コメディ・ライト小説(新)
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.1 )
- 日時: 2019/08/13 10:34
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: sc915o9M)
ぷろろーぐ「 愛を殺したい 」
雨がずっと降っていた。夏の蒸し暑さと、蝉の悲鳴と、故人を想う泣き声が、悲しい雰囲気を作っていた。今でも「おはよう」って私の背中をばしばし叩きつけて、真っ白な歯を見せて笑うんだろうって、そんな夢みたいなことを考えている。昨日までの当たり前が、今日も当たり前にはならないんだと、私はこのとき気づいてしまった。
「――アイドルグループlunaticのメンバーだった茅野咲良さんの葬儀が昨日執り行われました……」
テレビは面白がるようにその話題ばかりだった。嫌でチャンネルを変えようが、メディアはこういうのが本当に好きなのだろう。人の死くらい、放っておいてくれたらいいのに。
SNSでも茅野咲良の悲報にファンは泣いていた。だけど、彼女たちはすぐに咲良のことなんか忘れる。永遠のファンなんていないのだから。芸能人だから、格好いいから、簡単に好きになって簡単に心は移っていく。咲良のことを十年後、二十年後、きっともう覚えていない。
「さくら」
おはよう、と真っ白な歯を見せた笑顔でもう君が笑うことはない。私の隣で歩くときに身長のことを気にしてムキになる君ももういない。私の手料理を食べておいしいって言ってくれる君にももう会えない。
好きな人が死んだ。暑くて暑くて死にたくなる夏の日。私の好きだった茅野咲良は、自殺した。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.2 )
- 日時: 2019/08/13 17:24
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: e.VqsKX6)
こんにちは。
いきなりの書き込み、失礼致します。
引きつけられる出だし、素敵だと思いました。
また、『テレビは面白がるようにその話題ばかりだった。』という部分がリアルで、印象的でした。
これからの展開の気になる作品ですね。
執筆、楽しんで下さい。
密かながら、応援しております。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.3 )
- 日時: 2019/08/16 01:40
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: sc915o9M)
>>002
四季さん
初めまして、コメントありがとうございます。
小説を書くのは久しぶりになるので、こうやってコメントをいただけること、とても嬉しく思います。ありがとうございます。
芸能人の熱愛とか離婚とかを面白がるようにコメンテイターが話してるのを見て、私は正直不快だなって思うときがあって、最近あった大きな事件も被害者の家族に取材に行ったり、悲しむ隙間も与えてくれなくて、そういうモヤモヤからこういう文章になりました。出だしのインパクトだけで生きてる物書きなので、ちゃんとこれからもこの調子を続けられるよう頑張りたいです。
ありがとうございます。これからも頑張ります。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.4 )
- 日時: 2020/07/22 16:31
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
mellow001「 夏は君の匂いがする 」
思い出すのは君が死んだ夏。部屋の温度が三十八度で、そういえば暑いような気がするって思って、背中からじんわり汗が滲み出て、涙も一緒に水分丸ごと全部吐きだした。気持ち悪くなった時には意識はもうなかった。救急車のサイレンが街中にこだまして、私は君と一緒に死ねたらって、この時そんな馬鹿なことを考えた。
□
自殺未遂を三回したら親友が驚くくらい怒って私をカフェに呼び出した。当時私は二十一歳で、一週間前に駅の階段から落ちて意識不明で救急車に運ばれたこともあり、体中包帯だらけ、松葉杖を使わないと歩けない状況だった。幸い頭を強く打ってなかったからか、意識の回復も早くそんなに大した怪我にはならなくて、私はとてもショックだった。
「死にたい気持ちはわかるけど、人間はそんな簡単に死ねないの」
親友の三原あんずは私を見つけるなり、頬を平手打ち。そのあとぎゅうと私の体に抱き着いた。女の子のやわらかい皮膚が布越しに感じられる。あんずについて席に向かうと、すでに一人の男性がソファの奥に腰掛けていた。
「……あんず、あの人だれ」
「……え、ああ、香坂さんっていうの。今日からあんたの彼氏」
へえ、相槌を打ちながらあんずの言葉の意味が全くわからなくて、私は少し目が泳いでしまう。香坂さん、と呼ばれた青年は私より少し年上っぽくて、落ち着いたイケメンだった。私をじいとみて「こんにちは」と短く彼は挨拶する。私もつられて「こんにちは」と口だけ動かした。
「彼氏っていうか、見張りね。あんたがすぐ死のうとするから、それを止めれられる存在が必要かなって思って。ほんとはあたしがって思ってたんだけど、仕事でちょっとしばらく海外だから無理そうで。で、知り合いの伝手で香坂さんにお願いすることにしたの」
「え、私の意見は通らない感じ?」
「咲良くんが死んでからあんたはおかしい。おかしいの、わかって。私はあんたを失いたくないの、咲良くんが死んでおかしくなるあんたみたいになりたくない」
ケーキがおいしいお店なのに、午後三時にがっつりハンバーグステーキを食べてる私にあんずは必死に訴えた。香坂さんは何も言わずにただ私の顔を凝視して、珈琲を口に含む。
ふいに彼を見て思うことは、咲良とは真逆の人間だということ。咲良はこうやって私とあんずと三人で会うときはうるさいくらいに会話に茶々を入れてくるし、珈琲なんて死んでも飲まない。いつもきまってメロンソーダ。
「香坂さんはいいんですか。知らない女の彼氏になるの」
「……別に俺は大丈夫ですよ」
彼は自然な笑顔でそう言った。
さらっと伝票を持って行ってレジで会計を済ませていた彼は本当にスマートな大人の男性って感じがしたし、きっと咲良に出会ってなかったら私はこういう人に恋をしていたのだろう。
「篠宮さん、このあと時間ありますか?」
あんずに隠れて耳打ちしたその声は、低くて少しかすれていて、背中が凍り付きそうなほどぞわぞわした。
「大丈夫、ですけど」
見上げた香坂さんの表情はさっきみたいに笑っていて、声の雰囲気とは全然違った。腕に大量にできた鳥肌を軽く撫でながら私は彼の後ろをついていく。
夕焼けが綺麗で、のびた影を踏みつけるように歩いた。見回す風景が見たことのある建物ばかりで、私の心臓は今にもぎゅうと絞り千切られそうだった。
「どうして」
花を買ったあとに、線香もいりますよねと、香坂さんは私に尋ねてきた。私は上手く言葉が紡げずに、そうですねと返す。彼がどこに行きたいのかすぐにわかった。石の階段をのぼって、お墓の前に手桶に水をくむ。一組の親子連れとすれ違っただけで、あとは誰もいない墓地だった。
久しぶり、咲良。と心の中で語りかけた時、
「久しぶり、咲良」
同じ声が、私の耳を侵食した。
香坂さんは何も言わずに花を交換して、柄杓で水をかけた。線香を取り出して私に持ってて、と手渡すとポケットからライターを取り出して火をつけた。煙はすぐに上にのぼっていく。
「香坂さんって、何者なんですか」
墓地は怖いとかそいうのじゃなくて、気持ちがうまくコントロールできなくなる不思議な空間だと思う。私の心臓はばくばくと誰にも聞こえないように大きく早く動いていた。
「知りたい?」
知りたくなかった。君のことなんか。
むかつくくらいに夏の匂いがする。
優しくない、私の二度目の夏が、音を立てて動き出した。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.5 )
- 日時: 2020/04/18 22:22
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
香坂飛鷹は自分のことをあまり語らなかった。どうして咲良のことを知っているのか尋ねてみると「仕事関係でちょっとね」とあえてなのか誤魔化すように言葉を濁した。
カメラマンのあんずの知り合いって聞いた時から芸能界に関わりのある人っていうのはわかっていたけれど、咲良のことを知ってっているなんて予想外だった。世の中は案外狭いものだ。
お墓参りが終わった後、墓地の外で香坂さんは「タバコ吸っていい?」と私に聞いてきた。いいですよ、私は歩きながら答える。タバコのにおいはあまり好きじゃなかった。
「恋人って何するものなんですか」
「それを俺に聞くの?」
「わたし、咲良以外の人のこと好きになったことなくて、彼氏とかできたことないんで」
「そんなに可愛いのに?」
「外見だけってよく言われます」
誰から、と笑い交じりに香坂さんが相槌を打つ。香坂さんの足並みは私の合わせてくれているのか少しゆっくりで、大人の余裕が感じられた。
「んん、じゃあ、名前で呼び合うってのは?」
「……私、あなたの下の名前知らないです」
見えていた香坂さんの背中がぴたっと止まって、彼が綺麗に180度回転した。香坂さんの整った顔がこちらをじっと見つめて、唇がゆっくりと動く。
「飛鷹」
呼んでみて、と香坂さんがいった。
「ひ、飛鷹さん」
急に香坂さんの大きな手がこちらに伸びてきて私の後頭部にぽんと置かれた。くすぐるような優しい撫で方で、私の髪がぐしゃぐしゃにされて香坂さんは満面の笑みで「よくでました」と私のことを褒めてくれた。
「じゃあ藍ちゃん、家まで送ってくのもありだけど、初めてあった人に家バレするのも怖いだろうしここでお別れでもいいかな」
「あ、ありがとうございます」
駅までの道のりはあっという間だった。
