コメディ・ライト小説(新)
- 月華のリンウ ( No.0 )
- 日時: 2020/12/29 17:39
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
2020.4.21
クイックアクセスありがとうございます!
毎度のことでお馴染みの方も初めましての方もこんにちは。
雪林檎と申します。
完結まで頑張りたいと思いますので応援、よろしくお願いします。
*小説情報*
執筆開始 2020.4.21
小説のテーマ
一応、壮大な東洋風ファンタジーラブを書いていきたいと思っています。
雪林檎初の長編小説です。
*追加された事
再スタート!!
00と01が書き直されました! -2020.8.10
02,03,04が書き直されました!-2020.8.15
05が書き足されました!-2020.8.23
登場人物一覧が書き足されました!-2020.8.28
*お願い
荒らしコメなどは一切受け付けません。
見つけた場合、管理人掲示板にて報告します。
投稿不定期
登場人物紹介&国名 >>1
*本編
一気読み >>0-
第一章
00「追われる身」>>2 01「運命」>>3 02「皇子様」>>4 03「囚われの下女」>>5 04「追憶」>>6
05「一輪の花」>>7 06「道中」>>8 07「微笑」>>9 08「蓮の母君」>>10 09「芽吹き」>>11
10「旅立ちの約束は」>>12 11「2人は」>>13 12「予感」>>14 13「叶えたい願い」>>15
14「提案」>>16 15「心配」>>17 16「本心」>>18 17「看病」>>19 18「それは」>>20
- Re: 月華のリンウ ( No.1 )
- 日時: 2020/09/06 15:44
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
登場人物紹介&国名
・黄 鈴舞 コン リンウ
黒髪赤色の瞳の持ち主で17歳の少女。
痩せ型でまつげが長く伏目がちな整った顔立ちをしていたが黒髪の為、気味悪がれいた。
真面目で器用、仕事熱心。
自国・円寿の王宮下女だった。
読み書きができると先王と親しい友人のような関係だった。
先王に敬愛の意を示していた。
・董 暘谷 トウ ヨウコク
銀髪碧眼の美少年で天女のような微笑みに甘い声が特徴的。
誰もを魅了してしまう容姿。
正義感が強く優しいが警戒心が強い。
隣国・月華の第2皇子。
第1皇子が即位を放棄したことがきっかけで世継ぎ候補としてゴマすりされているが…。
・水蓮妃 スイレン
皇帝の寵妃。位は貴妃。
宵緋と暘谷と同じ銀色の美しい髪と桜色の瞳を持つ胡姫。
2人の皇子を産み、もう1人の赤子を授かった。
超がつくほどの能天気で穏やかで温厚。
住まいは佳月宮。
・李 月狼 リ ユエラン
暘谷の護衛。
盗人をしていただからだろうかフットワークが軽い。
裏表のなく正直者で悪戯好き。
主人の暘谷とは曖昧なように見えるがちゃんとした主従関係を築いている。
忠誠心が高いが…。
・葉 珠蘭 ヨウ シュラン
金髪碧眼の美しい女性。
両班の御令嬢で月狼と同期の護衛役。
冗談を度々言う正直者。
・黄 風龍 コン ファンロン
赤髪黒真珠の瞳が特徴的なイイ男。
生き別れた鈴舞の双子の兄。
剣術の達人で隣国・月華の暴龍と異名高い軍人。
鈴舞の事を溺愛している。
・董 虞淵 トウ グエン
二十歳を過ぎた髪の長い男性、暘谷の実の兄。
第一皇子であり即位を自ら放棄した。
女性のようにか細いが力持ち。
遊び人…いや、旅人というべきか判らない人。
世界中を旅してはたまーに帰ってくる。
その美貌で数えきれないほどの女を虜にしただろうか計り知れない。
・梅梅 メイメイ
侍女頭。
侍女の鏡だが大の甘党で噂好きが欠点。
・九垓王 クガイ
狐目の細い目が特徴的。
ずっと、ねこを被っていた。先王を騙した状態で嘲笑いながら殺した。
鈴舞の事を深く憎み罵った。
先王を殺害したのは九垓だった。
鈴舞に心酔?
・玉蘭妃 ギョクラン
皇帝の妃、位は賢妃。
1人の皇子を亡くし、疑心暗鬼になっていた。
見事な胸部の持ち主で気が強くプライド高い。
住まいは円月宮。
・静水 ジンシュイ
月華の宰相、玉蘭の父。
対抗心が強く抜け目がない男。
・皇帝
美髭の色男で偉丈夫。
いつも笑っている。冗談が好きな愉快な爺。
・霞 来儀 シア ライギ
最年少15歳の若き白陽国王。
無口でちょっと冷たい感じの青髪紫眼の幼さが抜けない美少年。
記憶力に長けていて頭が良い。
お忍びで月華に遊びに来ることも……。
・楊 花琳 ヤン ファリン
来儀の部下、護衛。
気が強く負けず嫌い。
両班の娘で珠蘭の自称・「ライバル」。
・柳 星刻 リュウ シンク
来儀の部下であり諜報員。
鈴舞に興味を示し、献上しようと企むが……。
一言で言うと大雑把な人間。
*
円寿国
平民の命が容易く扱われていた非道な国。
先王は臆病な王だと罵られ伝われてきた。
現王・九垓が即位し期待が高まっている。
月華国
海が広がる壮大な大地の国。
隣国でありながらも国の雰囲気は全く違い、豊かな富をもっている。
知り合い一人見つけるのも困難と言われているほどの人が住んでいる。
星銀の都
月華国の首都。
人口が多く、夜も眠らないとも言われている。
優しく気さくな人ばかり。
白陽国
海広がる壮大な大地の国・月華国の下部に位置する国。
以前は吟遊詩人の歌の中にしか存在しないとされた辺境の神秘の鎖国国家。
他の国とは違い、満点の星が見える。
冬頃は白夜が多い。
- Re: 月華のリンウ ( No.2 )
- 日時: 2020/09/06 15:44
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
00、追われる身
真夜中の寒空、少女は無我夢中で走る。鋭い葉が茂った木々が白い彼女の足に傷をつくる。傷からは赤黒い血が溢れ出し、綺麗な曲線の足に伝う。
「はぁ…っはぁ…!!」
血が出ているのに気にも留めない少女は大きな獣に怯えるように後方を振り返る。
後方には沢山の兵士達が鬼のような形相で追いかけてくる。
少女の体力は限界を尽きていた。
(どうして…っ!!)
少女は何故、こんなにも多くの兵士に追いかけられているのだろうか、その理由を知らない兵士もいた。
「どうして…俺たちはあの娘を追いかけているんだ?」
そう一人の兵士は立ち止まる。
「確かに、あんな若い娘を…」
隣で追いかけていた兵士はその疑問を聞き、首を傾げる。二人の兵士に前で走っていた大柄の兵士は強い口調で説明し、二人の頭を拳で殴る。
「馬鹿野郎ッ、先王が現王に殺されているのを不運にも目撃しちゃったからだろう!!?」
「「そうだったのか……運のない可哀想な娘だな…」」
そう三人の兵士は頷いた。
少女はこの国の下女だった、下女の彼女は今夜殺害された王の食事を運ぶときに今や現王になった九垓第一皇子が王を殺すのを目撃してしまったのである。
口封じのため、追われているのであった。
この国では平民の命は容易く扱われていた。
それに、彼女は黒髪であった。
黒髪はこの国で悪魔が宿り忌々しいとされていた、髪色を理由に捕まったら容易く殺されてしまうだろう。
(逃げなきゃ…!助かりたい、殺されたくはない。まだ、やることがあるんだから)
その一心で血の伝って痺れた痛々しい足をただ動かしていた。救いはこない、自分の力で助からなければ意味がないとも知っていた。
「!」
少女は息を吞んだ。
青い海が広がる隣国・月華国。
月華は人口が多く、面積も広い。知り合い一人見つけるのも難しいとされていた。
そんな月華国が目の前にあるというのに少女は何を怯んでいるのだろうか?下唇を噛み、息を呑む。
「もう……、……逃げられないなぁ」
先頭で彼女を追いかけていた兵士の声が掛かり、青ざめた顔で振り返った。
「残念だったな、目の前に月華国があるのに…崖とはなぁ?」
兵士の皮肉な笑い声が響き渡る。
ギュッと眼を瞑り、拳に爪の跡が出来るくらい力を入れて、下唇を噛む。
兵士がゆっくりと近づいて嘲笑うその間、少女は小さな頭で必死に考えていた。
深呼吸をして、カッと目を見開くと化粧もされていない唇を三日月形に結ぶ。その微笑は屈しない力強い意思の籠っていた。
生きる選択がない彼女は捕らわれて国の晒し者にされ、殺されるより崖から墜ちて死んだほうがましだと考えたはずだろう。
「!!!?」
兵士達は口をあんぐりと開けた。言葉にならない事を叫ぶ、兵士が手を伸ばす。だが、届かない。
全てが一瞬の事だった―――……。
ふわっ。
長い艶やかな黒髪が舞い、体が宙に浮く。
重力に従って下に墜ちていく。
少女には死ぬか生きるかの選択なんてなかった、袋の鼠の状態だった。少女は長い睫毛のついた真っ赤な宝石のような大きな瞳を力強く伏せる。
風が頬を触れる。少し塩の味がした。多分、月華国に広がる海のモノだろう。
少女はこれの塩の味が最初で最期に味わう味かもしれないとその鼻につんとくるしょっぱい味を噛み締めた。
- Re: 月華のリンウ ( No.3 )
- 日時: 2020/09/06 15:45
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
01.運命
(私………死んじゃったのかな―――天国にちゃんと行けたかな?)
あの崖から落ちた場面から考え、自分は死んだと思う鈴舞は恐る恐る目を開ける。
「!」
目を開けると家の白い天井が見えた。
あの兵士達が脳裏を過ぎり、誰もいないのに咄嗟に身構えてしまう。
(こ、ここは…私、追われてて…崖に飛び込んでそのあと……誰かに助けられた?)
「………じ、じゃあ……私は、っ死んでいない?」
そう理解した瞬間、彼女の目から生暖かい液体が伝う。
(涙………流せたんだなぁ……)
―――あの夜、恐ろしくて声も出せなかった。気が付いたら走ってて、命を追われる身になっていた。
涙を流す事も兵士達に命を奪われかけるという場面で恐ろしくて忘れていたのだった。
(王様は……九垓様に剣で刺されて……それで…私は追われてたんだ)
涙を拭って、垂れてきた鼻水を啜る。誰よりも慈悲深く争いを嫌い、優しい性格で自分に微笑みを向けてくれた王が、唯一、あの城で心の安らぎだったあの王が誇んでいた息子に殺された。
あの情のない笑みを浮かべて王の血が伝った剣を抜いた九垓は城で見ていた彼の本当の姿だった。
瞼の裏に焼き付いた記憶が呼び起こされ、ゾワッと背筋が凍る。手が小刻みに震え、我知らず息を呑んでいたその時。
「あ、起きたんだな」
声を掛けられ、鈴舞は素早く振り返った。
「よお」
銀髪に澄んだ青色の瞳の眼を見張るほどの女性……いや、まだ成人を過ぎてない美少年の隣にいたのは鋭い目つきの成人をとうに過ぎた男性が立っていた。
「ちッ、近づかないで!!!」
鈴舞は二人をキッと睨む。彼女の顔は逃げ場を求める人間に追われ、傷付けられた獣そのものだった。
敵か味方かも判らず、もしかしたら引き渡されて今度こそ命を奪われてしまうかもしれないという恐怖心が心の中が悲しみや怒り、様々な負の感情で埋め尽くされていた不安定な彼女を覆う。
「ったく黒髪のお嬢さん、助けてくれた恩人にその言葉はないんじゃないですかね?」
鋭い目つきの男性が呆れたように息を吐く。“恩人”という言葉よりも気に掛かったのは“黒髪の”だった。
ローブで髪の毛を隠し、城でも王の配慮で帽子で誤魔化し続けていた黒髪。剃髪にするという手も王に相談したこともあるが言われたのだ。
『歳若い女子が黒髪を理由に剃髪にするなんて、まだお前は嫁いでもいない。髪は女子の第二の命と言うらしい、髪は大事にしなさい。お前は立派な女子で同じなのだから』
心救われたあの日を。乱暴につかむこともなく、いつかのお父さんのような顔で優しく撫でてくれた。
剃髪は諦め必死にこれまで黒髪を知られている人間に虐げられながらも隠して生きてきた鈴舞は髪の毛を触り、声を上げた。
「ッッ」
その鈴舞の焦りを見た二人の男はフッと苦笑した。そして鋭い目つきの男性は形の良い口を開く。
「………オレ等は円寿の奴らみたいに差別はしねぇよ」
その一言で男達が増々怪しく思った鈴舞は鋭い眼光を滑らせる。
(?……どうして私が円寿の者だと知っているの?)
「恐い顔しなくてもお嬢さんの味方だよ。お嬢さんが倒れていた付近を円寿の兵士達が見回りに来て、『黒髪の不吉な少女は拾ったか?』って聞き込みしていたからお嬢さんが円寿出身なんだと考えた結果で今の言葉を発言した」
丁寧に説明をした男性二人の顔を見てこれは事実なんだ、と安心した鈴舞は居住まいを崩し、顎に手をやる。
(聞き込み…私が拾われ助かったことを最悪の場合を予測したのね。九垓様は……)
「あの高い国境である崖から木々に墜ちたお嬢さんは運が良いんだな……で、突然だけど本題に入るが崖に落ちていた経緯を話してもらおうか」
二人に睨まれ、鈴舞は俯く。誤解を招かない為にも自分の身元から起きるまでの経緯を話すべきだと鈴舞は思う。
「……私の名は黄 鈴舞。円寿で下女として働いていたけど……王様が皇子である九垓様に殺されているのを見てしまって……その口封じに追われる身になって死ぬ覚悟で崖を飛び降りたのです、だから味方かも判らない貴方達に恐怖心から不躾な態度を取ってしまっていました」
経緯を聞いた二人は「成程な…」と顔を見合わせた。
「円寿の国で即位の話が持ち上がって不審に思っていたがまさか、自分の父親を自分の手でを殺したとはな………」
二人は「全く下道な奴だ」と吐き捨てるように呟く。
(即位……そっか王様は今は亡き妃様しか娶っていないから即位するのは九垓様しかいない……もう、王になるって決まったようなものね……、兵士達も九垓様の事を現王って言ってたし…)
「オレは李 月狼。この御方の護衛だ」
月狼は隣に仏頂面で立っていた美少年を親指で指す。護衛の割には主に対して礼もなっていなかった、だけど今の鈴舞にとってはどうでも良かった。自分を助けて保護してくれた2人の身元が知りたかった。
(この御方…っていうことは両班とかご貴族様だよね……?)
「俺は董 暘谷。家から抜け出してきた通りすがりの両班だ」
一際目立つ銀髪碧眼の美少年は暘谷と名乗り、鈴舞は確信した。
(やっぱり!気品が漂っている………ただものじゃないって判るもん……)
「お前、追われる身で行く場所ないよな?」
暘谷に訊ねられ鈴舞は小さく頷くと虫も殺さないような優美で眼を見張る眩しい笑みなのに、何やら蠢ものを感じたのだった。
ゾワッと凍った背筋が衝動的に伸びた。
*
「黒髪は円寿では忌々しく悪魔が宿っているとされていたんだろう?」
突然、暘谷に話し掛けられ、静かに窓から見える緑を楽しんでいた鈴舞は眉を不機嫌に顰め、目を逸らして「……見ないで下さい」と丁寧な言葉でお願いする。
「………どうしてだ?」
純真無垢な子供のように首を傾げ、教えろとばかりに鈴舞の体を揺する。どんなことをされても丁寧にということを貫き通してきた流石の鈴舞でも怒りが爆発しそうだった。
忌々しく悪魔が宿っていると知っていたらそれでいいじゃないか、と思う鈴舞の気持ちも無視する暘谷に。
(不吉だからよッ!!)
そう怒鳴り散らしたくなったが両班である事もあって身分の低い鈴舞は唇を強くかみしめながら黙ったのだった。
暘谷は眉間にあった皺は深くなり顔色は火照ったような赤みを帯びていた鈴舞の艶やかな長い黒髪を掬い取り、触る。
「―――――こんなにも艶やかで綺麗なのにな、黒って誰の色にも染まらないで自分を貫き通してる感じがして俺は好きだ」
フッと表情を緩め、眼を甘やかにした暘谷に微笑まれ鈴舞は目を見開き、口をぽかんっと気の抜けたように開いてしてしまう。
そんな事を言われたことも生まれて初めてだったのだ。周りからは髪を触るのも見るのも不吉だと気味悪がられていた鈴舞にとって嬉しく跳ね上がってしまった。
円寿の先王にも受け入れられたが好ましく思っていないことは事実だった。いつも哀れむような目を向けてひと思いにいつだって苦しんでいる鈴舞を励まそうと笑顔を向けていてくれたのだろう。
心の優しく慈悲深く誰よりも争いごとの嫌いな先王は「臆病な弱虫」と国民にまで言われていた。
誰からも愛されず水を撒かれ今まで虐げられてきた下女と臆病者、そう言われている、ただ慈悲深い優しい王は互いに寄り添い心を癒していた。
だがお世辞でもこんな嘘一つもない意思のこもっている言葉を言ってくれる人は暘谷だけだった。
「…っ、不吉だって皆、思っています、よ」
嬉しさを隠そうと首を振り否定する鈴舞に「はあ?」と暘谷は怪訝そうに端正な顔を顰めた。
「そんなこと、実際に綺麗だと思っている俺を否定すると同じだっ」
と河豚のように頬を膨らませ怒る。どれほどまでに自分が正しいのだと思う鈴舞だったが口から出たのは憎まれ口でも何でもない、心からの感謝の気持ちだった。
「董 暘谷………、こんなにも不吉だと言われていたのにお世辞でも褒めてくれてありがとうございます」
礼を伝えたら恥ずかしくなり鈴舞は俯いた。手櫛で梳くと長い黒髪を耳に掛ける仕草をする挙動不審な鈴舞を見て暘谷は囁く。
「……俺さ、お世辞じゃなくて本当の事、言ったから」
鈴舞はその言葉に大きな目を見開く。
悪魔が宿りし髪と呼ばれ続けた黒を“好き”だと言ったのはお世辞でもない、本当の事だとこの男は言う。
驚き具合を見て呆れたように暘谷は目を静かに伏せる。ふうっと息を吐くと妖艶な桃色に染まった唇を動かす。
「誇り高い俺が出まかせ何て言うわけないだろ、って俺の事、暘谷って呼べよな―――鈴舞」
芯のある強い言葉と相反する優美な女性を思い浮かべる甘い声。そんなのを聞いてしまったら誰だって赤面するだろう、それが人間に免疫もない鈴舞だったら尚更だった。
鈴舞は頬を真っ赤に染めらせ、瞬きを何回もする。慣れない呼び方に何かが擽られる。
「よ、暘谷……あ、ありがとう」
白い、けれど荒れた赤い両手を絡まらせる。荒れた赤い手はこれまで円寿で仕事を頑張ってきたことが判る、サボりもしないことを証明していた。
「……まあな」
その痛々しく細胞そのものが悲鳴を上げている手を見つめ、ふっ、と笑った暘谷につられて微笑を浮かべたのだった。
- Re: 月華のリンウ ( No.4 )
- 日時: 2020/12/06 14:45
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
02.皇子様
「気分転換に森に行ってくるね」
鈴舞が家を出ようとすると、二階にいた暘谷に凄まじい声で「待てっ!」と呼び止められる。
物音が響き渡るほどのその慌て具合にくすり、と笑って待っていると暘谷が初めて会った時のような仏頂面で言う。
「俺も行く……!」
支度をし終えた仏頂面の彼は息が切れて、滑らかな頬に雫のような汗が伝っていた。
(どうして、慌ててまでついてきてくれたんだろう…?)
