コメディ・ライト小説(新)
- Re: 雪と雫と日向 ( No.2 )
- 日時: 2023/01/11 07:57
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
第1章
***
ジリリリリリ、ジリリリリリ……。
狭い部屋の空間の大半を占領する寝具。
おかげでただでさえ狭い部屋が一層
狭苦しくなってしまっている。
勉強机より寝具が優先?
こんな大きなベッドいらないのに、
立派な勉強机の方が大事なはずなのに、
なぜかそちらは折り畳み机で済まされている。
もちろん机に椅子はついていない。
立派なベッドなものだから移動もできない。
足場もない中やっとできた最大限のスペースで
折り畳み机を広げて地べたに座って勉強する。
クローゼットは一応あるので
開ける際は苦労するけど収納には不便はない。
しまい込んだまま出す機会がなくなることはあるけど。
このベッドのおかげで、寝るのには困らない。
毎日十分な睡眠がとれるし、快眠できる。
広くて厚くて丈夫なベッドなんて理想的じゃないか。
ふかふかで寝心地もいい。
毎晩夢も見ずに、深い眠りにつける。
──それにしても、この音は何だろう?
頭上で鳴り響く甲高い音、
繰り返し、小刻みに震えている。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.3 )
- 日時: 2023/01/11 08:12
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
ジリリリリリ、ジリリリリリ、ジリリリリリ……。
──はっ!
そうだ、そういえばそうだった。
夢心地のまどろみの中で、
大切なことに気づいて目が覚める。
意識が現実に引き戻されて、
私は悲惨な事実を知る。
「──遅刻だ!」
ベッドの隅、頭上に置いた
目覚まし時計を引っ掴んで
針の指し示す時刻を読み取り絶叫する。
「やばいやばいっ、寝過ごした!」
ベッドから飛び起き、
乱れた掛け布団を直す余裕もなく
急いで身支度を整える。
入学早々寝坊、さらには遅刻するなんて
度胸がよすぎるよ。
──自分、そんなんじゃないです!
度胸も据わってないしそんなつもりないし
まさか目覚まし時計セットしといて
寝坊するなんて思いもしないから!
昨夜調子に乗って、
制服のファッションショーやら
ヘアスタイルなどイメチェンを模索したり
新しい学校生活を妄想したりと
遅くまで余計なことを考えたのがいけなかった。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.4 )
- 日時: 2023/01/11 08:30
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
不慣れなことをすると痛い目に遭う。
おしゃれなんてガラじゃないのに。
結局いつも通り、
着飾らないままの自分で
新しい学校生活をスタートさせることになった。
***
「──行ってきまーす!」
自宅の玄関で靴を履き、
振り返って元気よく言う。
「いってらっしゃーい」
奥の方からそんな返事が聞こえた気がしたので、
──恐らく家事に追われる母の声だろう──
私は安心して扉を開けて家を飛び出した。
間に合うかな?
不安を抱え、時間を確認する余裕もなく
思わず走り出す。
──すると。
「しーちゃん!」
突然後ろから声をかけられて、ぴたりと立ち止まった。
その通称で私を呼ぶ人は、この世界に2人しかいない。
そしてこの声は──。
「雪くん!」
聞き間違うはずがない。
腹の底に響く、心地よい音程と
人を惹きつける、魅力のある声。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.5 )
- 日時: 2023/01/11 08:46
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
振り返ると、そこにいたのは。
「しーちゃん、後ろに寝癖ついてるよ」
「っえ!? うっそ、どうしよ!」
近所に住む、1歳年上の男の子。
篠宮雪なんて
名前もかわいいけど容姿も抜群。
幼い頃から家族ぐるみで仲がよく
昔はその名がぴったりなほど
愛くるしい見た目をしていた雪くん。
成長するにつれてすっかり男前になった彼は
身長も私を遥かに突き放して伸びたし
顔つきもかわいいより断然かっこいいが完成。
道行く人が振り返るほどの美男子。
二度見必須の爽やかイケメンって感じ。
性格も見た目に劣らず、
まっすぐに好青年に育った。
こうやっていまだに近所の幼馴染に気軽に
声をかけてくれるくらい、満点な男の子だ。
憧れないわけがない。
寝癖の箇所を手で押さえて、愛想笑いで返す。
内心恥ずかしさでいっぱいだ。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.6 )
- 日時: 2023/01/11 10:43
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
しーちゃん、と呼んでくれる人は
もしかしたらもう雪くん1人だけかもしれない。
***
──相沢雫。
「雫ちゃんだからしーちゃんだね!」
初対面で挨拶を交わしたとき、
最初に手を差し出してくれたのは雪くんだった。
優しさと美しさと嬉しさと
いろんな感情が押し寄せてきた。
彼の全てに心と目を奪われてしまった。
意思とは関係なく体が勝手に動いて
その手を取り、握手を交わしたら。
「しーちゃん」
彼の後ろからひょこっと顔を出して
2人の握手に自分の手を重ねてきた少年。
えっ!?