じゃあ、と軽く手を挙げて飛鷹さんはすぐに振り向いて去っていく。さっきと同じ道を。もしかしてわざわざここまで来てくれたのだろうか。考えても無駄なことばっか頭に浮かんで、好きにもなれないのに頭の中は飛鷹さんのことでいっぱいだった。
□
香坂飛鷹がむかし、lunaticのメンバーだったということを知ったのはその日の夜のことだった。
彼の名前でネット検索をかけたらそれは一瞬の出来事だった。メジャーデビューする前の、ちょうど咲良が高校生の時、出来立てほやほやのころのlunaticのセンター、それが飛鷹さんだった。当時は圧倒的な人気があって、結局メジャーデビューできたのも飛鷹さんのお陰とかなんだとか、調べるだけアンチが沸いていて怖かった。
香坂飛鷹がいなくなったlunaticを誰が応援するんだよ。そういうネットの書き込みがいたるところで見られた。これを咲良は見たのだろうか。
飛鷹さんのいたころのライブの映像がネットに流出していて、わたしはついつい視聴画面に向かってしまった。咲良が消えそうなくらい、ほかのメンバーを食い尽くした飛鷹さんが輝いていて、純粋にすごいって思った。
でも、この話は地雷だと思った。これを飛鷹さんに言っちゃいけない気がした。動画を見終わった後、私の頭からはやっぱり咲良のことはすっぽり抜けてしまっていて、何でか急に申し訳なくなってリストカットをした。流れる血は私の涙で薄まっていく。ああ、こうやって私も咲良のことを忘れていくんだ。私もただのファンと変わらない。馬鹿みたいだ。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.6 )
- 日時: 2020/04/18 22:23
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
「藍ちゃんさ、俺のこと調べたでしょ」
それは、さりげなく。軽い口調で、香坂飛鷹との初デートの初っ端。態度がぎこちなかったのだろうか。ぷすり、と命中した飛鷹さんの矢には少しだけ毒があって、私はその影響か表情が固まってしまった。
「……えっと、」
「でさ、それよりその腕の包帯は俺の知らないうちにリスカでもしたのかな」
「……えっと、」
うまく誤魔化す方法はいくらでもあったのに、いざ口を動かそうとすると全然頭が回らない。
「飛鷹さんは、優しいのか怖いのか、わからないです」
「藍ちゃんはが俺のことを怖いって思うのは、俺が君のことにずかずか突っ込んでいくから?」
「そういうんじゃなくて、うまく言えないんですけど、今まで私の関わってきた人とは飛鷹さんってなんか違う気がするんです」
飛鷹さんは私の話を遮るように「今日は映画でも行こう」と声を張り上げた。じゃあ、と言って差し出した掌の大きさは大人の男の人って感じがして、私はその手をつかむのに少しだけ躊躇ってしまった。その躊躇した手を引っ張るように飛鷹さんは私の手を優しく包み込む。ごつごつした飛鷹さんの掌はあったかくて、私は手汗が出てないかちょっと心配になった。
「飛鷹さんって私に興味とかないんだと思ってました」
「こんなに強引に君のことを口説いているのに? 藍ちゃん、ほんと男に免疫なさすぎじゃない。お兄さん心配だよ」
「なんか、レンタル彼氏って感じ」
それは失礼だよ、と少し怒ったような低い声で飛鷹さんは私の手を強く握った。
表情はあまり見えなかったけれど、私の右手はほんのちょっとだけヒリヒリした。
「藍ちゃんはどの映画みたい?」
「私は別になんでもいいですけど」
「うーん、女の子はこういうのが好き?」
映画館の上映中の作品の掲示欄から、飛鷹さんはわかりやすいラブストーリーを指さした。少女漫画原作の、今人気の若手俳優と女優を使った作品。なんでもかんでも人気の役者を使えばいいと思ってる、原作無視の大バッシング実写。
「飛鷹さんって、安直ですね」
「え、俺なんか間違った?」
「ダメですよ、女の子だからとりあえずラブがあればいいだろって感じ。どうせならホラー見ましょう。これ、これとか面白そう」
「待ってそれ惨殺ものじゃん。出会って数秒で爆死とか普通のやつじゃん。俺こわいよ」
「え、飛鷹さんホラー駄目ですか?」
飛鷹さんの表情はわかりやすく曇っていたけれど、年下の女の子の前でそんなことは言えないと見栄を張っているのだけはよくわかる上ずった声で「じゃ、じゃあそれにしよう」とチケットを二枚買った。
二時間後、飛鷹さんは喫茶店で死んだのかなってくらい潰れてしまったけれど、とても楽しかったので今日の初デートは成功だと思いながら私はパンケーキを二回おかわりした。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.7 )
- 日時: 2020/04/18 22:21
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
飛鷹さんと出会ってから、確かに死にたくなる瞬間が以前に比べて少なくなったような気がする。飛鷹さんはとてもいい人だし、好きって感情を抱かなくても側にいてくれる大人の余裕みたいなのがあって、なんだか心地よかった。
私がどれだけ咲良のことが好きでも、それでも飛鷹さんは何も言わなかった。結局、私は飛鷹さんのことを何も知らないまま、少しずつ心を開いてしまったのだ。
「――アイドルグループ、lunaticが今年いっぱいでの解散を発表しました」
咲良が死んで一か月が経つころには、咲良の居場所はいともあっさりなくなった。テレビではこのことについてどう思いますか、なんてアナウンサーが街頭インタビューに出ていて「自称lunaticのファン」の女たちが「寂しいです」や「咲良くんの死にショックが隠せません」と表情を暗くしていた。本当に余計なお世話だ。咲良の死を忘れたいのに、世間はそれを許してくれないのか。
どうせ、一年後誰も覚えてないくせに。
「ねぇ、私が殺したのかも、しれないのにさ」
パソコンから、デビュー前のlunaticの曲が流れる。センターの飛鷹さんだけが輝いてる、昔のワンマンlunatic。このころの咲良は本当にただの数合わせみたいだった。その映像を何度も何度も繰り返し見てる私は、すごくマゾなんだろう。
□
「あ、またリスカしてる」
「……でもですね、前した時から二週間は経ってるんです。わたし、偉くないですか? 考えてみてください、二週間も耐えれたんです、褒めていいですよ」
「んー、言ってることは絶対おかしいんだけど、まあ、よく頑張りました」
飛鷹さんは私の頭を優しく撫でる。彼のごつごつした掌が好きだ。リスカなんてどうでもいいのに、放っておけばいいのに。咲良のことを思い出すたびに死にたくなる私なんて、早く捨てればいいのに。
優しい飛鷹さんは今日も私のことを見捨てられずに付き合ってくれる。偽りの恋人関係がもう三か月続こうとしていた。
「飛鷹さんって格好いいじゃないですか」
「突然どうしたの、藍ちゃん。とうとうオレの魅力に気づいたかい」
「いや、そうじゃなくて、こんな好青年風に見せかけたイケメンがどうしてフリーなのかなって、世の女はもったいないことをしてるのではないかって思って」
「待って俺は今軽くディスられているのではないだろうか」
飛鷹さんに奢ってもらった特大クレープを食べながら私たちはベンチで話す。秋のはじめ。夏が過ぎ去ってもまだ太陽は元気で、大半の人間は半袖だった。彼がどんな職業をしているのか、何も知らないけれど、平日会うのは決まって十五時ごろで、普通のサラリーマンではないことは明確だった。
「今はね、藍ちゃんと付き合ってるから他に彼女はいないんだよ」
「あ、忘れてました。そういや付き合ってる設定でしたね」
「ははは、やっぱり忘れてるんだ。さすが藍ちゃん、君はそういう子だ」
公園のベンチから見える景色は、小学生の下校の様子で、ランドセルを背負って駆けていく子供が無邪気で少しだけ懐かしく感じた。小学生の頃の咲良はまだ私より小さくて、いつも私の後ろをちょこちょこ追いかけてきて、すごく可愛くて可愛くて。
咲良が死んだ。夏のはじめ。異常気象と言われるほどに暑すぎた夏の日、私が愛した咲良は死んだのだ。
私のせいだ。私のせいで死んだ。咲良は死ななくて良かったのに、私のせいで死んだのだ。
「藍ちゃん?」
頭がふわふわしていた。飛鷹さんの顔が近づいてきてるのだけ認識できて、私がベンチから落ちて地面と対面していたことにはきづけなかった。
いつも通りの日常。会話には咲良のことを思い出すきっかけなんて何一つなかったのに、唐突に脳裏に咲良がいっぱい沸いて、それが消えることはなかった。思い出がすべて脳を侵食していくように、それは吐き気に変わって呼吸がうまくできなくなった。汗が尋常じゃないくらいに湧き出て止まらなくなって、私は飛鷹さんに抱き着いた。「死にたい」と言葉だけははっきり喋れた。
「お願いだから、死なないで」
咲良が死んだ。部屋中にお酒がいっぱいあった。あんまり強くないくせに。成人したばっかで、これからお酒は覚えていく予定なんですって、ずっと今までいい子だったのに。ぐるぐるぐるぐる、頭は咲良と共有した記憶でぐちゃぐちゃになった。飛鷹さんの声がどんどん遠ざかっていく。
飛鷹さんは結局何者なんだろう。知りたくなかった。だって、なんとなくわかってたから。私が思い出さないように必死で彼の存在を忘れようとしていたから、だから飛鷹さんはわざと他人のふりをしていたんだ。気持ち悪い。記憶の欠片がいろんなところに飛び散った。私は、咲良をきっと見殺しにしたんだ。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.8 )
- 日時: 2020/04/18 22:22
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
湧き出る汗は止まらずに、頭は整理できないくらいの量の「歪な記憶」でごちゃごちゃに掻きまわされた。どうして咲良は死んだんだろう。どうして私は咲良の死を看取ったんだろう。そもそも咲良と私は付き合っていたのか、それとも私の片思い?