*
鈴舞は首を傾げながら、森を歩く。ギュッと肩から下げていた鞄を握り締める。
辺りに生えているのは色とりどりの草花。朝露が葉を伝い、ぽと、と静かに地面に零れる。
小鳥の声が聞こえて木々に差し込む光の中、暘谷は後方を振り返り、立ち止まる。
鈴舞は緑に気を取られていて、ジッと自分を見つめる暘谷に気が付いて向き直ったのは少し遅れていた。
「………お前さ、どうして慌ててまでついてきたんだって思ってんだろ?」
図星を突かれ鈴舞は口をあんぐりと開けてしまう。瞬きも忘れてしまうほど、暘谷の勘の良さに驚いていた。
出会った頃から暘谷は勘が鋭かった。そして、人一倍に警戒心が強くて自己紹介をするのも一番最後だった。
それからというもの殆ど、仏頂面で微笑みを見せることは少なかった。
「ど、どうしてっ判るの!?」
そう問いかけると、暘谷は鈴舞の眉間を手で突き、無邪気で親しみやすい笑みを浮かべる。
このような笑みは貴重だった。暘谷が笑うなんてことはあまりない。
まだ、鈴舞に心を許していないのだろうか、そう思ってしまうのは自然なことだった。
「さっきずっと眉を寄せて難しい顔してるから、お前って本当に出会った時から判り易いよな」
勘が鋭く警戒心が強い、また洞察力に優れていた。
彼に嘘を吐けば、というよりも何もかも見透かされているような気がしてしまっていた。
表情も変えず無口だった円寿での下女同僚は考えていることが判らなく気味悪いと言っていた、だがしかし、暘谷はそんな鈴舞の事を判り易いというのだ。
「でもまぁ、追われている娘を一人にして森に出すなんて両班の俺がやることじゃないだろ?それにさ、円寿の奴らが鈴舞をまだ、探してて連れ去られたらどうするんだって……簡単に言えば……お前の事が心配だったんだよ」
眼を逸らし照れ臭そうにニイッと白い歯を見せて笑った暘谷は名前の通り、太陽が昇り出る谷のようだったのだ。
――――――『お前の事が心配だったんだよ』
鈴舞はその普段見せない輝かしい笑顔に見入ってしまっていた。そして、その言葉が何度も鈴舞の頭に響く。
2人は黙ってしまう。互いに見つめ合っていたのだ。
「……、………ってなんだ、惚れたか?」
短い、けれど鈴舞にとっては長く感じられた沈黙の末、いつものように暘谷は空気を換えるべく、ふざけたことを口にする。そして俯いていた鈴舞の顔をチラッと覗き込んだ。
自分とは違い空気をも読めるのも彼の良い所だと、鈴舞は思う。
「………別に。優しいなって思っただけよ」
そう言うと、鈴舞はスタスタと黙って先を歩いた。耳から鼻先にかけて赤く染まっていたことは彼女は知らないのだろう。
熱を帯びた頬を鈴舞は抓り、下唇を噛む。
(違う、本当は見惚れていた……眩しかった、暘谷が。嬉しかったんだ、心配してるって言われて……)
確信するだけで頭が沸騰して、叫んでしまいそうになった。頭を左右に振り、はあっと息を吐いて、そしてまた空気を吸う。
冷静になれ、と鈴舞は胸を抑える。
「……気のせい……気のせい……!」
自分に言い聞かせると頬をパチン、と音が鳴るくらい強く叩いた。
けれども、鳴りやまない今にも爆発しそうな心臓の鼓動は治まらなかった。
*
「主ッ」
月狼が冷や汗を頬から小麦色の首から伝わせて、こちらに走ってきたのを視界の端に見えた。
その重たい空気に鈴舞と暘谷は身構えてしまう。
「これが家の前に―――っ」
布で中身が覆われた籠を暘谷は青ざめた月狼から受け取った。
「……何だ、父上か母上から?」
難しい顔をして布を取り、籠の中身を見ると暘谷は瞬きだけして石造のように動きを止める。息を止めて、隣にいる凛舞を見つめる。
鈴舞は動きを止めた暘谷の手に持っている籠の中身を盗み見た。
「ッッ!?」
その時、鈴舞は後退りをし、足から腕まで虫が這うように震えだす。両肩を自分で抱き、大きな赤い宝石のような瞳から涙を流す。
そこに入っていたのは手紙と鈴舞の仕事着、だった。
どうして、円寿の城で走りにくいからと脱ぎ捨てた服が入っているのだろうか。そう考えた一瞬で円寿から送られてきたものだと鈴舞は悟った。
脳裏に情の欠片もない残酷で冷淡な九垓と鬼のような形相で鈴舞を崖まで追い詰めてきた兵士達の顔が過ぎる。口を両手で押さえ、眼をギュッと瞑る。
―――――『残念だったなぁ』
崖に追い詰められた際、救いの手を差し伸べるのではなく嘲笑った先頭で立っていた酷い兵士、それを権力に脅されて救いの手も差し伸べてくれなかった臆病な見るだけの傍観者の兵士達。
深呼吸をして少し落ち着いた、いや、そう見せた鈴舞は震える荒れた指先で仕事着と入った綺麗な装飾のされた手紙を指す。
「………よ、暘谷……手紙、読んでもいい……?」
込み上げてきた唾と胃酸を飲み込み、荒々しく拳で涙を拭うと鈴舞は手紙を取ると中を開いた。
(………さっき、まだ探してるかもしれないって暘谷から聞いたけど、ここにいる、ってもう伝わっているの?)
情報収集がいくら何でも早すぎた。下唇を噛みながら一文字一文字、読み進めていく。
『そこに黄 鈴舞がいるともう判っている。今夜、迎えに行くので身支度を済ませとくように』
綺麗に装飾された手紙には“迎えに行く”と書いてあり鈴舞は恐怖のあまり、思わず籠ごと落としてしまう。
“迎えに行く”とまるで城でまた働くことが出来るようになる、と書かれているように見えるが言葉の真意は“殺しに行く”または“『あっち』に送ってやる”などに違いなかった。
あの九垓がそんな優しい言葉を平民、いや差別され虐げられて生きてきた鈴舞に掛けるはずがない。
「ッどうしよう………私、今夜……死ぬかもね」
恐怖を隠そうと無理やり笑顔を作り、呟いた言葉は彼女自身の胸に深く、重く、―――突き刺さった。
その言葉を聞いた暘谷と月狼は更に青ざめ、眼を見開いた。
「2人には逃げてほしい、身元があの九垓様に知られでもしたら円寿の国総出で追いかけられて命が奪われるかもしれない―――………私はあの晩死ぬ運命だった命、恩人の為に使いたいの」
鈴舞は言い、声を漏らす。震えあがり、乾いた笑みを2人に向けた。
そして―――1秒も経たないうちに笑みが、歪む。
強がってこれまで表情を変えなかった人形は、傷付かせられた心は泣き叫んだのだ、大粒の涙を流して積み木が崩れ落ちるように座り込む。
その頼りなく、儚げな背中を暘谷達は慰めてやることも出来なかった。
ただ、見つめ、泣き止むまで傍にいてやることしか彼らには出来なかった。
- Re: 月華のリンウ ( No.5 )
- 日時: 2020/12/06 14:46
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
03.囚われの下女
暘谷は絶対に逃げるもんかと首を縦に振らないで置物のように固まっていたけど、結局、月狼に無理矢理に連れていかれたのだった。
月狼は申し訳なさそうに暘谷の手を引いて、一礼をした。短い間だったが共に時間を過ごした、女に囮になって自分らは逃げるという事実が流石の月狼も胸に来たのだろう。
やんちゃで主にも礼を正さない彼でも、だった。見殺しにするような気持ちな筈だ、そんなような2人を鈴舞は満面の笑みで見送った。
――――――もう、誰もいなくなった。今夜、自分は死ぬ。
自分で逃げろと言ったけどいざ、一人になったら恐くて堪らなかったのだろう。
荒れた指先で頬を吊り上げさせる、けれど、逆らうように肉が落ちる。
平然を装っても、手足が細かに震えているのが判った。大きな真っ赤な宝石の瞳からぽと、と頬を伝い、鈴舞の腹へと零れ落ちる。
コンコン。
ふーっと息を吐いた鈴舞は頬を強く抓って眼を大きく見開く。少し赤く染まった目頭も暗闇で見えない。
その事実に少し安堵する。
――――――泣き顔で人生を終えたくない。
最期くらい暘谷のように、誇り高く生きよう、そう思った鈴舞は暘谷のように背筋を伸ばし、眼を鋭くする。
「ご約束通り、黄 鈴舞を迎いに上がりました」
低音の声が誰もいない家の中に響き渡り、続々と男達が入ってきた。短い期間の中で培ってきた2人との思い出が。
崩されていく。
ただの殺戮の出来事に侵食されていく。
鈴舞はザっと数えて5人………外には6人いると気づく。
大男が鈴舞の姿を発見し、綺麗に着飾った細男が震えていた鈴舞に詰め寄る。
その細男は、脳裏に焼き付いた残酷な笑みを浮かべる九垓だった。
「お前が黄 鈴舞か。噂に聞いてた通り、黒髪で忌々しく不吉だが整った顔をしているなあ……」
鈴舞の赤い瞳を見つめ、鈴舞の逆三角形の綺麗な顎をくいッと上げる。
「お前が助けて下さい、とでも土下座をし、命乞いをすれば妾にでもしてやろうぞ」
(……妃ね、普通の下女であれば王の妾になれることを喜ぶだろうけど私は敬愛なる先王を殺した下道の男の遊び相手になる気はないのよ!!)
鈴舞は睨み付け、顎を上げた九垓の手を荒々しく払う。
「…なッ、何だ!! その眼に不躾な態度は、忌々しく不吉な下女の分際で余に盾突く気か!!?」
その鋭い目つきに、堂々とした態度に恐くなったのか。
または頭に相当、血が上ったのか判らないが、唐辛子のように真っ赤になって鈴舞に対し怒鳴り散らした。
シャキンッと毛穴が一気に開き、震えあがるような音が耳元で聞こえる。
九垓はカッと血が上り冷静な判断が出来なくなっていた。
周りの男等がどよめき、止めに掛かる。
「王様! 此処は月華国内です、このような場所で忌々しい黒を持つ女子でも首を刎ねてはいけません!!」
その男等のリーダー格のような大柄な男が九垓の傍に寄る。
その横でオロオロ、と狼狽えていた男は口を動かし、声を出す。
「そうです! 王様、一度お怒りを御静めになって下さい!!」
九垓は沢山の男等の言葉にふーっと息を吐き、空気を吸う。そして、渋々頷いた九垓は男等に命令を下した。
「その女を縄に掛けろ、円寿の城に連れて帰り、首を民の前で刎ねるぞ」
男等は真っ暗な闇に包まれて何が何だか見えない鈴舞でも判るぐらい激しく頷き、縄を持つ。
そして、鈴舞の華奢な腕を強引に掴むともう一人の男が縄を掛ける。
きつく縛られた鈴舞は首を動かすことしか出来なかった。喋れないように口にまで掛けられてしまう。
「ッ……んん!!」
『離して』、『ひと思いに此処で殺して!!』とせがむ鈴舞を鬱陶しそうに蹴ると男は九垓の後に続く。
一番、恐れていた事をされてしまう。自分を虐げてきた民の前で首を刎ねられる。
嫌だ、というその気持ちが心を覆う。
自分が殺されたら民は笑うだろう。ある時は水を楽しそうに掛け、ある時は叩き、殴り、身体中が痣だらけにされた事もあった。
(こんなことなら早く、あの崖で死んどけば良かった……)
唯一、あの時、護ってくれたのは父親でもなく母親でもない、生き別れた双子の兄だった。
2人だけの生活だった。自分を産んだ母親は亡くなり、いつかの父親は旅に出た。
幼く武術の才能があった双子の兄もいなくなり、自分独りの生活。
近所の人間は妬ましそうに見た。
それが嫌で山奥で暮らしたこともある。でも、そこで1人の人間と出会った。
―――――――先王だった。先王は王宮に入って働くことを薦めてくれた。
幼く、色褪せた記憶が走馬灯のように脳裏を順番に過ぎる。
(嗚呼……)
逢いたい。兄さんに逢いたい、母さんに逢いたい、父さんに逢って話したい。
そんな気持ちが心に生まれる。つい、さっきまでは『死んどけば良かった』って思っていたのに矛盾してる、と乾いた笑みを浮かべた。
人間は複雑で単純だとしみじみに思っていた。
- Re: 月華のリンウ ( No.6 )
- 日時: 2020/12/06 14:48
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
04.追憶
――――――『鈴舞ちゃんて忌々しい悪魔をその黒髪に宿らせているんでしょ?』
物心ついた2年ほど経ったあの日、近所の子供に言われた言葉。
幼い鈴舞は大きな真っ赤な宝石のような瞳を歪ませ、眉を顰める。
子供の一人が言った。
『じゃあ、退治しなくちゃ!』
その言葉にもう一人の子供が言った。
『そうだね!』
鈴舞はその会話を聞いて、小さな足を後ろへ回す。恐い、初めて生まれた恐怖心が幼い心を覆う。
『あッ逃げられちゃうよ!! 捕まえないと』
鈴舞は背を返し、下唇を噛みながら足をひたすら動かす。
あの兵士達に追われた晩のようにはいかない。何せ、鈴舞は物心がついたばかりの幼い少女だった。
走る体力もない。
それよりかは同い年の少年らの方が体力があるに決ってる。
『つーかまえた!』
その中の子供が鈴舞のか細い腕を掴んで、逃げられないように大人数の子供が囲む。
リーダー格の子供が鈴舞の頬を地面に叩きつけ、真っ白だった頬を踏む。
赤土に涙が染みる。
皆、笑っていた。
楽しそうに、踏みつけ、代わる代わる鈴舞を痛めつける。
腹を蹴り、傷付け、殴り、黒髪への“差別”。
純粋なる子供はこの黒髪への“差別”行為を“正義”だと言う。忌々しい鈴舞に宿った悪魔を退治する為。
鈴舞を助ける為と。
そんな気持ちはない、退治する為だと思っていることは間違いない。鈴舞を助けるとは毛頭思っていないだろう。
彼らは新しい玩具を見つけただけに過ぎない。
やがて血が集まり、頬は唐辛子のように赤く腫れあがっていっていた。
(痛い、痛い、痛い痛い痛いよ、……誰か、助けて……!!)
叩き付けられた鈴舞は震えた手を宙へ上げる。周りの傍観者である大人や内向的な子供へ、助けを求める。
直後、子供の怒りの籠った声が鳴り響く。
「――――止めろぉおおおおッッ!!!!」
眼を見張るような林檎のような赤毛が視界に入る。
必死の形相。誰も助けに来なかった、なのに、助けに来てくれたこの人物は。
小さな身体で大人数の子供らを足蹴りし、倒し、鈴舞に手を差し伸べる。
「………に、ぃ……兄……さ……ん」
自分と対になる人間、それは風龍だけだった。
髪は自分と違い、眼を見張るような鮮やかな赤。
瞳は黒真珠。
反対のところに色を持つ双子の兄。
「鈴舞、大丈夫か。痛かったろ、ごめん……すぐ気付いて助けてやれなくて」
痛々しい踏みつけられて腫れた鈴舞の頬を優しく風龍は撫でる。
悲しそうに眉を下げた兄を見つめ、鈴舞は微笑む。
風龍は鈴舞から目線を離し、倒れ込んだ子供達、傍観者な大人達に目を向ける。
キッと吸い込まれるような黒色の瞳を鋭くし、吐き捨てるように言う。
「恥ずかしくねぇのかよ、たった1人の子供を救えなくて、見て見ぬ振りして。悪魔何て宿ってるわけねぇって解ってるくせに」
大人や子供、多くの人間が風龍の言葉にどよめく。
そうだ。
解っていたのだ。大人達は解っていた、悪魔など宿ってるわけないと。
指摘され、羞恥心に覆われた大人達は頬を真っ赤に染める。
「行くぞ。早く手当てをしよう、口内が傷付けられて血が唇に滲んでる」
そう言って、鈴舞の痣だらけの手を掴み、引く。
頼りがいのある兄の背中を鈴舞は見つめ、頷く。そして、自分を痛めつけた子供から見て見ぬ振りをした大人に視線を滑らせる。
人間の汚いところが幼いながらも見てしまったのだ。
*
「鈴舞っ、どうしたの? その傷、風龍も」
布団から起き上がり、鈴舞と風龍に走り寄る。
身体の弱い母親。
心臓に負担が掛かり、あまり状態は良くなかった。
顔も憶えていない父親は鈴舞達が産まれた時、里を去って旅に出た。
「ちょっと、遊んできちゃったら転んじゃったの。心配しないで母さん」
鈴舞は血の滲んだ唇を三日月形に結ぶ。
風龍は妹の痛々しい嘘に頷く。
母親は解っていた。そんなわけない、虐められたのだと。
「鈴舞………、……風龍……ごめんね……っ」
こんな姿に産んでしまい、ごめんねという意味がある謝罪。
儚げな身体で1度で2人の子供を産んだその日から体調が悪くなったと聞いたこともある。
か細いその手で引き寄せ、力のある限りに鈴舞達を抱き締める。
「ごめんね……母さんが」
鈴舞は母親の背中に手を回し、肩に顔をうずめる。
声を押し殺しながら涙を流す。
風龍は小さく微笑んでから、「そんなことない」と慰める。
そして。
鈴舞が、泣き止むまで3人は抱きしめ合った。
幼い、そして短かった生活も苦しいけど1番、幸せだった幼少期。
それから母親は体調が悪化し、食事も摂れない身体になってしまい、鈴舞が6歳になる前に亡くなった。
息を吐く間もなく、兄は帰ってきた父親の手を握り、鈴舞に「必ず戻ってくる、強くなってくる」と言い残し去っていた。
役人に家を壊され独りになった鈴舞は山に入り、山暮らしを始めた。
*
「……兄さん」
円寿の城に捕らわれた鈴舞は牢に入らされた。
鎖を繋がれ、食事も真面に与えられない。
そんな生活。
初めて見た父親の顔。自分と同じ黒髪を剃髪にしていた。
同じように育ったのだと、あの顔で判った。私を見る眼が苦しそうで、愁いに帯びた顔で、涙を浮かべた父親。
今、兄と父がどこにいるのかも知り得ない鈴舞は小さく呟く。
- Re: 月華のリンウ ( No.7 )
- 日時: 2020/12/06 14:49
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
05.一輪の花
「黄 鈴舞、呼び出しだ」
まるで囚人のように扱われ、私は溜息を吐く。
手錠を見つめ、私は立つ。真っ赤にガサガサな指先だけでなく手首も青紫に腫れている。
今まで耐え続けていた身体が悲鳴を上げ、苦しんでる。鈴舞は兵士達に伝えることもなく痛みに耐え平然としていた。
牢屋の鍵が開き、兵士がぐいっと乱暴に押してくる。
「もっと早く歩け、王がお待ちなのだぞ!!」
下唇を噛みながらも頷き、足を交互に動かす。いつまでこんな生活が続くのだろう、私は今日死ぬのか、そう言う事をただひたすらに考える。
* * *
――――――「王様、お連れ致しました」
豚小屋のような牢から一変して煌びやかな廊下。
鈴舞の働いていた先王の時代と一変した修繕された城に眼を見開く。そして、俯く。
苦しい思い出の中、彼と過ごした記憶は壊されていく。孤独心が音も立てずじわじわ、と侵食していくように覆っていく。
――――――「……来たか! よし、下がれ」
九垓はコツ、と足音を立て、恭しく歩み寄ってくる。気取った素振りに清々しいほどの笑みを浮かべながら。
バタン、と扉が閉まる音がする。鈴舞は表情も浮かべず、目線を滑らすだけ。
かつて、心の拠り所だった王の間。それが硝子も張り替えられ、塵一つない部屋に変わっていた。九垓は鈴舞に手招きをする。
「もっとこっちへ来い。単刀直入に言おう、余がお前に求婚し、先王を殺し逃げられたのだと市街や王宮で根も葉もない噂で笑い者にされているのだ。全く……お前があちこちと逃げるからおかげで余の評判は地に堕ちかねているではないか」
わざとらしく溜息を吐き、肘をついて片手を振る。その話に鈴舞は苦虫を嚙み潰したような顔になり、目つきを鋭くさせる。
「お前は罪人だ。戻って来い、と言う王である余の命に背いたからな。その事を許す代わりに、お前から余の愛妾になりたいと申し出てもらう」
耳を疑った。何を言うかと思えばそんな馬鹿げた事を言い出した。名誉挽回、誤解など自分で解けばいいだろう、と睨み付ける鈴舞は思う。増して、自分の敬愛なる先王を私利私欲のために殺したこの男の愛妾になど何があってもならないに決まってる。
キッと自分を見据える鈴舞を見つめ、口元を歪ませる。そのふざけて人を小馬鹿にしたような仕草が鈴舞の癪に障る。
鈴舞の眉間の皺が更に深くなる。それと同時に燃え尽きらない激しい怒りも覚えていた。
「嗚呼、偶然と言えば……嫌とは言えない材料が出来たのだ」
――――――嫌とは言えない材料?
