コメディ・ライト小説(新)

Re: 月華のリンウ ( No.12 )
日時: 2020/12/06 14:57
名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)

10.旅立ちの約束は

 「暘谷皇太子殿下! 先日飛燕城への――――」

支度をし終わった暘谷は椅子から立ち、とんとんっと床を爪先で叩く。

「支度は出来てる、今すぐに行けるんだが……寄りたいところがあるんだ城門で待っていてくれるか?」

暘谷は迎えに来た男に微笑み掛け、「頼むな」と言う。男は頬を赤くして、何度も頭を下げた。

 男の肩を叩いた暘谷は早々と執務室を出る。

 「……暘谷」

残った珠蘭は兵士の安否を知る為に前を向く暘谷の後ろ姿を見つめた。そんな中、ガサッと葉音が揺れる音が耳元に届く。

「何、月狼。また木を移動手段に使ったの、この前も言ったじゃない……!」

振り向かず、後方に居ると思われる同僚へと言う珠蘭は怪訝な顔をしていた。

「ったくよー。いつもながらお前の反応速度、早すぎかよ」

呆れたように呟く月狼に珠蘭は、更に眉間の皺を深くさせる。

「主。鈴舞のところに行ったと思うんだけど、賭けてみる?」

同感、と珠蘭は心の中で賛同する。あの安らかな表情は自分等にもあまり見せてくれない。

けれど、あの隣国出身で月華を代表する大軍人と血の繋がりがある鈴舞には見せるのだ。

ずっと傍で護ってきた珠蘭と月狼にとってはとても、羨ましい事だった。

 息を吐き、珠蘭達は佳月宮に先を急いだ。

    *   *   *


 「母上、飛燕城に行って参りますね。時期に生まれる子の為にも無理をしないで下さいね」

息子の心配そうな表情に水蓮妃は苦笑交じりに話す。

「ええ、そうね。この子をちゃんと産まなければね、………わたくしの事よりも御自分の心配をして下さいな」

桜色の瞳を細めて立派に育った息子を愛おしそうに見つめる水蓮妃は優しく、頬を触った。

 「本当は、……恐いんでしょう?」

その問いに暘谷は強張った表情で「まさか……、っ……はい、少しだけ不安があります」と否定したと思えばすぐに言い直す。

 目的地は使者の帰らない森に覆われ、あの神秘の鎖国国家と言われてきた白陽国の国境に位置する城だ。

不安があるに決まっていた。

 その時_____________「鈴舞です、入ってもよろしいでしょうか」と聞き慣れた声が響き渡る。

甘く、けれども冷たい氷砂糖のような優しい声。

暘谷は、込みあがってきた生唾を飲み込む。

 「失礼致します……って、あれ? よう、いや、……えっと殿下!」

普段の呼び方をしてしまいそうになり、慌てて鈴舞は呼び直す。

「鈴舞、聞いて。これから殿下は、飛燕城に行くのよ」

出会った頃の敬語は抜けて、水蓮妃付きの侍女として良い信頼関係を築いていた。

「……え、あ、そうなのですね。行ってらっしゃいませ」

両手を重ね、一礼をする。水蓮妃はそんな素っ気ない態度に顔を左右に振り、困惑している。

もっと、鈴舞なら暘谷を元気づける言葉を言ってくれると思っていたのに、と。

「……それでは、私は行きますね」

そう言って羽織物を翻し、蝶のように去っていく。

    *    *   *

 「あれで、送り出して良かったの? 鈴舞」

傍で紅茶を淹れていた鈴舞に水蓮妃は言う。鈴舞はことっ、と紅茶の入った器を置くと言いたげな目で微笑む。

「………え、……はい、良いに決まっています。どうして?」

水蓮妃は質問され、少し戸惑った雰囲気を漂わせていたが、御腹を見てから覚悟が決まったように唇を開く。

 「殿下にとって貴女は、とても必要不可欠な存在だと思ったからよ。御互いを支えて逢っているような……」

鈴舞は眼を見開く。暘谷の悲し気な表情が脳裏に過ぎる。

 (嗚呼、なんて事をしてしまったのかな……)