どうしてそんな知っていて当然のことすら私はちゃんと覚えていないのだろうか。
目が覚めると私はいつのまにか家のベッドで眠っていた。飛鷹さんが家まで送っていってくれたのだろう。化粧もしたままだし、服もデートをした時の格好のまま、それくらいに私は憔悴しきっていたのだ。
体は鉛を背負ったくらいに重く、足も地面の感覚を忘れたかのようにふらふらと安定しなかった。唐突に気持ち悪くなってしゃがみ込んだときに、ベッドの下に一冊本が落ちているのに気づいた。手を伸ばしてそれを見てみると、それは日記帳のようなものだった。こんなのを書いた記憶はない。パラパラとめくってみたけれど、やっぱりそれは私の記憶にはなくて、でも、それは間違いなく私の字だった。
「○月×日
今日は咲良に会った。ますます咲良はイケメンになっている。身長が伸びたせいだろうか、またアイドルになりたいなんて夢みたいなことを言っている。そういうちょっと馬鹿なところも嫌いじゃないから困ったものだ」
「○月△日
咲良が大手のアイドル事務所の書類審査に合格したらしい。嬉しそうにメールで報告してきてくれた。喜んでる顔が浮かぶ。今度お祝いしてあげよう。やっぱり食べ盛りだし焼肉とかがいいかな」
「○月□日
咲良が合格したらしい。しかももうグループで活動するらしい。早いものだ、先輩にとてもカッコいい人がいるとか言ってた。ライブもするらしいから咲良のことを見に行くついでにその先輩も見てこようかな」
あれ、おかしい。
咲良がデビューしたばっかのころの私の日記。こんなの書いた記憶なんてない。
「○月▼日
気になっていた人に告白された。付き合うことになった。咲良もあんずもおめでとうってお祝いしてくれた。すごく嬉しい」
私の字だった。間違いなく私の字。私は咲良のことが好きだったわけじゃないのか。そもそも付き合うことになったって誰のことだ。
知らない、私はこんなの知らない。次のページを開くのがただただ怖かった。真実を知るのが怖かっただけなのに。
「○月◆日
今日は咲良の誕生日。あんずと飛鷹さんと一緒にお祝いした。私の弟もついに十八歳になってしまった。結婚もできちゃうよ。お姉ちゃんは寂しいな」
風がカーテンを大きく揺らす。汗べったりの気持ち悪い肌。投げ捨てた日記帳。
どうして誰も何も教えてくれないんだろう。
どうして私は何も「覚えてない」んだろう。
咲良が好きだった。恋だったはずだった。それなのに、それさえも「嘘」だなんて。
私はこれから何を信じればいいのだろう。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.10 )
- 日時: 2019/11/05 20:20
- 名前: (朱雀*@).°. ◆Z7bFAH4/cw (ID: /FmWkVBR)
はじめまして! 朱雀です。
最新話まで読みました(*^^*)
良い意味でコメライっぽくなくて、こういうお話大好きなので、今めっちゃテンション上がってます…!笑
つまり、藍ちゃんと咲良は兄弟なんですよね…。どこから記憶が狂ってしまったんでしょう。弟が死んでそのショックで飛鷹さんとの記憶が混在しちゃったのでしょうか。付き合ってた彼からすると二重でショックですね……。
今後の展開がとても楽しみです(>_<)
あと飛鷹さんが、男っぽくて、とてもかっこいいです好きですv笑
また遊びにきます。失礼しましたっ。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.11 )
- 日時: 2019/11/10 00:01
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: A2dZ5ren)
(朱雀*@).°.様
初めまして、立花と申します。お名前見た瞬間、ひえええええあの朱雀さんが私の小説にコメントを???待って見間違えかひえええええとプチパニックになった生粋のコメライ民です。
コメライっぽいフレッシュなラブコメが歳を重ねるごとに書けなくなってしまって、どんどん趣味に走ってしまうようになりました。朱雀さんのお好みのストーリーだったみたいで、とても嬉しいです。
そうなんです、咲良と藍は姉弟なんですが、記憶の障害のせいで彼氏だった飛鷹を補うために咲良の存在を「彼氏」と認識してしまってるのが現在の状況です。わかりにくい設定で申し訳ないです(; ・`д・´)
飛鷹は私の趣味を詰め込んだキャラで、とにかく優しい理想の年上男性って感じで書いてます。好きと言っていただけてとても嬉しいです。私もこういう男性が好きですが、飛鷹はとても不憫なキャラで、ストーリーが進むにつれてどんどん可哀想になってくるので、よかったら続きもまた読んでいただけると嬉しいです。
コメントありがとうございました。また遊びに来ていただけるよう地道に小説更新頑張りたいです。
本当にありがとうございました(*'ω'*)
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.12 )
- 日時: 2020/04/18 22:18
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
mellow002「 優しく騙して、甘い嘘で 」
可愛い顔をして性格めっちゃ悪いんだね。仲の良かった友達にそんな絶交宣言を受けたのは中学二年の春のことだった。桜がぽつぽつと咲き始めた四月の頭。彼女は私を睨みつけて吐き捨てるようにそう言った。日頃の鬱憤も全部吐き出して満足したかのように私の頬を勢いよくビンタした。
「ていうか、わたしがこういう人間って気づかなったの。それで友達って笑えるよね」
馬鹿みたい。言葉は発さなかったけれど、正直私にとってはどうでもいいことだった。
勝手に信じて勝手に裏切られて、ああ面倒くさい。私の感想はそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない。私に怒りの感情をぶつけてもこの子は無駄だとわかっていないんだ。
「うわっ、どうしたの藍。ほっぺた真っ赤じゃん」
階段をおりていると偶然むかし近所に住んでいた幼馴染に会った。名前は三原あんず。おせっかいな世話焼きで、いつも私に構ってきて鬱陶しかった。引っ越していったからもう会わないと思っていたのに、中学でまさかの再会を果たしてしまった。三年ぶりの彼女はやっぱりむかしと変わらず鬱陶しくてうざかった。
「別に。あんずには関係ないじゃん」
「ああ、どうせまた友達怒らせたんでしょう。藍はすぐに面倒くさくなって適当に話切っちゃうから」
「なにそれ私が悪いの? 私がそういう人間って分かって付き合ってない向こうが悪いんじゃん」
「どうしてそんな冷たいこと言うかなあ。こんな可愛い顔して」
あんずは私の頬を優しく撫でて心配そうに私の顔を覗き込んだ。慈愛に満ちたその瞳に胸の奥がぞわっと騒めく。私にとってあんずの優しさは毒だった。こんな風に誰かに大事にされたことがないから。だから、気持ち悪い。あんずの言葉一つ一つが肌に合わずにしみになって広がっていく。
「どうせ好きだった人が藍のこと好きになったって言ってたーむかつくーみたいな恒例のやつでしょ」
「まあ。いつものだけど」
「藍は自信もっていいんだよお。性格は悪いけど、本当に美少女なんだから」
なんのフォローにもなっていないということはきっと彼女自身一生気づかないんだろうな。
下駄箱で靴を履き替えて外に出る。あんずが一緒に帰ろうとついてきて離れなくてやっぱり鬱陶しかった。
「ていうかさ、私は今日は咲良に会いに行く日なんだけど」
「ああ、いいな。わたしもついていっていい?」
「は。絶対に嫌なんだけど」
「私も会いたいなあ」
「死んでも嫌。ついてこないで」
私の後ろを追っかけてきてひっつくように彼女は私の隣を歩く。当然のように。いつものように。
どれだけ私が嫌悪感をいっぱい表情に態度に表しても彼女は全く気にせずに私に構ってくれる。そういうところはやっぱりうざいと思うけれど嫌いじゃなかった。
私のそばにくる人間は私の表面しか見ないから。だから私の中身をしって落胆する。そりゃ当たり前だ。天使だと思って近づいたら悪魔なんだから。でも、それを知らないのが悪い。気づかないのが悪い。私が自分の性格を変えることなんてできないんだから。一回全部記憶が吹っ飛んだら、優し心まで優しい天使が完成するかもしれないけれど、そんなの夢物語だから。
「会うの久しぶりだなあ咲良くん。楽しみ」
あんずがうきうきして私の隣を歩く。スキップでもしてるかのような軽い足取り。私は軽くため息をついて足を進めた。
今日は半年ぶりに咲良に会う。弟の咲良との久しぶりの面会日だった。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.13 )
- 日時: 2020/07/22 16:32
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
「あ、きたきた。遅いよ」
姉さん、と私を見た瞬間顔をほころばせた咲良がびっくりするくらい可愛くて、ああ天使がとうとう迎えにきてしまったのか、もう寿命なんだなと心の中で死を覚悟した。そのあと我に戻って咲良の表情をみると、ぷっくりと頬をふくらませて「おそい」と腕時計を指さして文句を言っていた。
「ごめん。……でも遅れたのには訳があって、」
「わあああああ久しぶり!! 咲良くん身長伸びた? かっこよくなったね、いや勿論かわいいのは相変わらずだけどさあ」
私のうしろにいたはずのあんずが私を押しのけて咲良に話しかける。私が話すはずの話題を全部奪っていくあんずに腹立たしくて仕方がなかったけれど、ここで怒って咲良に怖がられるわけにはいかない。
にっこり笑いながら、咲良とあんずの会話を見守っていると、ようやく私が怒っていることに気づいたあんずがこちらを振り返り、困り顔で「あたし、やっちゃった?」と一言。私は無言で首を縦に振った。
「ははっ、あんずさんは相変わら姉さんと仲良しなんだね」
「そうなんだよ、めちゃくちゃ仲良しなんだよお。今日もね、私が咲良くんに会いたいって言ったら一緒に行こうって誘ってくれて」
いや、勝手についてきたくせに。私はため息交じりに「お茶でもする?」と近くのカフェに誘った。
小春日和といってもいいほど、穏やかで暖かな天気。アクリル絵の具で塗りつぶされたような綺麗な青色の空が少しずつ赤く染まっていく。
咲良が「やった」と可愛く喜んだので、あんずがついてくるといったのもギリギリ我慢できた。
*
「咲良はもう小学六年生だっけ?」
「そうだよ。もうあと一年で俺も中学生だよ」
まだ先の話だけどさ、と咲良が嬉しそうにへらっと笑った。さっきあんずも言ってたけれど、半年前よりグンと身長が伸びたきがする。顔は昔から綺麗に整っていたし、正直あの話は無理だろうなと思うけれど、私はそれを上手く咲良に伝えることができなかった。
「だからさ、姉さん。俺、絶対早いほうがいいと思うんだ」
「でも、」
メロンソーダをストローで飲み干した咲良はごそごそとランドセルを漁って茶色の封筒に入った資料を机の上に出す。中にはアイドル事務所の書類審査への申込書がいくつか揃っていて、ご丁寧に事務所のホームページのコピーだったりパンフレットだったりが全部準備されていた。
咲良の意思が変わらないことはわかったけれど、私は夢を追うことが彼の幸せにつながるとはどうしても思えなかった。
「父さんもダメだっていうんだ。俺は夢に向かって挑戦することすら許されないの? こどもだから?」
咲良のうるうるとした瞳に陥落してしまいそうになる、私の心は軽すぎる。軽率に「応援するよ」なんて言ってはいけないと思って、私は唇を思いきり噛んだ。
隣で抹茶パフェを頬張っていたあんずはこちらをちらっと見たけれど、この話に関してはノータッチみたいだ。さっきみたいにうざい絡み方はしてこないし、これは家族の問題だと彼女は一歩身を引いてるんだと思う。
「母さんがいないから……」
ぼそっと言った一言に背筋が一気に凍り付いた。まだ小学生の咲良にこんなことを言わせたくなかった。
夢を追えないのは両親の離婚のせいなのか。そんなの私だってわからない。両親がそろっていたらお金の心配もなく、きっとお父さんもお母さんも咲良の夢を応援できたのかもしれない。でも、そんなのわかんない。だって、これが現実だから。今にも泣きそうになる咲良に私は何も言えなくて、もどかしくて、彼の顔がちゃんと見れなくてずっと俯いたままだった。
咲良がアイドルになりたい、と言ったのは本当に小さなころからだった。
