コメディ・ライト小説(新)
- Re: 憑きもん!~こんな日常疲れます~【第3章準備中】 ( No.35 )
- 日時: 2023/11/30 23:48
- 名前: むう (ID: F7nC67Td)
お久しぶりです。失踪しかけました、むうです。
相変わらず多忙ですがこっちも頑張ります。
第3章開始! 更新は遅いですがよろしくお願いします。
------------------------
〈XXside〉
雨が降っていた。
梅雨前線と台風が重なってしまったと、今朝ニュースでアナウンサーさんが言ってたっけ。
僕の住んでいる関東地方は特に影響はないけど、東北の県では次々に停電が起きているらしい。
お母さんから渡されている連絡用の携帯を開く。飼い猫のアイコンから一通の連絡が来ていた。
僕はメッセージアプリの個別チャットボタンに手を伸ばし……、文面を確認する。
じっくり読んだりはしない。めんどくさいから。
『早く帰って来なさい。塾に遅れるわよ。
今日は数学の集中講座があるって、遠藤先生から聞いたわ。
あなた、ちゃんと勉強はやってるんでしょうね?
せっかく中学受験をさせたのに不合格。なんでいつもそうなの?
とにかく、来週は中学最初の中間テストだから、しっかり勉強してね。頼むわよ』
……うざい。
……うるさい。
……黙れ。
汚い言葉が脳裏に浮かんできて、僕はあわてて首を振った。
乱暴なセリフを口に出してはいけない。人を傷つけてはいけない。
だって、相手はお母さんで、僕は子どもだ。口答えしていい年齢は五歳までだ。
僕はスマホのフリック入力で、返信欄に文字を書き込んでいく。
『わかった。すぐ帰るね(グッジョブの絵文字)』
そして、送信。
お母さんの会話はこれで終わりだ。
これ以上もこれ以下もない。
反論するとキレられるんだ。「私の何が悪いの?」って、一時間ぶっ通しで質問される。
そんなことを息子の僕に聞かれても困る。もちろん親に対しての不満はゼロではない。ただ、素
直に告げるとまた泣かれる。
だから僕はニッコリ笑って答えるんだ。
『何も悪くないよ。全部僕が悪いんだ』ってね。
事実だし。
五行にもわたって打たれた長ったらしい文字。
長文メッセージを受け取ったのは、今日が初めてじゃない。昨日もそうだった。一昨日も送られ
てきた。その前も、その前も、ずっとこんな調子だった。
僕のお母さんは、とても身勝手な人でね。
勉強だけではなく、挨拶の仕方とか、箸の持ち方とか、友達との接し方とか。好きなマンガも好
きなアニメも、自分が納得できるものでないと許さない。
『その漫画、つまんないわよ。お母さんが買ってきた奴を読みなさい。この作者の人、とってもいい人なのよ。○○大学の○○学部出身でね、だから若菜も……』
……………僕の好きだった漫画は段ボール箱の中に入れられて、燃やされたんだ。
誰も自分を助けようとはしてくれない。兄妹もいないし親戚もいない。
おばあちゃんは先月空に昇っていった。
お父さんはトラックの運転手で、ほとんど家にいない。連絡先は知っているけど、相談したら絶対心配される。なので、打ち明けられない。
学校に行きたくないんです、という子がチラホラいる。家が落ち着くんです、ってね。
………いいなあって思ったんだ。家が落ち着く。僕も言ってみたいよ、その言葉。
まあ、お母さんから逃げるために学校に行っている自分には、どうせ似合わないだろうけど。
■□■
遠くの方から、一人の女の子がかけてくる。
淡い桃色の傘をさして、リュックについたアクリルキーホルダーをカシャカシャいわせて。
水たまりの水を蹴飛ばしながら、全速力でこっちに向かってダッシュ。
「由比ー! 一緒に帰ろ~! 今日、部活雨でなくなっちゃって。体力づくりできなくてさ!」
ふふ、相変わらずでっかい声。
走らなくても、僕はちゃんと待ってるのに。
せっかちで真っすぐなところ、出会った時から変わってないね。
気を取り直して、僕は彼女に手を振る。
できるだけ大きく。できるだけ大げさに。自然に見えるように。
笑え、笑え笑え笑え笑え。嫌なことは考えるな。今のこの時間が、自分にとっての天国だ。
だから笑え。どんなに苦しくても。どんなに寂しくても、笑えるならまだ大丈夫だ。
たとえそれが作り笑いだとしても。表情を作れる時間があるのは、きっと良いことだと思う。
