口を開いた。

「……エアリ?」
「申し訳ないのだけれど、少しだけ外に出てもらいたいの」

 こんなことを頼むのは酷かもしれないけれど。

「え……あの、なぜです?」

 それまで怒りに満ちていたリゴールの顔に、悲しみの色が広がる。

 見ていられない、可哀想で。
 私は選択を誤ったかもしれない、と、既に後悔が始まっている。

「あ、あの……もしかして、わたくしの存在が邪魔で……?」
「違うの。そうじゃないわ。ただ、トランと大切な話をしているところだったから。だから、もう一度二人にしてほしくて」

 悲しみに満ちた顔をしているリゴールを前にしたら、罪悪感を掻き立てられて、胸が痛い。息が苦しくなる。

 私の選択ゆえのものなのだから仕方がないのだが、自業自得なのだが、耐え難い苦痛がある。
 それでも、もう引き返す道はない。

「お願い、リゴール」

 あとは思いが伝わることを願って。
 私はリゴールの青い瞳をじっと見つめる。

 それから十秒ほど、沈黙。

 そして、その後に、リゴールはそっと口を開く。

「……そ、そうですね。承知しました」

 優しく返してくれたリゴール。彼の顔は、とても悲しそうだった。瞳は震えていたし、眉の角度からでさえも哀を感じられた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.149 )
日時: 2019/11/14 19:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

episode.146 もう狙わない

 リゴールが部屋から出ていくや否や、トランは愉快そうに話しかけてくる。

「ふふふ。それで良かったのー?」

 トランはニヤニヤしながらこちらを見ている。多くを発することはしないが、言いたいことが何やら色々ありそうである。もっとも、他人を刺激するようなことだろうから、まともに聞く気はないが。

「良いのよ」
「王子ファーストじゃないんだ?」
「貴方に『もう狙わない』と約束してもらうことの方が大切だわ」

 約束してもらえるという保証はどこにもないけれど。

「……ふぅん」

 トランは面白くなさそうな顔をする。

「ボクがそんな約束をすると本気で思ってるんだ?」

 いや、そこまで甘く考えてはいない。
 ブラックスター王に絶対的な忠誠を誓っているわけではないとしても、そう易々と約束してはくれないだろう。
 そのくらいは想定している。

 嫌だ、と。
 無理、と。

 そんな風に言われることくらいは、想定の範囲内。

「思っていないわ」
「……そうなのー?」
「私、貴方が言いなりになるだろうなんて、考えていないわよ」

 はっきり言っておく。
 それに対しトランは、ふふ、とさりげなく笑う。

「そのくらいは分かってるーってわけだね」
「えぇ。それでも頼みたいの。どうか、もう手を出さないでって」

 私やリゴールは命を狙われず、トランが命を落とすこともない。そんな解決方法があるのなら、それが一番理想的と言えるはずだ。トランとて馬鹿ではないだろうから、そのくらい理解してくれそうなものなのだが。

 待つことしばらく。
 トランはあっさりと答える。

「……いいよー」

 トランの答えに、思わず大きな声を出してしまう。

「本当!?」

 すんなり頷くとは考えておらず、少し驚いた。

 よく考えてみれば、今までも彼は、時折すんなり頷いてくれた時があった。それを記憶していたなら、今回のこともそこまで驚きではなかったかもしれない。

「うん、いいよー。っていうかさ。そんなに熱心に頼まれたら、まぁ、いいよって言わざるを得ないよねー」

 さりげなく棘を練り込んでいるような発言。
 だが、間違ってはいない。
 ただ一つ、今の彼の発言で驚くところがあるとすれば。それは、熱心に頼まれたらいいよと言わざるを得ない、などという常人的な心がトランにもあったのだというところだろうか。

「王子と君には手を出さない。それでいいんだよねー?」
「……えぇ」
「分かったよ。じゃあ、その二人にはもう何もしなーい」

 おちょけた調子でそう言って、トランは両足を宙に浮かせる。

「だからさ。これ、外してくれない?」

 トランの二本の足は、きちんと揃えているかのような状態で括られている。今の状態では、歩いたり走ったりするどころか、立ち上がることさえままならないだろう。

「いいわよ。でもその前に」
「んー?」
「私たち二人に関係する人たちにはもう何もしない、と、言い直して」

 トランは確かに、二人にはもう何もしない、と言った。一見何の問題もない発言のようだが、裏を返せばそれは、二人以外には何かする可能性があると暗に伝えているような文章だ。

 そんな言葉を認めるわけにはいかない。

 私の関係者のエトーリアやバッサ。リゴールの関係者のデスタンや、彼と親しくしているミセ。
 そういった人たちにも、手を出さないでほしい。

 もちろん、赤の他人だからどうなってもいいと思っているわけではないが。

 ただ、まずは身の回りの人たちの安全を手に入れなければ、安心できない。

「んー? どうして? 言い直しさせる意味がよく分からないなぁ」
「知り合いに手を出されたくないのよ」
「そりゃそうだろうねー。……それにしても、わざわざ言い直させる意味が理解できないよ。ほとんど同じ意味だしー」

 首を軽く回しながら、愚痴を漏らすトラン。

「お願い」
「……どうしてそんなところにこだわるのかなぁ」
「私やリゴールの関係者にも何もしないと、そう言って」

 暫し、沈黙。
 トランは何も返してくれない。

 どうしてここで黙るの? 私やリゴールには手を出さないと言えるのに、他の人たちには手を出さないと言えないの? もしそうだとしたら、それはなぜ?

 二人きりの静寂の中、疑問ばかりが湧いてくる。
 一言何か言ってくれれば、疑問の一つや二つ、消し去ってくれるかもしれないのだが。

 大きな動きのない状況に一人悶々としながら、待つことしばらく。

「分かった」

 トランは面倒臭そうに口を開いた。

「もういいよ、それで。言うよ。君たちには手を出さないって、狙わないって、約束するから」

 少し間を空けて、彼は問う。

「これでいい?」

 私はすぐさま大きく頷く。

「もちろんよ!」

 トランの返答を聞くまで、私の心は、霧に覆われた森のようだった。でも、今は違う。今、この胸の奥は、すっきりしている。

「じゃ、足のこれ外していいかな」

 口約束なんて、何の力もない。いとも簡単に破られてしまうもの。それを信じるなんて、馬鹿ではないだろうか。
 そんな風に言われそうな気もするけれど。

「そうね。外すわ」

 トランはこちらへ足を伸ばしてくる。私はその両足首を括っているタオルを、力を込めて、外す。どのような括り方なのかが分かっていないため少々時間がかかってしまったが、五分もかからぬうちに完全に解くことができた。

「はい!」
「ありがとー。遅かったねー」
「ちょっと、失礼よ」
「ごめんごめん」

 その後、手も足も自由になったトランは、簡易布団から立ち上がる。
 怪我はまだ治りきっていないはずなのだが、私が思っていたより、しっかりと立てていた。

「トラン、傷は?」
「んー? 君が負わせたやつ?」
「そ、そう。それよ」

 私が、私の剣が、彼につけた傷。
 それは分かっているけれど、改めて言われると、心なしか胸が痛むような気がする。

「もう平気だよ」
「……そうなの?」

 信じられず、疑うようなことを言ってしまった。
 するとトランは、両腕を、大きくぐるぐると回転させる。

「うんうん、大丈夫ー」

 簡単な手当ては施しているから、悪化の一途をたどるということはないはずだ。だが、もう平気というのは、どうも信じられない。

 決して小さな傷ではなかった。
 だから、少なくともまだ、軽い痛みくらいは残っているはずなのだ。

「じゃ、これで出ていくよー。しばらく世話になったね」
「もう出ていくの」

 数日近い距離にいた人物がいなくなるというのは、何だか少し寂しくて。

「えー? どうしてそんなに嬉しくなさそうなのかなぁ?」
「……ゆっくりしていっても良いのよ」
「あ! もしかして、君、ボクにメロメロー?」

 笑いの種にされてしまった。
 ほんの少し寂しさを感じたというだけのことだったのに。

「じゃねー」

 トランは立ち上がったまま、体をこちらへ向け、開いた片手をひらひらと振る。
 そして次の瞬間、姿を消した。

Re: あなたの剣になりたい ( No.150 )
日時: 2019/11/14 19:47
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

episode.147 彼からのお茶のお誘い

 トランは去った。まさかこんなにもあっさり別れることになるとは考えてもみなかったけれど、ひとまず、約束を交わすことはできた。それだけでも十分な成果だろう。

 命を狙ってくる敵は一人でも少ない方がいい。
 今はただ、そのためにできることをするだけ。

 ようやく用を終え解放された私は、静かにゆっくりと腰を上げる。しばらくじっとしていたがために固まっていて、少しばかり痛みを感じてしまった。が、痛みは一過性のものであり、特に問題はなく。だから私は、そのまま部屋を出ることにした。


「終わったのですか? エアリ」

 扉を開け、廊下へ出た瞬間、リゴールの声が聞こえてきた。
 声がした方へ視線を向ける。
 華奢なリゴールが廊下の端にちょこんと立っている。細いラインの体つきだけでも控えめな印象を受けるが、その遠慮がちな表情も、また、控えめな雰囲気を高めていた。

「リゴール。待っていてくれたの?」
「はい」

 彼はそっと笑う。
 どことなくぎこちない笑み。

「待たせてごめんなさい」
「あ……いえ」
「それで? 私に何か用?」

 急ぎの用事だったのなら申し訳ないことをしてしまったな、などと思いつつ、私は尋ねた。
 すると彼は、首を横に動かす。

「いえ。実は……これといった用はないのです」

 右手を胸の辺りに当てながら静かな声で述べるリゴールは、緊張しているような面持ちだ。

「そうなの?」
「ですが、もし良ければお茶などどうでしょうか」
「お茶?」
「あ……えっと、実は、以前習ったお茶の淹れ方で実際に試してみたいものがありまして……」

 私は、屋敷の外へ出てどこかの店に行きたいと言われているのだと思っていたため、屋敷の中でのお茶というのは意外で、少し驚いた。

 だがその方が良いかもしれない。
 リゴールを連れて外を歩くのは少々不安なものがあるし。

 危機に晒される可能性に怯えていては何もできない、というのも真理ではあるけれど、敢えて自ら危険な目に遭いにいくこともない。屋敷の中でできることなら、屋敷の中で行うのが理想だ。

「そうだったの! それはいいわね。そうしましょ!」

 するとリゴールは、ふぅ、と安堵の溜め息を漏らした。

「……良かった」

 リゴールはその時になってようやく頬を緩める。

「では、参りましょうか!」
「えぇ」

 隣り合い、私たちは歩き出す。

 ——こうして、トランの一件は幕を下ろしたのだった。


 食堂の端の席につき、私はリゴールを待つ。

 あの後リゴールは、「美味しく淹れる」といつになく張りきって、食堂の奥へと消えていった。
 だから私は一人きりで待たなくてはならない。

 今は食事の時間でないから、人は一人もおらず、食堂内はとても厳かな雰囲気に包まれている。
 静かで、しかしながら少し張り詰めているような、独特の空気。どうも肌に馴染まない。永遠の静寂の中へ一人放り込まれたみたいで、薄気味悪ささえ感じるほど、しっくりこない。

 ただ、今からリゴールと交流することを思えば、このような人のいない時間帯が望ましいと言えるだろう。

 今の食堂には、私とリゴールが関わることを良く思わない者はいない。それは、私としてはとてもありがたいことだ。変に気を遣わずに済むから、かなり気が楽である。


 待つことしばらく。
 リゴールがお盆を持ってやって来た。

 小さめの体に似合わぬ大きな木製のお盆には、ガラス製で縦長のポットと、透明のグラス二つが乗っている。ポットは完全に透明ではなく、磨すりガラスのように少しばかり曇っているものだったが、中に茶色の液体が入っているということは全体的な色みから理解することができる。

「大変お待たせしました」

 涼しげにそう言って、リゴールはお盆をテーブルの上に置く。
 近くでよく見ると、双子のように並んでいる透明のグラスには氷が入っていることが分かった。

「アイスなの?」
「はい。冷たいものを用意してみました」
「へぇ、それは良いわね」

 そんなつもりはなかったのだが、少々上から目線な物言いになってしまったかもしれない、と心なしか不安を感じる。デスタンが見ていたら「王子に対してなんという失礼なことを!」と口を挟んできそうだ。

 ただ、リゴールは不快感を抱いてはいないようで、直前までと変わらずにこにこしている。

「それでは注ぎますので、もう少しだけお待ち下さい」

 縦長のポットを持ち上げ、液体をグラスへと注ぎ込む。

 顔つきは真剣そのもの。緊張感がある。
 しかし、手つきは安定していて、初心者とは思えない。

 これまでも幾度かリゴールお手製の飲み物を飲ませてもらったことはあるが、食堂で二人きりでというのは新鮮な気分。

「はい! お待たせしました!」

 私の目の前へグラスを差し出してくれる。
 僅かに赤みを帯びた茶の中で、宝石のように輝く氷が眩しい。

「ありがとう」
「いえ」
「ところで、このお茶は、珍しい何かなの?」

 実際に試してみたい、というようなことを言っていたから、不思議に思って。

「淹れ方が特別とか?」
「あ……」
「あるいは、何か、日頃は淹れられない理由が?」
「え……っと……」

 途端に気まずそうな顔をするリゴール。
 もしかして、聞かない方が良かったのだろうか。

「……実は、ですね」
「なになに?」
「その……あのような言い方をしたのは、本当は、嘘なのです……」

 リゴールは顎を引き、平常時より数センチほど俯く。そして、目線だけを僅かに上げて、顔色を窺うようにこちらを見つめる。

「え。そうなの」
「はい、あの……申し訳ありません」
「べつに平気よ。気にしないで」

 理由が嘘というくらいなら、こちらに特別大きな害があるわけでもないし、気にするに足らない嘘だ。ただ、なぜそんな地味な嘘をついたのか、気になってしまう部分はある。

 どうしてもお茶を飲みたい理由があったとか?
 お茶を飲まなければいけない個人的な事情があるとか?

「でも、どうしてそんな嘘を?」

 そう問うのは、偽りを述べられたことに怒りを覚えているからではない。
 これは、ただの好奇心からの問いである。

 私が放った問いに、リゴールは、身を小さく縮めながら答える。

「本当は……エアリとゆっくりお話したかったのです」

Re: あなたの剣になりたい ( No.151 )
日時: 2019/11/14 19:49
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 5obRN13V)

episode.148 指示

 本当は話したかったのだと、そう話すリゴールは、まるで恥じらう乙女のよう。初々しさに満ちていて、少年というよりかは、少女と表現した方がしっくりくるような雰囲気をまとっている。

「そういうことだったのね」
「はい……適当なことを言って申し訳ありませんでした」

 リゴールは私の隣の席に腰掛けると、体も顔も、こちらへ向ける。

「エアリとはしばらく二人で話せていないので、その機会を設けることができればと思い、こんなことを提案したのです。すみません」

 リゴールが謝ることではない。

 実際、ここしばらく、彼と接する時間は減っていた。

 以前関わりづらい状況になっていたのはエトーリアに見張られているからだったが、ここしばらく会えなかったのは、どちらかというとトランのことが原因である。

 つまり、私がトランとの交流を優先していたせいで、リゴールとの間に距離が生まれてしまっていたということだ。

「いいの。むしろ誘ってくれてありがとう」
「……そう言っていただけると、いくらか救われます」

 リゴールは恥ずかしそうに俯く。
 俯いてはいるけれど、表情はどこか嬉しそうだった。

「それで? 何を話す?」
「えっと……実は少しお聞きしたいことが」

 食堂には相変わらず人がおらず、ただただ静かで。けれど、リゴールと言葉を交わしている時は、そんな静けさもまったく気にならない。

「エアリは、その、トランと親しくなったのですか……?」

 そんな問いを放ったリゴールの顔つきは、やや緊張気味なものだった。

「えぇ。色々話したりして、少しは親しくなれたわ」
「そう、ですか……」

 リゴールは肩をすくめ、気まずそうな顔をしながら返してきた。何とも言えない反応である。彼はそんな妙な顔つきのまま、さらに続ける。

「親しくというのは、その……男女という意味ではありませんよね……?」

 なぜ彼からこのような問いが出てくるのか、完全に謎だ。

「そうよ。いきなりそんな関係になるわけがないじゃない」
「……ですよね」

 静かに言って、リゴールは胸を撫で下ろす。
 今度は何やら嬉しそうだ。

 正直、今の彼は、私にはよく分からない。彼には彼なりの心というものがあるのだろうが、それを完全に理解することは簡単ではなさそうだ。

 ただ、リゴールが嬉しそうにしているのを見るのは好き。
 色々しがらみのある彼だからこそ、なるべく明るい顔をしていてほしいと思うのだ。

「安心しました」
「え?」
「実は少し不安だったのです。エアリとトランが男女として親しくなっていたら、と」

 いやいや、考え過ぎだろう。

 確かに私はトランの世話をしていたし、同じ場所で過ごしている時間も少なくはなかったけれど、それでもほんの数日だけだ。ものの数日で男女として親しくなるなんて、よほど引き合う二人でなければあり得まい。

「よく分からないけど……私を心配してくれていたのね?」
「はい」
「ありがとう。それは嬉しいわ」

 少々歪な形の心配な気もするが、まぁ、そこはあまり気にしないことにしよう。

「あ、そうだ。リゴールが淹れてくれたお茶、飲んでみるわ」
「はい! ぜひ!」

 話を一段落させ、グラスへと手を伸ばす。

 光を受けて煌めく氷はガラス細工のように美しい。

 端に唇を当て、グラスの下側を軽く持ち上げる。すると、グラスの中に注がれていた液体が滑らかに流れてきて、口腔内へと入っていく。唇、舌、そして口全体に、ひんやりとした感覚。鋭すぎない冷たさ。悪くない。


 ◆


 ——その頃、ナイトメシア城・王の間。

 闇の中のような黒で統一された部屋。その一番奥には、四五段ほどの、小規模な階段がある。それを上った先に王座はあり、そこには、ブラックスター王が鎮座していた。

 王は、どちらかというと、がっしりした体型ではない。腕や首などには多少の筋肉はついているが、細身である。そして、背が高い。また、赤と紫の糸で刺繍が施された黒のローブをまとっている。そのローブはすとんと下まで落ちるようなラインのデザインであり、そのため王は、余計に背が高く見える。

「集まったか」

 四五段の階段の下には、ブラックスター王へ忠誠を誓うかのように座り込む者たちが六人いた。横並びは三人で、二列に並んでいる。

 その多くは男性だ。
 しかし、その中に二人ほど、女性が混じっている。

 女性——と言っても、一人は少女なのだが。

「パルと言ったな、娘」
「ハイ、そうでス」

 王に低い声で名を確認されたのは、少女。

 ——そう、以前エアリらと交戦した、包帯を巻いたようなデザインのワンピースを着た少女だ。

 ちなみに彼女は後列の中央にいる。

「お前には、脱走者の暗殺を命じる」
「脱走者と言うト……?」
「無能で直属軍を追放され、さらに牢から脱走した、愚か者だ。確か名は——トランといったか」

 王はゆっくりと述べた。
 それに対し、パルは小悪魔的な笑みを浮かべる。

「追放とかダッサ! しかも逃げ出すとか、諦めワッル!」

 パルはケラケラと笑い出し、止まらない。
 そんなパルに、彼女の右手側の隣にいる四十代くらいの男性が注意する。

「王の御前でそのような振る舞い、相応しくない。止めなさい」

 しかしパルはさらりと「おっさんウッザ」などと漏らして、右隣の男性を睨んでいた。反省の色など少しもなかった。
 それから彼女は、王へ視線を戻し、馴れ馴れしい口調で問う。

「脱走者を片付けてくレバ、それだけで良イ?」

 無礼ともとれるような言葉遣いだったが、王はそこに目を向けることはしなかった。

「そうだ。暗殺が完了したならば、ここへやつの首を持ってこい」
「オッケー! じゃあ行ってくル!」

 パルは無邪気な声色で言い、その場から消えた。

 場に一旦静けさが戻る。
 誰も何も発さないことを確認してから、王は次の言葉を発する。

「そして、そこの女」
「はい!」

 爽やかに返事をしたのは、パルがいたところの左隣に待機していた女性。

「横の男と二人で、裏切り者を抹殺せよ」

 ちょうどそのタイミングで、先ほどパルに注意していた四十代くらいの男性が、口を開く。

「裏切り者と言いますと、グラネイトとウェスタのことでしょうか?」

 問いに対し、王は一度だけ頷いた。

「「承知しました」」

 女性と四十代くらいの男性は、ほぼ同時に発した。

 これで、王から命令を受けていないのは、残り三人。
 前列の男三人である。

「では次。前列中央の者」
「お、おいらのことだべ!?」

 前列中央、一番かっこいい場所にいるのは、ぱっとしない容姿の青年だ。顔立ちは並、体格も並、特徴的な部分はかなり少ない。唯一他の者たちが違うところがあるとすれば、布巾のようなものを頭に巻いているところだろうか。

「お主は我が護衛となれ」
「えっ、ええっ!? む、無理だべ! それはおいらには難しすぎるべ! おいらは語尾に「べ」をつけて話すこと以外、特技がないんだべ!」

 いきなり護衛役を任され、青年は大慌て。
 王は、そんな青年のことを無視し、話を次へ進める。

「残る二人は、王子がいるという屋敷を攻めよ」

 王の言う「残る二人」というのは、前列両端の二人のことだ。
 ちなみに、二人とも男性である。

 一人は顎髭が二股に分かれている。
 もう一人は、ふくよかな体つきだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.152 )
日時: 2019/11/15 18:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: w1J4g9Hd)

episode.149 包帯の少女パル

 トランはクレアの街を一人歩いていた。

 彼はブラックスターの人間だが、特別な容姿ということはない。そのため、地上界の者たちに紛れて歩いていても、違和感はない。

 周囲を眺めながらゆったりした足取りで歩いていたトランは、ある店の前で立ち止まる。
 虚ろな瞳に映っているのは、刃渡り二十センチほどのナイフ。

「いらっしゃーい」

 トランがまじまじと見つめていると、店員の女性が奥から現れる。四十代くらいの、恰幅のいい女性だ。

「このナイフ、良いねー」

 女性に声をかけられたトランは、顔を上げ、うっすら笑みを浮かべながら言う。

「気に入ってくれたのかい?」
「うん。好みだよー」
「そうかい。じゃ、あげよう」

 女性店員はトランが見ていたナイフを掴み上げ、持ち手をトランの方へ向けて差し出す。

「……いいのー?」
「実は売れ残りでね、古くなってきて困っていたところ。だからプレゼント!」

 トランはナイフの柄をそっと握る。

「そっか、ありがとー」
「いいよ」
「助かったぁ。ありがとー」

 貰ったナイフを服の中にしまい、トランは再び歩き出す。
 爽やかな風が吹いていた。


 しばらく歩き続け、少しばかり疲れたトランは、街の外れに設置されているベンチに座る。はぁ、と溜め息をつき、それから空を見上げていた。まるで「これからどうしよう」と言っているかのようだ。

 音のない時が流れる。

 時折吹く風と、それに揺らされる木々。
 それ以外に音はない。


 ——ぱぁん。

 突如、乾いた音が響いた。

 トランは咄嗟にベンチから飛び降りる。
 数秒後、ベンチのもたれる部分に灰色の塊が突き刺さった。もたれる部分は粉々になり、飛び散る。


 急に攻撃を受けたトランは、上着の内側から先ほど貰ったばかりのナイフを取り出す。そして、怪訝な顔をしながら、辺りを見回す。

 しかし、何者かの姿はない。

 攻撃を仕掛けてきそうな者はいないどころか、人一人さえいなかった。
 それでもトランは警戒を解かない。

「いきなり何なのかなぁ。まったく、もう……」

 クレアの街で貰ったナイフを手にしながら、独り言のように漏らすトラン。

 この状況で愚痴を漏らしている辺り、呑気な人のよう。しかしトランは、決して、呑気なわけではない。というのも、さりげなく周囲の様子を見回しているのだ。つまり、周りへの警戒を怠ってはいない、ということである。

 ——刹那。

 再び、ぱぁん、と乾いた音が鳴る。

 音はトランの背後から聞こえてきていた。トランは素早く振り返り、右手に持っていたナイフで、飛んできた灰色の弾丸を払う。

「ふぅん。そっちなんだねー」

 トランは、どちらから乾いた音が聞こえてきたのか、聞き分けていた。余裕の笑みを浮かべながら、木々が生い茂る方へと向かっていく。

 そして、一本の木の幹、その中央より少し上辺りを強く蹴る。

「……出てきなよー」

 直後、その木から一人の少女が飛び降りてくる。

「プププ! かっこつけてるノ、ダッサ!」

 正体はパルだった。
 小型銃を片手に舞い降りる彼女は、天使のようで、しかしながら幼い悪魔のようにも見える。

 パルは地面に降り立つと、トランへ視線を向ける。

「脱走者は殺ス!」

 はっきりと宣言するパル。
 対するトランは、呆れたように笑う。

「ボクを殺すって? 呆れるなー。そんな馬鹿げたことをはっきり言うなんて、馬鹿としか言い様がないよねー」

 トランは相変わらず挑発的な言葉を放つ。
 そこに躊躇は一切ない。

「覚悟!!」

 パルはトランへ銃口を向け、引き金を引く。
 飛び出すのは、灰色の弾丸。

 だがトランも負けてはいない。体の前でナイフを振って、灰色の弾丸を跳ね返す。

 パルは銃を持っていない方の手を前方へ伸ばす——そして、爪から灰色の包帯のようなものを発生させ、跳ね返ってきた弾丸を払った。

「ふふふ。面白いねー、それ」
「黙レ!」

 パルは地を蹴り、常人であれば気づけぬであろうほどの速さで、トランの背後へ回ろうとする。

 ——しかし。

「遅いよ」

 トランのすぐ横を通り過ぎた瞬間、パルは愕然とした顔をする。というのも、通過した一瞬のうちに首に傷を負っていたのである。

「ナッ……!?」

 状況が理解できない、というような顔のパル。
 トランは赤いもののついたナイフを片手に持ったまま、体を回転させ、パルへ目をやる。

「ふふふー」

 ナイフを持っていない方の手を掲げる。すると、宙に、黒い矢が大量に現れる。そこからさらに、トランは手をパルの方へと伸ばす。その瞬間、黒い矢が一斉にパルに向かってゆく。

「チ……このッ……!」

 パルは首の傷を左手で押さえ、右手だけで小型銃を打つ。
 灰色の弾丸はトランが放った黒い矢のいくつかを消した。が、矢は数が多く。そのため、すべてを消すことはできない。

「そのくらいで間に合うわけがないよねー」

 トランは笑顔だ。
 余裕に満ちている。

「じゃ、ばいばーい」

 次の瞬間、黒い矢がパルに刺さった。

 パルはその場に倒れ込む。
 抵抗する間もなかった。

 自然に満ちた人気のない場所に、静寂が戻ってくる。

「ふぅー」

 トランは一人息を吐き出し、ナイフを持っていない方の手の甲で額の汗を拭う。

「まったく、もう……面倒だなぁ」

 そう呟き、トランはその場に座り込む。
 そして、少し赤くなったナイフを見下ろす。

「せっかく貰ったのに、もう汚れてしまったなぁ」

 トランは地面に座り込んだまま、両手を地につけ、顔を上向ける。木々の隙間から降り注ぐ光に目を細め、暗い青の髪を風に揺らす。

 パルが動かなくなって、トランは穏やかな時間を取り戻した。

Re: あなたの剣になりたい ( No.153 )
日時: 2019/11/15 18:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: w1J4g9Hd)

episode.150 優雅な朝から

 その夜、私は夢をみた。
 恐ろしい夢を。

 それは、すべてが破滅に向かうところを見ていることしかできないという、不甲斐なさを感じさせる内容で。

 何と言えば良いのか、はっきりとは分からない。
 だが、とにかく恐怖を抱かずにはいられない夢だった。

 目の前で大切な人の命が失われる——なんて禍々しい夢なのだろう。

 何もできず大切な人を奪われるくらいなら、私が襲われる方がずっとまし。私が傷つく方がまだしも良い。

 大切な人のために何もできず。
 大切な人の命を護る力はなく。

 ——なんて情けない。


 ……。

 …………。


 そして、気がつけば朝。

 窓の外が明るくなり始めたくらいの時刻だった。

 直前まで見ていた恐怖を「夢か」と思いつつ、上半身を起こし、縦にする。そして、もう一度眠るかどうか迷う。しかし、二度も起きるのは憂鬱なので、もうここで起きることに決めた。

 それから私は伸びをして、掛け布団を捲り、ベッドの外へ出る。

 心地よい朝だ。
 ただ、嫌な夢をみていなければ、もっと心地よい朝だっただろう。

 私は寝巻きから家着へ服を着替え、部屋から出る。

 今日もまた良いことがあればいいな、などと少し考えつつ。


 私が食堂に着いた時、バッサとエトーリアは既にそこにいた。

 エトーリアは薄い水色のワンピースをゆるりと着こなしながら、椅子に腰掛けて、何やら本を読んでいる。
 バッサはいつも通りの仕事着をまとい、さくさく歩いている。朝食の準備をしてくれているのだろう。

 また、バッサより少し若い手伝いの女性がいて、彼女もバッサと同じように行き来していた。

「おはよう、母さん」

 茶色いブックカバーの本を読んでいるエトーリアに声をかける。すると彼女は顔を上げ、微笑んで、嫌そうな顔はせず「おはよう」と返してくれた。

 それから私は、食堂内の椅子にそっと座る。
 エトーリアは読書中のようなので、彼女からは少し離れた席を選んでおいた。読書を邪魔しては悪いからだ。

「エアリお嬢様。おはようございます」
「バッサ。おはよう」
「飲み物はどうなさいます?」
「特に希望はないわ」
「分かりました。では、何かさっぱりしたものをお持ちします」

 退屈なほどに穏やかな朝。
 静かで、心休まる、素敵な空間。

 賑やかさはないけれど、ゆっくりと時間を過ごせる優雅さはある。私はそれが案外嫌いでない。

「ねぇエアリ」

 バッサが飲み物を持ってきてくれるまでの間、話し相手もいないから一人ぼんやりしていると、それまで本を読んでいたエトーリアが話しかけてきた。

「え。何?」
「その胸のペンダント、綺麗ね」

 言われて、私は自分の胸元を見下ろす。
 そこにあるのは、リゴールがホワイトスターから持ってきた、星のデザインのペンダント。

「ホワイトスターのものよね?」
「そ、そうだと思うけど……」
「素敵ね。美しいわ。リゴール王子から貰ったの?」
「そうなの」

 剣にもなるし便利なの、とまでは言わないでおいた。

「大切にしているのね」

 エトーリアはそんなことを言う。

 発言の意味が分からず、私は少し戸惑った。けれど、本当のことを言ってはならないということはないだろうから、「そうなの」とだけ発して頷いておいた。

 それから少しして、バッサが飲み物を持ってきてくれる。
 黄色い液体のアイスハーブティー。

「ありがとう、バッサ」
「いえいえ」


 アイスハーブティーを飲み始めて数分が経過した頃。

 食堂に、屋敷で働く女性が一人、駆け込んできた。

 ちなみに。
 駆け込んできたと言っても、それほど慌てている様子ではない。

「エアリさんはいらっしゃいますか?」

 女性は食堂へ入ってくるや否や、そんなことを言う。
 いきなり私の名前が出てきたことに驚きつつも、私は「はい」と述べ、椅子から立ち上がる。

「何かあったの?」
「はい。実は、エアリさんにお客様が」
「お客……様?」

 誰かが訪ねてくること自体そう多くはないというに、私に用のある客人なんてより一層珍しい。私に用があって訪ねてくるということは、ウェスタかグラネイト辺りだろうが、こんな朝からというのは少々意外である。

「はい。話があるとのことです」

 話とは?
 もしかして、またブラックスターが攻めてきたという知らせ?

 色々疑問が浮かんできて頭の中がいっぱいになる。

「分かったわ。行くわ」
「玄関で待っていただいていますので」
「行ってみるわね」

 できるなら、何でもない用事であってほしい。襲撃のような物騒な話題ではないことを祈る。祈ることに意味があるのかは分からないが、それでも祈らずにはいられない。

 私は一人玄関へ向かう。
 どうか平和的な話でありますように、と、祈りつつ。


「いやぁーすみませんねぇー」
「は、はぁ……」

 玄関で私を待っていたのは、ウェスタでもグラネイトでもなかった。トランでさえなかった。

「いきなりお邪魔して申し訳ありませんねぇー」
「い、いえ」

 のんびりとした口調で話す男性。
 彼のことを、私は知らない。
 やや灰色がかった緑の頭に、笠部分だけになったキノコのようなピンクの帽子。顔や首回り、そして体全体に、結構な肉がついていてふくよか。また、トップスは渋めの赤紫、ズボンは小豆風、ブーツは髪を薄めたような色、と、妙な色遣いのファッションである。

「えっと……それで、私に何か用なのでしょうか?」

 まったくもって見覚えがない。
 いつかどこかで会っていたのか、それすらも、私には分からない。

「実はですねぇーこちらの家にですねぇー用がありましてねぇー」

 いちいち語尾を伸ばす喋り方が奇妙だ。
 また、笑顔も不気味である。

「少し失礼しますよぉー」

 ふくよかな男性は、私を押し退けるようにして、屋敷の中へと入ってくる。まるで、自分の家だと主張しているかのように。

 普通、大人がこんなことをすることはないだろう。
 他人の家に無理矢理入ろうとするなんて、怪しいとしか言い様がない。

「あの、少し待って下さい」
「何ですかぁー」
「勝手に入ってこないで下さい。まずは用件を——」

 言いかけて、言葉を止める。

「っ……!」

 いや、自分の意思で止めたのではない。
 どちらかというと「止められた」の方が相応しいと言えよう。

 男性が手のひらで私の口を塞いだ。だから私は、続きを発することができなくなってしまったのだ。唇が動かぬほどの力で口を押さえられているというわけではないが、それでも、何も言えなくなってしまった。

 ただ一つ確実なのは、目の前の男性がただの訪問者ではないということ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.154 )
日時: 2019/11/17 17:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Uc2gDK.7)

episode.151 ふくよかな

 ふくよかな男性は、一見、とても温厚そうだ。しかし、素手で口元を押さえてくる辺りから考えると、温厚な善人というわけではないのかもしれない。

「は……離してっ……」

 口元を手で押さえられるという異常事態。そこから何とか逃れようと、私は、勇気を振り絞り言ってみた。
 だが、それは無意味で。

「黙っていて下さいー」

 ただそう言われただけで終わるという、悲しい結末を迎えることとなってしまった。

「一つ尋ねて良いですかぁー」
「な、何をっ……」
「リゴール王子という者は今ここにいますぅー?」

 その問いに、唾を飲み込む。

 リゴールはこの屋敷にいる。だが、それをここで明かして大丈夫なのだろうか。

 ……いや、恐らく明かすべきではないだろう。

 もしここで私が「リゴールはいる」と言ったなら、男性は、リゴールのところを目指すのだろう。そして、リゴールに何かしらの危害を加えるに違いない。

「……さぁね」

 そんなことはさせられない。
 リゴールを狙いそうな者には、最大の警戒を。

「それは、いるということですかぁー?」
「どう思う……?」
「個人的には、いると思いますよぉー。いないのなら、いないとはっきり言えるはずですからねぇー」

 いる、と明言はしないでおいたが、男性は勝手に、「リゴールはいる」と確信していた。
 単なる勝手な確信なのかもしれないが、もしかしたら、私の言動からそれを読み取れたのかもしれない。

 いずれにせよ、こんなことを続けるわけにはいかない。

 なんとかここを抜け出し、手を打たなくては。

「それもそうね……けど、考えさせるために敢えてそう見せているということも、あるのではないかしら……?」

 とにかく時間を稼ぐ。
 話題は何でも良い。男性の気を逸らせそうなことなら、内容は問わない。

 そして、考えなくては。

 どうやって切り抜けるかを。


 ——その時。


 私の背中の方、つまり屋敷の中側から、光が飛んできた。
 眩い光は、目にも留まらぬ速さで宙を駆け、私の口を塞いでいるふくよかな男性の肩に命中する。

「んんっ!?」

 男性はやや情けない声を発しながら、私の口から手を離す。その隙に動く。取り敢えず距離を取ろうと、私は後方へ数歩移動。ようやく、男性から逃れることができた。

「エアリに近づかないで下さい!」

 ふくよかな男性から離れるや否や、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。

 ——それは、リゴールの声。

 私は驚き、すぐさま振り向く。するとそこには、リゴールが本を片手に立っていた。それも、かなり険しい表情で。

「話は聞きました。貴方が会いたいのは、わたくしなのですね」

 よりによって、このタイミングでリゴールが。

「リゴール王子ですかぁー?」
「そうです」

 リゴールは迷いなく正体を明かし、私の方へ真っ直ぐに歩いてくる。
 そして、私の少し前で、その足を止めた。

「用があるのなら、わたくしに言って下さい」

 背はあまり高くなく、体つきは華奢。一歩誤れば少女と思われそうなほどに、繊細な腕や脚をしているリゴール。
 けれども、凛としている彼には風格がある。

「そうですねぇー。ではではぁー……」

 男性は片手で、頭に乗っかったピンクの帽子を整える。

 ——そして。

「早速殺らせていただきますぅー!」

 男性は、大きな声で発し、指をパチンと鳴らす。

 その瞬間。
 ふくよかな彼の前方すぐ近くに、謎の生物が二体現れた。

 人に似た二足歩行ながら、腰からは蜥蜴の尾のようなものが豪快に垂れ下がっている。また、肌の色は全体的に赤紫寄りの色みで、人間とは似ていない。キキキ、と鳴くその声が、必要以上に恐怖を掻き立ててくる。

「な、何あれ……」

 不気味な敵の登場に、動揺を隠せない。
 そんな私に気づいてか、リゴールは首から上だけで振り返り、声をかけてくる。

「下がっていて構いませんよ、エアリ」

 そう言って微笑みかけてくれるリゴールを目にしたら、激しく揺れていた心が徐々に落ち着いてきた。

「リゴール王子を仕留めるのですぅー!」

 ふくよかな男性は妙に甲高い声を発した。
 途端に動き出す、二体の謎の生物。

「来るわよ!」
「大丈夫です!」

 本を持った右手を肩から後ろへ引き、左手を前へ伸ばす。

 湧き上がる、黄金の光。
 向かってくる生物らに向かって、輝きは飛んでゆく。

 光の魔法の直撃を受けた蜥蜴のような生物たちは、しばらく狼狽え、しかしすぐに動き出す。

「行くのですぅー!」

 ふくよかな男性は叫ぶ。
 リゴールは勇ましく返す。

「そう易々と負けはしません!」

 今のリゴールは戦士だった。

 いや、もちろん、リゴールは今日もリゴールなわけで。線の細い少年であることに変わりはないのだけれど。
 ただ、それでも今は、リゴールが勇ましく思える。

 鋭い目つき。声の張り。
 それらによる勇ましさなのだろう、恐らくは。

「行くのですぅー!」

 リゴールを指差す、ふくよかな男性。

 二体は同時に動き出す。
 目標はリゴール。

 不気味な生物が迫るが、リゴールは怯まない。

「……参ります!」

 迫る敵は魔法で吹き飛ばし蹴散らす。
 ある意味、凄く痛快な光景と言えるだろう。
 小柄な少年が大きな体をした敵を撥ね除け続けているのだから、表現が相応しくないかもしれないが……華やか、と言っても過言ではないくらいだ。

「ふぅ。片付きました」

 蜥蜴のような尾を持つ二体を、リゴールはあっという間に沈めた。

「ぬぁ、ぬぁーあにぃーッ!?」
「さぁ。退いて下さい」
「退くわけにはいきますぇーん!」

 男性は、股を大きく開き、腰の位置を下げる。さらに、二本の足の膝にそれぞれ手を添える。その体勢で、男性は五秒ほどじっと停止。何をしているのだろう、と思っていると、急に両手を頭の上へ掲げ、一回拍手。パァン、と乾いた音を鳴らす。

 ——刹那。

 男性を取り囲むようにして、またもや謎の生物が現れる。

 だが、今度の生物は先ほどの生物とはまた違った種類だ。
 背筋はすらりと伸びていて両腕が桜色の翼のようになっている、そんな不思議な生物が六体ほど。

「ふぁふぁふぁふぁ! ふぇふぇふぇふぇ! 行くのですぅー!」

 肥満気味の男性は、謎の生物たちに指示を出す。
 すると、生物たちは、一斉にこちらへ向かってきた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.155 )
日時: 2019/11/17 17:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Uc2gDK.7)

episode.152 もっと頑張ります

 迫ってくるのは、鳥の翼のような両腕を持つ生物たち。

 しかし、リゴールの瞳が捉えているのは、それらではなかった。青い宝玉のような双眸から放たれる視線、その先にいるのは、謎の生物ではなく——ふくよかな男性、まさにその人で。

 長いクチバシで一斉に攻撃を仕掛けてくる敵たち。

 リゴールは開いた本を持っている方の手を、ぶん、と回す。
 黄金の光をまとった腕が、敵たちを勢いよく薙ぎ払う形となり。結果、鳥のような姿の生物たちは一気に消滅した。

「えぇぇーっ!?」

 繰り出した鳥に似た生物たちを一瞬にして消し去られた男性は、愕然とし、大声を発する。周囲の目などお構いなしの、豪快な声の発し方だ。空気が激しく揺れた、と分かるほどの大声だった。

 男性が驚きのあまり正気を失っているうちに、リゴールは体勢を立て直す。
 そして、本を持っていない方の手の手のひらを男性へとかざし、小さく「これで終わりです」と呟いた。

 ——黄金の光の塊が宙に弧を描く。

 そして。
 リゴールが放ったそれは、男性の眉間に突き刺さった。

「な、何するんですかぁー!?」

 男性は、涙目になりしかも攻撃を受けた眉間を両手で押さえつつ、そんな声を発する。

「これは警告です」
「危ないにもほどがありますよぅー!?」
「去りなさい」

 今のリゴールはリゴールらしからぬ冷ややかな雰囲気をまとっている。

「ふ、ふんっ。分かりましたよぅー! 今回だけは退いて差し上げますぅー!」

 男性は唇を突き出しながらそんなことを言い放つ。
 その様は非常にコミカル。
 彼自身にはふざけているという意識はないのだろうが、見ていたら、ふざけているとしか思えない。

「……なるほど。それはつまり、『また来る』という意味なのですね……?」
「そんなのは分かりませんよぅー! この世に絶対はありませんよぉー!」

 肥満気味の男性は、騒ぎながら走り去っていった。
 玄関には、私とリゴールの二人だけが残される。騒がしさは失われ、同時に、辺りは静寂に包まれた。

 ——と、その数秒後。

 リゴールはくるりと体の向きを変え、こちらへ向かってくる。
 そして、抱き締めてきた。

「えっ……」
「すみません! エアリ!」

 いきなり大きな声で謝罪され、戸惑わずにはいられない。

「大丈夫ですか? お怪我は?」
「平気よ」
「良かった……」

 口を手で塞がれたりはしたが、負傷には至らなかった。
 それは幸運だったと思う。

 あのような状況だったのだから、怪我させられる可能性も十分にあったわけで。

 しかし、怪我させられずに済んだのだ。
 それは、本当に本当に、大きな幸運に恵まれていたと言えるだろう。

「無事で良かったです、エアリ」
「あ、ありがとう……」

 異性であるにもかかわらず、躊躇いなく抱き締めてくるリゴールは、純粋さに満ちている。関係のわりに距離は近いが、穢らわしさなどは欠片もない。

「またもや巻き込んで、ごめんなさい……」
「え? い、いや。気にしないで」

 これで怪我したりしていたらまた話は変わってくるのかもしれないが、特に何もなかったのだから、問題はないだろう。少なくとも、リゴールを責めるようなことはない。

「リゴールこそ大丈夫なの?」
「はい。わたくしは平気です」

 その頃になって、リゴールはようやく腕を離してくれた。

「わたくしは、こんなですが、一応男ですので」

 そう言って笑うリゴールには、か弱さなど欠片もなく。
 何だか……おかしな気分。
 今は彼が凄く立派な男性に見えて、不思議と心を奪われる。

「そ、そうね」

 何とも言えない違和感を抱いているせいか、どうしても振る舞いがぎこちなくなってしまう。リゴールに「おかしい」と思われていなければ良いのだが。

「エアリ。もし何かあれば、また声を掛けて下さいね」
「構わないの?」
「もちろんです。必ず駆けつけます」

 やはりおかしい。
 奇妙だ。
 リゴールは純粋で無垢で、可愛らしい少年だったはず。なのに今、彼はとても男らしい。表情、述べる言葉、そのどちらもが。それが、どうも不思議でならない。

「ありがとう、リゴール。でも……何だか不思議な感じ」
「……不思議な、ですか?」

 リゴールはほんの一瞬だけ不安げな顔をする。

「えぇ。だってほら、リゴールがこんなにしっかりしているなんて、少し不思議じゃない?」

 すると、リゴールは苦笑しながら「そういうことでしたか」と言った。
 少し失礼なことを言ってしまったかもしれない。けれど、これまでのリゴールを馬鹿にして言ったわけではないのだと、それだけは分かってほしくて。

「失礼だったらごめんなさい」
「いえ。事実ですから……失礼などではありませんよ」
「悪かったわね」
「いえ! 本当に、お気になさらず」

 リゴールは怒らないでいてくれた。
 悪気があって言ったのではないと、馬鹿にして言ったのではないと、理解してくれているようだ。

「わたくし、これからはもっと頑張ります!」
「……やる気に満ちているのね」

 そう言うと、リゴールは両手をぎゅっと握って返してくる。

「はい! エアリに気に入っていただけるよう、これからは本気で頑張ります!」

 その発言にはさすがに「え……」と思わずにはいられなかった。だって、おかしいではないか。リゴールが一般人の私に気に入ってもらおうとするなんて、どう考えても不自然だ。逆ならともかく。

「えっと……心境の変化?」

 何と返すべきなのか、即座には思いつけなくて。その結果、口から出たのは、そんな妙な言葉だった。
 それに対し、リゴールは明るく返してくる。

「あ、はい! 上手く表現するのは難しいですが、大体そのような感じです」

 なぜこのタイミングで無邪気さが溢れてくるのか。

「エアリがトランと仲良くしているのを見ていたら、わたくしももっと親しくなりたいと思ってきまして!」

 あぁ、なんて穢れのない。

「親しく? トランと?」
「違います! エアリとです!」
「いやいや、私、トランとは仲良くなんてなかったわよ?」
「そうは見えませんでした! エアリとトランは、とても親しく見えました!」

 そりゃあ、少しは仲良くなっていたかもしれないけれど。

「ですから、わたくしももっと頑張ります!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.156 )
日時: 2019/11/23 17:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: qToThS8B)

episode.153 ドリとラルク

 それから私は食堂へと戻った。
 リゴールも連れて。

 まだ食堂内で本を読んでいたエトーリアは、私の帰りが遅かったことを気にしていたようで、「遅かったわね。何かあったの?」などと聞いてきた。

 けれど、本当のことを告げる勇気は私にはなく。
 私は「少しお話をしていたの」とだけ答えた。

 こんな嘘、本当はつきたくない。母親に対して本当のことを話せないというのは、心苦しいものがある。
 だが、リゴールを護るためだ。
 こんなことを言っていたら、母親よりリゴールの方につくなんて、と怒られてしまうかもしれないけれど。でも、私は、リゴールが悪者にされることにはもう耐えられない。

 だから私は嘘をついた。
 心の中で、謝罪しながら。


 ◆


 その頃、裏切り者であるグラネイトとウェスタを仕留めよとの命令をブラックスター王より受けた二人は、地上界へと移動してきていた。

 一人は二十代半ばくらいと思われる女性。
 もう一人は四十代くらいの男性。

 二人は、慣れない地を堂々と歩いている。

「ドリ。貴女の戦闘スタイルについて、少しだけ聞いておきたいのだが」

 口を開いたのは、男性の方だ。

 男性は、黒い髪はすべて後ろへ流した状態で固めている。それゆえ、本来なら顔全体がはっきり露出する形になりそうなところなのだが、そうはなっていない。というのも、眼帯を着用しているのだ。革製の黒い眼帯が顔の左半分のほとんどに覆い被さっていて、顔面の肌は右半分しか見えないという状態になっている。また、露わになっている右目は切れ長で、瞳は刃のような鋭さのある灰色だ。