両親が離婚する前。近所のお祭りで当時デビューしたばかりのアイドルがライブをやっていて、それがあまりにキラキラしててかっこよかったから。咲良はあの日からずっとアイドルに憧れている。当時のあのアイドルは今やテレビドラマの主題歌をつとめるくらいに人気になって、ファンクラブに入っていてもなかなか当たらない。ここ二年くらいはライブに行けてないや。
「……私が高校生になるまで、待ってくれないかな?」
「……え?」
「私が高校は入ったらバイト死ぬほど頑張って、咲良が事務所に入った時にいるお金とか全部稼ぐから」
「……姉さん」
「あと二年、ちょっとっていうか咲良にとったら結構長いかもだけど、もうちょっと我慢してほしい。そしたら審査書類一緒に送ってみよ。きっとなれるよ」
咲良の驚く顔と、ゆっくり希望を見いだせたのか綻んでいく表情に、私はあの日決意したのだ。
氷の解け切った薄いアイスコーヒーを勢いよく飲み干して私は席を立った。窓の外は夕焼けが綺麗で、もうそろそろお父さんが迎えに来る時間に迫ってきていた。
ありがと、と短く呟いた咲良の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、私は優しく「帰ろっか」と伝票をとってレジに向かった。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.14 )
- 日時: 2020/07/09 23:37
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
「久しぶり、藍」
咲良を迎えに来た父親が少し困ったような顔をしながら私に微笑みかけた。大きくなったな、と彼はへらっと笑って見せたけど、気まずそうなその表情を見るのが嫌で私は咲良にバイバイを言ってその場を離れた。
あんずが足早に私を追ってきて、どうしたの、と問いかけた。私は振り返ることなく「うしろ」とあんずに囁く。彼女はなあにと視線だけ後方に向けるとすぐに気づいたのか「そういうことか」と小さく呟いて私の手をぎゅっと握った。
「待って、なに」
「いやあ、藍ちゃんがちょっと寂しそうだったから。ほら」
「なにが、ほら、なのかわかんないんだけど。ちょっと離してよ」
握られたてを振りほどくとあんずがぷくっと頬を膨らませて拗ねた。
「あれ、新しいお母さんだったりするのかな。咲良くんの」
「さあ。まだ再婚したとかそういうの聞いてないから」
私もちらっと後ろを確認する。綺麗な若い女性が、咲良と父親と一緒に笑っている。父親の早く私に帰ってほしいと言わんばかりの表情は正直むかついたし、離婚してすぐに新しい女をつくるあたり、さすが不倫して離婚にもっていった大馬鹿親だと思った。
咲良の表情は笑顔だった。無理やり目尻を下げて口角をあげている、作られた笑顔。父親が笑うとつられて声を出して笑う。それが一番正しいと思い込んでいるから。
「気持ちが悪い」
あんずが自動販売機でジュースを買いたいと立ち止まって、カバンから財布を取り出した。小銭を入れてジュースを二本買ったあんずは、一本を私に押し付けて「元気出せ」と背中をばしんと叩く。
私はあの状況で無理に笑顔をつくる咲良を見るのが死ぬほど嫌だった。助けてあげられない私の無能さを実感するから。あんずにもらったジュースの缶を開けて一気に飲み干す。ごくんごくんと喉を鳴らして、残らず全部の飲み切って近くのごみ箱に放り投げた。宙を舞ったジュースの缶が綺麗にごみ箱にシュートされたけれど、心の中のモヤモヤが浄化されることはなかった。
「私は咲良をあのクソ男から救ってあげられないから。だから、その代わりに、できることがあるなら何でもしてあげたいの」
「……うん」
「私はお姉ちゃんなのに」
お姉ちゃんだから、と言おうとしたのに言葉がおかしくなった。
あんずがジュースを飲み干して、ごみ箱の中に丁寧に捨てる。
「早く大人になりたい」
「そうだね」
相槌を打つあんずの表情は夕日の日差しが強くて良く見えなかった。帰り道、昨日見たテレビの話とか、面白くなかった今日の英語の授業の話とか、今日出た課題の話だとか、しょうもない話をしながら帰路につく。
またね、と言うとあんずは「うん」と笑った。何も聞かずに彼女は相槌を打ってくれるから、心地がいい。鬱陶しいくらいに構ってきて、そっと私に寄り添ってくれる親友が思ったより悪くないなとこの日、ほんのちょとだけそう思った。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.15 )
- 日時: 2020/07/19 20:42
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: AdHCgzqg)
mellow003「 忘れないで、夏の嘘 」
高校生になると同時にバイトを始めた。いくつか掛け持ちして、学校以外の時間はほとんどすべて働いた。咲良のためだと思うと頑張れた。
放課後も、土日も、必死に働いてお金を貯めた。高校が別になってもあんずは時々連絡をくれて、私のシフトの入れ方を心配していたけど、大丈夫だよと私は押し切って働き続けた。だって全部咲良のためだもん。なにを犠牲にしても私は弟との約束を守りたかった。
親の扶養に入ってたから稼げる金額に制限はあったけれど、一年で百万円貯めた。
咲良が中学三年生になる頃、念願だった大手のアイドル事務所に合格した。嬉しくて涙が出るくらい喜んで、お祝いに一緒に焼き肉に行った。身長はまたぐんと伸びていて、愛らしい笑顔で私にお礼を言った。「ありがとう、姉さん」この時思った。ああ私はこの顔が見たかったんだ。咲良の、この表情が見たかった。
親の離婚が決まったとき、不安そうにこちらをじいと見ていた咲良のあの瞳が脳裏にこびりついて離れなかった。必死にかぶりを振って忘れようとしても忘れられなかった、涙をぐっとこらえたあの瞳。もうどうしようもない、分かっていても当時咲良はまだ十歳になる前だった。助けを求める彼の瞳に、私はごめんとしか言えなくて、自分の不甲斐無さを呪った。子供の立場をあの時ほど恨んだことはない。
咲良のためなら何でもできた。あの日のことを思い出せばだすほど、私は咲良への愛を拗らせていく。咲良の幸せのためなら、どうなってもいい。それはとても、歪んでいた。
□
「目、覚めた?」
頭がガンガンする。吐き気が酷くて、焦点が合わず視界がぼやける。
空腹状態なのか、ただ脳に酸素が回ってないだけなのか、身体が思ったように動かせない。聞き慣れた声ですぐにわかった。私のことを心配そうに見つめる正体があんずだと。彼女は鞄を漁って私に経口補水液を無理やり飲ませた。美味しくなかったけれど、少しだけ呼吸が楽になった。
「汗びっしょりじゃん。ってか、こんなに暑いのにどうして冷房つけてないの」
あんずの声は怒っていて、カーペットの上に落ちていたリモコンをとってすぐにエアコンをつけた。冷たい風が流れていて、ようやく私は自分の状態を理解した。
「怒ってるの、分かってる?」
「……うん」
「飛鷹さんが連絡くれたから良かったけど、このままじゃ死んでた」
震える彼女の声に、どれだけの怒りがこもっていたのか。
私の口からは自然とごめんと謝罪の言葉が出てきた。
「いいからシャワー浴びて来て」
あんずの言う通りに私はお風呂場に向かってシャワーを浴びた。気持ちの悪い汗を全部洗い流して、思い出していく歪な記憶を振り払うようにかぶりを振った。
思い出せたのは咲良は私の弟だったってことだけ。じゃあどうして私はこんな勘違いをしていたのだろう。どうして、誰も言ってくれなかったんだろう。
あんずも、そして咲良も。
私の記憶がおかしいことを分かった上で、訂正せずに嘘をつき続けていたってことだ。
何を信じればいいのか、私は余計に分からなくなった。
シャワーを浴びた後、スマホを見ると何度も飛鷹さんから着信があった。
「ねえ、飛鷹さんは一体だれ、」
思い出せないのはどうしてだろう、誰も教えてくれないのはどうしてだろう。
咲良は何で死んだの。私は何で記憶を失ったままなの。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.16 )
- 日時: 2020/07/22 01:47
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
お風呂からあがって戻ると、あんずが散らかった部屋を片付けてくれていた。エアコンの冷えた風が室内の温度を下げていて、とても気持ちがいい。あんずは私の顔をみるなり大きなため息をついて、目の前の座布団に座るように促した。
「私が悪かったのかもしれない」
あんずが開口一番、怒ったようにそう言った。意味が分からなくて私は思わず黙りこくってしまって、あんずのじっとこちらを睨むような目つきに肩が震えた。
「ずるかったんだ、きっと。全部さ、藍のためだって自分に言い聞かせてた」
「……話の流れが全く分からないんだけど」
「藍がどうして何も覚えてないのかって話だよ」
途切れ途切れの、不思議な記憶。どうして覚えてないのか、そしてどうして記憶の上塗りがされているのか。今思えばわかることだ。
嘘を吹き込んだのはきっと、
「ごめんね。ごめんね」
どこから間違ってるんだろう。どこから嘘で塗り固められたのだろう。
私の咲良への感情がどこから間違っていたんだろう。
■
「面倒くさい女だなって思っちゃった」
二年前のあの言葉が忘れられない。あのときどう返答していれば正解だったのか、いまだに出るはずのない答えを探している。
当時私は就職したばかりで忙しくて、先輩についていくことに必死で、でも人生とっても充実していて、ひたすらに楽しくて。
幸せが、きっと私の感覚を鈍らせた。
親友に彼氏ができた話を聞いたとき、私はとても嬉しかった。過去にいろいろ苦労をしていた子だったから、やっと誰かに愛される喜びを知れるんだなと感慨深くて、きっと親目線になってたんだろう。たまにしてくれる恋バナがとても可愛くて、どうか幸せになってくれと縁結びの神社に行ってお守りを買って渡したぐらいだ。
私も私で短大を卒業後にやりたかた職につくことができて、何かと忙しい日々を過ごしていた。最初のころはほぼ雑用みたいな仕事ばっかで、上手くいかなくてミスもたくさんしたけれど、少しずつ仕事を覚えて、いつかもっとすごい仕事をしてやるという野心だけはどんどん大きくなっていった。
その日は蝉のうるさい夏の日だった。休憩中に珍しく親友から電話がかかってきて、何かあったのかと思って電話を取った。
「あんず、ごめんね。いま、時間って大丈夫?」
「……ん。休憩中だからちょっとだけなら大丈夫だよ。どうかした」
「あのね、ちょっと飛鷹さんと上手くいってなくて」
「うん」
「お仕事でずっと忙しいのか連絡もなかなか返ってこないんだよね」
「そうだんだ。でも、最近テレビでちょくちょく見るよになったよね。こんどドラマとかにもちょこっと出るんだって聞いたし、それが落ち着いたら会えるんじゃない?」
「うん、そうだよね」
初めての恋でよくわかんないんだ。藍の声がいつもより低くて震えていたことに、あとになって気づいた。
しばらくの沈黙の後に彼女はぼそっと呟いた、その言葉がどうしても忘れられない。
「私って、なんだか面倒くさい女だなって思っちゃった」少し笑ってるのか歪な声で、電波が悪いのかなと思って「もしもし?」と聞き返したけれど返答はなくて、いつの間にか電話は切れていた。ツーツーと無機質な音が私の耳元で響いて、スマホを耳から離すと同時に先輩から次の仕事で呼ばれて、私は「すぐに行きます」とこの違和感に気づかないまま走り出していた。
数時間後、仕事が終わってスマホを確認すると数十件もの着信とメッセージが届いていてすぐ目に入ったのは咲良くんの「気づいたら連絡ください」という通知。
電話をかけると、呼び出し音が一回なってすぐに「あんずさんっ」と焦ったような声で咲良くんの声が聞こえた。よくわからないまま「どうしたの?」と聞くと、彼は泣きそうな声で言ったんだ。
姉さんが事故にあったんだ、って。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.17 )
- 日時: 2020/07/22 17:18
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
何が現実なのか、よくわからなくなった。二年前のちょうど今とおんなじくらい暑い夏の日。私はタクシーに乗り込んで急いで病院に向かった。
□
仕事以外でこんなに必死に走ったのは久しぶりだった。呼吸が荒くなって、息がうまく吸えなくなる。自動ドアをくぐって受付の人に病室の場所を聞くとすぐに私は階段を駆け上がっていた。
