コメディ・ライト小説(新)
- Re: ☆星の子☆ 参照10万突破記念「富士の山頂にて」 ( No.841 )
- 日時: 2021/02/01 09:18
- 名前: (朱雀*@).゜. ◆Z7bFAH4/cw (ID: 3t44M6Cd)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
番外編 「富士の山頂にて」
天野輝は優れた迷い星クズだった。
故郷への帰還――――
何十回の失敗の末、彼は己の境遇を悟り、心の深層に住まう者と向き合った。
二神の誕生と決裂、『アステリア』の危機、己に託された運命。それは彼の予想を遥かに超えた壮大な物語だったはずだ。
それでいて、天野輝はけろりと言ったのだ。
「馬鹿馬鹿しい」
「俺は貴方の我が儘に応える気はないよ」
「だって地球に、守りたいものができたから」
☆
冷たい風が吹き抜ける。
初夏とはいえ、標高2500メートルまで登れば冷える。麓の雪は溶け出す頃だろうが山頂近くの山肌は未だ白く覆われ、とても登山が出来る様子ではない。幻想的な霧が時折辺りを覆い隠す中、鮮やかな青を纏った影がにわかに現れた。
つんとした女の声が静寂に響く。
「本当に迷い星クズがここにいるのかしら?」
「うん、数週間前、流星群に紛れて一際大きな光がこの町に落ちたようだ。あいつに間違いないさ」
「あいつって、……如月光聖?」
「あぁ。真っ先に私達G-チームに指令が下ったんだから――」
今度こそ、という言葉を男はぐっと飲み込んだ。それを横目に金髪の美青年は小さく息を吐いた。白い息が漏れる。
「それで。なぜ奴は山に登った」
「知らないさ……こんなに寒い中登山だなんて、よっぽどの阿呆だ。ううう、追うこっちの身にもなってほしい!」
「ナツうるさい」
じろりと睨まれ、ナツと呼ばれた青年は不服そうに口を噤む。
彼らは『銀河の警官』Gトップチームの三人組。はぐれた星クズを捕らえるために、遙々地球の島国まで出張中である。正しくは迷い星クズの内に隠れた《ホーリー・フェザー》の欠片を抹消するための重大な任務中なのだが、彼らは真の目的を知らず、数年に渡り迷い星クズといたちごっこを繰り返している。
失敗続きでそろそろまずい、と思っている割に緊張感がやや欠如しているのはリーダーのナツであり、頼りないリーダーを叱咤激励するのはいつもヒナだった。
ナツは一度大きく咳払いをして、ふんぞり返りながら「それでは今後の流れを確認する」と途端リーダー風を装う。リンはちらりと感動のない瞳を向け、ヒナはじろりと睨めた。
それでも二人は、お調子者で明るいリーダーがどこか憎めなかった。
代わり映えのない日々が尊いものであったと、彼らが気付くのはまだ先の話。
「迷い星クズの探索は俺が請け負う」
「光聖を見つけたら状況確認。一人だったらすぐに捕まえるわよ。誰かと一緒だった場合は離れた隙を見計らうか、あるいは夜が更けた頃を襲って」
「ヒナは卑怯だなぁ……」
「ナツが甘いの!」
瞳をさらに吊り上げて恐ろしい形相で睨まれたナツは口を尖らせる。
「奴は一人のはずだ。雪も溶け残っている。人間が登山するには時期が早いだろう」
当の二人はリンの言葉に耳を貸さず毎度の言い合いを始めていた。
仲が良いのか悪いのか。
やれやれと肩を竦ませ、騒ぐ同僚をよそ目にリンはそっと双眸を閉じた。周囲の空気を掴むため感覚を研ぎ澄ませる。
彼にはサイコメトリー能力がある。他人の考えを読み取ることが出来るが、心にそっと忍び込めるような警戒心の薄い者にしか効果がない。稀に聞きたくもない声を拾うことがあるので、リンはこの能力を良いものと思えなかった。
一方で、皮肉にもこの能力は重宝された。他人の思うことが聞こえる他、生物の僅かな気配を察知することにも長けていた。追跡にうってつけなサイコメトリー能力は、リンを『銀河の警官』のトップチームという位まで押し上げたのだ。能力が使えなければ用なし、厳しい世界では即刻切り捨てられてしまう。
