コメディ・ライト小説(新)
- Re: 月華のリンウ ( No.11 )
- 日時: 2020/08/31 17:10
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
09.芽吹き
「…えっと、……初めまして、貴妃の水蓮様の侍女になりました―――黄 鈴舞と申します」
鈴舞は深々と頭を下げた。
「黒髪よ……確か円寿では不吉で悪魔が宿ってるって言われているわよね………?」
「やだ、恐い」
ひそひそと話す侍女達の声が鈴舞の胸に深く刺さる。その言葉、表情1つが鋭利な剣のようで恐かった。
鈴舞は瞳から涙が溢れ出そうになるが唇をぎゅっと噛み締め抑え込む。
「…よ、ろ………しくお願いします」
口を開いた瞬間、涙が一筋零れ鈴舞は急いで涙を拭う。
* * *
「主ッッ!」
木を渡って窓から入ってきた月狼に暘谷と珠蘭は呆れた表情をする。
「おい、何度も言っただろう。この執務室に入る時はそっちの扉から入って来いって」
その言葉に珠蘭も大きく頷く。
「本当、学習能力もないね……貴方って」
月狼に近寄り、珠蘭はしかめっ面でその眉間を突く。そんな事をされて不貞腐れた月狼は「ケッ」と声を漏らし、その手を振り払う。
「そんな事より一大事ですってば!」
暘谷はその焦り具合に小首を傾げる。月狼は人差し指を立て、唇を動かす。
「水蓮様の侍女になった鈴舞なんですがね、侍女の仕事もさせて貰えず朝から今まで、水汲み所で使ってもくれない水を永遠と休みなく汲んでいるんですってばッ!」
いつも通り木を渡って宮中を一周してきた時、丁度水汲み所へ立ち寄ったところ、ずっと鈴舞が水を汲んでいたという。
暫く様子を見ていたが使われる気配もない。
暘谷は思わず机を拳で叩く。
怒りで、燃え上がりそうだった。頭から湯気が出ているようで、胸糞が悪い。
鈴舞の、やつれた悲しそうな横顔が脳裏に過ぎる。
―――――――『ちッ、近づかないで!!!』
初めて対面した時の彼女の顔は逃げ場を求める人間に追われ、傷付けられた獣そのものだった。
『…っ、不吉だって皆、思っています、よ』
当然事のように言う癖に顔は悲しそうで、消えていってしまいそうだった。
『貴方は、私の黒を好きって言ってくれた。けどッ、私は……結局、貴方の足枷になって不幸としかならなかった』
そんな事はないと否定したかった。だから、連れ出す事を決められた。
下唇を無意識のうちに噛む。月狼と珠蘭は顔を見合わせ、眉を寄せる。
黒への差別が、彼女への冷遇が、見る……いや、聞くだけで胸が苦しくなる暘谷だった。あの、笑顔を思い出す度に申し訳ない気持ちに浸る。
「く、……くっ、そ」
(俺にもっと、力があれば……)
* * *
「鈴舞」
名前を誰かに呼ばれ、鈴舞は水の入った樽を持ちながら振り返る。
「…えっと、……皇子?」
いつもとは違った漢服姿に鈴舞は戸惑いながらも呼びかける。
碧く大きな瞳がピンとこなさそうに瞬く。
「って2人の時は名前で呼ぶ事って命令したぞ……!」
そう口を尖らせ、怒ったように端正な眉目を吊り上げた暘谷に指摘され鈴舞は慌てて頭を下げる。そして、言い直す。
2人の時だけ許された名前呼び―――――「よ、暘谷」と鈴舞は、はにかみながらも薔薇色に染まっている唇を動かした。
言い直し近寄るとヘラっと表情を緩め、白い歯を見せて笑った。
「………というか鈴舞、お前だけ此処で何してる?母上の他の侍女は調理場にいたぞ」
碧眼が探るように鋭くなる。鈴舞は「あ」と呟き、顔を背ける。
鈴舞は樽に入った水を見つめ、口をパクパク、開いた。けど、言葉にならない。
言葉ではなく溢れたのは悲しみ。
此処にいるのは黒髪が原因だった。
黒髪はきっと水連妃の赤子に影響を与えると噂され水汲みでもしとけと言われたのだ。
水汲みはこれで何回目だろうか。
精々5回、同じ樽で水を汲み同じ場所に運んだだろう。
鈴舞が汗水たらしながら一生懸命に水を何回汲んでも汲んできた水が使われることはなかったのだ。
“異国にいた黒髪の娘が汲む水など大切な水蓮様の料理に使えぬに決まっているだろうッ!?”