驚きのあまり声も出せずに硬直していると。
「──ははっ、日向も握手したかったんだね!」
笑顔でその少年の頭をなでる雪くん。
し、知り合い?
「──ほら日向、新しいお友達に挨拶しよう」
雪くんに促された少年が、私の前に出てくる。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.7 )
- 日時: 2023/01/11 09:24
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「……篠宮日向」
その一言だけ発すると、すぐにそっぽを向く。
先ほどの積極性はどこへやら。
「──日向ってば。……ごめんね? ちょっと無愛想な子なんだけど、普段はいい子なんだよ。僕の弟、しーちゃんの1個下になるかな。仲よくしてね」
代わりに兄である雪くんが紹介してくれる。
弟くんか、どうりで美形なわけだ。
雪くんは全身から滲み出る天使オーラがすごいけど、
一方で日向くんはスタイリッシュな研ぎ澄まされた美貌。
2人とも置き物になってもおかしくないくらい
出来上がった美形兄弟なんですけど──?
***
「──寝癖はなかなか直らないね」
雪くんが困ったように眉をハの字に下げる。
残念ながら寝癖の位置が見えないもので
もう気にしないでおくしかないと思う。
私自身完全に諦めた。
……こういうところが女子力ないんだよね。
自分のアイテム不足に幻滅する。
「──そういえば日向くんは?」
常に雪くんの後ろにくっついている印象、
ではなくて。
つい最近まで同じ中学校に通っていて
どちらかといえば雪くんより日向くんの方が
よく顔を合わせる存在だった。
それが今日は見当たらない。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.8 )
- 日時: 2023/01/11 09:38
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「ああ、日向は朝練じゃないかな」
「えっ、朝練って部活の?」
意外な返事だった。
だって日向くんは部活動が嫌いで──
というか集団行動が苦手で敬遠気味だったのに。
「最上級生になって部活動の責任が重くなってるんだろうね。朝練なんて、まじめに取り組む方じゃなかったのに」
だからしょっちゅうサボってた。
無断で休んで帰宅したり、仮病使ったり。
試合当日勝手に休んだこともあるくらい。
怒られても懲りずに続けていて、
先輩に目をつけられて叱られていたし、
退部すればいいのに……と思っていた。
「部活、続けてるんだ……」
「せっかく入った部活だからね、そろそろ真剣にしなきゃって思ったんじゃない?」
真剣に……。
「無理しないでね、って伝えといて」
口が勝手にそうつぶやいていた。
雪くんも驚いた顔で私を見る。
「──そうだね」
でもすぐに笑顔を繕って、
雪くんは優しくささやいた。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.9 )
- 日時: 2023/01/11 09:49
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
***
最近私は学習したことがある。
それは──。
「──雪くーんっ!」
「篠宮雪くーん!!」
学校では雪くんに近づかないこと。
これは入学して一番驚いたことだ。
中学校時代にはなかったあの
漫画の世界でしか知らない
「取り巻き」や「ファンクラブ」が
実在するなんて……。
まず、学校に着いて校門をくぐると
真っ先に取り巻きに囲まれる雪くん。
移動もスムーズにはいかない。
ちょっとの動作もままならないほど。
密集している取り巻きたちに
雪くんは怒るでも騒ぐでもなく
ただただ困ったように笑うだけ。
なんで拒絶しないんだろう?
もしかしてその状況を気に入っている?
私は不思議でならない。
嫌じゃないから否定しないんだよね?
拒否しない理由がないんだよね?
意外だった。
雪くんがそんな……女好きなんて。
私はそっと距離を置いて、
そそくさと靴を履き替え、
自分の教室に向かう。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.10 )
- 日時: 2023/01/11 09:58
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
取り巻きだけならまだしも
ファンクラブなるものが実在するらしい。
実際に私も加入しないかと
同級生に誘われたほどだ。
1人では心細いので一緒にどうか?