怒りを覚えながらも鈴舞は首を傾げ、少しの沈黙の後、眼を見張る。有る可能性に行きついたのだった。
「お前の所に向かう途中、男2人とすれ違ってな……親しい友人が逢いたがっていたぞ」
その言葉に鈴舞はふらつく。逃がすのが遅かった、と鈴舞は涙を溢す。
狼狽える姿を見て満足気に頷いた九垓は金銀や宝石の付いた豪華な玉座から立つ。
「不吉で忌々しい黒髪、それに反する眼が冴えるような鮮やかで何もかも映す真っ赤な宝石、……いや太陽のようなその瞳を持った異端の下女娘――――これほど余を楽しませてくれる女を殺すわけにもいかないしな」
くす、と見下し意地の悪い笑みを浮かべながら鈴舞の髪を掬い軽く口付ける。そして、頬を触る。
鈴舞は何も抵抗が出来なかった。暘谷に何かあればと思ったら身体が動かなかった。
込みあがってきた恐怖心、生唾を飲み込む。九垓は怯える鈴舞の白肌に伝った涙を拭う。
「いつまで抵抗が出来るのか楽しみだな……」
―――――“こんなにも艶やかで綺麗なのにな、黒って誰の色にも染まらないで自分を貫き通してる感じがして俺は好きだ”
眼を甘やかにして目線を同じにして話してくれた暘谷。心から「好きだ」なんて言ってくれた可笑しなご貴族様。
誰かの優しさ、情に触れ包まれ、覚えた初めての感情。嬉しい、楽しい、此処に居たいと思ったあの日。
“……俺さ、お世辞じゃなくて本当の事、言ったから”
河豚のように頬を膨らませる癖のある人。その名の通りの太陽のような眼を瞑ってしまう眩しい微笑みが、彼女の頭に鮮明に蘇ってくる。
忘れられない優しい心が、胸が痛み、苦しみ、細胞までも泣き叫ぶ程、欲しがる。触れたがる、話したがる。
走馬灯のように流れてくる。あの日までの黒髪を隠さず過ごしてきた暘谷達との生活。
あんな優しい言葉を掛けてくれた彼を――――――。
眼をカッと開き、ニコッと微笑む。そして、頬から首へと滑らしていた九垓の手を思いきり手錠をされた両手で払う。
驚きふためいた九垓はこんな身分の低い女に拒絶されるなんてとばかりに激しい怒りを露わにする。
「あら、失礼をお詫びします、王様。どうぞお好きに、お連れ下さい」
一礼をし、揺れ動かない信念を示す。彼を救う為なら、と鈴舞は自分の先王への敬愛の意を折った。
それ以上に心が救われた、彼への恩を返したかったのだ。
外から何やらどかどか争う音がした。外で見張っていた兵士等の悲鳴と剣が交じり合う激しい交戦の音がする。
――――――「その言葉、却下ぁあああッッ!!!!」
扉を荒々しく、蹴り開けたのは____________________暘谷だった_______。
「っ。それ以上、その女子の耳が腐るような戯言を発しないで貰おうか」
息を切らし、額から頬に汗を伝わせた暘谷は透き通る青空のような瞳を九垓に向け、妖艶な薄紅に染まった唇を三日月型に結ぶ。
何度も思い浮かべ願ったその顔が懐かしく鈴舞はふっ、とこんな状況下でも微笑を浮かべてしまう。そして、小さく名を呼ぶ。
「よ、暘谷……ッ」
暘谷は鈴舞を見つめる。九垓は声を荒上げ、暘谷に詰め寄る。
「お前はッ牢に居れたはずだが、なんで此処に!!! 外の見張りは何をしているのだ……ッッ!!」
その言葉にまた、一つの声が広く煌びやかな王室に響く。
「大丈夫だよ、見張りは仕事をして、オレ等にキチンッと殴られて気絶してくれたから」
ふざけた声に鈴舞はホッと安堵する。2人は無事だったのだと。
「よう、鈴舞」
危機感もない月狼は欠伸をしながらも鈴舞に歩み寄り、兵士から奪い取ったと思われる鍵を使って手錠を外す。
「……ったく。あの日はよくもやってくれたな、糞野郎」
口の悪さに鈴舞は目を丸くした。糞、だなんていくら事実の事でも一国の王に使っていい言葉なのかと鈴舞は息を呑む。
「く、そ、糞野郎だと??口のきき方に気を付けろ、お前と余じゃ身分が違うのだぞ!!」
バッと片手を広げ、見下した態度に暘谷は気に障る仕草もなくフッと笑う。
――――――――――「これはこれは失礼致しました、円寿国王様。少々聞くのは面倒と思うのだが名を名乗らせてもらいます、私は月華国第2皇子・董 暘谷と申す。以後お見知りおきを」
両手を重ね、品のある礼をした暘谷は顔つきが変わっていた。明らかな威圧感が身から漏れるほど溢れ出している。
「だ、第2……皇子……?!」
九垓と鈴舞が同時に訊き返す。鈴舞は痛みを気にしないで暘谷に走り寄る。
「しょっ、正気なの?暘谷!」
暘谷は微笑み、「嘘を吐くわけがない」とばかりに艶めいた目つきになる。
鈴舞は一国の皇子様。いや、あの月華の皇子を名前で呼んでいた事を気付き、ただでさえ青白い顔の血の気が引いていく。
「まさか、此処まで隣国の即位したての王にされるなんてな。手下の大柄の男達に群がれ捕らわれて、牢屋に乱暴に入れられて……な、月狼」
九垓は腰が抜けたようで崩れしゃがみ込む。
「本当な、皇帝が知ったらどうなることやら……な。円寿国は無事ではいられないかもな、あーあ心配だ」
わざとらしく憂いに帯びた表情になる。鈴舞は九垓を思わず凝視する。
憎しみがあるが、流石に不味いじゃないかと心配してしまう。
月華国のほうが富が多く円寿国の食べ物や衣類は全て月華国からの輸入品だ。
もし月華国を敵に回したら円寿国はそもそも生活ができなくなってしまうのだ。
と、言う事で九垓は必死に暘谷の足に縋った。
「た、助けてくれぇええ!! この女子とはもう、一切関わらない!! 付きまとったり殺したりもしないから、許してくれ!!!!」
涙目で叫ぶ九垓を暘谷は無表情に、ただ見つめるだけ。手を下しはしなかった。
「――………で、どうします主」
面白そうな表情で月狼は無表情の暘谷に九垓を見つめながら訊く。
「……お前が決めろよ、鈴舞」
月狼に訊かれ、暘谷は鈴舞に視線を滑らし、微笑む。
鈴舞は「えっ!!?」と声を上げてしまう。
流石の月狼もこのような主人の決定に狼狽え、声を上げず主人をただ凝視し、驚く。
「罵るなら今だ、早く吐き出せ」
その様子に暘谷はどうぞ、と言わんばかりに好奇心の色に染まった眼差しを向けた。
「追いかけられて、殺されそうになってたのはお前だ。もし、俺達が来なかったらお前は死んでたんだぞ、しっかりと………」
念を押されるも気にしない鈴舞はゆっくりと近づき、九垓に微笑む。
鈴舞は真っすぐ九垓を見つめる。
「………仮にも祖国の王です。私は殺され掛けたけれど、貴方に期待を寄せてついていこうという兵士や民達がいます。これからは真っすぐに生きて、人の命を大切にして下さい」
九垓の瞳から純粋な涙がポロポロと溢れた。その様子を見て、今まで眉間に皺を寄せ負の感情を丸出しにしていた鈴舞は初めて微笑んだのだった。
「それが、円寿の下女だった私の願いです」
九垓の頬に伝っていた涙を拭うと鈴舞は暘谷に一礼する。
「………いいのか!? 殺されかけたっていうのにあんなに優しくしてやって…!!」
怒鳴られても鈴舞は満足げに目を瞑り大きく頷いた。暘谷は眼を見開き押し黙ってしまう。
「私は別にいいよ、そんな一国民だった私の私情よりも優先するのは、国民である九垓王に希望を灯している人達だと思うから」
そう言うと、暘谷は苦笑する。優しすぎて、逆に呆れたのだろうと鈴舞は考える。
「全くお前には敵わないな、俺だったら斬り殺せぐらい言うのに。お前の事を罵ってきた奴等の事を考えるなんてよ、優しすぎる」
月狼も呆れたように溜め息を吐いた。
*
―――――――「力を貸してくれてありがとう……そして、ごめんなさい」
俯き、この場所で過ごしてきた思い出を振り返りながら話す。
「貴方は、私の黒を好きって言ってくれた。けどッ、私は……結局、貴方の足枷になって不幸としかならなかった」
彼が此処に囚われたのも自分のせい、だと鈴舞は思う。涙が零れないように我慢する。
暘谷は眼を見開き、気まずそうに頭に手をやる。
「……鈴舞。もしかして、主が此処に囚われたのは自分のせいだと思ってるか?」
そう訊かれ、素直にこくんっと頷く。そして、月狼は頭を軽く搔く。
「なら、間違いだ。主が囚われたのは主の行動が遅かった、だけどそれで鈴舞を助けて満足し出られてる。それに、オレの実力不足だ」
手を組み、肉のない瞼を伏せる月狼は平然と言う。そんな事を言ったら護衛である自分がどうなるのか解らないのに言ってくれた月狼の見え隠れした小さな優しい心に鈴舞は目を見開く。
暘谷は椅子から立ち、跪いて俯く鈴舞を見つめる。
――――――――「……俺は今、こうしてお前といる事、幸せだ、そして運命だと思ってる。お前は素直で一緒にいて楽しいからな」
鈴舞は顔を上げる。今まで我慢していた涙が零れる。
「……ぇ?」
暘谷は優しく目を伏せ、手を組みながら妖艶な形の良い唇を動かす。
「お前が自分で死の覚悟を決めて飛び墜ちたその先に俺達がいて、関わりを持った。これからの俺等との繋がり、引き起こしたお前が決めるべきだ」
暘谷は少し焼けた小麦色の手を差し伸べる。そして、甘い微笑を浮かべながら恭しく口を開く。
「俺が世界を見せてやる、一緒に来いよ。で――――お前の返事は?」
その真剣な眼差しに鈴舞は異を唱えることは出来なかったのであろう。差し伸べられた手を見つめ、涙を荒々しく拳で拭った鈴舞は微笑む。
手を掴んだ鈴舞は立ち_____________礼を尽くすように両手を重ね、額に当てる。
「これからも、宜しくお願いします! 暘谷様」
暘谷は鈴舞の言葉に頷き、一言添える。
「堅苦しいのはどうも性に合わないんだ、敬語はやめてくれ。他の者がいない時は普通に話そう、な」
へらっと力の抜けたような笑みを魅せられ鈴舞は驚くも押し黙る。
「そんな、……困りますよ……っ」
しゅん、と項垂れ負け犬のような表情をする鈴舞を見て暘谷と月狼は顔を見合って大笑う。
「鈴舞、主の命令は絶対だぞ」
月狼は笑いながらも鈴舞の片肩を叩いた。鈴舞は恨めしそうに月狼を睨む。
「おっと、触れぬ神に祟りなしだ」
わざとらしいその素振りに鈴舞はふんっと顔を背け黒髪を払う。そして、くすりと笑ってから黒髪を二つに結う。
――――――――「ようこそ、月華国へ」
正式に迎えられたようで鈴舞は目元を緩める。月狼のふざけ癖も鈴舞は愛おしく感じていた。
(本当に可笑しい。最初は嫌でしかなかったのに、いつの間にか愛着が湧いていたなんて)
でも。そんな今の自分が鈴舞は心地が良かった。
初めて、自分を好きでいられた。この2人がいるだけで、何もかも愛おしく感じられたのだった。
そう願わくば、彼等と進む道のりが楽しく、煌めきのあるものになるように_________。
- Re: 月華のリンウ ( No.8 )
- 日時: 2020/12/06 14:53
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
06.道中
「わぁあっ」
波打つ海に太陽の光が差し照らす。
その潮風に頬を撫でられ、目を輝かせる鈴舞は木の手摺に手を乗せ、身を乗り出す。
後方に立つ2人に鈴舞は振り返り、眩しい笑顔を浮かべる。
「凄いね、暘谷の国は」
暘谷は驚いたようで眼を丸くしてから、ふっと目元を柔らかくした。
「まあな」
そう微笑んだ暘谷はどんな花も綻ぶ顔をしていた。
大きな船が並ぶに並ぶ王都の入り口。貿易の品が沢山置かれた船着き場に鈴舞一行は足を踏み下ろす。
暘谷と月狼は鈴舞が左右にキョロキョロ首を振っている姿を優しい眼で見つめた。
「はーっお嬢ちゃん、珍しい髪色してんなぁ!!」
声を掛けられ、私はビクッと身体を強張らせながら振り返る。
「その黒は他人にはねぇから、お嬢ちゃんの色だな!」
黒なのに怖くないのか、戸惑いを隠せない鈴舞の顔を見て何か察したように男は笑顔で言う。
「円寿国の言い伝え何てオラァ信じねぇよ!自分の見たものを信じて思ったままに動くだけだよ、とにかくお嬢ちゃんの髪は綺麗だよ」
初めて会った人間に言われた鈴舞は眼を大きく見開き、涙を浮かべてしまう。
「あ、ありがとうござい、ますっ」
男は手を大きく振って、また来いよ~っと笑顔で首都・星銀に入っていく鈴舞達を見送った。
「……初めて、言われた」
そう呟き、ギュッと布の端を握り締め、フードを深く、被った。
「綺麗だって、俺の眼はやっぱり、間違ってなかったな」
フードに隠された鈴舞の顔を覗き込むように近寄り、微笑む。
「ち、近いわよ……」
スッと離れ、眉を顰め、鼻にかかったような声を出す。
「何、恥ずかしがってんだよ。鈴舞」
にやけた面の月狼に指摘され、鈴舞は顔を更に顰める。
煩い、と素っ気なく返し顔を背ける。
偶然、視界の端に入った綺麗な玉石と押し花の髪飾りを見て、鈴舞は表情を一転させる。
「……うわあ…!」
その鈴舞の燥いだ子供が宝物を集めるかのように見ている様子に暘谷は表情を緩め歩み寄る。
「これ、下さい」
暘谷は熱心に鈴舞が見ていた髪飾りを指し金を出す。
目を丸くして暘谷を凝視し続ける鈴舞に向き直り、優しく髪を梳いてから髪飾りをつける。
「………うん、よく似合ってる」
買わせてしまった事に申し訳なさそうな鈴舞に暘谷は甘い微笑を浮かべた。
「気にするなよ、女子に物を買ってやるのは男の本望だ」
隣に居た月狼は何度もその言葉に頷いていた。
* * *
「私、あの露店で御饅頭を買ってくるね」
鈴舞は座っているように暘谷達に伝え、人混みへと入っていく。
「すみません、御饅頭を3つ下さい」
明るい声と共に顔を出した店主に鈴舞は控えめに会釈する。
鈴舞は深くフードをしていたこともあり、この辺りを渡り来た旅人だと思われることがある。
「月華国を満喫していってね!」
そう言われ、鈴舞は否定も肯定も出来ず、曖昧に口角を少し上げ、微笑んだ。
その時。
店と店の路地から手が伸びてくる。
「―――――お嬢さん、お買い物は済んだ?あんたのその黒髪………いいね」
え、と一声漏らす暇もなく口を塞がれ、鈴舞は呻く。
すると、煩そうに顔をしかめてから鈴舞の首の後ろを強く叩いた。
衝撃に鈴舞は耐え切れなくなり、倒れてしまう。
* * *
「ぅ」
ズキリ、と軋むように痛みが身体を走る。
起きようとしても、両手は縄で拘束されていた。
「……あ?」
見慣れない場所に、瞬きを何回もする鈴舞は記憶を遡り、自分の置かれている状況を把握する。
(そっか……私、昼間誰かに捕まって……暘谷、心配してるよね……)
自分の事よりも心に流れてきたのは2人の事だった。
周りを見渡しても、円寿から持ってきた最低限の生活用品の入った荷物はなかった。
「荷物がない……!」
すると、鉄格子の向こう側に男が立っていた。
眠っているようだった。
ホッと安堵したその瞬間、彼の虎のような鋭く大きい眼がパチッと開く。
「……起きたのか、声くらい掛けろよ」
鉄格子が開き、向こう側が見える。
両手を動かしても、縄は解けないに決まっている。けれど、意味のない事を鈴舞はしていた。
「俺は柳 星刻。ついさっきの事だし、憶えてるよね?」
眉を寄せ、鈴舞はその言葉に応答する。
2人の元へ一刻にも帰りたい、心配をさせたくはないという気持ちが鈴舞の心を占めていた。
「憶えてるわ。それよりも、こんな真似をして見ず知らずの私に用でもあるの?」
舐めまわすように星刻は鈴舞の足元から旋毛まで見ながら口を動かす。
「あんたさ、一国の王でさえ手に入れられなかった品が近くに来たらどう思う?」
は?と顔を真顔にする鈴舞に苦笑しながら、星刻は続ける。
「何処に献上してもって言っても、俺は自分の主サマに献上するけどな。例えば虐げられ皆に邪見にされてきて心の傷を深く負った年頃の黒髪の、……娘とかさ喜びそうじゃん」
鈴舞は思わず、恐怖で後退りをする。
「逃げるなよ。俺からは逃げられねぇよ、俺の任務はこの月華で起きたことを主サマに伝えるって言う奴だから」
「その、主サマに献上されるの……お断りよ!!」
そう言って、唯一動かせる頭を勢い良く上下に振り、星刻の額に殴り付ける。
ゴォン!!
