コメディ・ライト小説(新)
- Re: 推しはむやみに話さない! ( No.36 )
- 日時: 2022/07/01 00:44
- 名前: 狼煙のロコ (ID: hDVRZYXV)
『#そんな未来はありえない!』
「はあ、はあ」
どれくらい時間が経ったかな。長い間走ってる気がするけど。
私は足を止めずに腕時計を確認する。
──まだ三十分か。
息が熱い。横腹が苦しい。お腹に抱えたリュックが不規則に跳ねて、呼吸が若干崩れる。足で床を蹴るたびに髪をつたって汗が飛ぶのが見えた。
私は額を服の袖で擦りながら桃色のドレスの迷宮を駆け回っていた。
警戒しながらも勢いよく、隙間なく並ぶドレスの曲がり角を右に進む。
「モモのドレスコーナーでNを発見」
まずい! 黒服さんに見つかっちゃった。
突然聞こえた声に私は思わず後ずさりする。
いや落ち着け私。モモシシちゃんエリアは黒服さんが少ない。すぐに移動すれば大丈夫。
ファッションエリアの五階。モモシシちゃんをはじめとする『草木の町人』の人外キャラの服が並ぶ、はずだった階だ。
実際に来てみるとなんと、モモシシちゃんのドレスコーナーしかなくてびっくりだ。一つのコーナーに黒服さんは二人まで。モモシシちゃん二人のコーナーは別々だけど、それでも黒服さんは合計で四人しかいない。
さらに服の並びが他の階よりも複雑だ。
だから簡単には執事さんにも見つからないはず。
モモシシちゃんが推しって言ってたから、ここにローリエちゃんがいると思って来てみたけど……。この服の配置を見る限りはやっぱいるっぽいな。
モモシシちゃんそれぞれのイメージカラーは桃色と黄色。そしてローリエちゃんが着ていたのは桃色のドレス。自分を目立たなくさせるためにモモちゃんのドレスコーナーにいるはずだ。
だから今そこでローリエちゃんを探してるけど、なかなか見つからない。逆に私が黒服さんに見つかってしまう始末。
まあ、何はともあれ場所を移動だ。
──未来ちゃんがいない今、私が一人で頑張るしかないしね。
『──ごめん野花』
未来ちゃんの低くて鋭い言葉を思い出す。さっきまで一緒にいたのにな。なんだか不思議な気分。だけどすぐ会えるよ。必ず勝ってみせるからね。
私はいったんシシちゃんのほうのドレスコーナーに行こうと桃色の壁に沿って進み始める。が、その時だった。
「はあ、やっと見つけましたぞ」
「ぎゃっ」
壁に手をつきながら息を整え、私をじっと見つめる執事さんがそこにはいた。
乱れた前髪をかきあげ、ゆっくり私に近づく。さすがの色気だ。でも今はそれどころじゃない。
「執事さん、なんだか焦ってますね。やっぱここにローリエちゃんが?」
私は作りたてほやほやの笑顔を執事さんに向けて少し煽ってみた。対する執事さんは、余裕の笑みで首をすくめる。
「さあ、知りませんぞ。ルール説明で申し上げた通り、私とローリエ様の間には通信手段がないのですぞ」
「ゲームが始まってから執事さんは何回も見てるけど、ローリエちゃんは一回も見てないんです。どこかに隠れてるんじゃないんですか? こことかこことかこことか」
ローリエちゃんをタッチするか時間切れで私たちの勝ちだ。ローリエちゃんの居場所さえ分かればなあ。執事さん強いから相手にしたくないのに。
私の言葉を鼻息で軽く流すと、執事さんは別の話題を切り出した。
「それにしても驚きましたぞ。まさか、まさか『未来様がゲーム開始数分でリタイア』されてしまうとは」
「……はい。私も驚きました」
私はあくまで平静を装っているかのように話す。下手に反応したら相手のペースに乗せられるかもだしね。
今は感情を押し殺すときだ。
執事さんは不服そうにしながら歩みを止めると、すぐにまた口元をニヤリとさせる。
「あとは野花様、あなたを捕まえるだけでローリエ様と私の勝利ですぞ。未来様のおかげで制限時間は減りましたが、どうやらそれも無駄なようですぞ」
そんなことない。未来ちゃんのおかげで私が勝つ可能性が上がったんだよ。それが無意味だなんて言わせないし、そうさせない。
私は勝つ。
「そろそろこのゲームも終わりですぞ」
執事さんが右足を一歩後ろに下げる。
その間も決して私から視線を離さない。獲物をとらえる狩人の目つきだ。青く透き通った瞳を大きく開いたまま、また一歩と足を下げる。
「このフロアは服の並びが複雑で監視する黒服も少ない。紛れるにはうってつけの場所ですぞ。ですが、私は野花様を見つけてしまった。あとは何度も何度も不意討ちを続けるだけ。はたして逃げ切れますかな?」
「必ず私たちが勝ちます」
「では、それを証明してみせてほしいものですぞ!」
途端、執事さんは私の視線の奥にあった曲がり角に入り、そのまま姿を消す。革靴の床を叩きつける音があたりに響く。
ああ、私今震えてる。これが武者震いなのか、恐怖からくる本物の震えなのか、自分でもよく分からない。
反響を繰り返す革靴の音が耳に入り込むたびに背筋に寒気が走る。
執事さんの最初の不意討ちがくる前に心の中で唱えた。
たとえ今孤独の戦いを強いられていても、それでも私のことを待ってくれる人のために負けられない。
未来ちゃんに楓、キキ、小麦ちゃん。
そして六間くん。さらに六間くん。
いつも通りの私のまま、みんなと接していきたいから。
楽しい学校生活を送り続けたいから。
私は勝つ。何度だって言ってやる。私が勝つ。
私が負ける? そんな未来はありえない!
──────
────