というお誘いのようだったけど。
新入生がまさか
その子がまさか
雪くんに好意を抱いているとは……。
雪くんはそれほど偉大な人物なのか。
「学年順位また1番だって」
「さすがっ!」
噂話の対象は雪くんのようだ。
確かに先日行われたテストでは
学年順位1位を記録していた。
私もすごいと思ったし
功績だなぁと本人に伝えたところ。
「はは、ありがとう。でもそんな珍しいことじゃないと思うよ」
と謙遜なのか自慢なのか曖昧な返事を残していた。
「どういうこと?」
意味が分からなくて、
でもそのときは聞きづらかったので
同級生に「学年1位が珍しくない意味」を問うた。
そしたら案外答えは簡単だった。
でもそんな……その発言は必要ですか?
- Re: 雪と雫と日向 ( No.11 )
- 日時: 2023/01/11 10:10
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「篠宮先輩は定期テストで2位と1位を行き来するレベルらしい」
同級生の雪くんファンに聞いた話。
もうそれは武勇伝と呼べるだろう。
雪くんってそんな秀才だったんだ……。
今さらながら、脱帽。
というか全然私が横に並べるような存在じゃない。
一般人以下の私からすれば
有名人以上の雪くんは
もはや別格だ。
「──ねえ,篠宮先輩って彼女いるのかな……」
遠くを眺めながら、同級生が放った言葉は、
心の声がぽろっと出たみたいだった。
「え」
私は完全にフリーズした。
そんなこと……考えたこともなかった。
そうか……そうだよね。
確かに、そういうお年頃だもんね。
可能性がないわけない。
「中学校時代はずっとフリーだったらしい。なんか部活が忙しかったって本人が語ってる噂をファンクラブの先輩から聞いた」
へえ、そうなんだ……。
──っておい。
「君、普通に自分1人でファンクラブ加入しとるやないかい」
- Re: 雪と雫と日向 ( No.12 )
- 日時: 2023/01/11 10:29
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「えっ!? いやいや、加入する前の段階で。誘い文句にひたすら篠宮先輩の武勇伝聞かされるんだよぉーっ。ていうかまさか相沢さん! 私の名前知らないで今まで会話してたのっ?」
ものすごい剣幕。
今自分の過失ごまかそうとしたよね?
「……え、あ、まあごめん。名前知りません」
私にも非があったので正直に自白して謝る。
自己紹介のときに確か……遠藤? 近藤?
いや、内藤さん、だったような……?
「伊藤ですっ! 伊藤月夜!」
違った……。
すみません伊藤さん。
あまりの申し訳なさに目を伏せるしかない。
「まあ名前のことはいいんだけど。ファンクラブ加入するなら相沢さんと一緒がいいなと思ってて」
え、なんで私指名?
ぽかんと口を開けて首を傾げる。
「だって相沢さん、篠宮先輩のこと好きでしょ?」
…………は?
「──なんでそう思うの?」
私は内心ドキリとした。
いや、ヒヤリだったかもしれない。
「だって」
- Re: 雪と雫と日向 ( No.13 )
- 日時: 2023/01/11 10:41
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「篠宮先輩のこと名前呼びだったし、興味の対象が先輩だけじゃない?」
他のことには一切見向きもしないのに、
そう言って伊藤さんは頬を膨らませる。
「そ、そう、だっけ……」
私ってそんなに極端だった?
態度にまで現れるほど?
確かに、同じ高校に入ったのも
この学校に雪くんがいるからで。
幼い頃からずっと追いかけてきた。
──きらきら光り輝く雪の結晶を。
降る雪は、掴むとすぐに溶けてなくなる。
積もった雪も、いずれ溶けて消える。
一生残る雪はない。
氷は必ずいつか溶けるもの。
雪くんは消えない。
だって人だから。
分かってはいるけど。
年齢を重ねるうちに
学年を上がっていく度に
雪くんはだんだん遠い存在になる。
この学校に入ったときにはもうすでに
偉大な人物になっていて、
とても簡単に手が伸ばせる存在ではなかった。
確かにまだ、話してみればあの頃のまま
人懐っこい温かな笑顔を向けてくれる。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.14 )
- 日時: 2023/01/13 06:55
- 名前: once (ID: feG/2296)
雪くんのファンクラブの勧誘?
