コメディ・ライト小説(新)
- Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.17 )
- 日時: 2020/07/22 17:18
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)
何が現実なのか、よくわからなくなった。二年前のちょうど今とおんなじくらい暑い夏の日。私はタクシーに乗り込んで急いで病院に向かった。
□
仕事以外でこんなに必死に走ったのは久しぶりだった。呼吸が荒くなって、息がうまく吸えなくなる。自動ドアをくぐって受付の人に病室の場所を聞くとすぐに私は階段を駆け上がっていた。
頭の中は空っぽだった。何を考えればいいのか分からなかった。
吐きそう。お昼ご飯は軽食で済ませたからか胃の中が空っぽで、なんだか気持ちが悪かった。病室の前に来て、私は一度立ち止まる。ぜーぜーと荒い呼吸を必死に整えようと大きく息を吸って、止めて、吐き出した。
篠宮藍、というネームプレートを見て、また吐きそうになる。
「咲良くん、いる?」
ドアを開けると、カーテンの外には一人の男性がいた。咲良くんじゃない、ことだけは一目見ただけでわかる。だけど、私は彼のことを「知ってはいた」けれど直接話したことがなかったから、声をかけることに躊躇いがあった。
ドアの音で私の存在に気づいたのか、彼はこちらを見て一礼した。私も思わず頭を下げる。
「すみません、咲良はこれから生放送があってあと一時間ぐらいしたら終わると思うんで、そしたら戻ってくるかなとは思うんですけど」
「……あ、そうなんですね。ありがとうございます」
スマホを確認すると、彼の言ってたことと同じような内容のメッセージが咲良くんから届いていた。
「え、と。初めまして、ですよね。ご挨拶が遅れてすみません、香坂飛鷹と申します」
「あ、知ってます。藍からよく話を聞かせてもらってて。三原です。三原あんず、あ、名刺渡しときますね」
カバンをゴソゴソと漁って名刺を取り出す。彼は「すみません、俺も名刺とか持ってたら良かったんですけど」と困ったように笑って受け取ってくれた。
すごい、有名人が、芸能人が、目の前にいる。それがその時の純粋な感想だった。仕事柄、スタジオで遠目で人気のアイドルもベテラン俳優もたくさん見てきたけれど、こんなに近くで見るのは初めてだった。やっぱりオーラが違った。整った顔が私をじっと見ている。そう思うと少しだけ緊張した。
「あの、藍はカーテンの向こうでまだ眠ってて。頭を強く打った以外に大きな怪我とかはないみたいなんですけど、記憶がちょっとだけ曖昧になってるみたいで」
「あ、そうなんですね」
どうしてカーテンをわざわざひいて、しかも外側に出ているのか、私は聞くことができなかった。
「目は覚めたんですけど、俺のこと覚えてないみたいで、たぶん頭うった衝撃で一時的なものだって医者は言ってるんですけど」
「……はあ」
香坂さんはカーテンを開けて、すやすやと眠る藍を私に見せて安心させようとしたのだろう。でも、彼の表情はとても暗くて、見るに堪えられなかった。
「今日、連絡があったんです。藍から。忙しくてあんまり話せなかったけど、珍しくあの子から電話してきて、内容はあなたとのことでした。あなたと上手くいってないってことを相談されて、私は大丈夫だよとしか言ってあげられなくて、でも最後にあの子言ったんです。自分は面倒くさい女だって。その時にちゃんと気づいてあげなきゃいけなかったんだって」
「……彼女が過去に精神的なことで今回みたいにおかしな行動に出たことは?」
「なかったです。だけど、他の人間より狂っていたのは確かだと思います。香坂さんもなんとなくわかるでしょう、咲良くんへの異常な愛情。あの子が今まで軽率に死のうとしなかったのって、全部咲良くんのためなんですよ、きっと」
自分の生きる意味とか価値とかを藍自信が持っていたのかは今になってはわからない。だけど、昔から危うい存在だということは痛いほどわかっていた。だから、側にいて支えなければいけないと、ちゃんとわかってはずなのに。
自分の人生でいっぱいいっぱいになってしまった。藍が壊れていくのを私は気づかないまま。きっと咲良くんも香坂さんも言わないけれど、彼女は自ら車の前に飛び出したのだろう。こんな偶然あってたまるか。
「藍のこと、好きですか?」
綺麗な寝顔。藍は本当に天使みたいな愛らしくてかわいい。
私が守ってあげなければいけない。次は今日みたいに遅くなっちゃいけない。誰よりも藍の幸せを願ってるのは私なんだから。どれだけ愛が香坂さんのことを好きでも、藍を傷つける人間を彼女のそばに置くことは許せない。
「……好きだよ」
香坂さんはきっといい人だ。藍とのすれ違いもきっと時間が解決してくれることだ。だけど、そんな猶予はない。だって、それよりも前に藍は死のうとしたんだから。
「じゃあ、藍から離れてください」
許せなかった。
誰を。香坂さんを?
違う。一番は、彼女のSOSに気づけなかった愚かな自分を。
藍のためだ。全部、藍のためだ。
心の中で何度も唱える。言い聞かせる。私は彼に言った、お願いだから、藍の前から消えてくれ、と。