「――――、確かに。少し登ったところに迷い星クズの気配があるな」
「さすがリン!」
「日が暮れる前に進みましょう」
霧が深くなる。
先までの喧噪が嘘のように、辺りは再び静寂に包まれた。
★
「よし、今日はここで野宿にするかあ」
朗らかな声が響いた。
人の良い笑みを浮かべた男性が立派な鷲へ恐れもせずに近づく。
「光聖も上手に変身できるようになったな。よーしよし」
「わっ、ちょ……! もう戻るから離れてよ」
乱雑に羽毛を撫で回され、黄色い嘴から不平が漏れる。鳥と人間が流暢に言葉を交わす異様な光景だが、彼らの他に人の姿はない。
おっと悪い、と男が一歩退く。周囲がぱっと光に包まれ、代わりに美しい少年が現れた。光聖と呼ばれた彼は口を尖らせてくしゃくしゃになった琥珀の髪を撫でつける。
「あ~、つかれた! 輝さん、なんで僕を置いて飛んでっちゃうの? 追いつくのに必死だったよ」
「ははっ、ごめんな。空気が気持ちよくてさ、速度が出ちゃって、つい。光聖もいい運動になったろう?」
「まぁ……」
柔和な笑顔でそう返されれば素直に頷くしかない。
光聖と行動する男は天野輝。二人は宇宙の監視という壮大な使命を終えても故郷に還れない、半端な星クズだった。光聖はそれでも毎年果敢に挑戦していたのだが、天野輝はとうの昔に帰還を諦め、蒼の美しい地球で第二の人生を謳歌している。
二人が出会ったのはほんの数ヶ月前。出張中の小さいアパートに転がり込んできた光聖に、輝は迷い星クズの先輩として変身術のコツから勉学まで指南している。
師弟関係の二人は黙々とテントを建てる。
(輝さん、出張が終われば家へ帰るよね。奥さんと子供も待っているし……。そのあと僕は、どこへ行けば良いんだろう)
考えて、しゅんと項垂れる。
光聖は輝を心から尊敬していた。弟のように可愛がってくれた。物腰が柔らかく大人びた雰囲気が大好きだった。
しかし想いを上手く伝えるのは難しい。光聖は人とまともな関係を築いたことなど片手で数えられる程しかない。
(いつも恥ずかしくて、はぐらかしちゃうけれど……次こそ、感謝を伝えよう)
折悪しく。彼ら迷い星クズのもとに刺客の手が伸びる。
光聖の想いが言葉になる日はついぞ来ない。
☆
宵闇の中。青い警官服に身を包んだ三つの影が、天野輝と対峙する。
「それで? 『銀河の警官』が俺になにか用かな?」
輝は柔和な笑顔を崩さず、現れた警官に語りかけた。
言葉を失ったのはGトップチームの方だ。内輪で口早に意見を交わす。
「誰だ? 『銀河の警官』を知っているなんて――、」
「如月光聖とは別人のようだけど」
「纏っている雰囲気は瓜二つだ……同じ迷い星クズと見るのが妥当か」
「迷い星クズってそんなによくいるものだったか?」
「……いいわ。世界の平衡を乱す者はなんであれ、排除するのが私達の使命よ」
そんな三人の様子が可笑しくて、からからと笑う声が響いた。
「なにが可笑しい」
「はは、一生懸命で可愛らしいと思ってね」
「っ、随分と余裕のようだけれど。貴方は私達が何をしに来たのかお分かり?」
「いやぁ、俺も迷い星クズをやって長いから。とはいえ、その青い警官服を見るのは久しぶりだよ。俺の担当は君たちと違ったはずだ。たしか……つばの広い帽子を被った男と、強面と、全身黒いローブの三人組。知らないか?」
指折り数えられる大雑把な特徴。しかし彼らにはある姿が浮かぶ。リーダーは殉職したと伝えられ、残る二人は政府塔から前触れなく姿を消したことで有名な、最上のチームだった。風の噂では反政府の民間組織を立ち上げたのだとか。
輝の口ぶりはかつてのCトップチームと何度か対峙したことがあり、その度彼らから逃げおおせたことを暗に告げていた。
輝の表情から笑みが消え、瞳は鋭く細められる。
「ご苦労なことだね。君たちはただ良いように使われているだけだよ。迷い星クズの正体すら知らないだろうに」