頭の中は空っぽだった。何を考えればいいのか分からなかった。
吐きそう。お昼ご飯は軽食で済ませたからか胃の中が空っぽで、なんだか気持ちが悪かった。病室の前に来て、私は一度立ち止まる。ぜーぜーと荒い呼吸を必死に整えようと大きく息を吸って、止めて、吐き出した。
篠宮藍、というネームプレートを見て、また吐きそうになる。
「咲良くん、いる?」
ドアを開けると、カーテンの外には一人の男性がいた。咲良くんじゃない、ことだけは一目見ただけでわかる。だけど、私は彼のことを「知ってはいた」けれど直接話したことがなかったから、声をかけることに躊躇いがあった。
ドアの音で私の存在に気づいたのか、彼はこちらを見て一礼した。私も思わず頭を下げる。
「すみません、咲良はこれから生放送があってあと一時間ぐらいしたら終わると思うんで、そしたら戻ってくるかなとは思うんですけど」
「……あ、そうなんですね。ありがとうございます」
スマホを確認すると、彼の言ってたことと同じような内容のメッセージが咲良くんから届いていた。
「え、と。初めまして、ですよね。ご挨拶が遅れてすみません、香坂飛鷹と申します」
「あ、知ってます。藍からよく話を聞かせてもらってて。三原です。三原あんず、あ、名刺渡しときますね」
カバンをゴソゴソと漁って名刺を取り出す。彼は「すみません、俺も名刺とか持ってたら良かったんですけど」と困ったように笑って受け取ってくれた。
すごい、有名人が、芸能人が、目の前にいる。それがその時の純粋な感想だった。仕事柄、スタジオで遠目で人気のアイドルもベテラン俳優もたくさん見てきたけれど、こんなに近くで見るのは初めてだった。やっぱりオーラが違った。整った顔が私をじっと見ている。そう思うと少しだけ緊張した。
「あの、藍はカーテンの向こうでまだ眠ってて。頭を強く打った以外に大きな怪我とかはないみたいなんですけど、記憶がちょっとだけ曖昧になってるみたいで」
「あ、そうなんですね」
どうしてカーテンをわざわざひいて、しかも外側に出ているのか、私は聞くことができなかった。
「目は覚めたんですけど、俺のこと覚えてないみたいで、たぶん頭うった衝撃で一時的なものだって医者は言ってるんですけど」
「……はあ」
香坂さんはカーテンを開けて、すやすやと眠る藍を私に見せて安心させようとしたのだろう。でも、彼の表情はとても暗くて、見るに堪えられなかった。
「今日、連絡があったんです。藍から。忙しくてあんまり話せなかったけど、珍しくあの子から電話してきて、内容はあなたとのことでした。あなたと上手くいってないってことを相談されて、私は大丈夫だよとしか言ってあげられなくて、でも最後にあの子言ったんです。自分は面倒くさい女だって。その時にちゃんと気づいてあげなきゃいけなかったんだって」
「……彼女が過去に精神的なことで今回みたいにおかしな行動に出たことは?」
「なかったです。だけど、他の人間より狂っていたのは確かだと思います。香坂さんもなんとなくわかるでしょう、咲良くんへの異常な愛情。あの子が今まで軽率に死のうとしなかったのって、全部咲良くんのためなんですよ、きっと」
自分の生きる意味とか価値とかを藍自信が持っていたのかは今になってはわからない。だけど、昔から危うい存在だということは痛いほどわかっていた。だから、側にいて支えなければいけないと、ちゃんとわかってはずなのに。
自分の人生でいっぱいいっぱいになってしまった。藍が壊れていくのを私は気づかないまま。きっと咲良くんも香坂さんも言わないけれど、彼女は自ら車の前に飛び出したのだろう。こんな偶然あってたまるか。
「藍のこと、好きですか?」
綺麗な寝顔。藍は本当に天使みたいな愛らしくてかわいい。
私が守ってあげなければいけない。次は今日みたいに遅くなっちゃいけない。誰よりも藍の幸せを願ってるのは私なんだから。どれだけ愛が香坂さんのことを好きでも、藍を傷つける人間を彼女のそばに置くことは許せない。
「……好きだよ」
香坂さんはきっといい人だ。藍とのすれ違いもきっと時間が解決してくれることだ。だけど、そんな猶予はない。だって、それよりも前に藍は死のうとしたんだから。
「じゃあ、藍から離れてください」
許せなかった。
誰を。香坂さんを?
違う。一番は、彼女のSOSに気づけなかった愚かな自分を。
藍のためだ。全部、藍のためだ。
心の中で何度も唱える。言い聞かせる。私は彼に言った、お願いだから、藍の前から消えてくれ、と。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.18 )
- 日時: 2020/07/29 16:21
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
自分がこんなにも性格が悪いとは思っていなかった。
自分のエゴで人を傷つけることを躊躇わなかった。そうしないと自分が自分でいられなくなる気がした。これはきっと反動だ。今までずっと我慢してきたことが、一気に弾けてしまったのだと思う。
「それって、藍と別れてほしいってこと、なのかな」
「……」
香坂さんが藍の頬を優しく撫でながら、私に問いかけた。私はうんともすんとも言えずに、ぎゅっと拳を強く握りしめた。
「俺と別れたら、藍は幸せになれると思うんだね、君は」
冷たい声だった。心臓を一突き。
香坂さんの顔を見ることができなくて、私はぐっと視線を地面に向けた。
病室の独特のにおいが気持ち悪くて、言い返す言葉も見つからなくて、爪は掌にどんどん食い込んでいく。
「そうだね。そのほうがいいのかもしれない」
香坂さんがぼそっと何かを呟いたときに、病室のドアが開いた。ふと顔をあげると、そこには咲良くんがいて私を見るなりにこりと笑った。
「あ、来てくれてたんですね、あんずさんっ」
「……咲良、くん」
昔と変わらないあどけない笑顔。高校三年生になって身長もあの頃よりずっと伸びて大人っぽくなった。テレビで見る回数も増えて、もう今では人気アイドルの彼が、私の前ではただの親友の弟としての顔を見せてくれる。私も笑おうと口元に力を入れるけれどうまく笑えなかった。
「……藍の記憶っていまぐちゃぐちゃなの?」
「ああ、名前はなんとなく憶えてるみたいなんだけど、どういう関係性だったかとかが思い出せないんだって。俺もまだ直接話してないからどうかはわからないんだけど」
ピンと、何かが閃いてしまった。絶対に考えてはいけないこと。
親友に嘘をつくことになってしまうから。親友を裏切ってしまうことになるから。だけど、私にはそれしか方法がなかった。藍からこの男をどうしても引き離したかった。だって、きっと彼といると藍は普通の女の子になってしまうから。弱くて脆い、愛に一喜一憂する彼女が言った「面倒くさい女」に。
「藍の彼氏は咲良ってことにしてくれないかな」
□
記憶の上塗り。チャンスは今しかなかった。
あいにく咲良くんは藍と苗字が違うし、記憶が曖昧ないま無理やり「咲良が付き合っていた彼氏」と思い込ませればいい。
ズルだった。だけど、藍がまた死のうとしないために、私ができる最大限のことはしないといけないと思った。
「それって、飛鷹さんのことはどうなるの?」
「別れてもらうよ、そりゃ。藍をここまで悩ませたんだから、私は許さない」
「でも、これって姉さんの思い込みなんでしょ。お互いまだ相思相愛で、もう一度姉さんが記憶を戻したらうまくいくかもしれないじゃん」
「そんなのもう遅いの!!」
目を大きく見開いた咲良くんは、悲しそうな顔で香坂さんのほうを見た。「それでいいんですか?」咲良くんの問いかけに香坂さんは黙って頷く。「仕方ないよね」と、たった一言。
結局それくらいの感情だったんだ、この男は。
呆れてしまった、正直。この男には藍の恋人になる価値もない、と。
「じゃあ、俺は明日朝から仕事だから」
病室を出ていった香坂さんの表情はあまりよく見えなかった。
残された咲良くんは、どうすればいいのかわかんないという風に泣きそうな顔をして、でも腹は括ってくれたのだろう。
「姉さんが生きてくれるなら、そっちのほうがいいのかもしれない」
何が正しい選択化はわからなかった。私も、咲良くんも。
でも、また同じ道を辿れば藍が死を選ぶのはなんとなく想像がついた。あの子には百かゼロしかないから。失うときは一気に全部を失ってしまう。だから、私が助けなければいけない、私は彼女の寝顔を見ながら誓った。次はこんな風にさせないと。
うまく嘘をついてコントロールをしたつもりだった。
案の定、藍は私と咲良くんの嘘を信じてくれたし、もともとブラコンだった記憶が弟から恋人に変わっただけだったから違和感がなかったのかもしれない。
だけど、一つだけ上手くいかなかった。
そのあと、一か月もしないうちに香坂飛鷹はlunaticを脱退したのだ。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.19 )
- 日時: 2020/07/31 23:29
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
嘘の記憶を植え付けた。丁寧に、絶対にばれないように。
もう二度と君を失わないために。
■
すべてうまくいっているはずだった。彼が芸能界を引退するまでは。
ネットニュースの大きな見出しに私は唖然とした。思わず手に持ったスマホを落としてしまうくらいには動揺していたのだろう。連絡をとろうにも私は彼の連絡先を知らないし、そもそもどう話しかければいいのかもわからなかった。
藍は香坂さんのことをまだ思い出さないし、このほうが都合がいいのかもしれない。私は全力でかぶりを振って、決心する。私はこの嘘をつきとおさなければいけない。
二年後、咲良くんが自殺するまでは。
「咲良、が死んじゃったよ」
震える藍の声を電話越しで聞いて、嫌な予感が、背筋が凍り付くような感覚が、あの日のことがフラッシュバックした。
駆けつけた時にはもう遅かった。彼女はまたあの日のように死のうとしていたのだ。ずっと茅野咲良の訃報が流れるニュースが流れている部屋。窓一つ空いてない、室内の温度は三十五度を軽く超えていた。彼女は死んだように眠っていた。
幸いまだ軽度の熱中症のような症状だったから良かったものの、そこからはまた地獄だった。彼女はほんのちょっと放っておくとすぐに腕を切ろうとしたり階段から飛び降りようとする。何度注意しても聞いてくれなかった。
「咲良のいない世界で生きてる意味なんてないじゃん」
知ってた。彼女は誰かに依存しないと生きていけない人間なのだと。だから、二年前のあの日、香坂飛鷹に捨てられるかもしれないと思って死のうとしたんだ。その原因さえ切り離してしまえば、またいつもの藍に戻ってくれると思っていた。でも、それは私の願望だった。
「お願い、死なないで」
「私はなんのために、嘘をついたの」
「助けてよ。藍を誰か止めてよ」
自業自得だ、そんなの分かってる。
私は歪んでる藍自信をどうにか変えなきゃいけない場面で、ずるをして周りの環境を変えてしまったから。だから、こうなった。
いつかこうなっちゃうこと、わかっていたのに。
芸能界の関係者で行われた茅野咲良のお別れ会で、私は一人の男と再会した。二年ぶりの再会だった。
気づいたのは向こうから。肩をとんとんと叩かれて、彼はにこりと微笑んで「お久しぶりです」と、一言。私の全身がざわざわと騒めき立った。
「……お、ひさし、ぶりです」
「すみません、藍にはもう会うつもりはなかったんですけど、咲良と最後に会えるのがもうここしかなくて。でも、藍は、いないみたいですね」
「あの子、咲良が死んだショックですぐに死のうとするから、今は病院で隔離してもらってるんです」
「……そうなんですね」
相変わらず香坂さんの表情は読めなくて、少し怖かった。私のことを恨んでいてもおかしくないのに、彼の表情は穏やかで優しかった。
「……ひとつ、聞きたいことがあるんですけど」
「何ですか」
「どうしてlunaticを脱退したんですか。私が藍に近づくなって言ったからですか?」
私の質問に、香坂さんはぱちくりと目を見開いた後、何が可笑しいのか軽く口角をあげて笑った。
「そんなこと気にしてたんですね」香坂さんの声は、やっぱり優しい声だった。
「藍のこと、好きですよ。あなたが前に俺に質問したときと、俺の気持ちは何一つ変わらない。あの子を愛してます。だけど、俺はあのとき、藍の気持ちを蔑ろにしてしまったから。なんて答えればよかったんですかね、あのとき、俺は」
あの日、藍が私に電話をかけてきた日。
それより前に彼女は香坂さんと連絡を取っていて、
忙しくて会えない香坂さんにこう聞いた。
私よりも、やっぱりお仕事のほうが大事ですか?