というか加入を迫られ。
伊藤さん自身未だ在籍せず、
私の返事を待ってくれている。
まあ……一応何度か断ってはいるのだけど。
伊藤さんも一歩も譲らない。
うんと言うまで引いてくれないつもりなのか。
いつも雪くん情報を仕入れて
私に横流ししてくれるし。
姿を見つけては、すぐさま
私に報告してくれるし。
そこまでして説得されると
断ろうにも断りづらくなるし、
実際心が揺れ動いている。
雪くんに対するこの感情が。
ファンクラブのメンバーたちと
同じものなのか?
そもそもファンクラブの規模って
詳しく知らないのだけど……。
雪くんの取り巻き含め
確かに大勢の女子の視線は集まる。
その子たち全員がファンクラブ会員?
まさかね……。
気になって伊藤さんに質問してみると。
上級生が大半だけどそれだけで数十人。
1年生もそれなりに集まってきて、
全体で、女子総なめも夢じゃないくらい、
らしい。
どれだけ誇張した発言か知らないけど。
──大規模すぎる。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.15 )
- 日時: 2023/01/13 07:08
- 名前: once (ID: FWNZhYRN)
その中に入るのはちょっと
気が引ける。
第一ファンじゃないし。
ひねくれたことを言えば。
ファンクラブに加入したところで。
一体何の利益がある?
「会員特典は特にないけどー」
困ったように伊藤さんは目を泳がせる。
むなしいことを聞いたと
私は少し申し訳ない気持ちになる。
「でも情報とかいっぱい入ってくるし、先輩方なら写真とか結構持ってるんじゃないかな。あとクラブ内で交友関係も広まるよ! 篠宮先輩とも距離縮まるかもだし!」
ワンチャン可能性あるかもよ!
とまるで私が隣を狙ってるとでも言いたげ。
──ていうか、え。
写真ってどういうこと?
隠し撮り?
「体育大会とか文化祭とかイベント事でツーショットお願いしたら割とすんなり受け入れてもらえるらしいよ。でも後輩が頼むと周りに生意気とか失礼だとかささやかれて非難浴びるかもしれないからやめといた方がいいって」
確かに……。
嫉妬の対象にはなりかねない。
でもまあ……私でも。
幼馴染とはいえ2人で撮った写真は
実際あまり持っていない。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.16 )
- 日時: 2023/01/13 07:27
- 名前: once (ID: Ve/IoWsn)
でも結局はそれって、
ファンクラブに加入したとて1年生なんぞは
雪くんに近づく術もなければ権利もない。
ファンクラブというのは所詮
遠くから見つめて応援するだけの集団。
集団で互いを励まし合い、協力し合い
主役を引き立てて追っかけるだけの存在。
決して近寄るものではない。
そばに行けるものではない。
大勢で1人を応援するって相当シュール。
仲間がいれば心強いと言えば
そうかもしれないけど、でも。
それって本気の恋じゃなくて
楽しむための恋だよね?
自分が満足する方法だよね?
好きという気持ちが最優先で
結ばれる運命を導くわけでなく。
一種の娯楽として
アイドルの応援みたいに
相手の活動を追ってるだけだよね?
どちらかといえば。
ファンクラブに入るということは。
自分じゃなくて相手が主役になって
自分はもう脇役ですらなくて
観客になってしまうということでは?
はっきり言ってしまえば。
結ばれる運命を諦めたようなもの。
だってファン同士で同盟を結ぶわけだから。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.17 )
- 日時: 2023/01/13 07:46
- 名前: once (ID: I4LRt51s)
ファンクラブに入っても
入らなくても変わらない
基本同じことならば。
「──私は入らない、かな」
万が一
本人に自分の気持ちが知られて
幼馴染なのにファンに降格して
遠巻きに恥ずかしい思いをして
そういうリスク背負ってまで
ファンクラブに加入する覚悟も
メリットもない気がする。
もし恋心を本人に伝えるときがきたら
他の会員の方々に申し訳ないなって
抜けがけだなって罪悪感抱く人
いないのだろうか……?
「まあ確かにマジ恋の人は少ないかもね」
伊藤さんの口から放たれた衝撃発言。
え、嘘、今さら?
