コメディ・ライト小説(新)

Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.9 )
日時: 2021/01/27 23:37
名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)

 「人殺し」彼女の軽蔑するような瞳が忘れられない。今までに見たことないくらいの冷たい表情で、心臓に氷の刃を突き立てられたように感じるほど、低い棘のある声だった。

 スマホのアラーム音が部屋中に響き渡る。俺はすぐに音を切ってまた布団にもぐりなおす。起きなければいけないということは分かっていても、体は全く動かなかった。
 あの夏の日のことを覚えている。きっと一生忘れられない。親友の死んだ日のことだ。
 あの海での事件から二か月が経って、外の風を冷たく感じるようになった。黄色く染まった木の葉が空から降ってくるたびに、夏という季節が終わったことを実感する。だけど、俺はあの夏からいまだに抜け出せずにいた。目を瞑ればあの日の夢を見る。親友を助けられない夢を見る。親友が高波に引きずり込まれていくあの悲惨な光景を、ずっと繰り返し繰り返し、何度も何度も。

「……げほっ」

 高校には行けなくなった。今は周りの視線がただ怖くて仕方がない。
 俺は親友を巻き込んで死に至らしめた加害者でしかない。俺が連れ出さなければがんちゃんは御崎海岸になんか行かないし、海で溺れることはなかった。
 がんちゃんの死んだあと、葬式で彼の母親に酷い叱責をうけた。鬼のような形相で彼の母親は俺のことを「人殺し」と責めた。ずっとがんちゃんの母親は俺の素行の悪さを知っていて、早く縁を切れと再三忠告を受けていたのも知っている。俺が馬鹿でがんちゃんに釣り合ってないことだってわかっていた。
 恋人だった茜はあの日からずっと何かに怯えている。いつしか連絡もつかなくなって、関係は自然消滅した。俺と同じで今は登校拒否の状態らしい。唯一連絡がつく彼女の親友の西倉がそう教えてくれた。

「……げほっ、げほっ、うえっ」

 毎日、登校をしようとすると酷い吐き気に襲われる。まるで背中に何かが乗っているかのように体は重く、咳がずっと止まらない。寝ても覚めても俺はがんちゃんが死ぬ光景のフラッシュバックに苦しめられる。どこにも逃げ場はなかった。
 制服を着ようとするけれど、いつもネクタイを締める手が震える。ぐちゃっと曲がったネクタイのまま部屋を出ようとすると、また酷い吐き気がやってきた。ドアの前に倒れ込んで、咽込んで頭がぐわんぐわんと揺れる。これが毎日のことだった。
 どうすればいいのか、分からなかった。このまま学校に行かなくても何も変わらない。俺ががんちゃんを助けられなかったあの事実は変わらない。西倉の蔑むようなあの冷酷な瞳を思い出す。「人殺し」クラスのみんなが同じ目で俺を見ているような気がした。
 海の中、必死で潜ってがんちゃんの動かなくなった体を抱き上げて浜辺まで運んだ。意識のない体はとても重くて、自分の体力のなさを呪った。がんちゃん、がんちゃん、呼び掛けても親友は返事をしてくれなかった。
 隣でずっと泣く恋人と、呆然とこちらを見ている西倉と、そして何もできない俺だけが、この夏の空間に残されて逃げられないまま。






「茜が高校をやめました」

 結局制服を着ても俺は学校には行けなかった。部屋の扉の前に置かれた朝食を食べて、食器だけ外に戻す。そのあとは、ベッドにくるまって無理やり目を瞑った。自堕落な生活を送っていることが、ただ恥ずかしかった。
 ぴこん、と通知の音が鳴って偶然目が覚めた俺は、その短いメッセージを見てどう返すべきか少し悩んだ。西倉という女からのメッセージだった。
 字面だけでは分からないけれど、きっと西倉は俺のことを恨んでいるのだろう。お前のせいだと言わんばかりのそのメッセージに、俺は既読だけつけて返信は後回しにした。どう返しても西倉は納得しないと思ったから。

「もう、許してくれよ。俺が全部悪くていいから。頼むから、許してくれよ」

 誰にも許されない。誰にも助けを求めてはいけない。
 傷つくことが俺にできる最後の懺悔だ。スマホを投げ捨てて必死に謝る。誰に対しての謝罪なのかもう分からなかった。ただ恐怖が足下からゆっくり俺の心臓に向かって侵食してくるのを止められない。俺はがんちゃんの死から、きっと一生逃げられないのだ。

Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.10 )
日時: 2021/01/31 19:14
名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)

「もしもし」

 西倉詩織という女のことを俺は良く知らなかった。
 特別頭がいいわけでも、運動ができるわけでも、可愛いわけでもない。ごく普通の女という印象。茜と並べると嫌でも優劣ができてしまうくらいに地味な女だった。一度だけ、茜にどうしてあんな地味なやつと絡んでるのかと聞いたことがある。茜は笑いながらこう答えた。「詩織はいい子だよ」と一言。
 そのあとに茜が付け加えた言葉を俺は今まですっかり忘れていた。

「まだ茜から連絡とかないんだ」
「たぶんブロックされてるんじゃね。俺が何か送っても既読もつかない」
「そうかもね」

 西倉が夜に少し通話したいと言ってきたのには驚いた。
 俺たち三人の中で唯一あのあと何もなかったかのように普通に登校しているのが西倉だった。高校でのことだったり、先生からの伝言はすべて彼女に連絡を入れてもらっている。茜のこともすべて西倉にまかせっきりの状態で、俺は何もできなかった。
 ベッドで横になりながらスマホに向かって話しかける。西倉の声はやっぱり前に比べて少し低く感じた。

「茜はもう限界だって。ずっと死にたいって言い続けてる」
「……そう、」
「青山くんのせいだね、って私が言ったら泣いて「違うの」って茜が言うんだ。あの日のことを全部青山くんのせいにしたくないんだって」
「……でも、俺のせいだよ。御崎海岸に行こうっていったのも俺だった」
「誰も止めなかったのに? 茜も岩田くんも行きたくないならそう言えばよかったんじゃない」
「西倉は何が言いたいの?」
「別に。青山くんが許されたがってるんじゃないかなって思って。あなたのせいじゃないよってそろそろ言ってあげないと壊れちゃうと思ったから」

 淡々と、感情のない無機質な声が機械越しで俺の耳に入る。優しさなんて一ミリも感じ取れない西倉の言葉選びに思わず俺は笑ってしまいそうになった。

「西倉ってやっぱり変わってるよな」
「……私はたぶん、青山くんを許せないよ。だけど、青山くんだけが悪いわけじゃないから」
「なんのはなし?」

 ぼそりと聞こえるか聞こえないか微妙な音量で呟かれた言葉に俺は首を傾げる。許すか、許さないか、そんなものを決めるのは俺たちではないし、がんちゃんでもない。
 あの夏の事件も馬鹿な高校生が遊泳禁止の海で泳いで溺れて死んだとメディアに取り沙汰されて話題になった。死んだ人間にみんなが平気で言う。自業自得だと。言われて当然の言葉も、高校生の俺たちには刺激が強すぎて脆い心はあっという間に崩れ落ちる。一枚ずつ皮を捲られた後に、薄い皮膚に爪をたてられるような、痕はもう一生消えないだろう。田舎ではどれだけメディアが名前を伏せても噂はどんどん広がっていく。事実も嘘も全部入り混じって広がったその噂に俺は雁字搦めにされて外にはもう出れない。

「ううん。なんでもないよ。あのさ、近いうちに少し話がしたいんだけど、どこかで会えない?」
「会うのはいいんだけど、外に出ると気分が悪くなってさ」
「じゃあ青山くんの家まで行くよ。青山くんの部屋で話そう。それなら大丈夫でしょう」
「待って、西倉は男の部屋にのこのこ来るような軽い女じゃなかったっていう俺の認識なんだけど」
「気持ち悪い妄想しないでね。話しかしないから」

 ため息交じりの軽蔑する声がスピーカー越しに俺の耳に入る。
 「じゃあ、おやすみ」と短く西倉が呟いたあと、俺がおやすみと返している間にぷつりと電話が切れた。彼女の態度はとても分かりやすくて、やっぱり笑ってしまった。がんちゃんが死んでから笑えることなんて殆どなかったのに、西倉と連絡を取り合うときだけ少し気持ちが和らぐような気がする。あの夏に取り残された仲間だからなのだろうか。瞼が自然と落ちてきて俺はゆっくり意識を手放した。
 茜が付け加えた「詩織は敵にまわしちゃいけないよ」という言葉を、俺はすっかり忘れていたのだ。

Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.11 )
日時: 2021/02/03 22:03
名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)