自分自身でも言っていた「面倒くさい女」の典型的な台詞。
でも、あの日香坂さんは、こう答えていた。
「そんなの、藍のほうが大事だよ。今日仕事終わったら必ず連絡するから。会おう」
藍はその言葉に「ありがとう」と返したらしい。何一つ、彼女が死を選ぶはずのない返答だった。それなのに、
「どうすればよかったんでしょう」
「そんなの俺もわからないよ。藍は俺たちとはちょっとだけ考え方が違うから」
「私はあの子が死のうとするたび、怖くて怖くて仕方ないんです」
「それは、あなたがそれだけ藍のことを大事に思っている証ですよ」
「でも、藍を救えるのは私じゃないから」
最低な私は、また最低な提案をした。
この時にはもう私はしばらくの海外出張が決まっていたため、彼に藍の見張りを頼んだ。どうか、彼女が死なないように。
記憶が戻ってもいいから、だから。
藍を助けてください。
弱くて情けなくて恥ずかしかった。香坂さんは「俺でよければ」と涙でぐしゃぐしゃになった私の頭を撫でて笑った。
地面を踏みしめる足が、ぐわんぐわんと揺れる。ずっと私は、間違っていたことに気づいていたのに。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.20 )
- 日時: 2020/08/04 22:19
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
mellow004「 君が本当に大嫌いなんだ 」
あんずが額を地面にこすりつけて謝る。
壊れた玩具みたいだった。繰り返し「ごめんなさい」と口から毒素を漏らし続ける。もう一生綺麗にはなれないのに。
花瓶の花が枯れていた。水分を吸いきって、喉がカラカラになって死んでいったのだ。
過呼吸みたいに、息を吸うのも苦しくなったのか、あんずは涙でぐちゃぐちゃの顔でじっとこちらを見た。私はどんな表情をすればいいのか、わからなかった。
「何が正解なんだろうね」
部屋に夏の匂いを閉じ込めて、吐き出したかった過去を全部ぶちまけて、それが許されることでハッピーエンドなのでしょうか。
汚い感情を誰にも知られたくなくて、必死に隠したんだ。どこに隠せばいい。誰にもばれないように、簡単には見つけられない場所。
私は、本心を誰にも気づかれたくなかった。
「私はあんずが思う通りの人間なんだと思うよ。きっと」
依存しなきゃ生きていけない。誰かのために、そう思わないと自分に生きる価値を見いだせなかった。
「私はその当時のことを何一つとしてちゃんと覚えてないから、だからそのときの私が何を考えていたのか分からないけれど、きっと、私が飛鷹さんに求めてた答えは」
■
呼び出し音が三回なって、ぷつっと音がしたと思うと、聞きなじみのある優しい声が私の耳を擽った。
「久しぶり」と、一言。何もなかったかのように。ここ一週間で二、三十回も電話をかけてきていたのに、心配なんてしてなかったよというニュアンスで彼は電話越しで笑った。
「……私たち、本当に付き合ってたんですね」
「三原さんが吐いちゃった?」
「覚えてないって残酷ですよね」
「さあ、俺はもう仕方ないなって割り切っちゃってるから。藍ちゃんがそう思うなら、それでいいんじゃないかな」
「じゃあ、飛鷹さんは私が求めていた答え、もう分かってるんですか」
捲ったカレンダーを裸足で踏みつぶす。もう、この時間は戻ってこないから。
飛鷹さんは少しの沈黙の後、そうだね、と軽く相槌をうって言葉を連ねた。
「藍はハッピーエンドが必ずしも最高の結末だとは思っていなかった。結婚イコール幸せとも絶対に思わない。そういう子だったよ」
「質問にちゃんと答えてください」
「ははっ、ごめんね。でも君は何も答えを求めてなかったから」
断片的な記憶が、少しずつ彼の笑顔を見て蘇っていく。
パズルのピースが、綺麗にはまる。
それはたぶん、思い出したくない私の過去のお話。
「篠宮藍は死ぬほど俺のことがきらいだったからね」
飛鷹さんが私の顔を見て悲しそうにくしゃりと笑う。
私は彼の表情が直視できなくて、思わず顔を伏せた。
記憶が戻っても、私はあの日の篠宮藍の気持ちが何一つわからない。もう、あの人は他人だから。私じゃない。あんな、最低なことを言う人間、私じゃない。あんな、酷い、
「思い通りに物事が進んで藍はきっと喜んでると思ってた。君のそれも「忘れたふり」だと、ちょっとだけ思っちゃったよ」
私は何も言えなかった。
思い出す。まるで草を歯で磨り潰してごくんと飲み込むみたいに、不味くて不味くて今にも吐き出しそう。
私は、答えを見つけられずにいる。
篠宮藍という人間の、本当の真意に。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.21 )
- 日時: 2020/08/07 00:23
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
好きだよ、それはあの子にとって呪いの言葉。
□
「死ねばいいのに」
第一印象は、綺麗な子。
そして、吐き捨てられたその言葉に、蔑むように見下ろされたその瞳に、俺はぞくぞくした。整った顔が引きつるように笑みを浮かべ、俺の頭を掴んだ。
「私から咲良を奪う奴はみんな死んじゃえばいい」
その日、すべてがクラッシュした。
他の人間から聞いていた篠宮藍という人間が、いま目の前にいるこの女性と同一人物だとは思えない。誰も教えてくれなかった。いや、誰も知らなかったのだろう。
篠宮藍の異常な本質を。
***
俺が小学生の時に母親が知らない間に某アイドル事務所に履歴書を送ったらしい。それが俺がアイドルになったきっかけ。
それが事務所の社長の目に留まったみたいで、半年もしないうちに俺は当時入所していた別の男の子とユニットを組まされた。そして、高校生になるときにはメジャーデビュー。CDの売れ行きも良かったみたいで、バラエティや音楽番組に引っ張りだこになり、俺はいつの間にか大人に操られるがままに動いている人形になっていた。
笑ってと言われれば笑う、泣いてと言われれば泣く。それが求められていることならば、正解はそう。二十歳になるころには感情というものが少し欠落しているのか、すべてのことに対して「どうでもいい」と思うようになっていた。
「お前さ、それでいいのか」
一つ年上の俺の相方はいつも俺のことを心配してくれていた。
鬱陶しいくらいに何度も俺に話しかけてきて、気持ちが悪いくらいに俺に気を遣う。そこまでされる理由もわからないし、わかろうともしなかった。
「俺さ、このままじゃ良くねえ気がするんだ」
二十一になるほんの少し前に、相方は大事な話があると俺を呼び出した。そこは彼の行きつけの居酒屋で、慣れたように彼は生ビールを注文した。お前は、と聞かれ俺は無言で首を振った。
「良くないって何が。なんかした、俺」
「そうじゃないよ。だってさ、このままお前アイドル続けてても幸せになれない気がするじゃん」
「別に俺は楽しいけど。お前は俺とやってて楽しくないわけ?」
「いや、そういう話じゃねえんだよ」
口ごもる相方はため息を一つついて、ジョッキを勢いよく口元にもっていった。喉がごくんと音を立てて、彼はビールを飲み干した。
「いや、まあそうなのかもしれねえな」
飲み干したあとの彼の言動は少しおかしかった。
さっきまでの強気な態度が豹変して、しおらしくなったというか弱気になったというか。
「俺さ、怖いんだよ。いつかお前に捨てられるのが」
彼は笑ってそういった。今にも泣きそうなそんな笑顔で。
俺は「そんなこと言わないよ」と言ったけど、彼は嘘だと言ってきかなかった。
「お前の幸せはたぶんこのまま俺と続けていっても手に入らない。だってお前が求めているものは、」
彼が解散の話を切り出すのは、その言葉を聞く前から薄々気づいていた。そして、俺はずっとそれをどうやって濁すかこの時間ずっと考えていたけれど、やっぱり上手くいかなかった。
「お前が幸せになれねえのは、よくねえや」もう酔っぱらっているのか彼はヘナヘナと笑って、そのあと泣き上戸の上に絡み酒になって、飲みが終わるころには深い眠りについていた。
「どうしたらよかったんすかね。俺」
彼の言葉は間違ってなかった。だから、俺は「嫌」と言えなかった。
言われたことを言われた通りにやるマニュアル人間、大人たちの操り人形、このままで俺は幸せになれるのだろうか、そう考えたこともあった。それでも俺はこの人の隣で頑張っていきたかったのに。
言わなかった。自分の本当の気持ちを。
だって、それが正解なのか誰も教えてくれないから。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.22 )
- 日時: 2020/08/22 23:26
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: d6rzi/Ua)
二十歳まで組んでいた相方とのユニットが解散したあと、俺は事務所の手伝いをちょこちょこやりながら生活をしていた。相方は事務所をやめることになったらしく、芸能活動自体も終了すると事務所の社長に教えられた。詳しく理由を聞こうとして、退所する日に引き留めると彼は笑って言った。「俺さ、実はパン屋になりたいんだよね」半分くらいは冗談だと思う。彼は笑って「見せできたら教えるから、買いに来いよ。常連になってもいいぜ」とそう言い残して去っていった。
今までの人生で出会った人の中でダントツにすごい人だったんだなと、そのとき俺は納得した。
二十一歳の夏、シングルマザーだった母親に結婚を考えているという恋人ができたらしい。何回か一緒に食事をしたけれど、あまり良い印象を抱かなかった。根っからの女たらし、というか女性が喜びそうなことを言うことが得意な人だな、と。最初は新手の結婚詐欺かと思って疑ったけれど、彼に息子がいることを知って、その考えは捨てた。
高校生になったばかりの息子。是非次に機会があったら会ってほしいと彼に言われて、俺は母さんの顔色を窺いながら頷いた。
「初めまして、茅野咲良です」
綺麗な顔立ちの当時高校一年生の茅野咲良に出会ったのは、それがきっかけ。
□
「俺、アストラがめちゃくちゃ好きだったんです」
「え、ああ、ありがとう。嬉しいよ」
「今は一緒に暮らしてないんですけど、俺ひとり姉がいて、昔一緒にいった夏祭りでアストラが歌ってたのを見てすげえファンになって、一緒にライブとか行ったりしてたんです」
「へえ、そうなんだ」
母親も咲良の父親も俺たちが少しでも話せるようにと席を外したのだろう。すぐ戻る、と言ったっきり戻ってくる気配がない。
アストラ、というのはアイドルとして活動していた時のユニット名で、彼はいわゆるファンの中でも古参みたいだった。
「飛鷹さんは、反対ですか」
「……え、何が」
「再婚です。俺の父親と飛鷹さんのお母さんの」
「……あ、えっと、まだ実感なくて」
