コメディ・ライト小説(新)

Re: ☆星の子☆  113話「炉心」 ( No.821 )
日時: 2019/12/01 23:24
名前: (朱雀*@).゜. ◆Z7bFAH4/cw (ID: /FmWkVBR)
参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no

18章     113話「炉心」


東軍 シャイニア  光聖、空VSヒナ――

 少女を守ったがために。夜空に瑠璃の粉が儚く舞っている。
 ――リン。貴方、なんて無様なの。
 一瞬の出来事に混乱しているであろう光聖は目をいたままじっと動かない。悲憤の表情を浮かべたまま、その唇が小さく震えた。

「リ、ン……」

 充血した目で私を睨む。

「お前……っ、どうしてそんなに平然としていられるんだ!? リンを――」
「――殺したけど。なによ? 可笑しいのはあんたの方じゃない。私達、さっきまで刃を交えていたのよ。お互い相応の覚悟があっての事でしょう?
 それとも……光聖は私を生かしておくつもりだったわけ?」
「そんなこと…………」

 言って少年は口ごもる。
 意識的に、私は右肩に触れた。腕があったはずのそこから茜の火の粉が舞っている。
 光聖の切っ先が届くより僅かに一瞬、引き金を引いたのが早かった。それでもあの時、私はあの女を殺すことで頭がいっぱいで、光聖の攻撃を避ける余裕なんてなかった。リンは助からずとも、光聖はその刃で敵討ちすることが出来たはず。
 ――甘いのよ、つくづく。反吐が出るくらい。
 傷口は燃えるようにじんじんと痛い。右腕がなくなってしまったのだから当たり前だ。
 歯を食いしばって痛みに耐える。それでも致命傷ではない。政府塔へ戻り手当を受ければ傷口は塞がるだろう。

 ――きっと、ナツとリンは、もっと痛い思いをしたに違いない。
 だからこんなの、なんともない。

 ふとそう考えると、虚無感がどっと押し寄せてきた。赤くなった目で私を睨み付ける少年を見ても、すすり泣く少女を見ても、先までの燃えるような感情が沸いてこない。
 光聖がどう行動に出るか分からないけど……このまま戦闘になれば次は確実に私が不利ね。
 武器は左手の短剣だけ。片腕のない状態で振るっても驚異にはならないだろう。まして光聖の持つ不思議な力は予想外だ。あの太刀や盾と渡り合えるとは到底思えない。
 勿論、私はここで死ぬ覚悟だって出来ている。H・F様は光聖が政府塔の、最上階に辿り着くことを懸念している。その理由は私には計り知れないけれど――――

『G-270』

 不意に脳内から声が響いた。思わず肩をびくりと震わせる。光聖が怪訝そうに眉をひそめた。
 私をコードネームで呼び“思念”を送れる人物。どくどくと、無自覚のうちに厭悪えんおが腹の底を渦巻きはじめる。

『戻ってこい。これはH・F様からの命令だ』
(……星クズをこの先へ通してはまずいのでは?)
『黙れ。時は満ちた』

 ぶつり、と一方的に言葉は途切れた。大きく息を吐き出して、少年から背を向ける。

「――不服だけど、私は一度政府塔に戻るわ」
「なっ……!? いかせるか!」
「あの女を放っておいていいの? 私を追いかけるよりも、そっちが大切なんじゃない?」
「……っ、卑怯だぞ」

 正直、このまま光聖に手負いの私を追いかけられては困る。本来の目的は迷い星クズの足止めだったはず。時は満ちた、なんて言われたけれど、それでも政府塔へは極力近づかせない方が良いだろう。
 さめざめと泣き続ける少女を一瞥し、光聖が悔しげに踏みとどまったのを見計らって、私は地を蹴って高く跳躍した。右の肩口が鋭く悲鳴をあげたが気付かぬふりをする。

「ヒナっ」
「光聖、あんたとりあうのは楽しかったわ。この先へ進むのなら止めはしない……そこの女が、もっと酷い目にあってもいいのなら、ね」

 後方で光聖が何やら吠えているが、もう耳に届かない。双翼を背に広げ、滑るように夜空を飛行する。
 私が外道であることは十分自覚している。何が正義で、幼い自分はどうして警官になりたかったのか、何を守りたかったのか――忘れてしまった。それでも。
 向かうは政府塔。私が忠誠を誓った、あの場所へ。