 また、片手には弓を持っている。背中には、矢を入れておくケース。

「何でしょうか」

 応じるのは、ドリと呼ばれた女性。
 二十代半ばくらいに見える彼女は、肌がとても綺麗で、大人びた顔立ち。赤と橙の中間のような色みの髪は、直毛で、腰の辺りまで伸びている。

「まず、武器は何だろうか」
「あたしは槍です」
「そうか。そういうことなら、近接戦闘も問題なさそうだな」

 ドリは、腰から太股の後ろ側にかけて垂れた紺の布をはためかせながら、一歩一歩確実に前へ進んでゆく。履いているのはヒールのあるロングブーツだが、歩くことに支障はなさそうだ。

「はい。近距離戦は任せて下さい」
「頼もしいな。……女性に任せるというのは申し訳ない気もするが」
「いえ。戦いに男も女も関係ありません。戦える者が戦えば、それで良いのです」

 ドリはそう言って、前に垂れてきた髪を、紺の長い手袋をはめた片手で後ろへ流す。

「それで、そちらは……お名前からお聞きしても?」
「私か? 私の名はラルク」

 四十代に見える眼帯の男性——ラルクは、あっさり名乗る。
 それに対し、ドリはくすっと笑う。

「何だか主人公みたいなお名前ですね」

 軽く握った拳を口元に添えて微かに笑うドリを見て、ラルクは戸惑ったような顔をする。

「主人公みたい、だと……?」
「えぇ。あたしが読んでいた物語の主人公、三文字の名前のことが多かったんです」
「物語? つまり、本か?」
「はい」

 ドリはそう言って、微笑む。
 静かな笑みだが、美しいという言葉がよく似合う表情でもある。

「好きなんです、夢をみせてくれる物語が。だからあたし、ブラックスターに生まれて良かったです」

 ドリはすぐ隣にいるラルクへ視線を向ける。

「それはどういう繋がりだ?」
「ホワイトスターでは架空の物語は禁止だって、そう聞いたので」
「……なるほど。そういうことか」

 木漏れ日の中、ドリとラルクは足を動かし続ける。

「理由は何にせよ……生まれを誇れるのは良いことだな」
「ですよね! ラルクさん」
「あぁ。それは素晴らしいことだと、そう思う」

 ドリとラルク。二人は長い間知り合いだったわけではない。それゆえ、そこまで強い友情があるわけではない。

 けれど今、二人の目標は同じ。
 数少ない共通点である『任務』が、二人の心を徐々に近づけていっている。


 地上界へ降り立ったばかりの二人は、まず、グラネイトとウェスタの居場所を確認する。

 ……と言っても、自力で一から探すわけではなく。

 ブラックスターにいる間に貰っていた情報を頼りに、気配を察知しながらの確認である。

「今回の任務、上手くいくと良いですね。ラルクさん」
「そうだな」

 とはいえ、確認も簡単ではない。
 ある程度情報があるとはいえ、広い地上界の中でたった二人を見つけ出さなくてはならないのだから、とても簡単なこととは言えない。
 それでも、ドリとラルクはやる気に満ちている。

「必ず成功させ、共に評価されよう」
「もちろんです!」

 ドリはハキハキとやる気があることを主張。それに比べると、ラルクは、やや低めのテンションで。しかし、両者共、任務を達成するという意思に満ちている——それは事実だ。

「ブラックスター王に認められ、出世する。ドリもそれを目指しているのだろう?」
「少しでも給料をいただいて、家計の足しにしたいと考えています」

 ドリがさらりと述べると、ラルクは驚きを露わにする。

「か、家計!?」

 最初、かなり驚いている、というような顔をしたラルク。しかし、数秒が経過し、「これは失礼」と言いながら、驚いた顔をするのを止めた。
 ただ、顔面が硬直してしまっていることに変わりはない。

「……既婚者、なのか?」
「まさか。未婚です」

 苦笑しながら答えるドリ。

「そ、それは失礼!」
「いえ。気にしないで下さい」
「では家計というのは……」
「兄弟や両親の生活費のことです。分かりづらくてすみません」

 そこまで聞いて、ラルクはようやく胸を撫で下ろす。

「な、なるほど……そういうことか……」


 その後、ドリとラルクは、グラネイトとウェスタの居場所を突き止めた。目標の居場所を突き止めた二人は、作戦を決行するべく準備に入る。

 ドリは槍の扱いに長けており、近距離戦闘が得意。
 それに対しラルクは、弓矢での戦闘を得意としている。

 得意な戦い方は正反対な二人だが、だからこそできることがあると考え、二人は真剣に考えた。

 そして、作戦決行の朝を迎える——。

Re: あなたの剣になりたい ( No.157 )
日時: 2019/11/23 17:23
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: qToThS8B)

episode.154 地獄へ

 木で造られた、小屋のような建物。
 その玄関の前にドリはいる。

 長い髪を風になびかせながら、扉をじっと見つめて立っている。

 建物の周囲は木々が生えているが、人の気配はまったくと言っていいほどにない。その辺りにいるのは、ドリ、彼女一人だけ。

「……よし」

 やがて彼女は、一言、決意を固めたように呟く。
 そして、木でできた扉をノックする。

 ——待つことしばらく。

 扉がゆっくりと開き、隙間からウェスタの顔が覗いた。

「何か」

 ドリの顔を見たウェスタは、静かな声でそう尋ねた。
 ウェスタは警戒心を露わにしながらドリを見る。しかしドリは、動揺を何とか抑えて、笑みを浮かべる。

「あの……少し構わないでしょうか?」

 ドリは控えめに発する。
 しかしウェスタは怪訝な顔を止めない。

「何者?」
「え、えっと……その、実は……ここから少し離れた村に住む者です」

 ドリは答えを何とか絞り出す。

「そう。それで、何か用」
「実はその……少し、お力をお借りしたいのです」

 胸の前で両手の手のひらを合わせ、気が弱い娘のように振る舞うドリ。

「悪いけど、力を貸す気はない」
「そこを何とか! お願いします……!」

 ドリは懸命に頼む。頭を下げることさえ躊躇しない。

 ——数十秒後。

 必死なドリを見て心を動かされたのか、ウェスタは扉をさらに空け、一歩建物の外に出る。

「……分かった」

 紅のワンピースを着たウェスタは、外へ出ると、すぐに扉に鍵をかける。
 それから、改めてドリの方へ視線を向けた。

「ただし、すぐに済ませて」
「は、はい……! ありがとうございます!」

 ウェスタは警戒心が薄い方ではない。
 そのため、まだ完全に警戒することを止めてはいない。

「では、こちらへ……!」
「分かった」

 ドリとて馬鹿ではないから、かなり警戒されているということには気がついている。それでもドリは、行動を止めない。
 というのも、それが自身の役目だからだ。

 彼女は真面目。だから、厳しい状態であってもすぐに投げ出したりはしない。


 それからしばらく歩いても、村は訪れない。それどころか、歩けば歩くほど木々が増えてくる。

「これは一体……どういうこと」

 不自然さを感じたウェスタは、険しい顔つきになりながら、前を行くドリに問う。しかしドリは何も返さない。ドリは、ただ前だけを見つめて、淡々とした足取りで歩いていく。

「一旦止まって。問いに答えて」
「…………」

 返事がないことをおかしく思ったウェスタは、ついに、前を行くドリの片手首を掴む。
 ようやく振り返るドリ。

「問いには答えて」

 ウェスタに冷ややかに言われ、ドリは戸惑ったような顔をする。

「えっと……あの、なぜ怒っていらっしゃるのでしょうか……?」
「いいから、問いに答えて」
「は、はい。もちろんです。それで、問いとは……?」

 動作は小さく、言葉選びは丁寧。ドリはまだ、控えめな娘を演じ続けている。今のドリを見てブラックスターの手の者と気づく者は少ないだろう。

「村に向かっている?」
「いえ、今は……」

 言いながら、ドリは片手を背中側へ回す。そして、そこで小さく、指をぱちんと鳴らした。誰にも聞こえないくらいの微かな音。

「地獄へ」

 ——刹那、東の方向から矢が迫る。

 ウェスタの右腕、二の腕の辺りに、矢が掠る。

「……っ!」

 迫る矢の気配に素早く気づいたウェスタは、即座に移動した。だから刺さりはしなかった。だが、避けきることはできず、掠る程度の命中という結果になった。

「敵……?」
「直接的な恨みはありません」

 ウェスタが矢を受け動揺している隙に、ドリは右腕を横へ伸ばす。すると、その手のひらの辺りに、一本の槍が現れた。ドリはその槍を握り、構える。

「けれど、任務なので」
「……ブラックスターか」

 上体の位置を微かに下げ、戦闘体勢に入るウェスタ。

「そうです。我々は、裏切り者を許しません」
「いずれこうなるとは思っていた……」
「分かっていながら裏切るとは、良い度胸です」

 ドリは槍を手に仕掛ける。しかし、ウェスタの瞳はドリの動きをしっかりと捉えていて。そんな状態だから、ドリの攻撃が上手く決まることはなかった。

 だがそれでもドリは諦めず、攻めの姿勢を保っている。
 対するウェスタは、手足による物理攻撃と炎の術を使い分けて戦う。

「さすがにやりますね」

 ドリはウェスタの強さを認めているが、だからといって攻撃の手を緩めたりはしない。

「……去れ」
「それはできません」

 二人が交戦するその場所に、時折矢が飛んでくる。

 ラルクの援護だ。

 コントロールは完璧。一切隙のない矢で。
 だからこそ、敵味方が共にいる場所に向けてでも、躊躇することなく矢を放てるのだろう。

「ここで仕留めます」

 自身に言い聞かせるようにそう述べた瞬間、ドリの目の色は変わった。そこから、彼女の動き方は大きく変貌する。速く正確な攻撃を繰り出すようになった。

「くっ……」

 ウェスタは顔をしかめる。

 これまでは完全に互角の戦いだったが、ドリが真の力を発揮し始めたことによって、戦いは「ドリに有利」に動き始めた。

 それに気づかないウェスタではない。
 だからこそ、ウェスタはまともに戦うことを放棄した——つまり、逃げる方向に変えたのである。

「逃がしません!」

 けれど、今は、逃げることさえ厳しいような状況で。

「はぁっ!」

 ドリが突き出した槍の先端が、ウェスタの脇腹に命中した。

「あっ……」

 脇腹を槍に抉られたウェスタは、掠れた声を漏らし、その場に倒れ込む。立ち上がることはできず、しかし、首から上だけを持ち上げてドリを懸命に睨む。

 そんなウェスタを蹴り倒し、仰向けに倒れ込んだ彼女の胸に向かって槍を下ろすドリ。

 ウェスタは力を絞り出し、槍を蹴り飛ばす。

 それで何とか命拾いした。
 しかし、立ち上がることができない。

「もう終わりです」
「く……」

 ドリに見下ろされているウェスタの顔に諦めの色が滲んだ、刹那。

「おりゃぁあぁあぁーっ!!」

 突如、大声が響く。

 そして数秒後。
 ドリは後方に飛ばされた。

 ウェスタを護るように立っていたのは、グラネイト。

「グラネイト……」

 何の前触れもなく現れたグラネイトを目にし、ウェスタは愕然としている。

「無理をするな! ウェスタ!」
「……すまない」
「分かればいい! 安心しろ、後はこのグラネイト様がぶちのめしてやる!」

 百合の柄の奇抜なシャツを着用したグラネイトは、戦う気に満ちた顔をしている。

「だからウェスタは、生きることだけを考えろ。いいな?」
「……分かった」
「間違っても死ぬなよ!? ウェスタが死んだら、グラネイト様も追って死ぬぞ!?」
「……重い」

Re: あなたの剣になりたい ( No.158 )
日時: 2019/11/23 17:24
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: qToThS8B)

episode.155 なんだかんだで平行線

 戦う気満々でドリと対峙するグラネイト。その後ろにいるウェスタは、上半身だけを僅かに起こした体勢でグラネイトの背中を見つめている。

「このグラネイト様の仲間に手を出したこと、許さん!」

 勇ましく叫ぶグラネイト。
 対するドリは、再び槍を作り出し、その柄をぐっと握る。

「そこまで必死になられるとは……もしや、恋心でも抱いているのですか?」

 ニヤリと笑みを浮かべるドリに、グラネイトは返す。

「そうだ! 恋心しかない!」

 はっきりと述べるグラネイト。
 躊躇いは一切なかった。

「情けないですね。恋心に支配され祖国を裏切るとは」
「いやいや! ウェスタのために裏切ったわけではないぞ!」
「情けないですよ……言い訳するなど!」

 ドリは槍を手に飛びかかる。
 グラネイトは片手を前へ出し、彼女の槍を掴んだ。

「言い訳ではないぞ! ふはは! 言い訳ではなく、事実だ!!」

 槍ごとドリを引き寄せ、その脇腹に回し蹴りを命中させる。
 ゴキ、と痛々しい低音が響いた。

「そしてこれは……ウェスタの分の仕返しだ! ふはは!」

 脇腹に回し蹴りを叩き込まれたドリは、状況を飲み込めていない様子で、きょとんとしている。そんな状態のまま、彼女の体は宙を飛び、木の幹に激突した。
 目の前に立つ者が女性であれば、それによって躊躇ってしまう男性もいるかもしれない。けれど、グラネイトにはそのような躊躇いは一切なくて。躊躇うどころか、本気で倒しにかかっている。

「そして!」

 幹に体を打ち付けられたドリは、悔しげに歯軋りをしながら立ち上がろうとする。だが、すぐに体を縦にすることはできない。

 その隙に、グラネイトは術を発動。
 小さな球体を出現させた。

 そして、それらを一斉に、ドリに向かって投げつける。

「しまっ……」

 ドリの焦りに満ちた声は、途中で爆発音に掻き消された。
 ぼん、ぼん、と、丸みのある爆発音が何度も響き、辺りは煙に覆われる。

「ふはははは! グラネイト様、最強の一手!」

 刹那、反対方向から矢が迫ってきた。

 ——が、グラネイトは気づいていたようで。

「隠れて仕掛け、気づかれているとは、かっこ悪いにもほどがあるぞ!」

 グラネイトは挑発的な言葉を発しながら、片腕であっさり矢を払い落とす。

「来るなら直接来い!」

 だが、誰も出てこない。
 出てくる気はないようだ。

「ふはは! さすがにここで出てくる勇気はないようだな!」

 グラネイトは改めて、ドリの方へと視線を向ける。

 その直後、煙の中から、槍を持ったドリが抜け出てきた。

 ドリは先ほどの爆発で少しばかり傷を負ったようだ。衣服はところどころ焼けたようになっていて、穴が空いている箇所まである。また、そこから覗く肌も汚れていて。酷いところだと、軽く血が滲んでいるところまであったりする。

 それでも、彼女は諦めていない。
 止まりそうにない。

「ふはは! まだ動けるとは、見上げたものだ!」
「あたしは止まりません……!」

 戦闘体勢を取るグラネイトと、勇ましく攻めにかかるドリ。向かい合う二人の姿を、ウェスタは不安げに見つめている。
 振り回し、突き出し、薙ぎ払い——ドリは槍を豪快に操り、攻めの姿勢を崩さない。

「ふはは! 百二十点のやる気だなっ!!」
「やる気なんてどうでもいい。とにかく、負けるわけにはいかないんです……!」

 ドリの表情は真剣そのもの。しかしグラネイトの表情は真逆。彼は余裕の顔つきだ。そして、言葉の発し方も、冗談を言っているかのような軽い雰囲気である。

「家族の生活がかかってるんです……!」
「そうかそうか! 家族は大事だな!」

 言って、グラネイトはドリの槍の柄を掴む。
 彼女の手から槍を奪い取った。

「……だがな」

 奪った槍を後方へ放り投げ、拳をドリに向かわせる。

「グラネイト様も、将来の家族のために必死なのだ」

 ドリは咄嗟に身を捩る。
 しかし間に合わない。

「ふはははは!」

 グラネイトの拳がドリの胸元に突き刺さった。

 それだけではない。
 パンチの命中と共に、爆発が起こる。

「そんっ……な……」

 術の威力も加わった打撃を受けたドリは、かなりの距離吹き飛ぶ。

 そして、やがて、地面に落ちた。

 その時既にドリは動かなくなっていた。立ち上がろうと試みることさえ、もうしない。抜け殻のように横たわるだけだ。

 ドリが戦闘不能となったことを確認したグラネイトは、急に大きな声を発する。

「グラネイト様、圧倒的勝利ィ!!」

 一言はっきり述べてから、くるりと振り返り、ウェスタの方へと駆けてゆく。

「生きてるか!?」

 駆け寄り、しゃがみ込み、ウェスタの手を取るグラネイト。

「……見て分からないの」
「いや、分かる! だが、死にかけの生きてるかもしれないから、一応聞いただけだ!」
「……そう」
「もう大丈夫だぞ! ふはは!」
「……うるさい」

 ウェスタは不満げな顔。
 しかしグラネイトはちっとも気にしていない。

「すまん! だが好きなのだ!」
「そういうのは要らない」
「ばっさりィ!? ……い、いや。それでも心は変わらない……」

 若干心を折られながらも、グラネイトはウェスタの体を抱き上げる。唐突に持ち上げられたウェスタは驚き戸惑った顔をするけれど、その程度のことに反応するグラネイトではない。

「好きだ!」
「……いいから下ろして」
「ふはは! それは無理だ!」

 グラネイトはウェスタを抱いたまま、場所移動の術を使った。


 小屋の中へ戻るや否や、グラネイトはウェスタを横たわらせる。

「すぐ手当てするからな!」
「……要らない」

 ウェスタは強がり、自力で上半身を起こす——が、途中で崩れ落ちてしまう。

「くっ……う」
「待て待て! 無理をするな!」

 無理矢理上半身を起こそうとして、痛みに顔をしかめる羽目になったウェスタ。そんな彼女の背を、グラネイトは優しく擦る。

「動くんじゃない、ウェスタ」
「……このくらい」
「駄目だ! 動くな!」

 珍しく命令口調で発するグラネイト。
 ウェスタは動揺したように目を見開く。

「すべて一人で解決しようとすることはないぞ、ウェスタ。今はこのグラネイト様が傍にいる。だから……」

 グラネイトが言い終わるより早く、ウェスタは放つ。

「かっこつけるな、気持ち悪い」

 なんだかんだで平行線な二人だった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.159 )
日時: 2019/11/23 17:29
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: qToThS8B)

episode.156 色気のない人生

 肥満気味の男性と交戦したあの日から、既に数日が経過している。
 あれから特に動きはない。
 私は個人的には、近いうちに彼と再び戦うこととなるかもしれないと考えていたのだが、案外そんなことはなかった。


 ——そんなある午前。

「そろそろ離して下さい」
「やーん、デスタンたら強気ー。かっこいいけどぅ、まだダーメッ」

 部屋を出てすぐのところで、何やら揉めているミセとデスタンを発見。

「もう一人で歩けますから」
「心配しなくても、アタシが世話してあげるわよぅ?」
「世話はそろそろ結構です」
「あらあら、照れてるの? デスタンったら、可愛いわぁ」

 白シャツに黒のシンプルなズボンという軽装のデスタンに、ミセがまとわりついている。

 ミセの積極さは安定だ。

 だが、デスタンの顔だけは、以前と変わっていて。ミセの家に住ませてもらっていた頃はいつも笑顔で対応していたデスタンだが、今は、渋い物を食べたかのような顔で接している。

「いい加減にして下さい、ミセさん」
「アタシ知ってるわ! 照れ隠しよねぇ!」
「……勘弁して下さい」

 私は一旦自室内へ引き返し、扉の細い隙間から二人の様子を窺う。
 うんざり顔のデスタンを観察していると、段々面白くなってきた。もちろん気の毒さもあるけれど、眺めている分には興味深い。

「世話になっておいてこのようなことを言うのも問題かもしれませんが……私も一人になりたい時はあります」

 デスタンはミセを振り切り、歩き出す——が、突然バランスを崩した!

 ミセが素早く支えに入る。
 おかげでデスタンは転ばずに済んだ。

「やっぱりまだ駄目ねぇー」
「……フォローには感謝します」
「あーら、ありがとうって言ってくれないのぉ?」
「……ありがとうございます」

 途端に、ミセはデスタンを抱き締める。

「やーん! 素敵!」

 ミセは妙なハイテンション。酒でも飲んだのか、と一瞬思ってしまったくらい、活発だ。声は大きい、動きは素早い。しかも元気そうだし、とにかく楽しそうだ。

 デスタンはついていけていないようだが、ミセはそんなこと欠片も気にしていない様子。
 ある意味良い組み合わせなのでは? と、少し思ったりした。

「やっぱりデスタンは、たまーに素直なところが素敵ね!」

 デスタンの右腕を両手で掴み、顔を近づけながら述べるミセ。その瞳は、普段より瞳孔が大きく見える。

「……少し運動してきます」
「運動!? 危ないわよぅー?」
「体力を回復させていきたいので」
「ならアタシも一緒に行くわぁー」

 私の部屋とは逆の方向に歩き出すデスタン。それを追い、ミセも足を動かし始めた。二人の陰は徐々に私の部屋から遠ざかってゆく。

 ついつい盗み見をしてしまったが、幸い、気づかれはしなかったようだ——そんな風に、密かに安堵している私がいた。


 デスタンとミセ、二人が離れていったことを確認してから、私は再び部屋を出る。
 そして、廊下を歩き出す。
 当てもなく機械的に足を動かしながら、私はぼんやりと考える。私にもいつかあんな日が来るのだろうか、と。

 思い返せば私は、わりと色気のない人生を送ってきた。

 村に年頃の異性がいなかったというのも一因かもしれないが、私自身、異性への興味や執着はあまりなくて。

 異性との接触は、リゴールと出会ってから急激に増加した。リゴール自体が男性だし、デスタンも男性だったから。

 けれど、男女ならではの関係性というようなものは経験せずだ。

 デスタンは他人の心を端から追って回るような性格で、基本的にまともな会話が成り立たない。
 一方、リゴールは、親と一緒に眠るような感覚で異性とも眠れるほどの純粋さ。心が穢れていないと言えば聞こえは良いが、世間知らずにも程がある。

 私が接する異性は、なぜか、変わり者ばかり。

 そんなことを考えていた時だ。

「あ! エアリ!」

 真正面から歩いてきたリゴールに声をかけられた。

「リゴール」
「おはようございます。体調はいかがですか?」
「……何その質問」
「定番の挨拶をしたつもりでしたが……おかしかったでしょうか?」

 リゴールは何やら小さな箱を持っている。

「ふふ。そうね。確かに、挨拶にはそういうフレーズをつけるわね」
「分かっていただけましたか!」

 リゴールの瞳が輝きに満ちる。

「えぇ。でも、改めて聞かれると何だかおかしな感じがするわね」
「そうでしたか……それは失礼しました」
「いいの。気にしないで」

 小さなことを指摘し責めているみたいで罪悪感があるため、話題を変えることにした。

「それよりリゴール。その箱は何?」

 片手で握るのにちょうどいいくらいのサイズ、紙製の箱。赤と黒のチェック柄がプリントされているが、模様はそれだけ。他には何も描かれていない。

「これですか?」
「えぇ」
「これはですね……実は! バッサさんからいただいたのです!」

 リゴールは明るい表情で答えてくれた。
 良かった、聞いて大丈夫なことだったようだ。

「カードゲームなるものだそうで、時間潰しにと、わたくしに下さったのです」
「へぇ。面白そうね」
「あ! では、せっかくですし、一緒に使ってみますか?」

 名案が生まれた時のような嬉しそうな顔をしているリゴールを目にしたら、こちらまで何だか嬉しくなってくる。

「やり方は分かっているの?」
「中に説明書が入っているそうですが……」

 それを聞いて安心した。
 何のカードゲームなのかは知らないが、説明書があるなら問題ないはず。

「なら良いわね! で、どこで遊ぶ?」
「そうですね……食堂はいかがでしょうか? 今ならエアリのお母様はいらっしゃらないので、気兼ねなく遊べます」

 一応エトーリアの目を気にしているところが微妙に笑える。

「それがいいわね」
「では、早速食堂へ参りましょう!」

 張り切って進み始めるリゴールの背中は、ただの少年の背中と大して変わらない。男と呼ぶには華奢で小さな背中である。
 こうしていると、リゴールは、特別な運命を背負った人物には見えない。

「……エアリ? どうかしましたか?」
「いいえ。何でもないわ」
「そうでしたか、なら良かったです」

Re: あなたの剣になりたい ( No.160 )
日時: 2019/11/30 03:12
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: iXLvOGMO)

episode.157 カードゲーム

 食堂へ到着。
 人の気配はあまりない。

 私たちは席につき、早速、リゴールがバッサから貰ったカードゲームで遊び始める。

 一、二、三、と数字が描かれたカードを使う。

 両者共に手札から一枚を出し、そこに描かれた数字の大きさを競い合うゲーム。
 裏向きにしたカードを並べ、その数字を当てるゲーム。

 ほんのり頭を使う内容が多いが、難しすぎるということはなく、ほどよい難易度。だから、さほど賢くない私でも十分楽しむことができる。

「ふぅ。意外と面白いですね」
「そうね」
「難しさがあるところがまた、何とも言えない刺激で、好きです……!」

 リゴールはご機嫌だ。
 表情は明るく、声は弾んでいて、とにかく楽しげ。

「もう一度やりましょう!」
「えぇ。今度は負けないわ」

 カードゲームは楽しく、日頃の憂鬱をすべて忘れさせてくれる。まるで雨雲を払う風のよう。たとえ束の間だとしても、暗い部分を忘れられる時間があるというのはありがたいことだ。

 分かっている、逃げていてはいけないと。
 理解している、目を逸らしてはならないと。

 それでも今は自由でありたい。目の前の対戦のことだけに意識を向けて、遊びのために思考して。

 たまにはそんな日があっても、罰は当たらないだろう。


 楽しさの中にいたら、あっという間に時間が経った。

「あぁ、疲れたー」
「え!? エアリは疲れてしまったのですか!? すみません!」
「……あ。そうじゃないのよ、リゴール。そういう『疲れた』ではないの」

 午前中だと思っていたのに、もう昼前。
 もうすぐ昼食の準備が始まる時間だ。
 一人で過ごしている時は一分一秒が長いのに、リゴールと遊んでいたら一瞬にして数時間が経過している。時の流れが常に一定だとは、私には思えない。

 そんなことを密かに考えていると、背後から声が飛んでくる。

「あーら! エアリとリゴールくんじゃない!」

 声に反応し、振り返る。
 そこに立っていたのは、デスタンとミセ。

 ……となると、先ほどの声の主はミセだろう。

「あ、ミセさん。こんにちは」

 ミセは面に華やかな花を咲かせている。しかも、大きく掲げた片手を振りながらの挨拶。とても機嫌が良さそうだ。

「エアリ、何だか楽しそうね! リゴールくんといい感じ?」
「少し遊んでいました」
「遊んで! それは良いわねぇ」

 ミセは明るい声を発しながら、私の隣の席に遠慮なく座ってくる。彼女に腕を絡められているデスタンは、少し不快そうな顔をしながらも、ミセの横に座っていた。

「ミセさんとデスタンさんはなぜここに? 昼食ですか?」

 無言というのも不自然かもしれないから、話を振ってみておく。

「アタシは付き添い! デスタンがご飯よ!」
「あ、そうなんですね」
「デスタンの世話をしなくちゃならないから、アタシも一緒に来たのよぅ」

 さりげなくデスタンとの距離の近さをアピールしてくる。

 ……主張しなくても、私はデスタンを奪ったりしないのに。


 リゴールとデスタンとミセ、四人がいる食堂で、私は昼食を食べる。

 今日のメニューは、白いパンにバター、カブのサラダ、酸味が利いたトマト風味のスープ。
 サラダにたくさん入っているカブのサクサクという食感は楽しく、かかっている垂れの胡椒みたいな香りも刺激的で好みに合う。

「デスタン! あーん!」

 ミセは、カブを刺したフォークをデスタンの口の前まで持ち上げ、恥ずかしげもなくそんなことを言った。

「……そろそろ自力で食べさせて下さい」
「そうねぇ、もう回復してきてるものねぇ。はい! デスタン、あーん!」
「……人前で食べさせられるのは恥ずかしいのですが」
「そうねぇ、もう大人だものねぇ。はい! デスタン、あーん!」

 デスタンが拒否しても、同じようなやり取りが繰り返されるだけ。今のミセには、食べさせることを止める気など微塵もないようだ。

「……私の話、聞いていますか?」

 平和。とにかく平和。

 もちろん悪いことではない。
 危機の荒波に揉まれ続けているよりずっと楽だし、精神的にも身体的にも安全なのだから。

「え? デスタンったら、どうしたのぉ?」
「もう自力で食べられます。食べさせていただかなくて結構です」
「それは良いことねぇ。はい! デスタン、あーん!」
「……勘弁して下さいよ」


 ——そんな時だった。

「きゃああああ!」

 突然響いた、鼓膜を破るような悲鳴。
 リゴールが真っ先に反応する。

「……何事でしょう」

 悲鳴は食堂内からではなかった。方向的に、恐らく、玄関の方からだと思う。あくまで私が個人的に考えたことに過ぎないけれど、でも、大きく間違ってはいないはず。

「少し見て参ります」
「待って! 私も行く!」

 椅子から立ち上がり歩き出すリゴールの背を追う。

「大丈夫ですよ、エアリ。わたくし、今は戦える状態ですから」
「でも一人は危険よ!」
「エアリを危険な目に晒すよりかはましです。ですから——」

 リゴールが言い終わるより早く、食堂に人が駆け込んできた。ちなみに、女性で、バッサと似たような服装をした人だ。
 全力疾走してきた彼女は、食堂に入るや否や転倒する。

「あの、どうなさったのです……?」
「た、た、助けて下さい!」

 リゴールが遠慮がちに声をかけると、女性は涙目で助けを求める。

「何かあったのですか?」
「そ、それが、訪問者の方が急に襲いかかってき……ひぃっ」

 女性が顔を引きつらせた瞬間、一人の男性が食堂へ入ってくるのが見えた。

 その人は——少し風変わりな人で。

 ミントカラーの髪に赤茶の瞳、シャツにハーフパンツというお坊ちゃんのような服装ながら、二股に別れた長い顎髭がおじさんらしさを醸し出す。

「ハロゥーン!」

 食堂へ入ってくるや否や、男性は、友人とふざける女子高生のようなテンションで挨拶してきた。しかも、ハイテンションなのは挨拶だけではない。両手を頭の上まで大きく掲げ、二本の腕を同時に左右に動かすという派手な動作も、常人とは思えない。

「あ、あの方が……その……ひ、ヒゲで……」

 リゴールに事情を説明する女性の声は震えていた。

「アラァ、チョーット反応ゥガ薄イワネェ」

 不気味な男性は不満げに漏らす。
 それから視線をリゴールらの方へ向け、叫ぶ。

「オシオキ!」

 ——瞬間、ミントカラーの長いヒゲが女性に迫る。

「あ、あれが……ひぃっ」

 リゴールは咄嗟に前に出る。怯える女性を庇うような位置につき、ミントカラーの長いヒゲによる打撃を肩に受けた。

「くっ……!」

 一瞬リゴールが負傷したらと心配になったが、彼は意外と平気そうにしていた。ヒゲの打撃力はさほど高くないのかもしれない。

「モウモウ! 庇ウナンテ、王子様カッコイイワネェ!」
「……玄関から来るのは、そろそろ止めてほしいのですが」
「睨ミカタモ素敵! カマーラ、惚ルェチャイソゥーヨ!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.161 )
日時: 2019/11/30 03:13
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: iXLvOGMO)

episode.158 ミントカラーのヒゲとの激突

 突然現れたミントカラーの髪とヒゲが特徴的な男性は、カマーラと名乗っていた。

「ひ……ひぃ……」

 女性はカマーラを恐れているようで、リゴールに護られているにもかかわらず、まだ震え続けている。顔の筋肉は強張り、声は甲高くなり。まさに、恐怖に満ちた人間、といった感じである。

「大丈夫ですから、下がっていて下さい」
「は、はい……」

 そんな彼女を後ろへ下げて、リゴールは視線をカマーラへ戻す。

「一般人を脅すような真似、してはいけませんよ」
「王子様カッコイイワネェ。スグォーク気二入ッタワ」

 リゴールは真剣な眼差しを向けながら注意しているのだが、カマーラは注意を受けている者とはとても思えないような言動。

 どことなくずれている。
 話の流れが普通でない。

「好ミダクァラ、特別! マーラ、ッテ呼ンデイーワヨゥ!」

 しかも、そんな親しみを持っているようなことを言いながらも、顎髭を振るう。

 ミントカラーのヒゲは二股に分かれており、それぞれが別の動きをしている。それも、重力に支配された動きではない。カマーラ自身が意識して動かしている、というような動き方である。

 鞭のように動く顎髭による打撃を腕で防御し、その場で立ち上がるリゴール。

「この程度の打撃、わたくしでも防げます」

 リゴールは本を取り出し、開いて右手で持つ。
 そして、「参ります」の小さな声と共に、黄金の輝きが放たれる。

 だがカマーラは慌てなかった。

「魔法ヘノ対策ハ、十分ヨゥッ!!」

 鋭く叫び、手のひらを上に向けた両手を下から上へとゆっくり動かす。見えない何かを持ち上げているかのように。

 すると、地面から、壁のようなものが現れる。
 色は、やや緑みを帯びた透明。大きさは、前から見てカマーラの体がすべて隠れるくらい。

 その壁のようなものは、リゴールが放った黄金の光をものの数秒で吸収した。

「なっ……」

 リゴールの顔が僅かに強張る。

「驚イテルミタイネ! マ、無理モヌァイワァ! コレハ、コノカマーラの賢サノ証ダムォノ!」

 魔法を防ぎ、カマーラは勝ち誇った顔。
 誰よりも強いという自信がある、というくらいの顔をしている。

「……カァーラァーノォー」

 カマーラはウインク。
 そして、ヒゲでの攻撃。

「ハイハイハイッ!!」
「っ……!」

 蛇のように自由自在にうねるヒゲをかわすのは難しいらしく、リゴールは回避を試みていない。とにかく防御に徹している。腕を使い、時には本を使い、急所への命中を確実に防ぐ。そのスタイルは美しく見事なものではあるが、いつまでも続けられるとはとても思えない。

 こういう時こそ、力にならなくては。

 そう思い、ペンダントを掴んだ瞬間——目の前を何かが通過していった。

「アブゥッ!?」

 突如情けない声を発するカマーラ。

 何が起きたのだろう? と思い、彼の方をじっと見ているうちに、原因は何なのか判明した。
 フォークだったのだ、カマーラが変な声を発した原因は。

「駄目じゃない。可愛い男の子を虐めるなんて」

 いきなり口を挟んできたのは、ミセ。
 どうやら、彼女がフォークを投げ、それがカマーラに命中したということらしい。

「フォ、フォ、フゥオオクゥゥゥーッ!?」
「意地悪するのは駄目よ」

 ミセは堂々と言い放つ。
 そこに躊躇いは一切ない。

 暴力に訴えてきそうな相手にであっても、恐れることなく、自分の意見を述べることができる。それはとても凄いことだと、私は思う。もし私が彼女の立ち位置であったなら、今の彼女と同じような振る舞いはできなかっただろう。

「フ、フ、フザケテルンジャ、ヌァイワヨーッ!」

 カマーラはヒゲ攻撃の矛先をミセに移そうとする——が、その背中にリゴールが体当たり。
 予期せぬ体当たりに、カマーラは転倒する。

「ヘブッ!?」

 転んだ拍子に床で顔面を打ったカマーラは、赤いものがぽたぽたと垂れてくる鼻周りを片手で押さえながらも、勢いよく片足を振り上げる。

「くっ……は!」

 カマーラの蹴りが、リゴールの鳩尾に叩き込まれる。

「リゴール! 逃げて!」
「へ、平気です……」
「とても平気そうには見えないわよ!?」

 鳩尾に全力の蹴りを加えられたのに、平気なわけがない。
 それに、実際、リゴールは顔をしかめていたではないか。それなのに平気だなんて、もっとあり得ない。

「意外ト凶暴ナノネェ……!?」
「たまにはエアリに男らしいところを見せたいのです!」
「コッ……個人的な事情ゥ!?」

 どこから突っ込めばいいのか分からないが、色々なところがおかしい。

「スィカモ女ノタメトカ、腹立ツワァ!」

 カマーラは二股のヒゲでリゴールの腕をそれぞれ拘束。そして、腕の自由がなくなったリゴールを、二メートルくらいの辺りまで持ち上げる。

「覚悟ナスァーイ!」

 ……床に叩きつける気?

 嬉しそうな、勝ち誇ったようなカマーラの顔を見た瞬間、私はふとそう思った。

 二メートルの高さから床に叩きつけられたら、それは危険だ。死にはしないだろうが、打ち所によっては重傷になりかねない。

「リゴール!」

 胸元のペンダントを掴み、剣へ変化させ——ヒゲを断つ。

「ヌゥアニィーッ!?」

 カマーラはそれまでとは違う妙に低い声で叫んだ。
 垂直に落下してきたリゴールを支え、すぐに床に立たせる。

「大丈夫?」
「は、はい……ありがとうございます」

 リゴールは申し訳なさそうな顔をしながら礼を述べてくる。

「ごめんなさい。もっと早く援護すべきだったわね」
「いえ。わたくしが勝手に戦っていただけですので、気になさらないで下さい」

 控えめに微笑みかけてくれるリゴールは優しげで、見つめているだけで心が温かくなってくる。でも、まだ戦闘は終わっていない。ほっこりしている暇はないのだ。

 だから、改めてカマーラに視線を向ける。

 カマーラはヒゲを斬られたことにかなり動揺しているようだった。一人顎を触っては、「アタチノ可愛イヒゲチャンガァ」とか「ショートニナッチャッタワァ、酷ォイ」とか、独り言を漏らしている。

 動揺している時なら、まともに戦えはしないだろう。
 そう考え、私は前へ踏み出すことに決めた。

 両手で柄を握り——振る!

「イヤァン! 卑怯ジャナァーイ!」

 顎に集中しているように見えたのだが、カマーラは、斬撃にきちんと反応してきた。腕で体へのダメージを防いだのだ。

 ただ、シャツの袖は斬れている。剣での攻撃はあの壁に吸収されないみたいだ。

 そういうことなら、戦える。

「痛イジャナァーイ! アタチ、アンタハ嫌イヨォ!」
「……私も、リゴールを傷つける人は嫌いよ」

 嫌いで結構。
 好きと言われているより、戦いやすい。
 女性を脅し、リゴールを傷つける。そんな者はさっさと追い払ってしまいたい。カマーラはここには必要のない者だ。

「ナッ、生意気ナ女ァー!」

 真っ直ぐ迫ってくるカマーラに。

「……何とでも言えばいいわ」

 剣にて、一撃、加える。
 自ら突っ込んでくる相手を斬るのは、難しいことではなかった。相手の動きに工夫がなかったから、特に。

Re: あなたの剣になりたい ( No.162 )
日時: 2019/11/30 03:13
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: iXLvOGMO)

episode.159 三人揃って

 シンプルな軌道を描くように振った剣先が、カマーラの身を斬る。
 赤いものが舞い散るけれど、それにはもう慣れた。慣れとは恐ろしいと思いはするが、戦う時に感情を乱さずに済むのはありがたい。

「斬ラルェルナン……テッ……」

 カマーラは掠れた声を発しながら、その場に崩れ落ちる。

 しかし、一撃で仕留めることはできなかった。
 倒れたカマーラだが、まだ意識はあり、私が斬ったところを手で押さえながらゆっくりと立ち上がる。

「ヨ、良クモッ……!」

 カマーラは必死の形相でこちらを見てくる。
 それまでは少しコミカルな雰囲気の顔つきだったが、今は鬼のような顔をしている。

「ヒ、ヒゲダケト思ッテンジャネェーワヨ!」

 地鳴りのような低い声を発し、片手を体の後ろへ回すカマーラ。そうして取り出してきたのは、小型のナイフ。チャキンという鋭い音と共に、十センチほどの刃が飛び出す。

 ナイフを手に、駆け出すカマーラ。
 その視線の先にいるのは、私ではなくリゴールだった。

「……こちらですか!」

 リゴールは咄嗟に警戒体勢を取り、魔法を放った。が、魔法はカマーラには当たらない。壁に吸収されてしまうのだ。

「魔法は駄目よ! リゴール!」
「あ」

 私が叫んだことでカマーラには魔法が効かないことを思い出したのか、リゴールは、しまった、というような顔をする。

「テリャア!!」

 距離を詰めたカマーラが、ナイフを握った手を振る。

「くっ」

 防御のため反射的に出したリゴールの腕を、カマーラのナイフが傷つける。
 傷を受けたのは、恐らく、二の腕辺りだろう。ただ、袖もあるため、それほど深い傷ではなさそうだ。

「ナンダカーンダイッテ……ターゲットハ……王子様ナノヨネェー!」
「わたくし狙いなのは知っています」
「素早ク仕留ムェルワァ!」
「簡単には殺られません」

 至近距離で向かい合う二人。

 私はただ、見つめることしかできない。

 リゴールは魔法を使えない状態。相手は刃物を持っている。できれば援護したいところだが、今から走っても多分間に合わない。

「終ワリヨォーッ!」
「……参ります」

 リゴールは、ぎりぎりのところで素早く一歩下がり、空振りを誘う。

 そしてそこから——勢いよく本を振り下ろした。

「ナッ、ナンデッ……!?」

 ばしぃっ、という音がして、カマーラはその場にへたり込む。膝を伸ばしていることも、体を縦にしていることも、できない状態のよう。斬撃による傷のダメージも合わさってか、彼は既に限界に達しているようだった。

 それから数十秒。
 床に倒れたカマーラの体は、塵と化した。


 暫しの沈黙、その後。

「王子!」

 デスタンが一番に声を発した。

 彼は椅子から立ち上がると、リゴールに歩み寄っていく。
 歩く速度はあまり速くない。ただ、足取りはだいぶしっかりしてきているように感じる。

「デスタン。……支えなしで歩いて平気なのですか?」

 リゴールはデスタンを気遣う。

「そうではありません。王子、なんという無理を」
「え?」
「今のような無茶な戦闘、もう行ってはなりません」

 どうやら、デスタンの方もリゴールのことを気遣っていたようだ。
 鏡に映したかのような、よく似た二人である。

 デスタンはリゴールの片腕を掴み、きょとんとしているリゴールを余所に、その袖を捲る。そうして露わになったリゴールの腕には、赤く滲んだ切り傷に加え、叩かれたような腫れもあった。

「すぐに手当てします。が、今後はこのようなことがないようにして下さい」

 デスタンは淡々と述べる。
 それに対し、リゴールは静かに言い返す。

「……それは無理です」
「王子?」
「怪我を恐れているようでは、真の意味で強くはなれません。ですから、わたくしは決めたのです。怪我など恐れはしないと」

 落ち着いた調子で返すリゴールを見て、デスタンは驚きと戸惑いが混じったような表情を浮かべる。だがそれは束の間で。すぐに無表情に戻り、そっと口を開く。

「変わられましたね」

 デスタンの物言いは、親のようだった。

「……そんなことないですよ」
「いえ。変わられました。私が知らないうちに……貴方はとても逞たくましくなった」

 その言葉を聞いたリゴールは、顔に戸惑いの色を滲ませながら、自分の腕や体を見回す。

「……そうでしょうか?わたくし、逞しくなってなどいないように思うのですが……」
「そっちの『逞しく』ではありません」
「え? そ、そうなのですか? デスタンの言うことはわたくしにはよく分かりません……」

 どことなく呑気なリゴールを見て、デスタンは呆れたように漏らす。

「もう結構です」


 それからは少し忙しくなってしまった。
 というのも、この一件によって、しなければならないことが一気に増えたのである。
 リゴールの手当てはもちろんだが、床掃除や、赤いものがついてしまった衣服の洗濯もしなければならなくなり。バッサやミセが手伝ってくれたため比較的スムーズに進みはしたが、それでも結構な時間がかかった。


 その日の晩。
 私はリゴールに会おうと思い立ち彼の部屋へ行った。

 だが、そこに彼はおらず。

 次に可能性のありそうなデスタンの部屋へ行ってみたところ、リゴールの姿を見ることができた。

「リゴール。ちょっといい?」

 幸い、扉に鍵はかかっておらず。そのため、勝手に開けることができた。

「……あ! エアリ!」

 デスタンとベッドのところで何か話している様子だったリゴールだが、私に気づくや否や、てててと駆け寄ってくる。

「どうしました? エアリ」
「たいした用事じゃないんだけど……」
「構いませんよ! 何でも言って下さい!」

 リゴールは自ら私の手を掴むと、ベッドの方に向かって歩き出す。引っ張られる形になり、私もベッドの方へ向かう羽目になってしまった。

「もし良ければ、こちらへどうぞ!」
「え、えぇ……?」

 無邪気なリゴールはまだ良いが、真顔なデスタンの心が気になって仕方がない。彼は何を考えているのだろう、と、ついつい思考してしまう。

「さ、座って下さい!」

 リゴールはベッドに座るよう促してきた。
 これがリゴールの部屋のベッドなのなら何の問題もないが、デスタンの部屋のベッドだからすぐには座れない。

「これ……デスタンさんのベッドよ?」
「構いません! デスタンは、わたくしが言ったことで怒ったりはしません!」

 何だろう、その根拠のない自信は。

「ですよね? デスタン!」
「ベッドくらいなら構いません。王子のお好きなように」
「ほら! デスタンもこう言っていますから!」
「そ、そう……。なら座らせてもらうわ」

 デスタンのベッドに腰掛けるというのは少々違和感があるが、ひとまず座らせてもらうことにした。

 直後、リゴールは隣に座ってくる。

「お邪魔致します」
「狭いわよ?」
「では、わたくしは細くなっておきますね」

 こうして、デスタンの部屋に揃った私たちは、それから色々な話をした。

Re: あなたの剣になりたい ( No.163 )
日時: 2019/12/08 18:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fhP2fUVm)

episode.160 対策会議

「で、リゴール。腕の感じはどうなの?」

 一つのベッドに三人で座るとなるとかなり狭い。隣のリゴールは体をかなり細くしてくれているが、それでも狭さを感じずにはいられない。誰か一人ベッドから下りた方が良さそうな狭さだ。

「ご安心下さい! もう痛くもなんともありませんよ!」
「本当に?」
「はい! 手当てもしていただきましたし、問題ありません!」

 リゴールは楽しそうだ。
 それとは対照的に、デスタンは、面倒臭そうな顔をしている。
 右を向けば楽しそう。左を向けばつまらなさそう。左右の雰囲気が完全に真逆で、何とも言えない空気が漂っている。

「魔法対策をされていたことには驚きましたが、何とか退けることができて良かったです!」

 明るい声色で話すリゴールに向けて、デスタンが発する。

「王子、呑気なことを言っている場合ではありません」

 デスタンの声は低い。
 これまた、リゴールとは対照的だ。

「魔法での戦闘ができないとなると、王子の戦闘能力はゼロに近いのです。もう少し深刻に捉えるべきかと」

 そう述べるデスタンは真面目な顔をしている。
 リゴールを大事に思っている彼のことだから、敵が魔法対策をしてきたことに関しても真剣に考えているのだろう。

「真面目ですね、デスタン」
「当然のことです。私が戦えれば一番良いのですが……それはまだ厳しいですから、何らかの対策を立てておかねばなりません」

 嫌み混じりな物言いをすることも多いデスタンだが、今はそのような感じではない。その口から放たれる言葉は真っ直ぐで、真剣さが滲み出ている。

「魔法以外の攻撃手段を……ということですか?」
「はい」

 デスタンは頷く。
 それとほぼ同時に、リゴールは拳を軽く口元に添えた。

「確かに、デスタンの言うことも一理あるかもしれませんね。魔法対策をされていても戦えるようにしておく必要はありますし」

 リゴールは考え込んでいるようだった。

「魔法以外って言っても、体術系は無理よね」
「そうですね。エアリの仰る通り、わたくしは強い肉体を持っていません。今の状態では、軽い護身程度が限界です」

 護身のための術を身につけているだけでも、地上界の一般人に比べれば、凄いことだとは思う。けれど、正面からまともに戦うとなれば、その程度では勝てないだろう。そもそも、リゴールは背が低めだし、体も全体的に細い。殴る蹴るの戦いになると、体格的に不利になることは避けられない。