話している途中に割と本題をぶっこまれて俺は少し言葉を失ってしまった。高校生の少年とは思えないほど、咲良は落ち着いていて冷静で、とても大人びていた。
「俺、あんまり父親のことをお勧めできないんですよね。うちの親が離婚した原因も原因なんで」
乾いた笑い声が小さく響く。気まずくなったのか、咲良は大きくため息をついて、ぎゅっと唇を噛んだ。
「それでも、飛鷹さんのお母さんはあの人がいいって言ってくれてるので。俺はもう、何も言えないです。はは」
咲良の視線を追うと、窓の外の母親と咲良の父親の姿が見えた。仲睦まじそうなその様子に、俺は自分の気持ちが良くわからなくなった。
別に再婚に反対することはないと思う。自分ももう大人だし、母親がようやく幸せになれると思うとそりゃ嬉しい。だけど、
「浮気とか、するタイプの人なんですか?」
「そうですね。一人の女性とずっと続くとは思えないです」
「俺の母さんは幸せにはなれないのかな」
「幸せにはなると思いますよ。でも、それが永遠じゃないだけ」
咲良が俺の瞳をじいと見る。
冷たい、初めて見る彼の深い闇だったのかもしれない。
「ひと時の幸せに甘んじるなら、それが夢だと思い込んで、永遠に「嘘」を見破っちゃだめなんです」
あの日の咲良の言葉の意味が良くわからなくて、聞き返しても彼は笑うだけだった。
そこから一年もしないうちに俺たちの両親が再婚し、咲良は俺の弟になった。でも、もう俺は成人して家も出ているからほとんど関係のない話だったし、結婚と言っても事実婚みたいなもので籍を入れたわけじゃないため、大きく何かが変わるということはなかった。
lunaticの結成はそれから暫くして。
前に会った時よりまた身長の伸びた咲良に、お久しぶりですと声をかけられて、何か胸の奥がぞわっとしたことだけ覚えている。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.23 )
- 日時: 2020/08/30 01:32
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: d6rzi/Ua)
「なんで、いるの?」
最後に会ったのはちょうど両親が再婚すると決まったときにどうしても四人で食事がしたいと母親にせがまれた三か月前。たった三か月の間にもぱっと見で伸びたとわかるぐらいの成長に俺は驚きと戸惑いを隠せなかった。
「あれ、お義父さんから聞いてませんか? 俺もずっとアイドルになりたくて高校生になるタイミングで事務所に所属できるようになって」
「へえ、何も聞いてないや」
「そういや、俺も言ってませんでしたね。すみません」
へらっと咲良は笑って謝る。
彼の話からすると俺と初めて会ったときからもうすでに事務所に入っていて、彼とはもしかしたら。
「……あの日、もしかして初対面じゃなかった?」
「ああ、まあそうですね。一回入りたての頃ぐらいにご挨拶させていただきましたね」
「ごめん、覚えたなかった。俺、初めましてって言ったよなあの時」
「いえ、俺も何も言いませんでしたし」
敢えてなのか、偶然なのか、咲良と再会を果たしたタイミングで俺は事務所の新しいプロジェクトの一員に無理やり入れ込まれることが決定していた。アストラが解散してからずっと逃げ回っていたのに痺れを切らした社長が俺の足をとうとう掴んだ。
「お前をリーダーに新しくユニットをデビューさせようと思ってる」
呼び出された社長室。俺のうしろに三人の少年たちがいて、すぐに俺は察した。俺が任された仕事は「お守り」未来のある若者を伸ばすための話題作りに過ぎない。
だけど、俺は文句を言える立場ではなかったし、その場では「はい」と頷くことしかできなかった。
新しいユニットの名前は「lunatic」
美しい月ほど、人の心を惑わせる。
■
「何見てんですか、飛鷹さん」
スマホにイヤホンをさして動画を見ていると、覗くように隣から咲良が覗いてくる。右耳のイヤホンを外して彼の顔を見ると、冷ややかなじめっとした視線が送られていた。
「はあ、またその評判みてるんですか。エゴサ大好き人間ですか」
「お前は意外と辛辣だな」
「飛鷹さんはそれ見てどう思ってるんですか。悔しいーとか、そんな感情あるんですか」
はあ、と咲良が溜息をつく。ダンスレッスンの休憩中に、俺は一人でlunaticのライブの映像を見ていた。それも違法にアップロードされたライブ映像。視聴回数は五十万回を超えていて、事務所にばれているのかは分からないが一か月を過ぎようとしていたがまだ削除されていなかった。ぽつぽつとついたコメント欄に書かれた文字列に俺は一喜一憂してしまう。アストラで活動していたときは、こんなこと一切しなかったのに。
「思うよ。悔しい、とかさ。俺はお前らがもっと評価されてほしいってずっと思ってる」
「これなんてグループ? 飛鷹くんいるじゃん」
「なにこれアストラ? あれでも四人いるし違うか」
「飛鷹くんが飛びぬけてカッコいいし歌もダンスもうまい」
「ひーくん久々に見れて嬉しみ。だけど他三人ちょっとな、知らない」
「アストラ解散したのにまだいんだ、こいつ」
コメント欄は基本俺の話かアストラの話。
結局俺はアストラの香坂飛鷹以外の何物にもなれない。
「お前らボイトレもダンスレッスンも頑張って上手くなったのにな。なんでこんなしょうもないことばっか言われてんだろ」
「……」
動画の停止ボタンを押して、俺はかぶりを振った。
もうすぐレッスン再開の時間が近づいていて、近くに置いていたスポーツドリンクを一気飲みしてゆっくり立ち上がる。隣で座ったままの咲良に行かないのか、と聞くと無言で立ち上がった。
「飛鷹さんって意外に馬鹿ですよね」
「……お前、ほんと辛辣だな」
咲良がにこりと笑う。目はやっぱり笑っていなかった。
彼の笑みは少し歪で、ほんの少し怖い。
何を考えているか分からないから。
咲良は靴紐を結びなおして、俺の背中をぐいぐいと押した。
「じゃあ、レッスン行きましょう」
「……わかったから押すな」
茅野咲良に何かコンプレックスがあるのは、最初から分かっていた。だけど、その正体がなになのか最後まで分からなかった。だから、俺は彼を助けられなかったのだと思う。
でも一つだけ、わかることがある。歪んでるのがそっくりだ。
あの姉と。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.24 )
- 日時: 2020/09/02 23:26
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: d6rzi/Ua)
mellow005「 優しい愛の呪い 」
欲しいのは、愛させてくれる存在、ただそれだけ。
藍はそっくりだね、俺と。あいつはそう言って私の頭を優しく撫でて笑った。
背筋が凍り付いて、口角が引きつった。あいつの私を見る瞳に悪寒がした。
「愛してるよ、藍」ああ、吐き気がする。死んでしまえと、私は何度も心の中で呪った。
闇が私の心の中まで侵食してくる。自分が自分じゃなくなっていくような感覚がした。
太陽が沈んでいくにつれて私の影は伸びていく。あいつの影と重なって、沈むと同時に消えていった。私を汚すあいつの手が、酷く気持ち悪かった。
■
初めて彼に会った時のことを鮮明に覚えている。高校三年生の夏の日。バイト終わりでスマホを確認すると咲良からメッセージが入っていて、私は通知の文字を確認しないまますぐに咲良のメッセージを見た。
瞬間、吐き気がして、私はすぐにスマホの電源を落とした。
「意味わかんないんだけど、なにこれキモい」
たぶん、それは怒りに近い感情だったのだと思う。シフト終わりのかぶった後輩に「お疲れ」と声をかけて私は外に出る。自転車の鍵をはずしてペダルに足をかけた。漕ぎ出す足になかなか力が入らなくて、私は大きくため息をついた。
「父さんが再婚することになったよ」咲良の短いメッセージに私は既読だけつけて返信することはなかった。わざわざ私にそれを知らせてくるあたり、咲良の考えていることは分からない。咲良にとっては私もいまだに家族だよ、ってそういうことなんだろうか。でも、私があいつのことを死ぬほど嫌っていることは咲良だって知ってるだろうに。
帰り道にあるコンビニに立ち寄って私は夜ご飯とお茶を買っていく。コンビニのレジ袋を自転車のかごに乗せて、私はようやくスマホの電源を付け直した。と、同時に着信があった。私はそれをとるのを一瞬躊躇って、コール音が二十回を超えたあたりで決心して電話を取った。
「もしもし」
声がすこし不機嫌になっていたのかもしれない。
『姉さん、明らかに機嫌悪いのわかっちゃうよ。それ』
電話の主の咲良は笑ってそう応えた。自転車のサドルに腰をかけて私は電話口でカラカラ笑う咲良の声を聞いていた。
『不機嫌な原因は父さんの再婚かなあ?』
分かっていってるのだろう。昔ほどあどけない可愛さを感じなくなった気がする。
むしろ私の反応を面白がっている。私の痛いところをついて、私がどんな態度で返すのか、きっと気になって仕方がないのだろう。咲良は賢い子だから。
「別に。どうでもいいのよ、あの男が私の知らないところで勝手に幸せになっていればいいと思う」
『姉さんなんかドライじゃない? もっと何かないの?』
「なにかって、なにか言うのであれば再婚相手の女性が死ぬほど可哀想ってことぐらいかな。咲良はちゃんと助言してあげたの?」
『ちょっとだけはしたよ。息子さんにだけど、あの人はお勧めできないですよ~って軽くだけど』
「……へえ、ってちょっと待って」
『……?』
咲良の言葉の中に紛れ込んでいた「息子さん」というワードに私はすぐに気づくことができなかった。あまりにも咲良があっさり言うから、私の心の準備ができていなかったこともあるかもしれないけれど、それにしても突然すぎる。
「待って、それってさ、咲良にさ」
『うん、お兄ちゃんができるんだあ』
愛しい弟の優しい呪いの言葉に、私はこの日二回目の地獄へ落される。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.25 )
- 日時: 2020/09/04 23:37
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: d6rzi/Ua)
話し方がいつもよりふわふわしてる気がして、私は咲良に問い詰めると絶賛事務所の飲み会中で、少しお酒を飲まされたのだという。
「周りに女の子とかいるの?」
「うん。いるよお」
「じゃあ、迎えに行くわ」
時刻は夜の九時半を過ぎていた。咲良が飲んでいる店はここから自転車で十分ほどの駅の近くの居酒屋で、私はスマホをポケットにつっこむとすぐに自転車を進めた。
夏の夜の生温かい風が皮膚を優しく撫でる。街灯がちかちか点滅を繰り返して、夏の虫の鳴き声がじーじー音を響かせる。ペダルをこぐたびに、私のママチャリは歪な音を立てていた。買い替えなきゃいけないとは思っていたけれど、これはもう寿命だ。