          ☆

「おかえりー。……って、え!? 酷い怪我じゃない!!」

 見慣れた扉を片手で押し開けると、耳に障る甲高い声が響いた。派手な黒い装束を身に纏った女は白いウサギを大事に抱え込みながら、珍しく私の負傷を気遣ってこちらに駆けてくる。高く二つに括った赤紫の長髪が揺れた。こちらも憎まれ口が息を吐くように零れ出る。

「もう少し静かにできない? 傷が疼くわ」
「んなっ。せっかくこの私が気にかけてあげてるのよ!? ほんっと、可愛くないわねー」
「結構よ。ムマの手を借りるほどじゃない」
「あっそ!」

 女は鼻を鳴らして、ゆったりとした黒いソファに再び腰掛けた。そのままティーカップに手を伸ばして優雅に茶をたしなむ。外界の混沌に我関せず、という風なその姿に、勃然と腹が立ってくる。

「――私の心配よりも、自分のことを心配したらどうなの。貴方、あんな小娘一匹捕まえられずに、のうのうと帰ってきたのよね? はぁ……一体どういう神経しているのかしら」
「うっ、それは……」

 頬を紅潮させ狼狽うろたえる。彼女の大きな瞳がせわしなく宙を彷徨さまよった。
 何故こんな使えない女が最高執行部隊に配属され、今も悠々と生きているのだろうか。
 ――なぜ、殺されたのはムマじゃなく、私でもなく…………ナツ、だったのか。

「……ちっ」
「な、なによぅ! 文句があるなら言いなさいよ!! 私だって、面と向かって舌打ちされたら……けっこう、傷つくんだからねっ」
「もういいわよ。私は上に用があるの」

 これ以上生産性のない会話は身体に毒だ。傷口を片手で押さえながら、私は広い部屋の奥を目指した。

「え、この部屋のさらに上って……」
「呼ばれたの、父様から」
「ま、まずはその傷を治しにいったほうがいいんじゃ」
「いいわ。痛くも痒くもないし」
「はぁっ!? さっき傷が疼くって――――」

 薄暗い部屋の一角、冷たい床の上に半径1 m程の円が縁取られている。普段は近寄らないその輪に足を踏み入れた途端、暗い紫の光に身体を呑み込まれた。ムマがはっと息を飲む気配がする。

「最上階へ」

 一寸の迷いもなく、目的地を呟いた。


 軽く瞬きすると、ゴスロリ我が儘女の姿はなくなっていた。代わりに青い警官服に身を包んだ厳格そうな男が腕組みをしながら立っている。金の刺繍が施された黒いマントを羽織っていて、ただの警官よりも位の高い人物であることが姿形からうかがえる。
 その奥で、天井に届きそうな程巨大な漆黒の炎が燃えていた。ドクン、ドクン――と脈動を繰り返しているのが目に映る。
 気味が悪い。思わず眉をしかめた。
 男はギョロリと冷徹な視線をこちらに向けて、厳めしい表情を一切崩さぬまま唸る。

「ようやく来たか」
「あれはなに」

 中央で禍々しく燃え盛るどす黒い炎。あんなものが政府塔の最上階にあったなんて知らない。否。その実、私が最上階までのぼったことは今の今まで一度たりともなかったのだから、当然か。

「――炉心だ」
「ろしん……」

 互いに中央の、“炉心”と呼ばれた炎へ目を向けた。
 父様に対する耐えがたい嫌悪感もこの時ばかりは腹の底にしまう。
 部屋で烈火がめらめらと火花を散らせているというのに、全く暑さを感じないどころか背筋が凍るような悪寒さえ覚える。それは規則正しく、ドクン、ドクン――と脈打っている。

 生まれるのだ。

 直感した。あれは胎動だ。なにか、良からぬものがこの国で産声をあげようとしている。とても長い年月をかけて “なにか” を喰らって成長してきたのだと、本能が呼びかけた。
 ――もしかして、
 
「あれが……H・F様の本体…………?」

 紡がれた言葉に返答はない。沈黙が、私の問いに首肯しているようであった。
 あの邪悪な塊が、私が崇敬してきた“H・F様”だというのか。
 ――冗談じゃないわ。間違っても『アステリア』の生の象徴である《ホーリー・フェザー》と同一視できない。むしろあれは――――
 と、静かに燃え盛っていたそれが突如動きを見せた。まるで生きているかのように黒い火の手を伸ばし、床を舐め回す。一回り大きくなったそれが、私を見た。