「な、」
「大人しく故郷へ帰りなさい。そこで半端な迷い星クズを笑っていればいいさ。
俺は、この地球を愛しているんだから。君たち警官に邪魔されたくないんだよ」
「わ、私たちの使命は迷い星クズの拘束。当初の目標とは違ったが――ここで出会ったからには責務を果たすっ」
「やめておけ、何のための行為かすら分かっていないだろう」
輝の言葉に当惑するリーダーを、「しっかりしなさいよ」とヒナが小突く。冷ややかな厳しい視線を天野輝に向けた。
「ごちゃごちゃうるさいわよ、半端者。大人しくその首を差し出しなさい!」
言い終わる前に、素早い動作で拳銃を構えた。
乾いた発砲音が静寂を破る。
★
得意の変化で燕の姿になった天野輝は木々の隙間を縫うように飛行する。敵が追っているのを横目に加速させた。
(俺は囮だ。光聖の居場所からなるべく遠くへ……敵を離さないと)
冷静に状況を判断する。
(彼らはきっと光聖を追ってきた。向こうには優秀な追跡役がいるだろう。俺一人逃げたとして次に見つかるのは光聖だ。彼らは今度こそあの子を捕まえてしまう)
以前輝を追っていた三人組は政府の在り方に疑問を抱いていた。たまに輝の前にふらっと現れては遊びのような追走劇を繰り返したが、決して輝を無理矢理連れ去り処分することはしなかった。
(だが今回は違う。彼らは至って本気、大真面目だ。迷い星クズの真相は知らないようだ、が……捕まればきっと、俺と《ホーリー・フェザー》の欠片は抹殺される――――っ!?)
硝煙の匂いが鼻腔を刺激した。
横腹が焼けたように熱い。
撃たれた。そう認識したときには既に、散った鮮血が純白の火の粉となって空へ還っている。
負傷した部位を庇うように重心を左へ傾ける。急旋回して敵の視界から外れると、燕はその小さな体をぐっと垂直に起こした。あらん限りの力を振り絞りぐんぐんと高度を上げる。
バサバサっと乱暴に枝葉を揺らし、負傷した燕は樹林を抜けた。さらに山頂を目指して飛翔を続ける。
(もっと上へ。遠くへ……!)
しかしそれは突然やってきた。
くらり、と目眩が襲う。
思えば輝は朝から晩まで変化術を使っていた。
それだけでない。使命を終えてから、家族ができてから。宙で同胞と合流せず何年も人の姿を保ってきたのだ。
迷い星クズは何にでも変化できるがその本質は鳥でもなく人でもない。
着実に蓄積していた疲労がここにきて馬脚を現わす。無理な飛行のせいで腹部の傷が開いた。
全身が悲鳴をあげる。
遂に小さな燕は平衡感覚を失い、風に煽られなすすべもなく急降下する。
(しまった! 変化が解ける……!)
残った力を振り絞り両翼を羽ばたかせた。墜落の勢いを殺して残雪で湿った山肌に近づき、人の姿に戻った天野輝はどさりと倒れ込む。
空気が薄い。
浅い呼吸を繰り返す。薄い酸素を必死に吸い込んでも息は上がるばかりだ。視界は霞み体温は奪われてゆく。輝は両腕を使って重たい身体を無理矢理押し上げる。ゆらりと立ち上がると脚を引きずりながら山頂を目指す。
天野輝は優秀な迷い星クズだ。心の深層に住まう神と意思疎通ができた迷い星クズはここ数百年の間で彼ただ一人。
しかし。
(……肉体が限界、か。俺としたことが、無茶をしたな)
『――アステルよ』
(あー……ちっぽけな神様? 今度こそ俺に力を貸してほしい)
『――其方に私の力は使役できぬ』
『ましてこれ以上の無理は其方の体が持たない』
(はは……、よく言う! さっきまで俺の体を使って、光聖に余計なことを口走ったろう。答えを明かすも何も、娘は俺の正体を知らない。関わらないでくれ……)
『――。私も其方もここで終いだ』
(……視たのか? それで光聖に希望を託したって? はは、あの少年は目醒めないさ……俺が異端中の異端だったんだ)
『――』
(《ホーリー・フェザー》。貴方の願いは俺が叶える。だから……………)
返事はない。
(初めから素直に神様の言うことを聞けば……事態は好転したのか?)