頭蓋骨と頭蓋骨がぶつかり合った鉛のように重たい音が響き渡る。
「い、……いっっったぁ!!!!」
相手が呻き足掻いているうちに、足を動かし、何とか抜け出そうと外の風の音がする前へ鈴舞は迷う事のなく進む。
歩いても歩いても、景色は変わらなかった。
鈴舞の体力が限界に尽きそうになった時、______門のように大きく頑丈そうな扉が見えた。
「あ、あった……ッ」
周りを見渡しても窓は格子で塞がれ通られそうにもない。
一方の扉は、というと固く、頑丈に南京錠と鎖で閉められていた。
(逃げ場がない……!暘谷、月狼!!)
助けて、そう呟こうとした。
でも、自ら口を閉ざした。弱音など吐いている場合じゃない、そんな事より自分で動こうと鈴舞は心に決める。
「ッ」
コツ、と静かに近寄る足音が耳に届いた。鈴舞は身体を強張らせ、振り向く。
額を真っ赤に腫れさせた星刻が立っていた。
「痛いんだけど。よくもやってくれたわ」
そう言いながら壁に鈴舞を追い詰めていく。
両手を動かしても、縄が解ける様子はない。下唇を噛み、星刻を睨む。
「恐いったらありゃしねぇわな、女子にこんな事されるの俺は初めてだよ」
ふっと含みのある笑みをしながら逃げ場を失くした小動物のような鈴舞を二度と逃がすものかと言うようにドンっと壁に手を伸ばす。
「何でこんなに早く来れたの? 結構、走ったと思うんだけどな……私」
鈴舞は、冷や汗を額から頬に伝わせる。
その言葉に星刻は素直に応答し、何個もの鍵が連なった輪を鈴舞の顔に近づけ見せる。
「此処は俺の城も同然だ。この国に来てから俺は此処でもう2年ぐらい、過ごしてるからな……近道の通路も自分で作った程で鍵もこの通りある、お前を追い込むのは簡単だよ」
星刻は詳しく説明する。
鈴舞は星刻よりも鍵を見つめ、はあっと息を吐いたその時、手を伸ばし鍵を奪い取る。
「っおい、まて!! 此処では逃げられないと言ったろ、無駄だよ!!」
星刻が子供に言い聞かせるように言いながら追いかけてくる。
鈴舞は聞く耳も持たず、足を上下に動かす。
「……おっと、そっちは行き止まりだよ?お嬢さん」
その言葉の通り、鈴舞が向かった先は石壁だった。他に何もない、行き止まり。
「っ」
後退りし、下唇を噛む。後ろには迫ってくる星刻がいた。
鈴舞は身体を強張らせ、不器用な笑顔を浮かべた。口元は歪み、恐怖の色で揺らめいていた。
「何が目的なの?」
そう訊く。解っているだ事としても、鈴舞は訊いた。
「だから、言ってんだろ。俺の主サマにお前を献上するんだ、それにお前だっていいんじゃねぇの?御貴族に貰われた方がこんな目に二度と遭わないし贅沢して暮らせるんだぞ」
星刻は鈴舞の逆三角形の顎をくいっと優しく上げる。鈴舞は、スッと見据える。
甘く、なのに冷たい氷砂糖のような鈴舞の声が響き渡る。
「私は、そんなの、望んでない」
鈴舞は強く強く、言う。彼女の今の姿は不利な状況を逆手にとって相手に襲い掛かる獣のようだった。
「私は、したい事があるの。それは御貴族の妾になって贅沢に暮らす事じゃない」
笑みを浮かべていた星刻は段々と眼の光を失っていく。親しみやすい爽やかな笑みが、消えていく。
「生意気な、……黒髪の癖に。主に献上されたくはないと言うか、……乱暴はしたくはなかったんだがやむを得ない。侮辱何てされる御方じゃないんだな」
鈴舞の長く艶のある質の良い黒髪を乱暴に掴む。
「痛い、止めて」
「止めてと言われて止める男が何処にいると思う?」
フッと悪人のような歪みに歪んだ笑みを浮かべる。
(助からない。このまま、献上……されちゃうのかな?)
そうなったら、仕方がないと諦め、目を伏せたその時____________星刻の掠れた呻き声が聞こえる。
瞼を上げると、そこには華麗に星刻の腹部に拳を当て顔に足蹴りを入れる乱れ舞う煌めきいっぱいの銀髪が視界に入る。
「よう、こく」
星刻は多大なる攻撃に耐えられなく、力が抜け、まるで積み木が崩れるかのようにズサッと大きな音を立てて倒れる。
とん、と軽い音が響き暘谷が目の前に来る。
現れてくれた、必ず危機が迫っている時に来てくれる――――――――本当に皇子そのものの董 暘谷という男。
「よ、鈴舞。山の中、どうしたんだ?」
鈴舞は、目を見開く。大きな澄んだ青色の眼が鏡のように自分を映す。
口元を少し上げて甘い、綿菓子のような柔らかい笑みを浮かべた。
「怪我は?」
見惚れてしまっていた鈴舞はハッと気が付き、パタパタと両手を振る。
「何ともないよっ。ほら、だ、大丈夫だから!」
その様子を見て、安心したようにふーっと息を吐く。暘谷の目を伏せた横顔も綺麗だった。
幾度も見惚れてしまう鈴舞は目線を逸らす。見すぎて怪しく思われない為に、落ちてきた黒髪を耳に掛ける。
「う、……ご、護衛がいたのかよ……主に献上したら護衛として俺が護ってやってもいいって」
残念、と薄ら笑みを浮かべた。暘谷らは呆れてしまう。手に負えない奴だと。
「……糞、痛ぇな。折角、主に喜んでもらえる品、見つけたと思ったんだけど。“したいことは献上されることじゃない”か。黒髪の癖に自分のしたいことをしたいって生意気だろ……」
すると、暘谷は眉を顰める。苛々した様子を見せる。
_____「黙れ、この娘のしたいことをお前ごときがどうか言える立場じゃないだろ」
剣を抜き、星刻の首に向ける。
「鈴舞は、髪の毛1本だって道具にされる為に生きていない」
鈴舞は、真剣に星刻を見つめる暘谷の横顔を見つめる。
とくん、と何かが揺れ動き、胸が掴まれるような痛みが生じる。
「……、へぇ名前は鈴舞っていうのか」
「その口で名前を呼ぶな!!!」
顔を露骨に顰め、暘谷は怒鳴る。面倒臭そうに手を振り、顔を背ける。
「……鈴舞、この男……他に仲間は?」
答えようと口を動かしたその時、遮るように星刻は言う。
「1人だよ。主に信用されてこの地にいるんだ、他の奴を雇うなんて俺がしねぇよ」
必ずこの男は、「主」と言う。主がどれだけ大切なのかを示しているような気がした。
「……1人なら連れて山を下れるな。城まで護送して俺が言わなくてもいいか、ふもとの役人に届ければそれで」
“城”“俺が言う”その言葉に星刻は目を見開き、驚きを隠せないようだった。
「あんた、コイツのただの護衛だと思ったけど何者な訳?」
暘谷は振り向き、天女のような甘い微笑を浮かべる。
「名は董 暘谷、鈴舞の友人だ」
* * *
「主って人の事、星刻は何も言わないね」
役人に星刻を届け、山のふもとで夕陽を眺めて2人は話す。
けれども、何を話しても暘谷は素っ気ない、会ったばかりを思い出す態度をとる。
鈴舞は気まずそうに額から冷や汗を流し、目線を逸らす。そして、下唇を少し噛む。
「暘谷、もしかして……怒ってるの?」
肘をついた暘谷はふんっと声を漏らす。何だか拗ねている子供みたいで笑ってしまいそうになる。
「お前が、俺をあそこで……待たせたから厄介なことになったんだぞ」
ぶすっと膨れた暘谷の頬は赤く染まっていた。
「……、……ごめん。私が悪かった、暘谷の手を煩わせた」
渋面で一礼した鈴舞の頭を暘谷は掴み、ぐいっと上げると、くしゃっと音を立てて撫でた。
「俺が、怒ってるのは……その事じゃない。鈴舞が、危険な目に遭ったって事だ」
俺が傍にいれば、と悔しそうに拳を握り締めた。
(いつだって、この人は……負い目を感じてる)
「――――――ごめん」
また、謝るのかと暘谷はキッと睨み付ける。
鈴舞は今度は真剣な表情をして、真っ赤な宝石のような大きな瞳に暘谷を映す。
「暘谷が、迎えに来てくれた事……言って足りるようなものじゃないと思う……ありがとう」
暘谷は目を見開き、照れたように首の後ろに手を回す。
「俺からも、礼を言わせてくれ……無事でいてくれてありがとうな」
___________きっと、踏み出す為に温かく優しい風が吹いてくれる。
手を掴まれ、鈴舞は暘谷と同じ力でぎゅっと握り返した。
「さて、そろそろ……俺らを捜してる月狼が此処に来るかもな。鈴舞を捜してる時、俺は道しるべを置いていったから辿って行ったら此処に辿り着くだろう」
きっと月狼は切羽詰まった顔で叱ってくるだろうな、と言われた鈴舞は露骨に顔を歪めてしまう。
その顔を見た暘谷は笑ってしまう。
予想通り、鈴舞はこっぴどく月狼に叱られて、外には暘谷の笑い声が響いていた。
- Re: 月華のリンウ ( No.9 )
- 日時: 2020/12/06 14:55
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
07.微笑
「皇子」
今日もまた、城下町を回っていると澄んだ芯のある声が響く。
その声で暘谷は「げっ」とあからさまに嫌そうな顔をする。鈴舞は暘谷と月狼の驚いた反応を見て小首を傾げてから暘谷等の目線の先へと眼を滑らす。
その先に居たのは金髪碧眼の異国人のようなこの世離れした美しい女性。けれど、話し方は同じだからこの地の人だろうと鈴舞は思う。
1つに結んだ髪を左右に揺れ、隣に居た鈴舞を見てから暘谷を見た。
「皇子、一体今まで何処に居たの。それに、このお嬢さんは」
訊ねられ、暘谷は眼を逸らす。スッと彼女の瞳の光がなくなり、剣を抜く。
そして、月狼の喉元に剣を当てる。月狼は「ヒッ」と声を上げ、青ざめた顔で暘谷の肩を揺さぶる。
暘谷は仕方がなさそうに溜息を吐いた。鈴舞は暘谷に顎で名前を名乗れ、と言われたようで恐る恐る口を動かした。
「名は黄 鈴舞と申します……円寿出身で、皇子様と、会い……月華に来ました」
彼女は瞬きを何回かすると、剣をしまい柔らかな甘い微笑を浮かべた。
「堅苦しく挨拶なんてしなくていいよ。貴女が月狼の手紙で聞いていた鈴舞ね、私は葉 珠蘭、月狼と同じ護衛。宜しく」
手を出してきた珠蘭に戸惑いながらも鈴舞はその手を取り、ぎゅっと握り返した。
「暘谷、陛下が呼んでいたから此処に来たの。早く月狼と一緒に行って」
さっきの敬語はどうしたのだと思った鈴舞だが、過去に言われたことを思い出す。
__________『堅苦しいのはどうも性に合わないんだ、敬語はやめてくれ。他の者がいない時は普通に話そう、な』
(だからか……)
「そうだ、城内でも見学していく?」
珠蘭は鈴舞の手を取り、応答を待たず、歩き出す。
鈴舞はえ、と声を漏らしながら首を左右に振り、戸惑いながらも青塗りの白を基調にした立派な城へと連れられて行く。
* * *
「此処は訓練場。主に兵士が使うって解ってるか。じゃあ、次に行こうか」
兵士等が訓練に汗水を垂らして励むのを鈴舞はぽかんっと口を開けて見ていた。その中に、見覚えのある何か心掴まれる色が見えた。
目が冴え渡るような鮮やかな赤。林檎のように奥が深い、他の人の赤とは違う色。
「……鈴舞?」
珠蘭に名前を呼ばれるが、鈴舞はその赤い髪から眼を離さなかった。
「嗚呼……あの真っ赤な髪の男は月華の暴龍って言われる程、強くて兵士の中でも位が高い。確か鈴舞と同じで円寿出身だった気がする」
______円寿出身。
間違いないと鈴舞はドッドッドと鼓動が生々しく身体中を響く胸を抑える。緊張する、何年振りか。
「黄 風龍……」
我知らず、名前を呟いてしまう鈴舞だった。それだけ激しく動揺していた。
懐かしい赤毛に、何もかも見透かし、世界を映す希望に満ち溢れた大きな黒真珠の瞳。
優しくて、頼りになって、誰よりも正義感のある双子の兄。
「え、鈴舞……何で名前を……というか、黄って同じ苗字だし……まさか」
鈴舞の泣きそうな顔を見て、珠蘭は行き当たった答えに目を見開く。
――――――「に、兄、さん」
涙をぽと、と頬を伝わせる。一方の風龍はそんな事を知らずに兵と話して訓練しあっていた。
「……に、兄さんっ!!」
鍛錬に励む兵の中を駆け入る。
風龍は何事かと、どよめく兵等に視線を滑らすと、目を凝らした。
「り、ん……、…う……本当に、鈴舞なの、か……?」
幻なのではないか、妹がこんなところまで迎えに来てくれるのか、と頬を抓る風龍に鈴舞はゆっくり、近づき抱きつく。
「に、兄さん。私だ、よ……私、鈴舞だよ?」
憶えてる?と笑顔を見せた。風龍はその大きな黒真珠の瞳から一筋涙を流す。
兵士等は状況も察しられず、取りあえずという事で拍手をした。
* * *
「……そんな事がお前に……鈴舞、傍にいてやれず、ごめんな」
月華に来た全ての経緯を、話し終えると鈴舞は用意された茶を一口飲む。
「貴方の妹である鈴舞は、皇子の客人でもある。責任を持って城を案内していたの、……良かったわね、再会、出来て」
そう言われた鈴舞は、珠蘭の手を握り、微笑んだ――――――「ありがとうございます」と礼を言って。
珠蘭は碧眼を見開き、「どうも」と甘く、本当に花も綻ぶ優しい陽だまりのような微笑を浮かべた。
風龍はそんな2人の様子を見つめた。鈴舞は風龍に向き直り、唇を動かす。
「これから、また……会えるね」
会えなくて、辛くて、色んなことがあった12年間。2人を大人にさせた長い月日は、埋められる事は出来ない。
それでも。
2人はまた歩き出し、これから先を楽しく過ごそうと言う。
生き別れた兄妹は、今日、再会を果たした。
* * *
「鈴舞、よって……風龍!?」
謁見が終わって暘谷と月狼は鈴舞と珠蘭に手を振るが、隣に居る赤毛の男_____風龍に気づいて驚く。
どうしているのかと暘谷等は鈴舞に眼で訴えかける。
鈴舞は、察して口角を上げる。
「私の、兄さん……生き別れていたけれど、今さっき……再会したんだ」
鈴舞は知らず知らずのうちに眼に涙を浮かべていた。頬は熱を帯びて真っ赤に染まっている。
「……殿下。妹を、鈴舞を幾度も助けて頂きとても感謝致します……貴方様に妹が出会えていなかったらおれ達は一生会う事なんてなかったでしょう」
風龍は暘谷の目の前で跪き、頭を下げた。
「この御恩は必ずお返しする事を誓います!」
両手を重ねながら、頭を上げた風龍はニッと笑った。
「……あ……えーと、これから……改めて宜しく、風龍」
頭を軽く搔き、曖昧な表情をした暘谷は風龍を立たせ、握手を交わす。
「なぁに、暴龍様が畏まってんですか?」
からかいのある言葉に露骨に眉を顰めた風龍は肩に掛けられた月狼の手を振り払う。
「気安く触るのなよ、俺が感謝してんのは殿下だけなんだからよ」
キッと眼を鋭くし、睨み合いをする2人を余所に鈴舞等は話していた。
* * *
「どうしたの、暘谷」
客人として今日、宮中に招かれた鈴舞は中々、寝付けなかった。
下女だった事もあり、居心地が良すぎて何だがムズムズしてしまうのもあった。
夜風に当たりに、部屋を出た所、暘谷が星空を見つめていた。
「いや、……何だか、俺が傍にいなくても色んなことが起きるんだなって不思議に思ってた」
そんな妙に哀しそうな声に鈴舞はどうしていいか、解らなくなる。
「だから、お兄ちゃんに礼を言われたとき、戸惑ったような顔をしていたの?」
星々の煌めきを並んで見つめる鈴舞は、暘谷のいつもと違って頼りなさげな手を取る。
手を握っておかないと、どこかに行ってしまいそうに見えたからだ。
暘谷は目を見開き、鈴舞へと目線を滑らす。鈴舞の、星空を見つめる横顔を哀しそうに見つめ、肩に頭を乗せた。
「そう、だ……きっと、俺は……」
暘谷の背けた顔を鈴舞は、見ないで、ただ手をぎゅっと握った。
「私は、暘谷の力になりたい……いつか、客人としてこの城の門をくぐるんじゃなくて……宮中の者として、暘谷の味方として、支持する者として、くぐるよ」
暘谷は、目を見開く。満面の笑みを浮かべ、「ね、待ってて」と言う。
「……待ってる」
小さく、かすれた声で呟いた言葉は鈴舞の耳に届いた。
________彼の力になりたいと願う、そして約束する。それは、自分の背を押して、前へと進む原動力へとなる。
- Re: 月華のリンウ ( No.10 )
- 日時: 2020/12/06 14:55
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
08.蓮の母君
麗らかな日差しの中、暘谷と風龍が手を合わせているのを見つめる。
「……兄さん、こんなに強かったんだ」
珠蘭から聞いてはいたけれど実感はなかった。自分の兄がこんな大国を代表する軍人とは思わない。
あの暘谷が、押され気味でいることが鈴舞では驚くべき事だった。
「黄 風龍は剣術の達人だからな、主が押されるのも無理はない」
と月狼が木の上から下りてきて言う。鈴舞は月狼が言うならば本当の事だろうと静かに頷く。
すると、宮中の睡蓮の花の色の衣をまとった侍女がやってくる。
「殿下。水蓮様がお呼びになっております」
手合わせをしていた2人は剣を動かす手を止める。
そうか、と暘谷は答え行こうとするが、侍女がスッと暘谷の行く道に立つ。
「月狼様、珠蘭様と、客人も連れて来いの仰せです」
鈴舞はビクッと身体を強張らせ、大人しく従う。
(皇子に用事があって連れて行くのは普通だけど……何で私まで?)