「そうよね。じゃあ何か使う? ……ナイフとか?」

 思いつきで述べる。

「ナイフ、ですか」

 そこに口を挟んできたのは、デスタン。

「それなら重すぎませんし、王子でも扱えるかもしれません」
「そうよね!」

 これは良い案だろう、と思い、リゴールに視線を向ける。

「ねぇ、リゴール。ナイフはどう!?」
「ナイフ……ですか」
「え、何? 何だか、テンション低いわね」
「実はわたくし、あまり、その……ナイフは好きでないのです」

 もじもじしているのかと思ったが、そうではなく、ただ「ナイフは好きでない」ということを伝えたかっただけのようだ。

 そういうことなら普通に言えばそれでいいのに。
 少し、そんなことを思ってしまった。

「デスタンと受けた研修の時、少し習いましたが……その、模擬戦闘でうっかり相手を怪我させてしまいまして……」

 うっかり、て。

 慣れていない状態での模擬戦闘だったのだろうから、仕方ない部分もあったのかもしれないけれど。

「その時の感触が忘れられず、以来、ナイフを握ると不安になるのです。なぜか料理の際は問題ないのですが……」

 私は料理の時の方が不安になる。
 そもそも、料理をする機会なんて滅多にないわけだが。

「ではペンはどうでしょうか」

 次の提案をしたのはデスタンだった。

「ペン?」

 リゴールはきょとんとした顔をする。

「はい。私に目潰ししたあの時の動きは見事でした。あれなら、一種の攻撃として使える気がします」

 真剣なのか嫌みなのか、よく分からない。

「しかしデスタン……あの時のペンはもうありません」
「ペンならば、新しい物を調達すれば良いのではないでしょうか」
「それに……あの時は必死でつい突いてしまいましたけど、今のわたくしは恐らく、あのようなことはできないと思います」

 リゴールの言葉を聞き、デスタンはふっと笑みをこぼす。

「それもそうですね」

 彼は紫の髪を軽く掻き上げながら続ける。

「命を狙ったりして、すみませんでした」
「謝罪!?」

 私はうっかり叫んでしまう。
 そのせいで、デスタンに不快そうな視線を向けられた。

 気を引き締めている時なら、こんなうっかりミスをしてしまうことはなかっただろう。だが、話が長引いてきたことによって自然と気が緩み、結果、このような失態に繋がってしまった。

「……何です、いきなり大きな声を出したりして」
「あ。ご、ごめんなさい」

 こればかりは私にも否がある。そう思うから、謝っておく。

「……まったく。驚かせないで下さい」

 デスタンは呆れたように呟いていた。
 そこへ割って入ってくるのはリゴール。

「まぁまぁ! 時にはそういうこともありますよ。わたくしも、うっかり本音を漏らして大変なことになったことがあります!」

 本音を漏らして大変なことに、か。
 それは本当に大変そうだ。

 一般人ならともかく、王子という地位ある身分の者が本音を漏らしてしまったりしたら、騒ぎになりそうである。

「と、取り敢えず! 話を戻しましょう!」

 リゴールは、心なしか険悪な空気になりかけていたのを察して、気を遣ってくれたようだ。

「そうね。それが良いわ」
「分かりました」

 私とデスタンが発したのは、ほぼ同時のタイミングだった。

 もっとも、揃えるつもりはなかったのだが。

「では、王子にはペンで武装していただくことにしましょう」

 結局、ペン。
 デスタンはどうしても、リゴールにペンを持たせたいようだ。

「ま、待って下さい! それは無理です」
「良さそうなペンを街で買ってきます」
「デスタン! 話を聞いて下さい!」

 リゴールはベッドから立ち上がりつつ、勢いよく発言する。

「わたくしはペンなど扱えません!」
「……ではナイフにしますか?」
「うっ……そ、それは苦手です……」
「ではペンで構いませんね?」
「うぅ……仕方ありません。分かりました、ペンにします」

 なんだかんだで自分の意思を押し通すデスタン。その口の上手さはなかなかのものだ。リゴールくらい、相手ではない。

「……そして、エアリ・フィールド」

 デスタンはいきなり話をこちらへ振ってくる。

「え、私?」
「はい。貴女は剣の一本でも持っておけばいかがです」
「剣なら、ペンダントの剣があるわよ?」
「王子と離れている時でも戦えるようにすべきです」

 デスタンは淡々と述べる。

 その言葉が間違いだとは思わない。ただ、剣を売っている店というのを知らないので、「買うとしても、どこで買えば?」という思いがある。

 私のそんな心を読み取ったかのように、デスタンは続ける。

「クレアに行けば、剣を入手することができるはずです」
「そうなの? 詳しいのね」
「いえ、私が詳しいわけではありません。ミセさんから聞いた話に出てきていただけです」

 ミセが剣の店について話していたということは驚きだ。だが、これはある意味ラッキーと言えるかもしれない。

「そうね。今度買いに行ってみようと思うわ」
「では私も同行します」
「デスタンさんが!? ……無茶しちゃ駄目よ?」
「ご心配なく。歩くくらいなら、もうそろそろ問題ありません」

Re: あなたの剣になりたい ( No.164 )
日時: 2019/12/08 18:38
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fhP2fUVm)

episode.161 再び、街へ

「母さん、今日はデスタンさんと少し買い物に行ってくるわ」

 リゴールやデスタンとこれからのことについて話し合った夜が終わり、朝。食事の時間に、私は、エトーリアにそう告げた。エトーリアは今日も家から出ていくのだろうが、黙っていて後からばれたら厄介なので、念のため。

「買い物?」

 エトーリアは白いパンをかじりながら、そんな風に繰り返す。
 しかも、その面には、訝しんでいるような色が滲んでいた。

「えぇ。でもすぐ帰るわ」
「クレアへ行くのよね?」

 かじったパンを咀嚼しながら、エトーリアは確認してくる。

「そうそう」
「分かったわ。でも……気をつけるのよ、エアリ」

 彼女は少し心配そうな顔をするけれど、パンを咀嚼することは止めない。十数秒ほど経ってごくりと飲み込んだが、すぐさま続きを食べ始める。

「心配してくれてありがとう」
「当たり前のことじゃない。母は娘をいつだって心配するものだわ」

 白いパンを千切る指は細い。また、その手の肌は、陶器人形のように滑らか。物を千切るというありふれた動作からさえ、上品さが漂う。

「馬車、使っていいわよ」
「ありがとう、母さん」
「デスタンさんにも『気をつけて』と伝えて」
「ありがとう」

 いきなり外出なんて、エトーリアに言ったら「駄目」と言われてしまいそうで、不安だった。けれども、彼女はそんなことは言わなかった。それどころか、快く送り出す言葉をかけてくれたくらい。念のため伝えておくことにして良かった、と、私はそう思った。


 朝食を済ませた私は、部屋にあった桜色のワンピースを着て、デスタンのもとへ向かう。

 ——ちなみに。

 桜色のワンピースは偶々一番に目についたものであって、いくつかの中から選んだというわけではない。
 つまり、適当に着た、という表現が相応しいのである。

 いつもの黒のワンピースでも良かったのだが、たまには違う服を着ても楽しいかなと思い、黒でないものを着てみた。

 もちろん、ペンダントは忘れていない。

「デスタンさん! 買い物、行きましょ!」

 彼の部屋に入る。
 するとそこには、ミセもいた。

「あーら。何の話かしらぁ?」

 先に言葉を返してきたのはミセ。

 ……凝視されている。

 しまった。いくらそういう話になっているからといって、ミセがいる時間に部屋に突撃していくべきではなかった。こんなことをしたら、ミセに嫌われることが確定してしまうではないか。

 だが、当のデスタンはちっとも狼狽えない。

「あぁ。行くのですか」

 ベッドに腰掛けていたデスタンはすっと立ち上がると、くるりと体をミセの方へ向け、静かに述べる。

「少し買い物に行ってきますね」
「買い物!? アタシとじゃなく、エアリとなのぉ!?」
「はい。ミセさんと行くべきではない内容の買い物なので」
「アタシと行くべきではない内容!? どういう意味よぅ!?」

 ミセはデスタンを見上げながら、眉を吊り上げ、鋭く言葉を発する。顔だけでなく、全身から、怒りのオーラが溢れ出している。

 ……これはまずい。

 そう思っていたら、デスタンは本当のことを言い出す。

「武器を買いに行ってきますので」

 デスタンが言う「武器を買いに行く」ということは事実。私とデスタンの外出は、ミセが思っているような外出ではない。遊びではなく、用事だ。

 だが、「武器を」なんて本当のことをさらりと言ってしまって、大丈夫なのだろうか。

 ミセはデスタンを悪く言ったり思ったりはしない人だ。だからその点では安心である。それに、ミセはこれまで長い間私たちと交流があったから、私たちに特別な事情があるということは察しているはず。

 でも、それでも、ミセは地上界の人間。
 普通の女性だ。
 その人に向かって武器の話など、問題はないのだろうか。

「え。ぶ、武器?」
「はい。ですから、ミセさんにはあまり関係がないかと」
「そ、それはそうねぇー……」

 やはり、ミセは少々戸惑っている様子だ。
 無理もない。
 いきなり「武器」なんて言葉が出てきたら、戸惑わずにいられるわけがない。

「でーもっ、駄目! デスタンはアタシのデスタンなんだから、他の女と二人で出掛けるなんて、ぜぇーったいに駄目! エアリでも、駄目よ!」

 分からないではないが……厳しい。

「……そうですか。分かりました」
「いいわねぇ? 今後もよ?」
「はい。では、ミセさんも同行して下さい」

 五秒ほど間を空けて、ミセは低い声で「えっ」と漏らした。

「エアリ・フィールド。それでも構いませんね」
「私はいいけど……ミセさんもそれでいいの?」
「二人は駄目とのことなので、三人にしましょう。それなら問題はないはずです」

 昨日約束した時にはミセのことをすっかり忘れていた。だから二人で行くような感じに捉えてしまっていたけれど、よく考えたら、デスタンと出掛けるのにミセがついてこないわけがない。

 つまり、三人になって普通。
 むしろ、デスタンとミセの二人で出掛けるでも良いくらい。

 私とデスタン二人での外出なんて、ミセからしたらあり得ない話だろう。

「構いませんね? ミセさん」
「そうねぇ……まぁ、エアリだし、三人なら許してあげてもいいわよぉ」
「ありがとうございます。では支度を」
「うふふ! アタシが手伝ってあげるぅー」

 二人は相変わらずのべったりぶりだ。
 いや、厳密には「ミセがデスタンにべったり」なのだが。


 それから私は、デスタンの準備が終わるのを、扉の外で待った。

 ミセが手伝っているから、そんなに時間はかからないだろう。そう考えていたのだが、デスタンの支度は案外長くて。待っている間、幾度か眠気に飲み込まれそうになった。

 寝不足ではないはず。
 ただ、特に何をするでもない時間というのは、つい眠くなってしまうもので。

 眠気から逃れるために、私は、今日の買い物の内容を思い返してみておくことにした。

 まずはペン。
 ……と言っても、ただのペンではない。
 リゴールが戦闘に使う、そのためのペン。だから、攻撃に使えそうなものでなくてはならない。文字が書ければ何でも、というわけにはいかないのだ。むしろ、書き心地は重視しない。

 そして、次に剣。
 これは私が使うための剣だ。
 ペンダントの剣が使えない状況下で戦わなくてはならない時に使用するもの。そのため、最高級までは求めないが、ある程度の質は要りそうである。

 ——今日の買い物について復習していると。

「お待たせしました」

 部屋からデスタンが出てきた。
 微かに藤色がかったシャツに、紫と青の間ぐらいの暗い色みのベスト。髪もきちんと一つにまとめ、パリッと決まっている。

Re: あなたの剣になりたい ( No.165 )
日時: 2019/12/16 15:43
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: e/CUjWVK)

episode.162 ペンとおじいさんと

 ミセ、デスタン、そして私。三人で馬車に乗り、クレアへ出掛ける。
 エトーリアの屋敷からクレアまでは、歩くとそこそこ距離がある。しかし、馬車に乗ってしまえばすぐに着く。

「デスタンと馬車に乗れるなんて、嬉すぃーわぁ!」
「そうですか」
「デスタンも嬉しいわよねぇ? だってアタシたち、愛し合っているものねぇ?」
「はぁ」

 隣同士に座るミセとデスタンは、そんな風に言葉を交わしている。純粋に仲良さそう、という感じではないけれど。ただ、心の奥底で通じあっているような雰囲気ではある。

「もーう! デスタンったら! どうしてそんなに冷たくするのぅ?」

 猫撫で声で言いながら、ミセはデスタンの片腕を掴む。しかもただ掴むだけではなく、頬を当ててすりすりしたりしている。

「ミセさん。必要以上に触れるのは止めて下さい」

 顔はミセの方へ向けず、視線だけを彼女に向け、淡々とした口調で述べるデスタン。彼の顔は本気で怒っている人間の顔ではなかったが、面倒臭くてうんざりしているという空気は漂わせていた。

「えぇー? どうしてぇ?」
「エアリ・フィールドに引かれています」
「そんなことを気にしてるの? デスタンったら、かーわいーい!」
「……勘弁して下さいよ」

 ミセが楽しそうで何より。

 ただ、絡まれるばかりのデスタンは少し気の毒だ。

 だが、この程度なら、放っておいても問題ないだろう。いざという時にははっきり物を言えるデスタンだから、敢えて私が口を挟むこともないはずだ。


 クレアに到着。

 まず向かったのは、ミセが「筆記具がある」と言って紹介してくれた店。

 山小屋のような外観で、窓は小さなものしかなく、外から中の様子を確認することはできない。それに、営業中という印もないから、営業しているのかどうかさえ怪しい。

「ここよぅ、デスタン! ここならペンがあるわぁ!」
「その話、本当ですか」
「えぇー。アタシのことを疑うのぅ?」
「いえ、念のため確認しただけです。では入りましょう」

 デスタンは落ち着いた様子で、店の扉のノブに手をかける。

 その姿を数メートル後ろから眺めながら、「よくここまで回復してきたなぁ」と、改めて感心する。一時はほぼ完全に動けなくなっていたのに、今では自力で歩けているのだから、驚くべき回復力だ。

 デスタンは扉を開けて店の中へ入っていく。ミセもそれに続く。一人取り残されてはいけないから、私も小走りで入店した。

 店内は静かだった。
 隅っこの椅子にちょこんと座っているおじいさんがいるくらいで、客らしき人は見当たらない。

 一番に店内に入ったデスタンは、そのおじいさんに声をかけに向かう。

「すみません。ペンをいただきたいのですが」
「ぬぅ……ペンじゃと……?」

 白髪のおじいさんは、眉をひそめながら、ゆっくりと腰を上げる。
 背は高くなく、ハートの描かれたニットのベストを着ているから、全体的に丸い形になって可愛らしい雰囲気だ。

「敢えて聞くことも……ぬぅ……ないじゃろう」

 おじいさんは、腰を曲げて丸くしながら、のろのろと歩き出す。デスタンは黙って、おじいさんの後を追う。

「ペンなら……ぬぅ……ぬぅ……ぬぬぅ……ほれ、この辺じゃ」

 デスタンはおじいさんを追い、ミセはデスタンを追い、私はそんなミセの背を追う。いつの間にやら、私たちは連なってしまっている。

 ゆっくりとしか動けないおじいさんが示した辺りには、確かにペンがあった。

 木のテーブルに、箱に入った高価そうなペンがいくつか並んでいる。そしてその脇には、安そうな見た目のペンがたくさん置かれているコーナーもある。

 高価そうなペンが一つ一つ丁寧に箱に入っているのに対し、安そうなペンはマグカップに十五本くらいが入れられている。しかも、種類ごとにまとめられているということもない。マグカップに適当に突っ込んだ、という感じの置き方だ。

 それからしばらく、デスタンはペンを色々見ていた。

 何を見ているのだろう?
 私にできることはあるだろうか?

 少しそんな風に考えたりもしたが、手出ししないでおくことに決めた。
 余計なことをしてしまってはいけない、と思ったから。

 ——それから十分ほど経過して。

「ペンの購入、終わりました」

 デスタンは紙袋を手に、そんなことを言ってきた。
 彼に一番に駆け寄るのはミセ。彼女はデスタンの手から紙袋を素早く奪い取り、「アタシが持つわぁー」と甘い声を発していた。

「もういいの?」
「はい。いくつか買えました」
「それは良かったわね」
「はい。次は貴女の剣ですね」

 私たち三人はそそくさと店を出る。
 空は晴れていて、雲一つない。ただ、日差しはさほど強くなく、暑さもそれほど感じない。過ごしやすい日だ。

「ミセさん、剣を売っている店への案内をお願いします」
「良いわよぉー! アタシ、デスタンのためなら何でもするわぁ!」

 ミセはクレアで暮らしていたわけではないはず。しかし、何気に、クレアに詳しい。

「ミセさんが街に詳しくて助かります」
「デスタンに会いに来るついでに、色々見たりしてたのぅ! だから段々詳しくなってぇ!」
「そういうことだったのですね」

 ミセはデスタンの隣をしっかり確保している。

「ありがたいことです」
「デスタンの役に立てたら、アタシも嬉すぃーわぁー!」

 愛する人の横を歩けることが嬉しいのだろう、ミセの足取りは軽い。それに、顔つきも、日頃のミセのそれとはまったく異なっている。

 それにしても、二つ並んだ背中を見ながら少し後ろを歩くというのは、複雑な心境だ。
 二人が仲良くて嬉しいような、自分が仲間外れで寂しいような。

「店まではまだ距離がありますか」

 剣を買うべく足を動かしていると、デスタンが唐突に問いを放った。

「デスタン、もしかして、疲れたのぅ!?」
「いえ。ただ少し尋ねてみただけです」
「そーう? なら良いけどぉ……疲れたら言うのよぅ?」
「はい。お気遣いありがとうございます」

 デスタンは、一応礼を述べてはいるが、その言い方はかなりあっさりしていた。感謝の心があるのかないのか分からないような口調である。

 それからも私たちは歩いた。
 ひたすら足を動かし続ける。

 こんな時、リゴールが隣にいてくれたら——そんなことを、つい考えてしまう。

 デスタンのこともミセのことも嫌いではないけれど、やはりリゴールがいないと寂しい。
 彼が傍にいてくれたら、四人で出掛けられたなら、きっともっと楽しく過ごせただろうに。

Re: あなたの剣になりたい ( No.166 )
日時: 2019/12/16 15:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: e/CUjWVK)

episode.163 剣選び

 ほどよい気温に、穏やかな日差し。
 晴れ渡る空の下を歩くことしばらく、剣を売っているらしい店に到着した。

 ペンを買った店とは違って、こちらは煉瓦造りの建物を店舗としているようで。赤茶色の煉瓦が華やかで、しかも二階建てという、わりと立派な建物だった。

 中へ入り、店内を見て、私は驚く。
 なぜなら、たくさんの武器が並べられていたからである。

 剣だけでも色々ある。
 銀色に輝く刃が勇ましい空気を漂わせるもの、とても持ち上げられなさそうな太い刃のものなど、それぞれに個性がある。まるで人間のよう。

 もちろん、店内にあるのは剣だけではない。

 刃は短くコンパクトな、ナイフ。
 柄がとても長く先端も鋭利な、槍。
 そういったものも、何種類か置かれている。

「す、凄い……」

 かなり物騒な店内だが、なぜか妙に心を奪われてしまう。

 置かれているだけなのに、どの武器も、恐ろしいほどの迫力だ。
 ただ、それらは、十代後半の少女には相応しくないようなもの。きっと、私には似合わないだろう。こんな店の中に私がいるというだけでも、おかしな現象と言えよう。

 私が置かれている武器の数々に見惚れている間に、デスタンは店の奥のカウンターへと進んでいっていた。

「失礼します。剣をいただきたいのですが」

 デスタンが言うと、カウンターの向こう側にいた人影が立ち上がる。

「おぅ? 客か?」

 デスタンの声に応じた人影の正体は、男性だった。
 四十代くらいに見える男性で、体つきはがっしりしている。また、顔は岩のようにごつごつしていて、頭にはオレンジの布を巻いている。顎には黒いヒゲがぷつぷつと生えていて、厳つい容姿だ。

「はい。剣をいただきたいのです」
「剣だと? 兄ちゃん、そんなもんをどうするつもりだぁ?」

 男性は眉間にしわを寄せながら、首を軽く傾げる。

「知人が使うのです」
「あぁ? 知人だぁ? なんだそりゃ」

 店員の男性が訝しむような顔をしていることは微塵も気にせず、デスタンは片手で私を示す。

「ちなみに、彼女です」

 直後、男性は吹き出す。
 しかも、だっはっは、と豪快に笑い出す。

 ……悪かったわね、らしくなくて。

「女のための剣だぁ? そんなもんあるわけねぇだろ!」
「そこを何とか。お願いします」
「おいおい! 本気かよ!」

 デスタンに頼み込まれた男性は、片手を額に当てながら大きく発する。

「まず、女に剣持たすとか正気かよ!?」
「それは問題ありません。彼女は訓練を受けていますから」
「訓練!? 本当かよ!?」
「はい」

 いつまでも冷静さを失わないデスタンに呆れてか、男性は大きな溜め息を漏らす。

「しゃーねぇな。分かった分かった! 選んでやる。ちょっと待て!」

 男性はカウンターから出てきて、私に向かって歩いてくる。そして、一メートルも離れていないくらいまで近づいてきて、しまいに手首を掴んできた。

「……何ですか?」
「ほう。いきなり手首掴んでもびびらねぇか」
「……えと、あの、何でしょうか?」
「なるほど。わりと度胸のある女みたいだな」

 褒められている気はするが、素直に喜んで良いのかどうか、すぐには判断できない。普通他人から褒められれば嬉しくなるものだが、今は何とも言えない心境だ。

「剣だな?」
「あ、はい! よろしくお願いします!」

 今から世話になるだろうから、一応頭を下げておく。

「よっしゃ! じゃあ、こっちへ来い!」
「は、はい……!」

 訓練でも始まりそうな空気。これからどのようなことが始まるのか、少しばかり不安だったりする。

 でも、ただ不安を抱えているだけでは話は進まない。

 何事にも怯まず挑戦する勇気があってこそ、未来は開けてゆくのだ。
 剣と未来だと話が違う、と、笑われるかもしれないけれど。


 それから私は、いくつもの剣を握らせてもらった。
 やはり剣も人と同じ。一本一本に個性があり、特徴がある。
 そして、柄を握った感触も大きく違っている。滑りそうだったり、太さがしっくりこなかったり、馴染みがいまいちだったりする。

「それはどうだ?」
「……少ししっくりきません」
「あぁ。確かにちょっと太過ぎるかもしれねぇな」

 私はこれまで、様々な剣を握ってきたわけではない。ペンダントの剣と訓練用の木製の剣くらいしか手にしたことがない。

 だから、気づかなかった。
 握りづらい柄がこんなにあるなんて、知らなかった。

「じゃあ次はこれだ。持ってみな」
「はい……あっ!」

 店員の男性から受け取った瞬間、落としそうになる。

「あぁ? どうした?」
「これ、滑って落としそうです」
「だろうな。それは柄に、スベスベイガーの皮を使っている。ま、脂っこい手のやつには人気なんだがなぁ」

 今さらだが、やはり、ペンダントの剣が一番だ。
 慣れているからかもしれないけれど、ペンダントの剣の持ち手が一番握りやすい。

「スベスベイガーは、女の滑らかな肌にはちょっと合わなかったみてぇだな!」
「はい。どうしましょうか……」
「あ! 良いのを思い出した! ちょっと待ってろ!」

 急にカウンターの方へ駆け出す店員の男性。

 良かった、善良そうな人で。
 私は密かに安堵する。

 男性は厳つい外見で口調も乱暴。けれど、行動からは優しさが見え隠れする。そして、時間をかけて私に合う剣を探してくれるところからは、熱心さがひしひしと伝わってくる。

 カウンターの向こう側で座り込み、がちゃがちゃ音を立てながら何かを漁ること、数十秒。

「あった!」

 男性は声をあげる。
 それから、彼は再び、こちらへと歩いてきた。

 その手には一本の剣。

 革製の鞘に収められて刃は見えないが、持ち手は黒く、硬そうだ。

「これを握ってみな!」
「あ、はい」

 差し出された剣を受け取り——ハッとする。
 妙にしっくりくる持ち手だったのだ。
 最初目にした時に思ったのは当たっていて、硬めの柄だった。けれど、それが案外持ちやすくて。悪くない握り心地だ。

「これ、良いわね!」

 私は思わず叫んでしまった。

「おぅ! それなら女の手にも合うはずだ!」
「気に入ったわ! ……あ、でも、高いかしら」

 高価なものだったら購入できないかもしれない。

「これか? これなら大体、二千イーエンだな!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.167 )
日時: 2019/12/16 15:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: e/CUjWVK)

episode.164 案外安価、二千イーエン

「二千イーエン……」

 驚きだ。想像していたより、ずっと安い。二千イーエンなら、私でもパッと払える金額である。これだけ立派な作りの剣が、まさか二千イーエンとは。つい「実は訳あり商品?」と訝いぶかしんでしまうくらいの、低価格だ。

「結構安いですね」
「おぅよ! 今時高い金払って武器を買うやつなんていねぇかんな!」
「……そうなんですか?」
「あぁ! 何せ、最近のこの辺は平和だからなぁ!」

 店員の男性はそこで一旦言葉を切った。
 それから五秒ほど空けて、彼は続ける。

「で、どうなんだ? 買うか?」
「はい」
「おっし! サンキュー! じゃ、二千イーエンな」

 ワンピースのポケットから財布を取り出し、店員の男性に二千イーエンを差し出す。すると男性は、素早く受け取ってくれた。

「よっしゃ! ちょっと待ってろ!」
「はい」

 男性は私が渡した二千イーエンと剣を持って、小走りでカウンターの奥へ向かう。彼はそこで、木箱に二千イーエンをしまっていた。

 待つことしばらく。
 店員の男性は剣だけを手にして私のところへ戻ってきた。

「ほい! これだ!」
「ありがとうございます」

 革製の鞘に収められた状態で剣を受け取る。
 両手にずっしりとした重みを感じ、らしくなく興奮してしまった。

「色々紹介して下さって、ありがとうございました」
「いやいや! このくらいお安いご用よ!」

 日頃よく武器を購入している人なら自力で選べるかもしれないが、今回の私の場合は初めての武器購入だ。それゆえ、良い品を選ぶ方法なんて知らない。だから、店員が親身になってくれる人で助かった。

「それでは失礼します!」
「おぅ! また来いよ!」

 しかも、武器選びだけではなく、見送りまでしてくれる。
 良い店員さんだなぁ、と思いつつ、私は武器の店を出た。


 店から少し離れた大通りに達するや否や、ミセは「ふわぁーあ!」と発しながら大きく背伸びをする。

 デスタンの前で背伸びは気にしないの? と少しばかり疑問を抱いてしまった。

 普通、好きな人の前で豪快に背伸びをしたりはしないだろう。いや、もちろん、背伸び自体に罪はない。ただ、背伸びをするにしても控えめな背伸びにするなど多少は工夫するだろうと、そう思うのだ。

 しかしミセにはその工夫がなかった。
 彼女は、デスタンが傍にいる状況下であっても、一切躊躇わず全力の背伸びをする。
 正直、少し不思議だった。

「疲れましたか、ミセさん」
「えぇ? アタシぃ?」
「はい。凄まじい背伸びをなさっていたので、疲れたのかな、と」

 刹那、淡々と問いかけるデスタンの片腕を掴み、彼に身を寄せるミセ。

「あーら、デスタン! アタシのこと心配してくれてるのぅ?」

 ミセはとてつもなく都合のいい解釈をしていた。

「さすがアタシのデスタンねぇ! ……けど、アタシのことをそんなに細かく見てくれているなんて、気づかなかったわぁ。うふふ。デスタンったら、実はアタシのこと、とーっても好きなのね!」

 何がどう転んだらそうなるの? というような解釈。
 でも、それがミセ流なのだろう。
 彼女は好きな人の言動を都合良く解釈するところがある。だからこそ、基本冷ややかなデスタンが相手でも、このハイテンションを保てるのだろう。

「お茶するぅ?」
「ミセさんがしたいのなら、それでも構いませんが」
「あーら、優しい! さすがデスタン! とーっても優しいわね!」

 ミセが褒めると、デスタンは彼女から視線を逸らす。

「……同行していただいた恩があるから、それだけです」

 これは『照れ隠し』だ。
 離れて眺めている私にも、そのくらいは分かる。

「ねぇエアリ!」
「……えっ」

 振り返ったミセにいきなり話しかけられ、内心慌てる。

「お茶しなーい?」
「えっと……お茶、ですか?」
「そうよ! 三人で!」

 話しかける時もデスタンの横からなのね、という突っ込みは、心の中だけに留めておこう。

「あ、はい。それもアリですね」
「じゃ、決まりね!」

 よく考えたら、今日は結構な距離を歩いている。私でも少し喉が乾いているくらいだから、回復しきっていないデスタンなどは疲れてきているはずだ。そこを考慮するなら、ここらで一息というのも悪くはない。


 当初の目的、ペンと剣の購入を済ませた私たち三人は、帰り道の途中でひと休みすることにした。

 入ったのは、歩いている時に偶々目についた喫茶店。
 私はアイスティー、ミセとデスタンはアイスブラックティーをそれぞれ注文し、パラソルの下の椅子に腰掛ける。

「買い物できて良かったわねぇ、デスタン」
「はい。同行ありがとうございました」
「気にしなくていいのよぅ。アタシはいつだって、デスタンの隣にいたいものぉ」

 またしても二対一の雰囲気。
 この三人だから仕方ないけれど、寂しい気がしてこないと言えば嘘になる。

 けれど、こうして三人で過ごす時間が嫌いかと問われれば、「はい」とは答えないだろう。

 血に濡れる戦いの時間に比べれば、少し寂しくとも穏やかな時間の方がずっと好き。
 そんなことを考えながらアイスティーを飲んでいると、デスタンが話しかけてくる。

「剣はそれで良かったのですか」

 唐突過ぎる質問。
 なぜこのタイミングでこんな問いが出てきたのか、謎でしかない。

「えぇ。持ちやすかったわよ。……何かおかしい?」
「いえ、べつに」

 質問しておいて、興味のなさそうな態度。デスタンの本心がどこにあるのかは、もはやよく分からない。

「これを使いこなせるように、また頑張るわ」
「はい。そうして下さい」

 そう、今私がすべきことは、この剣の扱いに慣れること。

 二対一的な空気に寂しさを感じることではない。


 その後、私たちは、馬車が待機しているところまで歩いた。そして、馬車に乗って、エトーリアの屋敷へと帰った。
 購入する予定にしていた物はすべて手に入れられたから、買い物は成功だ。


「あ! 戻られたのですね!」

 屋敷へ帰った私を迎えてくれたのは、リゴール。
 三人で外出している間、私は、彼に会いたくて仕方がなかった。だから、彼の顔を目にした瞬間、喜びが一気に込み上げてきて。結果、彼を衝動的に抱き締めてしまった。

「えぇ! 帰ったわ!」
「あの……え、エアリ……?」

 リゴールは困惑している。

「その、なぜこのようなことを……?」
「よく分からないけど、貴方に会いたかったの」

Re: あなたの剣になりたい ( No.168 )
日時: 2019/12/23 01:06
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xyOqXR/L)

episode.165 真っ赤

 それから私たちは食堂へ移動した。

 デスタンは、ミセからペンが入った紙袋を受け取ると、その中身を順に出してテーブルに並べていく。箱入りのものは三つ、箱入りでないものが三本。

 並べられたペンを見て、リゴールは驚きの声を漏らす。

「えぇっ。こんなに買ってきたのですか!?」

 リゴールは目をぱちぱちさせている。

「はい。それが何か」
「い、いえ……。ただ、わたくしが想像していたより……本数が多かったので」

 遠慮がちに言うリゴールに、デスタンは淡々と返す。

「はい。多めに買いました」

 飾り気はない。優しそうな雰囲気も柔らかさもない。そんな、淡白な口調だ。彼らしいといえば彼らしいかもしれないが。

「そうなのですか!?」

 目を丸くして驚きを露わにするリゴール。

「はい。どれが王子に相応しいか分からなかったので、一応すべて買っておきました」
「し、しかし……高価だったのでは……?」

 リゴールは上目遣いで遠慮がちにデスタンを見る。

 ……それにしても、リゴールの上目遣いは違和感がない。

 女性であっても、上目遣いを上手に使える者は少ない。やり過ぎるとあざとさが生まれ、逆に可愛らしくなくなってしまうというものだ。
 だが、リゴールの上目遣いは、遠慮がちな感じがきちんと出ている。見事。

「以前の稼ぎで足りました」
「やはり、結構高かったのでは……」
「そうですね。ただ、心配していただくほどではありません。ご安心下さい」

 デスタンはそこまで言って、話題を変える。

「それより、ペンを見てみて下さい。そして気に入ったものを持っていって下さい」

 相変わらず淡々とした口調。感情など欠片もないかのような話し方。でも、デスタンが心の中ではリゴールを大切に思っていることを、私は知っている。


 リゴールのペン選びが終わり、解散になった。
 デスタンは自室へ戻り、ミセはそれについていく。しかし私とリゴールは、もうしばらく食堂にいることにした。
 それを選択した理由は、リゴールと話をしたい気分だったから。彼と一緒にいたいと思ったからである。

「買い物お疲れ様でした、エアリ」
「ありがとう」

 軽く礼を述べると、リゴールはデスタンから貰った黒い軸のペンを眺めながら口を動かす。

「敵襲がなくて本当に良かったです。本音を言うならわたくしも行きたいところでしたが……やはり、わたくしがいない方が平和ですね」

 彼は視線を私へ向けない。
 その青い瞳は、手元のペンだけをじっと捉えている。
 リゴールは目を合わせることさえ恥ずかしいというようなタイプではないはず。どうも不自然だ。

「どうしたの、リゴール。何だか変よ?」
「……え。そ、そうでしょうか。わたくし……そんなにおかしかったでしょうか?」

 私が質問したことで、リゴールはようやく顔を上げた。何かやらかしてしまっただろうか、というような、不安げな面持ちだ。

 あまり心配させるのは可哀想。
 だから私はすぐに述べる。

「いいえ。ただ……あまりこっちを見てくれないなって、少しそう思ったの」

 心を隠そうとしてややこしいことになってはいけないので、ここはシンプルに、本心を述べておいた。

 するとリゴールは安堵したように頬を緩め、柔らかめの声で「そういうことでしたか」と発する。
 独り言のような雰囲気の発し方だった。

「ペンに気を取られていました。すみません」
「謝らなくていいわ。こちらこそ、変な質問をして悪かったわね」
「まさか! エアリは何も悪くありません!」

 なぜここで大きな声を出すのか——と思っていたら、まだ続きがあった。

「エアリはいつもわたくしを気にかけて下さいます! それに、少しでも変化があれば今のように尋ねて確認して下さいます! それはとてもありがたいことで、ええと……とにかく、エアリといられるだけでわたくしは幸せです!」

 そこまで一息だった。

 凄まじい勢いで長い文章を発するリゴールは、得体の知れない圧力を放っている。刺々しいものではないが、自然と圧倒されてしまうような圧があるのだ。

「……プロポーズみたいね」

 私は冗談めかして言ってみた。
 途端に、リゴールの顔が真っ赤になる。

「あ……す、すみませ……」
「ふふ。冗談を言ってみただけよ」
「えっ……あ、その……」

 リゴールは、両手の手のひらをリンゴのように赤く染まった頬に当て、狼狽えている。しかも、その表情からは、恥じらいのようなものすら感じ取れて。信じられないくらい初々しい態度を取っていた。

「ごめんなさい、リゴール。本当に、今のは冗談なの」
「え、い、いやっ……その……」
「ん? リゴール?」
「じょ、冗談でなかったら……どう思われるのでしょう……?」

 肩をやや持ち上げ、遠慮がちに見つめてきている。

「えっと、何それ? どういう意味?」

 彼が言おうとしていることがいまいち分からない。だが、分かっているふりをしておくのも、後々ややこしいことになりかねない。そう考えた結果、私は、尋ねてみるに至った。

「で、ですから……その、わたくしが貴女にプロポーズしたら、貴女はどう思われるのかな、と……」

 けれど、リゴールの答えを聞いて疑問が解決することはなかった。
 解決どころか、疑問が増えてしまったくらいだ。
 プロポーズしたらどう思うか、なんて、普通いきなり聞くことではないだろう。 いくら親友のような存在とはいえ、踏み込み過ぎ。

「面白いことを言うわね。でも、そういうのは、本当にプロポーズしたい人に聞いてみるべきだと思うわ。だって、私の意見を聞いても、何の意味もないでしょ?」

 いずれプロポーズしたい相手に探りを入れるならともかく。

「ね?」

 すると、リゴールはガタンと音をたてて椅子から立ち上がった。
 急なことに驚いていると、彼は大きく口を開く。

「そうです! プロポーズしたい人にしか聞きません!」

 ……え。

 そんなことを言われたら、リゴールのプロポーズしたい人が私なのかと思ってしまう。そんなことあり得ないのに、妙な期待をしてしまうではないか。

「だからね、リゴール。そういうのは——」
「わたくしは本気です!」

 目の前の彼は、真剣な面持ちだった。

「いつかその時が来るかもしれないからこそ、尋ねたのです!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.169 )
日時: 2019/12/23 01:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xyOqXR/L)

episode.166 いつか手渡す想い

 リゴールの言葉を耳にした瞬間、時が止まった。

 ——いや、正しくは、時が止まったような気がした、か。

 とにかく、私以外のすべてが停止したような、そんな不思議な感覚だったのだ。

「え……何を言っているの?」

 そう返した時、私の脳内には『理解不能』の文字ばかりが浮かんでいた。頭の中をみっちりと埋め尽くしている。

「あ、えっと、その……す、すみません。ただ、少し、エアリの意見を聞いてみたくて……」
「そうね……私だったら、嫌じゃないわね」

 驚きやら何やらで妙なことばかり返してしまっていたが、ここに来て、ようやくまともに答えることができた。
 もっとも、リゴールの発言についてはまだよく分からないけれど。

「え!」

 私が発した答えを聞き、リゴールは声をあげる。

「嫌でないのですか!?」
「まさか。嫌なわけがないでしょ」

 リゴールとは苦難を共に乗り越えてきた仲だ。少しの冗談で嫌いになったりはしない。

「で、では! もしわたくしがプロポーズしたら、イエスと言って下さいますか!?」
「え。ちょ、待って。それは冗談なんじゃ……」
「冗談ではありません! わたくしは真剣です!」
「えぇっ!?」

 思わず声を発してしまった。それも、妙に甲高いひきつったような、情けなくかっこ悪い声を。

「待って、リゴール。どういう話? 何か心境の変化があったの?」
「はい。そういうことです」

 リゴールは真剣な面持ちのまま、落ち着いた口調で言ってくる。ただ、緊張してはいるようで、まばたきが多い。また、唇の動きはぎこちない。

「実は……エアリがいない間に、屋敷にある本を読んでみていたのです。そうしたら、わたくしの胸にあるモヤモヤしたものの正体が判明しました」

 きちんと事情を説明してくれる辺りは、素直なリゴールらしいというか何というか。

「これは『恋心』というものだそうですね」
「こっ……恋心……!?」

 いやいや、いきなり過ぎるだろう。

「他の異性と仲良くしているのを見たらイライラしたり、モヤモヤしたり、悲しくなったり。そういう症状が発現するのは恋心を抱いているからだと、そう書いてありました」

 リゴールは流れるようにそんなことを話す。
 こんな時に限って、彼は、私の顔色をまったく気にしていない。

「それで、気づいたのです。わたくしはいつの間にか、エアリに、恋心なるものを抱いていたのだと」

 恥ずかしがるタイミングは、本来ここではないだろうか。自身の恋心を相手に示すのだから、普通、少しくらい恥じらうものではないだろうか。
 けれど、今のリゴールは冷静そのもの。つい先ほどまで顔を真っ赤にして狼狽え気味だったというのに、今は落ち着き払っている。少々ずれているな、と思わずにはいられない。

「善は急げと言います。ですから、早速プロポーズしてみようかと」
「いきなりプロポーズ!? それは違うでしょ!?」

 恋心を抱いてくれているというのは、嫌ではない。嫌悪されているより、好意的に接してもらえる方が、私も幸せだ。

 ただ、だからといって早速プロポーズはさすがに急過ぎ。
 リゴール相手だから引きはしないけれど、これがもしリゴール以外の相手の行動だったら間違いなく逃げ出していただろう。

「え……そうなのですか?」
「そうよ。だって、プロポーズって結婚の申し込みじゃない」
「そうですね。……それが何か問題なのですか?」

 リゴールはきょとんとしながらこちらを見つめてくる。

「問題よ! ……ごめんなさい。でも、いきなり結婚なんて、普通じゃないわ」

 最初反射的に大きな声を発してしまい、すぐに謝罪して、残りの文章は静かに述べた。
 するとリゴールは、ハッとしたような顔をする。そのまま数秒止まり、しばらくしてから口を開く。

「そうですね。結婚する前に、ブラックスターとの因縁を断ち切らねばなりませんね」

 ……そこ?

