コメディ・ライト小説(新)
- Re: 月華のリンウ ( No.3 )
- 日時: 2020/09/06 15:45
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
01.運命
(私………死んじゃったのかな―――天国にちゃんと行けたかな?)
あの崖から落ちた場面から考え、自分は死んだと思う鈴舞は恐る恐る目を開ける。
「!」
目を開けると家の白い天井が見えた。
あの兵士達が脳裏を過ぎり、誰もいないのに咄嗟に身構えてしまう。
(こ、ここは…私、追われてて…崖に飛び込んでそのあと……誰かに助けられた?)
「………じ、じゃあ……私は、っ死んでいない?」
そう理解した瞬間、彼女の目から生暖かい液体が伝う。
(涙………流せたんだなぁ……)
―――あの夜、恐ろしくて声も出せなかった。気が付いたら走ってて、命を追われる身になっていた。
涙を流す事も兵士達に命を奪われかけるという場面で恐ろしくて忘れていたのだった。
(王様は……九垓様に剣で刺されて……それで…私は追われてたんだ)
涙を拭って、垂れてきた鼻水を啜る。誰よりも慈悲深く争いを嫌い、優しい性格で自分に微笑みを向けてくれた王が、唯一、あの城で心の安らぎだったあの王が誇んでいた息子に殺された。
あの情のない笑みを浮かべて王の血が伝った剣を抜いた九垓は城で見ていた彼の本当の姿だった。
瞼の裏に焼き付いた記憶が呼び起こされ、ゾワッと背筋が凍る。手が小刻みに震え、我知らず息を呑んでいたその時。
「あ、起きたんだな」
声を掛けられ、鈴舞は素早く振り返った。
「よお」
銀髪に澄んだ青色の瞳の眼を見張るほどの女性……いや、まだ成人を過ぎてない美少年の隣にいたのは鋭い目つきの成人をとうに過ぎた男性が立っていた。
「ちッ、近づかないで!!!」
鈴舞は二人をキッと睨む。彼女の顔は逃げ場を求める人間に追われ、傷付けられた獣そのものだった。
敵か味方かも判らず、もしかしたら引き渡されて今度こそ命を奪われてしまうかもしれないという恐怖心が心の中が悲しみや怒り、様々な負の感情で埋め尽くされていた不安定な彼女を覆う。
「ったく黒髪のお嬢さん、助けてくれた恩人にその言葉はないんじゃないですかね?」
鋭い目つきの男性が呆れたように息を吐く。“恩人”という言葉よりも気に掛かったのは“黒髪の”だった。
ローブで髪の毛を隠し、城でも王の配慮で帽子で誤魔化し続けていた黒髪。剃髪にするという手も王に相談したこともあるが言われたのだ。
『歳若い女子が黒髪を理由に剃髪にするなんて、まだお前は嫁いでもいない。髪は女子の第二の命と言うらしい、髪は大事にしなさい。お前は立派な女子で同じなのだから』
心救われたあの日を。乱暴につかむこともなく、いつかのお父さんのような顔で優しく撫でてくれた。
剃髪は諦め必死にこれまで黒髪を知られている人間に虐げられながらも隠して生きてきた鈴舞は髪の毛を触り、声を上げた。
「ッッ」
その鈴舞の焦りを見た二人の男はフッと苦笑した。そして鋭い目つきの男性は形の良い口を開く。
「………オレ等は円寿の奴らみたいに差別はしねぇよ」
その一言で男達が増々怪しく思った鈴舞は鋭い眼光を滑らせる。
(?……どうして私が円寿の者だと知っているの?)
「恐い顔しなくてもお嬢さんの味方だよ。お嬢さんが倒れていた付近を円寿の兵士達が見回りに来て、『黒髪の不吉な少女は拾ったか?』って聞き込みしていたからお嬢さんが円寿出身なんだと考えた結果で今の言葉を発言した」
丁寧に説明をした男性二人の顔を見てこれは事実なんだ、と安心した鈴舞は居住まいを崩し、顎に手をやる。
(聞き込み…私が拾われ助かったことを最悪の場合を予測したのね。九垓様は……)
「あの高い国境である崖から木々に墜ちたお嬢さんは運が良いんだな……で、突然だけど本題に入るが崖に落ちていた経緯を話してもらおうか」
二人に睨まれ、鈴舞は俯く。誤解を招かない為にも自分の身元から起きるまでの経緯を話すべきだと鈴舞は思う。
「……私の名は黄 鈴舞。円寿で下女として働いていたけど……王様が皇子である九垓様に殺されているのを見てしまって……その口封じに追われる身になって死ぬ覚悟で崖を飛び降りたのです、だから味方かも判らない貴方達に恐怖心から不躾な態度を取ってしまっていました」
経緯を聞いた二人は「成程な…」と顔を見合わせた。
「円寿の国で即位の話が持ち上がって不審に思っていたがまさか、自分の父親を自分の手でを殺したとはな………」
二人は「全く下道な奴だ」と吐き捨てるように呟く。
(即位……そっか王様は今は亡き妃様しか娶っていないから即位するのは九垓様しかいない……もう、王になるって決まったようなものね……、兵士達も九垓様の事を現王って言ってたし…)
「オレは李 月狼。この御方の護衛だ」
月狼は隣に仏頂面で立っていた美少年を親指で指す。護衛の割には主に対して礼もなっていなかった、だけど今の鈴舞にとってはどうでも良かった。自分を助けて保護してくれた2人の身元が知りたかった。
(この御方…っていうことは両班とかご貴族様だよね……?)
