コメディ・ライト小説(新)

Re: 月華のリンウ ( No.4 )
日時: 2020/12/06 14:45
名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)

02.皇子様


 「気分転換に森に行ってくるね」

鈴舞が家を出ようとすると、二階にいた暘谷に凄まじい声で「待てっ!」と呼び止められる。

物音が響き渡るほどのその慌て具合にくすり、と笑って待っていると暘谷が初めて会った時のような仏頂面で言う。

 「俺も行く……!」

支度をし終えた仏頂面の彼は息が切れて、滑らかな頬に雫のような汗が伝っていた。

 (どうして、慌ててまでついてきてくれたんだろう…?)



 鈴舞は首を傾げながら、森を歩く。ギュッと肩から下げていた鞄を握り締める。

辺りに生えているのは色とりどりの草花。朝露が葉を伝い、ぽと、と静かに地面に零れる。

 小鳥の声が聞こえて木々に差し込む光の中、暘谷は後方を振り返り、立ち止まる。

鈴舞は緑に気を取られていて、ジッと自分を見つめる暘谷に気が付いて向き直ったのは少し遅れていた。

 「………お前さ、どうして慌ててまでついてきたんだって思ってんだろ?」

図星を突かれ鈴舞は口をあんぐりと開けてしまう。瞬きも忘れてしまうほど、暘谷の勘の良さに驚いていた。

出会った頃から暘谷は勘が鋭かった。そして、人一倍に警戒心が強くて自己紹介をするのも一番最後だった。

 それからというものほとんど、仏頂面で微笑みを見せることは少なかった。

「ど、どうしてっ判るの!?」

そう問いかけると、暘谷は鈴舞の眉間を手でつつき、無邪気で親しみやすい笑みを浮かべる。

このような笑みは貴重だった。暘谷が笑うなんてことはあまりない。

まだ、鈴舞に心を許していないのだろうか、そう思ってしまうのは自然なことだった。

 「さっきずっと眉を寄せて難しい顔してるから、お前って本当に出会った時から判り易いよな」

勘が鋭く警戒心が強い、また洞察力に優れていた。

彼に嘘を吐けば、というよりも何もかも見透かされているような気がしてしまっていた。

 表情も変えず無口だった円寿での下女同僚は考えていることが判らなく気味悪いと言っていた、だがしかし、暘谷はそんな鈴舞の事を判り易いというのだ。

 「でもまぁ、追われている娘を一人にして森に出すなんて両班の俺がやることじゃないだろ?それにさ、円寿の奴らが鈴舞をまだ、探してて連れ去られたらどうするんだって……簡単に言えば……お前の事が心配だったんだよ」

眼を逸らし照れ臭そうにニイッと白い歯を見せて笑った暘谷は名前の通り、太陽が昇り出る谷のようだったのだ。

 ――――――『お前の事が心配だったんだよ』

鈴舞はその普段見せない輝かしい笑顔に見入ってしまっていた。そして、その言葉が何度も鈴舞の頭に響く。

2人は黙ってしまう。互いに見つめ合っていたのだ。

 「……、………ってなんだ、惚れたか?」

短い、けれど鈴舞にとっては長く感じられた沈黙の末、いつものように暘谷は空気を換えるべく、ふざけたことを口にする。そして俯いていた鈴舞の顔をチラッと覗き込んだ。

自分とは違い空気をも読めるのも彼の良い所だと、鈴舞は思う。

「………別に。優しいなって思っただけよ」

そう言うと、鈴舞はスタスタと黙って先を歩いた。耳から鼻先にかけて赤く染まっていたことは彼女は知らないのだろう。

熱を帯びた頬を鈴舞はつねり、下唇を噛む。

 (違う、本当は見惚れていた……眩しかった、暘谷が。嬉しかったんだ、心配してるって言われて……)