 _____________『……それでは、私は行きますね』______

 行かないで欲しいなんて、言いそうになってしまった。だから、言う前に口を噤み、自分の気持ちを押し殺した。
 
とてもじゃないけれど遠くにある飛燕城に行く暘谷を元気づけられる言葉など言えるはずもなかった。

一生、離れる訳でもないのに。

そんな事を言える立場でもない。相手は皇太子殿下で、私はただのその母君・貴妃である水蓮様付きの侍女なのに。

 はあっと溜息を吐く。その様子に何かを察したのか、水蓮妃は思い付いたように言う。

 「鈴舞。お茶菓子を取ってきてくれるかしら、嗚呼、それも城門の近くの倉庫の貴重なお菓子よ」

水蓮妃は我が儘な小さなお姫様のように条件付きで言う。鈴舞はその頼みを断れる事も出来なく佳月宮を出る。

 表向きはお菓子を取りに行く、本当は、佳月宮を出てから時間的に城門にいると思われる暘谷に伝えたい言葉を言う。

鈴舞は水蓮妃の思い付き通りにそんな事をする為に走っていた。

 (お願いだから、間に合って!!)


    *    *   *


 ―――『……え、あ、そうなのですね。行ってらっしゃいませ』――――――――――――

鈴舞の曖昧な、表情が瞼を閉じれば何度も浮かび上がる。まるで張り付いたように。

(どうかしてんだろ……俺って奴は……しっかりしろ……!)

否定もされずに送り出されたというのにさっきから心にある霧は晴れそうにはなかった。

暘谷は、深呼吸をする。自分を落ち着かせるように、何度も何度も。

 手に持っていた剣を見つめ、月華の皇室である事を意味する紋章を指でなぞる。

 自分は月華の第2皇子でありながら皇位継承権を持っている事。それを餌にゴマすりをしてくる宮廷の臣下達。

 嫌気が差す宮廷に今もなお、抜け出している。けれど、執務は嫌いではなかった。

国の事を纏める、重要な仕事を覚える為に。抜け出しているのは民の視点から国を観察し改善点を見つける為。

引き籠って執務を熟すのも為になると思う、だがしかし、民の視点から見ると国の改善点が山ほど出てくる。

国は1日1日、目まぐるしいと言って良い程、変わる。

 そして城から出ると新しい出会いもある。新しい感情を知ることも出来る、人間として1歩、成長できるのだ。

あの、黒髪の弱々しい少女が綻んだ時、暘谷はグッと胸を掴まれたのだ。

「……なのに、今の俺は……為になると思っていた私情に振り回されてる」

暘谷は心の何処かで思っていた考えをあえて、口にしてみる。

暘谷は言葉にならない気持ちからぎゅっと爪が肉に食い込む程、握り締める。直後、痛みがはしり顔を歪める。


 ______________「暘谷ッ!」 


何度も、何度も過ぎった彼女の声。暘谷は咄嗟に身構え、振り向く。
 
 両サイドを団子に結い、長い髪を宙に舞わせた鈴舞が息を切らして走ってくるではないか、暘谷は笑顔を浮かべそうになる。

(追いかけてくれたのか……。本当……それだけで、それだけで……嬉しいんだ……)

 「あの、ね……私、酷い事っていうか心無い事、言ったと思う。まずは謝りに来た」 
 
一礼してから顔を上げる。眉を八の字に下げ、頬を真っ赤に染め、泣きそうな本当に申し訳なく思っている顔。

暘谷は胸がきゅうぅと締め付けられる痛みをまた、覚える。

 「ごめん、それで……私、やっぱり、どんなに頑張っても暘谷を上手く送り出せない。だって悲しいんだもん、寂しいし、苦しい……から」

蹲って、下から暘谷を見つめる鈴舞は本音を言い、「ごめん」とまた、謝る。

 「早く、帰ってきてね」
 
恥ずかしそうに目線を逸らしてから、横目で囁いた鈴舞は背を向ける。耳は真っ赤に。

 暘谷は、眉を寄せ、ハッと息を吐いてから零れ落ちた涙を拭う。

_______「すぐ、帰ってくるから」

 この約束は、守り切ると心で暘谷は誓う。

彼女を悲しませたり、苦しませたりはしたくないという気持ちが彼の原動力になっていたのだ。