 ブラックスターとの因縁を断ち切るのは大切なことだけれど、どうも少しずれている気がしてならない。
 でも、僅かなずれを指摘するのも手間なので、そのまま話を進めておくことにした。

「えぇ! 私も協力するわ」

 恋とかプロポーズとか、そういうことは、まだよく分からない。でも、襲い来るブラックスターの者たちからリゴールを護ることはできる。私一人ですべてを片付けることはできなくても、少しの戦力になることはできるから。

「……ありがとうございます、エアリ」


 ◆


 ——その頃。

 グラネイトとウェスタを始末しようとするも失敗した、ラルク。リゴールを狙うも撤退させられた、肥満気味の男性。ブラックスター王と、その護衛の布巾を頭に巻いた青年。

 ナイトメシア城内の王の間には、四人が集まっていた。

「申し訳ありません。ドリが殺られました」

 静寂の中、一番に口を開いたのはラルク。

「ふぬぅ……あの女か」

 低い声で返すは、ブラックスター王。

「はい。目標の女を一人にし、そこで仕掛けたのですが、途中で男の方に乱入され、この結果です。申し訳ありません」

 ラルクは片膝を床につき、王の前で座り込んで頭を下げる。

「ぬぅ……それで、他はどのような状況か」

 次に発言するのは、肥満気味の男性。

「ヒゲの人、戻ってきませんでしたぁー。魔法対策もしていたみたいだったのでぇー、上手くいくかと思ったんですけどぅー」

 肥満気味の男性はカマーラのことを報告する。

 ——刹那。

 王は片足を床に当て、ドンと音を鳴らす。

「無能のヒゲめが」

 ブラックスター王は悪い報告ばかりを聞かされて機嫌が悪い。苛立ちは最高潮に達している。先ほど強く踏み込んだのも、多分、その影響だろう。

「王様、あのパルとかいう娘さんはどうなったのですかぁー?」
「……まだ戻ってきておらん。返り討ちに遭ったか、逃亡か、そこは知らぬが」

 そこまで言い、王は再び足の裏で床を叩く。バン!という刺々しい音が、静かな空気の王の間に響いた。

「まったく、無能にもほどがある!」

 王は突然鋭く叫んだ。

「お、王様、落ち着くべ!」

 頭に布巾を巻いた青年が、王を落ち着かせようと口を挟む。が、王の苛立ちはそのくらいでは止められない。

「黙れ、ダベベ! 落ち着いてなどいられん!!」
「おいら知ってるべ。怒ったら血圧上がるんだべ。おいらのばーちゃん、それで死んだべ。王様には死んでほしくないんだべ!」

 護衛役の青年——ダベベは、怒りに満ち興奮気味な王を何とか落ち着かせようと、懸命に言葉をかけている。

 ただ、効果は微塵もない。

「……ふぅ。まぁいい。皆、とにかく、任務を継続しろ!」

 ブラックスター王は告げる。
 肥満気味の男性とラルクは、一礼して「はい」と返事をした後、王の間から出ていく。

Re: あなたの剣になりたい ( No.170 )
日時: 2019/12/23 01:08
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xyOqXR/L)

episode.167 過去話

 王の間に残ったのは、ブラックスター王とその護衛役のダベベのみ。
 薄暗い静寂の中、ダベベは切り出す。

「ところで王様。どうしてそんなにもホワイトスターの王子を狙うべ?」

 ダベベは王の顔色を窺っている。そんな彼を、王は静かに睨む。

「……何だと?」
「へっ、変な意味じゃないべ! ただ、ちょっと気になっただけなんだべ!」
「そうか」

 ブラックスター王は地鳴りのような低い声で呟く。それから少し考え込むように目を細め、約十秒ほどの沈黙の後、再び唇を動かす。とてもゆっくりと。

「……すべての始まり、それは、我ら兄弟の関係だ」

 布巾を頭に巻いたダベベは、緊張してかそれまでより頻繁にまばたきをしながら、王の話に耳を傾けている。

「我には兄がいた。兄が第一王子として大切にされているのに対し、スペアとも言える第二王子の我は常にぞんざいな扱いを受けていた。受けられる教育はもちろん、毎日の食事の内容にさえ、兄とは大きな違いがあった」

 ダベベと二人きりになった王の間で、ブラックスター王は自身の過去について語り始める。

「ホワイトスターは外向きは温厚な国だった。平和で、満ち足りていて。ただ、城の中は、我にとっては地獄だった」
「うぅ……辛そうだべ……」

 王の心を覗き見てしまったからか、ダベベは悲しそうな顔をする。

「いつも兄と比べられ、無能と罵られ、悲惨な状態で大人となった。極めつけには、意中の女性を兄に狡猾に奪われ……ホワイトスターにいることが耐えられなくなった。そして我は、国から飛び出したのだ」

 己の過去についてゆっくりと語る王の瞳には、寂しげな色が濃く浮かんでいた。思い出したくない過去を思い出すことになり、彼は彼なりに苦しさを抱えているのかもしれない。

「女性を奪われた、って……それはさすがに酷いべ!」
「兄は卑怯だった」
「ホントだべ! いくら偉い人でも、ズルは駄目だべ!」

 ダベベは憤慨する。
 それは、純粋な心を持つがゆえの怒りかもしれない。

「そうしてホワイトスターを離れた我は、ブラックスターを築き上げた。そして、ブラックスターの王となったのだ」
「ふ、ふぅぉぉー! 凄いべ! 歴史を感じるべ!」

 それまでは怒りを露わにしていたダベベだが、今度は瞳を輝かせる。子どものように無邪気な、瞳の輝かせ方だ。

「ブラックスター王となった後、我はまず、裏切った女——ホワイトスター王妃を始末した。我を裏切り傷つけた、その罪は重い」

 王の声、それは、暗雲の立ち込めた灰色の空のように重苦しい。

「えぇっ! 殺しちゃったべ!?」
「……文句があるのか?」
「い、いや、いやいやいやっ。そんなつもりじゃないっべ」

 猛獣のような目つきで睨まれたダベベは、両手を胸の前で左右に振りながら一歩二歩と後退する。怯えた小動物のような顔をしている。

「それから、憎んでいた兄も殺めた」
「お兄さんも殺ったべ!?」

 ダベベは、驚きのあまり口を大きく開け、そこに手のひらを添える。

「卑怯な手を使い、我の想い人を奪った。ずっとそれが許せなかったのだ」
「ま、まぁ……分からないではないような気はするけどべ……」

 ダベベは曖昧な言い方をする。
 本当は王の思考が理解できていないが、「理解できない」とはっきり言うこともできず。だからこそ、どちらとも取れるような曖昧な言い方をしたのだろう。

「そうしてついにホワイトスター王族への復讐を果たした我は、ホワイトスターを滅ぼした」
「ひ、ひぇぇ……」
「だが、一人だけ生き残らせてしまった——それが、王子リゴールだ」

 そう述べる王の表情は、とてつもなく固かった。
 まるで、今から処刑台へ向かうところの人間のよう。

「王子は殺めなかったんだべか?」
「当然刺客は送り出した。だがやつは、任務に失敗したのみならず、ブラックスターを裏切り、王子の側についたのだ」

 そこまで言って、王は、またしても足で床を叩いた。ダン、という荒々しい音が鳴る。

「お、怒ってるべ?」
「舐めた真似を……許さぬ。裏切り者は、絶対に許さん!!」

 王は、込み上げる怒りを制御せず、全力で怒鳴る。
 そんな王の体を気遣うのは、ダベベ。

「お、落ち着くべ! 血圧上がったら体に悪いんだべ!」
「黙れッ!!」
「う、うぅう……で、でも、危険だべ。おいら、そんなことで王様が命を落としたら、二ヶ月くらい号泣するべ……」

 荒々しく怒鳴られても、ダベベは王の体を心配することを止めなかった。
 そう、彼は、怒りによる血圧上昇によって知り合いを失うことを何より恐れていたのだ。それが原因で祖母を失ったという記憶があるからこそ、血圧上昇に恐怖を抱いている。

「……号泣するのは、二ヶ月だけか?」
「まっ、まさか! 王様がお望みなら、三ヶ月は泣くべよ!?畑を耕しながらでも、水を汲みながらでも、号泣はできるべ!」

 懸命に述べるダベベを目にし、王は呆れたように漏らす。

「ふぬぅ……愉快なやつだ」


 ◆


 ブラックスター王とダベベが王の間で過去話をしていた頃、ラルクとふくよかな男性も言葉を交わしていた。

「少し良いですかぁー?」
「何だろうか」
「ええと……確か、ラルクさんでしたっけぇー?」
「あぁ、そうだ。そちらの名は? 話すのならば、まず、それを聞かせてもらいたい」

 ピンクの帽子を被ったふくよかな男性が軽やかなノリで話すのとは対照的に、ラルクは真顔だ。

「シャッフェンですぅー!」

 ふくよかな男性——シャッフェンは、ペロリと舌を出しながら名乗った。

「そうか。で、用は」
「は、早いですぅー!」
「早くしてくれ」

 ラルクは急かす。

「すみませんー! ……では、気を取り直してぇ。ラルクさんは弓使いでしたよねぇー?」

 ふくよかなシャッフェンは、片手でピースしながら尋ねた。

「詳しいな」
「ブラックスターイケメン大事典に載ってましたよぅー」
「何だと!?」

 予想外の情報に、うっかり大きな声を出してしまうラルク。
 彼は冷静さを失っていた。

「掲載許可を出した覚えはない!」
「でも載ってましたぁー」

 三歩前へ進み、振り返る。そんな妙な動きをしながら、シャッフェンはラルクと話している。

「顔写真もか!?」
「そうですぅー」
「肖像権の侵害だ! 抗議する!」

 叫ぶラルクを宥めるようにシャッフェンは言う。

「ですねぇー。でもそれは、任務達成後にしましょぅー?」
「……それもそうか」
「そこで提案なんですけどぅ」
「提案? それは、どういう話だろうか」

 怪訝な顔をするラルクに、シャッフェンは問う。

「二人で協力して、確実に任務達成しませんかぁー?」

Re: あなたの剣になりたい ( No.171 )
日時: 2019/12/23 11:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFLyzH3q)

episode.168 安らぎは続かない

「……はっ」

 夜、音のない小屋の中、ウェスタは目を覚ます。
 ベッドの上で上半身を起こし、額を伝う一筋の汗を片手で拭う。そして、闇の中、一人溜め息をつく。

「……また……夜」

 ドリとラルクに襲撃されて以来、ウェスタは眠りづらい状態に陥っていた。

 夜が来て、明かりが消えても、なかなか眠れず。ようやく眠ることができても、今度はすぐに目覚めてしまって。十分な睡眠をとることがなかなかできない。

 ドリとの戦闘の際に負った傷は、グラネイトの熱心な手当てのかいあって、既に八割ほど回復している。傷が消えるところまで治癒してはいないが、動いても痛みはしない状態だ。

 身体的には問題はない。
 明日にでも戦いに復帰できそうな感じである。

 だが、精神の方がなかなか晴れない。

 暗闇にいると、ドリに襲われた時のことを思い出し、心が安定しなくなってしまう。緊張感の波が迫り、妙に目が覚め、なかなか眠れない。

 ベッドに座ってウェスタがぼんやりしていると、床に布を敷いて寝ていたグラネイトが寝惚けた声を発する。

「んー……んん……?」
「……起きなくていい」

 ウェスタはグラネイトを起こすまいと、冷たく返す。しかしグラネイトはそのまま起き上がってくる。

「あぁ……ウェスタ? また夜に起きたのか?」

 グラネイトは目もとを擦りながら、まだ意識が戻りきっていないような声で言った。

「グラネイトまで起きなくていい」
「いや、ウェスタが困っているなら……グラネイト様も起きるぞ……」
「いいから寝ろ」
「相変わらず心ないな……」

 少しばかり不満げに言いながら、ゆっくりと立ち上がる。そして、ウェスタが寝ているベッドに腰掛ける。

「大丈夫か?」
「平気。すぐまた寝る」
「嘘だな! 分かる、それは嘘だ!」
「……うるさい、黙って」

 距離を縮めてくるグラネイトに不快そうな視線を向け、ウェスタは再び体を横にした。
 眠れない状態にもかかわらず眠るような体勢を取るウェスタに、グラネイトは言い放つ。

「ふはは! 無理に寝ようしなくていいぞ!」
「……静かにして」
「静かにしていたら眠れそうなのか!?」
「……無理」

 ウェスタが呟くように答えた瞬間、グラネイトは大声を出す。

「ふはは! やはりな! グラネイト様、大正解ィ!!」

 誰もが大喜びするほど凄い正解ではない。ただ、グラネイトにとっては、大声を出して喜ぶほどの正解だったということなのだろう。

「案ずるな、グラネイト様がとんとんしてやる」
「……触りたいだけ」
「んなっ!? さすがに失礼にもほどがあるぞ!?」

 ショックを受けたような顔をしているグラネイトだが、その手は既にウェスタをとんとんし始めている。
 だがウェスタは、そのことに苦情を述べはしなかった。

「嫌じゃないのか? ウェスタ。とんとんさせてくれるのか?」
「……嫌と言っても無駄と判断した」
「何だそれ!?」
「もう好きにすればいい」
「ふはは! それはまた別の意味で悲しい!」

 夜中に起こされ、気を遣えば冷たく接され、踏んだり蹴ったりなグラネイトだが、不幸そうな顔をしてはいなかった。それどころか、むしろ幸せそうな顔をしている。


 そして、朝。
 ウェスタが目を覚ました時には、グラネイトはもう起きていた。

「ふはは! おはようウェスタ!」

 ウェスタの起床を心待ちにしていたらしく、グラネイトは即座に挨拶をする。

「……馴れ馴れしくするな」
「何を言う! 挨拶くらい自由にさせてくれ!」
「……まぁそうか。なら好きにすればいい」

 挨拶に関しては、先に折れたのはウェスタだった。
 彼女はベッドから離れ、流しへ向かう。そして水で顔を洗い、グラネイトがいるテーブルのところまで戻ってきた。彼女はそのまま椅子に座る。

「朝は食べるか?」
「要らない」
「承知した! ふはは!」

 楽しげな声を発しながら、グラネイトはウェスタの背後へ回る。そして、大きな両手でウェスタの両肩を掴む。

「……何をしている」

 ウェスタは冷ややかに放つ。
 だがグラネイトは怯まない。

「肩のマッサージだぞ!」
「離して」
「それは無理だ! なぜなら、手が滑ってついつい肩を触ってしまうから!」

 グラネイトは朝からハイテンション。ウェスタはちっとも乗ってこないというのに、一人、物凄く楽しそうな顔をしている。

 一方、ウェスタは、起床した時には明るい顔つきではなかったが、今は少し笑っている。ただ、それは、楽しいからとか嬉しいからとかの笑みではない。呆れ笑いだ。

「……馬鹿らしい」
「それは、ウェスタ馬鹿の間違いだろう!?」
「え」
「ウェスタを好きすぎる馬鹿。それならグラネイト様も納得だ! ふはは!」

 グラネイトは楽しそうにウェスタの肩を揉んでいる。

「肩揉みが終わったら、傷の消毒するからな!」
「……順番が変」
「そこを突っ込むんじゃない」

 二人の間に何とも言えない空気が漂っていたその時、突如、扉をノックする音が空気を揺らした。
 ウェスタは反射的に身を震わせる。その顔面には、怯えの色が微かに滲んでいた。その顔色から彼女の心情を察したのか、グラネイトは静かに「見てくる」と言って、玄関の扉の方へと歩いていく。


 グラネイトが玄関の扉を開けると、そこには、一人の男性が立っていた。
 キノコの笠のような形をしたピンクの帽子を被っており、体のラインは丸みを帯びていて、やや肥満気味——そんな男性だ。
 彼がブラックスターのシャッフェンであるということを、グラネイトは知らない。

「朝から何の用だ?」
「いきなりお邪魔してすみませぇーん」

 グラネイトは眉間にしわを寄せる。

「用を言ってくれ」
「少し失礼して構いませんかぁー?」
「断る。事情の説明無しで入れるわけにはいかない」

 するとシャッフェンは、唇を突き出し尖らせ、二つの拳を口もとに添えるポーズをとる。さらにそこから、下半身を左右に往復させる。

「何なんだ……?」

 さすがのグラネイトも動揺を隠せない。

「厳しすぎますよぅー。悪いことはしないので、入れて下さぁいー」
「いや、だから、事情を説明しろと——ぶっ!?」

 グラネイトが言い終わるより早く、シャッフェンは動いた。

 そう、グラネイトに飛びかかったのである。

 シャッフェンの動きを予測していなかったグラネイトは、ふくよかな体に飛びかかられバランスを崩した。結果、そのまま尻餅をつく形になってしまう。

 直後。
 その首に、銀の刃が触れる。

「なっ!?」

 いきなり刃を向けられ、グラネイトは顔全体の筋肉を引きつらせる。

「すみませんが、死んでもらいますぅー」
「何をする!」

 シャッフェンの腕を掴もうと片腕を伸ばす——が、逆に、伸ばした腕を刃に傷つけられてしまう。

「ぐっ……!」

 顔をしかめるグラネイト。
 ニヤニヤ笑みを浮かべるシャッフェン。

「抵抗したら次は首を斬りますよぅー?」
「ブラックスターからの刺客だな!?」

 今になって察したグラネイトは叫ぶ。が、シャッフェンはそれを無視し、刃物を持っていない方の手で紙のようなものを取り出す。

「大人しくして下さいねぇー」

 シャッフェンは、取り出した紙のようなものをグラネイトの胸元に押し付ける。

「ぐっ!? 何だ、今の紙は!?」
「術を使えなくする効果のある紙ですぅー。さぁ、大人しく死んで下さいー」

Re: あなたの剣になりたい ( No.172 )
日時: 2019/12/23 11:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFLyzH3q)

episode.169 生きていれば

 ノックに応じたグラネイトは、ふくよかなシャッフェンに床に押し倒され、動けなくなってしまった。

 それも、ただ押し倒されているだけではない。
 術を使えなくする紙の効果で爆発の術は封じられ、さらに刃物を突きつけられているのだ。

「狙いはグラネイト様か!?」
「そうですねぇー。それも一つといえるでしょうー」
「……殺す気なのだな?」
「そりゃあ、裏切り者は始末しますよぅー」

 刃物を出し、押さえつけ、と、シャッフェンは既に本性を露わにしている。にもかかわらず、表情も声色も穏やかそのもの。

「ここからは本気ですぅー」

 シャッフェンは、刃物を持っているのとは違う方の手の指で、ぱちんと音を鳴らした。

 途端に、彼の後ろから謎の生物が現れる。

 二足歩行の蜥蜴とかげのような生物で、身長は一八○センチ程度。全身が赤紫の鱗に覆われていて、尾は長く、手にはそのサイズに似合わない大きなかぎ爪が生えている。僅かに開いた口からは、鮫の歯のような歯がびっしり並んでいるのが見える。

「ふ、ふはは……! 恐竜か何かか……!?」

 化け物のような大きく厳つい生物が突如出現したのを目にした時は、さすがのグラネイトも動揺を隠せていなかった。

「手下ですぅー! 中を調べさせますよぅー!」

 シャッフェンの指示で、蜥蜴のような生物は小屋の中へ入っていく。
 その頃になって、グラネイトはハッと思い出す——奥にウェスタがいることを。

「まずいっ!」

 グラネイトは咄嗟に片足を振り上げ、シャッフェンが驚いた隙に彼の下から抜け出す。そして、青い顔になりながら、小屋の奥に向かって駆ける。

「無事か!?」

 彼が駆けつけた時、ウェスタは既に、蜥蜴のような生物と向き合っていた。

「……グラネイト!」

 固い表情で蜥蜴のような生物と対峙していたウェスタは、グラネイトが戻ってきたことにすぐに気づく。

「安心しろウェスタ! すぐに助ける!」

 そう叫び、グラネイトは蜥蜴風生物に向かって躊躇なく突進していく。
 蜥蜴風生物の意識が彼へ向く。

「グラネイト様、突進ッ!!」

 気を引こうとしてか、グラネイトは敢えて大声を出す。蜥蜴風生物は、彼の方に体を向け、待ち構える。

 グラネイトが放つ一撃目。
 長い足による蹴りを、蜥蜴風生物は短めの腕で防ぐ。

 直後、防御したその腕を上手く回転させて、グラネイトの足首を掴む。

「なにっ……ぐあっ!」

 足首を掴まれたグラネイトは、そのまま、床に叩きつけられた。
 さらに追い討ちをかけるように、蜥蜴風生物は爪による切り裂き攻撃を繰り出す。

 グラネイトは両腕を前に出し、重傷を負うことを防ぐ。

 もちろん腕に傷を負うことにはなるわけだが、彼は、そこは気にしていない様子。胴体に攻撃を受けるより良い、と考えての行動なのだろう。

「ウェスタ! 今のうちに逃げろ!」

 爪に袖と腕を裂かれつつも、グラネイトは叫んだ。

 それに対しウェスタは、少し呆れたように「……馬鹿」と呟き、同時に手のひらから帯状の炎を放つ。
 ウェスタが放った炎は、蜥蜴風生物の鱗に護られた背中に命中し、一部分を軽く焦がす。

「……こっちへ!」
「な、なにっ!?」
「早くしろ……!」
「ふ、ふはは! 承知した!」

 グラネイトは素早く立ち上がり、ウェスタがいる方へと駆ける。

「大丈夫か!?」
「怪我しているのは、そっち」
「あ、あぁ……まぁ、それはそうだが……」

 ウェスタとの合流に成功した瞬間、グラネイトの顔に安堵の色が滲む。腕からは一筋の血が流れ出ているが、どことなく幸せそうな顔をしている。

「すまん、ウェスタ。こんなことになってしまって申し訳ない」
「……謝る必要はない。それより、作戦を」
「そうだな。ふはは! ウェスタの言う通りだ!」

 ウェスタの顔つきもいつの間にやら少し柔らかくなっている。合流できた安心感による変化かもしれない。

「そうだ、一つ言っておかねばならない」
「……何」
「グラネイト様は術が使えない状態だ」

 その言葉を聞いた瞬間、ウェスタは驚きに満ちた顔をする。

「なぜ?」
「さっき玄関で男に妙な紙を押し当てられてな、その紙のせいで術が封じられている」
「そう。……分かった」

 ウェスタは、可愛らしさなど欠片もないあっさりした調子で返し、グラネイトの片腕を掴む。

「なら、ここは一旦退く」

 彼女は冷静さを欠いてはいなかった。
 だからこそ、戦闘ではなく、その場からの退避を選んだ。


 グラネイトとウェスタは、森の木の陰へ移動した。

 これはウェスタの術による移動だ。
 場所移動の術はグラネイトも使える。が、今の彼は使えない。どんな術も使えない状態になってしまっているから。

「移動した!?」
「黙って」
「あ、あぁ……すまん。そうだな」

 周囲に人の気配はない。

「で、ウェスタ。これからどうするんだ?」
「……正面からぶつかるのは危ない」
「だな! 厄介な相手だ」

 日頃はわりと楽観的なグラネイトも、さすがに、シャッフェン及びその手下が危険な敵であることは理解していた。

「こんなことをしたくはない……でも、やむを得ない」
「何をするつもりだ?」
「兄さんたちの屋敷へ行く」
「何だとぉッ!?」

 ウェスタの発言に、グラネイトは愕然とする。
 目も豪快に見開いていた。

「協力を求める。それしかない」
「だ、だが、そんな作戦が上手くいくとは思えないぞ……?」

 グラネイトは、相手が大事なウェスタだからか、強く否定することはしない。ただ、その声色や表情からは、ウェスタが述べる作戦への不安感が滲み出ている。

「なら二人で戦う? ……無謀。勝てる可能性は低い」

 ——その時。

 グラネイトは急にハッとした顔をする。

「もしや……怖いのか!?」

 そして、傷だらけの腕でウェスタを抱き締めた。

「そうだな、ウェスタ。それがいい。匿ってもらえ。そして、もう戦うな」
「……グラネイト?」
「グラネイト様もな、もうこれ以上ウェスタに怖い思いをさせたくないぞ」

 触れられただけでも乱暴な返しをしていたウェスタだから、抱き締められたりなどした日には凄まじい仕返しをしそうなもの。

 しかし、今、ウェスタはじっとしている。

 蹴りを入れるでもなく。
 拳を突き刺すでもなく。
 ただ、おもてに戸惑いの色を浮かべているだけ。

「……何を言っている?」
「片付けはグラネイト様がやっておく。だからウェスタは、大好きな兄の傍で心身を癒やしてくるといい」

 優しい言葉をかけられ続けるウェスタには、もはや戸惑いしかない。

「ただし、グラネイト様にも、また元気な姿を見せ——」

 言いかけて、グラネイトは崩れ落ちる。
 ウェスタは咄嗟に彼の体を支えた。だから、彼の体は転倒せずに済んだ。だが、彼の体が持ち直すことはない。

「グラネイト? どうした?」
「……すま……ん」
「しっかり」

 グラネイトは辛うじて意識を保っているが、体は脱力しきっていて。そのせいで、ウェスタに覆い被さるような体勢になってしまっている。

「……これ、は……多分……毒だろう、な……」
「……毒?」

 急に弱ったグラネイトを、ウェスタは不安そうに凝視している。

「……斬られた、ところから……回ったか……?」
「グラネイト、しっかり」
「……すまん……ウェスタ……」
「謝る必要などない」

 ウェスタは両手を使ってグラネイトの大きな体をしっかり支える。

「……生きていれば、それでいい」

Re: あなたの剣になりたい ( No.173 )
日時: 2019/12/23 11:46
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFLyzH3q)

episode.170 顔を合わせて驚いた

 それは、朝のことだった。
 エトーリアの屋敷に訪問者がやって来たのだ。
 ここのところ訪ねてきた者が実は敵という流れが多かったため、警戒してはいたのだが、玄関で顔を合わせて驚いた。

「ウェスタさん!?」

 玄関と扉を開けた時、その向こう側に立っていたのは、ウェスタ。しかも、彼女一人ではない。彼女は、グラネイトの脱力した体を抱えていた。

「……いきなりすまない」

 彼女の赤い瞳には、微かに、不安の色が滲んでいる。

「ウェスタさん、一体どうしたの?」
「襲撃を受けた。できれば……この馬鹿を匿ってやってほしい」

 正直、彼女がそんなことを言うとは思っておらず驚いた。

「グラネイトさんを?」
「毒を受け、動けなくなっている」
「そうなの!?」
「……馬鹿だ、この男は」

 狙われている人間をこれ以上屋敷へ入れるなんて、危険かもしれない。リゴールがいるだけでもこれだけ次々敵が来るのだから、今以上狙われている人間を増やすべきではないのだろう。そんなことをしたら、バッサを始めとする一般人たちにも被害が出かねない。

 ……でも。

 らしくなく不安げな顔をしているウェスタを目にしたら、「帰れ」なんて心ないことを言う気にはどうしてもなれなくて。

「分かったわ。取り敢えず入って」

 だから私はそう言った。

「……失礼する」
「いいのいいの。気にしないで。どうぞ」


 二人を招き入れた私は、早速バッサに事情を話す。

 バッサは呆れていた。また人を受け入れるのか、と。
 でも、怒ることはせず、医者を呼んでくれることになった。

「ウェスタさん。今、お医者さんを呼んでもらってるわ。だから、グラネイトさんは大丈夫よ」

 床に寝かせたグラネイトの横に座り込み、彼を深刻な面持ちで見つめているウェスタに、私は声をかけてみた。
 すると彼女は、僅かに顔を上げ、少しだけ笑みを浮かべる。

「……すまない。助かる」

 それにしても、ウェスタは相変わらず美しい容姿をしている。

 銀の髪は三つ編みにしても長く、しかしながらまったくぱさついていない。むしろしっとりしている。髪と同じ色の睫毛はよく目立ち、本物の睫毛とは思えぬくらいの華やかさ。

 人を越えた人、というような容姿だ。

 また、まとっている冷たい雰囲気も、人らしからぬ空気を高めている。

「でも、ウェスタさんたちにも襲撃だなんて、驚いたわ」
「少し前より狙われている」
「辛そうな顔をしているわね。大丈夫?」
「……問題ない」

 彼女の口から出る言葉は、静かながらも強さを秘めたような言葉だ。だが、それが本当の言葉であるとは、とても思えない。襲撃され、仲間がやられたのだから、「問題ない」なわけがないのだ。強がっているだけだろう。

「ウェスタさん……あのね、こんなことを言うのは少しおかしいかもしれないけれど、辛い時は他人ひとを頼っていいのよ」

 そんなつもりはなかったのだが、やや上から目線な物言いになってしまった。
 けれど、ウェスタは怒らなかった。

「……必要以上に頼る気はない。馬鹿を置いたら、出ていく」
「一人で出ていくの? 危険じゃないの?」
「迷惑はかけられない」
「ウェスタさん……全部一人で解決しようとしなくていいのよ」

 私は彼女の赤い瞳を見つめながら、口を動かす。

「前はお世話になったから、今度はこちらが手を貸す番だわ」

 するとウェスタは目を伏せた。
 それから少し考え込むような仕草を見せ、やがて言う。

「……なら、この馬鹿を助けてやってほしい」

 彼女の述べる言葉は真剣さに満ちている。

「こいつは……根っからの悪人ではない」
「そうね! 分かったわ!」

 グラネイトがどのような状態なのかが分からない以上、すぐに回復するのか時間がかかるのか、その辺りは不明だ。
 でも、力を貸すことはできる。
 少なくとも、ここならば横になっていられる。それだけでも、外にいるよりかはましだろう。

「……本当に手を貸してくれるのか」
「えぇ。もちろんよ」
「すまない……本当に」

 ウェスタは軽く俯いたまま、続ける。

「……お前には本当に申し訳ないことをした」
「え?」
「家を奪い、親しい者を傷つけた……その罪の重さは、ある程度理解しているつもり……だが、もはや償いようがない」

 そんな風に述べる彼女の表情は暗かった。
 ここで別れたら闇にまぎれて消えてしまいそうな、そんな気さえする。

「そんな顔しないで、ウェスタさん」
「……何」
「あの時の貴女はブラックスターに仕えていたんだもの、仕方ないわ」

 私はそう思うのだが、彼女はそれでは納得できないようで。

「それは言い訳にはならない」

 彼女は恐ろしいほどに淡々としていた。
 ただ、とても悲しそうだ。

「罪は罪。それに変わりはない」
「そんなことないわ。いや、そうなのかもしれないけど……でも私は貴女を責めようとは思わないの」
「……それは嘘。そのくらい分かる」
「そんなことない! 嘘なんかじゃないわ!」

 屋敷を焼かれたことも、村から逃げざるを得なかったことも、父親の命が失われたことも、どれも消えることのない事実。

 でも、ウェスタはもう心を入れ替えている。
 あの頃の彼女と今の彼女は同じではない。

 だから、罪の意識に苦しみ続けることはない——私はそう思っている。

「私、もう気にしてないわ! だから、ウェスタさんも、そんなに自分を責めなくていいの!」

 心をそのまま述べる。
 それを聞いたウェスタは、戸惑っているようだった。

「……そうは思えない」
「貴女は思えなくても、私には思えるの」
「……そこまでして優しく見せたいのか?」
「ち、違うわよ! ちょっと失礼ね!」

 するとウェスタは、ふふ、と笑った。

「……ありがとう。感謝する」

 彼女の頬が緩むのを見た瞬間、私はなぜか妙にドキッとした。
 もちろん、良い意味で。

「だが、礼をしないわけにはいかない。力になれることがあれば……今後も言ってほしい」

 その頃になって、医者が現れた。
 バッサもいる。この場所までの案内役として。

「お待たせして悪いねぇ」

 六十代くらいの医者は柔らかな口調で謝りつつ、グラネイトの傍にしゃがみ込む。

「怪我人とは、彼のことかな?」
「はい。毒が入っているかもしれないとのことで」

 医者の問いには、私が答えておく。

「毒。これまた強烈なのが来たねぇ」
「よろしくお願いします」
「もちろんもちろん。任せなさい」

 医者との軽いやり取りを終えたタイミングで、バッサは、この場から移動することを提案してきた。医者がグラネイトを診てくれている間お茶を飲んで休憩してはどうか、という提案だった。

 気分を変えることは大切だ。

 特に、ウェスタは。

 だから私はバッサの提案に頷いた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.174 )
日時: 2019/12/27 03:34
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xJyEGrK2)

episode.171 感動できそうでできない再会

 ウェスタと共に、一旦、食堂へと移動。
 向かい合わせに座るや否や、ウェスタは言ってくる。

「……立派な建物だ」

 ウェスタは感心しているようだ。首から上を動かし、周囲を見回している。

「母の家なの」
「……そう」
「ウェスタさんとここで話す日が来るとは思わなかったわ」
「だね。こちらも……こんな日が来ることは想像していなかった」

 そんな風に少しばかり言葉を交わしている途中で、お盆を持ったバッサが歩いてきていることに気づく。

「お茶が入りましたよ、エアリお嬢様」

 そう言って、バッサは、カップ二つと丸いポットを乗せたお盆をテーブルに置く。それから丸いポットを持ち上げ、注ぎ口が下になるよう傾ける。注ぎ口から流れ出るのは茶色の液体。さらさらと流れ出るそれが、あれよあれよという間にカップを満たしてゆく。

「お待たせしました」

 バッサは慣れた手つきで液体をカップへ注ぎ入れ、完了すると、カップの位置をずらす。私とウェスタ、それぞれの前にカップがくるように、丁寧に動かしてくれた。

「どうぞ」
「これは……?」
「お茶ですよ」
「……すまない。感謝する」

 ウェスタが軽く会釈すると、バッサは「いえいえ」と言いながら微笑む。
 そして、バッサは去っていた。
 彼女の冷静さは、私にとってはとてもありがたいものだ。突然の訪問者にも慌てふためくことなく適切な動きを取ってくれるから、本当に頼りになる。

「……善い人だ」

 目の前のカップをじっと見つめながら、ウェスタはそんなことを呟く。

「優秀な手下を持っている……さすがと言わざるを得ない」
「何それ。ウェスタさんって、少し変わってるわね」
「そんなことはない。……では早速、いただく」

 ウェスタはカップに手を伸ばす。そして、一切の躊躇なく、カップを持ち上げた。それから、カップの端に唇をそっと当てる。

 飲み始めたみたいだ。
 警戒されるかもと不安もあったが、杞憂だったようだ。


 ウェスタと二人きりのティータイムは、とにかく静かだった。相手がエトーリアやリゴールならば少しは話せただろうが、ウェスタ相手だとどうしても言葉選びに迷ってしまうのだ。そのせいで、会話が途切れてしまいがちなのである。


 三十分ほどが経過して。
 ちょうどお茶を飲み終えた頃に、バッサがやって来た。

「あ、回収に来てくれたの?」
「それもありますが、本題はそちらではありません」

 ……違ったのか。

「先ほど男性の治療が終了したようでしたので、お知らせに参りました」

 グラネイトの治療が終わったということを知らせに来てくれただけだったようだ。
 ただ、素早く知らせに来てくれるというのは非常にありがたいことである。

「ありがとう、バッサ!」
「いえいえ」

 話が一段落したところで、ウェスタに視線を向ける。

「会いに行く?」
「……そうさせてもらう」

 私が放った問いに対し、ウェスタははっきりと答えた。しかも、ただ答えただけではない。答えた時には既に腰を上げていた。


 バッサからの知らせを受け、私とウェスタは、横たわるグラネイトと医者がいる部屋へ急行する。
 到着した時、グラネイトはまだ意識を失っているようで、床に横になってじっとしていた。

「あぁ、また来てくれたんだね。悪いねぇ、わざわざ」

 私とウェスタの登場に気づいた医者は穏やかな面持ちで口を動かす。

「傷口の洗浄をしておいたよ。それと、念のため、毒消しを塗っておいた」
「……感謝する」

 何か言わねばと考えているうちに、ウェスタが礼を述べた。
 そんな彼女に向けて、医者は緑色の小瓶を差し出す。

「はい」
「……これは?」

 ウェスタは怪訝な顔をしながら小瓶を受け取る。

「飲むタイプの毒消し薬だよ。意識が戻ったら飲ませておいてくれるかな」
「毒消し薬……そんなものが」
「あ、でも、あまり美味しくないからね。飲みづらかったら湯か何かで薄めて飲むと良いよ」

 医者は穏やかな表情で説明する。ウェスタは真剣に聞いていた。

「そうか。分かった」
「取り敢えず、一日二日くらいは一日三回でね」

 優しく述べる医者。
 ウェスタは頷く。

「承知した」

 そこで、医者は話題を変える。

「さて! では会計といこうかな!」

 ……そうだ。

 失念してしまっていたが、医者を呼んで診てもらったということは金を支払わなくてはならないということ。

 逃げてきたようだったから、ウェスタも所持金はないだろうし、どうすれば良いのだろう?

「えぇと、だね……」

 まずいぞ、このままでは。
 そう思い密かに焦っていた、その時。

「失礼します」

 背後から声がした。
 振り返ると、そこにはデスタンの姿が。

「兄さん……!」
「久々だな、ウェスタ」

 ウェスタは彼女にしては派手に驚いた顔をしている。
 だが、デスタンは少しも驚いていない。
 彼は歩く速度を落とさぬまま、医者の前まで直行。そして、医者のすぐ傍に座り込む。

「遅れてすみません。支払いは私がします」
「あぁ! そうだったのだね! では、えぇと……」


 グラネイトの件の支払いは、結局、デスタンが済ませてくれた。

「兄さん……」
「今回は払っておいてやる」
「……すまない」

 運命に引き離された兄と妹の、感動の再会。
 だが、デスタンのテンションが低いせいでさほど感動的でなくなってしまっている。

「事情は聞いた。だから今回は気にするな」
「……ありがとう兄さん」
「だが、代わりに頼みがある」
「……頼み?」

 首を傾げるウェスタに、デスタンはさらりと言い放つ。

「王子をお護りするために、手を貸せ」

 ウェスタは顔全体に戸惑いの色を浮かべながら、「どういうこと?」と発言の意図を尋ねる。

「今まともに戦えるのは、エアリ・フィールドと王子自身だけ。ブラックスターの輩を退け続けなくてはならないことを考えると、明らかに戦力不足」

 デスタンがそこまで言った時、ウェスタは突然晴れやかな顔つきになる。

「つまり、本格的に戦力になれということか……!」

 ウェスタはなぜか嬉しそう。

「できるか? ウェスタ」
「もちろん。……兄さんのためなら何でもできる!」

 やけに嬉しそうなウェスタを見ていたら、不思議な気分になってきた。冷血な印象だった彼女が、生き生きした顔をしているからだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.175 )
日時: 2019/12/27 03:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xJyEGrK2)

episode.172 口移し

 その日の夕方頃、グラネイトは目を覚ました。
 バッサから知らせを受け、ウェスタは彼のもとへと急行。私はそれに同行した。
 もちろん、でしゃばって同行したわけではない。ウェスタが「一緒に来てもらえると助かる」と言ってきたから、共に行くことにしたのだ。

「ウェスタ!」

 目的地に到着するや否や、床に横たわっていたグラネイトは体を起こす。

「グラネイト、調子はどうだ」

 ウェスタはやや早足気味で彼の傍まで行き、しゃがみ込む。

「……大丈夫なのか、グラネイト」

 グラネイトが絡んでくる時、彼女はいつも面倒臭そうな顔をする。そして、恐ろしいほど心ない接し方をする。それを見ていたら、ウェスタはグラネイトを嫌っているようにも思えるのだが、案外そうではないのかもしれない。

 ウェスタはグラネイトにベタベタされるのは嫌い。
 でも、グラネイト自体が嫌いなわけではない。

 ——そういう可能性だって、大いにある。

「ふはは! 何だか元気になっているぞ!」

 本当に元気そうだ。先ほどまで意識を失っていたとはとても思えない。

「それは良かった」
「ふはははは! ……って、なにッ!? まさかウェスタ、グラネイト様のことを心配してくれて……!?」

 グラネイトは口をぽっかり開けながらウェスタを見つめている。

「いきなり倒れる方が悪い」
「す、すまん! アレは完全に、こっちが悪かった!」
「……運ぶのが重たかった」
「すまん! だが、背が高いのはどうしようもない!」
「……分かっている。責める気はない……気にするな」

 そんな風に暫し言葉を交わした後、グラネイトは初めて視線を動かした。ウェスタから私の方へと、彼の視線は移る。

「エアリ・フィールド!?」

 言って、グラネイトは大袈裟に驚いたような動作をした。

 そんなに大きな衝撃を受けるようなタイミングではないと思うのだが……。

「なぜに!?」
「ここは私の母の家です」
「何だとォッ!?」

 驚きのあまり口を閉じられない、というような顔だ。

「ウェスタがここまで運んだのか!?」
「そう」
「ば、馬鹿な……。本気でエアリ・フィールドのところまで行くとは……」

 私の存在に気づいてから大きな衝撃を受けてばかりのグラネイトに、ウェスタは冷ややかな視線を向ける。そして、述べる。

「……ここに連れてきてはいけなかったの」

 どこか不満げな口調。
 せっかくの気遣いを否定されたような気がしてしまったのかもしれない。

「い、いや! そうではないぞ!」
「……それは嘘」
「違う! ウェスタの行動を否定する気はない!」

 グラネイトは慌てて言うけれど、ウェスタは不機嫌な顔のまま。
 ある意味では、不機嫌な顔をできているだけ幸せと言えるかもしれないけれど。

 それから十秒ほど沈黙があり、その後、ウェスタは小瓶を取り出す。そう、医者から貰っていた小瓶だ。

「……まぁいい。薬がある。飲め」
「薬!?」
「医者によれば、毒に効く薬だとか」

 ウェスタは緑色の小瓶の蓋を開けると、その蓋に瓶内の液体を注ぎ入れる。そして、液体に満たされた蓋を、グラネイトへ手渡す。

「飲め」

 すると、グラネイトは急に真面目な顔になって発する。

「ウェスタ。口移しで飲ませてくれ」

 刹那、ウェスタの眉間のしわが倍増した。
 手もぷるぷると震えている。

「いいから飲め……!」

 震えているのは手だけではない。声もだ。

「口移しで飲ませてはくれないのか?」

 グラネイトはさらに言う。

 その直後、ウェスタは彼の蓋を持っている方の腕を強く掴んだ。

 さらに、掴んだ腕を、無理矢理彼の口もとへと近づけていく。腕を怪我しているグラネイトは「痛!これは痛いぞ!」と嘆いても、お構いなしだ。

 力ずくで飲ませられかけたグラネイトは、ついに降参する。

「す、すまん! 飲む! 飲むから!」
「……余計なことは二度と言うな」
「分かった分かった! もちろんそうする! だから離してくれッ!!」

 グラネイトがそこまで言って、ウェスタはようやく手を離した。
 体と体の距離の近さ。接し方の遠慮のなさ。それらを見ていたら、二人の間にどのような絆があるかはすぐに分かる。

「……飲むのは一日三回と言われている」
「そんなになのか!?」
「最初のうちは、そうらしい」
「このグラネイト様、薬は苦手だが……仕方がない。我慢するぞ! 我慢我慢!」


 こうして、エトーリアの屋敷で暮らす人の数がまた増えた。

 ただ、動けるウェスタが街でこっそり食べ物を買ってきたりしてくれるので、こちら側の負担は小さい。

 初めてウェスタに会った時、デスタンの一番近くにありたいミセは、凄く警戒しているようだった。でも、ウェスタがデスタンの実妹なのだと知ってからは、ミセも警戒心を剥き出しにはしなくなって。ウェスタとミセは、ほんの少しの時間だけで、多少話したりできる関係になっていた。

 一方グラネイトはというと、じっとしているのが若干辛いのか、いつもそわそわしていた。ただ、ウェスタが会いに来た時だけは、とても楽しそうにしていたけれど。


 二人が屋敷に住み始めて五日ほどが経過した、ある日。

 廊下を一人で歩いていると、突然、どこかからガラスが割れるような音が聞こえてきて。
 剣を持ったまま、音がした方に向かって駆ける。

 そこへ行くと、偶然か必然か、リゴールも様子を見に来ていた。

 彼は手に本を持っており、険しい顔つきをしている。

「リゴール! 何かあったの!?」
「エアリですか……!」

 目を凝らすと、彼の向こう側に謎の生物がいるのが見えた。
 両腕が翼の形状になっているタイプが、三体ほど。

「先ほど、生物が侵入してきたようで!」
「いきなり!?」

 よく考えてみればありそうなことではあるのだが、窓から突撃してくる可能性は考えていなかったため、少し衝撃を受けた。

 でも、呑気に衝撃を受けている場合ではない。
 目の前に敵がいるのだから戦わなくては。

「すぐに片付けます!」

 リゴールは勇ましくそんなことを言うが、敵の狙いである彼を一人で戦わせるわけにはいかない。

「待って!」

 だからこそ、私は前へ出た。

「ここは私が倒すわ」
「え!」
「ここだけじゃないかもしれないから、リゴールはこのことを皆に知らせておいて」

 巨大な敵なら倒すのは難しいかもしれないが、腕が翼になっているこのタイプぐらいなら、私一人でも倒せるだろう。数も、大量にいるというわけではないし。

「し、しかし……!」
「大丈夫よ! 任せて!」
「は……はい。お気をつけて」

 戸惑った顔をしながらも、リゴールは駆けていった。

「よし。倒すわよ」

 ペンダントの剣ではなく、この前購入した剣を握る。

 この剣で戦うのは初めて。だから、ペンダントの剣を握っている時とは少し違った、別の意味での緊張感がある。

 でも、きっと大丈夫。
 勝てる。

Re: あなたの剣になりたい ( No.176 )
日時: 2019/12/27 03:36
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xJyEGrK2)

episode.173 迫る敵を斬る

 迫る敵を——斬る。

 使い慣れない剣は心なしか重く、ペンダントの剣を振る時とは少し感じが違う。

 だが、扱えないということはない。
 それに、切れ味も悪くない。

 斬った時の感覚は、ペンダントの剣よりはっきりしている。

 腕が翼になった鳥のような生物は、鼓膜を貫くような甲高い声を放ちながら向かってくる。しかし恐れるほどの敵ではない。動きが単調だから、攻撃も避けられる。

「これで終わりよ!」

 一体を薙ぎ払い、もう一体を刺し貫く。すぐに抜いて、迫ってくる最後の一体を斜めに斬る。
 倒れた生物たちは、十数秒ほどかけて消滅した。

「やったわ……!」

 私は一人、小さく拳を握る。

 一人で戦えたという達成感に満ちている。

 だが、目の前の三体を仕留めたからといって、それですべてが終わったわけではない。他の場所でも同様のことが起こっているかもしれないから、様子を見に行かなくては。

 こうして私は、リゴールが走っていった方向へと歩みを進めるのだった。


 途中、デスタンと遭遇する。
 シンプルな服装の彼の後ろには、不安げな面持ちのミセもいる。

「エアリ・フィールド。……奇遇ですね」
「あ。デスタンさん」
「昼間から、何の騒ぎです」

 デスタンは真顔で尋ねてくる。

「さっきブラックスターの手先の生物が、急に入ってきたの」

 そう答えると、彼はさりげなく視線を下ろす。そして私の手元を見る。それによって察したのか、顔を上げ、真剣な声色で言ってくる。

「……既に交戦したのですね」
「えぇ」
「そうですか。で、貴女は今からどちらへ?」

 ミセはデスタンの背中に身を寄せながらも、さりげなく私を観察している。

「リゴールに会いに行くつもりよ。ウェスタさんたちのところにでもいるんじゃないかって思うから、ウェスタさんのいそうなところへ行ってみるわ」

 するとデスタンは、真っ直ぐな口調で言ってくる。

「私も行きます」

 デスタンの体はもうだいぶ回復してきつつある。歩く、座る——そういった日常生活に必要な動きができるくらいの状態にはなっている。

 でも、戦うのはさすがにまだ無理だろう。
 前に出たり後ろへ下がったりなどを素早く行ったり、攻撃を仕掛けたり、そういうことができるほどは回復していないはずだ。

 そんな状態の体で敵と対峙することになれば、そこには危険しかない。

「危険かもしれないわよ?」

 部屋にこもっていれば安全という保証があるわけではないけれど、でも、むやみに敵前に姿を現すのはあまり良くないと言えるだろう。

「危険など、覚悟の上です」
「……無理してない?」
「いちいち鬱陶しい女ですね」

 私が余計なことばかり確認する鬱陶しい女だということは、自分でも認識している。

 ただ、それでも聞かずにはいられない。
 そういう質たちの人間だから仕方がないのだ。

「ごめんなさい。じゃ、行きましょ」
「最初からそう言って下さい」
「ごめんって謝ったでしょ! もう許してちょうだい」
「……まったく気が強いですね」

 デスタンは相変わらず。今日も口が悪い。特に、時折さりげなく毒を吐いてくるところが、若干不快だったりする。

 ただ、元気がないよりかはずっと良い。
 棘のある発言をするというのは、それを考え発するだけの元気があるということだから、一概に悪いこととは言えないのだ。

 デスタンとミセ、二人と合流し、私はまた歩く。
 目的地は、ウェスタが泊まっている部屋。
 リゴールは多分そこにいるだろう。デスタンのところへ行ったのでなかったのなら、そこくらいしか考えられない。


 ウェスタを泊めている部屋に入る。

 リゴールはやはりそこにいた。
 部屋にいるのは彼だけではない。グラネイトもいる。

 ただ、ウェスタの姿はないけれど。

「エアリ! 倒せたのですか!?」

 私が入ったことに気づくや否や、リゴールは歩み寄ってきた。

「えぇ。倒したわ」
「素晴らしいですね」
「褒めてくれてありがとう」

 ほんの束の間だけど、心が温かくなったような気がした。

「で、動きは?」
「現在はウェスタ……さんが、警戒に当たってくれています」

 そう答えた直後、彼は、私の後ろにいるデスタンの存在に気づいたようで。ハッと何かに気がついたかのような顔をする。

「デスタンも一緒でしたか!」
「はい」
「ここは危険ですよ!?」
「何やら音がしたので見に来ていたところ、エアリ・フィールドに遭遇し、合流しました」

 デスタンの背後に隠れるようにしてついてきているミセは、「アタシも一緒よーぅ」と本当に小さな声で言っていた。地味に存在を主張している。

 ——刹那。

 部屋の外から、ドォンという低い音。
 その場にいた全員の顔に警戒の色が浮かぶ。

「行って参ります!」

 一番に口を開いたのはリゴール。

 彼は、言葉を発するのとほぼ同時のタイミングで、足を動かし始めていた。
 私は僅かに遅れながらもその背を追う。


 部屋から出た瞬間、床に座り込んでいるウェスタの姿が視界に入った。

「ウェスタさん!?」
「……エアリ・フィールド」
「何事なの!?」
「……敵」

 彼女の発言を聞いてから、周囲へ視線を巡らせる。
 すると、謎の生物の姿が目に映った。
 背は高く、二足歩行で、しかしながら蜥蜴のような、謎の生物。現在私に見えているのは一体だが、一体だけであっても迫力はかなりある。

「何あれ……」

 やたらと襲い掛かってくる怪しい生物は、これまでにも何度か出会ったことがある。だが、ここまで迫力のあるタイプは初めてだ。

「結構パワーがある。気をつけた方が良い」

 ウェスタが忠告してくれる。

「リゴール、これ持ってて」
「剣、ですか?」
「えぇ。今回はペンダントの方を使うわ」

 胸元のペンダントを握り、剣へと変化させる。
 眩い輝きの中、一振りの剣が現れた。

「エアリ・フィールド……!?」
「私が戦うわ」
「お前は確かに筋がいい。でも、それで勝てる相手ではない」

 ウェスタの発言はもっともだ。
 けれど、だからといって諦めていては、何も始まらない。

「エアリ! 大丈夫なのですか!?」

 背後からリゴールの声が飛んできた。

「分からないわ。でもやってみる」
「心配しかありませんよ!?」
「そうね。だけど、誰かがやらなくちゃならないことよ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.177 )
日時: 2019/12/27 03:37
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: xJyEGrK2)

episode.174 戦える

 豪快なかぎ爪に、長くて太い立派な尾。そして体表には、てらてらと輝く艶やかな赤紫の鱗。人間と比べるとかなり大柄で、しかも頑丈そうだ。

 でも、向き合う時は勝つ気で。

 体格的にはこちらが不利かもしれない。だからこそ、精神的には勝たなくては。精神的な面でも負けているようでは、勝負にならない。

 瞬間、蜥蜴のような謎の生物が私へ視線を向けた。
 そして、足を動かし始める。

 駆けてくる。
 迫ってくる。

 恐怖心がまったくないと言えば嘘になってしまうけれど……。

 でも、踏み込む!
 柄を握る手に力を込め、遠心力を加えながら——振る!

 蜥蜴風謎生物は片方の腕を前に出し、防御の体勢を取っていた。そこに、白い輝きをまとっている刃が命中。だが、さすがに人外だけあって、腕一本でもかなりの硬さ。

 ただ、謎生物の意識は完全に防御に回っている。

 今なら攻撃してはこない。
 だから私は、そこからさらに、剣を振り下ろす。

 白色の光が宙を駆けた。

「斬った……!?」

 背後から聞こえてきたのは、ウェスタの驚きに満ちた声。
 光の眩しさのせいで視認できていなかったのだが、ウェスタの声を聞いたことで、攻撃が命中したのだと分かった。

 もう一撃加えたいところではあるが、一旦下がる。
 距離を取りつつ様子を確認すると、謎生物の腕が傷ついているのが見えた。

「効いていますよ! エアリ!」

 後ろから飛んできたのは、リゴールの声。

「この調子で行くわ!」
「無理をしてはいけませんよ!?」
「大丈夫、任せて!」

 蜥蜴風謎生物は防御力が高い。だが、ペンダントの剣でもダメージを与えることはできるみたいだ。
 それなら、勝ち目はある。

「負けない!」

 実戦経験は少ない。
 扱える武器も剣しかない。

 そういう意味では、周囲の者たちとは比べ物にならないくらい、私は弱い。

 でも、だからといって、落ち込んでいるだけでは何も変わらない。自分が弱いと思い込んでしまうだけで、成長もない。

 だから私はうじうじしたりしない。
 足りていない分は、気合いで埋めるのだ。

 とにかく振る。剣を振る。
 恐怖心に支配され退いたら、そこに付け込まれる。だから下がらない。前進し、圧をかけながら、剣でダメージを与えていく。

「はぁっ!」

 そして、止め。

 蜥蜴風謎生物の胸部を刺し貫く——!