…………助けてほしいと打ち明けるには、まだ早いよね。
「いとちゃ――――ん! 部活お疲れ様――――――――――っ!」
- Re: 憑きもん!~こんな日常疲れます~【第3章開始★】 ( No.36 )
- 日時: 2024/11/07 11:24
- 名前: むう (ID: X4YiGJ8J)
〈由比side 12ヵ月前 5月〉
キーンコーンカーンコーン。
授業終了を知らせるチャイムが教室のスピーカーから鳴り響く。
このチャイムは二回繰り返して放送されるのだけど、皆授業が嫌いなので、チャイムが鳴る五分前には、クラスメートのほとんどが教科書を片付けていた。
教卓に立つ英語の鷲見先生が、ノートパソコンをパタンと閉じる。
そして、よくとおる野太い声で言った。
「はーい。今日はこれで授業終わり。来週単語の小テストあるから、ちゃんと勉強してくること。範囲はさっき教えた、21ページから24ページ」
彼は、大学を出たばっかり・教師一年目の若い男の先生だ。
朗らかで優しく、授業もわかりやすい。歳が近いのもあって、何人かのクラスメートは親しみを込めて、「鷲見先生」ではなく「亮ちゃん」と呼んでいる。鷲見亮介先生だから、亮ちゃん。
「亮ちゃーん、鬼ー」
「いっつも範囲広いじゃん亮ちゃん」
「サッカー部の試合あるんだけどー」
生徒に反論されても、先生は全く怒らない。
それどころか、英語が苦手な子のために、わざわざ救済措置まで取ってくれる。
「じゃー、次の授業で。ヒントは出すから、欲しいって人は職員室に来てね」
先生は教卓の上に置いた教材を手早く籠の中に入れると、そそくさと教室の扉の奥に消えてしまった。
………というのを僕は、後ろの席の女の子に教えてもらった。
今話したことは僕が見た内容じゃない。というか、三時間目が英語だったことも今知った。
理由は簡単。寝落ちしたのだ。
教科書とノートと筆箱を引き出しから出したところまでは良かったものの、その後やってきた睡魔にあらがえず、瞼はどんどん下がって行って……。当然、ノートを取ることもできなくて……。
「ええええっっ、小テスト!?」
「そうだよ。21ページから24ページの進出単語」
後ろの席に座っている女の子は、「あんた今まで何してたの?」と机に頬杖をつく。
この子の名前は桃根こいと。低い位置で結んだお下げがチャームポイントの、演劇部員だ。
「由比くん、なんでいつも寝てんの? ノートちゃんと取らなきゃダメじゃん」
「……えええぇ。も、桃根さん、ノート見せて」
「もー、授業中に寝るとかありえないんですけど! もうやだこの席」
この学校の出席番号は、あいうえ順。
僕の苗字である「由比」は〈ヤ行〉。彼女の苗字である「桃根」は〈マ行〉。クラスにはマ行が桃根さんしかいない。よって、彼女の席はいつも僕の後ろ。
え、前じゃないのって? あはは,僕目が悪くてさ、前後逆にしてもらったんだ。
入学式から一カ月間は出席番号順に座らなければいけない決まりになっている。
今日は五月一日。
入学式があった日は十日なので、ゴールデンウイークを過ぎれば僕らの席は離れることになる。その後は席替え。しかもクジ引きだ。隣同士・前後同士になる確率は極めて低い。
「僕はこの席、結構気に入ってるよ。窓側だし」
桃根さんから渡されたノートのページをめくりながら、僕は答える。
天気がいい日は窓からグラウンドを走る他学年生の姿が見えるし、雨の日は花壇の花びらに落ちた雨の露を確認できる。日当たりもいいから寝るのにも困らない。
「それに、桃根さんしか話せる友だちいないからさぁ。おわっ、何このノート」
「え? なに、字が汚いって言いたいの?」
桃根さんが席から立ちあがり、僕の隣に並んだ。
いや、字について言ってるわけじゃないよ。筆跡はすごくきれいで読みやすい。
ただ、なんというかあの、僕が知っている英語のノートとは、少し違うような……。
「『村人A:おお、神よ。我に力を与えたまえ』『I went to school by bus.』会話の脈絡がないっていうか、その」
------------------------
村人A:おお、神よ。我に力を与えたまえ。(天に向かって大きく手を広げる)
〈過去形〉
I went to school by bus.