「俺は董 暘谷。家から抜け出してきた通りすがりの両班だ」
一際目立つ銀髪碧眼の美少年は暘谷と名乗り、鈴舞は確信した。
(やっぱり!気品が漂っている………ただものじゃないって判るもん……)
「お前、追われる身で行く場所ないよな?」
暘谷に訊ねられ鈴舞は小さく頷くと虫も殺さないような優美で眼を見張る眩しい笑みなのに、何やら蠢ものを感じたのだった。
ゾワッと凍った背筋が衝動的に伸びた。
*
「黒髪は円寿では忌々しく悪魔が宿っているとされていたんだろう?」
突然、暘谷に話し掛けられ、静かに窓から見える緑を楽しんでいた鈴舞は眉を不機嫌に顰め、目を逸らして「……見ないで下さい」と丁寧な言葉でお願いする。
「………どうしてだ?」
純真無垢な子供のように首を傾げ、教えろとばかりに鈴舞の体を揺する。どんなことをされても丁寧にということを貫き通してきた流石の鈴舞でも怒りが爆発しそうだった。
忌々しく悪魔が宿っていると知っていたらそれでいいじゃないか、と思う鈴舞の気持ちも無視する暘谷に。
(不吉だからよッ!!)
そう怒鳴り散らしたくなったが両班である事もあって身分の低い鈴舞は唇を強くかみしめながら黙ったのだった。
暘谷は眉間にあった皺は深くなり顔色は火照ったような赤みを帯びていた鈴舞の艶やかな長い黒髪を掬い取り、触る。
「―――――こんなにも艶やかで綺麗なのにな、黒って誰の色にも染まらないで自分を貫き通してる感じがして俺は好きだ」
フッと表情を緩め、眼を甘やかにした暘谷に微笑まれ鈴舞は目を見開き、口をぽかんっと気の抜けたように開いてしてしまう。
そんな事を言われたことも生まれて初めてだったのだ。周りからは髪を触るのも見るのも不吉だと気味悪がられていた鈴舞にとって嬉しく跳ね上がってしまった。
円寿の先王にも受け入れられたが好ましく思っていないことは事実だった。いつも哀れむような目を向けてひと思いにいつだって苦しんでいる鈴舞を励まそうと笑顔を向けていてくれたのだろう。
心の優しく慈悲深く誰よりも争いごとの嫌いな先王は「臆病な弱虫」と国民にまで言われていた。
誰からも愛されず水を撒かれ今まで虐げられてきた下女と臆病者、そう言われている、ただ慈悲深い優しい王は互いに寄り添い心を癒していた。
だがお世辞でもこんな嘘一つもない意思のこもっている言葉を言ってくれる人は暘谷だけだった。
「…っ、不吉だって皆、思っています、よ」
嬉しさを隠そうと首を振り否定する鈴舞に「はあ?」と暘谷は怪訝そうに端正な顔を顰めた。
「そんなこと、実際に綺麗だと思っている俺を否定すると同じだっ」
と河豚のように頬を膨らませ怒る。どれほどまでに自分が正しいのだと思う鈴舞だったが口から出たのは憎まれ口でも何でもない、心からの感謝の気持ちだった。
「董 暘谷………、こんなにも不吉だと言われていたのにお世辞でも褒めてくれてありがとうございます」
礼を伝えたら恥ずかしくなり鈴舞は俯いた。手櫛で梳くと長い黒髪を耳に掛ける仕草をする挙動不審な鈴舞を見て暘谷は囁く。
「……俺さ、お世辞じゃなくて本当の事、言ったから」
鈴舞はその言葉に大きな目を見開く。
悪魔が宿りし髪と呼ばれ続けた黒を“好き”だと言ったのはお世辞でもない、本当の事だとこの男は言う。
驚き具合を見て呆れたように暘谷は目を静かに伏せる。ふうっと息を吐くと妖艶な桃色に染まった唇を動かす。
「誇り高い俺が出まかせ何て言うわけないだろ、って俺の事、暘谷って呼べよな―――鈴舞」
芯のある強い言葉と相反する優美な女性を思い浮かべる甘い声。そんなのを聞いてしまったら誰だって赤面するだろう、それが人間に免疫もない鈴舞だったら尚更だった。
鈴舞は頬を真っ赤に染めらせ、瞬きを何回もする。慣れない呼び方に何かが擽られる。
「よ、暘谷……あ、ありがとう」
白い、けれど荒れた赤い両手を絡まらせる。荒れた赤い手はこれまで円寿で仕事を頑張ってきたことが判る、サボりもしないことを証明していた。
「……まあな」
その痛々しく細胞そのものが悲鳴を上げている手を見つめ、ふっ、と笑った暘谷につられて微笑を浮かべたのだった。