そう言われたのだ。
傷ついた鈴舞は執務で忙しい暘谷や護衛と言う任務がある2人、まして月華を代表する兄などに助けを求められることは出来ずに居場所もなく仕事をしている振りをしていた。
その言葉は思い出すだけでも胸が途轍もなく痛くなる。
何回も何回もどこへ行っても言われ続けてきた言葉。円寿では神などを大変に信仰していた為、黒髪への差別が月華よりも酷かった。
男に拳で殴られ、女に平手打ちにされ、人々に嘲笑われ、役人に家を壊され追われて、王に罵倒され首を刎ねられそうになり殺されかけた。
女達の、人々のこんな言葉、行為に慣れたはずだったのにどうして胸が痛むのか鈴舞には理解が出来なかった。
愚痴でもこの皇子に言ってみようか、どんな顔をするのだろうそう思い、口を開く鈴舞。
――――――――「………私ッ………黒髪なんて嫌だよ…ッ」
困らせてみようとしていた鈴舞だったが口を出た言葉は弱音だった。
言い訳でもなく侍女らへの愚痴でもない、ただの弱音。
“黒髪じゃなければよかった”
暘谷と出会い忘れていた事――――――あの黒髪を恐がり、妬む侍女達が蘇らせたのだ。
ぽとっ、と涙が頬を伝い零れる。流石の鈴舞でも頬に熱が集まるのが判った。
暘谷はあの日見た、弱々しく頼りなさげであっと言う間に壊れてしまいそうな儚いその姿を見て、目を丸くする。一言を言えば明るく場を和ませることが出来る暘谷でも泣き顔にはどうしても狼狽えてしまう。
それが尚更、強くあろうとする真面目で仕事熱心な彼女なら。弱音をあまり口にしない鈴舞だからこそ。
「どうして………私は黒髪なの……こんなの嫌だ、………望んでこの姿に産まれたわけじゃないッ!!」
物心ついた時、いつかのあの日から心に溜め込んできた想いがブワッと溢れ出てくる。
制御など出来なかった。壊れたように叫び散らす。
口を手で覆っても涙は頬を伝い、零れ落ちる。嫌になる気持ちに覆われている一方、何処からか浮かび上がった羞恥心が襲い掛かってくる。
(もう嫌………だ。困らせてみるどころか本当に困らせて、暘谷にこんなぐちゃぐちゃになった泣き顔なんて、こんな姿を見せるなんて恥ずかしい……ッッ!!)
頭を苦しそうに抱え悲痛な声で言葉にならないことを叫ぶ鈴舞に暘谷は、ゆっくりと歩み寄る。
日差しに照らされ風に靡いた質が良く艶のある綺麗な黒髪を掬い取ると、暘谷は黒髪にそっと口づけた。
―――――――「俺は、お前の黒髪が好きだ。全てを飲み込む強さと包み込む優しさを同時合わせ持つ神秘的な色だと思う……何より何事にも真っ直ぐなお前に似合ってる。鈴舞、誰が何を言おうと、お前の黒は綺麗だ」
鈴舞は真っ赤な宝石の瞳を見開き、薔薇色に頬を染めて困ったように眉を下げる。
零れ落ちそうな涙を暘谷は優しく下睫毛に沿って拭う。少し焼けた小麦色の指先に涙が付いていた。
――――――「俺が護ってやる。不吉だとか言う奴らからお前を護る………だから、さ。泣くなよ」
暘谷は大切なものを扱うかのように鈴舞の事を抱き締め、そして、泣き止まない赤子をあやすかのように頭を撫でるとフッと声を漏らす。
「鈴舞、もっと自分に自信を持て」
甘く微笑み離すと鈴舞の眉間を突き、風のように立ち去っていった。
暘谷が立ち去った後、鈴舞は力が抜けたように崩れるように座り込んだ。
鈴舞は突かれた眉間を手で押さえると下唇を恥ずかしそうに噛んだ。
* * *
「お嬢さん、大丈夫ですかい」
暘谷が立ち去ってから少し経つと木の上から月狼が下りてくる。
自分が暘谷の胸の中で泣いていた事を見ていたのだと、気が付いた鈴舞はズサッと後退りをし、躓きこけてしまう。
「そんな恥ずかしがったり、強がったりしなくていいんじゃない?誰にだって泣く事は必要だと思うけど」
月狼は隣に座りに来て微笑む。鈴舞は瞬きをして、頷く。
「主も、珠蘭も、勿論の事ながらオレもお嬢さんの事、護りますから」
鈴舞は眼を見開き、それから口角を上げ、言う。
―――――――「約束だよ、お願いね」
ニッと白い歯を見せて笑う鈴舞を見て、月狼は息を呑むのも忘れる。
「……?」
月狼は手を伸ばし、一束の艶めく黒髪を優しく取り、ジッと見つめる。
「月狼、どうしたの。ゴミでもついてた?」
そう訊ねると月狼はパッと放し、両手を鈴舞に見せる。
「オレは、な、何もしてないぞ。ゴミが付いて……あー、もう……こんな時間だ、主に用があるんだったなぁ!!」
わざとらしく言いながら、背を向け、光の速さで木を登る。
「……何だったんだろ、意味深なのはいつもの事だよね」
鈴舞は小首を傾げ、また水汲み作業へ戻っていった。