(私はバスで学校に行きました)
------------------------
な、なんで英語のノートにセリフが出てくるんだろう。
そういう内容の話だったのかな?
「………あああああああ! これ、〈ひばり座〉の稽古ノートだあああ」
自分のノートに目を通した桃根さんが、頭を抱えた。
そして、僕の手からノートをひったくると、席に戻って筆箱から消しゴムを取り出す。
必死にゴシゴシと文字を消そうとするが、英語の文法事項はボールペンで書かれていたので、なかなか消えない。
「ひばり座って、桃根さんが所属している演劇部?」
「そう! 部員には稽古ノートっていって、台本を読んで感じたことを記すノートが配られてるの」
雲雀中学校の演劇部・ひばり座。部員数は50人。
文化部で一番の人気を誇る、超キビシイ練習で有名の部活。秋の文化祭では、毎年演劇をステージで披露している。
部員数が多いので、よほど演技がうまい人でないと役はもらえない。
『3年間、裏方仕事しかさせてもらえなかった』という話もよく聞く。上下関係が厳しいのだ。
「へええ、すごいねっ。女優になりたいとか?」
「ううん、そんなんじゃないんだけど……って、あー! 無理だ、もう無理! 手つかれた! 無理無理無理無理! あ~、顧問の寺内先生に新しいノートもらわなきゃ」
数分間のゴシゴシ作業は、流石にきつかったようだ。
桃根さんは真面目だけど、冷めやすい性格の持ち主。自分ができないことはあっさり諦める。
彼女は机の上に出したままだった筆記用具を、手早く引き出しにしまいながら答えた。
「あたし、歌い手が好きなんだ。歌い手って知ってる? 人が歌った曲を、カバーする人たちのことなんだけど。そういう人たちがずっと憧れで、なれたらいいなーって思ってて。バカな話だよね」
歌い手かあ。女の子たちが、よく話題にしてるよね。
僕も興味があったんだけど、お母さんの目に留まると怒られるから検索できなくてさ。
バカな話じゃないよ。なんでそう決めつけるの?
僕からすれば羨ましいよ。とっても眩しいよ。
好きなものを自分で探すことが出来て。
好きなことを自分でやれて。
夢に向かって努力出来て。
「……なれるわけない、って思ったら、多分一生なれないんじゃないかなぁ」
僕は、桃根さんの右手に手を伸ばした。そのまま、その細い指を強く握る。
「応援っ、してるから! ずっと応援するから! だからっ、自分で可能性を捨てないでよ」
なれるわけないって思えるのはさ、きみにまだ選択肢があるからだよ。桃根さん。
家族と友達が、自分の夢を認めてくれるから。認めた上で批判してくれるから。
だから、「バカな話」だって、結論付けてしまったんでしょ。
多分僕は、無意識に自分と桃根さんを重ねている。
彼女が自分と正反対の立場にいるから。好きなものもやりたいことも、何でも否定されるような人生とは別のところにいるから。
この子はもう一人の自分なんだって、勝手に思ってしまっている。
だから彼女が夢を叶えてくれたら、僕はとっても嬉しい。
僕の代わりに夢を追いかけてくれたら嬉しい。
ねえ、お母さん。何でお母さんは息子の可能性を無くしたがるの?