そう考えを巡らせているうちに目的地に着く。蓮の池や木々が美しく咲き誇った場所だった。
「お嬢さん、主の母君……貴妃である水蓮妃が住まう佳月宮だ」
月狼は小さな声で耳打ちをした。
すうっと息を吸って吐いた暘谷は扉を叩く――――そして穏やかな声が短く「どうぞ」と言った。
中に入ると椅子に座った銀色に輝く髪を巻いて片耳に大きな石をつけた桜色の瞳の美女がにこっと微笑む。
水蓮妃の頬は薔薇色に色づいており、ゆっくり走ってきて鈴舞の手をぎゅっと握る。
「貴女が黄 鈴舞さんなのですか?………そちらの者の便りで聞きました、大変でしたね!」
指した先にいたのは月狼だった。
鈴舞に睨み付けられた月狼はバツが悪そうにそっぽを向き「………報告も必要だと思ったから」と呟く。
珠蘭だけではなく水蓮妃までに情報を渡していたのかと鈴舞は思う。
コホンと咳払いすると、鈴舞は跪き水蓮妃を真っすぐに見つめる。
「名は黄 鈴舞と申します。貴女様に出会えたこと、大変嬉しく思います」
そう挨拶をすると優し気な声が響き渡る。
「おぉ、もう集まっておったかっ。ちぃと遅れてしまったな、呼んだのはワシなのになぁ」
暘谷達は振り返りほぉっほぉっ、と陽気に笑い綺麗に着飾った初老を凝視する。
「……皇帝だ」
月狼は瞬きもしないで呟く。珠蘭も目を伏せ、両手を重ねる。
(こっ、皇帝!? ………このお爺さんが!?)
突然の登場に戸惑う鈴舞だったが、その漂う気品から理解した。
「暘谷が帰ってきたばかりで騒々しんじゃが…話したいことがあってのぅ……」
美髭を触りながら席に着くと目を細める。
「そちらのお嬢さんが月狼の言っていた黄 鈴舞か。便りの通り、見事な黒髪だな」
と温かい笑みを目を見開き黙り込んだ鈴舞に向けるがサッと暘谷を見据える。
「……飛燕城に使いに出した者が帰ってこないんじゃ、もしかしたら何かあったのかもしれない」
水蓮妃は膨れた御腹を摩りながら話を聞く。
愛おしそうに御腹を見つめる水蓮妃は花々が咲き誇る佳月宮の主として誰よりも相応しかった。
「解りました、準備が出来次第、……飛燕城に行きます」
皇帝は満足したように大きく頷き、「宜しく頼むな」と言う。
珠蘭と月狼は両手を重ね、会釈をした。
* * *
「私、客人として此処に居るのは嫌なの……皇子に言った通り、私は宮中の者になりたい」
佳月宮を出るところだった暘谷等は、振り返り目を見開く。
もう一度、もう一度言っておかなければ、一生このままになってしまいそうで鈴舞は言ったのだ。
「あのぉ、それなら……良かったらですけれど私の侍女になってもらいませんか?」
手を挙げて水蓮妃は鈴舞に駆け寄る。その言葉に驚いた鈴舞は言葉を失う。
「……嫌ですか?」
悲しそうなその表情に鈴舞は急いで首を激しく振る。
「嬉しくて……こんな黒髪だから円寿でも下女として働くのが嫌がられたんです………でも、水蓮様に………こんな事言ってもらえることが…ッ!」
思わず、涙が目から溢れる。
「黒髪なんて気にしなくて大丈夫です。むしろ珍しくて綺麗ですわ………自信を持って下さいな」
そう穏やかに微笑む。
鈴舞は我知らず、泣いていた。今までの出来事を思い出すだけで心が嬉しくて震える。
(………どうして………優しい人が多いのかな………皇帝だって水蓮様だって………こんな私に)
子供のように泣きじゃくる鈴舞に月狼と暘谷、珠蘭は慌てる。
珠蘭は抱き締めて頭も撫でて安心させてくれる。月狼と暘谷は温かく優しい言葉を掛けてくれる。
水蓮妃はそんな子供のように泣きじゃくる鈴舞に温かい我が子を見守るような眼差しを向けていた。
*
鈴舞は翌日、都に向かう途中に買い揃えた服などを纏め佳月宮に向かう。
同部屋になる者達は黒髪である鈴舞の事を慣れないようで恐がるやもしれない。
そんな不安も抱える鈴舞だったが、優し気な笑みが零れていた。
優しい自分を受け入れてくれる人達に出逢えたことに相当な喜びを感じていたからであった。
円寿国の一下女は月華国に渡り皇族と親しくなった。
そして、皇帝の寵妃の侍女になった。
それは十分な出世だった。
- Re: 月華のリンウ ( No.11 )
- 日時: 2020/08/31 17:10
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
09.芽吹き
「…えっと、……初めまして、貴妃の水蓮様の侍女になりました―――黄 鈴舞と申します」
鈴舞は深々と頭を下げた。
「黒髪よ……確か円寿では不吉で悪魔が宿ってるって言われているわよね………?」
「やだ、恐い」
ひそひそと話す侍女達の声が鈴舞の胸に深く刺さる。その言葉、表情1つが鋭利な剣のようで恐かった。
鈴舞は瞳から涙が溢れ出そうになるが唇をぎゅっと噛み締め抑え込む。
「…よ、ろ………しくお願いします」
口を開いた瞬間、涙が一筋零れ鈴舞は急いで涙を拭う。
* * *
「主ッッ!」
木を渡って窓から入ってきた月狼に暘谷と珠蘭は呆れた表情をする。
「おい、何度も言っただろう。この執務室に入る時はそっちの扉から入って来いって」
その言葉に珠蘭も大きく頷く。
「本当、学習能力もないね……貴方って」
月狼に近寄り、珠蘭はしかめっ面でその眉間を突く。そんな事をされて不貞腐れた月狼は「ケッ」と声を漏らし、その手を振り払う。
「そんな事より一大事ですってば!」
暘谷はその焦り具合に小首を傾げる。月狼は人差し指を立て、唇を動かす。
「水蓮様の侍女になった鈴舞なんですがね、侍女の仕事もさせて貰えず朝から今まで、水汲み所で使ってもくれない水を永遠と休みなく汲んでいるんですってばッ!」
いつも通り木を渡って宮中を一周してきた時、丁度水汲み所へ立ち寄ったところ、ずっと鈴舞が水を汲んでいたという。
暫く様子を見ていたが使われる気配もない。
暘谷は思わず机を拳で叩く。
怒りで、燃え上がりそうだった。頭から湯気が出ているようで、胸糞が悪い。
鈴舞の、やつれた悲しそうな横顔が脳裏に過ぎる。
―――――――『ちッ、近づかないで!!!』
初めて対面した時の彼女の顔は逃げ場を求める人間に追われ、傷付けられた獣そのものだった。
『…っ、不吉だって皆、思っています、よ』
当然事のように言う癖に顔は悲しそうで、消えていってしまいそうだった。
『貴方は、私の黒を好きって言ってくれた。けどッ、私は……結局、貴方の足枷になって不幸としかならなかった』
そんな事はないと否定したかった。だから、連れ出す事を決められた。
下唇を無意識のうちに噛む。月狼と珠蘭は顔を見合わせ、眉を寄せる。
黒への差別が、彼女への冷遇が、見る……いや、聞くだけで胸が苦しくなる暘谷だった。あの、笑顔を思い出す度に申し訳ない気持ちに浸る。
「く、……くっ、そ」
(俺にもっと、力があれば……)
* * *
「鈴舞」
名前を誰かに呼ばれ、鈴舞は水の入った樽を持ちながら振り返る。
「…えっと、……皇子?」
いつもとは違った漢服姿に鈴舞は戸惑いながらも呼びかける。
碧く大きな瞳がピンとこなさそうに瞬く。
「って2人の時は名前で呼ぶ事って命令したぞ……!」
そう口を尖らせ、怒ったように端正な眉目を吊り上げた暘谷に指摘され鈴舞は慌てて頭を下げる。そして、言い直す。
2人の時だけ許された名前呼び―――――「よ、暘谷」と鈴舞は、はにかみながらも薔薇色に染まっている唇を動かした。
言い直し近寄るとヘラっと表情を緩め、白い歯を見せて笑った。
「………というか鈴舞、お前だけ此処で何してる?母上の他の侍女は調理場にいたぞ」
碧眼が探るように鋭くなる。鈴舞は「あ」と呟き、顔を背ける。
鈴舞は樽に入った水を見つめ、口をパクパク、開いた。けど、言葉にならない。
言葉ではなく溢れたのは悲しみ。
此処にいるのは黒髪が原因だった。
黒髪はきっと水連妃の赤子に影響を与えると噂され水汲みでもしとけと言われたのだ。
水汲みはこれで何回目だろうか。
精々5回、同じ樽で水を汲み同じ場所に運んだだろう。
鈴舞が汗水たらしながら一生懸命に水を何回汲んでも汲んできた水が使われることはなかったのだ。
“異国にいた黒髪の娘が汲む水など大切な水蓮様の料理に使えぬに決まっているだろうッ!?”
そう言われたのだ。
傷ついた鈴舞は執務で忙しい暘谷や護衛と言う任務がある2人、まして月華を代表する兄などに助けを求められることは出来ずに居場所もなく仕事をしている振りをしていた。
その言葉は思い出すだけでも胸が途轍もなく痛くなる。
何回も何回もどこへ行っても言われ続けてきた言葉。円寿では神などを大変に信仰していた為、黒髪への差別が月華よりも酷かった。
男に拳で殴られ、女に平手打ちにされ、人々に嘲笑われ、役人に家を壊され追われて、王に罵倒され首を刎ねられそうになり殺されかけた。
女達の、人々のこんな言葉、行為に慣れたはずだったのにどうして胸が痛むのか鈴舞には理解が出来なかった。
愚痴でもこの皇子に言ってみようか、どんな顔をするのだろうそう思い、口を開く鈴舞。
――――――――「………私ッ………黒髪なんて嫌だよ…ッ」
困らせてみようとしていた鈴舞だったが口を出た言葉は弱音だった。
言い訳でもなく侍女らへの愚痴でもない、ただの弱音。
“黒髪じゃなければよかった”
暘谷と出会い忘れていた事――――――あの黒髪を恐がり、妬む侍女達が蘇らせたのだ。
ぽとっ、と涙が頬を伝い零れる。流石の鈴舞でも頬に熱が集まるのが判った。
暘谷はあの日見た、弱々しく頼りなさげであっと言う間に壊れてしまいそうな儚いその姿を見て、目を丸くする。一言を言えば明るく場を和ませることが出来る暘谷でも泣き顔にはどうしても狼狽えてしまう。
それが尚更、強くあろうとする真面目で仕事熱心な彼女なら。弱音をあまり口にしない鈴舞だからこそ。
「どうして………私は黒髪なの……こんなの嫌だ、………望んでこの姿に産まれたわけじゃないッ!!」
物心ついた時、いつかのあの日から心に溜め込んできた想いがブワッと溢れ出てくる。
制御など出来なかった。壊れたように叫び散らす。
口を手で覆っても涙は頬を伝い、零れ落ちる。嫌になる気持ちに覆われている一方、何処からか浮かび上がった羞恥心が襲い掛かってくる。
(もう嫌………だ。困らせてみるどころか本当に困らせて、暘谷にこんなぐちゃぐちゃになった泣き顔なんて、こんな姿を見せるなんて恥ずかしい……ッッ!!)
頭を苦しそうに抱え悲痛な声で言葉にならないことを叫ぶ鈴舞に暘谷は、ゆっくりと歩み寄る。
日差しに照らされ風に靡いた質が良く艶のある綺麗な黒髪を掬い取ると、暘谷は黒髪にそっと口づけた。
―――――――「俺は、お前の黒髪が好きだ。全てを飲み込む強さと包み込む優しさを同時合わせ持つ神秘的な色だと思う……何より何事にも真っ直ぐなお前に似合ってる。鈴舞、誰が何を言おうと、お前の黒は綺麗だ」
鈴舞は真っ赤な宝石の瞳を見開き、薔薇色に頬を染めて困ったように眉を下げる。
零れ落ちそうな涙を暘谷は優しく下睫毛に沿って拭う。少し焼けた小麦色の指先に涙が付いていた。
――――――「俺が護ってやる。不吉だとか言う奴らからお前を護る………だから、さ。泣くなよ」
暘谷は大切なものを扱うかのように鈴舞の事を抱き締め、そして、泣き止まない赤子をあやすかのように頭を撫でるとフッと声を漏らす。
「鈴舞、もっと自分に自信を持て」
甘く微笑み離すと鈴舞の眉間を突き、風のように立ち去っていった。
暘谷が立ち去った後、鈴舞は力が抜けたように崩れるように座り込んだ。
鈴舞は突かれた眉間を手で押さえると下唇を恥ずかしそうに噛んだ。
* * *
「お嬢さん、大丈夫ですかい」
暘谷が立ち去ってから少し経つと木の上から月狼が下りてくる。
自分が暘谷の胸の中で泣いていた事を見ていたのだと、気が付いた鈴舞はズサッと後退りをし、躓きこけてしまう。
「そんな恥ずかしがったり、強がったりしなくていいんじゃない?誰にだって泣く事は必要だと思うけど」
月狼は隣に座りに来て微笑む。鈴舞は瞬きをして、頷く。
「主も、珠蘭も、勿論の事ながらオレもお嬢さんの事、護りますから」
鈴舞は眼を見開き、それから口角を上げ、言う。
―――――――「約束だよ、お願いね」
ニッと白い歯を見せて笑う鈴舞を見て、月狼は息を呑むのも忘れる。
「……?」
月狼は手を伸ばし、一束の艶めく黒髪を優しく取り、ジッと見つめる。
「月狼、どうしたの。ゴミでもついてた?」
そう訊ねると月狼はパッと放し、両手を鈴舞に見せる。
「オレは、な、何もしてないぞ。ゴミが付いて……あー、もう……こんな時間だ、主に用があるんだったなぁ!!」
わざとらしく言いながら、背を向け、光の速さで木を登る。
「……何だったんだろ、意味深なのはいつもの事だよね」
鈴舞は小首を傾げ、また水汲み作業へ戻っていった。
- Re: 月華のリンウ ( No.12 )
- 日時: 2020/12/06 14:57
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
10.旅立ちの約束は
「暘谷皇太子殿下! 先日飛燕城への――――」
支度をし終わった暘谷は椅子から立ち、とんとんっと床を爪先で叩く。
「支度は出来てる、今すぐに行けるんだが……寄りたいところがあるんだ城門で待っていてくれるか?」
暘谷は迎えに来た男に微笑み掛け、「頼むな」と言う。男は頬を赤くして、何度も頭を下げた。
男の肩を叩いた暘谷は早々と執務室を出る。
「……暘谷」
残った珠蘭は兵士の安否を知る為に前を向く暘谷の後ろ姿を見つめた。そんな中、ガサッと葉音が揺れる音が耳元に届く。
「何、月狼。また木を移動手段に使ったの、この前も言ったじゃない……!」
振り向かず、後方に居ると思われる同僚へと言う珠蘭は怪訝な顔をしていた。
「ったくよー。いつもながらお前の反応速度、早すぎかよ」
呆れたように呟く月狼に珠蘭は、更に眉間の皺を深くさせる。
「主。鈴舞のところに行ったと思うんだけど、賭けてみる?」
同感、と珠蘭は心の中で賛同する。あの安らかな表情は自分等にもあまり見せてくれない。
けれど、あの隣国出身で月華を代表する大軍人と血の繋がりがある鈴舞には見せるのだ。
ずっと傍で護ってきた珠蘭と月狼にとってはとても、羨ましい事だった。
息を吐き、珠蘭達は佳月宮に先を急いだ。
* * *
「母上、飛燕城に行って参りますね。時期に生まれる子の為にも無理をしないで下さいね」
息子の心配そうな表情に水蓮妃は苦笑交じりに話す。
「ええ、そうね。この子をちゃんと産まなければね、………私の事よりも御自分の心配をして下さいな」
桜色の瞳を細めて立派に育った息子を愛おしそうに見つめる水蓮妃は優しく、頬を触った。
「本当は、……恐いんでしょう?」
その問いに暘谷は強張った表情で「まさか……、っ……はい、少しだけ不安があります」と否定したと思えばすぐに言い直す。
目的地は使者の帰らない森に覆われ、あの神秘の鎖国国家と言われてきた白陽国の国境に位置する城だ。
不安があるに決まっていた。
その時_____________「鈴舞です、入ってもよろしいでしょうか」と聞き慣れた声が響き渡る。
甘く、けれども冷たい氷砂糖のような優しい声。
暘谷は、込みあがってきた生唾を飲み込む。
「失礼致します……って、あれ? よう、いや、……えっと殿下!」
普段の呼び方をしてしまいそうになり、慌てて鈴舞は呼び直す。
「鈴舞、聞いて。これから殿下は、飛燕城に行くのよ」
出会った頃の敬語は抜けて、水蓮妃付きの侍女として良い信頼関係を築いていた。
「……え、あ、そうなのですね。行ってらっしゃいませ」
両手を重ね、一礼をする。水蓮妃はそんな素っ気ない態度に顔を左右に振り、困惑している。
もっと、鈴舞なら暘谷を元気づける言葉を言ってくれると思っていたのに、と。
「……それでは、私は行きますね」
そう言って羽織物を翻し、蝶のように去っていく。
* * *
「あれで、送り出して良かったの? 鈴舞」
傍で紅茶を淹れていた鈴舞に水蓮妃は言う。鈴舞はことっ、と紅茶の入った器を置くと言いたげな目で微笑む。
「………え、……はい、良いに決まっています。どうして?」
水蓮妃は質問され、少し戸惑った雰囲気を漂わせていたが、御腹を見てから覚悟が決まったように唇を開く。
「殿下にとって貴女は、とても必要不可欠な存在だと思ったからよ。御互いを支えて逢っているような……」
鈴舞は眼を見開く。暘谷の悲し気な表情が脳裏に過ぎる。
(嗚呼、なんて事をしてしまったのかな……)
_____________『……それでは、私は行きますね』______
行かないで欲しいなんて、言いそうになってしまった。だから、言う前に口を噤み、自分の気持ちを押し殺した。
とてもじゃないけれど遠くにある飛燕城に行く暘谷を元気づけられる言葉など言えるはずもなかった。
一生、離れる訳でもないのに。
そんな事を言える立場でもない。相手は皇太子殿下で、私はただのその母君・貴妃である水蓮様付きの侍女なのに。
はあっと溜息を吐く。その様子に何かを察したのか、水蓮妃は思い付いたように言う。
「鈴舞。お茶菓子を取ってきてくれるかしら、嗚呼、それも城門の近くの倉庫の貴重なお菓子よ」
水蓮妃は我が儘な小さなお姫様のように条件付きで言う。鈴舞はその頼みを断れる事も出来なく佳月宮を出る。
表向きはお菓子を取りに行く、本当は、佳月宮を出てから時間的に城門にいると思われる暘谷に伝えたい言葉を言う。
鈴舞は水蓮妃の思い付き通りにそんな事をする為に走っていた。
(お願いだから、間に合って!!)
