コメディ・ライト小説(新)

Re: 藍色のrequiem ( No.4 )
日時: 2020/04/27 12:13
名前: 美奈 (ID: cO3So8BN)

1.白百合色のdawn
1-1
僕には、母親に育てられたという感覚がない。また、そうした記憶もない。
アルバムを見返しても、親子の写真は結構少ない方だと思う。
なぜなら、生後1ヶ月までしか一緒にいられなかったからだ。

そんな僕の母親の名前は、平野雛という。僕が生まれる少し前から、"若き天才科学者"として注目を浴びてきたらしい。そしてそれから長い年月を経た今もなお、"天才科学者"として評価され続けている。さすがに、"若き"というワードは削られてしまったが。
そんな"天才科学者"は僕を生んですぐ、既に彼女の研究の本拠地となっていたアメリカへ"戻って"しまった。あまりにも無力で脆弱ぜいじゃくな赤ん坊の僕は日本に留まり、祖母に育てられることとなった。
雛さんが当時どんな研究をしていたのかまでは知らない。でも母親の代わりに一生懸命僕を育ててくれた祖母は、科学誌に自分の娘、つまり僕の母の論文が載る度に皺の出来た目元をさらにくしゃっとさせて、嬉しそうにこう言った。

「ねぇ見て、またSue(スー)の論文が載ったわ!やっぱり響也のママはすごいわね…!」

"Sue"というのは、雛さんがアメリカで研究員に呼ばせていたあだ名だった。"雛"という字は、すう、とも読むらしい。その上、彼女はオーストラリアのクオーターだ。…つまり、僕の曽祖父がオーストラリア人ということだ。科学誌に載った写真を見る限り、彼女は確かに”Sue"と呼んだ方がしっくり来そうだった。
もっとも僕は、アジア系の顔だ。たとえ、オーストラリア人の血が8分の1入っているとしても。だから僕は半信半疑だ。明らかにヨーロッパ系の曽祖父の写真を見ても、僕はオーストラリアに縁があるなどと思うことができないでいる。
だから、ちょっぴり羨ましかった。幼い頃から美人と言われ、さらに”天才科学者”としての実績も堅実に積み上げていた彼女が。

Re: 藍色のrequiem ( No.5 )
日時: 2020/04/29 15:12
名前: 美奈 (ID: cO3So8BN)

1-2
僕が雛さんと会えるのは、年に3回だけだった。1月と、6月と、8月。その回数が増えることも、減ることもなかった。雛さんはこの時期を頑なに守ってやって来た。
17歳の2月時点で、僕は雛さんと49回しか会っていなかった。僕の誕生日は1月だ。もし今までの時間を雛さんと過ごしていたら、約6200回は会えたはずなのに。実際に僕が雛さんと顔を合わせた回数は、一般家庭の実に120分の1。…その少なさに、改めて驚いたものだ。
時代の最先端を行くリケジョに、"お母さん"なんて親子感ありふれた感じは一切しなかったし、"Sue"と呼べば、それはそれで変に馴れ馴れしい。
だから僕は間をとって、彼女を"雛さん"と呼ぶことにしていた。我ながら、この何とも形容しがたい微妙な親子関係にはぴったりな呼び方だと思っていたし、雛さんもこの呼び方を拒まなかった。僕が初めて"雛さん"と呼んだのは、3歳の8月の時だった、と祖母は正確に覚えていた。会う回数が少ないのだから、覚えているのも当然といえば当然のような気もする。

そんなわけで僕は"雛さん"と呼んでいたが、やっぱり"Sue"の方が合いそうな人だった。
ハーフ顔の雛さんは、僕に会うと決まって英語でしか話してくれなかった。帰国したからと言って日本語を話してしまうと、英語で慣れた感覚が消えてしまうらしかった。というかアメリカにい過ぎて、もはや日本語を忘れていたのかもしれない。頑なに日本語で話しかけても、やっぱり英語が飛んで来た。途中、英語で話してるのに呼び方だけ”雛さん”なのはおかしいかな?と幼心に思ったのだけれど、やっぱり僕には”Sue”と呼びかける勇気が出なかった。
いつしか僕は雛さんへの抵抗を諦め、彼女の"来日"に備えて祖母と英語を勉強した。6歳くらいの時には、簡単な英会話なら結構できていたと思う。
雛さんは、年々英語が上達していく僕を褒めてくれた。ただいつだって彼女は"天才科学者”のままで、褒め方を母親らしいと思えたことは一度もない(アニメなどで、母親らしい褒め方を理解したつもりでいた)。でも僕は、雛さんに年に3回も褒めてもらえるのがとても嬉しかった。
普通の親子関係じゃないことは、早くから自分なりに理解していた。でもそれを嫌だとか、恵まれてないとか思ったことはなかった。年に3回会うだけの関係性の中で、雛さんは僕に十分な愛情と承認をくれたのだった。

雛さんとの話題は、主に僕の日本での生活についてだった。ただやっぱり僕は、雛さんが僕と会えない間に何をしているのかをちゃんと聞きたかった。
けれど雛さんは、僕がどんなに研究内容を聞いても、曖昧に答えるだけだった。そして決まってこう言うのだった。