「ここらへん、のはず」
咲良から送ってもらった居酒屋の名前を検索してマップ表示で場所を探す。ぼんぼりの灯りがいくつか連なっている通りの奥に、一際明るい照明の居酒屋が目に入った。咲良が送ってくれた名前と同じ居酒屋。私は自転車を隅に置いて中に入った。
店員に話をして、奥の大部屋に通してもらう。ドアを開けた瞬間、どっと笑い声が私の耳を突き刺した。私の嫌いな空気がそこには広がっていて、思わず吐きそうになった。
居酒屋独特のお酒の匂いと濃い油物の異臭。酔っぱらった人間の頭の悪そうな笑い声。ドアの近くの男が私に気づいたのか「どちらさん?」と笑いかける。もう酔いつぶれ間近なのか、顔は赤く林檎のように染まっていた。
「あの、咲良を迎えに来たんですけど」
「さくらあ? ああ、茅野くんね、奥の席にいるわ。あ、ちょっと待って。どちらさん?」
「咲良の姉の藍と申します」
咲良とのやり取りのメッセージを見せると、男は顔を突き出して眉をひそめながら凝視したあと、なるほどねと一人で納得して「飛鷹ああああ」と大きな声で叫んだ。
私は咲良を呼んでほしいのに。この男の謎な行動に私は少し動じながら、彼の手招きによって隣の座布団に座らされた。
「なんすか、社長」
それは聞いたことのある声だった。聞きなじみのある声、というほうが正しいのかもしれない。
知り合いとか、そういうのじゃなくて、私が一方的にずっと聞き続けていたあの声。
香坂飛鷹だ、と私はその声の主の顔を見る前に気づいてしまった。
眠たそうな飛鷹、と呼ばれた男は私の前に座らされて、私の方をちらりと見る。
「あたらしいアイドル希望の子ですか」
「あー残念ながらそうじゃないんだよな、残念ながら、ああでもどう? 顔もスタイルもめっちゃいいしアイドルとか興味ない?」
「興味ない、です」
へらっと笑う男は、さっき社長と呼ばれていた。私はびくつきながら咲良を探す。
「お酒飲む?」と男はにんまり笑いながら私にアルコールを進めてきたけれど、私は未成年といって断った。いまどき珍しいいい子ちゃんだね、と褒めてくれたけれど、それは半分馬鹿にしているのに等しいと思った。
「この子、茅野くんのお姉さんなんだって」
社長と呼ばれた男が私の腕を引っ張って自分の身に近づけた。「可愛いでしょう~」と酔っぱらってるからなのか元々なのか分からないけれどまたへらっと笑った。
香坂飛鷹は私をじっと見て、口を開こうとしてすぐに閉じた。代わりに近くに置いてあった飲み物を少し飲んで私から視線を逸らした。
「あ、飛鷹さん」
それは音割れのような、耳は激しく拒否をしている。
私は知りたくないことからずっと目を逸らし続けていた。だって、気づいてしまったときはもう遅いから。私はそれを許せない。
私は私の大事なものが汚されるのを死んでも許せない。そんな自分が嫌いだ。私は私を許せない。
咲良の声は上から降ってきた。アルコールを片手ににんまり笑って。
「姉さん、さっき言ってた新しい」
次の言葉は分かっている。私は勘がいいのかもしれない。
予測ができることはいいことではないのだと私はこの時に、私から目を逸らしたこの男を見て確信した。
「お兄ちゃん」
甘ったるい。私の愛する弟は、私がどうすれば傷つくのか熟知している。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.26 )
- 日時: 2020/09/08 23:35
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: d6rzi/Ua)
一次会が終わって咲良をタクシーに乗せて、無理やり帰らせた。まだもうちょっと、なんて言うから私は内心怒りが表情に表れてないか心配だった。
咲良を見送る隣には香坂飛鷹の姿があって、咲良がばいばいと可愛く手を振った相手は私ではなく彼の方だった。無意識なのか、狙っているのか、いまだに分からない。咲良は私の心を傷つけるのが本当に得意だと思う。
「名前、なんだったっけ」
ふいに隣から声がして私はちらりと視線を彼の方に向ける。街灯の光に照らされて、彼の顔が青白く光っていて少しだけ怖かった。飲み会に参加していた他の人たちは二次会に行くらしく、私たちも誘われたけれど断った。香坂飛鷹も私に便乗するように断って、いま私の隣にいる。
近くにあった自動販売機でジュースを買って私に一つ渡す。キンキンに冷えたレモンティのふたを開けてぐっと口元に飲み口を持って行った。体に入っていった水分は、この暑さで簡単に汗になって消えていく。じわり、と皮膚を滑るように汗が首筋を伝っていく。
「藍です。篠宮藍」
「咲良と苗字違うんだ」
「離婚した後、私は母親の方に引き取られて、だから苗字が」
「ふうん」
少し歩いた先に公園があって、そこのベンチに香坂飛鷹は腰をおろした。とんとん、と自分の隣を叩いて私に座るように促して、私は正直もう帰りたかったけれど渋々そこに腰をかけた。
「咲良からよく話は聞いてる」
「はあ」
「事務所のお金とかも全部君が出してるんだってね」
「……まあ。父親は咲良のことに興味がありませんから」
「そうなの?」
「知らないんですか」
自分の新しい父親なのに? 私は言ってはいけない言葉を付け加えようとしてしまった。
ぐっと唇を噛んで自制して、私は何も知らないふりをしてにこりと笑う。だけど、香坂飛鷹の表情は変わらずに「なに?」と聞き返す。
「……咲良に忠告されなかったんですか。あの人のこと」
「あの人って。お義父さんのこと?」
「あの人はやばいから――早く別れたほうがいいですよって、そんな他人が何言ってるんでしょうね」
「初めて咲良の家族と会った時、そんなこと言ってた気がする。あれでしょ、浮気癖があるとか」
浮気癖、という簡潔な言葉に私は思わず動揺してしまって、彼の顔を凝視してしまった。香坂飛鷹は何も知らないという顔で、きょとんと私の顔を見ている。私は言わなきゃいけない言葉を、ぐっと飲み込んで、持っていたレモンティで全部流し込んだ。
「香坂さんは、何も知らないままが一番ですよね」
私は怖かった。人の不幸をこのとき予知できていたのに、私はそれを言葉にできなかった。
この瞬間壊れるか、いつ壊れるか、時間の問題だったのに。私は何もせずに放置した。
咲良が何も知らないわけないのに。それでも、咲良が守りたかったものは何だったのだろう。
咲良は私のことがきっと嫌いなのだ。全部あの男にそう吹き込まれたのだろう。
あの日から咲良は変わってしまった。
あの男のことを、信用してはいけない。
私はもう、忠告することもできないのだ。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.27 )
- 日時: 2020/09/25 00:24
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: d6rzi/Ua)
【 参照1000突破 】
大変遅くなりましたが参照が1000を突破しておりました。ありがとうございます。
去年の夏の間に完結させる予定だったのにもう一年経過してました。時の流れは早いものですね。
今年の冬までには完結しますので、それまでお付き合いいただけると幸いです。
読んでくださる皆様に感謝の気持ちをこめて。ありがとうございました。
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.28 )
- 日時: 2021/02/07 01:18
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
愛の形はいろいろある。
歪んでいても構わない。私は咲良に対するこの感情が真実の愛だと疑いもしなかった。
□
咲良の所属するlunaticはデビューはしていないものの、SNS上で話題になり、小さな箱を借りてやるライブはいつも満員になるくらいに人気になった。その原因が咲良の義理の兄になった香坂さんと知ったとき、私は心臓をぎゅっと握られた感覚というか、上手く言葉にできないけれどひどくショックを受けたのを覚えている。
咲良の所属するグループが人気になったことはもちろんうれしいけれど、香坂さんの引き立て役にしかなっていない残りのメンバーを見て私はただ愕然とした。ファンができるのはlunaticではなくて、香坂飛鷹という男に、というのが見てて痛いくらいに伝わってくる。歓声の大きさ、グッズの売れ方、コメントの多さ、何をとっても目で見て分かるレベルで香坂飛鷹という男は別格だった。
事務所も香坂さんが一番人気と分かってからは、そういう路線に方向性を変えて、だんだんと他の三人のメンバーが薄れていった。香坂さんにはテレビやCM、雑誌の表紙などの仕事がきて、他のメンバーとの確執がどんどんと浮き彫りになっていく。気持ちが悪くて吐き気がした。
私はただの身内なだけだったからいいけれど、ファンが見たらもっとショックを受けると思う。
それでも、キラキラした咲良を見たくて私はライブハウスに通った。
香坂さんにしか声のないライブでも、咲良は笑って歌いながら踊っていて、私は見ていて泣きそうになった。嬉しいのか悲しいのか自分の感情がよくわからない。
「みんな、今日は来てくれてありがとう」
咲良が舞台の上で私を見つけて手を振る。
私はそれが嬉しくて、たったひとり。この場で咲良のファンが私ひとりでも、それでも私さえ咲良の良さを分かっていればいいと思った。
私は、もうこの時から異常に歪んでいたんだ、きっと。
□
「今日も来てたんだ」
ライブが終わったあと、出待ちをする人だかりから離れるように私は帰り道をとことこ一人で歩いていく。後ろから声をかけられて振り返ると、そこにはさっきまで見ていた顔があった。
「なんでいるんですか」
「なんでって、出待ちがいるから別出入り口からでてきて、そしたら藍さんが見えたから」
「見えたからって、追いかけてこなくてもいいじゃないですか」
「藍さんって俺に嫌悪感出まくりだよね。俺のこと嫌い?」
爽やかに笑う香坂さんに、私は足を止めて振り返った。
「見てください」
私は今も香坂さんが出てくることを信じてやまないひとだかりを指さした。
「あれだけ、あなたのファンがいるんです。私はあなたのファンでもないし、むしろあなたに興味がありません。できれば話しかけないでいただきたい」
「でも、俺は藍さんに興味があるんだよ」
真剣な言葉に軽口で返される屈辱。私は咲良のグループのリーダーということもあって邪険にもできず、めいいっぱい嫌そうな顔をしながら彼の隣を歩いた。
香坂さんは何を考えているか分からないからいやだ。結局彼は私が乗るバスまでついてきて、おやすみと言ってきた道を戻っていった。私に車道側を歩かせない紳士さに腹が立って、夜道が心配だったのか送ってくれていたことに気づいてまたむかついた。
そういうところが嫌いだ。
そういうところが、私の感情をゆがませていく。