僕さ、中学受験やりたくなかったよ。塾にも通いたくなかったよ。勉強だって嫌いだ。
でもさ、意見があるなら伝えなさいって言ったのお母さんだよね。
それで自分の気持ちを口にしたら「あなたのためを思って」って言うんだもんね。
いつから僕は、この鬼畜ゲームをプレイすることに慣れちゃったんだろう。
……助けてすら言えないのに、僕は毎日祈っている。
―――――ー『神よ、我に力を与えたまえ』―――――――――
- Re: 憑きもん!~こんな日常疲れます~【第3章開始★】 ( No.37 )
- 日時: 2023/06/16 15:47
- 名前: むう (ID: viErlMEE)
暫くシリアスな展開が続きますがよろしくお願いします。
------------------------
季節は変わり十一月中旬。
時刻は夜八時三十分。職員室の真ん中で。
「由比。この前のテストの結果は何だ」
三十代くらいの男の先生は、眼鏡のつるを右手でくいっと持ち上げながら言った。
自宅から歩いて十五分。
駅の近くにある三階建てビルの二階が、僕の通っている進学塾〈きららゼミナール〉だ。
実際は、きらきらの「き」の字もない場所だけど。
塾で行われるテストや学校の成績でクラスが分かれる階級制。
頭のいい子は先生から可愛がられ贔屓され、夏に行われるバーベキューなどのイベントにも参加
できるが、それ以外の子は申込書すらもらえない。
参加したかったら、ただひたすら勉強するしかない。成績は塾のすべてだ。
……僕・由比若菜が所属するクラスは、通称〈Fクラス〉。
きららゼミナール内では最下層だ。
「……」
黙っている僕に、先生―確か苗字は田中だ―が「はあ」と肩を降ろす。
その表情はひどくくたびれていた。
「正直に言おう。おまえの成績はFクラスの中で最低だ」
渡された数学の小テストの点数は、十点だった。
五十点満点ではない。百点満点のテストだ。
回答欄を全て埋めているのにも関わらず、ほとんどの答えが赤ペンで訂正されている。
「勉強しなかったのか」
「……しました」
勉強を全くしていなかったわけじゃない。学校の授業は寝ているけれど、家ではしっかりテキス
トを開いている。なんなら予習も復習もしている。毎日、毎日コツコツ問題を解いている。
「勉強しただぁ? 何時間? どれくらい? この点数を見て、それでも勉強したって言える
か?」
田中先生の声の大きさにびっくりして、僕は目をつぶる。怖い。すごく怖い。
先生は机のふちを指でトントンと叩きながら、やりきれないと言うように首を軽く振った。
「勉強って言うのはな。生きていくうえでとっても重要な物なんだぞ。将来、受験にも役立つし、
知らなかったことを知れる。なあなあにやるから、こうなるんだ」
「………」
「成績は全部お前に返ってくるぞ」
…………なんだよ、その言い方。
それじゃあまるで、僕が不真面目みたいじゃないか。
ああそうだよ、みんなそうだ。大人はみんな、いい子ちゃんが好きだ。
与えられた問題に丁寧に取り組み、点数を稼ぎ、結果を出せるような子が好きだ。
相手の気持ちを理解できる、物分かりのいい子が好きだ。
ああ、ほんっとうに嫌になる。
頑張ってきたことが報われないのなら、努力って何のためにあるの。
自分のやりたいことが出来ないのなら、進路って何のためにあるの。
いい子って何? そんなに勉強が大事なの?