「響也、間違っても科学者になろうなんて思わないでね。ちゃんとパートナーを探して結婚して、家族を支えてあげて。…響也なら、それができるはずだから」

もちろんこのセリフも英語で言われたのだけれど、和訳するとこんな感じだった。
どんなに世界的な評価を受ける”天才科学者”でも、自分の人生に多少の悔いはあるようだった。

Re: 藍色のrequiem ( No.6 )
日時: 2020/05/07 13:55
名前: 美奈 (ID: cO3So8BN)

1-3
あれは、僕が10歳の時だったはずだ。誕生日を一緒に祝ってくれた時だったのは覚えている。
僕が小学校にすっかり慣れて、ちょっとずつ社会のことも分かってきたその年の1月に、僕は雛さんに尋ねた。

「僕のお父さんって、誰?」と。

その前までも、頭の片隅で気になってはいた。
母親が多忙で子どもを育てられない中、父親はどうしているのか?友達は「お正月にね、パパの方のおじいちゃん・おばあちゃんに会ってきた!」と言うけれど、なぜ僕は雛さんの母親にしか会えないのか?なぜ”帰省”ができないのか?僕の父親はどこにいるのか?そもそも生きているのか、この世にいないのか?
眠れない日なんか、こんなことをぐるぐると考えていた。朝になるとケロッと忘れていたのだけれど。
でも幸いにして、僕の小学校の同級生は、僕が両親と共に暮らしていないことを馬鹿にするような連中ではなかった。そのせいもあって、その年になるまで父親のことはあまり深刻に考えてこなかったのかもしれない。
けれどさすがに気になってきて、雛さんに尋ねてみた。祖母ではなく、雛さんに。
雛さんは一瞬驚いた顔をしたけれど、そのことについて僕が今まで尋ねて来なかったことが逆に不思議だったと言った。
雛さんの顔に、僅かな憂いが見えた気がした。…やっぱり、彼女の完璧と言えそうな人生にも、多少の悔いはあるようだった。

「響也のお父さんはね、拓也、って人なんだよ。でもね、響也が生まれる直前に私達は別れたんだ」

聞いちゃいけないことを聞いてしまった気がして黙りこくる僕に、雛さんはいいのよ、と笑った。

「ハッピーな別れ方だったから。私も彼も、仕事第一にしたくて。今もたまにご飯食べに行ったりしてるよ?円満な離婚ってやつよ」

当時の僕に「エンマンなリコン」というのはよく分からなかったけれど、雛さんも”拓也さん"も、仕事に対する信念を曲げなかったんだろう、と思った。
でも雛さんは、なるべく別れたくなかったんだろうな、とも思った。

「僕は…お父さんと会っちゃ、いけないの…?」

「会ってもいいけど…アメリカに行かないと、会えないわよ?」

僕は諦めた。生まれて10年も経って自分から会いにいくのもどうかと思ったし、悔いは残しつつも、僕が好きな雛さんと一時期連れ添った人なのだ。僕はきっと、いい人を父に持ったのだろう、とだけ思うようにした。そして僕のこのアジア系の顔立ちは、父親譲りのものだと確信したのだった。

Re: 藍色のrequiem ( No.7 )
日時: 2020/05/11 14:47
名前: 美奈 (ID: cO3So8BN)

1-4
雛さんとの思い出の中でも、特に印象に残っている出来事がある。
それは僕が11歳の6月に雛さんに会った時だった。32回目に会った時だ。
雛さんは、1冊の本を僕に手渡した。

「何、これ…?」

「拓也と私からのプレゼント。この前また彼と会ったのよ。英語だけど、響也なら十分読めるはずよ」

手渡されたのは少し厚めの、でも子ども向けの本だった。絵本の延長線のようなもので、文字も大きめだし、さし絵も大きい。そんな本だった。
そして当時の僕は、可愛げがなかった。プレゼントは嬉しいけど、素直に喜べない。本音を言えばゲームが欲しい。そんな年頃だった。

「…いいよ、別に」

雛さんは案の定、少し傷ついたような顔をした。

「そっかぁ。拓也は響也に会ったことないもんなぁ。響也の好みが分からないのよね。…まぁ、私もそうなんだけど」

そう言われてしまうと、子ども心になんか申し訳ない気がして来た。
雛さんは、黙って僕の手から本を離した。もっと申し訳なくなって来た。
ただ雛さんは、でもね、と続けた。

「でもね、響也。この本私読んでみたんだけど、すごくいいお話だったよ。大人が読んでも、そう感じた。私は、この本に勇気付けられたの。…ウソだと思うなら、読んでみなよ。まっ、無理に読まなくてもいいんだけどね。でも一応置いて行くから、気が向いたら」

そう言われて僕は、何故か悔しくなった。ほぼ完璧な"天才科学者"としての人生を歩んで来た、雛さんの心に響いた本。
それは、どういう本なんだろう。

僕は結局雛さんが帰るまで、ありがとう、も言えなかった。「人から物を頂いたら、感謝の言葉くらい言いなさい」と祖母に注意されてしまった。
彼女が帰国してから、すぐにその本を読んだ。

…僕はたちまち、その本の虜になった。



この本との出会いが、本当の意味での、雛さんと僕の交流の始まりだったのだと思う。