コメディ・ライト小説(新)
- Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.13 )
- 日時: 2021/02/10 22:34
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
いつからあたしは間違ってしまったのだろう。海にみんなで行きたいといったときから、それとも春馬と付き合い始めたときから、それとも詩織と友達になったときから。考えても無駄なのに、あたしは今日も最低なことばかり頭に浮かんでは消えていく。誰よりも分かっている。あたしがこの中で一番ひどい人間だと。
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春馬からの電話が毎日のようにくるようになった。コール音が何十回も部屋中を響き渡って、それでもあたしが電話を取らないのに痺れを切らしたようにやがて音は消える。もう春馬からあたしに連絡をしてくることはないと思っていた。
部屋のドアが数回ノックされて、扉越しにお母さんの声がした。「ごはんはどうする?」甘いお母さんの声に、私は大丈夫と断ってまた布団の中にもぐりこんだ。学校に行けなくなったのは、あの海のことが原因ではない。春馬はきっとそう思い込んでいるだろうに、あたしは未だにその誤解をとくことをしない。一言「春馬のせいじゃないよ」と言ってあげられれば、春馬はきっと救われるだろうに、あたしにはそれができない。あたしと同じぐらいに春馬にも傷ついてほしいから。
「ほんと、あたしって最低」
どこからあたしは間違っていたのだろう。
分からないし、分かりたくないし、あたしは過去を思い出すだけで吐き気がした。布団にくるまった真っ暗な世界で永遠に生きていきたいとすら思ったし、春馬を他の誰にも渡したくない相変わらず独占欲の強い女だった。
また電話が鳴り続ける。春馬からの電話。あたしはそれをとることができずにいた。春馬の声を聞いてしまったら、あたしはもうだめになると思った。春馬はきっと本当のことを知ったらあたしのことを軽蔑するし、きっとあたしの元から離れていってしまう。それならずっとあたしのことを考えて、岩田のことを考えて苦しんでいればいいと思った。ねえ、詩織もそう思うでしょう。
「あんた、岩田のこと好きじゃん」
あれを言ったときの詩織の顔を思い出しては胸のあたりがぞわぞわする。視線が一瞬たりともあたしから離れなくて、それ本気で言ってるの、と言わんばかりの瞳があたしの笑顔を刺した。冗談だよ、とそのあと言えなくしたのは詩織だったのに。
毎日朝の十時ごろと、夜の八時ごろ、決まった時間に春馬から電話がかかってくる。あたしはそれが毎日の密かな楽しみだった。でも、時折思う。この電話がかかってこなくなったら、春馬は私のことをお払い箱にするんだろうなって。あたしは、その時がくるのが怖くてたまらなかった。
毎日決まって夜の九時ごろ。春馬からの連絡があったことにほっとして、あたしは机の中から一本剃刀を取り出す。腕につけたぐるぐるまきの包帯を外して、傷だらけの腕と対面する。今日もゆっくり肌を傷つけると、滲みだす血がとても綺麗でほっとした。
毎日毎日あたしはこうやって自分を保つことで精いっぱいだった。こんなあたしじゃ、もう二度と春馬に会えないだろう。こんな汚い傷だらけの体のあたしを見て、春馬はどう思うのだろう。毎日、そうやって意味もないことばかり考える。もう病気みたいに。
- Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.14 )
- 日時: 2021/03/02 22:36
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
中学のとき、今とおんなじように病んでしまったことがある。好きな人に裏切られたときのことだ。
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なつめ、と呼ばれて振り返ってもそれはあたしのことではない。
「いつまでお前、ハルに固執するわけ?」
「いつまで、って。何言ってんの、春馬はあたしの彼氏だし」
「お前、本気でハルのこと好きなわけ?」
「そんなの当たり前じゃん」
「好きだったら、何してもいいとか思ってねえよな」
高校二年の冬に恋人ができた。名前は、青山春馬。ちょっとやんちゃだけど、いつも輪の中心にいるような明るい性格で、人気者で、あたしはいつもそういう人に憧れを抱いて、そして恋に落ちる。あたしはそれとは正反対の人間だから。
高校デビュー、というやつをした。中学までは暗くて地味で、クラスでは全く目立たない、いわゆる陰キャというやつで、それをどうしても払拭したかった。メイクも頑張って覚えたし、ファッション雑誌でお洒落に関して勉強もたくさんした。あたしは垢抜けた今どきの女の子になれたと思う。だから、春馬と付き合えたんだろうし、あたしはこの努力を無駄にはしたくなかった。
だから中学時代の知り合いであった岩田が春馬と友人であることを知って、正直最悪だと思ったけれどそれを口にすることはなかった。最初、キャラががらりと変わったあたしに気づいてないのかな、と思ったけれど、岩田はどうやらあたしのことに気づいていて敢えて無視をしているのだと知った。いつもあたしを見る目がとても恐ろしくて、怖くて、あたしは彼の前で演技をするのが日々上手くなっていった。
「ハルに何かしてみろ、許さねえからな」
岩田棗。もうひとりの、なつめの話。
- Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.15 )
- 日時: 2021/03/07 23:04
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
学校を自主退学する、とお母さんに伝えると気まずそうにあたしから目を逸らして「そう」と短く呟いた。引きこもりになってもう二か月が過ぎようとしていたから、お母さんもなんとなくこういう風になるんじゃないかって予想していたのかもしれない。「無理しちゃだめよ」お母さんの困ったように笑う表情に、あたしは泣きそうになって、ごめんねとただそう伝えるだけで限界だった。
詩織に「退学する」と伝えると、すぐに返信が来た。「本当にやめちゃうの?」悲しそうな顔文字をつけて、ひとこと。
詩織はいつもそうだ。心配している風のメッセージだけ送ってきて、結局あたしのことなんかどうでもいいんだろう。この二か月、詩織があたしのところに来ることはなかったし、何より彼女は当然のように毎日学校に通っている。あたしたちを「悪」だと決めつける世間の目を気にせずに、のうのうと学校に行けるのだ。だって、彼女は傍観者だったから。
友達に海に誘われて、浜辺で待っていると友達が勝手に溺れていた。それがすべての事実だった。あたしは詩織の連絡先を無意識にブロックして、後悔の念と一緒に腕にまた一本傷をつけた。赤い血がつうと流れていくと、何故か気持ちがよかった。
「ごめんね、詩織が岩田のこと好きなんて思ったこと一度もなかったよ」
スマートフォンの写真のフォルダにあの8月3日の写真が消せずに残っている。
見るたびに、岩田を見る詩織の目が怯えているように感じて、あたしは何度も後悔する。
「詩織は最後まであたしのことを信じてくれてたんだよね、ごめんね」
あたしは詩織が思っているような女の子じゃない。明るくて能天気で馬鹿で楽しいことをすることだけが生きがいの今どきの若者じゃない。そういう演技をし続けていただけ。本当は岩田に全部ばらされていただろうに、詩織はずっとあたしのことを疑わずに信じてくれていた。だから、あたしは詩織が怖い。
詩織は岩田の言っていたことが全部「真実」だと気づいてしまったのだろう。
春馬から、毎日同じ時間に電話がくる。怖くて仕方のないその電話をあたしはいまだに取ることができない。春馬に会って、何を話せばいいのか分からない。春馬はあたしのことをどう思っているのだろう。
手が震える。スマホを持つ手に力が入らなかった。
誰にも話せない過去の話はもうひとりのなつめ、の話。あたしが中学時代に恋に狂った、岩田棗という男のお話だ。