「鑑賞用とか、芸能人感覚の人多いと思う」
実際私もそういう“好き”だろうなー、
と伊藤さんは自分の髪の毛をいじりながら言う。
「それもっと早く言ってほしかった……」
拍子抜け。
確かにファンクラブっていうくらいで
恋愛同盟とかじゃないからね……。
好きの種類や重みが違う。
私は雪くんのファンじゃない──。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.18 )
- 日時: 2023/01/13 08:09
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
***
あれから数か月が経って。
どうやら伊藤さんは自分1人で、
雪くんのファンクラブに加入したらしい。
──という噂を本人から聞いた。
いや、本人から聞いたのだから
噂ではなく事実なのだろうけど。
その打ち明け方があまりに他人事で。
他人行儀で、まるで噂話だったので、
“らしい”という表現になってしまった。
「勇気出して1人で入ったんだね」
「まあ……気乗りしない友人がおりましたので」
そして私にもよそよそしい態度。
言葉遣いがもう完全に友人以下。
「いや、ごめんて。本当に申し訳ないと思ってるよ、せっかく誘ってくれて……長らく待ってくれてたのにいい返事ができなくて」
心からの謝罪。
ファンクラブの全貌を知らないので
どういう仕組みで加入するのかも
分からないけど……。
計り知れない大所帯の会員を前に、
伊藤さんは緊張な面持ちで手続きを済ませた。
──という図が頭に浮かんでしまう。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.19 )
- 日時: 2023/01/13 08:23
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「気が変わって加入したくなったらいつでも言ってね!」
そのときはちゃんと立ち合ってあげるから、
と照れ隠しなのか顔ごと目を背けて伊藤さんは言う。
「え、あ、うん……」
気を遣ってくれたのか。
初めて知って、私は若干あっけに取られる。
「──ありがとう」
伊藤さんっていい人だね。
思わず顔がほころんだ。
「な……!」
伊藤さんは最初ぎょっとした表情で
私の笑顔を凝視して、すぐに
硬直していた顔を真っ赤に染め上げた。
みるみる移りゆく表情の変化に
なんだか感心してしまう。
「いい人、なんて……言われたことないし……」
紅潮した顔を手の平で覆い隠しながら
伊藤さんはぼそっとつぶやく。
その仕草がかわいくて。
不覚にもきゅんとしてしまう。
──恋心とは違うけど。
「ふふ」
「……まだ笑ってるの」
いつの間にか私と伊藤さんは、
気づけばいつも一緒にいる。
約束したわけでも契約したわけでもない
普通の交友関係を築いていた。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.20 )
- 日時: 2023/01/13 08:37
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
***
「相沢さん、ばいばーい」
「ばいばい伊藤さん、また明日」
未だに名字で呼び合う仲なのが
少し不思議な気はするけど。
今日も学校が終わって。
いつものように校門で道が分かれる。
帰り道が真逆な私たちは。
互いの住む家も知らないし
帰り道を共にしたこともない。
まだまだ知らないことだらけ。
それでも急いで深く知ろうとしないところが
お互いの性質で、共通する部分で、
気が合うのではないだろうか。
「また明日──しずくっ!」
え──!?
伊藤さんは最後に、私の名前を呼び捨てして
一言叫ぶと同時に走り去った。
まさかの言い逃げ?
目の前からいなくなった伊藤さんの残影
何も出てこない残像をただただ見つめる。
消化できない現状。
えっと?
「んーと……明日から名前呼び?」
しかも呼び捨て?
展開が早いなぁ……。
1人、首を傾げながらもようやく歩き出す。
伊藤さん──月夜が消えた方向に背中を向けて。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.21 )
- 日時: 2023/01/13 08:52
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
なんだか胸がざわつく。
原因は言うまでもなく、
耳に残る「雫」という
月夜が言い残したセリフ。
いや、私の名前なんだけど。
まさかの呼び捨てなのだけど。
「急にね、不意打ち」
整理できない現実。
戸惑いつつも嬉しくもあり。
明日がちょっと楽しみで。
つい先ほど別れたばかりの彼女に
一刻も早く会いたくなる衝動。
緊張もするけど、きっと今日の続き。
いきなり名前を呼ぶ、敬称略で。
「つきよ、つーきーよ、月夜」
本人がいないところで勝手に名前借ります。
何度も声に出して練習する。
発音やら尺やら気にして、
なんだろう友達作り初心者みたい。
自分のうぶな反応に、
自分でも驚きと照れがある。
「つきよー、月夜! つき──」
「……誰?」
──ひょっ!?