 ドス、と低い音が鳴る。
 突き刺したまま待つことしばらく、謎生物は煙のようになって消えた。

 その時、目の前に一人の男性が立っていた。

「さすがぁー。やりますねぇー」

 立っていたのは、やや肥満気味の男性——そう、以前追い返した人物である。
 ちょこんと被った丸みを帯びたピンクの帽子は、男性らしくなく、妙に可愛らしい。男性が被っていても、「かっこいい」「おしゃれ」より「可愛らしい」の方が相応しい。

「貴方は……」
「シャッフェンと言いますぅー」

 いきなり名乗ってくれた。
 もっとも、名前が分かったところで意味はさほどないのだが。

「貴女たちの命をちょうだいしに来ましたぁー」

 シャッフェンはどことなく楽しげな口調で言う。でも、その内容は少しも楽しくなどないようなものだ。

「……帰ってもらえない?」

 私は一応言ってみる。
 だが、シャッフェンは譲ってくれない。

「それは無理ですぅー」
「お願いだから、無益な争いは止めて」
「無益? 違いますぅー。こちらには益がありますのでぇー」

 説得だけで帰ってくれれば一番良いのだが、そう上手くはいきそうにない。

「今から全員消しますぅー」

 シャッフェンは笑う。純粋な笑みを浮かべる。そこに穢れはない。どこまでも汚れのない、純粋としか言い様がないような、美しささえ感じられるくらいの笑顔。

 ただ、その胸の内は、決して綺麗ではないのだろう。

 ——刹那。

 背後から、黄金の輝きと紅の炎が同時に放たれてきた。
 そう、リゴールとウェスタがほぼ同時に仕掛けたのだ。
 私の左右を通り越した二つの術は、敵であるシャッフェンへと真っ直ぐに向かってゆく。

 ——だが、彼にダメージを与えるには至らなかった。

 というのも、二人の術が命中する直前に、シャッフェンが防御壁を生み出したのだ。
 ちなみに、防御壁は桜色で、やや透明がかっている。色みこそ違っているものの、カマーラが使っていた物に似ている。

「甘い、甘いですよぅー」

 リゴールの黄金の輝きとウェスタの紅の炎を防御壁によって一斉に防いだシャッフェンは、勝ち誇ったような顔をしながら、挑発的な発言をする。

「魔法対策は完璧ですぅー」

 恐らく、先ほどの防御壁は、魔法を掻き消す力を持った防御壁だったのだろう。

「……そうね!」

 言いながら、シャッフェンに接近する。

「でも……これも防げるのかしら!」

 一メートルくらいまで近づき、剣を振り上げる。

「ひふぅっ!?」

 シャッフェンは剣先をぎりぎりのところで避けた。
 防御壁を出現させないところから察するに、ペンダントの剣を防ぐことはできないようだ。
 剣を防がれてしまうのなら打つ手がないが、剣が使えるのなら勝ちようはある。

「いきなり襲いかかってくる危険な女! 嫌ですぅー!」
「まだまだ行くわよ!」

 攻めの手は緩めない。

「嫌ですぅー! 嫌いなタイプですぅー!」

 シャッフェンは肥え気味なわりに良い動きをする。私が振る剣を、彼は、一つ一つ確実にかわしていっている。
 一撃だけでも当てたいが、なかなか当てられない。

「……なーんて」
「え」
「ねぇーっ!!」

 シャッフェンが突如取り出したのは、地味な刃物。その一振りを、私は右腕に受けてしまった。

「なっ……!」

 想定外の反撃をまともに食らい、思わず数歩後退する。
 そこへ、リゴールが駆け寄ってくる。

「エアリ! 大丈夫ですか!?」
「……え、えぇ。平気」

 右腕の、肘と手首のちょうど真ん中辺りに、一撃食らった。でも、袖があったおかげもあって、そんなに深くは斬られていない。

「ごめんなさい。少し油断したわ」

 リゴールを横目に見ながら言うと、彼はすぐに頭を左右に振った。

「いえ! エアリは悪くありません!」

 その言葉に、少し救われた。

「ありがとう」
「ですから、その……エアリはもう下がっていて下さい」
「待って! まだ戦えるわ!」

 掠り傷くらいどうということはない——そう伝えたかったのだが、リゴールは頷いてはくれない。

「無理は禁物です。エアリは下がっていて下さい」

Re: あなたの剣になりたい ( No.178 )
日時: 2019/12/27 16:31
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Z/MkaSMy)

episode.175 飲まされてしまった

 腕に軽い傷を負いはしたが、動けなくなるほどではない。剣を握ることだってできている。だから、まだ戦える。私はそう思っていたのだけれど、心配したリゴールは私が戦うことを許してくれなくて。結局、グラネイトやデスタンがいる部屋へと押し込まれてしまった。

「まったく。もう戻ってきたのですか。情けないですね」

 室内に入るや否や、デスタンにそんなことを言われた。

 正直、かなり悔しかった。
 だって、私が戦いを恐れたわけではないのに。私はまだ戦いを続けられる状態だし、続ける気でいたのに。それなのに「情けない」なんて言われてたら、悔しさのあまり胃から火が出そうだ。

 だが、だからといって、むやみに突っ込んでいくわけにはいかなかった。

 そんなことをしたら、リゴールを余計に不安にさせてしまう。
 それに、もし戦闘不能の状態まで追い込まれたら、それこそ、皆に迷惑をかけることとなってしまう。
 だから、悔しいけど、この道を選ぶことにしたのだ。

「失礼ね。私はまだ戦う気でいたのよ」
「ではなぜ戻ってきたのです」
「リゴールが心配するからよ」

 すると、デスタンは急に黙る。
 口は一切開かず、しかしながら、視線はこちらに向いている。

「……なるほど。負傷ですか」

 彼の鋭い瞳に凝視されると、血まで凍りつきそうだ。だが、我慢して良かったのかもしれない。おかげで、事情を察してもらえたようだ。

「腕を少し斬られたのですね」
「え、えぇ……よく分かったわね」
「さすがに分かります。そういうことなら、退いて正解です」

 良かった。少しは理解してくれたみたい。
 心の中で安堵していると、デスタンは真剣な表情で確認してくる。

「ですが……貴女が退いたということは、今外にいるのは二人ですね」
「えぇ、そうよ。ウェスタさんとリゴール」
「二人では不安が残ります。王子も一度こちらへ呼び戻した方が良いかと」

 ——その時だった。

「待て! ウェスタを一人にするつもりなのか!?」

 そう叫んだのは、グラネイト。
 この前の毒と負傷でいまだに自由行動を禁じられている彼だが、意識は完全に普通の状態に戻っている。そのため、ウェスタの身を案じる心も、復活しているようだ。

「……文句があるなら言え」

 冷ややかな視線を向け、静かに放つのはデスタン。
 対するグラネイトは、ごくりと唾を飲む込んだようで、喉を上下させていた。

「ふ、ふはは……なかなか刺激的な……」
「馬鹿げたことを」
「さすがに! ウェスタにそっくりだな!」

 デスタンに冷ややかに睨まれたグラネイトだったが、睨み返すようなことはなかった。それどころか、心なしか嬉しいそうだったくらい。デスタンとウェスタはどことなく似たような雰囲気を持っているところがあるから、睨まれても、純粋に嫌ではなかったのかもしれない。

「では少し失礼します」
「外へ?」
「はい。王子を連れてきます」
「敵がいるわ。危険よ」
「いえ。すぐ戻りますので」

 そんなことを言って、デスタンは扉に向かって歩き出す。そして、私が制止しようとしたのも聞かず、部屋から出ていってしまう。

 何とか引き止めようと追いかけかけたのだが、途中で止めた。
 一般人のミセと復活しきっていないグラネイトを二人きりにさせるわけにはいかなかったから。

「ねぇ、エアリ」
「ミセさん?」
「まったくもう、何の騒ぎなの? こんなところに隠れていて良いの?」
「今外に出ると危険ですよ」
「ふぅん……まぁ、デスタンの傍にいられるならそれでいいけど……」

 この期に及んで、まだデスタンへの執着。
 もはや尊敬すべき域である。

 普通、愛する人がいたとしても、危険な目に遭いかけている時には自分を優先してしまうものだろう。平常時は愛する人の傍にいることを望んでいたとしても、危機的状況に陥れば生命を最優先に行動するはず。

 でも、彼女はそうでない。
 彼女は今でも、デスタンの傍にいることを一番に考えている。

「ところでエアリ・フィールド!」
「え、いきなり何……?」
「敵はどのような敵だ!? グラネイト様に教えてくれ!!」

 これまた唐突な。
 何の前振りもなく本題に入っていくところが、ある意味潔い。

「敵は、謎の生物と、それを操っている男性よ」
「なにィ!?」

 急な大声。
 耳が痛い、物理的に。

「え。どうかしたの」
「その男は、肥え気味か!?」

 グラネイトは目にも留まらぬ速さで私のすぐ前まで移動してきて、首を伸ばし、顔面を近づけながら言ってきた。

 彼の顔面を至近距離で見るのは、少し辛い……。

「そうね。そして、可愛い帽子を被っているの」
「腕の傷はそいつにやられたのか!?」
「えぇ。うっかり」

 その瞬間、彼は両手で私の両肩を掴んでくる。

「それはまずいぞ!!」
「え……?」

 いきなり鼓膜を破るような大声で「まずいぞ!!」と叫ばれても、説明がないため、意味がいまいちよく分からない。何かがまずいことは分かるが、何がどうまずいのかが不明なまま。これでは何の意味もない。

「やつの刃物には毒が塗ってある!」
「ええっ」

 毒が塗ってある、ということ自体にも驚きを隠せないが、一番戸惑ってしまうところはそこではない。一番戸惑うのは、グラネイトが異様な圧をかけながら話してくるところだ。

「そ、そんなことが……?」
「傷口を洗った方が良いぞ!」
「でも……」
「いいから早く!」
「は、はいっ……で、でも、水がな——」
「いいから流せ!」
「えぇぇー……」

 ぐいぐいくる彼の雰囲気にはなかなか馴染めない。
 そのせいもあって、私は、つい妙な受け答えをしてしまう。
 そもそも彼とはそこまで親しくないし、長い間一緒に暮らしてきたわけでもない。それゆえ、積極的に話しかけられると困ってしまう。

「それと、これだ!」

 さらに、グラネイトは小瓶を取り出す。

「それって……毒消し薬?」
「イエス! これはグラネイト様にも効いたぞ!」

 その小瓶は新品でまだ開封されていないようだった。
 ということはつまり、誰も飲んでいない分ということだ。それなら、飲むことに抵抗はない。

 だが、医者の許可なく飲んで大丈夫なのだろうか。

 心配はそれだけ。

「えーっと……」
「いいから飲め! 効くぞ!」
「えぇぇ……」

 結局、流れのままに飲まされてしまった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.179 )
日時: 2019/12/28 15:27
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fQORg6cj)

episode.176 まだ強くなりそう

 毒消し薬を無理矢理飲まされたことには驚いた。でも、心配してくれているのかなと思うことはできて。だからべつに不快ではなかった。

「その……薬、ありがとう」
「飲んでおくと安心だからな!」

 礼を述べると、グラネイトは頷く。

「人って変わるのね。前は襲ってきていたのに、今は助けてくれるなんて……何だか不思議」
「ふはは! 過去のことを言われるとさすがに恥ずかしいぞ!」

 グラネイトにも一応恥じらいがあるとは、意外。

 正直なことを言うなら、彼には恥じらいなんてものはないのだと思っていた。

 ……だって、ことあるごとに「ふはは!」などと騒ぐような人よ?

「ただーし! 勘違いするなよ! グラネイト様は今でも、ブラックスターの人間であるつもりだ!」

 グラネイトの言葉に、私は思わず「え。そうなの」と漏らしてしまった。ただ、彼は私の発言をあまり聞いておらず、そのため、嫌な顔はしなかった。

「今回の件に関するブラックスターのやり方に賛同できなかった、というだけのことだからな! ふはは!」

 言葉の一つ一つが潔い。
 ある意味では見習うべきかもしれない。

「……でも、今さらあっちへは戻れないんじゃない?」
「世が変われば戻れる!」
「体制が変わったら、ってこと?」
「イエス! その通り!」

 なんて楽観的なのだろう。

「グラネイト様はこう見えても良家の出身だからな! ふはは! 血の良さには自信がある!」
「……へぇ、そうだったの」
「ま! 家は滅んだがな!」
「滅んだ!?」

 想定外のことをさらっと言われ、思わず大声を出してしまった。
 もし深刻な顔で告げられていたなら、しんみりはしたとしても、ここまで驚きはしなかっただろう。世間話をするかのようなあっさりした感じで告げられたからこそ、必要以上に驚いてしまったのだ。

「ふはは! 家があればグラネイト様はもっとモテモテ人生だっただろうな!」
「それは切ないわね……」
「いや、切なくないぞ? おかげで、いきなりウェスタに出会えたからな!」

 切なさを匂わすようなことを言いつつ、思考は前向き。多少ずれがある感じが、微妙に笑える。もちろん、失礼だから笑わなかったけれど。


 その時になって、扉が開いた。
 先に入ってきたのはリゴール。妙に勇ましい顔で、よく見ると気絶したシャッフェンを引きずっている。

「あ。リゴール」
「お待たせしました、エアリ」
「……彼、倒したの?」
「いえ。厳密には気絶させている状態ですね」

 肉のついたふくよかな男性を華奢なリゴールが引きずっている光景は、不思議という言葉の似合う光景だった。仕留めた獲物が自分より大きかった時の獣のようである。

 リゴールに続いて、デスタンが入ってくる。

「王子、止とどめは速やかにお願いします」
「エアリに確認するので待って下さい!」
「……はい」

 基本下からは出ない質のデスタンだが、リゴールにはさすがに逆らえないようだ。

「もう一人は逃がしてしまったのですが、この者だけは何とか気絶に追い込みました」
「やるわね、リゴール」

 するとリゴールは、その男性にしてはふっくらした頬を、ほんのり赤く染める。恥じらいを感じさせる表情だ。

「それで、どうしましょう?」
「……その人?」
「はい。いきなり殺めるのも申し訳ないと思い今の状態に至ったのですが」

 難しいところだ。
 気絶しているところを殺めるというのは少々卑怯な気がするし。かといって、トランの時のように世話する余裕はないし。

 場がしんと静まり返る。

 ちょうどその頃になって、ウェスタが室内へ戻ってきた。
 刹那、グラネイトが彼女の方へと飛んでいく。

「ウェスタ! 無事かッ!?」

 彼のウェスタに向かう勢いは、凄まじいものがあった。
 直前まで床に座っていた。それなのに、ウェスタが帰ってくるや否や、目にも留まらぬ速さで立ち上がり。さらにそのほんの数秒後には、ウェスタの目の前まで移動していたのだ。

「問題ない」
「良かったァ! 心配したぞ!」

 グラネイトはウェスタの肩を包み込むように抱く。だがウェスタは取り乱さない。冷静だ。

「痛いところは? 疲れたところは? 言ってくれればグラネイト様が癒やすぞ!」
「では……触るな」
「それはなし!」
「……まったく。面倒な男」
「だな! ふはは!」

 やたらと絡んでくるグラネイトに対するウェスタの接し方は、以前より少しばかり柔らかくなっているように感じる。

 以前なら、ここで、ウェスタが強烈な一撃を放っていただろう。

 でも、今はそれがない。
 素っ気ないが会話にはなっている。

 それからウェスタは、絡んでくるグラネイトを無視し、リゴールに歩み寄る。彼女の冷ややかな瞳に見下ろされたリゴールは、怯えたような顔。だが、ウェスタが心ない行動に出ることはなかった。

「……貸して」
「え?」
「その男を渡して」

 リゴールはきょとんとしている。その脇に控えているデスタンは、眉をひそめている。

「何をなさるのですか……?」
「ここで消し去る」

 ウェスタの口から放たれるのは、少しばかり残酷な言葉。
 もっとも、彼女らしいといえば彼女らしいが。

「できない者には任せない」
「えぇと……それはわたくしのことで?」
「そう。止めはできる者がやればいい」

 ウェスタは静かに述べる。
 そして、リゴールの手からシャッフェンを奪い取った。

「さよなら」

 彼女は小さくそう呟き、シャッフェンの襟を掴んでいる右手から炎を発生させる。気絶したシャッフェンを、みるみるうちに炎が包んでゆく。

 ——そしてやがて。

 シャッフェンのふくよかな肉体は、塵のようになって消滅した。

「……これで終わり」

 手と手を合わせ、ぱんぱんとゴミを払うような動作をした後、彼女はふぅと息を吐き出す。
 それから彼女は、私の方へと視線を注いできた。

「エアリ・フィールド」
「えっ、私?」
「……先の傷の手当ては」

 瞬間、グラネイトが口を挟んでくる。

「グラネイト様が薬を飲ませたぞ!」
「……そうか」
「ふはは! 気が利くだろう!?」
「馬鹿らしい」

 ウェスタにばっさり言い切られ、グラネイトは慌てる。

「な! 馬鹿らしい!? それは一体どういうことだ!?」

 グラネイトの問いにウェスタが答えることはなかった。

「……それにしても、エアリ・フィールド」
「何?」
「その剣技、なかなか華麗だった」

 いきなり褒められた。

「ウェスタ! グラネイト様を無視しないでくれ!」
「……まだ強くなりそうだ」
「褒めていないで、グラネイト様の発言を聞いてくれ! ウェスタ!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.180 )
日時: 2019/12/28 15:29
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: fQORg6cj)

episode.177 貯金回収

 戦いが一旦幕を下ろしても、シャッフェンに刃物でつけられた傷はまだ痛んでいた。激痛とまではいかないけれど、じんじんというか、ひりひりというか、そんな感覚があったのだ。受傷したばかりではないにもかかわらず。

 ただ、グラネイトが毒消し薬を飲ませてくれたおかげか、毒らしき症状が出ることはなかった。

 戦いが終わって一時間くらい経過した頃、偶々、グラネイトの様子を確認しに医者が屋敷へやって来て。
 そこで私は手当てを受けた。

 医者は、傷口の状態を診て、それから慣れた手つきで手当てしてくれたのだった。

 今回の交戦による人への被害は少なかった。

 私が腕を少し怪我したのと、ウェスタが一発打撃を食らっていたくらいで、重傷者はなし。動けなくなる者や戦えそうになくなってしまった者もいない。
 また、屋敷の方も、窓が数枚割れたり、扉や床が多少凹んだりという被害はあったが、人外に攻められたにしては小さめの被害だろう。取り敢えず、屋敷が住めない状態になることは免れた。


 翌朝。
 事前連絡なしで、私の部屋にウェスタがやって来た。

「ウェスタさん?」

 銀の髪は艶やかで、三つ編みも既に編み上がっている。だが、そんな洗練された印象のヘアスタイルとは裏腹に、疲労が蓄積していることを感じさせるような顔をしていた。目の下には、隈まである。

「今日は一度小屋へ戻ろうと思うのだが、ついてきてもらえないだろうか」

 ウェスタに頼られるのは、わりと嬉しい。
 簡単には他人に頼りそうにない人物から頼られるというのは、稀少価値がある。

 もちろん頼られるつもりだ。早速「小屋?」と尋ね、話を進める。するとウェスタは、小さな声で「……我々がこの前まで住んでいた小屋のこと」と簡単に説明してくれた。

「それね! えぇと、それで?そこへ行くの?」
「そう。色々物が残っているかもしれない……回収してこようかと」
「良いわね!」

 こんなことを言っている場合ではないが——宝物探しのようで少し楽しそうだ。

「三十分くらいだけ待ってもらっていい?」
「構わない」
「ありがとう! じゃあ早速用意するわ! ……あ、ここで待つ?」

 その方が合流に手間取らずに済むと思い提案したが、ウェスタは首を左右に動かした。

「廊下で待つ」
「え! ……廊下?」
「ブラックスターの人間に気遣いは不要」
「えっと、よく分からないわ」
「ブラックスターは気遣いを重視しない風潮だから」

 そんなことを言いながら、ウェスタは廊下の床に座り込む。そうして若干壁にもたれ、見上げてきた。

「ここにいる」
「そ、そう……分かったわ」

 彼女の発言の意味は理解しきれなかった。だが、わざわざ反対意見を述べる気はない。彼女が望むような形で待っていてくれたなら、それが一番ありがたいから。

 その後、私は一旦、自室内へ戻った。

 肩甲骨より下まで伸びている直線的な髪を櫛で整え、よく着る黒いワンピースを身にまとう。それから一度背伸びをして、剣とペンダントを持つ。

 それから改めて扉を開けた。

「お待たせ!」
「……さほど待っていない」

 長い睫毛がミステリアスな目を軽く伏せつつ、ウェスタはその場で立ち上がる。重力に従いさらりと流れる髪が幻想的で美しかった。

「では」

 ウェスタは手を差し出してくる。
 私はその手を握る。

 ——瞬間、視界が無になった。


 気づけば小屋の前にいた。

 板を張り合わせて造ったような、まさに小屋、という感じの建物である。

 ウェスタは一切躊躇いなく小屋に入ってゆく。特に何も言われなかったが、入ってはならないということはないだろうから、私も続く。
 中は、ワインレッドの絨毯が敷かれていて、少しだけ高級感があった。

「へぇー。意外と綺麗な感じね」
「……そう?」
「えぇ」

 ベッドの上にはくちゃくちゃになった掛け布団。椅子は引かれたまま、テーブルには空になったカップ。
 生活感たっぷりだ。

「グラネイトさんと二人で暮らしていたのよね?」
「そう」
「何だか良いわね。新婚さんみたいで素敵!」
「……勘弁して」

 ウェスタは体を小さく縮めてベッドの下の隙間に潜り込もうとしている。とても人間が入れそうな幅の隙間ではないが、懸命に肩辺りまで押し込んでいた。

 何をしているのだろう、と思っていると……。

「よし、あった」

 彼女はそんなことを言いながら、布製の袋を取り出してきた。
 球を軽く押し潰したような全体的に丸みを帯びたフォルムの袋で、色は赤茶。小さな白い柄がプリントされている生地のようだが、白はさほど目立っておらず気にならない。

「それは何?」
「貯金」
「どうしてそんなところに!?」
「分けて置いている」

 彼女は立ち上がり、今度はテーブルの方へ歩き出す。

「そっちにもあるの?」
「……そう、椅子の背に」
「椅子の背!?」

 驚かされることの連続だった。


 小屋に鍵をかけて、エトーリアの屋敷へ戻る。
 その時まだ外は明るかった。一面青い空が私たちを見下ろしていた。

 ……それにしても。

 ウェスタの術があれば、移動にさほど時間がかからない。かなり便利だ。この術があれば、中距離の移動くらい楽々である。


 屋敷へ戻ると、ウェスタはグラネイトのところへ向かう。
 特に意味はないが、私もそれについていった。

「ウェスタ!」

 部屋に入ってきたウェスタの姿を視認するや否や、グラネイトは声をあげた。目を大きめに開き、どことなく嬉しそうな顔つきで。
 そんな彼に、ウェスタは貯金が入った袋を差し出す。

「これ、取ってきた」

 ウェスタが唇を微かに開くと、グラネイトは驚いたように目をぱちぱちさせる。

「なっ! 家へ戻ったのか!?」

 三人だけの空間に、彼の驚きに満ちた声が響いた。

「……そういうこと」
「危ないぞ!」

 それまでは床に座って話していたグラネイトだったが、急に腰を上げ、あっという間にウェスタに接近する。
 彼は足が長いため、他人より一歩が大きく、それゆえ歩きによる移動を速く行うことができるようだ。

「危険だろう!」
「うるさい。……ただこれを取りに行っただけ」
「それはありがたいが! だからといってウェスタを危険に晒すのは嫌だ!」

 激しく言うグラネイトに、ウェスタは呆れ顔。

「一人で行ったわけではない」
「だとしてもリスクが高い!」

 グラネイトは心配し過ぎではないだろうか。

 ウェスタは女性。それゆえ、出歩かせるのが不安というのは、分からないでもない。それに、共に同じ時間を過ごしてきた親しい仲間の身を案じるのは、おかしなことではない。

 ただ、心配『し過ぎ』なところが問題なのだ。

 ウェスタは刺客を務めていたほどの人物。そこらの娘とは一線を画する存在なのだから、少し出歩いたくらいで大騒ぎすることはないと、私はそう思う。

Re: あなたの剣になりたい ( No.181 )
日時: 2020/01/04 14:20
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 7dCZkirZ)

episode.178 貝

 取りに行った貯金の中から、ウェスタとグラネイト、二人分の生活費を我が家に入れてくれることが決まった。結果、我が家の家計が少しばかり潤うことに。エトーリアが稼いでくる収入があるから貧しくはないが、人が増えてくるに連れて支出も増えていっている状況だった。そんなことを続けていては、いずれお金が尽きるかもしれない。だからこそ、二人がお金を入れてくれたのは、ありがたいことなのだ。感謝すべき支援である。


 数日後の昼下がり。
 食堂でリゴールと寛いでいたところ、グラネイトがやって来た。

「ふはは! グラネイト様登場!」

 騒がしく現れたグラネイトは、藁で編んだお盆のようなものを両手で持っていた。厚みは一センチほど。見慣れないタイプのお盆だ。

「……何事ですか?」
「良い感じの二人を邪魔するグラネイト様、鬼畜ゥ!!」
「何でもいいので、用件を先に話して下さい」

 いつものことだが、グラネイトは妙にハイテンション。だが、リゴールはそれとは真逆で、テンションは低い。しかも、非常に面倒臭そうな顔をしている。

「実は今日、久々に外出してきた!」
「そうなんですか」

 リゴールの反応は地味だ。

「そこで美味しそうなものを発見してな! 手当てしてもらったお礼だ!」

 そう言って、グラネイトは藁製お盆を差し出してくる。
 お盆の上には食べ物らしきものが並んでいた。

「調理済みの貝だ!」
「貝……!」

 私は思わず漏らした。
 これまた珍しいものを買ってきたなぁ、と思いながら。

 すると、リゴールが振り返って尋ねてくる。

「エアリ。貝とは?」
「確か、海とかにいる生き物よ」
「海の生き物ですか……」
「そんな感じね。まぁ、私もあまり食べたことがないけど」

 海辺の町で育った者なら、海産物を食べるという経験も豊富だろう。でも、私はそうではなかった。だから海産物には詳しくない。

 でも、美味しそう。
 灰色の殻に入った、柔らかそうな身。焦げ茶色のタレがかかっていることもあって、余計に美味しそうに見える。

「食べてみて良いの?」
「ふはは! もちろんだ!」

 身に縦向きに刺さっている爪楊枝を恐る恐るつまむ。そして、うっかり落としてしまわないよう気をつけながら、ゆっくりと口まで運ぶ。

「ん……!」

 口に含んだ瞬間、日頃感じることのない感覚が舌に走った。

 ふっくらしていて、しかし表面にはつるつる感がある。また、舌で崩せそうなほどに柔らかい。

 そして、味わいはクリーミィー。
 貝自体のミルクのようなマイルドさに、やや塩辛めのタレが軽い刺激を加え、何とも言えない心地よさを生み出している。

「良いわね、これ」

 ごくんと飲み込むや否や、半ば無意識のうちに漏らしていた。心の底からの気持ちだからこそ、意識せずとも口から出たのだろう。

「ふはは! 気に入ったようだな!?」
「美味しいわ」
「よし!」

 グラネイトは藁を編んだようなお盆をテーブルの上に置く。それから、片手で小さくガッツポーズをしていた。

「残りすべて食べて良いぞ!」
「本当に!?」

 これは純粋に嬉しい。

「……でも、本当に構わないの?」
「ウェスタも渡すよう言っていた!」
「ありがとう……!」

 グラネイトの独断で私たちにくれているのなら、少しばかり申し訳ない気もする。だが、ウェスタも私たちへ渡すよう言ってくれていたのなら、その申し訳なさも薄れる。それでもこんな美味しいものをたくさん貰うことへの申し訳なさはあるけれど、ウェスタの発言について聞く前に比べたら少しは気が楽になっている。

 ただ、これは私とリゴールへの贈り物。私が一人で完食するわけにはいかない。
 そう思ったから、リゴールにも話を振ってみる。

「リゴールも食べてみて!」
「え。いや、その……わたくしは大丈夫です」
「絶対美味しいわ。ほら一つ!」

 五つほどあるうちの一つに刺さっている爪楊枝をつまみ、身をリゴールの目の前まで運ぶ。しかしリゴールはまだ乗り気でなさそうだ。

「え、えっと……」
「はい! 口を開いて!」

 若干調子を強め、唇に触れるくらいの位置まで貝を近づける。

「あ、はい……」

 そこまでして、やっと口を開いてもらうことができた。丸く開いた口に、私は貝を放り込む。

 リゴールは恐れを露わにしつつも、口を閉じ、噛み始める。
 それからしばらく、彼は何も言わなかった。言葉を発しはせず、ただ、口だけをもぐもぐ動かしていた。

 ——そして。

「これは……!」

 やがて口を開いた時、リゴールの表情は明るいものになっていた。

「美味しいです!」
「でしょ!?」
「はい! 良い味わいです!」

 リゴールにも同じ意見を持ってもらえたみたいで嬉しかった。私は多分、この美味しさを、誰かと分かち合いたかったのだろう。

「貝の独特の食感とタレの味が、上手く合わさっていますね」
「でしょ!」
「はい。これは確かに美味です」

 話しながら、私はまだ残っている貝へと手を伸ばす。
 口に含むや否や、迸る幸福感。それは、日頃の苦労や憂鬱さを、一時的にすべて消し去ってくれる。

 こうして、私たちはすぐに完食した。

「ごちそうさま!」
「ごちそうさまです」

 貝を食べ終えた私とリゴールは、ほぼ同時に、グラネイトに向かって礼を述べる。
 するとグラネイトは「ふはは!」と笑いながら去っていった。

 それから私とリゴールは改めて見つめ合う。

「美味しかったわね」
「良い差し入れでしたね」

 その時、ぷーんと音がして、何かが寄ってくる——虫だった。

 体長一ミリほどの小さな虫が、テーブルに降り立ち休憩し始めたのである。もしかしたら、残っているタレの香りにつられてやって来たのかもしれない。

 私はさりげなく手で払い除けておいた。

「それにしても、彼はご機嫌でしたね」
「グラネイトさん?」
「はい。何だかとても楽しそうで、驚きました」
「そうね」

 個人的には、最近の彼はいつも楽しそうだと思うのだが。

「毒の心配はあったけど……もうすっかり治ったみたいで良かったわ」

 動きに不自然さはなく、声も大きい。あれだけ元気なら、もう心配もないだろう。今から急に悪化するということもなさそうだ。

「ですね」
「そうね」

 深い意味のない会話。第三者が見たら「どうでもいい」と感じるであろう会話。でも、そんな風に穏やかな時間を過ごせることは、大きな幸せ。

 道の先に戦いが待っているとしても、今はただ、幸せな時を——。

Re: あなたの剣になりたい ( No.182 )
日時: 2020/01/04 14:21
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 7dCZkirZ)

episode.179 月明かりだけの夜

 その晩、リゴールの部屋。

 彼だけが穏やかに眠る暗闇の中に、人影が一つ浮かび上がる。

 睡眠中の時間ゆえ、室内に灯りはほとんどない。窓の外から月の光が微かに降り注いでいる以外に、場を明るくするものはない。
 そんな中にある人影。それは決して、くっきりしたものではない。ただ、そこに確かに人が存在しているという証拠ではあった。

 人影は男性だった。

 背は一七○センチはありそうなくらいで、腕は軽く筋肉がついている。ガチガチのマッチョではないものの、やや筋肉質。
 肩につく丈の黒髪は、すべて後ろへ流した状態で固めている。また、革製の黒い眼帯を着用しており、それが顔の左半分のほとんどに覆い被さっていて、顔面の肌は右半分しか見えないという状態になっている。また、露わになっている右目は切れ長で、刃のような鋭さのある瞳は灰色。

 リゴールの部屋に忍び込んでいたのは、そんな男性——そう、ラルクである。

 だがリゴールは気づいていない。敵兵であるラルクが侵入してきているというのに、まだ、すやすやと穏やかな寝息をたてている。

 そんな彼に、ラルクは静かに歩み寄っていく。

 殺害を狙っているラルクからすれば、リゴールが眠っていてくれる方がありがたいのだ。その方が抵抗されず一撃で仕留めることができるから。
 それゆえ、ラルクは音をたてない。
 一歩、二歩、足を進めるのさえ慎重に。まるで凄腕の泥棒であるかのように、無音の歩行で接近する。

 そうしてリゴールが寝ているベッドの脇までたどり着くと、ラルクはそっと弓を構える。

 的は、リゴールの胸。
 片手は弓を、片手は矢を、それぞれ繊細な手つきで持ちながら、ラルクは体勢を整える。

 リゴールは動かない。侵入者の存在に気づいてもいない。それを察して生まれた余裕からか、ラルクの口角が僅かに持ち上がる。

 そして、その時が来る。

 矢は放たれ——。


 しかし、矢がリゴールの胸に命中することはなかった。


「なっ……!」

 寝込みを襲ったのに、かわされた。絶対に気づかれていないはずだったのに、かわされた。その衝撃は大きく、ラルクは声を漏らしてしまう。
 その隙に咄嗟に起き上がるリゴール。飛び降りるかのようにベッドから下り、彼はラルクと距離を取る。

「……去りなさい、侵入者」

 リゴールは扉を背に下がって距離を取りつつ、ラルクにそう告げた。

「目覚めた、か……」

 両者とも表情は固い。
 襲われる側のリゴールは、もちろん、警戒心剥き出しのような顔をしている。顔面に浮かぶのは、エアリと過ごしている時とは真逆の色。

 だが、襲った側のラルクも、今は余裕のある顔つきではない。ターゲットに気づかれ、少し焦ったような顔。

 リゴールは寝巻きの胸元から、魔法の発動に使う本——慎ましい手のひらサイズの本を、音もなく取り出す。

「このような場所で戦う気なのですか?」
「仕留める」
「……そうですか」

 左腕を肩から軽く後ろへ引き、開いた本を持っている右手を前へ出す。すると、開かれた本の紙部分から黄金の光が溢れ出した。突然発生した輝きは、幾本もの筋に分かれ、ラルクに向かってゆく。

 ラルクは、黄金の光が向かってきても、すぐにその場から動きはしない。リゴールの先制攻撃をぎりぎりまで引き付け、光が一点に集中するタイミングで後ろへ飛び退いた。

 幾本もの光線は床に命中。
 その時ラルクは二メートルほど下がっていた。

 もちろん、ただかわしただけではない。リゴールの放った魔法が消えた時には、矢を放つ体勢を整えていた。今のラルクは、いつでもリゴールを打ち抜くことができる、というような状態である。

 引いていた矢から手を離す。
 矢が宙を駆ける。

 リゴールは胸の前に手のひらほどの幕を張り、矢を防ぐ。

 そして、すぐさま魔法を発動する。

 ラルクは上向きにジャンプし、リゴールの攻撃を避ける。そして、体が宙にあるうちに、右手をリゴールへかざす。すると、蜂のような生物が十体ほど出現。一斉にリゴールへ向かっていく。

「新手!?」
「仲間が残してくれた戦力、食らうがいい」

 体長二センチほどの蜂のような生物はリゴールに向かって飛んでくる。リゴールは防御膜で防ごうと試みるが、数匹は防ぎきれず、右の二の腕辺りを布の上から刺されてしまう。

「うっ!」

 駆ける痛みに、顔をしかめるリゴール。その額には汗の粒が浮かんでいた。恐らく、冷や汗だろう。

 その隙を狙い、ラルクは矢を二三本放つ。
 しかしリゴールも反応できないほど弱ってはおらず、矢には防御膜で対応した。

 その隙に体を反転させる。

 そして、扉に向かって駆け出す。
 リゴールは進行方向を変えたのだ。

「逃がすな!」

 リゴールがこの場からの逃走を試みようとしていることに気づいたラルクは、残っている蜂のような生物に命じる。命令を受けた蜂のような生物は、弾丸のごとき速さでリゴールを追う。

 ——そして、うち一匹が、リゴールのふくらはぎを刺した。

「あっ……!」

 リゴールは引きつったような声を漏らし、その場に座り込む。そこへ集る蜂のような生物。リゴールは腕や体を動かして退けようとするも、叶わない。むしろ、攻撃を受けてしまう。

「く……う」

 蜂のような生物たちに囲まれ、もはや魔法を放つ暇はない。

「終わりにしよう」
「嫌です!」

 攻撃を受け、囲まれ、危機的状況に陥っている。けれども、リゴールはまだ諦めてはいない。体は動きづらくなってしまっているものの、青い双眸に諦めの色は滲んでいない。

「殺される気はありません!」
「安心しなさい、すぐ楽にする」
「お断りです!」

 リゴールの口から放たれるのは強気な言葉。
 そして彼は立ち上がる。
 痛みに耐えながらゆえ、速やかに立つことはできないようだが、徐々に腰を上げていくことは何とかできている。

「楽な死と苦しい生なら……わたくしは生を取ります!」

 吐き捨てるように言い、リゴールは再び足を動かし始めた。
 扉を開けて廊下へ出、少しでも時間を稼ぐために扉を閉める。そして、痛む足を必死に動かし、暗い廊下を駆ける。彼が向かっているのはエアリの部屋だ。


 ——その途中。

「何があった、王子」

 闇の中、正面から現れたのは、美しい銀の髪を持つウェスタだった。
 寝巻きなのか、膝くらいまでの丈のワンピースのようなものを着ている。袖口に軽くフリルがあしらわれている以外に飾りはなく、色は灰色。そんな地味な服装だ。

「ウェスタ……さん?」
「さんは要らない」
「は、はい……」
「それで、何があった。馴染みのない気配がしたが」

 刹那、蜂のような生物が追いついてきた。
 ウェスタはリゴールを庇うように咄嗟に前へ出る。そして、炎の術を発動。紅の火炎で蜂のような生物を一掃する。

「……これが敵?」
「ウェスタ……さん、あの、すみません!」
「謝らなくていい。答えて」
「は、はい! 実は、先日のあの男が……襲ってきていて!」

 その頃になって、ラルク自身も追いついてくる。

「……王子、人を呼びに行け」

 ウェスタは、ラルクの顔を見てすべてを察しつつ、背後のリゴールにそう指示を出した。

Re: あなたの剣になりたい ( No.183 )
日時: 2020/01/04 14:22
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 7dCZkirZ)

episode.180 二手に分かれて

 扉の向こうから聞こえてくるばたばたという足音に、目を覚ます。

 これが朝ならともかく、まだ夜だから、不思議に思わずにはいられない。夜中に廊下を走り回るなんてこと、平常時にはあり得ないだろう。

 そんなことを考えて、様子を見てみるかどうか迷っていた時、誰かが扉をドンドンと叩いた。

 普通に訪ねてきたにしては時間がおかしい。それに、ノックの仕方も乱暴だ。何でもない時にこんな強いノックをしたりはしないだろう。

 だから私は、扉を開けてみることにした。

「誰……?」
「エアリ! わたくしです!」
「え、リゴール!?」

 扉を開けた時、すぐ目の前に立っていたのはリゴールだった。
 でも、遊びにやって来たとか眠れなくてとか、そういった雰囲気ではない。そういう理由の訪問にしては、表情が硬いのだ。

 不自然なのは表情だけではない。

 暗闇の中だからはっきりと見えるわけではないものの、日頃より顔色が悪い。それに、額に汗の粒がいくつも浮かんでいる。

「夜分にすみません! 敵襲なのです!」
「え!?」

 リゴールの言葉は、とても納得できるものだった。

 ……でも、こんな夜に敵がやって来るなんて。

「敵が来ているの!?」
「はい。今は駆けつけてくれたウェスタが時間を稼いでくれています」

 こんな夜間に駆けつけることができたウェスタは凄いと思う。でも、呑気に感心している場合ではない。彼女一人に押し付けるわけにはいかないのだから。

「分かったわ。持つ物持って、すぐ行くから」
「すみません……」

 リゴールは、申し訳なさそうに頭を下げているが、一方で助けてくれと懇願しているかのような目つきをしている。だから私は、これは助けに入らないわけにはいかない、と思って、すぐにペンダントと剣を取りに走った。

「お待たせ、リゴール」

 ペンダントだけで良ければ軽いし便利なのだが、緊急時ゆえ、リゴールと離れ離れになる可能性もゼロではない。ペンダントしか持っていなかったらその時に戦えなくなってしまうので、一応、剣の方も持っていくことにした。

「ありがとうございます……」
「いいのよ。で、敵はどこ?」

 数分前に目覚めたばかりだが、眠気を感じない。妙に覚醒してしまっている。
 でも、今の状況においては、意識がはっきりしている方が良い。
 すぐに戦いになるかもしれないのだから、寝惚けているよりかは、妙に覚醒してしまっている方が遥かにましだ。


 リゴールに案内され、ウェスタと敵が戦っているという場所の付近まで移動。曲がり角の陰に隠れて、交戦中の二人の様子を確認する。

「あの男の人が……敵?」
「はい」

 ウェスタと戦っているのは男性だ。
 でも、私は見たことのない人。

「彼もブラックスターの人なの?」

 ひそひそ声でリゴールに尋ねてみた。
 すると彼は小さな声で答えてくれる。

「はい。弓を使ってきます」
「弓……何だか新鮮ね」

 ブラックスターの者で弓を使ってくる者というのは、私の記憶の中にはない。それだけに、驚きだった。

 しかも、接近戦がまったくもって駄目ということではないようだから、なおさら驚き。ウェスタと戦っている今の様子を見ていると、それなりに動ける人物であることはよく分かる。

 遠距離からの攻撃を極め、接近戦を大の苦手としているのなら、私が剣を持って突っ込んでいっても倒せるかもしれない。でも、体術も使えるのなら、ただ突っ込んでいっても勝てはしないだろう。

「強そうね」
「交戦回数が少ないので、手の内が完全に分からないところも不安です……」

 リゴールの発言に、確かに、と思う。

 勝つためには、まず敵を知るところから。どのような動きをし、どのような手を持っているのか、そこを把握することができるか否かが、結果的に大きな差を生むこととなるだろう。

 だが、本人に直接聞くわけにはいかない。
 そこが難しい。

 もっとも、圧倒的な力の差があれば話は変わってくるのだが。

「……じゃあ取り敢えず、私が出ていってみるわ」

 ついぐだぐだと考えてしまうが、こうしている間にもウェスタは戦っている。いつまでも彼女を無理させ続けるわけにはいかない。

 だからこそ、私はそう言ったのだ。

「エアリが、ですか?」
「そうよ。リゴールが出ていくよりましなはずだわ」

 敵はリゴールを狙っているのだろうから、リゴールを晒すわけにはいかない。

「……では、わたくしは次へ。グラネイトを呼んできます」
「ありがとう」

 こういう時は、一人でも多い方が心強い。
 その一人がグラネイトであったとしても、心強いことに変わりはないだろう。きっと。


 リゴールが行ってから、私は交戦中の二人の前に姿を現す。

「こんな夜に何をしているの」

 ぶつかり合っていたウェスタと敵と思われる男性は、同時に、一旦動きを止めた。そして、私の方へと視線を注いでくる。

「ウェスタさんはともかく……貴方は誰?」

 私は二人の方へ足を進めながら、そんな問いを放つ。

 男性が敵であることは知っている。ブラックスターの手の者なのだろうということも分かっている。ただ、いきなりすべてを把握しているような振る舞いをしたら、違和感を抱かれるかもしれない。だから私は、敢えて、分かりきったことも問う道を選んだ。

 私の問いに、男性は淡々とした声で答える。

「ブラックスター、ラルク。元王子の命を頂戴するべく、ここへ来た。邪魔しないでいただけるとありがたいのだが」

 夜の闇の中、男性——ラルクの低い声が不気味に響く。

 それほど大きな声ではないのだが、妙に迫力があり、怯みそうになってしまった。

 でも、すぐに心を立て直す。
 怯んでいる場合ではない、と、自身を叱って。

「申し訳ないけど、そんなことはさせられないわ。ここを血で濡らすのは止めて」
「では、元王子を差し出していただけるか? ……それならここを汚すこともあるまい」

 連れていって別の場所で殺めれば、この場所を血に濡らさずに済む。そういうことを言っているのだろうか。

 だとしたら、馬鹿げた話だ。

 私は、この屋敷を血で汚したくないからという理由だけで、拒否したわけではない。

 それに、ブラックスターの者にリゴールを渡すなんて、できるわけがない。そんなことをしたら、彼は確実に殺される。もし私がリゴールの身をラルクに渡したら、それは、ブラックスターに協力したも同然だ。

 だからこそ、私ははっきり言う。

「断るわ」

 するとラルクはふっと微かに笑みをこぼす。

「……気の強いお嬢さんだ」

 ——そして、一瞬にしてこちらへ接近してきた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.184 )
日時: 2020/01/05 04:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6Z5x02.Q)

episode.181 今は仲間

 目にも留まらぬ速さで接近してくる、男性——ラルク。

 避けられない!
 そう思い、反射的に目を閉じる。

 だが、少しして恐る恐る瞼を開くと、ウェスタが間に入ってくれていた。

「乱暴なことはさせない」

 ウェスタはラルクの拳を片腕で止めている。
 その表情に鮮やかな色はない。でも、瞳には、静かな強さが滲み出ている。

 これまで幾度も敵と出会い、襲われ、危機的状況に追い込まれもしてきた。そして、仲間に護ってもらったことも、多くあった。けれど、こんな感情を抱くことはなかった——かっこいい、なんて。

 なのに今、ウェスタに対して私は、「かっこいい」という感情を妙に抱いてしまっている。

「裏切り者風情が……!」
「何とでも言えば良い」

 さらりとした銀の髪も、冷ややかな視線を放つ紅の瞳も、感情を感じさせない無の表情も。そのどれもが、今は、彼女をかっこよく見せる要素へと変貌している。

 私が心奪われている間にも、ウェスタは次の手を打とうとしていた。
 右の手のひらを上に向け、炎の術を発動させる。

「敵には躊躇しない」
「同胞に牙を剥くとは、哀れな女だ……せいっ!」

 ラルクはジャンプしながら膝蹴り。
 ウェスタの顔面辺りを狙っての蹴りだった。

 だが彼女は確実に反応。両腕でその蹴りを防ぐと、右手にまとわせていた炎を一気に放出する。

 ラルクは宙で体を捻り、炎を回避。
 そこから流れるように弓を構え、着地と同時に矢を放つ。

 トランが使っていたような術で作り出した矢ではなく、本物の、この地上界でも売っていそうなタイプの矢だ。

 しゅっ、と、軽い音をたてて飛んでくる。

 一般人ならかわすことはできないであろう速度。だがウェスタは、右手に宿っている炎を小さく飛ばして、矢を焼失させた。

「ウェスタさん、私も協力するわ!」
「エアリ・フィールドの力を借りるほどの敵ではない」

 せっかく勇気を出して言ってみたのに、驚くほどあっさりと断られてしまった。悲しい。
 私は内心がっかりする。
 だがウェスタは、そんなことはまったく気にしていなかった。


 ◆


 その頃、エアリと別れたリゴールは、グラネイトがいるであろう部屋へと向かっていた。

 部屋の前に到着すると、軽く数回ノックする。
 しかし返答はなし。

 真夜中だから仕方がないと言えば仕方がないのだが、その程度で諦めて戻れるような状況ではない。
 リゴールは少々申し訳なさそうな顔をしつつ、ドアノブに手をかける。そして、恐る恐る、それを捻ってみる。

 すると、扉は開いた。

 意外なことだが、鍵はかかっていなかったのだ。

 室内の者に許可を取らず、勝手に扉を開けて入室する——その行為には抵抗があるようで、リゴールは、すぐには部屋に入らなかった。けれど、数秒が経過して、心を決めることができたようで。ついに部屋の中へと足を進める。

 殺風景な室内。
 床に、グラネイトが寝ていた。

 彼はリゴールがこっそり侵入していることにまったくもって気づいていない。かなりぐっすりと眠っているようだった。

 その横には、敷いているタオルと乱れた掛け布団。そちらは、使っていた形跡はあるものの、誰も寝ていない。リゴールは「ウェスタの分だろうな」と判断したようで、そちらにはさほど意識を向けていなかった。

 リゴールは音もなくグラネイトに接近していく。
 そして、二メートルくらい離れている位置から、寝ている彼に声をかける。

「あの、少し構いませんか」

 しかし返事はない。
 爆睡しているグラネイトの耳には、リゴールの控えめな声は届いていない。

 リゴールは「困った」というような顔をしながら、さらに足を動かす。ゆっくり、静かに、グラネイトに近づいていく。

 今度は一メートルくらいの場所からの声掛け。

「すみません!」

 瞬間、グラネイトは何やらむにゃむにゃ言いながら、寝返りをした。大きな体での寝返りは謎の迫力がある。

 ただ、それだけだった。

 グラネイトは寝惚けて少し動いただけ。まともな返答はなし。

 驚かせまいと色々考え努力してみていたリゴール。だが、さすがに「驚かせないように起こすのは難しい」と思ってきたのか、彼にしては大きく一歩を踏み出した。

 グラネイトの枕元へ向かい、そこで座り込む。
 そして、叫ぶ。

「起きて下さい!」

 リゴールにしてはかなり大きな声。遠慮を感じさせない叫び。

 数秒後。
 さすがに聞こえたらしく、グラネイトはゴソゴソと体を動かし始める。

 今までは全然反応しなかったグラネイトが反応したのを見て、リゴールは若干固い表情になる。彼は緊張したような面持ちでグラネイトを見下ろし続けていた。

 さらに十数秒が経過し、グラネイトの瞼がゆっくりと開く。

「な……何だ……?」

 瞼が開いているのは微かで、日頃ほど意識が戻っているわけではないようだ。
 ただ、目覚めてはいる。
 それまでのリゴールが呼びかけた時とは違う反応。

「今何時だ……?」
「いきなりすみません、リゴールです」

 リゴールは緊張した面持ちながら、しっかりと話すことができていた。

「んな……? どういうことだ……?」
「力を貸していただきたくて、ここへ参りました」

 寝起きのグラネイトは状況を飲み込めていない。いや、それどころか、現在の状況をまったく理解できていない様子だ。そんな頼りない状態ながら、上半身を自力で起こしてくる。

「リゴール……王子、か……なぜここに」
「勝手に入ってすみません」
「いや、それはいいが……しかし……」

 起きたてのグラネイトは手の甲で目を擦っている。
 目もとには微かに涙の粒。

「……何事だ?」
「夜中ですが、敵襲なのです」
「敵襲だと……?」
「はい。ウェスタ……さんは既に戦って下さっているのですが……」

 リゴールがそこまで言った時、グラネイトの態度が急に変わる。

「何だとッ!?」

 それまでの寝惚けたような様子はどこへやら。目はぱっちり開き、声は大きく、日頃の彼のような様子に急変した。

「ウェスタが戦っているのか!?」
「はい」

 するとグラネイトは一瞬にして立ち上がる。

「そこへ連れていってくれ!!」

 つい先ほどまでぐっすり眠っていた人物とはとても思えぬグラネイトの言動に、リゴールは少々戸惑ったような顔をする。が、そのような顔をしたのは束の間だけ。説明が省けて良かった、とでも言いたげな顔で、立ち上がる。

「案内します!」
「あぁ! 頼むぞ!」

 リゴールとグラネイト。

 かつては敵同士であった二人だが、今の二人は紛れもなく仲間。
 お互いに、そんな顔をしていた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.185 )
日時: 2020/01/05 04:06
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 6Z5x02.Q)

episode.182 完全復活!