 約束の時間は午後2時。今日は中間テストがあるため午前で終わるらしく、学校が終わったあとに直接向かうと西倉から連絡があった。
 いつもは鬱陶しく感じるスマホのアラームで目を覚まし、寝間着のスウェットを脱いでクローゼットから服を取り出す。久しぶりに着たその服は、あの夏の日に着ていたTシャツだった。途中で気持ち悪くなって脱ごうとしたけれど、それは逃げているみたいで何でか恥ずかしかった。

「うわ、もうこんな時間」

 散らかった部屋を朝からから片づけ始めて、気が付いたら12時を過ぎていた。キッチンの棚にあるカップ麺を拝借して昼飯を済ませ、スマホを見ながら西倉からの連絡を待った。ただの来客ごときで何をやっているんだろう。我に返ると羞恥で死にそうになるから、俺は気づかないふりをして自分の部屋に戻った。
 窓の外の景色を眺める。木々の紅葉が美しかったけれど、その葉はやがて散りゆくものでしかない。綺麗、と人は言うけれど、地面に落ちたそれを人は平気で踏みつけるじゃないか。俺たちもきっと、そうやって他人に踏みつけられて生きていゆく。永遠に。
 あの日から何度も幻聴が聞こえる。「お前のせいだ」という言葉が、どこかから聞こえる。きっと俺が俺自身を責め続けているのだろう。俺はいまだに過去の俺を許せない。きっと明日も、明後日も、一年後だって俺は自分の犯した過ちを水に流すことはできない。誰にも許されない。

「着いた」

 スマホにぽんと出た短いメッセージをタップすると、西倉とのメッセージのやりとりの画面が出てくる。俺は了解とスタンプを押して玄関に向かった。階段をおりて、玄関の前に立つと途端に心臓のあたりがバクバクと変に脈打った。このドア一枚、それ越しに西倉がいる。俺を「人殺し」と言った西倉がいる。
 彼女のことはよくわからない。俺のことを許せないだろうに、いまだに俺に連絡をくれる唯一の女。俺のことをどう思っているのか気になってはいるものの、ずっと聞けずにいる。
 ガチャリと鍵を回して、ドアを開ける。制服姿の西倉が俺を見て一礼した。「久しぶり」彼女は笑わずにそう口を動かした。
 変わったことはたったひとつ。西倉の綺麗な長い黒髪がばっさりショートになっていたこと。雰囲気がまったく違って、一瞬誰か分からなかった。

「髪、切ったんだ」
「うん」
「へえ、ああ似合ってる」

 うまく言葉が出てこずに、頭の中で浮かんだことを無理やり文字にしていると、西倉は不機嫌そうに「そう」と短く相槌をうった。正直、やりとりはしていたものの、西倉とちゃんと対面して話すのはほとんど初めてに近い状況だった。気まずい空気が流れるのが嫌で、俺は西倉を部屋に招いた。

「いま、両親いないから」
「親御さんには言ってあるの?」
「えっと、いちおう友達が様子見に来てくれるってことだけ伝えてある」
「そう。何か言ってた?」
「え……ああ、良かったね、くらい?」
「ふうん」

 俺にどんな回答を求めていたのか分からない。だけど、彼女はすんなりと俺についてきた。部屋を閉め切ると彼女も不安になると思って少し開けておくと、彼女の方からドアを閉めた。全く警戒していない西倉に俺は信用されていると喜んでいいのか、男相手に大丈夫なのかと心配すべきなのか戸惑ってしまった。

「えっと、なんか、久しぶりだよな。こうやって会うの?」
「いま青山くんが一番聞きたいことは何」
「……単刀直入すぎねえ、もうちょっとさ、なんか軽い会話をしてからってか、あ、お茶とか淹れてきたほうがいいよな。ごめん気が利かなくて、ちょっと待って」

 動揺する俺の腕を西倉が掴んで、ぐっと引き寄せる。

「落ち着いて。お茶はあとでいい」

 西倉は俺の腕を掴んだまま、ゆっくり座った。近くに置いてあった座布団を敷いてその上に座る。何故か正座だった。途中で足を崩したくなったけれど、この状況で出来るわけもなく、ずっと足が痺れて気分が悪かった。

「何が聞きたいって、俺は、」
「何も知りたくない? このまま自分は何も知らないままあの日のことから逃げて一生岩田くんのことに向き合わずに生きていくの?」
「そんなことしねえよ」
「じゃあ、向き合って」

 西倉の力強い声に、俺ははっと顔をあげる。真剣な表情が俺の顔を覗き込んでいた。カッとなっていたことに、恥ずかしさを隠せない。
 あの日から逃げ続けている俺にとどめを刺しに来た。そんなの西倉が俺と直接話したいって言った時からすでにわかっていたことだ。足がびりびりする。舌がつっかえて上手く言葉がでてこない。握り締めた両方の拳を足の上にぽんと置く。喋ろうとすればするほど爪が掌に食い込んでいった。

