コメディ・ライト小説(新)
- Re: 青春という“愛”を知らない人形少女 【コメント募集】 ( No.15 )
- 日時: 2020/06/08 16:59
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
11. 来訪者
梅雨入りが始まり、雨が降る毎日になっていた。
雨が降ったって学校生活に支障は出ない。
いつも通りの日常。
優利ちゃんと晴陽の言い合いで仲介に入る日々。
何気ないことだけど、とても、心が温まるんだ。
私は鼻歌交じりに身支度を済ませ、朝食をてきぱきと用意する。
「頂きます」
牛乳と蜂蜜をかけバターをのせたトースト。
恭吾さんのレシピ本を参考に作った簡単かつ、時短料理だ。
トーストを噛むごとにサク、というキレの良い音とふんわりとした触感に思わず、声を漏らす。
とろとろの蜂蜜が熱でバターと溶け、程よい甘さ。
トーストの風味、触感、味を堪能していると、インターフォンの音が何もない殺風景な家の中を直後、響く。
私は恐る恐る玄関にトーストを一口、口に忍ばせながら向かう。
驚いた。
そこには――――自分と瓜二つな中年男性が立っていた。
私は知っている。
忘れもしない、自分の唯一無二の血の繋がりがある人だ。
小学校四年生に進級する二か月前に私を恭吾さんに預けた人。
ドアをゆっくり、と開け視線が合う。
「…………何の用ですか」
私から話すとは思ってはいなかったらしく目を丸くする。
唇が微かに震え、鼓動が速まっていたが勘づかれないように胸をわざと張る。
「久しぶり、だな。香純」
黒々としたスーツで着飾った父親を中に入れ、お茶を出す。
何もない殺風景な部屋を見回しながら、お茶を啜る。
「――――恭吾がお前を護って亡くなったとか………恐かっただろう、その時傍にいてやれず、すまなかった」
初めて見る申し訳なさそうな表情に糸が張る。
「謝罪なら私ではなく恭吾さんに仰って下さい」
やっとの思いで整理をして仏壇を置いた。
私は仏壇の前に腰を下ろし、父親を睨む。
「もう一度聞きます、ここに来た理由は何ですか?解っていると思います……私の思っていることが」
声が自然と荒くなるが、深呼吸をして抑える。
父親は居住まいを正し、私の瞳を見つめる。
黒真珠の瞳には冷や汗をかき、戸惑う姿を必死に隠す自分が映っていた。
パッと視線を逸らし、彼の瞳を見ないよう俯く。
見透かされるような瞳がとても、恐ろしかった。
「家に戻ってきて欲しい……ここではなくお父さんとお義母さんがいる家へ」
糸が切れたような音がした。
ここを離れろ。
恭吾さんと過ごしたこの思い出の詰まった家を。
「離れろ………?」
ふざけたことを言うのも大概にしてほしい。
(ここを離れたら恭吾さんの思い出がなくなりそうで………)
私はギュッと拳を握り締め、唇を強く噛む。
頬に熱が集まり、頭から湯気が出るような気がした。
憎悪の気持ちが心を覆う。
「戻ってきて欲しいなんて本当は思ってないんでしょう………?私を家に戻そうとする目的は何ですか!!?」
私は父親のスーツの胸ぐらを乱暴に掴む。
(憎い憎い憎い憎い憎い……!!)
涙が衝動で溢れ出す。
この穏やかだった大切な二人で過ごした日々はかけがえのない私の光だ。
あの陽だまりのような優しい人柄に心の重い鎧を溶かされた。
始めた貰った誕生日プレゼント、今でも大事にベッドに置いてある。
捨てることのできない縫いぐるみ。
「……お爺様が何か言ったんでしょう……??」
子供の頃に鋭い眼光を向けられた記憶。
普通のお爺ちゃんではなかった。
恐い、褒めてくれたことが一度もなかった。
小田切家の人間だから出来て当然、耳に胼胝ができるくらい聞かされたフレーズ。
それを言ってくれたのが恭吾さん。
いつだって私の事を褒めてくれた。
「そうだ、そうだ……!!お爺様がお前を連れ戻すよう言ってきた、七々扇家のご長男との対面があるから連れ戻すように、とな!!!」
狂ったように笑う父親は掴んでいた私の手を振り払い、私の腕を掴む。
いつも寡黙な父を狂わせるほど教育したのはお爺様だ。
いくら努力をしたとしても褒めずに冷たい視線を向ける。
一位でないと満足はしない傲慢な教育方針。
あの家に今までいたらこうなっていただろう。
考えるだけでゾッとした。
「ほら、帰るぞ」
私を無理矢理、待たせておいた黒塗りの車に乗せる。
必死で抵抗をするがいとも簡単にシートベルトをつけられてしまう。
待ち合わせ場所に来ない私を不思議と思って家の前にやってきた晴陽が私を見つけ、車に向かって走ってくる。
「―――ッッ!!」
車からは聞こえないが、私の名前を叫んでいるように見えた。
運転手は容赦なく晴陽の姿が見えなくなるくらいまで走った。
*
昔と変わらない嫌な思い出ばかりの大きな洋風な屋敷。
父は仕事を抜け出してきたとの事で別れ、独りで車を降りた。
大きな白く塗られた門扉が開き、顔の馴染んだお手伝いさんが私に向かって走ってくる。
幼い頃、お世話になった宮下さん。
涙を浮かべて、彼女は微笑む。
「立派にご成長を遂げたようで……苦しかったでしょうね」
そう手を握ると、私の乱れた髪を整える。
目を伏せると蘇ってくる。
散々泣いて乱れた髪を結い直し、唯一この家の中で、微笑みを向けてくれた人。
「――――幼い頃はお世話になりました」
すると、宮下さんはフッと眼を柔らかくし、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、お嬢様」
宮下さんはそのまま、応接室に連れて言ってくれてお茶菓子を出してくれた。
懐かしいドーナツの味に綻ぶ。
黙々と独りで食べているとドアが開く音が広い部屋の中、響き渡った。
「戻ってきたか、香純」
松葉杖をつきながら私の目の前に堂々と座ると、咳払いをする。
キッと睨む私に対し、絶対零度の表情を向ける。
「何故、連れてこられたのか分かっておるな。七々扇家とのご長男の縁談が決まっている、顔合わせの日は明日だ、しっかり準備をするように」
自分の意見を言い終えたお爺様はさっさとご自分の部屋に踵を返した。
何も言い返す暇もなかった私はただ。
ただ、拳を握りしめていた。