コメディ・ライト小説(新)

Re: 泥中に咲け ( No.5 )
日時: 2021/03/19 17:33
名前: むう (ID: mkn9uRs/)

 【第1話(5)】

 ――しかし、先輩に会えたその日以降、僕と彼女が出会うことはなかった。

 先輩の家の隣にある二階建ての木造住宅こそが「民宿 藤宮」であり、あの日あの時僕は確かに先輩の案内でその建物の中に入っていった。先輩にレジ袋を返し、彼女の背中が自分から離れていくのを見送りながら、ついさっき交換したばかりのAINE(あいん)IDの書かれた桃色のメモ帳を胸元で握りしめる。

 昔はラブレターでさえ渡せなかった。勇気を振り絞ってやっと聞けたのがこれだけだ。でもこれがあれば好きな人と連絡が出来る。遠く離れた場所に居ても意思の疎通ができる。

「やったぁぁぁぁ! やったぞぉおおおお!!」

 そのことが同時はすごくうれしくて、ディズニーランドに行く時よりもテンションが舞い上がってしまって、部屋に案内してくれた大家さんの話なんか空気へと化していた。

『あっちがトイレで――、お手洗いはここね。―――ゴミの日は毎週火金だから忘れずに……』
「………はい」
『蒼汰くんの部屋は二階の突き当りよ。同じ階にお客さんが一人いるから挨拶してあげてね』
「………はあい」

 大家のおばさんは、虚ろな表情で返事を返す僕を怪訝そうに見つめていた。この子本当に大丈夫かしらと言う、大人の思いやりと言うやつだ。

 僕は平気だった。心配なんて全然必要なかった。
 ただ先輩との関係が一歩近づいたことがその日の何よりのビックイベントで、ひたすら頭の中はその余韻で埋まっていた。


 手入れの行き届いた八畳式の和室に通された時、ようやく我に返って頬を染める。子供のようにはしゃいでしまった自分に喝を入れたい気分だ。何をしているんだと頭を抱えたくなる。

(ぜんっぜん人の話聞いてなかった。ゴミの日いつだよ……。)

 取りあえず必要な勉強道具や着替え一式をタンスや机の引き出しにしまう。それからホッと一息をつく。この部屋は南に位置するので、窓から日光が差してかなり温かい。目をつぶると瞼の裏に熱を感じた。

「そうだ、AINE(アイン)………!」


 先輩から受け取ったメモ帳を見ながら、AINEの友達検索。元々スマホやパソコンなどをあまり使わないので、フリック入力は亀並みに遅かった。

「K………はえー―――っと………あった。U………あーもうどこだ……ってあった」


 これが毎日勉強ばかりやっていた結果なのだろうか。苦戦しながらなんとかIDを打ち終わり、検索ボタンを押す。どうかな……? 大丈夫かな……?

 と、「黒野あかね」というアイコンが画面に映し出される。ピンク色の背景に白いおばけの、可愛いアイコン。恐る恐るトークボタンを押すと、僕はまた大きくため息をついた。

(なんて話しかけようかな……取りあえず『こんにちは』かな。それか『日下部蒼汰です』って名乗ったほうが好印象かも……それか『今日はありがとうございました』ってお礼言った方が……あぁぁあもう……!!)


『日下部っていい奴だけど、優柔不断なとこがあるからな』

 中学のクラスメートが僕のことをいつもそう評価していた。この言葉を口にする人はみんな、困ったように笑うのだった。なるべく僕を刺激しないようにとわざと口角を上げて、愛想を振りまく彼らが僕は苦手だった。そしてまた、そんなレッテルを貼られてしまう自分の性格に舌打ちもした。


 そんなこんなでクラスメイトの足手まとい。親切をしようとしていつも空回り。もういい加減飽きてしまって、唯一の話し相手は家族だけになった。みんなも自分から僕を遠ざけたしお互い様だと、そう言い聞かせることで孤独から逃げようとしたのだ。