* * *
―――『……え、あ、そうなのですね。行ってらっしゃいませ』――――――――――――
鈴舞の曖昧な、表情が瞼を閉じれば何度も浮かび上がる。まるで張り付いたように。
(どうかしてんだろ……俺って奴は……しっかりしろ……!)
否定もされずに送り出されたというのにさっきから心にある霧は晴れそうにはなかった。
暘谷は、深呼吸をする。自分を落ち着かせるように、何度も何度も。
手に持っていた剣を見つめ、月華の皇室である事を意味する紋章を指でなぞる。
自分は月華の第2皇子でありながら皇位継承権を持っている事。それを餌にゴマすりをしてくる宮廷の臣下達。
嫌気が差す宮廷に今もなお、抜け出している。けれど、執務は嫌いではなかった。
国の事を纏める、重要な仕事を覚える為に。抜け出しているのは民の視点から国を観察し改善点を見つける為。
引き籠って執務を熟すのも為になると思う、だがしかし、民の視点から見ると国の改善点が山ほど出てくる。
国は1日1日、目まぐるしいと言って良い程、変わる。
そして城から出ると新しい出会いもある。新しい感情を知ることも出来る、人間として1歩、成長できるのだ。
あの、黒髪の弱々しい少女が綻んだ時、暘谷はグッと胸を掴まれたのだ。
「……なのに、今の俺は……為になると思っていた私情に振り回されてる」
暘谷は心の何処かで思っていた考えをあえて、口にしてみる。
暘谷は言葉にならない気持ちからぎゅっと爪が肉に食い込む程、握り締める。直後、痛みがはしり顔を歪める。
______________「暘谷ッ!」
何度も、何度も過ぎった彼女の声。暘谷は咄嗟に身構え、振り向く。
両サイドを団子に結い、長い髪を宙に舞わせた鈴舞が息を切らして走ってくるではないか、暘谷は笑顔を浮かべそうになる。
(追いかけてくれたのか……。本当……それだけで、それだけで……嬉しいんだ……)
「あの、ね……私、酷い事っていうか心無い事、言ったと思う。まずは謝りに来た」
一礼してから顔を上げる。眉を八の字に下げ、頬を真っ赤に染め、泣きそうな本当に申し訳なく思っている顔。
暘谷は胸がきゅうぅと締め付けられる痛みをまた、覚える。
「ごめん、それで……私、やっぱり、どんなに頑張っても暘谷を上手く送り出せない。だって悲しいんだもん、寂しいし、苦しい……から」
蹲って、下から暘谷を見つめる鈴舞は本音を言い、「ごめん」とまた、謝る。
「早く、帰ってきてね」
恥ずかしそうに目線を逸らしてから、横目で囁いた鈴舞は背を向ける。耳は真っ赤に。
暘谷は、眉を寄せ、ハッと息を吐いてから零れ落ちた涙を拭う。
_______「すぐ、帰ってくるから」
この約束は、守り切ると心で暘谷は誓う。
彼女を悲しませたり、苦しませたりはしたくないという気持ちが彼の原動力になっていたのだ。
- Re: 月華のリンウ ( No.13 )
- 日時: 2020/12/06 14:54
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
11.2人は
「……着いたな、けど、人の気配がしてない」
不気味だね、と顔を見合わせた暘谷、珠蘭は身を縮こまってしまう。
飛燕城は白陽国の国境に位置する城だ。雪原で森に囲まれている場所。
「見て。暘谷、あそこに人が」
白い息を吐きながら珠蘭は城にある一番端の窓を指す。そこには厚着をした少年、いや兵士の姿があった。
バッと身を乗り出してこちらを見た兵士は2人いるうち1人は皇太子殿下様だと気が付いたようで慌てた様子で下りてくる。
「暘谷皇太子殿下、珠蘭様までッッ! こんな場所まで……御身体の方は大丈夫ですかッッ?」
寒さに耐える暘谷と護衛と言ってもか弱い女の珠蘭の身体を心配する。鼻先を赤く染めた2人は頷く。
暘谷は「大丈夫だ」と答え、此処に来た理由を話す。
「お前達が星銀の都に帰ってこないから、俺達は来たんだ。中に入るぞ」
それを聞いた兵士はギョッと目を見開き、止めに掛かる。
「いけません!! 今や“飛燕城内は呪われています”そうしたら珠蘭様や殿下まで無事ではすみませんッッ」
その兵士の慌て具合に暘谷は不思議そうに珠蘭を見つめる。珠蘭もやっぱり解らないようで「それ、どういう事?」と兵士を鋭い眼差しで刺す。
「……そ、れは……17日前にこの辺りをうろつく山賊に襲われ、飛燕城に居た兵士の大半がやられてしまいました。けれど、その時はまだマシでした。16日前、若い少女が薬や食物を届けてくれ、それを飲んだり食べたりした途端……」
中に入るよう兵士は促し、眼の暗い影が揺らめく。暘谷は城内を見て言葉を失った。珠蘭は見た途端、顔を逸らし口元に手を添える。
「自分は見張り番なので外に出ていたんですけど、他の皆は……かと言って星銀の都に戻る為に山も下れなく……行けませんでした」
城内に居たのは寝込んだ兵士達。周りには致命的な傷を負っている者も多く、息途絶えている者、苦し喚いている者、泣いて言葉にならない悲鳴を上げている者、寒さと痛みに耐えきれず眠りと言う死を選んだ者。
空気は外よりも澱んでいて、息がしずらくなっていた。こんなところに居たら具合も悪くなると暘谷は思う。
(何か、甘くだけど、違和感のある生臭いような……何の匂いだ?)
嗅ぎ覚えのある匂い。隙間風が入り、凍えている兵士達。
「……皆、体温も低い……これは、不味い。長期戦になりそうだ」
暘谷は危機感を覚え、顔を歪めながら口角を上げる。不快な匂いに暘谷と珠蘭は顔を歪め、鼻を抑える。
ふらっとその匂いから気持ちが悪くなったようで珠蘭は姿勢を崩し、倒れそうになり壁に縋りつき苦しい痛みに耐える逞しい狼のようにふーっと息を吐く。
「珠蘭様ッッ、大丈夫ですか?」慌てて駆け寄ってくる兵士を「平気」だと手で制する。本当に大丈夫なのかとこの場にいる者は心配するが珠蘭は先に進む。
『早く帰ってきてね』
暘谷は曇天に向かって心の中で謝る。
___________その約束を守り切れないかもしれないと、すまないと。
* * *
一方、星銀の都に居る鈴舞と月狼はというと。
「何で、月狼が居るの? 一緒に飛燕城へと行ったんじゃないの」
鈴舞は訝し気に眉を顰め、木の上に座る身軽な暘谷付きの護衛に問い掛ける。月華の中で強いと言っても護衛に選ばれた女の身ながら唯一無二の珠蘭を極地に連れていくなんて、何を考えているのだろうかと鈴舞は思う。
「オレは主の代わりに鈴舞を護衛を頼まれた身なの。珠蘭は言っちゃなんだけどオレよりも剣術は強い」
過言じゃねぇぜ、と上から笑い交じりに話す声が聞こえる。
「そんな……私の事は後回しでいいのに。少しでも暘谷の事を助ける人が傍に居て欲しかった」
早く帰ってくる、と暘谷は言ってくれた。それだけで嬉しかったのに、安心したのに。もう十分だと、待っていられると思ったのに。
きっと約束を果たそうとこんな風に月狼と他愛のない話をしている間に極地で目まぐるしく動いているだろう。
帰ってくる為に。
遠方に居る暘谷と珠蘭を想う鈴舞の切なげに瞬く顔を上から見た月狼は頭を軽く搔き、顔を少し歪めてしまう。そして、下唇を強く噛んでから目線を逸らす。
「………鈴舞、今日の仕事は?」
唐突に月狼に訊かれ、鈴舞は息を呑んでから口を開く。
「いつも通り。私は、皆と違って水蓮様に頼まれた品を市場に買いに行くの……水汲みも終わったしね」
月狼の返事を待たずに歩き出す鈴舞の後ろ姿を文句も言わず静かに見つめてから、木を渡り追いかけた。
* * *
「いつ歩いても此処は良いね」
隣で歩く月狼に話し掛ける。色とりどりの布が宙に紐で繋がられた賑やかな連なる露店。
思わず、頼まれた品を取りに行くはずなのに目移りをしてしまう。
ジッと腕輪を見つめていると月狼が薄い唇を三日月形に結ぶ。
「買ったあげましょうか、お嬢さん」
そう言われ「えっ」と嬉しがってしまうが、鈴舞はすぐさま、かぶりを振った。
「どうして、欲しがってたろ?」
歩き出し、その髪飾り屋から離れる鈴舞は問い掛けてくる月狼に何とも言えない表情で答える。
「だって。暘谷達が極地で頑張っているのにも私だけ楽しんでちゃ悪いじゃない」
そうかあ?と不思議そうに首を傾げる月狼に鈴舞は苦笑を溢しながら「そうだよ」と言う。
そこまで極地に居る2人を考えるものなのか、自分の事を拒絶したんじゃないのか、と思う月狼は納得はいかなかった。
暘谷には髪飾りを買って貰っていた、今も大切に髪に着けている綺麗な玉石と押し花の髪飾りを月狼は睨み付ける。
『悪いよ』――――『気にするなよ、女子に物を買ってやるのは男の本望だ』自分だけ2人の間から弾き出された気がして居たたまれなかったのは笑い飛ばそう。
鈴舞は、水蓮妃御用達の“花柳”という書店に鈴舞は笑顔を浮かべ入っていく。
最初は鈴舞の黒髪に戸惑っていた店主も慣れ、によって温かな微笑を向けてくれるようになった。
此処では堂々と素で居られると鈴舞自身もお気に入りのところだった。だから、此処への使いを頼まれると楽しみで鼻歌もしてしまうくらいだった。
そのくらい密かな楽しみの1つなのだ。
「おじさん、頼んでいた本をお願いできるかな?」
店主は笑顔で頷き、書庫へと入っていく。
そこで_______少し古臭く独特の匂いをする店内を見渡すと小さな少年が視界に入る。
分厚い書の文章を蜂蜜色の眼で追っていき、周りなど気にも留めない様子だった。
焦げ茶色の可愛らしい雰囲気の少年から漂う空気はただ者でない感じがする。
月狼は、そんなことも知れず店内を歩いていた。
熱い視線に気が付いたのか首を左右に振り、小首を傾げる。目が合うのは必然的だった。
「あ、えと……」
口ごもる鈴舞に対し、少年は瞬きもせず鈴舞の足元から旋毛までジッと見つめる。
「鈴舞ちゃん、かの有名な水蓮妃様に頼まれたのはこれかい?」
書庫から戻ってきた店主に声を掛けられ、咄嗟に身構えてしまう。ハッと気が付いた鈴舞は「あ、はいっ」と作り笑顔を浮かべた。
「来儀坊、ついでに買った書を持ってきたけど大丈夫かい」
来儀、と呼ばれた少年は小さく頷く。
分厚い何冊もの書を確認すると満足気に表情を綻ばせる。鈴舞は息を吸うのも忘れてしまう程、可愛らしく気品ある笑顔に目を見開く。
「……僕は霞 来儀、宜しく」
そんな自然な自己紹介に鈴舞は戸惑いながらも、薄紅の唇の隙間から声を出した。
「私の名は黄 鈴舞。こちらこそ、宜しくね……えと来儀さん」
来儀はそんな鈴舞に「明らかに貴女の方が年上でしょ、呼び捨てで良いよ」と無表情で言う。鈴舞は慌てて「来儀……?」と呟くと満足気に頷いた。
「何の、書を……買ったの?」
と訊いてみると来儀は躊躇って、でも、すぐに見せてくれる。鈴舞はその難しそうな医学書に政の内容の本に目を丸くしてしまう。
こんな書は見た感じの彼の年齢では読まない、というか読めない本だ。鈴舞はその頭の良さから感嘆の声を漏らしてしまう。
「す、っごいね……こんな難しい書を読めるなんて」
来儀は鈴舞のその言葉に頬をほんのりと赤らめてから「そんな事ない」とかぶりを振った。
「貴女は?」
そう訊かれるも、鈴舞は苦笑交じりに話す。「この書は主人の好みなんだ」と鈴舞は言う。
来儀はすると、月狼と意気投合したのか笑い合っていた店主を呼びつける。
「……簡単な日常に活かせる医学書、それから文学書を買うから選んで持ってきて」
店主は隣に居る目を瞬かせる鈴舞から状況を察し、笑顔で頷いた。
* * *
夕暮れの中、歩く鈴舞の手元には本が3冊もある。いつもとは違う重みに鈴舞はちょっと嬉しくなってしまうのだった。
先程、別れた来儀に買ってもらった医学書は日常に活かせる代物でこれなら暘谷達の役に立てると思う度に口元が上がってしまう。
文学書には色んな有名な話がこれで暘谷達に有名な本の話が出来ると心が弾む。
「良かったな、買って貰えてよ。来儀坊に」
月狼は来儀の事を店主のように短時間で呼べるようになり、これには打ち解けるまで時間の掛かったと言う店主も呆然と見ていた。
自分の時は断られたのにも来儀には買って貰った贈り物を受け取った鈴舞が気にくわなかったのか、拗ねた顔をしていたのは事実だ。
「あの、……何かごめん。でもさ………月狼も元気づけようとしてくれてありがとう」
その微笑に月狼は瞬きもせず、静止する。そして気恥ずかしそうに首の後ろに手を回し、「……まぁな」と曖昧な返事をする。
「早く、帰ってきて欲しいね」
何かを悟るような、願うようなそんな言葉に月狼は何も言えず息を呑むのもその美しい彼女の世界を壊すようで出来なかった。
* * *
――――――――「早く、帰るから」
離れ離れになったとしても、2人は同じ想いを抱いていた事は誰も知り得ないだろう。
暘谷は澱んだ空気の飛燕城から出てきて、星々の眩しいほどに輝く満点の空を見つめる。
白い息を吐きながら呟く。鈴舞と同じ風に祈り、願うように。
誰かを想う気持ちが、1人1人の胸に芽生え、それは新たな出会い、関係を紡いでいく第一歩となったのだと冬は告げた。
星々は誰かの願いを届け、祈りを示すそんな役割を果たす為に、今宵も誰よりも眩しい程、輝いているのだろう。
飛燕城、それは読み進める為のきっかけ。
- Re: 月華のリンウ ( No.14 )
- 日時: 2020/09/06 15:41
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
12.予感
「……ゴッ、……ゴホッッゴホッッゴホッッゴホッ!!!」
大きく咳き込んだ主は_______暘谷だった。
喉が燃えるよう熱く、そして苦しくになって胃酸と唾が一緒になって込み上げてくる。
口元へ添えたカタカタと小刻みに震える手を離れさせ、凝視する。
掌には吐血したと思われる赤黒い液体が。
暘谷は泣きそうになってから、けれども、すぐに乾いた笑みを浮かべた。
腰の力が抜け、倒れそうなのを通りかかった珠蘭が支えた。
「……暘谷……っ!!」
限界に近いあの兵士と同じ見張り番で寝る暇もない血の気を引いた珠蘭の顔をジッと見つめてから乾燥した唇の隙間から声を出す。
「……っは……鈴舞を、……星銀に……呼びに行って、……くれ……お、……お願いだ」
いつまでも、鈴舞を想い早く帰ろうと城内で過ごし策を練る暘谷は吐血するまで弱っていた事を陰ながら見守っていた珠蘭は大きく頷く。
例え、この身が尽きてしまっても鈴舞を城に連れてこようと珠蘭は決意する。
* * *
「何か、今日は嫌な予感がするの」
何言ってんですかい、と休憩時間の今、書を読む鈴舞を見つめる月狼が言う。
「……本当、……円寿の先の王様が暗殺された時みたいに……胸騒ぎがする」
鈴舞は来儀に買って貰った書を優しく撫で、俯く。
ひどく嫌な予感がした。心臓が喉もとまでせりあがってきた。
自分の予感が外れたことがなかったからこそ遠方に居る暘谷と珠蘭が心配で心配で仕方がなかった。
「飛燕城に、行けたら……いいな」
珠蘭でも、月狼でもなく自分が彼の一番の協力者になりたいと鈴舞はいつからか思うようになった。
その想いは離れれば離れる程、強くなり傍に居たいのだと心が叫ぶ。
ギュッと胸倉を荒々しく掴み、はぁっと深呼吸をした。
ふと目に入った医学書に載った植物に見入ってしまう。
『イレングレバナ』
その説明には真っ黒でけれど深みのある大変美しい花を咲かせ、毒成分のある果実を実らせる。
綺麗な花には棘があると言うようにこの花はかぐわしいその匂いも嗅げば嗅ぐほど害になるらしく医学界で何も知らない民が死ぬ最大の原因とも言われている程らしい。
引き起こすのは吐血、それから胃痛。
もっと酷くなれば命の危機にもなりかねない。そういう花。
(……黒い花って……私みたいじゃない)
我知らず溜息を吐くと書を優しく閉じた。
_____________「鈴舞ッッ!!」_____
何度も思い出した姉のような女性が目の前に息を切らして走ってくる。
鈴舞と月狼は激しく動揺し、目を見開く。
極地へと、暘谷の護衛として旅立った珠蘭。金髪を揺らし、碧眼から1つ筋の光を流した。
彼女は、泣いていた。
いつも凛々しく振舞い、兵士を従えてきた彼女が血の気を引いたいかにも具合の悪そうな表情をしている。
「……鈴舞、お願いだから、早く、……暘谷の許に行ってあげて……彼は、大変な状態で……っは」
真っ青な顔で意識を失い、倒れそうになった珠蘭は慌てて傍に寄った月狼に抱き抑えられた。
「……お嬢さんの勘、中ったかもしれませんで」
眼光を鋭くし、口元を歪めた月狼に鈴舞は重々しく頷いた。ただ事じゃないくらい珠蘭の言ったことで判っている。
「暘谷の許に行っていいか、水蓮様に訊いてくる」
そう言い放ち、普段は出さないスピードで宮中を駆けた。
* * *
「そんな状態に……解ったわ。皇帝には話をつけておくから殿下の許へ行ってあげて。それが愛する息子の望みなら母は反対もしない」
長い睫毛を伏せ、心配げに瞬くその顔を見つめ、鈴舞は跪く。
「……ありがとうございます、必ず殿下をお連れして帰ってきます」
諦めないと、鈴舞はその想いを示した。珠蘭の言葉を聞いてもなお、私は殿下が生きて居ることを信じ、まだ救う術を探すと。
水蓮妃は大きな桜色の瞳を見開き、目元を緩ませる。睫毛で縁取られた目から涙を流す。
安心、したような。そんな顔をして、この子に任せようと言う気持ちが鈴舞には伝わった。
- Re: 月華のリンウ ( No.15 )
- 日時: 2020/12/06 14:58
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
13.叶えたい願い
「……く、くそ…っは……」
あれから何日経っただろうか、身体の具合は直る兆しもない。
このままでは約束も果たせず、ましてやこの城を救うことも出来ない。
(俺は何の為に……飛燕城に来たんだ。布団の上で横たわることをする為に来たわけはじゃないのに……)
暘谷は衰弱した上体をのろのろと動かし、ふーっふーっと息を吐きながら布団から立つ。
壁に沿って机へと1歩1歩、慎重に歩く。こんな状態になる前にどうすればよかったのか、と思考を巡らすが答えは見つからない。
ふと、飾ってある黒い花が視界に入る。
震える手を伸ばし、花弁を触ると暘谷は辛い中だと言うのに表情を綻ばせた。
「鈴舞………ゴホッゴホッ……はっ……は、っは」
何かを喋るだけでこの通りだ。咳き込んだ時は決まって吐血する。
胃が針で刺されるように、軋むように痛い。
意識も日に日に遠くなっていることは知っていた。気付いている。
珠蘭は鈴舞の許へ着いただろうか。もし、自分が死ぬのなら鈴舞の傍で死にたいと、思える。
誰かの許で死にたいなんて思ったこともなかったのに、可笑しなものだなと乾いた笑みが漏れる。
見慣れてしまった手に付着したどす黒い血。慣れてしまった胃痛に朦朧とする意識。
「暘谷、暘谷ッッ!」
嗚呼、幻影まで見えるようになってしまったのか、と暘谷は悲し気に、それでも優しく眼を細めた。
彼女とした約束を守ろうと奮起をして努力してみたが自分ではやはり力不足だったようで飛燕城を救えなかったのは事実だ。
責められて当然なのにもどうして心配して自分を抱き抱えてくれる鈴舞がいるんだろう。
(……自惚れにも程がある……鈴舞と俺が、……同じ気持ちな訳はないのに)
唇の隙間から言葉を発する。無事に帰ったら伝えようと心に決めていた言葉。
__________「好……き、だ」__________
鈴舞の印象深い真っ赤な宝石のような瞳から、ぽたっと真珠のようなものが落ちる。
それは、暘谷を思う気持ちが詰まった温かく優しい涙だった。
「……よう、こく……」
余った力で鈴舞を引き寄せ、微笑み掛ける。
「ぇ」
くったりと力の抜けていった暘谷はすうっと静かに意識を失った。鈴舞は静かに一筋の涙を流し、下唇を噛むと「……ばか、今言う事じゃない」と呟く。
ろまんすの欠片もない告白に鈴舞は文句を言いながらも涙を流す。それは、溢れ出した自分の身の丈を知ろうともしない思いだった。
暘谷と同じ想いなのかは流石の鈴舞でも判らなかった。ただ1つはっきりしているのは生きて欲しいと叫ぶ心だった。
滝のように溢れ出す涙を強引に拭う。
(……入り口から遠い場所で寝ている人たちの方が重症に見える……暘谷、何か知っていないの?)