心臓が飛び出るかと思った。
急に後ろから低い声が飛び込んできて。
慌てて振り返ると、そこにいたのは。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.22 )
- 日時: 2023/01/13 09:08
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「──え、日向くん?」
懐かしい学ランを着た、懐かしい顔。
清々しいほどの短髪が初々しい。
その表情は相変わらず、
感情を読み取れないクールな真顔。
まばたきする度、同時に
長いまつ毛も上下に動く。
「久しぶりだねー元気?」
「……まあ。誰? 何? ツキヨ?」
日向くんは後輩だけど、
私に敬語を使ったことはない。
生意気といえばそうかもしれないけど、
幼馴染なわけだし、かわいいし許す。
「あーうん、ちょっとね、友達の名前」
ちょっとね、と言いつつも
ほぼほぼ全容を話している自分。
「……はぁ。よそよそしい気がするけど」
興味なさそうな顔して察しがよいこと。
私は苦笑いでなんとかごまかそうとする。
だんまりを決め込んで続きを話さない私に
察しのよい日向くんは深追いしない。
「──し」
し?
「……雫先輩は今帰り?」
ため口のくせに敬称はつくのか。
しかも未だにあなたの先輩?
- Re: 雪と雫と日向 ( No.23 )
- 日時: 2023/01/13 09:47
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「そうだけど……昔みたいにしーちゃんって呼びなよー」
雫先輩と言われるのもしばらくぶりだけど。
この世で私をしーちゃん呼びしてくれる人は
たった2人しかいなかっのに。
それがいよいよ1人になるという現実。
いよいよ絶滅危惧される……。
幼い頃のあだ名が高校生になってもなお
継続することって珍しいことなのだろうか?
消滅してしまうのが普通?
「え、いや……」
意表を突かれたという顔で、後頭部をかく日向くん。
つぶらな瞳の奥が揺れるのが見て取れる。
動揺を隠し切れない様子。
そんなに困ることだったかな……?
「雪くんは未だにしーちゃん呼びなんだよ。取り巻きの子の感じで、一般的な思春期男子の感覚が麻痺してるのかな?」
何げなく話したつもりだったけど、
私の言葉を耳にした途端日向くんは立ち止まった。
「え?」
そのまま隣を歩いていると思いきや。
横を向くと日向くんの姿が消えていて驚いた。
「え、何?」
振り返ると、立ち止まっている日向くんがいた。
彼は考え込むみたいな表情で、その場に佇む。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.24 )
- 日時: 2023/01/13 10:09
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「どうしたの? 大丈夫?」
慌てて走り寄り、声をかける。
そういえば。
覗き込む際の顔の位置が違う。
昔は膝を曲げて首を捻っていたのに、
今は膝も首も曲げる必要がない。
その代わり。
少し目線を上げなければならない。
それだけ、身長差が縮まったということ。
彼の身長が伸びたということ。
彼が成長したということ。
「兄貴は……いや、何でもない」
兄貴──そうか。
雪くんのことももう
お兄ちゃんと呼ばないんだね。
「……なんか寂しいね」
成長するのはいいことだし
必然だし避けられないこと。
それでも、昔の記憶が蘇ると
「あーよかったな」と思ってしまう。
記憶の中の関係はもう過去の話。
仲が悪くなったわけじゃないけど
昔のような距離感ではないということ。
時代が移り変われば人も変わる。
いつか、いずれ、違う世界になる。
あの頃の記憶は記憶に過ぎない。
もう二度と“同じ”にはならない。
- Re: 雪と雫と日向 ( No.25 )
- 日時: 2023/01/13 10:24
- 名前: once (ID: wsTJH6tA)
「……しーちゃん」
──え?
「……えええっ!」
聞き間違いではないだろうか。
自分の耳を疑った。
目の前の彼の表情を見ると。
少し耳たぶが赤い。
どうやら空耳ではないようだ。
「え、え、どういう心境の変化? 懐かしい? 懐かしいよね! 親近感湧くなぁ」
まくし立てる私の声に、
嫌悪の表情を見せ、両手で耳を塞ぐ日向くん。
赤くなった耳が隠れて、ちょっと残念。
せっかくかわいかったのになぁ。
「言っとくけど」
「ん?」
意を決して口を開いた日向くんは。
もうすでに冷めた表情をしていた。
「人前ではちゃんと先輩呼びするから」
宣戦布告のようにそう断言されて、
悲しいような寂しいような。
──あれ。でもそれって。
「つまり、2人のときはしーちゃんなんだ?」
「……お望みならば?」
失言したとか思ってないよね?
自分の発言に責任持ってね。
私は嬉しさのあまり、つい口もとが緩む。
懐かしい感情が戻ってきた気がした。