 あちらはラルク一人。
 それに対し、こちらは二人。

 数だけで考えるならばこちらの方が多く、有利と言えるだろう。

 ただ、ラルクの戦闘能力は意外にも高い。なぜ今まで表に出て戦わなかったのだろうと疑問に思うくらいだ。

 そんな優秀な戦闘員のラルクが相手だから、一人差程度では、たいして有利になれている感じがしない。

 だが、リゴールがグラネイトを呼びに行っているということがあるから、圧倒的に不利ということはない。グラネイトが合流してくれたなら、少しはこちらが有利になるだろう。三対一なら、ラルクを不利に追い込むことができるかもしれない。

「ブラックスターで生まれ育った女が、なぜホワイトスターの者に味方する」
「誰もが初めはそう思う。でも本当は……生まれなど関係ない」

 ラルクは一旦距離を取ると、言葉で揺さぶりをかけようとする。しかしウェスタは冷静さを欠いてはいない。落ち着いて、静かな声で、きちんと言葉を返している。それにより、ウェスタよりラルク自身にストレスが溜まっていく。

「故郷を捨てた裏切り者!」
「……故郷が人生を選ぶのではない」
「勝手なことを……!」

 ラルクの声は震えていた。
 刺激しようとしていた側だったラルクが、いつの間にか刺激される側になっており、苛立ちを堪えきれなくなっている。その様は、滑稽と言わざるを得ない。

「ブラックスター王への恩義を忘れたか!」
「恩義はない」
「雇ってもらっていたのではなかったのか!?」
「使えなくなれば捨てる……そんな者に恩義などない」

 ラルクとウェスタが離れた位置で口論している間、私はウェスタの一メートルほど後ろに立って、口論の行く末を見守っていた。

 無論、「見守っていた」なんてかっこいいものではない。
 口論には入っていけそうにないから、二人の様子を観察していたというだけのことだ。


 ——その時。

 背後から何かが飛んできた。

 その何かとは、赤から黄色の間のグラデーションに染まった、直径三十センチほどの球体。
 しかも、一つではない。

 夜の薄暗い廊下を光る球体が飛んでいく様は、驚きとしか言い様がない。
 五つほどある球体は、一斉にラルクに向かっていた。

「はっ!」

 ラルクは咄嗟に弓を構え、矢で球体を撃ち落とす。
 が、五個すべてを撃ち落とすには至らず。

「しまった……!」

 咄嗟にその場から飛び退くラルク。しかし球体の爆発も早い。小規模でも爆発は爆発だ、無傷とはいかない。

「くっ!」

 すぐに大きく下がり直撃は何とか避けたラルクだったが、爆風に煽られ、吹き飛ばされる。一度廊下の壁にぶつかった体は、そこからさらに、数メートル転がってゆく。

 直後、後ろから大きな声。

「ふはは! グラネイト様、ついに復活!!」

 発言の内容から誰の発言かはすぐに分かった。が、確認のため振り返る。するとそこには、自信満々な顔をしたグラネイトと控えめなリゴールが立っていた。

「呼んで参りました、エアリ」
「ありがとう!」

 ラルクは爆風で転がっていった状態のまま。
 あれだけ優れた運動能力を持つ戦闘員ならすぐに体勢を立て直してくるかもと密かに恐れていたのだが、案外そんなことはなく。
 うつ伏せで倒れたままだ。

 ただ、体が消え始めていないことを考えると、生きてはいるのだろう。

「グラネイト……」

 いきなりのグラネイトの登場に、ウェスタは唖然としていた。何の前触れもなくやって来るとは思っていなかった、という感じだろうか。

「無事だな! ウェスタ!」
「……それはもちろん」
「それならよし!」

 ウェスタとそんなやり取りをしながら、グラネイトはズカズカと歩いてくる。足が長いだけあって、一歩も大きい。回復してきてからまだそれほど経っていないにもかかわらず、敵前に出ることに対する躊躇いは一切なさそうだ。

「体は治った。術も使える。グラネイト様、完全復活だ!!」

 やる気満々のグラネイトの登場。それを目にしたラルクは、顔の筋肉を心なしか強張らせる。二対一ならともかく三対一になったらまずい、と思っているのかもしれない。

「またもや裏切り者か……」
「夜中に騒がしくするようなやつはぶちのめす! 鬱陶しいからな!」

 グラネイトは時折馬鹿そうなところが見え隠れする人物だが、今は頼もしく見えないこともない。ラルクの顔を目にしたら、なおさら、グラネイトが頼もしく思えてくる。
 戦う気に満ちたグラネイトが前に出ている隙に、リゴールはてててと小走りで寄ってくる。

「エアリ、お怪我は?」

 私の体を妙に気遣ってくれる辺りリゴールらしいというか何というか。

「大丈夫よ。ウェスタさんが護ってくれたもの」
「そうでしたか! ……良かった」

 リゴールは頬を緩め、安堵の溜め息を漏らす。

 ——その時。

「おい! 待て!」

 急にグラネイトの叫びが聞こえたことに驚き、そちらを向く。すると、この場から逃げようとしているラルクが視界に入った。

「逃がさんぞ!」

 不利な状況に陥っていることを察し撤退を考えたのは、冷静な判断だったと言えるかもしれない。
 けど、せっかくここまで追い詰めたのだから、今さら逃がすわけにはいかない。ここで逃がしたら、立て直してまた襲ってくるだろう。それはなるべく避けたい。

「……捕まえる」

 グラネイトも追おうとはしているが、彼より先にウェスタが動く。

「ウェスタは無理しなくていいぞ!?」
「……逃がさない」

 さりげなくウェスタを気遣うグラネイト。しかし、その善意はウェスタには微塵も伝わっていないようだった。

 ウェスタは凄まじい勢いで駆けてゆく。
 そして数秒後、ラルクの服の裾を掴んだ。

 見事な動きである。

「離せ……!」
「それはできない」

 振り払おうとするラルク。しかし、少し身をよじった程度ではウェスタからは逃れられない。

 ラルクは動きを制限される。
 そんな彼に向かって、グラネイトは爆発する球体をいくつも放り投げた。

 球体が爆発する直前にウェスタは伏せる——その頭上で、いくつもの球体が破裂。

 白い煙が辺りを包み込む。
 視界が一気に白濁する。

 傍にリゴールがいることだけは分かるが、他はほぼ何も分からない状態だ。視界が悪いので、目で見て状況を確認することができない。

 それからしばらくして、煙が晴れた時、ラルクは床に倒れていた。
 伏せていたウェスタは無事。

「お、おのれ……」

 倒れているラルクが声を震わせながら発する。

「よくもこのような、危険な、ことを……」

 危険なことをしてきているのは彼らの方だと思うのだが。

「まぁいい……じきに、運命の時、は……来る……」

Re: あなたの剣になりたい ( No.186 )
日時: 2020/01/11 17:11
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: n3KkzCZy)

episode.183 ふははの偵察

 ラルクの肉体が消滅した直後、ドォンという低い音が響いた。音は玄関の方からだ。

「何事でしょう……!?」

 音とほぼ同時に、建物全体が揺れるような感覚を覚えた。それは私だけではなかったようで、すぐ隣にいるリゴールは、衝撃を受けたような顔になっている。

「まさか、新手かしら」
「そんな……!?」
「今の音は玄関の方よね」

 朝はまだ来ない。日の出の時刻はもうしばらく先だ。
 薄暗い夜の闇の中で不気味なことが連続すると、どうしても憂鬱な気分になってしまう。落ち込んでいる場合ではないと頭では分かっていても、前向きな思考を保つことは難しい。

「取り敢えず様子を見に行ってみるわ」
「エアリ、ではわたくしも……つぅっ!」

 言いかけて、リゴールはバランスを崩す。
 膝を折り倒れてくる彼の華奢な体を、私は、反射的に支えていた。
 リゴールは背が高くないし細い体つきだから咄嗟に支えることができたが、もし相手がもっと大柄な者であったなら、すぐに支えることはできなかっただろう。

「大丈夫?」
「すみません……」

 いきなり謝罪。答えになっていない。

「怪我していたの?」
「ラルクが繰り出してきた蜂のような生物に……少し刺されまして」

 気が緩んだら痛みが襲ってきたということなのだろうか?

「変ですね、今さら痛みが来るとは……」
「そうね。取り敢えず、少し休んだ方が良いわ」

 するとそこへ、グラネイトが口を挟んでくる。

「ふはは! 玄関の様子はグラネイト様が見てきてやってもいいぞ!?」

 グラネイトは私とリゴールの会話を聞いていたようだ。

 そういうことなら話は早い。
 少々申し訳ない気はするが、ここは彼に頼ろう。

「じゃあお願い」
「承知した!」

 それからグラネイトは背後のウェスタに視線を向ける。そして「ウェスタは二人についていてやるといい!」などと述べた。

 グラネイトの指示に対し、ウェスタは、渋柿を食べたような顔をする。
 彼の指示には納得していない様子だから、断るのかと思いきや、意外にも彼女は首を縦に振った。気をつけろ、とだけ言って。

 こうして、私たちは三人になる。

 場に残っているのは、私以外だと、体の痛みを訴えているリゴールと戦いで消耗しているであろうウェスタのみ。

 ここは私がしっかりしなくては。

「……エアリ・フィールド」
「ウェスタさん?」
「ここからどう動く」
「あ、そうだったわね。それを考えなくちゃ」

 モタモタしている暇はない。
 リゴールも早く休ませたいし。

「どうする? リゴール」
「え、わたくしですか」
「休みたいわよね」
「は、はい。できれば……ただ、無理は言いません」

 言い方は控えめだが、休みたいことは事実なのだろう。なら、どこかゆっくりできるところへ連れていかなくては。

「……兄さんの部屋は?」

 突如、ウェスタが提案してきた。

「あ、それ良さそうね! リゴールはどう?」

 ウェスタの提案に「そうか!」と思う。私にはない閃きだった。だが、良い閃きだ。デスタンの部屋なら、リゴールも十分落ち着けるだろう。

「睡眠の邪魔をしては申し訳ないですが……行けそうなら行ってみたいです」

 一応本人にも確認してみたが、賛成してくれそうだ。

「じゃ、決まりね!」

 リゴールが言うように、デスタンの睡眠を妨げることになってしまうかもしれないところは少し申し訳ない。でも、今は緊急時だから、デスタンとて怒りはしないだろう。彼は根は優しいタイプだから、もし起こすことになっても、きっと大丈夫なはず。


 ◆


 エアリら三人と別れ、移動の術で玄関付近へ向かったグラネイトは、壁の陰に隠れながら様子を確認し、愕然とする。

 玄関の扉が開き、ブラックスター王が佇んでいたからだ。

 王の傍には、頭に布巾を巻いた素朴な印象の青年が一人、さりげなく控えている。

 基本勢いで突っ込んでいくタイプのグラネイトではあるが、王の登場にはさすがに動揺していた。

 そもそも、ブラックスターの王たる人が地上界へ来ることなどあり得ないため、それだけでも驚くべきことなのだ。

 グラネイトは壁の陰に身をひそめ、王と布巾を巻いた青年の様子を窺う。

「王様、ここが目的地なんだべ?」
「その通り」
「す、凄い屋敷だべ……! こんなところにホワイトスターの王子がいるなんて、驚きだべ」

 二人が何やら話しているのを、グラネイトは盗み聞き。

「でも、勝手に入って不法侵入にならないべ……?」
「財産は盗らぬゆえ問題ない」
「な、なら良かったべ」

 酷なことを繰り返してきたブラックスター王とは思えぬ、当たり障りのないあっさりとした会話。だが、だからこそ、グラネイトは不気味さを感じた。リゴール殺害に関係することなどを話している方が、違和感がなく、まだしも自然である。

 その時、王はグラネイトが隠れている壁の方を一瞥した。

「……ぬぅ」

 王は怪訝な顔をする。
 それに気がついた青年は、王に尋ねる。

「どうしたべ?」

 問いに、王はさらりと答える。

「人の気配を感じただけのこと。気にするな」

 そう答える王は落ち着き払っていた。

 述べる言葉も、発する声も、冷静そのもの——王の風格がある。

 小さなことでいちいち狼狽えるような者は、王にはなれない。否、王になることだけならできる。が、王に相応しいとは言えない。

 常に冷静さを保ち、現状を理解しながら、命令を発する。
 それができる者こそが、王には相応しい。

「もしかして、不法侵入がバレたべ!?」
「落ち着けダベベ。慌てるな」
「ご、ごめんなさいべ……」

 結局グラネイトは彼らの前に姿を現すことはせず、引き返すという道を選んだ。二対一では勝てないと判断したからである。


 ◆


「王子、お体はどうです?」
「お気遣いありがとうございます……夜分に失礼しました」

 私たちは、今、デスタンの部屋にいる。
 リゴールを休ませるためデスタンの部屋を訪ねた時、彼は起きていた。彼の話によれば、騒ぎではなく揺れによって目が覚めたらしい。

「しかし、寝込みを襲うとは……卑怯にもほどがあるというものです。許せません」

 蜂のような生物に傷を負わされ疲労しているリゴールを、デスタンは熱心に気遣っている。話を聞いたり、手を握ったり、リゴールが落ち着けるよう考えて頑張ってくれているようだ。

 そんな最中、室内にグラネイトが出現した。

「ふはは! 偵察完了!」

 第一声は相変わらずのノリ。
 しかし、すぐに真面目な顔になる。

「……あれはまずいぞ」

 その言葉に、室内にいる皆の表情が固くなる。

「ブラックスター王が来ている」

Re: あなたの剣になりたい ( No.187 )
日時: 2020/01/11 17:12
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: n3KkzCZy)

episode.184 緊迫の静寂

「ブラックスター王!?」

 偵察に行っていたグラネイトからの言葉を受け、私は思わず叫んでしまった。夜中に大きな声を出すのは問題だと分かってはいるのだけれど、驚きの声を発することをせずにはいられなかったのだ。

「そんな。王様がこの屋敷に来るなんて……でもどうして」
「知らん! ただ、これは結構まずいぞ!」

 言われなくても分かっている。こんな夜中にブラックスター王本人がやって来たのだから、どう考えてもまずい状況だ。もし今の状況をまずいと思わない者がいたとしたら、それは楽観的過ぎる人。否定はしないが、その人が変わっている、と捉える方が正しいだろう。

「……王は一人?」

 尋ねたのはウェスタ。
 彼女はまだ冷静さを保っている。

「護衛が一人ついているようだったぞ」
「では二人?」
「ふはは! そうなるな!」

 室内に重苦しい空気が立ち込める。大雨が降る一時間前くらいに見られる厚い雨雲のような重々しい空気が、部屋中を満たしている。

 ベッドに腰掛けているリゴールは不安に瞳を震わせ、そんな彼に寄り添うデスタンは固い表情。ウェスタは冷静さを失っていないが、緊迫した表情ではないと言えば嘘になるような顔。そして私は、多分、動揺丸出しの顔つきをしてしまっていると思う。

 ブラックスター王がリゴールの命を狙っているのだから、いずれは王と顔を合わせることになるのだろう。戦わなくてはならない可能性だってある。

 それは分かっていたこと。

 なのに、いざその時が来たら、怖くて仕方がない。
 今から私たちに訪れる未来が怖くて、言葉を失ってしまう。何か言葉を発することで緊張をほぐそうと思っても、何も言えない。口が動かない。

 そんな情けない状態になってしまっていた私に、ウェスタが声をかけてくる。

「エアリ・フィールド」
「え?」
「そんな顔をすることはない。ここには皆いる」

 ウェスタの口調は冷ややかなものだ。しかし、その根っこの部分には、彼女なりの優しさがあるのだろう。励まそうとしてくれていることがよく伝わってくる。

「そうだぞ! 弱気になるな!」

 さりげなくグラネイトまで話に入ってくる。

「ウェスタさんも、グラネイトさんも……ありがとう」
「王は恐らく無関係の者には手を出さない。だから、母親などに影響が及ぶことはない。ふはは! そこは安心だ!」
「そう……なら良いのだけれど」

 励ましてもらっても、抱いた不安が消えるわけではない。風船を針で突くのとはわけが違うから。
 でも、いつまでもくよくよしているわけにはいかない。
 いつか必ずその時は来る。その時が来たら、覚悟を決めなければならない。もう引き返せないのだから、恐れることに意味などありはしないのだ。

「……ところで、ブラックスター王はどのようにしてここへ来るのでしょう?」

 それまでベッドに腰掛けて不安げな面持ちでいたリゴールが、唐突に口を開いた。

 リゴールが発した疑問は、確かに、と思えるものだった。

 なんせ私たちはブラックスター王を知らなすぎる。

 どのような手を使ってくるのか知らないどころか、移動の術を使うのかどうかなど戦闘以外の情報さえほとんど持っていない。

「我々が使うような移動の術を使っているところは見たことがない。……移動手段を隠している可能性はゼロではないが」

 リゴールの問いに一番に言葉を返したのはウェスタだった。

「そうなのですか?」

 ウェスタからの返答が意外だったのか、リゴールはきょとんとした顔をする。

「王が王の間から出ていくところは、ほとんど見たことがない」
「それは、移動能力が低いということなのでしょうか……?」
「絶対とは言えないが、その可能性はある」
「うぅ……何とも微妙な情報ですね……」

 可能性はある。
 絶対とは言えない。

 そんな不確かな情報しか得ることができず、リゴールは渋い顔をする。

 ウェスタは、ブラックスター王に仕えていたとはいえ、彼に一番近かったわけではないだろう。だから、彼に関する重要な情報を持っていないのは、ある意味仕方のないことと言える。

 ……ただ、少しは情報が欲しい。

 人間、よく分からないものほど恐ろしいものはない。それはつまり、対象を少しでも知っていれば向かい合う時の恐怖も少しは減る、ということだ。


 その時。
 コンコン、と、乾いた音が耳に入ってきた。


 少しは緩んでいた室内の空気が、一気に変わる。
 部屋の中にいる誰もが緊張を隠せてはいなかった。

「……まさか」

 掠れたような小さな声を漏らすのは、リゴール。
 その少年のような面には、緊張のみならず、恐怖の色までもが滲んでいる。

 無理もない、命を狙われているのだから。

「恐れることはありません、王子」
「し、しかし……」

 デスタンはリゴールのすぐ隣に腰を下ろし、その細い手を音もなく握る。また、前髪に隠れていない右目から放たれる視線は、穏やかそのものだ。今のデスタンの目つきは、日頃の彼の目つきとはまったく違う。別人のようだ。

 静寂の中、再びノック音が響く。
 大きくはないノックだが、先ほどのノックよりかは少し強めだ。

 もしかして、バッサとかなんじゃ——そう思い扉へ近づこうとした私の手首を、ウェスタが掴んだ。

「待って」
「ウェスタさん?」
「今は出ない方が良い」

 首を左右に振りながら、彼女は私を制止してきた。

「でも、もしかしたら敵じゃないかもしれないわ……使用人とか母とかかもしれないし……」

 私はそう言ってみるけれど、ウェスタは手を離してくれない。

「その証拠はない」

 ウェスタは何げに結構な握力がある。そのため、手首を掴まれてしまうと、彼女が手の力を緩めない限り逃れることはできない。全力で振り払えば何とか逃れることはできるかもしれないが、そこまですることはないだろう。

「様子を見た方が良い」
「そう……」
「通り過ぎてくれれば幸運。無理に仕掛けてくるなら交戦。いずれにせよ、こちら側から動くべきではない」

 ここまで言われたら仕方がない。私は「そうね」と返して、様子を見に扉の方へ向かうことを止めた。

「じゃあ、このまま様子見?」
「……そうすべき」
「分かった。従うわ」

 素人判断で勝手に動いて周囲まで危険に晒すことになったら、目も当てられない。危険な目に遭い、周りにも迷惑をかけるなんて、とにかく最悪のパターンだ。

 そこで、さらにノック。
 前回よりも強い力で叩いているらしく、音も若干大きい。

「すみませーん!」

 ノックの直後、声が聞こえてきた。
 聞き慣れない声だが、平和的な雰囲気を持った声だ。

「ちょっと失礼したいんだべ! 入っていいべー?」

 どこにでもいそうな声色。
 素朴ながら友達になれそうな話し方。

 さほど悪い人ではなさそうなのだが……。

Re: あなたの剣になりたい ( No.188 )
日時: 2020/01/15 20:59
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFblzpHM)

episode.185 首筋が粟立つ

「お邪魔してもいいべ?」

 扉の向こうから聞こえてくるのは、純粋そうな男性の声。
 声を聞く分には、いかにも悪人といった雰囲気ではない。だが、夜に他人の家に入ってきているというだけで犯罪に近い行為なので、善良な一般人と判断するわけにはいかないだろう。

「……どうする、グラネイト」
「声の主は多分王の護衛だぞ。出ない方が良い」

 いつもは騒々しいグラネイトも、今は小さな声で喋っている。日頃は大きな声ばかり出す彼だが、声のボリュームの調整は少しくらいはできるようだ。

「もし今入っちゃ駄目なら、そう言ってほしいべ! そしたらちょっと待つべ!」

 返事した方が良いのか否か、難しいところだ。

 ここにいるのが私一人だったら、恐らく、とっくに返事していただろう。でも今は制止してくれる者が傍にいる。だから、すぐに返事してしまったりはしない。

「返事なしだべ? 誰もいないってことだべな? じゃあ——」

 その直後。
 ばぁんと刺々しい音が響き、一瞬にして扉が飛散した。

 私は反射的に両腕を体の前に出す。防御するような体勢で。しかし、飛散した扉の破片は、私には命中しなかった。

 おかげで無事。幸運だ。
 だが、破片が命中しなかったからといってすべてが上手くいったというわけではない。

「ちょっくら失礼するべ!」

 少量の埃が舞い上がる中、現れたのは一人の青年。
 頭に布巾のようなものを巻いているところ以外、すべてが平凡な青年。少し気の弱そうな顔立ちをしている。

 彼はキョロキョロと辺りを見回し、人の陰を目にするや否や、ハッと目を開く。

「……んあ?」

 青年は凛々しい顔立ちではないから、少しばかり間抜けな印象がある。
 が、だからこそ怪しさを感じてしまう。

「人がいるべか……?」

 部屋に人間がいることには気づいたものの、誰がいるのかまではまだ分かっていないようだ。

 そんな青年に向け、グラネイトは球体を放つ。
 球体は驚くべき速さで飛んでゆき、青年の近くで一斉に爆発。恐るべき先制攻撃である。

 ——だが。

「あれ? 今、何か起こったべ……?」

 爆発によって発生した煙が晴れた時、青年は無傷でその場に立っていた。
 意外と落ち着いている。
 大爆発とまではいかないが、それなりの爆発ではあった。いきなり爆発に巻き込まれれば、普通は、無傷であったとしても取り乱しそうなものだが。

「……効いていないだと!?」

 見ていた私も驚いたが、グラネイト本人も愕然としていた。
 その声を聞いてか、青年は急に視線をグラネイトに向ける。

「兄さん確か——裏切り者の中にいたべな」

 最初目にした時は素朴な印象だったが、今は少し違った雰囲気をまとっている。上手く言葉で説明はできないが、どことなく冷たさや鋭さがある、といった感じだろうか。

「取り敢えず倒すべ」

 青年は床を蹴る。
 そして、一気にグラネイトの方へ接近する。

「何っ!?」
「ごめんべ」

 青年が取り出したのは短剣。
 彼はそれを、一切の躊躇いなく、グラネイトに向けて振る——だが、一筋の炎がそれを制止した。

 そう、ウェスタが術を放って青年の攻撃を妨害したのだ。

「何だべ!?」

 想定外の乱入に戸惑う青年。状況を飲み込もうとするあまり、決定的な隙が生まれる。

 グラネイトはそこを見逃さなかった。

 遠心力も加えつつ、長い脚で回し蹴りを放つ。

 炎がやって来た方向に意識を向けていた青年は、すんでのところでグラネイトの蹴りに気づいた。が、それを避けられるほどの反応速度はなくて。結局、青年はグラネイトの回し蹴りをまともに食らうこととなった。

「だべっ!?」

 右脇腹に蹴りを入れられた青年は、勢いよく飛んでいく。そして、かつて扉があったところの縁に激突。そのまま床に崩れ落ちる。

「ふはは! グラネイト様に勝てると思うなよ!」
「……一人だったらやられてたと思うけど」
「だな! ふはは! ウェスタの発言はいつも痛いところを突いてくるぞ!」

 グラネイトは相変わらずのハイテンション。しかし、ここしばらくは小声で話していることが多かったので、この騒がしい声を聞くのは久々な気がする。何だか妙に懐かしい。

「うぅ……いきなり酷いべな……」

 ホッとしたのも束の間、青年はもう起き上がってきてしまう。
 グラネイトの回し蹴りの直撃を受けながら、数十秒ほどで立ち上がることができるとは、驚きのタフさだ。

「でも、やっぱり王様の言う通りだべ」

 青年は短剣を握っていない方の手で右脇腹を擦っている。しかし、痛そうな顔をしているわけではない。痛いのか否か、よく分からない。

「裏切り者は危険な人たちだべ」

 素朴な印象だった彼の口から出てくるのは、危険な空気の漂う言葉。

「罰を与えるべきだべ」

 青年がそこまで言った、その時——。

「そうだな、ダベベ」

 突如、地鳴りのような低い声が部屋に響いた。

 それを聞いた瞬間、グラネイトとウェスタの表情が凍りつく。
 確かに迫力のある低音だ。でも、聞いただけで血まで冷えきるほど恐ろしい声ではない。それに、言葉自体も、そこまで恐怖心を掻き立てるようなものではない。にもかかわらずグラネイトとウェスタが顔を強張らせたのは、多分、その声の主が絶対に会いたくなかった者だからなのだろう。

「ダベベ、お主は良い子だ。これからも我がブラックスターの忠実な家臣であれ」
「そ、それはもちろんだべ」
「良い」

 ダベベと呼ばれている、最初は素朴な印象だった青年。その後ろから、一人の男が現れた。

 黒い装束に身を包んだ、痩せ型の男。
 地獄の底から這い上がってきたかのような禍々しい空気をまとっている。

「さて。裏切り者ども……久しいな」

 男がこちらへ視線を向けた瞬間、首筋が粟立つのを感じた。

 いや、厳密には、彼が視線を向けたのは私ではない。彼が見たのはグラネイトとウェスタだ。

 にもかかわらず、私までぞっとした。
 それほどに、男の目には憎しみが渦巻いていたのだ。

「では見せしめといこう」

 男はそう言って、裾の広い袖に覆われた片腕を静かに持ち上げる。すると、彼の視線の先にいたグラネイトの首もとに、黒いリングが現れる。そのリングは数秒で、状況が掴めず戸惑っているグラネイトの首に、ぴったりと装着された。

「何だこれ……!?」

 グラネイトは混乱している。

 その間に、男はぱちんと指を鳴らした。
 すると驚いたことに、黒いリングがグラネイトの首を絞め始めた。

「ちょっと! 何するの!?」

 私は思わず叫んでしまう。
 すると男に睨まれた。

「裏切り者を許してはならぬ。それを皆に知らしめるためにも、裏切った罪人には厳しい罰を与えるべし」

Re: あなたの剣になりたい ( No.189 )
日時: 2020/01/15 21:01
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFblzpHM)

episode.186 我が女となるならば

 グラネイトに絞まる首輪を装着させた王は、ゆったりとした足取りでウェスタの方へ向かっていく。ウェスタは口を開きはしないが、警戒心剥き出しの顔で王を睨んでいる。

「お主は……我が女となるなら許してやらんこともないぞ」

 王はウェスタに衣服が触れ合うほど近づき、片手を伸ばす。そしてその指先で、ウェスタの顎をそっと撫でる。

「ウェスタに触るな!」

 グラネイトが叫ぶ。
 王の手がウェスタに触れるのが耐えられなかったのだろう。

「男は黙れ」

 大きな声を出したグラネイトを、王は恐ろしい目つきでを睨む。それはもう、血まで凍りつきそうな睨み方だった。

 直後、グラネイトは漏らす。

「う……ぐっ、またか!?」

 彼は首を気にしている。どうやら、王が睨んだのと同時に、首輪が再び絞まり始めたようだ。

「裏切りは罪。しかし、女として我に仕えることを誓うなら、水に流してやっても構わぬ」

 王はウェスタの顎を舐めるようにゆっくり撫でてから、彼女の背に片腕を回す。そして、その身を一気に引き寄せる。

「どうだ?」
「断る」

 ベタベタとウェスタに触れる王に腹が立っているのか、グラネイトは震えていた。こめかみには血管が浮かんでいる。

「我が女となることこそ、ブラックスターの民、皆の幸福……にもかかわらず、拒むというのか?」

 最初素朴そうだった青年——ダベベは、様子を見ているだけ。王の少し後ろに控え、動かない。今のところ仕掛けてきそうな感じはない。

 グラネイトはまだ怒りに震えている。

「……だが、一つ条件がある」

 王に接近され、触れられているにもかかわらず、ウェスタは落ち着き払っていた。
 もしかしたら、そう見せているだけかもしれないけれど。

「何だと?」
「ホワイトスターの王子は無害。それゆえ、見逃すというのはどうか」
「馬鹿なことを」
「彼を見逃してくれるなら……王の女になってもいい」

 驚きの進言だ。
 ただ、ブラックスター王がすんなり頷くとは思えないけれど。

「馬鹿め、それは無理だ」

 やはりそうなった。予想通りの展開だ。王がウェスタの出した提案を飲むなんてことは、あり得ない。

 グラネイトは、ウェスタに触れている王の手を凝視し、全身をガタガタと震わせている。

 首輪が首を絞めてくるのは、今は止まっているようだ。そういう意味では、少し安心。でも、首輪がいつまた動き出すかは分からないから、油断はできない。

「では、グラネイトに首輪をつけない代わりに口づけというのはどうか」
「それは禁止ッ!!」

 ずっと震えていたグラネイトが、ついに口を開いた。

「ウェスタの唇はグラネイト様のものだぞッ!!」
「馬鹿」
「んなっ!? ウェスタ! ここで『馬鹿』は酷くないか!?」

 グラネイトはある意味平常運転と言えよう。
 ウェスタは彼に構わず、王へ視線を戻す。

「どうだろう」
「なるほど……お主、なかなか面白い。気に入った」

 ——次の瞬間。

 王はウェスタの体を抱き寄せ、唇をつけた。

 それと同時にグラネイトの首輪が外れる。
 しかしグラネイトは、首輪が外れたことなどちっとも気づいていない。

「おおぉぉぉぉいッ!!」

 ウェスタの唇を奪われたことがよほどショックだったのか、グラネイトは床に伏せて大声をあげる。しかも大声をあげるだけではない。両の拳をドンドン床に叩きつけている。

 やがて、口づけを終えた王は、ニヤリと笑いながらグラネイトを見下す。

「首を折るより心を折る方が愉快だな」

 ……悪質だ。

「そして」

 直後、王は急にウェスタの腹を殴った。

「っ……!?」

 防御する間もなく打撃を受けたウェスタは、唖然とした顔で数歩後退する。

「この一撃は、我が女になることを拒んだ罰だ」
「くっ……!」
「そして」

 一秒も経たないうちに、黒い首輪がウェスタの首についた。

「これは裏切りの罰よ」
「そうくる、か」
「安心しろ。お主の面白さに免じて、そこの馬鹿男には首輪をつけないようにしてやる」
「……それで十分」

 首輪に首を絞められそうになったウェスタに、グラネイトは駆け寄る。

「ウェスタ! 何をしている!」

 グラネイトが大慌てで駆け寄って来ても、ウェスタは落ち着いた表情のままだ。首輪に狼狽えるどころか、炎を出現させて戦闘体勢に入っている。

「……グラネイトは護衛を抑えろ」
「だがウェスタ! 首が!」
「まだいける」

 ウェスタは帯状の炎を出現させつつ、王に向かっていく。
 彼女は仕掛ける気だ。
 王は動かない。しかし、護衛役のダベベが立ち塞がる。

「させないべ!」

 だが一対二ではない。王にダベベがいるように、ウェスタにはグラネイトがいる。

「邪魔をするな!!」

 グラネイトの怒りは頂点に達している。そんな彼の蹴りは、言葉で表せない、尋常でない威力。ダベベの体は一瞬にして後方へ吹き飛んだ。

「正面から挑むか、馬鹿女」

 刹那、首輪が急激に絞まり出す。
 ウェスタの目が見開かれた。

「死ね」
「……あ」

 ウェスタの動きが崩れた。
 数秒でバランスを崩し、ぐらりとよろける。

 そして——その腹部を、黒いものが貫いた。

「ウェスタ!!」

 ダベベを蹴り飛ばしたところだったグラネイトは、ウェスタが腹を貫かれたところを見て、悲鳴のような叫びを放つ。
 だが、ウェスタの方へは行かず、王の体に回し蹴りを叩き込んだ。

「ぬぅ!?」

 想定外の方向からの攻撃に、王は膝を曲げる——そこへ、ウェスタの炎が迫る。

「ぐぁ!」

 王はバランスを崩していたため避けきれなかった。
 着ていた衣服に炎が移る。

「く……ここは一旦退く!」
「ま、待つべ……」
「ダベベは自分で退け!」
「わ、分かったべ……」

 こうして、ブラックスター王とダベベは撤退したのだった。


 静寂が訪れる。
 敵は去ったが、ホッとはできない。

「ウェスタ! しっかりしろ!」

 腹を貫かれていたウェスタに駆け寄ったグラネイトが、沈黙を破る。

「ウェスタ! 聞こえるか!?」
「……うる、さい」
「なぜあんな無茶をした!」

 王が退いたからか、黒い首輪も腹を貫いていたものも消え去っている。でも、だから解決、とはいかない。首はともかく、腹部の傷からは血が流れ出ているから。

「……すまない」
「謝るな!」

 グラネイトはウェスタにそう言ってから、顔を上げる。

「エアリ・フィールド!」
「私!?」
「医者だ! 医者を呼んでくれ!」
「え。時間がまだ……」

 ウェスタの命のためにも、早く手当てしなくてはならない。それは分かっている。でも、まだ医者を呼べる時間ではない。

「取り敢えず、バッサを呼んでくるわ」

 バッサも手当ては得意だ。医者ほど専門的な治療はできないだろうが、簡易的な手当てならできるだろう。

Re: あなたの剣になりたい ( No.190 )
日時: 2020/01/15 21:02
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFblzpHM)

episode.187 医者

「これは素人では無理です」

 バッサを呼んできてウェスタの容態を確認してもらったが、即座にそう言われてしまった。

 大概の傷なら、彼女は平気で手当てをしてくれる。これまでだって、ずっとそうだった。怪我したのが誰でも、負ったのがどのような傷でも、速やかに手当てを開始してくれた。

 でも、今だけは違う。
 今のバッサは引いたような顔をしている。

「お医者様を呼びましょう」
「今?」
「はい。早い方が良いので」
「そうね」
「夜間割増がつくのは痛いですが……仕方ありません」

 そこへ、グラネイトが口を挟んでくる。

「金ならいくらでも出すぞ! ウェスタが助かるなら、グラネイト様は何だってする!」

 バッサはそれに何か返すことはせず、話を進める。

「では、呼んできます」

 そう言って、バッサは部屋から出ていった。

 室内に漂うのは、暗く重苦しい空気。部屋にいる誰もが、明るい顔はしていない。
 しばらくすると、それまで離れたところから様子を見ていたリゴールが、恐る恐る近づいてきた。

「大丈夫……なのでしょうか? デスタン」
「知りません。私に聞かれても困ります」
「なっ……! 彼女はデスタンの妹さんではないですか。もう少し心配すべきでは?」
「妹は妹ですが、傷を負ったのは彼女の行動が原因。私には関係ありません」

 ウェスタが危険な状態であるにもかかわらず落ち着いているデスタンを見て、リゴールは瞳を震わせる。

「そんな冷ややかな……!」
「妹と娘では意味合いがまた違いますから」
「それは……そうかもしれませんが」

 横たわったウェスタは、瞼を閉じたまま動かない。でも、少し触れてみたら、体が冷えてきているわけではないと分かった。脈はあるし、体温も保っているから、死にかけてはいない。

 そんなウェスタの手を、グラネイトは懸命に握っている。

「すまん、ウェスタ。グラネイト様がもっとしっかりしていれば、こんなことには……」

 ウェスタは返事しない。
 でも、グラネイトは語りかけ続ける。

 グラネイトの表情は、らしくなく暗い。日頃の自信満々さも、すっかり消え去ってしまっている。

「無理させたのはグラネイト様のせいだな……すまん。でも、生きてくれ……」

 己を責め、落ち込んでいるグラネイト。今の彼を励ます言葉を私は見つけられなかった。何か言おうとしても、余計に彼を傷つけてしまう気がして、怖くて。それで、結局何も言えないままだ。


 医者が来たのは、バッサが部屋を出てから一時間も経たないうちだった。

「やぁ、大丈夫かい? ……て、ぬぅぅ!?」

 グラネイトの時に来てくれた六十代くらいの医者と同じ人。でも今日は服装が地味だ。白と黄色のストライプの上下を着ている。飛び起きてそのままやって来たかのような格好である。

「こりゃまた凄い。ここの家は一体何が起きているのかな……」
「いつもすみません」

 ウェスタを見て困惑した顔の医者に、私は頭を下げておく。

「いやいや、べつにいいんだけどね……」

 医者はウェスタの脇に座り、持ってきていた斜め掛けの鞄を床に置く。そして、遅れて部屋に入ってきたバッサに声をかける。

「ぬるいお湯の入った桶、それから清潔なタオルを数枚、いただけませんかな?」
「はい。持ってきます」

 バッサはすぐに指示された物を取りに行く。

「何か手伝えることはありますか?」

 鞄から必要な物を取り出す作業をしている医者に、私はさりげなく尋ねてみた。しかし医者は特に何も指示してくれない。微笑んで「大丈夫だよ」と言うだけだ。

 結局私は何もできないのか。
 残るのは、無力感だけ。

「それにしても……こんな怪我をするなんて、本当に、一体何が?」

 止血し、首を始めとする腹部以外の傷の様子を確認しながら、医者は尋ねてきた。

「ちょっと不審者に襲われまして」

 これはこれでおかしな答えだが、それ以外の説明は思いつかなくて。ブラックスターがどうとか、なんて本当のことを言うわけにはいかないし。

「不審者。……まったく。気をつけなくては駄目だよ」
「すみません」
「大怪我は治るとは限らないんだからね?」

 そりゃそうだ。
 こんなことを繰り返していたら、うっかり死にかねない。

 そんなことを思っていたら、医者は突然デスタンに視線を移した。

「しかし……君は驚きの回復力だったね」
「私ですか」
「原因不明ながらあの状態から動けるところまで回復したんだから、凄いことだよ」

 医者は笑っていたが、デスタンは笑いはしなかった。


 その日、夜が明けるまで、医者は屋敷にいてくれていた。

 リゴールはデスタンと共に一旦就寝。少しでも睡眠をとることができた方が良いからとの判断だった。

 ウェスタの状態はもう落ち着いている。
 医者はそう言っていた。

 でも私は気になって眠れない。だから、グラネイトと一緒に、ウェスタの傍に待機しておくことにした。バッサが持ってきてくれた差し入れのお菓子を少し食べたりしながら、だ。

 ウェスタの体の状態がどうなっているのかは、医学の知識を持たない私にはよく分からない。でも、そんな素人の私でも気づくくらい、グラネイトは疲れ果てた顔をしていた。

 だから朝方、私は彼に言ってみることにした。

「グラネイトさん。一旦寝るというのはどう?」

 だが彼は頷かなかった。

「ウェスタを放って勝手に寝ることはできない」

 彼は彼らしからぬ暗い声色でそんなことを言う。
 誰の目にも明らかなほど疲れ果てた顔をしているのに、意地を張って、絶対に眠ろうとしない。

 大事な人が自分を庇って傷ついてしまった時、責任を感じるのは分からないでもない。私だって、リゴールが今のウェスタみたいになったら、己の無力を悔やむだろう。

 でも、だからといって無理をしすぎるのは良くないと思うのだが。

 グラネイトが自身を責めて無理をして、もし体調不良で倒れたりすれば、結果的に悲しむのはウェスタだろう。今度は彼女が責任を感じるということになりかねず、それは、負のループを生み出すことに繋がる可能性がある。

「でも、無理は良くないわ」
「……気遣いは不要」
「グラネイトさん、顔色が悪いわ。疲れているように見えるわ」
「頼む、黙っていてくれ」

 勇気を出して、何度か声をかけてみる。
 でも彼は一向に休もうとしない。

「貴方が倒れたら、ウェスタさんが悲しむわ。だから、少しは休んだ方が良いと思うの。ウェスタさんのことはお医者さんが見ていてくれるし」

 私は幾度も声をかけてみた。
 グラネイトが少しでも休む気になれるように。そのきっかけを作るために。

 でもそれは無駄な努力。

 結局、何の意味もなかった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.191 )
日時: 2020/01/15 21:03
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: ZFblzpHM)

episode.190 酒の飲み過ぎは、内臓に負担が

 ナイトメシア城、王の間。
 王座には不機嫌なブラックスター王が鎮座しており、その横にはダベベがいる。

「王様、この前の火傷はもう大丈夫なんだべ?」
「あの程度、たいしたことではない」

 王の手にはワイングラス。

 そう、彼はもう一時間ほど酒を飲み続けているのである。

 ちなみにダベベは、王のワイングラスに酒を注ぐ役をしている。
 ずっと酒の瓶を持って立っていなければならないから、そこそこ腕が疲れる役割ではあるのだが、ダベベは役目を果たそうと努力している。

「でも王様……前はこんなに酒飲んでなかったのに、大丈夫なんだべ? 飲み過ぎてないべ?」

 ダベベが気遣いの言葉をかけると、王は鋭く返す。

「飲み過ぎてなどいない!」

 王の荒々しさに少し戸惑いながらも、ダベベは控えめに「な、ならいいんだべ……」と返していた。

「しかし、あやつら……いつの間にあのような関係になったのか……」

 赤紫の酒を口腔内に注ぎつつ、王はぶつぶつ愚痴を漏らす。

「どいつもこいつも……男女関係ばかりに夢中になりおって……」

 王ならではの愚痴ではない。一般人でも漏らしそうな愚痴だ。それを聞いたダベベは、内心呆れていた。王があまりに一般人のようだから。

「注げ!」
「は、はいっ」

 ワイングラスが空になるとダベベが酒を注ぐ。そして、王はそれを飲みながら、愚痴を思う存分漏らす。
 もうずっと、それの繰り返しだ。

 そんな状態の王をダベベは心配している。が、あまり踏み込んだことを言うわけにはいかず。

 結果、王は酒を飲み続けている。

 酒の匂いだけが漂う王の間には、王とダベベ以外の人間は誰もいない。なぜなら、今は入室禁止の令が出されているから。扉の外には見張りがいるだろうが、王の間内へ入ることは誰もできない状態なのだ。

 そういう状況下でも王の間に入ることができるダベベは、ある意味、特別扱いされていると言える。

「ところで王様、これからどうするべ?」
「それはどういう意味だ? ダベベ」
「王子や裏切り者たちをどうするのか、予定を聞かせてほしいんだべ」

 王の護衛役になってすぐの頃のダベベは、いつも緊張してばかりで、王と上手く話せないでいた。ことあるごとに恐怖感を覚えていたのだ。だが、さすがに、ダベベももう慣れた。それどころか、今では王と二人でいることが当たり前になりつつある。

「面倒臭い……面倒臭いとしか言い様がない……」

 酒を飲み過ぎてすっかり酔っぱらっている王は、そんなことを返す。

「な、なら、追うのはもう止めたらどうだべ?」
「何を言っている……今さらできるわけがない」
「あんなこと、止めた方が、きっと皆幸せになれるべ」

 ダベベが小さな声で言った瞬間、王はワイングラスを王座の肘掛けに置いてダベベの襟を掴んだ。

「んなっ!?」
「余計なことを言うな、ダベベ」

 王は冷ややかな声で脅すように述べ、ダベベの襟を離す。
 本当に暴力的なことをする気はなかったようだ。

「ご、ごめんなさいべ……でも、でも、悪いことを言ったつもりはなかったべ……」

 いきなり脅されたダベベは弱々しく漏らしていた。
 その顔には、少しばかり恐怖の色が滲んでいる。

「もういい。酒を注げ」
「ま、まだ飲むべ……?」
「いいから黙って注がんか!」
「は、はい……」

 注いでも注いでもすぐに飲み終え、また次をグラスに注ぐよう命令してくる。王は酒を飲むことを止めない。そんな王を、ダベベは心配している様子だ。ダベベは、酒の飲み過ぎで王の内臓が悪くならないか、案じているのである。

「……で、次の作戦だが」

 ワイングラスの中で波打つ赤紫の液体を口に含みながら、王は口を開く。

「思いついたべ!?」
「もう一度行くぞ、真正面から」
「ま、真正面から!?」
「そうだ。直接攻めにかかる」

 その言葉を聞いたダベベは、感心したように発する。

「い、勇ましいべ……!」

 ダベベは、憧れの勇者が敵に挑んでゆくところを目にした村人のような顔をしている。

「ところでダベベ。倒された中に確か——生物召喚の術を得意としていた者がいなかったか」

 王にいきなりそんなことを問われ、ダベベは一瞬困惑したような顔をした。だが、すぐに記憶を探り、そして思い出す。生物を召喚することができた男性——シャッフェンのことを。

「あ! いたべ! あのちょっと肥えた人!」
「今回は、やつのような術を使える者を連れて攻めていきたいのだ」
「そ、それはつまり、どういうことだべ?」

 シャッフェンのことを思い出すことはできた。しかし、王の発言から自身がすべきことを導き出すのは、ダベベには難しかった。

「生物を召喚できる者を呼べ」
「で、でも……そんな人、いるべ?」
「探せということだ!!」
「ヒィ! ……しょ、承知したべ。取り敢えず、彼の関係者を当たってみるべ」