何でぼくはこんなに惨めな気持ちになってるの? なんでこんな気持ちにさせるの?
「――に何がわかるんだよ」
無意識に、唇の端から言葉が漏れた。
両手がわなわなと震える。拳を強く握りすぎたせいで、持っていたテストの答案用紙はしわくちゃになってしまった。
先生が息をのみ、目を見開く。怯えたような表情。
「教師に向かって、なんてことを言うんだ」
「テメエの気持ちなんか知るかよっ」
怒鳴ってから、僕は自分の発した言葉の重みにようやく気付く。
どうしよう、どうしようどうしよう、どうしようどうしよう、どうしよう。
相手は先生で、僕は生徒で、僕は怒られていて、僕はひどい点数を取って……。
違う、違う。やばい、判断を間違えた。どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。
謝らなきゃ。ごめんなさいって頭を下げなきゃ。まだ間に合う、まだ大丈夫、まだ……。
そう思うのに、なぜか言葉は止まらない。刃物のような単語が、自分の声と絡まって相手の胸を
打ち抜く。
「誰も僕のこと、見てくれないじゃんかっ。頭の良さだけで決めるじゃんかっ。勝手に期待して! 勝手に子供の夢を捨てて! 勝手に道をふさぐじゃんかっ。いい大人になりなさいって教えるくせに、選択肢全部つぶすじゃなんかっ! もういい、もう嫌いだ! みんなみんな大っ嫌いだ!」
僕はくるりと回れ右をし、教室の扉へと一目散に走る。
後ろから先生の叫び声が聞こえてきたが、構うものか。
建付けの悪い戸を開けて部屋から出て、リノリウムの廊下を駆け、全速力で階段を降りる。
途中、すれ違った生徒や事務の先生が何事かとこちらを見た気がするがどうでもいい。
走って、走って走って走って走って、走りまくって、塾の入り口を出たところでやっと足が止まる。首筋から汗がしたたる。心臓がドクンと脈を打つ。
「あ、あははは………終わった」
ついにやってしまった。いい子を終わらせてしまった。
ひどいことを言って先生を困らせてしまった。怒られているのに逆ギレしてしまった。
もう、塾には通えない。先生からもお母さんからも、多分見放される。
いけない事をしたのに、心は晴れやかだ。胸の奥で渦巻いていた塊が、すうっと消えていく。
「あー、あー………疲れたなあ。もう、全部疲れた」
僕は終わっている。散々ひどい目にあわされたのに、まだ自分に非があるんじゃないかと思って
いる。ホント、いつまでいい子で居る気だよ。
「…………あ、そういやもうすぐか」
僕は、肩からぶら下げているスクールバッグのポケットから一枚の紙きれを取り出す。
白い紙に赤い字で、〈ひばり座 前売り券〉と書かれたそれは、演劇部の舞台のチケットだ。
来週開催される文化祭で、いとちゃんは主役をやると言っていた。数カ月から練習を頑張って、ついに大きな役を任せてもらえる事になったのだ。
『練習したから、絶対見に来てね。絶対だよ! 遅刻したら許さないからっ』
『行くよ、絶対行く。一番前の席で見る。絶対絶対、寝たりしないから』
『もー、信ぴょう性ないー』
………ごめんね、いとちゃん。
近くにいてくれたのに、自分を愛してくれたのに、僕は最後の最後まで君を頼れなかった。
助けてって言えなかった。応援するって言ったのに、応援してほしいって言えなかった。
可能性を捨てるなって叫んだのに、自分で可能性をつぶしちゃった。実力行使しちゃった。
自分が本当に好きなもの、自分が本当にやりたいこと、心の中にしまったまま実行しちゃった。
今更遅いって怒られてもいい。嫌われてもいい。
………これだけ、最期に言わせてくれ。
僕はいとちゃんが大好きです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
由比若菜の人生はもうすぐ終わります。
・・・・・・・・・
助けないでください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うそつきの僕を、どうか許してください。
・・・・・・・・
じゃあ、また明日。
さよなら。
- Re: 憑きもん!~こんな日常疲れます~【第3章開始★】 ( No.38 )
- 日時: 2023/06/18 15:50
- 名前: むう (ID: viErlMEE)
「契り」より〈こいとside〉
学校の屋上のドアに、鍵はかかっていなかった。いや、正しくは違う。鍵穴に、銀色の鍵がささったままになっていたのだ。
鍵は当直の先生が職員室で管理している。しかし先生によっては、時々、鍵を忘れて帰る人もいる。
学校の先生は忙しい。ふだんの授業に加えて部活の顧問も担当している。人間誰しも完ぺきではないし、間違えることだって生きていれば多々ある。
だけど、何も今日じゃなくても良かったのに!