そう問い掛けても暘谷は眠っていて、何も話してはくれない。
暘谷の机を探ってみると沢山の紙が散らばっていた。
(!)
その紙には初期症状から、今の兵の様子。暘谷自身に起こった症状まで書かれていたのだ。
―――――――○月▽日
城に来た時よりも身体が重く感じる。腹が痛いと兵が訴えているよう俺にも。
―――――――○月□日
珠蘭に言えない。吐血をした、けれども珠蘭は気付いているのだろう。兵が、自分が、俺が日に日に衰弱していっていることを。
―――――――○月○日
見張り番をしていた珠蘭はまだ、歩ける状態だそうだ。鈴舞を連れてきてもらう為に使いに出した。俺が本来行ければいいが、足腰が弱り、歩けない状態になってしまった。
“約束を守れそうにない”
鈴舞はその紙の端に書いてあった言葉を見つけ、口を押える。ぽたっとまた、涙を流してしまう。
(……吐血に、胃痛……日に日に衰弱)
荷物から医学書を出そうと立ち上がった瞬間、高いところから底までずーんといっぺんに落ちた感じで目の前がくらくらした。
(……!? すぐには、ならないはずじゃ……)
人によって違うのか、と鈴舞は思う。
『見張り番をしていた珠蘭は歩ける状態』
でも、中に居た暘谷は歩けない状態。吐血もしていて重症。
まさか、と鈴舞は口を開いてしまう。今まで絡まった糸が解けたような気がした。
その時、視界に入った花に眼を見開いた。
それは、そう__________『イレングレバナ』真っ黒だけど大変美しい花を咲かせる毒植物。
「どうして、これが……」
(この城内にいた者、全てこの植物のせいで息途絶えたというの?)
息を呑む。香の前に立つと手を空気を掻くよう自分の鼻孔に持ってきて匂いを嗅ぐ。
甘く媚薬性もありその上、毒性も強いこの香りは間違いなく『イレングレバナ』だった。
まさか、誰かがわざと香を焚いたと言うのかと鈴舞は後退りをする。
急いで暘谷の首元をなぞるよう指先を置くと呼吸を確かめる。
「良かった………まだ、息がある」
なら、と鈴舞は背負い込むと一緒についてきた月狼のいる木が見える窓へと運び込む。
「お嬢さん、って主!? ……どうして、主は気を失っていてお嬢さんはふらついているですかい!!」
月狼はあたふためく。鈴舞は呼吸を整え、前を向く。
「ねぇ月狼、原因はこの黒い花・イレングレバナだよ。この花は美しい見た目だけど毒性の強い危険な植物」
鈴舞は花を見せてから、地面に置いて花と香を雪に埋める。
「有害な匂いが空気中に散って、吸い続けると影響が出るの。だから、意図的に誰かがこの花を……」
鈴舞は恐怖が次第に増長し脈拍が速まるのを感じた。そして、青ざめた顔で言い切ると疲れた顔に伝った汗を拭う。
周囲の空気がこの極地のように凍り付く。まるで何もかもカチコチに動けなくなって壊れてしまうかのように。
「ある少女が自分達を心配して心が安らぐからと毎日焚いて置いて下さいと貰った花です……!」
「間違いありません」とその声は力んでいた。息を切らして、がばぁっと頭を下げる兵士に月狼は目を見開く。
「……! 胃痛は大丈夫なのか」
兵士は「は、はいっ!」と答え、鈴舞を見つめた。
「鈴舞殿に薬を貰いまして……」
その言葉を聞いて月狼は鈴舞に近寄ると「主には」と言い、鈴舞は首を振って「今から」と言う。
苦しそうに藻掻く暘谷の傍に行って、小さな瓶を取り出すと暘谷の口へと液体を入れる。
「安静にしてれば大丈夫。私、残りの人達にも飲ませてくる!」
鈴舞は黒髪を一括りに結うと、ぱたぱたと城の中に入る。
___________「さて、オレ等は山賊をあたるぞ」
と兵士に向き直る。
「それにしても、悪事を働いた身でまだ、飛燕城周辺にいるとは馬鹿な連中だな」
月狼は声を上げて笑う。心の底から小馬鹿にした言い方に兵士は苦笑いをしていた。
「城を標的にしていたくらい、図太い神経の持ち主だから捕まらないと思っていたんでしょう」
森を掻き分け、炎の灯された一角へと星銀から連れてきた兵士を連れた月狼は足を踏み入れる。
「お前達か、毒植物をよこしたのは」
* * *
「……この城や自分の事を殿下は恥ずかしく思っているのでしょうか。自分等の危機感のなさのせいでこんな状態に殿下をしてしまった」
しゅんっと項垂れるやつれた顔の兵士に鈴舞は瞬きを繰り返す。
「負担ではなく、御力になりたいのに……あんな苦しめて………もう、此処へは来て下さらない気が、するんです」
目を伏せた血だらけの兵士に鈴舞は微笑み掛ける。その笑みに含まれた感情は喜びに安心。優しげな表情に兵士は目を見開いた。
「それは、大丈夫だと思いますよ……暘谷は優しいですし、……解決する為だと言っても1人1人の身体の状態を資料にまとめているくらいですから」
* * *
「なんだぁ、てめーらよ」
酒を片手に仲間で嘲笑う山賊に月狼は眉をピクリと動かし、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「星銀の都より来た兵団の者だ……困るな、勝手に人の物を襲って盗み、毒を運ばせるとは」
月華の兵士だけが使う事の許された剣に鎧、そして、食物までが置いてある。
「あんな警備の筒抜けな奴らがお城の兵隊さんだってよ!」
「たかーい城壁ん中で俺等に食物をよこしながら昼寝でもしてればいい物を」
「無駄に抵抗してよぉ……まあ、ご苦労さんだなぁ!!」
ははは、と声を高らかに上げて笑う山賊に月狼達は顔を歪ませる。
「昼寝、か……生憎だが、それは御免なんだな」
剣を抜いて構えた月狼達を見て山賊はにやっと怪しい笑みを浮かべた。調子に乗っているからか皇太子殿下付き直属の部下を侮っているようだった。
「オレは主を、支える為に居る。珠蘭が隣で護り、背中合わせで闘う。自分の立場を見失わず、前を見られる」
掌を丸め、拳を作る。ざくっと一歩踏み出し、前を向く。
「向かい合いたいと思う者も、主も護れる強い奴にならないとって思ってる」
(主は、鈴舞を護る。とにかく、絶対に。2人を護れるくらい強くなりたい)
「おめえ、何ごちゃごちゃと言ってんだよ」
山賊は苛立たしそうに月狼を狙って酒を投げつける。月狼は顔を動かさず、瓶を剣で斬る。
「気にするんじゃねぇよ、お前達にじゃないから。心の整理をしたんだよ、心の」
剣を取ると立ち上がり、山賊は笑う。
「李様!!」
加勢に来た兵士等に月狼は怒鳴る。
「お前等、おせぇかよ!!」
その直後に、キィインッ!という鈍い金属音が響いた。
山賊の剣と月狼の剣が激突した音だった。
「すみません、聞き入ってしまっていて」
「とても感動しています!」
その言葉に照れくさいのか月狼は唇を噛み締め、「ベらべら喋ってるとやられるぞ!」と言う。
そんなことを話していた月狼と山賊は至近距離で睨み合いながら、武器を押し合っていた。
山賊は焦った顔で目つきを鋭く、月狼はいつもの切って貼りつけたような皮肉屋の笑みを浮かべていた。
打ち合い、流れ、離れ。
また。
絡み付くように刃と刃が合わさる。
どちらかが少しでも判断を誤れば決着は一瞬でつくそんな判断力が試される勝負。
ぶつかる気迫と気迫に月狼は笑う。「やるな、山賊のくせに」と言うと山賊は「まあな」と答える。
* * *
「殿下、殿下ッッ!!」
眼を恐る恐る開けると見知れた兵士達が囲んでいた。
「お、……まえら……」
上体をゆっくり、と起こし、周りを見渡すと月狼が山賊を縄に掛けて引き連れてこちらに向かってきているのを見つける。
「あ、主ぃい!!!」
手を大きく振った月狼に応えるよう暘谷はいまだ、力の入らない手で振る。
「……皆、……状態が良くなったんだな」
と表情を綻ばせた暘谷に兵士等は瞳を潤わせてしまう。
「鈴舞殿、鈴舞殿!!!」
(嗚呼、やっぱり、運命だ……)
聞き慣れた名前に暘谷は目を見開くと、いつか夢に見た少女が目の前に立っていた。
「暘谷!目が覚めたんだねっ」
頬を寒さのせいで赤く染めた鈴舞に暘谷は更に目元を緩ませる。白い息を吐きながら、大きく頷いた。
(運命だと思う出会い、それを経て知っていく感情)
________________その幾つもが何処にいても消える事のない希望になる。
- Re: 月華のリンウ ( No.16 )
- 日時: 2020/12/06 14:44
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
14.提案
「……り、鈴舞。礼を言う、お前の的確な処方により俺達は救われた」
まだ倦怠感の抜けきれない暘谷は一足遅れて城内の修正などの仕事を休んで安静に過ごしていた。
鈴舞はその礼に表情を綻ばせてかぶりをゆっくりと振る。
「違う、暘谷があの記録を残してくれていたおかげだよ。救われたのは私の方」
そう言って暘谷の机の上に纏められた紙を見せる。
_______「それにしても、よく花の事を知っていたな」
凄いじゃないかと褒める言葉を掛けられた鈴舞は眼を見開いてから両手を左右に振る。
「それも違う。医学書のおかげだしそれを買ってくれた人のおかげ」
来儀にあの書を買って貰わなかったら鈴舞は暘谷達を救えなかっただろう。ただ、呆然に暘谷が弱り苦し死んでいくのを見ているだけしか出来ない。
そしてあの暘谷達に出会う前の鈴舞なら、飛燕城に来る勇気さえも出なかっただろう。
つまり、鈴舞は変わったのだ。弱虫で言われっぱなしの恥ずかしい鈴舞じゃなくて強くて勇敢な鈴舞へと。
「買ってくれた人なんて、いるのか……少し気になるが話は別だ。書を読んで俺達を救ったのか……鈴舞、侍女の仕事よりもこっちの仕事の方が得意そうだな……それなら」
ぶつぶつと顎に手を添えながら1人で呟く暘谷を鈴舞は見つめた。
この2人は普通に見えるが、普通じゃないのだ。少なくとも鈴舞は、あの、衰弱した暘谷の、告白をいまだ鮮明に憶えている彼女は。
(暘谷は、憶えてないのか、な……っ憶えてなかったらそわそわしてる私って変じゃない………?!)
思わず髪の毛を無駄に触ってしまう。
―――――――「あの、提案なんだけど……侍女を辞めてさ書が好きだったら文官、やってみたらどうだ?」
暘谷は俯いていた顔を上げ、実はそわそわしていた鈴舞に提案する。
「え、どういう事? 文官ってあの、文官?」
興味が滝のように湧いてくるのを鈴舞は感じ取る。
「嗚呼、文官は文治をつかさどる官職だ。皇子の学問や行儀作法教育、あと様々な雑務を仕事とするが本のある書室に置かれる、数年に一度、十数名のものがなれる難しいものだが……お前には侍女よりも向いていると思う」
暘谷にそんなことを言われるとそんな気がする自分は流されやすいのかと鈴舞は興味を抱く気持ちがある半面、駄目だなと嫌悪を抱いていた。
でも。
(難しそうだけど、書と触れ合えるなら、頑張っても良いかもしれない……)
鈴舞の心に小さな炎がつき、やがてその炎は激しく燃え上がってくる。
「私、やってみる!!! 絶対に受かってみせるからッッ!!!」
すくっと勢いよく立ち上がった鈴舞は暘谷に拳を突き付けた。
「約束」と言われた暘谷は布団から起き上がり、甘い微笑を浮かべた。
_____________「嗚呼、約束だぞ」
こつん、と骨と骨が優しく、静かにぶつかり合う音が響き渡る。
その直後、男女の笑い声が聞こえ、部屋の前を通った兵士は、にんまりと口角を上げてしまう。
―――――――新たな目標が2人をまた、成長させる。
飛燕城はやはり自分の物語を読み進めるきっかけになり、彼等の関係を大きく変える事になるだろう。
雪解けを待つ彼等は温かな春風を呼ぶことになる。
- Re: 月華のリンウ ( No.17 )
- 日時: 2020/12/06 14:58
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
15.心配
「……鈴舞、鈴舞…って寝てるのか……」
書を手掛かりに鈴舞が作った薬剤を取りに来たものの、鈴舞は机へと顔を伏せていた。
______すぅ、すぅっと小さな寝息が聞こえる。
あの、やると決めたら止まらない猪のような鈴舞が大人しく、幸せそうに子供みたいに寝ている事に対して暘谷は、思わずくすりと笑ってしまう。
彼女を見ていると背中を押されて新しい事をしてみようと思える。幸せな気持ちにもなる。
「余程、疲れてるんだな……すまない」
暘谷は自分の羽織っていた服を脱ぐと鈴舞に優しくふわっと掛ける。
そうした時、鈴舞の指が一本一本で、動き上体を机から起こす。
「………よ、暘谷が……見える……ぅ……? ……ん??」
寝ぼけているみたいで手を宙に動かすが、違和感を覚えたらしく目を細める。
「これ、……幻想じゃなくて、ほ、本物……??」
暘谷の服をペタペタ触る鈴舞の手を掴むと暘谷は苦笑交じりに頷く。
「生憎のところ、本物だ」
言葉を発すると、鈴舞はみるみる目を見開き、「ヒッ」と小さな悲鳴を上げる。
「ご、……ごめん。……ペタペタ触っちゃって……」
いや、いいよと微笑みと薬品の瓶を見せる。
「これ、貰ってくな。あと、余計なお世話かもしれんが鈴舞、結構疲労がたまっているみたいだし無理をせず、ちゃんと眠れよ」
そう伝え終わった暘谷は鈴舞に背を向け、手を振り、去っていく。
「疲労……かあ」
確かに頭痛がする。視界もボーっとしているし、輪郭もない。
鈴舞は座りながら体を上に伸ばす。
「眠れ」と言われたがそうは言ってられない。
持ってきた書を読み終えなければいけないし、負傷や風邪を引いた兵の看病をしないといけない。
此処での役目はちゃんとしたい、鈴舞はそう思っている。
暘谷の言っている事は理にかなっているが休む事は出来ない。
「……さて、今日も頑張りますか……!」
すくっと椅子から立つと頬をパチンっと叩いて思いきりの笑顔を作った。
*
―――――――「お嬢さん、ちゃんと寝てます?」
唐突に言われ、鈴舞は動揺してしまう。
訊いた月狼はジッと鈴舞を見つめ、息を吐く。彼の鋭い狼のような金色の眼が心配げに瞬く。
「え? な、何で……そう思うの?」
取りあえず理由を聞いた鈴舞は不器用に微笑むと月狼は手を掴む。
「いつもより顔色が悪いから……ていうかオレの質問にも答えて貰えます?」
普段と違ってグイグイ来る月狼に驚く鈴舞は「え~?」と誤魔化す。
「ちゃんと寝てるよ~?」
あはは、と作り笑いを浮かべ、沢山の資料と薬剤の入った箱を運ぼうと地面から持ち上げる。
そして、歩こうと一歩踏み出すが、ふらっと身体が後方へ傾く。
視界が180度回って、鈴舞は眼を瞑るが、頭に強い衝撃は無くて驚く半面不思議に思う。
眼を恐る恐る開けて見るとぼんやりとしていた視界がやがて輪郭を少しずつ取り戻していく。
乱れた前髪が誰かの指先によって整えられる。壊れ物を扱うように物凄く優しく繊細な手つきで。
「……ぁ」
金色の瞳と目が合う。そして急いで彼から離れる。
倒れそうになったところを支えてもらったのだ_____月狼に。
「……あーなんつーか……その、……と、とと、取りあえず」
頭を軽く抑えながら気まずそうに声を出す月狼は鈴舞をちらりと見てから視線を逸らす。
_____________「ね、熱。ありますよね?」
月狼はそう鈴舞に告げると、「ちょっと動くなよ」と言い額に手を置く。
「やっぱり、微熱だけど辛そうだ。今すぐにでも寝た方が良い」
鈴舞自身でも誰も気が付かなかったことに月狼は気付いていたと言うのか。苦笑してしまう。
確かに、これは熱かもしれない。頭痛に締め付けられる喉。
「……無理を、するなよ。本当に自己管理の出来ない馬鹿なお嬢さんだ」
2回も同じことを言われてしまったと鈴舞は乾いた笑みを浮かべた。
(……本当、馬鹿だと言われても仕方がない……)
「ご、ごめん……なさ、い……」
月狼は軽く咳き込み始める鈴舞の腕を掴むと自分の背中へと身体ごと背負い込む。
「黙ってて下さいね、喋ると耳に響きますから」
鈴舞はそう告げられぼーっとする意識の中、頷き続けた。
- Re: 月華のリンウ ( No.18 )
- 日時: 2020/12/06 14:59
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
16.本心
「ねぇ、………月狼は、……どうして、気が付いたの……?」
さっきも同じような事を聞いた気がするがまあいっか、と鈴舞は薄く微笑む。
「お嬢さんの事を見ていたから………ですかねぇ……忙しなく仕事してたんで心配してたら、悪い予想があったってしまっていて………冷静に見えますがこれでも驚いてんですよ?」
月狼の声色はいつもと同じだ。落ち着きのある何処か人を笑顔にしてしまう声。
(………温かい。月狼の背中ってこんなに大きいんだ……へぇ………意外だなぁ)
遠慮していた鈴舞も緊張などが解け、身体を委ねる。
一歩一歩、歩みを進める月狼の背中は揺り籠のようでとても安心出来たのだろう。
真面に寝ず、今まで睡魔と闘い手強いくらいの鈴舞でもとろんっと目を伏せてしまうのだ。
―――――「……お嬢さん、………お嬢さん……って寝てるし」
顔を横に動かした月狼は背中で静かにすーっすーっと息を吸って吐いてを繰り返し寝ている鈴舞を見てふっと今までにないくらい柔らかく微笑んだ。
そして、一人、呟く。