確信するだけで頭が沸騰して、叫んでしまいそうになった。頭を左右に振り、はあっと息を吐いて、そしてまた空気を吸う。

冷静になれ、と鈴舞は胸を抑える。

 「……気のせい……気のせい……!」

自分に言い聞かせると頬をパチン、と音が鳴るくらい強く叩いた。

 けれども、鳴りやまない今にも爆発しそうな心臓の鼓動は治まらなかった。



 「主ッ」

月狼が冷や汗を頬から小麦色の首から伝わせて、こちらに走ってきたのを視界の端に見えた。

その重たい空気に鈴舞と暘谷は身構えてしまう。

「これが家の前に―――っ」

布で中身が覆われたかごを暘谷は青ざめた月狼から受け取った。

「……何だ、父上か母上から?」

 難しい顔をして布を取り、籠の中身を見ると暘谷は瞬きだけして石造のように動きを止める。息を止めて、隣にいる凛舞を見つめる。

鈴舞は動きを止めた暘谷の手に持っている籠の中身を盗み見た。

「ッッ!?」

 その時、鈴舞は後退りをし、足から腕まで虫が這うように震えだす。両肩を自分で抱き、大きな赤い宝石のような瞳から涙を流す。

 そこに入っていたのは手紙と鈴舞の仕事着、だった。

どうして、円寿の城で走りにくいからと脱ぎ捨てた服が入っているのだろうか。そう考えた一瞬で円寿から送られてきたものだと鈴舞は悟った。

 脳裏に情の欠片もない残酷で冷淡な九垓くがいと鬼のような形相で鈴舞を崖まで追い詰めてきた兵士達の顔が過ぎる。口を両手で押さえ、眼をギュッと瞑る。

―――――『残念だったなぁ』

崖に追い詰められた際、救いの手を差し伸べるのではなく嘲笑った先頭で立っていた酷い兵士、それを権力に脅されて救いの手も差し伸べてくれなかった臆病な見るだけの傍観者の兵士達。

 深呼吸をして少し落ち着いた、いや、そう見せた鈴舞は震える荒れた指先で仕事着と入った綺麗な装飾のされた手紙を指す。

「………よ、暘谷……手紙、読んでもいい……?」

込み上げてきた唾と胃酸を飲み込み、荒々しく拳で涙を拭うと鈴舞は手紙を取ると中を開いた。

(………さっき、まだ探してるかもしれないって暘谷から聞いたけど、ここにいる、ってもう伝わっているの?)

情報収集がいくら何でも早すぎた。下唇を噛みながら一文字一文字、読み進めていく。


 『そこに黄 鈴舞がいるともう判っている。今夜、迎えに行くので身支度を済ませとくように』

綺麗に装飾された手紙には“迎えに行く”と書いてあり鈴舞は恐怖のあまり、思わず籠ごと落としてしまう。

 “迎えに行く”とまるで城でまた働くことが出来るようになる、と書かれているように見えるが言葉の真意は“殺しに行く”または“『あっち』に送ってやる”などに違いなかった。

あの九垓がそんな優しい言葉を平民、いや差別され虐げられて生きてきた鈴舞に掛けるはずがない。

 「ッどうしよう………私、今夜……死ぬかもね」

恐怖を隠そうと無理やり笑顔を作り、呟いた言葉は彼女自身の胸に深く、重く、―――突き刺さった。

その言葉を聞いた暘谷と月狼は更に青ざめ、眼を見開いた。


「2人には逃げてほしい、身元があの九垓様に知られでもしたら円寿の国総出で追いかけられて命が奪われるかもしれない―――………私はあの晩死ぬ運命だった命、恩人の為に使いたいの」

 鈴舞は言い、声を漏らす。震えあがり、乾いた笑みを2人に向けた。

 そして―――1秒も経たないうちに笑みが、歪む。

強がってこれまで表情を変えなかった人形は、傷付かせられた心は泣き叫んだのだ、大粒の涙を流して積み木が崩れ落ちるように座り込む。

その頼りなく、儚げな背中を暘谷達は慰めてやることも出来なかった。

ただ、見つめ、泣き止むまで傍にいてやることしか彼らには出来なかった。