意識が混濁する中、浮かぶのは愛しい母子の姿。
(ちっぽけなのはどっちだか)
愛する者と添い遂げる。そんなささやかな夢さえ叶わない。
人として暮らし、人を愛した。許されるのなら、この幸せな時間をまだ噛み締めていたかったが。
「ぐ、っ――!?」
肩に鈍痛が走った。いつの間に距離を詰めていた追っ手が容赦なく射撃する。
振り返らない。輝は歯をきつく食いしばり前を向く。懸命に足を踏み出す。
満身創痍な全身に突風がびゅうと吹き付け、その凍てつく寒さに朧気だった意識が明瞭になる。
汗と涙で滲んだ視界に光が差し込み、両の瞳は彼を取り巻く世界をようやく捉えた。
「――――――あぁ」
映ったのは黎明。
東の空が白み荘厳な陽の目が辺りを照らし始める。
列島の太平洋沿いに高く聳える富士の山。その頂きから迎える朝焼けは涙が出るほど眩しく暖かい。
「……なにが、いけなかったかな」
警官から、神から、使命から。逃げずに向き合えば、未来は変わっていたろうか。
「それでも、選んだ選択肢に後悔はないよ」
輝は肌身離さず持ち歩いていた“お守り”をおもむろに取り出す。金色の装身具に埋め込まれたベニトアイトが、燦々と降り注ぐ陽光を浴びて鮮やかな光輝を放った。
すっかり冷たくなったそれを固く握ると珍しく焦燥の滲んだ声が脳髄に響いた。
『なにを――』
(神様なら物に移り住むことくらい造作ないだろう? これは喋り相手にはなれないけど)
『アステルよ』
(このまま俺が捕まって貴方まで抹殺されてしまっては癪だからね。最後の我が儘だ。敵を欺くお手伝い、してもらうよ)
☆
(――あぁ、)
(永く美しい旅だった)
★
「今日の任務は完了ね。久しぶりの手柄だわ」
「はあ、やっとH・F様にお褒め頂ける……。よしっ、それを連れて協会へ向かうぞ。――リン? どうかしたか?」
「いや、…………。先に行ってくれ。俺は少し辺りを探索する」
「わかった、早めに戻れよ」
獲物を担いだ青の刺客は音もなく姿を消した。それを見送った長身の男は、鋭い眼光で周囲を観察する。
(どうも引っかかるのは何故だ。まだなにか……本質的なものが、あるような)
長い指で顎をさすりながら、うまく言語化できない違和感にリンは目を細めた。
しかし自然の厳しさが広がるここでは植物の息吹すら感じられない。肌を刺すような冷気に身震いする。
(やはり思い違いか。ここは空気が薄くて思考が鈍るな。俺も帰還するとしよう――む)
考え身を翻したところで、リンは雪の絨毯に埋もれたなにかを発見する。丁度仲間が天野輝を連れて消えた辺りだ。陽光がそれに反射され、地表近くの水蒸気が光を浴びてキラキラ瞬く。
「あれは……」
残雪を踏みしめ近づくと、碧い石が埋め込まれた首飾りがそこにあった。
「迷い星クズが落としたか」
同僚がこのような装飾品に頓着しないことをリンはよく知っていた。新手の罠だろうか、と用心するが特に異変は感じない。
リンはおもむろに、冷えた装身具を拾い上げた。
ほう、とため息が零れる。その力強い耀きに不思議と魅入られ、リンはそれを自然と懐に滑り込ませた。すると体が柔らかい暖かさに包まれ、羽が生えたかのように軽くなる。その心地良い気分に酔いしれる前に、高鳴る心臓を抑えた。
(――ふ、良い趣味をしている)
珍しく口元を緩めた青年は、美しく流れる金色の髪を翻す。
そうして本来の目標が目を醒ますより前に、刺客はその場を後にした。