「見晴らしのいいところでご飯食べたい」って由比が言うから。
「屋上の階段で座って食べようよ」って言うからわたし、お弁当の包みを持って教室を出たのに。
扉のスペースに座って食べるって約束だったでしょ?
スマホの電波が悪くてYouTube開けないって話だったから、うち、今日こっそりスマホ持ってきたよ。フォルダにおすすめの動画、たくさん保存したよ。
なのになんで、一緒に観ようとしてくれないの?
なんでランチセット持ってきてないの? ご飯、食べるんじゃないの?
「いとちゃん、僕、外の空気吸いに行きたい。ちょっと行ってくる」
箸でつかんでいたタコさんウインナーが、ポトリとお弁当箱の中に落ちた。
わたしは慌てて立ちあがり、扉のノブに手をかけようとする由比の右腕を掴む。
彼の筋力のない細い指の先が、ビクッと動いた。
「待って。どこ行くの」
「……外」
「外に行って何するつもりなの」
「なにって、空気吸いにいくだけだよ」
由比は、痛いところを突かれたような顔になった。
「ねえ、もういいでしょ。外に行かせてよ」
ドンッと突き飛ばされて、わたしはその場に尻もちをついた。
掴んでいた手が離れる。
ギィィィィと蝶番の音をきしませて、重い銀色のドアが外側から開いた。わたしがかける言葉を必死に探している間に、クラスメートの小さな身体は入口の向こうへ隠れてしまう。
……おかしい。
由比は滅多に嘘をつかない。表情が顔に出やすいことを自覚しているから。
くわえて、彼は大人しい。人より動作が遅くて、のんびり屋で、マイペース。
お喋りするときも、わたしが話終わるまできちんと待ってくれる。聞き役に徹しすぎるせいで、自分から話題を持ち掛けることは苦手。だから、わたしがだいたい『今日は何があったの?』って、先導してあげるんだ。
おかしい、絶対おかしい。
今日に限って、会話を自ら中断しようとして。乱暴してきて。
しかも、……笑わないなんて、絶対絶対おかしい。
「ねえ、待ってよ由比! どうしたの!? ご飯、食べ………」
わたしは、開けっ放しにされたドアをくぐって、そして。
言葉を失った。
人は心の底から驚いたとき、声が出なくなるものなのだと、悲鳴すら喉の奥に引っ込むものなのだと、その日初めて理解した。
――友人の表の顔だけを見て来たわたしの眼は、彼が屋上の柵に手をかける寸前まで、その事実を受け止めきれなかった。
「バカあああああ!」
わたしは、叫んだ。
人生初の怒号だった。人生初の悲鳴だった。
これが悲鳴なんだ、と思った。
後ろから抱き着かれたときに出た「キャッ」や「ひゃああッ」。
あれは悲鳴ではなかったんだ。
なんで、なんでなんでなんでなんで。
嘘でしょ、嘘、絶対嘘。嘘だ、こんなの、嘘に決まってる。
「いとちゃん、風がすごく気持ちいいよ! 僕ね、ずっと空を飛んでみたかったんだ!」
屋上の周りをぐるっと囲んでいる柵に、由比は足をかける。身体が徐々に上へ上へと持ち上がっていく。空と、身体の距離がどんどん近くなる。
……ついに、彼の足が手すりに乗った。その幅はわずか十センチ。制服のシャツが風でパタパタ揺れて、姿勢が少しグラグラしていて。
「ねえ、やだっ、やだよ由比! やだ、大きらいっ」
違う、違う。うちは、あんたを怒りたいわけじゃないの。
なにがあったのか聞きたいだけなの。一緒にお昼ご飯を食べたいだけなの!