 ◆


 ある夜、彼はいきなりやって来た。

「やぁ、久々だねー」

 日も沈んだ時間帯に人が訪ねてきたと使用人から聞き、また敵かと焦って玄関まで様子を見に行ったら、トランだった。

「ど、どうしたの? いきなり。しかもこんな時間に」

 トランは以前と同じ服を着ている。髪型も特に変わっていない。ただ、荷物だけが違っていた。というのも、以前は持っていなかった大きな鞄を斜め掛けしているのである。

「色々作ってみたからさー、もし良かったら買わない?」
「え。ちょ、ちょっと待って。話がよく分からないわ」

 何がどうなっているの。

「取り敢えず、家の中に入れてもらってもいいかなぁ。発明品の紹介をしたいからー」

 まるで押し売りである。これで相手がトランでなかったなら、修理したばかりの扉をすぐに閉めたことだろう。

「入るのは良いけど……買うかは分からないわよ?」
「いいよー。絶対欲しくしてみせるからー」
「じゃあどうぞ。この辺でいい?」
「うんうん、それでいいよー。ありがとー」

 トランは明るく振る舞っているが、心が読めない。
 だから、私の中の彼を怪しむ気持ちは、まだ完全には消えていない。

「王様に襲われて困ってるんじゃないかなーって思ってさ。それで、色々役立ちそうなものを作ってみたんだー」

 堂々と家の中へ入ると、トランはその場にしゃがみ込んで、斜め掛け鞄の口を開ける。そしてそこから物を取り出す。

「まずこれ! 便利な銃!」

 最初に出てきたのは、黒い小型の銃だった。

「それって……ブラックスターの人が使っていたやつじゃないの?」

 包帯のような衣装を身にまとっていた少女が使っていたものによく似ている。

「うん、そうだよー」
「じゃあどうして持っているの!?」
「そのブラックスターの人がボクに襲いかかってきてさー。もちろん倒したけど、これだけ使えそうだったから拾って、改造して、他の人でも使えるように仕上げてみたんだー」

 トランは歌うような口調で説明してくれる。
 でも、その内容はさりげなく怖い。

「だから今なら誰でも使えるよー」
「そ、そう。それは便利ね」
「わーい。褒められたー。じゃあ買ってくれるー?」
「……購入は少し考えさせて」
「えー。けち臭いなぁ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.192 )
日時: 2020/01/17 00:42
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: DMJX5uWW)

episode.191 彼女の心の変化

「それで、他には何が? まさか一つだけじゃないわよね」

 発明品を売りにやって来たトランに、私は問いかける。商品が他にもあるのなら、それも見てみたいから。

「あるよー。たとえば」

 トランは鞄から次の商品を取り出す。

 今度は瓶だった。
 それも、手のひらに収まりそうな小さなサイズの瓶だ。

 そんな瓶を、彼は、次から次へと出してくる。一二本でないから驚き。

「これはかけるだけで止血できる薬でー、こっちは塗ると痛みが消える薬ー。それからこれは、緊張が楽になる薬だよー」

 もしトランの言葉は真実ならば、凄すぎる効果の薬たちだ。戦いの運命を背負う者なら持っていて損はない顔触れと言えるだろう。

「凄いわね……」
「だよねー」
「でも……本当に効果があるの?」

 こんなことを確認するのは失礼。そう分かっていながらも、私は確認した。確認せずにはいられなかったのだ、効果が凄いから。

「うんうん、あるよー。ボクで試してみたから、絶対ー」
「……試してみたの?」
「うん。実際に試してみないと効果が分からないからさー」

 軽やかに言って、トランは袖を捲る。そうして露出した腕には、いくつか刃物で切りつけたような傷があった。

「ほらねー。証拠」
「何これ!? 酷いわね……」
「ボクが実際に使ってみたんだから、効果は怪しくないよー」

 傷を見せられ、ここまで言われたら、信じないわけにはいかない。お人好しと笑われてしまうかもしれないけれど、私は信じてしまう。

「良いわね、その薬」
「うんうん。じゃあ、買ってくれるー?」
「いくら?」

 金のことを大きな声で言いたくはない。だが、価格は買い物をするにおいて最も大切なところであることは事実だ。

「そうだねー……じゃ、一本五百イーエンでどうかなぁ?」
「何とも言えない価格ね」

 効果を考えれば高くはない気もするけれど……。

 そんな風に思っていたから、ついつい曖昧な態度を取ってしまった。

「えー? 気に食わないのー?」
「ちょっと待って。考える時間が欲しいの」
「買ってくれないかなぁ」
「待って待って!」

 トランは不満げに唇を尖らせる。

 ——その時。

「何の話をしているのかしら?」

 背後からエトーリアが現れた。

「母さん!」
「これは何なの? エアリ」

 今日も若々しいエトーリアは、整った顔面に穏やかな笑みを湛えながら、ゆったりとした口調で尋ねてきた。

 しかし——事情を説明しなくてはならないとは、厄介だ。

 理不尽なことを求められているわけではない。事情をきちんと説明するのは、当たり前のこと。
 ただ、どうしても、面倒だと思わずにはいられない。

「えぇと、これは……」

 説明しようと口を開きかけた瞬間。

「ふふふ。役立ちそうな物を販売に来てたんだー」

 トランが口を挟んできた。
 遠慮がない。

「あら、そうだったの」
「色々あるって聞いたから、少しでも力になれたらなぁってー」
「そういうことだったのね」

 エトーリアは柔らかな目つきでトランと言葉を交わしている。エトーリアとトラン、この二人は意外と相性が良さそうだ。

「で、どんな物を売っているのかしら?」
「説明するよー。これは薬で……」

 トランはエトーリアに向けて説明を始めた。

 後はエトーリアに判断してもらえば良い。敢えて私が決めることもないだろう。買うとしたら彼女の稼ぎで買うわけだから、判断も彼女に任せる。

 私は一旦その場から離れた。


 数十分ほどが経過して。

「エアリ! 薬買っておいたわよ!」

 結局、エトーリアは薬を色々買っていた。
 しかも一二本ではない。

「え。買ったの」
「そうよ! 三種類を二本ずつ、一応買っておいたわ」

 どの程度効くのか気になっていた部分はある。だから、エトーリアが購入する道を選択をしてくれたことは、私にとってもラッキーなことだ。

「使うでしょう? はい」

 エトーリアは瓶六本を一気に手渡してくる。
 いきなり一斉に渡されても困るのだが。

「え、あ……ちょ……」
「はい!」
「ま、待って。そんなにいっぱい持てないわ」

 束ねてあるならともかく、バラバラに渡されたら困ってしまう。たとえ小さな瓶であっても、持ちづらさは同じだ。

「じゃあ、一旦床に置くわね」
「その方が助かるわ……」

 六本を一斉に渡されたら一本くらい落としてしまいそうだ。

「ありがとう母さん。彼を追い出したりしないでくれて」

 エトーリアが床に置いた瓶を一本ずつ丁寧に持ちながら、私はさりげなくお礼を述べる。

「しないわよ、そんなこと」
「でも、母さんは、こんなややこしいことに巻き込まれたことを怒っているのではないの?」

 するとエトーリアはふっと柔らかく笑みをこぼす。

「怒ってなんていないわ。わたしはただ、エアリの身を案じているだけよ」
「そうなの?」
「えぇ。それと——エアリを彼と引き離そうとするのは、もう止めることにしたの」

 彼とはリゴールのことなのだろう。引き離そうとするのを止めてもらえるなら、それは嬉しいことだが。

「エアリの人生はエアリのものだものね……」

 そう述べるエトーリアは寂しそうな顔をしていた。

 私の人生は私のものだと、そう言ってもらえたことは嬉しいことだ。それは、一人の人間として認められたということだから。

 でも、寂しそうな顔をされたら、少し不安になってしまう。
 何かあったのか、と。

「母さん? 何かあったの?」
「いいえ、何もないわ。ただ……この前バッサさんと少し話をしていてね」

 エトーリアの艶のある唇がゆっくりと動く。

「エアリが本気でやろうとしていることがあるなら、させてあげても良いのではないかって。あの人は、そんな風に言ったの」
「バッサさんが?」
「えぇ」

 長年働いてくれているベテランとはいえ、バッサはあくまで使用人だ。その彼女が現在の主人であるエトーリアに意見を述べるのは、覚悟が必要なことだっただろう。意見を述べて主人を怒らせてしまえば、職を失うことにも繋がりかねない。

 それでもバッサは言ってくれたのだ。
 私が、自分で選んだ道を、真っ直ぐに歩んでゆけるように。

「だからね、エアリ。彼と共に行くことは、貴女がやりたいことなの? ……それだけ聞かせて」

 何度も心を決めた。
 でも幾度も不安になった。

 だけど、本当はリゴールと共にありたい。それが本心であることだけは分かる。

 これからもきっと不安になるだろう。
 恐怖に襲われ逃げ出したくもなるだろう。

 それでもリゴールと生きたい——それが私の願いなのだとしたら。

「やりたいことよ」

 口から出すべきは、この言葉。

「私は、リゴールのために戦いたいの」

Re: あなたの剣になりたい ( No.193 )
日時: 2020/01/17 00:44
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: DMJX5uWW)

episode.192 恋愛など成り立たない、と思っている

 次の戦いはいつになるだろう。

 その時には今回トランから買った薬が少しは役立つかもしれない。が、そもそも次の戦いがいつかなのかが分からないから、いまいち心の準備ができない。

 でも、いつだって構わない。

 リゴールの力になるという決意は固いし、エトーリアもそろそろ認めてくれそうだ。

 だから大丈夫。
 きっと護れる、大切な人を。


 グラネイトがいない隙を見計らい、ウェスタに会いに行く。

「ウェスタさん! こんにちは!」
「……あぁ。エアリ・フィールドか」

 ウェスタはまだ横になったまま。しかし、上半身を起こすことはできるらしく、彼女は座る体勢になってくれる。

「調子はどう?」
「命に別状はない」
「貫かれた時はどうなることかと思ったけれど……無事で良かった」

 出血過多で命を落とすかと心配したが、幸い、彼女は生き延びた。そして、こうして今も生きている。

「心配かけてすまない」
「私が勝手に心配しただけよ。ウェスタさんは悪くないわ」
「……そうか」

 ウェスタはふっと笑みをこぼす。

「……優しいね、いつも」

 彼女はそう言うけれど、私は首を横に動かした。

「優しいのは貴女よ」
「それはない」

 ウェスタはきっぱりと返してくる。
 否定するにしても、もう少し考えてからにすれば良いのに。

「だって、何度も私たちに力を貸してくれたじゃない」
「……結局匿ってもらっているだけだ」
「それは違うわ。貴女たちがいてくれるだけで安心するもの」
「……だが、今は戦えない」

 また否定。
 色々あったせいで少し卑屈になっているのだろうか。
 この話は、続けていても、同じことの繰り返しになるだろう。一向に進展がなさそうだ。なので私は、話題を若干変えてみることにした。

「そうだ! ウェスタさん、体はどうなの?」

 たった今思いついたかのように振る舞う。

「医者からは……まだ安静にしていろと言われている」
「え。座るのは大丈夫なの?」
「それは、数分なら問題ないと言われている」
「そう。なら良いけど……べつに、横になっていても構わないのよ?」

 私は酷い怪我をしたことなんてないから、今のウェスタの感覚は分からない。人間誰しも、経験したことのないことは掴めないものだ。

 本人が問題ないというのなら、とやかく言う気はない。
 ただ、彼女が無理して平気そうに振る舞っていたら申し訳ないので、一応言っておいた。

 だがウェスタは「平気だ」と言うだけ。

 新しく振ってみた話題だが、これ以上広げるのは難しそう。だから私は、さらに話を変えてみる。

「最近困ったことは?」

 話が広がっていきそうな質問をしてみた。

「困ったこと……自由に動けないことくらいだろうか」
「そうね。それは不便よね」
「だが、大抵のことはグラネイトがしてくれる」
「それは良いわね!」

 グラネイトはウェスタをとても大切に思っている。
 そんな彼が傍にいれば、ウェスタも安心だろう。

「そういえば、彼、今はいないのね」
「外出中だ」
「買い物か何か?」
「……氷を頼んだ」

 氷?
 そんなの、少しくらいなら屋敷にあるのに。

「氷なら屋敷にあるわよ?」
「少し離れたかっただけだ。ずっと傍にいられると……正直鬱陶しい」

 ウェスタは本気で鬱陶しいと思っていそうな顔をしていた。
 想いをまったく理解してもらえないグラネイトは気の毒だが、ウェスタが鬱陶しく思うのも分からないではない。こればかりは、一概にどちらが悪いとは言えないだろう。

「最近は特に近寄ってくる。長時間になると不快だ」
「ちょっと意外。長時間じゃなかったら平気なのね」
「……短時間なら暇潰しにはなる」

 その程度なのか。
 私は第三者だが、何となく残念な気分だ。

「そういえば、グラネイトさんって、ウェスタさんのことが好きなのよね」
「確かに、そう言っている」
「貴女は好きじゃないの?」
「私があいつを? ……まさか。それはない」

 ウェスタは目を細める。

「生きていてほしいとは思っているが、それは恋愛感情とは違う」

 何やらややこしいことを言い始めた。
 生きてほしいということは、大切に思っているということなのではないのだろうか。

「それに、そもそもの身分が違う。恋愛など……成り立たない」
「そういうものなの?」
「あいつはあれでも良家の出身。今の王の下では無理でも、生きていれば、いつかは再び地位を取り戻すだろう」

 そういえばいつか、彼の口からも、そういう話を聞いたことがあった。いずれブラックスターに戻りたいと考えている、というようなことだったか。

「そうすれば、相応しい女がつくはずだ」
「彼がそんなことをするかしら……」
「金のある女とくっつく方が家を再興しやすい」
「グラネイトさんがそんな理由で相手を選ぶとは思えないわ……」

 長年付き合ってきたわけではないから、グラネイトのすべてを知り尽くしているわけではない。

 でも彼は、己の願望のために女を選ぶような人ではない。
 私はそう思っている。

 あれだけ真っ直ぐに感情を伝えられるグラネイトが相手なのだから、ウェスタだって分かっているはずだ。グラネイトは地位だけで女を選ぶようなことはしないと、知っているはずなのだ。

「……ウェスタさんはもっと、彼に素直になるべきだわ」

 グラネイトは確かにウェスタを愛している。彼女はそれを見て見ぬふりしているだけだ。

「何を言っている」
「偉そうなことを言ってごめんなさい。でも、生きてほしいと願う心があるのよね? それは多分……特別な存在だからよ」

 ウェスタは眉をひそめる。

「よく分からない」
「グラネイトさんが死ぬのは嫌なのでしょう?」
「……そうだ」
「それは、グラネイトさんが特別な存在だってことよ」

 どうでもいい人に生きてほしいとは願わない。感心のない相手になら、死んでほしいとまではいかずとも、わざわざ生きてと願うことはしないだろう。
 生き延びてほしいと思うのは、その人を大切だと思っている証明。大切な存在だからこそ、死なないでほしいと願うのだ。

「たまには優しく返してあげるというのはどう?」
「……どういうことだ」
「たまにで良いから、大切に思っているということを伝えるの。そうしたら、彼の一方的な迫り方も、少しは改善するんじゃないかしら」

 ウェスタは軽く握った拳を口もとに添えながら、「そうか……」というようなことをぽそりと呟く。

 納得してくれたのか否かは不明だ。
 でも、少なくとも怒ってはいなさそうである。

 悪気はないが怒らせてしまったら申し訳ない。そう思う心があるだけに、ウェスタが怒ってはいない様子なのを見て、密かに安堵できた。

 そんな時だ。

「ふはは! 氷買ってきたぞ!」

 グラネイトが帰ってきた。

「売っていたか」
「ふはは! グラネイト様にかかれば、氷を買うくらいどうということはない!」

 いつも通りの元気なグラネイトだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.194 )
日時: 2020/01/17 00:45
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: DMJX5uWW)

episode.193 感謝

 ナイトメシア城、王の間。
 王座に座る王のもとへダベベがやって来る。

「王様! シャッフェンの弟子で、生物召喚をできていた人を発見したべ!」

 透明なワイングラスで赤黒い酒を飲んでいた王は、ダベベを一瞥する。

「……できていた、だと?」
「そうらしいべ」
「今はもうできぬということか」
「それは……研究中の事故で怪我して、できなくなったらしいんだべ」

 ダベベはやや暗い声に変えながら事情を述べた。
 王はワイングラスの端に唇をつける。そして、こくりと一口嚥下した。透明なグラスを満たしていた血のような酒の量が、僅かに減少する。

「できないのか、やりたくないのか、どちらだ」
「……できない、の方だべ」
「そうか。残念だ」

 王は、はぁと溜め息を漏らし、酒を一口。
 彼の機嫌が悪くなることを恐れてか、ダベベはすぐに言い放つ。

「で、でも! その人が昔生み出した生物は借りられたべよ!?」

 ダベベとて馬鹿ではない。何の意味もない、何の役にも立たないことを、わざわざ報告しにやって来たわけではないのだ。

「鳥似やら犬似やらを借りてきたんだべ!」

 彼がそこまで言った時、王は座からゆっくりと立ち上がった。

「そうか」

 ワイングラスに残っていた少量の赤黒い液体を一気に飲み干すと、王はダベベに視線を向ける。

「行くぞ、屋敷へ」

 あまりの唐突さに驚き、ダベベは上半身を大きく反らす。口からは「急すぎないべ!?」などという言葉が漏れていた。

「借りた生物を先に使え」
「鳥似も犬似も同時に使うべ?」
「犬を一匹残して、他はすべて先に仕掛けさせろ」

 王は淡々と指示を出す。

「騒ぎを起こし、王子の護りが手薄になったところを狙う」
「わ、分かったべ!」

 王の思考を知っているのは、今やダベベだけ。他の兵たちは、王の深いところなど欠片ほども知らない。

「今こそこの手で断ち切ろう——滅んだ世との最後の縁を」


 ◆


 夕暮れ時、廊下を一人で歩いていたらグラネイトに呼び止められた。

「待て! エアリ・フィールド」
「え」

 グラネイトは派手な服装だ。
 上は、青地に赤のドットが目立つ半袖シャツ。下は、黄色の脚にぴったり吸い付くズボン。

「少し聞いても構わないか!」
「構わないけれど……何?」

 厄介な絡まれ方をされたらどうしようと一瞬不安になった。が、グラネイトの表情が明るいものだったため、大丈夫そうだ、と安堵する。

「ウェスタに何か言ったか!?」

 どういう質問なのだろう。

「聞いてくれ、実はだな……先ほどウェスタが優しくしてくれた!」

 グラネイトは凄く嬉しそう。
 良いことだ、それ自体は。

「腹部の痛みは大丈夫かと尋ねたら、『心配してくれたこと、感謝する』と礼を言われてしまった! 優しかったぞ!!」

 優しいの基準が一般人とは少し違っている気もするが。

「それで、どうして私なの?」
「ウェスタがあのようなことを自ら言うわけがないからな!」
「……私がウェスタさんに教えたんじゃないか、って?」
「つまりそういうことだ!」

 仁王立ちのグラネイトは、うるさいくらいの大きな声で述べながら、私を指差してくる。

「それがグラネイト様の予想! ふはは! 当たっていないか!?」

 礼を述べるように、と、直接指示したわけではない。だが、私がウェスタに言ったことが結果的にそのような形になったという可能性は、十分にある。

「当たっているわ」

 グラネイトの予想は、完全な外れではない。

「ふはは! やはりか!」
「……って言っても、私はたいしたことはできていないのだけど」

 そこまで口を動かした瞬間、グラネイトは急に両手を握ってきた。

「感謝する!」

 いきなり手を握られ、さらに礼を言われ。
 話についていけない。

「ウェスタに優しくしてもらえたのは、エアリ・フィールドのおかげだッ!!」
「そ、それは言い過ぎよ」
「いいや! エアリ・フィールドのおかげで優しくしてもらえた、それは事実ッ!!」

 無関係ではないかもしれないが、直結させて考えるのはさすがに短絡的すぎやしないだろうか。

 ……それと、いちいちフルネームで呼ぶのは止めてほしい。

「本当に感謝しかない!」
「感謝はウェスタさんにすれば良くない……?」
「なるほど! その発想はなかった! ただ、一応、エアリ・フィールドにも礼を述べておきたかったのだ」

 真っ直ぐというか何というか。
 今のグラネイトには、敵だった頃の面影はない。

「感謝しているぞ」
「ウェスタさんは家柄を気にしているみたいだったわ。どうか……幸せにしてあげて」
「ふはは! それは言われずとも!」

 グラネイトが楽しげに発した——その時。

 背後から「キュイ!」という高い鳴き声のようなものが聞こえてくる。

「……危ないぞ!」
「え」

 突然グラネイトに右腕を引っ張られた私は、一瞬にしてバランスを崩し、右側に向けて倒れ込みかけてしまった。
 だが、元々いた位置から動いたために、攻撃を受けずに済んだ。
 というのも、一匹の鳥が、私の後頭部に向かって突撃してきていたのである。つまり、危うく後頭部にくちばしを突き刺されるところだったのだ。

「と、鳥……?」

 一メートルくらいは軽くある、長いくちばしを持った鳥。この辺りで見かけたことはない種類だ。

「ふはは、違うぞ! あれはブラックスターの生物だ!」
「そうなの!?」
「グラネイト様が言っているのだから本当だ!」

 方向転換し再び突進してきた鳥に似た生物のくちばしを、グラネイトは片手で掴む。そして、くちばしを掴んだその手から小規模爆発を起こし、鳥に似た生物を消滅させた。

「じゃあ、また襲撃……?」
「その可能性は否定できんな!」

 そんなやり取りをしているうちに、周囲に、またもや鳥に似た生物が現れていた。先ほど飛んで突進してきたものと同じ、長いくちばしを持つ生物だ。

「また出た!?」

 反射的に叫んでしまった。

「厄介だな……」

 ペンダントはあるが、剣は持っていない。リゴールが来てくれない限り、私には戦闘能力がない状態だ。これでは援護すらできない。

「ウェスタが心配だが……ひとまずこいつらを倒すとしよう」
「グラネイトさん! 私、武器がないです!」

 一応伝えておくと。

「ふはは! ならば己の身だけを護れ!」

 そんな言葉が返ってきた。
 さっぱりしている。

 援護ができないなら、せめて、足を引っ張るようなことにはならないようにしよう。

「すぐに終わらせるぞ!」

 グラネイトは爆発する球体をいくつも作り出し、長いくちばしの生物に向かって、それらを一斉に放つ。
 もちろん、鳥に似た生物たちも黙ってやられはしない。飛んだり跳ねたりして、球体を上手くかわしている。が、それでもすべてをかわせるわけではなく、個体数はみるみるうちに減少していく。

 ——そしてついに、最後の一体が消滅する。

「ふはは! グラネイト様の圧倒的勝利ッ!!」

Re: あなたの剣になりたい ( No.195 )
日時: 2020/01/18 18:35
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1866/WgC)

episode.194 かつてのように

 鳥に似た生物たちを片付けたグラネイトは、尋ねてくる。

「グラネイト様はウェスタのところへ行く予定だが、そちらはどうするつもりだ?」

 時間はない。すぐに答えなくては。

「そうね……リゴールの部屋へ行ってみるわ」
「確かにそこにいるのか?」
「分からないわ。でも、この時間なら多分、部屋にいるはずよ」

 デスタンと一緒にいるだろうから、そこまで慌てる必要はないだろう。完全復活はしていないデスタンでも、時間稼ぎくらいはしてくれるはず。

 ただ、本格的に戦いになれば、デスタンがどこまで動けるかは不明。

 いや、恐らく、あまり動けはしないだろう。

 だからこそ、私が行く必要がある。リゴールを一人で戦わせたり、デスタンに無茶をさせたりしないためにも、私が行かなくては。

「そうか。ふはは! ではまたな!」

 グラネイトはすぐにその場から消えた。
 移動する術を使ったのだろう。

 彼は大切なウェスタのところへ行ったのだ、私も大切な人のところへ行かなくてはならない。そう、リゴールのところへ。

 だから私は足を動かす。
 私はグラネイトのように移動の術は使えないが、それでも、早くリゴールと合流したいから。


 リゴールの部屋の扉、そのすぐ前までたどり着くと、何やら音が聞こえてきた。それも、バタバタというような音。誰もいないということはなさそうだ。

 取り敢えずノックしてみる。
 だが返事はない。

 中から音はしているのに、ノックへの反応はない——奇妙に思い、ドアノブに手をかける。

 恐る恐る捻ってみると、扉は開いた。

「開いた……」

 扉を開け、室内へ視線を向けた時、雷に打たれたような衝撃が走る。
 そこにいたのが、デスタンやリゴールだけではなかったから。
 私の位置から一番近いのはリゴール。扉を背にして立っている。彼のすぐ前にはデスタン。そして、二人の向こうには、ブラックスター王がいる。

「そんな!」

 想定外の光景に、思わず叫んでしまった。

「……エアリ!」

 それまでは私が入ってきていることに気づいていないようだったリゴールが、その時初めて振り返った。

「来てはなりません、エアリ。戻って下さい」
「ちょっと待って。これは一体、どういうことなの」
「わたくしは大丈夫です。ですから、エアリはどうか、ここから離れていて下さい」

 そんなことを言われても困ってしまう。リゴールを助けられたらと思ってここまで来たのだから。

「ほう……女が現れたか」

 いきなり口を挟んできたのは、ブラックスター王。

 改めてよく見てみると、彼の足元には一匹の犬のような生物がいた。

 四足歩行で、三角形の耳はぴんとたち、十センチほど垂れた尻尾はふさふさした毛に覆われている。そこまでは可愛らしく、普通の犬と大差ない。だが、表情や牙などが、普通の犬ではない異常さを漂わせていた。

 目は豪快に開かれていて、異常なほど大きい。
 また、口からは長い舌が垂れている。舌の長さは、おおよそ、私の肘から指先までと同じくらい。特に胴体を下げずとも地面につきそうなほど長い舌だ。
 そして、垂れた舌の脇には、厳つい牙がある。
 やや黄ばんだ白の大きな牙は、左右に一本ずつ、合計二本だ。厚みのある皿さえ割ってしまえそうなくらいの、強そうな牙。あまり考えたくはないが、あれで噛まれたら、腕くらいなら貫通するかもしれない。

「女をやれ」

 王は犬のような生物に支持を出す。
 次の瞬間、犬のような生物は「グァウルル」と喉を鳴らしながら、こちらに向かって駆け出してきた。

「剣……!」

 ペンダントを握り、剣へと変化させる。
 これはリゴールがいてくれるからこそできる技だ。

「あのような猛獣とやり合う気ですか!?」
「やるしかないわ。敵は少しでも減らしておきたいもの」

 いざ王と戦うとなった時、こんな凶暴そうな生き物が邪魔をしてきたら厄介だ。先に仕留めておくに限る。

 高めに構えた剣を——振り下ろす!

 タイミングは間違えていなかった。突進してきていた生物がこちらの攻撃範囲に入った瞬間に、剣を振ることができた。

 が、生物は首をしならせながら振り上げて、刃を弾く。
 生物の口から涎が散っていた。

 こんなにあっさりと弾かれるとは考えていなかった。衝撃だ。だが、そんなことに思考を裂いている暇はない。衝撃を受けて隙を作れば、そこを狙われる。

 ここは退かない。さらに踏み込む。

 私は、剣の柄が手から抜けないよう気をつけながら、今度は横向けに振る。

 その振りは、生物の首の辺りに命中。
 ただ、浅く斬ることしかできなかった。

 犬のような生物は、傷を負ったことによってスイッチが入ったのか、直前までよりも険しい表情になる。大きな牙を見せつけるかのように歯茎を剥き、「ウグァウルルル」と低い唸り声を発し始めた。

 あまり刺激したくはなかった。
 でも、倒すためにはどこかで攻撃を当てなくてはならないから、これは仕方ないことと言えるだろう。

 一振りで倒すことができるならそれが一番理想的なのだろうが、私にはそこまでの腕はない。私には必殺の剣技はない。だから、怒らせてしまったとしても、数回に分けて攻撃を当てるしかないのだ。

「次で終わりよ!」

 犬のような生物が距離を詰めてくる。

 勢いと迫力はかなりのもの。
 でも、怒りのせいか動きは単調になっていた。

 直進してきた生物とぶつかる直前、体を数十センチほど横へずらす。

 冷静さを欠いている生物は、すぐには対応できない。
 対応できるまでの数秒が狙い目。

 右上から左下にかけて剣を振り、首を切り落とす——!

「たあっ!」 

 腕力だけでは足りないだろうが、重力に従った振り下ろし方をすればそれだけでも威力は増す。

 ——こうして私は、生物の首を切り落とした。

 非常に荒々しかった犬のような生物も、首なしではさすがに動けないようで。重力のままに床へ倒れ込み、数秒かけて消滅した。

 その時、リゴールの悲鳴のような叫びが響く。

「デスタン!」

 何事かと思い、リゴールたちの方へ視線を向ける。
 すると、王の拳を腕で受け止めているデスタンの姿が目に入った。

「受け止めるので必死とは、哀れだな」
「……く」

 かつてのデスタンなら、やられたらやり返す、それだけの力はあっただろう。術は使えなくても、体術による戦闘能力は高かったから。

 でも、今の彼は、戦いに慣れていない。
 そして、戦うに相応しいほど強靭な肉体も、もはやない。

「デスタン! 無茶をしないで下さい!」
「……放ってはおけません」
「し、しかし! もうずっと戦っていないではないですか!」

 デスタンの後ろに隠れているリゴールは、一人慌てていた。

「それはそうですが、習慣というものは消えないものです」
「そんな! どうして!」
「困ったものですね。貴方が背後にいると……今でもかつてのように護りたくなるのです」

Re: あなたの剣になりたい ( No.196 )
日時: 2020/01/18 18:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1866/WgC)

episode.195 大切な人になったから

「ふんっ!」

 リゴールを庇うようにして立っているデスタンの腹部に向かって、王は拳を放つ。
 デスタンはそれを片手で受け止めた。

 もうずっと戦いの表舞台には立っていないデスタンだが、拳の受け止め方には慣れが感じられる。

 長年積み上げてきたものは短時間で失われはしないということなのだろうか——と思っていたら。

 王が横からの蹴りを放ち、それがデスタンの脇腹に命中した。

「っ……!」

 デスタンは顔をしかめる。
 そうして生まれた隙を見逃さず、王はデスタンの体をゴミのように蹴り飛ばした。

「デスタン!」

 リゴールが刺々しい声で叫ぶ。

 蹴り飛ばされたデスタンは、勢いよく床を転がる。やがて壁に激突して、やっと止まった。
 かなりの痛手かと思ったが、デスタンはすぐに体を起こす。

 床に手を強くつき力ずくで体を起こしているところがやや不安ではあるが、折れない根性は見習いたい部分と言えるだろう。

「大丈夫ですかっ!?」

 デスタンが蹴られたのを見ていたリゴールは、完全に意識をそちらへ奪われていた。リゴールは王の存在を忘れてしまっているのだ。

 ——恐らくそれが王の狙い。

 リゴールの視界からは外れている王が腕を振りかぶった瞬間、デスタンが口を開く。

「王子! 狙いはそっちです!」
「え……」

 デスタンの叫びに、リゴールは視線を王の方へ戻す。
 その時には、既に、王の拳がリゴールに迫っていた。

「死ぬがいい」
「くっ……」

 リゴールは咄嗟に防御膜を張る。そこへ突き刺さる、王のパンチ。黄金の輝きをまとう防御膜は何とか拳を防いだが、打撃の威力を殺しきれず、豪快に割れた。これにはリゴールも動揺を隠せない。

「そんな……!」

 防御膜を一撃で破られたことに動揺し、リゴールは固まってしまった。
 そこへ、王の片足が向かう。
 あの強力な蹴りはさすがにまずい。デスタンでさえかなり飛ばされたほどの威力だから、リゴールが食らえば致命傷になりかねない。

「させないわ!」

 私は駆ける。
 そして、リゴールと王の間に割って入る。

 直後、蹴りが来る。

 襲いかかってきた足を剣の刃部分で防ぐ。

 ガン! と音が鳴り、柄を握っていた手には衝撃が走る。その衝撃は、他の何を斬った時よりも強い衝撃であるように感じられた。

 ただ、ペンダントの剣は普通の剣より頑丈だ。そのため、蹴り数回程度では折られはしないと、確信を持てる。

「ぬぅ……女が防ぐか……」
「殺らせないわ!」

 みるみるうちに鼓動が速まる。
 恋する乙女にでもなったかのような気分だ——無論、この鼓動の加速の原因はときめきではないのだが。

「え、エアリ……」

 背後から弱々しい声が聞こえてきた。リゴールの声だ。

 恐怖に支配されたような声を聞けばこちらまで恐怖を感じてしまいそうなものだが、案外そんなことはない。
 リゴールの声が掻き立てるのは、不安ではなく、闘争心。

「お主も……女でありながら、なかなか頑張るな」
「リゴールを護るわ!」
「ほう……護る、か……」

 王に勝てる保証はない。
 いや、それどころか、まともにやり合えば私に勝ち目はないかもしれない。

 でも護るべき存在がある。

 そのためならきっと、どこまでも強くなれる。

「馬鹿げたことを……」
「私はそう簡単にはやられないわよ」

 一人、前へ出た。
 もちろん剣は構えたままで。

 それはリゴールを護るためでもあるし、彼にとって大切な人であるデスタンを無茶させないためでもある。

「そこを退け」
「嫌よ! それはできないわ!」

 ブラックスターの王にこんな無謀な戦いを挑んだと知ったら、エトーリアを悲しませてしまうだろうか……。

「貴方がリゴールを狙う限り、私は立ち塞がるわ」
「ほう。だが、遠い国の王子なんぞのために、なぜ危険を顧みず戦う……?」
「リゴールが私の大切な人になったからよ」

 感心のない相手に、わざわざ生きてと願うことはしない。生き延びてほしいと願うのは、その人を大切だと思っているから。大切な存在だからこそ、死なないでほしいと願う。

「ねぇリゴール」
「はっ、はいっ!?」
「前にいつか言ったわね。『もっと強くなって、いつか、リゴールを護れるような人になるから』って」

 リゴールは少し戸惑ったように「そういえば……仰っていましたね」と返してきた。

「今こそ、その時。私は貴方の剣になる」

 そう述べると、リゴールは戸惑っているように両方の眉を寄せる。

「エアリ……?」
「だから、リゴールは安心してそこにいて」

 今度は分かりやすく言う。
 すると、リゴールの表情が少しばかり柔らかくなった。

「は、はいっ!」


 ◆


「ウェスタ! 無事か!?」

 元々デスタンが使っていた部屋に移動したグラネイトは、ウェスタの顔を見るや否やすぐにそう問いかけた。
 ところが、そちらではまだ何も起こっておらず、ウェスタは困惑したような顔をする。

「……どうした」
「ふはは! そうか! さっき廊下で少し襲われたので、こっちも心配でな」
「襲われた? ……敵に、か?」

 グラネイトは座った状態のウェスタに近寄る。そして、両腕を伸ばし、彼女の体を包み込むように抱き締めた。

「鳥に似たタイプのやつら!」
「……そうか」

 寝不足、負傷、と様々なことが続き、体調があまり良くなかったウェスタ。しかし今は、健康的な顔色をしている。ここのところはゆっくり休めているからだろう。

「……無事で何より」
「感謝するぞ、ウェスタ」
「何でも良いが……そろそろ離れてほしい」

 そう言われ、グラネイトは現実に戻ってくる。

「す、すまん! つい……!」

 ウェスタを抱き締め幸福の海に浸っていたグラネイトは、慌てて腕を離した。怒られるかも、という思いもあったのかもしれない。

 が、ウェスタは怒りはしなかった。

「気にすることはない」

 ただ穏やかにそう返すだけ。今日の彼女は、珍しく、それ以上の攻撃はしなかった。
 グラネイトは、いつも通り冷たい態度を取られると思っていたのだろう。なのに、ウェスタは少し優しかった。そのせいか、グラネイトは瞳を潤ませ始める。

「う、うぅっ……ウェスタが……優しい……」
「なぜ泣く」
「ウェスタが……優しい……」
「優しくされて泣く流れが理解できない」

 ウェスタは呆れ顔。
 でも、そこに以前のような冷ややかさはなかった。

「理解できないのも……無理は、ない……うぅっ……」
「落ち着け」

 大きな背を丸め、目から零れるものを手で拭うグラネイト。そんな彼の背をウェスタはぽんぽんと軽く叩く。

「涙は似合わない」
「こ、これはっ……嬉し泣きだぞ……!」
「そうかそうか」
「馬鹿にしてるな……!?」
「まさか。馬鹿になんてしていない」

 そこまで言って、ウェスタは「そうだ」と話題を切り替える。

「エアリ・フィールドからこれを貰った」

 そう述べるウェスタの手には、三本の瓶。

「何だそれ。薬か?」
「効果は……止血、鎮痛、緊張緩和らしい」
「ふはは! それは良いな!」
「使っていいと言われた。……もし何かあれば使え」

Re: あなたの剣になりたい ( No.197 )
日時: 2020/01/18 18:39
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1866/WgC)

episode.196 援護と薬と

 グラネイトとウェスタが、エアリから貰った薬について話していた、そんな時だ。

「お邪魔するべ」

 人影が部屋に入ってくる。
 その独特な口調で、グラネイトとウェスタはすぐに気づいた。入ってきたのか誰なのか、を。

「良い空気のところ、いきなりごめんべ」

 布巾を頭に巻き付けた青年、ダベベだ。
 彼を即座に敵と判断したグラネイトは、ウェスタを庇うように位置取りながら睨みつける。

「すぐに二人揃ってあの世へ送るから、許してほしいべ」
「……ふざけたことを」

 日頃はふざけているような振る舞いばかりのグラネイトだが、今だけは真剣な険しい表情だ。

「ふざけてないべ。ささっと片付けるよう言われて来たべ」
「そのようなこと、させるわけがないだろう!」

 グラネイトはその場で立ち上がる。
 もちろん、ダベベへの鋭い視線はそのままで。

「……グラネイト、戦うのなら援護する」
「ウェスタはそこにいていいぞ!」
「一対一は厳しいと思うが……」
「無理をするな! 最強のグラネイト様を信じろ!」

 グラネイトは背後のウェスタにだけは笑顔を見せる。けれど、そんな彼へ視線を向けるウェスタの表情は暗かった。彼女の紅の瞳は、何か言いたげに、グラネイトの背を凝視している。が、グラネイトはそれには気づかない。

「別れの準備はできたようだべな」
「ふはは! お前との別れの準備、だがな!」
「どうなるかは、終わってからのお楽しみだべ」

 ダベベは右手に短剣を握る。

 そして、左手の指をパチンと鳴らした。
 瞬間、犬のような生物が五頭ほど現れる。口からは涎を垂らし、獰猛そうな表情だ。

「……やれやれ、厄介だな」

 グラネイトは溜め息混じりに呟く。

「行くべ!」

 ダベベの号令で、犬のような生物たちが一斉に駆け出す。五頭の十個の眼が、グラネイトを睨んでいた。

 グラネイトは爆発能力を帯びた球体を作り出し、五頭それぞれに向けて放つ。
 生物に命中し、球体は爆発。

 煙が立ち込める。

「ふはは! 見たか! ……ん?」

 グラネイト付近の煙が微かに揺れる。
 次の瞬間、灰色の煙に身を隠し接近してきていたダベベが、グラネイトの間近に出現した。

「なにっ……!」
「こんなことして、ごめんだべ」

 そう静かに述べるダベベの顔面からは、色が完全に消えていた。感情の「か」の字もない、そんな顔。

 体を低くしてグラネイトの懐に潜り込んだダベベは、右手で握った短剣を振る。

 そして、ぴしゃりと赤いものが散った。

 短剣の刃が赤く曇る。
 刃は、グラネイトの腹部を切っていたのだ。

 幸い深手ではない。グラネイトは攻撃を受ける直前、咄嗟に体を後ろへ引いていた。そのため、浅い傷で済んでいる。

「動かないでほしいべ。上手く殺れないべ」
「上手下手関係なく殺られる気はない!」

 グラネイトの後ろにはウェスタがいる。それゆえ彼は今以上下がれない。そんなことをしたら、ウェスタにぶつかるか彼女を危険に晒すことになるからだ。

 限られた選択肢しかないが、反撃せねばならない。

「邪魔だ!」

 グラネイトはダベベに回し蹴りを叩き込む。ダベベは足が迫る方の腕で防ごうとしたが、グラネイトの足の方が速かった。回し蹴りは見事に決まる。

「ふぎゃ!」

 蹴り飛ばされ、床に倒れ込むダベベ。
 しかし、そこへ、爆発に耐えて生き延びていた三頭が突っ込んでくる。

 グラネイトはダベベに意識を割かれており、犬のような生物たちの突進に反応が間に合わない。

 ——が、突如放出された炎が犬のような生物たちを一掃した。

「ウェスタか!」
「……しっかりしろ」
「さすが! ナイス過ぎる!」
「……それとこれ」

 犬のような生物たちを火炎の術にて撃破したウェスタは、グラネイトに瓶を差し出す。三種類のうち、止血効果があると言われているものだ。

「そうか! 止血だな!」

 ピンときたらしく、グラネイトは納得した顔をする。

「助かったぞ!」

 ウェスタの手から瓶を受け取ると、栓を抜き、赤く滲んでいる腹部に軽くかけた。すると、傷口から漏れ出てきていた血液の量が、みるみるうちに減っていく。そして、一分もかからぬうちに出血は止まった。

「連携に薬……なかなかやるべな……」

 グラネイトの回し蹴りを食らったダベベは、そんなことを呟きながら、赤黒い液体がなみなみと入った小さな蓋付き瓶を取り出す。そして素早く蓋を開けると、中身を一気に飲み干した。

「ふぅ、飲めたべ……」

 呑気に独り言を発しているダベベに、グラネイトとウェスタは警戒の眼差しを向けている。

「よし……もうひと頑張りだべ……」

 ダベベは短剣を持っていない方の手のひらで、自分の頬を強く叩く。原始的な方法で気合いを入れて、一気に立ち上がる。

 そして、駆け出した。
 グラネイトとウェスタの方へ。

「ふはは! グラネイト様に勝てると思うなよ!」

 戦闘体勢で迎え撃つグラネイト。
 ダベベはそこに迷わず突っ込んでいく。

「ここからは本気だべ!」

 今度こそ、本格的な接近戦の幕開けだ。

 ダベベは体を小さくし、グラネイトの懐に潜り込む隙を探しながら、短剣を素早く振る。
 グラネイトが豪快な一撃を放てなくするため、空白を作らないように努めているような動きをしていた。即座に懐へ潜り込むことはできずとも、反撃の隙を作らない。そんな手堅い戦い方を、ダベベは選んでいた。

 一方のグラネイトは、ダベベが振り回す短剣の刃を受けないよう、腕を上手く使って受け流している。

 ウェスタは今もまだその後ろに座っている状態だ。

 彼女は、医者に動くなと言われているし、以前貫かれた痛みが残っているから、動きたくとも動く選択をしづらいという状況に陥っていた。

 下手に動いてグラネイトの足を引っ張るくらいなら、少し離れている方がまし——そう思うところも大きくて。

 そんな時。
 突然、ダベベが低い声を発した。

「効いてきたべ」

 静かな言い方だが、それはとても不気味さを漂わせている発言で。グラネイトも警戒する。

「いくべ!」

 グラネイトの意識は警戒する方向に動き、それによって僅かな隙が生まれた。ダベベはそれを見逃さず、大きく一歩踏み込む。

 短剣による攻撃を受け流すべく、グラネイトは動く。

 ——が、刃がグラネイトに命中する二秒ほど前、ダベベは急に短剣を捨てた。

「なに!?」

 武器を捨て、全身の位置を下げる。
 彼は完全にグラネイトの懐へ潜り込んだ。

 大きく振りかぶった拳で鳩尾を一突き。そして、体勢を立て直す隙など与えず、もう一方の拳で全力の打撃を繰り出す。

 その二連続打撃で、グラネイトの体は一瞬にして吹き飛んだ。

 凄まじい勢いで飛んでいったグラネイトを目にして、ウェスタは愕然とする。だが、ものの数秒で冷静さを取り戻した彼女は、一瞬にして床に落ちた短剣を拾い上げる。

 そして、グラネイトに打撃を当てて気が緩んでいたダベベに、強烈な一撃を食らわせた。

「え……」
「あれをやられて黙ってはいられない」

 拾った短剣によるウェスタの一撃。
 急所を確実に狙ったそれは、致命傷となった。
 ダベベは短剣を捨てることでグラネイトに攻撃を当てることができた。だが、結局、その捨てた短剣が己の命を奪い去ることとなったのだ。

「グラネイト、無事か」

 ウェスタはすぐにグラネイトに駆け寄る。

「……敵は倒した。もう大丈夫」

 グラネイトは仰向けに寝たまま動けない。辛うじて意識は保っているものの、息は荒れ、目つきも少しおかしい。

 そんな彼の片手を、ウェスタは強く掴む。

 途中腹の傷が痛む場面もあったが、今の彼女は、自身のことはあまり気にかけていなかった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.198 )
日時: 2020/01/18 18:41
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1866/WgC)

episode.197 なんて無力なのだろう

 ウェスタに手を握ってもらうと、グラネイトは掠れた声を発する。

「やった……の、か……」

 それはグラネイトが発しているとはとても思えないような弱々しい声だった。まるで病床の老人のような声の質である。

「そうだ。もう倒した。心配は要らない」
「結局、また……助け、て……もらって、しまった……な……」

 グラネイトの発言に対し、ウェスタは首を左右に動かす。
 その時の彼女の瞳は、涙で潤んでいるようであった。

「……それは違う。何度も助けてもらってきた、から、今度は何かしたかった。ただそれだけのこと」

 彼女の声は震えていた。

 ——いや、声だけではない。

 唇も、肩も、小刻みに震えている。

「……そう、か……」

 今にも消え入りそうなグラネイトの声を聞きながら、彼女は体を震わせている。瞳からはいつしか涙の粒が溢れていた。

「いつも、肝心な時に何もできない」

 溢れた涙は長い睫毛を伝って頬に落ち、頬を流れて顎から下へと舞い降りる。

「なんて無力なのだろう……」

 敵は倒すことができた。そして、グラネイトはまだ生きている。己も死にかけてはいない。
 それでも彼女が涙を流すのは、大切な人さえ護れなかった自身への苛立ちか。あるいは、大切な人が傷ついたことに対する悲しみか。

 いずれにせよ、それを知るのは彼女一人だけ。

 彼女以外の者が真実にたどり着くすべなどない。

 やがて、ウェスタの涙で濡れた頬に、大きな手がそっと触れる。

「……昔も……泣いて、いたな……」
「グラネイト」
「……夜、が……来るたび……窓辺で……」

 ウェスタの赤く腫れた目もとから、グラネイトの指が涙を拭い去っていく。それでも彼女の瞳からは、まだ涙の粒が溢れる。

「……この指、みたいに……なりたかった……」
「馬鹿だ、お互い」
「……そう、かも……しれないな……」

 そこで、グラネイトの意識は途切れた。
 彼の意識の消失によって、ウェスタは正気を取り戻す。

「そうだ。こんなことをしている場合ではない」

 ウェスタは濡れきった左目を手の甲で乱暴に擦り、涙を拭き取る。そして、決意を固めたような顔つきになる。

「絶対助ける」


 ◆


 王は強かった。
 ペンダントの剣で交戦しているが、とても勝てそうにない。

 背後からは時折リゴールが援護してくれる。魔法による遠距離攻撃を加えてくれるのだ。

 しかし、それでも王の方が勝っていた。

 私はとにかく剣を振り、少しでもダメージを与えようと動く。止まっていては攻め込まれるばかり。だからひたすら剣を振る。

「頑張るな、女……だが、弱い」

 リゴールのサポートがあっても、まともなダメージを与えることはできない。幾度か斬撃を当てることはできたが、掠り傷程度のダメージしか与えられなかった。

 動き続けていると、呼吸が乱れてくる。

 こんなことを続けていては絶対に勝利はない。私の動きが鈍った時が敗北の時になってしまう。

 戦況を動かすためには、何か、特別なものが必要だ。
 とにかく揺り動かさなくてはならない。

 でも見つからない。特別なもの、に当てはまるようなものは、今ここにはない。

 だから剣を振り続けるしかないのだ。
 無意味だと分かっていても。

「サポートがあったとはいえ、ここまで持ちこたえるとは驚き……お主、なかなかの実力者だ。だが」

 その時、王は仕掛けてきた。
 私が剣を振り終えた瞬間を狙い、拳を叩き込んできたのだ。

「くっ……!」

 拳は右肩に命中。
 ビキッと何かが壊れるような痛みが肩に駆けた。

「う……何これ……」

 数歩下がって王と距離を取る。
 すぐには立て直せないと判断したからだ。

「エアリ!」
「殴られるって、こんなに痛いもの……?」
「そうですね、あの力だと……それに、エアリは女性ですから」

 本調子の状態で交戦してもまったくもって勝てそうになかった相手に、負傷した状態で勝てるのか?

