コメディ・ライト小説(新)

Re: Lunatic Mellow Mellow ( No.19 )
日時: 2020/07/31 23:29
名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: rtUefBQN)

 嘘の記憶を植え付けた。丁寧に、絶対にばれないように。
 もう二度と君を失わないために。




 ■



 すべてうまくいっているはずだった。彼が芸能界を引退するまでは。
 ネットニュースの大きな見出しに私は唖然とした。思わず手に持ったスマホを落としてしまうくらいには動揺していたのだろう。連絡をとろうにも私は彼の連絡先を知らないし、そもそもどう話しかければいいのかもわからなかった。
 藍は香坂さんのことをまだ思い出さないし、このほうが都合がいいのかもしれない。私は全力でかぶりを振って、決心する。私はこの嘘をつきとおさなければいけない。

 二年後、咲良くんが自殺するまでは。



「咲良、が死んじゃったよ」




 震える藍の声を電話越しで聞いて、嫌な予感が、背筋が凍り付くような感覚が、あの日のことがフラッシュバックした。
 駆けつけた時にはもう遅かった。彼女はまたあの日のように死のうとしていたのだ。ずっと茅野咲良の訃報が流れるニュースが流れている部屋。窓一つ空いてない、室内の温度は三十五度を軽く超えていた。彼女は死んだように眠っていた。
 幸いまだ軽度の熱中症のような症状だったから良かったものの、そこからはまた地獄だった。彼女はほんのちょっと放っておくとすぐに腕を切ろうとしたり階段から飛び降りようとする。何度注意しても聞いてくれなかった。


「咲良のいない世界で生きてる意味なんてないじゃん」




 知ってた。彼女は誰かに依存しないと生きていけない人間なのだと。だから、二年前のあの日、香坂飛鷹に捨てられるかもしれないと思って死のうとしたんだ。その原因さえ切り離してしまえば、またいつもの藍に戻ってくれると思っていた。でも、それは私の願望だった。


「お願い、死なないで」
「私はなんのために、嘘をついたの」
「助けてよ。藍を誰か止めてよ」


 自業自得だ、そんなの分かってる。
 私は歪んでる藍自信をどうにか変えなきゃいけない場面で、ずるをして周りの環境を変えてしまったから。だから、こうなった。


 いつかこうなっちゃうこと、わかっていたのに。




 芸能界の関係者で行われた茅野咲良のお別れ会で、私は一人の男と再会した。二年ぶりの再会だった。
 気づいたのは向こうから。肩をとんとんと叩かれて、彼はにこりと微笑んで「お久しぶりです」と、一言。私の全身がざわざわと騒めき立った。


「……お、ひさし、ぶりです」
「すみません、藍にはもう会うつもりはなかったんですけど、咲良と最後に会えるのがもうここしかなくて。でも、藍は、いないみたいですね」
「あの子、咲良が死んだショックですぐに死のうとするから、今は病院で隔離してもらってるんです」
「……そうなんですね」

 相変わらず香坂さんの表情は読めなくて、少し怖かった。私のことを恨んでいてもおかしくないのに、彼の表情は穏やかで優しかった。

「……ひとつ、聞きたいことがあるんですけど」
「何ですか」
「どうしてlunaticを脱退したんですか。私が藍に近づくなって言ったからですか?」

 私の質問に、香坂さんはぱちくりと目を見開いた後、何が可笑しいのか軽く口角をあげて笑った。
 「そんなこと気にしてたんですね」香坂さんの声は、やっぱり優しい声だった。



「藍のこと、好きですよ。あなたが前に俺に質問したときと、俺の気持ちは何一つ変わらない。あの子を愛してます。だけど、俺はあのとき、藍の気持ちを蔑ろにしてしまったから。なんて答えればよかったんですかね、あのとき、俺は」





 あの日、藍が私に電話をかけてきた日。
 それより前に彼女は香坂さんと連絡を取っていて、

 忙しくて会えない香坂さんにこう聞いた。




 私よりも、やっぱりお仕事のほうが大事ですか?



 自分自身でも言っていた「面倒くさい女」の典型的な台詞。
 でも、あの日香坂さんは、こう答えていた。
 「そんなの、藍のほうが大事だよ。今日仕事終わったら必ず連絡するから。会おう」
 藍はその言葉に「ありがとう」と返したらしい。何一つ、彼女が死を選ぶはずのない返答だった。それなのに、




「どうすればよかったんでしょう」
「そんなの俺もわからないよ。藍は俺たちとはちょっとだけ考え方が違うから」
「私はあの子が死のうとするたび、怖くて怖くて仕方ないんです」
「それは、あなたがそれだけ藍のことを大事に思っている証ですよ」
「でも、藍を救えるのは私じゃないから」



 最低な私は、また最低な提案をした。
 この時にはもう私はしばらくの海外出張が決まっていたため、彼に藍の見張りを頼んだ。どうか、彼女が死なないように。
 記憶が戻ってもいいから、だから。


 藍を助けてください。
 弱くて情けなくて恥ずかしかった。香坂さんは「俺でよければ」と涙でぐしゃぐしゃになった私の頭を撫でて笑った。
 地面を踏みしめる足が、ぐわんぐわんと揺れる。ずっと私は、間違っていたことに気づいていたのに。