     『G-270――』

 ……喋った。
 信じがたいことに、私に向けて語りかけている。それは紛れもない、生命体だった。

     『G-270は、お前か』

 しわがれた声がゆっくりと、そう問いかける。
 その奇妙さに畏怖さえ覚え、気付けば私は片膝をついて漆黒の炎に頭を下げていた。「――は」と震える唇で何とか声を漏らすと、満足げにそれは笑った。

     『ふ、ふふ、ふはははははははははっ』
     『喜べ。私が特別に、力を分け与えてやろう』

 震撼する。恐怖が体中を駆け巡った。独特な掠れ声が、その嘲弄ちょうろうが、耳にこびりついて離れない。とてもこの世のものとは思えないそれが、私に力を与える、とそう言う。
 私は横目で、唇を真一文字に結び依然硬い表情を崩さずにいる男を盗み見た。
 ――どうしてこの状況で、平然としていられるのよ…………っ。
 硬直した私に不満を抱いたのか、笑うのをぴたりとやめてそれはささやきかける。

     『娘、不満があるなら申せ』
「――っいえ、有り難きお言葉に、感激しております」

 心にもない言葉が口をついて出る。すると“炉心”は胸一杯息を吸うように大きく膨らんだ。それがしぼむと同時に、真っ黒な炎心から同様に黒い塊が吐き出される。
 床に転がったそれはまるで粘度のようにうごめき、やがて黒い豹に変化した。しなやかな四肢で体を持ち上げる。暗闇を塗りたくったようにまっ黒な獣だ。
 シャドー……ではないようね。それでも犬が黒豹に変わったことを除けば瓜二つだわ。
 音もなくそれは私へ近づいてくる。美味い獲物を見つけたかのように瞳を爛々とさせ、獣は鋭い牙を覗かせた。驚いた私が僅かに上体を仰け反らすと「動くな」と男が叱咤する。男は険しい顔で私を睨んだ。

「政府軍の数も減った。最高執行部隊なんぞあてにならん。お前がこの塔の砦になれ」
「つまり、この身を捨てろと?」
「H・F様直々に力を与えて下さるのだ。光栄に思わんか」
     『娘、其処の獣に手を伸ばせ』

 痺れを切らした“炉心”が声を荒げた。
 黒豹はいつの間にか私の目の前まで歩を進めていた。その眼光に怯み、紡がれた言葉は震える。

「っ、私、どうなるの?」
「どうもならん。強さを手に入れるだけだ」

 娘が得体の知れない生物と接触しようというのに、彼は無責任にそう吐き捨てた。
 ……そうよね、私は生まれた頃から都合の良い人形だったわ。
 再三思い知らされて、どうしようもなく惨めになる。そういえば腕の負傷についても言及がない。最後の最後まで、父様にとって私は、ただの戦闘道具なのだ。
 ハクを思い出す。あの小柄な体で3匹の黒犬を手懐けていた。シャドーに比べれば目の前の黒豹は若干、いやかなり獰猛どうもうさが目立つ気はするけど……私だって、上手くやれるはず。
 思い切って片腕を伸ばした。そして左手が獣の、漆黒の毛並みに、触れ――――

「う、う゛ぁ、あ゛あああああああああっ」

 絶叫。
 全身が燃えるように熱い。内側から針のむしろで刺されるように痛い。目の奥で火花が飛び散る。
 触れた瞬間“影”となった獣が体内に入り込んだようだった。ハクがそうしてシャドーを取り込むのを見たことがある。まさかこんなに苦痛を伴うなんて。
 私の体が、その異物の侵入を拒否している。

     『わははははははっ』

 おぞましい笑い声が、私の喚き声と一緒になって部屋に響く。
 視界が、細胞が、心が暗黒に塗り潰されてゆく。痛くてたまらない。自我が薄れゆくのを感じた。
 私は脈動を続ける炎を精一杯睨んで必死の思いで叫ぶ。

「お前の目的は、なに……!?」
     『無論、新しい世界の創造だ』
     『娘にはその礎となってもらおうか』

 嬉々として“炉心”は答えた。
 私が間違っていた。政府が、警官が、崇め敬っていた“H・F様”こそ諸悪の根源なのだ。
 力尽きて冷たい床の上にどさり、と倒れこむ。
 
 ナツ、リン、ごめん……。また私、道を間違えたみたい――――

 瞳を閉じる。一筋の涙が頬を伝った。