あんたのことが大好きだから、だから、自分の好きなものが無くなるのが嫌なの。
あんたに見せたかったものが、あんたの行い一つで無駄になるかもしれない。
それが嫌なの。
「由比! 早くこっちに来て! ……ねえ、帰ろう! 5時間目始まっちゃうよ! ねえ!」
「いとちゃん。僕はもう大丈夫だから、戻ってくれないかな」
うそつき。大嘘つき。バカ野郎。
大丈夫じゃないから、今現にこうなっているんでしょう!?
大丈夫じゃないから、あんたはこんなに追い詰められているんでしょう?
桃根こいとは信じない。演劇部員の名に懸けて、こんなエンドロールは絶対に信じない。
ここであんたの物語を、暗転させたくない!
………ねえ、由比。あんたっていっつもそう。
肝心なこと、何にも話してくれないよね。
自分のこと、家族のこと、習いこと、夢のこと。
わたしはたくさん話したけれど、あんたのことは何も知れてない。
フェアじゃないと思わない?
「わたしがなんかしたの? わたし、無意識にあんたを苦しめちゃった?」
「……違うよいとちゃん。 いとちゃんは悪くない。全部、全部僕のせいなんだ。だから僕が全部やらなきゃダメなんだ」
暖かい風が吹く秋空に零れた、彼の涙。
わたしは慌てて駆け寄り、自分の小さな右手を友人へと差し出した。
なにかが変わるわけではない。なにかを変えるわけでもない。少女の細い腕では、多分相手の苦しみは抱えきれない。
でも、それでも。
それでもわたしは。
「そんなことないよ! 言ってくれたらわたしも一緒にやるよ! 今までずっとそうしてきたよ! だからこれからもそうする! ずっとずっと側にいるから! ずっとずっと応援するから!」
わたしに迷惑が掛かると思ったの? わたしが自分の側を離れると思ったの?
そんなわけないじゃん。
桃根こいとは、由比若菜という物語において最重要人物でしょ?
いい? 物語っていうのはね、キャラとキャラが心を通わせることで進むものなの。
全部一人で抱え込まないでよ。友だちでしょ?
「………いとちゃん。ありがとう。 でもごめん、もう疲れたんだ」
由比が右足を一歩前に踏み出す。足が空を滑る。
小さな身体は重力にあらがえず、コンクリートの地面へと真っすぐに落ちていった。
風すら掴まずにどんどん落ちて行った。
………ドンッ。
………ドンッ。
------------------------
〈ゆ※&■〉
――ねえ、いとちゃ、………なんで。
――なんで、……なんで飛ぶんだよ。
――僕、言ってない。助けて……な、んて………。ひ、とこと………も………。
『―――大好きだよ』
――僕の手、血だら、け。
『ううん、離さないよ』
――いとちゃん、もういいよ。……もう、どっか、行ってよ……。
『じゃあ、一緒に連れてって』
――地獄だろ。
『天国に決まってるじゃん』
――何しに行くの。
『神様に頼みに行く。ハッピーエンドにしてくれって怒りに行く。桃根こいとと由比若菜を叱ってもらう。そして、最期にはくっつけてもらう』
――くっつけるって、なにそれ。僕たち結ばれるの?
『そうだよ。だってうちら、【こいと】と【ゆい】だよ。
ほどけても、また絶対結びなおせるよ』