 何で馬鹿なんだろうと、今になっても後悔している。トークの挨拶でここまで悩む人間がいるだろうか。いたら捕まえて目の前に連れて来てほしい。僕がそうですと。



 ピロン


 不意に着信音がなって、頭の中で思考をめぐらしていた僕は反射的に画面に視線を移す。


 黒野あかね:《こんにちは よろしくね(^▽^)/》


「………あぁもう………」


 自分から話しかけれるかを賭けてたのに、あっさりと失敗。なんでいつもこうなんだ。
 がっくりと肩を落とす間も通知音は絶えずピコピコと鳴っている。


 黒野あかね:《今日は荷物持ってくれてありがとう! またいつかお礼させてね》
 日下部蒼汰:〈いいですよお礼なんて〉


 作戦其の②、お礼を伝えてみようも台無し。流石先輩だなと僕は力なく笑う。やっぱり彼女のような性格は行動力も備わっているのかと、なぜかすとんと腑に落ちた。


 黒野あかね:《そう言えばそっちにトトロって子いなかった?⦆


 ………トトロ? 僕は肩眉を顰める。
 あんなに大きくてずんぐりむっくりした、ポピュラーな生物がこの建物内に居たらもうファンタジーだよな。


 黒野あかね:《日下部くんと同い年の男の子でね、戸田虎太郎って言う子がいるの。縮めてトトロ》
 日下部蒼汰:〈無理がありすぎでは〉
 黒野あかね:《……今度、トトロくんにも挨拶したいから、そっちに行かせてもらってもいい!?》

 たかが文面上の言葉。しかしされど文字。僕の中で何かが爆発し、思わず「ふにゃっ」という変な声が口から飛び出た。先輩が家(民宿)へ来る……!? 冷めたはずの興奮の熱が、再び胸の内側から湧いてくる。僕はシャツの裾を強く握りしめた。


 日下部蒼汰:〈ぜ、ぜひ!!〉


 先輩が家へ来たらどうしよう……。
 先輩、趣味はなんなんだろう。音楽を聴いたり、YouTubeを観ることだろうか。一緒にパソコンで動画を観たりしたいな。この前発見した面白い動画があるから、そのトトロとかいう子とも一緒に。


 いつこちらへ来るのか決まったら連絡を下さいとコメントし、僕はスマホの電源を切って畳の上に仰向けになる。最高だ、と真っ先に思った。憧れの先輩と隣同士。ラブコメみたいな展開じゃないか。いっそ『みたいな』じゃなくてそうだったらいいのにな、と突飛な妄想が脳の中を駆け巡る。ああこれが青春って奴なんだ。


 でも、あれから先輩との連絡は一向につかず、電話も繋がらかった。大家のおばさんに聞いても、彼女の家を訪れても求めていた姿はなかった。彼女の制服やカバン、何もかもが残っているのに、彼女だけが僕の世界から忽然と姿を消したのだ。

 悪いニュース。例えば事件とか事故とか。殺人とか。僕はテレビのニュースが流れるたび、肩に力を入れて最悪の結果を待ち続けた。頼むから何らかの形で彼女の存在を証明したかった。たとえ彼女が事件や事故に巻き込まれていたとしても、正しい真実が知りたかった。


 でもいくら待ってもテレビに映るのは、違う地方の事件や株価の上昇や国会議員の失態の報道ばかりで、僕の心の穴を塞いでくれる情報はなかなか見つからなかった。

 先輩が今どこにいるのか、なぜ姿を消したのか、考えれば考えるほど思考は暗くなり、いつしか僕は彼女のことを勝手に故人だと決めつけてしまっていた。そうすることが、今の気持ちに整理をつけるのに酷く楽だった。………ひどく楽だった。







 ◆□◆□




 ――――『お前と言う人間は実におかしな運命に翻弄されておるの』


 ――――『うん? ほっとけ、とな。じゃあほっとくわい。ばいばいきん』


 ――――『なんじゃ、ちょと待てとな。 ほっとけとさっき言ったのになんじゃ……』


 ――――『……お前は何者か、そして今はどういう状況か教えろと。ほぉっほぉっほっ』




 ――――『年寄りに話を急かせるか坊主。まあ、話せというなら聞かせてしんぜよう』






 ――――『ワシの名前は―――』