 ……無理だ。

 勝利はそんな簡単に掴めるものではない。

「さぁ、終わりにしようぞ」
「い……嫌よ、終わりなんて」
「選択権などない」

 王はそう言って、片手を掲げた。
 すると、前も見た黒いリングが出現する。

 前はそのリングでグラネイトの首を絞めようとしていた。だから、今回も多分、誰かの首につくのだろう。

 今の流れだと、その『誰か』は恐らく私だ。

 呼吸ができない状態にされるとさすがにまずいので、それだけは避けたい。

 でも、本当にまずいのは、リゴールを狙われた時。
 あの黒いリングがリゴールの首に装着されれば、これまでの努力はすべて水の泡になってしまいかねない。

「あれはこの前の……!」

 背後にいるリゴールが恐れているような声で発する。

「さらばだ」

 数秒後、黒いリングは私の首にやって来た。
 装着された直後は幸い首とリングの間に僅かな隙間があって、呼吸ができないことはなかった——が、すぐに絞まり始める。
 こうなるということは薄々勘づいていたけれど、それでもやはり実際に起こると怖い。想定していたから平気ということはなかった。

「っ……」

 今になって後悔が溢れてくる。
 なぜこんな無謀な戦いを挑んだのだろう、と。

「エアリ! しっかり!」

 リゴールの声が聞こえる。
 でも返事はできない。

 今すぐここから逃げ出したい……もう戦いなんてしたくない……。

 込み上げてくるのは、そんな気持ちばかり。

「止めて下さい! こんなこと!」

 リゴールは、王に向けて懸命に訴えてくれている。でも無意味だ。言葉で訴えたくらいで、止めてくれる王ではない。

 意識が徐々に薄れる。

 視界は霞み、音は遠退き。無へと向かっていく感覚。
 そんな中で思い浮かんだのは、バッサとエトーリアの顔。母親のようだった二人の笑顔だ。

 私は何をしていたのだろう。

 私は、一体……。

 生きているのか死んでいるのか、それすら分からぬ曖昧な世界で、私は「自分が今までしてきたことは何だったのか」ということをぼんやりと考える。

 死が視界に入った時くらい「死にたくない」と涙が出るのかと思っていたが、実際には妙に冷静で、なぜかすっきりしてさえいた。

 この世の煩わしいものをすべて削ぎ落とされたような気分だ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.199 )
日時: 2020/01/18 18:42
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1866/WgC)

episode.198 若かりし頃の、悲しみと憎しみ

 気づけば私は見たことのない場所にいた。

 ここは死後の世界なのか、あるいは、これまでも時折見た他人の記憶の世界なのか。
 それは分からず、私はただ周囲を見回す。

 そこは、一種の劇場のようだった。座席が多く並んだ観客席らしきものが一階二階共にあり、そこからは舞台が見える。私がいるのは、真正面から舞台を眺められる、一番良い席なのではないかと思うような場所だ。

 天井からは豪華なデザインの灯りがぶら下がり、夕陽が沈み始める頃の空のような光をぼんやりと放っている。

 私は客席に立っていた。が、誰にも気づかれていない。周囲にも人はいるのに、誰一人として私のことを見たりはしないのだ。

 どのみち気づかれないなら、と、私は偶々空いていた席に腰を下ろす。

 それからふと横を見て、衝撃を受けた。

 隣の席の男性が、ブラックスター王に似ていたから。

 私は思わず「えっ……」と声を漏らしてしまった。しかし、その声も周囲には聞こえていないようで、特に誰も反応しなかった。

 ブラックスター王に似た男性のもう一つ向こうには、男性が座っている。顔立ちはブラックスター王に似た男性と似ているが、彼より穏やかな顔つきをした人だ。また、服は白い詰襟で、豊かそうな身形をしている。

「こういうところへ来るのは珍しいだろう?」

 白い詰襟の方の男性が、ブラックスター王似の人に向かってそんな言葉を放った。
 すると、ブラックスター王似の人は、小さく返す。

「……そうだな」

 二人はどことなく似たような顔立ちだが、漂わせている空気はまったくの別物だ。

 私の隣の席の彼は、暗い影をまとったような雰囲気。
 その彼の向こう側に座っている白詰襟の男性は、すべてにおいて満ち足りているような雰囲気。

「兄弟であるにもかかわらず、お前とはなかなか語り合う機会がなかったからな。今日はこうして弟のお前と一緒に出掛けられて良かった」

 そう述べるのは、白い詰襟を着ている方の男性。
 どうやら、彼が兄のようだ。

「……舞台などどうでも良かったが」
「まぁそう言うな! 絶対楽しい、それは保証するから」
「……女の踊りなど、何が良いのか」
「しー! 今ここでそれを言うんじゃない!」

 二人の会話を盗み聞きしているうちに、天井からぶら下がっていた灯りが消えた。暗闇が訪れる。いよいよ開幕の時間か。

 その数秒後、荘厳な音楽と共に舞台の幕が上がった。

 セクシーかつ煌びやかな衣装を身にまとった女性たちが舞台上に現れ、舞踊を始めると、会場内の雰囲気はみるみるうちに変わっていく。ただの建物だったそこは、一瞬にして夢の園へと変貌したのだ。

 女の私でも目を離せなくなるくらい眩い。

 そんな時、ふと隣の席へ視線を向けて驚く——ブラックスター王に似た顔の男性が、瞳を輝かせながら舞台を見ていたから。

 始まる前、彼はあまり乗り気でないようなことを言っていた。しかし今はどうだろう。乗り気でない人間とはとても思えないような顔をしている。

 そんな彼の視線の先にいたのは、一人の女性だった。
 腰まで届く美しい金髪の持ち主で、その魅力は踊り子たちの中でもずば抜けて高い——そんな女性。

 隣の席の彼は、たった一人の踊り子をを見つめ、頬を紅潮させていた。


 それから十秒ほどして、私は違う場所にいた。

 先ほどの劇場の外だろうか。二階建ての大きな建物の裏、冷たい風が吹く場所に、私はいる。
 視界に入ったのは、ブラックスター王似の男性と彼が見つめていた踊り子。

「とても美しい人だ、心を奪われた」
「そ、そうですか……ありがとうございます。嬉しいです」
「無理にとは言わない。貴女が良ければ、だが、恋人になってはもらえないだろうか」

 男性は妙に積極的。そこは正直意外だった。兄とのやり取りの時には、達観したような人物に見えたから。

「へ!? こ、恋人、ですか……?」

 踊り子はおろおろしている。

「嫌と言うなら無理にとは言わないが」
「その……友人からでも問題ないでしょうか……?」
「もちろん」
「で、では……よろしくお願いします」

 恥じらう踊り子とブラックスター王に似た男性の背中は、意外とよく似合っていた。

 二つ並んでいると、既に恋人同士のようで——。


 その時、再び世界が変わる。

 白い石畳の地面。穢れを知らない白色のアーチ。

 ここは多分ホワイトスターなのだろう。
 私はアーチの陰に隠れているような位置に立っていた。

 そこから見えるのは、白い詰襟の男性とあの踊り子、そして、ブラックスター王に似た男性。その三人だ。

 でもなぜだろう。
 隣に並んでいるのは、白詰襟の男性と踊り子だ。

 状況を掴むべく、耳を澄ます。すると、彼らが発している声が聞こえてきた。

「どうなっているんだ!」
「待ってくれ、落ち着くんだ」

 怒りに身を任せているのは、ブラックスター王に似ている方の男性。白い詰襟の男性は、それを何とか宥めようとしている。

「兄さんが彼女と結婚!? どう考えてもおかしいだろ!」
「じ、事情があるんだ。だから聞いてくれ。ほら……」

 激昂しているブラックスター王似の男性は、兄である詰襟の男性に掴みかかる。

「弟の女を盗って楽しいか!? ふざけるな!」
「すまん……で、でもな……」
「言い訳なんざもう聞きたくないわ!」

 ブラックスター王似の男性は、掴んでいた男性を放り投げると、おろおろしている踊り子へ視線を向ける。踊り子は怯えたようにびくんと体を震わせた。

「貴女は本当にこの男が好きなのか?」
「う……その、すみません……」

 踊り子は畏縮しきっている。

「この男を好きなのか、と聞いているんだ!」
「はぅっ……ごめん、なさい。でも、私は……できません……王様の命令に背くなんて」

 彼女がそう言った瞬間、ブラックスター王似の男性は寂しげな顔をした。

「なかったのだな、愛なんて」

 小さく吐き捨てて、彼は二人の前から去る。
 私が隠れているアーチのすぐ横を早足に通り過ぎる時、彼の瞳には涙の粒が浮かんでいた。

 彼は一人の人間に過ぎなかったのだ、この時はまだ。

 すべてを見ていた私は、彼に声をかけたい気持ちになった。今は辛くともいつか幸せは来ると、励ましたくて。でもできない。今の私はここにいないも同然だから。


 恐らくこれは、ブラックスター王の記憶なのだろう。
 見ているだけでも痛くて辛いものだった。

「でも……それでも……」

 憎まないで、世を。
 恨まないで、この世界のすべてを。

Re: あなたの剣になりたい ( No.200 )
日時: 2020/01/18 18:42
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 1866/WgC)

episode.199 意識の帰還

 ゲホッ、と息を吐き出して、現実へと引き戻された。

 一度強く息を吐き出した後も喉に何かが引っかかっているような感覚がうっすらあり、咳込んでしまう。
 そんな中、視界に入ってきたのは、リゴールの安堵したような顔。

「エアリ! 気がつきましたか、エアリ!」
「……う」
「良かった、本当に良かった……!」

 どうやら私は横たわっているようだ。僅かに起き上がった上半身を、リゴールが片手で支えてくれている。

 私の顔を覗き込むリゴールの目元は微かに赤らんでいた。
 それに加え、青い瞳は潤んでいる。

 そんなリゴールの顔を見て「悲しませてしまったのか」と申し訳なくも思ったが、それと同時に「帰ってくることができてよかった」と思う心もあった。

「リゴール……私、一体……?」
「王の術によって首を絞められ、呼吸が止まっていたのですよ。本当に、本当に心配しました」

 呼吸が止まっていた、か。
 こうして聞くと他人事としか思えない。

 だが、それは紛れもなく私のことなのだ。実感はまったくもって湧かないけれど。

「それで、状況は……?」
「今はデスタンが時間を稼いでくれています」

 何がどうなっているのか掴めないため尋ねてみた。するとリゴールはさらりと答えてくれた。

「え、デスタンさんが……!?」

 デスタンは完全復活してはいない。それゆえ、敵と戦えるような状態ではないはずだ。そんな彼が時間稼ぎなんて、できるものなのだろうか。

「はい。そしてわたくしは人工呼吸を」
「人工呼きゅ——って、え!? それって、口づけじゃ!?」

 急激に目が覚めてきた。
 衝撃は大きく、しかし、おかげで私は自力で座れるところまで回復。

「口づけのカウントではありませんよ。生命のためですから」
「そ……そうよね。ごめんなさい、こんな時に」

 ふざけて言ったわけではない。だが、ふざけていると受け取られる可能性もゼロではないため、一応謝罪しておいた。
 上半身を起こせるところまではあっという間に回復し、意識的には普段と何ら変わらない状態までたどり着けた。記憶や思考にも違和感はないし、手足も普通に動かせそうだ。

「そうだ、剣は?」
「はい。ここにあります」

 リゴールはペンダントを渡してくれる。
 私はそれをそっと握った。
 瞬間、全身に温かいものが流れ込んでくるのを感じる。

「……戦わなくちゃ」

 今は妙にすっきりした気分。一度死にかけていたとは思えない涼しさだ。それに、なぜかやる気が湧きだしてきている。戦おう、大切な人を護ろう、そんな風に思える心も蘇ってきた。

 だから私は体を起こしていく。
 立つのだ、もう一度。

「む、無理をなさらないで下さい!」
「大丈夫よ」
「しかし……エアリは一度命を落としかけたのですよ……!?」

 リゴールが心配してくれているのは分かる。
 でも、私は剣を取って、再び立ち上がるのだ。

「剣!」

 立ち上がることはできた。
 ペンダントを剣の形に変えることにも成功。

 その時、視線の先にいたのは、ブラックスター王とそれに対峙するデスタン。

「デスタンさん! ここからは私がやる!」
「……エアリ・フィールド」
「時間稼ぎありがとう。でも、もう大丈夫。戦えるわ」

 王と対峙しながら振り返ったデスタンは、戸惑いに満ちた顔をしていた。一度は落命しかけた私がこうして再び立ち上がったことを、驚いていたのかもしれない。

 正直、私だって驚いている。
 一度はああして意識を失って。でもリゴールの処置のおかげでこの世に帰ってこられた。そして今、また剣を握っている。

「ぬぅ……息を吹き返したか……」

 蘇った私を見て、王はいまいましげに顔をしかめていた。

「もうやられないわ」
「ほう、面白いことを言う……」
「生まれ変わった気分なの。怖いものなんてない」

 実際、死にかかって生き返ったのだ。
 死に近いものを経験したことがある人間ほど強いものはない。

 それに、今の私には、前の私にはなかった情報がある。
 それはブラックスター王の記憶。
 今の私は彼の絶望の記憶を持っている。細やかなことだが、それはいずれ、どこかで私のもう一本の剣となってくれることだろう。

「ふざけたことを!」

 王は怒りのあまり調子を強め、床を一度踏み締める。
 その隙に、デスタンはその場から抜けた。

 彼は王から離れた位置へ移動してから、まだ不安が残っているというような表情で「頼みますよ」と小さく呟く。私はそれに頷いた。

 他者が期待してくれていること。
 それはまた、私の力になってくれる。

「もう一度術を使うまで!」

 王は片手を掲げる——が、その瞬間、リゴールの黄金の光が王の体にぶち当たった。

「ぬぅ……!?」
「させませんよ!」

 勇ましく言い放つのはリゴール。

「く……邪魔しおって……」

 王は前歯が欠けそうなほど力を込めて歯ぎしりする。

「気が散れば術は使えない、それは実証済みです!」
「汚い、汚いやつだ……」

 安定した精神状態のもとでしか黒いリングは使えない、ということか。だとしたら、心を乱すことを繰り返しながら戦えばリングをはめられずに戦える。

 王がリゴールに対して苛立っているうちに、私は剣を手に持ったまま、王の方へと接近していく。

「だが! 術が使えずとも、強化した肉体が負けるわけがない!」

 威圧するような王の叫び。
 気にしたら負けだ、と、私は夢中で剣を振り上げる。

「ぬぅっ!?」

 考えることを止めて振り上げた剣は、王の腹部右側よりの辺りに命中。致命傷になるほど深くは入っていないが、恐らく、これまでの中では一番のダメージだろう。

 王は怯んでいる。
 狙うなら、今。

 振り上げていたところから、柄を両手で握って勢いよく下ろす。

 だが今度は反応された。王は右腕で斬撃を受け流してきた。

「そう何度もはやらせ——ぐっ!?」

 言いかけて、王の目が大きく開く。
 眩い光、リゴールが放った光が、王のローブの一部を焦がしていたのだった。

「エアリ! 援護はお任せを!」
「……ありがとう」

 背後のリゴールを一瞥し、すぐに視線を王へ戻す。
 そして、剣を振る。

 王は武器を持っていない。が、肉体だけで、私の斬撃に対応してくる。

「肉体強化薬を混ぜた酒を飲んでおるのだ……小娘ごときに負けるものか……」
「それはどうかしらね!」

 王と対峙し剣を振る中で、リョウカと訓練を行っていた時のことを思い起こす。
 目標の動きを見極め、剣の先も己の身であると感じるほどに意識を集中させて、動き続ける。そして探し出すのだ、真に狙うべき点を。

Re: あなたの剣になりたい ( No.201 )
日時: 2020/01/24 19:03
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zh8UTKy1)

episode.200 決着

 誰かを斬る時、今でもまだ躊躇いがある。
 それはきっと、人間として当たり前に持っているものなのだろう。

 でも今だけはその躊躇いが薄れている。

 剣を振ることにここまで集中できるのは初めての経験だ。これは、向き合っているのがリゴールを追いかけ回し続けてきた本人だからなのだろうか。そこは不明だが、これまであった躊躇いは今は消え去っている。

 戦う上では、迷いは少ない方が良い。
 でも、迷わず剣を振れる自分になることが少し怖くもある。
 私が私でなくなってしまうような感覚。まるで、私ではない別の誰かがここにいるかのような、そんな奇妙さがあって。

 けれども逃げ出すことはできない。
 これが、私が選んだ道だから。

「ぬぅ……なかなかやりおる……」
「負けないわ、過去に囚われ続けているだけの人になんて」

 彼の過去が暗いものであったことは理解できる。多くの苦しみと悲しみに溺れるしかなかったことも、夢を見たから知っている。

 けれど、それはリゴールには関係のないこと。

 リゴールはただホワイトスターの王の子として生まれただけ。そんなリゴールに過去の憎しみをすべてぶつけようなんていうのは、おかしな話だ。

「貴方とリゴールの父親の間にはいさかいがあったかもしれない。けど、それはリゴールには関係のないこと。それに、リゴールを恨んだって殺めたって、貴方の望みが叶うわけではないわ」

 衝撃的なことがあって絶望するのは分かる。けれど、それに囚われて罪を犯すべきではなかった。絶望にはどこかで区切りをつけて、未来へ進むべきだったのだ。
 そうすれば新たな出会いもあっただろう。嬉しいことや楽しいことも色々あったはず。苦痛も乗り越えて行けたなら、絶望の経験という強さを手にし、さらに前へ歩んでいけただろうに。

「他人の気も知らず偽善的な言葉ばかり並べおって……」

 王の拳は、剣を跳ね返す。
 その硬さといったら、普通の人間の拳をとうに超えている。

「そうね。私、貴方のことはそんなに詳しくない」

 何でもいい。王の心を乱すことができれば、それでいいのだ。

 心を乱せば隙は生まれる。
 そこに叩き込む。

「分かったような口を利くな、女ごときが……!」
「そうね、私には何も分からない。愛しい女性を兄に奪われた気持ちだって分からないわ」

 瞬間、王の表情が揺らぐ。

「なぜそれを……!?」

 それまで攻めの姿勢を崩さなかった王の動きが、ここに来て初めて止まった。

 動かない的になら私でも当てられる。
 もはや迷うことなどない。

 踏み込んで——薙ぐ!

「な……」

 飛び散るのは、赤い飛沫。

 ようやく斬撃が深く入った。

 攻撃をまともに食らうとは思っていなかったのだろう、王は愕然とした顔のまま固まっている。
 今ならいける、と、私はその胸を突いた。

「馬鹿な、なぜ……」

 王は声を震わせる。
 今の状況を理解できていないような顔。
 ペンダントの剣で突いた胸元からは、黒いもやのようなものが現れる。いつか見たことがあるような、どす黒いもや。それは、地獄の底から溢れてきたかのような不気味さをまとっている。

「エアリ! 気をつけて下さい!」

 背後からリゴールの声が聞こえてきた。

 分かっている、まだ気は抜かない——そう答えたいが、口を動かす余裕はない。

「この身が朽ちるはず、は……ない……」
「そうかしら」
「手に入れたのだ……永久に生き長らえる、肉体、を……」

 王は、途切れ途切れ、低い声を漏らす。

 怒りや憎しみなど、様々な負の感情が渦巻いていそうな言い方。
 今の彼は、まるで魔王だ。

 一個人の判断で言って良いことではないかもしれないが、少なくとも、偉大な王ではない。

「リゴールに手出しはさせない。まだリゴールに手を出すつもりなのなら……ここで消えて!」

 強く願いながら放ち、王の胸元に突き刺さっている剣を一気に振る。黒いもやが溢れるだけだった傷から赤いものが飛び散り、それが私の頬を濡らした。

 剣から溢れるのは白い光。
 その光は、みるみるうちに、黒いもやを消し去っていく。

「馬鹿な……なぜ……」

 王は掠れた声を漏らしながら一旦座ったような体勢になり、そこから床に倒れ込む。昼寝をする直前のような動き。

 私は剣先を彼に向けたまま様子を窺う。

 胸を突いた。だからもうまともに動けはしないはず。ただ、想定外の動きをする可能性もゼロではないから、警戒はまだ怠らないでおく。

 床に崩れ落ちた王の肉体は、塵となり、数分のうちに形を持たないものへと変貌し、完全に消滅した。

 ようやく訪れる静寂。
 ブラックスター王は消えた。

「……エアリ」

 背後から声がして、振り返る。すると、こちらを見つめているリゴールの安堵したような顔が視界に入った。

「リゴール」

 私は名を呼び返す。

「その……大丈夫なのですか?」
「体調? なら、もう大丈夫よ」

 頬には赤いものがこびりついているから、今の私の顔面は少し怖い感じになってしまっているかもしれない。

「……ありがとうございました」
「え?」
「ブラックスター王は消えました。もう……襲われることはないでしょう」

 リゴールに言われて、ようやく実感が湧いてきた。

 私たちは倒したのだ、ブラックスターの王を。

 結果的に命を奪うことになってしまった、それは申し訳ないと思う。でも、向こうが本気で仕留めにかかってきていたから、私たちに残された選択肢は「倒す」しかなかった。

 他者の命を奪うことを正当化する気はない。

 でも、今だけは。

「……そうね。これでもうリゴールは狙われない」

 今だけは言わせて。

「良かった……!」

 そう言って、私はリゴールを抱き締める。

「途中生き返らせてくれてありがとう」

 一度は死にかけたのだ。あのまま死んでいたら、何も為せないまま終わっていたかもしれなかった。
 リゴールには感謝しかない。

「いえ、当然のことをしたまでです」
「それでも言わせて……ありがとう、って」
「エアリはわたくしのために戦って下さいました。ですから、わたくしもエアリのためにできることをしました。それだけです」

 私とリゴールが喜びを噛み締めていた、その時。

「兄さん! エアリ・フィールド!」

 ウェスタが部屋に駆け込んできた。

Re: あなたの剣になりたい ( No.202 )
日時: 2020/01/24 19:04
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zh8UTKy1)

episode.201 そして来る夜明け

 ようやく王を倒せたと安堵していたところに、顔面蒼白で駆け込んできたウェスタ。彼女は肩を上下させながらも、強い言葉で訴える。

「グラネイトを助けて!」

 彼女はいつだってクールで話し方も静かだった。緊急時であっても大声を発することはほとんどない。彼女はそんな冷静な人。

 でも、今は大きな声を出している。
 室内にいた全員が一瞬にして視線を奪われたほどの声を。

「……ウェスタ、何事だ」

 一番に言葉を返したのは、私たちとは離れたところにいたデスタン。彼はしゃがむような体勢を取っていたのだが、ウェスタが落ち着きを失って駆け込んできたのを目にして、立ち上がった。

「グラネイトがどうした」
「死んだ……」
「待て。それは一体?」

 デスタンは困惑している様子。
 だが無理もない、いきなり「死んだ」なんて言われたら。

「息……」

 ウェスタは唇を震わせていた。
 その様子を目にしたら「まさか本当に?」などと考えてしまいそうになる。
 だが、たとえ敵襲か何かがあったとしても、グラネイトがそんなあっさりやられるとは思えない。うっかりやウェスタを護ったりで負傷することはあるかもしれないけれど。

「私の部屋か」
「そう」
「見てくる。ウェスタはここにいろ」

 デスタンは妙に冷静だった。

「一緒に行——」
「ウェスタはそこにいろ」
「……分かった」

 そうして、デスタンは部屋から出ていった。
 室内に残ったのは、私とリゴール、そしてウェスタの三人。ウェスタはデスタンが出ていった後、すぐにその場に座り込み、まだ肩を上下させていた。


 私は隣のリゴールと顔を見合わせる。

 お互い、どうすれば良いのか分からない、というような顔だった。

「グラネイトさん、大丈夫かしら……」
「心配ですね」

 そんな言葉をかわしてから、私たち二人はウェスタに小走りで接近。力なく座り込んでしまっている彼女に、恐る恐る声をかけてみる。

「大丈夫? ウェスタさん」

 話しかけてはみたけれど、ウェスタは何も返してこない。
 返事したくない、というよりかは、返事できない、といった雰囲気だ。

「怪我なさっているのですか?」

 続けてリゴールが話しかけた。

 が、やはり返事はなかった。

 ウェスタは酷い怪我をしてからまだそれほど経っていない。そんな状態で動いたために疲れ果ててしまったという可能性も、ゼロではない。

 しかし、今の彼女の様子を見ている限り、どうもそうではなさそうだ。

「……取り敢えず休んでおいた方が良さそうね」

 改めて、リゴールと顔を見合わせる。

 死んだような顔つきのウェスタを見ていたら、大丈夫なのかと心配になってくる部分もある。けれど、これまでも幾度も苦難を乗り越えてきた彼女なら大丈夫だろうと、そう思える部分はあって。

 そんな時、リゴールは突然言い出す。

「あの……エアリ。わたくしはデスタンを見て参ります」
「そうなの?」
「はい。処置を行うなら、一人より二人の方が良いかと思いまして」
「確かにね。ありがとう」

 リゴールは部屋から出ていった。結果、私はウェスタと二人きりになる。

 ウェスタの服にはところどころ赤い染みができていた。多分彼女も戦った後なのだろう。ただ、傷を受けて出血しているということではないようなので、そこだけは安堵だ。

「襲撃があったの?」

 二人になってから、改めて質問してみた。
 するとウェスタは微かに頷く。

「……そう」

 時間が経って、徐々に落ち着いてはきたようだ。しかし、元気そうな顔つきに戻っているかと聞かれれば、まだ頷くことはできない。

 今の彼女はそんな状態。

「ウェスタさん、体は? 大丈夫?」
「……問題ない」
「なら良いのだけど。辛いところがあったら言ってちょうだいね」
「……負傷してはいない」
「そう。それなら良かったわ」

 グラネイトのことが心配なのは分かるが、これでウェスタにまで倒れられたらもはやどうしようもない。せめて、彼女だけでも動ける状態であってもらわなくては。

「ねぇ、ウェスタさん。ブラックスター王は倒したわ」

 そう告げると、ウェスタは僅かに目を開いた。

「……事実か」
「そうよ。これからどうなるのかしら」

 すると、ウェスタは再び目を細める。

「そんなことは……知らない」

 そりゃそうか、と、私は心の中で呟く。
 王が倒れたからどうなるのかなんて、分かるわけがない。

「ま、そうね。ごめんなさい。ふと気になっただけなの」
「……気にするな」

 ウェスタの言い方は非常にあっさりしたものだった。が、それはきっと、彼女なりの優しさだったのだろう。


 それから十数分ほどが経過して、デスタンが部屋に戻ってきた。
 彼の姿を目にしたウェスタは、すぐに腰を上げ、すがるような目でデスタンを見る。

「あれは死んでなどいない」

 その言葉を聞いた瞬間、ウェスタの瞳に色が戻った。

「ほ、本当か……!?」

 そう述べるウェスタの声は震えている。だが、その震えは、負の意味での震えではない。むしろ逆だろう。

「少ししたら回復した。今は眠っているような状態だ」
「良かった……」

 安堵の声を漏らすウェスタを、デスタンは呆れたように見つめる。

「そんなに大切なのだな、あの男が」

 瞬間、ウェスタは頬を微かに赤らめた。

「っ……! そんなことは、ない……!」
「分かりやすすぎる」

 確かにその通りだが、何も、そこまでストレートに言わなくても。
 もう少し言い方を工夫しても良いのではないだろうか。

「……同僚に少し情が湧いただけで」
「なぜ認めない」
「なっ……兄さんっ……! そんな言い方……!」

 デスタンと話すウェスタは、妙に可愛らしい。戦闘時とは別人のようだ。今の彼女は、まるで少女である。

「はっきり言い過ぎも良くありませんよ、デスタン」

 少し遅れて戻ってきたリゴールが、デスタンの背後からさりげなく口を挟む。

「王子。私はただ真実を述べただけです」
「真実であっても言わない方が良いことはあるものですよ」
「理解できません」

 なぜだろう、凄く懐かしい。
 リゴールとデスタンがこうしてやり取りしている光景を見るのは、とても久々な気がする。

 もうずっと忘れていた、穏やかに流れてゆく時間なんて。何も恐れることなく過ごせる時間なんて、私たちにはなかった。

 でも、それはようやく私たちに戻ってきてくれそうだ。

 ブラックスター王の長い復讐は終わった。多分もう襲われることはない。だからこれからは、敵の出現を恐れる必要もなくなるだろう。

 静寂の中、デスタンはウェスタに向けて言葉を放つ。

「ウェスタはグラネイトの傍にいてやるといい」
「……おかしくないだろうか」
「ない。むしろ、傍にいてほしがっているはずだ」

Re: あなたの剣になりたい ( No.203 )
日時: 2020/01/24 19:05
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zh8UTKy1)

episode.202 報告を

 ウェスタはグラネイトに会うため、彼のもとへと向かった。

 部屋には、私とリゴール、そしてデスタンが残る。

 懐かしい三人だ。こうしていると思い出す。ここへ来る前、三人でミセに世話になっていた頃を。

 あの頃は不安でいっぱいだった。
 これからどうなっていくのだろう、と、不安を抱いていた。
 でも、それでも、いつだって誰かが傍にいてくれたから勇気を持てて。何だかんだで、それなりに楽しい毎日を過ごしていたような記憶がある。

「お疲れ様、リゴール」
「ありがとうございます。エアリ」

 あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。色々なことに巻き込まれていたから長かったような気もするが、案外短かったような気もする。どのくらい経ったかは、もうはっきりとは思い出せない。

「王子、お怪我はありませんね」
「はい。デスタンこそ、体、大丈夫ですか?」
「私は平気です」

 辛いことはたくさんあった。苦しい時もあったし、私が選んだこの道が正しいのかと不安になる時もあったし、寂しい別れも経験した。

 でも、悪いことばかりだったわけではない。
 同じくらいか、それ以上か、嬉しいことや楽しいこともあった。

「……結構前に出ていましたが、本当に平気なのですか?」
「はい。私は嘘などつきません」
「なら良いのですが、無理して『平気』とは言わないで下さいね」
「はい。それはもちろんです」

 険しい道だったが、辛すぎる道ではなかったこと——それは救いか。

「……あ! そうでした!」
「どうしました? 王子」
「エアリのお母様に伝えなくてはなりません。すべての元凶は消えた、と」

 すべてが上手くいった今、私は幸福だ。

 けれども、心に少しの不安もないかと言われれば、そうでもない。

 私はこれまで、この日を目指して戦ってきた。
 ブラックスター王を倒し、リゴールが穏やかに暮らせる日を手にする——それが私の戦いの意味であり、人生の意味でもあった。

 でも、だとしたら、これからはどうなるのだろう。

 目指していた場所に達した時、人は何を目標として行けば良いのだろうか。

 今はまだ分からない。
 終わったばかりだから、よく考えられない。

「ですよね! エアリ!」
「え、私?」
「今日は、このことを、お母様に報告しましょう!」

 私の戦いはもう幕を下ろしかけている。
 でも、完全終了までには、まだすべきことがあるのかもしれない。

「そうね。朝になったら報告に行かなくちゃ」


 朝が来るまで、私は少し眠った。
 顔やら服やらが汚れているし戦いの直後だから眠れないかもと少し心配していたが、案外そんなことはなく。意外とぐっすり眠ることができた。


「ということで、すべて終了致しました」

 朝、食堂でエトーリアと会った時に、リゴールは彼女に向けてそう言った。

「え!?」

 いきなりの報告を受けたエトーリアは、驚きと戸惑いが混じったような顔になる。
 だがそれも無理はない、急だったから。

「昨晩、エアリがブラックスター王を倒して下さいました。なので、恐らくではありますが、もう危険なことは起こらないと思います」

 驚きと戸惑いに胸を満たされ返答に困っているエトーリアに、リゴールは事情を説明する。彼は、エトーリアが戸惑いを露わにしていることは、あまり気にしていないようだ。

「ブラックスター王を!? しかもエアリが? ……待って、話が理解できないわ」

 エトーリアは、混乱したようにそう言い、片方の手のひらを頭に当てる。

「夜の間に何があったというの……」
「仕掛けてきたのよ、王が」

 自ら口を挟むなど厚かましく感じられるかもしれないと心配になりつつも、私は答えた。
 母親相手だから大丈夫だろう、と思うことができたから、可能だったことである。

「……それで、戦ったというの? エアリ」
「そうそう」

 エトーリアが怪訝な顔をしながら放った言葉に、私は小さく頷く。するとエトーリアは、呆れたように溜め息をついた。

「まったく。危ない橋を渡るのが好きね」

 彼女の言葉も間違いではないと思う。

 振り返れば、私は危険な道ばかり選んできた。リゴールと出会ってから、ずっとだ。ただの娘が選ぶべきではないような選択肢を選びながら歩んできた。

 結末が悪いものでなかったから良かったが、これで悪い結末を迎えていたなら——今、私がエトーリアに述べられることなんて、何もなかっただろう。

「でも、命があればそれで十分だわ」

 そう言って、エトーリアは笑った。
 数秒後、彼女は視線を私からリゴールへと移す。

「途中は色々余計なことを言ってしまって悪かったわね。ごめんなさい」

 エトーリアの口から出たのは、リゴールへの謝罪の言葉。

「へ? ……い、いえっ! 謝罪なんて!」

 謝られることは予想していなかったらしく、リゴールは妙な声を出す。
 彼はなぜか、慌てたような振る舞いをしてしまっている。ただ軽く謝られただけなのだから、べつにそんなに気にすることもなさそうなのだが。

「貴方に罪はないのに、わたし、貴方を責めるようなことを言ったわね」
「迷惑をかけてばかりだったのは、わたくしの方です。ですから、その、気になさらないで下さい」

 責めたことを謝罪するエトーリアと、そんな彼女を「悪くない」と言うリゴール。二人の間には、奇妙な空気が漂っている。

「ところでリゴール王子」
「は、はい」
「これからはどうなさるおつもりなのかしら?」

 エトーリアは早速そんなことを問う。遠慮がない。

「実は……まだあまり考えられていないのです」

 彼女の問いに、リゴールはそう答えた。

 するとエトーリアは……。

「もしすることが何もないのなら、エアリと一緒に暮らすというのはどうかしら」

 何事もなかったかのように、さらりとそんなことを言った。

 発言が予想外で驚いた。
 エトーリアが自らそんなことを言い出すとは思えない。

 ただ、これからもリゴールと暮らせるのなら、それは幸せなこと。嬉しいことだ。今さら別れるなんて寂し過ぎるし。

「母さん、いきなり何を言ってるの!?」
「どうしたの? エアリ」
「待って待って! どうしたの、じゃないでしょ!?」
「彼と一緒にいられるのよ。エアリにとっても悪いことではないでしょう」

 まぁ、確かに、それはそうだが……。

「それはそうね」
「ふふふ。でしょう?」

 エトーリアは楽しげに笑みをこぼしている。
 楽しまれているようだ。

Re: あなたの剣になりたい ( No.204 )
日時: 2020/01/24 19:06
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zh8UTKy1)

episode.203 働かせることはできない

 一緒に暮らすということを提案されたリゴールは、明るい顔つきになりながら、胸の前で両手を合わせた。

 陽気な少女でなければ普通はしないような動作。
 だが、線の細いリゴールがすると、さほど違和感がない。

 デスタンでもグラネイトでも、もちろん私の父親でも、リゴール以外の男性がその動作をすれば、奇妙な雰囲気になったことだろう。

「それは名案ですね……!」

 拒否するかもと思ったが、それは杞憂で。
 リゴールはすんなり頷く。

「このようなわたくしで良ければ、この屋敷で色々お手伝い致します!」

 生まれ育った国が今はもうなくとも、リゴールがホワイトスターの王族であったことに変わりはない。今もホワイトスター王族の血を持っているのだから、彼は間違いなく王子だ。

 それなのに、彼は腰が低い。
 今に始まったことではないが、改めて違和感を覚えてしまった。

「お手伝いなんていいのよ」

 エトーリアは柔らかい笑顔でそう返したが、リゴールは頷かなかった。

「い、いえ……! わたくしは前々から、何か他人の役に立てることをしたいと、そう考えていたのです。ですから、まずはここで恩返しをさせて下さい……!」

 王子が使用人のような立場を選ぶなんて、意味が分からない。それに、リゴールを働かせたりなんかしたら、今は亡きホワイトスター王族たちに怒られてしまいそうだ。

 特に、この屋敷はエトーリアのものだから、なおさら。

 事情を知らぬ者が雇ったならともかく、ホワイトスター出身のエトーリアが雇ったとなれば、妙な念でも送ってこられそうなものである。

「リゴール王子を働かせるなんて……恐れ多くて無理だわ」
「そこを何とか。お願いします」
「できないわ。わたしはホワイトスター出身だから、なおさら」

 エトーリアはすっかり困り顔。
 リゴールはここで働く気に満ちているようだが、そのせいでエトーリアが困りきってしまっている。

「待って待って。リゴールはのんびり暮らせば良いのよ」

 私はつい口を挟んでしまった。
 母親が困っているのを放ってはおけなくて。

「エアリ?」
「これからはここで一緒にのんびり暮らす——っていうのはどう?」

 軽く提案すると、リゴールは奇妙なものを見たような顔。

「一緒に、ですか?」
「そうそう。ま、今までみたいな感じで。それなら良いんじゃないかしら」

 そこでリゴールは黙る。
 彼は何も言葉を発さず、暫し、考えているような顔をしていた。

 思考の邪魔をしてはいけないので、私は唇を閉じて、彼が再び口を開くのをのんびりと待つ。じっと待つ。

 その間、エトーリアも同じだった。
 私とリゴールのやり取りを聞いていたからなのだろうが、彼女も黙ってくれている。

 そのせいで、食堂内がしんとしてしまう。

 だが、皆が遠慮なく喋り続けて騒がしいことになるよりかは、リゴールも落ち着いて考えられるだろう。そう考えるならば、今のこの静寂を悪いものだと思う者はいないはずだ。

 その後、一二分ほどが経過して。

「エアリがそう仰るなら、それも一つかもしれませんね」

 それまでしばらく考え事をしているような顔で黙っていたリゴール。彼の口から出たのは、私が出した案に対して前向きな言葉だった。

 それからすぐに、彼はエトーリアへ目をやる。

「ではお母様……そのような形で構わないでしょうか」
「エアリと二人でのんびり、という暮らし方?」
「はい。それなら楽しそうだと思ったので……いかがでしょう」

 使用人のようなことをしようとしていたリゴールだったが、それは諦めてくれたようだ。

「わたしは賛成よ。それなら」
「では、それでよろしくお願いします……!」

 リゴールは丁寧に頭を下げた。
 王族が一般人に下手に出ている光景というのは、不思議というか何というか、非常に違和感があるものである。

「では改めて。エアリ、これからもよろしくお願い致します」

 リゴールの青い双眸に見つめられたら、何とも言えない気分になってしまう。嬉しいような、恥ずかしいような——今、そんな不思議な気持ちだ。

「ふふ、リゴールは相変わらず丁寧ね」
「この屋敷にお世話になるのですから、当然のことです」
「もういいのよ? そんな固いこと。……それに、ここは私でなく母さんの屋敷よ」

 絶対的な予言なんてないから、明日の私たちをこの目で見ることはまだできない。将来のことはまだ分からない。

 だがそれでも、一つの道は、微かに視界に入り始めた。

 それはとても細ささやかなこと。
 でも、将来を想像するための大きな一歩であることは確かだ。


 朝食後、私とリゴールはデスタンに会いに行くことにした。

 廊下から見える窓の外は明るい。今日は晴れのようだ。降り注ぐ日差しはとても強くて、目を細めたくなるほどに眩しい。

 ただ、光が強いことは確かだが、今日は特に眩しく見える気がする。

 胸の内を満たしていた薄暗いものが消えたから……かもしれない。

 デスタンに会うべく私たちが向かったのは、リゴールの部屋。
 最近の彼は、そこで暮らしている。

「デスタン! 報告が終わりました!」

 リゴールが先に部屋へ入ってゆく。
 するとそこには、デスタンと彼に会いに来たミセがいた。
 デスタンは床に座っていて、ミセは彼にもたれるようにしてしゃがんでいる。彼女の両腕は、どちらも、デスタンの右腕に絡んでいた。

 こんな日でも、ミセは通常通りの運転だ。

「もう終わったのですか、王子。早かったですね」
「はい!」
「それで、何か問題でも浮上しましたか」
「いえ! 問題が発生するどころか、わたくし、これからもここで暮らせることになりました!」

 ストレスから解放されてご機嫌なリゴールは、一切躊躇うことなく、すべてをデスタンに打ち明ける。

「そうなのですか。意外です」
「変でしょうか?」
「いえ。ただ、王子はホワイトスターへ戻られるのだと思っていたので」

 そう、そうなのだ。
 普通なら祖国に帰ることを一番に願うはずで。

 デスタンの考えていたことは正しい。実際のリゴールの考えとは違っていただけで。

「わたくしも、最初はそのつもりでしたよ」
「やはり。そうなのですか」
「エアリに出会っていなければ、わたくしはホワイトスターへ戻ることを選んでいたかもしれません」

 そう言って、私へ視線を向けてくるリゴール。

「でも、エアリと出会いました。だからわたくしは、これからもずっと、エアリと一緒にいるのです」

 私だって、彼とは共にありたいと思っている。

 ……ある意味両想い?

「これまでずっとエアリが傍にいて下さったように、これからはわたくしがずっとエアリの傍にいるのです。ですよね? エアリ」

 いきなり難しい振り方をされてしまった。

「そ、そうね。それが理想形だわ」

 せっかく良い雰囲気になりつつあるのに、私は気の利いた言葉を返すことができなかった。

Re: あなたの剣になりたい ( No.205 )
日時: 2020/01/24 19:07
名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: zh8UTKy1)

episode.204 優しい人

「お邪魔しまーす」

 ずっとデスタンが使っていた部屋へ入る。
 室内には、仰向けで眠るグラネイト。そして、その一メートルほど横には、上半身を起こした状態のウェスタがいた。

「あ。ウェスタさん、起きていたのね」
「……エアリ・フィールド」

 つい「なぜいちいちフルネームで呼ぶのだろう」などと考えてしまいそうになる。が、そこには触れないでおくことにした。わざわざ尋ねるほど重要なことではないからだ。

「ウェスタさん、体調はどう?」

 色々あった後だから、自然とグラネイトに意識が向きそうになってしまう。でも、ウェスタも負傷していたことを、私は覚えている。

 だから私は彼女の体調についてを先に尋ねたのだ。

「問題ない」
「それは良かった。……で、グラネイトさんは?」

 もちろん彼の方も心配ではあるから、続けて質問してみる。

「骨折があるが、命に別状はないと言われた」

 私が放った問いに、ウェスタは速やかに答えてくれた。

「う……骨折って……」

 想像してしまった。

 こんなイマジネーションは要らない。リアルにイメージできればできるほど、胸の辺りに嫌な感覚が広がってしまうから。

 でも、一度想像してしまうと、胸の気持ち悪さはもう消えない。

 こんなことを言ったら怪我人を気持ち悪がっていると受け取られるかもしれないが……当然そういうわけではないのだ。

 一人そんなことを考えていた時。

「どうした。急に顔色が悪くなったようだが」

 ウェスタが心配してくれているような顔つきで言ってきた。

 私はそんなに分かりやすいのか……。

「あ……ち、違うの!」
「一体どうした」
「何でもないわ! 気にしないで!」

 慌ててしまって、不自然な話し方をしてしまう。そのせいで余計に妙な振る舞いになってしまった。

「……何でもないならいいが」
「え?」
「体調が悪くなったのなら心配だ」

 それは、ウェスタの口から出てきているとはとても思えないような、優しく温かい言葉だった。グラネイトが聞いたら、きっと、羨ましくて暴れ回るだろう。

「……優しいのね」

 実は戸惑いが大きい。

「そんなことはない。協力者になっていた以上、心配するのは当たり前のことだ」
「……やっぱり、優しいわ」

 ウェスタはデスタンにどことなく似ている気がする。
 兄妹だからだろうか。

 容姿が似ているのはもちろんだが、今私が言いたいのはそこではない。今、私が言おうとしているのは、性格的な面のことだ。

 デスタンは毒舌で冷淡だが、周囲の人を常によく観察しているし、時には励ましの言葉をかけてくれたりもする。彼は、心ないように見えて温かな心を持っている人物。

 そういうところが似ているのだ。

「まさにデスタンさんの妹さんって感じね」

 私は思ったことをシンプルに言葉で述べた。
 するとウェスタははにかんだ。

「それは……少し照れてしまう」

 照れるところが少々おかしいような気がしてしまう。無論、照れるタイミングに決まりなんてものはないのだが。

 その時、仰向けで眠っていたグラネイトが足を小さく動かした。

「んん……」

 口からは低い音が漏れる。
 寝惚けているようだ。

「ん……ウェス、タ……」

 寝言でまでウェスタを呼ぶとは、恐ろしい徹底ぶり。

「どうした、グラネイト」
「あと二分……寝さ、せて……」
「何を言っている」

 グラネイトの残念な寝言に呆れ果てたウェスタは、大きな溜め息を豪快に漏らしていた。今の彼女には、遠慮なんてものはなかった。

「……すまない、こいつはずっとこんなで」
「面白い人よね」
「……かなり変わっている」

 確かに、街で披露していたあの謎の芸は、非常に個性的なものだった。あれはもはや、常人では不可能な域に達していたように思う。だからこそ人気だったのだろうが。

「嫌い?」
「いや……そんなことはない。ただ、呑気さを羨ましく思うことはある」
「確かに。ウェスタさんが傷ついている時以外は、いつも元気いっぱいよね」

 するとウェスタは呆れたように返してくる。

「……時に馬鹿に見える」

 彼女らしい答えかもしれない、それは。

「だがそれでも……助かって良かったと思うのは、やはり、彼が大切な存在だからなのだろうな」

 そんな風に述べながらグラネイトを見下ろすウェスタの表情は、まるで母親のよう。紅の瞳には優しい光が宿っている。

 ウェスタはずっと、グラネイトへの想いに関してだけは素直でなかった。でも、今は以前とは違って、少しは素直さを持っている。もう気づいてはいる、ということなのだろう。

「ところで、ウェスタさんはこれからどうする予定?」
「……それは、どのように生きていくか、という問いか」
「えぇ。首を突っ込むみたいで申し訳ないけれど、少し気になって」

 何も、深い意味などない。
 企みがあるわけでもない。
 尋ねたのは純粋な興味からであって、それ以上でも以下でもないのだ。

「どう、か……今はまだよく分からない」

 むにゃむにゃと寝言を漏らすグラネイトの肩にそっと手を添える。

「だが、なるべく早くここから出られるように努力はする。心配は要らない」
「え? そんなの、べつに気にしなくていいのに」

 今の私の言葉は本心だ。

 私はウェスタたちがここにいることなんて気にしていないし、エトーリアだってきっと怒りはしないだろう。

 けれど、私の言葉はウェスタには届いていないようで。

「……いや、迷惑をかけ続けるわけにはいかない。動けそうになり次第、ここを出る」
「無理しなくて良いのよ? 無茶して動くと危険かもしれないし」
「……ありがとう、いつも」


 ブラックスター王の復讐は終わった。
 それゆえ、ブラックスターの人間とホワイトスターの人間が憎み合い剣を向け合う必要は、もうない。

 リゴールの命を狙った刺客が皆悪かったわけではない。彼らは王の復讐のために利用されていたのだ。ブラックスターに生きる者として、王のために戦いを選んだ——それだけのこと。

 私はウェスタたちを憎みたくない。

 負の感情は巡り続ける。が、それに意味などありはしない。負の感情が巡り続けたところで、生まれるのは不幸だけ。

 だから、憎しみの連鎖はここで止めよう。

 その先にこそ、未来はある。
 新しい明日、明るい明日を迎えるためには、きっとそれが一番良い方法だ。