「オレは……お嬢さんには笑顔でいて欲しいんです………お嬢さんが、鈴舞が、笑顔でいてくれるならこのまま仕事は、しなくていい生活を……って何言ってんだオレ」
自分の本心を思わず告げてしまった月狼はパッと口を片手で塞ぐ。
「……あー、最近、やべぇな………主に申し訳ねぇわ」
そう呟き、空を見上げた。月狼の心と同じく灰色に、モノクロの空だった。
雲が、ぷかぷかと浮かんでいる。
「………鈴舞には幸せになって欲しいんだ……」
月狼は背中で赤ん坊のように笑顔で眠る鈴舞の髪の毛が首に触れるのを感じながら歩き出す。
飛燕城は、まだ雲に覆われていた。
1人1人の心模様のように、何かに悩み、苦しむ姿を現しているかのようだ。
*
――――――――「……主」
鈴舞を寝かしてから雑炊を取りに帰ってきた月狼は驚いた。
自分の主人_________暘谷に知らせてもいないのに、鈴舞の仕事部屋に居たのだ。
多分、すれ違った兵士の話を聞いたのだろう。きっと業務をほったらかして飛んできたのだろう。
問題は其処ではなかった、暘谷が鈴舞の髪を指先で梳き手を握っている場面だった。
“気まずい、こんな場合どうすればいい?”、その一言が月狼の頭を埋め尽くす。
「………お、おう……月狼か」
気が付いた暘谷は額から頬にかけて冷や汗を伝わせ、心なしか眉が吊り上がり口が尖がっている気がする。
余裕のない表情をしていた。
「えっと……雑炊、持ってきたので起きたら鈴舞に食べさせてあげてくださいね、主」
いつもの調子で言えただろうか、と月狼は思う。
変な汗を掻いてしまう。
そんな状態でも、目線が行くのは今だに握られている鈴舞と暘谷の手。
(女々しい………かよ)
自分自身を恥ずかしく思った月狼はパッと暘谷に背を向ける。
_________居たたまれなかった。前と似た感情だった。
心の底に渦巻く感情。悲しみ、怒り……一言では表せない複雑な感情。モヤモヤしていて気持ちが悪いこの感じ。
何度もあの手を握りたいと思っても、自分は握ってはいけないのだと暘谷の一途な恋心や鈴舞の優しさに思い知らされる。
「………では」
にこっと不器用な、笑みを浮かべた月狼は鈴舞の仕事場を出た月狼はその場でしゃがみ込んでしまう。
- Re: 月華のリンウ ( No.19 )
- 日時: 2020/12/06 14:59
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
17.看病
―――――――――――――仰向けのまま、身体が海の中へ放り込まれる。
恐る恐る瞼を開ければ、すでに海面からかなり離れていて遠くの日光が青に揺られているのが見えた。
不思議と息苦しくはなくて、そのまま水中の音に耳を傾け心地よさを堪能していると、光を遮るように海面近くに黒の大きな生物が一頭、現れた。
その大きさに少し怖くなって思わず息を潜める。
こんなに広いのに頭上の生き物は、優雅に泳いで私の視界からは消えてはくれない。今更になって、恐怖が全身を支配する。
私はこのまま、其処へと墜ちていくしかないの?____________
*
―――――――「……、……夢?」
その夢の内容は起きると同時にあっさり消えてしまっていた。全身に汗を掻いている時点で良い夢ではないことは明白だった。
鈴舞は、はぁっと息を吐いてから、お凸に張り付いた髪の毛を手櫛で整えた。
ベッドから下りようとすると………。
「!!!?」
身体が動かなかった。しかも左半身だけ。
半身だけ金縛りにあっているのか、と初めて下を見たところ、鈴舞は驚いた。
何度も目を擦って、見てしまう。
なんと、暘谷に手を握られていて、膝枕の状態だったのだ。
「……………よう、こく………なんで……」
きっと知らせを受け仕事を放り出して来たのだろうと短い間の付き合いの鈴舞でも大体察しのつく事だった。
「………ばか……か……って、言ってる私も、か。自分の状態に気が付かなかったもんな……」
寝てしまう前に月狼にお凸に触れられ、負ぶって貰った事。
走馬灯のように瞼の裏に蘇ってくる出来事に薄ら笑みを浮かべる。
自分の情けない所、月狼の勘の良さと未だに残っている生ぬるい体温。あの鋭い綺麗な目と息継ぎの仕方。
生々しい、まだ、月狼が近くに居るようだった。
ギュッとあの時、触れた掌を握り締め、見つめる。
思いきりブンブンっと頭を振り煩悩を捨てようとすると視界に入った、微量の光に当たりきらきらと輝く一束の銀色の髪にその手で触れる。
暘谷の眉間に皺が寄っていた。
心配して熱が下がるまで看病してくれたのだろう。
布やら氷が入っていただろう袋、などが散らかっているから、すぐに判る事だった。
「ふ、……酷い顔……」
眉間を人差し指で突いてみれば眉毛は動き、寄っていた皺は伸びる。すぅっと優しく息を吸って吐いてを繰り返す。
子供のようにギュッと鈴舞の左手を握り締めてうずくまり、可愛らしく目を伏せる暘谷に鈴舞は顔を綻ばせる。
(跡が付いちゃってるじゃない………そんなに、心配したの……? こんな黒髪の忌々しい私の事を………一国の皇子様が下女だった女を看病って………どうかしてるでしょ……)
そんな事を思いながらジッと見つめ、観察をしていれば暘谷の指が少しずつ動く。楽器を弾いているかのようだった。
(あ、起きた……)
もぞもぞ、と動き出す暘谷を鈴舞は赤子を愛おしく思う母のような眼差しで見つめる。
「う~」と呻き、欠伸を一回すると半開きになった眼を擦る。
―――――――「………お、え? ………りん、う……鈴舞、起きたのか!!?」
一瞬、訳の分からなそうな顔してからみるみると可愛らしい子供のような笑みを浮かべた暘谷は余りの嬉しさから鈴舞へと抱き付く。
抱き付いてきた暘谷に驚き、頭が回らない鈴舞は硬直してしまう。温かい、体温が伝わってくる。
その度に激しく胸が脈打つのだ。
「え、あ………ふぇ……い、……な、……ようこく……」
―――――ゴトッと大きな音が鳴り響き、振り返れば硬直した月狼が後方で二人を凝視していた。
「せめて………扉をしっかり閉めてそういうことをして下さいよ。見る方のこっちになってくれ」
(月狼ッッ!!!?? う、うぅうううそ!!!?)
げっそりとした表情した月狼に驚き、慌てて鈴舞は暘谷を凄まじい力で突き飛ばす。
「おぶッッッ!!!」
鈴舞の拳が腹に直撃した暘谷は腹を抑えて呻き声を上げる。
そんな痛いと言う苦し辛そうな様子を見ても心配できる程の余裕もなかった鈴舞は布団を包まってしまう。
「………ったく………主って奴は………」
呆れたように溜息を吐きながら鈴舞に近づく月狼は、暘谷をチラッと見る。
鈴舞はその表情を見るや否や頬をどんどん真っ赤な完熟林檎のように赤く赤く染めていく。
恥ずかしいとこんなところを見られるなんて、という考えが鈴舞の脳内を埋め尽くし、冷静な判断が出来なくなっていた、
「――ッッ!」
深呼吸をして、落ち着かせる鈴舞を余所に暘谷は何かを察知したようで急に月狼を睨み付けていた。
火照った鈴舞の顔を優しい眼差しで見つめてくる月狼は、「失礼しまーす」と告げて、ひんやりと少し冷たい手を当ててくる。
その体温のおかげで熱くなっていた鈴舞の顔も冷めていく。
………外が余程寒かったのだろう、細かく見て見れば月狼の耳はポッと赤く染まっていた。
そんな事を見ている鈴舞のお凸に手を当てて熱が下がったのか確認する月狼はゆっくり頷いてから持ってきた雑炊を机に置く。
「………熱は、………下がったな………良かったな、鈴舞……!」
くしゃくしゃっと皺を寄らせ、白い歯を見せて太陽のように微笑んだ月狼に頭を撫でられ鈴舞は硬直してしまう。
「―――っ」
鈴舞は言葉を失う。
金色の瞳が瞬く度に顔が熱くなってくる。
月狼に魅入っていたのは事実だった。
やっと出てきた言葉は________「………ねぇ、……私の事、子供扱いしてる?」だった。
折角、整えた髪をぐしゃぐしゃにされ、苛立ちを含んだ言葉を放った鈴舞は笑顔で月狼を見る。
滲み出る怒りに気付いた月狼は苦虫を嚙み潰したような顔で「げ」と声を漏らし、そそくさと部屋の外へ逃げ込んでしまう。
「………もう……ッ」
はあっと溜息を吐く鈴舞の表情をさっきから一言も喋らない暘谷は鋭い眼差しで見つめていた。
「……」
下唇を、ガチっと強く、強く噛む。
――――――「……、…え、と……………じゃあ、俺も行くな」
暘谷はいつも通りの表情、優しい笑顔………だけど力のない微笑みを浮かべ羽織を翻す。
バサッと音がして一人完全に自分の世界に入り込んでいた鈴舞は、ハッと気が付き、慌てて「う、うんっ」と返事をする。
「……っ」
寂し気に一瞬見えた背中に何も伝えることも出来なかった鈴舞は目線を逸らした。
あの日から、暘谷と自分の間には一本、線が引かれ、近づくことが出来ないことを鈴舞は知っていた、けれど、口にすれば何かが壊れてしまうのは事実だった。
だからこそ、気付かない振り、そして、今までと同じように笑顔で接していた。
これからも、笑ってやり過ごそうと思い始めている自分に気が付かないまま、窓を開け空を見つめた。
______________誰一人と、気が付いていなかっただろう。
この時点で糸は、もう、絡まり、拗れ始めていることを。
- Re: 月華のリンウ ( No.20 )
- 日時: 2020/10/28 17:00
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
18.気持ち
「………はああぁああ………どうすれば、いいか………」
盛大なる溜息を吐いた暘谷は長い廊下を歩き、空を見上げる。
「すれ違い……、だよな………」
暘谷が気になるのは鈴舞があの日からよそよそしいかったことだった。
あの時は殆ど意識が無い状態だった為、自分が何をしたか、実を言うとあまり覚えていない。虫食い状態なのだ。
「……なんか……アイツに不味いこと言っちゃったか……?」
頭を抱えても思い出せない。
鈴舞と居て気付いた事と言えば鈴舞を見る月狼の眼が変わった事。そして、月狼に明らかに鈴舞は見惚れていた。
「………従者に嫉妬してどうすんだか………ったく醜いかよ」
鈴舞に出会ってから知らない感情、表情が生まれたと同時に自分の醜さ、執着心と意地汚い独占心に気が付いた。
(………どんどん自分が嫌になる……)
やっと、鈴舞に会えたと思ったら今度は月狼。
一難去ってまた一難、二度あることは三度あるって言うしな。
そう解釈すると自分に言い聞かせるように暘谷は頷いた。
「………残った山のような書類、片づけるかぁ……」
背伸びをして深呼吸をする。
こうやって、暘谷は無意識のうちに自分の気持ちを誤魔化し続けていた。
解っていても、口にしないように、心がけていた。
「……きっと……時が、解決してくれるよな…………?」
さっき触れて時間が経っているのにもまだ、鈴舞の温もりの残った手を握り締め口元に当てた。
- Re: 月華のリンウ ( No.21 )
- 日時: 2020/12/29 17:38
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
19.それは
―――――「ゆ、……月狼っ!!」
暘谷に力強く引き留められ、吃驚した顔で振り向いた月狼は木の上に行こうとしてたところでピタッと止まる。
その雰囲気から察したのか、月狼はスッと目を細め、「何ですかい?」と声を鋭くさせる。
暘谷は乾き切ろうとしていた口の中に込みあがってきた固唾を飲み込んで、その鋭い視線から逃れようと顔を俯かせる。
言わなければいけない。訊かなければいけない。その思いだけが暘谷の頭の中をぐるぐると何周もする。
「あ、……お……お前……お……おれに……」
――――――“隠していることはないか?”
たどたどしく続いたその不安気な暘谷の言葉を聞いた月狼は息を呑み、合わせていた眼を逸らした。
「……そんなわけないじゃないですかぁ!! オレは主に嘘なんかつけませんよぉ!!」
短い沈黙は月狼、そして暘谷にとっても針の筵だったろう。どちらも苦い顔をして、不器用に笑顔を作る。
月狼はそう大声で笑いながら言うと「どうしてですかい?」と暘谷を窺うように、出来るだけピリピリする空気を出さないようにと気を配りながらいつも通りフレンドリーに聞く。
「いや、……ふと思っただけだ。従者なら、抑えられない感情には……想いには主人よりもそっちのほうが大切になるんじゃないかって……勿論、それは悪いことじゃないし、何を言われても咎めない」
俯かせていた顔を暘谷は上げて弱々しくかぶりを振ると「お前の幸せを願ってる」と羽織を翻して暗闇の中へと去っていった。
木の枝で止まった月狼は頭を軽く掻いて、額に手をやる。唇をきゅっと噛み締めると、手を強く強く、強く握った。直後、刺すような鋭い痛みが走るも顔を歪めず月狼は白い息を吐く。
開いてみれば掌に爪の丸い跡がつくられていた。
(こんなの痛くも痒くもない。主は、相当悩んでいる。鈴舞だけじゃなくて、オレの事でも………)
「………判ってるくせに、お人好しにも程がある……主、今、恋敵を応援したんですからね」
主人の優しさ、鈴舞の努力、そして可愛らしいところ。
――――――『ねぇ、子供扱いしてる?』
あの時、触れた手。まだ鈴舞の体温と肌の感触が生々しく残っている。
気持ち悪い。こんなことを想う自分が、酷く、軽蔑する。
月狼は酷い自己嫌悪を覚えながらも、その手を、もう片方の手で覆う。そして胸へと添えた。
――――――――オレは、やっぱり……鈴舞が、好きだ。
認めざる負えないこの感情に、初めての気持ちが、痛い程、苦しいと月狼は歯と歯を擦り合わせてギリッッ!! と鳴らす。
月狼の想いが鈴舞に届かないことが目に見えているはずなのに。
自分でも解っているはずだと、何度も何度も言い聞かせる。
自分みたいな盗人をしていた人間を、鈴舞のような、透き通る水みたいな人間が、好きになるはずがないと、太腿を作った拳で強く叩きながら。
「…………なのに、どう……し、て……ッッ!!」
こんなにも、鈴舞が愛おしく思えるのか_____月狼は悔し気に、眉間の皺を深くさせ、顔を歪ませる。
*
「あれ? 月狼、こんなところでどうしたの?」
暖かそうな毛布を肩にかけた鈴舞がにこっと微笑みかけていた。
あれから寝てしまっていたのだと、月狼はパッと空を見上げ初めて気が付く。
目の前にいるのは紛れもなく想い人、鈴舞だった。
「えっと、……お嬢さんこそ、どうして?」
そう病み上がりの鈴舞の顔色を窺うかのように月狼は小首を傾げて、その真っ赤な宝石、燃える太陽のような瞳を見つめ返した。
「寝付けなくて、つい………あ、暘谷に言わないでね? 抜け出してきたんだから、怒られちゃう」
悪戯っ子の顔をして人差し指を唇に当てると、鈴舞は視線を下に向ける。
何故か、気まずい。
その気持ちが、二人の胸に広がる。
「あ、えと、ゆ……月狼は……なんだか顔色悪く見えるっていうか……大丈夫?」
心配だな、と言葉を漏らす鈴舞を月狼は一瞥してしまう。
心配して貰っていると、嬉しくて高鳴る胸を抑えながらも、すぐさま暘谷の顔が浮かぶ。人間として底辺並みの自分を救い手を差し伸べてくれた大切な、主人の顔が。
――――――『お前、人が困る盗みをするんじゃなくて感謝されること、やれよ。おれが、させてやるから!』
物凄く、御節介焼きで頑固で、我儘で意地っ張りで図星を構わず突いてくる素直な主。
――――――『おれの護衛はこいつだけだ。こいつ以外だなんて、あり得ないからな!!』
嗚呼、裏切らないと誓ったのにも、権力争いが絶えない騙し合いの戦場で先頭をきって、戦っている不安定な彼を救いたいと、護りたいと思ったのに。
月狼は眉を八の字に下げる鈴舞に向けて曖昧な笑みを浮かべ「あ、大丈夫だ……心配、ありがとな、お嬢さん」と言って見せる。
心の中で決まっていることが、出来ないのは自分の忠誠心に引き留められるから。
暘谷には幸せになってほしいから。
想うことは同じ。
だからこそ、お互いが遠慮しあっている。することではないと、わかっているのにも。
「……もう、寝た方が良いですよ。お嬢さんは病み上がりだし、身体を大事にした方が良いって思います、それでは失礼します」
返事を聞かず、鈴舞に背を向け、木の上に上って月狼は自分の部屋へと向かう。
「月狼……本当に、どうしたんだろう……やっぱり昼間のが悪かったのかな……」
残された鈴舞は訝し気に月狼の上っていった木を見つめた。
もう、いないことは知っているのに、自室に戻ろうとしても、鈴舞は何度も振り返ってしまう。
「最近、変だよね……皆、私も、暘谷も月狼まで」
自分が原因かもしれないなんて、鈴舞は心の隅で思っていた。
あの二人がぎくしゃくしたのも、自分のせいなのでは? と。
だけど言い出せないのも事実だった。何より二人が、離れて行ってしまうのではと思ったのだ。
前のように楽しく話をするのも出来なくなるのではと言い出そうと思っても言えない。
飛燕城、それは、踏み出すための一歩だろう。
それぞれの想いが交差する複雑なこの関係に_________
夜空の月はまるで悩みを抱える全ての人間かのように独りで輝いていた。
寂しそうに、悲しそうに。