「どうすればいいのか、わからない」

 弱い自分を曝け出すことに恐怖する。今でも他人の視線が気になって仕方がなかった。俺はどうしようもない。がんちゃんを死に至らしめた加害者でしかないから。
 西倉は俺の不安な表情を見て、小さく息をついた。「青山くんって本当に馬鹿だよね」西倉の言葉は本当に棘のように鋭く柔い俺の皮膚に食い込んで、出血を促す。

Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.12 )
日時: 2021/02/07 00:48
名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)

「どうすればいいかなんて、どうすれば正解なのかってきっと誰にも分からないし、この先も結論がでることなんてないんだと思う」
「……珍しく西倉が饒舌で驚いてる自分がいるよ」
「青山くんは私のこと何も知らないでしょ。だからそう感じるだけだよ。青山くんにとっての私は茜の付属品でしかなかったでしょう?」

 西倉の語り掛けような口調と、同調を求める微笑みに心の奥底がぞわりとした。腕にはきっと鳥肌がたっていて、握る拳がまた必然的に強くなった。
 俺の戸惑う顔を見て、西倉はどう思ったんだろう。気まずい空気に耐え切れずに俺は立ち上がってお茶を準備しに部屋を出た。逃げた俺を西倉は咎めなかったし、むしろ何も言わなかった。

 西倉の言葉がピンポイントで痛いところをついてきて、怖かったのかもしれない。俺は彼女のことを茜の友人とは思っていても、同等の立場の人間として考えていなかった。茜から聞く彼女の話は、いつも一歩後ろにいるようなおとなしい女だったから。きっと茜が彼女のことを下に見ていたから、俺もそう感じていたのだろう。
 電気ケトルで湯を沸かして、急須にお茶の葉っぱのパックを突っ込んだ。慣れてない手つきで湯のみにお茶を淹れて、それをお盆の上に置く。茶菓子のひとつも用意できてない自分が何故か恥ずかしくて、こんな感情は茜と付き合っていたときに感じたことは一切なかった。
 部屋に戻ると、西倉は俺の部屋で静かに本を読んでいた。部屋の扉を開けてもこちらに気づかないくらいに真剣で、俺は声をかけれずにひっそりと本のタイトルを覗いた。

「……それ、茜が好きだった漫画のやつ?」
「……あ、青山くん戻ってきてたんだ」

 ぼそりと零れた言葉に、西倉はようやく俺を視界に入れた。

「そうだよ。これ、茜が好きで私の誕生日にプレゼントしてくれたの」
「なんで、誕プレに自分の好きなものあげるんだよ」
「あれじゃないかな、布教みたいな。私が漫画得意じゃなの知って敢えてノベライズを選んできたあたり流石親友だなって思ったよ」

 西倉が本を鞄に仕舞って、俺がもってきたお茶に口をつける。「ありがとう」と短くお礼を言われて、俺はまた動揺を隠せなかった。違うんだ、俺はあの話題から逃げたくて部屋を出たのに。言い訳を言葉にする勇気なんて微塵もなかった。

「今日はこんなどうでもいい話をしにきたわけじゃないんだ」
「どうでもいい話って、」
「茜がとうとう自主退学しちゃって、私との連絡もそれが最後。茜のお母さんに聞いてみたんだけど、鬱っぽい感じになってるらしくて、青山くんにどうにか接触してもらえないかなと思ってお願いにきたの」
「へえ、でも俺より西倉のほうが適任じゃないのか」
「まさか」
「だって俺は茜に一番に切られたんだよ。俺のせいで人生めちゃくちゃにされたと思ってるはずだ」

 西倉は吐き捨てるように言った俺の言葉にきょとんとした表情を見せた。
 
「それは、逆じゃないの?」





 俺は西倉詩織という人間のことを下に見ていた。茜から聞く彼女はとても地味で平凡で、茜に釣り合っていない女だったから。それでもなお茜と付き合い続けるのはお互いどういうメリットがあったのだろうなんて、しょうもないことを考えて、俺はその発想が異常だということに気づけなかった。
 あの日、茜が言っていた言葉を俺はようやく思い出したのだ。
「詩織は敵にまわしちゃいけないよ」その言葉の真意を聞きに、俺は茜につながるはずのない電話をかけ続けた。